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(2020年11月第4週)
■湯島サロン「遺伝子技術の話〜遺伝子検査を切り口にして」(2020年11月22日)
■野路さんのリンゴと野路さんの入院(2020年11月24日)
■階段で足を滑らせて転倒(2020年11月25日)
■1日がかりのガス工事(2020年11月26日)
■Go To病院コール(2020年11月27日)
■ミニミニぽんゆうサロン(2020年11月28日)
■湯島サロン「資本主義の先に何があるか?」(2020年11月28日)

■湯島サロン「遺伝子技術の話〜遺伝子検査を切り口にして」(2020年11月22日)
長年、遺伝子検査に取り組んできた山森俊治さん(遺伝子と詩吟を愛する理学博士)にお願いした「遺伝子技術の話」のサロンは、テーマの敷居が高かったせいか、参加者は7人だったのですが、そのおかげで、ゆっくりとお話しできるサロンになりました。
そのうえ、山森さんは、私のような素人の無知な質問にもていねいに答えてくださり、私にとってはこれまでの疑問が解けることの多いサロンになりました。
テーマの敷居は高くても、質問の敷居は低かったのです。湯島のサロンでは、この姿勢を大切にしていきたいと思っていますので、難しいテーマでも気楽にご参加ください。

山森さんは、最初に「正しい知識をもっていないと間違った判断をしかねないが、日本ではとりわけ科学に関する一般的な知識の普及が遅れていると感じている」とお話になりました。まったく同感です。

サロンでは最初に、遺伝子の構造や特徴など基礎的なことを説明してくださった後、遺伝情報の流れや遺伝子検査の説明、感染症やDNA鑑定、いま話題のPCR検査などを質問を受けながらお話ししてくださいました。
山森さんは、詳しい資料も作成してきてくださいました。山森さんのご好意で、その資料は下記のサイトでダウンロードできますので、ぜひお読みください。
https://1drv.ms/u/s!AvyPyx3M6qfRgf57Lxja1Mhfux6Gtg?e=5beVZg
(資料の内容および取扱いに関しては報告の最後をご覧ください)
サロンでの山森さんのお話の紹介は、資料にゆだねたいと思います。

「ゲノム編集」や生命倫理の話も準備してくださっていたのですが、何しろ参加者からの質問も多かったので、そこまでたどり着けませんでした。
そこで、ゲノム編集や生命倫理の話は、年明け後にパート2としてまた山森さんにサロンをしてもらうことになりました。
私の一番の関心事は、人間が無機物から人間を創り出せるか、ということなのですが、この話は山森サロンパート2に持ち越されました。

話し合いもいろいろと考えさせられることが多かったです。
特に山森さんが最初に話された、「日本ではとりわけ科学に関する一般的な知識の普及が遅れている」という言葉が私には強く残りました。
実は30年前に会社を辞めた時に、数名の友人たちとその企画に取り組んでいたのですが、結果的にはもう一つの道を歩んでしまい、取りかかれずに終わりました。
来年は、その方向でのサロンにも力をいれていければと思います。
山森さんはサイエンスカフェの活動もされていますが、できれば湯島でもそうした継続的なカフェを開催したいと思います。
サロンと違って、それならZOOMスタイルも可能かもしれません。

私には実に刺激的なサロンでした。
パート2の日程が決まったらご案内させてもらいます。

*サロン当日の配布資料
https://1drv.ms/u/s!AvyPyx3M6qfRgf57Lxja1Mhfux6Gtg?e=5beVZg
@遺伝子検査の基礎(ゲノム編集のスライドも入っています)
Aゲノム編集 補足資料
B遺伝子検査(遺伝子多型関連)補足資料 
*なお、図表などの出典を記載していませんので、著作権の関係もあり、ご自身どまりにしてください。

■野路さんのリンゴと野路さんの入院(2020年11月24日)
妻の友人の野路さんから恒例のリンゴが送られてきました。
お礼の電話をしたのですが、なかなかつながらない。
結局、受け取った翌日に電話がつながったのですが、電話に出たのは本人ではなく、娘さんでした。
野路さん(夫)が脳梗塞で検査入院とのこと。電話がつながらなかったわけです。
節子の友人の野路さん(妻)も数年前に階段から短絡して記憶障害を起こし、パートナーがずっと世話をしているのですが、昨年末に軽い脳梗塞を起こし、時々、検査入院なのだそうです。
そのため東京に住んでいる娘さんが単身で横浜の実家に帰り、2人もケアをされているようです。高齢家族の世話は大変です。
私も脳梗塞の心配があって、今は定期的にMRI検査をしていますが、注意しなければいけません。

■階段で足を滑らせて転倒(2020年11月25日)
階段で滑って転倒してしまいました。
最近は自宅でも靴下をはいていることがあるのですが、そのため滑りやすいのです。
いつもはきちんと手すりを持つのですが、リフォームのため荷物が階段に仮置きされていて、それをよけようとして滑ってしまいました。
背中を強く打ったようで、たぶん骨にひびが入ったのでしょう。
痛みがあります。気のせいか、頭の後部に熱も感じます。
すぐに病院にと思ったのですが、何か大ごとになりそうで、様子を見ることにしました。
こういう判断が多分さらに大ごとに向かわせるのでしょう。
まあここは「賭け」というしかありません。
早く入浴して眠ることにしました。

■1日がかりのガス工事(2020年11月26日)
リフォーム工事は完了したのですが、ガス工事が残っていました。
これまでのガス管では細いので、太くするために、道路からの配管を太くすることになったのです。費用が15万円ほどかかります。思わぬ出費で、工面が大変です。
何しろ年収180万円(年金)ですので、余計な出費は苦労します。リフォーム費用は一応、予算内に収めたのですが、やはり何かと超過します。来年は少しお金をもらえる仕事をしなければいけません。
朝の9時から5時半までの大工事でした。

■Go To病院コール(2020年11月27日)
病院に行くつもりはなかったのですが、フェイスブックに会談で足を滑らせたことを書いたら、たくさんの人からGo To病院コールのアドバイスをもらいました。それに痛みも消えないので、病院に行くつもりで娘に自動車で送ってもらうよう頼んでいました。
予定の9時に娘が声をかけてきくれたので、立ち上がって玄関に向かったら、なんと「痛み」がない。
それで、もう病院はいいのではないかと思い、何とか娘を説得して、病院行きをやめてしまいました。
少し様子を見ることにしました。

しかし実にいろんな人がコメントをくれました。
なかには20年ぶりに人もいました。
フェイスブックはこういう時はコメントがよく書かれますが、私が読んでほしい記事はなかなか読んでもらえない気がします。

■ミニミニぽんゆうサロン(2020年11月28日)
霜里農場の金子友子さんがサロンに行くと連絡してきました。
今日のサロンは友子向きではないと話したのですが、今年は今日しか行けないので返事が返ってきました。
続いて、同じく小学校時代の同級生の永作さんが、背中の痛みを心配して、サロンはやめたほうがいいと言ってきました。
聞けば、友子さんからサロンへの誘いがあったので、彼女も来るというのです。
どうも友子さんからみんなに召集がかかったようです。
困ったものです。
聞けば、12時に湯島に着くという。
慌てて私も出かけ、なんとか12時過ぎに到着しました。
友子さんはおにぎりを、永作さんはおかずを持参、3人のミニミニ同級会になりました。
もう一人は参加できなかったので、3人でしたが、この2か月ほどの間にみんないろいろあったようです。
予定していた女子会がコロナのためにお流れになっつぉうで、まあその代わりの緊急ミニミニサロンだったようです。

■湯島サロン「資本主義の先に何があるか?」(2020年11月28日)
坪田さんから斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』の紹介をしてもらうサロンは、14人の参加者がありました。
大きなテーマは、改めて経済や社会のあり方を考えようということです。
斎藤さんは30代の若者ですが、サロンにも30代の若者が2人参加しました。
ちなみに、斎藤さんはマルクス研究会の最高峰の賞といわれるドイッチャー記念賞を世界歴代最年少で受賞しています。
提唱しているのは、「脱成長経済」です。

坪田さんは、『人新世の「資本論」』の内容を、しっかりとまとめてきてくれて、各章にわたって内容をていねいに説明してくれました。そして最後に、全体を200字で要約してくれました。それを掲載させてもらいます。

気候変動は人類絶滅の危機。SDGsはまやかし。資本主義では対応不可能。マルクスが晩年に考えたように生産力至上主義を捨て、「脱成長コミュニズム」で対応するほかない。水、エネルギー、教育などを〈コモン〉として共同管理すべき。環境負荷をグローバル・サウスに押しつける「外部化社会」を脱しよう。その挺子が「気候正義」と「食料主権」。「信頼」と「相互扶助」を基礎に参加型民主主義を拡張していこう。

キーワードは、「脱成長コミュニズム」「コモンの共同管理」「気候正義と食料主権」「信頼と相互扶助を基礎にした参加型民主主義」です。要約にはありませんが、もう一つ「多様なローカル運動」も出てきました。
このキーワードはいずれも湯島のサロンで1回ならず登場した概念です。

参加者は、私も含めて、同書を読んでいない人が多かったのですが、同書を読んだ30代の参加者は、合理性と計画経済が20世紀の重化学工業と結びついたために、生産の拡大が社会主義のように思われてしまったが、マルクスの原点では、合理性は抑制のために使われていたという指摘に着目すべきだと問題提起しました。
私の認識不足で、その意味を消化できずに、理念と政治とはいつも反転するものだなどというコメントをしてしまい、議論が深められなかったことを、後になって反省しました。マルクス理解は人によって真反対のことがありますので注意しなければいけません。
もう一人の30代の若者は、弱者が切り捨てられる今の資本制社会の中ではレールに乗れないと生きていけない、と激しく発言しました。
前の30代若者もそうですが、どうも今の社会では、30代の知性は「生きる意味」を見出しにくいようです。2人の強い感受性に、言葉の無力さを改めて感ずるとともに、先日の20代の若者の身体知サロンとはまた全く別のエネルギーを感じました。
彼らの誘導のおかげで、コミュニケーションの捉え方やレールに乗った生き方は幸せなのかなどといった、話にまで広がりました。斎藤さんが示唆する「価値の反転」とまではいきませんでしたが。

新自由主義的な欲望の資本主義はいま、新型コロナのおかげで、その限界や矛盾が少しずつ見えるようになってきています。斎藤さんが言うように、「資本主義では対応不可能」という認識も高まってきています。
そうしたなかで、改めて、マルクス資本論への関心が戻ってきている。
マルクスは、多くの経済学者と違って、資本主義を歴史を超えたものとは捉えていません。むしろ資本主義は人類の歴史にとっては、一時的な形態だと捉えています。
しかし、まだまだほとんどの人が「資本主義」を批判しながらも、資本主義の枠の中で考えています。資本主義の枠の中で考えている限り、何も変わらない。

たまたまですが、資本主義の枠を超えて暮らしている霜里農場の金子友子さんが参加していました。彼女たちの生き方から考えると、「脱成長コミュニズム」などという言葉は私にはむなしく響きますが、実際には重なるところもあります。
そういう意味では、霜里農場の実践は示唆に富んでいます。
食料主権に絡んで、金子さんには種苗法の問題を少し話してもらいました。
食は文化の基本であるばかりではなく、生きる基本であり、身体知につながっています。昨今の食文化の劣化には資本主義の象徴を感じていますが、斎藤さんが「食料主権」に注目していることに安堵します。歴史における多くの革命や圧政は、「食」を起点にしているといわれます。

大切なのは、「脱成長経済」は「定常経済」なのかということです。
定常経済は、200年近く前にすでにジョン・スチュアート・ミルが理想の経済として提唱しています。そもそも「成長」とは何かがきちんと語られなければいけません。
そのあたりの「ビジョン」は、本書ではまだ明らかにはなっていないようですが、坪田さんはこれから斎藤さんは書いていくだろうと期待しています。

希望の資本主義は1970代くらいまでは人々を豊かにしてきました。
しかし、1970年代に流れは反転し、希望ではなく欲望の資本主義へと変質し、経済は市場の拡大に向かい、人々は消費者へと駆り立てられました。そして、「顧客の創造」が企業の役割にされだしました。マルクスが危惧したように、汎商品化が進み、今や人間さえもが「商品」になりだしています。
1970年代は、また経済成長の限界が語られだした時期でもありました。そこからSDGs運動へとつながっていくわけですが、斎藤さんは「SDGsは大衆のアヘンである」と、いささか過激に語っています。確かに、気候変動危機は臨界点を越えはじめているのかもしれません。
そういう状況の中で、マルクスの「資本論」に戻ろうという動きが高まっているわけです。資本論を通して、資本主義の先を考える。できれば来年の湯島サロンの大きなテーマのひとつにしたいと思います。

 

(2020年11月第3週)
■第2回手賀沼でやりたいことプレゼン大会(仮)(2020年11月15日)
■生活の場所が2階に移りました(2020年11月17日)
■家のリフォーム工事が竣工しました(2020年11月19日)
■来年度自治会役員(2020年11月21日)
■湯島サロン「自分の言葉で語る 身体から語る 身体と語る」(2020年11月21日)

■第2回手賀沼でやりたいことプレゼン大会(仮)(2020年11月15日)
我孫子・柏まちづくり編集会議主催の『手賀沼でやりたいことプレゼン大会(仮)』の第2回目を開催しました。
なにしろゆる〜い活動ですので、いつもふたを開けるまで何人集まるかわかりませんが、今回も新規参加者2人を加え、20人ほど集まりました。
「やりたいこと」提案は2人から。一人は高校生でした。
きちんとした報告は、別途おこなわれるでしょうが、また2つほど、プロジェクトがスタートしそうです。
さらに次回の提案者も手が上がり始めました。
とてもいい雰囲気です。
次回は2月の予定ですが、それまでの間、公開型デモクラシーの雑談会などが開かれる予定です。
フェイスブックページもありますので、よかったらのぞいてください。
https://www.facebook.com/groups/202846400516301

■生活の場所が2階に移りました(2020年11月17日)
2階での生活がほぼできるようになったので、生活を2階に移しました。
食卓もないので、座卓で地味に食事をしています。
これまで毎日、1階と2階の往来をかなりしていますが、それがなくなるのがちょっと心配です。

20年以上前に、バリアフリー住宅が話題になっていた頃、関係者に呼びかけて、あえてバリアフルの「元気向上型ハウス」の研究会をやっていたことがあります。
活動は1年ほどで終了しましたが、家の中に運動を誘発する場所を作ることで住人の健康に役立つ家という発想です。
これまでは階段の昇降運動は、元気向上に効果的でしたが、これからはあまりしなくなりそうです。
対策を考えなければいけません。

■家のリフォーム工事が竣工しました(2020年11月19日)
家の改装工事が終了し、工事監督の弓削さんから引き渡し契約を交わしました。
いろいろ最初の予定からの変更もあったので、見積もり予算が上昇することを懸念していましたが、幸いにプラスマイナスゼロで、追加費用は発生しませんでした。
ただ当初考えていなかったガス工事などの関連工事費用が発生したので、その工面が一苦労です。
でもまあ何とか目途が立ちそうです。
問題は新しい住空間に合わせた家具の調達ですが、これがまた娘と好みが会わず大変です。

■来年度自治会役員(2020年11月21日)
来年度の自治会会長役を引き受けることにしました。
他の役員をどなたにお願いするかを、現在の班長の高城さんと副会長を引き受けてくれた大西さんと相談しました。
班のみなさんには希望する役割をあらかじめ出してもらっていますが、それに従って、みなさんにお願いすることにしました。
しかし一応、それぞれの了解を得るのがいいということで、私が全員にお願いすることにしました。
自治会長の仕事始めです。

■湯島サロン「自分の言葉で語る 身体から語る 身体と語る」(2020年11月21日)
川端修平さんの身体知サロンには17人が参加しました。



修平さんは、自分の体験から話し出し、参加者の一人が指摘したように、肌感覚の言葉で語ってくれました。
まずは体験ということで、修平さんが最近学んでいる「三軸調整によるリバランシング」のワークを全員で行いました。三軸というのは、身体の左右の捻れ、左右の傾き、前後の屈折を支える身体の基軸のことです。
修平さんのガイドのもとに、各自それぞれの身体軸のバランスをチェックし、軸の偏りを確認し、それを正す簡単なボディワークをしました。
ワーク前後で、たとえば立っている感覚に違いができたかどうかを問われました。
またボディワーク前後に、各自短い瞑想も行ったのですが、そこで感ずる違いも問われました。
「地に足がしっかりとついている感じが高まった」とか「身体が動きやすくなった」とか、いろいろ反応がありました。私も足の裏の感覚が高まりました。
身体がゆるやかになると、心や思考も解放されるのかもしれません。その後の話は、いつも以上に活発で、修平さんが想定していたのとは違った方向に飛んでいってしまったかもしれません。

私は、最近の若い世代が「身体知」に関心を強めているような気配を感じていますが、そう話したら、若い世代の参加者から、スマホとにらみあっている人が多いからそんなことはないと反論されました。
私は、スマホに向かって忙しく指を動かしている若者に、身体知への渇望を感じているのですが、残念ながら賛同は得られませんでした。
多くの人は、最近の若い世代は「言語〈文字〉知」の世界に浸っていると捉えているようです。しかし、身体知よりも言語(文字)知に傾いているのは私たち世代のほうではないかと私はサロンを通じていつも思っています。
身体知と言語知とでは、世界が違っていて、なかなか分かり合えないのかもしれません。

コミュニケーションも話題になりました。
若い参加者から、言葉の定義もしないで議論しているので話がかみ合っていないと指摘されましたが、まさにその通りで、進行役としては大いに反省しました。
コミュニケーションから信頼の問題になり、さらには生き方を他者に示唆することの是非まで話は進みました。
ここでも「身体知」と「言語知」の世界の違いを思い知らされましたが、言語知によるコミュニケーションは実に難しいことも改めて実感しました。

いずれにしろ、身体としっかりと付き合うことを私たちはいささかおろそかにしているような気がします。リバランシングワークは、それを気づかせてくれました。
不登校気味の息子を持つ母親からの発言に、改めてそのことを感じました。
彼女からその後の報告をいつか聞きたいです。

乗馬をやっている女性から、馬に乗ると自分の身体を自覚できるという話がありました。
私たちは、本来、いつも自分の身体と会話しているはずですが、あまりに言語知に縛られていているために、それを忘れがちなのかもしれません。
時に意識的に身体を意識し、身体と語り、身体から語ることがいいのかもしれません。
リバランスできれば、軽やかに歩けるようになる、つまり軽やかに生きられるようになると、修平さんは話してくれました。私たちはもっと身体を知る必要がありそうです。

コミュニケーションや信頼に関する議論につながりますが、言語(文字)や行為は嘘をつけますが、身体や存在は嘘をつけません。ですから、身体知で生きていると、すべてが信頼でき、実に生きやすくなる、というのが私の体験です。無理にコミュニケーションしようと思う必要もなくなります。

身体と意識のつながりや関係の話もありました。
そこから西洋科学(身心二元論)と東洋思想(心身論)の話も出ました。この話はいつか取り上げたいテーマです。

リバランシングワークによって、修平さんは自分が変わったと話してくれましたが、修平さんの近くに座っていた参加者も、半年前の修平さんとは違う感じだと言っていました。彼の世界は今、大きく変わりつつあるのかもしれません。

修平さんはいま、リバランス・マッサージに取り組んでいるそうです。
施術もしているようですので、興味ある方は一度、修平さんのマッサージを受けてみるのもいいかもしれません。
みんながバランスを取り戻せば、社会もまたリバランスできるかもしれません。
改めて、そんなことを考えさせられたサロンでした。

(2020年11月第2週)

■アメリカ大統領選挙結果(2020年11月8日)
■蔵原さん追悼(2020年11月9日)
■風邪かもしれない(2020年11月10日)
■川端修平さんから大きなサツマイモをもらいました(2020年11月11日)
■林さんとまちづくり編集会議の発表会の打ち合わせ(2020年11月12日)
■久しぶりにBMSサロン(2020年11月13日)
■久しぶりの茶色の朝サロン(2020年11月13日)
■仁徳地域商会zoomミーティング「プラットフォームづくり」(2020年11月14日)

■アメリカ大統領選挙結果(2020年11月8日)
アメリカ大統領選は民主党のバイデンが選挙に勝利しました。
選挙直前に、バイデンが勝利するだろうとフェイスブックに書いたら、トランプ派の中嶋さんから、ランチを賭けようと挑戦がありました。
湯島のオフィス近くのイタリアンのランチだそうですが、挑戦に応じたので、今度ご馳走に慣れるようです。
もっとも中嶋さんは、まだバイデン勝利を納得できていません。
フェイスブックの私の記事にも、DSがらみの話が投稿されて、バイデン批判が数人から来ています。
どうしてこうもみんなひねくれてしまったのでしょうか。
まさにねじれたルサンチマンが世界を覆っているようです。

■蔵原さん追悼(2020年11月9日)
今年の2月に急逝した蔵原さんの遺稿集をつくりたいので、追悼文を寄稿してほしいと、共通の友人の岡和田さんに呼びかけれらて、追悼文を送っておいたのですが、遺稿集の原稿ができたので校正してほしいと、岡和田さんが送ってきました。
改めて岡和田さんが編集した遺稿集を見せてもらいましたは、まさかこんな厚い本になるとは思ってもおらず、岡和田さんのエネルギーにまた感服しました。
と同時に、蔵原さんの馬力にもまあ驚かされました。
彼は早く逝きすぎました。残念です。

■風邪かもしれない(2020年11月10日)
日曜日からちょっと体調に違和感があるので、大事をとって外出せずに養生しています。
新型コロナの関係で、いまは風邪もひけません。
いつも以上に体調の違和感には気をつけています。
熱はないので大丈夫だと思いますが、十分の睡眠と十分の食事で大事をとっています。

■川端修平さんから大きなサツマイモをもらいました(2020年11月11日)
先日のサロンに参加した川端さんと会いました。
若い世代は、私の世代とは違って、「言葉」だけでは会話していませんから、注意していなければいけませんが、最近は体力気力共に低下し、聞き流すことの方が多いのですが、今回はちょっと聞き流せない気がしたのです。
いろいろと話して、いろいろと気づかせてもらいました。
若者から学ぶことはたくさんあります。

川端さんから、大きなサツマイモをもらいました。
自分で育ててサツマイモだそうです。
川端さんには今度サロンをしてもらうことになっています。

■林さんとまちづくり編集会議の発表会の打ち合わせ(2020年11月12日)
我孫子まちづくり編集会議の事務局役の林さんからの連絡で、今度予定している発表会の打ち合わせをしました。
と言っても、そう打ち合わせることもないので、いつものように雑談が中心でした。
林さんもこれからの働き方の問題に直面しているようです。
林さんはフリーランスのデザイナーですが、要は時々、誰かと雑談したくなるのでしょ。
まあその相手として声をかけられたのでしょう。
発表会は、準備なしの方が面白いですし。

■久しぶりの茶色の朝サロン(2020年11月13日)
久しぶりに「茶色の朝」サロンを開催しました。
これまで基本的に土曜日開催でしたが、土日は参加でいないという人もいて、今回は金曜日開催になりました。ところがそれが周知できなかったため、翌日の土曜日に来た人が2人もいるようで、申し訳ないことをしました。
参加者は5人で、その分、密度の濃い話し合いになりました。まあ密度が濃いと言っても、なにしろ「茶色の朝」サロンですから、自由に話しやすかったと言うだけの話ですが。
学術会議任命問題は今回は出ませんでしたが、話題はいろいろと出ました。
PCR検査を受けざるを得なくなった人も参加していて、そのあたりの事情も話してくれましたが、私にはそれがとても面白かったです。
まさに最近の世情を象徴しているようでした。
相変わらず予定時間を超えてのサロンでしたが、不思議と何を話したかの記憶が飛んでしまっていて、いまは思い出せません。
たしか今回も最初は大坂都構想の話題から入ったような気がしますが、その後が思い出せません。最近、サロンの報告がなかなか書けなくなっています。
これは単に私の記憶力と感受性が低下しただけだと思いますが、それと併せて、サロンの報告など意味があるのだろうかという迷いが出てきたせいでもあります。
困ったものです。
次回からちょっとメモしてもう少しきちんと報告できるように(たぶん)しようかとも思います。

■高林さんの最後の作品(2020年11月13日)
高林さんから、先週、一冊の本が送られてきました。
父親の自伝です。
これが最後の仕事だと、高林さんからお聞きしていました。

バタバタしていて、読んでいなかったのですが、読みだしたら、吸い寄せられるように一気に読んでしまいました。
予想していた内容とは全く違い、高林さんの父親の能の活動に関わるものでした。
もちろんその父親のもとで、高林姉妹がどういう人生を歩んだかも伝わってきます。
かなり衝撃的な話が多く、これを知っていたら、高林さんとの付き合い方も少し変わって来ただろうなと思いました。
この本を濱崎さんに読ませたいと思ったのですが、断られてしまいました。
その理由を高林さんはこう書いてきました。

あの原稿は、50年前に出版社から依頼を受けて書いたのですが、キャンセルになりまして、原稿のままで50年間眠らせていました。
私も今では平均寿命を超えまして、老化現象も一人前で難聴のみならず体力全般、人並みに衰えてきています。それでコロナのお陰で毎日が閑になりましたので、目の黒いうちに形に仕上げようと思い立って、印刷まで漕ぎつけたのでした。読者は実は佐藤様お一人と思っていました。一気にお読み頂いて光栄です。
(中略)
実は、あの元原稿を亡父にはまだ見せていなかったのです。つまり内容に関して亡父の許可が得られていません。(ですから)***界の人には見せたくないのです。このような言い方は可笑しいですが、私が生きている間は叱られそうで恐いのです、お笑いください。消えてからならば構いません。私がこの世から消えました時には、誰がご覧になっても全く構いません。

いかにも高林さんらしい。

その後のやりとりもいろいろあったのですが、彼女の生きた世界を垣間見た感じです。
高林さんはメールの最後にこう書いてきました。

コロナが終息しまして元氣が残っていましたら、湯島で、「他国から攻められても戦争回避=絶対平和を実現する方法」というタイトルのサロンを開いてくださいませんか。2冊目冊子の賛同者を一人でも得たいのが最後の希望です。京都で一人だけ賛同者は現れてくださいました。戦闘機を200機でしたか? アメリカから購入して、何処の国と戦闘するのでしょうか? 生きている間に、日本の首都(湯島)で、絶対戦争反対と表明したいのです。是を夢に、コロナでの逼塞生活を無事に過ごしたいと思っています。

ぜひ実現したいと思っています。

■半年ぶりに生活哲学学会で「事業構想総論」を講義(2020年11月14日)
生活哲学学会主催のプログラムの第3期の講義に久しぶりに参加しました。
テーマは「事業構想総論」。
今回はゲストに、収納カウンセラーの飯田久恵さんとの対談も組み込まれていました。

最初に飯田さんに話をしてもらい、つづいて私と飯田さんの対談。そして私の講義と参加者みんなでの話し合いです。
雰囲気がよそうと全く違っていたのでいささか驚きましたが、まあ楽しく進められました。

コロナのため、zoom参加もありとなっていましたが、これは単に聴講システムがあって、リモート参加者がいたと言うだけの話でした。
またみんなが受け身なのにも驚きました。

あと2回同じタイトルで講義をするのですが、少し工夫しなければいけません。

■仁徳地域商会zoomミーティング「プラットフォームづくり」(2020年11月14日)
山口県のプロボノ活動「仁徳地域商会」プロジェクトのzoomミーティングでした。
今回のテーマは「プラットフォーム」づくりでした。

ちょうどいま私が取り組んでいる我孫子の「まちづくり編集会議」も、プラットフォームづくりなので、事務局の東さんに依頼されて、少しその経過を報告させてもらいました。これまでのNPOやLLPの失敗も含めて、いま進んでいるライブな状況をお伝えしました。
ちなみに、この30年ほど、各地や地元での地域活動に取り組んできて、私自身行き着いたところが、自然と育っていく、いわばオートポイエティックなコモンズ型のプラットフォームなのです。
参考になればいいのですが。

(2020年11月第1週)
■我孫子まちづくり編集会議(2020年11月1日)
■聖母信仰の本間さん(2020年11月1日)
■湯島サロン「〈佐藤さん=ソクラテス〉説をめぐる一考察」(2020年11月1日)
■小畑さんの看取りプロジェクト(2020年11月5日)
■野上さんの生活哲学プロジェクト(2020年11月5日)
■第4回益田サロン「比喩と理解」(2020年11月7日)
■リフォーム工事ほぼ完了(2020年11月7日)

■我孫子まちづくり編集会議(2020年11月1日)
まちづくり編集会議の定例会でした。
わざわざ遠方から吉本さんも参加してくれました。
海津さんの将門話などが紹介されました。
次回は公開イベントを開催する予定ですが、少しずつ輪が広がりだしているのを感じます。

■聖母信仰の本間さん(2020年11月1日)
巡礼者の鈴木さんが、神道を研究されている本間さんを紹介してくれました。
日本の聖母信仰を研究されているそうです。
日本の聖母は、神功皇后だそうです。

■湯島サロン「〈佐藤さん=ソクラテス〉説をめぐる一考察〜そこに人生のヒントが見つかる、かもしれない」(2020年11月1日)
私が話のダシになっているサロンなので、参加者は少ないといいなと思っていたのですが、幸か不幸かかなりの参加者になってしまいました。
しかも若い世代も多く、1歳の娘さんを連れて久しぶりに遠方から参加してくれた人や親子で参加してくれた人など、いつもとはちょっと雰囲気の違うサロンになりました。

鈴木さんは、しっかりしたレジメをつくってきてくれ、そこにはソクラテス関連だけではなく、鈴木さんの豊富な読書メモから引用されたさまざまな言葉が整理されていました。
〈佐藤さん=ソクラテス〉などという枠を外してそれを議論するのがいいと思ったのですが、不本意なことに私がまな板の上に乗せられがちで、本来のテーマの「人生のヒント」の話にはなかなか進まなかったのが残念でした。

そんなわけで、報告も書きづらく、誰かに変わってもらいたいほどですが、私以外の人が書き手になってくれそうもありませんので、仕方なく、鈴木さんの話の内容をはずしての私の感想を報告に代えます。
鈴木さんのお話は、当日のレジメにわかりやすくまとめられていますので、鈴木流「人生のヒント」のレジメを読みたい人は別個にご連絡ください。

以下、記憶に残っていることを少しだけ。いささか禅問答的な報告ですが。
ソクラテスも私も裸足でサンダルということに関連して、私も会社時代はネクタイをしていたと話したら、「なぜ?」と若者から問われてしまいました。当時は何の疑いも持っていなかったのです。服装に限らず、私たちは「社会の常識」によってすでにいろんなことを自粛させられているのかもしれません。みなさんの話を聞いていて、「衣食足って礼節を知る」は真理ではないなと思いました。

親子関係が実に素直な親子が初参加されていて、息子さんの方が激しく親に対する心情を吐露しました。それを聞いていて、ソクラテスの対話や会話の意図がだいぶわかりました。話を飛躍させれば、ソクラテスが従容として毒杯を飲んだ理由もわかるような気がしました。ちなみに、対話はある意味での「越境行為」ですが、それが起こす争いや絆はコインの裏表だなと改めて思いました。

もう一つ感じたのは、人は自分の世界の中でしか他者を見られないということです。
サロンでの鈴木さんの話は、参加者の一人が指摘していましたが、鈴木さんの生き方の話と受け止めても違和感はないのです。他者への批判は往々にして自らへの批判でもあるように、他者への共感は自らへの共感でもあると、改めて思いました。私たちは、他者を通していつも自分に出合っている。ソクラテスもそうだったのだろうなと思いました。

さて報告になったでしょうか。
なっていませんね。すみません。
鈴木さんには申し訳ないのですが、まあ寛容な鈴木さんは許してくれるでしょう。
しかし、サロンに参加された方たちは、それぞれにいろんな気づきを得たように思います。サロン終了後のみなさんの表情にそれを感じました。
私もまた、私自身の生き方の欠落部分に気づかせてもらいました。
鈴木さんに感謝しています。

さて脱ソクラテスを目指さなければいけません。

■小畑さんの看取りプロジェクト(2020年11月5日)
おおのさんがやっている出版社ヘウレーカのサイトに「自分の物語を閉じる」という連載記事を書いている小畑さんが、久しぶりに湯島に来ました。
https://www.heureka-books.com/toica
先日、私が見送った友人の話を聞きに来たのです。
適切な取材対象かどうかは私にはわかりませんが、さまざまな事例に触れることは小畑さんのような実際の事例をベースに誠実に考えようとされている人には大事なことなのでしょう。
私も、改めて彼のことを思い出しながら、自分の気持ちの整理をする上でもありがたいことです。
話ながらまた彼のことを思い出しました。
彼はもう向うで落ち着いているでしょうか。

■野上さんの生活哲学プロジェクト(2020年11月5日)
生活哲学学会の野上さんが、今度の私のセッションのことで打ち合わせにやってきました。
生活学会主催のカリキュラムに最初と最後だけ私も登壇させてもらっているのです。
今回は事務局からの要請で、収納カウンセラーの草分けの飯田久恵さんとの対談を入れるようになっているので、その趣旨などを事務局に確認したかったのですが、結局は私が思うようにやらせてもらうことにしました。
少し準備しないといけません。

■第4回益田サロン「比喩と理解」(2020年11月7日)
細菌学者の益田昭吾さんによる連続サロン4回目のテーマは「比喩と理解」。
益田サロン初参加の方も2人いました。

まずは今回の基本命題「○○は××のようなものである」の話から始まりました。
人は新しい物や事(○○)に出会った時に、これまでの自らの生活体験の中で出会った物や事(××)を拠り所にして、その新しい物や事を理解し、世界を広げていく。
益田さんは、××を「原体験」と表現しましたが、これがとても大切なポイントです。
××は、文字や映像などからの、いわば「記号」的な知識ではなく、自らの体験によって獲得した「リアル」なものでなければならない。それが「理解」のポイントなのです。

話のポイントはこれだけなのですが、これから様々な話に広がりました。
シンパシーとエンパシー。学びと真似び。知識と知恵。近似と対比。y=f(x)と「ような」の違い。そこから近代と複雑系の話。コピペの話も出ました。
万葉集サロンの升田さんも参加していたので、万葉集の話も出ましたし、今度サロンを予定している身体知の話も出ました。

情報社会と言われる現在は、理解されないままに、言葉だけの知識が広がっているだけなのかもしれません。
そこからいろいろなことが見えるような気がします。

私たちは、新しいことに出会った時に、知識として受けとめるのではなく、理解して自分の世界のものにしていくことをもっと心がけないと、どんどん自分の××がなくなってしまい、平板で退屈な社会になってしまっていくような気がします。
コピペの知識で充たされた世界ではなく、生活体験に基づく理解された世界の中でこそ、人は自らの生き方を豊かにしていけるのではないかと思います。

いろいろと考えさせられるサロンでした。
次回の益田さんのサロンは、「予防接種」をテーマにする予定です。

■リフォーム工事ほぼ完了(2020年11月7日)
わが家のリフォームがほぼ完了しました。
ガス工事やインターネット回線の工事がまだですが、ほぼ生活できるようになりました。荷物はまだ片付いていませんが。

この2か月、かなり心身ともに疲れましたが、何とか完成してホッとしています。

(2020年10月第4週)

■吉澤さんに会うと心が洗われます(2020年10月25日)
■吉本さんに会うと人生が気楽になります(2020年10月25日)
■仁徳プロジェクトzoomミーティング(2020年10月28日)
■名戸ヶ谷病院と遠藤クリニック(2020年10月30日)
■将門の居城は我孫子市にあった(2020年10月30日)
■自治会会長を引き受けることにしました(2020年10月31日)

■吉澤さんに会うと心が洗われます(2020年10月25日)
太陽堂封筒社長の吉澤さんと久しぶりにお会いしました。
吉澤さんはドラマティックな人生を送ってきています。
そのためかどうかはわかりませんが、誠実に、そして素直に生きています。
だからお会いするといつも心が洗われます。
誠実に生きている人は、実に気持ちがいいです。

■吉本さんに会うと人生が気楽になります(2020年10月25日)
吉本さんがまた新しいプログラムを始めるというのでお会いしました。
プロジェクトの仲間もおひとり同行されました。
吉本さんは、吉澤さんとは別の意味で誠実に生きています。
いま考えると、いろんな迷惑を受けたこともあるような気もしますが、まあ私もたぶん迷惑をかけているので、お互い様でしょう。
吉本さんに会うと、人生が気楽になりますが、よしもとさんもたぶん同じような思いを持っているので、時々やってくるのでしょう。

■仁徳プロジェクトzoomミーティング(2020年10月28日)
山口県の東さんのお誘いで、いまやまぐちプロボノ推進コンソーシアムが勧めているプロボノ活動に参加していますが、そのzoomミーティングに参加しました。
今回は、東さんが設定した仁徳地域商会プロジェクトのミニミーティングでした。
仁徳地域商会は地域のオープンプラットフォームづくりを目指しています。
コロナの関係で、まだ実地に行っていませんが、仁徳地域は自然豊かな素晴らしいところのようです。

■名戸ヶ谷病院と遠藤クリニック(2020年10月30日)
今日は久しぶりに「病院の日」でした。
午前中は脳神経外科で検査、午後は高血圧でいつもお世話になっている遠藤クリニックです。
病院ではたっぷり時間があったので、ダニエル・デフォーの「新訳ペスト」を読みました。
昨夜、半分くらい読んでいたので読み終えましたが、1665年のロンドンがいまの日本とさほど変わらないような印象に驚きました。
ただロンドンに住んでいた庶民たちは、いまの日本人よりも誠実な生き方をしていたようです。ペストが猛威をふるう中で、パンの値段は上がらなかったそうです。
また「災害ユートピア」的な状況も(もちろんその反対の状況もですが)生まれていたようで、なにやらとてもうれしい気がしました。
しかし人間は、やはりどんどん劣化しているようです。
今回の新型コロナ騒動は、神のお仕置きかもしれません。

病院で「ペスト」の本を読むのもいかがなものかとは思いますが、でもなんとなくその気になれて読みやすかったです。

検査結果はまあ悪化はしていないようですが、相変わらず水分が不足していると言われました。かなり飲んでいるつもりですが。

お医者さんめぐりの合間は、「仮称将門プロジェクト」でちょっと打ち合わせをもちました。
これに関してはまた別途書き込みますが、みんな思いがさまざまなので、プロジェクトづくりは時間がかかります。

その後、遠藤クリニックで血圧の薬をもらいました。
血圧を測定したら高かったので、薬は飲んでるのとまた言われました。
以前と違い、最近は毎日しっかりと飲んでいます。
今日はすいていたので、何回も測定し直し、5回目で遠藤医師は納得できる数値になったようで、これならいいと言っていつもの薬を出してくれました。
インフルエンザの予防注射はどうすると聞かれましたので、打ちませんと即答しました。
まあこの歳になると、お天道様に一切お任せです。
「ペスト」を書き残したH・Fもまた、神に任せたおかげでペスト禍を生きぬいたのです。
彼はロンドンシティから逃げることなく、住み続けました。
だからいろんな経験も出来たのです。

帰宅してこの書き込みをしていたら来客がありました。
孫がハロウィンでなにやら仮装してやってきました。
なんとかという呪文のような言葉に応じて、用意していたお菓子とお土産を渡しましたが、どうもこういう「カタカナイベント」は好きにはなれません。
だから孫にはあまり好かれないわけです。困ったものです。

■将門の居城は我孫子市にあった(2020年10月30日)
先日、我孫子市の湖北の戸田さんのところにお伺いして、将門居城我孫子説をお聞きしてきましたが、戸田さんを紹介してくれた海津さんがアレンジして、関心を持つ人たちのミニミーティングを開いてくれました。
戸田さんに加えて、我孫子の文化を考える会の顧問をされている越川さん、そして林さんも参加されました。
これからどう進めていくかを話し合いましたが、次回のまちづくり編集介護の集まりで、海津さんから話をしてもらうことになりました。
我孫子の和菓子屋の「福一」さんが、将門がらみの和菓子の思索をしてくれて、それも持ってきてくれました。

■自治会会長を引き受けることにしました(2020年10月31日)
今日は3組の人と会う予定ですが、最初は自治会の関係の相談です。
わが家で会うことになりました。
さすがに倉庫状態ではまずいので、せめて座れる場所をつくろうと娘に手伝ってもらって、少しだけ空間をあけました。

来年は私たちの班に自治会の会長役がまわってきます。
問題はだれが会長役を受け持つかです。
コロナの関係で、みんなで集まることも難しく、zoomミーティングをしようかという提案もあったのですが、結局、回覧板で希望をとることになりました。
残念ながら会長役に手を挙げる人はいませんでした。
さてどうするか。それが今日の課題です。

私は以前、会長を引き受けたことがあるので、現在の班長から相談を受けているわけです。
肝心の用件は5分もかからずに終わり、その後は、雑談です。
現在の班長は今年から新潟に単身赴任しているので、滅多にお会いできません。
いい機会なので、少しお話しさせてもらいました。

隣近所の人たちと話す機会は、女性の場合と違って、男性たちにはなかなかありません。
自治会の役割を見直していくのもいいかもしれません。
私は任期途中で高齢のため死んでしまうかもしれないので、副会長役がいいのかなと思っています。

(2020年10月第3週)
■2階のリフォームがほぼ完了しました(2020年10月22日)
■土曜サロン「最近の政治に思うこと」(2020年10月24日)

■2階のリフォームがほぼ完了しました(2020年10月22日)
今週は家の改装の対応で大変でした。
しかしようやく2階の改装はほぼ完成し、21日から入浴も2階に移しました。
ガス工事が本管からの手直しが必要になり、道路工事をしなければいけなくなったので、応急措置のため、調理はまだ1階を使っているので食事は1階ですが、それ以外の生活はほぼ2階に移しました。
しかし、その2階は相変わらず倉庫状況です。
なかなか落ち着きません。

■土曜サロン「最近の政治に思うこと〜何かできることはないだろうか」(2020年10月24日)
バタバタしてしまっていて、報告が遅れてしまいましたが、10月24日開催の「最近の政治に思うこと〜何かできることはないだろうか」には女性3人を含む13人が参加しました。サロン初参加の方もいました。

予定の時間を越えて、3時間、かなり熱い議論が交わされましたが、肝心の「何かできることはないだろうか」の議論はなかなか深まりませんでした。学術会議任命拒否の話は、自分の生活からはまだ遠いと感じていて、火の粉が自分につながっていると実感している度合いはさほど強くなく、実際の行動にまではまだ至っていないようです。
案内文に書いたニーメラーの後悔が繰り返されなければいいなと改めて思います。

しかし、みんなまったく無縁だとは思っていないことは明らかです。それはわざわざサロンに参加したことからもうかがえます。
最後に、参加していた女性から、自分はいまこういう活動をしているという具体的な話がありました。具体的な明言はありませんでしたが、同様に自分でできることにいろいろと取り組んでいることを感じさせる発言は、他の人からも話し合いの途中でいくつかあったような気がします。

話し合いは、学術会議任命拒否だけではなく、さまざまな話題に飛びました。
いろいろな問題が、「茶色の朝」に向かっていることがだんだん見えてきたような気がしますが、まだ観察的な論評が多く、私は不安がますます高まりました。
今回初めて参加された方は、国政への失望感から生活拠点での地域活動に目を向けるようになったと話されましたが、そういう動きも増えているのかもしれません。しかし、「政治」への「あきらめ」や「逃走」が広がっているとしたら、それこそまさに茶色の政治が始まっていることでもあります。
私にとっては、その恐怖は、コロナ禍などの比ではありません。

最近の政治は、曖昧なままに(あるいは事実がきちんと説明されないままに)どんどん進んで行ってしまうことが不安だという発言もありました。これも多くの人が感じていることかもしれません。

ニーメラーに災難をもたらしたドイツナチスは、わずか4年で市民社会を独裁管理社会に変えてしまったと言われていますが、実はそこに至る土壌は、市民(国民)たちが10数年かけてつくってきたとも言われます。
政治不信と社会の分断、そしてその根底にある経済格差をみんなが知りながらも、ぼやくだけで、見逃していたのです。
何やら最近のコロナ禍社会そのもののような気がして、気持ちが悪いです。

3時間、いろんなことを話し合いましたが、ガス抜きで終わらなければいいのですが。
これからも注意深く、いろんな動きを見ていきたいと思います。
そして小さくてもいいので、何かできることに取組んでいきたいです。
ぜひまた「茶色の朝」サロンを継続して開催していこうと思います。

(2020年10月第2週)
■仲直りプロジェクト(2020年10月11日)
■浅草ふくまる旅館(2020年10月13日)
■魚沼産の新米と敦賀の栗(2020年10月13日)
■改装が進んで、いよいよ居場所がなくなってきました(2020年10月15日)
■第10回万葉集サロン「忘れられてゆく神々」(2020年10月17日)

■仲直りプロジェクト(2020年10月11日)
ストーリーテリング協会の吉本さんがまた「仲直りプロジェクト」の相談に来ました。
今度は地道に動き出すので、若干の支援を頼まれました。
吉本さんには振り回されますが、何故かどこかで共感してしまうところがあります。
どこかで深くつながってしまうのです。
困ったものです。

■浅草ふくまる旅館(2020年10月13日)
ブログには何回か書いていますが、最近、テレビドラマの「浅草ふくまる旅館」シリーズにはまっていました。
今日はその最終回を観ました。
涙が止まりませんでした。
同時に私が目指している生き方を改めて確認できました。
私にはまだほど遠いものですが、このドラマの主人公、福丸大吉は私には理想の人物です。
彼を支えるのは、広い意味での家族です。
ここにコミュニティの本質を感じます。
録画して残しておけばよかったと後悔しています。

■魚沼産の新米と敦賀の栗(2020年10月13日)
新潟の金田さんが、今年も魚沼産の新米を送ってきてくれました。
早速電話しましたが、お元気そうでした。
敦賀からは栗が送られてきました。
娘の大好物で、最近は毎日栗を食べていますが、敦賀の栗で栗ご飯をつくってくれました。
しかし栗が多すぎて、なんだか昔の代用食のようでした。

いろんな人がいろんなものを送ってきてくれます。
ありがたいことです。

■改装が進んで、いよいよ居場所がなくなってきました(2020年10月15日)
2階の改装がほぼ終わりましたが、まだ最後の仕上げができていないので、荷物をもっていけません。そして今日から1階の改装が始まりました。
いよいよ居場所がなくなってきました。
寝室にあった家具も結局、廃棄するしかありません。
何やらさびしい気もしますが、生活空間が激減するのですから仕方がありません。
愛着があるために、いろんなものをなかなか捨てられずにいます。

■第10回万葉集サロン「忘れられてゆく神々」(2020年10月17日)
万葉集サロンも佳境に入ってきましたが、今回はこれまでのまとめも兼ねて、「〈た〉から覚醒する〈わ〉。そして〈な〉へ」という、「個」の人間の誕生への物語を、たくさんの歌から読み解いてくれました。併せて、「歌」の本源と基層も話題になりました。
いつも以上に升田さんの話には熱が入り、2時間をほとんど話しっぱなしでした。
まあ時々質疑も入りましたが、次から次へといろんな歌が、大きな物語に沿って紹介されて、ついていくのが大変でしたが、いつも以上に勝手に世界を広げて楽しませてもらえました。

升田さんの万葉集サロンは、ただ万葉の歌を読むだけではなく、万葉の歌から日本列島に住んでいた人たちが、「人間」として覚醒していくさまを考えようという大きなテーマが根底にあります。そのテーマがいよいよ深まってきて、私には内容を要約するのが難しくなってきました。それで今回は配布された資料の目次に沿って、項目だけを紹介しておきます。

前半は、「忘れられてゆく神々」と題して、神の領域から人の領域へと歌(人々の生き方)が変わってきたことを、東歌を中心に読んでくれました。
まずは「恋」の歌、そこではさまざまな「恋の様相」が示されました。
つづいて、恋は「あこがれ」に移り、「人妻」が歌われ、そこから次第に物語の要素が加わってくる。労働歌から物語歌へと深まり、そこから「崩」「奥」「時」がテーマとなり、「戯」から「主情」がテーマになっていく。つづけて、旅や自然を詠んだ黒人や赤人の歌が紹介されました。
こう書くとなんのことやらわからないかもしれませんが、それぞれにいくつかの歌を読みながら解題してくれました。

後半では、それにつながるかたちで、神の領域について、万葉集から離れて、記紀や風土記、祝詞を題材に、「言のはじめ」「人は草もの」「ものいふものたち」を解説してくれ、万葉集の歌の理解を豊かにしてくれました。万葉の時代を少し垣間見るだけで、歌は生命を蘇らせます。現代のセンスで読んでも、なかなか伝わってこない。
つづいて資料では、「神々の恋」と「呪言の力」という見出しで出雲風土記や大祓詞が取り上げられていましたが、残念ながら今回は時間切れでした。

2時間の熱い話のあと、さらに1時間の質疑や話し合いがありました。
〈た〉と〈わ〉、そして〈な〉に関しても、話題になりましたが、まとめになるにはちょっと時間不足だったので、升田さんに頼んで改めての「まとめサロン」をやってもらえればと思っています。

私自身は、升田さんの話には必ずしもついていけずに、いつものように落ちこぼれ気味でしたが、考えを広げる示唆に富むサロンでした。
特に、万葉のその昔には、草や岩も話していたこと、それが文字を使うようになって、状況が変わってしまったというような話は、そこから想像が無限に広がりだすほどの魅力を感じました。
それに関して、イリアスやバベルの塔や無文字社会の話題も少し出ましたが、東歌は一体だれが詠んだのか、という参加者からの問いかけは、改めて新鮮でした。
神の歌を草や岩も発していたが、人間が文字を発明して、神の言葉を人の言葉に置き換えてしまったと考えると、世界は全く違って見えてくるような気がします。
どうも万葉集から逸脱してしまいそうですが、改めて万葉集の魅力に気づかされたサロンでした。昨夜は少し興奮気味で、眠れませんでした。



(2020年10月第1週)
■『手賀沼でやりたいことプレゼン大会(仮)』(2020年10月4日)
■平将門の居城は我孫子市の湖北にあった!!(2020年10月5日)
■林さんと上村さん(2020年10月10日)
■連続サロン「コロナ禍で何が変わったか、コロナ禍をどう活かすか」(2020年10月10日〜11日)

■『手賀沼でやりたいことプレゼン大会(仮)』(2020年10月4日)
我孫子まちづくり編集会議は、地域社会を楽しくしたいと思っている人たちがお互いに支援しながら、新しい物語を生みだしていくオープン・プラットフォームづくりを目指していますが、今回、『手賀沼でやりたいことプレゼン大会(仮)』のテスト開催を開催しました。
場所は水の館の会議室。

これまでいろいろと話をしてきましたが、ともかく「議論」より「実践」ということになりました。それがタイトルの「大会(仮)のテスト開催」という表現になっています。
告知も“WE LOVE ABIKO”というフェイスブック・コミュニティに案内を投稿しただけで、まずはメンバー中心で小さくはじめ、体験知をシェアしながら活動の進め方も模索していこうということになったのです。
幸いに、“WE LOVE ABIKO”を通して知ってくださった方も含め、総勢14人の集まりになりました。10代の方の参加も2人ありました。

最初に会の趣旨などを説明した後、参加者の自己紹介、つづいて、手賀沼を舞台に『私がやりたいこと』を2人の人から発表してもらいました。
今回は、これまで話し合ってきた「手賀沼台船祭り」プロジェクトと「人をつなぐペーパーメディア」プロジェクトで、発表後、参加者それぞれが興味を持ったプロジェクトを選んで、グループ・ディスカッションを行いました。
何の働きかけもしなかったのですが、みごとに同じ人数に分かれました。
グループごとに話し合った後、それぞれからどんな話があったかを紹介してもらい、それを踏まえて全員で話し合いました。
結論的には、いずれの提案も仲間が増えて、具体的に前に動き出すことになりました。

最後に、こういう活動をこれからどう進めていったらいいかも話し合いました。
初めて参加してくださった方から、こういうスタイルの集まりを定期的に開催したらどうかとの提案もあり、早速、11月に第2回目の「テスト開催」を開催することになりました。
発表プロジェクトはまだ決まっていませんが、もしこれをお読みになって、自分も提案したいという方がいたらご連絡ください。ちょっとしたアイデアでも、思いを参加者に呼びかければ、みんなが「思い」を「かたち」にしてくれるかもしれません。そういうプラットフォームを目指したいと思っています。

我孫子まちづくり編集会議は、これから毎月、2回程度の開催を予定しています。
ちなみに、いまは「我孫子」とタイトルしていますが、地域は我孫子市に限ってはいません。柏や白井のメンバーもいますし、昨日は東京からの参加もありました。
とてもゆるやかな、楽しい集まりですので、ご関心のある方は気楽にご参加ください。
みんなが主役になって、そしてお互いにできることを引き受けながら、自分の住んでいる地域を楽しくしていく、そんな「みんなの支え合うつながり」を育てていければと思っています。

■平将門の居城は我孫子市の湖北にあった!!(2020年10月5日)
我孫子市の湖北に住んでいる戸田七支さん(我孫子市の文化を守る会会員)は、平将門の居城は我孫子市の湖北にあったと主張しています。
戸田さんは、『将門記』にその根拠を見つけているのですが、残念ながらいわゆる「状況証拠」はあるのですが、「物証」が確認できていません。
湖北には将門神社や将門の井戸などもあって、おそらくその気になれば物証も見つけられるかもしれません。しかし、いまのところ、戸田さんの主張はなかなか広がっていません。

我孫子の市議の海津さんから、その話を聞いていたのですが、海津さんとまちづくり編集会議の櫻井さんが戸田さんに会いに行くと言うので同行しました。
湖北と言えば、その近くに中里薬師堂というのがあって、そこに残されていた十二神将像を今年初め見せてもらって感激したことがあります。どうもそれともつながっているようです。
http://cws.c.ooco.jp/action20.htm#0217

櫻井さんの車で連れて行ってもらったのですが、昨年、相馬霊場巡礼で歩いて、30キロ達成直前でダウンしたところの近くでした。
戸田さんの話は魅力的でした。一度、まちづくり編集会議でも話をしてもらおうと思いました。事実を知った人が増えれば、必ず誰かが動き出します。
相馬巡礼も年内にはもう一度チャレンジする予定です。

■林さんと上村さん(2020年10月10日)
林さんと上村さんが湯島に来ました。
上村さんとは林さんの結婚式以来です。
上村さんがどんな活動をしているのか、いろいろとお聞きしました。
お弁当持参できたので、ゆっくりと話せました。
お弁当はとてもおいしかったです。

■連続サロン「コロナ禍で何が変わったか、コロナ禍をどう活かすか」(2020年10月12日〜13日)
2回にわたり、「コロナ禍で何が変わったか、コロナ禍をどう活かすか」を話し合うサロンを開催しました。毎回、10人前後の参加者がありました。連日参加された方も複数いました。
オープンサロン風にやったので、話は発散しましたが、コロナのおかげで改めて見えてきたことなど、それぞれ気付きがあったのではないかと思います。


最初に、私の身辺で起こった変化や私が感じている社会の変化などを具体的にメモして参加者には配布させてもらいました。私の場合、生活はかなり変わりましたが、いまのところ、あんまりいい方向には動いていません。怠惰になり体重も増えてしまいました。
社会もおかしい方向に向かっているような気がしますが、しかし、さまざまな問題が明らかになってきて、善い方向に向かう可能性も高まっているような気もします。
いずれにしろ、このコロナ騒動をどう活かしていくかが大切です。
そういう意識で話し合いをしましたが、なにしろサロンなので、合意や結論が出たわけではありません。

初日は、テレワークやzoomミーティングなどの話から仕事の進め方や学校教育、さらには人との付き合い方が話題になりました。
新しいコミュニケーションツールとして、zoomの広がりはほとんどの人が賛成だったと思いますが、あまりにそれが行き過ぎて、人の付き合い方が変わってしまうのではないかという危惧も表明されました。とりわけ子供への影響は心配で、子ども関係の仕事をしている人からは、保育施設などで子どもが抱きにくくなっていることへの危惧が表明されました。これは非常に重要なことではないかと思います。

仕事だけではなく、老舗のお店や日本の伝統的な文化が変化するだけでなく、すたれていくのではないかという危惧がある一方、お茶会の集まりに取り組んでいる人からはむしろそういう要請が増えてきているというような話もありました。
コロナによって人がバラバラになりだしたという人がいる一方で、むしろ気遣い合う動きや人と触れ合う欲求も高まっているようです。

「不要不急」という言葉が広がり、自分の行動を改めて見直すことになったということは多くの人が肯定的だったように思います。そもそも「不要不急」の基準とは何なのかという議論もありました。しかし、いずれにしろ生き方を問い直す契機にはなっているようです。

2日目は、子どもたちが自然と触れ合う場をつくってきた全国の自然学校が、このままだと倒産してしまうのではないかという危惧が出されました。
コロナは人同士が触れ合う場を少なくしているばかりか、自然とのつながりも少なくしている、そして経済基盤の弱い自然学校がもしコロナ騒ぎで倒産したら、それは一時的なものではなくて、みんなで地道に守り育ててきた子どもたちと自然とのつながりの仕組みを失ってしまうおそれがあるというのです。これはあまり議論されていませんが、とても大きな問題だろうと思います。

家で料理することが増えたという指摘もありました。これは食生活を大きく変えていく契機になるかもしれません。いうまでもなく生活スタイルにつながっていきます。
みんなの生活を維持していくうえで不可欠な仕事が「エッセンシャルワーク」と言われ出していますが、人々の生活や社会の維持にとって、大切な仕事とは何かを考え直す機会にできるかもしれません。現在は、不労所得や管理業務のほうが経済的には優遇され、仕事の価値と報酬が反比例しているように思いますが、それが質される契機になるかもしれません。
「不要」な業務が可視化されるといいのですが、そのためには私たちの常識を一度、白紙にする必要があるように思います。コロナ騒ぎが、私たちの「常識」を強化したのか、揺るがせているのかは、判断が分かれると思いますが。

10万円の生活給付金やGo Toキャンペーンでの金銭給付が社会の今後に与えた影響は大きいと思います。良い面と悪い面があると思いますが、この議論は今回あまり深堀できませんでしたが、できるだけ早くやりたいテーマです。問題提起したい人がいたらご連絡ください。すぐセットします。

1日目も問題になりましたが、やはり一番悲しいのは、コロナウイルスに感染した人が非難される風潮です。感染した人が謝罪するというようなおかしなことが起きている。病気になるのが犯罪のような意識さえある。感染者を出した施設が嫌がらせを受け、関係者(看護師や介護士や医師)の家族まで忌避される。実に貧しい社会になってしまいました。
過剰な不安感が広がり、疑心暗鬼が横行し、なぜかみんなマスクをしている社会はどう考えてもおかしいですが、ほとんどの人がそれを受け入れてしまっている。
その意味をもっとみんな真剣に考えてほしいと思いますが、今回はその入り口でとまったような気がします。

(2020年9月第5週)

■湯島サロン「歴史の分岐点になる米大統領選の読み方」(2020年9月27日)
■リフォーム後の家具探し(2020年9月28日)
■久しぶりの畑(2020年9月30日)
■第3回益田サロン「免疫の話」(2020年10月3日)

■湯島サロン「歴史の分岐点になる米大統領選の読み方」(2020年9月27日)
今春開催した中嶋一統さんの「陰謀論」を切り口にした現代を読み解くサロンの続編です。今回は特に、11月の米国大統領選の行方とその後をテーマに中嶋さんに話してもらいました。参加者が少なかったおかげで参加者の個々の関心にも焦点を当てながら話しあえるサロンになりました。

最初の話題は参加者からの問いかけでした。
最近発生した韓国政府職員の射殺・火葬事件に関して、北朝鮮の金正恩が韓国に謝罪したことの背景には何があるのか、という問いかけでした。
中嶋さんは今回、その話題は予定されてはいなかったのですが、「この世のすべてのものはつながっている」というのが陰謀論の基本原則ですから、当然のように話は盛り上がりました。
その話題が一段落した後で、これまでの陰謀論サロンでの中嶋さんの予測通りに世界が動いていることを確認したうえで、米国大統領選の話題になりました。
もっとも大統領選の結果を占うことが目的ではなく、そこに象徴されている世界の大きな流れを整理する仮説軸を得ることで、よくわからない世界の複雑な事象をつなげていって自分の世界観を仮設する示唆を得るのが今回のサロンの主旨です。

中嶋さんの解説によると、世界はDS(ディープステート)陣営とそれに抗って流れを変えようとしている力(アンチDS)との対立構造の中で動いています。
ディープステート論は最近は「世界陰謀論」と結びつけられていますが、現実には表面的な政府と実質的な政府という意味での現実的な捉え方で、たとえば最近の日本でも鳩山内閣の時にそれが明確に見えてしまったことがあります。
今回のテーマである米国大統領選に関していえば、その根底にあるのは、DSとそれに抗うトランプ陣営の覇権争いということになります。

中嶋さんはそれを世界陰謀論のみならず、新型コロナウイルス感染症につなげて考えています。新型コロナを人為的に流行させたという陰謀の真偽はともかく、現実の事象を活かして世界を動かすというのは「政治」そのものの話ですから、程度の差はあれ、そこに「意図」が働くことは否定できません。それを「陰謀」と呼ぶかどうかは別として。
日本の柳条湖事件や米国のトンキン湾事件のように、時間が経過して露呈された陰謀の例は少なくありません。すべてが明々白々にならない世界の動きには、内容はともかく、何らかの「陰謀」は存在します。明白になった事実(与えられた事実情報)だけで世界は構成されているわけではないからです。しかし、○か×かの二択で判断することに慣れている人たちは、肯定か否定かはともかく、ほとんどが陰謀論の呪縛に囚われているような気がします。私には〇派も×派も同じように思えます。
いずれにしろ、そうした「陰謀」の真偽は、それこそ藪の中ですが、頭から否定するか、信じ込むかのいずれもが、「陰謀論」の罠にはまったことになるでしょう。

今回、中嶋さんは、陰謀論の枠組みを踏まえて米国大統領選はアンチDSのトランプが当選し、そこから「新しい歴史」が始まりだすと大胆に予測しました。現在の「パンデミック計画」にはDSの意図が働いていて、それが失敗するという予測からの結論です。
新しい歴史とは、たとえば、「9.11事件の真実」や「新型コロナにまつわる意図的な操作」が明らかにされ、その結果、世界の通貨と金融機構の革新が進み、DSの戦略とは違った新たな地球再生計画に取り組む動きが出てくるというビジョンです。
DSかアンチDSかはともかく、結局は「新しい世界」も管理された世界で、私のような生活者には「相変わらずの世界」のように思えて、あんまり希望は持てませんが。

ここまでくると、いささか世界陰謀論の術中にはまってしまっているような気がしますが、思考を柔軟にする頭の体操という意味で、また話を楽しみ会話を広げるという意味でも、刺激的で、サロンはますます盛り上がりました。

陰謀論は疑いを出発点としています。マスコミ情報や政府情報だけで世界を見るのではなく、懐疑的に情報をとらえ、視野を広げるという意味があります。しかし、陰謀論は、わかりにくい現実をわかりやすい物語に置き換え、世界を理解した気にさせてしまい、逆に思考を狭めてしまう恐れもあります。両刃の剣と言っていいでしょう。
そこに、湯島のサロンで「陰謀論」をテーマにする意味を感じていますが、なかなかそういう方向に議論は向かいません。すでにみんな「陰謀論」に巻き込まれてしまっているのかもしれません。
さてさて、このシリーズはどう展開するか。今回のサロン参加者からは、米国大統領選後にもう一度やってほしいという声がありましたが。

ちなみに今回参加された一人の方は、最近仕事が忙しくて睡眠不足だと言って、サロンの間、ずっとソファで寝ていました。こういうサロン参加の仕方もあることを思い出しました。話し合っている横で誰かが寝ている。ちょっといいですね。

■リフォーム後の家具探し(2020年9月28日)
リフォーム工事も始まってからほぼ1か月たち、そろそろ改装後の家具やエアコンなどのことも考えなければいけません。
これまで私はエアコンは使っていませんでしたが、検討しようと思います。
リフォーム会社に頼んでいたのですが、推薦のあった三菱電機の機種を見に行ったら、価格が全然違うのです。
たまたまお店にはメーカーからの派遣社員がいて(ダイキンの中西さん)、その話を聞いていたら代金の方が少し高いですが、俄然いいような気がしてきました。
今度、これまでの買い替えも含めて2台設置するのですが、リフォーム会社を経由せずに自分で家電量販店から購入すれば、その差額で洗濯機などが替えると言うので、そうすることにしました。
ドアフォンもそうすると、その差額でWi-Fiもグレードアップできそうです。
節約しようとすれば、いろいろと方法があるようです。

■久しぶりの畑(2020年9月30日)
久しぶりに畑に行きました。
もう1か月以上、行かなかったような気がしますが、状況を予想すると恐ろしくて行く気が出てこなかったのです。

一応、作業する予定で出かけましたが、予想以上の惨状です。
まず花壇部分と道沿いは琉球朝顔で埋め尽くされていました。
わずかに百日草だけが数本がんばっていましたが、他の花は全滅のようです。

畑の部分は、それ以上に悲惨で、カボチャは広がっていましたが、一つもなっていませんでした。
黄色くなった巨大キュウリがいくつかなっていました。
他の野菜はすべて見当たりません。
花がここでも畑を覆っていました。

作業をする気力を失い、そのまま帰ってきました。
わずかの救いはバッタの子どもに出会ったことです。

さてさてまた本格的な草取りを始めなければいけません。
いささか憂鬱です。
やはり畑は来年はもうやめようと思います。
あこがれの百姓生活は私にはやはり無理のようです。

■第3回益田サロン「免疫の話」(2020年10月3日)


細菌学者の益田さんのサロンの3回目は「免疫の話」でした。
最初に益田さんは、自ら手づくりしたコマをみんなに配り、それを回して、コマに「自己」を感ずるかという、謎かけめいた問いから始めました。
そして破傷風菌の話から、「自己」とは何かを問いかけてきました。

破傷風菌には、毒素を持つものと毒素を持たないものがありますが、毒素を持つ破傷風菌は寄生している生物もろともに死に、その生物の死骸から栄養を得て毒素を持たない破傷風菌を爆発的に増殖させることにより、破傷風菌を守っているのだそうです。
そんな話から、自己とは何か、そして増殖と自己保存の話になりました。
環境が悪化すると自らを保存するために「芽胞」になる戦略から、ウイルスとウイルス粒子の話も出ました。
さらに、臓器移植やアレルギーの話から抗体や免疫寛容の話へと広がり、時に脱線しながらも、自己非自己や免疫、あるいは新型コロナ問題を考える上での示唆がたくさんありました。
私にあまり報告能力がないのが残念です。

話し合いの中では、自然免疫の話や感染しても発症しない人が多いことへの疑問などが出されましたが、発症してこそ「病気」だろうと思っている私としては、陽性者数で議論されている風潮にどうも違和感があります。
その疑問はやはり今回も解けませんでした。

益田さんの話は、今回も新型コロナを考える上でも、さらには私たちの生き方を考える上でも、示唆に富むものでした。
たとえば、増殖と自己保存の問題は、まさに私たちの生き方につながってくるように思います。サロンの翌日、益田さんからもらったメールに、こんなことが書かれていました。ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

生物は増殖することは良いことだというのも怪しいのですが、優秀な遺伝子を遺そうとするのも同様に怪しいのでは。優秀な遺伝子は自分だけで保有したい、ほかには渡したくないというのが本音ではないでしょうか。(中略)ウイルスが、条件が良ければ増殖するというのもおかしいので、むしろ条件が悪いから増殖するという方が正しい、宿主細胞の中で何もしないで存在を続けるのがウイルスにとっては最高のことなのでは。

とても納得できますが、みなさんはいかがでしょうか。
増殖や経済成長が、自己保存への不安から起こっているとしたら、その戦略以外の戦略もあるはずです。これからの社会のあり方や私たちの生き方を考える上での大きなヒントがそこにある。

益田さんは最後に、「新型コロナはお金の天敵かもしれない」というような話をしました。お金中心の世界の増殖を、新型コロナが邪魔しているというのです。
これには異論があります。
私自身は、新型コロナは天敵ではなく、お金の手先のように思えます。お金中心の世界が新型コロナを生みだし、お金中心の世界を増殖させている。金銭信仰や金銭格差は新型コロナでさらに拡大するのではないかと思います。

自己と非自己に関しても、少し議論がありました。私は、自己と非自己という「二項対立」ではなく、むしろ日本古来の「二項同体」という考え方が馴染めるのですが、自己と非自己の付き合い方を根本から考え直すのがいいように思います。

いま話題の新型コロナは、コウモリと平和な関係を保っていたのに、そこから出ざるをえなくなって、自己保存のためにいま、新しい寄生先を探していて人間がその対象のひとつになったといわれていますが、ここからもさまざまな示唆が得られます。

他にも、たとえば、新型コロナウイルスとコミュニケーションできるのかとか、ウイルスは成長や老化をするのかなど、いろんな話題もでました。
参加者が少なかったこともあり、個々のテーマも少し深堀できたのですが、横道も多くて、肝心の免疫の話はちょっと不十分だったので、次回もまた「免疫」がテーマになるかもしれません。

報告の文責は私にあります。不正確な表現があればお許しください。
隔月を目途に益田さんのサロンは継続します。
新型コロナに関心のある人はぜひ参加して、益田さんと直接話してみてください。

(2020年9月第4週)

■我孫子まちづくり編集会議の定例会(2020年9月20日)
■お彼岸の墓参り(2020年9月21日)
■海津さんからの相談(2020年9月22日)
■横手さんの奇襲(2020年9月23日)
■湯島サロン「文化は世界を救えるか」(2020年9月26日)

■我孫子まちづくり編集会議の定例会(2020年9月20日)
我孫子まちづくり編集会議の定例会でした。
今回から横手さんにも声をかけて参加してもらいました。
我孫子も最近、コロナ感染症の陽性者が増えているせいか、テーブルあたりの定員が減員されていて、ミーティングもだんだん難しくなってきました。
ますます集まりが難しくなりそうで、いささか憂鬱です。
今回は遠方からの参加者や新たな参加者もあり、中高生も含めて、話し合いは一歩進められましたが、距離をとらねばいけないミーティングだとなにか盛り上がれません。
次回は10月4日の午後、手賀沼水の館の会議室です。

■お彼岸の墓参り(2020年9月21日)
どうも最近、季節感覚というか時間感覚がおかしくなってきていて、お彼岸だということもうっかり忘れていました。
そこで、今日はお墓参りに行きました。
お昼過ぎだったこともあってか、お墓は閑散としていました。
般若心経を挙げさせてもらいましたが、今日はうまく声に出てきて、最後まで唱えられました。
前回は、思い出せないばかりかろれつまでおかしくなって、病院に行ったのですが。

お墓のある宝蔵寺は、相馬霊場88か所巡礼の84番札所です。
今日はお墓に直行で本堂へのお参りもさぼってしまいましたが、帰り際にお寺の入り口の表札を見て、そこに書かれている「84番札所」に気づき、やり残している札所巡りを思い出しました。
今年はあまりに急に暑くなったために、歩きそこなったのです。

昨年思いついて7月初めに歩き出したのですが、予定では3日目にこのお寺で満行する予定でした。しかし1日目に頑張りすぎて、翌日は歩くどころではなかったのです。
困ったものです。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2019/07/post-0f8cf7.html

「84番札所」という文字を見たら、また急に歩きたくなりました。
最近の体力を考えるといささかの心配はありますし、ユカはやめてよ、と言っていますが、行きたくなるとそう簡単には止められません。
困ったものです。
しかし、いまは家の改造もあり、あんまり勝手な行動はできません。
11月になるまでは待とうと思います。

■海津さんからの相談(2020年9月22日)
市議の海津さんから相談があるというので会いました。
最近の我孫子市役所では職員のミスが数回起こっていて、その一つに国からの補助金の需給金額を過小に申請してしまい、結局、支給されなかったのだそうです。
結局、市長以下、数名の関係者が減俸などの処分を受けてのだそうですが、それで済ませていいのかという相談です。
私自身は、人には間違いがあるのと、ミスはそれなりに起こるものなので、むしろなぜミスが起こったか、どうしたらそういう見巣を今後なくせるか、に焦点を置いて考えるべきだとお話しし、具体的な提案もしました。
まあそういう提案ができるのは海津さんくらいでしょう。
多田海津さんの提案力には、井坂佐藤修の不安がありますので、真意が伝わるかどうかは不安です。
今度の市議会で提案するということになりました。

■横手さんの奇襲(2020年9月23日)
13年間、我孫子市議会を傍聴しつづけている横手さんが、突然わが家にやってきました。
いまわが家は改装中で、倉庫状態なのですが、訪問を受けた以上、迎え入れないわけにはいきません。
それで荷物が山積みのリビングの隅っこで、お話をお聞きしました。

前回、横手さんにお会いした時に、我孫子産米の話に興味を持って、その資料を送ってほしいと言っていたのですが、その資料をわざわざ持参してくれたのです。
しかも関連資料や類似資料も含めて、わざわざ私向けのメモまでつけてです。
その時は直接のお話をお聞きしたのですが、後で資料を読み直しました。
1年間にわたる農家密着取材も含めて、よくまあ調べたと思える内容です。

我孫子産米に私も少し興味を持ちました。
いろいろ問題も多いですが、改めて我孫子は問題が可視化されていないなと痛感しました。
いつか横手さんに発表してもらう場を作ろうと思います。

■湯島サロン「文化は世界を救えるか」(2020年9月26日)
「文化は世界を救えるか」と大上段に構えたサロンは10人を超える参加者がありました。
最初に文化と文明の違いに関する沖さんの考えが紹介され、最後は「我々は文化を再生し世界を救うことができるか」という問いかけがなされました。
この問いかけからわかるように、沖さんはいま世界は「救われなければいけない状況」、つまり危機にさらされている状況にあると考えているわけです。
そしてそれを救うには「失われた文化の再生」にしかないとも考えているようです。
しかし、この問いかけは、同時に「文化は世界を壊す」かもしれない、という懸念を伴っています。

沖さんの文化と文明の捉え方は明確です。
文化は人間が考えて創り出すもの(精神的なものを含む)であり、文明は生活を豊かにする(物資的要求を満たす)ために創りだされるものだというのです。
この定義自体にすでにかなり大きな前提が含まれていますが(たとえば「豊かさ」は物質的な要求と結びつけられています)、それはともかく、「創り出すもの」と「創り出されるもの」という違いがあるというのです。言い換えれば、文化には価値観(あるいは人間の意図)が含まれるが、文明はその価値観を生み出す「下部構造」だというのがどうも沖さんの理解のようです。
さらに、沖さんはテクノロジーと文化を関係を考えます。
そして、ラフカデオ・ハーンの言葉を紹介してくれました。
ラフカデオ・ハーンは、何が人生に希望を抱かせてくれたのかと問い、それは「幽霊」だと書いているそうです。
幽霊には、神も悪魔も天使も含まれそうですが、要は文明開化によって霊的なものを基礎とする世界観が失われた。そして伝統的な文化も失われ、空しく空っぽな「電気と蒸気と数字の世界」になってしまったと言っているそうです。
ここでは文明と文化が対置されています。

そこから「我々は文化を再生し世界を救うことができるか」という話になっていくのですが、沖さんはテクノロジーを超えた文化を創り出すために、自分の価値観を持つ人々が増えなければいけないと言います。
その先は参加者みんなで考えようということで、話し合いに入りました。

文化と文明に関してはその捉え方は人さまざまです。
ですからやはり「文化で世界を救えるか」という問いかけも人それぞれですので、なかなか議論はかみ合いません。
結局、家族の問題とか人のつながりのような、かなり具体的な問題になると話がかみ合いだします。また「企業文化」や「政治文化」にからむ話し合いもかなり盛り上がりました。

私自身は。文化と文明と言葉が似すぎていて、混乱を生みだしているとずっと思っています。
ちなみに「エジプト文明」という言葉はありますが「エジプト文化」とはあまり言いません。「伝統文化」という言葉はありますが「伝統文明」という言葉はない。そこにある意味のヒントがあるような気がします。
「文化」は英語では「カルチャー」。つまり「耕す」という意味があり、「文明」は「シビライゼーション」つまり「都市市民になる」とかいう意味があります。
そこから私は、文化は「する概念」、文明は「なる概念」だと考えています。
そう考えるといろんなことが整理されるように思いますが、これもまたあくまでも一つの考え方でしかありません。

結局、今回のサロンでは「文化は世界を救えるか」という問いかけに対する答えは出ませんでしたが、たぶん問題の立て方に起因しているのです。
「世界を救う文化を目指すために」という問いかけにすれば、いろんな意見が出てきたでしょう。実際に今回のサロンでもそういう視点でのアイデアはいくつかあったような気がします。
この問いかけ自体に、文化と文明の発想の違い、あるいは「する発想」と「なる発想」の違いが示唆されているように思いました。


(2020年9月第3週)
■インターネット放送出演(2020年9月15日)
■薬膳ラーメン(2020年9月19日)
■土曜サロン(2020年9月19日)

■インターネット放送出演(2020年9月15日)
昨日、イイトコサガシの冠地さんから頼まれて、北千住のインターネット放送CROSS WAVE☆SENJに出させてもらいました。
それについては、中澤さんや冠地さんの投稿記事をシェアさせてもらいました。
私は、それに関連した2つの出来事を書いておこうと思います。

生放映直前になって電子機器が作動しなくなり、放送開始が5分遅れてしまいました。
汗をかきながら対応していた担当の方を見ながら、もしかしたら私のせいかもしれないなと内心気になって、自らを鎮めて様子を見ていました。
というのも、その機材に距離的に近い場所に私は座っていたのです。
実は数年前から私の周辺で電子機器が変調することが頻発しています。
パソコンは3台がおかしくなり、デジカメやスマホもおかしくなり、DVDレコーダーは2台がおかしくなっています。壊れたわけではなく、要するに「変調」してしまうのです。
強い電磁波が私から出ているのではないかと友人には笑われていますが、これだけ続くとそんな気にさえなります。
幸いに放映は5分遅れましたが、無事終わりました。

もう一つは久しぶりのシンクロニシティです。
放映終了後、スタジオから通りに出たのですが、そこでぱったりと北千住在住の楠さんに会ったのです。
実は以前、こうした街中で知り合いに会うことは多く、それも東京に限らず大阪や京都でも起こったのですが、しかもひとつ共通点がありました。
すべてではないのですが、何となく気になる別れ方をした人に、しばらくしてどこかで会うことが多かったのです。
今回の楠さんとは別に気になる別れ方をしていたわけではないのですが、1か月ほど前にフェイスブックの私のコメントに、「佐藤さんらしからぬコメントで残念です」と言われて以来、どこが私らしからないのか気になっていたのです。
まあそれだけならともかく、楠さんと別れた後、ある人が相談があるというのでちょっと喫茶店で話したのですが、なんとその相手から最初に出てきた言葉のひとつが「優生思想」だったのです。実は楠さんとのやり取りも、「優生思想」につながっていたのです。
こうしたシンクロニシティはこれまでも時々集中して起こったことがありますが、久しぶりです。少し前に、もしかしたらと思ったことがありましたが、続きませんでした。今回はどうでしょうか。

■薬膳ラーメン麺覇王が店じまいしていました(2020年9月19日)
鈴木さんが夏バテで元気がないと言ってきました。
私も同様なので、では久しぶりに湯島の麺覇王で薬膳ラーメンを食べようということになりました。
ここは霜里農場の金子友子さんから教えてもらったのですが、食べると元気になるのです。
まあ量も多いので完食は結構大変ですが、スープだけキチンと飲めば大丈夫です。
https://www.instagram.com/kinryu_menbawan/?fbclid=IwAR1AH0RlaGcwI_9s7tc9yyAvKM5TUlha5MoE36Q_YXkIUy6spFy79QMkGSY

ところが行ってみるとお店が閉まっています。
休店ではなく、どうももうお店はやっていないようです。
コロナ騒ぎのせいでしょうか。

コロナが流行りだした後も、ここは賑わっていました。
最後に来たのは今年の5月か6月だったと思います。
ここの薬膳ラーメンを食べれば、新型コロナも大丈夫だと思っていた私としては信じがたい話です。
ネットで調べてみました。
どうも店舗賃貸契約が打ち切られ移転を余儀なくされたようです。
移転先はまだ決まっていないようです。

代わりというのも変ですが、すぐ近くに四川中華の蓬渓閣が開店していました。
そこでホイコーロを頼んだのですが、このお店のホイコーロはともかく肉が多くて唐辛子も半端ではなく、元気が出そうでした。
ただ残念ながらやはり私にはヘビーすぎて完食できませんでした。
やはりちょっと疲れているようです。
午後はサロンでしたが、逆に食べ疲れて、元気が出ませんでした、
おかげで午後のサロンはまた延びてしまいました。
終わりましょうという声かけをする元気が出なかったためです。
困ったものです。

■19日の土曜オープンサロン(2020年9月19日)
19日の土曜オープンサロンには、久しぶりに参加者も含めて9人が参加。
オープンサロンなので、話題は各自勝手に展開でしたが、やはり政局がらみとコロナ関連でした。かなり微妙な話題もありましたが。
若い世代の参加者がいなかったこともあって、やはり若い世代の話を聞きたいという声がでました。若い世代の話し手を見つけるのは難しく、なかなか続きません。
どなたか周りにサロンで話してもいいという若者がいたらぜひ誘ってみてください。



(2020年9月第2週)

■我孫子まちづくり編集会議のミーティング(2020年9月6日)
■緊急サロン「安倍首相辞任表明に感じたこと」(2020年9月6日)
■我孫子の市議会を13年傍聴しつづけている横手さん(2020年9月10日)
■土曜オープンサロン(2020年9月12日)

■我孫子まちづくり編集会議のミーティング(2020年9月6日)
我孫子まちづくり編集会議では、11月に公開イベントをやる方向で、準備に入りました。手賀沼を舞台に、住民主役のプロジェクトを起こしていこうという方向で、プログラムを公募し、それをもとに話し合いをしていく継続な活動をスタートさせます。仲間を探しています。これから月に2回程度のミーティングを公開スタイルで開催していきますので、興味のある方は気楽にご参加ください。
次回は9月20日の午前中の予定です。ご連絡いただいた方には場所や時間が確定次第、ご連絡します。
中学生から高齢者まで、幅広い仲間が私たちの特徴の一つです。
また地域も手賀沼周辺という捉え方で、行政区にはこだわっていません。もちろん遠隔者の参加も歓迎です。
フェイスブックのコミュニケーションページもご覧ください。
https://www.facebook.com/groups/202846400516301

■緊急サロン「安倍首相辞任表明に感じたこと」(2020年9月6日)
「安倍首相辞任表明に感じたこと」をテーマに自由に話し合うサロンには12人の参加がありました。女性の参加がなかったのがとても残念でした。

安倍首相が辞任した理由に関しては、病気が理由ではないと思っている人が多かったようです。病気は便利な口実だったというわけです。
突然の辞任のようになっていますが、かなり仕組まれた辞任だったのではないかという意見もありました。
新しい首相に関しても多くの人はもう決まっていると思っているようです。つまり何も変わらないだろうということです。

にもかかわらず、安倍さんが辞めてよかったという人もいました。その人にとっては、安倍首相は悪夢でしかないのでしょう。しかし、日本の国民の多くは、安倍首相に辞めてほしくなかったのでしょう。安倍辞任表明で、安倍政権への評価が一気に高まったのはその証左です。これは安倍首相の後継者には、大きな意味を持っています。

それにしてもこういう世論はどうして生まれたのか。
その関係で、報道関係の話もかなり出ました。そこには世に言うコメンテーターの役割の話もありました。
さらには学校教育の話もだいぶ出ました。経済や金融の話も出ました。
しかし、基本的には多くの人が、安倍政権政治のおこぼれにあずかっているということだろうと私は思います。

話し合いはいろいろと広がりましたし、いろんな発言もありましたが、にもかかわらず、私には何となく「盛り上がり」にかけていたような気がしました。
日本の国民の多くが、安倍政権政治、つまり隠蔽と改竄と世論無視の政治の維持を望んでいることが示され、実際にもその政治が継続される、場合によっては強化されることがほぼ確実になってしまった状況が大きく影響しているのではないかと私かは勝手に思いながら、私自身も元気の出ない話し合いになっているのに気づきました。

本筋とは少し外れるのですが、「家族への愛着」という話が出ました。
最初の発言者は、家族への愛着に否定的でした。では何に「愛着」を持つのか、あるいはもはや「愛着を持つ」ことそのものが失われ出しているのか。
今回は、そこでその話し合いは終わったのですが、いま考えると、ここにこそ大きなヒントがあるのかもしれないと思います。
政治の出発点は「愛着」なのではないか。
「政治と愛着」。
今度、このテーマでサロンをやりたいと思います。

それにしても安倍首相は辞任しても、安倍政権はほとんど総括されることなく、この政治状況を国民の多くは嬉々として受け入れつづける。
参加者の一人が、地震と同じく、どこかで抑えられたエネルギーが大きく反発して、社会は変わるという話をしていましたが、抑えられているのではなく、みんな従順に隷従しているように思えて、私にはあまり期待が持てません。

終わった後、大きな空しさが残ったサロンでした。

■我孫子の市議会を13年傍聴しつづけている横手さん(2020年9月10日)
先日のまちづくり編集会議の時に、偶然に水の館で出会った横手さんと久しぶりに会いました。
横手さんは、地元の我孫子市議会を13年間、傍聴しています。
ただ傍聴しているだけではありません。市議会の運営に問題があれば、汗をかいて調査し、問題提起することもあります。しかも議会に敵対するのではなく、議会をより良いものにするための「応援団」と自認しています。最近もその人の尽力で、ある問題が解決しました。

いまはコロナ騒ぎでなかなか集会を持ちにくいのですが、地元の我孫子でも、湯島でやっているようなサロンを始めたいと思っています。そんな相談も少しさせてもらいました。

■土曜オープンサロン(2020年9月12日)
12日の土曜サロンは、10人が集まりました。
テーマは特になかったのですが、自民党総裁選の話から入り、国家とミツバチの話になり、話はさまざまに広がりそうで広がらない不思議なサロンでした。顔ぶれもいつもとはちょっと違い、それも新鮮でした。
始まるのも早かったですが、終わりはなんと予定よりも1時間半くらいも延びました。
そろそろ終わろうとすると誰かが発言するので、それに抗うパワーがでませんでした。
来週も同じようなオープンサロンです。

(2020年8月第5週)
■自宅改造工事スタート(2020年9月3日)
■妻の命日(2020年9月3日)
■2度目のMRI(2020年9月4日)

■自宅改造工事スタート(2020年9月3日)
自宅の改造工事がスタートしました。
大工さんは高津さん。
毎日8時半から5時までの作業です。
子ども時代は、いまの慈恵大病院のあたりに住んでいたそうです。
ポラスの現場監督の弓削さんなども時々やってきます。

■妻の命日(2020年9月3日)
今日は妻の14回目の命日です。
次女母娘も一緒にお墓参りをし、みんなで夢庵で食事をしました。
工事のスタートに重なったので、ちょっと落ち着かない命日でしたが。

■2度目のMRI(2020年9月4日)
先日の診察から3週間たったので、改めてまた血液検査とMRI検査をしました。
薬のおかげで血液検査結果は良くなっていましたが、MRI結果から血液サラサラ薬は飲むことにしました。
次の検査は2か月後です。

今日は採血でまた一つ教えてもらいました。
血管がへこむという表現を採血してくれた落合さんが使ったので、それは一体何かと質問しました。ていねいに教えてくれましたが、感心したのは、細胞や血管の変化を決して「劣化」とか「老化」と言わずに、私がそう問うと「変化」ですと否定しました。
何でもない話でしょうが、私はその姿勢に感動し、その流れで医師のアドバイスにも素直に従うことにしました。
私たちは、勝手な思い込みで、ある「変化」に価値づけをしてしまいがちです。
注意しなければいけません。

ところで病院に行く前日、また無茶をして手の指を剪定ばさみで切り落としそうになりました。前回の比ではない切り方で、鮮血がまた流れ出ました、
血が止まらないと悪いので、指もとを強くゴムで縛り、切り口を強く抑えて、手を頭の上に延ばして10分、昨日は入浴も控えて、シャワーで済ませました。

血液サラサラ薬を飲むことにしたので、もう少し怪我のないように生きなければいけません。今日も医師から特に頭をぶつけてはいけないと言われました。
粗雑な生き方が少し変わればいいのですが。

(2020年8月第4週)
■湯島サロン「国際労働機関(ILO)と新型コロナウイルス」(2020年8月23日)
■兄夫妻との会食(2020年8月24日)
■我孫子まちづくり編集会議(2020年8月25日)
■柿内さんの思いのコンセプトデザイン(2020年8月29日)
■第2回益田サロン「モノづくりと臨場の知」(2020年8月29日)

■湯島サロン「国際労働機関(ILO)と新型コロナウイルス」(2020年8月23日)
小野坂さんの「国際労働機関(ILO)と新型コロナウイルス」は、さまざまな問題提起が示唆される刺激的なサロンになりました。
小野坂さんのお話の概要は、当日配布された資料にていねいに書かれていますので、関心のある方はご連絡いただければお届けします。ぜひお読みいただければうれしいです。
ここでは、私の関心に沿ったきわめて断片的・主観的な報告にさせてもらいます。

小野坂さんはまず歴史編として、ILOの成り立ちや変遷に関して、簡潔にわかりやすく、しかし具体的な事例も含めながら紹介してくれました。つづいて、現代編に移り、新型コロナウイルスの話題を切り口に国際機関としてのILOの役割や課題を話してくれました。

ILO創設の契機になったのは、はじめての「総力戦」として、「労働者」を動員することになった第一次世界大戦です。その背景にあるのは「労資」の対立と「国民国家システム」の存立の危機です。平和を目指して世界の労働者の労働条件と生活水準の改善こそが世界の永続につながるという理念でつくられたのがILOでした。小野坂さんの話もそこから始まりました。

産業革命によって、「労働」の様相は一変しました。そして児童や女性も、工業的な生産現場に労働力として取り込まれることになりますが、そこからさまざまな問題が発生します。
ILOが最初に取り組んだのは労働条件、とりわけ労働時間の規制です。そして第二次世界大戦後は労働よりも労働者(人権)という視点が強まっていき、さらに21世紀に入り「人間らしい生活」への関心が高まってきます。そうした流れの中で、生活保障や公衆衛生の問題も視野に入ってくるわけです。

しかし改めてILOの通史の話を聞いていると、そこに流れる大きな方向を感じます。
私にはそれが、人々をどんどんと賃金労働者に変えていく流れのように感じました。言い換えれば、金銭資本主義を支えるという役割です。
最後のほうで、小野坂さんは移民や「家事労働者」の話をしてくれましたが、ILOの歴史を見ると対象にする労働者の範囲がどんどんと広がってきている先に、家事労働者があるようにも感じます。
そしてそこにこそ、ILOの限界があるのかもしれません。

小野坂さんは、ILOの役割として「国民国家システムの延命」という話もされました。そもそもILOは労働者代表、使用者(資本家)代表、政府代表という三者構成でガバナンスしていますが、実際には労資(労使)という民間と政府という国家の対立構造が創立当初から埋め込まれていますので、基本にあるのは国家システム基準です。
これに関して、インターナショナルかグローバルかという議論も少しありました。「世界連邦構想」と「国民国家を基本とした国際世界構想」との対比がそこから出てきますが、現在のところ、国家を超えた世界構想は現実味がなくなってきています。国際機関は、国家が使い込むサブシステムになってきていると言ってもいいでしょう。
しかし、小野坂さんは、ILOとNGOの連携や他の国際機関との協働などを引き合いに出しながら、新しい可能性を示唆してくれました。特に私が興味を感じたのは、宗教(サロンでは上海YWCAの活動が紹介されました)の役割が示唆されたことです。
問題は、国際機関をだれがガバナンスするかだと思いますが、小野坂さんは国際機関やNGOが、さまざまな状況変化に合わせて自己変革していく先に、新しい構造を見ているのかもしれません。
いずれにしろ、国際機関とは何なのかという本質的な問いかけを私は感じました。

ILOは、International Labor Organizationの略ですが、レーバー(労働)という表現がどうもなじめないという指摘が参加者からありました。創設当時の世界情勢の中で選ばれた言葉でしょうが、100年を経た今となっては、たしかに活動のシンボルワードとしては問題があるかもしれません。

それに関連して、参加者から「労働(仕事)と生活(くらし)を切り離さないでとらえることが大切」だという指摘がありました。ILOは労働基準と生活基準のいずれをも課題にしていますが、それらをもっと統合的にとらえる必要があるという指摘です。
たしかにそう思いますが、私はそもそも生活(くらし)とは仕事をすることだと考えていますので、「労働(仕事)」と「生活(くらし)」を二元的の捉えること自体に問題の本質があると考えています。二元的に捉えると、たとえば「ワークライフバランス」を考えればわかりますが、両者に目的−手段関係が発生します。ワークとライフを対置するところからは流れを反転させることは難しいでしょう。

国民国家システムを延命するために国際機関を育てていく方向はシステム(制度)を基軸にした発想ですが、その枠を超えて、システムと人間の対立構図で考えると違ったビジョンが見えてきます。労働運動の捉え方も変わってくるでしょう。
小野坂さんの話にも出てきましたが、ILOは労働者とは直接につながるルートもあります。日本でも労組がILOに相談して、国家の労働法を変えていった事例もあります。日本の労働実態に対するILO勧告の報道を記憶している人もあるでしょう。
私自身はそこに新しい世界を垣間見ますが、だからこそILOのガバナンスが気になります。「個人の生活」に起点を置いて考えると新しい風景が見えてくるように思います。

小野坂さんは、現代編として新型コロナウイルス感染症も話題にしてくれましたが、そこで「ソーシャルディスタンス」という言葉に疑問を呈したのが印象的でした。
ILOが現在重視しているテーマに「ディーセントワーク」(人間らしく働く仕事)というテーマがありますが、そこで重視されているのがソーシャルダイアローグ(社会対話)です。
ディスタンスとダイアローグは次元の違う話ですが、私にはとても象徴的なビジョンの違いに思えてなりません。

勝手な報告になってしまい、小野坂さんの主旨からずれてしまったかもしれません。
小野坂さんの話をきちんと読まれたい方は、私宛(qzy00757@nifty.com)に連絡いただければ、小野坂さんのペーパーをお届けします。

最後に私の好きな言葉を紹介させてもらいます。
21世紀初頭にILOの事務局長を務めたファン・ソマビアの言葉です。

個人が尊厳を、
家族が安定を、
社会が平和を求める心の中心にあるのは、
ディーセントワークである。


■兄夫妻との会食(2020年8月24日)
久しぶりに兄夫婦とユカと私で会食しました。
と言っても近くのスシローで私たちがご馳走になっただけですが。
兄夫婦は、それぞれいろいろ持病があって大変ですが、まあ元気です。
近くに住んでいる割にはあまりみんなで会食する機会もありません。
しかしこの歳ですので、いつだれかがいなくなるとも限らない。
そういう意味で、時々、会食するのがいいかもしれません。

■我孫子まちづくり編集会議(2020年8月25日)
我孫子まちづくり編集会議は、コロナで機先を封じられてから失速していますが、時々、火を絶やさないように集まっています。
先週に続いてまた林さんと櫻井さんとでコアミーティングです。
話は盛り上がるのですが、なかなか実行に動き出せません。
今回は市議の海津さんにも来てもらい、具体的な実行への弾みをつけました。
動き出すといいのですが。

■柿内さんの思いのコンセプトデザイン(2020年8月29日)
カイゼンプロジェクトに取り組んでいる柿内さんが、自らの思いを形にしたいといま取り組んでいますが、そのテーマで雑談に来ました。
柿内さんのカイゼンプロジェクトには私は関心を持っていますが、まだなかなかその実体が見えてきません。
いろいろと話し合っているうちに、以前私も取り組んでいた風土改革プロデュース研究会のことを思い出しました。
その話を少しさせてもらいました。
うまく前に進みだすといいのですが。

■第2回益田サロン「モノづくりと臨場の知」(2020年8月29日)
細菌学者の益田昭吾さんによるサロンの2回目のテーマは「モノづくりと臨場の知」。
細菌学や感染症とどうつながるのか、と思った人も多かったと思います。
しかし、病原菌史観?を持つ益田さんにとっては、何の違和感もないのです。

益田さんは、新聞の折り込みチラシや牛乳パックなど、廃棄される紙を材料にして、さまざまな手作り作品を創っています。
今回は、その作品をたくさん持ってきてくれ、まずは参加者で遊んでもらったり、その構造を知ってもらうために壊してもらったりしながら、その過程で気づかされる知を踏まえて、自らが得た「臨場の知」の話をしてくれました。

最初に取り組まされたのは「メビウスの輪」をつかっての簡単な課題でしたが、それが簡単のようでなかなか難しい。
ともかくやってみることで、解決策を言葉で説明することのむずかしさを思い知らせてくれました。逆に言えば、言葉でいくらていねいに説明されても、なかなか正解にはたどり着けない。それを身をもって体験させてくれたわけです。
体験するには、興味をもたなければいけません。紙で作ったコマを見て、それを自分で作りたいと思うかと問われたので、私は作りたくないと正直に答えたら、もうその時点で臨場の知への道が閉ざされると叱られました。
そして作る気がないのなら、コマを壊してみたらと勧められました。幸いに私は壊すことは大好きなので、壊しましたが、そのおかげでコマの構造やなぜうまく回るのかを考えるヒントが得られました。

次に手づくりぶんぶんゴマです。うまく回らない人が多かったのですが、どうしたら回るようになるかを、体験させてくれました。益田さんが持参したぶんぶんゴマは一見完成されたようでしたが、実は未完成のものでした。益田さん自身がいろいろと試してみて、行き着いた過程をミニ体験させてくれました。
まあそんな風にして、いろんな話をしてくれました。紙とんぼも面白かったです。

それに合わせて、母性と父性、常在性と病原性、保守と革新などの話が出てきて、病原体や感染症にもつながっていきました。
お金や生産性の話も出てきましたが、臨場の知と言語の知とがなかなかつながらず、ちょっと私には消化不良でしたが、逆に言えば、臨場の知と言語の知の対話のむずかしさを教えられた気がします。

最近の子どもたちの遊びの話も出ましたが、電子ゲームなどの広がりで、手づくりおもちゃで遊ぶという臨場の知を育てる場がなくなってきたなかで、益田さんの手づくりおもちゃの効用は大きいと思いました。
益田さんは、昨年までは手づくりおもちゃのワークショップもしていたそうですが、コロナ騒ぎでやめになっているそうです。
もしどなたか子どもたちを対象にしたそうしたワークショップをやりたい方がいたら、ぜひ益田さんに声をかけてください。大人でももちろんいいですが。

最後に最近のコロナ感染症に関する話もちょっと出ました。新型コロナも、生き残るためには常在菌化するだろうという話が私にはとても印象的でした。彼らも一生懸命に生きようとしていることをもっと理解したいと改めて思いました。

なお湯島には益田さんのつくった手づくりおもちゃがありますので、関心のある人は湯島に来た時に言ってくだされば、差し上げます。おもちゃ作りワークショップをご希望の方はいつでも益田さんをご紹介します。まあ受けてくれるかどうかは、保証できませんが。

(2020年8月第3週)
■湯島サロン「21歳の私が今考えていること」(2020年8月16日)
■送り火(2020年8月16日)
■リフォーム最終打ち合わせ(2020年8月17日)
■我孫子まちづくり編集会議事務局ミーティング(2020年8月19日)
■サプリメント(2020年8月21日)

■湯島サロン「21歳の私が今考えていること」(2020年8月16日)
「若者からのメッセージ」サロンの2回目は21歳の安藤令奈さんにお願いしました。
彼女からのメッセージタイトルは、「共創の渦を興し、地域からよりよい社会へ ?コミュニティについて考える?」。
そのためにまず彼女が仲間と取り組んでいるのが、人々が「人間らしく」生きる「間」(メディア)の創出です。
参加者には事前に安藤さんからのメッセージを読んでもらっていましたが、最初に安藤さんから改めてそのエッセンスを話してもらいました。

愛媛で育った安藤さんは、東京に憧れて、東京の大学に入学。しかし、人や情報、ものが溢れている東京での大学生活に疲労や挫折を感じて、米国に留学。そこで、改めて自らを取り戻すとともに、故郷の良さに改めて気がついたといいます。
そして、改めて「人間らしさ」とは何か、人が生きるコミュニティとは何か、に関心が向かい、自分のミッションを考えながら実践に取り組みだしています。
そして、いま取り組んでいることを具体的に紹介しながら、安藤さんがいま大事にしていることや考えを参加者と対話しながら話してくれました。

たとえば、地方と学生をクリエイティブに活かす「間」(メディア)の創出が、安藤さんがいま取り組んでいる活動のひとつですが、これまでのような同質の世界でのバラバラの活動ではなく、異質な世界をつないでいく「間」に安藤さんは注目しています。
「間」は、人と人、人と自然、あるいは過去と未来を関係づけながら、豊かな価値を創発させていくものであり、単なる「つながり」とは違ってもっとダイナミズムを持ったものをイメージしているようです。

参加していた同世代の若者が、「間」という概念には、「つながり」とは違うものを感ずると話してくれましたが、たしかに「つながり」には「絆」ほどではないですが、拘束性や保守性が感じられます。
一時期話題になった複雑性の科学では、関係が生みだすダイナミズムが新しい世界観を生みだしましたが、「間」にはそういう創造性や発展性が込められています。

また、安藤さんは、「間」を「メディア」とも言い換えていますが、安藤さんが目指すメディアは、情報の伝達ではなく、情報の創発に意味を与えているようにも感じました。一時期流行したマクルーハンの「メディアはメッセージ」よりも「メディアはマッサージ」に力点が置かれているようにも感じました。

コミュニティやメディアに関する発言を聞いていて、世代によって捉え方が違うことも感じましたが、同時に若い世代はどうしても既存の言葉(概念)を使うので、言葉に毒されてしまう危険性も感じました。

安藤さんのメッセージは多くの参加者には好意的に受け取られたようです。
若い世代が話すサロンへの参加者がいつも多いのも興味のある事実ですが、世代を超えて「生き方」を話し合う「場」がもっと増えていくといいなと今回も思いました。
しかし、前回もそうでしたが、世代を超えた話し合いはそう簡単ではないこともまた、実感しました。

■送り火(2020年8月16日)
サロンが終わって帰宅してから、ユカと2人でお墓に送り火しました。
今回はせっかくの帰宅にもかかわらず節子には何もできませんでした。

■リフォーム最終打ち合わせ(2020年8月17日)
いよいよ来月から自宅のリフォーム工事が始まります。
今日は現場監督の方も含めて最後の打ち合わせでした。

■我孫子まちづくり編集会議事務局ミーティング(2020年8月19日)
林さんと櫻井さんとでこれからの進め方の話し合いをしました。
この3人で話していると夢は広がりますが、実際に誰が動くのかということになるとどうも弱いのです。
まあできるだけ継続的に集まって少しずつ前に進めるしかありません。

■サプリメント(2020年8月21日)
私の血液サラサラ薬服用の話がどんどん尾ひれがついて、私が危ういような状況になっていると思っている人もいるようです。
ヒーラーでもある内藤さんはわざわざ4種類のサプリを送ってきました。いずれもドイツ製だそうですが、とりあえず一種類を飲ませてもらうことにしました。
これでもう元気になるでしょう。

(2020年8月第2週)
■友人との最後の会話(2020年8月10日)
■友人の死(2020年8月11日)
■友人の葬儀(2020年8月13日)
■迎え火での異変(2020年8月13日)
■脳外科での検査(2020年8月14日)
■薬サラサラ薬騒ぎ(2020年8月14日)
■第9回万葉集サロン「歌から会話へ 東歌を中心にその2」(2020年8月15日)

■友人との最後の会話(2020年8月10日)
癌で余命宣告を受けた友人が自宅療養をはじめ、医師とも連絡を取り合っての体制作りをしていましたが、ようやく在宅での体制ができあがりました。長年、交流のなかった妹さんとの交流も復活し、私としては一安心です。
それで今日は自宅にお見舞いにいきました。
妹家族との話し合いなどで、2回も延期させられていたのですが、彼も先が見えてホッとしたようです。
それでこれまでもケアしてくれていた升田さん姉妹にもお願いして、みんなで彼の家を訪問しました。
30分ほど、彼とゆっくり話しました。
彼は思っていたことをみんな私に話せたようで、最後は笑顔になりました。
後半は升田さんも同席し、3人でいろいろと話しました。
1時間以上話しましたが、いい時間でした。
在宅往診の仕組みもほぼ完成して、もう大丈夫でしょう。
彼は幸せそうな顔をしてねむったので、ちょっと安心した気分になれました。

終わった後、升田姉妹とお茶を飲みました。
升田姉妹は不思議な姉妹です。

■友人の死(2020年8月11日)
朝、日赤病院の医師から電話がありました。
何と昨日会った友人が私たちと別れた後、夜に医師が往診した時に状況が急変していて、緊急入院したというのです。
私たちとの別れ際はあんなに平和そうな顔をしていたのに、驚きました。
すべてを私にも話したので安心したのかもしれません。

ところが2時間くらいしてまた電話、亡くなったという知らせでした。
いやはや人の命はこんなにもあっけないのです。
なにやら全身から力が抜けました。

■友人の葬儀(2020年8月13日)
お盆にでしたが、亡くなった友人の妹さんが早く葬儀をしたいと言うので、家族葬を桐ケ谷斎場で行うことにしました。
妹家族3人だけではさびしいので、私たち友人も4人ほど一緒に見送らせてもらうことにしました。
コロナ騒ぎもあって、最近は直葬も多いですが、見送りでした。
浄土宗の葬儀で、御棺になにやらメッセージを入れるのですが、その署名を私がするようにと遺言があったようです。
素直に従いました。

みんなで骨をおさめましたが、みごとなのど仏でした。
友人4人で、お茶を飲みながら個人を少しだけ偲びました。

■迎え火での異変(2020年8月13日)
友人の葬儀から戻ってから、家族と一緒にお盆の迎え火でお墓に行きました。
所がお墓の前で般若心経を挙げようと唱えだしたら、途中で思い出せなくなってしまいました。
さらにロレツが少しおかしくなったのです。
熱中症かもしれないと娘たちが心配し、急いで迎え火をつけて帰宅しました。

無事帰宅し、水分補給し横になっていたら、とりあえず直ったのですが、軽い熱中症だったのかもしれません。
友人を彼岸に送ったり、妻を彼岸から呼び戻したり、今日は暑い中を少し動きすぎました。
とんでもないお盆になってしまいました。
精霊棚は昨年のように、畑で育てたキュウリとナスでつくっておいたのですが。

■脳外科での検査(2020年8月14日)
昨日のロレツ事件のおかげで娘から病院に行くように勧められました。
昨日だけならまあともかく、最近、よく視野が揺らいでしまうことがあるので、念のために近くの病院の神経外科に検査に行きました。
血液検査、心電図、それにMRI。
血液検査では中性脂肪に問題があったのと、ともかく水分が不足しているといわれました。
問題はMRIです。5年ほど前にここでMRI検査もしていたのですが、それに比べて2本の血管がとても細くなっているのが映像ではっきりと示されました。
結果的には血液サラサラの薬を飲むことになりました。
今回は抵抗せずに素直に従うことにしました。

■薬サラサラ薬騒ぎ(2020年8月14日)
血液凝固防止薬を飲むことにしたのですが、やはりどうも違和感があり、そのことをFBに投稿したら、いろんなコメントが届きました。
私の投稿記事がいささか大げさだったようで、私がもう危ないような受けとめをしたようなコメントもありました。

まあいろいろとコメントをもらいましたが、今回は結局、薬を飲むことにしました。

■第9回万葉集サロン「歌から会話へ 東歌を中心にその2」(2020年8月15日)
「歌から会話へ」という大きな変化を、万葉集の東歌を中心に読み解いていく万葉集サロンの2回目は、前回の復習から入りました。
取り上げられたのは、東歌の次の歌です。

多摩川に 晒す手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき

前半3句で序詞(じょことば)として「た」の世界を歌い、後半2句で「わ」の思いを直截に言葉にする。
つまり前半の「歌」で、共同幻想的な世界を生み出し、それを背景にして、タブーとされていた「事挙げ」を回避しながら自らの思い(「わ」)を一気に発してしまう。
枕詞や掛詞にも言及しながら、神との会話から人同士の会話(コミュニケーション)が生まれ、さらにはそこから「自己意識」も芽生えてくることをこの歌で学び、そこからいくつかの東歌などを読みながら、言霊に支配されていた言葉を人が自分のものとしていくドラマを垣間見るような壮大な話をしてくれました。
しかも、「歌」から「会話」が生まれただけではなく、歌もまた新しい世界をつくりだしていく。「た」の世界と「わ」の世界がそれぞれに分離し、叙景歌、抒情歌として発展していくという、歌の展開に関しても、いくつかの歌を使って紹介してくれました。

案内文で、升田さんは「人間と対峙する言葉が「生き物」のように柔軟に変容するところに、社会や文化の進展があるのかも知れない。そのありようが見られるのも万葉集の面白さの一つであろう」と書いていましたが、まさにその面白さを少し体感させてもらった気がします。

しかし話が壮大すぎて、なかなか消化するのは難しかった気もします。
わくわくする気分は味わったのですが、十分の消化できずに、升田さんのお話を簡潔に紹介できないのが残念です。
できれば次回もこの話を繰り返していければと思っていますので、関心を持たれた人はぜひ次回参加してください。
升田さんの万葉集サロンは、単に歌を読んでいくだけではなく、歌から当時の社会や文化を考えていくものですから、一味違った万葉集サロンになっています。

いずれにしろとても示唆に富むサロンでした。

報告はここまで。
以下はサロンとは直接つながりませんが、今回のサロンを聞きながら考えていたことを2つだけ紹介させてもらいます。

サロンでは直接の話題になりませんでしたが、「音楽」と「言語」の起源は深くつながっています。音楽は歌につながりますが、ネアンデルタール人は歌でのコミュニケーションはしていたが、言語でのコミュニケーションはしていなかったともいわれます。
音楽と言語を生み出した原型言語として「ミュージランゲージ」という概念を持ち出す人もいますが、「歌」と「言」の関係を万葉集の歌から読み解いていくことは、とてもワクワクします。日本語というちょっと個性的な言語がなぜ生まれたのか、ということを考えるヒントもあるように思います。

また言霊や言挙げに関連して、升田さんは「神の言葉を直接伝えることはできないので、言葉を運ぶ存在を置く」という話もされましたが、これは右脳は神の言葉を伝え、左脳は人の言葉を生み出すというジュリアン・ジェインズの「二分心」仮設で語られている「意識と言語」のテーマにつながっていきます。
升田さんのサロンでも、「わ」「な」「た」の構図の中で、自己意識がどう生まれてくるかがまだ形を表してきていませんが、大きなテーマです。
その意味で、万葉集を通して、「二分心」仮設を吟味するのは興味があります。
ちなみに、ジュリアン・ジェインズの「二分心」仮設は、『神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡』に詳しいですが、これと絡めて万葉仮名と漢字の関係を読み解くのも面白いと思います。

升田万葉集サロンは、こういう形でテーマがどんどん広がっていく。
これからどういう風に広がっていくのか楽しみです。

(2020年8月第1週)
■娘の検査結果(2020年8月7日)
■久しぶりの土曜サロン(2020年8月8日)

■娘の検査結果(2020年8月7日)
同居している娘の健康診断結果が出ました。
最悪の事態は回避できましたが、当分、要注意です。
あんまり詳しくは書けませんが。

■久しぶりの土曜サロン(2020年8月8日)
急な酷暑のため、あんまり参加者はいないだろうと思っていたら、9人もの人が参加してくれました。しかも話がおおいに盛り上がってしまいました。
最近手術をした人が久しぶりに参加したので、最初はその人の手術とタバコの話から入りましたが、なぜかそこからコロナウイルスの話、さらには最近話題らしいイソジン効果の話になり、自治体リーダー論になりました。
最近私はコロナ報道をあまり見なくなっていますので(あまりに嘘が多いと思うからです)、なかなか話についていけませんでしたが、しかしみんないろんなことをよく知っています。
湯島に集まる人くらいの情報をみんなが持ち合わせたら、政治も社会も変わるだろうなといつも思います。
もっともその恩恵を一番多く受けているはずの私自身の生活を見ると、情報を得るだけでは十分とはいえなさそうですが。
終わりかけたとき、最近、私がメーリングリストで流した地域通貨の話になりました。
結構まじめな質問だったので躊躇しながらもまともに受けてしまいましたが、たぶん的外れの回答をしてしまっていたでしょう。
しかし、一度、地域通貨サロンをやろうと思いなおしました。
ゲゼル経済学の話もとても示唆に富んでいますし。

寝不足と過剰な心配事と暑さで、私はいつも以上にボーっとしていて、トンチンカンな質問をしていたような気がしますが、みんな聞き流してくれました。
いや私がボーっとしているほうが、どうもサロンは盛り上がるようです。
テーマも決めない方がやはりいいのかもしれません。
土曜オープンサロンをまた復活しようと思います。

(2020年7月第5週)
■第1回益田サロン「病原体から考える生物と環境の関係」(2020年7月26日)
■湯島サロン「生活の視点で政治や経済を考える」(2020年8月1日)

■第1回益田サロン「病原体から考える生物と環境の関係」(2020年7月26日)
病原体やウイルスの話をベースにした細菌学者の益田昭吾さんの定期的なサロンが始まりました。
1回目は、「生物と環境」をテーマに、参加者の問いかけに応ずる形で、話し合いが行われました。



サロンは、どうして益田さんは細菌学を専攻したのかという、いかにも湯島サロン的な質問から始まりましたが、話が進むうちに、細菌、ウイルス、ファージ、宿主、抗体、免疫などという専門用語も増えてきて、ついていくのが大変でした。それでもどんな質問でも、繰り返しの質問でもいいという益田さんの誘いかけで、テーマの難しさとは裏腹に、とてもカジュアルなサロンになったような気がします。

テーマに関しては、あらゆる生物は、環境へのパラサイト(寄生体)であるという、まさに核心を突く話から始まりました。
問題は、生物と環境との関係性です。
そして、細菌やウイルスの「常在性」や「病原性」について、主にジフテリア菌を材料に詳しく解説してくれました。
もしかしたら、このことこそが、いま話題の新型コロナを考える時にもポイントのひとつかもしれません。

基本的な話につなげながら、最近の新型コロナウイルス感染症の話もでました。
ウイルスや免疫などに関する基礎的な知識があるかどうかで、コロナ騒ぎにもただ不安を感ずるだけではなく、対処法を考えるヒントが得られます。
いつも益田さんのサロンを聞いていて思うのは、そのことです。言葉や数や現象におびえるだけでは、自分で対策を考えることもできません。

最後に、参加者から、いまの新型コロナウイルスにどう付き合ったらいいかという質問がありました。
益田さんの回答は、万一感染しても症状を起こさないようにすることが大切だというものでした。そして、そのためには、自分と環境との流れに注意することだと言われました。自然の流れを阻害する「異物」があると症状が起こってしまう。ただし、その「異物」とは何かはいまはまだわからない。
それに加えて、益田さんは新型コロナウイルスが常在性の方向に向かっていく可能性にも言及しました。もしそうなれば、このウイルスとの付き合い方も変えていかねばいけません。

新しい知見が次々と出てきていますので、新型コロナウイルスへの付き合い方も変えていかなくてはいけません。そのためにも、感染者数の増減だけに振り回されずに、ウイルスのことをもっと理解しなければいけないといつもながらに思いました。
私は益田さんのサロンに毎回参加させてもらっているおかげで、新型コロナウイルスにはむしろ親近感を強めています。

ちなみに、サロンでは、いまの経済のおかしさや人間の欲望の話、生命体の持つバランス維持機能(ホメオスタシス)、さらには人類のミューテーション(変異)というような話もちょっぴり出ました。
サロンをやると、次々と新しいテーマが出てきます。

2回目の益田サロンは「母性と父性」はどうかという提案も益田さんからありましたが、いずれにしても基軸には細菌学や病原体をベースにしながら、同時に今問題になっている新型コロナとの付き合い方を考えるサロンとして、1か月おきくらいに開始していく予定です。こんな切り口での話を聞きたいという方がいたら、ご連絡ください。益田さんと相談させてもらうようにします。

■湯島サロン「生活の視点で政治や経済を考える」(2020年8月1日)
湯島のサロンは、できるだけ一人称自動詞で、しかも生活用語で話したいと思っていますが、それは結構難しく、とりわけ政治や経済の話になると専門用語で何となく語られてしまうことも少なくありません。
そこで今回は、改めて「生活」「生活者」をキーワードにしたサロンをやってみました。
しばらく私自身が問題提起するサロンをやっていなかったので、今回は私が話しながら問いかけるスタイルをとらせてもらいました。

最初にまず、「生活者」ってなんだろうか、という問いかけから始めました。
消費者、労働者、生産者、教育者、公務員、失業者などという言葉はよく使われますが、「生活者」という言葉はあまり使われないようです。
ちなみに、「年金生活者」という言葉はありますが、その言葉を使う人はむしろ「年金」に重点を置いていますので、まだ金銭にこだわっていて、私の考える「生活者」ではありません。
いずれにしろ、私たちは自分を「○○者」と呼ぶのは難しいほど、いろんな「自分」をもっていて、そのそれぞれの状況において、判断基準を変えています。
たとえば、森友問題で自殺を強いられた赤木俊夫さんの場合はどうだったでしょうか。
彼はなぜ自殺に追いやられたのか。
そんな話から始めさせてもらいました。

たしかに私たちにはたくさんの生活局面があり、それに応じてさまざまな判断基準を使い分けながら生きています。
しかし、よく考えてみると、すべての根底にはじぶんの「生活」があります。
状況に合わせすぎて、自分の「生活」や「考え」をおろそかにしていることはないのか、そして結局は、それが個人の生活を邪魔する社会につながっているのではないか。つまり、個人の生活と社会との関係が逆転しているのではないか。それが今回のサロンで私が一番問いたかったことです。
最近のマスク騒動で日本人は「同調圧力」に弱いと言う人が多いですが、同調圧力を育てているのは、誰でもない、自分なのではないか、というわけです。少なくとも私は同調圧力などという幻想のせいにしたくはありません。

自分の生活に行動の基準を置く人を、私は「生活者」と呼んでいます。
では「生活」とは何かということになりますが、他人(たとえば組織とか慣習)が作り出した考えではなく、自らが生み出した考えの中で生きることと捉えています。

そもそも、人々は、豊かな自然のなかで、しかし限られた資源を生かして、お互いに支え合いながら生活していました。生活の基盤は、コモンズ(自然と仲間)なのではないか、と私は考えています。この「仲間」には過去の人間や未来の人間はもちろんですが、人間以外の存在も入ります。
そうした中で、生きやすさを考えて、みんなで育ててきたのが「倫理」です。
そして、それに基づいて、政治や経済の仕組みが育てられ、みんなの「社会契約」で国家までつくられた。
経済とはもともと、経世済民、世を治め民をたすけるためのものであり、政治とは倫理を実現する仁政だったのではないか。
そうした状況の中では、「貧しさ」は決して惨めなものではなく、むしろ思いやりや支え合いを生みだしていました。映画「三丁目の夕日」の世界です。

生活にとって大切なことはなんですか、という問いかけもさせてもらいました。
意外だったのは「お金」と答えた人は一人もいませんでした。
いろいろとだされましたが、私は「安心して快適に暮らせること」と「人間として
成長していく喜び」だと思っています。
ですから、経済も政治も、その2つを目指すものであってほしいと思いますし、逆に言えば、その2つを目指さないものは、私にとっては、経済でも政治でもありません。
私が「経済成長」に全く関心がないのは、それが経済などとは無縁のものだと思っているからです。「政局騒ぎ」も私にとっては「政治」ではありません。
「生活を豊かにする経済」「生活を豊かにする政治」は、いまや「経済を豊かにする生活」「政治に従う(奉仕する)生活」に向かわせる装置になってしまいました。

制度や仕組み、組織やルールはすべて生活を快適にするためのものだったはずなのに、制度や仕組み、組織やルールが生活を律しだしているのではないか。
そして今や、私たちの「価値観」までも大きく変えだしています。
「働く」とは何か、「学ぶ」とは何か。
湯島のサロンは、「生産性」がない集まりとビジネスマンからはよく言われますが、そもそも「生産性」ってなんなのか。

3番目の問いかけは、「あなたにとって一番大事な財産は何ですか」でした。
すべての存在が金銭価値化されつつある今、私たちの生活を支えてくれていた自然や仲間(私はこれをコモンズと呼んでいます)との結びつきを失った人間は、金銭に依存せざるを得なくなっています。
そうしたなかでは、「頼り」になるのはお金だけかもしれません。
そして、最近は、お金がないことを「貧しい」というようになってしまった。
そうした「貧しさ」は、支え合いや思いやりを生みださずに、惨めさと不安につながっていきます。

とまあこういう話を、参加者と対話しながら進めた後で、最後の問いかけは、「さて、どう生きましょうか」ということでした。
私の目指す生き方は、少しだけ話させてもらったつもりです。

話は時々、横道にも入りましたが、こんな感じで、それぞれが自らの生活につながる形で、経済や政治を考えるきっかけになればと思ったのですが、どうだったでしょうか。
自分の「生活」を、いまよりもちょっとだけでも大事にしてくれる人が増えると、たぶん社会は良くなると思っています。
言うまでもありませんが、自分の生活を大事にするということは、他者の生活も大事にするということです。「自分のため」と「社会のため」とは利害相反するものではなく、宮澤賢治が言っていたように重なっていると生き方こそが、私の考える「生活」です。
決してわたし主義でも閉じたコミュニティ主義でもありません。念のため。




(2020年7月第4週)
■サロン「コロナ騒ぎで考えたこと−「ただのおばさん」編」(2020年7月19日)
■娘の手術(2020年7月20日)
■新潟からの黒崎茶豆(2020年7月20日)
■久しぶりの畑(2020年7月22日)
■娘の退院(2020年7月23日)

■サロン「コロナ騒ぎで考えたこと−「ただのおばさん」編」(2020年7月19日)
「コロナ騒ぎで考えたこと」シリーズの第2弾は、「ただのおばさん」編でした。
ちょっと私自身の生活事情から報告がすっかり遅くなってしまいました。

今回の話題提供者は、湯島のサロンでも時々お茶を点ててくださる井田里美さんです。
井田さんは、コロナ騒ぎの前から茶の湯を通して、社会との関わりを深めてきていますが、その過程で、さまざまな問題にぶつかり、それがきっかけで私との接点ができました。
「ただのおばさん」と自称していますが、生活の視点で社会と関わりを深めると、両者のずれに気づいてしまうという典型的な事例と言えるかもしれませんが、そこで「まあ社会とはこんなものか」と納得してしまうことのないのが、「ただのおばさん」のすごいところです。
話は全く違いますが、いま話題になっている財務省の赤木俊夫さんと雅子さんの違いをつい思い出してしまいます。
私は、この社会を変えていくのは、そうした「生活者」としてしっかりと生きている人たちではないかと思っていますが、残念ながら社会と生活の対話は、極めて難しいのが難点です。

サロンの報告が、おかしな方向になってしまいましたが、サロンでは、井田さんがコロナ騒ぎに惑わされずに生き方を大きくは変えずに済んだのは、「生活の杖」として「茶の湯」があったからだと言います。そのおかげで、社会の変化もよく見えたようです。
生活をするとは単に生きていることではなく、しっかりした自分と付き合うことなのだろうと思います、なにしろ何があっても結局は自分で責任をとらなければいけませんから、組織(社会)に身を任せていれば安心な生き方とは全く違います。
みんなどうしてこんなにも社会の風潮に自分を合わせていけるのかが、時に話題になりますが、もしかしたら「自分の生活」よりも「社会の一員」であることが行動の判断基準になっているからかもしれません。

サロンでは、茶の湯や利休に関心のある人もいて、話はともするとそちらに行きがちでしたが、生活と重なる形で生業的な事業に取り組んでいる人も複数参加していましたので、その視点からの話も出ました。
そういう人たちの視点から見ても、やはりコロナ騒ぎはいささか奇妙に見えているようです。

いろんな話題が出ましたが、井田さんとしては、茶道具を持って、いろんなところに出かけて行って、茶の湯を楽しみながら、自らの生き方や社会のあり方を話し合う場をつくっていきたいと思っているようです。
湯島でも改めて、井田さんの茶の湯の会を企画したいと思っています。

■娘の手術(2020年7月20日)
長女が子宮頸がんの疑いがあり、近くの慈恵医大柏病院に入院していましたが、今日、手術でした。
その立ち合いで病院で半日過ごしました。
手術は無事終わりました。
担当医から話を聞きました。

■新潟からの黒崎茶豆(2020年7月20日)
新潟の金田さんから恒例の黒崎茶豆が届きました。
今年は例年よりもかなり早いです。
茶豆をつくっている農家の方が息子さんに代替わりしたようです。
そういえば、柏の梨農園の杉野さんも代替わりしました。
時代は進んでいるのに気づかされます。

■久しぶりの畑(2020年7月22日)
今朝、久しぶりに畑に行きました。
ナスとキュウリは支え手をつくっておかなかったので、地這え状況になっていました。
ナスは実をつけていましたが、収穫時にこなかったため、残念ながら食用には難しそうでした。でも頑張って昼食の味噌汁にしてみましょう。
周りに生い茂っていた野草を刈って、なんとか仮の支えをつくりましたが、これでは野菜たちも結実させようという気にならないかもしれません。
カボチャも頑張っていますが、花は咲いていませんでした。
一度、野草から救出したミョウガはまた野草にうずもれてしまっていました。
がんばって再度救出。
まるでシジフォスの神話のような繰り返しです。

イチゴ畑は、天候のせいもあって、みごとにまた敗退気味。
実はなっていませんでした。
花壇の整備も元気が出ずに帰宅しました。
野草の袋は90リットルでしたが、無理をして倒れても今日は誰も救出に来る人がいないので、途中で帰宅しました。
しかし、久しぶりにいい汗をかきました。

■娘の退院(2020年7月23日)
長女は手術後の経過が順調で、今日、退院になりました。
しかし当分は安静のようです。
独り暮らしは終わりました。

(2020年7月第3週)
■ソーシャル・キャピタルに関する話し合い(2020年7月14日)
■日赤大森病院に行きました(2020年7月14日)
■合同生前葬を思いつきました(2020年7月14日)
■岐阜の鮎が届きました(2020年7月14日)
■娘の入院(2020年7月18日)

■ソーシャル・キャピタルに関する話し合い(2020年7月14日)
友人が、組織におけるソーシャル・キャピタルの論文を書いているのですが、一度、議論したいと言ってきました。
私にとってもとても興味のあるテーマなので、議論することにしました。
デュルケムからパットナムまで、いろんな話が出ました。
絆と結の話も、
どんな論文が出来上がるのか楽しみです。

■日赤大森病院に行きました(2020年7月14日)
入院している小学校時代の友人が一時的な退院をするというので、主治医に会いに行きました。
今日はきちんと靴をはいていきました。
しかし受付ではやはり「面会はできなのですが」と言われました。
まあいろいろと会って、ともかく病室に行きました。
すると驚いたことにすでに小学校時代の仲間が2人来ていました。
そう言えば、先週、この病院と入室の方法を伝えていたのです。
彼らは受付を通さずにどうも入ってきているようです。
困ったものです。

医師とも会えました。
医師が思っていた以上にいろいろと手配してくれていて安心しました。
しかし症状は相変わらず予断を許しません。
しかし一時帰宅の方向で準備を進めてくれています。
新たに往診チームもできていました。

入院している友人ともう少し現世にいるように話しました。

■合同生前葬を思いつきました(2020年7月14日)
病院に面会に来ていた友人たちには先に出てもらっていたのですが、大森駅で待ち合わせて、久しぶりに少し話しました。
この2人とは長い付き合いですが、この半年くらいは会っていませんでした。
2人も膵臓や心臓に疾患を抱えているようです。
小学校時代の同級生の男性たちは、今やほとんどがそんな状況です。
私はいまのところ病魔からは見放されていますが、気づいていないだけかもしれません。
そんな話をしていて、みんなの「合同生前葬」をやるのはどうかと思いつきました。
一人ひとりで葬儀をやるのも大変ですし、参列するのも面倒です。
ここはみんなでわーっと合同生前葬。
とてもいい案のように思いますが、また顰蹙を買うといけないので慎重に進めなければいけません。

■岐阜の鮎が届きました(2020年7月14日)
岐阜の佐々木さんから、恒例の鮎の甘露煮が届きました。
佐々木さんのところに以前伺った時に鮎をご馳走になったのですが、それがとてもおいしかったので、厚かましくもお土産にまでもらってきてしまったのです。
以来、佐々木さんは鮎を送ってくれるのです。
さてさてどうしたものか、と思いながらいつも美味しくいただいています。

佐々木さんに電話したらお元気そうでした。

■娘の入院(2020年7月18日)
娘にがんの疑いが発見されていたのですが、今日から入院して来週手術をすることになりました。
発見されてからのこの2か月は、本人はもちろんですが、私も心配でしたが、コロナ騒ぎもあって手術が伸びてしまいました。
娘の4人の祖父母は全員癌でしたし、母親も同じです。
ですから娘はかなり心配でしょう。
ですが、どこかで私に似ているところもあり、割り切っているところもあるのが感じられます。
子どもというのはいい意味でも悪い意味でも、親の影響を受けています。

今日からしばらく独り生活です。
食事は娘が1週間くらいはどうにかなるように手配しておいてくれましたので、餓死はしないでしょう。

(2020年7月第2週)
■我孫子まちづくり編集会議ミーティング(2020年7月5日)
■湯島サロン「コロナ騒ぎで考えたこと−若者からのメッセージ」(2020年7月5日)
■都知事選で山本太郎3位で落選(2020年7月5日)
■事業継承に伴う家族問題(2020年7月7日)
■歯医者の定期検診(2020年7月8日)
■ストーリーテリング協会のプログラム開発ミーティング(2020年7月11日)
■湯島サロン「都知事選で感じたこと、考えたこと」(2020年7月11日・12日)

■我孫子まちづくり編集会議ミーティング(2020年7月5日)
手賀沼湖畔の水の館でまちづくり編集会議のミーティングでした。
秋に新しいイベントの構想展を開くことになりました。
観光に関心を持っている高校生が参加してくれました。
コロナ騒ぎでストップしていましたが、少しずつ動き出せそうです。

■湯島サロン「コロナ騒ぎで考えたこと−若者からのメッセージ」(2020年7月5日)
コロナ騒ぎの影響で、生き方を変えさせられたり、自ら問い直して生き方を変えたりしている人も少なくないと思いますが、そうしたことから生き方や社会のあり方を話し合おうというシリーズの1回目です。
今回の話題提供者は、大学3年(経済学部)の川端修平さん。

東京でのコロナウイルス感染者が増えだしていますが、このサロンへの参加申込も直前になって急増したため、参加申込のみなさんには状況をお知らせしたのですが、辞退者はわずかで、結果的には20人を超してしまいました。若者のメッセージを聴きたいという人が多いのに改めて驚きました。聴く機会は意外とないのかもしれません。

川端さんは、フェイスブックやツイッターなどで、そうしたことを発信していましたが、どうもそれへの反応がいささか否定的だったようで、それもあって今回はネット経由ではなく、直接対面で話し合えるサロンという場を選んでくれました。
参加者にはあらかじめ、川端さんが書いた論考を配布し、読んできてもらいました。
彼の主張の大枠は、添付した論考に書かれていますので、関心のある人はそれをお読みください。

川端さんの話を一言で要約すると、「生きる」と「生活」と「働く」と「経済」と「人間」が一体であることに思い至り、それを実践しだしているということです。
具体的に言えば、住んでいる地元にいる時間が増え、時間ができたので畑をやりだし、そのおかげで地元の異世代の人との交流が始まり、地元の良さも見えてきたというのです。そして、目の前の活きた現実の中で生きているという感覚が強まり、言葉や規範や風潮の世界から解放されるとともに、自分も含めて、同調圧力や規範意識に苦しむ人が多いことに改めて気づいたそうです。

そこから、経済のあり方にも思いが深まり(川端さんは経済学の学生です)、誰かから助けを求められた時に「そのままでいていい」という言葉を説得力をもって話せるようになりたいと思うようになったそうです。
どうも以前に発信した時には、この「そのままでいていい」という言葉がうまく伝わらなかったのかもしれません。川端さんの思いは、だれも無理をせずに自分を生きていけば生きていけるはずだし、それでこそ社会がうまくいくのではないかということです。
それは、「新しい経済の捉え方」であり、みんながありのままに生きていけば、社会全体もうまくいくことを証明したいという考えに至り、そうしたことを卒論での研究テーマにしようと考えているそうです。

川端さんの話を踏まえて話し合いにはいりました。
20代から70代まで、しかも立場もさまざまな人たちの話し合いでは、さまざまな話題が出ました。生と死の話、言葉と思いのずれ、家族関係の大切さ(大きな影響力)、弱い立場の人たちの就職の難しさの話、雇用労働と協同労働の話、土との触れ合いや農作物のシェアの話から贈与経済の話、お金や対価や格差の話、非難と優しさの話などなど、いずれもそれだけでサロンをやりたくなるような話題がたくさん出ました。

川端さんよりちょっと年上で苦労したあげくに同じような生き方に行きついた人が参加してくれていたのですが、その人は苦労もせずにそういう心境に達したことに驚きを感じたようです。また、こういう若者が出てきたことがうれしいという発言が中高年世代数人からありました。

サロン終了後、「若い人とそれを囲む年配者が対等にワイワイガヤガヤと話すサロンは素晴らしい」というメールもいただきました。湯島のサロンでは、どんな人も同じ一人の人間として発言することを大切にしているのです。若い世代の発言の鋭さに驚いたというメールも届きました。

こういう若者が「普通」なのかどうかという話題も出ましたが、今回参加した大学生は2人でしたが、いずれもちょっと特別の存在かもしれません。しかし、湯島のサロンのような自由な空間で話してもらえば、ほとんどの若者の話に、中高年世代はきっと驚愕するでしょう。私はそうした経験を何回もしています。
川端さんが言うように、「そのままでいていい」という生き方に目覚めればみんなそれぞれの鋭さを輝かせだすと私は確信しています。
自己肯定感が大切だと力説していた中高年者もいましたが、多くの人がいま失っているのは、自己肯定感であり、他者肯定感かもしれません。

参加者も多かったので、十分に発言できなかった方も多かったと思います。
今回出されたテーマは、サロンで折に触れて、話し合いたいと思っています。

川端さんからも後でうれしいメールをもらいました。
昨日のサロンで僕の中にもなにか変化が生じたようだというのです。
聞く人ではなく話す人が一番変わっていくというのが湯島のサロンの考えのひとつです。だからみんなに話し手になってもらいたいと思っています。

■都知事選で山本太郎3位で落選(2020年7月5日)
都議選は、現職の小池百合子さんが圧勝しました。
新しい風は起きませんでした。
その感想をフェイスブックやブログに書きましたが、私の確信は完全に打ち破られました。
かなりのショックです。
またこの都議選で、友人もだいぶ失った気もします。
私の仲間は、あまり私の周りにはいなさそうです。

■事業継承に伴う家族問題(2020年7月7日)
事業継承に伴う家族問題にいま関心を持っていますが、その事例になるかもしれないと言って、吉本さんがある人に会ってほしいと言うので、愛に行きました。
事業継承がらみの問題は少なくありませんが、そうした問題の根因はもしかしたら、第三者が入ることかもしれません。
第三者が入るとどうしても金銭的な問題がややこしくなります。
金銭を超えた問題解決をするには、第三者ではなく、第四者が必要なのだと気づきました。
言い換えると、金銭を超えた事業というものをやはり真剣に考える必要がありそうです。
私にお金があれば、そうした事業もできるのですが、いまはちょっと無理そうです。

■歯医者の定期検診(2020年7月8日)
コロナ騒ぎで遅れていた歯医者さんの定期検診に行きました。
今回は、歯磨きもきちんとできていると言われました。
問題は診察前の血圧検査ですが、あまりにも高すぎて測定不能でした。
困ったものです。

■ポラスとのミーティング(2020年7月9日)
リフォームに関するミーティングを行いました。
今回はユニットバスとシステムキチンを決めるために、ショールームにも行きました。
だいたい決まりましたが、ユニットバスに窓がなくなるのがやはりちょっと心配です。
それにしてもやはりリフォームは面倒です

■ストーリーテリング協会のプログラム開発ミーティング(2020年7月11日)
ストーリーテリング協会の新しいプログラムを開発するための研究会を続けていますが、プログラム開発よりも、いろんなことの話し合いの方に時間がとられ、なかなか進みません。
でもまあそれはそれで意味があるのですが。

■湯島サロン「都知事選で感じたこと、考えたこと」(2020年7月11日・12日)
「都知事選で感じたこと、考えたこと」を自由に話し合うサロンを2回、開催しました。
1回目は10人、2回目は9人。連続して参加した人は私を含めて2人でした。
残念なのは山本太郎さんに好意的な人が多く、山本太郎さんを非難していた参加者がいなかったことです。そういう人たちが今回の都議選を無意味なものにしたと私は思っているので、そういう人と話したかったのですが、実現できませんでした。

話し合いの内容は一切省略します。
書き出すと際限がなく、私自身の意見も書きたくなりそうだからです。

しかし私には、参加者の話はいずれもとても示唆に富む話でした。
無責任に頭だけでやり取りする話ではなく、自らの投票行動を踏まえての話が多いので、心に響きます。

選挙に関して話し合うことはあまりないので参加したという人がいました。
そういえば、選挙終了後に、選挙結果を話し合う場はそう多くないかもしれません。
今回は、投票日前にもサロンをしましたが、そうしたことの意味を感じました。
折角の選挙が行われるのであれば、その前後に、選挙権者としてもっと話し合う文化を育てていくことが大切だと思いました。
よく「投票したい人がいない」などという人がいますが、そうした他人のせいにして政治(投票するという市民の責務)から逃げている人がいる限り、みんなにとっての住みやすい社会には向わないでしょう。
参加者のひとりは、学校も休みだったので中高生を含めて、毎日、政治論議で家庭がにぎわったという話をしてくれました。そういう家庭が増えれば、状況は変わるでしょう。
都知事選に関心を初めて持って、投票にも行ったという人がいたのも実にうれしかったです。

今回の立候補者で、政策を具体的に考え公開していたのは、山本太郎さんだけだったと思いますが、フェイスブックなどを読んでいると、残念ながら山本太郎さんのスピーチを聴くこともなく、山本太郎さんをこき下ろした人が少なくないように思います。
私もそういう人からメールも含めていろいろと厳しいコメントをもらいましたが、ネット上の話し合いの無意味さを改めて感じました。
これからは選挙のたびに、投票日前後のサロンをやろうと思います。そうした動きが各地で広がるといいなと思います。共感した人がいたら、ぜひお願いしたいです。

いずれにしろ今回、山本太郎さんのスピーチをきちんと聞いた人は、たぶん次回も投票に行くでしょう。誰に投票するかどうかは別にして。

ひとつだけ書かせてもらえれば、今回の選挙は「政治軸」の枠組みと「政治家」像の問い直しが関わっていたと思いますが、それがあまり意識されていなかったことを改めて思い知らされました。
サロンでは、それに関連して、「お上論」が話題になりましたが、「お上による政治」の下での「臣民」意識から抜け出せない人がまだまだ多いのかもしれません。

それに関して、近々サロンをさせてもらおうと思います。
もう国会を舞台にした政治権力争いの政党政治から解放されたいと思いますが、まだ古い枠組みで考えている人がほとんどなのが、とても残念です。

今回の都議選で見えてきたことがたくさんあります。
それを忘れないようにしたいです。

(2020年7月第1週)
■約束を果たせました(2020年6月28日)
■湯島サロン「山本太郎さんの都知事選立候補から政治を考える」
(2020年6月28日)
■畑作業再開(2020年6月29日)
■ストーリーテリング協会(2020年7月2日)
■野上さんとのミーティング(2020年7月2日)
■日赤大森病院に駆けつけました(2020年7月3日)
■生活哲学学会講座第3期スタート(2020年7月4日)

■約束を果たせました(2020年6月28日)
先日、前金を受け取ってしまった約束を果たすことができました。
新しいプロジェクトが生まれるかもしれませんが、あまりに簡単に実現したので、前金を返したい気もしますが、もう手元にないので返済できません。困ったものです。

■湯島サロン「山本太郎さんの都知事選立候補から政治を考える」(2020年6月28日)
久しぶりに湯島のサロンが人であふれました。
「山本太郎さんの都知事選立候補から政治を考える」のサロンです。
事前の申し込みは10人ほどだったはずですが、ふたを開けたら、16人のサロンになりました。
山本太郎さんの積極的支持者は半分くらいで、なかにはほかの候補者のボランティア活動に取り組んでいる人もいましたし、山本太郎の都知事選立候補に反対の人も複数いました。誰でもいいと言う人もいましたし、これまで選挙に一度も行ったことがないという20代の若者もいました。
山本太郎さんの街頭演説を聴いて、チラシを持ってきてくれた人もいますし、サロン終了後、街頭演説を聴きに行く人もいました。山本太郎さんとの距離感はさまざまでした。

予定していた2時間半(いつもよりも長くしました)、いろんな話題が出ました。
参加者もさまざまで、企業の社長や世界を舞台にして活動しているフリーランスのビジネスマンもいる一方、世捨て人に近い人もブラックともいえる仕事環境で働いている人もいました。世代も20代から70代と幅広かったです。ただ、女性たち、特に子どもを持つ母親の参加がなかったのは残念でした。

ちなみに、投票権を持っている都民は半分くらいでした。有機農業に取り組んでいる人は、忙しい農繁期にもかかわらず埼玉から出かけてきました(実はフェイスブックへの彼女のコメントでこのサロンを開催しました)。
都知事に誰がなるかは、国政にも影響があるという認識は少し強まっているのかもしれません。私は、国-都道府県-市町村というピラミッド構造(上下関係)を変えないと政治は変わらないと思っていますので、ちょっとうれしいです。

山本太郎さんの都知事選立候補にあまり意味を感じていない人も少なくありません。
しかしこういうサロンを呼びかけたら、これだけの人が集まり、活発な議論が行われる。そのことだけでも私は大きな意味を感じます。
しかし、参加者の周りで、こういう話し合いが行われているかとお聞きしたのですが、あまり行われてはいないようです。1968年のころとは違うようです。いや日本だけが違っているのかもしれません。であればこそ、どんどん話題にしていきたいです。

話の内容は一切省略しますが、山本太郎さんへの共感もあれば、批判もありました。
一度も選挙に行ったことがない若者から、参加者に「政治に関心を持った契機は何か」という問いかけがなされました。その質問自体が理解しにくい、生活と政治はつながっていて、政治は生活と共にあった、というような話をした世代的に私と近い参加者もありました(私の感覚もそれに近い)が、ちょっと若い世代になると、この質問の意味はよくわかるようです。そこに「政治」の捉え方の違いを感じました。

最後に、私が考える「政治のベクトル転回」の話を少しだけさせてもらいました。
山本太郎の立候補は、政治家の政治から生活者の政治に政治の捉え方を変えるチャンスではないかと私は思っています。そろそろ政治家による「国会内での政治」ではない、生活そのものにつながったみんなの政治にしていきたいと願っています。
できれば、次回の民主主義サロンは、それをテーマにしようかと思います。
その頃には山本太郎都知事が誕生しているかもしれませんし。
しかしどうもそれを確信している人はそう多くないことを思い知らされました。
私は「念ずれば通ずる」と思って生きていますので、今なお確信はしていますが。

山本太郎さんの精力的な街頭演説はつづいていて、毎回ユーチューブで流れています。
昨日、私は動画ウォッチパーティというのに参加しました。
一緒に話を聴いている人が画面に出てきますし、途中でコメントも書き込めます。私は別に連絡しなかったのに、10人を超す友人が同時に中継を視聴してくれました。なかには意外な人もいました。
コメントには知らない人が反応してくれました。

いい時代の到来を確信しています。

■畑作業再開(2020年6月29日)
明日からまたしばらく雨で行けなくなりそうなので、夕方、畑に行きました。
ともかく野草との闘いは手を抜いたら敗退しかありません。
野草は刈り取っても3日も行かないと復活しています。見ている前で伸びていくのです。みんな笑いますが、畑で2時間過ごしていると野草が伸びるのが実感できます。静かだと音も聞こえる気がします。

先日野草の茂みから見つけた肥料袋もまた野草に覆われかねません。
昨年は紫蘭が広がっていたのですが、それを排除し、サルビア・ガラニチカをちょっとだけ優遇してしまったのですが、そのちょっとした私の手加減がいささか極端に出てきています。これもとても面白いのですが、野草と話していると彼らは私の意図を理解します。話は「言葉」を使うこともありますが、主にテレパシーです。だから思っていることもすべて伝わりますので、嘘はつけません。

昨年、畑部分の真ん中に2~3本、存在を許容したサルビア・ガラニチカが大きな場所を独占してしまい、その傘下に肥料など隠してしまっていたのです。
アンティチョークは大きく育っています。昨年、たぶんこぼれた種から育ったのが、立派に花を咲かせていました。親はもっと立派です。食用にもなりますが、食べたことがありません。食べるところはほとんどないので、観賞用にしたいです。

今日はがんばって花壇の部分に生い茂っていた野草を駆り降りました。刈り取った草は180リットルです。かなりぎゅうぎゅうに詰めているので、かなりの量です。
それにしても昨年がんばっていろいろと植えたはずが、ほとんどなにも残っていません。
写真を見ても訳が分からないと思いますが、1か月後にはここがきれいな花壇になっているはずです。たぶん、いやもしかしたら。

今日は畑の手入れにまでたどり着けませんでした。
先日植えたキュウリは1本が溶けていました。そろそろ添え木をしないといけませんが、私は野菜の手入れよりもともかく野草とのやり取りが好きなので、どうも作業はそこに行ってしまいます。
今日は久しぶりに大きなスズメバチに会いました。

畑作業は疲れますが、元気がもらえます。

■ストーリーテリング協会(2020年7月2日)
ストーリーテリング協会では新しいプログラム開発に取り組んでいますが、話し合いが面白くて、プログラム開発自体はなかなか進みません。
たぶんこういう話し合いの過程にこそが、大きな意味があるのでしょう。
話し合いを重ねていると、それがよくわかります。
まだプロジェクトの展開はだいぶ先になりそうです。

■野上さんとのミーティング(2020年7月2日)
久しぶりに生活哲学学会の野上さんが湯島に来ました。
プログラム開発で大変だったようですが、いよいよ第3期の講座がまとまりスタートします。
ストーリーテリング協会とは大違いです。
ストーリーテリング協会にも野上さんのような人がいたら、事業としても展開できるのですが。

■日赤大森病院に駆けつけました
(2020年7月3日)
知らない人から携帯に電話がありました。
普段は出ないのですが、なぜか悪い予感がして出てしまいました。
がん闘病をしている友人の主治医でした。
昨夜、友人は緊急入院になったそうです。
その前日に、友人が食事ができないので激やせしたというので、点滴をしてもらいにいったらどうかと言ってしまったのですが、その点滴に行って、そのまま入院だったようです。

医師は、私のことを友人から聞いていたようで、実状を話してくれて、出来るだけ早く来てくれないかと言われました。
あいにく、予定が目いっぱい入っていたので、月曜日に行くと答えました。
そうしたら、「万一の時には延命処置をすることをどう思うか」と訊かれました。
彼には妹がいるのですが、私が指名されたようです。
それはともかく、そこまでの状況なのかとわかったので、何はともあれすぐ行くことにしました。

友人の入院先は日赤大森病院です。
病院で彼の状況を詳しく聞きました。
これまで友人から聞いていた話とは全く違っていました。
友人は癌は安定しているとずっと話していたのですが、医師によればかなり進行しているようです。
したがって私の友人へのアドバイスも間違っていたわけです。
人は自らの病気についてしっかりと受け止めるのが難しいのでしょう。
それに気づくのが遅すぎました。何となくそれを感じ、彼に付き添って病院に行く予定にしていたのですが、間に合いませんでした。

コロナ騒ぎで面会はだめだと言われましたが、医師にお願いして、面会しました。
医師ももしかしたら、これが最後かもしれないと言って、許可してくれました。

彼は幸いに意識がしっかりしていました。
ちゃんと治って帰宅して、私用のサンダルを仕入れてほしいと頼みました。
人は目標ができると生きられます。
奇跡が起こることを念じています。

■生活哲学学会講座第3期スタート(2020年7月4日)
生活哲学学会講座第3期がスタートしました。
1回目と2回目を同日に開催しました。
私はスピーカーではなかったのですが、野上さんのお取り計らいで参加させてもらいました。
半田さんがプログラム全体を方向づけるキースピーチを行い、続いてゲストスピーカーの山内絢人さんと岡村アルベルトさんが活動紹介をしてくれました。
いずれも非常に示唆に富むものでした。
このおふたりに合えただけで、参加させてもらった意味がありました。
若者たちの活動には、希望が持てます。
私はいずれも一言コメントしただけでした。

プログラム終了後、プログラムに参加している森田さんたちと会食しました。
やはり企業は面白そうです。

(2020年6月第4週)
■オープンハートの集まり(2020年6月21日)
■湯島サロン「21世紀の平和憲法を考える」(2020年6月21日)
■吉本さんから仕事を頼まれ前金をもらいました(2020年6月23日)
■友人のお見舞い(2020年6月23日)
■TAKARAショールーム(2020年6月24日)  
■ポラスとのミーティング(2020年6月25日)
■パソコンをまた直してもらいました(2020年6月26日)
■最後の土曜サロン(2020年6月27日)

■オープンハートの集まり(2020年6月21日)
久しぶりに、オープンハートの集まりに顔を出しました。
オープンハートとは引きこもり体験者やいろんな問題を抱えている若者たちの居場所空間です。昨年から湯島の場を提供していましたが、コロナ騒ぎで3か月ほどやっていなかったのです。
3か月ぶりに開こうと思うと主宰者の阿部さんから連絡があったので、私も顔を出すことにしたのです。
別件があったので、遅れて参加しました。部屋のドアを開けたとたんに、入口まで人があふれているのに驚きました。みんなやはり集まりたかったのでしょう。

私は毎回参加しているわけではなく、時々顔を出している程度なのですが、みんな知っている顔です。なかには数年ぶりの顔もありました。
全員マスクをしていたので、私もマスクをしましたが、それぞれにこの数か月、いろいろとあったようです。しかしそれぞれに元気そうでした。ただ、先行きにもあまり明るさを感じていないのが気になりました。

集まっている若者たちは、いわゆるビジネス社会に乗って、器用に生きている人たちではありません。おそらく政府による支援策の恩恵もあまり受けていないのではないかと思いますが、今回のコロナでいろいろなことを感じているのではないかと思います。
経済環境も人間関係も大きく変わってきていますが、これまでの状況に居場所が見つけにくかった若者のなかには、居場所や仕事を創りだした人もいるでしょう。
居場所や仕事がないのは、自分の問題でもありますが、むしろ社会状況の問題ではないかと思います。そうであれば、この半年の状況に希望を見出すことも可能ではないかと思います。こんなにいろんな人が集まっているのだから、みんなで何かを始めたら、といつものように話しましたが、そういう話はオープンハートのテーマではなく、CWSコモンズ村のテーマかもしれません。
一度、そうしたアクティブサロンを考えたいと思いました。

世間を器用に生きている人たちや世間を卒業して余裕を持って生きている人たちよりも、世間にしがみつきながら不器用に生きている人たちと一緒にいると、なぜか心が安らぐのに気がつきました。
湯島のサロンも、最近、いささか世間離れしてきているのかもしれません。
もっと哀しい世間と重なっていかなくてはと、ふと思いました。

■湯島サロン「21世紀の平和憲法を考える」(2020年6月21日)
長年、平和や人権の問題に取り組んできた川本兼さんの「21世紀の平和憲法を考える」は、テーマが大きいので1回では終わりそうもないのですが、今回は川本さんの主張をまずはしっかりと聴こうという感じで、講義型で行いました。

川本さんは、戦後日本国民がもった「戦争そのもの」「戦争ができる国家」を否定する「感覚」を高く評価したうえで、それがアメリカからの「押しつけ憲法」の9条とつながったことで、日本人は平和が実現したと「錯覚」してしまい、その「感覚」を普遍的な理念(思想)にしてこなかったことが最大の問題だと考えています。
そしてこのままだと、その平和の感覚も風化し、日本の平和運動は次世代にも世界にも広がっていかないのではないかと危惧しているのです。
だから、戦争体験を通じて獲得した日本国民の戦後の「感覚」に「ロゴス」としての「言葉」を与えてそれを思想にし、さらにそれを世界に発することが急務だと言うのです。
そのために、川本さんは日本国憲法改正私案を提案しています。そしてみんながそれぞれの憲法私案を創って議論し合い、日本人による新しい近代憲法を創ろうと呼びかけているのです。

こうしたことから、川本さんは改憲論者に思えるかもしれません。
しかし、そうではありません。川本さんは、現在の護憲論者以上に「護憲論者」と言ってもいいかもしれません。そこを見誤ると川本さんの提案の真意にたどり着けません。

今回のサロンには、残念ながら、いわゆる「護憲論原理主義者」の参加がなかったので、こうした議論は深められませんでしたが、川本さんは運動論的に平和憲法を考え、21世紀の平和憲法の先に22世紀の平和憲法も見ているのです。

川本さんは、現在の日本国憲法に関して2つの問題があると指摘します。
第1に、近代憲法ではないというのです。それは憲法の章立てが「天皇」から始まっていることに象徴されています。近代憲法は、人権原理が出発点でなければいけません。
第2に、9条があるとしても、それは日本の牙を抜くためのものであって、本来的な意味での平和条項ではない。「平和」は単に戦争のないことではなく、人権が尊重されるところにこそ平和の真意があるというのです。
その2点から、川本さんは真に平和を目指すのであれば、9条護憲論者こそが憲法創案に真剣に取り組むべきだと主張するのです。

こういう大きな問題提起につづいて、日本憲法の人権規定の問題点や方向性が具体的に説明されました。そして、それにつながる形で、9条に関しては、むしろ自衛軍としての現実を踏まえて、議論していくべきだと提案します。ただし併せて「反徴兵制」をセットにすべきだというのが川本さんの「21世紀」の平和憲法案です。

それに基づいて話し合いが行われました。
今回は講義型だったこともあり、時間が足りなくて、話したりなかった感じがありますので、できればもう一度、9条に焦点を当てて、「護憲論者」も入れて、議論したいと思います。

川本さんの著書「21世紀の平和憲法」をまだお読みでない方は、ぜひお読みいただき、次回の激論サロンにご参加いただければうれしいです。

■吉本さんから仕事を頼まれ前金をもらいました(2020年6月23日)
吉本さんが以前から話していた「仲直りプロジェクト」の件でまた会いました。
なかなか進みませんが、まあそれが私たちに会ったテンポかもしれません。
なぜ進まないかと言えば、私たちの会話は横道にそれてばかりいるからです。
実に困ったものですが、吉本さんはそれが楽しいと言います。
私はあんまり楽しくありませんが、嫌いではありません。

ところで横道の雑談の時に、吉本さんがふともらした課題に、その解決を私に仕事で頼んだらと言ってしまいました。
もちろん仕事になるような話でもないのですが、流れで吉本さんはお願いしますと言って、財布を取り出すと、前金を払っておきますとお金を机の上に置いたのです。
こんなのは初めての体験です。
あまりの素早さに噫泥来ましたが、まあ解決しなくても前金は返却しないでいいですからというので、では無駄に使ってしまうよ、と念を押しました。

そんなわけで今日は1万円が収入になりました。
コロナ騒ぎが起こってからの最初の収入です。
ただ1万円だと会社の事業税にもなりません。
そう言えば、事業税を支払うのを忘れていました。

■友人のお見舞い(2020年6月23日)
闘病中の小学校時代の友人から先日かかってきた電話が気になっていました。
一人住まいなのですが、病院の医師に電話してほしいというような電話でした。
声にも元気がなく、ともかく会いに行こうと思って、出かけました。
彼は大森で靴屋さんをやっていますが、闘病しながら一人で店もやっています。

お店の奥に一人で座っていました。
電話では心配しましたが、直接って見ると、思った以上に元気そうでした。
話を聞いて、事情もだいぶ分かってきました。
コロナの関係で、3か月以上、会っていないはずです。

お店で、時々お客様と話すとはいえ、独り住まいなので人と話すことも少ないため、いろいろと不安になってしまうのでしょう。
電話では時々話しているのですが、会うことが一番の薬かもしれません。

お医者さんには電話はできないけれど、もし必要があれば、今度病院に行くときに同行してもいいと約束しました。
一人の闘病生活は精神的にきついでしょう。
それが少しでも緩和されればいいのですが。

■TAKARAショールーム(2020年6月24日)  
リフォームのために娘がTAKARAのショールームにシステムキッチンを見に行くと言うので、一緒に行きました。まあ私が同行しても意味はないのですが、私の気分転換も兼ねてです。
娘は、ホウロウ製のキッチンが好きなのですが、いまの家のキッチンは妻が決めたので大理石仕立てなのです。
現在のリフォームは予算の関係で、ホウロウ製の使用にはなっていないのですが、娘はホウロウにしたがっています。しかし、費用はだいぶ違うようです。
残念ながら今の私にはその差額を補てんする余裕はありません。
お金がないのは、しかし良いことです。
お金があったらあんまり考えずにホウロウ製になってしまうでしょう。

■ポラスとのミーティング(2020年6月25日)
今日はリフォームを頼むポラスとの打ち合わせです。
リフォーム契約は先週締結し、今日は細かなインテリアの打ち合わせです。
今日も娘たちに付き合いました。

■パソコンをまた直してもらいました(2020年6月26日)
手元のPCがまた1台、具合が悪くなってしまいました。
そこで「困ったときのSさん頼み」で近くに住んでいるSさんに連絡したら、早速に時間をつくってくれました。
そのついでにわが家では全滅してしまっているメダカをまた持ってきてくれました。
今度は失敗しないようにしなければいけません。

せっかく来てくださったので、先日、海津さんから頂いたコーヒー焙煎器「煎り上手」で生豆からコーヒーを淹れることにしました。
と言っても、前の焙煎はお客様のSさんにお願いしてしまいましたが。
しかしとても美味しかったです。

パソコンはお持ち帰りいただき、直してもらうことにし、近くのお店で食事をしました。
コロナ騒ぎの影響をSさんもいろいろと受けているようです。

■最後の土曜サロン(2020年6月27日)
コロナで外出(自粛)規制が行われている間、毎週、土曜サロンをやっていました。
呼びかけ的な案内はほとんどしていませんでしたが、常連も含めて、毎回5〜6人の参加者がありました。
少しずつ外出する人も増えてきたので、7月からは以前のようなスタイルでテーマサロンを開催することに、土曜サロンはやめることにしました。
そんなわけで、今回は最後の土曜サロンでした。
今回は7人の参加でした。

土曜サロンはテーマなしなのですが、今回はやはりコロナ関係と都知事選の話題が多かったです。
コロナ騒ぎと山本太郎立候補には共通のテーマがあります。
それは「障害を持つ人たちの捉え方」と「生活困窮者支援」です。
もっと言えば、「障害とは何か」「生活困窮とは何か」です。
そしてそうした問題と自分とをどうつなげて考えられるかです。
そこにすべての社会問題や格差やいじめの問題は凝集されています。
さらにいえば、動物虐待や自然環境破壊の問題もつながっているかもしれません。

今回は久しぶりに国際箸学会の小宮山さんが参加したので、最後は箸ゲームの話になりました。しばらくやっていませんが、また箸ゲームサロンもやろうかと思います。

土曜サロンに参加してくださった皆さんのおかげで、湯島のサロンは切れ目をつくらずにすみました。
この間、参加してくださった皆さんに感謝いたします。
ありがとうございました。
私はコロナの第2波(定義によりますが)は来ないと思っていますが、仮に来ても、サロンはつづけるつもりです。

(2020年6月第3週)
■湯島サロン「益田先生の『看子の日記』を話し合う」(2020年6月14日)
■早朝からの畑作業(2020年6月16日)
■久しぶりのショッピングモール(2020年6月16日)
■山本太郎さんの都知事選立候補の支持を表明しました(2020年6月17日)
■久しぶりの我孫子まちづくり編集会議(2020年6月17日)
■第8回万葉集サロン「歌から会話へ 東歌を中心に作者不明歌を読む」(2020年6月20日)

■湯島サロン「益田先生の『看子の日記』を話し合う」(2020年6月14日)
益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)の小説『看子の日記』を話題にした、自由な談話形式サロンは10人のサロンになりました。

最初に各人から感想や関心事が出されました。
登場人物の名前も含めて、いろいろな仕掛けが込められている短編ですので、文芸作品としての議論もないわけではありませんでしたが、昨今の状況もあって、やはりみんなの関心は作品のテーマに向けられました。

みんなから出された関心を踏まえて、「比喩の誤謬」「自己・非自己」「アポトーシスとネクローシス」「自我と時間」「環境の捉え方」など、これまでの益田サロンでもよく話題になったテーマが、視点を変えて掘り下げられました。
益田さんは、質問に対しては一緒に考えながら話してくれるので、表層的な知識としての理解だけでなく、自分の問題とつなげながら考えられるのが魅力です。
専門的な切り口から入りながら、いつの間にか、なぜ人は孤独なのかとか、生きるとは我を忘れる事なのか、などというような具体的な話にまで広がっているのです。
もちろん最近の新型コロナウイルスに引き付けた話もありました。

益田さんは、人は「○○は××のようだ」という比喩を使いながら世界を広げているが、大切なのは、その××が借り物ではなく、自分が実際に触れたことであることが大切だと言います。サロンの参加者は、背景も立場もさまざまですので、同じ××でも、人によって大きく違うこともあります。だから時に行き違いもありますが、それがまた思考を深める契機になるのです。

今回は、「自己・非自己」の話が私にはとても面白かったです。
人の生誕に伴う「自己」の継承、あるいは「自己」の括り方、そこからアポトーシス(生命維持のための意図された細胞死)や毒性を持った破傷風菌が自らの生命を断って寄生生物を殺傷し仲間に潤沢な栄養を生みだし仲間の繁栄を図る破傷風菌の「自己」の捉え方、そこから個人や社会や国家のアイデンティティ(自己)の問題、さらには「自己」を超えた「関係性」の捉え方、など、話題は尽きません。

自我と時間の問題も面白かったです。
益田さんは、自我には現在しかないと言い切ります。
「我を忘れる」と「我に返る」という2つの言葉を出して、私たちはふだん、「我を忘れて生きている」が、「我に返って」自我になれば、現在という時間しかないというのです。
今回のサロンに初めて参加した大学院生が、そういえば、勉強は我を忘れないとやってられないというような話をしました。おそらく会社における仕事もそうかもしれません。
ということは、私たちはほとんどの時間を「我を忘れて」生きているのかもしれません。
改めて「自己」とは一体何なのか。
そこから「孤独の起源」の話になりました。
益田さんは、脳の発達が身体を孤独にしたと言います。身体は脳にとっての一次環境ですが、さらにその脳のなかに、「欲望」というものが成長しだすと、その脳が今度は欲望の環境になってしまい、…というように話が複雑になっていきます。
正確に伝える自信がないので、これに関してはまた別途益田サロンをやってもらおうと思いますが、最近のコロナ騒ぎもこうしたことに関連があるようです。

こんな感じでいろいろと示唆に富む話が多かったのですが、やはり3月頃に企画していたように、益田さんの書いた新書「病原体から見た人間」をテキストにした連続講義型病原体サロンやりたいと思いました。
病原体や感染症から見えてくることはたくさんありそうです。
『看子の日記』は副読本にして、参加者が書き込むスタイルはできないかと益田さんは考えているようです。

ちなみに、『看子の日記』には、いろいろなテーマや論点がちりばめられていますが、もし読みたい方がいたらご連絡ください。データで送らせてもらうようにします。

■早朝からの畑作業(2020年6月16日)
4日間、畑に行きませんでした。
それで思い切って今日は早朝に出かけて、とりあえず先日購入したキュウリとナスの苗を植える場所を整えて、植えてきました。
先日、下ごしらえはしていましたが、なにしろ笹などの野草が元気なので、鍬で耕し、根切り鎌で根っこを切り、ならすのですが、へとへとになります。
昨年からの野菜があるとそれを無碍に排除できないのできれいには仕上がりません。
写真を見てもよくわからないでしょうが、一番手前がカボチャ(なんとかまだ枯れずにいるので肥料をやってきました)、その次が今朝植えたナス、そして昨年来のじゃがいもとフキ、その向こうがキュウリです。
さらに野草を整理していたら一昨年植えたサトイモが2本残っていました。
この調子だとまだいろいろと植えられそうです。

写真は撮れませんでしたが、イチゴの救出も進んでいます。
そんなわけで今日も45リットルの野草袋が4つも出来ました。
花壇のところは、もう気が遠くなるほどの荒れ放題で、手が出ませんが、琉球朝顔が咲き出していました。アオイも次々に咲きだしています。
まあそれでしばらくは我慢してもらいましょう。

今日はたくさんの生き物に会いました。
例年よりも早い気がしますが、おとなしいウマオイにも会いました。
やぶの状況から考えて、ヘビがいてもおかしくない気がしますが、ヘビはもうこの5年以上、会っていません。

■久しぶりのショッピングモール(2020年6月16日)
早朝からの畑でさすがに疲れたので、午後はユカに声をかけて、柏のショッピングモールArioに行きました。
コロナ騒ぎ以来、初めてですが、お店はほとんど開店していましたし、人でもまあ程々でした。
最近はユニクロで衣服を買うことが多いのですが、残念ながら今回は気にいるものがありませんでした。
代わりに、マルタカ鮮魚店で、久しぶりにサザエを買ってきました。

■山本太郎さんの都知事選立候補の支持を表明しました(2020年6月17日)
山本太郎さんが都知事選に立候補しました。
これに批判的な人が私の周りにも少なからずいます。反小池票を分散させ、結局、小池さんを利するだけだというのが、その大きな理由のようです。
たしかにその危険性はあるでしょう。
しかし、私はたとえそうなっても、だからといって山本太郎さんを批判する気にはなれません。そもそもどんな理由であれ、立候補した人を批判するのは、その人の民主主義観を象徴しています。そのことは間違いなく小池さんを応援することになるでしょうから、小池さん支持活動と考えれば、納得はできますが。

私は都民ではないのですが、政治家としての山本太郎さんを支持しています。
それに小池都政には違和感があり、都知事が変わってほしいと思っていますので、山本さんが立候補したことでその可能性が出てきたことを歓迎しています。
もし山本さんが出なかったら小池都政は間違いなく継続するだろうと思っていましたが、これで都知事は変わるだろうと思いだしています。
もちろんこれからの山本さんの活動次第ですが、小池都政をもし支持していないのであれば、反小池票が分かれるなどという嫌がらせを言うのではなく、どうしたら山本都知事を実現できるかを考えて行動すべきです。
それにこれは単に都民のための都知事選ではありません。小池さんのように、山本さんは「都民ファースト」などとは言わないでしょうし、都政が国政にとってどういう位置づけにあるかもわかっているでしょう。
ですからこれは、国政につながる話なのです。

山本太郎さんの都知事立候補に、国政の大変革の始まりを期待しています。
山本太郎都知事実現を確信しています。
そして日本の政治が変わりだすことも期待しています。

■久しぶりの我孫子まちづくり編集会議(2020年6月17日)
コロナ騒ぎのためにしばらく集まりをやめていた我孫子まちづくり編集会議を開きました。
一度、zoomでのミーティングもやったのですが、そろそろリアルに集まってみようということになったのです。
最初は手賀沼湖畔の水の館の公共スペースでやっていたのですが、後半は外に出て、屋外の芝生にブルーシートを敷いて継続しました。
温度もほどほどで湿度も低かったので、適度に距離感ももてて、快適でした。
今回は特に決めなければいけないテーマがあったわけではないのですが、近隣の柏や白井から参加してきてくれた人もあって、また始めるかという気にたぶんみんななったのではないかと思います。高校生も含めて参加者は12人でした。

次回は7月の5日の午前中に開催予定です。
年初予定していたイベントは実現できなくなりましたが、その分、回り道しながら、みんなが楽しめる展開になればと思います。
手賀沼界隈で何か楽しいことをしたいという方は、ご連絡ください。
コロナ騒ぎでもできることはたくさんあるでしょうし、コロナ騒ぎだからこそ出来ることもきっとあるはずです。

■第8回万葉集サロン「歌から会話へ 東歌を中心に作者不明歌を読む」(2020年6月20日)
升田さんの万葉集サロンも、いよいよシーズン2に入りました。
今回から東歌を中心に作者不明歌を読んでいきます。
テーマは「歌から会話へ」です。

案内文に書いた升田さんのメッセージの一部をもう一度紹介させてもらいます。
これまでのシーズン1のまとめにもなっていますので。

「た」「な」そして「わ」。ほとんどが文字を持たない人々であった古代。
自分の心、思いを伝え表す方法は音声による言語(あるいは絵などの造形物)しかない。言語行為は善きにつけ(祝・愛情表現など)悪しきにつけ(呪・戯言など)言葉を信頼しての行為であるから、「言霊」という言い方も為された。発した言葉は自分に戻って来ることがあるから、言葉は常に畏怖の対象でもあった。
文字を持つようになってから、人々の言語感や言語意識が変わってゆく。
人言(噂)が「うるさい・いやだ」と嫌悪しながらも上手く受容し、「た」とゆるやかに共生する庶民たち。「うるさい」を慣用句化しそれに依拠した形で自己を主張する知識人たち。
「人間と対峙する言葉」が「生き物」のように柔軟に変容するところに、社会や文化の進展があるのかも知れない。そのありようが見られるのも万葉集の面白さの一つであろう。

というわけで、今回はその序論として、東歌を実際に読んで、東歌とこれまで読んできた都の万葉人の歌との微妙な違いを味わってみました。

最初に升田さんが選んだのが次の歌でした。

多摩川に 晒す手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき(巻14・3373)

前半3句が「序」、後半2句が「言」と升田さんは説明してくれました。
「序」には地名と情景が含まれ、「言」には思いが込められる。
ふつう考えると、「言」のほうに意味があるように思いがちですが、増田さんは反対だというのです。
升田さんの解説を聴きましょう。

東歌は、古代の「言」観を基層としながら感情を表出する。この形成過程で、いわゆる「序詞」と称されている部分は修辞としてではなく、歌の中枢となる。そしてこの部分を今「歌」と呼び、気持ちを直接表出している言葉を「言」と呼んで、「言」と「歌」とが融即して一首をなすありようを見ている。恋の相手や共同体である「た」とのコミュニケーションの手段としての「歌」。として、われわれも「た」として東歌を感じたい。

「言」と「歌」。ちょっと混乱しそうですが、直截的な言葉よりも、情景によってこそ、思いは伝わるというのです。
言葉(ロゴス)で伝わることの少なさを日頃痛感している私としては、情景(イメージ)を通してのコミュニケーションのほうが効果的だという指摘にはとても納得できました。
情景には、たとえば「さらさら」という音まであって、それが世界を広げ深めてもくれます。

他の歌もいくつか読みながら、古代人の「言」観、さらには掛詞や枕詞、言霊、「言」への不信感なども話題になりました。
言霊とコロナウイルスというような話も含めて、すこし横道にも入りましたが、「言」は「事」にも通じ、「物」「者」ともつながっていくのではないかという問題も参加者から出されました。こうなるとフーコーの世界(「言葉と物」)にもつながってしまうとふと思いましたが、そんなふうに話題は広がり、用意してくれた東歌の大部分は次回以降になりました。

升田さんは、サロンの後に、こう書いてきてくれました。

問題、課題は山積しており、文学の難しさにも直面するが、参加してくださる方々から暗示や示唆、知識をいただきながら考える場は楽しい。

そして、大きなテーマに陥っているので、東歌をあと何回か読む予定です。とも伝えてきました。
というわけで、このテーマは次回(8月15日の予定)につづきます。

内容がだんだん深まってきて、報告が難しくなりました。
私が報告をまとめると独りよがりになってしまいがちですので、興味のある方はぜひ直接参加してください。報告とはたぶん違うことを感じるのではないかと思います。
そんなわけで、次回から報告は思い切り簡単にさせてもらおうと思います。

(2020年6月第2週)
■村松さんから風月堂のゴーフルをもらいました(2020年6月7日)
■湯島サロン「貸借対照表による経済活動の分析」(2020年6月7日)
■アベノマスクが届きましたので安倍さんの家に返送しました(2020年6月8日)
■畑作業再開(2020年6月8日)
■銀行口座解約を始めました(2020年6月10日)
■自らを問い質されるような電話(2020年6月11日)
■満員電車に乗って喫茶店で3人の人に会いました(2020年6月12日)
■土曜サロンではなんとなく「社会の正常化」をテーマにしました(2020年6月13日)

■村松さんから風月堂のゴーフルをもらいました(2020年6月7日)
村松さんとゆっくりと話し合う時間を持ちました。
村松さんの生き方にちょっと関心を持ったからです。
彼はいま、整体の修行中ですが、彼の整体は、どうも身体だけの整体ではないようなのです。彼がそう言っているわけではないのですが、そういうようなものを感じて、私は興味を持ったのです。
やはりいろいろな物語がありました。

ところでその村松さんから風月堂のゴーフルをもらいました。
ゴーフルは大好きでしたが、基本の大きなゴーフルはもう10年以上出合っていませんでした。

■湯島サロン「貸借対照表による経済活動の分析」(2020年6月7日)
沖さん主催の「貸借対照表による経済活動の分析」は10人を超すにぎやかなサロンになりました。高校生の初参加もありました。

財政会計、自治体会計、企業会計、家計は、それぞれ目的が違うために会計制度が違っています。しかし、金銭経済という視点で考えれば、それはすべてつながっています。そこで、それらを総合的に捉えることで、これまで見えなかったものが見えてくるのではないかというのが沖さんの考えです。

そこで、企業会計のフォーマットを、個人(家計)や企業、政府(財政)にも展開して、国家全体の金銭の流れや富の全体像を捉えてみようということで、まずは企業会計の基本である貸借対照表と損益計算表の説明から始まりました。高校生もいたので、減価償却とか日常語ではない用語も参加者が補足的に解説しあってくれました。
個人、会社(事業体)、政府という3つの層で作成した貸借対照表を総合すれば国家全体の金銭経済の全体像が把握できるのではないかというのが沖さんの提案です。

20〜30年前に日本でも金融ビッグバンが起こり、企業会計もグローバルスタンダードに移行しました。その結果、日本型の金融制度は解体され、日本の企業構造は大きく変わり、経済の質も変化しました。
並行して、英米発の「ニューパブリック・マネジメント」といわれる行政革命が日本でも広がり、自治体会計制度もかなり企業会計に近づきました。しかし国家財政に関しては、相変わらず特殊構造が維持され、ブラックボックスはそのままで、上場企業程度の透明性も得られてはいないばかりか、わからないことが多すぎます。
たとえば財政赤字がよく話題になりますが、債権と債務は国家単位で考えればバランスしているのだから心配ないという議論もありますが、ほんとうにそうなのか。
などなど、こうした問題を抽出するためにも、貸借対照表による経済活動の分析は有効ではないかというわけです。

今回は考え方の提示だけだったので、具体的な議論にはいきませんでしたが、それでもいろんな課題は見えたと思います。通貨の話や金融の話(特に利子の意味)も少し出ました。沖さんが、冒頭金銭では計れない「幸福」ということもあるという話をしたので、GNP(国内総生産)とは別のGNW(国民総福祉)の話も出ました。
経済はもともと「経世済民」だったし、日本には近江商人の三方良しの伝統もあるという話まで出ました。
参加者それぞれにいろんな気付きがあったと思います。

「汎市場化」「金銭至上主義」に抗いながら生きている私としては、金銭経済的に国家の全体像を把握しようという発想そのものが、新自由主義経済学者が目指すところであり、現在の政府が国民一人ひとりの金銭状況を把握しようとしている動きに加担するような話なので否定的ですが、そういうことも含めて、会計や財政に関することに多くの人がもっと関心を持って行くことが大切だと思っています。
ですから、通貨や新しい経済発想に関するサロンは今後も企画していきたいと思っています。
こんな話題を提供したいという方がいたらご連絡ください。

■アベノマスクが届きましたので安倍さんの家に返送しました(2020年6月8日)
我孫子もようやくアベノマスクの配達が始まりました。
今日は在宅なのですが、先ほど、来客の知らせのチャイムが鳴りました。
出てみると郵便配達の人でした。
書留かなと思ったら、なんとアベノマスクでした。

以前、フェイスブックやツイッター、ブログなどに書いたように、以前ポストに受け取り拒否の紙を貼っていたのを覚えていてくれて、わざわざ確認のために声をかけてくれたのだそうです。
受け取り拒否はやめて、受け取ったうえで官邸に郵送することにしたので、受け取り拒否の紙ははがしていたのですが、それを覚えていてくれたのです。もう2か月近く経っているのに、覚えていてくれたことに感謝しました。
ちょっとだけ話をさせてもらいました。返送料は120円ですね、と言ったら、そうです、高いですよね、と言ってくれました。
この人ももしかしたら、マスクに怒っているのではないかとつい思ってしまいました。
郵便配達の人はみんな良い人なんだなと改めて思いました。

ちなみに今日、あるメーリングリストで、マスクが届いたら雑巾代わりに使うと書いてきた人がいます。
彼らしいなと思いましたが、やはりここは郵便切手を貼って返送が一番いいと思います。
国会議員選挙と同じで、棄権したら与党支持になりますから。

■畑作業再開(2020年6月8日)
今年は畑作業はやめる予定が、事情が変わってやることにしました。
タイミングを失したのですが、今日、野菜の苗を買いに行きましたが、お気に入りのものがなく、キュウリとナスだけ買ってきました。
しかし畑はまだ畑になっていないので、まずは野草を排除して土が見えるようにしないといけません。そこで熱中症覚悟で出かけてきました。
1週間ほど前に以前植えたかぼちゃを一本見つけて周りの野草を刈り取りましたが、2週間も放置しておくともう野草に埋もれてしまっています。
今回はきちんと長靴も履いて農具も持って行ったので、頑張りました。野草を刈り取っていたら、前回は見つけられなかったもう一本のカボチャが出てきました。なにしろ50センチくらい野草が繁っているのでおいそれとは見つからないのです。

1時間以上、がんばって45リットルのごみ袋3袋の成果がありました。買ってきた野菜の苗を植える状況にまでは行きませんが、先が見えてきました。
同時に、野草のなかからジャガイモやニンジンやネギなどが見つかりました。いずれも昨年の未収穫のものです。じゃがいもは普通は横に伸びますが、野草に影響されて上に伸びているのが面白いです。
人参は花が咲きそうです。ミョウガの周辺の野草も刈り取りました。

今日は基礎作業に終わりましたが、明日か明後日はイチゴの救出と花壇の整理です。
かぼちゃに肥料もやらないといけないのですが、肥料の袋がどこかにあるはずですが、野草に覆われて見つかりません。
困ったものです。
植物と付き合うのはそれなりに大変です。

帰宅して気が付いたのですが、今日は作業中、なぜか動物には合いませんでした。
一心不乱に土を耕していたということでしょう。

■銀行口座解約を始めました(2020年6月10日)
書類の整理も廃棄の山ができているので、その処分が終わるまで中休みにしました。
それで、今度は銀行通帳やカード類の整理をすることにしました。
長い人生のおかげ、いろんなカードや預金口座が無駄にたくさんできてしまっています。
それで、娘に頼んで銀行や郵便局に行って、口座解約をすることにしました。

まずは近くの千葉銀行に自動車で送ってもらいました。
銀行に入って気がついたのですが、マスクを忘れてしまいました。銀行の人に話したら、いいですよと言われたので、ロビーの椅子の入り口近くに小さくなってすわっていました。やはりちょっと肩身が狭いですね。私以外はみんなマスク姿です。

ところが、「佐藤さんですよね」と入ってきた人に突然声をかけられました。
その人はマスクをしていたので、名前を言われるまで誰かわかりませんでした。
「またゆっくり話したいですね」と言われました。
私がマスクをしていなかったおかげです。私もマスクをしていたら、お互いに気づくことなく、何も起こらなかったでしょう。やはりマスクは、人の交流を阻みます。
ますますマスクが嫌いになりました。

■自らを問い質されるような電話(2020年6月11日)
夕食を食べようとテーブルに着いた途端に、番号に覚えのない人から携帯電話が入りました。女性の声でした。前に自殺のことで湯島に相談に行ったことがあります、というのが第一声でした。まさにいま精一杯といった状況を感じました。

少し話をして、まずはお名前を教えてくださいと、問いかけました。
名前を教えてもらって、話をしているうちに少しずつ思い出しました。たぶん4,5年前に友人が連れてきてくれた人です。その時はむしろ、自殺防止の活動を手伝いたいというような話だった気がします。
実際には彼女自身も問題を抱えていたようです。いろんな人に相談しているようですが、どうも八方ふさがりのようで、ちょっと精神的に危うくなっているようです。

ゆっくりと話を聞かせてもらいました。
少しずつ落ち着いてきたようなので、湯島に出て来られますかと訊いたら今は無理だというのです。コロナのせいかと思ったら、まったく別の理由でした。
彼女が陥っている状況がそれでまた少しわかりました。
コロナウイルス感染症などは彼女にとっては大きな問題ではないのです。

こうした状況にあるのは、彼女だけではありません。
私の身近にも同じような人は何人かいます。
そういう人にとっては(私もそれに近いですが)、コロナは有閑マダムの話題のように見えているかもしれません。
もっと大きな問題があるのに、世間はコロナコロナばかりです。
そういう風潮に私はいまかなり不機嫌です。

さて私にできることはあるのか。
たとえ自分が精一杯でも、見つけなければいけません。
今朝、読んだ知人のメールに返信しておいたのですが、それが早速試されているような気がします。
お天道様はなかなか見逃してはくれないようです。

■満員電車に乗って喫茶店で3人の人に会いました(2020年6月12日)
コロナが流行しだしてからはじめて平日の電車に乗って都心に出て、喫茶店で人に会いました。
相談があるからと3人の知人たちに呼び出されたのです。
2年前にそのグループにはある提案をしていたのですが、その提案は採用されませんでした。苦労してある状況にまで持って行ったのですが、何もアクションをとらなかったので、正直、もういいかという気になっていたのです。だから今さらという気もしたのですが、困っている人がいたら、出ていかなければ、宮沢賢治の「デクノボー」精神に反します。

まあ2時間話し合いました。
覚悟ができたら、私がやれることはやるからと伝えましたが、ちょっと私のモチベーションは下がっています。
でもまあ問題の当事者はそう簡単には動けないのでしょう。
それもわかるのであまり強いこともいえません。

■土曜サロンではなんとなく「社会の正常化」をテーマにしました(2020年6月13日)
昨日の土曜サロンはご案内のように、「社会の正常化」をなんとなくのテーマにしたのですが、話が盛り上がりすぎて、1時間近くも延長になってしまいました。
参加者は私も含めて8人。

ここでいう「正常化」とは、「プラハの春」の後のチェコの正常化政策のことです。
共産党による一党独裁体制下のチェコスロバキアで、1968年に民主化の動きが成功し、「人間の顔をした社会主義」路線が宣言され、表現の自由や個人の尊厳の回復が図られますが、結局、ソ連の軍事介入により民主化は挫折し、再び独裁政府ができますが、その政府は社会の「正常化」を目指して「反民主化政策」を進めていくのです。
そこでは、「正常」かどうかは政府が決める、つまり反民主的体制こそが「正常」なのです。
最近のコロナ騒ぎで、私はこのプラハの春を思い出します。

オリンピックの話から始まりました。そこらどんどん広がり、マスクの裏表の見分け方から人類の未来まで、さまざまな話題が展開しました。
参加者のひとりが、わざわざ「新しい生活様式」のホームページサイトをコピーして持ってきてくれましたので、それも話題になりました。その人は、国民に新しい生活様式を押し付ける前に、政官自らが変わるべきだと付け加えましたが、みんな賛成でした。
「変えさせる」前に「変わる」という文化を大事にするのは、湯島のサロンの理念のひとつなので私も賛成です。

マスクを離さず、新しい生活様式を守ることが、「正常な生き方」「正常な社会」になってしまわないといいのですが。
コロナ感染症への不安に脅かされて、おかしな「正常化」が進まないことを祈ります。

ちなみに、その後、チェコは1989年、ビロード革命という無血革命で「正常」状態から脱し民主化を達成しました。そして価値判断基準を市民が取り戻したのです。
私たちは、取り戻せるでしょうか。

(2020年6月第1週)
■湯島サロン「民主主義の危機と希望」(2020年5月31日)
■にこの入園式(2020年6月1日)
■寝室の改造(2020年6月3日)
■リフォーム方針の決定(2020年6月4日)
■久しぶりの畑(2020年6月5日)
■土曜サロン(2020年6月6日)

■湯島サロン「民主主義の危機と希望」(2020年5月31日)
新型コロナ騒ぎから見えてきた、日本の「民主主義の危機と希望」をテーマにしたサロンには、13人の参加がありました。
最初に、参加者一人ひとりから、それぞれが実感している「危機と希望」を自由に話してもらい、それを踏まえて自由に話し合いを行いました。

まさに生活感覚からのさまざまなことが出されましたが、みなさんに共通していたのは、たとえば、人が分断されてきたという現実を通して、逆に人のつながりの大切さへの意識が強まったというように、同じ事象の中に「危険」と「希望」を感じているということでした。
また、これまで見えていなかったことがいろいろと見えてきたり、事の本質に気づかされたり、さまざまな問題や無駄に気付かされたという点も多くの人に共通していました。
監視社会や管理社会、あるいは分断社会、さらには隣人関係などのトラブルなどの話も出ましたが、そうした中から、改めて社会への関心の高まりが読み取れるといえるかもしれません。
社会や政治などに目を向ける余裕が全くなくなってしまうほどの危機状況に置かれた人も増えているという話も出ましたが、それこそがちょっとした仕組みやきっかけで生活と社会がつながる状況が生まれ出しているとも言えるように思います。

一言で括れば、個人の尊厳を尊重し合い、一人ひとりが主役になって社会を豊かにしていくという民主主義の理念から外れた現状が見えてきたと言えるかもしれません。
不都合な現実が露呈されれば、当然に、その問題を解決しようという動きが引き起こされるでしょうから、まさに「危機」は「希望」につながります。しかし、放置していてはつながりません。大切なのは、危機を希望につなげていくことです。つまり、私たち一人ひとりの生き方ということです。

黒川前検事長に関する芸能人らの動きも希望のひとつだという話になりました。
市民がおかしいことをおかしいと言えば、社会は変わるのだということをみんなが実感したということです。同じ時期に起こったSNSでの中傷による木村花さんの自殺の話も出ましたが、良くも悪くも大きな力を持つSNSに、私たち一人ひとりがどう向き合うかは、民主主義にとっても大きな課題であることが明らかになりました。言い換えれば、SNSから逃げることはできないということです、そうであれば、SNSの対象ではなく、主役にならなければいけない。
同じように、テレワークもまた両刃の剣かもしれません。

こう考えていくと、いまは私たち一人ひとりの行動が、この先の社会のあり方に大きな影響を与えるということです。与えられた民主主義の中で生きてきた私たちにとっては、絶好の機会かもしれません。

話し合いの後、監視社会のベクトルを逆転させる時期に来ているという話を少しさせてもらいました。
民主主義は時代と共に大きく変わってきています。
民主主義の理念をベースに憲法ができ、それに従って代議制による民主的な政治体制がつくられ、理念と現実のズレを埋めるためにさまざまな努力が重ねられてきています。
これまでの流れは大きく言えば、代表民主主義の欠陥を正し、参加民主主義の要素を増やしていくという流れでしたが、それに合わせて、政府を監視し、その暴走を阻止する「対抗民主主義」が、改めて大切になってきています。そこから、与えられた民主主義とは違う、自らが創りだす民主主義が生まれてくるかもしれません。

「対抗民主主義」とは、一言で言えば、主権を託した政府をしっかりと監視していくということです。具体的に言えば、監視される国民から、監視する国民へと、私たちは変わらなければいけない。
政府から提案された「新しい生活様式」に合わせて、生活を自粛したり、相互監視し合うのではなく、「新しい政治様式」を働きかけ、政府の行動を自粛させ、政府や行政を監視するというように、発想を逆転させることが求められているのではないか。
そしてそれが可能になってきているのではないか。
もしそうであれば、それぞれができることを考え、動き出そうというのが、今回のサロンの、私の勝手な結論です。
実際に具体的な活動の話もいくつか出ていたと思います。

コロナ騒ぎで、日本の社会は良くなるのかどうかに関しては、誰もはっきりと答えられませんでしたが、良くしていかなければいけません。

■にこの入園式(2020年6月1日)
新型コロナウイルスで遅れていたにこの入園式がやっと開催されました。
しかし分散登園によるさびしい入園式だったようですしかも家族もひとりだけ列席できたそうです。
しかしまあこれでにこも幼稚園児です。
まだお祝が買えていないですが。

■寝室の改造(2020年6月3日)
寝室を改造することにしました。
ためしにレイアウトを変えてみました。
部屋の半分を仕切って、そこに書庫を持ってこようと思います。
書類や蔵書は思い切って廃棄しなければいけません。
長らくそのままにしていた妻のベッドも廃棄し、整理ダンスなどもすべて廃棄です。

■リフォーム方針の決定(2020年6月4日)
リフォームを相談しているポラスとミーティングして方針を決定しました。
予算がいささかオーバーでまだ資金めどは立っていませんが、まあどうにかなるでしょう。

■久しぶりの畑(2020年6月5日)
しばらく行っていなかった畑に寄ってみました。
とんでもない状況になっていて、せっかく植えた2株のカボチャもひとつは消滅、もう一つも野草に覆われて危うく消滅しそうになっていました。
ともかく野草が覆い繁りだしていました。
この状況から脱するにはかなりの重労働になります。
さてさてどうするか、畑をやめようと思っていたのですが、コロナ騒ぎで状況が変わり、今年1年、もしかしたら畑として使えるかもしれなくなったのです。
また開墾作業を始めるかどうか、迷うところです。

■土曜サロン(2020年6月6日)
鈴木さんと近藤さんと沖さんと段田さんが参加しました。
ポストコロナ社会が話題になりました。
コロナ騒ぎの後の土曜サロンの常連の一人は、仕事が以前のような稼働時間の多いシフトになったため、今日は勤務で参加できませんでした。人間の顔をした社会主義を実現した「プラハの春」の後、チェコが共産党政権に戻った時に、「正常化」という言葉が使われたことをふと思い出しました。
「正常化」とはいったい何のか、よく考えてみたいと思います。
次回の土曜サロンは、できれば「正常化」をテーマにしたいと思います。

(2020年5月第4週)
■湯島サロン「世界新型コロナ工作終息論考」(2020年5月24日)
■3つのショックな事件(2020年5月25日)
■ちょっと早目の誕生日のプレゼント(2020年5月26日)
■コーヒー豆焙煎器と生豆が届きました(2020年5月27日)
■今度は熊本から見事な玉葱が届きました(2020年5月28日)
■土曜サロン(2020年5月30日)

■湯島サロン「世界新型コロナ工作終息論考」(2020年5月24日)
テーマサロン再開1回目の「世界新型コロナ工作終息論考」は定員を決めていたはずなのに、結果的には定員を超えるサロンになりました。世代も20代から70代と幅広かったのに驚きました。みんな本当に陰謀論が好きですね。

中嶋さんは、まず3月のサロンで話してくれた予測を復習、感染症は4月にピークを迎え、5月には収束という予測は、見事に的中していました。自然現象は予測困難ですが、人為的な陰謀は論理的に予測できる、ということで「陰謀説」を立証?してしまった。
今回はそうした中嶋さんの予測の裏付けとなる陰謀史観や陰謀論的世界観へと話は広がり、ロスチャイルド家やディープステイトはもちろんですが、ケネディ暗殺や日本人・ユダヤ人同祖論、さらに横田空域や日米合同委員会、STAP細胞にまで話題は広がりました。なにしろ「陰謀論」は際限なく広げられるのが特徴です。

参加者もそうした話には「ノリ」がよくて、なかなか新型コロナ工作の終息の話に行かなかったのですが、中嶋さんは、最後に、新型コロナ事件を次のように明確に総括してくれました。

今回の新型コロナウイルス事件は、「世界金融支配体制」「ディープステイト(DS)」「イルミナティ」「300人委員会」などと呼ばれている、世界を裏から支配しコントロールしている闇の勢力が、200年も前から画策している「世界革命行動計画」実現のために、対抗する敵対勢力の駆逐と計画実現の前提の人口削減と大衆管理(人類家畜化計画)推進のために仕掛けた計画的で残虐非道なパンデミックオペレーションなのです。

ちなみに、上記の「闇の勢力」DSに対抗しているのも、また「もう一つの闇の勢力」(アンチDS)とも言えそうです。その代表がトランプやプーチン、習金平。残念ながら日本を率いている安倍さんは、あまりに端役なのか、名前も出てきませんでした。つまり、2つの闇の勢力に媚を売りながら、右往左往しているのです。コロナ対策がしっかりしていないのも当然のことなのです。

しかし、そうした2つの「闇の勢力」の争いのためのものであれば、私たちはその余波を受けているだけの話です。家畜化が進められている私たち大衆の運命はどちらに転んでも、あんまり変わらないのかもしれません。ちょっと憂鬱になりますね。

闇の勢力に抗って、脱家畜化に挑戦するシナリオもないわけではありません。
闇の勢力の力の源泉は「通貨発行権」ですから、そのカギは「通貨」です。
そこで、地域通貨や公共貨幣という挑戦も行われているという話も出ましたが、コロナ対策でお金を給付する話がでると、闇の勢力の「施し」に恭順してしまうのが、大衆です。困ったものです。
抗うのであれば、「覚悟」を持たなければいけません。

現代社会は複雑化していて、個人には見えないことがほとんどです。事実が見えないと、人は不安に襲われる。それが陰謀を信じたくなる理由だと言われます。辻褄が合うような物語を創造・想像し、安心したくなる。その際、目立つ存在に目が行くのは当然の結果で、資産家やユダヤ人が主役になってくるわけです。凡庸な安倍さんは主役にはなりません。

また、陰謀論には、「あらゆるものはつながっていて、意味がある」と「すべてはいまを説明するためのもの」という2つの原則があると言われます。
そのおかげで、陰謀論から見ると社会のさまざまな問題を話題にできるのです。今回も、いろんなことが話題になりましたが、陰謀論にはそうした効用もあります。
それに、陰謀論に従えば、どんなことも「誰かのせい」にできますから、話し合いは平和に進められるのです。「闇の勢力」である大きな敵に対しては、立場を超えてみんな、仲間になれるのです。

最後に、ではこの新型コロナ騒ぎに私たちはどう対処したらいいのかと質問しました。
中嶋さんは、「愛と良心が響き合う世界をつくること」だというのです。つまり、価値観を変えること。お金のために生きるのではなく、愛と良心を大切にすることだいうのです。
考えようによっては、それに気づかせてくれる、もっと大きな陰謀(自然の摂理)が働いているのかもしれないと思いました。
その方向に世界が動き出すように生きたいと思います。

というわけで、今回の陰謀論サロンも平和に終わりましたが、コロナ騒ぎに関しても、意図された陰謀なので、解決策はすでにあるはずですから、そう心配することもないというのが、もう一つの結論だったような気がします。
ただ誤解してはいけないのは、感染症よりも恐ろしいことが、その向こうにあるかもしれないということなのです。

ちなみに、2つの闇の勢力の争いの決着に関しては、今秋のアメリカ大統領選で少し状況がわかるかもしれません。トランプ再選か再選阻止かによって、コロナ感染症のパンデミック状況も変わりうるということのようです。

かなり不正確な報告ですが、「陰謀論」はなかなか難しく、報告も難しい。間違った報告になっているかもしれませんが、中嶋さんには責任はありません。念のため。

■3つのショックな事件(2020年5月25日)
今日は悪い日になりました。
まず娘の健康に関わる精密検査の結果が出ました。
最悪ではありませんでしたが、手術が必要になりました。
しかもそのメーリングリストに解決しなければいけない問題もあるそうです。

私もまた悪いニュースが届きました。
ずっと放置していた「債権」がなぜか「債務」になってしまっていたのです。
納得できませんので交渉するつもりですが、こういうのが私は一番苦手です。
金銭が問題になっただけで、げんなりしてしまうのです。
それにしても、不快で、胃が痛みます。

さらに夕方もう一つ問題が起こりました。
踏んだり蹴ったりの日でした。
弱い人には悪いことが降りかかってくるものです。

■ちょっと早目の誕生日のプレゼント(2020年5月26日)
今日は孫家族がやってきました。
ちょっと早目の私の誕生日のお祝いだったのです。
孫からプレゼントを渡されて、気がつきました。
ケーキももらいましたが、孫からのプレゼントは昨年のよりも進化していました。
トイレットペーパーの芯でつくった私の人形です。
孫は私のことを「おさむさん」と呼んでいます。
「ん」がちょっと「W」みたいですが。

孫から祝われる歳になりました。

■コーヒー豆焙煎器と生豆が届きました(2020年5月27日)
思ってもいなかった荷物が届きました。
コーヒー豆焙煎器と生豆です。
送ってくれたのは海津さんですが、最近の外出自粛状況を気遣ってくれたようです。
荷物が届く前に、メールが届きました。

前から思っていたのですが、佐藤さんは手挽きのコーヒーミルを持っていらしたので、「煎り上手・生豆セット」をお贈りしたいと考えていました。

そういえば、以前、海津さんが市長選に立候補して時に、選挙事務所に行ったときに、彼女が煎ってくれてことを思い出しました。
自宅にあるガス・コンロで生豆を煎ることができるセットです。
有機農法の生豆もついています。
メールの最後に「雨にもコロナにもマケズ、頑張りましょう」と書いてありました。

早速、煎ってみました。4〜5分で簡単に煎りあがりました。
それを挽いて、コーヒーを淹れました。
今回は少し深煎りにしてみましたが、煎り具合は好みで変えられます。
生豆は完全有機で、グアテマラと東ティモールが入っていました。
思ったよりも香りが少なかったのですが、いろいろと工夫したら、いろんな楽しみ方がありそうです。
アルカリ性の極上のコーヒーが楽しめるとパンフレットには書いてあります。

最近はだんだん怠惰になり、粉を使って、コーヒーメーカーで簡単に淹れるようになっています。つい先日、エスプレッソマシーンも廃棄してしまったところです。
さて明日からどうしましょうか。
悩むところですが、しばらくはこれでコーヒーを楽しもうと思います。

ネットで調べたら、市販されていて、コーヒー通の人には人気のようです。
これでまたコーヒーの消費量が増えるかもしれません。

■今度は熊本から見事な玉葱が届きました(2020年5月28日)
立派な新玉ねぎが届きました。
熊本の学校給食用の玉ねぎ農家を支援しようと友人が購入して、私にまで送ってきてくれたのです。これまで見たこともないような立派な玉ねぎでした。直径が12〜14センチもあります。あまりに見事だったので、おすそ分けにまわってきましたが、好評でした。
コロナウイルスは「悪さ」もしていますが、こういう「善さ」もいろんな形で生み出しているようです。

■土曜サロン(2020年5月30日)
今日の土曜サロンは、参加者それぞれが少しずつ話をする形で、いろんな話題が出てとても面白かったです。
コロナ感染症はいろんな形で、生活にも影響を与えているようです。
往復の電車が先週よりも混んできました。
来月も案内なしの土曜サロンは継続予定です。

(2020年5月第3週)
■リフォーム打ち合わせ(2020年5月18日)
■書庫と書斎をなくすことにしました(2020年5月21日)
■恒例の土曜サロン(2020年5月23日)

■リフォーム打ち合わせ(2020年5月18日)
リフォームする方向を決めるために、娘たちと一緒にポラスでミーティングをしました。
代替の見積もりの提案があったのですが、思った以上に高かったので、ちょっと悩みます。
いつものことながら、お金のことは全く考え?に行動を始めるのがわが家のスタイルなのです。
お金は必要になればどこかからやってくるというのが、私のこれまでの方針で、お金がたまったら何かをやろうという発想が皆無なのです。
それでもこれまでは何とかなりました。
しかし、今回はどうでしょうか。

予定よりもこじんまりとしたリフォームになってしまうかもしれません。

■書庫と書斎をなくすことにしました(2020年5月21日)
リフォーム費用を節約するために、まずは私の生活スペースを思い切り縮小することにしました。
書庫と書斎はなくして、寝室一間の生活にしようと思います。
そのために、資料や雑誌や書籍を大幅に廃棄しなければいけません。
資料や雑誌は選択していると廃棄できませんので、すべて廃棄する方向で進めることにしました。
書籍はそうもいきませんが、これもできるだけ廃棄しようと思います。
3日間かけてかなり整理しましたが、ついつい思い出のある本を再読したくなったりして、なかなか廃棄は進みません。
やはりちょっと時間がかかりそうです。

■恒例の土曜サロン(2020年5月23日)
7人の参加者がありました。
土日連日のサロンですし、特に案内も出していなかったので、2〜3人ののんびりサロンになるだろうと思っていましたが、意外でした。
外出自粛がかなり鬱積しているのかもしれません。
なかには行く場所がないので来たという「不埒な」人もいました。
困ったものですが、まあそれが湯島サロンのもともとの出発点でした。
土曜サロンは、特に案内はしませんが、基本的にこれからも継続します。

(2020年5月第2週)
■腰痛の気配(2020年5月12日)
■第2回「新型コロナウイルスとどう付き合うか」(2020年5月16日)

■腰痛の気配(2020年5月12日)
週1回しか湯島に行かなくなったせいか、身体がどうもなまってきました。
そのうえ、この2〜3日、腰の痛さを感ずるようになりました。
腰痛になったら大変なので、室内での階段の上り下りでもしようかと思っています。
床に座る生活時間が増えたのがよくないのかもしれません。

■第2回「新型コロナウイルスとどう付き合うか」(2020年5月16日)
細菌学者の益田さんの「新型コロナウイルスとどう付き合うか」は、1回目が定員オーバーだったため、もう一度開催してもらいました。

今回は、参加者の要望で「ウイルス変異」の話題から入りましたが、前回同様、参加者の質問に応じて、対話型で進めてくれました。
益田さんからは、前回話題になった「濃厚感染」と「少量感染」の話も出て、そこからワクチンや抗体の話に広がり、どうしたら落ち着くのかという話に展開しました。

私の生半可な知識での内容紹介は危険ですので、前回同様省略させてもらい、今回も私の感想を書かせてもらいます。

私はますます新型コロナウイルスに同情的になりました。
長年の住家(環境)から旅に出ることになり、新しい宿主になってもらえそうな人間との付き合い方がわからずに、失敗を重ねているうちに、すっかり悪者にされてしまっている新型コロナに、私がこれまで関わってきたさまざまな問題が重なってしまうのです。
ウイルスは敵でワクチンは味方というような感覚を、私たちは持ちがちですが、そもそもその感覚が間違っているような気がします。
そういう思いに呪縛されると、どうしても思考が偏ってしまう。
ウイルスは敵でも味方でもなく、ただ人間とは別の存在物であって、彼らは別に感染させようという意図があるわけではありません。
益田さんも「感染」と「感染する」とは同じではないというような指摘をされていた気がしますが、私も全くそう思います。また、「変異」とか「進化」とかいう言葉も、思考を呪縛します。そうした「言葉」の使い方で、見え方は全く変わってしまう。

益田さんの話を聞いていて、コロナウイルスがだいぶわかってきました。
いや、正確には、わかったような気がしてきたと言うべきでしょうが、でも付き合い方をそれなりに決めることができるような気がしてきました。
相手のことがわかれば、付き合い方もわかってくる。
まあ時には、相手を誤解して裏切られることもあるわけですが、そんなことは人生にはよくあることです。
結局、コロナウイルスとの付き合い方を考えるとは、自らの生き方を考える事なのだと、改めて気づかせてもらいました。益田さんには大感謝ですが、相変わらず何も理解できていないと叱られるかもしれません。
ところで、益田さんにはまた時々、ウイルス談義をしに来てもらうようにしたいと思います。またきちんとした講座型のサロンも、コロナ騒ぎがもう少し落ち着いたら開始する予定です。

(2020年5月第1週)
■孫と畑に行きました(2020年5月5日)
■アベノマスクを返送しました(2020年5月6日)
■庭の木にまた鳥の巣ができました(2020年5月7日)
■ポラスとの打ち合わせ(2020年5月8日)
■土曜サロンは憲法とコロナが話題でした(2020年5月9日)

■孫と畑に行きました(2020年5月5日)
子どもの日で孫のにこがやってきました。
野草でおおわれている畑に行って、虫と少し遊んできました。
シャクトリムシ、バッタの幼虫、テントウムシ、シジミチョウ、ダンゴムシ、アゲハチョウの毛虫など、いろいろといました。
しかし野草が多すぎて、足の踏み場もありません。野草の花を摘んで帰りました。

■アベノマスクを返送しました(2020年5月6日)
いま話題の「アベノマスク」が湯島に届いていました。
世帯あてに郵送されてくるのかと思ったら、郵便受けにチラシのように配られるようです。
湯島のオフィスの郵便受けに投函されていましたが、だれも住んでいない部屋の郵便受けにも投函されていました。
俗悪なシロアリ業者のチラシと同じレベルの扱いなのです。
これでは自宅の郵便受けに張った、受け取り拒否の警告は役には立たないようです。
肩から力が抜けました。
税金がこんなに粗雑に扱われるとは実に腹立たしいです。

それで予定通り、安倍首相に返送することにしました。
異議申し立ての手紙を漬ける予定でしたが、その気もなくなってしまい、簡単なメモをつけるだけにしました。
文章を考えるのさえ、いやになってしまったからです。
こうしてみんな体制に乗っていってしまうのでしょうか。

粗末な文章ですが、こんな感じです。

安倍首相
布製マスクが届きましたが、すでにマスクが出回っている時期での配布は、政府がかなりの金額を投入してやるべきこととは思えません。しかも配布方法があまりに杜撰で、マンションなどの空き部屋の郵便受けにも投函されていました。このような税金の無駄遣いに強く抗議し、返送します。税金は国民みんなの汗の成果です。その使途に関しては、もう少し慎重であってほしいと思います。
2020年5月5日
コロナ危機を憂える一国民

こういう首相が呼び掛ける、「外出自粛」や「緊急事態宣言」に疑問も持たずに応じている多くの人がいることがとても情けない気がします。

気が滅入ることの多い毎日です。

■庭の木にまた鳥の巣ができました(2020年5月7日)
裏庭の木にまた鳥が巣をつくりだしました。
ハトやスズメでないことは確かですが、どの鳥かはわかりません。
ヒヨドリかムクドリでしょうか。
まだしっかりと会ったことはありません。
一昨日、気づいたのですが、今日はほぼ完成していました。

いま誰もいなかったので、近づいてみたら、かなりできていました。
中はまだ空でした。

一昨年は孵化した直後にカラスに襲われて全滅でした。
最近このあたりからヘビはいなくなりましたので、天敵は人間とカラスだけのようです。
うまくいくといいのですが。

■ポラスとの打ち合わせ(2020年5月8日)
次女家族と同居するため、家をリフォームすることにしました。
その2回目の打ち合わせです。
関係者にわが家の実見もかねて、自宅に来てもらいました。
それにしてもわが家は「無駄」の多い構造です。
もちろんそれを意図したのですが、予想以上に無駄が多い。
私の人生のようです。

■土曜サロンは憲法とコロナが話題でした(2020年5月9日)
昨日の土曜サロンは、「憲法」を少し話し合いたくて、最初に先日放映された「義男さんと憲法誕生」の番組の第1章(日本国憲法9条)の部分をみんなで観ました。
番組を観た人もいるでしょうが、日本国憲法9条はGHQのみが起点ではないのです。
「事実」を知ることの大切さを改めて感じました。

今回のコロナ危機に関しても、「事実」を知ろうとする人が日本ではとびぬけて少ないことを知って、私は驚きましたが、憲法に関しても、もっと事実を学ぶ必要がありそうです。
憲法に関しては、民主主義を切り口にするかたちで、6月からサロンを再開します。
コロナによって民主主義を考える材料が山のように出てきましたので。

今回は8人の参加者がありました。
話題はしかし、憲法よりもやはりコロナの話に向かいがちでした。
コロナの現状も不安ですが、参加者の多くの人にとっては、コロナ対策に関する政府や専門家、そして国民の対応への不安も多かったように思います。

(2020年4月第5週)
■娘の診断結果(2020年4月29日)
■庭の花鉢の整理(2020年4月29日)
■クマバチとの交流(2020年4月30日)
■湯島サロン「新型コロナウイルスとどう付き合うか」(2020年5月2日)

■娘の診断結果(2020年4月29日)
わが家にとっての大事件が発覚。

■庭の花鉢の整理(2020年4月29日)
放置してきた庭の花鉢の整理を始めました。
大仕事です。

■クマバチとの交流(2020年4月30日)
今日も絶好の畑作業日和です。
太陽光がまぶしいほどで、こんな日はコロナウイルスも静かにしていてくれると思いたいです。
昨日、整理した庭の花鉢に水をやっていたら、クマバチがまとわりついてきました。
あまりにしつこいので、写真を撮ろうと思ったのですが、それが難しい。
まるで私と遊んでいるようです。
そのうちに、飽きたと見えて、フジの花のほうに蜜を吸いに行きました。
少しじっくりと観察していたのですが、蜜を吸う音が聞こえました。
初めて聞きました。
もう一匹、やってきました。
どうもつがいのようで、邪魔をしたら行けないので、観察を辞めました。

今日ものどかな日和です。
いま窓の外をのぞいたら、蜂がさらに増えているようです。
鳥のさえずりもにぎやかです。
コロナ騒ぎが嘘のようです。

■湯島サロン「新型コロナウイルスとどう付き合うか」(2020年5月2日)
細菌学者の益田さんにお願いして開催した「新型コロナウイルスとどう付き合うか」は時節柄、過密にならないように定員を決めての開催でした。
暑いくらいの日でしたので、部屋の両側のドアを開けて、風が通り抜けるような状況で行いました。

話をはじめる前に、益田さんは、1枚の絵をランダムに数枚に分断したものを渡して、それを復元させてはじめて全体の絵が見えてくることを体験させてくれました。
ウイルスも、部分をいくら見ていても正体はわからないということでしょうか。
テレビや新聞には、毎日たくさんの情報が流れていますが、それらは「部分」でしかありません。その部分情報に私たちは、振り回されているのかもしれません。
コロナ騒ぎの当初、「正しく恐れよ」ということが盛んに言われた時期がありましたが、あの言葉はもうみんな忘れてしまったようです。

私は、益田さんから、何回話しても理解しないなと言われていますが、そもそもウイルスのことはまだわからないことも多く、益田さん自身,わからないことはわからないと言いながら、ていねいに話してくれたので、さすがの劣等生の私もだいぶわかってきました。新型コロナへの共感も高まりました。

新型コロナは、これまで平和に生きていた宿主のコウモリとの関係を維持できなくなり、新たな宿主を人間に求め出したというところから、話が始まりました。
なぜコウモリとコロナウイルスの平和な関係が壊れたのかも興味ある話ですが、それ以上に、新しい宿主の人間との付き合い方がわからないで混乱を起こしているのだろうと、私はコロナウイルスに同情してしまいましたが、こういう受け取り方をしてしまうので、益田教授からは、文系は情緒的だと叱られるわけです。

そこから、ウイルスはどうやって増えていくのか、とか、遺伝子のセントラルドグマとか、アポトーシスとか、話は難しくなっていくのですが、参加者の理解の様子を確かめながら、質問を促してくれるので、なんとかついていけました。
後半では、新型コロナに関する現実的な話に移り、ワクチンの話や血栓の話、抗体と抗原、濃厚接触と濃厚感染、そして「少量感染」、手洗いとマスクの効用、さらにはこの状況の出口をどう考えるか、ソーシャルディスタンス、免疫力、既往症との関係など、質問に応じて、益田さんは他の病気の話も入れ込みながら解説してくれました。

私が一番印象的だったのは粟粒結核の話でした。
宿主である人間の結核菌に対する抗体作用が作動せずに、結局、人間と共に死んでしまう結核菌の話です。その話を聞いて、ウイルスと人間はやはり協力するべき関係なのだと改めて確信しました。

対話型のサロンなので、内容を報告してもあまり意味がありませんが(受け止め方も人それぞれです)、ともかく、私はとても安心しました。
終了後、参加者から、「ウイルスについて、専門家の方のお話を直にお聞きできるチャンスを作ってくださって大大大感謝です」「やっぱりお話を伺って良かった。こんな時だから、専門家からきちんとしたお話を聞いておかないと思います」などというメールが届きました。
私も同じで、むやみやたらに 恐れることはないと改めて思いました。

「益田先生のお話で「少量感染」を心がければ良いんだと、とても気が楽になった!」というメールも来ました。
問題は、どうしたら「少量感染」などという器用な対応ができるかですが、それはそれとして、「気が楽になる」ということは大事なことです。これは益田さんの意図に反するかもしれませんが、みんなそれぞれに自らの生き方を考え直す時間になったと思います。もちろん十分に感染予防に注意して、です。
益田さんに改めて感謝します。

(2020年4月第4週)
■我孫子まちづくり編集会議ZOOMミーティング(2020年4月18日)
■坂谷さんにまたパソコンを修理してもらいました(2020年4月19日)
■電話相談(2020年4月21日)
■今年2度目の畑(2020年4月22日)
■久しぶりにブログへのアクセスが500を超えました(2020年4月22日)
■我が家のリフォーム打ち合わせ(2020年4月23日)
■土曜サロン(2020年4月25日)

■我孫子まちづくり編集会議ZOOMミーティング(2020年4月18日)
新型コロナ騒ぎで、なかなか直接集まってのミーティングができなくなりました。
我孫子まちづくり編集会議もそのため活動がストップしています。
そこで事務局役の林さんがzoomミーティングを設定してくれました。
中高生たちも含めて10人弱が参加しました。
私のデスクトップのパソコンはカメラが付いていないので、私だけ音声参加でしたが、やはり映像参加したくなり、ノートパソコンに切り替えようとしたのですが、しばらく使っていないこともあってうまく作動しませんでした。

今回、意外だったのは中学生のメンバーがコロナ不安で外出せずに家に閉じこもって切るということでした。
今の状況は若者たちに大きな影響を与えそうな気がしました。

■電話相談(2020年4月21日)
小宮山さんから電話がありました。
コミーもいまはほとんど在宅勤務になあっているようです。
しかしそれはそれで問題もあるようで、そんな話を1時間も電話しました。
ちょっと宿題ももらいました。

■今年2度目の畑(2020年4月22日)
天気が良かったので、畑に行きました。
今年2度目の畑です。
今年は畑仕事はやめようと思っていたので宇Sが、コロナ騒ぎで少し状況が変わったので、もう少し続けようかと思いなおしました。
しかし、半年も放置していたので、ひどい状況です。
最近は身体がなかなかついていきません。
体がなまってきています。
困ったものです。

■久しぶりにブログへのアクセスが500を超えました(2020年4月22日)
最近のコロナ騒ぎにはいろいろと思うことがあります。
毎日、テレビ朝日のモーニングショーは録画して、早送りで見ていますが、何しろ事実が見えないままの議論や報道なので、だんだんわけがわからなくなってきています。
現在の私の認識はブログにも書きましたが、今日はそれを含めて3つの記事をフェイスブックに上げました。
そのため、久しぶりにブログへのアクセスも500を超えました。
最近はあまり記事を書いていないので、アクセスは低調だったのです。

またブログももう少し書き始めようと思います。

■我が家のリフォーム打ち合わせ(2020年4月23日)
次女家族との同居をすることにし、家を改造することにしました。
我が家を作ってくれたポラスにお願いすることにし、その打ち合わせをさせてもらいました。
荷物を思い切り捨てないといけなくなりました。
ライフスタイルが大きく変わりそうです。

■土曜サロン(2020年4月25日)
昨日の土曜サロンは5人の人が参加しました。

井田さんがお抹茶をたててくれました。
こういう時期こそ、抹茶の緑と香りを楽しみながら、心をなごますのがいいと、わざわざお茶のお点前を持参してくれたのです。
しかもお茶請けの和菓子までも。
とてもおいしかったです。

話題はやはりいまのコロナ話とそれへの政府や社会の対応が中心でした。
コロナ後の社会の話もだいぶ出ました。
米沢出身の井田さんからは、いまこそ上杉鷹山ではないかという話がありました。
マスクの話も出ましたが、アメ横ではマスクは出回っているそうです。
ただ、中国からのマスクは仕入れは高騰しているそうです。
「不要不急」の仕事の話も出ましたし、「働き方改革」に関する話も出ました。
ただし、世間で話されている事とはかなり、いやまったく違った内容かもしれません。

コロナ騒ぎで、課題が出てきて、元気になったという話も出ました。
コロナにおびえ、コロナが通り過ぎるのを待つだけではなく、自分で考え行動する人が少しずつ出てきていることを、ちょっとだけ実感できました。
そういう人が6人でもいるだけで、元気が出ます。

みんないろいろなことを考えているのでしょうが、やはり話し合う場が広がるといいと改めて思いました。
できれば井田さんのお茶会サロンをまたやってほしいと思いました。

(2020年4月第3週)
今週も新型ウイルス騒ぎでほぼ毎日在宅でした。
■カミユの「ペスト」を再読しました(2020年4月13日)
■朝の手賀沼公園(2020年4月15日)
■エヴィーバのテイクアウト(2020年4月17日)

■カミユの「ペスト」を再読しました(2020年4月13日)
今日は終日、在宅だったので、カミユの「ペスト」を読みました。

本文に入る前に、ダニエル・デフォーの次の言葉が引用されています。
ここにカミユの意図がうかがえます。

ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。

「ある種の監禁状態」とは、カミユが若いころにアルジェリアで強く感じていたことかもしれません。

私の記憶には、医師のリウーがあまりに強く残っていたのですが、今回はリウーと一緒にペスト対策に取り組んだ、タルーの言葉が心に突き刺さりました。
タルーは自らに関して、こう語っています。

「僕はこの町や今度の疫病に出くわすずっと前から、既にペストに苦しめられていたんだ。というのは、まあ、つまり、僕も、世間みんなとおんなじようだということなんだがね。しかし世間には、そういうことを知らない連中もあれば、そういう状態のなかで心地よく感じている連中もあるし、また、そういうことを知って、できれば、それから抜け出したいと思っている者もある。僕は、いつも抜け出したいと思ったのだった」。

タルーが言う「体験してきているペスト」とは、病気のペストが蔓延している時に顕在化される社会の状況を指しています。
タルーは、そうしたことに気づいてから、「世間でよくいう政治運動」に取り組むようになったと語っています。
そして、つづけてこう言います。

「誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ」

「ペスト」というところに新型コロナウイルスを置いてみると、今まさに私たちが体験していることとつながってくるかもしれません。

新聞記者のランベールの行動変容もまた、考えさせられるものがあります。
当初、彼は恋人に会うために閉鎖された町から抜け出そうとしますが、それが可能になった時に、町に残ってペストから人々を守る活動に参加します。
そのいきさつのところに、前回、読んだ時(私は20代でした)の赤線が引いてありましたが、今回はそこではなく、次の言葉に目が行きました。
「ペスト以前にだっておんなじぐらい危険はあったんですからな、往来の激しい四辻を渡る時なんか」とランベールは言うのです。

もう一人、パヌルー神父の言葉も示唆に富んでいます。
ペストのなかに離れ島はないことを、しつかり心に言い聞かせておかねばならぬ。

ペスト騒ぎが一段落して、平安な日常が見えてきたときに、リウー医師はこう書いています。

彼等は今では知っているのだ − 人が常に欲し、そして時々手に入れることができるものがあるとすれば、それはすなわち人間の愛情であることを。

私たちが、「愛」を忘れたときに、パンデミックはやってくるのかもしれません。

■朝の手賀沼公園(2020年4月15日)
今日は暖かな気持ちのいい春日和です。
新型コロナウイルスが世界を覆っているのが嘘みたいです。
久しぶりに少し歩いてみようと思い、近くの手賀沼公園に行きました。
早い時間のせいか、まだ人も多くはありませんでした。
ドラッグストアのマスクの売り出しも、最近は販売中止のお店もあって、並んでいる人もいません。
しかし、そんな知恵さえ働かなくなるほどに、みんなおかしくなっていたのです。

ウイルス騒ぎのおかげで、社会は少し良くなるかと期待していましたが、どうも今度は逆方向に動き出してしまったようです。
「外出禁止風潮」「人との接触を避けようブーム」。
まるで人間はウイルス以上に汚染された存在になってしまったようです。
誰かに感染させるかもしれませんと言われていることは、すでにあなたは感染しているかもしれませんと言われているわけですが、そういわれると動きが取れなくなってしまうわけです。
こういう状況が、かつて日本を戦争に向かわせたのでしょう。
困ったものです。

しかし感染した人の症状が急変して、死に至ってしまうこともあるという報道が、なまなましく伝えられると、私もいささか気の迷いが起きてしまいます。
テレビ映像のほとんどは一部を切り取って増幅させたものだと思いながらも、そういう事実があることも否定できないので、万一、自分がキャリアになって他者を死に至らしめたらと思うと、ここは「無責任」に自宅に引きこもろうかと思いたくもなります。
しかし、その一方で、ウイルス感染症とは別の理由で病院に通っている人も私の周辺にはいます。
その人たちにとっては、もちろんウイルス感染症も心配ですが、自らの病気も心配です。
私も身近にそういう人が複数いますので、ウイルス騒ぎよりもそちらに関心があります。
新型ウイルス感染症の致死率は決して高くはないと思いますし、死者数もとても少ないですが、みんなの目が新型ウイルスにだけ向けられるのが不思議です。
そうした問題を抱えている人が少ないのでしょうか。
がんの妻を見送った時のことが思い出されます。
みんなの「しあわせ」が、ちょっとうらやましい気もします。
しかし、ウイルス騒動の陰で、どれだけの「死者」が出ているのでしょうか。

手賀沼公園のベンチで座って、そんなことを考えてきました。
帰り道ではかなりの人と出会いましたが、ほとんどの人がマスクをしていたのが、私には異様でした。
こんないい空気をどうして満喫しないのでしょうか。
そんなことをやっていると病気になりますよと言いたい気分でした。

ちなみに今日は、誰にも話しかけずに、無言のまま帰宅しました。
娘に今回は手洗いはいいだろうと言ったら、ドアノブにも触っているのだから 手洗いは必要だと言われて、ちょっとがっくりしました。
わが家もかなり汚染されているようです。
いや世界中が汚染されてしまった。
ウイルスが浄化してくれるかもしれません。

■エヴィーバのテイクアウト(2020年4月17日)
コロナウイルスのために、娘の連れ合いがやっているイタリアン“エヴィーバ”は今週からテイクアウトだけの営業になっています。
厳しい実状を知っているので、元気づけを含めて、今日のランチはテイクアウトを利用させてもらいました。
先客が一人いました。
テイクアウトしてきたものを写真を撮ってアップしようと思っていたのですが、写真を撮るのを忘れて、うっかり全部食べてしまいました。
美味しかったです。

“エヴィーバ”に限らず、飲食店はどこも大変のようです。
よかったら近くの飲食店のテイクアウトを応援してやってください。
休業補償や生活支援金などは、こうしたお店ではすぐに夜勤や人件費でなくなってしまうでしょう。
年金しか収入のない私は、せめてそうした人たちを応援するために、消費をがんばらないといけません。

先月、ハラリのサロンで、生産よりも消費が経済をまわしていくために大切になるという話が現実のものになってきてしまいました。
消費すべき貯金が底を突きつつあるのが残念です。

(2020年4月第2週)
今週は土曜日以外は在宅でした。
畑に一度行きましたが、他は何もやらずに過ごしました。
土曜日だけは前に告知していたオープンサロンを開催しました。
■畑に行きました(2020年4月6日)
■サロンのこと(2020年4月8日)
■アベマスク受け取り拒否(2020年4月10日)
■土曜オープンサロン(2020年4月11日)

■畑に行きました(2020年4月6日)
今日の我孫子はあったかな気持ちのいい日でした。
今年初めて畑に出かけました。
長いこと放置していたので、どうなっているのか気にはなっていましたが、なかなか行く元気が出ませんでした。
なにしろその作業の過酷さは、昨年、じっくりと味わっていますので。

幸いに思ったよりもひどくはなっていませんでしたが、土は全く見えない状況でした。
昨秋、植えっぱなしのニンジンを掘り起こしてみましたが、ちょっと食べられそうもありません。掘っていたらジャガイモも出てきました。

野菜はだめですが、アザミなどが大きく育っていて、それを抜こうとしたら、ちょっと手を痛めてしまいました。
鍬で少し掘り起こしましたが、ちょっとやったらもう息が切れて倒れそうです。
さぼっていると身体はすぐになまってしまうものです。
しかし、永作さんから先日、カボチャの苗をもらっていたので、植えないといけません。
なんとかその場所をつくりました。

作業をしていたら、近くのTさんがやってきて、作業している私の隣に座りこみました。
話題は言うまでもなくコロナ対策の安倍さん批判です。
畑に行けば、人との接触はないだろうと思っていましたが、かなりの至近距離で話され続けてしまいました。
残念ながら手伝ってはもらえませんでした。
人生はうまくいきません。

道沿いの花壇ももう完全に荒れ地化していましたが、芝桜だけががんばっていました。
この空き地も、今年で使えなくなりそうですが、まあもうしばらくは耕すことはできそうです。
少しずつまた耕す仕事をしようと思います。
今日の荒れ地が連休後にはどうなっているか楽しみです。

■サロンのこと(2020年4月8日)
最近、湯島のサロンに関してネットを活用したサロンの提案をしてくれる人が多いのですが、それを読んでいて、私が意図していることを全く理解してもらえていないことにいささか悲しくなりました。
それでメーリングリストやフェイスブックに寄界なことを書いてしましました。
その反応にもちょっと嫌気をさしています。
とりあえず、目に投稿した文章を再掲しておきます。

新型ウイルス騒ぎで湯島のサロンがほぼなくなりました。
サロンに来てくださっている方や関心を持っていただいている方から、実際に集まるサロンが難しければ、ZOOMなどを活用したらどうかという提案がかなり届いています。
それを見て、私がやっているサロンの主旨が、やはり伝わっていないのだと、肩から力が抜けてしまっています。
これを契機に、湯島のサロンをやめようかと思いましたが、昨日、普段は参加できない遠隔地の方から、サロンを継続してほしいという電話をもらいました。
その人にとっては、ほとんど参加はできないが湯島のサロンという場があることが意味があるそうなのです。
それで気を取り直して、継続することにしました。
それに、私の主旨が届かないのは私の説明不足なのだろうと思い、改めて思いを書くことにしました。

私が湯島でサロンをやっているのは、生身の人間の出会いの場をつくるためです。
そして、さまざまな意見に触れて、自分の考えを相対化し、そのうえで自分の言葉で考え話す生き方を広げたいからです。
時々、サロンのことを勉強会とかワークショップとか、セミナーとかと表現する人がいますが、そうではなくサロンなのです。

知識を得ることが目的ではないのです。
最近は、講座型サロンとか勉強会的サロンもありますので、誤解を与えているかもしれませんが、湯島では「知識」や「情報」よりも、その人の「思い」や「考え」を大事にしています。
違う考えや生き方の人たちとの出会いから、ゆるやかな「コモンズ・コミュニティ」が生まれればと思っています。
さらに、参加した人にとっても「生き方」を問い直す機会になれば、主宰者の私はとてもうれしいです。

もう一つ重視していることは、人間がシステムの端末になりだしているとしか思えない最近の流れに抗いたいと思っています。
うまく説明できないのですが、だからむしろZOOMなどには否定的なのです。
ソーシャルディスタンスなど置くことのない、ましてや機械を通してでない、人と人との触れ合いを大切にしたいのです。

参加できない人のためにとも言われますが、別に毎回参加する必要はなく、まあ参加できる時に参加するくらいの付き合いが大切だと思っています。
それに参加しなくても、なんとなくつながっているという関係があれば、それで十分だと思っていますので、かなり主観的な報告を送らせてもらっているのです。」
ZOOMなどを活用したサロンも意味があると思いますが、それは私が目指している湯島のサロンとは似て非なるものですから、もしやるとしたらまったく別のシステムとして考えたいと思っています。

親切にいろいろと提案してくださる人には感謝しますが、そういうわけで、私自身がZOOMなどを使ったサロンをやる可能性はゼロです。
もしどなたか、湯島とつながる形で、ネットサロンをやろうという方がいたら、協力させてもらいますが、そんなわけで、いただいた提案には対応できませんので、ご容赦ください。

しばらくテーマサロンは開催できそうもありませんので、私の思いを話させてもらうサロンを始めようかと思っています。
またご案内させてもらいます。

■アベマスク受け取り拒否(2020年4月10日)
友人から下記メールが届きました。
アベノマスクが反対を押し切って全戸配布になるようです。

その費用、東京新聞によると(4月10日)466億円
布マスクなら私はすぐ作れるので返却することにしました。
家のポストに配達不要と張り紙を出すかポストに投函するかします。
布マスクなどすぐ作れます。お知らせくだされば制作してお送りします。
どうぞご遠慮なく。

私も自宅の郵便受けに「配達不要」の張り紙をすることにしました。

■土曜オープンサロン(2020年4月11日)
その後、湯島に出かけて、恒例の土曜サロンでした。
電車はさらに空いていて、はやりのソーシャルディスタンスは確保できました。
サロンには5人の参加者がありました。
コロナ騒動の話もだいぶ出ました。

東京に出てくるのはちょっと「令和」(命令されて従順に同調)に反するようで、気が引けたと発言したら、参加者の一人から叱られました。
これを契機に、会社も学校も変わるかもしれないと話したら、変わらないでしょうと冷ややかに否定されました。
こんな時にサロンにくるメンバーですから、どうも素直ではありません。
でもみんな、外出自粛ムードのおかげで1か月、自由に考えたり行動したりする時間ができたと言っていました。
なにかは変わっていくでしょう。

参加者の一人は、私がサロンを止めそうなので、翻意させようと思ってわざわざ来たと言いました。
ちょっと気が滅入ってつい口走ったことで迷惑をかけてしまいました。
すみません。

市中感染はかなり広がっていると思いますし、そう簡単に事態はおさまらないでしょうから、受け身の自粛だけではなく、積極的な感染予防策を各自、しっかりと実行しないといけません。
参加された方は、それぞれにしっかりと考えて自分で積極的に対策されています。
無防備に、用事もなく、出かけてきたわけではありません。
もちろん、和を乱したくて、でもありません。
念のため。

(2020年4月第1週)

■新型ウイルスの広がりでサロンがほぼ中止です(2020年3月29日)
■家を改造することにしました(2020年3月30日)
■暫らく食べられそうもないので家族でうなぎを食べに行きました(2020年3月31日)
■オープンサロン(2020年4月4日)

■新型ウイルスの広がりでサロンがほぼ中止です(2020年3月29日)
新型ウイルスの感染が広がっているので、サロンをしてくれる予定の人たちに開催するか延期するかの打診をさせてもらいました。
細菌学の益田さん以外は、全員、延期を希望されたので、延期しました。
ちょっと残念ですが、流れには抗えません。

■家を改造することにしました(2020年3月30日)
次女家族との同居を検討することにしました。
それでわが家を改造し、1階は次女家族、2階を私と長女でシェアすることにしました。
わが家はかなり特殊な設計でしたので、改造が難しいようですが、可能性を検討してもらうことにしました。
今日はわが家を立ててくれたポラスの小久保さんたちに来てもらい、みんなで話しましたが、いささか大変そうです。

■暫らく食べられそうもないので家族でうなぎを食べに行きました(2020年3月31日)
新型ウイルス騒ぎで、しばらくうなぎも食べられなくなりそうなので、次女家族も含めてみんなで小暮やさんに行きました。
同じような思いを持っている人もいるようで、いつも以上に混んでいました。
孫ににこがうなぎをおいしいと言って食べたのは驚きでした。

■オープンサロン(2020年4月4日)
テーマサロンはほとんどなくなったのですが、サロンは継続したいので、ひっそりとオープンサロンをやることにしました。
毎週土曜日の午後です。
外出自粛ムードが広がる中で、それでも4人の人が参加しました。
話しはいろいろと盛り上がりました。
ちなみに土日の電車は空いています。
平日の電車には私でも乗る勇気はありませんが、土日は安心です。

(2020年3月第4週)
■第7回リンカーンクラブ研究会「〈多数者の専制〉を回避する方策」(2020年3月22日)
■湯島サロン「新型コロナウイルスにまつわる気になること」(2020年3月24日)
■茶色の朝サロン「種苗法を考える」(2020年3月26日)

■第7回リンカーンクラブ研究会「〈多数者の専制〉を回避する方策」(2020年3月22日)
新型ウイルス騒ぎにもめげず、7人が集まりました。
今回は、前回課題の整理で終わった「民主主義政治における合意形成」を、テーマに話し合いました。
前回参加しなかった人もいたので、最初に前回、武田さんが整理してくれた「合意形成を考える課題」を復習しました。
前回、武田さんが説明したように、リンゴ2つとミカン3つを足したらいくつになるかの話から入りました。リンゴとミカンは足せないが、いずれも果物であることに着目したら、5つと合算できる。合意のポイントは「違い」に着目するのではなく、「共通点」を見つけ出すということです。
つまり、合意とは話し合いを通して、相互の違いの中から共通するものを見つけ出すこと、あるいは共通することを創り出すこととも言えます。
しかし、同時に、合意するということは、それぞれ違った意見があるということです。
主体性のない単なる群れ(オルテガの「大衆」)では合意が問題にならないが、個性のある多様な人たち(ネグリの「マルチチュード」)には合意が問題になります。

そんな復習をしたうえで、今回は「多数者の専制」を切り口に話し合うことにしました。
民主主義において多数者が少数者を抑圧する現象は昔から指摘されていたことですが、最近の日本ではまさにそうした状況が日常化してきています。
それをどう回避するか。
同時に、多数決による合意は果たして正当性があるのか、といった議論です。
多数決で合意された後の監視・阻止・審判の重要性を説く「カウンター・デモクラシー」の話も出ました。「合意する民主主義」から「監視し阻止する民主主義」へと変わってきているという話です。
そうした切り口からさまざまな話が出ました。

いずれも正面から話し合ったわけではありませんが、さまざまな視点から多様な議論で盛り上がりました。あまりに多様で報告は難しいですが。
しかも今回は、まさに午前中に、地域の公共施設の利活用に関する集まりで、「合意の暴力」を体験してきた人が参加し、なまなましい話題を提供してくれたので、とても具体的な話し合いになりました。
やはり具体的な事例で話すと問題ははっきりしてきます。

新型ウイルスへの政府の対策や森友問題に絡んだ赤木さんの遺書問題も話題になりました。
こうした事象にも「合意形成」の問題が見えてきます。

時間をかけてゆっくりと進めていった合意形成が、生産性を重視する時代の中で、いつの間にか多数決主義にとって変わられてしまいました。
多数決は情報の共有や公正な熟議があってこそ、正当性を確保できますが、形式的な多数決はさまざまな問題を引き起こします。
改めていま、多数決と民主主義について考えていくことが大切だと思います。

この問題は、茶色の朝サロンでも、さらに考えていければと思います。

■湯島サロン「新型コロナウイルスにまつわる気になること」(2020年3月24日)
予想に反して、なんと17人の多人数参加サロンになりました。
新型ウイルスというよりも、中嶋一統さん(「陰謀論」研究家)が呼びかけに書いた、その背景にあるかもしれない「陰謀」に、多くの人は関心を持ったようです。
「陰謀論」は、みんなどうも大好きのようです。
しかし参加者が多いと湯島サロンもクラスター形成の危険性があり、それこそ「陰謀」に利用されかねないので、換気には気をつけました。

中嶋さんは、新型ウイルスが広がりだしたころから、その背後にある「意図」あるいは「人為」について話されていました。
陰謀を「隠れたはかりごと(謀)」と捉えれば、どんな事件や現象にも、かならず陰謀はつきものですが、「陰謀」というとフリーメーソンとかユダヤのプロトコルとかを思い出してしまい、荒唐無稽と片づけられてしまうことこそが、「陰謀の罠」だと中嶋さんは、以前、湯島のサロンで話してくれています。
私も「陰謀論」を一笑に付すことなく、そこから気付きを得ることこそ大切だと考えていますので、今回、中嶋さんにサロンをお願いしましたが、こんなに多くの、しかもさまざまな立場の方(それも女性が多かったです)が参加されるとは思ってもいませんでした。
しかし、そこにこそ、まさに現代の社会の問題が暗示されているのかもしれません。

中嶋さんが今回の新型ウイルスの流行の背後に「陰謀」があると考える理由はいくつかあります。
中嶋さんは、今回のウイルス騒ぎが始まった中国の武漢の立地をまず問題にしました。
その周辺にある研究所やそこで行われたイベントなどを調べてみると、どうも「人為」を感ずるというのです。
そう思っていたら、2月になって、新型ウイルスのゲノムに人工の加工跡があることが判明しました。これはもう「自然の営み」ではなく、なんらかの「人為」が関わっていることは明らかです。
さらに、2月にあるセミナーで会った人から、10月頃の情報に従って大量のマスクを購入して年内に大きな利益を得たという話を聞いて、「陰謀」の存在を確証したそうです。つまり秋頃には新型ウイルスの大流行を知っていた人たちがいたというわけです。
そうした視点で考えると、各国政府の動きや製薬会社の動き、ワクチンに関する動きも納得しやすく、またそれを裏づける小さな事件もたくさんあるというのです。

問題は、誰が何の目的でやったかということですが、これはいささか複雑すぎて、簡単には説明できませんが、そこでさまざまな「陰謀論」も出てきました。
一時は、新型ウイルスを離れて、いわゆる「陰謀論」、たとえば、9.11事件疑惑や宇宙人疑惑などにまで話は広がりかけました。

なんとかまた新型ウイルスの話に戻りましたが、これからの見通しに関しても中嶋さんは明確に話されました。
いささか複雑なのは、オリンピックと米国大統領選挙との関係です。これらがもしかしたら「陰謀」にもつながっているのかもしれませんし、逆に「陰謀」のプログラムを狂わせてしまったのかもしれません。
日本では、新型ウイルスよりもオリンピックのほうにマスコミも政府も関心があるような気もしますが、新型ウイルスとオリンピックの関係をきちんと整理して振り返ると、いろんなことに気づくはずです。

こうした話を踏まえて質疑応答に入りましたが、話はかなり広がりました。
なにしろ新型ウイルスに関しては、あまりにも情報が少ないですから、いかようにも物語はつくられます。それに、いまマスコミなどを通して出回っている情報やデータはおかしいことがたくさんありますので、なにか大きな「陰謀」を勘ぐりたくなるのは当然です。
中国のデータや情報はあまり信用できないという話がありますが、日本政府が発表するデータや情報も同じ、ある意味ではそれ以上かもしれません。
しかし、不安感をあおられる中で、私たちは、政府や「専門家」をあまり信頼できないにもかかわらず、その指示に従うしかないのです。

そんな話から、インフルエンザのワクチンへの不安の話も出ました。
しかし、その一方で、新型ウイルスのワクチンを待望してしまう。
いやはや困ったものですが、もうみんな「右往左往」せざるを得ない。
まさにそこに「陰謀」の実態が現れているのかもしれません。
いや、そこにこそ、現代という社会が象徴されているのかもしれません。

現代のように、自由意志で行動する〈自分〉が揺らいでしまうと、多くのことを誰かにまかせなければならなくなってきていますが、そのために、実際のプロセスが見えにくくなり、巨大な見えない組織に操られているかのような不安に襲われがちです。そうした時に、「陰謀論」がはやると言われています。
陰謀論は、一種の娯楽文化とも言われますが(サロン参加者のなかにも陰謀論を楽しんでいる人たちがいました)、しかしその中には時代を見る大きなヒントがあるとも言われています。
それは、あらゆるものはつながっていて、しかもすべては、現在を説明するためのものであるという、陰謀論の根底にある考えが、ともすると見失いがちな社会の全体像への目を開いてくれるからかもしれません。

サロンの話し合いの中で何となく合意されたのは、次の3点です。
世間に流れている情報をうのみにせずにしっかりと自分で考えることの大切さ。
自らの健康を一人ひとりがしっかりと自らで守ることの大切さ。
大きな陰謀にごまかされずに、もっと身近なところで作動している小さな陰謀(意図隠し)にもしっかりと目を向けることの大切さ。

新型ウイルス騒動に目を奪われている間に、もっと大きな「意図」が私たちの生活を壊していかないように、気をつけなければいけません。
新型ウイルス騒動から学ぶことはたくさんありそうです。
もちろん、まずは新型ウイルスの被害を広げることに加担しないようにしなければいけませんが。

■茶色の朝サロン「種苗法を考える」(2020年3月26日)
報告が遅れてしまいましたが、3月のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)は、霜里農場の金子友子さんにお願いして、主なテーマに「種苗法」を取り上げました。
その関係もあって、たくさんの参加者がありました。
食への関心はやはり高いようです。

種子法や種苗法の動きが、日本の農業を通して、私たちの食に大きな影響を与えていくことは明らかですが、何となくそれはわかっていても、正直、どういう影響があるのか、そしてそれに対してどう対処したらいいかは、なかなかわかりません。

友子さんは、農への長い取り組みと種苗法に関する取り組み活動を踏まえて、生活感覚で概要をわかりやすく説明してくれました。
その内容は、時間がたってしまったので思い出せないのですが、まあ極めて荒っぽく言えば、私たちの生命の基盤である食が、海外の大企業の管理下に置かれかねないということ、そして日本の農業の根っこが壊されかねないという話です。
多くの種子の特許を独占する海外の巨大多国籍企業にコメを含む日本の主要作物の種苗を握られてしまい、私たちの食そのものが握られてしまう怖れもある

私が一番腹立たしいのは、種苗に「知的財産権」が適用されるということです。
しかも、遺伝子操作された生命(野菜など)にも特許を与えるということが30年ほど前にアメリカで認められ、それがいま世界標準になってきていますので、これまでの自然の恵みである生命の種子とは全く異質な種子になるかもしれません。
農家の人たちも、これまで行われていたように農家が種子を自家採種することができなくなり、種子会社から遺伝子操作で工業的につくられた種子を買わなければいけなくなりかねないという話です。
時間をかけてみんなで育て上げてきた知恵が、働きもしない資本家たちに悪用されて、またまた金儲けの道具にされてしまうのではないかという不安があります。

どうしたいいのか。
友子さんの回答は、この問題にもっとみんなが関心をもってほしい。そしてそういうテーマの講演会に参加してほしいということでした。
私も友子さんから口だけ動かしていないで何か行動しろと叱られました。
ネットでも関連情報はたくさん出ていますので、みなさんもぜひ関心を持って調べてください。
しかし昨今のコロナ騒ぎで、4月に予定されている種苗法の改正の国会審議もあまり議論もされずに成立してしまう恐れもありますが、食の問題は、考えようによっては、新型ウイルスよりも大きな問題です。
新型コロナウイルス以外にもたくさんの「脅威」はあります。
外出自粛が要請されているため時間ができた人はぜひネットなどで調べてもらえればうれしいです。

コロナ騒ぎが落ち着いたら、湯島でもサロンとは別に勉強会を開き、私にできることを考えてみたいと思います。
どなたか事務局を引き受けてくれませんか。

(2020年3月第3週)

■エヴィーバでの上田さんとの会食(2020年3月18日)
■第7回万葉集サロン「万葉集の〈おの(己)〉」(2020年3月21日)

■エヴィーバでの上田さんとの会食(2020年3月18日)
コミュニティに関心を持っている上田さんと、エヴィーバで食事しながら、話をしました。
コミュニティに関する意見交換や上田さんが関心を思っている新たなコミュニティづくりをどう進めていくかの話し合いです。
理念的にはほぼ一緒なのですが、たぶんコミュニティと自分との関係の捉え方が少し違っているのかもしれません。
私は「コミュニティはある」という立場ですが、上田さんは「コミュニティをつくる」という姿勢です。そこが少し違いを生みだしているのかもしれません。

■第7回万葉集サロン「万葉集の〈おの(己)〉」(2020年3月21日)
万葉集サロンの7回目は、〈おの(己)〉がテーマでした。
今回は、私自身の理解があまりに不十分なので、升田さんの事前チェックを受けようと思いましたが、升田さんに迷惑をかけるのも気が引けるので、やめました。そんなわけでいつも以上に主観的な報告ですので、お許しください。

万葉集には多様な人称代名詞がでてくるそうですが、升田さんは今回、〈おの〉(己・各・自)を再帰代名詞と捉えて、いくつかの歌を通して、そこから強い自我意識の誕生を読み解いてくれました。
初めに詠みあげたのが、但馬皇女の「人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る」(巻2-116)でした。
この歌は、禁断の恋を貫こうとした但馬皇女の歌だそうですが、この「己が世に」には、だれからなんと言われようとも自分の意志を貫こうとする、自己意識の強さが示されています。
〈た(多)〉から生まれてきた〈わ(吾)〉が、さらに突出した「自我意識」になっていく勢いがそこにあると升田さんは読み解いてくれました。
その背景にある万葉歌人たちの恋愛話もちょっとだけ紹介してくれましたが、強い自我意識の誕生は、理知によってではなく情感によってなのではないかと私は気づかされました。それが「物語」の誕生にもつながっていくのかもしれません。

つづけて、升田さんは記紀や宣命などにでてくる「己」、さらには万葉集のほかの歌に出てくる「己」などを材料に、〈わ(吾)〉とは違った〈おの(己)〉の誕生を、さまざまな形で話してくれました。
多くの人たちのなかから生まれた、横並びの相対的な「わ」と、多くの人たちからは突出した上下関係にある絶対的な「おの」は、あきらかに次元が違います。

面白かったのは、防人歌の中に登場する〈た(多)〉のなかの〈わ(吾)〉と、その防人歌の中に挿入されている大伴家持の3首の長歌に出てくる〈おの(己)〉の対比でした。
家持の「おの」には、さまざまな「わ」の喜怒哀楽がみえていたのかもしれません。
それは同時に、豊かな「た」への喜怒哀楽だったのではないか。
家持が、どういう思いで、防人の歌を編集したのかを想像するのも楽しい話です。

しかし、「わ」から究極の自己表出へと向かうかに見えた「おの〈己〉」が、大伴家持の長歌を最後に、平安朝に入ると急速に姿を消すのだそうです。

升田さんは、「た」のなかから生まれ出た自己意識の「わ」と強い自己認識(再帰代名詞)である「おの〈己〉」との違いを見ていくと、万葉への新しい視野が拓けてくるように思うといいます。
話を聞いていて、万葉への新しい視野とともに、もっと長い歴史への新しい視野も拓けてくるかもしれないと思いました。

家持の「おの」意識のなかには、抒情の世界、物語の世界が生まれてくる兆しが感じられる、と升田さんは話されました。
しかし、大伴家持は万葉集以後、「おの」を発展させた歌は詠んでいないようです。
そして、1世紀ほどの間隙をおいて、漢字に基づく万葉文化は仮名に基づく平安の国風文化へと変わっていくわけですが、その違いとつながりのなかに、日本人の文化とその後の歴史展開を考える大きなヒントがあるように思います。

興味深々の壮大な話ですが、残念ながら私にはまだ説明できるまでには消化できておらず、升田さんの講義の面白さや意味を言葉にできないのがとても残念です。

これまで升田さんは、7回にわたって、万葉集を多様な人称代名詞を切り口に読んできてくれましたが、私にとっては、思ってもいなかった万葉集の読み方でした。

さて次回はどんなテーマでしょうか。
今の調子だと、升田さんはさらに先に進みそうですが、途中から参加の方もいるので、このあたりで一度、これまでの総括を兼ねたサロンをやってもらうようにお願いしようと思います。

(2020年3月第2週)

■大宰府の淀川さんの来訪(2020年3月12日)
■椎田のあさり(2020年3月13日)
■湯島サロン「コミュニティは見つけるものか育てるものか」(2020年3月14日)

■大宰府の淀川さんの来訪(2020年3月12日)
大宰府で暮らし支援関係の事業活動をしている淀川さんが、生活哲学学会の野上さんと湯島に来ました。
淀川さんは50代半ばで起業し、間もなく10年目に入るそうです。
それを契機に、事業のあり方を抜本的に見直そうと考えているようで、その相談にやって来たのです。
もし本気で取り組むのであれば、私として何ができるかを考えようと思います。
なにしろ場所が大宰府です。
大宰府は私が大昔に住んでいたかもしれない場所です。
まあ確実とは言えませんが。

■椎田のあさり(2020年3月13日)
あんまり体調がよくありません。
と思っていたら、福岡の蔵田さんが椎田あさりを送ってきてくれました。
毎年、ご自分で椎田の浜で採取して送ってくれるのです。
蔵田さんは私よりも年上なのですが、会社を辞めた後、夫婦で福岡の転居し、実に豊かに暮らしています。
見事な農産品やご自分で釣った“関サバ”まで送ってきてくれたこともあります。
ビジネスの関係でのお付き合いで、私はお世話になるばかりだったのですが、ビジネスを引退した後も、私はお世話になりっぱなしです。
来世でお返ししなければいけません。

あさりは年々収量が減ってきているそうです。
でも椎田あさりはいつも見事です。
砂抜き中のあさりも元気で水を吹きだしていました。

今回はあまりとれなかったといって、その穴埋めになんと合馬のタケノコが同封されていました。
あさりもタケノコも、おいしかったです。

■湯島サロン「コミュニティは見つけるものか育てるものか」(2020年3月14日)
4回目の「コミュニティを考えるサロン」は、「なぜあなたはコミュニティを求めるのですか」「いま何が欠けているのですか」という問いかけから、話し合いを始めました。
参加者は13人、世代は20代から70代まで、さまざまでした。

他者と思いを共有したい、生を実感したい、異質さと触れ合いたい、安心や幸せを感じたい、信頼関係に身を置きたい、愛を感じたい、気を通わせ合いたい、気兼ねなく「ただボーっと」いっしょの時間と空間を共有していたい、いや適度の刺激を受けたい、など、さまざまな要素が出てきました。
要素はいろいろでしたが、共通しているのは、当然ですが「他者の存在」です。
どこかに引きこもって一人でいても、それはコミュニティではなく、満たされた空間でもありません。
他者との共存が、豊かで幸せな人生には、どうも不可欠な要素のようです。

つまり、コミュニティを考えるとは「他者とのつながり方」を考えるということです。
参加者からの意見には一見、相反するものもありました。
たとえば、生さえも忘れるような平安と適度に生を感じさせてくれる刺激。
たとえば、疲れを癒される休息感と新たな挑戦に旅立ちたくなる高揚感。

主客の関係もまた複雑です。愛されたいのか愛したいのか、信頼したいのか信頼されたいのか、それは全く別のものですが、混同して考えがちです。
人は愛したり信頼したりすることはできますが、愛されたり信頼されたりすることは、他者の問題ですから自由にはなりません。しかし、ともすると私たちはそれを勘違いしてしまう。

時間も同じように変化していきます。
信頼関係や愛(思いやり)に満たされた関係も、不変ではありません。
時間の経過、環境の変化の中で、突然に崩れることがないとは言えません。
信頼や愛が「存在」することが重要なのか、そうしたことを創り出していく「過程」(の充実感)が重要なのかも、人によって違うでしょう。
いつも信頼や愛や安心が満ち溢れているのが「コミュニティ」ではないでしょう。不信や憎しみや不安があるのもまた「コミュニティ」かもしれません。
しかも、信頼や愛や安心などには、実際には常に緊張関係が含まれています。
信頼や愛や安心を持続していくための緊張感と持続できなくなった時の不安感。
「他者とのつながり方」ですから、常に不安定の要素があります。

これまでも世界中にいろいろな「コミュニティ」が生まれましたが、とてもコミュニティとはいえないような人間集団になってしまったものも少なくありません。
かつての村落共同体や高度経済成長期の日本の企業コミュニティも、良い面もあれば、抜け出したい面もありました。
そんなことをいろいろと考えるヒントがたくさん出されたような気がします。

それにしても、みんなそれぞれに「自分のコミュニティ」を持っているはずなので、どうして「コミュニティ」をテーマにしたサロンが4回もつづくのでしょうか。
参加者のおひとりが、すでにいろんなつながりを持っているが、最後まで心配もなく逝くことができるだろうかちょっと不安というような話をされました。
「生きるためのコミュニティ」とは別に、「死ぬためのコミュニティ」も大切かもしれません。これに関しては、これまでも湯島でいろいろと取り組んできましたが、まだ中途半端にとどまっています。

結論を見つけ出すサロンではないので、それぞれに気づきがあればそれでいいのですが、話し合いを聞いていて、まだ多くの人が、「コミュニティ」を観察的に考えているのではないかという気がしました。
私たちは、どこかで「コミュニティ」を観察的に考えています。
そもそも「コミュニティ」という言葉自体が、外在的なイメージです。
それでは学者の議論にはなるかもしれませんが、生活の役には立たないのではないか。
自らが生きやすい人のつながりをつくることに関心があるのであれば、「コミュニティ」という言葉から一度、自由になることが必要ではないか。
だれにも、必ず自らの生の拠り所になっている「人との関係」はあるはずです。
まずは、それを自分のコミュニティと捉えて、そこから自らのコミュニティ(世界)を広げていくのがいいのかもしれません。
自分の周りに、コミュニティは広がっていると思うと世界は一変するかもしれません。
それにコミュニティはひとつである必要はありませんし、未来永劫抜け出せないわけでもない。

エマニュエル・トッドが、人類の歴史は夫婦(家族)という2人の社会から始まったと言っていますが、言い換えれば、まずは「コミュニティ」をつくることで、人類は生きる基盤をつくりだしたともいえます。
私たちは、意識していなかったとしても、生きると同時にコミュニティを育ててきているはずです。
「コミュニティ」は観察する対象ではなく、生きてきた足跡のなかに育ってきているものかもしれません。

長くなってしまいましたが、肝心のことがまだ書けていない気もします。
このまま書き続けると1冊の本になりそうなくらい、論点はたくさんあった気がします。

今回は、次の3つの課題を意識した話し合いをさせてもらいました。
(1)コミュニティは参加するものか、育てていくものか。
(2)コミュニティにとっての時間と空間と人間。
(3)コミュニティの開放性と多層性。
これらに関しては直接的な議論はしませんでしたが、それぞれに考えてもらえたと思います。
どこかに焦点を絞って、もう少し話し合いたいという方がいたら、5回目のサロンをしようと思います。
ご希望の方がいたらご連絡ください。

(2020年3月第1週)
■湯島サロン「なぜウイルスは感染症を起こすのか」(2020年3月1日)
■オープンハートのミーティング(2020年3月4日)
■湯島サロン「農福連携から見えてきたもの」(2020年3月4日)
■湯島サロン「私たちは無用者階級になるのか」(2020年3月7日)

■湯島サロン「なぜウイルスは感染症を起こすのか」(2020年3月1日)
新型コロナウイルス感染症が広がりだしているなかのサロンでしたが、10人が参加しました。
テーマは「なぜウイルスは感染症を起こすのか」。
講師役は細菌学者の益田昭吾さん(慈恵医大名誉教授)です。

私のような全くの素人の質問にもわかりやすく答えてくれながら、益田さんはていねいに話をしてくれました。
いま拡散中の新型コロナウイルス感染症のことを考えながらお聞きしましたが、テレビでもこういう話をしてほしいなと思いました。
そもそも「ウイルス」とは何かも知らずに、過剰に不安をもったり過剰に楽観したりしている人が少なくないでしょうが、こういう話を聞くとちょっと落ち着きます。

益田さんは最初に「検疫」というのは、14世紀のペスト大流行の時に、疫病がオリエントから来た船から広がることに気づいたヴェネツィア共和国が、船内に感染者がいないことを確認するため、40日間、隔離停泊させていたことから始まったと説明してくれました。
検疫(quarantine)の語源は、ヴェネツィア方言の「40日間」の意味だそうです。
疫病の潜伏期間は40日間とされていたわけです。
新型ウイルスが問題となったクルーザーの検疫期間は何日だったでしょうか。
こうしたところにも、ウイルスが広がりやすくなっている状況があると益田さんは示唆してくれました。

つづいてウイルスのイメージをわかりやすく説明してくれました。
ウイルスは、地球の最後の日に宇宙に向かって飛び立った宇宙船のようなものだというのです。
永遠に宇宙を飛行していけるわけにはいかないので、早く自らが落ち着ける惑星を探しているというのです。
最近、居場所の問題に取り組んでいる私は、一気にウイルスに親近感を持ってしまいました。
ウイルスにも「居場所」が必要なのです。
なんとかしてやらなければいけません。

そこから「環境とウイルス」「宿主とウイルス」の話になりました。
そして、話はどんどんと深くなっていくのですが、私の理解力不足のために正確に報告する自信がありません。

思いだせるキーワードを紹介すれば、「ウイルスと環境」「常在性と病原性」「常在性のない生物は生き残れない」「ウイルスの増殖志向と経済成長主義」「免疫」「自己非自己」「自己寛容」「免疫」とまあ、そんな話をしてくれました。
とりわけ私が興味を持ったのは「常在性と病原性」です。
私たちの社会のあり方を考える上で、とても大きなヒントがあるような気がしました。

益田さんはウイルスの世界と私たち人間の世界を比べたくなる誘惑にかられてしまうというようなことを何回か口にし、その都度、興味ある示唆を与えてくれました。
益田さんはこれまでのサロンでも「病原体の生態を比喩として考えると、人間や社会が見えてくる」と話してくれていますが、そこは学者なのでいつも控え目に語ります。
そのあたりを思い切り語ってもらうサロンもいいかもしれません。

理解不足のまま、これ以上、報告を書き続けると益田さんに迷惑を与えかねないので、このあたりでやめます。
新型コロナウイルス感染症に関しても、いろんな知見や感想を語ってくれましたが、これも中途半端な紹介はやめます。

今回お話をお聞きして、益田さんの「連続病原体講座」を企画したくなりました。
益田さんが引き受けてくれればですが。
病原体から学ぶことはたくさんありそうです。

■オープンハートのミーティング(2020年3月4日)
毎週湯島でやっているオープンハートのミーティングに参加しました。
メンバーは毎回変わりますが、生きにくさを感じている若者たちが中心の気楽な集まりの場です。
阿部さんが主催していますが、時に私も参加します。
私は、ぬるま湯的な居場所サロンの枠を壊して、彼らに主役になって何か物語起こしに取り組んでほしいと思っています。
その気になれば、できることはたくさんあります。
しかしこれまでどちらかといえば、甘やかされていた

■湯島サロン「農福連携から見えてきたもの」(2020年3月4日)
「農」も「福祉」も実践しながら農福連携のあり方を研究している宮田喜代志さん(熊本地域協働システム研究所相談役)に、今年もまたサロンをお願いしました。
宮田さんには定期的にその活動を報告してもらっていますが、いつも実践活動を通した新しい発見と世界に触れられます。
今回のメッセージは、「地域を支えるはコミュニティ=小さな事業者の協働。小さいことはいいことだ!」ということでした。

宮田さんは、まず全国の事例研究を踏まえての「農福連携」の3つのステップから話し出しました。
いいかえれば、農福連携を進めていくための3つの課題と言ってもいいでしょう。
第1ステップは農業者と障害者の出合いの場をつくることです。
第2ステップは、その出合いからどのような活動を生み出すか。つまりお互いの良さをどう活かし合っていくかです。
そして第3ステップは、そうした多様な活動を通して、事業者として雇用の場を創出し、地域経済の担い手になっていくということです。
こうしたステップはまさに地域づくりそのものですが、その過程でさらにさまざまな人のつながりが育ち、そこから新しい地域コミュニティ(地域共生社会)が形成されていくと宮田さんは考えています。
農福連携の出発点は、労働力不足で行き詰まっている農業と福祉をつなぐことで問題を解決しようということでしたが、いまや地域経済を主導し、人間主役の新しいコミュニティを生み出す、きわめて積極的な活動になってきているわけです。

そうした活動のためには、3つのことが大切だと宮田さんはいいます。
時間をかけた地道な積み重ね、顔の見える人のネットワーク、活動を継続していくための資金を回していくマネジメント力。
すでにいろいろな成功事例も出てきているとして、福島県の社会福祉法人こころんの活動を紹介してくれました。
さらに農水省が進めているビジョンや人の育成のプログラム、農業版ジョブコーチや農福連携技術支援者養成などについても紹介してくれました。

そうした話を踏まえて、宮田さんは、現実に地域にいる農福連携の主体は大企業でも公機関でもなく、小規模な事業者であるということを忘れてはならないと強調しました。
小規模な事業者は、経済主体であると同時に、生活主体でもあり、そして文化主体でもある。そういう地域共生社会の主体である事業主体が、学習する組織として成長することが地域再編成のカギとなるというのです。
そして、京都大学岡田教授の提唱している「地域内再投資論」を少し紹介してくれ、これからの経済のあり方にも示唆を与えてくれました。

そこからさらに話は広がっていくのですが、長くなるので省略して、最後に宮田さんが話したことを、言葉もそのままに紹介します。

生きる。食べる。はたらく。つくる。これが人間社会の根源的なしくみ。
これが本当なら、人と人が有機的に結びつくような関係性が社会の基調となる。
最近、都会ではこれをオーガニックと呼び、人と人がつながる動きが始まっている。
やがて、私たち『田舎者の出番』が来る社会になります。

「オーガニックな社会」
共感できます。
『田舎者』に期待したいです。

宮田さんの今年の活動計画も話してくれました。
海外も含めて、今年も宮田さんの活動はさらに広がりそうです。
次回のサロンが楽しみです。

■湯島サロン「私たちは無用者階級になるのか」(2020年3月7日)
新型コロナウイルスが広がっている中を、今回も10人の人が集まりました。
最初に、坪田さんからイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』『ホモ・デウス』そして最新作の『21Lessons』を、簡潔に要約してもらいました。
坪田さんは要約の資料もつくってきてくれたので、「30分でわかるハラリ講座」で厚い5冊の本を読まなくても、ハラリの主張の概要がシェアできました。

内容の詳細は報告できませんが、坪田さんの最後のまとめだけ紹介しておきます。

ホモ・サピエンスは「集団の団結」で発展してきた。
そのために「空想的虚構」を生みだしてきた。
その最たるものが「神」、さらに「国家」。
科学の力で「神の意図」を読み解いた結果、その力で、自分たちを「無用者階級」にしようとしている。

つまり私たちの未来は、AI(人工知能)を駆使した一部の支配階級(「ホモ・デウス」)によって、「無用者階級」にさせられてしまうというのです。

それを踏まえて、坪田さんの問いかけである、ハラリの描く未来、つまり、人類は1%の富裕層が支配して、99%の人間は働く必要もなく、ただ生きているだけの「無用者階級」になる世界はほんとうに来るのか? そしてその時、「無用者階級」は何を「人生の意義」にするのか。という話に入りました。

「無用者階級」になることをどう受け止めるか。
そこに「明るい未来」を見るか、「暗い未来」を見るかがポイントです。
私にとって意外だったのは、明るい未来を見た人が少なかったことです。
たしかにハラリ自身、2冊の本で、「明るい未来」を語る口調ではありません。
そもそも、農業革命にも言葉の発明にも、そこに人類の不幸の始まりさえにおわせているのがハラリの歴史観ですので、どうしても未来は暗くなってしまうのかもしれません。

しかし、私は「無用者階級」に幸せと可能性を感じます。
思いきり自由になれるではないかと思ってしまうわけです。
なにしろやらなければいけない「用」から解放されるのですから。
林さんのアーレントのサロンで語られた「労働」と「活動」を思い出せば、「無用」のイメージがとてもバラ色に見えてきます。
しかし多くの人は、「仕事」や「役割」を果たさないといけないと思い込んでいるようです。
そう言えば、定年退社した高齢者はやることがなくて大変だという話もあります。

「無用者階級」って飼育される「家畜」のような存在、あるいは支配される「奴隷」のような存在ではないかという受け止め方もありました。
映画「ブレードランナー」に出てくるような存在を思い出す人が多いのでしょうか。
たしかに、ハラリはそういうように読ませようとしているようにも思います。
しかし、価値観を変えれば全くイメージは変わります。
ハラリがどう言おうと未来をディストピアと決める必要はありません。

労働や生産から解放され、社会を統治したり支配管理したりするような「わずらわしい使命」からも自由になって、生きることを楽しむことができるのではないか。
無用者階級の仕事は「消費」と「遊び」と言ってもいいかもしれません。
そもそも現在の経済は、「生産」よりも「消費」に重点が移ってきているとも言えます。
AI(人工知能)が「生産」をしてくれて、人間は「消費」をするという経済に変わるのかもしれません。
資本主義の次には、「潤沢の時代」がやってくるというビジョンを出している人もいます。
まあそんなにうまくは行かないという気もしますが、大切なのは、いまの経済や政治の枠組みを変えていく発想を持ちたいと思います。

ただ問題は、「ホモ・デウス」と「無用者階級」の対立なのかということです。
ハラリは「データ教」という概念とAI(人工知能)を重視していますが、そうしたものには「意識」が生まれないと考えています。
アルゴリズムはあくまでも「問題を解くための手順をパターン化したもの」であって、人類にとっての道具だと考えています。
そうした議論もありましたが、結局、「ホモ・デウス」と「無用者階級」のどちらがとAI(人工知能)を味方にするかというような話になりました。
しかし、そうなのか。
むしろ対立構造が全く変わるのではないか、と私は思います。
つまり、「ホモ・デウス」対「無用者階級」という人類同士の対立ではなく、「人類」対「AI(システム)」)の対立になっていく。
となると、問題は俄然おもしろくなってくる。
というわけで、話はいろいろと広がりました。

均一と捉えられていた労働者階級を多様な個人の有機的なつながりと捉え直した「マルチチュード」概念も話題にでました。
消費と文化を基軸に生き方を再構成しようとした1960年代の緑色革命のヒッピーやポリアモリー(複数のパートナーとの間で親密な関係を持つコミュニティ)も話題になりました。
ネアンダール人とホモ・サピエンスがなぜ主役交代したのかも話が出ました。
関係論や分人論、ネットワーク論やスモールワールド論なども話題になりました。
ユダヤ人陰謀説までちょっと話題になりました。
いずれにしろハラリのメッセージは多岐にわたっているので、話は尽きません。

ちなみに、坪田さんは、ハラリの問いかけを受けて、では私たちはどうすればいいのかをこれから解こうとしているそうです。
次回はそうした坪田さんの文明ビジョンとアクションプログラムのサロンをしてもらえるかもしれません。

(2020年2月第4週)
■コムケアサロン「〈当事者支援者〉の現状と課題、そして今後」(2020年2月23日)
■指スライス騒動(2020年2月23日)
■訃報つづき(2020年2月25日)
■新型コロナウイルス感染症騒ぎ(2020年2月25日)
■背広を着ていたら「仕事ですか」と訊かれました(2020年2月25日)
■西野薬師堂の千手千足十一面観音(2020年2月27日)
■茶色の朝サロン(2020年2月27日)
■湯島サロン「人はどうして仕事をするのだろうか アーレントからのヒント」(2020年2月29日)

■コムケアサロン「〈当事者支援者〉の現状と課題、そして今後」(2020年2月23日)
14人の参加者があり、このテーマへの関心の高さを改めて感じました。
前日の政治関連のサロンは全員が男性でしたが、今回はむしろ女性が多かったのも印象的でした。そこにも現在の社会のひずみを感じます。

最近は、支援の考え方も大きく変化してきています。
「わたし支援する人、あなた支援される人」というように、支援を一方向的に捉えるのではなく、相互に「支援し支援される関係」として捉えるようになってきています。
コムケア活動は、最初の選考会でも申し上げたのですが、ケアとはそれによって自らも成長していくことだという、ミルトン・メイヤロフの「ケアの本質」のメッセージを理念としています。
しかし、その考えはまだまだ「理念」の世界にとどまっているようにも思えます。

今回のテーマ〈当事者支援者〉は、そうした現状を象徴していると同時に、そうした状況をどうやって越えていくかという大きなメッセージが込められています。
つまり、理念的であると同時に、きわめて現実的なテーマであり、個別的であるとともに、普遍的なテーマです。

サロンは、実際に〈当事者支援者〉を名乗って活動している下さんが、実践を通して考えてきたことを参加者に問いかけることから始まりました。
そして、長年、発達障害の当事者としてさまざまな活動に取り組んできている冠地さんが、ファシリテートする形で参加者との議論を深めるような形で進められました。

下さんはまず、〈当事者支援者〉と言えるには3つの条件が必要ではないかと問いかけました。
・病気や障害などの困難な状況を経験したが、いまは生活者として最低限の回復をしていること
・体験や工夫を支援ツールとして活用できること
・支援者としての求められることを果たせること
話し合いはここから入りました。
当然ながら、「当事者」とはなにか、「支援」とはなにか、「生活者」とはなにかということが話題になりました。

つづいて、〈当事者支援者〉のリスク(気をつけなければいけないこと)と強み(当事者であればこそできること)が話題になりました。
そして、ピアサポーターとの関係や当事者開示に関する話し合いへと広がっていきました。さまざまな立場の人が参加していましたので、さまざまな視点からの事例の紹介や問題指摘、あるいは質問などが出されました。

〈当事者支援者〉という言葉や活動も、すでにいろんな形で広がっていますが、ともすると私たちは、〈当事者支援者〉と〈ピアサポーター〉を同じように捉えてしまいがちです。
しかし、その渦中にいる下さんや冠地さんにとっては、両者は全く違うものなのです。
支援の深さの違いぐらいにしか理解していない人も多いと思いますが、冠地さんの説明で、それらが全く異質なものであることを、今回私も気づかせてもらいました。

私が一番印象的だったのは、支援活動における「障害者の権利主張」という話でした。
〈当事者支援者〉と〈ピアサポーター〉の違いのポイントがそこにあるのかもしれません。
下さんの提案や話し合いの内容に関しては、私には十分に紹介する能力がありませんので、下さんの報告(フェイスブックで少し紹介されています)に任せたいですが、私の感想を書いておきます。

下さんや冠地さんは、プロの仕事としての〈当事者支援職〉の確立を目指しています。
そしてそうした取り組みを通して、日本の「支援」活動はもちろん、社会のあり方を変えていきたいと考えています。
そのビジョンにはとても共感しますが、そのためには、「当事者が支援活動をすること」の意味をしっかりと社会がシェアしていくことが大切ではないかと思いました。
同時に、「支援」の仕方はさまざまで、それらは上下関係にあるわけではなく、さまざまな支援のあり方が支え合い、補うことが社会を豊かにしていくという認識も、社会でシェアしていく必要があると思いました。
この点は冠地さんが繰り返し話してくれていました。

メイヤロフの言っている通り、支援活動を通して当事者も「支援」されるとすれば、〈当事者支援者〉という概念を広げていくことで、「当事者」とか「支援者」といった概念はなくなっていくかもしれません。
それは同時に、「支援」の質を高めていくことであり、さらに言えば、個別問題の解決を超えて、社会のあり方を変えていくことにつながるかもしれません。

一挙に話を大きくしてしまいましたが、冠地さんと下さんが目指しているのは、そうした大きな社会変革の話ではないかと思いました。
そうであれば、1回だけのサロンでは問題の存在を少しだけシェアしただけで終わってしまいかねません。
そうならないためには、この問題は湯島のサロンでも継続的に取り上げていきたいと思いました。

今回のサロンでは、下さんは自らの考えを出しながら、参加者との話し合いや冠地さんとのやり取りを通して、〈当事者支援者〉構想とその実践計画を深化させていっていたように思いますが、そうした場をこれからもまた開いてもらおうと思います。
また、下さんとは別に、大きな意味で〈当事者支援者〉構想につながっていくようなテーマのサロンを、コムケアサロンとして企画していきたいと思います。
問題の所在を知ってしまったら、それぞれにできることに取り組むことが、コムケアの精神ですので。

■指スライス騒動(2020年2月23日)
久しぶりに“酢タマネギ”をつくろうとタマネギをスライスしていました。
ところが手が滑って、右手の人差し指の先端がカッターの刃の上を滑ってしまい、指先を3ミリほど切り落としてしまいました。
きれいに切り落とされたので、その時にはあまり痛さを感じなかったのですが、その穴を埋めるようにオロナインを埋め込んで絆創膏で封印した後、痛さがやってきました。

まあそれは大したことではないのですが、そんな小さな傷でさえ、生活には大きな支障が生じます。
そして、右手の人差し指の指先に、こんなに世話になっていたかと思い知らされました。
たとえば、いまもパソコンをやっていますが、私の場合、どうも一番使うのが右手の人差し指のようです。

自分を支えてくれている存在に、私たちはなかなか気がつきません。
人差し指が教えてくれたことに感謝しなければいけません。

■訃報つづき(2020年2月25日)
訃報がつづいています。
湯島で網野史観のサロンを2回やってくれた蔵原さんが心筋梗塞で急逝しました。
4月にパート3をやろうと打ち合わせをしていたところです。
また新潟水俣病に取り組んでいた塚田さんの訃報も金田さんから届きました。
こうつづけざまだと滅入ってしまいます。
最近は連絡のない友人に連絡するのに勇気が必要です。

■新型コロナウイルス感染症騒ぎ(2020年2月25日)
新型コロナウイルスがどんどんと広がっています。
政府発表はまだ少ないですが、実際には多分数万の人たちがすでに感染しているでしょう。
あまりに政府の発表や取り組み方がおかしいので、しばらく見ていなかったテレビの報道番組を見るようになりました。
こういう事態になると、だれがきちんと考え発言しているかがはっきりと見えてきます。

日本の官僚体制や統計数字はもはや壊れてしまった感があります。
国家とは実にもろい存在です。

■背広を着ていたら「仕事ですか」と訊かれました(2020年2月25日)
今日はある会社の社長に会うことになったので、久しぶりにスーツを着て靴を履いて出かけました。
帰宅する途中で、近くの人に会いました。
私の服装を見て、「お仕事ですか?」と声をかけられました。
いつもと服装が全く違っているので、そう訊かれたわけですが、答えに窮しました。
いつもはサンダル履きの気楽な格好なので、むしろホームレスや徘徊老人に見られているのかもしれません。
しかし、「仕事」と「スーツ」がつながっている状況はまだそう変わっていないようです。

■西野薬師堂の千手千足十一面観音(2020年2月27日)
東博の「出雲と大和」が突然休館になったので、上野駅近くにある長浜観音ハウスによりました。 
高月町西野の薬師堂の千手千足観音立像が展示されていました。西野の近くにはよく行っていたのですが、薬師堂は行ったことがありませんでした。
こんなに見事な仏がいるのに、なぜ行かなかったのか、不思議です。
千手観音は珍しくはありませんが、千足観音はめずらしい。
それに、観音のくせに不動明王のような忿怒相です。
そのかわりに、頭上の頂上の仏の顔の表情がとてもいい。
彩色の跡もわずかに残っています。

■茶色の朝サロン(2020年2月27日)
2月の茶色の朝サロンは出入り自由の4時間に設定しましたが、9人が参加、半数以上の方が最初から最後まで4時間参加してくれました。
今回は、「新型コロナウイルス感染症問題から見えてくること」を一応のテーマにしましたが、議論はいろいろと広がりました。

今回のサロンから感じたことを一言で言えば、複数の参加者が指摘したように、日本はいま茶色一色の国家に向かっているのではないかということです。
今回の新型ウイルス騒動はそれを可視化してくれたように思います。
私自身は、「大本営発表」に従っていたかつての日本や国会議事堂放火後のドイツの社会は、こんな感じだったのではないかというような気がしています。

パンデミック議論もありましたが、これも言葉にだまされているような気もします。
パンデミックとは地域を超えた単なる大流行ではなく、全体や先行きが見えないために、人々が自己判断できなくなり、ちょっとしたことに過剰反応して右往左往し、社会から秩序志向がなくなってしまうことでしょう。
デミックの語源は“デモス”、つまり人々ですから、パンデミックはウイルスが起こすのではなく、人々が起こすわけです。
マスクが店頭からなくなり、一昨日あたりからトイレットペーパーなどまでも買占めされている有様は、まさにもうパンデミック現象が出始めているのかもしれません。
しかし、政府はなぜか事実把握さえにもあまり関心がないようです。

みんなの生活に直結している問題であるために、この騒ぎから政治のおかしさや問題がいろいろと指摘されました。
激しい怒りをぶつける人もいましたし、日本人の特性を解析してくれる人もいましたし、大騒ぎするような話ではないという私のような不謹慎な人もいました。
巷に流れている「新型コロナウイルス」生物兵器説や陰謀論も少し話題になりました。

もちろんオリンピックとの関係も話題になりました。
まあ、そんな話が、かなり具体的な話も含めて、話し合われました。

私は2つのことを感じました。
政府への信頼感が損なわれてきているとはいうものの、やはり私たちは政府の発表やマスコミ報道しか情報がないために、どうしてもそれを基準に考えてしまっているということです。
つまり、自分では気づかずに、「大本営発表」に基づいて考えているのではないかということです。

また、中国政府はうそを言うので信頼できないと言いながら、日本の政府は中国や韓国とは違うと思っている。
最近の日本政府が、数字を勝手に改竄してしまうことを体験したはずなのに、中国や韓国の政府とは違うとどこかで信じているのは不思議です。
政権批判をしながらも、自らきちんと考え責任を持って行動するのではなく、結局は政府の指示に依存し、みんなと同調してしまう生き方から抜け出せない。
重症になるまでは自宅で待っていましょうと言うような状況にさえ、素直に従ってしまうおかしさを改めて感じました。
この2週間が正念場というのもよくわかりませんが、なぜか信じてしまう。
私たちはみんな、いわゆる〈ぬるま湯の中のゆでガエル〉になってきているのではないかという不安を改めて感じました。

まあしかし、要するに私たち一人ひとりが免疫力を高め、こまめな手洗いを励行し、気をつけていくことが大切だ、というのが結論だったような気がします。
なにか肝心のことが報告されていない気がしますが。

ちなみに、3月1日には細菌学者の益田さんによる「なぜウイルスは感染症を起こすのか」のサロンがあります。
また3月末か4月上旬に、新型ウイルスに関する陰謀論や生物兵器説も含めて、ちょっと違った視点でのサロンを開催してもらうようにある人にお願いしています。

新型コロナウイルス感染症の一連の騒ぎから、とてもいろんなことが見えてきたことだけは間違いありません。
これをどう活かしていくかで、政治も経済も、そして私たちの生き方も、たぶん大きく変わっていくだろうことは間違いないような気がします。
さてどうなりますか。

■湯島サロン「人はどうして仕事をするのだろうか アーレントからのヒント」(2020年2月29日)
「人はどうして仕事をするのだろうか」という問いを、社会との関係において考えてみようという林さんのサロンは、新型ウイルス騒ぎの影響もあって、参加者は9人でした。

林裕也さんはデザイナーですが、最初にこれまでの仕事のことを、取り組みだした経緯も含めて紹介してくれました。
林さんは一人で活動していますが、4つのタイプの仕事にわけてくれました。
取り組みだした順番にそって整理すると、「クライアントワーク(ライスワーク)」「ボランティアワーク」「アートワーク」「まちづくり活動」です。
そして、林さんにとっての、それぞれの意味合いや活動内容も話してくれました。
そうした林さんの取り組みのなかに、「人はどうして仕事をするのだろうか」を考えるヒントがたくさん含まれていました。

クライアントワーク(ライスワーク)は、字義通り「ご飯を食べるための活動」です。
多くの人は学校を卒業すると、ごく自然に、家族から自立することを意識して「仕事」を始めます。
その対価は、多くの場合、金銭的な報酬です。
林さんにとっては、それは「やらなければならない仕事」だったといいます。

しかし、人によっては、それだけでは満足できずに、あるきっかけで「ボランティアワーク」に取り組みだします。
林さんの場合は、東日本大震災でした。
社会的な使命感もあったのでしょうが、林さんは、単純に「やりたかった」ので、ここでも自然に取り組んだそうです。
その体験がもしかしたら、林さんに自分ができることを目覚めさせたのかもしれません。
そして、取り組みだしたのが、アートワーク。
そして、つづいて「まちづくり活動」へと広がってきているようです。

林さんの活動がこういう形で、広がってきた理由の一つに、人との付き合いの広がりがあるようです。
クライアントワークの場合は、付き合いの範囲も限定されがちですが、ボランティアワークやアートワーク、まちづくりワークの場合、いろんな人との出会いが起こります。
そこでこれまでとは違った「働き方」が始まってきているのかもしれません。

といっても、その「働き(仕事)」は同じではありません。
ボランティアワークは対価など発生せず、むしろ出費が発生します。
そこで、林さんは「仕事」とは何だろうという課題にぶつかったのかもしれません。
そして、「人はどうして仕事をするのだろうか」という問いかけになったわけです。

そんな時に出合ったのがハンナ・アーレント。
ハンナ・アーレントは、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる思想家です。
彼女は、人間の活動的生活を労働、仕事、活動の3つに分けています。
この3つの違いは、なかなかわかりにくいのですが、おおざっぱに言えば、「労働」とは生命維持のための活動、「仕事」とは価値あるものを創り出す活動、「活動」とは他者に働きかける活動です。
林さんはその視点で、自分の仕事の意味を考えると、いずれにも3つの要素があると言います。
しかし、その3つの視点を持つことで、仕事に対する捉え方が変わってきたそうです。「人はどうして仕事をするのか、という問いの答はまだ明確ではないそうですが、「人間として生きていきたい」という思いから「仕事」を考えていくようになったそうです。

人間として生きていくための活動(仕事)のあり方は具体的にはどういうことなのか。
果たしていま多くの人は「人間」としての仕事をしているのだろうか。
そうはいっても、対価のない仕事だけでは生きていけない社会ではないか。
しかしその一方で、対価をもらう仕事はストレスも多くて、大変だ。
そんな話し合いが、行われました。

人の生き方や仕事の多様性の問題などもちょっと話題になりましたが、十分には掘り下げられませんでした。
このテーマは、もう一度、それぞれの仕事観を持ち寄っての話し合いをぜひともしたいと思っています

(2020年2月第3週)

■新潟のチューリップ(2020年2月16日)
■我孫子中里薬師三尊(2020年2月17日)
■河津桜が咲きました(2020年2月17日)
■小指の先をスライスしてしまいました(2020年2月18日)
■老舗の和菓子をもらいました(2020年2月19日)
■オープンハート・サロンに参加しました(2020年2月19日)
■第6回リンカーンクラブ研究会「民主主義政治と合意形成」(2020年2月22日)

■新潟のチューリップ(2020年2月16日)
新潟の金田さんは、毎年、チューリップを送ってくれます。
今年は体調が悪かったので、買に行けなかったと電話がありましたが、電話の翌日に、送ったという電話がありました。
体調が少し良くなったので、自動車で買いにいったのだそうです。
金田さんの律義さには困ったものですが、事故にあわずに良かったです。
人の性格は直りません。

早速に妻の仏壇に供えさせてもらいました。

■我孫子中里薬師三尊(2020年2月17日)
我孫子市の中里薬師堂の薬師三尊像と十二神将像が修復を終えて、市民プラザで一般公開されました。
その存在すら知らなかったのですが、新聞で知って、見に行ってきました。
予想以上の素晴らしいものでした。

18世紀の作品のようですが、十二神将すべてが揃っているのも貴重です。
とても素朴な作りですが、色彩を程化された後もあり、普段は薬師堂に並列して鎮座しているそうですが、今回は薬師三尊を守る形で立体的に置かれていました。
いつも薬師堂のお守りをしているというおひとりの、中堂の諏訪神社の中野さんに少しお話をお聞きしました。
中野さんも、こんな形で拝むのは初めてだそうです。
薬師三尊と十二神将は明らかに作風が違いますが、それがまた全体の世界を豊かに感じさせてくれています。
薬師如来と脇侍をみくらべると、そこにもちょっと違和感がありますが、薬師如来もいかにも東国という感じで、親しみを感じます。

昨年、新相馬霊場めぐりをしたときには、中里薬師堂は含まれていなかったので、立ち寄りませんでしたが、こんな見事な像があったとは思ってもいませんでした。
調べたら、以前は真言宗豊山派の宝蔵院の薬師堂だったのだそうです。
明治時代に宝蔵院は廃寺となりましたが、薬師堂は地域のお死者さん代わりになって大事に守られたのでしょう。
中野さんも、子ども時代は歯が痛くなるとここにお詣りに来たと話していました。
歯医者さんなどなかったのだそうです。

■河津桜が咲きました(2020年2月17日)
庭の河津桜が開花されました。
一時、枯れかっていたのですが、蘇りました。
昨年のあまり手入れしなかったので、もうひとつ元気はないですが。
鉢植えなので、根が広がらないためもあるでしょう。
今年はきちんとケアしていこうと思います。

■小指の先をスライスしてしまいました(2020年2月18日)
久しぶりに“酢タマネギ”をつくろうとタマネギをスライスしていました。
ところが手が滑って、右手の人差し指の先端がカッターの刃の上を滑ってしまい、指先を3ミリほど切り落としてしまいました。
きれいに切り落とされたので、その時にはあまり痛さを感じなかったのですが、その穴を埋めるようにオロナインを埋め込んで絆創膏で封印した後、痛さがやってきました。

まあそれは大したことではないのですが、そんな小さな傷でさえ、生活には大きな支障が生じます。
そして、右手の人差し指の指先に、こんなに世話になっていたかと思い知らされました。
たとえば、いまもパソコンをやっていますが、私の場合、どうも一番使うのが右手の人差し指のようです。

自分を支えてくれている存在に、私たちはなかなか気がつきません。
人差し指が教えてくれたことに感謝しなければいけません。

■老舗の和菓子をもらいました(2020年2月19日)
野上さんの生活哲学学会を訪問しました。
太宰府の淀川さんから、太宰府天満宮の梅と橘をつかった「御門の華」を、小伝馬町の野上さんからは、新川の老舗の梅花亭のどら焼きと大福をもらいました。
いずれも美味しかったです。

■オープンハート・サロンに参加しました(2020年2月19日)
阿部さんの主催のオープンハート・サロンに今回も応援参加しました。
下田さんも応援参加していますし、阿部さんもだいぶ回復してきたので、もう大丈夫でしょう。
参加してみんなと話していると、いろんなことが見えてきます。
やはり昨今の福祉活動には基本的になじめません。
阿部さんの取り組みは、高く評価していますが、それにしてもやはり違和感があります。
ということは、ほかの支援活動は私の姿勢とは真逆のような気もします。
いつもそういうイライラ感をもってしまうので、困ります。

■第6回リンカーンクラブ研究会「民主主義政治と合意形成」(2020年2月22日)
今回は「民主主義政治と合意形成」がテーマでした。
新型コロナウイルス感染症が広がっているなかを、こういうテーマで10人も参加者があったのがうれしかったです。
昨今の感染症の報道状況や社会の反応を見ていると、いまこそ「政治」を語ることの大切さを感じています。

それはともかく、今回はまず武田さんが「合意形成に関するさまざまな視点や課題」について、視点を整理してくれました。
つづいて沖さんも「合意形成のメカニズム」を、公共哲学や紛争解決などにまで視野を広げて、課題の整理をしてくれました。
そしていつものような話し合いと混乱と何となくの「寛容な合意」。

武田さんは、思ってもいなかったことから話しだしました。
合意を求める行為は足し算〈不等式〉に似ているかもしれないと言うのです。
これを文字で説明するのは面倒ですが、簡単に紹介します。
サロンの常連だった太田さんは、2つのリンゴと3つのミカンを見せられて、全部でいくつか、と小学校の時に先生に訊かれて、そのまま、2つのリンゴと3つのミカンですと答えたそうですが、別の同級生は、全部で5つですと答えて褒められたそうです。
この話は、湯島のサロンでは時々話題にでます。

この話を材料に、武田さんは、リンゴとミカンの概念を外して抽象化すると計算が可能になると言います。
つまり、リンゴとミカンの共通項を対象に捉え直し、たとえば果物はいくつかと問われれば太田さんも5つと答えたでしょう。
合意形成とは、要は対象を因数分解して、その共通項を合意していくことではないかというのです。
こうしたことを数式を使って、武田さんは解説してくれました。
とても分かりやすい話で、そこから政治における合意形成の話が広がるはずです。
選挙とは、人間の数値化でもあると武田さんは言いました。
政治学では、複数性というのがキーワードの一つですが(これは2月29日のアレントのサロンで話題になるかもしれません)、これからの社会を考える上でも大切なキーワードです。

次に武田さんは、合意形成の結果のパターンを説明しました。
多数決は一番多数の意見を、合意と見なす形です。
徹底的に話し合って、一つの意見にまとめる方法もあります。
お互いの違いを明確にして、共通する部分を合意とするパターンもありますし、違いを理解し合う “agree to disagree”というパターンもあります。
話し合いで、それぞれの考えとは別の、新しい考えを創発する方法もあります。
これも政治における合意とは何かを考える上でとても示唆に富む話です。

こうした視点や課題を武田さんや沖さんは出してくれたのですが、そのまま話し合いに進めばよかったのですが、政治における合意と生活における合意とは違うのではないかというような話が出てきて、いつものように議論はなかなか収斂に向かいませんでした。
しかしまあ、これが勉強会ではない湯島のサロンの特徴なのです。
話し合いの中からそれぞれがいろんな気付きを得ることが最優先ですので。

私は、合意という概念が出てきたのは、他者と自我を峻別できるようになり、人権概念が出てきた近代になってからだろうと思います。
そして近代政治の基軸にあるのは、「合意形成」だと今回改めて気づきましたので、武田さんに頼んで、このテーマをまたやりたいと思っています。
今回は議論の入り口で終わったような気がして、ちょっと物足りません。

武田さんを説得できれば、次回もこのテーマで行きたいと思っています。
他の魅力的なテーマが出てくれば別ですが。



(2020年2月第2週)
■CWSサロン「宇宙の成り立ちとダークマター」(2020年2月9日)
■我孫子まちづくり編集会議事務局ミーティング(2020年2月12日)
■オープンハートの集まり(2020年2月12日)
■ともかく話したくてと若者が来ました(2020年2月13日)
■7日に亡くなりました(2020年2月13日)
■胃がんが治ったようだ(2020年2月13日)
■ストーリーテリング協会ミーティング(2020年2月13日)
■気が萎えて動けません(2020年2月14日)
■湯島サロン「外来生物が日本の自然に与える影響」(2020年2月15日)
■太田さんとの別れ(2020年2月15日)

■CWSサロン「宇宙の成り立ちとダークマター」(2020年2月9日)
天文学大好きな大学生の内村真菜さんのサロンは、大盛況でした。
宇宙というテーマのせいか、湯島のサロン史上、一番若い人のサロンだったせいか、とにかくにぎやかなサロンになりました。

タイトルは「宇宙の成り立ちとダークマター」。
話はなぜ真菜さんが宇宙に興味を持ったのかという話から始まりました。
そして、にもかかわらずなぜ天文学者への道を選ばなかったのかの話もありました。
実は彼女はいま薬学部に通っているのです。
このあたりの話そのものでもサロンが成り立つような興味ある話でしたが、今回は宇宙がテーマです。

自己紹介につづいて、パワーポイントをつかって、宇宙のはじまりと現状、そして宇宙のこれからが、もちろん数式などを使わずに説明してくれました。
話の中心は、ダークマターとダークエネルギーの話でした。
話の途中でも質問してもいいと言うので、質問も多かったです。
なにしろ私も含めて、「名前」は聞いたことがあるとしても、きちんとは知らない人が多かったので質問もいろいろと出ました。
たとえば宇宙は膨張しているというが、星同士の距離は実際に観測されているのかとか、この湯島の部屋のなかにもダークマターやダークエネルギーがあるのかといった、気楽な質問も少なくありませんでした。
宇宙大好きな参加者もいたおかげで、時々、真菜さんが答えようとしても、勝手に解説してくれる参加者もいましたが、そのやり取りが場をとても豊かにしてくれた気もします。
しかし、質問がでるとそれは次に話そうと思っていたということが多く、みんなが関心を持つだろう流れをきちんと意識した構成になっていました。
話し手と聞き手の目線がシェアされていて、とても親しみとわかりやすさを感じました。

宇宙の実体はまだ5%くらいしか解明されておらず、95%はダークマターとダークエネルギー、まあわかりやすく言えば、実体不明の物質とエネルギーで構成されているのだそうです。
しかし少しずつその実体も分かってきているようで、真菜さんは大学の試験勉強に合間に、その最新情報を調べてきてくれていました。
ダークマターとダークエネルギーについては詳しく話してくれました。
特に面白かったのは、ダークエネルギーの話で、これまでの科学の常識ではなかなか理解できない話もありました。
ある人は、エネルギーや質量の動きに目的というか意思のようなものがあるのだろうかと後でメールを送ってきてくれましたが、それぞれにいろんな刺激があったようです。

本で読んでもなかなか分からない話も、こうやって話しながら学んでいくととても親近感が出てきて、改めて宇宙の本を読もうかという気にもなります。
サロンの帰りに早速、宇宙特集の別冊Newtonを買って帰った人もいるようです。

サロンが終わってもなかなかみんな帰らずに、世代を超えた話し合いが続いていました。
世代が違う人との「やりとり」を聞くことも楽しめたといってくれた参加者もいました。
これこそサロンの価値の一つです。

宇宙については解明されているのはまだほんの一部でしかありませんし、その多くは抽象的な仮説ですから、これから先もまだどんどん変化するかもしれません。
でも時にこういうテーマで話し合うのもいいものです。
何よりもいいのは、年齢を超えて気楽に話し合えることです。
今回は他分野の専門家の元大学教授が2人も参加してくれましたが、真菜さんと対等に話していたのが湯島のサロンらしくて楽しかったです。

とてもあったかなサロンでした。
また若い世代の人に話をしてもらうサロンをやりたいと思います。

■我孫子まちづくり編集会議事務局ミーティング(2020年2月12日)
我孫子まちづくり編集会議はなかなか思うようにはいきません。
それでコアメンバーでミーティングを行いました。
みんな拡散型の人が多いので、マネジメントがうまくいきません。
大きな枠組みを見直す必要があるかもしれません。
それ以前の問題として、私自身が中心になって進めるプロジェクトも企画書さえできていません。
もう少し身を入れなければいけません。

■オープンハートの集まり(2020年2月12日)
阿部さんが主催しているオープンハートの集まりですが、最近阿部さん自身がちょっと疲れ気味なので、私が駆り出されました。
私のカウンセリングスタイルは、パッシブではなくアクティブさを勧めるのですが、今日もまた具体的なアクティブプロジェクトの提案をしました。
提案した以上、放置はできないので、また時々参加することになるでしょうが、参加者はみんなしっかりしています。
こういう若者たちにしっかりしたい場所を用意できない社会は、ャはい間違っていると思います。

■ともかく話したくて、と若者が来ました(2020年2月13日)
生活哲学学会の口座に参加していた大学生がやってきました。
一応、テーマはあったのですが、まったくそれとは別の話になってしまいました。
しかし彼女は、テーマは口実で、ともかく話したかったのだそうです。
彼女に生き方に関心を持ちました。
それで3月にサロンをやってもらうことにしました。

こういう若者も注意しないとみんな現代のシステムに絡めとられてしまいかねません。
しかし、もしかしたらこういう若者がいまの社会を変えて行ってくれるかもしれません。

■7日に亡くなりました(2020年2月13日)
昨秋、余命宣告を受け、抗癌治療はせずに、自然に人生を過ごすと決めたサロンの常連の太田さんが年明けから連絡がなくなりました。
12月は病院を抜け出してまで湯島のサロンに来てくれたのですが、さすがに難しくなったのでしょう。
気にはなっていましたが、私自身も気が萎えることも多く、また妻や先に逝った友人たちとの関係から、見舞いに行くのもいささかの躊躇がありました。
たとえ親しい友人にも、やつれて変わり果てた姿を見せたくないといわれたことがあるからです。
しかし気になっていて、太田さんの勤務先に電話してみました。
7日に亡くなりました、といわれました。
本人の意思で家族での葬儀の後、公開し、4月にお別れ会をやることになっているそうです。

それを知って、いささか心が動揺してしまいました。
理由はまったくわからないのですが。

■胃がんが治ったようだ(2020年2月13日)
太田さんの訃報を知って、心が混乱している時に、胃がん治療に取り組んでいる小学校時代の同級生が湯島に来ました。
抗がん治療をやめて、温泉療法に変えたのですが、良い方向に向かっているのです。
表情が全く違っていました。
いつもなら素直に喜びを表現できるのですが、どうも複雑な気分で混乱しました。
彼も1年前は、かなり余命を意識していたのですが。

人の命はまったくわかりません。
私も決して他人事ではないのです。

■ストーリーテリング協会ミーティング(2020年2月13日)
複雑な日なのに、前からの約束通り、ストーリーテリング協会でお新しいプログラム開発のミーティングです。
みんなでゲームのシミュレーションをしました。
ところが、そのゲームの途中で、ある問いを投げかけられた、まったく答えられませんでした。
考えても思考がまとまらないのです。
頭の中に全くイメージが浮かんでこない。
こんな体験は初めてです。
やはりかなり太田さんの死が脳への衝撃だった似かもしれません。

■気が萎えて動けません(2020年2月14日)
昨日、あまりにいろんなことが起きたので、心身が脱落したような気がして、1日、ボーっとしていました。
しかし人はなかなか放ってはおいてくれずに、またいろんな電話が入りました。
それへの対応がうまくできない。
今日の判断は多分すべてミスにつながるだろうと思いながら、なんとか1日を過ごしました。

■湯島サロン「外来生物が日本の自然に与える影響」(2020年2月15日)
ハイパー・ナチュラリストの木村幸一郎さんの話は、自然への素朴な関心を忘れがちな現代人にとっては、いつも新しい発見があります。
今回のサロンを思い立ったのは、知人からパピルスをもらった時に地植えなどしないようにと注意されたのがきっかけでした。
外来種が問題になっているということは知っていましたが、しっかりと考えたこともなく、花屋さんにめずらしい植物があるとついつい買ってきてしまっていました。
パピルスは大好きなのですが、いつもうまく育てられていません。
そう言えば、わが家の最後の愛犬も外来種でした。

残念ながら新型ウイルスの流行で参加をやめた人もあって、参加者は5人と少なかったのですが、木村さんの話はいつものことながらわかりやすく、話も適度に脱線するので、とてもゆるやかで学びの多いサロンになりました。
しかし、宇宙のテーマにあれだけの人が集まったのに、私たちの身近な生物の話には、どうして人は集まらないのか、とちょっと不思議でした。

外来種とは何かという議論も、改めて考えてみるといろんなことを気づかせてくれます。
「他地域から人為的に持ち込まれた生物」というのがおおかたの理解でしょうが、「他地域」とはどこか、「人為的に」ではなくやって来た生物はどうなのか、など、考えていくといろんな問題にぶつかります。
さらに、生物たちは地域をどう捉えているのだろうか。
自らの生息範囲を広げるという捉え方をすれば、生物にとっては当然の行為ですが、人間であれば戦争が起こるかも知れません。
などと考えていくと、興味は際限なく広がっていきます。

木村さんは、外来種が引き起こす問題として、「捕食」「競合」「交雑」「感染」の4つをあげて説明してくれましたが、外来種がもたらすメリットも少なくありません。
そもそも「稲」も外来種ですから、外来種=悪と考えてはいけないという木村さんの話にはとても共感できます。
人工的に造ったビオトープには、そもそも外来種などという概念がない、と木村さんは言いましたが、まだ私自身、そのメッセージを十分に消化できていませんが、それも大きな気づきのひとつでした

私はどんな問題も、いつも自分の生き方につなげて考えてしまいますので、案内文にも書きましたが、私にとっては外来生物には人間も入りますし、ウイルスも入ります。

日本は島国なので、比較的、生態系が安定してしまい、異質なものへの脆弱性が生まれてしまうため、外来生物が入ってくると、生態系のバランスが崩れやすく、外来種に負けてしまうという話は面白かったです。
つまり「アウェイ」の場のほうが、侵入者にとっては活躍できるというわけです。
「ホーム」に安住していると、いわゆる“ゆでガエル”になりかねない。
もちろん事実はそんなに簡単ではないでしょうが、アウェイの場でこそ活動しやすいということを、いろんな問題(たとえば、引きこもり問題や居場所づくり、コミュニティ議論)につなげて考えると視野が広がります。
私には、目からうろこの気づきがいろいろありました。
世界の歴史は動物が媒介する感染症が大きな役割を果たしているという、ジャレド・ダイアモンドの話もでました。

木村さんは、外来種生物を写真を見せてくれながら、いろいろと解説してくれました。
その紹介をしだしたらきりがありませんが、またどこかで木村さんが講演をするときに、ぜひ聴きに行かれるといいです。
親子で聴くともっといいでしょう。
木村さん、公開型の講演会をするときには、ぜひ案内してください。

実は、私がどうしても4時に退席しないといけなかったので、話し合いの報告はできません。
土壌汚染の話や朱鷺の話、さらには脱成長経済の話まで広がったようですが、参加されたどなたかがフォローしていただけるとうれしいです。

生物の世界は、私たちの生き方と深くつながっています。
生物や自然への関心を高めていきたいと思います。
最近話題の新型コロナウイルスにもちょっと親近感が生まれます。

■太田さんとの別れ(2020年2月15日)
太田さんの家族葬に特別に参列を許してもらいました。
武田さんの取り計らいなのですが、正直、乗り気ではありませんでした。
私の体験から、家族は多分私たちの参列を望まないだろうと思っていたのです。
5時半から府中の斎場で集まるということだったので、武蔵小金井駅で5時に武田さんと会うことにしました。

ところが、駅についても武田さんが見当たらない。
彼に電話しながら、駅の入り口を見たら、なんと私が違う駅で降りてしまっていたのです。
やはり頭が少し正常に作動していないようです。

斎場に時間前につきました。
家族だけの集まりでしたが、太田さんにも会いました。
思ったよりもやつれておらず、最後に会った時とほぼ同じ、やすらかな表情でした。
奥様と息子さんたちと話しました。
私は初対面でしたが、太田さんがサロンのことや私たちのことを話してくれていたようです。
そして私たちの参列を喜んでくれました。
武田さんのおかげで参列できてよかったです。
私一人ではとても参列できませんでした。

葬儀の後、武田さんと2人で食事をしました。
少し元気が出ました。

(2020年2月第1週)
■湯島サロン「アクチュアルな仏教実践−インド仏教とダリット」(2020年2月3日)
■娘との京都旅行(2020年2月4〜5日)
■生活哲学学会最終回(2020年2月8日)

■湯島サロン「アクチュアルな仏教実践−インド仏教とダリット」(2020年2月3日)
カースト制度がまだ社会全体を覆っているインドで、人々の平等を目指す仏教の復興に取り組んでいる佐々井秀嶺上人の随身として活動している亀井竜亀師が開いてくれた緊急サロンには、直前の案内にもかかわらず、たくさんの人が参加してくれました。
今回のサロンを企画してくださった荒金さんがファシリテーター役になって、亀井さんからなぜこうした活動にかかわることになったかも含めて、現在のインドでのアクチュアルな仏教実践の話、そして今後の活動の予定や未来への課題を話してしてもらったうえで、いつものような「対話」するサロンになりました。

仏教はインド地方で始まったにもかかわらず、現在のインドの人たちの多くはヒンズー教徒で、いまもなおカーストの枠外に置かれた被差別カースト(ダリット)が存在しています。
そうした状況を変えていこうと活動していたのが、ガンジーと並んでインド独立に取り組んだアンベードカルですが、自らもダリットの出自であったアンベードカルが起こしたインド仏教(新仏教)復興の活動を継承したのが佐々井秀嶺上人です。
案内文にも書きましたが、日本でその活動を支援しているのが「南天会」です。
詳しくはそのサイトをご覧ください。
https://www.nantenkai.org/

亀井さんは、日本で仏教とは関係のないお仕事をされていましたが、たまたま佐々井上人との縁ができ、身近で接しているうちに、佐々井上人の笑顔に魅了されて得度されたそうです。
亀井さんは「ジャイビーム!」という言葉で話を始めました。
「ジャイビーム」は「心が通じ合う」というような意味を持った、インド仏教徒同士の挨拶の言葉だそうです。

亀井さんの話は、知識ベースの話ではなく、すべて心身で体得した話でしたので、素直に心に伝わってきました。
その話は私が間接的に報告しても伝わらないと思いますので、関心のある人は当日のサロンの動画が公開されるようになったらご案内しますのでご連絡ください。
亀井さんの人柄も伝わってきますので。

亀井さんによれば、インド仏教(新仏教)は一言で言えば、ダリッド(抑圧された人たち)に寄り添いながら、カーストの否定を目指した「怒り」を込めて闘う宗教で、一言で表現すれば「炎」がふさわしいと言います。
ここにアンベードカルが始めた「インド仏教」のすべてが象徴されています。
こうした「インド仏教(新仏教)」とそれまでの仏教(たとえば日本の宗派仏教)とは、つながっているとはいえ、かなり違います。
あえて「インド仏教」とここでは書いていますが、「新仏教」とか「インド仏教復興運動」と呼ばれることもあります。
インドには古来からの仏教も存在し、最近では日本の宗派仏教の布教活動も広がっているそうですが、佐々井上人はそうした仏教のあり方にも批判的です。
その意味では、まさに現在の仏教に対する「新仏教運動」でもあるわけです。
おそらく釈迦が始めたときの仏教も、同じように社会に対して激しい思いのこもった「運動」だったのでしょう。
そこに「宗教」というものを考える大きな示唆があるように思います。
社会を変える宗教と社会を保守(秩序管理)する宗教があると言ってもいいかもしれません。

インド仏教への改宗式では、三帰依(仏・法・僧への帰依)と五戒(不殺生などの5つの戒律)、そして22の誓いが与えられます。
それによって、ヒンズー教的生き方を否定し、仏教徒としての生き方を誓うわけです。
亀井さんが、寄り添いながら戦うと話したように、インド仏教の目指すところは、ヒンズー教の否定であり、カーストを超えて、すべての人が同じ人間になることなのです。

インドで生きていくことはヒンズー社会の枠の中で生きていくということだと言われますが、まさにインド社会はヒンズーイズムで構成されています。
インドではカーストに対応したアファーマティブ・アクション(バリッドに対する差別優遇措置)があり、ヒンズー教徒であるほうが社会的な支援を得られるという面もあるため、「隠れ仏教徒」も多いそうです。
ちなみに、政府統計では、仏教徒は1%前後とされていますが、実際にはそれ以上の仏教徒がいるといわれています。
政治と宗教、さらには生活と宗教を考える上での示唆を感じます。

日本にはたくさんの僧侶がいるのに、街中では僧侶の服装をした人になかなか出会わないという亀井さんの問いかけもまた、多くのことを考えさせられました。
私はサロンの翌日から3日間、京都の社寺をずっと回っていましたが(そのため報告が遅れました)、亀井さんの話を思い出しながら回っていたせいか、いつもとは違ったものを感じました。
宗教はまた経済ともつながっています。

今回、サロンを企画してくれた荒金さんは、これを機会に、改めて自身が抱えている「差別」「格差」「平等性」「非人間性」などを問い質してみませんかと呼びかけてくれましたが、そうしたことに関しても、たくさんの示唆がありました。
私自身の気づきが多すぎてまだ十分に消化できていないので、これ以上書けませんが。

サロンではもっと具体的な話し合いがあったのですが、すべて省略してしまいました。
フォローしてくださる方がいるとうれしいです。
このサロンを契機にして、湯島でも宗教や信仰をテーマにしたサロンを企画していきたいと思っています。
話をしたいという方がいたら、ぜひご連絡ください。

南天会ではインド仏教の支援活動を行っていますので、共感してもらえたら支援してください。
また佐々井上人の活動の一部を紹介した動画も公開されていますので、ぜひご覧ください。
https://youtu.be/gqgYJtMMupg

■娘との京都旅行(2020年2月4〜5日)
長女と3日間の京都の旅をしてきました。
JRの格安ツアーのため、出発は朝6時20分の“のぞみ”でした。

冬の特別公開をしている寺院をいくつかまわってきました。
初日は特別公開の自社を回るバスツアーでしたが、妙心寺(玉鳳院、明智風呂)、建仁寺、三時知恩寺、光照院、泉涌寺(雲龍院、新善光寺)、を回りました。
夜は二条城近くのホテルから歩いていける“足立”でしたが、味が京風らしからず、外国人に合わせたたような感じでした。
2日目は歩いて、天龍寺、竹林の道、清凉寺、金閣寺を回り、大徳寺の門前の“徳寿”で食事、ここは美味しかったです。
さらに大徳寺を回った後、寺町や錦市場に行きました。
観光地は驚くほど人がいませんでしたが、街中は人が多かったです。3日目は午前中、東寺、観智院、醍醐寺とまわりましたが、さすがに疲れて、三条に戻り、蒸しずしを食べてから、智積院と三十三間堂に行きました。
2日目と3日目はそれぞれほぼ3万歩歩きました。
京都駅ビルで休みましたが、かなり疲れました。

コロナウイルスの流行騒ぎのおかげで、昔のような人が少ない京都を楽しめました。
企画してくれた娘に感謝しなければいけません。
久しぶりの京都でした。

 

 

■生活哲学学会最終回(2020年2月8日)
生活哲学学会の地域ファシリテーター講座の最終回でした。
生活を視点に置いている以上、普段のスタイルで最後を締めくくりました。
つまりセーターとサンダルのスタイルです。

今回は前回に引き続き受講生の発表でした。
あまりに思いが伝わっていなかったのが残念でしたが、みんな少し生き方や考え方が変わってきているようで、よかったです。

終了後、事務局とミーティングしましたが、今年もまた開催するそうです。
ちょっと気が重いですが。

(2020年1月第4週)

■湯島サロン「アニマル・コミュニケーション」(2020年1月26日)
■茶色の朝サロン(2020年1月)(2020年1月31日)

■湯島サロン「アニマル・コミュニケーション」(2020年1月26日)
しーちゃん(タカイ シオミさん)の「アニマル・コミュニケーション」のサロンは、タイトルを間違えてしまった気がします。
案内をきちんと読んでもらえたら主旨が伝わったと思いますが、タイトルが「アニマル・コミュニケーション」では案内文も読んでもらえなかったようで、参加者は8人でした。
私自身、テーマの深さを十分に理解できていなかったことを大いに反省しました。
いつかこのサロンはもう一度企画したいです。
私の勝手な解釈ですが、今回のテーマは、人と人とのコミュニケーション不全の原因とその正し方だったような気がします。
あるいは、私たちの生き方を違った視点で考え直すということだったとも言えます。
それほど私にはさまざまな示唆が得られたサロンでした。

参加者は、動植物と話し合って生きている人が少なくありませんでしたので、その人たちの体験などの紹介もありました。
話の内容を中途半端に書いてしまうと誤解されるおそれもありますのでやめますが、私としては自らの考えや知識を相対化できて、世界がまた一段と広がった気がします。
紹介されたエピソードは、動物が主役で語られましたが、犬や猫を人間に替えてもおかしくない話ばかりでした。
むしろ動物との話なので、問題の本質が生々しく見えたような気もします。

わが家にも以前、犬や猫もいましたが、しーちゃんの話には思い当たることが多く、当時、もう少し踏み込んでおけば、きちんと会話できて、もっといい関係が構築できただろなととても残念な気がしました。
「トラウマを残したコにもたくさん会いました」としーちゃんは言っていましたが、まさにわが家に来たチャッピーがそうでした。

しーちゃんは、日常的に動植物と会話しています。
遠隔地の犬とも会話しているようですが、これもとても納得できました。
私も目の前にいる動植物には話しかけるほうですが、遠隔地の犬とは会話などできないだろうと思い込んでいたために、そこまではできませんでした。
しーちゃんは、そんな「常識」には呪縛されていないので、会話できるのでしょう。
信じなければ何事も可能にはなりません。
そのことにも気づかせてもらいました。

私たちは今では言葉や文字を使うコミュニケーションに大きく依存しがちですが、そのために失ってきたものは多いでしょう。
私は最近、ようやく孫に恵まれたのですが、言葉や文字にまだ依存していない孫との交流のことを思い出しながら、話を聞いていましたが、あまりにもつながる話が多く、驚きました。
もしかしたら、私たちはコミュニケーションということを、全く間違って捉えているのではないかとも思いました。
最近は感情面での交流を回避する“ネオサピエンス”が増えているという話がありますが、その話と重ねて考えるとこれからの生き方を問い直すヒントがあるかもしれません。

犬はベートーヴェンの交響曲第七番が好きだとか、犬と猫の違いとか、生活空間と性格の関係とか、犬の意思表示の話とか、面白い話もたくさんありました。
犬が家族の一員意識を持つ話とか、飼い主の病気を犬が背負いこんでいくという話も出ました。
動物に視聴してもらうテレビ番組づくりの話も出ましたが、これについては犬や猫からアンケートをとったらどうかという話も出ました。
この作品ができたら連絡をもらうことになっていますので、楽しみにしてください。

結局、肝心の犬や猫とのコミュニケーションのことが何も書いていないじゃないかと叱られそうな報告になってしまいましたが、そうした話はしーちゃんのホームページをご覧ください。
https://shi-dobe-ginza-sea.jimdo.com
いずれにしろ、私にはきちんと報告する力がないので、しーちゃんに今回話してくれたことを読みやすい新書にして出版してほしいとお願いしました。
しーちゃんの本が出たら、ご案内させてもらいます。

■茶色の朝サロン(2020年1月)(2020年1月31日)
今年初のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を1月31日に開催しました。
参加者の人数よりも継続が大切だと考えて、今年からできるだけ毎月開催していくことにしました。
ところが、予想に反して、参加者が10人を超えました。
出入り自由の3時間だったのもよかったかもしれませんが、半分の人は3時間フルに話していました。

今回は特にテーマを決めずに、最近気になることを話し合うスタイルでした。
あまり「政治」を意識しないのが、このサロンのスタイルなので、話題は最近流行の新型コロナウイルスからゴーン事件といろいろでしたが、たまたま今回はひきこもり問題に取り組んでいる方が2人参加していましたので、その話もかなり盛り上がりました。
コミュニケーションの問題もでましたが、最後のころは、学校や教育問題で盛り上がりました。
政治の基本は「子育て」や「学校教育」だなと私は改めて感じました。
そもそも学校は「国民」を育てる仕組みですから、政治の一丁目一番地と言ってもいいですが、そういう意識はあまり多くはありません。

そう言えば、湯島のサロンも最近は「学校教育」を取り上げていませんが、春以降にぜひ取り上げたいと思います。
どなたか話してくれる人がいたらお願いします。

ところで今回は、10代の女性が参加してくれました。
こんなに議論しあう場はあまり経験していないようですが、それなりに楽しんでくれました(たぶん)。

帰りに途中から参加した人から、ところで今日はどんな政治の問題が出ましたか、と訊かれました。
私の感覚では、すべてが「政治」につながる話なのですが、やはりまだ「政治」と「生活」は同じものだという感覚は少ないのかもしれません。

昨年出版された山口二郎さんの「民主主義は終わるか」(岩波新書)に、民主主義を終わらせないために大切なこととして、「実際に他人と声に出して議論することの重要性」があげられていました。
「他人と顔を向き合わせながら話をすれば、人間は感情を抑え、儀礼を持って議論することができるはずである」とも書かれていましたが、昨日のかなり激しいやり取りをみていて、「人間は感情を解放してでも、礼儀を持って議論することができる」こと、そしてそれがとても大切なことを改めて実感しました。

湯島のサロンは、本当にみんな勝手に自己主張をします。
それもみんな立場が違うので、気づかせられることが多いです。

なお、このサロンの契機になった「茶色の朝」ですが、20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話です。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。そんな話です。
「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

(2020年1月第3週)
■第5回リンカーンクラブ研究会「議会制の虚構性」(2020年1月19日)
■暗闇の中(2020年1月21日)
■CWSサロン「参加者それぞれにとっての居心地の良い場」(2020年1月23日)
■ストーリーテリング協会プログラム開発検討会(2020年1月23日)
■生活哲学学会第4回目の講義(2020年1月25日)

■第5回リンカーンクラブ研究会「議会制の虚構性」(2020年1月19日)
第5回リンカーンクラブ研究会は「議会制の虚構性」をテーマにしました。
議会制は、本来デモクラシー(民主制)とは無縁だったにもかかわらず、選挙権の拡大に伴ってイギリスでデモクラシーとつながってきた制度ですが、当時、ルソーが「彼ら(イギリスの人たち)が自由なのは議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう」と指摘しているように、偽装民主主義という指摘は少なくありません。
しかし、ルソーの予想に反して、議会制は民主制の象徴のようになってきています。
特に日本では、「議会制民主主義」という言葉もあるように、議会がデモクラシーの象徴と捉えられてきましたが、最近はさすがにその機能不全が露呈しだし、それが政治不信や投票率低下につながってきています。

リンカーンクラブの武田さんは「議会制民主主義は民主主義なのか」とずっと主張してきています。
最近の議会の実態を見れば、その虚構性は明らかであり、それによって憲法さえも無視した政治が可能になってきているにもかかわらず、なお日本は「民主政治」が行われているとみんなが思っていることに武田さんはいらだちを感じているようです。
ただ武田さんは、いらだって批判するだけではなく(もちろん諦めるのではなく)、どうしたら少しでも民主主義の理念に近づけられるかを考え、社会に発信してきています。

今回は、同じようにそういう思いを持った人たちが8人集まりました。
考えは必ずしも同じではないのですが、現在の政治に危機感を持っていることに関しては同じです。

議会制が民主主義の虚構ならば、その虚構を正すためにどうやって民主主義に近づけていくか、それが今回のテーマです。
武田さんの最初の提案は、国会議員選挙の際に、首相の信任投票を加えたらどうかということでした。
非常に示唆に富む提案ですが、賛否両論あって、議論は最初から白熱しました。
つづいて、予算も国民投票で決められないかという提案。
これも白熱しましたが、予算と政策の関係の議論やら、政治の安定性(行政の継続性)などで議論が分かれました。
重要法案も国民の意思表明ができるようにしたらどうかという提案もありました。
こうした議論をしていると、抽象的な政治談議からは見えてこないいろんなことが見えてきて、政治と生活のつながりもわかってきます。
時にはちょっと険悪な空気が出てくになるほどの異論反論が噴出するのが湯島のサロンの面白さです。

制度よりも国民の意識が問題ではないかという議論も出ました。
制度をいくら変えても意識が変わらなければ何も変わらないかもしれません。
しかし、制度と意識は深くつながっていますから、やはり制度は大切です。

「民意」とか「民度」などという多義的で意味不明な「お上の言葉」は使うべきではないというのが、私の考えですので、ちょっとそこにこだわってしまい、「民意」論争もありました。
私は、誰かが勝手に決めてしまうような民意とかにはあんまり興味はなく、私自身の生活が豊かになればいいと思っている人間で、そのためにこそ政治があると思っていますので、選挙には必ず行きますし、政治への関心は強いです。
むしろ、私のために政治があると思うことこそが、大切だと思っています。
誤解されるといけませんが、宮沢賢治が言っていたように、「みんなが幸せにならないと自分の幸せもない」と思っています。

武田さんからは、有識者会議のようなものをつくり、国会審議を評価する話し合いの場をつくったらどうかという提案もありました。
みんなほぼ賛成でしたが、どういう人を選ぶのかでは議論はまったく分かれました。
私はむしろ「無識者会議」の方がいいのではないかと思います。
また、投票制度に関しても、武田さんは「重投票と軽投票」という提案をしましたが、議会制度の虚構性を解消していくためにはさまざまなことが考えられます。

しかし議論しているだけでは何も始まりません。
どうしたら議会制を民主主義に近づけていけるかの実践に取り組まないといけないとの指摘もありました。
その通りで、実践に取り組まなければ、世間の「有識者」たちと同じように体制に寄生的な存在に終わりかねません。

結局は、まずは投票率を高めることではないか、ということになり、前回、提案された「選挙投票は国民の責務(公務)と捉え、投票行為にきちんと対価を払うべきではないか」ということを軸に、投票率を高める活動に取り組むべきではないかということになりました(私の勘違いかもしれませんが)。
ともかく、そういう活動を立ち上げていきたいと思いますが、共感して一緒にやりたいという方がいたらご連絡ください。

3時間を過ぎても議論は止まりませんでした。
寒い休日にもかかわらず、わざわざ湯島まで出かけてきて、こんなに真剣に語り合っている人たちがいることに、私は感激して議論に参加していました。
現政権批判や傍観者的な諦観的な発言をフェイスブックで見るたびに、あなたたちが日本の政治をダメにしていると思うのですが、熱い議論をしている人たちもいることに救いを感じます。

■暗闇の中(2020年1月21日)
今年は年初からいろんなことがあって、いささか心身ともに不調です。
どこか具合が悪いということではないのですが、気が起きてこない。
人と会っている時はいいのですが、自宅の戻ると精神的にダウンしてしまい、やる気が起きてこないのです。
おかげでホームページも元日以来、更新もせずに、机の上の年賀状も積んだまま。
まるで暗闇の中にいるような感じです。

それなりに心当たることはあるのですが、対処の使用もありません。
それで今日は部屋の整理をしました。
そしてホームページの更新にも取り組みだしました。
状況が変わることを念じて。

■CWSサロン「参加者それぞれにとっての居心地の良い場」(2020年1月23日)
平日の午後の開催だったので、どれだけの人が集まるか心配でしたが、10人を上回る人が参加、関心の高さに驚きました。

最初にそれぞれにとっての「居心地の良い場」について話してもらいました。
最初に口火を切ったのが長年ひきこもりだったという人で、外の世界には「居心地の良い場」を見いだせなかったが、ある人の一言で価値観が反転し、いまは「共に成長していける場」が、自分にとっての「居心地の良い場」だと話してくれました。
つづいてさまざまな「居心地の良い場」が出されました。
「適度な拘束(ルール)があるほうがいい」
「自分の役割が見つけられるところ」
「一人になってボーっとできる場」
「自分をすべて出してもいいところ」
「自分を構える必要のない仲間たちといる時」
「自分が自分になれる場」
「自分の家にいるとき」
「気のおけない仲間がいること」
など、いろいろと「それぞれの居心地の良い場」が出されました。

「居心地の良い場」にはいくつかの要素があると坪田さんが整理してくれました。
「雰囲気」「テーマ」「仲間」、ほかにもあるのではないか、と。
「そこでの自分の役割」「楽であること」などもあるのではないかと意見が出ました。

コミュニティに関する議論もありましたが、逆にコミュニティというと、誰か(たとえば行政)が誰かのために作るもので、どこかで生活と離れてしまうのではないかという意見もありました。
居心地の良い場と快適とは違うのではないかという指摘もありました。
便利で安全であることと居心地とは別だということです。
快適さ(利便性や安全)を求めるあまり、私たちは居心地の悪い社会をつくってきているのかもしれません。

ほんの一部を紹介しましたが、コミュニティとか居場所を考えるさまざまな視点や要素が出されたように思います。

話し合いを聞いていて感じたことを3つだけ報告させてもらいます。
ひとつは「コミュニティは参加するものか、育てていくものか」ということです。
言い方を変えれば、「コミュニティと自分」の関係です。
コミュニティではなく、「居場所」についていえば、居心地の良さは、場所の問題なのか、自分の問題なのか、ということです。
よく「居場所がない」と言われ、「居場所づくり」が行政やNPOの課題になっていますが、場所をつくればいいという話なのか。
バーで出会って一緒に飲む仲間たちとの時間も「居心地の良い場」だが、それも「コミュニティ」と言えるのかという指摘もありましたが、「居心地の良い場」は「居心地の良い時」なのかもしれません。

もうひとつは「間」ということです。
「居心地の良い場」も「コミュニティ」も、時間と空間と人間が絡んでいますが、その3つにはなぜか「間」という文字がつかわれています。
言い方を変えれば、時と空(場)と人を「間」がつなげているともいえます。
ここからいろんなことが考えられるような気がします。

3つ目は「コミュニティ」の開放性と多層性ということです。
私たちはさまざまなつながりの中で生きていますが、いいかえれば「さまざまなコミュニティ」の中で生きているともいえるでしょう。
特定の「コミュニティ」に閉じこもってしまうと、ある意味での「居心地の良さ」を得ることができるでしょうが、逆にその「コミュニティ」に自らを合わせていくことにもなりかねません。
ストックホルム症候群(監禁事件などで被害者が加害者との間に心理的なつながりを築いてしまう)とまでは言いませんが、それと似たようなことが起こりかねません。
かつての日本の村落共同体や絆も、そうした危険性やマイナス面を持っていました。
「居心地の良さ」と「居心地の悪さ」は、ある意味でのコインの裏表です。
とすれば、特定のコミュニティに埋没するのではなく、さまざまなコミュニティにゆるやかにつながることで、自らが主役のコミュニティをそれぞれが育てていくという考えもあるように思います。
それとともに、コミュニティは開かれていることが大切ではないかと思います。

ところで今回のサロンで、湯島でやっているサロンのつながりにも改めて気づきました。
たとえば、前回の万葉集サロンでは「個人と社会の関係」が話題になりました。
「同化する多様性」と「せめぎ合う多様性」です。
そして次回は「アニマルコミュニケーション」のサロンですが、ここではペットとのコミュニティという問題があります。
話していくと、いろんな問題が絡み合っていることが見えてきます。
改めてそのことに気づかせてくれたサロンでした。

■ストーリーテリング協会プログラム開発検討会(2020年1月23日)
ストーリーテリング協会のプログラム開発検討会でした。
新機軸を生みだしたいと思いますが、ゆっくり進めているので、最近は雑談会になってきています。
困ったものです。

■生活哲学学会第4回目の講義(2020年1月25日)
生活哲学学会での講義も4回目になりました。今回はこれまでの講義を踏まえて各人からそれぞれの事業(プロジェクト)の計画を発表してもらいました。
なかなか講義で話したことは理解してもらえていないようですが、参加者の頭を混乱させた成果は出てきたと思います。
大切なのは、既成概念の呪縛を解くことですので、その意味では、少し成功したかもしれません。
何よりもよかったのは、信頼関係が生まれだしたことかもしれません。
それにこんな生き方もあるのだと知ってもらったことかもしれません。

講義は終わりましたが、これからが始まりです。

(2020年1月第2週)
■CWSサロン「網野史観パート2」(2020年1月12日)
■CWSサロン「知識ゼロで挑む無門関」(2020年1月13日)
■武田さんのうなぎ(2020年1月13日)
■我孫子まちづくり編集会議の事務局ミーティング(2020年1月15日)
■第6回万葉集サロン「〈わ〉と〈な〉、そして〈た〉」(2020年1月18日)
■メキシコのお土産(2020年1月18日)

■CWSサロン「網野史観パート2」(2020年1月12日)
昨年行った網野史観サロンにつづくパート2も、14人参加と大賑わいでした。
今回は、副題に「日本はどこから来て、どこへ行く?」とあるように、いまの日本の問題を間接話法で語り、考えるといった内容でした。

網野さんは歴史を見る視座をひっくり返すことを教えてくれました。
蔵原さんは、それを、国会議事堂を上下逆転した写真を示しながらわかりやすく説明してくれました。
それがそのまま網野史観というわけではありませんが、視野を広げてくれることは間違いありません。
そうしたことを踏まえて、日本における「資本主義の源流」の話も含めて、「日本の過去に何が起こったか」に関しても、いろいろな視野が開かれ、論点が出されたように思います。

網野史観とはちょっと外れた議論もあったような気もしますが、蔵原さんの話がとても面白すぎたために、予定していた「異形」や「異界」、あるいは「アジール」や「悪党」はあまり話題にならなかったのがちょっと残念でした。
百姓と農民の議論も、あんまり深まらなかったのが残念です。
宗教の話ももう少し話題にしたかったのですが、それよりもやはり政治経済的な話題が中心になりました。
こうしたこと自体にも、まさに今の日本の社会状況が反映されているように思います。
しかし、蔵原さんの話の面白さは、一般論を装いながら、常に彼自身の一人称視点が感じられたことかもしれません。

話し合いを聞いていて、異端と言われた網野史観は、いまや社会に広く浸透していることを改めて実感する一方で、やはり私たちの発想は、言語の用法も含めて、網野さんとは対置に置かれた発想の呪縛からは抜け出せないでいるような気もしました。
そのこと自体にも気づかせてくれたサロンだったように思います。

最後に蔵原さんは、シャーロック・ホームズの「ボヘミアの醜聞」から次の引用文を紹介しました。

You see, but you do not observe. The distinction is clear.
君は見ているが、観察していない。その違いは明白だ。

これこそが、蔵原さんの一番のメッセージだったようです。
いまの日本国民も自民党も、農業政策はじめ随所で基礎データを「見ているが、観察していない」。政策の基礎データを読む力がいまの日本社会に足りないと言いたかったのです。
さまざまな話題に遊び過ぎて、とび散らかしたようなサロンでしたが(それこそがサロンの狙いであり、だからこそ面白いサロンだったのですが)、蔵原さんのメッセージはしっかりと受け止めたいと思いました。

時間が長引いたにも限らず、まだまだ満たされない感じが残り、この調子だとパート3の要請があるなと思っていたら、早速にその要請が届ききました.
その人と蔵原さんのやり取りも始まっているので、もしかしたら、パート3があるかもしれません。

■CWSサロン「知識ゼロで挑む無門関」(2020年1月13日)
「無門関(むもんかん)」のサロンは、参加申込者が少なくていささか心配していたのですが、直前に申し込みがどんどん増えて、ふたを開けたらなんと20人近い参加者になりました。
とりあげたのは、無門関第二則の「百丈野狐」。
話題提供者の金子英之さん(「無門関」永世愛読者/i2 associates代表)が「知識ゼロ」でも大丈夫と言ってくれたので、「無門関」の名前も知らなかった人も参加してくれましたが、事前に「百丈野狐」は読んできてもらいました。

「無門関」は中国南宋時代の禅僧 無門慧開によって編まれた、門下の修行僧を悟りに導くための問題集(公案集)です。
48ある公案の2番目にでてくるのが「百丈野狐」。
話の大筋は、百丈禅師のところに老人がやってきて、自分は以前僧侶だった。修行したら因果の世界から抜けられるかと問われて、「不落因果」、因果の世界から脱けられると応えて、野狐の身に落とされたが救ってほしいと頼まれます。そして、百丈に自分が問われたのと同じ問いを投げかけます。百丈はそれに「不昧因果」、因果の世界に身を任せ、と応じます。それを聞いた老人は一瞬に悟り、人間に戻ったという話です。
そしてその後に、百丈の弟子たちや高弟の黄檗とのやりとりがあります。
この話から何を得るか、が公案の問いです。
ざっと読めば、老人は「不落因果」と答えてなぜ野狐の身に堕ち、「不昧因果」と聞いてなぜ野狐の身を脱する事が出来たのか、というわけです。
ちなみに、「百丈野狐」の全文は、たとえば次のサイトにも紹介されていますので、関心のある人はお読みください。
https://k1s.hatenablog.com/entry/20120614

話に入る前に金子さんは3つの視点をお話になりました。
まず金子さんは「表現者」と自己紹介した上で、イコノグラフィ(図像学)を専攻されていたことをお話になりました。
図像学は、絵画・彫刻などの美術表現の表す意味やその由来などについての研究する学問です。
ついで、金子さんは「問題には解がある」と言い、解があれば見つけたい、それもテキストだけからの正解に至りたいとお話になりました。
そしてこの公案には、推理小説によくあるような、真実から目を反らさせるトリックが仕組まれている。そこで、公案に秘められた「正解隠し」を見つけるために、「構造主義」の発想を利用して、文章を解析し、問題を整理したと話してくれました。
いずれも、それぞれに興味ある話ですが、今回はともかく、公案を解くことがテーマです。

さて本題です。
金子さんは、小道具まで用意してきてくれて、「百丈野狐」についてまずは紹介してくれ、この公案(問題)を構造的に図解してくれました。
そうした話をしながら、参加者からも自らの解釈や疑問点などをいろいろと引き出していきました。
その内容は、「ネタ晴らし」になりますので、この報告では一切触れません。
しかし、参加者からの発言も含めて、とても興味深く、示唆に富む話し合いがあったと思います。
そうした思考を引き出すところにこそ、公案の意義があるのかもしれません。
だとしたら、現在の社会にとって、こうした公案に立ち向かう価値は極めて大きいように思います。
金子さんはこの話をあるビジネススクールでも毎年講義されていました。
その時の反応もお聞きしましたが、こういう話が行われるビジネススクールが存在していたことに私はとても感動しました。

こうした禅問答にどんな効用があるのかという質問もありましたが、そういう質問が出る時代だからこそ、大きな効用があるのかもしれません。
話し合いのいくつかは、紹介したい気もしますが、たぶん不正確な紹介になるのでやめさせてもらいます。
ただ、終わった後、参加者からこんなメールが来ました。

せっかくいい方向に話が向かいそうなのに黄蘗が百丈和尚の横っ面をぶんなぐったところになると、どっちか偉いとか上だとかとたんに「執着」に固執するのが可笑しかった。

私もその時に同じ思いを感じていましたが、この公案は、「不落師弟・不昧師弟」をたしなめているようにも思いました。
金子さんもお話になっていましたが、そこにあるのは極めて根底的なメッセージなのです。
しかし、それを論理的に解釈し、正解を得ようとする金子さんご自身にも大きな興味を持ちました。

金子さんは無人島に流されたとしてもこの一冊があれば退屈しないと言われました。
それほど金子さんは「無門関」にはまっているようです。
それほどの魅力があるのであれば、私ももう少ししっかりと読んでみたくなりました。
そこで改めて、無門関の48の公案のどれかを選んで、みんなで読んでみるサロンを企画しようと思いつきました。
またご案内させてもらいます(たぶん)。

もし皆さんの中に、この公案を読んでみたいという方がいたら、ご連絡ください。
採用されるとは限りませんが。

■武田さんのうなぎ(2020年1月13日)
武田さんに今年初めてのうなぎをご馳走になりました。
というよりも、「ご馳走させてあげました」。
これが武田さんとの合意なのですが、こういうことが正確に理解しあえるのは武田さんくらいかもしれません。
武田さんとの付き合いも長くなりました。

御徒町の登亭でしたが、味がちょっと落ちていました。

■我孫子まちづくり編集会議の事務局ミーティング(2020年1月15日)
今日は地元の我孫子まちづくり編集会議の事務局ミーティングでした。
3つの活動プロジェクトが始まっているのですが、特にその中心の「台船灯篭イベントプロジェクト」が広がりだしていて、整理する必要を感じたからです。
活動を基本的に見直すことも考えての呼びかけでしたが、何とか既存の進め方をシェアすることができました。
しかし、改めてコモンズ型の展開のむずかしさを感じました。
これまでいろんなプロジェクトを起こしてきましたが、やはり私の考えはあまりシェアされていなかったのだと痛感しました。
もう少し丁寧に説明しておかないと伝わらないようです。
まったく背景も考えも違う人たちで新しいプロジェクトをコモンズ型で起こすことはそう簡単ではありません。

しかし話しているうちにまた、新しいプロジェクトに取り組みたくなってしまいました。
実に困ったものですが。

■第6回万葉集サロン「〈わ〉と〈な〉、そして〈た〉」(2020年1月18日)


万葉集サロンも6回目となり、対象も宮廷人たちの個人の歌から生活の歌、東歌や防人の歌へと移りました。
最初に、升田さんは古事記歌謡の沼河日売の歌を詠みあげました。

八千矛の 神の命 萎え草の 女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ 今こそは 我鳥にあらめ のちは 汝鳥にあらむを 命は な死せたまひそ いしたふや 海人馳使 事の 語り言も こをば

「我(わ)鳥」「汝(な)鳥」、そして「神」もでてきます。
ちなみに、八千矛の神は大国主で、沼河日売(ぬなかわひめ)は求婚されたのです。
この歌だけでも1回のサロンができるような魅力的な歌だと思いますが、升田さんはそこから「〈わ〉と〈な〉、そして〈た〉− 共有される歌々」へと話を進めます。
今回は〈た〉がテーマなのです。

升田さんは万葉集における〈た〉は「他」ではなく、「神に対する人」であり、「多」だったと説明してくれました。
「他」は「ヒト」と読み、「ヨソ」という意味ではなかったのだそうです。
当時は「他人」という概念はあまりなかったのです。

同時に、万葉集には形容詞がほとんど出てこないとも話してくれました。
そして、「ヒト」は出身地とか住んでいるところによって区分けされるとしても、そのヒト自体を説明する形容詞がつく例は少ないとも説明してくれました。
本来、多様な存在であるヒトは、神の前に「ひとかたまり」としてとらえられたというわけです。
しかし、多の中からいろんな人の顔が見えてくる、多様性を維持した「ひとかたまり」です・
「他」ではそうはならない。

升田さんは、それを「同化することで成り立つ多様性」と表現しました。
だからこそ、詠み人知らずの歌が万葉集には多い。
というよりも、個人ではなく、みんなで詠った歌が多い。
だれかが歌うと(思いを表現すると)私もそうだと共振し合うことで、みんなの歌が生まれてくる。
歌を通して、多様なヒトが同化し、一つの多を育てていく。
いまもよく見る風景のような気もします。

そうした歌のいくつかを、万葉集十一、十二,十四から紹介してくれました。
これらの巻は似た歌が多く、「退屈」を感ずる人も多いようですが、それらの歌のわずかな違いを読んでいると、まさに「た」の意味が実感できる、と升田さんはその面白さを強調されました。
そして、そうした〈た〉のなかから、〈わ〉(吾:一人称))と〈な〉(汝:二人称)が生まれてきた。
〈わ〉と〈な〉の集まりが、〈た〉ではない。
ましてや〈た〉は「他」の集まりでもない。
そこには〈わ〉も〈な〉も含まれている。
とても共感できる世界です。

升田さんはそうした歌の中から、いくつかの叙事歌を読みあげてくれました。
選ばれた歌だったので、それぞれに面白く退屈ではありませんでしたが、当時の「た」の人たちが少し感じられました。

そうした共同体の中で共有された歌の中に、多様性と共に自己表現が感じられる。
それは現代における多様性とは違うのではないかと升田さんは言います。
そこにおける「自我」や「個人」も違うでしょうし、そもそも「共同体」とか「コミュニティ」とかの捉え方も違っているでしょう。
一時期盛んに言われた「ホロニックな全体と個人」を思い出します。

同化することで成り立つ多様性に対置されるものは何か。
升田さんはいろいろと説明してくれましたが、私はそれをうまく言語化できません。
私は「反発し合っている多様性」とか「つくられた多様性」をイメージしましたが、ちょっと違うような気もします。
それでメールで升田さんに質問しました。
升田さんからは「せめぎあう多様性」ではどうかという返信をもらいました。

「せめぎ合う」と「同化」。
いずれも「コミュニティ」につながっていく。
今度(1月23日)、予定している「コミュニティ」を考えるサロンのテーマにもなるなと思います。

このテーマで、万葉集の歌を詠まない万葉集サロンをもう一度お願いしたくなりました。
万葉集はともかく面白い。
改めてそう思うサロンでした。
私の関心はちょっとずれているかもしれませんが。

■メキシコのお土産(2020年1月18日)
年末年始とメキシコに行っていた永作さんが、メキシコ土産と言って、コーヒーとチョコレートを買ってきてくれました。
コーヒーは早速サロンで淹れさせてもらいました。
とてもおいしいコーヒーでした。
サロンのおかげで、いろんなコーヒーを楽しませてもらっています。

(2020年1月年始〜第1週)
■元日(2020年1月1日)
■前途多難な年はじめ(2020年1月3日)
■今年最初のサロン(2020年1月4日)
■オープンハートプロジェクトのミーティング(2020年1月5日)
■記憶のない1週間(2020年1月10日)

■元日(2020年1月1日)
雲が厚くて初日が見えたのはだいぶたってからですが、あたたかな元日でした。
例年のように、お雑煮を食べた後、娘たちと近くの子の神様に初詣。
それからお寺にお墓見舞いに行きました。
そして、いつものように、次女家族と一緒におせちを食べました。
静かな年明けでした。

■前途多難な年はじめ(2020年1月3日)
のんびり過ごす予定が、いろいろと心配なメールが早速に入りだしました。
今年ものんびりできないようです。

■今年最初のサロン(2020年1月4日)


新年最初のオープンサロンでした。
妻がいる時とは違って、何かを用意するわけでもなく、コーヒーだけのサロンです。
せめてミカンとワインくらいは持って行こうと用意していたのですが、朝、出かける時に、どうもその気分ではないという気がしてきて、手ぶらで出かけました。
サンダルで行こうかとも思いましたが、まあジャケットも着たので靴にしました。
ちなみに元旦の初詣も含めて、三が日はサンダルで過ごしましたが。
湯島天神は例年ほどの混み具合ではなかったような気がしますが、それでも長い行列ができていて、並んでいる時間がなかったので、裏口から入り、横からお詣りしました。
オフィスに行くとガラスが見事なほどにきれいになっていました。
昨年末に部屋を利用している阿部さんたちが掃除してくれたのです。

待つ間もなく行田市の中村さんが行田名物の十万石饅頭を持ってやってきました。
武田さんはシュークリームを持って、ほかの人たちも何かと持ってきましたので、お菓子類もそろいました。
用意しないと集まるものなのです。
そこが不思議なところです。
話はかなりハードな話題に集中しました。
「ひきこもり問題」と「食と農」が中心でした。
そういうことに関心のある参加者が多かったのです。

サロンを終えようとしていたら2人の人がやってきました。
そのため終了時間が1時間以上延びてしまいましたが、その話が実に面白いというか、内容の濃いものでした。
なぜかその話のテーマも「農」につながるものでした。
話が面白く、近藤さんが持ってきたリンゴを切るのを忘れてしまいました。

■オープンハートプロジェクトのミーティング
(2020年1月5日)
阿部さんの相談に乗るために湯島に出かけました。
井上さんと3人で、話し合いました。
阿部さんがちょっとピンチなのです。
3人で話し合って、阿部さんのオープンハートプロジェクトを始動させることにしました。
いい方向に向いてくれるといいのですが。

■記憶のない1週間(2020年1月10)
年が明けてから、あっという間に10日になってしまいました。
何やら気忙しく、年賀状もあまり見ていません。
この1週間の記憶がほとんどありません。