〔企業の社会学〕
企業の豊かさ・社会の豊かさ
佐藤修:コンセプトワークショップ
「商工にっぽん」1992年1〜3月号連載
1.企業にとって社会とは何だったのか
●企業が変わり始めた
時代はいま大きな変わり目にある。変化の渦中にいると、なかなか状況を正確に理解できないが、おそらく現在の変化は歴史的なものだろう。最近のキーワードのひとつに「ボーダーレス」があるが、ある時代から別の時代への変換期という意味でも、現在はボーダーレスと言っていい。ボーダー(境目)の上にいると、ボーダーは見えなくなる。いま我々は時代のボーダーの上に立っているのかもしれない。それを意識して行動するかどうかが、実はその後の歴史を規定する。明治維新前後に、ボーダーをどう意識したかが、その人(組織)の運命を大きく分けたことを想起すべきである。
時代の変わり目は、従って企業の変わり目となる。変わり目を予感させる新しい動きは、既に様々な形で顕在化しつつある。企業が「文化」や「愛」を、宣伝や道楽のためではなく真剣に語りだしたことも、そのひとつだろう。それが「生存のための戦略課題」であると明言している企業もある。社員に対する考え方も変化しつつあるし、社会とのつきあい方も変わりつつある。企業が変わり始めたのである。
昨年、自動車会社のボルボが日経新聞に『私たちの製品は、公害と、騒音と、廃棄物を生みだしています』という全面広告を出して話題になった(図1)。企業広告と言えば、自社のいいところを社会に強調するのが常識だった。大枚の資金を負担する以上、それは当然のことだった。ところがボルボはわざわざお金をかけて、自社製品のマイナス面を大々的に社会にアピールしたのである。もし読者が企業に所属する人であれば、自社の製品の欠点をこれほど明確に新聞紙上で宣言する勇気をお持ちかどうかお考えいただきたい。ボルボの広告のすごさがわかっていただけるのではないだろうか。
もちろんボルボは自虐的に自社製品の欠陥を公言したのではない。その広告には小さな文字で「だからこそボルボは環境問題に真剣に取り組みます」という宣言が続いている。つまり、自動車の社会的マイナス面はもはや企業だけで対応すべき問題ではなく、社会全体で考えなければならない問題になったという認識から、ボルボは社会に向けて一緒に問題解決に立ち向かおうと呼びかけたのである。そこには社会と同じ目線で対話する企業姿勢が感じられる。それは、おそらくこれまでの企業にはなかったことである。
●これまでの企業の関心は市場
企業はこれまでも社会と対話してきたではないかという意見があるかもしれない。確かに企業は広報活動を重視し、マーケットイン思想に基づき社会トレンドや生活者研究に力を入れてきた。
最近ではCS(カスタマーズ・サティスファクション)経営と称して、再び顧客満足度を高める戦略も話題になっている。事業経営そのものが社会との対話だという言い方もできるだろう。だが、果たして企業は社会と本当に対話してきたのだろうか。いや対話しようという姿勢があったのだろうか。
1970年代に企業公害や欠陥商品が問題になり、企業が社会との関係に注意を向けた時期があった。米国から地域関係(CR:コミュニティ・リレーションズ)
や対社会関係(PA:パブリック・アフェアーズ) の考えが導入され、企業の社会的責任も議論された。しかし企業の目は社会に向けられていたというよりは、自社の市場に向けられており、しかも一方的な情報活動に終始しがちだった。広報部門を新設した企業も多かったが、その役割はいわゆる「火消し広報」であり、社会と対話するどころか、逆に対話しないで済むための方策(防波堤)とすら思えるものも少なくなかった。その基本姿勢は、今なお多くの企業に残っている。日本では米国における企業広報の理念とは全く別の展開が行われたのである。
社会的責任論議も極めて受け身のものであった。だからこそ、企業はその後も懲りずに「企業倫理事件」や「企業不祥事」を繰り返すことになる。因みに、最近話題の米国のコーポレート・シチズンシップ(企業も良き市民であるべきだという考え)の発想も当時紹介されたが、ほとんど注意を引くこともなく、いつの間にか忘れられてしまっていた。
こうした経緯を見ると、企業が社会と本当に対話し、つきあおうと考えていたかは疑問だ。企業の関心は企業の外部にある市場との接点であり、そこから「何がとれるか」であった。企業にとっては、「社会」は「市場」でしかなかったのである。そして社会の隅々まで「市場化」してきた。それが「経済のソフト化」の大きな一面である。企業の目的は「顧客の創造」であるというドラッカーの考え(私自身はとんでもないと考える)が、日本ほど高い評価を受けた国はない。
自社の製品やサービスを購入してもらう「製品市場」、必要な労働力や資金を入手する
「労働市場」「金融市場」というのが、これまでの企業の「社会観」だった。だからこそ、企業は社会とはやや目線の違う高みに自らを置いて、「社会研究」や「生活者研究」の観察をしてきたのである。企業と社会との間には壁(ボーダー)が構築され、両者は対立図式で捉えられてきたと言っていい。
●企業人は社会人か
社会の側もまた、企業を対立図式で捉えていた。企業性悪説すら横行した時代もある。ボルボの広告が10年前に出されていたら、ヒステリックな消費者運動によって不買運動や企業糾弾が起こったかもしれない。対話の姿勢がなかったのは企業だけではなく、社会や行政も同様だった。今でも「企業は信用できない」と公言する人もいる。
だが、企業を構成している人も社会を構成している人も同じ人間であり、企業とは結局はそうした人間の意思と活動の集積なのである。その当然のことをなぜかみんな忘れている。いや忘れているというよりも、意識的に社会とは別の「企業」を作り上げようとしている。だから、社会人である個人が企業の壁を通りこして企業の中に入った途端に、「企業人」として意識も行動も変えてしまうようなことが起こる。一人の人間が「社会人」と「企業人」の二つを演じている。なかには「社会人」の顔を失いつつある人もいれば、「企業人」が「社会人」であると思っている人もいる。だが果たして企業人は社会人なのか。最近の「企業不祥事」を見る時、これは大変疑問というほかない。大切なことは、我々の意識の中にある「企業と社会の対立図式」を克服して、企業人と社会人との分裂状況を昇華させることである。企業人が自らの社会人意識を回復すれば、最近の企業不祥事や企業倫理の問題は一挙に解決するだろう。
企業もまた、自らの存在を原点に返って問い直す必要がある。文化や愛を語るのはいいが、流行や迎合ではなく信念で語らねばならない。それは自らを問い直すことなくしてはできないことだろう。企業の社会貢献活動や文化支援活動が増えているが、その多くは「富めるものの施し」である。それに呼応するかのように、社会もまた企業に対して「布施」を求める姿勢を強め、企業への寄付要請は急増している。「企業は現代のメディチ家(ルネサンス期に芸術家や文化人のパトロンとして結果として芸術振興に貢献した貴族)になるべきだ」という恐ろしい発言が軽々しく語られる風潮は残念でならない。
こうした風潮の背後にあるのが、企業と社会の対立図式である。企業が社会からできるだけ多くのものをとろうとすれば、社会もまた企業からできるだけ多くのものをとろうとする。しかも、その主役は同じ人間であるという滑稽さに、なぜ我々は気がつかないのだろうか。大切なことは、企業が利益を社会還元することではなく(もちろんそれも重要だが)、企業の目線を社会とそろえるということではないか。マーケティングの世界では「消費者から生活者へ」と盛んに言われるが、その前にまず企業人こそが生活者にならなくてはならない。
●社会は企業の存立基盤
そもそも企業とは何だったのか。歴史の進歩は、そこに住む一人ひとりの生活をより良いものにしていくことである。そのために社会をよくしなければならない。社会を良くする方法はいろいろあるが、産業革命後、人類は産業を発展させるというシナリオを選択した。そしてその手段として創出されたのが企業だった。企業はその狙い通り社会を豊かにしてきた。現在の豊かさについて様々な批判や問題指摘はあるが、我々の生活が大きく改善されたことは否定できない。
だが、いつの頃からか、企業の発展と社会の豊かさとの関係がおかしくなってきた。企業家の志は社会を良くすることだった。決して「市場」を拡大することなどではなかった。
だが、ドラッカーの提唱に惑わされたわけではないだろうが、企業家たちは社会を豊かにするのではなく、社会を市場として企業を豊かにしていく姿勢を強めてきた。そして今や、社会の隅々までが市場化され、そこで活躍する企業の存在は社会そのものを左右するまでに大きくなったのである。「企業社会」の到来である。しかし、そこには企業そのものにとっても大きな陥し穴が用意されているように思われる。
社会が無限であれば、市場も無限である。だが「宇宙船地球号」と言われるように、社会は有限である。有限の世界においては「生産(何かをつくること)」は「消費(何かを壊すこと)」でもある。ボルボが公言したように、メリットの享受は同時にある犠牲を背景に持っている。社会を市場化し、そこから価値を取り続ければ、当然のことながら社会は枯渇する。利益の一部を社会還元したところで、どうにかなることではない。
●社会に対して何ができるかが企業の原点
日本古来の農業は土壌を作ることに目が向けられていた。しかし、工業的な農業は生産を高めるために農薬や化学薬品を多量に土壌に投入し、結果として土壌を殺している。土壌が死んでしまえば、もはや農業は成立しない。同様なことを企業は社会に対して行っていないだろうか。市場化を急ぐ余り、自らの存立基盤である社会を荒廃させていないだろうか。企業は「社会の子」である。社会を荒廃させながら企業が発展を続けられるわけがない。米国社会の荒廃は我々にとって教訓的である。
そろそろ企業は社会に対する観方やつきあい方を変える時期にきている。社会=市場観から脱却して、自らが社会の重要な一員であることを自覚しなければならない。市場である社会から「何がとれるか」ではなく、存立基盤である社会に対して「何ができるか」が企業の意識と行動の起点になるべきだろう。
そのために、企業はまず自らの目線を社会に合わせていかなければならない。企業は自らと社会との間にある壁を取り壊し、自らを開いていくこと、そして企業人は生活者であることを改めて自覚すること、それが社会と共生する企業の基本条件である。
「共生」を語る経営者は少なくないが、自らを変革せずに共生は実現しない。
2.企業は社会を市場化しすぎていないか
●市場経済の広がり
カブトムシがデパートで売られるようになったのはいつの頃からであろうか。最近では蛙まで売られている。今はまだ嫌われもののゴキブリも、そのうち商品になるかもしれない。そう思えるほどに、社会は市場経済化されつつある。その推進役が企業である。
有名な話がある。某靴メーカーが開発途上国に二人の市場調査員を派遣した。靴の市場があるかどうかを調べるために、である。その国の人たちは裸足の生活をしていた。それを見たひとりの調査員は、住民に履物を履く習慣がないので靴は売れないと報告した。ところが、もうひとりの調査員は膨大な市場があると報告した。だれも靴を履いていないから、履く習慣をつけさせれば全員が購入者になるだろうと考えたのである。
マーケティングの本では後者の視点が大切だと述べられている。企業にとって社会は市場であり、顧客は創造するものだというわけである。靴を履かせる対象は人間に限らない。最近では犬までが靴を履きだした。顧客の創造は際限がない。靴を履くようになることが幸せにつながることもあるだろうが、そうでない場合もある。しかし、企業の発展は靴を履かせることで加速されてきた。
冬にトマトを食べたいという人にトマトを提供すべきだろうか。お客様が望むのならばそうすべきだという企業の姿勢は正しいのか。冬にトマトを食べるためにどれほどの社会的コストが必要なのか。そんなことを考える間もなく、冬の食卓にトマトが並びだす。企業は次々と我々のニーズをかなえてくれるのである。最近ではニーズどころか我々自身気づいていない「ウォンツ」まで掘り起こしてくれる。そして、様々なものが「市場」にもちだされ、あるいは「市場化」されてきた。金銭取引の対象にされてきたのである。
●「豊かさ」の中での貧しさ
その結果、確かに「豊かな社会」が実現した。貨幣市場制度も企業制度も、その意味では素晴らしい成果をあげたと言っていい。だが、それによって失ったものも少なくない。これからも今までどおり、市場経済化を進めていっていいのだろうか。そんな疑問が少しずつ出始めている。
おそらく、現代ほど金銭化の対象が広がっている時代はない。お金で買えないものを探すのが難しいくらいである。奴隷取引があった時代の非人間性が糾弾されるべきならば、それ以上に人間の商品化が進み、魂までもが売られている現代はどうなるのであろうか。
不思議とそうした意見は出てこない。我々の意識自体が既に市場経済に浸りきっているせいだろう。商品市場経済の広がりが金銭の力を高め、拝金主義を広げている。最近の金融証券不祥事は我々の文化を象徴している。
本当に豊かになったのだろうか。人々はどこかに虚しさを感じている。これほど物質的に豊かな状況にもかかわらず、生活の豊かさを実感している人は2割にすぎず、7割を超える人が豊かさを実感していない。それが単なる「ぜいたくな不満」であれば問題はない。豊かさの実感を高めるための新しい事業を考案すればいい。だが、どうもそうではないようだ。少し視点を変えてみると様々な問題が見えてくる。一見豊かなようでありながら、社会には病理現象が広がりつつある。企業も「社会の子」である以上、病んだ社会の中で発展していけるわけがない。
●社会の共有財産がなくなりつつある
昨年、九州福岡の海の中道を訪れた。「漢委奴国王」の金印が発見された志賀島につながる博多湾中の洲である。宿泊した翌朝、海岸に出ようとホテルの自転車を借りたのだが、洲の中央の道路の両側は建物が建設中だったり柵があったりで、いくら走っても海にでられなかった。
結局、宿泊したホテルの庭に面する海にしかお目にかかれず、反対側の玄界灘を目にすることはできなかった。海岸のすべてが私有地として切り売りされてしまったのだろうか。そのうち、名称も海の中道からホテルの中道に変えられるのだろうか。そんな気分になってしまった。
沖縄の知人が「最近、海で泳ぐのにお金(入場料)がかかるようになった」と嘆いていたが、市場経済化は海に向けても盛んに行われている。沖縄の海は住民たちの共同利用地(入会地)として長く存在していた。住民たちが生活の糧として必要な魚介類を採取する場であった。しかし、ここもまた企業による市場経済化の渦に巻き込まれている。外部の企業の参入により魚介類は商品化され、海はもはや集落の共有財産ではなくなりつつある。そして、海で遊ぶのさえ有料になっていく。この世にあるすべてのものが、だれかの私有物であるという奇妙な考え(歴史的にはつい最近の考えでしかない)が広まってしまい、今やそれを疑う人は少ない。海も森もだれかのものになりつつある。
私有物となるとすぐに値段がつくのも最近の傾向である。いや、値段をつけるために私有化が進んでいると言ってもいい。そうして企業の活動範囲が広がり、それがGNPを高めていく。だが、社会の共有財産の私物化は社会的に考えると「荒廃」につながりかねな
い。数年前のリゾート開発フィーバーを思い出せばいい。あるいは最近の企業による文化消費や土地投機を考えればいい。文化や芸術は人類共有の財産などという事実はどこかにとんでしまい、芸術すらが単に「金銭価値」だけで評価されるようになってしまった。
すべてを私的に分割して社会は成り立つのだろうかという不安がある。共有財産を失った地域集落は連帯意識と求心力を失い崩壊するおそれがある。その結果はすぐには出てこない。むしろ当座は金銭化により「豊か」になった気分すらあるだろう。だが、それは長い歴史の中で培ってきた財産の食いつぶしでしかない。共有財産がなくなった社会で、果たして企業は存続できるのか。
東京にいて巨大な市場経済化の渦中にいると、そうしたことにはなかなか気づかない。しかし地方の前線で本当の仕事をしている企業は、おそらくそうした危惧を感じているのではないだろうか。現実に自らの事業基盤を失ったり、不承々々事業転換したりしている企業もあるだろう。そうした「前線での声」はなぜか大きくはならない。市場経済化という時代の波には抗しがたく、存続のためには自らもそうした動きに加担せざるを得ないのが現実なのだろう。問題はいつまで続けることができるかということである。
●働くことが退屈になってしまった
拝金主義の広まりも企業の存続を揺るがしかねない。最近のバブル崩壊で動きは変わったとは言うものの、それが残した傷は大きい。メーカーすらが本業そっちのけで財テクと称して投機活動に身を入れる姿はさすがに目立たなくなったが、その発想がなくなったわけではない。豊かになり自己資金を蓄えた大企業にとって、財テク発想はそう簡単には捨てられない。それが企業本来の使命である本業に悪影響を与えていくおそれもある。その
ことを企業はもっと自覚すべきだろう。
だが、ここで問題にしたいのは人々の意識の問題である。バブル経済時、株売買で給料以上の収入を得たり、土地高騰のおかげで年収をはるかに超える遺産を相続した人は少なくない。そうした人にとって、汗水流して日々働くことはどういう意味を持つのだろうか。働くことの虚しさが社会的に広がっているのではないか。
働くことの意味がおとしめられ、働くことの喜びが失われつつある。すべて企業のせいとは言わないが、昔はもっと働くことが(辛かったが)楽しかったのではないか。物を作る喜び、社会に感謝される喜び、そうしたことがどんどんなくなり、働くことが義務的な「労働」に変わってしまったのである。
金銭評価されない仕事や生産につながらない仕事は価値が低いと判断される。その象徴が会社の「お茶汲み」である。雑用の最たるものとされ、女性に頼むと女性差別だと非難される。だが考えようによってはお茶汲みほど大切な仕事はない。人と人をつなげ、場をつくり、やや大仰にいえば 「いのち(健康)」につながる仕事である。雑用などであるはずがない。それがこれほど嫌われるのは、仕事が市場経済基準で序列化されているからである。その延長に家事があり子育てがある。そうした仕事は会社の「仕事」以上に価値があると思うが、そこに誇りや喜びを感じられない女性が増えている。女性たちは「社会進出」と称して、自らを市場経済化させていく。そうしたことが、教育の荒廃や家庭不祥事の増加、さらには出生率の低下につながっていないとは言い切れない。
だが、女性たちが進出しようとしている企業の現場では、男性たちが仕事に喜びと誇り
を失ってきているのである。3K(きつい、汚い、危険)職場が嫌われるという動きも、おそらくこうしたことと無関係ではない。仕事の喜びがきちんとあれば、3Kなどとこれほど騒がれるはずもない。人々をあれほど集める東北のねぶた祭りも3Kだし、若者を熱狂させるモータースポーツも3Kの要素を含んでいる。3Kそのものに意味があるわけではない。仕事の意味が問題なのだ。企業は3Kコンプレックスを捨てなければならない。
いつの間にか仕事がただ辛いだけの退屈なものになってしまった。それでは人手不足が生ずるのは当然だろう。職場環境をいかに整備しても、仕事の喜びや意義を取り戻さない限り人手不足は解消されない。
●企業に取り込まれた企業人と家庭
企業の社会=市場観は、社員=商品観につながっていく。社員の生活者としての面は軽視され、まるで設備の稼働率を高めるように社員の仕事時間は増えていく。優秀な社員ほど、その傾向が強い。社員もまた、家族(生活)のために働いていたはずが、いつの間にか会社のために働くようになっていく。激務のための過労死で夫を失った妻の「エリートとおだてられて走らされ、その結果、会社以外何にもない人間にされてしまった」という発言(朝日新聞1991年12月9日)にドキッとしない企業人は少ないだろう。経営者も例外ではない。
企業に埋没することが必要な時代もあった。しかし、今はそうではない。むしろ会社人間が企業をだめにするという意見すら出ている。個性と生活感をしっかりと持った社員が企業に必要な時代である。「企業は人なり」ということが改めて重要になってきている。大切なのは人であって、労働力ではない。
そうした意識は高まっているが、現実の企業行動はまだ社員=商品観から離脱できないでいる。単身赴任は相変わらず多いし、社宅制度もなくなる気配はない。最近では女性社員確保のために企業内保育園をつくる企業もある。人手不足で企業の福利施設は充実する方向にあるが、注意しないと社員はますます企業に取り込まれてしまう。長期的に見ると、それが企業の活力を弱め、社会を脆弱にするおそれもある。異質の組合せが活力のもと
であることを忘れてはならない。
社会の市場化が豊かさをもたらした時代は終わった。これ以上の市場化は逆に社会の歪みを大きくし、企業自らに跳ね返ってくるおそれが強い。企業はそろそろ社会を市場化しようとする姿勢を見直す時期である。
3.企業が社会を支えているのではなく,社会が企業を支えている
●「土づくり」が農業の基本
日本農業の理念は「土づくり」であると言われてきた。作物をつくるのではない。作物は土がつくる。人間の役割は豊かな土の田畑をつくることだった。土は単なる無機質の鉱物の集まりではなく、土壌菌という微生物と一体化したものである。土は生きている。生きた土の上に、様々な生命が生かされている。植物は土に根を張り、動物は土を食べて生きている。昔の農民は土を口に入れて(食べて)、田畑の出来具合を確認したものである。今でも、土壌づくりが進んでいるところにいくと、牛や豚が土を食べている。土がすべての基本なのである。
その農業の理念を壊してきたのが工業だった。膨大な化学肥料と除草剤、さらにはモノカルチャー化(分業)による連作の影響、大型機械による生命連鎖の破壊などにより、長年育んできた土壌は、この数十年の間に荒廃の一途をたどっている。土地の生産力は減少し、気象条件の影響(たとえば冷害)を受けやすくなっている。本来、土にいのちを与え、生命の連鎖を高めることを基本としてきた農業に対して、工業化された農業を「殺生の農業」(川本彰)と表現する農村社会学者もいる。土壌破壊は砂漠化につながっていく。工業が膨大な量の製品を生産する一方で、地球上では毎年、四国と九州をあわせた面積の砂漠が増えている。古来の日本農業は,荒地を生きた農地にしてきたのだが,最近の農業はその農地を荒地に戻す手助けをしている。
化学肥料や農薬の膨大な投入と機械化の実現により、作物生産の増加が実現し、一見、生産性が高まっているようであるが、その実態は過去の遺産(時間をかけて育ててきた農地の土壌)を食い潰しているのである。どこかで破綻が生ずることは間違いない。
こうした農業の動向は、いま隆盛を極める工業の、あるいはその推進母体である企業の将来を考える上で多くの示唆を与えてくれる。
●企業にとっての土壌は何なのか
すべてのものに根っこがある。農業の根っこは土だった。土なしに農業はやっていけない。根っこを粗末にした農業の現実がそれを教えてくれる。水耕栽培や野菜工場は、もはや農業とは言えないだろう。
それでは企業の根っこは何だろうか。企業を支える「土」は何なのか。やや正確さを欠くだろうが、それは「社会」と言ってもいい。企業は社会を育み、その生命力を高めることで自らの存在をより強固にし、発展してきたのではなかったか。日本企業の原点ともいうべき江戸時代の商人道や明治時代の産業人には、「社会へのお役立ち」が企業の発展につながるという発想があった。利益はその結果であり、もし、それを上回る利益を得た場合は何らかの形で社会に還元し、違った形で社会にお役立ちしてきたのである。社会が豊かになれば、当然、そこに基盤を置く企業も発展していくだろうという「共生」感覚である。農業が「土づくり」に勤しんだのと同じ思想がそこに感じられる。日本が産業革命を実現した明治から大正にかけて、企業が社会活動を積極的に展開し、多くの報恩会や育英
会が創設されたことも、ひとつの「田畑」づくりと見ることもできるだろう。
逆のケースが最近の米国企業の動きである。企業の社会貢献活動のモデルとされる米国企業には、それなりの事情がある。米国社会の深刻な荒廃である。社会保障局の規定する貧困家庭は全人口の13%を超え、ホームレス人口も300万人とも言われている。教育の荒廃も進んでおり、州によっては高校中退率が3割を超え、充分な読み書きや計算ができない成人が急増している。こうしたことは、市場の縮小や人材不足となって企業に直接的な影響を与えることになる。産業空洞化の真の原因は、米国企業が社会をおろそかにしてきた結果ではないだろうか。
よく報告されている米国企業のフィランソロピー活動(社会貢献活動)の多くは、そうした状況に応じてやむを得ず行っているものでしかない。市場拡大や人材確保のためのマーケティング活動やリクルート活動のようなものも少なくない。あまり美化して受け止めることはない。むしろ、企業が社会を粗末に扱うとどういうことになるかの反面教師として考えるべきであろう。
●社会的責任から社会的役割へ
社会との共生感覚を持って出発したはずの日本企業も、残念ながら、いつの間にか社会に対する姿勢を変えてきてしまった。社会を単なる「市場」と考え、そこから「どれだけとれるか」が最近の企業の関心事だった。その結果がバブル経済であり、それは当然のことながら破綻した。そして改めて企業の社会的責任が問われている。しかし、企業の社会観を基本から改めていかない限り、企業の中では、これからも「塀の中の懲りない面々」
が活躍するにちがいない。
1956年の経済同友会全国大会で、「経営者の社会的責任の自覚とその実践」が決議された。これが、企業の社会的責任議論の最初である。安価で良質の商品を社会に提供し、適正な利潤をあげることが経営者の責任であるという原点を確認した上で、そうした責任を実践するための社会をつくりあげていくことが必要であるというこの決議は、その後の企業のあり方に大きな方向性を与える積極的な意味を持っていた。
その後の日本企業は順調な発展を遂げてきたが、社会との接点では問題がなかったわけではない。公害問題や欠陥商品事件、リクルート事件、そして昨年の金融証券不祥事と、企業は繰り返し不祥事を起こしている。その度に企業の社会的責任論が高まるが、議論の中身はむしろ後退し、対症療法的な対応で終わってきている。経営者や企業の「倫理」は問われても、企業の「論理」が問い直されることはなかった。
この流れを変えるためにも、企業は社会の一員、という原点に立ち返り、企業と社会の関係を問い直す必要がある。それも、社会的責任というような義務や負担としてではなく、また社会的貢献といった建前や慈善ではなく、状況変化に合わせた新しい社会的役割という発想をすべきであろう。それは当然のことながら、企業に社会性につながる。
●企業の社会性と企業規模
企業の社会性について大企業の人たちに話をすると、必ずといっていいほど「問題は、数の上で圧倒的に多い中小企業や個人企業ではないか」という意見を出す人がいる。大企業は社会活動にも関心を持つ余裕が出来てきたし、事実、1%クラブやメセナ活動も始めている。それに比べて中小企業は相変わらず儲け一辺倒で社会性など眼中にないのではないか、というわけである。そうだろうか。
こうした発想に、実は一番大きな問題がある。余裕ができたから社会活動がやれるという発想がまず問題であるが,その点は別にしても、決して大企業だけが社会意識を持って
いるわけではない。むしろ論理的にも現実的にも事実は逆であろう。第一、中小企業は社会意識や地域への関心を持たなければやっていけない。最近起こっている金融不祥事的な問題を中小企業が起こしてしまったら、その企業は間違いなく倒産する。大企業なればこそ倒産を免れているのである。極言すれば、大企業は少々反社会的行動をしても倒産しない仕組みになっている。「とかげのしっぽ切り」もできるだ。だが、中小企業にはそんな余裕も仕組みもない。中小企業が社会性を失ったらつぶれてしまうのである。
商店が商店街や地元に無関心でやっていけるだろうか。騒音を出したり、ゴミを出したり、そのくせ地元の行事には顔もださなかったりでは、お客様もそっぽを向くだろう。逆に店のまわりを常にきれいにし、地域の発展のために尽力すれば,お客様も支援してくれるだろう。それが社会性ということではないか。派手な活動やお金をかけることが大切なのではない。間違ってはならない。
しかも、前述のような指摘をするような企業人に限って、社員の活動と組織の活動を混同している。寄付金額を例にとれば、10人の企業が1万円の寄付をすることは、一人当たり換算すれば1万人の企業の1000万円に相当する。そうした換算をしていくと、おそらく社会活動に割いているエネルギー(お金に限らない)は中小企業のほうが多いはずである。新聞をにぎわす事件の多くは中小企業という人もいるだろうが、発生比率ではどうだろうか。しかもよく吟味すると、大企業の影があることも少なくない。
企業が社会性を失ってきたひとつの理由は企業規模にある。大きくなったことで社会に対する対抗力を強め、無理を通す姿勢が生まれたのではないか。大企業はそのことを謙虚に自覚すべきである。そして、広い社会との公正な触れ合いに心掛けるべきだろう。少なくとも、中小企業の社員は日々社会の現実に触れている。大企業の社員の多くが、閉鎖空間に閉じこもっているのとは大違いである。
●社会の中の企業
良い土壌が農業を支えてきた。同じように良い社会が企業を支えていく。日本古来の農業は、自らの生産性を高めながら、同時に土壌の質も高めてきた。土壌と農業との好循環が成立していた。土壌の蓄積を収奪する農法もあるが、日本の農業はそうした方法を選ばなかった。農民は作物以上に土壌に関心を持ち、農業の成果は人間と土壌とが共有していた。いまの企業は、社会との間にそうした好循環をつくりだしているだろうか。社会を市場と考えている限り、そうした姿勢は出てこない。大切なことは、社会貢献や文化支援に資金を投入することではなく、発想を転換することである。
ひとつの事例として廃棄物問題を考えてみよう。廃棄物問題の深刻化に対応して、廃棄物を処理する「静脈産業」が注目されている。これからの成長産業だという人もいる。社会の抱える問題を解決するために、企業が努力することは望ましいことだ。だが、どこかおかしくないだろうか。
廃棄物問題がすべて企業のせいであるわけではない。しかし、その大きな部分は、これまでの企業発想(たとえば使い捨て発想や廃棄処理コストを考慮しない価格設定)の結果である。企業活動の増大と廃棄物問題の高まりは比例している。もし、いまの構造の中で静脈産業を認めるならば、企業が営利事業によって社会的問題を発生させ、その解決のために新しい営利事業が発生するということになる。市場化はさらに広がり、GNPは増大するが、問題は解決せずに先送り蓄積され、いつか社会は廃棄物で埋まるだろう。そうなってしまっては、企業も動けなくなる。
静脈活動まで含んだ企業活動こそが,これからの企業の姿勢でなければならない。それは静脈産業発想とは全く異なる。企業の社会へのお役立ちは市場を広げることではない。社会は市場でもあるが、それ以前に企業を支える「土壌」なのである。社会の市場化が社会の荒廃につながってはなんにもならない。
企業を支えてくれる社会に対して、企業がまずやるべきことは、そのつきあい方を変えることである。社会はあくまでも社会であって、単なる市場ではないことを、しっかりと認識しなければならない。社会への甘えは結局自らを滅ぼすことになりかねない。
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