憲文さんの韓国通信糸ファイル

韓国にお住いの佐々木憲文さんからいただくメールには、もっと多くの人に読んでほしいなと思う内容のものが時々あります。
それで佐々木さんにお願いして、公開可能なものはこのサイトにアップさせてもらうことにしました。
私宛への私信も含まれますが、時にはそれも含めてアップさせてもらうことにしました。
書き手である佐々木さんの人柄を知ってもらうことで、情報が生き生きしてくるからです。
誰が語るかが、情報の内容を決めていくと、私は思っているのです。

佐々木さんはすでに、「韓国通信糸」のタイトルで直接見聞きしたことの一部を書きとめているそうです。
「韓国通信糸」とは、江戸時代の朝鮮通信使をもじったもので、架け橋のような大きなものではなく、「細くてすぐにも切れる掛け糸」という意味を込めて、佐々木さんらしい命名です。
知っているようで知らない隣国の文化と現況。
とても楽しみです。
ご愛読ください。

■韓国からの最後のお便り(2012年6月22日)

日本は不順な天候が続いているとか、お変わりなくお過ごしでしょうか?
これが韓国からの最後の通信になりそうです。

最後は、韓国の“情”についてご報告します。
韓国では“情がある”“情がない”という表現が使われます。
“情がない”と言われたら、冗談でなければかなりひどい人間と言われたことになります。
もっとも喧嘩でもしない限り、面と向かって言う人はほとんどいないでしょうが。

反対に、「あの人は情がある」という表現は、情に篤い、人間らしい、といった感じです。
もちろん“情”は曲者で、“情がない”と言われないことを優先するために、権力の周り(政治・行政)が腐敗しがちです。
日本は、情がなくとも腐敗するからさらに悪いと思います。
もっとも日本の場合、腐敗というより頽廃でしょう。

自然写真家の李貞根さんとは、これまで3回ほどしかお会いしていませんが、
波長が合い、最初の出逢いから必ず飲みました。
電話をしたところ、地方出張するとのことでしたが、帰国挨拶をするとすぐに会いに来てくれました。
出張を延期したから大好きなマッコリで一献傾けようとの誘いです。
3回しか会ったことがないにもかかわらず挨拶をくれたから出張は延期した、とのことです。
私自身、このような“情”で動けるだろうか、と酒を酌み交わしながら李さんの顔を見つめながら自問しました。

韓国人・日本人という枠をはめた視点から見たり考えたりしないよう心がけてはいますが、
時に日本人多くがするだろうかと考えることがあります。
イカン、イカン!と頭を叩くのですが。

李さんの自然を撮った写真は、心癒されます。
李さんは李王朝の末裔で、宗廟での全州李氏の祭祀の模様も撮られていて、
それはそれで見事ではありますが、対象への思いの深さが異なるようです。
“韓国の情”ではなく、李貞根さんの情“として見るべきでしょう。
しかし韓国にいる時の方が、”情“を感じる時が多いのは確かです。
もっともそれを煩わしく感じる人が増えてきていると聞きます。

ソウルは33度の猛暑。雨も降らず干ばつ被害も出はじめています。
水不足も心配されています。
それ以上に日本の政治が暑苦しそうです。どうぞご自愛の上、ご活躍ください。
今後ともよろしくご指導賜りますよう、お願い申し上げます。

ソウルからの最後のご挨拶です。
当分、田舎で静かに暮らします。

■5月のご挨拶(2012年5月7日)

 爽やかな五月の風が吹く日和が続いています。ご健勝にてお過ごしのこととお慶び申
しあげます。パルが逝って明後日で2カ月になります。時には相変わらずのメソメソで
すが、転生と再会を祈り日々過ごすようにしております。

 出かけて疲れ休み過ぎて疲れる連休があることは、贅沢ではあります。韓国では、5日
が「こどもの日」で公休日でしたが、他は平常通りです。月末28日に「お釈迦様誕生日
」の公休日がありますが(クリスマスも公休日です)。

 朝早く、ミホを連れて散歩に行き清渓川の散策路を歩きました。東亜日報横から廣橋
近くまで歩いた辺りで、注意されました。外に出て看板を見ると、ペット入場禁止とな
っていました。うっかり見落としていた方が悪いのですが、注意の仕方がいかにも横柄
かつ規則ずくめの小役人(行政職員)のようで、「政治家がよくて、なぜうちの愛犬が
悪いのか?」と言い返そうと思った程でした。そんな理屈が通るとも思っていませんし、
むろんそんなことはしません。でも、知らずに入ったにも関わらず、犯罪者に対する
ような言動に憤りを感じました。看板の注意書きは細かく、よく見なければわかりませ
ん。散歩道を入るのに、注意書きを詳細に読む人がどれだけいるのでしょうか?

 清渓川の散策路は、道路に上がるためには階段を上らなければなりません。階段がな
い所では散策路から道路へ出ることができないにもかかわらず、彼は直ぐに出るように
と言い募ります。状況を判断できず、規則だけを主張する大嫌いな小役人という感じだ
ったので、よけい腹立ったせいもあります。

 行政は大きな悪(自分の仲間や政治家などのモノ)は見逃し、小さな悪(国民という
より庶民のモノ)を誇大に言い募ります。むろんどんな悪も悪には違いなく、許すべき
ではありませんが、対応が異なるのではと思います。

 仄聞するところによると日本には、このような行政職員の操り人形になって得意気に
政治生命をかけると威張っている人物がいるとか。政治生命をかけるのは勝手ですが、
支持率が2割しかない現実を理解しないで、国民の将来を決めて欲しくないですね。政
治生命をかけるのは信を問うことでは?信を問う自信さえなく、権力を恣に弄ぶことだ
けはやめてもらいたいですね。年のせいか、怒りっぽくなっているのかもしれません。
気をつけます。


■四十九日の法要
(2012年4月24日)

佐藤さん
早いもので、パルが逝って49日になろうとしています。
昨日は、茶禮の練習や多山老師の月例法話に通う宇理禅文化研究院の李院長と若い修業僧と茶禮の金先生が、パルの
法要のために来てくださいました。
パルが転生し再び新しい幸せな生を得られるようにとの祈りの読経とのこと。
 
ずっと傍にいてくれた方がいいのですが、パルが転生するためには、離してあげないといけないと諭されました。
彼岸でまた会えるようにするためにも必要であると。
法要なので、金先生や梁さんなど先輩・友人たちも招いてと思ったのですが、
それは以前から29日の日曜日に決め案内していたので、家族だけで営みました。
 
法要の後、近くで食事をしながら懇談をしました。
院長先生は、パルは修業した犬のようですね、と仰っていました。
パルの想い出をいっぱい聞いていただき、新たな悲しみが湧きました。
身を苛む悔いにいぜん襲われますし、なくなるとは思わないのですが、
一つの節目だったようで、少し違った感じも、表現しがたいのですが抱きはじめました。
 
パルの好物のお菓子やカボチャ、肉、白飯などをいっぱい供えました。
水は三清公園(山清く、水清く、人清い)に朝ミホと行き汲んできました。
ミホは法要の間、おとなしく座って参加していました。
読経の時、時々「ウォーン」と何回か声をあげました。
お供えを狙ってのことかも知れませんが。
 
約1時間余の法要でしたが、果たして自身が「離」をできるかどうか。
しかし「離」こそ大切なことを感じています。
パルは、いたらない父親を見守り、叱咤してくれるようです。
生前のご厚誼を深謝申し上げ、法要のご報告まで申し上げます。
チビ太君の健勝を祈念しております。 

合掌

■浅川巧忌での献茶(2012年4月9日)

4月7日、雲一つない晴天の下、韓国の有志の方々によって守られソウル郊外の忘憂里墓地公園にて眠る、浅川巧さんの81回忌が執り行われました。
浅川巧さんは、韓国人に愛される数少ない日本人であり、韓国民芸の美を発見し柳宗悦を通して日本に紹介した人として知られています。
日本より韓国で知名度が高いと思われます。
江宮隆之さんの小説『白磁の人』の主人公で、日韓合同にて映画化されて今年6月に公開されます。
お墓は故郷である山梨県高根にもありますが、ソウルの方が立派です。
もっともお墓の立派さで人の立派さを測れるわけでもありませんが。

当日は日本からも30人近くの人が参列されました。
人間文化財の辛榮慈さんがパンソリをうたわれる中、献花し韓国式の祭祀の礼を捧げました。
その後献茶をおこないました。献茶は私が行いました。
茶禮の先生から、日本人が韓国式に献茶をすれば、浅川巧さんが喜ばれると説得され献茶をすることになったわけです。
そして韓国人が日本茶道で行うことになりました。
むろんいい加減にしか習っていませんから、当初は固辞し献茶より献酒の方が自分には合っているからとも申し上げたのですが、
日本人男性でしかも年をとって(恥ずさがなくなった年齢?)いる人はいないという希少性ゆえに選ばれてしまいました。
先生からは、「堂々とゆっくりやりなさい」とだけ助言をいただき臨みました。

むかし「中身がなければ恰好をつけよ」と言っていた先輩の言葉を思い出し、
韓服の上にツルマギという黒の外套を着こみ(白い襟でこれが正式な服装とか)、さらに昔風の靴も履きました。
韓国では、正月(旧正)やお盆(秋夕)、様々な行事の時に韓服を着る人が多いのですが、
靴は西洋風の皮靴などを履く人が多くいつも奇異に感じていました。
いろいろ探しまわって、市場で見つけました。
人は見かけが9割とはよく言ったもので、「靴にまで神経を使う人は多くない」と、肝心の韓国茶道(茶禮といいますが)の手前や礼ではなく、靴にだけ称賛が集まりました。
やはり人が神経を使わない所へ使うことが大切なのだと思いました。

因みに、韓国人の李さんの日本茶道の手前は美事なものでした。
女性は華やかでいいです。 とくに若いと。

とても晴れがましく光栄な機会を与えていただいた先生に感謝しております。
パルが逝って今日でちょうど1か月。
先生は、落ち込んで元気のない私を励まそうとしてくださったのだと思っています。
パルの供養のためにも、いい機会でした。

浅川巧さんとパルに合掌。

■春の雪(2012年4月3日)

昨夜来の雨が朝方には霙に代わり、やがて雪になりました。
山肌が白くなっていく様を見ながら、三島由紀夫「春の雪」を思い出しました。
豊饒の海・四部作の第1巻目だったと記憶しています(若い頃−つまりずいぶん昔のことで定かではありません)。
転生の物語でした。
パルが空を駈けている幻影を、一瞬みました。
かつて野原を走った時のように、得意げに「フン!フン!」と息をしながら。
パルが転生するのはまだ先のことでしょう。
四十九日までは近くにいてくれるのですから。
だから寒くはないかと心配になりましたが。

昼過ぎには陽射しが出て、雪は融け、木陰にわずかに白さが斑に残こるだけです。
インターネットを見ると、日本は強風・暴風で被害が続出、大混乱しているとの報道。
被害はありませんでしたでしょうか?
自然は、人知を超えた猛威を、ますます振るうようになっています。
大きな変化が起きようとしているのではないでしょうか。
自然界から警告が発せられているのではないでしょうか。

国民からほとんど信任を受けていない首相をはじめ、一部政治家や企業人 、
そして御用学者がまた蠢動し、懲りずに原発再稼働を企んでいます。
決して多くの声ではないにもかかわらず、マスコミ(大手に多い)は声高に報道しているように見えます。
黒い大きな手に掴まれているような人々が、政界、官界、産業界で実権を握っています。
そのひしめきは怖い限りです。
むろん、彼らの転生の先は(仏教縁起でいえば)碌なものではないのでしょうが、
現実に生きている、生きていかなければならないこれからの人々に害を与える政策は、何としても阻止しなければなりません。

自然を統御できるという思い上がりに対しての、自然からの何度にもわたる警告を、
私たちはもっと心で受け止めなければならないと思います。
ソウルでもやがて桜も咲こうとする4月の今日の突然の雪に、悲しみを新たにするとともに、落胆をも深くしました。
でも諦めずに、できることを着実に積み重ねようと心に期しています。
ご支援ください。

合掌

■言葉と時代
(2012年2月9日)

早朝の散歩時、尼僧と出会いました。
お辞儀を交し、なんとなく歩きながら話はじめました。
「朝ごはんを召し上がりましたか?」と尼僧がまず声をかけてきました。
その時はただ「散歩が終わってから食べます」と応えましたが、後で朝の挨拶だったことに気づきました。

最初に韓国を訪れた80年代には、朝会うとほとんどの人が
「朝ごはん召し上がりましたか?」「朝飯食べたか?」
などと挨拶を交していました。
日本語の「おはようございます」の意味で使われていました。
1986年が、韓国の経常収支が初めて黒字になった年で、急成長を遂げてはいた時代ですが、
それまでの「食べること」の困難な時代を背景にした言葉であったようです。
いつしか、その挨拶が廃れていっていました。

1988年にオリンピック開催を成功させ、まさに上り龍の如く成長してきました。
その過程で韓国社会から喪われたものもたくさんあります。
たとえば、挨拶の言葉です。
たかが言葉ではありますが、しかし挨拶の言葉です。
私が、豊かさを幻想的に得た陰で、喪ってしまった現実のものへの思いを常に想起していないと、
すべてをなくすのではと気づきました。
用心、用心です。

尼僧は、全羅南道と慶尚南道に跨る智異山という有名な山の近くの「窟」に住んでいるとのことで、
寺に用がありソウルまで出てきたと言っていました。
「窟」ですから、寺のように大きな建物ではなく、庵のような小さな寺なのかも知れません。
頭陀袋だけ背負い、飄々と歩いていく姿が、何ともすがすがしく、羨ましく、
モノがあふれかえってしまっているわが身の生き方を反省した次第です。

ソウルは再び零下二桁、といっても零下10度ですが。
寒くはありますが、風はなく穏やかです。
立春から暖かくなっていましたが、まさに三寒四温。でもまだ五寒二温ぐらいです。
どうかご自愛ください。
サロンなどでご多用のようですが、お年を考え休養もしっかりと心がけてください。

■七草が過ぎ
(2012年1月8日)

七草も過ぎ、本格稼働されていることと存じます。
風邪は治ったのですが、体力ではなく気力が萎えていて何もはじめられないでいます。

今年の韓国は、選挙の年です。
4月に国会議員選挙(総選)、12月には大統領選挙(大選)が行われます。
大統領の任期が5年、国会議員は4年なので、20年に1度同じ年に選挙が行われます。

また今年は、ディジタル投票選挙に注目しなければならないと思います。
もっとも不得意な分野ですが。
野党の民主統一党の代表選は、ディジタル投票が導入されて行われます。
携帯で登録すれば投票所へ行かず、携帯から投票できます。
投票率は上がるでしょうが、他の影響も出てきそうです。
ただ、考えていてもそれらの結果はわかりませんから、まずやってみて考えるということでしょう。
便宜さを求め実現されてはきましたが、
その結果として大切なものも喪失してしまったことをも念頭に置きながら、慎重な
検討(事後の検証・修正でいいのですが)が必要と思っています。

以前ご報告したように、昨年のソウル市長選挙では、既存政党に対する不信が顕著にあらわれました。
政党だけではなく、既存のマスコミや権威に対しても深刻な批判が噴出しています。
それらに真剣に向き合うことが求められますが、これまでの政治の動きにはあまり期待できそうにありません。

李明博政権末期の今年、求心力が弱まり、大統領周辺での不正・腐敗問題など様々な問題が噴出しそうです。
さら昨年末に北朝鮮の金正日総書記が死亡し、大きな波乱要因が生じました。
今年は、アメリカ大統領選挙、ロシアや中国などでも代表者が変わります。
日本もおそらく代わるのでしょう。
自らの政治基盤を守るために相手の立場を思いやることが難しく、
相互に強硬に自らの主張を繰り返す不毛の政治の年になりかねないか、と不安を感じています。
それぞれの事情を抱え、政権基盤はいずれも脆弱性を増しています。
それゆえに激しい強硬論になる可能性も否定できません。
これまで以上に、政治や行政には期待できない年になりそうです。

そんな憂鬱に冒されてしまっていますが、
佐藤さんの仲間の方々の活発な活動をメールで拝見しながら、励まされ、自らを励まさなければと感じています。
1か月以上、特段の理由はないのですが、高麗紅参を呑まなくなってしまっているせいかもしれません。
なんとか、立ち直らなくてはと思いつつ、長いメールをしてしまいました。

■嫌いだけど好きな日、冬至のご挨拶(2011年12月22日)

今日の気温は零下5度。しかし風が強く体感温度は零下10度ぐらいのようです。
散歩の折は、オーバーのフードを被って行かなければ、耳がちぎれそうに痛くなります。

今日は冬至。一番嫌いな日であり、でも好きな日でもあります。
昼間が一番短く、朝明けるのも遅いですが、
今日を境に少しずつ早く明け、遅く暮れるようになっていきます。
一番暗い日ですが、明日からの明るさを知らせてくれる日でもあります。
なんとなく朝が明けるとウキウキします。
韓国では柚子湯に入る習慣はなさそうですが、柚子茶を飲んで気分を出そうと思っています。

今年も余すところ9日。
でもまた2012年が始まります。
大変な年ではありましたが、これまでも大変な年がたくさんありました。
そしてこれからも大変な年が訪れるでしょうが、
心を通わせ合い、力を合わせ、知恵を出し合い、支え合えれば、きっと乗り切れると信じております。
乗り切るためには、”合”動詞=動作が大切と思っています。
言うは易く実行は難しいでしょうが、深く考えずまず小さなことから、できることから着手していこうと思っています。

どうぞご自愛のうえ、良いお年をお迎えください。
風邪は万病の元、くれぐれもお気を付けください。
手洗いとうがいのご励行を。
また来年もよろしくお願い申し上げます。

■日本大使館前の平和の碑(2011年12月17日)

今朝は零下10度。肌を刺し、身を切る寒さでした。
朝のミホの散歩に、曹渓寺への参拝と多分日本でも問題になっているだろう日本大使館前の平和の碑を見てきました。
少女の優しい表情です。
大使館の道路を挟んだ歩道に建てられました。
寒いからでしょう、毛糸のひざ掛けやマフラーはカーデガンが着せ掛けてありました。
挺身隊(慰安婦)問題で大使館前での抗議集会が1000回を迎えたことを記念してと書かれていました。



法律上、仮に賠償が終わっているとしても
(その頃にそのような詳細が明らかにされ、それを含めての賠償だったようには考えられませんが)、
撤去を要請する日本政府の姿勢と、アメリカ軍人の犯した罪に対する日本政府の姿勢のあまりの違いに唖然とせざ
るを得ません。

この少女の像を見て、胸が痛むから除去してほしいというなら、まだ良心が残っているとも思えますが、
そのようなことで要求しているとも思えません。
せめて寒いからとマフラーをかけるのが大使の外交官としての仕事で、
食糧費を使って呑み喰い接待ばかりするのが仕事とは思えませんが。

戦争、そして国ということについて改めて考えなければならない、
少女と共に寒い風にさらされながら、思いました。
本当に小さな像です。でもとても重い像になります。

■small talk とsmall world(2011年12月3日)

大東大でお世話になっていた時親しくしていただいた先生から、
井上井月という幕末に信州・伊那谷で活躍した俳人に関してのお話をお聞きしました。
全く知らない俳人でしたが調べると、書画にも造詣が深く俳句とともに描いては、大好きな酒を?んでいたようです。
山頭火も、井月の影響をだいぶ受けていたようです。

資料を調べたら、多分地元の出版社からでしょう、ちゃんと研究書がでています。
中に、今年ソウルで開かれた浅川巧さんのシンポジウムに来韓され、
話す機会を得た「白磁の人」の著者・江宮隆之さんも、井月を小説にされていました。

なんとなく、small world!と実感しました。
そしてすぐに、small talk が開く small world と思いました。
こんなsmall world(大勢の人が知らなくとも、知る人は深く知り合う)の存在、豊富さが文化であり、 豊かさではないかと思います。
そしてそのsmall worldを形成するのは、small talk なのではないかと思いいたりました。
それでこそ、広い世界もsmall world になるのではないかと。

的外れかもしれませんし、ちょっと言葉遊びのような感じもしますが、
そんな挨拶、そんな交流を大切にするよう心がけます。

■こころが寒さに震えていらっしゃるのですね(2011年11月27日)
佐藤さんの寒さがこちらにも伝わってきます。
オンドルやマッコリでも温めようのない寒気ですね。

責任回避、無反省という現象が社会を覆ってきたのはいつ頃からでしょうか。
以前より軍隊や官僚組織にはあったのでしょうが、
学者・研究者の世界や経済世界にも蔓延してきたのは、高度成長になってからで、
バブルによってそれが顕著になったように思われます。

成長信仰教の大きな弊害の一つでしょうが、
信者にはしかしそれが信念であって、理解できない自信に満ち溢れたように感じるのだと思います。

同じ専門家が復興計画を作り(無反省、責任を糊塗しながら)、それを政治や行政が評価(やはり責任回避のため、
無反省にもでしょう!)する繰り返しでは、また同じことを繰り返すのみです。
饒舌だけど中身がない政治家(最近は説明さえしようとしない
首相ですが)、才はあっても心がない行政職員、
奇だけを追って事実や真実を追求することのないマスコミ、
データを駆使して社会を欺く専門家等々、

もっともいまだお米を発酵させてはいても、自分を発酵させられないでいる私自身も同じようなものですが。
 
■キムジャン(2011年11月25日)
韓国ではいま、キムジャンの季節です。
キムジャンとは、越冬用のキムチを漬け込むことです。
今年は、茶道の先生、友人の奥さん、妻の友人など腕自慢の人からこのキムジャン・キムチが届きました。
味だけではなく、量もまさに韓国です。
2人だけ(パルとミホがいますが、キムチを食べませんから)だから少なくしたと言われて受け取ったその量が、
半端なものではありません。
1か所から頂いたキムチだけで、1年分程の量です。
それが3か所から届いたので、とても食べきれません。
さらに、夏前にいただいキムチが、まだ冷蔵庫にかなり残っています。
キムチ冷蔵庫がヒット商品になった理由が分かります。
とても普通の冷蔵庫には保存しきれません。

料理の腕のことをソンシといいます。
ソンシによる味の違い、その生まれ故郷による味の違い、その家庭による味の違いなど、
それぞれ味が大きく、かつ微妙に違います。
だんだん家で漬ける人も少なくなり、スーパーやデパート、市場でもたくさん売られるようになりました。
あの家の味ではなく、あの会社の味になっていきます。
いい環境に恵まれ、個人の名前のついたキムチを食べられる幸せを満喫しています。

まだよく漬かる前のキムチ(浅漬け)が好きなので(美味しいのはもっと発酵してからと言われますが)、
ついこちらから食べてしまいます。
ただあまりの多い量ですから、たまたま来韓される人に分けて持って帰ってもらっています。

漬かりすぎて酸っぱくなったキムチは、鍋にすると美味しさが引き立つので、
寒くなってきたこの季節、キムチ鍋と浅漬けキムチが定番料理です。
温まります。
温まりに(外は寒いですが)ぜひお越しください。

■人事と挨拶(2011年11月19日)
「Small Talk」の話、明日使わせていただきます。 
韓国では人事も挨拶も、同じ言葉です。
漢字では人事(インサ)です。
人事政策などのようにつかいますし、人事しないさい(インサ・ハセヨ=挨拶しなさい)のような使い方をします。
「人事を知らない」と韓国語で言われると、「礼儀を知らない」意味になります。
儒教的な言葉(考えはずいぶんなくなってきているように感じますが)が残っているからでしょう。

人事は挨拶から始まるというと、韓国語では同じ言葉のを繰り返すことになります。
通用するかどうかわかりませんが、挨拶を基本に据えた人事という話をしたいと思います。
MBAの人事コースのようですから。

むかし、組織調査方法を試行錯誤していたころ、
いい部門長(評判や業績の)は悪い成果しか出していないメンバーに、
日常挨拶をしっかり大きな声で言うように指導していましたが、
悪い部門長は、業績について厳しく追及だけをする傾向が顕著にみられました。
調査項目をずいぶん考えて、マネジメント行動調査をと意気込んでいましたが、
途中で挫折し放り投げています。

あまり調子が良く無かったパルですが、ようやく落ち着いて眠り始めました。
私も休みます。おやすみなさい。

■韓国のマスコミへの信頼度(2011年11月13日)
本日のブログ拝読しました。
経済人だけでなく、政治家、行政職員はじめ、私たちの多くも
成長神話を掲げる“経済成長教”という新興宗教に取り込まれてしまっています。
日本人が無宗教、というのはデタラメですね。
成長しなければ福祉も削減せざるを得ないと脅迫し、TPPに加入しなければ成長できないとごまかしています。
錦の御旗が祇園の舞妓さんの帯だったように、
政治家や行政職員が掲げる“成長”という旗も、まやかしにすぎないと思います。

現在の日本の規模で、1%成長するということがどの程度のことなのか、
そのためにどれだけの社会的コストが発生し(原発の再稼働ももちろん必要などの主張に繋がるでしょう)、
どれだけの犠牲を私たちよりはるかに貧しい世界の人々に強いることになるのかを、深く考えるべきでしょう。
学問は、自然を含めて私たちの幸せのためにあるべきなのに、買収されているかのように、
業界や他国や一部の階層のためにのみ奉仕するものが多いように思います。
ただ、印刷されたり活字になったものに、私たちはある種の信頼を置いてしまうのも問題です。

韓国でも、マスコミはこのようなことに関心を払いません。
韓国でも韓米FTAに野党が反対して、批准手続きが滞っています。
韓国の大手マスコミは、
「日本がうらやむ韓米FTAになぜ野党は反対するのか」
「野党が推進してきたFTAになぜ反対するのか」
と理屈にもならないというか、まったく説得力のない論陣を張って、FTAを通すべきとの主張をしています。
財務省の操り人形である野田首相などからみれば、韓国は羨ましいでしょうが、
私たち日本人のすべてが羨ましがっていると記事にする誤魔化しと狡猾さ。
もっとも、勉強していないだけということもあるでしょうが。
マスコミも行政職員も、机の上だけで仕事をすることがほとんどですから。

韓国では、特に若い世代が、大手マスコミよりインターネットの情報を信じ、
政治家より芸能人の言うことを信じると、嘆いています(111110朝鮮日報が行った政治家・有名人の信頼度調査)。
政治家が信じられるようなことをしてきているのかの反省をせず、
またマスコミが上記のような不正確な情報、そして思考を誘導する記事を書いていることを顧みず、
芸能人が言っていることを、あるいは検証されていないインタネットの情報を信じるからと嘆くのは、傲慢以外なにものでもありません。あるいはこのような状態を、頽廃というのでしょうか。
野田さんなんか、自分が正しいことをしていると思っているのでしょうね。
なんだか、今回も混乱してしまいました。

■立冬(2011年11月9日)
このところ穏やか日和が続いています。
昨日は立冬。銀杏もかなり落ちてきています。
東京より、ソウルの方が陰暦での季節感ははっきりしているように思います。

パルの調子は、去年もこの頃から下り坂でした。
この冬をうまく乗り切れるといいですね、と医者は言います。
検査ばかりしてよくなる方法を探せない医者に腹立たしく、最近は話をしないようにしています。
間に立った妻が大変そうですが。
仁術なる言葉が死語になって久しいですが、算術も可愛い娘を人質にとっての計算高さですから、怒り
も心頭に達してきます。
心頭に達した怒りは、請求書を見てさらに、目から飛び出していきます。

帰国の準備のために、パルとミホの検疫の手続きをとっています。
はたしてパルを連れて帰れるのか不安ではありますが、手続きをとらなければより不吉な感じがして進めています。
その中で役所仕事の数々にあきれ果て、かつ怒りも蓄積しています。

近くの清渓川沿で灯り祭り(ランタン祝祭)が行われています。
昨夜、酔い覚ましに散歩がてら行ってきました。
電球でなくろうそくの火であれば、もっとやわらかな温かさがですのではと思いました。
たくさんのそしていろいろな灯りの像が、とても見事でした。


■黄金色の妄想
(2011年11月3日)
もう11月。今日65歳の誕生日です。
1946年11月3日。憲法発布を祝う神輿が家の前を
通った時に生まれたので、おめでたいと言われてきました。
名前も憲法の「憲」にあやかっています。

韓国では銀杏をウネンといいます。
銀行も同じ発音です。銀杏の木は、ウネン・ナム、「銀行の木」です。
近くの慶福宮(キョンボックン)横の銀杏並木が、黄金色に彩られとても綺麗な季節です。
街灯に照らされ銀杏の葉が、小判のように輝いている錯覚に陥りました。

普段使っているお札でも、国が紙切れに印刷して流通させているだけで、
葉っぱと変わるところはないと、酩酊した頭で考えました。
子どもの頃は、銀杏の葉っぱをお金の代わりにして、買い物をする遊びをしていた記憶があります。
ちゃんとそれで、いろいろな買い物ができて満足していました。
狸が頭の上に葉っぱを載せて「えへん」なんて言うとお金に代わる話があったことを思い出しました。

そういえば、永田町や霞ヶ関には狸が多く生息して、「エヘン、エヘン」と言っていると、聞きます。
もっとも霞ヶ関の方は、狸というより狐とか猿の印象が強いのはなぜなのでしょう。

お酒を呑んで心地よい気分の散歩時に、とつぜん浮かんだ妄想でした。
霜月です。前半は暖かで、後半は寒くなるとか。
残り少なくなった2011年。ご自愛ください。

■朴元淳さんがソウル市長に当選
(2011年10月30日)
 
26日にソウル市長選挙が行われ、朴元淳さんが当選されました。
希望製作所を訪れお眼にかかったのが6月ですから、すでに4ヶ月経っています。
その折、朴さんが、新しい仕事に挑戦しようと思っていると仰ったので、「政治ですか?」と尋ね、驚いた顔をされたようです。
記憶はないのですが、妻が覚えていました。 

朴元淳さんは、市長選立候補の検討された安哲秀ソウル大融合科学技術大学院長との話合で市民運動としての単一候補となり、
続いて民主党からの立候補者との単一化投票に勝たれ、野党統一候補になられました。
野党統一候補ではありましたが、既存政党(民主党)にはいることを拒否し、無所属としての立候補でした。
マスコミでは、
「政党政治の凋落」
「市民運動からの政治変革」
「李明博大統領の私邸購入疑惑」
「与党候補が年間1億ウォン会費を払ってのエステ通い報道への反発(デマとのことで訴訟が起こされたようです)」
政権への批判」など、さまざまな解説が流れはじめています。
社会が大きく変わるのではとの予感がします。
もっとも、政治がらみの予想はほとんど当たってこなかったので、あてにはなりませんが。

朴さんは、ハンナラ党の羅候補(女性)に対して、20代の投票者では2倍、30代で3倍、40代で2倍の得票を得たとの分析です。
50代以上では羅さんが朴さんを上回って得票していますが、顕著な開きはありませんでした。
この世代の投票行動は、どうも現政権批判となっているようです。
07年の大統領は、現李明博政権を誕生させた(当時は野党としての立候補)原動力もこのせいだったようです。

選挙が終わってからですが、これまでの政府発表統計に対し、批判的な研究成果の報道がありました。
1つは、失業率です。
現在3%台だと政府は誇らしげに発表してきたようですが、
韓国開発研究院(KDI)によると、国際労働機関(ILO)が提示する方法で失業実態を調査したところ、
「事実上の失業者」の比率は21%に上昇したとのことです。
韓国の「統計上の失業者」は、
前週に1時間以上仕事をしていない、
直近の4週間にわたり積極的な求職活動をしているなどの条件を満たした人に限られています。
これまでも、実際をはるかに下回ると指摘されてきました。
(統計数字は政府が都合のよいように作って発表しているのは、韓国や日本だけではないのですが)。
また非正規社員数についても、政府発表と非正規職の規模を集中的に追跡している韓国労働社会研究所の発表では、230万人以上の差があります。
非正規職についての基準が違うのですが、政府は基準を明確にせず、言葉と数字だけを発表し、独り歩きさせるよう謀っています。

小さな嘘は詐欺師の嘘、注くらいの嘘は政治家の嘘、大きな嘘は統計の嘘、との言葉を聞いた気がします。
大きな嘘は、統計数字を巧みに作ってつく政府(行政)の嘘だったのです。
その嘘を、若い世代が体で見抜き(体感する失業率や非正規社員の増大あるいは物価高などは、
政府が発表する数字とは大きな差があります)批判したものと思われます。

私たちは代議制政治の中にあって、投票行動でしか意思を表明しえません。
投票した人が、こと意思と異なった行動をしたことに関しても責任を持たざるを得ない非常に危うい政体の中で生きているわけです(原発問題に顕著です)。
ただ、その投票さえ放棄してしまうのではなく、投票によって変革を求める韓国の若い世代の行動に、大いなる期待を感じています。
怒れ、若者よ!です。

朴元淳さんの市長当選報告が、わけの分からないメールになってしまいました。
希望製作所等の訪問の企画の中で、新しいソウル市政を視てみるのもいいのではないでしょうか?

寒くなってきました。ご自愛ください。

■韓国・利川(イチョン)の陶磁器祭り(2011年9月25日)

友人に誘われ、利川(イチョン。陶磁器で有名)へ行き、陶磁器祭りを見てきました。
出品している作家でたぶん一人だけ「備前!」と思う物がありました。
備前は日本古来のものと思い込んでいましたが、あるいは朝鮮半島からの影響を受けているのかも知れません。
どなたかご存知の方、ご教示ください。

備前は昔から好きで、徳利は40年以上愛用していて、
「この徳利のために酒を呑む」と言いつつ共に酒を呑んできて、肌理はかなり艶々してきています。
備前の作家は、愛酒家が多いようで、酒飲みの心に響く大きさ、形が多いようです。
備前に入れるとお酒が美味しくなるようにも思います。
水が美味しくなるのは、理屈があるようですから、酒も当然美味しくなるのでしょう。
備前は、長い時間かけて焼き締めるので、丈夫であることも、いいですね。

さまざまな作家の作品を展示し、販売していました。
「井戸茶碗」は、日本人に人気があるからと、あまりいいできのものでもなくともずいぶんの値段でした。
でも若い人の作品にはとてもいいもの(というより好きなもの)がありました。

青磁も人気があるからか、たくさん出ていました。
ただ、少数の作品を除いて、心傾きませんでした。
むしろ、白磁に好きな作品がありました。最近、青磁から白磁に関心が移っているからでしょうか?

父親が轆轤を回して、娘が絵付けをした白磁がよかった李向九さん、備前焼に似た李住烈さん、土火陶窯という名にも惹かれた李昌洙さんなどが、印象に残りました。
窯を尋ねたい旨をお願いしてきました。

■壺でのマッコリ醸造(2011年9月23日)

韓国の壺でマッコリを造ってみました。
これまでは、ガラスの壺で造っていましたが、骨董品の壺を入手し、初めて挑戦しました。
備前などでビールを飲むと、泡が細かくなるように、息をする壺であるがゆえに、美味しくできる!と思っただけでなく、韓国
では伝統的にそのように造られてきたからです。

今回は、また白米だけではなく、玄米を4分の1混ぜてみました。
白米だけより少し硬い香りと味がするように思います。
発酵している泡が、ガラスよりは柔らかできめ細かな感じがします。
大きいので、消毒したりするのが大変ですが、壺もお酒に酔って、いい光沢を放つようになるのではと楽しみです。
むろんそのためには、相当仕込まないといけませんが。

ドブロク闘争で有名な故・前田俊彦さんが造られた福岡の「瓢鰻亭」を尋ねようと誘われているのですが(造ったマッコリを持参してですが)、パルの容態が心配で実現できずにいます。
ちょうど新米も出てきて、仕込にはいい季節になります。
 
これはおなかもいっぱいになり飲み過ぎませんし、混ぜ物はいっさいありませんから少々飲んでも綺麗に醒めます。
ぜひ韓国にお越しください。

ちなみにある研究会で、かなり美味しい酒を造る会社の社長に会い(酒だけでなく経営のやり方もなかなか興味があります)意気投合しています。
来週会社を訪ね、造ったマッコリの味見をしてもらいます。

■引退するということ(2011年9月3日)
以前から引際について考えてきました。
私自身果たしてちゃんと引くべき時に引いているのかと問われて、自信を持って応えられませんが。
これまでの仕事柄、経営者に「60歳になったら(あるいは65歳になったら)辞めるように言って欲しい」と頼まれたことがあります。
その年になると頑固になるだけでなく、周りから「辞めるように」と忠告する人がいなくなります。
だからこそ頼んだのですが、直接的にいうと角が立つと思い、すこし遠まわしに言うと、とぼけたりします。
たいていは会わないようになります。

過日、親しくしている60歳になった経営者が来韓され、食事をしました。
その席で、「今の仕事は辞め、経営に関心があるのなら、社会的企業などの新しいことをやるべき」と助言しました。
彼にも60歳になったら言ってくれと頼まれていたからです。
鈴をつける人は、回りにいないからと断りながらですが。
「会長になり、社長にほとんどまかせているから」と言いましたが、
「それは言い訳に過ぎない。自分がコントロールできるから彼を社長にすえているだけで、
彼は経営者ではなく管理者に過ぎないではないか」
65歳まで年金をもらえないサラリーマンが仕事を続けるのは仕方がないが、
オーナー経営者であり、生活に困らない人が、いつまでもこれまでの仕事にしがみついていてはいけない。
社会にもっとやること、やれること、やるべきことがあるはず」と、飲んだ勢いもあり、言いました。
もっとも、彼は江戸時代から続く老舗の経営が思わしくなっていることもあって、引くに引けなくなっている面もあるのですが。

公務員か大企業に勤めていた人でしょうが、
「今の若者はだらしがない。俺は働かなくとも、いまどきの若者より沢山の収入がある」と自慢する人がいました。
年金の仕組みも知らず、若者が負担している年金をもらっていてなんという認識でしょう。 
こんな年寄りこそが社会を悪くしていると情けなくなりました。

ところが最近「おじいさん!韓屋村へ行くにはどういくのですか」と尋ねられ、大いに自省しています。
佐藤さんのブログを読み、さらに深く反省しなければ!

■ソウルの豪雨(2011年7月29日)
ソウルは、100年に一度の豪雨(こちらでは「水爆弾」!と表現されています)で、死者が数十名規模ででています。
山崩れによる被害、浸水による被害・交通マヒなどが現在も、あちらこちらで続いています。
天災だけではなく、人災の要素が強いと思われます。

幸い我が家は、昔からの高台にあり、被害はありません。
ただ坂道を渓流のように雨水が流れ、散歩に行く下の道は川のような時がありました。
歩いて10分ほどの観光地である光化門広場(ご覧になりましたね)も、一時は海のようになり、
水しぶきを上げて車が通っていたようです(映像で見ただけですが)。ソウル市内も、近代になって手を
加えたところの土砂崩れはひどいようです。
公園を作ったりしているのですが、それが却って被害の増大に結びついたようです。
 
なにしろ、この2日間で、1年の降雨量の半分近くが降った計算になるとか。
湿度が少ないのが韓国の夏の取り柄であったのですが、いつまでもじめじめとしています。
梅雨のことを黴雨ともいうようですが、ソウルでも梅雨は明けているのです。
しかし、まさに黴が生えるようなこの頃です。

先ほどから、久しぶりに陽が差し始めました。
明日にかけて天候は回復するようですが、来週からはまた雨とか。
なによりこの天候不順は、パルの健康状態によくありません。
天候がよくなれば、パルの具合もずいぶんよくなり、ミホを追いかけたりします。
ミホは、父親?に対する態度とはまったく異なり、姉のパルへの心配りや気配りは見事なものです。
マネジメントだけでなく、生き方まで、この子たちに学べそうです。
志向の枠組みを転換するためには、私たちは人間以外に学ぶ姿勢が必要に思います。
同じ組織の人同士で話をしても、組織の言語でしか離さず、結局枠を超えられません。
大胆に越えるためには、チビ太君やパル・ミホから学ばなければ!と介護をしつつ、考えています。

日本は暑い夏と存じます。
熱中症にならないよう、くれぐれも用心してお過ごしくださいますよう、祈念申し上げております。

■フォロワーシップ〈2011年6月23日)
最近の佐藤さんのメッセージを繰り返し読んでいます。
昔読んだ本で、「破れたる恋も、せざる恋より優れり」という言葉を記憶しています。
正確な表現ではないかもしれません。
ともかく、諦めてはいけない、行動しないといけないとの励ましの言葉として、心の隅に残してきました。
分別が過ぎてやる前から諦めてしまうより、やっても駄目で傷つくかもしれない道を選ぶべきこと、時があります。
 
東日本大震災に関し、韓国中央日報紙(110412付)は、日本国民を「世界最高のフォロワーシップ!」と絶賛しました。
しかし、最高のフォロワーシップ(物分りのよさというか、諦観というか、流れや状況への無関心というか)が、
最悪のリーダーシップと結合すると、 “赤信号みんなでわたれば怖くない”になり、
その例として、軍国主義に染まった時期、貿易戦争の戦士として活躍した時期をあげています。
もっとも私には、これらをフォロワーシップトは思えませんが。
 
日本国民の政府への無抵抗を、政治家たちは“羊たちの沈黙”と錯覚していると指摘しています。
確かに外から見れば、なぜ声を上げて怒らないのかと不思議に思えるのでしょう。
何度も訊ねられました。

たとえば朝鮮日報紙(110314付)では、
「外国人からすると、日本政府による危機管理能力はまさにゼロだ。
‥安全点検という名目で、救護品を積んだ輸送車の通行さえ遮ってしまう行政、
‥放射能汚染水を海に放出する無謀さ、
政府の‥融通のなさ、情報が共有されず、閣僚が互いに抗議し合う省庁間の利己主義−。
政府のこのような情けない姿に、日本人はもちろん怒りをあらわにしている。
だがそれでも政府の発表を信じ、指示通りに動く。
政府が「健康に異常はない」と言えば、市民は原発のある福島県の野菜や魚を食べる運動まで始めた。
‥外国人は、日本政府の発表そのものを信じていない。
‥日本国民も外国人ほどではないが、不安を感じているのは同じだ。
しかし危機を克服するためには、無条件に政府の言うことを信じ、その指示通り動かなければならないと考えているようだ。
これは政府がいくら無能であっても、国民を欺くようなことはしない、という信頼感があるからこそなのだろう。」
との特派員の取材記事を載せています。

しかし、本当に信頼感なのだろうかと、疑問に思ってきました。
むろん、今は信頼感はなくなり、呆れているだけかもしれませんが。

先日お会いした朴元淳先生の言葉を借りれば
「行動しなければ意味がない」ですから、
どんな小さなことからでも先ず動くことが、今私たちに求められているように思います。
政府や経済界の笛で踊るのは、もうやめにしなければなりません。

ところで、私はなにをはじめるのか?まだ自問しています。

■朴元淳弁護士のこと(2011年6月21日)
お元気でしょうか。
ソウルも暑くなってきました。
今年は最高の暑さになるとか予報が出ています。
ただ、まだ湿度が低く(40〜50%)、蔭や家の中は比較的凌ぎやすい日々です。
だからパルの容態も安定し、外へ出たいとの素振りをし、連れて行けるようになって1週間です。
朝だけですが、大いに気分転
換ができるようです。

昨日、希望製作所の創立者でもある朴元淳弁護士をお訪ねし、お話をお伺いし、研究所を見学してきました。
朴先生は、落選運動をはじめた人でもあり、日本でもかなり知られていると思います。
アウムダウン・カゲ(美しい店)を展開するアルムダウン財団、市民運動、市民生活のためのシンクタンク(実践性を追及する特長を強調するため、Think & Do Tankと自己規定している)希望製作所などを創立されてきています。
名刺の肩書きは、Social Designer です。
その感性に驚いてきていましたので、先ず最初にそのことをお尋ねしました。
「金もなく、何もない中から新しい価値を創造するためには人の力を集めるしかない。
何か人が動く、興味を示す、意味を認める、感動する言葉が必要であるとの強い思いから生まれたもので、心がけているのは物語のある事業や運動ということ」でした。
その他、社会的利益創出組織の経営についての、さまざまな示唆をいただきました 。
整理してご報告し、ご意見をいただきたく考えています。

研究所は朴先生の影響か、若い人のアイデアが遺憾なく発揮されていて、楽しく生き生きとした空間でした。
自治体の長、職員を対象にした教育プログラムを開発し実施するセンター、
シニア世代の社会貢献を促進するための教育プログラムや紹介プログラムなどを開発・実施するセンター、
小企業の起業を支援するための「小企業発電所」、
小企業の商品の販売を支援する「希望の荷車」事業、NPO交流センターなど、
小さな部門に分かれ、しかし全国を対象に、生活者の視点、地域の視点からの研究・実践活動に取り組んでいました。
大昔、かつては持っていたような熱情を思い出し、感傷的になりました。

今後も伺うことにしました。お目にかかった折、詳しくご報告いたします。

■いのちと命(2011年5月23日)

韓国のお茶を習い始めたご縁で、多山宗師(90歳)にお目にかかり、
月に2回ほどご指導いただく機会を得られるようになりました。
多山宗師は、そこで寿命と生命ということをよく話され、これを勉強しなさいといわれます。
この同一が、大宇宙との一体感をもたらし、
人間同士、国と国の争いをなくし、
生きとし生けるものすべてが安寧に暮らす世を実現する方法だ
と説かれているように思います(実は言葉もよく分からなく、これから勉強するところです)。
佐藤さんの仰る、いのちと命ですね。

その中に分かるようになるだろうと、韓国語がほとんど分からないにも拘らず、お聴きしているわけですが、
時折、ハッとすることがあります。
ただあくまで観念の世界のことで、実感するには程遠い感じです。
1時間のお話の中で、一言ぐらいしか理解できません。
でもその言葉を頼りに、その言葉を中心に考えていくと、案外いいのではと思ってはいます。
もっとも、怠惰と努力不足のいいわけがほとんどです。

駆け込み寺という言葉もそうでしたが、最近佐藤さんの言葉にハッと触発されることが多くなりました。
成長したのでしょうか?

■生業(2011年5月25日) 
北村(ミッシュラン・ガイドで3つ星を獲得したと報道されています)には、
小さな装身具の店がたくさんあったのを覚えておられますか。
買い物に興味がない佐藤さんだからあまり記憶にはないのかもしれませんが。
1坪ぐらいの店から、大きな店まで多種多様、仕入れ販売の店もありますが、
工房にして自分の作品を売っている店もたくさんあります。
店をもてない人は、スーツケースに作品をいれて、露天で展示して販売しています。
呼び込みをするわけではなく、近づくまでは、作品作りに精をだしています。

これまで、生業−家業ー企業という段階で成長することを良しとし、
そうなるような経営学であったような気がします。
しかし、逆ではないかとおもいはじめています。
生業をもっと大切にすべきで、これからは生業の時代ではないか、と強く思っています。
私のマネジメント開発もその方向に大きく舵を切っています。
分からないところがまだ多いのですが、
生業的に仕事をしている彼女(男性はほとんどいません)たちのことを、
もっとよく知らないといけない(問題点などを含め)と思っています。
むろん彼女たちは、今の状態ではなく、家業、そして企業へとの発展を目指している人がかなりいるようですが。

■ソーシャルデザイナー(2011年5月20日)
いろいろなサロンが次々現われてきて、、羨ましく思っています。

昨日、こちらの「希望製作所」という団体の5周年記念のシンポジウムが行われました。
日本希望製作所(http://japan.makehope.org/46)も設立されています。
日本の方はあまり知りませんが、こちらでは希望製作所に関わっている人によく出会いますし、話はよく聞きます。
自らを市民運動としてのTHINK & DO TANK と位置づけ、
実用性を重視し現場に立脚し、代案を提示し実践していく研究機関と評価されています。
独立を標榜し、補助金ではなくあくまで受託事業として収入を得て活動してきているため、
特に現政権になってから経営が厳しさを増してきていたようです。
収入の約半分強は寄付金(75%は個人の寄付、25%が企業の寄付)で、事業収入が半分弱です。

創立者は朴元淳(パク・ウォンスン)さんで、弁護士です。
落選運動をはじめた人とも聞いています。
以前、青山学院の本間さんに依頼され、団体生命保険に関する判例を調べてもらったことがあるので、
初対面でしたが、挨拶をしました。
希望製作所や朴さんについては、改めてご報告しますが、 朴さんの肩書きが「SOCIAL DESIGNER]となっていました。
他の希望製作所の人も、研究員の名刺も(1人だけと交換しただけですが)、やはりSOCIAL DESIGNERとなっていました。
佐藤さんのコンセプト・デザイナーと同じ意味だと気づきました。
佐藤さんと名刺交換したのは、ずいぶん昔ですが、その頃はコンセプト・デザイナーとなっていませんでしたか。
手元に名刺もなく確認できませんが。

横文字はできるだけ使わないようにしていますが、この言葉は分かりやすく、いいですね。
朴さんが時間をとって話しましょうといってくれましたので、一度お尋ねしたいと思います。

■5月という季節(2011年5月17日)
しばらく前(多分5年ほど前)までは、5月はなぜか憂鬱になる季節でした。
新緑の眩しさ、柔らかな風の香りに、なぜか心がかき乱されていました。
青春時代といいますが、青い春は、若い時はなぜかだめでした。
むろん、佐藤さんのように3.11というわけではなかったたのです。

窓から見える前の家(知らない人で、窓から眺めていただけですが)のベランダで飼われていた子犬が、突然いなくなってしまいました。
繋がれ放しなので、よく啼く子犬でしたが、叩く飼い主にも一生懸命に尻尾を振っていました。
チビちゃん(女の子)と勝手に名前を付け、その仕草を毎日眺め、パルやミホに話してやっていました。
1ヶ月ぐらいで、ずいぶん大きくなってきました。
泣く時に、窓を開けて手を振ってやると、しばらく泣き止みました。
見ていると、仕方なしに、そこで用を足していました。
用を足す場所を探していたのです。
誰かにやってしまったのか、捨ててしまったのか心配です。
まさか、食べてしまったわけではないと信じていますが。

韓国で犬の保護を 続けているある女性の元には、ボールペンで目を刺されたり、脚を折られたりした犬たちが数頭います。
飼い主が、捨てる時について来ないようにやったとのことです。
どうしてそんなことができるのかと、その残酷さ、無慈悲さに暗澹として言葉も出ませんでした。
5月のせいか、人間の恐ろしさに沈鬱になってきます。

■久しぶりのパルの外出(2011年5月4日)

今日、2ヶ月ぶりにパルを外に連れて行きました。
この間、ミホだけ散歩に連れて行っていましたが、パルが羨ましそうに見送りつつ、
この10日間ほどは行きたそうな表情と態度をとるようになりました。
それだけ元気になってきたと感動し、心が動きはしましたが、もうしばらくと言い聞かせ大事をとってきました。
お八つを食べるにも、飛びつくようになり、歩く足にも力があるようになってきて、思い切って、「外へ行こうか!」と声をかけました。
大喜びで、ミホを押しのけ玄関に先に行って「待って」の姿勢。

階段に付けたスロープを、抱かないでも自分でうまく降り、上れました。
20メートルほどの間ですが、あちこちを、何度も匂い嗅ぎ、しゃがみこみ、往ったり来たりを数回繰り返しました。
ゆっくり時間を掛け、久しぶりに外気を堪能すると、自分から玄関に向かいました。
ストレスが溜まっていたらしく、ミホを睨むことが多くなっていたこの頃ですが、
かなり解消されたようで、なんとなく優しい眼を向けています。
疲れたのか、気が済んだのか、横になり眠りはじめました。
その寝顔を見ているときの幸せ感。
この先が不安ではありますが、今の元気な時を、充分にいっしょに楽しもうと思っています 。

明日は、こちらでもこどもの日。
子どもであるパルから、逆に素的な贈り物をもらいました。
感謝、合掌です。

佐藤さんには、とてもご心配いただき、本当にありがとうございました。
御礼とご報告まで申し上げます。
チビタ君の具合はいかがですか。
陽気がよくなり、きっと元気になっていることでしょう。
それともこどもの日に、お父さん孝行をしてくれているのでしょうか?

■5月の風(2011年5月1日)
佐藤さん
風邪はいかがでしょうか?
今日から新緑の5月。
昨日の激しい雷雨が上がり、青空が広がってきています。
日本は連休ですね。
ボランティアで東北に出かける方々のサロンの様子、拝見しました。
政治や行政職員、マスコミや経済界の人々と、同じ人間には見えないのですが、これが人間なのでしょうか。

佐藤さんが仰るように、東日本大震災という禍を機に、
日本は、支えあい・分かち合う社会に、
成長至上主義、資本至上主義、市場至上主義が跋扈する社会ではなく、それらの弊害を省みる余裕を持つ社会に、
物や金を優先する社会ではなく、人や生き物(自然を含めて)に優しく在れる社会に、変わっていくことができるでしょうか。
できるかできないかと問うのではなく、
そのような社会の実現に向けて、行動をしていかなければならないとは思うのですが。
 
パルの体調がよくなり、自分の風邪も治り、散歩する時の気分が、なんともいえず爽快になってきました。
このような幸せで充分だったのに、ずいぶん無駄なものを求めてきてしまったような気がします。
無駄なものを求めるあまり、本当に大切なものを無駄にしたり、無駄として捨ててきてしまったことを、反省しています。

樹木に芽吹き始めた新緑の美しさに、詩をこそ生み出しえませんが、詩的な気分に浸りえます。
今の取り留めのない生でも、詩的な響きを帯びてくるように思えます。
詩の力が革命を起こしうるのではとの思いが、急に湧き出てきました。

爽やかな5月はじめの朝。
どうかゆったりお過ごしください。

■内在化された記憶の更新(2011年4月30日)
風邪はもうよろしいでしょうか。
東北大震災を気に、支え合う社会の再構築に向けて大きく動き出そうとしている現場におられ、吹き飛ぶことでしょう。
社会が変わる弾み車が、まさに動こうとしているのでしょうか?

経営学の恩師から、むかし内在化された記憶の更新が大切だと、何度も言われました。
古い記憶は忘却し、新しい知識は記憶にさえ残らないこの頃になって、
更新すべき記憶が、更新されないで残っていることに気づきました。

佐藤さんに、韓国のコーヒーは美味しくないと申し上げていたことをご記憶でしょう。
7,8年前まで、美味しいコーヒーが少なかったかったことは確かです。
だからその後、韓国では普通のコーヒーを喫まないで、喫茶店へ行って、
エンナレ・コーヒー(昔のコーヒーという意味)と言ってインスタントコーヒーを喫んでいました。

いつからか、劇的にか、少しずつか、コーヒーの味が、変わっていました。
我が家の近くは、カフェがいっぱいあるのですが、自家焙煎したり、コーヒー教室を開いている店も少なくありません。
最近喫んでみて、美味しいことに驚きました。
なぜ喫む気持ちになったのか分かりませんが、気まぐれの性がでたのでしょう。

「眼耳鼻舌身意」で記憶したことが、その後更新されず残り続け(ほかの大切な事は忘却の彼方に消え去っているのに!)、
佐藤さんにも間違った情報をお伝えしてしまっていました。
頭で記憶したことは、すぐに忘れますが、「眼耳鼻舌身意」での感覚的記憶は、
潜在化して、意識や行動を方向付けてしまうのでしょうか。
こんな記憶がまだあるのだろうと、点検しなければと思っています。

■アジアの風(2011年4月28日)
風邪が治り、気分転換を兼ねて中央博物館へ、「新安・龍泉青磁展」の鑑賞に行ってきました。
日和も良く、暖かくなった春風が、病み上がりの身体を心地良く包んでくれました。

この頃(中国では宋・元の時代、朝鮮半島は高麗の時代、そして日本は鎌倉の時代)の日本は輸入国で、
大陸・半島より青磁や香木、薬や経本などを求め、金・銀を輸出していました。
貿易赤字という概念もなかったのでしょう。
必要なものを、買えるだけ(能力の範囲で)求めるという、貿易です。
上流階級の嗜好品としてではあったでしょうが。

ともかく、香り高い芸術品に触れ、気分が高揚しました。
せめて1ヶ月に1回は、訪ねようと密かに決めました。
佐藤さんの東大寺行きも、近くで間に合わせてみたらどうでしょう?
このような安易な考えではいけませんね。

■数字は作られます(2011年4月20日)
嘘には大中小3種類の嘘があり、確か、
小さな嘘は詐欺師の嘘、
中ぐらいの嘘は政治家の嘘、
大きな嘘は統計の嘘、
だという話を聞いたか、読んだように思います。

この統計数字を使って都合の良い理屈の正当化を図るのが、
マスコミと行政職員(公務員とはいいたくありません)のような気がします。
平均なる数字のまやかし、対象に疑問がある中での比率の無意味さ(今回の原発賛成が過半数という数字もそうかもしれません)
など、集計そのものに誤りがなくとも、受け取る方としてはだまされてしまいます。

世論を操作するために、調査が行われます。世論調査なるものが、政策に反映されたことがあるのでしょうか。
むろん、おそらくあるのでしょうが、寡聞にして知りません。
行政側からの結論ありきの調査や研究に、多くのシンクタンクは、仕事ほしさに携わっています。
そしてそのシンクタンクが発表する内容を、我々は信じ込まされてしまっています。
数字を見るとき、発表者、実施者を見て、対象、方法などを確認しないといけないのですが、
マスコミは無意味な数字だけを発表している時があると思います。
もっとも昔、新聞を読んでいた頃の経験なのですが。

パルが良くなってきて気が緩み、風邪を引いてしまいました。でも2日で治りました。
まだお父さんがしっかりしないとと、言い聞かせているからでしょう!エヘン!
 
■遺跡と復元(2011年4月18日)

ソウルも春爛漫となりました。桜、連翹、木蓮、こぶしなどの花々が一気に咲き誇っています。
愛娘パルの調子がずいぶんとよくなり、あまり神経を使わずに安心して日々送れるようになりました。
ご心配をいただき、本当にありがとうございました。

パルミラのブログを拝読しました。アジア以外には行ったことがありませんから、ぜひいってみたいです。
世界の遺跡のような本で、見たことだけしかありませんが。
いつ頃いらっしゃるのでしょう。
まだパルを置いていくことはできかねる心境ですが、もっとよくなってくれると思いますので、
その頃であれば、ぜひご一緒させてください。
多分、次から次へやることが現れ、きっと相当先のことではないかと心配していますが。

ところで、観光開発という名の下、遺跡が整備されすぎるのも、個人的には好きでありません。
百済の都、扶余は大好きな所で、かっては20回以上訪ねました。
定林寺跡、扶余城、百花岩、白馬江などが好きで、中でも定林寺の石佛、崩れかけた塀などを見ていると、
1000年以上も昔に飛んでいけるような感じがしていました。

新羅の都であった慶州のある慶尚道に比べ開発が比較的遅れていた百済の都も、観光開発が急速に進められ、
石仏には楼が被せられ、塀もみごとに復元されました。
ただ、その前に立ったとき、昔に飛んでいけなくなってしまいました。
建物が復元されてしまうと、その物に阻止され想像力が働くなってしまいます。
だから、最近はあまり行かなくなりました。
行きたい気持ちもなくなってしまってきています。
もっとも観光客は増えているようですが。

■「共」のものが「公」へ、そして「私」に(2011年4月8日)
フォーラムの準備が順調に進んでおられる様子、大慶に存じます。ここしばらく、パ
ルの容態が悪く、心ここにあらず、の状態でした。うまく峠を乗り越え、新しい季節を
迎えてくれたようで、落ち着きを取り戻しています。きっと、もう少しは良くなってく
れる、と期待しながら過ごす最近です。

韓国に来てから、“交通道徳”に関心をもって“証拠写真”を撮っています。「韓国
の交通道徳」については別の機会にご報告しますが、今日は、駐車違反の現状に腹を立
てて、浮かんだ考えです。
住んでいる北村(プクチョン)は、喫茶・食堂や装身具の店が多く、若者や観光客で
賑わっています。車で来る人も多く、路上駐車どころか、歩道駐車(しかも2列に!)
をしています。車に占領された歩道を、横向きになって歩いたりしています。これにつ
いても、改めてご報告します。

近くには豪邸もかなりあります。敷地内ではなく、“共”に使用・利用すべき道路に
何台も駐車しています。広大な土地をもっているのだから、“共”空間を占有しないで、
“私”の敷地内に駐車空間を造ればいいのにと、いつも思います。道路には、「居住
者優先駐車」と大書してあります。つまり、私有地の拡大利用が行われ、それを行政が
公認しているのです。

“共”の空間は、国や市町村の“所有”に移され、そして“私”有に変えられていくのです。
共有であったものが、公有になり、それが払い下げられて私有になっていきます。
ここに、“総有”という古くからの日本の権利形態を否定し、“所有”権という近代化の
ための西洋の私有独占形態に変える仕組み、つまりコモンズを崩していく罠が隠されて
いるように思います。それは、あるものが益々あるようになる仕組み、韓国式にいえば、
「富益富、貧益貧」です。

郵政民営化において、“共”の財産である簡保の宿などが、国の所有ということにな
ってしまっていて、想像を絶する低価格で平然と“私”に売り払ってしまおうとしたこ
とも、この脈絡で考えられます。捨値で買おうとしたのは、規制緩和の推進者であった
経営者の会社です。私を肥やすために、「共」を「公」とし、それを「私」に変える錬
金術です。コモンズには、悲劇だけではなく、コモンズを潰す策略もあったように思え
ます。ヤブ睨み考ですが。

■パルの症状(2011年3月31日)
日本を襲った大震災被害の未曾有の大きさと広がりに心痛め、諦めきれない怒り、
呆れ果てた政治や行政への対応、しかし、現場実践をされておられる同じ多くの人間
の存在への感動と期待、佐藤さんの揺れ動くブログを通し、日本の現状を確認してお
ります。マスコミの報道にはまったく信を置いていないため、ほとんど見ません(韓国の
マスコミに対してもそうですが、署名がある分、意見として受け取れます)ので、
佐藤さんのブログはとても貴重です。

心臓病が悪化していたパルの介護のため、身動きがとれない状況の中で起こり、申し
訳なさと焦りが重なってもおります。たとえ韓国に滞在することが多いとはいえ、そう
でなければ、帰国して何か出来ることがあるかも知れません。

パルは、23日から歩けなくなり、25日からは起き上がることさえできなくなって、寝
たままで食事をするようになっていました。強く否定しながらも、内心では、もしかし
たらとの不安もありました。友人も覚悟をしておいた方がいいと心配してくれましたが、
どう覚悟をすればいいのかと悩ましく、何も手につかなくなっていました。
暖かくなれば!食欲があるから!ミホがパルの権威を憚っているから!等々、
不安を打ち消す言葉を探しては慰めてきました。
 
そのパルが、一昨日から自ら起き上がれるようになりました。衰えてしまった手足の
力が意志に伴わず、滑り、もつれ、もがきながら、何度も、はじめから繰り返します。
息が荒くなり、支えるために手を出そうとすると、鼻にシワを寄せて嫌がり怒ります
(この表情は父親そっくりと、妻はいいます)。立ち上がった瞬間に、それと気づかない
よう(気づいてはいるのでしょうが、彼女のプライドを傷つけないよう)身体を支える
と、一歩一歩ゆっくり、ふらふらしながらも、トイレへ行くようになりました。息が荒く、
一分一歩ぐらいの感覚ですが、ゆっくりね!と声をかけながら、中腰(いちばん腰
に悪いのですが)でついていきます。多分その間15分くらいでしょうが、こちらも汗
をかき、疲労困憊です。用を済ませて、布団に戻って横にさせると、しばらく荒い息は
しますが、次第に落ち着き眠りに入ります(帰りは、抱きあげてくるのです)。1日に
数回この挑戦を試みています。食欲は幸いにしてあるのですが、痩せてきています。

今日はまた2度倒れました(倒れる前に抱きかかえています)が、少しずつでしょう
がきっと良くなっていくと思います。ともかく自力を振り絞り、諦めずにできるまで続
ける姿勢に感動しています。このところは、父親に似ずにとても素晴らしい娘です。気
候がよくなるに伴い、回復して、散歩さえできるようになってくれるものと、夢のよう
な期待をしております。
 
支えなければ歩けないのですが、プライドを傷つけないような支え方でなければなり
ません。早く手を出し過ぎれば、自癒力を高めることになりませんし、達成感も得られ
ません。見ているほうが辛いのですが、じっと我慢するしかありません。血が出るまで
唇を噛むという言葉を思い出しています。
 
北日本大震災に対しても、できることのあまりの少なさ、小ささに無力感と悲しみが
募るばかりです。でも、できることを決して諦めることなく、継続していくことを、
パルから教えてもらっているこの頃です。仕事にも力を入れます。
 
パルの姿勢に感動し、嬉しさにご報告を差し上げました。風は暖枝に向かっていますが、
まだまだ寒さの残る日々、どうかご自愛ください。

■韓国での地震の報道(2011年3月18日)
韓国では、日本での支えあい、譲り合う人びとの姿に感嘆する報道がなされています。
このような現象は初めてでしょう。少し気恥ずかしさがありますが、
これを機に、持っていた大切な部分に気づき、思い起こし、取り戻すことができれば、
原発が要らない清貧?で幸福な社会を実現できるのではと思います。
そうすることが、残された私たちの勤めと思えてきています。

大震災で、いまだに援助の手が届かず、寒さと病と飢えなどに苦しむ方がおられ、 文明の脆弱さを痛感しています。
出来ることのあまりの少なさと無力感。元気を出さないといけないのですが。

■法話会での祈祷(2011年3月14日)
昨日、お茶を習っている場所・禅文化院で、前にもお話した多山老師の法話がありました。
法話の前に、日本の地震・津波の被災者に対する祈祷をあげていただきました。
私が依頼したわけではありません。
亡くなられた方のご冥福と行方不明のかたがたのご無事、早い回復・再建を、
全員が日本式の正座(韓国では胡坐が一般的で日本的正座はまずしません)をし、祈祷してくださいました。

多山宗師はいつも、
「韓国人、日本人という前に人間だ。
人間が人間らしくなり、お互いを認め合えば、対立することもなく争いはなくなる。
私たちは、そうならなければならない。」
と説かれています。
法話が終わってからも、多くの人が(知らない人です)、
日本は大変ですね、家族や友人は大丈夫ですか、何かできることがあれば言ってください、などと声をかけてくれました。

法話前の座禅の時、日本へ思いを馳せて心経を唱えていましたが、
急に(というより私は思いもしなかったので)祈祷しましょうと呼びかけていただいた時には、
涙が出て、合掌し深く頭を下げました。

多くの友人や知人、先生からも電話がかかってきました。日本を代表しているようで、面映い気持ちです。
温かい思いが、沁みるように伝わってきます。
国境なんて勝手に国が作っているだけで、人間の心には国境のようなものはないと改めて感じています。
支えあい、助けあることは、国を越えてできると確信しています。
この気持ちを佐藤さんにぜひお伝えしたく、メールしました。

パルは、だいぶ回復してくれつつあります。
ただ、天候が不安定なので安心できませんが。

■雪のサミル(3.1)(2011年3月1日)
夜半の雨が朝から雪に変わりました。
今日はサミル(3.1)といって、韓国のとても大切な祝日です。

日本は、1910年に韓国を併合し、植民地化していました。日本からの自主独立を求めた
運動が、1919年の今日、起こされました。万歳示威運動と呼ばれ、「万歳!万歳!」と
叫ぶだけの、力での抵抗運動ではありませんでした。それを植民地政府である朝鮮総督
府は、警察力だけでなく軍隊を投入し弾圧し、運動の火に油を注ぎました。「朝鮮のジ
ャンヌ・ダルク」と称され有名な16歳の女学生、柳寛順の獄死もこの時です。

雪が止み、晴れてきました。佐藤さんが朝の散歩で迷いこまれた中央高校(冬のソナ
タで有名でもあります)が、この3.1運動が始まった所とされ、記念行事が行われま
す。因みに中央高校は、東亜日報の創業者であり、高麗大学の創立者でもある金性洙氏
(解放後に副大統領)が設立した学校です。たぶん散歩のおりに、この独立運動のすす
め方等が論議された金性洙氏旧宅前を通られたことと思います。

吉野作造や石橋湛山、柳宗悦などサミル運動に共感と理解を示した人もわずかにいま
したが、ほとんどのマスコミや知識人は、この運動を“暴動”と捉えていました。もっとも
今日でも、そのように捉えている“知識人”もいますが。当時、マスコミの報道や“知識人”
の発言で、自らの意見を形成していた人が圧倒的に多かったことでしょう。

マスコミへの盲目的信頼の危険、“知識人”の顔の裏に欺瞞の部分を、私たちはもっと
注意深く嗅ぎ取らなければならないと、この日、改めて思います。

行事に参加したいのですが、朝方にパルが倒れ、心配で出かけることができません。
思いだけ馳せています。

■埴輪
(2011年2月26日)
日本最古の埴輪のご紹介、ありがとうございました。副葬品として埴輪を入れるわけ
でしょうから、もう格差が開いていた時代なのでしょうか。でも埴輪の表情はとても素
晴らしいですね。縄文の香りがします。というより、人間が本当にこころ豊かで幸せだ
ったのでしょう。心のあり方は顔にでますから。

縄文の土器には、魂を揺さぶる力があるように思います。韓国で借りている家の1階
で、視覚障害者の作品を紹介・展示しています。“私たちの眼(ウリドル・エ・ヌン)”
という名前の展示施設です。表現すべき言葉が見当たらないほど、大きな感動の波が
迫ってくる作品があります。障害をもたない眼を持つ私は、いったい何を見ているのか、
と恥ずかしくなります。はじめて見た時、高校の頃読んだ「まぼろしの邪馬台国」の
著者宮崎康平さんの言葉を思い出しました。宮崎さんも目が不自由で、「眼が見えるこ
とによって余計なものを見て、本質が見えなくなっている」というようなことを仰って
いました。

経済的な豊かさが、本当の豊かさを見失わせてしがちなことを、“私たちの眼”という
言葉が教えてくれます。歴史観のない、というより歴史的素養が欠落した首相が、経
済成長のためといって能天気に「平成の開国」を叫び、これほど馬鹿な人間がいたかと
これ幸いに経済界(経団連を中心とした大企業だけでしょうが)はTPPへ驀進していま
す。彼らの墓に埋葬される埴輪の表情が、このような明るい輝きをもたないことは確か
ですね。もっとも私たちの表情が、この埴輪のような爛漫とした明るさをもっていませ
ん。わが愛娘のパルとミホに見つめられ、その表情を見るたびに業の深さを感じます。

まだ三寒四温で、寒い日もありますが暖に向かって枝が伸びてきています。こうして
季節を超え、年を重ねてしまうわけです。ご自愛ください。

■社会的企業経営研究所(2011年2月23日)
過日ご報告した社会的企業経営研究所設立の件は、今日ハンシン大で、李教授と呉教
授が中心となって催してくれた会議で、正式に設立して研究推進することが決まりまし
た。ハンシン大の中に研究所を設立して、学者や研究者だけではなく実務家を入れて、
ワークショップや研究会を行いながら、社会的企業経営に関する研究や社会的起業家の
ための育成プログラムの開発や実施を行っていきます。

月に2回程のワークショップを行う。当面は、社会的企業経営に関する専門家、経営
者、実務者を招き、発表してもらって討論を行う。これらの成果を整理しながら、経営
理論や教育プログラムを開発することに重点をおき、本の出版も視野に入れています。
マネジメントゲームの位置づけは決まっていませんが、導入することは決まりました。
中心人物である李教授や呉教授が体験してくれているので、話は簡単に進みました。

今日は、京畿道(首都圏地域)の自活センターの人3人、ハンシン大の産学協力セン
ター担当研究員、地域発展センターの教授(こちらも李さんです)などが参加してくれ
ました。のんびり構えていたのですが、韓国では物事を進めるのが早いので、急がなけ
ればと思っています。

まだ名称なども正式には決めていません。“社会的企業経営”より“社会的組織経営”
の方が広く、NPOや協同組合なども範囲として考えやすいと思うのですが、いかがで
しょうか。代案経営研究所という案も出ています。社会的利益という言葉も入れたいと
欲がでたりします。何かいい名称があれば、ご教示ください。

会計なども社会的企業にふさわしいものに開発し、政府に基準制定・採用を働きかけ
ていくことなどについても話し合いました。前へ進みだします。

■お祖父さん役(2011年2月20日)
昨日、韓国茶道に関する本に入れる写真の撮影会がありました。
韓国伝統の礼や文化が次第に失われていて、それらを残したいとの思いを込めて、茶道の先生が出版したいと準備されています。茶道の弟子(ともいえないほどですが)の一人でもあり、協力することになったわけですが、割り当てられた役は、当然のことお祖父さん役。韓服を着て、お祖母さん役の人(とても綺麗な先生の弟子!)と並び、息子夫婦、孫から挨拶を受けるわけです。礼をする人たちは、その動作を練習しなければなりませんが、こちらは座っているだけ。

パルとミホと暮らすようになり、「お父さん!」と呼ばれて感涙に咽たことがありましたが、今度は孫までできたわけです。友人から借りた韓服も良かったですから、似合う、素敵と孫からもほめられ、感無量です。撮影が終わって、孫たちだけと特別に写真を撮ってもらいました。

みんなそれぞれ他人でしたが、撮影のための家族になったわけです。孫の保護者(お母さん)に聞いてみると、核家族で、今回のように伝統的な挨拶をすることもなく、いい経験になったといっていました。孫ができてとても嬉しかったのですが、帰路には、1年に1回の伝統回帰さえ失われ、誰も知らなくなっていくことに、感傷的になってしまいました。

本になったら、改めてご紹介します。

■社会的企業の日韓フォーラム(2011年2月20日)
17日こちらで、「第3回社会的企業韓日フォーラム」が開催されました。テーマは「社会的企業を通した韓国と日本の持続可能な地域づくり」でした。韓国の希望製作所(The Hope Institute)、日本の日本企業と社会フォーラム(JFBS)主催です。

北海道の高木晴光さん(NPOネオス)、山梨の曽根原久司(NPOえがおつなげて)、韓国は、全羅北道の完州コミュニティビジネスセンターのキム・チァンファンさん、京畿道・原州協同社会経済ネットワークのチェ・ヒョクジンさんが実践事例を発表された他、学者・研究者の報告もありました。

チェさんは、協同組合運動を中心とした社会的経済ネットワーク作りを推進し、成果を収めていると発表されました。名前ばかりで、少しも協同組合間の協同が進まない日本と違い、新しい社会(韓国では代案社会と言っています)に向け、協同組合本来の活動を再構築しています。詳しくは、一度チェさんを現場に尋ね、お話をお聴きし、実際にこの眼で様子を見てご報告します。

代案社会のための中心になろうと、原州協同組合運動協議会を創立するなど、“運動”という名称を入れるなど、協同組合運動の後退への危機意識を感じました。日本の協同組合において、事業への危機感はあるのでしょうが、協同組合運動への危機意識を語る人をほとんど知りません(寡聞にして知らないだけかもしれませんが)。

ただ気になったことは、社会的企業の成功や成果、評価の基準として、売上とか利益とか規模など これまでと同じような尺度で測られているように思えたことです。尺度が同じであれば、企業と社会的企業の明確な差がなくなる可能性があります。

共済が保険と同じ方向にいくようになったのも、運動ではなく事業に力点が置かれはじめてきたこと、尺度を同じようなものにしてしまったことが原因(すべてではないですが)と考える私としては、とても刺激的なフォーラムでした。佐藤さんと一緒に原州のチェさん、完州のキムさんを訪ねたいです。二人とも、いつでも連絡くださいと言ってくれました。

長くなってしまい申し訳ありませんでした。春らしくなってきました。昼間に氷点下になることはほとんどありません。ウキウキとまでいきませんが、少し元気になってきます。でもご自愛ください。年相応にというか、年をしっかり認識しておかないといけませんから。失礼!

■旧正月ということ(2011年2月6日)
韓国の旧正月休みも終わります(2,3,4日が祝日、それに5,6の土日が加わり5連休)。
お世話になった先生宅に挨拶に行き、友人と呑み、日頃とは違い、かなり密度濃く(アルコール濃度だけでなく)生活をしました。

旧暦・陰暦に対し、新暦・陽暦。保守対革新のように、後者がどうも進んでいるように感じられますが、本当にそうなのでしょうか。
もっとも進むということをいいとするかどうかで、話は異なりますが。
語感からは、前者が遅れているもののような響きがあります。
特に政党などをながめると、保守革新の色分けが本当なのか疑問に思うことがあります。

以前は韓国の友人に、「誕生日も旧暦では毎年誕生日が違って不便じゃないか」と言ったことがありました。
でも、旧暦を基にすれば、毎年1月1日は違った日なのです。
ちなみに今年の新暦1月1日は、旧暦では11月27日でした。
年賀状で、新春とか迎春と書くことがありますが、新暦の正月は春を感じることはありませんでした。
旧暦の正月はまさに立春の前日、迎春です。暖かでした。
むろんまだ寒い日が続きますが、三寒四温となり、暖に向かいます。
零下二桁が続いた日々の中でも、枝には小さな春の目がつき始めています。

少なくとも農業社会や私のような生活では、旧暦の方が身体リズムに合っているような感じがしてきています。年のせいでしょうか? わが愛娘パルやミホなども、旧暦感覚と思えます。

西暦に対し東暦ならともかく、新旧、陰陽(これは陰の方が前ですね)という使い方が気になるようになった韓国の正月でした。
ただ、パジチョゴリ(男性)やチマチョゴリ(女性)姿は、市内ではめっきり減った感じがします。

今日は正月休み最後の宴会に、これから出かけます。

■延坪島に置き去りにされた犬たちの写真展(2011年1月29日)
映画監督であり動物保護市民団体“KARA(Korea Animal Right Advocate)”の代表でもある林順禮女史が中心になり、
「戦争では誰もが被害者であるが、優先的な被害者はいつも弱者だ。 女性、子ども、高齢者、障害者…。
しかしもっと脆弱な存在が動物だ。
戦争という絶対的暴力の前に最も無力な存在の動物の姿を通して、いま私たちに平和がどれほど大切かを認識してほしい。
延坪島の平和は人間だけでなく動物にも切実だ。
平和とは最も小さなところから守られなければならないために・・・」
と訴え、写真展を開いたので、行ってきました。

“消える、残される”と題し、延坪島現場に捨てられた伴侶動物をカメラに収めた写真展でした。
置き去りにされた犬や猫など動物伴侶が、爆撃で崩れ落ちた家の前で悄然と立ちつくす姿、主を呼ぶのか天に向かって叫ぶ姿、繋がれたまま痩せ衰えた体の姿等々、写真はわずか十数枚だけですが、胸に刺さり、目頭を熱くするものばかりでした。

因みにKARAは、捨てられた状態になっているこれら生き物たちに、食事を運び、怪我(爆撃で)の治療を続けているとのこと。
実際、砲弾の破片で傷ついた所が化膿している犬や猫がいるようです。
人間や物の被害の報道に隠れていますが、他の多くの生き物も大きな被害を受けていることへの想像が欠けていたことを思い知りました。
林順禮監督は、「私たちの生涯最高の瞬間」という映画で有名ですが、日本には紹介されたことがあるのでしょうか?

■ソウル冬物語
(2011年1月25日)
佐藤さん
ソウルに戻りました。市内を流れる漢江の半分ぐらいは凍っていました。
まだ外は零下2桁前後の世界です。
でも大寒はすぎ、2月3日は旧正月、そして立春。暖かさに向かっていきます。

佐藤さんと話しができて、少し前へ進めそうです。
韓国の共済事情についても原稿を頼まれました。
なぜか気は進みませんが、近いうちにまとめてみようと思います。

社会的会計については、難問というか、五里霧中の状態ですが、一石を投じることさえできればいいように考え、進めてみるつもりです。
宇沢弘文先生の本をまた読み直しているのですが、それを会計に落とし込むとなるとどうしていいのか分かりません。できれば従来の財務諸表をつくりながら、それと別の社会的会計報告書が出来上がるようにと、マトリックスで考えてはいるのですが、まだまだ先になります。
研究会のようなことを設ける必要があります。ぜひご指導・ご支援ください。

愛娘パルの容態も良いとのことで、日本滞在を少し延ばして、わが身を久しぶりに病院に運びました。
特に異常はありませんでしたが、残った胃は、一般の人に比べ10倍癌に罹りやすいから、1年に一度は検査をするよう、脅されました。
病院へ行かなくなったのは、換わった先生が顔を見ないでパソコンのデータだけを見て話をするのに嫌気がさしたからですが、胃もたれの感覚が最近しばしばあったので、思い切って訪ねました。
今のところ何もなさそうです(期待ですが)。

ソウルに到着して、元気のないパルが気になり尋ねると、気を失いニトロを貼ったとのこと。
幸い今は小康状態で、先生と連絡を取りながら、看護しております。
顔を思い浮かべながら持ち帰ったおやつの数々を元気で食べてくれるので、ともかく心を休めてはいます。
炭素を燃焼させた光線で身体を温める治療器を持ってきましたので、それで介護するつもりです(これは税関でひと悶着ありました)。
藁に縋るようなもの です。
しばらくはどこへも出かけず、パルに寄り添っているつもりです。
日本もまだ寒いでしょうから、風邪など引かれませんよう、健康にご留意ください。