活動記録2017
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(2017年12月第4週)
■幸せとは何か(2017年12月25日)
■ささやかなファミリー・クリスマス(2017年12月26日)
■おせちの食材を買いに行きました(2017年12月28日)
■兄との会食(2017年12月29日)
■東尋坊からの「わたしの気餅」(2017年12月29日)
■書斎の中掃除(2017年12月30日)
■お正月の花を買いに行きました(2017年12月30日)
■10年ルールが崩れました(2017年12月31日)

■幸せとは何か(2017年12月25日)
巡礼者の鈴木さんが、帰省前にと言って湯島に来てくれました。鈴木さんと会うというまでもなく「巡礼話」であっという間に時間が過ぎてしまいます。
鈴木さんは、今回は「幸わせの3条件」から話し出しました。
ブログにも書いたのですが、「人との交わり」「親切のやり取り」「今ここ」の3つです。
鈴木さんはサンチアゴや四国遍路で、そのいずれもが巡礼には備わっていると言います。
だから一度巡礼を体験するとまた生きたくなるというのです。
巡礼は、幸せの旅なのです。
巡礼から帰ってくると、人に対する態度もいつもとはちょっと違ったものになるそうです。
でもしばらく街にいると、その幸せ感が弱まっていく。
それでまた巡礼に行きたくなると言います。

そんな話をしながら、鈴木さんと、お互いの幸せを喜び合いました。
来年は、鈴木さんにサロンをまたやってもらおうと思います。
春にはまたサンチアゴに出かけてしまいそうなのです。

■ささやかなファミリー・クリスマス(2017年12月26日)
娘家族も入れて、ささやかなクリスマスパーティでした。
孫には大きなブロックをプレゼントしました。早速ハウスをつくって、出入りしていました。

■おせちの食材を買いに行きました(2017年12月28日)
同居している娘と一緒に、お正月の食材を買いに行きました。
昔のように、大人数で会食することもなくなりました。
まあこれも私の生き方の結果なのですが、いささかの寂しさも感じます。

■兄との会食(2017年12月29日)
兄と会食しました。
お互いに何があってもおかしくない年齢ですし、わが家には10年ルールがあって、今年はまあその当たり目の年なのです。
幸いに何事もなく年を越せそうです。

■東尋坊からの「わたしの気餅」(2017年12月29日)
東尋坊で見回り活動をしている茂さんから恒例のお餅が届きました。
みんなで一緒になってついた餅です。
今年も東尋坊には行けませんでしたが、電話の向こうの声はとても元気そうでした。

■書斎の中掃除(2017年12月30日)
書斎兼仕事場の部屋を大掃除しました。
とても狭い部屋なのですが、書類などが山積みになっています。
久しぶりに机の上が見えるようになりました。
机は3つ置いているのですが、いずれも物置の様でした。
来年はもう少し片づけていこうと思います。

■お正月の花を買いに行きました(2017年12月30日)
娘が花を買いに行くというので付き合ってみました。
妻がいた頃は、正月の花の買い出しには、いつも一緒に行っていましたが、最近は年々購入する花も少なくなってきています。
わが家だけではなく、気のせいか、正月の花も年々賑わいが弱まっているような気がします。
今年は節約気味になりました。

■10年ルールが崩れました(2017年12月31日)
わが家には10年ルールがありますが、それを乗り越えました。
10年ルールについてはブログにも書きましたが、10年ごとに家族が彼岸に旅立つのです。
今年はその10年目で、一番有力な候補は私でした。
幸か不幸か、10年ルールは今年は発動されませんでした。
元気に新年を迎えられそうです。
その報告もかねて、夕方、最後のお墓参りに行ってきました。

(2017年12月第3週)

■塩野七生さんの「ギリシア人の物語V」を読みました(2017年12月18日)

■ワックスかけの大掃除(2017年12月19日)
■弁護士とのミーティング(2017年12月20日)
■靴のプレゼント(2017年12月20日)
■ジグムント・バウマン(2017年12月21日)
■企業経営者の悩み(2017年12月22日)
■弁護士問題に関するミーティング(2017年12月23日)

■塩野七生さんの「ギリシア人の物語V」を読みました
(2017年12月18日)
昨日届いた塩野七生さんの「ギリシア人の物語V」を読みました。
塩野さんの作品は、最初の歴史長編の「ローマ人の物語T」から出版されるとすぐに読んできましたが、これで終わりかと思うと少し残念です。

塩野さんの作品の面白さのひとつは、現代につながっているメッセージがたくさんあるからです。
今回もたくさんのメッセージを感じましたが、面白かったのはやはり後半のアレキサンダー大王の話でした。
歴史は人がつくりだすことを、改めて実感しました。

昨日の朝日新聞に、「最後は一番若い男を書くぞ」という塩野さんのインタビュー発言が出ていましたが、20代のアレキサンダー大王がまるで生きているように伝わってきました。
若いということの「やさしさ」と「素晴らしさ」を、改めて感じましたが、それはそれとして、今回は最近の大企業の「惨状」を打開するためにいつも私が思っていることが、実にわかりやすく語られているのに驚きました。
大企業の経営者や管理者の人たちにぜひ読んでほしいと思いました。

たとえばこんなエピソード。
高熱を出したアレキサンダーに、医師フィリッボスが飲み薬の調合を始めた時の話です。
フィリッボスが飲み薬の調合を始めた時、兵士が、副将パルメニオンからの緊急の知らせだという手紙をアレキサンダーに届けます。
「若き王は、その手紙を読み始める。医師が、調合した飲み薬を杯に入れ終わったとき、王も、手紙を読み終えていた。その手紙には、アレクサンドロスの毒殺を狙うペルシア王ダリウスが、多額の報酬を約束することで主治医フィリッボスの買収に成功したという噂を耳にしたので伝える、と書いてあったのだ。医師が差し出す飲み薬の入った杯を右手で受けとりながら、アレクサンドロスは左手で、パルメニオンからの手紙を医師に手渡す。王が薬を飲むのと、医師が手紙を読むのが、同時進行で進んだ。薬を飲み干していく王と、手紙を読みながら蒼白になっていく医師。それは、2人の間でくり広げられた、無言のうちに進んだ緊迫のドラマでもあった。」

私はこういう場面が一番好きです。
その後、どうなったかは本書を読んでください。
信頼とはどういうものか。
人を信頼したことのない人にはたぶんわからないことでしょう。
塩野さんは、別のところで、「裏切り」についても書いています。

なぜペルシアはアレキサンダーに勝てなかったのか。
その理由も塩野さんは明確に指摘しています。
まずアレキサンダーは兵士(だけではありませんが)を人間として扱った。
これに関する感動的なエピソードもたくさん出てきます。
だから、アレキサンダーは連戦連勝だったのです。

私は、ほとんどの不幸は「人を人として扱わないこと」から起きていると思っていますので、アレキサンダーの生き方に心底ほれぼれとしますが、その一方で、そういう生き方ができたアレキサンダーに大きな嫉妬も感じます。
そういう生き方ができるほどの自信を持つことは、なかなかできることではありません。

塩野さんはまた、「アレクサンドロスは、自国を捨て他国の傭兵になるという当時のギリシア世界に広まっていた傾向を嫌っていた。ギリシア民族の傭兵化こそがギリシア世界に害をもたらした、と信じて疑わなかったのである」と書いています。
さまざまなメッセージを感じますが、最近の日本の大企業が元気のない理由にもつながっているように思います。
いや、私たちの生き方にもつながっているかもしれません。

信頼、人間性、そしてコモンズ感覚。
それが希薄になった組織(社会)は快適でも生産的でもありません。
アレキサンダーの物語は、それを示唆してくれます。

情報の話も示唆に富んでいます。
「情報とは、すべてでなければ情報にはならない。下にいる者がふるい分けたものを上にあげるのでは、真の意味の情報にはならない」という塩野さんの私的に共感します。

知らないこともたくさんありました。
たとえば「テオリコン」。
これは今でいうベーシック・インカムですが、それがこの時代にあったとは驚きました。
アレキサンダーの後、なぜヘレニズム時代が3世紀もつづいたのかも含めて、ヘレニズムの意味があまり理解できていなかったのですが、この本を読んでようやく理解できました。
アレキサンダーがペルセポリスを焼き払ってしまったことだけは許せませんでしたが、本書を読んでやっとそれが理解できました。

民主主義やデモクラシーに関しても、いろいろと考えさせられました。
塩野さんは、「より多くの人の頭脳を結集すればより良き政治が行えると思うほど、「デモクラシー」は単純には出来ていない」と言い放ちます。
アテネには、デモクラシーはあったとしても民主主義はなかったと私は考えていますが、塩野さんの次の指摘にはちょっとうれしい気がします。
先日のサロンで、私が伝えたかったことの一つだったからです。

「デモクラツィア」と「オリガルキア」に対し、貴族と平民の間で抗争が絶えなかったローマは、「レス・プブリカ」と名づけた新しい概念を創り出したのである。「パブリック」を考えれば、「対立」よりも「融合」で行くべきだ、と。

いずれにしろ実に面白かったです。
ところで、塩野さんの文体が、これまでのものとはちょっと違っているような気がしたのは、私の気のせいでしょうか。

■ワックスかけの大掃除(2017年12月19日)
娘と一緒にリビングルームなどのワックスがけをしました。
かなりの重労働です。
今回は徹底的にやろうという気になったのですが、すぐに挫けてしまいます。
でもまあなんとか1階だけは完成しました。
それにしても普段あんまり掃除していないのがよくわかります。
やはり掃除はちょいちょいしておくのがいいです。
せめて寒い冬ではなく、春か秋がいいです。誰が年末に掃除をやろうなどと言い始めたのでしょうか。

■弁護士とのミーティング(2017年12月20日)
実は今、私自身が裁判に巻き込まれています。
裁判には向いていないと思いますが、いろいろあって、そうなってしまいました。
実際には弁護士がすべてやってくれるのですが、時々、打ち合わせを行う必要があります。
そのミーティングは、私にはちょっと苦痛ではありますが、自分が当事者になることによって、裁判や訴訟のことが実感できます。
予想ではもう結審しているはずなのですが、年を越しそうです。

■靴のプレゼント(2017年12月20日)
靴屋をやっている友人が靴を持ってきてくれました。
私があまりにも安物の靴を履いているのが気になったのかも知れません。
私は、衣食住の「衣食」にはほとんど関心がありません。
できれば、靴よりも裸足で歩く方を目指しているのですが、靴をもらった以上は、履かなければいけません。
どういうわけか、私はいろんな人からいろんなものをもらいます。
今週はバッグももらいました。
うれしいのですが、使わないと池なので大変です。

■ジグムント・バウマン(2017年12月21日)
ある本を読んでいて、ジグムント・バウマンの引用文に共感しました。
それで、図書館にあった「リキッド。・ライフ」と「コミュニティ」を読みました。
実に面白い。
それで、たぶんこの分野には詳しいであろう楠さんに、サロンをやってもらえないかと頼みました。
楠さんは、フランクフルト学派の研究者ですので、たぶん面白いサロンになるでしょう。
開催できるのは、大学が少し暇になる3月以降だと思いますが、楽しみです。
もう1〜2冊くらい読んでおこうと思います。

■企業経営者の悩み(2017年12月22日)
某社の役員が相談に来ました。
企業の経営者の悩みもまあいろいろとあります。
対価をもらえる仕事になればいいのですが、私の経営観は、いささか時流とは外れていますので、仕事にはなりにくいのです。
しかし、20年後にはたぶん私の考えは認められているでしょう。

本当は仕事をしたのですが、なかなか機会がやってきません。
困ったものです。

■弁護士問題に関するミーティング(2017年12月23日)
弁護士に関連した訴訟に巻き込まれ、人生を変えてしまった人たちとミーティングをやりました。
その内のおふたりはすでに「弁護士問題を考える市民の会」を立ち上げ、同じ問題に遭遇している人たちの相談に乗ったり、問題の整理をしたり、同じ思いの人たちとのつながりづくりをしたりしています。
たまたま私のところに相談に来た人とのつながりで、先日、湯島に来たのです。
おふたりの話を聞いてしまうと、見過ごすわけにはいかなくなってしまいました。
それにもう一人、まったく別の問題から、相談にのった方もいて、弁護士というか、日本の司法の惨状に唖然としていたのです。

来年から定期的な集まりも持ちながら、何ができるかを考えてみようと思います。
いささかリスクが大きいのですが、活動してみれば新しいことも見えてくるでしょう。

(2017年12月第2週)
■千葉市「シニア世代の地域活動促進セミナー」(2017年12月11日)
■ストーリーテリング協会ミーティング(2017年12月13日)
■今年最後の「みんカフェ・湯島」(2017年12月13日)
■「青い眼の琉球往来」(2017年12月14日)
■政治を考えるサロン「統治から協治へ」(2017年12月16日)

■千葉市「シニア世代の地域活動促進セミナー」(2017年12月11日)





千葉市民活動支援センター主催の「シニア世代の地域活動促進セミナー」で話をさせてもらいました。
最近こういう集まりでの講演はしていないのですが、友人からの依頼なので断れません。
しかし、単なる講演ではなく、実際に千葉市で活動している人も巻き込みながらのフォーラム形式にしてもらいました。
テーマは、「「私の生き方探し 〜世界を広げ、人生を豊かにしませんか?〜」。
久しぶりに私自身のこれまでの生き方を少し整理してみました。
参加者は20数名ですが、みなさんとても年賀状、ありがとうございました。シンポジウムに切っていただき、後半の話し合いにも参加してくださいました。
いろいろと学ぶことも多かったですし、ちょっとうれしい出会いもありました。

全員の話し合いのセッションでは、お金とボランティアの話も出ました。
「有償ボランティア」という言葉も出ました。
私には理解不能な言葉です。
日本で最初に「有償ボランティア」を言い出したグループの、その後も知っているだけに、ここは慎重に考えたい話題です。
それに、ボランティアとは自発的な行為が本意ですから、有償とか無償とは別の話です。
それが同じ次元で話されるのが、私にはとても気になります。
しかし、それはなかなか伝わりません。
いまやみんな、お金万能の社会に埋没していて、そこから自由な生き方が見えていなくなっているのです。
まるで、ドイツがナチスを生み出したのと同じ状況と同じです。
それがとても気になります。

しかし、とてもうれしい出会いもありました。
ひとりは86歳の男性です。
自分も何かやりたいが、高齢なので何もできないというのです。
お聞きしたところ、満洲から始まり、リーマンショックをその渦中で体験したで方です。
それであれば、できることはたくさんある。
まずは満洲の体験や戦争体験を若い人に話し出しましょう、と勧めました。

もう一人は、高齢者支援の活動を始めようとしている50代の男性です。
自治会の枠組みで取り組んだのが、そこからはみ出してきているようです。
社会を変えていくには、既存の仕組みからはみ出さないといけません。
しかもその方は、50代の自分たちの問題として構想しているようです。
とても共感できます。
誰かのためや社会のためという発想ではなく、自分のため、自分たちのためという原点がなければ、目的的な活動にはなりません。

他にも共感できる何人かの方に会いました。
やはり湯島で待っているのと出かけていくのとでは、会う人の幅が違うようです。
またこういう場に出かけていきたくなりました。

■ストーリーテリング協会ミーティング(2017年12月13日)
ストーリーテリング協会はなかなかうまく動き出せません。
やはりコアあるべき理念が弱いからでしょう。
3人のコアメンバーで話し合いました。
いくつかのことをシェアできました。
来年は私自身の問題としてもう少し考えていこうと思い出しています。

■今年最後の「みんカフェ・湯島」(2017年12月13日)
今年最後の「みんカフェ・湯島」は、いつものように「ゆる〜い」ながらも、とても「つよ〜い」主張もあったりして、最後にふさわしい、湯島サロンらしいサロンになりました。
2回目に参加した人は、前回とはまたまったく雰囲気が違いますねと終わった時に話してくれましたが、たしかに湯島のサロンは参加者によって雰囲気が変わります。
今回、私の記憶に残っているのは、「インド」と「農業」。
それとフィギュアスケートの評価をAIで行おうとしている話やみんなお金をどこに使っているのだろうかという話もありました。

最後の話は、使いたくても使えるお金がない人が増えているのではないかと思いますし、AIの活躍分野が広がる話に関しては、そろそろ人間の役割は終わったなという気もします。
農業の話が出たのは、20年ほど前から「半農生活」を提唱している野菜栽培のレッスンプロの増山さんが10数年ぶりに参加してくれたおかげです。
偶然にも、これも久しぶりに参加してくれた企業の方が、定年後の生活で農業にも関心があるようで、いい出会いになったかもしれません。
ほかにも、アスペルガー的な人が増えているとか、コンビニでバイトをやる日本の若者がいなくなったとか、ともかく「ゆる〜い」カフェなので、いろんな話が出ましたが、私も「ゆる〜い」参加なので、頭もゆるくなっていて、あまり覚えていません。

もっと伝えるべき価値のある話もあったような気がしますが、思い出せません。
困ったものです。
でもまあ、久しぶりに会えた人も数名いて、よかったです。

■「青い眼の琉球往来」(2017年12月14日)
琉球・沖縄センター長の緒方修さんが、新著「青い眼の琉球往来」を送ってきてくれました。
東アジア共同体研究所のニュースマガジンに連載していたものをまとめたものですので、一部は読ませてもらっていました。
しかし通読してみると、緒方さんの人柄や考え方が伝わってきます。
面白く読ませてもらいました。
「ブック」のコーナーで紹介させてもらいます。

■政治を考えるサロン「統治から協治へ」(2017年12月16日)
今年最後の政治サロンのテーマは「統治から協治へ」。
政治のパラダイム(捉え方)を転回させようという提案です。
政治改革の話ではなく、政治概念の話です。

ポイントだけの問題提起にしようと思い、2枚のチャートを用意しておいたのですが、始まる前の約束がキャンセルされ時間ができたので、ついつい追加したくなってしまい、10枚を超すパワーポイントになってしまいました。
困ったものです。
あんまり内容を欲張ったので、30分の問題提起を早口で話しすぎて、あんまり伝わらなかった気がします。
話し終わったらすぐに突込みが来るはずなのですが、一瞬の間がありました。
大いに反省しなければいけません。
暇があると、俗人は余計なことをしてしまい、元も子もなくしてしまうことを体験しました。

話の内容は省略しますが、どんな話をしたかは、次のところにパワーポイントがありますので、もしご関心があれば、見てください。
http://cws.c.ooco.jp/lcsalon20171216.pptx
もし開かないようであれば、連絡いただければ、別途送ります。
最初に映画「マトリックス」と「もう一つの彼岸移住プロジェクト」という意味不明の文字が出てきますが、これはスルーしてください。
はじまる30分前に、魔がさして追加してしまったものです。
実際には、これが常日頃、私の一番言いたいことではあるのですが。

話の枠組みだけ書きますと、現在の「国家統治権力(ガバメント)の内部の政治(「小さな政治」)」を超えて、そろそろ「国民主体の協治(ガバナンス)政治(「大きな政治」)」に移りませんか、という話です。
その先に「国家を超えた協調政治(「もっと大きな政治」)」、そしてさらにその先には「自然を含めたエコロジー政治(「さらに大きな政治」)」がありますが、今回はそこまではさすがに広げませんでした。

理念は良いとして、それをどう具現化するのかという指摘がありましたが、理念が定まれば、具現化は必ず可能になるはずで、それは時間をかけてみんなで考えればいいというのが私の考えです。
そもそも理念のない改革はあり得ませんし、理念が間違っていたら、改革は単なる「変化」でしかありません。

他にも、法治国家とか、ベーシックインカムとか、税金の話とか、いろんな話し合いがありましたが、今回は私が質問の「受け手」だったため、応えるのに精いっぱいで、記憶が残っていません。
ですから報告がいつも以上に書けません。
すべて省略。

私が言いたかったのは、自分の生活につなげる形で政治を考えようということだったのですが、参加者の女性のおひとりから、もっと生活の言葉で話し合わないのかとお叱りを受けました。
返す言葉もなく、まさにその通りなのです。
そこに今の政治の一番の問題があるようにも思います。

民主主義の古典の一つ、トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」によれば、アメリカの政治は仲間の話し合いから積み重ねっていったのが出発点です。
あるいは民主主義といえばスイスを思いだしますが、スイスの政治もまた生活からの積み重ねです。
政治の起点をどこにおくか。
国民主権を実現したいのであれば、いまの政治体制は根本から変えなければいけません。

ところで、映画「マトリックス」は、システムと生きた人間の戦いの物語です。
その世界は、「生きた人間」よりも思考しない機械の部品的な「人間もどき」がほとんどなのですが、もしかしたらこの世界も「マトリックスの世界」になっているのではないかという気が時々します。
目を覚まして、システムに挑みましょう。
来年からリンカーンクラブはもう少ししっかりと活動します。
関心のある人はぜひご連絡ください。
(2017年12月第1週)
■弁護士問題を考える市民の会(2017年12月3日)
■組織と個人の存立基盤を考える研究会スタート(2017年12月3日)
■孫の爺ちゃん役(2017年12月5日)
■リンカーンクラブ来年度活動計画(2017年12月6日)
■寒さで身も心も凍っていました(2017年12月8日)
■カフェサロン「コーオウンド・ビジネス」(2017年12月9日)
■我孫子でのゆるやかなネットワーク(2017年12月9日)

■弁護士問題を考える市民の会(2017年12月3日)
「弁護士問題を考える市民の会」から突然メールが届きました。

突然のメール失礼いたします。
私たちは依頼者の立場として、現状の弁護士問題に取り組もうと集まっています。
現在の弁護士問題についてご意見や今後の活動についてアドバイスをいただきたいとの声がございました。
不躾なお願いではございますが、一度お時間を頂戴して、お話しをしていただくことは可能でしょうか。

日本の司法の現状には問題を強く感じている者として、早速にお話を聞かせてもらうことにしました。
おふたりの方がお見えになりました。
状況はかなり深刻です。
おふたりとも被害に会った方ですが、自らが被害に合うまでは、司法は正義の味方と確信していたようです。
司法に限りませんが、権力はすべて、自らを正義にします。
権力の真っただ中にいた厚生労働省の村木厚子さんが司法の冤罪被害を体験した後、発言した「無責任な言葉」がそれを象徴しています。

私の周辺では20年以上前から、弁護士による被害の話は聞いています。
時々相談にも乗ってきましたが、私には手も出しようもありません。
しかしずっと気になっているテーマです。
私にできることを考えることにしました。

弁護士問題を考える市民の会の活動は次のホームページやブログをご覧ください。  
https://bengoshimondai.jimdo.com/
http://blog.livedoor.jp/client_lawyer/

会が目指すのは、「万が一のときにでも、安心して弁護士に依頼できる社会」だそうです。
そんなことは今でも実現していると思う方が多いと思いますが、実際はそうではないのです。
知れば知るほど恐ろしい花井が出てきます。
企画していつも実現できていなかった「司法問題サロン」を来年はスタートしたいと思います。
年内にも公開ミニミーティングも予定しています。
協力してくれる人がいたら連絡をください。

■組織と個人の存立基盤を考える研究会スタート(2017年12月3日)
組織と個人の存立基盤を考える研究会が正式にスタートしました。
1回目のテーマは「団体組織の法への入口」です。
提案者の杉本さんが用意してくださったレジメに沿って、人の集合の2つのタイプ(パートナーシップと社団)を確認したあと、団体組織に関するこれまでの民法の定説となぜそうした定説が形成維持されてきたのかを図解をつかってわかりやすく説明してくれ、それへの批判(問題点)を話してくれました。
そうしたテーマに沿いながら、時に寄り道しながら、いささかハードな話し合いが行われました。
メンバーは、湯島のサロンにもよく来るメンバーですが、一応、このテーマで連続して参加してもらえそうな人に声をかけさせてもらいました。
それぞれの関心領域や視点も違うので、何が出るかわからない面白さもあります。
それぞれに専門性を持っている人ばかりで、専門性のない「ただの放浪者」は私だけなので、少し心配していたのですが、まあなんとか進行役はつとまりそうです。
ついていくためには、私も改めて少し勉強しなければいけませんが、それもまた刺激になります。今回だけでも、いろんな気付きをもらいましたし、前に読んだ本も読み直してみたくなりました。

記念すべき初回だったので、みんなで写真を撮りました。

■孫の爺ちゃん役(2017年12月5日)
先日、湯島のサロンに参加した友人から、湯島でサロンばかりやっていないで、孫のところに会いに行くようにと連れ合いが言っていたという伝言が届きました。
奥さんと娘は友だちなのです。
それでまあ、今日は娘夫婦が買い物に行くというので、付き合いました。
娘夫婦が買い物をしている間、飲み物を飲みながら孫と待っていましたが、なかなか戻ってこないので、孫と一緒に店内を散歩しました。
ところがそれが見つかってしまい、娘が写真にとって翌日送ってきました。
それを見た上の娘から、「誘拐犯と間違われないで良かったね」と言われました。
確かにそんな雰囲気です。
フェイスブックに書いたら、ちゃんと子どもの歩幅に合わせなさいとお叱りが届きました。
孫と付き合うのも大変なものです。

■リンカーンクラブ来年度活動計画(2017年12月6日)
今年はリンカーンクラブの活動は停滞していました。
なかなかコアスタッフが出てきません。
いろいろと事情はあるのですが、来年は代表の武田さんと事務局長の私だけで出ももう少し活動しようということになりました。
12月16日のリンカーンクラブサロンでその構想を発表する予定です。
武田さんと相談しながら決めたのが以下のプログラムです。
詳しくはまたブログやフェイスブックで呼びかけていく予定です。
〇「民主主義進化論」研究会
武田文彦さんの「民主主義進化論」をテキストにして、6回に分けて、究極的民主主義への理解を深めるとともに、それに関連して、現代の政治状況や政治課題を議論していきます。
〇「茶色の朝」サロン
 フランスで話題になった寓話絵本「茶色の朝」を読んで話し合う気楽なサロンです。
〇政治時評サロン
いま話題になっている政治問題や政治事象を取り上げての、床屋談義や井戸端会議的なサロンです。誰かから、この問題を話し合いたいという要請があれば、すぐにでも開催します。
〇政治を考えるサロン
個別問題ではない、政治観や政治のビジョン、あるいは政治を通して目指すべき国家観のような問題を、少しマクロな視点で考えるサロンです。
〇メールマガジンの配信
〇その他の計画
これ以外にも、できれば来年11月19日には公開フォーラムを開催しようと考えています。
またテーマを決めて有志でプロジェクトを組んでの実践活動も計画しています。

■寒さで身も心も凍っていました(2017年12月8日)
寒い日が続きました。
寒くて震えあがっていましたが、気温だけではなく、最近のストレスからか、心もかなり萎えていました。
まあ寒い時は(精神の寒さも含めて)無理はしないに限ります。

■企業を考えるサロン「コーオウンド・ビジネス」(2017年12月9日)
難しいテーマにもかかわらず、15.5人のサロンになりました。
0.5人と端数があるのは、なんと1歳9か月のお子さんと一緒に参加してくださった方がいるのです。
湯島のサロンの年少記録がまた更新されました。

話題提供者の細川さん(従業員所有事業協会代表)は、何時間でも話せる材料をお持ちですが、今回は60分に絞ってもらい、その後みんなで話し合いました。
話の内容は、とても充実したものですが、報告は細川さんの書籍「コーオウンド・ビジネス」に任せたいと思います。
とても読みやすく面白い本なので、ぜひお読みください。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#170910

とても印象的だったのは、コーオウンド・ビジネスの会社はどこを訪問しても気分がいいという細川さんの体験談でした。
また「顧客第一」などと言わずに、堂々と「社員第一」を打ち出していること。
そのくせ、顧客からはとても愛されて大切にされていること。
ジョークやいたずらが大好きで、ともかくオープンマインドであること。
などなど、いいことばかりなのですが、細川さんによれば、そうしたことがデータなどによって実証されているのです。
私は、データなどなくても、素直に考えれば当然のことだろうと思います。
他者のために働くよりも、自分(たち)のために働く方が、効率も充実感も良いに決まっているからです。
そういってしまったら実も蓋もありませんが、そういうことが「問題」になるところにこそ、私は問題の本質があるような気がします。

会社をコーオウンド化(従業員が株式を所有)すると、コミュニティ的側面が強まってくるという話も出ました。
それに関連して、アソシエーションとコミュニティの関係が話題になりました。
これも、これからの企業のありようを考える時のポイントの一つです。
金銭を基準にした合目的的なアソシエーションの性格の強いアメリカ型の企業と金銭以外の要素も配慮されたコミュニティの性格の強い、50年ほど前までの日本型の企業との違いを、改めて考え直してみる時期かもしれません。
この議論に関連して、NPOの齋藤さんから終了後、「コミュニティは ウチ/ソト といった排他性を帯びることはないのでしょうか」という質問をもらいましたが、それを回避するために「弱いネットワーク」とか「オープンコミュニティ」の概念が広がっているように思います。
アソシエーションとコミュニティの議論と実際は、マッキ―バーの時代からかなり進化しているように思います。

コーオウンド型の会社を仲間と立ち上げた坪田さんが自社の話をしてくれました。
坪田さんの会社は、コーオウンド・ビジネスであると同時に、ホラクラシー(階層のないフラットな組織構造)をとっているそうですが、これも論点としてはとても面白いです。
つまり、所有組織と執行組織が日本の場合、混同されがちですが(最近かなり整理されてはきましたが)、細川さんは、経営は経営者の専権事項であることを強調しています。
コーオウンドはコーマネジメントではないのです。

コーオウンド・ビジネスモデルは、会社経営の思想を大きく変えていくだろうと思いますが、「現場的」に長年、たくさんの企業の経営にかかわってこられている高橋さんの、現場に根付いた新しい企業経営思想を創りだしていかなくてはいけないという話にはとても共感しました。
日本では数少ない「コーオウンド・ビジネス」の日本レーザーの近藤さんは、自らの実践を踏まえて、世界に向けて新日本型経営を打ち出していきたいとお話しされていたことがありますが、コーオウンド・ビジネスにはそのヒントがたくさんあります。

企業をコーオウンド化することで、従業員が社員になり、その結果、問題の捉え方が変わっていくことで、会社ももちろんですが、個々の従業員が組織の矛盾を自己消化していくことで、大きなエネルギーが生まれてくるという話も興味深い視点です。
これに関しては、参加者の近藤さんがとてもいい総括をしてくれていましたが、メモしていないので、正確に報告できないので省略します。
近藤さんがフォローしてくれるかもしれません。

細川さんは、来年こそは日本も「コーオウンド元年」になるだろうと話されていましたが、すでに上場企業がコーオウンド化に動き出しているそうで、来年はきっと大きな話題になっていくでしょう。
コーオウンド・ビジネスのことがもっと話題になっていけばと思っています。
コーオウンド化は、私たちの働き方にもつながっています。

コーオウンド・ビジネスに関心のある人は、細川さんが主催する研究会もありますので、ぜひコンタクトしてみてください。

細川さんは、終始楽しそうに話していました。
来年はきっともっと楽しそうに話すことになるでしょう。
「コーオウンド元年」の到来は間違いありません。

■我孫子でのゆるやかなネットワーク(2017年12月9日)
我孫子で音楽を通して、人をつなぎ、まちづくりを楽しくしようと活動している宮内さんと話す時間がありました。
年内に一度、集まりを開く予定だったのですが、日程がうまく合わずに年明け後にしました。
今回は少しゆっくりと進めることにしました。
それにしても、宮内さんの活動ぶりは敬服に値します。
仕事も忙しいでしょうが、それを言い訳にしたことが全くありません。

(017年11月第5週)
今週記憶に残った5人の人について書きます。
もっとも日馬富士には直接お会いしたわけではありません。
■平成生まれの影山さん(2017年11月27日)
■チャネラ−の内藤さん(2017年11月29日)
■時代を憂える武田さん(2017年11月29日)
■日馬富士引退の憂鬱(2017年11月30日)
■見舞いに行くべき人が私の見舞いに来ました(2017年12月1日)

■平成生まれの影山さん(2017年11月27日)
友人を介して、東葛地域でまちづくり活動に取り組んでいる影山さんがわざわざ会いに来てくれました。
さまざまな地域で、さまざまな活動をされています。
アメリカに留学されていたこともあるそうです。
そのせいとは言いませんが、視野が開かれています。
私のわずかばかりの体験では、地域活動をしている人たちとNPO活動をしている人たちの世界はかなり違います。
前者は「生活」から思考し、後者は「問題」から思考しているからかもしれません。
影山さんは、ジェイコブスが面白いと言いだしました。
まさかジェイコブスの名前が出てくるとは思いませんでした。
先月、久しぶりに会った玉井さんと話した時にも名前が出ましたが、あまりの偶然です。

話していて、影山さんが平成生まれであることに気づきました。
もしかしたら平成生まれの軽やかさでしょうか。
そんな気がしました。
こうした若者たちと何か一緒に取り組めるようなことがあればと思っています。
考えなければいけません。

■チャネラ−の内藤さん(2017年11月29日)
内藤さんはヒーラーです。
でもちょっと悩めるヒーラーです。
いま新しいプログラム開発に取り組み中ですが、その展開方法に関して話に来ました。
http://www.ermot.jp/

内藤さんもチャネラ−のお一人ですが、私のまわりには何人かのチャネラ−がいました。
いや過去形ではなく、いまもいますが、最近はあまり付き合いがありません。
啓示を受けて書いたものも何回か見せてもらいましたが、それはそれで不思議な世界です。

チャネラ−は多くの場合、現世的には孤独です。
そこから抜け出てしまう人はチャネラ−をつづけられません。
そんな気がします。
内藤さんと話していて、いつも感ずるのは、宇宙的には素晴らしいつながりを持っているのに、現世的なつながりは彼女の救いにならないということです。
そういう内藤さんが、時々湯島に来るのはなぜでしょうか。
私に同じにおいを感じているのかもしれません。

■時代を憂える武田さん(2017年11月29日)
時代を憂いている武田さんとは、いささか愁い方が違うので、いつも論争になりますが、どこかで通ずるところがあります。
そうでなければ、40年も喧嘩しながら付き合いが続くことはないでしょう。
武田さんというのはリンカーンクラブの創設者にして代表の武田文彦さんです。

昨今の日本の政治状況を憂えて、武田さんはまた活動を始めています。
私とは路線が少し違いますが、目指すところは一緒です。
いずれにしろ、来年からいくつかのプログラムをスタートさせます。
上手くいくといいのですが。
なにしろいずれも「我が道を行く」タイプですので。

■日馬富士引退の憂鬱(2017年11月30日)
ブログでは何回か書きましたが、日馬富士の暴行事件が起き、連日テレビで騒がれています。
そしてついに日馬富士が引退。
誰も救いを得られない事件になってしまいました。
ゼロトレランスの風はまだまだ止まりません。
良識の恐ろしさに驚きます。
状況と行為のブログをよかったら読んでください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2017/11/post-c538.html

■見舞いに行くべき人が私の見舞いに来ました(2017年12月1日)
胃がんの手術をした友人の見舞いに行こう行こうと思いながら、行けずにいました。
そうしたらついに彼から電話がかかってきてしまい、見舞いに行くところが、「見舞われ」に来てくれました。
とても元気そうでしたので安堵しました。
これならもっと早く見舞いに行けばよかったと思います。
なにやら矛盾したことを書いていると思いますが、まだお見舞いに行くバリアが解消されていないのです。
困ったものです。
病気のことは内緒にして、彼を囲む忘年会をやろうと思います。

(2017年11月第4週)
■リンカーンクラブ交流会(2017年11月19日)
■コミーワークショップ(2017年11月21日)
■山城経営研究所発表会(2017年11月22日)
■西田哲学と福岡生物学(2017年11月24日)
■我孫子「市民のチカラ」まつりでの公開フォーラム(2017年11月25日)

■リンカーンクラブ交流会(2017年11月19日)
リンカーンクラブ交流会はなんと5人しか集まりませんでした。
困ったものです。
ひとえに事務局長の責任です。
しかし、議論はなんと、途中、会場を移してですが、6時間もつづきました。

最初に、代表の武田さんから参加者にそれぞれが認識している「究極的民主主義」について説明を求められました。
それぞれ微妙に違いましたが、一人を除き、武田さんの意図している「究極的民主主義」とは違っていて、合格点をもらえませんでした。
事務局長の私も不合格でした。
困ったものです。

まあしかし、それほどいろんな意見があるというのが、民主主義ですから、代表と意見が違っていても、粛清されることはなく、代表の差し入れのチョコレートをたくさん食べながら、話し合いが続きました。



会場を移したところでは、みんなは気楽にお酒を飲んでいましたが、事務局長の私は、味の薄いジュースで我慢しました。
事務局長の立場は辛いものなのです。
話の途中で、私がメールをチェックしていたら、代表からビール瓶があったら大変だぞと叱責されました。
素直にすぐ謝ったので、傷害事件にはなりませんでしたが、事務局長としてはどんな緊急案件がメールで届くかわかりませんので、受信は無視できないのです。
事務局長の仕事はほんとうに辛いものなのです。

議論はあまりにも多岐にわたり、民主主義とは何かという深い話でしたので、要約するのは無理があるのでやめることにします。

しかし、来年からはいくつかのプログラムがスタートします。
あくまでも予定ではありますが、少しだけ予告しておきます。

ひとつは「茶色の朝」サロンです。
これはニーメラーの教訓を寓話にした絵本ですが、これをテキストにしたサロンを企画したいと思っています。
また武田さんの「民主主義進化論」を少していねいに解読し、武田さんの思考を進化させるサロンも考えたいと思います。
さらに現役の政治家を巻き込んでの研究会も検討中です。
第二次世界大戦の時の体験を本にしていく話もあります。
いずれも、一緒にやる人を公募中です。
どなたか一緒にやってくれる人はいないでしょうか。
事務局長を引き受けてくれる人がいたら、もっといいのですが。

長い6時間でした。
事務局長の私が、「そろそろ」と声をかけなかったら、まだ続いていましたね。
再開リンカーンクラブの2年目がはじまります。

■コミーワークショップ(2017年11月21日)
小宮山さんから、コミー(社長が小宮山さん)の広報活動のアドバイザー役を頼まれています。
企業の広報にとって最も大切なことは、社長の広報マインドです。
もっと言えば、社長が社会や社員とどう関わろうとしているかにつきます。
さらに言えば、社長の持っている人間観や社会観です。
そんなわけで、小宮山さんに会うたびに論争を繰り返していますが、幸か不幸か、まだお役御免にはなっていないのです。

今回は、9月に実施したコミーの広告を題材に、社員のワークショップを開催しました。
アドバイザーとしては、いささかやり過ぎなのですが、社員のワークショップを開催するとその会社の本質が見えてきます。
問題は、その後です。
アドバイザーとして何をすればいいか。
実に魅力的で刺激的な課題ですが、それゆえにこそ、難しい課題です。

それにしてもやはり企業は面白いです。
生きていますから。

■山城経営研究所発表会(2017年11月22日)
今日は半年間、アドバイザー役をやっていた山城経営研究所のエグゼクティブフォーラムの発表会でした。
前項のコミーのように個別の会社の場合は、事の内容はあまり書けませんが、この件は複数の会社が関わっている、一種の研修プログラムですから、少しは自由に書いてもいいでしょう。
しかし、過去には書きすぎて事務局から注意されたこともありますので、注意しながら、ですが。

4つのチームが発表しました。
驚くほどにすべてのチームには通底するものがあります。
当然といえば、当然ですが、特に3つはほとんど同じ問題設定でした。
いずれもとてもわかりやすい発表でした。

ここでは発表を聞きながら、気になったことを書きます。
いずれもあまり発表内容とは関係ないのですが。

あるチームの発表に、「優秀な人材」という言葉が出てきました。 
いつも気になるのですが、「優秀な人材」って何でしようか?
この言葉をしっかりと考えれば、最近の企業の経営問題のほとんどは解決するでしょう。
要するに企業の人材評価基準が間違っているということです。

あるグループの調査過程で、企業で働いている人たちに、東京以外で住むとしたらどこがいいかのアンケートをしたら、「沖縄」が一番だったそうです。
これは、驚きました。
考えてみれば、理由はよくわかりますが、
基地で苦しんでいる沖縄と移住したい人気ナンバー1の沖縄。
今日も沖縄では辺野古反対の厳しい活動が展開されていると思うと、とても複雑な気がします。

発表の内容に関心のある人は、山城経営研究所で報告書を出しています。

■西田哲学と福岡生物学(2017年11月24日)
「福岡伸一、西田哲学を読む−生命をめぐる思索の旅」を読みました。
生物学者の福岡伸一さんと哲学者の池田善昭さんの対談です。
対談ですから読みやすいだろうと思い、昨日、いささか疲れていたので軽い気持ちで読みだしたのですが、実に「重い」本でした。
しかし、すっかりはまってしまいました。
めずらしく夜なべをして、いや深夜にまで入って、読み終わりました。
もっともどの程度理解できているかはわかりません。
徹底的にメモを取りながら読んだので、来週中にもう一度、読み直してみるつもりです。

ともかく壮大な本です。
近代思想を超える科学への示唆、生命の誕生への具体的な示唆、いやそれ以上に、生き方への具体的な示唆が山盛りです。

福岡さんの「生物と無生物のあいだ」という本が長らくベストセラーになっていましたが、
ベストセラー嫌いの私は読まずにいました。
池田善昭さんの本は、「近代主観主義の超克」という本が気にはなっていましたが、難しそうなので読まずに見過ごしていました。

私は西田哲学への理解が全くなかったことがわかりました。
困ったものです。

■我孫子「市民のチカラ」まつりでの公開フォーラム(2017年11月25日)
我孫子市の「市民のチカラ」まつりで、「世代を超えた「人のつながり」がまちをゆたかにしていく」というフォーラムを開催しました。
キースピーチは、学校と地域の融合教育研究会の宮崎さんにお願いしました。
宮崎さんの活動はご存知の方も多いと思いますが、まちづくりや社会教育の世界に新しい風を吹き込んだものだと私は思っています。
我孫子で話をしてもらうのは、今回が初めてです。

宮崎さんのお話は、子どもたちの教育の場である学校に、「まち」を引きこむことによって、学校をみんなの学びの場、そしてまちづくりの拠点にしていったという物語でした。
それは同時に、教える教育を超えた、大きな学びを子どもたちにもたらし、子どもたちとまちの人たちの、世代を超えたつながりを育てることで、未来に向けてのまちづくりの芽を育てたという話でもあります。
まちづくりとは、立場や世代を超えた人のつながりを豊かにしていくことだと思いますが、
宮崎さんは、学校を使って、それを見事に実現したのです。

いうまでもなく、人のつながりを育てる場は、学校だけではありません。
我孫子でも、いろいろな場を活かしながら、人のつながりを豊かにしている人たちがたくさんいます。
今回は、そうした3人の人に、宮崎さんのお話の後、少しパネルディスカッション風に話してもらいました。
その話を聞いていて、我孫子の市民活動も少しずつ変わってきているなと実感しました。
おふたりからは、壮大なビジョンも飛び出しました。
若者と高齢者の違いは、もしかしたら「ビジョン」の有無かも知れないと思いました。

並行してさまざまなイベントが開催されていたので、人の集まりが心配でしたが、主催者の原田さんによれば60人を超えた参加者があったそうです。
私にとっても、久しぶりの出会いがいくつかありました。
我孫子の市民活動の草分け時に活動されていた佐藤祐子さんにも、10年ぶりにお会いできました。
しかし、ゲストの宮崎さんは私どころではありません。
なんと50年ぶりに大学の同窓生にお会いできたのです。
人のつながりは、まちづくりだけでなく、個人の人生も豊かにしていきます。



本来は終わった後、一緒にやった人たちと打ち上げをやりたかったのですが、我孫子のNPOネットワークの主催する交流会に参加したため、私だけ「いい目」に合うような形になってしまいました。
いや本当は、私的には「いい目」ではないのですが。
でも、そこでも出会いがありました。
フェイスブックを見ていて下さった方が、わざわざ私のところに来てくださったのです。
フェイスブックは「友だち」になっていなくても、つながりを育てているのだと改めて思いました。

(2017年11月第3週)
■挽歌再開(2017年11月12日)
■ほっとスマイルプロジェクトの交流会(2017年11月14日)
■玉井さんからスイスの話をお聴きしました(2017年11月15日)
■「アメリカの鏡・日本」を読みました(2017年11月16日)
■我孫子まちづくり会議準備委員会ミーティング(2017年11月17日)
■音楽で我孫子を元気にしたいという宮内さんからの提案(2017年11月18日)

■挽歌再開(2017年11月12日)
この1か月、挽歌が書けずに、あるいは書かずにいます。
それはそれなりに意味のあることですが、なんとなく気になっていました。
今週になって予約再開する気が起きました。
毎日とはいきませんが、少しずつ毎日ベースに持っていこうと思います。

■ほっとスマイルプロジェクトの交流会(2017年11月14日)
ほっとスマイルプロジェクトの交流会でした。
当面は認知症予防ゲームの実践者たちの交流会スタイルで行こうということになったので、私の出番は亡くなったのですが、これまでの成り行き上、片隅参加することになりました。
今回は坂戸で活動している須田さんの報告がありました。
須田さんとは長い付き合いですが、とても共感できる活動をしています。
はじめて体系的にお聞きしましたが、やはり新しいスタイルの市民活動だと思いました。
いつかもっと多くの人に聞いてもらえる場をつくりたいと思います。

■玉井さんからスイスの話をお聴きしました(2017年11月15日)
福岡で様々活動をしている玉井さんが湯島に立ち寄ってくれました。
久しぶりなので、機関銃のように話が飛び出してきました。
なぜかスイスの話になりました。
玉井さんは数年前にスイスに調査に行ってきたそうです。
スイスの政治の話ャ防衛NPO活動の話を聞きました。

玉井さんは、最近は福岡県中小企業家同友会でも活動しているそうで、そのお話も聞きました。
「中小企業」よりも「地域企業」という呼び方のほうがいいと思うと、玉井さんは言いましたが、まったく同感です。
もはや規模で考える時代ではなく、地域との関係性で考えるべき時代に来ているように思います。
企業や経営者のありかとぉ変えていかなくてはいけないと、私は考えていますので、玉井さんの活動にはとても共感します。

■「アメリカの鏡・日本」を読みました(2017年11月16日)
先日、本田さんから教えてもらった「アメリカの鏡・日本」を読みました。
以前読んだような気がしていたのですが、はじめてでした。

本田さんが言っていたように、実に面白いですが、それ以上に私は、著者の知性と誠実さに感激しました。
著者のヘレン・ミアーズは48歳の女性です。
こんなにも知的な女性がいるのかと感動しました。
世界が実に豊かです。
彼女は、この本を書いたこともあって、表舞台の学者にはなれなかったようです。
日本には権力や名誉を目指す女性はたくさんいますが、少なくともこういう女性は、私が知る限りいません。
もちろん男性にも、ですが。

もう一つ知ったことは、1948年時点すでに、アメリカでは日本の真珠湾攻撃が宣戦布告なしのアンフェアな奇襲攻撃ではなかったことがアメリカでは認識されていたという事実です。
アメリカにはきちんとした知性があったことがよくわかります。
本書は1948年の出版ですが、マッカーサーが日本での出版を禁止したそうで、翻訳が出版されたのが、1995年でした。
マッカーサーは、日本での出版許可を求めてきた出版社に対して、「占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むことはできない」と許可しなかったそうです。
そして日本で出版されたのは、戦後50年たってからです。
このことも実に象徴的です。
もっとも今もなお、日本はアメリカの占領政策の中にいますので、この本を読めたことに感謝しなければいけません。

しかし、戦後3年目にして、こういう本が出版される国だったアメリカは、やはりすごい国だと思います。
まあ今もそうであるならば、日本もいまのようにアメリカの属国でもいいかとさえ思います。
ちなみに、この本の名前の意味は、近代日本は西洋列強がつくり出した鏡であるということだと訳者の伊藤さんは書いています。
かなり厚い本ですが、第1章と第2章だけでも読まれることを勧めします。
歴史観が少し変わるかもしれません。

■我孫子まちづくり会議準備委員会ミーティング(2017年11月17日)
11月25日の公開フォーラムに向けての準備会です。
8人が集まりました。
少しずつつながりが深まる一方で、いろんな問題も見え始めました。
市民活動のむずかしさを改めて痛感します。

■音楽で我孫子を元気にしたいという宮内さんからの提案(2017年11月18日)
25日の公開フォーラムのネクストプログラムとして、「我孫子を舞台にして面白いことを始めよう」ワークショップを企画していましたが、どうもまちづくり会議のメンバーはあまり乗り気ではないようなので、どうしたものかと思っています。
それで、我孫子で音楽を通しての人のつながりづくりをしている宮内さんに相談することにしました。
頭が少し整理できました。
宮内さんから、まずはやりたいと思っている人を集めて、パーティをやりませんかと提案がありました。
ミーティングではなく、パーティです。
それも会場は私の家がどうかと言われました。
そもそも公民館の会議室でのミーティングが、もしかしたら、うまくいかなかった理由かもしれません。
しかし、パーティ嫌いの私としては悩むところです。
でも、やらないわけにはいきません。
困ったものです。

(2017年11月第2週)
■政治構造の転換(2017年11月6日)
■組織と個人の存立基盤を考える研究会(2017年11月8日)
■森ようこさんの来訪(2017年11月9日)
■Ermotが見えてきました(2017年11月9日)
■サロン「メディアリテラシーから読み解く世界の素顔と「陰謀論」」(2017年11月11
日)

■政治構造の転換(2017年11月6日)
リンカーンクラブをどう展開させていくかの議論を代表と繰り返し議論していますが、話せば話すほど深みに入りかねません。
今回は、私が考えR「統治政治から協治政治へ」というパラダイム転換の話をしました。
武田さんも合意してくれたと思いますが、これをベースに政治家への働きかけも含めて動き出そうということになりました。
さてさて政治のパラダイム転換に関心を持ってくれる政治家はいるでしょうか。
いささか心もとない気がします。

■組織と個人の存立基盤を考える研究会(2017年11月8日)
杉本さんの呼びかけの研究会のプレミーティングを開催しました。
まずは関心を持ってくれた3人と杉本さんの4人ミーティングです。
杉本さんが用意していた12枚のシートに沿って話がはじまりましたが、2枚目で予定の2時間が終わってしまいました。
ということは、研究会になりうるということです。
そこで名称も「組織と個人の存立基盤を考える研究会」と改称し、本格的にスタートすることになりました。
この名称は太田さんの提案です。
なにやら難しそうですが、事実難しいテーマなのです。
他に、数名を加え12月からスタートです。
ちなみに民法に詳しい法学者が欠けています。
そういう人はいないでしょうか。
ぜひ参加してほしいです。

■森ようこさんの来訪(2017年11月9日)
フェイスブックで11月25日に開催する公開フォーラムの参加者の呼びかけをしたら、それを読んだ友人が、森さんという方を紹介してくれました。
わが家のすぐ近くにお住まいで、しかも13歳からずっとお住まいだそうです。
いま公開フォーラムに取り組んでいるコアメンバーの多くは、我孫子の「新住民なので子ども時代の友人がいないのが最大の弱みです。
地域活動にとってとても大事なのが、子ども時代のネットワークなのです。
それでそういう人を探していたのですが、ようやく見つかりました。
ところが森さんに言わせると、自分もまだまだ「新住民」だというのです。
我孫子では、60年くらい住んでもまだ新住民なのだそうです。
たしかにそれもよくわかります。

まあそれはそれとして、森さんは私のフェイスブックを読んで、ピュアなカカオ、つまりカカオ率100%のチョコを持ってきてくれました。
苦くてまさに薬です。

森さんは地元ですでにさまざまな活動をしています。
我孫子まちづくり会議の顔エピソードメンバーになってくれるでしょう。
これからが楽しみです。

■Ermotが見えてきました(2017年11月9日)
魔法使いのヒーラーのカシュカシュさんがやってきました。
長年の夢が少しずつ形になってきました。
見えない世界を感じながら生きるライフスタイルを支援するプログラムを開発しているのですが、それを今埼玉県の寄居でスタートさせました。
ぜひホームページをご覧ください。
その中に「感性を開くプログラム」の案内もあります。
http://ermot.jp/Japanese/6seise.html
もし時間とお金があれば、一度体験してみてください。

ちなみに、将来的には私も少しこのプロジェクトに関わっていくようです。
「ようです」というのは奇妙な表現ですが、なにしろカシュカシュさんは魔法使いなので、私の意図と無関係に呼び寄せられているのです。
困ったものです。

カシュカシュさんのヒーリングセッションは人気があって、ファンも多いのですが、私はいまのところまだお世話にはなっていません。
しかし寄居には行ったことがあります。
とてもいいところです。
お近くに行ったらぜひカフェにお立ち寄りください。

■サロン「メディアリテラシーから読み解く世界の素顔と「陰謀論」」(2017年11月11日)



予想を超えて、驚くことに18人のサロンになりました。
「陰謀」に興味を抱く人は多いのでしょうか。
それとも、いまの時代が「陰謀」を匂わせているのでしょうか。
もちろんメディアリテラシーに興味を持って参加された人もいますが。

「陰謀論」の広がりこそが「陰謀」であって、それも含めて「陰謀論」の奥にある事実を、メディアから読みとくことが大切だ、というのが中島さんのメッセージだったように思います。
「陰謀説」のすべてを否定したり信じたりするのではなく、自らの世界を広げていくことで、洪水のような情報を読み解くことが大切だというわけです。
陰謀論への対抗力を持ちましょう、そのためにも陰謀論と言われている話も知っておくことが大切だというのが、中島さんのお考えだと私は理解しました。

話は、バックパッカーとしてアジア各国を回ったことや仕事や趣味のことなど、中島さんの自己紹介から始まりました。
多様な世界を体験したことが、今日の話題にもつながっているわけです。
中島さんがマスコミ報道の後ろにある動きに関心を持ったのは、新聞に出ていたあるベタ記事からだったそうです。
大見出しの記事とは無縁の、そうした小さな記事にこそ、個人としての記者の良心が現れているのではないか、そして事実につながるものがあるのではないかと感じたそうです。

かつての新聞にはたくさんの小さな報道記事が載っていました。
しかし、最近の新聞は週刊誌のような内容になり、小さな事実報道記事はほとんどなくなってしまったと言ってもいいくらい少なくなりました。
私もベタ記事愛読者だったので、そういう変化には「ある意図」を感じています。
読者には、発行者の編集意図に沿って構築された世界が与えられるだけであって、読者が考察したり推測したりする余地は極めて少なくなったのです。
新聞の役割が変わったと言ってもいいでしょう。

中島さんがマスコミ報道の向こう側にある動きに興味を持ったのは、落合信彦さんのドキュメンタリー作品だそうです。
その一連のシリーズから、マスコミが提供する世界とは違う世界の存在に興味が向き、そこからさまざまな書籍を読みながら、自らの世界の筋立てを考えるようになったそうです。
そうすると、これまで体験してきたことも含めて、いろんなことのつじつまが合ってきて、世界が見えだしてきたと言います。
メディアリテラシーを高めるとは、自分の世界を広げ、自分の軸を持つことかもしれません。

「陰謀論」の話題に入る冒頭で、中島さんは、そもそも日本はアメリカの同盟国なのだろうか、と問いかけました。
すかさず、アメリカは日本の宗主国だという声が出ました。
日本は主体性を持った独立国家だと思っている人もまだ多いでしょうが、アメリカの属州的位置づけになっていることは最近公開されだしたアメリカの資料などでもかなり明確になってきています。
これは「陰謀」ではなく、単純な事実です。
しかし、そうしたことでさえ、多くの人に対して明らかになってきたのはつい最近ですし、明らかになってきても、それでいいという人が圧倒的に多いのかもしれません。
そういう状況が維持されてきているところに、ある意図が働いているのかもしれませんが、それは「陰謀」ではなく「政治」そのものと言ってもいいでしょう。

「陰謀論」的な具体的な話は、北朝鮮関係から世界金融支配体制まで、いろいろとありました。
それを紹介しだすときりがないのでやめますが、中島さんが共感しているのが、元陸上自衛官の池田整治さんの主張です。
池田さんは、世界の真実を見るポイントとして、「その人がどのグループに入っていて、お金が最終的にどこに集まるのかを見ることが大切だ」と指摘している人ですが、中島さんもその視点で考えているようです。
中島さんは、池田さんの、人々を5階層で捉える見方を紹介をしてくれました。
「ウラの支配者」「オモテの権力者」「権力者の意向に従う人」「ふつうの人」「それを意識して状況を変えようとしている人」。
その頂点にいるのが、いわゆる「1%の人たち」(超富裕層)なのかもしれません。
「1%の人たち」はアメリカにだけではなく、世界各国にいて、国家制度さえをも私的目的に利用しているのかもしれません。

海外で長年仕事をされてきた参加者の方は、表面的には対立している国家を動かしている人たちも、実際にはスイスで話し合いをしているということを話してくれました。
サロンでも、世界は「ウラの支配者」あるいはそうした人たちの「大きな力」で動かされているというような話が主流だった気がします。
そうした見方からすれば、たとえば金正恩もトランプも習近平も、みんな仲間ということになります。
表面的には対立しているようで、実は利益をシェアしているということになります。
そして、陰謀論的な考えでは、彼らを動かしている「ウラの支配者」がいるということになるわけです。

こうした議論から派生して、日韓関係に関わる、いささか刺激的な視点なども出されたのですが、それはまた改めてサロンを開くことにしました。
なにしろ話が大きいので、話し合いも終わることはありません。

中島さんはいくつかの書籍を紹介してくれましたが、前回のサロンで本田さんが紹介したのと同じものがありましたので、ここでも紹介しておきます。
「知ってはいけない隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)
中島さんも本田さんもお勧めです。
今回も参加された本田さんが、もう1冊、「アメリカの鏡・日本」(角川ソフィア文庫)も紹介してくれました。

なお、中島さんが紹介してくれた池田さんもたくさん本を出されていますが、中島さんは、池田さんを囲む定期的な勉強会もやっています。
https://www.facebook.com/events/469984440045893/
参加ご希望の方は中島さんに連絡してください。

今回も話し合いの内容を報告するのは難しかったですが、マスコミ報道だけを真に受けずに、さまざまな見方にも接しながらマスコミ報道を見ると何か気づきがあるだろうということです。
それと書き忘れましたが、近現代史をもっとしっかりと学ぶことが大切だという意見もかなり出ました。

最後に私も意見を話させてもらいました。
1960年代のアメリカの対抗文化を「緑色革命」という書籍で解析してくれたチャールス・ライヒは、いまから20年ほど前に「システムという名の支配者」という書籍を書いています。
そこでは、人と人、あるいは国家と国家ではなく、システムと人の対立関係が世界を動かすという視点が出されていました。
私はそれがいまかなり明確になってきたように思います。
そうした構造を踏まえると世界はまた違った見え方がします。
国家が対立しているように見えますが、たとえば「アメリカ」といった場合、その実体は何なのか。
アメリカ政府なのかアメリカ国民なのか。
アメリカ国民と言っても、それは超富裕層の1%の人たちなのか、99%の人たちなのか。
あるいはトランプ支持者なのかアンチ・トランプの人たちなのか。
こう考えれば、対立の実体は実は見えなくなってきます。
そこが私は最大のポイントだと思っています。

しかし、システムと人間の対立と考えれば、構造は見えてきます。
金正恩もトランプも習近平も、1%の超富裕者も、システムによって選ばれたシステム運営管理者と考えられるわけです。
つまり彼らはシステムの一部であって、利害共有者なのです。
そしてシステムに対する対抗力が育たないように、人のつながりを分断していくのが彼らの役割です。
たぶんなかなか理解してもらえないと思いますが、いつかこれをテーマにサロンをさせてもらえればと思っています。
ちょっと「危険思想」のにおいがするかもしれませんね。
事実はいつも危険なにおいがするものです。困ったものですが。

ところで、今回のサロン参加者のみなさんのなかには、いまの日本にかなり絶望している人が多かったのは意外でした。
なかには“too late”という人もいましたが、私は失望はしていますが、絶望はしていません。
ですから、こうしてサロンを続けているわけです。

今回は茨城県の主婦の方が、国会の原発反対デモに行こうか湯島のサロンに行こうか迷ったうえで、湯島に来てくださいました。
諦めずにサロンをつづけていることが少し報われた気がしました。
100年後には世界はきっと豊かになっているでしょう。

参加者が多かったので、十分発言できなかった方が多かったと思いますが、お許しください。

(2017年11月第1週)
■カフェサロン「医療・社会保障崩壊のルーツは明治維新」(2017年10月29日)
■久しぶりの岡村さん(2017年10月30日)
■コミー訪問(2017年10月31日)
■イイトコサガシ・ワークショップの冠地さん(2017年11月2日)
■小宮山さんが湯島に来ました(2017年11月2日)
■ほっとスマイルプロジェクトの準備ミーティング(2017年11月2日)
■坂谷さんのご馳走になりました(2017年11月3日)
■組織と個人の存立基盤を考える研究会キックオフ(2017年11月4日)
■カフェサロン「重度知的障害者の1日」(2017年11月4日)
■バレンタインデイでもないのにみんながチョコレートを持ってきてくれます(2017年11月4日)
■我孫子まちづくり会議準備会(2017年11月4日)
■クフ王のピラミッドの内部(2017年11月4日)

■カフェサロン「医療・社会保障崩壊のルーツは明治維新」(2017年10月29日)
長年、医師の立場から、日本の医療制度の問題点を指摘しつづけているNPO法人医療制度研究会の本田さんのサロンは、台風直前の雨にもかかわらず、15人のサロンになりました。

本田さんは外科医でしたが、還暦を機に外科医を引退し、世直し活動に取り組みだしています。
医療制度改革に取り組む過程で、明治維新にまでさかのぼって調べ出したら、日本の医療制度を変えていくには、日本の国家のあり方まで考えないといけないことに気づいてしまったのです。
そこで今回のテーマは、「医療・社会保障崩壊のルーツは明治維新」となったわけです。

テーマは大きいですが、話は本田さんのとても身近な話から始まりました。
そして、密度の濃い内容の話を、聞き手を飽きさせることなく、常に笑いを起こしながら、1時間半、ぴっちりと話してくれました。
その内容を要約すると、明治維新は薩長の下級武士が大英帝国の阿片マネーを背景に、皇室を錦の御旗に政治利用して徳川から政権を奪取したクーデターだった。そして彼らによるクレプトクラシー(収奪・盗賊政治)は敗戦後70年以上経過した現在も続いている。そしてそれこそが医療や社会保障の崩壊の根因である。
とまあこれが大筋ですが、医師不足や病院経営の実態についても数字でしっかりと論証してくれました。
しかし、メディアが伝える医療の話は、医療事故や医療費増加への危機感をあおるような話ばかりです。
世界的に見て国民人口あたりの医師がいかに少ないか、そして、医師の過労死や自殺の問題、医療面での国家負担の低さ、などはなかなか報道されません。

本田さんの話の内容をきちんとお伝えするのは難しいですが、サロンで使ったパワーポイントを本田さんが提供してくださったので、興味のある人はぜひじっくりとそれを見てください。https://www.dropbox.com/s/41kjan3lrrc2349/2017.10.29%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%AE%8F.pptx?dl=0
併せて、本田さんが今年初めに雑誌に寄稿した論考も読んでみてください。
これもとても興味深いです。
https://www.dropbox.com/s/okqbp3k4q7x0isn/%E6%9C%88%E5%88%8A%E4%BF%9D%E9%99%BA%E8%A8%BA%E7%99%82%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0.PDF?dl=0

私が本田さんと出会ったのは15年ほど前ですが、その時に、日本の医師が(意図的に)ますます不足する方向にあることを知って驚きました。
その後、本田さんは盛んにテレビに出られていましたが、最近は見かけることがなくなりました。
それが気になっていましたが、その理由も今回よくわかりました。
現場からの情報発信は政策決定者には疎まれるようです。
本田さんは、学校で「教科書」依存を植え付けられた日本人にとって、マスメディアは大人の「教科書」だとお話しされましたが、マスコミまで「国家検定」が行なわる方向にあるのかもしれません。
ちなみに、日本の医師不足はいまなお世界水準に比較して絶対的に少なく、医師が地域的に偏在しているという問題ではないことを本田さんはデータで示してくれました。

本田さんが活動に大きくコミットしていった契機は、日本から病院が消えるのではないかといち早く警告を発していた長崎大学名誉教授の高岡善人さんからの1通のファックスだったそうです。
高岡さんとの出会いから本田さんは渋沢栄一を学びだし、明治維新にまでたどりついたのですが、高岡さんの遺志を引き継ぎながら、その思いを広げるために活動しているのです。
そのあたりのお話もパワーポイントに書かれています。

本田さんは、ドイツの医師、ルードルフ・フィルヒョウの「医療はすべて政治」という言葉も紹介してくれました。
この言葉にとても共感しますが、私は「福祉はすべて政治」だと思っています。
にもかかわらず日本の福祉に取り組むNPOが政治に概して無関心で、受け身的なことをいつも残念に思っています。
政治に関心を持たずに市民活動などできるはずはありません。

ちなみに、最近の日本では、自助・自立・相互扶助の動きを強め、公的な社会保障や医療が後退し、市場化される傾向にありますが、
こうした動きの意味を、私たちはもっとしっかりと考えなければいけません。

本田さんは、最後にネルソン・マンデラの言葉を紹介してくれました。

何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧を抗議せず、それで自分たちにとっての良い社会、良い暮らしを求めることは不可能です

心に響きます。
これこそが私が考える政治意識であり、社会性です。

本田さんは、「気づいた者」の責任として活動を続けていますが、「気づかない者」の責任も罪深い。
であれば、いろんなことに気づく場としてのサロンをさらに広げていくことが大切だと改めて思いました。

医療シリーズは引き続き継続します。
医療関係者にもぜひ参加してほしいです。

■久しぶりの岡村さん(2017年10月30日)
スワンベーカリーの社長だった岡村さんが久しぶりに湯島に来てくださいました。
コーオウンド・ビジネスに取り組んでいる細川さんと小泉さんとにお引き合わせさせてもらったのです。

その話はそれとして、今日は岡村さんから「物流」に関するとても示唆に富んだお話をお聴きしました。
というのは、細川さんが持ってきてくれた大福を岡村さんがみながら、この大福に関わる物流の話をしみじみとし始めたのです。
いかにも岡村さんらしいのですが、その話はとても壮大なビジョンを感じさせるものでした。
いつかまた岡村さんに、そんなテーマのサロンをしてほしくなりました。

細川さんがいつも持ってきてくれる大福は砂糖を使用しない、とてもおいしい大福です。
一挙に全員が2つずつ食べてしまいましたが、胃にももたれることもなく、大丈夫でした。

■コミー訪問(2017年10月31日)
久しぶりにコミーを訪問しました。
先月日経新聞に出した広告の報告を聞きました。
たまたまコミー出版に関わっている西山さんも来ていたので、その話もお聞きしました。
年明け後に2冊の本が出ます。
またご案内しますので、ぜひ購読してください。
「おっしゃん二代記」と「音のない記憶」です。

■イイトコサガシ・ワークショップの冠地さん(2017年11月2日)
冠地さんが発達障害の人のコミュニケーション力を高めるためにワークショップに取り組んでいる冠地さんが、相談があると言ってやってきました。
前から言われていたのですが、なかなか日程がお互いに合わなかったのです。
今回は3つの課題がありました。

最初のテーマは、もう一段レベルを上げたワークショップをプログラム化したいという相談です。
ワークショップに関しては、私もすでに25年以上取り組んでいます。
しかし昨今のワークショップにはあまり興味がありません。
私が関心を持っているのは、ワークショップらしからぬワークショップです。
まあ実際には湯島でやっているサロンがそうなのですが。

冠地さんは、それを知っているので、相談に来てくれたのです。
他にも2つほどありましたが、すべてもちろん冠地さんの提案は受けさせてもらいました。
なにかがはじまるかもしれません。

■小宮山さんが湯島に来ました(2017年11月2日)
一昨日会社でお会いしたコミーの小宮山さんが湯島に来てくれました。
小宮山さんと私とは、世界をシェアしているところと溝があるところがあるのです。
ですから2人で話しているとなかなかつかれるのです。
2人とも頑固でわがままですから。
横で聞いていたら喧嘩に見えるかもしれません。
いつも論争するくせに、どこかで相手に魅力を感じているのかもしれません。
そう出なければもうとっくに小宮山さんは私に愛想を尽かして湯島までわざわざ来ることもないでしょう。
私もわざわざコミーに行くこともないでしょう。
人との関係は不思議なものです。

■ほっとスマイルプロジェクトの準備ミーティング(2017年11月2日)
みんなの認知症予防ゲームを実践している櫻井さんと乙部さんがやってきました。
3人で始めた「ほっとスマイルプロジェクト」ですが、私とおふたりの方針が違っていたことが前回の集まりでわかったため、私はしばらくあまり口を出さないほうがいいだろう考え、2人に運営などを一任したつもりなのですが、どうもそれがうまく伝わっていなくて、私が怒っているのではないかと心配していたようなのです。
考えが違うことで怒ることなど私には皆無なのですが、そう思わせたことは反省しなければいけません。
ただ女性たちと一緒に組織をつくっていくのは疲れるなとは思っています。
どうも同じ言葉でも受け取り方が違うようです。
まだまだ私の世界は狭いようです。
私は女性たちとの仕事には向いていないのかもしれません。
困ったものですが。

■坂谷さんのご馳走になりました(2017年11月3日)
坂谷さんに久しぶりに会って、コーヒーを2杯もご馳走になりました。
昨日の疲れもあって、会うなり坂谷さんに最近の話を一気呵成にしてしまいました。
本当は私が坂谷さんの話を聞くために会ったのですが、立場が逆になってしまいました。
その上、ご馳走になってしまったのですから、悪いことをしてしまいました。
気分があまり良くない時に、人に会うのは注意したほうがいいようです。
最近どうも私の機嫌がよくないようで、心配してくれる人もいるのですが(坂谷さんも気にしてくれていました)、自分ではなかなかわかりません。
でも今日の私は、やっぱり機嫌がよくなく少し八つ当たりしてしまいました。
困ったものです。

■組織と個人の存立基盤を考える研究会キックオフ(2017年11月4日)
杉本さんがこの20年ほど取り組んでいたテーマの集大成ができそうで、それを材料に、研究会を起こしたいと相談されていたのですが、そのキックオフのミーティングを開きました。
川本さんと太田さんと私と杉本さんの4人でまずはトライしてみました。
杉本さんは12枚の資料を作成してきてくれましたが、なにしろメンバーがメンバーだけに、なんとその2枚だけで2時間が過ぎてしまいました。
ということは研究会としても面白くなるということです。
「原理まで戻って話し合いたい」という川本さんの希望は全員の賛成を得ました。
太田さんが研究会の名前は「組織と個人の存立基盤を考える研究会」がいいと、難しい名前を提案し、それが合意されました。
「原理」「存在基盤」、先が思いやられますが、面白そうです。
今回は人事管理に取り組んでいる経営学の大学教授にも声をかけていたのですが、その人に加えて、社会学と民法学の人をメンバーに誘うことになりました。
社会学は心当たりがあるのですが、民法学の人は見つかっていません。
どなたかいないでしょうか。
またご関心のある方がいたらご連絡ください。
原則、毎月の研究会に参加することが条件ですが。

■カフェサロン「重度知的障害のある人の一人暮らしとコミュニティ」(2017年11月4日)
風雷社中代表の中村さんのサロンは、三連休のど真ん中にもかかわらずに10人を超える集まりになりました。
最初に、中村さんたちがやっている、シェアハウス&コミュニティスペース『Transit Yard』で自立生活をする重度の知的障害のある青年げんちゃんの映像記録を見せてもらいました。
自立生活支援の活動の映像かと思っていたら、そうではありませんでした。
さりげない生活風景をただ映し出しているものです。
しかし、すっかり見入ってしまいました。
そこからさまざまなものが伝わってきて、いろいろと考えさせられました。
障害とは何か、自立とはなに、支援するとはなにか、そしてコミュニティとはなにか。
同時に、屈託のない、げんちゃんの笑顔と周りの人のすごく自然な表情や態度と、げんちゃんのお母さんのとても素直な言葉が、強く残りました。
さりげない映像の持つメッセージ性の大きさに改めて気づかされました。

中村さんたちの取り組んでいる活動やスタイルにもとても共感しました。
タイトルに中村さんが「コミュニティ」という言葉を入れた意味もよくわかりました。
実はあまりに多くのものをもらったので、消化できずに、今回も報告を書くのが遅れてしまいました。
しかし、今回ほど、自分の生き方に重ねあわせて考えたことはありません。
そうした「気づき」を、うまく言葉として書けないのが残念ですが。

Transit Yardではさまざまな生活がシェアされています。
現在はげんちゃんとフォトジャーナリストの人が住んでいて、1階(3階建ての住宅です)では今回も参加してくれた石川さんがイベントスペースを展開していて、そこではさまざまな人の集まりやイベントが行われているそうです。
げんちゃんが暮らしているTransit Yardは、施設でもグループホームでもなく、げんちゃんにとっても、またそこに関わっている人たちにとっても、コミュニティ的な存在なのです。
そして、そこにはまさにげんちゃんのコミュニティがある。
コミュニティの仲間同士での、支え合いや助け合いがある。
もちろんトラブルもあるのだろうと思います。
しかし、強い絆に呪縛されるような、拘束的なコミュニティではなく、ゆるやかな開かれたコミュニティを感じました。
アソシエーションではなく、まさに、トランジット・コミュニティ!。

映像を紹介してくれた後、中村さんはたくさんのことを話してくれました。
なぜ、げんちゃんと関わるようになったのか、Transit Yardを始めたのか。
自立支援制度に関する話も出ましたし、Transit Yardへの世間の目の話もありました。
いろいろと話し合いもありましたが、今回、私は自分のことと重ねていろいろと考えてしまったこともあり、あんまり思い出せないのです。
すみません。

でも、私が質問させてもらったことは少し覚えています。
げんちゃんのおかげで、とても人間的なコミュニティが育っているのではないかという私の感想には中村さんはあんまりうなづいてはくれませんでしたが、でも、げんちゃんはまわりの人に喜びや幸せを与えているというような話をしてくれました。
また、この15年ほど、日本の福祉行政は劣化しているのではないかという私の意見に、中村さんは全体としての障害を取り巻く社会環境はよくなってきていると教えてくれました。
現場の人がそう思うのであれば間違いありません。
そして中村さんから、マイナス面だけに目をやらずに、むしろ良くなった点を活かしていく方がいいと諭されました。
その言葉に、私は自らの姿勢を大きく反省しました。

参加者のなかには、さまざまな立場や方法で同じような活動に取り組む人たちが多かったのですが、NPO法人ぱれっとで活動している人たちがいました。
ぱれっとでは、障がいを持つ人と持たない人が一緒に暮らす家「いこっと」を運営していますが、ぱれっとの人たちの話もとても示唆に富むものでした。
http://www.npo-palette.or.jp/index.html
いつか話をしてもらいたいと思いました。

こうした実例が広がってくれば、障がいということへの意識が勝っていくだろうと思います。
なによりも、障がいを持つ人の親の意識も変わっていくかもしれません。
もちろん障がいを持つ人自身も。

今回のサロンでは、福祉の本質が語られたような気がします。
もっと多くの人に聞いてもらいたい話でした。

風雷社中では、RANSIT YARDで、毎週のように、重度知的障害者自立生活の記録 【げんちゃんの記録@?B】の上映会&茶話会を開催しています。
案内は、下記にありますので、ぜひ一度参加してみてください。
https://www.facebook.com/events/1993776757532963/

また、案内の時にも紹介しましたが、げんちゃんに関しては、新聞でも報じられたことがあります。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/genchan?utm_term=.dnJjjMYxzW#.yv0JJQwlrd
これもぜひ読んでみてください。

最後に中村さんは、いま取り組んでいる「知的障害者の自立生活についての声明」の話をしてくれました。
中村さんたちが目指しているのは、知的障害のある人たちが、自分が生まれ育った地域で安心した生活をしていけるような社会ですが、それは同時に、認知症になっても安心して生活できる社会につながっていくことを中村さんは気づかせてくれました。
こう考えると、「知的障害者の自立生活」とは、すべての人に無縁ではない話です。
これも今回、私が気付かせてもらったことの一つです。

「知的障害者の自立生活についての声明」もぜひお読みください。
https://jirituseikatu.jimdo.com/
この声明への関心を広げていきたいです。

いつものように偏った報告ですが、なにしろ最近のサロンは受け取る情報が濃密で大量なので、消化するのが大変です。
長い報告を読むのも大変だと思いますが、書くのもそれなりに大変なのです。
ぜひみなさん湯島のサロンで直接話し合いに参加してみてください。
私の報告など思いも及ばない気付きが得られると思います。

中村さんと石川さんはじめ、参加されたみなさんから、たくさんの宿題をもらったことに、感謝します。

■バレンタインデイでもないのにみんながチョコレートを持ってきてくれます(2017年11月4日)
高血圧対策で72%チョコレートを食べていることを知った鷹取さんがマダガスカルの72%チョコレートを持ってきてくれた話をフェイスブックに書いたら、昨日、太田さんが86%もあるよと持ってきてくれました。
86%を食べたら、結構つらいです。

先日は岡村さんがいろいろあるよとまたいろいろと持ってきてくれました。
まさか岡村さんがフェイスブックを読んでいるとは思ってもいませんでした。
フェイスブックの効用はすごいです。
アマゾンよりも便利です。

ところが、チョコレート療法では限界があると厳しい意見の浦井さんからは、
もしおかしくなったら誰かの助けを求めずに、一人で「逝ってください」と言われました。
中途半端に助かると娘に迷惑をかけるからということだそうです。
非常に説得力があるアドバイスなので、従うことにしました。

その後もチョコレートは届き、今日はなんと塩幡さんが、薬ですよ、おいしくないですよと言って、95%チョコを持ってきてくれました。
86%でさえ、結構つらかったのですが、たしかに95%になると甘さもなくて、薬です。
おかげで血圧問題はもう大丈夫でしょう。
たぶん、いやもしかしたら。

ちなみに私は、バレンタインデイにチョコレートを送り合う風習に嫌悪感を持っています。
それをかなりあらわに表現するので、いまは幸いにだれもチョコレートをくれません。

■我孫子まちづくり会議準備会(2017年11月4日)
11月25日の我孫子の市民活動フェスタで、公開フォーラムを開催することを企画していますが、どうもなかなか準備が進みません。
実行委員メンバーもなかなか集まれず、集客も不安です。
それでいささか勝手ながらフェイスブックなどでも呼びかけを行い、集客努力を働きかけることにさせてもらいました。
今回は新たに若いデザイナーの林さんが参加してくれました。

私は意見を出すだけの立場だと位置づけていましたが、どうもそれでは済まないようです。
であれば、むしろ積極的に関わったほうがいいかと思い出していますが、時間的にいささかの不安があります。
我孫子在住の方、参加しませんか。

■クフ王のピラミッドの内部(2017年11月4日)
1年以上まっていたピラミッド透視調査の結果のテレビ番組が放映されました。
9月の放映日まで決まっていたので予約していましたが、直前に変更になりました。
しかしそのおかげで、思ってもいなかったいい番組が録画されていたのですが。

今回は放映されました。
大ピラミッドのなかに大きな空間があることがわかったのです。
私が生きているうちには内部の調査は行われない可能性が大きいですが、もしかしたら地球にやってきた先人たちのことがわかるかもしれません。

(2017年10月第4週)
■ハーモニカ奏者の西川さん(2017年10月22日)
■サロン「Bコーポレーションってご存知ですか」(2017年10月22日)
■ストーリーテリング協会の事業説明/講座ミニ体験会(2017年10月23日)
■千代田線の事故(2017年10月25日)
■ボストンの元ライブラリアン(2017年10月25日)
■「今回の選挙結果」を踏まえての政治談議サロンの報告(2017年10月25日)
■すぎのファームの王秋(2017年10月26日)
■我孫子まちづくり会議準備委員会プレミーティング(2017年10月26日)
■リンカーンクラブの武田さんとの会食(2017年10月27日)

■ハーモニカ奏者の西川さん(2017年10月22日)
久しぶりに福岡の西川さんが湯島に来ました。
西川さんは長年膠原病で苦労していましたが、その治療で中国に行っていた時にハーモニカ−をはじめ、ストリートパフォーマーとして、あるいはハーモニカをつかった社会活動などを積極的に展開されています。 
海外にまで出かけていっています。
以前、わが家に来た時には杖をついていましたが、今回は杖もなく、しかも以前よりも数倍もお元気そうでした。
西洋医学も薬もすべてやめて、今は鍼灸だけをしているそうですが、そのおかげで、杖も不要になったのだそうです。
人の身体はすごいと改めて思いました。

お互いに久しぶりだったので話は尽きませんでしたが、なかでも私が面白かったのは、AIと音楽の話でした。
それと農耕民族の音楽と狩猟民族の音楽とは異質だが、最近の子どもたちは、狩猟民族型の音楽のリズムやメロディを好むという話です。
いま西川さんはそれを電子出版する準備を進めているようで、ほぼ完成した原稿を見せてもらいました。
来年初めには出版されるかもしれません。
楽しみです。

■サロン「Bコーポレーションってご存知ですか」(2017年10月22日)


今回の企業を考えるサロンのテーマは「Bコーポレーション」。
台風襲来の最中にもかかわらず13人が参加しました。
台風が来ているのに終わった後もなかなかみんな帰ろうとせずに、話題を提供してくれた石井さんとの話が続きました。
新しい企業のあり方のヒントがたくさんあったような気がします。

Bコーポレーションとは、アメリカのNPO法人BLabが認証した企業で日本ではまだ4社しか認証されていません。
今回お話し下さった石井さんが社長をつとめる会社、石井造園はそのひとつです。
しかも、とりわけ何かをしたわけでもなく、認証されたいと思ったわけでもなく、NPOに評価されるということに興味を持った石井さんが、地のまま申請したら高評価で認証されたのです。

企業を評価する視点は3つあります。
まずは経済的な視点からの評価で、これはたくさんの評価の仕組みがあり、株価もその一つです。
もう一つは、そこで働く従業員の視点からの評価で、たとえば、GPTW(Great Place to Work:働きがいのある会社)調査があります。
これは一度、湯島でもサロンをやりました。
Bコーポレーション認証は、それらとは違い、もっと広範囲の視点での企業評価制度です。
大きくいえば、環境や地域社会などを含めた持続可能な社会(SDGs)という視点から企業を評価します。
ですから評価主体もNPOなのです。
そして、それは同時に、会社そのものの持続可能性にもつながっているという視点です。
私が一番信頼する企業評価の発想です。

石井さんの話はとても人間味あふれる話で、いまの企業が失ってきていることを思い出せる内容でした。
石井造園の経営理念は、「企業活動を通して、幸せを共有する企業を目指す」です。
BコーポレーションのBは、ベネフィットの略ですが、石井さんはこのベネフィットを「幸せ」と受け止めているように思いました。
ベネフィットは何かという話題も出ましたが、コーオウンド・ビジネスに取り組んでいる細川さんが「便益」と訳することに違和感を表明されました。
たしかにもっと広くて深い意味を感じます。
そうした広くて豊かな内容が、石井さんのお話から伝わってきました。

石井造園が取り組んでいる社会活動はいろいろありますが、その方針は「ついでに、無理なく、達成感のある活動」です。
「ついでに」というのは、本業とつなげながら、という意味です。
それでもできることはたくさんあると石井さんは考えています。
「無理なく」は持続性を大事にしているからです。
「達成感のある」は、社員がしっかりと関わっている活動だということでもあります。
この短い方針に、石井造園が社会とどう関わろうとしているかがすべて示されています。
そこから学ぶことはたくさんあると思います。

石井さんのお話を貫いていたのは、人を基点で考えるということです。
最近の多くの会社では、会社という仕組みに人を当てはめがちですが、石井造園は人を基点にして会社の仕組みを考えています。
ですから、有給休暇の前借りとか分割取得とかが、社員の要請によって制度化されてきています。
それは、石井さんの人間観に大きく影響されているように思います。
石井さんが社員のことを話しているうちに涙ぐむ場面がありましたが、石井さんがどのくらい社員と共にあるのかが伝わってきました。
そして社員もまた、石井造園という会社を「私たちのもの」と受け止めているようです。
ですから、社長がいなくても、社長の考えを社員が自ら行動に移していくのです。
その象徴的なことが、まさにあの3.11の時に起こったそうです。
社長が渋滞に巻き込まれて帰社できない状況の中で、会社を開放して、被災者への「ベネフィット」が提供されていたのです。
その後、そのベネフィットのおかげを受けた方からお礼の菓子箱がたくさん届いたそうです。
まさに「ついでに、無理なく、達成感のある活動」そのものです。

もう一つ印象的だったのは、社員が会社のなかだけではなく、社会で輝くことを支援しているという姿勢です。
それが会社の輝きにもつながってくることを石井さんは実感されています。
石井さんの視野は、会社の壁を超えて、社会を向いています。
それこそが、Bコーポレーションの精神だと思います。

他にも緑化基金の話やいろんな話が出ましたが、いずれもそこには人間を感ずるものばかりでした。

■ストーリーテリング協会の事業説明/講座ミニ体験会(2017年10月23日)
ストーリーテリング協会の事業説明/講座ミニ体験会を開きました。
台風の影響もあって、参加者が少なかったので、インプロ風のジャムセッションにしました。
そのお陰で、とても刺激な2時間を過ごしました。

ストーリーテリングとナラティブアプローチ、さらにはナラトロジーやサイコロジーが話題になりました。
参加者の一人は、物語を語りたくなったと言い、
もうひとりは、ストーリーメイキングのモデル化に関してまた意見交換したいと言ってくれ、
できれば今日のメンバーをコアにして、定期的なミーティングを持とうかというような話にまでなりました。

もうひとつ面白かったのは、話の題材として、AIやコンピュータの話が出たことです。
参加者のお一人が、コンピュータは嘘をつかないという話をしてくれましたが、それに関連して話を広げたい誘惑に駆られました。
というのは、物語を「語る」ことで、実は「騙る」という大きな効用があるのです。
つまり、物語は嘘を覆いこんで、新しい物語を創出できるのです。

じっと我慢していたら、後半のセッションでTEDのスピーチが紹介されたのですが、それがなんと「AIと教育」でした。
これもうずうずするテーマです。
私自身は、いまや人間はAIの部品化の道をたどっているという危惧に襲われているのですが、
そうした視点からストーリーテリングを捉え直すと面白いことに気づきました。

ちょっと退屈していたストーリーテリングへの関心が再び湧き出てきました。
同じようなセッションをまたやるようです。
いまの企業経営に飽き足らない人は、ぜひご参加ください。

刺激的なお2人にも会いました。

■千代田線の事故(2017年10月25日)
千代田線の事故で、1時間ほど電車の中にいました。
約束の時間より1時間早く出たので、油断していましたが、運転はなかなか行われずに、最初の判断ミスで結局、約束の時間に遅れてしまいました。
思わぬ事故にあった時の対応策は、最初の初期動作で決まることがよくわかりました。

■ボストンの元ライブラリアン(2017年10月25日)
私のブログを読んだ見知らぬ人から面会要請がありました。
ボストン在住の日本人ですが、日本に来ているので会いたいというのです。
お会いしてお聞きしたら、長年ライブラリアンをお勤めになり、その仕事を辞めたのでどうしようか迷っているというのです。
迷っているのは、大好きな読書三昧の生活に入るか、あるいはその傍ら、サロンを始めるかです。
それで湯島のサロンを知って会いに来たわけです。

その人は、あまり人と話すのが好きではないので、サロンは向いていないだろうから、サロンはやめた方がいいという言葉を私に期待してきたとおっしゃいました。
これも面白い話ですが、まあ人は誰かに会いに行くときには、答えは用意しておくものです。
しかし残念ながら、私の言葉はその期待を裏切って、向いていますというものでした。
実のところ、彼女はたぶんその言葉を期待していたと思いますので、素直にそう発言しました。
たぶんとても実のあるサロンが生まれるでしょう。

ちなみに、私のブログにたどり着いたきっかけは、「チボー家の人々」の書評を探していたことだそうです。
私のブログにもホームページにも、「チボー家の人々」という文字は皆無です。
でもその言葉から、ネットサーフィンして、私にたどり着いたのだそうです。
不思議な時代です。

ネットに関する興味ある話も聞きました。
ネットには気をつけるようにとアドバイスをもらいました。
私はたぶんアメリカでは生きられないでしょう。
もうじき日本でもダメになるかもしれませんが。

■「今回の選挙結果」を踏まえての政治談議サロンの報告(2017年10月25日)
「今回の選挙結果」を踏まえての政治談議サロンを開催しました。
予想に反して15人が集まりました。
今回の選挙の投票率の低さを跳ね返す気分です(あんまり関係ないですが)。
特にうれしかったのは、自民党支持者も来てくれたことです。
異論がなければ話し合いの意味は高まりません。

最初に、選挙結果に関するそれぞれの感想を話してもらいました。
大方の人はがっかりしていて、なかには「むなしい」という人もいました。
海外に転居したいというような人が少なくとも2人いました。
野党の混乱ぶりは、目に余るものがありますが、結果に喜んでいる自民党支持者さえもが野党はもっとしっかりしてほしいと言いました。

私は、「怒り(失望)」と「希望」を感じたと話しました。
怒りは投票率の低さ。
希望は政策別に政党が整理される兆しが生まれたことです。

みんな一家言ある人なので、話し出したら長いうえに、論点も飛び交いますので、疲れました。
時には、安倍政権支持者と反安倍者でかなりの激論になりました。
でもまあ掴み合いにまではいたらず、しかし建設的な議論にまではならず、まるで国会の論争を見ているような場面もありました。
まあ国会の議論よりは、お互いに誠実だったと思いますが。

若い女性は、政治はよくわからないがもっと安心して住める社会になってほしいと言いました。
しかし、男性たちの理屈っぽい話に退屈したようで、途中で席を替えて聞き役に回り、時々独り言をつぶやいていました。
床屋談義はやはり男の世界だなと思いました。
もっとも女性たちの井戸端会議も最近は実践につながってきているように思います。
女性たちは話しあっているだけだという発言もありましたが、私はむしろ女性たちのほうが実践的だと思っています。
しかし、男性と女性はやはりちょっとスタイルが違います。
できればそれをつなげていくことが大事かもしれません。
いつか政治合コンを企画しようと思います。
いずれにしろ、話しあうだけではなく、何か実践につなげていかなければいけません。

投票のための情報をどうやって集めているかという話も出ました。
若い女性は、日々の生活体験からと言いましたが、たぶんそれを投票につなげる言語がありません。
私は、今回もまた論点は政治家たちがそれらしい言葉でぼやかしていると感じています。
憲法改正とか脱原発、社会保障重視などは、いかようにも解釈できる言葉ですから、争点にはならないはずですが、それが争点だと言われます。
しかし、日々の生活から投票先を決められるように、選挙公約(マニフェスト)は日常用語で語られなければ、いつになっても「政治家の選挙」から「生活者の選挙」にはなりません
若い女性参加者は、3.11の被災者はまだたくさん大変な状況なのに、オリンピックをやろうとしているのがおかしいとも言いました。
それがたぶん現場につながっている人たちの素直な気持ちではないかと私は思いますが、今回、オリンピックに言及した人はいないでしょう。

こういう話から発展して、報道の姿勢に関してもかなりの議論がありました。
でも報道の姿勢よりも、報道を受ける方の姿勢も問題にすべきだろうと思います。

党議拘束の話など、他にもまだいろんな話題がでました。

ところで、私が意味のある争点だと思うのは、「原発の再稼働」と「再軍備」の是非です。
この2つは、なにかを変えることではなく、これからの行動ですから、その気になればできることであり、実践したかどうかも明確にわかることです。
こういうところが明確に示されれば、生活者でも判断できます。
政治を生活者に取り戻すためには、具体的な日常用語で政策を語ることから始めないといけないと思います。
同時に、それを理解するだけの知識と意見を、人々は持たなければいけません。
そんなわけで、こうした政治談議サロンは継続します。
問題提起した人がいたらご連絡ください。
だれでも話題提供者になれるのが、政治談議サロンです。
話しあう中から、社会性や政治への関心が高まることが大切ではないかと思います。

報告にかこつけて、なんだか私の意見を書いてしまいました。
すみません。

なおサロンの直前、アメリカ在住の方と会っていたのですが、その人からネット情報がアメリカでどう管理されているかを少しお聞きしました。
ちょっと不気味な話でしたが、私にも注意したほうがいいとアドバイスしてくれました。
いつもサロンの写真を無防備にアップしていますが。今回はそんなわけで少しぼかした写真にしました。
最近のテレビはモザイクをかけた映像が多いですが、そんな時代になっていることを改めて感じたので、その気分に従うことにしました。
もっともそんな「物騒な」話し合いが出たわけではありません。
なにしろ床屋談義ですから。
他愛もない話でしたが、そこにこそ政治の根っこがあるようにも思います。

■すぎのファームの王秋(2017年10月26日)
なかなか行けずにいたのですが、すぎの梨園に行って、「王秋」を購入しました。
長持ちするなしで年明け後まで持つというのです。
前にも書きましたが、ラグビーボール状のとても大きな梨ですが、豊水のように甘みも酸味もあって、しかもジューシーです。
一つ食べてみましたが、おいしかったです。
これから広がっていくかもしれません。

■我孫子まちづくり会議準備委員会プレミーティング(2017年10月26日)
11月25日開催する公開フォーラムの準備がなかなか進みません。
実行委員会ができないので、いささか不安に思っています。
そこでプレミーティングを開いてもらったのですが、どうも前に進みません。
日程的にもうあまり余裕がないので、心配ですが、ともかくフェイスブックでグループを立ち上げることの了解をとりました。
メーリングリストも立ち上げました。
どうもコミットしなければいけなくなってきたようです。
こんなはずではなかったのですが。

■リンカーンクラブの武田さんとの会食(2017年10月27日)
リンカーンクラブの今年のイベントはどうするかもあって、武田さんとじっくり話し合いました。
お互いにあまり先がないので、大きな構想はもう無理がありますが、小さな構想ほど実は難しいのです。
それはともかく、今年の11月19日(リンカーンデイ)は、湯島でにミニ交流会を開くことにしました。
テーマは「国民投票制度と究極的民主主義」。
私には聞き飽きたテーマですが、武田さんの要望です。
小さい規模で、実り多い会にしたいと思います。

(2017年10月第3週)
■社会福祉法人の合併(2017年10月17日)
■ピラールの中村さん(2017年10月17日)
■欠けた歯の治療(2017年10月18日)
■企業を輝かすための議論(2017年10月20日)
■我孫子まちづくりフォーラム打ち合わせ(2017年10月20日)
■期日前投票(2017年10月21日)

■社会福祉法人の合併(2017年10月17日)
NPOの経営を研究している大川さんが、今度、社会福祉法人の合併について講演をすることになったので、意見交換したいと言ってやってきました。
彼の博士論文にもつながる話なので、話し合うことにしました。

最近、社会福祉法人の合併も増えていますが、いずれも防衛策としての合併です。
私は、そうではなくて前向きの姿勢で合併しないと結局はどんどんじり貧になるか福祉の質の低下になるという考えです。
経営コンサルタントの多くは、攻めよりも守りに指向しがちです。
日本では「経営」と「管理」が混同されているからです。

大川さんの視野が少し変わったようでよかったです。

■ピラールの中村さん(2017年10月17日)
看護関係の本を出版しているピラール社の中村さんが久しぶりに来てくれました。
彼女は大牟田の出身なので、少し大牟田の話になりました。
30年程前に転居先の候補の一つになったのが大牟田でした。
結局、転居はしなかったのですが、大牟田を訪問した時には、歴史を感じました。

中村さんは大牟田出身なのに、少し江戸っ子風のところがあります。
昨年、日本病院史という本も出版しているので、その著者の方にサロンをやってもらうことを頼みました。
実現できるとうれしいです。

■欠けた歯の治療(2017年10月18日)
先週欠けた歯の治療に歯医者に行きました。
とりあえず仮歯をつけました。
これでもいいかなと思いますが、来週から治療が始まるそうです。

■企業を輝かすための議論(2017年10月20日)
山城経営研究所のプログラムの一つに関わっていますが、なかなかうまくまとまらないようなので、緊急にまとめ役の岩澤さんとミーティングを持ちました。
面白いところまで来ているのですが、何かが邪魔して最後のジャンプができていません。
もしかしたら知識が邪魔をしているのかもしれません。
これは毎回感ずることです。
アドバイザー役としてどこまでやればいいか迷うところですが、まあがんばって発言をこらえました。
いいものになればいいのですが。

■我孫子まちづくりフォーラム打ち合わせ(2017年10月20日)
我孫子で開催される「市民のチカラ」まつりで、公開フォーラムを主催することになっているので、パネリストのミーティングを開催しました。
ところが肝心の企画者の原田さんが法事で北海道から戻れなくなったため、私が原田さん役を代行することになりました。
イベントの趣旨などを教えてもらう役から反対に説明する役になってしまったわけです。
いやはや人生は何が起きるかわかりません。
でもまあパネリストと知り合いになれたのはよかったです。
まあ何とかなるでしょう。

■期日前投票(2017年10月21日)
投票日に行けなくなったので、期日前投票に行きました。
台風の影響もあるのかもしれませんが、行列ができるほどの込みようでした。
日本人もやっと政治への関心を高めてきたのかとうれしくなりましたが、組織票集めの結果かもしれないとも思いました。
私の地元の我孫子はいつも投票率が低い、民度のとても低い地域なのです。
これは行政と市会議員の責任も大きいと思っています。
私が知っているほかの自治体に比べると、いかにも粗末なことが多い気がします。
我孫子の人たちはみんな「我孫子は知的レベルの高い人が多いから」と言っていますが、私には知的レベルの低い人が多すぎると思っています。
そんな我孫子を、少しでもいいまちにしたいと思っています。

(2017年10月第2週)
■もしかしたら、ですが、また神様に会いました(2017年10月9日)
■政治時評サロンをスタートさせました(2017年10月9日)
■大義ある衆議院選挙がはじまりました(2017年10月10日)
■フーバー回顧録を読むのはとりあえず諦めました(2017年10月12日)
■我孫子市提案型公共サービス民営化制度提案審査委員会での提案(2017年10月13日)
■カフェサロン「今を生きる先住民族」(2017年10月14日)

■もしかしたら、ですが、また神様に会いました(2017年10月9日)
もしかしたら、ですが、また神様に会いました。
先日書いた、あの上高地で出会った神様です。
今朝、庭の花に水をやってからスマホの電源を入れました。
途端に電話が鳴りました、出ると、今日のミーティング忘れてないですか、と言われました。
もうみんな湯島のオフィスの前にいるそうです。
すっかり忘れていました。
困ったものです。
それで飛び出したのですが、駅に着く前に疲れてしまいました。
電車に乗ったら、なぜか前に座っていたお年寄りが立ち上がってくれました。
迷いましたが、疲れていたのでそのまま座りました。
そして何気なく、少し離れたところに移っていたその人を見ました。
なんと! あの上高地の神様に似ています。
そういえば、やはり右手にビニール袋。
背格好と服装、そして何よりも雰囲気が似ています。
先週、上高地にいませんでしたか、と話しかけようかどうか迷っていたら、神様は次の駅で降りました。
さてさて。みなさんはどう思われますか。

■政治時評サロンをスタートさせました(2017年10月9日)
選挙公示日前日の昨日、「日本の政治課題を考える」シリーズのサロンをスタートしました。
リンカーンクラブ代表の武田文彦さんによる、日本の政治課題への問題提起を踏まえての話し合いでしたが、副題に新党創設とあったため、そしてたまたまいま新党の立ち上げが政局を混乱させていることもあったため、進行役の私の思い違いもあり、話が拡散してしまい、参加者には混乱を与えてしまったかもしれません。
すみません。
しかし、いや、だからこそですが、話題はいろいろと飛び交い、それぞれの思いもかなりでて面白かったです。
まず今回の解散の理由にされている、今の北朝鮮との緊張関係はそもそも誰がつくりだしたのかという話から始まりました。
それは憲法違反による安保法制の制定で、自衛隊の位置づけが変わってしまったことではないかというのが、問題提起者の武田さんの指摘です。
またなぜ森友・加計問題の説明責任について、もっと野党は突っ込まないのかも話題になりました。
いずれも、政府の本質にかかわる問題ですが、政局的な話のため、そのあたりで議論が始まってしまいました(私の責任です)。
その後、武田さんの問題提起によって、領土問題、財政問題、核武装議論、国民投票制度、エネルギー問題、地方分権など、話は拡散してしまいましたが、これもひとえにひとえに進行役の私の責任です。
武田さんは、究極的民主主義に向けての政治制度の変革と同時に、新たな日本国家のありようについて、思考を重ねてきていますが、そうした課題がどっと出てきてしまったので、私自身がいささか混乱してしまい、整理できなかったのです。
新党に絡めて、「維新」とはなにか、なぜ「革命」ではないのかという問題提起もありました。
武田さんは、幕藩政治から議会制民主主義になり、産業革命も成し遂げ、国家の内実も大きく変化した明治維新を評価しています。
しかるに、戦後の政治体制は、敗戦後復興体制とも言うべき体制であり、今も厳然とそういう体制が残っており、アメリカに隷属する国家に成り果てている。
しかも、その事実を気がつかせないくらいに日本人はそうした状況に違和感を持っていない。
そればかりか、アメリカに隷属することを誇りとするかのように、トランプ大統領が当選したとき一番に駆けつけるような首相を選んでしまっている。
それを変えなければいけないというのが武田さんの思いです。
さらに武田さんは、小さな島国で生きている私たちが自立していくためには、食糧やエネルギーの自給体制を確立しなければいけない。
そのために、科学技術立国、重脳国家を目指し、理系人材の育成にもっと力を入れるべきだと考えています。
そういう武田さんの国家観あるいは国家ビジョンに話題が届く前に、議論は広がりすぎてしまい、さらにそうした問題を解決するためには新党が必要だというような話にまで行ってしまい、そのあたりでタイムオーバーになってしまいました。


そんなわけで、いろいろと話は出たものの、なにやらすっきりしなかった人も多いと思いますが、お許しください。
でも参加者のひとりからは、面白かったというメールが後で届いたので、それをもって良しとしましょう。
ちなみに今回の選挙結果については、意見は分かれました。
ところでこれに懲りることなく、このサロンは継続します。
次回はもう1回だけ寄り道します。
詳しい案内はまた追ってさせてもらいますが、政治を読み解くメディアリテラシーの話も踏まえて、メンバーの中島さんの日本国家像を話してもらいます。
またかなり混乱するサロンになりそうですが、まあそれもいいでしょう。
参加者は10人でした。
みんな一家言あるうるさ型でしたので、つかれました。
はい。
でも帰宅して、次のユーチューブを見たら、元気が戻りました。
ぜひご覧になってください。
https://www.youtube.com/embed/dmqT-ICLeTE

■「大義ある」衆議院選挙がはじまりました(2017年10月10日)
衆議院選挙がはじまりました。
今回の解散は「大義なきかいさん」と祝え得ていますが、私は「安倍政権の是非を問う」と言うとても大きな大義がある選挙だと思っています。
しかし、野党の多くは、解散に反対で解散したことを責めてばかりマス。
この時点ですでに野党は政権寄生的存在であることが明確です。
しかし、今回の選挙は歴史を変える契機になるでしょう。
希望の党はたぶんまもなく消滅するでしょうが、政党のあり方が変わっていく可能性を感じます。

■フーバー回顧録を読むのはとりあえず諦めました(2017年10月12日)
フーバー大統領の回顧録「裏切られた自由」は1300頁を超す大著ですので、当面は読むのを諦めました。
その代わりに、その回顧録を翻訳した渡辺惣樹さんの「誰が第二次世界大戦を起こしたのか」(草思社)を読みました。
副題は「フーバー大統領『裏切られて自由』を読み解く」となっています。
冒頭の「はじめに」から、私の認識は覆されました。
たとえば、ヒトラーのポーランド侵攻から始まるヒトラー・ドイツが生まれた経緯に対する認識も、です。
歴史を知ることの大切さを改めて実感しました。
最近の日本の政治かは、私には歴史をほとんど学んでいないように思います。
単に「教えられて」いるだけで、自分で学んだのではありません。
幸いに現在は、さまざまな形で学ぶための材料は増えてきています。

本書はいまの日本の政治にも深くつながっています。
歴史の中にこそ、未来のヒントがある。

本書のあとがきで、著者は、「読者にはぜひ『裏切られた自由』をじっくりと読み込んでいただきたいと思っている」と書いています。
たしかに、簡単に要約された本ではフーバーの本当のメッセージは伝わってこないでしょう。
さてどうするか。
上下で価格も2万円近くですし、ページも1300頁。
悩むところです。
とりあえず、今日、宝くじを買うことにしました。
当たったら10セット購入して希望者に配布します。
せめて100冊ぐらいにしろ、と言われそうですが。

■我孫子市提案型公共サービス民営化制度提案審査委員会での提案(2017年10月13日)
我孫子市の公共サービス民営化制度提案に原田さんと議論してきたことを提案しました。
その審査委員会でした。
私の一番苦手なことです。
でもまあ何とか終わりました。

終了後、原田さんと小田さんと3人で話し合って、「我孫子まちづくり会議分日委員会」を正式にスタートさせる合意ができました。
11月25日に開催する公開フォーラムの実行員会も17日から始めます。

■カフェサロン「今を生きる先住民族」(2017年10月14日)
アイヌ民族との交流を重ねている写真家の井口康弘さんにお願いしたサロンには、アイヌ民族の島田あけみさん(チャシ アン カラの会代表)も参加していただき、13人のサロンになりました。

井口さんは、2013年に行われた、ニュージーランドのマオリ民族とアイヌ民族との草の根交流活動の映像をまず紹介してくれました。
ニュージーランドでは1970年代からマオリ民族の文化復興と権利回復が進んでいます。
そして、マオリの文化がニュージーランド社会や経済に大きな貢献をしているそうです。
その一方で、日本でアイヌ民族が先住民族として認められたのは2008年。
アイヌがアイヌとして生きる社会にはまだなっていないようです。
それを知った、マオリの人たちがこの交流活動を呼びかけてくれたのです。
それ以前から、島田さんはマオリと交流がありました。

2013年、マオリの呼びかけで、若者を中心に15人のアイヌが1か月にわたりニュージーランドを訪れ、マオリの歴史・文化・教育制度などを学びました。
そのときに、マオリの人たちから、「40年前にはマオリは一つになれなかったが、いまは団結して立ち上がれるようになった。きっとアイヌもそうなれる。私たちが持っている経験・知識はすべて皆さんと分かち合いたい」と言われたそうです。
その時の映像を井口さんは見せてくれたのです。

映像からは、マオリの人たちの生き生きした表情と豊かさ、そして誇りが伝わってきます。
参加したアイヌの若者たちが、大きなエネルギーをもらったことがよくわかります。
マオリとの出会いが、変化の芽を育てはじめ、帰国後、研修参加者によって、マオリの取り組みをモデルにした新しいプロジェクトが立ち上がりました。

島田さんは、45歳からアイヌになったと言います。
アイヌとして誇りを持って生きはじめたということでしょうが、そのきっかけの一つが、マオリとの交流のようです。
井口さんの映像のおかげで、そうした島田さんの言葉が素直に理解できました。

後半の話し合いではいろんな話が出ましたが、きちんとした話し合いをするには、私はあまりにアイヌを知らないことに気づきました。
学生の頃からアイヌには関心があり、それなりにアイヌ関係の本は読んでいますし、知里幸恵さんがまとめたユーカラから選んだというアイヌ神謡集も読んではいるのですが、それらはまったくの知識でしかありません。
訊きたいことは山のようにあるのですが、どう訊いていいかさえわからないことに気づかされました。
それに私の中で浮かんできた質問などは、もしかしたら瑣末な話かもしれないという気がしてしまいました。
マオリとアイヌの交流の映像が、あまりに大きなメッセージを与えてくれたからかもしれません。
そこに出てきたマオリやアイヌの人たちの表情は、あまりに明るく、豊かでした。

いずれにしろ、私たちが知っているアイヌ像は、かなり現実とは違うようです。
たぶん多くの人は、アイヌの人たちの写真を見たことがあるでしょう。
それはもしかしたら、創られた映像だったかもしれません。
それに関しては、西坂さんが具体的な材料を示しながら話してくれました。

島田さんに言わせれば、アイヌに対する差別意識はまだ残っているようです。
日頃アイヌとの接点のない私は、具体的に差別をイメージすることさえできません。
しかし、まだ生きづらさはなくなっていないようです。
そうした状況を変えていくためには、子どもたち若い世代に、アイヌの誇りを取り戻すことが大切だと島田さんは言います。
マオリの人たちとの交流がそれを育ててくれると島田さんは考えています。
アイヌを生きることの楽しさや喜びを体験することが大切だと言うのです。
とても共感できます。
ですから、マオリから勇気と希望を受け継ぐために、第2回交流プログラムを開催したいと、今その準備に取り組んでいます。
資金的な支援を現在クラウドファンディングで呼びかけています。
ぜひみなさんも協力してくれませんか。
https://readyfor.jp/projects/ainu-maori
アイヌ文化の復興を目指していくことが、日本がもっと多様で、調和のある、平等な社会になることにつながっていくと島田さんたちは考えているのです。
問題はアイヌだけではなく、私にもつながっている「みんなのプロジェクト」なのです。

小田原からわざわざ参加してくれた露木さんは、最近の中国の少数民族同化政策につなげて、話をしてくれました。
日本も同じようなことをやっていたら、中国に対抗できないのではないかと言うことです。
世界各地で少数民族の問題が広がっていますが、日本の国内にも同じ問題があることに私たちは気づかなければいけません。

同時に、これはまた、少数民族問題だけではなく、障害者やハンセン病、さらには福島の被災者などにもつながる話です。
つまり、私たちの社会のあり方に関わっているのです。
今回のサロンで、アイヌ問題から見えてくることの大きさと深さを改めて感じました。
今回も自分の無知さを改めて思い知らされるサロンでした。

井口さんは、このサロンの打ち合わせをしていた時に、「後から住みだした人々(和人)が何を奪ってきたのか、という点は明らかにしておきたい」と言っていました。
それは実は、私たちの生き方から失われていること、あるいは最近の社会の生きづらさにもつながっていることに気づかされました。
それに関してひとつだけ紹介します。
島田さんは、死者の送り方について、お金のかかる和人の葬式と死者と共にあるアイヌの人たちの送り方を少しだけ話してくれました。
とても共感しました。
そこにもしかしたら、すべてが象徴されているのかもしれないと思いました。

東京オリンピックの開会式で検討されているというアイヌのパフォーマンスも話題になりました。
魂の入らない商業主義的なものにならなければいいのですが。

島田あけみさんが身心から発する「深い思い」、「生命の躍動」の刺激があまりに大きかったので、今回もまた消化不足で、うまくまとめられず、不十分の報告ですみません。

井口さんが紹介してくれた映像をもっと多くの人に見てもらいたい。
アイヌの文化にもっと多くの人に触れてもらいたいと思いました。
なお、10月21日、島田さんが代表を務めるチャシ アン カラの会の主催で、横浜のスペース・オルタで、「アイヌ感謝祭」が開催されます。
よかったらご参加ください。

(2017年10月第1週)
今週は挽歌が一つしか書けませんでした
■「2084 世界の終わり」を読みました(2017年10月1日)
■コーオウンド・ビジネスをテーマにミニミーティング(2017年10月2日)
■ストーリーテリング協会の独自の視点(2017年10月3日)
■コミーの出版活動(2017年10月4日)
■生涯学習の本質?(2017年10月4日)
■「ゆる〜いみんなのカフェ」(2017年10月4日)
■Twitterを始めました(2017年10月7日)
■挽歌が書けません(2017年10月7日)

■「2084 世界の終わり」を読みました(2017年10月1日)
「『1984』『服従』のその先を描くディストピア小説に新たな傑作」というキャッチコピーに魅かれて、久しぶりに小説を読みました。
ブアレム・サンサルの『2084 世界の終わり』です。
ジョージ・オーウェルの『1984』に着想を得た小説ですが、作者のサンサルはアルジェリアのムスリムです。
小説ですが、実に読みにくいし、落ちもなければ、盛り上がりもない。
論理が実に粗雑で、筋書きもめちゃくちゃです。
キャッチコピーがなければ、私は駄作として途中で投げ出していたでしょう。
にもかかわらず、何かが残ってしまう小説です。
いまの日本を思わず連想してしまうところもある。

小説の舞台は、4度にわたる大聖戦後の世界で、そこではイスラム的なものがすべてを支配しています。
20世紀までの文明に記憶はすべて消えてしまっている社会です。

著者は物語を始める前に、次のような「警告」を書いています。
 読者諸君は、この物語が実話であるとか、世に知られたなんらかの現実を基にしているなどと考えてはいけない。そう、まったくもってそれはない。全部が全部、登場人物も、出来事も、その他諸々もすべてが作り話だ。その証拠に、物語は遠い未来、我々のこの世界とは似ても似つかぬ遠い世界で展開する。

ところが、この小説は奇妙に現実につながっているのです。
本書が出版されたのは2015年のパリです。
2015年というのは、シャルリー・エブド襲撃事件があった年です。
その後に書かれ出版されています。
にもかかわらず、こんなことが出てきます。
1914年、1939年と同じように、2014年、2022年、2050年にも同じことが起こった。そして2084年が最後となった。旧世界は存在することを止め、新たなアビスタンがこの惑星で永遠の統治を開始した。
つまり、2014年に大聖戦が起こったと書かれています。
奇しくも第一次世界大戦が起こった100年後。
もしかしたら、サンサルには2084年が見えているのかもしれません。
ちなみに、アビスタンとは、アビの国という意味で、アビは大聖戦後の世界を支配する宗教の神ヨラーの代理人です。

本書を読みながら思い出したのは、オーウェルの「1984」やザミャーチンの「われら」ではなく、アーサー・C・クラークの「都市と星」です。
この小説の主人公は世界の「境界」の向こうへの関心で、生き方を逸脱します。
境界の向こうを目指すのはスペースオペラにもよくあるテーマの一つです。
これまで、「都市と星」と「1984」をつなげて考えたことがありませんでしたが、科学技術の成果で構築された未来都市ダイアスパーは、アビスタンと同じだったのです。
なぜそれに気づかなかったのか。
同じものも、違って見えてしまうことを改めて思い出しました。

お薦めはしませんが、よほどお暇で退屈されていたら、読んでみてください。
そして感想を聞かせてもらえればうれしいです。
この本がフランスでなぜ大評判になり、アカデミーフランセーズ小説賞のグランプリまで獲得したのかがわかりませんので。

■コーオウンド・ビジネスをテーマにミニミーティング(2017年10月2日)
「コーオウンド・ビジネス」の著者の細川さんとその活動に一緒に取り組んでいる小泉さんをダイヤモンドハーバードビジネスの前編集長だった岩崎さんとお引き合わせしました。
というのも、岩崎さんは私が翻訳出版した「オープンブック・マネジメント」の時の担当編集者だったのです。
そして、オープンブック・マネジメントとコーオウンド・ビジネスは同じ思想の戦略です。
久しぶりに企業経営の話をたっぷりとしました。
なにやら懐かしい気がしますが、昨今の日本の企業経営は1980年代以前に退化しているのではないかというのが、ほぼみんなの共通感覚でした。
日本の企業の先行きはかなり心配です。
本当は今こそ大きな経営戦略が求められていると思うのですが。

■ストーリーテリング協会の独自の視点(2017年10月3日)
ストーリーテリング協会として「ストーリーテリング」にどのような新しい価値を持ち込むかの議論をコアメンバーでしました。
私自身は、「話す」から「語る」へ、そして「騙る」という、創発視点を最近は強く意識しだしていますが、それをどう言語化するかは難しいです。
今月23日に公開の説明会を予定していますが、なんとか独自性を打ち出せるようにしたいと考えています。
難問ではありますが。

■コミーの出版活動(2017年10月4日)
コミーという会社では、昨年から出版事業に取り組みだしています。
2冊目と3冊目が来年初めに出版されるのですが、それに関する話し合いを、担当している西山さんと行いました。
2冊目は「おっしゃん二代記」という社会活動家の藤本さんの話です。
藤本さんとは2回ほどお会いしていますが、魅力的な人です。
途中段階の原稿を読ませてもらいましたが、密度の暑い本です。
3冊目は黒岩さんの「音のない記憶」。私にも思い出の多い作品の復刊です。

コミーの小宮山さんは、最近、本が消耗品的になってきているのを憂えて、ロングセラーの仕組みをつくろうという社会活動的な位置づけをしています。
その思いに共感し、協力したいと思っています。

■生涯学習の本質?(2017年10月4日)
11月に我孫子で、生涯学習をテーマにした公開フォーラムを開催したいという原田さんに協力して、準備を進めていますが、キースピーカーに学校と地域の融合教育研究会の宮崎さんをお願いすることにしました。
それで原田さんと宮崎さんをお引き合わせることにしました。
宮崎さんは、その後のサロンにも出たいと言って、奥さん同行で来てくれました。
後で奥さんの活動についてもお話を聞きましたが、実に共感できる理想的な活動をされています。
この夫にしてこの妻ありと言ってもいいでしょう。
いやもしかしたらその反対かもしれません。
宮崎さんは、たぶん生涯学習とか社会教育という言葉には呪縛されることなく、楽しいことを積み重ねていこうと実践されているだけだというでしょう。
生涯学習という言葉は、私にはとても違和感があるのですが、宮崎さんの話にはいつも魅了されます。
11月の我孫子のフォーラムも楽しいものになりそうです。

■10月の「みんカフェ」(2017年10月4日)
フェイスブックの効果がでてきたのか、なんと初めての方も含めて20人を超えるサロンになりました。
テーマのない「ゆる〜いカフェ」を予定していましたが、これだけ集まると、なかなかゆるくはなりません。
ゆるいどころか、「当事者」という言葉をめぐっての深い議論になりました。
途中から参加した人が、ゆる〜いと思って来たのにゆるくないと笑いながら言ってくれましたが、まあ「何でもあり」という意味でのゆるさだと考えてもらえればと思います。
何が起こるかわからない。
そこにも湯島サロンの特徴があります。

最初に参加者に自己紹介をしてもらいましたが、ある人が「発達障害の当事者です」と話すのを聞いた初参加の人が、「当事者であることを自己表明するのはなぜか」という問いかけをしてくれました。
そこから「当事者」とは何か、さらには発達障害とは何か、などと話は広がり深まりました。
なにしろ20人を超す参加者なので、視点もいろいろで、刺激的でした。

実は今回は長年社会教育などに関わってきた人が複数参加されたので、その話を少ししてもらおうと思っていたのですが、発達障害や引きこもり体験者の方が多かったこともあって、そうした人たちの思いや体験が次々と出てきて、話題も自然とそちらに向かいました。
初めて参加したビジネスの世界にいる人にとっては、こんな集まりははじめてだったかもしれません。
翌朝、「私のあまり知らない世界のお話をお聞きして大いに考えさせられました」というメールをもらいましたが、同じ社会を生きていても、なかなか触れ合うことのないことはたくさんあります。
最近は、同質の人たちで集まりやすい傾向が強くなっているような気がしますが、湯島のサロンはできるだけさまざまな人たちが、しかし同じ立場で話しあい何かを分かち合えればと思っています。
さまざまな人と触れ合って自分の世界を広げていけば、差別とか障害などということの無意味さがわかってくるかもしれません。
あるいは、人は誰もが違うのだということがわかれば、そして違いには優劣などないということに気づけば、とても豊かな社会、豊かな生き方ができるようになると思います。
こういう場を広げていけば、もしかしたら60年後には誰もが住みやすい社会になっているかもしれません。
だから私は来世が楽しみなのです。

具体的な話をひとつ紹介します。
発達障害だという人が話してくれたことがとても示唆に富んでいます。
彼は子どもの頃、母親に「テレビをきって」と言われて、のこぎりで切ろうとしたという体験があるそうです。
あるいは電車のホームで「白線の内側で待ってください」というアナウンスを聞いて、20センチほどの白い白線の上で待つのだと思い、大変苦労したということもあったそうです。
いずれも冗談だろうと思われたそうですが、彼はまじめにそう考えたのです。
そうした事例がたくさんあるそうです。
同じ言葉でも受け止め方や解釈は実にさまざまです。
ここまで大きく解釈がずれているといつか間違いに気づくでしょう。
しかし、小さなずれはなかなかお互いに気づかない。
そして、そうした小さなずれはたぶんすべての人の間にあるはずです。
発達障害の人だけが、コミュニケーション不全にあるわけではありません。
改めてそのことを実感しました。

ちなみにこの話を聞いて、私はこうした話し手と受け手のずれの事例をたくさん集め、それを「辞書」にして出版したらどうだろうと考えました。
発達障害に限らずに、いろんな意味でコミュニケーション環境を改善できるかもしれません。
どなたか一緒にやりませんか。

ところで、「当事者」ですが、「当事者」表明をすることで誤解されないですむという「当事者」からの発言もありました。
逆に「当事者」を意識するとそれが逆に自分を縛って、ますます「当事者」らしくなる危険性もあるのではないかという話もありました。
私は、みんなそれぞれ自分の人生の当事者になって生きれば、つまり、社会や組織や常識に合わせるのではなく、もっと素直に自分の人生を生きることが、長い目で見れば生きやすさにつながっていくと思っています。
目先の生きやすさのために自分に嘘をついたり、自分を抑え込んでしまうと、いつかその反動がくるばかりか、社会そのものがおかしなものになっていくのではないかと考えているのです。
当事者という言葉を概念的に使った「当事者主権」とか「当事者主義」という概念もありますが、当事者はそれぞれ多様な存在であって、一括りにはできません。
ですから当事者主義とは、多様性を認め合うということでもあります。
そんな話も合ったような気がします。

いろんな話が出ましたが、いつものように極めて主観的な報告でした。
発言したりなかった人が多かったと思いますが、お許しください。
ゆる〜いサロンどころか、たくさんの気づきをもらった、「濃いサロン」でした。

■Twitterを始めました(2017年10月7日)
Twitterを始めることにしました。
ところが、新規登録しようとしたら、なぜかすでに2010年にツイートしていました。
そのためあんまり納得できない名前がついていました。
だれかに誘われて登録していたようです。

でもまあ、改めて始めることにしました。
名前を変えました。
もっともやり方がよくわからないのでしばらくは混乱するでしょうが。
相手が見えない世界に呟いて一体どういう意味があるのか、まだ実感できていないのですが、やってるうちにわかってくるでしょう。

最初のツイートは、「アベノミクスは安倍首相のための経済、ユリノミクスは小池都知事のための経済。経済の私物化を標榜する発想がわかりません」。
つづけてのツイートは、「打倒や排除からは希望は生まれません」。

■挽歌が書けません(2017年10月7日)
挽歌が書けません。
1日に書いたきりで、その後また書けなくなっています。
実は挽歌だけではありません。
先週からいろいろと書けないことが多くなってきています。
本の紹介なども書かなければいけませんし、友人から頼まれていることもあるのですが、どうも書こうと思うと書けません。
書こうという気はあるのですが、そして1行くらいは書きだすのですが、なぜかつづきません。
理由はわからないわけでもありません。

来週挽回するようにします。
たぶん、ですが。

(2017年9月第4週)
■お彼岸過ぎの墓参り(2017年9月25日)
■スマホに変えました(2017年9月25日)
■千葉市市民活動支援センターの原田さん(2017年9月26日)
■KAE中間発表会(2017年9月27日)
■上高地での不思議な人に会いました(2017年9月29日)
■カフェサロン「呼吸器の子・重い障害を生きる意味」(2017年9月30日)

■お彼岸過ぎの墓参り(2017年9月25日)
お彼岸にお墓に行かなかったので、なにか気になってしまい、1日遅れてお墓に行きました。
近くのお墓で納骨していました。
彼岸が終わっていたせいか、どこのお墓もお花がきれいでした。
やはり彼岸にはお墓に行かなくてはいけませんね。

■スマホに変えました(2017年9月25日)
ついに私もスマホに変えることにしました。
別に必要性があったわけではないのですが、まあそろそろいいかと思ったのです。
それで変えたのですが、いろいろと面倒です。
というか、慣れていないからかもしれませんが、スマホは技術的に未完成だと思いました。
私は基本的にパソコンでインターネットやメールをしていますが、スマホではそれがまだ仕組みとして整理されていないので、たくさんのメールが届いたら処理できませんし、分類や検索が難しい。
たくさんのメールが来て大変だという人のことがわかりました。
たしかに1日に数百通のメールが来たら、大変そうです。
パソコンだと仕分けや一括処理でメールがいくら来ようと大丈夫ですし、迷惑メール対策も簡単に処理できます。
しかしスマホだとそういう対策をどうしてやったらいいかわかりません。
ですから当分は発信だけにしようかと思います。
ますます移動中の私には連絡がつかなくなりそうです。
すみません。

■千葉市市民活動支援センターの原田さん(2017年9月26日)
千葉市市民活動支援センターの原田さんが湯島に来ました。
12月に企画しているシニア世代の地域活動促進事業の相談です。
こういう事業はどこでも多いのですが、その意味が私はあまりわかっていません。
ですからどうしても腰が引けてしまうのですが、話しているうちに結局は協力することになってしまいました。
それに原田さんとは数年前に会っているのです。
どうも最初はコムケア関係の集まりのようです。
だとしたら10数年ぶりです。
その後も一度、湯島にも来てくださっているようですが、たぶん私があんまりしっかりしていなかった時期なのでしょう。
名前は憶えていたのですが、定かな記憶がありません。

肝心な用件はともかくいろんな話をさせてもらいました。
いま私たちが我孫子で取り組んでいる活動にもつながりそうです。
いろんな意味でなにかご一緒できればと思います。

■KAE中間発表会(2017年9月27日)
山城経営研究所のエグゼクティブフォーラムの中間報告会でした。
4つのチームの発表がありましたが、3つのチームの関心事は「人のつながり」でした。
この活動を30年ほど続けていますが、なんだかテーマ還りしているような気もします。
11月下旬の最終報告会です。

■上高地での不思議な人に会いました(2017年9月29日)
娘と一緒に上高地へのバスツアーに参加しました。
妻とは2回ほど行ったところですが、妻がなくなってから初めてです。
天気に恵まれました。

そこで不思議のことがありました。
フェイスブックに報告したのですが、不思議なことが起きたのです。

上高地の大正池から田代橋に歩いていると道に何となく場違いの人が立っていました。
近づくと、かっぱ橋はどっちですかと訊かれました。
こちらの方に2キロほどだと教えました。
そこで別れました。
ところがそれから1時間後、なんと今度はかっぱ橋の先のビジターセンターから出てきたら、その人がどこからともなく現れて、バスターミナルはどこですかと訊いてくるのです。
あまりの偶然に驚いて、先程もお会いしましたねと言いましたが、無視されました。
そこでしかたなく場所を教えましたが、どう考えても不思議です。

私が不思議に思ったのは、まず最初のことです。
そこは一本道でした。
ですからその人はどちらかから歩いてきたはずですが、まっすぐ前を向いて歩けば、いいだけの話です。
方向を尋ねることもありません。
第2に、歩き方がゆっくりしていて、そこから1時間、かなりの速さで歩いた私たちに追いつくはずがありません。
第3は、2回目に出会ったところは河童橋から明神池に向かう、さらに先にあるビジターセンターです。
あまり人は行きません。
ところがその人の歩いている向きは、ビジターセンターから橋に向かう方向でした。
それに河童橋界隈は、たくさんの観光客でにぎわっています。
私はバスツアーで行きましたが、同じバスの人にさえ、会いませんでした。

私を追いかけてきたと考えてもおかしくないのです。

次に雰囲気ですが、大変失礼な表現ですが、まったく生気がないのです。
声のかけ方も、ゆったりしていて、反応が弱いのです。
もし自宅の近くでこの人に会ったら、心配して見守りたくなる感じです。
荷物はビジネスバックとビニール袋です。
それもいかにも場違いです。

私から答を聴いた後は、私が指差す方向にトボトボと歩きだしました。
たくさんの人がいましたが、何の反応もなく、風景を見るでもなく、トボトボと。
最後まで見送ればよかったのですが、もしかしたら途中で消えてしまったかもしれません。
その後、少し遅れてバス停に行きましたが、たくさんの人が並んでいましたが、その人はいませんでした。

まあこんなことを書いても、たぶん伝わらないでしょうが、実に不思議な気持ちになったのです。

まあそれだけのことなのですが。

■カフェサロン「呼吸器の子・重い障害を生きる意味」(2017年9月30日)
15人のサロンになりました。
医療関係者の参加が少なかったのが残念でしたが、さまざまな話題が出て、たくさんの気づきをもらえたサロンでした。
松永さんは60枚にもわたるパワーポイントをつかって、在宅で人工呼吸器をつけている凌雅くんとその家族の生活ぶりを紹介してくれました。

物語の始まりは、凌雅くんのお母さんが発した「在宅人工呼吸器の今の生活が楽しい」という一言への松永さんのひっかかりからでした。
寝たきりの最重症、介護疲れ、不自由不便、自宅での孤立… なぜ「楽しい」と言えるのか?
それが松永さんの疑問だったそうです。
そうして、凌雅くん一家との交流が始まり、松永さんは自分の思い込みの間違いに気づいていくのです。
今回のサロンに参加した人も、松永さんのお話を聞いて、たぶん納得、というよりも、共感できたのではないかと思います。

凌雅くんは生後5か月の時に、ゴーシェ病と診断されました。
患者数は日本で10〜20人しかいないという病気で、余命は2歳までと言われていました。
それを知った時、凌雅くんのお母さんは、「障害児として生きるのであれば、受け入れることができるが、短命ということには耐えられない」と思ったそうです。
そして、「何のために生まれてきたのか? 早く死ぬために生まれてきたのか? 残りの命はあと1年しかない。生きる意味は何なのか?」と、地獄の底に落ちた心境だったと言います。

凌雅くんは、1歳半の時に自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器を装着することになりました。
そこで家族は選択を迫られます。
一生を病院で過ごすか、それとも自宅で呼吸器をつけて暮らすか。
家族は迷うことなく後者を選択します。
病院は病人を治療する場所。これから生きていくには、その場所が病院でいいはずがないと考えたのです。

そこから家族の生き方が変わっていきます。
凌雅くんの世界も大きく広がっていきます。
そしてまわりのたくさんの人たちに喜びや幸せを広げていくのです。
その話は、ぜひ松永さんの書いた「呼吸器の子」(現代書館)をお読みください。
とてもここでは紹介しきれませんし、正確に伝えられる自信もありません。
凌雅くんはいま中学校に通っています。

最後に松永さんは、「私が学んだこと」と言って3つのことを話してくれました。
3つ目だけを紹介します。
不自由なこと、不幸なことはイコールではない。
なぜならば、人間とは、人間とは何かをつねに決定する存在だ。

パワーポイントの最後は、凌雅くん一家がアクアパーク品川に行った時の写真でした。
両親と凌雅くんの姉、みんなとても幸せそうな笑顔でした。
この笑顔を見れば、今の生活が楽しいというお母さんの言葉に納得できるでしょう。
私は、こんなに素晴らしい笑顔の家族はそう多くないかもしれないとさえ思いました。
同時に、この家族を幸せにしているのは、まさに凌雅くんだと確信しました。
長年、身近で接してきた松永さんは、そのことをもっと強く実感しているでしょう。

松永さんは、凌雅くんの看護師の言葉を紹介してくれました。
「苦しみの中にちょっとした楽しさや前向きの気持ちを見つけて、それにすがって生きていかざるを得ない。楽しさを見つけてキャッチする、障害児の母はそういう能力を自ら開発している」。
とても考えさせられる言葉だと思います。
私たちが忘れてしまっていることかもしれません。

話し合いは、いつものようにさまざまな話題が出ました。

凌雅くんは他者とどういうコミュニケーションをしているだろうかという話から、凌雅くんの生活を支えるためのいろいろな人たちを元気にし、言語ではないコミュニケーションをしているという話が出ました。
松永さんは、みんなも凌雅くんに支えられているとも話してくれました。
まさにケアの本質がそこにあります。

凌雅くん家族は、余命2歳の「医療界の常識」を否定しましたが、そうした事実によって、その後、障害児医療はどう変わったのでしょうか。
医師たちの考え方は変わったのでしょうか。
残念ながら大きく変わった事実はないようでした。
たぶん凌雅くん家族のことを知っているかどうかで、医師の考え方は変わるのではないか。
だからこそ、松永さんは本書を医療関係者に読んでほしいと思っているのです。
医療関係者だけではありません。
凌雅くん家族の幸せは社会を変えていく大きな力を持っているように思います。
医療を変えるのは、医療関係者だけではありません。
一番の当事者である患者、つまり私たち生活者もまた、医療を変えていく存在なのです。
それに、障害者のとらえ方も変わってくるでしょう。
そうした話から、医療のあり方や医師教育のあり方にも話は広がりました。

ちなみに、なぜ凌雅くんは余命2年の常識を変えられたのか。
ここに私は医療の本質が示唆されているように思います。
いつか、そんなテーマのサロンを企画したいです。

出生前診断の話も出ました。
これに関しては賛否ありますが、それを考えるうえでも凌雅くん家族の話は大きなヒントになるでしょう。

凌雅くん家族はすごいのかという話も出ました。
たしかにそうかもしれませんし、恵まれていたのかもしれません。
でも、そうしたくても、そうできなかった家族はどう思うでしょうか。
松永さんは、本の中ではそうしたことに関してとても誠実に心配りしていますが、だれもが凌雅くん家族のようにできるわけでも、なるわけでもありません。
でも大切なのは、どんな場合にも、それには十分の意味があると思うことかもしれません。

電車の中などで、障害者を見てしまうことも話題になりました。
その時に、「可哀そう」だと思うことの意味も話題になりました。
凌雅くんの父親は、「見られるのは当たり前。だって呼吸器を付けているのだから。これも人生」と言っているそうです。
実に自然体で、誠実に生きていることが伝わってきます。

障害児の自立についての父親の考えはとても共感できます。
「児童が好きなものを見つけていく。好きなものが見つかれば、仲間ができる。仲間が増えれば、その児童は幸福になれる。夢・目標に向かっていく姿勢を自立と呼びたい」。
私も、はっと気づかされた言葉です。

医療費は限られているのだから、重度障害児治療よりも、もっと大勢の子どもたちのための治療に向けたほうがいいのではないかという発想から、重度障害児治療に消極的な人も多いそうです。
これは大きな、そして実に悩ましい問題です。
それに関して、「海外での心臓移植治療のための巨額な費用の募金活動の呼びかけを受けた時に、ほかの同じような子供のことを考えると募金すべきかどうか迷ってしまった」という発言がありました。
つながっている話だと思いますが、書き出すときりがないので、今回はそうした話も出たことだけを報告しておきます。
いろんな視点に気づかされるのが、湯島のサロンの魅力なのです。

身体的ではないが、精神的な障害で、今日、このサロンに来るのもやっとだったという参加者の発言もありました。
彼女も、凌雅くんからたくさんの気付きをもらったようです。
精神障害は身体障害と違って、外からは見えにくいこともありますが、だからこそ大変な面もあります。
今回、松永さんのお話を聞いていて、私は改めて、障害観に関する大きな示唆をもらった気がします。

生きるとは何か、幸せとは何かを、考えさせられるサロンでした。
いろんな気付きがあって、この報告がなかなか書けず、夜になってようやく書く気力が出てきたため、遅くなってしまいました。
長くなったのですが、書き足りない報告になっています。

サロンの映像記録を近藤さんに撮ってもらいましたので、もしかしたら公開させてもらえるかもしれません。
その場合は、またご案内しますが、ぜひ松永さんの著書「呼吸器の子」(現代書館)を読んでもらえればうれしいです。
松永さんは特に医療関係者に読んでほしいと言っていますが、すべての人に読んでほしい本です。
松永さんはその本の最後に、「本書は、私たちの中に潜む差別思想に対するカウンターブローにしたい」と書いていますが、間違いなくそうなるでしょう。
だからこそたくさんの人に読んでほしいのです。
残念ながら本書はまだ重版に至っていません。
ぜひみんなで購入して重版に持っていきたいです。
社会をもっと住みやすくしていくためにも。

なお、「呼吸器の子」は、ブックのコーナーで紹介しています。

(2017年9月第3週)
■ストーリーテリング協会(2017年9月20日)
■LLPへの呼びかけ(2017年9月20日)
■すぎの梨園の王秋梨(2017年9月21日)
■我孫子市の生涯学習部を訪問(2017年9月22日)
■お互いに元気づけしあえるコミュニティ(2017年9月22日)
■LLPコモンズ手賀沼と我孫子まちづくり会議(2017年9月23日)

■ストーリーテリング協会(2017年9月20日)
ストーリーテリング協会のホームページへのアクセスは多いのですが、最近は手がまわらなくて、協会としての活動をほとんどしていません。
それで一度、協会のホームページにアクセスして資料などをダウンロードしてくださっている人たちを対象にした説明会兼話し合いの会を開催することにしました。
それを契機に、協会としてのストーリーテリングの捉え方を再確認することにしました。
コアメンバーで何回かの話し合いをしていますが、やはり話し合うといろんな気づきがあります。
説明会は10月23日の予定です。
内容が決まったらまたご案内させてもらいます。

■LLPコモンズ手賀沼への呼びかけ(2017年9月20日)
我孫子まちづくり会議準備委員会がゆっくりと立ち上がりつつありますが、思いついてLLPコモンズ手賀沼のメンバーにも呼びかけてみました。
誰も参加しないだろうと思っていましたが、予想に反してみんな関心を持ってくれました。
さてそうなるとそう気楽にやっているわけにもいきません。
うまくいくと仕事が増えます。
うまくいかないと気が萎えます。
人間は実に勝手なものです。
説明会を急きょ開催することにしました。

■すぎの梨園の王秋梨(2017年9月21日)
いま、すぎの梨園では、王秋梨がたくさんなっています。
杉野さんから、その王秋梨のことを教えてもらいました。
みなさんはご存知でしょうか。
写真に見るように、形状がラグビーボールのようで、大型。
中国梨との交配種で、貯蔵性が高く、年明け後まで保存できるそうです。
一般に梨はあまり日持ちがしませんが、この王秋梨は3か月くらい持つそうです。

すぎの梨園にはちょうどいま見事に成っていましたが、収穫期には至っていないそうで、10月に入ってから中旬くらいまでが収穫期だそうです。
またその頃にうかがおうと思います。
シーズン最後の梨というわけです。

私は幸水が大好きなのですが、杉野さんによれば、梨の味にこだわる人は酸味のある豊水が好きで、私のように幸水好きは、まあ甘ければ喜んでもらえる、と笑って話してくれましたが、この王秋梨は酸味もあってこれから増えていくのではないかという感じでした。
梨の世界もどんどん新しい品種が出てきているようです。

いまはいろんな梨がある時期なので、5種類の梨をわけてもらってきました。
これまでは幸水の時期が終わると梨はあまり食べなくなっていたのですが、今年はいろんな梨に挑戦してみたくなりました。
王秋梨も楽しみです。

杉野さん家族の生き方は、いつ伺ってもうらやましいほどに豊かです。

■我孫子市の生涯学習部を訪問(2017年9月22日)
我孫子まちづくり会議準備委員会が中心になって開催する公開フォーラムンテーマを「まちづくりに向けての生涯学習」にしました。
中心で動いている原田さんが、「生涯学習」にこだわっているのです。
私は、生涯学習という言葉が嫌いなのですが、まあがんばっている人の意志を最優先しなければいけません。
それもあって、我孫子市の生涯学習部の木下さんに会いに行きました。
最初はどんな職場か感じにいくくらいのつもりでしたが、いろいろと原田さんを中心にした動きもあるので、そんな話をしてしまいました。
対等な、しかし補完し合えるパートナーシップを目指したいと思います。

■お互いに元気づけしあえるコミュニティ(2017年9月22日)
予定を見たら、「湯島プロジェクトのミー
ティング」とありました。
これまで何回かやってきたミーティングの名前が「湯島プロジェクト」になっていました。
と言っても、今日は集まったのは私もいれて3人です。
呼びかけ人は阿部さんです。
メンバーは、生きづらさをかかえている人を支援したいという思いを持っている人たちです。
そういう人はともかく忙しいのです。
だから急用ができたりして、なかなかいつも集まりに来られないのです。

みんなでゆるやかな組織をつくろうとしています。
一人で生きるよりつながって生きるのが生きやすさが高まるからです。
最初は「寄り添いネット」のような名前がでていましたが、「寄り添い」では何となく弱々しいので、もっと元気が出る名前にしたらどうかと提案しました。
「寄り添い相談」とか「寄り添いサロン」は私のネーミングですが、「寄り添いネット」とか「寄り添いコミュニティ」となるとちょっとイメージが違います。
私は「ほっかほかコミュニティ」なんかがいいような気がしますが、「ジョンギくらぶ」も復活したい気がします。

まあ急がずにゆっくりと進むでしょう。
最近は私が先導するスタイルはやめました。
もう誰かの後をついていく歳になりました。

■LLPコモンズ手賀沼と我孫子まちづくり会議(2017年9月23日)
我孫子駅近くにあるけやきプラザの高いフロアからは手賀沼が眺望できます。


今日はそこで、LLPコモンズ手賀沼と我孫子まちづくり会議準備委員会とのジョイントミーティングをもちました。
そこに思ってもいなかった人も参加しました。
我孫子のご当地アイドルの手賀沼サンセットのお一人です。
https://www.teganumasunset.com/
そのグループのプロデューサーが、仲間なのです。

話はとても盛り上がりました。
我孫子のために、何ができるか。
LLPコモンズ手賀沼としてのプロジェクトを立ち上げることになりました。
我孫子まちづくり会議(仮称)に向けて、ちょっと先が見えてきました。

(2017年9月第2週)
■ほっとスマイルプロジェクト交流会(2017年9月12日)
憲法を考えるサロン「元軍国少女が語る憲法への思い」(2017年9月12日)
■市民活動フェスタでの公開フォーラム予備検討会(2017年9月13日)
■JR西日本交通サービスの酒井さんとの再会(2017年9月15日)
■カフェサロン「となりのムスリムにイスラムのことを聞いてみよう」(2017年9月17日)

■ほっとスマイルプロジェクト交流会(2017年9月12日)
世界中を笑顔で埋め尽くしたいという思いではじまった「ほっとスマイルプロジェクト」の2回目の公開交流会です。
前回はなかなか主旨と活動方向が決まらなかったので、再度の集まりにしたのですが、やはりもう少し時間がかかりそうです。
当面はあまり欲張らずに認知症予防ゲームの実践者の交流会とっ割り切ったほうがいいかもしれません。
しかしもう少し時間をかけていきたいと思います。

■憲法を考えるサロン「元軍国少女が語る憲法への思い」(2017年9月12日)
「元軍国少女が語る憲法への思い」には20人を超える参加者がありました。
男性女性半々でした。

元軍国少女を自称されている85歳の高林さん(NPO法人認知症予防ネット理事長)のお話は、ご自身の体験に基づくものなので、説得力があり、とてもわかりやすいお話でした。
高林さんは、京都の宇治にお住まいですが、NPO法人認知症予防ネットの理事長として、長年、認知症予防活動に取り組んでいる方です。

高林さんが憲法への関心を持ったのは、地元の宇治中学校で戦争に関わる体験談をお話になったのが契機だそうです。
高林さんの話を聴いた中学生たちの感想文を読んで、自分には「軍国教育をもろにうけた者」としての視点で語り部的責任があるのではないかと考えるようになったといいます。
思ったら実行するのが、高林さんの生き方です。
そして憲法がないがしろにされている最近の政治状況への憤りもあって、憲法に関しても改めて読み直し、自らの憲法前文を自分でつくってしまいました。

案内文にも書きましたが、高林さんの思いを引用します。

敗戦の経験がなければ、憲法に注文をつけたくなるなど思いもしなかった筈です。
戦争体験と憲法は、私にとりましては表裏一体で、同学年の女学生達の中で、突出した思想の持ち主だったと思いに至ります。
怨霊のような軍国少女にも、1ミクロンの魂が残っています。

憲法と聞くだけで、何時も欲求不満がくすぶります。
私も自分なりの憲法を書いてみようと思った途端、目の前が明るくなりました。
言論の自由の前に、自分の要求を書いてみることが先だと気が付きました。

高林さんの新憲法前文の内容は極めて明快です。
なぜ憲法を変えるのか、そして新しい憲法の理念は何かを明確に示しています。

まず、戦後、日本は「皇国史観」を否定し、主権在民、民主主義、平和憲法を軸にした、新しい憲法を制定したにもかかわらず、恣意的解釈によって9条に違反し、さらには皇国史観の残影の出没を許している現実があることを正さなければいけない、そのために、平成今上天皇の退位が定められたこの転換期に際して、再び憲法の改定を行うべきだと主張します。
そして、改めて政教分離を明確にし、天皇制についても「始めあれば終わりありという天地の公道に従うべき」と主張します。

そして、「国策」理念が、次のように、具体的に明記されます。
「明治以来の富国強兵策は、昭和20年の敗戦までの78年間に、8度の外征を行い、諸外国に多大の被害を与え、我が国もまた甚大な損害と苦難に落ちた。世界で唯一の原爆被災国の責任として、戦争絶対反対、非戦、非武装を世界に誓い、一切の武力による抵抗も行わないことを宣言し、世界平和を追求することに於いて、世界の礎となるべきことを誓う。」
したがって、「自衛隊は解散し、災害救助隊を設立する。兵器は所有しない。害獣に対する麻酔銃に限って所有することを得。世界中からの要請に応えて援助に赴くものとする」としています。
「害獣に対する麻酔銃に限って所有することを得」というのは、高林さんらしいお茶目さです。

以上が前文に明記されている内容です。
個々の条文までは高林憲法案はできていませんが、個人の尊厳を基本とする民主主義理念で一部コメントをしています。
たとえば、「子女」というような「差別用語」が憲法に使っていることを問題提起しています。
そこにこそ、憲法の理念が象徴されると高林さんは指摘するのです。

ちなみに、この「子女」という言葉はだいぶ議論の話題になったのですが、男性と女性とはまったく受け取り方が違っていました。
私は男性ですが、「子女」という日常言葉(最近はあまり使われないでしょうが)にこそ、民主主義をどう捉えているかの本質が現れると思います。
言葉は思考を露呈し、同時に指向を規定します。

皇国史観に関しては、この説明では少しわかりにくいかと思いますが、実はここには高林さんの深い思いもあるのです。
残念ながら今回は、そこまでは踏み込んだ話し合いはできませんでした。
ここには高林さん一流の遊びや余裕も含意されているので、遊び心のある人たちで話し合うと面白いサロンになりそうです。

国策としての「非武装」主義に関しては、反論も多かったです。
最近の国際政治状況を踏まえて、核武装論まで出ましたが、武装によって平和が実現した国家などないという指摘と、逆に非武装で平和を維持した国家があるのかという、「男性」たちの論争がありました。
まあいずれもないというのが正解だと思いますが、大切なのはどちらの生き方を望むかです。
もっとわかりやすくいえば、あなたは誰かを殺さないと生き残れない場合、殺す方を選びますか殺される方を選びますか、ということです。
私は、鶴見俊輔さんが「教育再定義への試み」(岩波現代文庫)で書いていた文章を思い出しました。
ちょっと長いですが、一部省略して、引用させてもらいます。

私の息子が愛読している『生きることの意味』の著者高史明の息子岡莫史が自殺した。
息子は動揺して私のところに来て、「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」とたずねた。私の答は、「してもいい。2つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。(以下略)」

他にもいろんな話が出ました。

高林さんから今朝メールが届きました。

一生涯の決算を、あのような方たちの前で させていただいて、感激しました。
自衛隊を無くして、一億丸腰で、海岸線に一億が仰臥して、北朝鮮からの原爆を丸浴びする覚悟を、世界の人々に示すのが、良いと思っていますが、そこまでは時間不足で口に出せませんでした。
本当に闇夜でなくても棒で殴られても甘受する覚悟でしたが、意外と似たような御意見も聞かせて頂いて、嬉しい思いに膨らんで帰りました。

サロンに参加した人たちからもメールなどをいただきました。
男性たちはあんな感じで政治を語っているのかという女性の感想も聞けました。
こういう話をもっとしていかないといけないですねという人もいました。

高林さんは、学校で話したことなどをまとめて小冊子にしたいと考えています。
私は勝手にまた応援することにしました。
高林さんの了解は得ていませんが、断られても応援するつもりです。
資金集めもしたいですし、出版につなげて読者を広げたいです。
一緒に取り組んでくれる人がいたらご連絡ください。
よろしくお願いします。

なお、高林さんが宇治中学校で話された話の概要は下記にあります。
お時間があればお読みください。
http://cws.c.ooco.jp/takabayashi2017.pdf

憲法サロンはつづけます。

■市民活動フェスタでの公開フォーラム予備検討会(2017年9月13日)
我孫子まちづくり会議準備委員会(私の勝手な仮称です)の原田さんとミーティングを持ちました。
誰かと一緒にプロジェクトを起こす場合、お互いの思いを理解しておかないとどこかで乱調します。
私自身原田さんの思いをまだ十分に理解できていません。
今回のミーティングでかなり理解できたと思いますが、その一方で実際に動き出さないと何も始まらないという現実もあります。
それがジレンマです。
原田さんの構想をLLPコモンズ手賀沼と繋げてもいいかもしれないと思い、提案したところ原田さんも賛成したので、その方向を打診してみようということになりました。
さてさて、また難儀なことにならなければいいのですが。

■JR西日本の酒井さんとの再会(2017年9月15日)
コミーにJR西日本を紹介させてもらうことにしました。
その関係で、私も同行することにしました。
人を紹介しるということは難しく、これまでもいろんなことがあったので、いささか心配でもあったからですが、久しぶりにその友人にも会いたかったからです。
友人というのは、経営道フォーラムの受講生だった酒井さんです。
いまは関係会社の社長になっています。
その酒井さんが今回はアレンジしてくださったのです。

JR西日本を訪問するのは私も初めてです。
要件が住んだ後、酒井さんにご馳走になってしまいました。
お会いするのは3年ぶりくらいだと思いますが、ますますお元気そうでした。
社長業を楽しんでいるようでした。

■カフェサロン「となりのムスリムにイスラムのことを聞いてみよう」(2017年9月17日)



台風が心配されるなか開催された第1回イスラムサロンは16人のサロンになりました。
テーマの関係かもしれませんが、初参加の方も数名いました。
話し手のムスリムのオプさんの家族(パートナーと小学5年の息子さん)も参加してくれました。
息子さんも、父親からきちんとイスラムの話を聞く機会は多くないようで、自分から聞きたいと言って参加してくれたのだそうです。

まずオプさんは簡単な自己紹介をしてくれました。
最初の来日は、山口県でボランティア活動をした時だったこと。
帰国後、自国のバングラディシュで日本から来ていた美希さんと出会って結婚し、日本に移住したこと。
日本はとても住みやすいけれど、日本の人たちにもっとイスラムのことを知ってほしいと思っていること。
イスラムの信仰は深いけれど、1日5回の礼拝などの戒律に関しては、その精神を大切にして、必ずしも形には縛られていないこと。
いまは日本の企業で働いているが、バングラディシュと日本をつなぐ活動がしたいこと。
イスラムのこともバングラディシュのことも、もっと多くの日本人に知ってほしいと思っていること。

それに続いて、オプさんは参加者に、イスラムのイメージや知りたいことなどを問いかけました。
いろんな視点からの関心事や質問がありました。
オプさんはイスラムにネガティブイメージを持っている人が多いのではないかと思っていたようですが、むしろイスラムに好感を持っている人が多かったのが意外だったようです。

オプさんはみんなの質問に答えるような形で、話をしてくれました。
イスラムの教えでは、ハラールとハラームということがよく言われます。
「許されていること」と「禁じられていること」で、たとえば、豚肉とアルコール類は禁じられています。
オプさんは、それにはきちんと理由があってそうなったのだといいます。
でも今はその理由がもうなくなったものもあるはずで、オプさんとしては時代に合わせて、自分で判断しているそうです。
礼拝で唱える言葉の意味は必ずしも意味明快ではないそうですが、繰り返し唱えることの効用もあるという話は、日本の仏教のお経を思い出しました。

ひとわたり話してくれた後で、オプさんはイスラムの生活を支えている大事なことが5つあると説明してくれました。
「アッラーへの信仰告白」「1日5回の祈り」「チャリティ」「断食」そして「巡礼」です。
「アッラーへの信仰」をしっかりと持っていることは絶対的なものですが、祈りやチャリティや巡礼は、その精神をしっかりと持っていればいいというのがオプさんの考えです。
コーランにも、困っている人がいたら、むしろ巡礼費用をチャリティに使うことで巡礼に行ったと同じと認められるというような話もコーランにあるそうです。
オプさんは、ムスリムと言っても、そうした戒律を厳格に守っている人もいれば、柔軟に捉えている人もいると言います。

断食に関しても、食を断つことが目的ではなく、我欲を自制し、自らが苦しみを体験することで、他人の痛みや苦しみを知るところに意味があると言います。
それに夜になれば、みんなで一緒に食べるという喜びもセットになっていることを知ってほしいいと話してくれました。

複数の妻帯が認められているのかという質問もありましたが、オプさんはそれは貧しい時代にみんなで助け合うというチャリティの意味もあったと説明してくれました。
そういうように、厳しく感じられる戒律にも、みんなが支え合って生きていくための知恵が、その基本にあるわけです。
しかしそうした「生きていくための知恵」として生まれた戒律が、誰かによって悪用されている現実があることに関してもオプさんは残念だと思っているようです。

ジハード(聖戦)についても大きな誤解があるようです。
最近のIS関係の報道を通して、好戦的なイメージが広がっていますが、ジハードとは、本来「神の道のために努力する」ということで、むしろ自分に克つという意味合いが強いと言います。
聖戦と言っても、それはムスリムの共同体の防衛のためであって、攻撃を正当化することはないし、コーランでは殺人は厳しく禁じられているそうです。

他にもいろんな話がありましたが、私の記憶に残っていることを少し紹介させてもらいました。
オプさんは、イスラムと言ってもいろいろあるので、画一的に考えないでほしいとも話されました。
たしかにムスリムの女性たちの服装も国によって違います。
オプさんと美希さんの結婚式の写真を見せてもらいましたが、女性たちはみんな実にカラフルで、スカーフなどで顔を覆ってもいませんでした。

サロンでの話を聞いていて、私が感じたのは、ムスリムの戒律には富の再半分機能と社会秩序の維持機能が見事に埋め込まれているということです。
そこから学ぶことはたくさんありそうだということです。
でもまだ1回だけのサロンですから、そんな気がしただけというべきかもしれません。

オプさんは、イスラムの本当の実態がなかなか伝わっていないことを残念に思っています。
ですから、日本の人たちにももっとイスラムのことを話したいと考えています。
日本人がイスラムのことをどう思っているかについても知りたいでしょう。
一方、日本人は、イスラムのことも知りたくてもなかなか話を聞く機会がありません。
今回のサロンは、双方にとって理解し合う契機になりました。
イスラムサロンは継続して開催していきますので、まわりにムスリムがいたらぜひ話に来てもらってください。
私に連絡してもらえれば、場をセットします。
できれば、定期的なムスリムとの交流の場が生まれればと思っています。

ちなみに、オプさんの息子のサミーくんも初めてお父さんからイスラムのことをきいて、イメージがちょっと変わったそうです。
それにとても面白かったので、また参加したいと言ってくれました。
サミーくんのためにも、このサロンはつづけようと思います。

とても気づかされることの多い、また何かが生まれそうな予感のするサロンでした。
オプさん家族と参加されたみなさんに、感謝しています。

(2017年9月第1週)
■妻の11回忌(2017年9月3日)
■我孫子まちづくり会議?(2017年9月4日)
■コーオウンド・ビジネス(2017年9月5日)
■月曜日の朝が楽しいか(2017年9月8日)
■若いテレビディレクターとの雑談(2017年9月8日)
■カフェサロン「オランダの社会と教育」(2017年9月9日)

■妻の11回忌(2017年9月3日)
妻の11回忌でしたが、今年は何もせずに、ただ娘や孫とお墓に行き、軽い会食をするだけにしました。
妻の友人から立派な仏花も届いたのですが、それがそろそろ違和感を生み出すようになってきました。
仏壇の前に置くと何やら違和感があるのと当時のことを思い出してしまいます。
言い換えれば、日常の中に妻が溶融したとも言えます。
いつものように妻が好きだったささやかな明るい花があるほうが心穏やかになります。

でも妻のことを10年たっても思い出してくれる人がいることはうれしいことです。
感謝しなければいけません。

■我孫子まちづくり会議?(2017年9月4日)
我孫子の原田さんから招集がかかりました。
我孫子で11月に開催される市民活動フェスタで公開フォーラムをやろうというのが原田さんの計画で、それがほぼ決定になったのです。
このフォーラムの企画開催を通して、新しいグループが育っていくといいのですが。
ちなみにまだチームの名前は決まっていませんが、私としては「我孫子まちづくり会議」を提案しました。
われながらちょっとピンとは来ていないのですが。

■コーオウンド・ビジネス(2017年9月5日)
杉原さんが、お2人の友人と一緒に湯島に来ました。
きっかけは、私が以前監訳で出版した「オープンブック・マネジメント」に興味を持った細川さんを引き合わせたいということですが、細川さんは杉原さんと共著で「半市場経済」を執筆されています。
一緒に同じくコーオウンド・ビジネスに取り組んでいる小泉さんもご一緒でした。
お2人とお話していて、企業時代や企業と関わっていた時代のことを思い出しました。
最近の日本企業の劣化は、私には目に余るものがありますが、もう一度少し関わりたい気分も起こってきました。
まあもう無理でしょうが。
会社を元気にするのは実に簡単なことです。
しかし、それを実行するのは簡単ではありません。
細川さんや小泉さんの活動にどう役立てるかを考えたいと思います。

■月曜日の朝が楽しいか(2017年9月8日)
山城経営研究所のエグゼクティブフォーラムの私の担当チームが湯島に来ました。
チームのテーマのキーワードは「輝く」と「幸せ」です。
その起点にあるのは、「月曜日に会社に行くのが楽しいか」です。

いろいろと議論しているようですが、やはりまだ「的確な問題」にたどり着いていないようです。
今回も話は広がりましたが、現状に呪縛され過ぎているように思いました。
たぶんみんな今の大企業が抱える問題とその解決策はわかっているのでしょう。
でもそれが実際にはできない。
そのため、多くの人は誰かのせいにして動こうとはしません。
そこが問題です。
今回のチームのいまの到達点を聞きました。
そこで一番ほっとしたのは、次のようなことでした。

最近の若い社員は自分たちとは「異質」だと思っていたが、どうも私たちが「異質」ではないかと気づいた。

つまり視点が当事者意識になったということです。
これは私にとってはうれしいことです。
観察者として問題を批判してばかりでは何も始まらない。
まずは自らを相対化できるかどうかが大切なのです。

しかしこれからが問題です。
さてさて。

■若いテレビディレクターとの雑談(2017年9月8日)
NHKの若いディレクターが湯島に遊びに来ました。
めちゃくちゃ忙しそうですが、時にほっとした時間ができるようです。
彼が高校生の時にNPOで出会ったのです、もう番組をつくるようになっています。
番組はディレクターとプロデューサーの問題意識や価値観が大きく影響します。
そこで彼は、自らの世界を広げようと時間の合間にいろんな人に会っているようです。

これまで彼は地方で2度仕事をしていたようですが、それも含めて、いろいろと問題意識が広がり深まっているようです。
非常にうれしかったのは、しっかりと「自分」を持っていることです。
あまりに自分を置き忘れている人が多いので、時にこういう若者に会うとホッとします。

■カフェサロン「オランダの社会と教育」(2017年9月9日)
湯島サロンへの初参加の方5人を含めて、多様な立場の人たちの14人の集まりになりました。
教育関係者も多かったですが、教育への関心の高さを改めて感じました。

折原さんは、10ページにわたるレジメをつくってきてくれました。
オランダの教育の実態を多くの人に伝えたいという折原さんの思いが伝わってきます。

折原さんがオランダの教育に着目した理由は、オランダの子どもたちが世界一幸せだということからだそうです。
2007年のユニセフの「子どもの幸福度調査」ではオランダは総合1位。
たとえば、子どもが「自分は孤独である」という項目でいえば、オランダは2.9%で最も低かったそうです。
ちなみに日本は29.8%で最も高かったそうです。
また、オランダでは90%の子どもたちが「学校が楽しい」と応えています。
だからと言って、いわゆる「学力」が低いわけではなく、「学力」も世界トップクラスなのです。
ちなみに、2016年の「生活満足度の格差」調査でも、世界の主要国の中で最も格差が少ないのがオランダでした。

オランダも1980年ころまでは「オランダ病」と言われていたように、経済も生活も問題を抱えていました。
子どもたちもハッピーではなく、出生率も1.5を割っていました。
日本と同じような状況だったわけですが、なぜ日本とは違った展開になったのか。
転機になったのは、政府と企業家と労働組合が一緒になって取り決めた「ワッセナーの合意」と言われるものです。
そこから「同一労働同一条件(同一賃金ではありません)」を基本にしたワークシェアリングが生まれ、人々の働き方や生き方が変わりだしたのです。

オランダの教育現場が変わったのは、そうした社会全体のあり方や人々の生き方の変化の上にあるのです。
その視点がないと、たぶんいくらオランダ詣でをしても役には立たないと思います。
折原さんはそうしたオランダの状況をていねいに説明した後、ご自分も参加された2013年のオランダの教育現場視察のDVDを見せてくれました。
映像から伝わってくるオランダの教育現場は、書物などで読む以上に現実感があります。
映像が終わった後、感動したというためいきが参加者から出るほど、日本の学校現場とは違うものでした。
私も学校の職員室が生徒たちも自由に集まれるカフェのような雰囲気なのに感動しました。
そこにオランダの学校の本質のすべてが見えるような気がしました。

紹介したいことは山のようにありますが、それは折原さんの本や論文、あるいは折原さんが紹介してくれた記録ビデオ『教育先進国リポート オランダ入門編』(監修リヒテルズ・直子)を見てください。
ちなみにビデオにはチラッと折原さんの姿も出てきます。

少しだけ私の印象に残ったことを書きます。
オランダの義務教育は5歳からだそうですが、4歳になると翌月から小学校に入学でき、
1年生のクラスに入って、5歳児と一緒に教育を受けられるのだそうです。
つまり毎月入学者がいるということです。
ここにオランダの人たちの基本的な価値観を感じます。

授業は一斉に教えるようなスタイルではなく、生徒一人ひとりに合わせて、寄り添いながら成長を支援し見守っていきます。
子どもたちの学びに接しながら、活動に偏りがないよう、必要最小限度のアドバイスをするのが、先生の役割だそうです。
個人別のプロファイルがしっかりと作られ、数字で評価するのではなく、その子の成長に役立つことが先生によってしっかりと残されていきます。
学びの場も窮屈な教室だけではなく、廊下さえもが学びとして使われます。
授業のスタイルは、日本のような一斉授業ではなく、数人のグループを基本に行なう個別教育です。
したがって、日本のような検定教科書はなく、学校が独自に選んだ教材を、一人ひとりの子どもの発達段階や適性、そして、特別のニーズに合わせて選びながら子どもに提供するそうです。
書きだしたらきりがないので、このくらいにしましょう。

話し合いでは、日本の教育現場との違いやなぜそういう教育がうまくいくのか、どんな人が先生になるのか、など、いろんな話が出されました。
これも紹介するときりがないので、私の意見だけを書いておきます。
私は、オランダの教育がうまくいったのは学校だけの話ではなく、その根底には社会や経済の変化とみんなの生き方の変化があったからだと思います。

よく言われるように、ワッセナー合意によって、オランダでは働き方への基本的な考え方が変わりました。
その結果、それぞれが自らの生き方に合わせて働き方を選べるようになった。
つまり「しなやかに働き、しなやかに生きる」ことができる社会になったのです。
自分の納得できる生き方ができることで、みんなが幸せになり、笑顔が増えてきた。
親やまわりの大人たちの笑顔が増えれば、子どもたちは精神的にも安定してきます。
しかも自らに会った学び方を支えてくれる仕組みがある。
そうなれば、子どもたちものびのびと学ぶことができ、当然、学校は楽しい場になり、学力も向上する。
私は、オランダの教育の成功は、制度の問題だけではなく、そうした大人たちの生き方に大きく起因していると思います。
働き方を自分で選ぶのと同じように、自分の子どもたちが通う学校もまた、自分たちで選ぶという文化が育っているのです。

「世界一子どもが幸せな国」の理由を知りたくてオランダに出向いて得た答は、「大人が、親が幸せだから、子どもも幸せ」だということだった、と「ワンモアベイビー応援団」の人たちは、その報告をまとめた「18時に帰る」という本に書いています。

親や先生が余裕なく働いている社会では、どんなに制度を変えても問題は解決しない。
私はそう思います。
一番の問題は、私たちの生き方なのではないかと思います。
ちなみにこれは、学校教育だけの話ではありません。
私は、さまざまな分野で活動している人たちとささやかな付き合いがありますが、私がいつも気になっているのは、このことです。

(2017年8月第5週)
■東さんとオプさん(2017年8月27日)
■エルモットをどう実現するか(2017年8月28日)
■コミーのQiセンター(2017年8月30日)
■STRAMDでの講義(2017年8月30日)
■妻の命日が近づきました(2017年9月1日)
■サロン「食はしあわせのタネ」(2017年9月2日)

■東さんとオプさん(2017年8月27日)
湯島のサロンで時々イスラムの話題が出ます。
しかしみんなの発言を聞いていると、イスラムへのイメージが少し違うのではないかといつも思います。
私自身は、イスラムはどこかで東洋的な要素が含意されているように感じて、親しみを持つのですが、同時になにか目的論的な人間観も感じ、なかなか理解しがたいです。
私が一番わかりやすかった本は、井筒敏彦さんの「イスラーム文化」(岩波文庫)や最近のイスラム解説書などは何冊かの本を読みましたが、なかなかその精神が伝わってきません。
そこで、湯島でムスリムと触れ合うサロンを企画し、フェイスブックで話してくれる人を募集しました。
早速反応してくださったのが、バングラディシュのオプさんです。
オプさんの伴侶が、10年ほど前に湯島に来たことのある東美希さんで、美希さんは私のフェイスブックをフォローして下さっていたのです。
おかげで、美希さんとオプさんにお会いすることができました。

バングラディシュは、わたしにもささやかなつながりがあります。
その建国時に、ささやかな応援をしていたのです。
バングラディシュに共感したわけではなく、当時は大国から独立しようという動きにはすべて共感していました。
50年近く前の話です。

オプさんの思いをいろいろとお聞きできました。
ォプさんと一緒に、なにかムスリムに役立つようなサロンが育てばいいなと思います。
最初のキックオフサロンは9月17日です。
よかったら参加してください。

■エルモットをどう実現するか(2017年8月28日)
魔法使いのカシュカシュさんの呼びかけで、彼女が考えているエルモット構想(人を次元上昇させる場づくり)に関心を持つ人たちが湯島に集まりました。
共感を持って一緒に取り組んでもいいという人が3人以上集まったら私も協力すると伝えていたのですが、カシュカシュさんが声をかけて、4人の人が集まりました。
みんな実に個性的なメンバーです。
ひとりは、私と同世代の元会社経営者。
後の2人は、自分で起業している人です。
その一人の谷口さんは、私のことを知っていました。
そういえば、私も何人かの友人から谷口さんの名前を聞いていました。
予想通りのエネルギッシュな若者でした。

エルモット構想も前に動き出しそうです。
ただ直近の課題は資金不足です。
私は、資金など瑣末な話だと思っているので、どうも現実はそうではないようです。
さてどうやって資金調達するか、たまにはそういう問題も考えてもいいかもしれません。

■コミーのQiセンター(2017年8月30日)
コミーのQiセンターの展示が少し進んだのでというので、Qiセンターを見せてもらいました。
だいぶ整備されてきました。
しかし、ここをもっとダイナミックなインキュベーションベースにしていくためには、想いを持ったプロデューサーが必要でしょう。
そういう人がコミーの中に現われれば、面白い物語が始まるはずなのですが。

■STRAMDでの講義「企業の社会的価値」(2017年8月30日)
毎年1回だけやっているSTRAMD( 戦略経営デザイン人材育成講座)で、「企業の社会的価値」のテーマで話してきました。
「企業の社会的価値」といっても、CSRやCSVの話ではありません。
むしろ「企業と社会の関係」がテーマです。
この講義も、毎年やっていますが、受講生の反応から時代の変化を感じます。
日本はますます分断社会になってきているというのが、今回の感想です。
今年はアクティブな反応が多く、面白かったです。
一応、20の問いかけを用意していたのですが、予想外の反応もありました。
予想外の反応があるということは、私自身がどこかで分断されているということかもしれません。
今回の結論は、企業と社会と個人は、再帰的な関係にあるというものです。
受講された人たちが、思考の起点を少し広げ深めてくれたらうれしいのですが。

私ほど、企業を愛している者はいないという自負はあるのですが、最近はなぜか企業の経営管理層の人たちの集まっている場では、「アウェイ」感に襲われます。
困ったものです。


■妻の命日が近づきました(2017年9月1日)
妻の11回忌が近づきました。
特に行事は考えていなのですが、今年も立派な花が届きました。
滋賀にいる妻の友人たちからです。
当然のことですが、命日を覚えているのは妻の友人たちです。
女性はそういうのを覚えているのでしょうか。
私は妻の命日以外は正直あんまり覚えていないのですが、娘は両親の命日も飼い犬の命日もよく覚えていて、教えてくれます。
まあ私の場合、誕生日もあんまり覚えられないですが、生活という日常を生きているのはやはり女性たちのようです。

今年は仏花風のフラワーアレンジでしたので、仏壇の雰囲気が少し変わってしまいました。
まあ時にはそれもいいかもしれません。

■カフェサロン「食はしあわせのたね」(2017年9月2日)
「食」を切り口に、「人がつながるしあわせ」をテーマにした高石さんのサロンは、気づかされることがとても多かったです。
福祉の原点を問い直される気がしました。
食は生きることの基本ですが、文化の起点でもあります。
たくさんの人に聞いてほしいお話がたくさんありました。

高石さんは、学校の先生を辞めて、「ゆいの家」という活動に取り組まれだしたのですが、先生時代に体験した「食の大切さ」の話から、いま取り組んでいる活動まで、具体的な事例も交えてとてもわかりやすく話してくれました。
現在は、「食」からしあわせの種まきをするために「食からの未病学」を立ち上げて、料理教室や講演活動などをされていますが、未病のための陰陽講座のさわりの話もしてくださいました。

高石さんは、食のあり方次第で、生活や言動が変わってくること、食を通じて人の関係が変わり、まさに食は「幸せ」につながっていることを、たくさん体験されています。
「食」は単に栄養補給だけではなく、もっと大きな意味をもっています。
しかし、昨今の状況は、そうした「食」のもつ豊かな意味が軽視されているのではないかと高石さんは言います。
運動会での給食の話や、子どもたちが自分たちで食事をつくるという学校の活動の話なども出ましたが、お聞きしていて、食を通して、学校での「いじめ」や不登校などの問題も、あるいは先生たちの悩みの多くも、解決できるのではないかと思いました。

学校に限りません。
家庭においても職場においても同じことかもしれません。
一緒に食事をすることの意味はとても大きいですが、最近は「孤食」も増えてきています。
とてももったいない話だと思います。
せっかくの「食」の役割を、活かせていない社会になってきているのではないか。
「食」を通じて、社会の実相が高石さんには見えているのでしょう。

高石さんは食の意味を3つあげました。
「料理も食もほんらいとても楽しいこと」
「食は自分にとっての最高の主治医であること」
「食を通して人は豊かにつながれること」
お話を聞いていて、とても共感しました。

福祉分野で活動している参加者の方たちも、食の効用を話してくれました。
企業に関わっている人は、食を通じてコミュニケーションが豊かになった事例を話してくれました。
食の効用はたくさんあります。
ただ「食べるだけの食」にしておくのはもったいない。
時間の都合で遅れてきて参加してくださったのがマクロビオティックに取り組んでいるおふたりです。
一度、湯島でもサロンをしてもらったことがありますが、いよいよ京都で活動を開始するそうです。
今回は、たまたま東京に来ていた青森の薬剤師の方も参加してくださいましたが、サロンの始まる前に聞いた「薬剤師」のお仕事のお話はとても共感できるものがありました。
薬も食と深くつながっていますが、薬剤師の人にもぜひサロンをやってほしくなりました。
どなたかやってくれませんか。

ゆっくりしたサロンでしたが、考えさせられることが多く、私自身少し食のあり方が変わりそうです。

(2017年8月第4週)
■企業を考えるサロン「生物学からみた企業」(2017年8月20日)
■Bコーポレーション(2017年8月20日)
■裸足の人(2017年8月20日)
■白内障手術は延期(2017年8月22日)
■不審な不振でない電話(2017年8月23日)
■クローバーコインとビットコイン(2017年8月24日)
■大施餓鬼会(2017年8月24日)
■コミーにまた行きました(2017年8月25日)
■8・26原発いらない茨城アクションに参加しました(2017年8月26日)

■企業を考えるサロン「生物学からみた企業」(2017年8月20日)
4回目の企業サロンは、趣向を変えて、細菌学の研究者である益田さんに「生物学からみた企業」を話題提供してもらいました。
直前になって参加申し込みが増えて、結局、14人になりました。
しかも個性的な経営をしている企業の社長が2人参加しました。

生物の特徴は「復元性」だと益田さんは話し出しました。
また生物と環境は、図と地の関係にあるが、その境界は明確でないとともに、一方が消えたら、もう一方も消えてしまうという話もありました。
そして、そのわかりやすい例として、朱鷺が滅びたのは、朱鷺が生きていける環境が滅びたことでもあると話し、朱鷺を連れてきても環境がそのままではだめだろうということを示唆されました。
まさに企業にも通ずる話で、まさに昨今の日本企業が置かれている問題に通じていく話です。

図と地の関係で、どこまでを図の地、つまり主体にとっての環境と捉えるかが大切です。
そこで、ジフテリア菌をモデルに人間と企業(組織)の話になりました。
一部のジフテリア菌には、ファージという毒素を持つウィルスが寄生しているそうですが、ジフテリア菌が人間に悪さをするのは、そのファージなのだそうです。
言うまでもありませんが、ファージには「悪意」などありません。

それらは三層構造をしています。
ファージにとっては、地(環境)はジフテリア菌になり、ジフテリア菌にとっての地(環境)は人間の人体になります。
人はジフテリアを発病すると死に至ります。
でもそれは、ジフテリア菌の意図ではなく、ファージのせいなのです。
つまり細菌もウィルスも、自らの「直接の環境」を破壊することはないのです。
なぜなら図は地あってのものだからです。
ファージはジフテリア菌のために、人体を壊しますが、長い目で見ればそれはジフテリア菌にとっても不幸な結果をもたらすのです。
自らの生存を考える時に、どこまでを環境と考えるかはとても大切です。

企業になぞらえれば、「会社のため」と思ってやったことが社会に迷惑を与え、会社が倒産するという、企業不祥事の話につながっています。
こうした認識は、アメリカの企業で1980〜90年代に広がりました。
企業にとっての地は、顧客や狭義のステークホルダーではなく、社会そのものだという意識が高まりました。
当時、IBMは社会にどう関わるかは企業にとっての「マターオブサバイバル」だと言っていました。
しかし、その後、どこかでまた、企業は「図と地」の捉え方を間違ってしまっているように思います。
救いの一つは、CSVですが、それも単なる経営戦術論になっているような気もします。
ちなみに、日本の商人道は、顧客のみならず社会を環境と認識していたように思います。

いささか先走りましたが、ファージとジフテリア菌と人体の話は、企業経営を考える上で示唆に富んでいます。
いろいろと考える材料があったように思います。

ところで、企業を三層構造で考えた時に、ファージの場所には何が入るでしょうか。
今回も少しだけ話が出ましたが、これがとても大切な問題です。
ここを深掘りできればよかったのですが、私の不手際でそこまで行けませんでした。
しかし、サロンでいろんな話を聞いたみなさんがそれぞれに考えてもらえればと思います。
「人」、それも「経営者」なのか「社員」なのか「出資者」なのか、あるいは「お金」なのか。
そこに今の企業を考えるポイントがあるように思います。

「復元性」の問題もとても重要な視点だと思います。
生物学における「進化」、とりわけ「共進化」の考えは示唆に富んでいますが、この復元には動的なダイナミズムがあるように思います。
参加者の石井さんや小宮山さんは、それぞれの地元で、地域社会を豊かにすることを視野に置いた経営に取り組んでいます。
そんな話にまで持っていきたかったのですが、時間切れでした。
そこで今度は横浜で造園業の会社石井造園を経営している石井さんに、企業サロンをお願いすることにしました。
石井造園は、数少ないBコーポレーションに認定会社の一つです。
10月になるかと思いますが、ご期待ください。

■Bコーポレーションの石井造園(2017年8月20日)
持続可能な世界を目指して様々な取り組みがなされていますが、その一つに、Bコーポレーション(ベネフィット.コーポレーション)認定プログラムがあります。
最近日本でも話題になりだしているSDGs計画(「持続可能な開発目標計画」ともつながっている活動の一つです。
https://www.bcorporation.net/
現在の資本主義のあり方に警告を鳴らし続けてきている、ライシュも注目しているものの一つです。
株主利益一辺倒で邁進してきた営利企業は行き詰まり、営利企業の「最後の」形態としてベネフィット・コーポレーションが新たに広がっていくだろうと指摘する人もいます。

簡単にいえば、環境と社会への貢献を任務とする組織です。
組織形態は問いません。協同組合でも公益法人でも株式会社でも、ある基準を実現していれば認定されます。
日本ではまだ一けた台ですが、その1社が横浜で活動している石井造園です。
社長の石井さんと久しぶりにお会いしました。
石井さんの会社はまさに人間集団です。
次回の企業サロンでお話してもらうことにしました。

コミーの小宮山さんも一緒でした。
日本の企業も機械装置の大企業と人間集団の中小企業に二分されてきています。
中小企業に頑張ってもらいたいです。

■裸足の人(2017年8月20日)
湯島からの帰路、夕方6時ころ、常磐線北千住駅のホームで、靴を履いていない裸足の男性を見ました。
私は人の年齢をはんだんできないのですが、たぶん50前後の男性です。
服装から見て、主義として裸足で生活している人だとわかりました。
写真はとれませんでしたが、なぜか感激しました。
遠目ですが、とてもしっかりした足をしていました。

私は、できるだけ身に着けるものは少なくしたいと思っているのですが、裸足で街中を歩く勇気がありません。
裸足で歩くということは、世界を信頼しているということでもあります。
敬意を感じます。

この目撃が契機になって、友人から教えてもらったクリストファー・マクドゥーガルの「BORN to RUN 走るために生まれた」を読みました。
実に面白かったです。いつか紹介したいと思います。

■白内障手術は延期(2017年8月22日)
眼科で白内障手術をする予定でしたが、ほとんど何も聞かずに決めてしまったのですが、話を聞いたらいろいろと大変そうです。
それで手術は少し延期することにしました。
きちんと理解してから決断はしなければいけません。
困ったものです。

■不審な不振でない電話(2017年8月23日)
「不審」電話がありました。
千葉県警の捜査2課からですが、「最近不審電話はありませんでしたか」と訊かれました。
これこそまさに「不審電話」ではないかと思い、改めて電話主のお名前と電話番号を確認しました。
そして、電話してきた「意図」をお訊きしました。
高齢者を対象に、不審電話があったらすぐに110番電話してほしいという告知だそうです。
県警に特別対策室のようなものができたそうです。
それで、この電話で私は110番しようと思ったと答えました。
とても誠実そうな方でしたが、そういう感じこそが危ういですので。
電話が終わった後、県警の対策室に確認の電話をしようと思いましたが、やめました。

しかしおかしな時代です。
最近は「不審電話」はありませんが、それに近い電話はよくかかってきます。
隙があると付け込まれそうな電話もあります。
私は隙だらけですので、注意しないといけませんが。

■クローバーコインとビットコイン(2017年8月24日)
友人が相談があるというので心配して朝9時から我孫子の駅前の喫茶店で会いました。
ところがなんと、クローバーコインの勧誘でした。
よりによって私に来る話ではないと思いますが、1時間半かけて逆説得しましたが、ダメでした。

夕方、別の友人からビットコインに関する動画が送られてきました。
こちらは財政再建に絡んでの話です。
1時間を超える動画を見ました。

ついでに言えば、最近、友人に誘われて「公共貨幣」のメーリングリストに参加しました。
「公共貨幣」の書籍は読んだのですが、専門的な話も多く、なかなか議論に参加できずにいます。

しかし、通貨は私たちの社会のあり方を大きく規定しています。
エンデの遺言を読み直さなければいけません。

■大施餓鬼会(2017年8月24日)
毎年、お施餓鬼の日は猛暑です。
今年は数日前まで涼しかったので、もしかしたらと思っていましたが、昨日から暑さがぶり返し、今日はうだるような暑さでした。
例年のようにお寺でお施餓鬼の行事がありました。
自宅での準備もあり、私はかなり遅れて着いたのですが、人がごったがえし状況で、本堂前のテントのなかもぎっしりでした。
遅れていったので、さすがに本堂に上がる勇気は出ませんでした。
本堂前でお焼香も、もうみんな終わっているのか、だれもやっていなかったのですが、お焼香させてもらいました。
今年は新盆の人が多いともお聞きしましたが、年々、お施餓鬼も人が多くなってきています。

葬儀の簡素化なども言われていますが、私の実感では、お墓参りや法事はにぎやかになってきているような気がします。
我孫子にはまだ、そういう昔ながらの文化が残っているのでしょうか。
あるいは、高齢者が増えていることからくる、一時的な現象でしょうか。

お寺などでの法事や行事でいつも感ずるのは、そこに集まってくる人たちの、穏やかで優しそうな表情です。
お寺の境内は、人の気持をほぐしてくれるのでしょうか。
もしそうなら、月に1回はお寺に行くといいです。
気持ちがやわらかになります。

■コミーにまた行きました(2017年8月25日)
コミーに呼ばれて出向きました。
川口から会社まで10分以上かかります。
暑かったですが、歩いていきました。
最近コミーに良く来ます。
来週も来ることになりました。

■8・26原発いらない茨城アクションに参加しました(2017年8月26日)
茨城県の東海村で行われた「8・26原発いらない茨城アクション」に一昨日参加しました。
私にとっては、久しぶりにデモ参加です。
暑い日でしたが、なんとか無事に戻ってきました。

最近、デモという活動にいささかの疑問を持ち出しているのに、今回行こうと思ったのは、友人が行くというので一緒なら大丈夫だろうと思ったからですが、実はもう一つ理由がありました。
東海原発が私の反原発の起点だったことです。

東海原発のたぶん2号機が建設されている時に、見学に行ったことがあります。
当時は私はまだ会社にいて、新事業の企画などのためにいろんな情報を集めていた活動の一環でした。
まだ大江健三郎さんでさえ、原子力の平和利用に期待を表明していた頃です。
しかし東海原発を見せてもらって、大きな違和感を持ちました。
正確には覚えていませんが、ある作業は被曝状況下で作業しなければいけない場所があり、その作業は「季節工」がやっているという話でした。
話の内容から、明らかに「人の使い捨て」という印象を受けました。
私が反原発になった起点です。

そこから原子力の平和利用について本を読みだしました。
それ以前から、パグウォッシュ会議などでの動きは関心を持っていましたのですが、原子力の平和利用への疑問が大きくなってきました。
原爆と原発は、所詮は同じではないかと気づいたのです。
いずれも人間の管理下には置けないものです。

そんな思いもあって、東海村に出かけて行ったのです。
現地で折原さんに会い、一緒に参加しました。
折原さんは、川内原発にも2度ほど行っていますし、巻町の原発に関わる住民投票のことも調べられています。

会場に着いたら、ちょうど集会が始まるところでした。
参加者は思ったよりも少なく、主催者の発表によれば1100人でした。
福島からも「原発いらない福島の女たち」の方が参加し、スピーチをしてくれました。
とても共感できる内容で、もっとたくさんの人に聞いてほしかったです。
集会の後、日本原電に向かい、その敷地を囲んだ人間の鎖をつくり、原電に向かってコールしました。
そこに向かう途中、何人かの人と話しました。
北茨城から参加した遊座さんはソーラーに取り組んでいる方ですが、ソーラーのほうがコストが格段に安いのがなぜ伝わらないか残念だと嘆いていました。
取手から来た寺田さんは安保法制デモ以来、いまも国会デモに参加しているそうです。
安倍政権を支持する人がなんで多いのか不思議がっていました。
土浦で放射線測定活動をしている村上さんは、罪滅ぼしです、と言っていました。
昔、動燃にいたのだそうです。

若い世代の人が少なかったのが残念でしたが、個人的に参加している中高年世代の人たちが多かったのが、まさに現実を象徴しているような気がしました。
若い世代の人たちは、余裕がないのかもしれません。
それが一番恐ろしいのですが。

東海村でこうした活動が行われるのは5年ぶりだそうです。
事務局によれば、1000人を超える反原発活動は東海村では初めてなのだそうです。
茨城県で住民主役のまちづくりに関わっていた時に、東海村は原発があるために財政が豊かで住民運動が起こらないという話を聞いていました。
その東海村で、住民たちが中心になって起こしたアクションです。
とても手づくりっぽくて、それがまた私には好感が持てました。
とても穏やかなデモでしたが、とても暑く、同行した折原さんが熱中症対策で私に水を飲めと時々言ってくれたので、なんとかしのげました。
たまにはデモもいいものです。
でもやはり国会前のデモには行く気はまだ起こりません。

帰ってきたら、我孫子は駅前でカッパ祭りの踊りをやっていました。
なんだか「ソドムとゴモラ」を思い出してしまいましたが、それはやはり「ひがみ」というべきでしょう。
若い世代は、デモどころではなく、生きるのが精いっぱいで、休日はデモではなく、カッパ祭りの方を優先するのも、残念ながら現実です。
たぶん私たち世代の生き方が、間違っていたのだろうと、思わざるを得ません。

疲れましたが、いろんなことに気づかせてもらえました。
その気にさせてくれた折原さんに感謝しなければいけません。


(2017年8月第3週)
■宮川さんの供花(2017年8月13日)
■迎え火(2017年8月13日)
■杉野さんの幸水(2017年8月14日)
■鳩の巣で雛が育っていました(2017年8月15日)
■元軍国少女の話(2017年8月15日)
■送り火(2017年8月16日)
■社会に役立つゆるやかなつながりグループをつくりたい(2017年8月17日)
■野路さんの桃(2017年8月18日)

■宮川さんの供花(2017年8月13日)
隣家の宮川さんは、毎年、お盆になると亡妻にといって、立派な花を届けてくれます。
もう妻が亡くなってから10年になるのですが、今年も、です。
百合も入った立派な花束です。
良き隣人を持つ幸せを感じます。

■迎え火(2017年8月13日)
今年は娘のユカと一緒にお墓に、妻を迎えに行きました。
いつもは人と会うことは少ないのですが、たくさんの人でした。
彼岸で私の両親と同居している亡妻も、お盆の時は里帰りです。
両親は、仏壇のある兄の家に帰ります。

■杉野さんの幸水(2017年8月14日)
わが家のお盆にはなくてはならないものがあります。
柏市にある「すぎの梨園」の梨の幸水です。
http://www.geocities.jp/suginofarm/
亡妻がとても好きだったのです。
ちょっと行けずにいたのですが、今日、やっと時間がとれて、すぎの梨園に行きました。
立派な幸水をいくつかわけてもらってきました。
ちょうどみんなで出荷作業をしていました。
息子さん夫婦の新居ができていましたが、外観はおしゃれなカフェの感じです。
すぎの梨園が出している「のらやま通信」に紹介があったようですが、見落としていました。
カフェでもやらないのですかと言ったら、杉野さんがお茶なら飲めるというので、雰囲気を楽しませてもらいました。
なかなかいい雰囲気です。
奥さんが手掛けている加工食品も並んでいました。

かなり凝ったつくりです。
サッシが全面開くようになっているので、ウッドデッキと一体感した開放感が味わえます。
たぶん息子さんたちの趣向でしょう。
たぶんこの空間から何かが始まるような予感がします。
魅力的な場所は、新しい物語を生み出します。

杉野さんの梨は、とてもおいしいのです。
お近くの方は、ぜひお勧めします。
ホームページからたぶん購入ができるはずです。

■鳩の巣で雛が育っていました(2017年8月15日)
数日前に気がついたのですが、また庭に鳩が巣をつくっていました。
前回はせっかく孵化した雛が翌日カラスに襲われてしまったので、心配していましたが、今回は無事でした。
今日、親鳩がいない時に近くに行ってみましたが、
2羽の雛がかなり大きくなっていました。
しかし、木の枝が重なり合っているので、写真を撮ろうとしたのですが、うまく撮れません。
カラスにも見えないのでしょう。
庭木の手入れをしなかったおかげです。
いささか手前味噌な考えですが。

■元軍国少女の話(2017年8月15日)
8月8日に予定していた「元軍国少女の憲法への思い」でお話をしていただく予定だった高林さんが、台風で東京に来られなくなってしまい、
サロンは延期したのですが、その高林さんが、宇治中学校でお話したことを書き下ろして送ってきてくれました。
高林さんの思いがとてもわかりやすく伝わってきます。
高林さんの話を聞いた中学生たちの感想文も、読ませてもらいましたが、中学生の純粋な感受性にも感動しました。
そして、教育というものの大切さと恐ろしさを考えさせられました。

最近、戦争体験などが次の世代へと継承される動きが広がっていますが、改めてそうしたことの大切さを実感します。
高林さんからは何回かこの種のお話もお聞きしていたのですが、今回また私が初めて聞く話もありました。
おそらく体験者のみなさんは、山のように語りたいことをお持ちなのでしょう。

高林さんがまとめてくださった話の記録は、公開してもいいという了解をいただいたので、ホームページで公開しています。
もしお時間があればお読みください、
冒頭から私には衝撃的でした。
http://cws.c.ooco.jp/takabayashi2017.pdf

高林さんのお話をきちんと記録に残しておきたくなりました。
10月に東京でまたサロンを開催することを考えていますが、それも含めて、どなたか映像記録を撮ってくださる方はいないでしょうか。
協力して下さる方がいたら、ぜひご連絡ください。

■送り火(2017年8月16日)
家族みんなでの(といっても5人ですが)会食のあと、みんなで妻をお墓まで送りました。
今年のお盆は全く何もなく終わりました。

■社会に役立つゆるやかなつながりグループをつくりたい(2017年8月17日)
社会を元気にしたいといろんな活動をされている人たちが集まりました。
それぞれにそうした活動をしていますが、組織の中ではできないこともありますし、個人として活動していても、違う意味でできないこともあります。
それで、組織でもなく個人でもない、ゆるやかなつながり関係ができないかというのがみんなの思いです。
そうしたネットワークやゆるい組織はすでにたくさんありますが、どうもそうした既存のものには飽き足らない人たちのようです。
私は、そんな組織にいくつか関わっているのですが、声をかけられたら、やはり断るわけにはいきません。
それに、いろんな組織が対立するのではなく、ゆるやかに重なり合いながら、たとえ違った考えを持っている場合にも、いい意味での支え合いや影響しあう関係を育てていくことが大切だと思っています。
そんなわけで、昨夜は実はくたくたに疲労していたのですが、私も参加させてもらいました。
できれば具体的なプロジェクトを起こして取り組んでいければと思っています。

こういう動きが増えていけば、トクヴィルが独立後のアメリカをまわって感心した、市民が主役の社会に近づくような気がします。
いま改めて、オルテガの「大衆の反逆」を読んでいますが(めずらしく時間をかけてゆっくり読んでいます)、改めて気づかされることが多いです。

■野路さんの桃(2017年8月18日)
妻の友人のパートナーから恒例の桃が送られてきました。
妻の友人は階段から落ちたのが原因で、記憶喪失になり、最近はさらに認知症が進行しているようです。
介護の関係で外出は難しく、毎年電話では何回か話していますが、長いことお会いしていません。
と言っても、実はお互いの伴侶が元気だったころに一度しかお会いしてはいないのですが。
お元気そうでしたが、大変そうでもありました。

(2017年8月第2週
■ほっとスマイルプロジェクトがスタートしました(2017年8月8日)
■弁護士とのミーティング(2017年8月9日)
■団体組織法における視点の欠落(2017年8月9日)
■居場所をテーマにした「みんなのゆる〜いカフェ」報告(2017年8月9日)
■コミー訪問(2017年8月10日)
■原田さんと石井さんとのミーティング(2017年8月11日)

■ほっとスマイルプロジェクトがスタートしました(2017年8月8日)
ご案内の通り、「スマイル記念日」とされている8月8日、ホットなスマイルを広げていこうという、壮大な思いをもって、ゆるやかなネットワーク「ほっとスマイルプロジェクト」が立ち上がりました。
台風が心配されていましたが、幸いに台風の影響もなく、14人の人が集まりました。

「ほっとスマイルプロジェクト」は、NPO法人認知症予防ネットを中心にして全国に広がってきている「みんなの認知症予防ゲーム」の実践者の交流会のなかから、生まれたものです。
これまでの何回かの交流会の中で、単に認知症予防のためのゲーム活動だけではなく、「だれもが気持ちよく暮らせる明るい社会」に向けて、実践者がゆるやかにつながりながら、活動分野も少しずつ広げていけないかという意見が出てきました。
これまでも何回か産まれそうになったことはありますが、いつもどこかで曲がってしまいましたが、ようやく大きな方向での合意が育ち、今日、スタートにたどり着きました。

しかし、みんな忙しい時間の合間を活かして、活動している人たちばかりですから、新たに新しい組織を立ち上げたり、そのために時間を取られたりするのは難しい。
そこで、
・それぞれが取り組んでいる現在の活動を、そのまま活かしたカタチでつながっていく。
・他の人の活動をシェアしながら、ゆるやかな協力関係を育てていく。
・定期的に集まる場をつくる。
ということを基本にし、さらに、
・みんなの認知症予防ゲームを核におきながらも、ほかの活動ともつながっていけないか。
・認知症予防だけではなく、子どもも含めて、社会全体を元気にしていくことはできないか。
といったことを目指そうということになりました。

そこでまずは、「笑顔を世界中に広げよう」という主旨に共感してくれる人たちの、ゆるやかなネットワークをつくることになったわけです。

そうした経緯から、今回は「みんなの認知症予防ゲーム」の実践者が中心でしたが、徐々にネットワークを広げていくことになりました。
活動の内容も、これからみんなでゆっくりと育てていくことになりました。

参加者それぞれの活動内容の紹介の後、ネットワークとしてどんなことがあればいいかなどの話し合いを行い、これからの方向性がなんとなく見えてきました。
それぞれの体験を話し合うだけでも、大きな気づきや刺激をそれぞれ受けたのではないかと思います。
当面は、フェイスブックを中心にそれぞれの活動をシェアしながら、なかまをふやしていくことになりました。
ご関心のある方は、ぜひフェイスブックのコミュニティに参加してください。
https://www.facebook.com/groups/1607233655975417/
また定期的に、交流会や勉強会も行っていく予定です。
ネットワーク全体として活動するというよりも、当面はメンバーそれぞれがいろんなプロジェクトやプログラムを起こしていくというスタイルです。

まだスタートしたばかりですが、ゆっくりと、小さく、しかし大きなビジョンを持って、仲間が広がっていけばと思います。
内容に関する問い合わせなどは、フェイスブックのコミュニティにお願いします。

■弁護士とのミーティング(2017年8月9日)
実は昨年末から、私自身が訴訟に巻き込まれてしまっています。
係争中なので内容は書けませんが、いろいろと事情があって、原告の一員になっています。
金銭関係の話なのですが、妻が残した遺産のかなりの部分をある人の支援に投入したのですが、それがおかしなことになってしまい、回収不能になるどころか、ややこしい話になってしまったのです。
裁判にはしたくなかったのですが、相手から逆にクレームが来たため、弁護士に相談したところ、先方を訴えることになったのです。
実際の原告は私ではないのですが、その人と弁護士から、こんなおかしな話はきちんと対峙すべきだと言われて、訴訟に同意しましたが、あんまり気持ちのいいものではありません。
しかし、訴訟を起こしたおかげで、日本での裁判の進め方など、いろんなことがわかってきました。
定期的に弁護士との相談をやっていますが、気づかされることが多いです。

■団体組織法における視点の欠落(2017年8月9日)
メキシコの国際法社会学会で発表してきた杉本さんは、「団体組織法」という本を書くと言っていましたが、もうほぼ完成したようです。
ところが執筆しているうちに大きな「発見」があり、それを話したいことと、それに関してお願いがあるということで、お会いしました。
こういう時は、覚悟しないといけません。

杉本さんは、わざわざパワーポイントで、その発見をまとめてきてくれたのですが、不勉強な私には正直、ピンときませんでした。
しかし、発見の内容は理解できました。
同時に、杉本さんがまとめた「団体組織法」の目次も見せてもらいました。
かなりハードです。
それに関して、いろいろと意見交換させてもらいました。

ところで、私への宿題がなんだろうかと思って心配していましたが、これまたかなりハードなものです。
でもまあ入口にはたどり着けそうです。
要は、杉本さんの発見と書籍(まだ出版されていませんが)を何人かで消化する研究会を立ち上げたいというのです。
もちろんその奥にある杉本さんの意図はわかりますが、それはともかく研究会の立ち上げならできそうです。
団体組織法のパラダイムを考え直すというテーマです。
2〜3人メンバー候補が頭に浮かびますが、参加してくれるでしょうか。
どこかの大学の民法関係の准教授か助教あたりで関心を持ってくれる人はいないでしょうか。

実はもうひとつ、頼まれてはいないのですが、課題を伝えられました。
杉本さんはもう80代の後半ですが、そのエネルギーと使命感にはいつも驚かされます。

■居場所をテーマにした「みんなのゆる〜いカフェ」報告(2017年8月9日)
久しぶりに平日の夜開催した「みんなのゆる〜いカフェ」(みんカフェ)は、18人のにぎやかなサロンになりました。
今回は、自分の居場所を実感できるような「ほっとできる場」を探しているモモさんからのリクエストで開いたので、「居場所」をテーマにしました。
湯島が初めての人も数名参加してくれました。
居場所など山のように持っているだろうと思われる人も来てくれましたが、おかげで「居場所」に関する私のイメージもとても広がりました。

最初は自己紹介も含めた雑談をしていましたが、だいたい集まったところで、モモさんから、「こんな場所があったらいいな」という話をしてもらいました。
そこから「居場所」や「生きづらさ」などをそれぞれが話し出しました。
みんな自分の問題として語ることを、湯島では大切にしていますが、今回は見事なほどにみんな自分を語っていたように思います。
改めて感じたのは、みんな実に誠実に生きているということです。

いろんな意味で「生きていくうえでの障害」の度合いの高い人にとって住みやすい社会になってきているかどうかに関しては、インフラや人々の意識という点では、いい方向に向かっているという話がある一方で、人のつながりが弱くなっていることや社会の流れに「優生思想」を感ずるという話も出ました。

モモさんは、みんなに迷惑をかけてはいけないという思いが強くて、なかなか外出できない人なのですが、迷惑をかけるということについても、いろんな話が出ました。
そもそも誰かに迷惑をかけないで生きられる人などいるはずもないのですが、もしかしたら「迷惑をかけてはいけない」という思いが、「障害」の原因なのかもしれません。
「障害」とは、そうした意識が生み出すものかもしれません。

湯島のサロンは、いろんな人が比較的に素直になれる場だと思いますが、今回は自らが、あるいは家族が「発達障害」「LGBT」だと話す人も多く、それがまたまったく違和感なく語られていました。
自助グループ(self-help group)の価値は私も理解していますが、それだけではむしろ社会が分断されていきます。
障害者と健常者、マイノリティとマジョリティという捉え方にも、私は大きな違和感があります。
人間はつまるところ、みんなそれぞれに生きづらさをかかえている弱い存在です。
自らの弱さに気づけば、他者の弱さを思う気持ちも生まれます。
世の中には障害者も健常者もいない。
言い方を変えれば、みんな障害者で健常者なのです。
そういう意味で、障害を持つ人たちに画一的なレッテルを張ることで問題を捉えるのではなく、それぞれの多様な問題を分かり合えることが大切だと思います。
さまざまな人が集まる湯島のサロンを長年続けているのは、そうした思いからです。

こうした意見に関して、「生ぬるい」という指摘もありました。
たしかに「生ぬるい」。
現実はとても厳しく、障害を持つ人にとっては生きにくく、不快な思いをすることは少なくないでしょう。
でもそれは障害の有無にかかわらないのかもしれません。
だれもかれもが生きにくい社会に向かっているのかもしれません。
しかし、だからこそ、私は「障害」を「障害」として閉じ込めておくのではない生き方をしていくことが大切だと思います。
ほんの少しだけ「青い芝の会」の話もさせてもらいました。

看取りや介護に関わっている人たちの話もとても考えさせられましたし、テーマがあれば居場所は見つかるというような話もありました。
農業や環境の話も出ましたし、長い人生での居場所のような話も出ました。
もし時間があれば、久しぶりに参加してくれた冠地さんに、「イイトコサガシワークショップ」のさわりをやってもらおうかとも思っていましたが、3時間が過ぎてもなかなか話し合いはとまらず実現できませんでした。
居場所があれば、みんな話しあいたいのです。
だとすれば、そうしたサロンの場をどんどん増やせばいいのです。

長くなってしまいましたが、その割には話し合いの内容が報告できていませんね。
でもまあ、なにしろ「ゆる〜いサロン」ですから、報告など不要かもしれませんね。

今回の言い出しっぺのモモさんはなかなか定刻に会場に到達することが難しい人なのです。
数日前から出かける準備をしていても、いざ出ようとすると、なぜか出られない。
でもそのモモさんが参加してくれました。
そして、いろいろとヒントをもらったと言ってくれましたので、サロンをやってよかったです。

最近、平日の夜のサロンはやめていましたが、むしろ夜のほうがいいという人も多いことがわかりました。
次回の「みんカフェ」も夜にしようと思います。

■コミー訪問(2017年8月10日)
コミーを訪問しました。
広報プロジェクトに関する相談ですが、そのミーティングの前にコミーの顧問の松金さんと斎木さんに会いました。
コミーには顧問がたくさんいるのです。

コミーはまたお昼休みの最後の10分で、社員が話をすることになっているのですが、来客があるとその人が指名されるらしいです。
それで今回、運悪くランチタイムに重なってしまい、私が話をすることになりました。
久しぶりに「広報の始まり」の話をしました。
ほんとに久しぶりです。

広報プロジェクトのミーティングは前進しましたが、課題山積です。

■原田さんと石井さんとのミーティング(2017年8月11日)
我孫子の原田さんから、新しいプロジェクト起こしの相談を受けていますが、プロジェクトを起こすのであればコアチームをまずは作るのがいいと提案しています。
それで原田さんが何人かに声をかけたようですが、今回集まったのは私とハコカラの石井さんでした。
石井さんとは、こういうテーマで話すのは初めてでしたが、市民活動やまちづくりに関する考えが私と全くと言っていいほど同じなことに驚きました。
我孫子市にもこういう人がいると思うと、元気が出ます。

まあゆっくりと進めることになるでしょう。

(2017年8月第1週)
■箸ぴーゲームサロン(2017年7月30日)
■13年ぶりの連絡(2017年7月31日)
■イスラムに触れるサロン構想のふくらみ(2017年8月2日)
■いささか危うさを感ずる国際状況(2017年8月3日)
■原田さんからの提案(2017年8月3日)
■内閣改造のご都合主義(2017年8月3日)
■ちょっといい話を集めましょう(2017年8月4日)
■手賀沼花火大会(2017年8月5日)

■箸ぴーゲームサロン(2017年7月30日)
久しぶりに湯島で「箸ぴーゲーム」サロンを開催しました。
湯島に来た人は体験した方も少なくないと思いますが、殻つきのピーナツを箸で1分間にいくつ移動できるかを競うゲームです。
国際箸学会を立ち上げた小宮山さんの創案したもので、これまでもいろんなところで開催していますが、昨年は小宮山さん自らがアメリカのシアトルに出かけてやってきました。
ゲームの効用もいろいろと出てきています。
多文化交流や多世代交流にも効果的ですし、認知症予防や養護学校などでの活用も進んでいます。
詳しくは、国際箸学会のホームページをご覧ください。
http://www.kokusai-hashi.org/index.html
今回はさらに、新しい「箸輪ゲーム」もお披露目してもらいました。

サロンには12人が参加しました。
みんなそれぞれに、暮らしやすい社会を目指していろんな活動をしている人たちです。
高崎から参加してくれた方もいます。
ゲームの公式審判員(制度化されています)の二宮さんも参加してくれました。

小宮山さんからこのゲームへの思いを語ってもらった後、みんなでゲームを体験しました。
はじめての方もいましたが、みんなとても高スコアなのに驚きました。
このゲームの効用はいろいろありますが、副次効果として、利き手でないほうも使うので、両手使いとまでは言えませんが、利き手以外のほうも活性化されます。
それと箸の使い方が改善されるのです。
テレビでも取り上げられましたが、このゲームを活用している養護施設もあります。
時間がなかったので、今回は映像は流しませんでしたが、希望者にはDVDが配られました。
毎年、「箸りんぴっく大会」も開催されています。
http://www.kokusai-hashi.org/pg104.html
すごい記録も出ています。

つづいて、新しい箸輪ゲームにも挑戦しましたが、これはまだ開発段階なのでゲームを競うまでには行きませんでした。
これは箸の多様な機能を使う「5種競技」になっています。
ゲーム体験型サロンだったので賑やかなサロンになりました。

実はこのサロンは、あるプロジェクトのプレイベントでもありました。
こうした誰もが元気になるゲームなどを活用して、社会に笑顔を広げていく活動に取り組んでいる人たちのゆるやかなネットワークをつくろうという思いの人たちがなんにんか集まりだしていますが、その人たちの話し合いのなかから「ほっとスマイルプロジェクト」というのを立ちあげることになったのです。
サロンの最後に、その呼びかけが呼びかけ人の一人、櫻井さんから行われました。
すでにフェイスブックも立ち上がっています。
またキックオフイベントを8月8日に湯島で開催する予定です。
関心のある方はご連絡ください。
また箸ぴーゲーム等に関心のある方もご連絡ください。
さまざまな効用のあるゲームですので、もっと広げていければと思っています。

■13年ぶりの連絡(2017年7月31日)
先日の憲法サロンで、イスラムの話が出ました。
深い話し合いにはなりませんでしたが、イスラムについて、みんなどうもあまりきちんとした知識がないのではないかという感じがしました。
私もさほどイスラムについて知っているわけではありませんが、関心を持って何冊かの本は読みましたが、極めて文化的には高いものを感じましたし、ジハードも戦いを安直に正当化するものでもないように感じています。
そもそもジハードの本来の意味は、「努力する」という意味で、自分のなかにある欲望との闘いだと本で読んだことがあります。
それにキリスト教よりも、東洋的な寛容さを感じていました。
それで湯島でイスラムに関するサロンをやろうと思い、フェイスブックに誰かいないかとお願いの投稿をしました。
それを読んでくださった方がメールをくださいました。
パートナーがイスラム教徒だというのです。

その方は、実は13年前に湯島に訪ねてきたことがある方でした。
私もそのことは覚えていました。
新たに経営者育成プログラムを立ち上げた人が、なぜか私のところに、その理念に関して相談に来たのです。
当時私も経営者育成プログラムに関わっていましたが、技法的な経営者教育にはまったく関心がなく、大切なのは理念と社会ビジョンだと考えていました。
そしてそれに関連して、そのスタッフの方が3人で湯島にまたやってきました。
そのお一人が、メールをくださった方でした。
私のFBをフォローして下さっていて、私のメッセージに反応してくれたのです。

13年ぶりです。
うれしい話です。
今はパートナーは故国に出張しているそうですが、日本に戻ってきたらお会いすることになりました。
イスラムシリーズのサロンがはじまりそうです。

■イスラムに触れるサロン構想のふくらみ(2017年8月2日)
一昨日のうれしい申し入れにつづいて、今度はレバノンのムスリムと結婚した人からの連絡がありました。
紹介してくださったのは神戸で教鞭をとっている友人の福田さんで、彼の教え子だそうです。
いまは横浜に住んでいるというので、これもまたお会いしようと思います。
一口でイスラムとかムスリムと言っても、その中身は多様ですから、お一人の話を聞くだけではむしろ危険かもしれません。
ということになると、できればイスラムの人たちとの出会いの場のサロンが考えられます。
だんだん話が大きくなると途中で疲れますので、まあゆっくりと広げていければと思います。
他にもいろんな人がメールをくれました。
広げられればいいのですが。

■いささか危うさを感ずる国際状況(2017年8月3日)
アメリカの国務長官が北朝鮮への対話を表明しました。
北朝鮮のIBAMの発射実験の直後にです。
一方では、強硬路線の話も出ています。
国務長官の表明を聞いて、私はむしろ嫌な予感を持ちました。
暗殺計画もしくは体制打倒計画の予兆ではないかと。
万一そんなことになったら、日本は大変な目に合うことになるでしょう。

それにしても世界中が、きな臭くなってきました。
人類は果たして22世紀を迎えられるか。
私の来世が心配です。

■原田さんからの提案(2017年8月3日)
我孫子の原田さんから、また市民活動のイベントの相談がありました。
原田さんは私がブログなどに書いた「みんなの社会教育ネットワーク」構想にとても関心を持っていてくれるのです。
それでまた、ともかくゆるやかなミーティングを呼びかけて、いろんな人を巻き込みながら、ゆるやかな組織を立ち上げるのがいいと、またお話させてもらいました。
それにしても原田さんはなかなかあきらめません。
応援せざるを得なくなってきました。
本当は応援ではなく、一緒にやるべきなのですが、まだどうもそこまではいけません。
理由は原田さんには伝えていますが、うまく伝わっているといいのですが。

原田さんから自分で作ったキュウリとモロヘイヤなどをもらいました。
キュウリが素晴らしく美味しかったです。

■内閣改造のご都合主義(2017年8月3日)
安倍内閣が改組しました。
問題を起こした大臣はみんなはずして、手堅い政治家を取り込んでの組閣です。
テレビはそれを面白おかしく詳しく報道していますが、そんなことは些末な話です。
大切なのは、今問題になっていることを解明し、政府への国民の信頼感を取り戻すことですが、そうでないところでのごまかし組閣ですべてはまたうやむやになりそうです。
そういう風潮に本当にがっかりします。
そのあたりの愚痴をブログに書きました。

世の中には「おかしなこと」が多すぎます。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2017/08/post-b208.html

■ちょっといい話を集めましょう(2017年8月4日)
最近、嫌なことが多すぎますが、それでも時には心温まることに出会うことがあります。
そんなことをみんなに呼びかけて集めたらどうかと思い、FBコミュニティを立ち上げました。
FBでこんな呼びかけをしました。よかったら参加して投稿してください。
以下、FBに書いた内容です。

「ちょっといい話」を集めたくなりました。
実はかなり前に「ちょっといい話を集めましょう」というFBのコミュニティをつくりました。その後、バタバタしていて、準備段階から前に進みませんでした。
ところで、最近、今度は「ちょっといやなこと」を体験してしまいました。それで思い出して、やはり「ちょっといい話」を集めたくなりました。
そこでこのコミュニティを公開して、話集めを始めたいと思います。
みなさんが体験した、心があったまる、ちょっといい話をご紹介いただければ嬉しいです。
https://www.facebook.com/CWScommonshappy/

よかったらフェイスブックに投稿して、仲間になってください。

■手賀沼花火大会(2017年8月5日)
手賀沼の花火大会でした。
久しぶりに娘の友だちや兄夫婦など10人を超えるお客さんがありました。
わが家の前が花火の打ち上げ会場なのです。
狭い屋上で、みんなで観ました。
幼児が2人と犬が一人いたので、音におびえるのではないかと心配しましたが、大丈夫でした。
天気にも恵まれ、とてもいい花火大会でした。
https://www.facebook.com/cwsosamu/videos/10203581150445233/

(2017年7月第4週)
■悟りの体験(2017年7月23日)
■スイカ割り(2017年7月25日)
■定休日(2017年7月26日)
■コミー訪問(2017年7月28日)
テオティワカンと法社会学会の報告会
(2017年7月28日)
■新潟のみんカフェ(2017年7月29日)
■第2回憲法サロン「私の憲法改正草案(川本さん編)」(2017年7月29日)
■我々の法を取り戻したい(2017年7月29日)

■悟りの体験(2017年7月23日)
ブログで書きましたが、「もうひとつのこの世」を体感したような夢を見ました。
最近この種の本を読んだりテレビを見ているせいかもしれません。
悟りのイメージが少しつかめてきたような気がします。

■スイカ割り(2017年7月25日)
先日購入した丸いスイカをしばらくわが家に転がしておきました。
孫家族が来たので、孫の前で丸いスイカを切ることにしました。
孫にはスイカは丸いものだと知っておいてもらわないといけません。

ついでにショッピングモールに行ったので、孫に水槽の魚を見せました。
魚は泳いでいるものだと知ってもらわないといけません。

■定休日(2017年7月26日)
いささか疲れ切ってしまい(最近どうも疲れます)、勝手に「定休日」にしました。
午前中はネットから解放、電話も切っておきました。
でも疲労感は回復しません。
むしろ不安感や虚無感に襲われてしまいました。
夕方からネット成果に復帰しました。
たった半日ですが、またいろんな悩ましい話が届いていました。
人と付き合うということはそういうことなのでしょうが、疲れます。

■コミー訪問(2017年7月28日)
1か月ぶりくらいにコミーを訪問しました。
この会社には最近かなり内部までで入り込んできているのですが、知れば知るほど面白いことに出会います。
単に企業経営という視点だけではありません。
いろんな意味で刺激が多いのです。
そして私の性格上、その分、その会社に吸い込まれるようにコミットしてしまう惧れがあるので心配はあるのですが、まあもう少し流れに任せようと思います。
今日は社長と顧問の西山さんとのミーティングが長くなってしまいましたが、広報チームとのミーティングも行いました。
その合間などにおふたりの人とも短いですが、たぶん密度の高い会話もできました。
しかし、さすがに密度の高い4時間近いミーティングの連続には疲れてしまい、帰りの電車を反対の方向に乗ってしまいました。
なんとか次のミーティングには間に合いましたが、いささか疲れ気味なので注意しないといけません。

■テオティワカンと法社会学会の報告会(2017年7月28日)



久しぶりにNPO法人科学技術倫理フォーラムのメンバーが集まりました。
このNPOは、つい先日、組織としては解散したのですが、それぞれが個人的に科学技術倫理の視点で様々な活動に取り組んでいる人たちです。
私もそのNPOの一員だったのですが、ほとんど何もできず、学ぶだけでした。
ただ数少ない「文系」の立場から、「理系」とは違った視点で、ノイズを入れていただけです。
みなさん実績のある人たちなので、お付き合いさせていただいて、いつもたくさんの刺激を受けます。
今回は、理事長だった杉本さんが、先月、メキシコで開催された法社会学会2017国際大会でスピーチされてきた時の報告が主たる目的でした
杉本さんが話されたテーマは、「安全確保における異文化間の隔たりに架橋するー福島第一原子力災害について考える枠組み」。
メキシコに行く前に、湯島のサロンで一度、お話してもらっていましたが、結論は、世界の原子力に関する安全の議論の枠組みをもっと広げなければいけないということを、杉本さんらしく論理立てて、しかも図解的に提案しています。
それは、IAEA(国際原子力機関)の安全基準への問題提起につながっています。
示唆に富む論点がたくさんあるのですが、紹介できないのが残念です。

安全神話の話もでました。
日本の原子力発電の草創期に関わった方たちもいましたし、原発に批判的な活動をされている方もいましたので、議論はなかなか刺激的でした。
原発開発に長年取り組んできた方もはっきりという方だったので、それに乗せられて、私もちょっと言い過ぎた感がありますが、久しぶりの原発論議もちょっとだけしてしまいました。
私は、この問題では現場の技術者たちがもっと主役になって問題提起していくべきだと思っています。

学会での発表は好評だったようで、杉本さんの問題提起はさらに先に進むようです。

ちなみに、原子力規制庁では一昨日、第1回規制に係る人的組織的要因に関する検討チームが開催されたことを規制庁の友人から教えてもらいました。
杉本さんが委員でないのが残念です。

今回、杉本さんは、学会の後、メキシコのテオティワカン遺跡にも足を延ばされました。
その報告もありましたが、これもまた杉本さんらしい面白い報告でした。
テオティワカンに足を延ばしたらどうですかと私が不用意に発言したのがきっかけになったのですが、そのおかげで、杉本さんはテオティワカンから黒曜石の蛙の置物を私に買って来てくれました。
私もテオティワカンにはずっと前に行ったことがありますが、お土産を買ってこなかったので、とてもうれしいです。
でもなんでテオティワカンで蛙なのか。
杉本さんは不思議な人です。
それにしても80代の半ばだというのに、その行動力には刺激を受けます。

たくさんの刺激を受けた集まりでした。
汗が出るほどの驚きもありましたが。

■新潟のみんカフェ(2017年7月29日)
新潟の金田さんから、新潟でのみんカフェの相談の電話がありました。
まあそれはある意味口実かもしれませんが、最近金田さんもかなりお疲れのようで、脳こうそくに注意するようお医者さんに言われたようです。
金田さんは、私とは違う意味で頑張ってしまう人なので、相談となるとついつい意見の食い違いが露呈してきます。だから本当は電話は避けたいのですが、金田さんは私と話すだけでいいのかもしれません。
私の反論も異論も金田さんには聞き流されがちなのですが、なぜか電話をしてきてくれます。
私もそういう電話相手があればいいのですが。

■第2回憲法サロン「私の憲法改正草案(川本さん編)」(2017年7月29日)
人権に基軸をおいた川本兼さんの憲法改正案の憲法サロンは13人のにぎやかなサロンになりました。
以下はいつものように、極めて主観的な報告です。

川本さんは長年、「希望する平和」から「獲得する平和」への転換を呼びかけていますが、基本的人権とそこから必然的に生まれてくる平和の実現が、川本さんの改正案の核になっています。
従って、憲法の章立ても、最初の第1章が「人及び国民の権利及び義務」で、人権概念を拡大する条文がつづきます。子どもや女性の尊厳も明記され、「侵略戦争の加害者にならない権利」なども規定されています。
つづいて、第2章「国民及び天皇」で「国民主権」が確認され、第3章「自衛軍と国際協力」では現在の9条の理念が継承されながらも、国際的な視点でそれが補強されています。
それに続いて、その憲法理念をどう具体化するかの統治体制が続きます。
最初に「天皇」から始まる現憲法とは違い、人(国民ではなくpeople)の尊厳を起点とした組み立てになっているとともに、それを踏まえての、一国平和主義ではなく世界的な視野での平和への取り組みという理念の転換が行われています。

前文には、そうしたことの底にある、川本さんの憲法制定権に関する思いが込められていますが、一言で言えば、現憲法のもとで、基本的人権概念を体感し、平和主義も体感した日本人として、自分たちの思いと言葉で、日本人が主体的に憲法を考え創る時期ではないかというのが川本さんの主張のように思います。
憲法を読んでいるだけでは、なかなか理解が深まりませんが、自分で憲法の気になるところだけでも起草してみると、いろいろなことに気づくはずです。
そこには、「獲得する平和」と同じく、「考える」だけではなく「行動する」ことを重視する川本さんの姿勢を感じます。

川本憲法案の前文は次の文章ではじまっています。

 日本国民は、前日本国憲法が占領下に制定されたものであること、及びその前日本国憲法制定以前のわが国が半封建的、全体主義的傾向を色濃く持った国であったことを自覚し、ここに主権者及び近代的市民としての総意を改めて確認し、前憲法を改正してこの憲法を制定する。

サロンでも、現憲法制定の経緯に関する話題も出ましたが、アメリカの押しつけだったかどうかということよりも、政府(統治者)起点で考えるか、人(国家に統治を託す主権者)起点で考えるかによって、憲法の意味合いはまったく変わってきます。
それは、憲法が誰を制約するものであるかということともつながっています。
現憲法は政府(権力者)を制約する意味合いが強いですが、たとえば自民党の憲法改正案は国民を制約する方向に大きく変化しています。
ここにこそ、いまの憲法改正の核心があると私は思っています。
この視点、つまり「憲法は誰のためにあるのか」を改めて話し合うサロンもいいかもしれません。
どなたかやりませんか。

基本的人権の普遍性も話題になりましたが、川本さんは「基本的人権」概念が広がることこそが、「革命」だと考えています。
自由権的基本権と生存権的基本権はすでに獲得してきたが、平和権的基本権はまだ普遍的な意味での承認は受けていない。
そこで、川本さんは平和的人権の普遍性を獲得することを「第3の革命」と呼び、それを保証する憲法を創ることこそ、平和を体験した日本人の役割ではないかと考えているようです。
川本さんの平和概念の基本にあるの「人権」なのですが、この点は今回あまり深められませんでした。

こうした議論とは別に、そもそも憲法改正を議論することはむしろ憲法改悪に加担することになるのではないかという「護憲論」からの問題提起もありましたが、そこは注意しないといけないところです。
しかし、「改憲か護憲か」という問いかけは、「改めるもの」「護るもの」の中身があいまいで、問いかけとしては成り立たないと思いますが、そうした問題にしっかりと向き合うためにも、憲法を多くの人に読んでいただき、知ってほしいという思いから、このサロンを続けています。

18歳から選挙権が認められたことから憲法改正投票にも18歳の若者が参加できるようになりました。
ちょうど18歳の息子を持つ母親が、それに不安を持って始めた活動を紹介してくれました。
それに向けての教材「私たちが拓く日本の未来 有権者として求められる力を身に着けるために」も高校で生徒に配布されているそうです。
ネットでも公開されています。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000492205.pdf
彼女は、それを契機に、改めて日本における社会科教育に関心を持ち、現憲法制定後の中学・高校社会科教科書のエッセンス復刻版の「民主主義」(幻冬舎新書)を紹介してくれました。
当時は憲法を解説する副読本もあった時期ですが、そうした時期は長くはつづきませんでした。
最近の生徒たちは、基本的人権や三権分立を言葉としては教えられるが、その意味や内容はきちんとわかっているとは思えないというような報告もありました。

これまで憲法は読んだこともなく、今回のサロンに備えて、はじめて憲法を読み、また関連した書物も何冊か読んだという女性が一言、「憲法(最近の憲法論議にも?)には理念を感じなかった」と感想を話しました。
とても共感できます。
私はそもそも憲法とは「理念」だと思っており、100条を超えるような憲法は法律ではないかと思っているのですが、川本さんの議論につなげれば、憲法を変える変えないというような話の前に、憲法理念こそを議論すべきではないかと思っています。
しかしどこかで「価値議論」が消えて、「条文議論」になってしまっている。
私の一番の違和感はそこにあります。

また長くなってしまいました。
読むのも疲れますね。

まあこんな感じの議論が、時間を大幅に超えて行われました。
たぶん話したりなかった人や消化不足の方も多かったと思います。
川本さんも話したりなかったのではないかと思います。

ここでは紹介しませんでしたが、話し合いもさることながら、参加者のみなさんの発言や感想から学ぶことは多いです。
その一言一言をサロンで深めたいと思ってしまうので、最近サロンが増えてしまっています。

次回の憲法サロンは、8月8日の午後4〜5時半の予定です。
すでに案内はさせてもらっていますが、「元軍国少女が語る憲法への思い」。
長年、認知症予防活動に取り組んでいる京都の高林さんが話題提供者です。
高林さんは、地元の宇治中学校で戦争体験の話をされたそうですが、それを聞いた子どもたちの感想文に刺激されたこともあって、自ら憲法改正案に挑戦されました。
前文と9条の高林改正私案を読ませてもらいました。
なにやら壮大な憲法サロンになりそうですが、もしお時間が許し、ご関心を持ってもらえればご参加ください。
どんな展開になるか楽しみです。
まあ不安もあるのですが。

■我々の法を取り戻したい(2017年7月29日)
以前も一度、お話を聴いたことがあるのですが、「職権主義から当事者主義へ」という考えのもとに、法を生活者のもとに取り戻したいという活動に取り組んでいるおふたりの最近の状況をお聴きしました。
まだ中途半端な形で私が勝手に書くのは控えますが、自分の家族が体験した極めておかしな裁判から日本の弁護士をきちんと機能させるために何とかしなければと私財を投入して始めた活動ですが、取り組んでいるうちに問題がどんどん見えてきてしまい、ついていくのがやっとですが、基本は「我々の法を我々に取り戻したい」ということだと理解できました。
となれば、私も共感できますので、ただ聞くだけではなく、何か行動していかなくてはいけません。
さてさてそれにしても、実に問題の多い社会になったものです。
もっとみんなまじめに仕事に取り組んでほしいです。
金儲けの仕事ではなく、本来の仕事にです。
いつかもう少し具体的に書けるようになると思いますが、いまはまだこの程度にしておきます。

(2017年7月第3週)
■パオッコとの久しぶりのミーティング(2017年7月18日)
■コミー役員会(2017年7月18日)
■次元上昇プロジェクト(2017年7月19日)
■まちづくり編集会議・我孫子の可能性(2017年7月19日)
■兄との会食(2017年7月20日)
■阿部さんの迷い(2017年7月22日)

■パオッコとの久しぶりのミーティング(2017年7月18日)
コムケアの仲間のパオッコ(離れて暮らす親のケアを考える会 )はこれまで本郷のシェアオフィスの事務所を置いていましたが、本郷のオフィス(インキュベーションハウス)を閉鎖することになりました。
そこで暫時、湯島に所在を移すことになりました。
パオッコは、あまり湯島の活動には参加してくれていませんが、これを契機に少し交流が増えればと思っています。

■コミー役員会(2017年7月18日)
コミーの若手役員の3人と湯島でミーティングをやりました。
コミーに関わっているうちにだんだん戦略とのつながりが不可欠であることがわかってきたからです。
コミーの未来を担う3人の役員は、みんな誠実ですが、やはり経営者としての体験はあまりありません。
何ができるかわかりませんが、役に立てることがあるのではないかと思っています。
久しぶりに企業の内部にどんどん吸い込まれてしまいそうです。

■次元上昇プロジェクト(2017年7月19日)
私たちが生きている世界を一つ上の次元から見るとどう見えるでしょうか。
宇宙飛行士が宇宙から地球を見て世界観や生き方を変えたという話は話題になりましたが、何も宇宙船に乗って地球を見なくても、次元を超えた意識を持つことはできると言われています。
仏教の悟りはその一つでしょう。
最近読んだ筧次郎さんの「死を超えるということ」にはそうした「もうひとつのこの世」が説かれていました。
昨日、その本を読み終えたのですが、今日はそうした「次元上昇をもたらす場」を創りだすことをライフワークにしている人が来ました。
埼玉県の寄居で、エルモットというカフェを始めた内藤さんです。
タイミングが良すぎますが、2時間、その人と話しました。
私は、次元上昇には興味はないのですが(自分では次元には囚われない生き方をしていますので)、話を聴いているうちに応援するような流れになってしまいました。
想いがかなり高じてきているようですので、放ってはおけないのです。
まずは3人の同志を集めたら、と提案しました。
みなさんの中にもし仲間になってもいいという人がいたらご連絡ください。
資金もなければ時間もない、いまはまったく何もありませんが、場所だけは決まっています。
そこに「次元上昇を引き起こすアシュラム」が生まれれば、うれしいことです。
私が利用できるのは、まあ早くても来世でしょうが。

■まちづくり編集会議・我孫子の可能性(2017年7月19日)
我孫子市の原田さんから、いろいろと提案が持ち込まれています。
できれば、全国ベースで展開したいと思っている「まちづくり編集会議」の我孫子版を立ち上げたいと思っていますが、実際にはなかなか難しいものがあります。
原田さんが中心になって、一度、ミーティングをもつことになりました。
一番の課題は若い世代を引きこめないことです。

■兄との会食(2017年7月20日)
同じ我孫子に私の実兄が住んでいますが、なかなか会う機会がありません。
久しぶりに食事をしました。
兄ももう80代半ば、お互いにそろそろ人生をしまう時期です。
そんなことも含めての話し合いになりました。

■阿部さんの迷い(2017年7月22日)
ライフプランニング活動に取り組んでいる阿部さんと改めて話し合いを持ちました。
いま阿部さんは、ビジネス路線で行くか社会活動路線で行くか、迷っているのです。
しかし、そんな些末なことで悩んでいては人生は楽しくなりません。
ともかく自分のやりたいことをやるのがいいのですが、多くの人はお金儲けを基準で考えがちです。
そういうふうにみんな洗脳されているとしか思えません。
もちろんお金がなければ困るでしょうが、お金のために自分を犠牲にすることもありません。
そんな話を2時間半もしました。
疲れました。

(2017年7月第2週)
■カサブランカが咲きました(2017年7月9日)
■「シャーロック」シリーズ4(2017年7月9日)
■シン・ゴジラ(2017年7月11日)
■次元上昇プロジェクト(2017年7月12日)
■ほっとスマイルプロジェクト(2017年7月12日)
■まちづくり編集会議(2017年7月12日)
■筧次郎さんの「重助菩薩」(2017年7月12日)
■コミーの徳永さんと町田さん(2017年7月14日)
■サンチアゴ帰りの鈴木さん(2017年7月14日)
■三浦さんと大坪さんが私の安否確認に来ました(2017年7月14日)
■地湧社の増田さん(2017年7月15日)
■カフェサロン「企業の社会性を考える」(2017年7月15日)

■カサブランカが咲きました(2017年7月9日)
鉢に植えていたカサブランカが咲きました。
開花時期をずらすために1週間ほど間をおいて2つの球根を植えていたのですが、不思議なことに全く同じ日に2本とも咲きました。

■「シャーロック」シリーズ4(2017年7月9日)
イギリスのドラマ「シャーロック」のシーズン4がようやく日本で放映されました。
待ち望んでいたので、早速、観ました。
http://www4.nhk.or.jp/sherlock4/
シーズン4の第1作は「6つのサッチャー」。
タイトルからわかりとおり、コナン・ドイルの「6つのナポレオン」を取り込んでいますが、ストーリーは全く関係ありません。
この番組は、ドイルの原作からいろいろと題材を取り込んでいますが、時代設定も筋書きも全く違うのです。
ちなみに今回はドイルの「4人の署名」からも題材を取り込んでいますが、まあほとんど意味がない使い方です。
おいおい、まじめにやってよ、と言いたい気分です。

今回は出だしから安直なトリックで、最後まで期待外れでした。
シリーズ物は、だいたいにおいて、2番目までで面白さが終わることが多いですが、シャーロックもシリーズ2が一番面白かった。
特にシリーズ2の最後は、しっかりと原作も踏まえながらも予想外の展開でした。
シリーズ3はちょっと遊び過ぎだなと思ったのですが、それでもまだ期待が残りました。
何しろ終わり方が、シリーズ2同様、実に予想を超えていたからです。
それで首を長くして待っていたのに、ちょっと失望してしまいました。
あと2作あるのですが、ちょっと不安です。
この作品は、最初は面白くなくても何回か見ていると思わぬ工夫が見つかってくることもありますが、メアリーが死んでしまったのはがっかりです。

そういえば、私が何回観ても飽きない映画「ボーン」シリーズの昨年の最新作「ジェイソン・ボーン」も、蹴飛ばしたくなりたいくらい失望しました。
安直にボーンの数少ない味方のニッキ―を殺してしまったのががっかりです。
俳優の都合もあるのでしょうが、物語の面白さは主役以上に脇役にあります。
脇役を大事にしてほしいです。

ちょっと元気になろうと「シャーロック」を観たのですが、あまりの安直さに逆に元気を失いました。
このシリーズも今回で終わりですね。
とても残念です。

■シン・ゴジラ(2017年7月11日)
暑いので在宅していましたが、評判になっていた映画「シン・ゴジラ」をDVDで観ました。
唖然とするほど面白くないばかりか、いかにも軽薄な映画です。
こんな映画が評判になるとは、日本の映画はもう終わりですね。

■次元上昇プロジェクト(2017年7月12日)
魔法使いのカシュカシュさんが、いよいよ年来の夢の実現に取り組もうと思うとやってきました。
話を聴くと、人々の魂を次元上昇させる場づくりです。
次元にこだわっている段階で、私には過去のものですが、彼女の思いはものすごく深いのを感じたので、協力することにしました。
場所は埼玉県の寄居です。
資金不足だそうですが、資金支援できる人がいたらご連絡ください。
俗世のマネーロンダリングを超えた、壮大なマネーロンダリングが実現できますので。

■ほっとスマイルプロジェクト(2017年7月12日)
もう一つ壮大なプロジェクトです。
長年私は認知症予防ゲームの普及を応援してきていますが、その仲間に声をかけて湯島で実践者交流会を開催しています。
しかしどうも私の意図とは違う、些末なビジネス志向に毒されているような気がしていて、少し嫌気を感じていたのですが、その中の数人が、日本に笑顔を広げていきたいと言って、「ほっとスマイルプロジェクト」を起こすことになりました。
仲間に入ることにしました。
8月8日がキックオフイベントです。

■まちづくり編集会議(2017年7月12日)
一方で、昨年から進めてきた「まちづくり編集会議」プロジェクトは、一度白紙に戻すことにしました。
原メンバーが集まり、これからの展開を話しあいましたが、ゆるくつながりながら、それぞれがやりたいことをやっていくというスタイルに変えました。
そのゆるやかなグループは、私が事務局になろうと思います。
また少し考えて、具体的に動き出します。

■筧次郎さんの「重助菩薩」(2017年7月12日)
地湧社の増田さんが先日、筧次郎さんの短編小説集「重助菩薩」を持ってきてくれました。
小説というので読まないでいたのですが、今日、読む本がないので読みだしてみました。
ところが実に面白い。
それで夜までかかって読了しました。
すごい人がいるものだと驚きました。

■コミーの徳永さんと町田さん(2017年7月14日)
コミーという会社への興味が高まっていますが、どうせなら事業戦略ももう少し知ろうという気になってきました。
実は全く別件で、コミーの徳永さんという人に興味を持っていたのですが、事業戦略にもつなげられれば、会いやすくなるので、事業戦略で少し応援することにしました。
その打ち合わせで早速、2人の人が湯島に来ました。
2時間話して昼食をご馳走になってしまいました。
昼食をご馳走になると借りができるので、本当は避けたいのですが、最近経済的に貧しいので、ついつい妥協してしまいます。
困ったものです。

■サンチアゴ帰りの鈴木さん(2017年7月14日)
3回目のサンチアゴ巡礼を済ませた鈴木さんが湯島に来ました。
いつものように2時間半、話しまくっていました。
とても面白い話がたくさんありました。
サロンをやってもらおうと思います。
話の内容は一部ブログにも書きました。

■三浦さんと大坪さんが私の安否確認に来ました(2017年7月14日)
経営道フォーラムの私のチームだった三浦さんと大坪さんが湯島にやってきました。
久しぶりですが、来た目的は「老人の佐藤さんの安否確認」だそうです。
2人とも大企業の人ですが、私の活動もいろいろと応援してくれています。
三浦さんは今度、執行役員になりましたが、たぶん彼はどんなにえらくなっても変わらないでしょう。
2人と話していると、長年経営道フォーラムに関わってきたことも少しは意味があったかと思います。
三浦さんは仙台なのですが、忙しい中を湯島に立ち寄ってくれるのはうれしいことです。
もちろん会っている時には、そんなことは言わずに、迷惑だと言っていますが。

■地湧社の増田さん(2017年7月15日)
「重助菩薩」を読んで、改めて出版した増田さん(地湧社社長)に関心を持ちました。
幸いにも時間が空いていて、湯島でお会いできました。
増田さんのことをいろいろとお聞きしました。
また世界が少し広がりました。
当然のことですが、私の世界は実に小さい。
まだまだ知らないことがたくさんあって、もう少し生きようと思う気になりました。

■カフェサロン「企業の社会性を考える」(2017年7月15日)
猛暑の中を10人の人が集まりました。
しかも仙台や高崎からの参加者もありました。
企業の現役の人は3人、女性は1人でした。

私が考える「企業の社会性」とは、企業のありかたは社会のあり方に大きな影響を与えるとともに、企業が提供する商品やサービスは、社会を大きく変えていくというという認識を企業がしっかりと持っているかどうかです。
企業の社会貢献活動は、私にとってはマーケティング戦略でしかありません。
社会を単なる「市場」として捉えて「経済的発想」で経営するのではなく、社会の「善き一員」としての「社会性」を持つことが、これからの企業にとって大切だろうと思っています。
正確に言えば、企業に関わる人たち(経営者、従業員、出資者)の「社会性」が尊重され、育むようになっているかどうかです。
不祥事を起こした会社の謝罪会見を見れば、なぜ不祥事が起こったのかはすぐわかります。
経営者にそうした「社会的認識」や「社会性」が感じられないことが多いのです。

30年ほど前に「コーポレート・シチズンシップ」(講談社)という本を、コーポレート・シチズンシップ研究会の名前で出版しましたが、その時からそう考えています。
しかし残念ながら日本の企業は、社会性よりも経済性を重視する方向を選びました。
それがたぶん日本企業が直面しているさまざまな問題の根底にあるように思います。

ですから今回も、企業の社会貢献活動とかCSR・CSVなどの話ではありません。
また社会起業家やソーシャルビジネスの話でもありません。
企業は、そういう「社会性」を大事にしているのか。
企業の活動が、社会にどう影響を与えているかを考えるサロンです。
企業が提供する事業のかたちや社員の働かせ方は、社会を方向づけていきます。
教育も福祉への影響も非常に大きいのです。
家族や地域社会にも、大きな影響を与えています。
しかし果たして会社の人たち、特に経営者たちはそういう認識を持っているかどうか。
つまり経済活動という領域でしか考えていないのではないかというのが、今回の私の問題意識です。
それでは結局は社会を劣化させ、回り回って自らの経営を困難にしていきかねない。

最初に問いかけたのは「社会にとって企業ってなんだろう」と「企業にとって社会ってなんだろう」という問いかけです。
ここを深掘りするだけでも、さまざまなテーマが出てきますが、今回はこれは前座。
そうした総論的なやりとりをやった後、具体的な事例や新聞への投書記事などを材料に話し合いをしました。
たとえば、こんなテーマです。
・内気な人たちに、あなたは「社会不安障害かもしれない」という抗うつ薬の広告
・途上国に化粧品を低価格で提供した結果、子供用品への支出が減ってしまった顧客創造戦略
・家族のために忙しく働いているという父親への疑問を投げかけた子どもの投書
・冬にトマトを食べることで豊かさは高まったのか
・利便性の向上(翌日到着の宅急便・元日開店のスーパー)で失われたものはないか
・会社の不祥事を告発することの是非

たとえば最初の2つの事例で言えば、会社に勤める人とそうでない人の反応は違います。
話しているうちに、会社役員の人が、会社を悪者扱いしすぎではないかと発言する場面もありましたが、会社に勤めていない人から見ると会社はあんまり信用できない存在のようです。
私は両方の世界に棲息しているバイリンガルなので、いずれの思いもわかります。
問題は、そもそも会社が悪いのではなく、会社という仕組みを使って悪いことをする人がいるだけの話なのですが(消費者にもいます)、それ以上に、それぞれに属する人たちの日頃の交流があまりにもないのが問題だろうと改めて思いました。

社会の中でここまで会社の存在が大きくなると、会社での働き方や会社が提供する商品や事業が社会の方向性を大きく決めていくことになります。
にもかかわらず、最近の会社は自閉的になってきているように感じます。

会社のあり方を決めるのは、会社に直接かかわる人たちだけではありません。
会社は、商品を購入し、サービスを受容する消費者がいて成り立っています。
ですから、いまの会社にもし何か問題があれば、その一因は消費者にもあるはずです。
それに会社を実際に構成しているのは、消費者でもある個人です。
にもかかわらず、よく言われるように、「会社の常識」と「社会の常識」の乖離は大きくなってきています。
不思議なことです。

もっともっと会社の経営管理にあたっている人と、会社とは縁の少ない主婦やNPO活動家や学校の人たちが、本音で話しあえる場が増えていくといいなと思っています。
それぞれが別々に話していても、何も変わらないでしょう。

めげずにもう少し企業を考えるサロンを継続することにします。

(2017年7月第1週)
■沼南道の駅の野菜レストラン(2017年7月3日)
■コミーの広報チームとのミーティング(2017年7月4日)
■無力感(2017年7月5日)
■インキュベーションハウスを閉じることにしました(2017年7月6日)
■歯科医で考えたこと(2017年7月7日)
■小宮山さんと北原さん(2017年7月8日)
■コムケアサロン「無縁化防止に取り組んで6年」(2017年7月8日)

■沼南道の駅の野菜レストラン(2017年7月3日)
手賀沼対岸の柏に道の駅があるのですが、そこに新しいレストランができたというので、食べに行ってみました。
ちょうど手賀沼の反対側、つまり我孫子側にも同じような野菜レストランができて、先週行ってみたのですが、それと比べたくなったのです。
評判は柏が断然いいのです。
行ってみて、もう最初に勝負はあったと思いました。
景観もうまく取り込んで、のびのびとしているのです。
ただ、正直に言えば、どっちもどっちです。

料理に関しては、柏に軍配を上げたいですが、価格は柏が我孫子のほぼ倍でした。
野菜サラダバーがあるのが、柏のポイントですが、いささか割高感はあります。
それとソフトクリームが400円というのはちょっと高すぎます。
まあここは手賀沼沿いの観光地扱いなのでしょう。

正直食べるものがないので、ハンバーグランチを食べました。
1100円だったと思いますが、味はまあ美味しかったです。
でもまあ、景観から来る美味しさだったかもしれません。

まあ柏も我孫子も、1年できっと見直しが行われるでしょう。
また行こうという気にはなりません。

■コミーの広報チームとのミーティング(2017年7月4日)
コミーに広報マインドを定着させてほしいと、社長の小宮山さんに頼まれました。
そこでコミーに広報チームが生まれました。
全員女性です。
まずは最初のプロジェクトとして「コミーショートストーリー」という小冊子を制作しましたが、その過程でコミーという会社の文化や実態がわかってきました。
外から見ているのと中に入り込むのとでは、見え方は大きく違います。
結果としては、ますますコミーが好きになりました。

小冊子づくりが終わったので、いよいよ広報プロジェクトをスタートさせます。
しかし、当事者がその気にならなければ、いい成果は上がりません。
で、5時間にわたってのロングミーティングを湯島でしました。
お昼はご馳走しようと思っていたのですが、経費で出しますと言われてしまい、ついついそれに甘えてしまいました。
あとで後悔しました。
借りができると言いたいことが言えなくなりかねません。
ちょっと自分の貧しさに負けてしまいました。
困ったものです。

でもなんとなくこのプロジェクトの方向が見えてきました。
どうせなら納得できるプロジェクトにしようと思います。
どう展開するか楽しみです。

■無力感(2017年7月5日)
昨日はそれなりに元気でしたが、その後、ちょっと気の萎えることがあり、少し高まっていたモチベーションが下がってしまいました。
そんなわけで1日、うじうじしていました。
暑さのせいかもしれませんが、それだけではなさそうです。
なにかとてつもなく大きな無力感を感じます。
どうも人生はうまくいかないのです。

■インキュベーションハウスを閉じることにしました(2017年7月6日)
まあいくつかの相談がいま飛び込んできていますが、その一つがインキュベーションハウスをやめたいという相談です。
それはそれでいいのですが、インキュベーションハウスの後を託した宮部さんが真夜中にメールをよこしたのが気になって、急遽、会うことにしました。
話の内容は、とてもうれしい話でした。

ところがインキュベーションハウスの社長は手続きができていなくて、まだ私になっているというのです。
あれあれ困ったものです。
でもまあ、この会社は役割を終えたので終焉させたいというので、賛成しました。
見事に失敗したプロジェクトになってしまいました。

■歯科医で考えたこと(2017年7月7日)
歯医者さんに行きました。
私が通っている歯医者さんは、定期的な健診に行くととても丁寧に検診してくれて、その後、数日かけて歯の掃除をしてくれます。
以前、こんなにていねいに歯の掃除をすると、虫歯にならなくなってお客様が減りませんかと、まあ余計な心配を口にしてしまったのですが、お客様は減るばかりか増えているようです。
今日は、奥歯の一部が先日風邪で微熱を出した時にうずく感じがあったといったら、レントゲンで精査してくれました。
その歯は30年程前に別の歯医者さんで治療したものですが、どうも神経の治療が不十分だったので、体調が悪い時にちょっと炎症を起こすのかもしれないと言われました。
レントゲン写真を見るとそれがよくわかります。
今回は様子を見ることにしました。

私の場合、多くは以前の治療が逆に悪さを起こしていることが多いのです。
歯の治療技術の向上もあるかもしれませんが、必ずしもそうではなく、歯医者さんの姿勢の問題が影響しているかもしれません。
ちなみに私は、この歯医者さん(我孫子市のいしど歯科医)に通いだして以来、ほとんど新しい問題は起こっていません。
検診とか歯の掃除とか、数時間かけてやるので、先も短いのでそんなにていねいでなくてもいいと思ったこともありますが、最近は考えが変わりました。
大げさですが、歯医者はもちろん医療のあり方を変えるヒントがここにある気がします。
1時間、診察台でいろいろと考えをめぐらしました。

先日、「医療制度改革の比較政治」を読んで感じていたのですが、昨今の世界の医療制度改革の方向性は間違っているように思います。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#170618
もっと抜本的に、治療のための「病気づくり」の医療ではなく、生活のための「病気なくし」の医療へと変わるのがいいと思います。
世界中から病院をなくすにはどうしたらいいか。
それこそ医療制度改革の目標ではないか。
イタリアでは精神病院は全廃されていると聞いています。
日本はますます増えているようです。
改めてイヴァン・イリイチを読み直すまでもなく、供給は需要を創出するサプライサイド・エコノミクスの世界から抜けでたいものです。
私自身、最近少しだけ抜け出せていますが、まだまだです。

■小宮山さんと北原さん(2017年7月8日)
コムケアサロンに参加するとコミーの社長の小宮山さんから連絡があったので、その前に話をすることにしました。
コミーの広報プロジェクトの基本方針を確認しておくためです。
企業の広報問題は、事業戦略や企業文化と深くつながっていますから、企業全体を変革してしまうことになりかねないので、しっかりと社長のビジョンや理念を理解しておかないといけません。
形だけの広報活動支援は私には興味のないことですし、小宮山さんもそれを期待してはいないでしょう。
でも私の経営観と小宮山さんの経営観は、津市しばらく前まではかなり違っていたのです。
慎重に進めなければいけません。
それで二人で話しているところに、サロンの話題提供者の北原さんが早めに来てくれました。
それで、ついつい箸ピーゲームの話になってしまいました。
北原さんは、それに興味を持ち、ぜひやってみたいというので、小宮山さんと北原さんとの箸ピーゲームが始まりました。
更に小宮山さんが最近開発した「箸輪ゲーム」までやってしまいました。
私も完成形ははじめての体験です。

ところで、北原さんはドラマティックなキャリアの方です。
学生時代は演劇部で、20代はタレントして活躍、30代は銀座のクラブのホステス、そして今は心理カウンセラー。
実に魅力的なキャリアです。
小宮山さんのキャリアも魅力的ですが、この2人のツーショットは貴重です。
こっそり写真を載せてしまいましょう。

■コムケアサロン「無縁化防止に取り組んで6年」(2017年7月8日)
今回のコムケアサロンは、6年前に「無縁化防止団体OMUSUBI」を立ち上げた心理カウンセラーの北原千香子さんに話題提供をお願いしました。
12人の人が参加しました。



無縁化防止団体OMUSUBIのミッションは、「孤独で居場所のない思いを抱えている人を一人でも少なくする」ことです。
そのため、毎月2回「ホームルーム」という居場所づくりをしています。
なぜOMUSUBIなのか。
おむすびを食べながらのサロンなのかと思いましたが、そうではなく、OMUSUBIのOの文字が丸い円に見えることから、円=縁をむすぶ、おむすびと命名したそうです。

北原さんがこの活動を始めようと思ったのは7年前の2011年2月。
あの3.11の1か月前です。
NHKスペシャル「無縁社会」を見て、雷に打たれたような強烈な感覚で、孤独死を防ぐために何かをしなくては、と思ったことがきっかけだったそうです。
北原さんは「あれは今でも不思議な体験です」と言っています。
それまで精神科クリニックや企業でたくさんの人の話を聞く中で、孤独な人が多いと感じていたこともあって、ともかく何かをしなくてはと思い、仲間と一緒に、まずは人の集まる場所を探し出したそうです。
そして始めた「ホームルーム」という居場所の提供は、いま7年目を迎えています。
しかし、一緒にやっていた仲間も転勤や仕事などの関係で活動が難しくなり、いまは北原さんがほぼ一人で活動を継続しているそうです。

私がとても共感するのは、思い立ってすぐに活動を起こす姿勢、欲張らずにできることからやってしまう姿勢、一人になっても持続していく姿勢です。
北原さんは、テーマを決めたり、世代を限ったりではなく、だれもが気楽に集まれる場をつくりたいと考えていますが、それにもとても共感できます。
そういう漠然とした活動には、行政もなかなか耳を傾けてくれませんが、いま必要なのは「個別問題の解決」ではなく、だれもがホッとする場を広げていくことだろうと思います。

北原さんの話を聴いていると、だれもがもしかしたら自分でも取り組めそうだと思える気になります。
しかし、実際には、こういう活動を持続していくことが一番難しいのかもしれません。
それに大変なこともあります。
つい最近ですが、集まりに来てくれる独り暮らしの人がなぜか来ないので、気になってご自宅を訪問したら、亡くなっていたそうです。
警察から北原さんは関係を質問され、普段付き合いのある近隣の知り合いというよりも説得力があるだろうと思い、無縁化防止団体OMUSUBI代表と自己紹介したそうです。
そうしたら、警察からはむしろ、不信感を持たれてしまったらしいのです。
最近は、高齢者などを対象とした、いささか怪しい団体が多いということを示唆している話のように、私には思えました。
そこにこそ、最近の福祉の深い問題があるように思います。
北原さんにとってもきっと大きなショックだったと思います。

無縁化防止団体OMUSUBIは任意団体です。
私は、NPO法人よりも、こうした住民たちのささやかな活動こそが大切だと思っています。
それも、だれもがその気になれば取り組めるような活動こそが、社会を変えていく。
困っている人たちを支援していくというようなサービス提供活動よりも、お互いに支え合う仕組みこそが本来的な市民活動ではないかと思うのです。
それにOMUSUBIに集まった高齢者が、それぞれの自宅でまた集まりを開いていけば、それだけでも「無縁社会」を変えていけるでしょう。
そこに私は、北原さんの活動の大きな意義と可能性を感じます。

いろいろと示唆に富む話し合いはありましたが、3つだけ紹介しておきます。
人が孤立しないためには、社会のなかでの役割があることが大切だという意見がありました。
あまり集まりに参加したがらなかった父親が、ある役割を見つけて以来、進んで参加するようになったという体験も紹介されました。
ただ人をつなげばいいわけではなく、つながるためには、やはりお互いの役割がみつけられるようにすることが大切で、そのためには参加者を「お客様」にしないことも必要かもしれません。
人はみんな、世話されるよりも、世話する方が楽しいのです。

活動を広げていくためには、工夫も必要かもしれないという話もありました。
人はそれぞれ得意なことややりたいことを持っています。
OMUSUBIの集まりでも川柳が好きな人がいて、いまは川柳もメニューの一つになっているそうです。
今回のサロンには、箸ピーゲーム、ラフターヨガ、琵琶で万葉集を語るなど、さまざまな活動をしている人が参加していましたが、そういう人に遊びに来てもらうだけで、仲間が増えたり、別の世界の人たちが仲間になってくれたりするかもしれません。
今回参加してくださった方は、北原さんから声がかかればきっと集まりに参加して、何か新しい風を吹き込んでくれることでしょう。
そういうかたちで、人のつながりが育っていけば、お金を介さずにできることはたくさんあるはずです。

とはいえ、活動には時にはお金が必要で、資金を提供してもらうための活動も必要かもしれません。
北原さんは、企業から助成金を提供してもらうためには企業にどういう価値を提供できるかという問いかけをしました。
活動の主旨をしっかりと相手に分かってもらうためにはそれなりの準備が必要ですが、要はその活動に価値を見出してくれる人を見つけることかもしれません。
ただ私はこの問題に関してはちょっとこだわりがあるため、いささか誤解されそうな発言をしてしまい、反省しています。
私は、そもそも「助成金をもらう」という発想が、間違いではないかと最近思いだしています。
「もらう」というよりも「活用してあげる」と考えられないか。
お金をしっかりと活用していくことで、むしろ相手を助成するのはこちら側。
ますます誤解されそうですが、助成金をもらっているという発想があると出資者への借りの感覚が生まれてきますが、活用させてもらうという発想が持てれば、自らの活動に自信が持てます。
なんだかとても傲慢なことを言っているように聞こえると思いますが、お金を稼ぐのと同じくらい、お金を活用するのは難しいことだと私は思っています。
いつかこの話題でのサロンもやってみたいですが、まだ私自身、説得力のある論理建てができていません。

いつもながら、話し合いのほんの一部の、それも私の視点での紹介になってしまいました。
北原さんの話を聴きながら、改めて福祉の原点を考えさせられました。
それと北原さんのような(華やかな世界を歩んでいた)若い人が、「無縁社会」に強く反応されて、行動を起こしたことにとても興味を持ちましたが、そこは残念ながら、突っ込こめずに終わってしまいました。

(2017年6月第4週)
■富山からの若き来訪者(2017年6月25日)
■KAEエグゼクティブフォーラムのミーティング(2017年6月26日)
■オーナー企業経営者は大変です(2017年6月26日)
■歯科検診(2017年6月29日)
■若林さんからまちづくり編集会議に関してアドバイスをもらいました(2017年6月29日)
■日本中を笑顔で埋めたい(2017年7月1日)

■富山からの若き来訪者(2017年6月25日)
1年ぶりの富山の伊藤さんが湯島にやってきました。
仕事も順調のようですが、やはりどこかに充実感が得られないようで、果たしてこれでいいのだろうかと悩むこともあるのだそうです。
そうした気分がたまってくると、世界一周にでも出かけたくなるのだそうです。
世界一周は無理としても、今回は思い立って東京に出てきたそうです。
そして湯島にもよってくれたというわけです。

元気そうでしたし、何よりも印象的だったのは、富山らしい話し方になっていたことです。
静岡と東京で暮らしていた期間が長いので、これまであまり方言には気づかなかったのですが、今回はまさに地域の生の言葉で自分を語っていました。
それがとても印象的でした。

伊藤さんはまだ30歳。
若さゆえの悩みが山のようにあるようです。
来年もまたやってくるかもしれません。
しかし1年ずつ成長していくでしょう。
悩み多き若者の話を聴くも、いろいろと気づかされることが多いです。

■KAEエグゼクティブフォーラムのミーティング(2017年6月26日)
昨日は山城経営研究所のエグゼクティブフォーラムの、私の担当チームが湯島にやってきました。今月初めに奈良で合宿をして、一応、大きな方向性は出したのですが、それをもう少し深掘りするのが目的です。
7つの企業に属する管理者がメンバーですが、今回の共通テーマは、多様な価値観を持った社員を活かす組織(職場)にするにはどうしたらいいかというのが、みんなの関心事です。
答は極めて簡単だと私は思いますが、日本の現在の企業は、ダイバーシティ戦略などと口では言っていますが、実態はむしろヒューマンファクターを抑圧しながら思考停止した部品化を社員に求めているようにさえ、私には感じられます。
1980年代に広がりだした、生命論的組織観やオートポイエティック発想は後退しています。

企業の人たちと話していると、日本企業の実相が伝わってきます。
長年、この活動をしていて感ずるのは、日本の大企業からイノベ―ティブなアントレプレナーシップが消えてきていることです。
一言で言えば、日本の企業経営は大きく劣化してきています。
働き方改革が話題になっていますが、そもそもその問題の立て方が間違っていると思えてなりません。

30年程前に、ある企業が経営理念に「月曜日が楽しい会社」を標榜したことがあります。
そこで前回の合宿で、参加者に問いかけました。
「あなたは月曜日が楽しいですか?」と。
昨日のメンバーの中には「月曜が楽しい」という人がいましたが、管理者が月曜が楽しいと思っている会社がどのくらいあるでしょうか。
もちろん「日曜も楽しいが月曜も楽しい」が理想ですが。
大切なのは「働き方」ではありません。
仕事そのもの、企業活動そのものです。
問題の設定を間違えている以上、日本の大企業は元気にはならないでしょう。

このミーティングの前に個人の起業家と会い、その後は社員30人ほどの企業の社長と会いました。
2人とも山のような課題を背負って苦労していますが、楽しそうでした。

今日は朝から夜まで、ビジネス関係の人との議論でした。
福祉の分野から見えるものとはまた違った世界が見えてきますが、いずれも悪い意味で近づいているような気がします。

ちなみに、このチームに参考図書として挙げた1冊は藤井聡さんの「〈凡庸〉という悪魔」です。驚くことに少なくとも2人の人が読んでくれました。
book2.htm#006

企業という組織に使われるのではなく、企業という組織を活用して、価値を創りだす仕事をもっと多くの人に楽しんでもらいたいです。

■オーナー企業経営者は大変です(2017年6月26日)
コミーの社長の小宮山さんとまたロングランの話し合いを行いました。
経営者の孤独と悩みがよくわかります。
小宮山さんのように、私欲のない経営者の悩みはとても人間的で共感できるものが多いです。
小宮山さんとは意見の違うところは少なくありませんが、自分をしっかりと生きている人は言葉だけではないので信頼できます。

小宮山さんとの付き合いは長いですが、つい数年前までは、小宮山さんは私の経営観に拒否感を持っていました。
たぶん私の考えをあまり理解してくれていなかったのだろうと思います。
なにしろ私は、「資本主義的」でも「企業主義的」でもないからです。
敢えて言えば、共和主義者です。
それに企業は株主や経営者のための利益産出機関ではなく、そこで働く人にとっての幸せを最大化するための仕組みだと考えていますから、経営者にとってはあんまり受け入れてはもらえないでしょう。

しかし、最近はとても私を信頼してくれています。
私の考えに賛同したわけではないでしょう。
でもどこかで信頼関係が生まれているのかもしれません。
信頼は裏切ってはいけません。
ますます小宮山さんには厳しく異論をぶつけるようにしていこうと思います。
いささか疲れますが。

■歯科検診(2017年6月29日)
4か月おきに歯科医に検診に行くことにしています。
いつもそれを延ばしてしまうのですが、今回はきちんと行くことができました。
歯の状況はだいぶいいようです。
ただ、自己申告を見ながら、まだ高血圧の薬を飲んでいないのですかと言われました。
謝るしかありません。
しかし風邪でクリニックに行っても血圧の話。
歯医者でも血圧の話。
めんどうなのでやはり薬を飲もうかという気にもなります。

診察台の前にある観葉植物が若芽を延ばしていました。
それがとても生き生きとして魅力的でした。
名前を聞いたら、挿し木ができるからと枝を切ってくれました。
さて大事に育てなければいけません。

■若林さんからまちづくり編集会議に関してアドバイスをもらいました(2017年6月29日)
昨年からミーティングを持ちながら検討している「まちづくり編集会議」が一向に進みません。
いささか嫌気を感じているのですが、一度白紙に戻して、再出発したいという提案をさせてもらいました。
これまでの2回、ちょっとみんなの意見を聞きすぎました。
3回目は私の考えで進めたくなってきました。
といっても一人では進められないので、新しいメンバーを模索することにしました。
それに先立ち、埼玉県を中心に街歩き活動を長年やっている若林さんにアドバイスを受けることにしました。
以前、私がフェイスブックに書いたまちづくりフォーラムの呼びかけに反応してくださったことを思い出したのです。
若林さんにお願いして、入間地区を歩くこともやったこともあります。
いろんなアドバイスをいただきました。
やはり一人で考えていると発想は広がりません。
少し先が見えてきました。

■日本中を笑顔で埋めたい(2017年7月1日)
ラフターヨガとみんなの認知症予防ゲームに取り組んでいる櫻井さんと乙部さんとミーティングを持ちました。
個々でもいろんな構想が出てきましたが、ともかく日本中を笑顔で埋めていきたいという方向性が共有できました。
さてそれをどう展開していくかです。
たたき台を起案することになりましたが、そこでちょっと止まってしまいました。
別件でいろんな話が週末に舞い込んできたからです。
さてさて。

(2017年6月第3週)
■チェンジ・アーティスト代表の荻阪哲雄さんとのミーティング(2017年6月18日)
■まちづくり編集会議・我孫子につながるかもしれません(2017年6月19日)
■寄り添うことのむずかしさ(2017年6月21日)
■うなぎをご馳走になりました(2017年6月21日)
■コミーでくたくた(2017年6月22日)
■風邪でダウン(2017年6月23日)
■憲法サロン「私の憲法改正草案(畑さん編)」(2017年6月24日)
■山形のサクランボが届きました(2017年6月24日)

■チェンジ・アーティスト代表の荻阪哲雄さんとのミーティング(2017年6月18日)
新しい組織開発に取り組んでいる、チェンジ・アーティスト代表の荻阪哲雄さんとストーリーテリング協会理事とのミーティングをもちました。
お互いになにかコラボできることはないかと考えています。
私自身はいくつかのヒントをもらいましたが、お互いにまだ機は熟していない感じを受けました。

■まちづくり編集会議・我孫子につながるかもしれません(2017年6月19日)
地元我孫子で活動をいろいろと企画している原田さんと会いました。
秋に開催される市民活動フェアでの新しい企画を考えているようです。
駅前のドトールカフェで、コロンビアコーヒーをご馳走になってしまったので、何か私でできることを考えなければいけません。

■寄り添うことのむずかしさ(2017年6月21日)
寄り添いネットワークを仲間と一緒に立ち上げつつある阿部さんと「寄り添い」とは何だろうかを話し合いました。
というのは、新しい組織の基本方針などで、阿部さんはどうも仲間と思いの違いが出て来ていて、悩んでいるようだったからです。
私の話をは少しは役に立ったようです。

しかし、気安く「寄り添い」などと言ってほしくありません。
「寄り添い」を口実にしたビジネスが横行しているのがとても不愉快です。
 
■うなぎをご馳走になりました(2017年6月21日)
がんが見つかって手術が決まった友人が、がん治療で有名な青森の玉川温泉から戻ってきました。
10日ほどの温泉湯治では奇跡はなかなか起こりづらく、手術は予定通り行われます。
その後のことも含めていろいろと話をしましたが、そのお礼にうなぎをご馳走になってしまいました。
普通は元気づけに私がご馳走するのでしょうが、まあご馳走を受けるのも大切なことです。
しかし雨の中さわいでいたせいか、風邪がひどくなってしまいました。

■コミーでくたくた(2017年6月22日)
微熱があるのでどうしようか迷ったのですが、朝は熱が下がっていたので、約束通りコミーに行きました。
6月10日に45周年交流会に欠席していたので、ずっと気になっていたのです。
コミーに行くといろんな人と話したくなります。
今回はなんと国際箸学会の大泉さんまで来ていて、国際箸学会のグランドデザインの相談を受けてしまいました。
他にも4つの案件があり、くたくたになって帰宅しました。

■風邪でダウン(2017年6月23日)
ちょっと2日間無理をしてしまい、また熱が出てきてしまいました。
ずっと寝ていたのですが、お昼を過ぎても下がりません。
それで気分転換にかかりつけのクリニックに行きました。
ところが風邪の診察はすぐ終わり、その後、ちゃんと高血圧の薬を飲むようにまた諭されました。
まあいろいろありましたが、何とか防戦できました。
まあそのやりとりで風邪は少しおさまりました。
たぶん、ですが。

■憲法サロン「私の憲法改正草案(畑さん編)」(2017年6月24日)
憲法改正がいよいよ現実的な話題になってきました。
時に正反対の内容を含むものまでが「憲法改正」と一括して議論されるような粗雑な状況のなかで、憲法とは何かについての議論もないまま、すでに「違憲行為」を強行的に繰り返している現在の安倍政権が、十分な国会議論もないままに、多数決論理をつかって、決まった方法に向けての改正がスケジュール化している状況に、恐ろしさを感じます。

そうした状況になっている大きな理由は、たぶん「日本国憲法」で「主権者」とされている、私たち国民が、憲法についてきちんと理解していないからではないかと思います。
そこで、社会の中に憲法議論を広げていく必要を感じていましたが、今回、一市民である畑さんが、自民党の憲法草案に刺激を受けて、「立憲主義・国民主権主義に基づく日本国憲法改正草案」をまとめたというので、畑さんの改正草案をお話しいただきながら、憲法への理解を深めるサロンを開催しました。
ちなみに、畑さんは、組織に勤める現役のエンジニア/アナリストです。
畑さんの勇気と良識に敬意を表したいです。

集まったのは8人。
看取りや子ども関係の活動に取り組んでいる福祉関係者、農業や商品開発などの分野での起業家、留学生支援に取り組んでいる人、長年基本的人権の問題から社会の問題を考えている人、リンカーンクラブ代表などで、女性は一人でした。
私はNPO関係者や企業に勤める人たちに集まってほしかったのですが、反応は弱かったのがとても残念でした。
憲法の動向で、市民活動などいかようにも変えられてしまうことは、歴史が示しています。
そういう危機感がほとんどない、現在の日本のNPO活動には大きな危惧を感じざるを得ません。
もっとも最近は、各地で憲法カフェ的な集まりも広がりだしていますので、もうすでにそういう場で話し合いや学び合いが始まっているのかもしれません。
そう思わないと不安で仕方がありません。

本論に入る前に、こうした議論も少しありました。
社会をよくすることを目指す活動なのに、政治はご法度という日本の仕組みに関する疑問です。
この日本的特殊性は、もっと認識されるべきだと思います。

サロンの報告の前に、余計なことを書きすぎました。
サロンでは、畑さんの「改正草案」の改正の主旨とポイントを、現行憲法と自民改正案と比較しながら、話してもらい、各章ごとに話になりました。
なお、畑さんが作成した「改正草案」と「現行憲法および自民党改正案との対比表」は下記にアップしていますので、ご関心のある方はご覧ください。
●立憲主義・国民主権主義に基づく日本国憲法改正草案
●畑改正案と現行憲法、自民党改正案との比較表

私が理解した畑さんの憲法草案の概要を、私の主観的受け止めに基づいて説明します。
私が感じた重要なポイントは3つあります。
畑さんは、憲法制定権力を国民ではなく、まずは自由意志を持った個人におきます。
そして、「個人が主役になって自分たちを律する国家(政府)の基本構造を決めるもの」として憲法を位置づけます。
ちょっと誤解を生みやすい比喩だったのですが、畑さんは「日本国の株主になりましょう」という呼びかけのために、国家の統治構造や大切に知する価値(基本的人権など)をうたったものと説明しました。
具体的に言えば、その主旨が「前文」でうたわれ、最初に統治構造の枠組みが詳細に書かれるとともに、日本国民の要件が明記されています。

しかし、その一方で、畑さんは世界市民を目指すという国家を超えた世界国家理念を底流においています。
現行憲法の9条にあたる部分は、「他国への武力攻撃の禁止」とタイトルも変わり、「国民防衛軍」の設置が規定されています。
ちょっと似た言葉ですが、「国防軍」と「国民防衛軍」は全く違う概念だろうと思います。

3つ目は、条文の主語を明確にすることでできるだけ解釈の幅を少なくしようとしています。
畑さんは、現行憲法は主語があいまいなために解釈の幅を広げていると考えているようです。

以上の大きな発想の違いを示したうえで、条文の説明に入り話し合いがはじまりました。
最初の「前文」はまったくの畑さん独自案です。
前文は、憲法の基本性格を示す内容が書かれていますが、ここで議論が盛り上がり、放っておいたらそれで2時間取られそうでした。
次に置かれているのが、「国会」「内閣」「司法」の三権分立の統治構造ですが、かなり思い切った提案が含まれています。
たとえば、国務大臣の過半数は国会議員以外の人とされています。
議論はいろいろありましたが、そもそも三権分立で国家は統治できるのかという話も出ました。
国会が内閣の長を選出し、内閣の長が司法の長を選出する現在の仕組みへの疑問も出ました。

この辺りまではかなり時間をかけての話ができましたが、だんだん時間がなくなりあとはポイントだけの話し合いになりました。

統治構造につづくのが、「他国への武力攻撃の禁止」と「国民の権利及び義務」、ここではむしろ「人を殺さない権利」が話題になりました。
財政と地方自治はまだ十分には考えられていないようでパス。
「緊急事態」を加えていますが、これは自民党改正案を基本にしています。
ここは極めて重要なポイントだと思いますが、時間がなくて議論できませんでした。
最後に「天皇および後続」が第9章におかれています。
憲法の中での位置の見直しもともかく、その内容はいささか驚愕するものですが、ここはたぶんまだ思考途中のような気がしました。
さらにその後に「国旗及び国歌」も章立てされています。

長くなりすぎて、どんな話し合いが行われたかを書く気力がなくなりましたが、さまざまな議論を呼び起こすという意味では、とてもいい刺激を与えてくれたと思います。
3時間ほどの話し合いでしたが、それぞれに気づきがあったように思います。
憲法は抽象的に語っていてもなかなか理解できません。
しかしこうして憲法全体を考え直した人の話を聞くと、具体的な問題や憲法とは何かもわかってきます。
さらに言えば国家とは何か政治とは何かもわかってくる。
改めて憲法サロンの意義を実感しました。
しばらく継続実施することにしました。

■山形のサクランボが届きました(2017年6月24日)
山形の一大さんがまた佐藤錦をどっさりと送ってきてくれました。
もう少なくとも15年は会っていませんし、仕事でおつきあいした期間はほんの数年です。
しかも私はそう役立ったわけではありません。
にもかかわらずいつも送ってきてくれます。
感謝しながら美味しいさくらんぼをいただきました。
お隣さんなどにもお裾分けさせてもらいました。

(2017年6月第2週)
■なぜかいろんな相談が飛び込んできました(2017年6月11〜13日)
■遺言書を書いてみました(2017年6月13日)
■全身の痛み(2017年6月13〜15日)
■共謀罪法の強行採決(2017年6月15日)
■1か月半ぶりにホームページを更新(2017年6月16日)

■なぜかいろんな相談が飛び込んできました(2017年6月11〜13日)
なぜか相談の集中です。
電話とメール、わが家や湯島への来訪、とスタイルはいろいろですが、3日で6人の相談に乗りました。

一番大きな相談は、わが家にやってきたUさんです。
半年ほどあまり連絡がなかったので、うまくいっていると確信していました。
それに私の世界とは別の世界の人たちが応援しだしているようだったので、むしろ私は邪魔かなと思って身を引いていた面もあります。
しかし、テレビでも話題になっているある事件によって、どうも風向きが変わってきたようです。
そんな状況の中で、いささか深刻な相談でした。
即答ができませんでしたが、方向は見える気がします。

やはりうまくいっていると思っていた人が、メールで「助け」を求めてきました。
私のアドバイスとは違う方向に進みだしていて、私以外の仲間も集めているようだったので、これも私はむしろ邪魔になるなと思って、身を引いていました。
間接的に話を聞いている限りでは、順調に進んでいるようでした。
ところが湯島に来て話し出した途端に、涙顔になってしまいました。
そういえば、この人は3・11の後、私の紹介で仙台にいった後、いささか気分が高揚したのか、湯島で泣き出したこともあります。
精神的にかなり限界にきているのかもしれません。
私と一緒にやっていればよかったのにと言いたかったですが、それを言っても仕方がありません。
彼は今、仲間との考え方の差でぼろぼろになりそうな様子です。
解決策を即答しませんでした。
これまでも何回も言っているので、今回も通じないでしょう。
でもどうしたらいいか考えなければいけません。

さて3番目のKさんの相談は、もう少し初歩段階です。
事業企画だと言って分厚い資料を持ってきました。
私は分厚い資料は読みません。
厚さと内容は反比例しているからです。
でも具体的なアドバイスを提案しました。
もしそれをやるのであれば、私は全面的に協力しますが、どうなるでしょうか。

Nさんからは電話である資料の修正を頼まれました。
いや頼まれたわけではなく、私から申し出たのです。
この人は、ものすごい苦境にいると思いますが、私に遠慮してなにも頼んできません。
だからこちらからやるしかないのです。
この人はいつも、私は高卒で知識がないからと言いますが、そんなことは全くありません。
裁判の事前準備書面を自分で作成してしまうほどなのです。
お金がないので弁護士に頼めないからなのですが、こういう人に何故弁護士は無料で手を差し伸べないのでしょうか。
彼女は、今逆に弁護士報酬が払えなくて裁判を起こされているのです。
誠実さは、時に狙われます。
私もかつて、ある支援をした相手から、佐藤さんはお人よしだから俺がその気になれば身ぐるみはがしてしまうよと言われたことがあります。
彼を信じていましたが、結果的にはかなり身ぐるみをはがされてしまいました。
だから誠実な人が「餌食」になっているのは見ていられないのです。

まだあります。
そんな相談に、この3日間、時間をつかっていました。

■遺言書を書いてみました(2017年6月13日)
といっても、私の遺言書ではありません。

独身を通した友人が先月、突然胃がん宣告を受けました。
そして私に電話してきました。
手術の前にやっておきたいことがあるというのです。
何事かと思って急いで会ったのですが、要は遺言書を書いておきたいというのです。
遺産相続の方針はすでに決まっているので、自分が死んだ後、それを遺族に伝える役目を私に託したいというわけです。
私よりも先に逝くことが決まっているわけではないのですが、突然のがん宣告は時に人を混乱させます。
相談を受けたほうも、時に混乱してしまう。

予め相続者に言っておけばいいではないかと言ったのですが、均等相続ではないので、いろいろと問題が起きるのを避けたいのだそうです。
たしかに、そんなトラブルになれば、治るガンも治らないかもしれません。
まあ面倒くさそうですが、困った人がいたら放置はできません。
それに、死後、友人が遺言書を関係者を集めて開示するというのもドラマティックです。
アガサ・クリスティの世界です。
できれば、がんで死ぬのではなく、殺害された方が劇的ですが、そこまで彼に期待するのは欲が深すぎます。
でまあ、ちょっと面白そうな話です。
でもまあ、先に私が死んだらどうするのかという問題もあります。

しかし、そもそも弁護士でもない私が、そんな役割が果たせるのでしょうか。
そういうわけで、遺言について調べ出したのですが、まあついでに遺言書も書いてみたのです。
書いてみると、自分のも書いてみたくなってきました。
できればちょっと謎解きの要素を入れるのもいいかもしれません。
そのためには、相続すべき遺産をためておくべきでした。
できれば、どこかに隠し子がいると、もっとドラマティックになったでしょう。
残念ながら隠し子も争いになるほどの財産もありません。
私の生き方はいささか退屈すぎたようです。

不謹慎な話になってきましたが、肝心のその友人は、いまは玉川温泉に湯治に行っています。
湯治で胃がんが治るかもしれないと言っていましたが、こういう能天気な友人なので、彼の遺言書を私が開示する役割はたぶん果たせないでしょう。
つまり私よりも彼が長生きするということです。
さてそれでは誰に彼の遺言書を委ねるか。
なんでそんなことまで私が考えなければいけないのか。
彼は今ごろ、温泉でぐうたらしていることでしょう。
その一方で、私は遺言書を書いている。
今日も食事もせずに、いろんな人の相談に乗って疲れているのに、です。
人生は不条理の連続です。

しかし、自分の遺言書はともかく、他人の遺言書はやはり責任重大です。
もう少し勉強しなければいけません。
どうしてこんな役回りになってしまっているのでしょう。
困ったものです。

■全身の痛み(2017年6月13〜15日)
さて13日から身体的につらい状況です。
頭痛がするのです。
鈍痛ではなく、ちょっとした拍子に左の頭に鋭い痛みがはしります。
頭を触ると皮膚が痛い気がします。

昨夜、夜遅く熱いみそ汁を飲んでしまいました。
そのため口腔の上の皮膚が全部やけどして向けてしまいました。
それで時々痛みがあります。
気分もよろしくありません。

お腹が時々痛いのはまあいいとして、最悪なのは右足の裏にとげが刺さったような痛さがあり、正常に歩けません。
老化をありがとうございました。浮いていて、突然チクっとしたので、ガラスの破片でも踏んだかと思ったのですが、調べてもそれらしきものはありません。
でもある部分を押すと激痛が走ります。
そういえば、以前もこんなことがあった気がします。

頭痛は高血圧のせいかもしれないと思い、血圧測定してみましたが、まあほどほどの高さで、異常とはいえません。
それでも念のために降圧剤を飲んでしまいました。
いざとなると私も気が弱いようです。


この状況が3日つづきました。
幸いに15日には、いずれの症状もかなり改善されました。
さてさて医者に行くべきかどうか。
迷いますが、結局行かないでしょう。
血圧の薬も飲まないでしょう。
この心身の痛み(心の痛みは書きませんでしたが、身体以上にあるのです)はきっと何かのメッセージです。
生き方がどこかで間違っているのでしょう。
直さなければいけません。

■共謀罪法の強行採決(2017年6月15日)
共謀罪法が強行採決されました。
自民党と公明党によって、日本の国会は踏みにじられました。
6.15は忘れられない日になりました。
ブログに書きましたが、「続猿の惑星」の議会を見ているようです。

http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2017/06/post-1dc3.html

■1か月半ぶりにホームページを更新(2017年6月16日)
開設以来、毎週更新してきたこのホームページを1か月半、放置していました。
時間がなかったというよりも、更新するモチベーションが起きなかったためです。
でもせっかくここまで続けてきたので、更新を再開することにしました。
2日間かかってこれまでの記録を思い出して書きこみました。

来週からまた毎週更新にします。

(2017年6月第1週)
■ワークショップ「大災害に備えるために」(2017年6月4日)
■水の館にレストランができました(2017年6月5日)
■今年初めての畑作業(2017年6月5日)
■小宮山さんと西山さん(2017年6月6日)
■心を休めさせられない無力さへの無念さ(2017年6月7日)
■河田さんとゆっくりお話しできました(2017年6月7日)
■エグゼクティブフォーラム合宿(2017年6月9〜10日)
■新薬師寺十二神将(2017年6月9日)
■ならまち散策(2017年6月10日)
■最後の薬師寺(2017年6月10日)
■渉成園と文子天満宮(2017年6月10日)

■ワークショップ「大災害に備えるために」(2017年6月5日)
上原さんによるワークショップ「大災害に備えるために」は定員ぴったりの10人が参加しました。
東北被災地で活動している方も3人参加してくださいました。
女性の参加がなかったのがとても残念でした。

上原さんは、まずある状況において、「あなたならどうしますか」というイエス/ノーの問いかけをしてきました。
たとえば、「あなたは9歳の娘と一緒に自動車で避難中に、歩いて避難している娘の同級生を見かけて自動車に乗せましたが、その子が家に祖母がいるのを思い出し、その子から戻って一緒に避難させてほしいと頼まれました。あなたは祖母を助けにその子の家に戻りますか?」というように問いかけるのです。
参加者は、それぞれ一斉に、イエスかノーのカードを出します。
そして、そういう判断をした時に最も重視したことを書いて、それを順番に発表するのです。
それからみんなで3分ほど話しあいます。
そして次の問いに行きます。
これが基本形ですが、そこから発展した、さまざまな問いかけや話し合いの仕組みが考えられています。
そういう判断を迫られることのないようにするには、普段から必要なことは何か、というような問いかけもありました。

上原さんの狙いは、正解を見つけることではなく、価値観の多様性を知り、それぞれがより適正な判断力を身につけることです。それが大災害での「生き残る確率」を高めることにつながると上原さんは考えています。
問いかけは、すべて実際にあったことを材料にしていますので、リアリティがあります。報道を見て、いろいろと批判することは簡単ですが、実際にその場に立ったとして考えれば、その場での判断がいかに難しく、また「正解」などないことが実感できます。

3.11の後、女川などで活動してきた宮崎さんは、東日本大震災の教訓を風化させないためにも、この種のテーマでのサロンの企画は大切だと言ってくれましたが、単なる事例を学ぶのではなく、自らがその立場になって一人称自動詞で考えることで、教訓を刻み込むことの意味を、私も実感しました。

テーマは、大震災に備えてでしたが、このワークショップから気づかされたことはたくさんあります。
上原さんの、今回のワークショップのベースにあるのは、クロスロード防災ゲームだと上原さんから教えてもらいました。
クロスロード。
分岐点というような意味ですが、それはさまざまな活動に関して、出会うところです。
上原さんは、防災のほかにもいくつかのテーマでこのワークショップに取り組んでいます。
私が最近体験したワークショップの中では一番気付きが多かったです。
参加者もとても面白いと言っていました。

自治会や行政や、あるいはさまざまな問題に取り組むNPOにも、有効な手法だと思いました。
もし自分のところでやってみたいという方がいたら、上原さんをご紹介しますので、ご連絡ください。

最後に、上原さんは一番判断が困難だったことや驚いたことなどを全員に問いかけました。
私は、社会的な役割と家族関係のどちらを優先するかに少し迷いがありました。
驚いたのは、最後の問いかけへのイエス/ノーが私だけ違っていたことでした。
私は自分がとても人間的な、常識的な考え方をすると自負していましたが、10人中、私だけが違う判断をしたことに正直驚きを感じました。
その問いかけは、そう難しい問いではなかったのですが。
こんな形で、自らの判断基準や他者との違いにも気づかせてくれるワークショップでした。

今回の私の教訓は、自らの生き方の原理原則を明確にしておくことの大切さです。
それはそんなに難しいことではないのではないかというのも、今回改めて実感しました。

とてもいいワークショップをしてくださった上原さんに感謝します。
遠方から参加してくださった実践者のみなさんにも。
いつかパート2を開催したいと思っています。

■水の館にレストランができました(2017年6月5日)
わが家の近くの手賀沼の湖畔には、水の館という施設がありますが、その施設が県から市へ移管されたのを契機に、レストランができました。
6月3日にオープンだったのですが、娘の連れ合いが今日は休みだったので、みんなでそこに食べに行ってみました。
農業関係者が経営していることもあって、野菜食なのです。
私は650円の野菜丼を食べました。
おそらく料金のほとんどは景観を楽しむ費用なのでしょう。
しかしもう少し工夫があってもいいと思うような野菜丼でした。
こんな中途半端な料理ではなく、むしろカフェに徹してほしかった気がします。

でも場所はとてもいいのです。
2年は持つでしょう。
いや1年以内にメニューの見直しがあるでしょう。
そう思いながら、帰ってきました。

■今年初めての畑作業(2017年6月5日)
農業関係者が経営しているレストランに行ったからではないですが、今年初めて畑に行きました。
今年はもしかしたら家ができるので、畑はやめていたのですが、家の建築は延期になりそうなので、やろうと思えば今年も畑作業はできるのです。
ところが、昨年まで3年ほどかかってやっと畑らしくなってきていたのに、今年放置していたために、また3年前の野草に覆われた状況に戻ってしまっていました。
さてどうするか。
迷うところです。
今日は一応、30分ほど野草、特に私の嫌いなセイタカワダチソウを抜いてきました。
それだけでもうへとへとです。
体力の低下を痛感します。

■小宮山さんと西山さん(2017年6月6日)
コミーの小宮山さんから、西山さんと一緒に会食しようとお誘いがありました。
西山さんは多彩の人で、私たちの共通の友人は黒岩比佐子さんです。
黒岩さんが亡くなる前にはほとんど交流はなかったのですが、黒岩さんの最後の講演会の時に久しぶりにお会いし、以来、時々、いろんな場でお会いするようになりました。
いまは小宮山さんが、私たちをつないでくれる存在になっています。

■心を休めさせられない無力さへの無念さ(2017年6月7日)
いささか深刻な問題で湯島に何回も相談に来てくれている人がいます。
その方は、これまで多くの人に裏切られてきたようで、人への信頼感を持てずにいるようです。
ブログを通して私を知ってくれて、湯島の通いだしてくれているのですが、なかなか彼女の心を平安にできずにいます。
私への信頼感はかなりできたような気もしますが、いつどう壊れるか不安です。
人を信じられない人は、誰であろうと信じられないものです。
「この人だけは信じられる」ということは私の体験ではありません。
一人でも信じられない人がいれば、人を信じることなどできないからです。
ちなみに私はすべての人を信じるように努力して生きていますが、実現はできていません。
ただ人を裏切ることだけはしまいと決意していますが、それも難しい。

さてその疲れ果てた人ですが、今日も彼女に平安をつくれませんでした。
他者に平安を与えられない無力さが無念です。
自分の平安が得られないので、せめては誰かに平安になってもらいたいと思うのですが、この発想に矛盾がありそうです。

■河田さんとゆっくりお話しできました(2017年6月7日)
河田さんとゆっくり話したことがありませんが、私のフェイスブックの投稿を読んで、何か私の力になれないかと湯島にまで来てくれました。
ありがたいことですが、そういう申し出と行動が、つまりは私の力になってくれているわけです。
河田さんといろいろと話しました。
私が抱えている問題も話させてもらいました。
それだけで心は安らぎます。

河田さんはバリバリのビジネスマンの後、いまは若いソーシャルアントレプレナーを応援しています。
社会はこのままでいいのかという危機感もお持ちです。
私とはいろいろと考え方が違うように思っていましたが、話してみると通じていることがたくさんありました。

いろいろと刺激を受けた話し合いができました。
次のステップに向かうためにどうすればいいか。
また話し合うことにしました。

■エグゼクティブフォーラム合宿(2017年6月9〜10日)
山城経営研究所のエグゼクティブフォーラムの28期の合宿が奈良でありました。
私は奈良ホテルで合宿と聞いただけでそのコーディネーターを引き受けましたが、1回でやめようと思っていたのになぜか今年も引き受けてしまいました。
断りたい気分と奈良ホテルのバランスが、決断しないままに結局継続になったのです。
奈良ホテルの魅力は、もちろん奈良ホテルという空間ですが、それ以上に、早朝に奈良公園を散歩できるからです。
まあ合宿とはあんまり関係ありませんが。

このエグゼクティブフォーラムは、企業の管理者その育成支援プログラムです。
その最初の合宿での私の役割は、最初の問題提起なのですが、その1時間を除けば、後は参加者の話し合いに口を少し突っ込んだり、発表へのコメントをしたりしかないのです。

今夏は前回よりもさらに若い人が多い気がします。
なかなかいい議論がされていました。
半年後に椿山荘で発表会があります。

■新薬師寺十二神将(2017年6月9日)
フォーラム受講生が話し合っている合間に、こっそりホテルを抜け出して、近くの新薬師寺に行きました。
前に来たのはもう50年以上前でしょうか。
ホテルで聞いたら、歩いていけるというので、抜け出したのですが、暑さもあってちょと遠かったです。

新薬師寺で有名なのは十二神将です。
本尊の薬師如来坐像(これも国宝です)を十二体の神将たちが囲んでいるのは圧巻です。
ところが、50年ぶりにお会いした十二神将たちは私の記憶とはちょっと違って、みんな年取ってしまった気がします。
私の気のせいなのでしょうが、そんな気がします。
坐像の前でしばらく座っていましたが、私の精神状況のせいでしょうが、伝わってくるものがあまりありませんでした。

新薬師寺の周辺はまだあまり観光化されておらずに、町並みも風情があります。
抜け出したこともあって、残念ながらどこにもよらずにホテルに戻りました。
だれにも気づかれずに終わりました。

■ならまち散策(2017年6月10日)
朝、6時前にホテルの近くのならまちを散策しました。
ならまちは、もともとは元興寺の寺域です。
本当は元興寺を見たかったのですが、門が閉まっていて見ることができませんでした。
ならまちを歩いていたら、家々の軒先に奇妙なものがかけられているのに気づきました。
犬の散歩をしている人に訊いたら、「身代わり申」というのだそうです。
奈良町資料館を教えてくれましたが、早朝なのでここもあいていません。
こういう公共(的)空間は(お寺もそうですが)、24時間あけておけるような社会であってほしいといつも思います。

身代わり申をみてすぐに思いついたのが中国雑技団ですが、まさに道教といった感じです。
元興寺の前身が飛鳥寺だったと記憶していますが、飛鳥には、道教の雰囲気が強いですので納得できましたが、ならまちのイメージにはつながりません。
帰宅して娘に訊いたら、身代わり申を知っていました。
どうも私の知識は偏っていて、知らないことが多すぎます。

ちなみわが家は以前、魔除けにトルコから買ってきた青ガラスの目をつるしていました。
割れてしまったので、いまはないのですが、娘のタイル工房の入り口には今もぶら下がっています。
最近、悪いことが多いのは、軒先のお守りがないからかもしれません。
この身代わり申は、私の趣味ではないので(身代わりの発想に拒否感があるのです)やめますが、家の軒先に置く魔除けを少し探してみようかと思います。

■最後の薬師寺(2017年6月10日)
合宿のプログラムの中に、薬師寺と伏見稲荷の参拝というのが組み込まれています。
神仏習合を体感するというのが目的だそうです。
薬師寺と伏見稲荷の組み合わせはおかしいですが、まあかたいことをいうのはやめましょう。
薬師寺には付き合いましたが、伏見稲荷は抜けさせてもらいました。

薬師寺は4年ぶりくらいでしょうか。
いまもなお東塔は修復のため、覆いがかけられてまったく見えません。


参拝の前に村上定運さんの法話を聞きました。
高田好胤管主をしのぐほどの話し手でした。
ただ、私はその話を聴いて、もう薬師寺には来ないことにしました。
なぜかはここには書きませんが、大きな失望感を持ったのです。
西塔をはじめとした伽藍再建は素晴らしい仕事でした。
すべての費用は、写経などによって寄進されたものと聞いていました。
しかしもしかしたらそれがあだになったのかもしれません。
とても残念でなりません。

何を書いているかわからないでしょうが、気になる人は薬師寺に行って法話を聞いてみてください。
薬師寺は私の好きなところでしたので、とても残念です。
私にとっての、最後の薬師寺になりました。

■渉成園と文子天満宮(2017年6月10日)
午後は伏見稲荷を止めて、京都で会社時代の先輩の田中さんに会いました。
田中さんは、東本願寺別庭の渉成園と文子天満宮を案内してくれました。


文子天満宮も私は全く知りませんでしたが、北野天満宮よりも古い、天神信仰発祥の地なのです。
渉成園はとても落ち着いたいいところでした。
池に面した見たこともないような茶室も驚きでしたが、京都駅のすぐ近くにこんな空間があるのが、ないよりも不思議ですが、やはりそれが京都なのでしょうか。
その前に、東京の朝のラッシュ時間のような伏見稲荷の混雑ぶりを体験していたので、とても気分がホッとしました。

しかし、それ以上にうれしかったのは、田中さんにお会いできたことです。
話していて気がついたのですが、田中さんとは一緒に仕事をしたこともなく、25年間の会社時代に、わずか4年間、職場の部屋が隣だっただけだったことに気づきました。
私の印象記憶とはあまりに違いますが、事実はそれが正しいようです。
田中さんからそう指摘されるまで、私はなぜか一緒に仕事をしていたような親近感といろいろとお世話になったという記憶があるのです。

田中さんも私のことを覚えていてくれて、わざわざ滋賀から京都まで出て来てくれました。
改めて人のつながりの不思議さを感じました。
そしていろいろと気づかされたこともあります。
私はあまに勝手に会社をやめてしまったのかもしません。
世話になった人たちにきちん挨拶していなかったことにも、あまりにも時間が立ちすぎていますが、気づきました。

田中さんとの話は、やはり田中さんらしくて魅力満載でした。
示唆に富むいろんなお話も聞かせてもらいました。

(2017年5月第5週)
■コミーのQiセンターに興味があります(2017年5月29日)
■誕生日だそうです(2017年5月30日)
■「遺言を託せないか?」(2017年5月31日)
■みんなが幸せになるM&Aのお手伝いをしたいんです(2017年5月31日)
■府中の法務局に行きました(2017年6月1日)
■久しぶりのお墓お見舞い(2017年6月2日)
■広島の煙石冤罪事件のドキュメンタリー(2017年6月3日)

■コミーのQiセンターに興味があります(2017年5月29日)
6月10日に、コミーのQiセンターがお披露目されます。
あいにく、その日は関西にいるので、私はうかがえませんが、いろいろと面白い企画が進んでいます。
しかし、私の関心は、このQiセンターがどういう新しい物語を生み出すかです。
この構想を聞いて以来、ずっと気になっています。
それで責任者のコミーの岩田さんに湯島に来てもらって、いろいろとお話をお聞きしました。
岩田さんは、開所式に向けて大変だったと思いますが、ようやく見通しが立ったので、気分転換にという気もあったのですが。
いろんなお話ができました。

私は、ここを「みんなのものづくりラボ」にできないかと勝手に思っているのです。
岩田さんは、このQiセンターづくり物語を小冊子にしています。
ご存知の方もいいでしょうが、コミーは物語をつくる会社でもあるのです。
それでプロジェクトごとに、物語を小冊子にするという不思議な会社です。
そのQiセンター物語を見せてもらったら、なんと最初に私の名前が出てくるのです。
そもそもこの構想は、以前、湯島でやっていた技術サロンに始まるというのです。
であれば、まあ「みんなのものづくりラボ」構想を提案しても、いいでしょう。
採用されるかどうかは、極めて狭い門ですが、もしかしたらもしかします。

ちなみに、QiセンターのQiは、Question & innovation 略なのです。
ロゴマークは小宮山さんの作品ですが、名前もマークも、私も気に入っています。

■誕生日だそうです(2017年5月30日)
今日は私の誕生日なのです。
それで朝フェイスブックを開いたら、フェイスブックにお祝いメッセージが届いていました。
それで天邪鬼の私としては、こんな書き込みをしました。

今日は私の誕生日のようです。
記憶力があまり良くなく、この日に生まれた記憶がないのですが、親からはそう聞いていました。
今朝、FBでいろんな人からメッセージをもらっていますが、元気で頑張れというご期待には、残念ながら応じられません。
ある人から頑張れと言ってきたので、私の趣味ではないので頑張らない、と返信したら、では頑張らないで頑張ってくださいと返信があったので、思わず「はい」と応じてしまいました。
...
そうしたら、またたくさんの人からメッセージが来ました。
さて喜ぶべきかどうか。
友人の一人が、素直に受けなさいと注意してきました。
そういわれるとますます何か言いたくなる、という性格の悪さはまだ治りません。
困ったものです。

■「遺言を託せないか?」(2017年5月31日)
幼馴染から電話があり、会いたいというのです。
会うのは1年ぶりです。
なんだろうと思ったら、遺言書を書くので、お前が預かって俺が死んだら相続関係者に知らせてほしいというのです。
私より先に死ぬと決めているのは許せないですが、実は先週、がんの宣告を受けたのだそうです。
彼は独り身なのです。
なんだかポワロのドラマみたいです。
どうせ遺言書も私が書くことになりかねません。
遺言書の書き方を勉強しなければいけません。
本当に迷惑な話です。
困ったものですが、幼馴染から頼まれてしまっては、断るわけにはいきません。
さてついでに私も遺言書を書いてみようかという気になってきました。

■みんなが幸せになるM&Aのお手伝いをしたいんです(2017年5月31日)
あるシンポジウムで私の話を聴いたという人がメールで会いたいと言ってきました。
M&Aの仕事をしている人です。
私が抜け出した世界の住人だろうと思っていたのですが、会ってみて、その話に共感するところがありました。
なによりも私が心を開けたのは、秋田の農家の出身だそうです。
農家で子供時代を過ごした人に悪い人はいないというのが、私の勝手な考えです。
たぶん彼は20年後には秋田に戻っているでしょう。
そして日本の新しい農業の担い手になっているでしょう。
勝手にそう思いながら、彼の仕事には可能な範囲で協力することに決めました。
問題は役に立つことがあるかどうかです。
彼が私の心をつかんだのは、「みんなが幸せになるM&Aのお手伝いをしたいんです」という言葉でした。
10数年前に私が考えていたことですので。

■府中の法務局に行きました(2017年6月1日)
弁護士から起訴されている方の相談に乗っています。
弁護士不信になっている方なので、私が相談に乗らなければいけません。
いやおかしな理由ですが。

それで今日は朝早く家を出て、府中で関係者とお会いしました。
みんな善意そのもの人ばかりです。
なぜこういう人たちが起訴されなければいけないのか、それだけで不条理を感じます。

午後、みんなで府中の法務局支局に行きました。
暗いイメージの、いかにも役所といった感じで、それだけでいささか気が重くなりましたが、相談に乗ってくださった方が、いかにも人間という感じの人で、ほっとしました。
まあ目的が果たせたかどうかはわかりませんが、関係者の方たちはたぶん喜んでくれました。

問題はその後、起こりました。
別れ際に、相談者が私のお礼だと言って謝礼を渡したのです。
お断りしましたが、ポケットに入れられてしまいました。
駅だったので、むげにやり取りするのもおかしいので、結局、もらってしまいました。
今日の謝礼は、お昼をご馳走してもらうことで、それはきちんと海鮮丼をご馳走になったので、二重取りなのです。
さてさてどうするか。
私はお金はみんなのものと思っているので、ポケットに入っているとついつい使ってしまいます。
悩ましい問題ですが、帰りの電車で、やはりお金をもらう相談事業は不純だと思えてきました。
そうなると弁護士とかカウンセラーの人たちを否定することになりかねませんが、問題は最初から相談費用を設定することかもしれません。
今回の件が解決して、彼女が悩みから解放された時に、その時の状況に合わせて可能な範囲でお礼をしてくれるのであれば、素直に受け取れるのですが。

さてさて悩ましい問題です。
やはりお金は恐ろしい。
そう思います。

■久しぶりのお墓お見舞い(2017年6月2日)
しばらくお墓見舞いに行きませんでした。
思い立って、家にいた娘に付き合ってもらいました。
私は運転免許を返してしまったので、自動車の運転ができないのです。
しばらく行っていなかったので、お墓に野草が生えていました。
知り合いの墓に、いつもなら必ずある花が供えられていないのが、気になりました。
わが家のお墓の隣も、最近は来る人もなく、荒れてしまっています。
お墓からも見えることは、いろいろあります。

■広島の煙石冤罪事件のドキュメンタリー(2017年6月3日)
回かここでも取り上げた広島の煙石博事件を題材にしたテレビ特別番組「私は無実です 〜防犯カメラで真実は見えるか〜」が、TBSの「ザ・フォーカス」で放映されました。
ホームページに制作意図が書かれていました。

広島市の煙石博さんは、自宅を訪ねてきた刑事に任意同行を求められ、窃盗容疑で逮捕された。銀行で他の客が置き忘れた封筒から現金6万円あまりを抜き取った疑い。
煙石さんは長年アナウンサーとして活躍した地元の有名人。事件は大きく報道され、アナとして築いた名声は地に落ちた。煙石さんは潔白を主張し続けたが、1審と2審で有罪判決を受けた。
有罪の証拠とされたのは、防犯カメラの映像だ。実はこの映像は不鮮明で、人物の行動の詳細が確認できるものではなかった。
のちに煙石さんに無罪判決を言い渡した最高裁は、映像では犯行事実は何一つ確認できないことを指摘している。このような映像が、なぜ犯行を裏付ける証拠として扱われたのだろうか。事件を糸口に、映像に頼った犯罪立証をめぐる問題を取材した。

煙石さんは地元のアナウンサーだった人ですが、銀行のATMでの66,000円の窃盗の容疑で逮捕されたのです。
証拠は映像でしたが、逆にその映像は煙石さんの無罪を証明する内容だったにもかかわらず、地裁、高裁とも有罪になってしまいました。
今年、それが最高裁で無罪になったのです。
完全な冤罪であり、そのために煙石さんは数百万円の私費を投入し、数年間の生活を犠牲にしてしまったわけです。
「被害者学」の著書もある諸澤英道さんがその番組で、日本では「映像がいかに不鮮明であっても、映像があると言うだけで証拠にされることがある」と語っていました。
日本の裁判の杜撰さを痛感します。
私には、やはりこの事件は裁判官と検察の犯罪としか思えません。
こんなことを書いていると、私もいつ起訴されるかわかりませんが。
この番組でも紹介されていますが、日本では刑事事件の場合、起訴されて無罪になるケースはほとんどありません。
つまり、日本の刑事事件においては裁判は機能していないといってもいいでしょう。
起訴の段階で有罪がほぼ確定しているのであれば、時間と費用を使って裁判などする必要はないのではないかとさえ思います。
この番組は見られなかった人も多いと思いますので、いつか湯島のサロンで見る会をする予定です。
いまいくつかの裁判に関する相談を受けていますが、日本の司法は大丈夫なのか、とても心配です。

(2017年5月第4週)
■寄り添いネットワーク(2017年5月23日)
■NPO科学技術倫理フォーラム解散(2017年5月23日)
■ストーリーテリング協会(2017年5月25日)
■悩ましい問題(2017年5月25日)
■散歩市オープンカフェ(2017年5月27〜28日)

■寄り添いネットワーク(2017年5月23日)
阿部さんが「寄り添いネットワーク」を立ち上げようとしていますが、なかなか前に進みません。
そもそも「寄り添いネットワーク」というのは私の取り組んでいるネットワーク構想の候補だったのですが、阿部さんが取り組むのであれば、それも良しと思って支援しています。
どこが問題なのかは、だいぶ見えてきました。
そもそも「寄り添い」という姿勢は、なかなか理解されない面があります。
私も「寄り添う」という言葉が好きではありませんでしたが、最近、漸く私自身はそれが理解できてきました。
しかし、世の中には「寄り添い」を言葉だけで使っている人が多すぎます。
人の成りみてわがなり正せ、ということわざの意味がだいぶ分かってきました。
寄り添いネットワークが進まないのは、たぶん言葉と実践が一致していないからでしょう。
さてそれをどう阿部さんにわかってもらうかですが、これが難題です。

■NPO科学技術倫理フォーラム解散(2017年5月23日)
2003年に発足したNPO法人科学技術倫理フォーラムは、今年の3月をもって解散しました。
その清算のための最後の理事会を、昨日開催しました。
このNPOは、私が敬愛させていただいている技術士の杉本さんが中心になって立ち上げたNPOで、日本に科学技術倫理という概念を広げる上で、大きな役割を果たしてきました。
メンバーの多くは技術者ですが、私は杉本さんに声をかけていただき、参加させてもらいました。
昨日集まったのは、杉本さんと橋本さん、鳥羽瀬さんです。
それぞれ大学で技術倫理の講義など、多彩な活動をされているメンバーです。
NPOの清算事務は無事終了しましたが、発足以来、15年間、たくさんの気づきをいただきました。
理事会終了後、来月、メキシコで開催される法社会学関係の国際シンポジウムで杉本さんが発表される予定の話のエッセンスを紹介してくれました。
フクシマ事故を題材にして、原子力問題を考える枠組みに関する提案です。
数年前に杉本さんが日本の法社会学会で発表されたものをベースに、大きく発展させたものです。
とても共感できますが、共感できるところよりも異論を唱えてしまう私の習癖で、議論が始まってしまいました。
問題が、フクシマになると、どうも私自身がホットになってしまいます。
困ったものですが、こればかりは直りません。

その後、場所を変えて、久しぶりにゆっくりとお話しました。
私だけが、ノンアルコールでした。
今回一番刺激的だったのは、橋本さんのお話でした。
橋本さんは私よりも少し年長で、湯川秀樹の授業を直接受けた人ですが、なぜか今は、情報工学のプロエンジニアです。
なぜそうなったかの訳を今回初めて知りました。
人生の面白さが、そこにもありました。

このNPOでは、実に魅力的な先人たちに出会えました。
すでに鬼籍に入っている人も数名いますが、私のように社会から脱落したものにとっては、貴重な体験をさせてもらいました。
そのNPOが解散。
少しさびしいですが、7月に、杉本さんのメキシコ報告をしてもらう予定です。
またご案内しますので、お時間があればご参加ください。

■ストーリーテリング協会(2017年5月25日)
ストーリーテリング協会がなかなか前に進みません。
そこで、ストーリーテリングへの理解が深い吉本さんと福島さんとで話しあいました。
引き続き外部の人を招きながら、話を深化させていくことになりました。

■悩ましい問題(2017年5月25日)
ちょっと悩ましい問題の相談を受けていますが、私の手におえないので、ある分野に通じている人に助っ人を頼みました。
しかしなかなか難しいもので、なんだかビジネスライクな対応になってしまいました。
横から見ていてこれではだめだなと思いました。
カウンセリングやコーチングなどで仕事をしている人は、本当に役に立っているのでしょうか。
私ならたぶんプロの数倍のことができそうです。
但しお金は一切もらわないという条件ですが。
やはりお金をもらっての相談は、本物にはならないことを改めて確信しました。
あらかじめ時間対価を決めての相談は、やはりビジネスしかありません。
やはり私にはできないことでしょう。

■散歩市オープンカフェ(2017年5月27〜28日)
散歩市に合わせたオープンカフェ第1日目は10人が来てくださいました。
朝は曇っていましたが、午後はすっかり晴れて、野外カフェとしてはとてもいい感じでした。
なぜか近くのアビスタでケーナの演奏をやっていた櫻井さんも、演奏の合間に顔を出してくれました。
東京の東久留米から2時間かけて来てくれた人もいます。
ゆっくりお話しできなかった人もいますが、4時閉店予定が5時閉店になってしまいました。
2日目は、開店前にも来客がありましたが、午後は私の知り合いが3人、ばらばらに来てくれたのですが、共通の話題が「柳兼子」でした。
その後、工房のお客さんがコーヒ−を飲んでいってくれました。
工房に通っている高橋さんのお母さんやその友人などが、庭の花を見ていってくれました。

(2017年5月第3週)
■「負債論」(2017年5月15日)
■パニック(2017年5月17日)
■コミーの小山さんと徳永さん(2017年5月18日)

■「負債論」(2017年5月15日)
いささか読了できるかどうか、いささか危うんでいた大部の「負債論」を読了しました。
最近よんだ中で一番面白かった本と言ってもいいでしょう。
ブックのコーナーで紹介しようと思います。

■パニック(2017年5月17日)
最近いささかパニック状態になっています。
「負債論」に嵌っている一方で、まさにその「負債」を背負いすぎてしまっている人や逆に「負債」を破棄されて人間不信に陥っている人など、負債がらみの問題になぜか集中的に関わっています。
それにしてもお金の威力は実に大きいです。

それはともかくこの数日頭がうまく作動せずに、いわゆるパニックに近い状況になっています。
そのため目先の問題を消化するだけ疲れてしまう。
その上、寝不足も重なって心身共に不調でした。
何とか少し余裕が出てきそうです。
悩ましい数日でした。

■コミーの小山さんと徳永さん(2017年5月18日)
コミーの小宮山さんから頼まれた仕事をしにコミーに行きましたが、今日は小宮山さんは出張で不在でした。
そのおかげで、というのは語弊がありますが、小宮山さんと一緒にコミーを立ち上げた小山さんとはじめてゆっくりお話ができました。
小山さんとは一度だけパーティの席でお会いしただけですが、小山さんの話はいろんな人からお聞きしていました。
思っていた通りの人でした。

もうひとり、気になっていた人に会えました。
徳永さんです。
徳永さんは毎月福島の相馬にボランティア活動で通っています。
フェイスブックで、それを知ったのですが、その話をお聞きしたかったのです。

仕事の関係の話は、コミーの社員のチームががんばっているので、私の出る幕はあまりありません。
今日は、結局、小山さんと徳永さんに会うためにコミーにいったような気がします。
その上、お昼までご馳走になってしまいました。
おかげでパニック状況からの回復に弾みがつきました。

(2017年5月第2週)
■コミーショートストーリー(2017年5月8日)
■孫の1歳誕生日(2017年5月9日)
■岐阜の佐々木さんの優雅な生き方(2017年5月10日)
■89歳の暉峻淑子さんとお会いしました(2017年5月10日)
■小宮山さんとのエンドレスミーティングは挫折(2017年5月11日)
■カフェサロン「沖縄が失ってしまったもの、失いつつあるもの」報告(2017年5月14日)

■コミーショートストーリー(2017年5月8日)
コミーは6月10日に、新たにできたQIセンターのお披露目会を開催しますが、その時に来場者に配布する「コミーショートストーリー」を制作することになりました。
そのチームもできて動き出していますが、ささやかにそのアドバイザー役を仰せつかりました。
コミーの社長の小宮山さんから、会社関連のことで頼まれたのは初めてです。
今日は、そのチームとのミーティングをやりました。
まあ雑談のほうが多かったのですが。

■孫の1歳誕生日(2017年5月9日)
孫が1歳になりました。
そのお祝いに招待されました。
連れ合いの両親家族も一緒でした。
おコメ(実際にはパスタでした)を背負わせたり、人生を占うために何かを選ばせたり、いろいろとしきたりがあるようです。
まあ私の娘ですから、そこは適当に手を抜きながらやっていましたが。

しかし、孫ができて初めて、子どもを育てるということの大変さを知りました。
男性より女性が生命力のあることの理由がわかった気がします。

■岐阜の佐々木さんの優雅な生き方(2017年5月10日)
岐阜の佐々木さんが出てくるというので、お昼をご一緒しました。
佐々木さんが岐阜に転居していなかったら、いろいろと一緒に何かができたのでしょうが、佐々木さんは岐阜暮らしがすっかり定着してきています。
それにご両親のケアもあります。
佐々木さんは、私から見れば、ある意味では、理想的な生き方をしていますが、人の生き方は自分だけで決められるものでもありません。

いつものように、まあ何の意味もない、ゆったりした会話を楽しみました。
佐々木さんから、仲間が商品化したという「キャラブキ」をもらいました。
とてもおいしかったです。

■89歳の暉峻淑子さんとお会いしました(2017年5月10日)
小田原の時田さんから、ぜひにと言われて、大泉学園に暉峻淑子さんに会いに行きました。
時田さんも、小田原から出てきてくださいました。

暉峻さんは、私が会社を辞めた年に、岩波新書から「豊かさとは何か」を出版され、それが話題になりました。
今でも読み継がれているロングセラーです。
その暉峻さんが、最近また岩波新書で「対話する社会へ」を出されました。
時田さんはそれを読んで、私に暉峻さんと会うことを勧めたのです。

89歳の暉峻さんは、お元気で、話もとてもしっかりしていました。
私が思っていた以上に、社会の実状をご存知のようでした。
大学の先生は、ほとんどが社会の実相を知らないので、私は話していて退屈なのですが、今日はあまり退屈はしませんでした。
むしろいろんなことを気づかされました。

暉峻さんは、地元の練馬で、対話的研究会なる集まりをもう7年やっています。
今回は、私から湯島のサロンの話をしましたが、サロンと研究会と歯本質的に違いますが、暉峻さんの研究会は、話し合いを大切にしています。
ですから名前をサロンにした方がいいと思いますが、まあそれは余計なお世話です。
いずれにしろ、暉峻さんと話していて、私も地元の我孫子で、対話的研究会のようなものをやろうかという気になりました。

■小宮山さんとのエンドレスミーティングは挫折(2017年5月11日)
コミーの「コミーショートストーリー」に関連して、小宮山さんがまとめている本文について、小宮山さんとエンドレスで話し合うことにしました。
文章は44あるのですが、それを読み上げながら、確認していく作業です。
しかし始めたら予想以上に大変です。
文章の問題ではなく、考え方や経営の考えにまで広がるからです。
そこで3時間ほどで、まあ無理はやめようという合意ができて、近くの居酒屋で交流して、それで後はよしとしようということになりました。
それで、小宮山さんにご馳走になってしまいました。
論理で話し合うよりも、食事を一緒にする方が、心は通じます。
まあ「コミーショートストーリー」はどうにかなるでしょう。

■カフェサロン「沖縄が失ってしまったもの、失いつつあるもの」(2017年5月14日)
悪天候にもかかわらず、今回も9人の参加者がありました。
途中で雨がひどくなってきたため、わざわざ長靴を買って、履き替えてきた人もいました。
そんなにしてまでも人を呼び込む沖縄のオバァの力はさすがです。

今回の話題提供者は、20冊を超える沖縄関係本の出版に関わってきた平井かおるさん。
平井さんは、まず、沖縄の流行歌「カンポーぬ喰ぇぬくさー」を聴かせてくれました。
70年代に流行った沖縄戦をうたった歌だそうです。
ユーチューブで聴けますので、みなさんもどうぞ。歌詞も出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=ixXwo7zp1hk

「あなたもわたしも戦争での艦砲の食べ残しだ」という歌詞が、「少しとぼけたようで軽快でもある旋律」に乗せてまったりと歌われています。
平井さんは、この歌に、沖縄の人たちの、
「持たなければ生きていかれなかった底力と言葉にはとてもできない切なさ」
を感じ、「これぞ沖縄だ」と思ったそうです。

つづいて、平井さんが選んだ6つの沖縄オバァのクガニコトバ(金言)の紹介。
それを通して、沖縄の立ち位置や歴史、変化(失われつつあるもの)を、時折、ウチナーグチ(沖縄言葉)を入れながら、話してくれました。
参加者それぞれが、沖縄が失ったもの、失いつつあるものを、そして、私たちが失いつつあるものに考えをめぐらせたのではないかと思います。

話し合いでの話題はさまざまでした。
あの世は家の軒先ほど近いところにあって、生活につながっている話。
先祖崇拝のトートーメとウタキの話。
ユタとノロの話。
もあい(もやい)の話。
そうしたことが少しずつ変わってきている話。
沖縄で、気安く「オバァ」などと声をかけてはいけない話。
沖縄の人たちの誇り高さの話。
そして無念さの話。
本土で沖縄出身者が差別的に扱われた話。
紹介しきれませんね。

ウチナーグチは母音が3つであることも知りました。
それに、集落ごとに言葉が違うこと。
そうしたウチナーグチがだんだんと若い世代には使われなくなってきたこと。
そして、なによりも、オバァがいなくなってきたこと。
そうした話は、すべて私たちのまわりでも起こっていることかもしれません。

最後に、沖縄のチャップリンといわれた天才ブーテンの漫談のCDを聴かせてくれましたが、まったく聞き取れませんでした。
言語がこんなに短時間に変わっていくものであることに気づかされました。
いや、言語だけではなく、もしかしたら文化も価値観もそうかもしれません。
そう思うとぞっとします。
昨日、私はそれに気づいて、実際にぞっとしました。

「カンポーぬ喰ぇぬくさー」の歌や沖縄オバァのクガニコトバの、そのさらに下にあるだろう、琉球本来の古層文化への関心もますます高まりました。
いつかそうしたテーマのサロンを、沖縄の人に開いてもらえればと思っています。

明日は沖縄が日本に復帰して45年目です。
「平和で住み良さそうで、観光イメージの強い沖縄」という、私の安易なイメージを考え直さなければいけないと思うとともに、沖縄に対して、本土の政府(国民)がどう対処してきたかに関しても考えさせられました。

タイミングよく、今朝の朝日新聞の天声人語で沖縄のことが書かれていました。
まだお読みでない方はぜひお読みください。

(2017年5月第1週)
■我孫子でのミーティング(2017年4月30日)
■コミー物語要約集の編集会議(2017年5月2日)
■損害保険の保証金はきちんと支払われているのか(2017年5月2日)
■対話法研究所の浅野さんとの久しぶりのミーティング(2017年5月2日)
■医療関係の本を3冊読みました(2017年5月4日)
■孫のお付き合いで手賀沼公園(2017年5月5日)
■鳩親子の悲劇(2017年5月6日)
■日本の裁判は公正なのか(2017年5月6日)
■カフェサロン「教育勅語を読んでみよう」(2017年5月6日)

■我孫子でのミーティング(2017年4月30日)
原田さんからの芦川さんと3人でミーティングをやりませんかとお誘いがありました。
おふたりとも我孫子でプロジェクトを起こす計画をお持ちのようです。
ちょっと私の思考とは違うので、いささかの戸惑いはあるのですが、何かできることがあれば協力させてもらうことにしました。
しかし、いろいろと話していて、まちづくりの世代は替わっているのを実感します。
それがうまく勧められた地域は元気になっていくのでしょう。
残念ながら我孫子の行政体質が古いのと住民も現状に不満がないので、動きは起きにくいです。

■コミー物語要約集の編集会議
(2017年5月2日)
6月10日のコミーの交流会に配布する「コミー物語要約集」の制作に関わることにしました。
と言っても、政策が私の目的ではなく、それを通して、広報活動の意味を広報チームに体感してもらい、広報プロジェクトのキックオフにつなげていくというのが私の役割です。
久しぶりにちょっと面白い企業プロジェクトです。

■損害保険の保証金はきちんと支払われているのか(2017年5月2日)
交通事故の保証の件で、損保会社と裁判を起こしている人が相談に来ていますが、今日はかなり詳しい事件の実態をお聞きしました。
たしかにおかしい。
裁判官もおかしければ、損保会社もおかしいです。
その人の怒りが私にも理解できてきました。
何かできることを考えなければいけません。

■対話法研究所の浅野さんとの久しぶりのミーティング(2017年5月2日)
私が取り組んでいる「みんなのゆる〜いカフェサロン」ネットワーク構想に賛成した対話法研究所の浅野さんから、フェイスブックでコミュニティを立ち上げないかと相談があったのですが、その件で久しぶりに浅野さんとミーティングをもちました。
浅野さんが考えているのは、いろんなところに「対話の会」が広がればいいということです。
これは、岩波新書で最近「対話する社会へ」を書いた暉峻淑子さんが本の中で紹介している「対話研究会」とは違い、もっと気楽なカフェサロンのイメージなので、私が考えている「みんカフェネットワーク」に近いのです。
とりあえず浅野さんは「みんなの対話ネットワーク」を立ち上げました。
ゆるやかにつながっていこうと思います。

■医療関係の本を3冊読みました(2017年5月4日)
この連休は何の予定もなかったので、ダラダラ過ごしたくなかったこともあって、宿題になっていた2冊の医療関係の書物を読むことにしました。
いずれも読もうと思ったまま、数か月、読みだせなかった本です。
1冊は石垣千秋さんの「医療制度改革の比較政治」(ミネルヴァ書房)。
もう1冊は「日本病院史」(ピラールプレス)。
いずれも分厚い本なので躊躇していたのですが、読みだしたら面白くてあっという間に読み終えました。

読んだ2冊の本の感想などは来週ブックのコーナーで紹介しますが、この2冊を読んだおかげ、日本の医療の問題をかなり整理することができました。
私の認識では、いまの日本の医療は明治期の発想を超えていないように思います。
つまり「国民医療」の発想です。
これでは何のことかわからないと思いますが、ブログで近いうちに私見を書きます。

併せて新書ですが、萬田緑平さんの「穏やかな死に医療はいらない」も読みました。
これもまたとても共感できる本でした。

■孫のお付き合いで手賀沼公園(2017年5月5日)
こどもの日から縁遠くなって久しいですが、孫が手賀沼公園に遊びに来るというので、私にも誘いがありました。
久しぶりの手賀沼公園でした。
孫は公園内を走るミニ新幹線に乗っていました。



■鳩親子の悲劇(2017年5月6日)
我が家の庭の木に、鳩が巣をつくって卵を産み、孵化させたのですが、雛が孵った翌日の朝、カラスに襲われて全滅してしました。
注意していたのですが、ちょっと目を放した1時間の間の惨劇でした。
親鳩も餌を探しに巣をあけていたのです。
それにしてもカラスは目ざといです。
写真などはフェイスブックに載せました。

■日本の裁判は公正なのか(2017年5月6日)
「弁護士の犯罪」という私のブログ記事が縁で、交流が始まった方が湯島に相談に来ました。
10時半の約束だったので、30分前に行っていようと思い、10時前についたら、それらしい人がオフィスのビルの前に座っていました。
もしかしてと思い、声をかけたら、ご本人でした。
いろいろとお話をお聞きしました。

彼女の話によれば、弁護士に翻弄されているようで、経済的にも精神的にも追い込まれてしまっているようです。
なぜか今週はまた司法関係の話が2件も飛び込んできています。
それにしても日本の司法界は腐ってきているような気がします。

いろいろとお話を聞きましたが、なかなか理解できず、私ができることがまだ十分に見つかりません。
しかしお話を聞きながら彼女の頭の整理をし、その生き方をささやかに応援することくらいはできそうです。
何か役立てることがあればいいのですが。

■カフェサロン「教育勅語を読んでみよう」(2017年5月6日)
連休真っ只中にもかかわらず、「教育勅語を読もうサロン」には、10人の参加がありました。
呼びかけた者としては、もっと大勢の参加を期待していましたが、議論はかなり盛り上がり、そのため「改正教育基本法」を読むところまでたどり着きませんでした。
私は、今の社会の問題のほぼすべては、学校教育に起因していると思っていますので、「教育勅語」も読まずに、市民活動などしないでほしいと思っているほどです。
理念が違っていれば、善意による行為もまったく正反対のものにさえなりかねないからです。
以前のサロンで少し議論したように、ナチスドイツの歴史が示唆していることです。

参加者は事前に教育勅語を読んできてもらっていましたが、まず最初に全員で教育勅語の原文を声を出して読んでみました。
そもそも教育勅語は小学校1年生から全員で唱和する形で学校教育に取り込まれました。
意味など分からなくても、ともかく暗誦させられ、毎日それを「みんなで」声を出して朗誦させられていたわけです。

その後、全員から感想を話してもらいました。
この段階ですでに議論が始まってしまいました。
ちなみに、内容的にはいいのではないかという人は1人、読んでみて腹が立ったと明確に言う人が1人でした。
他の8人は、時代背景の中では(国家統治のためには)意味があったという人もいましたが、そういう人も含めて、教育勅語には否定的でした。
最近肯定的に語られることもある、「夫婦相和シ」「父母ニ孝ニ」などのいわゆる徳目に関しても疑問を投げかける人もいました。
特に「夫婦相和し」は評判が良くなかったのですが、そこから、個々の徳目について話し合いました。
教育勅語が発布された時代背景が大切だという指摘もありましたが、勅語が議論されていた時代は自由民権運動が広がっていた時代であり、教育勅語発布の前年には大日本帝国憲法が発布されています。
政府としては、国民の動きに大きな不安を抱えていた時代だといってもいいでしょう。

教育勅語では、夫婦や兄弟(姉妹は出てきません)や親子に関して、「徳目」が書かれています。
夫婦仲良く、家族仲良く、親には孝行を、と言われると、それを正面から否定するのは難しいかもしれません。
そこに大きな落とし穴があり、これは、その前後の「国民は天皇(国家)の臣民になれ」というための「騙しの部分」だという指摘もありました。
それに、こんなことはわざわざ勅語で指示されることではないという人もいました。

しかし、実はこのこと、つまり国家が家族関係にまで口を出してくることに大きな意味があったとも言えます。
それに当時の社会状況を考えれば、「夫婦相和し」とは妻は夫に無条件で従えということであり、子どももまた親には絶対服従ということでもあります。
夫の意に沿わない妻は一方的に離縁され、生活が困窮すれば、娘は身売りされた時代です。
そういうことを踏まえれば、この徳目は、私には徳目どころか、否定すべき項目でしかありません。
そこには、個人の尊厳という理念が不在なのです。
「言葉」は、多義的なものであり、その意味を吟味しなければいけません。

勅語で語られる「徳目」は、要するに家族を家父長制のもとに管理しやすい形にしようというものであり、それは天皇を家父長にした「大きな家族」である日本国家体制を確固たるものにするための下部システムづくりであり、無垢の子どもたちの洗脳教材だったとしか思えません。
つまり、いざ戦争になったら、「身も心もお国のために捧げる」ことの準備でしかなかったわけです。
そして、その後、日本は見事に国民の大きな抵抗もないままに戦争に入っていくわけです。

そうした「教育勅語」の精神が、いままた復活しようとしている。
自民党の憲法改正案を見ればわかりますが、憲法でまた家族にまで介入してこようとしているのです。
教育無償化の一方で、無垢な子どもの洗脳教育がはじまろうとしている。
保育問題は単なる託児発想で、そこには子育ち支援の思想は感じられません。
そして私には、少なくないNPOがそれに荷担しているように思えるのです。

いささか書きすぎましたが、教育勅語をぜひ読んでみてほしいです。
そこで語られているのは徳目ではなく、国家のためにすべてを差し出す「国民教育」の思想であって、一人の人間として成長していく個人の視点はまったくありません。

いつも以上に主観的な報告になりましたが、これ以外にもいろんな話が出ました。
時代に合った倫理を提起していくべきだという話から、倫理や規範、エシックスの話題も出ましたし、「教育」という言葉への違和感も出されました。
夫婦相和しには、夫婦喧嘩も入るのかというような、話もありました。

サロンもなかなか終わらなかったのですが、終わった後もみんななかなか帰ろうとせずに、話が続いていました。
このテーマもまた継続することにしました。
どなたか問題提起したり、私見を主張したりしたい人がいたらご連絡ください。
事務局をつとめますので。

(2017年4月第4週)
先週は、いろんな活動をやめようと思った集ですが、今週はその巻き返しに合いました。
もう一度、それぞれにわずかな期待をかけて、継続する方向に転じた週になりました。
■小川眼科定期検診(2017年4月24日)
■コミー広報プロジェクト始動(2017年4月27日)
■山城経営研究所のエグゼクティブフォーラム(2017年4月28日)
■リンカーンクラブ幹事会(2017年4月28日)
■中小企業経営者の孤独(2017年4月29日)
■コムケアサロン「生活の中での看取り」(2017年4月29日)

■小川眼科定期検診(2017年4月24日)
眼科医に定期検診に行きましたが、なんとなく白内障の手術を勧められました。
医師が積極的に勧めたわけではないのですが、半年前と現在の眼球の状態の写真を見せられると、なんとなくその気になってしまいます。
いまのところ不自由はないのですが、秋に手術をすることにしました。

■コミー広報プロジェクト始動(2017年4月27日)
コミーを「戦略広報」という視点から、企業変革につなげていこうというプロジェクト似佐ささやかにかくぁることを決めたのですが、先週の社長とのミーティングで、そのキックオフプロジェクトとして、6月10日に予定されているコミーのイベントに合わせて、コミーの「物語要約集」を制作することにしました。
考えてみると時間がほとんどないのですが、コミーを訪問し、関係者に集まってもらってのミーティングを開催しました。
企業というのはやはり外から見ていると見えないことが多く、観察者の思いに大きく支配されてしまいます。
最近、コミーとの接触が増えているのですが、これまでと違って「経営」の視点で見るようになったためか、私のイメージも変動しています。
次第に収斂しだしてはいますが、やはり組織というのはそう単純なものではないと感じます。
今回のミーティングではまた新しい視点が見えてきました。
しかし問題は時間です。
具体的に考えだすと、ほとんど時間がありません。
さてさて頭が痛いです。

■山城経営研究所のエグゼクティブフォーラム(2017年4月28日)
山城経営研究所のエグゼクティブフォーラムに今年もまた関わることにしました。
といっても、まあ私自身の情熱はほとんど消えていますので、受動的な対応になる可能性があります。
と言いながらも、実際に動き出すとそうはならないのでしょうが、そろそろ山城経営研究所のプログラムも単なるビジネス化してきているような気がして、これまで関わってきたことへの虚しさに襲われています。
まあしかし、もう一度期待してみようかとは思うのですが。
それにしても日本の企業経営の世界は、1980年代に比べるとあまりにもレベルダウンしてい来る気がします。

■リンカーンクラブ幹事会(2017年4月28日)
先週のミーティングで、リンカーンクラブを抜本的に見なおそうということになったのですが、コアメンバーで改めて話し合いました。
ここでも大きな挫折感があります。
どうしてみんな「大きなビジョン」を簡単に曲げてしまうのか。
そして、依存型になっているのか。
とても残念ですが、やはり今はみんな余裕がないのでしょうか。
しかしこれもまたもう一度望みを細々と持ちながら、継続することにしました。

■中小企業経営者の孤独(2017年4月29日)
小宮山さんと改めてじっくりと話しました。
中小企業の経営者の孤独さを改めて気づかされました。
私自身少し揺らいでいたところがありますが、小宮山さんもたぶん私と同じく、あまり人に理解されないタイプなのでしょう。
意見の違いから論争ばかりしながらも、なぜか付き合いが長く続いているのは、お互いにそれをなんとなく感じているからかもしれません。

2時間話しあって、かなり今回は理解ができた気がします。
終わった後食事をしたのですが、うっかりご馳走になってしまいました。
最初私が伝票をもったのですが、小宮山さんが払うという言葉に、少し躊躇したのですが渡してしまったのです。
やはりお金に窮していると、こういう主義に反したことをやってしまいます。
小宮山さんとの話し合いはとてもよかったのですが、ついつい伝票を渡してしまった自分にとても嫌気がさして、そこから抜け出られずにいます。

お金は本当に恐ろしい。
人の弱さや卑しさを露呈させます。
武士は食わねど高楊枝、を忘れてはいけません。
卑しい生き方だけはしたくないのですが、最近ちょっと卑しさに襲われています。

■コムケアサロン「生活の中での看取り」(2017年4月29日)
「看取りシリーズ」サロン3回目は、「生活の視点からの看取りを考える」をテーマにしました。
大型連休初日にも関わらず14人が参加しました。
話題提供者の小畑万里さんは、ていねいなレジメをつくってきてくださいましたが、それと併せて、実際にご自身が看取られたご両親の「老化のプロセス」を表にして、お話ししてくださいました。
ですから、とても具体的に「生活の中の看取り」を考えることができました。
そして、改めて、人によって異なる表情を持っている「看取り」を、一般論で語ることができないことを痛感すると同時に、そうした個々の看取りの中から学ぶことの多さも感じました。

小畑さんは、まず、「看取り」を、医療で想定されている看取り(狭義の看取り)と生活の中での看取り(広義の看取り)に整理し、前者は死が差し迫った時の比較的短期間の看取りであり、病気の治療が中心になるが、後者は不可逆的に死に向かう生活のプロセス全体に寄り添うことであり、老いへの対処とケアが中心になると説明してくれました。
併せて、「見守り」ということの大切さも、看取りとのつながりで話してくれました。

今回は病院や施設で「看取り活動」をしている人、看取り経験がある人、さらには豊かな人生の最期に向けて役立てるようなことをしたいと思っている人、あるいは自らの身近に看取りを意識しだしている人が多かったですが、なかには「看取り」など考えたこともない人もいて、いつものように様々な視点が出されました。

小畑さんの話にQOL(生活の質)が出てきましたが、それと同時に、QOD(クオリティ・オブ・デス:死をどう迎えるか)が大切だと「看取り」の現場で活動されている人が、生々しい実体験を踏まえての指摘をしてくれました。
最近ようやく日本でもQODの議論が広がりだしていますが、この面ではまだまだ日本遅れているように思います。

小畑さんは、老化による要介護状態(生活に何らかの支障が生じる期間)は男性で9年、女性で12年半くらいというデータを紹介してくれましたが、小畑さんの場合、10年にわたる生活支援の中で、「看取り」を意識したのは、最後の3年程度だったそうです。
もちろん人によって違うのでしょうが、生活の中で寄り添っていると、ある時点で、死が意識されだすようです。
「死の意識」。
それはたぶん双方それぞれに生まれてくる意識でしょう。
そこから何が変わっていくのか。
十分には議論できませんでしたが、とても大切なことが示唆されているように感じました。

看取りと看取られの話も出ました。
よく「ケアしていると思っていたら自分がケアされていた」というボランティア実践者の話を聞きますが、それは「看取り」にも言えるような気がします。
私たちは、看取りという行為が、死にいく人のための行為と考えがちですが、死にいく人が客体、看取る人が主体という関係を逆転して考えることも大切ではないかと思います。
それに、私の体験でもあるのですが、「看取り」から教えられることはとても多いです。
これもまたもう少し話し合う場を持ちたいテーマです。

自らの看取り体験に、いくばくかの心残りがあり、それが気になっている人も少なくありません。
サロンでもそうした思いが開陳されましたが、やはり死者は死んでからもなお、看取った人たちを見守っている気もしました。
若い時からこうした活動に触れてきている人が、見送った人たちが私たちの話を聞いているとしたらどう思っているだろうか、と言ってくれました。
看取りは完結する行為ではなく、実は終わりのない関係なのかもしれません。

ちなみに、「エンディングノート」の話題も出ましたが、時にそれが奇妙なビジネスの餌食になっていることの指摘もありました。
いまや時代は、あらゆるものを「商品化」「市場化」してしまう状況で、「看取り」もその餌食になってしまう惧れは否定できません。
それに対して、最近、施設や病院ではなく、自分たちで終の棲家、あるいは終のコミュニティを創ろうという動きが出てきているという紹介もありました。
私が目指していることの一つです。

看取り体験をもっと共有化できるようなことに取り組めないかという話も出ました。
病院や施設では少しずつ始まっているようですが、実は、小畑さんとは、そうした看取りでの体験知を集めて、社会の共通資産にできないかという構想を話し出しています。
しかしまだその一歩を踏み出せずにいます。
仲間になってくださる人がいたらご連絡ください。

(2017年4月第3週)
■みんカフェ・新潟への参加(2017年4月20日)
■庭の木に鳩が巣をつくってしまいました(2017年4月21日)
■リンカーンクラブサロン「税制改革と政治革命の可能性」(2017年4月22日)

■みんカフェ・新潟への参加(2017年4月20日)
久しぶりに新潟の「みんカフェ」(みんなのゆる〜いカフェサロン)に参加させてもらいました。
1年ぶりです。
8人の方が参加されました。

ささえあいコミュニティ生活協同組合新潟の理事長の高見さんは、子ども食堂やハートケアコンサートなどの紹介をしてくれました。
そうした活動が、サロンに参加したほかの方ともつながっていることがわかりました。
こういうことが、ゆる〜いサロンの面白さです。
高見さんはまた、来年の賀川豊彦生誕130年を契機に「にいがた協同ネット」の活動を本格化するお話をしてくれました。
わくわくするような話でした。
本間さんに報告しなければいけません。

途中から公民館長の五十嵐さんも参加し、公民館活動の話をしてくれました。
前回も感じましたが、新潟の公民館長の発想はとても柔軟な気がします。
社会教育は捉え直す時期に来ています。

フェイスブックではつながっていたスクールカウンセラーの佐藤さんとも会いました。
福島から救出されてきている猫たちを応援する活動に取り組んでいるそうです。
以前私も関わらせてもらっていたNPO新潟水辺の会の村山さんとも初めてお会いできました。
薬剤師の井海さんと福島から転居してきた根本さんとは1年ぶりでした。

参加者からの話題提供の後、これからの展開について私のサロン活動の体験を少しだけ話させてもらい、それを少しだけ参考にしてもらい、これからの展開を話し合いました。
ゆるやかな人のつながりの大切さは、みんなが感じていることですが、実際にサロンを定着させていくには、最初はいろいろと工夫も大切です。
次回は楽しいテーマからということで、福島と猫がテーマになり、猫カフェ活動をしている佐藤さんが話題提供してくれることになりました。
みんながそれぞれ主役になって、順番にサロン展開していくスタイルになりそうです。
まだ日程は決まっていませんが、新潟在住の方はぜひまたご参加ください。

サロン終了後、福島から原発避難転居された根本さんとお話しました。
今回、新潟にうかがった目的の一つが根本さんにお会いすることでした。
私に何かできることはないかを考えるためだったのですが、根本さんのお話をじっくり聞かせていただき、大いに反省させられました。
「何かできることはないか」と考えること自体が、間違いのような気がしていますが、いろいろなことに気づかせてもらえました。
根本さんは新潟でNPOを立ち上げていますが、その構想の広がりと実行力には驚かされました。

高見さんと根本さんの2つの構想に出合えたおかげで、元気が出ました。
金田さんが、新潟で「みんなのゆる〜いカフェサロン」(みんカフェ・新潟)を始めてくださったおかげです。

■庭の木に鳩が巣をつくってしまいました(2017年4月21日)
庭の木に鳩が巣をつくっているのに気づきました。
毎年、庭の藤棚に巣づくりをしようとするので断っていたのですが、その藤棚が昨年の台風で壊れてしまったので今年は大丈夫だなと思っていました。
ところがあまり人がいかない家の横の木に巣がつくられてしまっていました。
すでに卵が産まれていましたので、もう立ち退き勧告もできません。
この卵を食べてしまう方法もありますが、不思議なもので、鶏の卵は食べられても、鳩の卵は食べる気が起きません。
そうなると今度は、この卵をカラスとヘビから守らないといけません。
なんだか理屈に合わない気がするのですが、それ以外の選択肢はありません。
実は私は鳩が大嫌いなのです。
鳩を平和の象徴に選んだ人の気持がわかりません。
また毎朝の仕事が一つ増えました。

■リンカーンクラブサロン「税制改革と政治革命の可能性」(2017年4月22日)
リンカーンクラブサロンは、異論が飛び交う大荒れの話し合いになりました。
しかしとても平和裏に進んだのでご心配なく。
異論をぶつけ合うことこそ、民主主義の原点なのです。

テーマは「税制改革と政治改革」でしたが、あまりに大きなテーマなうえに話が大きな話から入ったために、話題が広がりすぎてしまった感があります。
政治の問題には関心があるが、リンカーンクラブサロンはちょっと敷居が高いといっていた、自称「ただの主婦」の方も初めて参加してくださいましたが、議論が飛び交う雰囲気にちょっと戸惑ったかもしれません。
でも次の予定があるにもかかわらず、結局最後まで残ってくれました。
初参加のおふたりの女性は、話し手の武田さんが異論をすべて寛容に受け止めてくれることに感心していました。
あまりに話が広がったので、武田さんの「妙案」がしっかりと議論されなかったのが残念ですが、武田さんの「妙案」は、改めて雑誌に掲載されますので、ご関心のある方にはPDFを送ります。
リンカーンクラブのホームページにも掲載します。

ちなみに、参加者から「税制がらみでの企業の海外流出」や「ベーシックインカム」の問題も提起されましたが、深掘りまで至りませんでした。
私の責任です。
初参加の方が4人もいて、しかも3人は女性でしたので、もう少し柔らかな運営をできればよかったのですが、前半の話し合いは参加しにくかったかもしれません。
私にとっては大いに反省の残るサロンでしたが、終了後もみんなそれぞれに話していて、私はなかなか帰れませんでしたので、まあそれはそれでいいサロンだったということにさせてもらいましょう。
いろんな人が、ちょっと政治につながるような話し合いの場がもっともっと増えていけばいいなと思います。

今回も参加者のお一人が取り組んでいる「主権者教育」の話が出ましたが、
次回は、5月6日に「教育勅語」を読むサロンです。
これはまさに「主権者教育」にもつながるテーマです。
多くの人に参加していただきたいと思っています。

(2017年4月第2週)
■交通事故への保険金支払い事情(2017年4月12日)
■認知症予防ゲーム実践者交流会(2017年4月12日)
■共創型まちづくりフォーラム構想(2017年4月12日)
■久々の企業広報プロジェクト(2017年4月13日)
■手賀沼で水上スキーをやっている人がいました(2017年4月14日)
■フェイスブックでの再会(2017年4月15日)

■交通事故への保険金支払い事情(2017年4月12日)
交通事故での保険金支払いに関しては、時々、不満を聞くことはありましたが、自分が当事者になった時にもいささか不満が残ったことがあります。
友人が、そうしたことに関して社会に問題を提起していきたいと思っている人がいるので相談に乗ってくれないかと頼まれました。
お話をお聞きしましたが、深くは理解できないものの、大きな問題が内在しているような気がしました。
それに司法の問題も強く感じました。
日本の司法は今やビジネス化しているとさえ感ずることはありますが、それはともかく、何ができるかを考えなければいけません。
いくつかのアドバイスをさせてもらいました。
詳しく書けないのが残念ですが、いつかまた書ける時が来るでしょう。
もしかしたら、これをテーマに湯島でサロンを開くかもしれません。
それにしても、どこもかしこも「問題」ばかりです。

■認知症予防ゲーム実践者交流会(2017年4月12日)
認知症予防ゲーム実践者交流会は10人を超す人が参加してくれました。
前回湯島でサロンをやったパズル療法士の細田さんなど、まだゲーム体験のない男性も3人参加してくれました。
実践している人たちは、ゲーム実践力はどんどん進化していきますが、それに伴い、目的が手段化していく傾向もあります。
大切なのはゲームを広げることではなく、ゲームを活かすことです。

これは認知症予防ゲームに限った話ではなく、さまざまな分野のNPO活動やボランティア活動に関わらせていただいていて、強く感ずることです。
私がさまざまなNPOに、余計なお世話的に関わらせてもらっているのは、そうした点で少しはお役にたてるかもしれないと考えているからです。

参加者のひとりが、「認知症予防」というと、何か「認知症」が悪いもので、避けなければいけないもののように聞こえるが、認知症は(生活習慣病のように)悪いものなのだろうかと発言されました。
私もずっと気になっていたことです。
これもNPOやボランティア活動でよく感ずることですが、言葉はとても微妙です。
以前、「自殺のない社会づくりネットワーク」を立ち上げた時に、自死遺族の人から「自殺した父が責められているように感ずる」といわれました。
言葉は、当事者の視点になって考えないといけないと教えられたのです。

考え方として「認知症予防ゲーム」は良いとして、しかしゲームに「認知症予防」という表現は再考する必要があるかもしれません。
それに、「みんなの認知症予防ゲーム」は、認知症予防だけに効果があるわけではありません。
もっと大きな効果があり、実際にもいろんな成果を上げてきています。
蛇足ですが、私は「認知症予防ゲーム」ではなく「認知症支援ゲーム」はどうだろうと提案してみました。
とても「受けました」が、冗談で終わりました。
でも、「認知症予防社会」よりは「認知症支援社会」のほうが、いつか認知症といわれるだろう私には、暮らしやすそうです。

参加者からそれぞれの活動の紹介がありましたが、やはり横から関わらせてもらっている立場から言えば、情報交換や一緒に何かを創りだしていこうという仕組みが相変わらずできていないような気がしました。
みんながバラバラにやっていては、大きなうねりにはなっていかないのではないかという指摘もありました。
またゲームの名称も、いつものように話題になりました。
「みんなの認知症予防ゲーム」では特徴が表現できず、伝播力がないというのです。

問題点はほぼみんなわかっているのですが、その解決がなかなか進まない。
やはりここは、ある意味での組織化が必要なのでしょうが、問題はだれがやるかです。
次回は何らかの形で動きだせればと思います。

話し合いが一段落したところで、細田さんにパズルセッションをやってもらいました。
細田さん開発のパズルを購入して、自分の活動にも取り入れたいという人やこれを広げる方法を考えたいという人など、そういう話になると一挙ににぎやかになります。

そして最後に、このゲームを体験したことのない3人の人が参加していましたので、ちょっとだけ体験してもらいました。

話し合いの内容はあまり報告できていませんが、みなさんの話を聞いていて、私が果たすべき役割が少し見えてきました。
今回で、この交流会も終わりにしようかと考えていましたが、むしろ発展させようかと思い出しました。
どなたか事務局的な役割を一緒にやってもいいという方がいたら、ご連絡ください。
よろしくお願いします。
また、夏か秋にでも、高林さんにも来てもらって、ゆるやかなネットワークのキックオフも考えたいと思います。

認知症支援社会の実現のために。

■共創型まちづくりフォーラム構想(2017年4月12日)
まちづくり編集会議主催のまちづくりフォーラムの企画会議をしました。
いろんな候補が出てきましたが、果たしてそれで集客を高められるのか。
いささかの不安があります。

そこでこんなことを考えてみました。
事務局が企画するよりも、そういう場で話したいという人に話をしてもらった方が、「まちづくり編集会議」の主旨に合うのではないか。
20〜30人ほどのフォーラムで、まちづくりに関心を持っている人たちが集まって、話し合うのが、私たちが考えている「まちづくりフォーラム」ですが、
まちづくりに取り組んでいる人や取り組もうとしている人に、そういう場で、問題提起や呼びかけをしてもらい、参加者がワークショップ風に話し合い、話した人も参加者も、そこから具体的なヒントを得たり、新しい活動につなげたりしていくことができないか。
事務局は、そうした場づくりをしていく。
ゲストによる講演会ではなく、参加者が一緒になって課題解決や新しいプロジェクトを起こしていくような、そんな共創型のフォーラムを育てていけないかと思いつきました。
早速フェイスブックに書きこんでみたら、すぐに数名の人から反応がありました。
そういう時代になってきていることを改めて実感しました。

何か話したい、呼びかけたい、問題解決のヒントを得たいという人がいたら、ご連絡ください。
一緒に、どういうフォーラムの場をつくったらいいかを相談しながら、共創型フォーラムを実現していきたいと思います。
ぜひ話したいという方がいたら、次にご連絡ください。
info@machiedit.com

■久々の企業広報プロジェクト(2017年4月13日)
企業の仕事はもう10年以上引き受けていません。
いろいろと話を聞くこともありますが、私が関わらせてもらったら、間違いなくもっといい成果を上げられるだろうなと思いながらも、そういうエネルギーがなくなっているので、横目で見ているだけになってきています。
しかし、ひょんなことから、ある企業から相談を受けてしまいました。
お金がもらえるかどうかはいささか危ういのですが、どうせ取り組むのであればきちんと取り組みたいという気になってきました。
以前のように、集中的に取り組むのは無理でしょうが、先方の企業にしっかりしたチームができれば何とかるでしょう。

実現できるかどうかはまだ不明ですが、プロジェクト設計をしてみようと思います。
今日は、そのためのプレミーティングをもちました。
久しぶりに広報プロジェクトなので、ちょっとワクワクしています。
個別企業の話なので、詳細が書けないのが残念ですが、いつかこれも書けることがあるでしょう。

■手賀沼で水上スキーをやっている人がいました(2017年4月14日)
手賀沼の桜はもう散り始めています。
今日は、近くのラーメン屋さんで昼食をしました。
そこから手賀沼沿いの桜が良く見えます。
今年は桜を見に行かなかったのですが、桜を見るとやはり心和みます。
ところが、その桜の向こうの手賀沼で水上スキーをしている人を見ました。
ヨットは時々見かけますが、水上スキーははじめてです。

今日は夏のようにあったかな日でした。

■フェイスブックでの再会(2017年4月15日)
フェイスブックでは、時々、「友だちではないですか?」といろんな人の顔が出てきます。
それをクリックしていたら、思わぬ人が出てきました。
高橋卓志さん。全国を舞台に活躍している僧侶です。
長野の神宮寺が拠点だったと思いますが、15年ほど前にお伺いしたことがあります。
高橋さんが取り組もうとしていたプロジェクトにささやかに応援させてもらったことがあるのです。
それで懐かしくなり、メッセージを出しました。
すぐに返事が来ました。
それに刺激されて、少し他の人を探してみました。
私がまちづくり活動に関わるきっかけを与えてくれた岡崎さんが出てきました。
早速、メッセージを贈ったら、これもまたすぐに返信がありました。
フェイスブックは、こういう形で世界を広げてくれるのです。

(2017年4月第1週)
■コミーとJRのミーティング(2017年4月3日)
■ストーリーテリング協会理事会(2017年4月5日)
■眼瞼下垂手術の経過診察(2017年4月6日)
■小宮山さんとの話し合い(2017年4月7日)
■カフェサロン「二宮金次郎の実像から見えてくるもの」(2017年4月8日)
■沖縄と神道をつなぐもの(2017年4月8日)

■コミーとJRのミーティング(2017年4月3日)
久しぶりに川口市にあるコミーに行きました。
コミーという会社は、私たちがよく見かけるミラーをつくっている会社です。
ATMで操作するところの前に小さなミラーがついていて、背後を広角に映し出してくれますが、そのミラーをつくっている会社です。
飛行機の荷物入れにもついていますので、多くの人がその恩恵を受けているはずです。

コミーでは、そのミラーを人が激しく往来するような場所で役立てないだろうかと考えて、いろんな試みをしています。
そこで西川口駅の協力を得ながら、いろいろとテストをやったりしてきましたが、一応の手ごたえを得たので、JRの人とミーティングを持ちたいというので、私も同席することになりました。
西川口駅には7枚のコミーのミラーが試験的に貼られています。
駅の利用客から、「これはいい!」と喜ばれたそうです。
もし駅を利用することがあったら、見てください。
そして感想を教えてください。

コミーでは、いろんなところで、自社のミラーを社会に役立てたいと考えています。
いい知恵があったら、教えてください。
今日、コミーでお昼をご馳走になったので、何かお役にたたないといけませんので。

それはともかく、話し合いの途中で、小宮山さんがぜひ見せたいものがあると言いだしました。
どでかい平面広角ミラーをつくってみたというのです。
JRのおふたりと一緒に見に行きました。
たしかに大きいです。
でかすぎて、利用方法がみえていないそうです。
どこか活用してくれるところはないでしょうか。
これももしあれば教えてください。

刺激的な1日でした。

■ストーリーテリング協会理事会(2017年4月5日)
ストーリーテリング協会は難航しています。
なかなか会員が増えません。
問題の所在は分かっているのですが、なかなかいい方向に向かいません。
この1年、いろいろと学ぶことが多かったです。

■眼瞼下垂手術の経過診察(2017年4月6日)
昨年末にやった眼瞼下垂手術の経過診察でした。
無事卒業になりました。
しかし加齢によるまぶたのゆるみはこれからも続くそうです。
長生きするとまたここのお世話になることになるかもしれません。
医師の高久さ何は親しみのあるお医者さんで、会えなくなるのが少しさびしいです。

■小宮山さんとの話し合い(2017年4月7日)
コミーの小宮山さんと話し合いを持ちました。
先日、コミーにお伺いして、見えてきたことがたくさんあります。
それに関して話し合いをしたのですが、大きなところでの合意ができました。
少しコミーに関わらせてもらおうかと思い出しています。
そのためのチームを作ってもらうことにしました。

久しぶりに企業の仕事に取り組みます。

■カフェサロン「二宮金次郎(尊徳)の実像から見えてくるもの」報告(2017年4月8日)
二宮尊徳サロンは、実に刺激的でした。
15人が参加しました。

露木さんの思いは、レジメにこう書かれています。

戦前に置いて二宮金次郎は、刻苦勉励の金次郎少年のイメージのみを国家によって抽出された理想の国民増に祭り上げられた。
再び見直されつつある二宮金次郎に再び同じ役割を担わせてはならない。
いまこそ必要なことは二宮金次郎の実像を知り現代に活かせる手がかりを探ること。

そして、露木さんは、二宮金次郎の遺書の言葉から、二宮金次郎が後世に残したかったことを読み解いていきます。
この部分は、「謎解き」のような面白さがあり、露木さんの発見に思い切りひき込まれてしまいました。
露木さんは、荻生徂徠や丸山眞男の論考などを紹介しながら、「人道は作為である」という、尊徳の思想の根本を紹介し、単なる道徳家ではなく、社会を変革していく実践者だった二宮金次郎の姿を浮き彫りにしていきます。
そして、金次郎が後世に残したかったことは、「俺は厳しい時代にいろいろとやってきた、そのやってきたことをきちんと学んでほしい、大切なことはやったかどうかだ」という実践の勧めではないか、と言います。
そのためには、尊徳の弟子が書いた書物ではなく、金次郎が残した分度や仕法のメモを、きちんと学ぶことが大切だ。
そして、地方創生が叫ばれているいまこそ、二宮金次郎の実像から学び、それを応用していくべきではないか、と露木さんは呼びかけました。

露木さんの呼びかけに説得力があるのは、露木さん自身が開成町で町長として、それを実行してきたことがあるからです。
露木さんは、こう呼びかけました。
まずは市町村レベルで社会を変えていく。
それが各地に伝播して国が変わっていく。
草の根からの社会革命です。

二宮金次郎は、農村のリーダーたちにそうした実践を強く求め、そのために分度や仕法の考え方やノウハウを提供してきたわけです。
しかし、そうした報徳思想は広がったにもかかわらず、残念ながら実際に社会を変えるとこにまではなかなかたどりつきませんでした。
その理由は、社会の支配層が、それを妨げたからです。
こうした状況は、いまの日本社会にも当てはまるような気がします。
そうした状況を打破していくためにも、露木さんは改めて二宮金次郎から学べと呼びかけているわけです。

ささやかにこれまで各地の「まちそだて活動」にも関わらせてもらってきた私も、そう思います。
社会は現場から変わっていきます。
そして各地ではいつもさまざまな変革活動が取り組まれている。
しかし、それがどうもつながっていかず、また持続も難しい。
そこをどうしていくかが、課題かもしれません。

露木さんは、他にもたくさんの示唆を与えてくれました。
私が興味を持ったのは、沖縄にある二宮金次郎像の話です。
これはまた別の意味で、これからの日本を考えていく上での大きなヒントを与えてくれるように思います。
5月27日に、開成町でわらび座によるミュージカル「KINJIRO!本当は面白い二宮金次郎」の公演の紹介もありました。
サイトをご紹介します。
また開成町に最近開所した、あしがり郷瀬戸屋敷「みんなの我が家」でサロンをやったらというお誘いもありました。
湯島サロンも、時にはどこかに出かけてのサロンも面白いかもしれません。

話し合いで出た話題も紹介したいのですが、長くなってしまいましたので、それはまたこのシリーズのサロンで深めていければと思います。

道徳家としての二宮金次郎ではない、社会革命実践者としての二宮金次郎に触れて、それぞれいろいろと気づきのあったサロンになりました。

■沖縄と神道をつなぐもの(2017年4月8日)
露木さんのサロンに、平井夫妻が初参加しました。
平井さんは友人から湯島のサロンの話を聞き、夫婦で参加してくれました。
サロン終了後、サロンに興味を最初に持った女性の平井さんと話しました。
パートナーの平井さんは、隣でサロン参加者の人たちと政治の話をしていました。

平井さんは、沖縄のオバァにずっと関わっていて、沖縄にも通い続けているそうです。
15年ほど前に、沖縄ブームがありましたが、どうもその火付け役の一人かもしれません。
彼女が関わった「沖縄オバァ列伝」はベストセラーになったようで、朝ドラの「ちゅらさん」にも影響を与えたようです。
平井さんが手がけた最初の沖縄オバァ本を持ってきてくれました。

平井さんは日本神道にも関心があるようで、日本の神道文化研究会の事務局もやっているようです。
最近出版した「暮らしのしきたりと日本の神様」という本も持ってきてくれました。

なぜ沖縄なのか、そして神道なのか。
それをつなぐのが、どうも音楽です。
もう少し解説しないとわかりませんね。
それで、平井さんにそのあたりの話をしてもらうサロンをやってもらおうと思います。

ちなみに、男性の平井さんのほうは、地学の専門家です。
つい最近、ふたりで中央構造線を見に行ってきたというので、それもまた面白そうなので、サロンを頼むことにしました。
さらに、私は今、改めて沖縄に興味を持っているので、沖縄の人、というか琉球の人に、サロンをやってもらいたいなと思っていますので、それも頼んでしまいました。
サロンがまた忙しくなりそうです。

(2017年3月第4週)
まったく何もしませんでした。

(2017年3月第4週)
■第1回まちづくりフォーラム(2017年3月19日)
■企業サロン「働き方を考える」(2017年3月20日)
■ピラミッドワークショップ(2017年3月22日)
■カフェサロン「コスタリカのマイクロミル革命から学ぶこと」(2017年3月22日)
■まちづくりサロン「保育力を活かしたまちづくり」(2017年3月25日)

■第1回まちづくりフォーラム(2017年3月19日)
まちづくり編集会議準備委員会の主催で、第1回、まちづくりフォーラムを開催しました。
ゲストは鎌倉で活動しているカマコングループの松本さんはじめ4人の人たちです。
鎌倉で展開されている地域蔵独活ファンディングの紹介とそれと効果的につながっているカマコンワークショップの体験が、今回のないようです。
参加者は20人強でしたが、みんな喜んでくれました。
最後に、まちづくり編集会議ネットワークの構想を話し、参加の呼びかけを行ないました。

私が住んでいる我孫子市を含め、3つの市から市議会議員も参加してくれたほか、前の開成町町長の露木さんも参加してくれました。
10数年ぶりにお会いした人もいます。
一番驚いたのは、私のブログの読者が来てくれたことです。

まあそれも含めて、まずは街づくり編集会議がキックオフできてよかったです。

■企業サロン「働き方を考える」(2017年3月20日)
第2回企業サロンは、組織と働きがい研究所代表の斎藤智文さんに問題提起してもらい、「いまのような働き方・働かせ方でいいのだろうか」を話し合いました。
大企業の管理者の立場にある人、保健師や産業カウンセラーとして企業に関わっている人、大学でモチベーションや労働心理学を研究している人、経済団体でそうした問題にも広く関わってきた人、子どもの育児のために会社を辞めて主夫行をやったことのある人など、さまざまな立場の人が参加しました。
多彩のメンバーなので、話し合いは、かなり広がりました。

斎藤さんは、日本に“Great Place to Work”調査を取り入れた人ですが、組織と働きがいの研究や実践支援をライフワークにしています。
案内にも書きましたが、「社会全体の働き方に関する価値観」も変えていかなければいけないというのが、斎藤さんの思いです。
私もこれまでいろんな意味で、たくさんの示唆をいただいている人です。

まず、斎藤さんの考えていることや日本での働き方に関する動きの推移などをはなしてもらい、そこから話し合いになりました。
斎藤さんは、話し合いのきっかけとして、長時間労働や競争に参加するための働き方の変化、さらには労働の質の変化などの話題を出してくれました。
そこからいろんな話し合いが広がりましたが、もしかしたら最近の「働き方改革」が労働時間の問題を中心に語られているところにこそ、本質的な問題があるのではないかという議論がありました。
また、働き方改革は、消費者や生活者の生き方にも、つながっているという指摘もありました。
斎藤さんも、働き方は生き方の問題でもあると考えていますが、これは今回参加者のみなさんに共通していることでした。

斎藤さんはまた、「生産性を高めること」が働く人にとって苦痛であることが大きな課題ではないかと指摘しました。
私もそう思います。そもそも生産性向上とは何なのか。
そこで私は、その言葉の対語を考えることが大切ではないかと思いました。
あるいは、誰にとっての生産成果を考えることが必要ではないか。
湯島のサロンでも一度問題になったことがありますが、工業の視点からの生産性と日本の伝統的な農業の視点からの生産性は、たぶん違います。
ちなみに、私は「生産性向上」の対語は「人間性(生活)向上」だと思っています。

大企業の方が、自分の職場で取り組んだ、実践的な話をしてくれました。
組織に合わせる仕事の割り振りではなく、社員に合わせた仕事の組み替えによって、経営にとっての生産性と個々の社員にとっての生活のしやすさが両立し、双方にとってのウィンウィン関係が実現したという話です。
働き方と働かせ方が、あいまって双方に好ましい結果を生み出したわけです。
もっともこの話には後日談があるのですが、そこに大きなヒントがあるのではないかという話も広がりました。

他にもいろんな話が出ましたが、私にはとても刺激的なサロンになりました。
大企業の経営管理職の人の参加が少ないのが、とても残念ですが、引き続き継続したいと思います。
できれば次回は、世界に広がりだしている、話題のBコーポレーションの認定を受けた会社の社長に話題提供してもらおうと思います。
そういうテーマだと大企業の人も参加しやすいでしょうから。
彼が引き受けてくれれば、の話ですが。
いずれにしろ日本の企業経営は、私の目から見ると時代の流れに逆行しているように思えてなりません。

ところで、斎藤さんのレジメの中に、こんなことが書かれていました。
「変化を拒絶するので、よい習慣が身に付かない」
「いつも通りを維持したがるので、悪い習慣が止められない」
ここに問題の本質があるような気がしました。

そこで最後にこんな提案をさせてもらいました。
アメリカでは30年程前、ロバート・ベラーを中心としたグループが、社会的な活動をしているさまざまな人たちにインタビュー調査をし、それを踏まえて、極めてライブな「心の習慣」「善い社会」をまとめました。
それをモデルに、日本でもその種の調査があり文献も出ています。
いまもその種の取り組みはあり、私も一昨年、インタビューを受けたのですが、同じような手法をベースに「日本人の働き方」をテーマに、社会調査をするプロジェクトを起こせないかという提案です。
斎藤さんには事前に少しお話をしていて、興味を持ってもらっていましたが、その提案をしたら、早速、数名の方が一緒にやりたいと言ってくれました。
できれば一度、そうしたことを考えるチームも発足させられればと思っています。
企業サロンから生まれたサブプロジェクトですが、関心のある方はご連絡ください。

■ピラミッドワークショップ(2017年3月22日)
ストーリーテリング協会では今、新しいコミュニケーションツールとして、ストーリーピラミッドを開発中ですが、それをつかったワークショップについての検討会を行ないました。
いろいろと使い勝手はあると思いますが、ビジネス化するのはそう簡単ではありません。
問題は、その効用をどう理解してもらえるかです。
一度、体験ワークショップを行なう必要があるかもしれません。

■カフェサロン「コスタリカのマイクロミル革命から学ぶこと」(2017年3月22日)
昨日もまた刺激的なサロンでした。
コスタリカを訪問してきた熊本の宮田喜代志さん(熊本地域協働システム研究所所長)に、コスタリカではじまっている「マイクロミル革命」を切り口に、さまざまな話を聞かせてもらいました。
コスタリカ・コーヒーのファンの方も参加してくれました。

コスタリカといえば、軍隊のない国として有名ですが、治安のいい観光立国の国です。
コーヒーはコスタリカの基幹産業の一つですが、宮田さんがとてもおいしいコーヒーだというように、高品質で人気の高いコーヒーです。
今回も、宮田さんからいただいたコスタリカのコーヒーを愉しませてもらいました。

コスタリカのコーヒーは200年の歴史がありますが、大量生産型の産業化の中に飲み込まれ、生産者の多くはコーヒーの実(コーヒーチェリー)のまま大量処理する農協や企業に販売しているため、実際に汗している生産者の手にはあまり利益は残らない構造(これが最近の経済システムの実態です)になってきています。
そうした経済システムのなかでは、収穫後そのまま天日で乾燥させる手間暇かかるナチュラルコーヒーや標高の高い小規模の農園の生産者は、さらに不利な状況に置かれていました。
そうした状況のなかから、生産者自身(家族やグループ)で、小規模なミルを作り、栽培から乾燥まで一貫して、高品質なコーヒーを高い価格で売ろうという「マイクロミル」という動きが今世紀に入って広がりだしたのだそうです。
そうした動きを可能にしたのは、市場の変化もありますが、IT技術によって、消費者と生産者を直接結びつける仕組みが生まれたことが大きな要因でしょう。
実際に、日本でも最近はコスタリカ・コーヒーの愛好者は増えているようですし、札幌でコスタリカのコーヒーを輸入販売している田中さんはコスタリカに農園をお持ちだそうです。
今回、宮田さんは、その田中さんの農園も訪ねて来られました。
消費者の好みに対応できるような、ブランディング化も進んでいるように思いました。
そういえば、宮田さんは、コスタリカではありませんが、ブラジルの「すずきさんちのコーヒー」をブランド化して輸入販売していますが、これもまたとてもおいしいので、ファンは多いでしょう。
「すずきさんちのコーヒー」がブランド化されるほどに、今や世界中の小さな需要を束ねる、いわゆる「ロングテイル戦略」が可能になってきているのです。

私の好みで長々と書いてしまいましたが、私はこうした動きに、世界の経済の大きな流れが反転する兆しを感じています。
経済は、これから大きく変わっていくでしょうが、多くの日本の大企業は私にはそうした動きとは真逆な方向に向かっていますから、ますます低迷していくでしょう。

ところで、昨日のサロンですが、珈琲の話からコスタリカの話はもちろんですが、フェアトレードや食料自給率の話、さらには「働き方」や「障がい者の生きづらさ」の話にまで広がり、とても刺激的なサロンになりました。
もっと聞きたいことがたくさんあったのですが、気がついたら予定の時間を大幅に過ぎてしまっていました。

宮田さんは参加者へのお土産に、熊本復興珈琲ドリップパック(コスタリカ・コーヒー)と熊本産の有機の柚子胡椒をお土産にくれました。
http://www.natural.coffee/items/3250909

■まちづくりサロン「保育力を活かしたまちづくり」(2017年3月25日)
まちづくりサロンでは、いろいろな視点から「まちづくり」を考えることにしていますが、今回は「保育力研究所」の若い2人の保育士(酒井玲奈さん・片野奈保子さん)をゲストに、「保育」という視点で、「まちづくり」を考えてみました。

「保育力研究所」の母体は、「キッチン図鑑」活動ですが、これは今回話してくれたおふたりが、保育所を飛び出して1年間、墨田区を中心に活動してきた「社会実験」から生まれた組織です。
活動の内容はホームページをご覧ください。
http://kitchenzukan.net/

「保育力」という言葉に違和感を持つ人がいるかもしれませんが、要は「子どもが豊かに育ちやすいまちにしていきたい」というのが、おふたりの思いです。
保育力は保育士だけのものではないのです。
昨日も話題になりましたが、そもそも、まち(地域社会)とは子どもたちを育てる場でもありました。
しかし、保育所ができたことで、なぜか保育は保育所の仕事になってしまい、地域社会の子育て機能は失われてきています。
子育てがなくなれば、親も育ちません。
さらに昨今は、「保育園落ちた!日本死ね」などという言葉も話題になるほどです。
こうした「専門家」にお任せする風潮への懸念は、保育に限らず、高齢者介護においても感じられます。
私が改めて、「まちづくり」を考え直していきたいと思う理由は、そこにあります。

サロンは、まずおふたりのライフストーリーから始まりました。
2人が、なぜこのテーマに行きついたのかが、とてもよく伝わってきました。
その生活体験の中から行きついたテーマなので、たぶんこれほど頑張れるのでしょう。
そして仲間も広がってきているのでしょう。
それがよくわかりました。

話は、いつものように拡散しながら、進みました。
たとえば、そもそも専門性を保証する「資格」とはいったい何なのか。
子育てに関して、個別問題ではなく、もっと長期的な視点で相談できる人がいなくなっている。
フードバンクや子ども食堂の問題点。
活動を始めるといろんな人がいろんなものを提供してくれる。
社会活動にとっての「場所」の効用と商店街の現実。
そういえば、図書館の話も出ました。

これだけだとなんのことかわかりにくいですが、いずれも社会のあり方や私たちの生き方につながる問題です。
社会における「善意」がうまくかみ合わさっていない実態も話題になりました。
たまたま宮城から東京に来ていた方が参加して、宮城でのお話も少ししてくださいました。

子育てのために会社を辞めた経験のある男性は、子育ての幸せと子どもからの学びに関しても語ってくれました。
保育とは、子どもが育つだけではなく親も育って、社会が豊かになっていくことなのでしょう。
「子どもが豊かに育ちやすいまち」は、高齢者も含めて、みんなが暮らしやすいまちなのではないかと、改めて思いました。
「子はかすがい」と言われますが、子どもは夫婦をつなぐだけではなく、地域の人をつなげる存在でもあるのです。

東京新聞の記者の方も参加されたほか、サロンには初参加の方とサロンの常連の方も参加されました。
参加者が少なかったおかげで、話がいつも以上に拡散しましたが、またいろんな視点に気づかされたサロンでした。

保育力研究所は今年から本格的に活動を始めます。
いま活動拠点を探していますが、もし墨田区で場所を提供してくれる人がいたら応援してください。
子どもたちが豊かに育つまちが広がっていけば、保育園騒動もなくなるでしょう。

(2017年3月第3週)
■まちづくりフォーラム準備会(2017年3月13日)
■カフェサロン「子どもの世界から見えてくる私たちの生き方」(2017年3月13日)
■大関さん来訪(2017年3月15日)

■まちづくりフォーラム準備会(2017年3月13日)
19日に第1回のまちづくりフォーラムを開催しますが、その最終打ち合わせを行ないました。
思ったよりも反応が弱いので、私も集客に取り組むことにしました。
3月という月は、イベントが多いので、集客に苦労します。

■カフェサロン「子どもの世界から見えてくる私たちの生き方」(2017年3月13日)
カフェサロン「子どもの世界から見えてくる私たちの生き方」は、平日の夜にもかかわらず、16人もの参加がありました。
終了後も参加者同士の話が終わらず、みなさんの関心の高さを感じました。

前半では、室田さんが自らの保育園・子ども園で長年取り組んでいる「エピソード記述」によるカンファレンスを模擬的にやってくださいました。
まず、室田さんが用意した、保育士が書いたエピソード記述(背景・エピソード・考察から成り立っています)を読み上げ、それについて参加者が語り合うという設定です。
室田さんは、ファシリテーター役ですが、それぞれの意見に対して、気づきや思考を深められるように、問いかけをしたり、自分の考えを語ったりするのです。
模擬カンファレンスに先立ち、室田さんは、「間主観性」と「両義性」、あるいは「書くことは考えること」などという、「エピソード記述」の基本にある考え方を少しだけ話されましたが、そうしたことを抽象的にではなく、体験的に示唆してくれたわけです。
そこからさまざまな議論が展開しました。
そうしたなかから、人が生きる意味が、それぞれのなかに浮かびあがるという趣向です。
日々、子どもたちと誠実に付き合っている室田さんならではの発想だと思います。

話し合いの中では、室田さんのファシリテーションのもとに、具体的な感想が深掘りされ、言語化されていきます。
今回は、エピソードの書き手が、子どもから学んでいることに室田さんはやや重点をおいていたように感じますが、そこに室田さんが考える「子どもと保育士の関係」(さらには「親子関係」)を感じました。
教える保育ではなく、学び合う保育といってもいいかもしれません。
さらには、具体的な事例から、たとえば「私は私,でも私は私たちの中の私」というような、人の両義性といった普遍的な論点が可視化されていきます。

模擬カンファレンスでは、エピソード記述の、「かわいい」という言葉に、「かわいい」と言葉にした途端に思考停止になるのではないかという指摘がありました。
発言者自身も、保育士の資格を持ち、広い意味での保育活動に取り組んでいる若い女性ですが、現場感覚からの意見でしょう。
「言葉」が思考停止を生み出すという指摘に、私はとても興味を持ちました。

話し合われた話題はいろいろとありますが、いつものように、それは省略します。
生きた言葉を文字にすると、変質してしまうからです。
ただ報告者の特権として、私が一番興味を持ったことを書かせてもらいます。
それは、2人の男性が、エピソードの記述が「ふわふわした文章に感じた」「文章が長い」と発現したことでした。
それが悪いという指摘ではなく、そう感ずるということです。
私はそういう印象を全く持っていなかったのですが、言われてみるとその通りです。
発言はしませんでしたが、企業や行政という組織の中でも、こういう「ふわふわした長い文章」が主流になったら、世界は変わるだろうなと思いました。
そこでの文章形式は、その組織の文化を象徴しています。
効率性を重視する企業のなかの文章は、論理的で簡潔であることが重視されます。
でも、そこにこそ問題はないのか?
この議論は、いつかもう少し深めたいと思います。
とても大きな意味を持っていると思うからです。

エピソードによるカンファレンスの効用は、保育士の世界を広げ、コミュニケーションの力を高めると同時に、組織文化を高めていく効用があることがよくわかりました。
これは保育園に限らず、企業でも福祉施設でも、さまざまな組織で効果的な手法だと思いました。

「エピソード記述」をよく知っている2人の保育園長も参加してくれましたが、ほかの参加者は全員、「エピソード記述」未体験者した。
今回は、「エピソード記述」を多くの人に知ってほしいということが目的の一つでしたが、学童保育や高齢者に関わっている人たちが、自分たちの活動に取り入れてみようと考えてくださったのはうれしいことです。
しかし、話し合いが盛り上がったため、時間がなくなり、こうした活動を踏まえての室田さんの社会観がきちんと聞けなかったのがちょっと心残りでした。

後半は、そうした室田さんの社会観も含めた、「この国の未来」をテーマにしました。
室田さんの問題提起は、「近代をカッコでくくると、現代から近代的なものを差し引くことになります。いったい、何がのこるのでしょうか」という問いかけから始まりました。
そして、室田さんの展望が紹介されました。
これもまた刺激的なテーマでした。

後半が始まった直後に参加した久保さんが、フーコーの国家論まで言及したので、話が大きく広がってしまいましたが、自立とは何か、共同体とは何か、ガバメントとガバナンスといった話にまで行きました。
時間の関係で、これも話したりなかった人が多かったと思います。
私が少し話しすぎたことをとても反省しています。はい。

ところで、あくまでも私の印象ですが、前半と後半とでは話し合いの主役が違っていたような気もします。
前半は女性が主導、後半は男性が主導という雰囲気でした。
これも私にはとても興味深かったです。
大切なのは、前半のようなミクロな生活次元と後半のようなマクロな文化次元をどうつなげていくかかもしれません。

「ふわふわした冗長な」長い報告になってしまいました。
書いているうちに、いろんなことに気づいた自分に気づきました。
室田さんが言われたように、「書くことは考えること」だと実感します。

■大関さん来訪(2017年3月15日)
自分で「発達障害」とカミングアウトしている大関さんが、相談があるといってやってきてくれました。
大関さんは、アメリカに留学し、「ビジネスエシックス」を学んできたのですが、当時はまだ日本ではそうした問題への関心は低く、せっかくの学びを活かせる場がなく、さらに帰国後、発達障害と言う診断を受けてから、それが大関さん自身を呪縛してきているようです。
其の呪縛から抜けて、新たに新しいプロジェクトを起こしたいというのが今回の話でした。
大関さんの今の関心は、社会的連帯経営や共生ということです。
今日は大きな枠組みについて話しましたが、引き続き一緒に考えていこうと思います。

(2017年3月第2週)
■大川さんとのミーティング(2017年3月7日)
■コミーとのミーティング(2017年3月9日)

■大川さんとのミーティング(2017年3月7日)
NPOのコンサルティングに取り組んでいる大川さんと彼が抱えているいくつかの事例に関して意見交換しました。
かつて接点があったNPOもあるのですが、時間の変化と共に変質していることも少なくありません。
日本のNPOのマネジメントは、まだまだ問題が多いように思います。

■コミーとのミーティング(2017年3月9日)
フラットな平面ミラーなのに、広角を映し出す古ミーのFFミラーの効用は少なくありませんが、まだまだ普及の度合いは多くありません。
コミーの社長の小宮山さんは、それをもっと広げていきたいと思っています。
そこで、コミーの次世代リーダーとのミーティングを持ちました。
社長には見えていないことも少なくないので、問題を理解するために、今回は社長なしで実情をお聞きしました。
もう少し状況を把握し手から対策を考えてみようと思います。

(2017年3月第1週)
■カフェサロン「パズルで楽しい人生を」(2017年2月26日)
■コムケアサロン「豊かな高齢期をいきることの素晴らしさ」(2017年2月26日)
■湯島の部屋を売りませんか(2017年2月27日)
■歯磨きがうまくなりました(2017年2月28日)
■かまこんリーダーの松本さんとのミーティング(2017年3月1日)
■「うつしみ」と柿本人麻呂(2017年3月1日)
■ストーリーテリングの奥深さ(2017年3月1日)
■まちづくり編集会議フォーラム準備会(2017年3月1日)
■眼瞼下垂手術のその後(2017年3月2日)

■カフェサロン「パズルで楽しい人生を」(2017年2月26日)
「ハッピーパズル工房」代表のパズル療法士、細田和幸さんをお呼びしてのカフェサロンは、日曜日の午前中だったこともあり、参加者は7人でしたが、とても楽しいサロンになりました。
みんなで体験してみて、さまざまな効用を感じました。
当初、認知症予防ゲームの実践者を対象にした交流会での企画でしたが、なかなか日程が合わず、公開型のサロンにしましたが、子ども関係の活動に取り組んでいる人たちの参加がなかったのが残念でした。

今回は2種類のパズルゲームをみんなでやってみました。
まずは、2種類の形のピースをつかっての形づくりです。
正方形の木枠に入ったL字型の4つのピースをまず木枠から取り出して、ゲームがスタート。
最初の課題は、それをまた木枠にはめてくださいという課題です。
極めて簡単なはずですが、なぜかてこずります。
それができてほっとしていると、最初は市松模様になっていたでしょう、その状態に戻してください、と次の課題が出されます。
簡単なはずなのに、それがまた難問。
女性たちは速くできましたが、私はおたおたしてなかなかできませんでした。
それを基本にして、ピースをさらにたくさん使ってのさまざまなゲームを紹介してもらいました。
最後は全員で、順番に大きな形をつくっていくゲームです。
みんなで話し合いながら進めていきますが、みんな立ち上がって身体も使いながらのコミュニケーションが発生します。
チーム対抗にすれば競い合いが生まれ、チームの中では支え合いが生まれます。
よく考えられていますが、ここに細田さんの人柄と人生が込められているのです。

次は透明なプラスチックに何本かの直線が貼られたものを4枚ずつ配られて、その組み合わせで数字をつくるゲームです。
これも3人ずつがチームになり、支え合いと競い合いが組み込まれています。
その展開にも、物語性があって、みんなすっかり盛り上がってしまいました。

いずれもとてもシンプルなパズルですが、シンプルであればこそ、さまざまな展開が可能になります。
いずれも細田さんの手づくりですが、ピースは細田さんに頼むと購入できます。
広がっていけば、2番目のゲームツールも商品化されるでしょう。

細田さんは、パズル開発が大好きで、他にもいくつかのものがありますが、今回体験した2つのゲームでも、2時間は十分に楽しめます。
細田さんのパズルの魅力の一つは、「みんなで遊んでつながりを深める」というところです。
私は今回で2回目の体験ですが、前回は細田さんの紹介で一人での体験でしたので、みんなでというところを実感できませんでした。
今回、みんなでやってみて、その効用を実感しました。
ぜひとも、子どもたち、あるいは多世代交流、あるいはコミュニケーション下手な中高年男性に広げていきたいです。
今回好評だったので、少しバージョンアップしたパート2を細田さんと一緒に企画してみようと思います。

細田さんは「脳いきいき! 楽しい介護レク パズル遊び」という本も出版しています。
よかったら読んでください。
そして一緒に広げていこうという方がいたら、ご連絡ください。
とくに、パズル療法士になりたい人は大歓迎です。

■コムケアサロン「豊かな高齢期をいきることの素晴らしさ」(2017年2月26日)
昨年から始まった「看取り文化シリーズ」の第2回目は、小田原福祉会の潤生園の時田佳代子さんの話題提供をお願いしました。
申込者が20名を超すことになってしまい、会場を変えようかと思ったほどでしたが、何とか湯島で開催することができました。
関心の高さを知り、正直少しホッとしました。
葬儀不要論が広がる最近の風潮には大きな懸念を持っています。

時田さんは、小田原での長年の取り組みについて紹介してくれました。
潤生園では、「医療の死」とは違う「福祉の死」に長年取り組んできています。
医療や行政の「常識」にとらわれることなく、しかし、しっかりとした取り組みで、生きること、死ぬことに誠実に取り組んできているのです。
生活に立脚すれば、ある意味では当然のことながら、24時間365日、在宅での生活ケアが基本になりますし、生きるための基本は食になります。
医療技術の活用の仕方も変われば、食事のあり方も変わってくる。
しかも、それをきちんとデータを取りながら進めているのです。

時田さんの話は録音しておけばよかったのですが、あまりに引き込まれてしまい、記録も何もとりませんでした。
しかし多くの人たちに聞いてほしいと思いましたので、いつかまた講演会のようなものを開きたいと思います。
参加者のみなさんも、いろいろと思うことがあったと思います。
小田原に転居できるものなら転居したいと思った人もいるでしょう。

潤生園の取り組みや理念はホームページをご覧ください。
http://junseien.jp/corporate/
ホームページに書かれている次の文章に、潤生園の姿勢が感じられます。

潤生園が提供する「みんなの家」は、24時間365日地域での暮らしを丸ごとサポートいたします。「介護の安心」はもとより、「医療の安心」や「生活の安心」もおまかせ下さい。「みんなの家」は施設を利用される方だけでなく、地域で暮らす方々にとっても「安心」を提供したいと考えています。お困りのことがあれば「みんなの家」をお訪ね下さい。地域の方々の暮らしの拠り所として、みなさまのお役に立ちたいと考えています。

この文章だけだと、よくあるビジネスメッセージにしか聞こえないかもしれませんが、時田さんの話を直接聞けば、たぶん真意が伝わってきます。
ちなみに、潤生園の職員は「潤生園の原点」という小冊子をそれぞれが持っているようです。
昨日、時田さんから私も1冊もらいました。
潤生園を創設するに当たって、時田純さん(時田さんのお父上)は、戦中戦後の自らの体験を踏まえて、理念を掲げました。
「人は人として存在するだけで尊い。真の福祉は、人のいのちの尊さを知り、個人の人格を心から敬愛するところからはじまる」。
この理念を核に活動を展開しているのです。

たくさんの、しかもさまざまな立場の人が参加してくださったおかげで、話し合いからもたくさんの気付きをもらいました。
潤生園が目指していることは、これからの社会や福祉のあり方を考える大きなヒントが含まれています。
最近の福祉政策は方向を間違えていると感じている私にとっては、大きな元気をもらえるサロンになりました。
だれもが安心して暮らせる社会に向けて、個人でもできることはたくさんある。
改めてそのことにも気づかせてもらいました。

もう一つ感じたことを書きます。
時田さんの話の誘発されるように、両親を見送った時の自分の体験を話してくれた人が何人かいます。
看取りを語り合う、さらには伝え合うサロンがあるといいなと思いました。
考えたいと思います。

■湯島の部屋を売りませんか(2017年2月27日)
湯島に私のオフィスがあります。
ワンルームマンションの1室です。
昨年秋ころから、そこを売らないかという電話が頻繁にあります。
先週は1日起きくらいにありました。
いま使用しているので、売るはずはありません。
しかし、なぜかしつこく電話がある。
いま売ると高く売れるそうなのです。
あまりのしつこい電話に腹が立ってしまい、今日は、私を追い出そうとしているのですかと声を荒げてしまいました。
そうしたら、相手も負けずと声を荒げてきましたので、失礼しますと電話を切ってしまいました。
なんというひどい会社だろうかと思いました。
しかし電話お切った後も、何かすっきりしません。
バブル時はこうしたスタイルの地上げ屋が多かったのでしょうね。
どこでどう電話番号リストが流れているのかもしれませんが、実に不愉快です。

ネット回線の電話も相変わらず多いです。
あまりのしつこさに、ついつい承知してしまって迷惑を受けたことがありますが、承知しても別の会社からの勧誘がつづきますので何の解決にもなりませんでした。
明日からもまた電話はつづくでしょう。
人生には苦難が必要です。

■歯磨きがうまくなりました(2017年2月28日)
歯医者さんに行ったら、その後の歯磨き状況をチェックされました。
なんと磨き残し率が12%。
私でもできるくらいですから、誰でもできることのようです。
血圧はやはり高く、早く医者と相談するようにとまた言われました。
そういえば、先日健康診断をしてもらった結果を聞きに行くのを忘れてましたので、近いうちに行こうと思います。
しかし、血圧の薬は飲まなくても、いまのところ大丈夫そうです。

■かまこんリーダーの松本さんとのミーティング(2017年3月1日)
3月19日に、まちづくり編集会議準備委員会で第1回まちづくりフォーラムを開催します。
ゲストに鎌倉のまちづくりで話題になっている、iikuniプロジェクトのリーダーの松本さんに来てもらうことになりましたが、そのプレミーティングを開きました。
今回は、北川さんと根本さんが中心で企画していますが、私の同席しました。

iikuniプロジェクトの基本にあるのが、みんなで解決策のアイデアを出しあう「カマコン」というブレストワークショップです。
19日のフォーラムでも、それをやったらどうかと松本さんから提案がありました。
私の思っていたのとはかなり違う報告になっていますが、軌道修正は難しそうなので、賛成しました。
逆にその方向で、カマコンプログラムを全国に広げる支援をするのもいいと考えたのです。
さてついては、その問題を提出する人を探さねばいけません。
結局、私が動かざるを得なくなりそうで、いささか困っています。
どなたか問題提起をしに、参加してくれませんか。

■「うつしみ」と柿本人麻呂(2017年3月1日)
小学校時代の同級生の升田さんと久しぶりに食事をしました。
彼女はいま、多摩の自然の中に住んでいますが、もともとは大学で上代文学を教えていました。
やり残した課題が2つほどあるようで、それについて少し話を聞きました。
興味を感じたのは、柿本人麻呂の話です。
升田さんは、万葉集に出てくる「うつしみ」(現身)という言葉を、人麻呂だけが、その言葉の後に、「と思ひし」という言葉がつのだそうです。
升田さんは、そこに人麻呂が普通の人とは違った世界に住んでいると感ずるのだそうです。
実に面白い。
ぜひその論考を完成させてほしいと頼みました。

ちなみに升田さんが住んでいるのは、昭島市の本覚院の近くです。
天台宗の古刹で、拝島大師として初詣のにぎわうところだそうです。
そこで、毎晩、最近は夜空のシリウスを見ているそうです。

升田さんは薩摩琵琶を始めているのですが、琵琶に乗せて万葉集を歌う「万葉琵琶」を始めたらどうかという提案をしました。
やってくれるといいのですが。

■ストーリーテリングの奥深さ(2017年3月1日)
ストーリーテリング協会の研究会です。
ストーリーテリングは話し合えば話し合うほどに奥が深いです。
興味が尽きません。
そうしたことをプログラム化する方向ですが、前途多難です。

■まちづくり編集会議フォーラム準備会(2017年3月1日)
3月19日開催予定の公開フォーラムの準備会ですが、悪戦苦闘です。
ますます心配になります。

■眼瞼下垂手術のその後(2017年3月2日)
2か月前に眼瞼下垂の手術をしたのですが、その経過診察に行ってきました。
手術をしてとてもよかったです。
最近は読書をするのが億劫ではなくなりました。
手術後の評判も最近はプラス評価ばかりですので、予定していたアンケート再調査はやめました。
その旨、高久医師に伝えたら、私に気兼ねして評判がいいと言ってるんじゃないでしょうね、と言われ、大笑いになりました。
今日は、まぶたを切開した筋肉細胞の写真を見せてもらいました。
あんまり見たくない写真ですが、老化の様子もよくわかります。

ところが問題が発生しています。
私はコンタクトレンズなのですが、レンズが外しにくくなってしまったのです。
目が細すぎるのかもしれませんが、以前はもっと細かったはずです。
高久医師はわざわざ病院内の眼科の医師にまで訊きに行ってくれましたが、目のまわりの筋肉構造が変わったので、これまでとは違う取り方を見つけるこしかないことになりました。
ところで、私と同じように、眼瞼下垂で困っている人がいたら、ぜひ高久医師にご相談ください。
手術中も話していいという医師ですので、楽しいです。
麻酔を少なくすると、ちょっと痛いですが、まあそれもまたいい体験です。

来月も来ますかと訊かれたので、ついつい面白いから来ますと言ってしまいました。
病院通いもいいものです。
暇で暇で仕方がない老人には、病院は楽しい場所の一つなのです。
それがよくわかります。

(2017年2月第4週)
■リンカーンクラブ幹事会(2017年2月19日)
■巻町原発誘致住民投票をテーマにしたサロン(2017年2月19日)
■「新実存主義」と「民主主義」(2017年2月19日)
■ストーリーテラー養成プロジェクト(2017年2月20日)
■若くない若井さん(2017年2月20日)
■プロジェクターとアイヌ(2017年2月20日)
■キューバ現代史(2017年2月20日)
■不審者騒動(2017年2月22日)
■コミーのQIセンター(2017年2月23日)
■相談内容がわからない相談が多すぎます(2017年2月23日)
■ストーリーテラーの資格要件(2017年2月25日)
■リンカーンクラブの国家ビジョン(2017年2月25日)

■リンカーンクラブ幹事会(2017年2月19日)
リンカーンクラブ幹事会でまた新しい課題ができました。
リンカーンクラブが目指す日本のビジョンをつくらないと求心力が高まらないのではないかということになったのです。
私自身はもう少し会員が増えてから取り組みたいと思っていましたが、それがないとか入会を呼びかけられないということになったのです。
そんなわけでビジョンづくりに取り組みだします。
一緒にやってくれる方がいたら連絡してください。
この3か月でたたき台をつくります。

■巻町原発誘致住民投票をテーマにしたサロン(2017年2月19日)
リンカーンクラブサロン「原発を葬った市民のスクラム 巻町住民投票をめぐって」は10人のサロンになりました。
今回は、あらかじめ折原さんの報告書を読んでもらっての参加でしたので、ちょっとバリアが高かったかもしれません。
その反面、関心の高い人が多かったので、それぞれいろんな示唆を受けたのではないかと思います。

折原さんは、巻町原発誘致住民投票の?末を3ページの表にまとめたレジメで説明してくれました。
とてもわかりやすい表です。
改めてこのてん末を俯瞰するといろんなことが感じられます。

そもそも巻町で住民投票が行われるきっかけは、1994年の町長選挙で、原発推進派の人が当選したことでした。
選挙には、推進派、慎重派、反対派の3人が立候補したのですが、慎重派と反対派の投票数を合計すると、推進派への投票数よりも多かったのです。
そこで、町民はむしろ原発には反対なのではないかという思いを持った、巻町に長年住んでいる有志たちが、「住民投票で巻原発をとめる連絡会」を立ち上げ、自主管理の住民投票に取り組んだのです。
そうした取り組みの過程は、折原さんの論文に詳しいですが、住民が主役になれば、いろんなことができることがわかります。

しかしなぜ巻町ではこうしたことが成功したのか。
そこが昨日の話し合いの論点の一つでした。
私は、その最大の理由は、巻町にはまだしっかりしたコミュニティ、人の繋がりと自然とのつながりがあったことだと思っています。
そのことは、折原さんの報告からも読み取れる気がします。

他にもさまざまな要因が考えられます。
折原さんの報告には、住民たちが「事実」を知るにつれて変わっていったことが書かれています。
それも大きな理由だったと思います。
事実を知ることで、人の意識と行動は変わってきます。
それが、私が湯島のサロンを続けている理由の一つです。

原発という大きな問題だったから、住民投票にまで行ったのかという問いかけもありました。
巻町では、その後も、新潟市への合併を巡って住民投票が行われたそうです。
近隣に葬儀場やごみ処理場ができることで住民が動き出すことは、むしろ多いですから、原発という大きな問題だったことよりも、原発誘致と自分たちの生活の繋がりを見えるようにしていったことが、住民運動を実現した理由のような気がします。
集団的自衛権のような問題は、なかなか私たちの生活とのつながりが見えてきませんから、当事者意識を持ちにくいという意見も出されました。

巻町の住民投票は、原発問題として取り上げられることが多いのですが、私はむしろそうではなくて、住民が当事者意識を持って動けば、大きな流れでさえ変えられるということを示した事例として捉えています。
「与えられたまちづくり」から「創りだすまちづくり」へと変えていけるのです。
これに関しては、3月19日に「まちづくり」の公開フォーラムを予定していますので、関心のある方はぜひご参加ください。
継続してフォーラムを開催していく予定です。
http://cws.c.ooco.jp/info1.htm#170319

巻町の住民投票活動は、たぶん巻町の住民たちに大きな変化を起こしたと思います。
私の関心はそこにあります。
当時、巻高校の高校生は、生徒会で原発誘致に関しての投票までやったそうです。
それを体験した高校生は、いまどうしているか。
そこに大きな関心があります。

まちづくりも、国政も、どんどん住民や国民の手を離れだしているような気がしますが、それは自治体や政府が悪いからだけではないはずです。
その気になれば、そして動き出せば、流れは変えられる。
その貴重な体験をした巻町の教訓から、私たちはたくさんのことを学べるはずです。
いつか、巻町の元高校生を呼んで、公開フォーラムができないかと思っています。
あるいは折原さんに頼んで、一度、巻町訪問ツアーを企画できないかと思っています。
そしてそうしたことの中から、実践的な活動が始められないかと思っています。

いつものように、偏った報告になりましたが、西坂さんが記録してくれていますので、もしかしたら報告の記録はお伝えできるかもしれません。

折原さんの誠実な報告に感謝します。
なお、折原さんは「脱原発社会への展望」と題した4部作を同人誌に載せています。
もし読まれたい方がいたら、ご連絡ください。
折原さんと相談したうえで、PDF版をお届けします。
できれば、折原さんはそれを出版したいと考えていますので、どこか出版の相談に乗ってくれそうなところがあればご紹介ください。

■「新実存主義」と「民主主義」(2017年2月19日)
リンカーンクラブサロン終了後、川本・武田・折原さんとちょっとだけ話をしようということになったのですが、結局、3時間近くも話し込んでしまいました。
テーマは、川本さんの「新実存主義論」と武田さんの「究極的民主主義論」、それに加えて折原さんの実践活動ですから、まとまるはずもありません。
しかし、3人の真ん中にいるのが私なので、それぞれのつなぎ役をやらないと、独自の思想と思考スタイルを持っている人たちなので、コミュニケーションがかみ合わないのです。
なにかどっと疲れが出てしまいました。
しかし、かみ合わない議論もまた、時にはいいものです。

■ストーリーテラー養成プロジェクト(2017年2月20日)
ストーリーテリング協会ではいよいよストーリーテラー講座を始めることにしました。そして秋にはその公開発表会です。
そのプログラムについての検討会を開催しました。

■若くない若井さん(2017年2月20日)
昨年から知り合った若くない若井さんと久しぶりにお会いしました。
加納さんも一緒です。
若井さんと加納さんが取り組むプロジェクトの相談だったはずですが、そういう話はほとんどなくて、結局は肉の万世の食事をご馳走になっただけで終わってしまいました。
いやはや困ったものです。

■プロジェクターとアイヌ(2017年2月20日)
湯島のサロンに使っているプロジェクターが少し具合が悪くなりました。
買い換えようと思ったのですが、ふと思いついて、湯島のサロン仲間のメーリングリストで、どなたか不要なプロジェクターがあったら下さいと書き込みました。
そういう投稿に、どういう反応があるかが、実は関心事だったのですが、なんとすぐに井口さんという人から使っていないプロジェクターがあるから寄付すると連絡がありました。
井口さんとは昨年末に初めてお会いしただけなのです。

その上、すぐに持ってきてくれると言うので、お会いしました。
まだ新しいプロジェクターで、家で映画など見ているようですが、あんまり使っていないのだそうです。
それに今週末から2か月間ほど台湾に行くそうで、それで忙しいなかをわざわざ持ってきてくれたのです。
感謝しなければいけません。
しかし、お礼はいつものように、珈琲一杯だけなのです。

シェアリング・エコノミクスという考えを、CWSコモンズ村で取り組めないかと思っているのですが、あまりに反応が早かったので、むしろちょっと躊躇してしまいました。

それはそれとして、井口さんの活動の話を少し聞かせてもらいました。
井口さんは写真家ですが、それとは別に、先住民の世界ともつながっているのです。
台湾に行くのもその関係らしいですが、それとは別にアイヌの人たちとも付き合いがあって、首都圏に住むアイヌの人たちのたまり場をつくるという構想に魅力を感じているようです。
話を聞いていて、私も魅力を感じました。
さてなにができるか。
井口さんが、台湾から帰ってきたら、またお会いしたいと思っています。
ただし、プロジェクターをもらったからではありません。
ただただ素直に、井口さんの生き方に興味を感じたからなのです。

帰宅して、久しぶりに、アイヌの「神謡集」を読んでみました。
まだ感応できるところまでいけていないのですが、前に読んだ時よりも伝わるものがありました。
しかし、私の知性ではまだ届かない世界です。
世界は本当に広いです。

■キューバ現代史(2017年2月20日)
まったくつながらないのですが、北朝鮮の金正男殺害事件に触れて、なぜか思い出したのがキューバです。
全くつながらいのですが、なぜかそう思ったのです。
それで、「キューバ現代史」や「キューバ史研究」など何冊かの本を拾い読みしました。
「キューバ現代史」ははじめての本なので、かなり精読しました。
たくさんの刺激をもらいました。

医療制度研究会の本田さんがキューバに行くと言っていましたが、その気持ちがよくわかります。
私自身は残念ながらキューバに行くお金がないのですが、お金がなくても行ける方法を考えてみようかと思い出しています。
住民投票を取り込んでいるアイスランドにも行きたいと前に思いましたので、まあ半年で気持ちが変わるでしょうが。

■不審者騒動(2017年2月22日)
おまわりさんがやってきました。
近隣の住民が庭で不審者を見つけ、注意したら近隣の家の庭沿いに逃走したのだそうです。
わが家の隣家もその逃走の経路ですが、どうもわが家とは反対の方向に逃げたようです。
私の近隣地域は、昼間も在宅している家が多く、近所付き合いもありますので、あまり心配はしていないのですが、こうしたことが起こると嫌な気分です。
しかしまあ、適度にこうした刺戟があるのはいいことかもしれません。

■コミーのQIセンター(2017年2月23日)
先日、コミーの小宮山さんと話し合った時に、なんとなくコミーに行くことになったのですが、また延ばすと忘れるので早速に行くことにしました。
コミーのQIセンターが3月には完成すると言うので、まずは見ておこうというのと、小宮山さんの夢の一つの「箸の歌」「鏡の歌」を広げる活動にどう取り組むかを考えるためにです、
QIセンターのQIは、コミーの理念の“Question”と3つのI(Interest Imagine Innovation)を組み合わせたものです。
3階建ての建物です。

そこを見せてもらった後、コミーの次世代3人組と小宮山さんと、話し合いをしました。
いつもの気安さで、かなり辛辣なことを言ってしまいましたが、小宮山さんは笑顔で対応してくれています。
こういう人はそうはいません。
そこが小宮山さんの魅力なのですが、やはり社長を前にしては、社員はたとえどれほど信頼関係があっても、自由にはなれません。
小宮山さんは、それも承知で私を引き合わせているわけですが。
社長抜きで、改めて話し合いをすることにしました。
ちなみにその3人とも私は面識はあるのです。
さてどう発展するか。
楽しみです。

■相談内容がわからない相談が多すぎます(2017年2月23日)
引きこもり家族などの支援に取り組んでいる阿部さんから相談があると言われて、コミーを少し早めに切り上げて湯島に戻りました。
阿部さんも少し疲労気味のようでしたが、私はもっと疲れていたのと、相談内容が相変わらずよく理解できないために、私がちょっと不機嫌になってしまいました。
まだ人間ができていません。
不機嫌になるとますます疲れが高まります。
実はもう一つ相談したので、時間があったらといわれていたことがあるのですが、今日はパスさせてもらい帰宅しました。
帰宅した途端に、また電話。
どうも楽のできない1日でした。

■ストーリーテラーの資格要件(2017年2月25日)
ストーリーテリング協会では新たに「ストーリーテラー」資格を提案しようということを検討しています。
それによって、まだ曖昧で伝わりにくい、ストーリーテリングの意味も明確にできるかもしれません。
今日はその1回目の検討会でした。
「語る」と「象る」と「騙る」について、少し話もしました。

■リンカーンクラブの国家ビジョン(2017年2月25日)
リンカーンクラブは民主主義をできるだけ実現する社会を目指しての活動に取り組もうとしていますが、求心力を高めるためにも、リンカーンクラブとしての国家ビジョンを構想し、提唱するべきではないかということになりました。
その課題にどう取り組むかの検討会をスタートさせました。
ビジョンといっても、さまざまな次元があります。
理念、制度、政策。
その3つの次元で考えていければと思っています。
今日は大きなところでの確認を行いました。
次回から話し合いが始まります。

(2017年2月第3週)
■リトリートサロンに失敗した「みんカフェ」(2017年2月12日)
■ストーリーテリング協会理事会(2017年2月13日)
■小宮山さんと会うとどうも論争になりやすいです(2017年2月14日)
■まちづくり編集会議準備会(2017年2月14日)
■おや!? またおかしいぞ(2017年2月15日)
CWSコモンズ村再興計画(2017年2月16日)
■財政とはなにか(2017年2月17日)
■孫との相性(2017年2月18日)
■煙石博さんの窃盗容疑訴訟が逆転無罪になりそうです(2017年2月18日)

■リトリートに失敗した「みんカフェ」の報告(2017年2月14日)
12日に、ちょっとしたリトリートをイメージした「みんカフェ」(みんなのゆる〜いカフェサロン)を開催しましたが、残念ながら、というか私の心変わりで、普通の話し合い型サロンになってしまいました。
それでも楽しいサロンでしたし、最後のあたりはちょっと「話す瞑想」とも言えるリトリートも体験できた人もいたかもしれません。

参加者は10人、予定の時間を1時間も越えてしまったのに、まだ心残りの人もいた感じでした。
そもそも集まった顔ぶれを見て、はじめての人も多かったので、1分以内での自己紹介を始めたのが間違いでした。
みんな話したいこと、あるいは放したいことが、山のようにあるようで、しかも話を聞いたら質問したくなる人も多いようで、最初の数名はそれでも短く終わったのですが、だんだん長くなっていき、さらにそこからいろんな話に広がってしまい、気が付いたら予定の2時間は自己紹介で終わってしまったのです。
静かにコーヒーを飲むどころか、にぎやかなサロンになったのです。
湯島のサロンは、参加者次第で融通無礙なのです。

最初に来た人から、最近の湯島サロンはテーマが重すぎて敷居が高い、今回のようにテーマがないと参加しやすいと言われました。
それで、テーマなしの誰でも歓迎の「みんカフェ」をまた毎月開催することにします。
でもみなさん、わがままなので、そうすると今度はテーマがないと行く気にならないなどとまた叱られるのですが、まあ仕方がありません。

ところで、自己紹介を最後にやった方の話は、内容が重い割には、それまでの2時間の雰囲気づくりのおかげのせいか、みんなの話し合いを触発して、そこから1時間もサロンが続いてしまいました。
実は、今回はサロンの途中で私はティク・ナット・ハンのほんの一部を紹介する予定でした。
そして、ティク・ナット・ハンとは全く別なスタイルの1分間瞑想を呼びかけようと思っていたのですが、その最後の1時間の話のなかで、話し合いの瞑想というのもあるのではないかと感じました。
それが今回の私の感想です。

私が予定していたティク・ナット・ハンの本からの書き取り部分を添付します。
よかったら読んでみてください。
声を出して読むのがお勧めです。

3月の「みんカフェ」はたぶん3月12日に開催予定です。
確定したら改めてご案内します。

■ストーリーテリング協会理事会(2017年2月13日)
新しいプロジェクト起こしのためのミーティングです。
企業へのコンサルティング事業にも取り組みだします。
理念の浸透や企業文化変革、あるいは営業力強化などに関心のある企業があれば、ぜひご相談ください。
プロジェクトチームも立ち上げつつあります。

■小宮山さんがまた新しいアイデアを出しました(2017年2月14日)
ミーの小宮山さんに会いました。
年が明けてからはじめてです。
もう長いお付き合いですが、会うたびに論争になりがちなのですが、なぜか会っていないとさびしくなります。
今回は論争にならずに、平和に過ごせました。
ところで、小宮山さんがまたひとつ思いついたプロジェクトがあります。
箸の歌や鏡の歌を世界に広げたいというのです。
さてさてどうすればよいか。

ちなみに先月、小宮山さんはシアトルの日本語学校に行って、箸ピーゲームをやってきたそうです。
それも8クラスで。
小宮山さんの講演も好評だったそうです。
そこで、どうも箸の歌を「リパブリック讃歌」に乗せて歌ったのが、今回の思い付きのきっかけだったようです。
協力することにしました。
どなたかアイデアがあれば教えてください。

■まちづくり編集会議準備会(2017年2月14日)
まちづくり編集会議の準備委員会を持ちました。
いつも集まりの写真に私が乗っていないので、私も入った写真を撮りました。
今回はめったに着たこともない背広を着た私ですが。
ところで、まちづくり編集会議では、毎月、湯島でまちづくりサロンをやっていますが、それとは別に3月から、各地のまちづくり活動を中心に置いたフォーラムも開催していく予定です。
そうした具体的な事例を通して、まちづくり編集ということを多くの人と共有していきたいと考えています。



その第1回目は、鎌倉のクラウドファンディング「iikuni」を取り上げ、まちづくりのための資金をどう集めていくか、
そして、資金を集めることにはどういう意味があるか、ということを考えていきたいと思っています。
日程は3月19日の午後。場所は湯島の私のオフィスのすぐ近くにある、アカデミー湯島です。
詳しい案内はお知らせのコーナーに載せました。
ぜひ多くの人にご参加いただきたいと思っています。

■おや!? またおかしいぞ(2017年2月15日)
今日はいつも歯医者さんだったのですが、あいかわらず血圧の薬は飲んでいないのですかと訊かれてしまいました。
歯茎に炎症が出るのでまたやめましたと正直に伝えましたが、血圧はいつもより低い数値が出たのでよかったです。
ところが夕方、どうも調子が悪いのです。
血圧を測ってみたら、下が100を超えています。
その生かどうか測らないのですが、なんとなく頭も重い。
人間は気持ち次第で身体も大きく影響されるのでしょう。
それでも大事をとって、早めに就寝しました。
翌朝は回復していました。

■CWSコモンズ村再興計画(2017年2月16日)
湯島に集まる人たちを中心にしたメーリングリスト「CWSコモンズ村」というのがあります。
いまは200人ほどが登録されていますが、これをベースに、以前やっていた「CWSコモンズ村」の再興を考えています。
CWSコモンズ村は、村長が離村してしまい、いま散村状態です。
一時は、コモンズ通貨も発行していたのですが、妻の病気のため活動を停止してしまったのです。
それをそろそろ再開したいと思っていますが、資金難でちょっと躊躇していたのです。
しかし、私の資金難はどうも当分解消しそうもないので、とりあえずはお金のかからないところから取り組むことにしました。
まずはフェイスブックに「CWSコモンズ村」のコミュニティをつくりました。

育っていくといいのですが。
もしよかったら入村してください。
いまのところ住民税はありません。

■財政とはなにか(2017年2月17日)
先日お会いした室田さんから、井出栄策さんの話を聞きました。
それで先週、井出さんの「18歳からの格差論」を読みました。
共感できるところと、やはり財政学者だなというところを感じましたが、どうもすっきりしません。
それで、井出さんの「経済の時代の終焉」を読みました。
考え方はとても共感できるのですが、やはりすっきりしません。
金銭に呪縛されない経済を考える時代だと私を思っていますが、井出さんの思考の中にもそれを少し感じます。
井出さんはまだ金銭の世界で語っています。
ただ、この本を読んで、財政にも2種類のベクトルが作用していることを知りました。

■孫との相性(2017年2月18日)
近くに住んでいる娘が、週に2〜3回、孫を連れてきます。
だんだん人間らしくなってきて、私に会うととても興味深そうに私を見つめます。
最初は、時に私の顔を見ると泣きだしましたが、最近は相性が良くなってきました。
しかし子供の成長は速いです。
それはまた私の老いの速さでもあるのでしょう。
時間が確認できるのは久しぶりです。

■煙石博さんの窃盗容疑訴訟が逆転無罪になりそうです(2017年2月18日)
中国放送の元アナウンサーの煙石博さんの窃盗容疑訴訟に関しては、これまでこのブログで何回か取り上げてきました。
冤罪の可能性が極めて高いように思われる事件で、広島の友人からこの事件を教えてもらって以来、ずっと気になっています。 

煙石さんは5年前の9月、広島市南区の自宅近くの銀行で女性客が記帳台に置き忘れた現金6万6600円が入った封筒を盗んだとして逮捕・起訴されたのですが、しっかりした物証もないのに、そしてもちろん本人が認めたわけでもないのに、一審二審ともに有罪でした。
煙石さんは上告。その最初の弁論が昨日、最高裁で行われました。
その結果がどうなったのか気になっていましたが、やっとRCCニュースにアップされました
http://news.rcc.jp/?i=27371#a
逆転無罪の可能性が出てきました
よかったです。

私は煙石さんとは面識はありませんが、煙石さんを知っている人からお話を聞いています。
煙石さんにとっては、思ってもいなかった事件のようですが、なにやら不気味さを感じます。
他人事ではないなと思いながら、その行方に関心を持っています。

それにしても、この事件は、千葉にいてはまったく情報がありません。
今日も朝から、ネット検索をいろいろとしていましたが、ようやく先ほど、結果を知りました。
こういう事件が、私の知らないところで、多発しているのかもしれません。
金正男さんの事件よりも、私には関心があります。
こういう事件をきちんとマスコミは伝えてほしいものです。
と思って、いままた調べてみたら、NHKでもアップしてくれていました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170217/k10010880691000.html
しかし、テレビでの放映は関東圏ではなかったようです。

事件の経緯などは次のサイトをご覧ください。
http://enseki.noor.jp/
逆転無罪を願っています。

(2017年2月第2週)
あんまり体調がよくありません。
気が萎えているというかやる気が出ません。
一種のうつ状態かもしれません。
困ったものですが、流れに任せるしかありません。
■ストーリーテリング理事会(2017年2月5日)
■雪の朝(2017年2月9日)
■新潟のチューリップ(2017年2月9日)
■兄夫婦との会食(2017年2月9日)
■久しぶりの安藤さん(2017年2月10日)
■2月の年賀状(2017年2月11日)

■ストーリーテリング理事会(2017年2月5日)
ストーリーテリング協会としての新しいプロジェクト開発会議でした。
これまでは拡散型でやってきましたが、これからは絞り込んでいく方向に切り替えました。

■雪の朝(2017年2月9日)
朝起きたら雪でした。
昨日まではあったかかったのですが、自然の変化はすごいです

■新潟のチューリップ(2017年2月9日)
新潟の金田さんが、チューリップをどっさり送ってきてくれました。
毎年送ってきてくれます。

■兄夫婦との会食(2017年2月9日)
兄夫婦と会食でした。
お互いにいつどうなってもおかしくない歳になりましたので、
悔いのないように、私からお誘いしました。

■久しぶりの安藤さん(2017年2月10日)
会社時代の同期の安藤さんのお誘いを受けて、これも久しぶりに食事をしました。
いろいろと私の知らない私の話を教えてもらいました。

■2月の年賀状(2017年2月11日)
ようやく年賀状を書く気になりました。
といっても、もはや年賀状とは言えないのですが。
私からの音沙汰がないので、心配して下さっている人もいるかもしれませんので。

(2017年2月第1週)
■「ギリシア人の物語U」(2017年1月29日)
■リンカーンクラブ講演会(2017年1月30日)
■生成のための学び(2017年1月31日)
■「新・実存主義の思想」(2017年2月1日)
■TCH(2017年2月2日)
■コンタクトレンズからメガネに(2017年2月3日)
■お墓訪問(2017年2月4日)

■「ギリシア人の物語U」(2017年1月29日)
塩野七生さんが毎年1冊ずつ刊行している「ギリシア人の物語U」が今回は、年を超して、1月に出版されました。
早速読ませてもらいました。
今回は第2巻目で、テーマは「民主主義の成熟と崩壊」です。
主役はペリクレスとばかり思っていましたが、ペリクレスとアルキビアデスでした。
アルキビアデスに関してはほとんど知らなかったのですが、実に魅力的な人物です。
魅力的な人が、やはり社会を壊していくのだなと改めて思いました。

ブログにも書きましたが、最近の世界情勢を考える上で、とても参考になりました。
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=86788350&blog_id=29587

■リンカーンクラブ講演会(2017年1月30日)
リンカーンクラブの第1回講演会を開催しました。
政治ジャーナリストの安積明子さんにお願いして「野党共闘」の話でした。
私は、この種の話にはまったくと言っていいほど興味がないので、別件の用事があったこともあり、受付だけさせてもらいましたので、話を聞いていません。
リンカーンクラブでは毎月講演会をやろうということになっていますが、
私は講演会は大の苦手なのです。
困ったものです。

■生成のための学び(2017年1月31日)
京都の岩や保育園の室田一樹さんが湯島に来てくれました。
久しぶりです。
きっかけは、私のフェイスブックの記事を読んだことです。
室田さんは気になっていた人です。
2時間があっという間に過ぎました。

室田さんとの出会いは、全国私立保育園連盟の経営委員会だったと思います。
私はその委員会の外部委員だったのです。
最初の出会いの時の私の発言を覚えていてくれました。
それに加えて、私がメイヤロフの「ケアの本質」を薦めたことまで覚えていてくれました。

実にたくさんのことを話しました。
密度の濃い、実に楽しい2時間でした。
室田さんは、昨今の子どもの世界に危機感をお持ちです。
そして発展の学びの場ではなく、生成の学びの場を回復したいと思っています。
私も室田さんに会うために、生成の学びに関する矢野さんの本を読みましたが、とても共感できました。
室田さんは実践の人ですので、すでにそれをさまざまな形で取り組まれているようです。
そのひとつが「エピソード記述」の活用です。
たくさんの刺激を受けることができました。

■「新・実存主義の思想」(2017年2月1日)
友人の川本さんの新著「新・実存主義の思想」を読みました。
これまでも断片的には読んでいますが、こうして本にまとまって通読すると川本さんの思いが伝わってきます。
今度の本での主張は、これまでの実存主義には社会哲学がないために社会を変える力が生まれず、結局は全体主義への流れに抗う拠り所にならなかったということです。
川本さんの考えの基本は「人間を起点とする社会哲学」なのですが、やはり読んでいて、ここは「個人を起点とする社会哲学」にすべきかなと改めて思います。
しかし、川本さんには受け入れてもらえませんでしたが。

本書の紹介をブックのコーナーに書きました。
一度また湯島のサロンを開こうと思います。

■TCH(2017年2月2日)
歯医者さんでした。
マウスピースを使いだしたのですが、調子がいいです。
リラックスしている時、上下の歯は軽く接していると思いますか? 歯医者さんに訊かれました。
接触していないのだそうです。
たしかに意識してみると、接触していません。
しかし、それは重力の法則に合わないので、進化の間違いではないか、類人猿もそうですか、と歯医者さんに場違いな質問をしたのですが、そうしたらTCHの話をしてくれました。
TCHとは、“Tooth Contacting Habit”(歯列接触癖)の略で、上下の歯を“持続的に”接触させる癖のことだそうです。
帰宅して、早速、調べてみました。
類人猿の話ではなく、TCHのことをです。
そこで知ったことを紹介します。

上下の歯は何もしていない時は接触しておらず、離れており、会話や食事をする際に接触する時間を含めても、接触しているのは1日20分程度が正常だと言われています。
上下の歯の接触時間が長くなると、筋肉の緊張や疲労、顎関節への負担が増え、起床時症状(顎の疲労感,歯の違和感,口が開きにくいなど)や顎関節症、様々な不定愁訴に関わっている可能性が考えられています。

マウスピースの効用がよくわかりました。
マウスピースは歯の寿命を延ばすだけではなく、人生を明るくするのです。
我孫子市のいしど歯科クリニックは、行くたびに何かを学べる楽しい歯医者さんです。
今日は血圧で、少しまた注意されましたが。

■コンタクトレンズからメガネに(2017年2月3日)
まぶたの手術後、コンタクトレンズを装着するとなかなかはずせないようになっています。
それで、一時的につくっていたメガネをしばらくは使うことにしました。
それでメガネを少しレベルアップすることにしました。
結局、1万円を超すメガネになってしまいました。
うまくできている仕組みです。

まあそれはそれとして、メガネにだいぶ慣れてきましたが、階段の上り下りがまだ危ないです。
しばらくは気をつけないといけません。

■お墓訪問(2017年2月4日)
妻の誕生日だったので、娘や孫とみんなでお墓に行きました。
お墓が自宅の近くなので、孫にもできるだけ墓参りに誘っておこうと思います。
祖先を大事にする文化が薄れていくことに大きな危惧を感じていますので。

(2017年1月第4週)
お医者さん通いの1週間でした。
■リンカーンクラブサロン(2017年1月22日)
■眼科定期健診(2017年1月23日)
■マウスピースを使うことにしました(2017年1月24日)
■新潟の金田さん(2017年1月25日)
■前島弁護士とのミーティング(2017年1月25日)
■形成外科経過検査(2017年1月26日)
■肺炎球菌ワクチン接種(2017年1月26日)
■南相馬に行く佐藤岳史さん(2017年1月26日)
■ストーリーテリング協会理事会(2017年1月27日)
■第1回企業サロン「電通社員過労自死問題から何を学ぶか」(2017年1月28日)

■リンカーンクラブサロン(2017年1月22日)
昨日、「わたしたちの声を政治に届けるにはどうしたらいいかパート2」のリンカーンクラブサロンを開催しました。
参加者は10人でしたが、議論は盛り上がりすぎて、3時間たっても終わりませんでした。
今回は、普通の人の声を集めて社会に発信していく仕組みをつくりたいというニコさんの呼びかけから話し合いが始まりましたが、話題は広がり、現在の日本の政治の裏話のような話まで出てきました。
私には驚愕するような話もありましたが、納得できる話もありました。

最初に問題になったのは、「電力自由化の後、原発の電力を新電力会社にも請け負わせようという経産省の提案」の話です。
ニコさんは、原発事故によって生じたコストまで新電力会社に負担させるのはおかしいと考えていますが、これに関しては賛否両論がありました。
話しているうちに、結局は、原発をどうするかという話ではないかということになり、ドイツや台湾・ベトナムの話も出ました。
まだまだ私には知らないことがたくさんあります。

そこからなぜか、日本政治の裏話のような話題になってしまい、私には少しついていけなくなったのですが、予定調和などとは無縁のサロンですから、それがまた刺激的でした。
いろんな話がありましたが、何しろあまりに刺激的な話が多かったもので、うまく報告できません。

私の関心事で言えば、「主権者教育」ってなんだという問題提起に共感を持ちました。
主権者を教育するのは、一体誰なのか?
どう考えても私には理解できない話ですが、そもそも「主権者教育」などという言葉が使われている風潮に違和感を持っています。
かつての消費者教育の時にも感じた違和感です。
この言葉をいつか話題にしてサロンをしたいものです。

ちなみに、問題提起者の小室ニコさんは、みんなの声を書名で集めて、ネットで世界に発信していきたいという思いをお持ちですが、ご自分がネットが得手でないので、ネットの得意な人に応援してもらえないかと希望しています。
もし一緒にやろうという人がいたら、あるいはそういうことに関心を持ってくれそうな人がいたら、ぜひ小室さんに連絡してください。
私に連絡してもらえれば、つなげます。

■眼科定期健診(2017年1月23日)
小川眼科の検査日でした。
相変わらず混んでいますが、ここは患者にあまり待たせられているという感じを与えないような仕組みがうまくできています。
位置もそれに感心しているうちに、受信が終わります。
いまのところ大きな異常なしです。

■マウスピースを使うことにしました(2017年1月24日)
歯医者さんから以前から勧められていたマウスピースを使用することにしました。
どうも就寝中に、歯をかむ癖があるそうです。
自分では全く意識はないのですが。
それで今日から使うことにしました。

■新潟の金田さん(2017年1月25日)
新潟の金田さんが湯島に寄りました。
今年初め手ですが、金田さんの昨年はいろいろとあったようなので心配していましたが、やはり心配していた通り、私よりもかなりお疲れ気味でした。
それでも3日間、東京でいろんな人に会う予定なのだそうです。
今年はこんなことに取り組みたいというお話をお聞きしました。
いささか心配ですが、応援できることは応援しようと思っています。
一度くらいはやはりまた新潟に行かなくてはいけなくなりそうです。

■前島弁護士とのミーティング(2017年1月25日)
知人と一緒に、裁判を起こすことになりました。
気乗りはしないのですが、放置しておくのもよくないということで、踏み切ったのですが、どうもこういうのは苦手です。
しかし弁護士と話していると、弁護士の論理的な思考には感心させられます。
翻って自分の生き方を考えると、法学部でまなんだわりには、なんとまあ、法学の世界と真逆な世界を生きているかを思い知らされます。

■形成外科経過検査(2017年1月26日)
眼瞼下垂の手術をしてくれた柏厚生総合病院の形成外科の高久医師に1か月後の検診で行ってきました。
それで、この間、手術後の表情アンケートの結果を持参しましたが、3か月後からやってほしかったと言われました。
たしかにそうです。
まだ手術後の腫れが引いていないので、評価が悪い不届者がいるのです。
とりあえずの結果は、投票者42人で好感度アップが25人、変化なしが13人、イメージ悪化が5人でした。
コメントに、「性格までは治っていないようだ」という、これも余計なコメントを書いた人がいましたが、高久医師は、性格も治ると断言しています。
私もそう思いますが、投票時期を間違ってしまいました。
これまでご協力いただいた方には申し訳ないのですが、正式な投票は4月から行います。
ぜひまたご協力ください。
高久さんからも要望を受けています。はい。

みなさん、眼瞼下垂手術の際には、ぜひ柏厚生総合病院の形成外科の高久さんにお願いするといいです。
とても安心して手術を任せられる先生です。

■肺炎球菌ワクチン接種(2017年1月26日)
今日は午後からは10年ぶり以上に、健康診断に行くことにしました。
これも一昨日思いついて、かかりつけのクリニックにお願いしたのです。
きっかけは、肺炎球菌のワクチンを受けることでしたが、申し込みの電話をしている時に、市役所から届いていた長寿県真のハガキが目に付いたのでついでに申し込んでしまいました。
たぶん今回が人生最後の健康診断になると思います。

それで。かかりつけの遠藤クリニックに行きました。
その結果、血圧の薬を飲んでいないことがばれてしまいました。
とりあえず薬はもらってきましたが、服用を再開するかどうかはまだ決めかねています。

■南相馬に行く佐藤岳史さん(2017年1月26日)
昨年まで福島で活動していた櫻井さんの紹介で、今度は佐藤岳史さんが福島の南相馬に仕事に行くことになったそうです。
それで、岳史さんから福島のNPOとのつながりをつくりたいと言われて、お会いしました。
そこでいろんな話をお聞きしましたが、福島の復興に関連しては、いろんな問題がやはりまだありそうです。
知れば知るほど、気が重くなります。
2月から南相馬の小高地区に入るそうです。
どなたかその界隈で活動しているNPOや音楽グループなどご存知だったら教えてください。
岳史さんは、ミュージシャン活動もしていますので。

■ストーリーテリング協会理事会(2017年1月27日)
ストーリーテリング協会の理事会でした。
活動も半年過ぎましたが、なかなか計画通りには進みません。
難航しています。
会員が増えないので、赤字がたまってきています。
最初の計画がいささか甘すぎたのを反省しています。
今年は立て直さなければいけません。
皆さん、ぜひ入会してください。

■第1回企業サロン「電通社員過労自死問題から何を学ぶか」(2017年1月28日)
第1回の企業経営サロンを開催しました。
会社を辞めた時から、つまり30年近く前からやりたかったことの一つに、「企業時評」というテーマがあったのですが、ようやくそれに取り組むことにしました。
これは、企業に関わる「事件」を材料にして、そこからこれからの企業経営や自らの働き方を考えていこうというものです。
今回は、電通社員過労自死問題を切り口に、最近話題の「働き方改革」を話し合うことにしました。
当初は、私が長年関わってきた経営道フォーラムの最近のメンバーだけを対象にしようと考えていました。
経営道フォーラムでは、抽象的な議論になりがちで、ケーススタディに基づく具体的な話し合いはなかなかできませんので、いわば経営道フォーラムで学んだことを実践的に消化する場にしたかったのです。
10人ほどを想定していたので、最近のチームメンバーに限って控え目に案内しました。
1つのチームだけでも、フォーラム期間中であれば、6人前後は来ますので、集まり過ぎたらどうしようなどと考えていたのです。
ところが参加申し込みは5人。
それで、開催前日にフェイスブックなどで公募しました。
結局、半分は経営道フォーラム以外のメンバーになりましたが、むしろそれがよかったような気がします。
2回目からは、公開で開催する予定です。

話し合いは、それぞれがまず事件に関する感想などを述べることから始めました。
実は、事件に関わるアクターを整理したペーパーは用意しておいたのですが、そんなものは不要でした。
それぞれからとても多様な視点と問題提起がありました。
私が気づかされることもたくさんありました。
話の内容は一切省略しますが、いまの企業や社会のあり方、教育や報道のあり方、あるいはSNSとコミュニケーションの捉え方にまで話は広がりました。
過重労働問題や働き方・働かせ方の問題、さらには日本の企業の生産性の低さも話題になりました。
3時間経過しても終わりそうもないほどでしたが、改めてこうした話し合いの場の大切さを感じました。
そして、こうした「事件」に対して、批判するのではなく、そこから学ぶことが、企業関係者にも私たち生活者にも、もっと必要なのではないかと思いました。
それがあれば、同じような事件が、繰り返されなくなるかもしれません。
そして、何よりも、働く人も企業経営者も、そして社会も、少し賢くなるかもしれません。

サロンの最後のあたりになって、「働く」とは何なのだろうかという話になりました。
私たちは、そろそろ「働くことの意味」を問い直す時期に来ているように思います。
「働かせ方」や「働き方」も大切ですが、そもそも「働くとは何か」ということです。
子育て問題が待機児童数解消という数量の問題になっているように、働き方改革が労働時間という数量の問題になりがちなのが、私には違和感があります。
問題の立て方を間違うと、解決どころか事態を悪化させることにもなりかねません。
そういう意味でも、「電通社員過労自死問題」は大きなメッセージを与えてくれているように思います。

今回は報告の内容は一切省略しましたが、とても気づきや学びの多いサロンでした。
毎月開催していく予定です。
もしどなたかこんな問題で話し合いたいということがあれば、お知らせください。
ただし、具体的な「事件」や「事例」を切り口にするスタイルは大事にしたいと思っています。


(2017年1月第3週)
■カシュカシュさんのセルフカフェ(2017年1月16日)
■天才デザイナー鈴木さん(2017年1月16日)
■大川さんのNPOコンサルティングビジネス(2017年1月19日)

■カシュカシュさんのセルフカフェ(2017年1月16日)
内藤さんが寄居に誰もが安堵できるカフェを開きたいと考えています。
私のイメージでは、ティク・ナット・ハンのアシュラムのような感じなのですが、それが実現できればいいなと私も思います。
ただ実際には実現には、それなりの資金もエネルギーも必要です。
それに寄居という立地だと、経済的にも持続するのはそう簡単ではありません。
これは思いに共感する人たちで資金集めしなければいけません。
まだ内藤さんのイメージや方針が明確に定まっていませんが、もし定まったら協力する予定です。
ご関心のある方はご連絡ください。
資金はたかだか500万円もあれば実現できそうです。
いまの私には手が出ない金額ですが、私も少しお金をためておけばよかったとこの頃考えてしまうことがあります。
困ったものです。

■天才デザイナー鈴木さん(2017年1月16日)
内藤さんと一緒に、デザイナーの鈴木さんが湯島に来ました。
18歳の時に、岡本太郎さんに認められ、岡本さんの賞も受賞されています。
これまでの実績は数限りなく、しかしおそらく破天荒な人生を過ごされているのだろうという感じです。
今回は少ししか話せませんでしたが、天才はやはり天才だと感じました。

■祈り鶴プロジェクト(2017年1月19日)
祈り鶴プロジェクトがゆっくりですが進みだしています。
折り鶴ならぬ、「祈り鶴」に、幸せの祈りを乗せて、世界に飛び立たせ、祈りを集めて、世界と未来を幸せにしていきたいというプログラムです。
少しずつですが、姿を現してきています。
先週のハワイでの活動の様子は次のページにあります。
https://www.facebook.com/%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%A5%E3%82%8B-1182997748416751/

活動の真ん中にいるのは、サダコ鶴の佐々木禎子さんの甥の、ミュージシャンの佐々木祐滋さんです。
祐滋さんの、純粋さととびぬけたやさしさにほれ込んで、私もささやかに関わっていますが、いろんな人がどんどん仲間になってくれてきています。
時々、関係者でのミーティングをもっていますが、
昨日は、コンテナハウスの達人の大屋さんもやってきました。
またひとつ、大きくプロジェクトが広がりそうです。
私のような高齢者には、なかなかついていくのが難しいほど、どんどんと広がっています。

祐滋さんと話していると、なぜか自然と幸せな気分になってきます。
またみなさんにも、いろいろとお願いをすることがあるかと思いますが、その時にはよろしくお願いいたします。
今回はまだ予告です。

■大川さんのNPOコンサルティングビジネス(2017年1月19日)
NPOの研究者の大川さんが、生活のためにも少し経済的な活動もしなければいけなくなってきました。
そこでNPOコンサルティングの仕事に取り組みたいと考えているのですが、先日の湯島での出会いが縁になって、具体的なプロジェクトが立ち上がりそうです。
その相談に来ました。
うまく広がっていくといいのですが。
どなたかNPOのマネジメントで相談したい人がいいたらご連絡ください。
お引き合わせします。
彼がうまくいかない場合は、私も関わらせてもらいますので、たぶんどんな問題も解決すると思います。
はい。

(2017年1月第2週)
■新年2回目のオープンカフェ(2017年1月8日)
■寒さに震えた2日間(2017年1月10日)
■歳をとると虫歯になりにくい(2017年1月10日)
■リンカーンクラブ幹事会(2017年1月11日)
■小田原潤生園の時田さん(2017年1月11日)
■降圧薬騒動(2017年1月12日)
■柴崎さんとの相談(2017年1月13日)
■大塚プチサークルの来訪(2017年1月13日)

■新年2回目のオープンカフェ(2017年1月8日)
新年2回目のオープンカフェを開きました。
バングラデシュでのテロの話から始まり、海外でのリスク管理の話、引きこもりの話、NPOのマネジメントの話、飛行機の話、生き方相談の話、・・・。
3時間以上、かなり盛り上がっていたはずなのに、思い出そうとするとあんまり思い出せません。
他にもいろいろとあったはずですが。
そういえば、人類はいつまで生き残れるかという話もありました。
初日の出を大井川で見たというような話もありました。
最後はそれぞれの今年の抱負や課題を少しずつ話しました。
それにしても3時間、ほとんど取り留めもない話を、アルコール抜きで続けるというのも不思議です。

10年ぶりにサロンに参加した人が、10年前と全く変わっていないと感想を話してくれました。
湯島のサロンは、どうも社会の動きに乗れていないようです。
困ったものです。

さて今年は、サロンや集まりをいろいろと開催する予定です。
ハードテーマからナンセンスまで、いろいろやりたいです。
テーマのあるサロンが中心ですが、私はテーマもスピーカーもない、わけのわからないサロンが大好きなので、このスタイルもやはり毎月開催したい気分です。

■寒さに震えた2日間(2017年1月10日)
寒い。
とにかく寒い2日間でした。
エアコンのない仕事部屋での仕事は大変で、2日間はサボってしまいました。

■歳をとると虫歯になりにくい(2017年1月10日)
歯医者さんに行ってきました。
最近、あんまり虫歯になりません。
そこで歳をとると虫歯にならないのですかと質問したらそうだと言われました。
ということは、歳をとった歯は虫歯にとっては美味しくなくなるのですか、と訊いたら、そうではなくて、歯が丈夫になるのだそうです。
その代わり、虫歯になりやすい場所が変化し、それを最近は「大人の虫歯」というのだそうです。
歯医者さんに行くといつも新しい学びがありますが、歯の磨き方は一向に上達しません。
困ったものです。

■リンカーンクラブ幹事会(2017年1月11日)
リンカーンクラブの幹事会で、今年の方向性を確認しました。
セミナーと講座を新たにスタートさせます。
会員が増えないのが一番の問題なのですが。
1月30日にセミナーがありますので、お時間が許せばご参加ください。
お知らせのコーナーに案内を出しました。

■小田原潤生園の時田さん(2017年1月11日)
小田原の潤生園の時田さんに、看取りシリーズのサロンのパート2をお願いしたところ、ともかく一度お話したいと言って、わざわざ湯島まで来てくれました。
もう何年ぶりでしょうか。
私は時田さんのアドバイスを受けて、認知症予防ゲームの普及にも取り組んできましたが、また別の視点でお話を聞得ることになったのはとてもうれしいです。
福祉やNPOの世界も最近はマネーエコノミーの市場に化してきていますので、話していて違和感を持つことも少なくないのですが、時田さんに限ってはそういうことは皆無なので、安心して話せます。

時田さんが常務理事をされている社会福祉法人小田原福祉会は、1990年前後から施設内での「看取り」を実践しています。
当時はまだ、「死は医療のもの」という状況でしたから、いろいろ御苦労があったことと思います。
しかし、最近は上京は大きく変わり、福祉にとっても死は大きなテーマになってきています。

時田さんからは、いろんなお話をお聞きしました。
一番の話題は「自然な死」ということです。
私が目指すことでもあります。
韓国の福祉館のお話も興味を持ちました。
福祉館に関しては、一度、佐々木典子さんからもお聞きしたことがありますが、日本とは姿勢が違うようです。

時田さんは、メールでも次のようなメッセージをもらっています。

「人が死ぬこと」について、これまでの臨床の場で経験してきたことを皆様に知って頂けると、人が死ぬことは怖いことではなく、最期をどう迎えるかわかっていると、自分自身のその時を真正面から考えることができるようになる、と思います。

そこで、「看取り」シリーズのサロンは、少し視野を広げて、自らの生き方に重ねながらのサロンにしようと思います。
たぶん2月26日に開催されると思いますので是非ご参加ください。
確定したらお知らせのコーナーでご案内します。

■降圧薬騒動(2017年1月12日)
降圧剤がなくなったので、クリニックに薬をもらいに行きました。
いつも混んでいる時には薬だけもらってくるのですが、今回も待合室があふれるほどだったので(20足くらいあるスリッパの最後でした)、薬だけとお願いしたら、なぜか今回はダメでした。
そういえば、いつもの看護師ではありませんでした。
それで、診察はやめて帰宅しましたが(長時間待つのは私の性に合いません)、その途中、これはたぶん薬を辞めろということだなということに気づき、薬をやめることにしました。
そこで終わっていたらよかったのですが、そのことを気楽にフェイスブックに書いてしまいました。
そうしたらなんとたくさんの人たちから、コメントやアドバイスが届きました。
それだけではありません。
個別にもメールが届き、挙句の果てには血圧関連の本まで送ったという人まで出てきてしまいました。
いやはや大変なことになってしまいました。

詳しくはフェイスブックでのやり取りをご覧ください。
私がどうすることにしたかも書きました。
ある友人が、佐藤さんには主治医がたくさんいますね、と書いてきましたが、まさにその通り。
つまり私だけではなく、いまの時代は、こうやってみんなの知恵や情報がみんなを支える時代なのです。
そのことが改めてよくわかりました。

■柴崎さんとの相談(2017年1月13日)
吉本隆明の研究に取り組んでいる柴崎さんは、湯島のサロンの古い常連ですが、いささか変わっているためになかなか彼の考えが世の中に広がりません。
時々、私はメールでいろんなことを送ってもらっていますが、私だけでは消化できません。
そこで、柴崎研究会をやれないかと思っていますが、柴崎さんはコミュニケーションが苦手なので、もしやるとしても私が入らなければつづかないでしょう。
さてどうするか。

最近、あまりに孤立化して体調まで崩したというので、気分転換に食事を誘いました。
いろいろ話しましたが、年内に何か始められればと思っています。
吉本隆明やポランニーに興味のある人はいませんか。
もしいたら仲間になってください。

■大塚プチサークルの来訪(2017年1月13日)
いまは辞めてしまいましたが、昨年まで、企業の経営幹部の人たちを対象とした経営道フォーラムに関わらせてもらっていました。
経営道フォーラムには第1期から関わっていましたので、30年近い付き合いでした。
その卒業生の方々が、時々、湯島に来てくれます。
今日は5年ほど前の51期のチームの大塚さん、大坪さん、三浦さんが来てくれました。
このチームは、会社(経営者)と従業員の相互信頼関係の構築の問題に取り組んだのですが、自分が先ず“人としてどうか”を見つめ直す必要があるという結論に達しました。
「人としての基本姿勢がなっていない人間が、他人との信頼関係はもとより、相互信頼関係を構築することなど困難だ」(報告書の文章)というわけです。
そして、自らを見つめ直したうえで、経営者と従業員が想いを共有し、人としてのつながりを深めることを提案しました。
この活動では、常に一人称自動詞で考えることを働きかけてきた私としては、とてもうれしい結論でしたが、このチームの3人の方が、プチサークルをつくって、活動終了後、私が取り組んでいた「自殺に追い込まれることのない社会づくり」活動にも参加してくれて、実際に企業での働き方を考えようというようなワークショップもやってくれました。
その後、三浦さんは仙台に転勤。今度また大塚さんが岐阜に転勤になりました。
それでまたみんなで湯島に来てくれたのです。
三浦さんは、私の血圧騒動を知って、自社の保健師の浦井さんまで連れてきてくれました。
浦井さんも、以前、自殺対策問題に協力してくれた方なのです。

経営道フォーラムに長年かかわらせてもらいましたが、残念ながら日本の企業は私が願う方向にはほとんど言っていません。
その挫折感は大きいのですが、こうして関わらせてもらった人が来てくれると、何かとても報われた気になります。
まあ今回来た3人は、口が悪くて、私のことを昨日もかなりひどく言っていたような気もしますが、それは事実だから仕方がないでしょう。

ところで、血圧に関する浦井さんのアドバイスは極めて納得できるものでしたので、私の高血圧対策の方針は確定し、問題は解決しました。

2人が仙台と岐阜に行ってしまうので、これからはなかなか集まりにくくなるでしょうから、最後の写真を撮っておくことにしました。
写真公開の許可を得ていませんが、まあいいでしょう。
私のことを、さらに性格が悪くなったと言っていたことへの仕返しです。

ところで、浦井さんですが、話をしていたら、なんと森下町の愛育保育園を卒園したそうです。
愛育保育園といえば、私が保育問題に引き込まれるきっかけになった保育園です。
これまた不思議なご縁です。
早速、園長だった新澤さんに伝えなければいけません。

(2017年1月第1週)
実に何もしない、怠惰な1週間でした。
それでもサロンは2回やりましたが。
■初日を拝み初詣(2017年1月1日)
■箱根駅伝(2017年1月3日)
■両親へのお年始(2017年1月3日)
■NPO再生相談会企画(2017年1月4日)
■今年最初のオープンサロン(2017年1月4日)
■怠惰から抜け出るのは難しい(2017年1月5日)
■仕事始め(2017年1月6日)
■まちづくり編集会議準備会(2017年1月7日)
■2回目の新年オープンカフェ(2017年1月7日)

■初日を拝み初詣(2017年1月1日)
例年のように屋上から初日の出を拝みました。
今年もとてもいい初日でした。
いい年になるでしょう。

朝は、娘たちとこれもまた恒例の子の神さんへの初詣をしました。
例年よりも人手が少ないのが気になりました。
富士山もよく見えました。

そしてわが家で次女家族と一緒におせち料理。
いつも長女のユカがつくっていますが、今年は味付けが私好みでした。
孫ができたので、今年は家屋が一人増えました。

とても穏やかなお正月でした。

■箱根駅伝(2017年1月3日)
2人3日は箱根駅伝を見続けてしまいました。
今年もまた青学が優勝でした。
最近はなぜか箱根駅伝を見るでもなく見ないでもなく過ごすのが定番になってしまいました。

■両親へのお年始(2017年1月3日)
近くの住んでいる兄の家にある両親の仏壇に挨拶に行きました。
長居をする予定はなかったのですが、今年は兄夫婦のところへの来客がなかったので、一緒に食事に行くことにしました。
お正月料理も3日目なので、すぐ近くに回転寿司に行くことになりました。
まさか新年早々回転ずしとは思ってもいませんでしたが、久しぶりに兄夫婦と食事をしました。
お互いに高齢ですから、いつ何があるかわかりません。
まあ今年は時々食事を一緒にしようかという話になりました。
兄は私よりも7歳も上なのです。

■NPO再生相談会企画(2017年1月4日)
NPOをテーマに研究をしている大川さんが、一念発起して事業計画を立てたので相談に乗ってほしいと連絡がありました。
昨年末に、これではいけないと思っての一念発起だそうです。
計画は、NPO再生支援活動です。
最近はKAE系に行き詰っているNPOが多いので、そうしたNPOを支援する相談プロジェクトを立ち上げたいと言うのです。
できればそれを事業化したいという計画です。
それでいろいろと相談に乗って、とりあえず2本柱でスタートすることになりました。
可能な限り応援することにしました。

■今年最初のオープンサロン(2017年1月4日)
今年最初のオープンカフェサロンは参加者5人でした。
サロンの参加者も少なかったですが、湯島天神も昨日は人が少なかったです。
その一方で神田明神は相変わらずの混雑だったようですが、そこに世間の風潮を感ずるなどというのはやめましょう。
物事を難しく解釈してしまうと真実は見えてこなくなりますから。

サロンに集まった5人は、そんな時代の流れにあんまり乗っていないような人ばかりでしたが(ほめ言葉ですので誤解なきように)、新年の抱負を語る人はあんまりなくて、話は拡散しっぱなしでした。
ヨットは最高の学びの場だという話や、むかしは新年に「靴を買い換える」という風習があった話、進化論とネオテニー(幼形成熟)の話、トランスパーソナル心理学の話、離島文化の話、NPO再生の話、など、いろいろ出ましたが、それがなんだという話題ばかりでした。
それはサロンのホスト役の責任ですが、まあ湯島のサロンはこんなものです(これもほめ言葉です。自画自賛ですが)。

■怠惰から抜け出るのは難しい(2017年1月5日)
4日から活動を介しようと思っていましたが、5日はまた何もせずにすぎてしまいました。
一度、怠惰な性格をつづけてしまうとなかなか抜けられません。
今日も思いきり怠惰に過ごしました。
年賀状が届いているのですが、その返事も書く気が起きません。
困ったものです。

■仕事始め(2017年1月6日)
ようやく仕事をする気になりました。
浅野6時からパソコンに張り付いて、昨年開催したリンカーンクラブのフォーラムの記録作りを始めました。
要はテープ起こしです。
外注すれば済む話ですが、予算がないのでみんなで手分けして書き起こしているのですが、私だけがサボっているのです。
少し取り組んだところで、目の手術になり、それを口実にサボっていたわけです。
こういうダメなメンバーがいるとチームワークはうまくいかないのです。
実に困ったものです。
でもまあ、今日はがんばりました。

■まちづくり編集会議準備会(2017年1月7日)
まちづくり編集会議では1月に公開セミナーをスタートさせる予定でしたが、どうも前にすみません。
私自身が少し腰が引けてしまったからかもしれませんが、やはり思いが共有化できません。
どこかに基本設計の間違いがあるようです。
やはり「やろう!」という実践的な人がいないと理屈だけで前に進まなくなります。
どうも理屈好きな人が集まり過ぎたようです。

それで私は少し横にいることにして、もう少し動きに任せることにしました。
しかし、ともかく動かないと何も始まらないので、動くことで合意を取りました。
ただし、基本方針だけは合意できたのですが、また空回りするかもしれない不安があります。
さてさて。

■2回目の新年オープンカフェ(2017年1月7日)
昨日、新年2回目のオープンカフェを開きました。
バングラデシュでのテロの話から始まり、海外でのリスク管理の話、引きこもりの話、NPOのマネジメントの話、飛行機の話、生き方相談の話、・・・。
3時間以上、かなり盛り上がっていたはずなのに、思い出そうとするとあんまり思い出せません。
他にもいろいろとあったはずですが。
そういえば、人類はいつまで生き残れるかという話もありました。
初日の出を大井川で見たというような話もありました。
最後はそれぞれの今年の抱負や課題を少しずつ話しました。
それにしても3時間、ほとんど取り留めもない話を、アルコール抜きで続けるというのも不思議です。

10年ぶりにサロンに参加した人が、10年前と全く変わっていないと感想を話してくれました。
湯島のサロンは、どうも社会の動きに乗れていないようです。
困ったものです。

さて今年は、サロンや集まりをいろいろと開催する予定です。
ハードテーマからナンセンスまで、いろいろやりたいです。
テーマのあるサロンが中心ですが、私はテーマもスピーカーもない、わけのわからないサロンが大好きなので、このスタイルもやはり毎月開催したい気分です。