■ 豊後大山「ひびきの郷」開業記念シンポジウム(2002年11月22日)
パオスの中西元男さんから誘われていたシンポジウムに参加しました。「梅栗植えてハワイに行こう」をスローガンにまちづくりに大成功し、大分県の一村一品運動の元祖になった、あの有名な大山町です。
その大山町に新しくできた、「ひびきの郷」のオープニングに「デザインはまちおこしにどこまで貢献できるか」というシンポジウムを中西さんが企画したのです。
中西さんは私の人生を変えた責任者の一人です。日本のCIの草分けで、それに共鳴して、私は東レでCIに取組み、その過程で自らのアイデンティティの問題に行き当たり、会社を離脱してしまったのです。中西さんからのお誘いは断れません。
実にたくさんの人と出会いました。書き出したらきりがありません。
まずはパネリスト。有名な写真家だったのに突然淡路島で瓦職人に転じてしまった淡路瓦師の山田脩二さん。新潟県のデザイン振興に大きな成果を挙げてきている建築家の黒川玲さん。小布施町の酒屋「桝一」で活躍している利酒師セーラ・マリ・カミングスさん。ユニバーサルデザイン分野で活躍されている(それだけではないですが)梶本久夫さん。そして私です。司会は中西さん。
山田さんのアドバイス?で、壇上のパネリストには大山特産の梅酒とリキュールが出ました。私を除いてみんな名うての酒豪なのです。山田さんとは10数年ぶりにお会いしましたが、全く変わらずにオーラを出し続けている方です。たくさんの元気をもらいました。
フォーラムの後は参加者との交流会がニ次会も含めて12時まで続きました。とてもいい集まりでした。そしてそこでも実に世界のつながりを感ずる出会いがありました。
私は話の中で美野里町の事例を紹介したのですが、なんと数年前に美野里町の花木センターづくりに関わった人がいたのです。これは奇遇でした。小郡市の林洋海さんです。
参加者はグラフィックデザイナーが多かったのですが、中には企業の方もいました。このひびきの郷の施工に関わったのが東亜建設工業ですが、そこの三笘右文さんは数年前に東レとお仕事をされたそうです。今の東レの実態を知らされました。
同じパネリストだった梶本さんとは同室だったため、2時まで話してしまいました。初対面でしたが、そのお人柄にすっかり魅了されました。これまた書き出したら切りがないのですが、共通の知人友人が何人かいることがわかりました。本当に世界は狭いです。梶本さんは、ユニバーサルデザインの世界でもご活躍ですが(梶本さんのところのホームページもご覧下さい)、今の上滑りな風潮に懸念をお持ちです。非常に共感します。
お会いした人たちのことを書き出したら切りがないので、町長のお話だけを書きます。
私は最近の大山町のことは全く知らずに、スピーチでは住民主役を目指す美野里町の話をしたのですが、今の大山町はその上を行っていました。三笘善八郎町長の行動力に裏付けられたビジョンと住民たちの信頼関係(最高のソーシャルキャピタルです)が実に見事にかみ合っているようです。梅栗活動から始まり進化を続けるNPC運動は見事に成功したと思いますが、時代の大きな変化の中で、三笘町長のビジョンにはそれを超える可能性を感じました。
中西さんと三笘さんと大山町住民のパワーで、きっと新しい自治の風が、ここからまた起こるはずです。大山町のことはもう少し私も学んでみようと思っていますが、ご関心のある方はぜひ大山町のホームページをご覧ください。ついでに、ひびきの郷のホームページもご覧ください。ひびき渓谷の写真があまりないのが残念ですが、素晴らしい景観です。
大山町のことはまた改めてご報告したいと思います。