CWSプライベート記事一覧インデックス2007〜2014
2004〜2006   2015年
妻への挽歌
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2014年12月
■「差別する意識」が生み出す市場 14/12/30
■「苦界浄土」を読みなおそうと思います 14/12/29
■若者たちの不安感を解かなければいけません 14/12/22
■価値のつくり方と価値の捉え方 14/12/21
■魂の限界と相沢さんの謝罪 14/12/20
■STAP細胞はありません? 14/12/19
■言動の前提の大切さ 14/12/18
■「盗賊を罰するより赦したほうがよい」 14/12/17
■戦争経済への傾斜への不安 14/12/17
■トリクルダウンしてくる「富」の源泉の所在 14/12/16
■衆議院選挙結果を見ての感想 14/12/15
■煙石事件の高裁判決がでました 14/12/13
■私たちはとても大切なものを忘れていないか 14/12/13
■事前投票に行ってきました 14/12/10
■知的な言説を聞く耳 生き方の話 14/12/10
■マーケティング型選挙から抜け出よう 14/12/09
■国益と公益と私益 14/12/08
■国の命運は政治の善悪によって決まる 14/12/07
■国の命運は政治の善悪によって決まる 14/12/07
■自分の会社を誇れる人に出会いました 14/12/06
■政治から人間がいなくなった? 14/12/05
■「大政翼賛会に抗した40人」 14/12/04
■柳田國男の願い 14/12/02
■未来を決める選挙が始まりました 14/12/02
■多様性という言葉 14/12/01

2014年11月
■「いろんな人がいたほうがよい」 14/11/29
■「誰一人まともな人はいない」 14/11/27
■異なっていることこそ正常です 14/11/26
■内気は病気なのか 14/11/25
■なぜ日本は「こんな安心なところはない」と言ってもらえるのか 14/11/22
■ルサンチマンの哀しさ 14/11/22
■「小さな差異のナルシズム」 14/11/21
■解散の大義を活かさなければいけません 14/11/19
■会社制度を創ったのはだれだ! 14/11/17
■沖縄と福島、そして衆議院議員選挙 14/11/17
■解散に期待します 14/11/12
■ホームレスに食事与え逮捕という事件 14/11/11
■蟻のように生きる人生 14/11/10
■「運命の子」と出会って考えたこと〜障害胎児の命を抱きとめる〜講演会のお誘い 14/11/10
■悩ましい問題 14/11/07
■「私は人間としてではなく生きてきた」 14/11/06
■経世済民としての経済を思い出したい 14/11/05
■コミュニケーションの持続による絆しかないのか 14/11/05
■「尊厳死」か「人間の尊厳性の否定」か 14/11/04
■夢を持たずに生きている人がいたら教えてくださいませんか 14/11/01

2014年10月
■人は夢だけでは生きていけない、のか? 14/10/31
■再論:生きる権利と生きる責任 14/10/27
■エボラ熱とイスラム国 14/10/27 ■ゆりかもめの座席の恐ろしさ 14/10/26
■「社会から生きた人がいなくなった」サロンの報告 14/10/26
■医師と農夫 14/10/24
■入院すると得をするってほんとですか? 14/10/22
■小渕経産相の辞任会見を見ていてぞっとしました 14/10/21
■歴史はいい方向だけに進むものではありません 14/10/21
■5人の女性閣僚は「女性活躍」の象徴です
14/10/19
■「こころのケア」???14/10/17
■薬用植物事典「デューク グリーンファーマシイ」 14/10/15
■心身を治癒する知恵と制度化された医療 14/10/14
■私たちが不安に思うべきことは何か 14/10/13
■健全な老化と正常病 14/10/10
■自宅で暮らせなくなった人たちのセーフティネットづくりをテーマにしたサロンのお誘い 14/10/06
■ある一点 14/10/04
■編集された情報で世界は構成されています 14/10/04
■裸の王様 14/10/03
■現実を見えないようにする報道 14/10/01

2014年9月
■世界を変えるのは簡単かもしれません 14/09/29
■安倍政権以上の支持を得るための政策 14/09/27
■イスラム国だけが残虐なのか 14/09/26
■私の意識の改革 14/09/24
■政治改革への基本的な思想 14/09/23
■女性の活用と社会の変革 14/09/22
■個人を壊す企業から個人を活かす企業へ 14/09/21
■個人を起点とした学校教育 14/09/21
■教育改革はどこを目指すのか 14/09/20
■司法の社会化 14/09/18
■「○○ハラスメント狩り」への危惧 14/09/18
■地方創生という発想 14/09/15
■医療の何が「改革」されるべき 14/09/14
■なぜ改革は達成されないのか 14/09/13
■小さな村の大きな経済 14/09/12
■最近のマスコミ報道に何か「意図」を感じてしまいます 14/09/11
■悪魔に魂を売りたくはありません 14/09/11
■すぎのファームの梨 14/09/10
■なぜ「助けて」と言わせたいのか 14/09/08
■ブラック イズ ビューティフル 14/09/07
■新潟水俣病資料館に立ち寄らせてもらいました 14/09/06
■無料で食べられる蕎麦屋さん 14/09/03
■卑怯な生き方 14/09/03
■ビジネスワークとソーシャルワーク 14/09/01

2014年8月
■「新しい国家」Islamic stateと「新しい戦争」 14/08/27
■人は偶然や不思議な出会いによって変わってゆく 14/08/26
■ちょっとハードなカフェサロン第3回のご案内 14/08/24
■「瑣末さ」のずれの拡大 14/08/22
■0.1秒の差は私には理解できません 14/08/21
■森の神様へも祈りましょう 14/08/21
■誰の人生も透けて見える時代 14/08/21
■携帯電話の一般使用を止めることにしました 14/08/21
■「海の神様が怒るよ」 14/08/19
■問題は瑣末なところに原因があるものです 14/08/19
■「台風が来るから海が洗われてきれいになる」 14/08/12
■「毎朝泥棒に感謝している」 14/08/09
■死なせてはいけない 14/08/07
■受付の大切さ 14/08/05
■「暑いですね」は便利な言葉です 14/08/02
■自分を殺す者の共犯者とならないにはどうしたらいいか 14/08/02

2014年7月
■競争を強いられる働き方と競争とは縁のない働き方 14/07/31
■集団的自衛権と佐世保の同級生殺害事件 14/07/30
■声を出すことの大切さ 14/07/29
■たえず棒や石を持ち歩く人類の宿命 14/07/21
■公開フォーラム認知症予防ゲーム「スリーA」− 韓国の実践から学ぶのお誘い 14/07/19
■「天然の森のようなソーシャルファーム構想」サロンへ 14/07/18
■「先生」という呼び方 14/07/16
■若者たちの気晴らしはどこに向かうのか 14/07/10
■「脱法ハーブ」という概念が理解できない 14/07/08
■自殺は個人の問題か社会の問題か 14/07/07
■社会の埒外で生きられるか 14/07/06
■オメラスとヘイルシャムの話その10:10羽のニワトリ 14/07/04
■「ずれた間抜けな人」 14/07/03
■国は民のもの 14/07/02
■「戦わない権利」と「戦わない義務」 14/07/01

2014年6月
■ちょっとハードなテーマカフェを始めたくなりました 14/06/30
■一人称自動詞で考える 14/06/29
■祈ることの意味 14/06/28
■ニーメラーの後悔を思い出します 14/06/28
■現実にはさらに敏感でありたい 14/06/27
■言葉には敏感でありたい 14/06/27
■エルダーソーシング 14/06/25
■働くことには給料よりももっとたくさんの意味がある 14/06/25
■年金生活者株式会社のヴァイタニードル社 14/06/25
■「自殺に追い込まれる状況をどうしたらなくしていけるか:企業で働く人編」パート2 14/06/24
■2つの暴言に思うこと 14/06/23
■煙石事件の控訴審初公判後の記者会見 14/06/22
■戦争の記憶 14/06/22
■「集団的自衛権」と「集団的殺傷権」 14/06/21
■カスミ人生論はなかなか通じません 14/06/20
■霞(カスミ)の話のつづき 14/06/19
■STAP細胞と小保方さんのがんばり 14/06/18
■霞を食べて生きましょう 14/06/17
■戦争を想定すれば戦争が、平和を想定すれば平和が実現する 14/06/17
■破滅への一歩は反転への一歩でもある 14/06/16
■「「助けて」と言える社会と言わなくてもいい社会 14/06/15
■オメラスとヘイルシャムの話その9 14/06/13
■オメラスとヘイルシャムの話その8 14/06/13
■オメラスとヘイルシャムの話その7 14/06/12
■オメラスとヘイルシャムの話その6 14/06/12
■オメラスとヘイルシャムの話その5 14/06/11
■オメラスとヘイルシャムの話その4 14/06/11
■オメラスとヘイルシャムの話その3 14/06/10
■オメラスとヘイルシャムの話その2 14/06/10
■オメラスとヘイルシャムの話その1 14/06/10
■常識と良識 14/06/06
■兵士は戦場で何を体験してくるのか 14/06/05
■「自発的隷従論」 14/06/04
■「支え合いー迷惑と遠慮」をテーマにしたサロンのお誘い 14/06/03
■同じものに触れても、人は違ったものを見ています 14/06/02

2014年5月
■幸せな1日
14/05/28
■スリーA認知症予防ゲームの広がりを確信しました 14/05/26
■右傾化に打ち克つ新たな思想をテーマにしたサロンは実現しそうです 14/05/26
■右傾化に打ち克つ新たな思想の話を聴きませんか 14/05/23
■年金生活者の責務 14/05/22
■人間的に真っ直ぐ向き合うことの大切さ 14/05/21
■人が育つ企業をどうやって実現するか 14/05/21
■「企業は人なり」から「企業はカネなり」へ 14/05/20
■NPO法人認知症予防ネット設立10周年記念講演会のお誘い 14/05/20
■責任のない者の責任
14/05/18
■日本の緑は本当に素晴らしい 14/05/16
■「1185 → 10」 14/05/16
■「私らは侮辱のなかに生きている」 生き方の 14/05/15
■自殺を防止する「人命救助活動」シンポジウムのお誘い 14/05/15
■農業には「殺生」と「信仰」がつきものです 14/05/14
■「美味しんぼ」騒動 14/05/13
■ブラック企業とホワイト企業
14/05/04

2014年4月

■ スパイクを買ってやろう 14/04/28
■不作為の殺人罪 14/04/25
■土から学ぶことは多いです 14/04/24
■ゲーム・サロン(「スリーA&箸ピー」を楽しみながら体験する集まり)へのお誘い 14/04/24
■じわじわと値上げが起こっている気がします 14/04/21

■国家はだれのものか 14/04/21
■なぜ精神障がい者には責任能力がないのか 2014/04/17
■新潟に向かっている途中の無駄話 14/04/15
■日本にある大量なプルトニウムを、さらに増やすのか 14/04/15
■見事な防災マニュアルづくり 14/04/13
■「一人ひとりの声が集まれば、世の中は変わる」 14/04/12
■沖縄の竹富町の教育委員会に拍手しています 14/04/12
■原子力信仰から抜けられない日本 14/04/11
■「ネットワークささえあい・新潟」がゆっくりと動き出しました 14/04/10
■STAP細胞事件に関する小保方さんの会見 14/04/09
■第3の死 14/04/07


2014年3月
■「猫も杓子も捏造」社会 14/03/29
■袴田事件の奥にあるもの 14/03/28
■「一つの見方」に方向付けられてしまうとなかなか抜け出せない 14/03/27
■今度はみんなの党つぶしでしょうか 14/03/27
■人間を起点とする社会哲学 14/03/30
■ベビーシッター事件で思うこと 14/03/19
■ネット社会のもろさを実感しました 14/03/17
■統計上でさえ3万人前後の自殺者がでる社会 14/03/16
■「家族関係や人間関係から自殺の問題を考えるフォーラム」のご案内 14/03/16
■エスカレーターの片側をあける文化 14/03/16
■STAP細胞論文の査読は誰がやったのか 14/03/15
■組織にとって働く人の自殺問題をどう捉えるか 14/03/14
■3.11と3.14 14/03/11
■自殺する権利と生きる責任 14/03/08
■手賀沼終末処理場 14/03/07
■子どもたちをうまく育てられなくなっている 14/03/07
■会社で働く人の自殺の問題を考える話し合いのご案内 14/03/06
■会社人から社会人への、次の生き方 14/03/05
■人類を統合する思想 14/03/05
■ホームズはなぜ死ななかったのか 14/03/02
■節子への挽歌2373:人にとっての生きる「縁(よすが)」 14/03/02
■二酸化炭素地球温暖化説と原発代替エネルギーに関する補足 14/03/01
■産業経済の基本である工場現場への不安 14/03/01

2014年2月
■「人間に鈍感なシステマチックな世界」 14/02/28
■ビットコインと通貨 14/02/27
■人には共存できないものもある 14/02/26
■気温の上昇が先で二酸化炭素の増加が後である 14/02/25
■「自分が何をやっているか、もっと見ろ」 14/02/24
■「貧困は文明とともに成長してきた」 14/02/23

■オリンピックの特殊な雰囲気 14/02/22
■『いまさら訊けない放射能について』サロンの報告 14/02/22
■経済成長と格差 14/02/21
■原発再稼動路線が加速されだしました 14/02/20
■社会は生きるための生活の場なのか、稼ぎのための市場なのか 14/02/17
■「自殺に追い込まれる状況をどうしたらなくしていけるか」連続ラウンドセッション 14/02/17
■ソーシャル・ガバナンスと成長する政策 14/02/16
■韓国の歴史教科書を読みました 14/02/16

■2種類のお金 14/02/15
■富国とは「人民が概して貧しい国」である 14/02/12
■竹富町を応援します 14/02/11
■高句麗が好きになりました 14/02/11
■問題を構造化することの大切さ 14/02/10
■都知事選に関する私の不見識 14/02/10
■あまりの積雪に途方にくれています 14/02/09
■「うまくいかない人生」 14/02/08
■オリンピックより脱原発でしょう 14/02/08
■何が優先すべき問題でしょうか 14/02/06
■「自殺に追い込まれる状況をどうしたらなくしていけるか」 14/02/04
■もうひとつのキリスト教 生き方の話 14/02/04


2014年1月

■知は人を無知にする 14/01/31
■精神のエントロピー 14/01/31
■最近のマスコミ報道に思うこと 14/01/31
■フェイスブックはどこか落ち着かなさを感じます 14/01/29
■過剰なものを生産する社会 14/01/29
■「迷わないこと」と「確かなこと」 14/01/26
■宇都宮さんの正義感が脱原発の流れを妨げる皮肉さ 14/01/25
■日本古代史をテーマにしたサロンのお誘い 14/01/24
■閑話休題:挽歌と時評のクロス現象 14/01/24
■ケネディ駐日大使にも「小さな村の国際紛争」を見てほしいです 14/01/23
■コミュニケーションの不在 14/01/22
■正解があれば解けない問題はない 14/01/21
■ヘイト・スピーチで一番不幸なのは誰なのか 14/01/21
■流れは変わるでしょうか 14/01/20
■大学入試センター試験を2科目だけやってみました 14/01/20
■犯罪もののテレビドラマが圧倒的に多くなった 14/01/19
■「基地か経済か」は争点か 14/01/18
■都知事選に「脱原発」を争点にする意味14/01/18
■世論調査結果に感ずる不安 14/01/15
■島は神様のもの 14/01/14
■相変わらず自分の生活しか考えないコメンテーターが多いですね 14/01/14
■話し合うことの難しさ 14/01/12
■2段目のない三段論法 14/01/11
■話し合うことの難しさ
14/01/12
■2段目のない三段論法 14/01/11
■「TPPを先取りする共済の危機」 14/01/10
■人と人をつなぐもの  14/01/09
■マララさんのメッセージに感動しました 14/01/08
■都知事選を政治への関心を高めるために活かしたい 14/01/08
■「自分の面倒は努めて自分でみる」ことに反対 14/01/05
■現在の人工知能は「子どもの使い」が不得手 14/01/04
■ヘイト・スピーチは特殊な話ではありません 14/01/03
■政治と市民 14/01/02
■「流れに身を任す」生き方から「流れに抗う」生き方へ 14/01/01

2013年12月
■バングラディシュのブロッケイド 13/12/28
■驚くことの多い年の瀬です 13/12/26
■12月27日、よかったら湯島にお立ち寄りください 13/12/25
■都知事選挙50億円 13/12/24
■汚れを正す仕組み 13/12/23
■社会の実相と幻想 13/12/22
■内政干渉の呪縛を解いて、もっと高次元で考えるべき問題 13/12/21
■政治の方向を決めているのは誰か 13/12/20
■日本の防空識別圏って広すぎませんか 13/12/19
■政治の本質 13/12/19
■猪瀬都知事は「いい人」ではないでしょうか 13/12/13
■死刑はやはりショックです 13/12/13
■「農業から考える支え合いの文化と仕組み」をテーマにしたサロン 13/12/10
■無知はカである 13/12/07
■この問題をどう考えますか 13/12/06
■流行語大賞に思うこと4:「じぇじぇじぇ」 13/12/06
■無知はカである 13/12/07
■この問題をどう考えますか 13/12/06
■流行語大賞に思うこと4:「じぇじぇじぇ」 13/12/06
■流行語大賞に思うこと3:「倍返し」 13/12/06
■流行語大賞に思うこと2:「今でしょ」 13/12/06
■流行語大賞に思うこと1:「おもてなし」 13/12/05

2013年11月
■シリアとタイと日本、どの国が一番、民主的だろうか 13/11/28
■だれもかれもニーメラー 13/11/27
■スリーAゲーム×箸ピーゲームのジョイントサロン 13/11/27
■映画『ハンナ・アーレント』を観ました 13/11/26
■常識を問い直す7:経済成長は生活を豊かにはしない 13/11/26
■常識を問い直す6:仕事の意味 13/11/25
■放射線汚染の除染実験の報告その3 13/11/25
■放射線汚染の除染実験の報告その2 13/11/23
■常識を問い直す 番外編2:放射線汚染の除染実験の報告その1 13/11/23
■常識を問い直す5:代議制民主主義における「代表」の意味 13/11/23
■常識を問い直す4:知的所有権には納得できません 13/11/21
■常識を問い直す 番外編:公的年金基金も運用の対象 13/11/20
■常識を問い直す3:「ボランティア」という言葉に感ずる違和感 13/11/20
■常識を問い直す2:ワークライフバランス 13/11/19
■常識を問い直す1:社会貢献という発想の傲慢さ 13/11/19
■古代天皇の長寿説に関心のある人はいませんか 13/11/19
■会社は仲間たちの挑戦の場 13/11/17
■公と共 13/11/15
■近代的な共済事業と協同組合の終焉 13/11/14
■放射性汚染土壌の除染実験のご案内 13/11/14
■「福祉」という言葉のイメージ 13/11/12
■すべてが経済成長支援を向いている 13/11/08
■ATMから出てきて、並んでいる人がいたら声をかけますか 13/11/06
■第3回箸ピーサロンでは「福祉」教育のつながりもテーマです 13/11/06
■「小さな満足、大きな不満」 企業時評, 生き方の話 13/11/05
■国家の再登場ー権威や権力になぜ依存したがるのか 13/11/03
■砂上の上の経済 13/11/02
■所有財産の共和制 13/11/02

2013年10月
■効果的な放射性セシウムの除染法 13/10/31
■「知る勇気をもて」 13/10/30
■隠蔽と偽装で覆われた社会 13/10/29
■知識のあとからくる博学の無知 13/10/28
■「望む」「できる」「知る」 13/10/27
■ヘレヘレじいさん 13/10/27
■貧しくもなく、富めることもなく、ただ平安に 13/10/26
■「農業は人々の暮らしの根源的基盤」 13/10/25
■組織起点から個人起点へ 13/10/24
■国会幻想 13/10/22
■「人と人をつなげる仕組み」としてのNPO 13/10/22
■「産業化・近代化のはてに人間の心に宿る暗闇」 13/10/21
■放射線汚染水の流出に思うこと 13/10/18
■雇用経済的な働き方と生業的な働き方 13/10/16
■モンドラゴンもいろいろと変わってきているようです 13/10/12
■洗脳されることの恐ろしさパート2 13/10/12
■洗脳されることの恐ろしさ 13/10/11
■情報麻痺のなかでの「まあ仕方ないか」の生き方 13/10/03
■消費税増税はやりきれない話です 13/10/02

2013年9月
■我孫子 アートな散歩市でまたカフェをやります 13/09/29
■前に進むということ 13/09/29
■JR北海道の安全問題にふと考えたこと 13/09/26
■DVの相談を受けての体験 13/09/24
■半沢直樹を私も見てしまいました 13/09/23
■数字信仰の呪縛から解放されたいです 13/09/22
■家族をどう考えるか 13/09/22
■さみしい社会 13/09/19
■自分の属性を訊かれたらどう答えますか 13/09/18
■サリン兵器を持つことの意味 13/09/17
■第2回箸ピーサロンのお誘い 13/09/16
■支え合い共創ネットを立ち上げました 13/09/15
■水曜どうでしょう効果 13/09/11
■夏ばっぱの生き方は大事なことを教えてくれました 13/09/10
■オリンピック・消費税・福島事故の三題噺 13/09/10
■社会からの落ちこぼれ 13/09/08
■水曜どうでしょう祭が朝日新聞夕刊のトップに 13/09/07
■オリンピックとフクシマ問題 13/09/07
■会社名や商品名が書かれたユニフォームへの違和感 13/09/06
■幸せを届ける小さなタクシー会社 13/09/06

2013年8月
■太陽光発電装置を自宅で手づくりしようワークショップのからのメッセージ 13/08/26
■太陽光発電装置を自宅で手づくりしようワークショップの報告と参加呼びかけ  13/08/26
■サブシステンス経済とマネタリー経済のどちらを基本にするか 13/08/25
■マット・デイモンのオバマ大統領批判 13/08/21
■特別な時間が積み重なった場所を捨てる覚悟 13/08/20
■マルチチュードが主役の運動が広がりだした? 13/08/17
■エジプトが気になります 13/08/17
■日本とエジプトとどちらが「平和」なのか 13/08/15
■ウェルフェアからデットフェアへ 13/08/11
■核廃絶と原発の存在 13/08/09
■「失言」には必ず「真実」が含まれています  13/08/02
■「失言」には必ず「真実」が含まれています 13/08/02

2013年7月
■気がついたら蓋の中 13/07/31
■日本の協同組合の現状への嘆き 13/07/30
■面倒くさいことが多すぎます 13/07/26
■善意の人を追いやる闇 ,13/07/26
■決められる政治の意味 13/07/24
■選挙が終わったら原発事故関係の報道が増えてきたような気がします 13/07/23
■山本太郎さんの主張はしっかりと聞く価値があるように思いました 13/07/22
■煙石事件への疑惑 13/07/22
■生活を忘れた日本人 13/07/21
■新しい働き方と新しい協同組合 13/07/19
■参議院選挙に思うこと13:私は「人を殺す」ことが好きではありません 13/07/18
■参議院選挙に思うこと12:選挙結果を誘導する報道が多すぎます 13/07/18
■参議院選挙に思うこと11:世論がつくられていくことへの危惧 13/07/17
■「助け合いの文化と仕組み」を考えるサロンのお誘い 13/07/15
■参議院選挙に思うこと10:現状満足の呪縛を抜け出せないものか 13/07/14
■参議院選挙に思うこと9:政党代表の話し合いテレビ番組を見ましょう 13/07/13
■参議院選挙に思うこと8:投票に関する私のルール 13/07/11
■ツイッターハガキ 13/07/10
■参議院選挙に思うこと7:今回は当選しそうな人に投票します 13/07/10
■福島第1原発の元所長の吉田さんが亡くなられました 13/07/10
■参議院選挙に思うこと6:投票率がなぜ低いのか 13/07/09
■絶望的な無知無関心と選択的忘却能力 13/07/09
■参議院選挙に思うこと5:なぜ野党は受け皿をつくれなかったのか 13/07/08
■参議院選挙に思うこと4:あなたにピッタリな政党を診断 13/07/07
■参議院選挙に思うこと3:ねじれ国会がなぜ悪いのか 13/07/07
■エジプトで何が起こっているのか 13/07/06
■参議院選挙に思うこと2:投票したい人がいないという無責任さ 13/07/05
■参議院選挙に思うこと1:反原発だけが争点ではないのか 13/07/05

2013年6月
■「誤りを繰返さないように私たちは充分学んだであろうか」 13/06/28
■「苦しみはそれを見た者に責任を負わせる」 13/06/28
■「従容と死を受け入れる森」再掲 13/06/27
■「物理学者は罪を知った」 13/06/27
■イワシの群のように(2013年6月26日) 13/06/26
■責任を取る社会から責任を押し付ける社会へ 13/06/25
■富士山が世界遺産になって、なぜうれしいのか 13/06/24
■「沈黙の抗議」からサッティヤーグラハが伝わってきます 13/06/19
■「悲しいね」 13/06/19
■みんなで汗をかいて働く豊かさ 13/06/15
■原子力規制委員会は原子力寄生委員会? 13/06/12
■他者に守られている安全 13/06/12
■株価の乱高下するのは株式には価値がないからです 13/06/11
■冬のトマトと原発輸出
13/06/03
■災害に備えて備蓄すべきものは何か 13/06/01

2013年5月
■作られたショックドクトリン
13/05/31
■原発の発明は、その事故の発明でもあった 13/05/28
■チェルノブイリとフクシマ 13/05/27
■あなたの帽子はかぶり心地がいいですか 13/05/23
■橋下大阪市長の戦う姿勢に共感を覚えてしまうのはなぜでしょうか 13/05/19
■ヘンリー・スティムソンの信条 13/05/15
■人にレベルはありません 13/05/14
■アメリカ史だけではなく現代世界史の風景が変わりました 13/05/13
■メンタルヘルスをテーマにしたサロンのお誘い 13/05/13
■円安を喜ぶ人もいました 13/05/12
■円安を喜ぶ理由がわかりません 13/05/10
■黄柳野高校が話題になっているので期待したのですが 13/05/09
■自民党憲法改正草案による亡国への道:その10 13/05/06
■自民党憲法改正草案による亡国への道:その9 13/05/05
■自民党憲法改正草案による亡国への道:その8 13/05/05
■原発の輸出を認めて、原発再稼働反対はありません 13/05/04
■自民党憲法改正草案による亡国への道:その7 13/05/04
■自民党憲法改正草案による亡国への道:その6 13/05/04
■自民党憲法改正草案による亡国への道:その5 13/05/04
■自民党憲法改正草案による亡国への道:その4 13/05/03
■自民党憲法改正草案による亡国への道:その3 13/05/02
■自民党憲法改正草案による亡国への道:その2 13/05/02
■自民党憲法改正草案による亡国への道:その1 13/05/02

2013年4月
■カウンターカルチャーと民主主義 13/04/27
■水俣のしらすは美味しいです 13/04/24
■水俣病認定対応から見える原発事故被災者の救済 13/04/24
■向こうから見た風景 13/04/23
■誰を犠牲にして経済成長するのですか 13/04/23
■水産業復興特区とショックドクトリン 13/04/23
■ペイフォワードと恩送り、そして未来への配慮 13/04/15
■世の中を変えるためにできること 13/04/12
■番外編:時評と挽歌をつなぐもの 13/04/11
■未来の他者を念頭に置いた社会 13/04/10
■資本の力に対抗するには土俵を変えないといけません 13/04/09
■利子がマイナスになる利子率革命はどうでしょうか 13/04/08
■「みなの口にはいることがまつりごと」 13/04/06
■第三者委員会ってなんでしょうか 13/04/04
■病気を完治させようと思うことはありません 13/04/02
■社会の痛みが腰痛を起こしている? 13/04/01

20913年3月 
■「良いことをしたら忘れ、悪いことをしたら覚えておけ」 13/03/31
■一票の格差訴訟の判決への反応 13/03/27
■65歳定年制発想への違和感 13/03/25
■TPPを考える視座3:太平洋かアジアかの違い 13/03/19
■TPPを考える視座2:生活の視点から考えることの大切さ 13/03/19
■TPPを考える視座1:自由貿易をどう考えるか 13/03/19
■福島の放射線汚染の実情を立柳さんにお聞きする会のお誘い 13/03/14
■税理士への不信感 13/03/14
■企業価値とはなんでしょうか 13/03/12
■社会が荒れているようです , 13/03/12
■ペイ・フォワード方式で映画「自殺者1万人を救う戦い」を広げていきませんか 13/03/10
■原発再稼動の是非を決められるのは誰か 13/03/07
■オリンピック招致騒ぎへの違和感 13/03/07
■もう原発事故の怖さを忘れたのか 13/03/04
■自殺の問題は、特別の人の話ではありません 13/03/04

20913年2月
■「自殺者1万人を救う戦い」上映会へのお誘い 13/02/26
■自殺を切り口にして、私たちの生き方や社会のあり方を考えるフォーラム 13/02/23
■「現在の法律ではそうなってしまう」 13/02/20
■暴力の配分システム 13/02/07

2013年1月 
■「プロシューマー」ってご存知ですか 13/01/29
■ブログがどうも書けません 13/01/27
■アルジェリアやマリで何が起こっているのか 13/01/24
■教師や警察官の駆け込み退職とプライミング効果 13/01/23
■「これ以上、何が必要だ」 13/01/21
■成人式での東日本大震災復興支援の募金活動 13/01/15
■起きていても寝違いはするそうです 13/01/14
■言葉の魔術 13/01/10
■組織のホメオスタシス装置としてのSNS 13/01/08
■年賀状とフェイスブック 13/01/05
■「need- to-know」から「need-to-share」へ 13/01/04
■原発事故はもう終わったのでしょうか 13/01/03
■ショッピングモールでは売っていない福袋を買うことにしました 13/01/02
■見てしまった者の責任 13/01/02

2012年12月
■水俣病は殺人事件なら福島原発事故はなんでしょうか 12/12/31
■政治家の無知さ加減への失望 12/12/31
■福島の原発被害者を支援する気が一挙に萎えてしまいました 12/12/29
■原発地域の断層議論の仕方 12/12/29
■みんなそろって愚民化というかなしい現実 12/12/29
■どうもすっきりしません 12/12/27
■原発よりも景気という風潮 12/12/25
■東京新聞を購読してみて感じたこと 12/12/24
■現実をどう解釈するか 12/12/18
■今回の選挙の構図 12/12/17
■会社と幸せ 12/12/16
■ナチスの時代に向かいそうで心配です 12/12/15
■敦賀原発活断層問題とロック・イン現象 12/12/11
■支持政党なしなどといって逃げるのはやめましょう 12/12/10
■民主党という幻想 12/12/09
■「かえるの王様」選挙 12/12/09
■「非武装による平和」と「脱原発による平和」を捨てたくはありません 12/12/08
■原発をほんとになくしたいと考えている政党 12/12/04
■選挙がなるとかかってくる電話に辟易します 12/12/04


2012年11月
■経済成長と生活向上 12/11/30
■福島の現実 12/11/30
■稼動ゼロと脱原発の違い 12/11/30
■まさかの胃腸炎 12/11/30
■誰に投票すればいいか 12/11/23
■各論の議論への違和感 12/11/22
■ソリューション型贈与とクリエーション型贈与 12/11/21
■大同小異の視点での政党再編成 12/11/16
■「ホモマキナ」(機械人間)への進化の時代  12/11/14
■自公民大連合体制への懸念 12/11/14
■解散権は誰が持っているのか 12/11/14
■ネットからはなれた生活 12/11/11
■田中真紀子さんの失策は憎めません 12/11/08
■活断層か地滑りかの判断で慎重になるのではなく、原発の稼動に慎重になるべきでしょう 12/11/06
■なぜ人は繰り返し騙されるのか 12/11/06
■「まちづくり編集会議」が出版されました 12/11/05
■仕事とお金の話 12/11/02
■京都の弘道館にぜひ行ってみてください、 12/11/01

2012年10月
■久しぶりの梅田 12/10/31
■市民の政治談義は市民の政治参加を妨げる 12/10/30
■原発の廃炉は可能なのか 12/10/26
■子どもとの付き合い方 12/10/26
■「働くこと」は「生きること」か 12/10/25
■信濃川への鮭の遡上が増えています 12/10/23
■野田首相の約束は財務官僚との約束 12/10/21
■野田首相が詐欺師でなければ、誰が詐欺師なのか 12/10/20
■「よき市民であるためには、悪しき《市民政府》に抵抗せよ」 平和時評, 生き方の話 12/10/19
■居座りの時代 12/10/18
■人間が機械化しだしているようで不気味です 12/10/17
■森口尚史さんが憎めないのですが 12/10/16
■我孫子の手づくり散歩市でカフェを開いてます 12/10/13
■「成長が無ければ世界経済の未来は危うい」 12/10/12
■「誰も全体を見ていなかった」 12/10/11
■映画「ボーンレガシー」にがっかり 12/10/10
■誰が鳩山政権を潰したのか 12/10/09
■政治が動かないことに腹を立てないために 12/10/08
■「どんなふうにふるまい、生き続けていくか」 12/10/06
■忙しさの罪   12/10/05

2012年9月
■ニセ医者事件に思うこと 12/09/26
■泗水町住民の決断 12/09/25
■大拙さんの知恵「それはそれとして」 12/09/24
■「優勝より正しい生き方」 12/09/24
■汚されてしまった千秋楽の勝負 12/09/23
■「ある心臓外科医の裁判―医療訴訟の教訓」 12/09/22
■政権交代へのトロイの木馬 12/09/21
■政府の「安全宣言」と工場の「安全宣言」 12/09/19
■理念の政治か調整の政治か 12/09/17
■世界の脆さ 12/09/16
■富裕層は不労所得者 12/09/12
■なぜ倒閣運動が起きないのか 12/09/10
■シャープの経営不振に思うこと
12/09/07

2012年8月
■日本の社会を支える過剰消費 12/08/31
■灰色のマトリョーシカ 12/08/30
■対立の構図は人と組織 12/08/25
■「つながり」とはなにか 12/08/24
■話を聴くことから生まれる責任 12/08/23
■ジャーナリスト山本美香さんの死 12/08/22
■「終戦 なぜ早く決められなかったのか」感想 12/08/21
■ボーンレガシー 12/08/20
■原発事故で経済成長が高まる理由 12/08/19
■個人の思いと閣僚の意見 12/08/17
■竹島問題 12/08/15
■国家は解散できないものでしょうか 12/08/15
■「君の生き方」ではなくて「私の生き方」を問いたい 12/08/12
■消費増税法が成立しました 12/08/11
■「原発はコストは高く、リスクが高い」 12/08/10
■原発推進者の首相が大きな顔をして座っている式典には失望しました 12/08/07
■なぜ原子力規制委員会のメンバーは原子力発電に詳しくなければいけないのか 12/08/02

2012年7月
■反オリンピック論
12/07/31
■問題だけを見ていても問題は見えてきません 12/07/26
■「知識」は現実を見えなくする 12/07/26
■無駄遣いの時代から抜けられない無念さ 12/07/25
■農福連携政策のパラダイム転換 12/07/23
■農業と福祉のつながりを考えるサロンの報告 12/07/23
■いまこそ、農業から学ぶ時ではないか 12/07/23
■言葉は実体を覆い隠すものでしかありません(その2) 12/07/21
■言葉は実体を覆い隠すものでしかありません 12/07/21
■みどりの風に拍手を送ります 12/07/17
■安易に同調したり反発したりする風潮 12/07/15
■豊かな暮らし 12/07/14
■なぜ人は嘘をつくのか 12/07/12
■森まさこ議員と双葉町長と野田首相 12/07/10
■原発についてもっと知りたい人のためのサロンのお誘い 12/07/10
■汚染ということ 12/07/08
■実態を知らずに何ができるのか 12/07/08
■「原発事故は人災」の欺瞞性 12/07/06
■除染のために農地の表土を廃棄することなどできません 12/07/04
■政治家の資質 12/07/03
■「なんと罪深いことをしてしまったことか」 12/07/02

2012年6月
■個人が自立して生きていけない社会 12/06/29
■責任をとるということ 12/06/23
■「その先のない人」 12/06/21
■大飯原発再稼動 12/06/16
■貿易自由化は誰のためか 12/06/15
■廃墟を見ても学ぶ能力のない日本 12/06/13
■「企業と行政による犯罪行為」 12/06/12
■「正名」は現代社会が最も必要としている思想 12/06/10
■「節電」という言葉の落し穴 12/06/09
■仕組みと現実 12/06/08
■孤立死防止のためのデイコールシステム 12/06/07
■身勝手な嘆き 12/06/06
■倫理から安全へ 12/06/05
■自らの虚無感からのロゴセラピー 12/06/05
■原子力は非倫理的なエネルギーである 12/06/04
■座軸の反転 12/06/01

2012年5月

■時限爆弾の上で遊び興ずるソドムとゴモラの民 12/05/31
■労働と生活 12/05/30
■生活保護とは「お金の問題」なのでしょうか 12/05/26
■ハーメルンの笛吹き男に従う子供の群 12/05/25
■原発と原爆は同じものではないのでしょうか 12/05/18
■原理原則はシンプルでなければいけません 12/05/15
■繰り返し「問題の立て方」みついて 12/05/14
■原発の安全廃炉計画の必要性 12/05/12
■原発は安全か 12/05/12
■君が代と日の丸はトロイの木馬 12/05/11
■電力需給検討会の会議室が実体を象徴しています 12/05/11
■支援者の犯罪 司法時評 12/05/10
■コミュニティケアと在宅ケアの深いつながり 12/05/07
■「私の中の私自身よりも大いなる何者か」 12/05/06
■4人に1人が自殺を考えたなどと軽々しく報道してほしくないです 12/05/03
■安さを求める文化からの脱却 12/05/02


2012年4月

■小沢さんのけじめ、検察のけじめ、マスコミのけじめ 12/04/27
■荒れ野の40年でのビジョンクエスト 12/04/25
■荒れ地のなかで自分の軌道を見つけることの大切さ 12/04/24
原発にとっての「地元」 12/04/20
■当事者の時間感覚と社会の時間感覚 12/04/19
■世界が見えなくなってきているような気がします 12/04/18
■フラクタルな構図 12/04/11
■脱原発と雇用のスラップな関係 12/04/09
■吹田の合戦でのやりとり 12/04/08
■原発の安全性と原発の危険性
12/04/08
■原発の「安全神話」は消えていないようです 12/04/07
■30年前の原発事故への警告 12/04/06

2012年3月

■結局は何も変わらない原子力行政 12/03/27
■被曝か停電か 12/03/24
■経済と共済 12/03/18
■誰かをマネージしたいのなら、まず自分をマネージすることだ 12/03/14
■障害者自立支援法改正案と分断の政治 12/03/14
■知ることから生まれるものがある 12/03/12
■貨幣経済の本質 12/03/07
■ compassion 12/03/07
■インテリとは枠の中で行動するものではない 12/03/05
■原発と原爆 12/03/04
■「他者の『人間の尊厳』に対する配慮」 12/03/03

2012年2月
■「見て見ぬふりをする社会」と「見ても見えない社会」 12/02/23
■死刑確定になってしまいました 12/02/20
■wilful blindness 12/02/17
■アリス・スチュワートの信念 12/02/15
■ふたたびニーメラーの教訓 12/02/14
■責任を負うべき人 12/02/13
■原爆投下と原発事故の奇妙な一致 12/02/11
■金は天下の宝もの 12/02/09
■ささえあいカフェのお誘い 12/02/08
■家族サロンのお誘い 12/02/07
■家庭を壊す裁判官 12/02/06
■原子力村を構成する人たち 12/02/05 る
■傭兵と義勇兵 12/02/04
■「想定外」という言葉の示唆すること 12/02/02

2012年1月
■安心させるためのデータ 12/01/27
■歴史を学ぶことの落し穴 12/01/26
■コピーペーストした他人事の施政方針演説 12/01/24
■「泥棒は物がうまく盗めれば成功だ」 12/01/24
■言葉の魔術 12/01/20
■ストレスがたまるストレステスト 12/01/19
■自分ってなんだろうか 12/01/18
■「信条に忠実であるほど心理的に追い込まれている者」 12/01/17
■新年会サロンの報告 12/01/16
■道義的責任 12/01/12
■「悪意」や「憎悪」を振りまくマスコミ 12/01/11
■小賢しさへの気づき 12/01/10
■新年のサロンのご案内 12/01/09
■2つの経済システム 12/01/07

■「もはや政府が社会を代表するものとはいえなくなってしまった」 12/01/04
■想定外の大変化の予兆 12/01/02

2011年12月
■今年はいろいろありすぎました 2011/12/31
■民主党から離党者が出てホッとしています 11/12/28
■耳のないどじょう 11/12/28
■健全な老化は健康の証拠 11/12/27
■八ッ場ダム建設再開 11/12/23
■働くということの多義性
11/12/24
■自らを律することから出発したい 11/12/23
■「平和の碑」の少女像 11/12/20
■細野原発担当相の発言に象徴されていること 11/12/19
■検察の本性 11/12/17
■「家に帰れればお金がなくても暮らしていける」 11/12/16
■65歳再雇用と若者の働き場 11/12/14
■絆ブームへの違和感 11/12/13
■いばらき自然エネルギーネットワーク 11/12/09
■COP17と一方的先導措置 11/12/07

2011年11月
■ポピュリストと独裁者 11/11/30
■大阪のダブル選挙で橋下さんが戦った相手 11/11/28

■放射線汚染のことがよくわかりません 11/11/26
■システムと人間の対立 11/11/24
■現在の支配的な経済の仕組みを変えるために 11/11/23
■経済的に豊かな家庭の子どもは「頭がいい」 11/11/22
■被災企業の経営者の信念 11/11/22
■忙しいことを良しとしない「までいな生き方」 11/11/21
■お金を無駄遣いしていた人の増税要請 11/11/20
■オリンパスショックとOlympusgrassroots.com 11/11/20

■近世の商人の発想としての消費税増税 11/11/16
■うつし世の静寂に』の上映会のご案内 11/11/14
■小賢しき者たちの時代 11/11/13
■WIN・WIN神話 11/11/12
■男性の時代の終焉   11/11/11
■TPP国会中継は刺激的で面白かったです 11/11/11
■儀式としての手続き 11/11/10
■TPPへの賛否でその人の立ち位置がわかります 11/11/09
■数字の恐ろしさ 11/11/08
■どこから発想するか 生き方の話, 11/11/07
■どこを向いて言動するか 11/11/07

■技術者の総括 11/11/06
■再発抑止力 11/11/05
■コピ・ルアク 11/11/04

■BOPビジネスの両義性 11/11/03
■第2回スリーA方式認知症予防ゲーム体験フォーラムのお誘い 11/11/01
■心の安らぎを得られる源は善き心 11/11/01

2011年10月
■前提になっている命題は正しいのか 11/10/31
■TPP論議を聞きながらラスキンを思い出しました 11/10/30
■「あの時のことを忘れないでいてほしい」 11/10/28
■世界が見えにくくなってしまいました 11/10/25
■「日本からお金が無くなったら、何が残ると思いますか」 11/10/21
■さびしそうな仏たち 11/10/21
■まだベトナム戦争は終わっていません 11/10/17
■TPPってなんでしょうか 11/10/16
■年金問題の再浮上 11/10/15

■ネクタイをしない人が増えていますね 11/10/13
■部分的つきあい・功利的なつきあい 11/10/11
■小沢一郎 VSフツ―の市民座談会 11/10/11

■小沢さん報道で思うこと 11/10/07
■小沢さんの記者会見を見ました 11/10/06
■ニューヨークの若者のデモに思うこと 11/10/06
■サブガバメントとしての原子力共同体 11/10/05
■朝霞公務員宿舎問題で思うこと 11/10/03


2011年9月
■「ナバホであるとはどういうことか」 11/09/28
■国会中継を見ているといろんなことがわかります 11/09/27
■仕事とお金を稼ぐことは分けて考えたほうがいい 11/09/26
■エコノミック・アニマルの末路 11/09/26

■エネルギー不足が起こる理由 11/09/23
■山口県上関町の町長選挙の意味 11/09/23
■お金がない生き方 11/09/22
■税率を上げる増税と税収入を上げる増税は別物です 11/09/17
■多様な異論をぶつけ合ったガバナンスへの期待 11/09/16
■生き辛い時代 11/09/14
■実に虚しい 11/09/12
■楽しみを延期するパラダイム 11/09/12
■部下を守るのがリーダーの役割 11/09/11
■住みやすい社会 11/09/09
■2つの会見報道 11/09/07
■切り餅特許訴訟とプロ・パテント戦略 11/09/07
■「テロの心」を捨てたいものですが 11/09/06
■TPPと郵政民営化 11/09/05
■台風12号とTPP 11/09/04
■若者たちの不安感 11/09/03
■ハンマーカンマーと柳原和子 11/09/02
■石川ともひろ講演会 11/09/01

2011年8月
■フェイスブックがつくりだす受動的な情報環境 11/08/31
■「僕が政治家になったわけ」 11/08/29
■民主党代表選に思うこと 11/08/26
■暴力団のミッションの終焉 11/08/26
■島田紳助さんの突然の引退会見 11/08/25
■円高で海外企業を買収する事の意味 11/08/22
■リスクをとらない生き方 11/08/20
■医師免許の意味 11/08/19
■恐怖の源泉 11/08/15
■大連立発想への疑問 11/08/14
■「最後の絆〜沖縄 引き裂かれた兄弟」を見ました 11/08/13
■SNSの両義性 , 11/08/12
■セミとカマキリ、もしくは正義と悪行 11/08/11
■イギリスでの暴動が示唆するもの 11/08/10
■システム時代の首相の座 11/08/08
■ハンマーカンマー異変 11/08/07

■広島での菅首相のスピーチに気分が悪くなりました 11/08/06
■小さな理と大きな理 11/08/04
■テレビ市況 11/08/03
■最近の新聞はニュース記事が少ないような気がします 11/08/02

2011年7月

■児玉龍彦教授の名スピーチ 11/07/31

■不条理なことに抗議しない「美徳」 11/07/30
■原発技術の輸出は認められるべきか 11/07/29
■収奪の経済 11/07/29
■中国高速鉄道事故と福島原発事故の対応の違い 11/07/27
■過剰の時代の経済学 11/07/27
■トニーノ・ペルナの警告 11/07/26
■いまは岐路なのか 11/07/26
■シンボルの効用 11/07/24

■八百長相撲事件で相撲界から去っていった若者たちが気になります 11/07/22
■ツイッターの恐ろしさ 11/07/22
■国会審議は休日に行いテレビ中継したらいいと思います 11/07/19

■社会のリフレーミング 11/07/16
■いま何が問われているのか 11/07/14
■不幸なすれ違い 11/07/13
■九州電力のやらせメール  11/07/11
■サバルタンは自らを語ることができない 11/07/10

■菅首相はなぜ持続しているのか 11/07/06
■政治に期待しない国民がすべての出発点ではないのか 11/07/05
■節電への違和感 11/07/05
■欲に目が眩んだ経済 11/07/04
■なぜ誰も辞表を出さないのか 11/07/03

■自然との付き合いを忘れた生き方 11/07/02
■夏は暑いからこそ価値がある 11/07/01

2011年6月
■原発をめぐる駆け引きとその本質 11/06/30
■ふたつの豊かさ 11/06/27
■「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」 11/06/25
■死刑制度と「赦し」 11/06/24
■報道は政府の愛玩犬になってしまった 11/06/23
■復興に名を借りた市場化への不安 11/06/23
■人間が創りだしたシステムに人間が使われている 11/06/22
■ミツバチが消えたのはネオニコチノイドのためではないのではないか 11/06/20
■自然エネルギーに関する「総理・国民オープン対話」への違和感 11/06/19
■愛が欠けている社会 11/06/17
■「原発の暴利をむさぼってきた人達」 11/06/15
■「東北を復興させる」のか、「東北が復興する」のか   11/06/12
■合意と排除 11/06/12
■原子力発電の捉え方  11/06/12
■報告:8日間の入院生活を終わりました 11/06/08
■人と人をつなぐマナー 11/06/07
■居場所によって世界は変わる 11/06/06
■東北文化の復権  11/06/06
■常に後追いのテレビジャーナリズム 11/06/03
■首相不信任案の提出は一歩前進だと思います 11/06/01

2011年5月

■ビジョンのない人の善意よりも、ビジョンのある人の悪意を 11/05/31
■ちょっと気になる太陽光パネル設置構想 11/05/26
■事件の連鎖 11/05/24
■ペイフォワード 11/05/23
■ボランティアはなぜみんな良い人なのか 11/05/20
■ハーバードの正義論への失望と日本生まれの正義論サロンのお誘い 11/05/19
■原発事故を語ることの難しさ 11/05/18
■「3.11以前と以後で世界が変わったと感じます」 11/05/14
■自己責任と他者責任は同義語 11/05/11
■転向ブーム 11/05/10
■「資本主義はどこへ向かうのか」 11/05/09

■第三次インティファーダの動き 11/05/08
■消費しないでもいいのだ 11/05/07
■東北被災地応援にこんなアイデアはどうでしょうか 11/05/06
■東電社長の土下座 11/05/05
■監察委員で八百長を封じ込めるという発想の蔓延 11/05/05
■「ガザのための交響楽団」 11/05/04
■リンチの国 11/05/03
■読者から届いた1冊の本 11/05/02
■地方議員の役割 11/05/01

2011年4月
■新しい社会への予感 11/04/30
■震災後失業者が7万人 11/04/29
■若者たちの目が輝きだした 11/04/25
■311で何かが変わったような気がします 11/04/24
■IQからEQ、そしてNQへ 11/04/24
■シリアで何が起こっているのか 11/04/23
■2つの責任 11/04/21
■東北復興財源と財政改革財源は次元を異にしています 11/04/21
■フェイスブックの広がりの予感 11/04/20
■アーツ・フォー・ホープ(AFH)への応援のお願い 11/04/20
■それでもまだ原発に期待するのですか 11/04/19
■無人島暮らし願望 11/04/18
■個人ではなく仕組みの問題 11/04/17
■自己総括してから変節してほしいです 11/04/17
■権威主義から抜け出せない日本人 11/04/16
■原発の安全性 11/04/15
■フェイスブックの面白さが少しわかってきました 11/04/14
■水道水を飲んでいるのかと驚かれました 11/04/14
■「原発がこんなに恐ろしいものだとは思わなかった」 11/04/13
■こういう時だからこそトップを変えるべきでしょう 11/04/11
■被害者から加害者へ 11/04/11
■原発を選んだ時に終わった 11/04/09
■情報のシャワー  11/04/08
■自然からのメッセージ 11/04/07
■私たちの知的怠惰さが、生を阻む原発を認めてきた 11/04/06
■嘘をつくとどうなるか 11/04/05
■現場との距離 11/04/05
■相撲界はこれでいいのか 11/04/04
■情報は家畜への餌ではない 11/04/04

■「国家的犯罪に加担したくない」というジャーナリスト 11/04/03
■危機を乗り越えるためには効力感が大切 11/04/02
■フェイスブックとスモールワールド 11/04/01

2011年3月

■週刊朝日の佐藤栄佐久福島県前知事のインタビュー記事 11/03/30
■ショック・ドクトリン 11/03/30
■原発事故の責任の所在 11/03/29
■原子力安全保安院の記者会見 11/03/28

■こんな時だからこそ3:テレビCMとサンデルの正義論
11/03/27
■報道者の目 11/03/26
■過剰と不足 11/03/25
■秋葉原事件判決と買占めする消費者 11/03/25
■右往左往 11/03/24
■電気に依存しすぎる生き方を見直しましょう 11/03/23
■「原発を選んだ時に始まっていた」 11/03/22
■こんな時だからこそ2:広瀬隆さんと平井憲夫さん 11/03/20
■こんな時だからこそ1:浜岡原発の即時停止 11/03/20
■基準とは何なのか 11/03/19
■我孫子も被災地でした 11/03/18
■Never say never 11/03/17
■「愚かな消費者」の反省 11/03/16
■新しい出発にしなければいけないと痛感しています 11/03/16
■日本のすばらしさ 11/03/15
■地震と原発その2 11/03/13
■地震よりも原発 11/03/12
■地震と支え合い 11/03/12
■大地震報道のニュース映像を見ていて感じたこと 11/03/11
■死者の国 11/03/11
■東京大空襲と戦争の霧 11/03/10
■貧乏な人には悪い人はいない 11/03/09
■スリーA方式の認知症予防ゲームの体験型フォーラムを開催します 11/03/08
■クラインのつぼ 11/03/08
■悲しい習性 11/03/07
■在日外国人の善意を切り捨てていいのか 11/03/07
■悪魔のささやき 11/03/07
■元気ですが 11/03/06
■政治とカネ 11/03/03
■入試問題ネット流出事件で考えたこと 11/03/02
■石器時代の経済学 11/03/01
■現場が見えない社会 11/03/01

2011年2月
■中東の反政府運動と日本の企業の実態をつなぐもの 11/02/27

■疲れている現代人 11/02/26
■日本最古の人物埴輪 11/02/25
■「心を揺さぶる記事を書きたい」ということへの違和感 11/02/24
■政治哲学の不在 11/02/23
■暴言の犯罪性 11/02/21
■知は力 11/02/21
■拡家族 11/02/20
■民主党議員グループの会派離脱事件に思うこと 11/02/18
■変えてはいけない信条 11/02/17
■マトリックスな体験 11/02/16
■法もルールも時代によって変わります 11/02/15
■権力の煩わしさ 11/02/14
■名古屋銀行の快挙 11/02/12
■八百長の定義の違い 11/02/11
■人の表情 11/02/11
■「税引き後利益が過去最高」ですって? 11/02/08
■郵便事業の民営化の成果 11/02/07
■八百長社会 11/02/06
■人間という種の育ち方 11/02/06
■八百長相撲 11/02/04
■エジプトの住民たちの愛の表情 11/02/03
■フェイク・イベント 11/02/01

2011年1月

■トップの人はどうしても現実に疎くなります 11/01/31
■視点を変える 11/01/29
■我孫子市長選挙からの学び 11/01/26
■NHKは「無縁社会」を推進したいのでしょうか 11/01/26
■我孫子市長選の報告 11/01/24
■女性の生活の豊かさと行動力のすごさ 11/01/24
■存在しない現実の消去 11/01/23
■政治とカネより、政治と信 11/01/23
■我孫子市長選挙から感じたこと 11/01/21
■期日前投票と投票整理券 11/01/19
■地方政治への無関心の理由 11/01/19
■「超就職氷河期」という認識でいいのか 11/01/18
■傍観者たちの世界 , 11/01/18
■我孫子市市長選挙:公開されない公開討論会の映像 11/01/18
■阿久根市の市長が変わりました行政時評 11/01/17
■政治は悪の実践、権力は義務 11/01/17
■手が荒れてしまいました 11/01/16
■子どもを社会で育てようなどというのはポルポトくらいだ 11/01/09
■中国人による土地購入の広がり 11/01/09
■市民の市民による市民のためのオペラ 11/01/08
■今年後半から景気は回復するそうですが 11/01/07
■政治におけるゼロサム発想の意味 11/01/06
■政治への期待の喪失 11/01/06
■国家財政赤字の解消法 11/01/03
■2011年のはじめに 11/01/01

2010年12月
■年末のお礼 2010/12/31
■因果のベクトル 10/12/30
■言語が通じない苛立ち 10/12/26
■コラテラルマーダー 10/12/25
■「殺処分」の狂気 10/12/25
■情報を閉じ込めるような管理はもうできません 10/12/25
■福知山線脱線事故での経営者の責任の取り方 10/12/21
■地方議会のミッションは変わる時期です 10/12/19
■ 幸せな死のために何が必要か 10/12/17
■諫早湾排水門がようやく開くようです 10/12/16
■「見知らぬわが町」 10/12/08
■阿久根市竹原市長失職の無念さ 10/12/06
■人によって世界はまったく違って見えている 10/12/01

2010年11月
■みんなが誠実に話し合えば社会は住みやすくなる 10/11/24
■「性別:男性 女性」 10/11/23
■民主党支持層は要するに無党派層なのでしょうか 10/11/22
■我孫子市長選に向けて、坂巻宗男事務所がオープンしました 10/11/21
■社会の基本は血縁や地縁です 2010/11/20
■「無縁社会」という言葉を使うのはやめましょう 10/11/18
■保険技術の国家独占 10/11/14
■重大犯罪の服役者、出所後3割が再犯がいうことの意味 10/11/12
■国家秘密を守ることで戦争まで行くこともあります 10/11/11
■話し合いのモデル  10/11/09
■自然との共生はおごり 10/11/08
■政権交代ではなく政権崩壊 10/11/07
■テレビを活用した国会運営 10/11/07
■情報社会とは情報が共有される時代なのです 10/11/06
■餌を与えられることに嬉々と喜ぶ消費者 10/11/03
■領土問題に思うこと 10/11/03
■知らせることの効用 10/11/02
■「生命の時間」と「時計の時間」 10/11/01

2010年10月
■無縁社会ではなく有縁社会 10/10/31
■ジミー・ティングルの感動的なスピーチ 10/10/29
■ネガティブな議論とポジティブな議論 10/10/25
■三川内焼きを元気にしたい 10/10/23
■奄美大島の大雨 10/10/22
■新潟水俣病の訴訟の和解報道に思うこと 10/10/21
■起訴されたら有罪視されることのおかしさ 10/10/21
■法人税減税とアンチビジネス論 10/10/17
■「党議拘束があるから議員はほんと楽なんですよ」  10/10/14
■多様な人たちを統合するための鍵 10/10/14
■円高は国民にとってよくないことなのか 10/10/12
■みんなが安心して暮らせるシェルターを考える公開フォーラムへのお誘い 10/10/12
■「人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る」 10/10/10
■私が垣間見る若者の世界 10/10/09
■法治国家の終焉、魔女狩りの始まり 10/10/07
■若者に働く魅力を提供できない社会 10/10/07
■1枚の写真 10/10/06
■弱いものいじめの強制起訴 10/10/05
■他分野には踏み込まない内向の時代 10/10/03
■タクシー運転手の話はいつも考えさせられます 10/10/02

2010年9月
■医師不足の実態調査が初めてだという驚き 10/09/30
■武富士破綻の意味 10/09/29
■国家の壊れ 10/09/28
■努力した者にしか運はまわってこない 10/09/26
■無理を通せば道理引っ込む・検察の瓦解 10/09/25
■村木事件に関する検事の証拠隠滅に関わる発言への感想 10/09/21
■村木郵便不正事件での主任検事による証拠改ざん疑惑 10/09/21
■「民のための決める」のか「民が決める」か 10/09/20
■新成長戦略・新しい公共の欺瞞性
10/09/18
■橋下大阪知事処分にみる「弁護士の品位」 10/09/17
■民意に迎合せずに、民意を育てるべし 10/09/14
■名護市市議会議員選挙と民主党代表選 10/09/13
■貧しくても豊かな時代 10/09/13
■民主党代表選と2つの判決 10/09/12
■特捜部の責任が問われるべきではないか 10/09/10
■識字教育 10/09/10
■司法関係者は本来的に腐敗します 10/09/08
■鈴木宗男裁判判決の政治性 10/09/08
■「お金はいくらあってもいい」 10/09/07
■「お金換算」でしか考えられない厚生労働省の体質 10/09/07
■社会の保水力の低下 10/09/05
■長寿者の行方 10/09/04

2010年8月
■小沢一郎の話はとてもわかりやすいです 10/09/03
■「民意には従わなければいけない」という論理 10/08/31
■現状を変える勇気 10/08/30
■ホメオパシー騒動 10/08/29
■ホメオパシー 10/08/29
■建設国保の偽装加入事件の奥にあるもの 10/08/28
■ホメオパシーを否定する学術会議への怒り 10/08/28
■政治とカネ 10/08/27
■小沢さん出馬にホッとしました 10/08/26
■250人の意見交換会 10/08/23
■言説の貧困化 10/08/22
■川と暮らしの距離 10/08/20
■これからの正義の話をしよう 10/08/16
■日韓併合100年首相談話に異を唱える人たちへの違和感 10/08/14
■降圧剤がもう1週間も切れています 10/08/14
■孤独死問題への取り組み方 10/08/13
■非電化工房 10/08/13
■コモンズを荒らした犯人 10/08/10
■なぜみんな「お金を稼ぐこと」にこだわるのか 10/08/08
■なぜ女性たちは豊かな暮らしを捨てたのか 10/08/07
■需給が逼迫しているからこそ安く売る努力をする企業 10/08/06
■人のつながりを論ぜずに人とのつながりを大事にしてほしいです 10/08/06
■忙しいと暇は同じこと 10/08/05
■時評を止めるなと激励されました 10/08/05

2010年7月
■第1回信濃川・環境大河塾ツアーのお誘い 10/07/30
■不要な言い訳 10/07/30
■なぜ暴力団関係者と付き合ってはいけないのか 10/07/23
■「ため」族の悲劇 10/07/19
■ふたつの仕事  10/07/17
■雇用創出の罠 10/07/16
■譲る精神 10/07/15
■国民生活保障ファンド 10/07/14
■消費大国日本 10/07/14
■オルテガを思い出しました 10/07/12
■投票に行きましょう 10/07/11
■若者たちの発言 10/07/09
■イノベーションは経済成長を抑制する 10/07/08
■汗した人の報われ方 10/07/07
■「社史で読む長崎原爆」 10/07/06
■「自殺防止を、やめませんか?」 10/07/05
■大切なこと 10/07/04
■「つながり」や「支え合い」を育てもし、壊しもするもの 10/07/03
■野宿生活は気楽ではないのです 10/07/02
■10%引きの日に商品を買うことは正しいことか 10/07/01

2010年6月
■ワールドカップ戦を見てしまいました 10/06/30
■「責任に時効なし」 10/06/30
■大相撲の賭博問題への対応のつづき 10/06/29
■大相撲の賭博問題への対応 10/06/28
■高齢者の存在価値 2010/06/26
■自殺問題への取り組みへの違和感 10/06/25
■毎年1億円をもらったら困るでしょうね 10/06/24
■家畜の幸せ・家畜の不幸 10/06/23
■反社会的と反国家的 , 10/06/22
■利権集団だった民主党の終焉 10/06/21
■ソウルに行ってました 10/06/20
■自由と民主主義を真っ向から批判するような国家 10/06/15
■お金が若者をだめにしていく悲しさ 10/06/14
■お金をもらえれば、生活は保護されるのか 10/06/14
■若者を浪費する社会 10/06/12
■議論の相手 10/06/11
■仕事大好き内閣の「仕事」は選挙なのか 10/06/11
■「私はカメルーン人である前にアフリカ人です」 10/06/10
■開くことの不安定さ 10/06/10
■「介護」のもつ「負の価値」と「正の価値」 10/06/09
■自己作成を基本とした介護保険制度の設計 10/06/08
■国民は本当に「政治とカネ」の問題に関心があるのでしょうか 10/06/08
■制度に合わせた自己規制の中で生きるのは退屈ではないですか 10/06/07
■できないことをやろうという姿勢 10/06/05
■支え合いとけなし合い 10/06/04
■ツイッターの評価は考え直すことにしました 10/06/04
■「なぜ辞任?」のしらじらしさ マスコミ時評 10/06/02
■鳩山さんの保身と覚悟 10/06/02
■牛が人間に見えてきます 10/06/01

2010年5月
■手続きと知識がお金を生み出す社会は健全なのか
10/05/31
■世界卓球を見ていて疲れ切りました 10/05/30
■「国家の終焉」の始まり 10/05/29
■世界をしっかり見ることの大切さ 10/05/24
■普天間問題の決着には力が抜けてしまいました 10/05/24
■風景を見る立地点 10/05/21
■殺処理 10/05/20
■国の「不作為責任」 10/05/20
■なぜ同じ地域に住む人に向けて銃口を向けられるのか 10/05/20
■見えている風景の違い 10/05/19
■競争と評価 10/05/18
■「自殺」という言葉をなくしたい 10/05/14
■昨年の自殺者もまた3万人を超えてしまいました 10/05/13
■見えない金利の罠 10/05/08
■抑止力と友愛 10/05/04
■生き方を変える季節 10/05/03
■人は何を守るかによってどんな人か決まる(時評編) 10/05/02
■鹿児島県の阿久根市市長の共感しました 10/05/01

2010年4月
■被害者と加害者の構図
10/04/29
■それでも鳩山さんや小沢さんを支持するのですか 10/04/28
■思考の枠組みから抜けられない 10/04/27
■支え合う本性 10/04/26
■高速道路料金騒動 10/04/23
■事業仕分けへの違和感と期待 10/04/22
■政治家の誠実さ 10/04/21
■日米安保条約第10条 10/04/17
■減税こそが政治の役割 10/04/15
■納得できる人生と常識的な人生 10/04/15
■共働き 10/04/15
■お金が見えなくなりつつあります 10/04/14
■人は他者とつながりたいのか 10/04/13
■モチベーション
10/04/12
■沖縄返還「密約」文書はどこにいったのか 10/04/11
■新党の何が新しいのか 10/04/10
■被害者と加害者の関係その2:ケアと犯罪 10/04/08
■被害者と加害者の関係 10/04/08
■特別の存在という関係性と支え合いの文化 10/04/07
■事業仕上げフォーラムの報告 10/04/05
■事業仕上げフォーラム 10/04/03
■あばたもえくぼ 10/04/01

2010年3月
■事件の背景 10/03/30
■ゾーエとサブシステンス 10/03/26
■官のカネ、社のカネ、民のカネ、自分で汗したカネ 10/03/24
■人は常に欠如と悪のかたまり 10/03/23
■自評5:SNSの意味がわかりません 10/03/22
■自評4:ローンのお勧めのすごさ 10/03/21
■自評3:ネットでの購入のお誘いの魔力 10/03/20
■ソフトバンクの倫理観は許せません 10/03/19
■生方副幹事長解任は当然でしょう 10/03/19
■自評2:携帯電話(ネット端末)から見えてくる恐ろしい未来 10/03/19
■自評1:守銭奴意識の気づき 10/03/18
■政界再編成の基軸と主役 10/03/16
■トレッドミルからおりる生き方 生き方の話, 10/03/16
■知足と有志 10/03/15
■儲けようと思わなければつぶれない 10/03/14
■住民が求めている暮らしと経済 10/03/13
■茨城空港の愚挙を支える国民の常識 10/03/12
■得手不得手 10/03/10
■政府の嘘と信頼感 10/03/09
■「最初の1行は神からくる」時評編 10/03/08
■民主党政権転覆計画の陰謀 10/03/07
■「JANJAN NEWS」の休刊 10/03/06
■何を基準に考えるかが大切です 10/03/05
■世代間で争うのはよくないですよね 10/03/04
■自己と非自己 10/03/03
■免疫力の高さ 10/03/01

2010年2月
■コミュニケーションとは新しい関係性の中で自らを変えていくこと 10/02/26
■大量殺戮は医学倫理の存在のひとつの結果 10/02/25
■自由と共同体, 10/02/23
■現場から学ぶことに気づくことの大切さ 10/02/22
■日本人は無宗教なのか 10/02/21
■人はいつまでもつながっているのですね 10/02/20
■地獄への道は善意の絨毯で敷き詰められている 10/02/19
■わずかな雪で世界が変わりました 10/02/18
■収入がなくてどうやって暮らせるのか 10/02/17
■本当の安全はお金ではなく、友達とコミュニティだ 10/02/16
■競争したら負けるから競争はしないんです 10/02/15
■「児童の世紀」 10/02/15
■「お互い様応援団基金」 10/02/14
■みんなを幸せにするお金 10/02/13
■「金の切れ目が縁の始まり」 10/02/12
■若い世代への期待 , 10/02/11
■ニュースにおける事実と解説 10/02/10
■もう一つの閑話休題:小市民のいじましい生活ぶり 10/02/10
■村木厚子さんの反省 10/02/09
■(閑話休題)報道ファッショ 10/02/09
■情報社会では「思考」は必要か 10/02/08
■企業はなぜ同じ間違いを繰り返すのか 10/02/06
■起訴された時点で議員辞職するということの意味 10/02/05
■政治と金 10/02/05
■横浜事件と小沢事件 10/02/05
■安治川親方の行動がとてもうれしいです 10/02/03
■冤罪支援者の民主党七奉行 10/02/01
■無縁社会 10/02/01
■デフレスパイラルはもしかしたら新しい経済への入口です 10/02/01

2010年1月
■そろそろ仕事とお金を分けて考えましょう 10/01/31
■豊かさの足元にこそ貧困はある 10/01/30
■幼保一元化は子どもにとってどういう意味があるのか 10/01/29
■幼保一元化発想は子どもをどう見ているか 10/01/29
■「ひとつの民意」 10/01/26
■新型インフルエンザのワクチン 10/01/25
■むかし書いた2つの小論 10/01/24
■まちづくりは60年の時間軸で考えなければいけません 10/01/23
■「あの人たちはずるいんです」 10/01/22
■最近自分への嫌悪感が高まっています 10/01/21
■「お上に支配される文化」  10/01/20
■仕事がなくなったのではなく、仕事の意味を変えられる時代になったのです 10/01/20
■「コンラッド/ミルバーンの法則」 10/01/19
■caring economics 10/01/19
■しつこく小沢さん問題をもう一度 10/01/18
■検察は正義なのか 10/01/17
■石川議員逮捕―小さな犯罪・大きな犯罪補足 10/01/16
■かけているめがねを変えましょう 10/01/15
■小さな犯罪、大きな犯罪 10/01/15
■小沢さんが好きになりました 10/01/14
■「安全保障としての医療と介護」 10/01/12
■「ああ、いいじゃん」 10/01/11
■政治と行政の継続性 10/01/09
■「出る杭」や「新しい取り組み」に感謝したいです 10/01/08
■心理主義と依存主義の二重の罠 10/01/06
■「従容と死を受け入れる森」 10/01/04
■近くの布施弁天がすごい人出でした 10/01/02

2009年12月

■友愛の動きの広がり 09/12/31
■来年はもっとポジティブな時評を目指したいです 09/12/30
■亀井静香さんのこと 09/12/23
■スリーA方式による認知症予防ゲームの講演会を東京で開催したい 09/12/23
■地球温暖化問題への不謹慎な意見 09/12/21
■「介入」という言葉の語感 09/12/20
■現状を批判しても、未来を語る人は少ない 09/12/19
■「会話のない社会」と土浦連続殺傷事件 09/12/19
■半農生活と農的生き方 09/12/17
■手続き論より実質的な意味が大事でしょう 09/12/15
■相談には乗ってくれないのですか 09/12/14
■普天間基地問題への鳩山首相の取り組みを評価します 09/12/13
■ジハード、聖なる戦争 09/12/12
■オバマ大統領に象徴される現代の平和の恐ろしさ 09/12/10
■政府間合意の拘束性 09/12/09
■漢字がなくなる? 09/12/07
■新潟水俣病のこと 09/12/06
■認知症予防ゲーム 09/12/04
■生活保護の捉え方 09/12/03
■ラディカル・デモクラシー 09/12/01

2009年11月
■葛飾政党ビラ配布事件判決と「表現の自由」問題
09/11/30
■なぜ飢饉が起こるのか 09/11/29
■「新型インフルエンザ」と「ワクチン接種」の謀略 09/11/27
■「問題の立て方」再論 09/11/27
■国会議員の資格 09/11/24
■政府の連続性と責任 09/11/23
■サロンの効用 09/11/23
■経済状況をマクロに把握するための仕組みの見直し 2009/11/21
■グローバル人材になるには祖国を捨てなければいけないのか 09/11/18
■魔女狩りを感じさせる新聞 09/11/17
■「世の中を治め」る経済と「人民を救う」経済 09/11/16
■政治家の誠実さ 09/11/15
■農的に生きることへの思い 2009/11/14

■お上の目線と民の実状 09/11/13
■「私の話も聞いてください」 09/11/12
■八ッ場ダム建設問題と住民の生活保障問題 09/11/11
■企業が変わりだす予兆 09/11/10
■なんでそんなに詳しく、何回も報道するのですか 09/11/09
■罪を償わない政治家と経済学者の厚顔無恥 2009/11/08
■情報の非対称がもたらす無駄 09/11/07
■がんばっている人がいたら応援しないといけません 09/11/06
■終わった人たちの相手をすることの虚しさ 09/11/02
■ガンジーの平和国家論 09/11/02
■変えることができることとできないことを峻別する知恵 09/11/01

2009年10月
■近くのスーパーの閉店 09/10/31
■「1人だったらダメだった。3人だから生きられた」 09/10/30
■具体策シンドローム 09/10/27
■「元官僚という意識ない」 09/10/22
■日本郵政社長人事 09/10/22
■国家が破産しないのはなぜなのでしょうか, 09/10/21
■支え合いと思いやり 09/10/17
■もっと前向きの捉え方はできないのかという反省 09/10/15
■閣僚の異論反論を歓迎します 09/10/14
■前原国土交通相を見直しました 09/10/13
■ウイグル暴動の決着のつけ方 09/10/12
■オバマ大統領のノーベル平和賞 09/10/11
■問題の立て方 09/10/10
■忙しいと暇になれる 09/10/08
■国民の自由な声を抑圧する国家とは何なのか 09/10/05
■緑字決算表  09/10/04
■政権交代と検察の動き 09/10/03
■日本航空再建への懸念 09/10/01

2009年9月
■「待て」と「お手」
09/09/30
■政治家と政党 09/09/29
■ソクラテスは毒を飲みたかったのです 09/09/27
■新しい頼母子講「みんなの貯金箱」の提案 09/09/26
■ものわかりのよすぎる国民 09/09/26
■生きた言葉のパワー 09/09/24
■住民とはだれか 09/09/23
■裁判員制度が好評ですって? 09/09/22
■報道の偏りへの自衛、たとえば八ッ場ダム問題 09/09/21
■メールをやっていないのに名刺にアドレスをかくのはやめましょう 09/09/21
■自民党総裁選での河野太郎の勇気 09/09/20
■オードリーの「春日」のファンです 09/09/19
■国とは何か 09/09/18
■自らは何ができるかを考えることから社会は変わります 09/09/16
■温室効果ガス25%削減で家計負担36万円増? 経済時評 09/09/15
■法事の風景 09/09/14
■補正予算の未執行分を回収するということ 09/09/14
■見えてくるものをしっかりと見て考えましょう 2009/09/13
■お金は家畜の餌なのか 09/09/10
■公共的理性パースペクティブに基づく熟議の価値 09/09/09
■友愛は空疎な理念か 09/09/09
■庭の沢蟹 09/09/07
■暮らしの変化は私たちを豊かにしているのか 09/09/06
■手賀沼が好きな人たち 2009/09/05
■改革するということの意味 09/09/05
■脱官僚への期待と危惧 09/09/03
■鳩山政権への期待 09/09/02
■知床無情 09/09/01

2009年8月
■衆議院選挙結果への失望 09/08/31
■「会話が成立していないことに対する鈍感さ」 09/08/30
■明日は選挙ですね 09/08/29
■全国学力テストの正解に異議あり 09/08/27
■国会議員定数の削減 09/08/26
■政権交代の2つの次元 09/08/24
■原発と二酸化炭素の関係 09/08/24
■改めて「ニュールンベルク裁判」を観ました 09/08/23
■最高裁判事の国民審査に先立って 09/08/22
■ネット販売の向こうにあるもの 09/08/21
■無所属で選挙に立候補した友人 09/08/20
■政策よりも人物で政治家は選びたい 09/08/19
■無垢の生活者まで殺害して自らの生命を守りたいのか 09/08/16
核兵器にどう向き合うか 09/08/16
■政府に必要な「経営」とは何でしょうか 09/08/16
■靖国をどう考えるか 09/08/15
■障害者虐待防止法に反対する施設団体 09/08/14
■気候が文化をつくるというのは真実ですね 09/08/13
■先生たちがつくる奨学金制度と新しい無尽講 09/08/12
■ノリピーの虚像と実像 09/08/11
■政党マニフェストの採点という愚行もしくは犯罪 09/08/10
■休日の都心での白昼夢 09/08/09
■株式会社「下請けの底力」 09/08/09
■芸能界も株式投資の世界も基本から間違っているのではないか 2009/08/08
■パソコンはただの部品の組み合わせた箱 09/08/07
■完全にショー化している裁判員裁判 09/08/06
■つながりを育てる金融、つながりを壊す金融 09/08/06
■「自殺予防対策」という言葉になじめません 09/08/05
■緊張感の不在 09/08/04
■日本の司法制度は坂道を転げ落ちていくのでしょうか 09/08/03
■今年は手賀沼花火大会がありません 09/08/01

2009年7月

■人はなぜ集まるのか 09/07/30
■建設的野党―競争から共創へ 09/07/29
■財源論争とばらまき論争 09/07/28
■選挙協力の落とし穴 09/07/27
■物語報道 09/07/27
■ネット情報の広がりの恐ろしさ 09/07/25
■ビジョンと現実 09/07/24
■人の悪口を言う人に良い人はいない 09/07/23
■「デュヴェルジェの法則」と「レイプハルトの確信」 09/07/22
■知的所有権などという小賢しい発想は間もなくなくなるでしょう 09/07/22
■マニフェストについての(補足にならない)補足 09/07/21
■生活者と同じ給与でないと生活者の目線になれない 09/07/21
■21世紀政治モデルの基本は異質の価値観の調和 09/07/20
■2つの民営化 09/07/19
■マニフェストもまた20世紀政治モデルです 09/07/19
■二大政党制は20世紀政治モデルです 09/07/18
■政治も週休2日制なのですね 09/07/18
■コンビニ強盗が急増している社会 09/07/17
■背広を着ることの意味 09/07/16
■ボランティアとは権力や金銭に惑わされない姿勢 09/07/15
■自民党に寄生していた農水省官僚 09/07/14
■不幸な1日 09/07/14
■解散予告宣言 09/07/13
■都議選結果から感ずる不安 09/07/13
■自分に与えられた任務を全うできないことを恥辱とする文化 09/07/12
■外務官僚の犯罪 09/07/10
■生産の無駄と生活の無駄 09/07/09
■なぜ不特定多数の人への殺意が生まれるのか 社会時評 09/07/08
■事件の表層と深層 09/07/08
■首相への背任罪告訴はできないものでしょうか 09/07/07
■ウイグルで起こっているのは「民衆の暴動」か「デモの暴圧」か 09/07/07
■選挙とは何のためにあるのか 09/07/06
■静岡県知事選挙と時間工学 09/07/05
■あんまり問題が多すぎて、思考停止したい気分です 09/07/04
■臓器移植法改正について思うこと 09/07/03
■メタボ検診 09/07/02
■「厚生労働省崩壊」と新しい芽 09/07/02
■「お手伝いしてください」 09/07/01

2009年6月
■イランの大統領選挙は特殊なのか 09/06/30
■友敵戦略と友愛戦略 09/06/29
■国を変えるための地方の乱の目指すところ 09/06/28
■行政の不作為犯 09/06/27
■地方の反乱と国家のかたち 09/06/27
■衰退途上国 09/06/24
■白浜バプテスト基督教会 09/06/23

■ホーリー・アポストル教会 09/06/21

■「敵は民主党」のプロパガンダ裁判 09/06/20
■どうも気になること 09/06/17
■「個人を破壊しようとする政治は、政治そのものを崩壊させてしまう」 09/06/16
■過剰反応する事情の背景 09/06/15
■怒りが鬱積している時代 09/06/14
■「お上」依存意識からの脱却 09/06/13
■遊ぶ人が働く人を邪魔する時代 09/06/12
■日本の温室効果ガス排出量の中期目標が発表されました 09/06/11
■近代は自らを終焉させる仕組みを内在させていた 09/06/11
■鳩山総務大臣へのエール 09/06/10
■ラビエンヌスの信義 09/06/09
■友愛の社会 09/06/07
■図書館民営化の2つの問題 2009/06/06
■人を信ずるところからこそ人は裁ける 2009/06/05

■薬事法改正に思うこと 09/06/04
■「命の保証はない」 09/06/04
■医療と私情 09/06/03
■御殿場事件と裁判官の犯罪 09/06/03
■友愛の経済 09/06/02
■友愛の政治 09/06/01

2009年5月
■羽田空港検疫官木村もりよさんの疑問 09/05/31
■国王の処刑 09/05/30
■医師と患者の関係の悩ましさ 09/05/30
■無残な軽井沢 09/05/29
■理念か現実かー党首討論の感想 09/05/28
■北朝鮮の核実験で思うこと 09/05/25
■家族が新型インフルエンザにかかったらどうしますか 2009/05/23
■マスコミが騒いでいる後ろで行われていることが気になります 09/05/22
■社会の組み立て方のパラダイム転換 09/05/21
■いつの間にか容量が減っていた騙し商法 09/05/20
■コンフォーミティ社会ではマスクをしないと異端者になりかねません 09/05/19
■ゼロサムゲームの世界の中での過剰対応の危険性 09/05/18
■烏合の衆と政党の違い 2009/05/17
■原宿の賑わいは何も変わっていませんでした 2009/05/16
■民主党代表選挙の公開討論会 09/05/15
■マスコミに壊される国 09/05/15
■問題の立て方 生活時評 09/05/14
■ルポライターの仕事を支えることの大切さ 09/05/13
■民主党の終焉と問題の本質 09/05/12
■消費拡大から抜け出られないのでしょうか 09/05/12
■小沢さんの辞任で希望はすべて消えた気分です 09/05/11
■マスクつけず観光地巡ることは非難されることなのか 09/05/10
■利他精神に基づいた超民主主義への期待 09/05/08
■手賀沼に「おしゃれな」なカフェはいりません 09/05/07
■危険から逃げる社会と危険を克服する社会 09/05/06
■「民」を統治する官、「官」を統治する民 09/05/05
■アリとキリギリス 09/05/04
■自己実現の落とし穴 09/05/03

■儲かる農業と暮らせる農業
2009/05/02
■パンデミック? 09/05/01

2009年4月
■警察のパラダイム転換の必要性 09/04/30
■自殺企図者という言葉 09/04/29
■人の噂も75日ですが、一度落ちた信頼は回復しない 09/04/28
■「自殺のない社会づくりネットワーク」設立準備会がスタートしました 09/04/27
■草g剛事件 09/04/26
■私たちの「食べ方」で農業の未来は決まる 09/04/23
■消費者(消費機関)から生活者(人間)へ 09/04/22
■スーザン・ボイルさんの歌は聴きましたか 09/04/21
■消費力開発が最大の企業の戦略課題という恐ろしさ 09/04/21
■NPOの2つのミッション 09/04/20
■日本政策投資銀行完全民営化が先送りを歓迎します 09/04/19

■農と業を分けて考える 09/04/18
■「自殺ストップ! 自殺多発現場からの緊急集会」 09/04/17
■298円のお弁当 09/04/16
■痴漢逆転判決が示唆するセキュリティ社会の落とし穴 09/04/15
■マスコミの持つホメオスタシス機能 09/04/15
■暴力と権力 09/04/14
■正しく生きることの大切さ 09/04/13
■企業献金議論の限界 09/04/12
■「自らの考えを善と主張する悪」 09/04/11
■犠牲者が最大の支援者になる理由 09/04/10
■浪費国家 09/04/09
■4つのNPOタイプ 09/04/08
■機械的につながってしまった社会の脆さ 09/04/07
■北朝鮮の存在価値 09/04/06
■世界を見る枠組み 09/04/05
■経済とは自然を消費すること 09/04/04
■「経済成長あっての環境と福祉」なのでしょうか 09/04/03
■これまでの仕事観や経営観からの脱却 09/04/02
■「生活世界の植民地化」 09/04/01

2009年3月
■「人間として当たり前の判断」 09/03/30
■「国家統治視点」から「個人生活視点」への転換 09/03/29
■明日は千葉県知事選です 09/03/28
■「政治とカネ」ではなく「自分とカネ」の話 09/03/28
■マスコミの犯罪 09/03/27
■政治と金、マスコミと金、そして民主主義の危機 09/03/27
■戦いの放棄と官僚政権の勝利 09/03/26
■愛が奪われるとどうなるのか 09/03/25
■小沢さんが辞任せずにホッとしました 09/03/25
■NPO法人「彩経会」が背負わされたこと 09/03/24
■企業のお先棒であることを露呈した田原発言 09/03/23
■100年に一度のチャンス 09/03/22
■定額給付金の使い方 09/03/21
■企業献金はなぜ悪いのか 09/03/20
■被害者を救うことのない裁判の限界 09/03/19
■アサリに共棲しているカニ 09/03/18
■ベンジャミン・バーバーの市民観 09/03/16
■「対立」から価値を創発させる第三者の役割 09/03/14
■緊張感のない毎日 09/03/14
■やっぱりどこかおかしいように思います 09/03/13
■「人の幸せは自分の幸せ」 09/03/09
■ファノンの法則 09/03/07
■小沢さんと二階さんの違いは何なのか 09/03/06
■ジェシカ・リンチ、アラモ、小沢一郎 09/03/05
■「景気浮揚のための無駄遣い」のすすめのおぞましさ 09/03/04
■「陰謀の横行」の疑惑 09/03/03
■「生きるための経済学」(ビオ経済学) 09/03/02
■「時間がたつと遺族の被害感情は薄れる」 09/03/01

2009年2月
■経済指標に振り回されていては事態はかわりません 09/02/27
■謝罪は自らに向けられた言葉 09/02/27
■言説の政治と実体の行政 09/02/25
■日本の政治にデモクラシーはあるのか 09/02/23
■生産とは価値を創ることではなく、儲けを増やすことでしょうか 09/02/22
■リバースレバレッジ政策 09/02/21
■小泉発言は理にかなっていないのか 09/02/20
■「自分に正直に、自分らしくあるように」 09/02/20
■政権担当能力とは何なのか 09/02/19
■経済成長とは何なのか 09/02/18
■壁と卵、あるいは批判する勇気 09/02/17
■新しき村への期待 09/02/16
■小泉元首相の犯罪隠しと麻生首相の見識 09/02/15
■「過剰反応社会」 09/02/13
■非論理、無論理、超論理 09/02/12
■漢字検定ビジネス問題に思うこと 09/02/11
■良識と非常識 評 09/02/10
■愛に支えられた社会とお金に支えられた社会 09/02/09
■伴侶がいればこそ身軽に生きられた気がします 09/02/09

■お金があれば生きられるが、愛だけでは生きられない 09/02/08
■福祉政治の視点で政治や経済を見ると問題が見えてきます 09/02/07
■「冗談のような現実」を創りだすコミュニケーション的言説政治 09/02/06
■相撲界の不祥事から感ずること 09/02/04
■辺見庸とカミユとシジフォス 09/02/03
■誠実に生きることを阻害する社会 09/02/02
■NPOへの資金助成の甘味な罠 09/02/01

2009年1月
■政治が語るべきは手段ではなく目的 政治時評, 経済時評 09/01/31
■中谷巌教授の懺悔がもし本物であれば 09/01/30
■仕事とお金の関係の見直し 09/01/29
■首相への損害賠償請求はできないものでしょうか 09/01/28
■解散総選挙を求める国民運動はなぜ起きないのか 09/01/27
■隣の人のたばこの煙で考えたこと 09/01/26
■「やっぱり首相はしっかりしてなくっちゃ」 09/01/25
■「病気の治療(cure)」と「患者への世話(care)」 09/01/23
■時評をさぼっている言い訳 09/01/22
■参議院予算委員会審議実況は久しぶりに面白かったです 09/01/19
■政党の時代は終わっています   09/01/16
■「生き方」と「死に方」 09/01/15
■自由に物言えぬ報道と自由に物言わぬ報道 09/01/14
■環世界という捉え方 09/01/13
■互恵的懲罰と利他的行為 09/01/12
■やくざを生み出す構造 09/01/11
■早く来い来い高齢社会 09/01/10
■ミツバチが消えたのはネオニコチノイドのためか 09/01/09
■定額給付金で啼ければ消費刺激にならないのか 09/01/08
■男らしさとバルネラビリティ 09/01/07
■国家の解体が進んでいるのかもしれません 09/01/06
■イスラエルのガザ空爆とバレンボイムのコンサート 09/01/05
■パイプ効果と景気 09/01/04
■「舌の記憶」とFOOD ACTION NIPPON 09/01/03
■お正月の風景を壊したのはだれでしょうか 09/01/02
■生命を支えているのは「希望」と「信念」 09/01/01

2008年12月

■今年は真実が見え出した年だったような気がします 08/12/31
■「やさしさ」と「つめたさ」 08/12/30
■ラーメン屋を好きになる理由 08/12/29
■「ローマ亡き後の地中海世界」と現代の世界 08/12/28
■派遣切りしているのは「企業」ではなく「経営者」です 08/12/27
■「君あり、故に我あり(Estis, ergo sum)」 08/12/26
■渡辺喜美議員の造反と党議拘束制度のおかしさ 08/12/25
■派遣切りトヨタと飲酒運転事故 08/12/24
■居座ることの罪、居座らせることの罪 08/12/23
■「生きるための仕事」から「稼ぐための仕事」 08/12/22
■裁判員制度はやはり白紙にするべきではないでしょうか 08/12/21
■企業の反乱 08/12/20
■疲れる毎日 08/12/18
■空家率10%社会における「寝食の場」のない人の増加 08/12/16
■なぜルボックスはアメリカでは販売されないのか 評 08/12/15
■オバマのスピーチ 08/12/14
■元気な町 08/12/12
■責任放棄の時代 08/12/09
■私的復讐を許せるか 08/12/08
■「人は愛する何かを失う度に、自分の一部を失う」〔時評編〕 08/12/07
■「お金がなくても暮らせる生き方」を目指して宝くじを買う中途半端さ  08/12/06
■「女性活用」という罠 08/12/05
■豊かになる出発点は、「ありがとう」の一言 08/12/04
■どの掟に従うか 08/12/03
■黄柳野高校はなぜこうなってしまったのか 08/12/02
■NPO法施行10周年と新公益法人制度のスタート 08/12/01

2008年11月
■戦時中の「赤紙」復活を思わせる裁判員候補者通知 08/11/30
■支え合いサロンの報告 08/11/29
■気づかなかったことを気づくことの是非 08/11/28
■「学校を辞めます」 08/11/27
■糾弾よりも創りだすことへ 08/11/26
■「自殺防止に取組むべき者は誰か」 08/11/25
■恥の文化はどこにいったのか 08/11/24
■保護貿易がなぜ悪いのか 08/11/23
■「社会のため」と「自然な暮らし」 08/11/22
■レストラティブ・ジャスティス:修復的司法もしくは共創的正義 08/11/20
■現場の声にこそ歴史を変える力がある 08/11/19
■「国を守る」ということ 08/11/18
■法律と現実のギャップ 08/11/17
■「ひきかえす勇気」を失った社会 08/11/16
■「マスコミに報復してやろうかな」 08/11/14
■ブログから見えるネット社会の病理 08/11/13
■政権投げ出し3代目首相  08/11/12
■国民総無駄遣い運動  08/11/11
■経営とは不変の道理を実現すること 08/11/10
■公立の小中学校での数値目標を掲げた「マニフェスト」 08/11/09
■田母神事件の犯罪性 08/11/08
■支え合う生き方を考える気楽なサロンへのお誘い 08/11/07
■ゾーエの生命的規範とビオスの社会的規範 08/11/06
■借金の本質とは「増やして返す」こと 08/11/05
■パナソニックの三洋電機の子会社化 08/11/04
■経済学は変質してしまいました 08/11/03
■見えないところで起こっていることの恐ろしさ 08/11/02
■突然の破綻など本来はありません 08/11/02
■田母神空幕長と自衛隊の本質 08/11/01

2008年10月
■横浜事件第4次再審への期待 08/10/31
■新総合経済対策の欺瞞性 08/10/30
■過剰告発社会の悪循環 08/10/29
■円高株安の奇妙さ08/10/28
■信用取引と margin transaction 08/10/27
■サイゼリヤの過ちと食との付き合い方 08/10/26
■姿の見えない独裁者 08/10/25
■カジノ資本主義 08/10/24
■ワーク・ライフ・バランスへの違和感 08/10/23
■金融資本が創り出した損失を埋める人は誰か 08/10/22
■ワーキングハードとワーキングプア 08/10/21
■もうひとつのEQ:倫理指数 08/10/20
■自宅に投函されていた「DV冤罪」小冊子 評 08/10/19
■記者に質問されたら、堂々と応えてほしい 08/10/18
■年金改ざん問題で戸別訪問の愚策 08/10/17
■沢蟹の話3 08/10/16
■株価乱高下と公的資金投入 08/10/15
■「教育の政治からの独立を犯すもの」 08/10/14
■バナナが高くなりました 08/10/13
■橋下大阪府知事の教育観 08/10/12
■産業界の巨大化指向は無策の象徴 08/10/11
■「わが事のように悲しい」 08/10/10
■ノーベル賞受賞の喜び 08/10/09
■成熟の仕方を間違えた社会 08/10/08
■長妻さんと枡添さんの違い 08/10/07
■現実と非現実は連続しています 08/10/06
■関さんの森の話し合いが始まっているようです 08/10/05
■盗人猛々しい論理とそれに賛成する共犯者のお粗末さ 2008/10/04
■「自分の理性を使う勇気を持て」 08/10/03
■語り合うということを学びたい 08/10/02
■悲しみの共有、痛みの共有 08/10/01

2008年9月
■蛇足記事:麻生首相に失望しました 08/09/29
■政策と財源 08/09/29
■共感できるものには市場価格よりも少し余分にお支払する文化 08/09/28
■中山大臣の発言は失言ではなく暴言です 08/09/27
■日本の治安状況 08/09/27
■茶番劇で構成されている社会 政治時評, 08/09/26
■お金はあったほうがいいのか 08/09/25
■三菱UFJ銀行は10年以内になくなるような気がします 08/09/24
■「お金がないと生きていけない」と「お金がなくても生きていける」とどちらが「たわごと」だと思いますか 08/09/23
■平和の脆さや戦争への道のシミュレーション 08/09/22
■支え合いの文化があればお金などなくても生きられるはず 08/09/21
■公務員の犯罪とは何でしょうか 08/09/20
■汚染米事件は農水省の犯罪 08/09/19
■home lifeとlife with family 08/09/18
■地方の豊かさ 08/09/17
■「システムという名の支配者」 08/09/16
■金融資本主義なる不可解なもの 08/09/13
■食の安全と食育 08/09/12
■政権私物化の実態を明確にするのがマスメディアの責務 08/09/11
■過剰な同調現象の不気味な広がり 08/09/10
■弱いものをいじめる社会のさびしさ 08/09/09
■ボーン・アイデンティティと井原勝介前岩国市長の体験 08/09/08
■人間を信ずるか、機械(科学)を信ずるか 08/09/07
■住民の姿が見えないまちづくり 08/09/06
■銚子市立病院は市民で再建できないものか 08/09/05
■堂々と質問に答えられるような生き方 08/09/04
■不正に合格したのか、不正に合格させたのか 08/09/03
■国民に問う選挙と代表を選ぶ党内選挙とは全く異質のものです 08/09/02
■マスコミはなぜ首相辞任表明をきちんと糾弾しないのか 08/09/02
■教員採用不正事件に関する大分県教育委員会の鉄面皮な犯罪 08/09/02
■自分を客観的に見られる自分のない福田首相:我思う、故に我なし 08/09/01

2008年8月

■自動車の水没事故 08/08/30
■過疎地には仕事が山積みです 08/08/29
■伊藤和也さんの笑顔が教えてくれるもの 08/08/28
■自分の関心事以外にも目を向けたら世界は豊かになります 08/08/27
■介護職の不幸 08/08/26
■名前の大切さと匿名の文化 08/08/25
■中国の「困難を洞察し、共感を持つ」ことはできるか 08/08/24
■官僚の反乱は官僚制の限界を象徴しています 2008/08/23
■一人一人が生活の主人公になれば戦争はなくなる 2008/08/22
■ちょっとおかしいのではないかと思うこと 08/08/21
■民主党代表選挙に思うこと 08/08/20
■コストと価格のつながりを可視化できないものでしょうか 08/08/19
■人さまを大切にする文化、知的崩壊が進む文化 08/08/18
■「戦後最長の景気拡大」が終わった 08/08/17
■人間を壊すオリンピック 08/08/16
■平和に関する2冊の本をお薦めします 08/08/15
■梨は秋を感じて熟しだすのです 08/08/14
■MBOのMは、経営者のMではなくマネーのM 08/08/13
■「人が戦争を始めたのではない。政治家が始めたのです」 08/08/11
■食の安全対策に取り組む理由 08/08/11
■ネクタイをした背広の人がカメラを回していました 08/08/10
■オープンサロンの報告 2008/08/09
■オリンピック開会式とチベットへの祈り 08/08/09
■嘘をつくことから始まる不幸 08/08/08
■現代日本の社会の縮図 08/08/07
■人を幸せにする最高のものは理解者の存在 08/08/05
■失われたオリンピック遺産の思想 08/08/05
■国家のためと社会のため 08/08/04
■政治家はみんな成長を目指すのか 08/08/03
■「プロから見たらよくできた内閣」 08/08/02
■消費省(庁)発想の時代錯誤 08/08/01

2008年7月

■ムペンバ効果
08/07/31
■壊れた社会の「常識」は拒否したい 08/07/30
■歩いていないと見えない風景 08/07/29
■豊かな社会と生きる力 08/07/27
■堀江被告の発言に思うこと 08/07/26
■自然の力 08/07/25
■お金を基準にした社会から抜け出せないものでしょうか 08/07/24
■緩慢なる無差別殺傷社会 08/07/23
■投資ファンドのために働くワーキングプア・カンパニー 08/07/22
■現状から出発する発想の限界 08/07/21
■好きな人がいるとエコライフできるという話 2008/07/20
■長銀粉飾決算事件判決とドラマ「監査法人」の結末 2008/07/19
■自治体職員は社会起業家になると楽しいですよ 08/07/18
■「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」 08/07/17
■チェンジ:現実を変える方策 08/07/16
■お客様にお茶を出す文化がなくなりました 08/07/15
■「偽善エコロジー」に取り組む人たちの誠実さ 08/07/14
■漁師のストライキと食糧自給問題 08/07/13
■「まあそんなものだ」と思ってしまう風潮 2008/07/12
■若者たちに未来を託すための若者塾 08/07/11
■国家と国家の約束の意味 08/07/10
■議会の外に眠っている大きな力に対する洞察力の欠如  08/07/09
■「ハンマーカンマーの法則」  08/07/08
■格差と多様性 08/07/07
■秋葉原事件を再発させないための「素直さの回復」 08/07/06
■「ハンマーカンマー!」 08/07/05
■遠離 Pavivitta  08/07/05
■食を顔の見えない第三者に預ける生き方 08/07/04
■現実のシャワーを浴びるとどうなるかー古館さんの場合 08/07/03
■会社そのものが商品化する時代 08/07/02
■たばこの値上げ 08/07/01

2008年6月
■遅すぎる卵の値上げ 08/06/30
■諫早湾干拓の不幸と間違い 08/06/29
■一つでもいいからきちんとけじめてほしい 08/06/26
■何か見落としていることはないのか 08/06/25
■「不都合な真実」から「目指すべきビジョン」に 08/06/24
■「千軒あれば共過ぎ」 08/06/22
■なぜ自殺者が減らないのか 08/06/21
■生命体のホメオスタシスと意識体のホメオカオス 08/06/20
■死刑制度がなくても成り立つ社会の仕組みが課題 08/06/19
■2つの知性と2つの意志をもった一つの魂 08/06/18
■「おかしさ」が蔓延している中で、声をあげることの難しさ 08/06/18
■多田富雄さんの祈り 08/06/17
■土壌のうすさ 08/06/16
■後期高齢者政治家にも効用はあります 08/06/15
■使用価値の生産が倍増すれば、その交換価値は半減する 08/06/14
■石森章太郎と手塚治虫 08/06/13
■秋葉原通り魔事件の報道と首相問責決議の報道 08/06/12
■問責決議が無視される独裁国家 08/06/11
■スピード社水着レーザーレーサーとドーピング 08/06/11
■地産地消と地消地産 08/06/10
■怒りの矛先がわからないための無差別殺人 08/06/09
■人件費が安い中国こそ高級品の生産地 08/06/08
■居酒屋タクシー事件に思うこと 08/06/07
■「楽しい気分」と「悲しい気分」のどちらに同調したいですか 08/06/06
■数字と現場のどちらを発想の原点に置くべきでしょうか 08/06/05
■探す情報を探している時代 08/06/04
■インターネットの持つ増幅機能 08/06/03
■家族の無事と家族が暮らせる家 08/06/02

2008年5月
■大地産業とアダム・スミスの主張 08/06/0
■クラスター爆弾を持っていることの是非 08/05/30
■過去の記録を消す 08/05/30
■マスコミが報道すべきこと 08/05/29
■消費者庁への期待と懸念 08/05/28
■「自分たちより大変な人の手助けをしたい」 08/05/27
■予言の自己実現 08/05/26
■「世代間の対立をあおらないでください」 08/05/25
■「疑わしき」は救うべきか、切り捨てるべきか 08/05/24
■ロングテールを対象にした仁義なき投機 08/05/23
■メフィストに魂を売ったファウストの時代 08/05/22
■経済の交換行為と生活の交換行為 08/05/21
■金融権力 08/05/20
■死刑制度論余波 08/05/19
■心理主義の罠 08/05/18
■死刑について7:死刑執行を考えれば死刑はやはりなくすべきですね 08/05/17
■自治体行政のパラダイム転換 08/05/16
■観客民主主義 08/05/15
■死刑について6:光市母子殺害事件と死刑制度 08/05/14
■死刑について5:由比忠之遺さんの自死 08/05/13
■死刑について4:身勝手に人を死に至らしめた人の生存を認める理由は何でしょうか 08/05/12
■死刑について3:死刑制度をどう考えるかは思考の試薬 08/05/11
■死刑について2:国家からの暴力の奪還 08/05/10
■挽歌249:カタカムナの「サヌキ」と「アワ」 08/05/08
■船場吉兆の「つかいまわし」の問題の所在 08/05/08
■黒いスーツのイニシエーション 08/05/08
■時評と挽歌、愛と怒り 08/05/07
■自動改札のシャッターの閉まり方が怖くないですか 08/05/06
■死刑について1:「一人で撃て。一人で撃たれよ。」 08/05/05
■庶民物価発想 08/05/04
■「きちんと生活しているとみんないい人になる」 08/05/03
■世界中みんなが不幸せになれば、みんな幸せになれる 08/05/02
■権力を持てばなんでもできる世の中 08/05/01

2008年4月

■ワーキングプアよりもプアなワーカーたち 08/04/30
■「三匹の侍」の百姓と「7人の侍」の百姓 08/04/29
■そんなの関係ねえ政権と分離社会の進行 08/04/28
■出るをもって入るを制する 08/04/26
■なぜここまでして聖火リレーをするのでしょうか 08/04/25
■社会が壊れ出しているのでしょうか 08/04/24
■介護者を支援できない社会 08/04/23
■田母神空幕長の法を踏みにじる発言に耳を疑いました 08/04/19
■データの取り扱いには注意しなければいけません 08/04/19
■橋下大阪府知事への共感 08/04/18
■憲法9条と平和的生存権 08/04/18
■逃げ場の無い空間での身の処し方 08/04/17
■後期高齢者保険と世代間対立論理 08/04/16
■国家による情報操作 08/04/14
■権力の乱用 08/04/13
■犯罪の作られ方 08/04/12
■ガソリンの価格設定 08/04/09
■オリンピックというのは一体何のでしょうか 08/04/08
■民意とは何なのか 08/04/07
■お金がなければ活動ができないNPO 08/04/06
■ホームレス社会とゼロトレランス社会 08/04/05
■手段は目的を駆逐する 08/04/04
■犯罪者のつくられ方 08/04/03
■「死」との付き合い方こそが社会のあり方を決めていく 08/04/02
■新銀行東京に集まる人たち 08/04/02
■学校教育への税金投入が少ないわけ 08/04/01

2008年3月
■イラクや宮崎の場所がわからなくても生きていけるか 08/03/31
■痛みを分かちあおうとなぜ言わないのか 08/03/30
■善良で誠実な人生に訪れる不条理な事件 08/03/29
■家族の惨劇や不幸な無差別殺人事件は社会の実相の現れ 08/03/28
■議論とは自らが変わるためのもの 08/03/27
■国家は暴力だけでなく窃盗や詐欺や脅迫も無罪化できるのか 08/03/26
■新しい公共空間としての喫茶店ルネッサンス 08/03/25
■矢祭町の議員日当制に新しい自治の時代の予兆を感じます 08/03/24
■価値を創りだすのは感性か利得か 08/03/23
■信用できない社会の逃げ場 08/03/22
■金融制度の目的と実体経済の安定化 08/03/21
■運慶の「大日如来像」には海外で活躍してほしかったです 08/03/20
■チベット擾乱と国家の本質 08/03/19
■有識者への信頼感 08/03/18
■守るものと攻めるものの立場 08/03/17
■新銀行東京の不幸 08/03/16
■「自らの間違いを認めない」文化の震源地 08/03/15
■円の価値が高まると日本企業は業績悪化という構造 08/03/14
■産業のジレンマの克服 08/03/13
■NPOの枠を超えたNPOフォーラムへのお誘い 08/03/12
■自治体の裏金も表金にしたら輝き出すのではないでしょうか 08/03/11
■日銀新総裁は人事の問題ではなく政策の問題 08/03/09
■「いま何時?」 08/03/08
■三浦再逮捕と一事不再理の原則 08/03/07
■柳原和子さんへの追悼 08/03/06
■中国の軍備増強と職場のいじめの蔓延 , 08/03/05
■日本の公務員は多すぎないでしょうか 08/03/04
■政権交替が遠のいてしまった気がします08/03/03 る
■道路が必要なのか、道路工事が必要なのか 08/03/02
■「無駄」という概念は昔からあったのでしょうか 08/03/01

2008年2月
■杉本栄子さんのご冥福を祈ります
08/02/29
■「必ずしも適切ではなかったと考えております」 08/02/28
■ラルフ・ネーダーのコンシューマリズムは何だったのか 08/02/27
■広告入りの無料のルーズリーフ 08/02/26
■移りゆく現実と動かない現実 08/02/25
■そこのけそこのけイージス艦が通る 08/02/24
■「横浜事件」に関する最高裁の姿勢への失望 08/02/23
■異質な世界への感度の喪失 08/02/22
■「私たちの子どもたちの世代は、私たちよりも幸せになるでしょうか」  08/02/21
■伊奈輝三さんの生きざま 08/02/20
■ちょっといい話を創る生き方が大事ですね 08/02/19
■「人の距離が近くなるほど言えなくなる」 08/02/18
■子どもを育てる前に、自分を育てたほうがいい 08/02/17
■とれすぎ野菜格安作戦不発で思うこと 08/02/16
■現場から沸き上がる生きた情報活動への期待 08/02/16
■情報は生きており、自己創出していく 08/02/15
■価値ある情報の所在の変化 08/02/14
■統計データのまやかし 08/02/13
■南大門の全焼崩壊は見えますが、見えないものの崩壊も気になります 08/02/12
■岩国市民は米軍機を受け入れたのでしょうか 08/02/11
■フェアショッピング 08/02/10
■日本相撲協会の対応と「組織」の効用 2008/02/09
■私の生き方  08/02/08
■アメリカの大統領選挙への関心の高さはマスコミだけ? 08/02/07
■食事時間は生存のための必要時間でしょうか 08/02/06
■ネット社会の恐ろしさ 08/02/05 る
■餃子中毒事件から何を学ぶか 08/02/04
■科学技術信仰の高まりへの懸念 08/02/03
■日教組集会をつぶした無法者グランドプリンスホテル新高輪 08/02/02
■カーボン・デモクラシー 08/02/01

2008年1月
■素材メーカーの海外シフトとポーター仮説、または毒物混入餃子の遠因 08/01/31
■国民とは誰なのか 08/01/31
■なぜ野党は国民に呼びかけてこないのでしょうか 08/01/30
■道路になぜ駐車していけないのでしょうか 08/01/30
■環境問題は暴力団と政財界、行政にとっての魅力的な市場 08/01/29
■リサイクル論議よりも無駄遣いをやめるのがいいです 08/01/28
■「夕張希望の杜」を応援することの幸せさ 08/01/27
■能動的な集中力と受動的な集中力 08/01/26
■ガソリン暫定税廃止と道路建設の違い 08/01/25
■株価下落で消えた資金 08/01/24
■生活を支える経済から生活を壊す経済へ 08/01/23
■警察民営化も進むのでしょうか 08/01/22
■医師の言葉の重さ 08/01/21
■「エコ偽装」に見る企業の問題点 08/01/20
■「もはや経済一流ではない」 08/01/19
■小沢たたきへの違和感とキャスターの定見 08/01/18
■もったいない文化の基本にある「いのちへの愛」 08/01/17
■いいことは忘れてしまい、悔いは、月日がたつほど深くなる 08/01/17
■水から引き上げた魚から魚の真実は見えてくるか 08/01/16
■「バレンボイム氏にパレスチナ市民権」 08/01/15
■家族同士の死傷事件と家族のあり方 08/01/14
■新テロ特措法が成立してしまいました 08/01/14
■「なぜ時代は人の懸命な苦労に報いることができぬのか」 08/01/13
■行き場のない投機資金はポトラッチしたらどうでしょう 08/01/12
■「松下電器」から「パナソニック」へ 08/01/11
■競技としての政治、価値としての政治 08/01/10
■対立の時代の様相 08/01/09
■福岡の3児死亡飲酒運転事件の判決への疑問 08/01/08
■「資源を過剰に使用」した結果としてのスタグフレーション 08/01/07
■環境問題は農業問題 08/01/06
■「犬という語は、狼なる語が存在しなければ、狼をも指すだろう」 08/01/05
■「戦略」という言葉 08/01/04
■エコ・ウォーズと二酸化炭素排出権 08/01/03
■グラディオ作戦 08/01/02
■教育基本法よりもテレビのあり方を考えたらどうでしょうか 08/01/01

2007年12月

■読者へのお礼と自己反省 2007/12/31
■製造年月日の違う商品が並んでいたらどちらを購入しますか 2007/12/30
■「批判ばかりせずに代案を出せ」の恐ろしさ 2007/12/29
■暗殺の対象者は異議申し立て者が多いような気がします 07/12/28
■誰にとっての効率 07/12/27
■ゼロ・トレランス発想にみるマイナスの循環 07/12/26
■「国の責任」 07/12/25
■司法、行政、政治、そして人間ー薬害肝炎訴訟の顛末から学ぶこと 07/12/24
■あなたは握手を求めたことがありますか 07/12/23
■長崎新幹線と公共交通システム 07/12/22
■薬害肝炎訴訟にみる棄民政策 07/12/21
■自分でできることは何なのか 07/12/20
■迎撃体制の整備は自衛に繋がるのか 07/12/18
■教員免許更新制に見る常識的判断の落とし穴 07/12/17
■佐世保銃乱射事件を契機にすべての銃器の破棄を考えたらどうでしょうか 07/12/15
■赤福はまた「もう一つの不祥事」をやってしまいそうです 07/12/15

■企業不祥事続出の背後にあるもの 07/12/14
■古舘さんの怒りにとても共感しています 07/12/13
■「舛添さん、おまえもか」 07/12/12
■ワーキングプア、あるいは働くことの意味 07/12/11
■日本ライスのブランド米偽装事件と農水省の犯罪 07/12/10
■産業の場としての学校と教育の場としての学校 07/12/09
■廃棄と別れ 07/12/08
■当事者の危機感がない限り、組織の改革はできません 07/12/07
■コストや価格で考える時代はもう20年前に終わりました 07/12/06
■学校って何のために必要なのでしょうか 07/12/05
■悪魔と天使が共存する経済システム 07/12/04
■模倣犯罪の刺激ではなく、模倣善行への刺激を 07/12/03
■再犯防止できない刑罰制度のジレンマ 07/12/02
■守屋非難の前に、先ず自らの身を正したい 07/12/01
■当事者の身勝手なわがまま 07/12/01

2007年11月
■守屋事件をどう問題設定するか
07/11/30
■人が人を殺めることの事情 07/11/29
■「社会的弱者」のコンプレックス 07/11/29
■自由人とは自らにとっての真理を語るものである 07/11/29
■持続可能性を高めるための多様性 07/11/28
■事象としての死、経験としての死 07/11/28
■若い世代の夫婦観は「絆」だそうですが、60年代は「忍」 07/11/27
■「戦争から学ぶことなどない」というオシムの見識 07/11/27
■パグウォッシュ会議と科学技術のシビリアン・コントロール 07/11/26
■ストイックな秋、平和につながる生き方 07/11/26
■「暗殺 リトビネンコ事件」 07/11/25
■問題が多すぎて何も変わらないのではないかと心配です 07/11/24
■「言葉の人」と「身体の人」 07/11/23
■人身事故の意味すること 07/11/22
■ビオスによる時評とゾーエによる挽歌 07/11/21
■年賀欠礼のご挨拶を節子と連名で出しました 07/11/20
■寄合民主主義と多数決権力主義 07/11/16
■「国民のため」に、新テロ対策法を通したい人、反対する人 07/11/15
■「国防は最大の福祉」 07/11/12
■「みんな幸せになるなんてありません」 07/11/11
■脱貨幣社会の気分をちょっと味わっています 2007/11/10
■国家を私するものたちの志 2007/11/09
■法律の成立が国政進展の証拠でしょうか 07/11/08
■どの党が政権をとるかより、日本が良くなるかどうかが大切でしょう 07/11/06
■国民国家の偽装の露呈 07/11/06
■小沢民主党代表の辞任表明会見での意見を支持します 07/11/04
■二大政党制は大政翼賛会体制の変種 07/11/04
■常識の復権への期待 07/11/03
■薬害肝炎事件は当事者の視点で緊急措置すべきです 07/11/02
■食べられるものを利用して何が悪い 07/11/01

2007年10月
■トップの不祥事は組織の不祥事です 07/10/31
■法も規律も破った人たちの責任の取り方 07/10/30
■テロ特措法と守屋事件とは別物なのか 07/10/29
■コケにされたのに、なぜもっと怒らないのか 07/10/28
■浜岡原発判決の裁判官の責任の取り方 07/10/27
■舛添厚生労働相の奮闘 , 07/10/26
■逮捕される人、されない人 07/10/25
■郵政民営化の現場事情 07/10/24
■ユンゲの懺悔 07/10/23
■赤福はなぜ道を間違ったか 07/10/22
■戦争と犯罪はつながっています 07/10/21
■人はどこまで犯罪を「進化」させられるのか 2007/10/20

■権力や権威の犯罪を告発する動きが出始めました 07/10/19
■マスコミは何をベースに記事を書くべきか 07/10/18
■あなたは待つのが好きですか、苦痛ですか 07/10/17
■「来年の4月辺りが一番わかりやすい解散の時機」? 07/10/16
■世界における立ち位置も変わっていました 07/10/16
■亀田選手を育てたのは誰なのでしょうか 07/10/15
■夫婦の立ち位置と世界の豊かさ 07/10/15
■栃尾駅保全運動への署名協力のお願い 07/10/13
■献花台 Flowers for Life が完成しました 07/10/13
■国会の品格 07/10/12
■オリンピックと運動会 07/10/11
■手続きの時代の働きの場 07/10/09
■所有と無所有はコインの表裏 07/10/09
■「誰も行かないところに誰かが行かなければ」 07/10/08
■ウトロを知っていますか 07/10/07
■生命を殺めた人が生きながらえる社会の生命観 07/10/06

■円天事件と現実の経済社会 07/10/05
■愛は煩悩、愛は涅槃 07/10/05
■「小人の戯言」舛添発言の意味すること 仲間の問題は自分の問題です 07/10/03
■伴侶の死は自らの半分の死 07/10/03
■相撲文化の終焉 , 07/10/02
■オウムを存在させる宗教界ー「懲りない社会」 07/10/01

2007年9月

■舛添厚労相と長妻昭議員の協力を期待します 07/09/30
■ミャンマーと格差社会:格差図式のフラクタルな展開 2007/09/29
■テロ特措法とミャンマー軍事政権 07/09/28
■ミャンマーの僧侶デモ鎮圧事件とパリ5月革命 07/09/27
■時津風部屋の犯罪と仲間の犯罪を放置する文化 07/09/26
■危ういかもしれない話 07/09/26
■福田内閣は何に向けての「背水の陣」なのでしょうか 07/09/25
■先が見える愚かさ、先が見えない愚かさ 07/09/25
■日本の仏教界ができることはたくさんあります 07/09/24
■定型文の豪華な弔電はやめませんか 07/09/24
■自民党総裁選への民主党のコメントは暗いですね 07/09/23
■とても「危うい話」 07/09/18
■安倍首相に節子のつめの垢をせんじて飲ませたい 07/09/13
■欽ちゃんは1日でいい、でも私は毎日。 07/09/12
■突然の死 07/09/10

■私にとって人生で一番悲しい日 2007/09/06
■政治家と金の問題 2007/09/01


2007年8月

■もしかしたら「危うい話」 2007/08/30
■「介護で苦労するくらいなら消費税は高くてもいい」 2007/08/29
■男女共同参画社会と男女役割分担社会 07/08/28
■平和は輸出できません 07/08/27
■一兵卒政権としてテロ特別措置法 2007/08/26
■がんとの付き合い体験をお話します。必要があればですが。 2007/08/25
■月光族主導パラダイムからの脱却 2007/08/24
■危機管理能力って何でしょうか 2007/08/23
■重要な問題と瑣末な問題 2007/08/22
■権力者の勝手な論理とそれに迎合する「有識者」 07/08/21
■膨大な声が抹殺されている現実 07/08/20
■世界への批判は自らへの批判? 07/08/19
■「白い恋人」事件と食育行政 2007/08/18
■戦後レジームと整合しなかった政治の仕組み 2007/08/17
■戦後レジームからの脱却の意味すること 2007/08/16
■不戦の誓いの出発点は憲法9条の堅持でしょう 2007/08/15
■シビリアン・コントロールの歯止めの喪失-佐藤正久議員の場合 2007/08/15
■家事やボランティア活動と賃仕事 07/08/14
■政府の危機と国家の危機 07/08/12
■クールビズとノーネクタイ 2007/08/11
■憲法と政党マニフェスト 2007/08/07

■病気との対峙といのちへの眼差し 2007/08/05
■延命措置は希望されますか 2007/08/04
■いのちの大切さと学びの面白さ 2007/08/03
■テレビキャスターの皆さん、バラバラに疑問を呈していないで、一緒に安倍退陣への風を起こしてください 2007/08/02
■子どもたちを戦場に送るために狂奔する中高年女性たち 2007/08/01

2007年7月
■「法律1本、世論3年」と「何でも見てやろう」 07/07/31
■参議院選挙結果に思うこと 07/07/30
■番外編:実に勝手な選挙結果予測 07/07/29

■光市母子殺害事件安田弁護士による死刑制度の私物化 2007/07/29
■タリバンの韓国人ボランティア殺害事件 2007/07/28
■「経済成長を語ったことがあるか」 2007/07/27
■放射性廃棄物の最終処分問題のメッセージ 2007/07/26
■デモサイド「民殺」 07/07/25
■国民の非武装権 07/07/24
■選挙結果予測は投票に影響を与えます 07/07/23
■いまの選挙制度って根本的に無理があるのではないでしょうか 2007/07/22
■日本社会を襲っている「見えない地震」 2007/07/21
■やさしさへの気づき 2007/07/20
■歯医者では目をつぶりますか 2007/07/19
■将来に信頼を持てない働き方でいいのか 2007/07/18
■みなさんは私的な駐車場を横切りますか 07/07/17
■知の世界におけるホメオスタシス  07/07/16
■投票率で選挙結果が変わるのでいいのか 07/07/16
■東京大空襲集団訴訟のメッセ
ージ 2007/07/15
■政治生命を賭ける 2007/07/14
■患者を待たせる医師を育てたのは誰か 2007/07/13
■生活保護と格差社会 2007/07/12
■生活保護ってなんでしょうか 2007/07/11
■嫌いな民主党への提案 07/07/10
■赤城事務所経費事件で気になること 07/07/09
■地方ごと、人ごとに時間があります 07/07/08
■国民をわくわくさせる政治家はいないのでしょうか 2007/07/07
■今度の選挙は年金選挙でしょうか 2007/07/06
■産業のジレンマと医療のジレンマ 2007/07/05
■死に向かう医療、生を目指す医療 2007/07/04
■儲け型経済から稼ぎ型経済へ 2007/07/03
■新しいM&Aの時代 2007/07/02
■言葉狩りの時代   07/07/01

2007年6月
■民営化が狂乱のごとく行われた時代 2007/06/30
■緒方弁護士や田中社長の世界観 2007/06/29
■分かち合う文化の復活 2007/06/28
■ミートホープと光市母子殺害事件弁護団 2007/06/27
■ミートホープ従業員解雇と社会保険庁ボーナス自主返上 2007/06/26
■嘘にかかるコストは、サラ金のように高利 07/06/25

■偽牛ミンチ事件で嘘をついていたのは誰でしょうか 2007/06/24
■希望のない医療、感受性の乏しい医療の見直し 2007/06/23
■議論しない国会と世論を育てない政府 2007/06/22
■「裁判には絶望した」 2007/06/21
■朝鮮総連の会館売却問題の「事の本質」 2007/06/20
■事実(THE FACTS)が創られる時代 07/06/19
■がん対策基本計画の根底にある医療パラダイム 07/06/17
■あっちゃんの雑記帳 2007/06/16
■社会保険庁の相談窓口対応 2007/06/15
■さくらんぼの憂鬱 2007/06/14
■裁判における弁護の意味 2007/06/13
■価格の裏側 2007/06/11

■コムスン事件は民営化路線の氷山の一角 2007/06/10
■「最初に無実の者を死刑にしたとき運命は決した」 2007/06/09
■弁護士の反応の報告 2007/06/08
■民主党の存在感のなさと新党への期待 2007/06/07
■平和か年金か 2007/06/06
■「もうひとつの地産地消」 07/06/05
脱北者を人道上、受け入れるという発想 07/06/04
■国民主権国家という壮大な幻想 07/06/03
■市況商品の上に乗っかっている生活 07/06/02

■知的成果の囲い込みの弊害 2007/06/01

2007年5月
■文化とは、一体何でしょうか? 2007/05/31
■孤独から抜け出るのは簡単です 2007/05/30
■Comfort isolates 2007/05/29
■松岡農相の自殺 2007/05/28
■多様な行動するネットワークへの期待 07/05/27

■「ホテル・ルワンダ」 2007/05/26
■弁護士の反応 2007/05/26
■弁護士のみなさん、恥ずかしくないのですか 2007/05/25
■かなり「危うい話」 2007/05/24
■死刑制度のない社会と死刑のない社会 2007/05/23
■不寛容の時代 07/05/22
■団塊シニアの不安 07/05/21
■どこから考えるか 2007/05/20
■basement ethicsとaspiration ethics 2007/05/19
■過剰報道と過少報道 2007/05/18
■少し「危うい」話 2007/05/17
■「がんという言葉」 07/05/16
■「憲法改正手続法」を「国民投票法」と詐称する犯罪 07/05/15
■まずプロジェクト、原理はそれから 07/05/14
野党は寝ているのですか 07/05/13
■当たり前のことをやっていないのは誰か 2007/05/12
■「親学」よりも「主権者学」が必要 2007/05/11
■余命3か月 2007/05/11
■冤罪事件報道で感じた恐怖 2007/05/09
■サプライチェーン・マネジメントの家庭への侵入 2007/05/09
■生産者主導から消費者主導の経済への移行の幻想 07/05/08
■当事者主権の難しさ 07/05/06

■多数決主義と民主主義と国民主権 2007/05/05
■チビ太はいつもとても幸せそうに寝ています 2007/05/04
■臓器移植報道と思いやる気持ち 2007/05/03
■少子化になった理由 2007/05/02
■「病院」(sick center)から「健院」(hospital)へ 2007/05/02

■「いいことだけ日記に」騒動からの気づき 07/05/01

2007年4月

■教育のある人とは「歌舞の訓練をつんだ人」 07/04/30
■経済的な連休から精神的な連休へ 07/04/29

■「騙された者の罪」 2007/04/28
■飲酒運転者から免許を剥奪することがなぜ出来ないのか 2007/04/27
■学力テストへの犬山市の異議申し立て 2007/04/26
■不都合な結果は有権者の「誤解」のせい 2007/04/25
■コミュニティケアからケアコミュニティへ 2007/04/24
■あなたはいつも笑顔でいられますか 07/04/23

■優先席には率先して着席という発想 2007/04/21
■経営における道徳性 2007/04/20
■「戦争は今や永続的な社会関係にまでなりつつある」 2007/04/19
■銃を撃ってしまう不幸 2007/04/18
■国民投票法をつくって何が悪いのか 2007/04/17
■わくわくするほど気に入っている参加費方式 07/04/16
■新しいNPOのつながり育ての集まりがあります 07/04/15
■不幸と幸せはコインの表裏 2007/04/14
■家事とビジネスとどちらが難しいでしょうか 2007/04/13
■無党派層から勝ち馬政党層への移行 2007/04/12
■裁判員制度の意味することの顕在化 2007/04/11
■都知事選の常識的な結果 2007/04/08
■スクエアになった朝日新聞 2007/04/07
■2児拉致容疑事件と国家の暴力観の変質 2007/04/06
■多数決は民主主義とは無縁 2007/04/05
■権力の民営化 2007/04/04
■地産地労の思想 07/04/03
■統一地方選挙に思うこと 07/04/02

■嘘で覆われている時代のエイプリルフール 2007/04/01

2007年3月
■「女性の社会進出」とは何だったのか 2007/03/31
■大統領の陰謀と首相の犯罪が存在した良い時代 2007/03/30
■沖縄密約事件請求棄却に思うこと 2007/03/29
■自分は延命治療を望まないが、家族の延命治療は望むことの意味 2007/03/28
■病院の予約制度を変えませんか 07/03/27
■「貧乏はいただきもの」 07/03/26
■ガンジーの予言 2007/03/25
■「病を治すものは自然である」 2007/03/24
■制度にあわせる生き方からの脱出 2007/03/23
■徳治国家・法治国家・金治国家 2007/03/22
■隠すことのコスト 2007/03/21
■イラク戦争がはじまって4年目 07/03/20
■日本の仏教界からのメッセージは何でしょうか 07/03/19
■国会での議論のあり方 2007/03/18
■都知事選立候補者4人の討論会をテレビでみました 2007/03/16
■知事選におけるポジティブキャンペーンへの期待 2007/03/15
■都知事選に4人も立候補してしまいました 2007/03/14
■うたごえ喫茶からカラオケへ 2007/03/13

■3大関と横綱が敗れました 07/03/11
■おふくろさん騒動に思うこと 2007/03/10
■「鹿児島地検が12人全員の控訴断念」という表現 2007/03/09
■病院におけるコミュニケーションの出発点 2007/03/07
■地球温暖化論議のむなしさ 2007/03/06
■冤罪を生みだした検事や警察はなぜ裁かれないのでしょうか 2007/03/05
■患者だって医者の役に立っている 2007/03/04
■マスメディアの捏造機能 2007/03/03
■自殺は卑怯という言葉 2007/03/02
■「君が代伴奏命令は合憲」という最高裁判決と反対意見の存在 2007/03/01

2007年2月
■お金で豊かさを買うのではなく、豊かさでお金を買う社会 2007/02/28
■「社会のため」という大義の意味不明さ 2007/02/27
■あなたは誰のために生きていますか 07/02/26
■結果としての格差社会、構造としての格差社会 07/02/25
■地域社会は自らを元気にする力を備えています 2007/02/24
■不法と違法 07/02/17
■個人情報保護に関する勘違い 07/02/16
■「障害」を意識しない社会 07/02/15
■「無知のベール」のもとでの視界の広さ 07/02/14
■パノプティコン型社会とお天道様型社会 07/02/13
■拉致問題と核問題のどちらが重要か 07/02/12
■団塊シニアの地域デビューで思うこと 07/02/11
■「戦争への道を許さない!」のリレートーク 07/02/10
■「過労死は本人の自己管理の問題」 2007/02/09
■柳沢発言と生権力と成長パラダイム 2007/02/08
■痛みを分かち合うための条件 2007/02/07
■先制攻撃型国家への一歩 2007/02/06
■国会審議拒否の是非 07/02/05
■「産む機械」発言を生んだ問題の立て方 2007/02/04
■裁判員制度よりも裁判の透明性の実現を 2007/02/03
■自由の牢獄 2007/02/02
■柳沢大臣の発言が意味すること 2007/02/01

2007年1月
■法に違反していなければ胸をはれるのか 2007/01/31
■死んだ学力と生きた学力 07/01/30
■久間発言事件をどう考えるか 07/01/29
■希望と生命:「希望サロン」の呼びかけ 2007/01/28
■鳥インフルエンザの犠牲になる鳥たち 2007/01/27
■介護の社会化の虚構 2007/01/26
■学校を良くする方法 2007/01/25
■そのまんま東さん知事就任への賛否 2007/01/24
■学校の先生をなぜみんな信頼しないのでしょうか 07/01/23
■「司法改革」(朝日新聞社)を読みました 07/01/22
■政治的に正しい表現運動への違和感  2007/01/21
■司法権の独立と刑法のパラダイム 2007/01/20
■2つの価格方程式と不二家事件 2007/01/19
■未開は文明から生じたもの 2007/01/18
■シニアライフをどう生きるか 2007/01/17
■社会奉仕活動の義務化 07/01/16
■戦争を直視する姿勢 07/01/15
■ニーメラーの教訓と家永三郎さんの選択 2007/01/14
■猟奇的事件の過剰報道 2007/01/13
■不二家事件の意味:「恥の文化」から「罪の文化」へ 2007/01/12
■「脆いつながりの時代」と「一方的な情報発信の時代」 2007/01/11
■郵政民営化の成果が見えてきました 2007/01/09
■絶望を知っている人間が希望を語る資格がある 2007/01/08

■ホワイトエグゼンプションとディーセントワーク 2007/01/06
■「安直な諦め」ではなく「希望」からの発想を 2007/01/05
■希望の年 2007/01/04
■しきたりや年中行事をもっと大切にしたいものです 2007/01/01