「沈黙の春」を読む会



■「沈黙の春」を読む会
(2004年9月28日)
お知らせのコーナーでもご案内していた「沈黙の春」を読む会がスタートしました。
今回は顔合わせを兼ねてのキックオフです。
技術士の方が4人、文科系出身者が5人でした。
様々な立場の人が集まる魅力的な場になりました。

今回は杉本泰治さんにお願いして、第6章の一部を抜粋して、今の翻訳の問題点を説明してもらいました。
原文と翻訳の二つの違いが見えてきました。
ひとつは科学技術に対する基本姿勢。もうひとつはコンテキストの違いです。
レイチェル・カーソンは、技術のもたらしたマイナスだけを指摘しているのではなく、
技術がそれを解決するだろうという期待も抱いていたようです。
彼女が問題にしていたのは科学技術者ではなく、実は私たちの生き方だったのです。
だからこそ、遺作「センスオブワンダー」を残したのかもしれません。

この会は毎月行うことになりました。
一応固定メンバーですが、毎回、1〜2名のゲストは受け入れ可能です。
ご関心のある方はご連絡ください。


■「沈黙の春」を読む会が始まります
(2004年8月30日)
以前、予告していた「沈黙の春」を読む会をスタートさせることになりました。
メンバーが決まりました。
10人強の多彩なメンバーになりそうです。
大学教授もいれば、子育て関係のNPOの人もいますし、エディターもいれば、企業人も官僚もいます。
もちろん 技術士会のメンバーもいます。
リーダーは、科学技術倫理フォーラム代表の杉本泰治さんです、
そういえば、科学技術倫理フォーラムのホームページが完成しました。
ぜひご覧下さい。

「沈黙の春」と石牟礼道子さんの「苦海浄土」が、私の環境への関心の原点でした。
「苦海浄土」は何回も読みましたが、「沈黙の春」は通読したのは1回だけです。
今回、改めてしっかり読んでみようと思います。
杉本さんの新しい訳をベースにして、私も訳文をつくってみるつもりです。

できれば、毎月、1回程度の例会を行い、
技術系の人と文系の人との議論を通して、
内容理解を深め、カーソンのメッセージを受け止めていきたいと考えています。
この会を企画した杉本さんは、どうやら理系と文系とのコラボレーションを期待しているようです。
そんな視点からの議論が、いま科学技術倫理フォーラムの機関紙上で行われています。

「沈黙の春」を読む会は、一応、メンバー制ですが、
もし参加ご希望の方がいたら、杉本さんと相談します。
また、当日のオブザーバーは、1〜2人は大丈夫だと思いますので、関心のある方はご連絡下さい。

お知らせに案内を書いておきますが、9月27日の夜、湯島のコンセプトワークショップで開催する予定です。


■自然の豊かさ
(2004年8月19日)
今日は福島を早朝に出て、山形に向かいました。
昨日の雨のせいで、空気が澄んでいるせいか、緑もいきいきしています。

福島の吾妻小富士や安達太良がとても見事でした。
山形新幹線沿いの緑も、いつもながら見事です。
こうした緑を見ていると、前にも書いたように、環境問題など無縁なような気になります。
これは錯覚なのでしょうが、どうもそうは思えないほど、いつも感心します。
昨日も夜学で、個人でのごみ焼却が禁止されている話がでたのですが、
これだけの緑があるのであれば、少しくらい燃やしてもいいように思います。
個人がそれぞれの責任において、焼却することが禁じられたのはとても残念です。
まとめて焼却する発想を見直すことはできないのでしょうか。

リサイクルにも異論がありますが、
いまの環境問題のとらえ方にはどうも違和感が多いです。
生活から切り離された環境問題対策が多すぎるように思います。
無責任な言い方ですが、環境問題に関する常識も吟味すべき時代かもしれません。

それにしても、日本の緑は素晴らしいですね。

 


■「沈黙の春」の新訳はできるか
(2004年6月30日)
科学技術倫理フォーラムの杉本さんと一緒に、「沈黙の春」の新訳が実現できないかと考えていますが、問題は著作権です。
私のように、知的所有権を個人に帰属させることに反対な者にとってはわずらわしいのですが、
この問題は経済の視点からますます利権化していますから、対応を間違うと大変です。
全く、非知的な社会になったものです。

この分野に詳しいダイヤモンド社の岩崎卓也さんに湯島に来てもらいました。
今年から編集部に入った新人の松崎英吾さんも同行されました。
岩崎さんと会うのは久しぶりです。
岩崎さんは「ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー」の副編集長ですが、私が知っている数少ない信頼できる編集者です。今は雑誌で忙しいですが、岩崎さんの書籍への愛着はかなりのものです。

いろいろと話をお聞きすると、やはり一度、翻訳が出版されると新約するのは難しいようです。岩崎さんにも、時代に合わせて、しっかりと翻訳し直したい本がたくさんあるようです。しかし、難しいようです。

「沈黙の春」の翻訳のどこに問題があるかを、改めて杉本さんからお聞きしました。
確かに問題です。
しかし、新訳出版は無理のようですので、まずは「沈黙の春」を読む会を始めることから始めようということになりました。
9月頃から月1回、原文と新訳と現訳をつき合わせながら、
しっかりとメッセージを消化していく「沈黙の春を読む会」を杉本さんの問題提起のもとに開始したいです。
もしご関心のある方がいたら至急ご連絡下さい。
面白い会になるはずです。

■沈黙の春(2004年6月11日)
杉本泰治さんと「沈黙の春」プロジェクトについて話しました。
「沈黙の春」プロジェクトについては、CWSプライベートに書きましたが
新潮社が一昨年、単行本の新装版を出版しました。
ところが、一部の固有名詞の誤訳などを直しただけで、基本的には改訳されていないことがわかったのです。
杉本さんは、やはりしっかりした訳を日本で広げたいと考えています。
科学技術と環境倫理の問題をしっかりと考える動きを育てたいのです。

私も、日本の環境問題への取り組みには違和感を持っています。
まず、環境問題が公害防止から入ったということもあって、限定的にとらえられがちです。
私は、環境問題をアメニティの視点で考えていますので、開発とも矛盾しない捉え方をしています。
次に、私たち一人ひとりの生き方にもっと焦点を合わせたいと思っています。
オゾンや温暖化、あるいは炭酸ガス、ダイオキシンなどの話は、私には実感できません。
もっと具体的な食の安全性や交通事故、過剰包装や自動販売機を受け入れる生活を見直す必要があります。
ゴミの分別はいいことでしょうが、私にはどこかに違和感があります。
1SO14000の動きには全くといっていいほど意義を感じられません。

私の環境に関する考え方は、まだまとめたことがありませんが、
いくつかの小論を書いています。一部を掲載しています。
いずれも古いものですが、ご照覧いただければうれしいです。
地球との共生意識が企業を進化させる(R&D研究年報1991)
いまなぜ持続可能な循環型地域なのか(東久留米市職員組合報告書1999)
環境は消費財か支援財か(バルディーズ研究会通信101 2003)
環境経営への提言(原稿) 1999
The Ozone War 地球環境と企業(「コモン・フューチャー1991」所収取材記事)

杉本さんから、沈黙の春のメッセージを広げていく活動のお誘いを受けました。
この分野では、日本レイチェル・カーソン協会もあって、さまざまな活動を展開しています。
そうした活動に何か新しいものを付加できないか考えることにしました。
改めて、沈黙の春関係の著作を読み直してみようと思います。
白状すれば、真面目に読むのは40年ぶりです。
私が東レという会社に入った年以来です。感慨深いです。