活動記録2018
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(2018年12月第4週)
■パソコン修理(2018年12月23日)
■裁判事件の解決(2018年12月26日)
■荻坂さん来訪(2018年12月26日)
■コムケア葬儀社構想(2018年12月28日)
■おまけサロン(2018年12月28日)
■今年最後の畑仕事(2018年12月29日)
■年末の日々(2018年12月31日)

■パソコン修理(2018年12月23日)
パソコンの修理にまた坂谷さんに来てもらいました。
ハードデスクは更新したのですが、そのため、いくつかのソフトが使えなくなり、またデータがとりだせない状況です。
そこで、坂谷さんに来てもらい、いくつかのソフトの取り込みと古いデータの救出をしてもらいました。
しかし、オフィスはシリアル番号がわからず回復来ませんでしたが、坂谷さんが使っていないオフィスを置いて言ってくれました。
しかしもう少し回復を試みてみようとまだインストールはしていません。

なぜ古いものにこだわるかと言えば、そこに単語登録などを重ねてきているので、私とかなり記憶をシェアしているためいわば「相棒感」があることに気づいたからです。
その「相棒」がいなくなってしまったような気がして、気分がかなりへこんでします。

■裁判事件の解決(2018年12月26日)
ホームページには最近は書いてきませんでしたが、以前書いたことのある化粧品事業の支援をしたことに関して裁判を行っていました。
先方からあまりに不条理な要求があったので弁護士に相談したら、これはむしろこちらから訴訟を起こすべきだと言われたのです。
それで一緒に被害を受けた人を原告にして訴訟を起こしていたのですが、一向にらちがあかず2年もかかってしまいました。
結局、和解になったのですが、エネルギーと費用をかけた割には、あんまり実りはありませんでした。
しかし、裁判というものを体験できて、よかったです。
何事も体験してみないとわかりません。

少しお金が入ったので、借金の弁済に充てました。
まだまだ借金返済の道はちょっと長いですが、精神的には楽になりました。
まあこのおかげで、もう少し生き続けなければいけないのですが。

■荻坂さん来訪(2018年12月26日)
経営コンサルタントの荻坂さんがやってきました。
佐藤さんに直接話しておきたいことがあるというのです。
なんだろうと思っていたら、湯島はあったかい、佐藤さんはあったかいという話でした。
いささか煙に巻かれた感じもしますが、まあうれしいことです。
近著も持ってきてくれました。
ブログにはちょっと書きましたが、若いころをちょっと思い出しました。

■コムケア葬儀社構想(2018年12月28日)
中下さんと葬儀社構想の話をしました。
だいぶ思いがシェアできてきました。
「コムケア葬儀社」でもいいかなとさえ思うようになりました。
話し合っているといろんな構想が生まれてきます。
来年から動き出す予定です。

■おまけサロン(2018年12月28日)



今年はたくさんのサロンを開催しましたが、おまけのサロンまでやってしまいました。
参加の連絡は2人しかなかったので、人が来ない間は年末大掃除でもしていようと思っていたのですが、意外にも10人を超える人が来てくれました。
おかげさまで、定刻よりも早く予定より遅くまで、サロンができました。
メンバーは入れ替わりましたが、最初から最後までほぼ5時間をお付き合いしてくれた方もいました。
おかげで、年末大掃除は年越しになりました。
困ったものです。

話し合いは案内の通り、「社会はよくなっているのか、住みやすくなっているのか」を基調にいろいろと広がりました。
自分には生きやすくなっていない、社会はちょっとおかしい方向に行っているのではないかという意見が多かったように思います。
その根本には、みんな「余裕がなくなってきている」ということがあるのではないかという話も何回か出ました。
もちろんちょっといい話もありましたが。

私にとっては非常にいい話がありました。
今年からサロンに来てくれだした人が、「このサロンを知ったことが今年の事件のひとつ」と(たしか)言ってくれたことです。
サロン主催者としては最高に元気づけられる言葉です。

今回、私にとって初対面の人も2人参加しました。
そのおひとりは、今年の春頃に掲載された東京新聞の記事を読んでこのサロンに関心を持ってくれていたそうですが、やっと参加できたと言ってくれました。
もうひとりの初参加の人は、友人に教えてもらい、どんなサロンかわからなかったが参加してよかったと(たぶん)言ってくれました。
いずれも大いに元気づけられました。

そして、その3人の言葉で、私の考えは変わりました。
社会はいい方向に向かっているのです。というわけで、おまけのサロンのおかげで、いろいろなことがあって、心身ともにめげることの多かった私にも、今年は「いい年」になりました。

社会がよくなっているか、自分にとって住みやすくなってきているか。
この問題設定が間違っていたかもしれないと、5時間近い話し合いを聞きながら、思い直しました。
社会をよくしたい、もっと生きやすい社会にしたいと思って、自分に何ができるかを考えることの方が大切だと考えなおしたのです。

そしてまた、誰かのちょっとした一言が、人を幸せにするものであるということも、改めて実感しました。
来年から、私も誰かを幸せにできるような話し方と知らない人にも話しかける姿勢をもっと身につけようと思います。
社会をよくするために、それが私にできる出発点のようです。

自分本位の報告になってしまいました。
これで今年の湯島サロンは終わりですが、参加されたみなさん、いつも長い報告を読んでくださったみなさん、ありがとうございました。
来年もまたサロンを続けますので、気が向いたら遊びに来てください。
みんなが生きやすい社会に向かうことを信じながら。

ちなみに、正月に悪性の風邪をひいたり、交通事故に合わなかったりしない限り、1月7日の午後、新年最初のおまけサロンを開く予定です。
湯島天神や神田明神に来る方がいたら、その真ん中ですので、お立ち寄りください。
先延ばしした大掃除をしている最中かもしれませんが。

■今年最後の畑仕事(2018年12月29日)
今年最後の畑作業でした。
花壇の枯れていた花をすべてきれいにし、そこにまたチューリップとフリージャを植え足しました。
畑も野草を抜き、ついでに家にあった、芽が出始めていたタマネギを植えてみました。
育つかどうかわかりませんが。
タマネギは秋に種をまいたのですが、それを忘れて、野草と間違って抜いてしまったようで、跡形もなくなってしまったのです。

さらに、来年に向けてまた開墾作業をやりました。
なにしろ笹竹が広がっていますので、これはハードな作業ですが、はじめだすと面白くてやめられません。
少しずつ継続して作業をしていると、野草も次第に分をわきまえてくれるような気がします。
がんばったおかげで、だいぶきれいになりました。

畑から帰宅したら、孫のにこが来たので、娘たちと一緒にまた畑に行きました。
ユカが手伝って、にこに大根を抜いてもらいました。

■年末の日々(2018年12月31日)
今年は年末はゆっくりでした。
なによりもパソコン不調で、パソコンに向かう時間が少なかったのがよかったです。
30日は大掃除でした。1週間前から少しずつはしていますが、ユカと一緒にリビングやダイニングを片付けました。
それから買い物にも行きました。
例年以上に来年のおせちは質素になりそうです。
31日は頑張ってパソコンでホームページを更新できるようにしました。
実はあんまりやる気が起きていなかったのですが、新年の初日を載せないわけにはいきません。
それで午後はさぼっていたホームページ更新に時間を差しました。
にもかかわらず時間切れで、中途半端な更新になりそうです。
31日はユカと兄と3人でお墓の掃除に行きました。

今年は、実にいろんなことがあり、心身ともにダウンしかけたこともありました。
嫌な事や怒りがこみ上げることも少なくない年でした。
人が嫌いになりそうになる年でもありました。
しかし何とか最後は元気になれました。
来年はいい年になるでしょう。

(2018年12月第3週)

■サロン「私はなぜ湯島でサロンをやることになってしまったのか(2018年12月16日)
■ドラッカーとちょこ案(2018年12月18日)
■あけぼの農業公園のイルミネーション(2018年12月18日)
■我孫子を文化で楽しくしたい(2018年12月19日)
■高林さんの公開フォーラム準備委員会(2018年12月22日)
■カフェサロン「人はなぜ巡礼に向かうのか」の報告(2018年12月22日)

■サロン「私はなぜ湯島でサロンをやることになってしまったのか」(2018年12月16日)
「私はなぜ湯島でサロンをやることになってしまったのか」をお話しさせてもらうサロンには20人を超える方が参加してくださいました。
私のことを、「新興宗教の人」とか「某国の諜報機関の人」とか、「謎の人」と思っている人もいたようで、私の正体を見極めるために来たという人も複数いて、私としては大いに反省させられました。
私ほど自らを開示していて、「謎」とは無縁な人はいないと自負しているのですが、疑いをもたれるような生き方をしていたようで、反省しなくてはいけません。
念のために言えば、もちろん私は新興宗教や諜報機関とは無縁です。

テーマに関していえば、いろんな人が一人の人間として心を開いて触れ合う場こそが、私が目指している、「誰もが気持ちよく暮らしていける社会」を実現するためには、「一番効果的」だと思っているので、サロンを続けているという話をさせてもらいました。
サロンを始めた経緯も含めて。
デモや革命や壮大な思想よりも、信頼し合える人のつながりが育っていくことが効果的だというのが、私が50年以上かかってたどり着いた結論なのです。
それで社会は変わるのか、という指摘も受けましたが、むしろ、それ以外では変わらないというのが私の考えなのです。
もっともそんな「ゆるい方法」ではすぐには変わらないでしょう。
でも50年か100年たてば、変わるかもしれませんし、それでも変わらなければ、その方法は間違っていて、きっと誰かが別の方法で変えていってくれるでしょう。
そう確信していることが、「私が湯島でサロンを続けている」理由なのです。
残念ながら、参加者のみなさんにはあまり納得してもらえなかったかもしれません。
しかし、社会は「変えるもの」ではなく、「変わるもの」なのです。
そして社会は私も含めてみんなでつくっているものですから、たとえばその一部である私が「変われば」当然ながら私が変化した分だけ社会は間違いなく変わるのです。
その信念で私はこの30年生きてきています。

最近の私の活動を紹介しながら、こうした話をさせていただきましたが、そこにいろんな問題提起を含ませてもらいました。
たとえば、みんな「たこつぼ」生活をしていませんか。
たとえば、社会は「公と私」で構成されているわけではなく、もうひとつの社会があること。
たとえば、「コモンズ(共有地)の悲劇」は問題の捉え方が間違っていること。
たとえば、社会問題を各論的に解決しようとするところに問題があるのではないか。
たとえば、稼ぐこと(労働)と働くこと(仕事)は違うのではないか。
たとえば、働き方改革ではなく生き方を問いなすことが必要なのではないか。
たとえば、自分にできる「変える」対象は、自分だけではないのか。
そして、過去生や来世を想定して生きれば、子孫や先祖のことが視野に入ってきて、目先の私欲に惑わされるような生き方ができなくなるのではないか。
などなどです。

どれか一つにでも引っかかってもらえればと思いながら、全体としては、全体を起点に考える時代は終わり、個人を起点にした社会や組織を目指す時代が来たことを伝えたかったのです。
そしてそのためには、みんな「自分」をしっかりと生きるのがいいのではないかと。

最後に私の未来の話とサロン以外の話もほんの少しだけ話させてもらいました。
これは私にはとても重要な話ですが、参加者には蛇足だったでしょう。

話し終わった後に3つの問いかけをさせてもらいました。
Q1:みなさんの仕事はなんですか? (稼ぐ労働のことではありません)
Q2:みなさんの一番の資産はなんですか? (お金だけが資産ではないです)
Q3:いま幸せですか? いつ幸せになるつもりですか? (明日はないかもしれません)

これに関して話し合ってほしかったのですが、むしろ違う話に転じてしまいました。
まあそれが湯島のサロンの特徴なのですが。

厳しい指摘も受けました。
内容が盛りだくさん過ぎて、受け止めにくかった。
佐藤さんは社会を変える意図はないのだと思った。
いずれも正しいですが、こういう発想をやめていこうというのが私の姿勢なのです。
簡単に言えば、一人称自動詞で生きようというのが私の信条です。
佐藤さんは犬型ではなく猫型だという人もいましたが、犬にもたぶん私型の犬もいるでしょう。
私は猫も犬も一括して捉えることができないのですが(血液型や国民性も私にはあまり受け入れられません)、犬も猫も、外国人も、それぞれに個性がありますので、そうした「個性」と付き合い生き方を大切にしたいと思っています。
参加者の一人は、私のことを「我慢強い人」と言ってくれましたが、一方で、私は「わがままな人」だと言った人もいるような気がします。
たぶんいずれも、その人にとっては正しいでしょう。

小学校時代の同級生の女性や会社時代の後輩から私に関するエピソードが紹介されました。
一つは私の悪い性格、一つは私の良い性格のようでしたが、いずれも私の記憶には全くない話でした。
人間の過去はどうも自分と他者とでは違うようです。

最後に、このサロンの報告は本人がまとめるのかと質問がありました。
サロン主催者としての責務であり特権かなと思っていましたので、「はい、私が自分に都合のよいようにまとめます」と答えましたが、参加者でもし報告をしてくれる人がいたら、もちろん大歓迎です。
まったく違った報告になるかもしれません。

それにしても長い私の話を我慢強く聞いて(読んで)くださったみなさんに感謝します。
なお当日の話はいつものように近藤さんが録画してくれましたので、メーリングリストのメンバーには公開させてもらうかもしれません。
そこにたぶんパワーポイントが出てきますので、お時間が許せば、それを見てもらえればと思います。
よほどお暇であればですが。

少なくともあと3年は湯島のサロンは続けたいと思っています。
まだ買っていないですが、明日にでもたぶん宝くじを買う予定なので、当たったら「みんなの喫茶店」を開いて、そこで最期を迎えたいと思っています。
葬儀を頼む人ももう決めました。

ちなみに言い忘れましたが、今回のサロンは熊本の宮田さんがわざわざ送ってくれたコスタリカのコーヒーでした。
宮田さん、ありがとうございました。

■ドラッカーとちょこ案(2018年12月18日)
ドラッカーの経営思想の普及に取り組んでいる村瀬さんと「ちょこ案」という独自の現場改善から会社を変えていく活動に取り組んでいる柿内さんのお引き合いの場をつくりました。
異質な活動をつなげるとあたらいい物語が創発されていく体験はこれまでもいろいろとあります。
今回も見事に面白いプロジェクトがスタートしそうです。
思いの深い人がつながる現場に居合わすのは実に刺激的です。

■あけぼの農業公園のイルミネーション(2018年12月18日)
娘家族たちが近くのあけぼの農業公園のイルミネーションを見に行くというので、それに付き合いました。
久しぶりのあけぼの公園、久しぶりにイルミネーションでした。
孫は楽しんでいましたが、私は寒くて凍えそうでした。

■我孫子を文化で楽しくしたい(2018年12月19日)
我孫子にはたくさんの文化資源があります。
自然資源も多いです。
そうしたものを新しい視点で活かしていけないか。
そんな思いを持っているのですが、同じような思いを持っている林さんと海津さんをお引き合わせしました。
来年からゆっくりと、「我孫子の文化を楽しむサロン」のようなものを始められればと思っています。
さて仲間をもう少し増やしていければと思っています。
来年の地元の活動の柱が決まりそうです。

■高林さんの公開フォーラム準備委員会(2018年12月22日)
2月5日に衆議院議員会館で、京都の高林さん(NPO法人認知症予防ネット前代表)に来てもらった、「みんなの認知症予防ゲーム」の体験フォーラムを開催しますが、その実行委員会を開催しました。
フォーラムと並行して、高林さんのゲーム極意を映像に記録しておく予定ですが、今回はその大きなスキームを議論しました。
これを契機に、ほっとスマイルプロジェクトを緩やかな組織化へと向かわせようということにしていますが、どれだけその主旨がみんなに伝わっているかいささかの不安があります。
まあしかし動き出せば、きっと動き出すでしょう。

■カフェサロン「人はなぜ巡礼に向かうのか」の報告(2018年12月22日)
今年最後のサロンは、これまでも数回、湯島のサロンで巡礼の話をしてくれた鈴木章弘さんの「人はなぜ巡礼に向かうのか」でした。

いつもながらの心があったかくなるような話が満載でした。
鈴木さんが最近読んだエリザベス・ダンの「幸福学」には、幸福になる3条件として、「人との交わり」「親切」「目の前のことに集中」が挙げられていたそうですが、巡礼はそのすべてを満たしてくれると鈴木さんは言います。

「人との交わり」に関して言えば、巡礼は一人で歩いている人が多いので、お互いに声をかけやすいし、かけられやすいそうです。
それに、短時間のちょっとした話なのに、普段とは違って、素直に心に入ってくる。
鈴木さんによれば、巡礼で歩き出すと、いつもは閉じがちの心が開かれるのだそうです。
たった15分話しただけなのに、それぞれの国に帰国後、メールのやり取りで、数年後に会うことになった人も少なくないようです。

「親切」もたくさん経験できるようです。
それも、親切にされることはもちろん、どうも自らも親切しやすくなるようです。
無償の「お接待」を鈴木さんも受けていますが、たぶん鈴木さんも同じようなお接待を無意識のうちにしていることでしょう。

「目の前のことに集中」は、まさに巡礼での日常そのものだそうです。
次の宿を目指して、歩くことに専念し、雑念は消えていくようです。

これまでの巡礼で体験した、そうしたエピソードをいろいろ紹介してくれました。
つまりは、巡礼とは幸せそのものに身を浸すことのようです。

今回のサロンの鈴木さんのお話は、ユーチューブで公開させてもらうことにしました。
前半が鈴木さんのお話です。
https://youtu.be/3zgTyLTRK2Y

話し合いもいろいろありました。
東日本大震災の被災地に今も通っている参加者から、被災地でも巡礼での体験と同じような経験をすることが多いという発言がありました。
私も同じような体験をしたことがありますが、被災地もまた聖地になるのかもしれません。
「災害ユートピア」という状況も生じることもよく報告されています。
かつての農村にはそんな状況が残っていたような気がするという発言もありました。

話し合いもユーチューブに含めましたので、ご関心があればどうぞ。

ひとつだけ気がついたことを紹介します。
サンティアゴ巡礼は、目的地がサンティアゴ大聖堂と決まっています。
その途中にも教会や聖地はあるのでしょうが、基本は大聖堂に向かっての「道」を歩くことです。
それに対して、四国遍路は、各地のお寺をめぐることが目的です。
目的地を目指して歩き続ける巡礼と目的地を訪ね歩くことで満行となる巡礼。
その違いにちょっと興味を持ちました。

レジメに鈴木さんは、こんなことも書いていました。
巡礼者の精神を持つと人は変わるのではないか。
たとえば、「心が洗われ、身体から毒素が抜ける」「とらわれや思い込みに気づく」「笑顔になる、元気になる」「自分を再発見し、人生に新しい視座が生まれる」「内面が変わり、人生が変わる」というわけです。
たぶんこれは、鈴木さんの体験そのものなのでしょう。

最後に鈴木さんは、サンティアゴ巡礼の途中のスペインの教会におかれていた「巡礼への垂訓」に書かれていた文章を紹介してくれました。
「巡礼はコミュニティを生み出します。他者を受け入れるコミュニティを。他の人がどう旅路を歩いているかに興味を持つコミュニティを。お互いに与え、受けるコミュニティを」。
これを聞いて、ちょっと巡礼に出かけたくなりましたが、湯島は巡礼宿のようなものだから佐藤さんは巡礼に行かなくてもいいと言われました。
それに、行くべき人は自然と招かれるとも聞いたことがありますが、残念ながら私はまだ招かれていないのです。
招かれたら出かけるつもりですが、早く招かれないと体力が対応できなくなるかもしれません。
今生では招かれないかもしれませんが、今回、鈴木さんの話をお聞きして、巡礼者の精神を少しだけ分けてもらえました。
来年はいい年になるでしょう。

(2018年12月第2週)
■パソコン救援(2018年12月9日)
■ほっとスマイルプロジェクト(2018年12月11日)
■兄との会食(2018年12月12日)
■村瀬さんと千葉さん(2018年12月13日)
■中下さんとのミーティング(2018年12月15日)
■全国マイケアプラン・ネットワーク例会(2018年12月15日)

■パソコン救援(2018年12月9日)
パソコンがダウンしたことを知って、坂谷さんが救援に来てくれました。
坂谷さんには、これまでも何回もパソコンを直してもらっています。
しかし今回はかなりの重傷です。
いささか無茶な使い方をしてしまったようです。
困ったものです。
ついでにノ−トパソコンのメモリーアップをしてもらい、当面はこれを使うことにしました。
デスクトップパソコンはハードデスクを入れ替えないとだめのようです。
デスクパソコンは、私の相棒なような関係なのですが。

■ほっとスマイルプロジェクト(2018年12月11日)
ほっとスマイルプロジェクトで、来年2月5に公開フォーラムをやることを最終的に決定しました。
100人の集客ができるかどうかいささか不安があります。
信頼できる仲間での取り組みならば、何の心配もないですが、今回は人tに症予防下^無の実践者たちの集まりが主体です。
でもまあやると決めたらやらないわけにはいきません。
さてさてどうなりますか。

■兄との会食(2018年12月12日)
年末も近づいたので、兄と会食しました。
なかよくと思いながらもやはり性格の違いは如何ともしがたいものがあります。
お互いにわがままで出るからでしょうか。
困ったものです。

■村瀬さんと千葉さん(2018年12月13日)
介護関係の活動をしているコレカラ・サポートの千葉さんとドラッカー経営思想の普及者村瀬さんとが会うことになり、私も同席させられました。
陪席にはずが、いつもながらまたいろいろと口を出してしまいまし。
横で聞いていて、なかなかつながらない気がしたからです。
でもまあ、何かが始まるでしょう。
異質な活動がつながると必ず新しい物語が創発していくのが、成り行きですから。

■中下さんとのミーティング(2018年12月15日)
来年の葬儀社立上げに関して、中下さんと話し合いました。
世代も育ちも違う2人が思いをシェアするのはそれなりに時間が必要です。
ミーティングを繰り返してきたおかげで、かなり世界をシェア出来てきたような気がします。
やはり時間は大切です。

■全国マイケアプラン・ネットワーク例会(2018年12月15日)
全国マイケアプラン・ネットワークの例会に参加させてもらいました。
私はメンバーではないのですが、立ち上げ時にささやかに応援をさせてもらいました。
このグループは、介護保険のケアプランを自分で作ろうという利用者と家族、および賛同者のネットワークですが、介護保険のケアプランを自分たち(要介護者や家族)で「自己作成」することを広げていこうと活動に長年取り組んでいます。
詳しい内容はホームページをご覧ください。
http://www.mycareplan-net.com/

ホームページにも書かれていますが、ケアプランづくりをケアマネジャーに任せるかどうかが一番の問題ではありません。
なにがなんでも「自己作成」というこだわりはないのですが、ただ自分たちの問題なのだからしっかりと当事者意識を持ってケアプランづくりに主体的に取り組もうということを大切にしているのです(私の解釈なので間違っているかもしれません)。
ですから、介護保険のケアプランというよりも、もっと広義な「ライフケアプラン」発想を広げていこうとしているのです(これも私の解釈なので間違っているかもしれません)。

私が関わらせてもらったのは、その立ち上げ時ですので、もう15年以上前です。
途中でも一度、研究会に参加させてもらったので、順調に進んでいるなと思っていました。
その時、私は「介護の社会化」は「介護の市場化」なのではないかと話させてもらいました。

久しぶりに例会で、現状の様子を実感しました。
あれ!っと思いました。
全国マイケアプラン・ネットワークのがんばりにもかかわらず、どうもあんまり状況は変わっていないような気がしたのです。
いやむしろますますおかしくなってきているのではないか、とさえ思いました。
全国マイケアプラン・ネットワークが、ではありません。
社会の動き、がです。

このグループは、私が考えている理想的なグループのひとつだったのですが、時代の大きな流れには勝てないのでしょうか。
ちょっと気分的にへこんでしまいました。
NPO活動について、改めてまた少し考えてみようと思います。
私にできることが見つかるかもしれません。

ちなみに、全国マイケアプラン・ネットワークの代表の島村さんたちが書いた「ケアプランを自分でたてるということ」という本があります。
私のホームページでも紹介しています。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#100207
とても読みやすい本ですので、是非お読みください。
また例会には兵庫県からマイケアプラン研究会の北島さんも参加されていましたが、北島さんも「リアリズムの老後」(かもがわ出版)を出版されています。
副題が、「自分らしい介護とマイケアプラン」です。
またホームページでも紹介させてもらおうと思っています。

介護の問題は老後の話ではありません。
社会のあり様に繋がっている「みんなの問題」です。
来年、島村さんたちに湯島でサロンをお願いしようと思います。
まあ引き受けてくれるかどうかはわかりませんが。

(2018年12月第1週)
■コムケアサロン「家族の介護・相続に向き合う」(2018年12月2日)
■ちょっと不思議な話(2018年12月2日)
■今年最後の縁カフェ(2018年12月3日)
■花かご会のカレンダー(2018年12月4日)
■みんなの葬儀社コンセプト(2018年12月5日)
■カフェサロン「大家族主義経営を考える―個人と組織の関係」(2018年12月5日)
■高須さんの農業への関心(2018年12月7日)

■コムケアサロン「家族の介護・相続に向き合う」(2018年12月2日)


高齢社会の中で、私たちはもっと高齢期に起こりうるさまざまな問題にしっかりと向き合っていくようにしないといけません。
子育てへの関心は高まっていますが、高齢期の生活に対しては、老後の蓄え意識はあるものの具体的な課題に関する準備に取り組んでいる人はあまりいないような気もします。
そもそも問題が顕在化するまでは、問題さえ見えていない人も少なくありません。
老後の蓄えも、多くの人はお金で考えていますが、お金にできることには限界があります。
むしろ大切なのは、お金ではなく、たとえば人のつながりだったり、健康だったり、趣味や仕事(対価を得る仕事という意味ではありません)ではないかと思います。
問題が起こってからお金を使うと考えている人が多いですが、お金はむしろ問題を起こさないためにこそ使うべきです。
それにお金は、たとえば遺産相続に見るように、生活を乱す不幸を引き起こすことさえ、あります。

以上は私の私見ですが、こうした視点で地道な活動に取り組んでいる千葉晃一さん(一般社団法人コレカラ・サポート代表理事)に、高齢者を取り巻く様々な問題やそれを支援するさまざまな社会資源を紹介していただき、高齢者が生きやすい社会に向けてのヒントをたくさんいただいたサロンでした。
千葉さんは、高齢者の抱える問題の相談に乗る活動をしながら、一緒に問題解決に当たる仲間を増やそうとコーピング講座を広げていますが、お会いするたびに、千葉さんの考えや活動が進化しているのを感じます。
それは机上論ではなく、千葉さんが現場での実践を、問題に直面している当事者と伴走しながら考えているからでしょう。
高齢者の問題は、それぞれに人によって全く違いますので、理屈では対応できません。

冒頭にとても示唆に富む話がありました。
迷惑をかけたくないという相談者に対して、それは自分の視点であって、迷惑かどうかは相手が決めることではないかと千葉さんはお話しすることがあるそうです。
とても共感できます。
その一言に、私は千葉さんの相談の基本姿勢が象徴されているように感じました。
千葉さんが取り組んでいるコーピングとは「課題に向き合うこと」ですが、誰の視点で課題を捉えるかで全く違ってきます。

高齢者の生活の問題を千葉さんは5つに分けて捉えています。
経済的問題、健康の問題、住まいの問題、人間関係の希薄、そして生きがいの問題です。
コレカラ・サポートでは、こうした5つの面を踏まえて、高齢者と伴走しながら支援しています。
大切なのは、それぞれの問題を各論的に捉えるのではなく、全体をつなげながら捉えていくことです。
しかし、ひとりの人間ですべてに対応することは難しい。
それでそれぞれに得意な人たちのゆるやかなネットワークを活かしながら、伴走支援をしているのですが、そのためにはある特別の問題に詳しいだけではなく、5つの問題を含む全体がある程度見えていることが大切です。
そして問題に応じて、その人に一番ふさわしい相談相手を見つけていくという、コーディネーター的な役割を果たせる人を増やしてくことが、千葉さんの望んでいることです。
場合によっては、問題を抱えている人が、自分の体験を誰かの問題解決のために活かしていくことができれば、まさに「支え合う社会」へと近づきます。

こう考えていくと、千葉さんたちが目指しているのは「信頼できる人のつながり」を育てていくことと言えるでしょう。
これはまさにコムケア活動や湯島のサロン活動の理念でもあります。

千葉さんは、もうひとつ、すでにある様々な社会資源や社会制度を活用するためにも、そうした知識を身に着けておくことが大切だといいます。
問題が発生してからでは遅いので、日ごろからアンテナを張っておくこと、あるいはそうしたことをよく知っている人とのつながりをつくっておくことが大切だというわけです。

こういう話をしてもらった後、参加者での話し合いが始まりました。
今回とてもよかったと私が思ったのは、ある特定の人の具体的な問題が開示されたのを契機に、千葉さんだけでなく、参加者みんながその人の問題を一緒に考えアドバイスし合ったことです。
いつかまたその人から報告があるかもしれません。

高齢社会は、みんなが支え合う社会ではないかと私は考えていて、25年ほど前に「早く来い来い、高齢社会」という小論をいくつかの研究所の機関誌に掲載したことがあります。
みんながコーピングの力をつけていけば、社会はとても住みやすくなる。
今回のサロンで、改めてそう思いました。

なお千葉さんたちがやっているコーピング講座については千葉さんにお問い合わせください。
また今回のサロンの話は、改めて映像記録を制作することも考えていますので、またもし制作できたらご案内させてもらいます。

■ちょっと不思議な話(2018年12月2日)
ちょっと不思議な話です。
一昨日、サロンを終えて帰宅したら柏に住むKさんからメールが届きました。

佐藤さーん!
こんばんは
今しがた、歯医者の帰り道、佐藤さんの後ろ姿を発見しました。
佐藤さん達は快速に乗り換える所だったので、そのままお声がけもせずに、失礼致しました。

なにげなくそうでしたかと返信したのですが、今日、読み直して、あれっと思いました。
柏で私は乗り換えていないのです。

そこでKさんに、私が柏を通過したのは6時少し前ですが、とめーすしたら、まさにその時間ですと彼女から返信がありました。
乗り換えていないのですが、返信すると、Kさんから「何度かしっかりと横から、確認していたので、佐藤さんだ!やっぱり!と思っていたのですが」と再返信。
おやおや。

そういえば、以前も私がいたはずのないところで私に会ったという人がいました。
もっと不思議なのは、私と知り合う前に私に会った人さえいます。
いずれの場合も話はしていないのですが。

というわけで、もしかしたら、私は時々、身体を抜け出して、どこかに出かけているようです。
Kさんが私に会った時には、柏の各駅止まりの千代田線の電車に乗っていましたが、その時に千代田線を降りて快速電車に誰かと一緒に乗り換えた私がいたようです。
さて私は誰とどこに行ったのでしょうか。
私と一緒に柏駅で電車を乗り換えた人がいたら、ぜひご連絡ください。

そういえば2か月前からなんだか気力が抜けてしまった気がしていましたが、もしかしたら私は2人に分割してしまったのかもしれません。
記憶力が低下したのも、もしかしたら記憶の半分を私の片割れが持って行ってしまったのかもしれません。
困ったものです。
どこかで私に会った場合、もしかしたらそれは私ではないかもしれないのでご注意ください。
そしてぜひまた私に戻ってくるようにお伝えください。

■今年最後の縁カフェ(2018年12月3日)
今日の縁カフェのお客さんは6人でした。
閉店間際にやって来たお客さんがいて営業時間は1時間延びましたが、最初のお客さんが私の昼食も持ってきてくれたので、超過勤務も無事勤め上げられました。
仕事をやっている人もいましたが、宗教社会学専攻の人が来たため、宗教論が多かったです。
巡礼者や寺社参拝マニアもいたので、ゆっくりと休む間もなく、論争が続いていました。
縁カフェ基金は24000円。ちりも積もれば、です。
でもまだ喫茶店開業にはちょっと足りませんが。

■花かご会のカレンダー(2018年12月4日)
常磐線の我孫子駅南口の花壇は、花かご会というボランティアグループが整備しています。
その立ち上げに少しだけ関わらせてもらったおかげで、いまも少しつながりがあります。
来年のカレンダーができたと言って、代表の山田さんが今年も届けてくれました。
メンバーの手づくりです。
最近はメンバーも高齢化してきて作業も大変なようです。
若い世代が参加してくれるといいのですが。
メンバーは比較的高齢者が多いですが、みんな花好きの素晴らしくいい人ばかりです。
もし参加したいという人がいたらご連絡ください。
山田さんに紹介します。

■みんなの葬儀社コンセプト(2018年12月5日)
中下さんと相談している、大きな意味での葬送を考えるプロジェクトの一つとして、実際に葬儀にもかかわるような事業体を検討しています。
仮にその名前を「みんなの葬儀社」にしました。
実際にそうした名前で活動している事業体は多いようなので、いまのところはあくまでも仮名です。
大切なのはコンセプトとビジョンです。
それに関してもミーティングを持ちました。
少しずつ形が見えてきました。
近いうちに発表できると思います。

■カフェサロン「大家族主義経営を考える―個人と組織の関係」(2018年12月5日)
久し振りの企業経営をテーマにしたサロンは、今回は徳島にある西精工株式会社の事例をベースにして、個人と組織の関係を考えるサロンでした。
西精工は、「ホワイト企業大賞」や「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」などを受賞し、「人間尊重型経営」で成果を上げていると話題になっている会社です。
最近、西精工の経営を紹介した「人間性尊重型大家族主義経営」(内外出版社)を編集した上本洋子さん(自在株式会社)に、同社の紹介をしてもらいました。
西精工の現場にも行ったことがある内外出版社の関根さんも参加してくれました。
最初に先ず、上本さんから西精工の紹介をしてもらいました。

社長の西さんは、東京の広告代理店で働いていましたが、会社の後継者候補だった従兄弟が病気で急逝したため、急遽、会社を継ぐことになり、徳島に戻りました。
入社してわかったことは、業績はいいものの職場風土にいろんな問題があることでした。
どうにかしなければと思っている矢先、西さんご自身が腎臓病になってしまい、1年間の闘病生活を余儀なくされてしまいます。
病気回復後、会社の中の気の流れを変えたいと決意し、掃除や挨拶からの風土改革を始めたものの、なかなか思うようにはいきません。
そしてさまざまなドラマが始まっていくのですが、これはぜひ本を読んでください。

同書には前半で、西精工と重ねながら最近話題の「ティール組織」のことが紹介されています。上本さんは、そのエッセンスも話してくれました。
「ティール組織」は話題になっているわりにはその実体がなかなかわかりにくい「組織モデル」ですが、個人と組織の関係を考える上では大きな視点を提起しているように思います。

上本さんのお話の後、話し合いが始まりました。
最初に私から、西精工の会社現場の雰囲気を質問しました。
本やテレビで描かれている話と実際の現場とは大違いの会社が少なくないことをこれまで何回も経験しているからです。
たとえば西精工では、毎朝1時間の朝礼が行なわれていますが、その雰囲気はどうなのか。
朝礼にも参加したことのある関根さんから即座に答えが返ってきました。
社員の表情が輝いていて、みんな楽しそうに話し合っていたというのです。
工場の雰囲気もとてもいいそうです。
本の記述と実態は違っていないことを、私は確信しました。
社員の顔は嘘をつかないからです。

本にも書かれていますが、会社を死に場所にしたいと言っていた社員の話に、そんな会社があるのだと驚いた人が一人ならずいました。
会社が、その人にとって、自分の生きがいを満たしてくれている場になっているということでしょう。
しかし、その一方で、そんなに会社べったりでいいのだろうかという違和感を持った人もいたかもしれません。
それではかつての「会社人間」と同じではないか、と。
そこで、「家族」ということの意味が話題になりました。

本のタイトルは「大家族主義経営」ですが、西精工社内では「家族主義」という言葉はあまりつかわれていないようです。
ここで「大家族主義」という言葉に込めた意味は、社員のことは家族の一員のように、最後までしっかりと面倒を見るとともに、仕事の上での上下関係を人間としての上下関係にせずにお互いに支え合う関係を大事にしようということではないかと思います。
「家族」という言葉には、拘束的な面や他者を排除するような面もないわけではありませんが、西精工にはそうしたことはないようです。
たとえば工場周辺の掃除にしても、ただ工場周りだけではなく、まちなかにまで掃除を広げているようですが、そこに象徴されるように、家族ファーストではないのです。
西さんの祖母の言葉が、とても示唆に富んでいます。
「社員さんが250人おったら、×(かける)4せなあかんのよ」。

西さんは、経営とはみんなの幸せを追及することだと考えています。
宮沢賢治の「世界ぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」を思い出します。
それは、同社の行動指針にも明確に表現されています。
そこで大切にされているのは、「つながり」とか「コミュニティ」です。
決して閉じられた「家族主義発想」ではないのです。

西さんは、主体者は社員で、社長はサポートする人だと言っているそうです。
そこには人を信頼して任せる、各人の常識に委ねる。
ここにも従来の家父長型の家族主義発想はありません。

西さんは、子どもの頃から本に囲まれて、たくさんの物語になじんで育ったそうです。
そのためか、自分を主役に物語を語ることになれている。
そして、社員と一緒に物語を語りながら、社員とコミュニケーションを深めていくようです。
物語を語れることは大切です。
社員一人ひとりが主役になる組織。まさに「ティール組織」が目指されています。

ティール組織に関する議論もいろいろとありました。
ティール組織の議論は、社会の状況に合わせて組織の構成原理も変わっていくという話ですが、いまの日本の社会や人間は変わってきているのだろうかという話もありました。
上本さんは、朝の通勤時の電車の様子を見ると人間の質も上がっているのではないかと言いました。

西精工のような、人間の生活をつなげる「人間尊重型」の経営は、どこでも実現できるのか。
参加者からは、徳島という地域の特性とは無縁でないかもしれないという意見が出ました。
東京と地方の会社に関わっていて、そう実感されているようです。
上本さんも、四国という土地柄が関係しているかもしれないと言います。
まさにティール組織論が言うように、社会の状況が組織のありようを決めていく。
同時にまた、組織のありようが社会のありようを決めていくのかもしれません。

企業は社長の経営観や価値観で変わってくるという発言の多かったです。
西さんの経営観は、どこで培われたのか、もしかしたら1年間の入院生活が何らかの影響を与えているのか、という話も出ました。
人は世界の広さによって、経営観も変わってきます。
大病経験が西さんの経営観を豊かにしたのかもしれません。
障害を持つ社員がいるおかげで、経営に関する考え方も広くなったという参加者の発言もありました。

まだまだいろんな話が出ましたが、長くなりすぎたので、これでやめます。
上村さんが、時々ポツンとつぶやいた言葉が私にいろんなことを考えさせてくれました。
経営者からの話も示唆に富むことが多いですが、編集者から企業のことを聞くことの意味がよくわかりました。

いつもながら、私の関心に合わせて報告させてもらいました。
個人と組織(会社には限りません)をテーマにしたサロンは、来年も続けます。

■高須さんの農業への関心(2018年12月7日)
久しぶりに高須さんと会いました。
高須さんは、いつか農業に取り組みたいと考えていますが、今は仕事が忙しくなかなか時間が取れないようです。
最近は海外への出張も少なくなり、国内にいることが増えたので、農業編取り組みへの関心もまた高まっているようです。
今日は宿題をもらいました。
酒米の種がほしいというのです。
どなたか分けてもらえませんか。

それにしてもいつも意欲的です。
今日もエヴィーバで食事をしました。

(2018年11月第4週)
■個人と組織の関係を考える研究会シーズン2終了(2018年11月25日)
■カフェサロン「日本列島「法」改造論」(2018年11月26日)
■畑開墾作業(2018年11月28日)
■1時間前後の電話を3人から受けました(2018年11月29日)
■中下さんが篠田さんを引き合わせてくれました(2018年11月30日)
■孫作人の畑デビュー(2018年12月1日)

■個人と組織の関係を考える研究会シーズン2終了(2018年11月25日)
個人と組織の関係を考える研究会のシーズン2の最終回は、最近話題の「ティール組織」を取り上げました。
この本の主張は、要するに組織の構造原理がまた変わりだそうとしているということだと私は大きくとらえています。
多分その予兆は、1980年代から日本でも広がりだしていました。
私にとっては、会社時代からのテーマで、いわば私が会社を辞めたこととも無縁ではありません。
その変化軸は、「組織基点発想」から「個人基点発想」です。
当時は私もまだ会社にも関わらせてもらい、講演などもしていましたが、その時につかったパワーポイントや私のホームページのメッセージにはそうした思いが残っています。
しかし、2000年に入ってからまたベクトルは急速にもどってしまいました。
そして組織から人がいなくなりだしたような気がします。

クローズドの研究会は終わり、これからは開かれたスタイルに変えていくことにしました。
緩やかな「個人と組織の関係を考える研究会」をコアにして、情報発信したり、研究会を呼びかけたり、サロンをしたりなどしていくことになりました。
フェイスブックでのグループも立ち上げる予定です。

このテーマに関心のある人がいたら、ご連絡ください。
当面は私と林さんが事務局的な役割をすることになりそうです。

■カフェサロン「日本列島「法」改造論」(2018年11月26日)
神戸大学名誉教授の行政法学者・弁護士の阿部泰隆さんをお迎えしての「日本列島「法」改造論」は13人が参加し、3時間を超える長いサロンになりました。
阿部さんの話は、なぜ自分が大学に残って教授になったのかという話から始まりました。
大きな志や日本を変えたいと思ったのか、と一瞬、期待した人もいたでしょう。
しかし、阿部さんは、子どもの頃からぜんそくがひどかったので、働きやすそうな大学に残ったのだというのです。
こんな感じで、聞く人の期待に肩すかしを食わせながら、聴く人を飽きさせない、そのくせ、メッセージしたいことはきちんとメッセージするというスタイルで、前半は笑いにあふれた阿部さんの独演会でした。

もちろん漫談だけやっていたわけではありません。
最初に挙げたのが、来年の「10連休」への疑問。
阿部さんは、一体だれが喜ぶのかと言います。
そしてそれによる弊害を、死者が増えるかもということも含めて、具体的に話されました。
つづいてさまざまな「おかしなこと」が縦横無尽になぎ倒されていきました。

しかしただ、個別問題を批判しただけではなく、その根底には現在の行政のおかしさへの本質的な問題提起がこめられていました。
まず阿部さんが指摘したのは、行政の法的安定性についてです。
日本は法治国家ですので、法律の安定性が保証されていなければいけません。
そのためには、法そのものが安定しているとともに、法の運用者である行政の恣意的な解釈や適用があってはなりません。
もちろん形の上ではそうなっていますが、阿部さんは、それは「神話」だというのです。

法は国民のためにあると言われますが、果たしてそうなのか。
法の安定性に関しては、官民不平等になっていると阿部さんは言います。
たとえば税金納入の過不足の是正に関しては、国民と行政では平等ではないし、さらに行政の都合で法は変えられる。それに行政を正す立場にある司法の独立性は、日本では制度的にも保証されていないことを説明してくれました。日本の法は誰のために運用されているのか。
法が整備されれば法治国家になるわけではありません。
そこをしっかりと考えていかなくてはいけない。

問題は行政だけにあるわけではありません。
私たち一人ひとりにもある。
阿部さんは、自分で考えることが少なくなっているのではないかと問いかけます。
偉そうな人(たとえば自分を含めた大学教授や官僚など)が言ったからと言ってそのまま信じてはいけない。
通説と言われるものも疑わなければいけないと阿部さんは言います。
疑うことから考えることがはじまり、自分の判断力が生まれていく。
与えられたことを、考えもせずに受け入れてしまう国民性。
行政が勝手なことをやってしまう一因は、国民である私たち一人ひとりがちゃんと考えないからかもしれません。

ちなみに、阿部さんは、法学者としての自分の使命を次のように考えています。
日本の社会はいま何が問題なのか、その問題解決のためにどういう法制度を整えたらいいのか、法制をどう動かしていったらいいのかを考え、それを提案し実現していくこと。
そのためには、まずは通説や常識を「疑うこと」です。
何事にも、「なぜか」という問いを忘れない。
阿部さんは、疑問に思うことを大切にしています。

そうしたことを根底に置きながら、阿部さんはさまざまな問題を語ってくれました。
国の戦争責任から「女子トイレを増設せよ」「相撲の土俵の下にマットレスを」などといった話まででました。
阿部節を体験されたい方は、阿部さんの著書「日本列島「法」改造論」をぜひお読みください。
「逆転の発想による法改革」によって、日本を変える提案が満載です。

話し合いでもさまざまな話題が出されました。
最初の質問は、住民訴訟に関する質問でした。
ほかにもいろんな質問が出ましたが、阿部さんは、法治国家の本質のような内容まで含めて、専門的にとてもわかりやすく解説してくれました。
学校教育の話も盛り上がりましたし、日本人の国民性の話もでました。
あまりにいろんな話題が出たので私の記憶容量の限界を超えて思い出せませんが、帝国を過ぎてもなかなか終わらないほど、にぎやかな話し合いでした。

誰がこんなおかしい社会にしてしまっているのか、という話もあり、それへの回答も、阿部さんからも含めて出されました。
しかし、最後に阿部さんは、もっとみんなが行政の実態を知り、自分で考えていかなければいけないと話しました。
今回のサロンに参加した人の多くは、それぞれにそうした活動に取り組んでいる人ですが、もっと横につながっていくことが大事だなと改めて思いました。
そこにこそ、湯島のサロンの意味はあるのですが。

阿部さんの体制批判は、実に具体的で何よりも明るいのです。
そこに阿部さんの人柄が出ています。
後で感想を送ってきた人は、「文楽や志ん生の落語を聴いた後のような、すっきりとしたにごりない喜びを感じました」と言ってきました。
面白い中にも、いろいろと考えさせられるサロンでした。
こうした、明るく楽しい雰囲気で政治や行政や法の問題を話し合う場がもっと増えていくといいなといつもながら思います。

ところで、参加したほとんどの人が、阿部さんの話にほぼ同感ですと感想を言っていました。
しかし、そこにこそ、大きな問題があるのではないかと、いささか天邪鬼の私は思います。
いろいろと主張の多いはずの参加者が、一様に「ほぼ同感」だといい「すっきりした」といい、阿部さんの話に共感してしまう。
自分ではまだあんまり考えていない大学生たちなら、もっと納得してしまうのではないか。
阿部さんの話を聞く私たちも、阿部さんと同じく、もっと「疑う」こと(阿部さんの意見への疑いを含めて)を大事にしなければいけません。
ちなみに阿部さんは、あることを批判する時にも、絶対的な口調ではなく、自分はそう思うがというような謙虚な話しぶりでしたし、話の最初に自分の権威(高名な大学教授)を意図的に壊すような話を語ってくれていました。
それにもかかわらず阿部さんの話にあまり異論が出なかったのが、ちょっと心残りでした。
阿部さんの考えとあまりにも参加者の波長が合ってしまったのかもしれません。
それはまたそれで、問題かもしれません。

■畑開墾作業(2018年11月28日)
今日は天気がいいので、また畑に行って小作人作業をしてきました。
あっという間に時間がたちます。
道を通る人から「きれいですね」と声を2回かけられましたが、花壇は相変わらず見るも無残で、決してきれいではないので、なかなかきれいにできませんと弁解しています。
最近は畑の開墾作業が一番好みです。

篠笹の根っこを切っているのですが、今日はふと、これももしかしたら篠笹にも役立っていることかなと気づきました。
根茎を場合によっては15センチくらいまで鎌や鍬で切るのですが、たぶん私が切れる範囲は彼らにとっては、床屋さんに根っこを整理してもらうくらいな感じかもしれません。
そう思ったとたんに、殺生ではないと思えてきました。

にんにくが芽を出してきています。
ニンジンは元気です。菜花はさらに増やしました。
キャベツは1本は青虫に食べられ1本はなぜか丸くなりません。
まあキャベツは青虫用にしましょう。

今日も葵を3本移植しました。
来年に向けて着々と作業は進んでいます。

今日はちょっと頑張りすぎて、家に帰る途中で倒れそうでした。
孫が来ましたが、遊ぶ元気が出てきません。
困ったものです。

■1時間前後の電話を3人から受けました(2018年11月29日)
昨日と今日とで3人の人から長い電話を受けました。
いずれも1時間前後です。
私は電話は苦手なのですが、とりわけ長い電話が苦手です。
もっとも横で聞いている娘から、長くしているのはお父さんのせいでないかと言われたことがありますので、私が原因での長電話かもしれません。
しかしともかく疲れます。
相手の表情が見えないのが、その原因です。

それはそうといずれもちょっとした複雑な問題の相談です。
まあ一人はパソコン操作の電話を通した相談でしたが。

今日はおかげで畑に行きそびれてしまいました。
ちょうど時間ができたので出ようと思っていた矢先でした。
そのため畑作業の続きができませんでした。
残念無念。
明日は時間が取れそうもありません。

■中下さんが篠田さんを引き合わせてくれました(2018年11月30日)
最近、友人の中下さんの影響もあって、葬儀に対する関心を高めています。
死の視点から生を考えるゆるやかなプロジェクトも中下さんたちと一緒に立ち上げていますが、今日は中下さんが、長年、墓石や墓所づくりに取り組んでいる篠田さんを引き合わせしてくれました。
それも、私の娘の連れ合いがやっている柏のイタリアン・トラットリア“エヴィーバ”まで来てくれての会食でした。
娘の伴侶のシェフからは1年振りだと叱られましたが、久しぶりのエヴィーヴァ料理はおいしかったです。
でもそれ以上に、篠田さんとの出会いはうれしい出会いで、初対面にもかかわらず、お互いにすぐに共感するところがありました。
お墓の大切さが、最近ようやくよくわかってきました。

来年はぜひ湯島のサロンで「お墓」をテーマに、篠田さんにサロンをやってもらおうと思います。
ちなみに、12月2日の午前9時半から11時までの予定で、湯島で「なかなか訊けない葬儀に関するQ&Aサロン」を開催します。
完全な公開サロンではありませんが、ご関心のある方は私にお問い合わせください。

来年は、私も葬送に関わるプロジェクトを立ち上げていこうと考えています。
そしてその活動(葬儀)の最初の予約客になろうと思っています。
まあ、だからと言って急いで死ぬわけではありませんが。
もし予約したいという方がいたらご連絡ください。
お墓に入った後も、しっかりとつながりが育っていくような葬儀を目指しています。
彼岸と此岸をつないでいくのは、簡単ではないかもしれませんが。
新しい葬送を考えるサロンも予定しています。
もちろん実際に葬儀をしたい方の相談も受け付けます。
詳しくはまたご案内できる時が来ると思います。

死を要に置いて生を考えていくと、自らの生き方や社会の仕組みの問題が見えてきます。
福祉の終着点は、死かもしれません。
さまざまなNPO活動や福祉活動に関わってきて、今はそう思いだしています。

■孫作人の畑デビュー(2018年12月1日)
孫が来たので、畑に行ってニンジンを掘りにつれていきました。
孫の畑初デビューです。
残念ながらニンジンはまだあんまり大きくなっていなかったので、あきらめました。
大根やニンジンは土中にあることを見せたいと思ったのですが、
木から落ちていたミニトマトが畑にいくつかまだ腐らずに残っていました。
孫はそれを目ざとく見つけて、拾っていました。
トマトも土中に育つという間違った記憶を植え付けてしまった恐れがあります。
子どもの教育は難しいです。はい。

畑というよりも荒地に近いので、歩くのも危ない状況です。
それで畑のはじっこにある柚子の木になっている柚子をとりました。
孫は感激していました。
来年は小作人の手伝いをする孫作人にしたいので、これから畑になじんでもらおうと思っています。
娘には反対されるでしょうから、まずは本人を味方にしなければいけません。



(2018年11月第3週)
■カフェサロン「『ホモ・デウス』が予告する政治の未来と民主主義」(2018年11月18日)
■畑を2畝つくりました(2018年11月20日)
■カフェサロン「お寺の跡取り息子の宗教観」(2018年11月22日)
■パソコン修理(2018年11月23日)

■カフェサロン「『ホモ・デウス』が予告する政治の未来と民主主義」(2018年11月18日)
話題の本『ホモ・デウス』が展望している近未来を踏まえて、「AIと民主主義」をテーマにしたサロンを、リンカーンクラブとCWSコモンズ村の共催で開催しました。
『ホモ・デウス』でのメッセージは簡単なメモにまとめて当日配布しました。

かなり主観的なまとめですが、こういう流れで整理しました。
@ 認知革命によって「ホモ・サピエンス」が生まれた(「サピエンス全史」)。
A ホモ・サピエンスは創造主の神から解放されて、人間至上主義教(ヒューマニズム)を生み出し、自分たちの王国をつくりだした。
B 自我の誕生により、「人間」は「個人」として自立し、「個人の尊厳」「人権意識」という考えが生まれた。
C ホモ・サピエンスによるAIの創造により、人間中心の世界観はデータ−中心へと変化し、民主主義や個人の尊厳は意味を失う。
D ホモ・サピエンスの一部は、種としてのホモ・デウスへ進化し、進化しそこなったホモ・サピエンスは消滅する。
少し詳しいメモは次のサイトにあります。
http://cws.c.ooco.jp/hd.htm

それに基づき、参加者で自由に話しあいました。
あまりにも話題は多岐にわたったので紹介は難しいですが、極めて主観的に出た話題を列記します。

Amazonがその人に合った本を推薦してきてくれるように、自分以上に自分のことを知っているAIが自分に最もふさわしい候補者を推薦してくれる。
そうだとすれば、そもそも選挙も代議士もいらないのではないか。
AIが中心となる社会の議員の役割は今とは全く違うのではないか。
そういう状況では「民主主義」や「個人の尊厳」はどういう意味を持つのか。
そもそもAIにとって人間は必要な存在なのか。

1%と99%の人間の対立の中で、AIはどちらに味方することになるのか。
対立の構図は、人間対人間ではなく、人間対AIになるのではないか。
AIに対して人間の強みは何か。
そもそも、進化したAIは機械なのか生命体なのか。つまりAIは人間によって操作される機械なのか、あるいは人間を「端末備品」とする新しい生命体なのか。

AIと人間が合体していくのが「ホモ・デウス」なのか。
すでに身体にチップを埋めだした人間が増えてきている。
私たちはすでに膨大なビッグデータによって嗜好さえも管理されつつあるのではないか。
人間は、サイボーグやホボーグのような新しい生命体に進化するのか。
その時には、今以上に大きな格差、たとえば永遠の生命を持つホモ・デウスとそれに隷属する使い捨ての人間とに分かれるのか。

AI中心の世界では、戦争も経済も変質する。
現在の政治は、ヒューマニズムを根底に置いて国民を守ることを目指しているが、AIが行なう政治の目的は何なのか。
そもそもAIが統治する世界では人間は存在しうるのか。

まあ、こんなような議論がありました。
いつものように収斂しない発散型の議論でしたが。

私は最近のサロンで時々話していますが、このままだとAIは人間を不要なものとしていくだろうと思っていますが(つまり科学技術の方向性が間違っている)、なかにはこれからも科学技術を軸に人間社会を進化させていくべきだという「重脳主義」を主張する人もいました。
美とか文化とか、あるいは論理を越えたひらめきによる英知がAIにはできないだろうという意見もありましたが、私はむしろそういう世界こそがAIの得意分野ではないかと思っています。

話を聞いていて思い出したのが、鎌倉時代に公権力の枠を超えて自由に生きていた「悪党」たちです。彼らは「網野史学」によれば、人の力を超えたものとのつながりをもっていたとされていたそうですが、現代の悪党はまさにAIとのつながりを得た人かもしれないとふと思いました。

近代において、社会の単位が人間から個人へと変わることで、ヒューマニズムの意味は変質したと私は思っていますが、AIの進化で、またヒューマニズムが変質するような気もします。
あまりにも深い話に陥りそうですが、AIの脅威には無関心ではいられません。
なにか欲求不満のままに終わったので、年明け後にもう一度、企画できればと思っています。

もうひとつだけ感想を加えれば、これまでの発想の枠組みを変えて議論することは難しいということです。
人間を超えていくかもしれないというAIですが、どうしてもAIよりも人間が上位にあるという見方から私たちはなかなか抜け出せずにいます。
それを改めて痛感したサロンでした。

■畑を2畝つくりました(2018年11月20日)
今日も畑に行きました。
最近はなかなか行けずにいますが、今日も1時間強の開墾作業です。
久しく勢いを増すのに任せていた篠笹との闘いの再開ですが、地上部分はたいしたことがなくても地下茎がともかくすごいのです。
まずはカマで浅いところから刈り取り、鍬で粗く掘って、そこからまた一本一本の笹の地下茎を切っていくのですが、なかには1センチくらいのものもあり、思いきり力を入れないと切れません。
今日もまた半畳でダウンです。
永作さんからもらった種から芽が出ていた菜の花を試験的に少しだけ植えました。
にんにくはまだ芽が出ませんが、ここが2週間前までは一面の笹だったとは思えない状況を維持しています。
先日植え替えた葵などはあんまり元気はないですが、がんばっています。

ニンジンは順調に育ち、キャベツなども何とか頑張っています。
もしかしたら植えた記憶のない大根が収穫できるかもしれません。
花壇はいまだ台風から回復できずいかにも乱雑ですが、まだそれなりにきれいです。
イチゴが一つ赤くなっていたので、食べてしまいました。
ミニトマトを抜いた時に散らばったミニトマトがまだ腐っていなかったので、それも食べてみました。
昔はみんなこうやって平和に暮らしていたのでしょうね。
昔と言っても縄文時代の話ですが。

■カフェサロン「お寺の跡取り息子の宗教観」(2018年11月22日)
「宗教を考える」サロン第2弾は、「お寺の跡取り息子」の小林永照さんに、ご自分の物語を語ってもらいました。
小林さんは現在、寺小屋、地蔵の会など、お寺を舞台にしてさまざまな社会活動に取り組んでいますが、最初にそうした活動を紹介してくれました。
いずれも社会に開かれたとてもいい活動です。
こういう活動が広がれば、お寺はまた地域社会のセンターになっていくかもしれませんし、宗教の役割が見直されるかもしれません。
ところが小林さんは、こういう活動は格好いい話に聞こえるかもしれないけれど、それに取り組んでいる自分は、つい最近まで僧になったことに必ずしも納得できていなかったと、ご自分のことを語り始めました。

小林さんは、葛飾区にある青戸やくじん延命寺の長男として生まれました。
小学生の頃に得度はしたものの、特に仏教に強い関心を持ったわけでもなく、本堂の大日如来も、ただの仏像としてしか見えていなかったそうです。
大学で専攻したのは国際政治経済。小林さんの若き葛藤を感じます。
19歳の時に、真言宗の僧として灌頂を受けて正式に僧として自立したはずにも関わらず、どこかに納得できない自分がいて、「ぐちゃぐちゃ」していたということを赤裸々に話してくれました。
時には、なんで仏門に入って僧としての人生を歩まないといけないのかといった「恨み節」に陥ることもあったようです。
自分探しのために、社会人大学院に入り、そこで哲学者の内山節さんに出会います。
それから少しずつ小林さんの人生が変わりだします。
お寺で生まれ、そこで生活させてもらっている以上、お寺を活かして何か社会的な活動に取り組まなければという思いから、冒頭に話してくれたいろんな社会活動を3年ほど前から始めたそうです。
私が最初に小林さんにお会いした時に、小林さんからその話を聞いて、小林さんにいつかサロンで話してもらいたいとずっと思っていたのですが、その頃はまだ小林さんは「ぐちゃぐちゃ期」の最中で模索していたわけです。

小林さんの意識が大きく変わったのは、1か月ほど前の今年の10月です。
お父上と一緒に、ある親子の僧の灌頂に立ち合ったのだそうです。
灌頂というのは、諸仏と縁を結び、種々の戒律や資格を授けて、師の継承者となるための密教儀式で、小林さん自らも19歳の時に受けています。
その時にはまだ自分が僧になったという感激はあまりなかったそうです。
しかし今回は違いました。
ほかの僧の灌頂をお手伝いしただけなのに、灌頂を受けている若い僧を見守っている大日如来を感じたのだそうです。
それまでは単なる仏像だった大日如来が、若い僧のみならず、自らの行いも見守ってくれているという実感が突然にすとんと身心に入った。
大日如来を観じた小林さんは涙が出たそうです。
そして僧になってよかったと初めて心底から思ったといいます。

ぐちゃぐちゃの中で、行を修めていた小林さんにとっては一種の悟りなのでしょうか。
いまは客観的に自分を見ている自分も感じられるようで、自分を捉え直すことができたとおっしゃいます。
以前は、救いを外に求めていたが、いまは救いは自分の中にあると思えるようになったとも言います。
救いが自分の中にあれば、他者の救いにも寄り添えるかもしれません。

小林さんの物語を長々と勝手に書いてしまいました。
私が主観的に解釈しているところもありますので、小林さんからはちょっと違うよと叱られそうですが、まあ大筋はそう間違っていないでしょう。たぶん、ですが。

こんな話を踏まえて、話し合いも盛り上がりました。
クリスチャンも数名いましたし、仏教を信ずる人もいました。
無神論者もいたかもしれません。

小林さんは、宗教の教義よりも仏事や神事を通して仏や神の世界を学んできたと言います。
人間の普段の生活は神仏の世界とつながっていて、それが仏事に現われている。
大げさな仏事でなくとも、日常生活の中で手を合わせて祈ることがあれば、そこで仏の世界ともつながれるというのです。
小林さんにとっての修行は、まさに仏事や日常生活の行いの中にあるのでしょう。
しかし、今の都会の生活の中では、そうした体験の場は少なくなっているかもしれません。
先祖や死者とのつながりだけではなく、同じ時代を生きている人とのつながりさえもが失われてきている。
そして、人のつながりを失う中で、私たちはいろんなものを失ってきているのではないか。
人のつながりが失われていくなかで、他者への祈りも忘れだしている。
小林さんは、そうしたことを取りもどいていきたいと考えているようです。
それが、信仰につながっていく。
気づいてみたら、3年前から小林さんが自分のお寺で取り組んでいることは、まさにそれだったわけです。
お話を聞いていて、私は修行ということの意味の深さに気づかされました。

またまた勝手な解釈の報告になりました。
当日はもっと話題は広がっていました。
たとえば、仏教には修行はあるが、キリスト教には修行という考えはあるのか。
お寺や僧侶の役割は何なのか。
お寺は、困った時に相談に行く場所になっているか。
お寺にいくとどうして厳粛な気分になるのか。
大日如来を感じたというが、霊的な問題をどう考えるか。
震災後によく話題になる「幽霊」の話も出ました。

仏事に関する面白い話もありました。
お盆の迎え火の翌朝早く、先祖がいなくなったお墓にお供えをする風習が小林さんのお寺にはあるそうです。
留守のお墓にいる無縁仏にお供えするのだそうです。
仏事に込められた「つながりの思想」。
私も含めてサロン参加者はみんな初めてそういう風習を知りました。

小林さんのお話を聞いて、信仰や宗教は、与えられるものではなく、生活を通して出合えるもの
真摯に自分を生きることこそが信仰であり、宗教は、どんな宗教であろうと、そうしたことを考えさせてくれる存在であること。
修行とは、自分に誠実に生きること。
そんなことを気づかせてもらったサロンでした。
あまり言葉としては出ませんでしたが、「信仰」と「祈り」が今回のサロンの底流にあったような気がします。
できれば次回は、「信仰」や「祈り」を話し合うサロンができればと思っています。

■パソコン修理(2018年11月23日)
自宅も湯島も、いずれのパソコンも不調なので、いずれも買い換えようとも思ったのですが、なぜか最近、いずれもまた少し元気になってきました。
それでも時々、自宅のは画面が笑い出し、湯島のはサボタージュしがちでした。
それで、また近くのPCドクターの坂谷さんにチェックしてもらいました。
困ると坂谷さんにお願いして、これまでも直してもらってきています。

うれしいことに、いずれも直ったのですが(あるいは原因がわかったのですが)、坂谷さんによれば大きな問題はないようです。
パソコン2台とも、私には悪さをしていたのに、PCドクターの坂谷さんが来たので、悪さをやめたのではないかと思います。
異常の発生は、人間とパソコンとの信頼関係によるのかもしれません。
坂谷さんは、最初からこのパソコンは大丈夫だと言い切り、パソコンを信頼していました。
私とは姿勢が違います。
私は調子が悪くなるとパソコンをたたいたり嘆いたりしていましたが、坂谷さんは何もしないうちから大丈夫直りますといい、ふたを開けて部品をなでるようにチェックしていました。
パソコンに寄り添っている感じです。

まさに人の相談にのる時と同じです。
相手を信じなければ、相手からも信じてもらえない。
やはりパソコンにも意思や感情があるのです。

しかし、これでまた当分は安心していまのパソコンに付き合えそうです。

(2018年11月第2週)
■葬送活動を視野に入れたLSCプロジェクト(2018年11月11日)
■サロン「ナチュラリストが見る社会の危うさ、あるいは自然界の面白さ」(2018年11月11日)
■孫との付き合い(2018年11月12日)
■みんなの認知症予防ゲーム公開フォーラム実行委員会スタート(2018年11月13日)
■ストーリーテリング協会のプログラム開発(2018年11月15日)
■畑作業再開(2018年11月16日)
■カフェサロン「過労死など起こらない働き方の未来を考える」(2018年11月17日)

■葬送活動を視野に入れたLSCプロジェクト(2018年11月11日)
私が15年以上前に構想して挫折している「コムケアセンター構想」に共感を持ってくれた僧侶でもある中下さんから、それへの再挑戦を誘われています。
もう10年若く、妻が健在だったら、大歓迎なのですが、今の私にはいろんな面で限界があり、むしろ中下さんの足を引っ張りかねないので、迷っていたのですが、何回か中下さんと話し合って、私ができる範囲で、逆に中下さんの思いを支援する形で、中下さんと一緒に動き出すことにしました。
その大きな枠組みを中下さんと話し合いました。
コアの部分はほぼ合意できました。

構想実現のための入り口を、中下さんが長年取り組んできている「葬送」に置くことにしました。
私も実体験していますが、今の葬送のあり方には大きな違和感がありますので、これからの葬送のあり方には大きな関心があります。
単なる思考実験ではなく、実際に事業展開も考えていく計画です。
最初はまず私がお客様になる可能性も高いですが。

■サロン「ナチュラリストが見る社会の危うさ、あるいは自然界の面白さ」(2018年11月11日)
日本で暮らしているゴキブリは52種類もいて、しかもよく見かける室内のゴキブリは外来種だということをみなさんはご存知でしょうか。
そして日本に昔からいるゴキブリは、とても大切な仕事をせっせとやっていることを知っているでしょうか。

木村さんの「ナチュラリストが見る社会の危うさ、あるいは自然界の面白さ」は、ちょっとゆるいサロンと言いながら、とても充実した内容で、いろいろと目からうろこの話も多く、しかも日本の社会のあり方への、まさにナチュラリストからならではの本質的な問いかけがあったように思います。

印象に残っている話をいくつか紹介します。
人口の多い都市部の自然からは、ホトケドジョーが少なくなり保護の対象になっているが、少し離れた千葉の集落には今でもいくらでもいて、むしろ人がいなくなってしまうとホトケドジョーもいなくなってしまうかもしれないという話は、とても示唆に富んでいます。
日本では自然と人間がうまく支え合って暮らしていることを象徴しています。

木村さんは、自然の保護と管理は表裏一体だと言います。
「自然」か「開発」か、ではなく、その「折り合い」が大切なわけです。
そんなことはわかっていると言われそうですが、実は私たちは頭ではそう思っていても、実はその「折り合い」において、小さな相手は軽視しがちのようです。
ダンゴムシの話で、木村さんはそれを教えてくれました。
この話はとてもいい話ですが、紹介すると長くなるので、これは参加者だけの特典として報告はなしです。

アフリカの動物保護には関心があるが、地元の自然にはあまり関心のない人が多いのではないかという木村さんの指摘にもとても共感しました。
木村さんは、環境保全は地元を愛することから始まるといいます。
その地元には、たぶんダンゴムシも入っているのです。
ちなみに私は昨日、わが家の庭で、ダンゴムシのミニ観察をしました。
みんなまだ、いわゆる「外来種」で、日本での暮らしはまだそう長くはないようです。

ところで、外来種と在来種に関しても、テレビ番組などで簡単に区別されて、外来種は悪者だ、駆除すべきだなどと扱われがちなことも木村さんはおかしいと言います。
そもそも外来種と在来種をどういう基準で分けるのか。
それに国家の枠組みに規制されて生きている人間と違って、そもそも生物は自由に移動し自然交配しているのですから、勝手に国籍を決めてもらいたくはないでしょう。
在来種に有害な外来種を殺処分するという発想は、その根底で、移民排斥にもつながる思想ではないかという話もありましたが、私自身そこまで深く考えたことがなかったので、はっとさせられました。

ちょっと似た話で恐ろしい話もありました。
最近は犬の「雑種」が「市場」で高値を呼んでいるそうです。
それは飼い犬が管理されすぎて、自然交配が行われないので、雑種が産まれにくいのだそうです。
生物の進化にまで介入しているわけです。
生物多様化を主張する人は多いのですが、本当にみんな生物多様化を望んでいるのか、と木村さんは問いかけます。

鳥獣害の話も出ましたが、これはそもそも日本から聖域がなくなってきたことと無関係ではないと木村さんは言います。
そして「聖域」と「人間界」の結界を守っていた「年寄」がいなくなったことも影響しているのではないかと木村さんは(たぶん)言ったような気がしますが、これは私にはとても興味のある話でした。

そもそも日本人は、生き物との付き合いが深い暮らしをしてきました。
日本に住む動物の名前もたくさんあります。
最近読んだ本には、アマゾンのある部族は、鳥はみんな「鳥」と呼ぶのだそうですが、日本にはたくさんの鳥の名前があります。
そうした多様な生物たちとの付き合いが、私たちの暮らしを豊かにしてきたのではないかと私は思っていますが、最近は、自然の中での生き物との付き合いが減っているのかもしれません。
実際に目にする小動物も少なくなってきました。

環境保全に取り組んでいるNPOの高齢化の話も出ました。
NPO活動の世代交代に関しては、とても大きな問題ですが、一度、サロンのテーマにしたいと思います。
もしかしたら、ここにこそ、個人と組織の問題、さらには社会のあり方や私たちの生き方を考える大きなヒントがあるように思っています。
ちょっと今回のテーマと離れますが。

木村幸一郎さんは「ハイパー・ナチュラリスト」です。
そもそも「ナチュラリスト」とは何者かという関心でサロンに参加された方もいます。
なかには、「ヌーディスト」と勘違いされた人もいましたが、木村さんのお話をお聞きして、私は「ナチュラリストは、自然と一緒に、お互いウィンウィンに生きている人」だと思いました。
木村さんはとても幸せそうです。
私も少しは「ナチュラリスト」的な生き方を目指していますが、小村さんほどにはまだ幸せにはなれていません。

他にも、マムシとの付き合い方とかSDGsの話とか、いろいろとありましたが、最後に一つだけ蛇足を書きます。
ゴキブリの話ですが、日本にずっと前からいたモリチャバネゴキブリは、森の枯葉を小さく噛み砕いて、それを微生物が食べやすいようにし、還元活動に寄与しているそうです。
家に棲む、あの嫌われ者の「チャバネゴキブリ」はどういう仕事をしているか木村さんに質問したら、人間には役立っていないので、見つけたら退治してもいいと言われました。
もちろんむやみな殺生ではなく、ゴキブリのもたらす害を考えてのことですが。
私もこれまでそうしていましたが、もしかしたらなにかとても大切な仕事をしているのではないかと思い直しました。
わが家のキチンも時々夜に出ているようですが、私が寝ている間に何かしているのではないか、そんな気がしてきました。
人間の見えないところで、人間に役立つ仕事をしてくれているのかもしれません。
ゴキブリもかわいそうな存在です。
今度、ゴキブリに出会わしても、バシッと叩き潰せないかもしれません。
さてどうなるでしょうか。

■孫との付き合い(2018年11月12日)
孫が「だるまさん」シリーズの本の1冊が欲しいというので、本屋さんが出店している近くのショッピングモールに行きました。
その本は、とても地味な本なのですが、娘によれば子どもたちにとても人気なのだそうです。
クリスマスも近いの、もっと賑やかなサンタクロースの本もたくさんあったので、それはどうかと孫に勧めましたが、あまりお好みではありませんでした。
「だるまさん」以外にもう1冊買おうと言ったら、いろいろと選んだ結果、「トイレの本」が選ばれました。
トイレの音が流れる本です。
ほかにももっと面白い音が出る本もありましたが、なぜかトイレが選ばれたのです。

久し振りに子どもの本売り場に行きましたが、私の娘たちを育てた頃に買っていた本のシリーズもまだ売れているようです。
見たことのある絵本がありました。
子どもの世界は、そうは変わっていないことに少し安堵しました。

その後、みんな食事をしましたが、卵アレルギーのある孫は何でも食べられるわけではありません。
それと孫は、たべるものに関しては親の言うことを実によく聞きます。
私の孫ではないのではないかと思えるほどです。
食べ物に関しては、もしかしたら本能的な感覚があるのかもしれません。

孫から教えられることはいつもたくさんあります。

■みんなの認知症予防ゲーム公開フォーラム実行委員会スタート(2018年11月13日)
ほっとスマイルプロジェクトは、現在は、「みんなの認知症予防ゲーム」の普及に取り組んでいる人たちの情報交換が中心ですが、来年から少しずつ組織活動をしていくことを検討しています。
まずはその第一陣として、来年のはじめに、このゲームの普及の中心になっている京都のNPO法人認知症予防ネットの高林さんをお呼びして公開フォーラムを開催する予定です。
今日はその第1回目の実行委員会を開催しました。
実行委員は現在10人ほどですが、もし一緒にやってもいいという人がいたら、ぜひ仲間になってください。
実行委員会のモットーは、「無理をせずに楽しくやろう」ですので、私でも大丈夫です。
フォーラムでは、参加者全員で輪になってのゲーム体験会も行うかもしれません。
できればたくさんの人の参加を得て、ギネスに乗るような記録をつくりたいです。
もっとも予算の関係で、武道館や東京ドームは使えないので、まあ100〜200人が限度ですが、いつか1000人くらいでやりたいです。
まあ余計なことを言うと実行委員から外されそうなので、とりあえず100人を目標にしたいと思います。
実行委員になってももいいという人は、ご連絡ください。
なったところであんまりいいことはないと思いますが、もしかしたら楽しいかもしれません。
それに実行委員の人たちは、私以外はみんな性格がとてもいいです。

■ストーリーテリング協会のプログラム開発(2018年11月15日)
ストーリーテリング協会はなかなかテイクオフできません。
中心になって引っ張っていく人が不在だからですが、やはり柱になるビジネスを開発しないと活動資金はおろか、法人維持のための費用も得られません。
そこでまた事業を企画することにし、ミーティングをもちました。
うまくいくといいのですが。

■畑作業再開(2018年11月16日)
今日はあたたかい日でした。
久し振りに午前中畑でみっちりと作業をしました。
最近あまり行っていなかったので、もうかなりめちゃくちゃな状況ですが、幸いに野草の成長速度が遅くなっているので、挽回可能な状況です。
今日は新たに半畳くらいを開墾し、にんにくを植えました。
半畳の開墾と言ってもなにしろ笹薮ですので、30分近くかかるのです。
それから道沿いで大きなってきている「葵」を通りの邪魔になるといけないので、少し内側に5本ほど植え替えました。
時期期に植え替えるのは無謀ですし、にんにくを植える時期もかなりもう遅いのですが、まあその気になるのが遅かったので仕方がありません。

肝心の畑は白菜やキャベツはほとんどが青虫に葉っぱが食べられていてなかなか丸くなりません。
大根と蕪は何本かが育っています。
人参も順調です。
この調子だと収穫もできるかもしれません。

虫に食べられて穴だらけの大きな青菜がありましたので、今日はそれを収穫してきました。
植えた記憶はないのですが、いろんなところに以前植えていた種が散らばっていたのでしょう。
虫が食べているので、人間が食べても大丈夫でしょう。
今日の夕食のお味噌汁の具にしてもらいます。

花壇はいまもまだ百日草やマリーゴールドなどが咲いています。
マリーゴールドは咲き乱れていますが、百日草の陰に隠れて道から見えないのが残念です。
百日草はなにしろ何種類も種をまいたので、斜面全面に展開しています。

琉球朝顔もまだ咲いています。
今日も道を通りがかった人が、この朝顔はきれいですねと写真を撮っていました。
たしか以前も話しかけてくれた人で、球根が増えたら持って行ってもらおうと思いますが、名前も知りません。

写真を撮ってくるのを忘れてしまいましたが、来年は開墾作業ではなく、いよいよ農作業ができそうです。
目標は30種類です。

■カフェサロン「過労死など起こらない働き方の未来を考える」(2018年11月17日)
「過労死など起こらない働き方の未来を考える」のサロンは、7人の参加者がありました。
「働き方」が問題になっているので、もっとたくさんの人が参加すると思っていたのですが、意外でした。
今回、問題提起してくださった小林さんは、過労死は、突然誰に起こってもおかしくないのではないかと話してくれましたが、私も同感です。
多くの人にとって、決して「無縁」ではありません。
しかし、まだまだ「過労死」は特別の「事件」と位置付けられているのかもしれません。
私は、そこにこそ問題の本質があるような気もします。
本気で「働き方」(生き方)を変えようとみんな思っているのでしょうか。

小林さんは、15年前の40代の時に企業で働いていた夫を過労死で亡くされました。
小林さんと3人の子供たちの生活は大きく変わってしまったでしょう。
企業での過労死の場合は、会社の上司や経営者への怒りも起きがちで、憎悪におそわれることもあります。
小林さんは、しかし、憎悪の世界に引き込まれることなく、悲しみのなかで、なぜ夫は過労死に追い込まれたのか、そしてどうしたら過労死をなくすことができるのか、に取り組んできました。
医療や福祉の分野で仕事をしていた小林さんの使命感もあったでしょうが、それが小林さんの支えになってきたのかもしれません。
そして、いまは過労死家族の会に参加して、同じ立場になってしまった家族の支援や過労死防止のための活動に取り組んでいます。
小林さんは、そうした15年を語ってくれました。

小林さんはこう話してくれました。
過労死は社会問題となって既に30年近くになるのに、いまもなお、過労死・過労自殺は年齢、性別、職種を超えて広がり続けている。
毎年2万人以上の自殺者の中には、相当数の過労自殺が含まれている。
疲労の蓄積をもたらす最も重要な要因として、「長時間にわたる過重な労働」が考えられるが、相変わらず長時間労働の実態は改善されず、最近話題になったように、裁量労働制などでむしろ長時間労働を是認するような動きさえも見られる。
長時間労働は、脳や心臓疾患との関連性が強いという医学的知見が得られているし、業務における強い心理的負荷による精神障害により、正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、自殺に至る場合もあると考えられている。

そして小林さんは、残業時間をせめて月45時間以内にすれば、過労死をかなり減少させることができるはずだ、とデータで示してくれました。
厚労省が発表している「過労死等の労災補償状況」(平成29年度)によれば、時間外労働時間が45時間以内の場合は、該当者がゼロになっています。
1998年には、月45時間を限界とする行政指導基準が労働大臣の告示として出されているそうですが、法的拘束力がないばかりか、適用を回避する条件も示されています。
時間がすべてではないだろうが、せめてこの45時間基準に法的拘束力をつけるだけでも、かなりの過労死は避けられるはずだ、と小林さんは考えています。
そしてそうした活動に、仲間と一緒に取り組んでいるのです。

小林さんは、最後に2つの文章を読み上げてくれました。
ひとつは亡くなった夫が残した家族あての遺書。
もうひとつは、国際労働機構(ILO)が昨年スタートさせた「仕事の未来世界委員会」で確認された次の方針です。
「仕事の未来は、既に運命的に決まっているものではなく、われわれの主体的な意思や行動で
より良いものに変化させることのできるものだ」。
いずれも心に響くものがあります。

小林さんの話を受けて、いろんな視点での意見が出されました。
「個人と組織の関係」や「働くとは何か」。
みんな時間に追われているという意味でも「時間」が「人」を追い込んでいるのではないか。
過労死に追い込まれるような会社よりも、みんなが楽しく働けるような会社のほうが業績を上げている事例も多いのに、なぜそうした会社が増えていかないのか。
ほかにもいろいろと出たはずなのですが、なぜかいつも以上に、思い出せません。
この問題には私も少し思い入れが強すぎるからかもしれません。
参加された方、できれば話し合いのところを補足してください。

過労死は、小林さんが言うように、いまのような社会においては、誰にでも起こりうることです。
過労死までいかなくても、精神的にダウンしてしまっている人も少なくありません。
過労死の問題は、まさに私たちの生き方、さらには社会のあり方につながる問題です。

それはまた、現代の組織の本質につながる問題かもしれません。
人間にとっての仕組みだったはずの「会社」や「組織」が、いつの間にか人間を追いやってしまう存在になっているのかもしれません。
そこで、湯島のサロンでは、「個人と組織の関係」をさまざまな視点から考えるサロンを時々開催していこうと思います。
それが、「過労死がなくなる社会」に向けて私のできることのひとつだと思うからです、

(2018年11月第1週)
■縁カフェ(2018年11月5日)
■体調ダウン(2018年11月8日)
■中田京さん急逝(2018年11月8日)
■コミー交流会(2018年11月9日)

■縁カフェ(2018年11月5日)
縁カフェは3人がやってきました。
今回はめずらしく時間差があり、3人と続けてあったという感じです。
このやり方だとなかなか広がりません。
いい方法があるといいのですが。

■体調ダウン(2018年11月8日)
ちょっと体調がすぐれません。
気分も乗らない数日がつづいてしまいました。
まあいろいろとあったのですが。

■中田京さん急逝(2018年11月8日)
中田京さんの訃報が入ってきました。
心不全での急逝です。
先日会った時にはあんなに元気でしたのに。
松戸市の市議会議員の活動記録を先日のサロンの時に私にくれました。
なにか思いもあったのでしょうか。
彼女が市議をやめたら一緒にやりたいと思っていたプロジェクトができなくなりました。
残念です。
信頼できる政治家でした。

■コミー交流会(2018年11月9日)
コミーの45周年を記念しての交流会がホテルニューオオタニで開催されました。
あまり体調がよくないのといささか「コミー疲れ」しているので、欠席しようと思ったのですが、まあ最初だけでも顔を出そうと参加しましたが、結局、最後までいました。
いろんな人に会いましたが、「しんちゃん」に会えたのがよかったです。
3.11以来、陸前高田に通い続けて子どもたちに絵本を読んできている人です。
意外な人にも声をかけられたりもしました。
いろいろと書きたいことはありますが、まあやめておきます。
コミーの社員からまた話を聞いてほしいと数名から言われたので、ちょっと気を良くしてしまあいましたが、まあ企業関係者のパーティは私には向いていません。


(2018年10月第5週)
■情動理コミュニケーションのマシューさん(2018年10月29日)
■セカンドオピニオン(2018年10月30日)
■久しぶりの企業コンサルティング(2018年11月3
日)

■情動理コミュニケーションのマシューさん(2018年10月29日)
情動理コミュニケーションのオンビ・マシューさんが吉本さんと一緒に湯島に来ました。
マシューさんは英語のプレゼンテーション指導をしていますが、ストーリーテリング協会と何かコラボできないかという相談です。
いろいろと可能性はあるようです。
吉本を中心にプロジェクトチームを立ち上げることになりました。

■セカンドオピニオン(2018年10月30日)
昨年、胃がん手術をした友人が、国立がんセンター中央病院にセカンドオピニオンを聞きに行くというので、役には立たないのですが、同行しました。
セカンドオピニオンを聞きに来ている人がこんなにいるのかと驚きましたが、考えてみれば全国から来ているのでしょうから、混むのは当然でしょう。
1時間、じっくりと話を聞きました。
実に誠実で、しかも明快で、セカンドオピニオン制度の意義がわかりました。
結果がどうであれ、モヤモヤが消えます。

友人も来てよかったと言っていました。
しかし遠方からの人は大変でしょう。
それに1人では来られない人もいるでしょう。
スカイプなどを活用して、もっと容易にできるような仕組みがあればいいなと思いました。
もちろん直接会うことによって、納得度が高まる効果は大きいですが、広い情報を聞くだけで自分の症状の受け止め方はかなり違ってくる気がします。

10数年前に、妻が同じがんセンターにお世話になった時とは大きく変わって来ていて、インフォームドコンセントの仕方も、ガイドラインのようなものが整備されてきているなと感じました。
それはとてもうれしいことです。

オブジーボのことも教えてくれました。
どうすれば健保の対象になるのか、また効果があがる確率はどの程度かなども、教えてくれました。
テレビでも、こうした情報も含めて報道してもらいたいと思いました。

胃がんに関しては、私もちょっと知識がもてました。
セカンドオピニオンとは言えませんが、少しはアドバイスできるかもしれません。

病院はなぜか疲れる空間です。
友人はかなり疲れたでしょう。
同行しただけの私も、なぜか疲れました。
彼には、私の葬儀に出てもらわなければいけないので、私より長生きしてほしいのです。
私の友人たちには、私よりも早く逝ってほしくはありません。
自分より先に逝きそうなので、お前とは付き合いたくないと、ある友人から言われたことがありますが、その気持ちはよくわかります。

■久しぶりの企業コンサルティング(2018年11月3日)
今週は、ある会社の経営に関わる仕事を検討するために、数回のかなり密度の高いミーティングを行いました。
但し、人間的な信頼関係を育てられるかどうかという視点からの「密度の高い」ミーティングでした。
私自身はいつものように、すべてをオープンにしての付き合いなので、かなり疲れました。
大きな合意はできたのですが、残念ながら私自身のモチベーションがあがりません。
私の時間をどれだけ投入しようか迷うところです。

しかし、そこに困っている人がいたら、何かしないわけにはいきません。
これまで通りボランタリーに相談に応じるだけにした方がいろんな意味で楽なのですが、どうもそういうわけにはいきません。
どんどんと時間がとられてしまい、ストレスがたまりかねないですから。
悩ましい話ですが、決めかねています。

(2018年10月第4週)
■突然の来訪者(2018年10月21日)
■カフェサロン「『子どもNPO白書2018』を刊行して」(2018年10月21日)
■コミーでの出会い(2018年10月24日)
■内藤さんの構想(2018年10月24日)
■カフェサロン「地方政治の現場から考える日本の政治の未来」(2018年10月24日)
■畑仕事の小作人稼業復活(2018年10月25
日)
■キャリアコンサルタントの藤田廣志さん(2018年10月25日)
■石場さんと江澤さんの疑問(2018年10月25日)
■杉本さんとのミーティング(2018年10月25日)

■突然の来訪者(2018年10月21日)
昨日は突然の来客が湯島にありました。
チャイムが鳴ったので出てみると女性がたっていました。
すぐに思い出せなかったのですが、北九州市のと名乗ってくれたので、お名前を思い出しました。
しかしなんでその人がそこに立っているのか、理解できずに混乱しましたが、近くで北九州市のイベントをやっていて、湯島のコンセプトワークショップが近いのに気づいて、お昼休みに寄ってくれたのです。
もう15年以上は、たぶんお会いしていないでしょう。
北九州で開催された、まちづくりの公開フォーラムに読んでもらったのですが、そのフォーラムのスタイルはとても印象に残るものでした。
http://cws.c.ooco.jp/katudoubannku2.htm#kokura

私はこの30年、湯島から一度も動いていないので、昔来てくれたことのある人も、こうして時々突然に寄ってくれるのです。
場所というものの大切さを感じます。
ちなみに私のメールアドレスも30年以上変えていません。
アドレスがわからなくなって、交流がなくなった人も少なくありませんが、せめて私だけは、変えずに置こうと思っています。
湯島のコンセプトワークショップ(コムケアセンター)も、私の生存中は維持していこうと思っています。

■カフェサロン「『子どもNPO白書2018』を刊行して」(2018年10月21日)
日本子どもNPOセンターが出版した「子どもNPO白書2018」をテーマに、執筆者の交流会もかねてのサロンを開催しました。
白書に関しては、既に紹介させてもらいました。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#180923



今回は、白書の編集代表でもある日本子どもNPOセンター理事長の小木さんが名古屋から参加、大坂からも日本こども未来研究所所長の川野さんも参加してくれました。
日本子どもNPOセンターのメンバーでない人も数名参加し、総勢15人ほどになりました。
社会保障を専門にされている本間先生も参加してくれました。
東京新聞の飯田さんも取材に来てくれました。
編集委員の金さんは子連れ参加で、場の雰囲気も変わりました。
異分野の人ができるだけ接点を持つというのが湯島の精神ですので、うれしいことです。

私も白書は読ませてもらいましたが、さまざまなところでさまざまな活動が行われているのがよくわかります。
子どもたちは、大人と同じように、さまざまな問題の絡み合いの中で生きています。
子どもが生きているのは、決して「子どもの世界」ではありません。
無防備な子どもたちこそ、社会全体の縮図を体現しながら生きている面がある。
ですから、子どもの世界からは大人たちの社会の実相がよく見えてきます。
子どもの世界に現れている問題は、実は大人の問題の写し絵でもあり、そこから私たち大人の生き方が鋭く問われているわけです。

同時に、子どもの世界だけを見ていると見えなくなってしまうことも少なくありません。
今回の白書では、子どもたちを取り巻く法的環境の変化がていねいに解説されています。
それは、子どもたちにとっては逆風の流れのように思いますが、その流れに抗うためにも、あるいは新しい流れを創りだしていくためにも、さまざまな現場の人たちが横につながっていくとともに、実践者と研究者とのつながりがますます大切になってきています。
これだけさまざまな現場で実践している人たちがつながって、研究者と一緒になって動き出せば、法的環境を能動的に変えていけるように思います。
いやそれこそがNPOの大きな使命ではないかと改めて思いました。
この白書の継続的な出版活動は、そうしたつながりを育てる場にもなっていくでしょう。
実践者たちの交流や問題をシェアしあう場が、もっともっと必要だと話し合いを聞いていて感じました。

もう一つ感じたのは、白書もそうなのですが、総じて「大人の視点」で語られていることです。
もっと子供たちが主役として登場してほしい。
子どもたちを語るのではなく、子どもたちの思いを聞きたい。
私は障害のある人や高齢者の問題にもささやかに関わらせてもらっていますが、当事者とそれを支援する人の見ている世界はかなり違うのが、いつも気になっています。
そもそも支援するという一方向的な活動ではなく、お互いに学び合っていくことが必要ですが、子どもから学ぶことは山のようにあるはずです。
子どもたちは何を困っているのか、そうしたことをもっと聞きたかった気がします。

話し合いではいくつかの話題が出ました。
たとえば、福祉と教育の関係、あるいはNPOと行政の関係。
また「地域施設」という領域の立て方の是非も議論されました。
いずれも湯島のサロンで時々話題になるテーマですが、子どもの視点で、そうした課題を話し合うことは大切です。

もう一つの大きな課題は、この白書をどうやって社会に広げていくか、言い換えればたくさんの人たちに購入してもらうか、です。
読んでもらって何かの行動につながっていくことが白書の目的です。
どうしたら広げられるかについても、いろんな意見が出されました。
みなさんも、もしよかったら購入して読んでみてください。
そしてできればまわりの人たちに紹介していただければ嬉しいです。
湯島でも購入できるようになりましたので、読んでみようという方がいたら、湯島に来た時に声をかけてください。

せっかくの機会なので、私もいくつか提案させてもらいました。
たとえば「子どもNPOラウンドテーブル会議の発足」です。
執筆者である、領域を超えたたくさんの実践者や研究者たちが、子どもたちが置かれている現状の問題を可視化し、公開フォーラムのスタイルで、ぜひ社会に発信していってほしいと思います。
そして、さまざまな立場の人を巻き込んで、時には子どもたちも巻き込みながら、全国各地で定期的に公開のラウンドテーブル会議を展開し、問題を解決していく実践につなげていく。
それは同時に、大人や高齢者も含めて、みんなが住みやすい社会になることにつながっていくでしょう。
子ども世界は大人の社会の写し絵なのですから。

子どもたちの直接の声を社会にしっかりと伝えていく活動も必要です。
NPO活動の一つの落とし穴は、問題の当事者と問題解決を支援するNPO関係者との思いが「ずれていくこと」です。
問題を観察者的あるいは支援者的に捉えるのではなく、当事者(この場合は子どもたちですが)と一緒に活動していく。
白書でもそうした事例はいくつか紹介されていますし、最近そうした活動も増えていますが、子どもたちがいまの社会を、あるいは今の大人たちの生き方を、どう見ているのかは、必ずしも社会に発信されていないように思います。
子どもたちが見ている社会の姿を、私たちはもっと学ばなければいけません。
これは子どもに限りません。
高齢者も障害のある人たちにも、すべてに言えることです。

日本子どもNPOセンターの「白書活動」の価値を、改めて実感したサロンでした。
書店や図書館に注文したりして、ぜひみなさんも、この白書の存在を広げていってください。
子どもたちの育ち方が、私たちの未来を方向づけていくのですから。

報告というよりも、思いを書きすぎてしまいました。
すみません。
引き続き、具体的なテーマについてのサロンもやってみたい気がします。

■コミーでの出会い(2018年10月24日)
久し振りにコミーの本社に行きました。
そこでまた新しい出会いがありました。
お名前だけはずっと聞いていたのですが、お会いするのは初めてです。
あいても同じ状況のようで、そのおかげであった途端に窮地のような気がししまいました。
お一人は、働き方改革などに取り組んでいる高山さん。
もうひとりは、長年学研で教育教材の開発をしてきた小美濃さんです。

お2人ともコミーの顧問をされています。
いい出会いでした。

■内藤さんの構想(2018年10月24日)
カシュカシュの内藤さんが、いまちょっと苦境にいます。
彼女は長年の構想を昨年から今年にかけて言語化し、可視化してきました。
そしてそれに向けての一歩も踏み出しました。
しかし現実はかなり厳しい状況で、苦戦しているのです。
それで時々湯島に雑談に来ています。

彼女の構想を先週、地元でプレゼンしました。
とてもわかりやすい形でまとめています。
もしお時間があれば見てください。
https://www.facebook.com/akiko.naitoh/notes?lst=1709527228%3A1078156036%3A1540726938
共感したら応援してやってください。
私に連絡してもらえれば、彼女につなげます。

■カフェサロン「地方政治の現場から考える日本の政治の未来」(2018年10月24日)
「女子高生」、正確には「女・子・高・生」つまり「女性・子ども(若者)・高齢者・生活者」が政治を変えていくというテーマのサロンは、自治体の女性議員3人を含め、16人とにぎやかなサロンになりました。
河野さんは、これまでもそうした「女・子・高・生」の活躍できる場づくりにも取り組んできていますが、それは、地元宇部での実践活動の中で体験的に女性や若者のパワーを実感し、経験的に「女・子・高・生」への期待が高まったそうで、最近はやりの「女性活用の発想」などとは全く違ったものだと、話の中でも強調されていました。
最近の女性活用などの掛け声は、政治のみならず経済の分野でも広がっていますし、制度面での整備は進んでいますが、上滑りなものも多く、実体はむしろ逆行ではないかと思うようなものもありますが、河野さんは実践からの提案なので、私にはとても安心して聴ける話でした。

直接的・具体的に話すというよりも、聴く人に考えさせるのが河野さんのスタイルなので、今回もさまざまな話を含ませながら、さまざまな示唆を出してもらったように思います。

参加者の中には、30年以上前から女性議員を増やす活動に取り組んでいる松戸市の市会議員の中田さんをはじめ、市議や県議として今の政治を変えていこうと健闘されている2人の女性議員たちも参加して下さっていましたが、そのみなさんの話を聴く限りでは、残念ながらまだまだ「昭和の男性」たちが中心になっている地方政治の現実は変わってきたとは言えないようです。

横浜市の行政職員の方が参加して下さっていましたが、市長が女性になったら変わってきたというお話がありました。
そういう意味では、女性議員が増えたり、首長に女性がついたりすることが、政治を変えていくことにつながっていくことはたしかです。
しかし、河野さんの住んでいる宇部市も女性市長ですが、首長だけでは限界があるようです。
それに関しては、首都圏などの大都市部と地方とでは住民意識も違い、地方の政治体質はまだまだ変わっていないという話もありました。
たしかに首長の力は大きいですが、それだけでは政治は変わらないでしょう。
「住民視点の政治」や「生活のための政治」を目指すのであれば、変わるべきは政治家ではなく、住民の政治意識(生活意識)でなければいけません。
その意味で、まずは議会で女性が活躍できる状況をつくりだすことが不可欠です。
しかし、そのためにも、住民の意識や行動が変わっていく必要がある。
それは同時に、「政治」をどう捉えるかという問題につながります。

今回のサロンにも女性の方が数名参加してくださいましたが、ひとりの方(いわゆる「専業主婦」の方)が、河野さんの話の後の話し合いは、自分が期待していたようなものではなかったという素直な感想を述べてくれました。
湯島では時々政治をテーマにしたサロンを開催していますが、男性が語る政治と女性が語る政治は、まったく視点が違うような気がします。
男性はすぐに安全保障とか財政赤字を話題にしがちですが、女性は生活の不安や家計の心配を問題にします。
いずれも大事な問題で、深くつながっていますが、視点が全く違うのです。
権力や統治という視点から考えるか、個人の尊厳や生活という視点で考えるかで、政治はまったく別のものになります。
サロンの翌日、湯島に別件で来た女性は、昨日のサロンに参加しようかどうか直前まで迷っていたのだが、やはり参加しなかったと言いました。
たぶん、男性の政治論議になるので自分には居場所がないだろうと思ったのでしょう。
そうしたことにこそ、やはり日本の「政治」の問題があるような気がします。

河野さんのメッセージには、「生活者」も主役の一つに挙げられています。
これに関しても「生活者」とは誰なのかという指摘もありました。
「生活者」という概念はかなり古くからありますが、「消費者」と違ってなかなか定着しません。
この議論は今回はあまり深入りしませんでしたが、一度、このテーマでサロンをしようと思いました。
「生活者」という言葉は、経世済民とつながるもので、経済の変質を考える上でもとても重要な切り口です。
同じように、政治の世界もまた、生活とのつながりがとても重要だろうと思います。
政治家は、政治家である前に、生活者でなければいけません。
戦争が起こったら、自らが戦場に行く気概で、あるいはオリンピックの予算が増えたら自分の家計から補てんしていくくらいの責任感をもって、つまり自らの生活とつなげて、憲法論議やオリンピック招致、あるいは海外援助をしてほしいです。
あまりに税金を気楽に使っているので、税金は「取られている」という気にさえなってしまいます。
首長や議員と行政職員の関係も少し話題になりました。
それも含めて、議員と住民の関係や首長と議員の関係、さらには地方議員と国会議員(政党)の関係など、政治のあり方を考える上では、そうした関係のあり方を考え直す必要があるように思います。

ほかにもいろいろと話題はでましたが、サロンですので、いろんなところに飛び火して、にぎやかな話し合いになりました。
政治や戦争に関するボードゲームの話にまでなりました。

河野さんは、これから自分の考えを実践に移していくことを考えています。
今回は、それをどう進めていくかも少し話してくれました。
その進め方は、住民たちが話し合いながら、「女・子・高・生」のエネルギーを地方議会に顕在化させていこうという「運動型」の活動です。
政治は「プロセス」だと考えている私としてはとても共感できます。
政治は「国会」や「地方議会」の中にあるのではありません。
生活の場での日常生活の中にこそある。
日本の野党は、それを軽視しているために国民の意見を力にできずにいます。
政治の構図の捉え方を変えていくべき時期だろうと思います。

河野さんのプロジェクトがどう展開していくか、とても期待しています。
具体化したらまた差しさわりのない範囲で紹介したいと思いますので、みなさんにもぜひ関心を持ってもらい、もし共感できたら、応援してもらえればうれしいです。
宇部市民でなくても応援する方法はたくさんあります。
それも今回参加された中田さんから教えてもらいました。

ちなみに、今回のサロンには、河野さんが宇部市民であることを知って、宇部出身者が2人も参加しました。
宇部の人たちは、政治意識(郷土意識〉が高いことに感心しました。
私も一時、少しだけ関わらせてもらいましたが、改めて宇部市が好きになりました。

また長い報告になってしまいましたが、政治は私たちの生活の土台です。
しばらく開いていない「茶色の朝」シリーズのサロンも11月に開催したいと思っています。

■畑仕事の小作人稼業復活(2018年10月25日)
久し振りに畑に行きました。2週間ぶりくらいでしょうか。
台風で荒らされた後は、草取りの気力も出ないほどでしたが、今日は午前中、時間が空いていたのでちょっとがんばりました。
まあ、「ちょっと」ですが。
それにしても野草の成長はすごいです。
野菜の種(たしかタマネギ)と花の種(なんだか忘れてしまいましたが)を植えていたところは、いずれもなんだか見たこともないものを含めて賑やかに草が広がっていました。
野草なのかお目当てのものなのかわからないので放置してきました。
ミニトマトはほぼすべて地面に落ちていましたし、ほかの者は成長しすぎて食べられそうにもありません。
スイカはまた小さなのが成っていました。
キャベツと白菜は元気ですが、丸くはなってきていません。

花壇は百日草が復活し、マリ−ゴールドが満開でした。

久し振りの畑で汗びっしょりになりました。
いささかがんばりすぎて、時間が遅れてしまい、シャワーする暇もなく、出かけないといけません。

■キャリアコンサルタントの藤田廣志さん(2018年10月25日)
友人の紹介で、藤田さんという方が湯島に来ました。
藤田さんは1級キャリアコンサルティング技能士として様々な活動をされています。
湯島に来たのは、ある本の翻訳出版とご自分のこれまでの活動からのノウハウをテキストにして出版することの相談です。
私のこれまでの経験を踏まえて、むしろその進め方に大きな意味があることをお伝えしました。
上手くいくといいのですが。

それはそれとして、2時間ほど、キャリアコンサルティングに関して意見交換しました。
シャインの話や社会構成主義の話など、話はとても広がりましたが、キャリアコンサルティングについてこれだけ議論したことはありません。
キャリアは環境との関係において育っていくという点では一致しました。

私自身は、企業経営の視点からのキャリア形成には大きな違和感を持っています。
昨今のような大きな時代の変わり目には、むしろもっと広範囲で多様な視点が必要でしょう。
ですからこのテーマは話し合う気にもならなかったのですが、今回はちょっと面白かったです。

ちなみに藤田さんは、フランス流のキャリアコンサルティングを行っているそうです。

■石場さんと江澤さんの疑問(2018年10月25日)
先日の死と生を支え合うコミュニティづくりに参加した石場さんが湯島に来ました。
プロジェクトの展開に先立ち話したいことがあると言われていたので、何かなと思っていましたが、まあいろいろとありました。
江澤さんを誘って来てくれました。
最初に石場さんから「コムケア活動」のことを訊かれました。
つづいて江澤さんから間接的にですが、私がどうやって生活費を得ているのだろうかというような質問がありました。
それはそう難しい話ではありません。
生活費が必要になれば、どこかからお金が入って来るのです。
入ってこなければ、仕事をしなければ、なんとか生き抜けるのです。
そういう生き方は、今では珍しいでしょうが、昔は、とりわけ縄文時代は普通だったはずです。

それから本題に入りましたが、何が本田以下あんまりわからなくなってしまいました。
おそらく湯島に来る人たちは、あまりの異空間なので、たぶん私が放すことに混乱してしまうのかもしれません。
私の生き方が、どうも普通でないことを最近思い知らされることが少なくありません。
困ったものです。

■杉本さんとのミーティング(2018年10月25日)
個人と組織の関係の研究会の提唱者の杉本さんが、相談があると言って湯島に来ました。
相談というのは、きちんと話すと長くなるのですが、要は研究会のスタイルを変えるとともに、ネットで杉本さんの論文をはじめ、情報発信していきたいということでした。
すでに杉本さんは、新しい著作の原稿を完成しているのですが、出版というよりもむしろそれを効果的に社会に発信していきたいとお考えのようです。

そこで、研究会のシーズン2は次回で終わり、シーズン3に移ることにしました。
起案しなければいけません。
さてさて。

(2018年10月第3週)
■信頼し合い支え合う関係をシェアするコミュニティづくりプロジェクト
(2018年10月14日)
■湯島のカフェに突然のお客様がありました(2018年10月14日)
■企業サロン「企業の〈インターナルコミュニケーション〉を考える」(2018年10月14日)
■パソコンがクラッシュ!(2018年10月15日)
■「ホモ・デウス」を読みました(2018年10月18日)
■すぎのファームでパピルスをもらいました(2018年10月19日)
■第3回有機野菜の旬を楽しむ会(2018年10月20日)

■信頼し合い支え合う関係をシェアするコミュニティづくりプロジェクト(2018年10月14日)
湯島のサロンからまたひとつプロジェクトが生まれつつあります。
それもかなり湯島のサロンのビジョンにつながるプロジェクトです。
湯島のサロンは、最初オープンサロンから始まりましたが、途中からもう一つの活動のコムケアサロンと合流しました。
コムケアサロンは、コムケア活動の一環として始めたものでしたが、コムケアはコミュニティケアの略でした。
住友生命から委託されたNPOへの資金助成プログラムの一貫でしたが、当時、日本では「コミュニティケア」は「施設福祉から地域福祉へ」、それもその背景に福祉財政削減の意図を感じました。
そうした潮流への反発もあって、あえて「コミュニティケア」という言葉を使用しました。

ビジョンは、「大きな福祉」を目指す「共創型相互支援」ネットワークづくりでした。
その構想は、住友生命の関係者の全面的な支援を受けて、自由に取り組ませてもらいましたが、私がいささか活動にのめり込みすぎて体調を崩したこともあり、頓挫してしまいました。
その精神をコンセプトワークショップの活動として、いま引き継いでいます。
今のビジョンは、コミュニティケアではなく、ケアコミュニティです。
これに関しては、ブログなどで書いたことがありますが、取り組む気力が萎えたままでした。

今回のプロジェクトは、その時のことを思い出させてもらうようなものです。
これまで3回ほどやった「安心して死を迎えられる生き方」をテーマにしたサロンのなかから、思いをシェアした人たちで、ゆるやかなコミュニティづくりに取り組もうということになったのです。
私も参加させてもらいました。
その1回目のキックオフミーティングが昨日開かれました。
私も含めて9人の人が参加しました。
みんな、ご自分の活動をされていたり、取り組みたい活動を持っていたりする人たちです。
全体として目指す方向のたたき台を話し合った後、それぞれの活動や思いが披瀝されました。
その中で、それぞれができることも紹介されました。

まだゆるやかでゆる〜いコミュニティですが、具体的な事業にも(それぞれが中心になって)取り組みながら、コミュニティを実体化させていくことになりました。
さまざまなタレントがつながっていくことで、 “ゆりかごから墓場、そして死後の世界まで”をつなげたコミュニティが育っていくといいなと、私は勝手に期待しています。
家族や地域や組織の“縁”とはまた違った、“第4の縁”を育てていきたいという、このプロジェクトのきっかけをつくってくれた中下さんの思いも、ぜひ実現したいと思います。
関心のある人はご連絡ください。
このコミュニティも、ゆっくりと広げていく予定です。

■湯島のカフェに突然のお客様がありました(2018年10月14日)
突然電話がかかってきました。
これから湯島に行って珈琲を飲んでもいいですか。
霜里農場の金子友子さんと大泉学園市民農園の永作肇子さんです。
個の2人にはとても大きなお世話になっていますので、断れません。
いまどこにいるのかと質問したら、湯島に居るので1分ほどで着くというのです。
なんと断れない状況です。
困ったものです。

もちろん大歓迎です。
おふたりはお礼にとゆでたての枝豆を置いていきました。
不思議な人たちです。
なにやら都内のイベントに参加した帰りだそうです。

友子さんは、手づくりのパンを、これはおさむくんの食事だと言っておいていきました。さら2人が帰ったと気が付いたのですが、野菜が一袋置いてありました。
私がよほど貧乏だと思っているようです。
これほど豊かな人はいないと言えるほど豊かなのに、困ったものです。
なにしろ寒くなったのに、靴下も履かずに湯島に通っているので、心配してくれているのでしょう。
しかし、心配する人がいることは幸せなことです。
私はパンと野菜をもらい、彼女は幸せをもらう。
良い取引かもしれません。はい。
これを読んだらもうパンも野菜も持ってこなくなるかもしれないので、世荒れないようにしないといけません。
はい。

■企業サロン「企業の〈インターナルコミュニケーション〉を考える」(2018年10月14日)
〈インターナルコミュニケーション〉をテーマにした企業サロンは15人参加のにぎやかなサロンになりました。
最初に、清水正道さん(CCI研究所代表・日本広報学会前理事長)から、これから発表しようとしている「インターナルコミュニケーション経営(IC経営)」の紹介をしてもらい、つづいて大企業と中小企業、それぞれについて数社の事例発表をしてもらいました。
パワーポイントを使用しての体系的なお話を要約するのは難しいので、近いうちに当日のサロンの映像記録を公開するようにします。
また当日清水さんが使用したパワーポイントですが、10月28日に開催される日本広報学会シンポジウムで報告発表後、関心のある人にはデータを提供して下さるそうです。
ご希望の方は、CCI研究所代表・清水正道さん宛に、ご自分のメールアドレスを連絡すると、29日以降に清水さんからデータを送って下さるとのことです。
メールアドレスは、tactico@nifty.com です。
したがって清水さんのお話はそれをぜひご覧ください。

話し合いはまたいつものようにいろいろと広がりました。
清水さんは「インナーコミュニケーション」と「インターナルコミュニケーション」の違いも含めて、最初に注意すべき2点を指摘しました。
まずそもそも「インナー」とは「内面」というような「自分自身とのコミュニケーション」という意味がありますので、違う概念であること。
そして、インターナルという場合、インとアウターの境界(バウンダリー)をどこに置くかが重要な問題であることです。
特に、インターナルコミュニケーションを考える時の視野をどこまで包摂していくかは、コミュニケーションにとっての本質的な問題です。
参加者の椎原さんは、最近は「コミュニケーション」ではなく「リレーション」の視点から考えるようにしていると話されました。
私自身は、さらに一歩進んで、そこから新しい価値が生まれるという意味で「コラボレーション」の視点を大事にするべきだと考えています。

IC活動あるいはIC経営を進めることで、どういう価値あるいは目的が達成されるのかという質問も出ました。
いうまでもなく組織のパフォーマンスが上がるということでしょうが、そのパフォーマンスの捉え方がいま大きな岐路にあるように思います。
そういう意味では、コミュニケーションの問題は実は組織論の問題になって行くはずです。
ティール組織や企業規模の問題にも少し話が広がりました。

組織で働く人の話も出ました。
そもそも組織のメンバーが、最近は主体的に思考し主体的に動くということができにくくなっているのではないかという話にもなりました。
私自身はそこにこそ現在の企業のコミュニケーション問題の本質があるように思います。
自分で考えて主体的に行動する人どうしで行われるコミュニケーションか、それとも指示に従って動くだけの情報伝達型のコミュニケーションかによっては、その意味も方法も全く違ってきます。
同じ「コミュニケーション」という言葉を使いながら、それは全く違うもののように思えます。
言い換えれば「機械的コミュニケーション」か「人間的コミュニケーション」かと言ってもいいでしょう。
ここまで来ると、経営そのものの話になってきて、その流れで、組織論やモチベーション論、さらにはCSRの話も出ました。

大企業と中小企業の事例が紹介されましたが、参加者からは規模によってIC経営のスタイルは違ってくるのではないかという指摘もありました。
しかし、仮にそうだとすれば、用語を変える必要があるでしょう。

コミュニケーション問題は長年の組織活動に於ける重要課題です。
一番問題なのは、「コミュニケーション」をどう捉えるかということではないかと思いますが、IC経営の提案が、そうした視点をぜひ出してほしいと期待しています。

今回のサロンでも話題になったいくつかの企業の事例を題材にして、具体的なサロンをまた企画したいと思っています。

■パソコンがクラッシュ!(2018年10月15日)
まだ「周辺での壊れ現象」は続いています。
今日は、なんと自宅のパソコンがクラッシュしてしまいました。
画面に突然、クラッシュの文字が出て、パソコンが切れました。
電源を入れ直してもすぐに自動的に電源が切れてしまいます。
コンセントを抜いてしばらく様子を見て、また入れて再起動してみましたが、ダメでした。

いろんなデータが消滅してしまったといささか気が重くなりました。
最近は時間破産でバックアップもあまりとっていないのです。
会社のパソコンも壊れつつありますが、自宅のパソコンの壊れ方は突然死のようなものです。

いろいろとやってみましたがうんともすんとも言いません。
電源を入れてもすぐにダウンしてしまう。
そこで苦肉の策を取りました。
電源を入れると同時に、冗談を言いながらパソコンを叩いたのです。
ところが、です。
何とパソコンが起動しだしたのです。
冗談だろうと思いましたが、実際に動き出したのです。

やはりパソコンは生きている。
感情を持っているのです。
みなさんもパソコンが壊れたら、優しくたたくといいです。
さらに壊れたとしても、私は一切責任を持ちませんが、叩くことで故障が直る経験はこの1か月で2回目です。
機械たちからパワハラだと叱られることもないでしょう。

明日の朝が、いささか心配ではありますが

■「ホモ・デウス」を読みました(2018年10月18日)
話題になっている「ホモ・デウス」を読みました。
書かれていることのほぼすべてに同感しますが、新しい視点はあまりありません。
論理演算の結果を上手くまとめてありますが、退屈で、どうしたこういう本がこんなに話題になるのか、いつも不思議に思います。
たぶんそういう時代なのでしょう。
並行して、エドワード・サイードの「晩年のスタイル」も読みました。
あんまりワクワクしませんでした。
サイードと言えば、ラマラのコンサートを思い出します。
もう10年以上前に、私のホームページに書いた記憶があるので探しましたが、記事はあったものの関連記事がなぜか削除されていました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2006/09/post_5897.html
きっとホームページの契約を変えた際に消えてしまったのでしょう。
残念です。
ついでに今週はもう一冊、真木悠介さんの「時間の比較社会学」を読みだしました。
万葉集と古今和歌集の歌から時間観を読み解くところがとても興味深く、でもちょっと消化が難しく、なかなか進みません。
最近読書速度が落ちてしまいました。
まあそれだけきちんと読むようになったのかもしれません。
3日ほど、読書三昧でした。

■すぎのファームでパピルスをもらいました(2018年10月19日)
久し振りにすぎのファームに行きました。
年末を過ぎて新年まで持ち越せる「王秋」という梨を購入させてもらいました。
昨年初めて知りました。
とても大きな立派な梨です。

庭にパピリスが元気に育っていました。
わが家のパピルスは何回もチャレンジしましたが、いつも枯らせてしまっていました。
杉野さんは、これは丈夫だからと言って、一株くれました。
そして畑仕事の話になり、草取りが農業の基本だと教えてくれました。
フェイスブックで、私の畑作業を読んでいるようなので、恥ずかしい限りです。
息子さんから、もうひとつ、庭に生えていた名前のわからない花ももらってきました。
上手く育つといいのですが。

■第3回有機野菜の旬を楽しむ会(2018年10月20日)
霜里農場金子友子さん主催の「有機野菜の旬を楽しむ会」も3回目になりました。
今回は、この1年間、霜里農場で実習し、来月福岡に帰る「たなちゃん」こと棚町弘一郎さんがゲストで、棚町さんの新たな門出の祝いを兼ねての、「たなちゃん送別会サロン」でした。
そのおかげで、たなちゃん世代の若い人たちがたくさん参加してくれ、いつもとは違う雰囲気でした。
旬の有機野菜は「枝豆」。
「枝豆」ということもあって、参加者からビールの差し入れもありました。

最初に、たなちゃんから、なぜ農業を志したのか、そしてなぜ実習の場所が霜里農場だったかの話があり、それから福岡に戻ってからの活動の構想が紹介されました。
たなちゃん手作りの紙芝居的イラストを使っての話は、とても共感できるものでした。

たなちゃんは作物科学というのを大学で専攻したそうですが、そこでいくつかの疑問にぶつかったようです。
そして自分は研究ではなく実際の農業の現場で活動しゆと決断したそうです。
その背景にはたなちゃんの生き方に関わる3つの信条がありました。
「自然を大切にすること」「人の役に立つこと」「身近な人を大切にすること」です。
もしかしたら、いまの農業は自然を壊しているのかもしれません。
しかし、自然を豊かにする農の営みもあるはずです。
それがたなちゃんの思いだったようです。
また「農業」を通して、みんなの、特に身近な人の役に立ちたいと思っているたなちゃんは、農業への取り組みがその地域全体を豊かにすることにつながっていけばいいなと思っています。
ですから、霜里農場のように、そこから地域全体に広がっていくスタイルに、たなちゃんは惚れ込んだわけです。
そこで霜里農場での1年間の実習を決めたそうです。
こうしたたなちゃんの生き方に私はとても共感しました。

福岡に帰ってどうするか。
まずは引き続きもう少し有機農業を地元で学ぶそうですが、並行して福岡市の郊外に自分の農場をつくるそうです。
場所も大体決まっていて、室見川の上流の、まだあまり有機農業が行なわれていないところのようです。
その場所を選んだ理由もとても共感できるものでした。
そして、3つのことをやりたいと話しました。
「寺小屋」「引き売り」「室見川流域の生活つなぎ」です。
内容は省略しますが、これは私が理想としている構想にも通じますので、とても感心しました。

何やらとても明るい未来を感ずる話でした。
それにたなちゃんを応援する若者たちもみんな農業に関心を持っているようで、とても元気をもらえました。

枝豆を味わう前に、少しだけ話し合いをしました。
いろんな話がありましたが、「有機野菜」の対語が「慣行野菜」だと知りました。
私は「有機野菜」や「有機農業」という言葉に違和感がありますが、「慣行野菜」という言葉には拒否感を持ちました。
ネットで調べたら、化学肥料を主に使って栽培した野菜を「慣行野菜」というようです。
化学肥料を使用するのが「慣行」?
一体どうなっているのでしょうか。
どう考えてもおかしい。
日本の農の営みは、自然との循環の中で、土や自然とともにあったはずです。
化学物質で土を殺し、野菜を追いやる農は断じて日本の「慣行」ではなかったはずです。
そうした用語を許している農業関係者にがっかりしました。
たなちゃんの話に元気をもらったはずが、そのことで一挙に元気を失いました。
ここから少し怒りを感じて、草取りが大変だなどという考えを捨てようとか機械を使っても有機農業といえるのかなどと、ついつい暴言を吐いてしまいました。
あとでたぶん友子さんに叱られるでしょう。

それはそれとして、たなちゃんのこれからの活動が楽しみです。
たなちゃんの友人で、短期間ですが、やはり霜里農場で実習した田中さんが、実家でつくっているという無農薬のリンゴを持ってきてくれました。
彼も農家を継ぐ思いがあるようです。
無農薬のリンゴ。
その彼も、後で「皆さんの前で話せるような立派な農家になれるように頑張ります!」とメールをくれました。
また元気になれました。

とてもいいサロンでした。
農業は、いや正確には、「農の営み」は、人を誠実にし、素直にし、元気にしてくれることを改めて確信しました。

たなちゃんのこれからの活動が楽しみです。



(2018年10月第2週)
■かなりハードなカフェサロン「近代国家幻想を考える」(2018年10月7日)
■個人と組織の関係研究会(2018年10月7日)
■幸運を呼ぶ人(2018年10月9日)
■ほっとスマイルプロジェクトが新しいステップに(2018年10月9日)
■またサロンの延期(2018年10月11日)
■公共とは何か(2018年10月12日)

■かなりハードなカフェサロン「近代国家幻想を考える」(2018年10月7日)
台風で一週間伸びましたが、湯島初の「かなりハードなカフェサロン」を開催しました。
テーマは、「近代国家幻想を考える」。
話題提供者は柴崎明さん。
参加者は、いずれも一家言ある難しそうな人たち6人と平均人の私の7人。
柴崎さんは、トランクいっぱいの書籍を持参しました。
それで「ハードカフェ」の雰囲気は整いました。

柴崎さんの話は経済人類学のポランニーと古事記の神話から始まりました。
そして、フロイト、フーコー、ラカンなどの話を経由して、国家幻想に関する話へと広がり、近代国家を超えるものへの問題提起で終わりました。
間奏曲として、柴崎さんが地元で調べた地域の神様の話はとても面白かったですが、それと国家幻想とは深くつながっているような気がします。

「幻想」は、与えられた幻想と生まれてきた幻想があります。
地域の神様は、そこで住んでいる人たちの生活の中から生まれてきた共同幻想の象徴であり、そこからコミュニティやアソシエーションが育っていきます。
一方、近代国家は、そうした幻想を上手く利用しながら、もっと強力な幻想を創りだし、それをそこで住んでいる人たちに与えていきます。
草の根的に生まれ育った地域社会の幻想は、そうした大きな幻想に絡め取られ、地域の神様は国家の神様や宗教教団の神様に敗退していき、従属させられていく。
それが近代の大きな流れだったような気がします。

さらに、2つの神が両立しないように、国家体制は一元化されていく。
それを見事に達成したのが、明治政府かもしれません。
こうなると、ここで先の「宗教サロン」ともつながっていく。
そんな気がします。

あんまりサロンの要約報告にはなっていないような気がします。
映像記録をユーチュブでアップしますので、関心のある方はそれをご覧ください。

ちなみに、この柴崎サロンシリーズは不定期に開催します。
なにしろ柴崎さんの頭の中にある知識と論考は、一度くらいでは引きだせませんので。

■個人と組織の関係研究会(2018年10月7日)
今回は淑徳大学教授の斎藤さんからさまざまな問いかけがなされ、それに関して議論しました。
一番面白かったのは、AIの影響でした。
私は、AIが出現したことで人間の役割は終えるだろうと考えています。いや役割が変わるというべきでしょうか。
生産はAIの仕事、消費が人間の仕事となるように思います。
それで今まで長年考えていた「お金を消費する」仕事をはじめようと思います。
フェイスブックで予告しました。
私の思い付きはいつも現実化するまで数十年かかるので、私の大ではうまくいかないかもしれませんが、試みる価値はあるでしょう。
次回は「ティール組織」をテーマにします。

■幸運を呼ぶ人(2018年10月9日)
いささか大変な状況にある人がやってきました。
寄居に住んでいる内藤さんです。
どんなに大変な時にも、表情にはほとんど出しません。
時々、ちょっと自然と出ることはありますが。
雑談しました。
夜、メールが来ました。
すべてがいい方向に向かいだしたようです。
もう大丈夫でしょう。
彼女はいつも宇宙に守られています。
私も最近はずっとお天道様に守られている気がします。
もしかしたら、内藤さんは湯島にも「幸運」を落としていってくれたかもしれません。

■ほっとスマイルプロジェクトが新しいステップに(2018年10月9日)
ほっとスマイルプロジェクトは、当初の意図と違って、当面は認知症予防ゲームの実践者の交流会にしたいという女性陣の要請で、あえて枠を広げたり組織化を進めたりはしないで、内輪の活動としてやってきました。
しかしそろそろ機が熟してきたのと、このままでは立ち消えになりかねないので、そろそろと思い、あるイベントを社会に向けてやろうと提案しました。
全員賛成。
来年2月頃をめどに、イベントを開催することになりました。
みんなでイベントをやると、組織化に向かいだします。
さてさて久し振りに私の好きな「実行委員化」を立ち上げます。
テーマは、認知症予防なのですが。

■またサロンの延期(2018年10月11日)
12日に神戸大の名誉教授の阿部さんに「日本列島〈法〉改造論」をテーマにしたサロンを予定していました。
参加者も10人を超え、新潟からの遠来の参加者もあって楽しみにしていたのですが、阿部さんにトラブルが起こり、上京できなくなり、延期になりました。
今月はなんとサロンの延期が2回目です。
参加申込者には伝えましたが、広く告知しているので、大変です。
前回は、告知に気づかなかった人が湯島に行ってしまいました。
そうならないようにしないといけません。
ストレスがたまります。

■公共とは何か(2018年10月12日)
リンカーンクラブの武田さんと久しぶりに議論をしました。
いろいろとテーマはありましたが、今回のポイントは「公共」とはなにかです。
唖然としたのは、「公共」の捉え方が全く違っているということです。
私は「公共」というのは、ごまかしの論理だと思っています。
「公」は組織の論理、「共」は個人の論理だと思っているからです。
「公」はよくパブリックと訳されますが、たとえばパブリックスクールは英国では私立学校ですが、アメリカでは公立学校です。
なぜ違っているのかにたぶんヒントがあります。

日本では、「公共」イコール「官」と言ってもいいでしょう。
以前ブログで書きましたが、公共の場所には私人が入れなくされることもあります。
昔私が住んでいる我孫子市でも駅前の私有地が囲われて誰も使えなくなったことがあります。
公有地は住民の地ではないのです。

武田さんにして、そうであれば、私の話を理解してくれる人はほとんどいなかったことになる。
20年歩前から講演などでは話していましたが、考えてみると、湯島では話したことがない。
一度、サロンをやってみようかと思いました。

(2018年10月第1週)
■台風24号の風はすごかったです(2018年10月1日)
■縁カフェ(2018年10月1日)
■端田さんの来訪(2018年10月4日)
■竹之内さんと千葉さん(2018年10月5日)
■カフェサロン「自閉症児を受容し親になる」(2018年10月6日)

■台風24号の風はすごかったです(2018年10月1日)
昨夜、我孫子にも台風24号の強風がやってきました。
高台のはずれの風の通り道に家があるため、風で家が揺れ、風音で眠れない夜でした。
幸いにさほど被害はありませんでしたが、朝起きたら皇帝ダリアの葉がまったくなくなっていたり、元気だった琉球朝顔の葉がほぼすべて萎えたりしていました。
花木のダメッジはかなりのものですが、まあ数日したら復活するでしょう。

隣りの家はわが家よりも高台なのですが、その庭の皇帝ダリアがぽっきり折れていました。
いつも楽しみにしていたので、残念です。

畑に行く途中もいろいろとありました。
突き当たりのOさんの庭の樹が折れてしまったそうで、ご夫婦で片づけをやっていました。
途中にある栗の木からは、毬栗が道に落ちていました。

畑は前回以上にひどい状況で、花壇の百日草はめちゃくちゃになっていました。
直すのも大変そうなので、そのまま戻ってきました。
心配なのは、先日移植したイチジクですが、葉っぱがかなりダメッジを受けていました。
農家や果樹園の人たちの被害に比べれば、問題にもならない話ですが。

それにしてすごい風でした。
しかし、いささか不謹慎かもしれませんが、いろんな邪気をとばしてくれたような気もして、今朝は寝不足でフラフラですが、気分は明るいです。
社会の浄化も、これくらいの風を起こさないといけないのかもしれません。

■縁カフェ(2018年10月1日)
今日の縁カフェはお客様は6人でした。
珈琲を飲んですぐ帰るとか、寄り道でちょっと寄ったとか、そんな感じでしたが、結局、閉店時間になっても議論が終わらず、閉店時間が延びました。
仕事をしに来た人もいるのでしょうが、話がうるさくて仕事はできなかったでしょう。

話題は、スポーツと音楽とリベラルアーツでした。
教育問題もあったような気もします。
言葉とコンテンツと様式などといった、難しい議論もありましたが、スポーツ選手のドーピングはどうして悪いのかというような「良識」のない質問も出ました。
困ったものです。

みんな井上陽水が好きのようです。
特に「傘がない」が絶賛されていました。
12回聴くとどんな歌もなんとなく好きになるという、「12回の法則」も開陳されました。

店主として、私が好きな永六輔の「生きているということは」を無理やり流したのですが、あんまり感動してもらえませんでした。
困ったものです。
その腹いせにここに紹介します。
ぜひお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=Gt8posdmTaM
ついでに「いきるものの歌」も。
次回の縁カフェは、これをBGMで流そうかと思いますが、著作権料がかかると悪いのでやめましょう。

今日の売り上げはしめて3000円。
これで基金は15000円を超えました。

■端田さんの来訪(2018年10月4日)
仙台の端田さんが湯島に来ました。
端田さんとの最初の出会いは、彼が宮城大学に入学した直後だと思います。
宮城大学の教授だった半田さんが立ち上げた日本構想学会で一緒だったのです。
以来、構想学会で時々会っていましたが、その構想学会も解散し、なかなか会う機会を得られませんでした。
フェイスブックでは時々やりとりがありましたが、会うのは本当に久しぶりです。
いまはもう会社の管理職ですが、話しているとやはり当時の思いがまだしっかりと残っているのが伝わってきます。
構想学会の仲間の話もいろいろと出ました。
今度みんなで会う機会をつくれればと思います。

■竹之内さんと千葉さん(2018年10月5日)
山城経営研究所の竹之内さんとコレカラ・サポートの千葉さんをお引き合わせしました。
NPOと企業の共創関係が、これからはとても大切だと思っていますが、なかなかそうした共創活動は難しいです。
竹之内さんは、経営幹部を育てていく経営道フォーラムの立ち上げ時から関わっていて、私も長年そのプロジェクトに関わっていましたので、私のことはよく知っていますが、逆に私も今の企業が置かれている状況をそれなりに知っています。
状況を打開する方法は、実に簡単なのですが、なかなかそれに取り組めないのがいまの企業です。
経営者教育も考え方を変えるべき時期ではないかと思いますが、日本では難しそうです。

竹之内さんと千葉さんのつながりが、何か新しい物語を生みだしていくことを願い、あす。

■カフェサロン「自閉症児を受容し親になる」(2018年10月6日)
松永さんのサロンも、今回で3回目です。
今回のテーマは、これまでの難病の子どもと違って「自閉症児」。
松永さんの世界は、どんどん広くなり深くなり、メッセージの普遍性が強まってきています。
今回は、最近出版した「発達障害に生まれて - 自閉症児と母の17年」の勇太君母子のことを中心に、これまでの2作品にも言及されながら、そしてご自身の思いも込められながら、お話をしてくださいました。
キーワードは「受容」と「普通」。
松永さんのお話は映像記録していますので、関心のある人はご連絡ください。

「受容」に関しては、キューブラー・ロスの「死の受容の5段階」に即しながら、「受容」のプロセスとその過程でどういうことが創発されるのかを話してくれました。
そして、「死」ではなく「生」の場合は、最後の段階の「受容」こそが、始まりなのだとして、「生の受容の5段階」(私の勝手な命名です)松永モデルを紹介してくれました。
このモデルは、これからきっと松永さんによって深化していくでしょうが、とても示唆に富んでいます。

「普通」に関しては、具体的なエピソードによって「普通という呪縛」を気づかせてくれました。
もしかしたら、「普通呪縛」によって、私たちは「発達障害」などの「異常化」を進めているのかもしれません。
今の時代は、「ちょっと変わった子ども」はいなくなってしまっているのかもしれません。
実は昨日、別のサロンで、引きこもり問題に関わっている人から、最近は不登校の子供が薬を飲まされて薬害が問題になっているという恐ろしい話も聞きました。
「普通呪縛」からどうしたら自由になれるのか。
松永さんのお話には、健常者の脳を捨てることが大切という指摘もありましたが、健常であることと普通であることとは同じなのか、そしてそういう言葉に果たして実体はあるのだろうかというようなことを思いました。

松永さんは、障害者が幸福に生きる条件を2つあげました。
「居場所をつくること」と「自立と共生」です。
居場所は物理的な場所というよりも、人との出会い、社会に関わっていくこと。
自立と共生とは、お互いに支え合っている言葉であることを理解すること。
とても示唆に富んでいる指摘だと思います。
ちなみに、イヴァン・イリイチという人は「コンヴィヴィアリティ」という言葉で、以前から「自立共生」をワンセットで捉えています。

ほかにも、心に残った言葉はたくさんあります。
いくつかを羅列します。
子どもにとって親の存在が安全基地になる。
人に助けを求めることが社会とのつながりを育ていく。
会話が成り立たなくとも信頼関係や愛は育てられる。
条件なしの愛と条件付きの愛の話も紹介したいですが、書きだしたらこれまたきりがなさそうです。

最後に、これは松永さんが以前から話されていることですが、「不幸を最小化する」社会にも言及されました。
「不幸を最小化する」社会を実現するためには、「最も弱い者(高齢者、新生児、障害者など)を守り、多様性を認め、共生することが大切だが、しかし現実は…」といって、勇太君の母親のブログに書きこまれたあるコメントを紹介してくれました。
それはこんなコメントです。
「やはり知的障害者の教育に我々の血税を費やすよりも本当に勉強したくても経済的事由で学校に行けない健常者にその税金を回すべきです」
とても哀しいコメントです。
このコメントを紹介した後、松永さんは、オスプレイの写真を見せながら、「血税」ってなんだと強い口調(激しい怒りの気持ちを感じました)で問いかけました。
1機100億円のオスプレイで、どれだけの人の生が支えられるのか。
その事実を、私たちはもっと知る必要があります。

参加者は14人でしたが、いろんな話が出ました。
発達障害のある家族がいる人や自分にも思い当たる人などもいて、話し合いはとても心に響くものが多かったです。

最初に出たのは「障害者」と「健常者」という言葉(概念)への違和感でした。
しかし、「障害者」という概念によって、そう言う人たちへの支援制度や社会の理解も進むという指摘もありました。

「仕事」とは何かというような話も出ました。
お金をもらう(あるいは「稼ぐ」)ことだけが仕事ではないのではないか。
仕事にはもっと大きな意味があるのではないかという話です。
自立とか就労支援ということの捉え方を、そろそろ変えないといけないのではないかと私は思っていますが、そのヒントもたくさんあったように思います。

書きだしたらきりがないので、これももしかしたらユーチューブで公開しますので、それを見てください。

最後に私の感想を話させてもらいました。
一つは「二次障害」の問題。
もしかしたら私自身が「普通呪縛」によって、子どもたち(あるいは周囲の人たちに)に二次障害を引き起こしてきたのではないかということに気づかせてもらったこと。
もうひとつは、勇太君の母親がいまとても幸せであるように、「自分にとっての勇太」を見つけることが、誰にでもできる、そして誰にとっても必要な、幸せになる条件だということに気づかせてもらったこと。
おかげで、私もちょっと生き方を正せるような気がします。

長い報告になってしまいましたが、まだ「発達障害に生まれて - 自閉症児と母の17年」(中央公論新社)をお読みでない方は、ぜひお読みください。
いろんな意味で、心が洗われ、世界が広くなると思います。

(2018年9月第4週)
■緊急サロン「ヤマトンチュが触れた沖縄の基地問題」(2018年9月23日)
■高林さんお疲れ様でした(2018年9月23日)
■カフェサロン「宗教をどう考えるか」(2018年9月23日)
■コーピング講座(2018年9月25日)
■ぽんゆうサロン(2018年9月27日)
■ライフプランニングリレーションズの阿部さん(2018年9月27日)

■緊急サロン「ヤマトンチュが触れた沖縄の基地問題」(2018年9月23日)
沖縄県の知事選挙が9月30日に行われます。
日本のこれからに大きな影響を与える選挙ですが、「本土」にはその動きはあまり伝わってきません。
そこで、最近、沖縄に2回も行って、選挙戦も身近に体験してきた瓜生さんに、現地報告もかねて、お話をお聞きしました。
せっかくの機会だったので、多くの人に聞いてほしかったのですが、当日集まったのは3人でした。
それを持って、沖縄の選挙への関心の低さの現れだと思いたくはありませんが、ちょっと残念な気がしました。

瓜生さんは、部屋に来るなり、臨場感を出そうとするように、沖縄で配られているチラシやポスターをホワイトボードに貼りだし、机の上には現地の新聞を並べました。
琉球新報などの現地の新聞の一面見出しと首都圏の全国紙の見出しは全く違います。
そうした情報環境に毎日さらされていると、それだけも意識は大きく変わってきます。
最近は新聞をとっていない人も多いですが、同じことはテレビでも言えるでしょう。
私たちが暮らしている社会の情報環境は大きな意味を持っています。
ですから、現地の情報環境を知ることもとても大切です。

瓜生さんは、これまでの沖縄の経緯を年表にしてきてくれましたが、それを踏まえて、沖縄といっても、北部・中部・南部、あるいは世代によっても、それぞれに意識が違うこと、基地問題と経済問題が二元的に対立しているわけではないこと、などを話してくれました。

話し合いでは、沖縄の「精神性」が一つの話題になりました。
それが、これからの日本、さらには世界にとって、大きな価値を持っているのではないか、ということです。
しかし、その「精神性」あるいは「沖縄の文化」も、次第に失われだしていること、世代によってもかなりの違いがあることなどが話題になりました。

ところで、瓜生さんは湯島に来る電車の中で、今回の沖縄の知事選に立候補している玉城デニーさんの演説をユーチューブで見たそうですが、涙が出てしまったと言って、涙顔でやってきました。
その映像は15分ほどですが、みなさんにもぜひ見てほしいです。
そこで、玉城さんは、沖縄の人たちのためだけではなく、ヤマトンチュウのためにも、がんばりたいと語りかけています。
玉城さんの視野は沖縄にとどまっているわけではありません。
日本を、そして世界を、そして未来を見ている。
私も演説を聞いて、そう思いました。
にもかかわらず、ヤマトンチュウの多くは、沖縄の動きを「沖縄問題」として捉えているような気がしてなりません。

そんな話をしながら、瓜生さんに、どうして沖縄に入れ込んでいるのかと質問しました。
瓜生さんは、そこが「自己決定権」を考える格好の場だからと即答されました。
とても共感しました。
私も、「自己決定権」を取り戻す生き方をしたいと思います。

いろいろと考えさせられることの多いサロンでした。
まもなくユーチューブも公開できると思いますが、まずは玉城デニーさんのスピーチ映像を見てもらえるとうれしいです。
https://www.facebook.com/miyagi.yoshihiro1/videos/2232306577058781/?hc_ref=ARQm27MYP1Cd_y0GeimKNpVXZ84Z-hlre-tM28N_1W1KjqBRbft3eYhClp29yis7u_Q&fref=nf

■高林さんお疲れ様でした(2018年9月23日)
認知症予防に長年取り組んでいたNPO法人認知症予防ネットの高林さんが、今春、理事長を退任されました。
高林さんが磨き上げてきた「みんなの認知症予防ゲーム」を全国に広げたいという高林さんの思いは実現しだしていますが、日本認知症予防学会の第8回学術集会に参加するため東京にいらっしゃったので、高林さんと一緒にゲームの普及に取り組んでいる人たちで、ミニお疲れさん会をやりました。
それにしてもみんな元気です。
高林さんと出会ったのは、15年ほど前ですが、まったく変わりません。
認知症予防ゲームは、もしかしたら歳をとることだけには効果がなく、老化の認知力が低下するのではないかと、昨日はふと思いました。

ちなみに、高林さんのゲーム体験会をやっていない県がまだいくつかあるそうです。
認知症予防に関心のある方は、ぜひ認知症予防ゲーム体験会を企画してください。
ほかのゲームとは違って、効果てきめんです。
関心のある人は、ご連絡ください。
私がエージェントを務めますので。

■カフェサロン「宗教をどう考えるか」(2018年9月23日)
「宗教をどう考えるか」というテーマでのサロンは、15人の人が集まりました。
最初に自己紹介を兼ねて、それぞれの宗教観のようなものを話してもらいました。
いろんな立場の方がいましたが、自らが特定の宗教の信徒だと明確に宣言された方はおらず、逆にむしろ無宗教的な発言をされた方は何人かいました。

その後、高林實結樹さんのご自身の宗教観(体験)を話してもらいました。
厳格なクリスチャンの家で育ち、しかし若くして内心「棄教」したという高林さんの話をもう少しきちんと聴くべきだったのですが、むしろ参加者のみなさんがどういう宗教観をお持ちなのかという高林さんの問いかけを受けて、宗教や信仰の話になり、そこから、死とか死後の世界とかに話がいきました。
そういう話になると、いろんな意見が出て、まさに放談会になりました。

途中で、宗教と死の話は同じ話なのかという指摘もありましたが、私の進行のまずさもあって、宗教論議よりも死んだらどうなるかなどといった話が中心になってしまいました。
話はとても盛り上がりましたが、高林さんの宗教観や生きる上で宗教はどんな意味があるのかといった、本来予定していたテーマの話とはちょっとずれてしまいました。
「宗教」をどう定義するかをもう少しきちんとしてから、話し合いにはいるべきでした。
進行役としての私の不手際でした。
そんなわけで、「宗教」を話し合うサロンは、改めてもう一度、企画させてもらいたいと思います。

宗教には「教団宗教」と「自然宗教」があると言われています。
どちらに基軸を置くかで、まったく違った議論になります。
前者に基軸を置くと日本人は「無宗教」になり、後者に基軸を置くと日本人ほど宗教心の篤い人たちはいないということになります。
日本人の信仰心や宗教心は、明治憲法で政府権力に絡め取られたという人もいますが、食事前の「いただきます」という言葉も含めて、日々の生活の中に今なおしっかりと残っているようにも思います。
ただ最近はあまり「お天道様」という言葉が聞けなくなっているのは残念ですが。

信教の自由を演出するために、神道は宗教ではなく習俗だとされましたが、個人の視点に立てば、神道を信仰している人はいまもいます。
政府の統治視点で考えるか、個人の生活視点で考えるかで、「宗教」の意味合いは全く変わってくると思いますが、いま必要なのは、生活視点で改めて「宗教」の意味を考え直すことではないかと思います。
そういう視点でサロンを開いたつもりが、まったく話は別の方向に向かってしまいました。
一部の人には、たぶん期待外れになったかと思います。すみません。

話し合いは、しかしいろいろと広がりました。
人は死んだら「モノ」になってしまうという意見には、最近、飼っていた猫を亡くした2人の女性から強い異議申し立てがありました。
そこから魂魄の話も出てきました。
中国では、肉体を支える気(魄)と精神を支える気(魂)とがあって、それが分離すると人は死ぬと言われていますが、分離した後、魂は天に、魄は土に戻ると言われます。
魂があるのかないのか、も議論になりましたが、高林さんは「土」に戻るとお考えのようでした。
その一方で、話し合いの中で、高林さんが「天命によって生きている」ことに改めて気づいたと発言されました。
明確に「棄教」し、以来、別の信仰を得ていないという合理主義者の高林さんも、天と土からは自由になっていないことに、私は宗教の本質を感じました。

翌日、高林さんから「勝手な放談がオモシロイですね。結構よれよれになった自分の来し方を
反省することができました」とメールが来ました。
もしかしたら、宗教とは自らの生き方を問い質すためのものなのかもしれません。
坪田さんは、宗教は「リファレンス=参照」だと割り切っているようです。

杉本さんが、科学技術の安全問題に関連して、「神」の話を出されましたが、科学技術と宗教の問題もいつか議論したいテーマです。
神を殺したことで、科学技術の暴走が始まったと私は思っています。

宗教をテーマにしたサロンははじめてでした。
いろんな気付きがありましたが、少し整理してサロンするのがよさそうです。

■コーピング講座(2018年9月25日)
一般社団法人コレカラ・サポートの千葉さんが湯島に来ました。
コーピング講座も卒業生が出始め、少しずつ軌道に乗っているようでうれしいです。
今湯島を拠点に取り組んでいる「だれもが安心して生きていける仕組みづくり」プロジェクトともつながっていますので、ゆるやかにつながっていければと思います。
コーピング講座は、企業に勤めている人にも大きな価値があると思います。
行政にはもちろんです。
私に何ができるかを考えようと思います。

■ぽんゆうサロン(2018年9月27日)
湯島では隔月で小学校時代のクラスメイトの集まりをやっています。
昨日は6人が集まりました。
参加予定だった 2人の男性は病院行きで急きょ欠席。
それに比べて女性は元気で、欠席だった人たちも「別の用事」で欠席。
話も、男性同士だと病気の話が多いですが、女性たちの話は違います。
女性たちは、今度は海外に行こうかなどと話していました。
男性と女性の違いをいつも感じます。
写真を撮るのを忘れましたが、昨日は新しいメンバーも参加。
私とはたぶん60年以上ぶりではないかと思いますが、お互いに道で会ったらまったく気づかないでしょう。
いつものサロン以上に「生産性」のない集まりですが、「生産性」のない集まりはいいものです。

■ライフプランニングリレーションズの阿部さん(2018年9月27日)
ライフプランニングリレーションズの阿部さんは、先日NHKテレビで紹介されて以来、忙しくなっているようですが、その分、疲れてもいるようです。
気になって連絡したら、早速湯島にやってきました。
案の定、いろいろと課題が山積のようです。
人は忙しくなると思考をやめがちです。
思考をやめると道に迷いかねません。
いつものようにまたいろいろと憎まれ口を話しました。
上手く届いているといいのですが。

(2018年9月第3週)
■カフェサロン「見守りと支えあいの住宅 福祉シェアハウス構想」(2018年9月16日)
■敬老の日のプレゼント(2018年9月17日)
■畑作業再開(2018年9月17日)
■畑にイチジク(2018年9月19日)
■支え合う社会に向けての話し合い(2018年9月21日)
■うなぎで元気をもらいました(2018年9月21日)

■カフェサロン「見守りと支えあいの住宅 福祉シェアハウス構想」(2018年9月16日)



2回にわたる「安心して死を迎えられる生き方」のサロンを受けて、具体的な実践につなげていく方向でのサロンやプロジェクトがはじまりました。
その第1回目のサロンでは、実際に「福祉シェアハウス構想」に取り組んでいる小畑さん(NPO法人ハーモニー虹代表)に、その構想を紹介してもらいました。
小畑さんは、なぜそうした構想に取り組みだしたかの背景をていねいにお話してくれましたので、その構想の意味が参加者には生き生きと伝わったと思います。
小畑構想は、「問題を抱えた当事者及び当事者家族の限界」と「自らがソーシャルワーカーであることを活かして何ができるか」を試行錯誤してきた結果です。
ですから単なる机上論ではないと同時に、小畑さんにとっては自らの生活と深くつながった切実な構想でもあるのです。

その構想は、案内にも書きましたが、一言でいえば、住み慣れた地域で、住居というハードの面と専門職による支援と支えあいというソフトの両面から、生活に生じる困難を乗り越え、暮らし続けられる住宅を指しています。
それは同時に、生活のなかでの看取りの場でもあり、また死の学びの場でもあります。
かつては「家族」がその役割を果たしていたかもしれませんが、核家族化が進んだ現在、それは難しく、さらに家族そのものが変質してきています。
小畑さんの構想は、そういう状況を踏まえて、「家族の保護からの自立」を意図しています。

話し合いのなかでは、小畑構想は既存の福祉型のシェアハウスとどこが違うのかという点が問題になりました。
いくつかの視点が出されました。
たとえば、小畑さんのシェアハウス構想には、音楽を楽しめる空間とか外部の人を誘い込む空間が構想されています。
福祉というと何か障害を補う仕組みをまずイメージしますが、小畑さんはむしろ「楽しく暮らせる場」であることを大切にしています。

また、福祉を「支援される」という受け身で考えるのではなく、自らも役割を果たすという「支援する」という要素も大事にしています。
役割をシェアするという意味も込められているのです。
話し合いでは、その「役割」をどう考えるかの議論も少しありました。
これは、福祉とは何かということにまでつながるような気がします。
この構想も、「福祉」という言葉を外して発想したほうが、小畑さんの思いにつながっていくのではないかという意見もありました。

そうした「施設」を実現し、持続していくかに関しては資金的なことも無視できません。
コーポラティブハウスやコレクティブハウスに関わっている人も参加していたため、それに関してもいろんなアイデアが出ました。
小畑さんの構想の実現には、施設をシェアするだけではなく、この構想自体を複数の人たちでシェアしていくことが大切なのかもしれません。

「家族」をどう捉えるかも少し話題になりました。
私自身は、昨今の家族観はいまだに「血縁」に強くこだわりすぎているように思いますが、むしろそうした「血縁家族の呪縛」から自由になって、新しい縁を育てる場から生まれる、新しい家族の概念があっても言いように思います。

ほかにもいろいろと話は出ましたが、今回、湯島のサロンに初参加してくれた方から、ともかく動きだすことが大切だという元気が出る提案がありました。

このサロンは大きくいえば、「安心して死を迎えられる生き方を支援する仕組みづくり」を目指しています。
そのためには、今回のような「福祉シェアハウス」の他にもいろんなプロジェクトが想定されます。
湯島のサロンから生まれたいくつかの動きもつながっていくかもしれません。
しかし、話しているだけでは何も始まりません。
それで、そういう個別プロジェクトが生まれ、つながるような、プラットフォームもつくろうということになりました。
これは、このサロンのきっかけをつくった、中下さんの思いでもあります。

考えてみれば、これはかつて構想し挫折してしまっている「コムケア構想」につながっています。
私も改めて、もう少し頑張ってみようかという気になりました。
個別プロジェクトとプラットフォーム的な集まりを引き続き開催していく予定です。

■敬老の日のプレゼント(2018年9月17日)
わが家の敬老の日のプレゼントは地味すぎるほど地味でした。
孫が絵を描いてもってきてくれて、それだけでした。
娘たちになんかないのかと訊きましたが、ないそうです。
まあ、これがわが家の文化なのですが、敬老精神が全くありません。
困ったものです。

■畑作業再開(2018年9月17日)
雨なども会って、この1週間以上、畑に行けませんでした。
2週間ほど畑作業はさぼっていたかもしれません。
久し振りに行ってみて驚きました。
野草がまたすごいことになっていました。
蒔いておいた蕪の芽は、1週間前には元気に育っていたはずですが、ほとんど虫に食べられていました。
やはり心を込めた手入れがないと野菜は育ってくれません。

季節外れのスイカはなんと10センチほどの実を成らせていました。
花壇は百日草で満開ですが、その後の花の種はどうもうまく育っていません。

また畑を再開しようと思います。
今日は、新たにお店から購入してきた、白菜とキャベツとブロッコリーの苗を植えました。

■畑にイチジク(2018年9月19日)
畑にイチジクの樹を植えました。
実はこのイチジクは、前の家でたくさんの実を成らせていたイチジクなのです。
このイチジクは転居の時に持ってきたのですが、枯れてしまいました。
しかし、挿し木で福井と群馬に分けて物が元気で育っているのです。
今回は群馬の樹からの挿し木を姪が届けてくれていたのですが、だいぶ安定したので、畑に移すことにしました。
そこで大きく成ったらまた挿し木で自宅の庭に戻そうと思っています。
なにしろ今のわが家の庭は、とんでもないほどひどい状況なので、庭ではまた枯らしてしまいかねないからです。

上手く育つといいのですが。

■支え合う社会に向けての話し合い(2018年9月21日)
湯島では3回にわたり、安心して死を迎える、言い換えれば安心して生きていける拠り所を広げていくことを目指した「「安心して死を迎えられる生き方」サロンを行ってきましたが、そこから実践に向けてのプロジェクトが起こせないかに関して、問題意識を強くお持ちの中下さんと話し合いました。
いろいろと通ずることが多く、10年前に中下さんに会えていたら、私の人生も変わったかもしれないと思うほどでした。
最近はあんまりエネルギーが枯渇しがちですが、それでもできることがあるはずです。
やはりもう少し現世に残らねばいけません。
迷うところではあるのですが。

■うなぎで元気をもらいました(2018年9月21日)
先日の電話が気になったので、ぽんゆうの基之に会いに行きました。
来週からまた入院なので、心配していましたが、元気でした。
直接話を聞いて、私の杞憂だったことがわかりました。
自分のことは見えませんが、他者のことは気になるものです。

うなぎをご馳走になりました。
元気が少し戻ってきました。

(2018年9月第2週)
■第2回有機野菜の旬を楽しむ会(2018年9月9日)
■小宮山さんとの長いミーティング(2018年9月9日)
■梅田開発に関わるおふたりの来所(2018年9月11日)
■升田姉妹からのプレゼント(2018年9月11日)
■コミーへの報告と提案(2018年9月13日)

■第2回有機野菜の旬を楽しむ会(2018年9月9日)
霜里農場の金子友子さん主催の有機野菜の旬を楽しむ会の第2回は、空土農園の中崎さんをゲストにお呼びしました。
会の様子は、金子さんがフェイスブックにアップしてくれたので、今回はそれにお任せです。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=282538129242138&set=a.134034247425861&type=3&theater

■小宮山さんとの長いミーティング(2018年9月9日)
コミーの小宮山さんとの長いミーティングでした。
小宮山さんは会社の社長ですが、社長は私のようなフリーな立場と違い、苦労も多いようです。
会うたびに意見の違いから論争になりますが、いろいろとあって、コミーに少しアドバイスさせてもらうことになりました。
それなりの時間をこの3か月投入してきましたが、その報告です。
同時に、私にとっての対価をもらう仕事の提案もさせてもらいましたが、修さんにはお金を払いたくないというので、困ったものです。
まあそれでも論争しながらも、今回はかなり私の話も聞いてもらいました。

私は最近の会社を見ると、どこもかしこも、私を雇ったら業績は回復するだろうなと思うような悪癖があります。
もちろん短期的にではなく、いささか長期的な視点での判断なのですが、私の意見はおそらく通ることはなく、したがって仕事をもらえたためしはなく、この15年は仕事をする気もなくしていました。
それに、よほどきちんと頼まれないと引き受けたくありませんし、できればどこかで対価が発生する仕事はしたくないという思いがあります。
コミーに対してもそうなのですが、ちょっと面白そうな気もしていて、その上、経済的にいまかなり私自身がひっ迫していることも会って、迷っているわけです。
正確には迷っているというよりも、頼むからやってくれないかと言われないとどうもその気になれないのです。
さてさてどうなりますか。

■梅田開発に関わるおふたりの来所(2018年9月11日)
今年の年初に、10月に大阪での講演を頼まれていたのですが、そのプロジェクトが中止になったために講演もやめになったのですが、その詫びもかねてか、事務局の2人が湯島にやってきました。
で、まちづくりに雑談になりました。
久し振りにまちづくりの話をしました。
京都駅や大阪駅の開発のことも聞きました。
やはり関西も東京化が進んでいるようです。

■升田姉妹からのプレゼント(2018年9月11日)
湯島のサロンに時々参加している升田さんが、お姉さんのところに掃除機が余っているのでと言って、姉妹でわざわざ掃除機を持ってきてくれました。
お2人とも単身の生活をされていますが、お元気です。
お姉さんは無口だと自称していますが、よく話よく笑う無口の人でした。
早く来れば、食事をご一緒して、岩崎邸にでもご案内する予定だったのですが、升田さんの迷運転で到着が2時間も遅れました。
遅れたたために食事もしてきたというので、私は食べそこなってしまいました。

湯島の椅子が壊れだしているのを知って、今度は椅子を寄付してくれるそうです。
ありがたいことです。

■コミーへの報告と提案(2018年9月13日)
今日はコミーの経営者全員とミーティングしました。
紆余曲折しましたが、なんとか方針が出ました。
私が仕事として関わるかどうかはまだ未定ですが、これまでの活動に関しては対価をもらうことになりました。
これで当面の資金繰りは解消できました。
お金はあると面倒ですが、ないとこれもまたちょっと困ることもあります。
お金はどこかにプールして、必要な人が自由に使えるようにしてくれると助かるのですが。
そうすれば、助かるのは私だけではないはずですが、誰かそういうお金の山をどこかにつくってくれないものでしょうか。
多分30年後くらいにはそうなっていると思っているのですが。

(2018年9月第1週)
■妻の12回忌の会食(2018年9月3日)
■縁カフェ(2018年9月4日)
■25年ぶりの大きな台風(2018年9月5日)
■カフェサロン「自民党政権政治を変えていくためには」(2018年9月8日)

■妻の12回忌の会食(2018年9月3日)
今年からあまり命日を特別視しないことに切り替えました。
でもまあお墓参りだけは行うつもりです。
ジュン家族とユカと全員5人でお墓に行き、みんなで過食しました。
節子の写真もテーブルに乗せて、みんなで、しかし命日らしくなく、食事をしました。
まあこれからはこんな感じで行こうと思います。
孫ににこも2歳になり、自分用のメニューを注文できるようになりました。

■縁カフェ(2018年9月4日)
今日の縁カフェのお客さんは、私を入れて5人でした。
お2人がコーヒーをお変わりしたからと言って余計に払っていったので、売り上げは3500円。
これまでの累計で16000円になりました。
カフェ開店計画は、順調に進んでいます。

実は今日は、湯島が初めての人が予約してきていたのですが、台風のためでしょうか2人とも来られませんでした。

今日のお客さんは、政治に関心が強い方が多くて、政治論議で終始しました。
ユーチューブで流したかったほどの、実に濃い内容でした。
いや、濃いというよりも、面白いというべきでしょうか。
しかも話を主導したのは、女性たちでした。

男性の常連客からは、日本の政治の流れを変える具体策も出ました。
みんな賛成しましたが、問題はどうやってそれを実現するかです。

久し振りに湯島に来た女性客からは、政治家を湯島に呼ぼうという話も出ました。
彼女が信頼していて、私は信頼していない政治家で。
私もその人とは会ったことがある政治家ですが、良い人そうでした。
政治をしない政治家には私自身はあんまり興味はないのですが、まあ、そういうサロンもあってもいいかもしれません。

経団連の話題も出ました。
これも、つい最近までたぶん専業主婦だった女性からです。
最近は女性の方が政治も経済も批判的な目で見ているようです。
時間があるので、気になったら電話しているとも言っていました。
こういう人が政治を変えてくのだろうと思いました。

彼女にまたBMSサロンをやってもらおうと思います。
引き受けてくれるといいのですが。

台風なので早く帰りたかったのですが、長居する客が多くて帰れず、そのおかげで帰りの電車は徐行運転で30分近く遅れてしまいました。
お客様は神様ですので、追い出すわけにはいかず、残業手当もでずに、疲れました。
しかし、ほんとはみんなそれぞれに用事があったようなのですが、なぜかみんな席を立ちませんでした。
このままだと延々つづきそうでした。
こういう場は、あんまりないのでしょうね。

ちなみに9月8日は、まさに安倍自民党政権をテーマにしたサロンです。
よかったら来てください。
18歳の宮川さんを見習わなければいけません。

■25年ぶりの大きな台風(2018年9月5日)
25年ぶりの大きな台風(21号)が関西に上陸し、大きな被害を残しました。
関西空港は機能不全になったうえ、本土との端にタンカーが衝突して、孤立しました。
ほかでも大変な状況、死者も10人を超えました。
私の知り合いもかなり被害に合ったようです。

地球はかなり荒れだしています。
以前は炭酸ガスの増加による地球温暖化説が言われていましたが、最近はあまり聞かなくなっています。
私自身は、前から書いているように、地球温暖化説には否定的で、地球が大きな変動期に入りつつあるという説のほうに納得しています。
さらにテレビなどによる情報の可視化が進んでいるので、以前よりもそうした自然の威力を大勢の人が共有できるようになったことも、大きな理由だと思っています。
自然は、そもそも威力のある存在です。
それに立ち向かうことなど考えうべきではなく、そう言う自然の中で、いかに生きていくかを考えることが大切だと思っています。
自然についていけなくなったら、無理して生きていくことはありません。
こう書いてしまうと何か誤解されそうですが。

しかし自然の力はすごいです。

■カフェサロン「自民党政権政治を変えていくためには」(2018年9月8日)
カフェサロン「自民党政権政治を変えていくためには」には11人の人が集まり、かなり激しい論争が展開しました。
いつものサロンとはちょっと違って、いささか感情的なやり取りが多かった気がします。
もっともそうなった原因は、私の最初の問いかけが不適切だったからなのですが。
その反省もあって、報告を書くのも遅れてしまいました。

最初に問題提起者の武田さんから、いま書いている本の目次に沿って、「自立・抗不安国家論」の概要が紹介され、つづけて、現在の自民党政権の何が問題なのか、そしてそれを変えていくためにはどこから取り組みどう進めていけばいいかのお話がありました。
武田さんは、ただ問題点だけを指摘するだけでは何も変わらない、目指すべき国家像を明確にして、その実現のために現状をこう変えていくべきだという考えに基づいて、目指すべき国家像を「自立・抗不安国家」と表現しました。
つづいてその内容として、「国民主導型統治機構の確立」「国民の命を供することは許されない絶対平和主義」「戦争に巻き込まれないための核武装」「再配分型増税による財政再建」「国家の自立度を高めることを主軸にした政策展開」「新経済政策としての重脳主義」などを提案しました。
武田さんは、それを実現するためには、革命的な取り組みが必要だとし、それを「第3革命」と称しています。

そして議論が始まりました。
最初に私がちょっと気になったことを口走ってしまいました。
私が引っかかったのは、「新経済政策としての重脳主義のために教育において科学技術教育を最優先にしよう」という点です。
科学技術と人間文化の主従関係が逆転してしまったことに、昨今の政治経済状況の根因があるのではないかと思っている私としては、大いに違和感があったので、ついつい口を滑らしてしまったのです。
この点にこそ、これからの国家像を考えるポイントがあるような気がしたのですが、どうもそれがうまく表現できずに、議論が少し迷走してしまいました。
大いに反省です。
参加者のみなさんにはお詫びしなければいけません。

どうしたら今の政治状況を変えるための具体策を聞きたいという質問に対しては、武田さんは、そのためにもしっかりした国家像を共有化していくことが必要だと応えました。
その姿勢には賛成ですが、国家像とは何かということを共有すること自体が難しいことを改めて思い知らされました。

その後、議論はいろいろと出ましたが、私自身がいささか「感情的」になってしまっていて、記憶がとんでしまっています。
困ったものですが、そんなわけでうまく報告できません。

しかし、最近、コスタリカに行ってきた折原さんからのコスタリカの紹介やビタミン和子さんの韓国などの報告は示唆に富んだものでした。
いずれもまたいつかそれぞれにサロンをしてほしいと思います。
また「民主主義と民主政治」の違いや、「個人の尊厳の尊重という民主主義の理念と革命とは矛盾しないか」といった議論もありました。
これもまた大事な論点だと思います。

議論はいささか混迷し、ちょっと雰囲気も悪くなりましたが、私には理想的なサロンでした。
お互いに気づかいあいながらおだやかに話し合う場はどこにでもありますので、湯島のサロンでは「過剰に相手を傷つけない範囲」での論争は大歓迎なのです。
ただ今回はどうも私の判断がゆるすぎて、一部の人が少しだけ気分を害したようでもあります。
でもまあ、それが湯島のサロンだと思ってもらうのがいいでしょう。
 
みんながとても熱心に思いを込めて、ちょっと感情的にもなって話し合いをしているサロンは実にいいです。
初めて参加した人もいましたが、帰り際にとても面白かったと言ってくれました。
私は自分の主張があんまり賛成してもらえなかったので、いささかムッとしていましたが、反省しなければいけません。

サロンではかなり険悪な関係になってしまった人たちもいましたが、その後の二次会で関係は修復され、なんと10時までのロングランの懇親会になったそうです。
私は参加できなかったのですが、2人の方から「懇親会のほうが盛り上がってよかった」と連絡がきました。
サロンのホストとしては反省しなければいけません。

なおこのシリーズは継続します。
論争しに来たい人は大歓迎です。
武田さんの問題提起の各論展開も考えたいと思います。

(2018年8月第5週)
■霜里農場からの贈り物(2018年8月26日)
■カフェサロン「安心して死を迎えられる生き方のために パート2」(2018年8月26日)
■小宮山さんとの平和な3時間(2018年8月26日)
■コミー訪問(2018年8月27日)
■スマホ紛失(2018年8月27日)
■土浦駅でスマホを受け取りました(2018年8月29日)
■ナラティブ型ストーリーテリングへの可能性(2018年8月29日)
■早稲田大学オープンカレッジ(2018年8月29日)
■縄文展(2018年8月31日)

■霜里農場からの贈り物(2018年8月26日)
湯島に着いたら、スイカと見たこともないものが置いてありました。
昨日、霜里農場の金子さんが届けてくれていたのです。
ほかにも野菜がいろいろとありました。
こんな暑いのに、よくまあ、こんな重いのをと感謝する前に、女性のすごさに感じ入りました。
メモが残っていました。
「スイカ、お孫さんに丸ごと見せてやってください。ヒョウタンのようなのはバターナッツというカボチャです」とありました。
となるとこのスイカは自宅に持って帰らないといけません。
ほかの野菜も放置しておくわけにはいきません。
スイカを大事に抱えながら帰宅しました。

■カフェサロン「安心して死を迎えられる生き方のために パート2」(2018年8月26日)
中下大樹さんの「なぜ生きるのか」サロンのパート2は、前回の話を踏まえて、これからの時代に必要な仕組みの話題に併せて、私たち一人ひとりのこれからの生き方を考えることの大切さが話題になりました。

最初に、前回のレビューも含めて、いま何が求められているのかを考える材料を話してもらいました。
その中で、いくつかの問いかけがありました。
抽象的にではなく、自分の問題として考えようという中下さんのメッセージが伝わってきました。
死が消費の対象になってしまい、死から私たちは学ぶことを忘れてしまっていないかという中下さんの問いかけは、具体的な実例をたくさん紹介された上での指摘なので、心に突き刺さりました。
死を消費する社会では、必然的に、生さえも消費の対象にされていきます。
その結果、看護師でさえ、死は面倒なことと考えるようになってしまっていくわけです。
参加者のおひとりが、「死に関して、自分も消費者だったことに気付いた」と発言されました。「消費者意識」は前回の相模原事件のサロンの時にも話題になりましたが、私たちの生き方として、それにどう対処していくかはとても重要なテーマです。

中下さんは、がん闘病中の知人の言葉が心に残っていると話されました。
辛い抗がん剤に耐えつつ、生きようとしているその人は、自らの人生を振り返って「俺は、生きて何がしたいのか」と言ったのだそうです。
その話をしたうえで、中下さんは、「使命」とは「命」を「使」うと書きますが、みなさんは「いのち」をどう使おうとしていますか、と参加者に問いかけました。
私は、即座には応えられませんでした。
自分ではわかっているつもりだったのですが、他者に伝える言葉にはできませんでした。
「生きて何がしたいのか」
難問ですが、考え続けなければいかない気がします。

中下さんは、こういう問いもしました。
笑顔が浮かぶときはどういう時ですか、どんな時に笑顔になるかをできるだけたくさん書きだしてください。
そう言って1分くれました。
私はがんばって書きだしましたが、6つしか書けませんでした。
そもそもそんなことを意識したことがなかったのです。

こんな問いかけもありました。
「家族という言葉に温かみを感じますか」
手をあげた人は半分でした。
家族が生きる救いにならずに、邪魔をすることもあります。
中下さんは、家族や地域や所属組織といった既存の縁に頼るだけではなく、むしろ志を同じくする人たちで新しい縁を育てることが必要ではないかといいます。
その縁で育った仲間が、集い語れる場をつくり、支え合う生き方をしていくと同時に、共同墓をつくり、死後の行先もつくっていく。
共同墓と支え合って生きた仲間がいれば、死後も忘れられることはなく、生きつづけられる。
樹木葬への思いを持った人たちのそうしたコミュニティの話をテレビで観たことがありますが、たしかにみんな笑顔でした。
葬儀もビジネス的なものではなく、仲間で心を込めて行い、それがまた残された者たちの縁を深めていく。
そうした生老病死について包括的に支え合う、ゆるやかなネットワークをつくり、葬儀も供養も、みんなで行っていく。
死を超えて、世代を超えて、つづいていくコミュニティといってもいいでしょう。
これが中下さんの構想です。

死を生から切り離して考えるのではなく、生の集大成として、死を捉え、そこからコミュニティを構築していく。
それを前提にして、葬儀や供養や、看護や介護も考えていく。
中下さんは、こうした構想を実現していくためのプロジェクトを立ち上げる予定です。
また中下さんから呼びかけがあるかと思いますが、私も参加させてもらいたいと思っています。

ところで、このサロンも継続しようと思います。
参加者のおひとりが、これまで死について話し合ったことがない高齢の親と一度話し合ってみると話されました。
そこでもし話し合いができたら、その報告をしてほしいと頼みました。
そういう日常体験も踏まえて、在宅ホスピスやスピリチュアルケアなど、中下さん構想の取り組みの話を軸に置きながら、話題を広げていければと思っています。

■小宮山さんとの平和な3時間(2018年8月26日)
コミーの社長の小宮山さんと西日暮里のルノワールで会いました。
私は、コミーの顧問なのです。
といっても、最初は会社の経営には口を出さないでいいと言われた、不思議な顧問なのですが、最近は少しは会社の経営にも関わりだしているのです。
といっても、何か相談があれば、それに応ずるというスタイルです。
顧問の責任を果たそうとしてこちらから提案すると、ぶつかり合ってしまうのです。
困ったものです。
しかし、小宮山さんと私は、喧嘩しながらも、またなぜか会ってしまうというおかしな関係です。

今回は、ちょっと微妙な提案があって、もっと早く会いたかったのですが、いろいろとあって、今日になってしまいました。
もしかしたら、関係が悪化し、顧問もやめることにもなりかねないような提案なのですが、まあそれも仕方がありません。
と覚悟して、ルノワールであったのですが、今回は3時間、友好的な話し合いができました。
だからといって、提案が受け入れられたわけではなく、相変わらず「修さんは現場がわかっていない」といわれました。
しかし、現場にいる人ほど現場をわかっていないというのが私の考えなので、この議論は平行線です。

夕食も誘われましたが、3時間2人で濃密に話したので、辞退しました。

■コミー訪問(2018年8月27日)
今日は、私がコミーの本社を訪問しました。
朝から夕方まで数名の人たちと話をしました。
顧問の役割も少しだけ果たしました。

時間の合間に向上にも行きました。
休憩時間があると切ったので、パートの人たちと話に行ったのです。
一応、コミーの会社の人は社員もパートも、みんな知っているのです。
コミーの人はみんないい人ばかりです。

■スマホ紛失(2018年8月27日)
コミーから帰宅して、我孫子駅で娘に迎えに来てもらおうと電話しようとしたら、スマホがないのに気づきました。
西川口で京浜東北の電車に乗った後、社内でスマホを使ったので、電車内か乗換駅の構内で落したのです。
スマホをなくすのは初めてです。
友人知人のアドレスなどが入っているので、あわてました。
帰宅し、娘の携帯で、私のスマホに電話してもらったら、電話が通じませんでした。
社内の忘れていたのであれば、呼び出しを続けるはずです。
ちょっと不安な気持ちになりました。
それで回線停止の手続きを取りました。
JRボランティア遺失物センターに確認しましたが、まだ届出はないようです。
スマホのお店に連絡したら、公安で紛失届を出してからお店に来たら、新しい機会を提供できると言われましたので、交番に行ってきました。
しかし、もしかしたら戻ってくるかもしれないと思い、1日待つことにしました。

幸いなことに、翌日の夜、土浦駅で見つかったことがわかりました。
ホッとしましたが、スマホには他者の情報が入っていますので、注意しなければいけません。
何ごともなくよかったです。

■土浦駅でスマホを受け取りました(2018年8月29日)
土浦駅までスマホを取りに行きました。
無事戻ってきました。
いっとき、誰かが悪用するのではないかと思ったことを反省しました。
しかし、気づいた直後にかけた電話が通じなかったのはなぜなのか。
ちょっと割り切れないこともあるのですが、たぶん私が動転していたのでしょう。
困ったものです。

■ナラティブ型ストーリーテリングへの可能性(2018年8月29日)
ストーリーテリング協会の吉本さんが、浦上さんという方と一緒に、事業を起こせないかと2人で湯島に来ました。
浦上さんは広告やブランディングの専門家のようです。
いろいろと話していて、共感するところがありました。
ビジネスディシプリンもしっかりしています。
ストーリーテリング協会は、これまでナラティブ志向が少なかったので私はあまり関われなかったのですが、浦上さんはその志向がありそうです。
なにかが起こせるといいのですが。

■早稲田大学オープンカレッジ(2018年8月29日)
昨夜、早稲田大学オープンカレッジで、中下さんがやっている「『人生の最期』を考える」という講座に招待されました。
中下さんから、何を話してもいいと言われたので、「わたしの物語」を話させてもらいました。
副題を「人間の生と死を考えるための話題提供」とさせてもらい、間接的にですが、できるだけ生と死につながる話題を入れました。
湯島のサロンの話も紹介させてもらいました。
さまざまな生き方に触れると、世界が広がり、人生観も死生観も変わってくる、そしてすべてを受け入れやすくなるとともに生きることの楽しさが感じられてくるというようなメッセージをお伝えしたかったのです。



講座にはいろんな人が参加していました。
生々しい体験をお持ちの方ばかりでした。
終わった後、何人かの方々とレストランに行きましたが、生と死を考えている人は、みんな魅力的だなと改めて感じました。
今回、お話しするにあたって、30年前に会社を辞めた直後、湯島で1週間連続のオープンサロンをやった時の写真を久しぶりに見てみました。
あの時には、100人を超える人が来てくれました。
その1週間のサロンが、その後の、つまり、今の私の生き方を決めたことに気づきました。
私は過去を振り返るのが苦手なのですが、時には過去を振り返るのもいいかもしれません。
最後に私の、いまの自己紹介をさせてもらいました。
最近の私の自己認識は、「資産家の小作人」です。
韓国の法頂禅師は、ご自分の著書で、すべてを捨て去れば、すべてのものとの距離が同じくなる(自分のものになる)というようなことを書いていたのを思い出しました。
それで2冊の本で探したのですが、どうも見つかりません。
たしか法頂さんがバスから外を見ていてふと思ったことだったような気がしますが、どうも最近、記憶力が減退しています。
ですから不正確かもしれません。
法頂さんは、所有概念から自由になれば、すべてのものが独立して存在することになり、そういう世界では、「自分の所有物の世界」と「それ以外の世界」の区別がなくなる。
したがって、すべてのものと自由に関われるということです。
俗な言い方をすれば、すべてのものが自分のものとも考えられる。
所有物やお金がない人ほど、資産家なのです。
ちなみに、人は所有できませんが、であればこそ、友人知人こそが人生にとっての最大の資産ともいえます。
第1の意味では自宅のある私は不適格者ですが、第2の意味では、私は資産家だと自己認識しています。
まあ、「資産家」というのはあまり適切な表現ではないかもしれませんが。
「小作人」は、言うまでもなく、私の場合、お天道様の小作人です。
今年はがんばって荒地を畑と花壇らしくしましたが、同じように、荒れてきている社会を耕す生き方をしていきたいと思っています。
今生ではちょっと無理そうですが、来世で戻ってきた時には、世界はきっと、今と違って住みやすい社会になっているでしょう。
参加されたみなさんからたくさんのことを学ばせてもらいました。
死は、やはり。人をつなげる要になると改めて確信しました。
そこには「嘘」や「打算」がないからです。

■縄文展(2018年8月31日)
なかなか行けずにいた「縄文展」ですが、今日が最後の平日なので、すべての予定を無視して、行ってきました。
ほんとは、縄文人の息づかいを感じたかったのですが、現代人の息まみれのなかで、いささか「観察的」に「鑑賞」してきました。
そのせいか、気になることがいろいろありました。

やはりどう考えても縄文人はおかしい。
壺のかたちが間違っているとしか思えません。
地球で育った人間であれば、もっと安定した形を考えるはずでしょう。
なんであんなに重力を無視した形にしてしまったのか。
調理のためにしても、やはりおかしい。

それに、縄文人は戦いを好まなかったというのに、一部の土偶からは怒りを感じました。
炎を拝んだザラスシュトラの影響と考えれば納得できますが、それでもそこにどうしても「怒り」を感じてしまう。
展示されていたインダス地方の同時代の土器は、見ていてとても心やすまりますが、縄文人の土器からは「平和」が伝わってこない。

顔の形も表情も、やはりおかしい。
あまりにも違い過ぎるものが混在している。
目がとても重要な役割を果たしていたことはわかりますが、遮光土器の目は裸眼ではないでしょう。
イヤリングも大きすぎます。
やはりどう考えても、縄文人はおかしい。

人間の絵が描かれていた土版を始めてみました。
感動しました。
それと極めて精巧で細かな角偶もありました。
とても違和感がありました。
あれは私の頭の中にいる縄文人の作品であるはずがない。
縄文人とひとくくりにできないのではないか。

土偶や土器は、時代が新しくなるほど、粗雑になってきているようなことも含めて、いろんなことが気になりました。
縄文時代の見方がどんどん変わってきているようですが、やはりもっと変えるべきだと確信を持ちました。

帰りに私の好きな薬師寺の聖観音のレプリカを見に本館に寄ったのですが、今回も出会えませんでした。
最近は常設展示をやめてしまったのでhそうか。

東博所有の縄文土器だけは写真撮影が許されていました。



(2018年8月第4週)
■「相模原事件をどう超えていくか」アフターサロン(2018年8月19日)
■個人と組織の関係を考える研究会(2018年8月19日)
■柴崎さんからレクチャーを受けました(2018年8月23日)
■「ドラッカーと音楽と酒を楽しむ経営カフェ」(2018年8月23日)
■台風被害(2018年8月25日)

■「相模原事件をどう超えていくか」アフターサロン(2018年8月19日)
「相模原事件をどう超えていくか」のアフターサロンは、日曜日の午前中だったにもかかわらず6人が集まりました。
おひとりだけが前回参加できなかった方でしたが、5人は前回も参加。
この事件を忘れてはいけないという強い意識が、参加者の共通の思いだったような気がします。
さまざまな事件が起きますが、いまの社会はそうした事件に大騒ぎしながらも、同時にどんどんと忘れていく。
そこから学ぶことをおろそかにし、そのためにまた同じような事件が起きる。
ですから、前にもこんな事件があったなと思うことがあまりに多い。
いつになっても何も変わらないどころか、そうした生き方から抜け出ないと、私たちの感覚はますますにぶくなって行くような不安を感じています。

最初に、「相模原事件の背景にあるものはなにか」を私から少し問題提起させてもらいました。
私が問題にさせてもらったのは、「金銭基準のもとでの生産性至上社会」と「私たちの中にある差別意識」です。
前者に関しては、「金銭を生みだすことが〈生産性〉なのか」「生産性のないものには価値がないのか」「仕事とは金銭を得ることなのか」「そもそも金銭に価値があるのか」という問いかけをさせてもらいました。
後者に関しては、「私にとって価値あるものは何か」「ヘイトスピーチは特別の人たちだけのものか」に関して、私もまたいつ「転んでしまうかもわからない」危うさがあることを少しだけ話させてもらいました。

併せて、「進歩主義」の思想につながる「優生思想」が「近代」の中に流れていることを紹介させてもらいました。
相模原事件は、私には決して特異な事件ではなく、まさに時代を象徴する事件のように思えるのです。

みなさんのお話はとても示唆に富むものでした。
私も気づいていなかったことをいろいろと気づかせてもらいました。
私は「特異な事件」ではないと思っていましたが、この事件を「障害者」殺傷事件と捉えてしまうと事件の本質が見えてこないという指摘がありました。
たしかに「障害者」とひとくくりにしてしまうと、現場が見えてこなくなります。

また「生産性」という言葉の意味が変わってきてしまっていることが指摘されました。
かつては、経済活動の効率に関連して使われていたのに、最近は「個人の生産性」というように使われるようになった。
これはとても重要な視点だと思います。
「生産性」はある基準によって測定されますが、それが何なのかも話題になりました。
この議論は実に示唆に富むものでしたが、話し合いの内容を紹介するのは大変なので、それぞれでぜひ考えてみてください。
もしかしたら、ここにこそすべての問題を解くカギがあるかもしれません。

福祉問題が市場化していることの問題も具体的にいろいろと指摘されました。
福祉に限らず、学校でも生徒がお客さんになってしまって、先生との関係が変わってしまったというような話も出ました。
昨今の状況は、私には「汎市場化」社会、つまりすべてをお金で解決する社会のようにも感じますが、そうした「汎市場化」もまた、すべての問題を解くカギかもしれません。

医療のあり方や福祉施設のあり方に関しても話題になりました。
事件を取り扱うマスコミの姿勢の問題も少し出ました。
ほかにもいろんな話題が出ました。

こうした事件を繰り返させないために、何ができるかをそれぞれ考えるヒントがいろいろとあったような気がします。
サロンですので、参加者一人ひとりによって、それは違うでしょうが、それこそが社会をかたよることなくいい方向に向かわせることだと思います。
そこに、湯島のサロンの意味があると思いますが、日曜日の朝、こんな話し合いをするために集まることも「生産性のないこと」と思う人もいるでしょうね、とある人が言いました。
たしかに、そうでしょう。
実際に私は、ある人からそう言われたことがあります。
湯島のサロンは、経済成長にはまったく寄与しないですから、時代が進めば、「生産性がない」と言われて、取締りの対象になるかもしれません。
そうならないようにも、サロンは続けようと思います。

最後に参加者の複数の方が、アフターサロンをまた続けたいと言われました。
世間的な生産性はないかもしれませんが、つづけたいと思います。
どなたか問題提起したいという方がいたら、ご連絡ください。

■個人と組織の関係を考える研究会(2018年8月19日)
メンバーが増えて10人になりました。
今回は日本の会社は人間をどう捉えてきたか、あるいは捉えているかに関して、斎藤さんが女工哀史から現在までを資料を使いながら簡潔に整理してくれました。
私は、1964年前に東レという会社に入社し、1984年まで在籍していました。
1964年の東レの工場には、まだ職工と社員とを区別する「遺構」が残っていたり、日給月給という言葉ありました。
まさに労務管理(人事管理)が大きく変化する前後を、少しだけ体験的に触れることができました。
工場の生産管理も大きく変わりだしたころで、職務分析という全社的なプロジェクトにも少しだけ関わりましたし、労使協議会などの現場にも関わらせてもらいました。
東レはまた「人事制度」という面では、いち早くアメリカの経営から学んだ企業でしたので、その先進的な制度設計も体験的に学ばせてもらいました。
ですから今回の話は実に実感的に受けとめられました。
いま日本の企業経営は、大きな分岐点にあるような気がします。
小さな新しい動きが出始めてはいるものの、肝心の「個人」がだんだん企業から離れだしているような気もします。
個人から信頼されなくなった組織は形骸化し、持続はできないでしょう。
温故知新した新しい日本的経営への取り組みも、たとえば、日本レーザーの近藤さんのように実践的に取り組まれだしていますが、まだまだ大企業は小さな改革の域を出ません。
組織軸から個人軸へのパラダイム転回がどう進んでいくか。
次回はタウンそのあたりに話がいくでしょう。
最近また企業経営に関わりだしたくなっています。
どこか面白いプロジェクトはいでしょうか。

■柴崎さんからレクチャーを受けました(2018年8月23日)
久しぶりにかなりハードな議論をしました。
相手は柴崎さん。
湯島のサロンに時々参加してくれる、かなり以前からの友人です。
彼の頭の中にあるものを何とかサロンで話題にできないかと思っていますが、何しろテーマが難しく、まずは私が消化しようと思った次第です。
マルクス、フーコー、ブルドュー、ラカン、イリイチ、アルチュセール、フレイル…と次々と話題になりますので、ついていくのが大変です。
その一方で、国つ神や地母神、さらにはシンギュラリティと遺伝子工学、そして最後は例にスタップ細胞。
3時間があっという間でした。
しかし、残念ながらサロンのテーマにまでは消化できませんでした。
しかし、たまにはこういう議論も刺激になります。
「生産」概念に関してもいろいろと考えるヒントがありました。
「女の生産」と「男の生産」という捉え方に気づきました。

■「ドラッカーと音楽と酒を楽しむ経営カフェ」(2018年8月23日)
湯島で「ドラッカーと音楽と酒を楽しむ経営カフェ」というのがありました。
ドラッカーも酒も好きではない私が参加するのはどうしたものかと思ったりしましたが、村瀬さんの主催で場所も湯島となれば出ないわけにはいきません。
私は隅っこで話を聞きながら、酒がダメなのでコーヒーでも飲んでいようと思っていたのですが、
なぜか最初に村瀬さんが私にふってきたので、なにやら長い自己紹介をしてしまいました。
ついでにドラッカーへの批判もちょっとしてしまいました。
いつもながら場を読まない困った話です。
その後、参加者の自己紹介がありましたが、私が知っていたのは2人だけで、ほかの方は全員初対面。
いろんな立場の、しかもかなり明確な問題意識を持った人たちが多く、それぞれの話が魅力的だったので、その後の話にもついつい参加してしまいました。
私の関心領域につながるところで活動している人も多く、いささか余計な発言をしてしまったのが、いつもながら反省点です。
その前の3時間の「幻想国家論争」でいささか疲労していた頭が少し回復しましたが、朝のいささか過酷な畑の開墾作業の疲れも重なって、帰宅後、ダウンしてしまい、昨夜中にやっておく約束の宿題もできず、結局、「まあいいか」ということで寝てしまいました。
今朝は台風のため畑に行かなくていいので、パソコンに向かったのですが、ちょっとまだ疲労感があります。
その上、昨日の昼間で話題になった「生産」議論が気になって、宿題はどうもさらにお預けになりそうです。
多分これを読んでいる人で、心当たりの人がいると思いますが、そんなわけで、時計を2日ほど、遅らせてください。
いつか多分挽回しますので。
村瀬さんのカフェはこれからもまた開催するそうです。
村瀬さんのドラッカー論を軸にしたコミュニティが生まれると思います。
ドラッカーの捉え方は、いろいろとあります。
村瀬さんのドラッカー論に未だ触れていない方は、ぜひ一度、村瀬さんのお話を聞いて、湯島のドラッカーカフェにも遊びに来てください。
ドラッカーに批判的な私も参加できる、柔軟なカフェサロンになりそうですので、楽しみです。

■台風被害(2018年8月25日)
台風の強風はわが家の庭と畑の祝物にかなりの影響を与えました。
まずは庭のミモザが倒壊しそうになりました。
大きく成長し5メートルくらいになっていたのですが、ちょっと伸びすぎていました。そのためかなり横倒しになり、そのままだと根っこから倒れそうでした。
それで昨日の朝、雨の中を椅子に乗って大きな枝を切り落としました。
娘に話すと止められるので、こっそりと始めましたが、危うく私が椅子から落ちそうになって、娘を呼んでなんとか目的を達しましたが、こうした老人は事故死するのだろうなと実感しました。
困ったものです。

今日は畑に行ってきました。
前回の強風ではがんばってくれていたミニトマトがひどいことになっていました。
キュウリは完全にアウトです。
花壇の花までが傾いていました。
今日は手助けする元気もなく、がんばってよと言って帰ってきました。

その強風の中、先日植えた、ニンジンとカブが芽をだしてきていました。
土の中で育つ野菜は安心です。
ミモザは、相変わらずかなり傾いたまま、がんばっています。
私は今日はがんばりませんでした。

(2018年8月第3週)
■お盆の準備(2018年8月12日)
■村瀬さんとの対話(2018年8月13日)
■武田さんとの対話(2018年8月13日)
■近藤さんとの対話(2018年8月13日)
■お盆のスイカ(2018年8月14日)
■畑作業の再開(2018年8月15日)
■送り火(2018年8月16日)

■お盆の準備(2018年8月12日)
明日からお盆なので、自宅の精霊棚をつくりました。
例年は、迎え火の馬と送りの牛は、お盆セットについているものを使うのですが、今年は手づくりにしました。
ただ、キュウリと茄子に割り箸で足をつけただけです。
もちろん畑でできたキュウリとナスです。
ところがこの数日、台風や所要で畑に行けていなかったので、今朝、畑に行ったら、キュウリが巨大になっていました。
そのおかげで、なんと25センチのキュウリ馬になりました。
きっと駿足でしょう。
迎いは一刻も早くというので足の速い馬、帰りはできるだけ遅くというので牛が、その役割を担っていますが、今年のお盆のわが家への旅はさぞスピード感があるでしょう。
振り落とされずに無事家にたどり着いてくれるといいのですが。

■村瀬さんとの対話(2018年8月13日)
ジャズミュージシャンにして経営コンサルタントの村瀬さんと話しました。
村瀬さんはドラッカーにほれ込んでいる経営コンサルタントですが、私はドラッカーはあまり好きではありません。
顧客の創造などという発想が、世界をだめにしたと思っているからです。
創造すべきは価値であって、顧客などではありません。
しかし、本当にドラッカーがいいたかったのは、たぶん価値の創造だったのではないかと思います。
また経営とは、人を輝かすことだと私は思っていますが、この点でもドラッカー信奉者たちの言動は私には違和感があります。
ところが、村瀬さんは、この2つ、特に後者に関しては、ドラッカーこそ人を輝かすことに価値を置いた経営学者だと捉えています。
実際に、村瀬さんの生き方もそれに従っているようです。

まあそんなわけで、今日は雑談でした。
23日に、湯島でドラッカーをテーマに、サロンをやることになりました。
案内を見たら、私がファシリテーターになっていました。
さてさてどうなりますか。

■武田さんとの対話(2018年8月13日)
リンカーンクラブ代表の武田さんと話しました。
といっても政治の話ではなく、パソコン教室のようなものでした。
最近はメールやフェイスブックがないとなかなかコミュニケーションしづらくなっていますが、武田さんは最新機器を買いすぎて消化出来なのです。
困ったものです。
それでわつぃのパソコン教室をやったのですが、肝心のパスワードがわからなくて、役に立ちませんでした。
よくわからない人のパソコン教室は受けてはいけません。

■近藤さんとの対話(2018年8月13日)
猫のために生きている不思議な人である近藤さんと武田さんと3人で話しました。
肝心の用件はすぐ終わり、いつものようにまた、政治論議になりました。
表層的にはコミュニケーションは成り立ちますが、パラダイムが違っているとコミュニケーションは難しい。
いつもながらそう感じました。

■お盆のスイカ(2018年8月14日)
今年、初めてスイカを食べました。
スイカは大好きなのですが、私は毎年1回しか食べられません。
というのも、私にとってはスイカは丸くないとだめなのです。
最近はカットされたスイカが売っていて、娘はそういうのを買ってきますが、私はそういうものは「スイカ」と認めないのです。
せっかくなので、食べてはしまいますが。

丸いスイカを買ってきてほしいと頼んでいますが、どうせ食べられないからといって、買ってもらえません。
それでお盆だけはみんなが来るし、亡妻にも供えないといけない。
それに、孫にスイカは丸いのだと教えないといけないと娘を説得して、毎年、丸いスイカを買うようにしています。
これが私の夏のメインイベントなのです。
極めて地味ですが、老人の暮らしはそんなものです。

孫も話せるようになったので、今年は「おおきい!」と感動してくれました。
そして、「おさむが買ったの」と質問までしました。

持ち上げようとしても持ち上がれません。
スイカは何色かと訊いたら、「みどり」と答えました。
その目の前でスイカを真っ二つに割ったら、まっかでした。

そして半分にしたスイカにかぶりついてくれました。
これはストップがかかりましたが、それを何等分かして、みんなで食べました。
スイカはスプーンで食べるのは邪道で、やはり半円に切ってかぶりついて食べるのがいいです。
娘がサイコロ状に切ったりしていましたが、孫はそれには目をくれずに、半円のスイカを持ってガブッと食いつきました。
サイコロ状にしたら、スイカではなくなります。
娘の育て方が悪かったようです。
困ったものです。

丸くて緑で、でも中身は真っ赤。
赤いところはあまいけれど、緑の部分は硬くておいしくない。
孫は、皮をかじって、それを学んでくれました。

しかし、スイカはみんなで食べても半分以上が残りました。
私が子どもの頃は何切れも食べられましたが、いまはがんばっても2切れです。
でもまあ、丸いスイカが食べられて満足です。
またこれから1年、スイカは食べる機会はないでしょう。
スイカもどきは、きっと食べられるでしょうが。
というわけで、私に夏は終わりました。
最近では、私の夏はスイカと花火くらいなのです。

■畑作業の再開(2018年8月15日)
畑を再開しました。
ところが台風などでキュウリなどがひどい状況になってしまっています。
さてさてどうするか。
まあまた地道に取り組んでいかねばいけません。
畑をやるといろんなことに気づかされるとともに、人間が成長します。
ちょっと取り組むのが遅かったのが問題ですが。

■送り火(2018年8月16日)
送り火でした。
お墓はにぎわっていました。
大切な役目を終えたキュウリの馬を食べてしまいました。
ちなみに今日で伴侶を見送ってから3999日経ちました。

(2018年8月第2週)
■縁カフェ(2018年8月6日)
■すぎのファームの梨(2018年8月7日)
■サロン「新・十七条憲法をつくる」(2018年8月11日)

■縁カフェ(2018年8月6日)
今日の縁カフェは4人のお客様がありました。縁カフェ基金は1万2500円になりました。

今日のお客様は、スポーツ不祥事解説者と有機農業解説者と地図愛好者、そして私でした。
この組み合わせは、まずよほどでないと実現しないでしょう。
しかしなぜか話は弾んでいました。
ちなみに、最近、スポーツ不祥事が多いので、その解説者は毎回来てくれますが、ほかの2人は初めてのお客様でした。
みんな博学で自己主張のある人ですので、喫茶店のマスターをやっていると世界は広がります。本当はコーヒー代金もマイナス500円にしてもいい気もしますが、縁カフェのお店をつくらないと行けないので、そう言うわけにもいきません。

■すぎのファームの梨(2018年8月7日)
今年は天候の関係で、梨がいつも四rも1週間近く早く収穫できたそうです。
すぎのファームから連絡があったので、早速、購入しに行きました。
ちょうど杉野さんは、栄養士関係のグループにレクチャーしていました。
この時期は忙しそうです。
奥さんからゴーヤをもらいました。
今年の幸水も実に美味しかったです。

■サロン「新・十七条憲法をつくる」(2018年8月11日)
サロン「新・17条憲法をつくる会」は、男性6人、女性1人の7人の参加でした。
各人がそれぞれ考えてきた条文あるいは項目を出し合ってから話し合いに入りました。
全9憲法案や新十七条憲法をつくってきた人もいます。
いろんな視点が出され、議論はとても刺激的でした。

ただ今回は、聖徳太子の17条憲法がそうであるように、焦点が必ずしも絞り込めず、「為政者の制約事項」に限定したものではない議論になりがちでした。
そこで、最後の30分ほどで、今回の呼びかけに応じて、「為政者の制約事項」を改めて出し合い、いわゆるKJ法もどきで整理しました。
大まかに整理すると、次の5項目になりました。
〈人権の尊重〉〈憲法の厳守〉〈独裁の禁止〉〈情報の公開〉〈特権の禁止〉

内容はかなり具体的なものがいろいろ出されました。
そのいくつかも紹介できればいいのですが、まだ十分に整理できていないので、今回は項目だけでお許しください。
決断したことへの厳しい責任を問うという意見もありましたが、それも含めて、今回出された意見をこの5項目に応じて整理し、フェイスブックで公開することにしました。
できればそこに書きこんでいき、また第2回目を開催することも考えたいと思います。

政治制度に関する話題もいろいろとでました。
熟議民主主義やミニパブリックスの話題も出ました。

また、為政者への制約と同時に、非統治者である国民にも守るべきことがあるのではないかということから、今度は「主権者としての国民の心がけること」をテーマに、憲法条項を考えてみるのもおもしろいのではないかということになりました。
これはまさに市民社会の熟度と仕組みの問題です。
それで少し涼しくなったら、そんなサロンも開催しようと思います。
こうなってくると、だんだん事務局が欲しくなってきますが、どなたかこれを運動的に展開していく作業事務局を引き受けてもいいという方がいたらご連絡ください。
3人集まったら、プロジェクトチームを立ち上げます。

(2018年8月第1週)
■32人との連続面談(2018年8月1日)
■ブラジルの話と「経世済民の戦後史」(2018年8月3日)
■久しぶりの畑(2018年8月4日)
■花火大会(2018年8月4日)

■32人との連続面談(2018年8月1日)
この3日間、ある理由で32人の人たち一人ひとりとそれぞれ30分ほどの話しあいをしました。
休憩時間なしで、次々と会い続けていたのです。
私の大好きなスタイルです。
笑いあり、涙あり、怒りあり、とても人間的な時間でした。
疲れましたが、実にたくさんの元気をもらいました。
そしてまだ日本の都会にも、人間は健在していることを気づかせてもらえました。
2050年には人間はいなくなるような気がしていましたが、私の思い違いかもしれません。
今日は熱帯夜ですが、熟睡できそうです。

■ブラジルの話と「経世済民の戦後史」(2018年8月3日)
2か月ほどブラジルに行っていた若い友人の山浦さんが湯島に来てくれました。
ブラジルの話をいろいろしてくれましたが、一番興味を持ったのは弓場農場の話でした。
日本からの移民の人たちが、かつての武者小路実篤の「新しき村」を今もなお持続しているそうです。
10家族60人くらいだそうですが、これは後で金子友子さんから聞いた茨城県に残っている新しき村とほぼ同じ規模のようです。
そこにある意味を感じました。

その後は、いろんな話をしたのですが、行きついたのが「経世済民の戦後史」でした。
山浦さんがきっと何かを起こしてくれるでしょう。
若者のエネルギーにはいつも感服しています。

■久しぶりの畑(2018年8月4日)
久し振りに畑で作業をしてきました。
猛暑にもかかわらず、なんとか花も野菜も野草も、みんな元気でした。
久しく野草との闘いをしていなかったので、かなり侵食されてきてしまっていましたので、草取りで今朝は精一杯でした。

キュウリを少しタイミング遅れで植えていたのですが、元気に育ったのですが、時期が遅かったので受粉がなされないようで、花はたくさん咲くのですが、実がなりません。
改めて自然の時計の見事さに感心させられます。

花壇はともかく野草と花を置き換えたいと思って、少しずつ広げてきたので、雑然とした花壇になっていますが、まあ半分以上は制圧しました。
畑は一応縄張り宣言はできましたし、少しずつですが収穫もあります。
元気な野菜が育っていて、これはなんだろうと思っていたら、モロヘイヤでした。
もう大きくなりすぎていると指摘されて、今朝収穫しました。

来年は野菜が高騰しても大丈夫でしょう。
家の仏壇の供花も、今日は花壇の百日草にしました。
ますますお金が要らない人生になりそうです。

■花火大会(2018年8月4日)
手賀沼で花火大会でしたが、風向きの関係で、花火の残滓がたくさん降ってきました。
火がついたままのものもあって、なかにはわが家の上にある竹林に落下、遠目に見ていたら、7〜8秒火がついたままでした。
翌朝、起きて、家の前に出ると紙が散乱していました。
朝、畑に水やりに行ってきましたが、ずっとそんな感じでした。
みんな花火の残骸です。
部屋から見える隣家の屋根にも残っていました。
以前、小さな火薬が落ちてきたこともあります。
玄関には火薬の残滓らしいものがありました。

花火の写真や花火の燃え滓の写真はフェイスブックにアップしました。

(2018年7月第4週)
■カフェサロン「安心して死を迎えられる生き方のために パート1」(2018年7月22日)
■キリギリスとの出会い(2018年7月23日)
■突然の来客(2018年7月24日)
■ほかの2人の女性(2018年7月24日)
■カフェサロン「相模原事件をどう超えていくか」(2018年7月27日)

■カフェサロン「安心して死を迎えられる生き方のために パート1」(2018年7月22日)
死という、誰もが避けがたい現実を、積極的に捉えた生き方を支える「社会的な仕組み」をテーマにした、2回にわたるサロンのパート1は、猛暑の中、15人の参加者がありました。

今回は、ホスピス勤務経験もある僧侶の中下さんが、これまでのさまざまな死の現場体験から感じていることや考えていることを、自らの人生にもつなげながら、ありのままに話してくれました。
中下さんの活動を見ていて、どうしてこんなにエネルギーがあるのだろうかと、いつも不思議に感じていたのですが、今回改めてお話をお聴きして、これまで中下さんが関わってきたたくさんの人たちの思いが、中下さんを動かしていることに気づかされました。
生きる力の源泉は、自分の心身の外からやってくるのかもしれません。

今回も、当日の朝まで中下さんは、西日本豪雨で被災した広島で活動されていたそうですが、悲惨な現場での「辛さ」とともに、たくさんの人たちから託された「ちから」が中下さんを動かしているのでしょう。

中下さんの心身には、どうもたくさんの人たちの思いが詰まっているようです。
それは、死者からだけではありません。
いま話題になっている大口病院の看護師による殺人事件にも少し言及してくれましたが、中下さんの祈りの対象は、すべての生きている者や社会そのもの、あるいは時代の流れなどにも向いているような気がしました。
だから「仕組み」が必要なのかもしれません。

なにやら抽象的なことを書いてしまいましたが、中下さんの話はとてもわかりやすく、とても具体的、実際的なお話でした。
たとえば、死に直面した時、人は何を想うのか、という問いかけしながら、中下さんは自分に残された印象的な言葉をいくつか紹介してくれました。
そして、「生まれてきてよかった」と最期に言える人生や生きる意味、あるいは、人間の幸せとは何かという問いかけをしてきてくれました。

中下さんが最初に示した1枚のグラフがあります。
人が死を迎える場所のグラフですが、日本では1970年代中ごろに、自宅で死を迎えるよりも医療機関で死を迎える人の割合が多くなりました。
このことの意味は極めて大きいでしょう。
そしてそれに伴って、死が次第にビジネスの対象になっていく。
ビジネスの対象になるにつれて、死の意味は大きく変わります。
そしてそれは必然的に生き方を変えていく。
なぜなら「死に方は生き方」の象徴だからです。

そうした風潮に、中下さんは違和感を持ち、これまでもさまざまな実践に取り組んできています。
しかし、それが必ずしも好意的に受け入れられたわけでもないでしょう。
だからこそもっと大きな「仕組み」の発想が必要だと考えだしているようです。
その仕組みの話はパート2で取り上げられる予定です。
今回は中下さんが体験してきたいろんなことを少しシェアさせてもらうことで、中下さんが考える「仕組み」への理解を深める準備サロンでしたが、今回のサロンでの中下さんの問題提起はそれだけでも参加者には自らの生き方を考えるたくさんの示唆があったように思います。

いつも思うのですが、サロンの報告は、私の主観的な報告になってしまい、サロンで話し合われた、大切なものが失われてしまうような気がしてしまっています。
話し合いの具体的な内容の報告がうまくできずに申し訳ありません。
いくつかの話題を項目だけ紹介しておきます。
ホスピスや病院や介護施設で働く人たち(死に寄り添い生を支援する人たち)への支援の仕組みがないことは中下さんから問題提起されました。
お盆や葬儀の価値やビジネス化の状況なども話題になりました。
インドの聖地バラナシで絶えることなくつづく火葬の場に子どもと一緒に行ってきたという女性の方から、死とは何か、という話題も出されました。
人称による死の捉え方の違いも話題になりました。
他にもいろいろとあったと思いますが、私は「死の持っている価値」を考えたいと話させてもらいました。
死を意識した時に、人は生き方を考えだします。
もしそうであれば、それだけでも「死」には大きな価値がある。
これに関しては、パート2でも話題になっていくと思います。

■キリギリスとの出会い(2018年7月23日)
写真はないのですが、今朝、自称「畑」に水をやりに行って、うれしい出会いがありました。
なんと(たぶん)キリギリスです。
ウマオイではりません。
久しぶりに出会いました。
私は子どもの頃は、キリギリス獲りの名人でした。
しかしもう10年以上、キリギリスに出会ったことはありませんでした。
それが今日、キュウリの支え棒のところにオスのキリギリスがとまっていたのです。
しかし残念ながら怪我をしていました。
羽が半分なくなっていたのです。
携帯電話を持っていかなかったので写真はとれませんでしたが、また会えるでしょう。
これは大事にしなければいけません。
明日から餌付けもしようと思いますが、果たして成功するかどうか。

ほかにもいろんなバッタなどに会っていますが、みんな順調に育っています。
野草を刈りとり、耕したところよりも、野草たちの王国の方が、どうも豊かなのかもしれません。
ムラサキのシランも咲きだしました。

■突然の来客(2018年7月24日)
3時からのミーティングの資料を作成するために今日はお昼過ぎに湯島に着きました。
部屋を片付けたりした後、さて資料でもまとめようと思っていたら、突然の来客です。
Kさんでした。
1年半ほど、グローバル無沙汰だったのですが、先日、やってきていろいろと話をしました。
ちょっと疲れているなと思って気にしていましたが、やはりやってきました。
弱い人ほど、自らの弱さに気づいていません。
彼女は弱みを見せて生きているといいますが、自分でも自らの弱みに気づいていないような気がします。

2回にわたってゆっくり話せたのはよかったです。
私も一度、彼女に苦境を助けてもらいました。
彼女はきっとそんなことなど覚えていないでしょう。
人はこうやって、助け合っている。
彼女とゆっくり話せてよかったです。

■ほかの2人の女性(2018年7月24日)
Kさんと話していたら、約束していた2人が現われました。
Kさんより一回り若い女性たちです。
一応、用件はあったのですが、私の関心は用件の先にあることです。
彼女たちもたぶん疲れているのです。
どうして最近はみんなこうも疲れているのでしょうか。

疲れの原因は私と違って、暑さではなく人間関係です。
人は癒しもしますが、疲れも与えます。
そして、癒しも疲れも、たぶん双方に与えることがほとんどでしょう。
癒しだけの人間関係はできないものでしょうか。

今日は来客続きでしたが、キリギリスは来ませんでした。

■カフェサロン「相模原事件をどう超えていくか」(2018年7月27日)
2年前に起こった相模原市の津久井やまゆり園での障害者殺傷事件をテーマにしたサロンには15人の参加者がありました。
改めてそれぞれで事件を思い出して、被害にあった人たちへの黙?をささげてから、サロンに入りました。
最初に今回のサロンを呼びかけてくださった増田レアさんに、ご自分の生い立ちも紹介していただきながら、問題提起をしていただきました。
参加者のなかには、事件発生後の現場に関わった方や被害者家族とお付き合いのある方、あるいはこの問題を契機に人権や対話の活動に取り組んでいる方などがいる一方で、この事件はもう関心から消えかけていたという方や障害者とはあまり接点のない方まで、さまざまな立場の方が参加してくださいました。

さまざまな論点が出されました。
今回は話し合いになった論点だけを、順不同で羅列するにとどめます。
それぞれの論点に関する意見はさまざまでしたが、それを書きだすとあまりに長くなりそうですので。

被告をどう捉えるか。特殊な人なのか、同情すべき環境に置かれた普通の人なのか。
被告の主張が問題であって、生い立ちや環境は関係ないのか。
生産性至上主義の風潮、稼がない者には価値がないという風潮をどう考えるか。
労働は国民の義務と憲法に明記されているのは日本だけではないか。
被告をヒーローにしたくない。
そもそも加害者をどう呼べばいいか(「植松被告」「植松さん」「植松」など)。
意思疎通できていないのは被告ではないのか。
言語や行動がなくても意思疎通はできるのではないか。
不幸とは何か。生産性とは何か。意思疎通とは何か。
差別意識こそが一番の問題。その差別はなぜ起こるのか。
被告の中にあるものは多くの人の中にもあるのではないか。
被害者家族の最首さんが公開する形で被告とやりとりしていることをどう考えるか。
事件を批判するのではなく、そこから何を学び、何を変えるかが大切ではないか。
施設と社会が乖離するという施設のあり方。
「障害者」という言葉に内在する差別発想。
「障害」はないほうがいいに決まっている。それと「障害者」は全く別の話ではないか。
この事件に関連して、出生前診断をどう考えるか。
優生思想への動きが強まっているのではないか。
福祉や医療の現場で頑張っている人たちのことももっと理解したい。

ほかにもたくさん出ましたが、どうしたらこういう事件をなくせるか、という問いかけも出ました。
事件を風化させずに、事件の意味を考える話し合いの場を広げていくこと。
自分の考えをしっかりと政府などに伝えていくこと。
さらには施設のあり方を考えなしていくこと。
などが出されました。

いずれにしろ気づかされることややるべきことがたくさん出てきたサロンでした。
話題になった論点は、いずれもその一つひとつがサロンになるような大切なものでした。
これで終わらせるのは残念なので、このサロンのアフターサロンを開催することにしました。
日程がなかなか取れなかったので、ちょっと異例ですが、8月19日(日曜日)の午前に開催します。
案内は改めて行いますが、もしお時間が許せばご参加ください。
できれば私は「生産性至上社会から排除される人たち」、あるいは「私たちの中にある差別意識」を取り上げたいと思いますが、参加者の関心によっては、テーマを変える予定です。
しかしいずれにしろ、大きなテーマは、なぜ相模原のような事件が後を絶たないかを考えたいと思っています。



(2018年7月第3週)
■猛暑の3連休(2018年7月16日)
■家族の会食(2018年7月17日)
■増山さんと田中さんとのテレビ会議(2018年7月18日)
■我孫子まちづくり編集会議(2018年7月21日)

■猛暑の3連休(2018年7月16日)
「いのちに関わる危険な暑さ」が続いています。
我孫子も連日35度前後の暑さです。
確かに暑く、エアコンなしでは過ごせません。
湯島にも足が遠のいてしまっています。

■家族の会食(2018年7月17日)
ジュン家族とみんなで会食をしました。
鰻を食べに行こうとも思ったのですが、2歳のにこがいるので、近くの夢庵での食事になりました。
にこも、自分専用に注文ができるようになってきました。

■増山さんと田中さんとのテレビ会議(2018年7月18日)
菜園クラブの増山さんが、この活動を全国に広げていくためにITを活用できないかと考えている田中さんと話し合いたいと誘われました。
湯島に行くとなぜか増山さんしかいません。
田中さんは来るのと訊くと、もうすぐ来るというのです。
コーヒーを淹れていたら、増山さんが田中さんが来たというのですが、やってきたのはパソコンの画面でした。
つまりテレビ会議だったわけです。
なにしろ田中さんは札幌在住なのです。
湯島に来るのも、こういうスタイルもあるようになったと感心したのですが、それはともかくすぐにテレビ会議ははじまりました。

1時間半、3人で話し合いました。
増山さんは2日で話していて、お互いに「煮詰まったので」、その解きほぐしに佐藤さんを巻き込んだのだそうです。
そういう事情を全く知らずに、突然の、しかも私の嫌いなテレビ会議でしたが、次のステップが見えたようです。
ちょっと疲れました。

■我孫子まちづくり編集会議(2018年7月21日)
毎月開催している我孫子まちづくり編集会議です。
なかなか主旨をシェアするのに手こずっていましたが、ようやく少しわかってもらえたようです。
しかしまた急いでおかしくなることを避けて、ともかくはサブ活動としてのそれぞれの思いの具現化に取り組むことを主軸にし、「編集」はその後にしていこうと思います。
今回は手賀沼の昔に関わる話もだいぶ出て、とてもよかったです。

(2018年7月第2週)
■個人と組織の関係を考える研究会シーズン2(2018年7月8日)
■西日本豪雨と東日本の猛暑(2018年7月11日)
■花壇の花が咲きだしました(2018年7月11日)
■花小鳥で坂谷さんからご馳走になりました(2018年7月12日)
■カフェサロン「日本は核武装するべきか」(2018年7月14日)

■個人と組織の関係を考える研究会シーズン2(2018年7月8日)
個人と組織の関係を考える研究会はシーズン2に入りました。
シーズン2は、会社を中心とした企業体に焦点を置くことにし、淑徳大学教授の斎藤さんにお願いしました。
1回目の議論は、斎藤さんが用意してきてくれた資料の入り口だけで議論が盛り上がりました。
メンバーが多彩なので、いろんな議論が出ます。
「ティール組織」も話題になりました。
次回は8月19日です。
ご関心のある方はご連絡ください。

■西日本豪雨と東日本の猛暑(2018年7月11日)
先週から西日本各地で広範囲に異常な豪雨が起こっています。
死者・行方不明が200人を超える被害が出ていますが、雨が止んだ後も土砂崩れや濁流による浸水がつづいています。
一方東日本は猛暑続き。連日30度を超す暑さです。
こうした激しい気象状況が何によって発生しているのかはわかりませんが、私としては産業化によるものではなく、むしろお天道様の怒りによるものではないかと思えてなりません。
自然の浄化作用が働きだした。
そんな気がしてなりません。

■花壇の花が咲きだしました(2018年7月11日)
お天道様の小作人として、今朝も畑に行きました。
ただ少し頑張り過ぎたため、昨日から少し疲労気味なのと右手が相変わらず回復しないので、花壇の水やりと畑の笹刈りだけにしました。
花壇は花が咲きだしました。
節約してしまい、大きな花よりも数の多い花を選んだのが敗因でした。
それにタイミングを失したため以前のようにチュリーップの球根は間に合いませんでした。
また追加で花の種子を購入したのですが、100円ショップで買ったためか、発芽しません。
花代は節約してはいけません。
庭には昨年カサブランカを植えたのですが、これは見事に花を咲かせだしました。
来年はカサブランカも植えようと思います。

ひまわりはミニひまわりを選んだのが失敗でした。
何か元気が出ません。
百日草はだいぶ蒔いたのですが、なぜかこれもいささか地味です。

昨年、球根を2つ植えておいた琉球朝顔は今年は元気に花を咲かせだしていますが、野草の整理の時に一つはダメにしてしまいました。
この朝顔は強いので、放置しておいても長く花を咲かせてくれるはずです。

朝、水やりに言っていたら、散歩で通りかかった老夫婦が朝顔がきれいですね、と言ってくれました。
がんばっている花壇の花よりも、がんばっていない強い朝顔が目についてしまうのは、いささか心外ですが、まあ世間とはそんなものでしょう。

来年は球根物や花木類を少し増やし、手をかけずともきれいになって行くようにしたいと思っています。

■花小鳥で坂谷さんからご馳走になりました(2018年7月12日)
坂谷さんがご馳走してくれるというので、勝手に最近できた北柏ふるさと公園内に最近できたカフェスタンド“花小鳥”で合いました。
前回は、小綬鶏でご馳走になったのですが、いつも彼にはご馳走になってばかりいます。
今回は、彼のお祝いごとの報告だったので、私がご馳走すべきだったのですが、ついつい素直に申し出を受けてしまいました。

■カフェサロン「日本は核武装するべきか」(2018年7月14日)
30度を超す暑さのなか、しかも3連休の初日、「日本は核武装するべきか」というテーマに13人の参加者がありました。
それだけでもうれしかったのですが、議論も盛り上がりました。
最初に、参加者それぞれが日本の核武装に関する自説を簡単に紹介し、つづいて「文藝春秋」7月号でエマニュエル・トッドが提唱した「日本は核を持つべきだ」という論は自分の考えとほぼ同じだという武田文彦さんが問題提起してくれました。

トッドは、日本が依存している「米国の核の傘」はフィクションにすぎない、しかし、核とは戦争を不可能にするもので、第二次大戦以降、欧州で大きな戦争が起こっていないのも核の存在のおかげだ、だから日本は核武装すべきだというのです。

武田さんは、それも踏まえて、2つの問題(太田さんによる整理)を提起しました。
対米従属の日本が真の独立を得るためには、「日米安保条約の解消」とそれに代わる「対外的パワー(侵略抑止力?)としての核武装」が必要だというのです。
この前提には、いまの日本はアメリカに従属していて、独立国家とは言えないという認識がありますが、これに関しては参加者からの特に大きな異論はありませんでした。
日米安保条約に関しても、ほぼ全員がなくていいという意見でした。
問題提起者の武田さんが驚いたように、今回のサロンは昨今の日本の社会では特異な人の集まりだったかもしれません。
日米安保条約がなくてもいいと思っている人は、そう多くはないでしょう。
永続敗戦論や米国属国論はいわば流行的な現象にさえなっていますが、日米安保条約の恩恵を捨てようとは思っていない人が多いはずです。

次の問題は、核兵器は戦争(侵略)抑止力を持つかです。
ここでのポイントは、戦争に勝つ力ではなく、戦争を起こさない力を、核兵器は持っているかどうかです。
ちなみに、限定核兵器の話も出ましたが、そもそも核の力は人間が管理できるものではありませんから、私自身は限定核兵器などというのは概念的にありあえないと思っています。
一時期流行した「核の平和利用」と同じレベルの話です。

核兵器の抑止効果の有無に関する意見は別れましたが、核兵器は実戦には使えないにもかかわらず抑止力があるというのは、私には理解できません。
それは抑止力ではなく、暴力的な威圧であり、プロのボクサーとは喧嘩はできないという話なのではないのか。
しかしプロのボクサー自身はいつでも喧嘩はできます。
プロのボクサーには喧嘩がしかけたれないというだけの話で、それは非対称の抑止力ですから、戦争そのものの抑止効果とは違います。
いわゆる行動的な戦争ではない構造的な暴力戦争は、核兵器を持つ国によって引き起こされ続けていることは歴史が示しています。
古代ローマの歴史家タキトゥスは、ローマの皇帝たちは荒廃を生み、それを平和と呼ぶと書いているそうですが、平和とは誰にとっての平和なのかをしっかりと考えなければいけません。
私自身は、核兵器を持つことは、核クラブのメンバーになって、世界中の生活者を恐喝する側になることですので、まったく与することはできません。

それに関して、武田さんから核兵器抑止力と並んで、たとえば日本が病院を周辺国に無償供与することも戦争抑止につながるという話をしました。
核兵器による抑止と生活支援による抑止とは、理念が全く違いますが、そこをもう少し掘り下げると戦争とは何かがもう少し整理できるでしょう。
今回は「核兵器」がキーワードでしたので、その話は掘り下げられませんでした。

核武装する「日本」とは誰なのかの議論はあまりできませんでした。
核武装した時にだれが核兵器の発射のボタンを押すのかという問題です。
つまり核武装の主語は国家ではなく、個人として考えなければいけません。
あるいは少なくとも、核兵器のガバナンスの問題を抜きには考えられないということです。

戦争の意味が20世紀になってまったく変わったという認識が大切です。
30年ほど前に出版された「戦いの世界史」という本が4年ほど前に日本で翻訳出版されました。
人類は、どう戦ってきたかの詳しい報告で、面白い本です。
そこにこんな指摘があります。
「20世紀最初の10年が終わるころには、戦争において人間が主役だった時代は終わり、機械が主体となる時代が目前に来ていた。」
その後、戦争の変質に関してはさまざまな論考がありますが、戦場からどんどん人間がいなくなってきていることは間違いありません。
そうなると何が起こるか。
映画「ターミネーター」の世界です。
つまり対立の構図が全く変わってしまうわけです。
となると、誰に対する「抑止」なのかが改めて問われることになります。
それはとりもなおさず、「政治の捉え方」の変化につながります。
以前、サロンでお話した「統治の政治から生活の政治へ」というテーマです。
今回は残念ながらそこまでは行きませんでした。

コスタリカの話も出ました。
コスタリカに関しては以前ブログに書いた記事があります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/03/post_2.html
そこからコスタリカの情報にリンクしています。
日本では軍隊のないことばかりが有名ですが、問題の核心はたぶん国家のあり方です。

核兵器は開発されてしまった以上、もうなくすことはできないのではないかという議論もありました。
となると、核兵器の管理をどうするかということが重要になります。
そこで出てくるのが、国境をなくす世界国家論です。
方向としてそういう方向を目指すべきだという話も出ました。
まさに憲法9条が生まれた時の、日本人側の思想であり、日本国憲法の前文の理念です。

なお、核兵器はいかに管理しても、原発がそうだったように必ず誤爆が起こるという指摘もありました。
その危険性は日々高まっている気がします。

核武装にはほとんどの人が反対でしたが、日本安保条約は不要と考える人が多かったということは、核不要論と言えるでしょう。
つまり、核などなくても自立できるということです。
逆に日本安保条約を破棄し、核武装するという人は、核兵器が独立国家の必須要件と考えているのかもしれません。
核がなければ自立できない、というわけです。
よく考えればわかりますが、両者の「自立」の意味は全く違います。

となると「国家(の独立)」とは何かということが問題になる。
核武装するべきかどうかという切り口から、いろんなことが見えてくるように思います。

今回はもっと核武装論支持者がいると思ったのですが、ほとんどいなかったのが驚きでした。
マスコミで接している日本人の考え方とサロンに集まる人たちの考え方の乖離なのか、現実とマスコミ報道によって作られる第二次情報との乖離なのか、それが改めて気になったサロンでした。

もう少し問題を絞ったサロンをまたやってみたいと思います。
たとえば、視点を変えて、世界の人々が平和であるために何をやったらいいか、というようなテーマのサロンです。

(2018年7月第1週)
■縁カフェ(2018年7月2日)
■久しぶりの小林さん(2018年7月4日)
■基之のうなぎ(2018年7月4日)
■コミーとのミーティング(2018年7月6日)

■縁カフェ(2018年7月2日)
とんでもない暑さの中を4人の方が湯島の縁カフェに来てくださいました。
まあ一人は私ですが(売り上げが伸びないので、私もお客になることにしました)。
さらにお一人の方はコーヒーを2杯も飲んでくれましたので、本日の売り上げは2500円でした。縁カフェ基金はついに10000円を超えました。10500円です。この調子だと今世紀には常設カフェが実現できそうです。

暑い中をわざわざ湯島まで来てくださった方にはお礼を申し上げます。
閉店後、ある人から電話がありました。すでに電車で帰宅途中でしたので、残念ながらお会いできませんでした。
大事なお客様を一人逃したのは残念ですが、なにしろ、夕方は小作人として働かなければいけません。
兼業農家は大変なのです。

■久しぶりの小林さん(2018年7月4日)
1年半ぶりに小林さんが湯島に来ました。
今は過労死家族の会の活動もされているようです。
いろいろとあったようですが、お元気そうでした。
久し振りにいろいろとお話しましたが、私自身、いろんなことに気づかせてもらいました。

■基之のうなぎ(2018年7月4日)
小学校時代の同級生の基之が、久しぶりにやった競馬でかなりの利益を得たので、お裾分けしたいと電話が来ました。
前から一度行こうと思っていた湯島のうなぎ屋でご馳走になりました。
基之は、もっといつも食べられないようなものをご馳走したいと言ってくれましたが、最近はうなぎも高くて、私には手が出ないのです。
それも、基之には申し訳なかったのですが、あんまり食べられないので、真ん中のうな重にしてしまいました。
4000円でした。
正直、味はいま一つでした。
基之はなんだかご馳走した気にならなかったようで、個々のうなぎなら自分が言っているうなぎ屋の方がお一子と、またご馳走してくれるようです。

うなぎを食べたのが少し元気が出たような気がしますが、まあ誤解でしょう。

■コミーとのミーティング(2018年7月6日)
コミーの社長と役員たちと会食しました。
仕事をしようかどうか、まだ迷っています。
微妙です。

(2018年6月29日)
■カフェサロン「柳兼子をご存知ですか?」(2018年6月24日)
■「ティール組織」を読みました(2018年6月25日)
■畑と花壇が少しずつ形になってきました(2018年6月26日)
■中下さんのビジョン(2018年6月27日)
■サロン「九条俳句訴訟をどう思いますかーこれからの社会教育を考える」(2018年6月27日)
■我孫子まちづくり編集会議定例会(2018年6月30日)

■カフェサロン「柳兼子をご存知ですか?」(2018年6月24日)
民藝運動を起こした柳宗悦の伴侶で、声楽家としても有名な柳兼子をテーマにしたサロンは、16人が参加しました。
話題提供者は、我孫子在住の海津にいなさん。
海津さんは30年ほど前に千葉県の我孫子に転居してきましたが、かつてそこに住んでいた白樺派の人たちの活動に関心を深め、今はどうやらすっかり柳兼子さんにほれ込んでしまっているようです。
数年前から、柳兼子を主人公にしたNHK朝ドラを実現したいと考えています。
今回のサロンも、そうした思いも会って、改めて柳兼子の魅力を多くの人に知ってもらうきっかけになればということで開催しました。

柳夫妻は、我孫子には7年ほど住んでいましたが、柳夫妻の縁で、当時の我孫子には白樺派の文人たちが集まってきていました。
柳宗悦は民藝運動の創始者として有名ですが、柳宗悦を支えたのは伴侶の兼子であり、また宗悦の思想を実践していたのは兼子であると言われています。
兼子は、本場のドイツでも聴衆を驚愕させたようで、「声楽の神様」とさえ言われ、85歳まで公式のリサイタルをつづけていたそうです。
柳兼子は、まさに今の日本において、見直される人だと海津さんは考えていますが、たぶん今回のサロンに参加した人はそういう思いを持ったのではないかと思います。
NHK朝ドラにするとしたら、こういうのがいいという提案も参加者から2つも出ました。

白樺派と言えば、文芸活動というイメージを持っている人も多いと思いますが、その底にある理想主義や人道主義を踏まえた社会活動の側面はなかなか伝わっていません。
柳宗悦の民藝活動も、生活文化のなかに「用の美」を見出すというような美術活動の側面に焦点が当てられ、声楽と言えば、これまた芸術活動と考えてしまいますが、白樺派にしろ民藝運動にしろ、そして柳兼子の声楽活動にしろ、もっと広い社会性を持ったものだったようです。
今回のサロンでは、海津さんはそういう広がりを意識しながら、さまざまな「テーマ」を示唆してくれました。
途中で、柳兼子の80歳を超えた時の歌声も聴かせてくれました。
その声の力に驚きました。
ただし、私がとりわけ興味を持ったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチとのつながりです。

海津さんのもう一つのメッセージは、戦争に向かって全体主義化が進んでいた当時の時代状況のなかでの兼子や白樺派の人たちの動きです。
私たちが、いまそこから学ぶことはたくさんあります。
これもサロンでは少し話し合いがありました。

沖縄在住のジャーナリストでもある緒方さんや日本韓国・朝鮮関係史研究会のメンバーの方も3人参加してくれました。
沖縄や朝鮮とのつながりも柳夫妻の活動の本質を示唆してくれています。
ほかにも参加者からも興味ある話が紹介されました。
今回は柳兼子の入り口だけでしたが、たくさんのテーマがちりばめられていたような気がします。
海津さんのフットワークのいい調査と自由な想像力に裏付けられたとても面白い発表でした。

これを契機にして、海津さんに「柳兼子研究会(仮称)〕の立ち上げと柳兼子我孫子ツアーを企画してもらおうと思います。
関心のある方はご連絡ください。
また当日配布された、海津さんのレジメ「手賀沼湖畔で大発展した白樺派と柳兼子」をご希望の方はご連絡ください。
海津さんの了解を得て送らせてもらいます。

ところで、柳兼子を主人公にしたNHK朝ドラの実現に力を貸して下さる方がいたらぜひよろしくお願いします。
面白いものになることは、間違いありません。

■「ティール組織」を読みました(2018年6月25日)
久しぶりに共感を持てる経営組織論を読みました。
フレデリック・ラルーの「ティール組織」(英治出版)です。
ケン・ウィルバーが推薦文を寄せているということを知って、読む気になりました。
ケン・ウィルバーは、トランス・パーソナル心理学の権威で、その著者は私には難解でしたが、魅力のあるものでした。
読みだして、まさに私がこの40年、考えていた企業論とつながっているのを感じました。
私が組織論に興味を持ったのは、チャールス・ライクの「緑色革命」(1970年)を読んで以来です。
その本を読んで、生き方に大きな軸ができました。
そして、組織論に実践的に取り組んだのは、会社時代のCIプロジェクトでした。
そのプロジェクトのおかげで、会社を辞めて、思っていた生き方の実践にはいりました。
そうした私の人生(なかなか理解してもらえませんでした)を肯定してくれたのが本書です。
人は自分が肯定されると、ついつい誰かに勧めたくなる。
そんなわけで、このホームページでも本書を紹介させてもらいます。
「ティール組織」の紹介

■畑と花壇が少しずつ形になってきました(2018年6月26日)
今日も暑いですが、「雨ニモマケズ」の信奉者としては、暑さなどには負けてはいられません。
それでもいつもより1時間早く畑に行きました。
今回もまたしばらくの雨で元気になってきている野草と笹竹との戦いでした。
敵ながらあっぱれの成長ぶりです。
それに比べて野菜たちはいささか元気がなく、声をかけてきましたが、心配です。
花壇の写真を撮ってきました。
花はまだあまり咲いていませんが、来週には咲きだすでしょう。
写真の右下はグラジオラスですが、花壇の雑草の根っこを切っていた時に間違って昔植えていた球根を傷つけてしまいました。
謝って埋めておいたら3本が芽を出してきました。
1本は花を咲かせてくれそうです。
道際の野草と奮戦していたら、3人の知らない人に挨拶されました。
2人は若い人で、ひとりは出社途中らしい男性、もう一人は女性でした。
みんな声をかけたがっている、ただそのきっかけが得られないでいるのだという私の仮説は少しずつ確証になってきています。

■中下さんのビジョン(2018年6月27日)
真宗大谷派僧侶で、超宗派寺院ネットワーク「寺ネット・サンガ」初代代表の中下さんが湯島に来ました。
8月に中下さんのやっている早稲田大学のエクステンションスクールの講座で話をさせてもらうのですが、その打ち合わせです。
中下さんは謝礼を持参してくれましたが、謝礼はやめてもらい、その代わりに湯島でサロンを開いてもらうことにしました。

中下さんはたくさんの人を看取り、葬儀の現場に関わってきました。
そうしたなかから、まだ漠然とではありますが、死を不安に感ぜずに、平安な生の支えになるような仕組みを、みんなで育てられないかと考えているようです。
具体的にどう設計したらいいかは、まだ思索中のようですが、中下さんとお話していて、そんなことを話してもらった後に、みんなで「こんな仕組みがあればいいな」というようなこと話し合えればと思いました。
きっといいサロンになると思います。

■サロン「九条俳句訴訟をどう思いますかーこれからの社会教育を考える」(2018年6月27日)
「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句が引き起こした訴訟事件を材料にして、社会教育や市民活動のあり方を考えるサロンには、平日の夜にもかかわらず、13人の参加がありました。
この事件の概要に関しては、案内文にも書きましたが、先月出版された「九条俳句訴訟と公民館の自由」(エイデル研究所)に詳細な報告があります。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#180513

今回は、九条俳句訴訟市民応援団の世話人でもある佐藤一子さんにお話をしていただいた後、参加者で話し合いました。
佐藤一子さんは、50年以上、社会教育に取り組んでおり、湯島のサロンの参加者の中にも、佐藤一子さんの影響で社会教育に興味を持ったという人も少なくありません。
訴訟に関わってきたお立場からていねいに事件と訴訟の話を紹介してくれた後、「社会教育の公共性の意義をどうとらえるか」、そして「問題の背景、本当の原因をどうとらえるか」という問いかけを参加者に投げかけました。
そこから話し合いが始まりました。

話し合いは「社会教育」という言葉を初めて知ったという発言から始まりました。
その方は社会の問題にとても関心が深く、ご自分でも様々な活動をされている方ですが、そうした方からの思ってもいなかった発言に私自身目を覚まさせられた気がしました。
また逆に、この分野に造詣の深い北本市の市会議員の方が、公民館の始まりから現状まで、そしてこうした事件に対する行政や教育委員会などの対応の制約などを、とても具体的に話してくれましたが、これまで腑に落ちなかったことのいくつかがわかったような気がしました。
サロンには、いろんな立場の人が参加してくれますので、問題の見え方がとても豊かになります。

この事件を授業で取り上げたという看護専門学校の先生が、学生たちの反応を資料にまとめて報告してくれました。
憲法の意味も含めてきちんと情報を提供し話し合うことで若い世代の人たちがしっかりした評価をし、問題を的確に深めていくことが示唆されていたように思います。

現在この事件は地裁、高裁と住民側が勝訴していますが、行政側が最高裁にまで持ち込んでいます。
最近の裁判の風潮を考えると最高裁での原告敗訴が心配で、日本の社会はもうそこまで来てしまっているという懸念も数名の方から表明されましたが、そうであればこそ、この問題をもっと広い範囲で取り上げていくことが必要だと改めて思いました。
万一最高裁で逆転敗訴になったら、それこそそれを材料に動きを広げていかねばいけません。
学校教育での日の丸・国歌の話題も出ましたが、教育は「国民」の思想形成を通して、国家の未来を方向づけていきます。

この、もしかしたら事件にならなかった問題の意味をしっかりと受け止めて、社会への大きな警告へと高めてきたのは、この俳句の詠み手と俳句サークルの代表代行の方に依るところが大きいと佐藤一子さんは話されました。
お2人とも戦争体験にもつながっている高齢の女性ですが、その子とは偶然ではないでしょう。
また、佐藤一子さんは、俳句という活動を通して社会を捉える感受性を高めてきたことの意義にも言及されました。
とても共感できます。
経済活動にばかり目を向けていては、そうした社会性や批判精神は育ちません。
そこにこそ「社会教育」の本質はあったはずですが、いまはむしろその逆方向へと向かっているようにさえ思えます。

やはり「茶色の朝」シリーズのサロンを広げていければと思います。
「九条俳句訴訟」をテーマにしたサロンも、みなさんのまわりでもぜひやってみてください。
もしお手伝いできることがあれば、協力させてもらいます。

今回は元教師や社会教育、あるいは学童保育などに取り組んでいた研究者や実践者も複数参加してくれました。
いつもよりも長目に時間を取っていましたが、やはりそれでも終わりませんでした。
たくさんの刺激と宿題をもらった気がします。
8月には「学校教育」を取り上げたいと思っていますが、どなたか問題提起をしてくれませんか。

■我孫子まちづくり編集会議定例会(2018年6月30日)
少しずつ各人のプロジェクトが見えてきましたが、なかなか編集会議そのものの主旨や考え方が理解されません。
もう少し熟成するのを待った方がよいようです。
組織のコアメンバーが見えてきません。

(2018年6月第3週)
■「東レのCIについて聴く会」(2018年6月17日)
■新潟の金田さんが湯島に寄ってくれました(2018年6月21日)
■ぽんゆうサロン(2018年6月21日)
■兄との会食(2018年6月22日)
■「ティール組織」を読みました(2018年6月22日)
■第1回「有機野菜の旬を楽しむ会」(2018年6月23日)

■「東レのCIについて聴く会」(2018年6月17日)


「東レのCIについて聴く会」というのがありました。
私が会社時代に取り組んだ仕事のことを、若い世代の人たちが聴きたいといって、そういう場を作ってくれたのです。
このプロジェクトは、私の人生が変わる契機になったプロジェクトです。
そのプロジェクトに巻き込んでしまった渕野さんも、会を企画した人たちが誘ってくれました。

それで、昨日は久しぶりに昔の話をさせてもらいました。
15年ほど前に一度、ある場所で話をする機会があったのですが、その時のパワーポイントを見つけて、それを使って話しましたが、そこに出てくる写真などを久し振りに見て、いろいろと思い出すことが多かったです。
私は過去にはほとんど興味のない人間ですが、2時間も話したためか、実にいろんなことを思い出してしまいました。
私だけが知っていることもいくつかあるのですが、そのいくつかもうっかり口に出してしまったりしました。
やはり過去を語ることには注意しなければいけません。

このプロジェクトに取り組んだ時の企業経営の考え方は、いまもなお間違っていないと思いますし、むしろ今こそ必要だと思っています。
会社を辞めてしばらく、そうした活動にも取り組んでいました。
新しい組織もいくつか立ち上げたり、関わったりしましたが、いずれも私の思いとは別の方向に向かってしまい、いずれからも離脱しました。
しかし、昨日2時間話したせいか、またちょっと企業に関わりたくなってきました。

企業が元気になる方法は、実に簡単です。
http://cws.c.ooco.jp/kigyouhennkaku1.htm
そう思っているのですが、なぜそれが広がらないのか不思議です。
たぶん基本的に私が間違っているのでしょう。
みんな「元気」になどはなりたくないのかもしれません。

しかし、過去のことを話すと、やはりすっきりしません。
自分が「終わった人」であることを思い知らされますから。
そしてまたやりたくなってしまいますから。

■新潟の金田さんが湯島に寄ってくれました(2018年6月21日)
金田さんが久しぶりに東京に来て、湯島に寄ってくれました。
この冬の大雪で体調を崩し、石からは東京行きを禁じられているようですが、大丈夫かどうか確かめたくて東京に出て来たそうです。
困ったものですが、私もそういう性格なので、お気持ちはよくわかります。
しかし、かなり大変だったようで、やはり医師の言うことは聞いたほうがいいようです。
まあ聞かないでしょうが。
それにしても今年の冬の雪は大変だったようです。

■ぽんゆうサロン(2018年6月21日)
隔月に開催している小学校時代の同級生サロンをやりました。
今回は男女各3人の6人が集まりました。
昼食から始まって4時間の予定が、気が付いたら6時を過ぎていました。
みんなよほど暇なのか、話す場がないのか。
いや暇でもなければ話す場がないわけでもないのです。
ただ小学校時代の友だちですから、まったく気楽で、何でも話せるのが心地よいのでしょう。
いくつかの相談ごともたちどころに解決しました。

ちなみに昼食は、女性陣が持参してくれました。
それも完全有機野菜などの健康食です。
しかも私の畑用にとまた野菜の苗を持ってきました。
困ったものですが、また畑作業をやらないといけません。
霜里農場の金子さんは、私の血圧対策と言って、今回も酢タマネギと小梅を持ってきました。
女性たちのお世話好きには困ったものですが、感謝しなければいけません。

■兄との会食(2018年6月22日)
兄とまた会食しました。
どうせ言い合いになるのはわかっているのですが、お互いにいつ倒れるかわからない歳ですから、定期的に会っておかないと、とお互いに思っているのです。
会うといつも私はご馳走になります。
ご馳走するよりもご馳走される方が、相手は喜ぶでしょう。
まあ私の考えはちょっとおかしいことも多いのですが、これは間違いないでしょう。
但し、お互いに先があまりない年齢同士の関係ですが。
それにしても、喧嘩ができる関係はいいものです。

■「ティール組織」を読みました(2018年6月22日)
久しぶりに共感を持てる経営組織論を読みました。
フレデリック・ラルーの「ティール組織」(英治出版)です。
ケン・ウィルバーが推薦文を寄せているということを知って、読む気になりました。
ケン・ウィルバーは、トランス・パーソナル心理学の権威で、その著者は私には難解でしたが、魅力のあるものでした。

読みだして、まさに私がこの40年、考えていた企業論とつながっているのを感じました。
私が組織論に興味を持ったのは、チャールス・ライクの「緑色革命」(1970年)を読んで以来です。
その本を読んで、生き方に大きな軸ができました。
そして、組織論に実践的に取り組んだのは、会社時代のCIプロジェクトでした。
そのプロジェクトのおかげで、会社を辞めて、思っていた生き方の実践にはいりました。
そうした私の人生(なかなか理解してもらえませんでした)を肯定してくれたのが本書です。
人は自分が肯定されると、ついつい誰かに勧めたくなる。
そんなわけで、本書を紹介させてもらいます。

本書のテーマは、「人々の可能性をもっと引き出す組織」とはどういう組織かです。
人類がこれだけ進歩できたのは、人々が協働する媒体としての「組織」のおかげだと著者は言います。
その組織は、社会状況によって変化してきている。
言い換えれば、人類の歴史の段階に応じて、組織モデルは変化してきた。
そして、人類誕生から現在までの10万年にわたる組織パラダイムを検討したうえで、現在はまさに組織パラダイムが変わろうとしていると指摘します。
この200年にわたって人類の可能性を大きく引きだし、社会の進歩をもたらした組織パラダイムが、今や逆に人間の可能性を抑圧しだしているというのです。
つまり、近代を主導してきた「達成型組織」は限界に来ていて、新しい組織モデルの進化の時期に来ている。
現在の組織の状況をみれば、この指摘にはうなずけます。

本書の書名である「ティール組織」とは、「進化型組織」と翻訳されていますが、自主経営、全体性、存在目的を重視する独自の慣行をもつ生命体型組織のことです。
著者は、それこそが新しい時代の組織パラダイムだと提唱しています。
近代を主導してきた「達成型組織」は限界に来ていて、新しい組織モデルへの進化の時期に来ているというのです。

一時期、生命論的パラダイムやオートポイエーシス理論が流行した時に、自己組織性は次世代組織モデルのベースになりましたが、本書は、そうした演繹的な提唱ではなく、実際に元気に活動している12のパイオニア組織の、メンバーへのデプスインタビューも含めた詳細な調査を踏まえての帰納的、かつ実践的な提案なのです。
しかも、著者の視野は、単に企業組織だけにとどまっていません。
調査対象になっている組織の中には、最近日本でも話題になりだしたオランダの地域福祉に取り組むNPO「ビュートゾルフ」が含まれていますが、そこでの実践が詳しく紹介されています。
学校や病院なども含めて、まさに「新しい世界観」に基づいた組織論なのです。

組織を束ねる力の源泉を「恐れ」に基づく「支配」「統制」から、存在目的と全体性を踏まえた、信頼を基軸にした「個人」の自主経営。
これは、私が会社時代に構想していたことと同じです。
私は体系化はできませんでしたが、それがわかりやすい事例と共にモデル化されています。

経営の現場にいる人やこれから起業する人にはとても役立つ実践書でもありますが、生きる指針を与えてもらえる書でもあります。
内容に関しては本書の解説をしているブログなどがたくさんありますので、ネットでそれを検索して読んでください。
ここでは内容の紹介は省略します。

本書の原題は、“Reinventing Organization”ですが、このタイトルには会社を辞めた直後に雑誌に連載させてもらった「脱構築する企業経営」を思い出させられました。
読み直してみようかと思っています。

■第1回「有機野菜の旬を楽しむ会」(2018年6月23日)


霜里農場の金子友子さん主催の「有機野菜の旬を楽しむ会」がスタートしました。
金子さんご夫妻がやっている埼玉県小川町の霜里農場は、全国から有機農業を志す人たちの学びの場です。
http://www.shimosato-farm.com/
そこから巣立っていた人たちを毎回、ゲストにお呼びし、そこでできた旬の野菜を味わいながら、有機農業や私たちの生き方をちょっと考えてみようというサロンです。
隔月くらいで開催、時には農場を見に行く企画も金子さんは考えています。

第1回目は、船橋市で山田農場を経営している山田勇一郎さんに来てもらいました。
定員の15人を超える参加者がありました。
まだ0歳の乳幼児を連れた若い夫婦の方が参加されました。
湯島サロンの最年少記録が更新されました。

話はまず山田さんの農場の様子の紹介から始まり、ついで「有機農業」に関するわかりやすい説明がありました。
「有機農業」という言葉をなんとなく使っている人も多いと思いますが、山田さんと金子さんの話で、その意味がよくわかりました。
山田さんの有機農業は、科学的な知見を大事にしています。
今回は「光合成」の仕組みから説明してくれたのですが、私などは光合成そのものの意味さえきちんとわかっていなかったことを、恥ずかしながら、この歳になって知りました。
また、有機野菜を「安全性」という視点で捉えていましたが、むしろポイントは「おいしさ」にあるということにも気づかせてもらいました。
その「おいしさ」がどこから来るのかも教えてもらいました。
そして大切なのは、昔よく言われた「作物をつくるのではなく土をつくるのだ」ということを思い出しました。
工業型の農業とは全く違う、もっと大きな「科学性」がそこにはあります。
大げさに言えば、自然科学もそろそろ枠組みを変えるべき時期に来ています。

山田さんが10年かかってつくりあげてきた山田農場の、事業としての、「起業」と「経営」の話もとても示唆に富むものでした。
新規就農されたい方は、ぜひ山田さんのところで一度、教えを乞うといいと思います。
山田さんのところでは、講座もやっているようですが、農法だけではなく、実践的な経営の話も聞けると思います。

農業の持つ「教育力」や「福祉力」は、湯島でも時々話題になりますが、今回は、農業に取り組むことで「経営力」が身につくことに気づきました。
改めて「農営」や「農法」ということを考えなすべき時期かもしれません。
安直な「儲かる農業発想」ではなく、自らの生き方に重なるような農業の可能性を改めて考える時期に来ているようにも思います。
山田さんの実践は、そうした視点で大きな示唆を与えてくれているような気がします。

そういえば、金子さんが、農法に込められた日本古来の知恵についても言及され、有機農業はそうした知恵を再発見していくことだというようなことを話されていたのに共感しました。

ほかにも、たとえば堆肥づくりとか土壌づくりなど、実際の有機農業に関する話もありましたが、いろんな意味で、いろんな発見のあるサロンでした。
話の後、山田農場の新鮮野菜(今回はトマト、キュウリ、トウモロコシ)を味わいました。
今朝もぎたてのトウモロコシを生で食べさせてもらいましたが、ほとんどの人が初めてだったと思います。
参加者が多かったので、分かち合いになりましたが、これも実によかったです。
最後は、みんなお土産に野菜ももらいました。

次回は8月25日の予定です。
米作りをやっている有機農業実践者がゲストの予定です。

(2018年6月第2週)
■畑は元気でした(2018年6月10日)
■デモに行きませんでした(2018年6月10日)
■「インド哲学10講」(2018年6月11日)
■カフェサロン「いまの政治でいいのだろうか」(2018年6月12日)
■「パラノイア ハイプログラマーズ」を体験しました(2018年6月14日)
■北九州市の石松さん(2018年6月14日)
■小宮山さんとのバトル(2018年6月15日)

■畑は元気でした(2018年6月10日)
2日間の疲れがやはり1〜2日遅れて出てきました。
脚が筋肉痛でいささか歩きにくいのです。
しかし、その症状が出てきたのは、今日のお昼ごろ。

疲れが少し残っていたので、今日は畑には水をやるだけにしようと思っていました。
それもちょっと寝坊して、出かけたのが9時過ぎになってしまいました。
2日ぶりでしたが、みんな元気でした。
もちろん野草も笹竹もです。
笹は2日来ないと10センチ以上伸びます。

暑さの上に、太陽がかんかん照りでしたので、そのまま帰ればよかったのですが、(お天道様の)小作人としてはやはりがんばろうと思ってしまい、草刈りを始めてしまったら、いつのまにか畝づくりにまでいってしまっていました。
娘はいつも、一番暑い時に出て行かなくてもいいじゃないかと言いますが、楽をしようなどと思うようでは、本物の小作人とは言えません。
機械を使えとも言いますが、そんな失礼で野蛮なことはできません。
私の小作人根性も、まだ少しは残っているようです。
しかし、やっているうちに、汗がだらだら出てきて、喉が渇いてきました。
今日はホースで水だけやってと思っていたので、私用の水も持ってきていません。
その時に、花にやった水を飲めばいいだけの話だったのですが、それに気づきませんでした。
昨日、上田さんから学んだばかりだったのですが。

このままだとちょっと危ういなと気づき、帰宅することにしました。
しかしうまく立ち上がれません。
そろそろこの2日間の疲れが足のふくろはぎにに出てきたようです。
自転車に乗ろうとしたら、今度は立ちくらみがしてきて転倒しそうになりました。
しかし、休むにも日影がない。
失心するといささか危うい。
さてどうするか。
思考力もなく、帰巣本能にしたがって、ともかく自転車を引きずりながら自然と歩きだしました。
こういう老人が社会に迷惑を与えているのだろうなと思いながら、それでもなんとか家に着きました。
家に倒れ込むように入ったのですが、冷蔵庫まで行けません。
でもまあ30分ほど倒れていたら動けるようになりました。
困ったものです。

まあそんなわけで午前中は終わりました。
しかし、立ちあがれるようになったら、今度は昨日の疲れか、脚の筋肉痛がはじまりました。
人生は実にうまくできています。
お天道様の叡智には、ただただ学ぶことばかりです。

これだけがんばっていますが、未だ収穫はなし。
でもセロリがそろそろ収穫できそうです。
そうそう「竹の子」ならぬ「笹の子」にチャレンジしようと数本とってきましたが、かじるのが遅かったのか苦いだけでした。

■デモに行きませんでした(2018年6月10日)
今日は国会前で「9条改憲NO!政治の腐敗と人権侵害を許さない!『安倍政権の退陣を要求する6・10国会前大行動』」が呼びかけられていました。
今日は湯島でサロンを予定していたのですが、話題提供者が体調を崩して急遽、中止になったので、久し振りにデモに参加しようかと思っていました。
しかし、最近の畑仕事の疲れと雨のため、出かける直前になって、やめてしまいました。
参加者は雨の中27,000人だったそうです。
思ったよりも少ないですが、たぶん知り合いの何人かは参加したでしょう。
いささか罪の意識を持ちながら、今日は読書していました。

■「インド哲学10講」(2018年6月11日)
この3日ほど、時間の合間を見てはめずらしく丁寧に読んでいたのが、「インド哲学10講」です。
ジャイナ教やウパニシャッドなど、最近、目につくことが増えてきています。
正直、同じような抽象論の繰り返しなので、わくわくはしないのですが、まあ一度しっかりと呼んでおこうと思ったので、私にしてはかなり丁寧に読みました。
しかし、あまりに集中して読んでしまったため、いささか脳疲労を起こしてしまいました。
フーコーも影響を受けていたと思いますが、いまフーコーを読んでいる友人に、言葉と存在を考える上での示唆があるとメールしたら、退屈だと一蹴されてしまいました。
たしかに退屈ですが、なにかあるような気がして、私はその部分を2回も読み直してしまいました。
しかしまだ読み取れていません。
しかし1冊の新書をこれほど繰り返し読み直したことはありません。
私の毒諸力や理解力はかなり弱くなってきているようです。

■カフェサロン「いまの政治でいいのだろうか」(2018年6月12日)
「茶色の朝」サロン(BMS)の4回目は、3人の子どもの母親で、専業主婦の方に日頃思っている疑問などを話してもらうことを入り口に、「いまの政治でいいのだろうか」を話し合おうという呼びかけをさせてもらいました。
11人があつまりました。

最初のお話は、母親であるという立場もあって、学校や教育の関係のお話から始まりました。
そして、いろんな生活体験から、なにか「見えないもの」が社会を動かしているような気配を感じていること、そこで、生活者として、1人でもできる活動をはじめたら、そこからいろいろなことが「見えてきた」一方、さらなる「見えないもの」も感じだしたことなど、日常生活からのとても具体的なお話で、茶色の朝サロンにふさわしい問題提起が込められていました。

そこから話し合いが始まりましたが、男性が多かったせいか、やはり「生活感覚」ではなく、「知識」ベースの話し合いになってしまった気がします。
最初に話題になったのは、ハンナ・アレントのアイヒマン裁判の話でした。
凡庸(忠実に命令に従う)、あるいは「自分で考えないこと」が、あのユダヤ人殺害を支えていたという話ですが、まさに今の日本にも、こうした「思考停止」や「凡庸志向」が広がっているという話になりました。
学校を含む教育の問題も出されましたが、ここでもイヴァン・イリイチの「脱学校の社会」にまで話が広がりました。
茶色の朝サロンの主旨はなかなか実現できません。

もちろん、話し合いは示唆に富む内容も多いのですが、たぶんそれでは社会は変わっていかないような気がします。
1960年代から70年代の学生運動が挫折したのは、「生活」とつながっていなかったからではないかという、当時活動していた人からの「反省」も出てきました。
だから「茶色の朝」サロンを始めたのですが、どうもやはりそこから抜け出られないのが男性たちかもしれません。
いまの若い男性は全く違うと思いますが、残念ながら今回は、その世代の男性は誰もいませんでした。

話題提供してくださった母親は、おかしいと思ったら行動しています。
教科書検定が気になったら、実際に教科書が展示されている場に行って、いろんな教科書を読む。
気になったことがあれば、関係者に電話して意見を言う。
それがたぶん「茶色の朝」が私たちにメッセージしていることです。
気になったら考える、そして動く。

翌日、話題提供者からメールが来ました。
そこにとても大切なことが含まれているように思うので、その一部を紹介させてもらうことで、今回は報告に変えたいと思います。

午前中に自宅で、たくさん溢れる「伝えたい思い」を無理やりまとめる作業をしましたが、これにより、自分の抱えた不満を整理することが出来たように思います。
予想外のありがたい効果でした。

皆様のご意見から、たくさんの「気づき」がありました。

息子から「お母さん、俺はどうして勉強するんだろう」としょんぼりと問いかけられた出来事。
息子の心からの問いに即答できずに「何でだろう…」と言ってしまい、翌日息子に自分なりの返事を伝えても、「もういいよ」とあしらわれてしまいました。
子供のなぜ?が、もう心の奥に仕舞われてしまったのです。
日頃から、「今年は受験だから頑張ろう」と息子に話していたのに、なぜ学ぶのか、なぜ受験勉強をするのか、大事なことをよく考えていない母親だったと、ひどく後悔していました。
でも、サロンのあと、新たな考えが浮かびました。
もしかすると、私の答えなんかどうでもよかったのではないか。
私がサロンのあとで「自分なりの着地点」を見つけたように、「それなら自分で考えるか・・・」とか「他の人に聞くか」とか「調べるか」とか。
何でもいいから、自分で答えを見つけ出してくれるのではないか、そんな希望が生まれました。

自分の意見を考え、整理する。人に伝える。他の人の意見も聞いてみる。
これって生きていくのに本当に大切なことだと思いました。
人間はロボットではない。思いがあり、考える人間である。だから悩みも苦しみも生まれる。
子供達にはそこから逃げず「自分なりの答え、着地点」を考え、探し求めながら歩んで欲しいなと思います。

そう考えると、子どもこそ「サロン」が必要ですね。
とりあえず、自宅で「サロン」をやってみようと思います。

このメールを読んで、とても報われた気持ちになりました。
懲りずに「茶色の朝」サロンは続けたいと思います。

■「パラノイア ハイプログラマーズ」を体験しました(2018年6月14日)
アメリカで開発された政治風刺ゲーム「パラノイア ハイプログラマーズ」を体験させてもらいました。
http://chihosho.neil.chips.jp/?eid=360
何人かでやるアナログゲームですが、以前、ウォーゲームを体験させてもらった蔵原さんのアレンジです。
前回のウォーゲームが、思った以上に退屈だったので(蔵原さん、すみません)、いささか不安がありましたが、今回は退屈どころか、なかなかついていくのが大変でした。
何しろゲームに入る前の、頭に入れておかなければいけないルールがたくさんあって、私のように老化した頭にはすんなり入っていきません。
しかし、始まる前からなにやらワクワクするようなものを感じました。
それに、その段階からすでにゲームははじまっていて、目に見えない駆け引きが行なわれていることを、今回のゲームマスターの岡和田さんに教えてもらいました。
この仕組み、というか、進め方が実に面白い。

ゲームは、 “アルファ・コンプレックス”というディストピアを支配する、親愛なるコンピューター様に仕える「ハイプログラマー」というエリートとして、コンピューター様の問いかけに応じて、コンプレックスを経営していくことです。
ゲーム参加者は、それぞれ「大臣」となって、「閣議」をもちながら、国家経営に取り組みます。
私は、最初、2つのポストをお金を使って獲得したのですが(一つはライバルと競り合って高い代償を払いましたが)、あまりの事態の目まぐるしさになかなかついていけずに、結局、一つのポストはライバルに奪い取られ、さらにコンピューター様の機嫌を損ねて、死刑の憂き目にあってしまいました。
お抱えシェフのおかげで、贅沢な食事を堪能し、市民の食糧まで取り上げようとしたのが、よくなかったかもしれません。
しかし、「食事」などという原始的な習慣は市民には不要で、それはエリートだけの特権にすべきというのが私の提案だったのですが、同僚からは無視されました。
もっとも、“アルファ・コンプレックス”のエリートは、みんなクローンなので、抹殺されても、すぐに復活できるのですが。
まあ、そんな形で、ささやかにゲームに参加させてもらいました。
みんなの足を引っ張ったとはいえ、なんとか落伍しなかったのは、ゲームマスター役の岡和田さんのリードのおかげです。
岡和田さんやすでにゲーム体験のあるみなさんのおかげで、このゲームの考え方の効用や可能性も実感できました。

蔵原さんからは、なぜ政治が良くならないか、憤慨するだけではつまらなくないですか。いっそ政治のしくみを笑い飛ばしながら、その原因をつきとめませんか、とメールをもらっていました。
現在の政治に憤慨するのは、自らに唾することですから、私も憤慨しているだけの人には共感はまったくと言っていいほど持てないのですが、このゲームでガス抜きしてしまうのも、賛成はできません。
しかし、政治のメカニズムに気づき、政治を見る目を変えていくには、一つの方策だろうと思います。
しかし、私はむしろ、企業や自治体行政や、さらには子どもたちの考える力を引き出すために、こうしたゲームは大きな効用があるように思いました。
今回は、ゲーム好きな人たちに会えて、ちょっとまた世界が広がりました。

■北九州市の石松さん(2018年6月14日)
北九州市役所の石松さんが湯島に来ました。
前回は突然来たため、私は不在で、部屋に鍵がかかっていて会えなかったので、今回はきちんと連絡をもらって待っていました。
石松さんが、湯島に最初に来たのは、たぶんもう25年ほど前です。
突然やってきて、課長研修の相談を受けたのです。
一泊2日のプログラムを開発して、それから数年間、毎年、北九州市に通いました。
私にはとても刺激的な体験でした。

担当はその後、いろいろ変わりましたが、みんな個性的な人でした。
いまも細いながらもつながっていて、時々、連絡をもらいます。

石松さんはいまはもう局長になっていますが、そのワークスタイルは変わっていないようです。
石松さんが好きだという「小倉織」のしおりをもらいました。
北九州市生まれの築城則子さんの作品だそうです。

■小宮山さんとのバトル(2018年6月15日)
雨が降っていたので出かけたくなかったのですが、コミーの社長の小宮山さんから電話があり、会うことにしました。
あえば、たぶん言い合いになるのですが、私も会いたいと思っていました。
積み残しの課題があるからです。

最初は友好的な雰囲気ではじまりましたが、お互いに気になっている件に話が移った途端に、ちょっと雰囲気が変わりました。
そしてかなりの激論。
久し振りに途中で帰りたくなって、いささか乱暴な言葉遣いをしてしまい、席を立ちかけたのですが、相手が私よりも一枚上で、そんな私に笑顔を向けました。
それで私も席を立つのをやめて、話し合いは続行。
なんとか合意、あるいは相互理解ができました。

そこまでで2時間。
それでまあ食事でもしようと言いながら、近くの居酒屋に行きましたが、話しているうちに気が付いたら2時間以上たっていました。
まあお互いに反発しあいながら、話し続けてしまう。
不思議な関係です。

(2018年6月第1週)
■縁カフェ(2018年6月4日)
■映画「マルクス・エンゲルス」(2018年6月5日)
■次代の企業を担う若者の悩み(2018年6月5日)
■宮田喜代志さんを囲むコムケアサロン(2018年6月5日)
■那須会議?への招待(2018年6月7日)
■ソロー気分の朝の散策(2018年6月8日)
■野蛮な露天風呂?(2018年6月8日)
■畑で少し危うかったです(2018年6月9日)

■縁カフェ(2018年6月4日)
今日の縁カフェのお客様は、私も入れて4人でした。
縁カフェ基金はこれで8000円になりました。
営業時間を2時間近く延ばしましたが、売り上げは伸びませんでした。
きちんと毎回報告しておかないと、私が使い込みそうで心配です。

お客さまからいろんな話を教えてもらいました。
その上、美味しい焼き芋を持ってきてくれたお客さまもいて、昼食抜きの私も美味しくいただきました。
次回は私の知らない人が来ることを期待しますが、そういう人にこのカフェのことを知らせるすべはないものでしょうか。
次回は、もし私が元気だったら、7月2日です。

■映画「マルクス・エンゲルス」(2018年6月5日)
岩波ホールで上映している「マルクス・エンゲルス」を観ました。
https://eiga.com/movie/88435/
昨年制作された作品で、若きマルクスとエンゲルスの交友関係から「共産党宣言」が生まれるまでの物語が描かれています。
今のヨーロッパで、またこういう映画が作られていることに興味を感じました。

午前の部だったせいもあり、高齢者が多かったですが、やはりいつものことながら女性が多かったです。
感動作と紹介されていましたが、感動はしませんでした。
ただ若い人には観てほしいとは思いました。
20代の若者の生き方を、学んでほしいと思いました。

■次代の企業を担う若者の悩み(2018年6月5日)
ある中小企業の次世代経営幹部が3人、湯島に来ました。
いろいろと意見交換させてもらいましたが、日本の企業はもしかしたら経営思想の転換にうまく成功していないところが多いのかもしれません。
会社の中に入り込んで一緒に考えるという活動をやめて20年近くになりますが、改めてそういう仕事もしたくなりました。
横から見ていると日本の企業は間違った方向に向かっているような気がしてなりません。
40年ほど前に勤務していた会社から見えていた風景は、もしかしたらまだそう変わっていないのかもしれません。
会社を出ると風景はまったく一変するのですが。

■宮田喜代志さんを囲むコムケアサロン(2018年6月5日)
久し振りに熊本の宮田喜代志さん(小規模多目的ホーム明篤館館長・農福連携研究者)のサロンを開催しました。
宮田さんは、さまざまな分野で活動していますので、大きくは「福祉と農業」を基軸に最近の活動の紹介をしてもらいました。
10人の参加者がありました。

宮田さんは、大きくは5つの話題をたくさんの資料を使って話してくれました。
大学新設、農福連携、フェアトレード、熊本地震と障害者支援、西本省三。
いずれも宮田さんが当事者として取り組んでいるお話ばかりです。

それらはバラバラの話題のようですが、宮田さんはそれらがしっかりとつながっていることを最近改めて実感してきた、とお話になりました。
たしかに5つの話題は、それぞれに完結してもいるのですが、人や社会を育てる大学を創る話からはじまった宮田さんの話は、最後に、中国研究者の西本省三は中国人をリスペクトしていたという話で、5つの話のループを完成させました。
キーワードは、人と人の関係性です。
宮田さんの人柄と生き方が、見事につながった話だったと思います。

大学を創る話や西本省三(宮田さんの縁戚の人)の記録をまとめるという話は、今回初めてお聞きしましたが、とても宮田さんらしい話だと納得しました。

そうした話題の中で、ご自身が対応しているケーススタディ的なお話もあり、そこでは「中動態」発想を活かして関係性を立て直していく最新のカウンセリングの体験なども、とても具体的に紹介してくれました。
その一方で、なぜ日本は日清戦争に勝利したのかというような話もあり、退屈しませんでした。

もっとも話題があまりにも多いので、私自身必ずしも消化できたわけではありません。
しかし宮田ワールドが目指していることや、それが今何を引き起こしているはなんとなく伝わってきました。
宮田さんの話は注意深く聞いていると、実に深い含意があります。
それを肩に力を入れることなく、さらっというので、聞き流すこともあるのですが、宮田さんにはラディカルさとリアリズムが、矛盾なく混在しています。
今回の話も、まさにそうした多様なものが混在しながらも、宮田さんの核はまったくぶれることなく、だからといって呪縛されることもない柔軟な生き方が語られていました。
それもあって、話し合いのところでは、農業の教育力とか農福連携の実状とか、福祉の世界の話とか、経済と社会の関係の話とか、いろいろと示唆に富む具体的な話題もでました。

公開は避けますが、宮田さんの個人的なビッグニュースもいくつか紹介されました。
これからは少し時間ができそうと言っていましたが、たぶん時間ができたら、さらに新しいことに取り組んでいく人ですから、むしろますます多様で多用な人生になって行くでしょう。
宮田さんが持ってきてくれたスリランカのインクルーシブコーヒーもみんなで楽しませてもらいました。

■那須会議?への招待(2018年6月7日)
昨年、サロンに参加したことからささやかな交流が始まった上田さんから、那須の別荘に招待されました。
高等遊民会議の杉原さんと井口さんも一緒だというので、もしかしたら高等遊民会議の集まりなのかと勘違いしていましたが、そうではなくて上田さんが主催する那須の会の集まりでした。
といっても、まだ始まったばかりで、3回目だそうです。

そもそも上田さんのことはほとんど知らなかったのですが、上田さんは不思議なパワーをお持ちで、招待に誘われた時に、自然と受けてしまったのです。
私の場合は、そういう招待はとりあえずはお断りするのが基本なのですが、そういう気が全く起きなかったのです。
ちょっと不思議な気がします。

上田さんの車に同乗させてもらい、4人で那須に向かいました。
車中、いろいろと話をして、私が理解していた上田さんはまったくの思い違いだったことが分かりました。
そして、なぜか旧知の友人のような気がしてきました。

お昼ごろ、那須に到着。
ソローの「森の生活」を思い出させるような別荘でした。
少し休んで殺生石地獄に行き、できるだけ自然に近い温泉に入りました。
いろいろとエピソードはありますが、あまりにありすぎるので省略します。

食事は、同行した写真家の井口さんが中心になって作ってくれました。
いままで食べた中では一番と言っていいほどの、野菜サラダでした。
場所のせいかもしれませんが、なんとなく料理へのモチベーションが高まりました。
スタイルも、料理を食べながらみんなで話し、その料理がなくなると井口さんが新しい料理を創ってきて、またみんなで話し合う、そんなスタイルでした。
最後は上田さんの手巻き寿司でした。

久し振りに日を超えて、深夜過ぎまで話しました。
場所が変わると眠れないタイプなのですが、気持ちよく熟睡させてもらいました。

■ソロー気分の朝の散策(2018年6月8日)
6時前に目が覚めたので散歩に出ました。
まずは山の上を目指しあるきだしましたが、少し行くと行き止まり。その上は国有林のようで、道もありません。
そこで通行止めの隙間をこえて更に進み出しましやが、足場も悪く、クマも出るそうなので、引き返し、今度は下に向かいました。
雑木林が美しく、人気は全くなく、ちょっとソロー気分を味わえました。
せせらぎがあったので、ヤブをかきわけて水に触れたらなんとあったかい。温泉です。水辺に生き物の気配がないわけがわかりました。
途中で少しだけカラスと会話しました。

戻ったらみんな起きていて朝食が出来ていました。
井口さんと上田さんの心籠った美味しい朝食でした。
私と杉原さんは、ただ食べる役でしたが、これもとても大切な役目です。
久し振りに豊かな朝食を楽しませてもらいました。

風のないさわやかな朝でしたが、食べている時、一周、冷たい風がそよぎました。
不思議な風でした。

■野蛮な露天風呂?(2018年6月8日)
今日の最大の課題は、自然のなかの温泉探しでした。
上田さんは、私のためにどこかのホテルの温泉を想定していたようですが、私も含めて同行者はみんな、自然に近い温泉を好むタイプでした。
上田さんは、そんな「野蛮」な温泉はと最初は言っていましたが、野蛮こそ一番文化度が高いという雰囲気の中で、その流れに乗ってくれました。
いやもしかしたら、実は上田さんは、最初からそれを見越していたのかもしれません。

上田さんのお薦めで、私たちが最初に目指した塩原の「岩の湯」は土砂崩れで封鎖されていました。
未練がましい私たちは、それでも入れたら入ろうと柵を超えて一番若い井口さんが調査に行きましたが、泥水だったようで諦めました。

しかし上田さんのご尽力により、「もみじの湯」にたどり着きました。
以前、レストランから対岸に見下ろせる、その露店風呂を見ながら、あんなところに入る人の気が知れないと思っていたらしい上田さんのために、つまり、「そんな人の気」をわかってもらうためにも、そこにみんなで入ることにしました。
これも、もしかしたら、みんな上田さんに誘導されたのかもしれません。

川岸の途中にあって、すぐ横が通り道です。
外部から見えないように工夫されているのが、余計なお世話ですが、まあ文化度を劣化させている、現代の社会では仕方がありません。
みんなで入っている時に、すぐ横の道を散策グループの若者たちがこちらを見ながら通って行きました。

脱衣する場所に、「非人間的行為はご遠慮ください」と書いてありました。
実に、含蓄に富む言葉です。
むかしは、この湯には猿も使っていたようですが、人間が追い払ったので来なくなったと、地元の人が教えてくれました。
私が思うに、そのために最近は塩原は那須に負けて、観光客が減っているのでしょう。
猿を追い出すのは「人間的行為」です。
むしろここは、「人間的行為はご遠慮ください」と書くのが正しいでしょう。
日本語はどうも乱れている。
困ったものです。

ちなみに「もみじの湯」の全景を入浴者と一緒に杉原さんが見事に撮影しましたが、ちょっと公開がはばかれるので、差しさわりのない写真を載せます。

2日間にわたる那須会議は、これですべての課題を終えて、完了しました。
終わってみて、何のために私は那須に行ったのか、やっとわかりました。
企画者の上田さんとキャストされた高等遊民のおふたりに感謝しなければいけません。

久し振りに、自然の時の流れに身を任せて、元気が回復しました。
自然の時の流れに任せたために、那須塩原の駅では、みんな列車に乗り遅れ待合室で、さらに豊かな時間を持つこともできました。
しかしなぜか、それでもまた列車に乗り遅れそうになり、杉原さんの指示で私はホームに走らされる羽目になりました。
2つの時と付き合うのは、まあそれなりに疲れます。

■畑で少し危うかったです(2018年6月9日)
2日間、2日間の疲れがやはり1〜2日遅れて出てきました。
脚が筋肉痛でいささか歩きにくいのです。
しかし、その症状が出てきたのは、今日のお昼ごろ。

疲れが少し残っていたので、今日は畑には水をやるだけにしようと思っていました。
それもちょっと寝坊して、出かけたのが9時過ぎになってしまいました。
2日ぶりでしたが、みんな元気でした。
もちろん野草も笹竹もです。
笹は2日来ないと10センチ以上伸びます。

暑さの上に、太陽がかんかん照りでしたので、そのまま帰ればよかったのですが、(お天道様の)小作人としてはやはりがんばろうと思ってしまい、草刈りを始めてしまったら、いつのまにか畝づくりにまでいってしまっていました。
娘はいつも、一番暑い時に出て行かなくてもいいじゃないかと言いますが、楽をしようなどと思うようでは、本物の小作人とは言えません。
機械を使えとも言いますが、そんな失礼で野蛮なことはできません。
私の小作人根性も、まだ少しは残っているようです。
しかし、やっているうちに、汗がだらだら出てきて、喉が渇いてきました。
今日はホースで水だけやってと思っていたので、私用の水も持ってきていません。
その時に、花にやった水を飲めばいいだけの話だったのですが、それに気づきませんでした。
昨日、上田さんから学んだばかりだったのですが。

このままだとちょっと危ういなと気づき、帰宅することにしました。
しかしうまく立ち上がれません。
そろそろこの2日間の疲れが足のふくろはぎに出てきたようです。
自転車に乗ろうとしたら、今度は立ちくらみがしてきて転倒しそうになりました。
しかし、休むにも日影がない。
失心するといささか危うい。
さてどうするか。
思考力もなく、帰巣本能にしたがって、ともかく自転車を引きずりながら自然と歩きだしました。
こういう老人が社会に迷惑を与えているのだろうなと思いながら、それでもなんとか家に着きました。
家に倒れ込むように入ったのですが、冷蔵庫まで行けません。
でもまあ30分ほど倒れていたら動けるようになりました。
困ったものです。

まあそんなわけで午前中は終わりました。
しかし、立ちあがれるようになったら、今度は昨日の疲れか、脚の筋肉痛がはじまりました。
人生は実にうまくできています。
お天道様の叡智には、ただただ学ぶことばかりです。

これだけがんばっていますが、未だ収穫はなし。
でもセロリがそろそろ収穫できそうです。
そうそう「竹の子」ならぬ「笹の子」にチャレンジしようと数本とってきましたが、かじるのが遅かったのか苦いだけでした。

(2018年5月第5週)
■山田農場訪問(2018年5月27日)
■喜寿のお祝い(2018年5月29日)
■税務申告(2018年5月30日)
■パソコン教室のリベンジ(2018年5月30日)
■誕生日(2018年5月30日)
■畑がんばってます(2018年6月2日)

■山田農場訪問(2018年5月27日)
霜里農場の金子友子さんと一緒に、船橋市の有機野菜農場の山田農場の山田さんに、7つの農場を案内してもらいました。
案内してもらいながら、山田さんと友子さんに、有機野菜や新規就農に関するいろんな話もお聴きしました。
有機農法について、これまで知らなかったことも教えてもらいましたが、一番興味深かったのは、有機農法の「農法」としてのメリットです。

ところで、霜里農場金子友子さん企画で、湯島で新たに、「有機野菜の旬を楽しむ会」を始めることになりました。
第1回は、山田さんにお願いし、6月23日の午後、開催の予定です。
詳しくはまた改めて案内させてもらいますが、山田農場の新鮮野菜を楽しんでもらう予定です。

なお、山田農場は、農薬や化学肥料を使っていない野菜を近隣の人にはお届けしています。
山田農場のチラシも添付します。
6月23日まで待っていられない人は、山田農場までお問い合わせください。

山田農場主の山田勇一郎さんの生き方にも、私は大変興味を持ちました。

帰りの電車の中では、金子友子さんと「種子法」の話になりました。
一度、湯島でも話題になりましたが、改めて「種子法」のサロンもやりたいです。

■喜寿のお祝い(2018年5月29日)
娘たちが「喜寿」を祝って中華料理をご馳走してくれました。

■税務申告(2018年5月30日)
今年も会社の決算を自分でやりました。
ほとんど収入がないので、給料はもらえないのは当然ですが、それでも赤字になってしまいました。
オフィス維持の費用もでないので、今期もわずかだけ私から補充せざるを得ませんでしたが、補てん額は20万円ですみました。
来年度はせめて、赤字にならずに、幾分でも回収できればと思います。
出張費用が確保できないのが、一番つらいところですが、身体的には楽でいいです。

■パソコン教室のリベンジ(2018年5月30日)
武田さんのパソコン教室のリベンジをしました。
結局、武田さんは高級すぎるパソコンを買ったので、使いにくいことがわかりました。
そうした全体像がわかってもらえたようなので、後は大丈夫でしょう。
こうやって無駄な消費をしている人も多いのでしょう。

■誕生日(2018年5月30日)
誕生日ですが、フェイスブックに「なんで誕生日におめでとうっていうの」という、チコちゃん風の問いかけをしました。
「おめでとう」と言えば、いいわけではありません。
ブログにそのエッセンスを3回に分けて書きましたが、私のメッセジを理解できない人の多さに驚きました。
もうみんな自分で考えることをしなくなってきているようです。

ちなみに77歳になりました。

■畑がんばってます(2018年6月2日)
畑をまた頑張りました。
だいぶ形が整ってきました。
畑面積も広がりましたし、道沿いも花壇になってきました。
しかし、そのおかげで、親指に豆ができ、それが破れてしまい、痛くて仕方がありません。
でもまあ土を耕し畑をつくる仕事は、私に合っているようです。

(2018年5月第4週)
■日本子どもNPOセンターの小木さん(2018年5月20日)
■カフェサロン「世界は変えられる!子どもがそう信じられる社会に」(2018年5月20日)
■大事件(2018年5月22日)
■朝から畑(2018年5月22日)
■武田さんのパソコン教室(2018年5月23日)
■JR東日本の中井副社長との会食(2018年5月23日)
■サロン「日本国憲法の、何を変え、何を守るのがいいのでしょうか」(2018年5月26日)

■日本子どもNPOセンターの小木さん(2018年5月20日)
久し振りに日本子どもNPOセンターの代表の小木さんとお話しました。
今回も名古屋からわざわざサロンに来てくださったのです。
何か私にできることはないだろうかと思っていますが、順調にプロジェクトは進んでいるようです。
なかなか何かを一緒に取り組むことが見つかりません。
なかなか難しいです。

■カフェサロン「世界は変えられる!子どもがそう信じられる社会に」(2018年5月20日)
日本子どもNPOセンターが、ブックレット「児童労働、NPO/NGOのチャレンジ」を出版したことのお知らせもかねて、そこで取り上げられているNGOフリー・ザ・チルドレン ジャパン(FTCJ)の代表の中島早苗さんをゲストに、サロンを開催しました。
このタイトルにとても魅かれた私としては、たくさんの人で会場が大丈夫かなと実は心配していました。
実際には参加者は13人でしたが、半数は日本子どもNPOセンターの関係者で、ある程度問題を知っている人たちでした。
やはり「児童労働」というテーマは身近には考えてもらえないのかと、少し残念な気がしました。

フリー・ザ・チルドレンジャパン(FTCJ)については、案内文に書きましたが、次のサイトに紹介されています。
http://www.ftcj.com/

現在、世界には約1億5000万人の児童労働者数がいるそうです。
5歳から17歳の子どもたちの10人に1人が、義務教育を十分に受けられない状況に置かれているということです。
こうした状況を変えていこうと思い立ったカナダの12歳のクレイグ少年がはじめたのが、「フリー・ザ・チェルドレン・プロジェクト」です。
クレイグ君は、実際に各地の児童労働の現場に行き、悲惨な児童労働の実状を目の当たりにします。
問題はとても大きく、子どもである自分に何ができるだろうか。
彼を勇気づけたのは、マザー・テレサの「若者には世界を変える力がある」という言葉でした。
そして、今やクレイグ少年の活動は、世界に広がる大きな運動になってきているのです。

中島さんは20代の時に、アメリカでこの活動を知って、1999年に日本で活動を始めました。
知った以上は何もしないわけにはいかないというのが中島さんの気持だったようです。

クレイグさんや中島さんたちは、「自分にできることを、自分に関心のあることに活かせていけば社会は変わる」と考えています。
人は誰でも「贈り物」(Gift 才能)をもらっている。
そのGift(才能)を、社会の気になる問題(Issue)に向けていこう。
そうすれば世界は変えられる。
“Gift+Issue=Change”。
好きなことを活かして変化を起こそう!世界を変えることは自分を変えることだ、というわけです。
その信念に基づいて、できるだけ多くの子どもたちに、それを実感できる場を創っていこうというのが、中島さんたちの活動です。
そして、そうした体験をした子どもたちは、変わっていく。
そして世界も変わっていく。
とても共感できる活動です。
「世界は変えられる!」と、子どもたちが信じられる社会になれば、世界は変わっていくでしょう。

お話を聞いた後、いろんな話が出ました。
まずは、家族労働と児童労働とは違うという話がありました。
家族が支え合って、子どもの頃から家族と一緒に働くのは、むしろ肯定されるべきかもしれません。
教育を受けられずに、文字が読めないことが生命にかかわってくる事例も話題に出ました。
ご自分の体験から、他国の文化に関わっていくことには慎重でなければいけないという意見も出ました。
豊かな日本の子どもたちよりも、経済的に貧しい国の子どもたちのほうが、目が輝いているという話もありました。
またNGOだけでは限界があるので、行政も巻き込んだ方がいいのではという意見もありました。
大人たちが、そうした子どもたちを応援することも重要だという指摘もありました。
たぶんみんなそうなのだと思います。

しかし私は、やはり「子どもたちが主役になって動き出したこと」に、新しい時代のはじまりを感じました。
その一方で、日本の子どもたちの置かれている状況はどうなのだろうかと思いました。
さらに日本の大人たちはどうだろうか。
「世界(社会)は変えられる」と思っている大人たちはどのくらいいるのだろうか。
いろいろと考えさせられるサロンでした。

ちなみにクレイグさんたちの活動は、名称を“WE movement”と変えていますが、アメリカ各地で“WE day”という子どもたち主役の集まりをやっています。
ネットで動画が見られますので、ぜひご覧ください。
https://www.facebook.com/pg/WEmovement/videos/?ref=page_internal
中島さんたちは、3年後に日本で “WE day”を開催したいと考えています。
そのために資金的な支援を含めて、この動きをたくさんの人に知ってほしいと考えています。

未来は子どもたちが創っていきます。
しかし、大人も、その子どもたちを支援することはできます。
“Gift+Issue=Change”は、大人たちにも当てはまります。

フリー・ザ・チルドレンジャパン(FTCJ)のサイトをご覧になって、何かできることが見つかったら、ぜひ応援してください。
http://www.ftcj.com/
私も、「世界は変えられる!」と、改めてまた確信しました。
元気が出るサロンでした。

■大事件(2018年5月22日)
大事件です。
私のメールの履歴が、外部から読み取れることがわかりました。
しかも、ある人の間違いで、そのアドレスがあるメーリングリストに流れてしまったのです。
もしかしたら、その人は公安かCIAかと疑いたくなる事件です。

とりあえずそのメールアドレスを隔離しました。
そしてパスワードも変更しましたが、変更後も開けるそうです。
まあネット関係は全てが誰かにチェックされることは覚悟ですが、それにしてもすべてのメールのやりとりが公開されるとはいささか唖然としました。
私は、自分の言動のすべてを、基本的には後悔してもいいと思っていますので、困ることはないはずですが、それでも何かちょっと不気味な気がします。
さてさて、困ったものです。少し原因究明と対策を考えようかと思います。
ちなみに生活は一切変わりませんが。

■朝から畑(2018年5月22日)
朝から畑です。
少し畑らしくなってきました。
花壇もだいぶ整地され、花の芽も出てきました。
通りかかった私と同世代くらいの女性が、きれいになってきましたねと声をかけてきました。
福島の中通の農家のご出身でした。
10分ほど話していったでしょうか。
もうひとり、いやもう1匹、ブルドックが興味ありそうに私の作業を見ていました。
声のかけ方がわからなくて、笑顔だけ返しておきました。
飼い主に声をかければよかったのだと、後で思いましたが、その時にはまったく思いもしませんでした。
土と一緒になっていると、人も生き物も同じに見えてきます。
庭からオミナエシとマツバギクを移植しました。
暑い日照りの中を移植するのは無謀ですが、まあ思いついたら実行が信条なので、仕方ありません。
だんだんきれいになってきましたが、畑の資材や苗を今日も購入に行こうと思います。
だんだん身が入りだしていますが、梅雨入りしたらたぶんそこでエネルギーが枯渇しますので、できる時に走っておかないといけません。
晴耕雨読を良いことに、読み始めたフーコー「言葉と物」はストップしています。

■武田さんのパソコン教室(2018年5月23日)
武田さんにパソコン指導をする名目で湯島で会いましたが、肝心の武田さんがパソコンの電源を忘れたので、長い無駄話の日になりました。
政治から人生論まで長い雑談会でした。

■JR東日本の中井副社長との会食(2018年5月23日)
JR東日本の中井さんが今年副社長になったので、長年気になっていることを訊いてみようと思い立ち、お会いすることにしました。
副社長にもなるといろんな人が会いたがる可能性があるので、出世した人には合わないようにするのが私の流儀なのですが、今回は例外です。

というのも、中井さんに出合ったのは、いまから30年程前です。
まだJRが国鉄だった頃で、中井さんは民営化に向けてのCIの仕事に取り組まれることになり、あるセミナーで私の話を聞いてくれたのです。
それが役になったとそれからずっと立ってから連絡がありました。

そして偶然にも、JRが数年前にあるプロジェクトに取り組むときに、また中井さんが呼び出されその任に当たったのですが、そのプロジェクトがまたまったく別の意味で外部から関わっていて、それが少しお役にたてたようなのです。
まあそんなお付き合いなのですが、2人でゆっくりとお話したことはありませんでした。
それで最近気になっていることを質問しようとお会いしたのですが、その質問は私のまったくの勘違いだったことがわかりました。
それでもいろんな興味あるお話をお聴きできました。

話していたら、私が住んでいる我孫子市の副市長ともつながっているようです。
帰宅後、副市長に連絡したら、彼もよく知っていました。
世間はやはり狭いものです。

まあ会社がらみなので、どんな話をしたかは書けませんが、ビジネスの話はしていません。
久し振りに美味しい夕食をご馳走になりましたが。

■サロン「日本国憲法の、何を変え、何を守るのがいいのでしょうか」(2018年5月26日)
湯島では、憲法議論はこれまで何回もやりました。
でもどうもすっきりしません。
そこで今回は、抽象的な議論ではなく、「日本国憲法の、何を変え、何を守るのがいいか」について、それぞれの意見を出し合おうという呼びかけをさせてもらいました。
休日にもかかわらず、また国会前でのデモなどもあったにもかかわらず、12人の人が集まりました。
残念ながら女性は1人だけでした。
生活保護家族の子どもたちに関わっている女性です。
こういう人が参加してくれるのが一番うれしいです。

呼びかけの主旨を受けて、最初に意見を述べてくださった方は、「天皇条項」を最初の1条に置いたことを問題にしました。
そして、先の戦争では同じ敗戦国だったドイツとイタリアの憲法が、それぞれ「人間の尊厳」や「国民主権」を第1条に掲げていることを紹介してくれました。
それと12条も問題にしました。
憲法で保障する自由および権利は、「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」という条文です。
同時にその条文は、公共の福祉のために(自由と権利を)利用する責任を負うということを決めています。
福祉に関わっている女性は、生存権を規定している25条を守りたいと指摘しました。
「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文です。
その2項では、それを保障するための国の責任が明記されています。
彼女は、12条の「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」には肯定的な意見でした。
私は、第11条を一番守りたいと言いました。
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」というところです。
その基本は、13条の「すべて国民は、個人として尊重される」ことではないかと、自分で憲法改正を書いて出版している人が補足してくれました。
これに関連して、日本国憲法には、人権原則と統治原則が献愛しているという指摘もありました。

憲法の一番大切なのは「前文」だと思うという指摘もありました。
それに関連して、日本国憲法は理念とルールが混在しているという話も出ました。
アメリカ憲法はルール的な内容であり、理念は独立宣言などに謳われているという話も出て、「憲法とは何か」というような議論もちょっと出ました。
英米法の世界では、「国のかたちを規定する理念」と「統治のためのルール」を合わせて、「憲法」であり、条文としての成文憲法だけが憲法ではないとされますが、「日本国憲法」をそういう意味で、もう少しゆるやかに捉えることも必要かもしれません。

9条に関しては、もちろん議論の対象になりました。
自衛隊は憲法違反かどうか、戦争をする権利は国にあるのか、自衛戦争ではない戦争はあるのか、などという議論はありましたが、みんな「平和」でありたいという思いは一緒だと思います。
しかし、平和を実現するための方法がまったく正反対なわけです。
私自身は、それはそもそも「平和」の捉え方が間違っているからだと思っていますが、今回はあまり深入りしませんでした。

司法の問題も出ました。
司法の頂点にいる最高裁長官は内閣の指名により天皇が(形式的に)任命すると憲法6条で規定されています。
つまり行政が司法のトップを決めることができますから、日本では三権分立にはなっていません。
そのために、砂川判決のような「統治権最優先」が可能になり、政府による違憲行為を止める法あくがなくなったわけですが、そこをただすべきだという指摘がありました。

98条の「憲法は国の最高法規」であって、その条規に反する法律、命令などは、その効力を有しないという条項も議論の対象になりました。
条文にはないですが、憲法違反者は厳罰に処せられることを明記すべきだという指摘もありました。

具体的に条文が出てきたのはこのくらいでしょうか。
メールでは、地方自治や財政原則などに関する意見ももらっていましたが、紹介はさせてもらいましたが、地方議員がいなかったこともあり、話題にはなりませんでした。

そもそも今の日本国憲法は文章が整理されていなくて、読んでもわからないことが多い。
もっと誰でもわかるような平明な文章に治してほしいという指摘がありましたが、これはたぶん参加者みんなの意見でもあるようでした。
しかし、だからと言って、いまの憲法を変えなければいけないということでもないと思っている人も半分くらいいたように思います。

まだまだいろんな意見が出ましたが、話題の選択も含めて、以上の報告は私の主観的判断がかなり入っていると思います。
参加者によっては、受け取り方も違っていると思います。
しかし、改めて、こういう憲法を話し合う場が、広がっていくといいなと改めて思いました。

憲法をテーマにしたサロンは、誰かやりたい人がいたら、随時開催していこうと思います。
話したい人がいたら、気楽にご連絡ください。



(2018年5月第3週)
■「先史学者プラトン」(2018年5月14日)
■畑で卵を見つけました(2018年5月14日)
■「言葉と物」(2018年5月14日)
■第3回「生きる意味」サロン(2018年5月15日)
■久しぶりの歯医者さん(2018年5月16日)
■ドクダミの効用(2018年5月17日)
■畑の開墾作業が終わりました(2018年5月17日)
■九条俳句訴訟高裁判決(2018年5月18日)

■「先史学者プラトン」(2018年5月14日)
先日の朝日新聞1面下の書籍広告欄で、國分功一郎さんが、「大胆な議論をぜひ楽しんでもらいたい」と、「先史学者プラトン」を推薦していました。
それで読んでしまいました。
30年ほど前の著作ですが、日本では今年になって翻訳出版されました。

プラトンと先史時代といえば、アトランティス大陸を思い出しますが、本書の著者はアトランティス大陸ではなく、大異変後の大きな戦争の痕跡に焦点を当て、人類の定住や文化の原型に関して、考古学と神話をつなげながら語ってくれます。
いささか複雑で全体像がすっきりしないのですが、これまでの常識とは大きく違った全体像がおぼろに見える気がします。
古代アナトリアのチャタル・ヒュユク遺跡の話がとてもていねいに書かれていますが、今から7500年ほど前にこんな建物と生活があったのかと驚きました。
エジプトやシュメールの文明はどこから来たのか、今も明確ではありませんが、その謎解きの一つの材料が、そこにありそうです。
1万年ほど前に、先史文明があったという議論はいろいろとありますが、そうしたものが消えてしまったのは海岸線の上昇のためとも書かれています。
当時の文明は消滅し、辺鄙な山奥の文明が辛うじて残り、それが復活したのが、古代文明というわけです。

もうひとつ興味深かったのは、ゾロアスターの役割です。
現代のいわゆる三大宗教のすべてに関わっていることが示唆されています。
いやそこから「宗教」とは何かという問いさえ感じられます。

イラストも豊富で(ほんとかなという疑問を時々感じながら見ましたが)、論理を超えて強烈な印象を受けました。
そのおかげで、日本の市松模様もアナトリア発だったのだと、洗脳されてしまいました。

おまけとして、プラトンの『ティマイオス』と『クリティアス』の関連個所抜粋がついていますので、私も初めて読みました。
これが実に面白いです。
國分さんがいうように、大胆な議論を3日間、楽しませてもらいました。

■畑で卵を見つけました(2018年5月14日)
農作業は殺生業ですが、今日はさらに罪悪を重ねてしまいました。
夕方から畑に行き、開墾作業の続きをしました。
笹竹のやぶを刈り取る作業です。
これが意外と大変なのです。
小一時間の作業の最後に、藪の中に卵を見つけました。
鶏の卵と同じ大きさで、泥で汚れていましたが、かなり固い感じでした。
それで、誰かが投げ込んだおもちゃかと思っていましたが、汚れていたので水をかけて洗おうとしたら、ピシッと音がしてひびが入りました。
生きた卵でした。

笹薮の奥の方なので、鳥はあまり入れないはずです。
それでヘビの卵かと思いましたが、それにしては大きいのです。
鳩でしょうか。
昨年、わが家の庭木に卵を産んだキジバトの卵と同じ大きさです。
さてどうするか。
ひびが入ったので、もう孵化はしないでしょうか。
選択肢は5つ。
このまま放置するか、なんとか孵化の努力をするか、卵焼きにして食べてしまうか、カラスの餌にするか、埋葬するか。
みなさんならどうするでしょうか。

優柔不断な私としては、一晩考えて、明日決断します。
しかし、第6の方法として、わが家の庭に持ってきて、あんまり目立たないところに、明日の朝まで置いておくことにします。
夜中に、タヌキかネズミか猫か、あるいはカラスが来て、なかったことにしてくれるかもしれません。

今日は夢見が悪いかもしれません。
人生は試練が多いです。

■「言葉と物」(2018年5月15日)
ミシェル・フーコーの若い時の著作に「言葉と物」というのがあります。
友人が、これこそフーコーの重要な著作だと言って、毎日、それを読んで短いメッセージを送ってきてくれます。
彼は私と違って、今日は5頁読めた、今日は1頁だけだったというような、熟読家です。
1日、50〜500頁読んでしまうような粗読家とは違います。
それに、彼はこの「言葉と物」を読むのも、たぶん何回かのはずです。

彼からのメッセージは、読んでも難解で私には理解不能のことも多いのですが、迷惑だろうが、自分の頭を整理するためと言って送ってくるのです。
あんまり消化できていませんが、時折、心に響くこともあります。
それで、私もやはり「言葉と物」を読んでおこうと思いましたが、あいにく手元にありません。
図書館から借りてきましたが、これがまた難物で、最初の20ページでダウンしてしまいました。

彼は今、その第7章を読んでいるようなので、私もそこをじっくりと読み込んでみようかと思います。
久し振りのフーコーです。

■第3回「生きる意味」サロン(2018年5月15日)
「なぜ生きるのか」をテーマにした3回目のサロンを開催しました。
初参加の方も含めて、13人が集まりました。
このサロンは、これまで、それぞれの問題を解放し、どうしたらいいかなどを話し合うのが基本だったのですが、今回は、主客を逆転させて、誰かに助けを求めるのではなく、それぞれの人が、自分でできることを語りあおうという呼びかけをしました。
それは同時に、自らへの肯定感を強め、自らを認めることにつながると考えたからです。

最初は少しそういう方向に動きましたが、結局、いつものように、自らの問題を解放しながら、その問題をどうしたら乗り越えられるかというような話になっていきました。
私としては、毎回、同じ話を聞くわけですが、同じ話ばかりして、ここは慰め合うだけの場ではないと、意地の悪い発言をしたくなってしまいます。
それを言ったらおしまいなのですが、今回はそれを言ってしまいました。
感情に負けてしまいました。
案の定、参加者からは、きびしい抗議を受けました。

疲労感と挫折感が大きくて、報告を書けずにいました。
できたらどなたか、私をこき下ろす内容でもいいので、報告してもらえればうれしいです。

念のために言えば、参加者による、前向きの話もいくつかありました。
元気づける話もありました。
翌日、また続きをやりたいというメールももらいました。
懲りずに4回目をやろうかどうか、迷います。
サロンは、それなりに疲れます。

■久しぶりの歯医者さん(2018年5月16日)
久し振りの視界の定期検診です。
実は予定では4月中に行く予定でしたが、降圧剤を飲んだら歯茎に炎症が起きてしまい、それが収まるまで延ばしていたのです。
もうよくなっていましたが、降圧剤の副作用の原因はまだあまり解明されていないのだそうです。
今日は、歯磨き状況と歯茎の検査でした。
結果は次回です。

■ドクダミの効用(2018年5月17日)
先日来の畑作業(というよりも笹薮の開墾作業)のために、手足が傷だらけになったのですが、さらに身体中がかゆくなってきました。
そして一昨日あたりから手足や首筋などに湿疹が出て、昨夜は眠れないほどでした。
娘から皮膚科に行くように言われたのですが、霜里農場の金子さんの言葉を思い出しました。
そういう時には、3種類の野草をすりつぶして皮膚にぬると言い。
ドクダミや朝顔なら、それだけでもいい。

それで庭に生えていたドクダミの葉を患部にすりこんでみました。
かゆみが止まりました。
一部はかなりひどい状況になっているので、気は許せませんが、その効用に改めて感心しています。
今日は眠れそうです。

■畑の開墾作業が終わりました(2018年5月17日)
多大な犠牲を伴った家庭菜園予定地の笹薮刈りがほぼ完了しました。
上からみた今日の夕方の状況です。
上側が道に面した斜面の「花壇予定地」です。
ここはまだ完成していませんが、先日一部に蒔いた花の種の芽が出始めました。
しかし同時に、それ以上の成長速度で、以前そこを支配していた篠笹や野草が成長しています。

畑予定地は、一応、全面制覇しましたが、数日放置していくと元の木阿弥になりかねません。
笹のタケノコがいたるところに生えだして、集めたら食べられるのではないかと思うほどです。
1日に5センチくらい成長します。
藪の中に放置されていた鍬やシャベルも出てきました。
もちろんもう使用できないほど壊れていますが、昔を思い出します。
ここは、実は妻がやっていたのです。

いよいよ本格的な畑作りに入りますが、鍬で耕す作業は一番きついのです。
なかなかやる気が出てきません。
とりあえず仮植えしておいた野菜は、あまり元気がありません。
まわりは一応耕したのですが、うねをつくらなかったので排水が悪く、几帳面に水をやったのが逆に禍になったのかもしれません。
風がともかく強いところなので風に負けてしまったのかもしれません。
特に、カボチャは、なぜか虫に葉っぱが食べられて全滅に近くなってしまいました。
永作さん すみません。

今日からきちんとした長袖とゴム手袋を着用するようにしたので、皮膚への被害はなかったようです。
今日もたくさんの虫に出合いました。
大きな毛虫がとてもたくさんいました。
アゲハではなく、蛾かもしれません。
5センチほどの黄色い毛虫に10匹以上会いました。

明日からいよいよ耕し出します。
花壇には芝桜やマツバギクを植えようと思っています。

■九条俳句訴訟高裁判決(2018年5月18日)
4年前に、さいたま市で起こった「九条俳句訴訟」の高裁判決が出ました。
さいたま市のある公民館の俳句サークルで選ばれた秀句が、いつもなら掲載されるはずの「公民館だより」への掲載を拒否されるという事件(2014年6月)は、覚えている方も多いでしょう。
その対象になった俳句は、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」。
その句が、「社会教育の政治的中立性」という理由で、行政から掲載拒否されたのです。
俳句の作者と仲間たちは行政に異議申し立てし、その支援者も広がりだしました。
しかし、市民と行政との話し合いは、うまくいかずに、訴訟にまで発展してしまいました。
昨年の一審では、住民たちが勝訴しましたが、行政は控訴、そして今日、高裁判決が出ました。
住民側の勝訴でした。

この裁判は、これからの私たちの社会を方向づける重要な裁判だと思います。
市民活動に関しても、さまざまなことを気づかせてくれます。
高裁判決に合わせて、本日、「九条俳句訴訟」事件のドキュメタリーが出版されました。
それをベースに、6月27日の夜、湯島でサロンを開催します。

ブックのコーナーに書籍の紹介をしました。

(2018年5月第2週)
■畑作業のお休み(2018年5月6日)
■縁カフェ(2018年5月7日)
■孫の誕生会(2018年5月8日)
■寄居寄のエルモットの内藤さん(2018年5月9日)
■リンカーンクラブはしばらく活動をゆるやかにします(2018年5月9日)
■霜里農場と大泉農園(2018年5月11日)
■畑への野菜の苗の仮植え(2018年5月12日)

■我孫子まちづくり編集会議ミーティング(2018年5月12日)

■畑作業のお休み(2018年5月6日)
雨のため、2日間、畑作業は休みました。
何となく形が見えてきましたが、気を許すと元の木阿弥です。
明日からもしばらく行けないので、いささか心配です。

■縁カフェ(2018年5月7日)
4回目の縁カフェは、常連メンバーになってしまいました。
しかも長居のお客様が多いのです。
今回も売り上げは2000円。
縁カフェ基金は6000円になりましたが、前途多難です。
誰か巨額な寄付をしてくれないでしょうか。

■孫の誕生会(2018年5月8日)
孫の“にこ”の2歳の誕生会に招待されました。
孫もだいぶ会話ができるようになり、順調に育っています。
今日は、ケーキのろうそくの火を消すのが気に入って、何回もやっていました。
娘の連れ合いのご両親も、お元気そうでした。

■寄居のエルモットの内藤さん(2018年5月9日)
寄居を拠点に、エルモット活動に取り組んでいる内藤さんが相談に来ました。
先が見えてきたようですが、そうなると新たな問題が浮上します。
エルモットファンもだいぶ増えてきたようですが、経済的には相変わらず厳しいようです。

寄居はいいところですので、なんとか彼女のエルモットがうまくいくといいなと思っていますが、なかなか役に立てずにいます。

■リンカーンクラブはしばらく活動をゆるやかにします(2018年5月9日)
リンカーンクラブ代表の武田さんと湯島でミーティングを持ちました。
リンカーンクラブでいろんな研究会をやったり、出版事業を考えたりという方向で進めてきましたが、武田さんがまた国家像に関する著作をまとめたいと思い出し、その執筆活動に専念したいので、しばらく積極的な活動を休止したいと言ってきました。
リンカーンクラブは、武田さんあってのものですから、同意することにしました。
そんなわけで、リンカーンクラブサロンや研究会はしばらくお休みします。

■霜里農場と大泉農園(2018年5月11日)
小学校時代の友人が2人、湯島に来ました。
霜里農場の金子さんと大泉で家庭菜園をやっている永作さんです。
その2人が、なんと大荷物を持って、湯島に集合。
永作さんは、信じられないほどたくさんの野菜に苗などを持ってきました。
金子さんは、連れ合いの金子美登さんが出版した「野菜づくり大事典」を持ってきました。
私が最近始めた畑の応援です。
これで逃げるに逃げられなくなってしまいました。

金子さんは湯島に来るときに、いつもおにぎりを持ってきます。
これが実に美味しいのです。
2人とも、もしかしたら私がきちんと食事をしていないのではないかと思っているのかもしれません。
なにしろおかずも水も牛乳も、いろんなものを持ってくるのです。

今回はなぜかバナナまでもってきました。
バナナは有機でしょうか。
金子さんは、バナナの皮は肥料になるからと言って、持って帰りました。
いやこの2人は、不思議な存在です。
今日は韓流ドラマの話をしていましたが、これには私はついていけませんでした。

■畑への野菜の苗の仮植え(2018年5月12日)
昨日もらった野菜の苗を畑に植えに行きました。
まだきちんと耕していないので仮植えですが。
少しずつ畑っぽくなってきました。

写真を撮りました。
なんだかよくわからないでしょうが、この一角が「畑らしく」なった部分です。
刈り取った笹を廃棄せずに野菜のまわりを覆うといいと昨日専門家の金子さんに言われたので、そうしたため、すっきりした畑には見えませんが、まあこれがまもなく、きっと、いやたぶん、あるいはもしかしたら、見事な野菜畑になるでしょう。

道沿いの斜面は、これもなんとか花壇の土台ができました。
半分にはすでにひまわりと百日草を蒔きましたが、芽が出てきています。
この斜面の前の状況を知っている人は褒めてくれるでしょう。
何しろ篠笹のやぶだったのですから。
今日も、篠笹の根っこを少しずつ切っていたら、通りかかった高齢の女性が、精が出ますね、となつかしい言葉をかけてくれました。
その道を毎日散歩しているそうです。
以前はきれいな花壇でしたので、楽しみにしていますと言われてしまいました。
うれしいことですが、大変なことになったとも言えます。
毎日、水やりに来なければいけなくなってしまいました。

というわけで、今朝は朝から汗をかきました。
帰宅して血圧を測ったら、なんと136/79です。
昨日は、196/105でした。
昨日も金子さんが「酢たまねぎ」を持ってきてくれましたが、最近は毎日食べています。
呼吸法も脚の運動もしています。
しかし一番効果的なのは、どうも野草や土とのコミュニケーションのようです。

■我孫子まちづくり編集会議ミーティング(2018年5月12日)
我孫子まちづくり編集会議の定期ミーティングでした。
組織のスキームを改めて放させてもらいましたが、大枠賛成してくれました。

その後、我孫子の昔話のプロジェクトに関して、実演も含めて、進め方などを話しました。
いよいよ第1号のプロジェクトが動き出しかもしれません。
本当は、市民みんなに呼びかけていきたかったのですが、具体的な活動から入ったほうがよさそうなので、割り切ることにしました。

組織化はもう少し熟させた方がよさそうです。

(2018年5月第1週)
今週は大型連休にほぼ重なっていました。
世間の動きとは無縁に、私はかつてやっていた空き宅地を利用した家庭農場づくりに取り組んでいました。
要するに「開墾作業」です。
数年放置していたため、笹竹で覆われていました。
かなり酷な作業で、身体中が痛いうえに、かぶれかダニで、身体中がかゆくて夜も目が覚めます。
途中、強風と雨で、せっかく植えたカボチャは半分がダメになりました。
それでも何となく畑らしさと花壇らしさが感じられる程度にはなりました。
毎日の水やりも含めて、当分はつづけて、収穫を目指す予定です。

ただ1日だけ都心に出かけました。
5月2日です。
湯島にも花に水やりに行かねばいけなかったものですから。
自然と付き合うのは大変です。

(2018年4月第4週)
■柳兼子と海津さん(2018年4月24日)
■ぽんゆうサロン(2018年4月25日)
■敦賀の筍(2018年4月26日)
■今年初めての畑(2018年4月27日)
■兄との会食(2018年4月27日)
■金正恩と文在寅(2018年4月27日)
■2日連続の畑作業(2018年4月28日)

■柳兼子と海津さん(2018年4月24日)
海津さんが、湯島で柳兼子をテーマにしたサロンをやりたいと言ってきました。
彼女が一番メッセージしたいことも含めて、その目的をしっかりと確認しておきたいと思い、会うことにしました。
これまでも何回か話を聞いていますが、どうも広がりすぎて、心配だからです。
相変わらず最初は話がいろいろと跳びましたが、話しているうちに、いまの社会状況の中で、兼子の生き方から学ぶことがあるのではないかという、海津さんの思いがようやく伝わりました。
6月にサロンをやるとともに、柳兼子研究会を立ち上げることを勧めました。
私も参加してもいいと思い出しました。

■ぽんゆうサロン(2018年4月25日)
定例化したぽんゆうサロンの第1回目です。
ぽんゆうというのは「朋友」のことで、小学校の同窓会の名前です。
以前は機関誌まで出していました。

今回は、男女それぞれ3人ずつ集まりました。
金子さんがスペインに行っていたのでそのお土産話のはずが、それ以外の話で盛り上がり、正午に始めたのに、結局、終わったのは6時半です。
昼食は有機農業のメッカ、霜里農園の手づくりおにぎりと野菜やいろんなものです。

それに加えて、私あてに高血圧対策の「酢タマネギ」など、いろんな健康食材を持ってきてくれました。
また永作さんは、家庭菜園用にと、セロリやカボチャやニラやゴーヤなど、たくさんの苗を持ってきてくれました。

しかもしかも、湯島の場所代までみんな置いていきました。
持つべきものは幼なじみです。

■敦賀の筍(2018年4月26日)
敦賀の義姉が、恒例のタケノコを送ってきてくれました。
今年のタケノコはとても柔らかでした。
娘から、義姉夫婦ももう高齢なので、筍掘りなどさせたらだめだと言われましたが、筍好きの私としては、素直の感謝してもらっていることにしました。

■今年初めての畑(2018年4月27日)
野菜の苗をもらったので、畑をやらねばいけません。
それがいい踏ん切りになって、畑に行きました。
今年初めて、というよりも、1年ぶりです。
篠笹が全面を覆ってしまっていました。

■兄との会食(2018年4月27日)
私の兄は84歳です。
教師ではないのですが、定年退職後、学校で理科の授業の手伝いをしはじめ、それが好評で、今なお学校から頼まれて週に何回か通っているそうです。
地元では、他にも囲碁好きに仲間たちと活動しているようです。
私よりは数段忙しそうですので、近くに住んでいますが、なかなか会う機会はありません。
といっても月に1回くらいはあっていますが。

時々は会食をしますが、その場合は、いつも私はご馳走になります。
しかもいつも一度は口論になってしまいます。
困ったものですが、生き方が兄とはかなり違いますので、仕方がありません。

しかし、お互いに、何が起こってもおかしくない年齢ですので、いつも悔いのない別れ方をすることだけにはお互い心がけています。

私は性格があまり良くないので。相手を傷つける発言をよくします。
ですから、わかれた後、反省することがあるのですが、気をつけなければいけません。
今回もまた、言わずもがなの発言をしてしまいました。
困ったものです。

■金正恩と文在寅(2018年4月27日)
北朝鮮の金正恩さんと韓国の文在寅さんとの歴史的な会合が実現しました。
テレビでは、ふたりだけが散歩し、誰も寄せ付けない外のテーブルで、遠方からのテレビ撮影を享けながら、なにやら話し合いをしている風景を40分ほど流していました。
私はその間、ずっとテレビを見ていました。
感動的な映像でした。

■2日連続の畑作業(2018年4月28日)
強も畑に行きました。
しかしまだ土肌が見えません。
前途多難です。

(2018年4月第3週)
■個人と組織の関係を考える研究会シーズン1終了(2018年4月15日)
■「河合栄治郎」を読みました(2018年4月17日)
■コミー訪問(2018年4月20日)
■エルモットの内藤さんと会いました(2018年4月20日)
■第1回CWS投げ銭サロン「〈健康で長生き〉したいですか?」(2018年4月21日)
■ライフプランニング・リレーションズの阿部さん(2018年4月21日)

■個人と組織の関係を考える研究会シーズン1終了(2018年4月15日)
杉本さんが発案した「個人と組織の関係を考える研究会」は、杉本さんを中心にした法的側面からの議論を5回にわたり行いましたが、所期の目的を達成し、シーズン1として節目をつけることにしました。
しかし、これで終わりにするのではなく、切り口やスタイルを変えて継続することにしました。
シーズン2は、企業経営という視点から、個人と組織との関係を考えることになりそうです。

個人と組織の関係は、近代を考える上でもとても面白い切り口ですが、そういう大きな問題も含めて、継続していければと思います。

■「河合栄治郎」を読みました(2018年4月17日)
河合栄治郎に関して、これまで私はほとんど知りませんでした。
最近読んだ本で、河合栄治郎のことを知り、基本的な知識さえないことを反省し、まずは中公新書の「河合栄治郎」を読みました。
いささか遅きに失しました。
最近、自分がいかに知識が狭いかを思い知らされることが多いです。
この本を読んで、改めて大学時代のことを思い出しました。
私が大学に通っていた時の総長は大河内一男さんでしたが、なぜ大河内さんが好きになれなかったのかがわかったような気がします。
田中耕一郎さんがどんな人かもようやくわかりました。
まあそんな些末な話も含めて、面白かったです。

■コミー訪問(2018年4月20日)
久し振りにコミーに行きました。
小宮山さんと広報グループのメンバーと話し合いを持ちました。
経営者の大変さを痛感します。
私自身は、この会社とどうかかわっていくか、まだ決めかねています。
いろんな意味で、魅力的な会社なのですが。

■エルモットの内藤さんと会いました(2018年4月20日)
エルモットの内藤さんが相談があるというので、会いました。
今回はちょっといい兆しを感じさせる話でした。
しかし女性はタフです。
私にできることがなかなか見つからずに、申し訳ないのですが、まあ一緒にコーヒーを飲むだけでももしかしたら役になっているかもしれません。
でも次回はもう一歩先に進んでいるといいのですが。

■第1回CWS投げ銭サロン「〈健康で長生き〉したいですか?」(2018年4月21日)
湯島のサロンに、新しいメニューが加わりました。
話を聞いた後、共感した度合いに応じて、話し手に「投げ銭」をするという、「投げ銭サロン」です。
テーマは、「健康で長生きしたいですか?」
副題は「脱・生欲のススメ」です。
参加されたのは11人でした。
新しい企画の上に、タイトルがかなり挑発的なので、もっとたくさんの方が来るかと思っていましたが、意外と反応がよわく、ちょっと脱力しましたが、川島さんのお話はとても面白かったです。

話は、最近話題になった、西部邁さんの入水自殺ほう助への川島さんの感想から始まりました。
つづいて、日本では自宅のお風呂で溺死する人の数は交通事故での死亡者よりも多いという話になり、そこからだんだん本論に入っていきました。
長生きの問題を考える場合、平均寿命と健康寿命を考える必要があると、川島さんは言います。
その差を「不健康期間」とすると、国内的にも世界的に見てもそれは7〜10年だそうです。
ちなみに、日本の都道府県で見ると、平均寿命の一番短いのは青森県で77歳(2010年)、不健康期間の一番短いのも青森県で6.99年(2013年)。
逆に平均寿命が一番長いのは長野県(80.88年)。
不健康期間が一番長いのは京都府(10年)だそうです。
さて、あなたはどちらがいいでしょうか。

川島さんは、「健康で長生きできるようにするための3つの施策」を整理し、そこから、そうしたことへの「大いなる疑問」を表明されました。
「3つの施策」とは、「老人の介護を手厚くする」「医療を充実させる」「住環境の質を向上させる」ですが、それぞれに関連して、生きるということを考えさせてくれるような、さまざまな刺激と示唆を与えてくれました。
なかには、「常識人」であれば、ちょっと眉をひそめかねない話もありました。
しかし、よく考えてみると納得できると思います。
私自身は、そのあたりが一番面白く共感しましたが。

2045年にはAI(人工知能)が人間を超えだすといわれるシンギュラリティ予測がありますが、そうなった時に、はたして人間の生きる意味とは何だろうという問いかけもありました。
これも実に示唆に富む問いかけです。
そして、最後には幸せの話も出てきました。

話の流れだけを紹介しましたが、そのところどころで、ついつい「投げ銭」したくなる話や問いかけもありました。
いろんな話題が次々出てきて、予定時間が1時間以上伸びましたが、まだまだ話はつづきそうでした。
川島さんと参加者のみなさんのおかげで、投げ銭サロンは順調にスタートです。
どなたかよかったら第2回目に挑戦してください。

ちなみに、話が終わった後、どのくらいの投げ銭があったかですが、それは私も知りません。



■ライフプランニング・リレーションズの阿部さん(2018年4月21日)
ライフプランニング・リレーションズの阿部さんから相談があるというので会いました。
しばらく連絡がなかったので、落ち着いたかと思っていましたが、忙しかっただけのようです。
いろいろと話しましたが、毎回同じ話で披露します。
どうしてみんな飛べないのでしょうか。
落ちてもいいから、人は飛ぶ時には飛ばないといけません。

(2018年4月第2週)
■酢タマネギづくり(2018年4月8日)
■発明デザイナーの今井さん(2018年4月9日)
■コミーの小宮山さん(2018年4月9日)
■茨城産のたけのこ(2018年4月11日)
■呼吸法で血圧が下がる(2018年4月12日)
■体調がおかしい(2018年4月12日)
■カフェサロン「社会インフラとしてのお金と仮想通貨を考える」(2018年4月12日)
■カフェサロン「日本の神道文化にまなぶ“神さまのいる暮らし”」(2018年4月14日)
■NPO法人認知症予防ネット理事長の高林さんを囲む茶話会(2018年4月14日)

■酢タマネギづくり(2018年4月8日)
私の血圧が高いことを知って、友人たちから「酢タマネギ」を勧められました。
小畑さんが送ってきてくれた本に作り方が書いてあったので、作ってみました。
タマネギ2個とオスと蜂蜜と塩が材料です。
これが当面の血圧対策です。

■発明デザイナーの今井さん(2018年4月9日)
小宮山さんの紹介で、発明デザイナーの今井さんが湯島に来ました。
着脱容易なボタンを開発したので、その市場開発の相談です。
ユニバーサルファッション協会を立ち上げた鈴木さんと東レの友人を紹介することにしました。

それはそれとして、今井さんは小学校6年の時に、発明家になると決めたのだそうです。
そして着実にその道を進んでいます。
しかも夢があります。
発明を楽しむような人たちが学べる学校を創りたいのだそうです。
そのためには資金がいる。
その準備も着実に進めているようです。

すでに実用化されたものもありますが、大きな発明を実現しないと学校は建ちません。
私も応援したいと思いました。
それにしても小学生からの夢を進めている若者に会えて、感動しました。

■コミーの小宮山さん(2018年4月9日)
小宮山さんと湯島でミーティングです。
小宮山さんの元気はまだ止まりません。
小宮山さんが私の期待していることを果たせずにいますが、どうも何をやればいいかがわからない。
いやわかってはいるのですが、どう進めたらいいかがわからない。
対象がビジネスなので、やはりここはビジネススタイルでやらないといけないのかもしれませんが、なかなかそれに踏み切れません。
しかし、そろそろ決断しないといけないかもしれません。

■茨城産のたけのこ(2018年4月11日)
娘から電話があり、茨城産のタケノコが安く売っているが買っていこうかと連絡がありました。
3・11の福島原発事故以来、我孫子のタケノコは出荷停止になっていました。
それで昨年までは千葉や茨城のタケノコは食べていないのです。
タケノコが大好きな私としては、いささか残念なことですが、今年から茨城産であろうと何処産であろうと食べることにしました。
娘が料理してくれました。
大満足です。

■呼吸法で血圧が下がる(2018年4月12日)
テレビの「合点」で、呼吸をゆっくりすることで血圧が下がると言っていました。
影響を受けやすいので、早速、実施することにしました。
血圧の薬をまた止めたので、調子がよくありません。
歯茎はだいぶ良くなったので、また飲み始めようかと思いますが、呼吸法も採用です。
でもまあいろんな方法があるものです。
酢タマネギも食べ続けています。

■体調がおかしい(2018年4月12日)
どうも最近体調がいま一つなのですが、今日は湯島に来る電車の中でおかしくなってしまいました。
本を読んでいたのですが、何やら奇妙な違和感と視野がおかしくなってきました。
幸いに座っていたので、読書を止めて目をつぶって様子を見ました。
しかし回復しません。
貧血なような気もしますし、めまいも感じます。
ちょっと危ういなと思いましたが、なんとか湯島までたどり着きました。
ホームで少し休んでいましたが、直りそうもありません。

とりあえずオフィスまで行こうと決心し、いささか危ういう足取りで駅を出ました。
いつもは一気にのぼれる58段の階段も踊り場で休むほどでしたが、何とかオフィスに到着。
お茶を飲んで休みました。
しかし直りません。

1時間ほど、横になっていたのですが、どうもすっきりしない。
視野の異常は回復しましたが、どこかに違和感が残っています。
今日はめずらしく昼食を持参したので、それを食べて、横になっていたら、何とか通常に戻りました。

最近時々こういうことが起きます。
やはり血圧のせいでしょうか。
酢タマネギも呼吸法も、まだ効果を発揮してくれていないようです。
困ったものです。

■カフェサロン「社会インフラとしてのお金と仮想通貨を考える」(2018年4月12日)
仮想通貨という「時の話題」ということもあって、遠方からの参加者も含めて、14人のサロンになりました。
渡辺さんは、まず前半で「社会インフラとしてのお金」がどう変化しつつあるかを、近未来に焦点を合わせて、具体的な事例を紹介しながらていねいに説明してくれました。
そして後半では、いま話題の仮想通貨について、その投機性も含めて、これもまた具体的に説明してくれました。
参加者は、それぞれ関心の置き所が違っていることもあって、話し合いは難しかったように思いますが、新しい知識を含めて、それぞれ世界を広げたことは間違いないと思います。

「社会インフラとしてのお金」の部分では、私は「預金封鎖」という歴史が日本でもあったこと、その目的が財産税につながっていたことを知りました。
改めて「社会インフラとしてのお金」のパワーを知りましたが、同時に、これまでの枠組みから抜けることのむずかしさもわかり、逆説的に言えば、お金はもはや「社会インフラ」ではなく、ますます管理のための仕組みになってしまっているように思いました。
そうであれば、そこに「投機性」が入り込んでくることは避けがたいような気がします。

産業としての金融業の収益の過半が手数料収入になっているということも、改めて教えてもらいました。
これは経済の変質を象徴しています。
手数料も、もちろん「社会価値」を生み出していますが、仮想通貨のメリットの一つは、そうした「手数料」を縮減することだといわれると、なにやら大きな矛盾を感じます。
そのあたりから、仮想通貨の存在意義が、私にはなかなか見えなくなってしまいました。
しかし、海外送金の手数料が高いために社会的な活動に困っていた人からは、その手数料が減少することで、公益的な活動がやりやすくなるという話が出ました。
そういう点ではたしかに、仮想通貨の効用も認めざるを得ません。

渡辺さんも指摘されましたが、そもそも「仮想通貨」という呼び方に、ある胡散臭さがあります。
海外では一般的には「暗号通貨」と呼ばれているそうです。
私は「デジタル通貨」でいいと思っています。
名は体を表すと言いますが、呼称をどうするかは非常に重要で、その実体がどう育っていくかにも大きな影響を与えるはずです。

後半では、これから広がっていくであろう新しい通貨システムの話が出ました。
今回は、その説明会ではなかったので、詳しい話を聞きたい人は、改めて渡辺さんのセミナーなどを受けてもらうことにしました。
ちなみに、渡辺さんも、新しい通貨が投機手段に使われることには否定的ですが、デジタル通貨が安定した通貨システムに育っていくためには、投機的な要素を持つ段階があることは認めています。
そして、いまの紙幣通貨は、早晩、デジタル通貨に代わっていくという見通しの中で、個人としてしっかりと対策を取っていかなくては、その流れからはじき出されて、場合によっては被害をこうむりかねないと考えているようです。
たしかに、通貨システムが大きく変わる状況の中で、損をする人と得をする人が生まれる恐れは否定できません。
そもそも、そんなことが起きないようにするのが、社会インフラとしての通貨システムだろうと私は思いますが、この辺りをどう考えるかが、「仮想通貨」に対する姿勢の違いになるのかもしれません。

あんまり基礎的な知識がないため、渡辺さんのメッセージを正確に報告することはできないのですが、私はやはり「信用システム」の話と「通貨という媒体」の話が混同されているような気がしました。
渡辺さんが言うように、たぶん世界的に見たら、日本の信用システムは遅れていて、それが、経済のグローバル化の中では問題なのかもしれません。
しかし、だからといって、その唯一の解決策が「仮想通貨」というわけでもなく、もっとシンプルでフェアな信用システムは創案できるように思います。
サロンでも、たとえば、「SUICA」の話も出ました。

お金を使う仕組みと同時に、お金を生み出す、つまり社会価値を生み出す経済のあり方を真剣に考えるべきだとも思いました。
今回のサロンでの話の中心は「消費」の局面でしたが、経済の大本の価値を創り出すための「お金」の側面も大切だと思います。
地域活性化の話も少し出ましたが、むしろこの側面は地域通貨などで考えるのがいいように思います。

投機というのは、価値を生み出すのではなく、価値の移転で利益を上げていくということですから、一方ではとんでもない損害を受ける人がいるわけです。
損をするのも避けたいですが、私自身は得をするのも避けたいです。
みなさんはいかがでしょうか。
そこに「生き方」の本質があるように思います。
通貨の機能としては、教科書的には「価値の尺度」「価値 の保存」「交換の手段」の3つが挙げられますが、私はこれに加えて、「価値の創造」と「価値の移転」があると考えています。
これについて詳しく書いた本を私は知りませんが、もしご存知の方がいたら教えてください。
これは、経済システムの本質につながっている問題です。

AI(人工知能)の話に絡んで、人間ってなんだろうか、という問題まで話が進んだところで、時間オーバーになりました。
お金の問題を考えることは、生き方を考えることでもあると、改めて感じたサロンでした。

話題提供してくださった渡辺さんに感謝します。
社会インフラとしてのお金シリーズは、不定期に継続させてもらいます。

■カフェサロン「日本の神道文化にまなぶ“神さまのいる暮らし”」(2018年4月14日)
「神さまのいる暮らし」サロンは、17人という大人数のサロンになりました。

話題提供者の平井さんは、最初に、基礎知識編として、神様の話から始めました。
神道、というよりも、神(儒教からの言葉だそうです)以前の「ヒ・チ・タマ・モノ」といった、やまとことばから捉えるカミの話や、罪穢れや禊祓いなどの「かんながらの道」の話で、すなおに心にはいるお話でした。

つづいて、そうしたことが日常生活のなかにしっかりと組み込まれていて、私たちの日常は、まさに神さまとともにあるのだという話をとても具体的に話してくれました。
たとえばこんなことです。
朝目覚めて、身体を動かすことで、身のうちの魂(たま)が振られて(たまふり)、清浄な状態になる。
つまり、誰もが毎日、魂を清浄にすることから1日をはじめているのです。
そして朝食では、食べ物(給べ物)を賜り、掃除で自らの身と身の回りを祓い清め、働くことや遊ぶことでたまふりを重ね、そして夜には入浴で禊(みそぎ)をする。
私たちの日常は、まさに神様と共にあるわけです。
神様は神社だけにいるわけではないようです。
そう思っただけで、日常生活の捉え方が変わってくる。

起きている時だけではありません。
眠っている間に、魂が身体に留まってばかりいては、停滞による穢れ(気枯れ)が起きかねません。
それで寝ている時に、魂は外在魂に入れ替わってもらって、身体を遊離して、朝には元気になって戻ってくるのだそうです。
神様は年中無休の重労働なのです。

そして、平井さんの師匠で日本の神道文化研究会を主宰されている神道学者の三橋健さんの、「神を畏れて、人を恐れず」の言葉で、話をまとめてくださいました。
「神への畏れ」が、生きる力を与えてくれて、生きやすくなる。

ちなみに、平井さんは、数年前から毎日、神棚に手を合わせているそうですが、そのおかげで、平井さん自身も変わってきたそうです。
神様を信ずると、良いことがあるのです。
年に一回、神社でお願いするよりも、毎日の暮らしの中に神様を意識することのほうがご利益はあるようです。

話し合いでもいろんな話題が出ました。
最初に出たのが、「神教」ではなくどうして「神道(しんとう)」になったのか、という質問でした。
そこから宗教と信仰のような話が出て、一神教と多神教の話になりました。
いわゆる「宗教」と、そもそも呪的信仰から始まった神道とは、本来違うものでしょうが、その素朴な信仰がいまもなお近代生活の中に調和して存在しているのは、とても興味のあることです。
私は、それこそが日本文化の一番の特徴ではないかと思っています。

古事記の話や、天岩戸神話の話、そしてなぜかかぐや姫の話も出ました。
京都からわざわざ参加してくださった「記紀」の研究者だった高林さんは、天岩戸神話でなぜ岩戸が開かれたかの理由を話してくれました。
そこからアートや芸能、音の話も広がりました。
ちなみに平井さんの研究テーマは、「音」だそうですが、地鎮祭などで発せられる警蹕(けいひつ)の話も出ました。

神社などの神域には、そこに行くだけで心身が清められる気がするという話も出ました。
お神札(ふだ)は、まわりの邪気を吸い取る効果があるそうですが、自己浄化することはできないため、1年ごとに神社に戻し、新しいお神札に替えるわけですが、神様をよく知っている人によると働かせすぎだそうです。
1年も祀っていると神札は邪気を吸い込んで、力尽きてしまうので、長くて6か月、できれば3か月で、新しい神札にバトンタッチさせた方がいいそうです。
最近の社会は穢れが進んでいるため、そうなってしまったのでしょう。
私は、この話が一番面白かったです。
神様を働かせすぎては、それこそ罰が当たります。

最後は、「神さまとどう出会うか」という話で盛り上がりました。
生きにくさから抜け出せないという人の切実な質問から始まったのですが、私自身は、神様とは毎日出会っていることに気づくと元気が出るというメッセージを、今回は平井さんからもらった気がします。
ですから、会おうなどとは思わずに、ただただ「祈る」だけでいいのではないか。
邪気に満ちた世界で神様を頼る人が増えてしまうと、神様が過労死しかねません。
宝くじに当たりますようになどといって、神様頼みするのは我慢して、神様が元気でいられますようにと、神様のために自分に何ができるかを考えて、祈るのがいいと思っています。

今回も、実に多彩な方々が参加してくださいましたので、参加者みなさんの発言からも、たくさんの気づきをもらいました。
平井さんはじめ、参加されたみなさんに感謝します。

■NPO法人認知症予防ネット理事長の高林さんを囲む茶話会(2018年4月14日)
認知症予防ゲームを知らなかった人も数名参加してくださいました。
高林さんのこれまでの体験談や私のようにゲーム嫌いの人をゲームに巻き込むためのヒントも話してもらいました。
それにしても高林さんの元気さにはいつも感心します。
間違いなくゲームのおかげでしょう。
ゲームをやっていない私とゲーム指導をされている高林さんの経時変化を比較すると、ゲーム効果のエヴィデンスになるかもしれません。



(2018年4月第1週)
■縁カフェ繁盛(2018年4月2日)
■コムケアサロン「なぜ生きるのか」(2018年4月2日)
■降圧剤その後(2018年4月3日)
■酢たまねぎ療法の勧め(2018年4月7日)
■刑事モースの中途半端な終わり方(2018年4月7日)

■縁カフェ繁盛
(2018年4月2日)
縁カフェは12時の開店早々お客様がありました。
くまさん介護の飯田さんです。
しかもサンドウィッチ持参で、私もお相伴させてもらいました。
それから4人の方が来店。
2500円の売り上げで、縁カフェ基金は4000円になりました。
常設店目指して、着実に基金はたまっていますが、まだだいぶかかりそうで、現世での実現は難しいかもしれません。
お客様は、静かに珈琲を飲んでくれず、話しかけてくるため(私が話しかけたのかもしれませんが)、閉店時間を過ぎても話し続けていて、結局、その後の「生きる意味」サロンにまでつながってしまいました。
しかもテーマまでつながって、生きる意味や臨死体験、前世論などで話が弾み、後半のカフェに移りました。

しかし、縁カフェのお客様は、居場所のない人ではないので、なかなか狙いが実現しません。
私の知らない人で、あまり人付き合いのない人に来てもらうにはどうしたらいいでしょうか。
少し考えなければいけません。
いい知恵があれば、教えてくれませんか。

■コムケアサロン「なぜ生きるのか」(2018年4月2日)
2月に開催した「なぜ生きるのか」をテーマにしたサロンの参加者からの強い要望もあって、もう一度、開催しました。
今回も10人の参加があり、時間も4時間を超えてもまだ終わりそうな気配がないほどでした。
このテーマでの話し合いの場が、求められていることを改めて実感しました。

参加者の方から、思わぬご自身の物語が語りだされるのは、前回と同じでした。
みんなそれぞれに、生きる辛さや戸惑いを感じているのかもしれません。
私は「なぜ生きるのか」ということをあまり考えたこともなく、トラブルや喜怒哀楽すべてを含めて、生きることをそのまま受け入れて、生きています。
ですから、このテーマは個人的には苦手で、どう切り込んだらいいのかわからないのですが、みなさんの話を聞いているうちに、少しずつ問題の所在に近づけているような気がしました。

今回私が感じたのは、問題は「生きる喜びの見つけ方」と「実際の生き方」なのではないかということです。
またそうしたことと関連して、これまでの人生における「間違い」に呪縛されていることからの解放も大きなテーマかもしれません。
今回、みなさんの話を聞いていて、私もまた当事者だとようやくにして気づきました。
この種のサロンを何回も企画しながら、いまさらなんだと叱られそうですが。

今回は、「どうしたら生きる力を高められるか」も話題の中心になりました。
その分野で活動しているおふたりの、実践者の方が参加して下さっていたので、かなり具体的なアドバイスもありました。
おふたりとも、自らの物語を赤裸々に語ってくれたので、その処方箋には説得力がありました。
問題に対処するために、気持ちを整理する思考の枠組みや体験から見出した実践的な「法則」も紹介されました。

このサロンには、頭では理解していても身心がそう動かない「辛い」状況にある人も、私のように、身心での生きづらさを頭で理解できていない「不明な」状況にある人も参加しています。
抜け出そうとしている人もいれば、いま向かっている人もいるかもしれません。
もう60年も「生きる力」と正面から取り組んできている人もいれば、そうしたことを考える必要もない恵まれた状況の中で生きてきて、逆にいまここにきて、生き惑っている人もいる。
4時間も話していると、そういうことがなんとなくシェアされてくるような、そんなサロンだった気がします。
いろんな状況や考え方の人が入り混じっているおかげで、話が固まらずに、広がったり、視点が変わったりするのが、やはりサロンの良さかもしれません。

話の内容の紹介は、基本的にはオフレコですので書けませんが、最後はみんな明るく終われた気がします。
私はかなり疲れたので、しばらくはこの種のサロンは企画できないでしょうが、たぶんまたそう遠くない時に開催しそうな気がします。
切り口を少し変えるかもしれませんが。

生きることは辛い時もありますが、だからこそ生きる意味がある。
それに、辛いことと喜びや楽しさは必ずしも矛盾しません。
次回はそんなところまで話が進めばいいなと思っています。

降圧剤その後(2018年4月3日)
先月、とうとう降圧剤を飲むようにしたのですが、その副作用がやはり出てしまいました。
私の場合、歯茎がやられてしまい、歯が浮いたような気分になってしまうのです。
それで残念ながら服用をやめてしまいました。
代わりに血圧を測定することにしました。
服用をやめた後、3日ほどは血圧も安定していましたが、その後、また上昇しだしました。
しかし歯茎のほうは直らず、クリニックの遠藤医師からは、別の降圧剤ももらっているのですが、もう少し服用はやめようと思います。

ところが、昨日の10時間連続サロンで、終わりごろにいささかの症状を感じました。
倒れそうなというと大げさですか、頭が重くなり、以前のような違和感を持ちました。
早くサロンを終えたかったのですが、話が盛り上がり予定時間を1時間半超えても、まだ終わりそうもないので、ドクターストップならぬ、進行役ストップをかけてしまいました。
話し合いのテーマが重かったこともありますが、ちょっと疲れました。
しかし、サロンを終わって動きだしたら、違和感はなくなりましたが、帰宅した途端にドサッと疲れが出て、そのまま寝てしまいました。
翌朝起きてもどうも脳疲労感が残っていて、何もする気が起きません。
半日過ごしましたが、まだだめ。
午後、孫たちが来ましたが、その頃になって、ようやく少し思考力が戻ってきました。
しかし、昨日のサロンの報告を書こうと思ったのですが、内容が思い出せません。
まだ頭が動いていないのです。

これは血圧のせいというよりも、老化のせいかもしれません。
早く歯茎が治り、新しい降圧剤を飲めるといいのですが。

■酢たまねぎ療法の勧め(2018年4月7日)
フェイスブックに血圧のことを書いたら、またいろいろと連絡があり、横浜の小畑さんからは2冊の本が送られてきました。
脚運動で治すイシハラ式と酢玉ねぎで治す食事療法の本です。
早速、脚の運動は実行。
「酢タマネギ」も挑戦することにしました。

降圧剤は、まだ飲んでいませんが、どうも調子が良くないので、もらっていた薬を飲んでしまいました。
副作用のほうの障害がまだ治っていないため、慎重にしたいのですが、背に腹はかえられません。
体調というのは気になるとどんどん加速されるようです。
頭が重いと本も読む気になりません。

■刑事モースの中途半端な終わり方(2018年4月7日)
イギリスのテレビドラマの「刑事モース」を毎週録画して観ているのですが、今回が最終回でした。
ところが実に納得できない終わり方なのです。
これはないだろうと思って、ネットで調べたら、毎年何若が放映されているようで、続きがあるようです。

イギリスの刑事ものは、第二次世界大戦の影がいつもつきまとっています。
そして登場人物一人ひとりの人生ドラマが絡まりながら描かれています。
「刑事フォイル」もそうでしたが、戦争がいかに人々の心に深い影を落としているかがよくわかります。
それに比べて、日本の刑事ドラマはなんと軽いことか。

イギリスのドラマはいつもくらいですが、どこかに魅かれるところがあります。

(2018年3月第4週)
■我孫子まちづくり編集会議準備委員会(2018年3月25日)
■久しぶりのウトロ(2018年3月26日)
■あけぼの山公園の桜とチューリップ(2018年3月26日)
■人を活かす組織とチョコ案(2018年3月29日)
■カフェサロン「霜里農場の金子友子さんの生き方」(2018年3月31日)

■我孫子まちづくり編集会議準備委員会(2018年3月25日)
我孫子のまちづくり編集会議の準備会も3回目になりました。
今回からはわが家ではなく、市民活動ステーションの会議室に会場を移しました。
新たな参加者もありましたし、松戸在住のまちづくりなどに関わっている影山さんや千葉さんも参加してくれました。
ゆっくりと少しずつ進んでいます。
プロジェクト候補も3つほど出てきました。
ただまだ組織化とか実践活動という点では熟していません。
もう少し時間がかかりそうなので、連休明けにやりたかったわは延期することにしました。



■久しぶりのウトロ(2018年3月26日)
とてもうれしいはがきが届きました。
「焼肉第交流会」の案内です。
といっても、焼肉がうれしいのではありません。
その会を共催するのは、「ウトロを守る会」と「ウトロ町内会」なのです。
案内の書き出しは、「ウトロに公営住宅が建つなんて。」です。

「ウトロ」といってもご存じない方も多いでしょう。
私も、もうすっかり忘れてしまっていました。
私のホームページで調べてみたら、2004年に最初の記事が出てきました。
http://cws.c.ooco.jp/katsudoukiroku3.htm#713

ウトロ地区とは、京都府宇治市にある在日コリアンの街でした。
そこに住んでいた在日コリアンが、開発の流れの中で強制追い立てを迫られて、裁判になっていたのです。
事の顛末は、上記の記事をぜひお読みください。
私は、その動きに義憤を感じ、ささやかな支援活動をしていたのですが、もう10年以上、忘れてしまっていました。
しかしきっと名簿に残っていたのでしょう。
私にまで案内が届きました。

そこに宇治市が市営住宅(伊勢田ウトロ市営住宅)を建てたのです。
今年の1月にすでに40世帯が転居したそうです。
そこで4月22日に、名前も「ウトロ広場」とつけられた場所で、報告会を兼ねた交流会を開催することになったのです。

ウトロの動きはニューズレターなどで教えてもらっていましたが、ウトロ地区には行ったことがないのです。
単なる経済的な支援だけだったにも関わらず、私にまで案内が届いたのです。
こんなうれしいことはありません。
できれば参加したいところですが、たぶん22日は行けないでしょう。
まあ行ったところで、私などの居場所はないでしょう。
きっと素晴らしくも賑やかな集まりになるはずです。

当時はいろんなことに関心を持って、ささやかに応援させてもらっていました。
最近は、応援するどころか、私が応援されてしまうようになってきました。
でも、時々、こういうはがきや手紙が届きます。
過去から元気をもらうのは、とてもうれしいものです。

■あけぼの山公園の桜とチューリップ(2018年3月26日)
思い立って、久しぶりに近くのあけぼの山公園に娘と一緒に桜を見に行きました。
妻がなくなるまでは毎年来ていましたが、妻が亡くなってからは、きちんと来るのは初めてです。
気のせいかもしれませんが、かつての華やかさはなく、桜も置いてきているような感じでした。
山の舌のチューリップ畑も以前よりはパワーを感じませんでした。
私のパワーが落ちているせいかもしれません。

■人を活かす組織とチョコ案(2018年3月29日)
独自の「カイゼン」手法(チョコ案)で全国各地の工場現場を生き生きさせていこうという活動に取り組んでいる柿内さんが湯島に来てくれました。
仕事の話ではなく、いわば人生談義です。
食事もはさみながら、3時間ほど、話しました。
思いがかなり共通していることもわかりましたし、お互いの生き方も少しシェアできたと思います。
柿内さんが願っているのは、現場の人たちが生き生きしてきたら、日本の社会は生き生きしてくるだろうといことです。
私も同感です。
柿内さんの活動も、そろそろフェイズを変えて、社会活動のステップに入っていく時期ではないかと思います。
なにかご一緒にできればいいのですが。

■カフェサロン「霜里農場の金子友子さんの生き方」(2018年3月31日)
有機農業に取り組む霜里農場の金子友子さんの「お金に縛られない生き方」をテーマにしたサロンには、20人を超す人が参加してくれたため、時間を1時間延長したにもかかわらず、発言できない人がいたほどの盛況でした。
最初は申し込みがあまりなかったので、テーマを有機農業にすればよかったなと思ったほどでしたが、やはりお金に呪縛されない生き方への関心は高いようで、サロン企画者としては、それだけでもうれしい結果になりました。
ただしサロンそのものは、人数が多くて、話の交通整理で大変で、疲れました。

金子さんの話は、なぜアナウンサーから農家に嫁いだのか、ということからはじまりました。
金子さんがアナウンサーとして社会で活躍しだしたのは1960年代の半ばです。
私も同年齢ですが、その頃から少しずつ高度経済成長の矛盾の予兆が出始め、1970年代になると、日本の社会は大きく変わりだしました。
有吉佐和子さんが朝日新聞に『複合汚染』を連載しだしたのが1974年。
水俣病などが大きな話題になり、環境問題や食の安全への関心が高まっていた時期です。

アナウンサーとして、時代の先端の情報に触れる中で、彼女の世界も変わりだしていったようです。
いろいろなドラマティックなエピソードもありますが、そこで出会ったのが、埼玉県の小川町で、化学肥料や農薬を使わずに、自然の有機的な循環を活かした農業に取り組んでいた、「変わり者」の霜里農場の金子美登さんだったのです。
そこで結婚。生活は一変しました。
その後、時代の大きな流れの中で、有機農業への関心は高まり、霜里農場もテレビや新聞などでも取り上げられ、全国(海外も含めて)から実習研修生も集まるようになってきました。
「変わり者」は「時代の先駆者」へと変わり、霜里農場は有機農場のメッカになっていったわけです。

しかし、そこからが、やはり「変わり者夫婦」なのでしょう。
時流が変わったからといっても、金子夫妻の生き方は変わることはありませんでした。
2014年には天皇・皇后が霜里農場に行幸され、翌年金子美登さんは黄綬褒章を受けられましたが、2人の生き方は全く変わっていないのだろうと思います。
有機農業ブームのおかげで、経済的にも成功した人も少なくないでしょうが、金子夫妻にはたぶん「縁のない話」で、有機農業ビジネスやアグリビジネスという発想はないのです。
これまで通り、共感してくれている消費者に丹精込めた野菜を直接届けながら、地産地消で自給型地域生活を目指した活動に地に足つけて取り組んでいます。
金子夫妻にとっては、農業と生活はしっかりとつながっているように思います。

いろんなエピソードも紹介されました。
アレルギーで長年薬を飲み続けていた人が、農場に実習に来て薬を飲み忘れているうちに、気がついたらアレルギーが治ってしまった話、火事で自宅が全焼した時には、全国から70〜80人の仲間が来てくれて、2日間で片づけが終わった話、お金を介さない物々交換や事々交換の話など、いろいろとありました。
お金の話も何回か出ましたが、誰かに役立つためのお金の話だったように思います。
老後のためにお金をためていますかと私は不躾な質問をしましたが、どうもその意味さえ伝わらなかったようでした。
たぶん彼女にとっての老後の蓄えは、お金ではないのでしょう。

話し合いの中から出てきた、「お金に縛られないためのヒント」を2つだけ紹介します。
まずは、「人のつながり」の大切さです。
お金を介さずとも、人の支え合いで解決する問題は少なくないばかりでなく、人とのつながりが生活の安心感の拠り所になるということです。
もう一つは、人にあげられるものはあげまくるという、友子流の生き方です。
彼女がつくっているのが野菜だということもありますが、余った野菜はみんなに挙げてしまうのが、彼女のやり方です。
たとえば、道の駅に野菜を売りに出していますが、売れ残ったものは持ち帰らずに、店舗のスタッフの人などに挙げてしまうのが彼女のやり方です。
いや余ったものだけではありません。
彼女が関わっている加工品もあるのですが、それを買いに来た人にまで、たとえば子育て中の若い人だと、どうもあげてしまっているようです。
それがいろんな形でまた返ってくるので物々交換だと彼女は言いますが、私が思うには、彼女にはそもそも「交換」という発想さえないのだろうと思います。
ともかく、あげられるものはあげてしまうわけです。
あげるものがなければ、笑顔だけでもいいわけです。

3時間にわたる長いサロンでしたので、いろんな話が出ましたが、たぶん参加されたみなさんは、彼女のさりげない話や表情から、いろんなことを考える刺激をもらったように思います。
少なくとも私はそうです。
小学校時代の同級生なのですが、これまで気づかなかったこともありました。
金子さんが持参してくれたイチゴやケーキなども美味しかったです。

有機農業に関した話もありましたが、これに関してはまた改めて企画したいと思います。
湯島ではなく、むしろ小川町の霜里農場でサロンをやるのがいいかもしれません。
どなたか実行委員になってくれませんか。

今回は、湯島のサロンが初めての方も数名参加してくれました。
はじめてだったのに、ちょっと窮屈だったうえに、発言の時間があまりなくてすみませんでした。
これに懲りずに、またぜひ遊びに来てください。
頭は疲れましたが、たくさん元気をもらいました。



(2018年3月第3週)

■仮想通貨の話でおふたりが来ました(2018年3月18日)
■第2回リンカーンクラブ学習型サロン(2018年3月18日)
■ちょっと遅れたお墓参り(2018年3月22日)
■東レ時代の友人たち(2018年3月22日)
■みんなが幸せになる楽園構想(2018年3月22日)
■お布施の昼食(2018年3月23日)
■リンカーンクラブ研究会「国家と平和」(2018年3月23日)
■カフェサロン「まわりにちょっと気になることはありませんか」(2018年3月24日)

■仮想通貨の話でおふたりが来ました(2018年3月18日)
友人がぜひ会わせたい人がいるというので、湯島で会いました。
話題は仮想通貨の話でした。
私がそういうものに対して、強い拒否感を持っているのを知っているはずなのですが、なぜか引き合わせたいというのです。
いろいろと話しましたが、結局、その人にサロンをやってもらうことにしました。
話だけでもさせてもらいたいという要望でしたので。

しかしどうして福祉に関わったり、ヒーリングに関わるような人が、こういう話に引き込まれてしまうのか。
たぶん福祉やヒーリングとどこかつながる要素があるのでしょう。
そこに興味を感じます。

「福祉」関係の活動をしている人の人間観に、違和感を持つことも多いのですが、どこかにたぶん大きな問題があるのだろうと思います。
いや、私の福祉観や人間観が間違っているのかもしれません。
どうも昨今の時代風潮にはなじめないものが多いです。

■第2回リンカーンクラブ学習型サロン(2018年3月18日)
今回は、究極的民主主義制度における選挙制度の基本的なスキームについて議論しました。
話し合いの中で、論点が整理できるとともに、新しい課題が見えてきます。
少しずつですが、お互いの認識や問題意識もつながりだしてきているように思います。

しかし、話し合いの途中で、いまはこんな悠長なことをやっている時ではないのではないか、という声も出ました。
先週末の国会議事堂前のデモに、多くの人たちが参加しているように、昨今の日本の政治を真剣に考えたら、行動を起こしたくなる人は少なくないでしょう。
にもかかわらず、主権ってなんだろうかなどと言う青臭い議論は果たして役に立つのか。

でもまあ、こういう話し合いをする場もあっていいでしょう。
あまりにも私たちは、政治に無関心であり過ぎたからです。
政局やその時々の政治課題に振り回されるのではなく、しっかりした政治観や基本的な社会的な知の学びはしておかなければいけません。
デモでシュプレヒコールを叫ぶだけでは、新しい価値は生まれません。
もちろんそれも大切ではありますが。

先日、広瀬隆さんの「カストロとゲバラ」を読みました。
カストロ兄弟やゲバラの政治への取り組みの誠実さに改めて感動しました。
キューバはサロンでもまた取り上げたいと思っています。

■ちょっと遅れたお墓参り(2018年3月22日)
今年はどうも「お彼岸」という気がしません。
先日、近くのお寺に人が多かったので、そうか、お彼岸なのだと気づいたのですが、その後、雨だったりしてお墓に行けませんでした。
今日は時間の合間を見て、お墓に行きましたが、わが家のお墓以外はみんなきれいな花が供えてありました。
お彼岸を忘れたのは、生活の正常化のせいか、生活の崩れのせいか、どちらでしょうか。

■東レ時代の友人たち(2018年3月22日)
東レ時代の先輩と後輩が湯島に来ました。
先輩は滋賀在住で、東京で時間が空いたので湯島に寄ってくれたのです。
一昨年、京都でお会いした田中三千彦さんです。
東レ時代、私と一緒に仕事をした渕野さんにも声をかけました。
田中さんと渕野さんは、愛媛工場と一緒だったそうで、いずれからもそれぞれのお名前を聞いていました。
それでめずらしい3人がそろったのです。
東レの時代の話も少ししましたが、それぞれがいまをしっかりと生きている人たちなので、いろいろと面白い話がたくさんありました。
とても快適な時間を過ごさせてもらいました。

■みんなが幸せになる楽園構想(2018年3月22日)
エルモット村づくりに取り組んでいる内藤さんが湯島に来ました。
彼女はいろんな意味で大変なはずですが、なかなかその大変さを見せません。
しかし今日は、いろんなことを話してくれました。
そこまで大変だったのかとつい思ってしまいましたが、その大変さの中、美味しい飲み物を持ってきてくれました。
不思議なもので、貧しい人(心豊かな人)ほど湯島にはいろんなものを持ってきてくれます。
私は遠慮なくそれをいただきますが、今日はたべかけのレーズンパンまで置いていきました。
きっと相談料なのです。
辞退しようと口に出しかけましたが、ありがたくいただくことにしました。
そして、明日のランチにしようと思いました。
かくのごとく、貧しきものには幸いがあふれてます。

■お布施の昼食(2018年3月23日)
昨日、お布施でいただいたレーズンパンを昼食にしたのですが、食べ終わったら、リンカーンクラブの武田さんがやってきました。
仕事の関係で、早めについたので、一緒に食事に行こうというのです。
さてどうするべきか。
それで結局、このお布施も受けることにしました。
なにかちょっといいことがあったようで、なんでもごちそうするというのですが、一度、友人から進められていた台湾料理のラーメン屋さんに行くことにしました。
武田さんはそこで一番高いものをご馳走するといったのですが、幸いなことにみんな同じような価格でした。
私は淡泊な味のものを武田さんはかなり濃い味のものを食べました。
美味しかったです。
しかし、ふたりからのお布施の食事で、幸せな気持ちになりました。

■リンカーンクラブ研究会「国家と平和」(2018年3月23日)
昨日はリンカーンクラブの研究会で、「国家と平和」について話し合いました。
このテーマは悩ましい問題です。
というのは、「平和」という言葉が多義的ですから。
平和の名のもとに、いかに多くの犠牲があったか、いわゆる「コラテラル・ダメッジ」の問題があります。
パックス・ロマーナは、多くの人の平安を踏みにじって成り立っていました。
私は「力による平和」ではなく「愛による平和」を望みますし、
「金による豊かさ」ではなく「支え合いによる豊かさ」を望みます。
しかし、国家という視点で考えると、それはなかなか説得力を持ちません。

核武装の問題もあります。/
今回はひとり、核武装による国家の自立と平和維持を主張した人がいましたので、核武装に関する議論もありました。
議論は果てしなく広がり、議論疲れしそうになります。
今起こっている政治事件に関しても、話が広がりました。
結局、オフィスでは4時間議論し、その後、食事をしながら2時間。

こんな議論を、学生でもない大人たち(私以外はみんなもっと若い、いわゆる「仕事」をしている男性です)が真剣に話し合っている姿には、時々、不思議な気がしますが、こういうことが行なわれているうちは、まだ社会の健全性は少しは維持されているのでしょう。

私自身は、政治(広義のです)を論じない人は「市民」ではないと思っている人間ですが、政治を話さない「国民」の社会活動がますます広がっている状況にいささかの恐ろしさを感じています。
自分の言葉で自分の思いを語り、自分の考えや行動を見直していく、そんな人を増やしたいと思いながら、サロンを続けていますが、最近いささかやりすぎて、疲れてきています。
困ったものです。

■カフェサロン「まわりにちょっと気になることはありませんか」(2018年3月24日)
社会が茶色一色で染まっていって、気がついたら自由のない生きづらい社会になっていたという寓話「茶色の朝」を読んでの感想を言い合うことからはじまった「茶色の朝」サロンがスタートしました。
それぞれが、生活のまわりにある「気になること」を出し合って、いまの社会のあり方や自らの生き方を、みんなでちょっと考えてみようという主旨のサロンです。

お花見に絶好な、お出かけ日和の土曜日にもかかわらず9人の人が集まりました。
サロン初参加の方もいました。

それぞれが「ちょっと気になっていること」を話すことから始めました。
「街中でのマナーやルール−の話」「本音で話し合う場が少なくなっているようだ」「弱いものへのバッシングが多い」「なんとなく将来への不安がある」「人のつながりがよわくなっている」「マニュアル化が進んでいる」「人に声をかけることが少ない」「みんな忙しくて余裕がない」「政治につながる話は話題にしたがらない人が多い」などいろいろと出ました。
「誰かが良いことを始めるとみんなそれに従うが、その人がいなくなるとみんなまたやめてしまう」という、具体的な話も出ました。
言い換えれば、みんな「はみ出したくない」のだというわけです。
「みんなどんなことが気になっているのかが気になって参加した」という人もいました。
何か気になるが、その実体が必ずしも見えてきていないのかもしれません。
どうもみんな「モヤモヤ」している。
実はそれがこのサロンを始めた理由の一つでもあります。
一方で、高円寺駅の駅長が毎朝、乗客に挨拶しているのがうれしいというような、「ちょっといい話」も出ました。

それからみんなで自由に話しだしましたが、話題はかなり学校教育の話になりました。
子どもたちはまさに社会の鏡ですが、子どもたちの学びの場への関心がみんな高いようでした。
学校での目標は何なのか、自分をしっかりと育てることなのか、社会の中で波風立てずに自分をなくしていくことなのかというような、学校教育の本質にまでつながる話もありました。
学校の先生たちが忙しすぎて、子どもたちの学びの場を豊かにする余裕がないのではないかという話もありました。
話していて、次の社会を創っていく子どもたちの学びの場が、あまり見えていないことに改めて気づかされたような気がします。
これは改めて、サロンを企画することにしました。

沖縄や福島の話も出ましたが、現地に触れている人からは、現地の実状とマスコミ報道との違いも話題になりました。
学校現場だけではなく、私たちはまだまだ知らないことがたくさんある。
もっといろんなことを知っていくことが、社会を豊かにしていく出発点かもしれません。

ちょっと気になるどころか、大いに気になることとしては、日本の政治のリーダーが言葉を壊しているという指摘もありましたが、いろんなところで信頼が揺らぎだしている。
信頼がない世界では、やはり不安がぬぐえない。
なんとなくみんなが「不安」に陥り、モヤモヤしてしまうことの背景には、そうした「信頼関係」が失われてきている状況があるのかもしれません。

それにもつながるかたちで、「マナーとルール」について少し話し合いました。
このテーマは、改めて時間をかけて話し合いたいと思いました。

政治には「統治権力のなかでの権力闘争」と「生活をよくするための政治」とがあるように思います。
前者が政治として捉えられがちですが、本来の政治の目的は後者のためであるはずです。
そして、後者の主役は国民一人ひとりです。
政治は国会議事堂や霞が関だけにあるわけではありません。
自分の生活に影響を与えるような社会のあり方に関心を持ち、ちょっと気になることがあれば、まわりの人と話し合ってみる。
「おかしいこと」があれば、「おかしい」という。
それも大切な「政治活動」です。
引き続き、肩に力を入れて政治を語るのではなく、まわりの気になることを題材に、少しずつ政治とのつながりや社会のあり方を話し合えるようなサロンをつづけたいと思います。

このサロンと並行して、日本の政治や国家のあり方をテーマにしたサロンも引き続き企画したいと思っています。
こんなテーマで話し合いたいというテーマがあればご連絡ください。
主権者である私たちの手に、政治を取り戻したいと思います。
批判するだけではなく、できることから始める行動への広がりを意識しながら。

お花見にもいかずに参加してくださったみなさんに感謝します。
このサロンの出発点になった主原さんの「モヤモヤ感」に感謝します。
少しずつ晴らしていければうれしいです。

(2018年3月第2週)
■「組織と個人の関係を考える研究会」(2018年3月11日)
■ほっとスマイルプロジェクト(2018年3月13日)
■カフェサロン「改めて協同組合について考えてみよう」(2018年3月14日)
■カフェサロン「現代こそドラッカーに学び、人を活かす経営を考える」(2018年3月17日)

■「組織と個人の関係を考える研究会」(2018年3月11日)
日本の民法や団体組織法への異論から始まったこの研究会も4回目。
問題提起者の杉本さんの基本講義が今回で終わりました。
次回からは、具体的なテーマを選んでの議論に入る予定です。
社会学者や思想家や経営学者や技術士など、ともかくいろんな専門家がいるので、話はいろいろと広がり刺激的です。
私の予想と違って、前回から経済組織(会社組織)に重点が移ってきたので、ロン・ハリスの「近代イギリスと会社法の発展」の第1章を配布させてもらいましたが、文字が小さくて読みにくいと怒られてしましました。
私自身は、ゲルマン法理とローマ法理の違いや有限責任や無限責任に関心があるのです。
また私は、「法人」という概念や「有限責任」制度の不完全な展開に、大きな問題があるのではないかと思っているのですが、「法人」はもうみんなの常識になっているようで、まだ議論してもらえないでいます。

別のメンバーと、国家体制を考える研究会をやっていますが、そこでもゲルマン法とローマ法が関係しているような気がしていますが、それはともかく、国家体制とはまさに「国家と組織の関係」の話です。
いろいろと考えていくと、だんだん同じ話なのだということに気づいてきます。
その媒介項のヒントは、ナチス・ドイツにあるような気がしていますが、ナチスを調べなくとも、いまの日本の社会はその類似型なので、とても生々しく考えられるようになってきています。
喜ぶべき話ではありませんが、考える材料は満ち溢れています。

■ほっとスマイルプロジェクト(2018年3月13日)
今日は「ほっとスマイルプロジェクト」の交流会でしたが、そこでみんなの最近の実践活動の報告がありました。いろんな形で広がっているのが伝わってくるとともに、改めて組織的な展開の日性を感じました。
その後、櫻井さん開発の「褒めカード」の体験会がありましたが、これも面白く、いまの時代には大きな効用を持っているような気がしました。
後半は、青梅市で「ひだまりサロン」をやっている大西さんのお話でしたが、たくさんの示唆に富むお話がありました。
次回は5月です。少しずつつながりが深化しています。
みんなのビジョンもなんとなく見えてきた気がします。

■カフェサロン「改めて協同組合について考えてみよう」(2018年3月14日)
「協同組合」をテーマにしたサロンは、共済懇話会のみなさんもかなり参加された結果、大人数のサロンになりました。
企業関係者の参加が少なかったのが残念でしたが、改めてこれからの企業経営へのヒントがたくさんあることを実感しました。
また、支え合う人のつながりづくりに取り組んでいる人たちも何人か参加されましたが、NPOの人たちにもとても参考になる話だったと思います。
終わった後、複数の方から、挑戦すべき課題が見つかったと言われたのが印象的でした。

田中さんは、世界各地の協同組合の視察調査なども踏まえて、なぜ協同組合が生まれてきたのかという話から始まり、現在の社会においての意義、そして協同組合の5つの類型とその実践活動、さらにはこれからの期待をていねいに解きほぐしてくれました。
その話をきちんとまとめたら、たぶん現在、市販されている多くの協同組合の本よりも、ずっと協同組合への理解が深まり、その価値が伝わってくると思います。
そんな気がしながら、お話を聞いていましたが、録画しなかったのが実に残念です。

田中さんは、最初に、カナダ・デジャルダン博物館で配布されている小学生向けの信用組合歴史解説本の1ページを見せてくれました。
そこに、子どもたちに向けて書かれた「なぜ協同組合は必要なのか」の漫画があります。
添付しましたので、ちょっと読みにくいかもしれませんが、ご覧ください。
ここに協同組合思想の本質が読み取れると思います。

つづいて、別の言葉で、協同組合の存在意義を3つに整理してくれました。
「生活防衛システム」「人の集まり」「地域経済の自立」です。
第一の生活防衛システムですが、そもそも協同組合の始まりは「貧困からの脱却」でした。
社会福祉政策に依存するのではなく、まずは自らで「支え合いの関係」を育てることは、人類の知恵でした。
最近の私たちがともすると忘れがちな視点です。
改めてそのことを思い出すことが大切です。

2つ目の「人の集まり」は、同じ組織でも、企業と違うところです。
企業(経済組織)は本来的には「金の集まり」ですから(人は雇われているだけです)、企業買収などで、あるときその組織の主役が突然に変わることがありますが、協同組合(社会組織)は人が主役ですから、そんなことは起こりません。
雇用労働と協同労働の違いは、まさに「働き方」を考える上で大きな違いを引き起こします。
ここにもこれからの企業経営や「働き方」を考える大きなヒントがあります。

「地域経済の自立」は、昨今のグローバル経済化の動きのなかで、ますます重要な意味を持ちはじめていると思います。
エネルギー関係の協同組合の話も出ましたが、さまざまな意味で、いまの経済の枠組みへの発想転換の可能性を持っているように思います。

以上は、田中さんの冒頭の話ですが、こんな感じで紹介していくときりがないので、後は省略して、話し合いの一部を紹介します。

文化活動分野での協同組合へも質問が出ました。
いまはまだこの分野は、あまりないようですが、経済自体が変質していく中で、これからの課題かもしれません。
これまでの協同組合は、その重点は「生活防衛」にありましたが、むしろこれからは異質な知恵の組み合わせによる「価値創造」という、新しい意味が生まれてくるかもしれません。
もちろんすでに、そうしたネットワーク組織はありますが、協同組合思想との組み合わせが、新しい価値を生み出すかもしれません。
私は、生活防衛を超えた、もっと積極的で創造的な意義が、協同組合思想には含まれていると思っています。

今回は、田中さんが農業関係の組織にいたこともあって、日本の農協のモデルにもなったドイツのライファイゼン系の協同組合を中心に話してもらいましたが、ライファイゼンの核になったのは信用事業(共済事業)です。
当時広がりだしていた貨幣経済に対する対抗力としての動きだったわけですが、その点を議論していくと、もしかしたら現在の日本の共同力の混迷と可能性が見えてくるかもしれませんが、今回はそこまでの議論にはなりませんでした。
昨今の実体経済から金融経済へと経済が変質しつつある中で、貨幣経済とは何かを問い直すヒントも、協同組合の歴史の中に含意されていると思います。
日本にも、結や講などの「支え合いの仕組み」があったのに、なぜ大きく発展しなかったのかという話も出ましたが、たぶんそれともつながっているはずです。

日本の農協は、歴史的な経緯から、産業支援システムと協同組合という2つの異質な要素を持っています。
このいささか矛盾する2つの予想を包含していることに、これからの協同組合の困難さと同時に可能性を私は感じます。
これは、時間切れで議論できませんでしたが、もしかしたら協同組合の本質につながっている問題かもしれません。

協同組合の理念に関連して、賀川豊彦の話も出ました。
日本ではまだ成立していない協同組合基本法の話も出ました。
共済と協同組合の関係も、大きなテーマです。
採りあげたいテーマがたくさんありましたので、引き続き、このテーマのサロンを時々開催したいと思います。

私は30年前に会社を辞めました。
その頃、雇用労働と株式会社から、協同労働と協同組合へと、経済の軸が変化していくだろうと思っていました。
そうはなりませんでしたが、その時の思いは間違っていなかったと改めて思いました。
ただ、時間はまだだいぶ先のようですので、自分では確認できそうもありませんが。

■カフェサロン「現代こそドラッカーに学び、人を活かす経営を考える」(2018年3月17日)
ジャズミュージシャンにして経営コンサルタントの村瀬弘介さんの「ドラッカー」をテーマにしたサロンは、「インテグリティ」という言葉から始まりました。
ドラッカーを理解するキーワードは「インテグリティ」だというのです。
インテグリティを、「真摯さ」と訳し、それには「対象に対する真摯さ」と「自分に対する真摯さ」があると説明したあと、人間として正しいかどうかが大切だという話をされました。

こういう話で、村瀬さんのドラッカー経営論は始まりました。
村瀬さんの経営論の基本には、「人間の尊厳」が置かれています。
企業関係者も多かったのですが、多分こういう形でドラッカーの話を聞いた人は少ないと思います。

なぜ「インテグリティ」なのか。
村瀬さんは、ドラッカーがナチスドイツによるホロコーストを体験したことにも言及しました。
ドラッカーが「経済」や「経営」をどう位置付けていたかの話もされました。
そして村瀬さんがたどりついた「経営観」は、「経営とは、人間が幸せになるすべてである。人の尊厳を実現するものである。経営で成果を上げるとは人間が幸せになることである」というものです。

私は寡聞にして、ドラッカーをこういう視点でしっかりととらえた経営学者や経営コンサルタントにこれまで会ったことがありません。
もし一人でもお会いでできていたら、私のドラッカー観は変わっていたはずです。

私がドラッカー経営論に否定的なのは、「経営は顧客の創造」だと紹介されてしまったことです。
経営は、「価値の創造」であって、「顧客の創造」であってはなりません。
人を「顧客」ととらえるところには、「人間の尊厳」の発想はありません。
私も、会社時代に経営について少しは考えてきましたが、そこで大切にしたのは、「人間の尊厳」と「価値の創造」でした。
そしてそれを私が所属していた企業の経営の理念にするプロジェクトに取り組み、その結果として私は人生を変えてしまいました。
ですから今回の村瀬さんの話には、心底嬉しさを感じました。
ドラッカーの思想の起点は「人間の尊厳」です。
ようやくほんとうのドラッカーに出会えた気がしました。

村瀬さんは、ドラッカーは「資本主義のための経済ではなく、自由民主主義のための経済」を目指していたと言います。
そういう意味での経済(経世済民)がうまく行けば、カリスマも出てこないし、ホロコーストも起きないとドラッカーは考えていたのではないか、と言います。
同感です。
ドラッカーの最初の著作は、「経済人の終わり−新全体主義の研究」です。
ぜひ読んでほしい本の一つです。
その延長で、ドラッカーの著作を読めば、違った受け止め方ができるはずですから。

村瀬さんはリーダーシップにも言及しました。
リーダーシップとは「責任」であるというのです。
これも含蓄に富む言葉です。
ちょっとした言葉の言い換えではないかと思うかもしれませんが、私には視点が全く違う、新しい経営論のように感じます。
つまり、組織の視点からではなく人間の視点から経営が考えられている。
今の日本の企業に一番欠けている視点です。

「経営」とはそもそも企業の世界だけの話ではありません。
NPOにおいても行政においても、地域社会においても、さらには人生においても大切なことです。
経営とは技術の話ではありません。思想の話なのです。
村瀬さんの経営論を、ぜひいろんな分野の人に聞いてほしいと思います。
ちなみに湯島では、以前、NPOとドラッカーと言う視点で、市民性や社会性をテーマに、『ドラッカー 2020年の日本人への「預言」』の著者の田中弥生さんにサロンをやってもらいました。
「市民性」「社会性」も今回少し話題になりましたが、改めて考えたいと思います。

村瀬さんは、ジャズミュージシャンです。
ご自分でも話されましたが、論理ではなく感性で受けとめるタイプです。
ある時にドラッカーを読んで涙が出てしまった。
それがドラッカーを語りだした出発点だそうですが、村瀬さんの話には魂を感じました。

村瀬さんの話の入り口だけの紹介になりましたが、村瀬さんが話してくれた話は、先月出版された村瀬さんの『ドラッカーが教えてくれる 人を活かす経営7つの原則』(産業能率大学出版部)をぜひ読んでください。
http://jlom.xsrv.jp/cs2/44/
また次のサイトで村瀬さんの話に触れられます。
ドラッカー講義動画集『感動から分かる ドラッカー経営』
http://jlom.xsrv.jp/cs2/25/

ついでに村瀬さんの音楽もどうぞ。
https://www.youtube.com/channel/UCOtRQ7cRiznIUxNtsGcl6rg

村瀬さんはいろんな所で講演活動もしていますので、ぜひどこかで村瀬さんの魂に触れてみてください。

(2018年3月第1週)
■縁カフェ(2018年3月5日)
■巡礼から学ぶこと(2018年3月5日)
■マイナス講演料で講演する人(2018年3月6日)
■久しぶりの時田さん(2018年3月8日)
■寄居のエルモット(2018年3月8日)
■霜里農場(2018年3月8日)
■経営道フォーラムの受講生が会をやってくれました(2018年3月9日)
■血圧の正常化(2018年3月10日)

■縁カフェ(2018年3月5日)
2回目の縁カフェは暇でした。
開店直後、知り合いの女性が飛び込んできました。
話したいことが20時間くらいあるというのです。
コーヒーはいらないと言って、1時間話し続けて、次の用事があると言って帰りました。
一番大きな話題は学校を巡話でした。
聞いた以上は放置できませんので、サロンを開く約束をしました。

その後はお客様は皆無。
売り上げは500円で、縁基金は1500円になっただけでした。
前途は難しいです。

■巡礼から学ぶこと(2018年3月5日)
富山のIさんが出張で上京するので、巡礼者の鈴木さんに会えないかと言ってきました。
それで鈴木さんにお願いして、3人で会いました。
Iさんは、元気そうでしたが、それは久しぶりに湯島に来ることができたからだとIさんは言いました。
どうもまだモヤモヤが晴れずに、時にダウンするようです。

いろんな話が出ましたが、鈴木さんの巡礼の話を聞くはずが、どうして佐藤さんはそんなに素のまま生き方ができるのかと言われました。
みんな素で生きられれば、楽になるはずだというのです。
まあ、成ればいいだけですが、それができない。
そんな話をしましたが、私もいろいろと考えることや気付くことがありました。

どうしてこうも生きづらい社会になってしまったのでしょうか。
話していて、その問題の立て方の間違いに気づきました。
生きやすくなったからこそ、生きづらさが顕在化したと捉えるべきではないか。
そう考えるといろんなことが氷解します。

■マイナス講演料で講演する人(2018年3月6日)
湯島で、新しいビジネスを始めることにしました。
「投げ銭サロン」です。
湯島のサロンは講演料はありませんが、講演料を出すサロンを始めることにしました。
といっても、マイナス講演料です。
サロンで話したい人にマイナス1万円の講演料を払います。
つまり1万円を私がもらうのです。
その代わり、話を聞いた人が話を聞いた後、話し手に対して「投げ銭」をするのです。
こういう呼びかけをフェイスブックでしたら、早速に応募者がありました。
しかも20年以上、交流が途絶えていた川島さんです。
しかも川島さんとはとりわけ何かご一緒したわけでもなく、友人の関係で1〜2度、会っただけです。
だからたぶんお互いにどんな人かも知りません。

そんなわけで、川島さんが湯島に来ました。
ところがこの川島さんが実に面白い。
最初に話題にしたのが、日本では自宅のお風呂で溺死する人は交通事故で死ぬ人より多い。
私は風呂が大好きだが、私も最後は風呂で溺死したいというのです。
いささか危うい話ですが、その話ぶりがまったく無邪気、邪気がないのです。
他にもいろんな話が出ましたが、書きとめるだけでも大変ンありがとうございます。ほど、いろんな話がありました。

4月に「投げ銭サロン」をやってもらうことにしました。

■久しぶりの時田さん(2018年3月8日)
久し振りに、熊谷市の時田さんに会いました。
きっかけは、友人の霜里農場の金子さんに紹介してほしいと言われたからです。
熊谷市の「パブリック・ダイナー」で会いました。
そこで、金子友子さんをお引き合わせしました。
時田さんのことを書きだすとこれまたきりがないのですが(と言って、一緒に何かしたことはないのですが)、久しぶりに時田さんは、変わっていませんでした。
最近はめっきり少なくなった、信頼できる人です。

「パブリック・ダイナー」のオーナーの加賀崎さんにも会いました。
さらに偶然にも、時田さんの息子さんにも会いました。
北本市の観光協会を見事に成功させたのが、時田さんの息子さんで、一度お会いしたいと思っていたのですが、帰り際に偶然にも、会ったのです。
人は人を引き寄せる。
そんな気がします。

■寄居のエルモット(2018年3月8日)
時田さんにあった後、金子さんの車で、寄居のエルモットの内藤さんを訪ねました。
ちょうど出かける直前だったので30分ほどしかありませんでしたが、エルモット内を案内してもらいました。
現世離れをしている金子友子と内藤明子の会話は、しかしきわめて世間的でしたが、なにかが始まるといいのですが。

■霜里農場(2018年3月8日)
つづいて、いよいよ金子さんの霜里農場に行きました。
有機農業のメッカです。
私ははじめての訪問ですが、なにしろ金子友子さんですから、月並みの説明はしてくれませんし、どこを案内するわけでもありません。
しかし金子夫妻やその仲間たちが生活している場を見せてもらったら、それだけですべてが伝わってきた気がします。

最後はタヌキ騒動になってしまい、その上、雨足が強くなってきたので、結局、金子美登さんには会えませんでした。
でもまあまたきっと来ることになるでしょう。

■経営道フォーラムの受講生が会をやってくれました(2018年3月9日)
30年以上関わってきた経営道フォーラムを昨年でやめました。
卒業生たちが「感謝の会」をやってくれました。
会場はスワンの社長だった岡村S何がスワンの銀座店を貸し切ってくれました。
30人ほどの人が集まってくれました。
その中に広島の武鑓さんがいました。
武鑓さんは、わざわざ広島から出て来てくれたのです。
私がまだ会社を辞めて、なんとか社会を変えていきたいと思っていた頃に出会った人です。
マツダの役員をやめた後、大学で陶芸を学び、いまは広島で「酔泥窯」を主宰しています。

経営道フォーラムの活動には、いささかの挫折感がありますが、武鑓さんに会って、報われたような気がしました。
他にも、私の一言が人生を変えたとか仕事で成果が上がったとか、思ってもいなかったいろんな人から感謝の言葉を聞きました。
私は、形式的な社寺にはまったく関心がないのですが、心の入った謝意と出会うと涙が出そうになるのです。

花束とアルバムと、湯島で使ってくださいと大きなコーヒーメーカーをもらいました。

■血圧の正常化(2018年3月10日)
高血圧のせいで体調が悪かったのですが、薬を飲みだして、体調がほぼ回復しました。
薬をもらいに遠藤さんに行きました。
血圧を測ったら、なんと135/85くらいでした。
最近体験したことのない数値です。

いまから考えると1か月前の状況をつづけていたら、もしかしたらダウンしていたかもしれません。
いろいろとあって、もう少し現世に滞在することにしたので、薬は飲み続けることにしました。

(2018年2月第4週)
■新しい「カイゼン」の発想(2018年2月27日)
■社会福祉法人の合併(2018年2月27日)
■コムケアサロン「成年後見制度ってご存知ですか」(2018年2月27日)
■菜園クラブ(2018年3月2日)
■コーピング講座(2018年3月2日)
■サロン「日常生活の巡礼化」(2018年3月2日)

■新しい「カイゼン」の発想(2018年2月27日)
先日、「カイゼン」をテーマにしたサロンを柿内さんにやってもらいましたが、この「カイゼン」はトヨタから始まった「カイゼン」とは真逆な発想の、人間起点の「カイゼン」活動です。
そして私の考えでは、これこそが会社や社会を変えていく、新しい力になるだろうと思えるものです。
そんな思いを持って、柿内さんとのミーティングを持たしてもらいました。
2人で話していて、改めて思いが共有できることを確認しあえました。

一緒にもう少し考えてみようと思います。

■社会福祉法人の合併(2018年2月27日)
社会福祉の合併問題に取り組んでいる大川さんと意見交換しました。
できれば彼に実践の場を体験させたいのですが、どこか合併を考えている社会福祉法人はないでしょうか。
もしあったらご連絡ください。
今日は大川さんと問題の整理を行いました。

■コムケアサロン「成年後見制度ってご存知ですか」(2018年2月27日)
成年後見制度をテーマにしたサロンには15人の参加者がありました。
最初に、広い視点で成年後見制度にも関わっている、一般社団法人コレカラ・サポートの千葉晃一さんに、制度の概略などのお話をいただき、そこから参加者から出された事例なども含めて、いろんな視点から話し合いが行われました。
http://www.koresapo.com/

千葉さんの話が終わった後、最初に私から問題提起的な質問をさせてもらいました。
この制度は、誰のためにあるのか、そして対象となる人の判断能力の評価は誰がするのか。
制度ができて良かったことと悪かったことは何か。

もちろん建前は、「判断能力が不十分となった成年者のための財産保護と生活支援」となっていますが、今ある制度を受け身的に理解し、利用の方法を考えるだけではなく、制度の利用状況やそこから生ずる問題点などを知ることで、形だけではない福祉のあり方や私たちの生き方を問い直そうというのが、コムケアサロンの目指していることです。
そこであえて、そういう問題提起をさせてもらいました。
参加者の中には、後見人を実際にやっている人や制度利用者の方もいらっしゃいましたし、制度利用を考えている人やまだ関心を持っているだけの人など、いろいろでした。
そうしたいろいろな立場の人が、話し合うのが湯島のサロンの大きな意味です。

千葉さんのお話によれば、成年後見制度を必要とする人は約800万人に対して、現在の利用者累計は18万人(わずか3%弱程度)だそうです。
これは、制度設計に問題があるのか、制度の理解が進んでいないのかいずれかだと思いますが、そのために成年後見制度を利用したことで、逆に問題を抱え込んでしまった人の話も少なくありません。

そうした状況を変えていくには、予備的にこの制度のことを理解するとともに、利用者側からの不備の点を変えるように働きかけていくことが必要です。
そうした動きはないわけではないでしょうが、なにしろこの制度の「受益者」は「判断能力が不十分となった成年者」ですから、問題は悩ましいわけです。
ここに、この制度設計の根本的な問題があるように私には思いますが、しかしすでに制度ができているのですから、それを効果的に活かしていくと同時に、「当事者視点」で不都合なことは問題として顕在化していかなければいけません。
それに、可能性としては誰もが「当事者」や「関係者」になり得ることですから、誰も関係がないとは言えません。

弱い立場の人たちを守る制度が、注意しないと、かつての精神病院制度のように、弱い人たちの人権が損なわれることにもなりかねませんし、さらには、生活支援のための手段だった財産管理が目的になってしまい、生活は二の次というような本末転倒も起こらないとは限りません。
もっと言えば、この制度は、家族のあり方にも大きく関わってきます。
そうしたさまざまな「落とし穴」があるような気がします。

もちろんこの制度で救われた人は少なくないでしょう。
しかしどんな制度も、当事者が効果的に活用して、はじめて生きてきます。
そして、当事者が制度改善に取り組んでこそ、制度は生きたものになっていきます。
その意味では、この制度はまだ「当事者からは遠いところ」に置かれているなというのが、私の今回の感想です。

千葉さんは、救急車なら、どういう時にどうしたらいいかが、誰にも伝わっているが、この制度に関してはそれが難しく、たとえば制度の解説パンフレットなども、制度運営者側の視点が強いために、なかなか社会に浸透しないと話されました。
そういう利用者視点での制度活用の仕組みや場をもっと増やしていくことが大切かもしれません。
ちなみに、コムケアの仲間でもあるNPO法人ユニバーサル・ケアの内藤さんたちは、「市民後見センターきょうと」を運営して、そういう活動に取り組んでいます。
http://www.kyoto-koken.net/about/
今回も、そこで制作した制度案内の小冊子を活用させてもらいました。
内藤さん、ありがとうございました。

いつも以上に主観的な報告になってしまいました。
サロンでは、実際には具体的な体験や事例の紹介やこの制度の活用の仕方などが話されましたが、それを報告するわけにはいきませんし。
千葉さんは、「成年後見制度の利用ありき」ではなく、当事者や関係者の立場に立って、生活支援に取り組まれている方ですが、内藤さんや千葉さんのような人たちが増えていくことが、一番求められているのかもしれません。

なお、成年後見制度に関しては、みなさんからの要望が集まれば、また情報交換や体験交流会のようなものを企画したいと思っていますので、ご要望のある方はご連絡ください。

コムケア活動を始めた時の「大きな福祉」の理念や共創型の相互支援の輪づくりの大切さを改めて思い出したサロンになりました。

■菜園クラブ(2018年3月2日)
菜園クラブの増山さんには先日サロンをしてもらいましたが、私にも何かできることはないかと思い、ミーティングを持ちました。
増山さんの構想にはとても共感を持ちましたが、増山さん自身は足元を固める作業でたぶん目いっぱいでしょう。
誰かが応援しないとせっかくの構想が先延ばしになってしまいそうです。
増山さんの構想は、半農生活を広げることで、人の生き方や社会のあり方が変わっていくというものです。
増山さんは、そのための技術支援、場の提供、さらにはその展開のノウハウなどを蓄積してきています。
後はそれを活かして、どう広げていくかです。
どなたか一緒にやってもいいという方がいたら、ご連絡ください。

それにしても、増山さんは全く変わっていません。
ぶれずに続いている人を見ると安心します。

■コーピング講座(2018年3月2日)
先日、サロンをやってもらった「コレカラ・サポート」の千葉さんも、自分たちがやっている活動を広げていきたいという構想をお持ちで、いまその準備活動に取り組んでいます。
そのコアとして、まずは同士を広げていく必要がありますが、そこで出てきたのが、これまた菜園クラブで考えていることと同じです。
つまり、私の言葉を使えば、コモンズ発想です。
この理念で25年ほど前に、あるコミュニティを企画提案したことがありますが、そういう発想がいろんなところに出始めてきました。
うれしいことですが、もう少し私が若い時に広がってほしかったと残念でなりません。
でもまあ、いまでも少しは役に立てるかも知れません。

■カフェサロン「日常生活の巡礼化」(2018年3月2日)
これまで3回、スペインのサンティアゴ巡礼を歩き、四国遍路も歩いてきた鈴木章弘さんに、「日常生活の巡礼化」をテーマにお話ししてもらうサロンを開催しました。
13人のサロンになりました。
鈴木さんは、巡礼で得たものや感じたことを、具体的な体験エピソードを交えて、話してくれましたが、話している時の鈴木さんはとても幸せそうでした。
話しながら、涙ぐむような場面もありました。
素晴らしい思い出や体験が、鈴木さんの心身にぎっしりと刻みこまれているのが伝わってきました。
聞いているだけでも、なにかとてもあたたかな気持ちに包まれるような話も少なくありませんでした。

巡礼とお遍路で経験したことは、一言で言えば、「宝の山」のようなものだ、と鈴木さんは言います。
特別な神秘体験がなくても、「小さな幸せ」の瞬間が積みあがっていくのだそうです。
言い換えれば、巡礼とは「小さな幸せ」の連続だというわけです。
人の善意ややさしさに触れ、与えること・与えられることを自然に味わい、自分と他者が溶け合っていくようななかで、自然と誰とも挨拶を交わし、自然とハグまでしてしまうようになる。
「あした死んでもいい」と思えるほどの生きている実感も得られる。
ただただ歩くだけなのに、まさに生命の輝きを実感できるのだそうです。

だから、目的地のサンティアゴ大聖堂に到達した時にも、達成感の歓びよりも、むしろもう巡礼が終わってしまったというさびしさがあったそうです。
これは鈴木さんだけではなく、大聖堂が近づくにつれて、この幸せな巡礼がもうじき終わってしまうのが悲しいと話していた人は、少なくないそうです。
この話は、私たちの生き方に、大きな問いかけをしているように思います。
私たちは、何かのために生きているのではなく、まさに生きること自体に意味がある。

サンティアゴも四国遍路も、巡礼者もいればツーリストもいます。
鈴木さんは、「巡礼者は何事にも感謝するが、ツーリストは何事にも要求する」という言葉を紹介してくれました。
それを聞きながら、「幸せ」を感ずるのはどちらだろうと考えました。
たぶん要求するツーリストではなく、感謝する巡礼者でしょう。
幸せは、自分の中にある。
巡礼は、そんなことも気づかせてくれるのでしょう。

サンティアゴへの道も四国遍路も、人をやさしくするインフラだという話も出ました。
鈴木さんは、巡礼に行くと生命力がチャージされるような気がするとも話されましたが、それもまたそこが生命力をチャージするインフラになっているのかもしれません。
そのインフラは、そこを歩く人やそこに住んでいる人が育てているわけですが、どうしてそういう場所だけが、人のやさしさを引きだし、生命力をチャージする場になっているのか。
言い換えれば、それ以外の場所、つまり私たちが日常生活を過ごしている場所はなぜそうではないのか、それは私たちの生き方につながっているはずです。

巡礼の途中では、さまざまな人とさりげなく出会うわけですが、それは同時にさまざまな人生や価値観に触れることでもあります。
ベルギーの女性と話していたら、その人が急に泣き出した。
自分は人から見たらとてもハッピーなのだろうが、何か充実感を感じられずにもやもやすることも多く、巡礼に来たのだそうです。
幸せそうに見えても、幸せを実感できない人は、たぶん少なくないでしょう。
これもまた、とても身近な話です。

夫婦で巡礼に来ているカップルの歩き方の話はとても興味深かったです。
たとえば、宿泊するところだけ一緒で、歩くのはそれぞれ自分のペースで別々に歩くとか、逆に一緒に歩くのだけれども、宿泊場所は別のところにするとか、いろんな歩き方があるようです。
これもなにも巡礼に限らず、日常生活にも活かせる知恵のような気がしました。

鈴木さんの話を聞きながら、こういうことをいろいろと考えていたのですが、書きだすときりがありません。
鈴木さんが次から次へと話したいことが出てきたように、私も次々と思いを馳せたくなって、私自身が感じたことはブログに追々書くことにします。

もちろん実際に巡礼に行くときのアドバイスなどの話もありましたが、もし巡礼やお遍路に出かける方は、鈴木さんにお尋ねになれば、いろいろと体験談を話し、アドバイスしてくれるはずです。
私にご連絡いただければ、鈴木さんのメールにつなげます。

(2018年2月第3週)
■命・地球・平和産業協会のビタミン和子さん(2018年2月20日)
■ぽんゆうミニ同窓会(2018年2月22日)
■東レのCI昔話(2018年2月23日)
■リンカーンクラブ研究会スタート(2018年2月23日)
■我孫子まちづくり編集会議が一歩前進(2018年2月24日)

■命・地球・平和産業協会のビタミン和子さん(2018年2月20日)
命・地球・平和産業協会のビタミン和子さんと4時間話し合いをしました。
新宿の自然食で有名な「みるくランド」で昼食をごちそうになりましたが、ビタミンさんの食べっぷりには感動しました。
それだけ活動しているということでしょう。
それから協会のオフィスに行って、お互いの活動の接点を探し合いました。
考え方には共通しているところはあるのですが、やはりどこかで少し違いがあります。
ビタミンさんのほうが、やはりまだ時代に合っているのでしょうし、有名人の支援者もいるようです。
私自身は組織の名前に「産業」とついているだけで、もうだめですが、ビタミンさんは素直に世の中を平和にできると思っています。
イラクの子ども支援のためにバレンタインに合わせて、有名人も名前を貸しているチョコレートキャンペーンにも協力していますが、そういうのは私が一番嫌悪する動きですが、ビタミンさんは善意に支援しています。
こういう善意の人を使って、私腹を肥やす、有名人や運動家が私には許せません。
いかに善意であろうとも、です。

その点では、いささか感情的に溝ができそうな気配もありましたが、それ以外の点ではしっかり共感しあえたような気がします。
私として何ができるかを考えるつもりです。

■ぽんゆうミニ同窓会(2018年2月22日)
昨日は、湯島で小学校時代のミニ同窓会をやりました。
最初はミニミニを考えていたのですが、少しずつ増えてしまい、結局11人が集まりました。
みんなそれぞれにドラマを生きてきていると思いました。

私たちは、卒業後、「ぽんゆう」という名前をつけて、ニューズレターのようなものをつくったり、毎月喫茶店でサロンをしたりしていたので、つながりは深いのです。
20歳前後の時には、毎年夏には1週間くらい霧ケ峰高原のようなところにロッジを借りて、時間がある人が止まりに行くというのもやっていました。
今日もその話が何人かから出ました。

今回の集まりをやったのは、一人が昨年病気になり、私のところに相談に来たのがきっかけです。
それで何人かに声をかけ、それが広がっていったわけです。
この年齢になると伴侶を亡くした人も何人かいましたし、独り暮らしの人もいました。
人生は実にさまざまですが、場の雰囲気の中で、自らの生活のことを語りだす人もいて、表面からは見えない苦労やドラマを背負っていることを、改めて知りました。

昨夜、「自分だけが苦労したと思って居ましたが 皆様頑張られているのを伺い 明日からは 楽しく頑張ろうと お話から力を頂きました」とメールをくれた人もいます。

参加者の一人は、埼玉県の小川町で有機農業の「霜里農園」をやっています。
彼女の伴侶はテレビや新聞などによく出てきているので、ご存知の方もあるかもしれません。
彼女は、いまなお、お金に依存しない百姓的な生き方をしています。
手塩にかけた野菜を売るのではなく、あげてしまうのです。
もらった人は、そのお返しに、時にはお金で、時には物で彼女に感謝するわけです。
そこにあるのは、金銭売買ではなく、感謝の交流であり、豊かさの共有です。

彼女が今回も、私にと言って、白菜やうどんなどを持ってきてくれました。
最近、白菜が高いのでわが家ではあんまり食べられませんが、久し振りにこれで鍋が食べられそうです。
そういえば、前回もいろいろと貰ったような気がしますが、まだ何もお返しできていません。
でもまあ、輪廻でまわっている世界ですから、お返しは急ぐこともありません。
いつかお返しできることもあるでしょう。

それにしても彼女の徹底的な脱金銭的な生き方には改めて感動します。
さすがに私も彼女ほどには徹底できません。
それで彼女に、一度、サロンをやってもらうことにしました。
日程を調整してご案内します。
楽しみにしてください。

集まりの写真がいまだ届かないので、彼女からもらった野菜などの写真を載せます。
みんなでいただいたイチゴは、前回もそうでしたが、絶品というか、他のところのイチゴとは比べ物になりません。
本当に美味しいものは、お金では買えないことがよくわかります。

なぜか帰り際に、みんなが私にお布施でしてくれました。
お布施暮らしは、たくさんの豊かさを恵んでくれます。

■東レのCI昔話(2018年2月23日)
若いデザイナーが東レで私が関わったCIの話を聞きたいとやってきました。
もう35年以上前の話です。
話しているうちにいろいろと思い出しました。
今度、改めて仲間と一緒に話に来たいという要望を受けました。

しかし面白かったのは、それ以外の話です。
今どきの若い世代の生き方は、実に魅力的です。

もうひとつ面白かったのは、自分が生きているいまの時代のことを考えたことがなかったが、ある人から言われて、いま終ろうとしている「近代」を学びたいというのです。
これはまたとんでもなく大きなテーマです。
そしてその入り口として、アレントの「全体主義の起源」を読み解き、それを図解化していきたいというのです。
その相手になってくれないかというわけです。
アレントにしろ、「全体主義の起源」にしろ、面白いし私も共感しますが、最初の教材としてはいかにも難解です。
さてさてどうなりますか。
先行き不安ですが、その動機やテキスト選びには共感します。

ちょっと面白いプロジェクトになるかもしれません。

■リンカーンクラブ研究会スタート(2018年2月23日)
日本の現実をもっと民主主義に近づけていこうという活動に取り組んでいるリンカーンクラブでは、目指すべき国家像、国家体制を議論していく研究会を立ち上げることになり、今日はそのプレミーティングでした。
月に1回、平日の午後に開催する予定です。
いずれも一家言持っているメンバーが集まったため、なかなか議論に入れないので、昔ながらのKJ法的アプローチで、みんなの関心事を整理しました。

次回から具体的な議論に入っていきますが、最初のテーマは「平和」が選ばれました。
国家は戦争をしていいのかというところから議論することになりました。
たぶん9条問題や自衛隊の位置付け、さらには米軍基地の問題などが話題になるでしょう。
ちなみに、戦争放棄は日本だけだと思っている人が多いですが、そんなことはありません。
1928年の不戦条約で戦争はそもそも禁止されていますし、国連憲章2条4項には、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と明記されています。
軍隊のない国などたくさんあります。
「国連憲章2条4項を、国内法でも裏書きしているのが、9条1項だと考えるべきだ」という人もいます(篠田英朗さん「ほんとうの憲法」ちくま新書)。

それはそれとして、しかし相変わらず、「戦争ができる普通の国家になろう」などという言葉が広く受け入れられているいまの状況を考えれば、このテーマから入ることで、国家のあり方が見えてくるかもしれません。



■我孫子まちづくり編集会議が一歩前進(2018年2月24日)
我孫子まちづくり編集会議準備委員会の第2回目の集まりでした。



参加者は8人。
ひとりはなんと生後5か月。
湯島のサロンでは1歳半の参加者がありましたが、記録が破られました。
できれば春にでも、「我孫子を舞台にこんなことをしたい」という呼びかけワークショップのようなものを実現したいですが、それに向けて、ゆっくりと、しかし、しっかりと意識を重ねていきたいと思います。
今回もいろいろと話が出ましたが、たとえば「ワークショップ」という言葉一つとっても、受け取り方が様々なことがわかりました。
違いを分かり合うことが、ゆるやかなネットワーク組織の出発点かもしれません。
そこで、毎月、開かれたスタイルでの、サロン型の場を持つことになりました。
そこをベースに、プロジェクト企画が生まれてくればと思います。
いずれにしろ、我孫子界隈を面白く豊かにしていきたいと、みんな思っています。
コアを育てながら、少し広げていければと思います。

(2018年2月第2週)
■降圧剤を再開しました(2018年2月13日)
■久しぶりの田中さんとの歓談(2018年2月14日)
■カフェサロン「半農生活と自分自身の人生経営計画」(2018年2月14日)
■ストーリーテリング(2018年2月16日)
■今年初の小宮山さんとの闘論(2018年2月16日)

■降圧剤を再開しました(2018年2月13日)
実はかなりの高血圧のようですが、薬を飲んでいませんでした。
薬の副作用が出たからでもありますが、血圧くらいは薬に頼らずとも低くできるだろうと思っていたのです。
それでこの4か月、ポリフェノール含有率の高いチョコレートを食べていました。
血圧を下げる効果があるのだそうです。
残念ながら、目立った成果を得られなかったようで、1週間ほど前からあんまり調子がよくありません。
それで自宅で血圧測定してみたら、なんと下が100を超え、上が200近くでした。
寒いので、機械の調子が悪いのではないかと思いましたが、3日続いてほぼその数値です。
その上、最近は肩こりもあります。
それで、いつも降圧剤を飲むように勧めてくれている遠藤クリニックに行ってきました。

遠藤さんは、数値を見て驚いて、めまいがしてもおかしくないよ、と私に言いました。
まあ、私の場合、いつも社会の状況にめまいがしていますので、気がつかなかったようです。
社会の揺らぎに比べれば、個人の心身のめまいなどたかが知れていますから。
まあそれでもこれまでめまいで2回ほど緊急病院に行った経験もあるので注意しないといけません。
帰宅してすぐに薬を飲みました。
さてどうなるでしょうか。

■久しぶりの田中さんとの歓談(2018年2月14日)
協同組合について詳しい田中さんが久しぶりに湯島に来ました。
最近お会いしていないので、どうしているかなと思ってメールしたら、3月に愛媛に転居するというのです。
それで急いで会うことにしました。
お元気そうでした。
愛媛は郷里だそうで、そこのある組織にスカウトされたようです。

愛媛に立つ前に湯島でサロンをやってもらおうかと思います。
日程が合えばいいのですが。
田中さんは、湯島でやっていた農福連携をテーマにしたアグリケアフェラインの命名者です。
何か一緒にやりたいなと思っていた矢先の転勤で、ちょっと残念ですが、これで縁が切れるわけではありません。

久しぶりの歓談は、気がついたら4時間でした。

■カフェサロン「半農生活と自分自身の人生経営計画」(2018年2月14日)
「都会人の暮らし+農業=半農半X」の生活を実践している菜園クラブの増山博康さん(野菜栽培のレッスンプロ)のサロンは、10人になりました。

参加者のほとんどは、農業にすでに関わりだしているか、関わりたいと思っている人でした。
増山さんご自身のライフストーリーから始まりました。
それが何しろいろいろですので、前半はいささか話がとっ散らかってしまい、農業につながっているようでつながっていない気もして、企画役としてはひやひやしましたが、後からそれが農業と関わる生き方なのだと、気がつきました。
翌日、参加者のひとりから、「農の話はおもしろい、とあらためて実感した2時間半でした」とメールが届きました。
自分の不明さを反省しました。

さて何を報告すればいいか、今回は悩みます。
農業政策や農地政策の話から、農家の人と付き合いの入り口は一升酒という話まで、ともかく広いのです。
専業農家と兼業農家、焼き畑の話。
マリアさんのような購買者の話。
産業としての農業と生業としての農業の話。
さらには種子の話や遺伝子組み換えの話まで出ました。
いやいやもっとめちゃくちゃなほど広がっていたような気もします。
そういえば、なぜか盛んに障害者の話が出てきて、青い芝の会の話まで出ました。
増山さんは、若いころ、そういう分野でもいろいろと活動していたからですが、農福連携という動きが広がっているように、農業は障害者問題と親和性が高いように思います。

増山さんは、「野菜をつくる」「野菜を購入する」「両者をつなぐ」という活動をしていますが、その3つの局面で、いろんな人と会い、いろんな体験をしています。
それは同時に、人の生き方や社会のあり方へのとても刺激的な示唆を与えてくれます。
増山さん自身は、そのど真ん中で、それらを一体として人生していますので、言葉で整理して伝えようとすると増山さんの意図とは違ったようなものになると思いますので、やめます。
増山さんの活動やお考えは、増山さんのホームページにとてもていねいに書かれていますので、それをお読みください。
http://www.saienclub.com/
一言だけ言えば、増山さんは全国に菜園コーディネーターを増やしていって、社会を豊かにしていきたいのです。
豊かといっても、金銭経済的な豊かさではありません。
増山さんのように、いつもにこにこして、明るい人生を広げたいのです。

ちなみに、増山さんは、「半農生活を始めよう」という本を出版しています。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#090920
この本もとてもわかりやすい本です。
増山さんは、野菜栽培の基礎を学ぶ理論セミナーと実習。さらには、農地の確保や農園運営などを応援する活動をされています。
菜園起業サロンもやっています。
関心のある人は、ぜひ増山さんのサイトを見て、増山さんにアクセスしてみてください。
増山さんも言っていましたが、ともかく体験が一番なのです。

■ストーリーメイキング(2018年2月16日)
ストーリーテリング協会のコアメンバーのミーティングをやりました。
みんなそれぞれに忙しいので、なかなか新しいプロジェクトを起こせません。
でも今回はちょっとだけ前進しました。
やはりフィールドなりクライアントが見えないとモチベーションが上がりませんが、その候補が少し見えてきたのです。
うまく動き出せるといいのですが。

■今年初の小宮山さんとの闘論(2018年2月16日)
コミーの小宮山さんとの「闘論」はお互いに疲れ切るほどの激しさと長さでした。
最初は最近コミーが出版した本をどう広げていくかという話から始まりましたが、次第に話が広がりました。
お互いに、他者の話を聞くよりも、自分の話をする方が好きなために、朱鷺度、お互いに、「まずはきちんと話を聞け」と相手をたしなめながら、次第にエスカレートしてしまうという、いつもの繰り返しです。
途中でこれはだめだ、理解してもらえないから、打ち切ろうと、何回か思いましたし、小宮山さんもきっと何回か思ったでしょう。
しかし、なぜか毎回、きれずに続きます。
理由は簡単で、お互いに話し疲れてしまうからです。
で最後は近くの居酒屋で食事をしました。
私はよく食べ、小宮山さんはよく飲みました。
それで最後はなかよくわかれました。
それにしても、激論するくらいなら会わなければいいのですが、そういう人ほど会いたくなるのが私の悪癖です。
困ったものです。

(2018年2月第1週)
■組織と個人の関係を考える研究会(2018年2月4日)
■1日遅れの墓参り(2018年2月5日)
■縁紡ぎカフェ開店(2018年2月7日)
■生きる意味を考えるサロン(2018年2月7日)
■巡礼と神道(2018年2月9日)
■リンカーンクラブ研究会を始めます(2018年2月9日)
■カフェサロン「モノづくり企業の経営を支えるカイゼン」(2018年2月10日)
■リンカーンクラブビデオ企画(2018年2月10日)

■組織と個人の関係を考える研究会(2018年2月4日)
杉本さんを中心にした「組織と個人の関係を考える研究会」も3回目です。
今回は、「企業形態の基本形」と「団体組織のコミュニケーション」がテーマでした。
それに関連して、アメリカの「コーポレート・ロー」で話題が出ました。
以前、このコーナーでも書いたことがありますが、アメリカの会社法の基本的なテキストです。
日本ではまだ翻訳がありません。
第2番の話があり、それが出たら翻訳出版を検討しよウブントゥと杉本さんから話を聞いていました。
その後、私自身がいろいろとあって、忘れてしまっていましたが、とても興味深いものです。

もう一度、翻訳出版のことを検討してみようということになりました。

ちなみにこの研究会では、団体を「パートナーシップ」と「社団」という捉え方で議論していますが、会社を軸に考えています。
歴史的に見れば、パートナーシップ型が古いのですが、いままたそれへの関心が高まっています。
中世への回帰に注目している水野和夫さんによれば、社団よりもパートナーシップがこれからの主役になるかもしれません。

研究会での話から、私自身の関心も広がってきています。
毎回、大学のゼミみたいで、刺激的です。

■1日遅れの墓参り(2018年2月5日)
誕生日を1日遅れて、妻の墓見舞いに行きました。

■縁紡ぎカフェ開店(2018年2月7日)
縁紡ぎカフェに関しては、前の記事をご参照ください。

開店初日のお客様はお2人でした。
有料なので一応、3種類のコーヒーを用意しましたが、最初のお客様がモカを選んだので、次の人もモカにしてもらいました。
残念ながら、理想的なお客様、つまり居場所や人のつながりに不安を持っている人とは縁遠い人でした。

売上高は1000円でした。
縁紡ぎ基金ボックスに早速入れました。
このペースだと自前の常設店をつくるまでに、30年くらいかかりそうです。

来客の一人が、近くに店じまいした喫茶店があることを教えてくれました。
どなたかお金の使い道に困っている人、一緒にそのお店を買い取りませんか。
私が提供できるのは、いまのところまだ基金の1000円と週1回の店主役しかないのですが、いかがでしょうか。

来月も開店します。
私の知らない人が来るといいのですが。

■生きる意味を考えるサロン(2018年2月7日)
「なぜ生きるのか」
このテーマでのサロンは、事前の申し込みはほとんどなかったのですが、私を含めて9人の参加がありました。
案内に書いた、モモさんからのメッセージを再掲します。
 生きているのが辛いことは皆さんあると思いますが、
 それでも生きていようと思う理由というか、
 (嫌でも)生きていかなきゃいけない理由みたいなことを、
 話し合うようなサロンを開いていただけたらな〜。
 できれば、もともと生きていたいと思える方より、
 生きていくのが辛い、死んだ方が楽だと思いつつ、
 それでも生きている方のお話、
 そのモチベーションみたいなものをお聞かせいただけたらと。
 または、昔は死にたかったけど今は死にたくなくなった方に、どのような流れでそう変わったのかをお尋ねしてみたいと思います。

このメッセージを受けて参加してくださった方も多かったと思います。
実は、お恥ずかしいのですが、呼びかけておきながら、私はこの「なぜ生きるのか」というテーマがあまり理解できていません。
なぜなら「生きる」ことに理由などあるわけがなく、もし理由をあげろと言われたら、いくつでもあげられると思っているからです。
ですから、私はあまり参加資格はないのですが、湯島のサロンは、どんな人でも参加できるのがルールなので、私も話し合いに参加させてもらいました。

最初は静かにスタートしましたが、それぞれの体験談が語られだし、それへの問いかけや意見が出されはじめ、次第に話し合いが深まって、終わる気配がないほどでした。
生きることがつらかったことの、さまざまな「物語」が語られました。
死ぬ勇気がないので、アルコール中毒になりたくて、飲みたくもないお酒を飲んで入院。
幼児体験の記憶から抜け出るための闘い。
喪失体験が引き金になった「うつ状況」の再発への不安。
2週間の断食で、生きかえった話。
学校生活が苦痛で抜け出た話が、生徒と先生からありました。
約束した時間にどうしてもたどりつけないので病院にも行けない。
その一方で、遅刻人生をつらぬいた人の話もありました。
成長段階で社会を生きていく「ルーティン」を身につけることの大切さ。
愛されることと愛することの人生における意味。
社会には太陽もあれば闇もある。
などなど、いろんな話が出て、誠実な話し合いが展開しました。
交流分析やアドラー、ロゴセラピーなどといった話も、少しだけ出ました。

いずれも自分の体験を踏まえた生々しい話なので、聞く人もまた自分の体験を踏まえて受け止めたでしょう。
ですから、ここに書いたことは私の狭い世界からの理解に過ぎません。
参加者は、私が書いた言葉とは別の、それぞれの受け止めをしているはずです。
私もたくさんの気づきをもらうとともに、自分の物語を安心して話せる場の大切さを改めて感じました。
私も体験したことですが、心の奥を話すことで、力をもらえることもあります。
そこで、このサロンをこれからも開催することにしました。
実は、今年は、「縁紡ぎカフェ」を毎月最初の水曜日の午後に開店することにしているのですが、その日の夜は、「生きる」をテーマにした「心を開くサロン」を開催することにしようと思います。

ところで、いろんな人の物語を聞きながら、おそれや不安のない人など、いるのだろうか、そして、おそれや不安のない人生は豊かなのだろうか、と私は思いました。
その私の問いに、参加者のみなさんは、ないほうがいいと答えました。
モモさんから見ると、私はおそれや不安のない元気な人に見えているようですが、そんなことはありません。
たくさんの悩ましい問題も抱えていますし、不安で夜、目が覚めることもあります。
しかし、私のような年齢になると、不安も希望も所詮は同じもののような気さえします。
太陽も闇も、同じように見えてくる。
そういう視点から考えると、ただただ思うのは、みんなそれぞれ思うように生きればいいのにということです。
悩みも不安も、すべてをそのまま受け入れればいい。
なぜそれが難しいのか。
そこに私の一番大きな関心があります。

ところで、今回のサロンは単に悩みや不安を開示しただけの集まりではありません。
そこから何か少しでも、社会を変えていくということも企図していましたが、それも今回少しだけ果たせたように思います。
人が集まれば、必ず動きが起こりだす。
そんなことも実感したサロンでした。

■巡礼と神道(2018年2月9日)
毎年、巡礼で2000キロを歩いている鈴木さんと日本の神道文化研究会の平井さんが湯島に来ました。
研究会の機関誌に、鈴木さんが寄稿したのですが、それをもってきてくれたのです。

今回は、主に神道の話になりました。
最近平井さんは、楽器考古学なるものに嵌っているようで、そこからいろんな話に発展しました。
平井さんは、いま、丹後の籠神社の歴史の整理に関わっているようです。
最初、籠神社と聞いた時にはピンとこなかったのですが、話しているうちに、だんだん思い出してきました。
最近はどうも固有名詞が記憶を引っ張り出すインデックスになっていなくなっているようです。

平井さんには、4月にサロンをしてもらう予定ですが、籠神社の話もいつかお聞きしたいと思い出しました。
神社はやはり歴史の宝庫です。

■リンカーンクラブ研究会を始めます(2018年2月9日)
リンカーンクラブの活動をどう活性化するかは、事務局長の課題の一つです。
しかし、これがなかなか難しい。
なにしろ代表と事務局長が、ちょっと仲が良すぎるので、曖昧なまま結局何も進まずに終わりがちなのです。
それではいけないので今年は少しきちんとしたいと思っています。

その活動の一つが、国体ビジョンを核にしたリンカーンクラブ研究会のスタートです。
きちんとプログラム化して、できれば年内に何か成果をだせるように研究会にしていくために、武田さんと相談しました。
まあ、あまり先のない2人なので、いささかの心配はありますが、形ができたら時々、公開スタイルもとれればと思っています。

■カフェサロン「モノづくり企業の経営を支えるカイゼン」(2018年2月10日)
残念ながら、最近の調査では、日本の企業の労働生産性は世界で20位、主要先進国7か国では最下位だそうです。
企業の現場を飛び回り、日本企業の「現場」の改善力の強さとそれが戦略につながる可能性を実感している柿内幸夫さん(柿内幸夫技術士事務所所長)は、その状況を変えていくことを自らの使命にしているように思います。
そして、難しい手法や理論よりも、誰でもできる「カイゼン活動」が、企業を変え、社会も変えていくと確信されているようです。
私は、その柿内さんの考え方と実践にとても共感しています。
なによりも、自ら汗をかいて実践している。
今回の企業サロンは、その柿内さんにお願いしました。
15人が参加しました。

柿内さんは、日本と欧米では仕事の進め方、従業員の位置づけに大きな違いがある、と言います。
日本のいいところもあれば、悪いところもある。
それをしっかりと踏まえて、企業に関わるみんなが、知恵と汗を出せば、日本の製造業が再び世界をリードできる時代を呼び寄せることができるはずだ。
どうしたらそれが実現できるか。
長年の活動から得た答は、みんなが自らの現場で、日々、改善に取り組むことです。
そのために、柿内さんは「チョコ案」制度を考え出しました。
ちょこっとした改善アイデアをみんなで実行して、それを簡単に用紙に書いて報告する仕組みが「チョコ案制度」です。
ポイントは、提案して採用されたら実行するのではなく、「実行して報告する」こと。そして、それを通して、みんなの「改善の心に火をつける」ことです。
興味のある方は、柿内さんの「ちょこっと改善」(経団連出版)をお読みください。
簡単な紹介は次のところにしています。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#160306

そういう柿内さんの実践とそこから得たメッセージを柿内さんは話してくれました。
私は、柿内さんの「ちょっとしたカイゼンが大きな変化を起こす」という発想に共感していますが、それは企業に限ったことではないことを改めて確信しました。
行政でもNPOでも、あるいは家庭でもグループでも、さらには個人としての生き方にだって、効果を発揮する考えです。
しかも、たぶんそれを実践すると、人生が楽しく豊かになる。
いささか大げさに聞こえるかもしれませんが、たぶん長年実践してきている柿内さんには賛成してもらえるような気がします。
今回も、福祉に関わっている人が自分の活動につなげて発言してくれましたし、自分の生き方につなげて考えていた人もいると思います。
自分の生き方が社会を変えていくと思っている私も、柿内さんの話からたくさんの気づきをもらいました。

話し合いで出た話題も紹介したいものがたくさんあるのですが、書きだすときりがありません。
しかし、聞いていて、感じたのは、みんなの発言に通底しているのは「人間が主役」ということです。
みんなそれにきづいているのに、なぜなかなかそれができない。
義務とか制度とか、そんなことに縛られてしまう。

ひとつだけ、いささか刺激的な問題提起があったので紹介します。
それは「現場」という言葉です。
私の生活信条は「解決の鍵は現場」ですので、今回のサロンでもかなり現場という言葉を使ったような気がします。
ところが、私から見ると、とても現場を大切にしている方が、現場という言葉は、現場を一段下に見た差別用語のような気がすると発言されました。
思ってもいなかったことですが、たしかにそういわれるとそんな気もします。
その人は、「現場」よりも「第一線」という言葉を使っているそうです。
考えは同じなのですが、人によって、言葉の持つ意味は多様です。
こんなことに気づかされるのも、サロンの魅力です。

時間もだいぶ延ばしましたが、やはり話し合いすることができないテーマも多かったです。
湯島のサロンは、みんなよく話すので、2時間ではいつも足りません。
これをどう解決するかも、サロンの課題の一つです。

ところで、参加者のお一人から、後でメールをもらいました。

柿内さんの語り方や「それは考えていなかった。とても嬉しい」というような話なされ方は人の心を穏やかにし、素直にさせる素晴らしいスキルで、私も学びたいと思います。

私も、そう感じていました。
自分の考えを相対化し、他者の意見に新鮮な思いで学ぶという柿内さんの姿勢に、サロンの運営者としても大きく学ぶことがありました。
今年の私の課題にします。

■リンカーンクラブビデオ企画(2018年2月10日)
リンカーンクラブ活動の一つとして、武田代表の構想をわかりやすく伝えるためのビデオを作成することを検討しています。
幸いに近藤さんが時間の合間を見て、取り組んでくれるというので、武田さんと近藤さんとわつぃとで進め方を話し合いました。
3月中には完成して公開する予定です。

(2018年1月第5週)
■コミーQiセンター訪問(2018年1月30日)
■成年後見制度サロンをやることにしました(2018年1月30日)
■スーパーブルーブラッドムーン(2018年1月31日)
■「ほんとうの憲法」を読みました(2018年2月1日)
■また雪です(2018年2月1日)
■孫の出張豆まき(2018年2月3日)

■コミーQiセンター訪問(2018年1月30日)
今年初めてコミーを訪問しました。
昨年完成したQiセンターが気になっていたのですが、そこを見せてもらいました。
この場所を上手く活用したら、きっと面白いことができると思うのですが、外部からではなかなか関わることはできません。
なにか役立てることがあればいいのですが。

■成年後見制度サロンをやることにしました(2018年1月30日)
成年後見制度の入門的なサロンをやることにしました。
といっても、もちろんセミナーとか説明会ではありません。
サロンですから話し合いです。
問題提起にコレカラ・サポートの千葉さんにお願いすることにいたのですが、その打ち合わせをさせてもらいました。
後半は千葉さんの生き方や活動の話になりました。
いろいろな気付きをまたもらいました。

■スーパーブルーブラッドムーン(2018年1月31日)
今夜は、スーパーブルーブラッドムーンの皆既月食でした。
その長い名前が何を意味するのか詳しくは知りませんが、赤銅色の月の皆既月食がみられました。
しかし寒い夜、外に出ていたので、また体調がおかしくなりそうです。
皆既月食モチベーション感動的でしたが、星もとてもきれいな夜空でした。

■「ほんとうの憲法」を読みました(2018年2月1日)
寒さを理由に在宅して本を読みました。
「本当の憲法」という新書です。
日本の憲法学への厳しい批判です。
著者の篠田英朗さんは、国際関係論が専門です。
非常に刺激的な内容で、私自身の考えを変えさせられました。
やはり私自身が、日本の憲法学に違和感を持ちながらも、その呪縛の中に閉じ込められていたようです。
これまでの考えをかなりかえないといけないので、いささか頭が混乱していますが、今まで何かモヤモヤしていたことがすっきりしました。

■また雪です(2018年2月1日)
先週の雪はかなり積もりましたが、また雪になりました。
今回はうっすらと積もっただけでしたが、寒さは先週よりも厳しい気がしました。
当分寒さが続きそうです。
インフルエンザも流行っていて、友人知人にも広がっています。
それを理由に今週はかなりゆっくりさせてもらいましたが、何か充実感のない1週間でした。
人は仕事をやっていないとやはり何か充実感が味わえないものです。

■孫の出張豆まき(2018年2月3日)
今日は節分です。
ユカと2人での豆まきも、いささか気恥ずかしいので、今年は豆まきはやめようかと思っていたのですが、それを見透かされたように、じゅん母娘が、出張豆まきにやってきました。
おかげで、わが家の豆まき文化は断絶せずにすみました。
ただし、「福は内、鬼は外」の豆まきです。
私にはいささか不満ですが、これには異をとらえられませんでした。

ちなみに、わが家の豆まきは、ずっと「鬼は内、福も内」でした。
とりわけ今日のように寒い日には、追いだすような掛け声はわが家向きではありません。
しかし、孫はそんなややこしいことなど分かるはずもなく、豆を外にそっと投げていました。
それから室内にいる3人の鬼たち(お面ですが)に、豆を分配していました。

それを見ていて、ハッと気づいたのですが、豆を外にばらまくのは、もしかしたら「私財を困った人に、恩着せがましくではなく、わざとぞんざいに「もらってもらう」という行為」だったのではないかという気がしました。
いわゆるポトラッチの一種です。
そう考えるとすっきりします。
孫から教えられました。
私も、ホームレス支援のグループにささやかな豆を送ることにしました。

(2018年1月第4週)
■我孫子の新しいネットワークづくり(2018年1月21日)
■第2回「茶色の朝」オープニングサロン(2018年1月24日)
■リンカーンクラブ学習型サロン(2018年1月27日)
■リンカーンクラブ新年会(2018年1月27日)

■我孫子の新しいネットワークづくり(2018年1月21日)
一昨年取り組みだした「まちづくり編集会議ネットワーク」構想ですが、まずはメンバーそれぞれが具体的な実践に取り組もうという形で、取り組みの方針を変えたのですが、実際に自分で取り組んでみると、そう簡単には進みません。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_pri…/…/post-9b4c.html
でもこの1年で、いくつかのところに小さな種をまいてきました。
地元でも取り組んでいましたが、この2年の体験から、まちづくりの思想を変えないといけないと痛感しています。
その第一歩として、昨日、わが家に何人かが集まりました。
宮内さん、有野さん、林さん、それに新たに水野さん、小竹さん、鈴木さんが加わりました。
それぞれの自己紹介的関心事の紹介で、予定の時間が終わってしまいましたが、最後に「まちづくり編集会議」理念のようなものを少しだけ話させてもらい、イベントの提案をさせてもらいました。
春には、キックオフイベントができればいいなと思っています。
地域は、我孫子界隈と考えていますので、界隈の人で関心のある人はご連絡ください。
先行きどうなるかはわかりませんが、急いで組織化するのではなく、当面は緩やかなネットワーク、それもリゾーミック型のつながりを志向したいと思っています。
また行政的な地域に閉じられることは避けたいので、近隣の方も歓迎です。
「まちづくり編集会議」の主旨につながる活動をしている人たちのゆるやかなネットワーク活動も、並行的にまた活動していければと思っています。

■第2回「茶色の朝」オープニングサロン(2018年1月24日)
第2回目の「茶色の朝」サロンには寒い中を12人の参加者がありました。
男女半々でした。
今回は少しだけですが、生活につながるような話もいくつか出ました。
ただやはり時間の関係もあって、話し合いになるところまで行きませんでした。
話し合いは、やはり何回かつづけていかないと難しそうです。

今回は最初に、参加者のおひとりが、この寓話から感じた3つのことを整理して話してくれました。
「2つのおそれ」「作者からのメッセージ」「物語のその後」です。
彼女は、警告だけではなく希望を感じたと言います。
しかし、そのためには、「わたし」をしっかり取り戻せって言っている、と感じたそうです。

せっかく整理してくれたので、ここから議論する方法もあったのですが、今回もまだオープニングサロンですので、ともかく全員それぞれに感想を話してもらいました。
いろいろと示唆に富む気づきが語られました。

ある人は、子どもでつながっている母親仲間とは、政治がらみの話はしにくいし、なにか行動を起こして目立つのも勇気がいるというような話をしてくれました。
今回も、どうして戦争を食い止められなかったのだろうかと自分の親に問いかけた話を複数の方がしてくれました。
前回と違ったのは、今回お話された方たちは、自分が子どもたちに同じ思いをさせないように行動している、あるいは行動しようと思っているということでした。

すでにさまざまな活動を長年されている女性の方も参加してくれました。
彼女も、こういう話し合いのサロン活動を7年もしてきたが、なかなか流れは変わらない。
もっと大きな構想を踏まえて、具体的な目標に向かって行動しないといけないと思い出していると話しました。
口だけではなく、彼女は実際にさまざまな取り組みを実践しています。
しかし、私自身は、むしろ迂遠なようでも、一人ひとりの意識が変わっていくような、こういうサロンが大切だという思いを、ますます強めています。
いろんな活動や取り組みがあることが大切ですし。

教育が大切だという人もいました。自分が学んだ教科書と子ども使っている教科書の違いを紹介してくれた人もいます。
これはできれば、サロンで取り上げたいテーマです。

まだいろんな話が出ましたが、実は私が前夜、あまり寝ていなくて、いささか頭がダウンしていて、話し合いの内容をまだ思い出せません。
参加者のみなさん、どなたか気が向いたら補足してください。

みなさんの感想が一巡した後で、参加者のみなさんに、日本は現在どんな状況だと思っているかお訊きしたところ、まだ半数の方は、「茶色の社会」への懸念を感じだしているような感じでした。
もちろん朝を過ぎた、もう行くところに来ているというような思いを持っている人もいました。
私自身は、もう日本の社会は「茶色」に埋め尽くされつつあると考えています。
もっとも私が考える「茶色」は、ファシズムを象徴する茶色でもありますが、そのもっと根本にある茶色、「金銭」です。
これに関しては、また改めて話し合えればと思います。

最後に、政治問題どころではなく、今日をどう生きようかと一生けんめいに自分と闘っている人が、遅れて参加してきました。
彼女は、こういう場に出てくるだけでも大変なのです。
たまたま心理カウンセラーの参加者がいたので、いつの間にかその2人の話になってしまいました。
横道に外れすぎではないかと思われた方もいたと思いますが、進行役の特権で、少し流れに任せました。
問題提起した若い女性のような人とは接点のなかった人もいたかもしれません。
しかし、「政治などに気を向ける余裕がないほど」生きにくい状況を生きている人もいるのです。
そういう人のことを知ることも、私は大切な「政治活動」だと思っています。
湯島のサロンは、そういう横道体験が、偶発することに一つの異議があります。
さすがに途中で、その話は終わらせてもらいましたが、その2人を主役にした、「生きる意味を考える」サロンを2月7日5時から8時の予定で開催することにしました。

■リンカーンクラブ学習型サロン(2018年1月27日)
「究極的民主主義」をテーマにした連続学習型サロンをスタートしました。
テキストは武田さんの『無党派市民の究極的民主主義宣言』。
今回は、その第一部を話し合いました。

まずは、『「究極的民主主義宣言」の概念の共有化から始めました。
しかし、概念の共有化でさえ、みんなからさまざまな意見が出ました。
言葉で定義したとしても、その意味解釈においては、どうしても多義性が残ります。
そのため、「学習型」というよりも、「討議型」になりそうな気配でしたが、まあ、お互いの理解の「多様性」を実感できることに意義を置くことにしました。
それに、言葉だけのやり取りでは、自らの思考には至りにくいですから。

結論として、議論の起点としての「究極的民主主義」が目指す政治制度を、「すべての主権者は自分が希望したときには、すべての政治課題についての賛否を表明することができ、その決定に関与できる政治制度」と定義することにしました。
厳密に言えば、主権者とは何か、決定に関与できるとはどういうことかなど、議論はありますが、少なくとも、議会民主主義の下における主権の信託制度とは別次元の制度です。
そのため、「議会制代議政治」は「民主主義」かどうかという議論もありましたが、「議会制民主主義は民主主義にあらず」という表現は正確ではなく、むしろ、議会制政治も直接デモクラシーも、そのいいところを取り込んで、民主主義の理念を極限まで近づけるための政治制度を考えていくことが大切だということで合意ができたと思います。

しかし、日本語の民主主義には、「イズムとしての民主主義」と「統治制度としてのデモクラシー(大衆の支配)」という次元の違う意味が含まれているので、議論が混乱しがちなのです。
その点での合意は少し時間がかかりそうなので、まずはもう少し先に、改めて話し合うことになりました。

今回の該当部分のテキスト第2章は「選挙をすれば民主主義ですか」というタイトルなのですが、選挙制度に関して話し出すとどうも各論的な話か理念的な話になってしまうので、次回のテーマにしました。
究極的民主主義が実現できる選挙制度を具体的に考えることで、改めて「究極的民主主義」とは何か、という理解が深まるだろうと思います。

話していると、同じ言葉を使っていても、その意味内容は違っていることもありますが、話し合っているうちに、その違いが可視化されるとともに、新しい気付きが得られる。
これが、今回の「学習型」の意味です。
なにかを学ぶだけではなく、学びながら新しいものを創り上げていくことに、これから挑戦していければと思っています。

こう書いてしまうと難しい知識がないと話し合いができないように思われるかもしれませんが、むしろ白紙の状況で、新しい考えや提案に触れることで、自らの考えを確認し、豊かにしていくという意味での「学習」でもありますので、ぜひ気楽にご参加ください。

次回は、2月17日(土曜日)の午後2時からを予定しています。
今回参加されなかった方にも、最初に要点を整理したうえで話し合いを始めますので、今回参加できなかった方も、ご関心があれば次回からご参加ください。
参加される方には、あらかじめテキストをお届けできるようにしたいと思っています。

今回はリンカーンクラブのサロンやフォーラムに参加したことのない母親の方も参加してくださいました。
女性の方が参加してくれると、話し合いの幅が広がります。
女性のみなさんの参加を事務局としては期待しています。

今回の参加者は10人でした。

■リンカーンクラブ新年会(2018年1月27日)
リンカーンクラブの集まりの常連たち7人で、近くの居酒屋で新年会をやりました。
実に個性的なメンバーです。
いずれも自分をしっかりと生きている人たちですので、社会の主流とは思えませんが、こういう生き方もできるのだという見本のような人たちの集まりのような気がします。
男性ばかりなのがちょっと残念ですが、今年はリンカーンクラブももう少し前に動かせられないかと思います。
それにしても不思議なメンバーです。

写真を撮るのを忘れてしまいました。
そんなことなどにはまったく関心のないメンバーなのです。

(2018年1月第3週)
■弁護士問題と成年後見制度(2018年1月14日)
■「音のない記憶」が復刊されました(2018年1月16日)
■センター試験への挑戦(2018年1月17日)
■縁紡ぎサロン構想検討会(2018年1月18日)
■福永さんと中村さんとも会食(2018年1月20日)
■カフェサロン「病院の歴史から日本の医療を考える」(2018年1月20日)
■医療シリーズの学習研究会企画(2018年1月20日)

■弁護士問題と成年後見制度(2018年1月14日)
今日は成年後見制度の被害に合った人が新たに参加しました。
私の友人もそうした被害に合って大変な苦労をしましたが、この制度はかなりの欠陥商品ではないかと私も思っています。
それを知っているはずの関係者も、あまり声をあげません。
むしろそうしたことに寄生する人たちが増えているような気がします。

福祉の市場化には大きな危惧を20年前から持っていましたが、それがどんどん現実化しているような気がしてなりません。
私は、この問題はこれまでは見過ごしてきていましたが、正面からこの問題に取り組んでいる人に会ってしまうと、もうスルーはできません。
知ってしまった者の責任が発生するからです。
少なくとも、現実を多くの人に知らせていくことには協力したいと思います。

またひとつ課題を背負い込んでしまいました。
日本の司法は、前近代に戻っているような気がしてなりません。
それにしても、昨日、茶色の朝のサロンをやったばかりですが、翌日にこうしたおそろしい話に出合うとは、偶然とは言えないような気がします。

本当に疲れます。
まず高齢者は認知症で監視対象になり、その対象が次第に広がって、そのうち全国民が監視対象になるのではないかという恐ろしさを感じます。

■「音のない記憶」が復刊されました(2018年1月16日)
黒岩比佐子さんの「音のない記憶」が復刊されました。
コミーという会社の社会活動の一環としての復刊です。

この本にはいろんな思い出があります。
この本の出版を引き受けてくれる出版社が見つからずに、黒岩さんは苦戦していたのですが、湯島のサロン仲間の藤原さんが見つけてきてくれました。
そしてこの本が出版されてからの黒岩さんの活躍は、一挙に広がっていったのです。
その広がり方は、驚くほどでした。

黒岩さんの著作はいろいろとありますが、私はこの本が一番好きです。
出版元が決まらないで、苦労していた黒岩さんの様子と重なっているからです。
その頃は、黒岩さんは湯島のサロンの常連でした。

■センター試験への挑戦(2018年1月17日)
今日は寒いので自宅に閉じこもっていたのですが、新聞に載っていた共通一次試験にトライしてみることにしました。
まず世界史に取り組みましたが、問題を一見して、もうだめだと即断できました。
理由は字が小さくて、虫眼鏡で読まないといけないことです。
それで、2問でやめてしまいました。
3年ほど前に挑戦した時は、なんとか読めましたが、今回はダメでした。
拡大コピーして、また改めて挑戦の予定です。

問題の設計の方法は、3年前と基本的には同じような気がしますが、なんでこんなややこしいきき方をするのかと思います。
ムーミンが話題になっていますが、なんだか問題作成者のための問題ではないかという気もします。
もっと素直に聞けばいいだけの話です。

会社に入った翌年、配属されていた工場で工場採用の大卒女子のための入試問題をつくるように言われました。
とんでもない説明問題を起案しましたが、なぜか採用されました。
今にして思えば、不適切な問題だったのかもしれません。
たとえば、「ミケランジェロ・アントニオーニについて説明せよ」というようなものも入れました。
私が大学生の頃、はまっていた映画の監督です。
翌年は頼まれませんでした。
入試問題を作成する人は、奇をてらわずに、素直におお堂の質問をすべきだろうと思います。
いささかの反省を込めて。

■縁紡ぎサロン構想検討会(2018年1月18日)
ブログに書きましたが、縁を得られずに、孤独の中で最後をむけある不安に人が増えているという話を読んで、だれもが気楽に立ち寄れる場づくに取り組もうと決断しました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2018/01/post-9602.html
できれば広げていきたいと思い、フェイスブックに書いたら、4人の人が手をあげてくれました。
それで、まずはプレミーティングとして、湯島でミーティングを持ちました。
何かがはじまるかもしれません。
私はとりあえず、告知した通り、しばらくは毎月、最初の水曜日の11時から4時ころまで湯島で誰でも歓迎のカフェを開くことにしました。
最初はたぶん誰も来ないでしょうが、しばらくは続けようと思います。

■福永さんと中村さんとも会食(2018年1月20日)
「日本病院史」の著者の福永さんと出版社の中村さんと食事をしました。
これが実に面白い話ばかりでした。

福永さんのがん治療の話から始まって、いろんな話に広がったのですが、おふたりとも極めて陽性の方なので、話していて実に楽しいのです。
それにふたりとも裏も表もないばかりか、いたってシンプルなのです。
福永さんとは初対面でしたが、なんとなく昔からの知己のような気がしました。

ご馳走する予定が、中村さんにご馳走されてしまいました。
貧乏だとみんながご馳走してくれますが、喜ぶべきか嘆くべきかわかりませんが、お金はみんなのものと思っているので、あまり負担感もないのです。
いやはや困ったものですが。

■カフェサロン「病院の歴史から日本の医療を考える」(2018年1月20日)
16人の参加者があり、最近では一番長いロングランのサロンになりました。
それでも残念ながら、話し手にとっても聞き手にとっても、時間不足だったと思います。

話題提供者の福永さんは、著書の「日本病院史」のダイジェスト版の小冊子(なんと51頁)まで用意して下さり、そのエッセンスを話してくださいました。
最初に総論的な話をしていただき、それを踏まえて参加者の関心事を出してもらいました。
テーマがテーマだけに論点も多く、福永さんは大変だったと思いますが、参加者の関心に重点をおいた通史を話してくださった後、今の医療やこれからの医療が抱える問題、たとえば病床数の削減や地域医療構想、地域包括ケアシステムなどについて、いくつかの論点を出してくださいました。
話の内容や話し合いのやりとりは、とても要約できませんが、ぜひ福永さんの著書「日本病院史」(ピラールプレス社)をお読みください。
いろんな気付きをもらえるはずです。

ちなみに、福永さんの通史の紹介で印象的だったのは、単なる文献調査だけではなく、関連した場所を福永さんは実際に歩いて、いろんなことを気づき、発見されています。
写真なども見せてもらいながら、その話を聞かせてくださいましたが、それが実に面白かったです。

いつものように、私の主観的な報告を少しだけ書きます。

最初の総論の話は、とても示唆に富んでいました。
たとえば、江戸時代までの日本の医療は基本的に往診スタイルであり、病院ができたのはたかだか156年前というお話がありました。
医療のあり方、病気との付き合い方に関する根本的な考え方が、そこにあるように思います。

福永さんは、日本に西洋医学を紹介したオランダは、日本に「病院」を教えなかったと話されましたが、これはとても興味深いことでした。
教えなかったこともありますが、当時の日本人は、そういう発想がなかったのかもしれません。

日本最初の本格的西洋式病院は幕府が創立した「養生所」だという話も、私には興味深い話です。
私は、なぜ「ホスピタル」を「病院」と訳したのかにずっと違和感を持っているのですが、養生の思想と医療の思想は、まったく違うのではないかと思います。
つまり、病気観や治療観が違うような気がします。
日本の病院は外来と入院のハイブリッド型に特徴があるという話も、これにつながっているような気がします。

明治以降の近代病院に宗教の基盤・背景が薄いという福永さんの話も、私にはとても重要な意味があると思いました。
日本では宗教というと教団宗教と受け取られますが、宗教を人が生きる意味での精神的な拠りどころと捉えると、それはまさに健康や病につながっていきます。
日本は、世界的にみても、精神医療の隔離傾向が強いように思いますが、これもこのことと無縁ではない気がします。
私には、これは、これからの医療を考える上で、とても大切なポイントだと思えます。

日本の病院数は民間病院が多いこと、にもかかわらず、国家による規制があって、病院の病床増床を病院が自由に決定できないなど、経営の自由度が少ないことも、日本における医療政策の基本にかかわることです。
この辺りも、ていねいに本書を読むといろいろと気づかされることは多いです。
今回のサロンでは、そのあたりを深掘りすることはできませんでしたが、いつかテーマに取り上げたいと思っています。

地域包括ケアシステムに関する話も、とても示唆に富むものでした。
福永さんは、医療での「地域」という言葉には注意しなければいけないと話してくれました。
そして、「地域」は地理的な「場所」(ローカルやリージョナル)ではなく、(人のつながりを軸にした)「コミュニティ」を指していると考えると、地域医療を進めて行くときの概念が明解になると話してくれました。
とても共感できます。
地域は、統治概念ではなく、生活概念で捉える必要があると私も思っています。
そして、豊川市の事例も踏まえながら、地域包括ケアシステムの話をしてくれました。
関連して、参加者から「我が事・丸ごと地域共生社会」構想の話も出ましたが、ここでもだれが主役になるかで全く違ったものになる可能性があります。

他にも紹介したい話はいくつもありますが、ぜひ「日本病院史」をお読みください。

案内でも書きましたが、病院や医療を通して、社会のさまざまな問題、が見えてきます。そしてそれは、私たち一人ひとりの生き方の問題にもつながってきます。
参加者のひとりが、結局、私たち一人ひとりが最後をどう迎えるかという看取りの問題につながっていると発言されました。
私もそう思いますが、まだまだ医療を受動的に捉えている人が多いように思います。

最後に、私も一言、中途半端な話をさせてもらいました。
コミュニティや地域社会の大切さが言われだしているが、それらは「どこかにある」のではなく、「自分の生き方で創りだしていく」ものだと考えることが大切ではないか。

話し合いで異論がぶつかりあった点もありますが、医療問題はやはり言葉の応酬ではなく、問題をしっかりと理解していくために、総論を踏まえて、自分事を踏まえて、個別テーマごとに連続で話し合う場を持たないといけないと改めて感じました。
そういうことができるように、少し考えてみたいと思います。

■医療シリーズの学習研究会企画(2018年1月20日)
今回はテーマが大きかったことも会って、話し合いの時間が足りなかったからか、終了後も何人かが残って話し合いをつづけました。
そこで、近藤さんから、もう少し時間を取って、医療の問題を取り上げて映像にしたらどうかという提案がありました。
医療だけではなく、政治についてもです。
というのも、私がやった昨年末の「統治から協治へ」のサロンは、凝縮しすぎで、伝わらないと言われました。

私は最近、話しておきたいという思いがあるのですが、その一方で、伝わることへの期待はほぼ皆無なのです。
それでも年に1回は話しておかないといけないなどと思い込んでいるのですが、」
伝えようという意識がありません。
それを近藤さんは見透かしてしまっているのでしょうか。

医療関係は、医療制度研究会の本田さん、政治関係はリンカーンクラブの武田さんを軸にして、少し考えてみようと思います。

(2018年1月第2週)
■組織と個人の関係の研究会(2018年1月7日)
■ほっとスマイルプロジェクト交流会(2018年1月9日)
■成田山初詣(2018年1月12日)
■「茶色の朝」サロンがはじまりました(2018年1月13日)

■組織と個人の関係の研究会(2018年1月7日)
杉本さんを中心とした「組織と個人の関係の研究会」の第2回目。
今回は、明治28年の「第108回法典調査会議事速記録」を読み下し文で提供してもらいました。
歴史から気づかされることは少なくありません。
ところで、私も含めてですが、自論を持ったメンバーばかりなので、話し出すと止まらなくて、なかなか前に進みません。
今回は、私がいささか議論を乱して、迷惑を書かてしまいました。
研究会とは勉強会ではなく、異論をぶつけ合う場ですので、論争好きに私には、横道のほうが面白いのですが、それでは前に進まないので次回からは自重しなければいけません。

■ほっとスマイルプロジェクト交流会(2018年1月9日)
ほっとスマイルプロジェクトは当面は、認知症予防ゲームなどを実践している人たちの交流会として活動していくことになりました。
その2回目の交流会です。
今回は、メンバーの一人の実践例を紹介してもらいました。
実践者でない者が、実践者の話し合いを聴いているのは、面白いですが、いささか欲求不満にもなりかねません。
それなら、実践者になる環境参加をやめればいいだけなのですが、いずれもできずに迷っています。

話し合いの中で、最近、みんな笑うことが少なくなったという話題が出ました。
私もそう思っていますが、ふと、昔はみんなそんなに笑っていたかなあという思いが浮かんできました。
そもそもこのプロジェクトは、笑いを社会に広げていこうというのが立ち上げた主旨なのですが、笑いを広げるよりも、怒りを広げるべきではないかと、つい思ってしまったのです。
まあそんなことを言うと、実も蓋もなく、除名されかねないので、発言は差し控えてしまいました。
きちんとした報告は、ほっとスマイルプロジェクトのページでアップされますが、もっと仲間を広げようということになりました。
関心のある方は、一度、遊びに来てください。

■成田山初詣(2018年1月12日)
娘と成田山に初詣に行きました。
そろそろ空いているだろうと思ったからです。
まあすいてはいましたが、にぎわってはいました。
年に1回程度は来ていますが、来るたびに新しい建物が増えていたり、整備されたりしています。
今回は薬師が祀られた醫王殿が完成していました。
成田山の薬師如来をはじめて拝ませてもらいました。

本堂での護摩祈祷にも参加しました。
祈祷の中で、それなりに大きなお布施をした会社の名前などを読み上げるのはいかにもという感もしますが、あの雰囲気はいいものです。

いつものように、川豊でうなぎを食べました。
ちょっと味が変わったような気がしました。
相変わらずすごい混雑でした。

■第1回「茶色の朝」サロンの報告(2018年1月13日)
20年前にフランスで出版されて「反ファシズムの寓話」と話題になった「茶色の朝」を読んで話し合う「茶色の朝」サロンの第1回目を開催しました。
予想をはるかに超えて、16人の人が集まりました。

「茶色の朝」の話は、「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。
おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく、そんな話です
日本もそうなってきていないか、もしそうであればどうしたらいいかというのが、このサロンを始めた理由です。

サロンでは、まず各自から「茶色の朝」を読んでの感想を話し合いました。
立場によって、かなり感想が違う気がしたのと、まだ日本では「茶色の朝」への不安は、現実化していないのではないかという気がしました。
具体的な「おかしな体験や不安」がもっと出てくると思っていたのですが、あまりなかったのが意外でした。

女性の方から、自分の母親(なぜか父親ではなく母親でした)に、どうして戦争なんかしたのかと質問したことがある、という話がありました。
その答えは、わからないうちに戦争になっていたというようなことだったそうです。
1946年に書かれた映画監督の伊丹万作さんの文章を思い出しました。
「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみなロを揃えてだまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。」
まさに、それへの警告が「茶色の朝」の話だと思いますが、ある方が話したように、「ゆでガエル現象」が進んでいるのかもしれません。

子どもや家族のために、おかしなことへの異議や周囲とは違う異論もなかなか言えずに押さえてきたこともあるというような女性の発言もありました。
こう言う話はよく聞きます。
これもまた、「茶色の朝」と同じ思考に陥っているのかもしれません。
ちなみに、その方は今は自分の意見を言う生き方に変わっているようです。

海外生活が長かった男性の方が、数年前に日本に戻ってきたが、あまり「茶色の朝」のような状況は感じられないと話されました。
しかし、参加者の多くは、むしろなんとなく「茶色の朝」への懸念をお持ちの様でした。
でもそれがどうも形として見えていないのもまた事実のようです。

政治とは何かの話もちょっとだけ出ました。
「茶色の朝」は2つの政治を語っていると私は思っています。
これはこれからのサロンの中で少しずつ掘り下げたいテーマです。

最後に私から「ニーメラーの教訓」と稲垣えみ子さんが2年ほど前に朝日新聞に書いた「日常の生活が政治につながっている」という記事を紹介させてもらいました。
ニーメラーのことを知っている人が少なかったのは、私には衝撃的でした。

今回は予想以上に参加者が多かったこともあり、感想の紹介で終わってしまいました。
そこから、それぞれが感じている「ちょっとおかしいこと」や「気になること」をだしあってもらう予定でしたが、そこまでたどり着きませんでした。
そこで次回は、それをメインにサロンを開きたいと思います。
今回参加された方も、参加されなかった方も、ぜひご参加ください。

「茶色の朝」現象は、気づかないうちに私たちを虜にします。
ですから、できるだけたくさんの目と頭と感覚で話し合わなければいけません。
「気づかないうちに戦争がはじまっていた」というようなことを子どもたちや孫たちに言いたくはありません。

ちなみに、「茶色の朝」ですが、著者も訳者も、同書に関しての印税権を放棄し、ネットで公開しています。
次のサイトから本文をダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

(2018年1月第1週)

今年も何もしないお正月でした。
■初日の出(2018年1月1日)
■初詣は子の神様(2018年1月1日)
■久しぶりのショッピングモール(2018年1月2日)
■新年オープンカフェ(2018年1月4日)
■はじめての「重ね煮」(2018年1月6日)

■初日の出(2018年1月1日)
今年の初日の出はとてもきれいでした。
今年はひとりで屋上から眺めていました。
その後、年のはじめの思いを少しだけ書きました。

■初詣は子の神様(2018年1月1日)
いつものように初詣は、みんなで子の神様に行きました。
いつもよりも人が少なかったような気がしました。

■久しぶりのショッピングモール(2018年1月2日)
めずらしく、というか、10年以上ぶりに正月のショッピングモールに出かけました。
昔のバブル時代の雰囲気が少しありました。
食事だけして帰ってきました。

■新年オープンカフェ(2018年1月4日)
新年オープンカフェを開催しました。
昨年は3日に開催しましたが、4日であれば、仕事始めの人も午後は休みではないかと思って、4日にしましたが、最近は仕事始めの日もフルに働くので、参加できないと言われました。
どうも私の認識は、時代から取り残されているようです。
それでも10人の人が立ち寄ってくれました。

4時間の長丁場のサロンでしたので(出入り自由なので入れ替わりはありました)、参加者の自己紹介からいろんな話題が出ました。
思い出すままに、話題を書き上げてみます。

行動観察、保険制度と社会保障、原子力損害保険の目的、原子力事故と自動車事故の異同、自動車事故保険はきちんと支払われているか、井戸掘りの話、エネルギー問題、IOTという言葉の誕生と限界、クリエイティブコモンズ、老後の心配、話し合いしないのは若者だけか日本人の生き方か、思いを引きだす方法、格差の実相、ダブルインカムの理由、電子レンジ、外国人労働者、経済成長と人口減少問題、社労士の話、「茶色の朝」などなど。
一見バラバラのようですが、実はつながって一つの物語を生み出しているのです。
どんな物語か、みなさんぜひ考えてみてください。

それにしても、貴乃花問題や北朝鮮問題などの「時の話題」はまったく出ませんでした。
私が言うのもなんですが、不思議なサロンです。

■はじめての「重ね煮」(2018年1月6日)
高石さんから「食は、しあわせの種」という著書をいただきました。
すぐ読んでブックのコーナーで紹介しようと思ったのですが、自分で実践してみてからにしようと思っていたら、年を越してしまいました。
「佐藤さんでも作れる料理」と言われたのですが、なにしろ料理へのモチベーションが全くないからです。
しかし、あまり延ばしているわけにもいかないので、今日、がんばって挑戦しました。
といっても、「基本の基本」として紹介されている、しいたけ、玉ねぎ、にんじんの「重ね煮」です。
本にある通り、きちんと土鍋を使いました。
なんとか出来上がりました。



これが基本で、これをベースにもっと豊かな料理ができるはずですが、これをつくるのが精いっぱいで、結局、これをおかずに食事をしました。
私は「温野菜」が苦手ですが、これは美味しかったです。
それに簡単なので、次は10種類を超えた「重ね煮」をつくろうと思います。
どうせなら、庭の野草や海藻や果物も入れて、やってみようと思います。
セロリも入れましょう。
最近生のセロリはつくづく飽きてきましたから。
ただ私の場合は、1週間で気が変わるので、いささか心配ではありますが。