CWSプライベート記事インデックス2004〜2006
2007〜20014  2015年
妻への挽歌

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2006年12月
■コモンズとしての愛国心 2006/12/31
■フセインの死刑執行の不快感 2006/12/30

■存在感が希薄になった民主党 2006/12/28
■目黒区議員の勘違いから見えてくること 2006/12/27
■姉歯事件の決着の続き 2006/12/26
■姉歯事件の決着 2006/12/26
■「先入観からの自由」の回復 2006/12/25
■教育基本法のどこが悪いのか 06/12/24
■ノロウイルスによる「風評被害」
2006/12/23
■教育改革の鍵を握っているのはテレビ番組 2006/12/22
■廃墟からの脱出に取り組んだアンベードカル 2006/12/21
■国民年金基金のひどい内容 2006/12/20
■本間さんと安倍さんの見識 2006/12/19
■議員のみなさん、国民のなかに出てきたらどうですか 2006/12/18
■古館さん、もっと現場に出て行動を起こしてください 2006/12/17
■教育基本法改悪で日本は曲がり角を曲がってしまいました 2006/12/16
■松坂選手の61億円の使途 2006/12/15
■犯罪へのけじめのつけ方 2006/12/14
■今年の漢字は「命」だそうですが 06/12/13
■貧困は平和への脅威 06/12/12
■豊洲の街 06/12/11
■報道されないもう一つの社会の動き 2006/12/10
■アミネ一家の不幸は他人事なのでしょうか 2006/12/09
■「よこはま乳腺と胃腸の病院」拒否判決 2006/12/08
■豊作になると野菜が廃棄される経済 2006/12/07
■アーサー・C・クラークの警告 2006/12/06
■シマックの予言 06/12/04
■自治会を通した情報ネットワーク 2006/12/03
■コモンズの幸せ 2006/12/02
■社会の突然の変化 2006/12/01

2006年11月
■手賀沼がきれいになってきています 2006/11/30
■「最後まで、楽しい生活、支える歯」 2006/11/29
■大人のまねはしないで 06/11/27
■天の声に従わなければいじめにあって死に追いやられる時代 2006/11/25
■マスコミの評価犯罪 2006/11/24
■「改正」とは「正しさを改めること」 2006/11/23

■人を育てる場から人を壊す場になってしまった企業 2006/11/22
■利が理を制した沖縄知事選 2006/11/20
■貸金業法改正とNPOバンク 2006/11/15

■高校での履修漏れ問題の捉え方 2006/11/01


2006年10月

■このブログの書き込みを少し休みます 2006/10/19
■地域学に関する昔の講演の自画自賛 2006/10/18
■「拉致」放送命令への異論 2006/10/17
■人の悲しみの上に自分の幸せは築けない 2006/10/16
■幸せの風景と家族の変容 2006/10/15
■理想と現実のつながりの認識 2006/10/14
■常識人たちが進める戦争への道 2006/10/13
■お金と幸せの反比例 2006/10/12
■アンナ・ポリトコフスカヤさんへの追悼 2006/10/11
■野田のイメージ 06/10/10
■住民たちの意見を聴くという意味 06/10/09
■哲学者が減りました 06/10/08
■国会(の議論)の存在価値 06/10/07
■古着の活用への提案 06/10/06
■家電商品の無料引取り業者への不信 06/10/05
■人間的発展と経済的発展 06/10/04
■文明の衝突と個人の連帯 06/10/03
■未来を収奪しようとしている教育改革 06/10/02
■法律は誰のものか 06/10/01

2006年9月
■セロのマジックはマジックを越えています 2006/09/30
■美しい国へ 2006/09/29
■ユダヤ人もアラブ人も同じセム民族 2006/09/28
■国家のアイデンティティ 2006/09/27
■互いを知らなければ、何も始まらない 2006/09/26
■繁栄と平和における死者 06/09/25
■あなたは腕時計をなぜしているのですか 06/09/24
■犯罪被疑者が子供たちを育てる国家  2006/09/23
■過剰摂取 2006/09/22
■戦争を起こすのは簡単なこと 2006/09/21
■団塊世代の関心の行方 2006/09/20

■過去にではなく未来に責任を持った取り組み 06/09/19
■やり始めたら、とまらなくなる依存症シンドローム 06/09/18
■飲酒運転事故(事件)の実態が誰にも見える仕組みづくり 06/09/17
■社会アルツハイマー症 2006/09/16
■拉致問題と自民党の関係 2006/09/15
■私的所有指向の呪縛からの脱出 2006/09/14
■改めて「共済つぶし」の動きについて 2006/09/13
■9.11事件の真実 2006/09/12

■9.11事件で何が変わったのか 06/09/11
■商品は文化とセットです 06/09/10
■「アフリカではよくあること」へのアクセスはなぜ多いのか 2006/09/09
■貸金業規制法の変質と後藤田正純政務官辞任の意味 2006/09/08
■一方的理解は相互理解を妨げる 2006/09/07
■政治のパラダイムの見直し 2006/09/06
■子どもたちからのSOSの意味 2006/09/05
■平和と戦争は同義語? 06/09/04
■省の指示に従う義務 2006/09/03
■非対称コミュニケーションであることの認識 2006/09/02
■田中康夫さんへの感謝 2006/09/01

2006年8月
■薬害C型肝炎訴訟の見る政府や企業の発想 2006/08/31
■イラク派兵の後遺症 06/08/31
■無理しなければ疲れません 06/08/30
■コストダウンからコストアップへの戦略転換 06/08/29
■大勢に乗る生き方の見直し 06/08/28
■学校の役割 06/08/27
■住宅のあり方と少子化、あるいは子どもたちの反乱 06/08/26
■団塊世代の新しい役割 06/08/25
■自由と秩序 06/08/24
■「伝えたいニュース」の消費者からの脱出 06/08/23
■イラクは平和になったのでしょうか 06/08/22
■沢蟹のこと 06/08/21

■イーハトーヴの平和と夏休みの効用 2006/08/20
■自分たちが実際に戦争に行くという実感が持てない 2006/08/19
■銃撃されて死ぬ確率 2006/08/18
■エレン・ワタダ中尉が生まれる素地 2006/08/17
■生態系の変化 2006/08/16
■「ありがとう」の気持ちは訓練の対象なのか 06/08/15
■終戦記念日の迎え方 06/08/15
■「ここまでやって来たのに、もったいない」 06/08/14
■旅客機爆破テロ未遂事件とイスラエル非難決議 2006/08/13
■自民党総裁選挙の象徴性 2006/08/12
■靖国神社宮司の人間観 2006/08/11
■「貧しい豊かさ」と「豊かな貧しさ」 2006/08/10
■国民祝祭日を国民黙祷日に変えたらどうでしょうか 2006/08/09
■「社会奉仕」刑への違和感 06/08/08
■根深い女性の人権蔑視の思想に立脚する刑法体系 06/08/07
■三毒を抑える 06/08/06
■加害者と同じお墓に入りたいですか 2006/08/05
■物事を簡単に考えてしまう発想 2006/08/04
■Educated Incapability症候群 2006/08/03
■新しい観光開発への関心 2006/08/02
■自民党総裁選挙は国民に政策論議を呼びかけるチャンス 2006/08/01

2006年7月
■経営者の雇用拡大責任と偽装請負事件 06/07/31
■荒すぎる議論とビジョンの不在 2006/07/29
■富裕層が海外に出て行くことをどう考えますか 2006/07/26
■食医の不在 2006/07/25
■管理のための教育と自立のための教育 2006/07/24
■長野知事選での田中康夫再選を期待します 2006/07/23
■欽ちゃんの教え 2006/07/22
■消えたニュース 2006/07/20
■名古屋の教訓 2006/07/19
■財界による消費者情報のオープンバンク構想 2006/07/18
■言葉と文字の持つ意味 2006/07/17
■ゼロ金利時代が終わって残念です 2006/07/16

■電話が不通です 06/07/15
■トンボと転倒した自動車を見ました 06/07/14
■ジダンの頭突きと9.11事件 06/07/13
■情報共有社会の落とし穴 06/07/12
■携帯電話が不通になりました 06/07/11
■テポドン騒動 06/07/10
■イラク事件はまだ終わっていません 06/07/09
■地方分権反対論 06/07/08
■今日もまだウグイスが鳴いているのです 06/07/07
■最近とても気になること 06/07/06
■「もったいない」概念と「29日目の恐怖」 06/07/05
■ゼロ金利とグレーゾーン金利 06/07/04
■正すべきは自らにあり。 06/07/03
■世界を広げる学びと世界を狭める学び 06/07/02

2006年6月
■宮内義彦さんのコーポレートガバナンス論 2006/06/30
■よそ者を排除する意識 2006/06/29
■薬害C型肝炎訴訟控訴に見る政府の姿勢 2006/06/28
■得をするのはだれか 2006/06/27
■チャッピーの悲劇 2006/06/26
■個人情報保護に関して思うこと 2006/06/25
■「ルールを守った上での金もうけは自由」なのでしょうか 2006/06/24
■日本はなくなるのではないですか 2006/06/23
■あり得ないことが存在すること 2006/06/22
■機械の反乱が始まりました 2006/06/21
■大切なのは批判ではなくワクワクするビジョン 06/06/20
■日本クロアチア戦を見てしまいました 06/06/19
■「毎日、楽しいね。お母さん」 06/06/18
■個人の利益と社会の損失の非対称 2006/06/17
■関係の逆転 2006/06/16
■道義的責任と法的責任とどちらが大切でしょうか 2006/06/15
■つながりを壊すお金とつながりを育てるお金 2006/06/14
■カネミ油症事件救済法の見送りの理由 2006/06/13
■子育てが不安の風潮 2006/06/12

■違法な戦争と違法な兵役拒否 2006/06/11
■金銭を基軸にした経済システム 2006/06/10

■人の死を喜ぶ社会 2006/06/09
■国への愛と国民への愛 2006/06/08
■庶民の目 2006/06/07
■儲けることと価値を創ることとは違います 2006/06/06
■5000円のネクタイと398円のネクタイ 2006/06/05
■「悪しき企業の経営」モデル 2006/06/04
■違法性の網の広がり 2006/06/03
■基本を変えずに問題は解決するでしょうか 2006/06/02
■秩序化の基準としての法律と常識 2006/06/01

2006年5月
違法性判断の民間委託 06/05/31
■事の良し悪しの発端 06/05/30
■「民」の本質 06/05/29
■組織起点の常識と個人起点の常識 06/05/01


2006年4月
■倫理観での格差社会 2006/04/27
■告発のコストとプレゼント 2006/04/26
■医療制度と病院問題に関心のある方はご連絡いただけませんか 2006/04/08
■繰り返し「軍縮問題資料」のお薦め 2006/04/07
■世評で動く社会 2006/04/06
■元気をもらえた2週間 2006/04/05
■医療制度と病院問題に関心のある方はご連絡いただけませんか 2006/04/08

2006年3月
■松下電器の対応は誠実なのか非常識なのか 2006.03.21
■弁護士の犯罪 2006.03.15
■住民投票に耳を傾けない政府とは何なのでしょうか 2006.03.14
■頭でわかっていてもなかなか自分ではできないものです 2006.03.13
■メールの暴力 2006.03.08
■喧嘩の始め方と終わり方 2006.03.03
■トリノオリンピックで納得できなかったこと 2006.03.02
■時間の配分で生き方が変わってきます 2006.03.01


2006年2月

■帰属意識と当事者意識 2006.02.28
■憲法や法律は誰のためにあるのか 2006.02.26

■豊かな社会の感受性 2006.02.25
■ソクラテスの警告 2006.02.24
■国の主張と住民の主張 2006.02.23
■堀江メール問題が教えてくれたこと 2006.02.22
■議論の目的は勝敗ではなく、共創です 2006.02.20
■社会人基礎力って、ご存知ですか 2006.02.17
■時間の長さは人によって全く違います 2006.02.16
■人の生命を殺傷した罪の重さ 2006.02.15
■企業の社会貢献活動と事業活動 2006.02.14
■「時は金」ではありません 2006.02.13
■まちづくりの始まりの現場 2006.02.12
■ふたつのリーガルマインド 2006.02.11
■横浜事件判決とリーガルマインド 2006.02.10
■北朝鮮との「国交正常化」って何でしょうか 2006.02.09
■「パブリック」の責任 2006.02.08
■情報の過剰摂取症候群 2006.02.06
■利益のあげ方 2006.02.03
■規律は守ったが、弱いものを守らなかった 2006.02.02
■「消耗品戦略」と環境経営、あるいはCSR 2006.02.01

2006年1月
■年齢って何で必要なのでしょうか 2006.01.31
■アフリカではよくあること 2006.01.30
■平和へのさまざまな思い 2006.01.29
■他人事の自分 2006.01.27
■砂上の企業価値 2006.01.26
■「いただきます」と「ありがとう」 2006.01.25
■親を支援することは子どもを支援することにつながるか 2006.01.24
■雪がくれたコミュニティ 2006.01.23
■NPOと企業のコミュニケーション 2006.01.21
■ライブドア事件から感ずる時代の危うさ 2006.01.20
■生きることの意味を時々考えると人生は変わるかもしれません 2006.01.19
■平和のためのコミュニケーション学 2006.01.18
■幸せな人生と幸せな時代 2006.01.16
■コラテラル・ダメッジへの不感症 2006.01.15
■グレーゾーン金利への姿勢 2006.01.14
■死のうが生きようがご自由にという宣告 2006.01.13
■地元の食材をつかわないお土産品 2006.01.12
■日本橋の上の高速道路 2006.01.10
■フレキシビリティという曲者 2006.01.09
■豪雪も私たちの生活のありかたの結果なのでしょうか 2006.01.07
■運命を変える一瞬 2006.01.06
■初詣で何をお願いしましたか 2006.01.05
■学校での週1回の「弁当の日」をどう思いますか 2006.01.04
■歯がなければ歯は痛くならない 2006.01.03

■「日本はもうどうしようもないところに向かっていると思いませんか?」 2006.01.02
■変えるべきものと守るべきものを見分ける知恵 2006.01.01


2005年12月
■主体的に考えるということ 2005.12.31
■悪徳リフォームビジネスと健全なビジネスの違い 2005.12.27
■人口減少の最大の問題は労働力不足ですか 2005.12.26
■小泉内閣は何か問題を解決したことがあるでしょうか 2005.12.25

■時流に乗っていては見えないものがあまりにも多い 2005.12.24
■ウォーキングバスの発想 2005.12.23
■「市民から住民へ」 2005.12.22
■診療報酬改定も財政問題発想でいいのでしょうか 2005.12.21
■農業は殺生行 2005.12.19
■「あなたの暮らしがよくなれば、それだけ石油の消費量が多くなる 2005.12.18
■日本の建築の考え方 2005.12.17
■人口が減少するということ 2005.12.16
■理念と現実が違ったらどうするか 2005.12.15
■責任回避装置としての「システム」(組織)と弱い個人 2005.12.14
■悪循環を育てる近視眼的対策 2005.12.13
■裁かれる当事者と権力との距離で判断は決まるのでしょうか 2005.12.10
■稼ぐことと儲けることの分離 2005.12.09
■耐震構造偽装事件の負担は誰が追うべきか 2005.12.04
■死に向かう競争を離脱できるか 2005.12.03
■信頼しないことから発生するコスト 2005.12.02
■ソーシャル・キャピタルと経済成長 2005.12.01

2005年11月
■チームで相談できる試験制度 2005.11.30
■本能寺を焼いたのは誰か? 2005.11.25
■子どもたちの事件と大きな福祉 2005.11.24
■ピーナツの殻むきをしながら思ったこと 2005.11.23
■姉歯設計事務所が起こした事件 2005.11.22
■ちょっと独白:ペルソナとシャドー 2005.11.21
■まちづくりは住民が楽しむことから始まります 2005.11.20
■若者への不信感の払拭 2005.11.19
■憲法は9条だけでいいという永六輔さんに共感します 2005.11.18
■アーレフ施設が近くにあったらどうしますか 2005.11.17
■山形で売っていた乾燥サクランボは中国産でした 2005.11.15
■中島こうせいさんが恵庭市の市長になりました 2005.11.14
■企業の社会性は企業規模と反比例しています 2005.11.13
■現行犯なのになぜ「容疑者」なのか 2005.11.12
■組織を信頼することの危険性 2005.11.09
■ルーチンワークの大切さ 2005.11.08
■地方分権で地域の主体性は高まってきているか 2005.11.07
■今年の山は豊作だそうですが 2005.11.06
■自動車に関する安全対策 2005.11.05
■死をコントロールできるか 2005.11.05
■自然とつながっている人体 2005.11.03
■国民保護法はごぞんじですか 2005.11.03

2005年10月
■マイオピアからノー・ロングタームへ 2005.10.31
■小泉首相のこわした歴史の先 2005.10.30
■住民たちが行政を使い込む時代が始まりそうです 2005.10.28
■若者の人間力を高めるための国民運動と高めない非国民運動 2005.10.27
■日本にあったホスピタリティ文化はいつ変わったのか 2005.10.26
■人生を分ける生き方の意味が少し分かってきました 2005.10.25
■北海道の恵庭市の話なのですが 2005.10.22
■内政干渉って何でしょうか 2005.10.21
■30万円よりも一言の応援の言葉 2005.10.20
■被害者が加害者を支援する構造 2005.10.17
■焚き火ができないのはなぜでしょうか 2005.10.17
■合意形成を目指す社会の行く末 2005.10.15
■箱根の観光客としての怒りと迷い 2005.10.14
■地方分権と地域主権 2005.10.11
■企業変革と国家変革 2005.10.10
■大人の社会から生命の社会へ 2005.10.09
■雨が降ってきたら走りますか 2005.10.08

2005年9月
■なぜ民主党は人を集められなかったのか 2005.09.12
■不明の自覚  2005.09.12

■民意に従うという欺瞞とマニフェストの欺瞞  2005.09.11
■さまざまな勘違い  2005.09.10
■何が問われているかの大切さ  2005.09.09
■カタカナ言葉と漢字言葉とどちらがわかりやすいか 2005.09.09
■過剰から不足への発想の転換   2005.09.06
■小泉自民党大敗の期待と予感 2005.09.05

■ハリケーンの被害から見えてくるもの  2005.09.04
■在宅療養者や病院入院者の投票  2005.09.03
■電話で頼まれたらどうしますか。 2005.09.02
■認知症は病気でしょうか  2005.09.01

2005年8月

■耳を失いつつある社会  2005.08.31
■あなたは仕事が楽しいですか  2005.08.30
■隠居は最高の贅沢です。  2005.08.29
■民から共へ  2005.08.28
■創造と破壊の両義性  2005.08.27
■仁義の大切さ  2005.08.26
■がん患者にとってのサプリメント情報 2005.08.25
■警察の民事不介入原則と共謀罪  2005.08.24
■陽動作戦  2005.08.23
■新党日本の田中代表のメッセージが広がってほしいです  2005.08.22
■個人を手段にする社会  2005.08.21
■野党へのメッセージ:野党が大同団結する時!! 2005.08.20
■ガザに象徴されていること   2005.08.19
■組織起点の時代の政治システムの呪縛 2005.08.18
■「愚直なまでの平和政策」ですって? 2005.08.16
■戦争で死んだ人は英霊になってうれしいのだろうか  2005.08.15
■パンとサーカスの饗宴 2005.08.14
■郵政解散における問題構造の本質  2005.08.09
■民営化コンプレックス  2005.08.07
■広島宣言と小泉言動   2005.08.06
■費用徴収文化の恐ろしさ 2005.08.05
■犯罪にどう立ち向かうかで社会の枠組みが見えてきます  2005.08.02
■カネボウ粉飾決算における責任追求と原因究明 2005.08.01

2005年7月
■いじめの手段としてのテレビタレント族  2005.07.31
■アスベスト労災認定事業所の発表姿勢  2005.07.30
■エスカレーターで歩かないことの難しさ 2005.07.30
■司法の死  2005.07.28
■組織犯罪と組織を使った個人の犯罪  2005.07.26
■不信感の増幅という「冷たいテロ」の予感 2005.07.25
■なぜ今頃アスベストなんでしょうか  2005.07.24
■ステルス作戦は三権分立の崩壊を示唆しています 2005.07.23
■朝青龍の負けを期待している自分への嫌悪感   2005.07.22
■拉致問題は二国間問題でしょうか 2005.07.20
■古館さんが好きになりました  2005.07.13
■寒い日の電車冷房  2005.07.12
■拉致問題と核開発問題の重みをどう考えるか  2005.07.11
■解散はなぜ脅迫材料になるのか 2005.07.10
■民営化再論  2005.07.09
■お金がお金を生み出すことへの疑義  2005.07.07
■反対と欠席  2005.07.05
■住民と市民  2005.07.04
■私のアドレスで発信している人がいるようです  2005.07.03

■史上最高のボーナス  2005.07.01

2005年6月
■自然の生命力 2005.06.30
■真面目さの功罪  2005.06.29
■全体像の喪失と距離感の増大  2005.06.26

■誰が2人の子どもを殺人に追いやったのか  2005.06.25
■知性は質問の仕方に現れる   2005.06.24
■サラリーマン増税  2005.06.23
■コミュニケーション拒否症候群 2005.06.21
■過労死が起こる社会システム  2005.06.20
■地球温暖化促進策としてのクールビズ 2005.06.19
■政治が守る「体制」  2005.06.18
■NPO法人やまびこ会の事件  2005.06.17
■沢蟹の話2  2005.06.16
■高砂義勇軍と靖国合祀問題  2005.06.15
■エスカレーターで歩きますか?  2005.06.14
■二大政党体制の弊害 2005.06.13
■拉致問題の構図  社会時評 2005.06.12
■リサイクル疑惑事件に対する朝霞市の反応  2005.06.11
■サッカーにあまり興味をもてないのです。  2005.06.10
■民営化への不信感  2005.06.06
■コミュニケーション不在の国会審議  2005.06.05

■郵政民営化よりも銀行国営化
  2005.06.04
■ネクタイをしない国会議員  2005.06.03
■働く場の魅力  2005.06.03

2005年5月
■戦うことへの本能  2005.05.31
■経営の本質  2005.05.30

■有識者の無知  2005.05.28
■みなさんは何のために仕事をしていますか  2005.05.26
■自動車事故が起きるたびに考えること  2005.05.23

■2つの豊かさモデル  2005.05.21
■支援と弁護   2005.05.18
■経済としての戦争と当事者としての戦争 2005.05.17
■「疑わしきは壊さず」  2005.05.16
■アウトプットとアウトカム 2005.05.13
■世界の平和を知るための雑誌「軍縮問題資料」が復刊されました 2005.05.08
■JR西日本の誠実な対応とマスコミの心無い態度   2005.05.07
■福知山線事故の問題の構図  2005.05.04
■ホモエコノミクス教育  2005.05.02
■英霊信仰とジハード  2005.05.01


2005年4月
■時計をはずす生活   2005.04.30
■地域社会は見えてきたのか見えなくなってきたのか 2005.04.29
■安全よりも定時運転  2005.04.28
■言葉の価値  2005.04.27
■責任回避のために不信感をあおる社会  2005.04.26
■総論の空しさと当事者としての言動  2005.04.25
■「言葉」が死に出したような気がします 2005.04.24
■不明を恥じる  2005.04.22
■中国の反日デモ騒動 2005.04.20
■父親の権威がなくなったわけ 2005.04.19
■隠れて暮らす社会   2005.04.08
■もうひとつのシュペアーの責任感  2005.04.07
■竹島領有問題  2005.04.06
■民営化と私有化  2005.04.04
■シュペアーの責任感  2005.04.03
■「どう思いますか 格差社会」の退屈さ  2005.04.02

■ランディ・キラーの愛国心   2005.04.02
■校門は原則施錠  2005.04.01

2005年3月
■テレビの新しいミッションやあり方を考える時期  2005.03.27
■イラクの真実  2005.03.17
■人の権威や人気を借りることのおかしさ   2005.03.08
■愛国心を育てる国家  2005.03.07
■働くことは義務か権利か   2005.03.03
■いま、ネパールで何が起きているか、ご存知ですか  2005.03.01

2005年2月
■3つの企業価値を可視化したライブドアの堀江さん  2005.02.27
■人にレッテルを貼る社会  2005.02.26
■ルールを変える競争社会  2005.02.25
■次世代育成行動計画が策定されていることをご存知ですか  2005.02.24
■私は民間人なのです  2005.02.23
■ライブドアの堀江さんを支持し感謝します  2005.02.21
■学校がなぜ悲劇の舞台になるのか  2005.02.15
■信頼を失いつつある金融システムの意味  2005.02.13
■表現に気をつけなくてはいけない社会   2005.02.12
■お金を付けて家を売る時代  2005.02.11
■刑の与え方がまちがっている社会   2005.02.07
■通貨偽造の意味  2005.02.05
■銀行の窓口の不思議さ   2005.02.04
■ニーメラーの教訓   2005.02.03
■イラクの国民投票の結果  2005.02.01

2005年1月
■全国総合開発計画(全総)制度の廃止
  2005.01.30
■司法改革の前にやるべきこと  2005.01.27
■忙しすぎて事実を見ない生活への反省   2005.01.25
■衆議院本会議場から退席した民主党を支持します  2005.01.24
■マイノリティのパブリシティの排除  2005.01.23
■強制送還の権利  2005.01.21
■混雑緩和のために道路をつくるとさらに混雑が増えてくる話  2005.01.20
■構造的介入 2005.01.14
■司法制度改革が見落としていること  2005.01.13
■見たくないものを見ない生き方  2005.01.12
■インド洋大津波とソラリス 2005.01.11
■日本のために働くということ  2005.01.08
■年賀メールの効用   2005.01.07
■軍隊という名称  2005.01.06
■装丁を変えて売り出す講談社のビジネス倫理   2005.01.05
■言葉の世界からの脱却  2005.01.04
■象徴的な年の変わり目   2005.01.02

12月
■冷え切った社会   2004.12.31
■判断が出来ない問題
  2004.12.29
■イワン・フロール老人の教え  2004.12.28
■ドンキの放火事件  2004.12.27

■市町村合併の効果 2004.12.25
■がんサポートキャンペーンとメディアガバナンス  2004.12.24
■何もかも売買の対象になる社会   2004.12.23
■お金がお金を生む経済の不思議さ  2004.12.22
■義務を権利にし、権利を義務にする社会  2004.12.20
■砂上の楼閣  2004.12.19
■日本国憲法を読んだことはありますか  2004.12.18
■NPOの信頼性 2004.12.17
■二項対立発想からの脱却  2004.12.15
■宝くじ売場での長い行列  2004.12.12
■アクションを遅らす社会の仕組み  2004.12.11
■会社の資本金はなぜ必要か  2004.12.10
■馬鹿にされたことに気づかない馬鹿の責任   2004.12.9

■思考停止に立脚した社会  2004.12.08
■選挙はもはや有効ではなくなるでしょう 2004.12.04
■流行語大賞ってなんで誰も怒らないのでしょうか  2004.12.01


11月
■購読する新聞によって世界観が変わります? 2004.11.30
■半年前の自動車免許更新講習時に思ったこと  2004.11.28
■納得できないこと   2004.11.27
■経済的損失とは何か   2004.11.26
■企業への不信感   2004.11.23
■見えている風景   2004.11.21
■環境税が阻害する経済成長って何でしょうか  2004.11.12
■奉仕活動が必修科目???   2004.11.11
■当事者を除外する文化  2004.11.10
■イラクの真実   2004.11.08
■電子ポットが壊れました   2004.11.06
■人の道を外すことが「人の道」   2004.11.04
■CSRの欺瞞性  2004.11.03
■断固たる姿勢でテロとの闘いを継続する   2004.11.01

10月
■ブログがなかなか書けません  2004.10.11
■人との出会い  2004.10.01


9月
■悪貨は良貨を駆逐する  2004.09.30
■犯罪が許される社会
  2004.09.24
■コメンテーター社会の脆弱さ   2004.09.19
■被害にあった人の笑顔 2004.09.14
■大銀行が倒産するのは当然です  2004.09.10
■同じ間違い
   2004.09.09
■地に落ちたスポーツ
   2004.09.08
■混乱のはじまり 
2004.09.06
■共謀罪の話 
2004.09.05
■構造的暴力の被害者 カミロ兵卒の場合 2004.09.03

8月
■情報を隠蔽するメディアとしての新聞とテレビ  2004.08.21
■「昔はこんなではなかった」
2004.08.19
■温泉場の常識   2004.08.17
■日朝協議とオリンピック競技   2004.08.16
■JR我孫子駅のタバコの自動販売機  2004.08.13
■美浜原発の事件   2004.08.11
■中国サッカーのサポーターたちの根底にあるもの   2004.08.09


7月

■花の名前   2004.07.15
■花の水やり   2004.07.14
■沢蟹に最近会えません  2004.07.13
■選挙結果への失望    2004.07.12
■明るい非暴力マニュアル   2004.07.11
■税金を湯水のように使う首相のアカウンタビリティ  2004.07.10
■平和に取り組むことの覚悟   2004.07.09
■プロ野球への違和感   2004.07.08
■選挙に行きましょう   2004.07.07
■殺人罪の償い方    2004.07.06
■生産者と消費者がリスクをシェアする経済  2004.07.05
■ショッピングセンターの賑わい  2004.07.04
■問題の根源と情報社会の本質   2004.07.03
■フセインの主張  2004.07.02
■「食道楽」の人 村井弦斎  2004.07.01

6月
■リゾーミックに絡み合うホームページ 2004.06.30
■殺し合いを止められない社会、止めない社会 2004.06.29
■対話ができない首相と連帯できない野党党首  2004.06.28
■100円ショップでの疑問  2004.06.27
■知は利なり、知は痴なり   2004.06.26
■商業倫理   2004.06.25
■沖縄「慰霊の日」   2004.06.24
■法の規範性と権力性    2004.06.23
■情報はだれのものか  2004.06.22
■自然の力  2004.06.21
■党首会談の空しさ 2004.06.20
「常識」の呪縛からの自己解放 June 19, 2004
■オブコニカの攻撃 June 18, 2004
■参議院選挙への関心の低さ June 17, 2004
■動いていないエスカレータでつまずいたことはないですか June 16, 2004
■コミュニケーションできないほどの情報のやりとり  June 15, 2004
■平和に向けての個人訴訟傍聴記 June 14, 2004
■強制と自発  June 13, 2004
■メールが減ってきました June 12, 2004 
■田中真紀子さんへのエール June 11, 2004
■出生率低下は未来への夢とつながっています June 10, 2004
■必然的な出会い June 09, 2004
■突然報道されなくなった年金改革法 June 08, 2004 
■ユニバーサルデザインへの違和感 June 07, 2004
■ネットを介したコミュニケーションの難しさ June 06, 2004
■朝のあいさつ  June 05, 2004
■年金改革法の成立をとめる方法 June 04, 2004
■テレビタレントのサブリミナル効果  June 03, 2004
■医学の進歩と生命の大切さ  June 02, 2004
■沈黙の春  June 01, 2004

5月
■身勝手な生き方から抜けられません  May 31, 2004
■朝市の賑わい May 30, 2004
■流れが止まらないことへの怒り May 29, 2004
■家族会の怒りに共感します May 28, 2004
■吉野家の牛丼がなくなったので米の消費が減ったという話 May 27, 2004
■年金制度の論理矛盾 May 26, 2004
■大銀行の業績   May 25, 2004
■国民参加の裁判員制度  May 24, 2004
■怒った横田滋さんを初めて見ました  May 23, 2004
■傘を失くしたら探しますか?  May 21, 2004
■鈍感なのは都会人だけ? May 20, 2004
■ホテルでの出来事  May 19, 2004
■プラグを抜く難しさ  May 18, 2004
■卑怯な新聞でいいのか  May 16, 2004
■沢蟹の定住 May 15, 2004
■厚生労働省の犯罪   May 14, 2004
■極悪非道な人間はどこにいるのか  May 13, 2004
■空白の3日間  May 12, 2004
■嘘の蔓延  May 08, 2004
■カラスのこと  May 07, 2004
■常識の間違い  May 06, 2004
■障害者と障がい者  May 05, 2004
■国民の休日  May 04, 2004
■沢蟹騒動  May 03, 2004
■住民主役のまちづくり計画  May 02, 2004
■改憲問題  May 01, 200
■ロードオブザリング王の帰還  May 01, 2004

4月
■虎の尾を踏んだ政府  April 29, 2004
■CWSプライベートがスタートしました  April 29, 2004