活動記録2019
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(2019年残り)
■東尋坊からのお餅に込められたメッセージ(2019年12月29日)
■年末の畑(2019年12月30日)
■らしからぬ年末(2019年12月31日)

■東尋坊からのお餅に込められたメッセージ(2019年12月29日)
東尋坊で見回り活動をしている茂さんたちから、今年も「お餅」が送られてきました。
年末に、毎年、茂さんや川越さんたちが東尋坊で遭遇した自殺を思いとどまった人たちと一緒に、心を込めてつき、みんなで丸めたお餅です。
茂さんがいつも言っているように、「形は不揃いでも、味は何処のお店屋さんにも負けない絶品」です。

茂さんたちの見回り活動は、もう16年近くになりますが、これまで672人の人を思いとどまらせてきています。
今年も32人の人に出会い、全員が見事に再出発を果たしているそうです。
私は、その活動が始まったころに、ささやかに応援させてもらった関係で、こうして今もお餅が毎年届くのです。

お餅と一緒に、「東尋坊の見守り人形 人生標語集」という小冊子が送られてきました。
聞いた人が元気になるような、「短い力強い言葉」に、茂さんたちの活動を支援している仙台在住の「じぞうもじ書家」後藤夕深さんが「じぞうもじ」を添えた、心があったかくなる小冊子です。
茂さんや川越さんのあったかい心が伝わってきます。
川越さんたちが一針一針手縫いした「見守りお地蔵さま人形」とこの小冊子を遭遇した人たちに渡しているそうです。

お餅に添えられていた手紙に、茂さんはこう書いています。

私たちの活動は、今までは「水際対策」に重点を置いてきましたが、来年からは「上流対策」(東尋坊での自殺者の8割は県外者です)に、もっと目を向け「これ以上、東尋坊に自殺企図者を送りこまないで下さい…!」と訴える活動にも力を入れていきたいと思っています。

以前からお聞きしていた茂さんの次の目標の一つです。
しばらく茂さんの活動に関わらずにいましたが、来年はこの茂さんの思いの実現に何かできることはないかを考えたいと思います。
一緒にやろうという方がいたらご連絡ください。
日本の自殺者は減少しているという統計もありますが、少なくとも私の周辺では減っているという実感は得られません。
私にも誰にでも、できることは必ずあるはずですので。

■年末の畑(2019年12月30日)
正月料理のニンジンを畑に取りに行きました。
秋に種を播いておいたのですが、その後、畑に行くのをやめてしまいました。
久しぶりに行った畑は、ひどい状況でした。
人参は間引きしていなかったので大きく育っていませんでした。
今年は畑をがんばりましたが、来年はやめようと思っています。

■らしからぬ年末(2019年12月31日)
今年の年末はどうも年末気分が出てきません。
何やらいろいろとありすぎて、気忙しさしかありません。
いや気忙しさもあまりないかもしれません。

娘の買い物に付き合う程度です。
大みそかは娘がお煮しめとおなますを中心に料理していますが、今年はメインディッシュもなく、地味なお正月です。

テレビはまったく見る気が起きず、ホームページも更新の気力なく、早々と眠ってしまいそうです。
こんな年末気分の出ない年末は生まれて初めてです。
1年の締めくくりもする気になりません。
困ったものですが。

(2019年12月第4週)
■CWSサロン「箸文化を考える−世界中に箸友をつくろう」(2019年12月22日)
■3人の相談(2019年12月24日)
■鈴木さんからのお接待(2019年12月26日)
■CWSサロン「5回目のサンティアゴ巡礼報告」 (2019年12月26日)
■歯医者さんからのプレゼント(2019年12月27日)
■我孫子まちづくり編集会議事務ミーティング(2019年12月27日)
■今年最後のオープンサロン(2019年12月28日)

■CWSサロン「箸文化を考える−世界中に箸友をつくろう」(2019年12月22日)
国際箸学会会長の小宮山さんにお願いした「箸文化を考える−世界中に箸友をつくろう」のサロンは、年末の忙しい時期だったためか、参加者があまり集まらなかったうえに、国際箸学会のメンバーがほとんど参加されなかったこともあり、意図と違って、箸文化や箸学会のことはあまり話題にできませんでした。
しかし、参加者は全員、日本の礼儀作法などに関心の深い方が多かったこともあり、意図とは違った意味での集まりになりました。
また箸学会で箸ゲームの審判員をされている方が参加してくれたこともあり、後半は箸ゲームの体験会となり、箸ゲームの話題で盛り上がりました。

小宮山さんの話やそれを受けての参加者の反応を通して、箸文化を学び、新しい箸文化を創り、世界中の人と友だちになっていくという箸学会のビジョンは、まさに「箸ゲーム」に象徴されていることを改めて実感しました。
今回はあまりうまくいきませんでしたが、改めて「箸友づくりサロン」を企画したいと思います。

■3人の相談(2019年12月24日)
今日はかなり重い日でした。
最初はかつてとんでもない負債を背負い込んでしまった問題の後始末関連です。
なかなか解決策が見えてきませんが、思い出すだけでも胃が痛くなる問題に関してミーティングをしました。
事態はあんまりよくなく、改善に向かえません。

つづいては抗がん治療をしている人の相談。
これは幸いにいい方向に向かっています。
相談のお礼にお昼をご馳走になりました。

3番目は思ってもいなかった相談でした。
ちょっと気にはなっていましたが、とんでもない方向に行っていたことがわかりました。

まあそんな感じで、今日は精神的に疲れました。
名前は書きませんが、後でも思い出せるでしょう。
念のために、Nさん、Mさん。Cさんです。
忘備録として。

■鈴木さんからのお接待(2019年12月26日)
今日もまたお接待を受けました。
なんと今日のサロンで話をお願いした鈴木さんからのお接待です。
普通の常識とは反対ですが、どうしてお接待してくれるのか質問したら何となくでした。
そういうのは私の好みです。
理由などない方の行為がうれしいです。

しかも私のお接待なのに同伴者が2人もいました。
日本神道文化研究会の平井さんと浅井さんです。
鈴木さんも彼女たちと同じく、何故か日本神道研究会のメンバーなのです。
浅井さんは「古語拾遺」を著した斎部氏に興味を持って調べている人ですが、いつか湯島でサロンをしてくれないかと頼んでいます。
平井さんは今度やる網野さんのサロンの引き出し役です。
最近は男性よりも女性の方が関心領域が広くなっている気がします。

■CWSサロン「5回目のサンティアゴ巡礼報告」 (2019年12月26日)
今年最後のテーマサロンは、昨年と同じく鈴木さんの巡礼サロンでした。
10人が参加しました。

今回、鈴木さんが歩いたのは「ポルトガルの道」。
これまでと違って、日本人にはほとんど会わなかったそうです・
鈴木さんの報告は、いつもそうなのですが、話し出すといろんなことを思い出すようで、話が止まりません。
ただ歩くだけの巡礼なのですが、それだけ密度の高い時間を過ごしてきているのでしょう。
そこに巡礼の価値が凝縮しているように思います。
今回も用意してきてくれたレジメの半分しか話がいきませんでした。
しかし巡礼の魅力や効用は、参加者にはしっかりと伝わったと思います。

鈴木さんは、まずサンティアゴ巡礼についての基本情報を話してくれました。
1970年代ごろから広がりだしたサンティアゴ巡礼は、1972年にはわずか67人だった巡礼者が昨年2018年には32万人を超えていて、さらなる増加が見込まれています。

つづいて鈴木さんは、巡礼の方法を紹介してくれました。
一番の課題は荷物の重さで、鈴木さんの場合は、4.7kgの身の回り品を入れたバックパックと貴重品類入りショルダーバックだったそうですが、それこそ100グラムの重さが巡礼の継続に大きな影響を与えることもあるそうです。
鈴木さんの場合、1日の歩行距離は15〜40km、宿泊費用は5〜15ユーロ(700〜1900円)、食費費用は10〜30ユーロ(1300〜3800円)だったそうです。
最近は、スマホやイヤホンを使う人も多くなっているそうですが、鈴木さんはそういうものは一切使用しません。
道に迷っても、スマホで調べるようなことはせずに誰かに道を聞く。そういうことこそが、巡礼の魅力を高めると鈴木さんは考えています。

ついで、今回の「ポルトガルの道」で感じたこと、気づいたこと、自らが変わったことを話してくれました。
一つひとつに、興味深いエピソードや体験があって、話し出すと鈴木さんは時に目を潤ませたり、目を輝かせたりしていました。
いくつかを紹介します。
話しかけられとうれしい、でも話しかけるには少し勇気がいる、という鈴木さんの話には大きな示唆があるように思いました。
あいさつが人間関係のはじまり。ほんの少しの気遣い、ほんの少しの好意があればいい。
言葉がわからなくても心は通うという、非言語コミュニケーションも巡礼の醍醐味だと言います。
しかし、これらは巡礼でなくても当てはまるでしょう。
スマホが増えていることに鈴木さんはテクノロジーに支配される危険性を感じたと言いますが、これも昨今の私たちの日常に通じています。

鈴木さんは、今回改めて、巡礼とミニマリズム(簡素な暮らし)に繋がりを感じたと言います。
今回、その話もしてもらう予定でしたが、残念ながらあまりにもその前の話が面白く、そこにたどり着きませんでした。
しかし、鈴木さんの数々の体験談から、その真意は伝わってきました。
さらにレジメでは「これからの人生を巡礼者のように生きる」という鈴木さんの思いに通ずる示唆に富む言葉も紹介されていました。

鈴木さんの話に触発されて、いろんな話題で話し合いが行われました。
参加者に長年長距離ランニングをされている人がいて、その人から「歩く」と「走る」の関係が話題に出されました。
これもなかなか面白い話題でした。
巡礼中には挨拶や話しかけが自然と出てくるのに、最近の都会人は「挨拶」や「話しかけ」がなくても生きていける。とても興味深い話です。

巡礼者が同宿者のために食事づくりをして、同宿者みんなでコミュニティディナーをする体験もしたそうです
巡礼の醍醐味の一つは、もしかしたら「食事」かもしれないと思いました。
参加者はそれぞれにいろんな気付きをもらったはずです。

ところで、レジメの最後にこういう文章が書かれていました。

巡礼はコミュニティを生み出します。
他者を受け入れるコミュニティを。
他の人がどう旅路を歩いているかに興味を持つコミュニティを。
お互いに与え、受けるコミュニティを。

以前、鈴木さんが偶然に立ち寄ったスペインの小さな教会に置かれていた「El Camino(巡礼)」という文書からの引用だそうです。
これは湯島のサロンが目指していることでもあります。
来年は、それぞれのコミュニティを話し合うサロンを開きたいと思います。

来年もまた年末に鈴木さんの巡礼サロンがあるかもしれません。
いや他の人の巡礼サロンかもしれませんが、巡礼のテーマは引き続き、湯島の話題にしていきたいと思います。
どなたか自分の巡礼報告をされたい方はご連絡ください。
もちろんサンティアゴに限りません。
その気になれば、いろんなところに「巡礼路」はありますから。

■歯医者さんからのプレゼント(2019年12月27日)
歯医者さんにいま通っていますが、治療が終わって帰ろうとしていたら石戸先生が、無線集合のNewsweekを渡してくれました。
息子さんの石戸諭さんがまたスペシャルレポートを書いたのだそうです。
今回は「進撃のYahoo」。
前回の「百田尚樹という社会現象」と同じく、対象に石戸さんらしさを感じます。
バタバタしてしまいまだ読んでいませんが、今度はどんな内容か楽しみです。

■我孫子まちづくり編集会議事務ミーティング(2019年12月27日)
我孫子まちづくり編集会議の中高生ユニットは活発に動いていますが、発散型のがちょっと気になっています。
プロジェクト・マネジメントが必要なのですが、まだ推進主体の組織化ができていないので、アイデアやアクションが先行しがちです。
私も最近土日の時間が取れなくて、参加できないことも多いのですが、長期的な活動にしていくには、組織をしっかりと構築し活動を計画化する必要がります。
そこで、プロジェクトの中心の櫻井さんと事務局役の林さんと3人でミーティングを持ちました。
1月に事務局ミーティングを持つことにしました。

■今年最後のオープンサロン(2019年12月28日)
今年最後のオープンサロンは、8人が参加しました。
さすがに年末は女性の方はご多用のようで、集まったのは、みんなこの時期暇そうな男性でした。

テーマは特にないサロンでしたが、前半は「ボランティア活動」と「おもてなし」が話題になりました。
サッカーのワールドカップの時に、一週間ほどボランティア活動をしていたTさんの体験談があまりにも面白くて、私は引き込まれてしまいました。
こういう話こそ、テレビで取り上げてほしいですが、残念ながら取り上げられるはずもありません。
それも含めて、いまの日本社会や経済政治の本質に迫る内容でした。
それにしてもTさんはよほどのストレスがたまっていたようで、その話ぶりの勢いには圧倒されました。
今年のサロンでの「一番話しつづけたで賞」を差し上げたいほどです。

後半は、引きこもり問題に長年取り組んでいるAさんが参加されたので、若者の話になりました。
これも実体験からの報告や感想なので、理屈の話ではありません。
Aさんは、全身全霊を込めて、問題を抱えている人の相談に乗るタイプなので。時々心配になるのですが、いつも問題の当事者になって活動しています。
やはり体験から来る一人称自動詞の話は迫力があります。

これまた体験知に基づく話でしたが、とんでもなく大きな話題も出ました。
湯島には本当にいろんな人が来ます。
そしてとんでもない話を時々話し出すのです。
今回の話はちょっと問題が大きすぎるので報告はできませんが、私の体験にもとてもよくつながり、世界の裏側をちょっと垣間見たような気分にもなりました。

まあこういう話だけではなくたとえば業務スーパーの話や政治と嘘の話など、いろんな話題で予定を超えて5時間があっという間に過ぎました。

参加者のお一人はサロン終了後掃除をするつもりでバケツなどの掃除用具まで持ってきてくれましたが、前日に別の人たちが大掃除をしていたため、掃除はできませんでした。
しかし、最後のサロンにふさわしく刺激的な本音の語り合いができました。
話し合いをこのまま実況中継したら、社会には役立ちそうな話が多かったです。
しかしそんなことをしたら、私は今まで以上に生きにくくなるでしょう。
でもまあ、そろそろ生きなくてもいいような年齢ですので、来年もさらに自由な話し合いのサロンも増やしていければと思っています。

(2019年12月第3週)
■万葉集サロン番外編「万葉集や記紀の文字表記」(2019年12月15日)
■花かご会のカレンダー(2019年12月17日)
■オープンハートサロン(2019年12月18日)
■オープンハートミーティング(2019年12月18日)
■半田さんと野上さんとの生活哲学学会プロジェクト(2019年12月19日)
■武田さんとの相変わらずの論争(2019年12月19日)
■CWSサロン「時間意識と自殺予防」(2019年12月21日)
■上田さんと杉原さんとの会食(2019年12月21日)

■万葉集サロン番外編「万葉集や記紀の文字表記」(2019年12月17日)
「万葉仮名」をテーマに、万葉集サロン番外編のサロンを升田さんにしてもらいました。
14人もの参加者があり、話もとても広がりました。

話し言葉を文字にして残すということが始まったころに、万葉集は編纂されました。
しかもその文字は、中国に始まった「漢字」の活用という形で始まりました。
そこから、古代の人たちが、日本列島という枠を超えて往来していたこともわかりますし、当時の生活ぶりも垣間見える気がします。
想像力を働かせれば、日本という国の成り立ちにも思いを巡らせられます。
さらにいえば、「文字」が持つさまざまな機能にも気づかされます。
万葉集の面白さは、大きな時代の変化で、人々がどう生きていたかを、さまざまな形で感じさせてくれるところにもあるように思います。
今回、升田さんの話や参加者のみなさんの話を聞きながら、改めてそう思いました。

文字の成り立ちは、人と人のコミュニケーションに大きな影響を与え、文化や社会のあり様を決めていきますが、それ以前に個人の意識にも大きな影響を与えていきます。
その意味では、升田さんの万葉集サロンの大きなテーマである「われ」にも深くつながってくる話です。

ちなみに、言語を持たない人間社会はないと言ってもいいでしょうが、文字を持たない社会は少なくありません。
言葉と文字はセットではありません。
升田さんは、文字とは「体系」だと言いました。
たしかに何かに対応する象形文字がいくつかあっても、それだけでは「記号」としか言えません。
時々、遺跡の中に「文字」らしきものが発見されることがありますが、単なる絵かもしれません。
そのことを私は今回初めて気づかされました。

升田さんは、五十音図は字を覚えるためのものではなくて、この音の仮名はこうだというふうに示した「音の図」である、と話しだしました。
「音の図」、象形文字は「目からできた文字」ですが、日本の仮名は「耳からできた文字」と言えるのかもしれません。
このところはもう少し詳しく話を聞きたかったです。

現在の平仮名や片仮名は1音に対して1文字です。
それに比べて、万葉仮名の場合は、「ひとつの音」に対する文字は複数あります。
たとえば、「あ」という音でいえば、万葉集には6種類の文字がつかわれています。
文字で言えば、たとえば「阿」はほぼすべての資料で「あ」として使われています。
そうした多くの文献で使われていた文字が、片仮名や平仮名になっていったそうです。

ところで「万葉仮名」は別に万葉集だけの特殊な文字ではありません。
記紀はもとより、風土記など、上代の国語を表記するために使われた文字を総称するそうです。
升田さんは、音別にどの文献にどんな文字がつかわれていたかをまとめた主要万葉仮名一覧表を資料で配布してくれました。
万葉集での使用が一番多いことが一目瞭然でした。
この一覧表は、見ているだけで想像がふくらんでいきます。

現在では同じ音でも、なかには当時、2種類の音があったということが江戸時代の研究でわかっているそうです。
現在使われている音で言えば、13の仮名が2種類の音を持っていたそうです。
これを便宜的に甲類乙類というように読んでいます。

しかし、甲類乙類の音があったのであれば、丙類の音もあったのではないか、と私は思ってしまいます。
たしかに江戸時代の江戸の学者は2種類くらいしか聞き分けられなかったのでしょうが、実際には甲乙どころか甲乙丙丁…とたくさんあったのではないのか。
万葉仮名は600文字以上あることが確認されていますが、その中には明らかに遊び心でつくられたものもあるので、すべての文字がちがう音に対応していたとは言えませんが、まあ数百の音があったはずです。
いまでも方言では、50音図の文字では表せない音があるはずです。

五十音図は音の図だと升田さんは言いましたが、結果的には「多様な音をそろえていく効果」を果たしたともいえます。
私が子どものころはまだ、たとえば「い」「え」という文字に吸収されてしまった「ゐ」「ゑ」という文字がありました。
音としては、wi weだと思いますが、いまは使われなくなっています。
一世代の間でさえ、それだけの変化がありますから、文字も発音も変化しているわけです。
話しやすく使いやすい方向に、文字も言葉も変化しているのでしょうが、注意しないと豊かな感情をこめにくい機能的な言葉に変わっていって、人と人のコミュニケーションを貧しくしていくおそれもあります。
それへの反発が、子どもたちの漫画に出てくる、たとえば「あ」に濁点をつけるような、ルールに反する文字になって表れているのかもしれません。
まだまだ言葉は文字に完全には呪縛されていないようです。
もちろん「五十音図」の発想のおかげで、日本人の識字率は、平安時代以来、たぶん世界でもトップだったでしょう。
平安時代には五十音図はありませんでしたが、「天地の詞」や「いろは歌」などがありました。

升田さんは、こんなことも言いました。
文字を手に入れたことで、言葉(歌)を文字に残すことの面白さや喜びを感じた人たちは競って、庶民が歌っている歌を書き留めて残したのではないか、と。
音を文字であらわす喜びは、大きかったのでしょう。
歌詠みもその歌を文字に残すことも、とても楽しかったに違いないというのです。
「楽しいこと」は文化を豊かにし、社会を元気にする原動力です。

書を書かれる人が2人、参加していましたが、その人たちは音だけではなく、書いた時の美しさも文字を選ぶ基準の一つだったのではないかと言いました。
とても納得できる話です。
文字が普及し、書くことでさらに文字を使う喜びは高まった。
話はますます面白くなってきます。

しかし、その文字は私たちの社会を豊かにする一方で、私たちから何かを奪ったのではないかという思いも私にはあります。
文字のない社会の平和な生き方も報告されていますが、文字によって私たちが失ったものもあるかもしれません。
文字と権力の話も、私の大きな関心事です。
それは最近の英語教育の動きにもつながっていきます。

話し合いでは「神代文字」の話もでました。
私も一時期、カタカムナ文字や相似象にはまったことがあるのですが、そこまで行くとさすがに逸脱しすぎそうなので、我慢しました。

升田さんの話はもっといろいろありました。
中国の「韻鏡」の話や、「略体」や「非略体」などの話、さらには「文字に残っている原義」を踏まえての文字の使い分けの話、いずれも面白すぎて私には消化できません。

文字から見えてくることはたくさんあります。
あまりにも内容がたくさんだったので、今回は私には消化できないことが多く、いつか「補講」をお願いしたい気分です。
希望者が3人集まったら補講をお願いしようと思います。
升田さんは大のケーキ好きですから、ケーキを用意したら、やってくれるでしょう。

中途半端な報告ですみません。
まあ、いつものことではありますが、さすがに今回は我ながら中途半端だと反省しています。
次回からきちんと録画か録音しておこうと思います。

■花かご会のカレンダー(2019年12月17日)
我孫子駅前の花壇整理をしている花かご会の山田さんが今年も特製カレンダーを持ってきてくれました。
早速に節子の位牌に報告させてもらいました。

節子は、花かご会の最初のメンバーでした。
花かご会はとてもいい人ばかりで、節子を最後まで見舞ってくれました。
節子は本当にいろんな人に支えられて幸せだったと思います。
闘病中の節子の枕元には、花かご会全員の寄せ書きがいつもありました。

先週もオフィスに出かける時に、駅前の花壇で作業している花かご会のみなさんの姿を見ました。
声をかけようかと思いましたが、時間がなかったのでやめました。
おやつでも差し入れようと思っているのですが、なかなかうまくいきません。

節子がいなくなってから、駅前花壇のデザインが少し変わったような気がします。
私はむしろ最近の方が好みですが、節子がいつも今度はどんな花壇にしようかとスケッチしていたのを思い出しまします。

■オープンハートサロン(2019年12月18日)
引き籠りや不登校で、居場所を育てられなかった若者たちを中心にして、その相談や支援活動をしているオープンハートの阿部さんは、困ると私のところにやってくる一人です。
今年は、その活動がテレビでも何回か取り上げられて、順調なのですが、順調であればあればでまた問題は生まれるものです。
そんなこともあって最近時々会っていますが、阿部さんがやっているオープンハートサロンに参加させてもらいました。
この日は4人の若者が参加していました。
彼らはいずれも不登校や引きこもりの過去を持っているのですが、どうもそれがコンプレックスになっているようです。
わたしにはむしろそうした行為は「健全の証」に思えるのですが、世間はそうは思っていませんし、当人もまたそれに関してはマイナスイメージから抜け出せずにいるのです。

4人と話していて、私は改めて彼らの可能性を強く感じました。
阿部さんも言っていますが、彼らは「嘘」をつけないのです。
社会に適応するためには嘘がつけなくてはならないのです。

2時間ほど話して、私はとても強い親近感を持ちました。
また時々参加できればと思いました。

■オープンハートミーティング(2019年12月18日)
オープンハートサロンの後、阿部さんの活動を支援したいという人たちとミーティングを持ちました。
2回目なのですが、前回は私にはちょっと違和感があり、距離を置こうと思ったのですが、阿部さんの要請もあり、そうもいきません。
それで2回目のミーティングになったのですが、前回の違和感は私の思い違いもあるようです。
阿部さんの決意も今日は一歩進みました。
コミットをつづけようと思います。

■半田さんと野上さんとの生活哲学学会プロジェクト(2019年12月19日)
現在4回の講義を引き受けた生活哲学学会のプログラムをどう発展させるかで、事務局というか、プロデューサー役の野上さんが半田さんと私との3者ミーティングを呼びかけました。
そしてお昼をご馳走してくれました。
お昼をご馳走されると協力しないわけにはいきません。
でもあまりに三者三様の存在なので、面白いですが、野上さんは苦労するでしょう。
面白がってくれればいいのですが。

■武田さんとの相変わらずの論争(2019年12月19日)
リンカーンクラブの武田さんは、よくぶれるので付き合いにくいのですが、やはりまたぶれだして、研究会も5回目を迎えるのにやはり執筆活動に専念したいと言い出しました。
そのうえ、ある月刊誌に連載を頼まれたそうです。
そこでその原稿というか、連載物の基本スキームなどを話したいと湯島にやってきました。
しかし残念ながら本題に入る前に、政治観論争になってしまいました。
どうしても武田さんと会うと論争になってしまいます。
困ったものです。

■CWSサロン「時間意識と自殺予防」(2019年12月21日)
「時間意識と自殺予防」をテーマにしたサロンは、20人を超えてしまいました。
「自殺」や「つながり」を「時間意識」と関係づけたところに、みんな関心を持ったのではないかと思います。

参加者が多かったうえに、初めての参加者も5人、しかも杉原さんの話も面白く長かったので、なんと予定を大幅に超えて3時間を超えるロングランサロンになりました。
にもかかわらず、まだまだ話したい気分が漂うサロンでした。

杉原さんのお話を聞いて、参加者はたくさんの示唆をもらったと思います。
もちろん私もですが。
杉原さんの問題提起の話は、とても興味深いものがありました。
「時間」から考えていくと、「自殺」も「つながり」もちょっと違って見えてきます。

杉原さんの話は、日本の自殺の現状から始まりました。
そして、「多様なつながり」の喪失が、自殺多発社会の温床になっていること、その背景にあるのが日本人の「時間意識の変化」ではないかと、時間意識の話に入っていきました。

「日本人ほど時間をきっちり守る国民はいない」と、いまは海外の人たちから言われています。
しかし、幕末から明治初期にかけての日本人の時間意識はまったくそうではなかったことを、海外から日本に来た人たちが記録に残しています。
「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」と書き残している人もいますし、「日本人は、一般に生活とか労働をたいへんのんきに考えているらしく、なにか珍しいものを見るためには、たちどころに大群衆が集まってくる!」とイギリス初代駐日総領事オールコックは書いているそうです。
この文化は今でも残っているような気もしますが。

杉原さんはさらに民俗学者の宮本常一が、日本の伝統的な農村では、「話も十分にできないような田植え方法は喜ばれなかった」と報告しているそうです。
西欧と日本の「時間意識」はまったく違っていたのです。

さらに時間を、春夏秋冬が回ってくる自然に象徴されるように円環イメージでとらえるか、近代西欧のように進歩主義を踏まえた直線イメージでとらえるかの違いも紹介してくれました。
そこには、「コミュニティの時間」と「個人の時間」、あるいは「身体の時間」と「時計の時間」という話もありました。

日本人の伝統的な時間意識を変えたのは明治維新で制度化された「学校」だと杉原さんは言います。
学校は日本人の「時間意識」を人間を均質な「労働力商品」に改革するための装置だったというのです。
これは前回の万葉集サロン番外編で話題になった「学校は文字を通して言語を均質化」する役割を担っていたのではないかという話とつながっています。

時間が直線になり、コミュニティから切り離されると「未来への不安」が生まれる。
自己責任社会になると同時に、「交換可能な存在」になった個人は「金銭依存」に向かっていく、と話は発展していくのですが、これ以上書くと報告が長くなるので、以下は省略。
関心のある人はぜひ杉原さんにコンタクトしてみてください。

杉原さんは、この後、ではどうしたら「時間意識」を変え、「つながり」を豊かにしていけるかを、いくつかの事例で紹介してくれました。
これもみんな示唆に富む話だったのですが、一つだけ紹介します。
それはただ「金銭離れ」するのではなく、「温かいお金」でつながりを豊かにしている「ヤギサワバル」の大谷さんの話です。
大谷さんは、西東京市の西武柳沢駅の近くでバルをやっています。
毎日の売上の1%を地域のために使うというのが経営方針だそうです。
さらにたとえ高くても地域のお店からビールなどを購入するのだそうです。
詳しくは下記サイトをご覧ください。
https://www.facebook.com/yagisawabar/
「「農家のビール」が都内で唯一飲める店 ヤギサワバル」という本も出ていますので、よかったら読んでください。
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E8%BE%B2%E5…/…/B07GVYD6LR

時間意識と自殺予防に関して、杉原さんは直接的には言及しませんでしたが、たくさんの示唆が込められていた話でした。
杉原さんは「「楽しい時間」を共有できる複数のコミュニティに所属すること」が自殺予防にもつながっていると考えているのです。
現在、さまざまな自殺予防対策が行われていますが、私たちの生き方から問い直すことが大切だと思っている私には、とても共感できる話でした。

最後に、杉原さんは、「自殺問題」ではなく「◯◯さんの問題」として考えていくことが大切だ、と言いました。
自殺問題に限らずに、昨今の障害者支援や高齢者支援、さらには子育て支援に関しても、通ずる話だと思います。

報告が長くなってしまい、話し合いの内容を紹介するスペースがなくなってしまいましたが、異論のぶつけ合いも含めて、話し合いも示唆に富むものでした。
「自殺」そのものに関する話し合いもありました。
ある参加者は、「いろいろな価値観があってよい」ということをハラに落とすことの重要性を感じましたと、手紙をくれました。
また、時間意識と自殺の関係という見方もあるんだと、とても勉強になりました、というメールももらいました。
視点を変えると、世界はまったく違って見えてくることがあります。

大きな意味での「コミュニティ」をテーマにしたサロンは、来年も継続する予定です。

■上田さんと杉原さんとの会食(2019年12月21日)
杉原さんのサロンの後、コミュニティシリーズサロンの第1回目の上田さんと3人で会食しました。
テーマはもちろん大きな意味での「コミュニティ」。
上田さんは、「コミュニティ」をテーマにした実践型の研究会を立ち上げたいという思いをお持ちなのです。
湯島のおFスピリチュアリティ近くのねーパール料理店で、3人でコミュニティとか愛に関する話し合いをしてしまいました。
さてどう実践していくか、ちょっと悩ましいのは、似た思いを持っている人たちが増えていて、しかし微妙にその捉え方が違うのです。
しかし今のところ、私の考えに一番近いのが上田さんです。
来年から新しいプロジェクトが生まれるかもしれません。

(2019年12月第2週)
■第4回リンカーンクラブ研究会(2019年12月8日)
■太田篤さんを囲むサロン(2019年12月8日)
■ぽんゆう女子会(2019年12月11日)
■ストーリーテリング協会研究会(2019年12月11日)
■生活哲学学会2回目の講義(2019年12月14日)

■第4回リンカーンクラブ研究会(2019年12月8日)
第4回リンカーンクラブ研究会は「政治と報道」をテーマに選びました。
ゲストに元日経政治部記者だった中西晴史さんに来てもらいました。
中西さんは、ご自分の意見も含ませながら、政治記者時代の話をしてくれました。
中西さんの話からは、新聞も新聞記者もかなり変わってきてしまったことへの哀感のようなものが伝わってきました。
中西さんの話の後、やはり日経記者だった坪田さんが、その変化を少し客観的に補足してくれました。
それを踏まえて、参加者での話し合いが行われました。

具体的な新聞の評価に関する意見も出ましたが、経営的な面でほとんどの新聞社は自立困難となっていることが根本的な問題のようです。
そのため、権力に対峙する新聞はもうなくなってしまった。
コストダウンのために現場取材する記者が少なくなり、取材費も切り詰められているので、直接取材記事が少なくなってきている。
伝えるためには、写真さえにも「やらせ」が入りやすく、新聞報道を受け止める読者がしっかりしないとただ操作されるだけになりやすい。
新聞はむしろ自社の報道の立場を明確にし、もっと主観的な主張をするべきではないか。
アメリカでは権力に対峙する姿勢の新聞が講読者を急速に増やしている。
新聞購読者も減ってきているが、逆に子ども向きの新聞を子どもたちのために購読する家庭が増えてきている(子ども時代から洗脳されていく恐れもある)。
相変わらず国民を啓蒙する姿勢が残っている。
などが話題になりました。

リンカーンクラブの武田さんは、NHKのような国営の新聞をつくり、国民が直接選んだ委員会で編集したらどうかという提案をしました。
武田さんの提案はいつもその真意がなかなか理解されないきらいがありますが、報道権は主権者がしっかりとおさえるべきだという考えが根底にあります。
市民主導の新聞への試みはこれまでもありましたが、なかなか成功はしません。
しかし、いまこそ、そうしたメディアが必要になってきているように思います。

坪田さんは、最近また注目され出している桐生悠々の話も紹介してくれました。
ちなみに、北陸朝日放送が制作した「言わねばならないこと?防空演習を「嗤った」男・桐生悠々」は第1回「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」を受賞していますが、今年の12月28日に、テレビ朝日で再放送されますので、ぜひご覧ください。

いずれにしろ、残念ながら現在の新聞は、政府にからめとられているような気がします。
そのために、新聞の存在意義が失われ、購読者に魅力を感じさせられなくなってきているのではないかと思います。
政治にとっても新聞の役割は大きいと思いますが、政府も新聞社も短視眼で考えているため、その可能性を活かせずにいるような気がします。
それが残念でなりません。

このテーマはもう少し掘り下げていければと思います。

■太田篤さんを囲むサロン(2019年12月8日)
リンカーンクラブ研究会終了後、もう一つのサロンがありました。
サロンに参加した太田篤さんのサロンです。
太田さんにはサロンをお願いしたかったにもかかわらず、どう頼んだらいいのか判断ができずにいたのですが、太田さんが昨日のサロンに参加してくれたので、終わった後、残った人でサロンになりました。

太田さんは、湯島のサロンの常連です。
テーマを選ばずにいろんなサロンに参加することで世界を広げるというのが、湯島のサロンを始めた主旨の一つですが、サロンが多くなってくるとなかなか参加も難しく、テーマを選ばないと付き合いきれません。
しかし、太田さんは日曜日のサロンには原則参加と決めていたのです。
本人もいつも言っていたように、テーマではなく、サロンそのものを愛してくれたのです。
あげくの果てに、私が地元で開催していたサロン(いまはやっていませんが)にまでわざわざやってきてくれました。
私のサロンの主旨を一番よく理解してくれた人です。

その太田さんももしかしたら来年からサロンに参加できなくなるかもしれません。
それで一度、太田さんの人生観を話してもらいたかったのです。
それが思わぬ形で実現しました。
太田さんを敬愛している武田さん、太田さんとはよくサロンの後の二次会に参加していた川本さん、太田さんの高校の後輩の溝端さん、それに、最近、太田さんと同じくテーマに限らず参加してくれている平山さんと段田さんも参加していました。
この組み合わせもまた偶然とは思えません。

太田さんはいま入院中ですが、昨日は外出届を出してサロンに来てくれました。
湯島のサロンに来ると元気になると言ってくれました。
武田さんのおかげで、明るいサロンになりました。
平山さんが太田サロンを賞賛してくれました。

上田さんが、サロンで話してくれたようなコミュニティ(帰っていきたい場所)に、湯島のサロンが少し近づいてきているようで、長年サロンをやってきた私には、太田さんから大きな褒美をもらったような気がしました。
とてもいいサロンでした。

■ぽんゆう女子会(2019年12月11日)
小学校時代の同級生のミニ同窓会(ぽんゆうサロン)を時々湯島で開いています。
今回は、秋にフランスの有機農業を見に行ってきた霜里農場の金子友子さんの報告会を開く予定でしたが、なぜか男性たちはみんな病院通いでダメだったので、集まったのは女性だけでした。
男性は私だけになったので、躊躇していたのですが、霜里農場の手づくりおにぎりを食べさせてやると言うので、参加しました。

ところが肝心の友子さんが忘れてしまっていて、連絡して湯島についたのが2時間後でした。
そのため、お目当てのおにぎりは食べられませんでした。
美味しいリンゴは食べられましたが。
まあこの歳になるとこういうことはよくあることです。

しかし、女性たちはみんな元気がいい。
私は話に入ると場をこわしかねないので、片隅で小さく話を聞いていました。
友子さんがフランスで小学校の給食に有機野菜を採用したまちの市長を呼ぼうと言い出しました。
そのお鉢が私にまわってきました。
困ったものですが、ちょっと面白いかもと思って、うっかり引き受けてしまいました。
さてまずは資金集めからです。
興味のある人、協力してくれる人がいたらご連絡ください。

おにぎりにつられて、場違いの女子会などには参加してはいけません。
しかも、肝心の友子さんが忘れていたので、おにぎりは食べられませんでした。
美味しいリンゴは食べられましたが。

■ストーリーテリング協会研究会(2019年12月11日)
ストーリーテリング協会の新しいプログラム開発の研究会はなかなか進みませんが、いろんな気づきがあります。

■生活哲学学会2回目の講義(2019年12月14日)
テーマは前回につづき「生活視点からの事業構想」。
またまた内容を盛り込み過ぎてしまいました。
社会構造原理が大きく変わりつつある現在、これまでの経済や経営の発想を転換しなければいけないというメッセージを、この30年、いろんな場で話してきましたが、なかなか伝わらず、もうやめようと思っていたのですが、久しぶりに話をさせてもらい、今回はちょっと手ごたえを感じました。
終わった後、3人の方が「ワクワクした」とか「ちょっと変わった」と言ってくれたのです。
私のキーワードは「楽しい」ですので、この講座に来るのが楽しくなってもらえればいいのです。
人は楽しくなれば、変わっていきますから。

マネタリーエコノミクスの呪縛を離れて、事業の捉えた方や進め方を変えた、社会のチェンジ・エージェントとしての市民起業家が各地に出てくれば、社会は変わるでしょう。
NPOは、たぶん社会を変えるプロジェクトに失敗したと私は思っています。

(2019年12月第1週)
■我孫子まちづくり編集会議公開プレイベント(2019年12月1日)
■『「無門関」の教え』をようやく読み終えました(2019年12月2日)
■発達障害の当事者支援者の2人の来訪(2019年12月3日)
■宇宙大好き女子の来訪(2019年12月3日)
■ユニクロに買い物に行きました((2019年12月4日)
■生活哲学学会の2回目の講義資料(2019年12月6日)
■小森さんと野上さんとの会食(2019年12月7日)
■BMSサロン「ローマ法王来日に思ったこと」(2019年12月7日)

■我孫子まちづくり編集会議公開プレイベント(2019年12月1日)
地元の「我孫子まちづくり編集会議」の公開ミニイベントを開催しました。
外部にも呼び掛けながらの集まりでしたが、残念ながら新たな参加者は友人つなぎのおふたりでした。
それも午前中にやった事務局会議への参加でした。
午後のイベントはどうも主旨がうまく伝わっていなかったようです。
今回は手賀沼台船灯篭プロジェクトのプレイベンとしての撮影会でした。
参加者が少なかったので、中高生に交じって、私も出演する羽目になってしまいました。
演出監督撮影は、櫻井さんです。
櫻井さんはもう40年も映画の世界にいるので、着物や刀などの小道具も持ってきてくれ陣頭指揮で撮影しました。
手賀沼に伝わる民話「新之丈と日女若の悲恋物語」を水上ねぶたの最初の題材に取り上げています。
私はサンダルで行ったのですが、それでもいいと言うので、よくわからないままキャストになりました。
部分撮りが編集されると意味のあるシーンになるのでしょう。
まちづくり編集会議の考えはかなりみんなに伝わってきました。
新たに参加したおふたりも、力強いメンバーになってくれました。
新しい住民活動のスタイルを生み出していきたいと思っています。

■『「無門関」の教え』をようやく読み終えました(2019年12月2日)
だいぶ前から読み始めてなかなか読み進めなかった本があります。
山川宗玄禅師の説法をまとめた「無門関の教え」です。
テレビの「こころの時代」の山川宗玄禅師の話を見て禅への関心を持ったことを、ブログに書いたら、早速、岐阜の佐々木さんが送ってきてくれたのです。
20ほどの公案を材料に、山川禅師がアメリカで行った法話をまとめた本です。
読み出しましたが、歯が立たない。

消化できないままに、寝る前に時々読んでいました。
何とか理解しようとしているうちに眠くなる。
そして、昨夜、夜中にまた目が覚めてしまい、おかげでようやく読み終えました。
最後の章が「首山竹篦」。
そもそもこのタイトルさえ、私には読めませんでしたが、「首山」は禅師の名前、「竹篦」は「しっぺい」と読んで、「たけべら」のことです。
恥ずかしながら、まだよくわからない。

しかし、そこにこんな話が書かれていました。
首山禅師が、師の風穴禅師から後継者として認められた時の話です。
ある時、風穴禅師が弟子たちに「釈迦は説いて説けないものが法であるといったけれども、おまえたち、その不説の法をここで提示してみよ」と問うたそうです。しかしだれも答えられない。その時、首山禅師は突然立ち上がって、そのまますっと禅堂の方に帰ってしまった。それを見て、風穴禅師は「首山、ついに悟ったな」と言ったそうです。
何のことか全くわからない。
それで昨夜はますます眠れなくなってしまい、今日はまた寝不足です。

しかし目が覚めて、突然にその意味がわかったのです。
ただし、説明はできません。
その後に出てくる山川禅師の話とつながったのです。
その話は、とても分かりやすい話です。

山川禅師の法友の僧のところに、毎日、愚痴などを話しにやってくるおばあさんがいた。
その僧は、いつもただ聞いているだけだったそうです。
しばらくして、そのおばあさんが亡くなった。
葬儀を終えた後、おばあさんの親戚がやってきて、おばあさんの遺言を伝えてくれた。
おばあさんはすべての財産を、その僧にもらってほしいと言ったそうです。

これと首山禅師の行動とどうつながるか説明はできませんが、「不説の法」ということが体感できました。
「不説の法」とは、説く法ではなく、顕れた法なのです。

理解できなくてもわかることがある。
理解できなくても、心に伝わってくるものはある。
読書にも、「不説の法」というのがあるようです。
読むことなく机の上に置いておいただけで、伝わってくることがある。
しかし、難解だった「無門関の教え」は、いつかまた改めて読みましょう。
もう少しわかるかもしれません。

■発達障害の当事者支援者の2人の来訪(2019年12月3日)
自分も発達障害を持ちながら、発達障害者の支援活動を全国的に展開している冠地さんが、ぜひ私に紹介したい人がいると言って、下さんと湯島に来ました。
下さんにぜひ湯島でサロンをさせてほしいというのが目的でした。

下さんも、冠地さんと同じく、当事者支援者です。
それも最近いささか軽い意味でつかわれているピアサポーターではなく、しっかりした支援活動に取り組んでいて、そうした活動をしっかりと社会に定着させていきたいと考えている人のようです。
どの世界もそうですが、福祉の世界も当事者同士が一番相互に足を引っ張りがちで、根底に埋め込められた「差別意識」から抜け出られないような気がしますが、発達障害の世界も例外ではないようです。
いろいろと話し合いましたが、私ができることはなかなか見つかりません。

とりあえず、湯島でサロンを開いてもらい、そこから公開フォーラムへとつなげていければと思っています。
それにしても、障害者とか当事者とか、本当にややこしい。
みんな同じような存在なのに、どうして「名前」をつけて区別(差別)したがるのでしょうか。

■宇宙大好き女子の来訪(2019年12月3日)
湯島で、天文学のサロンをやってほしいという要望があり、メーリングリストやフェイスブックで呼びかけたのですが、サロンに時々くる浦井さんが候補者がいると言って姪を連れてきてくれました。
大学生とは聞いていましたが、天文学を専攻している人だと思い込んでいました。
やって来たのは、そうではなくて、将来は声優志望のアニメファンの、宇宙大好き女子でした。
サロンの話し手として大丈夫かどうかもあって、浦井さんは同行してきたのですが、湯島のサロンは話したい人は誰でも歓迎なのです。
即座に決定。

その後はかなりプライベートな話で盛り上がりました。
このおばさんと姪は実にいい関係です。
おばさんは、優等生的に育てられている姪の行く末を心配しているようです。
あまり暴露するといけませんので、話の内容は書きませんが、ちょっと責任を意識しないといけないような羽目になってしまいました。

■ユニクロに買い物に行きました((2019年12月4日)
私は妻がいなくなってから、衣服をほとんど買いません。
それでだんだん着るものがなくなってきてしまいました。
それで娘に頼んでユニクロに連れて行ってもらいました。
1000円のタートルネックのシャツを3枚買ってきました。
これで今年の冬は大丈夫でしょう。
ちょっと寒いかもしれませんが、まあだいじょうぶでしょう。
ジャケットも買いたかったのですが、ユニクロのジャケットはさすがに私には向いていません。
最近は、着たことのないジャケットを探し出してきて着ていますが(私はジャケットが嫌いでしたので買ってもほとんど着ませんでした)、みんな古いので着心地がよくないのです。

■生活哲学学会の2回目の講義資料(2019年12月6日)
先週行った生活哲学学会の講義の2回目が来週あります。
そのためのパワーポイントを作成しました。
4回シリーズですが、もう一度、講義をしっかりやりたいと思っています。
テーマは「シビックビジネス」を構想し計画化し、実現することです。
収益目的のビジネスではない「シビックビジネス」の考えをどのくらい伝えられ、その気にさせられるかは確信が持てませんが、これまでのような貧しいビジネスの呪縛からは解放させてやりたいと思っています。

3回目以降は、しかし、実際に事業計画をそれぞれに立案してもらいます。
そこをどう進めるか、いささか悩ましいです。
でもまあ3回目は年明けなので、悩むのは年明け後にしようと思います。

■小森さんと野上さんとの会食(2019年12月7日)
生活哲学学会の野上さんが小森さんと一緒に湯島にお弁当持参でやってきました。
手作りのさんまの炊き込みご飯です。
先日、さんまの話題が出たのです。
骨まで食べられる健康食です。
生臭さもぬけていておいしかったです。

生活哲学学会のプログラムを来年から基本から見直すと野上さんは考えています。
まあそんなこんなで、いろんな話をしました。
小森さんはまだ事務局ではありませんが、前回、私の講義に参加してくれました。

いろいろと話しているうちに、いろんなつながりがわかってきました。
世間は狭いもので、お互いに名前を出すと、どこかでつながっているのです。
いい話もあれば悪い話もある。
まさに世界は、被とのつながりの輪です。

野上さんはごぼう茶まで持参しました。
美味しいごぼう茶でした。
私は先日、友人が持ってきてくれた紅茶のマリアージュを出しました。
野上さんはよく知っていました。
紅茶のマリアージュは、湯島を開いた時に、友人の小山石さんがその輸入にかかわったと言って持ってきてくれた懐かしい商品です。
私も久しぶりに飲みましたが、美味しかったです。

若い小森さんの生き方はいささかストレートすぎますが、話していて昔の自分を思い出しました。
どこかで壁にぶつかりかねません。
でもまあそれが素直に生きるということでしょう。

2人ともそのまま午後のサロンにも参加してくれました。

■BMSサロン「ローマ法王来日で思ったことを話し合いませんか」(2019年12月7日)
ローマ法王の来日から10日ほどがたちましたが、このままだと忘れられてしまうのではないかと思い、湯島でのBMSサロンで法王来日で何を考えたのかの話し合いを持ちました。
参加者は私を入れて9人でした。
この活動を始めるきっかけになった本間さんも参加してくれました。


最初に、簡単にそれぞれの感想を話してもらい、話し合いになりました。

人それぞれで、いろいろな気付きをもらいました。
法王来日の報道記事をしっかりと読み込んで、そこから学んだことを紹介してくれる人もいましたし、いろんな気づきを私たちに与えてくれたという話もありました。
間違いなく、法王来日は日本に何かを残してくれました。

そればかりではなく、ローマ法王来日が決まって以来、いろんな人がいろんな活動に取り組んでいます。
たとえば、私の地元の我孫子市では毎年年末に平和の集いをやっていますが、今年はそこでモノオペラ「焼き場に立つ少年」を上演しました。
「焼き場に立つ少年」は、今回の法王来日で改めて注目された写真です。
サロンでは、実際にその集まりに参加した鈴木さんから紹介がありました。
こうした動きはたぶん日本各地で行われているのでしょう。
気をつけて報道に注意していれば、そうしたことに気づくでしょう。
本間さんの呼びかけもそうしたことの一つです。

しかし、にもかかわらず、法王来日はもう過去のニュースとして忘れられつつあるようにも思います。
来日前のさまざまな活動も個別で終わり、つながって大きな運動にならなかったことが残念です。
それはもしかしたら、やはりローマ法王来日はキリスト教世界のことと捉えている人が多いからかもしれません。

広島の友人が、こんなメールをくれました。

長崎・広島へローマ教皇が訪問され日本が『井の中の蛙』状態にあることを表明されたように私は受取りましたが、蛙の面に○○○○でしょうか。(*_*;

私もそんな気がしています。
話し合いではこんな意見も出ました。

戦争の時の核使用のヒロシマ、ナガサキと日常時の核事故のフクシマは違う。
法王が本当に核廃絶を願うならフクシマの現場にこそ行って、その現場映像を世界に発信してほしかった。
帰国時の飛行機の中での発言から、法王は日本に来て学んだと思う。しかし、私たちは学んだのだろうか。

20代の若者からは思いがけない発言がありました。
そもそもこの人(法王のこと)がおもしろくない(魅力を感じさせない)のであまり報道も見ていない。
アンデルセンの「裸の王様」を思い出しました。
若者にとっては、ローマ法王という言葉はなんの威力も発しないようでした。
いや逆にマイナスの価値しか持っていないのかもしれません。

核兵器と原子力発電は同じものかどうかの話も出ました。
「核時代」ということを私たちはもっと意識すべきだという本間さんの呼びかけを、私たちはしっかりと受け止めなければいけません。
「原子力の平和的利用」ということの欺瞞性にいち早く気づき、原子力時代に我々がものを考えなければ大変なことになると警告していたハイデッガーを思い出さなければいけません。
このテーマは来年、改めて取り上げていきたいと思います。

私は3つのことを感じました。
まず失望です。
法王も政治の枠の中でしか動けなかったのではないか。
なぜ「首相に会いながら核兵器禁止条約」への署名を働きかけなかったのか。
なぜ袴田さんに会わなかったのか。
そして、仏教関係も含めて、宗教団体の動きがなかったことにも失望しました。
しかし一番失望したのは、報道の姿勢です。
2つ目は不安です。
法王を迎える人たちのあの熱狂ぶりです。
いまの時代の宗教とはなんだろうかと、改めて興味を持ちました。
3つ目は、やはり私には何の感動も起こらなかったということです。
フランシスコ法王はたしかに魅力的な人ですし、親しみを感じます。
その発言には共感もしました。
しかし、法王のスピーチを聞いても私の心身は動きませんでした。
シナリオに沿って演じているように思えてしまったのです。

であればこそ、法王のメッセージを受けとめて、できることをやっていかなくてはいけません。
そんなわけで、来年も時々、「核時代」や「宗教」を切り口に、こんな集まりを続けたいと思います。
引き続き参加いただけるとうれしいです。

本間さんの呼びかけメッセージを無駄にしたくはありませんから。

(2019年11月第4週)
■スーパークールメディア事業(2019年11月24日)
■CWSサロン「次世代原発 小型モジュール型原子炉の可能性」(2019年11月24日)
■妻の十三回忌(2019年11月26日)
■歯科検診(2019年11月27日)
■「資本主義と闘った男」を読みました(2019年11月28日)
■東レ時代の旧友たちとの会食(2019年11月29日)
■生活哲学学会プログラム第1回講義(2019年11月30日)

■スーパークールメディア事業(2019年11月24日)
お茶の水大学教授の半田さんが関わっている学生たちのグループが、日刊工業新聞主催のキャンパスベンチャーグランプリという日本で最大規模の学生向けビジネスコンテストで勝ち抜いて、東京大会で決戦をすることになりました。
そのプレゼンを外部からいきなりはじめて聞く立場として聞いてくれないかと半田さんから連絡がありました。
半田さんの依頼であれば、断れません。
聴かせてもらいました。
テーマは「スーパークールメディアの創出・育成事業」。
キーワードは「空白」です。
最近流行の流れとはかなり違います。
私自身はとても面白いと思いましたが、現実のビジネスのど真ん中にいる人たちにはまったく理解されないだろうなという気がしました。
しかし、なかにもしかしたら、選考委員のなかにも知性を持った経営者や大学教授がいるかもしれません。
一人でもそういう人がいたら、ポンと10億円くらい出してくれるかもしれません。
そういうこともないわけではありません。

プレゼンに関するコメントをさせてもらいましたが、さてどうなりますか。
いずれにしろ、グループの若者にはいい機会だろうと思います。
いまの多くの学生の世界はあまりにも狭いですから。

■CWSサロン「次世代原発 小型モジュール型原子炉の可能性」(2019年11月26日)
次世代原子炉の一つとも言われている「小型モジュール型原子炉」についての学習型サロンは残念ながら5人の参加者しかありませんでした。
しかしそのおかげで、じっくりと学ぶことができるサロンになりました。
質疑応答が中心でしたので、学習型サロンの良さにも改めて気づきました。

技術士〔原子力・放射線部門〕である畑さんは、公開ベースの資料をたくさん用意してくれて、ていねいに解説してくれました。
参加者の多くは、かなり原子力発電に詳しい人たちでしたが、私のように知識がほとんどない人でもかなり理解できた気がします。
もちろん技術的な話だけではありません。
安全性の話やエネルギー自給の話もあり、社会のあり方や未来を展望した話も出ました。

私が知らなかったこともたくさんありました。
私の反原発姿勢はまだ変わりませんが、ちょっと見方が変わったことは事実です。
「知ること」で考えは変わるものです。

今回、私が感じたのは、技術要因と人間要因の関連性をもっときちんと捉えていかなくてはならないということです。
私のような右脳型の人間は、感覚的に反原発になってしまい、肝心の技術要因への関心がどうしても弱くなります。それなりに科学技術に関しては勉強をしてきたつもりですが、原子力に関しては、受け売りの知識がほとんどです。
受け売りの知識はすぐに揺れ動きますので、行動の基軸にはなりません。
それに、そもそも人が知りうる知識など、本当にわずかなものでしかありません。

いずれにしろ、次世代原子炉への動きは、世界的には進んでいるようです。
ただ反対するだけではなく、やはりきちんと動きをつかんでおかないといけないと改めて思いました。
話の内容を報告するだけの知識や評価力はありませんので、報告はできませんが、私には「学び」と「気づき」の多いサロンでした。

なお、畑さんは資料を何部か置いていってくれました。
関心のある人は湯島に来た時にお渡ししますので、ご連絡ください。

学習型サロンは来年から時々開こうと思います。
関心のあるテーマがあればご連絡ください。
先日、要請があった「宇宙のダークマター」問題も実現できるかもしれません。

■妻の十三回忌(2019年11月26日)
遅れていた十三回忌をようやく行うことができました。
宝蔵院にお願いして法要してもらいました。
寒い日で本堂も寒かったですが、節子の孫のにこもきちんとお焼香もできました。
宝蔵院のご住職もいい僧侶に育ってきました。

13回忌を過ぎると節子を守る仏も金剛界の大日如来に変わるそうです。
17回忌になると、今度は胎蔵界の大日如来にバトンタッチだそうです。

今回の手配は娘がしてくれました。
これでもういつでも私を送る手続きも大丈夫でしょう。
法要後、みんなで久しぶりに中華料理を食べに行きました。
妻がいたころは、時々、家族みんなで中華料理も食べに行きましたが、妻がいなくなってからはほとんど行かなくなってしまいました。
今日は柏の銀座アスターだったのですが、何やら中華らしからぬ中華で、私の好みではありませんでした。
最近の料理は、私にはどうもスマートすぎて温かみを感じません。

それにしてももう13年目。
最近私にも気力が戻ってきましたが、あっという間の13年でした。
いや、長い長い13年と言ってもいいかもしれません。
13年が過ぎたので、これからはちょっとまた気分を変えていこうと思います。

それにしても今日は冬のような寒さでした。

■歯科検診(2019年11月27日)
定期的に行っている歯科医の定期検診にまた通いだしました。
近くのいしど歯科医です。
わが家は全員、いしど歯科医に定着しました。
ここに任せていると歯は安心です。

前回の検診の時に、石戸先生の息子さんの書いた処女出版の書籍を教えてもらいました。
それがとても面白かったと伝えたら、その後、私とは少しずれて検診に行っていた娘を介して、「百田尚樹という社会現象」という特集記事の載ったニューズウィークを届けてくれました。
とてもよくできた論評でした。

石戸医師夫妻にお礼を言いましたが、ゆっくり話す時間がなかったのが残念です。
医師と患者の関係は難しいです。

■「資本主義と闘った男」を読みました(2019年11月28日)
最近、なぜかちょっと忙しくなっています。
にもかかわらず、いささか深刻な問題が周辺で多発、私自身も決行、精神的に疲労感を持っていますが。
今日もこなすべき課題がたくさんあって、大丈夫かなと思っていたのですが、昨夜から「「資本主義と闘った男」を読みだしたら、これが実に面白いのです。
宇沢弘文の評伝です。
それで今日は朝1時間だけ読もうと思っていたのですが、読み出したら止まらなくなってしまい、結局、夕方近くまでかかって読み上げてしまいました。
600頁を超す厚い本です。
そんなわけで、準備すべきことがほとんどできなくなってしまいました。
困ったものです。
しかしこれまで少し不思議に思っていた宇沢さんのことがほぼ納得できました。
私が、経済学が嫌いな理由も納得できました。

■東レ時代の旧友たちとの会食(2019年11月29日)
東レ時代の同期生が我孫子に住んでいます。
彼から私も知っている同僚が来るので一緒に食事をしないかとお誘いがありました。
私たちより1年後輩の及川さんです。
及川さんには一時期、コムケア活動にも協力してもらったことがありますが、何故かある時に突然交流が途絶えてしまいました。
ずっと気になっていた友人です。

久しぶりに会った及川さんは、風貌はそれなりに変わっていましたが、話しているうちにむかしと全く変わっていないのがよくわかりました。
いろいろと話が出ましたが、意外だったのは「古代文学の表記法」で話があってしまったことです。
今度予定している万葉集サロン番外編に参加してもらうことになりました。

■生活哲学学会プログラム第1回講義(2019年11月30日)
生活哲学学会のプログラムで、4回連続の講座を引き受けてしまっていたのですが、今日はその第1回目です。
久しぶりに背広に靴を履いてでかけました。
背広はともかく、久しぶりの靴は疲れました。
会場はお茶の水女子大学です。
テーマは『シビルアントレプレナーシップのすすめ』です。
正式のタイトルは「生活哲学の視点から事業を構想する」ですが。

午前から午後の長丁場でしたが、参加者とのカジュアルな雰囲気の中で、楽しく進めさせてもらいました。

すでに事業展開している女性が多いのですが、なかにまだ事業に取り組んでいない若い男性やお茶の水女子大学の学生もいました。
たぶん多くの人が考えているだろう事業観や経営観とは違うので、異論もあったかと思いますが、まあ楽しい時間が過ごせたと思います。
途中、トイレ掃除問題をめぐり「激論?」があり、事務局の人は心配したようですが、激論のないワークショップは退屈です。

終了後、25歳の男性から、「自分の生き方は間違ってないんだなと、再確認出来ました」とメールをもらいました。
私と同じ生き方をしている若者がいる!
そのメールだけで、今日、話をしたことが報われた気分でした。

今回の講義では、宿題も出しました。
次回は12月14日です。
早目に少し準備しようと思います。

(2019年11月第3週)
■我孫子まちづくり編集会議ミーティング(2019年11月17日)
■本間メッセージの公開(2019年11月17日)
■桜木神社へにこ七五三詣(2019年11月19日)
■CWS放送局(2019年11月19日)
■CWSサロン「日本国憲法の制定経過」(2019年11月19日)
■有井農円のニンジンジュース(2019年11月20日)
■基之さんから登亭のうなぎをご馳走になりました(2019年11月21日)
■ほっとスマイルプロジェクトメンバーでのコミー訪問(2019年11月22日)
■CWSサロン「小学生の過ごし方が大人なった時に与える影響」(2019年11月23日)

■我孫子まちづくり編集会議ミーティング(2019年11月17日)
中高生4人と2歳の超若手を含む13人が参加しました。
子育て中の若い世代、ちょっと疲れ気味の中高年者、私のように間もなく終わりそうな高齢者、とこれほど多世代のメンバーのグループもめずらしいと思いますが、議論も盛り上がりました。
今回は柏から井坂さんも参加してくれました。
組織化はなかなか進まないのですが、それでもちょっと進みました。
中高生も自ら手をあげて事務作業も引き受けてくれました。

行政区に縛られることなく、生活感覚で舞台や参加者も広げていこうという趣旨もほぼ同意され、それに従って、組織名もしばらくは我孫子のタイトルを頭に置かずに、「まちづくり編集会議」とし、その後ろに必要に応じて地域名を入れることにしました。
たとえば、「まちづくり編集会議・我孫子」「まちづくり編集会議・柏」といった感じです。
これもまあ過渡的なもので、組織の実体の成長とともに見直していく予定です。
そこから、「ちばらき」のような独自の名前が生まれるかもしれません。
今回も、「あびかし」という名前も話題になりました。

来年開催目標の手賀沼での新しいお祭り企画は大きな進め方が合意されました。
12月1日に手賀沼湖畔の水の館で、プレイベントを開催しますが、そうしたプレイベントを外部にも呼び掛けて継続させながら企画を深め、仲間を広げていき、来年の2月には公開のキックオフイベントを開催することにしました。
プレイベントも広く呼びかけていく予定です。
お近くの方はよろしければぜひ仲間になってください。

このプロジェクトに並んで、もう一つのプロジェクト「あびこの未来を考えるサロン」(仮称)も取り組むことになりました。
これは今回の市議選の時に(今日が開票日です)、一部の立候補にも呼びかけさせてもらいましたが、それをまちづくり編集会議として主催していこうということです。
そこに、まだ選挙権のない中高生にも参加してもらいたいと思っています。
その活動の目標として、来年末には市民に呼びかけての公開フォーラム「我孫子の未来を話し合おう」を実現したいと思います。
ほかにも、メンバーの誰かが提案したら、いろいろとみんなで実現していこうという大きな方針も合意された気がします。

仲間をどんどん増やしてきたいので、この記事をご覧になった方でご関心がある方がいたら、ご連絡ください。
みんなで取り組む「まちづくり」を目指していきたいと思います。
どんな展開になっていくか、まったく見えていませんが、楽しみです。

■本間メッセージの公開(2019年11月17日)
先日、収録した本間さんのメッセージをユーチューブで公開しました。
津語のような呼び掛け文をつけて。

いよいよ来週、ローマ法王が来日し、広島と長崎を訪問します。
人類が生存の危機に直面している核時代にあって、世界唯一の被爆地から法王がどのような発信をするかは、まさに未来の方向を決めていく大きな意味を持っています。
私たちも、ローマ法王の来日を一過性のイベントで終わらせることなく、これを機会に、これまでのように核被害の「受忍」にとどまることなく、きちんと歴史に向き合い、法王と共に、人類生存の橋を懸ける行動を起こさなければいけないのではないか、という本間照光さん(青山学院大学名誉教授)の提案で、先日湯島でサロンを行いましたが、もっと広く多くの人に呼びかける必要を感じて、改めて本間さんの呼びかけを収録して公開することにしました。

まずはその要約版をご覧ください。
https://youtu.be/UeqlOlpSYGg
お時間の許す方はもう少し詳しい本編をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch…

本間さんに呼びかけに応えて、「核時代に懸ける人類生存の橋」をテーマにみんなで話しあえるような場や公開フォーラムも企画していきたいと考えています。
しかし、まずは多くの人に本間さんの呼びかけをお聞きいただきたいと思います。
まわりの人にもぜひご案内いただき、この記事も拡散してもらえればと思います。

■桜木神社へにこ七五三詣(2019年11月19日)
昨日は孫の七五三詣で、野田の桜木神社にお参りしました。
桜木神社というだけあって、この季節にも桜が咲いていました。
よくみると「七五三桜」とかいてありました。
そんな桜があるのを初めて知りました。

最近、孫との関係が難しく、全員写真のほかには孫との写真は拒否されてしまいました。
最近、孫が人形などを欲しがっていますが、私の趣味ではないので、買ってあげていません。
それが原因かもしれません。
困ったものです。

お詣りの後、みんなでお寿司を食べました。
にこのお寿司屋さんデビューでした。
回転ずしでしたが。
にこは4巻も食べました。

■CWS放送局(2019年11月19日)
CWSを拠点に「みんなのメディア」づくりをもう一度考えてみようという気になってきました。
先日の本間さんのメッセージの制作と発信に協力してもらった近藤さんと一緒に、まずはCWS放送局を立ち上げようと思います。
メッセージを発信したい人のためのメディアで、どこにも属さない市民みんなのメディアを目指したいと思います。
年内に大枠を決めて年明けからスタートしたいと思っています。

■CWSサロン「日本国憲法の制定経過」(2019年11月19日)
弁護士の秦悟志さんに、日本国憲法の制定経過をお話しいただくサロンは平日の夜でしたが、9人が参加。若い世代の男女の参加もありました。
私はそれだけでもお願いしてよかったと思いました。

サロンにも書きましたが、「押しつけ憲法」論が横行しがちですが、現行憲法の制定経過をもっときちんと把握する必要があるというのが秦さんの思いです。
秦さんは10頁にわたる詳細な年表を作成してきてくれて、それに沿ってていねいに日本国憲法の制定経過を説明してくれました。
それも単なる年表ではなく、そこに関連情報が的確に整理されて要約されています。
当時の日本の政府関係者や学者、あるいはオピニオンリーダーや国民の意識状況や情報環境もかなりしっかりと読みとれる年表です。
この年表をきちんと読めば、憲法が押し付けられたなどとはそう簡単には言えなくなるでしょう。

資料の最後に、現行憲法の99条(憲法尊重擁護義務)とその自民党憲法改正草案の102条の条文が紹介されていました。
ここに私は秦さんの思いが込められているように感じました。

秦さんのお話を要約することはできませんが、私は2つのことを改めて知りました。
ひとつは、鈴木安蔵さんたち憲法研究会の憲法草案要綱が1945年12月に日本政府とGHQにしっかりと届けられていたことです。
憲法研究会の憲法草案要綱はとても共感できることが多く、それがまさかGHQに正式に届いていたとは知りませんでした。

もう一つは、日本国憲法が国会によって可決され、公布された後、マッカーサーから吉田首相宛に、日本人民が憲法改正を必要と考えるならば、憲法施行後の初年度と2年度の間に国民投票の実施が必要だろうと伝えていたということです。
しかし当時の政治家からは憲法改正の声は上がらず、憲法再検討問題は立ち消えになったそうです。
こうした事情を踏まえて考えれば、「誰が」「誰に」押し付けたのかも違ったように見えてきます。

話し合いもいろいろと行われましたが、それをまとめるのは難しいので、一点だけ私が特に重要だと思うことを書かせてもらいます。

まず、これは話し合いも行われたのですが、憲法はだれに向けたものなのか、平たく言えば、憲法は誰を規制するルールなのか、という問題です。
私たちの世代は、憲法は権力者(政府)を規制するものであると教えられてきました。
ですから湯島のサロンでも、そういう思いで憲法を語る人が少なくありません。
しかし、もしそうであれば、憲法で規定するべき義務は統治者の義務であるべきですが、日本国憲法には、就業の義務、教育の義務という国民の義務も明記されています。
この矛盾を説明するために、たとえば就業や教育の義務は「法的義務」ではなく「道徳的義務」だというようなおかしな説明が行われてきています。
憲法には、ほかに「納税の義務」と「憲法尊重擁護義務」(99条)という2つの義務規定がありますが、この2つは「法的義務」だとされています。
同じ法律の中に意味が違う同じ言葉があることは、少しでも法律を学んだ人ならおかしいと思うはずですが(それでは法治主義が成り立ちません)、日本の憲法学者や法律学者はそう思っていないようです。
そこに日本の法学および法学者の本質が象徴されているように思います。

日本国憲法には、統治者(政府)あてのものと、被治者(国民)あてのものが混在しているのです。
決して政府だけを規制しているわけではありません。
そして、そこにこそ、日本国憲法がGHQ主導でつくられた制定過程と無縁ではない問題があると思います。
現行憲法の制定過程をしっかりと学ぶことで、現行憲法の問題が見えてくるのです。

秦さんは最後に、大切なのは「立法事実」だと言いました。
立法事実とは、その法律の必要性を支えている事実です。
押し付けられたかどうかよりも、そうした立法事実や法の目的こそが大切です。
そうした点をおろそかにしてしまうと、今度は政府からの押しつけ憲法ができてしまいかねません。
秦さんが最後に2つの条文を紹介したことに、私はそうしたメッセージを感じました。

憲法は私たちの日常生活とは遠い存在と思いがちですが、決して遠い話ではありません。
多くの人に、憲法を読んでほしいと思います。
私たちの生活を支えているのは、憲法なのですから。

■有井農円のニンジンジュース(2019年11月20日)
先日、埼玉県小川町の霜里農場に行ったときに、霜里農場で実習した有井さんのところにも立ち寄らせてもらいました。
その有井さんから頼まれたと言って、月に何回か手伝いに行っている溝端さんが有井農園で商品化しているニンジンジュースをもってきてくれました。
美味しいジュースでした。

■基之さんから登亭のうなぎをご馳走になりました(2019年11月21日)
胃がんの手術をした小学校時代の友人が、少し元気になったと言って湯島に来てくれました。
と言っても完治したわけではなく、いま “オブジーボ”治療をしようかどうか迷っているのです。

治療に関するアドバイスはとても難しいです。
人によって考え方も治療効果も違うからです。
彼は一人暮らしなので相談相手がいないので大変なのです。
ただ話し相手になるだけでも役に立っていると思って、彼から要請があれば、スケジュールを変えてでもあうようにしています。
でも今回はだいぶ元気そうで安心しました。

彼と久しぶりに御徒町の登亭でうなぎを食べました。
登亭にもいろんな思い出があります。

■ほっとスマイルプロジェクトメンバーでのコミー訪問(2019年11月22日)
久しぶりに西川口のコミーを訪問しました。
と言っても、今回は会社というよりも、社長の小宮山さんが代表をつとめる国際箸学会がお目当てです。
湯島で毎月集まっているほっとスマイルプロジェクト(全世界に笑顔を!)のメンバーが、箸ゲームを広げようとしている小宮山さんとその会社に興味を持ち、箸学会ツアーが実現したのです。
箸だけではなく、コミーの会社を社長自らの案内で見せてもらいました。
コミーでは毎日社員が箸ゲームをやっていますが、その様子も見せてもらいました。
ツーありがとうございました。参加者はみんなコミーのファンになりました。
会社には迷惑をかけたと思いますが、ツアー一行は全員箸学会に入会し、この箸ゲームを広げようと言い出しています。
参加したのは私を除き全員女性。
女性のノリは、私のような冷静沈着な常識人には、ついていけません。
まあしかし、みんなが入会してしまったところを見ると、箸学会のことももっと広めていけば、入会者が増えるかもしれません
それに箸文化には、日本文化の心がこもっているような気もします。
そこで湯島でも近々箸と箸学会をテーマにしたサロンを開くことにしました。

■CWSサロン「小学生の過ごし方が大人なった時に与える影響」(2019年11月23日)
テーマの関係か、いつもと違って女性中心のサロンになりました。
しかも孫世代に関わっている女性が多かったです。
こういうところにも、いまの日本社会の現実が読み取れます。

かわさきさんは、なぜ学童保育活動に取り組むようになったかを話した後、子供を取り巻く現在の社会環境や子育てに関する最近の動きなどを紹介してくれました。
それを踏まえて、かわさきさんが主宰している「学童・子ども教室 まぁはす」の活動について、具体的に紹介してくれました。
かわさきさんは、小学生の過ごし方が大人なった時に与える影響の大きさを知って、この活動に取り組みだしたそうです。

「まぁはす」の基本理念は「体験に勝る学びなし」だそうです。
その理念のもとに4つの基本プログラムを展開しています。
「自然体験」「日本文化」「外国文化」そして「地域交流」です。
この4つの柱に、かわさきさんの思いが象徴されています。
他にもスペシャルプログラムがあり、年間でいえば、子どもたちのいろいろな関心事に合わせた100以上のさまざまなプロジェクトがあるそうです。
お話をお聞きしていて、いずれもかわさきさんのこれまでの多彩なキャリアを活かして体験的に開発されたプログラムであると感じました。
子ども視点での環境整備にも心がけていることもよくわかりました。

かわさきさんが、大事にしていることの一つが、子どもたちの「夢」です。
小学生の時期は、夢に向かって歩き始める時期でもありますから、かわさきさんはそれを大切にしているのです。
そして、子どもたちが持っている良さを引き出すのが、かわさきさんの仕事です。
子どもだからと妥協せずにできるだけ「ほんもの」と出合わせようとしている、かわさきさんの姿勢にも共感できます。

かわさきさんの話の後、みんなでの話し合いになりました。
今回は子どもに関わっている方も多く、参加者のお話も示唆に富むものばかりでした。
障害を持つ子どもたちに関わっている人も数名参加されていましたので、そういう話題も出ました。
「障害」をどう捉えるかの話もありましたが、立場によって、捉え方も微妙に違うことを知ることも大切だと、改めて思いました。

子どもの両親や家族の問題も出ました。
子育てにとって、家族や家庭の大切さですが、そこが分断されがちな今の子育て制度は考え直すべきではないかと私は思っていますが、みなさんの話を聞きして、改めてその重要さを確認できました。

制度に規制されることによる問題も話題になりました。
制度に合わせた子育てではなく、子ども視点での制度発想が必要だと思いました。
かわさきさんの取り組みの根底には、それがあると感じましたが、公の学校制度ではそれは難しいのでしょう。

食の話も少し出ました。
子育て(子育ち)や教育にとって、食ほど大切なものはないと思っている私は、食の問題にはもっと目を向けなければと思っています。
まだいろいろとあったと思いますが、このくらいで。

私が一番印象に残ったのは、かわさきさんが話した「渋柿の話」でした。
「まぁはす」では自然体験を重視していますが、たとえば渋柿が渋いなどとは教えないそうです。
まずは渋柿を実際に食べて、渋さを自分で体験するように仕向けます。
そして、その渋柿を干し柿にしていくと甘くなることも、自分たちで体験的に実感させるそうです。
翌年、次の子どもたちが入会してくると、渋柿のことを体験的に知っている先輩の子どもたちは、後輩の彼らに渋柿を勧めて食べさせ、その反応を楽しむそうです。
そうやって体験の知が伝わっていく。
同時に、学びの面白さや知識の大切さ、あるいは人間関係のつくり方も自然と身に着けていく。
そういう学びは、最近の学校から消えてきているのではないかと思います。

この話に関連して、子どもたちのグループが世代割りになっていることも話題になりました。
最近はそういうことの見直しも始まり、世代を通したクラス編成や世代間の交流の仕組みづくりも始まっていますが、まだまだ基本構造は変わっていません。
しかし、人は同世代で生きているわけではなく、むしろ多世代交流で生きているのです。

我田引水ですが、湯島サロンのような多世代の話し合いの場が、もっと増えてほしいですし、子どもの育ちの場にももっと多世代の人たちが関わっていけるようになるといいなと思いました。

子ども関係のサロンは、今年はあまり開催しませんでしたが、来年は少し力を入れていこうと思います。
話したい方、ぜひご連絡ください。

(2019年11月第2週)
■ストーリーテリング研究会(2019年11月11日)
■悩ましい提案(2019年11月11日)
■市議選が始まっています(2019年11月14日)
■本間さんのメッセージの収録(2019年11月14日)
■CWSサロン「コミュニティについて考えてみませんか?−アジアをめぐる旅から感じたこと」(2019年11月16日)
■久しぶりの小宮山さん(2019年11月16日)

■ストーリーテリング研究会(2019年11月11日)
新しいストーリーテリング/プログラムを開発するべく研究会を続けています。
話し合っていると、いろんなことに気づきますが、こんなにもコミュニケーションは難しいものかと改めて思い知らされます。
全員がある意味で、コミュニケーション活動を仕事にしているメンバーなのですが。

■悩ましい提案(2019年11月11日)
湯島のサロンは、みんなで育てるサロンですが、だいぶその文化が定着してきました。
今日は、湯島のホワイトボードが消しにくいのを気にしてくれた人が、わざわざイレイザーやマーカーを買ってきてくれました。
その心遣いがとてもうれしく、今日は元気が出ました。
コーヒーもいつも誰かが買ってきてくれます。
お菓子や飲み物も持ってきてくれる人も増えてきて、みんなでこのサロンを維持していくようにしたいという私の思いも少しずつ実現の可能性が見えてきています。
参加費は500円にしていますが、会費を出していく講師も少なくありません。
基本的には机の上にある箱に自発的に入れていくのですが、なかには1000円、時には1万円を入れていく人もいます。
古くなった椅子に関しても、寄付を申し出てくれる人もいますが、金額がかなり高いので、さすがの私もまだ寄付を受け入れる勇気はありません。
私がいなくなってもこの場所が残りサロンも継続できるようになれば、椅子の寄付も受けられるのですが、40万円で椅子を更新してもらったら、そう簡単に湯島を閉鎖することができません。
言い換えれば、私がなかなか死ねなくなるということです。
悩ましい問題です。

CWSコモンズ村という新しい結づくりは、妻の病死もあって、頓挫し、その後は心身共に自信が持てず、動き出せずにいました。
しかしがんばってもう一度、考えてみようかという気に、今日はなりました。
Mさんのおかげです。
たぶんMさんは私がそんな気になったとは気づいてもいないでしょう。
人は、思いもしないところで、人に影響を与えているのだと、今日改めて気づきました。

いろんなことがあって、サロンはやめようかと思うこともあるのですが、こんなこともあって、つづけられています。
湯島のサロンを支えてくれているみなさんには感謝しています。

■市議選が始まっています(2019年11月14日)
我孫子市はいま、市議会議員選挙の真っ只中です。
先日の私の呼びかけのせいではありませんが、立候補者である内田さんから、初の試みとして、みんなと我孫子の未来を話し合うミニワークショップを開催するという連絡がありました。
次のような集まりを広く告知しようと思い、チラシをもらいに事務所に行ったのですが、この種のチラシは立候補者は作成できないのだそうです。
いまの選挙制度のおかしさは、こういうところにもはっきりと出ています。
そういう制度に従っている立候補者も私にはおかしいと思うのですが。
それはともかく、私から広く告知するのはいいそうなので、フェイスブックで案内しました。
私は内田さんだけを支援しているわけではなく、まっとうな選挙活動をしている人はみんな応援するというのが私の基本姿勢です。

選挙とは単に投票することではなく、それを機会に自分の住んでいる町のことに思いをめぐらし、自分でできることを考える機会だと思っています。
さらに言えば、時代が大きく変わっている中で、自治体の議会とは何かについても考えるべきであり、選挙はそれを見なす絶好の機会でもあります。
国会のミニモデルのような議会のあり方や選挙のあり方は変えなければいけません。

残念ながら私はその日はビデオ収録のため参加できませんが、来年からは独自に呼びかけるプロジェクトを検討したいと思っています。

■本間さんのメッセージの収録(2019年11月14日)
いよいよ来週、ローマ法王が来日し、広島と長崎を訪問します。
人類が生存の危機に直面している核時代にあって、世界唯一の被爆地から法王がどのような発信をするかは、まさに未来の方向を決めていく大きな意味を持っています。
ローマ法王の来日を一過性のイベントで終わらせることなく、これを機会に、これまでのように核被害の「受忍」にとどまることなく、きちんと歴史に向き合い、法王と共に、人類生存の橋を懸ける行動を起こさなければいけないのではないか、という本間照光さんの提案で、先日湯島でサロンを行いましたが、もっと広く多くの人に呼びかける必要を感じて、ネットで本間さんの呼びかけを配信することにしました。
今日はその収録をしました。

■CWSサロン「コミュニティについて考えてみませんか?−アジアをめぐる旅から感じたこと」(2019年11月16日)
湯島のサロンの大きなテーマである「コミュニティ」についての話し合いを呼びかけた上田さんのサロンには10人が参加しました。

上田さんは8年ほど前にビジネスの世界から早期引退され、以来、それまでとは全く違ったテーマを持って、アジアの伝統社会をめぐる旅をつづけてきています。
今回は、アジアの伝統社会での住民たちとの暮らしで感じたことをもとに、私たちの生き方を起点に置いたコミュニティについて問題提起してくれました。

コミュニティを考えることは、私たちの根源的な思いや価値観を問い質すと同時に、日々の生活に直接かかわることであると上田さんは言います。
しかし、「コミュニティ」は簡単に共通の定義が見つかるテーマではありません。
それに、人によって「コミュニティ」の捉え方もさまざまです。
そこで上田さんは、アジアの伝統社会と日本の現代社会を行き交いながら感じた自らの「コミュニティ」体験を踏まえて、コミュニティに関連したさまざまな視点を紹介してくれました。

現在上田さんが一番共感できるコミュニティの定義は「帰ってゆきたい場所」です。
そこでは、家族のように生きている安心感があり、好き嫌いが重要ではない世界があると上田さんは言います。
アジアの辺境の集落に行くと、好き嫌いにとらわれることなく、みんなが家族のように生きている安心感を上田さんは感ずるそうです。
だからこそ、上田さんは繰り返し、そういう集落を訪ねているのでしょう。

そうした中で暮らしていると、人間ばかりか、自然、さらには霊との関係の中で、自分が生きていることを感ずるそうです。
そうした関係は、日本にいると「わずらわしさ」につながっていくのに、そこではむしろ喜びにつながっていく。
それは、自らの居場所が与えられることでもある。
そこには、自分だけが幸せになるのではなく、みんなが幸せになる世界がある。
上田さんは、そうした「関係の中で生きる夢のような時代」が、子供のころ(昭和30年代)には日本にもあったと言います。

そうした実体験を踏まえて、上田さんは、エーリッヒ・フロムが「生きるということ」で提唱した「to have」 と「to be」という2つの人の存在様式や、「中心と周辺」、「間主観性」、さらには「災害ユートピア」、そして「交響圏とルール圏」、あるいはインドのラダック地方をモデルに一時期話題になった「懐かしい未来」などの話を紹介しながら、コミュニティを考えるさまざまな視点を提出してくれました。
「家族」や「風土(関係の世界)」にも言及されましたが、それらの根底に上田さんは「愛」を見ているようです。

最後に上田さんは、自分にとってのコミュニティとして2つの要件をあげました。
それは、「みんなが関係する歓びが満たされている家族になってゆくこと」と「人だけではなく自然、霊との関係の世界(風土)をもつこと」です。
これが、自らの体験からでてきた上田さんの現在のコミュニティ観のようです。

そこから話し合いが始まりました。
「所有と関係性」「完結したコミュニティと開かれたコミュニティ」「日常と非日常における人間の関係性の変化」「地域社会のコミュニティと企業のコミュニティ」などさまざまな視点での話し合いがありました。
「家族とは何か」は、よく湯島でも話題になりますが、今回も話題になりました。
「開かれたコミュニティと完結するコミュニティ」も少し話題になりました。

被災地や巡礼で「コミュニティ」を実感した人も数名参加していましたので、そこでの体験話もでましたが、ちょうど一週間前にサンティアゴ巡礼から帰国した鈴木さんから、巡礼でいつも体験することも、ユートピ体験やコミュニティにつながるという話がありました。

コミュニティを切り口にすると、いろんなことが感覚的に見えてくるような気がします。
ユートピアもディストピアも、コミュニティの裏表かもしれません。
今回は表面(プラス面)からだけの議論でしたが、コミュニティの裏面も話し合いたくなりました。

上田さんは、最後に、「コミュニティ(コミューン)」をテーマに、継続的に話し合い行動する仲間と場をもちたいと呼びかけました。
湯島のサロンでも同じことを考えていたので、私は早速その呼びかけに応ずることにしました。

湯島サロンでは、12月に、今回も参加してくれた杉原さんの「時間意識と自殺予防?都市でのつながりをどうつくるか」を予定していますが、来年はじめには「ソーシャル・キャピタル」のサロンも企画中です。
また上田さんと相談して、研究会的なものも実現できればと思います。
関心のある人はぜひご参加ください。

■久しぶりの小宮山さん(2019年11月16日)
コミュニティサロンの後、参加していたコミーの小宮山さんと近くの居酒屋に行きました。
サロンに参加した井坂さんや小林さんも一緒でした。
最近、小宮山さんとの関係は良好です。
よく喧嘩はしますが、ある意味ではわかりあっているところがあります。
武田さんと同じですが、残念ながら、小宮山・武田・佐藤で一緒に食事は不可能でしょう。
人間関係は不思議なものです。

(2019年11月第1週)
■CWSサロン「網野史観から考える現代日本の〈別の選択肢〉」(2019年11月3日)
■霜里農場訪問(2019年11月4日)
■遅れてしまった妻の13回忌をすることにしました(2019年11月6日)
■BMSサロン「大型台風経験で思ったこと」(2019年11月7日)
■林夫妻とランチ(2019年11月8日)
■我孫子市市議会選挙が始まります(2019年11月9日)
■阿部プロジェクト改めてのキックオフ(2019年11月9日)
■第5回万葉集サロン「柿本人麿の〈われ〉の喪失‐人麿の詩のかたち「泣血哀慟歌」を読む」(2019年11月9日)

■CWSサロン「網野史観から考える現代日本の〈別の選択肢〉」(2019年11月3日)
蔵原大さん(東京国際工科専門職大学講師)を講師にした「網野史観」ゼミ型サロンは、蔵原さんのリズミカルで小気味よい話で、とても気持ちの良いサロンでした。
あまり的確な表現ではないでしょうが、蔵原さんという芸能の民の周りに多彩な人が集まった河原場サロンを感じました。

あらかじめ蔵原さんは参加申込者に「網野史観とは何か」「網野史観はなぜ広まったのか」を簡潔にまとめたレジメを配ってくれていましたので、それを踏まえて、最初に網野史観の要点を蔵原流に簡潔に紹介してくれました。
その後、時々脱線しながら、質疑応答のスタイルで、参加者が知りたいことを起点に話を広げてくれました。
しかし、どんな問いかけにも、即座に蔵原さんは肯定的に応えるので、ついつい蔵原世界に引き込まれてしまうようなサロンでした。
「非人」「無縁」「苦界」「アジール」」「悪党」などの網野史観を象徴する概念に関しても、わかりやすく解説してくれました。

ところで今回のサロンのテーマは、現代日本の〈別の選択肢〉です。
蔵原さんの話も、このテーマを基軸に進められました。
蔵原さんによれば、網野史観は「見方をひっくり返して考えること」を示唆しています。
見方をひっくり返したら、どんな選択肢が見えてくるか。
その一例として、蔵原さんは日本列島周辺の地図をひっくり返した地図を見せてくれました。それだけでいろんな気付きが得られます。

空間だけではありません。
過去への見方(常識・偏見)を変えると未来の別の選択が見えてくる。
そうした時空間の常識的な捉え方(偏見)の呪縛から解放されると世界は広がり発想も変わっていく。
「日本人は〇〇〇だ」という意識から自由になれば、いろんな選択肢を持った未来が見えてくる、と蔵原さんは言います。

そしてオーウェルの小説「1984年」を持ち出して、歴史教育こそ支配のかなめだと言い、過去への偏見(常識)を決めるものが、私たちの未来の〈選択〉を支配するというのです。
未来を左右するのは、過去をどう見るかによって決まってくるというわけです。

網野さんは、いまの日本に深くつながる中世の見方を一変させました。
そこからどんな未来の可能性が見えてきたか。
現在の権威に拠って生きている人たちには危険な考えですが、未来に生きようとしている人たちには大切な考えです。

歴史の見方を変えることで、私たち日本の「選択肢」を自由に議論することができるようになり、未来は変わっていく。
そして、それが今の社会そのものを問い直す契機になればというのが網野史観を踏まえての蔵原さんのメッセージだったと思います。

今回はいわばそのキックオフでした。
網野さんが主張した中世の日本の見方を参照したうえで、学校で叩き込まれた歴史を問い直し、自らの「常識(偏見)」から自由になって、いまの日本社会の見方を問い直し、どんな未来が見えてくるのかを考える。
今度はそこに焦点を当てたサロンを開きたくなりました。
蔵原さんに、網野史観パート2をお願いしようと思っています。
まだ蔵原さんには話してはいないのですが、まあ1回で終わるのはもったいないと思うサロンでした。

網野史観の内容に関しての報告は省略しましたが、蔵原さんは網野さんの書籍をたくさん持参して、紹介してくれました。
もし網野史観に関心のある人は、蔵原さんに訊けば、関心にあった網野さんの本を紹介してくれると思います。
たぶん、ですが。

■霜里農場訪問(2019年11月4日)
平山さんご夫妻と一緒に、埼玉県小川町の霜里農場を訪問し、6時間ほど、金子友子さんにいろいろと案内してもらいました。
金子美登さんと平山さんの話は横で聞いていただけですが、考えさせられることが多かったです。
霜里農場も先日の台風で川の氾濫の被害にあい、畑の一部は砂で埋もれていましたが、さすがに霜里農場の土はしっかりしていて、かなりの野菜がむしろがんばって立ち直る気配を感じさせてくれました。
鶏はかなり犠牲が出たそうですが、幸いに難を逃れた数羽の鶏も、そのショックからかあまり卵を産まなくなったそうです。

天皇皇后が行幸された水田を見た後、友子さんたちも応援している熊谷市のおにっこハウスで食事。
農福連携の見事な事例に、農福連携事業に最近いささか失望していた私としては、認識を改めさせられました。

食事をしていたら、湯島のサロンにも寄稿も来ていた溝端さんから友子さんに電話があり、そこから急きょ、アリーハウスに行きました。
霜里農場で実習した2人の女性が移り住んできて、有機農業に取り組んでいるのですが、溝端さんはそこに時々手伝いに来るのだそうです。
そこでお茶をご馳走になりましたが、見晴らしもよく静かなところです。
鹿を見かけることもあるそうですが、最近は熊も山から下りて来るそうです。
ここでもさまざまなお話をお聞きできました。

アリーハウスには、「贈与と共生の経済倫理学」を残して早逝した折戸えとなさんの文庫が作られつつあり、えとなさんの蔵書が集められだしていました。
蔵書の中に、手塚治虫の「ブッダ」があったのが印象的でした。
えとなさんの遺影もありました。

ちなみ今日の霜里農場は秋晴れのあたたかな日でした。
秋の霜里の自然を楽しませてもらった1日でした。

■遅れてしまった妻の13回忌をすることにしました(2019年11月6日)
今年は妻の13回忌です。
本来、命日より前に法要すべきなのですが、妻の姉の体調や娘の連れ合いの父親の病気などで遅れてしまっていました。
ようやく落ち着いたので、遅ればせながら13回忌を行うことにしました。
お寺に相談に行き、11月26日にお願いしてきました。

■BMSサロン「大型台風経験で思ったこと」(2019年11月7日)
11月のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)は「大型台風経験で思ったこと」がテーマでした。
今回の台風のように、身近な災害を体験すると、国家の大切さや必要性への認識と同時に、現在の政治の問題点が見えてきます。
そしてそれこそが、国民の政治への関心を高める契機になると思っています。
政治は私たちの日々の生活の安全と安心に深くつながっているはずです。
テーマが生活に直結していることもあって、女性の参加連絡が多かったのですが、当日になって急に参加できなくなった人が多く、結果的にはやはり男性中心のサロンになってしまいました。

参加者も少なかったので、テーマから外れる話も多かったのですが、生活を語ることは政治を語ることでもあるというBMSサロンの趣旨に沿って、それも良しということにしました。
参加者は5人だったのですが、このくらいの人数だとゆっくり話せます。
ちょっと脱線が多かったですが。

テーマに関しては、次の2点が合意されたように思います。
まず、国民の「自己責任」を強調している現在の政府には、地球温暖化によって増えるだろう自然災害から国民の生活を守る政治はあまり期待できない、という諦め。

私はそれに加えて、みんなが「自己責任」などというのではなく、政府依存ではない、コミュニティ単位の「生活力」を高めるべきではないかと思います。
つまり、人のつながりを育てていくことです。
社会にとっての大切な資源(ソーシャル・キャピタル)は「人と人との信頼関係」という考え方が一時期、日本でも言われたことがありますが、実態はそれとは逆に「自己責任論」がまた戻ってきたように思います。
ソーシャル・キャピタルの視点から、社会のありようを考えることの大切さを、今回改めて実感しました。
そこで、年末か年始に「ソーシャル・キャピタル」をテーマにしたサロンを企画することにしました。

もうひとつは、自衛隊の日常的な主要任務を「戦争出動」ではなく「災害救助・復興支援」にしていくのがいい、ということ。

古代に大型古墳を造営したのは、そのために結集させられた多人数の集団は、有事には武器をもたせて戦闘集団に変えることができることが関係していたのではないか、と考古学者がある本に書いていました。
非常時には自衛戦争に立ち向かうとしても、日常的には災害防止や被災者救済を主目的にする組織に自衛隊を改組するというのは、こういう視点からも理にかなっています。
そうすれば、自衛隊も憲法に合致した存在になるでしょう。
「自衛」の対象は「他国」という時代は終わったように思います。

BMSサロンはこれからも続けます。

■林夫妻とランチ(2019年11月8日)
先日、結婚式に招待された林夫妻が、今度はランチに招待してくれました。
招待される理由はないのですが、お布施は受けなければいけません。
しかも、受けるだけではなくお店まで指定してしまいました。
困ったものです。
私がお願いした店は、娘の伴侶がやっている柏のイタリアン「エヴィーバ」です。
しかも林さんは私の送り向かいまでしてくれました。

いろいろな話が出ました。
おふたりとも楽しい時間だったと言ってくれました。
そこで話していて、また余計なことを思いつきました。
誰かと話すと何かをやりたくなる。
どうもこの私の性格は治らないようです。
困ったものだ。

■我孫子市市議会選挙が始まります(2019年11月9日)
昨日、林さんたちと話していたことは、我孫子市を語り合うサロンを始めることですが、それにつなげる形で今朝、また余計なことを思いついてしまいました。
ちょうど明日から、我孫子市では市会議員選挙が始まります。
私のところにも何人かがあいさつに来たり、事務所開きの案内が来ています。
私の、市議会議員選挙への市政はフェイスブックに書いていますが、それとともに、議員たちが我孫子をどんなまちづくりにしたいと思って議員になっているかという話です。
個別の政策課題は選挙になるとチラシになって配られますが、そんなものはよほど暇な人でないと読まないでしょうし、書いていることのほとんどは「コピー&ペースト」の退屈な文字がならんでいるだけです。

選挙は住民たちが自分たちのまちづくりを考えるいい機会です。
読まれもしないチラシを配ったりするのは、私には資源の無駄であり環境破壊以外の何物でもありません。
そんなことよりも、これを機会に、我孫子の今に何が問題なのか、我孫子をどんなまちにしたいのかを、住民たちに呼びかけ、一緒に考えていく場をつくることが大切だと思っています。

そこで私の知り合いの一部の力行者たちに、次の呼びかけのメールをしました。
突然のことなので、選挙期間中には無理かとは思いますが、どんな我孫子を目指すのかを話し合うかをテーマにしたミニフォーラムを事務所で開いたらどうでしょうか。

知り合いでも、国家政党とつながっている議員は、それだけで私は自治体議員としてふさわしくないと思っていますので、呼びかけませんでしたし、呼びかけても無駄だろうなと思う人にも呼び掛けませんでしたので、6人だけです。
出かける前にせわしくなく買い手メールしたので、あとで読み返してみると、これは単なるノイズだなと少し反省しましたが、

でも投げかけた以上は、来年は何かしなければいけません。
まあその覚悟を持つための、いわば自分へのメールだったかもしれません。
さてさて。

■阿部プロジェクト改めてのキックオフ(2019年11月9日)
長年ひきこもり問題に取り組んでいる阿部さんが描いている構想を実現するためのミーティングをメンバーを増やして行いました。
話していて実現に向かえそうだと感じた半面、やはりどこかに違和感が残りました。
たぶん肝心の安倍さん自身もそう感じているような気がしました。
その違和感がなんなのかを後になって気づいたのですが、ちょっと気の重い荷物をまた背負いかねません。
困ったものです。

■第5回万葉集サロン「柿本人麿の〈われ〉の喪失‐人麿の詩のかたち「泣血哀慟歌」を読む」(2019年11月9日)
今回は、人麿の、妻の死を哀しむ「泣血哀慟歌」を取り上げました。
併せて、それとは対照的な大伴家持の妻への哀歌も詠んでくれました。
テーマは、「われ」から「自己」へ、です。

最初にまず、これまで詠んできた3つの万葉歌を振り返りました。
最初に詠んだのは、額田王が漢詩の宴で、天智天皇から「春山がよいか、秋山がよいか」と問われて即興で応えた「秋山、われは」の歌でした。
「ことば」をもって仕える巫女の「われ」意識の強さが宴席に出ていた人たちを魅了しただろうと升田さんは言います。
次に詠んだのが天智天皇の后の倭太后の天智をしのぶ歌でしたが、そこには妻ならではの「孤高のわれ」のまなざしがあり、その「われ」は、亡き夫とともに永遠につづく「われ」だ、と升田さんは言います。
そして前回の人麿の近江荒都歌。そこにあるのは、死者たちと共にある「われ」です。
いずれにおいても、「われ」は現世(うつせみ)を超えているわけです。

こうしたなかに升田さんは「わ」と「な」の相似性を置いています。
「わ」はいうまでもなく「吾」「我」であり、「な」は「汝」です。
そして、今回は人麿の「泣血哀慟歌」。
そこでは人麿はついに現世の「われ」から現世を超えた「われ」へと向かっている。
そして、心身を震わせるように、死者への思いを生々しく表現している様は、われを死者と融合させるようだと読み解きます。
升田さんによれば、歌の主体としての「われ」の喪失とも読めるというのです。

升田さんはまた、「現世」(うつせみ)をうたうとき、万葉歌人の中で、人麿だけが「うつせみと思ひし」と表現するという点に注目します。
それはまるで、霊の世界から現世を見ているようだ、と升田さんは言います。
そこに人麿の「われ」の特異性がある。

ところが、大伴家持は悲しさをとても冷静に歌っている。
そこでの「われ」は、まさに現世で他者と対峙している「われ」です。
霊から解放された「われ」の誕生、言い換えれば「自己」意識が生まれたのです。
「わ」と「な」のつながりは切り離され、おのおのが別々の「わ」になっていく。
その変質のさまが、人麿の歌と家持の歌に、はっきりと読みとれる。
そしてそこから家持の世界が広がっていく。

おおまかにいえば、歌の主体としての「われ」の変質は、人の生き方や社会のあり方を映し出しています。
そう思って、これまで読んできた歌を読み直すと、またいろんなことに気づく面白さがあります。
私自身はまだ十分には消化できていませんが、少しだけ万葉集の世界の魅力を感じさせてもらいました。

関連していろんな話が出ました。
私が興味を持ったのは、「わ」と「な」の話でしたが、それに関連して、升田さんは「わのなの国」という言葉をつぶやきました。
その解説はなかったような気がしますが、「わのなの国」は古代にあった国の一つです。
有名な志賀島で発見された古代の金印には、「漢委奴国王印」と刻まれていましたが、これは「かんのわのなのこくおうのいん」と読まれています。
「わ(吾)のな(汝)の国」。
なにかとんでもない気付きをもらったという気がしたのは私だけかもしれませんが、残念ながら升田さんがどうしてそれをつぶやいたのかはわかりません。

最後に少しだけ古代の文字表記について話がありましたが、これは改めてサロンをしてもらうことにしました。
升田さんが資料を配ってくれましたが、ひとりで読んでも理解不能な気がします。
きっとたくさんの話したいことが升田さんにはあるのでしょう。
であれば、話してもらうのがいいので、番外編を考えようと思います。
升田さんが了解したらですが。

次回は1月です。
来年からは、もっと自由に万葉の世界を遊ぶ内容になっていくようです。
ぜひご期待ください。
私の報告は一部の主観的報告ですので、ぜひ実際にサロンに参加して、万葉集の世界を楽しんでもらえるとうれしいです。

(2019年10月第5週)
■生活哲学学会の講座「事業を構想する」(2019年10月28日)
■ストーリーテリング協会内部ミーティング(2019年10月28日)
■病院をやめてショッピングモール(2019年10月30日)
■師と呼んでくれる人たちの来訪(2019年10月31日)
■観音ハウス(2019年10月31日)
■第3回リンカーンクラブ研究会(2019年11月2日)
■また荷物を背負いかねません(2019年11月2日)

■生活哲学学会の講座「事業を構想する」(2019年10月28日)
生活哲学学会の講座プログラムの出番が近づきました。
私の担当のテーマは「事業を構想する」です。
4回シリーズです。
もちろん「生活哲学」の視点からの事業構想とその実現をテーマにします。

そもそも「事業」とはなにかから話し始めるつもりです。
昨今の企業経営者は、そういうことさえ考えていません。
そういう世界に背を向けて30年ですが、今回は共感者が現れるでしょうか。

■ストーリーテリング協会内部ミーティング(2019年10月28日)
ストーリーテリング協会の新しいプログラム開発もようやく少しずつ意識がシェアされ出しました。
私も少し本腰を入れてもいいかもしれません。
今回は自分たちで実際にワークショップをシミュレーションしてみました。
30年前を思い出します。
もしかしたら30年早かったのかもしれません。

■病院をやめてショッピングモール(2019年10月30日)
咳とだるさが抜けずに、肺炎かもしれないということで、病院に行く予定でしたが、朝起きたら意外と快調なので、病院をやめて孫と娘たちと近くのショッピングモールに行くことにしました。
どちらが病気回復に役立つかはわかりませんが、

■師と呼んでくれる人たちの来訪(2019年10月31日)
私を「師」と言ってくれる人が2人、やってきました。
そのうちの一人が今ちょっと苦境だというので、もう一人が段取ってくれたのです。
会ってよかったです。
自分から会いに来ないのは状況がいいからだろうと勝手に解釈していたのですが、逆に自分から来られないほどになっていたようです。
人とかかわるのは難しいです。
私自身は、その人には何回も裏切られて気分を味わっているのですが、たぶんその人にはそういう気はないのです。
困ったものです。

これまでも何度も相談に乗りアドバイスしてきたのですが、一向に私のアドバイスは聞いてくれませんので、もう関わるのはやめようと決めていたのですが、話しているうちにやはりそうもいかなくなりました。
性懲りもなくまたコミットすることになりそうです。
困ったものです。

■観音ハウス(2019年10月31日)
湯島で1時間ほど時間があいたので、不忍池近くにあるびわ湖長浜観音ハウスに行きました。
最近しばらく来られなかったのですが、ここは滋賀県長浜市にある観音像を一体だけ展示しているところです。
琵琶県の湖東は、福井の小浜から奈良の東大寺につながる「かんのんみち」と言われ、とても美しい「観音像」がたくさんあります。
長浜市の高月町には、かつてはその白眉とも言える、渡岸寺の十一面観音が居ました。
いまは、「居る」というよりも「ある」という感じになってしまったので、私はもう行く気がなくなっていますが。
その観音に会ったのは、いまから50年以上前ですが、以来、多くの観音様に会ってきました。
ほとんどが在の住民によって守られてきました。
ですからみんな美しくて優しいのです。
最近はなかなか行く機会もありませんので、ここで会えるのはとてもうれしいです。
時々、展示は変わります。

今回は高月町の覚念寺の十一面観音立像でした。
普段は秘仏のはずで、滅多には見られないとも聞いていますが、少なくとも私は初めてお会いします。
一見して驚いたのは、人間の表情をしていることです。
遠くから拝むとそう感じませんが、近くでよく見ると、これはまさに人間の表情だなと感じます。
もう一つ印象深かったのは、頭上の顔の中に忿怒の表情がなく、みんな実におだやかなのです。
木目の目立つスギ材の仏像なのも、心やすまります。
しばし見とれていました。

作は、室町から江戸時代と表示されていましたが、表情から見て、室町ではないと思いました。
もちろん根拠はまったくありませんが。

ところで、驚いたことに、その小さな展示場で小学校時代の同級生の升田さんに会いました。
こんなこともあるのです。
観音様のお導きでしょうか。
彼女も時間の合間にちょっと寄ったのだそうです。

■第3回リンカーンクラブ研究会(2019年11月2日)
第3回研究会は「代議制と選挙」をテーマにしましたが、前回武田さんから提案された「選挙で投票に行くと一人1万円もらえるという制度」が議論の中心になりました。

まず参加者10人それぞれからこの制度への感想を発表し合いました。
絶賛する私ほどではないとしても、良い制度だという人の方が多かったですが、明らかな反対者も2人いました。
それもかなり厳しい反対で、「金権政治」ではないか、お金で投票を誘うのは「下品」ではないかとさえいう人もいました。
厳しい反対が出るのは良いことで、おかげでより議論が深められます。

結論的に最後はみんな納得しました。
なかにはちょっとしぶしぶ感のある人もいましたが、今様に「合意なき決定」ということで、この制度はリンカーンクラブの基本方針の一つになったと思います。
ただし、その趣旨をきちんと説明しないと誤解される、という注意事項が付きましたが。

政治を大きく「権力政治」と「参加政治」に分ける考え方があります。
現在の日本の代議制の政治は、民主主義と言われていますが、要するに権力政治の一つです。
ルソーも、選挙の時しか民主主義が実現されない代議制が権力指向型の政治になっていくこと危惧していました。
リンカーンクラブは、その点を重視し、武田さんは以前から代議制民主主義は民主主義に非ずと主張してきています。

日本でも50年ほど前に「参加民主主義」が話題になりましたが、当時出版されたR.J.プランジャーの「現代政治における権力と参加」(勁草書房)にこんなことが書かれています(カッコ内は私の注記です)。

(公務に関しての)高い地位は政治機構の中で有力な人々、すなわちある特別な地位を認められている公職者(政治家)と非公式な集団(官僚)とによって占められており、より低い地位にあっては普通の市民が義務(公務)を果たしている。
この政治的義務のもっとも低い等級については、そこで遂行される仕事を公共的なものであると考えることはまずおそらくないであろうから、現代の政治文化では政治と権力とが同一視されてしまう。
権力指向型の政治が注意を独占しているところではたいていそうなのだが、人々は、もはや市民を社会に認められた公務担当者としてはまったく考えなくなっている。だが市民性とは公的な地位のことであるし、市民とは公務担当者のはずなのだが。

以上が参加民主主義の基本にある考え方の一つです。
つまり、私たち市民にとって、選挙の時に投票に行くのは、主権者としての義務、つまり公務なのです。
にもかかわらず、選挙の立会人は公務として給与をもらうのに、肝心の投票に行く市民は無償なのです。
なかには時給や生業仕事を犠牲にして投票に行かなくてはいけない人もいるでしょう。
投票に行くというのは代表を選ぶとても大事な活動です。
公務としていかに重要かは少し考えればわかることです。
プランジャーが書いているような、「もっとも低い等級の政治的義務(公務)」ではありません。
ですから投票行為に1万円を支給するのは、国家を維持していくためにはきわめて理にかなっています。
というか、政治や選挙投票の捉え方につながってくる問題です。
そして、いわゆる「金権政治」とは真逆なものであることがわかるでしょう。
サロンでは、こうしたことをもう少し具体的な話も含めて意見を出し合いました。

これは「公務」をどうとらえるかともつながってきます。
日本では「公共性」とか「公務」がきちんと整理されていないと私は思っています。
そもそも「公共性」などという言葉は実にあいまいな矛盾した言葉だと思いますが(「新しい公共」などというばかげた言葉までありますが)、そこまで行くといささかまた長くなりそうなので、いつかまたサロンをしたいと思います。

ちょっと偏った報告ですみません。
しかし、「投票という公務に1万円を支給する」制度の意味はとても深いです。
サロンでは、この制度を軸にした政治への関心を育てる仕組みなどの提案もありました。
これで一つの政党ができるという人までいました。

いずれにしろこの制度はもう少し内容を整理して、社会にも呼び掛けていこうということになりました。
参加されていない方にはうまく伝わらないかもしれませんが、関心のある人はぜひリンカーンクラブ研究会に参加してください。
たぶん時々話題になっていくはずです。

次回は12月7日。
テーマは「報道と選挙、そして報道権」です。
話題提供は坪田さんと武田さんです。
これまた大きなテーマですので、できるだけとんがった議論にしていければと思っています。
報道に関わっている方の参加を期待しています。

■また荷物を背負いかねません(2019年11月2日)
オーナー企業にとっての最大の経営課題の一つは事業継承です。
その相談にある起業の経営トップが2人、相談に来ました。
私にとっては、しかし、どんな問題も同じような位置づけですから、隣の人とうまくいっていないとか、今月の電気料金が払えないという相談と同じです。
いやそういう感じで、おふたりにお会いしました。

ところがなぜか社長が突然、相談に乗ってもらうにはすべて話しますと言って、これまでの人生を語りだしました。
その人と会ったのは2回目です。
あまりの素直さと正直さに驚きましたが、真実に誠実な話には心が吸い込まれます。
思っていた内容の話ではなく、一番の問題は人の生き方の問題だったのです。

しかし、その話はまさにドラマを感じさせるほどの内容でした。
ほんとは一緒に夕食でも食べましょうという感じだったのですが、それどころではなく、気が付いたら食事に行ける時間を超えていました。
社長の話を聞いた以上、もうコミットせざるを得ないでしょう。

さてさてどう展開するか、いささかの不安はありますが、私のできることはやろうと思います。

(2019年10月第4週)
■CWSサロン「核時代に懸ける人類生存の橋」(2019年10月20日)
■ストーリーテリング協会ミーティング(2019年10月21日)
■オブジーボを使うべきかどうか(2019年10月21日)
■即位礼正殿の儀(2019年10月22日)
■肺炎の恐れ(2019年10月23日)
■兄との会食(2019年10月24日)
■久しぶりの結婚式(2019年10月26日)

■CWSサロン「核時代に懸ける人類生存の橋」(2019年10月20日)
11月のフランシスコ・ローマ法王の来日に寄せて、本間照光さんが毎日新聞に寄稿した「核時代に懸ける人類生存の橋」を巡ってのサロンには10人を超す人が集まりました。
案内にも引用しましたが、その寄稿で本間さんはこう書いています。

「全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」(日本国憲法)。これは戦争の放棄、戦力および交戦権の否認」(同9条)へと続く。法王が見ているのも同じ方向だ。これを国の内外に共有してこそ、核時代に人類生存の橋が懸けられる。

参加者からいろんな意見が出されました。
38年前のヨハネ・パウロ2世法王の来日の時には、広島平和記念公園で法王は「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の地、この平和記念公園ほど強烈に、この真理を、われわれに訴えている」という平和アピールを世界に呼びかけました。
当時の日本人の関心の強さと働きかけが、その平和アピールの背景にあります。
ところが今回はどうでしょうか。
本間さんに危機感と嘆きはそこにあります。

そういう危機感を残念ながら、私も含めてサロン参加者はあまり持っていませんでした。
そして、この「好機」を活かそうという思いも、あまり強くなかったような気がします。
本間さんは、そういう状況を嘆いているのです。

せっかくサロンを企画しながら、私自身、しっかりと考えていなかったことを大いに反省させられるサロンでした。
今回は、私には報告する資格はありません。
どこかで私も逃げてしまっていたような気がしています。

そこで大いに反省して、本間さんのメッセージを多くの人に知ってもらうために、自分でできることに取り組もうと思います。
できるかどうかは確実ではありませんが、また報告させてもらいます。
本間さんの寄稿文を、改めて読み直してもらうことをお願いして、今回の報告に代えさせてもらいます。
ぜひ添付の本間メッセージを読んでいただき、それぞれでできることを考えてもらえればうれしいです。

ちなみに、サロンではさまざまな論点が議論になりました。
そこから新たなシリーズのサロンも生まれるかもしれません。

■ストーリーテリング協会ミーティング(2019年10月21日)
ストーリーテリング協会としての独自のプログラム開発について、夏からコアメンバーでミーティングを重ねていますが、かなり考えがシェアされてきたので、試験的に自分たちでやってみようということになりました。
基本は、自分と組織との「物語」づくりを循環させることで、問題をみんなで発見し解決していこうというプログラムです。
一緒に開発していきたいという人がいたら、仲間にしていこうと考えています。
関心のある方がいたらご連絡ください。

■オブジーボを使うべきかどうか(2019年10月21日)
胃がん治療をしている友人が、石からオブジーボ治療を薦められています。
彼は当初はむしろオブジーボ治療を希望していたのですが、その後、いろいろなことがわかってきたこともあって、いまはむしろ躊躇しています。
今日はまた、セカンドオピニオンを訊きに行く日で私も同行する予定でしたが、彼から今回は一人で行くという連絡がありました。
ちょっと気にはなったのですが、あまり押し付けてはいけないと思い、彼の判断を尊重しました。

その後、彼と電話で話したのですが、やはり行けばよかったです。
セカンドオピニオンをどう解釈するかの、セカンドオピニオンも大切だと改めて感じました。

■即位礼正殿の儀(2019年10月22日)
令和天皇の即位礼正殿の儀が行われ、テレビはその報道で埋め尽くされていました。
どこかに大きな違和感がありますが、それが何か自分でもよくわかりません。
テレビはあまり見てはいませんが、

■肺炎の恐れ(2019年10月23日)
喉をやられたのが契機になって、その後、なかなか咳がとまりません。
熱は2日ほどだけしか出ませんでしたが、何となく気怠く、何よりも気力が出ない日が長く続いています。
それで肺炎ではないかと言われ出し、石に行こうかどうか迷っています。
昨日、やはり行こうと決めたのですが、即位礼正殿の儀の日だったために休日になり、かかりつけの遠藤クリニックも休診でした。
今日は水曜で定期休診です。

そうこうしているうちに、体調もほぼ回復、咳もだいぶ良くなりました。
それで「肺炎ではない」ということに決めました。

■兄との会食(2019年10月24日)
兄との会食です。
会食しても楽しいことはないのですが、お互い、高齢なので、いつ何があったモチベーションいいように、時々会食をしています。
今日は喧嘩にならないように、娘が同席してくれました。

■久しぶりの結婚式(2019年10月26日)
若い友人の林裕也さんと鈴木弓恵さんの結婚式に呼ばれました。
結婚式は苦手なのですが、まあ末席で祝福しようと思っていましたが、最初のスピーチを私がする羽目になってしまいました。
しかも、私は「恩師」として話すことになっていました。
それがわかったのが5日前ですが、以来、何を話せばいいか気が重かったです。

神式の結婚式なので、親族だけですが、私も招待されたので、参列しました。
上野公園の中にある五條天神社です。
披露宴は韻松亭。
新郎新婦の友人が中心で、私がどうも最年長のため主賓席に座って挨拶をしました。
原稿まで作ったのですが、やはり忘れてしまい、まあいつもの感じで話させてもらいました。
ブログに何を話したかを書きました。

いろんな人に会いましたが、女性たちのパワーに圧倒されました。
とてもいい結婚式でした。
ただ、いささか食べ過ぎて、家に帰るのが大変でした。

驚いたのは、湯島のサロンに来たことがある人が何人かいて、先方から声をかけられたことです。
久しぶりの結婚式は、やはり疲れました。

(2019年10月第3週)
■大型台風襲来(2019年10月12日)
■第2回リンカーンクラブ研究会(2019年10月13日)
■利根川河川敷は水で覆われました(2019年10月15日)
■久しぶりの風邪をこじらせました(2019年10月16日)
■エルモットサロン(2019年10月17日)
■全財産を落としましたが、戻ってきました(2019年10月17日)
■「維新正観」を読みました(2019年10月19日)
■我孫子まちづくり編集会議(2019年10月19日)

■大型台風襲来(2019年10月12日)
大型台風襲来の日は、気が抜けるほどの静かさでしたが、お昼頃から少し風が吹き出し、夕刻になるにつれて台風らしくなりました。
しかしそれは我孫子の話であって、それ以外はかなりの強風と大雨のようで、テレビでは各地の状況を報道していました。
私は喉風邪が悪化し、何もやる気が亡くなり早めに寝ましたが、風邪が一番強くなった深夜に目が覚めて、いささかの恐ろしさを体験しました。
幸いにわが家では被害はありませんでした。

■第2回リンカーンクラブ研究会(2019年10月13日)
大型台風のため1日予定を遅らせて2回目のリンカーンクラブ研究会を開催しました。
台風直後で交通も不便でしたが10人が集まりました。
テーマは「目指すべき日本の国家像」。

最初に、参加者それぞれから「こんな国にしたい」という話をしてもらい、それも踏まえて、武田さんが考える理想の国家像が語られました。
これは次回から始まる政策や制度の各論のベースになるものです。

さまざまな次元で「こんな国にしたい」というキーワードが出たように思います。
なかには、いろいろと考えると、果たして「国家」は必要なのかと疑問になるという意見もありましたが、その人も現在の国家に関する根本的な問いかけをしているのであって、人が集まってお互いに人間の尊厳を尊重できるような「法の支配」を否定しているわけではないようです。

みんなが自己実現を目指せるように、自由と「自由」と「平等」をどうつないでいくか。
アメとムチの組み合わせが大切。
道徳がなくなったのではないか。もう一度、道徳を取り戻そう(道徳国家)。
国家が決める押しつけ的な国家像はない方がいい。
若者と女性が政治を行う側にきちんと場所を保証される政治体制にしたい。
「平和国家」「民主国家」そして「クリーン国家」が理想。
「住む人の表情が明るく輝いていて世界に向けて、開かれていること」が大切。
「みんなが話し合ってみんなで決めていく国家」。
などいろんな思いが発せられました。

それを受けての武田さんの国家像は実に簡単なものでした。
国民全員が政治の決定に意思表示できる国家です。
これが武田さんのいう「究極的民主主義国家」です。

そして今回は国民投票制度ではなく、国民みんな(たぶん年齢制限はあると思いますが)が選挙に行きたくなる仕組みを作り、選挙に行くことによって、政治への関心を高め、政治に参加する国家をつくろうという提案がありました。
たとえば、選挙で投票に行くと一人1万円もらえるという制度です。
これだけ聞くとむかしの日本の村落政治を思い出してしまいますが、それをうまく活かしていこうというのです。
私のような経済的な貧困層は1万円もらえれば投票に行きますが、お金持ちは1万円ではいかないでしょう。
そのことだけでもこの提案にはいろんな示唆があります。
ちなみに、参加者からは投票を義務化するという提案も最初にありましたが、目指すところは同じようですが、たぶんまったくちがう結果を生むでしょう。

話し合いで感じたのは、みんな「誰かに強制されることなく主体的に生きること」を望んでいるように思いました。
大きな方向はみんな同じように感じました。

国家像の話し合いの後、台風直後だったこともあり、今回の台風で感じたことも最後に少し話しあいました。
私は、15号台風の時の対応や今回の台風への備えを報道で見ていて、そこに国家の本質と今の政治の方向性を感じました。
こうした身近な災害を体験すると、国家の大切さや必要性への認識と同時に、国家の問題点が垣間見えてきます。
そしてそれこそが、国民の政治への関心を高める契機になると思っています。
政治は私たちの日々の生活の安全と安心に深くつながっているのです。

これに関しては、長くなるので報告はやめますが、フェイスブックやブログで少し私見を書きました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2019/10/post-8b0b98.html
お時間があればお読みください。
もし関心を持ってくださる人が3人以上いたら、緊急サロンを開催してもいいかなと思っています。
ご希望の方は私にご連絡ください。

■利根川河川敷は水で覆われました(2019年10月15日)
我孫子の利根川流域の河川敷は久しぶりに利根川の水で覆われています。
まだあまり水は引いていません。
40年ごろ前にも小貝川の決壊で、同じように河川敷は水で覆われましたが、それに比べれば今回は少し水は少ない気がします。
写真は中央学院大学の裏の土手からのものです。
写真の手前は大学の運動場で、その先は田畑が一面に広がっているところです。
見渡す限り、水です。

今回は我孫子自体の雨はたいしたことはなかったのですが、上流の大雨で1〜2日には浸水すると思っていました。
しかしこのあたりは伝統的な治水の仕組みがまだ維持されているので、河川敷側は民家被害はあまりなかったと思います。

手賀沼の水もその後、幸いにあまり上昇せずにいます。
しかし周辺部では被害も発生しているようです。

今日はあまり体調がよくないので、利根川近くまでは行きませんでした。
ほかにも見たかったところがあるのですが、娘から注意されて帰宅しました。

テレビでの局所的な動画を繰り返し見ていると気分がおかしくなりますが、実際にこういう風景の中に身を置くと、自然の恐ろしさは、優しさでもあることに気づかされます。
そこからいつも私は学ばせてもらっています。
私が、自分の住む場所に関心を持っているのは、そのおかげです。
そして、環世界の考えに共感しているのもそのおかげです。
テレビ画像のなかの自然と生の自然は、たぶん8Kになろうと別のものでしょう。
台風の後の自然からたくさんのものをもらいたいので、昨日から風邪で発熱し、動けないのが残念です。

■久しぶりの風邪をこじらせました(2019年10月16日)
1週間くらい前から喉の調子が悪く、せきが出ます。
微熱が一時出ましたが、それは収まりましたが、どうもすっきりしません。
いつもよりは休んでいるつもりですが、いろいろあって、時にちょっと無理をしてしまいます。
そのせいか一向に治りません。
というよりもどんどんこじらせてしまっているかもしれません。
困ったものです。

■エルモットサロン(2019年10月17日)
湯島で毎月エルモットサロンを開催することにしましたが、今回は私は欠席させてもらいました。
毎回参加しているといつになっても私のサロンの域を出ません。
このサロンの主催者はエルモット村主宰の内藤さんなのです。

サロンが始まる前に、内藤さんとこれからの方針について話し合いをしました。
なかなか思いは伝わりません。
たぶん内藤さんもそう思っているでしょう。
暫らくは少し私は距離を置いた方が、内藤さんのパワーが活きそうです。

■全財産を落としましたが、戻ってきました(2019年10月17日)
内藤さんと話し終わって、帰ろうとして、ポケットに名刺入れがないのに気づきました。
私の場合、そこにすべてが入っているのです。
と言っても、クレジットカードやスイカ、健康保険証、回数券とわずかなお金です。
しかし、これがいわば私の全財産なのです。
これがないと自宅にも帰れません。

それで湯島の机に入っているお金を使って帰ることにしました。
まず湯島駅で落し物の確認、つづいて我孫子駅と駅前交番でも確認。
いずれも届け出はないそうです。
またクレジットカードを失効させなければいけないかと憂鬱になりました。
つい最近、私のカードが悪用されて、再発行したばかりです。
帰宅後、手早くカードの失効手続きを取りました。
いつもになく手早かったのですが、それが仇になりました。
手続きを終わって、食事を食べだしたら、駅前交番から電話がありました。
私の名刺入れが届けられたそうです。
タッチの差でした。
急いで交番に駆けつけました。
どうも駅前のロータリーの見えにくいところに朝からずっと放置されていたようです。
私が車から降りるときに落としたのです。

もう少しきちんと探せば、見つけられたはずですが、今回は出てこないかもしれないと思ってしまった自分をおおいに反省しました。

■「維新正観」を読みました(2019年10月19日)
本田宏さんから歴史観を変えるほどの本があるのでと薦められたのが、1952年に出版され、最近、復刻本として出版された「維新正観」です。
その紹介は、ブログに書きましたが、目からうろこの気付きがいくつかありました。
歴史観が変わると目の前の政治状況も変わってきます。
示唆に富む本でした。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2019/10/post-f29473.html

■我孫子まちづくり編集会議
(2019年10月19日)
我孫子まちづくり編集会議の組織化に向けてのミーティングでしたが、参加者は3人だけでした。
前途多難ですが、まあこれが現実です。
大枠を林さんと櫻井さんとで確認し、12月の初めに広く呼びかけることになりました。
体力が続けばいいのですが。

(2019年10月第2週)
■CWSサロン「破傷風菌に「われ」はあるか」(2019年10月6日)
■10月茶色の朝サロン(2019年10月7日)
■葬儀への参列(2019年10月11日)
■喉をやられてしまいました(2019年10月12日)
■台風襲来に備えて(2019年10月12日)

■CWSサロン「破傷風菌に「われ」はあるか」
(2019年10月6日)
細菌学者の益田昭吾さんによる講義+ゼミ型サロンを久しぶりに開催しました。
今回のテーマは、『破傷風菌に「われ」はあるか』。
最初に益田さんは新聞の活字のコピーを使って文字の「図」と「地」の関係を説明し,地あっての図であることを示してくれました。
つまり、自己(われ)は非自己(環境)あってこその自己なのです。
環境もまた自分であるという「環世界」観もありますが、環境と自分とは切り離せない関係なのです。

そこから破傷風菌の話になるのですが、破傷風菌はなぜ自分にとっての環境に見える人をなぜ殺すのかという話になっていきます。
ここで自己(われ)と環境とをどうとらえるかが問題になります。
難しい話はすべて省略してしまえば、破傷風菌が持つ毒素(人にとっての毒素)は破傷風菌の中にいるプラスミドが持っていて、プラスミドにとっての直接の環境は破傷風菌で、プラスミドと破傷風菌はむしろ相互に支え合っている関係にある。
つまり「環境」とは重層的な構造を持っています。
そして、「自己」の中にもまた、自己と環境の構造が重層的に存在している。
最近、ニュースで話題になった「たまねぎ」を思わせます。

プラスミドは自分にとっての環境である破傷風菌には悪さはせずに、破傷風菌にとっての直接の環境ともいうべき生物に対しては、毒素を作動させ、破傷風菌の宿主である人間を「善意(悪意なく)」で殺してしまうわけです。
こうして、直接の環境とは支え合いの関係を維持しながらも、しかし間接の環境には悪さをしてしまうということも起こるわけです。
しかし、環境が重層的につながっているのであれば、冒頭の「図」と「地」の関係のように、たとえ間接的な環境であろうと、環境を壊してしまえば、いつかは自己(われ)も壊れてしまう。

これはまさに人間が抱えている地球環境問題にも当てはまります。
食欲のために飽食を重ねて、食欲を支える身体を糖尿病にしてしまうのも、同じパターンだと益田さんは言います。
つまり、自己(われ)と環境は幾重にも重なっている同心円構造になっている。
問題はどこまでを「われ(自己)」と捉え、どこからを「環境(非自己)」と捉えるかです。
そして、その同心円を掘り下げていったとき、その中心にあるのはなんのなのか。
そこから最後は「自殺」の問題にまで話は行きました。

今回のサロンのタイトルに関していえば、益田さんのメッセージは、破傷風菌に「われ」はあるかを考えていくと「われ」(自己)とはなにかという思考の地平が開け、世界が違って見えてくる、そして環境問題や健康問題も違った見え方がしてくる(ということは違った対処法が見えてくる)ということかなと私は受けとけました。
益田教授からは叱られるかもしれませんが。

生命はすべて支え合う形でつながっていると考えている私にとっては、いつもながら示唆に富む話でしたが、1回のサロンでは消化不良だったような気がします。
益田さんの以前のサロンの記録映像が次にありますので、関心のある方はご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=OxIbOe36RkM
また益田さんの一般向けの著作もちくま新書で2冊出ています(「病原体はどう生きているか」「病原体から見た人間」)。

もう少し同心円の中心を掘り下げる続編サロンを、もし参加希望者が3人以上いたら、益田さんにお願いしようかと思います。
益田さんがもし引き受けてくだされば、ですが。
希望者がいたら、私宛にご連絡ください。

■10月茶色の朝サロン(2019年10月7日)
茶色の朝シリーズのサロンを、参加者は多かろうと少なかろうと毎月、定期的(当面は曜日は不定)に開催することにしましたが、今月は前回に引き続き、「最近、ちょっと気になることから政治を考える」をテーマに、自由に話し合うスタイルにしました。

男性8人女性2人の参加者でした。
男性が多くなるとどうしても話は抽象論や制度論に向かいがちです。
男性の考える政治と女性の考える政治とはどうもかなり違いがあるようです。

最初に参加者それぞれから最近気になることを出してもらいました。
食の話やメディアの話、原発の話もあれば、今年はキンモクセイの気配がないという話、香港や韓国の若者のような動きが日本ではなぜ起きないのか、さらには名古屋の表現の不自由展の話、憲法の話から消費増税、働き方改革、ゆでガエルや教育問題、などさまざまですが、みんなどこかでつながっているような気がします。
しかし、どうもみんなあまり切実感はないような気もしました。
いまの時代はみんな「食える」からという人もいました。
しかし「食えない人」も増えてきているような気もしますが。

批判や愚痴だけではなく、どうしたらこの状況を変えられるかという方向での議論も時々でましたが、なかなか名案は出てきませんでした。
こういう話し合いの場があるのはいいという意見もありましたが、ここに集まる人と集まらない人とは別の世界に生きているというような指摘もありましたし、最近は「当事者でないのにそんなことを言うな」という形での発言の押さえつけが増えていると聞くという人もいました。

要は社会の分断が広がっているということでしょうか。
そうした流れに抗して、異質な人をどう巻き込んでいくか、あるいは異質な場にどう入っていくかが大切なのかもしれません。

茶色の朝に関して言えば、もう真っ黒かもしれないという声もありましたが、まだこうした話し合いの場が許されているのですから希望はあります。
でも押しなべて、参加者の多くが社会は茶色一色の方向に向かっていると感じているように思います。
ではどうしたらいいか。

この茶色の朝サロン(BMSサロンと呼ぶことにします)は、急がずにゆっくりと、無駄な集まりだと指摘されようが、参加者がゼロになるまで継続することにします。
もちろんゼロを目指すのではなく、参加者が多すぎて中止にすることを目指しますが。

報告は次回からはもっと簡単にします。
写真も、参加者はマスクをしていないので、画素を粗くしてみました。

11月は、昼間働いている人が参加しやすいように、平日の夜(11月7日午後6時半〜8時半)に開催する予定です。
また近づいたら改めてご案内します。
また誰かこんなテーマで開きたいという人がいたら、その人を中心にサロンしてもらうことも大歓迎です。
その気になったらご連絡ください。
基本的には私も参加します。

茶色の朝がくるか私がダウンするまで、BMSサロンは継続を目指します。

■葬儀への参列(2019年10月11日)
ジュンの連れ合いの父親が亡くなりました。
挽歌のほうに詳しく書きましたが、見事な最後でした。
私も参列させてもらいました。
久しぶりにいろんな人に会いました。
とてもいい葬儀でした。

■喉をやられてしまいました(2019年10月12日)
数日前から喉がどうもいがらっぽくて不調だったのですが、それがだんだんひどくなり、ついに熱まで出てきてしまいました。
やはり抵抗力が落ちているのでしょう。
せきが出てしまい、夜が眠れないのがつらいです。
困ったものです。

■台風襲来に備えて(2019年10月12日)
大型台風に備えて家のまわりや畑の整理をしました。
植木もほとんどを家の中に入れました。
雨はあまり気になりませんが、風は恐ろしいです。
注意しないと他者に迷惑をかけかねませんから。

夕方、ジュンからメールが来ました。
近くのスーパーに来たら、パンやラーメンが全くなくなっていたそうです。
まさに「台風特需」。
不思議な現象です。

幸いに今回は、わが家の周辺は雨もそう降らず、風も2時間ほどかなりの強風が吹きましたが、被害はありませんでした。
喉風邪で眠れない上に、強風で家が揺れて眠れませんでした。
風邪はますますひどくなりそうです。

(2019年10月第1週)

■CWSサロン「生活を豊かにする片づけ術」(2019年9月29日)
■鈴木さんのサンチアゴへの旅立ち(2019年9月29日)
■高等遊民たちとの那須の旅(2019年9月30日〜10月1日)
■幽界との接触の気づき(2019年10月2日)

■CWSサロン「生活を豊かにする片づけ術」(2019年9月29日)
家事セラピストで整理収納アドバイザーの石田ユキさんのサロン「生活を豊かにする片づけ術:探し物がないことが一番!」は、参加者それぞれと対話したいという石田さんの意向で、10人限定のサロンにさせてもらいました。
案内にも書きましたが、石田さんは、「片づけ」の大切さを「生き方」につなげて考えています。これまで出合った事例も紹介しながら、そんな話をとても分かりやすくお話をしてくださいました。

最初に、片づけに関するチェックリストによる簡単な自己診断がありました。
そこで「片づけ」と「捨てる」とは違うことがやんわりと伝えられ、大切なのは「分ける」ことだと気づかせてくれました。
分けるためには、そのものの持っている「役割」を考えることが大切ですし、さらにそれは「生き方」にもつながってきます。

サロンは、石田さんが参加者に問いかけながら進められました。
たとえば、いろいろなキッチン道具が一目瞭然とわかり、すぐ取りやすい形で壁面にかけられているキッチンと、道具はほとんどが収納されているキッチンの写真をしめして、どちらが好きかと問われました。
そこで、片づけと使いやすさとの関係も示唆してくれました。

人は生きているうえで、たくさんの物を持つようになります。
大切なのは、持ち物のクセを自分の人生とつなげながら考えていくこと。
物は、物としてあるわけではなく、自分の生活とのつながりの中であるわけですから、片づけはその人の生き方につながっているわけです。
ですから、片づけは人生の棚卸し、暮らしの在庫確認だと石田さんは言います。
それをしっかりしていけば、楽しく安全に暮らせるようになり、そうした家がまた、楽しくて安全な暮らしを生み出していく、というわけです。
そうした循環を生み出していくためにも、片づけは大事です。

物が生活とつながっているのであれば、人生の節目ごとに持ち物を見直し、物との関係を変えていくことも必要です。
つまり、物との関係のルールや物を片づけるルールも大切です。
ルールは人によって違うでしょうが、基本的なルールは知っておくほうがいいと石田さんは言います

片づけのルールや方法はいろいろとあるでしょう。
物に住所をるける方式も話題になりましたし、色分けや収納方法も話題になりました。
しかし一番大切なのは、「分けること」、そしてそのための「ルール」。
今回、石田さんが強調したのは、「いつも使うもの」と「たまに使うもの」「念のための置いておくもの」「使わないもの」を分けることだということでした。

もう使わないけれど捨てるに捨てられないものをどうするかについてもいろいろとアドバイスがありました。
たとえば、和服のように自分が納得できない安さでしか売れないものは、売らずに寄付をするとかその新しい活かし方を考えることも有効かもしれません。
「売り買い」と「分け合う」の意味を考えさせられる話です。
そんな話し合いもありました。

片付いた暮らしは、いろんなメリットも生み出します。
探し物が少なくなり時間が生まれてくる。
無駄なものを買うことがなくなり経済的にも節約でき、空間も生まれてくる。
さらに心のゆとりと安心感を生み出す精神的効果もある、と石田さんは言います。

片づけというと、捨てることとつなげがちですが、私自身は片づけとは活かすことと考えていますし、散らかっているように見える片づけ方もあると思っています。
要は快適に生きられる物との関係づくりが「片づけ」ではないかと、改めて思いました。
つまり、「片づけ」は、物の価値を引き出すことで、捨てることでは枚葉に思いました。

石田さんがこれまでの体験から得てきたさまざまなノウハウの片りんもちょっと垣間見えましたが、石田さんは整理収納アドバイザーとして講演やワークショップ、実際に住まいを訪問して片づけ作業をやるお仕事もされていますので、もっと学びたい方や片づけに困っている方は、石田さんにお相談ください。
私に連絡をくださればいつでもご紹介します。

いろんなことを気づかせてくれる実践的なサロンでした。

■鈴木さんのサンチアゴへの旅立ち(2019年9月29日)
鈴木さんが明日からサンチアゴ巡礼に旅立ちます。
それに先立ち湯島に恒例の大福をもってきてくれました。
祝福をといわれましたが、祝福はせずに、「無事」ではなく「いい旅」を祈りました。
今回はポルトガルの道だそうです。

■高等遊民たちとの那須の旅(2019年9月30日〜10月1日)
那須の会を主宰している上田さんが、今年も私と高等遊民会議の仲間を那須の別荘に招待してくれました。
昨年同様、不思議な時間を過ごしました。
詳しいことはブログやフェイスブックに書きましたが、いつもの時間とは違う文化的な時間でした。
井口さんのグーダドラムも印象に残りました。
1日目は板室温泉、2日目は那須の幽界温泉(弁天温泉)。
最後は明治の森で、上田さんにご馳走になりました。
いや2日間、ずっと上田さんにご馳走になりっぱなしでしたが。

往路は上田さんの自動車で2人で4時間、帰路は電車で1人で4時間。
途中ちょっと宇都宮で降りましたが。


■幽界との接触の気づき(2019年10月2日)
那須の旅では幽界との接触がありました。
ブログやフェイスブックに書きましたが、不思議な体験でした。
幽界と接触していたことに改めて気づいたのは返ってきた翌日でした。
それに気づいた後、2日間ほど元気が出ませんでした。
生気を抜かれたのかもしれません。



(2019年9月第4週)

■クレジットカードが悪用されました(2019年9月22日)
■孫とアリオ(2019年9月22日)
■お彼岸の墓参り(2019年9月23日)
■CWSコモンズ村のメーリングリスト転居(2019年9月24日)
■市役所での突然の説明会(2019年9月27日)
■久しぶりの畑作業(2019年9月28日)
■市議の来訪(2019年9月28日)

■クレジットカードが悪用されました(2019年9月22日)
ちょっとまたスリリングな体験をしています。
先日、クレジットカードをスキミングされた話を書きましたが、それが使われました。
フェイスブックに掲載されていた広告で購入したので大丈夫だろうと思っていたのですが、やはりダメでした。
フェイスブックでさえ信用してはいけないことを改めて思い知らされました。
被害を最小限にするために手配していたので、被害額は8000円ちょっとでした。
その時に、カードをストップする方法もあったのですが、確実ではなかったので、被害額を抑える手続きだけしてきました。
そのおかげで、この種の方法を知り、事件が体験できました。
私は、自分で体験しないと知識にできないタイプなのです。
困ったものですが。

予想通り、カードは中国で使用されていました。
詐欺行為であることが明確になったので、カード会社に連絡し、カードを使用できないようにしましたが、カード会社の人も私のカードを使用したサイトは詐欺グループのサイトだと知っていました。
たぶんカード会社では把握しているグループでしょう。
にもかかわらずなぜガードできないのか。
まあ、その前になぜ予想できたのに、私がガードしなかったのかという問題もありますが、一応、それには私なりの理由があるのです(書きませんが)。

ちなみに、そのカードの請求の引き落としは1か月先です。
引き落としを停止できないのかとカード会社に相談しましたが、できないそうです。
ここで私の計画は挫折しました。
私は当然できると思って、誘いに乗ったのです。
不正請求があれば、その時点で引き落といを止められると思っていたのです。
なぜ明らかに不正行為なのに引き落としを止められないのか、その理由もわからないわけではありませんが、これはシステム設計ミスだと思います。
しかし、システムやカード会社にとっては、おかしいと申し出ている私のほうが詐欺行為者かもしれないと想定することは論理的には納得できます。
自らが正しいと証明することほど難しいことはありません。

さてどうするか。
8000円あれば、いま買いたくて買えていない本が2冊買えます。
しかし、この体験で。2冊の本とはまた違ったいろんなことを学ぶことができるでしょう。

■孫たちとアリオ(2019年9月22日)
娘たちと孫と4人で近くのショッピングモールに出かけました。
孫は3歳ですが、微妙な時期で、母親べったりです。
わが家の血筋のせいか、物欲はありませんし、食べ物もとても「ストイック」です。
ショッピングモールに行ったからと言って、ご馳走を食べるわけでも、何かを買うわけでもありません。
まあ、買わないわけでも、食べないわけでもありませんが。

今回はめずらしく、ある雑貨屋さんで何かを買いたいと言い出し、20分近く物色していました。
なかなか買うものが見つからず、一度出てきましたが、やはりこの店で買うと言い出し、店内に戻りまた20分。
結局、買ったのは小さな笛でした。

店内にあるイト−ヨーカ堂の食品売り場でアイスクリームを買い、休憩所で食べました。
お店ならば1人分のお金で4人のアイスクリームが食べられましたが、そのアイスクリームさえ残ってしまいました。
困ったものです。

■お彼岸の墓参り(2019年9月23日)
今年はユカと2人でお墓参りです。
例年は彼岸の入りにお詣りに行くのですが、今年は中日である23日に来ました。
台風の影響で、今朝も風は強かったのですが、それなりに墓地はにぎわっていました。
ブログにも書きましたが、美地に来る人はみんないい人です。

■CWSコモンズ村のメーリングリスト転居(2019年9月24日)
CWSコモンズ村などのメーリングリストのサービスを受けていたfreemlのサービスが中止になるというので、これを契機にコムケアのメーリングリストは終了することにしました。
15年以上続けてきて、全国に800人以上のメンバーが参加しているのですが、新たなメーリングリストへの引っ越し作業は私の手には負えないためです。
しかし、CWSコモンズ村のメーリングリストは、やめるわけにいかず、新しいメーリングリストに引っ越すことにしました。
このメーリングリストもメンバーが400人ほどですので、引っ越しには5日はかかることがわかりました。
1日、100人が限度なのだそうです。
ネットワークの維持もそう簡単ではありません。
でもまあ、何人かの人からはできることがあれば手伝うというメールも届き、うれしいことです。

■市役所での突然の説明会(2019年9月27日)
我孫子まちづくり編集会議で検討している、手賀沼台船灯篭プロジェクトに関して、これからの展開に関してアドバイスを聞こうと我孫子市の副市長の青木さんのところに、櫻井さんと2人手伺いました。
まだ大きな方向と枠組みを議論している段階ですので、まあ報告も兼ねて、いろんなアドバイスをもらおうと思っての気楽な訪問です。
ところが、あらかじめ企画の大枠を伝えていたのを読んでくれた副市長が、関係者を集めてくれていました。
そのつもりは全くなく、最初は迷ったのですが、せっかくなので、皆さんのまっている会議室に出かけました。
なんとそこに10人ほどの職員が待っていて、その前に私たち2人の席が用意されていました。
私たち2人は汗をかく思いでしたが、結果的にはとてもいい話し合いになり、皆さんの感触も実に好意的でした。
1時間を超える説明会になり、いろいろなアドバイスももらいました。
動き出すといろんなことが起こります。

ちなみに私も櫻井さんも、イベントの実現だけが目的ではなく、そのプロセスを重視しています。
活動資金も行政には依存せずに、自分たちで考える方法を考えようと思っています。
そして、その「ないもの」をどうやって集めるかも、楽しもうと思っています。

軽い気持ちで市役所に行ったのですが、重い荷物を背負って帰ってきました。
こうなるともう進むしかありません。
物語が生まれるまち我孫子にいささかでも荷担できればと思っています。
いまは10代から70代までさまざまな仲間で楽しくやっていますが、だんだん大変になりそうなので、仲間を探しています。

■久しぶりの畑作業(2019年9月28日)
私が農作業をしている畑はわが家から見下ろせるところにあります。
最近、畑に行く気がせずにご無沙汰だったのですが、今朝、上からのぞいたら何となく呼ばれたような気がしたので、行きたくなかったのですが、行ってきました。
やはり遠くから見るのと現場で見るのとは全く違います。
野草が大きく育ち、足の踏み場もありません。
やはり来なければよかったと後悔したのですが、前回来た時に成っていたナスはどうなっているかと思いだして、畑の中に入りました。
それが運のつきで、1時間近く作業をしてしまいました。

野草が覆い繁っていたために、せっかく広がりだしていたイチゴはほぼ全滅。
芝桜も前回救出したのにまた半分以上が涸れてしまっていました。
花は前回の台風でひまわりをはじめめちゃくちゃになっていましたが、百日草が乱雑にですが、広がって咲いていました。
だいぶ前に蒔いていた人参も野草に埋もれていましたが、救出しました。
ともかく畑全域に勢力を伸ばしているのがピーナツかぼちゃ。
せっかくなので、いくつか収穫してきました。
一番大きいのはティッシュペーパーボックスくらいです。
今日はこれから来客があるので、お土産にさせてもらいますが、食べられるかどうかの保証はありません。

8月後半から畑作業をほとんどしていないのですが、しばらくやっていないと結構きつい作業です。
たぶん来年はここに家が建ちそうなので、最後の畑作業になると思いますが、畑からはたくさんのことを気づかせてもらいました。

■市議の来訪(2019年9月28日)
我孫子市でも市議会議員選挙が始まります。
その関係で、今日は立候補する方たちが挨拶にやってきました。
私のところになぜ挨拶にくるのか理解できませんが(つまり何の役にも立たないでしょう)、普段はあまり来ないのに、選挙になると来るのはいささか解せません。
もっとも今日来てくださった方の中のおひとりは、選挙でない時にも時々来てくれます。
さらに言えば、選挙期間には来ないけれど、それ以外には来る方もいます。
そういうところにその人の本性が見えてきます。
もちろんみんないい人なのですが、普段、私からのメールくらいには反応してほしいものです。

今回はなんとN国党からの立候補者もあるそうです。
とんでもない話です。
隣の柏市では、N国党からの立候補が当選したそうで、柏市へのこれまでの私の評価は一変しました。
柏市はさらに劣化していくでしょう。
我孫子もそうならないように頑張らなくてはいけません。


(2019年9月第3週)
■敬老の日のプレゼント(2019年9月15日)
■湯島サロン「ご先祖様の見える化に取り組んでみませんか」(2019年9月16日)
■小宮山さんと井坂さん(2019年9月16日)
■エルモットサロンがスタート(2019年9月19日)
■第4回万葉集サロン「柿本人麿の江荒都歌を読む」(2019年9月21日)

■敬老の日のプレゼント(2019年9月15日)
孫から敬老の日のプレゼントとして私の似顔絵をもらいました。
フェイスブックにアップしたら、いろんなコメントが届きました。



詳しくはフェイスブックで。
https://www.facebook.com/cwsosamu/grid?lst=1709527228%3A1709527228%3A1569221662

■湯島サロン「ご先祖様の見える化に取り組んでみませんか」(2019年9月16日)
「いのちの積み木」ファシリテーターの篠田雅央さんの「ご先祖様の見える化に取り組んでみませんか」サロンはいろいろな気付きをもらえるサロンでした。

案内でも書きましたが、篠田さんは、自分の存在があるのは、父母がいて、先祖がいるおかげ。脈々と頂いた奇跡の「命」を次に繋げるために生まれて来た自分も将来先祖になる、ということを考える契機にするためにも、先祖を「見える化」することが効果的だと考えています。

最初に、篠田さんは、今ではあまり注目されずに、ひっそりと建っている慰霊碑の写真を見せてくれました。
慰霊碑の裏には、いまの社会の実現に貢献した人たちの名前が刻まれています。
時代の変化の中で、その活動の意味合いは変わったこともあるかもしれませんが、当時は社会が評価していた人たちのはずです。
それが、今では忘れられてように放置されているものも少なくない。
いまの社会を創ってきてくれた昔の人たちへの感謝を忘れていいのか。
感謝の気持ちがなければ、慰霊碑はただの石。

そして篠田さんは、感謝の気持ちを育てれば、「生きる力」が生まれてくるといいます。
そうした「感謝の気持ち」が失われてきていることを篠田さんは残念に思っているのです。

そこで篠田さんは参加者に、「ありがとう」の反対語はなんでしょうと問いかけます。
みなさんはなんだとお思いでしょうか。

篠田さんは、「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」だと言います。
「有難う」と漢字で書けば、その理由がわかるでしょう。
私たちが、いまここに生きて暮らせているのは、「あたりまえ」のことではなく、「有難い」ことであり、そうした「有難い」ことを成り立たせているのは、私たちのご先祖のおかげです。

ご先祖もただ思い出せばいいわけではありません。
そこに感謝の気持ちがなければ、ただの知識になってしまう。
そして、篠田さんは「いのちの積み木」を組み立てて、そのどこか一つ、つまりご先祖さまの誰か一人が欠けただけで、自分の存在は崩れてしまうことを実際に示してくれました。

「いのちの積み木」については、次のサイトをご覧ください。
https://gosennzosama.11ohaka.com/

そして、各人、ご先祖さまシートに自分の両親、そのまた両親、さらにそのまた両親と、名前を書き込んでみました。
なかにはかなり前までさかのぼれる人もいましたが、だいたいが祖父母まででした。

その後、話し合いが始まりました。

名前だけではなく、その人にまつわる物語や時代とのつながりがあると記憶に残りやすい。
実際の接点があると思いだしやすく記憶にも残るが、そうしたものがなくなってきている。
お墓は、そうしたことを思い出す一つの装置。
お墓に刻まれる戒名や過去帳を残したりする話も出ました。

両親がいない子供が増えてきている状況の中では、子どもたちを対象にする場合は慎重にやる必要があるという意見も出ました。
血縁に限らず、お世話になった人も含めて、考えることも大切だという意見もありました。

参加者の中村さんからは、「いのちのまつり ヌチヌグスージ」という絵本が紹介されました。
「ぼうやにいのちをくれた人は誰ね〜?」と言う問いかけから始まるこの絵本の圧巻は、見開き拡大ページで10代にさかのぼっての1000人を超えるすべてのご先祖様の顔が描かれているところです。
学校教育でも採用されている本だそうです。

家族が大きく変質しつつある現在であればこそ、ご先祖さまのことを思い出すことが大切になってきているのではないかという気がします。
「いのちの積み木」はいろんな形で使える道具だと思いました。
今回もまた、お墓の意味も語られました。

ちなみに来週の秋分の日は、法律では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ために休日に指定されているそうです。
ご先祖さまの名前を一度書き出してみたらどうでしょうか。
いろんな思いが生まれ、生き方もちょっと変わるかもしれません。

■小宮山さんと井坂さん(2019年9月16日)
箸技ゲームのことで話をしたいと国際箸学会の小宮山さんから連絡がありました。
サロンの後で、たまたまサロンにも参加していた井坂さんと3人で沖縄料理を食べに行きました。
井坂さんは、箸学会の会員なのです。

小宮山さんと私だけだとついつい論争になるのですが、今回は井坂さんがいたので仲良く話せました。
井坂さんと私はほぼ同じ意見だったのですが、私と同じでかなりズバッと話していました。

箸技ゲームのことから会社の話になりましたが、平和な会食になりました。

■エルモットサロンがスタート(2019年9月19日)
「地上の楽園」づくりを目指すエルモットの内藤さんの湯島でのサロンが始まりました。
事前申し込みが少なく心配していましたが、結局、10人の参加がありました。
エルモット構想と、その実現への第1歩としての「タイニーハウス」プロジェクトが話題になりました。
独自の軽トラ牽引ハウスを自作している参加者もあり、一度、寄居で体験会をしたらどうかと言う話もでました。
毎月第3木曜日の夜、継続開催するとともに、寄居でのイベントも企画したらどうかと言う意見が多かったように思います。

■第4回万葉集サロン「柿本人麿の江荒都歌を読む」(2019年9月21日)
万葉集サロンも4回目になりました。
今回は、柿本人麿「近江の荒れたる都を過ぎし時の歌」を題材に、〈亡びにし者たちの「われ」の喪失〉がテーマでした。

最初に、今回は「万葉仮名」について説明してもらい、続いて今回の歌の背景にある壬申の乱に関しても概説してもらいました。
これまでのサロンで、この2つをきちんと踏まえておかないと万葉集は読めないような気がして、升田さんにお願いしたのですが、議論を少し深入りさせてしまい、肝心の近江荒都歌を読み解く時間が少なくなってしまったのを反省しています。
改めてこの2つを、別個に取り上げた万葉集番外編を企画できればと思います。

私自身は、この2つが万葉集を読むための2つのポイントではないかと改めて確信しましたが、これに関しても、升田さんの解説を踏まえて簡単に紹介しておきます。

万葉仮名は約650の文字が確認されています。
万葉仮名というために、万葉集だけが想定されがちですが、そうではなく、万葉時代に使われていた言葉を表記するために漢字(真字)を借りた仮の表記文字と考えた方がいいと思います。
また1文字一音とは限らず、複数文字で1音、1文字で複数音、複数文字で複数音などいろいろあります。
私は多分、当時は50音どころか無数の発声が行われていて、それを違った記号で表記していたと思いますが、日本文字の誕生につながるだけではなく、日本という国の誕生にもつながる話です。
当時は、たぶん朝鮮半島と日本列島の人の交流は多く、「渡来人」は少数民族というよりも、むしろマジョリティだったかもしれません。
さまざまな故地(出身地)を持つ人たちがまとまろうとしていた状況の中で、壬申の乱が起こったわけですが、そのことと万葉集成立とは無縁ではないように思いますし、天智-天武-持統という王朝のめまぐるしい変化を踏まえることで、万葉集の世界に漂うものが見えてくるような気がします。
いずれにしろ、壬申の乱に関しては、東アジアとの関係で考える必要があると思いますが、現在の日本という国の出発点だったともいえる大きな事件でした。

そういう前置きを踏まえて、升田さんはまず近江荒都歌を詠んでくれ(万葉集は声に出さないといけないと升田さんは言います)、解説してくれましたが、案内に書かれていた升田さんの解説が簡潔に要約されていますので、それを再掲します。

壬申乱によって廃墟と化した天智天皇の近江大津宮の跡を詠んだ、人麿の若いとき(万葉初出)の長歌である。
安禄山の戦によって滅んだ唐の都を詩に歌った、杜甫の「春望」(国破れて山河あり 城春にして草木深し)は、漢文の教科書を通して多くの若者たちに感動を与えた。人麿の近江荒都歌は、7〜80年それに先んじている。日本で「荒都」を主題とした歌は、これが最初である。
前半は皇統譜を、後半は一転して廃墟の中をさ迷う人麿の姿を歌う。人麿の目に映ったものは何であったか。
動乱調、乱調と言われる人麿の歌には分かり難い部分もあるが、言葉の意味と調子で力強くそこを突き抜けて行く。古代の歌の魅力である。
近江荒都で人麿の詩性を突き動かしたものは、人麿の「われ」と対峙することの決してない、滅んだ人々の〈「われ」の喪失〉だったのではないか。
若き人麿の、心の迷いを歌う古代言語に触れたい。

サロンでは、これを踏まえて、「ここ」「霧」「夢」について、万葉集の歌を題材にくわしく解説してくれました。
そしてそうしたことを通して、「われ」が主体的・能動的になっていく古代人の心情を示唆してくれました。

この歌には、人麿の悲しみがあるわけですが、その悲しみとは何かということが話題になりました。
廃墟になってしまった近江宮で、人麿は「われを喪失した死者」に出会っているわけですが、そうした事実に悲しみを受動的に感じた〈われ〉の詠嘆なのか、そこから能動的な生まれた〈われ〉の主張なのか、もしそうなら人麿の「われ」を目覚めさせたのはなにか、に私は強い関心がありますが、どうも私の考えすぎのようで、残念ながらそこまでの話し合いにはいきませんでした。
国破れて山河あり、と淡々と歌う杜甫に比べて、人麿の感情が込められている近江荒都歌に。私はどろどろした「われ」の誕生、そして歴史の誕生を感じます。
たぶん升田さんはそれを感じさせたくて、2つの詩を並べてくれた気がします。
ついでにやや余計な私見を加えれば、杜甫とは違い、人麿は、〈われ〉と対峙することのできなくなった死者に代わって、強いメッセージを発しているような気がしてなりません。
そうだとして、人麿は誰に向けて呼びかけているのか。

これまでの4回の万葉集サロンは、ある意味では、言葉を通しての〈われ〉の誕生だと受け止めてきた私としては、とても刺激的で示唆に富むサロンでした。
そのためいつも以上に勝手な私見も入れた報告になってしまいました。

升田さんの講義内容は、ていねいな資料を含めて、ぜひきちんとした記録に残すべきでした。
記録を取っておかなかったことを反省しています。



(2019年9月第2週)
■台風襲来(2019年9月9日)
■金田さんからの2冊の本(2019年9月9日)
■HSP交流会「絆の会」(2019年9月10日)
■久しぶりの大森(2019年9月10日)
■手賀沼プロジェクトに松清さんが参加してくれました(2019年9月13日)
■東レCI立ち上げ時の仲間との会食(2019年9月13日)
■第1回リンカーンクラブ研究会(2019年9月14日)

■台風襲来(2019年9月9日)
かなり強力な台風でしたが、幸いに我孫子市はさほどの被害はありませんでした。
わが家も、大きな被害はなく、今回は倒壊した樹木はありませんでした。
畑はひまわりやアオイの花は全滅でしたが、野菜類はあんまり育っていなかったので大丈夫でした。
房総地域はかなりの被害だったようです。

■金田さんからの2冊の本(2019年9月9日)
新潟の金田さんから2冊の本が送られてきました。

いずれも行動を起こしたくなる本です。
一冊目は「水が消えた大河で」(集英社文庫)ですが、この本に関しては集英社に苦情を言いたい気分です。
日本の出版社がダメになるわけです。

もう一冊は『記録集 旅地蔵 阿賀をゆく』。
この本は、新潟水俣病につながっている本ですが、水俣病に関しては直接的な記事があまりなかったので残念でした。
しかし、元気づけられる本です。

■HSP交流会「絆の会」(2019年9月10日)
今回は、絆の会の加納さんのお話をお聞きしました。
HSPは、ゲーム実践者の交流会になったので、あまり参加しなくなっていたのですが、今回は参加させてもらいました。
加納さんの話は、改めて湯島のサロンでもお願いしようと思っていましたが、先を越されてしまいました。

■久しぶりの大森(2019年9月10日)
胃がん手術をして、いま抗がん剤治療をしている友人から電話があり、オブジーボの検討をすることになったというので、心配になって見舞いがてら訪問しました。
彼は私の小学校時代の同級生で、いまも大森で靴屋さんをやっています。

久しぶりなので、駅からお店まで歩きました。
10分ほどですが、駅から続く商店街を歩くだけで時代の変化やまちの様子が少しうかがえます。
まだにぎわっている方だと思いますが、やはり商店街の核になっていた大型店が店じまいしてきています。

彼の靴屋さんは、商店街の外れで、昔は大田区役所のすぐ近くだったのですが、区役所が移転したため、周辺はかなりさびれてしまいました。
彼は今もお店を開いていますが、あんまり商売っ気はなく、来客には大幅に割引して販売しているようです。
私にも、夏のいい靴があると用意してくれていて、お土産に持って行けと言われたのですが、最近は私はサンダル族になっているので、丁重に辞退させてもらいました。
実は彼からはすでに2足の靴をもらっているのですが、なかなか履く機会がありません。
今日も、急に行くことになったので、靴ではなくサンダルで行ってしまいました。
彼はがっかりしたかもしれません。
なにしろ、彼は、私にはサンダルは似合わない、靴を履け、といつも言っているのです。

幸いに彼は元気そうでした。
オブジーボも、検討策の一つだそうです。

久しぶりに彼とゆっくり話しました。

■手賀沼プロジェクトに松清さんが参加してくれました(2019年9月13日)
手賀沼ねぶた構想の発案者の櫻井さんと一緒に、柏の市民活動サポートセンターの松清さんを訪ねました。
松清さんとは最近ちょっと会っていなかったのですが、姿勢をぶれさせずにやっています。
柏の市民活動の拠点、パレット柏も案内してもらいましたが、実に活気を感じました。

松清さんも、プロジェクト企画のコアメンバーになってもらうことにしました。
プロジェクトは、これで一歩前進です。

■東レCI立ち上げ時の仲間との会食(2019年9月13日)
東レで最後に取り組んだプロジェクトがCIプロジェクトでしたが、その最初のメンバーの渕野さんと坂上さんと3人で食事をしました。
渕野さんの呼びかけです。

東レのCIプロジェクトは、私がボスの副社長に提案して、取り組ませてもらったプロジェクトです。
いまから思えば、よくまああんなプロジェクトを任せてくれたと思います。

ボスから社内からメンバーを選んでいいというので、最初に選んだのが渕野さんです。
当時、社長提案が行われていて、それを読んだうえで、彼に声をかけました。
それまで彼とは面識がありませんでした。
会社を辞めてもいいくらいの気持ちで取り組みたいが、それでもいいかと伝えて参加してもらいました。
このプロジェクトは、私だけではなく、彼の人生も変えたかもしれません。

プロジェクト立ち上げに際して、2人で、東レの全工場をまわりましたが、その体験はかなり強烈でした。
坂上さんは、事務スタッフが必要だと言って採用してもらいました。
まだ在学中からアルバイトで来てもらいましたが、大活躍してもらいました。
その後、メンバーは増えましたが、立ち上げ時期の2人には特別の親近感があります。

渕野さんが、たぶん、私が逝ってしまう前に会食しようと企画したのでしょう。
秋葉原の「おはし」という創作料理のお店で、和食とイタリアンの組み合わせがとてもおいしかったです。

■第1回リンカーンクラブ研究会(2019年9月14日)
「敗戦後の日本から抜け出るために」を大きなテーマにしたリンカーンクラブ研究会が始まりました。
リンカーンクラブ代表の武田さんを中心にした気楽なゼミ形式で、毎月第2土曜日の午後、開催していく予定ですが、メンバーは固定せずに、公開スタイルで進めていきます。
毎回、テーマを設定しますので、関心のあるテーマだけの参加も可能です。
今回は、敗戦後の日本の政治状況をどう見ているか、そうした現状をどう変えていこうと考えているかを意識しながら、課題を確認するような内容になりました。

最初に参加者各人から、「戦後の自民党政治の問題点」を自由に話してもらいました。
次のような、さまざまな意見がでました。

日本人古来の忖度文化を悪用した政治が続いて、いまや国家としてもアメリカに忖度する政治になってきている。
ほんとに民主主義になったのか、戦前の没個性のお上意識が戻ってきているのではないか。
日本人は結局、連帯して動くことができなかった
こんな日本しか作れなかったことで、自分に腹が立つ

ある時から、日本の未来をしっかりと考える本物の政治家がいなくなってきた。
脱政治化された国民国家になってしまったが、今回の山本太郎現象に一筋の光を感ずる。
敗戦後の革命で得たものは失われてしまった、また新たに積み重ねていかねばいけない。

今回の千葉の台風被害のように、予見されていたにもかかわらず、政府はそれよりも内閣改造を優先。災害後の実状も、実際にヘリを飛ばせばわかったはずだが、政府はアクションしなかった。そこに今の政治の本性が象徴されている。
マスコミは政府に利用される存在になってしまったが、今回の台風被害も、ツイッターで現場の人が声をあげてようやく実状が顕在化した。そこに新しい可能性を感ずる

アメリカが倒れそうで中国が力を増している国際情勢の中で、外圧によって、日本は変化を余儀なくされる状況が強まっている。その一方で、国内的にはITによる国民監視が強まっている。いずれにしろ、大きな分岐点にある。

参加者からはこんな意見が出ました。
それを受けて、武田さんからは、概略次のような話がありました。

敗戦後70余年、自民党の政治と言えば、やれることを最大限やってきた政治と言える。
国民に嘘をつき隠ぺいし、憲法に反してまで強引にやってきた政治であり、今やまるで独裁国家のように、自民党は日本国憲法さえも自己の政治の道具にしてしまった。
そして、こうなった責任の大半は、政治に無関心であった国民にもある。
しかし、その自民党政治の限界が見えてきた。

つづいて、安全保障、財政、外交などの具体的な領域において、そうした政治状況が引き起こしている具体的な問題に言及し、有力な自民党議員の血縁者によって占められ「政治ムラ」ともいうべき利権グループ(これは武田さんの表現ではないのですが)に政治を任せておいていいのかと呼びかけました。
いまここで立たねば、未来は開けていかないのではないのか、という武田さんの思いを感じました。

そこから話し合いです。
研究会ですので、あまり逸脱することのないように注意しながら進めましたが、語られた話題を少しリストしておきます。。

政治を決めるのは「制度」か「人」か、どちらがより重要なのか。
象徴としての人間天皇の存在意義。
議会制度や選挙の問題。
マスコミメディアの持つ政治力。
そもそも憲法とは何か、また日本国憲法の成立過程をどう理解すべきか。
政治に根幹としての、どういう国を目指すのかと言う「国家ビジョン」。
政治に目を向ける余裕のない若者世代。
こういう政治を語る場を増やしていくことの大切さ。
こういう議論をどう行動につなげていくか。

ほかにもいろいろとありましたが、個別問題への意見はともかく、現在の危機状況を変えていかなくてはという思いは、参加者全員が共有していたと思います。
となると、ただ話し合っていただけでは、武田さんが言うように、主権を持つ国民としての責任を果たせません。
そのためには、これも武田さんが最初の話で強調しましたが、実態を知らないが故に反応できないでいるという状況から変えていく必要があります。
こうした学びの場がもっと必要です。
同時に、学んだことをできる範囲で実践していくことも大切ですし、それ以上に、社会への働きかけもしなければいけません。

話は大きくなってしまいましたが、しかしまずは、研究会で学び気づき、政治への関心を高めていきながら、時に個別課題の勉強会、さらには公開フォーラムを開催していこうということになりました。
そうしたさまざまな活動が、この研究会から生まれていくようになればと思います。

当面は、毎月第2土曜日の午後に研究会を開催します。
固定メンバーとして参加したい方はご連絡ください。

次回(10月12日)は、まずは「目指すべき国家像」をテーマにします。
政治を語るに際して、大切なのはどういう国を目指すのかと言うビジョンですから。
参加者は、あらかじめ自分が考える「こんな国にしたい」と言う国家像を考えてきてほしいと、武田ゼミ先生は言っています。
よろしくお願いいたします。

(2019年9月第1週)
■我孫子まちづくり編集会議定例会(2019年9月1日)
■妻の13回目の命日(2019年9月3日)
■茶色の朝サロン「最近、ちょっと気になることから政治を考える」(2019年9月4日)
■エルモットサロンを始めることにしました(2019年9月4日)
■畑が大変です(2019年9月7日)

■我孫子まちづくり編集会議定例会(2019年9月1日)
前回、具体的なプロジェクトの形が見えてきたので、開催が頻繁になってきました。
今回からメンバーが一挙に若返り、高校生1人、中学生3人が参加してくれました。
大きな方針が確認され、ともかく具体的に動き出そうということになり、来週また開催されることになりました、
前回話題になったイベントプロジェクトは、中高生には大人気で、みんなやりたいというだけではなく、主体的に動き出しそうです。
私自身は、まちづくりの主役は若い世代が一番いいと思っていますので実にうれしい話です。
私の出番はだんだんなくなっていけそうです。
間もなく内容も含めて公開できると思います。
我孫子は面白くなっていきます。

■茶色の朝サロン「最近、ちょっと気になることから政治を考える」(2019年9月4日)
BMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を再開しましたが、女性3人、男性7人の参加でした。
男性の人数が多かったこともあって、なかなか生活視点での議論には向かいませんでした。
しかし、家族問題や夫婦関係の話が出て、世代間や男女間の生活感覚の違いが話題になったのは、これからの政治を考える上でも大きな示唆があったように思います。

サロンを始める前に、ニーメラーの後悔の言葉を読み上げさせてもらいました。
ご存知の方も多いと思いますが、引用させてもらいます

ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。
自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったから何も行動に出なかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをどんどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。
自分は牧師であった。
そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった。

最初の口火は、「不安」を感じているという男性の発言から始まりました。
その「不安」は、さまざまなことから起こり、またさまざまなものにつながっているようです。
その人は、息子との会話で、世代によって情報環境が大きく違っていて、そこから生ずる生き様の違いや政治感覚の違いに「不安」を感じているようです。
むかしと違って、どうしてみんなの考えがこんなに違ってきてしまっているのか。

対称的だったのが、女性から出された「まわりの奥様たちの不満」でした。
たとえば、経済的に夫に依存している(稼ぎが少ない)が故の夫への対抗力の弱さ。
それが、夫への「不満」、生活への「不満」につながっているようです。
経済的には男性優位の社会は、相変わらず続いているようですし、女性の考え方も意外に変わっていないのかもしれないと私は感じました。

「不安」と「不満」。
これが今回のキーワードだったように思います。
不安と不満は、似ているようで、発想の起点が真反対です。
不安は外部からやってきますが、不満は自分の中から生まれます。
不安は感ずるものですが、不満は抱くものです。
そして、不満は自らでも解決できますが、不安の解決は自らだけでは難しい。
いや自らではなかなか解決できないからこそ「不安」なのです。

最近の香港のデモは「不満」が原動力でしょう。
個人の不満が社会をかえるほどの動きを生み出し、政治を変えつつあるわけです。
日本の女性たちが抱いている「不満」とはだいぶ違います。

「不安」から考える政治と「不満」から考える政治。
もしかしたら、そこに男女の政治感覚の違いがあるのかもしれません。

「家政」という言葉があるように、家族(社会の基盤となる集団)の関係を豊かなものにしていくことも「政治」です。
古代ギリシアは、女性が家政を、男性が国政を守っていました。
両者は、深くつながっています。

国政の基本ともいうべき家政が乱れると国政も一挙に変わりかねません。
「不安」を表現した人は、舞台劇「朝のライラック」の話をしてくれました。
「イスラム国」に支配されたシリアの架空の村を舞台にした、政治によって家族が壊され、個人の人格が踏みにじられるような衝撃的な話です。
ところが、その人は20年ほど前にシリアに行ったことがあるそうですが、その頃のシリアはとても平和で、シリアの人たちは、とんでもなく善い人ばかりだったと言います。
それが、政治によって、あっという間ほどの短時間で今のように荒廃してしまう。
ある朝、起きたら世界が茶色になってしまっていたというのは、日本でも十分にありうる話だと言うのです。

不安を与える社会と不満が高まっている家族は、実は相似関係にあるようにも思います。
社会の荒廃は家庭を壊し、家庭の荒廃は社会を壊していく。
逆に、豊かな社会が家庭を豊かにし、豊かな家庭が社会を豊かにする。

私は、食の不安とか児童虐待とか消費税とか年金とか、そういう話が出てくるかと思っていましたが、そういう話はほとんど出てきませんでした。
出てきたのは、「大きな不安」と「目先の不満」でした。
しかし、ここにこそ、いまの日本の政治の本質が示唆されているのかもしれません。
私たち一人ひとりの生き方を正すことから政治を正していきたいと思っている私には、とても考えさせられるサロンでした。

ちなみに、話し合いでは、不満を持っている女性たちのエネルギーを、社会を変えていく力につなげていけないかという話もありました。
もしかしたら、そういう動きが始まるかもしれません。

■エルモットサロンを始めることにしました(2019年9月4日)
先日のサロン「見えない世界を感じながら生きている人が構想する地上の楽園」には参加者が多くなりすぎて、途中で受付を中止させてもらいました。
サロン終了後も関心が寄せられましたので、サロンでの話題提供者のエルモットの内藤さん(カシュカシュさん)と相談して、毎月定期的にエルモットサロンを開催することになりました。
前回のサロンでは、理念と構想の話でしたが、エルモットサロンでは、具体的なプロジェクトや実行計画に関して話し合いながら、時には埼玉県の寄居のエルモットカフェで体験的なセッションやプログラムも展開していく予定です。
主催者はエルモットですが、エルモットの理念はコムケアやCWSコモンズ村の目指すところともつながっていますので、私も共催者になりました。

第1回目は9月19日の夜です。

■畑が大変です(2019年9月7日)
最近、畑に行くのが恐ろしくて、行く気になりません。
しばらく行かなかったため、2年前のようなひどい状況に戻ってしまい、この老体では立ち向かえなくなってきているのです。

昨日は行こうと思えば行けたのですが、孫が来たりして、安きに逃げて行きませんでした。
今日は夕方、不幸にも時間が少しあいてしまいました。
だいぶ迷いましたが(最近、決断力が萎えています)、思い切って出かけました。
予想以上にすごいことになっていましたが、ひまわりと百日草は野草に抗ってがんばっていました。
それで、また来るからと野菜たちに声をかけて、水をやるだけで戻ってきました。

野菜もキュウリやナスががんばっていましたが、キュウリはがんばりすぎて、巨大になっていて、普通の食用には向きそうもありません。
さてどうするか。
ナスは食べられそうです。
ミニトマトはみんな熟して落ちていました。
こらえ性がなくて、困ったものです。

問題は、メロンだと思って種を蒔いたものが畑中に広がっていました。
記憶では、滋賀の高月のメロンがおいしかったので、そのタネを取っておいて蒔いたはずなのですが、成っていたのはメロンではありませんでした。
遺伝子操作した記憶はないのですが、いろんなタネを一緒に瓶に入れておいたので、タネ同士の情報交換が行われたのかもしれません。

よくわからいので、青いのと茶色になったのをいろいろと収穫してきました。
娘が調べたら、ピーナツなんとかと言う野菜のようです。
茶色が正解でした。
しかし、どうしてメロンがピーナツなんとかになってしまったのか。
日本のタネは危機状態です。

さて少し涼しくなったら、しっかりと畑作業を再開しなければいけません。
野草の陰にいろんな野菜もあるはずなのですが。

(2019年8月第4週)
■「見えない世界を感じながら生きている人が構想する地上の楽園」サロン(2019年8月25日)
■ユカは気管支拡張症でした(2019年8月27日)
■病魔に覆われています(2019年8月29日)
■スイカがやっと食べられました(2019年8月30日)
■湯島サロン「永世非武装中立国コスタリカ〜今日を築いた方々を訪ねて」報告(2019年8月31日)

■CWSサロン「見えない世界を感じながら生きている人が構想する地上の楽園」(2019年8月25日)
異文化次元交流カフェ主催者の内藤さんが構想する「地上の楽園」をテーマにしたサロンは申し込みが多くて、参加募集を締め切るほどでしたが、当日は、目に見えない自然の摂理が働いたのか、20名以内に収まり、おかげで私もきちんと話を聴けるサロンになりました。

案内でも書きましたが、内藤さんが目指す「地上の楽園」は次の3つが実現されることです。
 * 人種を問わず、安心して笑い合い、交流できる。
 * 人間の本質である「創造性」が発揮できる。
 * 人間としての尊厳が保たれている、正当に評価される。
その実現に向けて、内藤さんはいま、埼玉県の寄居の“エルモット”を拠点に活動しています。
詳しく知りたい方は、内藤さんのホームページをご覧ください。
http://ermot.jp

内藤さんはまず、「地上の楽園」構想と今それがどういうところまで来ているか、そしてこれからどう展開しようとしているかを、自分のこれまでの活動も含めて話してくれました。

地上の楽園は、「場所」であるとともに「人が創り出すコミュニティ」です。
そこに集まる人たちは、「世界と自分が一体であることが感じられ、あらゆるものに生命が満ちていて、すべてのものごとに意義が感じられる状態」であることが望まれます。
そしてそうなるためには、エゴの殻で自分をまもって生きている状態から、エゴを手放し、自分らしくのびやかに生きている状態へと自己を変えていかなくてはいけない。
内藤さんは、それを自らの精神を成熟させるという言い方をしました。

「地上の楽園」は、成熟した精神の人たちだけのコミュニティではありません。
そこに暮らすことで、精神が成熟していくようなコミュニティでもあります。
精神の成熟に向けて、自らの中にある「精神の可能性」を「発芽」させるための要素は、日本の伝統文化の中に豊富に含まれていると内藤さんは考えています。
そこで「地上の楽園」の実現のためには「和文化体験」を重視しています。
武芸・工芸・文芸だけではなく、日常の生き方に残っている和文化のなかにも、精神を発芽させる要素がたくさんあると内藤さんは考えています。
“エルモット”にはさまざまな国からお客様がありますが、彼らと接して、内藤さんはそういう思いを強めているようです。

さらに、“エルモット”では、精神の成熟を補完するものとして、ヒーリングや各種講座も用意されています。
“エルモット”の場所は、埼玉県の寄居ですが、ここは数年前に内藤さんが訪れて、「ここだ!」と感じたところだそうです。
私も何回か行きましたが、たしかに気を感ずるところです。

“エルモット”を拠点に、内藤さんはすでにさまざまなプログラムを展開中ですが、いまはまだ個人活動にとどまっているためなかなか広がりが出てきません。
この構想をもう一歩前進させるために、独立自由な人たちがゆるくつながり、精神の成熟を高め合う、そんなコミュニティが、いま内藤さんが目指している課題のようです。
この構想に共感した人たちが集まりだして、それぞれが自らのやりたいことを実現するプラットフォームが生まれれば、構想は実現に向かいだすでしょう。

お話を聴いた後、話し合いが始まりました。
もう構想ができているのだからどんどん進めればいいという意見がある一方、構想が抽象的すぎてわかりにくいのでもう少しテーマや方向を絞ったらどうかという意見もありました。
今回、内藤さんは「見えないビジョン」をできるだけ言葉にし可視化するために、見える世界の言語や思考の枠組みを組み込んで話してくれましたが、それが却って混乱を起こすのではないかという指摘もありました。
たしかに見えない世界のビジョンを言葉で説明するのは難しいです。
言葉で説明するよりも、絵や書で伝えられないかという指摘もありました。
あるいは、踊りや歌のような「楽しさ」をもっと前面に出して、まずは人が集まりたくなる場を考えたらどうかという提案もありました。

みんなが幸せに暮らせるコミュニティづくりは、これまでもありましたし、いまもあります。
しかし内藤さんが目指しているのは、仲間内の楽園ではなく、開かれた楽園であり、世界(宇宙)に広がっている楽園です。
そこに難しさがあり、わかりにくさがあり、しかし魅力と新しさがあるように思います。

今回のサロンのいろんな意見が、内藤さんの構想実現に役立つといいのですが。

サロンをさせてもらって、1回の話だけではなかなか伝わらないと思いました。
それで改めて、寄居の“エルモット”で体験型サロンをやってみるのはどうかと思いました。

最後に私の感想を一言。
精神の成熟とか自己超越とかいうことは難しいですが、内藤さんが話した「自分らしくのびやかに」に生きることは、その気になれば誰にでもできることです。
そういう生き方をしている人が、寄居に3人集まったら、地上の楽園は育ちだすのではないかと思いました。
いや、その気になれば、それぞれの人が自らの周りに「地上の楽園」を創り出せるのではないか。
「地上の楽園」は、もしかしたらみんなのすぐそばにもうあるのかもしれません。
そんな気がしました。

■ユカは気管支拡張症でした(2019年8月27日)
先週はユカの病院に付き合いましたが、再診の結果、気管支拡張症でした。
2〜3年はかかるそうで、いささかがっかりしました。
薬で治療していくそうです。
まあしかし原因が分かった良かったです。

■病魔に覆われています(2019年8月29日)
娘の病気だけではなく、最近、周辺のいろいろと病魔に覆われているような状況です。
胃がん手術した友人が、水が溜まりだしたというのは一番心配しましたが、最悪の状況ではなかったようです。
肺がんの疑いのあった友人は、別の、しかし難病であることが判明し、いま治療に少し苦労しています。
兄は大腸にポリープが見つかって摘出入院。
などなど、いろいろとあります。

私自身も、どうもどこかに変調を感じますが、どこが悪いのかわかりません。

最近連絡のない友人知人が数名いますが、連絡を取る気力が出てきません。
元気だといいのですが。

■スイカがやっと食べられました(2019年8月30日)
お盆に買った丸い大きなスイカを切る機会がありませんでした。
孫が風邪をひいてお盆は来られなかったからです。
夏には丸いスイカを切って食べる文化を孫には継承したいと思っているのです。

お盆の後は、娘が体調を崩したりして、スイカを切るタイミングを失していました。
今日、ようやく、孫がクワガタをとったからと言って見せに来ました。
ようやく切れました。
幸いに棚落ちもしていなくて、甘いスイカでした。
これでわが家の夏も終わりました。

■湯島サロン「永世非武装中立国コスタリカ〜今日を築いた方々を訪ねて」報告(2019年8月31日)
昨年、コスタリカを訪問した折原さんにお話ししていただくサロンは、3時間近い時間だったにもかかわらず、まだまだ話し続けたい内容の濃いサロンになりました。

最初にドキュメンタリー映画『軍隊をすてた国』(短縮版)をみんなで観てから、折原さんのお話をお聞きしました。
話は、コスタリカのサモラ弁護士の日本での講演内容と質疑応答の要旨、それに続いて折原さんが現地で見聞してきたことの報告でした。
案内文にも書きましたが、サモラさんは大学生の頃からコスタリカの非武装中立を確実なものにするために活動してきた人です。
日本での各地の講演活動には折原さんも同行されました。

とても内容の濃い話で要約することは難しいので、特に私がお伝えしたいことだけに絞って、少し私見も加えて、報告させてもらいます。
詳しく知りたい方は、当日のレジメ資料がありますので、ご連絡いただければ送ります。
また当日の録画映像もありますので、ご覧になりたい方はご連絡ください。

2003年3月、アメリカのイラク進攻が始まり、当時のコスタリカの大統領は、アメリカが呼び掛けた「有志連合」に、国民の反対を押し切って支援することを表明しました。
当時、大学の法学部の3年だったサモラさんは、「法学部の学生なら何かやらないといけない」と考え、憲法法廷(憲法問題を扱う最高裁判所)に訴状を提出、それを受けた最高裁は「大統領の発言はわが国の憲法と平和的伝統、永世中立宣言、世界人権宣言などに違反しており違憲である」と判決し、有志連合リストからコスタリカが削除され、永世非武装中立が守られました。
当時の日本でも反対デモは広がっていましたが、小泉政権はイラク派兵を決めました。
私も久しぶりにデモに参加しましたが、不発に終わり、以来、日本とコスタリカは、ますます対照的な方向へと動きを強めていきました。

コスタリカは、1949年に憲法で軍隊を廃止しています。
そして、1983年に永世中立を宣言し、2008年に「平和への権利」を憲法に明記しました。
折原さんは、「平和という状態は、単に軍隊や戦争がないという状態だけではなくて、すべての人が尊重されていること」というサモラさんの平和の定義を紹介してくれました。
今回の折原さんの話でも、コスタリカにおいて平和がどう捉えられているかの事例がふんだんに紹介されました。
たとえば死刑の廃止、電力のほとんどが自然エネルギーであること、富と権力の平等が重視されていること、経済も生活基盤を大事にしていること、大子どもたちの人権が大切にされていること、国家予算の4分の1が教育に充当されていること、それらはすべてコスタリカにおける平和の重要な要素なのです。
軍隊がなければ平和が実現するわけではありません。

選挙の捉え方も日本とはまったく違います。
大統領選挙は民主主義の祭典〈フェスタ〉と位置付けられ、子どもたちも巻き込みながら、お祭りさながらの展開がなされます。
学校での取り組みなど、興味深い話がたくさんありました。
そうしたことが、子どもも含めて国民みんなの政治への関心を高めているわけです。
政治は、生活や学校教育では「タブー」とされている日本とは全く違います。
日本での選挙投票率が低いのは、政府や行政や学校がそう仕向けてきた結果だということに気づかなければいけません。
ともかく、生活の視点で「政治」を語りださなければ、事態は変わらないでしょう。
これに関連して、主権者教育の話もだいぶ出ました。

コスタリカには、子どもが自分の意見を直接、政府に訴えていける仕組みもあります。
サモラさんが違憲と訴えたのも大学生の時でしたが、もっと若い世代が訴えを起こし、事態を改善した事例の話も折原さんから紹介されました。
子どもが自分の意見を言えるということは、民主主義がきちんと育成されていることだと折原さんは話されましたが、まったく共感します。
日本では、自分の意見を言わない大人たちを見ながら子供は育っていますから、未来は民主主義にはほど遠い社会になってしまいかねません。

書き出したらきりがないのですが、ほかにも示唆に富む話がたくさんありました。
たとえば、司法、立法、行政の3権から独立した「第4権」としての選挙最高裁判所があるという話も、いまの日本の状況を考えるととても示唆に富む話です。

話し合いもさまざまな論点が出されました。
主権者教育、武力攻勢があったらどうするのか、麻薬問題、格差は本当にないのか、平和の捉え方、アメリカとの関係、要は「寛容の精神」ではないか、さらには日本の憲法制定に関する話(「伊豆大島憲法」の話も出ました)など、紹介したいことも多いのですが、長くなるので省略し、最後に勝手な私見を2つだけくわえさせてもらいます。

コスタリカの軍隊放棄の憲法が制定される2年前に、日本では非武装条項(9条)を含む「平和憲法」が制定されました。
当時の世界情勢は、「国連軍構想」がまだ議論されていて、国家単位の軍隊をやめて、国家を超えた国連あるいは世界連邦にゆだねていこうという動きがありました。
まさにその構想に支えられて、日本国憲法の9条は存在基盤を得たと思いますが、コスタリカの軍隊放棄もそうした状況と無縁ではなかったと思います。
ですから、当時のコスタリカでは、万一の時には個別的自衛権はもちろんですが、集団的自衛権も認められていたそうです。
つまり、いざという場合は武装するという「覚悟」ができていたわけです。

個別の国家の武装放棄はそうした世界情勢とつながっています。
最初は同じ「軍隊放棄」から始まったコスタリカと日本が、なぜ今のように大きな違いになって来たかは、まさに世界情勢によるところが大きいです。
コスタリカはその後も、たとえばニカラグアとの国境紛争に際してアメリカの圧力をはねつけましたが、日本は朝鮮戦争でアメリカの傘下に入り武装国家への道を歩みだしました。
コスタリカと日本とどこが違っていたのかを、しっかりと考えることで、いろいろな示唆を得ることができます。

もう一つは主権者教育です。
折原さんは最後に、日本もコスタリカに学んで「主権者教育を通して民主主義立国へ、そして選挙外交と積極的平和国へ」に向かうべきだと総括されましたが、「主権者教育」という言葉には慎重でなければいけません。
コスタリカで実際に行われていることは、私はすばらしいと思いますが、それは決して「主権者教育」として行われているのではないように思います。
かつて「消費者教育」というのがはやったことがありますが、それと同じ落とし穴があるように思います。
この問題は、いつかサロンで取り上げたいと思っています。

ちなみに、コスタリカにもさまざまな面があります。
サロンでも少し話題になりましたが、コスタリカの抱える問題も含めて、コスタリカから冷静に学んでいくことが大切だと思います。

長くなってしまいましたので、これくらいにします。

(2019年8月第3週)
■我孫子まちづくり編集会議(2019年8月18日)
■「こころの時代」の禅シリーズ(2019年8月20日)
■慈恵医大病院での6時間(2019年8月22日)
■生活力の不在(2019年8月23日)
■宝蔵院の施餓鬼法要(2019年8月24日)

■我孫子まちづくり編集会議(2019年8月18日)
我孫子まちづくり編集会議の集まりでした。
11月目標で、公開イベントを開催する方向で、具体案を話し合いました。
今回は中学生も参加してくれました。
彼女は次回は小学生の妹も連れてきたいと言ってくれました。

メンバーの櫻井さんから具体的な、そして魅力的で広がりが期待できるプロジェクト提案があり、このプロジェクトを中心に具体的な展開策が話し合われました。
イベント目的ではない、人のつながりを豊かにする方向で動き出せそうでうれしいです。
9月の初めに時間を開催する予定ですが、そこで大枠が決まったら積極的に呼びかけをできればと思います。
来年の夏は、我孫子は面白くなりそうです。
全体のプロジェクトマネジメントに取り組む段階に来た感じです。

■「こころの時代」の禅シリーズ(2019年8月20日)
日曜の朝、Eテレの「こころの時代」の禅シリーズを見てしまいました。
岐阜正眼寺の山川宗玄さん(正眼僧堂師家)が禅について語ってくれるシリーズです。
毎月1回の放映でまだ5回目。まとめてみようと思って録画しているのですが、うっかり5回目を見てしまいました。
ある言葉が気になって、つい引き込まれてしまったのです。
それで、今日、録画していた4回分もすべて見てしまいました。
山川宗玄さんの個人体験をベースにしたお話は、禅には不案内な私にも素直に心に入ってきました。

実は数日前から、あれほど楽しみだった畑に行く気が失せてしまっています。
手が負えなくなったという状況もあるのですが、なぜか畑が私を拒否しだしているのです。
理由はわからないのですが、歓迎されていないのがよくわかります。
山川宗玄さんの話を聴いて、まだまだ私が頭で行動していることを思い知らされました。山川宗玄さんの生き方を学ばねばいけません。

■慈恵医大病院での6時間(2019年8月22日)
昨日、娘の付き添いで大学病院に6時間いました。
娘がちょっと無理がたたって近くの病院に昨日行ったのですが、専門医に診てもらうように大学病院を紹介されました。
昨夜は大変そうで、娘もほとんど寝ていないようなのです。
横になれないので、この数日あまり寝ていないそうです。
娘がそうなった理由の一因が私にあることもあって、娘からは断られましたが、ちょっと無理やり付き合ったのです。
最近体調があまりすぐれない私にとっての、ミニリトリートも兼ねていました。

病院の待合室は実に面白いです。

中年世代の夫婦が親の付き添いで来ていました。
私の後ろでよく話していました。
仲の良い夫婦なのでしょう。
職場の話のようです。
女性は、立場のある人の考えや姿勢を気にしていましたが、男性は「偉くなる人は信頼できない」と言い切りました。
この夫婦はいつか破綻するかもしれません。

スタッフの方が、時々、待合室に出てきて、患者の方と問診票の内容を確認することがあります。
たとえば、こんなやり取り。
「食事ではどんなものを食べていますか?」
「いいものを食べています」
とても感心しました。
実にいい答えです。

眠れないので心配で病院に来たという高齢の女性。
9時に寝るそうですが、2時半に目が覚めてしまう。
そこからなかなか眠れなくて、3時半には起きてしまう。
5時には朝食、6時にはボランティア活動で家を出るそうです。
昼間はまったく眠くないと言いますが、朝早く目が覚めるので、病院に来たそうです。
受け答えしていた病院のスタッフは、6時間近く寝ているので大丈夫ですよと言っていましたが、本人は不安だそうです。
ちなみに、前回は耳のところにちょっとできものができたので耳鼻科に来たが、先生から心配ないですよと言われたと言っていました。
来週はまた別の科に行って、先週は不眠を訴えたが、大丈夫だと言われたと言っている様子が想像できました。
それにしても、朝6時からの「ボランティア」活動はなんだろうかと気になりましたが、スタッフの方は質問しませんでした。
私なら訊いたのですが。

病院では呼び出しなどは番号で呼ばれます。
しかし、番号で読んでも反応しない人が多く、「失礼ですがお名前で呼ばせてもらいます。〇〇さん」と呼ぶと「はい」と手を挙げる人が多い。
幸いにまだ多くの人は番号で呼ばれるのに慣れていない。
それはいいとして、「失礼ですがお名前で呼ばせてもらいます」というのに違和感を持ちました。個人の名前は「個人情報」に属するからですが、番号で呼ぶ方がよほど「失礼」と思いますが。

それにしても、あれだけ大勢の人が次々とバスでやってきたのに、実に見事に流れに乗って、よどみなく「処理」されていく様子は感動的でした。
まもなく「社会」全体も、こういう感じになるのかなあとちょっと思いました。

■生活力の不在(2019年8月23日)
娘がダウンしたので、久しぶりに夕食の準備をしました。
お味噌汁を作ったのですが、なんだかおいしくないなと思ったらだしを入れるのを忘れてました。
一番簡単なものとして冷凍されていた餃子をあげたのですが、油を敷かなくてもいいというものでしたが、結果的にはフライパンについてしまい、とれなくなってしまい、上の部分を削り取って形のないものになってしまいました。
わかめもよく洗わずに、そのうえ、塩抜きしすぎて切ってしまったら、ぬるぬるでおいしくなかったです。

から揚げを買ってきたので、何とか大丈夫でしたが。
幸いに娘が食欲がなかったので、よかったです。
今日の夕食から娘が復活するでしょう。
餓死はしないですみそうです。
困ったものです。

■宝蔵院の施餓鬼法要(2019年8月24日)
宝蔵院の施餓鬼供養でした。
最近は兄が基本的には行ってくれて、私は途中から行くことが多いのですが、今年は明日から兄が検査入院なので、私が一人で参加することにしました。
宝蔵院の施餓鬼の日は、毎年猛暑という記憶がありますが、今日も暑かったです。
新盆の人は本堂内ですが、それ以外は基本的には本堂前につくられたテントで供養ですが、とても座りきれずに境内の涼しそうなところにみんな陣取っています。
私は始まるだいぶ前に行きましたので、手続きを終えて椅子に座ることにしました。
椅子に座るのは何年ぶりでしょうか。

施餓鬼法要は、餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される、と本には書かれています。
ちなみに、最近、テレビの「こころの時代」で、正眼僧堂師家の山川宗玄さんが、餓鬼への供養は「食べ物」ではなく、「滋養」だと話されていました。
「食べ物」ではなく「滋養」。
いろいろと考えさせられる言葉です。

(2019年8月第2週)
■畑作業がまた始まりました(2019年8月11日)
■孫とのバッタ取り(2019年8月11日)
■今年の精霊棚(2019年8月12日)
■迎え火(2019年8月13日)
■湯島サロン「沖縄・辺野古の現状2019年夏」(2019年8月13日)
■メンタルダウンからの回復?(2019年8月14日)
■パソコンに向かえるようになりました(2019年8月15日)
■湯島サロン「分け合う経済試論 ?資本主義の次の世界への可能性」(2019年8月17日)

■畑作業がまた始まりました(2019年8月11日)
猛暑が続いていますが、畑が気になって仕方がありません。
1日さぼると3日分くらいの作業が増えてしまいそうですから。
早朝に起きていこうと思っていたのですが、今日は寝坊してしまいました。
それ午後5時ころ、畑に出かけました。
大きく伸びきった野草にうずもれて草刈りをしていましたが、ここで倒れたらだれもきっと気づかないだろうなという気がしました。
いつもなら途中でやめることはしないのですが、今日は元気を残して作業を辞めました。
それでめずらしくしっかりした足取りで帰宅しました。
それにしても草の伸び方はすごいです。

草が伸びてよかったことはバッタたちがともかく元気で大きくなっていることです。
何回か目も合いました。
しかし、気のせいか、バッタの種類が少ないです。
キリギリスはもうこのあたりでは絶滅したでしょう。
去年、最後の一匹に出合ったような気がしますが。

夏大根はかなり大きくなったところでみんな野草に負けてしまっていました。
キュウリは相変わらず巨大キュウリになっていて、食べるには向いていません。
収穫はミョウガですが、これも気づくのが遅くて、半分ほどしか食用に向きません。
メロンの種を蒔いていたのですが、これだけが野草に負けずに広がっていて実もなっていました。
ミニトマトはたくさんなっていましたが、収穫する元気がなくそのまま。
いやに元気な野菜があったので、何も考えずに抜いてしまったら、なんとセロリでした。
もう少し待っていたら立派なセロリになったでしょうが、失敗しました。
やはり私は野菜作りには向いていないようです。
今年は自給できるほどの野菜の収穫を目指しましたが、とんでもありません。

花壇は少しずつ整理していますが、マリーゴールドやいろいろと蒔いたはずの花は見当たりません。
でも、百日草がだいぶ咲き出しましたし、ひまわりも咲きだしそうです。
琉球朝顔は元気すぎるほど元気です。
しかし、芝桜も松葉ボタンも野草に敗退してしまいました。
野草の花は元気なので、それを中心に花壇を設計すればよかったです。
でもまだ道を歩く人には、きれいですねと言ってもらえるところまでにはなりません。

たぶん花壇らしくなるにはもう1週間。畑らしくなるにはもう2週間。
それまで私の体力と気力が持つでしょうか。
むしろここを「バッタの楽園」に設計すればよかったです。

■孫とのバッタ取り(2019年8月11日)
孫が網と虫かごを買ってもらったというので、畑にバッタをとりに来るかと誘ったら、早速やってきました。
今朝も畑に草取りに行っていましたが、ショウリョウバッタがたくさん飛んでいました。



私は小学校時代は、夏休みにはどんな暑いときも昆虫採集と称して、朝も夕方も、林などに出かけていました。
いまも虫が大好きです。
孫にとっては初めてのバッタどり。
トカゲは手でつかめるそうですが、バッタは苦手らしく、大きなバッタは手でつかめません。
虫かごにたくさん捕まえて帰宅し、庭に放しました。

おかげで夕方の畑作業はさぼってしまいました。

■今年の精霊棚(2019年8月12日)
精霊棚を準備しましたが、今年の送迎の牛馬はいつもと少し違います。
まず迎えに行く馬ですが、大きなキュウリをつかい、巨大な馬にしました。
最初は前後が逆だったのですが、しっぽよりも首を伸ばした方が気持ちに合うような気がして、ひっくり返したら、なんだか恐竜のようになってしまいました。
いずれにしろ勢いがあって気に入っています。
見送りの牛は、最初は5センチほどの小さなナスでつくったのですが、あまりに大きさが違うので、小さなのはやめて2頭の牛にしました。
一頭は白い牛ですが、これはナスではなく、妻の実家から送られてきたメロンの種から育ったメロンです。
いずれも私が小作人として頑張っている畑から、今朝、いただいてきたものです。
ひまわりも畑からです。
カサブランカは、今年は失敗してしまったので残念ながら手作りではありません。
っして宮川さんから頂いた花のブーケを並べました。

お供え物は丸いスイカと杉野さんの梨。
これで用意はできました。

■迎え火(2019年8月13日)
ユカと一緒にお墓に亡妻を迎えに行きました。
例年より早く来たのですが、台風が近づいているせいか、すでにたくさんの人が来ていました。
お墓の掃除をして、お線香をあげて般若心経を唱えました。

それから持っていたろうそくに火をつけて、提灯ではなく洋風のランプにいれて、自宅に亡き妻を連れて帰りました。
両親は兄の家に帰ります。

ところで墓地で、若くして亡くなった黒岩さんに似た女性がいました。
すれちがい際になぜか彼女は私の挨拶しました。
墓地では、3回すれ違いましたが、毎回、何故か会釈していました。
知り合いではないはずですが、黒岩さんだったのでしょうか。

お盆には何が起こるかわかりません。

■湯島サロン「沖縄・辺野古の現状2019年夏」(2019年8月13日)
今年もまた、沖縄の東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長の緒方さんに、サロンをやってもらいました。
緒方さんは、アメリカで開催される平和を求める元軍人の会(VFP)の総会に出席する予定だったのですが、体調を崩され渡米は中止されたのに、サロンは無理を言って予定通り開催してもらいました。
ともかく緒方さんのお話をお聞きしたくて、緒方さんには無理をさせてしまいました。
サロンには、女性3人を含む、12人が参加しました。

最初に緒方さんは、アメリカのVFP総会で上映予定のDVDを見せてくれるとともに、総会で配布される資料の日本語版を配布し、それに沿って、辺野古をめぐる概況とVFP総会へのメッセージを紹介してくれました。
それに加えて、「本土」のマスコミがほとんど取り上げていない琉球新報のワシントン特派員からの衝撃的なニュースを紹介してくれました。
それによれば、最近、上下両院で可決された国防権限法案では、「辺野古を唯一」とする条文が削られ、「国防長官は沖縄やグアム、ハワイ、オーストラリアなどの部隊の展開計画を再調査しなければならない」とされているそうです。
さらに、代替基地としては、「アラスカ、ハワイ、米本土、日本、オセアニアのどこか」と提案されるようですが、ここに書かれている「日本」には「沖縄」は含まれていないそうなのです。
詳しくは、琉球新報の下記の記事をお読みください。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-961260.html
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190726-00000011-ryu-oki

ちなみに、琉球新報の記事にあるように、辺野古基地建設で失われようとしているサンゴ礁や自然の破壊を取り上げた映像ドキュメンタリー「我した島ぬ宝(私たちの島の宝)」も上映されるそうですが、日本のマスコミではなかなか伝わってこない動きが、沖縄の人たちの活動によって、アメリカでも始まっているようです。
日本でも、たとえば自然破壊とか軟弱基盤問題などが話題になりましたが、一時期の話題でそれが大きな流れの変化にはつながっていません。
もしかしたら、アメリカよりも日本の本土は沖縄から遠いのかもしれません。

まだまだ日本では、米軍基地問題は「沖縄の問題」と捉えられがちですが、問題は沖縄のみならず、日本全体の問題です。
沖縄の基地が問題なのではなく、日本に米軍基地があることが問題なのです。
そう考えれば、そもそも「沖縄基地問題」という言い方を変えることから始めなければいけません。
私が今回、一番反省したことはこのことです。

さらに言えば、問題は「米軍基地」ではなくて、現在の国政のあり方であり、私たちの生き方や政治への関わり方の問題です。
緒方さんは、話の中で、報道写真家の岡村昭彦さんの言葉を紹介してくれました。
「本土」の人から基地問題に関して何をしたらいいかを問われた時に、岡村さんは「基地の問題に何ができるかではなく、ご自分の周りにある問題に取り組んでもらえればいい」と応じたそうです。
とても共感できます。
同じような問題は、だれのまわりにもたくさんあるはずです。
それに実践的に取り組んでいえば、かならずそれは基地問題にもつながっていく。

それにしても、7割以上の住民が反対している辺野古埋め立てが、政府によって話し合いさえされずに進められているという、いまの政治のあり方を、私たちはもっと問い直す必要があります。
いつ、そうした政治が私(あなた)の身近な生活に及んでくるかもしれません。
その時に、当事者が7割反対しても押し切られる政治が生み出されているのです。

話し合いはいろいろと広がりましたが、私が一番ショックだったのは、沖縄の大学生たちがこうした「政治問題」に消極的になってきているということです。
若者たちの生き方は、社会の未来を示唆しています。
子育てや学校教育の問題は、決して「福祉問題」にとどまるものではないのです。

琉球・沖縄センターでは活発な情報発信を行っていますが、なかなか沖縄以外の地域には情報が届きません。
今回のように、緒方さんから直接お話を聞くだけでも認識は変わるはずです。
沖縄の実状や基地を取り巻く状況に触れられる場をもっとつくっていけないものか、と今回も思いました。

どなたかそういう場を企画しませんか。大学やNPOでも、個人でも、社会教育の場でも、その気になれば、いろいろと考えられます。
もしご連絡いただければ、私も一緒に考えさせてもらいます。

■メンタルダウンからの回復?(2019年8月14日)
やはり心身の状況がかなり悪いです。
軽いメンタルダウンの感じです。

実は、この3か月ほど、心身が安定せずに、息切れしながら元気を何とか維持してきているのですが、いろんなストレスがたまりすぎてしまいました。
いろんな人生に触れていると、毎年1回くらいは、大きくメンタルダウンするのですが、この2年、そうした大きなメンタルダウンがなかったことが、こうした状況をつくってしまっているのかもしれません。

今日は朝からグダグダと無為に過ごしていたのですが、先日、鈴木さんが紹介してくれた本を思い出して、図書館から借りてきました。
「人生は五十からでも変えられる」
外科医の平岩正樹さんが、53歳で東大の文学部に入学したり、トライアスロンに出場したり、フィリピンのスラムにホームステイしたりした体験を書いた話です。
やることもないので、夕方から時間つぶしのために読んでみることにしました。
難しい本は無理ですが、こういう本なら今の状態でも読めるだろうと考えたのです。
それにその本に、一か所、間違いがあるような気がしたからです。
そもそも、学びの場を大学に求めるという発想は、私にはまったくありませんし、恵まれた人の道楽話で、どうせ大した内容ではないだろうと思っていたのです。

ところが、読み出したら、すごい内容です。
本書のメッセージは、「新しいことを始めるのに、遅すぎることはない」です。
そのことを、説教調ではなく、自分をさらけ出すことで読者に感じさせてくれるのです。
しかも文章のスタイルが私好みです。
感動しながら、そして共感しながら、一気に読み上げました。
もちろんちょっと共感できないところもありましたが。

読み終えて、元気が戻ってきました。
まさか、会ったこともない人の体験記を読んで、こんなにうれしい気持ちになれるとは思っていませんでした。
平岩さんに感謝しなければいけません。

もっとも、私が本書を読んで確信したことは、「人生は80近くなっても変えなくても大丈夫」ということなのですが。

■パソコンに向かえるようになりました(2019年8月15日)
昨日読んだ本のおかげで、かなり正常化しました。
今日はパソコンに向かって先日のサロンの報告も書けました。
ちょっと気になっていた、ブレハーノフの「芸術と社会生活」も読めました。

しかし、まだ畑に行く元気までは戻ってきません。
台風を口実にさぼってしまいました。
台風は西日本ではかなり荒れているようですが、我孫子は風が強いくらいです。

■湯島サロン「分け合う経済試論 ?資本主義の次の世界への可能性」(2019年8月17日)
平田英二さん(やとじぃ/練馬区文化財保護推進員)の「分け合う経済試論」のサロンは猛暑にもかかわらず、14人の参加がありました。
いつもより時間を1時間延ばし、平田さんが作成してきてくれたテキストをベースに2時間近く、じっくりと平田さんのお話を聴かせてもらいました。

平田さんは最初に今回サロンで話すことになった背景を話してくれました。
「カネ、カネ、カネ…の世の中、やだなあ」と感じていた平田さんは、昨年、湯島でやった霜里農場の金子友子さんのサロンで、有機野菜を売るのではなく、あげちゃうことにしたらうまく回りだしたという友子さんの話を聴いて、目が開かされたといいます。
その後、平田さんは4回も入院をするのですが、その間、改めていろいろと本を読んだり考えたりしているうちに、「分け合う経済」ビジョンが形になってきたようです。
念のために言えば、平田さんは現場と実践の人ですので、書籍だけから組み立てられた仮設ではありません。
現場調査もしながら、自分の生きかたとつなげて考えてきたビジョンです。

話は、「アイヌの鮭交易」の話から始まりました。
それは、収穫した鮭を加工して、ある場所(チシャという一種の神域)に放置し、それを欲しい人が引き取っていくというようなスタイルです。
神域に放置することで、鮭は神のものになり、それを必要な人が活かしていくということで、個人の所有権の移転とはちがうのです。
神のもの(みんなのもの)を分け合って活かしていくという仕組みで、平田さんの提唱する「分け合う経済」のエッセンスが凝縮されているように思います。

そこから平田さんはアイヌ文化の成り立ちに話を転じ、北アメリカ先住民のポトラッチまで話を進めます。
アイヌの話は、社会のありように大きな示唆を与えてくれる内容でした。
そして、資本主義経済は「棚田経済」だと言って、水田稲作という装置産業が生み出した権力と格差の話に入っていきます。

その話をたっぷりしてくれた後、では格差を生まない経済取引はあるのかと問題を設定し、いくつかのモデルを紹介します。
その一つが、「分かち合う経済」ですが、それはそれですぐれた解決戦略だと思うと言いながら、やはり平田さんは納得しないようです。
視点が違うのです。
そして出てきたのが「分け合う経済」なのです。

平田さんはこう言います。
心情的な語感をもつ「分かち合い」よりも、物々交換や沈黙交易に対置できるような、フラットで動的な言葉として、「分け合う経済」を選んだ。

「分け合う経済」は必然的に仲がよい関係を作り出す、と平田さんは言います。
人間同士だけではなく、自然とも仲良くして、自然から分けてもらった恵みを分け合う。
自然の一部として生きる者どうしが自然の恵みを分け合う、ということです。
そして、狩猟採集民こそ、まさにそう生きてきたと平田さんは言います。
平田さんは、アイヌも含めて狩猟採集民が農耕と無縁だったなどとは思っていません。
その生き方というか社会のありようを言っているのです。
そういう時代に分け合って生きている人たちがどういう集落をつくり、どういう文化や死生観をもっていたかを、縄文環状集落モデルで説明してくれました。
これも示唆に富む話でした。

とまあ、そういう話をしてくれた後、平田さんは格差と戦争原理をなくす分け合う経済が持っている可能性を語ってくれました。

分け合うのであれば、できたものをできたなりで分け合えばよい。
コストパフォーマンスどころか、コストという概念さえない。
B級品や規格外というロスが生じることもない。
お返しもまた分け合いだから、必ずしも、もらったものに見あったものである必要はない。分け合える何かをお返しすればよい.
価格という制約がなくなれば、むしろ、物そのものの価値をまっさらな状態で受け止めることができるのではないか?

少なくとも生活に関わる領域を「分け合い経済」に変えていき、人びとと分け合い、自然と分け合えば、自然を過剰にいじめることなく、おのずと持続可能性の高い社会を維持することができるのではないか?
「各人ができることを分け合って働き(そこにいること自体ひとつの働き)、得られたものは平等に分け合う」ことによって、格差も小さくなる.
そこに「働かざるもの食うべからず」の思想はない。
「分け合う経済」は、戦争という人類最大最悪の不幸を避ける道にもなる。

いかがでしょうか。
そして最後に結論としての平田さんとしての行動宣言です。
「そういうことで、私はまず「あげること」からはじめることにしました」。
そういって、今回のサロンの資料をカラープリントで参加者全員に配布してくれました。
一冊の本にもなりそうな内容の濃い資料です。

話し合いも、賛否あって、いずれも示唆に富むものでした。
魅力的な議論も多かったですし、私の意見も書きたいのですが、長くなりすぎるので今回はやめます。
できたら参加された方がフォローしていただけるとうれしいです。

参加された方は、いろんな示唆を受け取ったと思われますが、平田さんが最後に自己宣言したように、いまの社会がもし生きづらいのであれば、まずは自らの行動を変えることから始めるのがいいと改めて思いました。
このシリーズのサロンは引き続き継続します。
話したい人がいたらご連絡ください。

〈2019年8月第1週〉
■HSP交流会『お箸を使ったゲームで遊んでみよう〜!』(2019年8月4日)
■湯島サロン「参議院選挙結果に感じたことを自由に話し合う」(2019年8月5日)
■久しぶりの李さん(2019年8月7日)
■すぎのさんの幸水(2019年8月9日)
■猛暑続き(2019年8月10日)

■HSP交流会『お箸を使ったゲームで遊んでみよう〜!』(2019年8月4日)
毎月第2火曜日の午後、『ほっとスマイルプロジェクト(HSP)』の交流会を開催していますが、8月は少し趣向を変えて、国際箸学会で推進している「箸ピーゲームと箸リンゲーム」の体験会を公開スタイルで開催しました。
ゲストにこのゲームの開発者でもある国際箸学会会長の小宮山さんに来てもらいました。
奇しくも8月4日は、「箸の日」。
猛暑の中を10人を超える人たちが参加。
ほっとスマイルプロジェクトのメンバー以外も、家族参加も含めて。4人が参加してくれました。

このゲームは、一言で言えば、一種のコミュニケーションゲームですが、一人で取り組んでも楽しいゲームです。
そのうえ、ゲームで楽しみながら箸の使い方・持ち方が上達する効用もあります。

今回の参加者の中には以前も体験し、実際に福祉施設などで活用している人もいますが、初体験の人もいました。
最初に小宮山さんから、箸ゲームの開発物語を少し話してもらった後、みんなでゲームを楽しみました。
まずは箸でピーナツを移動させる箸ピーゲームに取り組み、みんなで体験。
つづいて、5つの輪を、さまざまに箸を使いこなして移動したり形を造ったりのゲームです。
このゲームに本格的に取り組むのは、ほっとスマイルプログラムとしても初めてですが、箸ピーゲームとはまた違った面白さと効用がありそうです。

ゲームの体験中、笑いが絶えず、ほっとスマイルプロジェクトが目指す、ほっとスマイルな時空間が生まれました。
ともかく面白い、どうしてもっと普及させないのか、もったいないという声も少なくありませんでした。

最後に、体験感想を話しながら、どうしたらもっと広げられるか。あるいはさらに進化させられるかについて、話し合いました。
実践的な意見もたくさん出ました。
暑い中をわざわざ来てくれた、小宮山さんにも、少しお返しができました。
参加者の中には、早速、箸ゲームイベントを企画するという人もいましたが、これからの展開が楽しみです。

ほっとスマイルプロジェクトとしても、箸ゲームはひとつのプログラムメニューになるかもしれません。

■湯島サロン「参議院選挙結果に感じたことを自由に話し合う」(2019年8月5日)
2回目の「参議院選挙結果に感じたことを自由に話し合う」サロンには、猛暑にもかかわらず10人が集まりました。
前回に引き続き参加してくださった方もいます。
今回の選挙に、新しい政治の予兆を感じている人は少なくないようです。

最初は、やはり投票率の低さが話題になりました。
投票を義務制にしたらどうかという発言もありました。
難しく考えずに、自分が興味を持っていることを主張している人を選ぶことを若者に勧めているという話もありました。
ひとつのテーマで立候補することの是非に関する話し合いも少しありました。

山本太郎さんのところでボランティア活動をした人も参加されたので、山本太郎さんの話も多かったですが、おおむね共感する人が多かったように思います。
私も、山本さんの動きに、「政治家の政治」ではない「新しい政治」の予兆を感じた一人です。
それで最後に、2年前のサロンで話した「政治のパラダイム転回」の話をさせてもらいました。
配布させてもらったメモを添付させてもらいます。
ついでにサロンで話題になった政策シンクタンクの話も2年前に話させてもらっていますので、ついでに添付させてもらいます。
私は、上からの政治が下からの政治へと180度転回する予兆を今回感じたので、もう少し長生きしようと思ったほど、今回の選挙はうれしかったのです。

いろいろな立場の方がいたおかげで、さまざまな切り口や視点での話が出ました。
映画「新聞記者」も話題になりました。
知性と感性、政治と生活、言葉と実体、家政と国政、などという話も出ましたが、いろんな話題が出た割には、いつもと違って、あまり話が散乱しなかった気がします。
今回の選挙が、それぞれの政策や価値観の違いを超えて、多くの人に何か新しい動きを感じさせた結果なのではないかと思います。
その風が吹いているうちに、こういう話し合いの場が、いろんなところで始まればいいなと改めて感じました。

2時間の予定が結局また3時間になってしまいました。
こんなに盛り上がるのに、どうして政治を語る場が広がっていかないのか不思議です。

これを皮切りに、しばらく中断していたBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を9月から再開します。
難しい政治談議ではなく、生活感覚から政治を話し合い、政局的な政治から生活につながる政治を取り戻していく動きを起こしていければと思います。
そのためにも、政治に関する固定観念からもっと自由になる必要があります。
政治家たちに期待する政治ではなく、自分たちが主役の当事者としての政治を語る時代の幕開けです。

話したいテーマがあれば、ぜひご連絡ください。
話したい人がいたら、ぜひご連絡ください。
基本的に湯島のサロンは、話したい人に開放していきたいと思っています。

■久しぶりの李さん(2019年8月7日)
4年ほど前に湯島にやってきて、私をヨーダと評した若者が、やってきました。
私の知性がヨーダと言われたのではなく、風貌がヨーダと言われたのです。
困ったものです。
彼は韓国からの留学生で、当時4年生でした。
韓国での兵役体験もあり、その話をサロンでもしてもらいました。

卒業後、福岡の会社に就職したため、交流が途切れていたのですが、東京に行くので会いたいと連絡が来たのです。
地元での予定があったのですが、3年目の迷いに入っているかもしれないと思うと、ヨーダとしては会わないわけにはいきません。
それで予定を調整して、午前中に会うことにしました。

ところが迷いどころではなく、とてもいい会社で仕事を楽しみながら、新しい課題に挑戦しているようです。
身体や表情を見れば、彼がいまどんな状況にいるかはすぐわかります。
猛暑のなかを出てこなくてもよかったなと思いましたが、彼との話はとても刺激的でした。

少しだけ、最近の、日韓の関係の話もしました。
彼は時々韓国に帰っているようです。

■すぎのさんの幸水(2019年8月9日)
すぎのさんの幸水が販売され出したようなので、すぎのファームに購入に行きました。
杉野さんの息子さん夫婦がいまは中心でやっているようです。
息子さんの結婚相手は、私の知り合いの姪だったことを先日知りました。
世間は狭いです。

幸水が大好きだった妻に供えました。

■猛暑続き(2019年8月10日)
猛暑が続いています。
そのため、すっかりエアコン生活になってしまっています。
エアコンがリビングにしかないので、テレビを観るか本を読むかしかありません。
それで毎日なんだか充実感のない生活になってしまっています。

畑は危険なので朝、1〜2時間が限度です。
しばらく行っていなかったので畑はまた以前のようなひどい状況に戻ってしまっています。
収穫どころではありません。

(2019年7月第5週)
■CWSサロン「今回の選挙結果に関して話し合いませんか」(2019年7月28日)
■「湾の篝火」を読みました(2019年7月29日)
■庭の整理(2019年7月31日)
■2冊の本(2019年7月31日)
■猛暑続き(2019年8月2日)

■湯島サロン「キャリアコンサルタントになり100歳まで現役で働く」(2019年8月2日)
■手賀沼花火大会(2019年8月3日)

■CWSサロン「今回の選挙結果に関して話し合いませんか」(2019年7月28日)
久しぶりのテーマなしのオープンサロンを、「今回の選挙結果に関して話し合いませんか」に切り替えてしまったのですが、猛暑にもかかわらず6人集まりました。
一応、私も入れてですが。
話が盛り上がりすぎて、5時になっても終わりません。
内容は差し控えますが、山本太郎さんの話が一つの軸になりました。
また、選挙問題を超えて、中国や日本の未来も語られました。

参加者の一人が、こういう話し合いがもっと広がっていかなければいけないと話されました。
全く同感です。
しかし、この暑い日に、こうやってわざわざ500円の参加費まで払って話し合いに来る人は残念ながらそう多くないでしょう。
こういう場を維持するのも、そう簡単ではないのです。

しかし、山本太郎さんは500円の寄付からはじめて4億円以上を集めました。
まだ捨てたものではありません。
身銭と自分の時間を切ってでも社会を変えようという人たちが生まれだしたのです。
湯島のサロンも早くそうなるといいのですが。

サロンも諦めずに続けることが大事でしょう。
日曜日には参加できないので、平日に参加してほしいという方がいましたので、8月5日(月曜日)の午後にも同じテーマでの話し合いを開催します。

■「湾の篝火」を読みました(2019年7月29日)
縁あって田島一さんの「湾の篝火」という本を読みました。
上下巻で600頁を超える小説です。

2002年から2003年にかけて「しんぶん赤旗」に連載されたものです。
1986年に起こった大手造船会社の7000人の大リストラ計画に端を発した労使の闘争を、労働者とその家族の視点からドキュメントタッチで描いた作品です。
「赤旗」に連載されたことからわかるように、共産党や共産党員が当時の会社や世間からどう見られていたかも書かれています。

一時期、小林多喜二の「蟹工船」が話題になった時がありますが、あれを読んでもなかなか実感が生まれませんでしたが、本書は、少なくとも私には生々しい実感が伝わってきました。
1964年に会社に入り、工場の労務課に4年勤務したおかげです。

現在、「ブラック企業」が増えていると言われますが、いまの企業と当時(1960年代から1980年代にかけて)の企業の実態はまったく違っていたような気がします。
当時の企業には少なくとも「人間たち」がいた。
経営者側や使用者側にも、雇用者や労働者の側にもです。
そしてそれらを支える家庭や社会にもです。
本書を読んで改めてそう思いました。

いま考えれば、あの30年間に私たちは「心」を売ってしまったのかもしれません。
そんな気がする一方で、その時代を生きたおかげで、いまの私があることに、改めて気づかされます。
実感を持ちながら本書を読めたのですが、読み終えた後、郷愁を感じました。
あの時代がよかったなどとは言いませんが、良くも悪くも人間を感ずる時代でした。

私にとっては、4年間の工場時代がその後の私の人生を決めました。
最近の若者たちは、どこで自分の人生の起点に立つのでしょうか。

■庭の整理(2019年7月31日)
わが家の庭はいま、中心にたくさんの花鉢が置かれています。
しかもその半分以上は肝心の花や木は枯れていて野草が生い茂っています。
思い切ってその整理に取り掛かりました。
以前合ったところに鉢を返すことにしましたが、以前あったところがこれまた草でぼうぼうなのです。
なにしろ10年以上、手入れをほとんどしなかったためです。
たまたま猛暑に重なってしまったので、くたくたです。
熱中症になってしまいそうです。
いや、なってしまったのかもしれません。

庭だけではなく、家の中も散らかっているのですが、少しずつ戻していこうと思います。

■2冊の本(2019年7月31日)
机の上に2冊の本があります。
いずれも友人から最近、もらった本です。
友人からもらった本は原則として2週間以内に読んで紹介文をホームページに掲載することにしているのですが、この2冊はなかなか読めずにいます。

理由は2つあります。
内容が難しいそうなのと分量がすごいのです。
1冊は600頁を超え、もう1冊は800頁を超えています。
内容が、たとえば塩野七生さんのローマ人の物語のような娯楽書であれば、あるいは「ティール組織」や「負債論」のようなある程度背景を知っていて読み飛ばしできる本であれば、どんなに厚くても1~2日で読めますが、この2冊は私には苦手の分野なのです。
どんな本も、4日以上かかると前のほうを忘れてしまうので、原則として3日以内に読了するのが私の信条ですが、この2冊はどうも自信がありません。

その本とは「向井豊昭小説選 骨踊り」と「構想力と想像力」です。
前者は岡和田晃さんから、後者は半田智久さんから、もらったのです。
もっと薄い本にしてほしかったのですが、いずれも厚さが3~4センチもある。
私は、電車の中で読書することが多いのですが、これらの本は重すぎて持ち歩けません。
夜中に目が覚めてベッドで寝ながら読むこともあるのですが、重くて顔の上に落ちてきたら怪我をしそうなので、ベッドで読むのも避けないといけません。

今日は、猛暑で動けなかったので、読み出そうと思ったのですが、頭も暑さで作動していないようで、読み進めませんでした。
本をくださった2人の顔が浮かんできて、読もうという思いはあるのですが、いささか自信がありません。

読書の秋、といいますが、夏はやはり読書には向いていません。
秋になるまで、この2冊は忘れようと思います。

■猛暑続き(2019年8月2日)
連日、35度を超える猛暑です。
さすがに私もエアコンなしでは我慢できずに、わが家でエアコンのあるリビングで過ごしています。
今週はミニリトリート週間にしようと思っていたのですが、それどころではありません。
こんな暑さは久しぶりです。

死者も出ています。
友人の若い友人は農作業中に倒れてそのまま死亡。
私も注意しないとそうなりかねません。
畑どころではありません。

■湯島サロン「キャリアコンサルタントになり100歳まで現役で働く」(2019年8月2日〉
国家資格のキャリアコンサルタント養成講習を主催されている柴田さんにその紹介も含めて、100歳人生時代の働き方に関しても、問題提起していただきました。
他者のキャリア、つまり生き方にまでコミットしていくというキャリアコンサルタントという仕事を国家資格として認定していくという考え方に、いささかの違和感を持っていた私にとっては非常に関心のあるテーマでしたが、柴田さんの話を聞いて、少し考え方が変わりました。
両刃の剣であることは否定できませんが。

柴田さんは、最初にご自分のこれまでの働き方を最初に話してくれました。
柴田さんは、自らの生き方を悩みながら問い続けることを起点において、他者と関わっていこうという姿勢を持ち続けてきた結果、現在、行き着いたのが「キャリアコンサルタント」なのだと感じました。
柴田さんは、クライアント対象の単なるビジネスとしてキャリアコンサルタントに関わっているのではないようです。
ましてや、国家資格ができたから、それに便乗してのキャリアコンサルタント養成講習ではないのです。
自らのキャリアとの関係においてこそ、他者のキャリアやアイデンティティに関わっていけると考えている私としてはとても共感できました。
柴田さんはまた「ナラティブ」という言葉も使いましたが、そこにも柴田さんの人間的な姿勢を強く感じました。

キャリアコンサルタントは、簡単に言えば、これまでの経験を活かし、人に役立つ専門職です。
経験は人によってさまざまですが、どんな人もそれぞれの人生の中で、その人ならではの体験知を持っています。
失敗が多ければ多いほど、その体験知は貴重です。
しかし、それだけではせっかくの体験知も、その人だけの中で終わってしまう。
それを他者や社会に開いていくためには、コミュニケーションの実践知識や傾聴や対話、あるいは共創というスキルが必要です。
何よりも自分が「何者であるか」を認識しなければいけません、
それによって、自分の体験知が、そして自らの人生が社会性を持ってくる。
柴田さんは、そこに「キャリアコンサルタント」の大きな意義を感じています。
「キャリアコンサルタント」は、個人の生き方を支援することを通じて、会社や社会もよくしていくはずだと確信しているのです。
とても共感できます。

なによりも、苦労して得てきた人生の体験知を他者に役立てることで、キャリアコンサルタントになったその人が一番元気になり、豊かになるはずです。
そしてそれこそが、100歳人生時代の社会を豊かにしていくことになるでしょう。
いろんな捉え方はあるでしょうが、「キャリアコンサルタント」の発想には大きな価値があると思います。

話し合いもいろいろと広がりましたが、みんなまだ「金銭思考の呪縛」から抜け出せないでいるような感じを受けました。
この資格を取得したら「食べていけるのか」という言葉も出ました。
食べるための金額の話も出ましたが、年収200万円未満の友人知人が多い私は、なんだかあまりにも額が高くてついていけませんでした。
人はパンだけでは生きていけず、バラも必要ですし、なによりも、自らの価値を実感できることが必要です。
人生において大切なのは、「食べること」ではなく「生きること」です。

資格を取ったらそれで仕事になるという発想も問題です。
最近話題になっている吉本興業事件で、ある人が、吉本の学校を卒業したらもう自分は芸人だと勘違いしている若者が増えていると言っていましたが、資格は資格でしかありません。
弁護士資格を取っても食えるとは限らないと参加者の一人が指摘していたように、資格を活かして「価値」を生み出すからこそ対価が得られるのです。
資格は必要条件であって十分条件ではありません。
しかも対価とはお金だけではありません。
その発想を変えないと社会は変わらず、100歳人生時代は貧しい時代になりかねません。
逆に、そこを変えれば、人生は豊かになっていくかもしれません。

キャリアコンサルタントの考え方はよいとしても、なぜそれが国家資格なのかという疑問もでました。
現在の「働き方改革」もそうですが、政府が主導するとどうもおかしくなってしまうことは少なくありません。
しかしだからと言って民間主導で進めてもうまくいくとは限りません。
事実たくさんの資格が、資格ビジネスになってしまっている事例も多いです。
大切なのは、その制度を私たちがどう活かしていくかです。

養成講座の費用が高いのではないかという意見もありました。
自分の人生を豊かにするための費用と考えれば、私は決して高いとは思いませんが、そこにもまたキャリアの捉え方や金銭観の違いを感じました。

今回の報告は、いつも以上に私の私見が中心になってしまいました。
柴田さんの趣旨に反しているところがあるかもしれません。
この報告の文責はすべて私にあります。
キャリアコンサルタントに関心のある方はぜひ柴田さんが主宰している志木サテライトオフィスのサイトにアクセスしてみてください。
説明や講座などの情報があります。
https://telework.to/career/shikaku
柴田さんが出版している関連図書もあります。
https://telework.to/company/shibata

また機会を見て、掘り下げたいテーマです。

■手賀沼花火大会(2019年8月3日)
今年の花火大会には、娘たちの友だちがやってきました。
私を除いて全員が女性。
私の居場所はなく小さくなって花火を見ていました。
来年はオリンピックのせいで花火大会はないようです。
困ったものです。

今年櫃モチベーションと少し違った種類の花火が目立ちました。
終わり方も例年とはちょっと違っていました。

(2019年7月第4週)
■参議院議員選挙(2019年7月21日)
■畑の悲惨な状況(2019年7月22日)
■湯島サロン「農福連携から始まる農村イノベーション」(2019年7月25日)
■リベラルアーツとアート(2019年7月27日)

■参議院議員選挙(2019年7月21日)
昨日の選挙は、投票率の低さから状況は変わらないのかと思っていましたが、まさかこれほど「変わらない」とは思っておらず、投票結果が報じられだして30分でテレビを見るのをやめました。感じたことを2つだけ書きます。
まずNHKから国民を守る党が議席を得たのには驚きました。
ここまで来たかという感じです。
翌朝のNHKでは、各党の代表が選挙結果に関する意見表明を報道していましたが、2人の当選者を出したれいわ新選組の代表の山本太郎さんが取り上げられなかったのにも、ここまでやるかと思いました。
N国党の立花さんはちゃんと登場して感想を述べていました。
もう一つは、やはり山本太郎さんが起こした風のことです。
香港やアラブやフランスと違って、マスコミは一切無視したこともあって(中国の報道と同じです)、大きな風にはなりませんでしたが、間違いなく、風は起こりました。
原発反対や安保法制反対の時の国会前の動きとは全く違います。
ともかくも「政党」という持続的な仕組みとして動き出せるようになったということです。
生活者が主役になり、生活が起点になる政治が始めて動き出すということです。
立憲民主党も、生活者を主軸にした政治と呼びかけていますが、所詮はいわゆる「参加型」であって、政治家主役の統治起点の枠組みの中にあります。
活動の主舞台は国会ですから、要するに政権与党と本質的には変わりません。
与党に対する野党であって、言い換えれば、いまは与党ではないだけの話です。
それが何を意味するかは、先の民主党への政権交代ではっきりと示されました。
唯一、鳩山さんだけが、政治を変えようとしていたと思いますが、政権交代と政治の転回を十分に整理できていなかったのだと思います。

しかし、山本太郎さんの活動は、政権交代ではなく、政治のコペルニクス的転回です。
「れいわ」とか「維新」とかいう概念に呪縛されてしまったのは、山本さんの限界でしょうが、新しい動きにはそうした「失態」は必然的に付随してきます。
しかもそれにもまた価値があるともいえます。
私は最初、山本太郎さんが議席を失うとこの政党は無力化するだろうと思っていましたが、むしろ政治のコペルニクス転回を前提にして考えれば、代表は議席を持たない方がいいのかもしれないとやっと思い至りました。
山本太郎さんは「限界」などなく、もっと大きなものに動かされているのかもしれません。
風が大きくなるかどうか。
これからです。

■畑の悲惨な状況(2019年7月22日)
雨の合間に畑に行ってみました。
ひどいことになっています。
野草がほぼ完全復活し、野菜はみんな体調を崩している感じです。
ブロッコリーは溶けてしまい、本だけ辛うじて原型を確認できました。
そんななかナスだけが元気で、ひとつは20センチほどに育っていました。
早く陽射しが戻ってきてほしいです。
ただ復活してしまった野草の刈り取りを思うと、気が重いです。
しかし、自然の生命力はすごいです。

■湯島サロン「農福連携から始まる農村イノベーション」(2019年7月25日)
熊本で福祉と農業を基軸にして長年活動している宮田さんには、時々、湯島でサロンをしてもらっていますが、今回は、「農福連携から始まる農村イノベーション」をテーマに、最近の動きを話してもらいました。

宮田さんは最初に、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」に書かれている「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉から話し出しました。
そして、いまの社会はそうなっているのかの問いかけがあり、たとえば「食料品アクセス困難人口の増加」や「グローバリゼーション」、あるいは「障害者問題」などから、「人間疎外」の深まりが、そうした状況に向かうのを妨げていると示唆されました。
そして、そうした状況を打破する動きとして、農福連携に大きな期待を持っていること、その動きがひろく展開され出していることを、たくさんの事例で紹介してくれ、そこから社会の新しい枠組みの展望を語ってくれました。
とてもわかりやすく、まとまったお話でした。

宮田さんは長年、行政とも関わりながら、農福連携を推進してきている先駆的な実践者のおひとりですが、その体験から、問題は農業関係者と福祉関係者の出会いの場をどうつくっていくかだったと言います。
宮田さんの長年の苦労の一つはそうした場づくりだったと思いますが、ここにきてそうした場がさまざまな形で生まれてきた。そして、いま農福連携の第2ステップに入ったと言います。
障害者福祉施設が自分達で農業経営をしたり、農家・農業法人が自ら地域の障害者を雇用したり、さらには企業や社会福祉法人が農業分野で障害者の働く場を創出したり、さまざまな形で農福連携が生まれだしているのです。
宮田さんは4つのタイプに整理して、具体的な事例を紹介してくれました。
いずれの事例も、新しい可能性を示唆するものであり、こうした動きをもっと多くの人たちに知ってほしいと改めて思いました。

さらに、今年、農山漁村振興交付金の中に、「農福連携人材育成支援事業」という補助金項目が追加され、農業と福祉の中を取り持つ仕組みと人材育成のための『農業版ジョブコーチ』制度が始まりました。
宮田さんもこのプロジェクトに実際に取り組んでいくことになっています。

宮田さんはさらに「農福連携が求められるようになった理由」を国民国家の枠組みという大きなビジョンのなかで整理してくれました。
社会はよく「国家」「市場」「市民社会」の3つのセクターで語られますが、宮田さんはそれを踏まえて、社会的活動の担い手「セクター」が変化しだしているというのです。
そしてその新しい主役の位置づけが国家や市場を超えていくイメージを図示してくれました。
宮田さんは、実践者であると同時に研究者です。
こうした「現象を客観化する科学性」を大事にする宮田さんの論考はいつも示唆に富んでいて、俯瞰的な視野を与えてくれます。

宮田さんの話の大筋を紹介しましたが、途中で語られた具体的な話の中にこそ、宮田さんの思いが含まれているような気がします。
そのなかから、一つだけ、私が一番印象的だった話を紹介させてもらいます。

それは高知県のナス農家でアルバイトをしている若い女性の話です。
職業適性検査で、「どこも採用する企業はないかもしれない」といわれた女性が、農福連携に取り組んでいる農家で今は楽しく働いているという話です。
詳しいことを知りたい方はご連絡いただければ新聞記事を送らせてもらいますが、そういう話は多分かつてはよくあったことではないかと思います。
つまり農福連携は、昔は日常的にあったことかもしれません。
そう思うといまの時代の根底に「人間疎外」があるという最初の宮田さんの言葉がとても腑に落ちます。

最後に宮田さんは、自らも関わっているスリランカの子どもたちの写真を見せてくれました。
子どもたちの表情はみんなとても輝いている。
福祉というと何やら難しいことを考えがちですが、私は要するにみんなの表情が輝いていることだろうと思います。
日本の最近の子どもたちはどうでしょうか。そして大人たちは。

宮田さんは『マタイによる福音書』の言葉で話を締めました。
「神の国の扉は、ただ、ぼんやりと待っているだけでは開かれません。(中略)主体性をもって努力する者にのみ運命は開かれているのです」。
宮沢賢治に始まり、マタイで終わる。
とても考えさせられる話でした。

話し合いもいろいろと広がり、予定を1時間も超えました。
宮田さんの話はとても共感できることが多く示唆ももらいましたが、私にはいくつか異論もありました。
そのため中途半端なコメントをしてしまい、話し合いを混乱させてしまいました。
その後の宮田さんの話を聞いて、疑問の多くは解消されましたが、一度また、宮田さんの実践やビジョンを掘り下げるサロンをしたくなりました。

私の異論は、経済政策や福祉政策として農業と福祉をつなげるという発想、あるいは社会活動セクターの捉え方に関してです。
もちろん、農福連携に異論があるわけではないのですが、せっかくの新しい視点が経済視点で「市場化」されていく最近の風潮への危惧の念を払しょくできないでいます。
私の異論はそこから発しています。

農業も福祉も、いずれも人間疎外に抗う存在であるとともに、時に人間疎外を引き起こしかねない存在でもある。
そのことに改めて気づいたサロンでした。

今回は農業に取り組んでいる人も数名参加してくださいました。
その人たちにもぜひこの「農福連携」サロンのつづきをやってもらえたらと願っています。
宮田さん
いつもながらいいサロンをありがとうございました。

■リベラルアーツとアート(2019年7月27日)
昨日、生活哲学学会プログラムの2回目でした。
開場はギャラリー冊。今回の講師は半田さんと東京画廊の山本さんでした。
5回目の講師の小布施の木下さんも参加されました。

東京画廊の山本さんはいくつかの現代アートをスライドで見せてくれました。
山本さんの話は現代アートの位置づけがよくわかって実に示唆的でした。
印象に残ったのは、いまは日本の現代アートを西に向かって投げ返しているという話でした。
いろんなことが含意されているのですが、どこに向かって投げ返しているのかという私の問いに、山本さんがバーゼルだと答えたことでした。
また次世代のアートの担い手はナイジェリアという話もありましたが、これまた実に示唆に富んでいます。

いくつかの作品に魅了されましたが、同時に私の世界とはもう違う世界になってしまったことを感じました。
作品の一つに、斎藤義重さんの“ドリル絵画”の“Untitled”がありました。
それを見ていた2つのものを思い出しました。
マルセル・モースが紹介していた北米先住民がかつて命よりも大切にしていたという宝器「銅板」。
そして、ルーチョ・フォンタナの切り裂かれたキャンバスです。

現代アートの未来が見えたような気がしました。

今回は「リベラルアーツと現代アート」というテーマだったので、いろいろと議論できそうな期待がありましたが、残念ながらそういう話し合いにはなりませんでした。
今回もゴーギャンの問いが話しのスタートだったのですが、ゴーギャンの問いに欠けていることを一言だけ話しました。
全く伝わらなかったと思いますが。

(2019年7月第3週)
■血圧がまた高い(2019年7月14日)
■湯島サロン「二宮尊徳に学ぶまちづくりと生き方」(2019年7月14日)
■緊急サロン「東アジアの秘密?なぜトランプは金正恩に会いたかったのか」(2019年7月15日)
■近隣センターの私物化(2019年7月16日)
■朴さんの掛軸(2019年7月16日)
■浅見徹さんとの出会い(2019年7月17日)
■れいわの風は起こるでしょうか(2019年7月17日)
■片づけ専門家の石田さん(2019年7月19日)
■第3回万葉集サロン「石見相聞歌に見る柿本人麿の「われ」の世界」(2019年7月20日)

■血圧がまた高い(2019年7月14日)
最近あんまり調子がよくないので、久しぶりに血圧を測りました。
なんと上は200を超え、下も100を超えていました。
これはいささか異常です。
いろいろとやってみましたが、下がらないので、とうとう久しぶりに降圧剤を娘からもらって飲んでしまいました。
困ったものです。

しばらく様子を見て、状況が改善されなかったら、クリニックに行こうと思います。
最近、怠惰になっているのは血圧のせいだったかもしれません。

■湯島サロン「二宮尊徳に学ぶまちづくりと生き方」(2019年7月14日)
露木さんの二宮尊徳シリーズのサロンは2回目です。
今回は、前回をさらに一歩進めた形で、ご自身のまちづくり実践にも触れながら、尊徳を解説してくれました。

二宮尊徳は実践の人だと言われていますが、露木さんもそういう生き方を志向して、マスコミの世界から生活に直結するまちづくりの世界に転じたという話から始まりました。
その話も示唆に富むもので、私はむしろそれをテーマにしたいほどでしたが、今回は尊徳の地域再建、財政再建がテーマです。

薪を背負って本を読んでいる二宮金次郎像が有名で、二宮尊徳といえば、勤倹努力を絵に描いた道徳(修身)模範生のようなイメージを持っている人も多いと思いますが、実際には、権力に対峙しながら、人々の生活の視点に立って、社会の変革に実践的に取り組んだ人です。
しかも、お金を効果的に回していく「報徳仕法」といわれる経済の仕組みを踏まえて、荒廃した地域や生活を、自らしっかりとリスクを引き受けながら、取り組んできた人です。
そこには、まさに現在、私たちが直面している財政問題や地域整備の解決への示唆がたくさん含まれています。
二宮尊徳の実践的な知恵は、いまこそ見直されるべき内容を持っていると思います。

尊徳の実践は、目標がぶれないことと行動の緻密さとダイナミズムです。
目標は、「富国安民」、つまり「民が豊かにならないと国は豊かにならない」という考えです。
「富国強兵」という言葉はなじみがありますが、「富国安民」という言葉はあまり聞くことはありません。
「国が豊かにならないと民は豊かにならない」という考えで、経済成長を発想の起点にしている現在の日本とは真反対です。
この一事だけでも、私は二宮尊徳の現代的意味を感じます。

あまり知られていませんが、二宮尊徳は社会を変えていくためにはお金が必要だと考えていましたから、コメ相場によって資金をためるという財テクの達人でした。
そうして得た財産は、村の再生に思い切ってつぎ込む覚悟の人でもありました。
現在の企業家と違うのは、財産の使い方の潔さと「富国安民」の信念です。

また、その取り組みは個人プレイではなく、さまざまな才能を持った人たちによるチーム尊徳の結成で総合的対応をしていたといいます。
ですから、尊徳がいなくなった後も、いまなお『報徳運動』として続いているわけです。

尊徳の取り組みの4大原則は「至誠・勤労・分度・推譲」といわれています。
大切なのは、社会のリーダーへの強い「分度」(無駄を排し支出に制限をかける)要請と庶民に対しても「推譲」(余剰金の社会への投資)を呼びかけたことです。
日本に寄付文化がないという人がいますが、報徳思想とは寄付文化そのものともいえます。

そうした取り組みで、二宮尊徳は日本各地の600にも及ぶ疲弊した農村を建て直したそうです。
こうした二宮尊徳の実践活動を露木さんはわかりやすく紹介してくれました。

露木さんは、1998年から2011年まで、神奈川県の開成町の町長として、地域整備に取り組んできました。
その成果は、現在の開成町の実状をみれば、わかります。
人口減少という時代状況の中で、開成町の人口は増え続けていますし、長期的な都市計画に支えられて、バランスのとれた開発がすすめられています。
小田急線から見える、公園のような水田風景を目にした人も多いでしょう。

露木さんは、ご自身のまちづくりの体験から、最後に「富国安民」のために尊徳に欠けていたものは何だったかを話されました。
それはなんと、ビジョンを共有させていくための「ほら!仮説」だというのです。
確信に裏打ちされた大胆なビジョンが、人々を喚起し、行動へと駆り立てる!
そういう面が、尊徳には足りなかったのではないのか、と。

露木さんのお父さんも、開成町の町長でしたが、1963年に開成町長選挙では、「ホラは吹いてもウソはつかない」を信条に、当時、水田のみといってもよい状況の開成町を「小田原に次ぐ副中心都市にする」と主張して町長選に勝利したそうです。
そして、そのために目先の住宅開発ではなく、しっかりした都市計画に基づき、地域整備をしてきました。
そのため、開成町ではバブル期においても乱開発は避けられたそうです。
それから30年たって、息子が、父が長期的な展望に従って整備していた仕上げに取り組んだというわけです。
「まちづくりは60年くらいの視野で取り組まなければいけない」と昔、水俣の市長だった吉井さんに教えてもらったのを思い出しました。

内容の濃いサロンでしたので、露木さんの話の一部を紹介するだけになってしまいましたが、話し合いでの話題も興味あるものが多く、報告できないのが残念です。
これからの露木さんの実践に関しても問いかけがありましたが、露木さんのお話を聞いて、数年後にまた露木さんに話をしてほしいと思いました。

参加者の一人から、「覚悟」がキーワードだと思ったという発言がありました。
二宮尊徳は、「実践の人」であると同時に、「覚悟の人」だったのです。
現在の日本に欠けているのは、まさに「覚悟の人」かもしれません。
ちなみに、露木さんは二宮尊徳の「変革性」を強調されていました。

尊徳に関する書籍はたくさんありますが、露木さんは、大藤修さんの「二宮尊徳」(吉川弘文館)を推薦しました。
私は読んでいなかったので、サロンが終わった後、急いで読みました。
とても気づかされることの多い本でした。

■緊急サロン「東アジアの秘密?なぜトランプは金正恩に会いたかったのか」(2019年7月15日)
表題サロンは、10人の人が集まり、話し合いも盛り上がりました。
本題のテーマに関しても、参加者からの独自の解釈も出され、思考を広げる上でも示唆に富むサロンでした。

もっとも、話し手が一度、湯島サロンで「陰謀説」を話してくれた中嶋さんだったこともあり、陰謀説の話のほうが盛り上がりました。
それも含めて、話し手の中島さんが自ら補足も含めての報告を書いてくれましたので、今回はそれを報告に代えたいと思います。

中嶋さんの報告


中嶋さんが自由奔放に書いてくださったので、いささか心配ですが、あくまでもひとつの思考仮説としてお受け止めください。

中嶋さんは、「陰謀」という言葉を使っていますが、俗にいう「陰謀論者」ではありません。
ただ、マスコミで流されている情報の中に埋没されがちな小さなヒントを見つけて、そこから、もしかしたら隠されている何かを読み解こうと主体的に生きている人です。
時にちょっと「断定的」すぎるので、むしろ「陰謀」にかかっているのではないかと心配になることもありますが、与えられた情報で生きることに警告を発してくれている貴重な人です。
そのあたりを汲み取ってもらえればうれしいです。

■近隣センターの私物化(2019年7月16日)
今日は地元の公共施設の使われ方の問題で、ある人から相談を受けて、どうしたらいいかの話し合いをしました。
かなり前から相談を受けていましたが、私の住んでいる地域の話ではないので、直接は動きにくいですし、無責任には動けません。
ただ話を何回か聞いて事実を確認していくと、とんでもない話が長年続いているのは事実のようです。
公共施設は一番私物化されやすい存在ですので、運営については常に見直していかねばいけません。
問題の解決策はいたって簡単ですが、簡単なことほど実行が難しいのです。

個別の問題にしては単なる「事件」に終わりかねないので、これを契機に、市内の公共集会施設の意味の問い直しと活用策を考えるプロジェクトを起こしたらどうかという気になってきました。
たまたま昨日隣の柏市の関係者からお話を聞いたのですが、いい方向に変わってきているようです。

この種の問題も、我孫子まちづくり編集会議がもう少し形ができてきたら取りくめたらと思います。

■朴さんの掛軸(2019年7月16日)
知人の朴さんから一軸の掛軸が送られてきました。
なぜだろうと送り状を読んだら、朴さんが通っていた日本書道大学大学院の卒業作品でした。
受け取るには私はあまりふさわしいとは思いませんが、朴さんには意味があることなのだろうと思い、素直に受け取ることにしました。
作品そのものですから、朴さんにとっては特別な思いがあるはずです。

朴さんは、企業で働くかたわら、さまざまな学びをしています。
その学びの意欲には感心しますが、それを支えているのはたぶん朴さんの誠実な生き方です。
いつも自分の意見と主張を大事にし、いうべきことは言うタイプですが、それが時に誤解されることもあるだろうと思います。
私は、ほぼ常に誤解されているので、誤解されることには慣れていますが、朴さんは結構大変だったこともあったと思います。

掛軸を、とりあえず和室の床の間にかけてみました。
書は、古今和歌集の紀貫之の作品を模したもののようです。
折を見て、この歌をきちんと読んでみようと思いますが、そのうち、朴さんが湯島に来たら解説してもらうのが楽でいいですね。

■浅見徹さんとの出会い(2019年7月17日)
宮部さんが、ぜひ引き合わせたい人がいるといって、浅見さんを湯島に連れてきてくれました。
久しぶりに、心が洗われるような人でした。
まさに現代の二宮金次郎のような人です。
まあ、ちょうど昨日、大藤修さんの「二宮尊徳」を読み終えたところなのですが、そのせいもあって、単なる偶然とは思えません。

いま取り組みだしたのは、フリースクールだそうです。
いつかきちんと紹介したいですが、まだ若いのですが、ちょっとほれ込みました。

■れいわの風は起こるでしょうか(2019年7月17日)
「れいわ新選組」を結党して選挙に挑んでいる山本太郎さんが演説の場で風を起こしているようです。
ユーチューブで私も少し見ましたが、熱気があふれています。
友人も何人かが現場報告をしてきてくれますが、マスコミ報道からはそれは伝わってきません。

それにしても、広く生活者に呼びかけて、その寄付金から10人もの人を立候補させているのは感服します。
こんな政治家はこれまで見たことがありません。
政治の捉え方や進め方も共感できます。
私が考える政治の転回に重なっています。

山本太郎さんが小沢一郎さんと組んだ時には新しい風を起こすと期待しましたが、不発に終わりました。
そこにこそ、山本太郎の可能性を感じました。
同時に、小沢一郎の限界も感じました。

山本太郎さんは、今回、戦略を変えました。
しかし、今回はそれが大きな風になるかどうかは難しい。
残念ながら政治転換を引き起こすには至らないかもしれません。
そこにいくつかの妥協と勘違いもあるように思うからです。
にもかかわらず、政治の大きな転回につながることは間違いないでしょう。

ようやく生活者の視点の政治への取り組みが始まります。

■片づけ専門家の石田さん(2019年7月19日)
先日の生活哲学学会のプログラムを受講した石田さんが湯島に来ました。
石田さんが取り組んでいる子どもの支援活動に興味を持ったのですが、お会いして話を聞くと、石田さんもまさにドラマティックな人生を生きています。
浅見さんに引き合わせたくなりました。

石田さんは「かたづけ」の専門家でもあります。
9月に湯島でかたづけサロンをやってもらうことにしました。

■第3回万葉集サロン「石見相聞歌に見る柿本人麿の「われ」の世界」(2019年7月20日)
講座型万葉集サロン3回目は、柿本人麿の「石見相聞歌」でした。



最初に柿本人麻呂の紹介があり、つづいて升田さんが「石見相聞歌」を詠んでくれました。
この歌は人麿が繰り返し推敲した形跡がみられ、その点でも珍しいのだそうです。
推敲前の2首も万葉集に残っていますが、それを比べると面白く、その一首も詠んでくれました。
耳で聞いていると全く雰囲気が違います。

その後が、今回の本題です。
この歌には、作者(人麿)の「われ」が聞き手の「われ」を呼び込んでいく表現様式が仕組まれている。
歌を独りで詠むだけではなく、聞き手を巻き込んで広い世界を開こうとする意図があり、そこに「文芸」の端緒を感ずるというのです。

当時、歌は読むものではなく、詠むものだったようですが、そもそも歌人たちも歌を紙に書くのではなく、口で歌うのが基本だったようです。
だから声に出したときの「音の響き」がとても重要な意味を持っていたのです。

私たちはついつい、文字があり、歌があると思いがちですが、実際には、まず歌があり、それが文字で書かれて定着していったと考えると、いろんなことがとても納得できます。
私が今回とても面白かったのは、「字余り」というのは、文字文化の結果のことだと教えてもらったことです。
たとえば、文字にすれば3文字でも4文字でも、音にして読めば、長音にしたりして5音にすることは簡単です。
つまりたてば5・7・7にしても、それは文字規制ではなく、歌いやすさにすぎなかっただったわけです。

最近、霊長類学者の山極寿一さんの本に、「感情を揺さぶる音楽というコミュニケーションは人間の身体の進化とともに発達してきた歴史をもち、言葉よりずっと古い起源をもつ」という説明がありましたが、言葉の前に音楽があったと考えれば、万葉集の捉え方は大きく変わるでしょう。
私たちの常識は、かなり後知恵のものが多いですから、そこから自由になると万葉集がもっと面白くなるのかもしれません。

何のために歌が生まれたかを考えると、そこに「われ」とか「コミュニケーション」とかいうことの起源へのヒントもあるようです。
ちなみに、万葉集ではだれかに代わって歌をつくるということもあるので、歌の主人公の「われ」と作者の「われ」と聞き手の「われ」と詠み手の「われ」の4つの「われ」がありそうです。

ところで、意外なことに「歌聖」といわれ、たくさんの歌が残っている柿本人麿の記録は少ないので、その正体ははっきりしていませんが、彼の死は「死」と表記されているため、6位以下の下級官吏と考えられています(異説はありますが)。
階級によって「死」の表現が違ったのかという参加者からの質問に対して、当時は、職階などによって、崩御、薨御、薨去、卒去、死去と使い分けられていたと升田さんが説明してくれました。
死をどう表記するかで、その人の職階などがわかるそうです。
まさに「言葉」は象徴的なパワーを持っていたわけです。

柿本人麿は刑死説もありますが、象徴的な力を持っている言葉を駆使する柿本人麿は権力者にとっては恐ろしい存在だったかもしれません。
万葉集の歌の持つそうした呪力や政治的な役割も面白いテーマです。
もしかしたら、そこから壬申の乱の真相も見えてくるかもしれません。

今回のもう一つの大きなテーマは、「石見相聞歌」にも何回か出てくる「玉藻」でした。
「石見相聞歌」の作歌時期を解く鍵の一つが、「玉藻」という言葉にあるようです。
そこから升田さんは、691〜700年ころに成立した可能性が高いと言います。
その時期に、柿本人麿と交流のあった天武・持統期の皇子・皇女の歌にも「玉藻」が出てくることが多いそうです。
「玉藻」に升田さんはかなりこだわっていましたので、「玉藻」の話をもう少し聞きたかったのですが、今回はちょっと時間が足りませんでした。

升田さんの話を聞いていて、このシリーズは本にまとめられないかと思いだしました。
それくらい面白いです。
ただいつもたくさんの話をされるので、ついていくのが大変です。
なにしろ升田さんは話したいことが山のようにあるようです。
次回から少しテンポをゆるめてもらうようにしたいと思います。

(2019年7月第2週)
■我孫子まちづくり編集会議の定例会(2019年7月7日)
■突然の来客(2019年7月10日)
■生活哲学学会のプログラムがスタート(2019年7月13日)

■我孫子まちづくり編集会議の定例会(2019年7月7日)
我孫子まちづくり編集会議の定例会でした。
年内に何か外に向けた具体的な活動を企画する方向を再確認しました。
いくつかの個別プロジェクトも少しずつ動き出しました。
私が考えていた相馬霊場歩きは、私自身ちょっとモチベーションが下がっているのですが、今度、声をかけてくださいと言っていた人も、歩く距離を聞いたら誘わないでくださいと意見が変わりました。
霊場歩きコースの開発は見送りです。
時間がたったら、私自身のモチベーションは変わるかもしれませんが。

■突然の来客(2019年7月10日)
湯島でお客様の相談に乗っていたら、突然、ドアが開いて若者が入ってきました。
すぐに思い出せませんでしたが、何度か湯島のサロンにも参加し、一度はサロンで話してくれたRさんです。
昨年、いささかおかしなメールが届いたりしていましたが、精神的にダウンし、病院に入院していたようです。
まだ回復途中なので、病院を抜け出して下宿生活を送っていたようですが、何故か湯島を訪ねてきました。
訊けば時には野宿もしているようですが、経済的にも行き詰まり、下宿も追い出されそうなのだそうです。
今日は名古屋から新幹線で来たようですが、タクシーで湯島に来たが場所がわからず探していたようです。
どうも話がちぐはぐですが、一見したところ元気そうです。

Rさんの母親は東京にいますので、まずは母親のところに行くのがいいと話しましたが、母親は留守にしていることも多いというので、電話してみたらどうかと勧めましたが、電話番号を知らないというのです。
ただし場所は知っているので、まずは尋ねてみるということになりました。

Rさんの母親にも前に会ったことがありますが、心配していることでしょう。
私も電話番号も知らないのですが、なぜ突然、私のところに来たのか。
3回程度しかあったことがなく、誰の紹介で湯島に来たのかも思い出せません。
まあこれまでもこういうことはなかったわけではありませんが、いまは私自身にいささか余裕がなく、気にはなりますが、相談にのっもらえる場所と人を紹介するにとどめました。

また気になることが増えてしまいました。
なかなか復調できません。

■生活哲学学会のプログラムがスタート(2019年7月13日)
生活哲学学会の「生活・地域ファシリテーター育成プログラム」の第2期がスタートしました。
今回は半田さんの「知能環境論」ですが、後半は参加者による話し合いでした。
会場は御茶ノ水女子大学の国際交流プラザ。

半田さんの話は久しぶりに聞きますが、刺激的でした。
ゴーギャンの問いかけ、「あなたはどこからきてどこに行くのか、あなたは何者なのか」から始まりました。
私の場合は、この答えは明確なのですが、それに答えた、石田さんという受講者の答えがとても共感できました。

半田さんは最近、マクルーハンにまた注目しているようで、学生たちともマクルーハンを読んでいるようです。
構想学会のメンバーたちの集まりも今年からまた始まっていて、私も声をかけられていますが、そのテーマがマクルーハンだというので参加していません。
マクルーハンはかつて一世を風靡しましたが、メディアがメッセージとかマッサージとかいう考えは、私は当然過ぎて興味を持てませんでした。
それで半田さんにもそう伝えたのですが、今日話を聞いて、半田さんがなぜ今またマクルーハンなのかが少しわかった気がします。

プログラムの参加者の一人、ゴーギャンの問いに明確の答えた石田さんが、「茶色の朝」の本を持参して、私に話しかけてきてくれました。
講座での発言を聞いていて、私と思いが重なっていることを感じました。
このプログラムでこれからも会うでしょうが、湯島でも一度話してもらおうと思います。

以前、湯島に来てくれた学生の2人にも久しぶりに会いました。
思いをしっかりと持って生きている若者に合うことはうれしいことです。

私は、「学ぶとは自らが変わること」、もし変わらないのであれば、学んだとは言えないという話をさせてもらいました。
半田さんはそれに応じて、佐藤さんは昔と変わっていないのが、といいましたが、変わらないことが変わることなのだと言いたかったのですが、ややこしくなるので、素直に見えないところで変わっていると答えました。

久しぶりに半田さんと話せてよかったです。
半田さんの著書「構想力と想像力」をもらいました。
800頁の大著です。
読むのが大変そうです。

(2019年7月第1週)
■相馬霊場88か所めぐりテストウォーク(2019年7月3日)
■薬膳中華でお引き合わせ(2019年7月4日)
■湯島サロン「限定無税財政論」(2019年7月6日)

■相馬霊場88か所めぐりテストウォーク(2019年7月3日)
相馬霊場88か所めぐりのテストウォークをしました。
朝、6時、近くの興陽寺をスタート、30キロを目標にしましたが、残念ながら28キロで今日は終わりました。
終了は新木の長福寺。ほぼ廃寺です。
午後2時23分着でした。
古い、それも書籍に出ていた地図のコピーでしたので、ほぼ役に立ちませんでした。
いろんな人に道を尋ねながら、何とか辿り着きました。
後半は国道の歩道のない端を歩きました。
サンダルだったのも敗因で、水ぶくれができてしまいました。
一時、スマホが動かなくなり、娘に電話して行先を調べてもらおうと思ったら、スマホが通じなくなりました。
公衆電話を探しましたが、どこにもありません。
それでちょっと弱気になってしまいました。
困ったものです。
しかし、幸いに電話は直りました。
娘に長福寺まで来てもらい、無事生還しました。
家に着いたら、足が痛くて歩けません。
歩いている時は大丈夫だったのですが。
サンダル履きだったので、足が日に焼けました。
まわったお寺は19か寺ですが、半分はほぼ廃寺状況でした。
回る途中は面白かったですが、お寺は退屈でした。
残りを歩こうかどうか迷います。
しかしたくさんのことを学びました。
1日、歩いたら1冊の本ができるというのは本当です。
歩く世界は実に面白いです。
途中で、娘が制作しただろうスペインタイルの表札に偶然出会いました。
妻から名前だけを聞いていたところも何か所か通りました。
残念ながら知り合いの人には出会えませんでした。

■薬膳中華でお引き合わせ(2019年7月4日)
今日は湯島の麺覇王で薬膳スタミナラーメンを食べました。
有機農業をやっている金子友子さんとこれから農業問題に取り組もうとされている平山さんのお引き合わせの場に、選んだのがここです。
ところが、話に夢中になっていたら、突然、店主がやってきて、熱いうちに食べないと効用が出ないと叱られました。
そういえば以前はスープを飲み残して叱られました。
誤解があるといけないのですが、気持ちのいい叱り方です。
そして、友子さんはこのお店と懇意なのです。
薬膳素材は21種類。長年全く変えていないのだそうですが、ご主人はその間、日本は変わってしまったと嘆いていました。
私にはボリュームがありすぎて、いささか大変でしたが、勢いで全部食べてしまいました。
心身がホカホカしてきて、食後は元気になりました。

全員どうにか完食後、湯島のオフィスで話し合いました。

■湯島サロン「限定無税財政論」(2019年7月6日)
「限定無税財政論」サロンには、12人が参加しました。
事前に武田さんの論文を読んできてもらっていましたので、それをふまえて、武田さんから冒頭「限定無税財政論」構想の枠組みを説明してもらいました。
その段階で、議論が始まってしまったので、問題の整理をさせてもらいました。
というのも、「限定」となっていても「無税財政」という言葉で、提案の趣旨が誤解されてしまう恐れがあるからです。
武田さんも論考にも書き、サロンでも話しましたが、「無税」は絶対条件ではなく、むしろこの構想は「増税構想」なのです。

今回は、武田さんの趣意に沿って、「財政赤字の解消策」と「税制の抜本的見直し」に焦点を整理させてもらいました。
なかなかその2点に絞っての話し合いにはなりませんでしたが、録音していますので、関心のある方はそれを聞いてもらうことにして、話し合いの詳しい報告は省略させてもらいます。
なお、武田さんの論文を読みたい方はご連絡ください。武田さんの同意を得て、送らせてもらいます。

国家財政再建策や新しい金融システムへの提案はたくさん出ていますが、そうした議論は広がっていきません。
それは、金融システムは、まさに現在の秩序(近代国家体制)の根本にあるものであり、専門的な議論だと思われているからかもしれません。
しかし、家計に関しては誰もが議論できるように、国家財政の大きな枠踏みはきわめて簡単です。

現在の国家財政は、概算イメージですが、国債による借り入れが30兆円強で、合計100兆円程度ですが、歳出は実際の行政費用が70兆円前後、残りが国債費、うち10兆円が国債の利息です。
このあたりの数字はもちろんネットで見られますが、なかなかわかりにくいです。
私はそこに「意図」を感じます。
金融システムは、まさに現在の秩序(近代国家体制)の根本にあるものだからです。
大切なことは毎年10兆円の利子が支払われているということです。
100兆円の歳出のうちの1割が債権者への利子ということです。
逆に言えば、財政赤字のおかげで、債権者は毎年10兆円の不労所得を得ているということです。
この意味はしっかりと考えなければいけません、

また、実際の行政費用である基礎的財政歳出(「真水」と言われている部分)は、例えば2010年度には71兆円でしたが、2018年度で74兆円とあまり変わっていません。
こうしたことも含めて、私たちは私たちの国である日本の国家財政に関してあまり実体が見えてこないまま、財政赤字の危機感を植え付けられているような気がします。
ちなみに年金の話はまた別の枠組みで考えなければいけません。

財政論や新しい金融システムの基本になる「貨幣」に関してもたくさんの議論が展開されています。
たとえば、現在の貨幣は、利子を生み出す債務として創り出されることから「債務貨幣システム」とも呼ばれています。
債務はいうまでもなく「支配」とか「権力」につながります。
貨幣が果たす機能として、「価値尺度」「交換手段」「価値貯蔵」の3つがあげられますが、最近の貨幣は「権力の支配手段」として機能を強めています。
ここから「陰謀論」が生まれてくるわけですが、しかしそれを無視しては財政改革は語れません。

また、貨幣といってもさまざまなものがあります。
日本の場合は、政府貨幣(硬貨)、日本銀行券(政府から委託された会社が発行し管理しています)、そして預金(銀行の預金口座にある信用のデジタル数字)の3種類があります。
通貨や貨幣として流通しているものは、その一部でしかありません。
多くは「信用」によって生み出されバーチャルな存在です。

20世紀後半に「金本位制」が終わった後、貨幣はそれまでとは全く違うものになりました。
つまり「実体経済」と切り離された「金融経済」が生まれたのです。
サロンでも議論になりましたが、日銀がいくら国債を引き受けても市中には実際の「貨幣」はあまり増えず、インフレターゲットも実現しないでいます。
国債発行の多くの部分が、そのまま金融資産になり、資産家にとっての利子を生み出す役割を果たしているわけです。
大切なのは、「貨幣とは何か」「財政とは何か」「税金とは何か」の議論ではないかと、昨日の話し合いを聞いていて改めて思いました。

また、サロンでも指摘させてもらいましたが、経済成長を前提にするかどうかで、貨幣のあり方も財政のあり方も変わってきます。
そもそも「利子」という発想は、経済成長を前提にしていますから、最近言われ出している定常経済や縮小経済においては、利子のありかたを見直す必要があります。
武田構想は成長路線を前提にしています。

報告というよりも問題の整理になってしまいましたが、財政は国家構造の基本ともいえます。
だから武田さんも「国家論」の一環として財政を取り上げたのです。
このシリーズはもう少し違った視点も含めてサロンを続けたいと思います。



(2019年6月第4週)
■両親の法要(2019年6月23日)
■マイストーリーズからアワーストリーへのパラダイムシフト(2019年6月26日)
■いしど歯科医から雑誌をもらいました(2019年6月27日)
■湯島サロン「お墓の活かし方をみんなで話しあいませんか」(2019年6月29日)
■湯島サロン「災害ボランティアのハードリピーターのできるまで」(2019年6月29日)
■「川筋のおんなたち」との会食(2019年6月29日)

■両親の法要(2019年6月23日)
父親の33回忌、母親の23回忌を行いました。
お寺での読経供養の後、お墓でみんなでお線香をあげ、終了後、ご住職に全員写真を撮ってもらいました。
孫のにこが、終わった後、もう一度お墓に水をやりたいというのでその写真もってフェイスブックに載せたら、宗教嫌いの友人が、こういうお墓ならあった方がいいとコメントしてくれました。
宝蔵院での法要の後、エヴィーバでみんなで会食しました。

   

■マイストーリーズからアワーストリーへのパラダイムシフト(2019年6月26日)
ストーリーテリング協会での企画しているセミナーの内容の議論を福島チームと一緒に開催しました。
内容は「マイストーリーズからアワーストリーへのパラダイムシフト」です。
私が会社時代から取り組んでいたことですが、ここにきてようやくこうした考えへの共感者が表れてきました。
今回の話し合いでかなり考え方はシェアできましたが、それをどうメソッドに展開していくかは面白いテーマです。

■いしど歯科医から雑誌をもらいました(2019年6月27日)
娘のユカがいしど歯科クリニックの石戸先生から、Newsweekを預かってきました。
特集記事の「百田尚樹という社会現象」をまとめたのが石戸さんの息子さんの石戸諭さんなのです。
百田尚樹という名前を見ただけで拒否感がでるほどなのですが、がんばって読んでみました。
感想をフェイスブックに載せたら、すぐに岡和田さんからコメントがありました。
とても納得できるコメントでした。

■湯島サロン「お墓の活かし方をみんなで話しあいませんか」(2019年6月29日)
今回もたくさんの示唆を得られたサロンでした。
最初に、篠田石材工業代表の篠田さんが示唆に富むお墓の事例をたくさん紹介してくれました。



今回私が一番刺激を受けたのは、川島なお美さんのお墓の話でした。
そのお墓は、麻布にある賢崇寺にあるそうですが、同じ一画には、俳優の奥田瑛二さんや作曲家の三枝成彰さんもお墓をつくる予定なのだそうです。
というのは、川島さんは、生前、親交のあった人たち10人ほどで、“墓友”を結成し、「賢崇寺のお墓をそれぞれが買って、そこにお墓をつくり、残った人が花を供えたりしよう」などと話し合っていたのだそうです。
一家族ではなく、複数の家族、あるいは数名の仲間が、ひとつの墓ではなく、それぞれのお墓を隣り合わせに建てるという構想です。
亡くなった後もみんなでのお付き合いができると考えてもいいでしょう。
誰かの命日にはそこに集まり、生きている人同士の付き合いを深められますし、死者とのきずなも消えることはありません。
これは、「お墓」とは何かを考える上でとても大きな示唆を含んでいると思います。

篠田さんは、墓石とは、見える部分より、見えない部分にこそ不思議な力が隠されているといいます。
篠田さんはいろんなお墓の事例を紹介してくれましたが、それを聞いていて、私もそう感じました。

前回と同じく、篠田さんは「自分のご先祖様は何人ですか?」と問いかけました。
そして今回は「ご先祖さまシート」というのを紹介してくれました。
自分の名前が一番上にあって、その下に両親の名前、さらにその下に両親の両親の名前…とどんどん書いていくシートです。
普通の家系図とは上下が逆ですが、このシートを見ていると先祖感覚がはっきりと意識できます。
これに関しては、もしかしたらまた篠田さんに「先祖のことを考える」サロンをやってもらえるかもしれません。

篠田さんの後、中下さんが講の話をしてくれました。
講の多くは、生きるための仕組みなので、お墓とのつながりは見えなくなってきていますが、葬儀やお墓は講のかなめになるかもしれません。
最近正面から取り上げていないので、また取り上げたいと思います。

話し合いでは、墓じまいや仏教のお墓とキリスト教のお墓の仕組みの違いなども話題になりました。
またお墓は複数あってもいいのかというような話もありました。

私自身は、これまでの宗教のルールに呪縛されずに、むしろ個人の信仰や生き方をベースにした葬送の仕組みの要として、お墓というものを考えていければと思っています。
私が目指しているのは、生者も死者も支え合う形でつながるコミュニティですが、そういう視点で「墓」というものを活かしていきたいと思っています。

今回は、しかし、大きなミスをしてしまいました。
篠田さんの墓友の話や中下さんの講の話にいろんな要素が含まれていたこともあって、それぞれの参加者のアイデアを引き出すことを忘れてしまったのです。
進行役の私のミスです。
すみません。
またいつか今度は参加者がそれぞれの墓の活かし方を出し合うサロンを企画したいと思います。

■湯島サロン「災害ボランティアのハードリピーターのできるまで」(2019年6月29日)
1995年の阪神淡路大震災の時、勤めている会社に申し出て被災地ボランティアに行ったのが契機になって、以来、25年間、各地の被災地でも復興ボランティアを続けている徳永さんにお話ししてもらいました。

徳永さんは、私もよく知っている会社の社員です。
そこでもいつも楽しそうに仕事をしていますが、今回のサロンでお話になる徳永さんは、楽しそうというよりも幸せそうに話をされていました。
その顔の表情に、なぜこれほど長くボランティアでの被災地通いをしているのかのすべてが象徴されているような気がしました。

徳永さんは最初に行った阪神淡路大震災の被災地で無力感をもったそうです。
しかし、その無力感こそが、その後の徳永さんの生き方に大きな影響を与えたのだと思います。
被災地でのボランティアはそうした不思議な力を持っているようです。

その後、地元のボランティア活動を始めます。
たとえば、子どもが通っていた小学校を拠点に、オヤジの会を立ち上げて、子どもたちの遊び場をつくったり、時には防災避難訓練活動を展開したりしています。
その取り組み方も、とても自由で、生き生きしています。
心底、ボランティアと感じました。

そして3.11が起きました。
週末には仲間と一緒に被災地通いが始まります。
昨年の西日本豪雨で、さらに出かける先は広がりました。

そうしたことを徳永さんが撮った写真を材料にして、いろいろと話してくれました。
徳永さんの話を聞いていて、なぜ徳永さんがハードリピーターになったのかがよくわかりました。
「幸せ」だからです。たぶん。

徳永さんに質問しました。
会社の仕事と被災地でのボランティア活動はどちらが「きつい」ですか、そしてどちらが楽しいですか。
徳永さんは、ボランティア活動のほうが「きつい」が、「楽しさ」はいずれも楽しいと答えました。
私なりに勝手に解釈すると次のようなことではないかと思います。
会社の仕事もよい成果を上げるために自分で工夫して楽しくしようとしているが、被災地のボランティア活動はそのままで楽しい。
だから、お金も時間もかかるが、ボランティア活動に出かけてしまうのでしょう。

ここに大きな示唆を感じます。
会社の仕事がもっと楽しくなれば、会社の効率や業績は間違いなく上がるはずです。
過労死もなくなるでしょう。
会社の仕事とボランティア活動は決して無縁ではありません。
なにしろいずれも主役は同じ人間なのですから。

被災地でのボランティア活動を体験したことで、人生を変えた友人が何人かいます。
被災地の風景を見ただけで、生き方を変えた人もいる。
見慣れた風景の中で生きていると、考えは固定化されがちですが、ちょっと違った風景を見ると思考の枠は広がります。
これもまた会社での仕事にも深くつながっている話です。
ちなみに、徳永さんを阪神淡路大震災に派遣したのは、会社の経営者の意向です。
会社で出来ることもたくさんあります。

徳永さんが今回一番時間をかけて楽しそうに話したのは、被災地であった人たちの40枚くらいの写真の説明でした。
一人ひとりにそれぞれの人生があるといって、数名の人の話をしてくれましたが、その話は時間の制限がなければ終わることはなかったでしょう。
これもまた「楽しさ」とは何かを考える上で大切な示唆を含んでいます。

被災地の復興や復旧、被災者のボランティア活動を効果的にしていくためには、システムをもっとしっかりとつくっていく必要があるという指摘もありましたが、そうしたシステムアプローチとは別の取り組みが個人のボランティア活動が示唆していることだろうと思います。
システム発想と個人のボランティア発想は、時に邪魔をし合う関係にあります。
いずれも大事ですが、大切なのはどちらを基軸にするかではないかと思います。
また、ボランティアワークは、被災者のみならず、当事者にとっても、金銭とは全く違う大切なことを教えてくれているのかもしれません。

ほかにもいろいろと示唆に富む話はありました。
「働き方改革」のヒントもあったような気がします。
すべてを紹介できないのが残念です。

■「川筋のおんなたち」との会食(2019年6月29日)
2人女性起業家が訪ねてきました。
おひとりは初対面でしたが、大宰府の方です。
大宰府と言えば、私が8世紀頃住んでいたかもしれないところです。
まあそのせいで初対面なのに初対面と思わずに昔から知っているような気がしました。
そういう勘違いを私はよくしてしまうのです。

ところで、話していたら、「私たちは川筋のおんな」ですからと笑いながら言うのです。
常識のない私は、どういう意味か正確には理解できませんでしたが、おふたりと話しているうちに、この潔さとやさしさと強さと、さらに弱さを兼ね備えた女性たちのことを「川筋のおんな」というのだろうと勝手に定義づけました。
おふたりとも福岡のご出身です。

お話しした後、ちかくの「古拙」でご馳走になってしまいました。
土曜日のせいかお客様が少なく、それに冷房が効いていたので、体調が少しおかしくなってしまいました。
しかし、川筋のおんなたちの「熱い語り」についつい寒さを忘れて長い時間話し込んでしまいました。
帰宅してダウンしました。
困ったものです。

おふたりとはこれからお付き合いが始まるようです。

(2019年6月第3週)
■湯島サロン「自殺未遂者からのメッセージ」(2019年6月16日)
■平山さんから徳田昌則さんを紹介してもらいました(2019年6月18日)
■内藤さんの「和文化の楽園」構想(2019年6月19日)
■コムケア葬送支援事業部(2019年6月19日)
■歯医者さんの定期検診が終わりました(2019年6月20日)
■湯島サロン「石牟礼道子から水俣を考える」(2019年6月22日)
■認知症予防ゲームDVD打ち上げ(2019年6月22日)

■湯島サロン「自殺未遂者からのメッセージ」報告(2019年6月16日)
刺激的なタイトルのせいか、参加者は6人だったのですが、逆にしっかりと自殺未遂者の吉田さんの話をお聞きできました。
参加者も、このテーマであればこそと参加してくださった方ばかりだったので、とても意識がそろって、重いテーマであるにもかかわらず、気持ちのいい話し合いができたように思います。
参加者のみなさんにとても感謝しています。
話し手の吉田さんも、とてもいい時間を過ごせたと喜んでくれました。

吉田さんは辻説法スタイルでやってきました。
吉田さんが「ウォーキング・パネル」と名づけている特注のバナーを、首を通して前後にぶら下げるスタイルです。
バナーには目立つデザインで、自殺防止・うつ病予防対策に関する呼びかけなどが書かれています。
これで街中を歩いたら、さぞかし目立つことでしょう。
サロン終了後、吉田さんと一緒に少しだけ歩きましたが、それなりの勇気が必要です。

自殺の問題への関心は高まり、いろいろな活動が広がっていますが、自殺未遂者の集まりはあまりなく、その声もなかなか聴いてもらえないというのが、早くから自殺未遂をカミングアウトして活動している吉田さんの不満です。
本気で自殺問題に取り組むのであれば、なぜもっと自分たちの声を聞いてくれないのか。
政治家やマスコミにいろいろ働きかけていますが、吉田さんの思いはなかなか届かない。
それには理由があるはずですが、その理由を明らかにして、もし解決できるのであれば解決していきたい。
そう思っての、今回のサロンでした。

サロンはまず、なぜ自殺を試みたかと言う、吉田さん自身の話から始まりました。
自らの悩みがなかなか分かってもらえず、狂言自殺を試みたこと。
それで入院することになったが、入院した途端に、鬱状況から躁状況になってしまい、ある日、突発的に窓から身を投げてしまったこと。
奇跡的に一命を取り留めたが、そこから「自殺未遂者」としての大変さに出会っていくこと。
カミングアウトし、自殺防止活動に取り組んでいるが、世間の差別意識に直面して、不快な思いをすることも少なくないこと。
口では立派なことを言っている政治家も有識者も、一人の未遂者の声にはなかなか耳を傾けてくれないこと。
などなどをあっけらかんと話してくれました。
そして、今年81歳を迎えるのを機に、取り組もうとしている「辻説法」の話もしてくれました。

自殺を体験した前後で、どういう意識の変化があったかという問いかけから話し合いが始まりました。
自殺前、吉田さんは企業を経営していましたから、どうしたら会社がうまくいくか、ということばかりに頭がいっていたといいます。
しかし、自殺未遂を通して、人との関係や社会のことが見えるようになってきたそうです。
だから、いまは自分にとって一銭の利益にもならない社会活動を、身銭を切ってするようになったといいます。
いま、「魂の語り部」と自称しているところにも、吉田さんの人生観が変化したのを感じられます。
自分の命も、自分だけのものではないという意識も出てきたそうです。

自死遺族の人たちは集まりをつくって、グリーフケアや社会への働きかけをしていますが、自殺未遂者のそうした活動がないのはなぜかという話題も出ました。
自死遺族は「悲しみ」によってつながれるでしょうが、自殺未遂者はお互いをつなぐものがみつからないからではないかという意見も出ました。
たしかに自殺未遂の体験は人によってさまざまです。
それに吉田さんのようにカミングアウトする人も少ない。
しかし、体験者の声を聞くことから見えてくることもあるはずです。
ですから、吉田さんは自殺未遂者の集まる場所もつくりたいと考えています。

もし自殺者を減らしたいのであれば、未遂者からもっとしっかりと取材し、その体験を活かしてほしいと吉田さんは言います。
しかし自殺未遂者の人たちは、周囲の人も含めて、その事実を語りたがらないばかりか隠そうとする。
だからこそ、そうした当事者の声が大切なのではないか。
自殺問題を外から語ることも大切ですが、当事者の声にもっと耳を傾けてほしい。
吉田さんは、そういう思いから、未遂者や企図者が安心して話せる場が欲しいといいます。

しかし、その一方で、吉田さんは未遂者として何を社会に語ればいいのかがまだうまく言語化できていないようにも感じます。
だからこそ、同じ体験をした人たちと話し合ったり、外部の人たちに自分のことを聞いてもらい話し合ったりすることが必要だろうと改めて思いました。

今回のサロンを契機に、そうした吉田さんの思いが実現するように、私もまた考えようと思います。
吉田さんの話を聞きたい方はぜひ吉田さんに声をかけてください。
そして吉田さんの思いが実現するように、力を貸してもらえればうれしいです

■平山さんから徳田昌則さんを紹介してもらいました(2019年6月18日)
実に刺激的な人に出会いました。
平山さんがお引き合わせしてくれたのですが、会ったとたんに瞬時にして心がつながった気がします。
時々ですが、そういうことが起こります。
私よりもご高齢ですが、昨日も北京から戻ったところでした。
大学の名誉教授ですが、いま話題の免疫細胞の研究者でもあります。
これまでの活動を少しだけお聞きしましたが、枠にとらわれずに自由に生きていることが伝わってきました。
久しぶりに、生き生きと生きている人に出会えた感じで、うれしくなってしまいました。
実に刺激的な2時間でした。

東日本大震災の時には、女川で新しいプロジェクトである設備を完成させて、ご自分だけ所要で仙台に自動車で戻ったそうですが、30分遅れたら、ご自身も波に飲み込まれたそうです。
仲間も借金をして作り上げた機械設備はすべて失いました。
そうしたことを話す語り口に、お人柄を感じました。
こういう人もいるのです。

「私は津波から「逃れた」が、震災で生き残った人たちはみんな「生かされた」という」。
その人の生きる哲学を感じました。
その方のお名前は徳田さんです。
またお会いすることになるはずです。
私も徳田さんに何かお役立ちできるといいのですが。
それを探さなければいけません。

■内藤さんの「和文化の楽園」構想(2019年6月19日)
和文化の楽園をつくりたいと長年取り組んでいる内藤さんが湯島に来ました。
かなりのストレスを抱えているようです。
いろんな計画やビジョンを送ってくるのですが、なかなか消化できずに、時々会って話をお聞きしています。

内藤さんの生き方は、いささかめちゃくちゃですが、どこかで私に通ずるところがあるので、気になっています。
お金の感覚がほとんどないのですが、そのために借金に追いかけられているのです。
私の場合も、まあ似たようなものですが、なんとかこなしていますが、彼女の場合は大変のようです。

何かできることがあればいいのですが、残念ながら今はお金もないので借金の肩代わりもできません。
さてさて悩ましい問題です。

■コムケア葬送支援事業部(2019年6月19日)
コムケア葬送支援事業部をコンセプトワークショップの中に新設することになりました。
財政基盤がほとんどないコンセプトワークショップに、新たな事業起こし基金はないのですが、事業の実体は中下さんが取り組むというので、いわばその受け皿を用意しました。
しかしこれ以上、資金的なダメッジは受けられないので、企業資金負担はミニマイズしたいと思い、私が管理しようと思ったのですが、これがまたかなりの負担です。
金銭的負担という意味ではなく。精神的負担という意味です。
かつての悪夢がどうしても思い出されるからです。

しかしきちんとコミットしておかないと、前回の轍を踏みかねません。
悩ましい問題です。
今日は中下さんとミーティングを持ちました。
割り切ればいいのですが、私自身の迷いが出てしまい、どうもコミュニケーションがうまくいきません。
これもまた、悩ましい問題です。

■歯医者さんの定期検診が終わりました(2019年6月20日)
歯医者さんの定期検診が終わりました。
数年前のデータと比べると、大きく改善されていると石戸さんから言われました。
最近歯磨きもきちんとやるようになった成果でしょうが。生活が安定してきたのも一因かもしれません。
まあいずれにしろ、嫌いな歯磨きを続けなければいけません。
石戸さんには内緒ですが(訊かれていませんので)、マウスピースは最近は完全に忘れていますが。

■湯島サロン「石牟礼道子から水俣を考える」(2019年6月22日)
岡和田晃さんの「石牟礼道子という表現運動」(河出書房新社版ムック『石牟礼道子 さよなら不知火海の言霊』収載)を切り口にしたサロンには、11人の参加がありました。
最初に参加者それぞれのこのテーマへの関心が簡単に表明されました。
みんなそれぞれに「水俣」への思いがあると思いますが、私も含めて、やはり水俣は過去のことになってしまっていることを感じました。

岡和田さんのメッセージは、一言で言えば、石牟礼道子さんは「殿堂入り」したが、水俣病そのものは過去の話として忘れられようとしている。それでいいのか。
そして、水俣病をめぐる「体験」や「闘争」を、「もやい直し」やスピリチュアルなサブカルチャーへと進めるのではなく、いままさに蔓延しだしている差別問題に目を向ける契機にし、改めてその意味を問い直すべきではないか、と。
私にはそう受け取れました。
論文では、石牟礼文学を脱政治化することへの懸念も示されていますが、それは同時に「政治」とは何かという問いかけのようにも感じていました。

サロンは、岡和田さんの問題提起の後、ゼミ形式で進められました。
ところが、最初に問いかけられたのは私でした。
岡和田さんの論文への感想です。
思ってもいなかった問いかけに、私は意表を突かれて、しどろもどろで応じてしまいました。
いつも気楽にみんなの話を聞いていたのですが、今回はどうも成り行きが違いました。

岡和田さんの問いかけに、私は水俣の語り部だったはずの石牟礼さんが主役になってしまい、水俣の生々しい現実がむしろ見えなくなってしまっていることに気づかされた。
しかし、自分が何をすればいいかの答えがなかなか見つからなかったと答えました。
私にとって、理解するということは意識や行動が変わるということですが、どう変わればいいかが見つからなかったのです。
それで、水俣は自分にとっていったいなんなのか、を改めて考えようと思いました。
今回、岡和田さんの話を聞いて、かなり理解できました。

ゼミでは先生への質問は許されるのかどうか知りませんが、窮鼠猫をかむように、「岡和田さんにとっての水俣はなんですか」と逆質問もしてしまいました。
さすがに先生。岡和田さんはその問いを参加者にふりながらゼミを進めましたが、そこでもやはり「水俣」は「過去の話」になっているような気がしました。

もちろんそれぞれのみなさんの今の活動や生き方にもつながっていることは間違いありません。
たとえば、沖縄から参加してくださった方は辺野古の話をし、福島にも関わっている人はスピリチュアルケアの話をしました。

チッソへの反対運動の主役だった被害者の緒方正人さんの「チッソは私であった」という本も話題になりました。
対立ではなく、自らの生き方も含めて、水俣からのメッセージを受け止めることが大切だという緒方さんの生き方に共感していた私は、岡和田さんの論考を読んで、問題を普遍化することの危険性に気づいたのですが、普遍性と個別の問題も話題になりました。

石牟礼さんの「苦海浄土」は、そこでの言葉づかいからして極めて地域に根付いた物語になっていて、日本全体の問題としては書かれていません。
それが生々しさを生み出す一方で、自分の生活とは切り離された「一地方の問題」と位置づけることを容易にしています。
その点が、同時期に話題になった井上光晴の「階級」とは違うと岡和田さんは言います。

万葉集サロンをやってくれている升田さんが、石牟礼さんはコトバの力で「異界」を生み出しており、安易に共感するとその浅さを見透かされてしまうようで怖さがあると話されました。
自分とは隔絶された異界を感ずる。しかし、そこから別の異界も含めて、自分の世界を広げていくことができる、とも言いました。
そして、折口信夫の「うぶすな」と「浄土」の話もしてくれました。

私自身は、異界からのメッセージとして強い問題提起をしていた水俣が、次第にその普遍性が可視化されることによって、問題発信力を弱めてきていることを、岡和田論文から気づかせてもらったのですが、どうもこの問題は一筋縄ではいかないようです。
「苦海」と浄土の話も含めて、もう少し考えたいと思います。
「苦海浄土」という言葉にも議論が行きました。

示唆に富む話はまだいろいろとありますが、どうもうまくまとめられません。
幸いに当日の映像記録がありますので、ご関心のある方はご連絡ください。
参加者は無条件に、参加されなかった方は、岡和田さんの了解が得られたらご本人限定でお見せできるかもしれません。

ところで、水俣とは直接関係ないのですが、岡和田さんの次のような2つの発言がとても印象的でした。
どうして文芸批評を続けているのかというぶしつけな私の問いに、岡和田さんは、もう少しましな社会になってもらわないと自分の居場所もなくなりそうだから、と応えてくれました。
しかし、文芸批評を読んでくれる人は少ないでしょう、とさらにぶしつけな問いをすると、多いか少ないかは考えようで、今日も11人の人が集まってくれたが、私はこれを「多い」と思う、と応えてくれました。
こんなに共感できるコトバを聴けるとは思ってもいませんでした。
指名されてうまく応えられずにしょげていた劣等生としては、すごく元気づけられる言葉でした。

ちなみに、ゼミ形式の魅力を感じました。
湯島のサロンでは、これから時々、ゼミサロンを企画したいと思いました。
岡和田さんにはまたぜひゼミを開いていただきたいと思います。

■認知症予防ゲームDVD打ち上げ(2019年6月22日)
2月5日の国会議員会館で行った「認知症予防ゲーム体験フォーラム」から始まった、高林さんの認知症予防ゲーム解説DVDが完成しました。
3000枚が配布されました。
ほっとスマイルプロジェクトの実行委員会で取り組んだのですが、その打ち上げを行いました。
残念ながら集まったのは私を含めて6人です。
ここにこのプロジェクトの実状が顕れています。

このプロジェクトは、ほっとスマイルプロジェクトを緩やかな組織にして、社会性を持たせたいと思って提案しました。
しかし、ほぼ全員が女性のためか、「組織化」に賛同を得られませんでした。
DVD制作で収益を上げ、それで今まだ行けていない岩手へのゲーム普及活動に取り組みたいとも話していましたが。その思いは途中で撤回しました。
ボランティアグループに社会性を持たせるのは難しいことが分かったからです。

DVD制作も、きちんとした社会活動に発展させる構想を持っていましたが、それも放棄しました。
ボランティアと社会性はつながっていると確信していましたが、どうも必ずしもそうではないことに気づいたからです。

今回のプロジェクトは、私にとってはたくさんの気付きを得たものです。
大きな失望も含めて、ですが。

今月末で、実行委員会も解散することになりました。
無念と安堵の入り混じった、ちょっと複雑な気分です。

(2019年6月第2週)
■我孫子の将来(2019年6月8日)
■ストーリーテリング協会ミーティング(2019年6月14日)
■限定無税財政論(2019年6月14日)

■我孫子の将来(2019年6月8日)
市会議員の海津さんがまちづくりに関する雑談にやってきました。
先日、お会いした時に出た「ちょっとした問題」をもう少し深めようということもありました。
我孫子市という小さな基礎自治体の実相から見えてくることはたくさんなります。
国政の影響もまた、そこに色濃く出てきます。
私自身は基礎自治体の行政の在り方には大きな違和感を持っていますが、違和感だけでは何も始まりません。
かつてはそれなりにささやかな実験に取り組みましたが、力不足でいずれも挫折です。
あるところでは、住民発議のまちづくり組織条例の策定までこぎつけましたが、市町村合併で見事に半年でなくなってしまいました。
山形市でのまちづくり会議の試みも成果を上げるまでにはいきませんでした。

私とは違って海津さんは市議として活動しています。
私にはできないことですが、たぶん海津さんとは松戸市の中田さんのおかげでつながったのだと思います。
海津さんと話していて、やはり我孫子市の将来を語り合う住民の場があるといいなと思いました。
問題はそれをどう実現するかです。

■ストーリーテリング協会ミーティング(2019年6月14日)
ストーリーテリング協会の活動を再開することにしました。
その、いわばキックオフセミナーをコアメンバー4人で検討しています。
ひとりでやるのであれば、きわめて簡単なのですが、チームでやるとなると、いろいろと摺合せが大変です。
しかしそういた話し合いで、気づくことも多いです。
当日は私も参加することになったので、いささか気が重いですが、新しい展開に繋がればと思っています。

■限定無税財政論(2019年6月14日)
久しぶりにリンカーンクラブの武田さんと議論をしました。
武田さんがこの1か月、かなり気を入れてまとめた「限定無税財政論」に関してです。
私と話していても、並行線議論ですので、サロンを開催することにしました。

話し合い後、武田さんが焼肉を食べたいというので、一緒に行きました。
御徒町の、武田さんが気に入っているお店です。
美味しかったですが、いささか食べ過ぎてしまいました。
困ったものです。

(2019年6月第1週)

■カマキリとの同居(2019年6月2日)
■我孫子まちづくり編集会議に3人の新メンバー(2019年6月2日)
■家族でアリオに行きました(2019年6月3日)
■湯島サロン「日本書紀と『天下論』」(2019年6月5日)
■空き宅地がほとんど畑らしくなりました(2019年6月6日)

■カマキリとの同居(2019年6月2日)
問題が発生しました。
わが家のリビングの天井に小さな点がたくさんできてしまいました。
よく見ると、なんと孵化したばかりのカマキリの子どもたちです。
それに気づいた娘から、そういえば以前、カマキリの巣をもってきたけれどどうしたのか、と詰問されました。
そういえば、それをリビングに隣接する土間のどこかに置いていたような気がします。
それが孵化して、いまリビング全域に広がっているのです。
なんとかしないと餓死してしまいます。
今さら救出もできませんので、外に出てくれるのを祈るばかりですが、室内にもできるだけ植物を置くことにしました。
いやはや困ったものです。
これでは畑に行く暇もありません。
カマキリの子どもの餌づけ方法があったら教えてください。
自然を取り入れようなどと考えてはいけません。

■我孫子まちづくり編集会議に3人の新メンバー(2019年6月2日)
我孫子まちづくり編集会議の定例会を今回は手賀沼が見える「水の館」で開催しました。今回から2人のメンバーが増え、さらに終わりごろにもう一人参加してくれ、いよいよ動き出すことになりました。
年内には編集会議主催のワークショップも計画していますが、並行していくつかのプロジェクトが動き出しそうです。
そろそろ組織化も考えないといけません。

■家族でアリオに行きました(2019年6月3日)
娘家族と一緒に近くのショッピングモールのアリオに行きました。
時々、私も付き合っているのですが、孫は卵アレルギーなので、食事が大変です。
孫との相性は幸いにとてもいいです。
帰りにリサイクルショップに寄りました。
娘はよく利用しています。
あれほど潔癖症で、他者の使ったものには抵抗を持っていた娘が、まさかリサイクルショップを利用するようになるとは思ってもいませんでした。
私にはうれしいことですが。

■湯島サロン「日本書紀と『天下論』」(2019年6月5日)
「日本書紀と『天下論』」のサロンは、増山さんが詳細なレジメを用意してくれたので、それに沿った講座型サロンになりました。
レジメの目次は次の通りです。
1.国学とプロテスタント思想
2.日本書紀と神皇正統記にみる内外(内偈)の典
3.新井白石の「読史余論」にみる天下論
4.日本書紀にハツセベワカタケルによる美人妻強奪事件記事
5.旧約聖書にみるダビデ王の臣下の美人妻強奪事件記事との比較
6.「天下の主」はなぜ要請されたか?
7.「天下の主」を統制するルールとしての律法

話の広がりと独自の視点がわかってもらえると思います。
これだけの内容を、レジメに沿ってとはいえ、増山さんは1時間ほどで話してくれました。

案内でも紹介しましたが、増山さんは、「天下を取る者は天下の萬民に役立つべきである」と言う思想が日本にはあった、そしてその源流は「日本書紀」にあるのではないかと考えています。
今回のサロンでの増山さんのメッセージの柱はそれが一つ。
もう一つは、「日本思想」は世界の中で孤立した思想ではなく、中国はもとより、インド、ユダヤ、ギリシア、メソポタミア、キリスト教など、さまざまな外典思想とつながっているという指摘です。
そうしたことを、エピソードも交えながら、とても具体的に話してくれました。

最後は、「天下の主」、つまり権力を統制するルールとして、モーセの十戒と十七条憲法に言及。上が下に対して「私」を捨てて和解しないと「公」は形成できないというのが結語でした。
昨今の日本はどうでしょうか。

話し合いに入ってからの話題も興味深いものがたくさんありました。

「日本書紀」は「誰」が「何の目的」でつくったのか、そしてそれは「天下」にどういう影響を与えたのか、明示的には語られませんでしたが、増山さんの話から勝手に解釈すると、「日本書紀」は2度、つくられたような気がします。
一度は、日本という国家制度が完成度を高める時期だった8世紀。
そしてもう一度は、国家が揺らぎだした江戸時代に平田篤胤らの国学者たちによって。
さらに言えば、「令和」騒ぎをしている今は、3度目の日本書紀づくりかもしれないなどという妄想も浮かびました。

私たちが学校で学んできた日本古代史は、いま大きく見直されてきています。
古代における東日本の位置づけも大きく変わってきていますし、人々の生活範囲はかつては極めてグローバルだったという痕跡も明らかになってきています。
「弱い王」と「強い王」という概念も生まれてきていますし、国家概念も近代国家とは本質的に違うことが明らかになってきています。
そうしたことを踏まえて日本書紀を読みなおすといろんな謎が解けてきます。
「日本書紀」が作られた経緯、あるいは「日本書紀」が利用された経緯を考えていくと、天下論というか、国家論につながっていきます。

政治人類学者のピエール・クラストルは、「国家に抗する社会」という本で、「「国家」を形成する社会では言葉は権力のもつ権利であるのに対し、「国家」なき社会では逆に、言葉は権力の義務なのだ」と書いています。
国家の正史としての「日本書紀」が天下に与えた影響力は大きいですが、同時にそこにたくさんの異伝、異説も「一書に曰く」として注記されています。
増山さんはキリスト教の「聖典」化運動のこともかなり詳しく紹介してくれましたが、そのことと重ねて考えると、こうしたことも「天下論」に大きな示唆を与えているように思います。

話し合いでは、「言語」を含む「ミーム」と民族のDNAなど、とても大きな話題もでましたが、現在の問題として、天下をどう捉えるかという点に関しては、現在の政治状況への失望感の呪縛からか、議論は深められませんでした。
しかし、「天下を取る者」の使命を考えることで、昨今の政治状況の本性が見えてきて、私たちがいま心がけなければいけないことにも気づかされます。

増山さんの該博な知識と独自のお考えは、1回だけのサロンでは消化できませんでしたが、たくさんの論点や示唆が出されたサロンでした。
参加者のおひとりが、「体制に絡め取られていない何かの代名詞で表現されることを嫌う“I am!な”男たちの談論風発に心地よい刺激を受けました」とコメント寄せてくれました。
サロンのホストとしては、とてもうれしいコメントです。

■空き宅地がほとんど畑らしくなりました(2019年6月6日)
真夏のような暑さでしたが、夕方から畑に行きました。
畑でもない空き地の開墾作業をしていましたが、だいぶ畑らしくなってきました。
ところが開墾作業が面白くて、肝心の野菜を植えるのには関心が向いていませんでした。

昨日、瓜生さんから畑で育ったじゃがいもをもらいました。
それに刺激されて、今日は何種類かの野菜を購入してきて、植え付けました。
第一陣はトマトとなす以外はだめだったのですが、今度はきちんと水やりにも行こうと思います。
道路沿いにあった自生の葵を移植したのですが、うまく咲き出しました。
花壇はいろんな種を蒔きましたが、なかなか芽が出てきません。

開墾作業は時間がたつのを忘れるほど面白いです。
土や植物との話は、人間との話よりも楽しいからです。
今日は異様に元気なトカゲにも会いました。
鍬で土を耕していたら、出てきたのです。
トカゲも土中にいるので、気を付けないといけません。
最近は蛇がいなくなってしまい、もしかしたら今日のトカゲが新しい畑の守り神かもしれません。

気が付いたら7時を過ぎて、薄暗くなっていました。
かろうじて葵の写真だけは撮れました。

(2019年5月第5週)

■湯島サロン「葬儀や供養に関する自由な話し合い」(2019年5月26日)
■ちょっと早目の30歳のささやかなお祝い(2019年5月28日)
■株式会社コンセプトワークショップ確定申告(2019年5月29日)
■がん治療の友人が元気になりました(2019年5月29日)
■FBの「誕生日騒ぎ」(2019年5月30日)

■湯島サロン「葬儀や供養に関する自由な話し合い」(2019年5月26日)
葬送や供養にまつわることに関するQ&A型サロンを1~2か月に一度くらいの頻度で開催しています。
2回目は「戒名」をメインテーマに取り上げました。
最初に、中下さんから、戒名の意味などに関して、宗教民俗学の資料「人の一生と霊魂の浄化」の図もつかいながら、わかりやすく話してもらいました。
また、現在の日本人が、葬儀の必要性や葬儀の形式をどう考えているのかを、調査データに沿って解説してくれました。
葬儀について本人を交えて事前に話し合いをしていますかという質問に、1/3以上の人が話したことがあるという調査結果は意外でした。

中下さんの話を聞いた後、Q&Aサロンに入りました。

「戒名」に関しても、その意味はあまりきちんとは理解されていないケースが多いように思いますが、こうしてしっかりと話を聞くと、問題は、その仕組みをどう活かすかということが大切だなと気づきます。
参加者の一人も、こうしたことをほとんど知らずにいたが、いろいろと知っていくと、葬儀や供養に関しても、考え方が変わってくるという話をされました。
なかには、自分の葬儀に関する方法は決めていたが、何回か話を聞いているうちに、もう少し考え直そうかという気になってきたという人もいました。
せっかく長い時間をかけて育ててきた、日本古来の「死の捉え方」を、私たちはもっと学ぶことで、生き方もまた変わるような気がします。

Q&A型サロンは、毎回、同じような話も出ますが、Q&Aを通して、毎回新しい気づきがあります。
しばらくは継続していく予定です。
何かテーマをご希望の方がいたらご連絡ください。

次回は、6月29日(日曜日)の午前10〜12時を予定しています。
一度、お墓の話をしてもらった篠田さんにも参加していただき、お墓の話と供養の話を中心に、Q&A型サロンを開催する予定です。
また詳細が決まったら改めてご案内させてもらいます。

■ちょっと早目の30歳のささやかなお祝い(2019年5月28日)
ちょっと早目の誕生日祝いだといって、娘親子がケーキを持ってきてくれました。
誕生日プレゼントは有機インスタントコーヒーでした。
孫からハッピーバースデイと言って渡されました。
実に地味なプレゼントですが、私が誕生日を祝うことが好きでないのと何をもらってもあまり喜ばないのを知っているのです。
しかし、それにしてもちょっと地味だなとつい思ってしまいましたが。
お返しに畑で採れたいちごを数粒孫にあげました。
これもまた実に地味です。
まあこれがわが家の文化なのでうsが。

■株式会社コンセプトワークショップ確定申告(2019年5月29日)
妻と始めた会社も30年を迎えました。
妻が病気になってから仕事はやめていますが、会社は持続しています。
ほとんど収入のない会社ですので、税理士に頼むのもやめて、私が決算書類も作成し、税務申告もしています。
今季は昨年、ちょっとだけ仕事をしたので、10万円ほどの利益になりました。
もっとも私の収入はゼロで、お金がないので地方出張もできていないので、仕事もあまりできていないのです。
普通の会社と違い、仕事をするとお金がかかるので、収入がない年は身を潜めていないといけないのです
それでも30年が経過しました。
会社の借金はまだかなりありますが、いまでは債権者は私だけになっていますので、いつでも解散できるところまで来ています。
もっとも、今度、新しい収益事業に取り組むことになったので、解散はやめて持続することにしました。
もしかしたら、私の債権も回収できるかもしれません。
そうしたらまたしばらく湯島も維持できます。

■がん治療の友人が元気になりました(2019年5月29日)
がん治療をしている友人と会いました。
1か月ほど前に会った時にはちょっと元気がなかったので心配だったのですが、今回は私よりも元気そうで安心しました。
それ以上に、前向きになっていて、仕事をまた始めることにしたそうです。
彼は靴屋さんなのですが、新たに仕入れにも行ったそうです。
といっても、在庫を減らすために、とんでもなく大割引して、年来のお客様に提供しているようです。
お店を手伝っている知人が心配しているほどですが、それで元気が出るならいいことです。

■FBの「誕生日騒ぎ」(2019年5月30日)
朝起きたら「お誕生日おめでとうございます」の書き込みがフェイスブックにありました。
先日のささやかな誕生日お祝いでもう誕生日は終わった感じだったので、次々と書き込みやらメールが届きました。
おかしな時代です。

いささか嫌味も込めて、フェイスブックにこう書き込みました。

今朝、FBを開いたら、メッセージが届いていました。
今日は私の誕生日だと教えてもらいました。
昨年は、「誕生日はなぜおめでたいのか」などとひねくれてしまいましたが、今年からは素直に祝意を受けることにしました。
おかげさまで、ほどほどの元気と健康で78歳になりました。
予定ではもう2〜3年は、現状を維持します。
昨年は、余計なことを書いたため、死ぬ前に会いに行こうと遠くからわざわざ来てくれた人もいますので、念のため。
誕生日もお天道様の小作人としての畑作業から始まります。
ちなみに、なぜ誕生日がおめでたいのかは、まだ私は理解できていないのですが。

こんなコメントも書き込みました。

私は祝うことも祝いを受けることも大好きですが、無礼な祝い方が嫌いななのです。
無礼と言う意味は、内容ではなく、作業的に行っているという意味です。形だけの誕生日祝いが横行しているのが好きではないということです。誰にでも通用するような文章を回し使いしているのが悲しいのです。

さすがにこう書けば、定型文の書き込みやメッセージは来ないだろうと思っていたのですが、その後も相変わらず届きます。
たぶんみんな「作業」としてコメントしているのでしょう。
さびしい時代になりました。

(2019年5月第4週)
■晴耕雨読が続いています(2019年5月21日)
■兄との会食(2019年5月22日)
■歯の定期検診(2019年5月23日)
■東寺展(2019年5月24日)
■野上さんとのミーティング(2019年5月24日)
■久野さんと久しぶりに話しました(2019年5月24日)
■第2回万葉集サロン「万葉に開かれて行く〈見る〉古代」(2019年5月25日)

■晴耕雨読が続いています(2019年5月21日)
この数日、晴耕雨読が続いています。
畑もだいぶ畑らしくなってきました。
読書は、遅い出会いだった中沢新一さんの本です。
今日、7冊目を読了しました。
「緑の資本論」で、これはかなりの難物でした。

■兄との会食(2019年5月22日)
兄との会食が定期的になってきました。
近くに住んでいるのですが、なかなか会う機会はありません。
兄と会うと自分の老いを実感できます。
自分だけでは気づかないものなのです。
最近は平和に会食ができるようになってきました。

■歯の定期検診(2019年5月23日)
歯の定期検診に行きました。
私が通っている歯医者さんは、近くのいしど歯科クリニックですが、とても丁寧で、ここに通いだしてからは歯で悩んだことはありません。
それにいろんなことを教えてくれるのです。
もっとも歯磨きもマウスピースも、あまり指示に従っていないので、歯の汚れ診断書はいつもあまりいい成績ではありません。
何回か通って、歯の掃除や虫歯の検査をしてもらいます。

■東寺展(2019年5月24日)
4回目にしてようやく上野の東京国立博物館の東寺展に入館できました。
しかし今回も混んでいて、チケット購入に15分ほどかかりました。
並んでいる間に隣の人と話していましたが、その方は那須塩原から新幹線で来たそうです。
東寺は近くには何回かは行ったものの、いつも立ち寄れず、今度はいい機会だと思ってやってきたそうです。
入館も20分かかりました。

お目当ては立体曼荼羅会場だったので、すぐにそこに直行しました。
残念ながら新しい仏との心惹かれる出会いはありませんでしたが、降三世明王の頭の背面の夜叉のような面にかなり惹かれました。
前にも、たぶんこの明王は後ろからも見ていると思いますが、気がついていませんでした。

今回、一番よかったのは、4体の如来像が一列に並んでいて、それを横から一望できることです。阿弥陀如来の背筋がひときわ見事なのに気づきました。
これはこれからも2度とみることができない光景でしょう。

もうひとつ面白かったのは、中国の虚空蔵菩薩曼荼羅の5体です。
表情が好きに離れませんが、初めて知りました。
虚空蔵は、私の憧れでもあります。

会場から出たら、とんでもなく長い入館待ちの行列でした。

■野上さんとのミーティング(2019年5月24日)
日本生活学会の野上さんとミーティングを持ちました。
誰かに会うと何かをやらないといけなくなることが多いので、最近はできるだけ人には合わないようにしていますが、なぜか合わないといけないように思ってしまう人が時々現れます。
野上さんも、その一人です。
彼女はきっと現在の企業社会の中で自らを消耗するほどに誠実に活動してきたのでしょう。
そして今、その世界から抜けようとしています。
でも傍目で見ていると、これまでの呪縛から心身が抜け出せずにいるように思えてなりません。
頭と心身のずれがみえてしまう。
そんなわけで、今日もまた、野上さんにとってはあまり実のないミーティングをしました。
そのおかげで、野上さんがやろうとしていることがだいぶわかってきました。
少しはお役にたてるかもしれません。

■久野さんと久しぶりに話しました(2019年5月24日)
我孫子市会議員の久野さんと会いました。
別に案件や陳情があったわけではなく、久しぶりに会っただけの話です。
どこかで、いまわつぃたちが考えている「我孫子まちづくり編集会議」との接点もあるかもしれません。

久野さんとは2期前の市長選の時に接点があったのと、数年前に放射線汚染土壌の除染実験をやった時に参加してくれたので、ささやかな接点があるのです
久野さんの思いが伝わってくるミーティングでした。

■第2回万葉集サロン「万葉に開かれて行く〈見る〉古代」(2019年5月25日)
講座型万葉集サロンの第2回目は、「見る」の呪的意味から、倭大后(天智天皇の皇后)と額田王の歌を中心に、万葉的拡がりを追って、「見る」から「個へ」の誕生を感ずるサロンでした。
10人を超す参加者がありました。

最初に作者不明の2種の歌から入りました。

花細(ぐわ)し葦垣越しにただ一目相(あい)見し児ゆゑ千度嘆きつ

ここでの「見る」は恋につながっています。
古代では、見ることは「愛」や「思い」を伝える行為だったそうです。
そこから、「見る」と言うことのもつ呪詞・寿詞の力と「見るな」の禁忌の話。
黄泉の国に亡き妻を取り戻しに行ったイザナギが、妻を見てしまったために失敗した話。
国土を賛美しての予祝儀礼としての国見歌の「見れば…見ゆ」の話と広がりました、
「見る」ことで、豊かな明日が発現してくるわけです。
それぞれだけでも1回分の内容がある歌ですが、こうしてつなげて読んでいくと、升田さんが意図した「個」の誕生が伝わってきます。

とまあ、こういうように紹介しても、参加されていない人には何が何だかわからないかもしれません。
そもそも講座型サロンの報告に無理があるのかもしれません。

参加者の中に、日本神道の立場から万葉集を読み解いているグループの人が2人参加していましたが、そこでの捉え方と升田さんの捉え方の違いが面白かったという意見もありました。
いつか、神道的立場からの万葉集の話もしてもらえるかもしれません。
多賀城市で、万葉を読みあっている人も参加してくれました。
万葉を読み解く活動は各地で行われているようです。
そこでどんなことが行われているのかにも興味があります。
どうも万葉の心は今なお健在のようです。

升田さんは、文字で読むのではなく、詠んでもらってそれを聞くのがいいといいます。
また理解しようとせずに、直感で受け取るのがいいとも言います。
ということで、いつか、升田さんの万葉集朗誦のサロンもやってみたくなりました。
今回は琵琶奏者が参加していましたので、彼女に琵琶を奏でてもらうのも面白そうです。
ちなみに、升田さんも琵琶を演じますので、升田さんの弾き語りもあり得ます。

「見る」ことと「詠む」こと、そして「言葉」へと、どうしてスタイルが変わってきたのか。
最初の言葉は、歌だったのではないか。
私としては、そんな議論もしてみたかったのですが、急ぎすぎてはいけません。
しかし、次回はますます楽しみになりました。

(2019年5月第3週)
■開墾作業の楽しさ(2019年5月12日)
■平山さんとの4時間(2019年5月13日)
■中沢新一「カイエ・ソバージュ」(2019年5月15日)
■内藤カシュカシュの迷い(2019年5月16日)
■上田さんの洗礼(2019年5月17日)

■開墾作業の楽しさ(2019年5月12日)
畑の開墾作業にはまっています。
実に楽しく、気付きが多いです。

■平山さんとの4時間(2019年5月13日)
徳之島出身の平山さんに西日暮里の「こまつ」でご馳走になりました。
そして4時間、いろいろと話をしました。
いろんなことを話さないと人はわからない、というのが平山さんの考えのようです。
それにしても平山さんは酒豪です。

話は驚くほど広くて、遠くて、深い内容でした。
不思議な人で、まだあまり理解できているとは思いませんが、謎多き人は魅力的です。

0515■中沢新一「カイエ・ソバージュ」(2019年5月15日)
人類学者の中沢新一の「カイエ・ソバージュ」5部作を読みました。
実に面白く視野が広がりました。
それに私の生き方がだいぶ理解できました。

■内藤カシュカシュの迷い(2019年5月16日)
ヒーラーにしてチャネラーのカシュカシュ内藤さんも悩みや迷いがあるのです。
それで相談があると湯島に来てくれましたが、話せば話すほど、浮世慣れした生き方をしています。
そのくせ、実際の生き方は実のリアルなのです。
またあるプロジェクトに取り組むようです。
応援したいですが、私がやれることはなかなか見つけられません。

■上田さんの洗礼(2019年5月17日)
最近、洗礼を受けた上田さんと食事をしました。
先日、行こうと思って行けなかった柏のエヴィーバです。
洗礼につながる話をいろいろと聞かせてもらいました。
最後は「愛」の話でした。

会社時代の上田さんを知らないのですが、私の周辺にはあまりいない人です。
一緒にいるだけで心が和みます。

(2019年5月第2週)

■スキャナーが壊れて直りました(2019年5月5日)
■湯島サロン「過労死問題が問いかけるもの」(2019年5月6日)
■晴耕曇読の1日(2019年5月7日)
■平山プロジェクトキックオフ(2019年5月8日)
■孫の3歳誕生日(2019年5月9日)

■スキャナーが壊れて直りました(2019年5月5日)
スキャナーが壊れました。
私にとってスキャナーはとても重要な存在です。
そこで私にとってのPCレスキュー隊の坂谷さんに連絡したら、さっそく来てくれて、修復してくれました。
今回はメカニックの故障でしたが、まさかそれまではと思っていたのに直してくれたのです。
そのうえ、我孫子のまつわる昔話も教えてもらいました。
我孫子昔話プロジェクトに巻き込まなけれいけません。

■湯島サロン「過労死問題が問いかけるもの」(2019年5月6日)



過労死をテーマにした2回目のサロンには10人を超える人が参加しました。
小林康子さん(東京と神奈川の過労死を考える家族の会世話人)は問題の背景などを話してくれた後、参加者に3つの問いかけをしました。
「業務における過重な負荷」
「業務における強い心理的負荷」
「そのような就労環境」
これに関して話し合おうということになりました。

ところが最初から、過労死問題の捉え方に関する根本的な問いかけが出されました。
昨今の過労死問題や働き方改革は「雇用労働」に焦点を絞りすぎているのではないのか、過労死は個人営業やフリーワーカーの人たちにも発生している、というのです。
そして波乱万丈のサロンになっていきました。
そんなわけで、さまざまな話題にとびましたが、そのおかげで、「労働」を超えた社会のあり方や私たちの生き方へと視野は広がり深まったと思います。
そして、小林さんの問いかけにも深い意味でつながっていったように思います。

少し具体的な話を紹介すれば、時間以外の要素にもっと目を向けるべきではないかという意見が多かったです。
納得できていない仕事と納得して取り組んでいる仕事とでは同じ労働時間でもまったく違うのではないか。
個人で仕事をしている人たちの労働時間は場合によっては雇用労働者の残業時間よりも長い場合もあるが、だからといって過労死が問題にならないのはなぜか。
働かされているのか、働いているのかで違うのではない。
ILOが取り上げているディーセントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)や雇用労働と協同労働の話もでました。

日本には、組織を辞める自由が少ないし、辞めることを恥と思う文化もある。
本人が自分に負荷をかけている面もあるのではないか、といった日本人の考え方や生き方の話も出ました。
組織のため、会社のために働いていることが問題ではないか。
かつては、会社のためと自分のためとがつながっていたが、いまは切り離されてしまった。
もっと自分の生活を起点に考えることが大切ではないか。
お金に縛られすぎているのではないかという話もありました。
そうならないように、いろいろな人のいろいろな生き方を知ることが大切だという指摘もありました。

過労死に向かってしまう人は、自分が見えなくなってしまう。
家族などのまわりの人が忠告してもわかってもらえない。
そういう時に、相談に乗ってくれる人や、気づかせてくれるような場や仕組みがほしい、と遺族の方からの体験談もありました。
企業でもカウンセラーや相談窓口をつくっていますが、当事者目線での仕組みがまだ不十分のようです。
これは過労死に限ったことではありません。

働き方改革の動きが、逆に労働条件が悪化させる危険性もあるという指摘やそもそも「正規」「非正規」という働く人たちを分断しているのが問題ではないかという指摘もありました。

過労死問題の原因は3つ。90年代に外資系コンサルが日本人の働き方を変えたこと、日本人の好きなスポ根文化、そして日本人の帰属意識重視文化だという指摘もありました。
さらには、教育の問題やセイフティネットまで、書き出していったらきりがないほど、いろんな話が出ました。
「過労死問題が問いかけるもの」は労働や企業だけにはとどまらないのです。

私は、経済ではなく生活を基本にした社会に変わっていくことが必要ではないかと思いますが、そのためにはまず私たち一人ひとりが自分の生活を大切にしていくことではないかと思います。
過労死は、社会のあり方を象徴している表現の一つです。
制度的な対策も必要でしょうが、私たちの生き方や社会のあり方に根差している。
そのためにはまず、いろんな生き方があることやいろんな世界があることをもっとみんなに知ってほしいと思います。
それが湯島でサロンを続けている理由の一つなのです。

生き方として何に価値を置くか。自分が価値があると認められることのために働くことは楽しいことです。
働くことは楽しくなくてはいけないと思っている私としては、働くことは生きることなので、過労死という捉え方にはそもそも違和感があります。
私たちはいったい「何のために」働いているのか。
そこから問い直さないと「働き方改革」は、事態をさらに悪化させていきかねない。
改めてそう思わされたサロンでした。

最後に小林さんが、こういう議論を広げていくためにも、秋に公開フォーラムを開催したいという提案をしました。
有志で実行委員会を立ち上げることを検討したいと思います。
一緒に取り組みたい方は、ぜひゆるやかな実行委員会のメンバーになってください。
ご関心を持っていただけたら、私にご連絡ください。

■晴耕曇読の1日(2019年5月7日)
太陽が出ていた午前中は、朝からお昼前まで畑の開墾作業に精出しました。
電動農機具類はまったく使用しないので、かなりの重労働です。
作業が面白くてやめられず、途中で立っていられないほど疲れましたが、そこで作業のやりすぎに気づいて、なんとか無事帰宅できました。
そういえば昨日は過労死のサロンでしたが、まだ報告が書けていません。

ところで、なぜ電動農機具かといえば、個人の農作業の場合、自然に対してフェアでないからです。
それでまた右手を少し痛めた上に、今日はアリか何かに腕と首を噛まれてしまいました。
そういう攻撃は甘んじてある程度受けるのが、これも私のルールです。

午後は曇ってきて雨が降りそうになったので、思い出して中沢新一の「熊から王へ」を読みました。
前にノートで書いた「初原的同一性」につながる話で、ここではフェアにみんながなかよく生きていた「対称性社会」はなぜ非対称になり、人間は動物と話せなくなったかということがわかりやすく書かれています。

そういえば、昨日の過労死のサロンでも、植物の声が聞こえるかという話が出ていましたが、今日は畑でたっぷりと植物や土と話してきました。
以前サロンで石にも意思があるといって笑われてしまいましたが、間違いなく石も土も生きています。
今日はたくさんの魂と触れ合えたので、元気になりましたが、過労死のサロンの報告は明日にすることにしました。
身体も頭もかなり疲れてしまっていますので。

■平山プロジェクトキックオフ(2019年5月8日)
平山プロジェクト、といっても、まだその内容をしっかりと理解しているわけではないのですが、ともかくその「平山プロジェクト」のキックオフミーティングでした。
いろんな分野で活動している3人のホームページとも参加されましたが、それぞれ魅力的な仕事をされているようです。
おひとりはやはり徳之島出身でした。

プロジェクトがどう展開していくのか、今回のミーティングではわかりませんでしたが、何やら面白そうではあります。
問題は私に何ができるかなのですが。

(2019年5月第1週)

■葬儀と供養のQ&Aサロン(2019年4月30日)
■湯島サロン「憲法ってなんなのだろうか」(2019年5月3日)
■畑開墾作業に精出しました(2019年5月4日)

■葬儀と供養のQ&Aサロン(2019年4月30日)
中下さんをガイド役にした「葬儀と供養のQ&Aサロン」の2回目です。
10人ほどの参加がありました。
写真を撮るのを忘れてしまいましたが、とてもいい集まりでした。
次回は「戒名」をテーマにすることになりました。

最後に中下さんと私とで考えている新しい葬送事業の具体的な提案をさせてもらいました。

■湯島サロン「憲法ってなんなのだろうか」
(2019年5月3日)
年に1度の「憲法サロン」は、今年は自由な憲法談義にしました。
12人が参加。湯島サロンの初参加者も2人いました。

日本国憲法の条文が直接語られるというよりも、憲法とは何かを考える、いろいろな話が出ました。

最初に、憲法と法律との違いを話題にさせてもらいました。
日本国憲法には「この憲法は国の最高法規」と書かれているので、憲法は最上位の法律と思っている人は多いでしょう。
しかし、「憲法」と「法律」とは、全く別のものだと私は考えています。
どこが違うかと言えば、「憲法」は国家を統治する権力者に向けてのものであり、「法律」は権力者が統治する国民に向けてのものなのです。
また、憲法は国の形や目的を決めていますが、法律はその形をつくるルールを決めています。
つまり両者は全く別のものなのですが、学校でも社会でもそういうことは教えてくれません。

権力を信託された権力者が「憲法」の理念に従って「法律」をつくるという意味で、憲法は法律を規制しますが、規制しているのは法律というよりも、法律を制定する権力者なのです。
対象が全く違うのですが、ここを理解しておくことが大切です。

しかし、最近の日本の憲法論議は両者を混同していますから、憲法は私たちの生活にはつながらないと思ってしまうのです。
昨今の憲法論議は、すでにして「権力者の政治」の舞台に乗せられてしまっているような気がしてなりません。

これに関しては、湯島サロンの常連の折原さんが、昨年、コスタリカに行ったときの報告で、とても示唆に富む話を紹介しています。
ちょっと長いですが、折原さんの報告(「AMAZON 2019年2月号「今日のコスタリカを築いた方々を訪ねて」」から要旨を引用させてもらいます。

コスタリカの国民にとっては、憲法は極めて身近なところにあって、憲法を使って自分たちの権利を主張して、簡単に裁判に持ち込める。その実例として、町役場が学校のサッカー場の隣に溝を掘り始めて、溝が非常に臭かったため、小学生が憲法裁判所に「これはぼくたちのレクリエーションの権利を侵害している」と訴え、裁判所が町役場に「1週間以内に溝を塞ぐように」との判決を出したことを紹介してくれました。

コスタリカでは憲法の役割と国民主権の意味がしっかり認識されているわけです。

日本国憲法が中心に置いている価値はなんなのか。
平和や人権と考える人が多いと思いますが、「平和」も「人権」も時代によって大きく変わってきています。
それに、アメリカの平和はイスラムにとっては平和でないかもしれませんし、自らの人権を守るために他者の人権を踏みにじることで格差社会の人権が成り立つこともある。
いずれも「相対的」な概念なのですから、価値原理にはなりえません。
「個人の尊厳の尊重」こそが日本国憲法の中心価値ではないかと私は思っていますが、これに関しても少し議論がありました。
しかし、その「個人の尊厳」は、自民党の憲法改正案では否定されています。
個人である前に「国民」でなければならないとされているのです。
そういう発想がかつての戦争を可能にしたわけですが、平和とは反転する概念であることをしっかりと認識しなければいけません。
国家は国民のためにあるのであって、国民が国家のためにあるわけではありません。

「国民」とは何かの議論もありましたが、国民は近代国家を支える3要素の一つとして生まれた国家のための要素です。
しかし、国家の3大要素と言われる「領土(領域)」「国民」「主権」のうち、グローバル化の進展で、領土も国民も意味を弱めている中で、国家の意味は失われてきているのではないかという意見も出ました。
もし領土と国民が意味を失ったとしたら、国家はそれこそ支配権力の「主権」を正当化する概念でしかありません。
そうなれば、法律とは全く違うものとしての憲法の意味は大きくなってきます。

ところで、憲法は統治者を制約するもの、法律は被統治者を制約するものと捉えると、どうしても統治者と被統治者の二元対立構造の問題が生じます。
最近の日本ではまさにそういう状況が顕在化しつつります。
そこで重要になってくるのが、第3の存在としての「象徴天皇」です。
私は、天皇は古来象徴だったと思っているのですが、その象徴性こそが「政治性」そのものなのではないかと感じています。
問題は、権力に利用されることもあれば、被統治者の守護神になることもある、それが第3の存在の意味でしょう。
今回のサロンでも、天皇制や天皇に対する好感度は高かったような気がしますが、世間的にもいささか驚くほどに天皇への期待は大きくなっているように思います。

湯島のサロンでは、日本国憲法の最初に「天皇」の規定があることに違和感を持つ人が多いのですが(私もそうでした)、私は最近、その認識が変わりました。
統治者と被統治者が対立した時、革命でも起こさない限り、勝敗は明確です。
権力者と国民の二元対立構造をバランスさせる存在としての象徴天皇の価値はとても大きいのではないか、それこそが日本国憲法の最大の要ではないかとさえ思えるようになってきています。
天皇制に関するサロンをしたらどうかと提案したら賛成する人が少なからずいました。
一度考えたいと思います。

サロンで話されたいくつかのことを主観的にまとめてしまいました。
まとまりはあまりありませんでしたが、私にはとてもいいサロンだったような気がします。
来年の憲法サロンが待ち遠しいです。

■畑開墾作業に精出しました(2019年5月4日)
今日は畑作業に精出しました。
午前中に開墾作業に出かけましたが、途中で用事ができてしまい、中断。
用事が終わった後、また薄暗くなるまで頑張りました。
農作業というよりも開墾作業に近いのですが、これが実に楽しくて娘から帰ってこいと言われてもなかなかやめられないのです。
何が楽しいか、と言えば、確実に成果が見えるからですが、同時にいろんなことに気づくからです。
自然と関わると実にたくさんのことを教えてくれます。
農民はみんな哲学者になるはずです。
学校では人間から学ぶのではなく、自然から学ぶのがいいですね。
ちなみに私が勉強好きなったのは、小学4年の時の自然観察のおかげです。
今日はミニ温室のスイカとメロンは元気でした。
昨年植えておいたミョウガは10本ほど芽が出てきていました。
先日気づいた死角になっていた花壇の紫蘭は私が植えたチューリップとは比較にならないくらいきれいに咲いています。

(2019年4月第4週)

■青木さん(2019年4月22日)
■野上さん(2019年4月23日)
■「暴力の人類史」(2019年4月24日)
■畑開墾作業(2019年4月25日)
■小学校時代のミニクラス会(2019年4月26日)
■タケノコがまた届きました(2019年4月27日)

■青木さん(2019年4月22日)
我孫子まちづくり編集会議の林さんと一緒に副市長の青木さんのところに行きました。
1年ぶりかもしれません。
秘書室に広報課長だった斎藤さんがいて、これも久しぶりにお会いできました。
たまには市役所にもいかないといけません。

林さんと一緒に、青木さんにいま私たちが取り組もうとしていることをお話ししました。
何かを頼むつもりは私は全くなく、しかし私たちの思いを知っておいてもらおうということと林さんを青木さんにつなげておきたいというのが訪問の目的です。

■野上さん(2019年4月23日)
生活哲学学会に取り組んでいる野上さんと会いました。
3回目でしょうか。
お互いのこれまでの活動やそこから生まれてきている考え方、さらにはこれからしようとしていることの背景などがかなりシェアされてきました。
プロジェクトを起こす時には、組む相手との思いのシェアが大切です。
それがだいぶできたように思います。

■「暴力の人類史」(2019年4月24日)
1200頁にわたる大部の書籍である上に、内容が重すぎてなかなか読み進めなかったのですが、何とか上下2冊を読み終えました。
この本の名前は以前ある本で知っていつか読もうと思っていたのですが、なぜか先週読みたくなって読んだのですが、実にタイミングがよく、読むべき時に読んだ気がします。
とても面白く心に入り込んできました。
人間の本性への理解が深まった気がします。

■畑開墾作業(2019年4月25日)
先週耕した畑に野菜を植えました。
ナスとキュウリとトマトとエンドウマメとオクラとピーマンとレタスと、いろいろと植えました。
ちょっと無計画すぎて、いささか心配ですが。

また野草や竹がはびこりだす季節になりましたので、これからは気を許せません。
もっと頻繁に畑に来ないと負けそうです。

■小学校時代のミニクラス会(2019年4月26日)
学校時代のミニクラス会を湯島でやりました。
男性3人、女性6人が参加。
昨年から隔月の決まった日に開催していて、少しずつ仲間を増やしていこうというスタイルで始めましたが、これがなかなか難しいことが最近わかってきました。

定期的に集まる場があれば、人のつながりは維持され深まるというのが私の仮説なのですが、そしてその仮説に従って30年ほど、湯島を維持してきたのですが、どうも必ずしもそうではないようです。
案内などせずに、その日になったら、そこに行くと仲間がいる。
そんなスタイルを昔から志向していましたが、なかなかうまくいきません。
まだあきらめてはいませんが。
そもそも「家族」とはそういう存在ではないかと私は思っています。
生物学的には血のつながりが軸になっているようにも見えますが、そもそも家族の基本の夫婦には血のつながりはありません。

昨日は最初から参加している男性2人は大病治療のため欠席。
女性は相変わらずみんな元気で、4時間の集まりは圧倒的に女性の世界でした。
さらにクラス会をやろうという話も出てきましたが、乗り気なのは女性たち。
お菓子や食べ物を山のように持ってきたのも、女性たち。
生命力の強さを感じます。
やはり人間の男性と女性は別の生物種ではないかと思えてなりません。

写真係の鎌田さんが今回は欠席だったので、写真がないのが残念です。

■タケノコがまた届きました(2019年4月27日)
敦賀から私の好物のタケノコが届きました。
今年は姉夫婦は足腰を痛めているので、無理だろうとあきらめていたのですが、私のタケノコ好きを知っているので無理をしてくれたのでしょう。
今年はタケノコの裏作の年だそうですが、私はむしろ例年よりもたくさん食べた気がします。
近くにタケノコが安いお店を見つけたからです。
それに娘が今年はタケノコ料理を嫌がらずに毎日作ってくれました。

(2019年4月第3週)

■受けるお見舞い(2019年4月15日)
■徳之島の平山さん(2019年4月16日)
■我孫子のまちづくり(2019年4月16日)
■生活哲学学会プロジェクト(2019年4月16日)
■いとこ旅行(2019年4月17〜18日)
■湯河原ガス確認(2019年4月18日)
■畑作業(2019年4月19日)
■湯島サロン「贈与と共生の経済倫理学」(2019年4月20日)

■受けるお見舞い(2019年4月15日)
闘病中の友人の「お見舞い」を受けて、お昼をご馳走になりました。
お見舞いに行ったのではなく、相手が「お昼」をご馳走しに来てくれたのです。

「お見舞い」には行くものだと思っている人も多いと思いますが、「受けるお見舞い」もあるのです。
誤解されそうですが、お見舞いの対象は私ではなく、私のところにわざわざやってきて私にご馳走してくれた人を私が「お見舞い」したのです。
つまり「受けるお見舞い」です。
「を」と「が」を読み違いませんように。

私にご馳走することで相手が元気になるとすれば、それも十分にお見舞い行為です。
それに私のところに来ることで、運動不足を解消できます。
今日の「お見舞い」人は足が悪いので歩くのが大変で、普通はこちらから「お見舞い」に行くのですが、当人に確かめたら、来るというので素直にその意思を受けました。
「お見舞い」には相手の意思を尊重しなければいけません。

繰り返しますが、お見舞いされるのはお見舞いに来た人であって、私ではありません。
うまく伝わるといいのですが。
お昼をご馳走されただけではなく、「お見舞い品」として、クラークスの靴までもらってしまいました。
私の靴があまりにもひどかったからです。
困ったものです。

■徳之島の平山さん(2019年4月16日)
徳之島出身の人が、徳之島プロジェクトをメールで送ってきて、話をしたいというので会いました。
ちょっとわくわくするプロジェクトだったからです。
しかし、お会いしてみると、どうもそれは私を惹き付けるプロジェクトだったようで、相談というのは土づくりをベースにしたまちづくりのプロジェクトでした。
まあそれもそれなりに興味があるので、まずは関係者のフリーミーティングをすることを提案しました。
さてさてどうなりますか。
たぶん私を勘違いして声をかけてくれたのだろうと思いますが、最初のミーティングには着き合わせてもらうことにしました。
がっかりさせるかもしれませんが。

■我孫子のまちづくり(2019年4月16日)
アートや文化を切り口に我孫子の地域活動に取り組みたいという林さんの想いを伝えたくて、我孫子市の生涯学習部長の木下さんのところに2人で行きました。
木下さんは、湯島で開催したまちづくり編集会議のワークショップにも参加してくださいました。
我孫子の市役所の職員で自発的に参加してくださった人は2人目です。

林さんの話にも関心を持ってくれました。
林さんもいろんな人にお引き合わせしているので、動き出すでしょう。
づ展開するか楽しみです。

■生活哲学学会プロジェクト(2019年4月16日)
生活哲学学会のプログラムが7月から動き出しそうです。
その最初と最後と真ん中の実践講座を少しだけ手伝わせてもらうことにしました。
単なるお手伝いは、私の趣味には合いませんので、その目的やら理念や価値観について話し合いを菜何回かさせてもらっていますが、今回はさらに一歩踏み込んでお互いの生き方に関しても開陳しあいました。
これで私も気持ちよく参加させてもらいます。
面白くなるようにしっかりとコミットしていこうと思います。

■いとこ旅行(2019年4月17〜18日)
従兄弟旅行に箱根湯本に行きました。
70代から80代の男性たちです。
その様子はブログのほうに書きましたので、ここでは省略。
2日間ののんびり旅でした。

■湯河原ガス確認(2019年4月18日)
箱根の帰りに、湯河原のマンションに寄りました。
予定ではいまごろもう妻と一緒に転居しているところですが、妻が亡くなったので、放置していました。
先月久しぶりに立ち寄ったら給湯器がおかしくなっていて、ガス爆発したらいけないので、ガス会社の人に点検してもらうために寄ったのです。
幸いに爆発の危険性はないとのことで安堵しました。

早く売却したと思っていますが、その元気もないのです。
今年はどうにかしなければいけません。

■畑作業(2019年4月19日)
久しぶりに畑に行って開墾作業をしました。
開墾作業は実に楽しい。
しかし少し頑張りすぎて、手首を痛めてしまったようです。

苗や種をまく畑用地がだいぶできました。
今年は収穫できそうです。

■湯島サロン「贈与と共生の経済倫理学」(2019年4月20日)
難しいテーマのサロンにもかかわらず、20人を超える参加者があり、異例の申込締め切りをしたほどでした。
また、本書で題材に取り上げられている霜里農場の金子夫妻が参加されたほか、著者の関係者も数名参加されたのも異例でした。
そのため著者に関して語られることが多かったので、著者の人柄や生活歴がわかり、本の著述からだけではわからない行間が伝わってきて、とても興味深いサロンになりました。
しかし、本を読んでいない方にはちょっと戸惑いの多いサロンだったかもしれません。

ナビゲーターは、亡くなった著者の活動に伴走してきた伴侶の折戸広志さんです。
著者の思いも重ねながら、本書の背景と著者のメッセージをていねいに読み解いてくれました。

著者の基本的な問いは、「生きにくい社会をどうやったら私たちは生き抜いていけるのか」ということです。
その問いは、「自由とは何か」、さらには「他者とはだれか」という問いにつながっていきます。
そして、「視座の転換」によって、「資本主義の限界」を超えていく実践策が示唆されます。
こう書くと難しそうですが、要は、自分を自由に生きていくためのヒントが本書にはたくさんちりばめられているのです。

本書を読み解く2つのキーワードは「お礼制」と「もろともの関係」です。
折戸さんは、ポランニーの贈与経済やスピノザの自由論、さらには最近話題になった「ホモ・デウス」まで紹介しながら、究極の倫理としての「自由」に言及していきます。
そして、対等な関係において成り立つ「契約」を結ぶことができない「対等ではない関係」においてこそ「倫理」が要請されるというのです。
では、「対等ではない関係」とはだれのことか。
そこで折戸さんは「他者」とはだれかと問いかけます。
私たちが共に生きている「他者」は、同時代人だけでないばかりか、人間だけではない。
そのことを霜里農場の金子さんが卒論で描いていた「生態系の図」も紹介しながら、気づかせてくれました。
そして、「アグロエコロジー」(「タネと内臓」サロンでも話がでました)にも言及されました。

金銭契約を超えた「贈与(お礼制)」と功利的な関係を超えた「もろともの関係」は、著者えとなさんの経済倫理学の2つの柱ですが、別々のものではなく、相互に支え合って成り立つものといえるでしょう。
えとなさんが研究を深めていったら、このふたつは止揚されて、そこに新しい概念、つまり「新しい倫理」(生活哲学)の概念が生まれたかもしれないと、改めて思いました。

真の自由のためには「赦し」から「共生(共に生きる)」へと生き方を変えていくことだというのが、折戸さんのまとめのメッセージです。
その一つの実践例として、「被害者意識」から「加害者としての責任感」へとまなざしを変えた水俣の漁師、緒方正人さんの話を紹介してくれました。
折戸さんたちは、水俣でのワークショップで緒方正人さんとも語り合ったようで、その際のえとなさんのエピソードも紹介されました。
ちなみに、緒方さんの著書「チッソは私であった」は、本書のメッセージと通ずる本です。
http://cws.c.ooco.jp/book2.htm#002

話し合いは、著者折戸えとなさんの関係者が多かったこともあって、著者の話が中心になりがちでしたが、そこで語られたさまざまなエピソードには、本書の理解を深めるヒントがたくさん含まれていました。
著書を読んでいない方もいましたが、なんとなく「折戸えとなの世界」を感じてもらえたような気がします。
くわえて実践のど真ん中にいる霜里農場の金子美登さんの発言も直接聞けた、ぜいたくなサロンでした。

本書を読まれていない方には、ぜひ読んでほしい本です。
この生きにくい社会を生き抜くヒント、さらには袋小路を感じさせる今の社会の壁を越えていくヒントが、たくさんあります。
私の勝手な本の紹介は下記にあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2019/02/post-6da3.html

今回は読んでいなかった方も多かったので、内容の議論は十分にはできませんでしたが、また機会があれば、今度は経済倫理学のサロンとその実践としての霜里農場(アグロエコロジーが実現していると言われているそうです)のサロンを企画したいと思います。

(2019年4月第2週)
■みんなの認知症ゲームDVD制作ミーティングほぼ最終回(2019年4月7日)
■湯島サロン「一緒に暮らす生き方」(2019年4月7日)
■統治地方選挙は残念な結果でした(2019年4月7日)
■中村さんとの「無駄」な雑談(2019年4月8日)
■我孫子市生涯学習部訪問(2019年4月10日)
■湯島サロン「スマート・テロワールを考える:非市場経済は可能か」(2019年4月11日)
■生活哲学学会(2019年4月11日)
■孫とのお花見(2019年4月13日)

■みんなの認知症ゲームDVD制作ミーティングほぼ最終回(2019年4月7日)
みんなの認知症ゲームDVDがなかなか完成しません。
調整会議をしたいというので参加しましたが、いずれも人間関係に起因しているように思います。
女性の組織活動のむずかしさを改めて体験しました。
女性の論理と男性の論理は、やはり違うようです。

しかし今回でもう大丈夫でしょう。
残念ながら赤字になり、これで基金を作って東北への認知症予防の活動に取り組みたいという私の当初の目的は実現できなくなりました。
残念ですが、今度こそ認知症予防ゲームの普及支援活動は一段落させることにしました。

■湯島サロン「一緒に暮らす生き方」(2019年4月7日)



今回の生き方を考えるサロンは、「一緒に暮らす生き方」をとりあげ、NPO都市住宅とまちづくり研究会の関真弓さんに、コーポラティブハウスに取り組んできた経験から、実例を踏まえてお話をしてもらいました。
このテーマに関心のある女性たちが多く参加してくれ、女性が多いサロンになりました。
それと男性と女性とでは関心のあり方や受け止め方が大きく違っているようで面白かったです。
いつも思うのですが、やはり「男性」と「女性」は別の生物のような気がします。
また叱られそうですが。

関さんは在学中からこのNPOにかかわり、ずっとこのテーマに取り組んできたそうです。
いまはご自分も参加したコーポラティブハウスにお住まいです。
ちなみに、NPO都市住宅とまちづくり研究会の姿勢は、「人と人、地域とのつながりをつくるコーポラティブ方式による住まいづくり」です。
コーポラティブハウスとは、入居希望者が集まり、土地取得から設計者や建設業者の手配まで、建設行為の全てをみんなで行う集合住宅のことです。
その基本にあるのは「シェア」という理念です。

さまざまな事例や関さんの体験の話から印象に残ったことをいくつか紹介します。
関さんたちが取り組んでいるコーポラティブハウスは、一緒に住もうと考えた人たちが時間をかけて何回も会い、お互いの利益を深めていくことを大事にしています。
ですから一緒に住む前に、繰り返し「住まいづくり」を軸に話しながらお互いの信頼関係を深めていきます。
それがともかく楽しくて、なかには、一緒に住み出してからも、つくる前の話し合いの楽しさが忘れられずに、もう一度、コーポラティブハウスづくりに取り組みたいという人もいるそうです。
そこに、私は「人の生き方」の本質を感じます。

みんなが顔見知りのなかで暮らすことは安心ですが、ある意味で自己充足し“たこつぼ”コミュニティになるおそれもあります。
そこで関さんたちは、地域とのつながりを大切にしているそうです。
その際に効果的なのが、地域社会に開かれたイベントです。
イベントは地域とのつながりだけではなく、コーポラティブハウス住民の信頼関係を強める効果も大きいようです。
しかも、生活につながるイベントは世代を超えたつながりを育てていきます。

コーポラティブハウスの住民も、時間の経過(ライフステージ)によって、住まい方が変わったり転入居したりすることもあります。
そのために、住宅は、基本的にスケルトン独立構造になっていてリフォームしやすい自由設計になっています。
人が住まいに合わせるのではなく、人に住まいを合わせる仕組みになっているわけです。

関さんたちの体験から、コーポラティブハウスではないマンションなどの運用に関しても、とても有用なノウハウがたくさんあるように思います。
実際に、関さんは分譲マンションでの取り組みやシェアハウスの取り組みも紹介してくれました。
コーポラティブハウスの場合、所有、区分所有、賃貸などいろいろと考えられますが、最近では会社制度を利用した、コミュニティハウス法隆寺のようなコーポラティブハウスも生まれてきているそうです。

話し合いでもいろんな意見が出ました。
マンション住まいの人が隣人との付き合いがないので不安だという方もいましたが、コーポラティブハウスの場合は、そういう不安はほとんど解消されるでしょう。
ということは、もし現在のマンション生活の隣人関係に不安があるとすれば、それを解消するヒントがコーポラティブハウスにはありそうです。
そもそも、住んでいる隣人との関係が不安であるということのおかしさを私たちはもっと真剣に考えるべきだと思います。
そうしたことが起こるのは、私たちが住まいや生活を基準にして生きていないからかもしれません。
そういうことも今回のサロンでは気づかせてくれました。

コーポラティブハウスとまちづくりの関係も話題になりました。
私はここにも社会の大きな構造変化を感じます。
これまでのような「大きなまちづくり」とは発想を変えて、空き家や小さなコミュニティを生き生きとさせていく生活起点の「小さなまちづくり」が話題になりだしていますが、そうした視点でコーポラティブハウスをとらえるといろんな視野が開けてくるはずです。

実際にコーポラティブハウスでの住まいを実現するにはどうしたらいいかという質問も出ました。
状況によって違いますので、関さんに相談するのがいいと思いますが、私は、まずは自らの生き方を見直して、一緒に生きる人たちを増やしていくことが大切ではないかと思います。
生き方が住まいを決めていくからです。

コーポラティブハウスとかシェアハウスとかいうと、どうしても「一緒に住む住宅」を考えますが、大切なのは「一緒に生きること」なのだと思います。
住まいは生きるための一つの道具でしかありません。
しかしその一方で、住んでいる住宅が、生き方や人の関係性を大きく影響してしまうことは否定できません。
だからこそ「住まい」を考えることは「生き方」を考えることなのです。

コーポラティブハウスを考えていくと、家族の問題にも行きつきます。
血縁家族の固定観念から解放されれば、家族そのものの意味も変わってきます。
そして、そのことは社会のあり方を変えていくことになるでしょう。

ほかにもさまざまなことを考えさせられるサロンでした。
かなり具体的に取り組みを考えている人たちも数名いましたので、1年後には、その人たちからの実践報告サロンをやってもらえるかもしれません。
楽しみにしています。

■統治地方選挙は残念な結果でした(2019年4月7日)
地方統一戦は現状承認の方向に終わったような気がします。
やはり多くの日本人は、安倍政権を支持しているようです。
この75年間は一体なんだったのか、と思わざるを得ないような選挙結果でした。

投票率も低く、ますます地方政治は、中央政府に組み込まれていくような気がします。
政治の対立軸を、権力 vs生活者と捉える私にとっては、21世紀に入ってから生じた政治の逆行はますます進みそうです。
テレビ報道などでの印象ですので、まちがっているかもしれませんが。

北海道の石川さんが敗れたのが、私には一番の衝撃でした。
あれだけ野党が共闘したにもかかわらず、です。
北海道知事選には、日本の状況が象徴されているようです。
沖縄と北海道から新しい風は起こると期待していましたが、実現しませんでした。

大阪での維新の勝利はいささか複雑ですが、松井さんが「万歳しなかった」(らしい)のはほっとします。
選挙で当選した人たちが万歳する風景をテレビはいつもしつこく流しますが、あれほど私の癇に障る映像はありません。
お上に仕える政治家やその取り巻き(あるいは寄生者)の本心が見えてくるようで、私にはやりきれない風景です。
神奈川県の黒岩さんが喜びを「笑い」で表現していましたが、それにもやはり不快感を持ちました。

いささかストイックすぎるかもしれませんが、政治への真剣なまなざしがどうも感じられない。
政治家がやるべきことは、投票率を高めることでなければいけません。
生活者が心がけるべきことは政治批判ではなく投票に行くことでなければいけません。

そんなことを考えさせられる選挙結果でした。

■中村さんとの「無駄」な雑談(2019年4月8日)
1年ほどお会いしていない中村さんと高橋さんが気になって、コーヒーを飲みに来ませんかとお誘いしました。
お2人は湯島の私のオフィスのすぐ近くで出版社をやっているのです。
ちょっとしたことで相談に来て、それが縁で、近くに転居してきたのですが、なかなかお会いする機会はありません。
今日は、中村さんが一人で、コーヒーに合うケーキを持ってやってきました。

中村さんは、実に不思議な人柄です。
最近出版したといって、介護離職の本を持ってきてくれました。
本をもらうのはうれしいのですが、読まないといけないので、それなりに大変なのです。
関心があろうとなかろうと、もらった本は読むようにしています。
まあそのおかげで、私の世界は広がってきたのですから、感謝しなければいけません。

私が声をかけたので、中村さんたちは何か「用事」があると思ったようです。
しかし、私が「コーヒーでも飲みに来ませんか」というのは、ただ単にコーヒーでも飲みましょうというだけの意味なのです。
いまの時代は、こういう「無駄」な誘いは友人同士でないとないのでしょう。
何事かと少し中村さんたちを心配しさせたようです。

私はただ久しぶりに雑談しましょうという軽い気持ちだったのですが、
ケーキまで持ってこさせて悪かったです。
久しぶりの雑談は、中村さんにも楽しかったようでよかったです。

■我孫子市生涯学習部訪問(2019年4月10日)
我孫子まちづくり編集会議の林さんと一緒に、我孫子の生涯学習部長の木下さんのところに行きました。
林さんが中心になって進めようとしていることの紹介とこれからの関係づくりです。
私は、行政には支援してもらうよりも、行政の役に立ちたいというのが基本姿勢ですが、これがなかなか理解されません。
そのためこれまでいい関係が作れませんでしたが、そういう原理主義は少し改めようかと思っています。
しかし、行政と話していていつも感ずるのは、行政にはたくさんの陳情や要望がいっているのだろうなという感じです。
そうした状況を変えていかないと、市民自治などは始まりようもありません。
改めて今日もそう思いました。

■湯島サロン「スマート・テロワールを考える:非市場経済は可能か」(2019年4月11日)
山口県で循環する地域づくり研究所を主宰している東孝次さんの「スマート・テロワールを考える」サロンは、15人の参加がありました。
副題の「非市場経済は可能か」に関心を持った人も少なくありませんでした。
時代の変化を感じます。

「スマート・テロワール」とは、一言で言えば、「自立した地域共同体」のことです。
経済的には畑作農業と食品加工業を中心に農村を元気にし、日本全体を元気にしていこうという構想です。
ベースにあるのは重商主義から重農主義への発想転換です。
提唱者は、カルビーの社長だった松尾雅彦さん。
市場経済の真っただ中にいた企業家が、農村問題に対する解決策を提案し、その具体化に向けての取り組みを先頭に立って進めている。しかも非市場経済の必要性を主張している。
東さんはそこに興味を持ったそうですが、私もそこに大きな意味を感じていました。
しかし残念ながら、日本の経済界の人たちの反応はあまりありませんでした。
農業政策や地方自治政策にも大きな影響を与えているとは思えません。
時代の流れを変えることのむずかしさを改めて感じます。

東さんは最初に、スマート・テロワール構想について紹介してくれました。
簡単にいえば、「耕畜連携」、「農工一体」、「地消地産」という3つの連携体制で農産業を再構築し、圏内で消費者と生産者(農家と加工業者)が循環システムを構築するという発想です。

「耕畜連携」とは、耕種農家と畜産農家との手間の交換(互酬)で、これによって安全な飼料の提供と土壌の改善を進めることができます。
「農工一体」とは、耕種農家と加工業者とが契約栽培を行うことで、お互いに支え合う安定した関係を育てていこうということです。
「地消地産」とは、地域で消費するものはできる限り地域で生産しようということですが、地元の人たちが消費者として生産者を支えていこうということでもあります。

こう説明すると、単に農業政策や産業政策の話に思われるかもしれませんが、その根底にあるのは、産業や経済の捉え方、さらには社会の構造を根本から変えていこうということです。
たとえば、相互に支え合う互酬の考えを取り入れることで、金銭に呪縛された経済から解放され、人と人の生き生きしたつながりが育ちます。
また、「地産地消」ではなく「地消地産」としているのは、産業(経済)起点で経済を考えるのではなく、生活起点で経済を考えようということです。
生活視点で考えると、「自給」ということの視野は食にとどまることなく、エネルギーや福祉の問題にまで広がっていきます。
つまり、私たちの生き方や社会のあり方を見直すことになっていきます。
最近広がりだしているFEC共同体(フードのF、エネルギーのE、ケアのC)構想にもつながります。
松尾さんは、それによって、なかなか改善されない「少子化問題」も解決すると考えています。

契約栽培も農家と加工業者の関係にとどまりません。
「地消地産」という言葉に示されるように、生活者と生産者の契約も重要になっていきます。
そこでの契約は「市場契約」とは違った、個人が見える人と人のつながりを生み出します。
強い者が勝ち続ける経済(市場経済)ではなく、住民みんなが居心地のいい社会なっていくというわけです。

すでに「スマート・テロワール」への実際の取り組みは各地で広がりだしています。
山形や長野、山口などでの展開事例も紹介してくれました。

話し合いでは、いつものように話題はさらに広がりました。
「自立した地域共同体」の規模の話や「自給」と「自閉」との関係。
都会部と農村部での出生率の違いの話や生活のための「仕事」の話。
地域通貨の話や食への不安から微生物の話。
定額で利用し放題の一括契約のマーケティング手法と契約栽培の違い。
いろいろありすぎて、思い出せません。

東さんは「循環する地域づくり研究所」を主宰しています。
最近、持続可能性ということが盛んに言われていますが、直線モデルの工業経済は、どこかに限界があり、そもそも持続可能ではありません。
持続可能なためには、循環型でなければいけませんから、東さんが提唱している「循環する地域づくり」と「スマート・テロワール」構想は親和性が高いと思います。

私自身は、「スマート・テロワール構想」は、まだ金銭経済や市場経済の呪縛から十分には解放されていないような気がしますが、だからこそ、理念としても、実践活動としても、たくさんの示唆があるように思います。
余っている水田を畑に変えていこうという具体策の提案など、共感できるものもたくさんあります。

ちなみに、サロンの翌日、一般社団法人スマート・テロワール協会の総会が開催されました。
これまで以上に、実践に向かっての活動が広がっていきそうです。
ぜひこれからの展開に注目しておきたいと思います。

■生活哲学学会(2019年4月11日)
生活哲学学会を構想している野上さんと話しました。
根上さんの説得に負けてしまい、私もコミット度を高めることにしました。
さて第4期への移行は、ちょっと遅れそうです。
困ったものです。

■孫とのお花見(2019年4月13日)
ジュン母娘からお花見のお誘いがありました。
近くの親水公園にお花見に行くけれど、一緒に行かないかというのです。
本当は予定があったのですが、お花見を選びました。

手賀沼に面した親水公園はまだ桜が咲いていました。
ちょうどいい天気だったので、ユカも一緒にお花見です。
午前中だったので、まださほど人でも多くなく、ゆっくりとお花見ができました。
孫のにこは5月で3歳になりますが、自我が出てきて、人間らしくなってきました。
よく動きます。

にこは私のことを「おさむさん」と呼びます。
わが家にはよく来ていますが、私が不在だと必ずユカに「おさむさんは?」と質問します。
会うと、実にいい笑顔をしてくれます。
子どものこの笑顔は、誰にでも共通しているように思いますが、これが生命の本質なのだろうと思います。

花の下で食事をしたのは久しぶりです。
それから遊歩道を少し歩きました。
にこが写真を撮ってくれました。
うまく撮れていました。
ちょっと疲れました。

午後は畑に行こうと思っていたのですが、さぼってしまいました。
「やらなくてはいけない」仕事も、やはりさぼってしまいました。
まあ、1日くらい先に延ばしても大丈夫でしょう。
といいながら、1週間以上、延ばしてしまっています。
困ったものです。

(2019年4月1日)
■月下美紀さんの特別寄稿を読みました(2019年3月31日)
■水野ゆうきさんに2回も出合いました(2019年3月31日)
■中下大樹さんと湯島で会いました(2019年3月31日)
■hirashima naokoさんと我孫子まちづくり編集会議(2019年3月31日)
■半田智久さんと野上秀子さんの新しいプロジェクト(2019年4月1日)
■新元号「令和」の余波(2019年4月1日)
■佐藤裕さんからのうれしい申し出(2019年4月2日)
■畑での小動物たちとの出会い(2019年4月3日)
■過料の支払いをしたら追加の請求が届きました(2019年4月3日)

■月下美紀さんの特別寄稿を読みました(2019年3月31日)
行田市の中村博行さんが、市民科学研究所の機関誌「市民の科学」第10号を持ってきてくれました。
そこに掲載されている月下美紀さんの「ヒロシマからフクシマへ そしてそれから」を読んでほしいというのです。
京都自由大学で2016年に月下美紀さんが講演した時の記録です。
https://kyotofreeuniversity.wordpress.com/
こういう人がいるのだと感動しました。
多くの人に読んでほしいのですが、この本はほとんど出回っていないでしょう。
ネットで公開してほしいですが、残念ながら公開されていません。
月下さんはアーティストで各地で展示会もやっているそうです。
この名前に出会ったら、ぜひのぞいてみてください。

■水野ゆうきさんに2回も出合いました(2019年3月31日)
千葉県県会議員選挙が昨日から始まりました。
今朝、我孫子市駅前で水野ゆうきさんが車の上で、通りがかる人たちに呼びかけていました。

今回、私が住んでいる我孫子市からは3人が立候補しています。
定員は2人、水野さんは現職ですが、今回はもう一人立候補しました。
一人は現職の自民党推薦の人、もう一人は新人で立憲民主党推薦です。

私は地方政治には、政党視点よりも生活視点が大切だと思っているので、政党推薦者はこれまで一度も支援したことはありません。
無所属で立候補したので応援したら、結局、政党に取り込まれた若者もいます。
彼との付き合いはもうありません。

今回は、私は水野さんを支持していますが、もう一つ理由があります。
千葉県では女性議員が少ないからです。
25年ほど前に、松戸市の市議だった中田京さんから声をかけられて「女性議員を増やす会」をささやかに応援していた時期があります。
中田さんは昨年急逝されましたが、私が信頼できた数少ない地方議員でした。
急逝する直前に中田さんに会って、最近の彼女の活動報告のファイルをもらいました。
何か託された気がしました。

今朝は湯島に行って、午後は我孫子で用事があったのですが、朝の我孫子駅と午後の集まりの場所の道の駅近くで、2回も水野さんの選挙カーに出会いました。
何やら意味がありそうです。

■中下大樹さんと湯島で会いました(2019年3月31日)
中下さんとの新たな葬送事業の主体づくりと実際のワークをどうするかに関して、少しずつ準備を進めています。
中下さんからの要請もあって、娘も巻き込めないかということになりました。
娘は今働いていないので、本格展開が始まる前の応援をしてもらえないかということで、今日は湯島で3人で会いました。
少しずつですが、前に進んでいます。

■hirashima naokoさんと我孫子まちづくり編集会議(2019年3月31日)
我孫子まちづくり編集会議の久しぶりの交流会を柏の道の駅近くの「野菜レストラン」で開催しました。
新たに我孫子市民のhirashima naokoさんが参加しました。
今年は具体的な活動を少しずつ広げていくことになりそうです。

■半田智久さんと野上秀子さんの新しいプロジェクト(2019年4月1日)
久しぶりに半田智久さんが、紹介したい人がいるといって、湯島に来ました。
半田さんは今は、お茶の水大学の教授なのですぐ近くなのですが、なかなか会う機会はありません。
一緒に来たのは、生活哲学学会や家事塾などに取り組んでいる野上さんです。
雑談かと思いきやお2人がこれから始めようというあるプロジェクトへのお誘いでした。
お誘いといっても、まあ私はその一部を担うだけの話ですが、野上さんの思いの強さについつい受けてしまいました。
困ったものですが。

■新元号「令和」の余波(2019年4月1日)
新元号が「令和」と発表されました。
予想していたとはいえ、あまりのことに唖然としました。
テレビでは「令和」賛美が喧伝され、ネットでは「令和」呪いが広がっています。
私見では「あり得ない」名前ですが、しかしみんな無意識の中で洗脳されていくのでしょう。
これまで以上に私は元号とは縁を持たないようにしようと思います

ただもう一つ、この「令和」は万葉集由来だと報道されています。
少しでも古代史に知識があれば、もともとは中国由来であると思うでしょう(実際に「文選」由来と指摘されています)。
しかし、なぜかもう「万葉集」ブームが起きているようです。
折角、3月から始めた湯島の講座型連続サロンが時流に乗ったような感じになってしまい、モチベーションが激減です。
講師役の升田さんも同じくうんざりしていますが、そんなことに影響されずに、万葉集サロンは実施しようと思います。
湯島のサロンをやめようと思いだしていましたが、やめるわけにはいきません。
困ったものですが。

■佐藤裕さんからのうれしい申し出(2019年4月2日)
新潟の佐藤裕さんが湯島に来てくれました。
裕さんとの付き合いは長いのですが、新潟在住なのでそう簡単には会えません。
前に私が呼び掛けて始めた「インキュベーションハウス」にも参加してくださったのですが、そのプロジェクトは頓挫しています。
これ以上、みんなに迷惑をかけるわけにはいかないので、宮部さんと解散しようかと話していたところですが、裕さんから残せないかという申し出があったのです。
その理由に感激しました。
10人ほどの友人に声をかけてスタートしたこのプロジェクトは私のマネジメント能力不足から失敗し、半数以上が離脱したのですが、その趣旨を理解してくれていたのは3人だけでした。
その一人の裕さんからの申し出に、私も何かまたしようかという気になりました。
うれしい話しあいでした。

■畑での小動物たちとの出会い(2019年4月3日)
久しぶりに畑に行って、また篠笹たちと格闘して、キュウリとナスを植える畑をつくってきました。
これまでの畑は、花が満開で、野菜畑というよりも花畑になっています。
ニンジンはもしかしたら収穫できそうですが、食べられるかどうかは不安です。
道沿いの花畑のチューリップやフリージャは大きくなってきました。
節約してチューリップを少ししか植えなかったのは失敗です。
芝桜は一部ががんばって花を咲かせています。

動物も動き出してきました。
今日は小さな蛇に会いました。
周りじゅうに家が建ったので、蛇はいなくなったと思っていましたが、顕在のようです。
蛇の棲家は残しておかなければいけません。
シジミチョウ科の蝶に2種類会いました。
モンシロチョウと菜の花を見ていると、春を感じます。

■過料の支払いをしたら追加の請求が届きました(2019年4月3日)
株式会社は登記内容に変更がなくても、定期的に法務局に届けなくては以下ネットワーク位相で、それを知らずに放っておいたら、過料請求がありました。
当初は、昨年受け取ったのと同じ「詐欺」ではないかと放置していましたが、詐欺ではありませんでした。
その事情を話したら「異議申し立て」を出したら再考されるかもしれないと裁判所の事務職員がアドバイスしてくれました。
それで異議申し立てを出したら、即却下され、その上お鉄月費用の追加請求を受けました。
詐欺ではないですが、なんだかだまされたような気がします。
しかも期間内に納めないと財産差し押さえを行うと書いてありました。
お上に逆らうのは恐ろしいです。
それで今日は、まずは「過料」の9万円を郵便局の納めに行ってきました。
帰宅したら、自宅に異議申し立て費用の請求書が届いていました。
1000円程度でしたが、そこにもまた「期限内に納めないと財産差し押さえを行う」と書かれていました。
国家権力は恐ろしいです。

(2019年3月第4週)
■みんなの認知症ゲームDVDがほぼできました(2019年3月24日)
■湯島サロン「腎臓透析中止の報道に接して考えたこと」(2019年3月24日)
■不忍池の骨董市と長浜観音ハウス(2019年3月24日)
■寒さの戻り(2019年3月25日)
■湯島のオフィスをどうしようか迷いだしました(2019年3月27日)
■大畑さんと久しぶりにお会いしました(2019年3月28日)
■湯島サロン:人生も仕事も「もっと面白く♪」(2019年3月30日)

■みんなの認知症ゲームDVDがほぼできました(2019年3月24日)
ほっとスマイルプロジェクトで取り組んできた「みんなの認知症ゲームガイドDVD」がほぼできてきました。
その最終的なミーティングを行いました。
実際に汗をかいている4人のみなさんと汗をかかないでいる私とのミーティングです。
たぶんもうこれで大丈夫でしょう。
私の役割も終わったような気がします。
4月中には配布できそうです。

■湯島サロン「腎臓透析中止の報道に接して考えたこと」(2019年3月24日)
「腎臓透析中止の報道に接して考えたこと」サロンには6人が集まりました。
「死生観と医療のあり方」というテーマを設定していましたが、正面から大上段に取り組むのではなく、この事件の感想からそれぞれが話しはじめて自由に話し合いました。

生命はだれのものか、というのが一つの論点でした。
「生命は自分のもの」と考えるか、「大きな生命の一部を預かっているだけ」と考えるかで、死生観は全く違ってきます。
また、生前や死後の世界をつなぐ「魂」を仮定するかどうかでも、死の意味は変わってきます。
こうしたことは、湯島のサロンでは時々話題になるテーマです。

生死に関することは状況によって変わってくるため、どの時点での考えを基準にするかは難しいという話も出ました。
話題になっている今回の事件に関しても、当人の意思は二転三転していると報道されています。
生命に関する「意志表示」は、どの時点を優先するかで変わってきますが、少なくとも一度決めたことに縛られるという考えは、それこそ生命的ではありません。

生命という、まさに「生きつづけていること」を、特定の瞬間の判断に、無限定にしばりつけていいかは、そう簡単には決められません。

医療行為に関して患者や家族にしっかりと説明して合意を得るという「インフォームド・コンセント」も、実際にはそう簡単ではありません。
医療に関する情報が圧倒的に違う医師と患者が、患者主役の話し合いで合意するということが、実際にはいかに難しいかは、体験者であればわかると思います。

それと同じように、過剰な医療行為という言葉はあっても、何が「過剰」かは、現実の場では判断がとても難しい。
延命行為と苦痛の除去の話も出ました。
両者は重なったり、相反したりすることもありますが、医療にとって何が一番優先されるかは明らかではないかという話もありました。

さらに医療の進歩ということを考えると、問題はますます複雑になる。
透析の辛さや効果も将来変化しうるとすれば、今は希望がなくとも、希望が出てくることもある。
医療技術は常に動いているからです。
それは腎臓透析に限った話ではありません。
それに生命現象は、今の知見の範囲での論理を超える可能性もある。

ほかにも関連して、いろんな話がでましたが、たとえ生命が自らのものであるとしても、周りの人や社会とつながっての生命である以上、死の選択はそう簡単な問題ではないと思います。
こうした問題は、また機会をつくって、話し合っていきたいと思います。

■不忍池の骨董市と長浜観音ハウス(2019年3月24日)
久しぶりに上野の不忍池を通ったので、たまたま出店していた骨董市を除き、長浜観音ハウスにもよりました。
ブログの方に書きましたが、人が大混雑でした。
桜がだいぶ咲き出していました。

■寒さの戻り(2019年3月25日)
寒さが戻ってしまいました。
最近は温暖の差が激しく、体調維持が難しいです。
畑にもなかなかいけません。

■湯島のオフィスをどうしようか迷いだしました(2019年3月27日)
潟Rンセプトワークショップに関して、登記届をしっかりしていなかったので、過料請求を受けましたが、それはそれとして、これを気かに登記変更をすることにしました。
完全な個人会社に変える方向で考えていましたが、それに関してアドバイスをしてくれる人がいたので少し話をさせてもらいました。
当初は司法書士に頼もうかと思ったのですが、やはり自分でできそうなので、面倒ではありますが、自分でやることにしました。

しかし、その一方で、いつまでやっているのかという気もしてきました。
会社は今年、遅くも来年には閉めてしまおうと思いだしていますが、併せて湯島をどうするかも考えることにしました。
湯島を閉めれば、経済的にも時間的にも体力的にも楽になります。
人間不信もなくなるでしょう。
完全な公開型なのですが、湯島の使用ルールを守ってくれる人はむしろ少ないのです。
今日も久しぶりに出てみてがっかりしました。

それに経済的にもそろそろ維持が限界を超えだしています。
今が潮時かもしれません。
いろんなサロンが展開され出しているので、ちょっと残念ですが、潮時というのはあるでしょう。
少し真剣に人生の第4期への移行を考えようと思います。

■大畑さんと久しぶりにお会いしました(2019年3月28日)
我孫子市役所の企画部長だった大畑さんに久しぶりにあいました。
昨年定年を迎えられ、いまは手賀沼課にいますが、今3月で市役所を退職されます。
これまでいろいろとお世話になったこともあり、退職前にお会いしたいと思っていましたが、なかなか機会が来ませんでした。
それで、今、我孫子でまちづくりに関心を持ってきている林さんと一緒にお会いし、これからの私たちの取り組もうとしている話をし、アドバイスをもらいました。
考えてみると、昨年、1年、私は多分市役所を一度も訪問していません。
新年度になったら、何人かを訪ねてみようと思いらしています。

■湯島サロン:人生も仕事も「もっと面白く♪」(2019年3月30日)
自遊人&面白まじめ求道者の渕野康一さんのサロンは、さまざまな立場の方が参加してくださり、湯島のサロンが目指している一つのスタイルを実現してくれました。
話題提供者の渕野さんは、持参したCD(小田和正)をバックに流しながら、そして演習も含ませながら、「面白まじめ道」言論をたっぷりと話してくれました。

始まると早速に、課題が与えられました。
実際の名前ではなく、自らが他者から呼んでほしいというセカンドネームを3つ以上考え、その中から、ひとつをみんなに発表するようにというのです。
何でもないようですが、これが意外と難しい。
と同時に、これを通して、自分の頭がいかに「かたい」かを思い知らされました。
それですっかり渕野ペースに乗せられてしまいました。

次に出された課題が、「面白リーダー」チェックリストでの自己診断です。
このチェックリストは、渕野さんが実際に企業のリーダーを対象にした調査結果を踏まえて創りあげたものです。
リーダーとありますが、面白人生をおくるためのチェックリストにもなっています。

そのように最初から参加者を巻き込む形で始まったサロンは、渕野さんのこれまでの「面白まじめ」人生の話に入り、そこからまた「面白演習」を行いながら、渕野さんが積み上げてきた実践的な「面白工学」や「面白まじめ学習法」の話になりました。
話の内容は、渕野さんのブログに紹介されていますので、ご覧ください。
サロンでも紹介されましたが、渕野さんのブログには、「面白まじめ学習法」が全18回にわたり連載されています。

最後に、より良い人間関係を築くための「“ストローク”のすすめ」が配布されました。
相手をディスカウントするのではなくストロークを与えていく。
面白人生をおくるためのチェックポイントが整理されていて、これを実践すれば「面白まじめ」人生が実現し、家庭も組織も社会も豊かになるというわけです。

そのペーパーには、交流分析を提唱した精神科医エリック・バーンの言葉が書かれていました。
「人は何のために生きるのか、それはストロークを得るため」。
ストロークとはいろんな意味がありますが、交流分析の分野では「存在を認めること」といったニュアンスで使われます。
簡単にいえば、人の心に元気を与える「心の栄養」のことです。
渕野流「ストローク」は6つのポイントがありますが、要約すれば、「ありがとう」ということ、それも10回言うことだと、実に面白くないダジャレで終わりました。
しかし、この締めにこそ、渕野面白まじめ道の真髄があるのかもしれません。

演習課題は例えば、こんなものでした。
「バックに流れている音楽を聴いて、思いつくことを1分間で10個以上書き出せ」
「『面白い』という言葉で思い出すことを1分間で10個以上書き出せ」
そうした問いかけをしたうえで、みんなに発表させるのです。
これもそう簡単ではありません。日頃の生き方がたぶん反映されているのでしょう。
正解があるわけではなく、さまざまな意見があるだけですが、他の人の発表を聞いていて気づくことは少なくありません。

演習だけではなく、「面白い」(どうして面が白くておもしろい?)の語源や意味、面白さの7要素などの「講義」もありました。
渕野版面白さの7要素を参考に、参加者それぞれが感じている「面白さの3要素」も発言しあいました。
その選び方が人さまざまだったのも面白かったです。

そんなわけでちょっとした面白ゼミ気分を体験させてもらいました。
渕野さんの大学での講義の雰囲気が目に浮かびました。

面白さの効用の話もありましたが、実は渕野さんは肺がんを患い、いまは根治しているとはいえ、湯島のサロンに来るのも急坂は無理なのです。
今日も最初湯島に着いた時にはしんどそうでしたが、話しているうちに元気が高まってきたように思います。
渕野さん自身が、「面白まじめ道」の効用のエビデンスなのです。

渕野さんは多趣味であり、生活もまた多彩です。
渕野さんは、そうした多様な世界を生きることで、毎日、エキサイティングなシーンに出会っているのでしょう。
そして、面白さを自分だけで楽しむというよりも、周りを楽しくさせるという生き方を実践しています。
また単に「面白」だけではなく「まじめ」をくっつけているところもポイントです。

渕野面白まじめ講義は、今回は原論編でしたが、また機会を見て、応用編をやってもらうのもいいかなと思いました。
昨今は「面白さ」も「まじめさ」もちょっとおかしくなってきていますから。

(2019年3月第3週)

■「和文化の楽園」構想(2019年3月18日)
■過労死家族会の世話人のみなさんとお会いしました(2019年3月18日)
■久しぶりの小宮山さん(2019年3月18日)
■お彼岸のお墓参り(2019年3月20日)
■インキュベーションハウスの宮部さん(2019年3月22日)
■湯島サロン「万葉集の多様性ー古代和歌の魅力」(2019年3月23日)

■「和文化の楽園」構想(2019年3月18日)
エルモットの内藤さんの「和文化の楽園」構想がだいぶまとまってきました。
問題はそれをどう実現するかです。
資金は3000万円ほど最低でもかかります。
それを投入してもそこからの金銭的収入は期待できません。
まあ「やりたい仕事」をするにはお金はかかるものです。
仕事から「お金」を得ていくのが「ビジネス」だとすれば、やはり「仕事」と「ビジネス」は違うものです。
そこが実に悩ましい。

今日は、構想者の内藤さんとのミーティングです。
少しお金を貯めておけばよかったと思います。

■過労死家族会の世話人のみなさんとお会いしました(2019年3月18日)
湯島では過労死家族会のみなさんに時々場所を提供しています。
今日もそのミーティングでしたが、たまたまその前に私が湯島を使っていたので、お会いできることができました。
ミーティングには私は参加しませんでしたが、ちょっとだけお話をさせてもらいました。

私に何かできることはないか考えさせてもらいました。
まずは湯島でサロンを開く音にしました。

■久しぶりの小宮山さん(2019年3月18日)
コミーとは昨年末以来、ちょっとご無沙汰です。
久しぶりに小宮山さんと西日暮里のルノアールで会いました。
小宮山さんはますます元気です。
元気すぎるとコミュニケーションはむずかしい。
お互いなかなか変わりません。
困ったものです。

■お彼岸のお墓参り(2019年3月20日)
お彼岸なので、孫をお墓参りに連れて行きました。
これまでも何回か行っていますが、今回は母親は用事があったので、孫だけです。
線香を供えたり、供花に水をやったり手伝ってくれました。
先日のサロンでも話が出ましたが、お墓の効用は小さくないです。

■インキュベーションハウスの宮部さん(2019年3月22日)
インキュベーションハウスはまだ社長が私のままになっていることに先日気づいたのですが、新しい葬儀事業の主体にその会社を活用できないかと考えていましたが、どうも難しそうです。
それもあって宮部さんに湯島に来てもらい、これからのことを少し話し合いました。
そこで、宮部さんが僧侶か神職か、そうした宗教的な存在になって社会に役立てることはないかを考えていることがわかりました。
意外でしたが、考えてみると納得できます。

インキュベーションハウスは解散の方向で考えようということになりました。
どなたか継承したい方があれば、ご連絡ください。

■湯島サロン「万葉集の多様性ー古代和歌の魅力」(2019年3月25日)



新たにスタートした「万葉集サロン」(連続サロン)は15人で始まりました。
升田さん(昭和女子大学名誉教授)をガイド役にして、継続的に開催していく講座的なサロンです。

今回は最初なので、総論的に、いろいろと面白い話が予告的に提出されました。
まず、万葉集の成り立ちや構成、時代背景の解説、そして、実際の万葉集の表記(万葉仮名)の説明がありました。
万葉集の成り立ちに関しても、文字を知らない人たちの歌を編纂チームのメンバーがどうやって集めたのか、どうやって選択したのかなど、いろいろと質問したくなるような話もたくさん出ました。
まだまだ読み解けていないところもあるという話も面白かったです。
古写本の表記スタイルもからコピーで見せてもらいました。

後半では、額田王の歌とされている「熟田津に 舟乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」の歌を事例に、歴史とのつながりを紹介してくれ、万葉集の世界を少し垣間見せてくれました。

話の骨子だけでもきちんと記録を取っておけばよかったと反省しましたが、記録をとる習慣がない私には話の概要を紹介するのは無理なので、いつものように私が刺激を受けたところを報告をさせてもらいます。

万葉集の魅力は多様性にある、と升田さんは(たぶん)話されました。
今回お話を聞いて、その多様性を私はやっと理解できました。
そしてその多様性こそが、時代の大きな変わり目の象徴だと気づかされました。
その多様性が次第に整理されていく過程も万葉集から見えてくるのかもしれません。
いうまでもありませんが、「文字」こそは「多様性」を統合していく最大の手段です。

文字にする前には、声にだし、みんなで歌いあって、歌が生まれてきた。
それぞれの声が生命のリズムにのって、それぞれの心の揺れが重なっていく。
そうしたなかで、個人の覚醒が起こるとともに、心のつながり(集団)が生まれてくる。

「ホロン」という概念(個でもあり全体でもある)がありますが、歌によって個人の覚醒が起こり、歌によってその個人がつながっていった。
さらに、それが「文字」にされることで、個人の多様性が編集され、国家体制を生み出していく。
いささか飛躍的ですが、文字や歌の効用に関して、気づかされることが多かったです。

文字や言葉は、「つなぐ」ためのメディアですが、人と人だけではなく、自然や「天意」と「人」をつなぐものでもあります。
アメリカの心理学者ジュリアン・ジェインズは、人間の意識は今から約3000年前に生成し、それ以前の人間は、意識の代わりに二分心(右脳と左脳)を持つことにより、社会生活を成り立たせていたと提唱しています。
古代人の心は、神々の声を出していた部分と、現代で言う意識している心とに分かれていた。
古代ギリシアの『イーリアス』(有名なトロイ戦争が書かれています)は、そうした二分心時代の人間を描写した代表的な文献だというのです。
そう思って、『イーリアス』を読むととても納得できますが、もしかしたら万葉集にもそうした名残があるのかもしれません。
万葉集の歌には、「天の声」が含まれているかもしれません。
そして同時に、ジェインズが言うように、「言葉」の誕生の形跡がみられるのかもしれません。
サロンの報告を超えた話になってきてしまいましたが、こういう壮大な話をついつい思い出してしまうほどの、たくさんの示唆をもらったサロンでした。

もう一つ付け加えれば、例に取り上げられた、額田王の「熟田津に…」の歌ですが、それに関して、升田さんは(たしか)「女性は言葉の力が強い」といったような気がします。
そして、現代の社会は左脳重視の論理社会なのでどんどん窮屈になってしまっている、精神の自由を広げていくためにも、歌の効用に注目しようというメッセージをくれたような気がします。
「女性は言葉の力が強い」という点に関しては、私は異論がありますが、AI(人工知能)が社会を覆いだしている現在、改めて万葉集を読み直す意味に、私は初めて気づきました。

参加者の発言にもいろいろな気付きをもらえましたが、ひとつだけ紹介します。
平田さんは、「万葉集は新しい日本語(やまとことば)の練習帳ではないか」という仮説を提出されましたが、なるほどと思いました。

なんだか「万葉集」とも、またサロン当日の話とも、違う内容の報告になったような気もしますが、お許しください。
ちなみに、連続サロンとしての万葉集サロンの第1回目は、5月18日(土曜日)の午後を予定しています。
内容が決まり次第、ご案内します。
以後、隔月、原則として第3土曜日の午後に開催していきます。
継続参加されたい方はご連絡ください。

ゲストの名前も今回すでに出ていましたが、参加者(希望者)が自主発表することもできればやっていきたいです。
ちょっと大学のゼミ気分を味わうのもいいかもしれません。

肝心のサロンの報告がないではないかと言われそうですが、参加された方、気づいたことを報告していただけると嬉しいです。

(2019年3月第2週)

■湯河原を歩きました(2019年3月10日)
■春の知らせのアサリ(2019年3月11日)
■湯島サロン「お墓のことを考えたことはありますか」(2019年3月13日)
■孫のお見舞い(2019年3月14日)
■いも観音(2019年3月15日)
■社会福祉法人の合併問題(2019年3月15日)
■万葉集談義(2019年3月15日)

■湯河原を歩きました(2019年3月10日)
湯河原の幕山の梅林や温泉街を娘と一緒に歩きました。
ブログに書きましたが、温泉街は寂れてゴーストタウンのようでした。

■春の知らせのアサリ(2019年3月11日)
わが家にとっての春の始まりの、福岡の蔵田さんからのアサリが届きました。
蔵田さんが近くの海で自らとってきて、送ってくれるのです。
年々、アサリが減っているそうです。

■湯島サロン「お墓のことを考えたことはありますか」報告(2019年3月14日)
「死の視点から生き方を考えよう」シリーズのサロンは、今回は篠田石材工業の篠田雅央さんに「お墓」のお話をしていただきました。
私自身、お墓に関して、あまりにも無知であったことを痛感させられました。
私にとって、とても示唆に富んだサロンでした。

篠田さんの会社は明治22年創業の老舗で、「石を通じてお客様に喜びと感動をもたらす仕事をします」と、潔く言い切っている理念を掲げ、実践している会社です。
まず、ご自身の会社の歴史を写真で見せてくれながら、墓石やお墓の変化を、とてもわかりやすく紹介してくれました。
紹介できないのが残念ですが、篠田さんが手がけたデザイン墓石にまつわる感動的なお話もありました。
そうした具体的なお話を通して、死とは何か、供養とは何か、生きるとは何か、ということに関する深い問題提起をしてくださいました。
私は目からうろこでした。

つづいて、お墓づくりに関して、「墓地あり・墓石建立なし」「墓地・墓石あり」「墓地・墓石なし」という状況それぞれに対応した、とても具体的な取り組み方の話をしてくださいました。
「墓地・墓石あり」の場合は、お墓に悩むこともないはずですが、実際にはその場合もさまざまな事情があって、むしろ「墓地・墓石あり」のほうが悩ましい状況になることも多いそうです。
参加者の中にも似たような「事情」をお持ちの方もいましたが、そうしたことに関しては、篠田さんのアドバイスももらえました。
墓じまいや墓の引っ越し、改葬や合葬の話も出ました。

話し合いを聞いていて、お墓の問題にはやはりその人の「生き方」が深くつながっていることを思い知らされました。
私が一番感動したのは、墓石の字彫りにも遺族の参加を勧めているという篠田さんの姿勢です。
私事ながら、わが家の仏壇の大日如来は家族の手作りで、魂をご住職に入れてもらったのですが、墓石に関しては、全く思いもつきませんでした。

最後に、長年、墓石に関わってきた篠田さんご自身の「思い」を、参加者への問いかけを含ませながら、話してくれました。
墓石には見えない不思議な力が隠されている。
石は時代を超えて残っていくもの。世界の大半で石を墓としているのは、永遠に生きる石と魂が融合すると本能で感じているからではないか。
自分の先祖の数は何人だと思いますか。
この世に残る遺族の幸せってなんでしょうか。
自分の思いと家族の思いは同じでしょうか。
お墓は人生の道標。
などなど。
いずれも長年の篠田さんの体験からのお話なので、とても心に響きました。

こんな話もしてくれました。
篠田さんが子供のころは、テレビや自動車などが広がりだしていた時代だったが、当時の人たちは、そういう夢の代物を買う前に、お葬式や仏壇やお墓にお金をかけていた。
先祖や子孫にお金をかけて自分は質素に生きている人が多かった。
しかし、今は全く逆になっている。
お墓の簡素化や墓石離れは、先祖崇拝という大切な日本人の心の喪失につながるのではないか。
そして、いくら経済力がついても日本人の大事な心を見失ったら、日本は消滅していくのではないかとしめくくりました。

話し合いではいろんな意見が出ました。
世界中の大半の人々はお墓を持っていないが、だからといって信仰心がないわけではないという指摘もありました。
そもそも今のような墓石が人々に広まったのも、日本でも最近のこと。
また、それでもやはり自分は散骨だという人もいました。
思いを込めた散骨は、惰性で選ぶお墓よりも、私も価値があると思います。
大切なのは、自らにとって「墓」とは何なのだろうかを考えることであり、それを通して、今の生き方を考えることではないかと思います。

それにしても私たちは「お墓」に関して、あまりにも無関心だったような気がします。
お墓の持つさまざまな意味や機能、あるいはお墓を通して実現できることがたくさんあることに、もっと気づいてもいいのではないかと私は思いました。
篠田さんが言うように、人生の墓標としての自分のお墓(私は広義に捉え散骨も含めたいですが)は、やはり自分でしっかりと考えていくのがいいのではないかと思いました。

言葉では明確には語られませんでしたが、死生観や生き方、あるいは家族や社会のあり方を考えさせられるサロンだったともいます。
お墓にはそれだけのパワーがあります。
私が今回一番認識を変えさせられたのは、お墓はそこに在るモノではなく、自らの生を込められる「生きた」存在だということです。

篠田さんのお話はとても示唆に富むお話でしたので、もっとたくさんの人たちに聞いてほしいと思いました。
篠田さんに無理をお願いして、土日にもう一度、同じような「お墓」サロンをしていただこうと思っています。
決まったらまたご案内いたします。

来週はお彼岸なのでお墓まいりに行こうと思います。

■孫のお見舞い(2019年3月14日)
孫がインフルエンザにかかってしまい、そのお見舞いに行きました。
2日ほど、熱が出たようですが、その後はもう何もなかったように元気です。
子どもは急変するので注意しなければいけませんが、その生命力の強さにも驚きます。

■いも観音(2019年3月15日)
不忍池のほとりにある、びわ湖長浜KANNON HOUSEの今年初の展示は木本町の安念寺の、通称「いも観音」です。
これまで全く知らなかったのですが、たぶん村民たちが戦の時には土中に埋めて守ったためでしょうか、かなりの朽損仏です。
長浜北部にはこうした朽損仏は少なくありませんが、これほどのものは初めてです。
見に行きたかったのですが、なかなか機会がなく、危うく展示が終わりそうなぎりぎりになって、なんとか会いに行けました。
毘沙門天と大日如来だそうですが、そういわれなければまったくわかりません。
なぜ観音と通称されているのか、聞き落としましたが、いつか安念寺に行きたいと思わせるような、いい仏でした。

■社会福祉法人の合併問題(2019年3月15日)
社会福祉法人の合併問題をテーマに研究している大川さんが相談があるというので、湯島に出ました。
はかせろ
博士論文は目途が立ったようですが、今回の相談は社会福祉法人の合併問題のコンサルティングの話です。
オファーが来ているそうですが、どう進めたらいいかの相談です。
いろいろとアドバイスさせてもらいました。

■万葉集談義(2019年3月15日)
今月から湯島サロンでは「万葉集」を取り上げた継続サロンをはじめます。
サロンというよりも、講座型サロンですが、講師は昭和女子大学の名誉教授の升田淑子さんです。
名誉教授などというと偉そうな気もしますが、要するに私の小学校時代の同窓生です。
どういう進め方をするかを話し合う予定でしたが、結局、万葉集談義になってしまいました。
専門家と全くの素人の談義は面白いです。
私は、万葉仮名や当時の政治や生活に興味がありますが、歌そのものには興味はありません。

しかし、面白いサロンになりそうです。

(2019年3月第1週)

■オープンサロン再開(2019年3月3日)
■縁カフェはやめたのですが(2019年3月4日)
■我孫子歩き(2019年3月5日)
■不審な電話(2019年3月6日)
■金田さんの来訪(2019年3月7日)
■マンション価値を高めるための提案(2019年3月7日)
■湯島サロン「東京で感じたこと、米子で見えたこと」報告(2019年3月8日)
■久しぶりの湯河原(2019年3月9〜10日)

■オープンサロン再開(2019年3月3日)
3月からオープンサロンを再開しました。
しかしあいにくの雨の寒い日になりました。
私も行きたくなかったほどですので、参加者はいないかもしれないと思っていましたが、4人の参加者がありました。
ただし、2人は私の小学校時代の同級生です。
お互いに人生が終わりに近づいたので、たぶん私に会いに来てくれたのです。
来世を信ずる私は人生は終わらないと思っていますので、別に急いで会うこともないと思っていますが、何やら2人ともかなり危ういようです。
まあそれぞれ健全に老化しているということでもあり、嘆くことでもありません。

話の流れで、私の小学校時代の話が出ました。
私の知らない話が多いのですが、どうも小学校時代から私は「宇宙人のような存在」だったそうです。
以前も一度、女性の同級生が私の子ども時代のことを話してくれましたが、それもまた私ではないような話でした。
子ども時代の友人に会うと、私の知らない自分に合うことができるようです。
まあ私はあんまり信じていませんが。

それはともかく、今回は女性がいなかったこともあり、女性のすごさについての話が出ました。
男性どもは、所詮は、消耗品ではないかという話ですが、まあ、男性もそれなりに頑張っているという話もありました。
男女共同参画や女性の社会進出議論によって、女性は飼育されてきていますが、しかし、専業主婦(家内)志向の女性も増えてきているという話もあり、女性の覚醒も始まっているような気配もあります。
狩猟社会においても農耕社会においても、社会を支配していたのは「女性」だったでしょうし(ただし、そもそもこういう社会区分が全く間違っていると私は思っていますが)、子供を産めず育てられない男性という「種」は、間もなく消えていくのではないかと私は思っています。

江戸町民の銀製のキセルに象徴される消費文化や女子高生の恐ろしさや、売上高思考の企業の可笑しさや小学校の生徒と先生の人数比率などの話題も出ました。
京都と江戸の刑場の話も出ていました。
何やら面白そうでしょう。
これはほんの話題の一部ですが。
オープンサロンは、やはり話題が広がって、面白いです。

■縁カフェはやめたのですが(2019年3月4日)
今日の縁カフェは、待ち人は来なかったのですが、私が湯島にいることを知って、3人の方が来てくれました。3人はそれぞれ面識のない人たちでしたが、昨日以上に密度の濃い話しあいでした。

■我孫子歩き(2019年3月5日)
今日は、我孫子まちづくり編集会議のメンバーの林さんの企画で進めているプロジェクトのトライアル版を行いました。写真家やまちづくりに取り組んでいる人やデザイナーなどが集まって、写真を撮りながら少しだけ我孫子を歩いてみました。1歳の子どもも2人参加してくれました。
子どもたちのおかげで、とてもゆっくりしたペースで、しかも、案内役の私が道に迷ったりしたおかげで、とてもいい「我孫子ウォーク」ができました。
これを踏まえて、林さんがいろいろと企画することになっていますので、またご案内します。
しばらく忘れていた「まちづくり」を少し思い出しました。

■不審な電話(2019年3月6日)
昨日の夜から今朝にかけて不審の電話がわが家にありました。
ついにわが家もターゲットになったのかもしれません。
1回目は間違い電話を装った不審な電話、2回目は「個人のお宅ですか」と言いながら、私の反応を見ている電話、今朝は私の話しぶりをうかがっている電話です。
最近、我孫子ではこの種の詐欺につながる電話が多いようで、市や警察から注意が回っていますが、何となく嫌な感じです。
もう15年ほど前に、わが家にも、実際に「おれおれ詐欺電話」もかかってきていますが、幸か不幸か、わが家には現金ももちろん、預金残高もほとんどありませんので、心配はないのですが、外出時には必ず鍵をすることにしました。
それにしても「アポ電」強盗事件のようなものまで発生しているようで、日本の社会も変質してしまったものです。
たぶん始まりは小泉政権のころからだと思いますが、当時、懸念していた通りになってきました。
それにしても、詐欺ではなく、強盗殺傷にまでおこるようになったとは、お金がなくても安心してはいられません。
困ったものです。
固定電話はやめようかとも思いだしています。
なにしろ自宅にいるといろんな電話がかかってきますが、その多さには驚きます。
こんな社会は好みではないので、はやく彼岸に行きたい気もしますが、殺傷されていくのだけは避けたいものです。

■金田さんの来訪(2019年3月7日)
新潟の金田さんが久しぶりに湯島に来ました。
昨年来、いろいろと大変な状況で、足も痛められているので、無理は厳禁なのです。
しかし行動派の金田さんは、引きこもってはいられないのでしょう。
今回は、社会教育関係の集まりに参加されたのですが、湯島にも足を延ばしてくれました。

いつもながらの話を3時間。
金田さんが元気を出してくれるといいのですが。

■マンション価値を高めるための提案(2019年3月7日)
マンション価値を高めるための、付属サービス事業のコンサルティングを手掛けている鈴木さんが、何かアドバイスはないかとやってきました。
具体的な場所が決まっていたら、山のように提案はできるのですが、これから取り組む高齢者向けの集合住宅への提案のようです。
大きな考えや取り組み方に関して、私見を述べさせてもらいました。

■湯島サロン「東京で感じたこと、米子で見えたこと」(2019年3月8日)
久しぶりに、まだ日本には救いがあるなと実感できたサロンでした。
これはきわめて主観的な感想ですが。

今回の話題提供者の矢辺さんは、鳥取の米子で育ちました。
東京で大学卒業後、障害者に特化した人材系会社に入社。
活動を通して、「障害者」の捉え方が変わり、本人が不自由を感じていたらそれはすべて障害なのではないか(その逆もある)、そうした生きにくさを抱えている人の問題を解決したいと思うようになったそうです。
その後、生活困窮者支援を行う国のモデル事業(パーソナルサポーター制度)の就職担当相談員に転身。
その制度がなくなったため、そうした活動のための会社を自ら起業しました。
しかし、2014年に父親から事業を引き継いでほしいといわれ、両親に「ものすごく感謝」をしていたこともあり、実家のある鳥取県の米子に帰郷しました。
たまたまその会社は、電力提供に関わる会社なので、そこで将来は、エネルギーの大量生産大量消費から地産地消ができないかという活動にも取り組みたいと考えています。
会社経営のあり方に関しても、ティール組織も参考にしながら、変革に取り組んでいるようです。

これが矢辺さんのこれまでの人生ですが、お話を聞いていて、さまざまなことを考えさせられました。
10年以上前に、大学時代の矢辺さんとはいろいろと話し合ったこともあるのですが、自らの志を軸にして、時流に流されることなく、しっかりと実践しているのに感心しました。

矢辺さんは、会社に就職しないと生活できない現在の社会に問題を感じています。
企業で働かなくても生きていける手段があれば良い。
企業だけに頼らずに、他者と支え合いながら、自然と調和した生き方を広げていきたいといいます。
そのためのいくつかの具体的な手だても矢辺さんは考えています。

個人の生き方に関しては、「おりる生き方」を提案しました。
それは、「企業で働いていなくても、福祉のお世話にならず、生きること」を目指す生き方です。
経済状況によって変化する企業業績に左右されず、財政事情によって変化する福祉制度に左右されず、「今日が来たように明日を迎える暮らし」、そして「つながりで生きづらさを解決する暮らし」というのが、矢辺さんが目指す生き方の基本です。
具体的な提案もありましたが、一言で言えば、「問題をお金で解決しない」生き方です。
お金を「稼ぐ」仕事は、週3日程度にし、後は「働く」仕事をし、顔が見える範囲の150人までの地域コミュニティとその核になる生活基盤となる家族をしっかりとつくっていきたい。
お金は家賃やライフライン代が払える程度あればいい。
できないことはみんなでフォローし合えるコミュニティがあればいい。
それが、矢辺さんが提唱する「おりる生き方」です。

最後に矢辺さんはみんなに問いかけました。

正しさとは?
生命力とは?

その問いかけから話し合いが始まりました。
話し合いは省略して、矢辺さんの考えだけ紹介しておきます。
「正しさは生命力を高めること」
「生命力とは自らの持つ良い部分を出し続けられること」

ちなみに、米子と東京に違いは何か、という話も出ました。
矢辺さんは、今回も羽田を降りた途端に、なぜか自分もせかせかと「速足」で歩いていたと話しました。
米子と東京とでは、時間の進み方が違うのかもしれません。

矢辺さんは、家族に頼れることのすごさについても語り、そうした「安心できる生活基盤」の大切さも語ってくれました。

「せかせかした生活環境」そして「安心できる生活基盤」。
この2つについて、私たちはもう少ししっかりと考え直す必要があるのではないかと、改めて考えさせられたサロンでした。
参加者は矢辺さんを含めて7人。ちょっと少なかったのが残念でした。

いま、時代の大きな分かれ目に来ているように思いますが、若者のメッセージの眼差しから、そして参加者の発言から、私としてはちょっと元気をもらいました。

矢辺さんのメッセージにつながるようなサロンを、4月5月と予定しています。
またご案内させてもらいます。

■久しぶりの湯河原(2019年3月9〜10日)
湯河原に用事があっため、ついでに久しぶりに湯河原を歩いてみました。
奥湯河原と湯河原町の中間の観光地ゾーンを歩くのは10数年ぶりなのですが、ゴーストタウンのような感じになっているのに驚きました。
今日は時間があったので、ついでに、幕山の梅林にも行ってみました。
ここは梅祭りの最終日だったのですが、観光客でにぎわっていました。
10数年前に来た時とほとんど変わっていませんでしたが、入園料が必要になっていました。山頂を目指しましたが、準備もしていなかったので、かなりきついので、あと30分というところであきらめました。

実は、今頃私は湯河原に転居していた可能性が高かったのですが、事情があって転居はやめました。
しかしまだ以前の仕事場がそのまま残っています。
今回はそこで宿泊ですが、5年も一度も来なかったため、お風呂のお湯が出ないうえに、惨憺たる状況になっています。
仕方がないので、近くのホテルの日帰り入浴のお世話になりました。
エアコンもリモコン電池がないため動かせませんが、幸いに寒くはありません。
テレビも10年前のもので、今はもう使えません。
仕事用のパソコンも置いてあるのですが、昨年の異常の暑さのせいか、CRTディスプレがこれまで見たことのないような変形をしていて使用不能です。

孤立した状況ですが、それもまたよしです。

(2019年2月第4週)
■わが家の河津桜が咲きました(2019年2月26日)
■「日本民俗生業論」を読みました(2019年2月27日)
■畑を耕したせいで腰が痛くなりました(2019年2月28日)
■上田さんの来訪(2019年3月1日)

■わが家の河津桜が咲きました(2019年2月26日)
昨年は咲かなかった河津桜が咲きだしました。
2年ぶりです。
今年は暖かなので桜が早そうです。

■「日本民俗生業論」を読みました(2019年2月27日)
「遊び仕事」という言葉を知りました。
早速に提唱している安室知さんの「日本民俗生業論」を図書館から借りてきました。
500ページの厚い本でしたが、面白くて、一気に読めました。
私が会社を辞めた時に、以後は「遊ぶでもなく働くでもなく」とあいさつ文に書きましたが、まさにわが意を得たりの言葉です。
もっとも、安室さんが使っている意味は、ちょっと違いますが。

この本は、私の世界をまた広げてくれました。
とても納得できる内容で、私の思いを言語化してくれました。

■畑を耕したせいで腰が痛くなりました(2019年2月28日)
畑には時々言っていますが、軽作業ですませています。
今日はちょっと元気があったので、久しぶりに鍬で新しい荒れ地を耕しました。
そのせいか、夜になってから腰が痛くなってきました。
困ったものです。

■上田さんの来訪(2019年3月1日)
上田英二さんがわが家に来てくれました。
別に何か目的があったわけではありません。
我孫子の方に来ることがあるとお聞きしたので、気が向いたら声をかけてくださいと言っていたことが実現したのです。

藩士をした後、柏のエヴィーバで食事をする予定でしたが、なんとこれまで風邪で休店したことがなかった峰行が風邪でダウンしてしまいました。
今回は手賀沼沿いの野菜レストランに行きました。

上田さんとの話は、とても心に響くものばかりでした。
湯島のサロンでも、こういう話し合いをしたいのですが、どうもうまくいきません。
どこがわるいのか。

上田さんのビジョンを今回はかなりお聞きできました。
上田さんが模索しているのは、「コミューン」です。
時期が来たら、上田さんにサロンをしてもらいたいと思います。

(2019年2月第3週)
■「贈与と共生の経済倫理学」を読みました(2019年2月18日)
■久しぶりの畑(2019年2月18日)
■幼馴染の来訪(2019年2月21日)
■みんなの認知症予防ゲームの紹介DVD制作(2019年2月23日)
■湯島サロン「国民主権と統治行為論」(2019年2月23日)

■「贈与と共生の経済倫理学」を読みました(2019年2月18日)
霜里農場を中心に育ちつつある人のつながりをベースにした本を読みました。
著者は折戸えとなさん。
彼女の話は、霜里農場の金子友子さんから聞いていましたが、昨年、急逝されました。
彼女の論考を本にする話も聞いていましたが、それがなんと湯島サロンのメンバーでもある大野祐子さんが昨年起業した図書出版ヘウレーカで出版することになったのです。
話は聞いていましたが、書名が「贈与と共生の経済倫理学」だと聞いて、正直、ちょっと腰が引けていました。
またよくある退屈な本かなと思ってしまったのです。
それで読む気があまりなかったのですが、友子さんからともかく読むようにと言われて読み出しました。
読み出したら、あまりの面白さに一気に読んでしまいました。
といっても2日間もかかりました。
読みやすいのですが、軽く読み流すわけにはいかない内容が詰まっていました。

驚いたのは、私が意識していた生き方とほぼ重なることです。
本の紹介を「ブック」のコーナーに書きました。
ぜひ多くの人に読んでいただきたい本です。
我孫子の図書館にも購入をお願いしようと思います。

■久しぶりの畑(2019年2月18日)
暖かな日になりました。
予定していたことが延期になりましたので、孫と一緒に畑に行ってきました。
チューリップが芽を出し始めていました。
水仙は満開でした。
孫はブロッコリーが好きなので、収穫しました。
放っておいたニンジンを掘ったら、食べられそうなものがいくつかありました。
失敗したのは蕗です。
前回育てていたところをうっかり掘り返してしまいましたので、根こそぎダメにしてしまったようです。
ミョウガもいささか心配ですが、芽が出てくるといいのですが。
そろそろ畑作業も再開しようと思います。
今年は、「畑づくり」から「野菜づくり」に一歩前進します。

■幼馴染の来訪(2019年2月21日)
小学高時代の同級生が湯島に来てくれました。
彼は、いま、がんの闘病中です。
本来であれば、私が見舞いに行くべきなのですが、たまには外出もいいだろうということで、湯島にまで来てくれたのです。
電話では毎週のように連絡を取り合っていますが、ここしばらくは、私もあまり体調がよくなく、しばらく会っていなかったのです。

抗がん剤の副作用が出てきているというので心配していましたが、元気そうでほっとしました。
顔入りも前よりもよくなっていますし、何よりも食欲がある。
しかし、長く話したり食事をしていたりしたせいか、疲れが出てきたようで、やはりちょっと無理をさせてしまったかなと反省しました。
小学校時代の仲間の集まりは、もう少し先がいいかもしれません。

■みんなの認知症予防ゲームの紹介DVD制作(2019年2月23日)
今月5日と6日に収録した「みんなの認知症予防ゲームの紹介」はなんと6時間ほどの記録になりました。
これをどう編集し、どうまとめるかです。
関係者が集まって、方針の確認をしました。
気が遠くなるような仕事ですが、大枠は確認できました。

そうした確認作業が、私にはとても価値があると思っています。
そういう考え方は、なかなか伝わりません。
でも今回の参加者は、みんな意味を認めてくれているようでうれしいです。
そうでなければ、時間を割いて、こういう集まりには参加してくれないでしょう。

ちょっとだけ報われた気分でした。

■湯島サロン「国民主権と統治行為論」(2019年2月23日)
沖縄で辺野古新設に関する県民投票が実施される前日に、「国民主権と統治行為論」のサロンを開催しまました。
奥にあるテーマは、「国民投票制度」です。
10人を超える方が集まったばかりでなく、初めて参加してくださった方も何人かいました。

最初に私から、統治行為や砂川事件の資料などを紹介させてもらった後、リンカーンクラブ代表の武田さんが、テーマに沿った話をしてくれました。
現在の日本の政治が主権者たる国民から大きく乖離していること、しかも砂川判決以来、「国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為」に関しては司法の対象にしなくなったこと、国会で議論している政治の外にそうした「統治」分野があるとされていること、それに、そもそも議会制民主主義は国民の意思を反映させられる民主主義なのか、といった話をチャートに合わせて、説明してくれました。
そして、そこから、「高度な政治性を有する国家の行為」というのがあるのであれば、それこそそうした問題を国民投票の対象にして、高度な政治性のある統治行為を国民主権で決定することが考えられると提唱したのです。
これまで、三権分立の世界から「特別扱い」されていた「高度な政治性を有する国家の行為」を、逆に国民に取り戻すという提案です。

ここから「国民主権」と「統治権」の「ずれ」を解消するための話し合いが行われる予定だったのですが、論点を整理しようとしだした途端に、話が混乱しだしてしまい、残念ながら、内容の話ではなく、言葉遣いや「統治権」そのものへの異論などで、内容的な議論にはたどり着けませんでした。
それでも最後のほうでは、「高度な政治性を持つ国家行為」に関する国民発議権や、主権を現実化するためには立法と同時にその法を実行するということの2つを伴わなければ完成しないという話にまではたどり着けたと思います。

途中で、参加者から「沖縄の県民投票の話」が出ましたが、残念ながら、国民主権と統治権という話にまで深める時間がありませんでした。
今回の県民投票には、「統治権」がわかりやすく可視化されているので、まさに統治の実態を考える事例でしたが、それだけではなく、「自治権」と「主権」との対比で考えるとさまざまな論点が出てきたと思います。
今回は参加者の一人の方が問題提起してくれましたが、逆に話が混乱するという人もあり、議論は深められませんでした。
そうならないために、事前にチャートまで書いて説明したのですが、私の説明不足と進行のまずさで、内容の議論をする時間がなくなってしまい、申し訳ないことをしました。
今回は、私も意見を言いたかったのですが、進行役として、言葉や論点の整理で終わってしまい、かなりの欲求不満が残りました。

しかし、武田さんの問題提起には、いろんな示唆が含意されています。
私が大学で学んだころから、砂川判決に端を発する「日本版統治行為論」は議論されていましたが、むしろ、そのことで「統治権」あるいは「主権」があいまいにされていたように思います。
私が日本の憲法学者を全く信頼しないのは、そのためです。
最近になって、ようやくそうしたことが議論されるようになってきていますが、多くの人は「統治行為」はともかく「統治権」というとらえ方にさえ視野が行っていない気がします。

「人の支配」から「法の支配」の確立への移行が近代国家だという人もいますが、理論的にはともかく、実際に複数の人々を統治していくためには、最終的には「人の意思」が不可欠です。
学者はともかく、数名の組織に関わったことがある人であれば、すぐわかることです。
法は基準であって、行為主体にはなりえないからです。
法治国家においても、当然のことながら卓越した権力を持った「統治者」が必要です。

世界初の成文憲法典は、17世紀の「統治章典」だといわれますが、これは統治者に対する「統治行為への制約」と言えるでしょう。
しかし悩ましいのは、国民主権国家となると、憲法が制約する対象は複雑になります。
素直に考えれば、憲法は主権者たる国民を制約するのではなく、「統治者」を制約することになりますが、もしそうならば、主権者である「国民」を(制約がなければ)自由に統治できる存在があるということです。

とまあ、こういう話に広げたかったのですが、今回はその入り口で時間切れでした。
ちなみに、日本は「主権国家」というようないささか過激な話が出ましたが、「国家主権」と「国民主権」の関係も刺激的なテーマです。

沖縄の県民投票の結果もそろそろ明らかになりだしていますが、その結果の動きなどももう少し見えてきたら、またこのテーマでのサロンを開催したいと思っています。

(2019年2月第2週)
■カフェサロン「種子法がなくなって、日本の野菜は大丈夫なのか」(2019年2月10日)
■3回目の雪(2019年2月11日)
■小畑さんのコミュニティハウス構想(2019年2月14日)
■アートでまちづくり(2019年2月14日)
■カフェサロン「留学生の目からの来日前の日本、来日後の日本」(2019年2月16日)

■カフェサロン「種子法がなくなって、日本の野菜は大丈夫なのか」(2019年2月10日)
「タネと内臓」(築地書館)の著者、吉田太郎さんのサロンには、有機農業に取り組んでいる霜里農場関係者も含めて、20人を超える参加者がありました。
新潟からわざわざ参加してくれた方もいます。
食の安全性に関する生活者の関心の高さがわかりますが、昨今の日本の状況を見ると、政府やマスコミの関心はどうも真反対の方向を向いているのではないかと、改めて気づかされたサロンでした。

吉田さんのお話は、なんと4億年前のデボン紀からはじまり、人類の未来にまでわたる長い時間の中で、いまの私たちの食の問題を、さまざまな話題を通して、わかりやすく、面白く、解説してくれました。
詳しい内容はとても紹介しきれませんが、たとえばこんな話題が出ました。

いまの食生活だと、あの知的で精悍だったホモ・サピエンスは太った豚のように進化していくのではないか、
遺伝子組み換えのコーンは、「カス」どころか、いまや「毒」といってもいい。
究極のデドックスは腸内細菌だ。
私たちが毎日食べている食べものが、体内の善玉菌を殺し、その腸内細菌の活動を抑えてきている。
土中微生物を消滅させる除草剤グリホサートは、世界的には追放されつつあるが、そうした動きも含めて、日本ではあまり報道されず、今も使われている。
ヨーロッパでは、地域と地球の生態系維持を目指すアグロエコロジーが広がっており、公共調達で取得する食材の6割を有機農産物にしなければならないことがルール化された。デンマークなどでは学校給食は有機野菜と決められている。
国連でも、2014年に「国際家族農業年」宣言をし、小規模な家族農業を重視する呼びかけを行っている。
日本ではメディアは、こうした問題をほとんどとり上げない。
世界各地で、子どもたちにまともなものを食べさせたいという母親たちの動きが社会を変えつつある。
アメリカ人は、食生活も大きな理由になって、短命になり、不妊になってきている。
ちょっと私の拡大解釈や誤解があるかもしれませんが、これはほんの一部です。
そして最後は、マネーでは幸せになれないという話や贈与経済の話にまでいきました。
興味のある方は、ぜひ吉田さんの著書「タネと内臓」をお読みください。

こうした状況にどう対処したらいいか(これに関しても吉田さんは話の中で言及されました)ということも含めて、話し合いが行われました。
食育活動に取り組んでいる参加者の方が、有機野菜とそうでない野菜を比べると栄養価が全く違うという話をしてくれました。
要は、量的には同じでも生命にとっての価値は全く違うというわけです。
栄養価や美味しさ基準で価格を評価したら、有機野菜のほうがずっと割安になるのですが、今の経済システムでは有機野菜は高いと思われてしまうわけです。
有機野菜はなぜ高いのかということに関しては、霜里農場の金子友子さんは流通の問題が大きいと言います。
生産者と消費者とを結ぶ活動をしている方も参加していましたが、有機野菜がもっと広がっていけば、価格問題はむしろ有機野菜のほうにとって有利になることは十分考えられます。
工業型生産野菜を主軸にしていこうという、現在の農政や経済政策を見直すことで、変えられる問題かもしれません。

価格だけではなく、味覚の問題も話題になりました。
有機のおいしい野菜を食べたら、味覚が戻ってくるという人もいますが、最近の子どもたちの味覚はもしかしたら、不可逆的に変わりつつあるのかもしれません。
急いで取り組むべき問題だと思いますが、日本では一部の母親たちを除いて、ほとんど無関心です。
せめて学校給食を変えていかなければいけません。
いずれにしろ、私たちは食やそれを支える農への関心をもっと高め、知識を増やしていくことが大切です。

吉田さんは、種子法廃止に関連して、長野県で「長野県主要農作物等種子条例(仮称)」制定の動きが出てきていることも紹介してくれました。
こうした伝統野菜を守ろうという動きが、これから広がっていくことが期待されます。
長野には「信州の伝統野菜」という制度もあるそうですが、行政に限らず市民活動として、その土地の中で育ってきた「地の野菜」を守ろうという動きも各地で始まってきています。
食を守るのは、やはり住民や市民が主役でなければいけません。
そのためにも、このテーマは引き続き、サロンで話し合えればと思っています。
話題(問題)提起したい方がいたら、ぜひご連絡ください。

霜里農場の友子さんが完全有機のイチゴとケーキを、柏のすぎのファームの杉野さんがなしジュースと食用ひまわり油とそれを塗って食べるためのフランスパンを持ってきてくれました。
いずれもとてもおいしかったです。
私の味覚はまだ、辛うじて大丈夫かもしれません。

最後にいささかの暴言を。
今回のサロンを聞いていて、私は、日本の政府が、少子化を促進していると改めて感じました。
表面的には、「少子化対策」を表明していますが、実際に行っているのは「少子化推進」ではないのか。
これは少子化に限りません。
認知症の問題にもささやかに関わっていますが、政府は認知症を増やしたいと思っているようにしか思えません。
これはかなりいじけた私の暴言ですが。

■3回目の雪(2019年2月11日)
うっすらとですが、また雪が積もりました。
今年で3回目です。
雪景色は気持ちを浄化してくれます。

■小畑さんのコミュニティハウス構想(2019年2月14日)
小畑さんのライフワークは、もしかした地域に開かれた福祉を意識したシャエアハスを実現することです。
かなり具体的なイメージができてきたというので、これからの進め方を考えようと3人が集まりました。
長年、コレクティブハウスに取り組んでいる関さんと小畑さんと私の3人です。
まあ、3人寄れば文殊の知恵も生まれますので。
話しているといろいろと刺激されます。
まあ次のステップに向けての方法は見えてきました。
もう少し時間がかかりそうなのが、気になりますが、急がば回れかもしれません。
展開が楽しみになってきました。

■アートでまちづくり(2019年2月14日)
我孫子で、アートでまちづくりを模索している林さんが来ました。
林さんは、我孫子まちづくり編集会議のメンバーでもありますが、最近「まちづくり」に関心を高めているのです。
「アート」を少し広義にとらえて、今いろいろと模索中です。

小美玉市の「みの〜れ」を視察したいというので、館長に電話してお願いしました。
林さんは実にフットワークがいいのですが、同時に「ゆったり」と動きます。
その生き方に興味があります。

もう一つ、林さんが取り組んでいるのが「我孫子を歩く会」ですが、議論しているだけではだめなので、3月5日にトライアルすることにしました。
林さんの友人の写真家も巻き込む予定です。

ちなみに関連して「柳兼子を語る会」も検討中です。

■カフェサロン「留学生の目からの来日前の日本、来日後の日本」(2019年2月16日)
留学生支援企業協力推進協会の太田さんにお願いして「留学生は日本をどう感じているだろうか」というサロンを開催しました。
最初に、太田さんがなぜ留学生支援に取り組んだかという話をされた後、韓国の温ビチャンさんとスリランカのJ.ラッセルさんからお話をお聞きしました。
関心のある人が多いようで、12人の参加者がありました。

留学生のふたりはいずれも、日本に来て、日本が以前より好きになったようですし、日本での留学生活にはあまり不満はないようでした。
ただ、来日前と来日後の印象は大きく変わったようです。

温さんは、学校教育の中で、日本のイメージをつくっていましたので、日本にはあまりいい感じを持っていなかったのですが、日本に来てイメージが変わったといいます。
特に感心したのは、日本では世界中の書物が翻訳されていて図書館でそれが読めるということだったようです。
そこに日本の強さの理由とこれからの可能性を感じたといいます。
これは意外と日本人は認識していないことかもしれません。

ラッセルさんが日本に来たいと思った理由は2つあったそうです。
小さなころから父親が日本をほめていたこととテレビの「おしん」の影響でした。
そこで日本への留学を決めたのですが、来日して、「おしん」の日本との違いに驚いたそうです。
「おしん」の世界はなくなっていましたが、今の日本も生活しやすく、別の意味での日本の良さも実感してもらっているようです。

ふたりとも来日して、日本がますます好きになったそうです。
参加者から、不満はないのかと何回か質問がでましたが、2人とも不満はないといいます。
日本の批判をすることへの遠慮があったのかもしれませんが、基本的には日本のファンになったようです。

ただ、ラッセルさんは今年卒業して日本で就職しますが、昨年の就職活動ではちょっと苦労したようで、その過程でちょっと違った日本も感じているようです。
来年日本で就職予定の温さんがどう感ずるかは興味深いです。

おふたりの話を聞いた後、質疑中心に自由に話し合いました。
家族関係の話、学校教育の話、経済的豊かさと生活の豊かさの話、便利さの話、政治の話…。

韓国は儒教の国であり、スリランカは仏教の国です。
いずれも「家族」を大切にしている国です。
そうした視点からは、どうも日本の「家族」のイメージにはちょっと違和感があるそうです。
スリランカでは、親は子どもの生活への関心が高いようですが、日本の場合、親は子どもの生活にあまり関心がないのではないかとラッセルさんは感じているようです。
コミュニケーションの問題もでました。
ラッセルさんは、日本には自動販売機が多いが、あれも人とのコミュニケーションの機会を奪っているという話をしました。
買い物は、お金の世界と人のつながりを育てる世界をつなげていく場ですが、ラッセルさんの指摘はとても大切な視点を気づかせてくれました。
私はもう長いこと、自動販売機は利用していませんが、コミュニケーションの視点で考えたことはありませんでした。

温さんは韓国の現代の話もしました。
日本人はあまりに現代史に無関心ではないかという指摘とも受け取れます。
温さんは、政治学を専攻されていますので、地政学的な話もされました。
この話は、できれば改めて温さんに頼んでサロンをしてもらいたいと思っています。

プレゼンテーションの仕方や内容も、国柄を感じさせました。
参加者の反応も、日本の実相を感じさせて興味深かったです。

お2人の話を聞いて、私は留学生に見える日本の姿と実際の日本の姿のギャップを感じました。
日本の表層だけではなく、便利さや豊かさや安全さの裏にあるさまざまな問題の現場にも触れる機会を留学生には持ってほしいと思いました。
留学生は、基本的には、学校と住まいとアルバイト職場を通して、日本と触れていますが、概して恵まれた環境で日本と接しています。
留学生ではなく、働きに来ている外国の人たちの話も聞きたくなりました。
どなたかそういう人を紹介してくれないでしょうか。

お2人は、サロンの場ではまだ十分に本音が出せなかったかもしれません。
終了後、有志の人たちと居酒屋で話し合ったそうです。
私は参加できなかったのですが、そこでどんな話が出たか、興味があります。
どなたかよかったら、さしさわりのない範囲で、教えてください。

(2019年2月第1週)
■お墓参り(2019年2月3日)
■縁カフェ失念(2019年2月4日)
■みんなの認知症予防ゲーム体験フォーラム(2019年2月5日)
■みんなの認知症予防ゲームDVD制作(2019年2月6日)
■山浦さんが湯島に来てくれました(2019年2月6日)
■統治行為論(2019年2月7日)
■ストーリーテリング協会ミーティング(2019年2月7日)
■雪が積もりました(2019年2月9日)

■お墓参り(2019年2月3日)
妻の月命日だったので、孫もつれて、みんなでお墓に行きました。
新潟からのチューリップも供えてきました。
帰宅後、孫がわが家で豆まきをしてくれました。

■縁カフェ失念(2019年2月4日)
うっかりして恒例の縁カフェなのに完全に失念してしまっていました。
今日は、認知症予防フォーラムの準備委員会を湯島でやったのですが、私は参加しませんでした。
その準備会の時に、2人ほどの方が縁カフェだと思って湯島に来てくださったようです。
誰が来てくれたのかわからないのですが、大変申し訳ないことをしました。

■みんなの認知症予防ゲーム体験フォーラム(2019年2月5日)
霞が関の衆議院議員会館で、みんなの認知症予防ゲーム体験フォーラムを開催しました。
100人近い方が参加してくださり、80人で一つの輪をつくって、90分のゲーム体験をしました。
今回は実行委員がゲームリーダーの女性が中心だったので、私はあんまり役に立てませんでした。
そのお詫びに、進行役を務めさせてもらいました。



予想もしていなかった方も参加してくださり、とてもいいフォーラムになりました。
これで15年ほど前に約束した東日本でこのゲームを普及させる活動も一段落です。

■みんなの認知症予防ゲームDVD制作(2019年2月6日)
湯島で「みんなの認知症予防ゲーム高林流」のゲーム指導DVDの撮影でした。
私は、様子を見ていればいいと思っていたのですが、厳しい女性ディレクターの指示で、ゲームに参加させられました。
たぶん記録映像には映らないと思いますが、雰囲気づくり要員です。
10時から5時まで酷使されました。
この種のゲームは、私自身は極めて苦手なのです。
こんなはずではなかったのですが、人は突然、不幸に出会うものなのです。
それにしても女性のパワーはすごいです。
今回のゲーム指導をしてくれた高林さんは3日連続です。
しかも私よりも年上です。
DVDは、とてもいいものができそうです。

■山浦さんが湯島に来てくれました(2019年2月6日)
NHKのディレクターの山浦さんが湯島に来ました。
認知症予防ゲームのリーダーメンバーを紹介させてもらいましたが、その後、少し2人で話しました。
今年予定していた憲法問題に番組はどうも難しそうです。

彼が関わった「南米移住50年」の番組について話しました。
番組を見ながら感じていたことが、山浦さんと話して納得できました。

■統治行為論(2019年2月7日)
リンカーンクラブの武田さんが、次の連休、伊豆長岡の温泉宿に一人で行って、「統治行為論」の論考をまとめると聞いたので、その前に少し話したくなり、久しぶりに武田さんと激論しました。
まあこの種の議論を、こんな感じで話し合うようなことは、他の人はまずやらないでしょう。
武田さんの論考がある程度まとまったら、サロンをやることにしました。

■ストーリーテリング協会ミーティング(2019年2月7日)
あまり活動していないストーリーテリング協会ですが、ある商工会から講演の依頼がありました。
理事の吉本さんが対応することになりましたが、これを機会に、また活動を再開できないかと思っています。
何をどうやるかを、現在の3人の理事で話し合いました。
春以降に動き出す予定です。

■雪が積もりました(2019年2月9日)
朝起きたら雪が積もっていました。
寒気が上空を覆っているようです。
雪景色はいつみてもいいものです。




(2019年1月第5週)
■カフェサロン「ケアプランって知っていますか?」(2019年1月27日)
■長引く風邪(2019年1月30日)
■小作人と孫作人(2019年1月30日)
■高林さんのゲーム体験フォーラム実行委員会(2019年1月31日)
■「これからの葬儀について考える検討会」(2019年2月1日)

■カフェサロン「ケアプランって知っていますか?」(2019年1月27日)



全国マイケアプラン・ネットワークは、介護保険のケアプランは自分で考えようという活動に取り組んでいる人たちのグループです。
介護保険発足当初から、制度的にも認められている「ケアプラン」の「自己作成」を提唱してきましたが、なかなか自己作成は広がりません。
行政やケアマネジャーのいう通りに「ケアプラン」をつくり、それに従ってしまう人が多いからです。
なぜなのか。
18年間活動を続けてきた島村さんのお話から、日本の福祉政策の実情や日本人の福祉に対する意識が見えてきます。
島村さんは、また「措置」の時代に戻ってきているような気さえするといいます。
お話を聞いて私の気分はちょっと重くなってしまいました。
なんとかしなければいけません。

そもそも「ケアプラン」の捉え方に問題があるのかもしれません。
介護の世界では、「ケアプラン」というと介護保険の利用計画のことですが、本来はもっと大きな意味で捉えられなければいけません。
それぞれの人本来のケアプラン(ライフプラン)があって、その一部を介護保険制度の利用で対処すると考えるべきでしょうが、なぜか日本では介護保険中心の「ケアプラン」発想が強いのです。
言い換えれば「制度に合わせたケアプラン」ということになりやすい。

島村さんがこうした活動に取り組む契機になったのは、お義父様の介護です。
まだ介護保険制度がなかった時代です。
島村さんは、活用できる地域資源を探しまくったそうです。
そして、地域にはケアに役立つさまざまな地域資源(たとえば、福祉制度はもちろん、病院や福祉施設からコンビニの配食制度やカラオケなどの施設まで)がたくさんあることに気づきます。
人のつながりも大切な地域資源でしょう。
そうした地域の制度・資源をとことん使って誰も犠牲にならない介護を目指したのです。

その後、介護保険制度ができたのですが、まさにそれは島村さんがお義父さんの時に求めていたものと一緒でした。
お義母さんの時の介護は、自らがケアプランを作成し、介護保険制度もうまく活用しての介護に取り組まれたそうです。
独自の工夫も取り込みました。
たとえば、40年間地域で暮らし、井戸端会議を日課としてきた義母の暮らしに合わせて、島村さんは自宅前にベンチを置き近所の人との井戸端会議の場とし、そこで義母流デイサービスを行っていたそうです。
大切なのは、その人らしい暮らしが続けられること。
介護制度の既存サービスになければ創り出せばいい。

しかし、自己選択・自己決定・自己負担という「利用者主体」の介護保険制度は、その後、その内容を進化させてきているのか。
どこか違うものになってきてしまったような気がします。
「ケアプラン」の主役となるはずの「利用者」が、制度のお客様になってしまっていることが、その一因かもしれません。
しかも、その制度は予算の関係で、内容が次第に制約されてきてしまっているのです。
「制度」の枠の中で「ケアプラン」を考えていれば、制度の規模縮小に伴って、ケアも次第に縮小されてしまうことになりかねない。
暮らしを中心に考えていかないと、そういうおかしなことが起こりうる。

介護保険制度は、ケアを支える仕組みの一部でしかないのです。
制度に依存するのではなく、制度を活かしていける自らのケアプラン意識を持つことが、介護保険制度を活かしていく上では不可欠です。
それがないと、「措置される福祉の受益者」に終わってしまいかねません。
制度をよくしていこうという視点は、そこからは生まれにくい。
福祉の実態もよくなっていかない。

自分で、ケアプランを立てることは、暮らしの棚卸作業だといいます。
そして、それに基づいて、自分らしい暮らし方を考えることこと、制度にあてはめられたケアプランではなく自分らしく生きるケアプランが実現できる。
みんながそうやって、自らのケアプランを真剣に考えていかなければ、日本の福祉は「昔のような「措置制度」に戻ってしまいかねない。

私が今回、一番強く感じたことは、そういう危機感でしたが、それに関して詳しく書きすぎてしまいました。

島村さんは、ケアプランの話はもちろん、「自己作成の方法」「マイケアプランを実践するためのヒント」などに関しても、わかりやすく説明してくれました。
実際にケアプランを自己作成してわかったことも、紹介してくれました。
ケアプランに関して、「目から鱗だった」と感想をくれた人もいます。

知っているようで、知らないケアプランに関しては、ぜひ多くの人に、介護に直面する前からきちんと知っておいてほしいと思います。
そうしたことは、全国マイケアプラン・ネットワークの講演会やワークショップにぜひ参加してほしいですし、もし何人かが集まって話を聞きたいといえば、島村さんたちのことですから、きっと話に来てくれるでしょう。
いやそのまえに、全国マイケアプラン・ネットワークのホームページを見てもらえば、たくさんの情報がありますし、ケアプランづくりを支援するツールも紹介されていますので、それを参照してください。
また、サロンの映像記録も後日公開する予定です。

ケアや福祉についてのとても大切な問題提起がたくさん込められていたサロンでした。
そして私たち一人ひとりの生き方への、重い問いかけもあったような気がします。
ほんのごく一部しか、島村さんのメッセージをお伝えできないのが残念です。

■長引く風邪(2019年1月30日)
風邪のような状況がつづいています。
熱もなく、特にこれといった症状はないのですが、なんとなくけだるく、気力が出てこないのです。
それと風邪薬はもう飲んでいませんが、3日ほど飲んだせいか、食欲がないのです。
困ったものですが、無理をせずに流れに任せるしかありません。

それでも自宅に安静していられるわけではなく、湯島に言ったり、何やら悩ましい問題の相談に乗ったり、電話対応したりしていて、中か気分的にはゆったりできません。
ただこの3日ほどは睡眠時間はたっぷりとっています。
たぶん久しぶりによく寝ています。
熟睡という意味ではなく、就寝時間の長さという意味ですが。

友人は、高齢になると発熱する力がなくなるので、熱が出ないのはむしろ危険信号と言います。
熱が出るほどのエネルギーが体力からなくなってきているというのは、いささか残念な話ですが、確かにそうかもしれません。
こうして、生命はまた「大きな生命」に戻っていくのでしょう。

■小作人と孫作人(2019年1月30日)
孫が来ました。
私は風邪気味なので、あまり接点を持たないようにしていますが、私が畑に行けないので、娘と孫に畑に行って水をやってきてと頼みました。
孫の母親である次女は、スペインタイルの仕事があったので、長女のと孫に行ってもらいました。

私は、お天道さまの小作人を辞任していますので、娘も孫もまあ「孫作人」というわけです。
2人は、水をやるご褒美に、ブロッコリーと菜花を収穫してきました。
お天道さまは、誠実に生きる人には必ずご褒美をくれるものです。
孫が畑好きになってくれるといいのですが。
ちなみに娘たちは、あんまり畑好きではありません。

■高林さんのゲーム体験フォーラム実行委員会(2019年1月31日)
2月5日に開催する高林さんの認知症予防ゲームの体験フォーラムの最後の実行委員会でした。
フォーラムチームとDVD制作チームに若手準備に取り組んでいますが、何しろメンバーのほとんどがこれまでのメンバーとは違うので、なかなか思うようにはいきません。
理念を共有できていたさまざまな立場のメンバーが自発的に集まってという、これまでのコムケア型実行委員会ではないので、担当に任せて自由にというわけにもいきません。
私が口を出せば出すほど、何やらややこしくなりかねないので、あまり口を出さずにいますが、メンバーはみんなとてもがんばっているので、いささか心配になるほどです。
それでもみんなの熱意でほぼ準備は完了したようです。
私は、当日の進行役を仰せつかりました。

■「これからの葬儀について考える検討会」(2019年2月1日)
「これからの葬儀について考える検討会」を昼の部と夜の部に分けて開催しました。
僧侶でもある中下さんと一緒にこの半年話し合ってきて、かなりシェアできた構想と具体的な実践計画を紹介し、それを材料に、葬儀などについての話し合いをしました。
あわせて15人の参加者(昼の部は男性、夜の部は女性が多かったです)があり、中には昼と夜いずれも参加してくださった方もいます。

まず、なぜこうしたことを考えるに至ったかの話を私と中下さんから少し話させてもらい、私たちの構想と計画を説明させてもらいました。
2人にとっては、これまでの活動の一つの到達点なのです。
長年墓石のお仕事をされてきている篠田さんも参加してくださったので、お墓の話も出ましたが、参加者の中には「散骨」を考えているという方も少なくありませんでした。
私はそうしたことにこそ、いまの社会の大きな問題があるような気がしました。
この問題は改めてまたサロンをする予定です。
ここからも、いまの社会のあり様や私たちの生き方が見えてくるような気がします。

私たちの思いは、「幸せな葬儀」こそが、ある意味での「福祉」や「豊かな人生」の象徴点だということです。
死に向き合うことを避けていることは、生の問題からも目をそらすことになりかねません。

少なくとも、経済的な理由や忙しさのゆえに、その人らしい葬儀や供養ができないような状況をできるだけなくしていきたいと思っています。
そして、死や葬儀を、単なる人生の通過点にするのではなく、ましてやそうしたものを経済の対象として「消費」する社会のあり方を認めるのではなく、「死」としっかりと向きあうことで、生き方を問い直し、世代を超えた人とのつながりを深めていけないかと考えています。

私たちの話もその後の話し合いも、簡単には紹介できませんが、こういう場がとても大切なのだと改めて考えさせられました。
今回参加できなかった方もいますので、今回のような内容も含めて、これからも「葬儀」や「死」を考える集まりを開催していく予定です。

昨日、話させてもらった構想の中で、「大きな葬式」という捉え方を紹介させてもらいましたが、その簡単なチャートを紹介させてもらいます。
ここに私たちが考えている「死」の捉え方が要約されています。
誤解を恐れずにいえば、葬儀は、生きているときから始まっていて、死んだ後も続いているというのが、私の捉え方です。

「死」は「別れ」の象徴でもありますが、同時に「人をつなげること」の象徴でもあります。
そうした「結び直し」の価値を見直すことによって、バラバラの存在に解体されてしまいつつある現代人の生き方を変えていけるかもしれません。

孤独死は孤独生の結果だと思いますが、孤独死を避けたければ、生き方を変えていく、孤独性に追い込まれるような社会のあり方を変えていくことが大切です。
これは福祉観にもつながります。

中下さんは「葬儀こそ福祉」「逝き方は生き方」と言っています。
私は「生き方は逝き方」「死は人をつないでいく要」と思っています。
しばらくいろんな人たちとの意見交換を重ね、死や葬儀から社会や生き方を見直しながら、「新しい葬儀」への実践へと取り組んでいく予定です。

こんな葬儀を実現したいという方がいたら、ぜひご連絡ください。
何ができるかを一緒に考えさせてもらえるかもしれません。
もちろん、単なる考えるだけの話ではなく、実際の葬儀を前提にしてですが。

(2019年1月第4週)
■我孫子氏市長選挙(2019年1月20日)
■風邪をひいてしまいました(2019年1月21日)
■1日寝ていました(2019年1月22日)
■武田さんとの民主主義論議(2019年1月23日)
■カフェサロン「人を大切にする経営とは」(2019年1月23日)
■柿内さんの「ビジョンとミッション」(2019年1月24日)
■カフェサロン「沖縄の辺野古県民投票を考える」(2019年1月26日)

■我孫子氏市長選挙(2019年1月20日)
地元我孫子市の市長選でした。
今回はいずれにも加担せずに、個人的な視点で投票しました。
投票率は40%を越えましたが、現職当選でした。
新人は心をひくような提案をしませんでしたし、国政に力を頼ったか(利用されたか)したので選挙に新しさを感じられませんでした。
いずれが勝っても、新しい動きを出せればいいのですが、その可能性がほぼゼロの選挙でした。

■風邪をひいてしまいました(2019年1月21日)
雨がまったくと言っていいほど降らずに、かなりの乾燥状況です。
そのせいか、2度をやられてしまったようであんまり調子がよくwりません。
乾燥が進むと畑の野菜もよくありません。
娘に手伝ってもらって、ビニールハウスを手作りしました。
ついでになやら土に呼び寄せられたような気がして、鍬で土を耕しました。
その重労働が帰宅後どっと出てしまい、風邪の症状がはっきりしてきました。
年寄りの冷や水とはこのことです。
8時に就寝しました。

■1日寝ていました(2019年1月22日)
軽く見ていたのですが、風邪が治らず今日は1日寝ていました。
こんなことは久しぶりです。
それに足がふらつくのです。
今朝も廊下で転んで階段に頭をぶつけてしまいました。
テレビでは、電車のホームから降ら伝手転落した死んでしまった若い女性がインフルエンザだったと報道していました。
注意しないと大変なことになりそうです。
しかし、熱はあまり出ないので、私の場合はインフルエンザではなさそうです。
しかし大事をとってほとんどの予定をキャンセルしました。

■武田さんとの民主主義論議(2019年1月23日)
キャンセルした予定の武田さんが湯島に来ました。
一昨日かなり厳しい言い争いがあったので、今日は来ないだろうと思っていましたが、なぜか
来ました。
電話がかかってきたので、見舞いを持ってくるように頼んだら、イチゴを焼き芋を持ってきました。
イチゴはワンンパック食べてしまいましたが元気は出てきません。
議論はやめようと思っていましたが、やってしまいました。
「統治権」と「統治行為論」です。
砂川判決で可視化されてしまった、統治権の存在は、政治というよりも国家論の話かもしれません。
いま武田さんが執筆中ですが、またきっと読まされるのでしょう。
イチゴを食べてしまったので、読まないわけにはいきません。

■カフェサロン「人を大切にする経営とは」(2019年1月23日)
個人と組織の関係をテーマにしたサロンは、坂本研究室で長年調査活動に関わっていた桝谷さんに「人を大切にする経営」をテーマにお話しいただきました。
桝谷さんの誠実さがあふれるようなサロンでした(この表現は参加者の杉本泰治さんの言葉です)。
桝谷さんは、3つの代表的な企業の話をしてくれた上で、「経営とは〈やり方〉ではなく〈あり方〉だ」といいます。
そして、「会社は、関わる全ての人の永遠の幸せを追求するためにある」というのです。

〈やり方〉ではなく〈あり方〉。
「人と会社」あるいは「人と人」の関わり方のなかにこそ、経営の本質が見えてくる。
小手先の技術ではなく、会社そのものの現実にこそ経営があらわれている、ということでしょう。
私もいくつかの会社の経営に関わらせてもらってきましたが、会社というのは、現場で働いている人たちの表情をしっかりとみていれば、ほぼすべてのことがわかります。
有価証券報告書などの資料や雑誌や新聞などの紹介記事からはなかなか見えてきません。

桝谷さんはまた〈需要〉と〈供給〉に関して興味ある指摘をしました。
ケインズ流にのっとった一般の経営の考え方では「企業の成長は貨幣的な裏付けのある〈有効需要〉」を獲得することを目指すが、いい会社の共通項は「〈供給〉を重視している」というのです。
つまり、顧客が欲しがるいい製品・いいサービスといった〈有効な供給〉を作り出せば顧客は必ず見つかるというのです。
この発想の違いを、改めてしっかりと考えることはとても大切のような気がします。

桝谷さんは、企業とは5つの業からなる生命体だといいます。
「環境適応業」「市場創造業」「幸せ創造業」「人財育成業」「社会貢献業」。
ちょっと未整理な気もしますが、いずれにしろ企業はさまざまな顔を思っています。
経済的機関であるととも、社会的機関・文化的機関であることは間違いない事実です。
少なくとも会社が生み出しているのは経済的な金銭利益だけではないことは大切な視点です。
そしてさらに言えば、多くの人間がそこで多くの時間を過ごす場でもあります。
そうした企業の持つ多義性をもっと重視していくことはますます大切になっていくはずです。

「新しい経営のモノサシ」につなげて、「人を大切にする経営学会」や「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」などの紹介の後、桝谷さんは「人を大切にする経営」を広めることは、人々の幸せを作り出し成熟した日本へ向かっていくための推進力になるはずだと締めくくりました。
いろんな意味で共感します。

ところで、「人を大切にする経営」とが話題になるのは、現在の会社経営においては人があまり大切にされていないことを示唆しているといってもいいでしょう。
さらにいえば、人を大切にしなくても成り立つ経営があるということです。
ほとんどの人はそんなことに疑問を持たないかもしれません。
しかし、組織の主役は常に人です。
人の力を活かしていくための制度が会社であるならば、経営の基本は本来、人を活かすということ、つまり〈大切〉にするということです。
実はこの問題は、「経営」とは何か「会社」とは何かにつながっていくのです。
今回は、そこまでは議論は進みませんでしたが、今回の桝谷さんのお話をベースに、そのパート2として、そのあたりの議論を深めるサロンしてみようかと思います。
話したい方がいたらご連絡ください。

今回のサロンも、桝谷さんと近藤さんの協力を得て、公開させてもらうことにしました。
https://youtu.be/Etau9Pnvz5M

■柿内さんの「ビジョンとミッション」(2019年1月24日)
柿内さんと「ビジョンとミッション」についての意見交換をしました。
柿内さんの取り組んでいる「カイゼン」プロジェクトに関しても、少しだけ意見を話させてもらいました。
柿内さんの生き方にもかなり興味がありますが、現場起点で誠実に取り組んでいると視界が急に開けて世界と未来が見えてくることがとてもよくわかります。
理論だけで考えている人にはまったく見えないものが見えてくるのでしょう。
柿内さんの誠実さにはいつも感心させられます。

■カフェサロン「沖縄の辺野古県民投票を考える」(2019年1月26日)
沖縄県民投票を材料にしたサロンは、5人の集まりになりました。
県民投票にしても、辺野古問題にしても、もっとたくさんの人が集まると期待していましたが、結局はいつもの常連のメンバーでした。
風邪気味で体調がよくなかったのですが、関心を持っている人があまりに少ないことを知って、一挙に風邪が悪化してしまった気がします。
以来、まだ立ち直れていません。
困ったものです。

沖縄住民投票に関しては、添付の新聞記事を読んでもらいそれに関しての意見交換をしたかったのですが、これもあんまり盛り上がりませんでした。
私の気になった点を紹介しておきます。

・投票すること自体への住民の不安が大きいことに問題の本質があるのではないか。
・考えていることで差別される社会の未熟さが相変わらず変わっていない。
・国と都道府県と基礎自治体という3つの政府の関係の複雑さに何かが隠されてしまっている。
・基地問題より「お金を福祉に回した方がよい」という民の福祉観への疑問。
・辺野古以外でもいろいろと基地をめぐる問題が起こっているが、それさえも分断されている。
・県民投票結果が無視されるということへのあきらめ(行政への不信感)。
・県民投票結果は工事に関して全く『影響はない』と言い切る政府官房長官の異常さ。
・生活と政治とは別物という政治観の広がり。
・この問題は沖縄だけではなく全国で国民投票すべきではないか。

それに合わせて、こうしたことから見えてくる「統治権」と「統治行為」の関係も問題提起させてもらいました。
しかしこれも不発に終わったので、これに関しては改めてサロンを開催したいと思います。
国民主権である以上、統治権と国民意思をしっかりとつなぐ仕組みがなければいけませんが、国民意思を代表することになっている「国会」には統治権はありません。
あるのは「立法権」です。
ではだれに統治権はあるのか。
そのあたりが見えなくなっているところに大きな問題がありますが、誰も大きな問題にしません。
最近は米軍こそがかつての天皇に代わっての統治者ではないかという話が出てきていますが、統治者が見えない状況での政治は気持ちがよくありません。
そろそろ「政治のパラダイム」を変えなくてはいけません。
しかし、統治者への関心は今回の参加者にはあまりありませんでした。

というわけで、今回のサロンは「不発」に終わりました。
体調を整えて、リベンジしたいと思っています。

ちなみまた、辺野古では新たな埋め立てが始まりました。
辺野に新基地は多分完成しないでしょうが、残念なことに環境破壊は修復できません。
後悔はいつも先に立ちません。



(2019年1月第3週)
■パソコン回復(2019年1月13日)
■新しい葬儀を考える(2019年1月14日)
■カフェサロン「対話で感得するインド占星術」(2019年1月17日)
■カフェサロン「坊言サロン」(2019年1月19日)

■パソコン回復(2019年1月13日)
坂谷さんがまた来てくれてパソコン修理の仕上げをしてくれました。
機能的には完全に回復しました。
しかしどうもまだ以前のパソコンのような気がしないのです。
困ったものですがやはり精神的にちょっと傷ついてしまった気がします。
まあ少しずつ慣れていくでしょう。

■新しい葬儀を考える(2019年1月14日)
中下さんとまたミーティングをしました。
大きな方針はほぼ固まりましたが、何回も会っているとやはり思考の違いなどが見えてきます。
そろそろ開いた場での話し合いに持っていこうということになりました。
2月1日に開催します。

中下さんから、死、葬式、看取りのなどに関する本を4冊借りました。
4冊ともすぐに読みましたが、やはりまだなじめないところがあります。
でもまあここまで来たら動きだないといけません。
最初の集まりの案内を「お知らせ」に書きました。
関心をお持ちの方はご参加ください。

■カフェサロン「対話で感得するインド占星術」(2019年1月17日)
ヴェーダ占星術師のKishori(千葉和江)さんにお願いした「インド占星術」のサロンを、2回にわたって開催してもらいましたが、合計で25人を超える参加者がありました。
インド占星術への関心の高さに驚きました。
私はいずれにも参加しましたが、全く違った雰囲気のサロンになりました。
もちろん基本となるヴェーダの話は共通していましたが、参加者と一緒に場を創り出すというKishoriさんのおかげで、私にはまったくと言っていいほど違ったサロンでした。

1回目のサロンでは、ヴェーダそのものに関する疑問から始まったために、なかなかヴェーダの中身にはたどりつけませんでしたが、Kishoriさんによれば、それもまた必然的なことだったのかもしれません。
参加者のおひとりも同じような感想を送ってきてくれました。
2回目のサロンでは、ヴェーダの内容を中心に、魂の精神世界と心身の物質世界を分けて、とても具体的に、ヴェーダの世界観や死生観を話してくれました。
2回目のサロンでも終了後、Kishoriさんのセッションに以前から参加されている方が、Kishoriさんと参加者とのやり取りで理解が深まったといってくださいましたが、話し合うことの大切さを改めて感じさせてもらいました。

いずれの回でも、Kishoriさんはヴェーダとは「生きる知恵」「人類の操作マニュアルのようなもの」と最初に話されました。
大きな違いは、2回目は、最初にヴェーダの聖典の一つのサンスクリット版の「バガヴァッド・ギータ」の一節をKishoriさんが朗誦することから始めたことです。
その朗誦で、場の雰囲気が変わりました。
ヴェーダの前提には、魂の存在がありますが、「魂」の話も素直に聞ける状況が生まれたのです。
音(波動)の持つ大きな力を感じました。

Kishoriさんのお話をきわめて簡単にまとめると、私たちは、宇宙に遍満する「大きな魂」から生まれた「小さな魂」が、心と体という衣服を装った存在であり、それが故に、「間違い」や「幻想」から自由になれず、他者をだます傾向を持ち、感覚も不安定になってしまう、そこから解放されるための知恵がヴェーダにはある、というのです。
私の勝手な要約ですので、いささかの不正確さはお許しください。

ヴェーダの世界では、人の根源のことを知りたかったらヴェーダに聞け、という言葉もあるそうです。
どうしたら生きやすくなるか。
そこから、カルマ(因果)や輪廻、集合意識や阿頼耶識、死の意味、人の成長(人間存在の4段階)、徳と愛などの話題も出ました。
もちろん占星術、ホロスコープの話も出ました。

中途半端な報告は誤解を招きそうなので、私からの報告はこれでやめますが、Kishoriさんはご自分でのセッションも開いていますので、ヴェーダやホロスコープに関心のある方はKishoriさんにアクセスしてください。
Kishoriさんのフェイスブックは次にあります。
https://www.facebook.com/kishori.dasijapan

湯島のサロンでは、アーユルヴェーダのお話をしてもらったことがありますが、ヴェーダそのもののサロンは初めてです。
ヴェーダは宗教的な側面と哲学的な側面を持っていますが、哲学というと私たちはついつい古代ギリシアを思い出します。
しかし、インドのヴェーダには、神話的な人間的要素があって、それよりも古層の哲学を感じます。
死や生を考える、いろんな材料があったような気がします。

Kishoriさんは、とてもいいサロンだったので、また話をしたいとおっしゃってくれました。
ヴェーダ占星術師のKishoriさんの使命は、大きな魂(バガヴァン/クリシュナ)の知恵を多くの人に広げていくことなのだそうです。
そして他者にできるだけ喜んでもらう。
Kishoriさんは、毎回、手づくりのお菓子を参加者のために持ってきてくださいました。
そしてどんなぶしつけな質問にも、笑みを絶やさずに、応じてくれました。
毎年、3か月ほど、インドの聖地ヴリンダーヴァンで、魂を浄化しているからでしょうか。
私は、そこにヴェーダの本質を感じました。

■カフェサロン「坊言サロン」(2019年1月19日)
お寺の掲示板に書かれている「言葉」(それを西坂さんは「坊言」と命名しました)を話題にする「坊言サロン」は、意外なことに私を入れて4人のこじんまりしたサロンになりました。
しかし、そのおかげでいつもとは違って、じっくりと話し合えました(かなり脱線はしましたが)。
もう一つ意外だったのは、「坊言」メッセージを掲示しているお寺は多くないということです。
私も、自分の菩提寺も含めて、4つのお寺を回りましたが、メッセージを出していたお寺はありませんでした。

最初に西坂さんから、本で紹介された「坊言」を中心に、「坊言」を出したご住職の想いなどの紹介がありました。
またどうして西坂さんが「坊言」コレクションを始めたのか、そしてそこから何を感じたかなどのお話もしてもらいました。
「坊言」からお寺の実情や世相が見えてくるなどとは言いませんが、そうしたことを考える材料はいくつかあったように思います。

西坂さんによれば、人間関係に関する「坊言」が多いようですが、参加者が共感した「坊言」を2つ紹介します。

「一人でいると孤独感 二人でいると劣等感 三人でいると疎外感」
これは広島県福山市の光林寺の掲示物にあったものですが、実にうなづけます。

もう一つ、
「仲間を作ることは 必ず仲間外れを作ることであります(玉光順正)」
これは、本明寺(東京都墨田区)にあったものだそうですが、玉光順正さんの言葉のようです。

西坂さんのコレクションではありませんが、今回参加できなかった方から寄せられた「坊言」も話題になりました。
「隣のレジは早い」
遠州、森の自得院にあったものだそうです。

ほかにも、西坂さんからいろんな「坊言」のお話がありましたが、考えさせられるも、笑えてしまうものも、誤解しそうなものも、いろいろとありました。
キリスト教の教会にも、箴言が掲示されていることは多いですが、そうしたものに比べると実に人間的で、心にひびいてきます。
最近では、生活とお寺の距離は少し遠くなってしまいましたが、お寺と生活をつなぐとてもいいメディアのような気がしてきました。
昔は、こうしたお寺の「坊言」が、地域社会の住む人たちに大きな影響を与えていたのかもしれません。

最近のお寺は、こういうところに力を入れる余裕がなくなってきているのかもしれません。
でもせっかくの「屋外広告板」を活かしていないのはちょっともったいないなと思いました。

もしお近くで、ちょっと気になる「坊言」に出会ったら、坊言集「きみはそのままでいいんじゃないか」の著者の西坂さんにぜひ連絡してやってください。



(2019年1月第2週)

■新年おまけサロン(2019年1月7日)
■「幸せな死」を目指しての葬儀社構想(2019年1月8日)
■認知症予防ゲームの公開フォーラム実行委員会(2019年1月8日)
■文化やアートの視点で我孫子を考える(2019年1月11日)
■第1回ヴェーダ占星術サロン(2019年1月11日)

■新年おまけサロン(2019年1月7日)
今年初めての湯島のサロンは8人の参加でしたが、発酵ソムリエ、巡礼者、デザイナー、ハープニスト、声楽家,ジャズピアニスト、ネット非汚染者、ネット依存症と多様でした。
ちなみに最後のネット依存症は私のことで、一昨日、自分がそうだと気付いて落ち込んでいます。
ネットはやらないという方も、参加してくださいましたが、見習わなければいけません。
4時間半のサロンでは、いろんな話が出ましたが、「第九」の話と肺の構造の話と発酵の話が記憶に残っています。
珈琲は宮田さんから送ってもらったエチオピアのモカでした。

ちょっとだけ元気が出ました。



■「幸せな死」を目指しての葬儀社構想(2019年1月8日)
今年、一緒に「葬儀事業」を立ち上げようと相談している中下さんと湯島で会いました。
年が明けてから連絡が全くなかったので、過労死しているのではないかといささか心配になっていました。
冬季は死が増えてくるのと、年末年始の炊き出しや路上でのホームレス支援の見回りでたぶん中下さんはあんまり寝ずに働いているはずです。
若いのでどうしても無理をしてしまうので、いささか心配です。
幸いに前日に連絡着いたので、予定通り会うことができました。
私よりもずっと元気そうでしたが、これが危ないのです。

中下さんと考えているのは、「幸せな死」を実現できるような葬送事業です。
中下さんは「逝き方は生き方」と言っています。
私は「生き方は逝き方」だと思っています。
視点は違いますが、同じ考えです。
問題はそれをどう具現化するかです。
中下さんはこれまでボランティア的に、こうした思いを実現するために取り組んできましたが、あまりに思いが強いためか、逆に他者に悪用されてきた経験が多そうです。
ネットワークづくりをしたり、組織に働きかけたりしてきたようですが、たぶん若さもあって、利用されることが多かったのでしょう。
そういう純粋な中下さんを失望させるわけにはいきません。
なんとか彼の思いの一助になれればと思っていますが、中下さんは逆に私の思いを何とか支援したいと思ってくれているのです。
その私の思いは、実のところ15年ほど前に一度潰え去っているのですが。

中下さんと会うと、少し鼓舞されて前に進もうというと気になります。
今回の話し合いで、これまで個人活動的にやってきたコムケアセンターを法人化しようと決意しました。
登記手続きなどは自分でやろうかと思います。
さて昔のように動けるでしょうか。
いささか気が重いですが。

■認知症予防ゲームの公開フォーラム実行委員会(2019年1月8日)
2月5日に開催する「認知症予防ゲーム公開フォーラム」の実行委員会を開きました。
今回は出来るだけ口を出さないで進めてけるように考えているのですが、メンバーのほとんどは女性ですので(男性は私と加納さんだけ)、その進め方がどうしようもなくストレスフルなので、今回はついつい話しあいをリードしてしまいました。
なんとか大枠は決まりましたが、やはり女性中心の組織には私はなじめないようです。

このフォーラムやDVD制作を提案してしまったことを心から後悔しています。
今年は、できるだけ余計なことにコミットせずにいようと改めて思います。

ちなみにこのフォーラムはたくさんの人に参加してほしいです。
案内チラシを添付しておきます。

■文化やアートの視点で我孫子を考える
(2019年1月11日)
我孫子まちづくり編集会議の派生活動として、我孫子を文化やアートの視点で考えていく集まりのゆるやかなキックオフミーティングを開きました。
最初は柳兼子の研究をしている海津さんとアートを活かしたまちづくりに関心を持っている林さんとの小さなミーティングを予定していましたが、海津さんの声掛けで、鈴木さんと浜崎さんが参加してくれました。
話はいろいろと飛んでしまいましたが、2月から「柳兼子の勉強会」と「写真家を巻き込んだ我孫子歩き」を始めることにしました。
さてさてどうなりますか。
どこかでまちづくり編集会議のワークショップにつなげていければと思います。
参加ご希望の方はご連絡ください。
必ずしも行政区としての我孫子にはこだわっていません。

■第1回ヴェーダ占星術サロン(2019年1月12日)
ヴェーダ占星術師のKazue Kishori Chibaさんにお願いしたインド占星術の第1回目のサロンを開催しました。
ヴェーダはインド古来の知恵ですが、Kishoriさんは「生きる知恵」だと話してくれました。
「占星術」というと「占い」のような感じがしますが、「生きる知恵」が身につけば、過去も未来も見えてくるのがヴェーダの知恵なのかもしれません。
今回は、そうした「知恵」と「知識」の混同が参加者の中にあって、本論に入る前の質疑応答が少し多すぎてしまったのが残念でしたが、それでも多くのことを気づかせてもらえました。
このサロンのために、わざわざ富山から出てきた人もいて、その人は終わった後、来てよかったと言ってくれました。
1月17日(14時〜16時)に第2回目を開催します。
ヴェーダ占星術を知りたいという方は是非ご参加ください。
1回目に参加した方も参加されなかった方も、いずれも歓迎です。
単なる知識だけではなく、インドの聖地ブリンダーヴァンで1年の1/4を過ごしているKishoriさんの人柄に触れるだけでも、ヴェーダを感じられるかもしれません。
サロンの内容の報告は、2回目が終わった後、まとめて報告させてもらいます。



(2019年1月第1週)

■例年のような元日(2019年1月1日)
■何もしない1週間(2019年1月6日)

■例年のような元日(2019年1月1日)
屋上から初日の出を見ました。
雲のために日の出が見られたのは10分ほどたってからでしたが、ここに転居してきてから見られなかったことはたぶん一度もありません。
年の始まりはいつも太陽とともにあったということです。
今年はいい年になるはずなのですが、いつものような元気をなぜか初日からもらえませんでした。

■何もしない1週間(2019年1月6日)
初日の出を見た後。近くに住んでいる娘家族と合流して、子の神様に初詣しました。
その後、みんなでお墓にあいさつに行きました。
お墓の掃除は昨日すませていたので、今日はお参りだけです。
みんなでわが家に戻り、娘の用意してくれたおせち料理で祝いました。
今年は娘が節約意識が強く、目玉料理のない、質素なおせちでしたが、私にはどうもこの方が似合います。
あたたかな元日でした。

まあここまでは例年と同じ年始めでしたが、その後1週間、何もしないで過ごしました。
どうも気分が動こうとしなかったからです。
ちょっと出かけたり、5日には坂谷さんがパソコンの修理に来てくださったりしましたが、ほとんどを自分一人で過ごした孤独なお正月でした。
年々、こうなってきていますが、これほど引きこもっていたのはたぶん妻を見送った翌年のお正月くらいかもしれません。

引きこもるとますます気分は孤独になり、気力が出てきません。
畑にも行ってみて、鍬をいれて土を耕したりしましたが、変化なし。
困ったものです。
本当に今年は「いい歳」になるのかどうか、いささか心配です。