新しい年のはじまりに
2011

新しい年が始まりました。
不思議なもので、年が変わるとなにやら気分も刷新されます。
初日の出を見ていると、いつもと違った元気をもらえます。

「希望を確信するのではなく、希望に感謝して生きたい」
これが、最近の私の信条です。
昨年も書きましたが、希望に感謝するとは生きていることに感謝することであり、
その「お返し」は、自分の生が他者に意味を与えることかもしれません。
自分の存在が、だれかを元気にするのであれば、これほどうれしいことはありません。
そして結局は、その元気は自らへと戻ってきます。
昨年は、そんな生き方ができたように思います。
そのおかげで、たくさんの人たちから元気をもらえました。

「無縁社会」などという無責任な言葉を流行らせて、社会を壊そうとしている輩も少なくありませんが、社会はたくさんの縁でつくられています。
素直に生きていれば、そうした縁は見えてきます。

地球は物理的には温暖化しているかもしれませんが、生命的には冷却化しているように思います。
生きていることへの感謝が多くの人から忘れられつつあるような気がします。
妻が、どれほど生きつづけたかったかを知っている私には、そんなことはできません。
生きていることへの感謝は、たとえ「生きる意味」が見いだせなくても、忘れてはなりません。

その感謝のおかげで、私の周辺には、いつもあたたかな世界が広がっています。
たくさんの「つながり」(縁)が、私をいつも支えてくれているのです。
縁で支えられているのは、私だけではありません。
すべての人が、そうなのです。
生きるということは、縁を紡ぐことなのですから。
有縁社会に私たちは生きているのです。
縁は向こうから来るわけではありませんが、こちらから縁を送れば、必ず返ってきます。
縁があると思えば、必ず縁は姿を現します。
疑う方は、明日、道で出会った人に心を込めて挨拶してみてください。
心を込めれば、必ず心が返ってくるはずです。

みんながそれに気づけば、生き方が変わるでしょう。
そして、平安が広がるでしょう。
平和は無理をして目指すものではなく、そこにあることに気づけばいいのです。

今年も、たくさんの縁に身を任せて、素直に生きようと思います。
宮澤賢治の「雨にも負けず」に出てくる、おろおろした生き方が、私の理想です。

2011年1月1日
さとうおさむ

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