環境問題を考えるコーナー
これから編集して行きます。
■私の環境問題への考え方
○地球との共生意識が企業を進化させる(R&D研究年報1991)
○いまなぜ持続可能な循環型地域なのか(東久留米市職員組合報告書1999)
○環境経営提言
■「沈黙の春」を読む会
■オゾン戦争
■エコソシオと地域資源循環システム
■バルディーズ研究会
■環境クラブ
■環境広告研究会
■自然の豊かさ
■エネルギー関係のリンク
○ソフトエネルギー関係
○ソフトエネルギーリンク集
■サステイナブル・コミュニティ
■第3回「沈黙の春」を読む会(2004年12月3日)
杉本さんの問題提起を受けての会も3回目です。
年末のせいか、今日は残念ながら参加者が少なかったです。6人です。
しかし、静岡大学の半田智久教授が初参加してくれました。
今日のテーマは、第4章の自然界に存在しない合成化学物質の脅威について警告です。
併せて、カネミ油症事件のビデオを見ました。
杉本さんの問題提起の話を聞いて、私
は科学技術のパラダイム転換をカーソンがメッセージしているような気がしました。
人間による化学物質の合成が自然界の動きによって創発現象を起こすこと、
自然は大きな仕組みで動いているので要素還元主義的科学技術は限界にぶつかっていること、
そんな含意を感じたのですが、杉本さんからは読み込みすぎはよくないと指摘されました。
もしかしたら、ここにこそ、文系理系の発想の違いがあるかもしれません。
高城さんが技術のパースペクティブの問題を提起してくれました。
パラダイムなどと大仰に言わなくても、パースペクティブの問題かもしれません。
話は諫早干拓の話にまでいきましたが、いろいろと考えなければいけない課題が毎回たくさん出ます。
いつかじっくりと合宿でもしたい気分です。
科学技術と生活に関する議論はもっと広がってほしいです。
今回は年末だったので、ささやかにビールとカナッペでカジュアルにやりました。
■ ゴミ年表プロジェクト(2004年11月3日)
環境クラブの増山博康さんがまた新しいプロジェクトをスタートさせました。
「あなたの町のゴミ年表を作ろう!」プロジェクトです。
増山さんの活動は、いつも頭だけで考えたものではありません。
身体発想の取り組みです。ですから増山さんの取り組みは、いつも実践的で信頼できるのです。
環境クラブのニュースレターから引用させてもらいます。
ゴミ処理に使われているお金は、全国で年に2兆5千万円。膨大な額です。
どうしたら、ゴミを抜本的に減らせるのでしょうか?
そこで、ゴミ年表をみんなで作ることを思いつきました。
各地でゴミの量がどんな風に増えてきたか、どんなことをしたら減ったか?
そういうデータを集めて、年表にして、お互い情報交換したら、ゴミを減らすことについての知恵が出るんじゃないか?
そう考えて、この連載を始めることにしました。
この連載を読んで、実際に調査を行い、ゴミ年表づくり、各地の情報交換にご参加いただければ幸いです。
連載第1回では、地元の清掃工場や清掃課に過去のゴミの量に関する資料をもらい、
取材のお願いをするファックスの書き方とゴミ年表づくりの流れが詳しく書かれています。
子どもたちにもお勧めのプログラムです。
まわりに関心を持ってくれそうな方がいたらぜひご案内下さい。
環境クラブニュースは購読制になっています。環境クラブのホームページから申し込めます。
環境クラブは、このほかにもさまざまなプロジェクトを展開しています。
■手賀沼流域フォーラム(2004年10月2日)
私の住んでいる我孫子市の大きな財産は手賀沼です。
我孫子市の総合計画でも、この手賀沼がまちづくりの中心におかれています。
手賀沼は、しかし、我孫子市だけのものではありません。
直接接しているところだけでも、柏市と沼南町と我孫子市の3つです。
私自身は手賀沼水質浄化の活動に直接参加していませんが、
30近い市民活動団体が連携をとりながらさまざまな活動をしています。
その3つの自治体で毎年順番に手賀沼流域フォーラムが開催されています。
今年は我孫子市の番です。
我孫子市の水の館を会場に、さまざまなグループが出展し、イベントも行われました。
市民団体と行政と企業、さらには学校も含めた、手賀沼流域フォーラム実行委員会が主催です。
女房と一緒に、会場に足を運びました。
みんな楽しそうな雰囲気です。
我孫子市環境レンジャーや手賀沼トラスト、手賀沼にマシジミとガシャモクを復活させる会、
ふれあい手賀沼の会など、20近いグループがブース展示をしています。
それぞれがみんな魅力的な活動です。
環境保全活動は楽しくなければいけませんが、みんな楽しそうです。
会場で偶然に、3月までの手賀沼課長と4月からの手賀沼課長に、それぞれ会う事ができました。
最近、なぜかご無沙汰の知人友人との偶然な出会いに恵まれています。
これもきっと意味のあることなのでしょう。
ちなみに、我孫子市ではいわゆる環境担当の課の組織名が手賀沼課なのです。
前任課長は石原正規さん。
1999年に山形市で、「環境と共創」をテーマに全国地域づくり先進事例会議を開催したのですが、
その時、事例紹介に山形市まで行ってくれた人です。
ひょんなことからコムケアとの接点も、つい最近できました。
現在の課長は渡辺和夫さんです。
我孫子市の総合計画の審議委員をさせてもらった時にお世話になった人です。
湯島にも来てくれました。
先日ご紹介したヨシの話もあって、一度、手賀沼課を訪問しようと思っていたのですが、
手賀沼は水質や土質などの点でヨシはあまり向いていないようです。
コムケアが一段落したら、渡辺さんのところを訪問することにしました。
私もいずれかの活動に参加しようと思っています。
実は春から考えているのですが、魅力的なものが多く、目移りして決めかねているのです。
困ったものです。
■アサザプロジェクト(2004年10月2日)
手賀沼流域フォーラムのイベントの一つとして、霞ヶ浦のアサザプロジェクト代表の飯島博さんの講演がありました。
私は直接お話を聞いたことがなかったので、聞かせてもらいました。
やはり直接話を聞かないと活動の意味が理解できないものだと、改めて思いました。
とても共感できる話でした。
飯島さんは環境から入りましたが、やはり福祉へと視野が広がっています。
まさに「大きな福祉」の話に通ずる話をしてくれました。
終了後、お話したかったのですが、予定が詰まっていたため、残念でした。
アサザプロジェクトは実にビジョナブルです。
感服しました。
社会は大きく動き出しているということを改めて実感しました。
やはり実践者はすごいです。
環境問題への関心の有無にかかわらず、ぜひ一度、アサザプロジェクトのホームページをご覧ください。
たくさんの示唆をえられるはずです。
■自然の豊かさ(2004年8月19日)
今日は福島を早朝に出て、山形に向かいました。
昨日の雨のせいで、空気が澄んでいるせいか、緑もいきいきしています。
福島の吾妻小富士や安達太良がとても見事でした。
山形新幹線沿いの緑も、いつもながら見事です。
こうした緑を見ていると、前にも書いたように、環境問題など無縁なような気になります。
これは錯覚なのでしょうが、どうもそうは思えないほど、いつも感心します。
昨日も夜学で、個人でのごみ焼却が禁止されている話がでたのですが、
これだけの緑があるのであれば、少しくらい燃やしてもいいように思います。
個人がそれぞれの責任において、焼却することが禁じられたのはとても残念です。
まとめて焼却する発想を見直すことはできないのでしょうか。
リサイクルにも異論がありますが、
いまの環境問題のとらえ方にはどうも違和感が多いです。
生活から切り離された環境問題対策が多すぎるように思います。
無責任な言い方ですが、環境問題に関する常識も吟味すべき時代かもしれません。
それにしても、日本の緑は素晴らしいですね。
■科学技術倫理フォーラム総会(2004年6月24日)
NPO法人科学技術倫理フォーラムの総会に初めて参加しました。
やはりちょっと場違いかなと感じましたが、面白い議論に参加させてもらいました。
初めてだったので、ちょっと遠慮しましたが、もっと突っ込みたいテーマもありました。
メンバーはほとんどが技術士やエンジニアとお見受けしました。
私は、やはりちょっと場違いでした。
この頃、どこに行っても場違いだらけで、私がいかに社会から脱落しだしているかがわかります。
北海道大学の佐伯昇教授が、
技術者視点からの技術者倫理と哲学科倫理研究者視点からの技術者倫理の違いを話題にしてくれました。
そこから面白い議論が広がりました。
じっくり話したら、実に面白い議論になりそうです。
刺激的な会でした。
突っ込みたかったテーマを一つだけ紹介します。
倫理と和、もしくは葛藤の話です。
佐伯教授が、
倫理に従って問題を公表(内部告発)すべきか、組織の和を重視して自分の中にとどめておくべきか、
という問題があると発言しました。
この答は私には明確です。CWSプライベートに最近書いたところです。
しかし、このテーマは面白いです。
和とは何かですが、問題は和を考える世界の広さです。
つまりソーシャルキャピタル論の「ボンディング」と「ブリッジング」につながる話です。
組織の和を大事にするか、もっと広い日本社会の和を大事にするか、さらには地球市民の世界の和を大事にするか。
世界が広がるにつれて、倫理の意味も変わっていきます。
そして、世界は人間を超えて、命あるものすべてにまで広がり、最後にはいのちまでをも超えていくでしょう。
つまりは、私たちがどういう世界に住んでいるかによって、和も倫理も変わっていくのです。
アメリカ大陸にわたったスペイン人やアングロサクソン人にとっては、
ネイティブを殺害することは倫理に反する行為ではなかったのです。
そこでの倫理や和は、アングロサクソンの内部の問題でした。
日本にもそうした時代がありました。いや今もあるのかもしれませんが。
大切なことはみっずからの立脚点をどこに置くかです。
会社の和を大事にすることが、社会の和を壊し、
現在の和を大事にすることが、次の世代との和を壊すこともあるのです。
わくわくするほど面白い問題です。
しかし、こんなことを面白がっているのは私だけでしょうか。
ちょっと不安になってきたので、ここでやめます。
この科学技術倫理フォーラムは面白いNPOです。
年内にはホームページもできます。
沈黙の春プロジェクトも、ここを発表の場にしていくかもしれません。
関心のある人はご連絡下さい。
■オゾン戦争(2004年6月17日)
先週、沈黙の春に関連して、私の以前書いた小論を紹介しましたが、一編だけ見つからないものがありました。
それがオゾン戦争です。
見つかったので、掲載します。
これは私が書いたのではなく、取材で話したことをライターの方がまとめてくれたものなので、私の好みの文体ではありません。
ちょっと気になるところもありますが、読んでください。
1991年の取材記録です。
オゾン戦争は日本ではあまり話題にはなりませんでしたが、とても象徴的な事件です。
この話を読んでいたために、デュポンが環境先進企業ともてはやされた時には驚きました。
この事例も、企業における科学技術者の倫理につながっている事件でした。
科学技術者の倫理に関しては、「21世紀は真心の時代」という、私の好きな小論にも書いた記憶があります。
この小論もまもなく掲載できそうです。
昔書いた小論を改めて読み直してみると、この数十年、社会は何の進化もないような、さびしい気持ちになります。
最近、論文を書く気にならないはずです。
■第2回沈黙の春を読む会(2004年11月1日)
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読む会も2回目です。
今回から新たに3人の方が参加してくれました。
今回は第2章を材料にし、杉本さんからの問題提起に基づいて議論しました。
今回、新たに参加してくださった茶之木淳さんが、宗教と倫理を話題にしてくれました。とても面白い話題でした。
後半では、「センス・オブ・ワンダー」の映画を紹介したビデオを観ました。
最近、この映画界や「センス・オブ・ワンダー」を読む会が広がっています。
「センス・オブ・ワンダー」はレイチェルの最後の作品ですが、とても感動的で示唆に富む作品です。
今回、改めて、「沈黙の春」と「センス・オブ・ワンダー」を重ねて話し合ってみて、
この2つの作品が同じメッセージを出していることに気づきました。
これまで渡しは別々のメッセージを受けていたのですが、
「沈黙の春」は決して科学技術批判の書ではなく、自然の素晴らしさをメッセージしていることに気がついたのです。
次回は12月3日です。
ご関心のある方はご連絡下さい。
■沈黙の春(2004年6月11日)
杉本泰治さんと「沈黙の春」プロジェクトについて話しました。
「沈黙の春」プロジェクトについては、CWSプライベートに書きましたが
新潮社が一昨年、単行本の新装版を出版しました。
ところが、一部の固有名詞の誤訳などを直しただけで、基本的には改訳されていないことがわかったのです。
杉本さんは、やはりしっかりした訳を日本で広げたいと考えています。
科学技術と環境倫理の問題をしっかりと考える動きを育てたいのです。
私も、日本の環境問題への取り組みには違和感を持っています。
まず、環境問題が公害防止から入ったということもあって、限定的にとらえられがちです。
私は、環境問題をアメニティの視点で考えていますので、開発とも矛盾しない捉え方をしています。
次に、私たち一人ひとりの生き方にもっと焦点を合わせたいと思っています。
オゾンや温暖化、あるいは炭酸ガス、ダイオキシンなどの話は、私には実感できません。
もっと具体的な食の安全性や交通事故、過剰包装や自動販売機を受け入れる生活を見直す必要があります。
ゴミの分別はいいことでしょうが、私にはどこかに違和感があります。
1SO14000の動きには全くといっていいほど意義を感じられません。
私の環境に関する考え方は、まだまとめたことがありませんが、
いくつかの小論を書いています。一部を掲載しています。
いずれも古いものですが、ご照覧いただければうれしいです。
○ 地球との共生意識が企業を進化させる(R&D研究年報1991)
○ いまなぜ持続可能な循環型地域なのか(東久留米市職員組合報告書1999)
○環境は消費財か支援財か(バルディーズ研究会通信101 2003)
○ 環境経営への提言(原稿) 1999
○The Ozone War 地球環境と企業(「コモン・フューチャー1991」所収取材記事)
杉本さんから、沈黙の春のメッセージを広げていく活動のお誘いを受けました。
この分野では、日本レイチェル・カーソン協会もあって、さまざまな活動を展開しています。
そうした活動に何か新しいものを付加できないか考えることにしました。
改めて、沈黙の春関係の著作を読み直してみようと思います。
白状すれば、真面目に読むのは40年ぶりです。
私が東レという会社に入った年以来です。感慨深いです。
■ バルディーズ研究会とPRTR(2004年2月13日)
バルディーズ研究会はご存知でしょうか。
環境NPOの草わけです。
バルディーズは、1989年、当時史上最大の石油流出事故を起こしたタンカーの名前です。
それを契機に、企業の環境保全に関する社会的責任を「バルディーズ原則」(現在はCERES原則と改称)が生まれ、
企業への働きかけが始まったのです。
私はその怠惰な会員です。
久しぶりに総会に参加する予定だったのですが、時間に間に合わず、研究発表会と懇親会に参加しました。
久しぶりの参加だったのですが、参加者が少なかったのにちょっと驚きました。
20人くらいでした。
環境NPOの老舗のバル研は、その役割をおえつつあるのでしょうか。
そんなはずはありません。この状況を変えたいものです。
環境問題に関心のある方、入会されませんか。
NPOの基本理念をしっかりと持続している会です。
なお、私が最近、研究会通信に寄稿した小論もあります。
研究発表は2つありました。
○PRTR法とリスクコミュニケーション
まずは角田季美枝さんからのPRTR法に関する企業の情報公開状況の調査報告でした。
PRTR法はこれまでの産業パラダイムや企業経営の根幹を揺るがしかねない法律だと思いますが、
残念ながらそうした動きや意識は実際にはありません。
土壌汚染防止法としたほうが問題が広がったと思いますが、PRTRでは何のことかわからないからです。
これは日本の法律制度の基本構造にかかわりますが、
法律は統治のため(自治のためではなく)につくられてきましたから、生活の視点はほとんどないのです。
生活者は読まなくてもいいと思っているのです。
裁判制度が今、議論されていますが、その前に法律制度を見直してもらいたいものです。
これはまた、いつか書きこみたいです。法学部出身者として。
PRTR法とは、環境汚染物質の排出や移動を登録するという法律です。
その登録状況を見れば、土壌や水の汚染の危険性が察知できるのです。
いや、その工場の活動がビジュアライズ、つまり見えるようになるのです。
そこから建設的な意味での地域とのリスクコミュニケーションが始まると、企業と地域社会とのwin-win-synergyが創発されるはずです。
もっとも、そうした意識は、まだ住民にも企業にも希薄なようです。
この調査報告の結果はまもなくバルディーズ研究会のホームページに掲載されるとのことです。
○「環境経営」研究プロジェクト
もう一つの発表は、「環境経営」と言う言葉の広がりに関する調査分析です。
アンケートおよび取材調査で、この言葉があだ花で終わるのか、実体があるのかの調査です。
まだ分析の途中だったのですが、私は実体をほとんど感じられませんでした。
現在の環境会計や環境教育などは、私の知る限りでは形だけのものでしかありません。
関係者は真面目に考えているとは思いますが、ビジョンやメソドロジーに本気が見えません。
もっとやりようはあるはずです。
多くの企業では、環境経営を「環境に配慮した経営」(何と虚しい言葉でしょうか)とか「環境と経済のバランスを意識した経営」と捉えているようです。
私は全く違った発想をしています。
フォードの5ドルの冒険が自動車を成長産業に育て、新しい企業経営パラダイムを創出したように、
環境問題は新しい経営パラダイムを生み出す契機になると考えています。
つまりは、環境と経済のシナジーを実現する経営への転換です。
この考えは、1999年に受託した日本能率協会の環境経営提言で主張させてもらった経営パラダイムです。
提言は妥協策とはなりましたが、いくつかの思いは埋め込んでいます。
その概要は日本能率協会のホームページに掲載されています。
http://www.jma.or.jp/keikakusin/1998/proposal/98kankyo.html
読んでもらえれば、うれしいです。
なお、没になった部分を一部だけ掲載します。
→環境経営への提言(原稿)
懇親会では、私の発言に反応して3人の方が話しかけてきてくれました。
一人は、企業で環境問題にも取り組んでいる人です。
環境と経済のシナジーと言う私の発言に関心を持ってくださいました。
時間がなくてゆっくり話せなかったのが残念ですが、現場でしっかりと環境問題に取り組んでいるようです。
こうした人たちの存在が、日本の企業の最大の財産です。
経済主義者の企業人ばかりではないのです。
もう一人は、東京フィデス株式会社の元吉祐一さんです。
元吉さん は、環境機器の世界に長く関わってこられたようで、現場のことを実感的に把握されている方です。
環境問題は現場に触れないとわからないと教えてくれました。
生々しい問題は理屈では解決できないというのです。同感です。
私の環境への関心や発想は、まさに表層的なものでしかないのでしょうね。
今度またもっと現場のことを教えてやるといってくれました。
私の環境問題を考える視点の甘さを付きつけられた感じです。
なお、元吉さんはハザカプラントのことをご存知でした。
アイ・エコロジーの高橋晴夫さんも話しかけてくれました。
紙の溶融処理の会社を昨年起こした人です。
一人でがんばっているようです。
大量の紙の排出があり、その紙を機密保持の関係で完全に処理した大手の会社や行政がありましたら、ご一報下さい。
高橋さんをご紹介します。
今年は少し環境に回帰しますので、バルディーズ研究会にも参加していこうと思っています。
どうですか。ご一緒しませんか。
7代先の子どもたちのために。
■ エコソシオと地域資源循環システム(2004年2月5日)
エコソシオの野原さんが、地域資源循環システムづくりに関心を深めています。
そしてハザカプラントのシステムに共感し、そのシステムを全国に広げたいと相談にきました。
ハザカプラントは、
あらゆる有機性排出物を短期間で発酵させ、低コストで高品質の堆肥を生産するシステムです。
そのシステムのパンフレットに、次の言葉があります。
「私たちは『棄てる』というおごりを捨てることから始めました」
共感できます。
この種のプラントやシステムはたくさんありますので、私には余り評価能力はありませんが、
野原さんの評価は非常に高いのです。
野原さんが評価するのであれば、きっといいものなのでしょう。
野原さんが言うには、ローテクで見えるのがいいと言うのです。
たしかにそうです。
宮崎県綾町の農地還元システムも、大きな肥溜めでした。
日本にある伝統的な発想を活かせば、今とは違うリサイクルシステムができるはずです。
なぜそれができないか。
発想の転換ができないからかもしれません。
問題はこれをどう広げていくかです。
いいものは広げていかねばなりません。
まずは私の農業分野と環境問題のブレーンのみなさんに評価してもらいアドバイスしてもらおうと思っていますが、
どなたかこの分野に詳しい方がいたら教えてください。
これも10年以上前ですが、内水護さんという土壌菌に取り組まれている方にお会いしました。
EM菌が話題になる、かなり前です。
内水さんたちは自然学連合機構と言う組織をつくり、自然学叢書を刊行しました。
私は最初の1冊しか購入していませんが、残念ながら2冊目はでなかったかもしれません。
その1冊目(「21世紀への夜明け」)に、こんな記述があります。
土は(地球誕生後の)生成の瞬間から生命(土壌菌群)と一体のものであり、
今にいたるも本来の自然における土、土壌はかくて絶え間なく生成されているのである。
ところが近代の科学とテクノロジーは、土壌本来のこの生成過程に外から介入し、この過程を破壊してしまった。
(中略)
ここに生命をとりまく環境危機の根源が存する(20頁)
私は内水さんから、土は生きており、食べられるものでもある事を学びました。
ガイア仮説よりもリアリティがありますし、ソラリス仮説にも通じます。
あんまり関係ないですが、昔、雑誌に書いた企業文化論を思い出しましたので、掲載します。
日本農業の知恵は、企業経営にとって大きなヒントをくれると言う内容です。
「企業の豊かさ・社会の豊かさ」
ちなみに、地域資源循環は、私の今年のテーマでもあるのです。
9月には山形市で全国の商店街のサミット会議も開催します。
その前座のフォーラムを今月23日に開催します。
■ 環境クラブの増山博康さんと環境ケア(2004年1月23日)
環境クラブの増山さんが、NPO環境ケアをつくろうとしています。
その言葉がとても私には印象的で、コミュニティケアとのつながりが気になっていました。
増山さんはフットワークのいい、現場の人です。
何をやっているのかよくわかりませんが、
農業から酸性雨調査、福祉、教育と、現場も広がっています。
ほんものの活動家です。
コムケア活動の展開にも関わりがありそうなので、急遽、お会いすることにしました。
しかし、もっと刺激的な話題になってしまい、肝心の話はあまりできませんでした。
刺激的な話とは、ゴミ問題から行政体質を整理し、市民参加型の地域環境計画を作る運動です。
これだけではわからないと思いますが、
ゴミ処理に行政がどのくらいの人手や資金をかけているを構造分析し、
それを入り口にして、住民主体で「地域環境計画」を策定していこうと言うわけです。
その具体策に関しては、増山さんは環境省にも提案し、環境省の資料にも掲載されるようです。
各地で、今、地域福祉計画がつくられていますが、
厚生労働省の立派な方針とは違って、実際にはあんまり住民視点ではない計画がつくられています。
これも問題ですが、もっと問題なのは地域環境計画です。
増山さんは、サンデイスクールエコロジーという言葉を使いましたが(ヨーロッパのブラックジョークだそうです)、
日本人の環境対応は生活には広がっておらず、
行政の環境計画もその延長の理屈だけの世界かもしれません。
たとえば、リサイクル対策費に膨大な費用がかけられていますが、
その成果は極めて小さいとの事実が読み取れるそうです。
個別領域で考えれば、確かにいい事のように見えますが、
全体で考えればマイナスになっているケースも少なくないでしょう。
リサイクル信仰にはいささかの疑問があります。
どこなの自治体から受託されて、是非とも本格的な住民参加の地域環境計画を策定したいものです。
どこか手をあげてくれるところはないでしょうか。
増山さんと一緒に、ぜひ取り組みたいと思います。
NPO環境ケアの話は、またします。
3月21日に発足を踏まえてのイベントを開催する予定です。
また案内させてもらいます。
■環境広告研究会(2004年1月16日)
環境広告研究会というのを昨年から始めています。
大きな意味での環境広告のあり方を考えようとしています。
今日はその委員会でした。
ボルボの広告が衝撃的でした。
15年ほど前になりますが、日経の全面広告の真ん中に、
「私たちの製品は、公害と、騒音と、廃棄物を生み出しています」
と大きな字で書かれていたのです。
これが私にとっての、環境広告の第1号です。
これに比べれば、最近の環境広告は退屈でもあります。
今回はそんなことも考えたいと思っていますが、
実は福祉の世界に深入りする前に、環境探偵団なる組織を立ちあげていました。
ここが母体になって、日本能率協会の環境経営提言の話しあいなどもしていました。
最近はまったくなにもしていません。
今週はまた、環境クラブの増山さんから環境ケアというNPOを立ちあげたという連絡がありました。
話は前から聞いていましたが、いよいよ立ち上げが決まりました。
キックオフイベントはまた案内します。
私もまた、環境をテーマにした研究会か活動団体をスタートさせたくなってきました。
環境探偵団の復活も考えたいと思います。
どなたか中心で動いてくれる人はいませんか。
■環境広告研究会(2004年2月12日)
インキュベーションハウスが受託した環境広告プロジェクトのための研究会です。
平田さんがまとめた枠組みに沿って、環境広告についての新しい展開や活用策を話しあいました。
そこで、キリンの「えこじろー」を知りました。
皆さん、ご存知でしたか。
キリンは環境コミュニケーションのキャラクターとして、えこじろーを生み出したそうです。
そういえば、企業広告の環境キャラクターは他にはあまりいませんね。
えこじろーは、エコロジーをちょっと遊んだだけのネーミングですが、とても気に入りました。
問題は、えこじろーをどう育てていくかですね。
環境広告に限りませんが、広告の世界も抜本的に変えていかねばなりません。
組織の時代の広告と個人の時代の広告は、全くメソドロジーが違うはずです。
面白いテーマです。時間があれば取り組みたいテーマです。
■
環境広告研究委員会(2004年2月18日)
環境広告研究委員会も最終回です。
平田さんがとてもいい提言をまとめてくれました。
報告書だけではもったいないので、出版したくなりました。
どこか関心をもっているところはないでしょうか。
早い者勝ちです。
先週も書きましたが、
「伝える広告」から「生み出す広告」へと、広告そのものが事業化して行く方向を改めて確認しました。