近況報告

トップへ


■近況報告:2020年1月1日
昨年は何かと不思議なことの多い年でした。
春ごろ、そろそろ隠棲しようという気になったのですが、何故か2人の人が現れ、現世に引き戻されました。

一昨年も同じようなことが起こり、昨年書きましたが、新しい葬儀に取り組む事業にコミットしようかと思っていましたが、それは思わぬ展開になり、昨年末に結果的には手を引きました。
そのため、「新しい結」構想も動けずにいましたが、その一方で湯島のサロンはますますにぎやかになってきました。
最近はほとんどの土日がサロンで埋まっています。
湯島にはサロンの時を中心にして週3~4回出ています。
そのため、地元の我孫子での活動もなかなか時間をとれずにいます。
しかし、この活動はかなり深謀遠慮のプロジェクトなので、今年はもう少し時間を割こうと思っています。

まあそんなわけで、もう少し現世に滞在する予定です。
日々の活動はホームページの週間記録やフェイスブックで報告させてもらっていますが、それなりに楽しく、それなりに苦労しながら、誠実に生きています。

機会があれば、湯島でも我孫子でも、遊びにお越しください。
出来るだけ時間調整したいと思います。

■近況報告:2019年1月3日



昨年末に自宅のデスクトップパソコンがダウンしたため、ハードデスクを更新してもらったのですが、ホームページの更新ができなくなってしまっていました。
今日、ようやく何とか更新可能になりました。
そのため、今年は近況報告も今日になってしまいました。

昨年は心身ともにかなり厳しい年でしたが、年末にようやくほぼすべての問題が山を越えてきた気がします。
とともに、いろんなことが私の中でつながり始め、何かが動き出そうな気配も感じだしています。

ところが、15年ほど、対価を得る仕事を意識的にしていないため、経済的にも少し活動しにくい状況になってきています。
湯島も30年も経つと備品も壊れだし、たとえば椅子を新しくしようと思うとそれだけでも30〜50万円かかるのです。
なんとか湯島のオフィスはみんなの「お布施」で維持できているものの、妻が貯金してくれていたお金はほぼすべて3つの事件で失ってしまい(その後、裁判でほんの一部は戻ってきましたがそれは借金返済で消えました)、なにか事を起こすにはいささか心もとない状況です。

昨年初めまでは、あんまり現世に長居するつもりはなかったので、お金は要らないかと思っていましたが、いろいろあってもう数年は現世に滞在することにしました。
しかも仕事もすることにしたので、お金もある程度必要になってきました。
私は、仕事はお金を稼ぐものではなくて、お金がかかるものと考えていますので、残念ながら今はあんまり仕事ができない状況なのです。

昨年、思ってもいなかった貯金が出てきて、何とか現在は200万円近い貯金残高があるのですが、毎月、減少しているようですし、娘たちに借金もあるので、今年は仕事をしながら収入が得られるようなことを考えようと思っています。
しかしなかなかそういう都合のいい仕事は見つかりません。

若い友人といま、新しい葬儀に取り組む会社を立ち上ることを検討していますが、もしかしたらそれが、「自分の思いを実現しながらも収入が得られる仕事」になるかもしれません。
若い友人は、私の思いを実現させたいと思って、それを提案してくれたのです。
そのプロジェクトには誠実に取り組むつもりです。

そのプロジェクトを軸にして、もしかしたら15年ほど前に構想していた「新しい結」のコアをつくれるかもしれません。
そうなれば、長年取り組んでいたサロン活動の目指しているものが、もう少し見えてくるかもしれません。
そういえば、サロン活動への共感が生まれだしているのは、実にうれしい話です。
最初に共感してくれたのは、テレビ局の若いディレクターですが、最近はいろんな人がサロンの意義を何となく感じてくれだしています。
実にうれしい話です。

それからもう一つ。
昨年から始めた畑作業もかなり定着してきました。
今年はたぶん収穫も期待できるでしょう。

そんなわけで、まあ程々に元気な毎日です。
湯島のオフィスは30年前と同じところです。
近くに来る機会があれば声をかけてください。
もっとも私が湯島に行くのは来客があったり相談が持ち込まれたりサロンがあったりするときだけですが、事前に連絡をもらえればできるだけ日程調整して出かけるようにしますので。

もう3〜4年は、現世滞在の予定ですが、何があるかわかりませんので、もし現世に会ってもらえるのであれば、できるだけお急ぎください。

今年お会いできるとうれしいです。
まだ現世は会ったこともない人も含めて。

■近況報告:2018年1月1日

わが家には10年ルールがあると、娘が教えてくれました。
10年ごとに家族が一人ずつ旅立つのです。
30年前に同居していた父親、20年前に母親、そして10年前に妻を見送りました。
昨年は、まさにその10年目でした。

なぜかルールは破られました。
何度か、もしかしたらという気配はありましたが、今回は見逃してくれたようです。
もし10年ルールが正しいとしたら、あと10年は誰も旅立たないことになります。
ということは、私にはなにか仕事が与えられたのでしょう。
そう考えることにしました。

昨年は、10年ルールのせいか、私にはかなり厳しい年でした。
春と夏にちょっと体調が悪くなり、その前後には精神的な低迷が続きました。
「良いこと」もたくさんありましたが、「悪いこと」もたくさんありました。
取り組んだ仕事はあまりうまくいかず、人が少しだけ嫌いになりそうになり、一時は経済的にもピンチになり、自らの過ちを思い知らされることも多く、その上、生き方に迷いまで少し出てきてしまいました。
不惑どころではなく、多惑の時代を迎えてしまっているようです。

しかし、まあどこかに病状が出たわけでもなく、友人にも恵まれ、相変わらずさまざまな人が相談や面会に来てくれ、時間だけは余らせることなく、忙しくさせてもらっています。
でもその一方で、暇で暇で退屈ではあるのです。
つまり、身心を思い切り投入できるようなものに出会えずにいるのです。
出会えたところで、たぶん、気力や体力が伴わないので、取り組めないこともわかっていますし、もしかしたらこのテーマがそうかもしれないと思いながらも、実際には逃げているのかもしれません。
そんな生き方に、自己嫌悪を感じることもあります。
そうして多惑の日々を過ごしているわけです。

幸いに、10年ルールを乗り越えつつあった年末に、いろいろと考えることがありました。
そろそろ生き方を変える気になってきたのです。
外からはたぶん見えないでしょうが、ようやく遅れてしまった、私の人生の第4期に入れそうです。

少し現実のことも書きます。
昨年は毎週のように湯島でサロンを開催しました。
久しぶりに顔を出した人もいますし、新しい出会いも多かったです。
今年も継続する予定です。
人との出会いが多い生き方をしていると、たぶん「豊か」になります。
サロンの根底には、政治や経済のパラダイムシフトを置いています。
今年はそれを少しだけ可視化させるつもりです。

仕事はあまりやらなくなってきました。
直接的な理由は資金不足ですが、お金を使わない生き方を志向していますので、それは意図したことでもあります。
それに、そろそろ旅支度を始めなければいけないのですから、無責任なことにならないように、新しい仕事を始めるのは避けなければいけません。
でも時に、仕事の面白さを思い出すと、いささかの寂しさはあります。
困ったものですが。

この2年、新しい組織づくりに取り組んできましたが、あまり成果は上がっていません。
しかし懲りずに今年も続けるつもりです。

フェイスブックは、湯島に行かない時間も世界とのつながりを支えてくれます。
友だちもフォロワーもそう多くはありませんが、思ってもいなかった人が読んでくれていたりして、ちょっとうれしくなることもあります。
見えない世界とのつながりは、とてもいいものです。
私が落ち込んだ時には、そこから引き出してくれることも少なくありません。
昨年は、アメリカ在住の方が湯島に訪ねてきてくれました。
年末には、20年近く交流のなかった人がフェイスブックのおかげで連絡してきてくれました。

生活の内容が希薄なので、どうも具体的なことが書けません。
でもまあ、以前と同じく、というよりも、ほとんどライフスタイルは変えることなく、ほどほどの元気さで、ほどほどに老化してきています。
我孫子や湯島界隈に来ることがあれば、声をかけてください。
たぶんあまり成長も変化も見られない私に会えると思います。

またお会いできますように。

■近況報告:2017年1月1日
昨年は私には一昨年に引き続いての多難の年でした。
しかし良いこともたくさんあった年でもありました。

まず5つの新しい組織を立ちあげようと考えていました。
悪いこと続きであればこそ、新しいことを始めれば、悪いことは相対化されるという発想です。

まず「ホモ・ナランス宣言」に基づくストーリーテリング協会を立ち上げました。
と言っても私自身は単なる代表で、あまり活動にはコミットしてきませんでした。
しかし、いまの時代、生きた物語が消えつつある時代であればこそ、自分の物語を大事にしたいという強い思いが、この協会の代表を引き受けた理由です。

民主主義の理念の実現をめざすリンカーンクラブの活動も再開しました。
代表は私ではなく、長年このテーマに取り組んでいる友人の武田さんですが、再び事務局長を引き受けることにしました。
私が考える民主主義の理念は、個人の尊厳の尊重ですが、武田さんとの合意が成立したからです。
毎月、サロンで話し合いを重ねていくことが、私の関心事です。

お上の社会教育から民の社会教育へと基軸を変えるための組織は、紆余曲折を経てゆっくりと進んでいます。
今年は「まちづくり編集会議」の名前でデビューできるでしょう。
他にもいくつかの組織が進んでいますが、実は予想外の障害もあって、思うようには進んでいません。
まあ今年は、残りのふたつもスタートできればと思っています。

外部から見ると、それらは別々のように見えるかもしれません。
しかし、私にとっては、いずれも「善い社会」に向けての活動の一部なのです。
一部というよりもそうしたいろんな活動がなければ「善い社会」にはつながらないと思っているのです。
やることが明確になってくると、心身の調子もよくなってきます。
そんなわけで、今年は元気を維持できるでしょう。

現世をもう少し続けてもいいかなという気になってきたので、
これまで放置していた身体の不具合を少しずつケアすることにしました。
年末には長年不都合を感じていた、眼瞼下垂の手術をしました。
視界が明るくなりましたので、気分も明るくなりました。
食生活も少しだけですが、注意することにしました。
そんなわけで、もう5年は活動を継続することにしました。
途中でお呼びがかかるかもしれませんが、それはそれで仕方がないのですが。

湯島でのサロン活動は、私のすべての活動の基本です。
今年は月に5回以上は開催する予定です。
このホームページの「お知らせ」のコーナーで案内していますが、それ専用のメーリングリストもあります。
ご関心があれば連絡いただければ登録します。
湯島には、週に3回ほどしか行かなくなっていますが、気が向いたら遊びに来てください。
時に美味しい珈琲があります。
予めご連絡いただければ、できるだけ時間調整して湯島に行くようにします。
用事があろうとなかろうと、そんなことはあまり問題ではありません。
会いたくなったら遊びに来てください。
今年はまちがいなく湯島通いを続けるはずですので。

お会いできるのを楽しみにしています。

■近況報告:2016年1月1日
昨年も、さまざまな人たちに支えられながら、元気に新しい年を迎えました。
昨年の前半は、心身共に、ちょっとボロボロでしたが、秋ころから元気になりました。
もっとも、年のせいでの体力および気力の衰えは、順調に進んでいます。

昨年は毎週のように湯島でカフェサロンを開きました。
時にはテーマに関心のあるメンバーだけのものもありますが、公開のものの方が多くなってきました。
その参加者に限定したメーリングリストもつくりました。
シリーズもののサロンもありますが、いろんなテーマが錯綜しているところが、湯島のサロンの特徴です。
公開のサロンには、時に思わぬ人も参加してくれます。
世代的にも、10代から80代。
立場も考えも実にさまざまです。

昨年の12月の23日に、久しぶりに私が話をさせてもらうサロンを開きました。
「お金でない支え合いを考える」がテーマでしたが、今年はこのテーマをもう少し深く考え、できれば具体的な仕組みづくりに取り組めればと思います。

「大きな福祉」を理念としたコムケア活動も、ゆるやかにつづいています。
最近の「自殺」や「認知症」という分野から、今年は少し「子ども」「若者」に重点を少し移していこうと考えています。
いろんな問題に関わってきて、結局、根っこは一つ、つまり私たちの生き方や社会のあり方だと気づかされるのですが、それが一番象徴的に表れているのが「子どもや若者の世界」かもしれないからです。
できれば、若い世代に、近現代史に触れてもらえるような場もつくれればと思っています。

企業の世界にもささやかに関わり続けていますが、どうも私の世界とは大きく離れだしています。
お話していて、私の考えはあまり伝わっていないのだと思いしらされることが多くなりました。
今年は、個別の企業に少し関わらせてもらうか、あるいは企業関係からは身を引くか、いずれかにしようと思っています。
本気で新しい経営を志向しようとしている企業に出会えるといいのですが。

行政関係もますます私とは離れだしています。
地元でも少し接点を深めようと思って、昨年あることに取り組みましたが、やはり相性はよくないようで、見事に失敗しました。
相性のいい自治体があればいいのですが、いまさら探す元気もありません。
もっとも、いろんな人が、いろんな相談で湯島に来ますので、私でも関われるプロジェクトに出会えるかもしれません。

妻への挽歌は、いまも書きつづけています。
挽歌と言えるようなものではありませんが、おかげで、自らの生き方を見直すきっかけをもらったり、生命の意味の気づきをもらったりしています。
時評も、昨年は書くのをやめたくなるほどの厭世観に何度か襲われましたが、読者からのエールをもらうとまた書く気になって、何とか続けています。

まあ、そんな感じで、昨年も、社会の役にも立たない代わりに、社会に迷惑もあまりかけることなく、それなりに波風のある自然な人生を素直に生きています。
宮沢賢治の「雨にも負けず」の主人公に少しは近づけたかもしれません。

仕事で湯島に行くことは少なくなりましたが、誰かが来てくださると連絡があれば、湯島に出かけていくようにしています。
湯島や我孫子のお近くに来ることがあれば、ぜひ事前にお知らせください。
出来るだけ日程を調整して、お会いできるようにしたいと思います。
用件などは全く不要です。
時に美味しい珈琲がありますので、珈琲を飲みに立ち寄るという感じがうれしいです。

また、湯島ではいろんなカフェサロン(「お知らせ」のコーナーで案内)もしていますので、気が向いたら遊びに来てください。

今年も、あるいは、今年は、お会いできますように。
なお、予定では、もう2〜3年はいまのような生き方で、現世に在住するつもりです。

■近況報告:2015年1月1日
昨年は、春と夏に少し体調を崩し、加えて気も萎えてしまい、あまり元気な年ではありませんでした。
だからこそ、元気そうに振る舞っていたのですが、湯島に出かける頻度は減りましたし、なによりも生活リズムがかなり乱れていました。
いろいろな人が、心配してくださることが、身に染みた年でもありました。

にもかかわらず、歳相応に元気です。
言い換えれば、歳相応に心身は壊れだしているということですが。
でもまあ、元気に年を越えられました。

湯島でのサロンは相変わらず続けています。
多い時には週2回ということもありました。
新しく始めたのが、「ちょっとハードなカフェサロン」です。
視点は個人を起点とする社会。これは会社時代からの私の生きる姿勢です。
「大きな福祉」を理念としたコムケア活動も、緩やかに続いています。
相変わらず、まだ「自殺」や「認知症」という切り口から抜け出せないでいますが、そこから「大きな福祉」へとゆるやかに広がっています。
行政関係はなかなか接点が増えませんし、企業関係はますます退屈になってきていますが、いずれも時にはっとさせられる人に出会います。
いろんな人が、いろんな相談で湯島に来ることは、これまでと変わっていません。
相談(雑談の聞き役も含めて)があれば、必ず湯島には出かけるようにしています。

一昨年の後半からまた本を読みだしたましたが、昨年も読みました。
会社時代には及びませんが、それでも昨年はは200冊近くは読みました。
それに昨年は、かなり丁寧に読むようになってきました。
おかげで、いい本にも出会いました。
昔読んだ本の再読もかなりありました。
やはり書籍から学ぶことはたくさんあります。

2年前にちょっとした判断ミスから、私にしては身の丈を超えた借金を背負ってしまいましたが、その問題はなかなか解決できずにいます。
その返済のためにも、お金のための仕事もしなければと思いながらも、気が向きません。
昨年、相談した弁護士からは、あなたの生き方を変えるかどうかが解決のポイントだと厳しく言われましたが、生き方はそう簡単には変えられません。
迷惑をかけてしまっている人もいるのですが、もう少し私のわがままを許してくれるでしょう。
そして、神様がきっと私が死ぬまでには問題を解決してくれるでしょう。

まあ、そんな感じで、社会の役にも立たない代わりに、社会に迷惑もあまりかけることなく、それなりに波風のある自然な人生を素直に生きています。

最近は自分では出向くことは少なくなりましたが、人と会うのは大好きです。
声をかけてくださったら、湯島に出ていきます。
時に美味しい珈琲があります。
また、湯島ではいろんなカフェサロン(「お知らせ」のコーナーで案内)もしていますので、気が向いたら遊びに来てください。

このホームページのほかに、妻への挽歌勝手な時評も書き続けています。
その縁で新しい出会いも体験しています。

今年も、あるいは、今年は、お会いできますように。

■近況報告:2014年1月4日

昨年は散々な年でした。
津波のように、いろんな厄介ごとが襲いかかってきた感じです。
しかし、それもすべては、私に原因があるのです。
妻を失ってから、私の心身に大きな隙間が出来てしまったようです。

昨年の近況報告は、ウィリアム・フォークナーの言葉で始めました。
今年は、ナポレオンの言葉ではじめます。
「生きたいと思わねばならない。そして死ぬことを知らねばならぬ」

妻の七回忌を昨年行いました。
しかし、未だに気持ちは整理できずにいます。
生きたいと思うことなく、7年を過ごしてきました。
生きたいと思わないということは、死ぬことにも無関心だということです。
ナポレオンのこの言葉は、カミユの遺稿集で知ったのですが、
カミユもまた、この言葉に引かれたのだと思うとちょっと愉快になりました。
カミユは、明らかに「生きたい」などと思ったことはないでしょう。
生きたいと思わねばならないと思ったわけですから。
だから私も「生きたい」と思うことにしました。

この2年、昨年書いたようによどんだ時間を過ごしています。
しかし、その中でも社会の3つのセクター(公・私・共)のいずれにも関わる姿勢は守っています。
公、つまり行政関係は昨年はあまり活動はしませんでしたが、地元の我孫子市役所の職員のみなさんとの交流が復活しだしています。
私、つまり企業関係では、経営道フォーラムなどを通してささやかに企業と関わるとともに、自らも昨年は化粧品事業を引き受けましたが、年末に手放すことにしました。また長年やっていたインキュベーションハウスも社長をおりることにしました。いずれも報酬はゼロ、というよりもマイナスだったので、経済的には楽になります。
共、つまりNPOや組合関係では、昨年も毎週のように湯島でサロンをやっていました。ネットワークも広がっています。

昨年末になってから、少しコミットしだしたのは、放射性汚染の除染プロジェクトです。
テーマがテーマだけに注意しないといけませんが、専門家が笑いとばすほど馬鹿にするプロジェクトに興味を感じています。
今年の初めに研究会を立ちあげる予定です。

まあ、そんな感じで、何とか元気で、湯島にも週3回前後は出かけています。
湯島では、毎週のように、気楽なサロンをやっています。
テーマもさまざまです。
ホームページやブログ、あるいはフェイスブックで案内していますので、気が向いたら遊びに来てください。
時に美味しい珈琲がありますので。

妻への挽歌も勝手な時評も書き続けています。
その縁で新しい出会いも体験しています。

今年も、あるいは、今年は、お会いできますように。

今年の初日の出はとてもきれいでした。

■2013年1月4日

ウィリアム・フォークナーは、「悲嘆と虚無のどちらかを選ばなければならないとき、人はいつも悲嘆を選ぶものだ」と書いているそうです。
しかし、虚無を選ぶ人がいるかもしれません。
昨年の私は、ややその傾向がありました。
かなしめないほどにかなしい時代に生きているような、そんな気分に陥ることもありました。
個人的な状況もそうですが、それ以上に、いまの社会は私にはとても住みにくく、やりきれなさがあります。
かなしい時代だと思いますが、それ以上にむなしい時代だと思えてなりません。
厭世観が強まり、時に人間嫌いに陥ります。
そして、自分が見えなくなるのです。
そうした自分に元気を与えてくれているのは、湯島に集まる人たちです。
昨年も、さまざまな人に支えられて、何とか年を越しました。

一昨年は、「どんより」と生きていましたが、昨年はそこから抜け出るつもりでした。
しかし、人生はそううまくはいきません。
どんより生きていると、さらに重いものが集まってきます。
そして、予想もしなかった難事まで背負うことになったのが昨年でした。
それも、私には一番不得手な種類の、しかも私の信条に反するような問題でした。
しかし、一度背負った以上は、投げ出せません。
そのせいか、ストレスの多い状況が続き、年末には胃腸炎になってしまいました。
胃腸炎は「一時的」なものですが、それまでの半年、あまり気力がでてこずに、動こうにも動けない状況で、友人知人には迷惑をかけてしまったと思います。
一昨年にひきつづき、昨年もやりたいことさえできずに終わってしまいました。
こうした状況が2年も続くと自己嫌悪に陥ります。

ところが、この近況報告を書くために、昨年書いた近況報告を読み直してみました。
その最後に書いている3行を読んで、少し自分が好きになりました。
まさに、そこに書かれているような生き方を昨年はしてきたことに気づいたのです。
昨年の生き方は、予め定まっていたようです。
その3行を再録します。
今年もこういう生き方をしようと、これを読み直す前に、新年のはじめに書きました。

今年は、これまで以上に、自分に素直に生きようと思っています。
そのためにも、人を疑うことなく、心穏やかに生きながら、しかし怒りや悲しみを忘れずに、
間違いを犯しながら、迷惑をかけながら、納得できる生を過ごせたらと思います。

これでは近況報告になりませんが、まあ「相変わらず」の状況だということです。
毎週、活動記録を書き込んでいますので、それで代替させてもらいます。
妻への挽歌勝手な時評も、ブログで書き続けています。

湯島には週に3〜4回は出るようにしています。
毎週のように、気楽なサロンをやっています。
気が向いたら、湯島に遊びに来てください。
時に美味しい珈琲がありますので。

■2012年1月1日

昨年、古稀を迎えました。
本来なら湯河原で妻と2人で暮らし始める年です。
しかし妻が一足早く彼岸に旅立ったので、それも叶わずに、相変わらず我孫子で暮らしています。
その暮らしも4年を超えました。

40年も妻と一緒の暮らしをしてきた者にとっては、妻のいない暮らしは、決して「日常」にはなりません。
そうした「非日常的日常」のなかでは、人は自然と「哲学的」に、あるいは「思索的」になります。
私の世界はこの数年で大きく変わってしまいました。
私自身はたぶんほとんど変わっていないと思うのですが、私とは「私とその環境」と考えれば、私は大きく変わってしまっているわけです。
自分で言うのもおかしいですが、その変わりようは、自分でも驚くほどです。

昨年は4月から生活を変える計画でした。
しかしその直前に東日本大震災が起こりました。
リズムが一変し、予定は一変しました。
社会のリズムの変化は、私のような個人にも大きく降りかかってくるものです。
6月頃から、私自身もどんよりと生きていたように思います。

その雲が晴れだしたのは、夏を過ぎてからでした。
以来、とても元気です。いや元気を鼓舞してきました。
しかし、そんなわけで、昨年の計画はほとんど総崩れでした。

4月に3A方式認知症予防フォーラムという、ゆるやかなネットワークを立ち上げました。
12月には公開フォーラムと実践講座を開催し、その時に一緒にやった仲間と新しい組織を立ち上げることしました。
自殺のない社会づくりネットワークのほうは、なかなか手離れできないままですが、各地での交流会が少しずつ始まりました。
今年の3月には、自殺未遂者や自殺企図者を中心にした公開フォーラムを開催します。

サロン活動では、ナラティブサロンは中断しましたが、代わりに技術サロンを始めました。
来年は企業関係のサロンも開始するつもりです。
できれば企業関係の仕事もしたいと思いますが、どうも私の発想は今の企業には合わないようです。
「結い」サロンは8月に企画しましたが、見事に失敗しました。
今年また呼びかけるつもりですが、あまり自信はありません。

行政とは最近久しく付き合いが途絶えていますが、企業と同じく、私の発想とは合わないでしょう。
しかし、以前深く関わらせていただいた小美玉市にささやかに関わりだしました。
住民と一緒にまた本作りに取り組むプロジェクトです。

昨年からフェイスブックを始めました。
これが実に面白く、もしかしたら、また私の交遊相手は変わるかもしれません。
手紙からメールになって友人知人が変わってしまったように、フェイスブックの世界にはまってしまうかもしれません。
フェイスブックを始めて以来、メールは少しずつですが減ってきています。
メールで世界が変わったように、フェイスブックは世界をかえるということがよくわかります。
もしまだフェイスブックをやっていない方がいたら、ぜひお薦めします。
メールはまもなくなくなるでしょう。
そんな気がします。

心身的には、適度な老化が進んでいますので、まあ健康です。
さまざまな機能障害は発生していますが、それは健康の証拠だと考えています。
最近は死さえも健康だと思えるようになってきました。

今年は、これまで以上に、自分に素直に生きようと思っています。
そのためにも、人を疑うことなく、心穏やかに生きながら、しかし怒りや悲しみを忘れずに、間違いを犯しながら、迷惑をかけながら、納得できる生を過ごせたらと思います。

湯島には週に3〜4回は出るようにしています。
気が向いたら、湯島に遊びに来てください。
時に美味しい珈琲がありますので。

新年会サロンを1月15日に開催します
よほどお暇だったら珈琲を飲みに来てください。

■2011年1月1日

人生が変わってから4回目の新年です。

昨年のはじめに、ここに書いたように、昨年は「自分に素直に」生きました。
そのおかげもあって、体調も回復しました。
友人たちからも、元気で明るくなったと言われます。

いろいろな活動も再開しました。
そのせいか、年末には久しぶりに「時間破産」に陥りました。
しかも、年末には私の生活を支えてくれている娘が肺炎になってしまい、大掃除を一人でしなければいけなくなってしまった上に、正月料理もできなくなってしまいました。
幸いに下の娘夫婦が最小限の正月料理を用意してくれましたので、父子ともども餓死は免れそうです。
もっともそのせいで、どこにも出かけずに、ゆっくりした年明けを迎えられそうです。

まあ、そんなわけで、結婚していない上の娘と同居しながら、相変わらずのわがままな暮らしを続けています。
今年は上の娘に結婚してもらいたいのですが、どなたか良い人はいないでしょうか。
本人にその気がないのが問題ですが、困ったものです。

秋から、企業関係の「ビジネス」も再開しました。
この年になってビジネスでもないだろうと思われるかもしれませんが、まあいろいろと事情もあり、6年ぶりの再会です。
刺激的なプロジェクトがあったら声をかけてください。

湯島に出かける頻度も増えました。
オープンサロンも今年からまた本各的に再開します。
さらに、ナラティブサロンや支え合いサロンのほか、少しサボっていたコムケアサロンも再開です。
「結いや講」の研究会も始めるつもりです。

最近はまた、学びへの好奇心が高まっています。
妻を見送った体験から、最近は世界がこれまでとはかなり違って見えてきました。
彼岸も未来も、少し見える気がしてきています。
世界が見え過ぎると生きにくくなるのですが、「自分に素直に」生きているおかげで、むしろ生きている自分さえもが見えてくるようで、不思議な気分です。

最後はちょっとおかしなことを書きましたが、まあ無視してください。

湯島でも我孫子でも、気が向いたらやってきてください。
お会いできるのを楽しみにしています。

■2010年1月1日

妻を見送ってから、つまり人生が変わってから3回目の新年です。
昨年は、ようやく活動も定着し、いくつかのプロジェクトが動き出しました。

勢いがついたのは4月25日に開催した、「自殺多発現場からの緊急集会」でした。
節子との最後の遠出の旅でお会いした東尋坊の茂さんの夢に加担して、後先なく開催したのですが、その反響も大きく、10月24日には全国サミットを開催し、「自殺にない社会づくりネットワーク・ささえあい」をスタートさせました。
もっとも最近はそうしたネットワークの中心に自らを置くほどのエネルギーはなく、このネットワークも軌道にのったら外れて行くつもりです。

秋には、かつて関わっていた、いくつかの地域を再訪しました。
青森の三沢市では、一時盛り上がっていた花づくり活動が少し後退していたので残念でしたが、それでも何人かが小さな芽をしっかりと残していてくれました。
谷和原村は地味ながら少しずつ前進していましたし、美野里町ではとても嬉しい話をいろいろと聞かせてもらいました。
各地に行くと仲間がいるので、元気がもらえます。
ちなみに地元ではLLPコモンズ手賀沼を発足させました。
昨年はまずは助走でしたが、課題がいろいろと見えてきました。

コムケア活動はいろいろと始めました。
農と食、認知症、孤独死、子育てなどのテーマに少し関わり出しています。
支え合う暮らしをテーマにしたコムケアサロンも何回かやりましたが、できれば3月には公開フォーラムを開催したいと思っています。

コムケア以外の人たちからの面白いプロジェクトの話もいろいろあります。
なかには「壮大な計画」もありますが、今年はどれが動き出すか楽しみです。

こうした状況で、湯島のオフィスにもかなり行くようになりました。
それに応じて、湯島のオフィスにもまたいろいろな人が集まり出しました。
オープンサロンはまだ開催できていませんが、いろんなサロンが始まっています。

節子への挽歌は850回を超えました。
私には毎日1回の妻への追慕の時間です。
時評も続けていますが、こちらは相変わらず独善的です。
最近、視点が鈍くなってきているのが自分でもわかります。

今年も、自分に素直に生きようと思っています。
素直さは時にわがままになりますが、それが22年前に会社を辞めた時の方針でした。

そんなわけで元気です。
正月はぼんやり過ごしている予定ですが、1月5日のお昼過ぎから8時までは湯島のオフィスにいるつもりです。
お時間があって、気が向いたら、お立ち寄りください。
今年最初のサロンです。

ちなみに、雨や雪がふったら中止です。

■ 2009年1月1日
昨年は長い長い1年でした。
たくさんのことがありすぎて、今ではもう思い出せないほどです。
妻との別れは、さまざまなことに気づかせてくれました。

人のやさしさ、人の冷たさ、そして自らの卑しさ。
昨年1年で学んだことは、それまでの65年間を上回るかもしれません。

昨年の11月頃から、活動再開も定着しだしました。
まだ心身の動きは鈍いですが、前に向かって進み出せています。
仕事はまだ始められないでいますが、今年は仕事も再開するつもりです。
私向きの仕事があったら声をかけてください。
企業のあり方を変えていくようなプロジェクトに関われればと思います。

NPO関係の活動は、これまで通り、人をつなぐことを主眼にしますが、
いくつかのNPOやプロジェクトには少しだけコミットしていくつもりです。
自分が関わっているNPOの活動にも、これまでよりも時間を割こうと思っています。
地元でのNPO活動ももう少し本格化させます。

まちづくりには相変わらず興味はありますが、接点がなくなってしまっています。
先日、隠岐の海士町に行ってきましたが、私が思っていたまちづくりの方向性には改めて確信を強くしました。
残念ながら時代はまだ、そうした方向とは逆方向ですが、
形だけではない住民主役のまちづくりのプロジェクトに関われればと思っています。

この数年、ほとんど休んでいたサロン活動も再開するつもりです。
活動を休止していたコモンズ村も再開できればと思っていますが、これはまだあまり自信がありません。

湯島のオフィスには週2回程度行きだしていますが、
今年はもう少し増やしたいと思っています。

ところで、最近、数年ぶりに読書時間が増えています。
企業関係や社会論関係などの読書もまた始めました。
昨年、昔読んだ何冊かの本を読み直したのきっかけですが、
数十年経て読み直すと、以前は退屈だった本が、とても面白こともあります。

前に書いたとおり、本を書きたいという思いはあるのですが、
ますます怠惰になっているので、結局は「コモンズの回復」は計画だけで終わりそうです。

節子への挽歌はいまも書き続けています。
時評編は相変わらず身勝手な私憤で品格を落としていますが、
今年もまあそう大きくは変わらないでしょう。

残された人生がどのくらいあるかはわかりませんが、
これまで以上に、自分に素直に生きようと思っています。
節子はそれを望んでくれているはずです。

今年も毎月3日は、節子の月命日ですので、
できるだけ我孫子の自宅にいるつもりです。
お近くに来る機会があれば、お立ち寄りください。
湯島のサロンも再開を考えています。

いつかお会いできますように。


■ 2008年1月1日

妻が昨年9月、彼岸に旅立ちました。

私に生きる意味を与えてくれていた、かけがえのない人でした。
妻を守ってやれなかった自分が悔しくてなりません。
愛するものの死は、自分の死よりも、く悲しいです。

毎日、ブログ(CWSプライベート)で妻への挽歌を書き続けています。
挽歌というよりも、挽歌に向けての鎮魂歌です。

彼女と会えなくなってから、そろそろ4か月です。
今もめそめそしています。
気力も体力も、思考力も半減しました
しかし感受性だけは倍増したかもしれません。
ともかくめそめそしています。
これはもう変わらないでしょう。
しかし、めそめそしながらも元気です。

昨年末から少しずつですが、活動も再開しだしました。
妻に会いに行けるように、現世での務めを早く終えなくてはいけません。

告別式で少しお話させてもらいましたが、妻の闘病生活と旅立ちは見事でした。
妻から学んだことはたくさんあります。
今もなお、亡き妻との語り合いの中でたくさんの気づきを得ています。
少しだけ成長しました。
でもかなり厭世的になったかもしれません。

妻は花が大好きでしたので、庭に献花台をつくりました
我孫子のほうに来る機会がありましたら、お立ち寄りください。
事前にご連絡いただければできるだけ在宅します。

妻は私にとって最高の伴侶でした。
来世でも彼女と一緒になりたいと思っています。

お世話になったみなさまに感謝しています。

節子への挽歌2007総集編

■ 2007年1月1日
組織人ではなく、ひとりの生活者として生きようと、会社を離脱して19年目に入ります。
実に自由気ままな生き方を楽しませてもらってきました。
それを支えてくれたのが、家族、とりわけ女房です。
私にとっては、かけがえのない伴侶です。

3年半前に手術で胃をほとんど摘出した女房も、少しずつ元気になって、
昨年秋には千畳敷カールに一緒に行けるほどなったのですが、
その直後に体調が急変してしまいました。

自宅療養することになりました。
私の生き方を全面的に支えてきてくれた女房です。
今度は私が彼女を支える番です。
仕事をやめて、10月以降は自宅で女房に寄り添うことにしました。
18年前に会社を離脱した時以上に、生き方は変わりました。
変わったのは生き方だけではありません。
私にとっての世界の見え方が変わってしまいました。

時代の大きな変わり目の中で、
気になる問題は山ほどあります。
しかし、今の私にとっての関心は、女房の元気の回復です。
私の元気の源は、彼女の元気であることが、この3か月で痛いほどわかりました。

しかし、同時にまた、私の元気が彼女の元気でもあるのです。
ともかく毎日を明るく、回復を確信して前に進もうと毎日を過ごしています。
幸いにむすめたちが、私たちを元気づけ、支えてくれています。
むすめたちにこんなに早く、しかもこれほど世話になるとは思ってもいませんでした。
天は、私に最高の伴侶とむすめを授けてくれました。
感謝しています。

そんなわけで、今年は女房中心の生活をしていきます。
医療費がとても高いので、少しは働かなければいけませんが、
今まで以上にわがままな働き方しかできそうもありません。
そんな仕事があれば教えてください。

これまで取り組んできた「大きな福祉」の活動はできるだけ続けていくつもりです。
それが、私にとっての生きる意味でもあるからです。
一時は、このホームページもやめようと思いましたが、書き続けることにしました。
このサイトのおかげで、新しい出会いもあり、また私たちを見守ってくれる人たちへの報告にもなるからです。
ホームページは、ますます日記的になりそうですが、できるだけ新しい生き方での気づきを書いていくつもりです。

今年もよろしくお願いいたします。
お会いできるのを楽しみにしています。



11月のあたたかな日に、我が家の中庭で女房と撮った近況写真です。

■2006年1月1日
最近、社会の動きについていけなくなり、元気をなくしていました。
特に昨年の衆議院選挙以来です。
しかし昨年末に元気が戻ってきました。
いまは女房ともども元気です。

バカ息子ちび太くんと3人で、近くの手賀沼を散歩した時の写真を載せさせてもらいます。
夕日が沈む時で、夕焼けがとてもきれいです。
運がよければ富士山もこの写真の右手後方に見えるのです。

昨年の新年の報告では、いろいろ前向きの行動宣言をしましたが、すべて実現できませんでした。
その分、いろいろな気づきがありました。

長年関わってきた美野里町山形市は通うのを止めました。
いささかの寂しさはありますが、状況から見て仕方がありません。
市町村合併の動き以来、日本の自治体は壊れだしているように思います。
形だけの住民参加型まちづくりにはもう辟易しています。
市町村分割の動きはいつになったら起こるでしょうか。
それまでは住民自治は夢のまた夢です。

企業関係では、いくつかの企業のコンサルティングのほか、企業経営幹部の研修プログラムに引き続き関わらせてもらっています。
昨今の企業の動きにはとても違和感があります。
経営不在の目先対応に埋没している企業が多すぎます。
どこかで大きな変革プロジェクトに出会いたいと思っていますが、
最近の企業の状況では、私の入り込む余地はなかなか見つけられません。
数年前に翻訳出版したオープンブック・マネジメントがもしかしたら、新装出版されるかもしれませんが、
それを契機にもう一度、大企業への関わりを再開できればと思っています。
しかし、今の企業は滅びに向けて進んでいるように思います。

NPO関係は、コムケア活動を今年は第3期に向けて変化させる予定です。
しかし、私自身のNPOへの違和感はますます強まっています。
金銭至上主義経済のサブシステムとしてのNPOから抜け出し、
効率主義のライフスタイルとは違う組織原理をもっと大事にすべきです。
NPOなどという言葉を捨てることが必要ではないかとさえ思います。

というわけで、最近の組織活動はどれをとっても私には違和感があります。
しかし、何もしていないわけではありません。
たとえば、こんな活動をしています。

・谷和原村の横田さんが中心で取り組んでいる里山づくりへの応援
・地元の我孫子市での新しいネットワーキング活動
・技術者倫理を考える社会の風起こし
・医療や病院のあり方を考えるやわらなネットワーク活動
・ソーシャルベンチャーに取り組む人たちとの共創的支援
・全国の住民活動やボランティア活動の支えあいの輪づくり
・企業経営幹部の皆さんへのメッセージ活動
・誰も相談に乗ってくれないような課題のコンセプトデザイン
・ 「大きな福祉」理念の広がりを目指すソーシャルマーケティング

・共創型変革プロジェクトへの荷担

ほかにもテーマで言えば、いろいろありますが、
それはこのホームページの週間記録などでかなり具体的に書いています。

まあそんなわけで、 元気にしています。

湯島近くか我孫子に来る機会があれば、ぜひお立ち寄りください。
お会いできればうれしいです。
毎月最後の金曜日の6時過ぎからは、誰でも歓迎のオープンサロンをやっています。
よかったら来てください。まだ会ったこともない人も含めて、誰でも歓迎です。

■2005年1月1日

おかげさまで元気で新しい年を迎えました。
元気になった女房と元気がだいぶ衰えた私の写真を載せさせてもらいました。
12月20日に撮影したものです。

昨年から仕事も再開しましたが、相変わらずまちづくりやNPO関係に時間をとられています。
特に土日は、そうした活動にとられがちです。
地方への出張は少なくしています。
地方に出かけない平日は、湯島のコンセプトワークショップか本郷のコムケアセンターに出かけています。
まあ、こんな生活にまた戻ってきています。
16年続いている湯島のオフィスは相変わらず人と会う場所になっています。

まちづくりでは、新たに谷和原村に関わりだしました。
茨城県の県南の村ですが、常磐新線の開通で様変わるかもしれない村です。
数人の住民のみなさんと知り合いになりました。
山形市でも新しい物語が始まりそうです。久しぶりです。
美野里町はそろそろ卒業でしょうか。
しかし、ここももしかするともしかします。
いずれもそれぞれに面白い物語を生み出しそうなのですが、問題は地元の我孫子市です。
これが今年の最重点課題です。

NPO関係はいくつかのNPOが立ち上がります。
昨年まではすべてお断りしていましたが、今年は5つまでは引き受ける予定です。
分野は出来るだけ分散したいと思っていますが、それらをつなげていければと思います。
コムケア活動は自立に向けての検討を始めようと思います。
春にでもコムケアをどうするかの検討会を開催するつもりです。
NPOとはちょっと違いますが、コミュニティビジネスやソーシャルベンチャーへの取り組みも始めたいと思います。
最近のそうした動きに違和感があるためです。
一つは若者たちとの活動です。春にイベントもやりたいと思っています。
研修プログラムも本格的に検討したいです。

ビジネスの関係では、まずはインキュベーションハウスの本格スタートです。
3年間、開店休業でしたが、その間に見えてきたことも少なくありません。
完全な収益事業も今年は取り組みます。
それで借金をゼロにしたいと思っていますので、それなりに頑張る予定です。
もっとも意に反してのビジネスは出来ませんので、いささかの心配はあります。

この数年、予告ばかりで実現できずにいるプロジェクトも多いのですが、
それらも忘れているわけではありません。
やろうとすると別のプロジェクトが現れてくるのです。困ったものです。

個人的なことでいえば、まずはオープンサロンを再開します。
女房が元気になったので、同意してくれました。
来年から書き出す本の準備もしたいと思っています。
「コモンズの回復」です。この本を書かないと死ねません。
遺跡周りも再開したいと思います。
パルミュラが今、一番行きたい所ですが、今年は無理かもしれません。
女房と行くことに決めているからです。

そんなわけで、まあ元気です。
湯島近くか我孫子に来る機会があれば、ぜひお立ち寄りください。

お会いできればうれしいです。

■2004年6月27日

半年振りの近況報告です。
女房の手術から1年経過しました。
うれしいことに検査結果は大丈夫でした。
安堵しました。

私自身も老化が進み、身体的機能はだいぶ低下していますが、おかげさまで元気です。
高血圧も問題でしたが、これは和漢方でほぼ直しました。
精神的には気力の低下が続いていましたが、気を持ち直すことにしました。
歳相応に身体はガタガタしてきていますが、それはきっと健康の証拠です。

最近はこのホームページのほかに、CWSプライベートに毎日書きこんでいます。
これも書きだすとけっこう楽しいです。
ちょっと暗い気もしますが、
もしかすると、最近、人に会う機会が少なくなってきているからかもしれません。
人に会う代わりに、せっせと書きこんでいるわけです。

この1年、かなりライフスタイルが変わってしまいました。

女房が昨日、久しぶりに湯島のオフィスに出社しました。
もし今の調子で元気になってくれたら、秋にはオープンサロンも再開できるかもしれません。
またみなさんとサロンでお会いできるのを楽しみにしています。


湯島にもできるだけ出るようにします。
皆さんもまた、湯島にも遊びに来てください。

■2004年1月1日

女房の胃がんが発見されてから、半年。
一変した世界は戻りようがありませんが、生活は少しずつ以前に戻ってきました。
しかし、予定していた活動は、かなり見なおさざるをえなくなりました。
新たに再スタートする予定だった、オープンサロンも再開のめどが立ちません。

昨年後半は、コムケア活動以外はほとんど休止状態になってしまいました。
ご迷惑をおかけした方々にお詫びいたします。
そして、支えて下さった多くの方々に感謝いたします。
人のつながりを、今回ほど、うれしく思ったことはありません。

ペイフォワードを実行するつもりが、
逆にたくさんの方々からのペイフォワード・アクションをいただきました。
思わぬ方からの、それとはなしのメッセージにも、感激しました。

不安と戸惑いに、元気が出ない半年でしたが、
私たち2人の世界も、これまでとはちょっと違った広がりがありましたし、
何よりも私たち自身が、生きることの意味を改めて考える機会をもらいました。
どんなことにも、いいことはあるものです。
感謝しなければいけません。

この、私にとっては最大の事件を別にすれば、
昨年、私が一番時間を割いたのが、大きな福祉を目指す、コムケア活動です。
女房のことで、ケアということの意味を今までよりも深く理解できたように思います。

おかげさまでコムケア仲間に恵まれ、各地の市民活動がつながりだしてきています。
すばらしい人たちにも、たくさん出会えました。
今年は、この活動を次のステップに進化させたいと思っています。
しかし、この目論見は正直に言って、成功するかどうかは確信をもてません。
最近は体力も、ですが、気力がついてこないのです。

行政との関わりでは、
これまで長くお付き合いしてきた美野里町山形市に、かなり大きな状況変化がありました。
美野里町は、住民主役に向けて、ひと山越したように思います。
私自身が無力感を感じだした、まさにその時に、住民が動き出したのです。
この経緯はこれまでもホームページに書いてきました。
すばらしい住民の方々に出会えた8年でした。
私はおそらくもう役割を終えたように思います。

山形市では市長が急逝し、共創プロジェクトを理解してくださっていた助役が市長になりました。
共創プロジェクトとしては3人目の市長です。
年末にお会いした時に、私の考えに関心を示してくれました。
山形市では住民との関係が弱くなっているので、
私の役割も薄れていますから、そろそろ卒業にしようと思っているのですが、
新市長のもとに共創の風がまた起こるかもしれません。
そうしたらここもハッピーリタイアーできます。

北九州市の小倉北区谷和原村など、新しい動きもいくつか出てきていますが、
私の地元の活動はもうひとつですので、今年はこれが一番の課題でしょうか。

企業関係の仕事は、昨年はやめていました。
思い切った大きな変革に関わる仕事にめぐり合えていないことも、その理由です。
今年は、もし時間が許せば、企業の仕事に本格的に取り組みたいと思っています。
OBM革命を起こせば、今の企業は必ず元気になるはずです。
なにしろビジネスチャンス山積みの時代なのですから。

こうした活動のほかにも、
今年は、平和の問題にささやかに関わる予定です。
国家の平和ではありません。
個人の平和です。
イラク復興と称して、イラクの人たちの暮らしを踏みにじるような平和主義者が、
いつ、私たちに攻撃の矛先を転じてくるかもしれません。
そうなってからでは遅すぎます。
リストラされた後の企業業績が良くなっても意味がないように、
個人の平和を踏みにじる国家の平和には異議申し立てしておかねばいけません。

しかし、最近は強い無力感にさいなまれてもいます。
私のささやかな社会へのメッセージは、ほとんど手応えはなく、めげるばかりです。
女房と青空でも見ながら、余生を過ごす誘惑に、時々負けそうにもなります。
こうして、みんな老いていくのでしょうか。

もっとも、時代は、私よりもずっと早く老いてきているような気がしてなりません。
いや、そう思うことで、自らをなぐさめているのかしれません。

とまあ、これが近況です。
ちょっと暗い近況になりました。
私の生活内容は、このホームページで、ほぼすべて公開しています。
家族からは書きすぎだと批判され、
友人からは長すぎて読む気がしないといわれていますが、
このホームページは私の日記でもあるのです。すみません。
自分ではほぼすべてを公開しているつもりなのですが、
読者にはなかなか実態を理解してもらえないのも事実です。
人は自分のイメージで情報を消化することが、このホームページをはじめてよくわかりました。

女房は、おかげさまで元気を回復してきています。
今年から湯島にも週1回くらい行こうかと言い出しています。
またオープンサロンが再開できるかもしれません。
サロンがないと、なかなかみなさんともお会いできません。

長々とすみません。
初めての方には、わけのわからない近況報告だったかもしれません。
すみません。

いつか、お会いできるのを楽しみにしています。
会うべき人には必ず会えるものです。

ありがとうございました。

■2003年8月30日

近況報告を3か月ごとに書こうと思いながら、6月1日には書き込むことができませんでした。
その後、2回ほど、週間報告に書きましたので、読んでくださった方もいるかと思いますが、
私にとってはこの3か月は人生を見直す契機になった時期でした。

女房にがんが発見されました。
突然のことでした。
しかし、さまざまなことを考え合わせると、不思議なほどに天の配慮を感じます。
こんな言い方をすると、何か「あぶない人」を感じさせるかもしれませんが、
そうではなくて、私にとっては、それを受け止める状況が準備されていたということです。
たとえば、がんが発見される5日前に、
私たちが14年続けてきたオープンサロンを一時休会することにし、
その最後の集まりを終えたところでした。
最後にこのホームページにも女房が初登場しました。
仕事も全面的に見直そうと新規受け入れを中断していました。
つまり6月から先は予定表がほぼ白紙になっていたのです。
私がなんとか事態を乗り越えられたのはそのおかげです。
もちろんご迷惑をおかけした方は少なくないのですが。

しかし、女房はもちろんですが、私にとっても、家族にとっても、生活のリズムは完全に変わりました。
日常的にも、人生的にも、です。
先が全く見えなくなったのが最大の変化です。
言うまでもなく、いつでも人生の先は見えないのです。
しかし、女房のがんと付き合うようになってからは、なぜか全く違う世界の住人になった感じです。
風景も言葉の意味も変わってきました。
がんを体験された方が、本を書きたくなる気分がよくわかりました。

6月から7月にかけては、精神的にかなり不安定でした。
最近になってやっと少し状況が見えてきました。
感情的なゆれも少なくなりました。

まあ、そんな状況のなかで、あまり気力なく、中途半端に時間を使っているのが近況です。
お恥ずかしい限りです。

このホームページも少し休もうかと思っています。
9月は更新を最小限にする予定です。
少し自分の生き方を考え直したいという気分です。
10月になったら、また書き出しますが、
それまではお知らせやらネットワークなどを少しずつ書き込むだけになると思います。

このホームページと兄弟のようなホームページがあります。
コムケアセンターのホームページです。
そのホームページには少しメッセージなどを書きこんでいく予定です。

10月10日にはコムケア活動のメインイベントもあります。
そこでみなさんにお会いできるととてもうれしいです。ぜひご参加ください。
とても素晴らしいイベントになるはずです。

そんなわけで、しばらくは少し疎遠?になりますが、
このホームページは是非とも時々訪問してください。
フォーラムへの投稿には必ず返信します。

ありがとうございました。


■2003年3月1日

春の気配を全く感じない3月の始まりです。

市民活動、行政、企業。
この3つの分野にできるだけ均等に時間配分しながらの生活を始めてから10年以上たちました。
共通するテーマは「コモンズの回復」です。

市民活動ではコムケア活動を中心に様々な活動を実践的に「つなぐ」活動をしています。
行政は、住民と行政との共創型まちづくりへの関わりです。
企業は最近はちょっと実際のプロジェクトは少なくなっていますが、新しい経営スタイルなどには関心を持っています。

週の半分は地方に出向いています。
夜はなぜか何かの集まりでだいぶ先まで埋まってしまいます。
土日はゆっくり休めた記憶がこの2年、あまりありません。

そんな生活を少し見直したいと思い出していますが、
面白い事がまわりでどんどん起こってくるために、ますます生活は拡散しがちです。
多様に広がった生活を収斂させることは至難のことだと改めて感じています。

おかげさまで、それなりに元気です。
たくさんの素晴らしい人たちに支えられて、生活も豊かです。
メールをやられていない方との付き合いが少し疎遠になってきているのがちょっと残念です。

もしまだメール交換されていない方がいたら、ぜひメール下さい。
またお会いできますように。

佐藤修

■2003年1月1日

昨年は、このホームページづくりに、かなりの時間を割いてしまいました。
毎週、自分の生活を露出しながら、生活自体の再編成をしてきました。
ホームページのツールとしての可能性にすっかり魅了されてしまったのです。
アクセス人数は残念ながら1年間で延べで8000人弱でした。
平均すれば毎日20人強です。
少ないですが、毎週、読んで下さる方もいて、元気付けられました。
投稿欄のフォーラムでも、時々、面白い議論がありました。
このホームページのおかげで知り合えた方もいます。

私は一昨年あたりから、情報社会が新しい段階に入ったと実感しています。
近年の企業不祥事や行政不祥事も、その現れの一つですし、
今の政治状況や経済状況も、同じく新しい情報環境の結果だと思っています。
産業革命よりも大きな変化が進んでいるような気がします。
しかし、ほとんどすべての「上からの(意図的なと言ってもいいでしょう)変革」の試みは、 従来のパラダイムで発想されています。ですから、何も変わらないように思います。
それに比べて、現場では大きな地殻変動が起こってきています。
数年前から年賀状に書き込んできた予兆が今、まさに起こりつつあります。
そんな認識のなかで、このホームページにはまっています。

ホームページ以外では、コミュニティケア活動に取り組んでいます。
全国のコミュニティケア活動のつながりを創出したいと思っています。
コミュニティケアといっても、英国で始まった狭義のそれではありません。
もっと大きな、そして楽しいことをイメージしています。

私のコミュニティの定義は
「重荷を背負いあった人間のつながり」です。
重荷というと、マイナスイメージが強いですが、宝物もまた重いものです。
私たちは、そうした重荷をここ数十年捨ててきてしまいました。
その結果、手に入れたのは空虚な快適性だけでした。
重荷をまた一緒に担ぎあう社会を回復したい。
これが、私が会社を辞めてから取り組んできた「コモンズの回復」というテーマです。
なかなか進みませんが、私の周りにはそれなりに重荷を背負いあう関係が育ってきました。

コミュニティといえば、まちづくりもまた、私が今、取り組んでいるテーマです。
本当は、「まち育ち支援」といいたいところですが、 自らの当事者としてもまち育ちも含めて、少しずつ進めています。
まちが育つとは、人のつながりが豊かになることであり、コミュニティケア活動の支え合いの輪が広がることですから、コミュニティケア活動とまちづくりは重なっています。

まちづくりのちょっと変わった活動もあります。
私は、このホームページでも紹介されている、「風のまち」というバーチャルタウンの町民です。
全国の自治体職員が主な住民です。
またCWSコモンズ村の村長でもあります。
ここではコモンズ通貨が発行されています。
いずれもあまりしっかりと取り組んでいないので、反省していますが、今年はしっかりと取り組むつもりです。
ご関心のある方はぜひ移住して来て下さい。住民票は簡単に作れます。

企業の仕事もしています。
脱経済至上主義を志向していますが、残念ながら、今はお金もなければ活動もしにくいのです。
しかし、近年の会社は(行政もですが)お金の使い方がわかっていません。
したがって、私のところに仕事を頼む人が少ないのです。困ったものです。
3億円くらいあれば、おもしろいことができるのですが。

会社といえば、仲間と一緒にワーカーズ・コレクティブ方式の有限会社を発足させました。
インキュベーションハウスです。
昨年度の売上は3億円どころか、30万円でした。
倒産させないために、今、仕事を探しています。
何か仕事はないですか。
私の社長任期は来年までです。
それまでに経営を軌道に乗せないとみんなから叱られるのです。
どんな仕事でもいいですから、ぜひ仕事を下さい。

私は現在61歳です。
不思議なもので、60歳を越したら、少し先が見てきました。
それまでは先は無限だったのです。
先が見えてきたので、これまでの拡散型の生き方を収斂型に移行しようと思いだしています。
そこで今年は、これまで関わっていた多くの組織や学会や活動から離脱しようと思っています。
近々、脱退届けや脱会届けが届くと思いますが、他意はなく、ただ収束に向かっただけですので、お許し下さい。

近況報告になったでしょうか。
今月のオープンサロンは1月31日です。
6時からですが、混雑するといけないので、ゆっくり話したい方は早めに来て下さい。
15年前を思い出しながら、午後1時からのオープンサロンにする予定です。
案内はしませんので、誰も来ないかもしれませんが、それもまた良しです。

15年前からお付き合いのある方には、
この15年、ほとんど成長と変化がなかったと思われそうですが、まさにそうです。
変わったことは、私の思いがますます確信に変わったことくらいでしょうか。
つまり頭が固くなったということです。
それにも、最近、気がつきだしましたが。
困ったものです。

今年は遅まきながら、ペイ・フォワード活動に参加します。
皆さんもいかがでしょうか。

今年はお会いできるかもしれません。
楽しみにしています。

ありがとうございました。
みなさんの善意に感謝します。

2003年1月1日
佐藤修