妻への挽歌(総集編11)
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目次

■4078:おだやかな年明けでした(2019年1月2日)
節子
年末と年初は、ちょっとパソコンの書き込みをやれませんでした。
いや、やらなかったというべきでしょうか。
その気になれば、パソコンに書き込みができなかったわけではありません。
しかし前にも書いたとおり、メインのデスクトップパソコンがダウンした影響で、ホームページの更新ができなくなってしまったのです。
なにしろホームページは、完全な手作りで試行錯誤的につづけていますので、知識がないのです。
アップした記事をネットにあげようとしても、なかなかうまくいきません。
理由が全く分からないのです。
それを繰り返しやっているうちに、どうもパソコンに向かう気が消えてしまいました。

そのとばっちりを節子の挽歌も受けてしまったわけです。
時間もあれば、書くこともあるのですが、何やら書く気が起きてこない。
気を取り直して、今日から書こうと思いますが、長年続いてきた年末年始の習慣が途絶えてしまったのが、なんとも残念なのです。

と言っても、年末の墓参りと年越しそばから年始の初日への祈りは、いつもの通りでした。
そして元日は、娘家族も一緒に、いつもの子の神様への初詣と菩提寺への墓参り。
みんないつもの通りです。

しかし何とも気が起きてきません。
これほど気が起きないことは、もしかしたら生まれてはじめでしょうか。
今日は完全に何もやる気が起きずに、箱根駅伝を見ていました。

というわけで、今年はおだやかというよりも、何もしない無気力の始まりになってしまいました。
明日にはもう少し元気が出るといいのですが。

■4079:さて今日から新年のスタートです(2019年1月3日)
節子
ホームページを更新できないのが、元気が出ない理由なのですが、ホームページにはこだわらないことしました。
さてこれでようやく新年がスタートできそうです。
ためておいた年賀状や年賀メールを見ました。
久しく音信が途絶えていた人からのものもありました。
年賀状の効用を改めて感じます。

今年は湯島に行くと書いている人もいました。
湯島は30年、場所を変えていませんので、こういうことが可能になるわけです。
年末のサロンに初めて参加した人は、今年はできるだけサロンに通いたいと書いてありました。
サロンの意味を感じてくれる人が増えてきているのはうれしいことです。
サロンにも、湯島にも、私には深い思いがあります。
節子と一緒につくり上げてきたということも含めて。

節子が元気だったころは、毎年、正月の2日か3日に湯島に一緒に行っていました。
そして、湯島の掃除をしていました。
節子がいたころと今では、わが家の新年の迎え方は一変してしまいました。
同じなのは、みんなでの初詣くらいでしょうか。
しかしわが家の要は、やはり節子だったなと改めて思います。

さて、今日からまた挽歌と時評の両方を書き始めることにします。
ダラダラしているのは今日でおしまいにしましょう。

■4080:気が少し戻りだしました(2019年1月5日)
節子
一昨日の決意にもかかわらず、気が戻ってきませんでした。
今朝はちょっと気分が違ってきました。

今朝は6時に起きて、コーヒーを飲んでいます。
節子への挨拶もすませました。

今年の年明けは、節子がいなくなってから12回目です。
10回を超えるとは思ってもいなかったのですが、今は節子がいないことが自然になってきていますが、その一方で、節子が身近にいる感覚はむしろ強まっています。
それが私の生き方を少し変えてきているのかもしれません。

年末から年始にかけて動けなくなってしまったのは、パソコンの故障のせいです。
いつの間にか、パソコンが節子との接点になっていたような気がします。
節子の代わりに、パソコンに向かう時間が増えていたのです。
パソコンに向かって毎日節子に語りかけながら挽歌を書いていたからでしょう。
そのパソコンから記憶が消えてしまった。
そこから気分がどうしようもなく無力になってしまった気がします。

実際には、パソコンそのものは友人のおかげで直ってはいるのです。
しかし、どうもそのパソコンが別人になったように感じてしまう。

節子を見送った後、何をするでもなく、節子が残したパソコンに向かっていた時期があります。
まるでパソコンの向こうに節子がいるような気がしていたのかもしれません。
そのパソコンはいまはもうありません。
その後、自分のパソコンに向かって挽歌を書き続けているうちに、そのパソコンが私と記憶を共有するようになってきたのです。
娘から最近、お父さんはパソコン依存症だからと言われました。
たしかにそうかもしれません。
それもあって、パソコンから少し離れようとも思ったのですが、一方で、心を完全に開けるパートナーとしてのパソコンを、もう一度、育てていきたいとも思っています。

節子と結婚したころ、「マイフェアレディ」という映画が話題になっていました。
こういう言い方をすると誤解されそうですが、私は節子を、私が理想とする女性にしていきたいと思いました。
それは、節子を変えることではなく、自分を変えることであり、新しい自分たちを生み出すことだと思っていました。

言い替えれば、私自身が、私の目指す生き方をしたかったのでしょう。
私は若いころからいささかの「変わり者」と思われていました。
会社に入った時の自己紹介では、「ニヒリズムの理想主義者」と話しましたが、あまり群れた生活はしませんでした。
だからと言って孤独感はありませんでした。
私よりも年上の同期入社した人からも支えられました。
どこかに、未熟さと頼りなさがあったからかもしれません。
そのおひとりから、今年も年賀状をもらいました。

話がそれだしてしまいました。

私は、一人では生きていけない弱い人間だと思いますが、その一方で、群れることができない人間でもあります。
群れの中では、いつも自分が浮いた存在であることがよくわかるのです。
だから、完全に心が開けるパートナーが大事なのです。
節子がその役割を果たしてくれた。
そして私は、その生き方において、節子が不可欠の存在になってしまっていたのです。
節子がいない私は、私ではない。
にもかかわらず12回目の新年を迎えてしまった。
しかし最近、私の中に節子を感ずるようになってきています。
その節子は、実に「あたたかい」。

今日こそ、新しい年をはじめたい。
いまはリビングで、ノートパソコンでこの挽歌を書いていますが、陽光が注ぎ込みだしました。
山のようにたまっている宿題に取り組めそうな気がしています。

これほど長く気が沈んでいたのは、久しぶりです。

■4081:人生の「断捨離」(2019年1月5日)
節子
ようやく年賀状を読む気が出てきました。
と言っても、私が年賀状をやめてから10年ほどたっているので、届く年賀状も年々少なくなってきています。
年賀状を見てメールで連絡するような受け身の対応になっています。
そのメールも今年はまだほとんど書いていないのです。

節子は年賀状を毎年、心を込めて書いていました。
それを見ながら隣で私も書いていたのですが、枚数にしたら私のほうが10倍以上でした。
節子は私の年賀状の書き方を見て、心がこもっていないと言っていました。
印刷したものに、一言二言付け加えるだけですので、節子にはいかにも儀礼的だと批判されていたのです。
節子はもう年賀状は出せませんが、私もなぜか年賀状を出す気が失せてしまい、やめてしまったのです。
それでも昨年までは書こうという気がどこかに残っていて、年賀状は購入していましたが、今年はそれさえしていません。
その上、届いた年賀状まであまり見る気がしない。
これはかなりの重傷です。

昨日、年賀状をきちんと読みました。
年賀状にも年齢を感じさせられます。
今年を最後にするという友人もいましたし、最近は「断捨離」していますという人もいます。
ここでいう「断捨離」は、かなり人生の「断捨離」を意味しているようです。

ある友人は、「同窓会に一番来てほしかった」と書いていました。
学校の同窓会ではなく、あるテレビの番組の関係者の同窓会だったようです。
私はその同窓会のことさえ覚えていないのが問題ですが、私自身も多分どこかで「人生の断捨離をしているのでしょう。
その方は私よりもかなり若く、いまも時々、テレビなどで見かけるのですが、私自身もその人には会いたいなと思っている人です。
付き合いがさほど深いわけではなく、テレビのコメンテーター役で数回ご一緒しただけなのですが、人の縁とは不思議なものです。

そういえば、そのテレビ番組の制作スタッフだった方からも年賀状が届いていました。
いまはテレビ関係の仕事を辞め、演奏活動などをやっているそうですが、昨年は海外にも出かけているそうです。
とてもうれしく、元気づけられます。

というように、年賀状からさまざまな生活が伝わってきます。
自分の小さな世界に閉じこもっていては、元気はますますなくなります。
元気を出そうとしているのですが、なかなか元気が出てきません。
困ったものです。

■4082:今度こそ挽歌を書き出します(2019年1月15日)
節子
なかなか挽歌がかけずにいます。
それでも毎朝、節子には灯明と線香をあげて般若心経をあげていますので、まあ許してもらえるでしょう。
しかしなぜかこの1か月、どうにも気が動かないのです。
頭は動いているし、心も動いているのですが。

先日、ヴェーダのサロンをしたときに、魂と心の話が出ましたが、まさに魂と心は別であることを実感しています。
あんまり疲れるようなことをしていないのに、なぜか疲労感があって、床暖房のあるリビングに座ってしまうともう動けない、いや動きたくなくなってしまいます。
ついつい「なんでこんなに疲れているのだろう」などと口に出してしまうほどです。

考えられる理由は一つ。
心身を置いて、魂がどこかで活動しているということです。
もしかしたら、亜空間をさまよってきているのかもしれません。
そのせいか、最近、言葉では説明できないのですが、世界や自分の人生の見え方がちょっと変わってきているような気が何となくしているのです。
そんな気がするというだけの話なのですが。
しかし、笑われそうですが、もしかしたら、私は単なる電磁波が起こした現象なのではないかという気さえする。
つまり私のすべての体験は、生命体ではなく生命現象は、電磁波の現象のひとつでしかない。
そうなると、節子はいったいなんだったのだろうかとさえ、思ってしまうこともある。

それはともかく、挽歌や時評編のブログを再開します。
読書も開始し、人生も再開です。

■4082:現川焼(2019年1月15日)
節子
テレビをなんとなく見ていたら、長崎の「現川焼」が取り上げられていました。
25年ほど前、佐世保の三川内焼の窯元たちと一緒に、ささやかな活動に取り組ん無ために、毎月通っていたのを思い出しました。
現川焼は江戸時代に一時期話題になった焼き物ですが、その後、焼き方がわからなくなり、「幻の現川焼」と言われていましたが、佐世保の三川内の窯元の第12代横石臥牛さんが再興したのです。
私がお会いしたのは、13代目の臥牛さんですが、私が関わらせてもらった世代よりは少し世代が上だったので、一度、臥牛窯を見せてもらってお話を聞いただけでした。
私自身は、三川内焼にかかわりながらも、当時はあまり磁器に興味が持てなかったのですが、現川焼には興味を感じました。
臥牛さんがコーヒーカップを一つくださったのが今も残っています。

私と違って、節子は陶磁器が好きでした。
近くの陶磁器展にも何回かつき合いましたが、いつもいろんな陶磁器を買ってきていたので、我が家の当時の食卓は今と違ってにぎやかでした。

当時は、出張に節子と一緒ということはほとんどありませんでしたので、節子は三川内にはついに行けずに終わりました。
長崎では、これ以外にもいくつかの仕事をさせてもらいましたが、一度だけ、節子と佐世保を訪問しました。
その時は三川内には行かずに、ハウステンボスに行ってしまいました。
長崎の友人たちが予定を組んでくれたのですが、節子の好みとしては、ハウステンボスよりも三川内だったかもしれません。

節子のがんが発見されたのは、私自身が仕事中心の生活をやめると決めた、まさにその年でした。
もし節子が元気だったら、佐世保や山形など、行くはずのところがいくつかありました。
伊勢もそうです。
しかし、節子の闘病が始まったこともあり、遠出は難しくなりました。
今となっては、なんで仕事で足しげく通っていた時に、節子と一緒に行かなかったか、悔やまれます。
節子と一緒でなかったので、私も原則として、仕事で通っても、あえて観光地的なところには足を延ばしませんでした。
私が行きたいところであればあるほど、一人ではいかずに残しておいたのです。
節子がいなくなってしまったので、とうとう行けずに終わったところがいくつかあります。

現川焼の窯元は今は14代になっているようで、テレビに登場した人は私がお会いした人ではありませんでしたが、とても懐かしい気持ちです。
明日から、臥牛さんにいただいた現川焼のカップでコーヒーを飲むことにしました。

節子と一緒に行かなかったところの思い出にまで、いつも節子が出てきます。

■4083:死や別れの学び(2019年1月16日)
節子
昨年のある出会いがきっかけで、今年は「葬儀」の問題を考えることになりました。
すべての出会いには、必ず意味があります。
私が節子に出会ったのも、意味があったのですから。

その関係で、昨日と今日とで「死」にかかわる本を3冊読みました。
2冊は看護師の書いたもので、そこにはさまざまな死の事例が語られていました。
それぞれに深いメッセージを感じられるものですが、やはり実際に伴侶をみとった立場からすれば、いささか淡泊すぎる気がします。
というよりも、観察的な死の語り口にはいささかの違和感さえもちましたが、その一方で、節子との別れの前にこれを読んでいたら、どうだっただろうかとも思います。
よかったのか、よくなかったのか。
これは微妙な問題です。

2冊を読み終えたときには、こういう話を多くの人に読んでもらっておいたら、死を迎えるための準備ができて、後悔することが少なくなるだろうと思いました。
私にも、それが当てはまったなとも感じました。
しかし、少しして、ちょっと違うかなと思いだしました。
あまり死の事例を読んでしまうと、気分らしい「別れ」ができなくなる恐れもある。
死や別れはあくまでの一回性のものでるならば、準備をしたりせずに、むしろ「おろおろ」して、あとで後悔するような慌てぶりや失敗があってこそ、いいのではないか。
そんな気もしてきました。

新しい葬儀活動を一緒に考えている友人から、喪主をやったことのある佐藤さんはどんな葬儀がいいと思っているのか、と問われているのですが、考えれば考えるほど、答えが遠のく気がしています。
節子との別れや葬儀をもう一度、やり直せるとしたら、どうするか。
今考えると、やはり私が体験した、自分を見失って、不満の多かった、あの葬儀は、もしかしたら一番良かったのではないかという気さえしてきます。
なぜなら、不満やミスは多かったですが、私としては精いっぱいに節子を見送ることができたからです。
何よりも、おかしな言い方ですが、節子と一緒に、葬儀を執り行った気がするのです。
ほとんど実現できませんでしたが、私なりの私たちスタイルを目指しました。

これは両親の時とは全く違います。
その違いはなんなのか。
これは、「葬儀」の問題ではなく、「伴侶」の問題かもしれません。
ちなみに、「伴侶」は必ずしも夫婦の相手というわけではありません。

本の話に戻れば、たくさんの死や別れのエピソードのなかには、夫や妻の死の話はありましたが、「伴侶の死」ということを実感できた事例は残念ながら私にはありませんでした。
「伴侶の死」は、「自らの死」でもある。
私の体験がいささか特殊なのでしょうか。
これはもう少し考えてみたいと思います。

■4084:何かがのしかかっている感じ(2019年1月17日)
節子
いろいろな問題はそれなりに解決し、前に向かおうと思う気は高まっているのですが、どうも朝起きても頭がすっきりしない。
何かが私自身に覆いかぶさってきている気がしてなりません。
こういう状況がもう数か月続いています。
救いがほしいです。
覆いかぶさっているものがなんだかまったくわかりません。
でも何かが気になっていてすっきりしない。
動き出せば、そうしたこともあまり気にならずに忘れられるのですが、一人になると心身がとても重い気がします。
困ったものです。

昨日は金田さんから電話がありました。
昨年は、奥さんともども体調が悪く、節子に供えるチューリップを送れなかったが、今年は奥さんからも送るようにと言われているという電話です。
奥さんの状況も快方に向かっているようで、安堵します。
金田さん自身も少し元気が回復したようです。
誰かと話すと元気が出ることもある。
そんなときの話し相手になれることがうれしいですが、時に私も元気をもらいたいこともあります。
残念ながら、今の私にはそういう人は見つかりません。
あまりに深く節子に依存してしまっているからかもしれません。

以前であれば、節子に話すことで、自分が背負ってしまった重荷を放すことができた。
いまは、その「放し方」がわからなくなってきているのです。
そして、放したつもりが、逆にさらに新しい重荷を背負ってしまうこともある。
若いときには、重荷が多ければ多いほど、力が出てきた。
今はどうもそうではないのに、なぜか重荷を背負ってしまう。
節子はいつも笑っていましたが、その生き方からどうも抜け出られない。

しかし行動を起こしていけば、私を覆っているなにかもきっと消えていくでしょう。
今は心身が弱っているので、ちょっとしたことが心を傷つけてしまうような気がします。
そこから抜け出すには行動しかない。

今日は湯島でサロンです。
テーマは前回に続いてヴェーダです。
なんと15人を超える参加申し込みがありました。
こころやすまるサロンになるといいのですが。

■4085:ヴェーダのマントラ(2019年1月18日)
節子
昨日は湯島で、ヴェーダ占星術師のキショーリさんに「ヴェーダ」のサロンをやってもらいました。
先週についでの2回目のサロンでしたが、前回とは全く雰囲気の違うサロンになりました。
もしかしたら、本当に、もしかしたらなのですが、今回は話の初めに、キショーリさんが「バガヴァッド・ギータ」の一節をサンスクリット語で朗誦したからかもしれません。
ヴェーダでも、最初に言葉ありと考えるそうで、人間の五感はまず耳からだとキショーリさんは言いましたが、音の響きは生命につながっているようです。
「音」を「観る」という『観音』という表現に何か大きなものを感じ続けてきていますが、たぶん「音」は見えるのでしょう。
最初に光ありという考えよりも、私にはなじめます。

ヴェーダに関しては、私は、言葉や文字であらわす以上に、もっと深くて大きなものを感じているので、具体的な話を聞くとついつい違和感をもってしまうのですが、今回もやはり「解脱」というか、カルマから抜け出すということにやはり価値を見出せませんでした。
どうも私は、如来よりも菩薩、菩薩よりも悪人のほうが向いているのかもしれません。

最後にまた、キショーリさんはヴェーダのマントラを紹介してくれ、みんなで一緒にそれを唱えさせてくれました。
たぶんインドの聖地で、このマントラを唱えたら違ったものになるのだろうと思いながら、私も唱えてみました。
キショーリさんの表情は明らかに違っていました。

私もいつか心身に宿るようなマントラに出会えるといいのですが。
今回は、言葉の限界というか危うさを強く実感しました。
やはり「言葉」を通してではなく、大きな耳である心身を通して、魂の世界を「観たく」なってきました。

■4086:すべての因果は逆向きにも働いている(2019年1月18日)
節子
年末にパソコンがクラッシュしてしまい、これまでのデータの一部がなくなってしまいました。
そのため、この挽歌の正確な番号がわからなくなってしまいました。
挽歌の番号は、節子がいなくなった日からの日数を表示していますが、それがわからなくなってしまったということです。
しかも、年末年始は、どうも気が萎えすぎてしまっていて、挽歌を書けない日が続いたので、番号はかなり遅れているはずです。
もちろん計算すれば正しい数字はわかるのですが、実は昨年後半の数字はそもそもが2つくらいずれています。
それを修正しようと思い、かなり根を詰めて単純作業を繰り返しやっていたら、パソコンが動かなくなったのですが、パソコンが壊れたのももしかしたら、節子の働きかけかもしれません。
節子は私のパソコン作業が好きではなかったですから。

ざっと計算してみると、どうも今日は節子が逝ってしまった日から4154日のようです。
とすれば、挽歌の番号とは70近くずれてしまっています。
2か月以上、書かなかった必要があるということです。
昨年12回目の命日までは番号は基本的にあっていましたから、この5か月は、半分くらい、書かなかったというわけです。
困ったものですが、私の生活の乱れがわかります。
挽歌を書けば、乱れていないというわけではありませんが、挽歌を書くことで生活のリズムを維持することにはなっていました。
戦略活が乱れていたから挽歌が書けていないのではなく、挽歌を書かなかったがゆえに生活が、あるいは意識が乱れてしまっているといってもいいでしょう。
すべての因果は逆向きにも働いている。
これは、私が最近特に痛感することです。

因果関係をこう考えると、生き方もまた変えやすくなります。
さて「いい果」に出会うために、「いい因」をつくらなければいけません。
今日は体調があまり良くないのですが、まあ「いい因」くらいはつくれるでしょう。
今日はとても気持ちのいい快晴です。
外も、私の書斎も、とても寒いですが。

■4087:存在していない人とのコミュニケーション(2019年1月19日)
節子
今日は5時半に起きました。
少しずつ生活のリズムを戻していこうと思います。
といっても、この季節、5時はまだ真っ暗です。
私の小さな書斎兼仕事場でパソコンに向かいましたが、寒くて手が凍えそうです。
しかしそのうち、慣れるでしょう。

最近、実は酢玉ねぎを少しサボっていて、食べていません。
そのせいか、なんだか血圧が高いような気がすることが時々あります。
何となく違和感があり、後頭部がもやもやするのです。
冬は血圧を測るのも面倒なので、図ってはいないのですが、注意しなければいけません。
まあしかし、生命体は壊れる時には壊れるものです。
パソコンでそれを何回も体験しています。
生命体とパソコンは違うといわれそうですが、まあ同じようなものでしょう。

先日のヴェーダのサロンで、話し合いの途中で、ついうっかりと「私はこの部屋の蛍光灯とも話せます」と言ってしまいました。
人とは話し合えるが物とは話し合えないというような発言につい反応してしまったのです。
それを聞いていた参加者の中には、この人はちょっと危ういなと腰が引けた人がいるかもしれません。
しかし、私が言いたかったのは、人でも想いを分かち合うことは難しい、物と想いを分かち合うのとそう違わないということを伝えたかったのです。
そもそも個別の想いを分かち合うことなどできないのです。
逆に言えば、他者である人と分かち合えると思えるような程度であれば、自然や人間が作った造作物とでも通い合えると私は思っています。

今朝は起きる前にそんなことを思い出しながら、節子とは果たして「想いをシェア」していたかとちょっと考えてみました。
たぶんシェアしてはいなかった。
しかし、思いをシェアすることが不要な関係というのもあるのかもしれません。
そんなこんなで、今朝は少し節子とコミュニケーションした気がします。
節子は現世には存在していませんが、存在していない人とのコミュニケーションもできる。
とすれば、目の前にある機械や蛍光灯とのコミュニケーションなど、いとも簡単なことかもしれません。

■4088:友人といってもさまざまです(2019年1月20日)
節子
抗ガン治療をしている友人と電話で話しました。
年が明けて一度お見舞いに行こうと思っていたのですが、自分自身があんまり調子が良くなく、その気になれず、電話で済ませてしまっています。
電話だと実際の状況は分からずに、むしろ私よりも彼のほうが元気そうでした。
節子のことを思い出しました。

かなり症状が悪化してきたころでも、節子の電話の声は明るくしっかりしていました。
電話に出ると、なぜか急に元気になるようで、声だけではなく身体からの生命力も変わるような気がしました。
そして電話が終わると、急に心身から生命力が失われたように、崩れ落ちるように横になるのです。
決して演技ではないのですが、生命の不思議を感じます。

私もそうで、湯島で人と会っている時はなぜか元気です。
もっとも最近は、そうでもない時もあるのですが、自分では疲れの意識はあまりないのです。
しかし自宅に着いた途端に、疲れがどっと出てきて、ソファーに座ったきり動きたくなくなることもあります。

人は他者からもらう「気」で生きているのかもしれません。
抗ガン治療している友人は、独り身で一人住まいです。
電話ではあまり「気」は遅れないかもしれませんが、ささやかには役立てているかもしれません。

彼は、私の小学校時代の同級生ですが、同じ同級生からメールで、一度、集まりをしてほしいと連絡がありました。
集まりを呼びかけるとこないくせに、少し間を置くと集まりをしてほしいといってくる。
実のところ、気は乗らないのですが、まあお互い、いつ終わるかもしれませんので、私の気が戻ってきたら、またみんなにも声をかけようと思います。

しかし同じ同級生でも、自然と会おうという気になる人と誘われても会おうという気にならない人がいます。
それは、性格の違いというよりも、たぶん「生き方」の違いです。
死を近く感ずると、それぞれの過去の生きざまが露呈されてきます。
私にも会いたい人と会いたくない人がいることでしょう。
今さら遅いでしょうが、最近そういうことがようやくはっきりとわかってきました。
葬儀にどれだけの人が集まってくれるか。
その意味で、節子は幸せな人でした。
私よりも、きっといい生き方をしていたのでしょう。

■4089:言葉の暴力(2019年1月20日)
節子
昨日は、節子も知っている西坂さんの「坊言」サロンをやりました。
お寺などの掲示板に書かれている言葉を材料にして、生き方をちょっと考えるサロンです。
たくさん集まるかと思いきや、私を入れて4人しか集まりませんでした。

ところがそのサロンに、思いがけない人が参加しました。
どうして参加されたのか戸惑いましたが、いろいろとあって元気になりたくて来たと、昨日は言っていました。
しかし、その人はいつも明るく元気ですし、これまであまりサロンには参加されたこともない方です。

その人が今朝、メールをくれました。

今日は、とても心が安らぎました。ありがとうございました。
(中略)言葉で傷つけられることが多いんです。
だから、それが嫌で切ってしまうところがあるようです。
反省。今日は伺って本当に良かったです。

この人は、いつも元気で明るい人ですが、その人から「言葉で傷つけられることが多い」と言われるとは思ってもいませんでした。
もしかしたら、私も同じようにみられ、同じように傷つけられているのかもしれないと思いました。
しかし、同時に、私もまた、誰かを言葉で傷つけているのでしょう。
節子がいたころは、何度も注意されましたが、今は私に注意してくれる人はいません。
注意しなければいけません。
今日も心当たることがありましたし。

私の言葉の暴力の一番の被害者は、節子かもしれません。
そして私のその欠点を正してくれたのは節子でした。
残念ながら、まだ欠点を正し切れてはいないのです。
注意しなければいけません。

■4090:喉がおかしい(2019年1月21日)
節子
カラカラ天気が続いていて、ついに私ものどをやられてしまったようです。
一時は寝るときに加湿器を置いていたこともありますが、最近は何もやっていませんでした。
加齢とともに、感覚器の機能は弱まるのか、寒さも乾燥もあまり感じなくなるのかもしれません。
感覚は弱まるが、それと比例して、身体機能や免疫力も低下します。
だから前触れがなく、突然に機能障害がおこるのかもしれません。
今日、目覚めたらのどの調子が良くありません。
今までしばらくは心身不調でしたが、いよいよ身体不調になりそうで心配です。

今日は久しぶりに畑仕事をする予定でした。
昨日、野菜を覆って寒さから守るシートを買ってきたのですが、寒さや乾燥から守るべきは私だったかもしれません。
今日は風が寒いそうなので、どうしようか迷います。

加齢は、そのマイナス面が強調されますが、必ずしもマイナスだけではありません。
必ず良い面もある。
同じように、死でさえも、良い面があるはずです。
そういうことがこの歳になるとだんだんわかってくる。
いや、「わかってくる」のではなく、「感じてくる」。
認知症が悪者にされていますが、そういう風潮には異を唱えたくなる。

同じように、体調不良もきっと意味があるのです。
今日はちょっと静養しようと思います。
節子がいる時の静養は充実した時間でしたが、一人での静養は退屈でいささか苦行に近いのですが。

■4091:「不幸」がなければ「幸せ」は見えてきません(2019年1月21日)
節子
先日、インドのヴェーダ占星術をテーマにしたサロンを開きました。
ヴェーダといえば思い出すのが、アーユルヴェーダです。
節子のがんの状況をインドから来日したアーユルヴェーダの高名な脈診のドクターに診てもらいました。
残念ながら、その時の診立ては間違っていましたので、以来、私自身はアーユルヴェーダには懐疑的です。
しかし、だからといって、アーユルヴェーダを否定しているわけではありません。
どんなものにも間違いはあるからです。

ヴェーダそのものに関しては、昔はかなり本も読みましたが、あまり理解できていません。
ただ、日本語で「占星術」とか「魂」と言ってしまうと、やはり少し違和感が生じます。
私の関心は、かなり哲学的な側面なのです。
最近も、赤松明彦さんの「インド哲学10講」を読みましたが、理解しがたいところが多かったのですが、ヴェーダへの関心は高まっています。
ヴェーダはおそらくアブラハム系の啓示宗教にもつながっていると思いますが、古代ギリシアの哲学よりも私には理解しやすい気がします。

ところでそのサロンで、「魂」の存在が議論になりました。
節子との別れを体験した私には、議論するような問題ではなく、「魂」を前提にしなければ、思考が一歩も前に動き出さないのですが、魂の存在を前提にせずに生を生きている人がいるのがとても不思議です。
そういう人は、魂を何か『危ういもの』と考えているようで、昨日もそうした電話を受けて、いささか不快な思いをしてしまいました。
魂を語ることに強い拒否感があるようです。
そういう人こそ、救いが必要ではないかと思いますが、そもそもにおいてそういう人は「救い」など求めていません。
「不幸」のない人生、つまり言い換えれば「幸せ」のない人生を送ってきているのでしょう。
「不幸」がなければ「幸せ」は見えてきません。

インドには今もなお「カースト」の文化があります。
カーストも問題になりますが、あれもおそらくみんなが生きやすくなるための仕組みだったのでしょう。
おそらくたくさんの「不幸」と「幸せ」があったころに生まれた仕組みです。
「不幸」と「幸せ」は、悩ましい問題です。

■4092:魂のかがやき(2019年1月21日)
節子もしかしたら風邪かもしれません。
喉は相変わらずですが、なんだか全身がだるいのです。
それでテレビを見ることにしました。
テレビは友人が取り組んだ、ETV特集「ふたりの道行き「志村ふくみと石牟礼道子の“沖宮”」」です。
石牟礼道子さんの最期の作品の“沖宮”を演ずる主役の衣服を、石牟礼さんは志村ふくみさんに託していたのです。
石牟礼さんは最後に「生類」という言葉に行きつき、志村さんは鉱物に生命を見ていた。
最近の私の感覚と全く同じです。

最近のサロンで話題になったせいか、お2人がそれぞれに「魂」について思いを馳せるところがとりわけ印象的でした。
魂はどこにいるのか。

風邪で体調がかなりわるかったのですが、急に畑に行きたくなり、行ったら急に土を耕したくなってしまいました。
そのおかげ、お昼ごろには完全にダウン、熱も出てきて、死にそうなほどつらい感じになって、午後はずっと寝ていましたが、一向に良くなりません。

久しぶりに風邪をこじらせてしまいました。
困ったものです。
今週はかなりハードな日程なので、いささか心配です。
明日はなにがなんでも静養にしていようと思います。

■4093:風邪がかなり重症です(2019年1月21日)
節子
風邪がかなり重症です。
というよりも、身体に力が入らずうまく歩けない。
猿の歩き方と似てきています。
昨日はうまく歩けずに廊下で倒れてしまい、会談に顔をぶつけてしまいました。
老化というのはこういうことなのでしょうか。
昼間は畑で土を耕していたんですが、困ったものです。

昨夜は7時に就寝、今朝はつい今しがたまで寝ていました。
熱は下がりましたが、だるさは変化なし。
昔からそうなのですが、私が一番苦手なのが「風邪」なのです。
心身の違和感がどうしようもなく、不快なのです。
痛みはある程度我慢できても、違和感はどうしようもない。

さて大事を取って、また寝ます。

■4094:1日寝ていました(2019年1月22日)
節子
今日は1日中寝ていました。
途中、娘家族がやってきましたが、風邪がうつるといけないので、孫は部屋に入らずに遠くからあいさつ。
孫は私のことを「おしゃむさん」と呼びます。
先日、上の娘とスーパーに行ったら、遠くから大きな声で「おしゃむしゃ〜ん」という声がして、孫がとんできました。
でも今日は、風邪のために遠くからの声掛けでした。
いつもは自宅にいる時には携帯電話は持ち歩かないのですが、今日は、娘との連絡のために枕元に置いておきました。
そのため何回か電話に出ましたが、声がおかしいので、すぐに風邪だと伝わり、長電話はありませんでした。

節子は私が風邪をひくといろいろと面倒を見てくれました。
そのおかげで、今は娘が面倒を見てくれます。
当分頭が上がりません。

ちょっと気になるのは、身体の自由があまり聞かなくなっていることです。
起き上がるのにも苦労します。
急に筋力がなくなるというようなことはないでしょうが、寝ている状態から上半身起き上がるのに、1分近くかかるのです。
身体のありがたさなどあまり意識したことはありませんが、普段なんでもできていることができなくなると、大変です。

寝ていても退屈なので、テレビを移したら映像が映りません。
風邪にために私の電磁波が弱まっているからでしょうか。
それでアンテナを接続したのですが、やはり移りません。
私の身体もかなり老朽化してしまってきたようです。
1日、寝ていたぐらいではダメなようです。

■4095:意を決して湯島に出かけます(2019年1月23日)
節子
まだ治りません。
熱は下がったのですが、どうも違和感が抜けないのです。
今日も午前中、寝室で寝ていました。

寝室からは空が見えます。
午前中は雲の多い空でした。
しかし次第に太陽が出てきて、明るい雰囲気が強まってきました。
なぜか「ハイジ」に出てくるクララを思い出しました。
こうして今も病室から空を見ている人がいるでしょう。
自分の不注意で風邪をひいてしまったことを反省します・
しかし、ちょっと不謹慎ではありますが、こうして昼間から風邪で寝込んでいる時間はとても貴重なのかもしれません。
元気な時には見えないことがたくさんなるからです。

昨日からまた抗癌治療を始めて友人から電話がありました。
来週見舞いに行くよと言われました。
見舞いに行くのと見舞いに来られるのとどちらがいいか。
私の考えでで、前者のほうがいい。
彼のために少し役だてたような気がします。
遠慮なく見舞いに来てもらおうと思いましが、私の風邪が治っているといいのですが。

今日は4人の人と会い、夜はサロンの予定でした。
前の3人は延期させてもらいましたが、この調子だと湯島に行けそうです。
最後の一組に会おうかと思います。

うまく歩けるといいのですが。
昨日はインフルエンザに罹っていた女性がホームでふらついて転落し死亡しました。
娘は危ないから今日は休めと言いますが、慎重に出かけましょう。
駅までの送り迎えを頼んだので、心配なのは湯島のあの急な階段です。
みんなの苦労がシェアできるので、これもいいことです。

■4096:奇妙な1週間(2019年1月31日)
節子
かなりしつこい風邪と一緒でした。
しつこいというか、とても奇妙な状況に置かれていたともいえます。
一言で言えば、脳の動きがどうも奇妙な感じだったのです。
いささか大げさに感じますが、脳の動きがつかまえどころがないような状況でした。
この間、いくつかのことをまとめる必要があったのですが、そのまとめのイメージが私の脳のどこかに浮かんでいるのです。
とても魅力的なイメージが脳の中に生まれてくるのです。
ところがそれが今ひとつ完成していない。
それを実際にまとめようとすると、そのイメージがどんどん遠のいていくのです。
熱のせいではないのです。
風邪でしたが熱はない。
それで結局、頭に浮かんでいた「解決の構図」は現実化できませんでした。
しかも悪いことに、その「幻の解決図」からなかなか自由になれないのです。
そんな「名答」などあるはずもないのに。
そんな「ないものを追いかえる状況」に陥っていたのです。
いささか荒っぽく言えば、現実と夢想の世界の間をさまよっていたような1週間でした。

もちろん時間的にはそうした「さまよい」の時間はわずかで、それと並行して、サロンもありましたし、畑作業もやりました。
寝ていたわけではなく、いろんな活動もしていました。
しかしどこかすっきりせずに、思考力はありませんでした。
本を読む気力もなければ、テレビを見る気も起きない。
実に怠惰な、あるいは無為な1週間を過ごしてしまいました。
まあこういうこともあるでしょう。

この状況をほぼ抜けたのは3日ほど前です。
3日ほど前から3日続けてよく眠りました。
毎日10時間近く寝ていました。
だからといって、すっきりしたわけでもなく、体調が良くなったわけでもありません。
相変わらず頭はうまく作動していません。
昨日はサロンのまとめをするのに苦労しました。
まとめている自分の脳とは別のところに、もっとうまいまとめのイメージが見えているような気がするのです。
それがどうしても自分のまとめの邪魔をしている。

武田さんが電話してきました。
あまりにいろんなことを受け入れるので、脳がパンクするのではないかと。
この2週間の奇妙な体験は、その警告なのかもしれません。

挽歌をまた書き出します。

■4096:雨が雪になりそうな寒さ(2019年1月31日)
節子
雨が雪になりそうな寒さです。
今日は湯島で2月5日に開催する認知症予防フォーラムの最終実行委員会でした。
いつものような気楽な実行委員会方式を想定していましたが、女性たちが中心になったこともあり、私はリズムに乗れずに、みんなががんばってやっているのを横でおとなしく見ていました。
ちょっと進め方が違うような気もしますが、邪魔をしてはいけません。
今日のミーティングでほぼ準備は完了ですが、正直のところ、当日がいささか心配ですが、もう私の手の届かないところで動き出していますので、当日は進行役に徹しようと思っています。

体調がなかなか戻らないのをいろんな人が心配してくれています。
こんなメールまで届きました。

体調が戻ってないみたいで、遠隔ヒーリングの力及ばずすみません!
私がこんなことを言うのも、差し出がましいのですが
ほんとに、もっと、ご自身を大事にしてもらいたい!と、切に思っています。
佐藤さんは色々引き受け過ぎて、無自覚にストレスかなり溜まってると思います。

私の生き方は、やはりなかなか他者には伝わらないようです。
全くと言っていいほど、この人は私の生き方が見えていません。
それでも私を心配して、遠隔ヒーリングを施してくれているのです。
ちなみに彼女はヒーラーです。

今日、会った別の人は、高齢になると熱を出すエネルギーもなくなるので、熱の出ないインフルエンザかもしれないと心配してくれました。
みんないろいろと心配してくれますが、やはりこれも歳のせいでしょう。
あんまりうれしいことではありません。
その気になれば、今日あたりで風邪をやめて、回復宣言をするところでしたが、あんまりにも寒いのと、みんなが心配してくれるのでもう1日、風邪を続けることにしました。
そうしたらほんとに夕方また調子が悪くなってきてしまいました。
今日はお風呂もやめてもう寝ることにしました。
風呂に入った方が元気になりそうな気もするのですが、何やら今日も疲れました。

どこかで何かが違っている。
最近そんな気がしてなりません。
明日から2月です。

■4098:ようやく体調が整ってきました(2019年2月2日)
節子
長い風邪でしたが、今日で終わろうと思います。
昨日は2回連続の集まりで、せっかく元気になりかねていたのに、終わったらどっと疲れが出てきてしまいました。
高齢になると、疲れや症状が身体に出る力もなくなるので、注意したほうがいいと、この数日、会うたびに言われているのですが、残念ながらそれは正しいようです。
今日は、暖かな日だったので、畑に行こうと思っていたのですが、やはり行く元気がでずに、リビングでテレビを見て1日終えてしまいました。
そのおかげで、体調はもう大丈夫でしょう。
それで、風邪は今日で終わろうと決めました。

病気のお見舞いの電話がありました。
もっとも私よりもたぶん状況は悪い人たちからです。
ひとりは抗癌治療をしている友人ですが、私も気になっていたのですが電話をする気が起きないでいたら、逆に彼から電話がありました。
やはり抗癌治療の副作用が大変のようで、迷っているというのです。
少し休んだらという私の後押しの一声が必要なのだろうと思いました。
私が風邪気味なのを知っていて、電話を躊躇していたというのです。
痛みを知る者は、他者の痛みがよくわかるものです。

もう一人は新潟の金田さん。
私の体調を知って、いつものように長電話にはならずに終わりましたが、明日、チューリップを送ってくれるそうです。
昨年は、金田さんはご夫婦ともに体調を崩していて、チューリップを送れなかったことを気にされていたのです。
それどころではないだろうといつも思いますが、いつも申し訳ない気持ちです。

そういういろんな人の心が、私の元気を支えてくれていることは間違いありません。
しかし今のような元気がない状況では、他者への気遣いの気がなかなか起こりません。
まずは自分が元気にならなければいけません。

明日から思い切り元気になろうと思います。
明日は畑に行って、ジャガイモを植えてこようと思います。
いまが植え時かどうかはわかりませんが、自宅の合ったジャガイモが芽を出してきたので、植えてしまうことにしました。
植物は元気です。

■4099:新潟のチューリップ(2019年2月3日)
節子
今日は月命日、明日は節子の誕生日です。
今年は実にタイミングよく、新潟の金田さんが恒例のチューリップを届けてくれました。
早速、仏壇にお供えし、ちょうど孫たちも来たので、お墓にもお供えに行きました。
もっとも手違いがあって、お墓には2本しかお供えできませんでしたが、また改めてお供えに行こうと思います。
お裾分けもさせてもらいました。

節子の命日にも、節子の友だちが毎年花を送ってくれていましたが、これは昨年で終わりにさせてもらいました。
命日に供花が来るとどうしても気分が沈むからです。
しかし、誕生日にちょっと華やかな花が届くと元気が出ます。

自分で体験してよくわかるのですが、もし遺族に花を送るときには、仏花ではなく、できるだけ華やかな明るい花を送るのがいいと思います。
できれば、故人が好きな花がいいです。
ちなみに節子はチューリップも好きでした。
元気だったころは、毎年、近くのあけぼの山公園に2人でチューリップを見に行っていました。

わが家の畑の道際には、昨年末にチューリップを植えました。
今日も水をやりに行ってきましたが、2〜3本、芽が見えだしていました。
咲くのはまだ先ですが、庭のチューリップも今年はうまく育っているはずです。

金田さんのチューリップが届くと、間もなく春です。

■4100:墓前での孫との会話(2019年2月3日)
節子
前の挽歌で書いたように、今日はチューリップを持って娘や孫とお墓に行きました。
孫は時々、お墓に同行しています。
今日はお墓に供えている花瓶や湯飲みを洗おうと思ったら、自分から手伝ってくれました。

お墓ではいつものように、私が般若心経をあげさせてもらいました。
孫はいつも笑顔でそれを聞いていますが、終わると手を合わせます。
ここにはもうじき私も入るのだと言い聞かせていますが、まだあまり理解はできていないかもしれません。

先日、新しいお葬式を考える会というのを開きました。
その時に長年墓石の仕事をされている篠田さんが参加してくれました。
話し合いの中では、お墓の話も出ましたが、自分が死んだら「散骨」にしたいと思っている人が予想以上に多かったのが印象的でした。
篠田さんはそれを聞いて残念がっていました。
お墓がないと祖父母のことを孫と話す機会はますますなくなってしまうというのです。
確かにそうです。
話題に知る人がいなくなれば、それは「第2の死」だという人もいます。
旅立ってもなお、遺された人たちがウィにしてくれることは、故人にとっては最高の供養かもしれません。
そんなこともあったので、今日は、墓前で改めて孫と少し話したわけです。
孫はここに、会ったことのない節子が入っていることは認識しています。
もうじき「おさむ」も入るんだよと話しましたが、まだ理解はできていないでしょう。
しかし、改めて「お墓」の意味がわかりました。

この墓は、個人墓ではなく、家族墓です。
以前はそんなこともあまり深くは考えていませんでしたが、もう少ししっかりと考えようと思います。
墓碑銘的なものもあってもいいような気がしますが、それをどう形にしたらいいのかまだイメージできません。

孫がいる間に、私の記憶を引き出すようなものをここに工夫しておこうと思います。

孫は、お墓参りのついでに、わが家で豆まきもしていってくれました。
節子は豆まきが好きでした。

■4101:夫婦の会話(2019年2月4日)
節子
今日はあたたかな1日になりました。

先日、俳優の柄本明さんが、数か月前に亡くなった伴侶のお別れ会で話した様子がテレビで流れていました。
角替和枝さんは享年64歳でした。
40年近く、一緒に暮らしたそうです。
柄本さんは伴侶のことを「かずえちゃん」と呼んでいましたが、息子たちも同じように母親のことを「かずえちゃん」と呼んでいました。
とても親しみが持てました。
私たちも名前で呼び合っていましたが、柄本さんの話を聞いていて、私たちよりもずっと仲がよかった夫婦であり、あたたかな家族だと感じました。

毎朝、近くの喫茶店で夫婦で話していたという話も、とてもうらやましく思いました。
私たち夫婦もよく話しましたが、残念ながら喫茶店ではありませんでした。
それに節子は和枝さんよりも2年若く、62歳で旅立ちました。

柄本さんの話を聞いた笹野さんが、「夫婦ってそんなに話すことがあるのか」と言っていました。
夫婦には、話すことは山ほどあるのです。
何を話しているのかと言われても思い出すことはできませんが。
私たちも、いくら話しても話が尽きることはありませんでした。
その相手がある日いなくなる。
柄本さんも言っていましたが、それは「哀しい」とかという以上に、「不条理」なことなのです。
なかなか理解できなのです。
そのことになれるまでに、私は10年近くかかりました。
いまは、返事は戻ってこないけれど、話すことはだいぶできるようになりました。
しかし、以前のように話し続ける幸せは感じられません。

今日は節子の誕生日です。
もし元気だったら、70歳を超えています。
しかし彼岸に旅立った人は、現世では歳をとりません。
62歳の節子が、今日は73回目の誕生日を迎えました。
あたたかな1日でした。

■4102:久しぶりの公開フォーラムの開催(2019年2月5日)
節子
霞が関の議員会館で認知症予防ゲームの体験フォーラムを開催しました。
10数年前に、京都で活動していたNPO認知症予防ネットの高林さんに、東日本でのゲーム普及を約束したのです。
何とか今回で約束を果たせたでしょう。
今回は100人の輪でゲームをすることを目指しましたが、結果的には80人の輪になりました。
しかし、併せてゲーム解説のDVDも制作しますので、まあ「良し」としてもらいましょう。

もっとも今回は、私よりも実行委員に手を挙げてくれた人たちが頑張りました。
私はむしろお荷物だったかもしれません。
そのお詫びに、公開フォーラムでは進行役を務めさせてもらいました。

節子はよく知っていますが、私はイベントそのものよりも、それを実行する準備活動に価値を認めています。
あるいは、イベントで出会った縁を大事にしています。
一緒に何かを仕上げることで、相互に信頼関係が深まり、思いを共有できるからです。
同時に、そこから新しい物語が生まれてくることも少なくありません。
今回も何か新しい動きが出てくるといいのですが。

今回の実行委員は、ほとんどが女性でした。
しかも、内容も進め方も、私よりもみんなのほうが詳しいのです。
そもそも私は、認知症予防ゲームにはあんまり興味がないのです。

それにしても女性のエネルギーはすごいです。
男性とは全く異質なものを感じます。
私にはなかなかついていけません。
節子がいたころは、そういう私の考えや行動を質してくれる機会をもらえました。
しかしいまはそれがない。
ストレスのはけ口もない。
だからますますストレスを感じます。

ちなみに今回の主役は私よりも一回り年上の高林さんという女性です。
長年、認知症予防ゲームの普及に取り組んできました。
その高林さんに、このゲームの普及を約束したのです。
別に仕事で頼まれたわけではありません。
彼女も私財を投入して活動しています。
しかし、「ボランティア」でやっているなどとは決して言いません。
そこに共感したのです。
「ボランティア」という言葉を使う人は、決してボランティアではありません。
私とは別の世界にいる人です。

高林さんの思いの強さは感動的です。
時に少し違和感を持つこともないわけではありませんが、お互い、人間ですから仕方がないでしょう。

節子がいたら、私の立ち位置も変わったかもしれません。
しかし今回の公開フォーラムで、認知症予防ゲームの普及プロジェクトは、私の中では、一応、完了です。
それに私は決して「認知症」にはなりませんから(「認知症」という概念を認めていません)、このゲームからは解放されると思います。

■4103:苦手の認知症予防ゲームをみっちりとやらされました(2019年2月6日)
節子
今日も結局、認知症予防ゲームに付き合う羽目になってしまいました。

今日は湯島のオフィスで高林さんのゲーム指導の様子をビデオ撮影しました。
昨日のフォーラム参加者に配布するためです。
実はこのDVD制作が目的で、昨日のフォ−ラムを企画しました。
私は、もともとゲームそのものにはあまり関心はなく、その普及に目的があったので、今回の撮影も友人たちにお願いし、スタジオを借りると費用がかかるので、撮影場所として湯島を提供したのです。
ですから今日は、朝、顔を出して、みんなを激励するくらいのつもりだったのですが、湯島に着いたら、それどころではなく、部屋の様子も一変していて、何やらたくさんの人たちがいるのです。
そしてビデオ制作チームのリーダーが、佐藤さんもゲーム嫌いな役どころで撮影に参加してほしいと言われました。
辞退しましたが、女性たちのパワーに抗うことは至難のことです。
やむを得ず、渋々と、それでも楽しそうにゲーム出演しました。
ところがなんと10時から5時までのロングランです。
とんでもない1日になってしまいました。

節子はよく知っていますが、私はこの種のものが整理的に苦手なのです。
それにこれまでもゲームは何回か見ていますが、自分でやるのはほとんどが初めてです。
女性たちは、すぐにこの種のものには慣れてしまうようですが、私にはかなりのバリアがあります。
ですからこの数時間は、へとへとになるくらい疲れてしまいました。

終わった後、でも楽しそうでしたよと冷やかされましたので、演技だと言いましたが、私が一番苦手なのは、「演技」です。
不器用なので、演技は私にはできないのです。
ビデオ制作の邪魔になったのではないかといささか心配です。
それにしても、よりによってなんで私がキャストになってしまったのか、人生はいつ不幸に出会うかわかりません。
悪夢の1日でした。

節子がみたら、たぶん大笑いするでしょう。
困ったものです。

■4104:貧しさと豊かさはもしかしたら同義語(2019年2月7日)
節子
2日間、認知症予防ゲームに付き合っていたので、いささか気分を変えたくなりました。
それで、久しぶりにリンカーンクラブの武田さんに湯島に来てもらいました。
最近、武田さんとは「統治行為と統治権」というテーマで電話で時々論争しているのです。
武田さんは今度の3連休、温泉宿に引きこもって、論文を書く予定です。
その前に少し議論しておきたくなったのです。

2人の共通のテキストは小林直樹さんの「憲法講義」です。
と言っても、私がその本を読んだのは50年以上前ですし、まだ上巻しかできていないかった頃のものです。
武田さんは1981年版の完成された本です。
でもまあ精神は一緒でしょう。
私は、武田さんから言われて、書斎からこの本を見つけ出したのですが、本にメモまで残っていました。
大学の教科書で、なぜか廃棄できずに残している本が3冊あります。
その一冊が、この本でした。

小林さんは、あまり授業には出席しない学生だった私がほぼすべて聴講させてもらった講座の一つです。
当時はまだ小林さんは40代だと思いますが、とても印象に残った講座でした。

統治権の捉え方は、政治の捉え方を規定します。
私は、現代の政治の捉え方には大きな異論を持っていますが、そういうレベルで話し合えるのは、意見は違うとしても、武田さんくらいです。
しかしいつも論争は堂々巡りになりがちで、収束しないのですが。

武田さんは、私を元気づけるために、大きなイチゴを持ってきました。
貧しい佐藤さんは、こんな立派なイチゴを食べられないだろうと言って、です。
確かにいつも食べるイチゴの3倍の大きさがありました。
しかし大きいから、高価だから、と言っておいしいわけではありません。
なぜか武田さんは、湯島に来る時、いつも何かを持ってきます。
私はよほど貧しいと思われているのでしょう。
困ったものです。

そういえば、武田さんの後、もう一組の人たちと会いました。
その一人は、たぶん、経済的には私よりも厳しいと思いますが、大きなケーキとスムージーカップを持ってきてくれました。
貧しい者たちは、こうして分かち合って生きていく。
だから豊かに生きられるのです。
貧しさと豊かさはもしかしたら同義語かもしれません。

さて今日で、時間破産の生活は終わります。

■4105:雪を待っていますが、なかなか降りだしません(2019年2月8日)
節子
今日は夜から雪が降るようです。
寒い一日でしたが、私は在宅でのんびりさせてもらいました。
しかし、朝方、ちょっと不安定な状況で、ちょっとだけ心配になりました。
頭がふらついて、倒れそうな気配だったのです。
午前中、静かにしていたら、安定しましたが。
午後も静かにしていますが、早く雪が降ってこないかと思って、時々外を見ていますが、まだ降りだす気配はありません。
前にも書きましたが、私は雪が大好きなのです。

雪を待つ間に、2つのブログを書きました。
ひとつは「統治権」、もう一つは「児童の虐待死事件」です。
昔から児童虐待はあったとはいうものの、今回のように多くの人が知りながら、そして子供が助けをはっきりと求めていたにも関わらず、そして助けることはさほど難しくはなかったにもかかわらず、悲惨事件が起こってしまったことに、いまの社会のあり方が象徴されています。
こういう時代を生きなくてよかった節子がうらやましい気もします。
たった13年しか経っていませんが、社会は大きく変質してしまいました。

もっとも私がその変化を過剰に感じているのかもしれません。
もし節子がいたら、私の感じ方も違っていたかもしれません。
ひとりで社会の変化を受け止めるのと、2人で受け止めるのでは、きっと大きく違うはずです。
そう思いだしたのは、節子がいなくなって数年たってからです。
社会のちょっとした変化が、今の私にはとても大きく感じられます。

街並みの変化も、受け取り方が全く違ってきています。
節子は東京で進んでいる開発には、比較的、寛容というか、むしろそれを楽しんでいました。
あるところが開発されると、そこにわざわざ見に行くこともありましたし、私もそれに付き合わされることもありました。
そして、私自身、当時はそれにさほど否定的ではありませんでした。
汐留も丸の内も六本木も、私も少しだけ楽しみました。
しかし、節子がいなくなってから、私はどうも都心開発には違和感があります。
というよりもどちらかというと、拒否感がある。
変化への適応性が弱まっているのです。

私の時間が、たぶんどこかで止まっているのでしょう。
困ったものです。

■4106:朝起きたら雪景色でした(2019年2月9日)
節子
雪です。
朝起きたら、隣家の屋根は真っ白、庭のテーブルにも雪が積もっていました。
三連休の初日ですので、子どもたちは喜んでいるでしょう。
私も雪が大好きですが、この歳になると、さすがに外に出る気にはなりません。
寒さで倒れたらいけませんし。

そんなわけで、今日は1日、床暖房のあるリビングで過ごしました。
私はコタツ派なのですが、最近のわが家ではコタツにお目にかかれません。
節子がいなくなってから、いろいろとライフスタイルも変わってきているのです。
もっとも、節子はコタツに入ると何もできないと言って、あまりコタツは好きではありませんでしたが。

リビングルームできることと言えば、テレビを見ることぐらいです。
ということで、今日はテレビ三昧でした。
2本も映画を観てしまいました。
「ランダム・ハーツ」と「目撃者 刑事ジョン・ブック」。
いずれハリソン・フォードの主演作品で、前に何回か観ています。

「ランダム・ハーツ」は、とても甘酸っぱい映画です。
愛が人生を変えてしまう。
ついつい若いころを思い出してしまいました。
節子と出会い、恋に落ちたころのことです。
もっとも、恋の相手は節子でなくてもよかったのです。
当時の私は、恋に恋していたからです。
そのせいで、それなりに私にも甘酸っぱいことがあったのです。
その一部は、節子もよく知っていますが。
そして、軽い気持ちでの恋が、まさかの深い恋になってしまったわけです。
困ったものです。

「目撃者 刑事ジョン・ブック」も、甘酸っぱい恋が基調になっています。
アーミッシュの女性と現実を生きる刑事の許されない恋。
こちらも、若いころの私の好みの恋の姿です。

いずれの作品も、ラストは2人が分かれるシーンです。
しかし、その先にあるのは対照的です。
「ランダム・ハーツ」の2人は再開し、「目撃者」の2人は2度と会うことはないでしょう。
しかしどちらの恋が「永遠の愛」になるか。
そんなことを考えさせる作品です。

まあこんなことは最近は考えたこともなかったのですが、なぜか今日は期せずして、恋を思い出させる映画を観てしまいました。
こういう映画を観ると、節子がいたらなと思ってしまいます。
私にとっての恋の相手は、今や節子しかいません。
心底、人を恋し愛することは、そう簡単なことではないことを知ってしまったからです。

■4107:死者は遺された者たちの生きる支え(2019年2月10日)
節子
昨夜また少し雪が降り積もり、今朝も雪景色のまぶしい朝です。

いま知人と一緒に「新しいお葬式」を考え事業化する取り組みを始めています。
これに関しては時評編で前に書きましたが、その検討会で、死者は遺された者たちの生きる支えにもなっていると話しました。
それは、私が最近特に強く感じていることです。
つまり、節子は私がいまを生きるうえでの「支え」だということです。

精神的な支えだということではありません。
最近、私は心身ともにかなり疲れていました。
そうした状況の中で、2日続けて、節子が夢に出てきました。
正確に言えば、「節子を感ずるなにか」というべきでしょう。
節子の姿が出てきたわけではありません。
ただなんとなく「節子」を感じただけです。
そして、同時に、いのちのエネルギーを感じたのです。
言葉ではなかなか表現できないのですが、疲れていた生命が少しだけ「輝き」を取り戻せたのです。
エラン・ヴィタールという言葉も思い出しました。

こういうことが、時々起ります。
死者は、遺された者の心に生き続けている、と私は実感しています。

ただ、死者のすべてがというわけではありません。
そして、節子だけでもないのです。
若くして突然死した友人たちや過労や病気で亡くなった友人たち。
時にそういう人も夢に出てきます。
いや夢だけではありません。
何かをしているときに、突然、思い出すこともあります。
なぜ思い出すのか考えたことはありませんが、たぶん私の心身が萎えているときに、元気を出せと出てくるのです。
私の心身のなかには、そうしたたくさんの死者がいまも生きている。
最近特にそういう感じが強まっています。

太陽が出てきました。
陽光が庭や隣家の屋根の上の雪に反射して、まぶしいです。
静けさと眩しさ。
雪景色は大好きです。

■4108:父の33回忌(2019年2月11日)
節子
今日は、同居していた父の命日です。
寒い日でした。
私にとっては、初めての葬儀でしたが、たぶん一番頑張ってくれたのは節子でした。
節子は私の両親を看取り、葬儀も中心になって仕切ってくれました。
私は、当時まだ会社に勤めていました。
ちょうど会社を辞める直前でしたが、仕事が大好きで、家のことはほぼすべて節子に任せていました。
節子は、そうしたことに関して、私に何か言ったことは一切ありませんでした。

私の両親との関係も、私よりもよかったかもしれません。
ですから、私が嫁としゅうととの間に入って苦労することなど一度もありませんでした。
だからと言って私が逃げていたわけではありません。
何か問題が起これば、私はその事実に関して、自分の意見ははっきりというタイプでした。
ただ今にして思えば、いささか節子寄りに考えていたかもしれません。
両親には、もう少し寄り添えばよかったと反省しますが、まあその分、節子が寄り添っていたから、少しは許してもらえるでしょう。

父の葬儀は自宅でやりました。
寒い日なのに、外で受け付けをやりました。
会社に勤めていた関係で、職場の若い社員が手伝いに来てくれましたが、葬儀で私は何をやったかは全く記憶にありません。

日本の家族システムでは、女性の負担が大変だと言われます。
たしかにそうでしょう。
節子も、私が考えている以上に大変だったはずです。
しかし、一言も愚痴をこぼしたり、私に何かを手伝えなどと言ったことはりません。
そして、両親を失った時、私が人生を変えずにすんだのも、節子のおかげです。

今日は、父と一緒に、節子に感謝しながら過ごそうと思います。

■4109:「私たち抜きに私たちのことを決めないで」(2019年2月12日)
節子
人の気分はちょっとしたことで大きく変わるものです。
最近の私の気分は、どうも乱高下という感じでしょうか。
ちょっとしたことで滅入ったり、元気が出たり、相変わらずその繰り返しが続いています。
もう2か月くらいになるでしょうか。
我ながらなぜそういう状況に陥っているのか理解できませんが、困ったものです。

先日、アルツハイマー病の人の書いた本を読みました。
時評編に紹介していますが、「認知症になっても大丈夫!」という本です。
昨年、その本の編集協力をした島村さんからもらっていたのですが、その時には「認知症」という文字に影響されてざっと読んだだけでした。
その後、いろいろとあって、読み直しました。
これは「認知症」の本ではなく、誰もが快適に暮らせる社会への呼びかけの本だと気づきました。
ひとつの文章が心に残りました。
「私たち抜きに私たちのことを決めないで」。
スコットランドの認知症になった人たちのグループのスローガンのようです。

この言葉で、この2日間、「青い芝の会」や「津久井やまゆり園事件」などいろんなことを考えていました。
今も毎日のように、信じがたい事件がテレビで報道されています。
しかし、こうした事件に関して、私たちは「当事者」にきちんと耳を傾けているだろうか。

考えているうちに、私自身の問題にたどり着きました。
私は、節子の声にきちんと耳を傾けていただろうか。

人生は「後悔の連続」です。
私は、後悔をしないことを信条にしてきたつもりなのですが。

今日もとても寒いです。

■4110:人生にとって一番大切なのはパートナー(2019年2月13日)
節子
先日のサロンに、わざわざ新潟から参加してくれた友人がいます。
サロンが長引いたため、ゆっくり話すことができませんでした。
今度は私に会うだけにやってくると言って、帰りました。
今回のサロンも、たぶん私に合うのが目的だったのでしょう。
お互いのようすを確認し合うだけで、十分だったのかもしれません。
そういう友人が、私には数名います。

昨日書いた、若年性アルツハイマーを発症した藤田さんは、「認知症になってもだいじょうぶ!」という本の中に、友人知人の大切を繰り返し書いています。
「一人の人として関わり続けてくれる人がたくさんいれば、孤立することはありません」
「私には、アルツハイマー病になってもこれまでどおり関わってくれる友人が何人かいます。ありがたいなあと思っています。私のことを一人の人として見てくれていると実感しています」
「より多くの人と出会い、多くの頼れる人とつながっていると、人生を豊かにする可能性が広がっていくと思うのです」
いろんな人との支え合うつながりを育てていれば、たとえ認知症になってもだいじょうぶ、と藤田さんは言います。
藤田さんは、そういう人たちを「パートナー」と呼んでいるようです。
人生にとって、一番大切なのはパートナーだと、私も思います。
お金はなんの支えにもなりませんが、友人は人生を豊かにし、生きやすくしてくれます。

私にとっては、これまで「パートナー」と言えば、節子のことでした。
しかし、もっと広い意味で「パートナー」を捉えたほうがよさそうです。
たしかに、わたしはたくさんのパートナーに支えられて、いまここにいる。

本の紹介を書いた私のフェイスブックに、藤田さんがコメントしてきました。
そこにこんな文章がありました。

自分で言うのも変かもしれないですが、
増刷にあたり読み返し、自分の言葉に励まされました。

過去の自分もまた、いまの自分のパートナーなのです。
私は、この挽歌を読み直したことはありません。
でももしかしたら、私が思いきり落ち込んだりした時に、この挽歌が私を元気づけてくれるかもしれません。

過去の自分や未来の自分が、自分のパートナーだとしたら、人はみなたくさんのパートナーを持っていることになる。
孤立している人などいないのです。

サロンに参加してくれた友人は、今度いつ湯島に来てくれるでしょうか。
待ち遠しいです。

■4111:寒いと挽歌が書けません(2019年2月19日)
節子
寒いとどうも挽歌が書けません。
パソコンのある部屋が寒いからです。
困ったものです。

しかしだいぶ暖かくなってきました。
昨日は孫のにこが来たので、一緒に畑に行ってブロッコリーを取ってきました。
孫はわが家に来ると、玄関で大きな声で私にも呼び掛けます。
節子がいいたらどんなに喜ぶことでしょうか。
節子がいいたらたぶん孫のライフスタイルも変わったかもしれません。
人の死は、遺された者すべての生活を変えていくことを、このごろ強く感じます。
そんなことなど、あまり考えたことはなかったのですが。

もう一つ感ずるのは、人が生き続けるということは、実に幸運なことなのだという気付きです。
そういう「生きることのむずかしさ」に、あまり気づいてこなかった鈍感さを、最近改めて感じています。

昨日、孫と畑に行ったときに、花壇も見てきました。
チューリップが芽を出し始めています。
春が近いです。
私の心身も、動き出すでしょう。
明日から少し暖かくなるようです。

■4112:人は死んだ後も人に出会える(2019年2月20日)
節子
折戸えとなさんという方の書いた、「贈与と共生の経済倫理学」をよみました。
その紹介は時評編に書きましたが、驚くほど私の生きるビジョンに重なっています。
著者は、残念ながら昨年亡くなりました。
友人からその話は聞いていました。
しかし彼女が残した本の内容に関しては、あまり聞いていませんでした。

たまたま、その本の舞台にもなっている霜里農場の女主人が私の小学校時代の同級生です。
先日、そこに関連するサロンを開いたときに、その本の著者の伴侶が参加してくれました。
彼は、もし妻がいたら、この湯島サロンの常連になっただろうと話してくれました。

私が、その本を読んだのはそれから1週間ほどしてからです。
実は書名があまりにも「流行的」なので読む気が起きていなかったのです。
ところが、時評編にも書きましたが、読み出したら一気に読んでしまうほど面白く示唆に富むものでした。
そのことをフェイスブックに書いたら、折戸えとなさんの伴侶から写真が届きました。
えとなさんの写真が2枚。
「失礼ながら、えとなの写真をお送りいたします」と書かれていました。

それだけの話なのですが、私には痛いほど、その気持ちがわかります。

人は死んだ後も人に出会える。
そのことを改めて確信しました。

昨日、その本の書評をフェイスブックにアップしました。
折戸さん(伴侶)からコメントが届きました。
「えとなも佐藤さんに読んでいただいて喜んでいると思います!」
死者とも人は付き合えるのです。

私にとっての死のイメージがどんどん変わってきています。

■4113:死と老い(2019年2月21日)
節子
死を意識することは、多くの人にはなかなか抵抗があるようです。
私もそうでした。
一時は、「アンチエージング」などという言葉にも共感したこともありました。
もちろんそんな「過ち」からはすぐに抜け出しましたが、今は「健全な老化」を目指して、老人らしく老いようと考えています。
しかし、意外とそれが難しい。

今日は小学校時代の友人が湯島に来ました。
いま抗がん剤治療をしていますが、たまには外出したいというので、私をお見舞いに来てもらったのです。
幸か不幸か、私の体調は回復してしまっていたのですが、本来は私が見舞いに行くべき立場なのです。
でもまあ、常識の反対を好む私としては、素直に見舞いを受け、しかもお昼をごちそうになってしまいました。
特上のうなぎがいいだろうと彼が頼んだのですが、彼が完食できるかどうか気になっていたのですが、見事に完食しました。
私もそれにつられて完食しました。
私はともかく、彼が回復基調にあるのがわかってホッとしました。
食べる様子や顔の表情を見れば、その人の状況はわかります。
言葉はうそをついても、身体はうそをつきませんから。
心配していましたが、安心しました。

しかし、最後にやや疲れた感じが出たので、ちょっと気になっています。
彼のがんは根治していないのです。
明日また電話しようと思います。

自分の死に関しては、何の抵抗もなく語れます。
しかし、友人とはいえ、彼とはまだ死に関しては話し合えません。
老いに関して、かなり語り合えるようになりましたが、なかなか「死」にはたどり着けません。
死と老いは、つながっているようで、つながっていないようです。

でも、「健全な老い」を進めていけば、「健全な死」にたどり着けるでしょう。

今日は彼と会った後、上野のびわ湖長浜 KANNON HOUSEに「いも観音」に会いに行く予定でしたが、何やら無性に疲れてしまいました。
もしかしたら、やはり私の方が見舞われるべき状況にあるのかもしれません。
困ったものです。

■4114:お金から解放されていなようです(2019年2月22日)
節子
人生はやはりいろんなことがありすぎます。
まあ大したことがないといえばそうなのですが、面倒なことが次々と起きます。
今日も朝から大変でした。
まあここに書くほどのことはないのですが、検察庁から「過料振込書」が届いたのです。
思い出せば、先月、裁判所から「過料決定」の通知が来ていました。
私の完全な落ち度ですが、その時は最近広がっている「架空請求」だと思ってしまったのです。
というのも、少し前に娘のところにはがきでしたが、その種のものが届き、それが架空請求だと分かったのです。
そういうこともあったのですが、今回の決定理由も、どうもつじつまが合わない奇妙な理由だったからです。
それで無視していたら、今度は別のところからの払い込み指示がきたのです。
さすがに放置しておけなくて、電話をしましたが、もしかしたらこの電話は詐欺グループかもしれないと、私の名前を出しませんでした。
どうも同じような話があるようで、先方は、こちらが不安に思わないように丁寧に応じてくれました。
あまりに丁寧だったので、疑ったことを反省しました。

一部やはり納得できないことがあったのですが、結論的には私のミスだったのです。
会社は、役員などが変わらなくても、定期的に法務局に届け出しなければいけないのだそうです。
恥ずかしながら全く知りませんでした。
以前は税理士にすべてお任せしていたのですが、仕事を基本的にやめた15年ほど前から、税理士に払うお金も捻出できなくなったので、解約してしまったのです。
税務申告は、まあほとんど内容もないので、自分でやっていますが、それでいいと思い込んでしまっていました。
その罰金が来たのですが、さほどの金額ではないのですが、また工面しなければいけません。
しかも今やだれもやってくれないので、自分で法務局に行ったりしなければいけません。

まあこういうところが、私の常識のないところなのですが、なぜかこの頃、以前関わった複数の会社関係の税金の支払い請求が届きます。
あんまり負担能力がないので、それぞれ今の代表の人に支払いをお願いしていますが、きちんと手続きをしないと、これからも私のところに届きそうです。

これまであまりにこういうことを柔軟に対応しすぎていました。
私の貯金もそろそろ底を突きだしましたので、これ以上長生きするには、ちょっと生き方を変えなくてはいけないようです。
あまり自信はありませんが、お金にまつわる話は、私には本当に苦手です。
今日はなんだか心穏やかではありません。
お金の呪縛から解放されているなどというのは、どうも私の見栄でしかないようです。
困ったものです。
はい。

■4115:見えなかったことが見えてくる(2019年2月23日)
節子
最近また不思議な夢をよく見ます。
私が知らない場所や知らない人ばかりでてきます。

民俗学の研究者であるにもかかわらず、大学の先生の職を辞して、特別養護老人ホームで介護職員をしている六車由美さんという人がいます。
私は面識はなく、彼女の著書で、知っただけですが、その本を思い出して、メモしていた文章を読みなおしました。
こんな文章です。

年をとるとは、個人差はあるにせよ、それまでは見えなかったものが見えたり、聞こえなかったものが聞こえるようになる。

民俗学では、老人も子どもも神に近い存在とみなされますが、いずれも「見えない世界」が見えているわけです。
孫はまだ2歳ですが、時々、あらぬ方向を凝視していることがあります。
歳と共にだんだんとなくなっては来ましたが。
昨日も庭の鉢の土を見ていて、いも虫君がいるといったのですが、大人たちには見えませんでした。

見えなかったものが見えてくる傾向は、節子を見送った時の方が多かった気がしますが、最近また、夢に限らず、「あらざるもの」の存在を時々感ずるようになってきました。
そして、夢では全く記憶にない世界が時々出てきます。
しかも目覚めたとたんに、それを具体的には思い出せないのです。
しかし、なにやら不思議な感覚だけは残ります。

その一方で、現世の俗事のわずらわしさをこの頃、意識するようになってきました。
高齢になると、俗世を離れて隠棲したくなる気分が、少しずつ高まっているのかもしれません。

私は、前にも書いたように、健全(自然)に老いていきたいと思っています。
それが難しくて、いまだに俗世への未練があったり、消えない物欲に惑わされたりしているのですが、「老いること」のむずかしさも実感しています。
でも、何かこれまで見えていなかったことが、時々、見えたような気がすることもあります。
そして、なんでこんなことに煩わされていたのだろうかと思うこともあります。
困ったものです。

夢でうなされることはないのですが、目が覚めても夢に覆われていることが時々あるのです。
昨夜の夢は、新しい世界への誘いのような気がしますが、現世の悩ましい問題など気にするなということでしょうか。
昨日から、また、えも言えぬ「不安」が心身に広がっています。
折角、体調が回復したのに、すっきりしません。

■4115:人を幸せにするのは簡単かもしれません(2019年2月23日)
節子
孫ががんばっています。
私は今日は朝からずっと不在だったのですが、帰ってきたら、玄関にトイレットペーパーが6個、置いてありました。
今日は、新聞紙の回収日だったのですが、いつもは2〜3個、新聞紙と引き換えにおいて行ってくれるのです。
それが今回は6個。

娘から理由を聞きました。
ちょうど新聞の回収に来た時に、孫がやってきたようで、その回収の人に向かった、大きな声でこんにちわとあいさつをしたのだそうです。
その元気さをほめてくれて、回収している人が、おまけだといって、いつもの倍のトイレットペーパーとポケットティッシュを一袋くれたのだそうです。
孫の「初めての稼ぎ仕事」です。
いやそういう言っていいかどうかはわかりませんが。

孫は、ともかく大きな声であいさつします。
いつもとは言えませんが、とても大きな声なのです。
それは実に気持ちがいい。
私もそうですが、明るい大きな声は、人を幸せにするのです。
回収しに来た方は私と同じ年頃の高齢の男性だったそうです。
その方も、きっと、ちょっと「幸せ」になって、大盤振る舞いをしてくれたのでしょう。
そしてまた、それが孫の親や祖父を幸せにしてくれたというわけです。
それを聞いて、私はテレビ電話で孫に「ありがとう」といいました。
たわいない話ですが、人を不幸にするのも幸せにするのも、そう難しくない話だと、改めて思ったのです。
節子がいたら、こういう幸せをたくさん体験したことでしょう。

人は、ただ存在するだけで、他者を幸せにすることができるのです。
節子がいたころには、孫がいなくても、私はいつも幸せでした。

私も、ただそこにいるだけで、他者を幸せにできるような存在になりたいですが、今日もまた、サロンで、他者を幸せにするどころか、不快にさせたかもしれません。
孫に学ばなければいけません。

■4116:時間感覚がちょっと変わってきてしまいました(2019年2月26日)
節子
このところ、なぜか時間がたつのが実に速いのです。
それに生活のルーティン意識が希薄になってきています。
朝起きて、顔を洗うことくらいしか、ルールはなくて、あとは気の向くままに、という感じが強まっています。
だからといって、することがないとか、寝ていてもいいというわけではないのです。
いつも「やらなければいけないこと」リストからは解放されないままです。
それなりに時間にも追われている。
もっとも、「追われている」というのは不正確で、「やらないといけない」という思いはありますが、やらなかったからといって、契約違反で訴えられることはありません。
そもそも私には「契約」という概念が希薄ですから。

それに、毎日、「やらなければいけないこと」リストは増え続けます。
そんなことまで引き受けて、やりすぎではないのか、自分で頼んできながら、私に言いきった友人もいますが、まあ私にやれることがあれば、ある意味ではやらなければいけません。
私以外の誰かがやれることなら、その必要はありませんが。

そんなわけで、最近、時間感覚がルーズになってしまっています。
何とかリズムやルールを回復したいとは思っていますが、なかなか難しい。

そんなわけで、また気が付いたら、挽歌が2日、書けていませんでした。

書き忘れましたが、毎日の日課がもうひとつありました。
顔を洗った後に、節子の位牌に水を供えて、ろうそくに火を灯し、線香をあげて、般若心経を(時に簡略版で)唱えるのです。
この日課だけは、家にいる限り、さぼったことはありません。
問題は、そのあとです。
心を入れ直さないといけません。

実は今朝起きたとき、そう思ったのですが、今日も寒いので、決意が揺らいでいます。
困ったものですが。

■4117:今年は河津桜が咲きました(2019年2月26日)
節子
昨年は咲いてくれなかった庭の河津桜が咲きました。
節子が元気だったころ、河津に行って買ってきた2本の桜のうちの一本です。
残念ながら節子がいなくなってから、あまり手入れがよくなかったため、1本は枯らせてしまいました。
節子が元気だったら、こんなことはなかったのですが。

地植えではなく、鉢植えにしたのですが、鉢が小さくて元気がなかったのです。
一昨年、大きな鉢に植え替えました。
それで元気が戻ってきたのですが、昨年は花は咲いてくれませんでした。
だから心配していたのですが、今年は咲いてくれてほっとしました。

実はまだ一本、花が咲いてくれない木があります。
蝋梅です。
この数年、花が咲かないのです。
手入れ不足もありますが、節子がいなくなったからかもしれません。
まあ、何でも節子のせいにするのはおかしいですが、そんな気もします。

今日はまだ花は3つほどですが、明日はもっと咲くでしょう。
庭木の手入れに関しても、だいぶわかってきました。
わが家も少しずつ廃墟から回復しつつあります。
長かったですが。

■4118:身体を動かさないと精神も元気が出ない(2019年2月27日)
節子
昨日、久しぶりに畑に行って鍬で土を耕してきました。
畑には時々言っていますが、耕したのは今年初めてです。
ところが、そのため、今朝、起きたら腰が痛いのです。
といっても、ぎっくり腰とかそんなのではなく、ちょっとだけ腰が痛い程度ですが。
要するに、それだけ身体が衰えている、つまり順調に老化しているということです。
身体の老化に、気持ちはなかなかついていけません。
注意しなければいけません。

もちろん精神の老化というのもあるのでしょう。
私の場合は、もちろんあります。
精神の老化は、たぶんリスク回避の方向に向かうように思います。
先のことを考えてしまうわけです。
私が一番避けたい生き方ですが、どうも最近、そうなってきています。
そこには、トラブル回避も含まれます。
トラブルに向かう勇気がどんどん薄れてきています。
いやなことを思い出すだけで、気が萎えてくるようになってきました。
そうなると、人生は多分退屈になっていくでしょう。

もう一つ、気になることがあります。
人と付き合うことの楽しみよりも面倒くささを感ずるようになってきました。
最近、人と会うことが減ってきました。
それに応じて、本を読むことが多くなってきました。
ほんの世界の方が、トラブルも生じず、心の平安は保てます。

こうした心身の変化は、つながっています。
「健康な精神は健康な身体に宿る」と昔はよく言われましたが、「健康」の内容はともかく、精神と身体は連動しています。
私は、特にスポーツをやっていませんので、冬はどうしても身体の運動量は減少します。
それが大きく影響しているのかもしれません。
もっと歩いたり畑に行ったりしなければいけません。

今朝も寒いですが、少しずつ春を感じます。


■4119: 電気ケトル(2019年2月28日)
節子
電気ケトルが壊れてしまいました。
外出の途中で購入してきたのですが、どうもスタイルがピンときません。
結局、平均的なものにしてしまいました。

湯島のヤカンも、前から買い換えたいと思っていたのですが、前に買いに行ったら、笛吹きケトルはたくさんあるのですが、笛吹でないヤカンはどうも形が私好みではないのです。
それで結局、まだ買い換えていません。
今日も、探してみましたが、気にいるのがありません。
自宅にあるヤカンは、今は使っていないので、それを持っていこうかと思いだしています。

まあそんなことはどうでもいいのですが、節子がいなくなってから、買い換えた家具はそうありません。
しかし、買い換えたくなって、探しに行っても、あんまり気に入るのが見つかりません。
デザインや機能の面では、たぶん良くなってきているのでしょうが、私向きではないのです。
新たに購入して使っていると、すぐになじむことが多いのですが、最初はやはりちょっと抵抗があります。
節子仕様ではないからかもしれません。

わが家の食器類は、ほとんどが節子の時代からのものです。
私の好みもありますが、私たちはできるだけシンプルなものが好きでした。
節子のいたころは、家族数も多かったので、大きな食器も時々使いましたが、最近はそういう食器はあまり食卓には出てきません。
毎日目にするのは、いつものお決まりの食器です。

節子がいたころはよく陶器市にも出かけました。
節子がいなくなってからは、そういうこともあまりなくなりました。
娘たちに付き合って一度出かけたことはありますが、なぜか昔と違い、退屈でした。

そういえば、玄関マットやラグなどを探すのも、節子は好きでした。
そういう感じで、室内の雰囲気も時々、変わっていましたが、最近はあまり変化がありません。

湯島にいたっては、節子がいなくなってから、何一つ変わっていません。
玄関の造花も、もう来られなくなるからといって、節子がバラの造花を飾ってくれてから、全く変わっていません。
部屋の版画もコーヒーカップも、節子以来です。
昔は、時々、コーヒーカップも変えようと2人で探しに行ったものです。
いまは15年ほど前から同じものを使っています。

しかし、カップはかなり壊れ、いろんなものも買い替え時期に来ているのかもしれません。
湯島の椅子は、かなり限界です。
それも当然のことです。
今年は、節子の13回忌なのですから。

■4120:平安なコミューン(2019年3月1日)
節子
節子がいなくなってからも、いろんな人に会いました。
一緒にいるだけで、少し心がやすまる人にも会いました。
そのおひとりが、今日、わが家に来てくれました。
私より一回り若い男性です。

その方は、会社を早期退職し、NGOに関わり、そこから海外のストリートチェルドレンに関心を持つようになったそうです。
さらにそこからキリスト教に出会い、今年洗礼を受けるそうです。
そのために、いま、信仰告白をまとめているといいます。

早期退職するまでは、まさに経済世界に生きていたようです。
それがあるとき、何の得にもならない活動の人生をささげているNGOに関心を持ってしまい、そこから人生を変えてきたといいます。

先月もインドの僻地を訪問していたそうですが、そうしたところでの生活は心身共に大変なようで、いつも帰国すると、どっと疲れが出るといいます。
しかし、不思議なことに現地にいると、疲れも出ずに、心も安らかなようです。

帰国しても、そうしたところにいた時のような心を維持したいのだそうですが、なぜか生き方が戻ってします。
そこでまた出かけるわけです。
今月はまたフィリピンに行くそうです。

なぜそういう生活が、日本ではできないのか。
話を聞いていて、カントやオルテガを思い出しました。
日本では、人が人でなくなり、道具になってきてしまっている。
だから、人としてのつながりが持てず、心を許す付き合いがしにくい。

その人とは、これまでも何回もお会いし、お話をもさせてもらっていましたが、2人だけでゆっくりと話したのは初めてです。
しかも、「愛」と「罪」について、こんなに正面から話したのは初めてです。

その人が目指しているのは、心を通わせあいながら生きる人たちのコミューンです。
20年ほど前に、私も少し取り組もうとしたビジョンにつながっています。
私の場合は、見事に挫折しました。
でもいままた、少しそうした方向に向かっているような気もします。

久しぶりに、心がやすまる会話ができたのがうれしいです。
また少し元気が出ました。

■4121:節子と一緒に本を読んでいるような気がしました(2019年3月2日)
節子
最近また、いろいろと本の読むようになってきたのですが、不思議なことに私の生き方を元気づける本によく出会うようになっています。
人から元気づけられることは少なく、どんどん人嫌いになりそうなのですが、なぜか最近は本に元気づけられます。
話題の本からではありません。
だいぶ前に出された本で、あまり目にしたことのない本が多いのですが、なぜかそういう本に出会うのです。

話題の本からは、あまりそうした元気はもらえません。
話題になっていたシェリー・ケーガンの「「死」とは何か」などは、読んでいて、内容のあまりの薄さに驚きました。
なぜこんな本が話題になるのか。
いやなぜこんな大学講座が人気なのか。
話題の本はあまり読むものではありません。

最近読んだ本では、安室知さんの「日本民俗生業論」がとても面白かったですが、その本を読んで、私は実に運のいい時代、言い方を変えれば、幸せな時代に生きてきたことを痛感しました。
こうした本に、違和感なく、私が入れるのは、もちろん私の子ども時代の体験もあるのですが、節子と結婚したことも大きな力になっています。
節子のおかげで、滋賀の農村の文化を垣間見る幸運に恵まれたからです。
そして、節子の生活にも、それが感じられたからです。
もっとも節子は、意識的にはそうしたことから抜け出ようとしていたかもしれませんが、ひとはやはり育った環境に大きく規定されているものです。

この本は500ページもある厚い本なので、節子は読めないでしょうが、もし今、私の隣にいたら、この本について際限なく話が弾むだろうと思います。

最近、もしかしたら、本を読んで元気をもらえるのは、節子も一緒に読んでいるからかもしれません。
そんな気が、ふと、今日、しました。
節子は、読書家ではありませんでしたが、いまになって私の心身を使って、本を読んでいるのかもしれません。
好奇心は強い人でしたから。

■4122:節子の手作りひな人形(2019年3月3日)
節子
玄関に、節子の手作りのお雛様が飾ってあります。
娘たちのためのお雛様は、わが家はすべて節子の手作りです。
したがって五段飾りなどはなく、いずれも2体のお内裏様だけです。
たぶん今は最初に作ったものが置かれていますが、だんだんと壊れてきてしまい、ガラスケースに入った一番立派そうなものは、今年、首が取れてしまいました。
手入れ不足です。
玄関に飾られているのは、節子の作った木目込み人形ですが、これも少しずつ悼んできています。
後ろに置く屏風は今は使っていません。

孫は、その人形を見て、最初は怖いといっていました。
節子が作った人形に限らず、どこで見ても、ひな人形は怖いようです。
その気持ちはわからないわけではありません。
人形には、私も、どこかに怖さがあります。

節子は、手作りが好きでした。
経済的な問題もあったのかもしれませんが、わが家にはそうした手作り物が多いのです。
しかしそうしたものもだんだんなくなってしまっています。
節子の名残は、こうして少しずつ消えていく。
まあ、それは悪いことでもないでしょう。

昨日は孫がわが家に来て、その雛人形と写真を撮っていました。
その写真を通して、節子は孫の代には生き続けるでしょう。
私はどうも忘れられそうですが。

■4123:幼馴染がやってきたオープンサロン(2019年3月4日)
節子
またオープンサロンを始めることにしました。
ただあまりうまく告知ができずに、しかも寒い雨の日になったので、誰も来ないかなと思っていましたが、4人の人が来ました。
そのうちの2人は小学校時代の同級生でした。

小学校時代の私の一番の遊び仲間はなぜか3人ともすでに亡くなっています。
ただ、卒業後、6〜7年たって、どういう経緯か思い出せないのですが、夏休みに1週間ほど、同窓生全員を対象に、山でのキャンプを始めたのですが、なぜかその時にまた気の合った4人組が別にできました。

キャンプは毎年やっていました。
大学生だったメンバーが1週間ほど宿泊し、勤めている人などは可能な時にやってくるというスタイルです。
それが毎年の恒例になり、私が就職するまで続きました。
それに合わせて、みんなで冊子やニューズレターをつくったりしました。
そんな活動をしていた時期があったので、いまでも仲間意識が強いのです。
節子も、何人かには会っていますね。

昨日のオープンサロンには、その4人組の2人が来ました。
前から会いたいので集まりを企画しろと言われていたのですが、あんまり気が乗らなかったのです。
そうしたら数日前に、その一人から今にも死にそうなメールが来たので、それならオープンサロンにでも来たらと返信していたのです。
そうしたらもう一人を誘ってやってきました。
寒い雨の中を。

いつごろの予定なのかと質問しました。
死にそうなメールをもらっていたので、もう余命宣告を受けたのかと思っていたのです。
まあ、彼からは長いこと同じ話を聞かされているので、聞き飽きているのです。
まだ決まっていないようです。
しかしいろいろと問題を抱えているようです。
ところが、もう一人が「俺も一応伝えておくけれど、心臓に問題があって、突然死の可能性を医師から指摘されていると言い出しました。
まあ80近くなったら、それはもう「突然死」ではないと思うのですが、彼は元気だと思っていたので、少し意外でした。
というわけで、2人は私に「別れ」に来たらしいです。

ちなみに、今回は来なかったもう一人は、先週、湯島に来てくれました。
胃がんのため、抗癌治療もやっています。

歳をとると、まあみんなこうなっていく。
これこそが「健全」なのでしょう。

1時間ほど話していたら、これまた久しぶりの人が来ました。
その人は日曜日は仕事のはずなのですが、わざわざ休みを取ってきてくれたのです。
彼にとって、昨日はちょっと意味のある日でもあったのです。
もう一人はサロンの常連ですが、なんでひな祭りの日に設定したのかといわれました。

それから2時間、話はいろいろと飛び回りました。
テーマもないので、とんでもなく話は飛躍し、人数も少なかったので、いつもとは違った雰囲気でした。

オープンサロンはいいものです。
今年いっぱいは続けようと思います。
私が死なない限りですが。
しかし、節子と一緒にやっていたころのようなスタイルは無理でしょう。


■4123:宇宙人(2019年3月4日)
節子
私は極めて普通の常識人だと自負していたのですが、どうも他者から見ると違っているようです。
最近、時々、私は「宇宙人のようだ」と言われ始めています。
まあ以前から「仙人」とも言われていたので、まあ世間から脱落している人間くらいに受け止めていたのですが(それは私の自覚と一致していますし〉、どうも今に始まったことではないのかもしれません。

昨日のサロンに、小学校時代の同窓生が2人来ました。
そのため、私の小学校時代の話が少し出たのですが、参加者から「どんな子供だったのか」と聞かれて、私の同窓生は「宇宙人のような存在だった」と答えたのです。
初めて聞く言葉です。

私は小学校4年の時に東京に転向しました。
それまで父親の出身地である新潟の柏崎に疎開していました。
転向した小学校は、1年から6年までクラス替えはありませんでした。
つまりきちんとした「秩序」ができていたのです。
そこに、田舎から転向してきたのです。
いまでも最初の挨拶での言葉遣いを笑われたことを覚えています。
だから単になじめなかっただけではないかといったのですが、どうも同窓生にはそうは見えなかったようです。
その頃の話は、最近になって時々同窓生から意外な話を聞くこともありますが、「宇宙人」というのは初めて聞く言葉です。

私は記憶力があまり良くないのですが、最近聞く子どものころの私の話は、どうも私の記憶と違うのです。
しかし、いろいろと話を聞くと、今の私にきちんとつながってきます。
それに、思い出すと、私と宇宙人との関係にまつわる話も、時々ありました。
宇宙人に誘拐されて、身体にチップを埋められたというような話が、一時期、私のまわりで話題になっていました。
私は記憶力はよくないのですが、人の話は真に受けてしまうタイプで、その話を聞いているうちにそうかなと自分でも思ってしまった時期があります。
事実、朝起きたら、腹部に傷がついていたことが一度ならずありました。
まあそれも気のせいだったかもしれませんが。

同窓生が、私のことを「宇宙人」だと思っていたとは、しかし、思ってもいませんでした。
知らないのは自分だけ、ということはよくあることなので、もしかしたら私は宇宙人かもしれません。
困ったものです。

■4124:「佐藤さんもお元気で」(2019年3月7日)
節子
久しぶりに新潟の金田さんが湯島に立ち寄ってくれました。
昨年は金田さんは、私どころではなく「散々な年」だったようですが、東京に来るのもやっとだったという割には元気そうでした。
しかし、まあ外見と実体とは違いますので、「元気そう」だったとは簡単に言ってはいけません。
私自身の体験からも、ようやくそういうことがわかってきました。

金田さんは会うたびに、新潟での活動がなかなか進まないと謝るのですが、「何かをやらなければいけない」という思いは、あながち捨てたものではありません。
それが元気の支えにもなることもありますので。

金田さんは若いころ、2年ほど、我孫子でお住まいになったことがあります。
そんなわけで、今日は我孫子の話がだいぶでました。
ちょうど一昨日、数人で我孫子を歩いたので、その話も出ました。
金田さんが我孫子にいたのは、もう50年ほど前ですが、その頃とまだ変わっていないところも少なくありません。
それで話がつながっていきました。

別れ際に、佐藤さんもお元気で、と言われました。
最近、こういう言葉をよく聞くようになりました。
以前とは違った意味に聞こえてくるようになりました。
そういう歳になったのだと、この頃考えるようになってきました。
意識を変えなくてはいけません。

■4125:目覚めの気分(2019年3月8日)
節子
今朝は気持ちのいい朝です。

ところで、最近、どうも目覚めの気分がよくありません。
どこかに不安感や倦怠感があるのです。
もっともこれは今に始まったことではありません。
節子がいなくなってから、ずっと続いています。

昔は、つまり節子が元気だったころですが、毎朝、目が覚めるとわくわくしたものです。
今日は何ができるか、今日はどんな出会いがあるか。
それに取り組みたいことも山のようにありました。

節子が病気になってからも、それはそう変わったわけではありません。
回復した節子がいつも前にありました。

節子がいなくなってからは、しばらくは感情が失われ、無表情に目覚め、無表情に就寝していたような気がします。

次第に生活は回復し、旅立った節子も精神的な意味では戻ってきました。
しかし、考えてみると、わくわくするような気分で目覚めたことがありません。
どこかにもやもやした不安感や不快感があるのです。
目覚めがよくないのです。
今の生き方に問題があるのかもしれません。

現世の欲望をすべて捨て、トラブルからも解放され、平安に生きることができれば、わくわくはしないかもしれませんが、心穏やかな朝を迎えられるはずです。
しかし、それができないのは、まだ現世にこだわっているからでしょう。
まだ欲を捨てきれていないのです。
困ったものですが。

新しいことを始めることで、わくわく感を取り戻したいと思ったこともあるのですが、それが問題だったのかもしれません。
最近、「お年寄り」とか「お元気に」という言葉をよく聞くようになりました。
そういう言葉が、ようやく、私自身のことなのだと実感できるようになりました。
そういう時期に、来たのかもしれません。

言葉にできない不安感は、気持ちと身体のずれから起きているのかもしれません。

生き方を少し整理したい気分になってきています。
ようやく、人生の目覚めの時期が来たのかもしれません。

■4126:久しぶりの湯河原(2019年3月9日)
節子
久しぶりに湯河原に来ています。
ここは、私たちの「終の住処」になる可能性が大きかったところです。
節子は箱根が大好きだったので、元気だったころはよく来ていました。
しかし、節子がいなくなってからは、ほとんど来ていません。
それでも1年に一回くらいは来ていたのですが、今回はそのマンションの管理上、どうしても来ないわけにいかず、ユカと一緒に来たのです。
5年も放置していたため、惨憺たる状況になっていました。
障子は破れ放題で、なんと網戸までがボロボロになっていました。
そのうえ、ガス湯沸かし器は故障していて、お風呂も沸かせません。
それで近くのホテルの日帰り入浴のお世話になりました。

肝心の点検や補修工事は無事終わりましたが、久しぶりなので、少し後片付けなどをして帰ろうと思います。
リビングには2006年7月のカレンダーがかかっていますが、これが節子が最後に来た日付です。
いたるところに節子の痕跡はありますが、なにしろ10年以上放置しているので、とんでもない状況です。
できれば一挙に整理したいのですが、その気がなかなか起きません。
掃除はユカに任せるとしても、まあいろいろとあります。
急いでやると腰を痛めたりしかねないので、ゆっくりとこなしていこうと思います。

明日は時間ができるので、少し湯河原を歩いてみようと思います。

■4127:幕山の梅林(2019年3月10日)
節子
幕山の湯河原梅林にユカと行きました。
梅林祭りの最終日でしたが、にぎわっていました。

節子とは何回か行きましたし、いろんな思い出もあります。
最後に行ったときには、湯河原にお住いの高齢の方にあいました。
まちから時間をかけて歩いてきたそうで、たぶん80代後半の男性でした。
椅子に座って、何かを勧めたような記憶がありますが、それは節子のお得意芸でした。
だれとでも仲良くなる。

その前は、自動車で行ったのですが、幕山公園近くで立派な庭のある家がありました。
何を思ったか、節子はそこに車を止めて、庭を見せてくださいと入っていきました。
仕方なく私もそのあとをついて行ったのですが、立派なお庭で、そのうえ、お土産に名前を忘れてしまいましたが、小さな花木をもらってきました。
節子がいなくなってからも、しばらく玄関で咲いていましたが、私が枯らせてしまいました。
その家は、今回もそのままでした。
声はかけませんでしたが。

記憶では、この梅林の奥に、樹木葬の場所があったはずなのですが、私の記憶違いのようで、探しましたが、見つかりませんでした。
ということは、上記の2つの記憶も内容は不正確かもしれません。
過去の記憶は頭の中でどんどん変化することを、最近かなり実感しています。

今回は、幕山の山頂まで行こうと思いましたが、かなりきついのと支度をしていなかったので、ユカからとめられました。
1時間はかかるそうですが、途中まで行きました。
節子と一緒だったら、たぶん無理をしてでも行ったでしょう。
そういう無理ばかりしていたのが思い出されます。

幕山公園はほとんど変わっていませんでした。
考えてみると、もう15年近くたっているのでしょう。
あまり変化がないのが不思議でした。

■4128: まるでゴーストダウン(2019年3月10日)
節子
久しぶりに湯河原の温泉街を歩きました。
驚くほどのさびれようです。

節子とよく歩いたころに比べれば、道路や町並みは整備され、一時期はちょっとおしゃれなお店もでき始めていましたが、今回歩いて、そうしたお店も閉店し、売りに出ているという感じでした。
久しぶりに万葉公園にある足湯にも行きましたが、人は混んでいましたが、ここもまたなんとなくさびれていました。
それに足湯用のお湯がぬるかったり熱すぎたりで、いずれの足湯も快適ではありませんでした。

食事をしようと探しましたが、お店は閉じているところも多く、結局、前にも言った「魚繁」に行きました。
ここは満員で、しばらく待たされるほどでした。
このお店の雰囲気は全く変わっていませんでした。

足湯から魚繁までの道は、まさにゴーストタウン。
日曜日なのに、このありさまとは驚きです。
せっかく環境整備したのに、何かが足りないのでしょう。
となりの熱海はいま復活しつつあるようですが、湯河原は地の利に恵まれていないとはいえ、あまりの違いです。
魚繁の魚料理は、前と同じようにおいしかったですが。

節子がいいたら嘆いたことでしょう。
ユカに聞いたら、今はネットなどでも評判がいいようです。
しかし、ここもやはりもう一工夫が欲しい感じです。

■4129:書籍の廃棄(2019年3月10日)
節子
湯河原は、一時期、私の仕事場でもありました。
原稿を書くときには締切日の3日前に来て、ここで書いていました。
しかし、原稿を苦ことも少なくなり、次第に仕事場の役割は果たさなくなりました。
そのため、せっかく送った書籍のかなりの部分は我孫子に返送したのですが、まだ時々、読み直したくなる本が出てきます。
しかし、資料や雑誌類は少しずつ廃棄しないといけないと思いだしています。
節子がいなくなってから、1〜2度来たときにも、かなりの量を廃棄したのですが、今回もユカに手伝ってもらい廃棄しました。
あまり一挙に捨てるとゴミ捨て場に迷惑がかかるので、少し遠慮しましたが、だいぶ廃棄できました。
これから時々来ないといけません。
理想は売却したいのですが、湯河原には新しいマンションが増えているので、なかなか売却も難しいのです。
まあ節子がいたらやってくれるでしょうが、私はその種のことが苦手です。

書籍や資料を捨てるのは結構つらいものです。
一冊一冊に思いがこもっているからです。
しかし今回は、有無を言わさずに資料や雑誌類は一挙に捨てました。

こうして自分の人生を少しずつ整理していくことになるのでしょう。
少しさびしい気分です。

■4130:変わらないのはミカンが安いこと(2019年3月11日)
節子
湯河原のまちも変わりました。
市街を歩きましたが、以前と同じところもありますが、かなりのところがきれいになってきています。
一番大きく変わったのは、大きなスイーツの専門店ができたことです。
それも大賑わいでした。
評判のパン屋さんもできました。
ユカが連れて行ってくれましたが、もうすべて売り切れていました。
店内には5人しか入れず、入れない人用に店外にいすが置いてありました。
遠くから買いに来る人もいるそうです。

海の近くは大きく変わりました。
たぶん節子が最後に来た時には、オーシャンビューの温泉がありましたが、それはもうなくなり、マンションに変わっています。
むかしはまだ素朴な感じで、おいしい魚料理屋さんがあったりしましたが、もうそんなところはありません。
一時、回転ずしができましたが、そこも閉店していました。

まちを歩いていると、突然、節子と一緒に入ったお店に出会うこともありますが、ほとんどが雰囲気を変えているところが多いです。

変わっていないのは、ミカンが安いことです。
まちを歩いていると、無人の棚にミカンが置いてあって、代金はそこにある缶に入れていく仕組みです。
缶にお金を入れないでミカンを持っていくこともできれば、さらにはお金の入った缶そのものを持っていくこともできるでしょうが、まだそういうまちづくりにはなっていないようです。
しかもみかんが安い。
10個くらい一袋になっていて、それで200円なのです。
まあ安さはともかく、無人どころか売り上げが入った缶も無造作に置いてあるのがうれしいです。
やはり節子とここに転居したかったなと,思いました。
観光地なのに、ここにはまだ豊かさが残っているようです。

■4131:湯河原への転居はやめました(2019年3月11日)
節子
湯河原は、私たちの終の住処になる可能性が大きかった場所です。
終の住処を海にするか山にするか、結局、私たちは海を選びました。
山も少しだけ探しましたが、節子は海を選びました。
しかし、湯河原のほかにも、逗子や湘南も2人で探した時期があります。
湯河原のマンションは購入時に比べれば5分の1の値段になってしまいました。
そして今は売るに売れない状況です。

節子がいなくなってからは、ほとんど湯河原には来なくなりました。
娘たちもなぜかここには来ません。
だから今は荒れ放題なのです。

実は私の気持ちの中には、節子と選んだ湯河原にはちょっとだけ未練もあります。
せっかくの場所を捨てたくないという気分がどこかにあるのです。

しかし今回来て、もう湯河原に転居することはないだろうと確信しました。
だとしたら管理費だけでも無駄なので早く売却しようと思います。
頭ではそう整理しているのですが、なぜか積極的に売る気が起きない。
どこかにまだ、節子との隠居生活の思いが残っているのかもしれません。
湯河原にも、いろんな思い出があるのも、その一因かもしれません。
それ以上に箱根への思いが強く残っているのかもしれません。
節子は箱根が大好きだったのです。

このマンションを売却したら、たぶん湯河原には2度と来なくなるでしょう。
そう思うと、やはり急いで売ろうという気持ちが起きてこないのです。
困ったものです。

■4132:春の知らせのアサリ(2019年3月12日)
節子
福岡の蔵田さんから、今年もまた、どっさりとアサリが届きました。
毎年、蔵田さん自らが毎年、わざわざ近くの海でとってきてくれるのです。
お店で買った来るのとは大違いで、大きくておいしいのです。
このアサリは、わが家にとっては春の知らせなのです。
しばらく留守にしていたので、近くに住んでいる次女に受け取ってもらい、処理しておいてもらいました。
私は今日、初めて味わわせてもらいました。
アサリは私の好物です。
生ものなので、節子には供えにくいですが、報告はしました。

お礼の電話をしました。
ご夫婦ともに、いつもながらの元気な声でした。
最近少しずつアサリも少なくなってきているそうです。
蔵田さんのことですから、自分の食べるものよりも、たぶんほかの人に送るのを優先していることでしょう。
今年も例年と同じく、大きなサリが届きましたから。

新潟からのチューリップが冬の終わりの予兆で、福岡からのアサリが春の予兆。
今年も、わが家は春になりました。
庭の河津桜も、ほぼ満開で、葉っぱも伸びてきて、色合いがとてもきれいです。

みんなに支えられて、今年もいい年になるでしょう。

■4133:家族のすごさ(2019年3月12日)
節子
前の挽歌で、「みんなに支えられて」と書きましたが、言うまでもなく私は「家族に支えられて」生きています。
もちろんその「家族」には節子も入ります。

先週、鳥取に戻った矢辺さんに湯島でサロンをしました。
その内容は時評編に書きましたが、残念ながら節子は矢辺さんに会えていないと思います。
いや、一度くらいは会っているかもしれませんね。
だいぶたくましくなりましたが、まだしっかりと純粋な目を持った若者です。

彼は東京で自分の会社まで立ち上げていたのですが、お父さんから戻ってきてほしいといわれ、会社をたたんで戻ったのです。
東京の会社には、彼の大きな「志」やビジョンもあったのですが。
なぜ戻ったかの理由を、矢辺さんは「家族が大好きで、自分が思い切って生きられてきたのは、何かあれば家族が支えてくれるだろうという確信があったから」と話してくれました。
そして、家族があるということはすごいことだと付け加えました。
家族という、生活基盤があればこそ、社会でリスクを冒すこともできるというわけです。
とても共感できます。
そして、まだこう考えている若者がいるということに、とても安堵しました。

いまの時代、多くの人がバラバラになってしまい、家族も変質しだしているといわれます。
家族がむしろ個人を縛っているという人も少なくありません。
湯島のサロンでも、家事や子育てなど女性の負担が大きいという声はよく出ます。
こうした意見には、私は異論がありますが、仮にもしそうだとしても、だからといって家族を否定していいのかと思います。
ただあまりに血縁を重視しすぎる家族のあり方には異論があります。
そもそも、家族の核になっている夫婦には血縁などないのですから。

家族は、個人の存在論的安心感を保証する仕組みだと思っています。
同性であろうと年代が全く違おうと自分を全面的に投げ出せる誰かがそこにいる、そういうことが家族なのではないかと思います。

いささか社会性や常識が欠落している私が、今こうしてなんとか元気でいられるのは、いろんな人の支えのおかげですが、その根底に家族があったからです。

私も、家族のすごさを実感しています。
もし節子が今も元気だったら、私の生き方は全く違っていたと思いますが、いなくなった節子からも今もなお、支えられていることは間違いありません。

■4134:腰痛の兆し?(2019年3月12日)
節子
いささかいやなことに、この数日、腰痛の気配があります。
最初は先週畑で久しぶりに鍬を使って土を耕した夕方からですが、腰に少し違和感がありました。
あまり気にしていなかったのですが、そこからだんだん悪化し、腰痛とはこんなものなのだろうかと感ずるようになってしまいました。
私はこれまで腰痛とは全く無縁でしたので、ちょっと嫌な気分です。
痛いというわけではないのですが、歩いていると時々、前かがみ気味になっているのに気づきます。
それに時々、歩いている時に痛みを感じます。

湯河原ではかなりの急坂を登ったり、普段とは比べようもないほど歩きましたが、やはり痛みを感ずるとともに、身体のバランス感覚がおかしい感じでした。
山坂では一度つまづいて転びそうになりましたし、街中でもバランスを崩しかけたこともあります。

いよいよ私も腰痛の仲間入りかもしれません。
湯河原で温泉にも入りましたが、その効果はまだ出てきていないようです。
困ったものです。

■4135:お墓には生命を込められる(2019年3月13日)
節子
今日は湯島のサロンでお墓の話を聞きました。
お墓に関する私の認識はかなり変わりました。

これまでお墓はそこにある「物」だと思っていました。
もちろんお墓参りに行ったときには、お墓に話しかけたり触ったりしていますが、お墓が生きていると思ったことはありませんでした。
そして、節子が「お墓に入り」、いつか私も「お墓」に入ると何となく考えていたのです。

今日、篠田石材工業の社長の篠田さんから、いろいろとお墓のお話を聞いて、お墓には「生命」が宿っているし、宿らせることができるのだと気が付きました。
わが家の墓は、いわゆる和墓の標準スタイルです。
私の父が亡くなった時に、兄と一緒に建立しました。
墓石屋さんに頼んでつくったお墓です。
節子は、亡くなる半年ほど前に、そのお墓に入りたいと言い出したので、その希望を叶えました。
だから節子の痕跡は、お墓の横にある墓誌に戒名が彫ってあるだけです。

篠田さんは、遺族が希望すれば、墓誌などの字彫りを手伝ってもらうのだそうです。
そのおかげで、たとえばお彼岸に故人の孫がやってきて、親戚の人に、このお墓は自分も一緒に作ったといえるわけです。
お墓を通して、個人と孫のつながりが可視化されることになります。

また最近のデザイン墓石では、たとえば生前、船が大好きだった夫のために、舟形の墓石をつくったこともあるそうです。
伴侶の方は、夫が気に入ってくれればいいなと言っていたそうですいs五日、その船に私も乗れるといっていたそうです。
死者と遺された者は、こうして心と生をつなげられるのです。

そういう話を聞いて、墓はあるものではなく、死者と遺された者たちとで、育てていけるものであり、ある意味では生命を持った存在ではないかと思ったのです。
そのことは何となくみんな感じていればこそ、お墓に語りかけるのでしょう。

お墓は単なる物体ではない。
その気になれば、生命を吹き込める。
そのことに気づくと、これまでとは違った墓石との付き合いができるような気もします。
どうしたらいいのかは、まだわかりませんが、少なくとも墓石との付き合い方は変わりそうです。
私のいのちも、墓石に少しずつ託していきたいと思います。

■4136:孫のお見舞い(2019年3月14日)
節子
孫のにこがインフルエンザにかかってしまいました。
母親のジュンも風邪気味なので、ユカが買い物などして持っていくというので、私もお見舞いに同行しました。
昨夜は39度を超える熱だったそうですが、今日は熱も下がり元気でした。
子どもは突然急変することがあるので気は許せないですが、とりあえず安心しました。

にこの母親のジュンは、医師の誤診で急性肺炎が見過ごされ、診察してもらった夕方、節子が肺炎ではないかと判断して救急車で病院に入院したことがあります。
その時には、奇跡的に助かったのですが、その経験があるので、子供の病気には少し過剰なほど心配してしまいます。
節子がいたらいろいろとできるのでしょうが、こういう時には父親は役に立ちません。
困ったものです。

孫はいま急速に成長しており、言葉遣いや話の仕方が、一日一日変化します。
2〜3日会わないでいると、そうしたことを感じます。

当分外出は禁止だそうです。
わが家にもしばらくは来られないようです。
この週末も来られないでしょうから、見舞いに行かなくてはいけません。
ユカが行くと「おさむさんは来ないのか」といつも質問されるそうですので。
孫との相性はとてもいいのです。
まあだれもがそうかもしれませんが。

■4137:会社の行方(2019年3月14日)
節子
節子が病気になってから、会社関係の仕事はやめました。
以来、私が社長をしている会社(株式会社コンセプトワークショップ)の年商は年間100〜300万円です。
したがって、事務所経費(湯島のオフィスを維持するには毎月15万円はかかります)を負担すれば、ほぼそれでなくなってしまい、私の給料はこの15年はもらえずにいます。
税務申告はきちんと提出していますが、この状況であれば、会社を維持しなくてもいいのではないかと気づきました。

一方で、ある友人から事業を起こしたいので会社を立ち上げてほしいといわれています。
一時期は、私も借金返済のために、それもいいかと思ったりしたのですが、最近、会社を維持するためには結構面倒くさいことがあることを改めて知り(それを知らなかったために過料請求書が届きました)、その話も考え直すことにしました。
社会的な制度を利用するには、それなりの社会的責任が発生することは当然のことで、そのことをこれまでいささか軽く考えてきました。
そうしたことの責任が、昨年からいろいろと覆いかぶさってきていて、最近の「なんとなくの憂鬱さは、もしかしたらそのせいかもしれません・

そんなわけで、今、私の会社をどうしようか迷っているのです。
節子と一緒にやってきた会社なので、そんな思いも絡んでいます。
しかし、そろそろ現世の痕跡は整理していかなくてはいけないでしょう。

名実ともに、私の人生も、いよいよ第4期。
生き方を改めて考え直す年になりそうです。

■4138:いも観音(2019年3月15日)
節子
なかなか行けずにいた上野のびわ湖長浜KANNON HAUSEにやっと行けました。
今週まで、滋賀の木之元町の安念寺の通称「いも観音」が来ているのです。
安念寺には行ったことがなく、こんな仏たちが堂内に10体も安置されていること知りませんでした。
安念寺は木之元ですが、余呉湖のほうなので、行ったことがなかったのですが、こんなにいい仏たちがいるのであれば、ぜひ本堂で拝観したかったです。
節子も知らなかったでしょう。

説明書によれば、奈良時代草創だそうです。
滋賀の湖東には素晴らしい観音が多いですが、今回お会いしたいも観音ほど朽損した仏ははじめてです。
戦さの時などには村民たちが土中に埋めて守ってきた歴史を感じさせます。

節子と観音めぐりをすることももうありません。
もう一度お会いしたい仏はたくさんいるのですが。
ちょっとさびしいです。

■4139:湯島の椅子(2019年3月15日)
節子
湯島のオフィスの椅子が壊れだしています。
もう30年も使っていますから、当然のことなのです、この椅子は私たちには思い出の多い椅子であり、私はとても気に入っています。
座るととてもホッとする感じなのです。
すわり心地がいいので、すっかり長居してしまったといってくれた人も何人かいます。
しかし、その椅子も布地が色あせ、一部の椅子には穴が開き、観た感じも古くなってしまいました。
しかし10脚を買い換えようとすると50万円ほどかかるので、買いかけられずにいました。

昨年、湯島のサロンに参加している友人から、具合の悪いエアコンを買い換える費用をきふしたいという申し出がありました。
エアコンの具合は治ったので、椅子の話をしました。
そうしたら、では椅子を寄付しようということになり、2人で椅子を探し始めました。
ところが、今使っている椅子と同じタイプのものが見つかりません。
ようやく見つけたら1脚7万円近くします。
消費税や送料を含めると80万円前後にはなるでしょう。
あまりにも高額なので、あんまり貯金もない彼女も負担しかねますし、負担してもらうのも気が引けます。
私も一部を負担する必要がありそうです。
さてどうするか。

それで今日、湯島で相談することにしました。

いまの椅子とはデザインが違いますが、まあ許容範囲のデザインの椅子が中古で1万円強であります。
それだと全部で15万円ほどなので、友人もひとりで負担できるといいます。
しかし、その一方で、彼女がつぶやいたのです。
現在の椅子は節子さんも気に入っていたのではないか、やはりできるだけこの椅子に似たものを選べないか。
彼女は、節子のことも知っている人なのです。

さてさて悩ましい問題です。
湯島のオフィスをいつまで継続していくかにも関わっていますが、そのことも今、私の中では揺らいでいます。
もし一新するのであれば、平成のうちに買い換えたいと思いますが、湯島サロンの仲間に声をかけたら、基金は多分集まるでしょう。
しかし、それは無意識の強制になるような気もします。
お布施は呼びかけるものではなく、自然に行われるものだと思っています。

この問題は、私の生き方の基本にも関わっているような気がして、もう少し考えてみようと思います。
節子がいたら、どういうでしょうか。

■4140:久しぶりの畑(2019年3月16日)
節子
久しぶりに畑によってきました。
10日ぶりくらいでしょうか。
最近、雨も降っていたので、水やりは大丈夫でしたが、せっかくの菜花やキャベツなどは花が満開になっていました。
ブロッコロリーの花もきれいにさしていました。
じゃがいもも芽を出していました。

花壇のチューリップはまだ咲いていませんが育っていました。
同時に植えたフリージャは芽を出していないのが心配です。
芝桜も花を咲かせていました。

畑にも春が来ましたが、それは野草が元気になってくることを意味します。
これからは畑に行かないと、せっかく畑らしくなってきたのが、また野草に覆われるかもしれません。

残念なのは昨年、友人にもらって植えておいたものが復活していな感じなのです。
フキノトウは一つだけ見つけましたが、あとは見つかりません。

今日も畑をやればいいのですが、ちょっと元気が出てきません。
そのまま帰宅してしまいました。
今日くらいの寒いような日が作業には向いているのですが、まだ気が出てきません。
それに腰の問題もあるので、今日は在宅ですが、たまっている課題解消に向けたいと思います。
実はそうしたことへの気もあんまり出てきていないので、無気力に過ごす1日になりそうな気配もあります。

最近、会う人たちから、疲れているねとよく言われるので、元気回復が必要なのかもしれません。
しかし、どうしたら元気がでてくるのか、それがよくわからない。
困ったものです。
無駄になりそうな1日が始まりましたが、無駄もまたいいものでしょう。

■4141:畑を耕してきました(2019年3月17日)
節子
昨日は、徹底的にのんびりしました。
そのおかげか、今日はちょっと元気でした。
それでユカにも手伝ってもらって、畑を少し耕してきました。
畑仕事の嫌いなユカがめずらしく手伝ってくれたので、ちょっといい畑仕事ができました。
畑仕事は、独りでやるのと二人でやるのは全く違います。

しばらく行っていなかったので、収穫すべき野菜はみんな花を咲かせていました。
ブロッコリーの花をはじめてみましたし、キャベツも花を咲かせていました。
なぜかキャベツは丸くならずに開いていました。

放っておいたらすぐに野草に覆われるところを、鍬と鎌とで畑にし、そこに家で目を出していたじゃがいもとニンニクを植えました。
どうせ労力を使うなら、きちんとした苗を買ってきた方がいいのですが、最近、いつも苗を買っていたお店が閉店してしまったのです。
それもあって、自宅のものを使ってしまいました。

昨年植えていた蕗やミョウガの芽が出てこないのが残念ですが、少しずつ畑らしくなってきました。

花壇のチューリップのだいぶ伸びました。
なぜか同じ時期に植えたフリージャの芽が出てこないのですが、まだ諦めることはないでしょう。
今日の畑は、とても春を感じました。
腰の痛みはだいぶ治りましたので、もう大丈夫でしょう。

節子にはまだ勝てないでしょうが、だいぶ作業も手馴れてきました。

■4142:同世代の人たち(2019年3月18日)
節子
同世代の友人ががんになったと連絡を受けました。
この歳になると、この種の連絡は少なくないのですが、最近は「風邪を引いた」くらいの感じで受け止めています。
そのうち、がんよりも風邪の方が心配になるようになるかもしれませんが。

もっとも同じ世代でも相変わらず元気いっぱいの人も少なくありません。
今朝もその一人から、今日の夕方会えないかと連絡が来ました。
残念ながら今日は目いっぱい予定が入っていてだめなのですが、近いうちに会おうと思います。

もっとも、元気であろうと病気であろうと、いずれにしろ「現世」からはそう遠くない時期に旅立つという点では共通しています。
それが、意識しているかどうかとは関係なく、生活行動に表れてくるように思います。
私だけかもしれませんが、現世の先が少しずつ感じられてくるということもあります。
いずれにしろ、考え方が変わってきます。
自分の生きてきたあかしを確認するかのように、友人に会いたくなる人もいるようです。
最近、時々、そうした人が訪ねてきます。
私も、以前、そういう気になったことがありますが、いまはあまりありません。
また「向こうの世界」で会えるだろうという感じが強くなってきているからです。
それに、現世であったところで、何を話すのか。

同世代の人の生き方を見ていると、自分を見ているようなことも少なくありません。
人は「たくさんの自分」を持っていますが、私が選択しなかった自分を生きている人もいれば、自分には気付かなかった生き方をしている人もいます。
さて、私の生き方は、同世代の人にはどう映っているのでしょうか。

いや、なによりも、彼岸にいる節子にはどう見えているでしょう。
そう思うと、ますます素直な自分を生きないといけないなと思います。

と、ここまで書いてきたら、今、電話がかかってきました。
元気いっぱいの人がやはり今日、会いたいというのです。
なんとか時間を調整して、ちょっとでもあわなければいけません。
こうしたことを怠って、ついに会うことがかなわずに、先だった人のことは、今でも後悔しています。
誘われたら会わなければいけません。
何やら矛盾したことを書いてしまったような気もしますが、まあそれがこの世代の特徴かもしれません。

■4143:弱さと強さは、コインの裏表(2019年3月18日)
節子
今日は3組の人とのミーティングでした。
それぞれにかなり深刻な問題を抱えている人たちです。
それも、自らも含めて周辺の人たちの生き方にも関わるような問題に取り組んでいる人たちです。
問題の性格は、3組とも全く違いますが。

3組ともというわけではありませんが、最初の人と最後の人は、いろんな意味で自分の思いしか見えていないような気がします。
いずれも以前から付き合いのある人ですが、わが道を行くというタイプですが、そのスタイルはむしろ真反対です。
一方は一匹狼的な実践者、もう一方は組織のリーダーです。
いずれとも2時間ほど話しましたが、形は違うものの「自分だけで生きている」ような感じがあります。
ひとりだと結構大変だろうなと思いますが、信頼できる仲間を2人はつくらないと大きなパワーは出てこないといっていますが、それが難しい。

もうひと組みは今回、偶然に会った人たちです。
その前に、その中の一人と1時間ほど2人だけで話す機会がありました。
私の生き方を少しだけ話させてもらいました。
それに反応してくれました。
初対面でも、心が通じ合えるような気がして、なにかとてもうれしい気分になりました。
私が元気なのは、「自分だけで生きている」のではなく、いろんな人に弱味を見せながら、支えられているからでしょう。

今ちょっと困っていることがあることをフェイスブックに書いたのですが、その人は私が頼みもしないので、私を助けてくれると別れる時に行ってくれました。
弱味をさらけ出せば、誰かが助けてくれる。
弱い人ほど、何かができるのかもしれないと、改めて気づきました。
私が今も、ささやかに社会とかかわりを持てるのは、私が弱い欠点の多い人間だからなのでしょう。
今日会った、最初と最後の人は、強い人間でパワーもあるので、それがきっと弱さになって苦労しているのかもしれません。

弱さと強さは、コインの裏表です。

■4144:幸せそうな花屋さん夫婦(2019年3月19日)
節子
わが家から我孫子駅に行く途中のビルの一角に小さな花屋さんがあります。
節子が外出できなくなってからできた花屋さんなので、節子は知りませんが、1坪ほどの小さな花屋さんです。
節子の献花に来てくださった方に、ミニバラの鉢をお礼にさし上げた時期があったのですが、そのミニバラはその花屋さんに頼んで入荷してもらいました。
残念ながら、その花屋さんは間もなく閉店しましたが、すぐに別の方が同じような花屋さんを開店しました。
場所の関係もあって、たぶん維持するのは難しいと思っていました。
お客様が入っているのを見たことがありません。
だからきっとまたすぐに閉店ではないかという気がしていました。
わが家も、ミニバラ以降は、時々、ほとんど買いに行ったことはありません。

ところが、もう10年近くになると思いますが、いまもお店は続いています。
最初のころは女性の方が一人でやっていましたが、数年前から男性の方が一緒にいます。
たぶんご夫婦でしょう。
私よりも2まわりほど若いご夫婦です。

私が朝、駅に向かう時に、たぶん旦那さんの方が仕入れた花を自動車からおろしているのを見かけることがあります。
おふたりで花を並べたり、店内でお花の手入れをしたりしている姿も時々見ます。
奥さんがはじめて、会社を定年退職した旦那さんが手伝っているのかなと、勝手に想像しています。

あまり話している姿を見たことがないのですが、一緒に作業している姿を見ると、とても幸せそうな雰囲気が伝わってきます。
ちょっとうらやましいです。
まだ私は、お2人に話しかけたことはありませんが、豊かな人生なのだろうなと思います。
私には、もうやってこない「幸せ」です。

勝手な想像では、この花屋さんのお店は、金銭的には赤字ではないかと思います。
でも、視野を広げれば、たぶん大黒字なのではないか。
そして、それがきっと長い目で見れば「金銭的」にも黒字になっているはずです。

私は会社を辞めてから、仕事は「お金がかかること」と考えるようになりました。
お金がかかっても、もっと大きなものを得ることができる。
花屋のお2人は、きっとそうした「仕事」をされているのだろうなと思います。

節子がいたら、そうした仕事を人生の最後まで一緒にやりたかったのです。
そういう仕事は、一人ではむずかしい。
それがとても残念です。

■4145:孫と一緒に墓まいり(2019年3月20日)
節子
昨日はちょっと畑をがんばりすぎました。
夕方から体調に違和感があり、ダウンしてしまいました。
すぐに熱いお風呂に入り寝てしまいました。
それでなんとか今朝は復調しましたが、違和感は残っています。
そんなわけで昨日はお墓にいけなかったのですが、今日、孫が来たので、孫もつれてお墓に行きました。
母親のジュンは、工房でスペインタイルの教室をやっていたので、その合間にユカに連れて行ってもらったのです。

今回は、線香をあげるのと水をやるのと、にこもやるといって手伝ってくれました。
節子は見ていたでしょうか。

体調はまだ正常ではないですが、明日は回復するでしょう。
歳にはどうも勝てそうもありません。

■4146:時代の変化についていけなくなってきています(2019年3月21日)
節子
やらなければいけないことがどうもありすぎて、整理できずにいます。
以前は、こういう状況が大好きでしたが、対応力が低下してきているようです。
その状況を象徴するように、パソコンの周りは混乱しています。
そうした理由の一つは、たとえばネット環境の変化についていけていないこともあります。

たとえば、最近、このブログやあるいはホームページのプロバイダーの事情で、ルールが大きく変わりました。
このブログに関していえば、一昨日にもまた変わりました。
その案内はもらっていたのですが、読んでおらず、対応できていないことに昨日やっと気づきました。
そうした変化についていけなくなっているのです。
昨日は写真をアップするのに手こずってしまいました。

ネット通販でもミスが続いています。
最近、書物はネットで購入することが多いのですが、いつものように頼んだつもりが、なんと書籍代よりも高い送料を請求されてしまいました。
もちろん私のミスなのですが、なんだかすっきりしません。

メールの文字ミスは今なお多いです。
そのため相手に迷惑をかけることも少なくありません。
今日もなかなか返事が来ないなと思っていたら、文字転換を間違えて送っていたため、相手にうまく伝わっていなかったことが判明しました、
困ったものです。

それにこの挽歌も、どうも愚痴めいたものが多くなってきているような気がします。
今の状況では、タイトルを「節子への愚痴」に変えた方がいいかもしれません。
いや「節子の耳はロバの耳」でもいいかもしれません。

春の到来は気分を変えてくれるでしょうか。
東京は、今日、桜の開花宣言が出されました。
しかし風の強い日です。

■4146:血圧のせいかもしれません(2019年3月21日)
節子
最近、酢たまねぎをさぼっていました。
どうもその影響が出てきているのかもしれないと、気づきました。
つまり高血圧の影響で、あんまり頭がすっきりしないのかもしれません。
気が付いたのは今日の夕方です。

降圧剤を飲まなくなってから、もう2年近くたちます。
最初はそれなりにいろいろとやっていましたが、最近は最後の酢たまねぎまでやめてしまっていました。
畑作業もめったにしなくなったので、これも影響しているかもしれません。
今さら降圧剤を飲む気にはなれませんが、明日からまたそれなりに対策に取り組もうと思います。
まずは血圧を測ることからですが、まあ今日は測るのをやめましょう。
面倒ですから。

そう思いついた途端に、身体は不思議と反応します。
手にしびれを感じ、頭の後ろが何となくもやもやしてきました。
まさに、病は気から、です。

今日は、のびのびにしていたホームページの更新をしようと考えていましたが、それもやめて、もう眠ることにしましょう。
明日から、血圧対策復活です。

■4147:結婚の立会人としてのアドバイス(2019年3月22日)
節子
久しぶりにMさんとゆっくり話しました。
私たちが結婚の立会人をやったMさんです。
最近なかなか会う機会がなかったのです。
いろいろ話して2人が合意したのは、「お互いに全然変わっていない」ということでした。
良くも悪くも変わっていない、ということです。
いささか自嘲の意味を込めて。

忙しいのに、なぜか経済的な収入はなくて、Mさんは最近は半分以上が対価のない仕事になっているというのです。
奥さんも最近仕事をしていますが、なぜか利益につながっていないようです。
それで結婚の立会人として、アドバイスしました。
「それが正常なのだ」と。
私など、半分どころかほとんどすべてがそうだと、元気づけました。
そもそも「お金」のために仕事するのは、不自然ですから。
仕事をした結果、お金が入ってくるのは歓迎すべきです。
そのお金が入ってこないのは、子供の教育費がかかる時期には大変かもしれません。
しかし、お金をかけた教育が子供にとって良いことかどうかはわかりません。
とまあ、こんな話をしたのですが、こんな考えの人に結婚の立会人を頼んだのが不幸だったと思うしかないでしょう。
困ったものです。

そのMさんにまたお金にならない仕事を頼んでしまいました。
ますます困ったものです。
でも快く引き受けてくれました。

それとともに、今日は思いもかけなかった話を聞きました。
Mさんは、いつか僧籍か神職を得たいと思っているのだそうです。
仕事を辞めた後、誰かの役に立ちたいというのが、その理由です。
意外な話でした。
Mさんは教会で結婚式を挙げたのですから。

■4148:鳥は死霊の使い(2019年3月23日)
節子
昨日と一変して、今日はまた冬に戻ったようです。
昨日は20度を超えていましたが、今日は10度以上、気温も下がるようです。

今日は湯島で「万葉集」のサロンです。
少しは予習しておこうと斎藤茂吉の「万葉秀歌」を読もうと書棚や書庫を探したのですが、見つかりません。
代わりに、ちょっと視点の違う梅原猛や李寧煕の本などがいろいろ出てきました。
いずれも古い本ですが、懐かしい本です。
今日のサロンでは額田王作とされる有名な「熱田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ漕ぎ出でな」の歌をとりあげるかもしれないと聞いていたので、その関連の記事を読もうと思っていたのですが、間接的にですが、それを取り上げていた本がありました。
梅原猛さんの「さまよえる歌集」(1974)です。
それを読んでいたら、こんな文章が出てきました。

古代人にとって鳥はそのようなものではない。鳥は何よりもまず死霊の使いであり、あるいは死霊そのものですらあった。

節子が、「また鳥や花になって時々戻ってくるから」といっていたのを思い出しました。
古代においては、植物もまた人間の霊が宿る存在でした。
節子がそんなことを知っていて、この言葉を残したわけではないでしょう。
現世を離れる前になって、たぶん鳥や花への転移を感じたのではないかと思います。
節子が「蝶」ではなく「鳥」を選んだのがどうも不満だったのですが、こういうわけなら仕方がありません。

梅原さんの本には、こうも書かれていました。

古代人にとって、鳥と蝶とは大変近い関係にあるものである。
どちらも羽があり、それは遠い霊の国からとんでくるものと信じられていたのである。

ポイントは羽なのです。
黄泉の国にしっかりと根付いた植物と、そこから自由に飛翔する鳥や蝶。
彼岸の生活は、なんだか楽しそうです。

ちなみに、「熱田津に・・」の歌についての梅原さんの解釈は通説とは全く違います。
新羅に向けての勇壮な旅立ちの歌ではなく、軽皇子を悼む哀傷の歌だといいます。
さて、今日のサロンで升田さんはどういう解釈を示すか。
興味が高まります。

■4149:生命力の衰え(2019年3月24日)
節子
昨日のサロンでの「熱田津に・・」の歌の升田さんの解釈は、大学教授らしい正統派的で、しかも控え目の解釈でした。
まあ総論編だったので、あまり議論を広げることを自重したのかもしれません。
それに参加者の情報レベル−もさまざまなので、そこもきっと配慮したのでしょう。
そこがサロンでの話し合いのむずかしさなのですが、同時に、そこにこそ、サロンの面白さがあるのです。
なまじっか知識があると面白い話し合いは生まれにくいのです。

今日もまたサロンです。
先日話題になった腎臓透析を医師の「アドバイス」で中止して死亡した患者の報道を読んで、サロンをやりたくなって呼びかけた「生命とはだれのものか」を話し合うサロンです。
残念ながら参加者が一人だけしかいないので、中止しようと思いますが、その前に認知症予防関係の集まりがあるので、いずれにしろ朝から湯島です。
いささかいろんなことをやりすぎて、時間破産や思考破産に陥りますが、百姓的生活を志向している生き方としては、それなりに満足できる生き方なのです。
ただし、人との付き合いが多いと、いろいろとストレスも多いです。
昨夜もちょっと「うれしい」一方、「ストレス」を感ずる長電話がありました。
こういう生き方は退屈しませんが、精神的にはだんだんストレスを感ずるようになってきました。
生命力が衰えてきているのでしょう。

ちょっと懸念していた体調は回復しました。
しかし生命力と同時に、身体もまた衰えてきていることは言うまでもありません。
自らの限界を知るべき歳になってきたようです。

■4150:不忍池の骨董市(2019年3月24日)
節子
久しぶりに上野の不忍池の骨董市を通りました。
先日、そこに行った友人からメールがあり、思い出したのです。
節子がいたころは時々立ち寄りましたが、節子がいなくなったからはすっかりご無沙汰です。
というよりも、そもそも湯島の帰りに不忍池を通ることがほとんどなくなったのです。
節子は骨董市のようなものが好きでしたので、時々付き合わされました。

節子は、陶器市や骨董市が好きでしたので、よく付き合いました。
私は最初は面白いのですが、すぐにあきるので、あんまりいい同伴者ではなかったでしょう。
不忍池から湯島のオフィスに行く途中にも、陶器のお店やちょっと面白そうなインテリアのお店がありました。
そういうところにも、時々付き合わされました。
そうしたお店は、節子が湯島に来なくなってからは、全くいかなくなってしまいました。
節子がいなくなってからは、私の生活も多様さを欠いてきているようです。
節子と一緒に歩いていると、私には気付かないことをいろいろと気づかされることも多かったです。
同じように、節子もまた私と一緒にいることで、たくさんの人生の寄り道をしたはずです。
ひとりで生きるよりも、伴侶を伴って生きることの方が人生が豊かになるのは、そうしたことの影響かもしれません。
しかし、時にそれが制約的になってしまうこともあるでしょう。
物事には常に両面があります。
夫婦よりも独り身の方が、豊かな人生になることもあるでしょう。
そういう人は私の周りにもたくさんいます。
ただ、私の場合は、幸か不幸か、伴侶のある生き方を選ぶことになりました。
そしてその伴侶がいなくなった。
その状況変化に、いまだに対応できていないのかもしれません。

不忍池の骨董地は、久しぶりに立ち寄ったのですが、場所も少し変わっていたのと、外国の人が多いのに驚きました。
うまく説明できませんが、雰囲気はかなり変わっていたような気がします。
出品されている商品も、ちょっと変わっていたような気がしましたが、何か興味をひくものは見つかりませんでした。
そのため通り過ぎるだけで、立ち止まることはありませんでした。

ちょうど花見の季節なので、不忍池の周りも混雑していました。
今日は日曜だったせいもあり、また桜も咲きだしたこともあり、人でいっぱいでした。
こうした人ごみを一人で歩くことは、最近はめったにありません。
どうしても早足になってしまう。
きっと周りのリズムとは違っていたでしょう。
そのせいか歩きにくかったですが、それはまるで生き方において、最近、生きづらくなったのと同じような気がしました。

上野公園の桜もだいぶ咲き出してきました。

■4151:知の衰え(2019年3月25日)
節子
昨日、生命力や体力の衰えを感じてきていることを書きました。
しかし、衰えはそれだけではありません。
認めたくはないのですが、知力の衰えもまた否定できません。
それは、「名前が出てこない」とか「物忘れが多くなったとか」、そんなレベルの話ではありません。
ひらめきというか、論理を超えた理解力というような、知の活動力の時空間がなんとなく生き生きとしていなくなったという感じです。
後で考えると、なんでそんなことに気づかなかったのかと思えることが増えてきている気がします。
それと時間感覚がどうも躍動的ではありません。
時間の流れがいかにも遅い。
いや逆に言えば、自らの時間感覚が緩やかになってきているために、時間のたつのが速いのです。
自分が時計の時間に追いついていけないのです。

こうしてみんな土に戻っていくのでしょうが、生命の時間とは違う時間感覚が生まれだしているといってもいいかもしれません。
それを「知の衰え」と言うか、「知の熟成」と言うか、物は言いようですが、もし「自分」という存在があるのであれば、明らかに、その「自分」の時間は歩みをゆるめています。
逆説的ですが、だから時の進みがとても速い、あるいは時間の密度が粗いのです。
それが、最近の充実感や倦怠感にもつながっているのかもしれません。
しかも、そうしたことが下方向きのらせん状に起こっている感じなのです。
まあ、そういうことが「生命力」の衰えというのでしょうが。

こういう意識を強めているのは、半年くらい前からです。
残念ながら、知や生命の衰えをカバーしてくれるものはありません。
むしろ抗うことなく、静かに対応していくのが一番いいでしょう。
それが人生を熟させていくことなのかもしれません。
強さとは違うしなやかさは、そこから生まれるのかもしれない。

この1週間、ある小論を何回か読んでいます。
しかし、その小論からうまく著者のメッセージを汲み取れないでいます。
知識や情報の不足のせいでは、たぶんないでしょう。
しかも、そんなに難しい文章でもない。
にもかかわらず、書き手の思いがどうも理解できないのです。
そして、それを読んでも自らの思いを育てられない。
短い論文なのに、何回読んでも汲み取れない。

知の衰えを感ずるのは、当然とはいえ、少なからずの衝撃です。
春になったら、知力は戻ってくるでしょうか。
成熟した知になって。

■4152:椿(2019年3月26日)
節子
どうも寒さが戻ってきてしまったようです。
天気予報ほどには温度が上がらず、なかなか春を感じません。
昨年は、今頃はもう近くのあけぼの山は桜が咲いていたのですが。

節子がいなくなってからわが家の庭はいささか悲惨な状況になっています。
サクランボの木をはじめ、いくつかの木が枯れてしまい、つつじも全滅です。
池は荒れ放題で、裏のバラは伸び放題。
困ったものです。

昨日、ユカがその荒れ果てた中から大きな花をさかせている椿を見つけました。
私も見たことのない椿の花です。
別のところに別の椿は咲いていますが、この椿は記憶にありません。
私やユカよりは庭の花木のことを知っているジュンに聞いたら、ジュンもこんな花はなかったはずだといわれました。
鳥が持ってきてくれたのかもしれません。
椿の生命は鳥によって守られているというのは私も聞いたことがあります。
なぜ気づかなかったかと言えば、別の木の葉の茂みに隠れていたからです。
いかにわが家の庭が荒れているかがわかってしまいます。

ユカがその椿の花を2輪活け花にして、節子に供えました。
15センチ近い大輪の花は斑入りです。

今朝も元気に咲いていたのですが、私の目の前で、一輪が「バサッ」と音を立てて突然落ちました。
椿は別名「首切り花」とも言われます。
花弁が1枚ずつ散っていくサザンカと違い、花ごとポトリと突然に落ちるのです。
これには意味があるのですが、近世では、そのため椿は縁起の悪い花といわれるようになりました。
しかし、古来、日本では、椿は魔除けの力を持つとされていました。
それに、椿の葉は厚く艶やかなので生命を感じさせ、古代では神の依代となり春の訪れを告げる木とされていたとも言われています。
そもそも椿(つばき)の語源は「艶葉木(つやばき)」から来ているそうです。
私は椿は好きですが、最近はあまり人気がないようです。
椿の花が落ちている風景も私は好きですが、枯れていくさまが汚いと思う人もいるのでしょう。
椿には、生の象徴も死の象徴も宿っているのです。

ところで昨日見つかった椿の花は斑入りです。
図鑑で調べましたがよくわかりません。
蜀紅のような気もしますが、葉の形が違います。
雪椿ではないかと教えてくれた人もいますが、椿にはたくさんの種類があるので、よくわかりません。
今年はもっと暖かくなったら、庭の手入れを始めようと思います。

■4153:高月町井口の円満寺阿弥陀堂の十一面観音坐像(2019年3月26日)
節子
先日、骨董市のついでに、すぐ近くの長浜観音ハウスに寄りました。
節子の生家の高月町の円満寺の阿弥陀堂の十一面観音など5つの仏が来ていました。
先日お会いした「いも観音」とは、まったく違う感じです。
円満寺も私たちは行ったことがありませんでしたので、今回の十一面観音にも私は初めてお会いしました。
実に端正な仏です。

円満寺の阿弥陀堂には近隣の日吉山王二十一社から仏たちが集められているようですが、中にはもしかしたらどこかで見たことのあるような仏もいました。
今回は、5体が展示されていましたが、写真でも感ずるように、何となくおかしな組み合わせで、ちょっと違和感がありました。
十一面観音坐像だけのほうが、きっと感ずるものが強まったような気がします。

高月町界隈には、己高山仏教・十一面観音信仰というのがあったようで、もし節子が元気でいたら、いつか一緒に調べてみたいと思っていました。
己高山のふもとには何回か行きましたが、行くたびに雰囲気が変わっていて、不思議な深みを感じさせるところでした。
この挽歌でも前に書いたことがあるかもしれませんが。

節子が元気だったころにそこの道を歩いていた小さな沢蟹を捕まえて自宅に連れてきたことがあります。
しばらくして戻ってしまいましたが、なぜ道の真ん中を一匹だけ私に出会うように歩いていたのか不思議でした。
次に行ったときには、沢蟹に会うどころか、なんだかきれいになりすぎて、仏を感じませんでした。
おそらくもう行くことはないと思いますが、それにしても今回拝顔した十一面観音は丸顔なのに気高さを感じます。
四方から拝めるスタイルでしたので、後と横からも写真を撮らせてもらいました。

小さな像ですが、渡岸寺の観音よりも聖なるものを感じるような気もします。
いや、それは私の最近の心の表れかもしれません。
仏は、観る人の心の状況で表情を変えますから。

期間中のもう一度、拝顔して、それを確かめてみようと思います。

■4154:迷い(2019年3月27日)
節子
春らしい陽光が降り注ぐ気持ちのいい朝です。
にもかかわらずどうもわくわくする気分が出てこない。
なぜかといえば、最近少し迷いがあるのです。
やはり人生の第3期が長すぎたのかもしれません。
いまは惰性で生きているのではないかという迷いです。

収入を伴う、いわゆるビジネス的な仕事を辞めてからもう15年ほどになります。
にもかかわらず、なぜか会社を続けてきました。
ビジネスもせず、ほとんど収入もないのに、惰性で会社を続けてきたわけです。
ある意味では、それが私のよりどころだったのかもしれません。
会社は、そして一応、そのオフィスである湯島の部屋は、私と社会とのつながりを維持してきてくれました。
だからこそ、今の私があるといえるでしょう。

しかし、どうして会社を続けてきているのかは、明確な答えがあるわけではありません。
会社やオフィスを持続するにはそれなりの費用も関わりますが、その費用が会社やオフィスから捻出できるわけでもありません。
最近、会社の継続手続きをしなかったために(知らなかったのですが)、過料請求を受けました。
また会社の椅子なども30年もたつと壊れだしてきていて、それを買い換えるとなると50万近くかかります。
椅子はある人が一部負担してくれるといっていますが、果たして買い替えても、いつまで湯島の活動を続けられるかはわかりません。
購入費用を負担してもらえば、勝手に湯島をたたむこともできなくなります。
湯島は一応、所有しているのですが、管理費などが毎月3万円ほどかかり、そのうえ、固定資産税などの負担もあります。

昨年までは、この湯島の活動を持続し、場所も保持しようと思っていたのですが、最近は、購入したいという問い合わせが多いのです。
オリンピックのおかげかどうかわかりませんが、かなり高額で売却できそうです。
いま売却すれば、借金は解消し、手元にも数百万円残ります。
湯島に行って仕事などしなければ出費もなくなりますし、時間にも余裕ができます。

最近、体力も気力も弱っているせいか、湯島を売却して、娘たちへの借金を返し、あとはのんびり過ごすのもいいのではないかと思いだしました。
こんなことを考えるようになったのは今年に入ってからです。
それまではむしろ新しい事業を始めようとか、会社まで作ろうかというような気分だったのです。
どこでどう変わったのかは自分でも明確にはわからないのですが、まあこの1〜2か月の間です。
貯金が底をつきだしたこともあるかもしれませんが、それだけではありません。
会社をやったりオフィスを持っていたりすると、いろいろと面倒なことが起きるからです。
人の嫌な面を見ることも少なくありません。
もちろん、人の良い面を見ることも少なくないのですが、心に残るのは嫌なことのほうなのです。
これも生命力の弱まりのせいかもしれません。

湯島をたたんで、隠棲にはいる潮時かもしれません。
そんな迷いの一方で、新しいプロジェクトの誘いに心を動かしてしまう自分がいる。
人は、死ぬまで迷い続けるのでしょうか。
孔子は本当に不惑を迎えたのか、なぜ私は不惑から抜け出られないのか。

春を超えるころには、迷いからも抜け出られるといいのですが。

■4155:人が好きなのか嫌いなのか(2019年3月27日)
節子
一人で生きていける人と一人では生きていけない人がいます。
今日、お昼を一緒に食べた若者は、家族とはほとんど付き合いがないそうで、驚きました。
一人でも全くさびしくないと言っていました。

ところで、私が今日気づいたのは、一人で生きていける人ほど知人友人と一緒に行動している人が多く、一人でいる時間はむしろ少ないのではないかということです。
逆に、私のように、一人では生きていけない人間は、知人友人と行動を共にすることは少なく結果として一人でいる時間が多いのではないか。

いささかややこしい物言いですが、こういうことです。
私は誰かとお酒を飲んだり一緒に旅行に行ったりすることはさほど好きではありません。
しかし、「いまここに」ではなくとも、いざとなったら私を全面的に受容する人の存在を実感できないと不安がつきまといます。
そういう存在があれば、一人でいることも苦痛ではありません。
行為は一人でやるが存在は一人ではないという実感が持てるといってもいいかもしれません。
四国遍路の同行2人という感じでしょうか。
私にとっては、いうまでもなく、それは節子なのですが、別に現世に存在しなくとも大丈夫です。
そう思えるようになったのは、つい最近なのですが。

私は、人が大好きだと思っていますし、事実、2〜3日、誰とも合わないと誰かに会いたくなります。
しかし、本当は人間嫌いなのではないか、という思いもいつも心のどこかにある。
人に会うと、いろんなことが起こり、頼まれてもいないことをしたくなってしまう。
いや、したいわけではなく、「知ったことの責任」が発生し、自分でできることを探してしまう。
若いころは、それなりにできたのですが、いまは「思う」だけで、なかなか実践につながらない。
そうなると負担感がどうしても残ってしまう。
もしかしたら、そうした負担感を補償するように、最近は、人に「利用」されているのかもしれないと思うことが増えている気がします。
かつて何人かの人たちに、利用されているんじゃないかと注意されたこともありますが、最近、やはりそうだったのかと思うこともすくなくありません。
事実、それなりの被害も受けていますが、最近はそれを心静かに受容できなくなってもいます。
普通の人とは、反対かもしれません。

今日会った若者は、家族とはつながっていないのに、明るい顔と声をしていました。
若さのせいでしょうか。
最近、どうも生きることへの迷いが生まれてしまっています。
困ったものです。

■4156:第4期への移行(2019年3月28日)
節子
第4期に移行することに決めました。
やはり決断が遅すぎました。

私は四半世紀単位で生き方を変えようと、会社を辞める時に決めました。
ちょっと「短い四半世紀」の子ども時代と学生時代を社会に育てられ、次の「ぴったりの四半世紀」を会社人として暮らし、平成元年に社会人として生きる「長い四半世紀」を過ごしてきました。
節子が元気だったら、3番目の四半世紀も25年にしたかったのですが、25年過ぎてもだらだらと同じ生き方を続けてきました。
心の揺らぎが出てきたのは今年に入ってからですが、この1週間で、心境が大きく変わりました。
昨夜から今朝にかけて、半分眠りながら考えた結果、平成も終わる今年こそが「長い第3四半世紀」を終わるのにふさわしいと思いだしました。
それにいささか今の生き方にも疲れてきました。

湯島のサロンも6月で終了を考えたいと思います。
せっかくいろいろと面白い動きも出てきたところですが、場所を維持するのも大変になってきました。
時間をかけて、CWSコモンズ村を育て、部屋もシェアしていきたかったのですが、またまた挫折する結果になってしまいました。
しかし、人生には「潮時」というのがあるのでしょう。

会社は事実上、活動していませんが、遅くも来年には収束します。
いま取り掛かっているプロジェクトの関係で、しばらくは形式的に存在させておく必要があるからですが、できるだけ消えるようにしていこうと思います。
平成と共に始まり、平成と共に終わることにしなりました。

第4期をどういう生き方にするかは、いろいろと考えていますが、うまくまだ整理できません。
会社を止め、サロンを止め、仕事も止めるので、今以上にお金は不要になりますが、人と会わない生き方が、私にできるかどうかは心配です。

頭の中だけで考えているとまただらだらとしかねないので、節子には報告しようと思い、挽歌に書きました。
友人たちにはどう説明しようか、少し頭が痛いです。

第4期は、湯河原ではなく、我孫子の場を選ぶことにしました。
これは「たぶん」ですが。

■4157:惰性から抜け出すむずかしさ(2019年3月28日)
節子
今日は久しぶりに手賀沼のほとりにある水の館に行きました。
そこに市役所の環境関係の部署の事務所があるのですが、そこの友人に会いに行ったのです。
これまでもいろいろとお世話になった方です。
我孫子での活動を少ししっかりと取り組もうという思いもあって、一緒に取り組みつつある若い友人と一緒に雑談に行ったのです。
水の館は、節子が元気だったころ、何回か行きましたが、中身はどんどん変わってきています。
思い出せば、ここにもいろんな記憶があります。
水の館の周辺も大きく変わってきていますが、節子がいなくなってから、我孫子市内もあまり行動しなくなったことに気づきました。
毎年来ていたあやめ園もなくなりましたし、手賀沼沿いの散歩道もきれいになりました。
節子が病気になったころは、リハビリを兼ねて、毎朝サイクリングに来たり、散歩に来たりしていましたが、この10年以上、湖岸沿いの道を歩いたことはありません。
私自身の行動範囲が狭くなってしまっているのです。

用事が終わった後、一緒に行った若い友人と水の館の中にあるカフェで少し話しました。一緒でした。
彼に、サロンをやめようと思うと話したら、いつかいま取り組んでいることをサロンで話したかったのにと言われてしまいました。
こう言われてしまうと決意は揺らぎます。
そういえば、私も彼にいつか話してよと頼んでいたのを思い出しました。
彼だけではなく、いろんな人にいつか湯島で話したらといってきています。
それなのに、今ここで、サロンをやめてしまったら、なんだかみんなを裏切ってしまうような気もします。
生き方を変えるということは、なかなか難しいものです。
いろんなことを考えてしまうと、人生はどうしても惰性に流されてしまいます。
特に私は性格的にそういう面があります。

会社に入った時のように、節子と結婚した時のように、会社を辞めた時のように、思い切って生き方を変えなくてはいけません。
若いころは、その断絶が私には魅力でした。
しかし、いまの私にそれができるかどうか、いささかの心配はあります。

生き方を変えたくても変えられずに、惰性で生きて、死んでしまう人は、きっと多いでしょう。
そうならないようにしなければいけません。

■4158:みんなの場所(2019年3月29日)
節子
また冬に戻ってしまったような寒い1日でした。
春になったら元気を出そうと思っているのですが、なかなかそうはさせてもらえません。
寒さは、どうも心身を縮みさせてしまうようです。

いまは不思議な時代です。
ネットのおかげで、日常の生活もパラレルワールドを生きているようです。
現実にある会話をしながら、ネットではヴァーチャルに別の人とチャットするということもできるわけです。
私はそこまでにはなっていませんが、実際のミーティングの合間に、ちょっとだけそこにいない誰かとやり取りすることはあります。
自宅のパソコンで仕事をしながらも、時々、気分転換にメールやFBをチェックしながら、まったく別のやり取りをするくらいは私にもできます。
そうしたやりとりの中には、うれしい話もあれば、気分が重くなる話もあります。
まあいってみれば、複数の生活を同時にしているというわけです。

そういう意味で、今日もまたいろんな人とのつながりがありました。
それに、新しい出会いもありました。
ネットの世界は、実に興味深いものがあります。
気になった人に思い出したようにメールをすると、それがきっかけで会うことになる。
同じような感じで、先方からメールが来ることもある。
別に何かがあったからではなく、お互いにそれぞれちょっと思い出しただけでしょう。

そのやり取りを通して、また「迷い」が出てきてしまいました。
そうしたやり取りの結果、会うことになると、湯島の効用が大きいのです。
先方から湯島に行くという連絡があることもあれば、私から湯島に来ませんかということもある。
湯島だと安心して会えるのです。
私が目指してきた「みんなの場所」という感覚が、自然とシェアされているような気がします。

数年も音信不通だった人が、突然に湯島を訪れてきたこともあります。
私が不在で、メモを残して帰った人もいる。
運よく私がいて、再開を果たした人もいる。
そういえば、私のホームページを見て、湯島を訪ねてきてくれた人が、私が不在で部屋がロックされていたため、私に読ませたい本を置いて行ったこともあります。
その人の連絡先が分からずに、まだお会いしていませんが、忘れたことはありません。

こうした「みんなの場所」を、維持できなくなったからといってなくしていいのか。

実は節子がいなくなった時に、湯島を閉鎖しようと思ったことがあります。
その時には、サロンの常連の数名が、残してほしいといったので何とか残しました。
そのおかげで、いまの私があるといえるかもしれません。
そう考えると、この場所は残しておきたいとも思います。

宝くじでも当たらないものでしょうか。
たぶんサロンの参加者に声をかけたら、湯島基金は集まるでしょうが、それができたらできたで、ますます私の生き方を切り替えるのは難しくなるでしょう。

悩ましい話です。
とりあえず椅子を買い換えるのはちょっと延期しようと思います。

■4159:「意味がない無意味」(2019年3月30日)
節子
「意味がない無意味」という書名に惹かれて、千葉雅也さんの本を読みました。
私にはなかなか消化できない内容の本ですが、どこかに惹かれるものを感じて、理解できないまま読み終えました。
理解できていないのですから、読み終えたというのは正しくはないのですが、
ただ、こうした消化できないまま何となく読み進んでしまうのも、私の読書法の一つです。
わからないままにも、断片的な刺激を受けて、何となく自らの考えを意味出してしまうという、おかしな読み方です。

本書にも気になる言葉がたくさんありました。
たとえば、「エビデンシャリズムの蔓延は一種の責任回避の現象」、「コミュニケーションの不可避な失敗」「行為の本質とは、「頭空っぽ性」」などという言葉には、思いを広げてしまいました。
また「荘子」に出てくるに「胡蝶の夢」の話も出てきます。
「胡蝶の夢」については、挽歌の早い時期に書いた記憶がありますが、死とは何か、生きるとは何かを考える深い示唆を感じます。

しかし、何よりも私が興味を持ったのは、書名である「意味がない無意味」という言葉です。
この言葉と合わせて、「意味がある無意味」も語られています。
また本書では語られていませんが、当然「意味がない意味」や「意味がある意味」という表現もできるでしょう。
そして、そもそも「意味」の主体はなんなのか、つまり「意味」とはだれにとってのものなのかも大切なテーマです。
この点は、本書では語られていませんが、視点を気まない「意味論」は、私にはまったく無意味に思えます。
しかし、そんなことを言い出したら、本書の意味が全く否定されかねませんが、それはそれとして、本書を理解できなかったことは棚に上げて、本書から刺激された思考は読後広がりだしています。
言い換えれば、本に書かれていないことを読んでしまうのが、私の一つの読書法なのです。

私の最近の人生も、そしてこの挽歌も、「意味がない無意味」を含む典型的なものかもしれません。
しかし、にもかかわらず、私にはとても意味があるのです。
というわけで、これからもこの挽歌を続けようと改めて思いだしました。

まさに今日のこの挽歌は、「意味がない無意味」な文章ですが、「意味がないこと」は「意味があること」だということを勝手に合点してしまったのが、この私には不得手な本を読んだ結果です。

ちなみに、また「荘子」も読んでみたくなりました。

■4160:今しかない人生(2019年3月31日)
節子
久しぶりにユカと一緒に湯島に行ったのですが、帰りに湯島天神と不忍池を通ってきました。
湯島は合格祈願のお礼参りで、また不忍池は桜の時期で、いずれもたくさんの人でした。
あれだけ各地の桜を見に行ったのに、なぜか節子と上野でお花見をした記憶がありません。
そんなはずはないのですが、私の記憶からすっぽりと落ちてしまっています。
湯島の梅は記憶にありますが。

湯島天神の梅も上野の桜も、年々、人が増えています。
それなのに、なぜかそこに節子がいないのは、奇妙な気もします。

途中だったので、先日も来た長浜観音ハウスに、また寄りました。
いま展示されているのは、先日も欠きましたが、高月町の日吉神社の十一面観音坐像です。
改めてまたしげしげと眺めてみたら、前回とちょっと表情が変わっていたような気がしました。
この数日の、私の心境の変化が影響しているのでしょう。
仏の顔は、観る人や拝む人の心次第です。

今日は午後から我孫子で用事があったので、上野は通るだけでした。
上野駅も混んでいました。
節子がいたころとは上野駅もかなり変わりました。
上野駅周辺も変わりました。
節子が来たら迷うかもしれません。

それにしても、節子と一緒に何回も上野を通ったのに、あまり寄り道をしなかったような気がします。
あのころは、まだ私自身が「仕事」に埋没していたのかもしれません。
そこから出ようとした、まさにそのタイミングで、節子のがんが発見された。
人生には今しかないのだと気づいたのは、私の場合、少し遅すぎました。
しかし、それは、過去の話ではなく、いまもなお、そうなのでしょう。

今しかない人生と来世を確信している人生。
矛盾するようですが、いずれも大切にしなければいけません。

■4161:「仕舞い方のほうにばかり気をとられていて」(2019年4月1日)
節子
久しぶりに半田さんが、私にある人を紹介したいと湯島に来ました。
半田さんは近くの大学の教授なので、すぐに会えるのですが、そのせいか、たぶん4−5年ぶりではないかと思います。

半田さんとは長い付き合いですが、私の友人ではただ一人、節子の病院にお見舞いに来てくれた人です。
しかも、私にも節子にも連絡なしどころか、実際には誰にも会わずに、お見舞いに来たという、いかにも半田さんらしいスタイルでした。

病院で寝ていた節子が目を覚ましたら、枕元に花が置いてあったのです。
見舞われた節子でさえ、気が付かなかったお見舞い。
いかにも半田さんらしいです。
以上は、私の記憶なのですが、節子が旅立った前後の私の記憶はかなりあいまいなので、事実とは違うかもしれません。
しかしこの話は、いかにも半田さんらしいので、たぶん間違っていないでしょう。

その半田さんのもう還暦で、後から来たメールにこんな一文がありました。
「最近は仕舞い方のほうにばかり気をとられていて…」
この言葉にハッとさせられました。
この1週間ほど、私もその方向に意識が向いています。
半田さんにも、そろそろ私も第4期に入ろうと思いだしていることは伝えていますが、ハッとしたのは、「ばかり」という言葉です。
あることばかりに意識が向くと、その肝心の「あること」を見損なうということは、私の体験知の一つです。
私自身が今、そうした落とし穴に陥りそうになっている。
それに気づかされました。

しかも、半田さんは、一緒に新しいプロジェクトに取り組みだした人を私に引き合わせに来たのです。
私まで巻き込んでくれるというのです。
そろそろ転居を考えているのですが、とその人には話しましたが、最後は引き受けてしまいました。
本当に転居はできるのでしょうか。
いささかの揺らぎが生まれてきています。
あまりにも偶然が続きすぎます。
まだ転居先の門が開いていないのでしょうか。
困ったものです。

■4162:転居への迷い(2019年4月2日)
節子
第4期に移ろうかという気分が起きてきた途端に、なぜかいろんな引き留めの力が動き出して様な気配があります。
これもたぶん自分の気持ちが揺らいでいるからなのでしょう。
困ったものですが。

昨日、半田さんと一緒に湯島に来てくださった方から、ある誘いを受けました。
依頼されたことは2日ほどで終わる簡単なことなのですが、その方と話していて、またいろんなことをしたくなってしまいそうなのです。
まもなく「転居」するかもしれないとはお断りしましたが、その方がお土産に人形町の清寿軒の大判どらやきを持ってきてくれて、ついついその場で食べてしまったのです。
食べてしまいましたらもう断れないでしょうという感じで、何となく引き受けてしまった次第ですが、実はその内容にはとても関心があるのです。
それにしても、清寿軒の大判どらやきはあんこが多すぎます。

それはいいとして、その方が取り組んでいるのは、生活哲学学会や家事塾です。
ちなみに「家事」と銘打っていますが、その方が構想しているのは「家政塾」のようです。
家政こそ経済であり政治であると考えている私にはちょっと関心があります。
その一方で、その活動の中心は中高年の女性だというところにいささかの懸念もあって、意見は食い違いそうな気配もあります。
かつて日本ヒーブ協議会の10周年総会での体験が思い出されるからです。
高度経済成長期に育った、現在社会で活動しているちょっと年長の女性たちには「家政」志向があるとは思えないのです。
しかし、だからこそ、そのプロジェクトに関心を持ってしまうわけです。

まあそれはともかく、なぜかこの数日、転居を妨げるようなことがいろいろと舞い込んできます。
さてさてどうしましょうか。

今日はまたもしかしたら違う意味で生き方に影響を受けそうな人と会う予定です。
さてさて。

■4163:東京にも空がある(2019年4月2日)
節子
東京には空がない、と高村智恵子はいったそうですが、私は東京の空をよく見ます。
湯島のオフィスに行く途中に、実盛坂という急な階段があります。
いつもその階段を上るのですが、その前に自然と空を見上げるのです。
ですから私はもう30年以上は(途中で3年ほど湯島に来られなかった時期は別にして)、東京の空を見てきました。
智恵子の見たかった空とは大きく違うでしょうが、東京の空も美しいのです。

湯島のオフィスからも空は見えます。
残念ながら以前に比べて、その空はだんだん小さくなってきていて、確かに部屋から見る空は智恵子が嘆くように、空がないと言いたい気分ではあります。
しかし、実盛坂の下から見上げる空はいつも美しい。

青くなくとも、私は好きです。
両側や階段の上にも高層ビルができてしまい、空の面積は狭くなってはいますが、時々、その青の美しさに見とれることもあります。

闘病中の節子も、この坂を登ったことがありますが、その時はたぶんお互いに空を見上げる余裕がありませんでした。
あの頃は、私の中からも空がなくなってしまった。

私がまた東京の空の美しさを思い出したのは、数年前です。
空もまた、自らの心によって、深さが変わってくる。

今朝の空は美しかったです。
もっと奥の人たちに、東京の空を見てほしいといつも思いながら、階段を登っています。
58段の急な階段です。

実盛坂を登ると、すぐ左側が私のオフィスのあるビルです。
たまにいますので、よかったら寄ってください。
運よく私が一人でいたら、コーヒーをご馳走します。
もちろん知らない人にも、です。
ほとんどの場合、私はいないか、あるいは接客中でお相手はできませんが、運がよければ、という話です。
運のいい確率は、たぶん宝くじよりは高いと思います。

湯島のオフィスがもう少し広ければ、そこに住んで、いつでもご接待できるのですが。
どなたか無償で住居を提供してくれたら、第4期はそんな生活でもいいかなと思いだしています。
たくさんの人に囲まれた、孤独な生活は魅力的かもしれません。

■4164:元気の素は使うほどに育っていく(2019年4月2日)
節子
新潟のYさんがいずに行く途中で湯島に寄ってくれました。
私とYさんとはちょっとエネルギー状況がクロスしているようです。
私のホームページで、私がちょっとエネルギーを低下させてるのを読んで、それが少し刺激を与えたようで、逆にちょっと前向きになったようです。
というか、私を元気づけたいと思ってくださったようです。

Yさんとは、長い付き合いで、Yさんから新潟に呼んでもらったこともあります。
どこかで通ずるものを感じた人との付き合いは、別に普段あっていなくても、切れることはありません。
新潟に行ったときにいつもご馳走になるので、たまにはと思って、お昼をご一緒しようと思っていたのですが、東京駅でおいしそうな懐石弁当があったからといって、わざわざ買ってきてくれました。
心遣いに感謝しなければいけません。

3時間ほど話をしましたが、Yさんも私もお互いから少し元気の素をもらったような気がします。
そして何か一緒にやるのもいいかなとふと思ったりしたのです。
Yさんは、私が過去に取り組んだことの「私の思い」を知っていて、それを何とか応援したいといってくださっているのです。
その企ては、見事に頓挫し、いまは私にはお荷物になっているのですが、それを引き受けてもいいというのです。
もしそうなら私も何かまたできることがあるかもしれません。
それで私はまた、現世滞在期間を延ばしたくなってしまいました。

これまでいろんなことをやってきましたが、誰かのためと思ってやったことはほぼすべて失敗です。
誰かのためなどという不遜な思いが、その原因です。
それでも、その時の私の思いを受け止めていてくれる人がいるということは大いなる喜びです。
そんな話が、最近少なからず起こっている。

やはり第4期への移行はもう少し延ばそうかと決心が揺らぎます。
こういうことを、世間では「未練がましい」というのでしょう。
困ったものです。

■4165:「湯島は今や、修君だけのものではなくなっている」(2019年4月3日)
節子
天皇の退位とともに改元されることになり、新しい元号が決まりました。
万葉集の大伴旅人の「梅花の宴」での歌からとった「令和」です。
世間はいままさに「令和」ブームです。
ここに込められた意味も考えずに、「ボーっと生きている人のなんと多いことか」、これはテレビ番組のフレーズですが。
まさに日本からは、私が考えている人間はどんどんいなくなっているようです。

大伴旅人の「梅花の宴」は、8世紀に大宰府で行われました。
大宰府と言えば、昔もしかしたら、私も住んでいたところです。
といっても、だいぶ前のことで、確実ではありません。
初めて大宰府を訪れて、政庁跡を歩いていたら、ふとここに住んでいたことがあるという思いが全身を覆ったのです。
前世を信ずる私としては、それで勝手にそれを信じただけですが。

私は基本的には元号を使っていませんので、影響はありませんが、今年になってふと「万葉集」のことが気になり、昭和女子大学で「萬葉集」の研究を(たぶん)していただろう、升田名誉教授にシリーズサロンをお願いし、先月そのキックオフサロンをしたところです。
そして5月から隔月で講座型サロンをスタートする予定です。
しかし、元号騒ぎからはじまった、にわか万葉集ブームのばかげた動きをテレビなどで見ていると、げんなりしてしまっています。
幸いに升田さんも同じ気分のようで、安堵しました。
私はそもそも「ブーム」が嫌いです。
そんな受け身の生き方は、私の信条には合いません。

しかし、升田さんとも相談して、そんな事故に影響されずに、万葉集サロンは継続することにしました。
というよりミーティング、湯島を閉じてサロンもやめようかとちょっと思っていましたが、逆にこの件で、サロンも続け、湯島も続ける気が出てきました。

升田さんは、メールでこう言ってきました。

湯島は今や、修君だけのものではなくなっている感じ。
なんといっても何かの依り所としている人がとても多い。
でも、それもサロンを開く意味の一つなのでしょう?

実は私も少しそういう感じがしています。
人はやはり一人では生きていないのです。

それにしてもこの数日、あまりにもおかしな力が私に降り注いできているような気がします。

■4166:「会う」ことが「別れ」を意味する(2019年4月4日)
節子
80代後半のいとこが亡くなりました。
2階の自室でパソコンをしていたそうですが、食事になっても降りてこないので、奥さんが呼びに行ったら脳梗塞の意識不明状態の手遅れだったそうです。
こういう逝き方は、客観的に考えれば、本人にも苦痛もなく、遺族にも一時の悲しみしか残さない、潔い逝き方にも感じますが、本人や遺族にとってはどうでしょうか。
どう考えればいいか、少し悩みますが、ただただ冥福を祈るだけです。

私のいとこたちもいずれも70歳を超し、いつどうなってもおかしくない歳になりました。
何人かとは時々会いますが、そうめったに会えるわけではありません。
みんなに声をかけて、一度、会おうかという話もありますが、遠く離れている人や最近ほとんど音信のない人、あるいは入院や施設入居の人もあり、実現していません。
元気な男性たちで今年も旅行を予定していますが、考えてみると、これはある意味での「別れの旅」でもあるのです。
来年が保証されているわけではないからです。
いやだからこそ、誰かともなく、旅行の話が出てきたりするわけです。
今年も、今月、旅行を予定しています。

「会う」ことが「別れ」を意味するというのも、この歳ならば、こそです。
最近湯島にいろんな人が来ますが、そうした人と会っていて、これは私への「別れ」の挨拶なのだとなんとなく感ずることもあります。
もちろん本人はそんなことなど考えてはいないでしょう。
しかし、人は自らの意思で動いているわけではありません。
意思とは無関係に、人は動くものなのです。

「会う」ことが「別れ」を意味するという意識は、最近では失われているかもしれません。
今は遠く離れていても、電話やネットで容易につながれるからです。
それにそもそも、生きることが容易になってきていますから、明日もまた生きているとみんな確信していて、死とは無縁の生き方をしている人がほとんどです。
だから、また次に会えるとだれもが確信して生きているわけです。
しかし、死はいつ訪れるかもしれません。
この歳になると、そういうことが少しわかってきます。

だからといって、誰かと会うたびに、これが最後だなどと思っていたら、やっていられません。
元気なのに突然逝ってしまうことがある。
そのことは、意識しておかなければいけません。
他者も自身も、です。

今日は時間があるので、桜でも見に行こうと思います。
こういう気のなったのは、本当に久しぶりです。

■4167:ユカといつもの場所で桜を見ました(2019年4月4日)
節子
あけぼの山にユカと一緒に桜を見に行きました。
気のせいか、あけぼの山の桜も節子と一緒に来ていたころとは「勢い」が違っています。
以前はもっと元気に咲いていたような気がしますが、どこかさびしさがあります。
桜もまた、人の気持ちを映すのかもしれません。

以前は両親も含めてにぎやかなお花見でしたが、今回は親子2人のお花見です。
節子と一緒に行っていたころの場所に座って、桜を見ました。
久しぶりに併設の日本庭園も歩いてみました。
そこの横にある桜が、節子と一緒に家族みんなで見た桜です。

いささか元気のでない花見でした。

■4168:久しぶりの家族会議は大荒れでした(2019年4月5日)
節子
今日はちょっと大変な日になってしまいました。
娘たちと孫と4人で食事に行ったのですが、そこでこれからのことを少し話し出した途端に、ちょっと娘との関係でちょっと気まずい状況が生じてしまいました。
最近、次女との関係がいささか微妙だったのです。

何となくお互いに距離を置いているような感じになっていました。
原因は、それぞれお互いのせいにしていますが、それが歩み寄れずにいたのです。
親子の関係は、ちょっとこじれると難しいのです。
そして2人の娘たちから、私が歳と共にかたくなになってきていると注意されました。
私がそれを自覚しているのかというのです。

詳しいことは、ここには書かずに、位牌に話しますが、ちょっと大騒動になりかけました。
何で食事の時にそんな話をするのかとも叱られましたが、私としては、食事の時だからこそと思って話し出したのです。
隣で孫が食事をしていましたが、孫はそうした空気を敏感に察知するのが伝わってきました。
ちなみにジュンは、今日も自分でも言いましたが、私と性格も話し方も似ているのだそうです。
私は必ずしもそうは思っていませんが、昔からジュンは「こおさむ」と言われているのです。
だからぶつかると大変なのです。

食事を終えて、自宅の戻り、話をつづけました。
私が知らない苦労をジュンもたくさんしていることを気づかされました。
母親と違って父親はなかなか娘のことはわかりません。
そのことを改めて思い知らされました。
疲れがどっと出てしまいました。

節子がいたころ、わが家では家族会議はよくおこなわれました。
節子がいなくなってから、それがうまく作動しなくなりました。
そのうちに家族会議は開かれなくなりました。

家族はお互いのことを知りすぎているがゆえに、うまくいかないこともあります。
相手を思いやることが裏目に出てしまうことも少なくありません。
困ったものです。

そんなわけで、今日は滅入ってしまい、疲労感がどさっと出ました。
親としては今なおどうも「失格」のようです。
節子がいてくれたらこんなことにはならなかったでしょう。
娘たちもそういっていますが。

雨降って地かたまるになるようにしようと思います。
親子関係も難しいものです。

■4169:時間もまた生き物(2019年4月6日)
節子
気分転換のために畑に行きました。
苗をまだ入手していないのですが、植える場所が少しずつ増えてきています。
昨年の菜の花やキャベツ、大根が、花を満開させていますが、それを抜くのは忍びなくて、咲くにませていますので、畑は今にぎやかです。
しかしそろそろそれも抜いて耕さないといけません。

畑にもなっていない空き地での畑作業は、野菜を育てるよりも、笹や草との格闘が中心です。
しかしこれはやっていると以外の楽しいのです。
それは「成果」がはっきりと見えるからです。
そのためついつい時間を忘れてしまいます。
今日もちょっとだけやってこようと思っていたのですが、ほぼ午前中いっぱい畑にいました。
畑作業は、自然との交流でもあります。
いろんな対話が生まれます。
これもまた面白さの一つです。

人と会っている時と自然と付き合っている時とパソコンと付き合っている時とでは、時間の進み方が全く違うように思います。
そういえば、節子と一緒の時の時間もまた、まったく違っていた。
時間は付き合う相手によって、進み方が違ってくるのです。
時間もまた、生き物のようです。

■4170:家族からの教え(2019年4月6日)
節子
昨日、娘たちと話していて、改めて自分がいかに言行一致に遠い生き方をしているかを痛感させられました。
娘たちからは教えられることが多いですが、どうもまだ「甘え」があって、親の優位性から抜け出せないようです。
節子がいなくなったので、節子から学んだり気づかされたりすることができなくなったのも、娘たちとの関係づくりがうまくいっていない一因かもしれません。

人は、家族から学ぶことがたくさんあります。
私は学ぼうという姿勢はあるのですが、実際にはあまりうまくいっていません。
気づくのが遅すぎるのです。
それと、節子からはあんまり共感されていなかったのですが、娘たちと友だちづきあいの関係を目指していました。
そもそも親子が友だちづきあいするというのは無理があります。
それに気づかずに、うまい親子関係を気づけなかったのかもしれません。
友だちづきあい志向ですから、子育てもうまくいきませんでした。
今さら反省しても始まりませんが、私の娘たちは迷惑したことでしょう。

昨日に続き、今日もそういう反省をしながら、1日を過ごしました。
いささか気の重い1日でした。

家族から学ぶことは本当に多いです。
しかし、節子がいないと、それ自体が難しいことに最近気づいています。

■4171:「受け身こそ最強の主体性」(2019年4月7日)
節子
画家の友人の個展にうかがった時に、彼から「荘子」にすべてが入っていますよ、というようなことを言われたことがあります。
それで、一度、「荘子」のサロンを湯島でやってほしいと伝えていますが、まだその機会が来ません。
しかし、それ以来、「荘子」のことがずっと頭のどこかに残っています。

先日、湯河原に行ったときに、そこに置いてあった「荘子」を持ち帰ろうと思っていたのですが、忘れてしまいました。
たまたま図書館で「荘子」の解説本を見つけました。
玄侑宗久さんがテレビでやった「100分で名著」をベースにしてまとめた本です。
先日、このシリーズの本で「苦海浄土」の解説を読みました。
このシリーズは軽い読み物なので、すぐに読めますので、気楽に読んでみました。

やはり「荘子」を読んでみようと思いました。
友人が言っていた意味がわかりました。
たしかに「すべてがはいっている」。

本書によれば、「受け身こそ最強の主体性」です。
荘子は、自分の外で起こる変化をすべて受け容れられる柔軟さを持ってこそ、最も強い主体性が得られると書いているそうです。
変化をすべて受け容れるには、自らの感情や判断、分別は邪魔になるので、そういうものも持たない方がいい。
玄侑さんは、「主体的な人格」とは「自分の意志などという人為を埋没させ、状況に完全に浸りきれる人」だと書いています。

これまでの私の生き方を覆されたような気がする一方で、同時に、これまでの私の生き方を肯定されたような複雑な気分です。

ちょうど昨日、巡礼者の鈴木さんから届いた“ツイッタ−はがき”に、こんなことが書かれていました。

サロンがなくなるのは困る!という人が多いのはなによりですね。人になにをいわれても、佐藤さんなら自分の考えでものごとを決めるだろうと思っていましたが、それは間違いかもしれません。天や宇宙や神仏が、人を介して働きかけることがあるかもしれませんから。

「主体性」について、もやもやしていたことが解消されそうです。

■4172:餓死しそうな1日でした(2019年4月7日)
節子
今日もまたお昼を食べそこないました。
まあよくあることですが、さすがに疲れました。

昨夜、急に呼び出され、朝から湯島でした。
認知症予防ゲームの解説DVDを制作しているのですが、制作メンバーがどんどん深みにはまって、なかなか進みません。
私はあまり深入りしていないのですが、中心の3人は大変な様子です。
それで時々呼び出されるのですが、また急な呼び出しです。
朝、用事があったので行きたくなかったのですが、みなさんの頑張りを知っている以上、放置もできません。
なんとか方針を決定しているうちに、サロンの人たちが集まりだしました。
そのため今日もまた昼食なし。
まあ昔はこういうのが毎日でしたが。

サロンはとてもいいサロンですが、私はおなかが減ると話したくなるタイプなので、また今日も少し話しすぎていささか自己嫌悪に陥りました。

サロン終了後、2.3打ち合わせをして、DVD制作チームに電話したら、まだ近くの喫茶店で作業をしているというのです。
また伸びたら大変なので、残っていた1件の打ち合わせを伸ばしてもらい、喫茶店に駆けつけました。
着いたらほぼ終わっていましたので、雑務を済ませて、帰宅しました。
作業ではなくても、まあいろいろとやらなければいけないことはあるのです。

空腹で倒れそうになりながら帰宅。
考えてみると、昔はこういうことがよくありました。
どうしてこういう生き方になじんでしまったのでしょうか。
頑張って仕事をしているのに、どうしてお金をもらえずにお金がかかるのかと、最初のころ、節子が不思議がっていたのを思い出します。
そうしたことのおかげで、いまの生き方ができるようになったのですが、そろそろ自重したほうがいいかもしれません。
岐路に空腹で転倒などということになるといけませんし。
困ったものです。

■4172:天に応じてありのままの持ち前を生きる(2019年4月8日)
節子
「荘子」の本に出てきた「幸せ」の話を書きます。
荘子によれば、「幸せ」という言葉の由来は「天が為すことに合わせること」だそうです。
たとえどんな逆境に出会っても、それに「合わせて」行くことが「幸せ」だというのです。「幸せ」は「仕合わせ」でもある。
いささか私の勝手な不正確な引用だと思いますが、こう考えるといろんなことが私の中では納得できます。

荘子は「遊」ということも重視しますが、荘子の「遊」とは、「ありのまま」、つまり、自分の「もちまえ」を発揮している状態だといいます。
これもまた私の勝手な解釈かもしれませんが、とても納得できます。

いずれも私が目指している生き方につながっています。

そういえば、3日前に岐阜の佐々木さんから電話がありました。
佐々木さんのパートナーは、いま、見性寺を継いでいます。
私も一度、お伺いしたことがあります。
禅には「見性成仏」という言葉があります。
「見」は「現」という意味で、「見性」とは「性(もちまえ)を現す」ということだそうです。
天に応じて、ありのままの持ち前を生きる。

そういう生き方に私も少しは近づいているでしょう。
そう考えると、どこかで大きく停滞したり、間違った方向に進んでいたりしているようで、もう少し誠実に生きないと、幸せにはなれそうもありません。

さてさてどうしたものか。
先日、無理をしても佐々木さんに会えばよかった気がします。
予定に縛られて、機会を失う生き方は、私の目指す生き方ではなかったはずですが、最近どうも予定に縛られがちです。
生命力が弱まっているのかもしれません。

■4173:「ありのままの持ち前」の拡散(2019年4月8日)
節子
また寒さが戻ってきました。
最近の気候の変化にはなかなかついていけません。
しかし、変化が激しいのは気候だけではありません。

荘子の言う「ありのままの持ち前」に従って生きていると、周辺の変化の激しさが見えてきます。
そして、それに振り回されている自分にも気づきます。
「持ち前」は変わらないはずだから、振り回されるのはおかしいともいがちですが、そうではありません。
「持ち前」は変わらなくても、持ち前が「かたち」に顕現するのは、まわりとの関係性によってですから。それも含めた「ありのまま」は変わるわけです。
人は一人で生きているわけではありませんから。

周りがどう変わろうと、ありのままを貫けばいいと思うかもしれませんが、それは空論です。
自分が変わらなくても、周りが変われば、自分の意味も変わる。
これは昔企業広報に関わっていた時に、小論で書いたことのある話です。
そもそも生きるとは「変わる」ことですから。
ちなみに、生命がないとよく言われる岩石でも、周囲との関係では、その意味は変わっています。
時間軸や空間軸を少し広げるだけで、岩石もまた生きているのです。

なにやらまたややこしい話になってしまいました。
最近、いささか疲れているのは、まあ周辺の変化の大きさで、私の自覚している「ありのままの持ち前」が変転し続けているからなのです。
動き続けることが付かれるのではありません。
生命はたぶん動き続けることで生き生きとしてくれはずですから。
問題は、「ありのままの持ち前」がいささか拡散し、渾沌としてきているのです。

荘子に出てくる「渾沌の話」を思い出します。
いろんなことが見えるようになると、生命の一段階が終わってしまう。
その話は実に象徴的です。

■4174:嫌われ者(2019年4月9日)
節子
昨日また自らでトラブルを起こしてしまいました。
困ったものです。

あるプロジェクトでみんなで製作したDVDに、製作年月日を入れることになり、そこに「令和」表記をすることになったと連絡が来ました。
その製作主体の住所をコンセプトワークショップにすることは了承していたのですが、まさかの「令和」表記にがっくりしました。
それで、それは屈辱的なので絶対に認めたくないと連絡したのですが、そう決めた人たちは、どこが屈辱的なのかわからないと困惑してしまったようです。
直接私に連絡してくれればいいのですが、女性たちがどうも「向こう側」で話し合っているようです。
それに端を発して、他の問題にまで混乱は広がってしまいました。
かなり厳しい言葉遣いを私がしたので、すっかりと嫌われたようで、結果的には私の言い分が通ってしまいそうですが、これがまた私にはストレスです。

素直に自分の考えを表明し、議論してお互いに納得できたら、合意したことに従うという文化は、なかなか日本には少ないのです。
今回のプロジェクトも、お互いに遠慮し合っていて、前に進まなくなると、私が呼び出されて、嫌われ役の発言をさせられることが何回かありました。
素直に意見を言い合えば、簡単に終わることが、お互いに慮っているがゆえにかえって相手に負担をかけることも少なくありません。
ダメなものはだめ、あるいは私はこう思う、こうしてほしいと、なんで素直に言えないのかと思います。
そうすれば、物事はみんなうまくいくのにと思いますが、考えてみれば、そういう言動のゆえに私は嫌われるのかもしれません。

いささか憂鬱の朝です。
しかし、「令和」という言葉にこれからみんなが無意識に洗脳されていくのは、もっと憂鬱です。
言葉は本当に恐ろしいです。

■4175:人間は土地と結びついて初めて幸せになる(2019年4月9日)
節子
立派な愛媛のデコポンが送られてきました。
愛媛に昨年転勤したTさんからです。
Tさんは私よりずっと若い方ですが、なぜ交流が始まったか記憶がありません。
たぶん私が農業のことを知りたくて訪問したのが最初ではないかと思いますが、その後、フランスに農業の調査で1年以上いっていました。
帰国後、そのさわりのところだけお聞きしました。
Tさんの成果がどう日本の農政に活かされたかは私にはわかりませんが、Tさんはフランス農業だけではなく、協同組合にも詳しい方なので、私はむしろその分野でたくさんの気付きをもらいました。
教えてもらった割には、私はそれをきちんと活かしていないので、申し訳なく思っています。
そのTさんから、お世話になっている私にデコポンが届いたのですから、いささかの驚きを禁じえません。
早速せつこにもお供えしました。
私も娘たちもデコポンは大好物で、この季節は毎日、味わっています。
これは、わが家のささやかなぜいたくの一つなのです。
もっとも、いつもはスーパーの安いデコポンですので、いただいたのとは大違いです。

Tさんにお礼のメールを送ったら、あることでとても助かったのでと書かれていました。
そのことはむしろTさんのおかげの行為だったのですが(つまり感謝すべきは私なのですが)、Tさんにもちょっとお役にたてたようです。
人の役に立てたかどうかは、自分で決めることではなく、相手で感ずることでしょうから、こういうことが起こってもおかしくありません。

とてもうれしいことだったのですが、まあ、それはそれとして、Tさんのメールにこんなことが書かれていました。

フランス人の友達がよく「人間はどこかとの土地と結びついて初めて幸せになる」とよく言っていました。

この短い文章に、愛媛に移って、豊かで幸せにやっているTさんの生活が伝わってきました。
あれだけの成果を上げていたにもかかわらず、なぜTさんが組織を辞めて愛媛に転居したのか、その理由が少しわかったような気がします。

またきっとTさんには会えることでしょう。
Tさんからのデコポンは、美味しいばかりでなく、とても幸せな味がしました。

■4176:うなぎをごちそうするよ(2019年4月9日)
節子
今日はうれしい電話もありました。
昨日とは大違いの1日でした。
良い日もあれば悪い日もあるものです。

がん治療中の友人からです。
主治医が変わり、今日の午前中がその最初の診察と治療の日だったのです。
午前中に終わるはずなのに、一向に電話がありません。
ちょっと嫌な気もしていたのですが、1時半近くなってから電話がかかってきました。
やっといま終わったという電話です。

とても元気な明るい声でした。
順調に良い方向に向かっているそうです。
そして、お礼にまたうなぎをご馳走しに行くよと言われました。
私はお酒も飲みませんし、豪華な食事にもほとんど興味がありません。
私を接待するのは難しいのです。
それで、以前、私がうなぎは高くて最近は食べられないと言ったことから、彼はいつも私にうなぎをご馳走してくれるのです。
私も、実はそううなぎが食べたいわけではありません。
そもそも食事は質素にしたいというのが、私の信条です。
前の挽歌記事で、デコポンを毎日食べていると書きましたが、普段は近くの安い八百屋さんの「激安ミカン」とか「激安いちご」がわが家の定番なのです。
魚も普段はサンマとかアジやホッケなのです。

しかし、うなぎをご馳走するといわれたら、うれしく「ご馳走」されるのが、私の信条でもあります。
しかも彼は足がちょっと具合が悪いので、湯島まで来るのは大変なのです。
それに「がん患者」でもあるわけです。
普通は、私が彼のところに行ってうなぎをご馳走するのが普通でしょう。
しかし、わざわざ湯島に来てもらうのが私流儀なのです。
困ったものです。

前にも書きましたが、「ご馳走する」のと「ご馳走される」とで、どちらが幸せでしょうか。
いうまでもなく前者でしょう。
幸せは他者にゆずって、私は素直にご馳走になるわけです。

そんなわけで来週またうなぎを食べることになりました。
他者に役立つのもそれなりに大変なのです。

■4177:人生は「小説より奇なり」(2019年4月10日)
節子
人の人生は実にさまざまで、まさに「小説より奇なり」です。
最近音信が途絶えた友人(Aさん)がいます。
先日、そのAさんを介して知り合った、別の友人(Bさん)にお会いしたのですが、共通の友人であるAさんのことが話題になりました。
あまり詳しくはかけませんが、私もBさんも、Aさんからちょっと迷惑をこうむっていたのです。
そして、それぞれに音信がなくなったというわけです。

BさんはAさんに関して、子ども時代のことをよく知っています。
それで、お会いした時に、Aさんの昔の話を聞かせてもらいました。
私が全く知らなかった話です。
どんな話なのかは、伝聞なので書けませんが、もしそれが本当であれば、まさに「小説より奇なり」の話です。
いや、松本清張の小説のような話ともいえます。

私のところにはいろんな人が来ますから、そうした話はこれまでもありました。
大麻やヤクザの世界にかかわる話もありましたし、かなりの被害にあったこともあります。
最近はもう忘れられていますが、M資金に関わる話もあれば、清王朝につながる話までありました。
長く生きているといろんなことがあります。
きれいに整理された表面の裏に隠されている、どろどろした現実を垣間見ることも、いろいろとありました。
私が生きてきたのは、日本の社会が大きく変わってきた、そういう時代だったのです。
今ほど、現実と表面がきれいに分離されてはおらず、どこかでつながっていたといってもいいでしょう。
面白い時代でもあり、哀しい時代でもありました。

もちろん今も「飢餓死」や「不審死」はあります。
しかし、それもこれも、特別の「事件」として処理されますが、私が子どものころは、まだ日常生活につながっていたように思います。
そういう時代を生きてきたおかげで、取り繕われた「きれいな」今の社会にはリアリティを感じないのです。
創られた人生を生きていかないと、生きづらいというおかしな社会。
もっと素直な自分を堂々と生きればいいと、思っていましたが、先日、Aさんの話を聞いてから、そうできない人がいた時代と今とどう違うのかが、わからなくなってきました。

イリアスの時代のギリシア人には「生命」は宿っていても、「心」はなかったと思っていましたが、「心」が宿るとともに、「生命」が失われてきたのかもしれません。
少し私も、考え直さなければいけないようです。

数日前に聞いたAさんの物語が、どうも心を離れません。
Aさんにはだまされて被害を受けたと思っていましたが、彼女は真剣に生きていたのかもしれません。
一度見た彼女の「荒れた様子」に、それが現れていたのかもしれません。

今日はおかしなことを書いてしまいました。
Aさんのことは節子も知っていますが、節子はどう感じていたか訊きたかったです。

人生はまさに「小説より奇なり」です。

■4178:タケノコ三昧(2019年4月10日)
節子
今年はタケノコが不作の裏年だそうです。
ところが、娘がタケノコの安いところを見つけてきました。
そんなわけで、例年よりも早くタケノコ三昧しています。
タケノコは、私の大の好物なのです。
いつも敦賀にいる節子の姉がたくさん送ってくるのですが、それまでは、まだ高いからといって娘には買ってもらえないのですが、今年半是か安いお店のおかげで、もうタケノコを楽しませてもらっているわけです。
娘によれば、近くのお店に比べて半額なのだそうです。
昨日、また買ってきてもらいました。
これでまた数日はタケノコ三昧です。

タケノコは和風の煮物が大好きですが、お吸い物もイタリアンも中華も、何でもいいのです。
ちなみに、シーズンでない時に食べるタケノコは好きではありません。

食べ物に関しては、私はベジタリアンではありませんが、野菜が好きです。
それもシンプルな野菜がよくて、あんまり調理したものはおいしいですが、好きではありません。
キャベツなら生でも好きですし、毎朝、レタスは生で食べています。
畑には、よくわからない野菜が育っていますので、時々それを持ってきて、お味噌汁にしてもらいます。
野蒜と水仙の芽を間違えて死んじゃった人がいますので、注意はしていますが、幸いに野蒜は私の好みではありません。
まあ嫌いな野菜もあるわけです。

野菜が好きなら、自分で調理したらいつも娘から言われていますが、調理は嫌いなのです。
娘からはわけのわからない野菜を取ってこないでほしいといわれていますが、最近の畑には何やらよくわからない野菜が花を咲かせているので、食べてやらないわけにもいきません。
生き生きした野菜の青い元気な葉は、食欲をそそります。

さて今日はタケノコのどんな料理でしょうか。

■4179:暇なのに時間破産(2019年4月10日)
節子
暇で暇で仕方がないと思っていたら、また時間破産です。
時間破産と過剰な暇は、「心のままにならない」という意味で、私にはほぼ同じものですが、時間破産の嫌なところは、時間がないことです。
「心を失う」、つまり「気もそぞろ」という点では同じなのですが。

「やりたいこと」がまた次々と出はじめたのです。
一方で、もう「やめた」ということもあるのですが、新しいことに、なぜかまた襲われ出しています。
困ったものです。

最近、私が住んでいる我孫子のことに少しまた関わろうと思い出していますが、その関係でもいろいろとやりたいことが生まれてきました。
市役所の人たちにもまた会いだしています。
今日も信頼できる人のところに行ってきましたが、話しているとやりたいことがどんどん出てきます。
もっとも最近は私の知っている人たちもだんだんいなくなってきましたが。

地域活動をする上では、やはり節子がいないことがとても残念です。
節子がいれば、つながりの広がりが全く違ったものになるでしょう。
生活者感覚での広がりの意味は大きいです。
私だけだとどうしても知識や理念に負けてしまうからです。

明日はサロンですが、平日の午後のせいか、集まりが悪かったのですが、今日になって急に参加者が増えました。
仕事を休んで参加するという人までいて、うれしいことですが、いささか忙しくなって、せっかく山口県から東さんが来てくれるのに、ゆっくり話す時間が取れなくなってしまいました。
まさに「心を失いかねない忙しさ」です。

最近の気候の変化も大きいですが、私の繁閑の差もいささか激しくて、困ったものです。
さて今日もまたやらなければいけないことが終わりませんでした。
でもまあ無理をせずに、早く寝ましょう。
時間破産の一番の対策は早く寝ることですから。

■4180:挽歌の粗製乱造(2019年4月11日)
節子
歳のせいか、どうも夜中に目が覚めるようになってきています。
それでもまあすぐに眠れるのですが、時々、眠れなくなることがあります。
昨夜は4時すぎに目が覚め、眠れそうになかったので、本を読んでしまいました。
スティーブン・ピンカーの「暴力の人類史」、600頁の厚い本で、しかも上下2冊です。
持ち運ぶには重いのと、きっちり読むにはつらい本なので、まあ枕元に置いて、目が覚めたときに読もうと思っていた本です。
しかし重い本なのでいささか大変です。
っしかも内容がないようなので、読んでも眠くなりません。
100頁ほど読んで、眠りに戻りそうにないのでやめました。

結局、外が明るくなり出したので、5時過ぎに起きて、パソコンを始めました。
ですから今日は寝不足で、頭がすっきりしません。
こういう日に限って、いろいろあるのです。
今日のサロンは、急に参加者が増えて、15人を超しそうです。

早目の朝食を食べて、しかし、頭がすっきりしないので、また「暴力の人類史」を読み出しましたが、読書は今日は無理そうです。
畑に水やりにいこうかとも思いましたが、昨日は雨だったので、畑はぬかるんでいるでしょう。
こういう時、節子がいればなあといつも思います。
一人ではやることがない。
話す相手もいない。
挽歌を書くことくらいしかないわけです。
困ったものです。

昨年末から年初にかけて挽歌をかなりサボっていたので、番号を追いつかせるため、最近、時間ができれば挽歌を書いています。
挽歌の粗製乱造です。
頑張っていますが、それでもまだ50編ほど遅れているようです。
よくまあサボったものです。

今日はいい天気です。
気分がなおるといいのですが。

■4181:頼りない生き方の強み(2019年4月11日)
節子
今日はサロンでしたが、小学校時代の同級生の女性たちが3人、参加してくれたのですが、早目にお昼を持ってきてくれました。
一人は霜里農場の金子友子さんですが、彼女は湯島のサロンの時にはいつもおにぎりをどっさり持ってきてくれるのです。
今回は古代米の赤米のおにぎり。
家庭菜園のベテランの永作さんは、手作りの野菜のおかずをつくってきてくれました。
万葉集の先生の升田さんは、デザートのケーキでした。
友子さんが持ってきてくれたイチゴや手作りケーキもありました。
そんなわけで、今日はしっかりとお昼を食べました。
おにぎり2つ。

私が娘と一緒に暮らしているのはみんな知っていますが、みんな心配してくれているのでしょう。
他から見たら、私は何となく頼りなく生きているのでしょう。
まあ事実そうなのですが。
頼りなく生きることになじんだら、人は強くなれます。
私はまだ、その途上ですが。

金子郁容さんから「ヴァルネラビリティ」という言葉を昔、教えてもらいました。
最近は全くお会いしていませんが、湯島には実にいろんな人が来ました。
金子さんの個人的なプロジェクトにも関わらせてもらいましたが、あのころはまだ私も社会の表通りとも接点がありました。
最近はもうほとんどありませんが。

ところがもう一度、少しだけ表通りに関わったらという呼びかけが今あります。
しかし私の価値観が反転してしまっていますので、いわゆる表通りは私の中では裏通りになってしまっています。
今日は、スマート・テロワールのサロンでしたが、みんなの発言を聞いていて、自分がもう全くといっていいほど、違う世界に来てしまっているなと感じました。

乞食の世界、布施の世界、荘子の世界に、ちょっと近づいているような気もします。

■4182:ちょっと遅いお花見(2019年4月13日)
節子
今日は「やらなければいけないこと」がたくさんあったので、朝早く起きて、「やらなくてもいい」ことをまずはやっていました。
節子はよく知っていますが、私の性癖は、やらなくてもいいことから取り組むのです。
もちろん「やりたいこと」です。
先日読んだ「暴力の人類史」が面白くて、印象的なところの書き抜きを作成したのです。

そろそろ「やらなくてはならないこと」に取りかかろうと思っていたら、ジュンから連絡があり、これから近くの親水公園にお花見に行くけれど、一緒に行かないかというのです。
さてどちらを選ぶか。
迷うことは全くありません。
お花見を選びました。
「やらなくてはならないこと」は、私の場合、いつも優先順位は低いのです。

手賀沼に面した親水公園はまだ桜が咲いています。
ちょうどいい天気だったので、ユカも一緒にお花見です。
午前中だったの、まださほど人でも多くなく、ゆっくりとお花見ができました。
孫は5月で3歳になりますが、自我が出てきて、人間らしくなってきました。
よく動きます。

孫は私のことを「おさむさん」と呼びます。
わが家にはよく来ていますが、私が不在だと必ず娘に「おさむさんは?」と質問します。
会うと、実にいい笑顔をしてくれます。
子どものこの笑顔は、誰にでも共通しているように思いますが、これが生命の本質なのだろうと思います。

花の下で食事をしたのは久しぶりです。
それから遊歩道を少し歩きました。
孫が写真を撮ってくれました。

ちょっと疲れました。
午後は畑に行こうと思っていたのですが、さぼってしまいました。
「やらなくてはいけない」仕事も、やはりさぼってしまいました。
まあ、1日くらい先に延ばしても大丈夫でしょう。
といいながら、1週間以上、延ばしてしまっています。
困ったものです。

■4183:遺跡に掘られている女神たちの声が聞こえる(2019年4月14日)
節子
今朝のEテレ「こころの時代」で、長年アンコール遺跡の修復活動に取り組んでいるアンコール遺跡国際調査団長の石澤良昭さんが話されていました。
石澤さんは、最近、遺跡に掘られている女神たちの声が聞こえるというような話をされていました。
石澤さんは、ただ遺跡の修復に取り組んでいるのではありません。
ポルポト政権下の虐殺の時代を生き残った人たちの「心の復興」を続けてきているのです。
遺跡の復興は、物としての復興ではありません。
その時代を生きていた人たちの「いのち」の復興であり、遺跡が見守ってきたすべての時代の人々の蘇生を通した供養なのかもしれません。
遺跡には、たくさんの「いのち」が生きている。
それが感じられるから、人は遺跡に引き寄せられるのではないかと思います。
運がよければ、そうした「いのち」を感じられることもあります。

節子は近代人でしたから、そういうことを忘れさせられていました。
だから私が遺跡や仏像と話せるということに懐疑的でした。
しかし、たぶん自分では気づかないまま、話していたと私は信じています。
そうでなければ、向こうにはあんなに静かには行けなかったでしょう。

石澤さんは、女神たちの声が聞こえるようになったのは、自分が歳とって、彼岸に近づいてきたからだろうと笑いながら話していました。
私も、そう思いますが、彼岸が近づいてくると、死への思いは一変します。

そういえば、荘子も、「死とは幼い頃に離れた故郷に帰るようなものだ」と書いているそうです。
身体の機能は年齢と共に劣化するだけではないようです。
年齢と共に、備わってくる五感機能もあるのかもしれません。
神々の思いが聞こえてくる、というか観えてくる。
「観音」できるように、私も少しなってきたような気がします。

■4184:気の流れ(2019年4月15日)
節子
なにやらまた私の周りに「面白い話」が舞い込みだしました。
「生命の気」というのはやはり個人に属しているのではなく、個人と周辺とのつながりの中にあるのかもしれません。
個人の生命は、周辺との「気」のつながりを「止む」ことによって、「気が病んでしまう」のでしょうか。
しかし、そう考えると、節子はなぜ「病気」に陥ってしまったのに悩みます。
もしかしたら、その原因は私だったのかもしれません。
その負い目が、いつになっても消えません。

それはそれとして、私自身が最近、「気を病み」だしていたのかもしれません。
その気を止める壁がちょっと弱くなって、そこから外気が流れ込んできたら、その流れは少しずつ、強まっているように感じます。
まさに人は、生かされているという感じがします。

今朝、メールが入っていました。
先日会った、徳の島出身の方からです。
その人の発言が奇妙に気になるとともに、その人の姿勢に教えられるものがありました。
もう一度会いたいなと思っていたら、なんとその方からメールが届いたのです。
その方が取り組んでいる「徳之島プロジェクト」が送られてきました。
ちょっと私の世界の話ではないと思う一方、その理念は私の思いとつながっています。

世の中には面白いプロジェクトが山のようにあります。
私が触れられるのは、そのほんの一部です。
以前は、そういうわくわくするプロジェクトに出会いすぎて、プロジェクトサーフィンの生き方になってしまいました。
それがつながりだしたのは最近ですが、そこでどうも私の今生は終わりそうだと思っていました。
まあそうなのでしょうが、まだわくわくするプロジェクトに出会う時間が与えられたのかもしれません。

最近、いささか周辺がにぎやかです。
もしかしたらまた、気が流れ出したのかもしれません。

■4185:「受けるお見舞い」(2019年4月15日)
節子
今日は、闘病中の友人の「お見舞い」を受けて、お昼をご馳走になりました。
お見舞いに行ったのではなく、相手が「お昼」をご馳走しに来てくれたのです。
「お見舞い」には行くものだと思っている人も多いと思いますが、「受けるお見舞い」もあるのです。
誤解されそうですが、お見舞いの対象は私ではなく、私のところにわざわざやってきて私にご馳走してくれた人を私が「お見舞い」したのです。
つまり「受けるお見舞い」です。
「を」と「が」を読み違いませんように。

私にご馳走することで相手が元気になるとすれば、それも十分にお見舞い行為です。
それに私のところに来ることで、運動不足を解消できます。
今日の「お見舞い」人は足が悪いので歩くのが大変で、普通はこちらから「お見舞い」に行くのですが、当人に確かめたら、来るというので素直にその意思を受けました。
「お見舞い」には相手の意思を尊重しなければいけません。

繰り返しますが、お見舞いされるのはお見舞いに来た人であって、私ではありません。
うまく伝わるといいのですが。
お昼をご馳走されただけではなく、「お見舞い品」として、クラークスの靴までもらってしまいました。
私の靴があまりにもひどかったからです。
そろそろ靴と靴下をやめる季節になったのですが、お見舞いとして受け取った以上は、履かなければいけません。
裸足の生活に入るのは、少し延期です。

■4186:現世への引き戻し(2019年4月16日)
節子
人生はなかなかうまくいきません。
そろそろ第4期に移行しようという思いは、もろくも崩れてしまいました。

先日から、ある「編集者」が私を現世に引き戻す具体的なプロジェクトを提案してきています。
節子も知っている半田さんが、その人を湯島に連れてきたのです。
そもそもそのプロジェクトは、その編集者と半田さんとの出会いが起点になっているようです。
しかし第4期へと気が向いていた私は、協力する程度に考えていました。
しかし、その「編集者」は何回も湯島にやってきて、説得されてしまいました。
そこで半田さんも含めて3人でミーティングをすることにしました。

ところが、そこに半田さんが学生を連れてきました。
半田さんは、宇宙人のような大学教授ですが、なぜか自分の大学の学生だけではなく、別の大学の学生もいます。
半田さん自身もまたなにか新しい試みを考えているようです。

学生たちは、私のことを少し聞かされていたようです。
会えてうれしいといわれたので、間に合ってよかったですね、と応じました。
真意が伝わらなかったようなので、そろそろ逝こうと思っていたことを伝えました。
伝わったでしょうか。

学生の一人は「身体論」に、もう一人は「国際関係論」に関心があるそうです。
その話を発展させたかったのですが、なにしろ今回は、編集者の強い思いのプロジェクトがテーマの話し合いです。
話しているうちにだんだんと私の役割が大きくなっている感じがして、最初はそもそも価値観が違うのでと逃げ腰だったのですが、若者が2人いるということもあって、私の決心が揺らいでしまいました。
気が付いたら、現世に引き戻されてしまっていました。
困ったものです。
そういえば、今日の午前中も、全く別の人から全く別の現世プロジェクトを誘いかけられました。
それもなぜかうっかりと賛成してしまいました。

正直に言えば、お2人とはたぶんかなり私の考えは別でしょう。
言葉では一致しても、その根底にある考えは違うのです。
そのためむしろ相手に迷惑をかけることになるかもしれないので、いずれも最初は距離を置きたかったのですが、今日という日はなぜか私の気分が現世志向だったのです。
まあ、それも意味があることなのでしょう。

そんなわけで、2つの新しいプロジェクトに取り組むことになりました。
旅立ちは、やはりもう少し延ばすことになりました。
お2人とも、収入につなげるといってくれていますので、湯島も維持できるようになるかもしれません。
しかしいつもこういう誘いで収入があったことはないのですが。
しかし今回は、少なくとも、元気と楽しさはもらえそうです。

■4187:「死が私在の一部になった」(2019年4月17日)
節子
昨夜、エジプトの中野眞由美さんがメールで、昨日発売の「週間エコノミスト」に掲載されたインタビュー記事「問答有用」を送ってきてくれました。
最近話題のエジプト考古学者の河江肖剰さんのインタビュー記事です。
今朝読ませてもらいました。
河江さんがエジプト考古学者の道を歩み出したきっかけの一つは、中野正道さんだったことを知りました。
なんだかとてもうれしい気分です。

中野正道さんは、私たち家族の最初の海外旅行の時に、ガイドしてくださった人です。
とてもわかりやすく、友人にガイドされているような快適な旅でした。
帰国後もささやかな付き合いがあり、湯島でもお会いしたことがあります。
ご夫婦で湯島に来たこともあり、眞由美さんはラジオでエジプト報告などもしているので、お聞きしたこともあります。
お2人とも様々な活動をされています。

ところで、今回読ませてもらった河江さんのインタビュー記事ですが、最後のところでちょっと涙が出てしまいました。
河江さんが、伴侶の仁美さんと出会ったのは、2000年です。
当時、河江さんはエジプトの観光ガイドをしていて、仁美さんはツアー客だったそうです。
それから小説のような展開で、翌年、2人は結婚。
3人の子供に恵まれ、好きなエジプトで過ごす幸せな日々でしたが、8年後に仁美さんに悪性の腫瘍が発見され、治療のために2人は日本に戻ります。
翌年4月に仁美さんは亡くなりました。

河江さんはインタビューでこう語っています。

仁美が逝ってからは、死が身近というか、私という存在の一部になっていて怖くなくなりました。

この感覚はとてもよくわかります。
本当の死を体験した人であれば、共有している感覚のように思います。
愛する人の死は、自らの死でもあるのです。

ところで私が涙ぐんだのは、この部分ではありません。

人生のコアとして最も大事にしたいのは日常です。
発掘現場にいて、朝日に輝き夕日に染まるピラミッドに、日々親しむことが最高の幸福です。

なぜここで涙が出たのか自分でもわかりません。
ただ、ピラミッドをもう一度見たいと強く思いました。

河江さんに会いたいと思いました。
会えないのが少し残念です。

■4188:いとこ旅行(2019年4月17日)
節子
毎年1回、いとこの集まりをやっています。
といっても男性4人だけですが。
今年は旅行をしようということになりました。
最初は京都の醍醐寺の案もあったのですが、結局、関東にいる人が多いので、箱根湯本になってしまいました。
まあ場所にはみんな興味はあまりなく、ただ集まるだけでもいいのです。
そこでいとこの一人の教え子がやっている箱根湯本の旅館に決めたのです。
小田原集合でした。

私は近くに住んでいる兄と一緒に小田原に向かいました。
兄は私よりも6歳高齢ですが、私よりも元気でいろんな活動をしています。
しかし、いろんな大病もしているうえに、最近はトイレが近いので、電車でも途中で尿意を催したら、電車を降りなければいけない羽目になるため、早目に出ようといわれました。新幹線などを使えばいいのですが、お互い節約して、ふつうの電車でいくことにしたので、2時間半もかかるのです。
大阪の方から来るいとこもいますが、所要時間はほぼ同じです。
予定よりも大事をとって20分以上余裕をもって小田原に向かいました。

ところが、です。
兄のことを気にしているうちに、私自身がなぜか電車で我慢できなくなってしまいました。
途中で降りるほどではなかったのですが、乗換駅で慌ててトイレに飛び込んだのは私のほうでした。
なにしろ朝、3倍のコーヒーに加えて、ヤクルトと青汁ジュースをのんだためでしょうか。
兄は注意してほとんど水分を取らずにいたというのです。
これで終わればよかったのですが、小田原でもまた到着後、トレイに飛び込みました。
しかもなぜか旅館に着いてからも、話している時に突然に尿意を催すほどでした。
まるで兄の心配が、私に乗り移ったようでした。
困ったものです。

心配をすると、それが自分のものになっていく。
時々経験することですが、今回はいささか困った体験でした。

いとこ旅行のことを書く予定がおかしな話になってしまいましたが、
節子がいたら大笑いすることでしょう。
男ども4人の旅行は、そんな形で始まりました。

■4189:10数年ぶりの小田原城(2019年4月17日)
節子
いとこ旅行の続きです。
旅行中はパソコンネットとは離れていたので、自宅に帰った翌日、まとめて書いています。

小田原で4人は無事落ち合えました。
なにしろ今回は旅館だけ決めていて、他は何も決めていません。
それで、まあとにかく昼食を食べようということになりました。
かつては小田原にもたくさんのお蕎麦屋さんがありましたが、最近は減ってきています。
しかし駅のすぐ近くの「寿庵」はまだ健在です。
昔からの老舗で、9種類の「宿場そば」が楽しめます。
ちなみに小田原はかつては江戸から9つ目の宿場でした。
寿庵は、店構えも昔ながらの大きな古民家です。
以前、節子とも来たことがありますが、とてもおいしいおそばです。

食事をして、さてどうするか。
誰も特にどこかに行きたいと思っている人はいませんし、小田原はそれぞれみんな何回も来ています。
このまま少し早いけれど旅館に行くかという話も出ましたが、まあせっかくなので小田原城を散策しようということになりました。
歩いて10分もかかりませんし、食後の運動としてはいいでしょう。

私は小田原城は10数年ぶりです。
小田原のまちを歩くのも同じように10数年ぶりです。
節子とは何回か来ましたが、整備は進んでいますが、もう少しきちんと考えたらもっと効果的に活かせるだろうなといつも思いますが、今回もそう感じました。
小田原の町衆は、たぶん今の生活が豊かなのでしょう。

桜はもう終わっていました。
散策の後、旅館のある箱根湯本に向かいました。

■4190:金目鯛の活き作り(2019年4月17日)
箱根湯本は平日のど真ん中だったので、思ったほど混んでいませんでした。
湯本駅界隈は節子と来たころとは全く違っています。
駅自体も大きく変わっています。
しかし窮屈な感じは前と同じです。
節子がいなくなってから、この駅は何回か通過しましたが、駅から外に出たことは今回で2回目でしょうか。

湯本温泉郷を巡回しているバスがあるのですが、せっかくなので歩こうということになりました。
よく利用しているいとこが、15分くらいだろうというので、歩き出しましたが、なかなかつきません。
その旅館は行ったことがある人が2人もいるのですが、歩くのは2人とも初めてなのです。
いつもは自動車で来ているそうですが、今回は車検で部品が一個間に合わずに電車で来たのです。
道で出会った地元の方に聞いてみたら、その道は上り下がりが多いので反対側から言った方がいいと教えてもらいました。
それでまた駅に逆戻りで、歩き出しました。
そこでバスに乗ればよかったのですが、歩こうと決めたので、バスに乗ることに思いはいかず、教えられた方向に歩き出しましたが、一向につきません。
それに上り坂なので結構大変です。
でも私はそういうのが大好きなのです。
目指す旅館は箱根湯本温泉の一番上の南風荘なのです。
途中に2つの滝を見ながら、散策を楽しんだのですが、一汗かきました。

庭の付いた部屋を用意していただきました。
温泉もとてもやさしい温泉で、肌がすべすべになりました。
夕食には料理長が特別に金目鯛の活き作りをつくってくれました。
もっとも老人4人では食べきれずに、しかしせっかく作ってくれたのだからと頑張って食べましたが、完食は無理でした。

金目鯛は節子の好物でした。
最後の房総に家族で旅行しましたが、その時に確か節子は金目鯛を食べていたので、金目鯛を見るたびに私は節子を思い出します。
魚の顔が見える活き作りは私は苦手なのですが、今回はそのせいか大丈夫でした。

■4191:芦ノ湖のカフェでケーキセット(2019年4月18日)
この旅行は観光目的ではないので、翌日も予定が全く決まっていません。
しかし箱根に来たのだから上には上がろうかということになりました。
ともかく予定は全くない。
チェックアウトを終わったところに、旅館を経営している社長が来て、喫茶店に案内してくれました。
いとこの教え子なのです。
このままここで1日過ごしてもいい気もしましたが、まあともかく上に上がろうということになりました。

登山鉄道やケーブルは混雑が予想されるので、バスを利用することにしました。
大涌谷も考えましたが、まだ噴火がつづいていて、老人なので火山ガスで体調を崩してもいけないので(まあめんどくさかっただけですが)降りるのはやめて、そのまま箱根園まで行ってしまいました。
そこで、芦ノ湖プリンスホテルのカフェでコーヒーを飲もうということになりました。
ここにもいとこの教え子がいるのです。
学校の先生はうらやましいです。
しかし、残念ながらこの4月に下田プリンスホテルに転任していて会えませんでした。

老人男性4人で、美味しいコーヒーと華やかなケーキをいただきました。
とてもおいしいコーヒーでしたし、ケーキもとてもおいしかったです。
居心地のいいカフェだったので、もう動くのが嫌になりました。
そこでまたいろんな話をしました。
やはり場所によって、出てくる話題は違います。

話しているうちに、観光船に乗ったりケーブルカーで駒ヶ岳に登ったりする気はみんな消えてしまい、ここで話して、そのまままた下に戻ろうということになりました。
なにしろ、予定は全くなく、時間も適当です。
こういう無駄な旅はいいものです。

しかし考えてみると、昨日の午後からずっと4人で話し続けている。
よくまあ話題があるものです。
人間は「話す動物」であると改めて感心します。

■4192:時間から解放されるだけで人生は豊かになる(2019年4月18日)
カフェでの話の続きです。
話もそろそろ飽きてきたので、ホテル前から出る次のバスで帰ろうと言うことになりました。
バス到着時間の5分前に停留所に行きましたが、1分前になって兄がトイレに行きたいと言い出しました。
ちょっと時間ぎりぎりなので、本人も迷ったのですが、まあいいんじゃないのと全員が賛成、ところがそれこそ10秒の差でバスに間に合わずに、待っていたバスには乗りそこないました。
運転手に頼めば大丈夫だったのですが、そんなことは誰もする気が起きないまま、バスは発車。
なにしろ予定が全くないので、バスに乗り遅れたこともみんなで楽しむことにしました。
こういう旅は実にいいです。
時間から解放されるだけで、人生は豊かになります。

節子なら、こういう旅こそ旅だというでしょう。
昔の私は、こんな豊かな旅はしなかったでしょう。
私がこういう感覚を身につけられたのは、節子からの長年の影響です。
昔の私は「無駄のない時間予定」を組むタイプだったのです。
いまではあまり考えられませんが。

せっかく箱根まで行って、いわゆる観光地には一切寄らないで降りてきましたが、それでもバスから富士山も少し見えましたし、大涌谷の噴煙も見ましたし、ガスのにおいもかぎました。
芦ノ湖畔もわずかばかり散策しましたし、まだ咲き残っていた桜も見ました。
火山のガスでやられた立木群も見ました。
そういうおかげで、いとこたちとの会話もいつもとは違った気がします。

さて来年は会えるでしょうか。
まあ今回の様子だと大丈夫でしょう。
ちなみに今月初めに、一番年長のいとこが一人亡くなったのです。
いつどうなるかは、この歳になるとわかりません。
今回の旅行が予定も目的地もなかったので豊かな時間を過ごせたように、人生もそういう生き方が豊かなのかもしれません。
この歳になって、ようやくそんなことがわかってきました。

最後になぜか旅館を手配してくれたいとこが、みんなに飴を配ってくれました。
飴をしゃぶりながら、小田原で解散。
なんだかほっこりした旅でした。

■4193:それぞれの人生(2019年4月18日)
節子
いとこ旅行の間、4人でよく話しましたが、これまであまり知らなかったそれぞれの人生を改めて知りました。
いとこといっても、それぞれの人生はなかなか見えてこないものです。
初めて知ったことも少なくありません。
何となく知っていたこともありましたが、思っていたのとは違ったイメージのものもありました。
2日間の旅行中、ほとんど話し合っていましたので、昔の話も出ましたが、その記憶もまたそれぞれでした。

2人のいとこは、私とは違ってゴルフやスキーなどをずっとやっています。
一人は、いまでもPGAの追っかけで海外にも行っているようで、タイガー・ウッズの話も盛り上がりました。
ゴルフをやらない私だけは話されている言葉自体がわからずにいましたが。

学校の先生をしているいとこは、バスケットや冬山登山などをやっていましたが、いまも日本体育協会のいろんな役職をやっていて、その分野の有名人とも交流があるのですが、これまたスポーツ音痴の私にはあまりわかりませんでした。

80代が2人と70代が1人、そして60代ですが、親族関係の記憶に関しては、世代の違いは大きいです。
80代は2人とも長男、他は次男・三男ということもあるかもしれません。
特に私は過去の記憶に関心がないせいか、年上の80代の2人から聞く話には驚く話がありました。
自分の親の話でさえも、兄と違って、あんまり知らないことに驚きました。

考えてみれば、私の娘たちは、私や節子の祖父母の話はほとんど知らないでしょう。
父母の話だってそうは知らないはずです。
こうやって人の記憶は失われていくわけです。
私の記憶が残るのは、私の場合はたった一人の孫にだけでしょう。
そう思うと、自分の生きたあかしや成果を形に残しておきたいという人の思いも理解できます。
もっとも私はそうしたことにはまったく関心はありませんし、意味も感じません。
有名な人の伝記にしても、たぶん実際のその人の人生とは違うものだろうと思うからです。
自分とは違う自分の痕跡いくら残しても意味はありません。

しかし、同時代を生きてきたいとこだって、こんなにも知らなかったのかと驚きました。
そうであれば、たかだか数十年、いや数年、知り合っただけの友人知人の人生など、わかるはずもない。
知ったような積りで、友人知人と付き合うことの軽挙は避けなければいけないと改めて思いました。

人はみな、それぞれの深い人生を生きている。
そこから学び合うこと、支え合うことがたくさんあることに気づかなければいけません。
今回の従兄弟旅行は、私にさまざまなことを教えてくれました。
一番身近な兄のことさえ、あまりに知らなかったことにも反省させられました。
まあこの歳になって遅きに失しましたが。

もっと早く従兄弟旅行をすればよかったと、少し思いました。

■4194:湯河原に立ち寄りました(2019年4月18日)
節子
従兄弟たちと小田原で解散した後、湯河原に立ち寄りました。
というのは、先月来た時にガス給湯器が稼働せずに、配管のカバーなどがボロボロになっていて、いささか心配だったからです。
ガス会社に連絡して、とりあえず見てもらいました。
急だったので、完全補修とはいきませんでしたが、とりあえず爆発などの危険がないことを確認しました。
一泊する予定でしたが、とりあえずしばらくは大丈夫だというので、改めてまた事前に連絡をして出直すことにしました。
湯河原で過ごすには、最近、いささか精神的に弱くなっているからです。

節子がいなくなってから、何回か湯河原に立ち寄ったことはあるのですが、長居はできません。
あまりにたくさんのものが感じられるからです。
それで、遅くなっても夜帰ることにしました。

せっかく寄ったので、数冊、本を持ち帰ることにしました。
一時は、湯河原を仕事場にしていたので、書籍の多くをここに移したのですが、節子の発病後、そのほとんどをまた我孫子に返送しました。
ですから大事な本はもうあまりないのですが、それでも時々、読みたくなる本はあります。
思い出の総多くは持てませんが、今回も10冊ほど持ち帰ることにしました。
前回、忘れていた「荘子」も持ち帰りました。
帰り際にふと目についた「輪廻転生」も。

帰路も東海道線で帰りましたが、疲れが出てずっと眠っていました。
昨夜はあまり寝ていないのです。

3日の休暇が2日で終わりました。
帰宅したら娘が私の好きなタケノコご飯を用意してくれていました。
遅い夕食を食べて、おふろにも入らず寝てしまいました。

湯河原に行くと、なぜかどっと疲れます。

■4195:畑に孫が来ました(2019年4月19日)
節子
気持ちの良い朝です。
予定を1日はやめて帰宅しましたが、それは誰にも内緒にして、今日は「存在しない1日」として、のんびり過ごそうと思います。
その合間に、この2日間の挽歌を気の向くままに書き込みながら。
パソコンのネットなどを開くと、ついつい引きずりこまれるので、ネットは厳禁です。

午後、畑に行きました。
しばらく行けなかったので、心配していましたが、留守中には娘が水やりに行ってくれたようです。
水をやっていたら、通りがかりの人が、咲いているチューリップを見て、あら、こんなところにチューリップが咲いている、もったいない、と言っていたそうです。
まだまだわが家の花壇は認められていない存在です。

畑がまた野草に覆われだしているので、先日新たに作った2列の畦を再度、畑らしくしました。
ここには、キュウリとミニトマトとナスを植える予定です。
しかし改めて畦を整備したら、相変わらずまだ篠笹の根がたくさん残っています。
かなりていねいにとったつもりですが、そう簡単ではないのです。

イチゴの畑を倍増させ、株分けをし、新たな株を増やしました。
もう一つ、小さな畑を開墾し、そこに風よけの背の低い樹木を植える準備をしました。
ちょっとうれしかったのは、今日はミミズにだいぶ出合ったことです。
ミミズが増えているということは、畑になってきたということでしょうから。

これまでの畑は放置していた青菜系の野菜の花が満開ですが、これはもう少し咲かせておこうと思いま+す。
菜の花に蝶が舞う風景は、とてもいいですので。

そんな作業をしていたら、孫とユカがやってきました。
孫はシズミチョウとテントウムシ(もどきですが)を見つけて喜んでいました。
ミミズに触らせたかったのですが、先ほどあれほどいたミミズが見つかりませんでした。
代わりにダンゴ虫が見つかりましたし、なんだかよくわからないアブのような羽のある虫も見つかりました。
畑はやはり
生命の宝庫です。

畑に雑木が成長していて、それを今年の初め伐ったのですが、それを自宅に運ぶのを孫が手伝うというので、彼女に手伝ってもらいました。
孫は手伝いが大好きなのです。
そんなわけで、午後は畑作業にすっかりかかりっきりでした。
もしかしたら、孫のにこは節子の血をひいて、花の手入れが好きかもしれません。

帰宅してみんなでお茶をしましたが、孫は卵アレルギーなので、なかなか食べるものがありません。
昨日買ってきたお饅頭が卵不使用だったので、それをおいしそうに食べてくれました。

「ボーっ」と生きた1日でした。

■4196:休ネット日(2019年4月19日)
節子
この3日間近く、インターネットから遮断されていました。
今日はパソコンには挽歌を欠くために時々向かいましたが、ネットからは離れていました。
外部からのノイズに惑わされることなく、平穏な時間を過ごせました。
これはなかなかいいです。
休肝日ならぬ、休ネット日をこれから時々も受けた方がいいかもしれません。
今の私の生き方は、朝起きてらまずはネット確認、寝る前にもまたネット確認でしたが、この生き方を見直すのがいいかもしれません。

最近は以前ほどメールも来ませんので、そう困ることもないでしょう。
それに1日くらい遅れて困ることはないでしょう。

しかしスマホを持ち歩くと、電車などで時間ができるとついついスマホでメールやフェイスブックを見たくなります。
ですから、スマホもできるだけ持ち歩かないようにしようと思います。
昔はスマホなどなかったのですから、少しくらい不便でも大丈夫でしょう。

さてこれで今回のネット遮断は終わり、これからネットでのメールやフェイスブックを始めます。
悩ましいメールが入っていなければいいのですが。

■4197:挽歌を書き続けられていることに感謝(2019年4月20日)
節子
昨夜は久しぶりにネットやフェイスブックを開きました。
いろんなメールが入っていました。
そのなかに、エジプトの中野さんからのメールがありました。
先日挽歌(4187)に書いた、エジプト考古学者の河江肖剰さんのインタビュー記事に中野さんのお名前があったので、ついつい中野さんにメールしてしまったのです。
中野さんが、この「挽歌」を読んでいてくださっていることを失念していました。
うれしいメールでした。

ついうっかりと意識の外へと言ってしまいますが、この挽歌を読んでいてくださる方がいるのです。
最近は自分の日記のようになってしまっていますし、基本的にはもし節子がいたら夕食を食べながら雑談するような内容が多いのですが、それでも今も毎日150〜200人ほどの人がアクセスしてくれています。
もっとも時評編もあるので、むしろそちらの方がアクセスは多いでしょうから、挽歌の読者はずっと少ないでしょう。
それでもたぶん10人以上はいるでしょう。
ありがたいことです。

時評編は読み手を想定していますが、挽歌編は独言のようなものです。
それでも、読者がいることは、書き手にとっては大きな支えになります。
この挽歌篇で、一番元気をもらっているのは私自身です。

挽歌を書き続けることで、私は何とかおかしな時期を乗り越えられました。
最近はようやくなんとかまっすぐ生きられるようになっていますが、一時は迷走しそうでした。
事実、かなり迷走してしまい、いまもその重荷を背負ってしまっていますが、それもなんとかなってきました。

こういう、開かれた場で、挽歌を書き続けられていることに感謝しなければいけません。

■4198:我慢せず、我儘に、しかし我執からは解放される生き方(2019年4月20日)
節子
人はなかなかな変われないものです。
あまりに自分の愚行に自己嫌悪に陥ってしまうのですが、人生最後くらいは平安に生きたいと思っているのですが、相変わらず我が出てしまい、余計なひと言を口にしてしまう性向から抜け出せません。
今日も湯島でサロンがあったのですが、また余計なひと言を加えてしまいました。
困ったものです。

「我儘」と「我慢」という言葉の「我」は同じものでしょうか。
これは以前から気になっていることです。
私は「我が儘に生きる」ことを大切にしていますが、だからといって「我を通す」生き方は避けたいと思っていますし、「我慢」もしたくないと思っています。

「我慢」という言葉はとても多義的です。
最近では、「自己主張を抑える」とか「忍耐」とかいう意味でつかわれますが、本来は、「我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること」といった意味だと辞書には書かれています。

日本大百科全書(ニッポニカ)にはこんな説明があります。
長いですが、ほぼ全文を紹介します。

サンスクリット語asmimnaの訳語。
仏教教義においては、心の傲りを「慢」と称して煩悩の一種に数えているが、それに7種あるという。
そのうち、「私は劣れるものより勝れているとか、等しいものと等しいのである」というように「私は……である」と考える心の傲りが狭義の慢であり、「五取蘊(ごしゅうん)(5つの執着の要素)は我(が)あるいは我所(がしょ)からなるものである」と考える心の傲りを我慢と称するのである。
しかし一般には、自己を恃(たの)んで他人を軽んずる意に用いられ、その意味では我執とほぼ同様の意味である。
我執とは、なにかにつけ「俺が俺が」と自己主張してやまない態度をさす。
仏陀は、「人の思いはどこにでも飛んで行くことができる。だが、どこに飛んで行こうとも、自己より愛しいものをみつけ出すことはできない。それと同じように他の人々にも自己はこよなく愛しい。されば、自己の愛しいことを知るものは、他の人々を害してはならない」と、自己の立場を止揚して他者の立場に転換することを強調したのであるが、これは、「汝の隣人を汝自身を愛するように愛せ」と説いたキリストの精神と相通ずるものである。

我慢と我執が同義というのは、とても興味深いところです。
さらに、それが「博愛」につながっていくのは、もっと興味深いです。
たしかに、本当に自分のためを願ったら、小さな自分だけではなく、自分がそこで生きている社会全体のための方が、優先されるはずです。
これは私の体験から来ていることですが、小さな自分の「我執」から抜け出すのは難しい。

我慢せず、我儘に、しかし我執からは解放される。
そういう生き方を今年は、何とか実現したいと思います。
節子との関係では、それができたのですから、できないはずはないでしょうから。

■4199:「家族という呪い」(2019年4月21日)
節子
昨日はサロンだったのですが、湯島に行く電車で最近出た「家族という呪い」という阿部恭子さんの新書を読みました。
副題が「加害者と暮らし続けるということ」とあったのが気になったからです。
読み終えて、湯島に着くころは気分がげんなりしてしまいました。
著者の阿部さんは加害者家族支援のNPO法人を立ち上げ、加害者家族の相談に乗ってきています。
幻冬舎の新書なので、軽く読めてしまう本ですが、同じ新書に下重暁子さんの「家族という病」という本もありますが、こういうタイトルに大きな違和感があります。
家族は「呪い」や「病」なのか。
そもそもそういうとらえ方に、私は不快感を持ってしまいます。

「ミッション・クリープ」という言葉があります。
当初対象としていた範囲を拡大したり、いつ終わるか見通しが立たないまま人や物の投入を続けていかなくてはならなくなった軍事政策を批判するアメリカの軍事用語でしたが、
「終わりの見えない展開」という意味で、広く使われてきています。
たとえば、人権概念の広がりにも使われることがあります。
どんどん対象を拡大している人権運動が、動物や自然にまで広がっているのはその一例です。
最近のパワハラやセクハラの捉え方も、そうかもしれません。

そういう動きを否定するつもりはありませんが、いささかの行き過ぎを感ずることもあります。
前にも時評編では「ゼロ・トレランス」への懸念を書いたことがありますが、とまることのないミッション・クリープにも危惧を感じています。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2007/12/post_ffbe.html
特に最近は私たちが生きる拠り所にしてきた家族が攻撃対象になっているのは残念です。
「攻撃」するのではなく「改善」していきたいと思います。
そういう意味で、私は「家族という呪い」とか「家族という病」とかいう言葉を軽軽に使う人の見識を疑いますが、しかしそういうほうが多くの人の関心を呼んで、問題意識を持ってもらうのには効果的なのでしょう。
ですから一概に否定すべきではないのですが、どうしても好きになれません。
「言葉」は「実体」を創っていくからです。

ところで、「家族という呪い」にはおぞましいほどのたくさんの事例が紹介されています。
ですから読み終えた後、げんなりしてしまって、昨日は元気が出ませんでした。
それがサロンにも少し出てしまい、疲れがさらに大きくなってしまいました。

人と関われば、良いことも悪いこともあります。
「呪い」を感ずることもあれば、「病」を感ずることもある。
しかし、そうでないこともたくさんあります。

大切なのは「病の家族」を健やかにし、「家族を苦しめる呪い」を祓っていくことです。
伴侶を亡くしたものにとって、病であろうと呪いであろうと家族も親子もとても価値のあるものです。
そして、それがあればこそ、家族のような仲間も生まれてくる。
ちなみに、私が考える家族は、血縁でも異性を軸にしたものでもありません。
一緒に暮らす(生きる)人の暮らし方くらいの意味です。
その基本モデルが、現在の「家族」制度ですが、その制度に制約される必要はないでしょう。
制度はあくまでも「手段」ですから、状況によって変わらなければいけません。

有識者の呪いや病を直してやりたい気もしますが、私の方が呪いにかかり、病を得ているのかもしれません。
それにしても、家族とは不思議なものです。
節子との関係を思うと、つくづくそう思います。

■4200:長生きすることへの恐れ(2019年4月22日)
節子
福井にいる節子の姉と電話しました。
いつもお米や野菜を送ってもらっているのですが、昨年くらいからあまり体調も良くなく、ジュンが電話したらどうもまた悪くなっているようなので、電話したのです。
声は元気ですが、腰や足があんまりよくないみたいです。
今年でコメ作りもやめるそうです。
そういえば、今年はタケノコが送られてきませんでしたが、タケノコ掘りもやめたのでしょう。
ということは、かなり状況は悪いのかもしれません。
何か私にできることはないかと考えても思いつきません。
困ったものです。
今年の夏には節子の13回忌を予定していますが、東京に来るのは難しいかもしれません。
だんだんそういう歳になってきてしまいました。

先日、一番年長だったいとこが亡くなりました。
さて次はだれか。
この歳になると、早く旅立つ方がたぶん「幸せ」でしょう。
遺されるものの悲しさやつらさは、体験してみないとわかりません。
そう考えると、この歳になると長生きしたいという思いよりも、長生きすることへの恐れの方が高まります。
私も、そろそろ長生きへの不安が出てきました。

もちろんみんなが長生きできるのであれば、長生きするに越したことはありません。
しかしそうもいかない。
時々、そんなことを考えるようになりました。

高齢者の多くは、長生きへの不安を持っているのではないかと思いますが、それは私だけなのでしょうか。

■4201:久しぶりに市役所に行きました(2019年4月22日)
節子
久しぶりに市役所に行きました。
私が知っているのは副市長の青木さんですが、25年ほど前に、我孫子市の総合計画を策定するときに審議委員をさせてもらったのですが、それ以来のお付き合いです。
審議委員になったのは、当時の市長の福嶋さんから頼まれたのですが、その時、事務局の中心にいたのが青木さんです。
福嶋さんとはその後、ちょっと意見が合わずに関係が決裂してしまいましたが、その時も青木さんが間に入ってとりなそうと話し合いの場までつくってくれました。
しかし私も福嶋さんも、せっかくのその場をまた壊してしまいました。

以来、私と福嶋さんは一度もお会いしていません。
節子は民生委員や花かご会の活動などで、福嶋さんにはいい感じを持っています。
ですからちょっと節子には申し訳ない気もします。

福嶋さんの後の市長の星野さんの2期目の選挙の時には、私は対抗馬に荷担してしまい、青木さんとは選挙で争う関係になりました。
選挙結果は青木さんが支援した現市長が勝利しましたが、だからといって、私と青木さんの関係がおかしくなることはありませんでした。
その後もまあいろいろとあるのですが、何かあると青木さんに相談に行くわけです。
青木さんは迷惑していることでしょう。

昨日は秘書室に行ったら、斉藤さんがいました。
斉藤さんにもとてもお世話になったのです。
なんでお世話になったかを書くと笑われそうなのでやめますが。

節子がいたら、市役所との関係ももう少し変わったものになったかもしれません。
節子もあまり常識があったとも思えませんが、私よりも少しはまともでしたから。
節子の不在は、私と我孫子市との関係にも、いろいろと影響があるなと、昨日は思いました。

■4202:話す相手と語る相手(2019年4月23日)
節子
うれしい電話がありました。

社会保障問題や原発事故賠償問題などに誠実に取り組んでいる元大学教授だったHさんが電話をくれました。
一昨日のサロンに来る予定だったのですが、来られなかったので気になっていました。
お会いできないのが残念だなと思っていたのですが、Hさんも同じようで、私の声を聞きたいといって電話してきてくれたのです。

Hさんは私が尊敬し信頼する大学教授でした。
いまはもう引退されていますが、社会への思いは強いです。
弱い者の立場でいつもものを考えていて、決して時流に乗ずることのない人です。
ですから、いつも疲れています。
たぶん語る相手もそういないでしょう。
私と一緒です。
私も、話し相手はたくさんいますが、語り相手はほとんどいません。
こんなことを言うとまた友人に叱られそうですが、なかなか会話が成り立たないのです。
私がちょっとずれているのです。

でもHさんは、私のことをきっとわかってくれています。
ですから少しくらい意見や発想が違っても、語り合えるのです。
そういう人がいるだけで、人は少し安心できます。
電話ではなく、また佐藤さんと話したいので湯島に行くといってくれました。
うれしいことです。

Hさんとは共済研究会でしばらくご一緒しただけです。
その時にご一緒した大学教授たちとはもう付き合いはなくなってしまっていますが、なぜかHさんだけは湯島にまで来てくれています。
Hさんのような人がいるおかげで、元気が出ます。

いつかサロンをやってもらおうと思います。

■4203:コーラと食生活(2019年4月24日)
節子
今日は寝坊してしまいました。
目が覚めたら7時半。少し寝不足が続いていたのでしょう。

先日のサロンで、私がコーラを飲んでいることが話題になりました。
消費者活動を長らくしてきたという初対面の女性からは「歯が溶けませんか」と質問されました。
それで、「歯医者さんからも得られるほど歯は丈夫です」と、また余計なひと言を言ってしまいました。
私は今なお「消費者運動」などといって言っている女性たちにはどうしても共感できません。
それに「コーラ」がよくないとか無農薬の有機野菜でなければいけないとかいう教条主義者(友人にも多いのですが)にはまったく共感できません。

私もかつては消費者問題にかなり関心を持っていました。
1970年代にアメリカでラルフ・ネーダーが起こしたコンシューマリズムにも関心を持ち、当時勤務していた会社で問題提起もしたほどです。
消費者問題に関する懸賞論文で入賞し、その授賞式で、「そろそろ消費者などというのを辞めて生活者と言おう」と話したときには、まるで自分が「生活者」という言葉を発見したような気分になっていました。
その後、調べてみたら、すでに「生活者」という言葉はありましたが、その頃は自分で新しい概念を発見したような気分になっていたのです。

「消費者」は、言うまでもなく、「金銭市場主義経済」の重要な要素であり、その論理に組み込まれてしまっています。
時評編で書いたことがありますが、消費者意識から解放されなき限り、経済も社会も変わらないでしょう。
また「コーラ」が悪いのであれば、現在出回っているものすべてもまたその「悪さ」からは無縁ではありません。
世界に存在するものはすべて、大きなつながりの中で存在しているのですから。
各論最適解は全体を壊していくことを、消費者問題に取り組んでいる人たちには気付いてほしいものです。

節子の実家に最初に挨拶に行ったとき、節子の両親はお酒ではなくコーラも用意しておいてくれました。
節子が話していたからですが、コーラを飲んでいることを知って、そんな健康に悪いものを飲んでいて大丈夫かと心配していたそうです。
それでもコーラを用意しておいてくれたわけですが、今となっては懐かしい話です。
ちなみに、コーラが用意されていたのは最初だけでした。

ちなみに、私の食生活は、心身が欲するものを飲食するというスタイルです。
コーラを飲むといっても、最近は年に数回です。
健康に悪いとか歯が溶けるとかいう理由で、自らの食生活を変える気は全くありませんし、逆に友人が健康にいいからといって持ってきてくれる有機野菜などはありがたく食べさせてもらっています。
もちろん賞味期限などはまったく意に介しません。
食べていいかどうかくらいは、まだわかりますので。

しかしなぜか中国産のうなぎだけは食べられません。
それがなぜかはわかりませんが。

■4204:野菜の苗(2019年4月24日)
節子
野菜の苗を買いに行きました。
畑の準備はだいぶできてきましたが、植えるべき苗を買いに行けていなかったのです。
昨年、畑からとっておいたいろんな野菜の種子を自宅の苗床に蒔いておいたのですが、いい加減に巻いておいたので、どれが何やらまったくわからない状況ですので、やはり苗を買ってくることにしました。
野菜作りは、いい加減にやっていてはいけません。
私にはあまり向いていないようです。

近くのお店に行って、育てるのが簡単そうなのを何種類かかってきました。
キュウリ、ナス、トマト、ピーマン、オクラ、ブロッコリー、まだなんかあったような気がしますが。
種から芽が出始めた、なんだかよくわからない苗も自宅に数種類ありますので、15種類くらいにはなるでしょう。
これで今年のわが家の野菜は自給できるかもしれません。
まあうまく育てばですが。

それにしても野菜の増殖率には驚きます。
いや生命のすごさといってもいいでしょう。
野菜と付き合っていると、生命というものの理解が深まります。

■4205:家族の物語(2019年4月24日)
節子
最近、いろんな人たちから「家族の物語」を聞く機会が、なぜか多いのです。
先日、挽歌でも書きましたが、家族にまつわる本も何冊か読みました。

家族には、それぞれ表情と物語があります。
よく家族が壊れてきているといわれますし、私もそう感じていますが、壊れているというよりも変質しているというべきかもしれません。

私に関して言えば、私の家族はそう変わっていないような気がします。
もちろん、両親が中心になっていた家族と私たち夫婦が中心になっていた家族、そして節子がいなくなってからの家族は、それぞれに違いますが、いずれも私の生活の支えであることには変わりはありません。
家族は、人を育て、人をまもる、個人にとっては拠り所の一つだろうと思います。
私が、いまのような性格になり、いまのような生き方をしているのは、私が育ち生活の基盤にしてきている家族のおかげです。
もし、家族がなければ、いまの私はありません。

「家族」は自分一人でつくれるわけではありません。
また、血縁も家族にとっては本質的な要件ではありません。
そもそも夫婦家族がそうであるように、家族の核にあるのは、血縁ではありません。
「血のつながり」は、家族にとっては本質的なものではないでしょう。
節子がいなくなってから改めてそれがよくわかりますが、夫婦と親子とは全く別次元のものであるように思います。
両親や節子がいなくなった今、私の家族は娘たちですが、娘たちは要するに自分の延長的な存在でしかありません。

この2か月の間に、なぜか4人の人からかなり詳しい家族の物語をお聞きしましたが、いずれも兄弟姉妹の話でした。
おひとりは、最近、音信不通になってしまった人ですが、その人のお知り合いの人からいろいろとお話をお聞きしました。
後の3人は、ご自身のお話です。
いずれも兄弟姉妹の関係の話です。
夫婦よりも、やはり血のつながりのある兄弟姉妹のほうが、物語性があるのでしょうか。
あるいは、親子と違って、同世代なので、その物語は生々しいのかもしれません。

「家族」が問題になっていますが、問題は「家族」ではなく、「血縁」なのかもしれません。
血のつながりは家族の本質ではないとすれば、変質ないし壊れだしているのは、「家族」ではなく、「血の意味」かもしれません。
ちょっと大きな問題すぎて、まだよくわかりませんが、生きる基盤としての「家族」の問題はやはり考えていくべき大切な課題のようです。

■4206:酢タマネギをつくりました(2019年4月25日)
節子
最近、酢タマネギを食べるのを少しサボっていました。
そのせいかちょっと体調がすぐれません。
血圧がまた高くなっているのかもしれません。
酢タマネギだけではなく、ほかの処方もほとんどみんなさぼっています。
困ったものです。

それで今日は在宅だったので、頑張ってタマネギを4つ、酢タマネギにしました。
タマネギをスライスして、リンゴ酢でつけて、そこにはちみつと少量のお醤油を入れるのが最近のやり方です。
酢タマネギだけは私が作る担当です。
食べるのも私だけですが。

体調が悪いのは血圧だけとは限りません。
一時期、かなり目を酷使したため、目の調子もあまりよくありません。
先週、旅行に行ってパソコンから解放されていましたが、まああんまり状況は変わっていません。

身体は衰えるのに任せようと先月まで思っていましたが、もう少し在世することにしたので少しはいたわらないといけません。
まあしかし、いたわってよくなるくらいの身体ならば、いたわらなくてもそう大きくは変わらないでしょう。
ただ心構えだけは少し変わるかもしれません。

■4207:孫と付き合って疲れました(2019年4月25日)
節子
節子には申し訳なのですが、今日は孫と娘たちと一緒に近くのショッピングモールに行きました。
長靴が小さくなったので長靴を買おうというのが目的です。

ついでにみんなで食事をすることになりましたが、孫はまだ「卵アレルギー」なので食事に制約があります。
結局、いつもの有機野菜をつかった野菜料理店に行きました。
私はあんまり得手ではないお店です。
食事中に、孫から「おさむさんの名前は何というのか」と質問されました。
孫は私のことを「おさむさん」と呼ぶのですが、どうも「個人の名前」とは思っていなかったようです。
最近どうも人にはそれぞれに名前があることを知ったようです。

長靴はなかなかお気に入りが見つからず、途中でおもちゃ屋さんや遊ぶ場所に引っかかりました。
子どもに付き合うのは結構大変で、それなりにつかれました。
とにかくちょこまか動きます。

孫は間もなく3歳ですが、これくらいになると自己主張しだします。
また何かに引っかかってしまうと動かなくなります。

長靴は、なんとかお気に入りを見つけました。
娘は節約家なので、買い物は実に慎重です。
私の記憶では、娘たちはあまりものをねだりませんでした。
孫も、おもちゃ売り場ではいろいろといじくっていますが、あまり欲しいとは言いません。
だから逆に何を買ってやったらいいのかわかりません。
ほしいものがないかと聞いても、まだ答えは返ってきません。
ともかく遊ぶので精一杯です。
まだ「所有」という考えがないのかもしれません。

私は、買い物が苦手ですが、節子がいたらきっと孫との買い物を楽しむでしょう。
孫との買い物を楽しむことができなかった節子を思うと、いつもなんだか悪いような気がしてしまいます。

たかだか4時間ほどのショッピングでしたが、疲れました。
夕方、また孫と娘が自宅にやってきました。
近くに住んでいるのです。
孫は疲れ知らずのようにぴょんぴょん飛び跳ねていました。
私とは生命力が全くと言っていいほど違うようです。

今日もまた予定していた仕事ができませんでした。
そのうえ、畑にも行けませんでした。

■4208:ミニ同窓会(2019年4月26日)
節子
小学校時代のミニ同窓会を湯島で開催しました。
男性3人、女性6人が集まりましたが、にぎやかだったのは女性たちでした。
なんとまあみん姦しいことか。
4時間以上、ずっと話しっぱなしで、男性たちは片隅で小さくなっているほどでした。

私にとっては、50年ぶりに会った人もいます。
毎月会っている人もいますが。

昨年から隔月で開催しながら、少しずつ輪を広げていこうと思っていましたが、なかなか輪は広がりません。
結局、女性たちの多くは全員に呼びかけてクラス会をやりたいということになりました。

小学校時代の先生もまだ一人はご健在です。
私は、クラス会にはあまり参加しないのですが、
前回参加した時にお会いしました。

私はクラス会や同窓会にはあまり参加しないタイプです。
みんなもそれを知っていますので、その私がなぜこんなスタイルで湯島でミニ同窓会を始めたのか、理解しにくいでしょう。
私自身、自分がこんなことを始めたのが意外です。
それでもみんなは今回も喜んでくれました。
話す場は、あるようでないのかもしれません。

写真を撮るのを忘れてしまいました。
いつも写真を撮るのが好きな人が病気で参加できなかったからです。

今年の秋にはクラス会をやろうかということになったようです。
もう一度みんなに会っておきたいという気分が、女性たちにはあるようです。
会いたければ会いに行けばいいだけの話のような気もしますが、どうもそう簡単でもないようです。

ちなみに、みんな来世を信じていないようで、驚きました。
いや、私が来世を信じているのが異常なのかもしれません。

■4209:10連休の始まり(2019年4月27日)
節子
10連休の始まりです。
といっても、私にはあまり影響はない話ですが。
制度的な休日という概念から自由になってからもう30年間にもなりますので。
しかも最近は「曜日」の感覚もなくなってきています。

とはいいものの、まったく関係がないわけではありません。
そもそも「10連休が始まった」などと思うこと自体が、すでにその世界に生きているということです。

10連休中にはサロン三昧をしてみようかと思ったこともあるのですが、結局、サロンはあまりやらないことにしました。
自分自身の周辺があまりにとり散らかっているので、少し(物理的にも精神的にも課題的にも)身辺整理をしようかと思っています。
まあそれができる可能性は小さいですが。
そもそも人は「この期間に何かをやろう」などと思っても、そうはいかないものです。
ほんとにやろうというのであれば、「何かをやろう」などと思うことはないからです。
やればいいだけですから。

雨も上がっているので、まずは畑に行って、野菜を植えてくることから始めようと思います。
なにしろたくさんの野菜の苗と種が、待っていますので。
昨日からちょっとまた寒くなってきたのが気になりますが。

■4210:お天道様は見放さない(2019年4月27日)
節子
畑にたくさんの野菜の苗を植えてきました。
もっとも今日は寒いくらいの日で、植えるにはあんまり適していない日でしたが。
それに放置していたキャベツや菜の花を全部抜いてきました。
畑らしい雰囲気を維持したくて、抜かずにいたのですが、大きくなりすぎて、その処置に大変なほどに育ってしまいました。

家で巻いていた種は、どうやらメロンのようです。
昨年食べた「高月メロン」の種かもしれません。
節子の実家ある高月のメロンです。
畑に植えて、温室にしてこようと思ったのですが、雨が降り出したのでやめました。

畑をやったことをフェイスブックに書いたら、すぎのファームの杉野さんが、「今年は気温が低く、作物もなかなか順調ではないかもしれません。でも、お天道様は見放しはしませんが」と書いてきてくれました。
「お天道様は見放さない」、いい言葉です。
きっと節子も見放さないでしょう。

種からのメロンとスイカを今年は食べられるほどに育てたいと思います。

■4211:敦賀のタケノコ(2019年4月27日)
節子
敦賀のタケノコが届きました。
節子の姉夫婦が送ってくれたのです。
姉夫婦は2人とも足腰を痛めたりしたので、今年は無理だろうと思っていましたが、いつも以上に大きなタケノコが送られてきました。
今年はもう終わりだなと思っていたのですが、思わぬプレゼントです。
半分をジュンのところに持っていきました。

そういえば、昨日の小学校時代のミニクラス会でも私がタケノコを好きなのを知って、わざわざ料理して持ってきてくれた人がいます。
ミニクラス会の時には女性たちがお昼ご飯を持ってきてくれるのです。
今年はタケノコの裏作の年だそうですが、今年もたくさんのタケノコを食べてしまいました。
私には恵まれた年でした。

私は、食生活に関しては、与えられるものを素直にいただくようになってきています。
節子がいたころは、かなり好き嫌いがあったと思いますが、最近の私には節子は驚いているかもしれません。
これも生きる基本をお布施スタイルにしたからかもしれません。

お布施というのは、誰かに何かを恵んでもらうということではありません。
誰かが提供してくれたものは選ぶことなくいただくということです。
「もらう」のではなく、「引き受ける」という方がいいかもしれません。
それは食べ物に限るわけではなく、誰かが何かを私にくれたら、どんなものでも受け取るということです。
そこから「受け取る者の責任」ということが発生しますが、それはそれなりに大変なのです。
だから布施を受けることは、十分に社会的行為であり、利他的な行為なのです。
これはなかなかわかってはもらえないでしょうが、たぶん過去の私のことを知っている節子ならわかるでしょう。

誤解されそうですが、敦賀のタケノコはそんなややこしい話とは無縁に、私にもうれしいプレゼントでした。
あく抜きが大変だと娘のユカは嘆いていますが、まあこれは娘としての責務でしょう。
いや娘の幸せかもしれません。
なにしろ今となってはもう節子の好きなものを料理することはできないのですから。

こういう私の考え方が、娘にはあまり気に入っていないようですが。
困ったものです。

■4212:「死は人を豊かにする」(2019年4月28日)
節子
実にいい天気です。
植えなければいけない苗がまだ何本かある上に、花の種をまだ蒔いていないので、畑に行きたいのですが、今日は朝から用事があり、そのうえ、湯島でサロンもあります。
帰りもたぶん夜になるので、残念ですが、今日は畑作業はできません。
畑にメロンとスイカのミニ温室をつくろうと昨日思い立ったので、早く作業に入りたいのですが、うまくいきません。
明日になるとまた気分が変わってしまわないかと少し心配ですが。
人生はなかなかうまくいかないものです。

今日、半分眠りながら、テレビの「こころの時代」を聞いていました。
後できちんと見直してみようと思っていますが、そこで「死は人を豊かにする」という発言があったような気がします。
半分寝ていたので、確かではありませんが。

「死は人を豊かにする」といっても、死んでしまえば、別次元に移行しますので、死の当事者を豊かにするという意味ではありません。
死と触れ合うことで、人は豊かになるということでしょう。
父親の死の直前、その介護にかかわったおかげで、それまで嫌いだった父がほんとは好きだったのだと気付いたという人の話が紹介されていました。
逆の事例もあるでしょうが、そもそも「好き」だとか「嫌い」だとかいうのが豊かさの現れともいえるかもしれません。

「死は人を豊かにする」というのは、私の実感としても思い当ります。
しかし、そうするためには、死との出会いを大事にしなければいけません。
それとともに、死は「瞬間」の事件ではなく、継続するプロセスでもあると捉えなければいけません。
言い換えれば、死とは生なのです。
それを実感できるかどうかが大切です。

今日は湯島で、「葬儀と供養」のQ&Aサロンです。
10人ほどの人が参加しますが、死の捉え方を変えていければと思っています。
死や葬儀を明るく語りたいものです。

■4213:年齢は捨てられません(2019年4月29日)
節子
20年ほど前、アンチエージングが話題になった事があります。
高齢化が問題になっていたころです。
以来、年を取ることへのマイナスイメージは定着しました。
当時、私もそうした考えに大きな違和感を持っていませんでした。
もっとも「高齢化」に関しては私自身はプラスの評価をしていました。
「早く来い来い、高齢社会」などという小論を書いたりしてもいました。
http://cws.c.ooco.jp/siniaronnbunn2.htm

しかし最近は違和感を強めてきています。
最近、下重暁子さんが「年齢は捨てなさい」という本を出版しました。
新聞広告には「年にしばられると人生の面白さが半減する」「年齢という「呪縛」を解き放て!」と書かれていました。
こういう風潮に最近やはり強い拒否感があります。
いろんなものに「呪縛」されているのに、よりによって、捨てる対象が「年齢」とは、どうも納得できません。

私は、最近は年齢に素直に従っていますが、それを「呪縛」とは思えません。
すなおに加齢を受け入れ、それを前提に生きています。
「老人」という言葉も好きですが、実際には「老人」になれずに、意識はむしろ年齢に追いつけずにいます。
しかし、身体は素直に年齢を重ねています。

最近、高齢のドライバーの交通事故で、親子が死傷する事件が起きました。
それを契機に、高齢者ドライバーへの批判が高まり、自動車運転免許も年齢制限する必要があるのではないかという意見も出てきています。
それに対して、年齢で制限するのはおかしいとか、憲法違反だという声もあります。
自動車免許をとれるようになる年齢も含めて、いろんな分野で年齢制限されているのに、こんな論理は成り立つはずもないでしょうが、そんなご都合主義が相変わらずまかり通っています。

私は節子を見送った後、70に近付いた段階で免許は返納しました。
基本的には年齢制限をつけるべきだと思っていますし、それがなくても自分のことは自分で決めるくらいの良識は持っています。

たしかに人によって状況は違い、高齢でも運転できる人はいるでしょう。
しかしそうした個別事情を認めていたら、年齢は社会的判断の基準にはならず、社会は成り立ちません。

年齢を捨てるという発想にはやはりなじめません。
私自身は、素直に年齢に従う生き方をしたいと思っています。
しかしそれは実際には難しいのです。

その本の新聞広告に、「年齢を封印するだけで出来ることが10倍増える!」と書かれていました。
私はむしろ、「年齢を受け入れるだけで出来ることが10倍増える!」と揶揄したいですが、それはともかく、「自分を素直に受け入れるだけで出来ることがたくさんある」と思っています。
しかし、自分を素直に生きることはとても難しい。
まだまだ年齢相応の生き方ができない未熟さに、時に自己嫌悪に陥ります。

なんだか時評編のようなことを書いてしまいました。
そういえば、挽歌の番号を追いつきたくて、挽歌ばかり書いていて、時評がこのところほとんど書けていません。
挽歌を書かなくてはいけないという思いから、脱しなければいけません。

■4214:楽しいお葬式(2019年4月29日)
節子
意外な人から電話がありました。
先日の小学校時代の同級生で、ほぼ50年ぶりに会った人です。
彼女は同級生と結婚し、先日も2人できました。
病気と死の話はしたくないといっていた人です。

電話は、意外にも死にまつわる話でした。
葬儀に遺影を掲げたくなく、代わりに自分のこれまでの人生をコラージュ風に描いたパネルを掲げたいというのです。
自分でも少しアートの活動をしているので、自分でも作ってみたが、デザイナーにブラッシュアップしてほしいというのです。
そして、楽しい葬儀をしたいというのです。
まさか彼女から葬儀にまつわる相談を受けるとは思っていませんでした。

死や葬儀を語るのは、どうもみんな嫌いなようですが、ほんとは気にしているのです。

問題は、死や葬儀のイメージです。
私にとっては、死は日常的な事件であり、葬儀は人生で一番楽しいイベントのような気もします。
こう書いてしまうと、誤解されそうですが、人生の一大イベントを他者に任せ、不幸なイベントにしてしまっている世相を少しでも変えていければと思います。
まあ私自身には間に合わないかもしれませんが。

楽しいお葬式、日常のなかでの死。
それが実現できればと思いますが、そのためには今の生き方をもう少しきちんとしなければいけません。
それがなかなかできずにいます。
困ったものです。

■4215:畑はやはり大変です(2019年4月29日)
節子
今日はちょっと疲れていたので、自宅でゆっくりしていたかったのですが、孫のにこがやってきて、畑に行こうというので、畑に出かけました。
ちょっと大きなセグロバッタがいましたが、怖がりました。
ジュンによれば、以前はどんな動物も触れたのに、最近は時に怖がるようになったのだそうです。
殿様バッタと違い、セグロバッタは確かに少し不気味です。
どくろのようにも見えますし。

孫が帰った後、せっかくなので、少しまた開墾作業をすることにしました。
右手首を痛めているので、あまり力仕事はできませんし、ちょっとやって終わりにしようと思っていたのですが、花壇の草取りをしようと思って、いつもは行かない場所に足を踏み入れたら、そこが死角になっていて、竹やツルやいつの間にか生えてしまった樹木がうっそうと茂っているのに気づきました。
いま畑に使っている土地は、実は台形で、斜面があり、そこにアジサイなどの樹木があって、その先はいつもは見えないのです。
竹やツルをかけわけてみたら、その先には紫蘭が満開でした。
中途半端なチューリップよりも、自然に育っている紫蘭の方がきれいです。
今まで気づかなかったのですが、むしろわざわざ植えるのではなく、自然を生かした方がよさそうです。

畑にしろ花壇にしろ、きちんと手入れをしいていくのは大変です。
時間ができたときに適当に出かけていくスタイルでは、なかなかうまくいきません。
自然と付き合いにはそれなりに覚悟しなければいけないのです。

一生懸命に畑作業をしている間に、友人の市会議員から電話が入りました
地域の樹木が根を張っていて通行などの邪魔になっていて、どうにかしてほしいという要望があるのだが、所有者が切りたくないといってもめているのだが、何か妙案はないかという相談です。
聞けば、それも1件だけではなく、3件ももめているようです。

地域の問題は、まさに地域を育ててく資源なのです。
しかしそういう視点で考える人は少ないのです。
困ったものです。

今日は新たに野菜を植えて、花の種を蒔こうとおもったのですが、開墾作業や野草の刈り取りなどにすっかりはまってしまい、気が付いたらかなりの時間、畑で過ごしてしまいました。
またダウンするといけないので、植え付けはまた今度にすることにしました。
しかし注意しないと、野草の勢いに負けてしまうかもしれません。
植物の生長の速さは、驚くほどのものです。

■4216:平成最後の日(2019年4月30日)
節子
今日は「平成」最後の日です。

朝、配達された新聞がカラー刷りの別用紙が表紙のように新聞を覆っていたのにむっとしてしまいました。
そのせいか、新聞の中身も全くなく、新聞を読む気さえ失せてしまいました。

改元がまるで「お祭り」のようで、実際に「祭り」をうたった広告が挟み込みのなかにいくつかあります。
テレビも同じで、大みそかをも思わせるにぎやかさです。
こうした風潮にはまったくついていけません。
なにしろ社会から脱落して、もうかなりになりますし。

節子がいたら、しかし、こうはならなかったでしょう。
節子は、こうした騒ぎには冷ややかでもありましたが、お祭りには乗るタイプでした。
そこが私と違うところで、都心に新しいビルができたり、なにか目新しいイベントがあると家族を誘うタイプでした。
そのおかげで、私も少しは世間の動きを垣間見せてもらっていました。
節子がいたら、皇居に行こうとか、改元大売出しに行こうとか言いだしたかもしれません。

そういう節子のおかげで、私の自閉的な偏屈さも少しは緩和されていたかもしれません。
節子のいないいまは、改元騒ぎにはまったく関心が出てきません。
天皇の退位や継承にも全く関心はありません。

ちなみに、私は現在の天皇にも次の天皇にも好感は持っています。
象徴天皇制にも価値を感じています。
もし天皇という存在がなければ、日本の歴史も社会ももっと歪んでいったと思うからです。
「護憲」でありながら「天皇制反対」というおかしな人もいますが、私は護憲でも改憲でもなく、ただただ私とみんなが暮らしやすい社会になってほしいと思っているだけです。

節子は私以上にそうでしたから、もし元気だったら、写真集を買うかもしれません。
今の皇太子の結婚の写真集も買っていましたので。
皇居参拝にも家族で行こうと言い出し、引っ張って行ったのは節子でしたし。

私は学生のころから元号は基本的に使いませんが、節子はむしろ元号派でした。
そういう違いは、私の世界を少しだけ広げてくれていたことは間違いありません。

今回の「令和」には、私はいささか過剰に反応してしまい、いまから考えれば恥ずかしい限りですが、節子がいたら私の怒りはもう少し緩和されていたでしょう。
節子がいなくなってから、後悔することが多くなりました。
困ったものです。

■4217:得たり捨てたりしつづける世界(2019年5月1日)
節子
今年ももう、あっという間の5月です。
ともかくこの頃は時間のスピードが速くなっています。
いいかえれば私の身体速度が遅くなっているのでしょう。
しかし、だからといって、ゆったりと過ごせているわけではありません。
不思議な話ですが。

巡礼者の鈴木さんがそろそろまたサンティアゴに出かけそうですが、私はなかなか次の世界に旅立てずにいます。
そろそろ第4期にと一度は思ったのですが、その決断をまた先のばしてしまいました。
本を読むと世界が広がったり深まったり、あるいは変化したりで、心がまた揺れるので、本もやめようとも思っていましたが、これもまだ抜けられずにいます。
鈴木さんは「平成最後の断捨離」を実行しているようですが、私はまったく手付かずです。
物の断捨離はそう難しくはないと思いますが、とり散らかっている意識や思いは、なかなか整理できません。
それができない限り、物の断捨離は難しい。

節子が残していった物も、まだかなり取り残されています。
困ったものですが、思いと物はつながっていますから、そう簡単ではないのです。
まずは「思い」や「世界」を捨てないといけません。
しかし、「思い」や「世界」は、自分一人のものではないので、勝手には捨てられないのです。
書籍や資料、あるいは道具や品物をもういらないと思って廃棄した後に、なぜか不思議と、それが必要になってしまうことを私は何回か体験していますが、たぶんこれは、それを通してつながっている世界からの戒めなのだろうと思っています。
世界は私だけのものではないのです。

鈴木さんが断捨離できるのは、「巡礼」のおかげかもしれません。
鈴木さんは巡礼を通してたくさんのものを得るそうですが、それがあるから断捨離ができるのでしょう。
捨てるということは得るということに支えられている。
ただ捨てるだけでは反動がある。

捨てるということは得ることの手段であり結果なのかもしれません。
本当は、捨てることを通してなにかを得たがっている。

昨日からの日本中でのバカ騒ぎ(としか思えない改元祭り)は、実は多くの人が、何かを捨てたがり、何かを得たがっているのでしょう。
しかし、捨てることで求めているものが得られるとは限りません。
大切なのは、やはり「捨てる」ことではなく「得る」ことです。
しかし、新しい世界を得ることは自分だけではできません。

こう書いてきて、気が付きました。
時間が速く進むということは、時間を断捨離しているのではないかと。
また難問に出会ってしまいました。
少し考え直さないといけません。
書きだした時と反対の結論になってしまった。

さて今日も悩ましい1日がはじまります。
五月晴れとは全く違って、雨空で湿気も多く、さわやかでない朝です。

■4218:私の心身も連休に入ったようです(2019年5月1日)
節子
午前中、天気がよかったので、また野菜の苗を買いに行きました。
ところが午後になったら、また雨が降りそうになってきました。
畑仕事はお預けです。

10連休は私には関係ないと思っていましたが、そんなことはありませんでした。
世間が10連休だと知っているせいか、私の心身も連休に入ったようです。
自分の心身とはいえ、どうも自由にはなりません。
心身が動かないのです。
本も読む気が起きず、テレビは全く興味のない話ばかり。
録画している映画でも見ようかとも思いましたが、観たいと思うタイトルがありません。
困ったものです。

モチベーションが高まらないのは、改元騒ぎのせいかもしれません。
なかには「あけましておめでとう」などと書いてくる人もいますが、みんなもきっと退屈しているのでしょう。
何かが変わってほしいと思っている人も多いのでしょう。
そんな気もします。

昨日まであんなに時間がないと思っていたのに、どうして今日はこんなに手持無沙汰なのでしょうか。
何もやる気が起きなくなってしまいました。
仕方がないので、挽歌を書こうと思ったのですが、どうも書けません。

今日は、お天道様も雲の向こうに隠れているので、昼寝も許されるかもしれません。
しかし昼寝をする元気もありません。
さてさて。

■4219:茶飲み話相手の大切さ(2019年5月2日)
節子
今日は明るい朝です。
昨日までの雨でかなりぬかるんでいるでしょうが、畑作業ができそうです。
3週間ほど前から気になっている宿題がありますが、まあここまで延ばしたのだからもう1日くらいはいいでしょう。
そうやって人は大事なことを先延ばしし、結局、やり残すのかもしれません。
困ったものですが、まあそれも定められたことかもしれません。

節子も知っている柴崎さんから相変わらず難しいことを書いたメモメールが届きます。
最近は、日本語論が話題になっています。
柴崎さんは、別に私に読んでほしくて送ってくるわけではありません。
書き続けるために、とりあえず送り手に私を選んでいるだけです。
その意味では、この挽歌と同じなのです。
迷惑ならやめますと時々言ってきますが、布施人生のルールは「拒まない」ということです。

それに時々、読ませてもらうのですが、示唆のあるメールでもあるのです。
たとえば、昨日届いたメールには、山本哲士さんの「コンビビアリティとバナキュラー」の講演に参加したと書いてありました。
どうもそこで、金谷武洋さんの「日本語論」が紹介されたようです。
日本語論や中動態に関しては、以前少し柴崎さんとやり取りしたことがありますが、この種の話をカジュアルにする相手は、残念ながら私にはいません。
しかし、だからといって、専門家と話すだけの知識も意欲もありません。
茶飲み話として、こういう話ができる相手がいないのがさびしいですが、そういう話は四六時中、生活を共にしている伴侶であればこそ適任のような気がします。
伴侶というのは、相手の言っていることを理解しなくてもわかることができると、私は思っているからです。
そもそも人は理解し合うことなどできるはずもありません。
しかし共感することはできるでしょう。

イリイチにしてもポランニーにしても、左脳ではなく右脳で語り合える人が身近にいることのありがたさを、いまさらながら感じます。

今日はいい日になりそうですが、相変わらず機嫌はあまりよくありません。
困ったものです。

■4220:自然の生命力(2019年5月2日)
節子
天気がいい日になるかなと思っていたら、曇ってきました。
庭の鉢などの整理をしているうちに、疲れてしまって、畑はやめました。
人は怠惰に流れるものです。

昨日、庭で野菜を育てようと大きなプランターを買ってきたのですが、トマトを2本、植えたらそれでもう一杯になってしまいました。
植えようと思っていた候補の苗があまってしまいました。
計画性がないとこういうことになります。

置きっぱなしになっていたプランターを見たら、野草の陰にレタスが育っていました。
昨年飢えて結局食用にはならなかったレタスでしょう。
これが育つかもしれません。
これで毎朝のレタスはもう自給できるかもしれません。
自然は、人間の、特に私のような、いい加減な計画性とは違った、大きな摂理に従った計画に沿って世界をつくっているのでしょう。
自然の素晴らしい生命力にいつも感動します。

そういえば、一昨年、台風で根元から倒れてしまったフジが復活し、花を咲かせています。
倒れた後、手入れもきちんとしなかったので、枝が好き勝手に育っていますが、どれかメインを決めて絞り込んでいけば、以前のように咲いてくれるようになるでしょう。
テッセンも咲き出しました。
これも放りっぱなしでした。
琉球朝顔も育ちだしています。

要するに、私が中途半端に手入れしたものはあまりうまくいっていませんが、自然の成り行きに任せたものはうまくいっているということです。
生命とは、そういうものなのでしょう。

私の生命も、自然の摂理に任せるのが一番です。
さてどうなりますことでしょう。

■4221:畑の大根の花を蝶のために残しました(2019年5月2日)
節子
午後から天気がよくなってきたので、がんばって畑に行きました。
ミニ温室をつくり、スイカとメロンを植えました。
さてどうなりますか。

花壇の整備は大変なので、今日は花でいっぱいだったところを全部抜きました。
ただ大根の葉だけ残しました。
ちょうど抜こうと思った時に、アオスジアゲハが花の蜜を吸いに来たからです。
やはり残しておかなければいけません。
お天道様の小作人にとっては、蝶に蜜を提供するのも大切な仕事です。

畑の周辺の草を取っていたら、ミョウガたくさん芽を出しているのに気づきました。
先日、数本見つけたのですが、かなり広範囲に広がっています。
やはり何もしない方がいいような気もしてきました。
耕してしまうとせっかくこぼれていた芽がダメになりかねません。

ちょっとさびしいのは、食べ残して芽が出てきたジャガイモやニンニクを植えたところです。
最初は元気に芽が出てきたので安心していましたが、やはりその後の生育がよくありません。
残念ながら食用にはならないかもしれません。
まあしかし、主目的は開墾ですので、収穫はおまけなのです。

帰宅したら孫が来て、また庭の掃除を手伝わされました。
孫は掃除が好きなのです。
土と孫に付き合って、昨日から少し斜めになっていた機嫌が直りました。

■4222:懐かしの西部劇(2019年5月3日)
節子
昨夜はテレビの西部劇を見てしまいました。
大学生の頃に観た「遠い喇叭」をテレビで放映していたのです。
節子はよく知っていますが、節子に会った頃は私はまだ西部劇ファンでした。
学生の頃は、一時、映画評論家になりたいと思った時期もあるくらいで、たぶん大学よりも映画館にいた時間の方が長かった時期もあります。
映画を観る合間に、西部劇(これも映画ですが)もよく観ました。

「遠い喇叭」はよくある西部劇の凡作ですが、主演の2人の名前はなぜかはっきりと覚えています。
いずれもそう有名な俳優ではありませんが、美男美女でした。
当時の西部劇は、勧善懲悪の娯楽だけの作品で、だいたいにおいてパターンは一緒でした。
いささかややこしい映画を観た後に、気分転換にはもってこいの作品が多かったのです。

節子と一緒になってから、西部劇はあまり観なくなりました。
節子は、西部劇のように人が殺し合う場面が好きではありませんでしたし、そもそも映画がそう好きではなかったのです。
最初の頃は、いろいろと私の好みで付き合わせてしまいましたが、次第に映画にはあまり行かなくなりました。
節子が好んだのは、美術展や音楽会でした。
一緒に生活する期間が長くなるにつれて、私たちが行く場所も変わってしまいました。
最後に一緒に観た映画は何だったでしょうか。
記憶に残っているのは「永遠と一日」ですが、少なくとも西部劇ではありませんでした。

西部劇も、その後、内容が大きく変わってしまいました。
いや、西部劇だけではなく、映画は私が大学生だったころとは全く別のものになってしまった気がします。
世相を反映しているのかもしれませんが、面白いですが、楽しくはありません。
しかし、それに慣れてしまうと、昔の映画が全く退屈に感じられてしまうのです。

そうでない映画もありますが、「遠い喇叭」はやはり退屈でした。
ただただ懐かしさで観ていた感じです。

節子がもしいたら、昔を懐かしみながら観られたかもしれませんが、そういう昔話もなく、ただただ退屈しながら感慨にふけりながら最後まで観てしまいました。
もっとも、節子はこの映画は観ていません。

■4223:生きて存在しているだけでいい(2019年5月3日)
節子
今朝のテレビで、数日前に放映された「「だから ふたりで〜JR福知山線脱線事故〜」が再放映されていました。
早く目が覚めてしまい、見るでもなく見ていましたが、引き付けられてしまいました。
福知山線脱線事故は14年前に起こった脱線事故で、107人の人が亡くなりました。
その事故で、最も犠牲者が多かった2両目で一命を取り留めた小椋聡さんの、その後のドキュメントです。
小椋さんは、自らが生き残った意味を見出そうと、犠牲者の最期の様子を調べ、遺族に伝える活動に取り組むのですが(小椋さんはそれが生き残った自分の使命だと感じたといいます)、夫を支えようとその活動に加わった伴侶が、事故の凄惨さを知り、心に深い傷を負い、動けなくなってしまうのです。
小椋さんは、その後、会社を辞め、田舎に転居し、いま妻を見守る生活をしています。その小椋さんが言った言葉が、言葉に響きました。
「妻は生きて存在しているだけでいい」。
ちょっと不正確かもしれませんが、そこに「生きる価値」のすべてが示されています。

「生きる価値」を問う人がいます。
私にはまったく無意味な問いですが、問うてはいけないこともあります。
「生きる価値」は、まさにそうした問いだろうと思います。
つまり、「生きる」ことが価値なのです。

私はこのことを節子から教えてもらいました。
にもかかわらず、最近、生きることに誠実ではなくなってきているのではない、と、小椋さんの言葉を聞いて気が付いたのです。

生きることに誠実であることは私の信条だったはずです。
心を入れ替えなければいけません。

今日こそ、気持ちのいい朝です。
陽光が、とてもあたたかく、明るいです。

■4224:「明日でもいいか」「来世でもいいか」(2019年5月4日)
節子
この連休中は、世間もお休みなので、たまりにたまった宿題や課題を消化しようと考えていました。
たとえば、ホームページの更新がかなり遅れていて、この連休中に解消しようとか、友人との約束をさぼっていたのでそれを何とか対応しようとか、いろいろと思っていたわけです。
しかし、10日もあると、まあまだいいか、まだ時間があると、ついつい油断してしまい、結局、連休中にやろうと思っていたことは、今もって何一つできていないのです。
困ったものです。
今日こそ動き出そうと思っていますが、まあ私のこれまでのことを考えると、今日もまた、「明日でもいいか」と延ばす可能性が高いです。
実に困ったものです。

しかしこれは、毎日毎日の生活のことだけではありません。
人生もまた似たようなものかもしれません。
来世を想定して生きている私には、「明日でもいいか」と同じように「来世でもいいか」と考える道があるのです。

なぜこうなるのかと言えば、何が大切なのかの価値基準が私の場合ちょっとずれているからかもしれません。
これは節子からも時々指摘されていたことです。
自分の気持ちに素直に従うこと。
これが私の行動基準なのですが、これはそう簡単ではありません。
いろんな意味で常識や価値観を私も吹き込まれて大きくなったこともあって、この行動基準に従っている、世間の常識や価値観とのずれが起きて、ストレスが発生します。
節子がいた時には、それを節子が緩和してくれていましたが、いまはそれができません。

こんなにストレスフルな人生になるとは思ってもいませんでした。
人生はなかなか思うようにはいきません。
昨夜も真夜中に目が覚めて、眠れなくなりました。
おかげで本が1冊読めました。

今日は畑仕事の予定ですが、寝不足で倒れないようにしなければいけません。

■4225:子どもの病気(2019年5月5日)
節子
一昨日、孫が高熱を出してしまいました。
連休の最中なので、病院も大混雑のようで、お医者さんからは様子を見た方がいいといわれたそうです。
インフルエンザかもしれないと思いましたが、幸いに一晩寝たら熱は少し下がったそうです。
午後、お見舞いに行ったら元気ではしゃいでいました。
ところがまた夜に熱を出したと連絡がありました。
今日は子どもの日で、いろいろと予定が組まれていたようですが、今日もキャンセルして自宅療養だそうです。
病院はどこも混んでいるようで、電話連絡しているようですが、結局、行かなくなりました。
ユカが毎日、お見舞いに行っていますが、今日はだいぶまた元気が戻ってきたそうです。
午後、スマホのテレビ電話がかかってきましたが、元気そうです。
しかし、小さな子どもにはどうしても不安があります。

節子は(私もですが)、次女のジュンに関しては大変な思いをしています。
かかりつけのお医者さんの誤診で、急性肺炎と診断されず、帰宅した節子がやはりおかしいと感じて、救急車を呼んだことがあります。
私が自宅に着いたのと同時に救急車がわが家につきました。
私は全く知らないままの帰宅でしたが、私の前を走っていた救急隊員がわが家に入っていくのには驚きました。
当時はまだ携帯電話がなかったのです。

一時はお医者さんに見放されたほどでしたが、奇跡的に娘は助かりました。
そういう事件があったので、節子は子どもの病気にはいつも心配していました。
もし節子がいたらきっともっと大騒ぎしたかもしれません。

乳幼児の子どもの生命がいかにもろいものかは、私はほとんど知りませんでした。
節子が育児にいかに苦労したかは、娘が孫を産むまでは全く思いもしませんでした。
いのちのありがたさは、娘と孫から教えてもらったようなものです。

その孫ももうじき3歳です。
3歳になればもう大丈夫でしょう。
3歳の誕生日のプレゼントは孫からあるものを頼まれています。
私にはあまり納得できないおもちゃなのですが、頼まれてからには仕方がありません。
ネットでないと買えないといわれたので、今日、ネットで発注しました。
しかし、なんでこんなものが欲しいのか、理解できません。
なにかといえば、おもちゃのカートなのです。
3歳未満の子どもの気持ちはなかなかわかりません。

■4226:充実感のない10日間(2019年5月6日)
節子
今朝は朝から畑に行って、午前中は少し気が重いミーティングをして、午後からは過労死をテーマにしたサロンです。
こんな感じで10連休も終わります。
与えられた休暇を消化するという生活とは30年前に縁を切りましたが、それでも連休は何かと私の生活にも影響を与えます。
やはり長年の学校時代と会社時代で、私の心身が自然と反応するのかもしれません。
なぜか長い連休が終わるとなると明日からがんばらないといけないなどとどこかで思ったりしているのです。
困ったものです。

それにしても、この10連休は実に怠惰に過ごしました。
結局、私も世間の10連休に素直に従っていたというわけです。
「怠惰」という意味は、何もせずに寝ていたという意味ではありません。
やるべきことをせずに、やらなくてもいいことをよくやったという意味です。
結構いろいろと動いていましたが、充実感が皆無ですし、宿題が相変わらず残っています。
仕事部屋も相変わらず片付いていません。

一昨日、スキャナーが壊れてしまいました。
早速に近くの坂谷さんが修理に来てくれました。
その前にせめて仕事場だけでも少し片付けようと思ったのですが、結局、その気が起きませんでした。
あまりに部屋が散らかっていたので、坂谷さんは驚かれたでしょう。
スキャナーは修理不能だろうと別のスキャナーを用意して、それを使えるようにしてもらおうと思っていたのですが、なんと坂谷さんはその直るはずのないスキャナーを直してしまいました。
おかげで私は大助かりだったのですが、狭い部屋は2台のスキャナーでますます散らかってきました。
坂谷さんは、いまパソコン関係の断捨離を始めたそうですが、私はまだできておらず狭い部屋には用済みのパソコンがいまもまだ3〜4台放置されています。

物はともかく、この10連休では少し頭のなかも整理しようと思っていましたが、それも一向にできませんでした。
こうやって、散らかった人生はこれからも進んでいくのでしょうか。
未熟な人間の人生は、まあ、こんなものかもしれません。

今日は湯島の食器棚に残っていたリッツを食べて、昼食にしました。
食べ終わって箱を見たら、賞味期限が2016年9月になっていました。
時のたつのは速いです。

■4227:晴耕雨読の1日(2019年5月7日)
節子
畑の開墾作業は時間を忘れさせます。
今日もちょっとだけやってこようと思ったら、気が付いたら2時間もやっていました。
やっている時はそう感じませんが、やめてさて家に戻ろうとすると疲れ切っていることに気づきます。
自転車で畑まで行っているのですが、帰りに自転車はふらふらして危ないのです。
なにしろ45?の袋に刈り取った草を思い切り詰め込んで、自宅まで持って帰ってきているので、大変なのです。

野菜の手入れよりも、私が好きなのは野草を刈り取って、土中に広がっている竹の根っこを切り取ることです。
かなりの力仕事です。
電動農機は一切使わないので、頑張らないと草の成長に間に合わないのです。

今日は、草刈り作業をしていたら、通りがかりに人から、きれいになりましたね、と声をかけられました。
実際にはあんまりきれいにはなっていないのですが、毎日ここを散歩している人から見れば、1か月前に様子と比べてもらえるので、褒めてもらえるわけです。
しかし、そういってくれる人が一人でもいると楽しさもまた高まります。

開墾作業は何が楽しいかは前にも書きましたが、楽しいだけではなく、いろんなことに気づかされます。
今日は、科学技術の恐ろしさと北方狩猟民の熊の神話のつながりを思い出させられたのです。
帰宅して、中沢新一の「熊から王へ」を読みました。
ちょうどいま読み直しているところだったのですが、そこでイスラムの自爆のことまで狩猟民の神話に予告されていることに気づきました。
午前中は晴れていたのに、午後から雨が降りそうな天気に変わりました。
晴耕雨読の1日になりました。

ところで、今日はやぶの中で草刈りをしていて、首にチクッという痛みを感じました。
畑作業をしているとよくあることです。
先日はアリにかまれましたが、アリといっても最近は猛毒を持ったありもいるようなので、油断はできません。
今日はアリではないのですが、いまもまだチクチクします。
調べてもっらても外傷らしいものないのですが、4時間たってもまだ治りません。

畑作業は、ある意味での自然への攻撃ですので、この種のダメッジは当然受けることになります。
これもまたとても大切なことなのです。

畑作業から学ぶことは多いです。

■4228:老いの実感(2019年5月8日)
節子
昼間はあったかかったのに夕方から風が強くなってきて、いまはかなりの強風です。
手作りのミニ温室は壊れてしまっていたので、夕方、直しに行ってきたのですが、この風ではまた壊れているでしょう。
ミニ温室もさることながら水道の蛇口も壊れてしまい、うまく水がやれません。
それも心配です。
せっかく育ってきた苗がダメにならなければいいのですが。

今日は娘と一緒に湯島に行きました。
そこで気づいたのですが、娘の足についていけません。
歩く速度が落ちているのです。
老いを感じざるを得ません。

歩く速度だけではありません。
最近うまく言葉が話せない気がすることがあります。
ろれつが回らないようなこともあります。
脳ドッグに行こうと思いながら、なかなか行けずにいますが、自分の認識以上に老化は進んでいるのです。
こんな状況で、誰かの誘いに乗って、新しいプロジェクトを起こしていいのかどうか。
迷惑をかけることにならないとは限りません。
いささか悩ましいところです。

今日も新しいプロジェクトのキックオフミーティングがありました。
その方とはひと月前に初めて会ったのですが、今日のお話では、私との出会いで迷いが吹っ切れたのだそうです。その理由はわかりませんが、私の生き方に共感してくださったようです。
それでそのプロジェクトにも私を巻き込んでくれたのです。
そういえば、もう一人、私を現世に引き戻そうとしてくれている人もまた、私との出会いが新鮮だったようです。
こういう人たちのおかげで、現世に引き戻されているわけですが、果たしたその期待に沿えるかどうか。

体力のみならず精神もまた劣化しているようでいささかの心配はあります。
畑の開墾作業で、風のときには壊れた温室を直しに行くくらいの生活が、いまの私にはふさわしいような気もするのですが、節子もよく知っているように、私には「断る」ことが苦手なのです。
どんな誘いにも、そこに「面白さ」や「自分の役割」を見出してしまうのです。

困ったものです。

■4229:シジフォスの気分(2019年5月9日)
節子
老化に続いて、またいささかの弱音を。
最近、物事の処理能力が落ちています。
節子がいたころは、たぶん自分でも面白いと思うほど、いろんなことが処理できましたが、最近はなかなかそうもいきません。
そのくせ、いろんなことをやりたくなるのは以前と同じです。
そのため、やってもやってもいつも課題の量が減っていかないのです。
とりわけ速度が遅くなったのがネット対応かもしれません。

いまどうしようもなく滞手いるのがホームページの更新作業です。
こまめにきちんと毎週更新していれば、こうはならなかったのですが、すでに半年ほど作業がたまっているところがあります。
これだけたまるとやる気も起きてこない。

この挽歌もそうです。
番号を追いつこうと頑張っていますが、なかなか追いつけません。
まだ30くらい遅れているようです。
毎日誠実に生きていれば、こういうことにはならないのでしょう。

シジフォスとは違いますが、なんだか気分はシジフォスです。
頑張ってもまた同じ繰り返しをしなければいけない。

さていつ解放されるでしょうか。
解放されるまでは、どうも気分がすっきりしません。

■4230:孫が3歳になりました(2019年5月9日)
節子
節子の孫が3歳になりました。
今日はその誕生日会に招待されました。
頼まれていたプレゼントは、注文していたのですが、10連休の影響で荷物が到着せず、プレゼントなしでの訪問です。
間に合わせに別のプレゼントを用意しようかと思いましたが、時間がなくて準備できませんでした。
それで苦肉の策として、朝、畑で収穫したイチゴを2つ(しか収穫できませんでした)持っていきました。
どうも水をやりすぎて、甘みが少ないようで、孫には気に入られませんでした。
しかし孫は父母のプレゼントで満足していました。

3歳になると少し安心できます。
それに自分の意思もしっかりしてきて、コミュニケーションも成立します。
コミュニケーションが成立するということは、私に言いなりにはならないという意味です。
私は、自分の娘の時がそうだったのですが、3歳になった時点で一人の人間として認めることにしていますので、これからは孫との関係も対等になります。

子育てに関しては、世間でよく言われるように、私の世代と娘の世代では考え方がかなり違いますし。男性と女性でも考えが違います。
したがって私はあまり意見は言いませんが、時々、違和感を持つこともあります。
しかしそれは個人の好みもあるでしょうから、もちろん娘たち夫婦の考えは尊重しています。
節子がいたら孫や娘との関係もだいぶ違うだろうなと時々思うことはあります。
おそらくそれは娘も同じでしょう。

節子の不在は孫にも大きな影響を与えるようです。

■4231:お天道様の小作人三昧(2019年5月10日)
節子
今日は朝と午後、畑で4時間以上過ごしました。
といっても農作業ではなく、開墾作業です。
節子がやっていた時でさえ、放置されていた笹薮をほとんど制覇しつつあります。
そのため頑張ってしまったわけですが、だからといって畑になったわけではありませんし、そのために花壇の方はなかなかきれいになりません。

今日も作業していたら道を通りがかった人からきれいになりましたね、と言われました。
重労働中だったので、息切れでうまく対応できませんでしたが。
開墾作業に熱中するあまり、植えておいた苗を折ってしまったり、踏んでしまったりして、農作業の方はむしろ後退していますが、すべての「食べられない野菜」を抜いたのですっきりしました。

うれしいことに、イチゴが成りだしました。
喉が渇くとイチゴを摘まんで食べることができるわけですが、これはまさに理想的なスタイルです。
といっても、まあ食べるといっても2つ3つですが。

昨日も2時間ほど畑作業をしましたが、太陽がとても気持ちいいです。
今日は暑くて初夏のようで、さすがに防止嫌いな私も帽子をかぶって作業をしていました。
もしかしたらまた熱中症まがいで倒れるかもしれないなと内心ちょっと思っていましたが、無事でした。

江戸時代のお百姓はほんとにあんなに悲惨だったのでしょうか。
あれは明治政府がつくった話ではないかと思えてなりません。

■4232:ネットつながり(2019年5月10日)
節子
自然との付き合いは心を癒されることが多いですが、人との付き合いは思わぬトラブルがつきものです。
今日もまた思ってもいなかったトラブルが発生しました。
私は当事者ではないのですが、私の友人に降りかかってきたトラブルです。
しかもトラブルを起こした方も受けた方も私の友人なので、いささかのやりきれなさを感じます。
ちょっとしたずれから生じたトラブルだと思うのですが、一方の人からは「死んでしまいそう」などとメールが来るとさすがにちょっと心配になります。
しかし人と付き合うということはそういうことでしょう。

トラブルではありませんが、高齢の友人が肺炎で入院という知らせも届きました。
最近はネットがあるため、そういうことが簡単に入ってきます。
しかも悪いことに、ネットの場合は、速報度は高いですが、正確度にかけるところがあります。
しかしいずれにしろ心の平安は影響をうけます。
ネットのおかげで、世間から断絶しての平安は守れません。
今日のように1日、在宅していても友人知人とはつながってしまっているわけです。
ネットでつながるのも良し悪しです。

もっとも知ったからといっても何かができるわけでもありません。
何かをしたくなるわけでもありません。
すぐにお見舞いにいくほどの仲でもありませんし、すぐに仲裁に行くほどの当事者性もありません。
情報が多ければ多いほどいいわけでもありません。
ネットつながりは、むしろ人のつながりを弱めていく可能性さえあります。
そうならないようにしなければいけません。

■4233:六道を生きる(2019年5月11日)
節子
3日連続してのかなりの畑作業のためか、身体が痛くなってきました。
腕は虫か何かに刺されてかゆくて仕方がありませんし、
今朝も絶好の畑日和なのですが、どうしようか迷います。

畑をやっていると、仏教でいう「六道」のことが何となく納得できてきます。
人は「十界」を生きていると天台宗は言います。
「十界」とは、人間の心のすべての境地を十種に分類したもので、地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界があるといいます。
私のような普通の人は、前の6つの世界を生きていますが、この6つを「六道」というそうです。
人はこの6つを順繰りに歩いているわけではなく、これらを重層的に生きているというのが、仏教の教えでしょう。
つまり、私の中には、この六道が宿っている。
親鸞は、「声聞」「縁覚」「菩薩」「仏」といった聖人もまた、誰の中にも宿っているといっていますが、私もそれを受け入れています。

人生とは、その「六道」や「十界」を行き来しているのかもしれません。
人生は、誕生から死までの一直線ではなく、同時に十界を往来する終わりのない輪廻でもあるというのが仏教の考えです。
自分では人間界に生きているように思っていても、実はほかの領域を生きているのかもしれません。
しかし、私たち普通の人間に見えるのは、人の姿だけですので、たぶんどんなところにいようと人間に見えてしまう。

畑で土と格闘し、野草や樹木と格闘し、時に土の中の虫や竹の根っこと会話していると、自分の中にある六道を何となく感じますし、そうした様々な土石を含めた生命と触れ合っていると、生命のつながりを感じます。
説明はできませんが、何となくわかったような気になるのです。

以前も書きましたが、畑作業は殺生の連続であるとともに、生命を育むことでもある。
ゼロサムの世界であるとともに、プラスサムの世界でもある。
時間がゆっくりと進んでいるようで、ちょっと気を抜くと瞬時に事態が変わることもある。
実に豊かな世界なのです。
そして自分の役割もよく見えてくるし、自分の魅力さも思い知らされる。

畑にいると心和んで、時間を忘れるのは、たぶんいつもとは違う時間軸にあって、多重な世界を往来しているからかもしれません。
やはり今朝も畑に行くことにしましょう。
時間によって違っていることも畑の面白さです。
今日はちょっと早目の畑にしましょう。
熱中症のスリルは味わえませんが。

■4234:宇宙の秩序に従って生きること(2019年5月11日)
節子
畑から帰ってきて(1時間半精出しました)、録画していた「100分で名著」のマルクス・アウレリウス「自省論」を見ました。
皇帝時代に、カッシウスの反乱の報に急ぎ駆けつけたにもかかわらず、カッシウスはすでに殺害され、彼のところに首が届いた時のアウレリウスの反応にとても共感しました。
アウレリウスは、自分に足して反乱を起こしたカッシウスを許そうとしていたのだそうです。
見習わなければいけません。

アウレリウスは、宇宙の秩序に従って生きることを目指したようです。
そして、理性とは善いことを目指すこと、善いこととは自らが幸せになること、と考えていたそうです。
とても納得できます。

ちなみに畑仕事をしていると、宇宙の秩序を感ずることがあります。
たぶん私の中にある「魂」が宇宙に反応するのでしょう。

アウレリウスの「自省録」を読みたくなりましたが、大変そうなので、「100分で名著」のテキストですまそうと思います。

■4235:孫との付き合い(2019年5月11日)
節子
孫が欲しいといっていたおもちゃのショッピングカートが届きました。
孫がやってきて喜んでいましたが、どうも納得来ません。
私の好みではないからです。
それで改めて「11ひきのねこ」シリーズの童話セットをプレゼントすることにしました。
馬場のぼるの絵本ですが、私も娘たちも気にいっていた絵本です。
絵本はみんな捨てられていますが、特にみんなのお気に入りだった2作目の「アホウドリ」の話は残っていて、孫が持っていきました。

孫は、今日は両親からもらったおもちゃを持ってきて、私にもコーヒーをご馳走してくれました。
もちろん空の小さなコーヒーカップですが、こういうのに付き合うのは苦手です。
それで畑に誘いましたが、今日はショッピングカートに夢中で畑には行けませんでした。
孫と付き合うのも大変です。

今日も初夏を思わせる1日でしたが、あいかわらず「やるべきこと」には手が出せません。
相手もあることなので、申し訳ないのですが、価値を認めていることに限って、取り組めないのです。
友人を裏切ることにもなりかねないのですが、なにかが留め金になっています。
困ったものです。

■4236:「生き方」を考えなおせ?(2019年5月12日)
節子
今日もまた畑に通いづめでした。
土を耕すことが、こんなにも面白いことなのか、と驚きます。
野菜の栽培や収穫は大変ですが、土を耕すのは、ただただ耕せばいいからです。

その合間に、今日はイギリスのテレビドラマ「刑事フォイル」を見ました。
原題は「フォイルの戦争」です。
最終シーズンは、戦争が終わった直後のイギリスが舞台ですが、原爆開発や米ソの諜報活動などとの絡みが描かれています。
昨日放映されたエピソード44は、信念を曲げずに生きることが、果たして社会にとっていいことかどうかを考えさせるドラマでした。
私がそうありたいと思っている生き方ですが、残念ながら、なかなかそういう場面に出くわさない生き方になってしまっています。
私が多分、社会から逃げてしまっているのでしょう。

昨日も書きましたが、畑仕事をして帰宅すると身体がクタクタです。
そこでテレビの録画を見てしまうわけですが、昨日はマルクス・アウレリウスの「自省録」の解説番組でした。
これも生き方をテーマにしていました。

意図したわけではないのですが、なんだか生き方を考えろと言われているような気がしてきました。
いまのような惰性状況から抜け出ないといけません。
明日は畑にはいかないようしましょう。
畑に行くと、なぜか心が充実してしまい、何もやらなくてもいいような気になってしまいますので。

さて今夜はまた神話の話を読もうと思います。
「対称性人類学」、中沢新一さんの古い本です。
これがまた実に面白い。
畑で過ごす時間の意味を実感させてくれるのです。
この本を読むとまた明日、畑に行きたくなりそうな懸念もありますが。

■4237:突然の目覚まし音で目が覚めました(2019年5月13日)
節子
昨夜はめずしくよく眠れました。
畑仕事のおかげかもしれません。
ただ夢をよく見ました。
ちょっと暗示的な、気になる夢です。

5時30分、安いビジネスホテルのモーニングコールのような音で目が覚めました。
もちろん私の枕元には、そういう音を出すものはありません。
たしかの音の記憶は残っていますが、どこにも音を出すものはありません。
気のせいかもしれませんが、気のせいではないかもしれません。

東日本の大津波がやってくる直前、なぜか毎日のように洪水に襲われる夢を見ました。
みんなで山に逃げる夢もありましたし、洪水で洗い流された廃墟に立つ夢もありました。
しかも、同じ場所が出てくるのも不思議でしたが、夢というのは記憶があいまいなので、前にも見たという記憶もまた、夢かもしれないと、その頃はよく思いました。
山に逃げる夢の場合も、はるか山の下の海が盛り上がるのが見えました。
そして一瞬のうちに高波が山のすぐ近くに迫ってくる。

3月11日の東日本大震災が発生した後、洪水の夢は一度も見なくなりました。

この2日間、同じ友人が夢に出てきます。
いつも最後は彼がいなくなります。
そして今朝の5時30分の突然の目覚まし音。
何かなければいいのですが。

確認はしないことにしました。

■4238:生と死の同質性と対称性(2019年5月13日)
節子
粘菌を研究していた南方熊楠は、生と死のあいだには同質性と対称性があるはずだと考えていたそうです。
そして、ニューギニアの狩猟民は「人間が卑下の現世を脱して微妙高尚の未来世に生するの一段階にすぎずとするも、むやみに笑うべきではない」と書いているそうです。
いま読んでいる中沢新一の「対称性人類が」で知ったことです。
「生と死のあいだには同質性と対称性がある」というのは、確かに共感できる捉え方です。
にもかかわらず、私たちは「誕生」を祝い、「死去」を嘆く。
その理由を考えてみるのも意味があるかもしれません。

ところで、「粘菌」といえば、節子と私の共通の友人の前田さんの研究テーマでした。
前田さんは一緒にハワイのキラウエア火山に言った仲間で、当時は大阪大学の教授でした。
しばらくしてアメリカに転居、節子の病気以来、付き合いはなくなってしまいました。
私も当時、前田さんの著書を一冊もらい読みましたが、歯が立ちませんでした。
節子は読んでもいないでしょう。

植物と動物の明確な境界は、最近はなくなってきているようですが、まもなく鉱物との境界もなくなるでしょう。
南方熊楠が粘菌に興味を持ったのは、それが動物でもあり植物でもあった、つまり両者には同質性と対称性からと中沢さんは書いていますが、生と死もまた同質性と対称性を持っているというのです。
こういう捉え方が、最近、なぜかとても納得できるようになってきたのです。
なんとなく魅かれていた華厳経のインドラの網が実感できるような気もします。

死は生である、と考えると、死もまた祝い事になります。
死への恐怖を植え付けられた理由はいったい何なのか。
たとえば、映画「トロイ」で描かれていたスパルタの兵士は、誰も死を怖がってはいませんでした。
20世の戦争ではみんな怖がっているのに、なんでだろうと、古代史を読んでいて、いつも不思議に思っていたことですが、最近ようやくその謎が理解できるようになりました。
どこかの時点で、生と死が切り離されたのです。
そして「魂」とは別に生き方に切り替えてしまった。
困ったものです。

■4239:冬から春へ(2019年5月14日)
節子
この数か月、いささか世間嫌いになってしまい、友人に声をかける気が起きてきませんでしたが、昨日から少しずつ声を駆け出し始めました。
サロンの企画もまた始めようと思います。
畑作業の効用かもしれません。
久しぶりにちょっと長い冬でした。

その「冬」なのですが、「ふゆ」とは「魂が増える」というのが語源だという話を本で読みました。
中沢新一の「熊から王へ」にはこんな説明があります。

「ふゆ」ということばは、「ものがふえる」という意味をあらわしています。何が増えるのかと言うと、タマ=霊魂がふえるのです。

「冬」と言えば、魂が閉じこもるようなイメージを持っていましたが、この文章に出会って、イメージが一変しました。
たしかに、私自身の体験からも、とても納得できます。
それも、「増える」というよりも「富える」と表現したいですが、量的にではなく世界が広がる感じです。
冬のイメージが変わってしまいましたが、それによって私の意識も変わったようです。
「富える魂」が、春をもたらしてくれるのでしょう。
「はる」は、草木の芽が「張る」、田畑を「墾る」から来ているとという説もあるそうです。

畑では野草の芽の張り方はすさまじいほどです。
冬によほどのエネルギーを高めていたのでしょう。
私も素直に自然に任せると、そうなるのでしょう。

引き籠りはそろそろ終わろうと思います。

■4240:今日も節子から元気をもらえるでしょう(2019年5月15日)
節子
節子がいなくなった後、朝、起きてパソコンに向かうと自然と頭の中に書くことが浮かんできて、挽歌が書けました。
しかし次第に「自然」には浮かんでこなくなり、さて、何を書こうかと思うようになりました。
節子が、もう私の内部に住み込んでしまったからかもしれません。
あえて話しかけなくても大丈夫、というわけです。

あるいはもう節子がいなくなったのかもしれません。
つまり「成仏」ということです。

いずれなのかはわかりませんが、まあいずれにしろいいことです。

今朝も、パソコンを開いて、ネットを確認し、さて挽歌を書こうとしています。
何を書こうか、と思ったのですが、そういえば、以前は、挽歌を書こうと思わなくても自然に書き出していたなと思ったのです。
それに番号を追いつかせるために、最近は毎日複数の挽歌を書こうとしています。
これって本末転倒のような気もしますが、やはり毎年の命日には番号を合わせておきたいと思っていますので、本末転倒であろうとなかろうとそうするつもりです。

最近、節子の夢を見ることはなくなりました。
たまには出てきてもいいと思うのですが、出てきません。
だからといって、私の生活から節子が消えたわけではありません。
節子から元気をもらっているのは、今も毎日です。

今日も節子から元気をもらいながら、1日を過ごそうと思います。
気持ちの良い朝ですから、きっと良い日になるでしょう。

■4241:行き先のない不安(2019年5月15日)
さてさて
今日は良い日になる予感があったのですが、いささかの不安はあります。
まあこれから孫がやってくるそうなので、期待はできますが。

朝からメールなどでいろんな話が飛び込んできています。
その中に、いささか深刻な話がありました。
仲間割れです。
両者とも私の友人で、標準以上の善人ですが、いずれもあるあまり楽しくない過去を抱えているためメンタル的に危ういところがあります。
それが、一方の側で破裂してしまったようです。
季節の変わり目にはそういうことは起こりやすいのです。
行き先のない不安は、ややもすると一番身近な仲間に向けられます。
向けられた方はわけがわからず動けなくなる。
そして同じように、不安の力が動き出す。
その暴走を抑えるのは強い意志が必要ですが、時にその強い意志がおかしな方向に向かいだす。

私自身のことではないので、内容を書くわけにはいきませんが、そんな状況が私の近くで起こっていて、収まるようで収まらない。
私は直接の当事者ではないので、関わりようもないの、傍観しかできません。
でも何かできることがあるのではないかと思い、明日、一緒にお茶でも飲もうかと提案してみました。
まさかの答えが戻ってきました。
湯島に来るかもしれないのです。

さて明日は良い日になるかあまり良くない日になるか。
少なくとも私自身の気持ちを善くしておかねばいけません。
今日の予定はすべて変えましょう。
孫が、元気を与えてくれるといいのですが。
そろそろ孫が来るようです。

■4242:死後の世界の予備講座(2019年5月16日)
節子
ヒーラーの友人に会いました。
節子が逝った後に知り合った、カシュカシュという女性です。
節子さんは今も佐藤さんと一緒に生きていますよ、と言われました。
カシュカシュのクライアントに、双子だったのに一方が生まれてすぐに亡くなった人がいるそうです。
その人は、亡くなった兄弟と今も二人三脚で生きているというのです。
現世のことは生き残ったほうの、霊界のことは逝ったほうの、それぞれ仕事なのだそうです。
私の場合もそうだというのです。

そういわれると思い当ることもあるのです。
それに最近は私自身も、そう感ずることが増えてきました。
前にも書いたことがありますが、誰かに守られているような気がすることも少なくありません。
霊界を感じられるかどうかは、幸せ感につながることでもあります。

彼女に、死後の世界の予備講座をサロンでやってもらうことにしました。
霊魂の存在を知らない人には、ぜひ聞いてほしいサロンです。

■4243:仏たちの生み出す世界(2019年5月17日)
節子
昨日は用事が終わった後、東寺展をみにこうと東京国立博物館に行きました。
入館まで40分待ちという混み具合だったので、今回もやはりパスしました。
なかなか東寺展には入れません。
ユカが朝一番がいいといっていたので、改めて朝一番をめざそうと思います。

以前一度、東博での当時に不動明王を中心にした立体曼荼羅展に行ったのですが、実に新鮮な空間でした。
東寺で触れ合う仏たちもいいですが、東寺から出てきた仏たちの高揚ぶりが感じられるだけでなく、360度いずれからも仏たちと接しられる空間は新鮮でした。
今回の東寺展は、行く予定はなかったのですが、先日テレビで紹介されていた番組を見て、やはり行こうと思いなおしたのです。

最近、寺社で仏たちに会う機会が少ないです。
仏は、置かれる場によって変わってきます。
いのちが輝くときもあれば、しぼんでしまうこともある。
かつては生き生きしていた渡岸寺の十一面観音も、陳列室に飾られてからは私には魅力を感じなくなり、会いに行こうという気もなくなりました。
そういう意味では、博物館で展示される仏たちは、私にはあまりしたい気分は出ないのですが、仏たちが生み出す新しい場にはやはり興味があります。
あるいは、たまに出てきて違った表情を見せる仏にも時に共感します。

東寺展はそろそろ終了なので早くいかないとますます混雑しそうです。
来週は行けるといいのですが、いささか不安です。

さて今日は午前中は時間があるので、畑に行って、自然の仏たちに会ってこようと思います。
さわやかな、とてもやわらかな朝です。

■4244:花が戻ってきました(2019年5月17日)
節子
玄関のバラが咲きだしました。
例年に比べるとかなり遅いです。
ジャスミンも満開で香りが充満しています。
庭の草木も元気になってきています。
皇帝ダリアが芽吹きだし、カサブランカも芽を出しました。

今年はきちんと手入れしていこうと思いますが、節子が世話をしていたころに比べれば、花木も半分以下になってしまいました。
花木は、よほど心を込めて付き合わないといけません。
畑と花壇と庭の手入れを毎日ルーチン化しないといけませんが、そこまではまだいけていません。
ちなみに私が家族の反対を押し切ってつくってもらった池は、いささかひどい状況になっています。
もっとも私はそういう状況が好きなのですが。

午前中、畑に行ってきました。
畑はまだ開墾状況なので、野菜も花も手入れ不足です。
昨年はともかく何でも植えて、野草から主導権を取り戻そうと思っていたので、無計画に畑作りをしてきました。
そのおかげで、今年は何となく畑らしい雰囲気ができてきたのですが、野菜の苗を買ってきて植えたのですが、手入れが悪いとだめになってしまいます。
それに開墾作業はかなりの重労働ですので、それをやっているともう疲れ切ってしまい、野菜の植え付けなどはまたにしよかと思ってしまうのです。
しかしかなりの畑用地ができました。
そろそろ植えだそうと思いますが、そうなると頻繁に畑に顔を出さないといけなくなるので、いささかの躊躇があります。

ちなみにミニ温室をつくって、スイカとメロンを植えましたが、あんまりうまく育っていません。
まだあきらめてはいませんが。
花壇のチューリップを抜いて、一面に昨年、とっておいた種をまき散らかしてきました。
いろんなものが混在しているので、さてどうなりますか?

畑の水やり用のシャワーが壊れて、全身に水を浴びてしまいました。
濡れたまま帰宅しましたが、途中であった近くの人に、水浴びをしてしまいました、と言ったら、暑いですよね、と応じられました。
植物や土よりも、人とのコミュニケーションのほうが難しいです。

■4245:「愛」(2019年5月17日)
節子
最近、キリスト教の洗礼をうけた上田さんと食事をしました。
上田さんの洗礼にはとても関心があります。
それでぶしつけな問いかけをたくさんさせてもらいました。

いろいろと話していて、最後は「愛」の話に行き着きました。
すべては「愛」につながってく。
その点では、上田さんと一致しました。
問題は、「愛」とは何かです。
キリスト教では3つの「愛」が語られます。
エロス、フィリア、アガペーです。
キリスト教の世界では、「愛」はよく語られますが、仏教の世界では「愛」はあまり語られません。
「愛」に代わる概念や言葉は、私は「共生き」ではないかと思っています。

そういえば、ハンナ・アーレントの博士論文は「アウグスティヌスの愛の概念」でした。
「愛」という言葉は、きわめて多義的ですが、幸せや安らぎに繋がっています。
アーレントは、愛の問題は「善きもの」への絶えざる「欲求」の連鎖、ならびにいったん所有したものを喪失することへの不断の恐れという形で現れる、と書いていますが、愛の不在という視点でとらえた方がわかり合いやすいかもしれません。

日本人は「愛している」という表現をしてこなかったといわれますが、それは「愛」が基調にあったからのような気がします。
神への愛はあっても、横にいる人間への愛は保証されていないキリスト教世界では、愛を言語化し、確認しておくことが大切だったのかもしれません。
こんな言い方をしたら、上田さんは直ちにそれは違うと指摘するでしょうが。

まあそんな話をしていたのですが、「愛」をテーマにしたサロンをしたくなりました。
「愛」こそ人生の基本という認識のもとに、「愛」を語り合う。
いささか気恥ずかしい気もしますが、ちょっと魅かれます。
考えてみようと思います。

■4246:エジプトのラマダン(2019年5月18日)
節子
今日も「朝から」小作人作業です。
お天道様の小作人としては、もう少し頑張らないといけません。
先日、徳之島出身の人と会ったら、その人はまさにお天道様と同じに起きているようで、8時にはもう寝るといっていました。
ただし昼間は午後からもうお酒だそうですが。
しかし、その人とは午後の5時に会い会食したのですが、5時からなので7時ころ終わるかと思いきや、気が付いたら9時でした。
お酒も半端ではない飲み方で、私のお茶を飲む速度よりも比較にならないほどでした。
そのくせ、一向に変わらない。

今日は畑に行く前に、ラジオを聞いています。
いまちょうど、エジプトの中野さんがエジプトから「ラマダン」の話をしてくれています。
昨日、中野眞由美さんからメールが来て、今月からNHKの「マイあさ!ラジオ」にも定期的に出演することになったのだそうです。
これまでのラジオ深夜便はもう寝ていてめったに聞かないのですが、この時間帯だと大丈夫です。
ラマダン期間は、エジプト中がなんと電飾で覆われ、さまざまなイベントが繰り広げられるのだそうです。
エジプトの人たちにとっては、禁欲の期間でもあり、しかしまたとても楽しい期間で、楽しすぎて、寝不足になって断食よりもつらいという冗談もあるそうです。
ラマダンのイメージがかなり変わりました。

いま放送は終わりました。
とてもお元気そうです。
エジプトはもう一度行きたいところでしたが、行けませんでした。

さて私もそろそろ畑に行こうと思います。
食事前なのでいささか空腹感はありますが、もうだいぶ前からお天道様はあたたかさを届けてくれているので、気持ちのいい汗がかけると思います。

■4247:死んだ生者と共にある、よりも、生きた死者と共にありたい(2019年5月18日)
節子
今日もよく働きました。
開墾作業はかなり進み、ほぼすべての面の笹を制覇しました。
道具は鎌と鍬だけです。

フェイスブックに開墾作業のことを書いたら、山口の東さんがコメントしてきました。

「なぜ電動農機具を使わないかといえば、個人の農作業の場合、自然に対してフェアでないからです」に、思わず佐藤さんらしいなと思ってしまいました。

私のことをわかってくださる方からのコメントはいつもうれしいものです。

開墾作業は、殺生業でもあります。
それがわかると電動農機具は使えなくなります。
しかし時代はますますアンフェアの方向に向かっています。
戦争はますますやりやすくなるでしょうが、実は戦争する人たちはすでにもう使者になっていると、私は思っています。
私の周りにいかに死者が多いことか。

録画していたテレビドキュメント「熊を崇め熊を撃つ」を見ました。
鳥海マタギの人たちの話です。
とても心に響きました。

死んだ生者と共にある、よりも、生きた死者と共にありたいと思います。

■4248:今年もアートな散歩市には参加しませんでした(2019年5月19日)
節子
なぜか『静かな朝』です。
時々、こういう感じのする朝を迎えます。
たぶん外に出るといつもと同じ自然があるのでしょうが、時々、起きた時に感ずる雰囲気です。
そういう日には、何かが起きることも少なくありません。

今日は、我孫子ではアートな散歩市の一環としてアーティストウォークというイベントがあります。
ガイド役は先日一緒にプレウォークした駒場さんで、主催する林さんから参加を誘われていますが、あいにく先約があって、参加できません。

例年、アートな散歩市ではわが家でも娘のスペインタイル工房が参加していたので、それに便乗して、わが家でも小さな庭でのカフェをやっていました。
遠く、東京や神奈川からも来てくれた友人もいますが、今年は参加していません。
参加していたら、ウォークの後、来てもらえたのですが、残念です。
考えてみれば、このカフェを始めたのも節子でした。
といっても、娘の工房に来てくれた人にただコーヒーを出すだけの「おもてなし」のためでしたが。

今のわが家の庭の状況は、カフェを開けるほどの広さもありません。
節子はどうしてこんなにたくさんの植木鉢を残していたのだろうかと思うほどの数の植木鉢で、庭が埋め尽くされているのです。
その整理をしなければ、テーブル一つのカフェも開けない状況です。

さて今朝も、出かける前に、畑にちょっと挨拶に行ってこようと思います。
畑から「いのち」を与えてもらうために、です。
そして、この数日、畑を耕すという名目で、壊してしまったことのお詫びに。

■4249:サロンのこと(2019年5月20日)
節子
今朝は雲で覆われた朝です。
雨になりそうです。
耕した畑に種を蒔いたり苗を植えておけばよかったのですが、間に合いませんでした。

サロンをまたいくつか企画しました。
「日本書紀」「水俣」「東北被災地」というテーマを、それぞれの友人に頼みました。
話しても全く違うタイプの3人なので、それぞれ面白いサロンになるでしょう。

サロンを続けてきたおかげで、私の世界は豊かになってきています。
サロンがこうして私の生活の一つの基軸になったのは、やはり節子のおかげです。
湯島を開いた時に1週間続けたサロンは、節子のおかげで基本ができたのだからです。
最初は節子はサロンが重荷だったようですが。

2か月ほど前に、もうサロンを辞めようかと思っていた時期があります。
いろんな意味で疲れてしまっていたこともありますが、本当に意味があるのだろうかとも思ったからです。
その後、何人かの人から、サロンを辞めないでよかったといわれました。
だからといって、その人が毎回来るわけではありません。
しかし、どうも「サロン」が存在することに意味があるようです。
そのことに改めて気づきました。
それは私にとっても同じです。

考えてみると、サロンがあったおかげで、私は節子がいなくなった後、戻ってこられたのかもしれません。

いまもちょっと気になっている人が何人かいます。
フェイスブックで、いささか危ういメッセージを書いてきている人もあります。
心配してのコメントも書き込まれていますが、その人もサロンに時々来る人です。
フェイスブックではなく、サロンでそうした本音が自由に語れるようになるスタイルも何回か試みましたが、うまくいきませんでした。

サロンのあり方も、もう少し工夫する必要があるかもしれません。
改めてサロンを少し工夫してみようかと思います。

■4250:複数の視座(2019年5月20日)
節子
雨が降りそうだったのですが、晴れてきたので、畑に行きました。
午前中、やらなければいけないことがあったのですが、やりたくなかったのでそれから逃げただけですが。
逃げ場があることは大切なことです。

湯島は、できれば「逃げ場」の少ない人の「逃げ場」になれないかと取り組んだことがありますが、あまりうまくいきませんでした。
逃げ場は自分で探さねばいけません。
誰かが用意できるようなものではないことに気づきました。
それで一時、サロンをやめようかとさえ思いましたが、考え直しました。
もしかしたら、誰かの逃げ場になっているのかもしれませんから。

ところで、畑で気づいたのは、野草を制覇したと思っていたのですが、とんでもない。
改めて目線を落としてみると、まだまだ野草と篠笹の芽だらけです。
自分の思い込みで畑を見ていると何も見えていないのです。
世間もそうなのでしょう。
節子がいたときは、私は2つには2つの視座がありました。
その意味が最近よくわかります。

午後はやはり雨になりそうです。
「やらなければいけないこと」をやることになりそうです。
お天道様はすべてをお見通しです。
気が進みませんが、仕方がありません。
困ったものです。

■4251:気になっていた友人が元気になりました(2019年5月20日)
節子
気になっていた友人から電話がありました。
体調がよくなってきているようで、声に張りがありました。
そして私たちの共通の友人が今日退院することを教えてくれました。
他者への関心が戻ってくれば、もう大丈夫でしょう。
そして、明るくこう言いました。

運が良ければ長生きできると考えて、あんまり気にしないようにすることにした。

彼はいま胃がんの進行に抗いながら、治療を重ねているのです。

長生きすることが、運が良いことなのかどうかは、わかりませんが、要はすべては「運」なのです。
大きな人生に抗うことはできません。
いずれにしろ、いま生きていることに感謝して、誠実に生きることが大切です。
まあそんなことを電話で言ってしまいましたが、私自身がそうしているかどうかはいささか危ういものがあります。
でもまあ、かなり自分としては、そう生きているつもりではあります。
気分がよさそうで、また湯島に来るそうです。
なかなか彼のお見舞いには行けません。
なにしろ向こうから来るのですから。
困ったものですが、相手の意向にできるだけ沿うのが私の信条ですので。

ちなみに、「やらなければいけないこと」には取り組みだしましたが、1日では終わりませんでした。
最近はネットのせいか、自宅に引きこもっていても、何かと用事ができます。
うれしいメールにはついつい過剰に反応しがちですし。

■4252:東寺展にまた行けませんでした(2019年5月21日)
節子
外が荒れています。
3回目の挑戦で、今日は東京国立博物館の東寺展に出かける予定でしたが、あきらめました。
最初は直縁に用事ができてダメ、2回目は東京国立博物館まで出かけましたが、入館時間が40分と混んでいたので諦めました。
そして今日また雨で諦めたのです。

東寺はずっと気になりながら訪れたのは節子が逝ってしまってからです。
空海が設計したという立体曼荼羅は、確かに圧倒的な雰囲気がありました。
しかしほれ込むほどの仏には出会えませんでした。
たぶん空間の重さのせいでしょう。

東寺の仏たちは、2011年にやはり上野の国立博物館で開催された「空海と密教美術展」に8体来ていましたが、今回はその倍の15体が来ているようです。
しかもその仏のあいだを歩けるのです。
東寺の講堂とは違った世界ができているはずです。
もう3か月近く開催されていますので、仏たちは疲れているかもしれませんが、たくさんの人との出会いで、たぶん空間はそだっているはずです。
節子と一緒でないのが残念ですが、今週中には行きたいものです。

ユカが東寺展を紹介したテレビ番組を2本録画してくれていて、それはめずらしく観ているのですが(いつもは事前に観ることは少ないのです)、そこで得た知識も薄れるので、ちょうどいいかもしれません。

外はまだ雨風が荒れています。
畑が心配です。

■4253:畑は幸い無事でした(2019年5月22日)
節子
昨日は
かなりの雨風でしたが、今日は静かな朝です。
雨の翌日の朝は鳥たちが元気です。

畑が心配で行ってきましたが、幸いにあまり被害はありませんでした。
ミニ温室はカバーが完全に外れていましたが。
植物は強いです。

土が濡れてやわらかくなっているので、耕しやすいと思っていましたが、とんでもない。
泥だらけになってしまい、作業はむしろしにくかったです。
鍬にも土がついて切れ味が悪くなる。
つまり、土はやはり植物の味方なのです。

作業で息切れがしているところに電話がかかってきました。
写真を撮ろうと思ってスマホを持参していたのですが、息切れのまま電話に出たので相手に心配されました。
畑の作業はそれくらい疲れます。

電話は兄からのランチの誘いでした。
またケンカにならなければいいのですが。

電話のおかげで写真を撮るのをすっかり忘れてしまいました。
やはり脳機能は変化しているようです。
それが良いことか悪いことかは、最近、迷うようになりました。

■4254:人の振り見て我が振り直せ(2019年5月22日)
節子
みんな歳を取りました。
兄と食事をしていたら、兄に電話がかかってきました。
兄の奥さんからです。
奥さんも外出しているらしいのですが、アイロンの電源を切ってきたかどうか心配なので確認してほしいという電話だったようです。
ちょうど頼んだ料理が席に届いたところでした。
兄はやはり気になったようで、ちょっと家に帰ることになりました。
歩いても10分ほどのところですが、なかなか戻ってきません。
私は一人で食事をすまいましたが、30分ほどして戻ってきました。
急いだので、タクシーで戻ったようですが、タクシーだと遠回りになるので、たぶん歩いたほうが速かったでしょう。
しかし、あわてると判断を間違います。
アイロンの電源は切ってあったそうです。
まあ大体においてそんなものです。

歳をとるとこういうことはよくあります。
私も兄から頼まれて、ストーブの電源の確認に行かされたことはありますが、まあその時もきちんと電源は切れていました。

兄と話していて、名前が間違っていたり、勘違いがあったりで、コミュニケーションは時に滞ります。
困ったものですが、たぶん私も同じなのでしょう。
人の振り見て我が振り直せ、ではないですが、兄の状況は私にも起こっているのでしょう。
困ったものです。

今回は、こうしたハプニングのおかげで、兄弟げんかは起こさずにすみました。
しかし、兄弟なのに、どうしてこうも生き方や考えが違うのでしょうか。
いや、違うと思っているのは自分だけで、もしかしたら同じなのかもしれません。
注意しなければいけません。

今回もまたご馳走になってしまいました。
そろそろお返しをしなければいけません。

■4255:歳をとったことを理由にしてはいけません(2019年5月23日)
節子
巡礼者の鈴木さんの「お遍路仲間」の82歳の人が、来月、京都三条大橋から東海道を東京まで歩いてくるそうです。
驚くべき決断ですが、歳をとってしまったなどと言っている自分をいささか反省しました。
もっともそれを快挙と言うか暴挙と言うかは、大いに迷いますが、ちょっと魅力的ではあります。

これも鈴木さんが四国遍路で知り合った愛媛の農家の70代の人は、その後、サンティアゴ巡礼に30代の息子さんとでかけました。
ところが、初日で「これは無理だ」と思ったそうですが、息子さんから「お父さん、がんばって歩こう」と励まされて、結局、100km歩きとおしたそうです。
鈴木さんは、70代と30代の父子で歩くのは日本人にはとても珍しいと書いていました。
実にうらやましいというか、感動する話です。

私もちょっと歩きたくなってきましたが、歩くのはともかく、自活力が極度に乏しい私には難しいでしょう。

ちなみに、鈴木さんからの情報は、いまもかなりの頻度で届いている鈴木さんからの「ツイッターはがき」に書かれていたことです。
「ツイッターはがき」を書き続けている鈴木さんは、挽歌を書き続けている私には、「仲間」のように思えます。
そのはがきは、いつも、昔の記念切手が使われています。
そしていつも鈴木さんが巡礼中に撮った1枚の写真か、または海外の切手が貼ってあります。
もう100枚を超えるかと思います。

今日も初夏を感じさせる朝です。
ちょっと畑に行きたい気分ですが、今日は自重しようと思います。
夕方には苗を植えるか種を蒔きに行こうと思いますが。

■4256:久しぶりの人から会いたいといわれました(2019年5月23日)
節子
自殺問題にはまっていた時に知り合った自殺未遂者の吉田さんから電話が来ました。
久しぶりの電話ですが、会いたいというのです。
さてさて、どういう話でしょうか。
まあ会いたいといわれた以上、会わないわけにはいきません。

自殺問題に直接かかわりだしたのは、節子が逝ってしまったからです。
とりわけ目立った自殺未遂の人は2人いました。
一方は会社の社長だった人、もう一方は任侠の世界にいた人です。
一時は、その2人に個別によく合いました。
その後、2人とも、それぞれの道をしっかりと見つけましたが、その一方は、別のトラブルに巻き込まれてしまいました。
そのうえ、がんが発見され、たぶん無念の生涯を終わりました。
私にとっても、とても複雑な思いを体験させられ、とても残念な結果になりました。

もう一人が吉田さんです。
根が明るいのと人生を達観しているので、たぶん今は豊かな人生を楽しんでいるでしょう。
しかし、もう一人も、ある相談に巻き込まれるまでは、同じように豊かな人生を過ごしていました。
ですから安心してもいられないのです。
どんな話でしょうか。
ちょっと気になりますが、考えてもわかりません。
まあ、会うしかない。

もしあっけらかんと話せる話であれば、また書きますが、個人的な話であれば、書くことはできません。
まあそういう話が来ていることだけを節子には伝えておきましょう。

いろんな人と付き合ってきたので、相変わらずいろんなことがあります。
彼の都合に合わせて、会うことにしました。
明るく報告できる話だといいのですが。

■4257:血圧が高い(2019年5月23日)
節子
朝からどうも体調がよくなく、血圧を測ったら予想以上に高いのです。
歯医者さんの定期検診なので血圧を測ったのです。
というのは、私が行く歯医者さんでは歯の治療をする前に血圧を測るのです。
いつも以上に高いので、心配されていて、せめて歯医者さんに行くときには注意しないと心配させてしまうのです。
というわけで、測ってみたら、なんと下は100を超え、上は200を超えているのです。
この数値だとふらふらして危ないですよと、かかりつけの遠藤さんには前に注意されているのですが、いささか心配になって、娘が服用している降圧剤をもらって半錠飲みました。
ですから夕方には下がっていると思っていたのですが、一向に下がっていない。
しかもなんとなくあまり良くない症状を感じるのです。
困ったものです。

念のため、夕方の畑はやめて、自重しましたが、どうも調子がよくありません。
そういえば、この数日、酢タマネギがなくなっているのです。
1週間ほど前に、友人から血圧が160を超えてしまい、医者に相談していると電話があった時には、それなりに心配して、それなりのアドバイスもしたのですが、自分の場合には160は正常値と決めていますので気にはしないのですが、今日の血圧値はいささか気になります。
それに手にも少ししびれを感じます。
さてさてどうするか。

娘からまた薬をもらって飲むことにしました。
こういうのが一番よくないとも言われていますが、臨機応変なのが私のいいところです。
夜間高血圧と言うのもあると昨日の「ためしてガッテン」でやっていましたから、注意しなければいけません。
同じ番組でやっていた、手拭いを使った簡単な運動もやってみました。
まあ学んだことは素直に3日間はやってみるというのも、私の長所です。
娘は、ただ影響されやすいだけだといいますが
ちなみに、「ためしてガッテン」は兄から電話で血圧の話なので見るようにとメールが来たので、仕方なく観ていました。
考えてみると、私は実に素直な性格です。
なかなかみんなからは認めてもらえないのが不思議です。

■4258:ほどほどの朝(2019年5月24日)
節子
昨夜は何事もなく、いつものように早く目が覚めました。
血圧を測ったらやはりまだ高いのですが、昨日ほどではありません。
体調もまあさほど悪くもありません。
朝の挨拶に畑に行こうかと思いましたが、やめました。
行くとまた作業したくなるからです。

世間では相変わらず大麻で芸能人が逮捕されていますが、大麻に囚われた人には深く同情します。
大麻をなぜ禁止するのか理解できませんが、人は自分の意志だけでは生きていません。
一度、その魅力に憑りつかれたらなかなかやめられないのでしょう。
畑の作業も同じようなものです。
譬えがあまり良くありませんが、大麻で騒ぐマスコミも不快です。
大麻がダメならお酒もダメにしてほしいです。
誤解されるといけませんが、お酒と同じように大麻も認めたらということです。
嗜好品を法律で規制するのは、私には恐ろしい話です。

血圧ですが、しばらく血圧を毎日測定しようと思います。
それで相変わらず高いようであれば、また降圧剤を飲むようにしようと思います。
なにしろもう2〜3年は現世で活動することにしたので、少しは心身管理もしないといけません。
現世で生きるのは苦労が多いです。
彼岸では、そんなことはないでしょうね。

ほどほどの朝に、庭に自生していた(植えないのに昨年の種が落ちていたようで自然に出てきました)、葉が小さいうえにかたくておいしくないレタスを収穫して、早目の朝食です。
今日は、東京国立博物館の「東寺展」に朝一番で出かける予定です。
混んでいないといいのですが。

メールでは大きなトラブルニュースはないので、いい1日になるでしょう。

■4259:ようやく東寺展に行けました(2019年5月24日)
節子
4回目にしてようやく「東寺展」に入場できました。
しかし今回も混んでいて、チケット購入に15分ほどかかりました。
並んでいる間に隣の人と話していましたが、その方は那須塩原から新幹線で来たそうです。
東寺は近くには何回か行ったものの、いつも立ち寄れず、今度はいい機会だと思ってやってきたそうです。
混んでいるわけです。
入館も20分以上かかりました。

お目当ては立体曼荼羅会場だったので、すぐにそこに直行しました。
幸いにまだあまり混んでいませんでしたので、会場をゆっくりと歩きまわれました。
残念ながら新しい仏との心惹かれる出会いはありませんでしたが、降三世明王の頭の背面の夜叉のような面にかなり惹かれました。
前にも、たぶんこの明王は後ろからも見ていると思いますが、気がついていませんでした。

今回、一番よかったのは、4体の如来像が一列に並んでいて、それを横から一望できることです。阿弥陀如来の背筋がひときわ見事なのに気づきました。
写真が取れなかったのが残念です。もう二度とみられないでしょう。

もうひとつ面白かったのは、中国の五大虚空蔵菩薩曼荼羅の5体です。
表情が好きにはなれませんが、初めて知りました。
虚空蔵は、私の憧れでもあります。
ネットで菩薩像の写真は見つかりましたが、会場ではこれが曼荼羅風に配置されていました。

会場から出たら、とんでもなく長い入館待ちの行列でした。
1時間以上待たねば入れなそうです。
少し時間があったので、本館の仏像にもよってきました。
当麻寺の十一面観音がいました。
この仏には初めて会いました。

ちょっとゆっくりしすぎて、湯島に着いたらドアの前に約束していた来訪者が待っていました。
そこからまた忙しい1日でした。

■4260:密会?(2019年5月25日)
節子
久しぶり「密会」しました。
まあそういえるかどうかは疑問ですが。

私のフェイスブックの記事に関して、ある人から個人的にコメントをもらいました。
私の知っている、地元の人からです。
それで一度詳しく話を聞きたいと思い、会いたいと連絡し、会うことになりました。
ところが、指定された場所が手賀沼公園のベンチでした。
夕方の時間でしたので、レストランを提案したのですが、目立たないところがいいというのです。
まあなんとなく理由はわかりました。

それで昨日の6時半ころから、近くの誰もいなくなった手賀沼公園の水辺のベンチで会いました。
夕日を映す湖畔がきれいでした。
近くに誰もいない場所を選んで座りました。
なんだかドラマのような話でしょう。
まさに密会、と言う感じです。

そういえば、以前一度こういう体験をしています。
ある人からご自分の見つけた新技術のことでの相談を受けました。
指定してきたのが、あるところの喫茶店でしたが、そこの奥の目立たない場所でした。
周辺を気にしている様子がいかにも印象的だったので、話の内容は覚えていませんが、その様子は記憶に残っています。
その人とはしばらくして連絡がつかなくなりました。
念のために言えば、その人はその分野では有名な人で、大学教授でもありましたが、その技術開発後、人生が大きく変わったようです。
一部で、あの人は利権の世界から「消された」と言ううわさも流れました。

密会は、このようにドラマにつながりますが、今回の「密会」は残念ながら平和なものでした。

夏のように暑い日だったので、Tシャツで出かけましたが、7時を過ぎると湖畔はさすがに寒さを感ずるようになりました。
というわけで、突然、トイレに行きたくなって、唐突に密会を終わらせてもらいました。
幸いに、近くの図書館のトイレにかろうじて間に合いましたが、最近、突然、尿意を催し、困ることがあります。
困ったものです。
そんなわけで、シリアスなドラマではなく、喜劇のような密会になってしまいました。

帰宅途中で近くの奥さんに会いました。
暑いですね、といわれましたが、いえ寒いですとは言えずに、そうですね、と嘘を言ってしまいました。
嘘をつかずに生きることは難しい。

ところで、「密会」の成果ですが、考えの違いは解消されてはいませんが、たぶん理解しあえたと思います。
もうひとつ思わぬ「成果」もありました。
それが実現するかどうかは、かなり先にならないとわかりませんが、また一つ課題をもらった気がします。
人に会うと、これだから困ります。
現世滞在をもう少し延ばすことになるかもしれません。

なかなか節子に会えません。

■4261:また少し自殺問題に関わることになってしまいました(2019年5月25日)
節子
久しぶりに自殺未遂者の立場から自殺予防活動に取り組んでいる吉田さんと会いました。
突然に相談があるというので、朝から湯島にでかけました。
吉田さんはちょうど81歳になったところです。
数年ぶりですが、まったく変わっておらず元気でした。

しかし活動がなかなか前に進まない。
それで相談に来たわけです。
前にも何回かアドバイスはしていますが、それがなかなか実行できないでいるのです。
その一番の理由は、「恨みや怒り」だろうと私には思えます。

社会を変えようという活動をしている人に共通しているのは、現状への激しい否定的な姿勢です。
そうした「恨みや怒り」が、運動の前進を邪魔しているのです。
ラフカディオ・ハーンの「生首」という短編を思い出します。
目先の怒りを小さな目標に合わせてしまって、大きな目標を見失ってしまう話です。
怒りは、力にもなりますが、怒りにとどまっていては思いは実現しません。
怒りを捨てることから、運動は始めなければいけません。
批判は大切ですが、批判だけでは何も生まれません。

吉田さんは、私と最初に会った頃は、「恨みや怒り」に強く呪縛されていました。
しかもそれが特定の個人に向けられていた。
繰り返し話し合いましたが、なかなか抜けられずに、抜けたと思ってもまた戻ってしまうのです。
一度、公開フォーラムでメインの話し手の一人になってもらいました。
そうなると「批判」だけでは話が完結しません。
一緒に話のシナリオを考えました。
そこから吉田さんは、前向きの活動の焦点を映したように思います。
そうなると逆に私のような存在はノイズになりかねない。
それで自然と吉田さんの足は湯島から遠ざかっていたのです。
便りのないのは良い便りというのは、これまでも何回も体験しています。
よくあることですが、しかしその吉田さんがまた電話してきたのです。

しかし、今回は「悪い話」ではありませんでした。
素直に、どう進めていけばいいのかという前向きの相談でした。
それに、久しぶりに会って、吉田さん自身だいぶ変わっているのを感じました。
もう大丈夫でしょう。
前に進むのであれば、また少しは応援できそうです。
30分の約束が2時間を超えてしまいましたが、具体的な活動に繋がりそうです。
まずは湯島で、吉田サロンをやることにしました。
うまくいくといいのですが。

■4262:青なすを畑に植えに行きます(2019年5月26日)
節子
昨日、小学校時代の同級生の永作さんが、青なすの苗を届けてくれました。
埼玉県の小川町にある霜里農場で育てられた、とても立派な苗です。
私が育てているのとは全く表情が違います。
早速畑に植え替えようと思います。
今日も出かけなければいけないので、その前に畑作業です。
今日も静かないい朝です。
ハトが鳴いていないのがいい。
ハトの鳴き声は、節子の闘病時代を思いださせるので、苦手なのです。

今年は暑いので、早朝の畑仕事は気持ちがいいです。
ですからついついはまってしまう。
気を付けないといけません。

昨日は湯島で万葉集のサロンでした。
とても内容の濃いサロンでしたが、テーマは「見る」。
見るは、恋にも禁忌にも通じ、大きな変化を引き起こす力を持っていたようです。
私にはいささか消化できない深い内容でしたが、感覚的にはよくわかりました。
「霊」もまた「み」とも読まれたそうです。
霊を見る人の歌もありました。
私も「見る」力をもう少し得たいと思います。

さてこれから畑です。
畑に行くと、たくさんのものが見えますので、元気になります。
ただ手が泥だらけになるので、出かける前の畑は気を付けないといけません。

■4263:いつも最後の場と考えて人と付き合いたい(2019年5月26日)
節子
しばらく、といっても2か月ほどですが、音信不通になっていた人が2人いました。
節子もよく知っている人ですが、最後はちょっと論争の結果の音信不通だったので、少しだけ気になっていました。
2人とも私とは本音で激論する相手だからです。
私は時々、自分では気づかずに、言葉で相手を傷つけることがあります。
その一人からは、何回か注意されています。

ところが、その一人から2日ほど前に電話がありました。
何のことはない、メールアドレスが変わったので、私が出していたメールが届いていなかったのです。
そして、もう一人からは今朝、論文が届きました。
この間、その論文を書くために外部との縁を遮断していたのです。
気にしていたのが報われませんでした。

しかし、その2人はいずれも私と同世代です。
いつ「ころり」といってもおかしくありません。
日ごろから、「それが最後の場」になってもいいような付き合いをしておかなければいけません。

しかし、これは別に高齢者に限った話ではありません。
だれとでも、そうでなければいけません。
明日があることは、保証されていないのですから。

いつも最後の場と考えて人と付き合いたい、と思ってはいるのですが、それを実行するのは難しいです。
ついつい明日があるからなどと思っています。
心しなければいけません。

今日から、改めてそう生きようと思います。
今朝の畑で辿り着いたことです。
畑は人を哲学にしてくれます。

■4264:「まさかのおさむ」(2019年5月27日)
節子
昨日は真夏のような暑さでした。
湯島天神は春の例大祭でしたが、私は葬送シリーズのサロンをやっていました。
帰りに湯島天神に寄りましたが、暑さのせいか、あまり混んではいませんでした。
節子とよく来ていたころに比べると、湯島天神もだいぶ変わりました。
ユカも一緒だったので、いつものように不忍池を通って、上野に出ようかと思いましたが、あまりの暑さにやめました。
そういえば、湯島から上野に向かう裏道もかなり様子は変わってきています。
節子と立ち寄ったお店もだいぶなくなってしまいました。

それにしても暑くて、もう歩いているだけでも疲れます。
しかし、これは暑さのせいだけではないことに気づきました。
歳をとると「生きているだけでも疲れる」のです。
それを忘れるために、認知力を低下させる。
つまり、認知症は生きるための自己防衛策なのではないかと思います。
だとしたら素直に受け入れなければいけません。

2月から取り組んでいた「認知症予防ゲーム」のDVDが完成しました。
中心になった人が頑張ったので、とてもいいものができましたが、あんまり頑張ったので、私は途中で脱落しました。
しかし動画の中には私も出ています。
節子が見たら、「まさかのおさむ」だと笑うことでしょう。

「生きているだけでも疲れる」などというのを聞いたら、やはり「まさかのおさむ」と思うでしょう。
最近、「まさかのおさむ」が増えてきています。
成長したのか、脱落したのか。
「本来のおさむ」なら、「成長」に決まっているというでしょうが、最近はそうも言えなくなっています。
困ったものです。

さて今朝も畑に行こうと思います。
熱中症を計画して、ちょっとだけ。

■4265:今日は無為のお休み日にしました(2019年5月27日)
暑いです。
それで畑はあきらめました。
今日はいささか疲れがたまっていますので、畑で倒れては迷惑をかけますので。
幸いに今年はまだ畑仕事では倒れていないです。

それで自宅で録画していた「ストーンヘンジの謎」を見ていました。
四大文明などよりも古い文明の痕跡だといいます。
たしかにこの数十年の間に、私が学校で学んだことの多くは修正されています。
しかしほとんどの人が学校で学んだ知識を未だに信奉しています。
サロンでよく話題にもなりますが、人は歴史と共に進歩し、生活も今が一番豊かだなどと思っている人が圧倒的に多いです。
私は平安時代と大正時代に生きていたわずかな痕跡はあるのですが、実際には江戸時代も縄文時代も生きた記憶が皆無なので、何とも言えませんが、少なくとも今よりも豊かな生活があったように思えてなりません。
権力者が勝手に行った、前の時代への否定的な評価による情報操作には与しないくらいの知性は、幸いに残っています。

ストーンヘンジには行ったことがありませんが、そこで売っている石のかけらは持っています。
娘がお土産で買ってきてくれたのですが、整理のよくない私ですので、いまは行方不明です。
でもまあ、家にどこかにはあるはずです。
あると思えが、あるのです。
彼岸に行った人も、いると思えばいるのと同じです。

その番組に出ていた3人の専門家が異口同音に言っていたことがあります。
ストーンヘンジでは、有名なエンタシス構造がとられているのですが、あれは人の感性の当然の結果だというのです。
私は学校で、法隆寺の柱のエンタシスはアテネのパルテノンの技術が伝わってきたものだなどと学びましたが、そんなはずはないと、みんなは発言していました。
ストーンヘンジは、なにしろパルテノン神殿の2000年ほど前の作品なのですから。

そういえば、一昨日の万葉集サロンでも黄泉の国を訪ねたイザナギの話が出ましたが、これはギリシア神話など世界中にある話です。
文化の伝播ではなく、人としての感性の結果だと考えるのが納得できます。

また脱線しましたが、メールや電話で、今日はいろんな宿題が届きます。
でもまあ、今日はすべての依頼を忘れて、ちょっとお休みです。
こんな気持ちのいい初夏日は、無為に過ごすのがいいでしょう。
空の青さも、適度ですし。

■4266:メダカが死んでしまうほどの暑さ(2019年5月27日)
節子
暑さで室内の水槽の水温が上がったせいか、メダカが死んでしまいました。
水槽を2つに分けていたので、全滅にはなりませんでしたが、どうもメダカを買うのは難しいです。

ところが同じ水槽に棲んでいる芝エビは元気です。
それも以上に大きくなっています。
もしかしたらこの芝エビがメダカを食べているのではないかと疑っているのですが、今回はメダカの遺体が残っていましたので、違っていたようです。
疑ってしまい、反省しました。

暑い中、野菜を買いに行ってきました。
畑らしくなってきたのですが、野菜がなかなか育ちません。
種をだいぶ蒔いたのですが、あまり出てきません。
やはりきちんとした種を買ってこないといけないのかもしれません。
昨年の野菜の種を収穫しておいて、それをともかくばらまいただけという粗雑なやり方なのがいけなかったのでしょう。
温室もおかしくなってきています。
開墾作業はいいですが、育種は難しいです。

今日は暑いので、夕方、薄暗くなってから畑に行きました。
暗くなるまでまた開墾作業をやってしまいました。
それにしてもいくらやっても、いくらでもやることがある。
自然との闘いは底なしです。

とても暑い、でもとてもカラッとして、気持ちのいい1日でした。
明日は、少し現世の仕事をしなければいけません。
今日中にやることをみんな先延ばししてしまいましたので。

■4267:よく働きよく遊ぶ、という豊かな生活(2019年5月28日)
節子
風の朝です。
暑さはヤマを越したようです。
生活のリズムがなかなかつくれません。

昨日、節子の姉から電話がありました。
敦賀に住んでいますが、暑中お見舞いの電話でした。
暑い中を利賀の「そばまつり」に夫婦で行ってきたそうです。
節子は行ったことはありませんが、私は節子がいなくなってから連れて行ってもらったことがあります。
挽歌にも書いたことがあるような気がします。

姉夫婦は2人とも働き者です。
いつも、お米や野菜を送ってきてくれます。
しかし、高齢になって、米づくりは今年でやめることにしたそうです。
農作業は大変なので、姉は腰が曲がってきたそうです。

夫婦ともども根っからの「善人」です。
よく働きよく遊ぶ、という、とても豊かな生活をしています。
金銭は、人との付き合いを豊かにするためにあるという感じで、無頓着です。
農業をしっかりとやっている人たちは、いわゆる「生存的安心感」があるので、お金への頓着はないのかもしれません。
その生き方を、節子はいつも、「あの夫婦はお金もないだろうに豊かに人生を楽しんでいる」と言っていました。
姉夫婦から、私が学んだこともたくさんあります。
2人はまさにお天道様に従って生きているような気がします。
だからと言って、苦労がないわけではありません。
しかし、傍から見ると大変な「苦労」も、2人は自然に受け入れているのです。

人間はどうして今のような貧しい生き方になってしまったのか。
今の自分たちの生き方の貧しさをうけいれたくないために、昔の人の暮らしは貧しかったと思いたい人が多いでしょうが、歴史上、もしかしたら、いまほど貧しい時代はないのかもしれません。

■4268:風の瞑想(2019年5月28日)
節子
まるでお天道様が怒っているように、朝から風が強いです。
日米のトップが、能天気にゴルフや相撲を見ていることへのメッセージかもしれません。
トランプ大統領が羽田に到着する直前に、そのゴルフ場近くを震源とするちょっと大きな地震が起きたのも、実に納得できます。
お天道様は、やはりしっかりと健在なのです。

そんな中を、小作人である私は、朝から畑に行ってきました。
よれよれの汚れたズボンとシャツで、壊れかけた自転車で、いささか危うい感じで畑に出かけている私を見たら、みんな心配してくれるでしょう。
ちなみに、自転車どこに行っても鍵をかけないでもなくなることはありません。
私の自転車よりもいい自転車が、時々、ゴミ捨て場に廃棄されていますので、盗まれる心配はないのです。
いや万一誰かが乗っていってくれたら、私としてはむしろうれしいのです。
有効利用されたわけですから。
捨てるのは長年お世話になった自転車を捨てる勇気が、私にはないのです。
困ったものです。

しかし、お天道様は、何に怒っているのでしょうか。
あんなに暑い日をもたらしたり、今日は怒りが聞こえてくるような風を吹かせたり、高齢の小作人には過酷な日々です。

風の音を聞いていると、しかし、自分が叱られているような気がしてなりません。
窓を閉めれば、音はそう聞こえないのでしょうが、お天道様の小作人としては、そういうわけにもいきません。

しばらくは「風の瞑想」です。

■4269:会社決算(2019年5月29日)
節子
会社の決算をしました。
節子がいたころは、節子と税理士にお任せでしたが、いまは経済的な活動はしていない上に、収入もないので、私が自分で管理し、税務申告もしています。
あらかじめお金をもらうということでの仕事はこの10年ほどしていませんが、結果的にお金をくれる人もいるのです。
まさに「布施」スタイルです。
しかし、そういうお金は部屋の家賃にも届きませんので、私への報酬は皆無です。
それでも会社を維持しているのには、節子と一緒にやっていた会社をなくすことに抵抗があったからです。

会社の借金もありますが、いまはもう私からの借金になっています。
しかし会社で利益を上げることはほとんどないので、いまもまだ700万円以上の債権が私にはあるのです。
回収できるめどは全くありませんが。

とはいうものの、今期も10万円ほどの利益がでました。
収入も少ないですが、人件費もゼロですので、経費も少ないのです。
私の報酬はもちろんありませんが、活動するために、給料日にマイナス給与と言って、私が会社に払い込むこともなくなりました。
パーキンソンの法則ではないですが、「入りによって出るを決める」と言う決算方式なのです。
しかし必ず必要なのは事業税です。
事業税を支払うために7万円以上の利益を上げておかないといけないのです。
まるで事業税を支払うために会社を維持しているような感じなのですが、まあそれも仕方がありません。
それに今年は、法務局への報告届をしていなかったため(そんなことが必要とは全く知らなかったのです)、10万ほどの過料も払わされてしまったので、その資金も利益で出さないといけなかったのです。
でもまあ、なんとかうまくいきました。
ちょっと一安心です。

■4270:78歳の誕生日(2019年5月30日)
節子
朝起きてフェイスブックを開いたら、節子も知っている田中さんから、誕生日おめでとうと書き込まれていました。
それで今日が誕生日だと気づきました。
そういえば、2日前に、孫親子がケーキとプレゼントを持ってきてくれ、孫が小さな声で「ハッピーバースデイ」と言ってくれました。
それをすっかり忘れていました。

フェイスブックにはそれからいろんな人がコメントやメッセージを送ってくれますが、まあこうした騒ぎは私の趣味ではありません。
なかには既成の動画やカードを送ってきてくれますが、こういうのは私の趣旨にも反します。
しかし、昨年とは違い、素直に感謝することにしました。

実は今日も朝、畑に行こうと思っていたのですが、どうも調子がよくありません。
ところが、どうも目の調子がおかしい。
時々起こる症状ですが、ゆらゆらと視野が揺れるのです。
血圧かもしれないと測ってみましたが、下が異常に高い。
30分ほどで元に戻りましたが、畑はやめて、目はあまり使わない方がいいのでしょうが、早朝から映画を観てしまいました。
「ミケランジェロ・プロジェクト」です。
ドイツ・ナチから美術品を取り戻す実話に基づく映画です。

「人の命よりも大切なものがあるか」という問いかけに、「ある」と答えるジョージ・クルーニーの言葉で、いつも考えさせられる映画です。
最後のシーンは、その活動で命をなくした人の父親と子供が、彼が守った聖母子像を見ているシーンなのですが、いつも涙がこみ上げてきます。
人の命よりも大切なものはあるのです。
この映画は、それを思い出させてくれます。

それはともかく、相変わらずフェイスブックの書き込みは続いています。
いろんな人が健康に気を付けてとか、頑張ってとか言ってくれますが、言うまでもなく、私は健康にも気をつけずに、頑張りもせずに、いつものようにお天道様のご意向に沿って、素直に生きるだけなのです。
ただ、今日は改めて、人の命より大切なものはなんだろうかを考える1日にしようと思います。

騒がしい誕生日は好きではないのです。


■4271:誕生日の娘たちとの将来の話し合い(2019年5月30日)
節子
午後から孫母娘、いや娘母娘がきました。
私がいなくなった後のことも踏まえて、ちょっと話し合いをしました。
誕生日にふさわしい話題かどうかはともかく、まあいい親子関係です。
しかしだからと言って問題がないわけではありません。
節子がいたらよかったのでしょうが、娘たちにとっては父親はあんまり必要な存在ではないのです。
先に行くべきは、やはり父親です。
娘たちと話していて、いつもそう感じます。

まあしかし、そう難しい話をしたわけではなく、私は最後までこの家に住みたいという話をしただけです。
節子と同じく、この家で最期を迎えられればと思っています。

私も78歳というわけです。
こんなに長く生きるとは、私もですが、節子も思ってはいなかったでしょう。

今日もまた節子のお姉さんから野菜がどっさり送られてきました。
孫も畑に来ましたし、まあ、それなりにいい誕生日でした。

■4272:もうひとつの開墾作業(2019年5月31日)
節子
異常値を続けていた血圧が少し収まってきました。
いろんな方が心配してメールをくれましたが、もう少し様子を見ることにしました。
今日は歯医者さんなど、地元での用事がいくつかあったので、空いている時間は自宅本を読んでいました。
かなり昔の本で、ピエール・クラストルの「国家に抗する社会」です。
先日の万葉集サロンで気づいたのですが、言葉から歌が生まれたのではなく、歌から言葉が生まれたということが、アメリカ先住民の話として書かれていました。
もっとも私がそう思っているので、そう読んだだけかもしれません。
しかし関心を持ったテーマが書かれている本を、不思議と偶然に読むことが多いです。

今日は畑はやめて、玄関先の中庭の草刈りです。
目立つところなので、ともかく野草を刈り取ったのですが、数年間放置していたので、まさにジャングル状況です。
畑の開墾よりは楽でしたが、もうひとつの開墾作業でした。
狭い場所なのですが、45リットルの袋4つの収穫がありました。
それにしても植物の成長力はすごいです。
中壁にはジュンの制作したスペインタイルも掛けていましたが、それらはまったく見えない状況です。
私が置いていたフクロウの置物も見えないところに転がっていました。
家を管理するのも本当に大変です。
節子はよくやっていました。

ジャングル庭の作業が着かれたので今日は畑はお休みにしました。
いささか心配ですが、行くとまたついついはまってしまいますので。

だいぶ、心身共に回復してきました。
78歳のスタートしては、まあ良しとしましょう。
誕生日メッセージも幸いに来なくなりましたし。

■4273:人の命よりも大切なものがあるか?(2019年5月31日)
節子
昨日、映画「ミケランジェロ・プロジェクト」のことを書きましたが、そこで映画の中で出てくる「人の命よりも大切なものがあるか」という問いについて書きました。
その部分だけをフェイスブックに書いたのですが、折戸さんからコメントの書き込みがありました。

「人の命よりも大切なものがあるか」という問いには答えられませんが、私の命より大切なものがある!とは断言出来ます!

まさに折戸さんらしい、誠実なコメントです。
折戸さんが、自分の命よりも大切だと考えているものも心当たります。
「はい、私も同感です」とすぐに書かせてもらいました。
折戸さんの気持ちが痛いほど伝わってきました。

ところで、映画の中でのセリフはこうです。
「命より尊い美術品はない、と私は言ったが、それは間違っていた。美術品は歴史であり、歴史は命の蓄積だ」。
美術品奪還プロジェクトのリーダーを演じるジョージ・クルーニーが、2人の仲間を失った後、残された仲間たちに語った言葉です。
この文脈では、むしろ折戸さんが言うように、「自分の命より大切なもの」という書くべきでした。
他者の命は、私には評価できないことを忘れていました。

折戸さんは伴侶に先立たれています。
折戸さんにはお伝えしていませんが、今日1日、折戸さんと「悲嘆を共にする」ような気分で過ごしました。
そして、自分の命よりも大切なものと出合えた人生に感謝しました。
たぶん折戸さんもそう思っているでしょうから。

■4274:初夏を感じさせる青い空の朝(2019年6月1日)
節子
もう6月です。
あの年の6月を思い出すとまた気が落ち込みそうなのですが、今朝は気持ちのいい朝です。
昨日から読み出した「国家に抗する社会」はほぼ読み終わりました。
朝起きて、畑に行こうと思ったのですが、もう少しで読み終わるので、ついつい読んでしまい、畑に行きそこなってしまいました。
「国家のない社会」が存在する、そのことを今はみんな忘れています。
民族自決などという、ばかげたスローガンにみんな洗脳されてしまっているわけです。
一人の人間として、仲間と一緒に暮らすことの幸せはもう取り戻せないのかもしれません。
いささかのさびしさを感じますが、そう考えると、生きていることもそう魅力的なことではない気がします。
いささか唐突ですが、今朝、起きた時に感じたのは、節子の人生は幸せだっただろうかと言うことです。
そして、その幸せに、私は少しは荷担できただろうかと思いました。
なぜそんなことを思ったかはわかりませんが、突然に心に浮かんできました。
それほど今日は、気持ちのいい朝です。

節子の人生は、少なくとも私の人生よりも幸せだったと思います。
最後まで、愛されていたからです。
愛される人たちに囲まれて人生を全うした。
そういう生き方ができる人は、そう多くはないでしょう。

なんだか自己正当化のような気もしますが、そんなことを考えながら目が覚めて、本を読みました。
この初夏を感じさせる青い空の朝が、私にはちょっと苦手なのです。
あの年のことを、どうしても思い出させられるからです。

昔は大好きだった夏が始まります。

■4275:室内でカマキリが孵化したようです(2019年6月1日)
節子
問題が発生しました。
わが家のリビングの天井に小さな点がたくさんできてしまいました。
よく見ると、なんと孵化したばかりのカマキリの子どもたちです。
それに気づいたユカから、そういえば以前、カマキリの巣をもってきたけれどどうしたのか、と詰問されました。
そういえば、それをリビングに隣接する土間のどこかに置いていたような気がします。
それが孵化して、いまリビング全域に広がっているのです。
なんとかしないと餓死してしまいます。
さてどうするか。
一匹ずつ捕まえて外に出そうと思い、少しチャレンジしましたが、なにしろ天井にいる小さな、しかも実にか弱い生物なので、簡単ではありません。
むしろ自然と外に出てくれるのを祈るばかりです。

フェイスブックに書いたら、節子もよく知っている平井さんが、カマキリの育て方を教えてくれました。
魅力的ですが、生命を飼育するのはそう簡単ではありません。
メダカでさえ死んでしまいますので。
いやはや困ったものです。

家の中に小さな自然をつくるのは私の夢でした。
節子は反対でしたが、私のそういう思いを一番受け入れ、反対しながらも時々協力してくれました。
しかし、考えてみると、それは反自然的なことでした。
家の中で沢蟹やホタルやキリギリスが死んだこともありました。
いまから考えれば、反省することがたくさんなります。

とはいうものの、いまもまだ、できることなら、そうした自然的な空間で暮らしたいと思っています。
そこでいつもながらの短絡思考ですが、宝くじを買おうと思います。
当たったら、いろんな生き物と共棲する家を実現したいです。
いまはゴキブリや蚊や蟻くらいしか、一緒に暮らしてはいませんので。

■4276:我孫子まちづくり編集会議がゆっくりテイクオフできそうです(2019年6月2日)
節子
我孫子まちづくり編集会議の定例会でした。
今回、新たに3人のメンバーが参加されました。
手賀沼の見える水の館でミーティングを開きました。
意識も少しずつそろいだしてきたので、そろそろ組織化に向けて動き出そうと思います。

今日は飛び入りに近い人が参加されました。
会社の経営者でありながら、俳優業もやっているという、実に魅力的な人です。
初対面でしたが、すっかり親しくなったような気がする人でした。
手賀沼でねぶた祭りをやりたいという思いをお持ちのようです。
実にいい。
2年以内に実現してほしいと頼みました。
私が逝く前に、です。

取手の長禅寺を起点とした新四国相馬霊場八十八ヶ所を歩いてみようというプロジェクトも始まるかもしれません。
ゆっくりと進めてきた甲斐がありました。

■4277:善悪が分かりにくい社会になりました(2019年6月3日)
節子
どうも気が晴れないことが多くて困っています。
最近はみんな少しおかしくなってきているのではないと思いたいほど、いろんなことが起こります。
しかもそれがどうもすっきりと解決しない。
そんなことが、いろんな事件となってしまうような気もします。
無抵抗な子どもたちに向けての殺傷事件や、息子がそうならないようにと自分の息子を殺害してしまう事件。
悲しい事件が頻発しています。
私が子どもの頃とは社会の質が全く変わってしまったような気がします。
そうした社会の変質は、私とも無縁ではありません。
私の周りでもおかしなことがあまりに多い。

昨日もある人からある相談を受けました。
こんなことがあるのだけれどどうしたものかという話です。
市民活動に関することなのですが、とんでもない話が数十年にわたって続いていて、いろんな人がおかしいと思いながらも何もできていないというような話です。
いまの安倍首相もまあ似たようなものだと思いますが、いまやそれが日本国中に広がっているような気もします。
国家の首相が憲法を無視し、自分の私欲で好き勝手をやっている状況では、小さな市民活動もそうなってくるのでしょう。
公的なものがどんどん私物化されているような気がしてなりません。

相談してくれた人は、その問題を告発するそうですが、どうせ告発するならはっきりとやってほしいですが、どうもそう簡単でもなく、やんわりとした問題提起に終わりそうです。
もしかしたら、その問題になっている人は、私も胃炎一度会ったことがある人かもしれません。
もしそうなら地域でも活動してきていた人です。
だいたいにおいて正義を標榜したり社会のためなどと言ったりしている人ほど、社会を私物化するものですが、市民活動を長年している人が陥りやすい落とし穴です。
節子がいたらどうしたでしょうか。

まあこれはほんの一例。
腹立たしいことが山のようにあって、心の平安を維持するのはむずかしいです。
そんな社会に生きることに、強い嫌悪感を時々持ちます。

今日はすっきりしない1日でした。
節子がいたらきちんと具体的に話せるのですが、中途半端なことしか書けずに、ますますストレスが高まりそうです。

■4278:今日も暑いです(2019年6月4日)
節子
とてもいい気候になったのですが、どうも気が晴れません。

私は、人を信ずるところから、人との付き合いを始めます。
時に、その信頼が裏切られることがありますが、それでも信じ続けます。
そのため底なし沼のように、悪夢に引き込まれたこともありますが、それでも信頼できると思い続けて、付き合いを続けるように努力します。
そうやって長いこと生きてきました。

人はみんな、誰かの役に立ちたいと思っていると、私はずっと思っています。
役に立てたときのうれしさをみんな求めている。
しかし、人の役に立つることは難しいと思っている人も多い。
さらに、他者の役に立つことは、自らにとっては損失だと思い込んでいる人が多い。
他者のことなど思いやる余裕はない、などと思い込んでいる人もいます。

他者に役立つことは、実は一番自分にとって役立っているのです。
他者のことなど思いやる余裕がないといっている人は、実は他者のことで余裕をなくしています。
なぜなら人は一人では生きておらず、他者と共にあるからです。
そういう意識や生き方を壊してきたのが、近代科学であり近代国家制度です。
そこから抜け出ないと、人は本来の自分に戻れない。

ですから、私は制度に呪縛されないように、自分を素直に生きようとしていますが、戸惑い不快に思い、怒りや失望を感ずることが多いのです。
石器時代、あるいはせめても縄文時代に戻れればと思います。

とまあこんなことを今朝は思いながら置きました。
いい気候と言うよりも、真夏の朝のようです。」

■4279:人との付き合いは疲れるものです(2019年6月4日)
節子
いささか深刻になっているあるグループの人を元気づけるために、湯島で会いました。
元気づけるつもりが、もしかしたら傷つけたかもしれません。
人との付き合いは難しいです。

その人も、周りにいる問題に直面している人に誠実に対応してきている人です。
ところがなぜかいま、批判の矛先が彼女に向かっています。
もう疲れ切っている感じなのですが、頑張りすぎているように見えてしまいます。
話をしていて、彼女がもう人との付き合いに疲れたというのです。
たしかに人との付き合いは、誠実であればあるほど、疲れるものです。
しかし、そもそも人との付き合いとは疲れるものだと思えば、割り切れるものです。
疲れは慣れれば慣れるものです。

その人の立場になってとか、寄り添ってなどときやすく言う人もいますが、そんなことができるはずはありません。
私は、ただ人間として真剣に対応することしかできません。
それが逆に時々、相手を傷つけてしまうわけです。
困ったものです。
でもまあわかってもらえるでしょう。

今日は、めずらしくちょっとうれしいメールが届きました。
節子もよく知っているTさんがまた新しい仕事を引き受けたという報告です。
彼女の世界もどんどん広がっています。
にもかかわらず、こうして報告してきてくれる。

多くの人は、困ったときには湯島に来ますが、うまくいき出すと来なくなるのです。
それに比べ、Tさんのような人がいるのは私には大きな救いです。

今日もまた3つのことでかなり疲れた1日でしたが、Tさんのおかげで少し報われた気がします。

■4280:サンドウィッチとおにぎりとミニカップラーメン(2019年6月4日)
節子
今日、午後に相談に来た人は、昼食を持ってきてくれました。
どうせお昼は食べていないでしょう、と言って、サンドウィッチとおにぎりとミニカップラーメンと言うメニューです。
長生きしてもらいたいので、カップラーメンの汁は飲んではだめだといわれましたが、久しぶりに食べたせいか、全部飲み干してしまいました。
それにしても、サンドウィッチとおにぎりとミニカップラーメンは多すぎるのですが、好意にはしっかりと応じないといけないので、しっかりとみんな食べてしまいました。

なんだか私が昼食も食べられないほど貧窮していると思われているのかもしれません。
たしかに現金はないのですが、私は決して貧窮はしていません。
お腹を空かすことは多分ないですので、ご心配なく。
それに間もなく私が耕している畑の野菜が成りだすと思いますので、決して貧窮などしないでしょう。
ただこの時期、納税などで何かとお金がかかるため、まあそれなりに苦労はないわけではないのですが、お金に困ったこともないのです。
不思議となんとかなるのです。
もっとも今年はちょっと厳しい状況ですが。

サンドウィッチとおにぎりとミニカップラーメンを持ってきてくれた人の相談には、全面的に協力することにしました。
一飯の恩義にはやはりきちんと応じなければいけません。
その人は、実は昔、私に「佐藤さんは仕事に値段をつけないからお金が入らないのです」と忠告してくれたことのある人です。
1時間5万円の根付けの弁護士のように、有料にしていたらきっと今頃は不幸になっていたでしょう。
自分の行為に値段をつけるようなみじめな生き方はしたくありません。

やはり何の役にも立たないお金よりも。空腹を回避できるサンドウィッチとおにぎりとミニカップラーメンのほうがうれしいような生き方をこれからもしたいと思います。

■4281:徳之島コーヒーを飲みたいのであと5年現世に言います(2019年6月5日)
節子
またまた今日も不快なメールが朝から届いています。
ますますNPO嫌いになりそうです。
困ったものです。
でもまあ、そんなことに振り回されてはいけません。
メールが来るとすぐに即応してしまい、後で反省するのですが、今朝もまた、即反応してしまいました。
相手はきっと驚いているでしょう。
それにしても、いまの社会の常識と私の常識はあまりにも違いすぎるのかもしれません。
毎朝、メールチェックをするのがよくないのかもしれません。

節子がいたころは、まずは節子に話して、気分を客観視することができましたが、いまはそれができません。
それで時々、失敗をしてしまいます。
それがなかなかなおらない。

しかし、うれしいメールも届きます。
今朝届いたメールで、あと5年、彼岸に行くのをやめようと思います。
まあ、節子とは別に彼岸に行かなくても一緒ですので、良いでしょう。

そのメールは、徳之島に帰郷している平山さんからのものです。

徳之島コーヒーを物色して居りますが、コーヒー農園を造って苗を相当数植栽したらしいですが、台風で全滅したとのことです。
現在は、自然山林の中に植栽して、増やしている最中です。
後、5年はかかりますね。

私は、こういうコーヒーこそ飲みたいです。
あと5年生きないといけません。
彼岸に行ったら、自然と共生している徳之島コーヒーが飲めませんので。

■4282:久しぶりの山下さん(2019年6月6日)
節子
昨日、北九州市の中島さんから電話がありました。
中島さんはもう市役所を退職され、いまは児童文化科学館の館長です。
中島さんは、ちょっと待ってくださいと言って、誰かに電話を渡されたようです。
もしかしたら、と思ったのですが、まさにその「もしかしたらの人」でした。
収入役だった山下さんです。
この数年、交流が途絶えていました。

私が北九州市とつながり、仕事をさせてもらったきっかけは、山下さんでした。
会社時代に、人を介して、山下さんは私に会いに来ました。
当時、私は東レでCI(コーポレートアイデンティティ)のプロジェクトに取り組んでいました。
ほかにも東京都のCIプロジェクトの委員もさせてもらっていました。
山下さんは、北九州市でもCIに取り組むことになり、その責任者になったのです。
そして当時はちょっと目立って活動していた私のところに話を聞きに来たのです。
それが縁で、私も何回か北九州市に行きました。
そこから山下さんとの付き合いが始まりました。

節子の親しい友人が北九州市にいたこともあって、一度、節子と北九州市を訪問した時、山下さんはわざわざ自分の車で、私たちを案内してくれました。
とても気さくで、当時は仕事の合間に、アルプスに登ったりするアルピニストでもありました。

節子がいなくなって、一時期、私はほとんどの付き合いをやめてしまいました。
友人知人と付き合うのが、とても億劫になった時期があるのです。
山下さんとの付き合いはその後も続いていましたが、最近は九州に行く機会もなく、しばらく交流が途絶えていました。
ですから数年ぶりに聞く声でした。

山下さんが思ってもいなかったことを言い出しました。
1年前に奥様を亡くされたというのです。
それでしばらく喪に服していたが、1年たったので、仲間の集まりに久しぶりに顔を出したというのです。
そこで中島さんに会ったわけです。
中島さんは、私が山下さんと親しいのを知っているので。電話をかけてくださったのです。

山下さんは、しかし以前のように、お元気そうでした。
現世でもう一度会っておきたいので、東京にもまた行くといってくださいました。
私も望地度、北九州市にはいきたいと思っています。
会いたい人がたくさんいますので。

久しぶりに山下さんと話す機会をつくってくれた中島さんには感謝です。
そういえば、中島さんは川柳や俳句をやっています。
1週間ほど前に、「佐藤さんも俳句をやりませんか」とメールが来ました。
返事をしていませんでしたので、電話を借りて、俳句はパスしますと伝えました。
節子がいたら、私も俳句に付き合わされていた可能性がありますが、どうも私には苦手です。
中島さんは、文化人なのです。

久しぶりに山下さんとお話しして、いろんなことをどっと思い出しました。
あのころは、毎日、輝くようにわくわくしていました。
いろんな人たちの顔が浮かんできました。

■4283:幸せに出会うたびに、同時に悲しみにも出会う。(2019年6月6日)
節子
近くのスーパーの売り場に、孫のにこが、「父の日」に書いて応募した絵が掲示されているというので、娘の買い物に付き合ってみてきました。
節子がいたら間違いなく見に行ったでしょうから。
それでご丁寧にも写真を撮ってきました。
思ったよりも上手に書かれているように思いましたが、これもたぶんかなりの贔屓目なのでしょう。

こうした、ささやかな幸せを節子は楽しめないと思うと、ちょっと申し訳ない気もします。
遺された者は、幸せに出会うたびに、同時に悲しみにも出会う。
そこからはもう抜け出せないでしょう。

孫の絵を見ることであれば、まああまり大きな話ではないのですが、大きな幸せに出会うとたぶん悲しみも大きいでしょう。
そう思うと、幸せ願望や喜び願望は薄れてしまいがちです。
そのため、次第に生き方がどうしても控え目になっていくわけです。

孫はちょこちょこわが家にやってきます。
節子への挨拶も欠かしませんが、節子は孫の様子を楽しんでいるでしょうか。

■4284:畑の葵が咲きました(2019年6月6日)
節子
真夏のような暑さでしたが、夕方から畑に行きました。
畑でもない空き地の開墾作業をしていましたが、だいぶ畑らしくなってきました。
ところが開墾作業が面白くて、肝心の野菜を植えるのには関心が向いていませんでした。

昨日、サロンに来た瓜生さんから畑で育ったじゃがいもをもらいました。
それに刺激されて、今日は何種類かの野菜を購入してきて、植え付けました。
第一陣はトマトとなす以外はだめだったのですが、今度はきちんと水やりにも行こうと思います。
道路沿いにあった自生の葵を移植したのですが、うまく咲き出しました。
花壇はいろんな種を蒔きましたが、なかなか芽が出てきません。

開墾作業は時間がたつのを忘れるほど面白いです。
土や植物との話は、人間との話よりも楽しいからです。
節子と話すのよりは楽しくないですが。

今日は異様に元気なトカゲにも会いました。
鍬で土を耕していたら、出てきたのです。
トカゲも土中にいるので、気を付けないといけません。
最近は蛇がいなくなってしまい、もしかしたら今日のトカゲが新しい畑の守り神かもしれません。
私の趣味には合わない派手なトカゲでしたが。

気が付いたら7時を過ぎて、薄暗くなっていました。
床から食事だよと連絡を受けて、急いで帰りました。

かろうじて葵の写真だけは撮れました。

■4285:雨の中の畑仕事(2019年6月7日)
節子
久しぶりの雨です。
昨日、畑に野菜を植えましたが、今朝もまた畑に行って、自宅の苗床で育っていたレタスやメロン?も植えてきました。
しかしやはり開墾作業がしたくなり、端っこのやぶ状況のところにまで開墾を進めました。
そこには、ユカが以前植えた、アーティチョークが大きく育っているのですが、その界隈はまだ放置されていたのです。
そこまで開墾が進んだということはほぼ全域が開墾されたということです。

ところが、ここに来年、もしかしたらいえがたつことになりそうです。
そうであれば、これまで開墾して畑もすべて宅地になってしまい、畑作業は続けられなくなるわけです。
ですから、せめて今年は総仕上げとして、畑の成果を上げておきたくなりました。
畑の小作人作業が卒業できるかもしれません。
いろんな挿し木も根付いてきたので、それはちょっと残念ではあります。
しかし、人生とはそんなものでしょう。

そんなわけで今日は、雨が降ってきたのですが、作業を続けました。
畑からもし何かを収穫しようと思えば、急がないといけません。
雨の中の畑作業。
はじめての経験ですが、これもまたいいものです。
と言っても、ひ弱な小作人としては、雨が本格的に降ってきたので退散してしまいました。

雨が降ると、畑の小作人には読書が許されます。
さて、何を読みましょうか。
ちょうど楽天で頼んでおいた本が届きました。
「人類の起源、宗教の誕生」、対話をまとめた新書なのですぐ読めるでしょう。
読み終わったら、一昨日のサロンの報告を書こうと思います。

まあ、こうした予定は、まもれたためしはないのですが。

■4286:人生は振り返るものではありません(2019年6月7日)
節子
「11匹のネコ」を覚えていますか?
ばばのぼるの絵本です。
娘たちに買ってやった絵本ですが、1冊だけ残っていました。
それを孫のにこが気に入ってくれたので、6冊セットを孫にプレゼントすることにしました。
それが今日、届きました。

節子が子どもたちに読んでいた絵本の何冊かは今も残っています。
娘が持っているものもあります。
私は、孫に本を読み聞かすことはしませんが、節子ならきっとするでしょう。

娘たちと「11匹のネコ」を読んでいたころが、もしかしたら私の人生が一番平安だったころかもしれませんが、節子は、子育てなどで、むしろ大変だったかもしれません。
人生は、振り返るときに、その時期の意味が分かってきますが、だからと言ってどうしようもありません。
だから振り返るべきではないでしょう。

しかし、人生を思い出してしまうこともあるものです。
この本が届いたおかげで、ちょっと昔をいろいろと思いだしてしまいました。
雨の日に人生を振り返るとなんだか感傷的になってしまいます。

■4287:沢蟹との同居への期待(2019年6月7日)
節子
今日は午後から少し肌寒さを感ずるようになりました。
本を読もうと思っていましたが、読んでいるうちにねむくなってしまいました。
最近、夜中に目が覚めてしまい、寝不足なのです。
30分ほど昼寝をしようと思ったら、なんと2時間近く寝てしまいました。
まあ今日は、お天道様も雲の向こうなので許されるでしょう。

さらに目が覚めてからも、だらだらとテレビを見てしまいました。
私はどうも暑い方が活動的になれるようです。
うっとうしい雲空を見ると何もやる気が起きてきません。
困ったものですが、どうしようもありません。

広島に帰郷している友人が、いまは空き家になっている生家の庭にいる沢蟹の写真を送ってきました。
実にうらやましい。
節子もよく知っているように、私はなぜか沢蟹が大好きで、できれば同居したいと思っています。
狭い庭に、そのために家族の反対にもかかわらず池をつくりましたし、これまで何回か沢蟹を飼う試みもしました。
しかしうまくいきません。
しかし、今日、友人が送ってきた沢蟹は元気そうで、うまくいけば定着に成功しそうです。
もっとも、放し飼いを目指していますので、そう簡単ではないでしょう。
しかし、何とかして友人に10匹くらい連行してもらえないかと頼みました。
適えてもらえるといいのですが。

いま、わが家のリビングには、家の中で孵化したカマキリの子どもが同居しています。
今朝も食事をしていたら、腕に這いあがってきました。
小さくて存在感がないので、注意しないと踏み潰しかねません。
同居するなら、カマキリよりも、やはり沢蟹のほうがいいです。

ちょっと希望が出てきました。

■4288:彼岸を散歩した夢?(2019年6月8日)
節子
最近、よく夢を見ます。
ただ、目が覚めるとすぐにどんな夢だった思い出せなくなります。
しかし、1日経っても忘れない夢もあります。
昨日の朝見た夢は今でも映像が生き生きと浮かんできます。

それはこんな夢でした。
誰か小さな子供と一緒に散歩に出かけたのですが、元いたところに戻ろうとするのに戻れないのです。
道端で何か仕事をしていた2人の人に会います。
そこで2人にもとの場所に戻りたいというと、この世界では道は常に変化しているからというのです。
「この世界」は、何となく「彼岸」のようです。
たしかにいま来た道を見返ると、先ほどとは全く違った風景になっています。
道が生きていて、常に変化している。
それがとても印象的で、今朝になっても忘れられないのです。

振り返った道は、林の中の一本道で、道沿いに小さな水場も見えました。
以前どこかで見た風景のようでもあり、書物を読んでいて感じた風景でもあり、どこかに見たこともないような緑を感じさせる情景でした。
その情景がいまもまだ残っています。

ちなみに、その夢は、2人の人が元の場所に案内してやると言ったところで、記憶が途絶えています。
たぶん夢の続きでは(私は見ていませんが)、その2人のおかげで、子どもは無事、元の場所に戻れたのでしょう。
しかし、あの子供は誰だったのか。
私が知っている人ではありません。

フロイトの夢判断は、私にはあまり興味はないのですが、夢そのものも一つの実体験と位置付けると世界は豊かになります。
節子がいなくなった後、何回かみた夢があります。
彼岸への電車駅の夢です。
今も記憶に残っているのは、2つの駅ですが、いずれモチベーション地下駅でした。
そして私は記憶では一度もその電車に乗ってはいません。
駅の名前も一時期覚えていましたが、いまは記憶から抹消されています。
不思議な夢で、1か月ほどの間、頻繁に見ましたが、最近は見たことがありません。

節子はよく知っていますが、私は夢と現実をそう分けては考えておらず、夢もまた現実の一部と思っています。
ですから、朝起きて、節子に夢の続きで話しかけたりしたこともあります。
娘には冗談かと思われていますが、節子は必ずしもそうは思っていませんでした。
時にはきちんと受け止めてくれました。
まあ私たちの出会いからして、冗談に近いような不思議な関係でしたから。

昨日の夢は、もしかしたら私がすでに時々、彼岸を訪ねていることを示唆しているのかもしれません。
どこかの時点で、夢と現実が入れ替わる。
そんな体験ができるといいのですが。

■4289:相馬霊場全八十八札所めぐり(2019年6月9日)
節子
相馬霊場全八十八札所めぐりと言うのがあることを教えてもらいました。
その出発点は、取手駅近くの長禅寺です。
我孫子に転居した翌年、なぜか家族みんなで初詣にいったところです。
たしか同居を始めた両親も一緒でした。
残念ながら以来一度も行っていませんが、心に残ったお寺です。
そして不思議なことに、相馬霊場全八十八札所めぐりの話を耳にしたときに、すぐ思い出したのが、その長禅寺でした。
これは単なる偶然なのか。
歩いてみろ、と言うことではないのかとちょっと気になっています。

全長80kmだそうですので、鈴木さんの巡礼の話を聞いていたので3日で歩けると思ったのですが、鈴木さんからは1日30kmは無理でしょうといわれました。
たしかに3日ではむずかしい。
でもなんだか歩いてみたい気持ちが日に日に強まっています。

八十八寺を調べてみると、わが家のお墓のある宝蔵院も入っています。
近くのお寺もいくつか含まれています。
お札をお願いするのではなく、まずはいくつかを訪ねてみるところから始めようかと思います。
一人ではいささか心もとないのですが、まあ1日、どのくらい歩けるかも確認してみるのもいいでしょう。
コースの一部には、私が住んでいる我孫子地区もありますので、まずは菩提寺の宝蔵院から一度歩いてみようと思います。
節子がいたら付き合ってくれるでしょうが、意思の弱い私は途中でやめてしまいそうですが、せめて3つくらいは歩けるでしょう。

暑くなく、ほどほどの晴れで、私がその気になる日に結構です。

■4290:ゆるやかな組織(2019年6月10日)
節子
朝からまたトラブルです。
と言っても、あるNPOグループの内部トラブルで私は当事者ではないのですが、トラブルは嫌なものです。
NPOがますます嫌いになります。
人間はどうして「組織」を制度化してしまったのでしょうか。
私は会社を辞めて以来、ずっと「ゆるやかな組織」の構造の中で活動してきました。
法人化したものもありますが、そうした法人から生ずる面倒なトラブルには、いまも辟易しています。
それに、「ゆるやかな組織」の考えは、なかなか理解されません。
困ったものです。

中沢新一さんの本から、権力のない組織がかつては基本だったということを学び(間違った理解かもしれませんが)、とてもうれしいのですが、最近、関裕二さんの日本古代の新書を数冊一気に読んだら、そこでも「弱い王」と言う概念が出てきました。
なんだか元気づけられます。

私の問題意識の根底には、「組織 vs 個人」という構図があります。
組織のための個人ではなく、個人のための組織でなければいけないと思っていますが、どうも時代はますます組織が主役になってしまってきています。
ボランティアマインドに基づいて生まれた組織でさえ、次第に組織主軸に考えるようになっていきます。
主客が転倒されてしまうわけですが、実にさびしい話です。
ちなみに、お金も組織のひとつです。

トラブルの渦中にいる友人がいささか心配ですが、何やら私まで怒りが強まってきてしまい、そのNPOを糾弾したいくらいですが、そう考えることは私の「ゆるやかな組織」観からすれば矛盾しています。
しかし、私でさえそう思いそうになるのですから、「組織」と言う概念は恐ろしいです。

今日は雨です。
予定のない日なので、退屈で仕方がありません。
朝から気を吸い取られてしまい、何もやる気が起きません。
困ったものです。
ダン・ブラウンの映画でも見ることにしましょう。

■4291:人はひとりで生きてはいません(2019年6月10日)
節子
寒さを感ずるような、さびしい1日になりました。
空が死んでいる日は、どうしても元気が出ません。

友人がフェイスブックにこんな書き込みをしていました。

今日は神さまに祈りを捧げてきました
かなしくてかなしくて
ずっとひとりで生きてきた
ずっとひとりで生きていく
神さまありがとう

コメントしました。

人はひとりで生きてはいません。

一時期、「無縁社会」という言葉がはやりました。
呪いたくなるような言葉ですが、人は決して、無縁には生きられません。
生命はすべてつながっているからです。
それに気づけば、人はさびしくなどはなりません。

しかし、今日のようなどんよりとした雨の日は、なぜかひとりでいるとさびしくなります。
どこかに出たいと思っていましたが、私は運転免許を返却しているので運転はできません。
夕方、娘のジュンからユカに連絡がありました。
雨のせいか、スーパーが安いよというのです。
いま親子でその安いスーパーで買い物をしているそうです。
ユカが行くというので、同行させてもらいました。
買い物があるわけではなく、孫に会うためです。
孫の笑顔は元気をくれるでしょう。

スーパーはすぐ近くなのです。
間に合いました。
子どもの笑顔を見ると、別に自分の子や孫でなくても、人はひとりではないと実感できます。
孫の書いた絵がスーパーも貼り出してあるのですが、孫が案内してくれました。
娘は、半額になっていたスイカと肉を買ってきました。
今日はこれから焼肉だそうです。

元気が少し出るかもしれません。
それにしても、寒い1日でした。
心が冷えているからかもしれません。

■4292:生死に自在な生き方(2019年6月10日)
節子
前回につづいて少し「生き方」の話です。
なんとなく書いておきたくなりました。

天台本覚論では、生死に自在な生き方こそ、真実の生き方だといいます。
私がこのところ、そうありたいと思っている生き方です。
生死に住んではいけない。しかし、生死を離れようとしてもいけない、ということです。
あるいは、死に臨んでもうろたえることなく、生死を怖れない心を養え、ともいいます。
そのためには、仏を念じて心静かに死を待つ状態を実現するというのが天台の教えです。

しかし、これは私の生き方ではありません。
仏を念じて心静かに死を待つことは、やはり死に呪縛されているとしか思えないからです。
死は、未来のことですから、結局は今を素直に生きていることにはなりません。
それに、死は待つものではありません。
節子から教えられたことは、生死から自由な、いま、ここを生きる生き方です。

仏教は二元論の思考ですが、本覚論ではすべては同じひとつの「一心」の顕れだと考えます。
二元論は、人間にもともと備わった覚知性(本覚)の属性そのものの表れでしかなく、あるのは、一つの「心」だけだというわけです。
そして、その心は、時間も空間も超えている。
だから、生きるも死ぬもなく、死ぬからといってどこかへいくわけでもない。

まあ論理的には理解できていませんが、感覚的にはとてもよくわかります。
そして共感できます。

私が好きなのは、「生死に自在な生き方」ということです。
「死生観」と言うことがよく問われますが、私にはあまり興味はありません。
「生死に自在な生き方」こそが、私の好む生き方です。

もっと正確に言えば、私には「死」はたぶん訪れないでしょう。
死後もまた、私は生きているような気がします。
節子がそうであるように、です。

■4293:すべては「心」の微妙な動きの結果(2019年6月11日)
節子
真夏のような日が続いた後、時間が2か月戻ったような気候です。
冬から迎えたのであれば、きっと「快い朝」なのでしょうが、真夏のような連日からの今朝は、寒い朝に感じられます。

かくのごとく、季節の感じ方は、状況によって大きく変わります。
これは気温だけの話ではないでしょう。
あるいは季節だけでもない。
人生をどう生きてきて、その事件がどういう状況で起こるかで、その意味合いや感じ方は大きく違います。
「幸せ」によろこぶこともあれば、「不幸せ」になげくこともある。

これもまた昨日書いたように、すべては「心」の微妙な動きの結果です。
そこに「不幸」や「幸福」があるわけではない。

だからこそたぶんどう生きるかが大切です。
節子は闘病を通して、そうした平常心に出会ったように思います。
別れは悲しい、しかしそれはもしかしたら「いっとき」のこと。
そして、悲しみもまたよろこびの一面かもしれないと思えないこともありません。

寒さがあって暑さがあり、涼しさがある。
いろんなことがあるのが、人生の豊かさかもしれません。

昨夜もまた夢で目が覚めました。
不思議と目が覚めても忘れませんでした。
少しだけ反芻しました。
夢のなかで教えられることや学ぶことが多くなってきました。

■4294:よく眠れるためにはドキドキする生き方をしないといけない(2019年6月12日)
節子
歳をとると眠れなくなる人が多いことを昨日テレビで知りました。
夜中に目が覚めるとか、朝早く目が覚めるということは知っていましたし、私自身そうなのですが、どうも睡眠時間が少ないのだそうです。

なぜそうなるか。
番組をきちんと見ていなかったので不正確な受け売りですが、ドキドキすることが減ってくることと関係があるそうです。
つまり心の刺激あるいは心が活性化することと不眠はつながっているようです。
番組を最後まで観なかったので、間違っているかもしれませんが。

私なりの解釈では、心の活発度と睡眠(心の休養)はバランスしているということです。
よく眠れるためにはドキドキする生き方をしないといけないのです。

問題は、「ドキドキ」の内容です。
昨日のテレビでは、何かに感激するとか好奇心を高めるとか、ともかく周囲への好意的な関心を高めるということのようでした。
思い切り言い換えれば、それは「生きている」ということでしょう。

ということは、加齢とともに、人はやはり「生きること」から離れだすということです。
生きていないのであれば、睡眠も必要ではなくなっていくでしょう。

さらにまた、思い切り言い換えれば、そういう状況はまさに「死んでいる」状況に近いということです。
牽強付会に続ければ、人は「生」と「死」を交互に生きているということになる。
太陽と一緒に生き、太陽がいなくなると死の世界で安らぐ。
あんまり論理的ではないのですが、そんな気もします。

それにしても眠れないことを悩むことはありません。
眠れないのであれば、それは「生きて何かをせよ」というお天道様の意向なのです。
しっかりと生きればいい話です。
問題は、多くの人には「するべき何か」が見えていないのかもしれません。
時々、私も見えなくなりますが。

昨夜はよく眠れました。

■4295:夢と現実(2019年6月12日)
最近、夢をよく見ます。
その関係で、この挽歌でも夢を話題にすることが増えています。

「荘子」に「胡蝶の夢」という有名な話があります。
この場なんかでも以前、2回にわたってそのタイトルで書いたことがあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/09/post-9d6f.html

夢と現実は、別の世界のものです。
そして、どちらが実体なのかはわかりません。
現実世界だと思っていることの方が、実は夢なのかもしれませんし、いずれも夢なのかもしれません。
あるいはいずれも実体なのかもしれません。

夢には、おきている自分にはまったく見覚えのない人が出てきます。
あるいは自分では、少なくとも意識の上では知らないことを教えてもらうこともあります。
昨夜見た夢は比較的記憶に残っていますが、一緒に食事をしていた「水野さん」には、私は現世ではあったことがありません。
書きだすときりがないのですが、最近また、夢にだんだん現実感が出てきているのです。
さらに、現実の私の知らない人の登場が増えています。
一昨日、新幹線で隣り合わせた人は、いまはもう記憶にありませんが、何やら私の知らないことをいろいろと教えてくれました。
新幹線での疲れない座り方まで、です。

その一方で、現世の生活から少しずつ現実感が弱まっているような気もします。
地に足をつけていないからだと言われそうですが、それは、地に足をつけていなくても生きていられるということでもあります。

さてこの2つを合わせて考えると、どうなるか。
予定ではあと2〜3年は現世での活動を続けようと最近決めたところなのですが、いささか不安があります。
さてさてどうしたものでしょうか。

そういえば最近お墓に行っていません。
明日にでもお墓見舞いに行ってこようと思います。

■4296:「11匹のねこ」を孫にプレゼントしました(2019年6月12日)
節子
久しぶりに畑に行きました。
雨のため行けなかったのです。
雨の前に植えたスイカが枯れそうになっていました。
よく見たら枝が折れていました。
雨か風か、あるいは私の不注意かですが、頑張るように声をかけて、土もかけてきました。
後は祈るのみ。
もともとの畑ではないので、土が粘土質で、スイカには向いていないのかもしれません。
これまですべて失敗。
もっともこれまでのは昨年食べたスイカの種を残しておいたのを蒔いて育てたものなのですが。

畑から帰ったら、孫がやってきました。
孫は家に来ると玄関で大きな声で「こんにちは」と言うのです。
その声で元気が出ます。

先日用意しておいた「11匹のねこ」シリーズ6冊セットをプレゼントしました。
泣かないことがプレゼントの条件ですが、それにも元気に「はい!」と答えました。
まあ、まもられないでしょうが。

孫は図書館から借りてすでに全部をもう読んでいるようです。
ですから内容はみんな知っているのですが、喜んでくれました。
これで3世代にわたる家族みんなに共通の財産ができました。
節子のも孫との共通の話題ができました。
11匹のメッセージは人生を楽しくするでしょう。
6冊は重いので、わが家に来るたびに、毎回1冊ずつ持って帰ることになりました。

孫の畑用の長靴も用意しています。
しかし残念ながら、小作人の仕事も孫作人の仕事もどうやら今シーズンで終わりそうです。
空き地利用の畑に家が建ちそうですので。

久しぶりの畑で一汗かいたので、体調も良くなりました。
娘がニンニクオリーブ油もつくってくれたので、まあ大丈夫でしょう。

■4298:ファシリテーション(2019年6月12日)
節子
昨日、新しいプロジェクトの打ち合わせをやっていましたが、そこで最近また企業経営の世界で「ファシリテーション」と言うことが話題になってきているのだそうです。
それで昔インタビューを受けて雑誌に掲載された記事を思い出しました。

日本能率協会の「人材教育」と言う雑誌です。
雑誌はなくていますが、そのコピーが見つかりました。
2004年の6月号ですから、もう15年ほど前の話です。
言い換えれば、まだ節子も元気で、私も活動を続けており、まさかその数年後に節子ががんになり、私たちの人生が大きく変わろうとは思ってもいない頃です。

私が書いたものではなく、インタビューの内容をまとめてもらった記事ですので、ちょっと違和感があるところもありましたが、当時のことを思い出しました。
あのころは、まだ大きな構想を持っていて、無謀なほどに楽観的に前に進んでいました。
ちょっとそんなことも思い出してしまいました。

あまりの懐かしさにフェイスブックにコピーをアップしました。
するとなんとコムケア活動で知り合ったあるグループのSさんがコメントしてくれました。
節子も一度だけ会っています。
節子がやっていたコーラスグループの発表会に、節子はステージではなく会場で聴きに行ったときに、Sさんはわざわざ遠くから聞きに来てくれて、節子にも会ってくれたのです。
その時が、節子の最後の外出になりました。
思い出すのがいささかつらい記憶です。
節子はもうみんなに会うのは最後だと知っていたと思います。

ところで、Sさんのコメントは私にもとてもうれしいものでした。

2004年頃は訳も分からずに、代表の後にくっついてコムケアをお尋ねしていました。
あの頃の自分と今の自分、どう変わったのかと考えてしまいました。
それにしてもお世話になっています!!

いまのSさんはすばらしい活動をされています。
コメントに出てくる「代表」の方も、です。
ちょっと元気が出てくるコメントでした。

そのインタビュー記事はホームページにもアップしました。
http://cws.c.ooco.jp/facilitation200406.pdf

■4299:沢蟹は来なくなってしまいました(2019年6月13日)
節子
実に残念なことに、広島の竹原からわが家に沢蟹が来ることは実現しませんでした。
やはり地元で棲んでいたいという意向らしく、親子の蟹を見た後、見つからなくなったそうです。
これもきっとお天道様の決めたことでしょう。
またなんとか方法を探さなければいけません。

しかしそれ以上に大きな問題は、わが家の庭の池は家族みんなが反対していたにもかかわらず私の還暦祝いにみんなで手作りしてくれたのですが、私がいなくなったら維持されなくなりそうな気配です。
まあ、いまも私自身がほとんど管理放棄していますので、ひどい状況です。
お天道様の小作人として収穫にもつながらない畑仕事よりも、まずは自分の家の庭や池を手入れしろとお天道様から叱られそうです。
これから少しずつ手入れを始めようと思います。

池は今は周囲の草に覆われて水面さえも見えません。
まあそれほど小さな池なのですが、本来は上の池から下の池に水が流れる仕組みになっています。
もちろん今は流れていませんが、いろんなうつろを仕込んでいますので、いろんな生き物が棲み着きやすくなっています。
以前何回か、沢蟹を放したことがあります。
その子孫がもしかしたらどこかに潜んでいるかもしれません。
魚がいなくなったので一度池の掃除をしたことがあります。
その時には池に大きなガマガエルが棲んでいて、彼がどうもすべての魚やエビを食べてしまったようで、池の掃除をしましたが、誰もいませんでした。
ガマガエルは近くの手賀沼に放してきました。

まあそんな状況ですので、沢蟹は来なくてよかったのかもしれません。
まあとても残念ではありますが。

今日はいい天気です。
在宅の予定ですので、畑仕事に精出せます。
池の手入れは、今日はできないでしょう。
梅雨に入るので、ともかく畑をやっておかないとまた野草に覆われかねませんので。

小作人には暇などないのです。
お天道様と同時に働かなければいけません。
しかしなぜか暇で暇で仕方がないのですが。

■4300:サロンがさらに発展しています(2019年6月13日)
節子
節子に協力してもらって始めたサロンも、もう30年以上続いていますが、最近大きな勢いがついてきています。
サロンで話してくれる人がどんどん増えているのです。

今週も2人の人がサロンをやろうと連絡してきてくれました。
熊本の宮田さんと沖縄の緒方さんです。
東京で時間が取れそうなので、サロンをしてもいいといってきてくれたのです。
お礼など何もできないのですが、湯島で話すことに意義を感じてくれているわけです。
うれしいことです。

それだけではなく、時にこちらから声をかけても、ほとんどの人が気持ちよく引き受けてくれます。
先週は神奈川県の開成町の町長だった露木さんが二宮尊徳の講演をあるところでしたのを知って、湯島でもサロンをお願いできないかと連絡したら、即座に日程まで連絡してきてくれました。

話し手だけではありません。
時々遠方からわざわざサロンに参加してくれる人もいるのですが、今度のサロンには山形市から参加してくれる人がいます。
むかし山形市に関わっていた時に知り合ったのですが、フェイスブックでサロンの案内を見て、参加申込してくれたのです。

話し手もテーマも広がっているので、まあそれなりに大変ではあるのですが、こういう場はめずらしいと思います。
サロンは世界を変えていくと私は思っているのですが、まあそこまではいかなとしても、そこからいろんな物語も生まれてきています。

サロンを続けられてきたのは、節子のおかげでもあります。
そしてサロンのおかげで、私の生き方も大きく変わってきました。
さらにいえば、サロンを通していろんなことを学びました。

実は2か月ほど前に、サロンをやめようかと思ったことがあります。
経済的にも負担ですし、心身もいささかきつくなってきたからです。
しかしなぜかそう思った時から何か不思議な力が及んできて、サロンをやめるどころかサロンに勢いが付きだしたのです。

そこに、お天道様の存在を感じないわけにはいきません。

■4301:元上司の訃報(2019年6月14日)
節子
昨日は畑仕事に精出したおかげか、夜はぐっすりと眠れました。
畑は相変わらず開墾作業が続いていますが、野菜もだいぶ植えたり芽が出てきたりしています。
種まきや苗を植える時期が、いずれも遅かったり早すぎたりする関係で、あまりうまくいっていませんが、私の畑作業の主目的は自然との交流なので、まあそういうことにはあまり関心はないのです。
それでは「農作業」にはならないのですが、もともと畑ではないところなので、そもそもが難しいのです。

ちなみに、畑ではだめだった小ぶりの人参を自宅の大きな鉢の片隅に植え直したら、なんと今もまだ生育を続けています。
土壌の大切さを改めて実感します。
野菜作りは土づくりと、かつては言われていましたが、その意味がよくわかります。
そして私の関心事はその「土づくり」なのです。

会社時代に取り組んだプロジェクトは企業文化を変えるという壮大なプロジェクトでした。
それは会社の土壌(企業風土)を変えていくことでしたが、見事に挫折しました。
そのプロジェクトを、私の自由に実行させてくれた中川(当時副社長)が亡くなったという知らせを受けました。
中川さんには会社を辞めた後、偶然にも六本木の交差点で会いました。
私のことを心配してくれていて、一度、訪ねてこいと言われましたが、結局、行くことはありませんでした。
そういってくれていた会社の先輩は何人かいましたが、誰に会いにはいきませんでした。
生き方を変える以上は、すっぱりと縁を切らなければ、と当時は考えていたからです。
それに経済活動としての仕事はしないことにしていましたから。
会社時代、私はたくさんの人たちに支援されていました。
にもかかわらず、会社を辞めてから、そのつながりを切ってしまっていました。
いまから考えれば、まさに狭い了見でした。

中川さんは、家族での葬儀をされて、改めて「お別れ会」をやるようです。
「お別れ会」には、私は多分参加しないでしょう。
いろんな人に会えると思いますので、生きたい気持ちもあるのですが、なんとなくわずらわしい気もします。

中川さんのご冥福を祈ります。

■4302:話し続けた1日でした(2019年6月14日)
節子
今日は午前と午後、かなりハードな話し合いをしました。
その合間に、法務局まで会社の定款変更の届け出の補正手続きに生きました。
暑い中を九段下の法務局までたどり着くのがやっとで、体力の低下を実感します。
そのうえ、窓口が混んでいて30分ほど待たされましたが、いつもなら出直すのですが、その元気もなく待たせてもらいました。
補正手続きは思っていたよりも面倒で、また出直すのは大変なので、手書きの修正をさせてもらいましたが、それがまた大変で、やはり私にはこの種のことは向いていないとつくづく感じました。
窓口の人が親切な人だったので、よかったのですが。

夕食は、久しぶりに湯島にやってきた武田さんが焼肉を食べに行こうと誘ってくれました。
彼がどんどん私の皿に焼けた肉を入れるので、その勢いでみんな食べてしまい、動けないほどの満腹感でした。
いつでもお腹がすいたらご馳走するからと武田さんは言うのですが、最近は食事をするのもけっこう疲れるのです。

私はよほど貧しいと思われているようで、いろんな人がご馳走してくれます。
世の中、お金の使い道がなくて困っている人も多いようです。
たしかに、お金を使うのは大変です。
お金がなくても食べることの不自由しない、私のような生き方を目指すと人生は楽になります。
どうしてみんなそうした生き方を目指さないのでしょうか。

満腹の上に今日は連続話し合いで疲れ切っていたのですが、上野で電車に乗ったら、なんとそこに我孫子の友人の宮内さんが座っていました。
それでまた電車の中でもずっと話し込んできました。
宮内さんも不思議な縁で、帰宅する電車でこれまでも何回か会いました。

それにしても昨夜ぐっすり眠れたので今日は元気だったはずですが、なぜか疲れました。
これもまた歳のせいでしょう。
歳をとると、生きていること自体がつかれます。
困ったものです。

■4303:真夜中の腹痛(2019年6月15日)
節子
昨夜の真夜中3時半ころ、腹痛で目が覚めました。
昨夜食べた肉のせいでしょう。
これまでも2回ほど経験した痛さです。
武田さんが、めったに肉などは食べられない私に肉をたくさん勧めたので、うっかり肉は苦手なのを忘れてしまったのです。
卑しさが出てしまいました。
実に困ったものです。

私は基本的に菜食中心です。
娘は肉と魚を毎夕、交互に料理してくれますが、肉もたぶん普通の人の半分くらいの量です。
ところが、外食となると何となく食べられるのです。
残すのは失礼だという無意識が働くのかもしれません。
昨日も最後の頃は、もういいよと思いながらも武田さんが私の皿に入れるので、ついつい食べてしまったのです。
久しぶりの焼肉屋だったからかもしれません。
金銭的に質素に暮らしていると時に他者からのご馳走になるとついつい昔のように食べてしまう。
悲しいサガというべきでしょうか。

まあそれはともかく、夜中の腹痛はそれなりにつらいです。
胃薬を飲みに1階までいって、ついでにヤクルトまで飲みましたが、もちろん腹痛は収まらずです。
昔はこういう時には必ず隣で寝ている節子を起こしました。
夫婦は苦しみも喜びのシェアしなければいけないというのがわが家の、あるいは私の勝手なルールでしたから。
不思議なもので、痛みはシェアすると軽減されるものです。

いまは、しかし、それはできません。
いろいろと試みましたが、改善されずに、いろいろと動いているうちに外が明るくなってきました。
お天道様が出てきたら、もう安心です。
しかし、明るくなった外はかなりの雨です。
今日はゆっくり休めそうです。
相馬霊場歩きの靴を買いに行けるかもしれません。

腹痛の時は読書は無理です。
人は頭で本を読んでいるわけではなく、たぶん腹でも読んでいるのでしょうから。

■4304:追いつきました!(2019年6月15日)
節子
たぶん、なのですが、この挽歌の番号が追いつきました。
今年の命日までに追いつこうと思っていたのですが、予想以上に早く追いつきました。
つまり今日は、節子が逝った日から4304日目なのです。

一時はかなりサボった時期があり、2か月ほど遅れてしまったのですが、頑張って書き続けてきました。
おかげで、このブログ本来の主軸である時評編がほとんど書けずにいました。
もっとも社会への関心が大きく低下してきていて、時評を書く意欲もかなり低下しているのですが。
これまでも何回か書きましたが、どうも最近、私が考える「人間」は日本からどんどんいなくなっていて、マスコミなどは人間たちとは別の世界の報道ばかりしているような気がして、新聞もテレビ報道もほとんど読んだり見なくなったりしてきているのです。
それに私は犯罪を起こそうなどとは思っていないので、犯罪の仕方を詳しく教えてくれ、そそのかしてくれるテレビは見たくはありません。
最近のテレビは犯罪促進メディアになってきているようにしか思えません。
困ったものです。

それはともかく、この2か月ほど、パソコンに向かうと最初に必ず挽歌を書いていた気もします。
これからはもう少しゆったりと挽歌を書こうと思います。

今日はよく雨が降ります。
畑の野菜はまたダメになっているかもしれません。
強い雨は、野菜にはマイナスで野草にはプラスです。

■4305:久しぶりの再会(2019年6月16日)
節子
今日は湯島で「自殺未遂者からのメッセージ」と言うサロンを開きました。
参加者は少なかったですが、主張を持って活動をしている人が集まったので密度の濃いサロンになりました。
うれしかったのは、20年近く前に山形市に関わっていたころ知り合った齋藤さんが山形から参加してくれたことです。
サロンが始まる前に、久しぶりの話しあいができました。

節子がいなくなる前後では、私の人生はかなり大きく切断されています。
山形に関わっていたころは、節子がまだ元気だったころです。
山形には一度節子とも同行したかったのですが、残念ながらかないませんでした。
たくさんの知り合いができて、思い出もたくさんあるはずなのですが、どこかでぷつんと記憶が切れてしまっているのです。
しかし、当時の知り合いと会って話していると少しずつですが、記憶が戻ってきます。

話をしてくれた自殺未遂者の吉田さんは、節子がいなくなってから知り合いました。
私よりも高齢ですが、元気で活動をしています。
10年ほど前に、自殺未遂者の人にお願いして、公開フォーラムを開催した時に登壇してもらったのです。
以来、いろいろとありましたが、いまはかなり信頼関係も生まれてきました。

私の周辺には実にさまざまな人がいますが、みんな感情豊かな人間です。
ですから結構付き合うのは大変なのですが、私自身もできるだけ人間でいようと思っていますので、付き合いが切れないのです。
ですから今日のように、久しぶりにふらっと会えることがあるわけです。

「自殺未遂者からのメッセージ」に関しては、もしかしたら新しいプロジェクトが生まれるかもしれません。

■4306:「もう1度、最後の人生を頑張ってみよう」(2019年6月17日)
節子
小学校時代の友人から書籍が1箱届きました。
彼女が取り組んできていた協同組合関係の書籍です。
出来れば活用してほしいという手紙が入っていました。

彼女は伴侶に先立たれており、いまは独りで暮らしています。
会社を定年で辞めた後、大学院に通ったり、琵琶を習い始めて今は演奏会をやったり、いろいろとやっていますが、急に転居を決断したようです。
それで、いわゆる断捨離に取り組んでいるそうですが、書籍と写真を廃棄するのが一番つらいようで、関心を持っていそうな私にどさっと送ってきたわけです。
関心が重なっているようで、半分くらいは私の蔵書と重なっていました。
私もたぶん読むことはないでしょうが、彼女の気持ちもよくわかるので、引き受けることにしました。
引き取り手を探さねばいけません。

ところで、なぜ彼女は転居することにしたのか。
手紙にはこんなことが書かれていました。
ちょっと長いですが、また彼女の了解は得ていませんが、転載させてもらいます。

熱海の中銀ケアー付のマンションに転居することにしました。
考えてみますと、何時も何かに向かって生きていたように思います。
でも何かが崩れ、世の中の動きにも幻滅し、どうしょうもないという思いを、如何にかし
なければと焦った結果の結論でした。
50年間、住んだ古くて1人では広い家、草むしりも大変、暑さ、寒さも厳しい、買い物も坂あり、谷ありの所からの脱出です。
後10年間はここでいいと思っていたのですが、思い立って、引越し先を探していました。
遠くてもよいから景色が良く、温泉付で2部屋以上ある所をと思いました。
そして、そんな所に出会ってしまったのです。

人は、それぞれ家族との距離間や、いろいろなしがらみで生きていると思いますので、私の選択が最良とは思いませんが、私は私なりに、やっともう1度、最後の人生を頑張ってみようと思う気持ちになってきました。それに、いまなら大胆な断シヤリも出来ます。
また、62歳から築きあげてきた「琵琶語り」の世界を深め、新しい人達と繋がりながら何が出来るか、挑戦してみたいと思います。

「もう1度、最後の人生を頑張ってみよう」
私は頑張る人生とは縁を切りましたが、何かはっぱをかけられたような気がしないでもありません。
女性たちの元気には勝てません。

■4307:悲しみは人をつなぐか(2019年6月18日)
節子
一昨日のサロンで、自殺遺族たちは家族会などをつくって繋がれるのに、自殺未遂者たちはなぜそうしたつながりの場を持てないのかと言う話になりました。
そこで私は、遺族は「悲しみ」ということでつながれるが、未遂者たちの思いは多様でつながれないのではないかと発言しました。
しかし、果たして人は、悲しみでつながれるのか。
言葉に出してみると、それが新たな問いかけになって自らに戻ってくることはよくありますが、今回もその問いかけが頭の中から離れません。

悲しみは人をつなぐ、とはよく言われることです。
大震災時直後には、いわゆる「災害ユートピア」なる、人の支え合うつながりが出現することも報告されています。
悲しみの奥にこそ、生きることの真義が潜んでいるという人もいます。
たしかに、悲しみは共有されやすい、と思いがちです。

しかし、自分の問題として考え直してみると、悲しみは決して共有されることはなく、人とのつながりを深めることもない、とも思います。
私の場合は、節子に先立たれた悲しみは、むしろ人とのつながりを妨げたような気もします。
悲しみを心配して、かけてもらえる慰めの言葉は、むしろ悲しさを深めることも多かったような気がします。
そこには、悲しみを共有して心がつながることはきわめて少なかったようにも思えます。

その最たるものは、「時が解決してくれる」と言う種類の言葉でした。
そういう声掛けをする人には、悲しみは決して共有されることはなく、したがってつながりも生み出されることはありません。
時が解決してくれるようなものは、「悲しみ」ではないと言いたくなります。
しかし、それは自らが体験してこその気付きです。

「悲しみ」と言ってもどうもいろいろとありそうです。
かなしみは人をつなぐのか。
もう少し考えてみようと思います。

■4308:生き生きと生きている人に出会いました(2019年6月19日)
節子
昨日は、実に刺激的な人に出会いました。
平山さんがお引き合わせしてくれたのですが、会ったとたんに瞬時にして心がつながった気がします。
時々ですが、そういうことが起こります。
私よりもご高齢ですが、昨日も北京から戻ったところでした。
大学の名誉教授ですが、いま話題の免疫細胞の研究者でもあります。
これまでの活動を少しだけお聞きしましたが、枠にとらわれずに自由に生きていることが伝わってきました。
久しぶりに、生き生きと生きている人に出会えた感じで、うれしくなってしまいました。
実に刺激的な2時間でした。

東日本大震災の時には、女川で新しいプロジェクトである設備を完成させて、ご自分だけ所要で仙台に自動車で戻ったそうですが、30分遅れたら、ご自身も波に飲み込まれたそうです。
仲間も借金をして作り上げた機械設備はすべて失いました。
そうしたことを話す語り口に、お人柄を感じました。
こういう人もいるのです。

大学教授で似たような人を一人だけ知っています。
お2人とも、相手がだれであろうと真摯に誠実に対応し、人間であることからぶれることはありません。
ひるがえって自分を考えると、いささかの恥ずかしさを感じます。
まだまだ人間であることにこだわっているということは、未熟な証拠です。

昨日は実にうれしい日でした。
また一人、生きている人に合えたからです。
そういえば、その方はこんなことを言いました。

私は津波から「逃れた」が、震災で生き残った人たちはみんな「生かされた」という。
聞き流してしまいましたが、その人の生きる哲学を感じました。
その方のお名前は徳田さんです。
またお会いすることになるはずです。
私も徳田さんに何かお役立ちできるといいのですが。
それを探さなければいけません。

■4309:年寄りの冷や水(2019年6月20日)
節子
今日はいささか無謀なことをしてしまいました。
まあ、私にとっては決して無謀ではなく、むしろ意図したことなのですが。

暑い日でした。
その一番暑い盛りを狙って、畑に行きました。
暑さで、自然と額から汗がしたたり落ちる、そんな畑作業でした。
これが実にいいのです。
娘はなんで一番暑いときに出かけるのかと言いますが(節子がいたらきっと同じようにそういうでしょう)、お天道様の小作人を自認する私としては、お天道様が一番真上にあるときにこそ、頑張らないといけないという気がするのです。
その時に、昼寝などする生き方は、私の生き方ではないのです。
困ったものですが。

2時間ほどの作業でへとへとになりました。
鍬で土を耕すのも、7〜8回、鍬を土に打ち込むと、もう立っていられないほど疲れます。
なにしろ土が硬いのです。
それから土の上に座り込むようにして、根扱ぎ用のカマで竹の根っこを切っていきます。
地下10センチ以上にまでカマで掘りながら切っていくのですが、これがまた実に力が必要で大変なのです。
前にも書いたように、畑作業と言うよりも開墾作業です。

そこに苗や種を植えていくわけですが、いくら植えてもあまり報われません。
先週、買ってきて植えたスイカとメロンの苗は、すべてダメでした。
土壌が粘土質のためもありますが、開墾作業や水やりに精出したりしているうちに、どうも私がせっかく育ちだした苗の茎を折ってしまったのかもしれません。
あるいは先日の強い風にやられたのか、あるいは何かの虫に食われてしまったの、いずれにしろ、茎の根っこがやられてしまい枯れそうな感じです。

収穫がゼロと言うわけではなく、今日も、立派な長茄子が2本、取れました。
トマトもなっていますが、まだ色づいてはいません。
花は葵が次々と咲いていますが、種を蒔いた花はなかなか芽が出てきません。

長々と書きましたが、まあ充実した2時間を過ごして、ふらふらになって帰宅しました。
いつもそうですが、自宅に着くときには、娘が「過呼吸」になるよというほど、呼吸が荒いのです。
もちろん話などできません。
水を一杯飲んで倒れこむわけです。
これはいつものことなのですが、今日はちょっと度を越していました。
夕方から動けないほどの疲労感に襲われました。

節子がいなくなってから、どこかで自分を危険におとしれたいという意識が私の中にはいつもあります。
平安ではなく不安の世界を志向している自分に、時々、気づくのです。
困ったものです。
今日は入浴する元気もなく、もう寝ようと思います。

年寄りの冷や水も、考えものです。

■4310:音楽が戻ってきました(2019年6月21日)
節子
昨夜は熟睡しました。
目が覚めたら7時。昨日の疲れもほとんど消えていました。

久しぶりにレコードを聴きながら食事をし、その後、レコードを聴きながら本を読みました。
レコードを聴くのは本当に久しぶりです。
というのも、レコードもプレーヤーも自宅ではなく、すべて転居先と予定していた湯河原に送ってしまっていたからです。
3月に湯河原に行ったときに、数枚のレコードを持ち帰りました。
プレーヤーは、通販でおもちゃのようなものを購入しました。
そして、今朝、初めて聴きました。

持ち帰ったレコードは、節子とよく聴いたポップスです。
今日はシャデラックスと荒木一郎を聴きました。
いずれも今では知っている人も少ないでしょう。
しかし私たちにはそれぞれお強い思い出があります。
聴いているだけで、あのころが思い出され、いまの生き方を変えたくなるほどです。

読んだ本は、昔のものではありません。
偶然なのですが、昨日、図書館から借りてきた「文明に抗した弥生の人びと」。
偶然にしてはあまりに合いすぎます。
あのころの私の生き方につながっている。
著者の寺前直人さんに合いたい気分まで出てきました。
お会いしても何もお話しできないでしょうが。

音楽には生き方を変えさせる力があります。
「文明に抗した弥生の人びと」のメッセージが、効果的に私の気持ちを刺激します。
あの頃を思い出すと今以上に大変な生き方になりそうです。
注意しなければいけません。

しかし、長らく封じていた音楽が、生活に戻ってくるかもしれません。
少し私の生き方も明るくなるかもしれません。

■4311:ちょっと上等なサンダル(2019年6月22日)
節子
ユカがサンダルをプレゼントしてくれました。
いまは基本的にサンダル生活になっていますが、なにしろいつもスーパーの500円くらいのサンダルなので、パタパタ音がして、みっともないのです。
せめてもう少しいいサンダルをと言われていますが、私がいつになっても買わないので、父の日プレゼントとして買ってくれたのです。
と言っても、私が許容できる範囲での「上等品」です。
世間一般には「上等」とは言わないかもしれません。
ホーキンスの5000円ほどのサンダルです。

それで早速履いていますが、やはり疲れません。
来月予定している相馬霊場回りのトライアルは、このサンダルで行こうかと思います。
新しい靴はだめだと言われていますし、家にある靴はもう10年以上前のものですから、重いのです。
サンダルでの巡礼は私的です。
節子なら賛成するでしょうか。
笑いながら賛成するでしょう、たぶん。

梅雨の合間の晴れの日を選んで、とりあえず近くの興陽寺から1日でどのくらい歩けるかを試してみる予定です。
10キロか50キロか。
早朝から歩き出せば、80キロすべてを1日で歩いてしまえるかもしれません。
物事を、そういう風に、いつも簡単に考えてしまうのが私の習癖なのですが。

■4312:両親の法事(2019年6月23日)
節子
今日は両親の法事でした。
33回忌と23回忌です。
今回は兄が主催してくれました。
節子も、小節子として参加しました。
両親にとっては、ひ孫のにこも参加し、お経を聴いて焼香もしました。

住職も世代替わりしましたが、今回はわかりやすいいい説法でした。
それに顔の表情がとてもよくなりました。
先代が亡くなって半年ですが、もう大丈夫でしょう。

お墓でお経をあげてもらった後、一緒に写真撮影し、加えて、家族写真をご住職に頼みました。
小さい時からの付き合いなので、気楽に頼める関係なのです。
法衣のまま写真を撮ってくれました。

33回忌を過ぎると虚空蔵に、23回忌を過ぎると般若の世界に行きます。
虚空蔵の世界に入れば、世界はもう自らですから、供養からは卒業です。
父親に関しては、責務を果たせました。
30年前の占いでは、母親の33回忌までが私の務めのようです。

法事が終わった後、今回は娘の連れ合いの峰行がやっているエヴィーバで会食をしました。
久しぶりに兄の娘家族たちも集まりにぎやかな会食になりました。
美味しいイタリアンでした。
いささか食べ過ぎてしまいましたが、全員が集まったのは本当に久しぶりです。

秋には節子の13回忌です。
これは娘に仕切ってもらおうと思います。
本当は8月にやらないといけないのですが、節子の姉夫婦があまり体調がよくなく、暑い夏は避けた方がよさそうなので、秋にしました。
まあそういう融通無碍さは、私たち夫婦の生き方でしたから、節子はもちろん許してくれるでしょう。

法事は、やはり疲れます。
なにしろ彼岸との往来なのですから。

■4313:ダラダラの1日(2019年6月24日)
昨日の疲れか、それまでの疲れの蓄積か、今日はダウンしてしまいました。
そういう時に限って、気の重い電話があるものです。
気も萎えてしまい、風邪をひきそうです。
頼まれてやったことで、恨まれるとは、引き合わない話ですが、まあ人との付き合いとはそういうことでしょう。
それにしても勝手な話ですが、まあ自分も同じようなことをやっているのかもしれません。
ですから、そんなことでは生き方を変えることはないのですが、しかし暫らくは滅入ってしまいます。

まあ元気づけられることもあります。
昨日、法要の後、孫がもう一度、お墓に水をやりたいといったので、2人で水をやりにお墓に戻りました。
その写真をフェイスブックに載せたら、宗教嫌いのHさん(私が信頼する友人です)が、「このようにあれば、お墓が残ってもいいかな、とも思います」とコメントしてくれました。

まあそんなこんなで、今日も1日、だらだらしてしまいました。
あんまり現世滞在時間がないはずなのに、こんなにしていていいのだろうかと思います。
またパソコンの前に置いてある「to do リスト」が長くなってきています。
そういえば、ホームページも更新していませんでした。
困ったものです。

■4314:今日は畑に行けそうです(2019年6月25日)
節子
最近、地震が多いように感じます。
もしかしたら6月28日には大きな地震が起こるという話もまことしやかに流れています。
私の場合、すべてを信じながら、特に特別の対策は考えません。

どんなことも基本的には素直に受け入れる姿勢です。
ただし、誰かに言われて、1週間分の非常食を用意するなどという生き方は私の生き方ではないのです。
1週間くらい水や食料がなくても、たぶん生きるすべは身についています。
それは、地震とは無縁な話です。
大地震が来て、もし生きつづけられなかったら、それは仕方がありません。
かつてそうだったように、自然の激変には素直に応じていく生き方を選びたいです。

自然だけではありません。
福島の原発事故も、転居する人とは違う生き方なのです。
大地震が「想定外」などと思うことはありません。
そんな言い訳は、私の生き方ではありません。
私にとっては、すべてが想定内です。
いま、この地球がなくなることさえ想定内です。

いいかえればそもそも人が「想定」できることなどたかが知れています。
科学で知り得たことなど、自然から見たら、些細なことでしかありません。
私は、「想定内」の世界で生きているわけではありません。

ですから、いつか節子に会えるかもしれないというのもまた、想定内なのです。
しかし、にもかかわらず、想定していなかったことに出会うことはあります。
いや、言い方を変えれば、すべては想定していないことでもあるのです。
自分が今日、どういう生き方をするかも、「想定」などできようもありません。

何やらややこしいことを書いてしまいました。
まあ今日はそんな気分なのです。
今日は久しぶりに畑に行けるかもしれません。
本当は相馬霊場めぐりのめどをつけるために、最初のお寺から試験的にどのくらい歩けるか試してみようと思っていましたが、体調がどうもすっきりしないので、今日はやめました。
気温の変動のせいか、どうもすっきりしません。

■4315:私にとってのドラえもん(2019年6月26日)
節子
ようやくリズムを取り戻せそうです。
TO DO LISTは一向に減らず、相変わらず不義理を重ねていますし、気分的なすっきり感は戻ってきてはいないのですが、動き出せそうです。

最近、娘にいろんなことを頼むようになってきていますが、昨日、床から「私はドラえもん」ではありません、と言われました。
そこでハッと気づいたのですが、節子は私にとってのドラえもんだったのかもしれません。
ドラえもんと一緒だと、のび太でも豊かな生活ができます。
私が、わがままに、財布も持たずに生きていられたのは、戦略地子というドラえもんがいたからかもしれません。
何かあればすべて節子に「やっておいてね」と一言言えば、良かったのです。

もっとも、節子はそうしたことをきちんとやってくれていたわけではありません。
ミスもあれば、やってくれていないこともありました。
もちろんやれないことも多かった。
にもかかわらず、私には困ったときには節子に頼めばいいという「意識」があったのです。
頼んだところで、解決しないことはわかっていても、そういう風に考えられていたのです。
ですから私は先のこともお金のことも、ほとんど意識せずに生きてこられたわけです。

3人寄れば文殊の知恵という言葉がありますが、信頼し合える2人が手を取り合えばどんな風にも吹き倒されないのです。

そのドラえもんがいなくなった。
にもかかわらず、この12年、良く行き抜けたものです。
ドラえもんが未来に還った後も、のび太がうまく生き延びたのと同じです。

節子はドラえもんだった。
そう考えるといろんなことが納得できます。
節子は怒るかもしれませんが。

■4316:年に一回の山形便り(2019年6月27日)
節子
今日から我孫子も梅雨に入り、しばらく雨天が続くようですが、今朝は晴れ渡った気持ちのいい朝です。
午後から天気は変わるようですが、相馬霊場歩きはしばらくお預けのようです。

昨日は山形の一大さんからサクランボが届きました。
とても甘くておいしいです。
節子にもお供えしました。

夕方電話したら、彼はまだ仕事で、奥様が出ました。
しかし、その前に電話のナレーションで、「詐欺防止のためにお名前を言ってください」と言われました。
「我孫子の佐藤修です」というおすぐに奥さんが出て、私は詐欺電話にかかりやすいので、と謝ってきました。
失礼ながら、「最近は大変ですね、わが家にも多いですよ」と笑ってしまいましたが、そこから話しやすくなりました。
私は電話が苦手で、会ったことのない女性との電話は特に苦手ですが、最初の導入ナレーションのおかげで親しみを感じたのです。
ちょうどサクランボを受けとった時に、孫が来ていて、ひとつ食べるなり、近くのスーパーのサクランボとは全然違うといっていたそうですが、そのことを伝えました。

朝、パソコンを開いたら、一大さんからメールが入っていました。

年に一回の山形便り、楽しんでいただいたようで、こちらもありがたく感じております。
昨年、実をつけすぎたのか、今年は数がならない年だったそうですが、甘味と酸味のバランスは例年にない良さが出るはずという観測がなされておりまして、お孫さんのお話から考えますと、その観測があたっていたのかなと、産地の居住者として、安心し、さらに嬉しさも感じております。
ありがとうございます。

いかにも一大さんらしいです。
つづいてこんなことが書かれていました。

私も今年、50歳になり、後輩に見聞を広げる機会を提供すべく、出張などは若手を派遣するようにしていることもあり、なかなか上京出来ずにおります。

あの一大さんが50歳、そして後輩を育てている。
感慨深いものがあります。
一大さんとはもう10年以上会っていません。

節子は一度だけ一大さんに会っていると思います。
いつか山形には節子と行こうと思っていたのですが、それが実現できなかったのが残念です。

雨が降り出す前の朝のうちに、今日は畑に行こうと思います。

■4317:メダカがまた死んでしまいました(2019年6月28日)
節子
メダカがまた死んでしまいました。
節子がいたころ、メダカも魚もみんな長生きでした。
気のせいかもしれませんが、節子がいなくなってから、わが家ではメダカも金魚も、みんな早死にしてしまうような気がします。
庭の池がどうなっているかは、まだ確認もできていませんが、魚が見えたことはありません。
もう生き物を飼うなということでしょうか。

そこにいるだけで「元気」をもらえる場があります。
そういう場をつくりたかった。
むかしは、家の中を川が流れることを考えたこともありますが、そういう思いをともかく実現するという強い思いを持つタイプではなく、結果的には私の夢はほとんど実現していません。

しかし、ちょっとだけできたところもあるかもしれません。
今日も数年ぶりでメールをくれた人が、サロンはぜひ続けてくださいと書いてきました。
湯島はたぶんいまや「みんなで育てた場」になっている。

しかし、その湯島の部屋でも、メダカはなかなか育たない。
湯島で育っているのは、もしかしたら霊的ないのちかもしれません。
節子がいたころは、なぜかハトやカラスまで部屋に入ってきたのに、最近はハトも寄り付かなくなってしまっています。
湯島で同居してくれる生き物はいないでしょうか。

■4318:自然からのメッセージ(2019年6月29日)
節子
いよいよ梅雨です。
どんよりした梅雨空で、心が萎えます。

自然の表情をいつも豊かですが、同じ自然の風景が違った思いを生み出します。
梅雨空に安堵した時もあれば、今日のように梅雨空で気が萎えることもあります。
同じ風景が、気持ち次第で違ったメッセージを送ってくる。

この15年、どれほどたくさんの自然からのメッセージを受けたことでしょうか。
もっとも節子を喪ってしばらくは、自然にも無反応でした。
季節の変化が感じられなくなり、自然への関心も弱くなりました。
季節の変化を感覚的に実感できるようになったのは最近かもしれません。

今日は典型的な梅雨日です。
不安を感じさせて出かけたくない気分ですが、今日は朝から夜まで目いっぱい人との約束があります。
朝のミーティング、午前のサロン、午後のサロン、遠方からの来客、さらに夕食の約束まで。

思えば、節子が元気だったころは、こういう毎日でした。
時々、そういう生き方を後悔することがあります。
なぜもっと節子と一緒の時間を大事にしなかったのか、と。

自らの生き方を問い直し改めることは、とても難しいことです。
いまの生き方も、また振り合える時があるとしたら、後悔するかもしれません。
でも今日は、ちょっと普段とは違う、予定が埋め込まれた1日です。
自然が見えない1日にならないようにしないといけませんが、たぶんそうなるでしょう。

自然を感じ、自然からのメッセージを受けられるのは、とても豊かなことかもしれません。
厚い梅雨雲に、なぜか節子を感じます。

■4319:川筋の熱いおんなたち(2019年6月30日)
節子
昨日は12時間ぶっ通しで話し合い続けていました。
以前は毎日がそうでしたが、いまはやはり体力がついていきません。
帰宅してダウンしてしまいました。
お風呂に入るのがやっとで、すぐ寝たのですが、1時ころ目が覚めてしまい、どうも身体に違和感があります。
たぶん12時間冷房の中にいたためでしょう。
私は自然の暑さ寒さは大丈夫ですが、冷房や暖房は苦手なのです。
特に最後の3時間は冷房が効きすぎた「古拙」で食事をしていたのが答えたようです。
ユニクロの薄いTシャツだったので、身体が冷えすぎました。

もっともその3時間は、前には自称「川筋の女たち」がいて、その熱い話を聞かされていましたので、その熱気で寒さへの気づきがなかったのですが。

2人は実績をしっかりと持っている女性起業家です。
おひとりは初対面でしたが、大宰府の方です。
大宰府と言えば、私が8世紀頃住んでいたかもしれないところです。
まあそのせいで初対面なのに初対面と思わずに昔から知っているような気がしました。
そういう勘違いを私はよくしてしまうのです。

ところで、話していたら、「私たちは川筋のおんな」ですからと笑いながら言うのです。
常識のない私は、どういう意味か正確には理解できませんでしたが、おふたりと話しているうちに、この潔さとやさしさと強さと、さらに弱さを兼ね備えた女性たちのことを「川筋のおんな」というのだろうと勝手に定義づけました。
2人ともこれまでの活動を踏まえて、さらに次の展開に向けて始動しだしているようです。
その一つには、すでに私は巻き込まれているようなのですが。

ところで、今朝気がついたのですが、昨日の2つのサロンと最後の川筋のおんなたちとの話し合いの3つが、奇妙にシンクロしているのです。
「お墓」「被災地ボランティア」そして「家事」、まったく違うテーマでしたが、社会構成原理の大きな転回にいずれもつながっていました。
私の社会認識、「システム」から「表情ある個人」への視座の転回です。
お天道様のお計らいの絶妙さには、いつものように驚かされます。

生きている人間にまたお会いできました。
現世から去りがたくなりそうで、困ったものなのですが。

■4320:音信不通だった人からの連絡(2019年7月1日)
節子
7月です。

朝、パソコンを開いたら、ずっと気になりながら音信不通になっていた人から連絡がありました。
節子も知っている(といってもたぶん会ってはいないですが)Hさんです。
我孫子を拠点に政治を志、県議になったHさんです。

Hさんは、当時、大分にいた私の友人の親戚で、その友人から立候補するのでもし政策に共感したら応援してほしいと連絡があったのです。
それで選挙事務所に節子と一緒に出向きました。
すでに選挙は始まっていて、彼は不在でした。
選挙は当選し、政治家としてスタートしました。

当選後、彼と会いましたが、その姿勢に共感する者がありました。
しかしやはり政治の世界は厳しいようで、2期目に入るころから、市民立脚の姿勢を維持できなくなったようで、政党に参加しました。
そうなると私の立場とは違ってくるので、残念ながら付き合いは薄れていきました。
そして、あるトラブルに巻き込まれたこともあってか、彼は政治家の世界から突然退去したのです。
そして音信が途絶えました。
彼を紹介してくれた大分の友人もいろいろとドラマがあって、音信が途絶えました。
もちろん2人の話は全く関係はないのですが。

そのHさんからの連絡です。
政治活動を再開したそうです。
それもなんと滋賀県で、です。
何か役立てることがあればいいのですが。
政治の世界は落し穴がたくさんありますから、だれかしっかりした支え手がいないと飲み込まれてしまいます。
近ければ会いに来たいところですが。

それでも気になっていた若者が、また動き出したのはうれしいです。
彼ももう「若者」とは言えない世代かもしれませんが。

実は昨日も、一人、10年以上交流が途絶えていた人とフェイスブックでつながりました。
私がまだ意識的には若かった時代、つまり私がまだ前を向いていた時代に知り合った人です。
近いうちに会えるでしょう。

■4321:一緒にいられる時を大事にしろ(2019年7月2日)
昨日はいろいろあって、気分転換にテレビドラマを見てしまいました。
イギリスのドラマ「刑事モース」です。
イギリスに対するイメージが大きく変わったドラマです。
もう23回目ですが、22回目の最後のシーンにこんな会話が出てきます。
モースの上司の警部サンダースがモースにしみじみと語る場面です。

人は出会っては別れる。
いつのまにか道は分れていく。
一緒にいられる時を大事にしろ。

このドラマをずっと見ていると、最後の言葉が心にしみるのですが、見ていなくても私には突き刺さる言葉です。
しかし、この言葉を知っていても、多くの人はある時になって、後悔するでしょう。
一緒の時には見えないのです。

これはなにも、伴侶のことを言っているわけではありませんし、もしかしたら人だけのことだけではないかもしれません。

ただ、最初の「人は出会っては別れる」ということには違和感があります。
私は、一度会った人とは別れないという気がしているからです。
これまで多くの人に会いましたが、関係が切れた人は一人もいません。
交流が途絶えているとしても、またいつか会えると確信しているからです。
だから「一期一会」という言葉も、昔からよく理解できない言葉です。

しかし、「一緒にいられる時を大事にしろ」という言葉はよくわかります。
心したいと思います。

■4322:試験的に相馬巡礼88か所を歩き出してみます(2019年7月3日)
節子
今日は梅雨の合間の雨の降らない日になりそうです。
それで、相馬霊場88か所めぐりを少し歩いてみることにしました。
いでたちは普段着とサンダル、荷物はスマホとペットボトルと軽食と地図とお賽銭。
梅雨の合間なので、まあ大丈夫でしょう。
問題は道がわかるかどうかです。
なにしろ歩きながらコピーの地図と案内文を見て歩くのです。

目標は30キロですが、無謀と言われていますが、できれば40キロ。
どこかでダウンするかもしれません。
なにしろ普段あまり歩いていないからです。
そのうえ、サンダルですし。

これから朝食を食べて出発です。
1時間で帰ってくるかもしれませんし、行き倒れて帰れないかもしれません。

この続きは帰宅して書き足します。
起点は、近くの興陽寺からです。
最後が菩提寺の宝蔵院。
午前6時興陽寺出発予定です。

午後3時過ぎに帰宅しました。
30キロを目標にしましたが、残念ながら28キロで今日は終わりました。
終了は新木の長福寺。ほぼ廃寺です。
午後2時23分長福寺着でした。

古い、それも書籍に出ていた地図のコピーでしたので、ほぼ役に立ちませんでした。
いろんな人に道を尋ねながら、何とか辿り着きました。
後半は国道の歩道のない端を歩きました。

サンダルだったのも敗因で、水ぶくれができてしまいました。
一時、スマホが動かなくなり、ユカに電話して行先を調べてもらおうと思ったら、スマホが通じなくなりました。
公衆電話を探しましたが、どこにもありません。
それでちょっと弱気になってしまいました。
困ったものです。

しかし、幸いに電話は直りました。
しかし気が萎えてしまい、ユカに長福寺まで来てもらい、無事生還しました。
家に着いたら、足が痛くて歩けません。
歩いている時は大丈夫だったのですが。

サンダル履きだったので、足が日に焼けました。
まわったお寺は19か寺ですが、半分はほぼ廃寺状況でした。
回る途中は面白かったですが、お寺は退屈でした。
残りを歩こうかどうか迷います。

しかしたくさんのことを学びました。
1日、歩いたら1冊の本ができるというのは本当です。
歩く世界は実に面白いです。

途中で、ジュンが制作しただろうスペインタイルの表札に偶然出会いました。
節子から名前だけを聞いていたところも何か所か通りました。
柴崎神社にも久しぶりに立ち寄りました。
残念ながら知り合いの人には出会えませんでした。

しかし、疲れました。
巡礼には、国道の道端はふさわしくありません。
意欲が低下してしまいました。
さてこれからお風呂に入って、明日にそなえます。

■4323:昨日の疲れはほぼ回復しました(2019年7月4日)
節子
昨夜は8時前に寝てしまいました。
そのせいで、11時に目が覚めてしまい、結局、あんまり熟睡できませんでした。
リズムを壊すとよくありません。

昨日の相馬霊場巡礼のテストウォークは、もちろん単なる思い付きではありません。
いま我孫子のまちづくりのゆるやかなネットワークをみんなで立ち上げつつあり、そこの一つのプログラムに提案しようと思って、まずは歩いてみようと考えたのです。
今度の日曜日が定例ミーティングなので、それまでに試しておかないと提案できません。
実際に歩かずに提案するわけにもいきません。
それで晴れ間を見計らって実行したのですが、まさに昨日だけ雨が降らず、今日はまたひどい雨風です。

巡礼者の鈴木さんから、これで佐藤さんも巡礼者と言われましたが、昨日の状況は巡礼者というよりも徘徊者というのがふさわしいでしょう。
なにしろ歩道なき国道を容赦なく高速で走る自動車に注意しながらの歩きでしたから。
しかし多くのことを学びました。
人の素晴らしさもたくさん体感しました。

サンダルで歩いたことにはいろいろ注意が届きました。
しかしサンダルで歩きたかったのだから仕方がありません。
みんな私のことをまるでわかっていないのです。

ユカはお母さんがいたらなんというだろうといっていましたが、たぶん笑いながら賛成したでしょう。
まあそういう無茶や無謀さが私の本質なのだと理解していたでしょうから。
しかし一緒に行こうとは言わなかったでしょうが。

それに「無謀さ」といってもたかが知れています。
しかもどんなに注意したとしても、人生はそううまくいくわけではありません。

まだ足は痛いですが、今日もまた雨風の中、湯島です。
寝不足で眠いですが、そろそろ出かけます。
何やら最近、暇なのに自由時間がありません。
相談事が多いです。
優先順序を間違えないようにしないといけません。

■4324:麺覇王の薬膳スタミナラーメン(2019年7月5日)
節子
昨日、2人の友人を引き合わせるために、湯島の薬膳中華の麺覇王で薬膳スタミナラーメンを食べました。
霜里農場の金子友子さんのお勧めです。
今回のテーマが「食と農」だったので、ここを選んだのです。

話に夢中になっていたら、突然、店主がやってきて、熱いうちに食べないと効用が出ないと叱られました。
そういえば以前はスープを飲み残して叱られました。
誤解があるといけないのですが、気持ちのいい叱り方です。
薬膳素材は21種類。長年全く変えていないのだそうですが、その間、日本は変わってしまったと嘆いていました。

私がこのお店を知ったのは、節子を見送ったあとです。
オフィスからすぐなので、もし知っていれば、と残念で仕方がありません。

今回はがんばって、お店の目玉の一つでもある薬膳スタミナラーメンを食べました。
盛りだくさんで、しかもスープも残してはいけないので、がんばりましたが、心身ともにホッカホッカしてきて汗も出てきました。
前日の疲れもあったのですが、おかげで元気が回復しました。
もしかしたら節子も元気になったかもしれません。
そんなことを感じさせるお店です。

いつになっても後悔はおこります。

■4325:無力感と自己嫌悪(2019年7月6日)
節子
ちょっと思ってもいなかったことが起こり、今日は書く気力が出ません。
いかに世界が見えていなかったかを思い知らされます。
他者などわかるはずもなく、寄り添って考えるなどという不遜な考えは持たないようにしているつもりですが、でもあまりにもわかっていなかったことで人を傷つけてしまうこともある。
まさにそれをこの2〜3日、自らの未熟さを思い知らされていました。
不安や苦労があればこそ、人生は豊かになると思っているのですが、それもまた恵まれた人にしか当てはまらないのかもしれません。
そんな気にさせられました。

今日はサロンでしたが、サロンで話しているみんなの発言を聞いていると、なんとまあ恵まれた人たちなのだろうと思ってしまいます。
もちろん私もその一員なのですが、しかし私は別の世界があることを一応は知っています。
だからそのギャップに、何やら違和感を持っているわけです。
そして自己嫌悪に陥ってしまう。

そのサロンで30代の若者が、自分の同世代の仲間たちは、生きるのが精いっぱいで、よけいなことを考える余裕がなくなっているというような発言をしました。
他人事ではなく、自分事でそう語ってくれました。
彼自身を見ていても、サロンに出てきてくれるのが不思議なくらい、たぶん余裕はないでしょう。
でもなぜかサロンに来てくれるようになりました。
サロンにきているうちにもしかしたら何かが変わるかもしれません。
まだ若いですから。
しかし、サロンの場での恵まれた人たちの発言に、愛想を尽かしてくかもしれません。
まあそういう人たちのほとんどは、社会との縁を切っている面もあるので、恵まれているように見えるだけかもしれないのですが。

助けを求めている人がいる。
その声を聞きそこなっていた自分に気づいて、今日はショックを受けています。
もう少し私自身、賢いと思っていたのですが。

節子
わけのわからないことを書いてしまいました。
でも節子ならたぶんわかってくれるでしょう。
今日は朝から元気の出ない1日でした。

■4326:迷い多き人生(2019年7月8日)
節子
今年の七夕も雨でした。
私の気もなかなか戻ってきません。

昨日は地元の友人たちと立ち上げてきているまちづくり編集会議の集まりでした。
少しずつ形ができてきましたが、一番多い意見は、時々こういう場でいろんな人と会うのが魅力という感じでした。
場をつくるのと場に参加するのとは次元が違うのですが、そこがやはりなかなか理解してもらえません。
少しずつ進めていくしかありません。
でもお互いの信頼関係はかなり生まれてきているように思います。
ただ昨日も少し言いすぎた反省があります。
捉えようによっては、いささか現状を否定しすぎた感を与えたかもしれません。
私の本意ではないのですが。

私の生き方は、もしかしたら多くの人とは真反対な価値観に支えられているかもしれないということは前々から少し感じてはいたのですが、最近それが現実に感じられるようになってきました。
それも最近滅入っている理由の一つです。

私の評価基準が真反対といってもなかなか伝わらないでしょうが、たとえば私の人との付き合い方はまずすべてを受け入れるところから始まります。
ですから人を褒めることは基本的にしません。
なぜなら人は本来価値のある存在なので、あえて褒める必要がないからです。
褒めるということは、基本的にはその人を評価していないことだと考えるからです。
だから私の発言は、褒めるのではなく問題を指摘することを基本にしています。

たとえば、湯島でコーヒーを何回飲んでいる人が、ある時、今日のコーヒーはおいしいと言ったとします。
ということは、いつものコーヒーはおいしくないということを意味します。
こういうと、あまりにひねくれていると思われそうですが、わかりやすい例として書いているのですからお許しください。
「今日はコーヒーがおいしい」とか、ただ単に「コーヒーがおいしい」と言えばいいのに、「今日のコーヒー」と言ってしまうと、いつもはおいしくないという意味になります。
私がうれしいコメントは「今日のコーヒーはまずい」という指摘なのです。
そういってもらえれば、次はおいしいコーヒーを淹れるようにできるからです。
そういうことを他者に求めるのは無理かもしれません。
しかし私は、そういう発言をしてしまう生き方をしています。
ですから時々、他者を傷つけ、嫌われてしまうわけです。

さらにまた「嫌われる」のと「好かれる」のとの捉え方も、たぶん普通とは違っているかもしれません。
両者は同じように感ずるのです。
いずれも人として対応してもらったことの証ですから。

そうはいっても、私の言葉がそんな風に受け取られていたのかと思うとやはり気が萎えます。
私に直接言ってもらえれば、まだしも、間接的にそういう声尾が入ってくるとやはり気が滅入ります。
まだまだ未熟で、迷い多き人生です。

■4327:畑がまた野草に覆われだしています(2019年7月8日)
節子
雨などのため、数日畑に行かなかったのですが、今日、ちょっと寄ってみました。
数日のことなのに、野草が覆い繁るように広がっていました。
その成長力はものすごいです。
雨が長く続いているためか、ブロッコリーは3株ともおかしくなっていました。
トマトもほかの野菜もみんな不調。
ナスとピーマンなどは少し収穫できましたが、野菜づくりはそう簡単ではありません。
雨が降っても放りっぱなしはやはりダメなようです。

その一方で、百日草やひまわりは大きくなっていました。
セイジなども咲き誇っていましたので、花を切ってきて節子に供えました。
花のほうが土壌を選ばないからでしょうか。

ほんのわずかな時間の畑作業ですが、それでも多くの気付きを得られるだけではなく、考える修正を思い出させてくれます。
現在は人為的なルールがきめ細かくできているので、それに従っていれば、悩むことなく生きていけます。
さらに、他者との付き合いも最小限にすれば、心安らかにもできます。
しかしその生き方は私の趣味ではありません。
節子が一番熱心に生き、生きることをかみしめていたのは、闘病生活のときだったかもしれません。
日々変わる症状の中で、決まられたルールではなく、自らを判断して生きなければいけなかったのですから。
もちろんそれも、とても狭い範囲でのことなのですが。

不死を望むことは、生きる人生を放棄することかもしれません。
畑仕事からこんなことを考えるのは大げさでしょうが、自然と付き合うとそんなことも気づかせてくれるのです。

今日は畑がびしょびしょで、作業はほとんどできませんでしたが、明日はできるかもしれません。
しかし今度は時間がない。
なかなかうまくいきません。
しかし、1日放置すると野草は10センチほど伸びるのです。
早朝にでも行かなければいけませんが、まだその元気は出てきません。

■4328:「辛い夜」からの解放(2019年7月9日)
節子
最近はどうも睡眠障害で、朝までぐっすりと眠れたことがありません。
昨日も3時過ぎに目が覚めてしまいました。
それで、読みかけたまま、枕元に置いていた「人類の起源、宗教の誕生」という新書を読んでしまいました。
そこにこんな文章が出てきました。

昔、確かに人間はもっと長く眠ってはいましたが、夜の間に何度か起きて、話をしながら時間を送っていました。ところが、今は一人で朝まで熟睡することが安眠であると思いこまされています。そして、安眠に対して非常に過敏になり、プライバシーを非常に大事にするといった傾向になっていますが、ひょっとしたら元はそうではなかったかもしれません。

人類学者の山極寿一さんの文章です。
そこでこれまでの呪縛から解放されました。
夜中に目が覚めるのは、睡眠障害などではなく、自然のことなのだと気づいたのです。

節子もよく知っているように、私は決められたルールに無条件で従うという生き方には否定的ですし、いわゆる「常識」にも「なぜ」を問いかけるような生き方をしてきています。
しかし、睡眠に関しては、お天道様に合わせて生命体は休むものという考えを無批判に受け入れていました。
ですから、夜は生命体は寝ているという意識に呪縛されていたわけです。
それで真夜中に目が覚めると、「辛い夜」を過ごしていたのです。
しかし、夜中に目が覚めるのは、自然なのだと思えば、意識は全く変わるでしょう。
目が覚めたら、起きればいいだけの話ですから。

そして、結局、この本を最後まで読んでしまいました。
ちなみに本書は山極さんと宗教学者の小原克博さんとの対談ですが、おふたりの発言には気づかされることがたくさんありました。

■4329:安居楽業(2019年7月10日)
節子
畑に行けないのが気になっているのですが、このところ天気も悪く温度もまた寒いほどなので、早朝に出かける気にはなりません。
日中は何かとあって、時間が取れません。
兼業農家は大変です。

大変なことはほかにもあります。
わが家の裏庭が恐ろしいほどに荒れていることです。
とても狭いのですが、花木の手入れが全くできておらず、草に覆いかぶせられている小さな池には何がいるかわかりません。
節子がいたら嘆くことでしょう。

荒れていると言えば、最近、気持ちも少し荒れています。
といっても、攻撃的な「荒れ」ではありません。
「荒れ」には2つのタイプがあり、ひとつは攻撃的ですが、もう一つは遮断的です。
周囲の者への関わりを遮断したくなる、つまり自己の世界に閉じこもる「荒れ」です。
攻撃型の場合は、それでも他者への関心があるので、方向が少し変われば状況は一変しますが、遮断型の場合は気力が萎えていき、終焉してしまいかねません。
なかなかうまく書けないのですが、いずれも外部との関係がうまくとれなくなるという点では同じです。
周囲とのバランスがうまくとれなければ、「生きているいのち」を生き生きさせつづけていくことは難しい。
私は、いまちょっとそのバランスを崩しているのかもしれません。

こんなことを書くと、私自身がいま、危ういところにいるような印象を与えかねませんが、そうではないのです。
というのも、そういう状況をそれなりにきちんと把握できているからです。
同時に、そのアンバランスからの気付きの価値もまた実感しているからです。

今朝のフェイスブックに熊本の宮田さんが、「安居楽業の本当の意味を知らなければなりませんね」とコメントしてくれていました。
改めて、自らの生き方を考え直す時期かもしれません。

今日は久しぶりに陽が出てきました。
畑に行けばよかったですが、ちょっと出遅れました。

■4330:トリプルトラブル(2019年7月11日)
節子
トリプルトラブルでいささか滅入りすぎています。
その一つの現場に居合わせた人が、こんな状況なのにどうして笑顔でいられるのですかと不思議がっていましたが、こんな状況だからこそ、笑顔でいなければやっていられないのです。

湯島である人と会っていたら、突然ドアが開いて、若者が入ってきました。
顔に見覚えがありますが、あまり自信はありません。
「もしかして〇〇さん?」と訊くと、そうですと言い、止める間もなく入ってきて、ソファーにどっと倒れこみました。
来客中の方は驚いたことでしょう。
私自身、その後、出かけなければいけなかったので、来客の相談のほうを早目に切り上げて、彼に対応することにしました。
彼のことは節子は知りません。
節子がいなくなってから知り合った若者です。
当時は、私もかなり気を病んでいましたから、呼び込んだのかもしれません。

実は彼から昨年、メーリングリストへの不審な投稿やフェイスブックでの私への書き込みがあり、ちょっと精神的に病んでいることは察知していました。
彼との付き合いはさほどあるわけではなく、たぶん3〜4回、湯島のサロンで会ったくらいです。
その頃は大学教授との関係に問題があって、悩んでいましたが、その後、就職し海外で働きだしたところまでは知っていました。
そして昨年、まったく心当たりのない攻撃的なメールなどが入ったのです。

こういう経験はこれまでも何回かあります。
そしてその後の顛末もいろいろと体験しているので、あまり軽軽に対応できません。
私の余裕があればまだしも、最近は1件でも応対に苦慮する状況になっています。

突然やってくるとは驚きで、対応する余裕もありません。
訊けば、今年初め、帰国し精神病院に入院、しかし病院を抜け出し、各地を放浪し、今日は名古屋から新幹線で来たのだというのです。
私を思い出してくれたのは光栄ですが、要は誰も彼の話をきちんと聞いていなかったのでしょうか。
正直に言えば、私もあまりきちんと聞いたとは言えません。
そんなに大変な状況だとは思っていなかったからです。
それにしても名古屋から東京に戻って最初に訪問したのが湯島とは。
湯島の場所も覚えていなくてどうも周辺を捜していたようです。

さてどうすべきか。
見る限り元気そうで、異常はありません。
私はいま、同じような問題をもう2件ほど抱えているので、対応できる自信がありません。
それでまずは母親のところに行って、相談するように勧めました。
彼の母親とも私は会ったことがあります。
彼が自分が湯島で話したいといい、そのサロンの時に母親と一緒に来たのです。
優しそうな穏やかな人ですが、彼女も心配していることでしょう。
いろいろと話して、結論的には母親のところに行くことになりました。

むかしはこういうことも少なくなく、心身共にボロボロになったこともあります。
その時は、しかし、節子が支えになっていました。
いまはもうその支えもなく、私自身がすぐ倒れそうになっています。

やはり生き方を変えるべきかもしれません。
最近は血圧も高いままで、安らぐ時がありません。
今日はさすがに降圧剤を飲もうかと迷ったほどです。
頭も痛くめまいまでします。
困ったものです。

■4331:「非常識な幸福論」(2019年7月12日)
節子
友人から教えてもらった「世界でいちばん非常識な幸福論」という本を読みました。
フィジーの人たちの話です。
フィジーに移り住んでいる日本人の永崎裕麻さんという方が書いた本です。
永崎さんは、フィジー人の生き方の中から4つの「幸せの習慣」を見つけたと書いています。
その4つとは、「共有」「テキトー」「現在にフォーカス」そして「つながりづくり」です。
その本には、たくさんの具体的な話が書かれていますが、どれもこれも私にはとても共感できます。

書名は「世界でいちばん非常識な幸福論」となっていますが、私には極めて常識的に感じられます。
そもそも今という時代は私にはあまりに非常識なことが多いからです。

「共有」「テキトー」「現在にフォーカス」そして「つながりづくり」の4つは、私の生活信条にも重なっています。

私の生活信条は「take it easy」で、つまり「気楽にやろうよ」ですから「テキトー」に近いです。
またこれはまだ修行中ですが、できるだけ金銭や所有概念から自由になって、みんなと「シェア」する生き方をしたいと思っています。
お布施を基軸にした生き方で、お金もシェアできればと思っています。
「現在フォーカス」は、まさに節子に学んだことですが、「いまここ」を大事にする生き方を目指しています。
そして、「つながりづくり」はこの30年、まさに私の生き方の基軸になっています。
そんなわけで、私の生き方はフィジー的ライフにとても親和性を感じました。

この種の本は前にも読んだことがあります。
挽歌でも取り上げたかもしれませんが「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」というボルネオの狩猟民プナンの記録の紹介の本です。
この本も私には実になじみやすい本でした。
そもそもこの本の書名にある「ありがとうもごめんなさいもいらない」というのは昨日書いた、私の価値観の原則とも重なる話でもあります。

こういう社会では「争い」や「勝ち負け」などないのでしょう。
もしかしたら、節子が今いる「彼岸」はそんな世界かもしれません。

しかし、残念ながら私がいま生きる此岸の世界は、これとは真反対な状況にあるようで、相変わらず心休まらないトラブルの中から抜け出られずにいます。
神経が擦り切れます。
昨日の「現場」に言わせた人は、「昨日は驚きましたが、むしろ佐藤さんの冷静さに感心致しました」とメールをくれましたが、「冷静さとは感度の低さの証左」かもしれません。
本当は心の中では倒れそうなほど疲弊しているのです。
少し注意しないといけません。

■4332:節子の旧友からの七夕メール(2019年7月13日)
節子
節子の小学校時代の男友だちのAさんから、毎年一回の七夕メールが来ました。
今年はこんな内容です。
今年も7月10日を迎え、高月町唐川の赤後寺コロリ観音の千日会がつとまりました。
年々確実にお参りの方は減少しております。
そんな中、遠くから房子さんが今年もお参りくださいました。
わざわざ僕を探して敦賀のおぼろ昆布を頂きました。
有り難いことです。
房子さんというのは、福井に住んでいる節子の姉です。
節子が病気になった後、盛んに滋賀時代の友人たちに会いに行き出しました。
私も同行したのですが、そのおかげで、私も節子の友だちと知り合えました。
といっても、節子がいなくなってからは、交流も次第に途絶えてきているのですが、Aさんは几帳面に毎年メールをくださいます。
この挽歌も読んでくださっており、うれしいことです。
赤後寺コロリ観音は、私も以前、2回ほど節子と一緒にお会いしました。
この観音には3回、会えば極楽往生が保証されると聞きましたが、残念ながら私の記憶では2回です。
節子は前にもおまいりしているでしょうから、極楽往生しているはずです。
赤後寺は節子の母親の生家のある高月町唐川の湧出山の中腹にありますが、節子に連れられて最初に行ったときに、形状からしてここは古墳ではないかと感じました。
節子の生家は、高月町の「物部」という集落でした。
私自身は「物部王朝論」に共感していた時期があり、「物部」という名称にも深く魅かれるものがありました。
赤後寺も歴史的に由緒あるお寺ですが、いまは無住寺で、集落の人たちが守っています。
観音の里といわれている高月界隈にはこういう集落の人たちが守っている無住寺が多いようです。
節子が元気だったころは、年に何回かの節子の帰省に合わせて、私も付いていき、周辺の観音様に会いに行っていました。
観光寺院とは全く違って、まだ素朴な信仰が生きていたように思います。
そこにいるだけで、幸せになるような空間がまだ残っていました。
思えば、ぜいたくな日々でした。
節子がいなくなってから、まったくではありませんが、そういう観音との出会いはほとんどなくなりました。
私があこがれていた渡岸寺の十一面観音もいまはさびしい空間の中で「陳列」されていて、会いに行こうとは思いません。
当時は、近くの世話人のところに行って、カギを開けてもらい参拝させてもらいました。
高月の観音たちは、毎年10月に秘仏を含めて御開帳で、観光客もどっと押し寄せるはずです。
行きたいようでもあり、行きたくないようでもあり、いささか複雑なのですが、久しく訪れていな高月の観音の里にも、もう一度は訪れたいと思っています。
Aさん、思い出させてくれて、ありがとうございました。
■4333:弱味を支えられるところからつながりは生まれる(2019年7月14日)
節子
この挽歌は、節子がいなくなった後、私の支えになっていました。
書くことで気持ちが支えられ、書くことで心の整理ができました。
書いているというよりも、節子に話しかけているという面も強かったのですが、いまもなお、挽歌に気持ちをそのまま書くことでなんとか心身のバランスを保っているときもあります。
書いている内容は、ほとんどが意味のないことが多いと思いますが、私には「書く」ことに意味があるのです。
それでも読んでくださる人がいるということは大きな支えです。

最近の挽歌は、私の状況があまりよくないことがしっかりと見えてしまっているようです。
一時期、かなりよくなったのですが、最近また「危うい」状況のようです。困ったものです。

一昨日、広島のOさんが電話をくれました。
私が少し危うくなると、挽歌からそれをいち早く察してくれて、電話をくれるのです。
ありがたいことです。
今回は、夏休みをとるようにというアドバイスでした。
いろんな相談に応じていると、どんどん自らの精神も病んでいくので、それをいつも心配してくれるのです。

しかし、看板を掲げている精神科医やカウンセラーならともかく、ただ単に誰かの相談に乗っている存在としては、休みようもありません。
自分で働きかけるということは休めますが、なにしろこれまでたくさんの人たちとのつながりができていますから、いまさらここで縁を切ることは難しいでしょう。
一度できた縁は、消えることがないというのが私の生き方で、一期一会という発想もありません。
人はいつも出会い続けているという気分なのです。

挽歌に弱味を露出するのは、私の自己防衛策の一つなのですが、同時にそれには、つながりやコミュニティの芽を育てたいという願いも含まれています。
弱味を支えられるところから、つながりは生まれると思っているからです。

しかし、この考えがいまや間違っているのかもしれません。
ある人からむかし、佐藤さんは骨の髄まで利用されるような生き方をしていると注意されたことがあります。
そうならないように注意はしていますが、それも結構難しい。
困ったものです。

今日はまた湯島のサロンで10人ほどの人と会います。
元気がもらえるだろうと思っています。

■4334:太陽の恩恵、長雨の恩恵(2019年7月15日)
節子
雨が続きます。
日照が少ないので、畑の野菜は調子が悪いです。
太陽の恩恵に、改めて感謝しなければいけません。
野菜は元気がなく、花も結実しませんが、野草はみんな元気です。
その違いの意味を、考えたくなります。
長雨の恩恵もまた大きいということでしょう。
面白いのは、植物によって、陽光や長雨の影響は違うということです。

トラブルもまた人生を豊かにするという私の姿勢に、それは単に「負け惜しみ」であり、自分に嘘をついているのではないかというメールが来ました。
嘘をつくと思われることはとても悲しいですが、そう思う人が増えているのかもしれません。
自分が嘘をつくことのない人は、誰かの発言を嘘などとは思いません。
他者へのコメントは、常に自らの生き方の表明でもあります。
私の周辺でも「嘘」が増えています。
それもまたとても寂しいです。

もともと生きるということは喜怒哀楽を素直に受け入れるということだったのではないかと思います。
トラブルと喜怒哀楽は違うかもしれませんが、平板な人生よりも波風ある人生が豊かなように思えてなりません。
それに、喜怒哀楽はみんなつながっています。
それらがみんなあって豊かさです。
最近は素直にそう感じられるようになってきています。

もっとも、時にはこの状況から解放されたいと思うようなこともあります。
豊かな人生とはどんなものなのか。
人によってさまざまでしょうが、いまの生き方を否定するようなことだけはしたくないと思っています。

太陽の恩恵も、長雨の恩恵も、いずれも素直に受けられるようになりたいものです。

■4335:ゴーギャンの問い(2019年7月16日)
節子
先日、久しぶりに半田さんの「知能環境論」の講義を聞きました。
まったくと言っていいほど、半田さんは変わっていません。
だから半田さんは私のことも変わっていないと感じているでしょう。

それはともかく、半田さんは「知能環境論」の話を、あの「ゴーギャンの問い」から始めました。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という問いです。
講座への参加者に問いかけましたが、一人、とても個性的な答えをしました。
「愛の国から来て、愛の国に行く」というような答えでした。
「愛」という言葉にいささかの抵抗はありましたが、素直に聴けました。

私は問われませんでしたが、私の答えもそれに近いです。
「彼岸から来て彼岸に行く旅人」が、最近の私の考えです。
正確には、「旅人」ではなく、「受容体」というような感じなのですが、まだうまく表現できません。
「彼岸」という言葉もあまり正確ではないかもしれません。
「此岸」があって、「彼岸」があるというのではなく、此岸もまた彼岸というようなイメージが最近強いので、むしろ仏教の言う「空」に近いのかもしれません。
ですから、ゴーギャンの問いに関して言えば、むしろどこからも来ず、どこにも行かないというべきかもしれません。
自らは、常にそこに在る。そして全体と共にある。
まあそんな感じです。

行き先が定まっているたびは、さほど不安はありません。
先日、相馬巡礼のテストウォークをして気づいたのですが、行き先がわからなくなって、自らの所在が実感できなくなった時の不安さは、今考えると「異常な感覚」に襲われていました。
いささか不思議な感覚で、スマホは作動しなくなり、行きかう人はいなくなり、道を聞こうとは入ったお店は、タイムスリップしたような雰囲気でした。
異界に迷い込んだような気分でしたが、あれはしかし、これ以上歩かない方がいいというメッセージだったかもしれません。

そんなことを思い出すと、また歩きたくなってきました。
巡礼にはまた行きたくなるというのはこういうことでしょうか。

梅雨が明けて、あまり暑くなく、そして時間が取れたら、今度は取手の長禅寺からコース通り歩いてみたくなりました。
ゴーギャンの問いについて書こうと思ったに、違う話になってしまいました。
私が、ゴーギャンの問いにはあまり意味を感じていないからかもしれません。
その問いは、考えるよりも自分で決めればいい、無意味な問いだという気持ちがどこかにあるからです。

■4336:チョンさんからのメール(2019年7月17日)
節子
久しぶりにジャカルタにいるチョンさんからメールが来ました。
ちょっと連絡がなかったので、気になっていましたが、元気そうです。
この3年、日本には来ていないそうです。

節子と一緒に、留学生の交流の場として湯島でサロンをやっていたことがあるのですが、チョンさんはその時の常連の一人です。
マレイシア出身で、節子が元気だったころにはわが家にも来てマレイシア料理を作ってくれたこともあります。
実に気がいい若者で、そのうえ、実に博識でした。
私たちは、チョンさんのことを「ものしりのチョンさん」と呼んでいました。
帰国後、インドネシアに移り、いまもジャカルタで暮らしています。
あれからもう20年ほどたちますので、彼ももう50歳を超したでしょう。

当時、よく湯島に来ていた3人とも次第に交流が途絶えてきています。
金光一さんとは連絡も途絶えてしまいました。
彼が一番の年上でしたが、いまはどうしているでしょうか。

節子との暮らしの中で出会った人たちとの交流も、最近はかなり少なくなってきました。
節子以後、つまり4336日前から、私の交流関係も大きく変わってしまったのです。
節子のことを知っている人もだんだん少なくなってきました。
いいかえれば、4336日以上前の私を知っている人も少なくなってきたということです。

もし節子がいたら、ジャカルタにチョンさんを訪ねていたでしょう。
節子がいなくなってからは、私の行動範囲は極めて狭くなりました。
今年はまだ一度も新幹線にさえ乗っていませんし、飛行機もこの数年乗ったことがありません。
そういえば、チョンさんはこう書いてきました。

この頃、年取ったせいか、元々強度恐怖症の関係で、飛行機乗るのが苦手で、よっぽどのことがなければ、地べたから離れないようにしているもので、日本も直近から約3年近く行っていないのです。

彼も飛行機嫌いなのです。

最後に、チョンさんは、「また何時かお目に掛かれると良いのですが、それでは、また!」と書いてくれていました。

現世で再会できるといいのですが。
金さんも探してみようかと思いますが、5年以上、周りとの交流をとだえていたため、どうやって探したらいいか、考えが浮かびません。
FBで「尋ね人」を書いてみようかと思います。

■4337:二宮尊徳のような人に会いました(2019年7月18日)
節子
昨日また魅力的な若者に会いました。
宮部さんが最近知り合った人ですが、彼が連れてきたのです。
浅見さんといい、若くして会社を経営、社会活動もいろいろと取り組んでいて、宮部さんとはPTAの活動で出会ったようです。
いまは学びの環境を得られにくい子どもたちのフリースクールづくりに取り組んでいるようです。
浅見さんは、私のことを何も聞かされておらず、一緒に来たようなのですが、会ったとたんに心がつながった気がします。
実にドラマティックな人生を歩んできているようですが、それらをあっけらかんと話してくれました。
私自身は、世間的な常識の呪縛はあまりない人間ですが、人間的な常識にはかなり敏感です。
その人が、自分を素直に生きているかどうかはわかります。
浅見さんは実に素直に自分を生きている。
そう感じました。
そういう人と会っていると実に心が和みます。

浅見さんと話していて、先日、露木さんのサロンで話題になった二宮尊徳を思い出しました。
浅見さんに、二宮尊徳のような生き方を感じました。
浅見さんはまだ気づいていないようですが、一度、その話を浅見さんとしたい気もします。
でもまあ、これ以上、いろんなことに関わると過労死しそうですので、慎重にしようと思います。
何かやると必ず傷つくのが私の人生でしたから。

■4338:今年も高月メロンが届きました(2019年7月19日)
節子
節子の郷里の滋賀県の高月町から高齢の高月メロンが届きました。
今年は例年よりもかなり遅いです。
高月メロンにも、いろんな思い出はありますが、毎年、節子にも供えさせてもらっています。

昨年、高月メロンを食べた後、その種を取っておいて、畑にまきました。
だいぶ芽を出しましたが、天候不順もあってほぼ全滅ですが、何本かは育っています。
ただ結実には程遠い感じです。
1本を家の庭に植えてみました。
庭の芝生にメロンがなったら楽しいと思ったのですが、なにしろ日照がないので辛うじて頑張っていますが、あまり期待はできません。

杉野さんからも梨の案内が届きました。
ここもまた今年は遅れているそうです。
今年の7月は雨ばかりで日照がほとんどありません。
せっかくの畑も、なすすべもなく、野草に主導権を譲っています。
暫らくまた行っていないので、どんな状況になっているか心配です。
野菜類はみんなだめかもしれません。

良かったことといえば、琉球朝顔を根付いたことです。
もし欲しい人がいたら差し上げられそうです。

そろそろ夏が始まりそうです。

■4339:心が癒えない理由(2019年7月20日)
節子
なんと今日は30度を超す暑さでした。
会う人ごとに、暑い日ですね、むしますね、といっていました。
湯島のエレベーターであったクロネコヤマトの配達の人に、暑くて大変ですね、と声をかけたら、今年の梅雨で体調を崩している人が多いですと話してくれました。
自然はまた、私たちに何かを教えてくれている。
それにやっと気づきました。

サロンの前に,今日の先生役の升田さんと先日行った薬膳台湾中華の麺覇王に行きました。
暑いので、あんまり食欲はなかったのですが、何となく元気が出ずに、行くことにしました。
しかし、今日はメニューの選択を間違えたようです。
味が濃すぎて、ちょっと苦手でした。
升田さんがゆっくりと食べるので、戻ってきたら、すでに参加者の一人、永作さんが湯島のビルの前で待っていました。
彼女も誘ったのですが、どうも場所が思い出せなかったようです。
ちなみに2人も、私の小学校時代の同級生です。
今日のサロンは、もう一人同級生が参加しました。
全員女性ですが、みんな元気です。

永作さんと升田さんに琉球朝顔を持っていきました。
咲くといいのですが。

サロンは、升田さんによる万葉集サロンの3回目で、今回は柿本人麻呂の石見相聞歌がテーマでした。
前回に続き、升田さんのメッセージを感ずるとても示唆に富む話でした。
今回は「玉藻」がキーワードの一つでしたが、玉藻の文字を見ると、どうしても梅原猛の「水底の歌」を思い出してしまい、入水した人麻呂の恋人のイメージが浮かんできてしまいます。

升田さんはまた、「孤高のわれ」を、この歌を読む人にも詠(うた)う人や聞き手に共鳴させようとしているという解説をしてくれました。
十分に消化できていませんが、心を放し、心を語(象)る文学の誕生だというのです。
私の心が癒えない理由が少しわかったような気がしました。

どっと疲れが出たサロンでした。
疲れたのは「長梅雨と急な猛暑」のためかもしれませんが。

帰宅したら、岐阜の佐々木さんから鮎が届いていました。

■4340:投票率が低すぎてがっかりです(2019年7月21日)
節子
参議院議員選挙です。
選挙は家族そろって投票に行くのが、わが家の文化でした。
ただし、だれがだれに投票したかは、あまり話し合うことはありませんでした。
私はいつも明白に投票者は決まっていましたが、節子も娘たちも、同じ人に投票していたかどうかはわかりません。
これは今も変わっていません。

今日は同居している娘と一緒に投票に行きました。
今回は私はかなり危機感を持っており、娘に私が投票する人に同調してほしかったので、私の投票先を繰り返し話していたら、娘から叱られました。
反省しなければいけません。

午前中に行ったのですが、小さな子供を連れた家族連れなどもいて、良い感じだなと思ったのですが、投票率はやはりあまりにも低いのでがっかりしました。
ホームページには少し思いも書きましたが、やはり風は起こらないようです。
昨夜も新宿の大きな盛り上がりの現場にいた友人が、映像などを送ってきてくれましたが、マスコミによって完全に無視され、マスコミ報道からは山本太郎旋風は微塵も伝わってきません。
まあ、そもそも「れいわ新選組」などいうひどい党名を付けた時点で、勝負は終わっていましたが、少しは期待したのですが、残念です。

山本太郎も橋本徹も結局は社会の人ではなく、我欲の人だったのかもしれません。
しかし、少なくとも山本太郎は、新しい視点を示唆してくれ、実践もしてくれました。
彼が育ってきた世界の狭さが惜しまれます。
小沢さんがもう少し柔軟であれば、山本太郎を活かせたかもしれませんが、彼の世界もまた、狭い世界です。
効果的な組み合わせができるのは難しかったでしょう。

8時には選挙結果は明らかになるでしょう。
公明党はそろそろ瓦解するでしょうし、理念と戦略のない形だけの「野党」は存在意義を失い、溶融していくでしょう。
維新の党などは化けの皮をそろそろはがすでしょう。
幸福実現等から当選者が出たりする珍事が発生するかもしれませんが、共産党は飛躍はしないでしょう。
日本の政治が変わるのは、もう少し先のような気がします。

もしかすると、こういう私の予想はまったく外れてしまうかもしれません。
そうであればうれしいことです。

節子がいないので、政治談議ができないのがさびしいです。
節子と一緒に投票に行っていたころが懐かしいです。
節子の政治感覚は、いまにして思えば、安心できるものでした。

■4341:畑が悲惨です(2019年7月22日)
節子
相変わらず雨が続いています。
雨の合間に畑にちょっと寄ってみました。
かなりひどいことになっています。

野菜はナスを除いてはみんなおかしい状況です。
ブロッコリーは3本とも溶けかけていました。
それに比べて、野草は元気で、まるで以前の草薮に戻った感じです。
またこれを刈り取らなければいけないかと思うとげんなりします。

ナスはしばらく行っていなかったので、大きく育ち過ぎていました。
青茄子も一つ収穫しました。

それにしても太陽の恵みのすごさには感心させられます。
私が最近あんまり元気が出ないのは、陽射しをあまり受けていないからかもしれません。
はやく梅雨が明けてほしいです。
節子のいない梅雨は、過ごしようがありません。

■4342:娘の誕生日(2019年7月23日)
節子
今日はジュンの誕生日なので、ユカからの提案で、ジュン家族と一緒に食事をしました。

節子がいなくなってから、変わったことの一つに、誕生日を意識しなくなったことです。
まあ私だけのことかもしれませんが、私は誕生日祝いにはまったくといって関心がありません。
とりわけ記念日のプレゼントをもらっても、私はなぜか何も感じません。
プレゼントをもらうのは嫌いではないのですが、誕生日プレゼントとか、何か理由をつけてのプレゼントがうれしくないのです。
この気持ちは、なかなか説明しにくいのですが、要は誕生日という概念が私には実感できないからです。
ですから、誕生日を起点として成立する還暦とか米寿だとかいうお祝も私には意味が感じられないのです。

だれかに何かをプレゼントするときに、理由は不要です。
何となくどこかで見つけたものが、誰かにプレゼントしたいなと思えば、プレゼントすればいい。
プレゼントに理由は不要なのです。
こう書くと私がとてもひねくれ者に感じますが、そしてひねくれ者かもしれませんが、これは私のとても素直な気持ちなのです。
娘たちから嫌われるのも、こうしたことが少なくないからかもしれません。
困ったものです。

もっとも、節子を見送った日である「9月3日」は、私には数少ない意味のある日です。
それは私が実際に体験した日だからです。
その節子の13回忌の命日まで、あと40日になりました。

ジュン家族との会食も、節子がいたらにぎやかなものになるでしょうが、節子がいないとどうも華やかさが出ません。
プレゼントも用意しませんでした。
困ったものです。

■4343:年寄りの冷や水(2019年7月24日)
節子
久しぶりに雨が上がったので、畑に行きました。
野草との格闘です。
ところが作業しているうちに気温がどんどん上がってきて、しかも太陽が出てきました。
1時間ほど頑張ったのですが、汗がたらたら出てくるし、久しぶりに作業で足がつったりするなど、散々な状況になってきました。
最近は血圧も高いので、あまり無理をして倒れたらいけないと思い、切り上げることにしました。
しかし、そこからが大変で、家に戻るときに刈り取った一袋の草を45リットルの袋にぎゅうぎゅうに詰め込んでもってきたのですが、フラフラで倒れそうでした。
なんとか家につき、水分補給し、乗り切りましたが。
午後から出かける予定でしたが、どうも無理そうです。

「年寄りの冷や水」という言葉があります。
年寄りが、歳も考えずに若い人の真似をすると碌なことがないというような意味で、いつも娘に注意されているのですが、「冷や水」とは 江戸時代から明治にかけては、「冷たい砂糖水」の別称であり、いまでいえば、「氷イチゴ」を指したとも言われます。
つまり、冷たい水(氷)を飲んで腹をこわすということですが、それで久しぶりに自家製の「こおりイチゴ」を手作りし、食べることにしました。
そのおかげで少し元気が出ました。

しかし、今度は足が痛くなり、まだ外出できそうもありません。
本を読む元気も出てきません。
テレビを観るとますます元気はなくなりそうです。
困ったものです。

■4344:「自分の心のメンテナンス」(2019年7月25日)
節子
昨日、高遠菜穂子さんの「命に国境はない」を読みました。
高遠さんは15年ほど前に、イラクのファルージャで現地武装勢力に拘束されましたが、彼女の誠実な行動が相手にもわかり解放されました。
しかし日本国内での高遠バッシングは醜いものでした。
高遠さんは、いまも誠実な人道支援活動をつづけています。
それは大変な活動でしょう。

その本の最後に、愛を保つための「自分の心のメンテナンス」が大切だと書いています。
彼女は年に1回、10日間のリトリート期間をつくっているそうです。
10日間、世間から離れて瞑想しているそうです。

ところで、昨日、ちょっと私自身が壊れだしているのを実感しました。
「怒り」というか「不安」というか、「もどかしさ」というか、それが場違いなところで少し顔を出してしまい、発言が暴走しそうになりました。
発言した後、自分のあやうさを感じました。
実は、最近周りで起こっている3件の事象に、私自身も同調しているのかもしれません。
注意しないといけません。

できるだけ早く、とりあえずは、3日間のリトリートを取ろうと思います。
以前は、他者のためのリトリートサロンもやっていましたが、私自身の心身がどうも弱まっているようです。
以前と違い、いまは自分だけで対処しなければいけません。

明日は畑に行けそうです。
土は植物にだけではなく、動物にもエネルギーを与えてくれます。

■4345:庭の鉢の整理(2019年7月26日)
節子
畑に行けませんでしたが、庭の整理をはじめました。
節子が残したたくさんの花鉢の半分は今では野草の場になっています。
それにしても、節子はなんでこんなにたくさんの鉢を持ち込んだのでしょうか。
しかも一度、整理しようと思い、裏にあったものまで庭に持ってきたうえに、野菜のプランターまで新たに買ってきて増やしたので、いまや庭は足の踏み場もないほどです。

一人ではとても持てないような大きなものもあります。
娘によれば、これは一緒に六本木に行ったときに、同じような鉢植えがあり、それを真似て自宅にも作ったそうです。
実は今は、節子が作った本来の姿ではなく、一度、メインの木が枯れてしまったので、中途半端なおかしなものになっています。節子が大事にしていた山野草たちはほぼ全滅です。

娘にも手伝ってもらいましたが、なんでこんな暑い日に始めたのかと怒られました。
たしかに暑い。
しかし、私自身は暑いと動き出したくなるのです。
困ったものです。

琉球朝顔は枝が根付きました。
友人たちにも分けることができましたが、2階の私の仕事部屋の窓の外にも移植しました。
うまく根付くといいのですが。

1時間ほどやって、ほとほと疲れました。
だんだん無理ができなくなってきてしまいました。

私よりも高齢の人に先日から電話していますが、つながりません。
さてさていささか心配ですが、私自身ももしかしたら同じように思われているのかもしれません。
注意しなければいけません。
携帯電話はあんまり携帯していないので、でることが少ないのですが、これからはできるだけ出ようと思います。

梅雨はほぼあけて、そろそろ猛暑が始まるようです。
先日の続きの相馬霊場歩きはしばらくお預けになりそうです。
それに代わって、畑仕事を再開します。

台風が近づいているようで、風が心地よいです。

■4346:老いてますます元気な女性たち(2019年7月29日)
節子
猛暑です。
あの年を思い出します。

最近はどうも思いに行動がついていきません。
挽歌もまた2日間、書けずにいました。

新潟の金田さんから黒崎の枝豆が届きました。
今年は天候不順で実成りがあまり良くないそうですが、美味しいです。
金田さんの電話したらお孫さんが来ているようで、明るい声が伝わってきました。
やはり子どもは最良の薬のようです。

武田さんは今日から手術入院。
とまあ相変わらず周辺の友人たちは大変です。

私は一時期大変だった血圧もなんとか元に戻りました。
しかし体力の衰えは自分でも実感できるようになりました。
今朝、あつくなる前にと途中で放棄していた庭の植木の整理を始めましたが、30分もしたらもう汗が噴き出るように出てきて、しかも身体のバランスを取るのも難しくなって、やめました。
今日は何とか庭の掃除と畑の草刈りをしたいのですが、いささか心配です。

そんな一方で、小学校時代の女性たちは、長野入り恩師を訪問する信州の旅を企画しているようです。
女性たちだけで行くと男性からまた文句を言われると悪いので、男性たちにも一応案内してくれないかと幹事役の升田さんから連絡がありました。
だれも文句は言わないでしょうし、誰も一緒に行こうなどとは思わないでしょうが、一応、連絡がつく人に連絡しましたが、女性たちは老いてますます元気です。
困ったものです。はい。

ちなみに連絡した男性たちはみんな病気を抱えています。
これまた困ったものです。

汗がようやく引きました。
畑に行くべきか、遅れているサロンの報告を書くべきか、迷います。
迷った時は、いずれもやめて、第3の道を選ぶ。
しかし、その第3の道が見つかりません。

■4347:郷愁(2019年7月29日)
節子
2日間かけて「湾の篝火」という小説を読みました。
2002年から2003年にかけて「しんぶん赤旗」に連載された小説で、1986年に起こった大手造船会社の7000人の大リストラ計画に端を発した労使の闘争を、労働者とその家族の視点からドキュメントタッチで描いた作品です。
上下巻で600頁を超える小説です。

何で読んだかというと、先日、この小説の登場人物のモデルになった人の娘さんに会ったからです。
その人は共産党員で、いまも地道な反戦活動に取り組んでいるようですが、私と同世代で、同じ時期を会社で過ごしながら私とは全く違う生き方をしていることに共感を持ったのです。
たぶん考え方には通ずるものがあると思いますが、行動はちがっている。
たぶんちょっとした違いがその分岐点だったのでしょう。

一時期、小林多喜二の「蟹工船」が話題になった時がありますが、あれを読んでもなかなか実感が生まれませんでしたが、本書は、少なくとも私には生々しい実感が伝わってきました。
1964年に会社に入り、工場の労務課に4年勤務したおかげです。
しかし工場で、その人は共産党に出会い、私は節子に会ってしまった。
私は、工場の労務課というところに配属され、どちらかといえば、労働者管理の仕事でした。
もっともそこに対応できずに、いろんなことがあったのですが、結局、労務的な仕事はさせてもらえませんでした。
そして4年後の東京に転勤。

この小説を読んで、強い郷愁の念を感じました。
そこで書かれている人間模様は、まさに私も体験したことでした。
当時の企業には少なくとも「人間たち」がいた。
経営者側や使用者側にも、雇用者や労働者の側にもです。
そしてそれらを支える家庭や社会にもです。
あの時代がよかったなどとは言いませんが、良くも悪くも人間を感ずる時代でした。

私にとっては、4年間の工場時代がその後の私の人生を決めました。
何も知らずに育った私が、世界の多様さと素晴らしさを知ったのは、あの4年間でした。
書籍からは学びえようもない工場での労務管理の実態を先輩たちから聞けたのも、私の価値観に大きな影響を与えたはずです。
そして、そうした見聞に、「いのち」を与えてくれたのが節子でした。

工場時代の思い出がとても懐かしく思い出されました。
やはり今年か来年、一度、滋賀の工場時代の仲間たちに会いに行こうと思います。
あの4年間が、私の人生の第2の出発点でしたから。

■4348:かたづけよりも散らかしが大切(2019年7月30日)
節子
猛暑の中を畑に行きました。
1時間の作業が限界です。
今週はリトリートしようと思ったのですが、畑が気になるのとこの週末の花火大会に娘たちの友だちがわが家に大勢来るというので、家の掃除もしなければいけません。
リトリートなどしている場合ではないのです。
せめて庭の植木鉢だけでもどうにかしなければいけません。
なにしろ足の踏み場さえなくなっているのですから。

最近、家事セラピストという仕事をされている人たちと接点があります。
かたづけを専門としている人たちです。
節子はよく知っているように、私はかたづけよりも散らかしが性に合っています。
「かたづけ」の専門家は、最近もアメリカでも話題になっているようですが、むしろ「散らかし」を大切にした生き方をしている私としては、「かたづけ」にはまったく興味はありません。
にも関わらず、なぜかその分野で活動している人との接点が増えてきているのです。
そういう人たちから「片づけは人生を豊かにします」などといわれると、ついうっかり、そうですね、と応えてしまっています。
困ったものですが、その時は確かにそう思うのです。

私の仕事部屋はとても狭いのですが、もうあきれるほど散らかっています。
しかし、それは外観上の話で、私自身にとってはどこに何があるかはだいたいわかっているのです。
もっとも一冊の本を探すのに1時間もかかることもあれば、1枚の資料探しに1日かかることもあります。
探し物に時間がかかるのは無駄なことではあるのですが、しかしその効用もあります。
探しているうちに、忘れていた本や資料に出合ったりすることもあるのです。
探し物の時間は、また発想を遊ばせられる時間でもあります。
探し物をしているうちに自分の考えが変わることもある。
だから「散らかすこと」は私には大事なことなのです。

そもそも私の生き方は、散らかしほうだいの生き方です。
湯島のサロンのテーマも散らかしほうだい、友人たちもあまりに多様で、そうした人たちと付き合っている私がどういう人化は多分外からはわからないでしょう。
しかし、テーマも友人も、きわめて簡単な基準で決まっています。
私が関心を持った、それが唯一の基準です。

しかし私の散らかし方と節子の散らかし方、あるいは娘たちの散らかし方はそれぞれに全く違います。
ということは、かたづけると散らかすは同じことなのです。
それを誰かにかたづけてもらうとか、KTづけの仕方を学ぶとかいうのは、私にはまったくなじめない考え方です。

にもかかわらず、来客の前には家のかたづけをしなくてはいけない。
この問題は、とても大切なことを教えてくれているような気がします。

夜になって、ようやく風が涼しくなりました。
でも朝が早いのでそろそろ眠る時間です。
私の寝室には、クーラーはないのですが。今夜はよく眠れそうです。
明日は朝から畑仕事です。
老人には過酷な労働です。
お天道様も少しは手加減してほしいものです。

■4349:冗談にならない冗談(2019年7月31日)
節子
最近、少し反省していることがあります。
私の口の軽さや口の悪さです。

娘たちからはよく言われるのですが、私の冗談は冗談には聞こえないというのです。
そして相手を傷つけるというのです。
まあそういわれると、思い当ることは多いのです。

私は多くの人と、「原則と例外」が逆転していると思うことは多いです。
全ての人の尊厳を認め、人の素晴らしさも認識しています。
そのため多くの場合、人をほめることはあまりしません。
なぜならほめることは当然だからです。
こういうことも関係しているように思います。
時々、私は「佐藤さんの発言はすべて否定から始まる」といわれることがあります。
極めて論外で、私はすべて「肯定」から思考を始めているつもりですが、どうも外部にはそう聞こえないようです。

先日も、翌日から手術入院する友人に「最後にあいにきてくれたの?」と言ってしまいました。
私のことをよく知っているので、彼とはいつもそんな会話なのですが、やはりちょっと無神経だったなと思います。
もちろん彼は元気に戻ってくるでしょうが、彼も私も死に関してはかなり無頓着なので、周りで聴いていた人たちには顰蹙を買ったかもしれません。

以前も、「この人はバカだから」と言ってしまい(「打算のない人間的に素直な人」という意味だったのですが)、その人から後でバカと言われたのは初めてでショックだったと言われました。
この時は大いに反省しましたが、先日もまた相手は違うのですが、うっかりつかってしまいました。
私にとっては、「りこう」よりも「バカ」が褒め言葉なのですが、どうも世間はそうなっていないようです。
困ったものです。

口には気をつけなくてはいけません。
節子は私の言葉に、たぶん最初は傷つけられっぱなしだったかもしれません。
いろいろと思い当たることがありますが、いまとなってはもう遅いです。
しかし、にもかかわらず、節子は私を信頼してくれました。
たぶん「困ったものだ」と思いながらでしょうが。

なぜか、最近こんなことを思い出します。
猛暑の夏は苦手です。
嫌いではないのですが。
夏にはあまりもたくさんの思い出があるからです。

■4350:結局ミニリトリートは先延ばしです(2019年8月1日)
節子
今日も猛暑でした。
この3日間、ミニリトリートの予定でしたが、世間との付き合いも絶てずに、猛暑の中で汗を流していました。
ミニリトリートは先延ばしです。

しかしこの3日間はだれにも会わず、やっていたのは畑と庭の整理でした。
メールは毎日見ていましたが、働きかけはほとんどしませんでした。

主日入院した武田さんからは、天からまだ生かされるようだとショートメールが入りました。
手術は成功し、また会えるようです。
よかったです。
彼とはまだ論争の決着がついていませんから。

家の裏側は普段はほとんど行くことはないのですが、久しぶりに行ってみたら、すごいことになっていました。
かつてはここにも花木を植えていましたが、ナニワイバラを除いてすべて枯れてしまいました。
ナニワイバラは棘がすごいのですが、水がなくても元気です。
木が枯れて後には、鳥の糞から生えてきた名前も知らない木が生えてきていましたが、これはすべて切り取りました。
あまり日当たりは善くないのですが、ここを少し整理して、庭の植木鉢を移そうと思います。
しかしこれまた大仕事です。

昨日はちょっと頑張りすぎたので、今日は1時間単位で休みながら作業をしましたが、あまりにも放っておきすぎたので、なかなか整理ができません。

リトリートにはなりませんでしたが、汗をかくことで精神的には少し落ち着きました。
しかし、すっきりしたわけではなく、相変わらずいくつかの重荷が覆いかぶさっています。
困ったものです。

猛暑はもうしばらく続くようです。

■4351:寝苦しい夜とあたたかな朝(2019年8月2日)
節子
昨夜はさすがに寝苦しい夜でした。
私の寝室にはクーラーはありませんので、暑い夜は苦手です。
おかげで今日は5時から起きています。
今日は午後から湯島でミーティング、夜はサロンです。
朝は涼しいので畑に行こうかと思いましたが、最近の体調を考えてやめました。

昨日、友人がフェイスブックに訃報記事を書いていました。
有機農業を誠実に取り組んでいた30代の女性が、熱中症で畑で倒れていたというのです。
昨年、私も2回ほどおかしくなりましたので、注意しなければいけません。
早朝の畑は、気持ちがいいのですが、今日は我慢しておきましょう。

朝のさわやかさは感じますが、すでに温度は30度近くです。
体感と温度計とにずれを感じますが、湿度もとても高そうです。
涼しい感じがあるのに、汗ばむ感じもある。
高齢になると感覚もいささか不調になってくるのでしょう。

しかし、朝の陽の光には「あたかさ」を感じます。
わが家は少しだけ高台のため、この部屋から隣家の屋根が見えるのですが、朝陽が創り出す朝の様子には「あたたかさ」があります。
鳥たちもまだ静かで、自動車の音もさほどありません。
この雰囲気がとても好きです。

本当は今日も猛暑予想で、すでに猛暑は始まっていますが、視覚的には穏やかな「あたたかい」朝です。
世界は、自分の思いでいかようにも見えるのかもそれません。

と書いていたら、やはり畑に行きたくなりました。
娘は昨日から体調を崩して、まだ寝ています。
起きる前に戻ってきたら、大丈夫でしょう。
さて無理をしない程度に、畑に行って野菜に挨拶をしてきましょう。

■4352:今日は手賀沼の花火です(2019年8月3日)
節子
今日は手賀沼の花火大会です。
節子も私も花火が好きで、いまの場所に転居した理由の一つも花火がみられるのが理由の一つでした。
残念ながら、節子と2人で、しんみりと花火を見る機会はありませんでしたが。

花火はよく見に行きました。
最初は滋賀県の瀬田川の花火。
一緒に暮らしだしたのが、そのすぐ近くでした。

熱海や湯河原の花火も何回か行きました。
そしてすぐ目の前の手賀沼の花火。
お客様中心だったので、節子はあまりゆっくり見られなかったかもしれません。
そして最後は音だけの花火。

花火には毎回、いろんな人に来てもらいました。
いまではもうあまり付き合いのない人たちも少なくありませんが、懐かしい顔を思い出します。
節子がいなくなってからは、お客様をお呼びすることもなくなりました。
娘たちの友人たちは時々来ていますが。
今日も、娘たちの友だちが6人も来るそうです。
全員女性たちですので、私の居場所はありません。
屋上で見るのですが、狭い屋上なので10人も集まると大変です。
困ったものです。

節子は、おもてなしが大好きだったのですが、最近は持ち寄り方式になってきているようです。
そのため準備もあまりしないですむようですが、風邪気味の娘につきあって、買い物に行ってきました。

屋上の掃除をしながら手賀沼を見ると、花火の打ち上げの準備はもうできているようです。
南風なのがちょっと気になりますが、まあ花火日和と言っていいでしょう。

ユカがあいにく風邪気味のようで、ふらふらしながら準備をしています。
私も少しだけ手伝っています。
節子がいたら、きっといろいろと仕切っていたことでしょう。
その姿が思い出されます。

■4353:以前のお隣さんの娘さんたちが花火を見に来ました(2019年8月3日)
節子
花火に、昔、近くに住んでいたYさんの娘さんたちが来てくれました。
ご両親は来られませんでした。
私たちがここに転居した後、Yさん家族も別のところに転居したのですが、その後、節子のところに遊びに来てくれたそうですが、私は20年ぶりくらいの感じです。
娘たちと同世代ですが、子どもも連れてきてくれました。

ご両親の様子をお聞きしたら、お母さんはハワイアンの関係のイベントで今日も出かけていたそうですが、お父さんはちょっと軽い認知障害も起きているそうで、今日はご両親は留守番になったそうです。
私自身はあまりお付き合いはなかったのですが、私よりも年長です。
お母さんの方は、ハワイアンダンスをやっていて、以前は、手賀沼のイベントにも参加していました。
長女の方も一緒で、いまもやっているそうです。

次女の方は双子の娘さんと一緒に来てくれましたが、私の孫のニコと初対面であるにもかかわらずすっかりなかよくなって、突然3人で踊りだしたりしていました。
子どもたちを見ていると人間の本性がわかるような気がします。

転居前のところでは、もう一家族、節子が親しくしていた人がいました。
私たちよりも少し年上ですが、転居後もわが家の来てくれ、節子が亡くなった後は私のことも気にしてくださっていたようです。
最近はお互いに連絡が途絶えてしまっています。
節子がいたら、いまもなお交流は続いていたと思いますが、残念ながら節子がいなくなってからの数年は、私もほとんど人との積極的な交流ができなくなってしまい、とりわけ地域での付き合いは少なくなってしまいました。
今回は、娘との関係で花火に来てくれたのです。

みんな歳をとっていく。
そしていつかいなくなっていく。
私の場合、同世代よりも若い世代の人たちとの交流が多いこともあって、ついつい自分の加齢への認識が弱いのですが、そんなことを改めて感じました。

花火は1時間半。目の前が打ち上げ会場なので、火薬のにおいと音の響きを実感しながら、久しぶりににぎやかな花火を満喫しました。

みんな楽しんでくれたようで、よかったです。
節子がいたら、もっと盛り上がったでしょう。
長い1日でした。

■4354:無垢な子どもたちに元気をもらっています(2019年8月5日)
節子
昨日は湯島で箸ピーゲームの交流会でした。
猛暑にもかかわらず10人を超える人が集まりました。

湯島では毎週、いろんな集まりをやっています。
節子と始めたオープンサロンもそうでしたが、こういうサロン活動をやっていると社会の実相が実感できます。
湯島にはいろんな人たちが集まるので、いろんなことをなんとなく実感できます。
残念ながら社会は、どうも私には住みにくい方向に向かっていますが、時に救いも感じます。

昨日は、ほっとスマイルプロジェクトの主催でした。
私も、その発起人の一人ですが、このグループは、世界中に笑顔を増やしていこうというのがビジョンでした。
しかし今のところは、自分たちが笑顔になろうというところからなかなか外に向かっての活動へと移行しません。
そのためちょっと距離を感じているのですが、そういう状況もまた、いまの時代状況を象徴しています。

昨日は竹居家族が参加してくれました。
竹居さんと知り合ったのは、もう30年ほど前ですが、時々参加してくれます。
昨日は、自閉症気味の息子のこうへいくんと奥さんも参加してくれました。
帰り際に私はこうへいくんから少し褒められましたが、最近疲れ切っている私も、その一言に救われました。
最近、人間嫌いになりかけていますが、一昨日花火に来た子どもたちや昨日のこうへいくんのように、無垢な人間に会うと元気が出ます。

今朝、久しぶりにシャデラックスの「緑の地球よ どこに行く」を聴きました。
このレコードはもう絶版で、ネットでも出てきませんが、私が昔よく聞いたレコードです。
幸いなことに、彼らが心配していたほどに、地球はひどい状況にはなりませんでしたが、その代償にそこに住む人間は劣化してしまいました。
このレコードを聴くたびに、そう思います。

残念ながら、シャデラックスは解散し、このレコードに収録されている歌12曲はネットでは出てきません。
とてもいい歌なのに、残念です。
特に私が好きなのは、「小鳥が落ちた」です。
こんな歌です。

小鳥が落ちた 空の上から
小鳥は空を 飛ぶものなのに

いつか湯島でこのレコードを聴くサロンをやりたいです。

■4355:豊かな生き方(2019年8月6日)
節子
いささかハードな4日間が終わりました。
今日は在宅でゆっくりできますが、畑や庭の手入れがあるうえに、ユカがダウンしてしまいました。
先日、庭の大掃除を手伝ってもらったのと花火の来客のときに、ちょっと無理をしてしまったのが一因です。

節子が心配していたように、私は生活力や生きる意欲が弱いので、食事づくりがあまりできません。
いまこうして元気なのは、娘が同居してくれているからです。
ですからその娘がダウンすると途端に不都合が起こるわけです。
困ったものです。

それに昨夜は寝苦しい夜でした。
真夜中に、これまで使っていなかった扇風機を寝室に持ち込み、回すほどでした。
それでも寝苦しく、真夜中にまた起きてしまい、本を読んでいました。

今日の朝はさわやかな暑さなので、畑に行くには絶好なのですが、寝不足なので畑作業は自重しました。

昨日、渕野さんがサロンに参加したのですが、猛暑なので参加者は少ないだろうと私へのお土産に宇和ゴールドというジューシーオレンジを7つも持ってきてくれました。
ところが参加者が多かったので、余ったのは1つだけ、それをもらってきて、昨夜、節子に供えました。
そういえば、昨年も渕野さんは持ってきてくれました。

渕野さんは3年前に肺がんが発見されました。
私と一緒にあるイベントを開催する、その当日の朝でした。
手術は成功し、根治したのですが、死を意識する生き方に変わりました。
その後の生き方をフェイスブックなどでいつも見ていますが、実に豊かな生活になっています。
家族や友人や動物に囲まれ、地域活動に精出し、社会活動にも取り組んでいます。
趣味にしているたくさんのことにも、時間をかけています。
とても豊かな生き方です。

渕野さんを見ていると豊かな生き方のモデルをみているようです。

昨日は猛暑の中を重い荷物を背負ってきてくれました。
体調を崩していなければいいのですが。

■4356:また幸水の季節です(2019年8月9日)
節子
猛暑が続いていて、いささか披露気味でまた生活のリズムが崩れ出しています。
昨日から少しずつ生活リズムを取り戻そう解いています。
昨日も今朝も1時間ほど畑にいっていました。
しかし作業はなかなか進みません。
7月の雨で畑はまた野草に覆われだしているのです。

今週は一応夏休みのつもりで、かなり世間とは没交渉にしています。
来週は世間が夏休みに入りますので、引き続き没交渉を維持できるでしょう。
それで生活リズムが回復できるでしょう。

すぎの梨園の幸水が出荷され出したそうなので、早速に伺って購入してきました。
節子が好きだった幸水です。
杉野さんのところも、いまはもう息子さんが中心になってきています。
もう10年以上通っていますが、幸せそうな家族経営です。
そこに嫁いできたのが、なんと全く別のことで数年前に知り合った人の姪御さんでした。
世間はとても狭いのです。

今年は7月が雨ばかりだったので心配していましたが、今年の幸水もとてもおいしいです。
梨を食べて元気を取り戻さなくてはいけません。

■4357:メダカの奇跡(2019年8月10日)
節子
猛暑が続いています。
今朝は早く起きて畑に行こうと思っていましたが、寝苦しくて寝坊してしまいました。
目が覚めたら6時過ぎ。
もう30度近いのです。
行く元気を失ってしまい、さぼってしまいました。
最近の体調から考えて、あまり無理はしないほうがよさそうです。

玄関にメダカの水槽を移しました。
リビングだと日光が当たり、水温が上がってしまうからです。
そのおかげかメダカは元気です。

メダカに関しては、こんな事件がありました。
手賀沼の花火の日、花火を見に来てくださった来客の一人が、リビングの土間に置いてあった水槽の中にメダカがいたと帰り際に言い出しました。
そんなはずはないのです。
なぜなら、その水槽にはしばらく使っておらず、先日、メダカの水槽の掃除をするためにその水槽に2時間ほど、メダカを一時的にいれていただけです。
その後、いつもの水槽にメダカを戻しましたが、それが4日ほど前です。
水を捨てずに放っておいたのは、ちょっとバタバタしていたからです。
今朝も、その水を観葉植物に注いで、空にしようと思っていたのですが、忘れてしまっていました。
ですからメダカなどいるはずがないのです。

ところがその人は絶対にいたというのです。
それで戻ってもらい、いないでしょうと言ったのですが、彼女はここにいるというのです。
そのうえ、ミジンコもいるじゃないかというのです。
そこでじっと見つめてみました。
そうしたらなんと1〜2ミリの細い何かが動いています。
目を凝らすと、確かにメダカの子どもです。
あやうくそのメダカを観葉植物の鉢に流してしまうところでした。
きっと水草を2時間ほど一時的に入れておいたときに、水草と一緒に移ったまま残ったのでしょう。
あわてて、メダカがいる水槽の水草を、その水槽に移しました。
ほかにもまだいるかもしれません。

この事件はいろんな教訓を含んでいます。
とりわけ、人は見たいものしか見ないことを示唆しています。
私はいるはずもないと見ようともせず、彼女は水槽があるから何かいるはずだと探したわけです。
大いに反省しました。

メダカは順調に育っています。

■4358:4代目のパピルス(2019年8月11日)
節子
知人からパピルスを2枝もらってきました。
わが家にとっては4代目のパピルスです。
1代目は家族でエジプト旅行した後でしたが、庭の池の端で元気で育っていました。
しかし、3〜4年後に枯れてしまいました。
それでまた新たに花屋さんから購入してきました。
たしか少し品種の違うものでした。
しかし池の手入れがあまりできずに、今度は1〜2年で枯れてしまいました。
当時、池にはハスも育てていましたが、これも枯れてしまいました。
池の手入れができなくなってきていたのです。
節子がいるころにもう一度、パピルスを買ってきた気がしますが、それも育ちませんでした。

昨年、今回いただいた同じ人からパピルスを分けてもらったのですが、土に植えずにハスのような感じで育ててしまったために、失敗してしまいました。
それでもう一度、今度は枝を切ってもらい、それをもらってきました。
今度はうまく育てて4代目のパピルスにしようと思います。

わが家の最初の海外家族旅行はエジプトでした。
私以外は、なぜ最初の海外がエジプトなのだとあまり喜ばれなかったうえに、娘には会社をむりやり休ませてしまって恨まれましたが、結果的にはみんな喜んでくれました。
とてもいいツアー旅行で、案内をしてくれた中野さんとは今も交流があります。
最初のエジプト旅行がよかったので、その後も家族は中近東への旅行に抵抗感がなくなりました。
それで、ギリシアやトルコやイランには行けました。
節子との海外旅行はイランが最後でした。

そんなこともあって、パピルスはわが家では人気があったのです。
にもかかわらず育たなかった。
それにはそれなりの理由があるのでしょう。
だから節子がいなくなってからは、パピルスを見ても購入する気にはならなかったのです。
しかし、昨年、偶然に知人のところでパピルスを見て、その人に勧められて一株貰ってきたのです。
それがまた育たなかった。

今度はどうでしょうか。

■4359:枯れてばかりのイチジク(2019年8月11日)
節子
育たないパピルスのことを書きましたが、もう一つ、育ててもなかなか育てられない木があります。
それは日本イチジクです。

いまの家に転居する前の家に、イチジクの木がありました。
私が、庭の片隅に植えました。
というのは、節子はなぜか果物がなる樹があまり好きではなかったのです。
それに、節子はイチジクも好きではありませんでした。

しかし、そのイチジクは大きく育ち、毎年、とても美味しい実をつけました。
それから節子はイチジクを食べるようになりました。
毎年たくさんの実がなりました。

いまのところに転居するときに、そのイチジクを挿し木で持ってきました。
ところが実をつけだす前に枯れてしまいました。
イチジクは強い木ですので、そう簡単には枯れないはずですが。
実際に、転居するときに挿し木したものを敦賀と高崎に送ったのですが、そのいずれもが毎年たくさんの実をつけています。
なぜかわが家のイチジクだけが枯れたのです。

そこで敦賀と高崎から挿し木を送ってもらい、またわが家でも植えようとしました。
根がついた段階で送ってもらいましたが、2回とも一冬越したのですが、また枯れてしまいました。
それで今年の春、また何本かの枝を届けてもらい、挿し木しましたが、再び全滅。
一体どうなっているのでしょうか。

娘が西洋イチジクの樹を買ってきてくれましたが、それは順調に育っています。
しかし私が欲しいのは、節子が好きだった、あのイチジクです。
いままた挿し木をしてもらっています。

長々と書きましたが、節子がいなくなってから、あるいは節子ががんになってからと言ってもいいのですが、わが家はなにか「いのちが吸い取られているような状況」になっていたような気がします。
私自身の気が大きく枯れていたのかもしれません。
悪いことばかり起こりました。
もういいかと思うほど、生きるのに疲れた時もあります。
私がそうであれば、私の周りもそうなるでしょう。
わが家から「いのち」が消えていき、ゴキブリさえもあまり見かけなくなりました。

こうした状況を反転させるのは、たぶん私が意識を変えなければいけないのでしょう。
生命力を蘇生させなければいけません。
畑を覆いだしている野草たちのように。

畑はもう大変なことになっています。
野生のセイジと種から育ったメロンが覆っています。

■4360:孫とのバッタ取り(2019年8月11日)
節子
今日もまた猛暑です。
まるであの年の再来です。

あの夏との違いは、節子はいないけれど孫がいることです。
にこは、ジュンから網と虫かごを買ってもらったそうです。
それで畑に虫取りに行こうとわが家にやってきました。
今朝も畑に草取りに行っていましたが、精霊バッタがたくさん飛んでいました。
殿様バッタは最近見かけませんが、なにしろ畑はまた野草に覆われだしていますので、バッタの天国です。
そこに乱入するというわけです。

私は小学校時代は、夏休みにはどんな暑いときも昆虫採集と称して、朝も夕方も、林などに出かけていました。
手入れが悪くてみんなだめになりましたが、中学校時代は標本もつくりました。
節子と結婚した後も、節子までつき合わせて、子どもたちと虫取りに行きました。
キリギリスは一度狙ったら逃しませんでした。
カブトムシもクワガタもどこにいるかはわかりました。
子どもが付き合わなくなっても、節子の郷里に行くと虫取りやカニとりに出かけていました。
節子は嫌がらずにいつも付き合ってくれました。
私が、子ども時代の生き方を継続できたのは、節子のおかげです。
とても感謝しています。

さて孫とのバッタ取りです。
孫はあんまりバッタ取りはうまくありません。
それに大きなバッタはどうも怖いようです。
トカゲは手でつかめるそうですが、バッタは苦手らしい。

だいぶつかめて、庭に放しました。
にこは大満足でした。
ついでに畑のミニトマトやキュウリももいでくれました。
畑を覆っていたメロンはだいぶ踏みつけられてしまいましたが。

■4361:お盆が近づきました(2019年8月12日)
節子
今年もお盆が近づいていますが、お隣のMさんがご夫婦で、今年もまた花を届けてくれました。
毎年、花を届けてくださるのです。
仏花ではなく、節子好みの洋花のブーケです。
仏花には少しアレルギーがあるのですが、洋花の明るいブーケは大歓迎です。
いつもはやわらかな温かな雰囲気が多いのですが、今年はめずらしく深紅のバラを基調にした、強さを感ずるものでした。
Mさんは節子と同じころにお母様を亡くされています。
それもあって、毎年届けてくれるのです。

節子と特に付き合いが深かったわけではないのですが、お子さんへのちょっとした節子の心遣いをいまでも感謝してくれているのです。
その娘さんも、もう大学生で海外に留学していますし、その上の娘さんも結婚が決まったそうです。
どんどんとみんな大きくなっていきます。
私だけがそういう流れに追い残されてしまっている感じです。
あの時から、時間が止まっている感じです。

節子の好きだったカサブランカと一緒に、節子にお供えしました。
明日は、迎え火です。

■4362:大きな馬と2頭の牛(2019年8月13日)
節子
今日は迎え火です。

精霊棚を準備しましたが、今年の送迎の牛馬はいつもと少し違います。
まず迎えに行く馬ですが、大きなキュウリをつかい、巨大な馬にしました。
最初は前後が逆だったのですが、しっぽよりも首を伸ばした方が気持ちに合うような気がして、ひっくり返したら、なんだか恐竜のようになってしまいました。
いずれにしろ勢いがあって気に入っています。

見送りの牛は、最初は5センチほどの小さなナスでつくったのですが、あまりに大きさが違うので、小さなのはやめて2頭の牛にしました。
一頭は白い牛ですが、これはナスではなく、節子の生家から送られてきたメロンの種から育ったメロンです。

いずれも私が小作人として頑張っている畑から、今朝、いただいてきたものです。
ひまわりも畑からです。
カサブランカは、今年は失敗してしまったので残念ながら手作りではありません。
花のブーケはMさんからもらったものです。

スイカの陰に杉野さんの梨も備えています。
スイカは食べられるかどうかはともかく、お盆にお供えすることにしました。
むかし、お盆に節子の生家に帰省していたころ、いつもみんなでスイカを食べていましたから。

さてこれからお墓に節子を迎えに行ってきます。

■4363:桃を節子にお供えしました(2019年8月14日)
節子
節子がせっかく来ているというのに、体調を崩してしまいました。
7月以来、どうも調子が悪いです。
どこが悪いと一言では言えないところが一番問題です。
どことなく、というよりも、すべてにおいて心身の調子がおかしい。
ミニリトリートするはずが、中途半端な怠惰な生活に落ち込んでいたためかもしれません。
困ったものですが、何かやり場のないモヤモヤ感と気怠さがある。
かなり重症のような気もしますが、ただただ暑さに負けているかもしれません。
いやめずらしく冷房の効いたところに長くいすぎるためかもしれません。
冷房は快適なのか不快なのか、よくわかりません。

家でグダグダしていたら野路さんから桃が届きました。
野路さんの伴侶が節子が一緒にヨーロッパ旅行をした仲間のおひとりですが、数年前に階段から落下してしまい、記憶をかなり失ってしまいました。
少しずつ良くなってはいるものの、まだ完全ではありません。
節子がいたら、お見舞いに行って、元気づけられるのでしょうが、節子は野路さんのお見舞いに支えられていました。
人の関係はいつ逆転するかわからない。

野路さんの連れ合いとは、節子は何回もあっているはずですが、私は一度しかあったことはありません。
節子が亡くなった後、節子が好きだった梨を毎年届けているのですが、そのお返しで毎年、桃とリンゴが届きます。
バランスが取れていないのですが、まあ私の付き合い方はそんなものです。

桃を食べたら、元気が出るかもしれませんが、その元気も出てこない。
今日は家に引きこもって、グダグダと過ごしています。
唯一やったことは、シャデラックスのレコードを聴いたことですが、何故かこれもいつもとは違い、私の好みではありませんでした。
身心によって、音楽の印象まで大きく変わるようです。

さてさてこの状況から抜けるにはどうしたらいいか。
節子が戻ってきたからでしょうか。
困ったものです。

■4364:人生は80近くなっても変えなくても大丈夫(2019年8月14日)
節子
やはり心身の状況がかなり悪いです。
軽いメンタルダウンの感じです。

実は、この3か月ほど、心身が安定せずに、息切れしながら元気を何とか維持してきているのですが、いろんなストレスがたまりすぎてしまいました。
いろんな人生に触れていると、毎年1回くらいは、大きくメンタルダウンするのですが、この2年、そうした大きなメンタルダウンがなかったことが、こうした状況をつくってしまっているのかもしれません。

今日は朝からグダグダと無為に過ごしていたのですが、先日、鈴木さんが紹介してくれた本を思い出して、図書館から借りてきました。
「人生は五十からでも変えられる」
外科医の平岩正樹さんが、53歳で東大の文学部に入学したり、トライアスロンに出場したり、フィリピンのスラムにホームステイしたりした体験を書いた話です。
やることもないので、夕方から時間つぶしのために読んでみることにしました。
難しい本は無理ですが、こういう本なら今の状態でも読めるだろうと考えたのです。
それにその本に、一か所、間違いがあるような気がしたからです。
そもそも、学びの場を大学に求めるという発想は、私にはまったくありませんし、恵まれた人の道楽話で、どうせ大した内容ではないだろうと思っていたのです。

ところが、読み出したら、すごい内容です。
本書のメッセージは、「新しいことを始めるのに、遅すぎることはない」です。
そのことを、説教調ではなく、自分をさらけ出すことで読者に感じさせてくれるのです。
しかも文章のスタイルが私好みです。
感動しながら、そして共感しながら、一気に読み上げました。
もちろんちょっと共感できないところもありましたが。

読み終えて、元気が戻ってきました。
まさか、会ったこともない人の体験記を読んで、こんなにうれしい気持ちになれるとは思っていませんでした。
平岩さんに感謝しなければいけません。

もっとも、私が本書を読んで確信したことは、「人生は80近くなっても変えなくても大丈夫」ということなのですが。

■4365:敗戦記念日(2019年8月15日)
節子
敗戦記念日です。
毎年、この時期になると、テレビでは戦争関係の番組が増えますが、私にはそうした「敗戦記念日」感がまったくありません。
困ったものですが、そもそも「記念日」という呼び方も違和感があります。

原爆が投下された日の広島や長崎の式典は理解できて、私なりの追悼の意も表せるのですが、敗戦記念日というのはまったく理解できません。
しかし、広島や長崎の式典に、政府関係者が参加して、心のこもらない形式的なスピーチをするのには違和感があります。
どうして被爆者はブーイングしないのか。
いつもそう思って、苦々しく聞いています。

先日、湯島で辺野古をテーマにしたサロンを開きました。
そこで「平和」とか「反戦」という言葉がでました。
その言葉に感情的に反応してしまい、「平和」とか「反戦」とかいう言葉は嫌いですと言ってしまいました。
言った途端に、言わなければよかったと思ったのですが、今回は参加者のおひとりが、私も嫌いですと、フォローしてくれたので、少し救われました。
しかし、平和活動に取り組んでいる必要たちもいる中で、発言には気を付けなければいけません。
以前は、節子によく注意されていましたが、最近は同じ注意を娘のユカからされています。
やはり母娘です。

それでもやはり今日は平和とか戦争のことを考える気になりました。
節子がいた頃は、よくそういう議論もしたものです。
しかし、娘たちとはなかなかできません。
それに娘たちは、節子と違って、私の言葉など理解しようとはしてくれません。
あまりにも違っているからです。

こう書いてきて、気づいたことがあります。
最近のモヤモヤ感は、もしかしたら私を分かってくれる人がいないからではないかと気づいたのです。
四六時中、一緒に生きていると、言葉ではない思いの交流があります。
それがあればこそ、思いはシェアできますが、言葉だけだとなかなかわかりあえないものです。
わかるということには、どうも2種類の「わかる」がありそうです。
節子は私のことをあんまりわかっていなかったにもかかわらず、たぶん完全にわかっていた。
同じように、私も節子のことをあんまりわかっていなかったにもかかわらず、完全にわかっていた。
そんな気がしてきました。

だからそこでは「けんかと信頼」が共存していた。
論理を飛躍させれば、平和と戦争を超越した観念がある。
そこに向かわないといけません。
「敗戦」などを記念日してはいけないのです。

■4366:節子が戻っていきました(2019年8月16日)
節子
早くも送り火の日になりました。
台風の余波で、我孫子も昨日から強い風が吹き荒れています。
孫が来る予定が、風邪で来られずに病院通いで、スイカを割ることができませんでした。
兄の家に戻ってきている両親にも会いに行く予定でしたが、兄夫婦も体調を崩しているようでやめました。
今年の夏は体調を崩している人が少なくありません。
私の場合は、体調というよりも、心調ですが。

ユカと一緒に節子をお墓に帰してきました。
先導の灯明はいつものようにベネチアンのランタンです。
お線香をあげて、般若心経を唱えました。
また節子は私の両親と同居というわけです。
帰宅して精霊棚をかたづけ、仏壇に戻しました。
また大日如来の出番です。

なんだか急にさびしさが襲ってきました。
波立っている手賀沼の上の夕焼けが、ちょっと感傷的な気分にさせてくれます。
風の音も感傷的に聞こえます。

お盆が終わりました。

■4367:統合失調気味?(2019年8月17日)
節子
台風の後の、さわやかな朝でした。
西日本には大きな被害を与えた今回の台風も、我孫子は風が強かっただけで、雨もさほど降りませんでした。
台風とお盆のおかげで、私も元気になりました。
思考力も戻ってきました。

畑には、しかしまだ行く気にはなりません。
少し前までは、畑に行くと元気がもらえたのですが、何かが変わってしまっています。
他者と付き合うのも大変ですが、自分と付き合うのも、いろいろと大変です。
しかし、こうした状況は、ある意味で自己の分裂で、統合失調につながるのでしょうか。
あるいは、「悟り」への近づきでしょうか。

まあいずれでも同じようなものですが、こんな風に考えてしまう状況では、まだ心身が回復したとは言えないようです。
作業をしたり、あるいは他者と話したりしていると、それなりに落ち着きますが、一人でパソコンに向かうと、やはり心は乱れます。
困ったものです。

今日も猛暑が予想されていますが、朝の風はとてもあったかで快い。
狭い仕事部屋にいると、「平和」とはこういうことかなと思うほど、静かで穏やかな時間です。
この先に、もしかしたら「ひきこもり生活」があるのかもしれません。
あるいは「涅槃」とはこういうことでしょうか。
思い出せば、節子が元気だったころ、夏に節子の生家に一緒に帰省していたころに、こんな時間があったような気がします。
お盆で帰ってきていた節子が、何かを残していってくれたと思えるほど、今朝はおだやかな時間を、ほんの少しですが、過ごさせてもらいました。

もうじき、節子の13回忌。
空白の12年でした。

■4368:死が生を豊かにしてきた(2019年8月18日)
節子
会社時代の先輩から、「科学」の7月号掲載の大橋力さんの論文が面白いと教えてもらいました。
図書館から借りてきて読んでみました。
書き出しを読んで驚きました。
こんな内容です。

宇宙には(生命が生存可能な惑星)は数えきれないほどあるかもしれない。
しかし、それらの生命たちのほとんどすべては,地球生命と大きく違い,〈必然的に到来する生命の終焉〉という事象をもたない。
地球においても,〔自個体の生存活動を有限時間に終結する仕組〕は,原初の地球生命〈原核生命〉にも存在せず,それより15億〜20億年も遅れて登場した〈真核生命〉に至って初めて,生命の自律的な終焉が進化的に形成された。

つまり、「生命」と「死」とは別のものであり、死なない生命もあるというのです。
私の認識とあまりに重なっているので驚きました。

この論文の後半では、生まれ変わりや輪廻転生、解脱の話題も取り上げられていました。
私は解脱反対論者、つまり輪廻を楽しむ三世ノマドを目指していますが、そのことも肯定されている内容でした。

科学は時代によって大きく変わります。
現在の科学もまた、たまたま今理解できることを整理したものです。
間にも書きましたが、質量不変の法則が絶対の真理でもありません。
しかし多くの人は、科学という言葉がつくと、それは絶対的なものだと思考してしまいます。
それは生きるための知恵かもしれませんが、世界を狭めてしまいかねません。

この論文は、死が生を豊かにしてきたとも読めます。
私も最近そう思えるようになりました。

■4369:仏の対語は「不仏」(2019年8月19日)
節子
録画していたEテレの「こころの時代」の禅シリーズを見始めました。
岐阜正眼寺の山川宗玄さん(正眼僧堂師家)が禅について語ってくれるシリーズです。
まだ5回目までですが、まとめてみようと思っていたのですが、先日放映された5回目をライブで少し見てしまい、山川宗玄さんが「餓鬼が食べるのは何か」という話をしていたのが耳に残ってしまっていたのです。
間もなく施餓鬼の日が来ますので、それまでに見ておきたくなったのです。

とても共感できる話でした。
山川宗玄さんは大学で物理学を学んだそうですが、それもあってか、宇宙を構成しているダークマターの話も出ました。
今回、私が教えられたのは、「不仏とは私」だというメッセージです。
まだ消化はできていないのですが、山川宗玄さんは「仏とは何か」を背理法で明らかにしようと話し出します。
そして、仏の反対語としての「不仏」を、「私」と読み替えるのです。
不物の「不」と「仏」の人偏(?)を重ねると「禾」になります。
つまり「不仏」の2文字を重ねると「仏」という文字になる。
というわけで、仏と私は対語になる。
私を捨てれば、仏になれるというわけです。

山川宗玄さんは、ひとつのわかりやすい話としてこれをあげているのですが、納得してしまいました。

仏教は、私の中にも仏性がある、つまり仏がいると言っています。
しかし、その一方で、仏が不在なのが私だという。
ややこしい話ですが、たぶん同じことを言っているのでしょう。
私と仏をどう重ねていくか。
これはもう少し考えてみないといけません。

■4370:手足を使って生きることの大切さ(2019年8月19日)
節子
山川宗玄さんのお話をもう少し書きたくなりました。

山川宗玄さんは、いまここを生きることと手足を使うことの大切さを話されました。
山川宗玄さんは、今、この瞬間瞬間をしっかりと生きていくことが「看脚下」だといいます。
足元とは、まさに「いまここ」なのです。
私は、「いまここを生きること」は節子から学びました。

さらに山川宗玄さんは言います。
道場の雲水の日常は、世間からは修行といわれるが、手足を使って日常生活をしているだけだ。
掃除もまき割りも托鉢も、すべて自らの手足を使った行為。
それを通じて、「今」というものが実感できる。
そしてそれが「悟り」にもつながっていく。
悟りは頭ではなく手足からたどり着けるというわけです。

しかし、最近の世の中は、手足を使うことが少なくなってきた。
食材はコンビニで買え、スイッチ一つで掃除もできれば涼もとれる。
手足を使わなくても、生活できるような社会になってきた。
しかしそれによって何かが欠けてきてしまい、一生が夢のようになってしまう。
山川宗玄さんはそう言います。

手足を使うことが生きているという実感を与えてくれる。
そしてさらにそこから、自分は一体何者なのだという疑問が生まれてくる。
理屈ではなく、身体を通してわかることの尊さこそ、今一番大切なことではないか。
そして山川宗玄さんは、手足を使って毎日精一杯生きていくことこそが人を変えていくと言います。
山川宗玄さん自身が、迷いを持ってお寺に入った後、手足を使う毎日の中で、迷いが疑問になって、自らが変わってきたというようなお話をされていました。

手足を使った生活。
いま求められているのは、まさにそれではないかと思います。
しかし、手足を使って生きている人は今どれだけいるでしょうか。
夢のような社会には、実感の喜びがありません。

■4371:92歳の加野さん(2019年8月21日)
節子
なかなか連絡が取れないでいた、大宰府の加野さんから電話をもらいました。
加野さんには、節子が好きだった梨を毎年食べてもらいたいと思い、送らせてもらったのですが、なかなか連絡がつきませんでした。

加野さんとの縁は不思議な縁です。
節子が元気なころに、残念ながら大宰府に行けませんでしたが、加野さんが節子に会ったことがあるかどうかは思い出せません。

私たちと加野さんのつながりは、加野さんの娘さんです。
娘さんが東京に出てきていた時、時々、湯島に来てくれていました。
夢を持っていた女性でした。
しかし、大宰府に戻った後、数年して急逝してしまいました。
あまりにも突然のことだったのですが、当時は私も節子の闘病の時期で、余裕がありませんでした。
私が大宰府に弔問したのは、節子も、娘さんもいなくなってからです。

加野さんは、若くして亡くなった娘さんの37回忌までは死ねないと決意しています。
今年で92歳ですから、あと15年です。
私にもそれまでは元気でいてほしいと今日の電話でも話していました。

加野さんは、不思議な人で、前にも書きましたが、福岡の大日寺に私を連れて行って、彼岸の節子の様子を教えてくれた人です。
ほかにも不思議なことがいくつかあるのですが、そういうことを考えれば、107歳まではきっと元気でしょう。

加野さんは節子のことを知って、最後にいろいろと尽力してくれました。
奇跡は起きませんでしたが、その一歩手前までは行った気がします。
だから加野さんには、節子の好きだった梨を毎年食べてもらおうと決めたのです。

加野さんは最近は年寄り仲間と毎日歌を歌っているそうです。
最近、万葉集ブームで話題の大宰府ですが、和歌を詠っているわけではありません。
みんなで一緒に歌を歌っているそうです。
実は加野さんの娘さんは、大宰府で世界中の人たちが集って平和を歌うイベントを夢見ていたのです。
その夢を加野さんが知っているかどうか、確認したことはありません。
でもたぶん親子の霊はつながってるでしょう。
そんな親子なのです。

107歳になる前に、大宰府に行こうと決めました。

■4372:病院でのミニリトリート(2019年8月22日)
節子
ユカが「ぜんそく」症状が出てこの数日ちょっと大変です。
節子も気管支が弱く、2回も入院しましたが、ユカが咳き込んでいるのを見るとあの頃のことを思い出します。
節子は、我慢強いというか、無理をするタイプで、早く医者に行けばいいのに、我慢してしまいこじらせることもありました。
娘のユカを見ていると、同じ傾向があるようです。

ユカは先日、ちょっと体調を崩したときに、仕事がらみの約束があり、新宿まで出かけました。
その件は、私も少し関係しているので、大丈夫かと確認はしたのですが、約束したことだからと出かけていきました。
猛暑の日でしたが、私も本人がいいというのだからと送り出しました。
私が代わることもできたのですが、私自身もちょっと体調が崩れ気味だったこともありました。

結局、ユカは早目に戻ってきましたが、回復途上だった体調がまたぶり返してしまい、それが気管支に来てしまったようです。
翌日、熱が出てきて、かかりつけのクリニックに行きましたが、あいにく夏休み。
自宅療養していましたが、状況は改善されません。
昨日、病院に行ったら、近くの専門科のある慈恵医大を紹介されたのです。

ユカが病院に行っていた昨日、私は近くに住む兄と食事をしていました。
兄が、私に「あなたはユカに感謝しなければいけないな」といわれました。
たしかに、もしユカが同居していなかったら、私はこんなに元気でいられたかどうかはわかりません。
ユカが私を世話してくれたという意味もありますが、娘を残しては彼岸には行けないという思いも含めてです。
私には2人の娘がいますが、彼女らがいなければ、この世には未練は全くありません。
昨夜、西部邁さんの自殺を話題にしたテレビをやっていましたが、西部さんの心情は少しだけわかります。
ただし信条的には、私には受け入れがたいことですが。

今日は、病院に私も同行しようと思います。
ユカは来なくていいと言いますが、ささやかの罪滅ぼしです。
まあ、これが罪滅ぼしになるかどうかはかなり疑問ですが。
それに、自分が患者でない久しぶりの病院も体験したい気もします。
慈恵医大病院は待ち時間多く、半日は拘束されるでしょう。
しかしちょうどいいミニリトリートになるかもしれません。
久しぶりの慈恵医大病院です。

■4373:施餓鬼法要(2019年8月24日)
節子
宝蔵院の施餓鬼供養でした。
最近は兄が基本的には行ってくれて、私は途中から行くことが多いのですが、今年は明日から兄が検査入院なので、私が一人で参加することにしました。
宝蔵院の施餓鬼の日は、毎年猛暑という記憶がありますが、今日も暑かったです。
新盆の人は本堂内ですが、それ以外は基本的には本堂前につくられたテントで供養ですが、とても座りきれずに境内の涼しそうなところにみんな陣取っています。
私は始まるだいぶ前に行きましたので、手続きを終えて椅子に座ることにしました。
椅子に座るのは何年ぶりでしょうか。

新盆の時には家族みんなで堂内で供養しましたが、それ以外の記憶はほとんど思い出せません。
だれか顔見知りの人はいないかと探しましたが、誰も見当たりません。
宝蔵院は檀家数も多く、そのほとんどが久寺家在住の昔からの地の人です。
ですからわからないのが当然です。
久寺家は、私たちも住んでいましたので、私自身は交流は皆無でした。
住んでいたのは、新しく開発された住宅地だったので、近隣はみんな、いわゆる新住民です。
私たちは、とても運よく、宝蔵院に墓を建てられました。
というのは、宝蔵院の子どもたちが娘と同級生だったからです。
先代のご住職は昨年亡くなり、息子と娘が継いでいますが、年々、それらしくなってきています。
先代のご住職もいい人でしたが、息子もとてもいい僧侶になるでしょう。

施餓鬼法要は、餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される、と本には書かれています。
ちなみに、最近、テレビの「こころの時代」で、正眼僧堂師家の山川宗玄さんが、餓鬼への供養は「食べ物」ではなく、「滋養」だと話されていました。
「食べ物」ではなく「滋養」。
いろいろと考えさせられる言葉です。

施餓鬼法要の場もいろいろと考えたら、とても効果的な場になるなと思いました。
まもなく節子の命日です。
今年は13回忌ですが、節子のお姉さんに参加してほしいので、彼女が出てこられるように涼しくなってからにしました。
本当は命日の前にやるべきなのですが、まあ姉思いの節子も賛成してくれるでしょう。

■4374:1週間の生活禅(2019年8月25日)
節子
暑さは残っていますが、だいぶ秋らしくなってきました。
今日は午前中は在宅なので、久しぶりに畑に行こうかとも思ったのですが、どうも行く気が出てきません。
1か月前まではあれほど行きたかった畑ですが、気分が一変してしまいました。
自分の気分ではなく、お天道様の気持ちで生きようと思いながらも、なかなかそうなりません。
しかし、そういう自分の気分も含めて、これがお天道様の思いなのだと考えてしまうのです。
まことにもって、困ったものです。

今週はいろいろとあって、湯島に行きませんでした。
最近は湯島の開放もやめていますので、誰も湯島に行っていないということです。
どうなっているでしょうか。
今日はサロンなので午後は湯島に出かける予定です。

1週間、あまり外部とは接点を持たずに過ごしてきたのですが、こういう生活に慣れてしまうと元に戻れなくなりそうです。
人は一人では生きてはいないとしても、一人で生きることの快適さは何とも言えません。
一人でボーっとしていると、世界も他者もよく見えてくる。
もちろん自分も少し見えるようになる。
とりわけ自分の間違いに気づくことはうれしいことです。
前を向いて進んでばかりいると、どうしても唯我独尊に向かってしまう。

禅を通して己事究明すると正眼僧堂師家の山川宗玄さんは語っていましたが、この1週間は私にとっては「生活禅」だったのかもしれません。
いろいろとありすぎで、いささか披露気味ではありますが。

■4375:「見る」という意識は、「見えないもの」の切り捨てなのかもしれません(2019年8月26日)
節子
昨日は、湯島で「見えない世界を感じながら生きている人が構想する地上の楽園」のサロンを開きました。
友人の内藤さんの構想のお披露目会です。

内藤さんは、節子が逝ってしまった後に知り合った人です。
ある時に、「啓示」を受けて以来、そのビジョンを言語化してきていますが、なかなか言語化できずに苦労しています。
昨年頃から、何とか言語化できたと時々湯島に来て語ってくれます。

私も一時期、「言語化」とか「ロゴス」とかに共感した時期がありましたが、最近は、それはほんの第一歩に過ぎないという気がしています。
というよりも、言語化とは見えない部分を切り捨てることかもしれません。
私が志向している「コンセプトデザイン」は、見えないものの可視化を目指していますが、それは本当は、「見えないものの存在の意識化」ではないかと思っています。
「見る」という意識は、「見えないもの」の切り捨てなのかもしれません。
そういう思いにいたったのは、この挽歌を書き続けているおかげです。

この挽歌を通じて、私はずっと「存在しないものの存在」を前提にして生きつづけています。
とりわけ意識しているわけでもなく、難しく考えているわけでもなく、それが自然なのです。
そして、そもそも「見えないもの」ということを意識することが「見えないもの」を生じさせることがよくわかったのです。
見えるか見えないかは瑣末なことなのかもしれません。

昨日のサロンには、私とは全く面識のない人が8人参加しました。
みんな「見えない世界」を感じて生きている人たちのようでした。
その人たちの言動には気付かされることが少なくありませんでした。

たくさんの気付きをもらって、昨日はちょっと疲れました。

■4376:「怒り」を形にする方法(2019年8月26日)
節子
今日は、晴れてはいませんが、さわやかな朝でした。
疲労感が抜けきれずに、ボーっとしていたのですが、電話がかかってきました。
あることに怒りが収まらずに、私のところに電話をかけてきたのです。
私への怒りではありません。
ある意味では、「私のためにも」怒ってくれているのです。

遠距離の、そして長い電話でした。
あんまり怒ると身体に良くないですよと、言いましたが、その怒りはよくわかります。
ちょうど、前に挽歌「見えない世界」のことを書いた直後だったのですが、怒りの本体もまた見えない世界の話です。
ついついその怒りを見える形にしたらどうかと言ってしまいました。
もちろん「暴力行為」ではありません。
怒りのもとをただすための活動です。
私は、多くの人たちが、「怒り」を形にする方法を間違っているとずっと思っています。
方法を変えたら、きっといい社会に役立つはずなのに。

ちょっと遠いところの話なので、私にできることは少ないのですが、やれることはあるかもしれません。
それにしても、本当に問題の多い時代です。
暇なのに心やすまることが少なく、本当に疲れます。
見えないことはそっとしておいた方がいいのかもしれませんし。私もそうして「見て見ぬふり」をしていることも多いのでしょう。
自分ではそうは考えてはいないのですが。

やりたいことが多すぎて、そのくせ、やる気が起きなくて、私は多分疲れているのです。
困ったものです。

■4377:節子の卒業写真(2019年8月27日)
節子
懐かしい写真が届きました。
節子の同級生の雨森さんが、小学校と中学校の卒業写真を送ってくれたのです。

中学校の同窓会を4年ぶりにやったのだそうです。
3割の人が参加したそうですが、雨森さんは「節ちゃんなら、遠方でもきっと来てくれたことでしょう」と書いてくれていました。
いずれも前に見た記憶がありますが、確かその時はすぐに節子を見つけられました。
しかし、今回は見つけるのが大変でした。
私の記憶が弱まったのでしょうか。
困ったものです。
こんなことだと彼岸に行ってもすぐに見つけられないかもしれません。

相変わらず疲れが取れません。
畑にはまだ行く元気が出ません。
私の周辺に「病気」が蔓延しているせいかもしれません。
ちょっと深刻な人も2人いて、それもあってか、私自身も元気が出てきません。

今日はがんばろうと思ってはいるのですが。
あんまりゆっくりできない1日になりそうですが。

■4378:廊下に転がっているスイカ(2019年8月28日)
節子
もやもやした気分から抜け出せません。
どこで何がどうなっているのやら。
困ったものです。
しかし、周りの状況は少しずつですが、好転はしているのです。
まあ、たぶんではありますが。

昨日、海に行ったジュン家族から大きなイチジクをお土産にもらいました。
佐原の道の駅で買ってきたそうです。
節子にお供えしていますが、今朝、私も食べました。
美味しいイチジクでした。
イチジクには、子ども時代の思い出も重なってきます。

お盆に買った大きなスイカがまだ廊下に転がっています。
お盆に孫のにこが風邪をひいてこられず、その後は今度はユカが気管支をこじらせてしまい、割るタイミングを失しました。
もう2週間もたつのでだめかもしれません。
しかし、これは、孫に丸いスイカを切ることを毎年体験させるためのものなので、食べるに食べられないのです。

廊下にスイカが転がっている風景は、昔はよくありました。
節子の生家に夏訪ねるといつもそうでした。
丸いスイカを切ってみんなで食べる風景は、私はとても好きなのですが、最近は私も含めて、スイカを食べる量が少なくなりました。
私が小さいころは、子どもくせにたくさん食べて、お腹が水でいっぱいになり動けなくなったものです。
そういうことは、もうなくなってしまいました。
あの頃は、みんなとても豊かでした。
もちろん経済的には貧しかったでしょうが、いまよりずっと豊かな時代だったような気がします。

先の日曜日に、地上の楽園をテーマにしたサロンを開きました。
その報告は時評編に書きましたが、そもそも「地上の楽園」を目指そうということが話題になる時代は貧しい時代です。

その報告の最後に。こんなことを書き加えました。
「自分らしくのびやかに」に生きるところがもし地上の楽園であれば、それは、その気になれば誰にでもできることです。
「地上の楽園」は、もしかしたらみんなのすぐそばにもうあるのかもしれません。

地上の楽園は廊下にスイカが転がっている風景こそ、私には地上の楽園のような気がします。
あの頃は、本当に豊かでした。

私もいよいよ過去を懐かしむようになってきたようです。
困ったものです。

■4379:孫の選択(2019年8月29日)
節子
今日は夕方、孫たちが来るのでスイカを食べられると思っていたのですが、残念ながら実現できませんでした。
孫はわが家には来ないで、逆に私が呼び出されたのです。

前に何かの予防注射をしたときに、泣かないで注射ができたので何でも好きなものをご褒美に上げようと約束していたのです。
ところが孫が望んでいたものが、ディズニーランドでしか売っていないもののようで、娘がネットで探してくれたのですが、なかなか見つからず、そのうち、私は忘れてしまっていました。
それが今日、電話があって、買いたいものが見つかったので近くの“しまむら”に来て買ってほしいというのです。

約束は守らなくてはいけませんが、スイカを食べに来いと言いましたが、わが家に来るよりも、そのおもちゃを買って、近くの友だちの家に遊びに行きたいというのです。
困ったものです。
スイカのほかにも、いくつか魅力的であろうメニューも付けましたが。友達と遊ぶのには勝てませんでした。
孫とはいえ、彼女の選択を優先しなければいけません。

孫が選んだおもちゃは、1000円もしないスマホでした。
しかも3割引きでした。
私はお金がないので、娘に買ってもらって、孫との約束は果たせました。
たぶん娘が安いものに替えてくれたのでしょう。

買った後、しつこく、スイカを食べに来ないかと誘いましたが、だめでした。
明日はスイカを食べに来いよと言ったら、来ると言っていましたが、どうなりますか。
約束は守らせないといけませんが、無理やり約束させてしまったような気もするので、守られなくても仕方がありません。

しかしスイカはまだ大丈夫でしょうか。
切ったら中身が抜けていたということになるかもしれません。
なにしろもう2週間ほど転がっていますので。

■4380:孫を見ていて思うこと(2019年8月30日)
節子
孫がやって来たので、ようやくスイカが食べられました。
棚落ちもなく、おいしかったです。
懸案事項が一つ片付いた気分です。
丸いスイカを孫と一緒に食べる、という課題です。

孫と別れるとき、いつも、頭を手でぽんと抑えるのですが、それが痛くていやだと孫から言われました。
力など入れずに、優しく手を添えるくらいの気分ですので、ちょっと信じがたい話なのですが、小さな孫にはそう感ずるのかもしれません。
注意しなければいけません。

孫は今日、自宅近くで見つけたクワガタを虫かごに入れて持ってきました。
私に見せた後、わが家の庭に逃がしましたが、今度はわが家の庭で蝸牛を見つけ、それにキャベツを食べさせていました。
その蝸牛も、帰る時に庭に放していきました。
これは娘の考えのようです。
私は、逃がさずに飼いたくなるタイプですが、その結果、虫が死んでしまったのを娘は小さいときに嫌だと思っていたのかもしれません。

瑣末な話のようですが、私としてはいろいろと考えてしまう話でもあります。

私は小さいとき、周りの人から「修はアリも殺せない」といわれていました。
実際にはそんなことは全くなく、子ども時代はかなり残虐なこともたくさんしましたが、たしかにアリも蚊も殺せないこともあります。
人は矛盾した行動をしながら生きています。
子どもから教えられることは少なくありませんが、ジュン母娘を見ていると、節子もこういう時代を過ごしてきたのだろうなと気づかされます。
子育ては大変で、私はかなり協力的だと自負していましたが、会社の言っている間、節子はきっと苦労したのだろうなと思います。

母娘と違って、孫との関係であれば、節子にとっては楽しいことばかりでしょうが、その幸せな時間を持てなかったことが残念でなりません。


■4381:朝の果物は金(2019年8月31日)
節子
私は野菜と果物が大好きです。

わが家にはいくつかの「節子のルール」があります。
果物に関しては、節子が「朝の果物は金、昼の果物は銀、夜の果物は銅」とよく言っていて、夕方以降は果物をできるだけ食べないようにいうルールがあります。
いまもわが家ではそれが守られています。
外食でデザートなどが出た場合は、食べてしまいますが、これはもう一つのルール「食べ物は無駄に捨てない」というルールに従っているからでもあります。

時に夜に果物が食べたくなることはあるのですが、基本的にはそのルールはよく守られています。
秋は果物が多いので、このルールはよく話題になります。

「食べ物は無駄に捨てない」というルールと並んで、「無理をして食べない」というのもあります。
ですからたとえば、おかず類がほんのわずか残っても、それが冷蔵庫に保管されることも少なくありません。
極端なことを言えば、ほんの少し残った野菜炒めとかトンカツの切れ端が残っても、保管されるわけです。
娘もそれをまもっていて、なんだこんなわずかな残りを冷蔵庫に保管しているのかと驚くほどですが、節子のルールは文化になっているのです。

もっともそのいっぽうで、節子はけっこう無駄も多かったような気がします。
賞味期限切れになるまで保管しておいて、結局は処分する羽目になるようなことも多かった気がします。
残念ながら、その「文化」も、娘には継承されています。
困ったものです。

先日、娘がいない時に、料理しないで食べられるものはないかと冷蔵庫を探したら、奥から納豆が出てきました。
それを食べようと思ったのですが、かなり古いもののようで、納豆をかき回すことが難しいほどに、「甘納豆」的になっていました。
それでも「捨ててはいけない」という節子のルールを思い出して、食べてしまいました。
ちなみに私は賞味期限にはこだわらないタイプなのです。

ところでスイカは果物でしょうか。
スイカは朝は食べる気がせず、昼間いないことが多いので、先日のスイカがまだ半分ほど冷蔵庫に入っています。
さて、寝る前に食べるべきかどうか。
節子の定義ではたぶんスイカは果物ではないと思うのですが、何故かスイカも夜食べる気が起きません。
不思議なものです。

■4382:オープンサロン最後の来客との再会(2019年9月1日)
節子
昨日のサロンに石本さんが久しぶりに参加してくれました。
石本さんは、節子と一緒にやっていたオープンサロンの最後の参加者です。
なぜ覚えているかといえば、私の体調がいささかおかしくなって、サロンをはじめ仕事を1年間休もうと思ったことがあります。
その最後のサロンに、石本さんは遅れてやってきました。
遅れてというよりも、正確には終わってからやって来たのです。
しかも、節子への花束を持ってきてくれたのです。
最後のサロンは、たくさんの人が来てくれたと思いますが、花束を持ってきてくれたのは石本さんだけでした。
しかも石本さんは、サロンを支えていたのは私ではなくて節子だとわかっていたのです。

3人で少し話したと思いますが、花束を持った節子の写真も撮りました。
一度、この挽歌でも書いたことがあります。

サロンをやめた後、私が健康診断を受けるのに合わせて、節子も一緒に受けました。
そして、がんが見つかったのは、私ではなく、節子でした。
節子の入院が決まった時に、石本さんは病院でのパジャマをつくりたいと言ってきました。
その時は気持ちの余裕がなくて、お断りしてしまいました。
ずっと悔いが残っていることです。

その石本さんが、10数年ぶりにやってきました。
石本さんを探している人が、私のホームページで石本さんの名前を見つけて、紹介を頼んできたのです。
それで久しぶりに連絡したら、石本さんがサロンにやって来たというわけです。
石本さんは変わっておらず、相変わらずはつらつとしていました。

うれしい再会でした。
ホームページを探して、最後のサロンと花束を持った節子の写真を見つけました。

■4383:12年がたちました(2019年9月2日)
節子
明日は節子の13回目の命日です。
節子の好きだったカサブランカを今年も供えました。

それにしても、まさか13回忌を迎えることになろうとは思ってもいませんでした。
しかし、もしかしたらこの12年は、生きていなかったかもしれないという気もします。
惰性で、ただただ存在していただけの12年だったかもしれません。
空白の時間を埋めなければいけないという思いから、サロンをやったり、誰かの相談にのったりして時間を埋めているだけかもしれません。
そして気がついてみたら13回目の命日。
この12年は、いったいなんだったのか。
本当に実在するのか、とさえ、時に思います。
いずれにしろ、節子がいないにもかかわらず12年も生き続けてしまった。

昨日、テレビで歌手のクミコさんが歌っている「妻が願った最期の「七日間」」という歌を知りました。
他界した妻の病床に残された日記の書かれていた「七日間」という詩を歌にしたものです。
よかったらお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=DkUDDaq8bkQ

逝く人を気遣うのではなく遺される人を気遣う。
たぶんそういうケースの方が多いことでしょう。

12年前の今頃を思いだすと、いまの人生とはとてもつながっているとは思えません。
思い出すと正常ではいられないので、思い出すのはやめましょう。

節子が心配していたことはとりあえずは克服しましたが、たぶん節子はやはり思った通りだと思っているかもしれません。
生き出さなければいけません。
頭では分かっているのですが。

■4384:家族だけの13回忌(2019年9月3日)
節子
節子がいなくなった、今日で4384日目です。
長いのか短いのかわかりませんが、ともかくも4384日経ったということです。

13回忌に当たるのですが、13回忌の法要は少し遅らせて行うことにしました。
節子の姉の体調もあって、涼しくなってからと決めたのです。
世間的なルールには反しますが、世間的なルールは大切にはしますが、それに呪縛されないのが私たち2人の生き方です。
考えてみれば、無知の故のルール違反も含めて、私たちはたくさんのルール違反をしてきています。
そもそも私たちの結婚も、いささかルール違反ではありましたし。

13回目の命日は、家族だけで静かに会食しようと決めていました。
自宅でも、とも考えたのですが、みんなで成田山の川豊にうなぎを食べに行こうということになりました。
川豊は節子が好きなお店でもありました。
孫のにこはまだ3歳なので、うなぎはだめかもしれないと心配しましたが、美味しいと言って食べてくれました。
娘たちも、私も子供のころはうなぎはあまり食べられませんでしたが。
にこは、節子似なのかもしれません。
孫のうなぎデビューを、節子は見ていたでしょうか。

川豊でうなぎを食べながら、節子は鯉こくも好きだったねという話になりました。
それからみんなで成田山新勝寺を回りました。
にこが一番元気でした。

新勝寺には、節子とは何回も来ています。
節子が来ていたころとはだいぶ変わりました。
平和の大塔の内部も最上階までは行けなくなりました。
その代わりに、山門も含めて、整備が進み、新しいお堂もできています。

成田山に行く前に、みんなでお墓に行き、般若心経をあげてきました。
今回はめずらしく仏花らしい花を供えました。
自宅の仏壇は、いつものように明るく楽しい感じですが。
孫がお墓に座って写真を撮りました。
これもルール違反かもしれません。

明日から節子はまた新しい仏と共にあるのでしょう。
私もまた、新しい節子と共にあろうと思います。

■4385:Fさんからのメール(2019年9月4日)
節子
命日を前に、節子の友人の滋賀のFさんからメールをもらいました。

今日は、節ちゃんの命日でメールを送らせて頂きました。
私共も腰が痛い、膝が痛いと言いながら、それなりに過ごしております。
先日はMちゃんと、電話で、節ちゃんとの想い出話をしました。
季節の変わり目、どうぞお元気で、ご自愛下さい。

FさんとMさんは、毎年、節子の命日に花を届けてくれていました。
ただそれがいかにも「仏花」らしいものだったので、昨年から辞退させてもらったのです。
数年前から迷っていたのですが、命日に仏花が届くと当時のことを思い出して気が萎えてしまったからです。
仏花ではなく普通の花に替えてくださいと言おうかどうか迷ったのですが、結局、辞退させてもらった次第です。

FさんとMさんは、節子ととても仲良しで、節子が滋賀に帰るといつも会っていましたし、3人で箱根旅行をしたりもしていました。
節子の見舞いにも来てくれましたし、節子の葬儀にも来てくれました。
私もよく知っているので、たぶん、節子がいなくなった後の私への気遣いもあったのでしょう。

節子は本当にたくさんの人に支えられていたのです。
そして13年目になっても、命日を覚えていて、話題にしてくれている。
うれしいことです。

滋賀には節子が親しくしてもらっていた人も多いですが、私の友人も少なくありません。
滋賀はとてもいいところです。
今年は滋賀に行こうと思っていたのですが、いろいろあって、行けずに終わりそうです。
来年こそは行こうと思います。
節子も行きたがっていると思いますので。

■4386:心つながる友人の死(2019年9月5日)
節子
地中海の十字路といわれるシシリーは、行きたくて行けなかったところの一つです。
節子が元気だったら、次はシシリーが候補の一つでした。
結局、行けずに終わってしまいました。

最近、講談社選書メチエの一冊として「シチリアの歴史」が出版されました。
地中海関係の本は、この1年ほど、読んでいないので、つい手に取ってしまいました。
私の関心事は最初の30頁だけなのですが、おもしろくてたぶん全部読んでしまいそうです。

ところで、ローマ時代のシチリアのところを読んでいて、突然に古代ローマ史の研究者、小林雅夫さんのことを思い出しました。
そういえば、この数年、交流が途絶えています。
小林さんは、私が事務局をやっていた古代ギリシア愛好者の集まりであるパウサニアス・ジャパンでギリシアに若手研究者を派遣しようというプログラムの関係で交流が始まりました。
同じ世代であることもあり、最初からすっかり気が合ってしまい、私が事務局を辞めた後もお付き合いさせてもらいました。
小林さんは当時早稲田大学の教授でしたが、著書なども読ませてもらいました。
その飄々としたお人柄が、実に魅力的でした。

所があるときに、脳出血で入院、そのために身体や会話が少し不自由になってしまいました。
ちょうど私の知り合いの発声指導をする友人を紹介し、少し回復に向かいましたが、完治は難しく、大変ご苦労されたと思います。
奥様と一緒に、湯島にも来てくださったのですが、発声が不自由で、奥様の支援で会話ができたのを覚えています。

私自身、小林さんのことを時々思い出しながらも、連絡を取りませんでした。
深層心理的には、連絡を取るのが少し怖かったのかもしれません。

今日、ネットで消息を調べてみました。
3年前にお亡くなりになっていました。

しかし、薄情に聞こえるかもしれませんが、哀しさはありません。
小林さんとの関係は、終わったわけでもなく、これまでと全く同じように思えるからです。
そもそも亡くなる以前も、数年に一回、会うくらいでした。
ですから、いまもそのころとそう変わらないと思うからです。
それでも現世ではもう会えないではないかといわれるかもしれませんが、来世で会えるのですから、そうこだわることもありません。
一緒に暮らしていたり、頻繁に会っていたりする人の場合は違うでしょうが、一度、心を開いた人とはずっとつながっていると思っている私の場合は、死はさほど大きな意味を持っていないのです。

ちなみに小林さんとは数回お会いして雑談をしただけですが、心がつながりを確信できた人です。
そういう人は、そう多いわけではありません。
会うことが多くでも、心がつながる人はそう多くはありませんし、前にも書いたことがありますが、たった15分の立ち話で心がつながることもあります。
人の縁は不思議なものです。

小林雅夫さんのご冥福をお祈りします。
でも、小林さんは、私よりずっと幸せです。
節子にも報告しました。

■4387:畑に行ってきましたが、作業はできませんでした(2019年9月7日)
節子
畑に行けません。
想像するだに恐ろしい、のです。
ですから、ここしばらく畑に行っていません。
そのため、先日ちょっと寄ってみたら、2年前のようなひどい状況に戻ってしまっていました。

昨日は行こうと思えば行けたのですが、孫が来たりして、安きに逃げて行きませんでした。
今日も幸いに時間がなくて行けなかったのですが、夕方、不幸にも時間が少しあいてしまいました。
だいぶ迷いましたが(最近、決断力が萎えています)、思い切って出かけました。
予想以上にすごいことになっていましたが、ひまわりと百日草は野草に抗ってがんばっていました。
それで、また来るからと野菜たちに声をかけて、水をやるだけで戻ってきました。

野菜もキュウリやナスががんばっていましたが、キュウリはがんばりすぎて、巨大になっていて、普通の食用には向きそうもありません。
さてどうするか。
ナスは食べられそうです。
ミニトマトはみんな熟して落ちていました。
こらえ性がなくて、困ったものです。

問題は、メロンだと思ってタネを蒔いたものが畑中に広がっていました。
記憶では、滋賀の高月のメロンがおいしかったので、そのタネを取っておいて蒔いたはずなのですが、成っていたのはメロンではありませんでした。
遺伝子操作した記憶はないのですが、いろんなタネを一緒に瓶に入れておいたので、タネ同士の情報交換が行われたのかもしれません。

よくわからないので、青いのと茶色になったのをいろいろと収穫してきました。
ユカが調べたら、ピーナツなんとかと言う野菜のようです。
茶色が正解でした。
しかし、どうしてメロンがピーナツなんとかになってしまったのか。
困ったものです。

さて少し涼しくなったら、しっかりと畑作業を再開しなければいけません。
野草の陰にいろんな野菜もあるはずなのですが。
節子がいたら、こんなことにはなっていなかったでしょうに。

■4388:新潟の行きたくなりました(2019年9月8日)
節子
新潟の金田さんから「旅地蔵 阿賀をゆく」という記録集が送られてきました。
阿賀野川といえば、新潟水俣病ですが、最近は新潟水俣病のことを知っている人も少なくなりました。
先日のサロンで参加者にも訊いてみましたが、ほとんどの人の記憶にはありませんでした。
この記録集は、新潟水俣病の安田患者の会の旗野さんたちがまとめたものです。

数年間に新潟に行ったときに、新潟水俣病の資料館に行って、塚田さんにお話を聴きました。
塚田さんのことは前にも書いた気がしますが、水俣病のことはもちろんですが、私的なことでも心を通い合わせることができました。
以来、ずっと頭の片隅に、塚田さんはいつづけているのです。
最近、特に思い出すことが多くて、先日金田さんと電話で話したときに、塚田さんのことを話題にしました。
それを覚えていた金田さんが、この本を送ってきてくれたのです。
もっとも、この本は塚田さんとは関係なく、つくられたようです。
ますます塚田さんのことが気になりだしました。
そして、この地蔵さんにも会いたくなりました。

遠出しなくなってから1年以上経過します。
畑にさえいけない状況ではありますが、新潟にも行きたくなりました。

いやそれどころではありません。
最近、行きそこなっていたシシリーにも無性に行きたくなっています。
旅行資金を確保しなければいけません。
困ったものです。

■4389:自然の声(2019年9月9日)
節子
昨夜は台風による強風で、あまり安眠できませんでした。
幸いに被害はありませんでしたが、そもそもわが家は風が強く吹き付ける場所なので、風の音が怖いほどでした。
それに時に家自体が揺れますし。
数年前には、強風で藤棚が倒壊しましたが、今回は大丈夫でした。

昨夜は風の音を聴きながら、いろんなことを思いました。
風の音は怒りも悲鳴にも感じます。
もっと自然の声を聞いてほしいという祈りも聞こえます。
自然の中で暮らしていた昔の人は、たぶん風とも会話できていたのでしょう。
反省しなければいけません。

数日前に、万葉集サロンをやってもらっている友人から

上弦の月と木星が大接近しています?
気がついたら見てください。

と言うメールが届きました。
なんと間に合って見ることができましたが、静かで美しい月でした。
そういえば、最近ゆっくりと空を見上げることもない。
生活に余裕がないのでしょう。

気をつけなくてはいけません。
今まで静かだった風が、短く大きな声をあげました。
私の反省に応えてくれたのかもしれません。
一声だけで、また静かになりました。

■4390:知識は人を幸せにするとは限りません(2019年9月11日)
節子
昨日は胃がん手術をした友人のお見舞いに行ってきました。
といっても、お見舞いと言うよりも、彼の顔を見に行っただけですが。
昨日が定期検査日だったの電話をしたら、話題のオブジェ-ボ治療に入ることも検討され出したというので、気になって出かけました。
彼は相談相手がいないので、雑談相手になるだけでもいいだろうと思ったのです。

節子のことを体験しているので、少しだけ様子が理解できるのですが、様子が少しわかっているだけに放っては置けない気がするのです。

ところが、彼と話している時に、メールが飛び込んできて、やはり最近、がんが発見された人のことでちょっと気になる連絡がありました。

そんなこんなで、昨日はいささか気の重い1日でした。

いろんなことがわかることは良いことばかりではありません。
知識は、人を幸せにするとは限りません。
それに、知ってしまうと放っておくことはできません。

昨日は異常な暑さでしたが、今日は涼しくなりました。
静かな1日になるといいのですが。

■4391:みんないい人(2019年9月11日)
節子
昨日は湯島で、友人が取り組んでいる「絆の会」の話を聴く集まりがありました。
私も前半参加しましたが、それが始まる前に、ある人のことが話題になりました。
私が、あの人はとてもいい人だといったら、ある人が「佐藤さんは誰のことも「いい人」だというんですよ」と言うのです。
いささか心外で反論しようとしたら、そこに言わせたみんなが「そうだ」と同意したのです。
しかも、ある人は、「そのいい人に時々佐藤さんは被害を受けている」というのです。
要するに、私の言う「いい人」はあんまり意味がないというわけです。
それで、結局、佐藤さんがいい人なんだよと言うことになったのです。
いささかバカにされた感じもしましたが、私が「いい人」であれば、私は満足です。
正確に言えば、私でさえ「いい人」なのだから、みんな「いい人」と言えるでしょう。

それに、その人は、だから湯島にはみんなが集まるのだと言ってくれました。
それでついついうれしくなって、反論はやめました。
要するに、私は「いい人に」に囲まれているというわけです。
でも例外は、私にもあるのですが。

そういえば、こういう会話は娘ともよくしますし、節子ともよくしていました。
娘からは、最近は、その「いい人」になんでお金を取られたのかと詰問されます。
「悪い人」もいるよね、と迷惑をかけた娘から言われると返す言葉もありません。
しかし、黙っているわけにはいかずに、「悪いことをする人はいるが悪い人はいない」と付け加えますが、娘からはいつもスルーされてしまいます。

トラブルや被害は、いまも起こっています。
しかし、こうした私の生き方は多分変わらないでしょう。
困ったものです。

宝くじが当たるといいのですが。

■4392:だまされる役割(2019年9月12日)
節子
実は、2日前に久しぶりに節子が夢に登場しました。
久しぶりの節子だったので、とてもうれしかったのですが、何故かとても疲れている感じでした。
いつもとどこか違っていた。
目覚めたあとも、ずっと気になっていて、挽歌が書けなかったのです。
9月10日の挽歌が抜けているのはそのためです。

節子は、もう少し夢に出てきてもいいと思うのですが、なかなか出てきません。
しかし、夢で節子に会った時には、しばらくはとても幸せな気分に浸れます。
まさに、得も言われぬ幸せ感なのです。
しかし、夢に出てくることはめったにありません。
困ったものです。

その節子がせっかく夢に登場し、しかもいつものような「気配」ではなく、節子そのものの登場でしたが、その節子が疲れてしまっていて、あまり話もしないのです。
最近、いささか疲れ気味の私のような感じです。
だから目覚めてからも、あれはなんだったのだろうかと悩んでしまったわけです。

節子は、何を伝えたかったのか。
私を呼び寄せたかったのか。
節子の夢を見た後の、至福感はありますが、同時に不安感も残ってしまった。

ふと今日思ったのですが、節子はもしかしたら、あまりにも同じ間違いを重ねている私に注意しに来たのかもしれません。
一昨日も集まりの前の雑談で、私はみんなに騙されやすいからといわれました。
騙すよりも騙されるのがいいというのは私の昔からの信条です。
そのせいか、繰り返し繰り返し、だまされる。
騙されるのは、私にとっては何でもないのですが、しかし今度こそはと思って、信頼したのに、やはりその信頼が裏切られてしまう。
それは、けっこうさびしいことです。
でも他者にはそれが見えていて、心配してくれているようです。

昨日もまた、全面的に信頼した人から信じがたいメールが届きました。
人を信じすぎるから、と節子からも言われていましたが、ついふらふらと信じてしまう。
そういう自分に、最近は少し愛想をつかしたくなっています。
しかしそれを直すのは難しい。

だとしたら、やはり世間から縁を切るのがいい。
それができたらどんなに心やすまるでしょうか。
しかし、だますにはだまさなければいけない事情もあるのでしょう。
だとしたら、だまされる存在も必要でしょう。

問題は精神的に、経済的に、持ちこたえられるかどうかです。
胃が痛いです。
いや心が痛い。

節子が、もういいからこちらに来たらと、救いに来たのかもしれません。
困ったものです。
節子こそ、こちらに来たらいいのに、と心底思います。

■4393:便利な社会の脆弱さ(2019年9月13日)
節子
先日の台風は、我孫子はさほどひどくはなく、わが家はほとんど被害はありませんでした。
しかし、房総方面は強風がすごかったようで、電柱倒壊などで今もまだかなり広域で停電が続いています。
昨日あたりからその実状がテレビで報道され出しています。
そのため、昨日から心配して電話してくれる人が増えてきています。
そのことに感謝します。
いろんな人たちのあたたかな気遣いの中で、私は生きているわけです。

今日も、なんと福井の東尋坊の茂さんからも電話がありました。
千葉と言っても、北西部に位置するわが家のあたりは、停電もなく、雨風の被害もさほどではなかったのですが、遠方の人には、「千葉」といえば、このあたりも含めて、千葉なのでしょう。
いろんな人が心配してくれるので、このあたりは大丈夫でしたとフェイスブックに書き込みました。

しかし、房総方面の被害は甚大です。
いまもまだ停電が続き、倒壊した電柱で道路が遮断され、水も出なくなってしまっている地域がまだかなりあるようです。
停電でエアコンが使えなくなったための熱中症の死者も出ています。
便利な社会は、一転して、生きるのさえ困難な状況へと急転することがあることを改めて思い知らされました。
便利さに慣れることの恐ろしさを忘れてはいけません。

私と節子がシェアしていたことの一つは、便利さへの依存への懸念でした。
頭で考えたことではなく、私たちには生理的に、便利さへの不信感がありました。
節子ときちんと話し合ったことはありませんが、そんな気がします。
しかし、いまの私がそうであるように、加齢とともに、機械に依存する傾向は強まりますので、節子がもし今も元気だったら、どうなっていたかはわかりません。
それに、わが家に自動車を持ち込んだのは節子ですし、食器洗浄機を導入したのも節子でした。
節子にも私にも、そうした矛盾する性癖がありました。
もっとも、節子は食器洗浄機をほとんど使用せず、娘たちもその文化を継承しています。

私は、普段は生活力がほとんどありませんが、いざとなったらたぶん生き延びられるタイプです。
いささかそれを過信しているところがありますが、生きる工夫をすることに関しては、まあそれなりに考えられる素地はあります。
ただ、節子がいない状況では、果たして私のそうした本分が発揮できるかどうかは、いささかの不安はあります。

節子がいたら、どんな状況になっても、生きつづけられたでしょう。
おそらく、節子も同じように、思っていた。
その片割れが不在となった時、どうなるか。

話がおかしな方向に来てしまいました。
いずれにしろ、台風の被害も少なく、便利さに裏切られることもなく、ほどほどの便利さを享受しながら、基本的にはたくさんの人に支えながら、今日もまたいい1日でした。

未だ停電しているところが一刻も早く復旧するように、祈りたいです。

■4394:昔の仲間との会食(2019年9月13日)
節子
東レでの最後の仕事、と言うか、その仕事で私の人生を変えることになるCIプロジェクトを始めた最初のメンバーの渕野さんと坂上さんと3人で食事をしました。
渕野さんの呼びかけです。
渕野さんとはよく会っていますが、坂上さんと会うのは本当に久しぶりです。
2人もわが家にも来たことがありますので、節子も知っています。

東レのCIプロジェクトは、私がボスに提案して、取り組ませてもらったプロジェクトです。
ボスから車内からメンバーを選んでいいというので、最初に選んだのが渕野さんです。
当時、社長提案が行われていて、それを読んだうえで、彼に声をかけました。
それまで彼とは面識がありませんでした。
会社を辞めてもいいくらいの気持ちで取り組みたいが、それでもいいかと伝えて参加してもらいました。
このプロジェクトは、私だけではなく、彼の人生も変えたかもしれません。

プロジェクト立ち上げに際して、2人で、東レの全工場をまわりましたが、その体験はかなり強烈でした。
坂上さんは、事務スタッフが必要だと言って採用してもらいました。
まだ在学中からアルバイトで来てもらいましたが、大活躍してもらいました。
その後、メンバーは増えましたが、立ち上げ時期の2人には特別の親近感があります。

渕野さんは大病を患ったこともあって、現世でできるだけ会っておこうという意識が強く、湯島によく来るのも、私を気遣ってのことなのです。
たしかに、この歳になるといつ突然に旅立つかもしれません。
しかし、私の場合は、死ぬ日の1週間前に友人たちには連絡する予定なので、そんな心配はないと伝えました。
それに、来世もあるから、現世にこだわることはないとも言いました。

そこから、もうすでに私は彼岸に行っているのかもしれないというような話になり、その直後に写真を撮ってもらったら、何やら私だけが天上から降りてきたような神々しい写真になってしまいました。
やはり私は、もう彼岸に行っているのかもしれません。
実に困ったものです。

しかし、あの坂上さんがもう50代の半ば過ぎ。
時の流れを感じます。
しかし、2人も本性は全く変わっていない。
久しぶりなのに、それを感じない2時間半でした。

■4395:バカに悪い人はいない(2019年9月15日)
節子
武田さんと久しぶりに、といっても、2か月ぶりくらいですが、2人でゆっくりと食事をしました。
武田さんと会う時には、彼がいまのところ経済的な富者ですので、私は彼のお布施を受けてやる役割で、偉そうな態度で、いつもご馳走になっています。


お互いに、この現世にはそう長くはいないでしょう。
武田さんは間違いなく自分が先に逝くと思っていますが、そうとは限りません。
その残り少ない人生で、武田さんは少し生き方を変えようと思いだしています。
ライフワークだった直接民主主義研究とその普及のリンカーンクラブを、いよいよ実践活動に向かわせようと考えています。
私は、これまで彼の趣味活動のリンカーンクラブの事務局長を2回勤めましたが、実践の取り組みに関して意見の食い違いがあり、2回とも「罷免」されています。
困ったものです。

でもまあ、武田さんが実践に少しでも向かうのであれば、荷担しなければいけません。
それで、改めてリンカーンクラブ研究会をはじめ、そこから緩やかな実践の芽を育てることにささやかに関わることにしました。
そこで、武田さんの意向を再確認しようと思ったのですが、まあそんな話は数分で終わり、あとは人生論のような話になってしまいました。

節子も、武田さんのことはよく知っていますが、武田さんも節子のことをよく知っています。
だから会話にも節子がよく出てくるのです。
しかも、呼び捨てで。

武田さんも仕事をやめて年金暮らしになると、年金額は私よりも少なくなるかもしれません。
布施関係は逆転するかもしれません。
しかし、武田さんの場合は、奥さんがしっかりしていますので、年金は道楽消費にすべて向かいかねません。
まあ私が武田さんにご馳走することはないでしょう。
来世はわかりませんが。

やはり経済観念は女性の方がしっかりしています。
節子でさえ、私よりもしっかりしていましたから。

武田さんとは生き方や価値観は大きく違いますが、絶対に嘘をつかないので話していても気がやすまります。
それに私と同じ程度のバカなのです。
武田さんはいつも私のことを、頭はいいけれどバカだと言っていますが、自分のかなりのバカなのです。
ここだけの話ですが。
そういえば、節子もかなりのバカでした。
そして、バカに悪い人はいないのです。

■4396:心配事や悩み事こそが生きる証(2019年9月16日)
節子
熟睡できない夜が続いています。
暑さのせいではありません。
理由はよくわからないのですが、最近、精神的なすっきり感がないのです。
心配事もありますし、迷い事もある。
つまり煩悩に埋もれているということです。
そこから抜けるのは簡単ではありません。
もし自分のことだけを考える生き方であれば、簡単かもしれませんが、そういう生き方になれないのは、私が生きているからです。
人は一人で生きてはいないですし、心配事や悩み事こそが生きる証ともいえます。

熟睡できない夜は、夢をよく見ます。
不思議なのは、夢で新しい人に出会うことです。
昨日も、夢の中で名刺交換しに来た人がいました。
教育に関わる仕事をしている人でした。
もちろん現世では会ったことがありません。

現世の話に戻せば、大きな心配事もありますが、小さな心配事もあります。
昨日は、今日の湯島でのサロンのための道具が使えないことが判明して、その道具探しに汗をかいていました。
湯島のパソコンが壊れているのですが、明日のサロンではパソコンを使うことになったのです。
娘からノートパソコンを借りてきたり、電気屋さんにコネクターを買いに行ったり、参加者にお願いしてパソコンを持ってきたり、いろいろとやってみました。
コネクターはお店になく、借りたパソコンには必要なソフトプログラムが入っていなかったり、まだ解決していません。
他者にあまりの迷惑をかけたくないので、仕事に行く前に朝早く届けるという解決策の提案をしてきてくれた人の方策は辞退しました。
その人が朝苦手なのを知っているからです。
その結果が、今朝もまだ完全には解決していません。
まあ割り切れば、これもまた、解決は簡単なのです。
映像なしのサロンにすればいいだけのことです。

悩み事をなくすのは、簡単なことです。
悩みをもたらす根幹を断てばいい。
しかし、それでは生きる豊かさも失われてしまう。

昨日のもう一つの夢は、水害の被災地で、復興に取り組む人たちを、なぜかそこに隣接する高層ホテルから見下ろしている夢でした。
ホテルは何かの講演会で、しかも私も講演者の一人でした。
主催者は、資産家で、資産家の父娘が私を接待していましたが、なぜか閉まっていた窓が開いて、ベランダに出てみたら、眼下にその光景が見えたのです。
そこで思ったことは、外部から遮断された高層ホテルの講演会会場で談笑している人たちと被災にめげずに復興に取り組んでいる人たちと、どちらが幸せなのだろうかと言うことです。

ほかにもまだ暗示はいろいろとあったのですが、そこで目が覚めました。
眠れぬ夜から気づかされることはすくなくありません。
救いは、資産家の若い娘の純粋なまなざしでした。

■4397:先祖の名前(2019年9月16日)
節子
今日の「お先祖様の見える化のサロンは、無事、パソコンも動き、うまくいきました。
いろいろと大変でしたが。

サロンの報告は時評編で書きますが、「いのちの積み木」ファシリテーターの篠田雅央さんの話はいつもいろんな示唆を与えてくれます。
今回は、お先祖シートに沿って、自分の両親の名前を書き入れ、皿の祖の両親の両親の名前を書き込み、そうやってどれほど昔にさかのぼれるかを確認しました。
私の場合は、両親の両親で止まってしまいました。
しかも父方の祖父の名前が記憶にないことに気づきました。

私が実際に会ったことがある祖父母は、母方の母だけです。
後はいずれも私が生まれた時には亡くなっていました。
実際に会ってないと名前は記憶に残りません。

小学校の時に先祖探しの宿題が出ました。
その時は父方の先祖に関して調べましたが、その頃のレポートがどこかに残っているので、それを見れば、名前もわかるかもしれません。
母方に関しては、以前、母の旧姓(牧岡)と同じ人に会ったのですが、話しているうちに縁戚であることがわかり、しかもその人の親戚の人が「牧岡家の研究」と言うのをネットでアップしているのを教えてもらいました。
ですからそれを読めばかなり先まではわかるでしょう。

しかし、私にはそうしたことにはまったくと言っていいほど興味がないのです。
にもかかわらず、今回、篠田さんにお話ししてもらい、私自身、先祖の見える化に関心を持ったのは、あまりにここで情報を断絶することへの疑問からです。
私の興味とは別に、情報だけは残しておこうと思ったのです。
と同時に、現在の親戚関係でさえ、私の性癖もあって娘たちにはあまり伝えていません。
節子がいたころに、節子の親せき関係と私の親せき関係を図にしてシェアしようと話し合ったことがありますが、その頃は2人ともあんまり関心がなかったのです。
いまから思えば残念なことです。

もし死者もまだ現世でも生き続けるのであれば、どこかの現在とのつながりを残しておくのがいいでしょう。
今からでもできることを少しやっておこうと思います。

■4398:またやってしまいました(2019年9月17日)
節子
また大きなミスをしてしまいました。
ユカからも叱られました。
ちょっと怪しいネットショップにカード情報を書き込んでしまったのです。
ネットショップは簡単に注文できるので便利なのですが、とんでもなく安いパソコンの広告がフェイスブックに出ていたので、ためしに注文したのです。
そうしたらおかしな返信メールが来ました。
それで気が付いたのです。
悪用されなければいいのですが。

ユカからは、私が物事を信じすぎると言われました。
しかも繰り返し繰り返し。
困ったものです。

世の中には悪い人はいないとしても悪いことをする人はいるのはわかっているのですが、どうも疑うことが苦手なのです。
しかも疑っていても、ついうっかりミスを犯してしまうのが私のダメなところです。
この性分も治らないでしょう。

幸いと言うべきか不幸と言うべきかわかりませんが、私はほとんど預金がないので、まあ被害が起きてもさほどのことはありませんが、また引き下ろしができませんと言う連絡が来ないといいのですが。

■4399:「けなしたい意地悪さ」と「ほめたい優しさ」(2019年9月18日)
節子
今日は節子が羨むだろう話です。

数日前の敬老の日に、ジュン母娘がやってきました。
孫のにこが書いた私の似顔絵を届けに来たのです。
それが、この絵です。

私はフェイスブックには、孫のことは時々アップしてはいますが、このことは書かずにいました。
しかし、今朝、いつもあまりにも長い記事ばかりをフェイスブックにアップしているので、たまにはと思い、この似顔絵をアップしました。
「敬老の日の孫からの贈り物。いつも長い投稿なので、普通に生きていることのあかしとして、たまにはこんなのも」、と説明をつけてです。

私のFB記事はいつも長いのです。
長い記事は多分ほとんど読まれないでしょう。
それにいささかでも「政治色」や「思想」が絡んでいると、「いいね」を押す人は激減します。
ところが、この似顔絵はアップした途端に「いいね」が押されだしました。
そのうえ、こんなコメントも付きました。

「似てる(^ ^)」
「佐藤さんのジェントルな雰囲気がとっても良く表現されています!」
「絵画の腕前アッパレ然り」
「天才顕る」

おやおや!?

フェイスブックを見ていて、いつも思うのですが、人は「誰かをけなしたい意地悪さ」と「誰かをほめたい優しさ」を持っているようです。
そのバランスの中で、人は生きているのでしょう。
誰かをけなすのは気分がすっきりするかもしれませんが、しばらくしてたぶん嫌な気持ちに襲われるでしょう。
一方、誰かをほめるとずっと気分はいいでしょう。
にもかかわらず、人はhめるだけではなく、他者をけなしてしまうことがある。
不思議です。

私をほめる理由をつくってくれた孫に感謝しなければいけません。
孫に似顔絵を描いてもらえる幸せを節子にも体験させたかったです。
もらった似顔絵は節子の位牌に供えました。
まあ、節子に似顔絵だと言っても、まあそう大きくは違わないでしょうから。

■4400:終わりのはじまり(2019年9月19日)
節子
コムケアセンターを店じまいしようと思います。
といっても店じまいするお店もないのですが、意識の中でのコムケアセンター事務局長を終わらせようと思います。

そう思い立った直接の理由は、コムケアの活動の柱になっているメーリングリストのサービス提供会社がサービスをやめることになったからです。
新たなメーリングリストに移行することは可能ですが、自分で始めたものはやはり自分でしめたくなったのです。
現在、全国に750人の仲間のいるコミュニティなので寂しさはありますが、それに代わるネットコミュニティとして、CWSコモンズ村がありますので、そこに集中しようと思います。
ほかにもいくつかのネットコミュニティはありますが、徐々にすべてを整理していこうと思います。

コムケア活動は、立ち上げの当初から、この活動はみんなで育てていきたいという思いから、事務局をなくすことを目指してやってきました。
事務局がなくなってからすでに10年以上経過しますが、メーリングリストやサロンを維持し、そこからいろいろなプロジェクトや活動が生まれてきました。
現在のCWSコモンズ村のコミュニティも、そこから生まれてきました。
ですから、その母体ともいうべきコムケアセンターをなくすのはちょっと迷いがないわけではありませんが、そろそろ「終わり」をはじめなくてはいけません。

同時に、終わりに向けて新しいことも始めようと思います。
だいぶ遅くなりましたが、いよいよ第4期の始まりです。
考えていたのとはかなり違うものになってしまいそうですが。

■4401:人は感謝されると幸せになりますね(2019年9月20日)
節子
コムケア活動の終了宣言をメーリングリストで流しました。
何人かの方から、うれしいメールが届きだしました。
コムケアのおかげでいろんなことを学んだとか、コムケアから企業の応援をもらったことへの感謝とか、いろいろです。
役に立ったかどうかはともかく、そう思ってくださっている方がいるのはとてもうれしいです。

特にこの15年ほど、連絡が全くなかったから、メーリングリストはいつも読んでいるというメールが来ました。
山口の方ですが、山口で集まりをやった時にお会いして相談に乗り、ささやかに応援させてもらっただけのつながりの方です。
いまは活動も順調に発展しているようで、とてもうれしいです。

なかには、お陰様で、ここまで来させて頂きました。百万言を要しても御礼は言い尽くせません。三拝九拝しております、と書いてくれた人もいます。
こういう言葉は、人を幸せにします。

私は、人をほめるのがとても下手です。
言葉に限って言えば、むしろ否定的な言葉が多いようです。
それは私の信条にも関わっているのですが、しかしもっと「褒める」ことを身につけないといけないと改めて思いました。

いま思えば、私は節子をあまりほめたことがありません。
心底いつも感謝していましたが、感謝を言葉にしたことはあまりありません。
もちろん「ありがとう」という言葉は、日常生活ではいつも言っていましたが、特別のことばで感謝の気持ちを表わしたことはあまりありませんでした。
それに私は贈り物が苦手でしたので、誕生日のプレゼントに何かを贈った記憶がありません。
この頃、そんなことを思い出して、反省しています。
今度会ったら、謝らなければいけません。

感謝の気持ちを言葉で表す。
これからは、できるだけそう心がけようと思います。
いなくなってからもなお、節子から教えられているような気がします。

■4402:伴侶を喪った男性と女性の違い(2019年9月23日)
節子
ちょっと気を抜くと挽歌があいてしまいます。
なかなか昔のように挽歌を書くことがルーティンになりません。
思い出しながら書けば、21日は万葉集を読むサロンでした。
今回で4回目、講師は節子も知っている小学校時代の同級生の升田さんです。
彼女は昭和女子大学で古代日本文学を中心に教鞭をとっていました。

万葉集関連の本は私もそれなりに読んできましたが、なかなかぴんと来なかったのですが、升田さんの万葉集の話を聴いているうちに、そこに日本の社会が形成される起点が凝縮されるような気がしてきました。
これまであまり気にしなかったのですが、万葉仮名にそれが凝縮されているのかもしれません。
それで、図書館から岩波講座の日本語の「文字」の1巻を借りてきて、読みました。
これがまたとても面白い。
まだまだ知らないことや気づいていないことだらけです。

万葉集のサロンには、小学校時代の同級生の女性が3人、毎回ほぼ出席します。
終わった後、彼女たちはそろってうなぎやあんみつを食べに行きます。
3人とも伴侶がいないのです。
伴侶を喪った男性と女性の違いをまざまざと感じます。

彼女たちはしかも先週、山梨まで保管女性陣も誘って、小学校時代の恩師を訪問しています。
男性陣にも誘いがあり、私がみんなに声をかけたのですが、誰一人行こうといわないので、私も参加しませんでした。
ほぼ全員、病院通いです。
男性と女性の生き方の違いも、いろいろと感じます。

万葉集サロンで取り上げたのは柿本人麻呂の「近江荒都歌」です。
この歌は、壬申の乱で亡くなった人たちの魂に、人麻呂が触れて、鎮魂する内容ですが、見えない死者が話題の一つになりました。
その読み方では、升田さんと私とでは全く違っていたように思います。

■4403:(2019年9月23日)
節子
ついでに昨日の分も書いてしまいます。

昨日は孫と娘たち(長女と次女)とで、近くのショッピングモールに行きました。
節子が元気だったころにはまだありませんでしたが、近くにアリオというショッピングモールができたのです。
店内を子供たちが乗れる電車が走っていたり、この周辺では一番賑やかなショッピングモールです。

にこの母親、つまり私の娘は、買い物癖をつけさせないために、そう簡単にはものをかいません。
それに孫は卵アレルギーなので、食べるものも制約されます。
経済的にも、わが夫婦の文化の中で育ったので、質素なので、衣服も中古のお店で購入することも多いです。
私も、むやみに孫に物を買うことはありません。

昨日は、モールの中にある駄菓子屋さんで、私の長女が何か買ってやろうかといって、お店に入りました。
私は少し離れた椅子で待っていたのですが、狭いお店なのですぐ出てくるかと思ったら、一向に出てきません。
20分ほどして、3人で出てきましたが、何故かまたはいっていきました。
それからさらにまた15分ほどお店にいたような気がします。
30分以上たってから出てきましたが、買ったのは何やらおかし付の笛でした。
長女に訊いたら、「何か買いたい」と言いながら、その何かが一向に決まらずに、ほかのお店で探そうかということになったんだそうですが、お店を出たら、やはりこのお店で買うと言い出したのだそうです。
それで決まったのが、おかし付の笛。

孫に付き合うのは大変です。
疲れたので、何かおいしいものでも食べようかということになったのですが、どこもかしこも混んでいるのと孫が食べられるものが少ないこともあって、ショップ内のイトーヨーカ堂の食品売り場で、卵を使っていないソフトクリームを探して、店内の休憩用のテーブルで食べることにしました。
4人で300円。
まあそれからまたひと波乱あったのですが、それはともかく、孫にはみんな勝てません。
節子も、娘たちを育てる時に、こんな感じだったのでしょうか。

しかし、孫といると心が心底洗われます。
感謝しなければいけません。

■4404:お墓まいりに来る人はいい人ばかり(2019年9月23日)
節子
追いつきました。

今日は秋分の日。
先日、お墓をつくっている篠田さんに教えてもらったのですが、秋分の日は、ご先祖様を供養する日だと法律に明記されているそうです。
いつもは、彼岸の入りにお墓に行くようにしていましたが、今年は秋分の日、つまりお彼岸の中日にお墓に行くことにしました。
台風のせいで風が強い日でしたが、お墓にはお墓参りの人でにぎわっていました。

すれちがうたびに、出合う人とあいさつを交わすのですが、みんないい人ばかりです。
お墓参りに来る人は、みんないい人ばかりですが、それはきっとお墓参りが人の邪気を禊いでくれるのでしょう。
私ももっとお墓に来なくてはいけません。
最近、身に邪気がたまっているような気もしますので。

今月は2回目のお墓まいりですが、台風のせいもあって、かなりお墓はざつぜんとしていました。
掃除の後、お線香を供えて、般若心経をあげさせてもらいました。

最近は、お墓参りをする人も少なくなってきているとも聞きますが、わが家は幸いに、娘も孫もお墓によく来てくれます。
自宅でも毎日、仏壇に手を合わせていますし、孫もわが家に来るとまずは仏壇に手を合わせます。
ですからきっと「いい人」に育つでしょう。
節子も、見守ってくれているでしょうし。

■4405:不思議な出会い(2019年9月24日)
節子
夕方、テレビを観ていたら、東尋坊で見回り活動をしている茂さんが登場していました。
茂さんの姿を見るとなぜか元気が出ます。
節子との最後の遠出の旅が東尋坊でした。
茂さんとの出会いも、私の人生を変えたものの一つでした。

人生はちょっとしたことで大きく変わることがあります。
私と節子の出会いは、京都に向かう電車の中でした。
あの出会いがなければ、たぶん、私と節子が一緒に暮らすことはなかったでしょう。
その日を私は正確には覚えていませんが、節子はきっと日記に書いていることでしょう。
節子の日記は私の手元にありますから、探せば出てくるかもしれません。
あの日、節子はどういう気持ちだったのか。
ちょっと興味はあります。

いま思い出せば、あの日は夢のような、ドラマのような日でした。
もしかしたら、私たちにとっての「最良の日」だったかもしれません。
2人で夕方まで奈良を歩きました。
それまでは付き合ったこともなかったのに、どうしてあんなに心を開け合えたのでしょうか。
考えてみたら不思議です。

そういう不思議な出会いは時々あります。
東尋坊での茂さんとの出会いもそうでした。

最近、不思議な出会いはあったでしょうか。
あったような気もしますが、そこから物語を育てるところにはなかなかいきません。
私の生命力が弱くなってきているからでしょうか。

実は最近、ちょっとそうした流れに変化が起きてきているような気がしています。
また、生命力が寄り集まりだした。
そんな気がしてきています。

■4406:いのちの素(2019年9月25日)
節子
メダカが元気で育っています。
昨年までは、メダカがいつも突然に死んでしまっていたのですが。

現在のメダカは、すべて坂谷さんからもらったメダカです。
魚屋さんから買ってきたメダカは次々と死んでしまうので、一時はあきらめていたのですが、坂谷さんからのメダカは元気に育ち、そのうえ、子供も産んでくれたのです。
一番小さなメダカは水槽を別にしていますが、順調に育っています。

植物では、これも繰り返し挿し木してダメになっていたイチジクが元気です。
もともとわが家から群馬にまで行っていたイチジクの木を育ててくれたのをもらって、植えたのですが、それが今年の春に枯れてしまいました。
これもほぼ諦めていたのですが、ジュンが持ってきてくれたのと姪がくれたイチジクが、今度はいずれも元気です。

この2か月くらい、わが家に「いのちの素」が戻って来たのではないかと思えるほどです。
そういえば、遅れていた曼珠沙華が咲き出しました。
残念ながら庭の花は手入れ不足であまりにぎやかではないですが、みんな元気です。
ただし、華やかさはあまりありません。
昨年はあんなに咲き誇っていた琉球朝顔も、枝や葉っぱは広がっていますが、何故か花はあまり咲きません。

華やかさがないのは少しさびしいですが、庭もまた生気で満ち満ちている感じです。
戻ってきてくれた「いのちの素」を大事にしなければいけません。
さて明日は思い切って、庭の池の掃除をしようかと思います。
大きなガマガエルが出てくる恐れもあって、いささか気は重いのですが、また「いのちの素」に見放されないようにしないといけません。

■4407:生と死は生命の両面(2019年9月26日)
節子
今日はがんばって庭の整理を始めました。
ところが、何かに腕を刺されてしまい、いたくて仕方がありません。
自然と立ち向かうということは、たぶん誰かを害しているのでしょう。
その生命が、自衛のために私を攻撃したのでしょう。
いや、攻撃というよりも、その生命にとっては、それが自然の行動だったに違いありません。
まさに、生と死は同時に存在する生命の両面です。
畑作業をやっていると、そのことがよくわかります。

人はみな、だれか(人間とは限りません)の死に支えられて生きている。
そのことが実感できれば、生の捉え方が違ってくるでしょう。
「生きる意味」などという問いもでてはこないはずです。
自らの「いのち」を勝手に終わらせることなど考えもしなくなるでしょう。
そんな気がします。

ところで、いまわが家には生命が集まっているようなので、イチジクと歯医者さんからもらった観葉植物を植え替えました。
まあ今の儘でもいいのですが、いずれも鉢が小さいので、大きな鉢に植え替えました。
節子と違い、植え替えがうまくないので、それでだめにしたこともありますので、今回は慎重にやりました。
さてうまくいくといいのですが。
うまくいったらイチジクは来春には地植えします。

池の掃除までには行けませんでした。
午前中出かけていたので、始める時間が遅れたのとちょっと疲れました。
最近は疲れやすいのが問題です。

今日は娘の誕生日だったので、ケーキをご馳走になりました。
すっかり忘れていました。
困ったものです。

■4408:遅れましたが、今年も彼岸花が咲きました(2019年9月27日)
節子
お彼岸には間に合いませんでしたが、今年も庭のお彼岸花が咲いています。
だんだん咲く場所が増えていて、今年は4か所で咲いています。

花が咲くのが遅れたのはわが家だけではないようです。
夏の猛暑のせいでどこも開花が1週間くらい遅れているようです。

お彼岸花は、節子がいる時のわが家には咲くことがなかった花です。
彼岸花がわが家の庭に咲いているのは、前も書きましたが、節子の抗癌治療とつながっています。
ですから、この花が咲くのは当初あまりうれしくはなかったのですが、いまはむしろ節子を思い出す契機を与えてくれるものの一つになりました。
それで最近は仏壇にもお供えするようになりました。

しかし、お彼岸花は見れば見るほど不思議な花です。

■4409:仏壇がまた花でにぎわっています(2019年9月28日)
節子
今年もまた、ユカの友人が節子への献花に来てくれました。
節子が逝ってしまってから、毎年欠かさずに命日前後に来てくれます。
こういうこともたぶんめずらしいでしょう。
なぜか節子は花を引き付ける。

節子の滋賀の旧友も毎年、命日に花を送ってきてくれました。
ただこれはいかにも「仏花」という感じだったので、いつも重いものを感じてしまい、昨年、失礼とは思いましたが思い切って辞退させてもらいました。
近くの人が、これも毎年お盆に花を届けてくれます。
節子がたぶん一度だけ行ったささやかなことに感謝してくれているのです。
その花は、毎年、節子好みのあったかなブーケなので位牌の前に飾らせてもらっていますが、13回忌も終わったので、今年を最後にして辞退させてもらおうと思っています。

お花をもらうのはとてもうれしいことです。
しかし、それが仏花や供花になると、いささか複雑な思いも生じます。
それに、13年もたっているのに、花を毎年いただくのも贈る方も頂く方も、当然とは言えない要素もあります。
だと言って、やめることもできない。
微妙な問題です。
13回忌を迎えた今年がお互いにやめる好機かもしれません。
供養も、たとえば33回忌で切をつける(弔い上げ)と言われているように、未来永劫のものではありません。

もっとも、愛する者を喪った当事者にとっては、弔い上げというような気持ちは起こりませんし、そもそも弔うという意識もありません。
そもそも「供養」というような発想さえないのが自然です。
なぜなら、いつも一緒にいるという感覚があるからです。
私も一応、命日などを意識してはいますが、正直に言えば、あんまりそういう感覚はないのです。

今日の仏壇は花でにぎわっています。
私が、畑からとってきた百日草も庭の彼岸花も参加しています。

■4410:鈴木さんがまた巡礼に旅立ちます(2019年9月29日)
節子
鈴木さんが明日からまたサンティアゴ巡礼に旅立ちます。
それで、私に祝福を受けたいとやってきました。
鈴木さんの場合は、旅の安全などを祈る必要はありません。
ましてや祝福は、私が受けるとしても与えることなどできません。
彼はもはや「聖人」ですから。
そして、巡礼の旅で大きな「いのち」をたくさん集めて帰ってくる。
帰国後は、あまりにその「いのち」重さにどっと疲れが出てしまい、歩けなくなることが多いようですが。

「餞別」にいつも持ってきてくれる鈴木さんの大好きな大福を持ってきてくれました。
節子に供えさせてもらいました。
この大福は売り切れて買えないこともある人気の大福です。

鈴木さんのサンティアゴ巡礼は、今回はポルトガルを歩くそうです。
ポルトガルもスペインも、私は行きたかったのに行けなかったところです。
たぶん土地の記憶が素晴らしいところでしょう。
戻ってきたときに話を聴くのが楽しみです。

鈴木さんがポルトガルを歩いている間に、私も前回、挫折した相馬巡礼の後半40キロを歩こうと思います。
今度はきちんと地図を持って。
もちろんサンダルで歩きます。

■4411:那須の旅2019(2019年9月30日)
節子
今年もまた、上田さんが那須に呼んでくれました。
同行者も昨年と同じ、高等遊民会議のメンバーたちです。

行きは上田さんの車で高速を使わずに4時間かけてのんびりと行きました。
上田さんとの2人の4時間は、いつもながらとてもいい時間でした。
那須でほかのメンバーたちと出合い、そこから食材を買いこんで、上田さんの別荘へ行きました。
上田さんの別荘はかなり高いところになり、寒さを気にしていましたが、下は季節外れの暑さで、別荘のあるところは快適でした。
住所不定の井口さんのグーダドラムの演奏が心を開いてくれました。
グーダドラムは私でも楽しめそうなのですが、ちょっと高そうなので、いまの私には買えないでしょう。

少し休んでから、温泉に行くことになり、今回は前回行かなかった板室温泉に向かいました。
途中、乙女の滝を経由、ここも霊感豊かなところでした。
それから壊れたようなつり橋を渡ったりして、温泉に行きました。
これで、那須・塩原、板室と一応すべてを体験しました。

夕食は遊民の一人の井口さんがほとんど一人で野菜を中心とした調理を次々と出してくれます。
私を含めて、ほかの4人は暖炉の前で話していると、どんどんと料理が出てきます。
それがまた美しくておいしいのです。
食べながら話しながら食べながら、時がついたら0時を過ぎていました。
しかもその話の内容がそれなりに衝撃的な自己告白的内容で、とりわけある話題は衝撃的でした。

結婚や家族も話題になり、ついつい節子との出会いの話もしてしまいました。
節子は聞いていたかもしれませんね。

久しぶりに熟睡しました。

■4412:狸に化かされた気がします(2019年10月1日)
節子
那須の2日目はちょっと不思議なことから始まりました。
詳しくは時評編の無駄話に書きましたが、朝、別荘近くに荒れ果てたホーンテッドマンションがあるというので、一人に見に行きました。
敷地内に入ってはいけないと言われていましたが、自然と入り込んでしまい、上を見上げたら2階の片隅の部屋に明かりがついていました。
もう少しよく見ようと見える場所を探していたら、下の道を誰かがやってくる足音が聞こえました。
不法侵入なので隠れるわけにもいかず、家を離れて道の方に行ったのですが、それは高等遊民仲間でした。
それにまつわる経緯は時評編に書きましたのでここでは繰り返しませんが、あれは幽界からの誘いだったのではないかと思います。

さらにその後も同じようなことが起こったのです。
ゆったりと贅沢な朝食を済ませたあと、上田さんの誘いで那須岳に行くことになりました。
ところが遊民の一人が、どうしてもロープウェイには乗らないと言い出しました。
それで下から茶臼を眺めて、それからまた温泉に行くことにしました。
上田さんがきちんといつも調べておいてくれるのですが、そこではなくもっとワイルドなところに行こうということになりました。
私は観光旅館的な温泉はあまり好きではありませんので、即座に賛成。

これもなんとなく上田さんの計らいのような気もしますが、その温泉の近くに、道からはそれとは分からない温泉があるというのです。
古い旅館ですが、開いているかどうかわからないほど傷んだ旅館です。
しかも、玄関先には、パンクして汚れた自動車と屋根が半分へこんでしまっている自動車が止まっていました。
旅館の前に川があり、そこに橋がかかっていますが、その橋もどうみても壊れっぱなしで、最近誰かが歩いた形跡はありません。
歩くのも心配のような橋です。
入るのを躊躇していたら、突然、人が出てきて誘導してくれました。
料金がいささか高かったので、上田さんは一瞬躊躇しましたが、お化け屋敷のような感じがみんな気に入ってしまいました。

そして入浴。
建物の中に温泉がありましたが、外にも露天風呂がいくつかありました。
建物の中野温泉は暑かったですが、どう見ても廃墟の中の温泉でした。
外の温泉はぬるくて、雨水のようでした。
ぬるいだけではありません。
屋根は半分壊れていますし、葉っぱなどで汚れています。
どう考えても廃墟になった温泉を狸が化かして人間を呼び入れたという感じです。
その環境でも一番良かった温泉の写真をアップしておきますが、私でさえも入浴できなかった温泉もありました。
どう考えても狸に騙された気がします。

帰りは私だけ電車で帰りました。
それも普通の電車なので、行きと同じく4時間かかりました。

上田さんは不思議な人です。
同行した遊民たちはさらに不思議な人です。
しかし、久しぶりに人間を感じながら2日間過ごせました。
上田さんには感謝です。

■4413:幽界からの誘い(2019年10月2日)
節子
那須での2日間は、いささか不思議な2日間でした。
翌日になっても気になることも多く、要するにあの2日間は幽界をさまよっていたのではないかという確信を得ました。
そういえば、その時は気が付きませんでしたが、帰りの電車の中で武田さんからのメールや留守電が入っているのに気が付きました。
「連絡がないけれど死んではいないでしょうね」という連絡です。
たかが1日、2日で大げさな内容です。
もしかしたら1日、2日ではなくて、現世ではかなり長い時間がたっていたのかもしれないというような気にもなりましたが、そうした浦島太郎現象は起きませんでした。

しかし節子も知っているように、武田さんは臨死体験もあり、いまも死のすぐ近くにいますから、何かを感じたのかもしれません。
もちろん武田さん本人は自覚はしていないでしょうが。
その反動で長い電話が、それも2回もありました。
現世の話は退屈でしたが。

幽界との接触という意味では、節子がいなくなってから何回もありました。
というよりも、節子を見送った後の数年は、幽界と顕界を往来していたような気さえあります。
いまでも記憶に残っているのは、媼と男女の童の3人に、東京と大阪で会ったことです。
ほとんど同じ服装で、踊りを踊っているような雰囲気でした。
東京で見かけたのは湯島の実盛坂の上でした。
大阪はどこか全く思い出せません。

あの頃、その気になれば、幽界に入って戻ってこられなくなっていたかもしれません。
いずれにしろ、節子がいなくなってから数年の間の記憶がとてもあいまいで時間軸さえおかしいのです。
それを思い出すと、もしかしたら今いるのは顕界ではなく、幽界かもしれません。
冷静に考えるといまの生活はあまり論理的ではないことも少なくありません。
夢の中ほどではありませんが、どこかにおかしさを感ずることがあるのです。
いまもなお時に不思議なことが起こるからです。

那須の幽界体験からなかなか離脱できません。
困ったものです。

■4414:安楽死(2019年10月3日)
節子
相変わらず不思議な気持ちでの時間を過ごしています。
それに最近は、私ではありませんが、周辺に死の気配がかなり色濃くあります。
死は決して見えない世界の話ではないのです。

昨日もまた遺産を預けたいという電話がありましたが、預けられても困ります。
お金ほど人にとっては有害なものはありません。
かくいう私でも、お金にはおそらく目がくらむでしょう。
丁寧に辞退しましたが、当人も困っているかもしれません。
お金はないのもありすぎるのも困ります。

突然死の可能性を医師から宣告されている友人もいます。
入退院を繰り返している友人もいる。
医師からあと1か月と宣告されている知人もいます。
すでに医師からは何回も見放されながらも奇跡的に生きている友人もいます。
私自身の年齢のせいなのでしょうが、周辺にはそうした話題には事欠きません。

しかし若者の安楽死となると衝撃的な話題です。
私の若い友人が、いま女性と付き合いだしているそうなのですが、2人をつなげているのは、最後は一緒に安楽死で人生を終えようという合意なのだそうです。
これだけでは、ロマンティックなラブストリーに聞こえますが、よくよく聞いてみるとどうもそうでもないのです。
2人とも生きることにそう未練を持っていないようで、安楽死も日本で難しければスイスに行ってもというような考えで、そんな先を考えているわけではないというのです。
その話を聴いた時にはショックでした。
なぜこんな自由で幸せそうな若者がそんなことを考えるのか。
節子が一生懸命に生きようとしているまさにその時に、ある友人からいま自殺しようとしていると電話があった時のことを思い出します。
ちなみの祖の若者は自殺は思いとどまった今も元気です。

安楽死は私には共感できません。
しかしつい先日にも安楽死の話をききました。
私と同世代の女性から、安楽死を日本でも認められるような活動をしているので協力してくれないかといわれたのです。
即座にお断りしましたので、なぜ彼女がそういう活動をしているのか聞けませんでした。
まさかその直後に、安楽死したという若者に会うとは思ってもいませんでした。
今度会ったら聞いてみようと思いますが、安楽死は決して一部の人だけの関心事ではないようです。

節子は、さほど苦しむことなく最期を迎えましたので、安楽死などは想像したこともありませんでしたが、もし節子が苦しい数日を過ごしたのであれば私の意見も変わっていたかもしれません。
これまでは「安楽死」は、私には論外の課題でしたが、少し考えてみようと思いだしています。

死に関する本も何冊か読みましたが、私にはどれも退屈でした。
いま、死の気配を感ずるようになると、私よりも若い世代の書いた死の話は現実性を全く感じません。
自然に任せれば、死とは本来、安楽なのではないかと思いだしています。
ですから「安楽死」を望むことは、生き続けることを望むことなのです。
「安楽死」願望の若者とはいつかゆっくり話したい気分です。

■4415:朝のさびしさ(2019年10月4日)
節子
朝起きたときに、節子がいないのが、私がどうもすっきりしないことの理由なのかもしれないと今朝気づきました。
先日、那須に行ったときには、節子はいなかったけれども朝目覚めたときに、一緒に一日を過ごす仲間がいたので、目覚めがよかったのかもしれません。
自宅での朝も、同居している娘がいるのですが、娘はやはりちょっと違う存在です。
それに自宅には節子がいるはずなのに、姿も見えず声のやり取りもできない。
自宅には、やはり伴侶がいないと何かが欠けている気分で、ともかくさびしい。
外出先の朝は、節子は自宅にいると思えるのでさびしさはないのです。

自宅での私の朝は、仏壇に水を供え、節子に挨拶してから灯明をつけて線香をあげて、般若心経を唱えるところから始まります。
それまでの時間が、いつもどうもモヤモヤした不安感があるのです。
その朝のお勤めが終われば、寂しさも消えて動き出せるのですが。

朝のさびしさは節子がいなくなってからずっと変わることはありません。
伴侶を喪って10年もたてば、気持ちは変わるだろうと思う人もいるでしょうが、気持ちが変われる人はたぶん1〜2年で変われるのでしょう。
逆に1〜2年で変われなければ、たぶんもう変われない。
私の小学校の時の同級生は、夫を亡くしてもう20年ですが、今もって全く気持ちは変わらないそうです。
時が止まってしまった。
私も同じような気持ちです。

そうした「さびしさ」に、さらに何かが加わると、もう気力がなえてしまう。
今日はまた大きく気持ちの萎えることがありました。
試練の嵐は、なかなか吹き止みません。
困ったものです。

■4416:引き落としができないと連絡が来ました(2019年10月5日)
節子
また引き落としができないとガス会社からハガキが来ました。
預金残高には最近気を付けるようにしていますが、絶対額が不足してきたのでしょうか。
困ったものです。
しかし、ガス代金はどこから振り込んでいるのかわかりません。
どうも最近の引き落としの仕組みはわからない。
といっても、カードは2つしかありませんし、銀行口座も最近は2つしかありません。
昨年、税金を払うお金が無くなって困っていたら、忘れていた口座が出てきたことがありますが、もうそういう幸運には恵まれないでしょう。
実は今年の春に、ちょっと余分なお金を使ってしまったので(自分のためではありません)、残高が不足してしまっているのかもしれませんが、それがどの口座なのかわからないのです。
幸いに、大した金額ではないので、今回は苦労せずに振り込めますが、問題は残高不足になっている預金口座です。
節子がいたら、節子がすべてやってくれるのですが、いまはもう私がやらないといけません。
お金はほんとうにやっかいです。
早くお金がない社会にならないものでしょうか。

節子もかなり金銭感覚はおかしかったですし、家計簿さえつけられなかった。
それでも私よりはましでした。
私は経済感覚はすぐれているはずですが、お金は苦手です。
お金には本当の経済価値はないことを知っているからです。
それでもお金で困ることはあります。
料金をきちんと払わないとガスを止められてしまう。
まあ一度、体験したい気もしますが。

それで私の銀行口座をネットで調べようとしたのです、なんと65歳未満しかネットでは調べられないことがわかりました。
それでちょっとムッとしています。
高齢になるとわざわざ銀行窓口やATMなどに行くのは面倒です。
困ったものです。

しかし、今回いろいろと調べてみて、使っていないカードで年会費をとられていたり、気づかなかったことで会費を取られていたりしていることが見つかりました。
カード払いは、やはり気づかないままに支払いを毎月してしまったりしていることもあって注意しなければいけません。
やはり65歳を超えたらネットバンキングは向いていないのかもしれません。
しかし、問題は引落しできないのはガスだけではないでしょう。
それが心配です。

■4417:早朝の電話(2019年10月6日)
節子
朝の7時前に電話が鳴りました。
早朝の電話はセールスではなく、あまりよくない電話の心配があります。
やはりそうでした。
救急車で病院に搬送されたという電話でした。
幸いにその後、小康を得ましたが、娘たちは病院に行きました。
まだ気は許せませんが。

というような電話をいくつか抱えています。
まあこの歳になると仕方がないと言えば仕方がないのですが。

しかし深夜や早朝の電話はきらいです。

■4418:幸せな死(2019年10月7日)
節子
今度は深夜に電話でした。
娘の義父が亡くなりました。
病院に搬送後、一時、回復した感じでしたが、家族などみんなに会ったせいか、夜になり状況が変わったようです。
最後の孫であるにこにも会えて、笑ってくれたそうです。
家族に囲まれ、10日前までは元気に暮らしていたようですから、幸せな死だったと思います。
私も、こういう死を迎えたいと思います。

私にとっては、死は生きることの一時点でしかありません。
物理的に生きていても、会うこともないし、滅多に思い出しもしない友人知人もいますが、そういう人との違いさえ感じません。
会わなくなった人と死者との違いは、私にはほとんどありません。
ですから、「死者」に再会することさえあるわけです。
それに、死後の生も否定はしていませんので、他者の死も平常心で受け入れられます。
自らの死は、これもまたたぶん大丈夫でしょう。

ただ、一緒に日常を過ごしている家族の死にはたぶんまだ立ち向かえないでしょう。
節子の場合が、そうでした。
しかし、節子の死によって、私の死に関する考えや態度が変わったのかもしれません。
12年間、死は私の隣にずっとありましたから。

ちなみに、死にこころ乱さないためには、直接に会う機会を減らしていくことかもしれません。

死者のご冥福を祈ります。

■4419:死のイメージ(2019年10月8日)
節子
今日は抗がん治療をしている友人からの相談です。
一人暮らしのため相談は私にやってきます。
今回はオブジーボを使用するかどうか迷っているのです。
私には適切なアドバイスをする能力はありませんが、節子と一緒に抗がん治療に取り組んでいたころを思い出すと、彼の迷いや悩みがよくわかります。
いや「悩み」とか「迷い」というのとは少し違うかもしれません。
実はすでに答えを決めた上で、電話をしてくるのです。
私はただ、それを肯定すればいいわけです。
節子と一緒に考えていた頃の私も節子もそうでした。

一緒に問題を共有することが大切なのです。
それにもし結果が思わしくなかったとしても、自分だけを責めずに済みます。
私を恨めばいいのです。
ですから私は、彼と一緒に迷いながら考えるわけです。

彼は私の小学校時代の同級生ですから、お互いいつ何が起こってもおかしくありません。
もしかしたら、関係は逆転するかもしれません。
まあ今は彼ががんなので、私が相談を受ける役割を果たしているだけです。
こういう友人が、いま数名します。

私もそうですが、死が身近になると死は怖くなくなります。
ただできれば死を先に延ばしたいと思うのは自然です。
ただ苦痛に見舞われるとか生きるのが面倒だというのであればともかく、不都合もなく生きているのであれば、まあ「死を避ける」ことこそが生きる意味にもなってきます。
生きるために生きるという言い方が当てはまるかもしれません。
生きることは手段ではなく、目的なのです。
若いときにはこんなことは考えもしなかったのですが、最近はそんなことも納得できるようになりました。
生きることが少しわかってきたと言えるかもしれません。
たぶん完全にわかるのは、死の直前でしょう。
まあそれも楽しみではありますが、わかったところでどういう意味があるかはわかりません。
ただきっとそれは幸せにつながるのではないかと思っています。
ただしこれはすべて自然に死を迎えられる時の話です。
突然の事故死の場合は、まだイメージできずにいます。

■4420:激しい気象変化(2019年10月9日)
節子
家の玄関の植木に今年も赤とんぼが止まっています。
年々、赤とんぼは少なくなってきていますが、この木はどうも赤とんぼ好みのようです。
玄関の両側に同じ木があるのですが、なぜか一方の木だけです。

最近、自然が少しおかしいという話をよく聞きます。
先日も湯島のサロンで、キンモクセイが今年は香りを発していないという話がありました。
たしかにわが家のキンモクセイも沈黙したままです。
友人が太陽も付きもなぜか最近東側に偏ってきている気がするとメールしてきました。
もしそれが本当ならば、大変です。
しかし最近の異常気象続きは「異常」とは言えないような気がします。
つまり自然状況が大きく変わってきているのです。

それが工業化による二酸化炭素によるものかどうかに関しては私はかなり否定的ですし、人為活動の生であるかに関しても疑問を持っていますが、気象状況が激変しつつあることは否定しがたいと思っています。
おそらく地球そのものが、ある意味での変化の渦中にあるのでしょう。

明後日ころからまた強い台風が日本にやってきそうです。
前回の台風による被害からまだ千葉県は回復していませんが、それよりも大きな台風だと言われています。

気のせいかもしれませんが、節子がいなくなってから、気象の変化は激しくなってきたような気がします。
それが節子の不在と関係あるなどとはもちろん思っていませんが、節子がいたころはまだどこかのんびりしたところがあったようにも思えます。

明日は台風に備えて、庭の整理をしないといけません。

■4421:新米の季節(2019年10月10日)
節子
新米が届きだしました。
この季節にはいろんな人たちが新米を送ってくれます。
新米が届くとお礼の電話をします。
ところがだんだんみんな高齢のためにお米づくりを自分ではやらなくなってきています。
若い世代に代わりにつくってもらったり、あるいは購入したりして、わが家に送ってくれるのです。

台風が近づいているので、畑を見に行きました。
強風で何かが飛び立って近隣の家に迷惑をかけてはいけません。
そのついでに野菜を見たら、トマトやナスやピーマン、そしてピーナツかぼちゃが成っていました。
収穫してきましたが、最近は何の手入れにも行っていませんでした。
こうした体験を重ねると、農作物は天からの授かりものだと思えてきます。
みんなにおすそ分けしなくてはいけないという気分が自然に生まれてきます。
自分のものでもありみんなのものでもあるという、ゲルマン法理の「総有」の感覚がよくわかります。
「総有」は、正確にはちょっと違う意味でしょうが、私は同じ感覚で理解しています。
私のものであって、みんなのもの。
そういう感覚があれば、多くのものを持つことは負担でもあります。

高齢になったために、自分では米づくりできなくなった人は、いずれもちょっとさびしそうでした。
自分で汗して育てた新米だからこそ、私に食べさせたかったのでしょう。
でも誰か育てようと、贈ってきてくださった方のお気持ちはきちんとつたわってきます。
ありがたいことです。

さて私には何ができるでしょうか。

■4422:娘の義父の告別式(2019年10月11日)
節子
ジュンの連れ合いのお父さんが亡くなりました。
今日は告別式に行きました。
私よりも5歳ほど年上でしたが、見事な最後でした。
10日ほどまえに食事があまりできなくなり、病院に行って、自宅での訪問医療を受けていましたが、自然のままに、逝ったようです。
孫のにこは、亡くなる2日前にお見舞いに行きましたが、手を握って話までしたそうです。
見事な往生ぶりです。
数日、自宅で往診医に診てもらっていましたが、最後に状況が急変した時には、その往診医ではなく一度かかった病院に行きたいと言い、家族もその意向を踏まえて、結局、その翌日、病院で延命治療などすることなく逝ったそうです。
最後まで自らの意思を貫いたと言っていいでしょう。

葬儀は最初は家族関係だけを想定したようですが、生前のスキー仲間や近隣の人が集まって、結局50人くらいの葬儀になりましたが、とてもあたたかな葬儀でした。
スキー仲間が「別れのことば」を述べてくれましたが、それが心にしみるものでした。

最近、コムケア活動のなかで、友人からの提案もあって、私も葬儀に関わる方向で少し考え始めていたのですが、うまいパートナーシップが組めずに事業自体には私は直接かかわらないまま、止まっています。
そんなこともあったので、いつもとは違う目で今回の葬儀に列席させてもらいましたが、節子の時とは違い、葬儀のやりかたもとても改善されているような気がしました。
しかし、その一方で、葬儀の位置づけはあまり変わっていないように思いました。
やはり根本から考えなおす必要があります。

今回、看病、看取り、葬儀の段落などを中心になってやって来た個人の娘さんが、「死は不幸ではないと思いました」と話してくれたのが印象的でした。
この言葉は、長年冠婚葬祭に関わっている佐久間庸和さんがずっと言い続けていることです。
いろいろと考えさせられる葬儀でした。
そしてなによりも、気持ちのいい、葬儀でした。

■4423:(2019年10月12日)
節子
「非常に強い台風」が日本列島に近づいてきていて、数日前からテレビはその話題で持ちきりです、
昨日の夕方にジュンが近くのスーパーに行ったら、パン売り場は見事に空っぽだったそうです。
テレビが盛んに買いだめを煽っているからかもしれません。


午前中はまだ静かでしたが、お昼過ぎから我孫子も風が強くなってきました。
大雨警報や土砂崩れ警報、暴風警報などがすでに発令されています。
わが家は後者の2つに該当します。
すでに避難所は設置されていますが、近くの避難所はわが家よりも低いところにある手賀沼沿いなので、手賀沼の反乱の場合はわが家より条件は悪いです。
問題は強風ですが、わが家は東風も南風ももろぶつかりますんで、いささか心配です。
前回の台風の時でさえ、眠れないほどでしたから、今日は眠れそうもありません。

2階はシャッターがないので、ガラスが破れたらどうしようもありません。
養生シートで補強しておけばよかったといまになって思うのですが、すでに遅しです。
3時半に東京や神奈川、埼玉などに「特別警報」が出されました。
これはめずらしいようですが、昨今の警報やテレビ情報はいささか「脅かし」要素を感じてしまい、素直には受け取れません。
しかし気象データを見ても、今回の台風はかなり大きいことはよくわかります。

あいにく私自身が数日前から喉をやられてしまい、咳き込んで、夜も眠れませんし、今日になって少し発熱までしだしました。
本も読めず、我孫子のプロジェクトの企画も考えられない。
やることがないので、テレビの台風情報を朝からずっと見ています。

そして先ほど気づいたのですが、こうなることは数日前からわかっていたのに、どうしてみんなきちんと準備しないのかということです。
すでに自動車は水没し、水に囲まれた自宅の2階で孤立している人も出ています。
行政や住民たちがやれることはいろいろとあったはずです。
何かが、やはり間違っているとしか思えません。

自分だけで自分を守るのは限界があります。
自己責任や自衛を勧める風潮がどうも気になります。

■4424:久しぶりに風邪で完全ダウンです(2019年10月14日)
節子
台風は何事もなく通り過ぎました。
しかし、台風通過中にのどの調子が悪くなり、せきが止まらなくなりました。
翌日はサロンでしたので、やめようかと思ったのですが、台風騒動を体験した直後の今こそ、開催するべきだと思い、湯島に出ていきました。
まあ2〜3人くらいだと思っていたのですが、なんと10人集まりました。
まだまだ日本も捨てたものではありません。
話し合いも盛り上がり、なかなか終わりません。
結局、いつものように3時間を超えそうでしたが、あまりに私の体調も良くなかったので打ち切らせてもらいました。

そしてつらい思いで帰宅し、駅まで娘に迎えに来てもらい、入浴もせず、7時に就寝。
ところが発熱までしてきて眠れません。
普段なら絶対見ないだろうラグビーの試合を見てしまいました。

今朝は早く目が覚めたのですが、不調です。
せきは少し収まりましたが、熱は改善されず、思考力がないのはともかく、動きにもなれません。
節子はよく知っていますが、私が一番きらいなのは風邪の状況です。
風邪ほどつらい症状は私にはないのです。

食欲は皆無、気力なし、寝る気もしない。
困ったものです。
寒いのでかなりの厚着をして、パソコンに向かって、サロンの報告などを書きましたが、その反論が届いて、ネット論争に巻き込まれて疲れました。

夕方になりまた熱が出てきました。
もう3日も入浴していないので、これから入浴して寝ることにします。
こういう時は、節子に添い寝してほしいです。
まあ節子が現世にいたころは、添い寝してもらったことは一度もありませんが。もしかしたら今日は出てくるかもしれません。

それにしても風邪はつらいです。
ちなみに普通の風邪は無視して意志で直すのですが、心身が萎えてしまう風邪に時々かかるのです。
この歳になると風邪で死ぬこともあり得ますので、そう楽観はできません。
こんなことを書くと、また遠くから死ぬ前に会いに来ましたというような人がいないとは限らないのですので、念のために言えば、年内は死ぬ予定はありません。
ただこの数日が憂鬱なだけです。
困ったものです。

■4425:また挽歌をさぼった理由(2019年10月17日)
14日の夕方、挽歌を書いた後の夜の話です。
微熱の中で夢を見ました。
久しぶりに節子の夢です。
それも一緒にお風呂に入っている夢ですが、彼女を引き寄せようとしたとたんに目が覚めました。
久しぶりに夢に出てきた節子が、まさにお風呂とは思いませんでした。
昨日書いたブログを読んで夢に出てきてくれたのかもしれません。
そこまでは良しとして、しかし、その後が大変でした。

夢の後、また眠りに落ちてしまいました。
その後の夢が、熱のせいか、あまり好ましい夢ではありませんでした。
この世ではない世界に紛れ込んで、戻ろうとしても戻れなくなる夢です。
しかも2つの世界に迷い込んでしまいました。

最初は断崖に囲まれた海辺です。
たくさんの親子たちが楽しそうに遊んでいますが、なかには断崖を登ろうとしている人もいます。
そこに突然私が迷い込んでいたのです。
日が陰ってきたので、帰ろうと思いますが、どこにも断崖を抜けられる道はないのです。
近くにいた男性に訊いたら、知り合いに泊めてもらうしかないですよと言われましたが、泊まれるような家はありません。
ここは別の世界だと気づきました。

うなされるように目が覚めましたが、また眠ってしまいました。
今度は大きな駅にいました。この駅は改札口まで行き着くのが大変なのです。
このパターンの夢もよく見ます。
切符を買おうとしたのですが、鉄道の案内図が見たこともないものです。
なんとなく現実の交通地図につながっているようでつながっていないのです。

この種の夢も何回も見ています。
東京駅のうしろにもう一つのホームがあるという感じの夢で、中央線に乗ったら全く別の中央線だったというような話です。
それに乗るといつになっても自宅には帰れません。
明確に「彼岸行」の地下鉄に乗りかけた夢も見たことがあります。
なぜか四谷の丸ノ内線のホームに次元を超えて隣接する隠れホームだったと思います。

今度こそ目が覚めました。
そしてその3つの夢を反芻しているうちに朝が来ました。
それで風邪はさらに悪化しました。
目が覚めてからベッドの中で挽歌を頭の中でいくつか書きました。
そのせいか、数日、パソコンの挽歌を書く気がしなくなってさぼってしまいました。
そして今日、頭の中で書いた挽歌を文字にしようとしたのですが、思い出せません。
それで夢の話だけ書くことにしました。

彼岸が近づいている、という気がしてなりません。

■4426:気分がすぐれずに「から元気」で過ごした1週間(2019年10月22日)
節子
心身ともに不調です。
ひどく不調というわけではなく、何となく不調という程度ですが、なかなか復調しません。
一時は熱も出ましたが、いまは平熱ですし、どこと言ってつらいわけではありません。
しかし得も言われぬ「不調感」があるのです。
一番は、考えようという気がなかなか起きません。
先日のサロンでも余計な発言で大失策しました。
武田さんが、熱があるのだから余計なことを話すなと注意してくれましたが、まさか私が考えていたことはまったく別の話をしてしまいました。
困ったものです。

肺炎かもしれないからら医者に行けとみんなから言われていますが、それほど悪いわけではないのです。
しかし、明らかにおかしいし、咳は相変わらず出ます。

そんなこともあって、挽歌を書く気が出ずにさぼっていたら、なんとまた1週間さぼってしまう結果になってしまいました。
あっという間です。
それほど人生は、終わりに近づくと速度が速くなる。

この間、ほんもよめませんでしたが、ようやく3日ほど前から本を読めるようになりました。
しかし頭を使う本はなかなか読めない。
注文していた岩波新書の「ミシェル・フーコー」が届いたので、読み出しましたが、入門書なのに全く読み進めないのです。
それがようやく読めるようになってきた。
昨日は、本田さんに薦められていた「維新正観」も読めました。

ようやくスランプから脱せられそうです。
しかし、この1週間は、いささか厳しい1週間でした。
気がないと、どんどん気が奪い去られるようです。
今度こそ反転しなければ、いけません。
今日は無理をせずに、明日から、心機一転を目指します。

なんだか、最近、こんな状況の繰り返しのような気がします。
どうなっているのでしょうか。

■4427:久しぶりに見た空の深さ(2019年10月22日)
節子
台風が通過した翌朝、手賀沼公園に行きました。
手賀沼の水が気になっていたのですが、幸いにさほど水位は上がっていらず、どこもあふれた様子はありませんでした。
風はまだ少しありましたが、湖水でヨットの模型をリモコンで走らせている人がいました。
前日の台風が嘘だったように、のどかの風景でした。

帰り際に後ろを振り返ってみました。
陽の光が水面に注いでいて、神の降臨を感じさせるものがありました。
台風の雨風が、空気を浄化してくれたのでしょう。
空の青さが、以前、節子と一緒に見たエジプトや千畳敷の空を思い出せるほどの深さでした。

あの時の節子は元気でした。
空の青さに負けずに、元気でした。
もう2度と、あの青さは見ることはないだろうと思っていましたが、台風のおかげで空の深さを感じました。
節子が見せてくれたのかもしれません。

■4428:利根川がまた水で覆われました(2019年10月23日)
節子
私は台風一過の朝が大好きです。
節子がいたころは、台風の最中も出かけたくなり、家族からは決して川などには近づかないようにと言われていました。
最近は、そんな元気はなくなりましたが、しかし台風一過の利根川の河川敷は気になります。
それで台風が収まった15日にユカに頼んで、中央学院大学の裏の土手まで連れて行ってもらいました。
40年間と同じく、利根川の水が河川敷を覆っていました。
川の氾濫を防止するために、水を引き込んだのですが、連絡の手違いから、農機具は水没してしまったそうです。
これは交番でおまわりさんから聞いた話です。

40年ほど前は利根川が決壊して、今回よりもひどい状況でしたが、その時は節子と一緒にここに来ました。
水が引いてからも来ましたが、水のすごさには圧倒されます。
そん時のことを思い出しながら、水に覆われた河川敷に見とれていました。

実は以前住んでいたところは、我孫子でも比較的低いところにあったため、大雨が降ると近くでは床下浸水の恐れがありました。
その後、排水工事をしたので今はもう大丈夫ですが、水が出てしまうと大変なことは体験しています。
それもあって、いまのところに転居したのですが、幸いに現在の住家は水の心配はありません。
高台なので、ものすごい雨の場合はがけ崩れに心配はありますが、それもしっかりした工事をしているところなのでたぶん大丈夫でしょう。
台風や地震、集中豪雨のたびに思うのですが、家の立地はとても大事です。
そういう視点からは、いまのわが家は安心です。
この場所を探してきてくれた節子にはいつも感謝しています。
どんな雨が降っても安心していられるのは、節子のおかげです。

いまの私たち家族が安心して暮らせていけるのは、節子のおかげです。
毎朝、節子に感謝しながら、線香をあげています。
最近、ちょっと般若心経を省略しているのが問題ですが。
今朝はきちんと全文を唱えました。

■4429:余命宣告への対し方(2019年10月23日)
節子
今日は久しぶりに暖かないい天気です。
ユカは上野の美術展に行ったので、一人でのんびりしています。
体調はいろんな人の応援でほぼ回復しましたが、気分は相変わらずです。
この数日の空白期間に会ったことを今日もいくつか書くことにします。

まずはちょっと重い話から。
湯島のサロンの常連の一人のOさんが11月16日に「余命1年宣告」を受けました。
他者のことなので、むやみには書けませんが、この1週間の私の体調不安にも大きな影響を与えていることなので、少しだけ書かせてもらいます。
Oさんは1か月ほど前から背中が痛いと言っていました。
それでサロンの時にTさんが病院に行くことを勧め、私も同調しました。
そして病院に行った結果が「余命1年宣告」でした。
手術が難しい局面にまで進んでいたようです。

Oさんは、そのことを私とTさんにメールで淡々と伝えてきました。
そこまでは時にあることかもしれません。
20日にサロンをやりました。
そこに、Oさんが参加してきたのです。
全くいつもと同じように、サロンでは話をしていました。
ほかの人がいたので、声をかけにくかったのですが、私には「豪気だね」としか言えませんでした。
私の周りでも、節子も含めて、余命宣告を受けた人はいますが、Oさんほど動じない人は初めてです。

いや同じているかどうかは、表面からはわからないというべきでしょう。
しかし、それにしても、顔の表情に曇りがない。
話し方にも迷いがない。
Oさんが事前に相談していた時には、むしろ迷いや不安を感じましたが、それが全くなくなったような気がします。

実は今度Oさんに会ったらなんと声をかけようかなどとつまらないことを考えていた自分が少し恥ずかしくなりました。
人は、いざとならないとわからないものです。

ちなみに、Oさんとは古いつながりですが、私よりも15歳近く若いはずです。
しばらく交流が切れていましたが、節子が亡くなったことを後で知って、わが家までわざわざ線香をあげに来てくれました。
Oさんは、節子のことを知らないはずです。
その後も何回かわが家にも訪ねてきてくれましたが、いつもお線香を持ってきてくれました。
極めて純粋で邪気がなく、湯島のサロンの常連でした。
これからも、何もなかったようにサロンに来ることでしょう。

Oさんに奇跡が起こることを祈ります。

■4430:オブジーボ(2019年10月23日)
節子
もう一人、やはり抗がん治療に取り組んでいる友人がいます。
彼のことも私に気持ちに大きな影響を与えています。
小学校時代の同級生です。
胃がんの手術をしましたが、節子と同じステージでした。
ただ進行性ではないようです。

彼は独身で、相談相手があまりいません。
幼馴染のつながりで、私を頼りにしてくれています。
昨年の今頃、彼が治療方針に関するセカンドオピニオンを訊きたいというので、一緒に癌研に行きましたが、その方針できましたが、事態があまり変化しません。
私自身は、変化がないのは良いことで、その間に免疫力を高め、化学療法や薬事治療はしない方がいいと思うのですが、当事者にとってはやはり事態が変わらないことに不安があるのでしょう。
病気は治すべきだという呪縛からなかなか抜けられないのです。

節子は、一切の抗がん剤治療は受けませんでした。
それがよかったかどうかはわかりませんが、節子も私も、議論するまでもなく、その方策をとりました。
そのおかげで、一時は奇跡が起こったと思えるほどでしたが、やはり5年に届く前に、節子は逝ってしまいました。
ですから、何がいいのかは、確信は持てませんが、ただ私なら薬はすべてやめるだろうとは確信しました。
しかし、たとえ幼馴染とはいえ、その考えを他者に押し付けることはできません。

彼は今、病院の薦めもあって、オビジーボ治療を検討しています。
1か月前からその相談を受け、彼に会いに行ったりしているのですが、彼の迷いを止めることができません。
一番深く考えているのは私ではなく彼ですから。

21日にまた癌研にセカンドオピニオンを訊くに行くと連絡があったので、同行しようとスタンバイしていましたが、直前に彼と電話したら、今回は一人で大丈夫だというので、私も体調不良でもあったので、今回は同行しませんでした。
後で彼と電話で話しました。
同行しなかったことを後悔しました。

調子が戻ったら、やはり彼に会いに行こうと思います。
人はやはり一人では決断できないものなのです。
私が極めて楽観主義者でいられたのは、たぶんいつも節子が隣にいたからです。

Oさんに奇跡が起こってほしいのと同じく、彼にも奇跡が起こってほしいです。
特定の人への奇跡を祈るのは、私の信条には反するのですが。

■4431:全財産を落とし戻ってきた話(2019年10月23日)
節子
もう一つ報告を兼ねて書きます。
10月16日のことです。
体調があまり良くなかったのですが、夜に湯島でサロンが予定されていました。
私の主催するサロンではなかったので欠席したかったのですが、鍵を開けに行かなくてはいけません。
それでユカに駅まで送ってもらい、湯島に行きました。
少し早めに来たサロンの主催者と話をして、やはりサロンは欠席して帰らしてもらうことにしました。
ところが、部屋を出てポケットを確認したら、私の全財産が入った名刺入れがないのです。
全財産と言っても、クレジットカードやスイカ、健康保険証、回数券とわずかなお金です。
しかし、これがいわば私の全財産で、これがないと電車にも乗れません。
部屋に戻ってどこかに落ちていないかと探しましたがありません。
さてさてどうするか。

部屋の引き出しにある小銭を持ってまずは湯島駅に。
そこで落し物の確認をしましたが届け出なし。
つづいて我孫子駅と駅前交番でも確認。いずれも届け出はないそうです。
またクレジットカードを失効させなければいけないかと憂鬱になりました。
つい最近、私のカードが悪用されて、再発行したばかりです。
今回は前回のような余裕もなく、帰宅後、食事もせずにカードの失効手続きを取りました。

手続きを終わって、食事を食べだしたら、駅前交番から電話がありました。
私の名刺入れが届けられたそうです。
タッチの差でした。
急いで交番に駆けつけました。
どうも駅前のロータリーの見えにくいところに朝からずっと放置されていたようです。
それで見つかるのが遅くなったようです。
私が車から降りるときに落としたのです。

もう少しきちんと探せば、見つけられたはずですが、今回は出てこないかもしれないと思ってしまったのです。
そう考えた自分をおおいに反省しました。

それでも全財産が戻ってきてホッとしました。
ただしすべてのカードが再発行になったので、当分はお金を持ち歩かないといけません。
困ったものです。
体調が悪いと注意力が低下します。
気を付けないといけません。

■4433:新米が届きだしました(2019年10月23日)
節子
今年は例年よりも遅い気がしますが、先週から新米が届きだしています。
昨日は新潟の魚沼産の新米が届きました。
ドリンク剤も元気が出ますが、美味しい新米も元気が出ます。
昨日届いた魚沼産の新米は、例年、金田さんが送ってくださるものです。
金田さんに電話をしました。
お元気そうでした。

金田さんは私よりも少し高齢です。
以前は毎月のように東京に来ていましたが、最近は年に数回になってしまいました。
まあしかし私よりはフットワークはいいです。
考えてみると私は今年、遠出をしていません。
飛行機はもとより、新幹線にも乗ったことがありません。

人の元気の源はなんでしょうか。
いろいろとあるでしょうが、「食」は大事です。
私は、その「食」にほとんどモチベーションがありません。
困ったものですが、美味しいものを食べたいとかめずらしいものを食べたいという気持ちが起きないのです。
美味しいご飯とみそ汁と漬物があれば、もう満足なのです。
ですからこの季節の新米のご飯はうれしい贈り物です。

以前は手作りの新米が届いていましたが、残念ながらみんな高齢になってしまい、おくってはくれますがいずれも知人に頼んでつくってもらった新米です。
それで価値が変わるわけでもありませんが、私にとっては少し意味が違ってきます。
「物との関係」は、こうやって少しずつ変わっていくのでしょう。

新米を食べて、元気も回復してくるでしょう。
生活も正常化できそうです。

■4434:結婚式での式辞(2019年10月24日)
節子
明後日は友人の結婚式に招かれています。
2年ほど前に知り合った若い友人です。
すでに子供までいる家族ですが、結婚式をやるので参加してほしいと言われました。
カジュアルな会食のイメージだったので、友人の一人として末席に座っていればいいと軽い気持ちでいました。
一言、話もしてくれますかとも言われていましたが、まあそれも軽い気持ちで引き受けました。

ところが先週、彼に会って確認したら、どうも私が最初の挨拶をするのだそうです。
それも話をするのは私一人。
どういう立場で話すのかと訊いたら、「恩師」として話してほしいというのです。
恩師?
メインスピーチ?
いささかあわてました。
たしかに彼のパートナーもその子供も顔見知りではありますが、ある集まりのメンバーというだけのつながりです。
ましてや、断じて「彼の恩師」などではありません。
しかし、彼は、私と会ったために人生が少し変わりつつあるというのです。
そう言われると、それなりの「責任」をとらねばいけないような気になってきます。

私はスピーチは苦手です。
風邪で参加できなくなればとも期待していましたが、体調不良もなぜか回復してしまいました。
困ったものです。

さて何を話すか。
話す材料が全くありません。
胃が痛くなるほどでしたが、問題は先延ばしするという私の悪い性格から、真剣に考えてこなかったのですが、さすがに2日前になると心配になってきました。
カジュアルと言いながらも、60人以上の参列者があり、親族関係も多いようです。
少しはまともなことを言わなければいけません。

それで少し考え出したのですが、いい知恵が浮かびません。
話し出すきっかけさえ思い浮かびません。
節子がいたらアドバイスをもらえるのですが。
今日は時間の合間は、すべて式辞を考えていることになりそうですが、いい知恵が浮かぶといいのですが。
スピーチは、ともかく苦手です。
今日と明日は、試練の2日です。

■4435: ポルトガルからの便り(2019年10月24日)
節子
サンティアゴ巡礼に出ている鈴木さんから絵葉書が届きました。
今回はポルトガルを北上しているのですが、はがきを投函したのはコインブラ。
リスボン、ポルトに次ぐポルトガル第3の都市で、大学町として有名のようです。
ポルトガル内はもう半分を超えたようです。
ハガキによれば、毎日30キロを超える道のりを進んでいるそうです。

鈴木さんがポルトガルを歩いている間に、私も相馬霊場めぐりの残りの半分30キロを歩く予定でしたが、体調不良でまだ実現していません。
11月にはいったら、挑戦しようと思います。

今回のはがきにも書かれていましたが、巡礼の途中では「小さな心遣いの幸せ」を感ずることが多いそうです。
そこできっと魂が洗われ、元気になる。
そういう社会が戻ってくれば、社会はまた豊かになるでしょう。
昨今のニュースを見るにつけ、日本の社会の貧しさを痛感します。
私の最近の体調不良も、もしかしたら、そのせいかもしれません。

■4436:高齢になった時の付き合い方(2019年10月24日)
節子
明後日の結婚式での式辞で頭がいっぱいなのですが、兄との会食を約束していました。
兄との会食はいつも喧嘩になるので、今回はユカが同席です。
お互いに、もうそれほど一緒にはいないのですから、そろそろつまらない論争はやめてもいいのですが、最近ますます、相性が悪くなってきている気がします。
困ったものです。

兄は私よりも7歳年上ですが、私よりも元気です。
まだ定期的に小学校で子どもたちに教えていたり、地元では囲碁を教えていたりしています。
しかし、まあお互い、いつ突然に逝ってしまうかわかりませんので、どんなに喧嘩しても、最後は仲直りして、悔いを残さないようにはしています。
それが高齢になった時の付き合い方なのです。

■4437:3回目の大雨強風(2019年10月25日)
節子
また千葉は大雨強風です。
今月3回目です。
我孫子はさほどではありませんが、房総各地の被災地は大変でしょう。
我孫子も先ほど、避難勧告が出ました。
私の住んでいるところは、土砂崩れの警報も出ています。
避難場所も近くに開設されました。
しかし、まあ今の状況ではわが家の方が安心でしょう。

それにしても今年の千葉は大変です。
テレビでも我孫子の状況が報道されているようで、神奈川や福井の知人から心配して電話がかかってきました。
みんな心配してくれます。
ありがたいことです。

しかし3回も同じような目に合うと、何か緊張感がなくなります。
困ったものです。

■4438:私にとっての最高の恩師は節子だった(2019年10月26日)
節子
今日は久しぶりの結婚式です。
数年前に知り合った若い友人から招かれたのですが、その人と出会ったのは数年前なので、年上の友人という立場で、みんなが話した後に何か一言言えばいいと軽く考えていたのですが、先日会ったら、私が最初に挨拶をすることになっているのだそうです。
しかも、恩師として話すのはどうですか、と言われてしまいました。
恩師? 何で私が恩師なのか。

その理由を訊いたら、私と付き合いだしてから、生き方が少し変わった気がすると言われてしまいました。そう言われてしまうとなんだかその責任をとらなければいけないような気になってしまいました。

恩師として話をする以上、恩師ってなんなのかを考えなければいけません。
それで私にとっての恩師とはだれなのかを考えてみました。
どうもピンと来る人が思い浮かびません。
悩んでいたのですが、昨夜、お風呂に入っていて気づきました。
私の恩師に気づいたのです。
私にとっての最高の恩師は、節子だったと気づいたのです。

思い返してみれば、私の人生を支え、間違いを正し、あるいは力を与えてくれたのは、節子でした。
何かを教えてもらったわけではありませんが、たくさんのことを気づかせてくれた。
学問の恩師、仕事の恩師とは言えませんが、人生という視点で考えると、伴侶である節子こそが恩師だった気がします。
そしてたぶん節子にとっても夫である私が人生の恩師だったという気がします。
お互いに生き方を尊重しながら、時に反対し言い合いもしながら、いつも支えてくれていた。
どちらが恩師でどちらが子弟ということではなく、夫婦とは、あるいは家族とは、お互いに「教え合い学び合う関係」なのだと、気づいたのです。

それで今日の結婚式には、その話をしようと思います。
そして、2人には、お互いに人生の「恩師になる/恩師にする」ような関係を育て上げていってほしいと言おうと思います。

さてうまく話せるといいのですが。
まだ咳が残っていて、声もちょっと違います。
明日はやはりお医者さんに行こうと思います。

■4439:名セリフを忘れてしまいました(2019年10月26日)
節子
昨日の結婚式は、やはりうまく話せませんでした。
困ったものです。
前半はうまく話せたのですが、真ん中ごろからだんだんいろいろと考えた名セリフ?が思い出せなくなり、実は原稿を持ってきているのですが、と断ってから、原稿を出して確かめようとしたのですが、ますますわからなくなってしまいました。
その名セリフが話せなかったのが、少し心残りです。

話は、まずは「おめでとう」と言った上で、問題は何がめでたいか、です、という、いささか素直でない問いから始めましたが、最後は、その問いへの一応の答えを出して、改めておめでとう、と締めたのですが、これはまあ何とかうまくいきました。
しかし、結婚式の主賓スピーチで、まさか「何がめでたいのか」などという人はそうはいないでしょう。

それでも「恩師」の話は、ジンと来たという人もいてまあよかったです。
知り合いは一人と聞いていましたが、湯島のサロンに参加したことがあるという人が数名いて、思わぬ出会いもありました。
結婚式にも、親族の中に紛れ込んで参列したのですが、久しぶりの神式の結婚式でした。
それから披露宴までの時間がちょっと長く、それでいささか疲れてしまいました。

娘たちもきちんとした結婚式をやっていないのですが、そもそも私がやっていないので、仕方がありません。
その考えを、節子にまでもしかしたら押し付けたかもしれないなと少し反省しました。

フリーランスで活動している若いクリエイターの人たちが多かったので、実ににぎやかで楽しい結婚式でしたが、5時間を超える場はやはり身体に応えました。
みんなも私のような年寄りを立ててくれましたが、最近の若い世代は本当に心優しいです。

次々と出てくる料理を食べていたら、後半はとても食べられず、一番の目玉の「鯛めし」は食べられませんでした。
しかしいささかいやしくも頑張って食べてしまったら、お腹がいっぱいで帰宅するのがつらいほどでした。
せっかくの料理だからと頑張るのは、やはり貧しさの表われでしょう。
葬儀も婚儀も、ポトラッチではないですが、無駄に食べ残すのがルールなのでしょうが、なかなかそれができません。

しかしとてもいい結婚式でした。

帰宅した途端に、抗癌治療している友人からの電話が入りました。
一挙に違う世界に引き込まれ、気分が反転してしまいました。
明るい生を謳歌している人がいる一方で、死に立ち向かっている人もいる。
私は、死もまた明るいと最近は少し思えるようになってきていますが、誰もそうではありません。

違った世界の往来は、やはり疲れます。

■4440:ホンネで生き続けてきたご褒美(2019年10月28日)
節子
生き方を変えようとして苦戦している人がいます。
長年ビジネスの世界できわめて有能と評価されて活躍してきた女性ですが、ある理由でそこに見切りをつけて生き方を変え始めたのです。
そこで私に出合い、私のところに時々くるのですが、なかなか生き方を変えられないのがわかります。
その苦労が伝わってきます。
おそらく意識の底に埋め込められたルールは思考から抜け出せないのです。
もっといえば、人を信頼できなくなっているのかもしれません。
もっとも彼女は一般的な意味での「信頼」はみんなにもっているのですが、本当の信頼は「ホンネ」を開くことからしか生まれません。
頭で考える「信頼」は意図的な信頼ですから、単なる「方便」であって、私にはまったく意味のないことのように思います。
「信頼する」のは簡単な話ですが、その段階ではたぶん何も変わりません。

午後、あるプログラムを開発しようというミーティングがありました。
そこでも「ホンネ」が問題になりました。
「ホンネ」で話し合わないと問題は解決しないというような話を私がしたのですが、参加者の一人が「佐藤さんはホンネを話すことができる人だが、多くの人はそれができない」というのです。
私は別にいつも「ホンネ」で話そうなど思ってはおらず、ホンネ以外のタテマエを持てない「単細胞」なだけなのです。
だから生きにくいのかもしれません。
しかし、そうした生き方を続けてくると、逆に最近はとても生きやすいというか、信頼も得られるような気がしています。

生き方を変えようとしている女性は、孤軍奮闘している感じをうけます。
もっと気楽に、仕事や生き方を楽しむようにしてください、と言いましたが、それができる生き方に移るのが難しいのでしょう。
私にできることはなんでしょうか。

それにしてもみんなどうして生きるのにがんばってしまうのでしょう。
生きることを楽しめばいいのですが、楽しめるようにしようとなぜか楽しむ前に頑張ってしまう。
困ったものです。

■4441:長らくくすぶっていた体調が回復しました(2019年10月30日)
節子
相変わらずせきが残り、体調も良くないため、病院に行こうか行くまいかぐずぐず迷っていました。
それも行こうと思うとなぜか行けないようになり、行ける日にはなぜか体調がよくなるのです。
いつになってもぐずぐずしているので、昨夜、決断しました。
体調は完全回復したと決めたのです。
そして今日は、娘たちと孫と4人で柏のショッピングモールに行きました。
実は予定では今日は近くの総合病院に検診に行こうと思っていたのですが、体調回復には、医者よりも気分転換が良いだろうと考えたのです。

しかし、娘や孫とのショッピングモールはあんまり楽しいものでもありません。
私は買い物にはまったく関心がありませんし、食事も興味がありません。
それに孫は卵アレルギーで、食はいつも限られてしまいますし、甘いものをご馳走しようとしても虫歯になるからと娘に叱られます。
もっと問題なのは、先日、クレジットカード入れを落としたため、まだカードが再発行されていないので、私にはご馳走するお金がないのです。
いまはsuicaもないので、電車に乗るのも面倒です。
困ったものです。

しかも孫はいまは極度の母親べったり時期です。
以前と違って、私と2人での行動はあまりしません。
まあそれでも気分転換蜷なります。

孫はあまり何かを欲しがりません。
私の娘たちの子どもの頃と同じです。
何か買いたいものがあれば、買ってやってよと母親でない方の娘には頼んでいますが、あんまりねだられたこともないようです。
今日は最後にいつも行く駄菓子屋に寄りました。
5分ほどいて、手に小さなものを持って、うれしそうに出てきました。
自分で選んで、母親からお金をもらって自分で買いに行ったそうです。
見せてくれたのですが、何やら小さなものでした。
よく見たら、瓶入りのヨーグルトの小さなおもちゃでした。
20円だったそうです。
どうしてこんなものを選んだのか不思議です。
もっといろんなお菓子やおもちゃがあったのですが。

今日は陽射しもありあたたかな1日でした。
夕方、うれしいニュースが2つほど届きました。
そんなわけで、体調は回復、明日からいつもに戻ります。

■4442:人間の表情をした観音様(2019年10月31日)
節子
今日は書きたいことが山ほどある日になりました。
しかしまあ一つだけに絞りましょう。
それは高月町の覚念寺の十一面観音に会ったことです。

湯島で1時間ほど時間があいたので、不忍池近くにあるびわ湖長浜観音ハウスに行きました。
最近しばらく来られなかったのですが、ここは滋賀県長浜市にある観音像を一体だけ展示しているところです。
琵琶県の湖東は、福井の小浜から奈良の東大寺につながる「かんのんみち」と言われ、とても美しい「観音像」がたくさんあります。
節子の生家のある長浜市の高月町には、かつてはその白眉とも言える、渡岸寺の十一面観音が居ました。
いまは、「居る」というよりも「ある」という感じになってしまったので、私はもう行く気がなくなっていますが、節子と一緒になれたのも、その観音様が関係していたのかもしれません。
節子に会った頃、私はその観音にあこがれていたのです。

節子の実家が、その観音のすぐ近くだと知り、訪問した時にその観音に会いに行きました。
感動したというか、それから観音様めぐりが始まりました。
その頃、私の中では、観音像と節子とがどこかでつながっていたのかもしれません。
節子と結婚したおかげで、高月町界隈のたくさんの観音様に会ってきました。
ほとんどが在の住民によって守られてきました。
ですからみんな美しくて優しいのです。

節子がいなくなってからは、観音様に会う機会もなくなりました。
しかし、数年前にユカからこの長浜観音ハウスを教えてもらい、時々来ています。

今回は高月町の覚念寺の十一面観音立像でした。
普段は秘仏のはずで、滅多には見られないとも聞きましたが、私も初めてかもしれません。
もしかしたら、結婚した直後に、節子と一緒に行ったような気もしますが、いまとなっては確認のしようがありません。

今回、一見して驚いたのは、人間の表情をしていることです。
遠くから拝むとそう感じませんが、近くでよく見ると、これはまさに人間の表情だなと感じます。
もう一つ印象深かったのは、頭上の顔の中に忿怒の表情がなく、みんな実におだやかなのです。
木目の目立つスギ材の仏像なのも、心やすまります。
しばし見とれていました。
以前に会っているとしても、たぶん今回ほど近くでは拝顔できなかったはずですから、この表情に会うのは、いずれにしろ初めてです。
作は、室町から江戸時代と表示されていましたが、表情から見て、室町ではないと思いました。
もちろん根拠はまったくありませんが。

ところで、驚いたことに、その小さな展示場で小学時代の同級生の升田さんに会いました。
彼女も時間の合間にちょっと寄ったのだそうです。
お互いにあることの途中だったので、お茶も飲まずに別れましたが、こんなこともあるのです。

観音様のおかげで、その前後の、ちょっとハードな話の疲れもやわらぎました。

■4443:また試練の始まりです(2019年11月1日)
節子
志や課題を持って湯島に来る人もいます。
その思いが実現できるように私ができることを探します。
しかし、なかなか思うようにはいきません。
そして、結果的に私が重荷を背負ってしまうことが、これまでも何回もありました。

まあ最近も、そうしたことでこの数か月、心労が絶えませんでした。
私は、人を信頼する以上は、ほぼ全面的に信頼しますが、そこから時にいろんな苦労が生まれます。
今回はちょっと不安な要素が大きいのですが、大事にならなければいいのですが。

ところで、それとは別に、一時期はかなり相談に乗っていましたが、うまくいきそうになっていた人がいます。
人は現金なもので、うまくいくと湯島には来なくなります。
それには慣れていますから、たぶんもう彼は大丈夫だろうと思っていました。
実際に彼はテレビでも時々取り上げられ、世間的にも評価を得だしました。
ちょっと気になることもあり、心配はしていたのですが、共通の友人が一度会ってやってほしいという連絡をくれたので、会おうと思ったのですが、さほど会いたそうでもなかったので、安心していました。

ところがどうもうまくいっているわけではなかったのです。
あまり書くわけにはいきませんが、久しぶりに会った彼は、見るからに元気がなく、話しているうちに顔の表情が崩れそうな気配を感じました。
そして結局は崩れてしまったのです。
となると、やはりまたコミットしなければいけません。
コミットする気がないのであれば、簡単に相談に乗るのはやめた方がいい。
しかし、いまの私の体力や気力では、できることは限られています。
しかも預金はついに70万円になったので、経済的な応援はできません。
いやむしろ私の貯金をせめて100万円に戻さないと湯島を維持できなくなります。
実に悩ましい。

結局、一度、じっくりと話し合うことにしました。
今度は私も少し赤ひげ的にでもお金をもらえるように彼に経済的に成功してもらうことも考えようと思います。

しかし、50代の男性に泣かれてしまうと自分だけを安全席に置いておくわけにもいきません。
人と付き合うのは、本当に大変です。

それに加えて、全く関係ない話ですが、今日もまた余命1か月と宣告された友人が自殺したいと言ってきたという電話が友人からありました。
その自殺したいと言っている人も、私は面識があります。
25年ほど前に一度会っただけですが。
事情を聴くと、とても悩ましい話です。
もし私がその立場だったら、と思うとアドバイスなどできない気分です。

折角、肺炎をやめて活動に取り組もうと思った矢先の難問の連続です。
どうしてお天道様は、次々と試練を与えるのでしょうか。
節子に救いを願うしかありません。

■4444:涙が出れば、心が少し安らかになる(2019年11月2日)
節子
今日は午前と夕方に大きな相談がありました。
いずれも「涙」を見たために、ついついコミットしてしまいました。
また予定を伸ばさないといけません。
なかなか現世から離れられません。

湯島では、涙を流す人が少なくありません。
心が開けるか、ホッとするかで、たぶん緊張感が解けるのでしょう。
いろいろな人に会って、感ずるのは、緊張感を持って生きている人が多いということです。
それがたぶん「生きづらさ」の一因なのではないかと思います。
そして、思い切り心を開くと、自然と涙が出てきてしまう。
涙は悲しさが原因ではなく、安堵の表れのような気がします。
そして涙が出れば、心が少し安らかになる。
そんな気がします。

相談事の内容はここに書くわけにはいきませんが、いずれも人生に深くかかわることです。
そして2人とも実に誠実に生きている人です。
誠実に生きることが涙と笑顔につながると私は思っていますが、そういう生き方に出合ってしまうと、私も何ができるかを自然と考えてしまいます。
そして余計なことをコミットしてしまう。
そしてまたいろんなものを背負ってしまうわけです。

節子がいたら少しはシェアしてもらえるのですが、いまは一人で背負わなければいけません。
背負いきれるといいのですが。

■4445:彼岸と此岸をつなぐ河原(2019年11月3日)
節子
今日は網野史観をテーマにしたサロンでした。
歴史の見方を変えれば、未来もまた変わってくる、というのが、今日の話題提供者の蔵原さんのメッセージでした。
全く同感で、私たちは過去に縛られた現在を生きています。
ですから未来もまた過去に縛られている。
私も学校教育などのおかげで、現在の統治者や常識が作った歴史の呪縛から自由になろうと意識してきましたが、最近はかなり自由になってきた気がします。

今日のサロンでは話題になりませんでしたが、網野義彦さんが画家の司修さんとつくった絵本に「河原にできた中世の町」というのがあります。
網野さんは、河原は人が住みにくいが、そこは彼岸と此岸をつなぐところで、人が定住しにくいところだったので(川が氾濫すれば家も流されます)、逆に「人びとが集まり,さまざまなことをしたり語り合ったりする広場でもあった」と書いています。
それを読んだ時に、湯島の部屋は私にとっての河原かもしれないと、思ったのです。
しかし、たぶん私は「河原者」にはなれないでしょう。
そこまで強くないですし、芸能や専門性には無縁ですから。
この頃、つくづく、自分の無粋さを実感します。
節子もたぶんにそうで、節子自身もそれに気づいていましたが、それでも私よりはずっと遊び心がありました。
いろんなことに誘ってくれたのは節子でした。
節子がいなくなってからは、コンサートや美術展にはほとんど行かなくなりました。
時々、床に誘われて出かけるくらいです。

それはともかく、彼岸と此岸をつなぐ場所はいろんなところにあります。
以前は、それを感じたこともありますが、最近はむしろ、どこもかしこも彼岸とつながっていると思えるようになってきました。
坂や洞窟がなくとも、世界は彼岸とつながっている、そう感ずるようになってきました。

網野史観はいろんなことを気づかせてくれます。

■4446:小川町に行ってきました(2019年11月4日)
節子
有機農業を広げていきたいと考えている平山さんと一緒に霜里農場を訪問しました。
平山さんの奥様も一緒でした。
霜里農場の金子友子さんに1日付き合ってもらい、いろんなところを見せてもらいました。
先日の台風で霜里農場も近くの川の氾濫で水浸しになり、鶏もかなり流されてしまったそうです。
長年培ってきた豊かな土壌が流されて、砂浜のようになっていました。

訪れた一つがが霜里農場で実習した2人の女性が共同生活をしながら有機農業に取り組んでいる家でした。
空き家を購入して、そこで2人で住んでいます。
山の中腹ですが、見晴らしが素晴らしい。
鹿が時々現れるそうですが、最近は熊も出没するそうです。
たまたまそこに今日は湯島のサロンの常連の一人が手伝いに来ていたので、彼から友子あんに電話がったので立ち寄ることができたのです。
そこはまたある人の聖地にもなりつつあるところです。

こたつに入って、お茶をいただきました。
2人の女性がなぜここに住むようになったかは訊きませんでしたが、いろんなドラマがあるのでしょう。
ただいえるのは、2人とも幸せそうでした。
たぶん金銭とはあまり縁がなさそうですが。

都会で生きる人生と里山で生きる人生。
お金に支えられて生きる人生と自然に支えながら生きる人生。
節子がいたら、こういう場所で静かに暮らす人生があったかもしれないと、思いました。
自活力のない私一人ではとても無理なので、今やもうありえないシナリオですが。


いつもとは違った1日でした。

■4447:死から生が生まれる(2019年11月5日)
節子
過労死に関する本を読んでいたら、
夫を過労死でなくされた平岡チエ子さんの話が出ていました。
そこに、「夫が亡くなってから花に目を向けるような気持ちに一度もならなかった」という平岡さんのことばが紹介されていました。
その言葉で、私も節子がいなくなってからの数年のことをもい出しました。
感情が全くなくなってしまうのです。

まだ完全には戻ってきていないと思うほどですが、愛する人を喪うと世界は一変します。
私の場合、それこそ数年は、世界がぼやけて見えた気がするほどです。
色もあまり豊かではなく、植物や自然の声もあまり聞こえてこない。
何を見ても感動せず、私の場合は、青い空だけが実感できた気がします。
青い空を通じて、節子と同じものを見ているという感じでした。

自然からいろんなメッセージを感ずるようになったのは、この数年のような気がします。
そういう気持ちだと、桜や紅葉もあまり見に行こうとは思いません。
今年もまた紅葉の時期ですが、頭では紅葉狩りとは思いますが、心は動かないのです。
まだ私の心は止まっているようです。

先日、テレビでイラン出身のサヘル・ローズさんの人生の独白を見ました。
涙が出ました。
その番組で、サヘル・ローズさんは、死から生が生まれるというような話をしていました。
その言葉も、心に響きました。
彼女の生からすれば、いまの私は死さえも体験できていないのかもしれません。

仏教では、回心によって人は、これまでの自分を滅し、浄土に目ざめて新しい人生を生きなおす、と言います。
そこでは、死と生が同じものと捉えられています。
生のためには死がないといけない。
いや、死と生は同じことなのだといってもいいかもしれません。

節子の死から教えられたことはたくさんあります。
しかしそのことがきちんとわかりだしたのは、この1〜2年かもしれません。

死から生が生まれる。
サヘル・ローズさんの言葉が、この数日、頭から離れません。

■4448:13年前にはもう戻れない(2019年11月6日)
節子
いろいろとあって、命日前に13回忌を行うことができませんでした。
一番の理由は、敦賀にいる節子の姉に来てもらいたかったのですが、姉の体調の関係で、猛暑の夏には無理だったのです。
そのうちに、ジュンの伴侶に不幸があったり、私の体調がおかしくなったりして、とうとう11月になってしまいました。
節子の姉夫婦は、やはり東京に来るのは難しく、たぶん参加はできないでしょう。

今日、お寺に行ってご住職と相談してきました。
節子の葬儀を行ってくれた先代は亡くなり、いまは息子さんがお寺を継いでいます。
子ども時代を知っているものとしては、ちょっと心もとない気もしないではないですが、いまはもう立派な僧侶です。
なによりも顔の表情が、実に仏様のような無垢さと慈愛を感じます。

その後、お墓にお見舞いに立ち寄りました。
10月までは暑さが残っていたので、活け花よりも造花を供えていましたが、今回から活け花にしました。
畑に満開になっている百日草を摘んでいきました。
畑の野菜はだめですが、花壇は花が満開です。

それにしてももう13回忌。
その間の時間が実感できません。
昨日のようでもあり、まだ来ていない時間のようでもある。
生きる基準が失われると、時間感覚が方向を持った直線ではなくなります。
たぶんそうなってほしいという願望から、そうなるのでしょう。
しかし現実は、それとは無関係に、今日の次に明日が来る。
13年前にはもう戻れないのです。

■4449:心を亡くした4日間(2019年11月11日)
節子
挽歌がまた4日ほど抜けてしまいました。
困ったものです。

その後、私の体調はほぼ戻ってきました。
戻ってくるとやりたいことがまたいろいろと出てきてしまい、それになぜかまた相談も増えてきて、忙しくなってしまいます。
忙しさとは「心を亡くす」ことだと言いますが、まさにそういう状況に陥ってしまうのです。
挽歌を書くのを忘れてしまう。

挽歌を書かなかった4日間も、いろんなことがありました。
いろんな人生に触れると節子のことを思い出すことも少なくなく、節子のことを話してしまったこともあります。

先日お会いした人から、「こんなになんでもお話しできたのは初めてです」というメールが来ました。
湯島という空間を好きになってもらえたようです。
しかし、改めて、人は心を開くと感覚も知性も生き生きとしてくるのだなと実感しました。

昨日は、ある友人から、「佐藤さんに話すとすぐ主旨を理解してくれた反応してもらえる」という電話がありました。
彼によれば、だから何かを思いついたらすぐ電話してくるのだそうです。
それがいつも長いのです。
これはちょっと迷惑な話なのですが、まあそこまで正直に直接的話法で行ってくれる人もめずらしい。
ほめているのかバカにしているのかたずねましたが、答えてもらえませんでした。
笑っていたので、たぶんその両方でしょう。

まあ、そんなこんなで、挽歌は書いていませんでしたが、そしてちょっと「心を亡くしていた」かもしれませんが、それなりに誰かの役には立っていました。

今日もまた、よくわからない「相談」があると言って、友人が湯島に来ます。
さてさてどんな相談でしょうか。
楽しい相談だといいのですが。

■4450:経済を優先すべきか生き方を優先すべきか(2019年11月11日)
節子
あるグループから湯島を対価を払って週3日使わせてもらえないかという提案を受けています。
最初は友人の考えているプロジェクトを立ち上げるために湯島と私自身の時間を提供しようと思っていたのですが、そのプロジェクトを継続的に行うためには経済的に自立した体制にしていかなければいけないというアドバイスもしていました。
それで事業感覚を持った人たちも入れて、友人は数名で事業化しようと考えているのですが、そのグループの人たちが、そう申し出てきてくれたのです。
つまり、きちんと相場に合った料金を支払いたいと言ってきました。
奇妙な話ですが、そもそもそれを言い出したのは私のはずなのですが、どうもグループが生まれると勝手に動き出すのです。

いま私は収入が年金だけですから、湯島を維持していくためにもお金があればと思うことはあります。
そういう私の状況も知った上での善意からの話なのです。
それでその申し出に感謝し、受ける気になってしまいました。
もしそれがもらえたら、関西や新潟や九州にも出かけられるかもしれません。
貯金も減り方が緩和されるかもしれません。
しかし、どこかに違和感があって、引っかかっています。
そして、やはり私の生き方にはそぐわないのではないかと思いだしたのです。

湯島の部屋はいまもあるルールがあって、場所を使ってもらったりしていますが、その時にはなにがしかのお金を部屋にある箱に入れていくことになっています。
最低額として1000円としていますが、私の思いは、それはこの部屋を維持していくための気持ちの表れですから、金額に意味があるわけではありません。
しかし最近気づいたのは、みんな1000円を使用料としてとらえているのです。
つまり、安い貸事務所と捉えられていることに気づいたのです。
それが私の無意識の中に積もってきて、人嫌いになってしまっているのかもしれません。

以前、湯島で葬儀マン系のサロンをやった時に、「お布施」が話題になったことがあります。
私は「お布施」を大切にして生きていますので、お布施が高いという話には違和感がありますが、多くの人はお布施を料金としてとらえているようですので、そうであればたしかに高いかもしれません。
何となくそうした話の流れには敢て棹ささずにきましたが、はっきりと自論を述べるべきだと反省しました。
お布施と料金は違うのです。

ところで湯島を拠点にしたいとグループ、のプロジェクトはぜひ実現してほしいので、申し出を受けるとともに、私も活動に荷担していこうとは思っていますが、料金の件はまだ素直には腹に入ってこないのです。
どうしたものか、実に悩みます。

■4451:悩ましい問題(2019年11月12日)
節子
湯島のオフィスを改装する途中で節子は逝ってしまいました。
じゅうたんを敷きかえるところまでは節子が手配しましたが、壁紙を替えるところまではたどり着けませんでした。
仕上げのペンキ塗りなどは自分たちでしようと考えて、ペンキまで買っていたはずですが。
オフィスに限らず、節子は自宅もそのスタイルでやってきました。
不器用な私にはとてもできないことです。

したがって湯島は改装途中のままになっています。
コーヒーカップや椅子なども、節子がいなくなってからは全く更新されていません。
前はコーヒーカップもセットを選んでいましたが、いまはバラバラになってきてしまいました。

椅子もかなり傷んできました。
それを見かねて、サロン参加者の一人が昨年、寄付を申し出てくれました。
しかしいろいろ探したのですが、2人が納得できるものが見つからず、それに金額も40万円以上かかることがわかりました。
今までの一番高額な寄付の提供は30万円ですが、その時はそれなりに相手に役立つこともしていましたし、その人は会社の経営者でした。
しかし今回はまったく個人の、それも今は仕事をしていない人の純粋の寄付行為です。
サロンを快適に続ける場を守りたいというのが申し出てくれた人の思いです。
迷ったのですが、40万円はいささか負担なので、辞退していました。

ところが数日前に、その人から相談があるという連絡がありました。
椅子のことはまったく思いつかなかったのですが、何事かと思って、お会いしました。
そうしたら、最近、いい椅子を見つけたので、そしてそれを3年月賦で購入できるということが分かったので、寄付したいが良いだろうかというのです。
写真を見たらとてもいい椅子です。
しかし高そうなので、価格を訊きました。
そうしたら1脚5万円だというのです。
つまり全部で60万円。
前に話していたのよりも高いのです。

少し考えさせてほしいと答えるのが精いっぱいでした。
さてどうするか。
60万円の椅子を寄付されるとそう簡単に湯島を閉じることもできません。
それにその椅子は手作りのようなので、湯島のサロンには高級すぐるかもしれません。
悩ましい話です。
せめて20万円くらいだと気楽にありがとうと言って受け入れられるのですが。

やはりまた辞退すべきかなという気がするのですが、湯島のサロンの意義を感じてぜひ寄付したいと言っている、その人の気持ちを考えると、迷うところです。
会社の社長や資産家の申し出なら、気楽に受け入れられるのですが、その人は3年間の月賦でなければ負担できない人なのです。
さてさて。

■4452:「うつせみと思ひし」(2019年11月12日)
節子
節子も知っている、私の小学校時代の同級生の升田さんに、隔月で万葉集サロンをやってもらっています。
彼女は大学で古代日本文学を教えていたのですが、単なる万葉集の知識を話すサロンではなく、毎回、彼女なりのテーマと物語を用意してくれるサロンです。

これまで5回やってきていますが、その大きなテーマは「われ」意識の変質です。
時評編のサロン報告に書きましたが、今回は柿本人麿の、妻の死を哀しむ「泣血哀慟歌」がテーマでした。
そこでとても面白い話をしてくれました。
「わ」と「な」、つまり「我」と「汝」が、人麿にあっては、相似性の関係であり、時に融合しているというのです。
そして人麿は「現世」という意味の「うつせみ」という言葉を使う時に、ほかの歌人と違って、かならず「うつせみと思ひし」と詠っているのだそうです。
つまり視点が霊の世界、読みの世界、現世ではない世界にあるというわけです。

この話は、実は升田さんには前にも聞いたことがあります。
しかしその時には、ただ面白いと思っただけでしたが、今回はなぜか深い共感を持ってしまいました。
私も最近、現世をなんとなく違う世界から見ているような気がすることがあるからです。
そうすると、現世の「我」と旅立った「汝」が融合して生きているイメージも何となく見えてくるのです。
「わ」と「な」の融合。
「我」と「汝」が入れ替わりうる世界。
彼岸と此岸がつながり、畳み込まれている世界。

涅槃とはそういう世界かもしれません。

■4453:新しいプロジェクトを起こしたくなりました(2019年11月15日)
節子
昨日は大忙しでした。
来週、ローマ法王が来日しますが、それに合わせて、改めて核時代の平和の意味をみんなで考える機会にしたいという本間さんの思いを受けて、世間への呼びかけを収録したのです。
友人の近藤さんに頼んで、スタジオを含めて無償で協力してもらいました。
本間さんは長年大学で授業をしていましたので、話をするのはなれているので、一発で録画は成功しました。
近藤さんが編集してくれ、できるだけ早く公開していく予定です。

これを機会に、来年から定期的に呼びかけを、ユーチューブでネット発信していく仕組みを作ることを考えたいと思います。
改めて頓挫している「みんなの出版社」計画も再考しようと思います。

夕方はまったく別の相談を受けました。
相談内容は、全く予想もしていなかった話です。
会社に社会性を取り戻し、社会性と経済性を合致する活動をしたいという人が、私の会社時代の体験をもう一度再開できないかというのです。
30年前に、私もそういう思いを持って、いくつかの組織づくりに関わりました。
しかし、いずれも金銭至上主義の大きな流れの中で、私の意図とは全く逆方向に進んでしまいました。
以来、企業にはあまりかかわってきていないのですが、昨日、私に相談しに来た人は、そうした企業のど真ん中で活躍してきた人です。
しかし、いまはそうした企業の問題を認識し、生き方を変えようとしています。
もしそういう活動に取り組むのであれば、私ができることは協力させてもらうことにしましたが、昨今の私の体力気力では、お手伝いくらいしかできません。

ようやく私自身が前向きになれてきました。
いろんな構想が浮かんできて、ちょっと元気になってきました。

■4454:読書日(2019年11月15日)
節子
今日はとてもいい天気です。
節子がいたら間違いなく紅葉の見えるところに出かけたでしょう。
最近、ようやく節子がいなくても紅葉を見に行きたい気分が少し出てきました。
気分がだいぶ変わってきたのかもしれません。

しかし、だからと言って、まだ行こうという気にまではなりません。
行きたいという気が行こうという気に変わるまでには、もう少し時間がかかりそうです。
まあそうこうしているうちに、紅葉狩りにではなく彼岸に行ってしまうかもしれません。
困ったものです。

友人の奥さんが真如苑の信徒なのですが、それが縁で、真如苑を開いた伊藤真乗の本(「真乗」中公文庫)を昨日から読みだしました。
真如苑は、よくある新興宗教というイメージを持っていましたが、そうではないようです。
今日の午後は出かけますが、午前中にこの本を読み終える予定です。

晴れた日の読書もいいかもしれません。

■4455:昨日、ちょっといいことがありました(2019年11月15日)
節子
昨日、ちょっといいことがありました。
2回前の挽歌に書いた映像収録の帰りの話です。
私だけ用事があって、早くスタジオを出て駅に向かいました。

駅に行く途中に、線路をまたいでいる橋に上がるエレベータがあります。
そのエレベータに向かって歩いていたのですが、あと10メートルほどで着くところで、上からのエレバータが降りてきたようで、数名が出てきました。
しかし高齢の方が一人、エレベータから降りてそのままなぜか入口から離れません。
どうしたのかちょっと気になって急ぎ足で向かいました。
ところが、その人は遠くに私の姿を見て、エレベータのドアが閉まって上に行かないように、なんと私を待ってくれていたのです。
私にどうぞと声をかけ、私がエレベータに乗ると安心したように、ドアを閉めて都営住宅に向かって歩き出したのです。

西台の都営住宅に住んでいる人だと思いますが、なにかとてもうれしい気分でした。
ちなみに、そのエレベータの前にはエレベータを待つ人のための長椅子がありました。
きっと高齢者が多いのでしょう。
まあそれだけの話なのですが、私は初めて訪れた西台が好きになりました。

フェイスブックに一昨年、「ちょっといい話をあつめませんか」というページをつくりました。
節子が書いていた、「いいことだけ日記」のことをちょっと思い出してのことでした。
しかし、そう「いいこと」には出会えずに、結局、2回しか書けずに終わっていました。
最近それが気になっていたのですが、この話を書きました。
そして思ったのですが、「いいこと」に出合わないのは、私自身が「いいこと」をしていないからなのでしょう。
あるいは、「いいこと」を気づこうとしていないのです。

最近ようやく元気になってきたので、世間の「いいこと」に気づくような生き方をしようと思います。

■4456:声にその人の状況を現れます(2019年11月16日)
節子
先日、突然に湯島にやって来てソファーに倒れこんだ若者からメールがありました。
2か月ほど入院して、だいぶ精神的にも安定してきたそうです。
いまは親元で暮らしているようで、無理をせずに、ゆっくりと社会復帰するという連絡でした。
ホッとしました。

その一方で、ひとり新たに気になる人が出てきています。
電話で話しても直接会っても、以前の彼ではないのです。
嗤わないのです。
活動はうまくいき出しているはずなのに、声に張りもないのです。

昨日は気になっている別の友人から電話がありました。
風邪をひいてしまったといって声が少し違っていましたが、声に張りが出てきました。
こちらはもう大丈夫でしょう。
声には、その人の状況が現れるものだと思いました。

さて私の今の声はどうでしょうか。
しばらく前までは少しくぐもっていたはずです。
この数日、少し声にも気がこもってきたように、自分でも感じます。

最近は電話よりもメールでの連絡が増えてきました。
メールの文字からは、なかなかその人の心身状況は伝わってきません。
やはり時には電話も必要だなと思います。

そういえば、久しく節子の声を聞いていません。

■4457:コミュニティ(2019年11月16日)
節子
湯島で「コミュニティ」をテーマにしたサロンをやりました。
新しいコミュニティづくりに向けての活動は、節子の不在によって挫折しましたが、改めて今、「CWSコモンズ村」に向かって進んでいますが、今回はそれとは別に、上田さんの思いを中心にサロンをやってもらいました。
上田さんは、コミュニティとは「帰っていきたい場所」と考えています。

コミュニティをどう考えるかによって、その人の心のありようが伝わってきます。
ちなみに私は、コミュニティとは「旅立つところ」でもあると考えています。
帰っていきたい場所だと、そこで終わってしまうような気がするのです。
それに帰るとか旅立つというのは一時のことではないかとも思います。

上田さんはまた、災害ユートピアの話もされました。
災害直後に出現するコミュニティの話です。
しかし残念ながらそのコミュニティは長続きしないのです。
そこにもしかしたらコミュニティの本質があるのかもしれません。

サロンに、1週間前にサンチアゴ巡礼から帰国した鈴木さんも参加していました。
鈴木さんは上田さんの話を聞いて、巡礼と災害ユートピアは似ていると言いました。
巡礼において、そこに動的な、あるいはプロセス的なコミュニティが出現するというわけです。
ここにもコミュニティを考える大きな示唆が含まれています。

節子が元気だったら、CWSコモンズ村というケアコミュニティをつくりたかったのですが、この試みは途中で挫折してしまいました。
不思議なもので、コミュニティが一番必要なはずの時に、コミュニティ志向は消え去る体験をしたのですが、最近また私にもコミュニティ志向が戻ってきました。
上田さんと一緒に来年からコミュニティをテーマにした連続サロンを始めようと上田さんと話しました。
上田さんと私とは、たぶんコミュニティへの期待が違うでしょうが、奥のところではたぶんつながるでしょう。
試みる意味はあります。

鈴木さんの今回のサンチアゴ巡礼はポルトガルの道でした。
ポルトガルのチョコレートをもらいました。
節子に供えさせてもらいました。

■4458:平安な見送り(2019年11月17日)
節子
節子も知っている濱崎さんはいま京都で弘道館を復活し、その代表としてとてもいい活動をしています。
来週、京都に行く友人が弘道館に立ち寄りたいというので、久しぶりに濱崎さんに連絡しました。
濱崎さんのお母さんがいま病気で、そのため最近は病院通いだと知りました。
そして、今朝、濱崎さんから母上の訃報の連絡がありました。

その訃報に対して、どう返信したらいいか、朝から迷いながら、先ほど、ようやく短いメールを送りました。

訃報への対応はいつも悩みます。
「心よりお悔み」とか「ご愁傷さま」という言葉を、私は昔から使えないのです。
私は、書き言葉も話し言葉も一致した生き方をしていますし、形式的な言葉はそもそもうまく使えないのです。
それに、濱崎さんの心も、少しは私にもわかるような気もするのです。
これは両親を送り、節子を送った体験のおかげです。
形式的な言葉は、時に心を逆なでさえしかねません。

迷った上に書いたのは、しかし結局は月並みのことばでした。

言葉がみつかりませんが、お母上とみなさまのご平安をお祈り申し上げます。

これもちょっと話し言葉ではないなと思いながらも、しかし私の今の気持ちに一番合うなと思ったのです。
うまく心が伝わるかどうかはわかりませんが、平安な見送りができるといいなと心より思います。

節子の闘病中に、濱崎さんからめずらしい冷菓を送ってもらったことを思い出します。

■4459:孫の七五三詣(2019年11月19日)
節子
節子の孫(私の孫でもありますが)の七五三詣で野田の桜木神社に行ってきました。
いい天気でしたが、にこの機嫌がちょっとよくなかったです。
にこは、午前中よりも夕方が元気になるのです。

私もユカも同行しましたが、節子がいたら、きっと雰囲気はまったく違っていたでしょう。
孫の育ち方も変わっていたはずです。

私はどこかで節子がいたらといつも思うので、思い切り孫と遊べないところがあります。
節子ができないことに、何か申し訳ない気持ちがあるのです。
そのため、娘は私があんまり孫が好きではないかと思ったこともあるようです。
そんなことはなく、逆にあまり私になついてしまうことも避けたかったこともあります。

カメラマンも同行してくれましたが、にこはちょっと緊張してしまい、なかなか笑顔が出ませんでした。
それでも無事、お祓い行事は終わりました。
境内で1時間ほど過ごしましたが、カメラマンが帰った後、ようやくにこは緊張感がほぐれたのか、笑顔が少し戻ってきました。

ただ、私とにことのツーショットは撮れませんでした。
にこに断られてしまったのです。
困ったものです。
まあ全員写真は撮れましたが。

桜木神社には七五三桜というのが数本あって、花を咲かせていました。
節子とは何回か冬桜を見に行ったことはありますが、七五三桜というのは初めてです。

孫も3歳になりました。もう大丈夫でしょう。
だんだん親離れも始まるでしょう。
節子がいたらどんなにかわいがったことか。
そう思うといつも複雑な気持ちになります。

今日も、小節子も連れて行きました。

■4460:孫のお寿司デビュー(2019年11月19日)
節子
七五三詣の続きです。
予定ではみんなで近くの寿司勢で食事をする予定でした。
開店時に節子と家族みんなで行ったお寿司屋さんですが、節子がいなくなったからめったに行かなくなっています。
それで久しぶりに行こうということになったのですが、なんとお休みでした。
それで、みんなお腹がすいていたので、その近くにある回転ずしの浜寿司になってしまいました。
このお店は何と平日は1皿90円なのです。
いかにも私の孫らしく、庶民的なお寿司デビューです。
ニコにとっては、まあどこも同じでしょうが。

最近、にこはお寿司が食べられるようになったのですが、お寿司屋さんは初めてです。
なんと4つも食べました。
お寿司を食べた後、ポテトチップを食べていたのがちょっと気に入りませんが、まあ私にも一本くれたのでいいことにしましょう。
にこは卵アレルギーなので、食事はけっこう大変なのです。

神社とは打って変わって、機嫌がよくなりました。
子どもの機嫌はなかなか予測しがたいです。

■4461:孫のにこの冒険(2019年11月20日)
今日も孫がやってきました。
それで孫と一緒に畑に行きました。
私は最近畑仕事を止めてしまったので、畑はもう惨憺たる状況になっています。
それでも畑の端っこの花壇には百日草が咲き乱れています。

にこがその花を積みに行きたいというので、2人ででかけました。
草ぼうぼうですが、にこが野菜も見たいというので畑にも入りました。
収穫していないトマトやピーマンなどが土に落ちていたりしていました。
ピーマンはいくつか収穫しましたが、にこが自分でとりたいというのではさみで切り取ってもらいました。

人参も育っていました。
これは人参だと言ったら、それも掘り起こしたいと言いましたが、まだどのくらいに育っているかわからないので今度にしようということになりました。
放っておいたピーナツかぼちゃも1個、大きくなっていました。
それももいで、にこの友だちへのお土産にしました。

さて花摘みです。
これが斜面の草薮に咲いているので、いささか危険な状況での花摘みになりました。
30本ほどとりました。
これもお土産用です。

畑から家に帰る途中で、にこの上着を畑においてきてしまったことに気づきました。
それで途中から一人で帰れるかとにこに訊いたところ、少し不安げでしたが、大丈夫というので途中から一人で帰らせてみることにしました。
自動車どおりは危ないので、視界が届く間、見ていましたが、にこは不安げにと州で何回か振り返りました。
自宅まで20メートルくらいのところからは曲がっているので目が届きませんが、にこも不安げに振り返りながら曲がっていきました。
最初の大冒険です。

それで私は急いで畑に行き、自宅の戻りました。
その間、ちょっと心配になりました。
こうしたちょっとしたときに行け不明になったり事故にあったりすることもあるからです。
そんな事件を思い出してしまいました。

急いで自宅に帰るとにこが玄関に待っていました。
私を見つけると笑顔になりました。
チャイムが鳴らせないのと家のドアが重いので、片手に花をいっぱい持っていることもあって、にこには開けられなかったのです。
悪いことをしました。
親のジュンにいうとまた怒られそうなので内緒にしました。

にこは途中で、ひろみちゃんに会ったと教えてくれました。
わが家の隣家のひとです。
節子がいたら、こういう冒険をもっとたくさんできるのですが、なにしろ娘たちの私への信頼感は低いのです。
時々無茶をやるからなのですが。
しかし無茶をやらない人生は退屈です。

■4462:セカンドオピニオン(2019年11月21日)
節子
小学校時代の同級生はいま抗癌治療をしています。
2年ほど前に胃がんが発見されたのです。
彼は独り身のため、一人でがんばっています。
それで、あまり役には立ちませんが、私が相談相手になっています。
時々は運動も兼ねて湯島までやってきますが、時には私が彼の家に行きます。
多くのやり取りは電話ですが、電話ではなかなか思いは伝わりません。

癌が突然発見され、私のところにやってきてからもう2年です。
幸いにして進行性ではなかったので、安定しているようです。
むしろ癌やその治療による体力低下で、いろいろな問題が懸念され、医師もそちらのほうの検査や治療に取り組んでくれています。
しかし、本人は、やはり「癌」という言葉に呪縛されているような気がします。

節子の抗癌治療の体験を踏まえて、私もアドバイスなどしていますが、そのたびに節子の時のことを思い出して、それなりにつらいこともあります。
しかし、それ以上に、癌治療に関するアドバイスは、難しいことを感じます。
生命にかかわるということもありますが、やはりあまりに治療法がわからないからです。

最近は彼はオブジーボを使うかどうかで迷っていました。
私はまだ治療として完成していないと思っていますので、薦めませんでしたが、もし節子の場合だったら、たぶん悩んだでしょう。
当事者として考えるか、助言者として考えるかでは、まったく問題の見え方が変わってくることを痛感します。
当事者であるが故の間違いはきっと少なくないのでしょう。
私たちもたぶん間違いを犯している。
そう思うとまた心が沈みます。

友人の場合、一時期は使う方向で、セカンドオピニオンまで2回行ったのですが、使うとしてももう少し先に延ばすことになりました。
今日は、その確認のために私と会いたかったようです。
決断はすでにしていたのですが、私と面と話して、最終的に決めたようです。
迷った時には、だれもが誰かの後押しを必要とするのかもしれません。

帰路、気が付きました。
セカンドオピニオンは、病気に限りません。
彼は、今日はこれからの生き方についてのセカンドオピニオンを聞きに私に会ったのだと。
そういえば、いろんな話をしていましたが、そんなことを考えるのはまだ早い、などと受け流してしまっていたことに気づきました。

また近いうちに会おうと思います。

■4463:私は「私」ではないのではないか(2019年11月23日)
節子
めまぐるしいほどにいろんなことが周りで起こっていて(あるいは起こしていて)、節子がいたころのような数日を過ごしています。
しかしあの頃と全く違うのは、自分自身の心身の変化です。
記憶力が大きく低下するとともに、気力に体力がついていきません。
こったものです。
むかしは、1日もあればかなりのことができましたし、心身共に連続的に動いていました。
しかし最近は「疲れ」がでてきてしまいます。
時に休みたくなる。
ユカに言わせると、最近の私の口癖は「疲れた」だそうです。

湯島に来る人も疲れた人が多い。
その人に向かって、疲れるほど頑張ってはいけない、などと言っている本人がつかれてしまっていては、話になりません。
他者と自分とはどうしても一致しないのです。

2日前に本を、マルクス・ガブリエルという人の『「私」は脳ではない』という本を図書館から借りてきて、読み出しました。
私の脳が披露しているのかどうか、読んでもよくわかりません。
私は、わからない本は早く読めるという「特技」?を持っているので、1日で半分以上読み進んだのですが、理解はほとんどできていないので、読んでいないと言ってもいいかもしれません。
しかし一つだけ示唆を受けました。
私は「私」ではないのではないかということです。
外でさまざまなことに取り組んでいる私と家で疲れたと言っている私は、同じ私なのか。

私は意識の束という考え方にはかなり共感していますが、それを束ねているのが「私」だと考えていましたが、どうもそうではないのではないか。
私は私の中にはなく、どうも私の外にあるのではないか。
意味の分からないことを書いていますが、そんな気がしてきたのです。

いろんなことに関わりながら世界を広げていきたいと思っている「私」についていけなくなってきている「私」がいる。
その「私」を使い切ったところで、「私」は次の「私」を見つけていく。

ますますわからなくなってきました。
困ったものです。

この本を改めて最初から読みなおすことにしました。
今度は少し歯が立つといいのですが。

■4464:久しぶりの会社訪問(2019年11月24日)
節子
一昨日、久しぶりにコミーを訪問しました。
節子も知っている小宮山さんの会社です。
ただ今回は会社の本業ではなく、小宮山さんが取り組んでいる箸ゲームの件です。
毎月、湯島で集まっているほっとスマイルプロジェクトに小宮山さんに来てもらって「箸ゲームサロン」をやったのですが、それがとても好評で、みんながコミーの会社に行きたいと言い出したのです。
それでコミーの会社の視察ツアーという次第になりました。
社員みんなで箸ゲームをやる様子も見せてもらった後、会社も見せてもらいました。
参加者全員が国際箸学会にも入会しました。

私は午後は、その「御一行様」から抜け出し、久しぶりなので、社員とその後のコミーの話を聞かせてもらいました。
午後は用事があったのですが話しているうちに長くなってしまい、午後の用事はキャンセルさせてもらいました。

最近、あまり会社を訪問することがなかったのですが、やはり会社はさまざまな人生が絡み合っている面白い場です。
そこから気づかせてもらえることは山のようにある。
また少し会社にも関わりたくなってきました。
刺激を受けると何かやりたくなる。
その習癖はどうも治りそうもありません。

■4465:十三回忌が無事終わりました(2019年11月26日)
節子
遅れていた十三回忌をようやく無事終わりました。
残念ながら今回は結局節子のお姉さんは体調の関係で参加できませんでしたが、姉夫婦と節子の家族とで、宝蔵院にお願いして法要してもらいました。
寒い日で本堂も寒かったですが、節子の孫のにこもきちんとお焼香もできました。
宝蔵院のご住職もいい僧侶に育ってきています。

13回忌を過ぎると節子を守る仏も金剛界の大日如来に変わるそうです。
17回忌になると、今度は胎蔵界の大日如来にバトンタッチだそうです。

今回の手配は娘のユカがしてくれました。
これでもういつでも私を送る手続きも大丈夫でしょう。
法要後、みんなで久しぶりに中華料理を食べに行きました。
節子がいたころは、時々、家族みんなで中華料理も食べに行きましたが、節子がいなくなってからはほとんど行かなくなってしまいました。
今日は柏の銀座アスターだったのですが、何やら中華らしからぬ中華で、節子がいたころの方が中華らしくてよかったなという話になりました。
今回はコースを頼んでしまったので、ちょっとスマートすぎて物足りませんでした。

それにしてももう13年目。
最近私にも気力が戻ってきましたが、あっという間の13年でした。
いや、長い長い13年と言ってもいいかもしれません。

13年が過ぎたので、これからはちょっとまた気分を変えていこうと思います。

それにしても今日は冬のような寒さでした。

■4466:「死に水を取らせてください」(2019年11月28日)
節子
岐阜の佐々木さんからまた柿がどっさりと送られてきました。
早速節子にも供えさせてもらいました。
十三回忌の法要にも、柿やリンゴを持っていきました。
節子にも届いたことでしょう。

佐々木さんは最近はすっかり岐阜に引きこもり、豊かな暮らしを楽しまれています。
もし節子がいたら、私もそういう暮らしになっていたかもしれません。
しかし残念ながらなかなかそういう暮らしには入れません。

今日はある人が気になって、用事をキャンセルして、湯島に行って、その人と会いました。
前日の夜まで迷っていたのですが、そしてその人もわざわざ出てこなくても大丈夫と言ってくれていたのですが、メールの行間にはやはり出て来いという感じがありました。
寒くて雨も降っていたので、あまり気のりはしませんでしたが、湯島に朝、出かけました。
ホッとしたのは、その人が前よりも元気だったことです。
当面の危機は脱したようです。
表情が全く変わっていました。
こんな感じなら来なくてもよかったなと思ったのですが、どうもそうではなく、今日、私と会えることも元気の素だったようです。

そして急に、こんなことをいうのは…と突然また深刻な顔になりました。
しかし、そのまま、言うと佐藤さんに嫌われるかもしれないので、やはり言うのはやめますとまた涙顔になってしまいました。
やはり私にはまだ言っていない何かがあるのかと不安がよぎりましたが、何を言われても私は大丈夫だし、そもそも今でも嫌っているよと伝えました。
もちろん嫌っているというのは「冗談」ですが、その真意が相手に伝わるかどうかは問題です。
これまでも誤解されたことはありますし。

その言葉で、彼は話してくれました。
「佐藤さんの死に水を取らせてもらいたい」。
真剣な表情で、そう言ったのです。
え!!?

安心しましたが、意外でした。
かなり大変だったのだなと思いました。
私は、それに応えて、「私は死なないから」と応えました。
実は最近、テレビドラマの「ドクターX」のファンになりました。
ドクターンお決まり言葉は、「わたし、失敗しないので」です。
その言葉を聞くと、なぜか心が安心します。
私は世間的な意味では失敗ばかりしていた人間ですので、その言葉に癒されるのです。
まあ失敗ばかりしている人間には、一度でいいから言いたい言葉でもあります。
「私は死なないから」という言葉をこれからは私の気まり言葉にしようと思いました。

彼が元気になって湯島を出て行ったことで、午後は元気になれました。
それも夕方までの束の間の元気でしたが。

■4467:元気が一瞬にして打ち砕かれました(2019年11月28日)
節子
心の安定は一瞬にして失われるものです。
夕方、パソコンを開いたら、なかなか連絡がとれなくなっていた若い友人からのメールが届いていました。
それを読んで唖然としました。

用件に関する返事に続けて、最後にこう書いてあったのです。

あと、私の病気ですが、ガンが、あちこちに転移しています。
(中略)
最低限度の治療は行いますが、完治しない場合は、緩和ケアに移行するつもりです。

彼が入院したことは知っていました。
しかし、それは別の理由だと考えていました。
まさか癌とは。そしてあちこちに転移とは。
それまでの少し明るい気分は完全に吹っ飛んでしまいました。
彼は実に誠実に生きてきた若者です。
この半年、なんとか彼の心を開こうと思って、それなりに頑張ってきましたが、夏ころから少し関係がおかしくなり、最近会えずにいました。
それは彼の精神的な状況のせいだろうと思っていました。
関係性が戻ったら、彼が構想していたことをできるような状況づくりは、それなりにしてきましたが、それも無駄になってしまうかもしれません。

まあそんなことはどうでもいいのですが、あまりにもむごい運命としか言いようがありません。
彼はみんなのためにこれまで自らを犠牲にしてまで生きてきたことを知っているだけに、哀しいというかやり場のない怒りを感じます。

彼が心を開ける友人になれていなかったことを心から悔みます。
どうしたらいいか、頭がまとまりません。

■4468:「人との付き合いのほとんどは無駄な会話で占められている」(2019年11月29日)
節子
昨夜はよく眠れずに、いやな夢ばかり見ていました。
おかげで7時にユカから起こされるまで眠っていました。
こんなことは初めてです。

今朝はお昼前に約束がありました。
遠来の客を受けて、近くに住んでいる友人と昼食を一緒にする約束です。
その前に、昨日のメールにどう返信しようかと少し悩んでいました。
一応、すぐに返信はしたのですが、それだけでは不十分な気がしています。
しかし、彼の性格やこれまでのやり取りを考えると、これがまた難しい。

考えがまとまらないうちに時間が来てしまい、約束の場所に出かけました。
久しぶりの遠来の客は、すでに来ていました。
アレンジしてくれた友人と一緒に食事をしましたが、なんだか気分がまとまらず、自らを元気づけるために何か話していないとやり切れないような気分になってしまいました。
ずっと昨日もらったメールのことが頭から離れません。

しかし旧知の3人で話をしているうちに、なんとなく吹っ切れました。
やはり人は無駄話を通して、救われるのだと思いました。
メールをくれた彼にはこういう無駄話の時間はあったのだろうかとふと思いました。
その相手をしてやれなかった悔いがまた浮かんできました。

2時過ぎに食事を終わり、そこから私は帰宅することにしました。
明日、あるところで講演をしなくてはいけないのですが、その準備があまりできていないことに今朝気づいたのです。
困ったものですが。

出かける時はあったかかったのですが、風邪が出てきて少し寒くなっていました。
例によって薄着でサンダルででかけたのですが、ちょっと反省しました。
それで急ぎ足で自宅に戻りましたが、途中で、近くの中村さんに会いました。
彼女は、遠くから私を見ていたのですが、近づいたら、佐藤さん、背が伸びましたね、と言うのです。
いえ、最近は縮みがちですと答えましたが、姿勢がいいから大きく見えると言われました。
寒いので急いでいたので、背筋が伸びていたのでしょう。
そこから少し孫の話になりました。
寒いので早く帰りたかったのですが、中村さんは話好きなのです。

人との付き合いのほとんどは、そういう無駄な会話で占められているのでしょう。
そう言えば、今日の級友たちとの会話も、無駄な会話だったといえるでしょう。
しかし、無駄な会話の効用はとても大きいのです。
無駄な会話があればこそ、人は平安な生活を過ごせるのかもしれません。

帰宅して明日の準備をしようと思っていたのですが、まあ急ぐこともありません。
昨夜録画していた「ドクターX」を見ることにしました。
「わたし、失敗しないので」というセリフを聞くときっとさらに元気になるでしょう。

■4469:20年ぶりの旧友(2019年11月30日)
節子
昨日は20年近く会っていなかった友人と会いました。
会社時代の同僚です。
同じく会社時代の同僚だった友人が我孫子に住んでいますが、3人で会ったのです。
幸いにあまり昔話は出ませんでした。
むかし話も時にはいいですが、私はあんまり好きではありません。

彼は私が取り組んでいたコムケア活動を手伝ってくれていましたが、ある時に突然辞めてしまいました。
それがずっと気になっていたのですが、まあそれも詮索はしないことにしました。
過去を語って意義のあることもありますが、多くは思考が前に進まなくなるからです。

彼とは意外な話で共通点がありました。
日本文字の形成過程に関する関心です。
彼はいま、いろんなところで、古事記や日本書紀を学んでいるそうです。
最近は「出雲風土記」にも関心を広げているようです。
たぶんその過程で、文字の問題に出会ったのでしょう。
私は最近の万葉集サロンで、万葉仮名に興味を持ち、放送大学で「日本語概説」を視聴し始めました。
文字の話は実に面白く、いろんなことを気づかせてくれます。

久しぶりなのに、会って話していると、昔に戻ります。
この20年近くの時間は何だったのだろうかと思います。
しかし、外見上はお互いに大きく変わっています。
それにそれぞれが何らかの身体上の問題を抱えている。
久しぶりに旧友は心臓に問題があり、もう一人の地元の友人も内臓に問題を抱えています。
かくいう私も、それなりにいろいろと問題があるのでしょう。
ただ私は病院に検査にも治療にも行かないだけのことなのです。
ですから、誰もがいつダウンしてもおかしくないのです。

私自身は、彼岸も来世も確信していますから、さほど気にはしていないのですが、やはり高齢になると、友人に会いたくなるのかもしれません。

■4470:「ブレずに貫いて78年」(2019年11月30日)
節子
今日は久しぶりに背広を着て、もちろん靴も履いて(最近はいつもサンダルです)、講義をしてきました。
生活哲学学会の主催するプログラムで、4回の連続講義を引き受けてしまったのです。テーマは「シビックアントレプレナーのすすめ」です。

まあそれはともかく、そこで25歳の若者に会いました。
講義は対話型も入れ込みながら行ったのですが、彼の発言にとても関心を持ちました。
講義を終わって帰宅したら、彼からメールが入っていました。
いささか気恥ずかしいのですが、一部を紹介させてもらいます。

佐藤様のような方の生き方、考え方を25歳のうちに触れられたこと、本当に自分は恵まれているなと感じた時間でした。
まだまだ経験の足りない私なので大変おこがましいですが、お話しいただいた内容に共感する部分が多く、自分の生き方は間違ってないんだなと、再確認出来ました。
と同時に、誰もが楽に流れて忘れてしまいがちな、本当に人として大切なことを誤魔化さず、ブレずに貫いて78年生きてこられたすごさに感服する限りです。

改めて、「言葉にできないすごさ」を考えるきっかけになったと思います。私も佐藤様のように謙虚でおごらず、時には厳しく、それでいて包み込むような優しさもある器の大きい男になれるよう日々精進致します。それでいて私だからこそできること、私が存在している意味も常に考えながら、これからの長い人生を生きていきたいと思っております。

若さ特有の過剰反応があると思いますが、私への評価はともかく、「自分の生き方は間違ってないんだなと、再確認出来ました」というところを読んで、今日の講義は報われたと思いました。
私の話の本意はいつもほとんどが伝わらないことはこれまで何回も体験しています。
しかし、時にこんなこともあるのです。

もっとも、「ブレずに貫いて78年生きてこられた」という点は、残念ながら事実ではありません。
たしかに子どものころから本質的には変わっていないと思いますが、実際にはブレまくっていた気もします。
私がようやく落ち着いたのは、たぶん節子を見送って数年してからでしょう。
節子という、私にとってはかけがえのない伴侶から、生前も死後も、気づかされた結果です。
にもかかわらず、いまもなお、ブレまくっているのかもしれません。
彼を裏切らないように、生きなければいけません。

届いたメールを節子にも読ませたくなりました。
最近、こういうこと、つまり節子に聴いてほしいことがよく起こります。
聴いてもらえる人がいることの幸せは、いなくなってから気づくものです。
もしそういう人がいたら、ぜひ大切にしてください。

■4471:サンダルで階段を駆け下りさせられました(2019年12月1日)
節子
今年も12月になってしまいました。
今日は我孫子で立ち上げつつあるグループの集まりでした。
中高生も参加して、これまでとは違った展開になってきています。
今日のメインメニューは、手賀沼のほとりにある親水公園でのビデオ撮影でした。
中高生中心で撮影するのかと思っていたら、私まで出演させられました。
そうとは思わずサンダルで参加していたのですが、階段を駆け下りるシーンとかいろいろあって、大変でした。
このグループは、誰もが同じ立場ということを方針としているので、そう言い出した手前、私が特別扱いされることはできないのです。
しかし、高齢者は大切にするようにしようとは頼んではいますが。

私は地元の活動が苦手で、これまでも何回か試みましたが、あんまりうまくいきませんでした。
その経験も踏まえて、今回はゆっくりと多世代を巻き込みながら進めています。
2年前にわが家での集まりから始まったのですが、だんだん私の考えに共感してくれる人が増えてきて、具体的な活動も始まりだしたのです。
いま取り組んでいる具体的なプロジェクトは、30年後を目指して、手賀沼を舞台にした大きなお祭りを育てていこうということです。
30年後は、いくらなんでも私がいないことは確実ですので、私にとっては「来世プロジェクト」なのです。

地元の活動で言えば、節子の方が着実でした。
我孫子駅前の花壇づくりに取り組む花かご会はいまもしっかりと活動をつづけています。
駅に行くたびに、その花壇を見て、いつも当時のことを思い出しています。

いま生活哲学学会で4回シリーズの講義を引き受けていますが、そこでも「シビックアントレプレナーシップ」を持とうとアジテートしています。
ビジネスを改めてソーシャルプロジェクトへと変えていければ、きっと社会は豊かになっていくでしょう。
中高生と一緒にやっている今の我孫子のプロジェクトも、いつか必ずシビックビジネスにつながっていくはずです。

ちなみに撮影は、転ぶこともなく無事終わりました。
身体的な疲れはともかく、ちょっとまた元気が高まりました。

■4472:詫びる相手がもしいたら、すぐに詫びたほうがいい(2019年12月2日)
この2日間、いろいろあって家を留守にしていました。
電話も留守電にしていました。

今朝、新潟の金田さんから電話がありました。
一昨日と昨日、電話したが留守電でつながらなかった、オフィスにも電話したがやはり伝わらなかった、何かあったのかと心配しました、という電話でした。
そう心配されるような年齢になっていることに、改めて気づかされました。

私は夜の8時過ぎから朝の8時までは基本的に電話には出ません。
これは昔からのわが家の文化です。
時々それを忘れて出てしまうこともあるのですが、夜は静かに過ごしたいのです。
携帯電話は昼間でも出ないことが多いのですが、それは単純に気付かなかった、携帯電話お携帯していなためです。
時には、気づいてもスマホの扱いに慣れてないので、出損なうこともありますが。

それはともかく、金田さんの要件は、今年は約束していたことが何もできなかったお詫びでした。
私に詫びる理由など全くないのですが、詫びる人がいることは人生には大事なことだと思っていますので、素直にお聞きしています。
これも私の考える「布施」の一つです。
もちろん布施を与えているのは金田さん、布施を受けているのは私です。
つまり、「詫びる」という行為は、お布施の一つだと思います。
まあ神社へのお賽銭と同じです。

詫びるという行為は、しかし、そんなに簡単なことではありません。
詫びるべき時に、詫びることのできない人がなんと多いことか。
実は私も「詫びる」のが苦手で、最近ようやく「詫びる」ことができるようになってきていますが、長いこと、「詫びること」も「詫びられること」もうまくできませんでした。
節子との関係でも、お互いそうでした。
中途半端なままの段階で、節子は逝ってしまったのですが、いまなら私は素直にいろんな意味で節子に詫びることはできるでしょう。
節子もまた、私に詫びることができるように、私も「詫びられること」に慣れてきました。
それができるようになった今、節子に詫びたり、詫びられたりできないことがとても残念です。
詫びる相手がもしいたら、すぐにでも詫びたほうがいい。
それがいまの私の心境です。

■4473:闡提成仏(2019年12月3日)
節子
私の友人の伴侶が真如苑の信仰者です。
その関係もあって、真如苑の開祖である伊藤真乗の伝記を読みました。
いわゆる新興宗教には興味はあるのですが、興味本位でしか関連書を読んだことがありませんでした。

節子の仲の良い友人にも、立正佼成会の信仰者がいて、節子の見舞いにも来てくれましたし、葬儀にも来てくれました。
節子は時々、その友人から書物などをもらっていたと思いますが、私は読んだことはありません。
ですから、関連図書をしっかりと読んだのは初めてです。
今回読んだのは教義に関するものではなく、開祖真乗の評伝ですが、真如苑というもののイメージは一変しました。

真如苑の「真如」とは真実そのもの、あるがままのものという意味で、「苑」とは囲いのない庭をいうのだそうです。
つまり、誰もが仏教の教えに沿って、真実を見いだすことのできる場所が「真如苑」というわけです。
海外にも広がっていて、真如苑寺院もかなり海外にもあるようです。
ネットで調べたら、真如苑の信徒は、「うちなる仏性を見出し、さらにそれを行動によって自らを磨き上げて、周囲の方とともに、 よろこびの世界を築くこと」を目指すのだそうです。
この言葉は、私が目指す生き方にもつながっています。

いくつか印象に残ったことはありますが、私がとても共感したのは、その平等概念です。
真如苑には「闡提成仏」という言葉あります。
闡提(せんだい)でさえ、成仏できるという教えです。
山川草木悉皆成仏という言葉が仏教にありますが、その一方で「闡提」という言葉もあります。
闡提は、因果や来世などを信ぜず、仏の教えを誹謗して成仏の縁を欠く者です。
つまり、成仏できないのが「闡提」です。
これは仏教が内在している矛盾の一つです。
しかしある意味では、当然の帰結で、成仏という言葉が存在する以上、成仏できない存在がどうしても生まれます。
ある概念をつくれば、必ずその概念に合わない存在を生み出すからです。

すべての宗教は「平等」を唱えますが、「平等」を唱えることは「不平等」を認めることでもあります。
一方で、悉皆仏性と言いながら、仏性を持たない闡提の存在を唱える。
そして、その闡提さえも成仏させるのが仏の教えだというのは、別に真如苑に限ったことではありません。
ほとんどの経典が結果的には闡提の往生の可能性を示しています。
もしそうなのであれば、そもそも最初から「闡提」などという概念を創り出すなという気がしますが、そうした小細工を工夫したのが仏教が広まった一因でしょう。
まあそれは良しとしましょう。

しかし、「真乗」を読んで、なぜか「闡提成仏」というところが強く心に残りました。
「闡提」さえも成仏できるのではなく、「闡提」こそが成仏できるというように読めたのです。
昨今の宗教や信仰のあり方には、いささかの違和感があるのですが、「真乗」を読んで、来年は少し「信仰」とか「宗教」の問題を少し考えてみたくなりました、

今回のローマ法王の来日には失望しました。
しかし、その一方で、やはり宗教の持つパワーを感じました。
それも、「信仰」や「宗教」の問題を考え直そうと思い立った理由です。

いまから思えば、節子は無意識の中の「信仰」を生きた人でした。
私も、その「信仰」から、ささやかな気付きをもらいました。
そのことも改めて思い出しながら、考え直すのもいいかもしれません。

■4474:不説の法(2019年12月3日)
節子
だいぶ前から読み始めてなかなか読み進めなかった本があります。
山川宗玄禅師の説法をまとめた「無門関の教え」です。
テレビの「こころの時代」の山川宗玄禅師の話を見て禅への関心を持ったことを、この挽歌に書いたら、早速、山川禅師とも知り合いの岐阜の佐々木さんが送ってきてくれたのです。
20ほどの公案を材料に、山川禅師がアメリカで行った法話をまとめた本です。
読み出しましたが、歯が立たない。

消化できないままに、寝る前に時々読んでいました。
何とか理解しようとしているうちに眠くなる。
そして、昨夜、ようやく読み終えました。
最後が「首山竹篦」。
そもそもこのタイトルさえ、私には読めませんでしたが、「首山」は禅師の名前、「竹篦」は「しっぺい」と読んで、「たけべら」のことです。
恥ずかしながら、まだよくわからない。

しかし、そこにこんな話が書かれていました。
首山禅師が、師の風穴禅師から後継者として認められた時の話です。
ある時、風穴禅師が弟子たちに「釈迦は説いて説けないものが法であるといったけれども、おまえたち、その不説の法をここで提示してみよ」に問うたそうです。しかしだれも答えられない。その時、首山禅師は突然立ち上がって、そのまますっと禅堂の方に帰ってしまった、というのです。それを見て、風穴禅師はと「首山、ついに悟ったな」と言ったそうです。
何のことか全くわからない。
それで昨夜はよく眠れませんでした。

しかし今日、突然にその意味がわかったのです。
ただし、説明はできません。
その後に出てくる山川禅師の話がつながったのです。
その話は、とても分かりやすい話です。
山川禅師の法友のところに、毎日、愚痴などを話しにやってくるおばあさんがいた。
その僧は、いつもただ聞いているだけだったそうです。
しばらくして、そのおばあさんが亡くなってしまった。
葬儀を終えた後、おばあさんの親戚がやってきて、おばあさんの遺言を伝えてくれたそうです。
おばあさんはすべての財産を、その僧にもらってほしいと言ったそうです。

「不説の法」がなんであるかを示唆しています。
これと首山禅師の行動とどうつながるか説明はできませんが、同じことだとわかりました。

理解できなくてもわかることがある。
難解だった「無門関の教え」は、いつかまた改めて読みましょう。
理解できなくても、心に伝わってくるものはある。
読書にも、「不説の法」というのがあるようです。

読んだ本をわかりやすく解説してくれる友人が何人かいます。
私にはとてもできません。
読んで感動した本の内容も伝えられないのです。
言葉を使って伝えることが、最近特に不得手になってきました。
困ったものです。

■4475:サロンで話したいという人が増えてきています(2019年12月4日)
節子
昨日、2組の人が湯島に来ました。
20代から50代まで、しかも活動も多彩な人たちです。
いずれも、湯島のサロンで話したいという人です。

最近、湯島のサロンで話をしたいという人が増えてきているのです。
長年の取り組みが少し報われて気分になっています。
始めたときのパートナーの節子がいないのが残念です。
湯島のサロンも、実にいろいろなことがありました。
それを振り返りたくなっても、一緒に振り返る節子がいません。
振り返れない過去は、存在しないも同じです。

それはともかく、昨日の来客の一組は、叔母と姪の組み合わせでした。
叔母に当たる友人はサロンに時々くる人です。
たまたま彼女が通っていた保育園が、私が保育問題に取り組みだしたきっかけとなった神愛保育園に通っていたため、どこかで私への信頼感が生まれたのかもしれません。
豊かな保育園時代を送ったようです。

姪はまだ大学2年生です。
彼女が姪を連れてきたのは、姪の人生をもっと豊かにしてやりたいと思っているからのようです。
そこで、さまざまな人が集まってくる湯島のサロンで、姪に話をさせてしまおうと考えたようです。
話をしていて、とてもいい叔母・姪関係であることがわかりました。
そしてなぜ彼女が、サロンに巻き込もうとしているかも。
もちろんサロンで話してもらうことにしました。
テーマは何と「宇宙の始まりとダークマター」。
ちなみに彼女の大学での専攻は薬学です。

ふたりと話していて、節子がここにいたらなあとまた思ってしまいました。

ちなみに、もう一組は発達障害の当事者であり、発達障害のある人への支援活動をしている2人でした。
最近、ピアサポーターという言葉が広がっていますが、そういう動きにむしろ違和感を持っている「当事者支援者」です。
とても共感できる提案を受けました。
こちらもサロンをしてもらうことにしました。

こんな風にして、来年はますますサロンにのめりこみそうです。
困ったものです。

■4476:節子の白いミニバラ(2019年12月5日)
節子
遅れていた13回忌の法要を行ったので、その報告も兼ねて、毎年、節子に花を献花してくれる隣の家にお礼に行きました。
13回忌の節目を終えたので、お花は今年で終わりにさせてもらいたいとお願いしました。
こういう時に、どう言ったらいいのか、私は苦手ですので、節子がいる時には節子にアドバイスをもらっていました。
しかし今はそれも出来ずに、なんといっていいか戸惑っていたら、先方から「節目ということですね」とわかってもらえました。

それに続いて、うれしい話をしてくれました。
節子を見送った時に、献花に来てくださったみなさんに、白いミニバラの鉢を差し上げました。
その白いミニバラをわが家のすぐ近くに地植えにしたら、いまも元気で育っているそうなのです。
帰宅して窓から見たら確かに育っています。
実にうれしい話です。
ちなみにお隣さんは、あまり花を育てるような土いじりが好きなタイプではないのです。
それを知っているので、私は感激してしまいました。
しかもわが家に一番近いところに、ですから。

ちなみに、その時のミニバラはわが家では私の手入れ不足でみんな枯らしてしまいました。
あの頃はかなりのミニバラの鉢をいろんな人に持って行ってもらいました。
いま残っているのはいくつあるでしょうか。

■4477:歯は元気のようです(2019年12月6日)
節子
寒くなりました。
寒くなると身体の動きが悪くなります。
そのうえ、今朝、リビングのエアコンを入れたら壊れていて動きませんでした。
夏にはなぜか動いたのに、また動かなくなった。
寒さのせいでしょうか。
困ったものです。

歯医者さんに行きました。
定期検診ですが、年に似合わず歯は大丈夫のようです。
まだ抜けた歯は1本、歯周病もまあ大丈夫だということでした。
しかし夜はきちんとマウスピースをした方がいいとまた言われました。
つくってもらった時は3か月くらい続けたのですが、最近はもう全く忘れています。
しかし歯医者さんにはそれもすぐわかるようです。
困ったものです。

私自身は、歯磨きは好きではありません。
そもそも身体の健康管理や身体の手入れが苦手なのです。
それに現世で生き続けることへのモチベーションも高くありません。
節子がいたら、3万年でも生きられますが、いない今は現世への未練はほとんどありません。
ただただ退屈なだけです。
しかし、こういう人に限って、長生きするかもしれないと最近不安になることがあります。
全く困ったものです。

寒いとやることもない。
畑には収穫しそこなっているニンジンなどもあるはずですが、行く気も起きない。
もう少しあったかかったら、40きろのお遍路さんに行こうとも思っていましたが、もうやめました。
人はどんどん怠惰になるものです。

今日はまた「ドクターX]を見てしまいましたが、今回はまったく面白くありませんでした。
やはりテレビは飽きますね。

充実感の全くない1日でした。
孫と一緒に食事にでも出かければよかったです。

■4478:「感謝も伝えられるときにしっかりと伝えなくては」(2019年12月6日)
節子
この挽歌も最近、アクセスが減っています。
時評編をあまり書かなくなったのと挽歌もなんということのない私の日記になってしまったからでしょう。
挽歌と時評を組み合わせている意味もあまり亡くなったかもしれません。
コメンとも減って、最近はめったにありません。

ところが今日の夕方、気づいたのですが、久しぶりにコメントの書き込みがありました。
投稿者はpattiさん。
以前、心にしみるコメントくださった方です。
いまもなお読んでくださっているとは、うれしいことです。

コメントは時評編へのものでしたが、そのなかにこんな文章がありました。

東日本大震災の3か月後に彼は旅立ちました。
正直言って目の前の日々変化する彼の病状と共にあることで精一杯、私自身まるで重力がない世界にいるようでしたから震災後も復興云々より人の生死についてばかり頭を巡らせていました。
こうして稚拙ながらコメントできるようになったのも時の経過故です。
そして佐藤さんのブログとの出会いもこの喪失の経験がなければ起こらなかったことなのです。
佐藤さんの本意に反するかもせれませんが、改めて感謝を伝えたいと思います。
「詫びることができるうち詫びる」と同じように感謝も伝えられるときにしっかりと伝えなくては。

「詫びることができるうち詫びる」は、先日書いた記事をさしています。
つづけてこう書かれています。

直近で鼓舞されたのは昨夜のU2のライヴです。政治的メッセージも辞さない彼らの一貫した姿勢のみならず、昨夜はアフガニスタンで悔しくも凶弾に斃れた中村哲氏への哀悼と彼の功績を讃えました。
前日私は一人悶々と悲しみに暮れていました。偶然手に入ったチケットでその場に居合せ、ともに追悼できたことへの感謝と事件への憤り、無念さがない交ぜになってくしゃくしゃになりました。

この文章で、pattiさんのプロフィールが少し伝わってきます。
もちろん私は、pattiさんがどんな人か全く知りません。
さらにこう書かれていました。

そんな一夜が明けて佐藤さんのブログを開いて書き連ねてしまいました。長くなってすみません。
サロンをはじめ多くの人たちとの関わり合いの「場」提供し続けている佐藤さんはなんと心強い存在でしょう。
お体にはくれぐれも気を付けてください。またお邪魔させていただきます。

pattiさんには無断で引用させてもらいましたが、コメントで公開されているので許してもらえるでしょう。

「感謝も伝えられるときにしっかりと伝えなくては」。
全く同感です。

■4479:「物言えば、唇寒し」に抗わなければいけません(2019年12月7日)
節子
今日もまた寒い1日でした。
今日は、湯島のBMS(茶色の朝)サロンで、先月来日したローマ法王を話題にしました。
記録して公開しようという意見もありましたが、今回はともかく本音で話す状況にしたかったので、記録はやめました。
そのおかげではないですが、議論はいろいろと出ましたが、終わってからやはり記録すればよかったと思いました。
録画されているから本音を出さないとか発言しにくいというのは、やはり誠実ではないと思ったのです。

私自身は、どんな場でも基本的に建前の話はしません。
いつも本音で話しているわけではありませんが、嘘だけはつきません。
というよりも、嘘がつけないのです。
これは子どものころからで、嘘をつくと赤面したり顔に表情が出たりして、すぐに嘘だとわかっていますのです。
嘘をついてもすぐ嘘だとわかってしまうので、嘘が嘘にならないのです。

公開の場だと、しかし、発言を差し控える人はいるでしょう。
そうでなくとも、最近はみんな本音ではなしをしないと、サロンで20代の若者が指摘していました。
たしかに、「物言えば、唇寒し」の時代です。

湯島のサロンでは、決してそんなことはありません。
長年かけて、ある種のアジールになってきました。
であればこそ、ここでの議論を公開していくことが次の目標ではないかと気づいたのです。
わたしだけではなく、他者を巻き込むことになるので、慎重を期さねばいけませんが。

昨日は久しぶりに鷹取さんが来てくれました。
帰り際に、「今年最後だと思うので」と前置きして、みんなに「よいお年を」と言った後、「佐藤さんには来ないだろうけれど」と付け加えました。
その時は気になりませんでしたが、後であれはどういう意味だと気になりだしました。
禅の公案かもしれません。
来年1月に、禅書「無門関」のサロンをやることにしました。
鷹取さんはそれを知っていたのでしょうか。
まあ知るわけはないですが、鷹取さんは実に愛すべき人です。


■4480:太田さんの生き方の見事さ(2019年12月10日)
節子
太田さんはご存知でしょうか。
節子がまだ湯島に行っていたころ、何回か湯島にも来たはずです。
もっともしばらく途絶えていたから、節子ががんになった頃は交流が少し途絶えていました。

節子がいなくなってしばらくして、太田さんはわが家にやってきました。
節子が亡くなったことを知って、わざわざわが家までお線香をあげにやってきてくれました。
以来、わが家にも3回ほど来ていますが、いつも、有名なお寺のお線香を持ってきてくれます。

その太田さんが、癌になってしまいました。
しかも発見が遅れてしまった。
手術は無理ということで、抗癌治療を勧められたと思いますが、癌に抗わずに、治療せずに、できるだけこれまでと同じように生きようと決心しました。
毎日曜日に湯島にやってくる生活スタイルも変えることなく、やってきました。

しかし2週間ほど、来なかったことがあります。
気になっていたのですが、一昨日のサロンにやってきました。
聞けば、九州の実家にいる母親に報告に行っていたそうです。
太田さんの最大の悩みが、母親にどう伝えるかだったのです。

九州までの旅はつらかったようです。
もしもう少しタイミングを暮せていたら、体力的に無理だったかもしれないようです。
一昨日のサロンに来た時も、辛そうでした。
でも来てくれた。

太田さんは、もう余命宣告を受けていますが、驚くほどの平常心を維持しています。
これほど剛毅な人を、私は知りません。
肩に力が入っているわけではないのです。
いとも自然に生きている。
こういう生き方ができるのは、これまでの太田さんの生き方のためでしょう。
太田さんから教えられることは多いです。

■4481:期せずして太田サロン(2019年12月10日)
節子
太田さんの話をつづけます。
一昨日のサロンに病院を外出してやってきました。
痛みなどもあって、病院に入院したのですが、これまで通りの生活をこころがけているそうです。
先日、佐賀の母親に会いに行ってきた後、やはり体力が大きく低下したようです。
サロンには遅れてやってきましたが、表情が違っていました。
しかしこれまで通り、話し合いでは、相変わらずの根本的な問いかけをしましたが、緯線のように声に勢いがありません。
話すのも辛そうでした。

サロンが終わった後、何人かが太田さんを囲み、話しだしました。
そのまま、太田さんを囲むサロンになりました。
フェイスブックにも投稿したのですが、みんな太田さんの症状も知っています。
しかし、明るい話し合いができました。
太田さんの話もたくさん聞けました。
おかげで病院に出してきた外出届の時間には病院には戻れなくなったでしょう。

それにしても、これだけあっけらかんと話せるのはめずらしいでしょう。
太田さんとは最近知り合った人もいましたが、彼は感激していました。
彼も死に関しては割り切っている人ですが、こういう話し合いの場がもっとあればいいと一緒に帰る途中で連発していました。
私は、来世を信じていますので、また会えるからと思っています。
そう思えば、哀しくはありません。
それに涙で人を送るのは私の好みではありませんし、太田さんの好みでもないでしょう。
それに涙は出る時には出るのです。
悲しさを感ずるのは、送ってからしばらくたってからです。

太田さんは、湯島のサロンの常連でした。
しかも、テーマによって参加を決めるのではなく、用事のない日曜日のサロンは必ず参加していました。
それこそ、私がサロンで目指している方針なのです。
その意味で、太田さんは湯島のサロンの最大の理解者でした。
ですからその前に一度太田さんに最後のサロンをやってもらいたいと思っていたのですが、さすがにどう頼んだらいいか判断できずにいました。
それが期せずして、サロンが実現したのです。

太田さんが途中で、メモを出して、読み出しました。
私への問いかけのようでした。
それも、いつものように、ついつい反論してしまいました。
最後まで、太田さんとはいつものように付き合おうと思います。

しかし、こんなサロンが開けるとは思ってもいませんでした。
いい時間でした。

■4482:帰ってゆきたい場としての湯島サロン(2019年12月10日)
節子
もう一つ書かせてもらいます。
太田さんの話です。

太田さんはつらい中を湯島まで歩いてやってきました。
太田さんは、途中はつらかったが、湯島のサロンにけると思うと元気が出てきたと言ってくれました。
太田さんは、湯島のサロンが好きだったのです。
しかし着いたときは、もう倒れそうな顔色で話すのもやっとのような感じでした。

ところが、サロンが終わり、立てないでいる太田さんのまわりに何人かが集まり、太田サロンになって話しているうちに、表情や顔色が一変してきたのです。
話もいつものようになってきました。
湯島に入って来た時と別れる時はまったく違ったのです。
薬よりも治療よりも、安心できる場所で心置きなく心を開くことがいかにいいことかを実感しました。

今日、太田さんからフェイスブックで私宛へのメモが投稿されました。
内容はまた改めて書くとして、あて先は「初代湯島サロン亭主 修さんへ」、そして差出人は「自称 2代目湯島サロン亭主2代目より」となっていました。
たしかに太田さんは、湯島サロンの主旨に共感してくれていました。
2代目になってもよかった存在です。
それで、「自称」でなくて「公認」でもいいとコメントしました。
太田さんは「光栄です」と素直に受け入れてくれました。
湯島サロンの2代目はこれで決まりです。
このやり取りは、事情を知らない人にはどう感じるでしょうか。

それはともかく、太田さんがつらさの中で、湯島サロンに行こうと思ったのは、長年のサロンが報われた気がします。
太田さんは、湯島に行って、みんなに会いたいと自然と思ったのです。

先日、コミュニティに関するサロンで、上田さんが「コミュニティとは帰ってゆきたくなる場」だと言った話を思い出します。
湯島のサロンは、もう私だけの場ではなくなってきました。
みんなが帰っていきたくなる場なのです。
節子と同じく、太田さんも湯島に戻ってくるのでしょうか。
私が戻ってくる頃にも、湯島が残っているといいのですが。

宝くじを当てて、永久保存体制を目指さなければいけません。

■4483:小学校の同級生の女子会への招待(2019年12月11日)
節子
小学校時代の女子会がありました。
秋にフランスの有機農業の集まりなどに行っていた霜里農場の友子さんの報告会を兼ねて、湯島でミニ同窓会を升田さんが企画したのです。
男性にも声を掛けましたが、みんな病院通いでダメだったので、女子会になりました。
男性が私一人だけでは話も合わないので、欠席しようと思ったのですが、霜里農場の手作りおにぎりを食べさせてやると言うので、参加しました。

ところがあいにく常磐線が混乱して、時間に間に合いませんでした。
鍵は霜里農場の友子さんが持っているはずなので、大丈夫だろうと思っていたら、すでに3人が到着していて、ドアの前で待っていました。
呼びかけ人の升田さんも遅れているようです。
そしてその升田さんからメールが届きました。
肝心の友子さんがどうも忘れてしまっていたようです。
まあこの歳になるとこういうことはよくあることです。
2時間遅れて友子さんは参加しました。

それにしても女性はみんな元気がいいです。
私は話に入ると場を壊しかねないので、片隅で小さく話を聞いていました。
友子さんがフランスで小学校に有機野菜を採用したまちづくりの市長を呼ぼうと言い出しました。
そのお鉢が私にまわってきました。
困ったものですが、ちょっと面白いかもと思って、うっかり引き受けてしまいました。
さてまずは資金集めからです。

おにぎりにつられて、場違いの女子会などには参加してはいけません。
しかも、肝心の友子さんが忘れていたので、おにぎりは食べられませんでした。

■4484:温泉湯治(2019年12月12日)
節子
抗がん治療をしている友人に、3日ほど前から電話をかけているのですがつながりません。
今日もなぜかつながりません。
彼は一人住まいなのです。
気になっていましたが、今日、ようやく相手からかかってきました。
つながらなかった理由は、携帯電話をスマホに替えたら、扱い方がよくわからずに混乱しているようでした。
まあ私も似たようなものなので、困ったものだとしかいえません。

オブジーボ治療を受けようかどうか迷っていましたが、先日、温泉療法に落ち着いたのです。
遠くの温泉の話も出ていましたが、近くになったようで、これから新宿に行って、そこから山梨の益富温泉に行くそうです。
来週、定期診察があるので3〜4日で戻ってくるそうですが、調子が良ければ年明けに少し長目の湯治療法にいくそうです。
一泊くらい招待してくれるかもしれませんが、今の元気であれば私が行くこともなさそうです。
それくらい元気な声でした。
ちょっと安心しました。

彼は、私の小学校時代の同級生です。
昨日は、小学校時代の同窓生の女子会でしたが、今日は、同じ同窓生の男子会を我孫子でやろうと連絡がありました。
じつは、同窓生同士が2組結婚しているのですが、その同級生夫婦の奥さんだけが昨日はやってきました。
たぶんその様子を聞いて、連絡してきたのでしょう。
女子会への参加もつらいですが、男子会もあんまり乗り気がしません。
しかし、だんだんとこういう誘いが増えてきています。
どうしてみんな来世を確信しないのでしょうか。
現世で会えなくなっても、たぶん来世でも会えるでしょう。

私も一時、会えなくなる前に会っておこうなどという気になったことがありましたが、最近は来世で会えばいいという思いになっています。
死などに拘束されたくはありません。

■4485:久しぶりの日の出(2019年12月13日)
節子
今日はまた生活哲学学会に話をしに行きます。
背広で行こうかセーターにサンダルで行こうか迷いましたが、一昨日、その格好を見た友人から、ホームレスに間違えられると言われました。
そこでせっかくの決意が崩れてしまい、今日もまた背広と靴で行くことにしました。
ところが今度はその上に着るコートがありません。
真冬のコートはあるのですが、ちょっと今日は重すぎる感じです。
まったく衣服というのは面倒です。

今日は1時間間違えて起きてしまいました。
おかげでまた本が読めました。
ヤシャ・モンクの「民主主義を救え!」です。
私が思っている以上に、民主主義の時代は終わってきているのかもしれません。
その本に、異なる民族や宗教が平和裏に共存していた時代は、ハプスブルク帝国とオスマン帝国のように、強力な王政の支配を伴っていたと書かれていました。
そして現在の若者たちは、民主主義を好ましいものだと受け止めていないという調査結果も示されていました。
民主主義信仰もまた、わずかな時代のブームでしかなかったのかもしれません。
実は私も最近、そんな気分が少し高まっています。
ハプスブルク家の支配のなかに暮らすのも、意外と魅力的かもしれません。

まあ今日の講義は、シビック・アントレプレナーの薦めがテーマで、いささかのアジテートをする予定ですが、ちょっと迷いが出そうな気配です。
忘れなければいけません。

外は陽が出てきました。
久しぶりに日の出を見ました。
節子と一緒に日の出を見た記憶は今でも鮮明に残っていますので、ちょっと感傷的になってしまいます。
さてそれを振り切って。

■4486:衝撃的な電話(2019年12月14日)
節子
節子も知っている友人から衝撃的な電話がありました。
その友人の友人夫妻が滋賀県で自殺をしたという連絡です。
2か月ほど前に余命宣告された上に、かなりつらい日々だったそうで、夫婦で一緒に自殺を決意したそうです。
その人も、私も30年近く前に会ったことがあります。

私の友人の幼馴染でした。
しかし、なぜに夫婦で、か。
伴侶の方も納得していたようで、彼女自身も病気を抱えていたのかもしれません。
友人は思いとどまるように何回も働きかけていました。
しかし3日ほど前から連絡がつかなくなり、一昨日、滋賀県の県警から連絡があったそうです。
携帯に、私の友人との通話記録があったので連絡があったそうです。
聞かされていたとはいえ、まさかの夫婦心中。

もしかしたらろ聞いていたとはいえ、友人もショックで気が動転、持って行きようのない怒りや悲しみで、ともかく誰かに伝えなければということで私に電話していたようですが、私があいにく電話に気づかずに、今日、やっと連絡がつきました。
そういう時には、ともかく誰かに話をしなければおさまりません。
それで私が聞き役に選ばれたのです。
私自身、対応しようもなく、ただただ聞くだけの電話でした。

しかも、その電話を受けたのは、めずらしく講演していた休憩時間でした。
私もその後の講演で、打ち明けたかったのですが、なんとか我慢しました。
帰宅して、娘に話して、少し気が軽くなりました。
しかし、それにしても、気が晴れません。
それであまり書くべき話ではないと思いましたが、書いてしまいました。
人はなぜ死のうと思うのでしょうか。
たとえ自らの生命であろうと、意図的に生命を断ってはいけません。
生命が終わるときに、それに抗うのも私の生き方ではありませんが。

付き合いのある人の死は、心が揺れてしまいます。

■4487:死こそが日常で、生き続けることが非日常(2019年12月17日)
節子
また挽歌を書けなくなっていました。
この数日、いささか気の重い話が続いています。
サロンがあったり、孫が来たり、気がまぎれることもあったのですが、どこかで気が沈んでいます。
誰かと話している時はいいのですが、パソコンに向かうと気が沈んでしまう。
それにどうも夢見がよくありません。

そのうえ、テレビでは息子の暴力が他者に及ぶのを恐れて息子を殺害した元事務次官の裁判の話など、相変わらず暗い話で持ちきりです。
息子に殺されるのであれば、私には別に悲しい事件には感じないのですが、その逆の事件はあまりにも痛ましいです。
その話も、最近私が落ち込んでいる一因です。
愛する人に殺されるのは不幸ではないでしょうが、愛する人を殺すことは、この上なく不幸で辛いことのはずです。
親子は相似形ではないかと思いがちですが、たぶんそんなことはないでしょう。
親は子どもには無償の愛を持てますが、子どもは親に無償の愛は多分持てないでしょう。
誤解されそうな言い方ですが、それが生命の本質のように思います。

しかし人の死は、なぜかくも心に響くのでしょうか。
人はいずれ死を迎えるわけで、死を迎える時期が早いか遅いかの違いだけの話ですが、そして新聞を見ればわかるように、死は社会にはあふれかえるほどの日常事なのですが、なぜこれほどに重く感ずる死があるのか。

この頃、ようやく実感できてきたのですが、生き続けるということは奇跡的な僥倖の連続に支えられていることの結果なのです。
いま生きていることの幸運を、私もようやく実感できるようになりました。
それに気づけば、死はさほどのことではない気もします。
死こそが日常で、生き続けることが非日常なのです。
まあこんなことを書いてしまうほどに、いまちょっと生が萎えています。
困ったものです。

今日はまた孫が来るそうなので、お昼でも食べに行こうと思っています。
気が戻ってくるといいのですが。
今日は、気が滅入るような、そんな陰鬱な天気です。

■4488:今年もまた花かご会のカレンダーが届きました(2019年12月17日)
節子
我孫子駅前の花壇整理をしている花かご会の山田さんが今年も特製カレンダーを持ってきてくれました。
早速に節子の位牌に報告させてもらいました。
節子は、花かご会の最初のメンバーでした。
花かご会はとてもいい人ばかりで、節子を最後まで見舞ってくれました。
節子は本当にいろんな人に支えられて幸せだったと思います。
闘病中の節子の枕元には、花かご会全員の寄せ書きがいつもありまsた。
しかし、最後にみんなでお見舞いに来てくれたとき、なぜか節子が会いたくないと言ったのには驚きました。
自分の姿の痛々しさを覚えてほしくなかったのでしょうか。
当人でないとわからないことなのでしょう。

先週もオフィスに出かける時に、駅前の花壇で作業している花かご会のみなさんの姿を見ました。
声をかけようかと思いましたが、時間がなかったのでやめました。
おやつでも差し入れようと思っているのですが、なかなかうまくいきません。

節子がいなくなってから、駅前花壇のデザインが少し変わったような気がします。
私はむしろ最近の方が好みですが、節子がいつも今度はどんな花壇にしようかとスケッチしていたのを思い出します。
節子がいなくなってからもう13年。
いまも我孫子駅前の花壇は、花かご会のみなさんのおかげでいつもきれいです。

■4489:2回目の孫の回転ずし(2019年12月17日)
節子
七五三詣での後、みんなで回転寿司に行ったのが孫のお寿司屋さんデビューでしたが、どうもお寿司が気に入ったようです。
といっても、前回は挽歌でも書きましたが、予定していたお寿司屋さんが休業だったので、近くの一皿90円の「浜寿司」に行ったのですが、最近、浜寿司は回転しなくなったのです。
ですから孫に開店」が体験できませんでした。
それで、「今度は回っているお寿司屋さんに行きたい」と孫が言っているというので、今日はみんなで近くの「寿司勢」に行きました。
ここも回転寿司なのですが、ちょっとだけ高級なのです。
このお寿司屋さんは、節子が病気中にできたお店で、節子は数回してきてないでしょう。
私は、節子を見送った後は、家族で一度来ただけです。
孫と来るのはもちろん初めてです。

一応回転寿司ですが、回っているところが高いので、孫にはほとんど見えません。
それにここは基本的には注文制なのです。
それでも孫は気に入ったようで、お子様用に小さく切ってもらい、旗までつけてもらいご機嫌でした。
孫は卵アレルギーなので、子どもセットメニューはだめなのですが、好きなエビなどを6貫も食べていました。
私は逆にお寿司はあんまり好きではないので(ファストフードとしては時々食べますが)、ランチセットを頼んだら、それでもうお腹いっぱいになってしまいました。

会計をしたら、前回の浜寿司の4倍くらいでした。
今回もお金がなかったので娘に頼みました。
困ったものです。

■4490:引きこもり体験者の集まり(2019年12月18日)
節子
今日は湯島で阿部さんが、引きこもり体験者などの相談会やサロンを開催していました。
先月から湯島で定期的にやることになったのです。
以前から私にも声がかかっていたのですが、なかなか参加できずに、今日、初めて参加しました。
私は途中から参加したのですが、5人ほどの人が集まっていました。
みんなかつて引きこもっていたり不登校だったりしていた人です。
それもかなり長期にわたってです。

不登校や引きこもりに、いずれもコンプレックスを持っています。
しかし、不登校や引きこもりにコンプレックスを持つ必要などあるはずもありません。
そこでいつもの持論を話しだしてしまいました。

私はこういう場では「今は何をしているのですか」と訊くことが多いです。
多くの人が「働いていない」と答えます。
そこで、「稼いでいないだけではないですか」と応じて、生きている以上、働いていない人はいないと言葉を重ねます。
人は、そこに存在するだけで必ず誰かの役に立っています。
もちろん誰かに迷惑をかけているともいえるのですが。
役に立つことと迷惑をかけることは、私には同じことのように思えます。

不登校だった人には、「学校だけが学びの場」ではないと言います。
今日は、その言葉は言いませんでしたが、学校に行きたくないのは自分をしっかりと生きているからだという話は少ししました。
私は子ども時代、あまりしっかりしていなかったので学校には行きました。
ただ高校時代には、不登校ではありませんでしたが、学校が嫌いでしたので、嫌いな授業はさぼって図書室で本を読んだりしていました。
いまの子どもたちには、学校と家庭しかないと思わせているところに問題があります。
ちなみに塾や学童保育の場は、もう一つの学びの場ですが、いずれも大人たちに管理されている場であることには変わりはありません。
子どもたちが自分たちの場が作れないところに問題を感じます。
ネットのようなバーチャルな場は、私には別の世界の世に思えます。

みんなと話していて、やはり社会そのもののおかしさを改めて感じます。
ここに集まっている人たちのエネルギーや思いを束ねたら、みんな生き生きしてくるでしょう。

いろいろなことを気づかせてもらいました。
不登校や引きこもりを体験した人たちの素直さにはいつも感心しますが、いろんな世界に触れてこなかったが故の視野の狭さも感じます。

現在のさまざまな対策やNPO活動には、やはりどうしても共感できません。

■4491:人はみんな違う世界に生きている(2019年12月20日)
節子
久しぶりに武田さんと2人で、国家論争をしました。
国家や政治の捉え方が全くと言っていいほど違うのですが、なぜかいつも武田さんから問題提起を受けます。
いつもは電話で、こんなことを考えたのだがどうかと意見を聞かれるのです。
毎回、どちらかと言えば否定的に反応することが多いのですが、武田さんは懲りずに電話してきます。
そのため、いつも長電話なのですが、電話ではやはり話し合いは難しい。
それで時々、2人での激論会になるわけです。
しかしお互いにちょっと疲れていて、今回は激論にはならずに、まあ程々の話し合いになりました。

しかしいろんな人と話していていつも思うのは、人はみんな違う世界に生きているということです。
私が社会の多様性に気づいたのは、会社を辞めて、地域の住民運動の場に参加した時です。
そこで体験したのは、企業の世界とは全く違う世界と言ってもいいでしょう。
その活動を通して、さらに行政にも関わったら、ここもまた全く違う世界でした。
ですから、たとえば、行政による住民説明会などは、まったく違った思考や言語がただ飛び交っているという感じでした。
ということは、企業もまた、地域社会や行政とは違った言語やルールで思考し行動しているのでしょう。
そこから私の活動の大きな方向が決まったのですが、長年付き合っている武田さんとさえ、理解し合うというよりも、伝え合うことさえ、相変わらず難しいのです。

まあそれは今さら気づいたことではないのですが、このごろ、人は違う世界に住んでいることを思い知らされることが本当に多いのです。
特に私の場合、世間の価値評価基準とほとんど真反対なので、相手に勘違いされることが多いのです。
相手が褒め言葉で私のことを話せば、だいたいにおいて私は褒められたなどとは思いませんし、有名人の話をしても、私はその人って誰ですか?という程度の知識しかありません。
ブランドなどの知識はまったくありませんし、グルメで有名なレストランなどの知識もありません。
困ったものですが、私が信ずるのは自らが直接体験したことだけなのです。
ですから私の世界はとても狭い。

しかし、それは私に限ったことではないでしょう。
みんな狭い世界に生きているのです。
そのことがわかれば、人は誰とも仲良くやっていけるのかもしれません。

みんな違う世界に生きている。
そう思うと、とても生きやすくなります。
しかし、時にあまりの違いにつかれることも少なくありません。
違う世界にもかかわらず、同じ世界と実感できる幸せは、なかなかもう体験できないでしょう。

■4492:「チェルノブイリ」(2019年12月21日)
節子
米英で制作したテレビドラマ「チェルノブイリ」を3日かけて観ました。
5時間のドラマです。
3人の友人から薦められていましたが、何故か先日の小学校時代の女子会に巻き込まれた時に、なぜかこのドラマをDVDにして持参してくれた人がいました。
湯島のサロンに来たことがある人でもなく、卒業後、ずっと会ったこともなく、今年になって久しぶりにあった人です。
なぜDVDにしてまで持ってきてくれたのか、あまり気のりはしなかったのですが、もらった以上は観ないわけにはいきません。
それで、3日かけて観終わりました。

ネットでの説明によれば、「チェルノブイリ原子力発電所で起こった、未曾有の原発事故の発生に冷戦下の旧ソビエト政府が事態の深刻さを隠ぺいしようとする中、被害の拡大を抑えようと必死に戦った英雄たちがいた。あの時現場で何が起きていたのか?!ソビエト政府に調査を委任された科学者、現場の対応を任されたシチェルビナ副議長、事故の謎解明に奔走した核物理学者の活躍を中心に当時を再現した実録ドラマ」と紹介されています。

暗い映像が多く、最初はあまり気のりしなかったのですが、3回目からは引き込まれるように観てしまいました。
ドラマとはいえ、実に真実味があるのです。

真実味というのは、過去に起こったチェルノブイリ原発事故の真実味という意味ではありません。
いまここでの真実味、つまり今ここで起こっても不思議ではないという意味での真実味、さらに言えば、私自身の人生に繋がっているという真実味です。
大きくは、「隠蔽する政府」と「被害を最小限に食い止めた科学者」という2つの物語によって構成されているのですが、前者に関して言えば、過去の話ではなく、いま私が生きているここで進んでいる事実を重なってしまうのです。
https://www.star-ch.jp/drama/chernobyl/
もしかしたら、福島事故もまた同じように事態は進んでいるのではないかという思いに襲われてしまいます。
そして日本には、残念ながら、事実を解明し被害を食い止めようとしている科学者はいないのではないか、とも思ってしまうのです。
このドラマを多くの人が見たら、流れは変わるでしょう。

被害を最小限に食い止めた科学者の話も、筋書はよくある英雄譚なのですが、実話に基づいているので、感動的です。
そして私自身の生き方を考えさせられるところが少なくありません。
少し残念なのは、節子と一緒に見られなかったことです。
この種の映画やドラマを、よく節子とみて、話し合ったものです。
「チェルノブイリ」は、まさにそうしたかったドラマでした。

■4493:愛する者は、愛の対象に帰属している(2019年12月21日)
節子
今日は湯島で、コミュニティシリーズ2回目のサロンでした。
杉原さんによる「時間意識と自殺予防」がテーマでした。
久しぶりに20人を超える参加者がありました。

そのサロンの報告は別途書きますが、サロンの後、杉原さんと上田さんで食事をしました。
秋に那須で合宿したメンバーです。

上田さんは今年クリスチャンになりました。
なぜこの歳になって、入信したのか、とても関心がありますが、なかなかその理由がわかりません。
言葉ではもちろん理由は聞いていますが、それによれば、安堵する「コミュニティ」を求めているというのです。
長年の会社生活を止めて、何故かアジアの僻地を回ったそうですが、そこでこれまで得られなかったような「安堵感」を得たようです。
それは、上田さんによれば、「帰ってきた」という実感だったようです。
上田さんは、コミュニティを「帰ってゆきたくなる場所」と捉えています。
アジアでの、その体験が、上田さんの洗礼に関係しているはずです。

そしていま、自らが心身を完全に委ねられるコミュニティをつくりたいと考えているのです。
私は、しかし、コミュニティはつくるものではなく、見つけるものだと思っていますし、そういう意味では、誰にまわりにも、その人にとってのコミュニティはあるものだと確信しています。
そもそもコミュニティは、アソシエーションとは違って、作れるはずもないと思っているのです。

今日は、そんな話を上田さんと杉原さんとしたのです。
上田さんは、コミュニティの核には「愛」がなければならないと確信しています。
というよりも、たぶんクリスチャンとして、信仰とは「神に帰属すること」と捉えている似かもしれません。
アレントは、処女作「アウグスティヌスの愛の概念」で、アウグスティヌスの人間論によれば、「愛する者は、愛の対象から分離しているわけではなく、むしろそれに帰属している」と書いています。
この感覚が、上田さんの信仰の基本なのかもしれません。

来年は、湯島のサロンで「信仰」を一つにテーマにしようと、改めて思いました。

■4494:冬至の陽光(2019年12月22日)
節子
今日は冬至でした。
湯島で「箸文化」をテーマにしたサロンをやりました。
テーマのせいか、日本の伝統文化や行儀作法に通じている人が集まりました。
そのおひとりが部屋に入ってくるなり、窓のカーテンを開けてほしいと言いました。
冬至の陽光を感じていたいというのです。
ちょっとスピリチュアルな世界にも通じている人です。

冬至は最も日が短く、陽光も弱いですが、この日を境に日は長くなり、陽光も勢いが増していきます。
そういう「勢い」が転ずる、太陽を感じていたいというのです。
冬至と言えば、私は柚子湯とかぼちゃくらいしか知らず、陽光に触れるということを知りませんでした。
死に向かっていた陽光が、生き返り、元気になっていく。
その陽光を浴びながら(感じながら)、元気をもらっていく。
とてもいい話です。
サロンよりも、その一言に感激しました。

今日は、あまり元気な陽光ではありませんが、明日からきっと勢いを増してくる。
これまで冬至に関しては、あまり何も感じていなかったのですが、当時の捉え方が一変しました。
明日から、いや今日から、流れが変わってくる。
そう思うと何やら幸せな気がしてきました。

■4495:孫へのクリスマスプレゼント(2019年12月23日)
節子
孫のにこから頼まれていたクリスマスプレゼントを渡すために、少し早めのクリスマスをしました。
にこは卵アレルギーなので、普通のケーキは食べられません。
卵が入っていないケーキを用意しようかどうか迷ったのですが、いつも、娘母娘は2人で手作りケーキをつくっています。
それよりも見栄えが良くて、甘さも強い市販のケーキはもう1年先延ばしすることにしました。
その代わりに、手巻きずしを用意しることにしました。
節子がいたころは、よく手巻き寿司パーティをやったものですが、久しぶりです。
際忌諱、お寿司が好きになったにこは、手巻きずしもたくさん食べてくれました。

終わってから、プレゼントです。
私は頼まれていた、おもちゃのバイオリンです。
15曲が入っていて、それに合わせてリズム練習や合葬ができるのです。
今回は今までにないようなうれしそうな顔でした。
ユカは、これもにこが最近嵌まっているというディズニーグッズでした。

節子がいたころのにぎやかさは、もうなくなっていますが、それでもにこは嬉しそうに飛び回っていました。

■4496:年末の相談つづき(2019年12月24日)
節子
抗がん治療をしている幼馴染の友人が湯島にやってきました。
私がどうも時間を間違って連絡していたようで、その前にやってきていた別の知人と重なってしまい、その知人とのいささか深刻な話を聞かれてしまうことになってしまいました。
それで、友人は私の最近の窮状を知ってしまったのです。
私は隠すことを全くしていませんが、まさか私がそんな状況にあるとは信じていなかったのでしょう。
その知人が帰った後、友人はやはりそうだったのかと私のことを心配しだしました。0
そのため、相談の立場が逆転してしまいました。

私自身は「窮状」などとは全く思っていないのですが、世間的な常識では、この歳になって貯金がないのは「窮状」なのでしょう。
生き方を変えれば、状況はまったく違うのですが。
まあそのおかげで、今回もお昼をご馳走してもらいました。
彼はうなぎを勧めましたが、近くのうどん屋さんで済ませました。

つづいてやって来たのは、先日のサロンに久しぶりに顔を出したCさんです。
先日の帰り際に、一度相談に行きたいと言われたので、早速に今日をセットしたのです。
どんな話かなと思っていたら、これまたショッキングな話が出てきました。
話題は「信仰」と「自殺する権利」。
これだけだとなんのことかわからないでしょうが、精神的にちょっと疲れ気味の私には、いささか刺激が強すぎる話でした。
でもまあ事態はいい方向に向かっているようです。

年末には、おそらくこういう話がいろんなところで語られているのでしょう。
そして最悪の場合は、命が絶たれる。
そう思うだけで、私のように脳天気に生きていることが、何となく罪深く感じてしまう。
そして、なぜか心が穏やかにはならないのです。

心穏やかに年を越すのは、どうやら今年も無理そうです。

■4497:(2019年12月25日)
節子
新潟は寒いようです。千葉も今日は寒いですが。

新潟の金田さんから電話がありました。
聞けば親しい友人が亡くなったのだそうです。
今日がお通夜ですが、その前に私の声を聞きたくなったそうです。
さびしさに襲われると、無性に誰かに話したくなる。
たぶん金田さんの気分もそんな感じだったのでしょう。
私はまったく知らない、その亡くなった方の話を電話で話してくれました。
金田さんご自身も、話し終えてから、わけのわからない電話ですみませんと言っていましたが、ただただ理由もなく話したくなる、その気持ちはよくわかります。

冬は亡くなる人が多いと、中下さんから聞いていましたが、たしかのこの1か月、訃報が多い。
最近は、訃報にも慣れてしまい(こういう言い方は不謹慎ですが)、人の死をあまり悲しいと思わなくなってきています。
自分自身が死に近づいているからかもしれませんが、死は一時の別れくらいな感じがしてきています。
しかし、若い人の死はまったく違います。
それは、別れの「一時」が長いからかもしれません。
その意味でも、どうも「来世」は存在するような気がします。

■4498:年末のお接待(2019年12月26日)
節子
今日は鈴木さんの5回目のサンティアゴ巡礼報告でした。
そのなかで鈴木さんもちらっと言及していましたが、節子がまだ湯島のサロンに来ている時に、黛まどかさんに来てもらってサンティアゴ巡礼のサロンを2回ほど開きました。
黛さんが映画をつくろうとして活動していた時で、ささやかな応援をしたのですが、その後、節子の病気などでちょっとつながりが切れてしまいました。
もし節子の病気がなかったら、私たちもサンティアゴに行く機会を得られたかもしれません。
今日、ホームページで当時の習慣報告の見出しだけ少し見たのですが、あの頃は、実にいろんなことがありました。
節子の病気は、私たちの生き方を一変させてしまいました。
できることなら、来世でもう一度、再挑戦したいものです。

ところで、今日はサロンの前に鈴木さんに昼食のお接待を受けました。
世間的な常識で言えば、私がお接待すべきなのですが、お接待を受けるのもまたお接待という私の考えで、素直にご馳走になりました。
日本神道文化研究会の平井さんや浅井さんも一緒でした。
最近、この2人はサロンにもよく来てくれます。
それぞれ面白いテーマを追いかけているので、サロンもお願いしようと思います。

節子がいなくなってから、私はいろんな人からお接待してもらっています。
今週は3回目のお接待でした(1回は辞退させてもらったのですが)。
もしかしたら節子が彼岸から頼んでくれているのではないかと時々思うほどです。
あるいは私が食事していないのではないかと思っているのかもしれません。
たしかに昼食は一人で行くことはありません。
一人の時は昼食抜きですので、時々、空腹難に襲われることはありますが、まあ湯島には何かとお菓子類があるので、餓死することはないでしょう。

鈴木さんのお接待もさることながら、4人での食事で、最近抱え込んでいる重い気分を少しだけ下ろさせてもらった気分です。

■4499:歯医者さんと節子(2019年12月27日)
節子
今日はいしど歯医者さんに行きました。
定期検査なのですが、小さな虫歯が見つかったので、その治療もしています。
歯医者さんに行くといつも思い出すのが、節子です。
というのは、節子は癌になってからいつ歯医者さんに行けなくなるかもしれないと言って、友人から紹介された歯医者さんに通って、すべてを直してもらったのですが、その時の安心した表情と声がとても印象的だったからです。
当時はいまの歯医者さんはまだ知らなくて、節子は友人の息子さんがやっている遠くの歯医者さんに通っていました。
歯医者さんに来ると、いつもあの時の節子の表情と声を思い出すのです。

私がいしど歯科医に通いだしたのは、節子が亡くなってからです。
それまでの歯医者さんに行く気が起きずにいる時に、近くのいしど歯科医を知ったのです。
とてもいい歯医者さんで、以来、娘たちもみんなそこにお世話になっています。
最初通いだした時は、まだ節子を見送ったばかりで、いつも歯医者さんでは泣きそうな陰鬱な感じだったと思います。
治療の椅子に座ると節子が思い出されて、いつも涙が出そうになっていました。

というわけで、いしど歯科医には節子は行ったことはないのですが、なぜか私には節子といしど歯医者さんがつながっているのです。
節子がいたら、たぶん私以上にいしどさんのファンになったでしょう。

今日は治療を終えて、会計をしていたら、いしど先生がNewsweekを持ってきてくれました。
息子さんの石戸諭さんが、また大型取材記事のスペシャルレポートを書いたのだそうです。
まだ息子さんにはお会いしたことがないのですが、来年は一度会ってみたくなりました。

歯医者さんの後、近くのサイゼリアでまちづくり編集会議大人グループのミーティング、帰宅したら武田さんからの長電話、まあ、今日もまたそれなりにつかれる1日でした。

来年はもう少しのんびりと過ごせる年にしたいものです。
ちょっと披露気味です。

■4500:東尋坊からのお餅(2019年12月28日)
節子
東尋坊の茂さんから恒例のお餅が届きました。
茂さんの活動に深くかかわることになったのは、節子との最後の旅行で偶然に茂さんたちに出会ったのが契機です。
ですから茂さんたちとの活動には、いつもどこかに節子がいました。
東尋坊からの帰路に出会った夕陽は忘れられません。
が、そこにはもう行く勇気はありません。

私が節子を見送った後に、社会に戻ってこられたのは茂さんの「夢」の実現に協力したことです。
しかし、茂さんたちの活動はいまや有名になり、活動基盤もしっかりとできてきたので、最近私はあまりかかわっていません。
でも茂さんたちと一緒にやった活動の流れもあって、いまも時々、そうした相談はやってきます。
今年も、いくつかの自殺関連の問題にも出合いました。

東尋坊に吸い寄せられる自殺企図者の8割は関西や関東など遠隔地からやってくるそうです。
茂さんは、東尋坊での活動は「水際作戦」、そこに自殺企図者を送り込んでくる上流の状況を変えなければ問題は解決しないと考え、「上流作戦」の必要性を以前から主張していますが、来年は、上流作戦に力を入れたいと手紙に書いてありました。

それを読んで、来年はまた私も何かできることに取り組もうと思います。
まあ今やっていることも、広い意味では茂さんのいう「上流作戦」なのですが。

■4501:孫の反応(2019年12月29日)
節子
今日も孫ににこがやってきました。最近は自転車に乗るのが大好きになって、1キロ以上をるところを自分で自転車でやってくるのです。
もちろんジュンと一緒にですが。
最近は言葉も多くなり自己主張も強くなってきました。
わが家では基本的に名前で呼ぶようにしていますので、私は「おさむさん」と呼ばれています。
本当は「おさむ」が理想なのですが、娘が「さん」をつけさせてしまったのです。

今日は驚かそうと思い、にこが食べられるお菓子の30個入りの袋を買い込んでおきました。
にこはそのお菓子を何かのご褒美として、毎回1個ずつしか食べられないのだそうです。
ちなみに1個10円の駄菓子です。
それを一挙に30個ももらえたら喜ぶだろうと思ったのですが、あんまり喜ばずに、母親に報告していました。
わたしとしては、30個も一度にもらえたらどんな反応をするかと思っていたのですが、当てが外れました。
子どもの反応はほとんど期待や予想を外されます。
まあしかしそれがまた面白いのですが。

節子がいたらどんなものをプレゼントしたでしょうか。
私の好みはあんまり孫には好まれないようです。
困ったものです。

■4502:年末の気分がでてきません(2019年12月30日)
節子
最近の時間の進みようの速さには驚きます。
あっという間に年を越しそうです。
部屋の掃除さえできていません。

私は年賀状を書かなくなってからもう久しいですし、年末行事も最近はまったくと言っていいほどなくなりました。
節子がいたころは、いろいろと年末らしいことがありましたが、最近は普段とそう変わらない時間を過ごしていて、年末の気分が出てこないのです。

しかし、気分は別にして、もう明日1日を残すだけになりました。
今年は私にとってはあまりいい年ではなかったような気もしますが、節子の13回忌も終えて、何かが少し変わったような気もします。
変わったのは、彼岸との距離感がなくなったということです。
言葉では説明できませんが、どこかで彼岸との親近感が生まれだしています。
というよりも、節子との距離が近づいてきているという気もします。

その一方で、身体の元気は年末近くなって、とてもよくなりました。
体力の衰えや身体機能の低下は仕方がないのですが、なぜか気が戻ってきたような気がします。
春から夏にかけて、心身ともにすっきりせずに、もう隠棲したいなと思うことがあったのですが、いまはそういう思いよりも(相変わらずあるのですが)、また何か新しいことを始めたいという思いの方が勝っています。

考えてみると、節子がいなくなってからの私の生き方は迷走していました。
よくまあ無事に行き抜けたと思うほどです。
時々会う友人知人にはそうした迷走はあまり見えていないと思いますが、何人かの人は知っているでしょう。
一歩間違えば、いまの私はなかったでしょう。
われながらぞっとする10年間でした。

そうした迷走からようやく抜け出られた気もします。
今年は、そういう意味では大きな変わり目の年だったのかもしれません。
せめて明日は年末気分に浸ろうと思います。

■4503:静かな大みそか(2019年12月31日)
節子
今年も大みそかになりました。
節子の文化の一部はユカががんばって継いでいますが、なにしろ家族が2人なので、状況はまったく違います。
お正月料理も最近はメインディッシュもなくなりました。
ユカは時々、既成の華やかなおせち料理を買おうかと言いますが、本心ではなく、毎年、お煮しめとおなますをつくり、簡単なおせちを添えて、正月の準備をします。
ユカとよく話すのですが、節子が元気だったころは、花や食材の買い物が大変でした。
節子は節約家のくせに、そういうハレの場になると頑張ってしまい、いつも何か新しいチャレンジもしていました。
失敗することも多かったですが。
今年はいろんなことがありました。
両親の23回忌や33回忌、そして節子の13回忌。
いずれも一区切りできた気もします。

お墓の掃除に行きましたが、本堂にもお礼をしてきました。
除夜の鐘の準備をしていましたが、以前はコンセプトワークショップのお寺にも除夜の鐘を突きに来たことがあります。
節子は、活動家でしたから、年末も年始も忙しいのにいろいろと出かけたりしていたのを覚えています。
ユカと一緒に年始の準備をしましたが、予想以上に早く終わりました。
まあ私たち二人とも、かなり手抜き気味ですから。

例年になく今年は静かな大みそかですが、結局、部屋の掃除もホームページの更新もせずに、日常の延長としての年末になりました。
緊張感が全くないのが不思議なくらいです。

■4504:日常的な元日(2020年1月1日)
節子
いつものように、穏やかな年明けでした。
初日の出は残念ながら雲が多くて見られませんでしたが、すぐに日が出てきて、あたたかくなりました。
ユカのお雑煮を食べて、ジュン家族と合流して、子の神様へ初詣。
そのままみんなで宝蔵院にお墓参りに行きました。
わが家に戻って、ささやかなおせちで新年を祝いました。
これが最近の基本形です。

にこは今年は着物で、ご機嫌でした。
ジュンも子育てから少しだけ解放されつつあるようですが、この3年間は大変だったようです。
節子がいたら状況はまったく違っていたでしょうが。

それにしても最近は正月といってもあまり特別な気分は出てこなくなりました。
むかしのような「ハレの気分」もあまり感じません。
どこかにさみしさを感じますが、むしろ今では毎日が「ハレ気分」なのかもしれません。

年賀状も最近は少なくなりました。
1000通を超す年賀状をやり取りしていたころとは大違いで、年々減って今年は100枚にも達しません。
3年前まではそれでももらった年賀状にはメールするか年賀状を出すかしていましたが、最近は、それもやめました。
年賀状が減るのも当然です。
それでもなかには懐かしい人からの年賀状もあります。
会社時代のアシスタントの女性からの年賀状も今でも何通か届きますし、節子の友人からの年賀状も私宛に届きます。

こんな日常的な元日は、あまり記憶にありません。
歳と共に、だんだんこうなっていくのでしょうか。
しかし、今年はちょっといい年になるような気がします。
といっても、節子に会うのではありません。
長年の課題の解決に向けて、私も娘たちも、ちょっと動き出す機運が出てきたのです。
13回忌が終わって、みんな少し精神的余裕が出てきたのかもしれません。
少なくとも私はそうです。

明日から私はもう日常に戻る予定です。
年末にはちょっと時間に追われてしまいました。

■4505:聞こえてくる悲鳴(2020年1月2日)
節子
この3日間は基本的に世間との接点は最小限にし、無為で平安な時間を過ごそうと思っていたのですが、なかなかそうもいきません。
ネット社会においては、自らを世間から遮断するのはよほどの覚悟が必要です。

多忙な毎日を過ごしている人は、この正月休みは元気を回復するチャンスになるかもしれませんが、逆に日常とは違う生活を余儀なくされる人たちには「苦痛の時間」になるのかもしれません。
たとえばこんなメールが来ました。

私は今、さびしさで、部屋の中を動き回っています

疲れているのだから休めばいいのにと思うのは、彼の状況を理解できない人の感想です。
私も、彼の状況を理解できない一人ですが、最近はようやく理解できないものの、その事実を受け入れられるようにはなりました。
しかし、今日も明日も、それなりに用事があって、そう簡単には出ていけません。

フェイスブックを見ていても、何となくSOSが聞こえてくる書き込みもあります。
読まなければいいのですが、何故か読んでしまう。
そうすると心穏やかではありません。

脳天気におせちの写真や幸せそうな風景をフェイスブックに投稿している人たちに紛れて、そういう声が聞こえてしまうのは、不幸と言えば不幸ですが、聞こえてきてしまうものは避けようがありません。
そういう聞こえない、あるいは見えない悲鳴が聞こえてきてしまい、なかなか気持ちをゆったりできません。

今年はいい年になるはずなのに、いささか不安です。

■4506:新年の気分がどうも出てきません(2020年1月4日)
節子
今年はまあ程々の年明けだったのですが、何かがちょっとおかしい気がします。
自分でもよくわからないのですが、新しい年の気分や勢いが出てこないのです。
昨年、いろんなことがありすぎた上に、年末にちょっと気を削がれることが集中したせいかもしれませんが、どうもそれだけではなさそうです。
どこかで感覚が変わりだしているような感じもあります。
もう一つ感ずるのは、気持ちがとても弱くなっていることです。
ちょっとした言葉に過剰に反応するようになっています。
相手は善意で行っているのでしょうが、どうもそれを素直に受け止められずに、その奥が見えてしまう気がするのです。
もちろん奥に悪意や邪念があるわけもなく、そこに感ずるのは幻想や妄想でしかないのですが、そのことがさらにまた私の心を気弱にさせるのです。

一見、平和で満たされた3が日だったのですが、どこかに不安感のようなものを感じます。
これは意志ではどうにもなりません。
身を任せるしかありません。

というわけで、年初から毎日挽歌を書くということを守れませんでした。
ちなみに、怠惰に過ごした結果、2キロ太ってしまいました。
困ったものです。

■4507:新年最初のサロン(2020年1月4日)
節子
今日は新年最初のオープンサロンでした。
節子がいる時とは違って、何かを用意するわけでもなく、コーヒーだけのサロンです。
せめてミカンとワインくらいは持って行こうと用意していたのですが、朝、出かける時に、どうもその気分ではないという気がしてきて、手ぶらで出かけました。
サンダルで行こうかとも思いましたが、まあジャケットも着たので靴にしました。
ちなみに元旦の初詣も含めて、三が日はサンダルで過ごしましたが。

湯島天神は例年ほどの混み具合ではなかったような気がしますが、それでも長い行列ができていて、並んでいる時間がなかったので、裏口から入り、横からお詣りしました。
オフィスに行くとガラスが見事なほどにきれいになっていました。
昨年末に部屋を利用している阿部さんたちが掃除してくれたのです。

待つ間もなく行田市の中村さんが行田名物の十万石饅頭を持ってやってきました。
武田さんはシュークリームを持って、ほかの人たちも何かと持ってきましたので、お菓子類もそろいました。
用意しないと集まるものなのです。
そこが不思議なところです。

話はかなりハードな話題に集中しました。
「ひきこもり問題」と「食と農」が中心でした。
そういうことに関心のある参加者が多かったのです。
サロン終了後に2人の人がやってきました。
そのため終了時間が1時間以上延びてしまいましたが、その話が実に面白いというか、内容の濃いものでした。
なぜかその話のテーマも「農」につながるものでした。
話が面白く、近藤さんが持ってきたリンゴを切るのを忘れてしまいました。

サロンは面白かったのですが、何故かどこかにイライラ感があって、武田さんにまた余計な反論をしてしまいました。
自分の精神状況があまり良くないことに気づきました。
何にいら立っているのかわかりませんが、どうも心は平安になれない。
その原因がわかるといいのですが。
いやそれよりも、何かが起こらなければいいのですが。

■4508:気ぜわしさから抜けられません(2020年1月8日)
節子
どうも挽歌が書けません。
何かとバタバタしすぎているのです。

サロンの翌日は、ちょっとある人が心配になって、湯島で会いました。
過労気味な様子だったので、ゆっくり休んだ方がいいと言っていたのですが、それにしたがい、奥さんと2人で年始は温泉旅行に行ったそうです。
ところが、そこから、不安で部屋を動き回っているというメールが届きました。
そういうメールを読めば、私も不安に襲われます。
そこで急きょ、朝、湯島で会うことにしたのです。
たしかに尋常でない。
身体が止まらないのです。

それで時間を延ばして食事をしたり話をしたりしていましたが、次の約束があったため3時前に別れました。
後ろ髪引かれるとはこういうことでしょうか。
その後もずっと気になっていました。
何事もなければいいなという思いでした。

夕方メールが入りました。
やはり帰路の途中でどうしようもなくなり、クリニックに飛び込んだようです。
そこで薬をもらい一段落。
正直、ホッとしました。
と同時に、疲労感が全身を襲ってきました。

まあこんなこともあって、どうも挽歌を書くになれなくなってしまったのです。
しかしまあようやくその件も含めて、何とか少しずつ先が見えてきました。
今年も多難な年になりそうです。
実に困ったものではありますが、まあ誰かに言われたように、これが私の人生なのでしょう。

今日はようやく思考力が戻ってきて、やるべき宿題の一つを完成させました。
明日はもう2つの宿題をこなさなければいけません。
できるでしょうか。
ひとつは延期可能ですが、もう一つはそれをやらないと友人が困るので、延期できないのです。
気ぜわしさから当分抜けられそうもありません。

■4509:誰かの荷物を背負い込んでしまう傾向(2020年1月9日)
節子
この2日間、めずらしく作業に集中できました。
たまっていた3つの宿題に取り組み、予想以上の速さでいずれも完成しました。
いずれも私のための仕事でもありますが、直接にはほかの人のための作業です。
自分のためのものであれば、延期もできますが、ほかの人に迷惑をかけることはできません。
延ばししてきていましたが、ずっと気になっていたのです。
どうにかそれをやれたので気分的にほっとしています。
これで新年に向かって、前に進めそうです。
まあ、実際には、これからの方が大変なのですが。

考えてみると、私の場合、誰かに頼まれてとか、誰かの重荷を背負い込んでしまう傾向があります。
重い荷物は背負い合わなければいけないという意識がどこかにあるからですが、どうもその呪縛からは抜けられません。
かといって、シェアした荷物を私だけで解決するほどのエネルギーはありません。
相手がほんとにその気にならなければ、私の行為はほとんど無駄になるのですが、それでもまあこの生き方は変えられません。
困ったものです。

年が明けてからも、荷物は届きます。
他者とのつながりを細くしていけば、荷物もだんだん届かなくなるでしょうから、できるだけ人と会わなければいいわけです。
そんなわけで、今年は人に会う機会をできるだけ減らそうと思います。
しかし、はたしてそうできるかどうか。

人生は実に悩ましいです。

■4510:死ぬならひっそりと一人で暮らそう(2020年1月11日)
節子
今年は前途多難な年になりそうです。
年末には今年は平安な年になりそうな予感もあったのですが、どうもあまり期待できそうにありません。

節子も知っている友人から、こんなメールが来ました。

今年死ぬんだと、なんのきっかけがあってか、そう心にとどまって。死ぬなら一人で。故郷でひっそりと一人で暮らそう。そうエスカレートしていって、自分から勝手に孤独の淵にはまってしまった。

今年になって、その気分から抜け出られたようです。
こういう話が、この歳になると増えてきます。
その気持ちはよくわかります。
私は、死をお天道様に託していますので、まだそういう言う気にはなっていませんが、いつかそういう思いがやってくるのでしょう。
しかし、私の場合は、たぶん「死ぬならひっそりと一人で暮らそう」とは思わないでしょう。
人は一人で生きていけないように、一人では死んでいけないと思っています。

今日、20歳前後の女性に会いました。
彼女の夢を少しだけ聞かせてもらいました。
とても具体的で、しかも長期的な展望のある、非常に共感できるものでした。
彼女の目の輝きに、昔を思い出しました。

2人の女性の違いは何なのでしょうか。
そう考えると、やはり年齢に行き着きます。
前に進んでいこうとするときとそろそろ現世を終焉させようとしている時とでは、やはり全く違ってきます。
私たちにも、20代があったことを思い出します。
たとえ来世があるとしても、現世には終わりがある。
しかし、人はみんな思い切り現世を生きてきた。
どんな人生であろうとも、夢を持ち、前に向かって進んできたはずです。
うまくいった人は、多くはないでしょう。
しかし素直に生きてきたのであれば、悔いなどもつ必要はない。

先日、別の友人から「死ぬ時のことを考えると不安になる」とメールが来ました。
彼は、誰かと会っていないと不安になるタイプなのです。
なぜ人は「死ぬとき」のことを考えるのか。
これも私には理解できないことです。
「死」は行為ではなく、「状況」です。
自然に任せておけば、不安や恐怖からは解放されるはずのことです。

その時が来たら、素直にそれを受け入れればいいだけの話です。
その先には、まったく新しい世界があるのですから。

最近、思うのは、節子は幸せな人生だったなあということです。
理屈ではなくそう思えるようになってきました。
長い気がいいわけではありません。
100歳時代などと言われる風潮には、私は極めて冷やかです。
私に対しても、そういう言葉を使う人がいますが、そういう人には、もっとまじめに生きろ、と言いたくなります。

■4511:わけあり最高(2020年1月12日)
節子
今朝のEテレの「こころの時代」で、2年前に放映された「にんげん宣言」が再放映されていました。
国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で暮らす山内きみ江さんからのメッセージです。
前にも見たのですが、今回もまた見せてもらいました。
きみ江さんは、60代になってから養子を引き受けます
番組に最後は、その母子が対話しているシーンでした。
きみ江さんは、わけありリンゴを例に出して、自分はW環境あり人間だったかもしれないが、人間であると語りましたが、それを受けて養子の娘さんが、「わけあり最高」と笑いながら言いました。
きみ江さんは、それに頷きながら、でもわかりリンゴが半値で売られているのは嫌だ、言い、2人で大笑いしていました。

実にいい母子です。
改めて感動しましたが、「わけあり最高」という言葉は示唆に富んでいます。
今日1日、この言葉を反芻していこうと思います。

■4512:なぜみんなサロンに来るのか(2020年1月13日)
節子
昨日もサロンで湯島でした。
網野史観というテーマのサロンでしたが、たくさんの人が参加してくれました。
網野善彦さんの名前も知らなかったという人も参加してくれました。
なかにはわざわざ新潟からやってきてくれた人もいます。

むかし、オープンサロンをやっていたころ、帰りの電車でよく、節子と「どうしてみんなサロンにくるのだろう」と話したものです。
まあ当時は、節子の尽力で、サロンは飲み放題食べ放題で会費なしでしたので、勤めの帰りに立ち寄る人も多く、集まるのも少しは理解できたのですが、最近は土日中心なのでわざわざ出かけてこなければいけません。
それにコーヒーとわずかなお菓子だけで、しかも500円の会費もかかります。
さらに昔は、テーマもなく、自由に話し合うサロンでしたが、最近はテーマがあります。
にもかかわらず、みんなやってくる。

網野さんの名前も知らなかった方も、自称「ただのおばさん」です。
もちろん「ただのおばさん」などという存在はないのですが、しかしそういう人がよくやってきます。
節子だったら、こういうサロンに参加したでしょうか。
そう考えると不思議です。

それはそれとして、サロンをしていると新しい出会いもあります。
昨日もひとり、初めて参加してくれた人がいます。
少し話しただけですが、私とは違う世界をお持ちのようです。
時間ができたらサロンをやってもらおうと思いました。
と考えてしまう私も、またサロンに集まってくる人と結局は同じなのでしょう。

サロンを始めてから、私の人生は変わってしまいました。
その相方の節子がいなくなってしまったのが、とても残念です。

■4512:心が金縛り?(2020年1月21日)
節子
どうもリズムに乗れません。
年明けからいろいろあって、挽歌が書けません。
困ったものです。

一応元気なのですが、どこか重い錨が心につながっているような、そんな気がして、日常から逃げたいような気分になっています。
友人のことを心配しているどころではなく、自分のことを考えなければいけないような状況です。

年が明けて、もう3週間もたつのに、動けだせない。
ホームページも更新していませんし、年賀状もまだ読む気がしない。
いろんなことが空回りばかりしています。

ただ、何もしていないわけではなく、サロンも毎週やり、地元の集まりもやり、友人の相談にも乗り、いろいろと動いているのですが、心があまりついて行っていないのです。

これではいけないと思い、今日、やっと部屋の掃除をしました。
掃除をすると気持ちもスッキリして前に進みだせると思ったのですが、重なっていた書類の中から、またいささか気の重いものが出てきたりして、なかなかうまくいきません。
ずっと先延ばしにしてきたいろんなことが、どっと押し寄せてきたような感じです。

相談に乗っている友人の重荷が、ドサッと私に移ってきたのかもしれません。
まるで心が金縛りにあったようですが、しかし同時に、今年取り組みたいこともいろいろと浮かんできてしまい、かなり精神状況がよくありません。

こういう時はどうしたらいいか。
やはりきちんと挽歌を書かないといけないのかもしれません。
明日からまだ挽歌を書きだします。

■4513:でも明日も太陽は上がってくる(2020年1月22日)
節子
相変わらずどこかに違和感がるいささか不安定な気分で、昨夜は早く寝たのになかなか起きられませんでした。
寝る前にまたちょっと重たいメールが届きましたが、考えるのはやめました。
そう言えば、以前は、どんな不運や困難に出会っても、「でも明日も太陽は上がってくる」と言っていたのを思い出しました。
そういう気分が最近亡くなってきています。

節子を見送った時に、時間が悲しみを癒すからと言われて悲しかったことを挽歌にも書きましたが、時間は癒すのではなく、深めるのではないかと思います。
13年の時間の影響が、積み重なってきて、最近出てきているのではないか。
そんな気もします。
どこかおかしい。
しかしどこがおかしいのか全く分からない。

いま窓の外を見たら、手賀沼の向こうから太陽がちょうど顔を出したところです。
太陽に守られていることを思い出して、今日は動き出そうと思います。
この2日間、ちょっとくすんでいましたから。
愚痴はもうやめましょう。

■4514:「変える」のではなく、「変わる」のを待つ(2020年1月23日)
節子
昨日は日の出が見えたと思いましたが、すぐにまた雲に覆われてしまいました。
まるで私自身の気持ちのようでしたが、昨日はちょっと気持ちを変えて、少しずつ精神の平安を取り戻せ出せるような気分になりました。
ホームページの更新を少しだけやりました。

今朝は日の出はまったく期待できないような雲の熱さです。
まだ日の出まで1時間ほどありますが、無理でしょう。
昨夜、早く就寝したので、早起きしてしまいました。
本来は、日の出と共に起き、日の出とともに寝るのが理想なのですが。

昨夜は心配していた友人から電話がありました。
電話ができるのですから、少しずつですがいい方向に向かっているのでしょう。
今日の湯島のサロンにも出てくると連絡がありました。
私自身が気持ちを前に向ければ、周りも少しずつ変わるのでしょう。
自分か周りか、実際には循環しているのでしょうが、どこで向きを変えるかは難しいです。

いい方向には向かわないだろう友人からは、連絡が途絶えて3週間以上経過しました。
見舞いに行くかどうか悩ましいのですが、いまのところは行く勇気が出てきません。
変えられることと変えられないことを峻別して、変えられないことはすべて肯定的に捉えよという神学者ニーバーの言葉があります。
先日、あるところで話した際に紹介したのですが、これはその友人が実践していることでもあります。
彼の死に対する姿勢には、学ばされました。
そうした彼の死を乱すことはしたくありません。
それに、死の直前に友人に会うのを拒んだ節子のこと重なってくるのです。

しかし、最近の心境を言えば、たとえ変えられるとしても、それもまた素直に受け入れるのもひとつの生き方かもしれないという気持ちが少し出てきています。
「変える」のではなく、「変わる」のを待つということです。
人の生き方は歳と共に、やはり変わるようです。
それを素直に受け入れようという気持ちが最近強くなってきました。

まだ日の出まで時間があります。
年賀状でも読み始めようと思います。

■4515:「居心地の良い場」(2020年1月24日)
節子
昨日は居心地の良い場をテーマにしたサロンでした。
13人の人が集まり、それぞれにとっての「居心地の良い場」を出してもらい、みんなで話し合いました。

私も、私にとっての「居心地の良い場」を考えてみました。
ところが、意外とこれが難しい。
行き着いた答えは、「家」であり「節子と一緒の場」でした。
後者はもう失われてしまっていますが、幸いに前者の中にその余韻が残っています。
13人のなかで、もう一人、私と同じように「家」をあげた人がいます。
偶然かもしれませんが、彼もまた数年前に伴侶を亡くされています。

そこで思ったのは、もしかしたら私も彼も、家の中にいなくなった伴侶を感じているのではないかということです。
先に逝ってしまった子どもの部屋をそのままにしている親はすくなくありません。
そこにも同じ思いがあるのかもしれません。

何人かの人が、湯島の場所も居心地がいいような発言をしてくれていました。
湯島にもたぶん節子が「残っている」ことを感じている私にはうれしいことでした。
ますます湯島は続けないといけないようなきがしてきました。
しかし私の貯金はついに50万円台になりました。
このままだと今年が最後の年になりかねません。
やはり対価を確保できる仕事をしなければいけないようです。
場所の維持のために対価を得る仕事をするのは本末転倒ですが、悩ましい問題です。

■4516:父の命日(2020年2月11日)
節子
1か月ほど、挽歌を書けずにいました。
今日からまた書き出します。
この間、いろいろありましたが、それもまた少しずつ書いていこうと思います。

今日は父の命日でした。
わが家で最初に家族を見送った日です。
自宅療養で亡くなりました。
母も健在でしたので、看病は主に母がしていました。
しかし、私たちにとってはわが家での最初の葬儀でした。

寒い日でした。
それだけが鮮明に覚えています。
死や葬儀に関しても、私はまったく無知でした。
当時は家事はすべて節子任せだったので、節子は大変だったでしょう。
思えば、苦労はすべて節子に任せてしまっていたかもしれません。
両親と同居していましたが、いわゆる嫁舅問題はまったく私にはありませんでした。
節子と私の母との関係はとても良好でした。
母は多分、私といるよりも節子と一緒の方が気楽だったでしょう。

お墓に行きました。
なぜか今日は般若心経がうまく唱えられませんでした。
最近、朝の読経も省略版が続いているためかもしれません。

どこかが悪いわけではないのですが、調子が戻ってきません。
周辺のトラブルが多すぎるからかもしれません。
外から見たら私も元気に活動しているように見えるでしょうが、内心はかなりボロボロです。
そこから少し逃げるように、ユカと3日間、京都に行って、お寺周りをしてきましたが、帰宅した途端に俗世の風が吹き込んできます。
武田さんからは、そういう生き方を選んだのだから仕方がないといわれましたが、もし節子がいまもいたら、こんな生き方にはなっていなかったでしょう。
最近、そんなことを思うことが時々あります。

さて明日からまた生活を立て直そうと思います。

■4517:「幸せは経験するものではなく、あとで思い出して気づくもの」(2020年2月12日)
挽歌を書かなかった1か月の間に、少しだけですが、書類などの整理をしました。
その時に、節子が使っていた小さな手帳が出てきました。
節子はいつも、小さな手帳を持ち歩いていて、何か気になることがあるとメモしていました。
その一冊が、私の書類に紛れ込んでいたのです。
もっともその手帳には1ページだけが書かれていて、残りはすべて白紙でした。

そこに書かれていたのは、次の言葉でした。

幸せは経験するものではなく、あとで思い出して気づくものだ。

その下に、「オスカー・レバント(ピアニスト・作曲家)」と書かれていました。
たぶん闘病中のものでしょう。

どういう思いで、この言葉を書き残したのかわかりませんが、この言葉は私へのメッセージのようにも聞こえます。
私の気持ちにぴったりです。

節子はどうだったでしょうか。
病気になった後に、それまでの「幸せ」に気づいたのでしょうか。
残念ながら、節子とこういう会話をした記憶がありません。
節子は今頃、彼岸で「幸せ」を思い出しているでしょうか。
そうだといいのですが。

今日は気持ちのいい冬晴れの朝です。

■4518:「7日に亡くなりました」(2020年2月13日)
節子
今日はいろいろな人と会ったりミーティングをしたのですが、思考力がとんでしまっていました。

気になりながら連絡を取っていなかった太田さんに、竹団と二人で耳に行こうと思っていたのですが、私自身の気が萎えていて、行けませんでした。
ようやく少し精神的に安定したので、太田さんの勤務先に、その後の状況を確認して、病院を教えてもらおうと思いました。
電話をして、名前を告げ、太田さんのことを確認したら、電話に出た人がちょっと待ってくださいと言って、違う人に取り次いでくれました。
だれかわからない人に入院先を簡単には教えないだろうと思っていたので、正直、少し安心しました。

ところが電話に出た人は、佐藤さんですね、と言って、もう一度確認してから、「7日に亡くなりました」というのです。
頭が混乱して、思考力を失いました。
7日と言えば、京都から帰ってきて、そろそろ行けそうだと「覚悟」ができた日です。

サロンの話をすると、太田さんからいつもサロンの話は聞いていましたと言われました。
だから私の名前も知っていてくれたようです。
太田さんらしく、家族での見送りをした後まで伏せておくようにと言われているようで、それが終わった後、正式に関係者に連絡する予定ですので、と言われました。

最後まで、見事に自らの生き方を貫いたことに改めて感動しました。
しかし、最後にもう一度、会うということはできませんでした。

同じ経験を前にも2回しています。
節子もよく知っている重久さんです。
暫らく連絡がなかったので、声をかけたら、いまは体調が悪いのでと断られました。
うすうす病気だと分かったので、少し間をおいてまた連絡しましたが、もう少し待ってほしいといわれました。
そしてまたしばらくして連絡したら、家族の方から亡くなったことを知らされました。
もう一人も、しばらくの音信不通の後、奥さんから訃報が届きました。

2人に共通しているのは、たぶん私の記憶に元気な自分を残しておきたかったのではないかということです。
節子もそうでした。

そういうこともあって、太田さんのお見舞いに行くのを躊躇しているうちにタイミングを失してしまったのです。
それがよかったのか悪かったのかはわかりません。

しかし覚悟はしていたものの、今日は1日、何やら思考力が失われてしまい、うつろな1日でした。

まあしかし、そのおかげで、まだ太田さんが元気でいるような感じがします。
しばらく出張で湯島には来られないでしょうが、死の実感がありません。
悲しさもない。
しかし、どう表現していいかわからない、いつもとは違う気もとで落ち着きません。

■4519:生と死についていろいろとまた考えてしまいました(2020年2月14日)
節子
少し心が静まりましたが、まだどこかになにやらわからない不穏感が残っています。

朝、昨日電話があった友人と長電話をしました。
私の早とちりで、病状はもう克服しているようです。
気が滅入っていると状況を悪い方向に理解してしまうものです。
注意しなければいけません。

どうも自宅にいると気が晴れないので、電話の後、出かけてきました。
今日は休養に当てようと用事は入れていないのですが、午後からはたぶん孫がやってくるでしょう。

今年の節分は、孫に頼みました。
私は不愛だったのですが、その留守の間に孫に豆まきを頼みました。
やはり豆まきは、神に近い幼児に頼むのがいいと思ったからです。
孫はきちんとやってくれたので、わが家には福が満ち満ちているはずなのですが。
孫に仕事を頼んだので、何でも欲しいものをあげると言ってしまいました。
そうしたら人形が欲しいと連絡がありました。
5000円くらいらしいのですが、娘から高すぎるといわれました。
何でもない時に、そんな高価なものをむやみにやらないようにと叱られてしまいました。
で結局、もう少し安いものになってしまいましたが、子どもは高いか安いかはわからないので、どちらでもいいのではないかと思うのですが、娘の許可は出ませんでした。
今回はうまく誘導して1000円くらいの小さなおもちゃセットになりましたが、今日、孫が来たので渡しました。
そのうれしそうな顔をみて、少し元気が出てきました。

小さな子どもたちは、全身から生命の輝きを発しています。
今日はまた違った意味で、生と死を考えさせられた1日でした。

■4520:ブライトエネルギー(2020年2月15日)
節子
節子は会ったことはありませんが、我孫子の友人にMさんという音楽で人のつながりを育てていこうという活動をしている人がいます。
Mさんと知り合ったのは、節子を見送った後ですが、その後、私を元気づけるために、わが家でギターの演奏をしてくれたり、友人のミュージシャンを連れてミニコンサートをやってくれたりしてくれました。
まだそのころは私自身が暗闇の中を彷徨しているような感じでしたので、せっかくの好意にうまく応えられなかったのではないかと思います。
その後、湯島のサロンにも時々参加してくれます。
いまは一緒に我孫子のまちづくり活動にも取り組んでいます。

先日、湯島で「ダークマター」をテーマにしたサロンをやりましたが、Mさんも参加しました。
サロンの報告をフェイスブックに書いたら、Mさんがこんなコメントを書き込んでくれました。

年齢や経験に問わず、お互い敬意を示すこのサロンは、爽やかな空気に包まれダークエネルギーというよりもむしろブライトエネルギーを感じましたよー
ブライトエネルギー発信のために節子さんと佐藤さんがこのサロンを始められたんだなあ と改めて実感しました。

そこで気づきました。
そう言えば、最近、サロン以外ではあまり湯島にいっていないことに、です。
その理由の一つは、湯島をいま友人に週の半分を貸してしまったので、何となく平日は湯島に行かなくなってしまったのです。
以前は、時々、湯島で一人でボーっとしたりしていることもあったのですが、それが最近はほとんどありません。
もしかしたら、最近どうも、精神的に空虚感があるのはそのせいかもしれません。
たしかに湯島で一人でボーっとしていると、なにか元気をもらえていたような気がしてきました。

時々、一人でボーっとするために、平日の湯島通いを再開しようと思います。

■4521:私より若い友人が先立ちました(2020年2月16日)
節子
昨日は太田さんのお通夜に参列させてもらいました。
太田さんと言っても、節子は思い出せないかもしれません。
湯島でのオープンサロンには何回か来ていたと思いますが、私が仕事を辞めてしまってからは、あまり会うこともありませんでした。
節子が亡くなって数年して、太田さんが突然わが家にやってきました。
節子にお線香をあげに来たのです。
そこからまた付き合いが濃くなり、湯島のサロンの常連になりました。

その太田さんが、昨秋、背中が痛いと言い出しました。
その時は武田さんと3人だったのですが、武田さんの強い勧めで、めずらしく太田さんは素直に病院に行きました。
そしてがんが発見され、しかもステージは4でした。

余命宣告を受けた太田さんは、できるだけこれまで通りの生き方をしたいといって、抗癌治療を受けずに、自然の流れに任せました。
迷った末での決断ではなく、まるでそれが当然のように、潔く自然の定めを受け入れたのです。
それからも可能な範囲で湯島のサロンにやってきました。
今年になってから、来なくなりました。

見舞いに行こうかどうか迷いましたが、行きませんでした。
たぶん彼ならば、やつれた姿は見せたくなかったと思ったからです。
節子もそうでしたから。

しかし、2月に入り、ちょっと気になりだして、先日、勤め先に電話しました。
そして彼が亡くなったことを知りました。
葬儀は親族だけで行い、それが終わるまでは、ほかの人には伝えないようにということになっていたようです。
しかし、息子さんから武田さんにメールがあったそうです。
武田さんの年賀状に武田さんのメッセージとメールアドレスがあったのです。
武田さんは、しかしそれに気づかずに、一昨日、気づきました。
そしていろいろとあった上で、私と武田さんだけが、親族の葬儀に参列させてもらうことになったのです。

葬儀場は府中でした。
太田さんにも会ってきました。
とても安らかな顔でした。
享年66歳。

奥様と息子さんたちとも話しました。
お会いしたのは初めてですが、太田さんが湯島のサロンをとても楽しみにしていたとお聞きしました。
私の名前も知っていました。

太田さんの訃報は明日から公開され、4月にはお別れ会があるそうです。
葬儀にでるとなぜかドサッと疲れが来ます。
裏表の全くない、好人物でした。
また一人友人が先立ちました。
まったくもって困ったものです。

■4522:「どうも戻れたようだ」(2020年2月16日)
節子
太田さんの死を知った直後に、やはり胃がん治療をしている友人が湯島にやってきました。
一時期、オブジーボしかもう策がないといわれていました。
本人もそのつもりで、高額な治療費を擁したのですが、治療はやめて温泉療法に切り替えました。
それが功を奏したのかどうかはわかりませんが、その後、体調がよくなりだしました。
そして、今日、湯島までやってきました。
表情も歩き方も、まるで違っていました。
本人も、どうも戻って来れたようだというのです。
前回とは全く違います。
発している雰囲気も全く違う。
生を感ずるのです。

若い友人の死を知った直後なので、その対応がうまくできませんでした。
彼に気取られないように、明るい表情につとめましたが、勘のいい彼は何か気づいたかもしれません。

それにしても、人の生死も素直に受け入れられると思っていたのですが、実際に直面するとやはりたじろいでしまいます。
太田さんの死を知ってから、なぜか心が平安ではありませんでしたし、病を克服したかもしれない友人にも素直に良かったといえないような、奇妙な不安感がぬぐえずにいます。

今日は1日、自宅でボーっとしていたおかげで、だいぶ、気持ちの整理はできましたが。

■4523:またシンクロニシティが始まりました(2020年2月17日)
節子
先日京都に行ったときに、醍醐寺にも行きました。
醍醐寺は、私が会社に入社して、大津に配属になった時に、同期の吉田さんと成藤さんの3人で、行ったところです。
その記憶がずっと残っていて、今回は娘に頼んで特に行先に入れてもらったのです。
醍醐寺でも、その話を娘にしていました。

ところが、京都から戻って数日して、その吉田さんから、こんなようなメールが来ました。

先日、佐藤さんはどうしているかな?と思い、貴兄のブログを開けてみたら、例の挽歌が無い! 
やめるとは思えないので、別のアドレスでも作ったのかと思い、初めてネットで調べました。
そして、初めて第1号「告別式での挨拶」を読みました。  
涙が出ました、私はこのようなときは素直で、堪えたりしません。

貴兄が1ヶ月近く 書くのを止めて居られたことはその後知りました。

実は、先日、直ぐ下の妹が、癌で亡くなりました。
見つかってから3ケ月と、あっ気ない旅立ちでした。
妹の娘に、貴兄の「告別式での挨拶」を読むようにメールしました。
返事に、佐藤さんにお礼を言って欲しいと書いてあるので、コピーを下に添付します。

佐藤様の文章、読ませて頂きました。
思い出して涙が出てしまうのでなかなか読み進められませんが、こんなに想われて奥様は幸せだったと思います。
母とは果たせなかった約束がいっぱいあり、後悔することばかりなのですが、ひとつずつ片付けながら供養するしかないですね。
(中略)
佐藤様にお会いすることがあれば、読ませて頂きありがとうございましたとお伝え下さい。

うれしいメールでした。
しかし、どうして吉田さんはまた、私のことを思い出したのでしょうか。
もしかしたらまた、シンクロニシティが始まったのかもしれません。

■4524:吉田さんからの忠告(2020年2月17日)
節子
前回書いた吉田さんは、同期ですが、大学院に行っているエンジニアなので私よりも年上です。
だから会社時代からずっと私のことを心配してくれていました。
今回も、挽歌などを3日かけて読んでくれたそうです。
そして案の定、私がいろんな相談に乗っていることを心配してくれました。

節子さんが居れば、ブレーキをかけてくれる場面も多々あるのでしょう、とも書いてきてくれました。
何でも受けてしまうことを心配してくれ、それでは心も体も維持できません、自分を追い詰めないようにして欲しいものです、とアドバイスしてくれました。
ただしこうも書いています。

貴兄にも、多少いい加減なところがあって、それで(追いつめられることから)逃れているのかもしれません。

挽歌を通して貴兄が節子さんと交流している必要を感じます。
もっと相談してください。

挽歌をもっときちんと書けと言っているのです。
最後に吉田さんはこうも書いています。

その節子さんの顔を思い出せません。
あのセーターに襟巻だけの佐藤修の姿はすぐ思い出しますが、その隣にいる女性の顔が何故か霞んでいるのです。

昔のことを思い出してしまいました。

■4525:チュリープは届き、桜が咲きました(2020年2月17日)
節子
新潟の金田さんからまたチューリップがどっさり送られてきました。
体調不良の中をわざわざ買いに行ってくれたそうです。
早速、節子に供えさせてもらいました。

今日は我孫子はあったかかったので、庭の河津桜も咲きました。
節子が病気になってから、河津桜を見に行ったときに、2本、購入してきましたが、手入れ不足で一本は枯れさせてしまいました。
残りも枯れそうだったのですが、復活しました。
大きな鉢に植えています。

私の気分もかなり楽になりました。
腹立たしいことは相変わらず多いですが、春になると心も和やかになるものです。

今日は穏やかな1日でした。

■4526:新型ウイルスの広がり(2020年2月18日)
節子
新型コロナウイルス感染症が予想通り広がりだしました。
今回はクルーズ船がウイルスの培養場になった感じです。
システムの劣化をまさに毎日体験していた気がします。
最近テレビの報道番組は、精神衛生上よくないので見ないのですが、この段階になるとどうしても見てしまいます。
昨日は〈不要不急〉の外出はやめるようにとの呼びかけが政府からありました。
まるでもっと大切なものから目を背けさせるようにも思えますが、異常なほどの報道です。
つくられたパンデミックの感があります。

ずっと書かずにいたことを今朝、フェイスブックに書きました。
不謹慎と叱られると思っていたのですが、意外に肯定的に受け入れられているようです。
若い友人がシェアさえしてくれました。

私自身は、いまは現世にはまったく魅力を感じていません。
節子が元気だったころに比べれば、生きているとさえ言えないかもしれません。
友人たちは、私ががんばりすぎだと言いますが、まあ今の生き方は「惰性」のレベルです。
時に何か新しいことも始めますが、それは退屈だからです。
この心境は、なかなか人にはわかってもらえないでしょう。

パンデミックに向かうような状況を、もし節子がいたらどう受け止めたでしょうか。
その人の立ち位置で、世界はまったく違って見えることを改めて感じます。

■4527:金閣寺の記憶(2020年2月18日)
節子
先日、京都に行ったときに久しぶりに金閣寺に寄りました。
ここは節子との最後の京都旅行の時にも立ち寄ったところですが、ほかにも深い思い出があるところです。

節子に「結婚でもしてみないか」と声をかけて、節子の両親にメッセージを録音して送りました。
そこから大騒ぎになりました。
節子の両親が慌てて私に会いに京都まで出てきたのです。
それはそうでしょう。
どこの誰かもわからない、いささか常識はずれの結婚申し込みに、親族会議が開かれ、節子の本家からは大反対にあったのです。
それに当時はまだ節子の姉が結婚もしていませんでした。
まだ伝統的な文化が残っている滋賀のことですから、都会の者に騙されるのではないかと思われても仕方がありません。

たぶん会ったのは京都でした。
喫茶店だったような気がしますが、まあ私と話して納得してくれました。
幸いに節子の両親は柔軟な発想をしてくれる人だったのです。
そしてその時か、改めて環境は思い出せませんが、節子の両親と一緒に4人で金閣寺に行ったのです。
何で金閣寺だったのかも覚えていませんが、節子の両親が金閣寺の裏山の小道を歩いている写真がわが家の廊下に飾ってあるのです。

その坂道を、今回も歩いてきました。
もう50年たつのに、坂道は変わっていませんでした。

今回、京都を歩いて、かつての記憶が生き生きと蘇る場所と全く蘇ってこない場所がありました。
その理由はわかりませんが。

■4528:天龍寺の記憶(2020年2月18日)
節子
金閣寺を書いたので、天龍寺もついでに書きます。

天龍寺は節子とは何回か行きました。
渡月橋近くで家族で宿泊した記憶もあります。
理由は思い出せませんが、家族みんなで嵐山の駅まで走った記憶もあります。
すべては今やあいまいな記憶でしかありませんが。

節子と最後に天龍寺に行ったのは、たぶん癌が発見される前の年だったと思います。
方丈の入り口につづく部屋で、2人で曹源池を見ていたら、たくさんの外国人がグループでやってきました。
その騒ぎで何となく気がそがれてしまい、方丈だけで出てきてしまった記憶があります。
そのことだけが記憶に残っています。
今回はじっくりと庭を歩いて、北門まで行きました。
娘が北門の後ろの竹林の道が最近は人気で、人であふれているらしいというので、そこものぞいてみましたが、最近の新型肺炎騒ぎで、この日は人がほとんどいませんでした。

そこからまた法堂もどりに特別公開の龍に会いに行ったのですが、残念ながら土日しか公開しておらず、会えませんでした。
20年近く前に、節子と寄った竹細工のお店はまだありました。

近くの渡月橋もほとんど人がいませんでした。
こんな渡月橋は初めてです。

■4529:マスクが店頭から消えました(2020年2月19日)
節子
新型コロナウイルス感染症のために薬局からマスクが消えました。
どうして日本人は、こうやって買い占めてしまうのでしょうか。
みんなで分かち合えば、十分に足りているでしょうに、不安が高まって、不要に買い占めてしまうわけです。
いま思えば、節子もそうだったような気がします。
いや節子の場合は、別に不安がなくても、家にあるのを忘れて重ねて買ってしまうことが多かったかもしれません。
私の肌着がたくさん出てきたり、自動車の洗車カードがたくさん出てきたり、まあ無駄も多い人でした。
私も同じようでしたので、あまり言えませんが。

今日は様子を見に2店の薬局に行ってみました。
そういう話を聞くとついつい現場に行きたくなるのが私なのですが、節子はいつも付き合ってくれました。
今日は娘に便乗し、買い物ついでに寄ってもらいました。
いつもは駐車場がすいている大型ドッグストアがなんと駐車場がいていないほどでした。
店内も混んでいて、しかもみんなマスクをしています。
開店前から並んでいる人も多く、開店したらすぐなくなってしまうそうです。
わが家の文化ではありません。

節子がいたらどうしたか。
ちょっと興味がありますが、確かめようもありません。
もちろん私はマスクを買うつもりはありません。
わが家にある常備品のマスクを大事に使用しています。

■4530:血圧がちょっと高いようです(2020年2月19日)
節子
お昼頃、電話がありました。
快気祝いをやろうかと思っていた友人からでした。
昨日、定期検査に行った結果の連絡がなかったので、きっと思った通りのいい結果だったのだろうと思っていました。
ところが、結果は反対でした。
出かける直前の電話だったので、頭が混乱しました。
やはり癌はそう簡単ではないのです。
楽観視していたことを、改めて反省しました。

夕方、もう一人に気になっている友人に会いました。
こちらはだいぶ元気になっていました。
良いことがあれば悪いことがある。
まあこれが人生なのでしょう。
そして、悪いことがあればこそ、良いことがあるのです。

夕方から急に頭が重くなってきました。
この数か月、忘れていた高血圧がどうもさらに高まっているようです。
今朝から酢タマネギを食べ始めたのですが、それで血圧のことお思い出してしまったのかもしれません。

せっかく気が動き出して、意欲が出てきたのですが、ちょっと頭がおかしい。
1日中、マスクをしていたせいでしょうか。
早いですが、お風呂に入って寝てしまうことにしました。

困ったものです。

■4531:大宰府の記憶(2020年2月20日)
節子
昨夜は早く寝たので、体調も回復しました。
今朝は高血圧も気にならなくなりました。

昨日、お菓子を2つもらいました。
ひとつは太宰府のお土産、もう一つは新川の梅花亭の大福です。
いずれに老舗の銘菓です。

太宰府のお菓子は「御門の華」、太宰府天満宮の梅を漬けた紫蘇と橘の実をつかったお菓子です。
久しぶりにいただきました。
以前、大宰府に行ったときにいただいたことがあります。

大宰府は、もう10年ほど行っていないのですが、太宰府にお住いの知人が先週、上京したのですが、会えなかったので、友人に託したのを昨日、受け取ったのです。
太宰府は、最初に歩いた時に不思議な既視感におそわれたところです。

これまで2回ほど、そうした感覚に襲われたことがあります。
1回は、高校の修学旅行で奈良の薬師寺に行ったときです。
薬師三尊を見ている時、突然、何やら喧騒を感じたのです。
平城京の人びとのざわめきのようでした。
それですっかり薬師如来が好きになってしまいました。
しかし、その後、何回か薬師寺には行っていますが、一度もそうしたことは起こらず、むしろつめたい無機質さを感じ、次第に薬師寺が退屈になってきました。
5年ほど前に行ったときには、薬師寺の西塔も復元されていたのに、とても小さく感じました。
説明してくれた僧侶も、とてもいやしく感じました。

2回目は、25年ほど前だったと思いますが、太宰府政庁跡を歩いていたら、突如、タイムスリップしたような既視感におそわれたのです。
それで、ここにむかし住んでいたと確信したのです。
最後に行ったのは、彼岸に行った節子と話をするためでしたので、10年ほど前でしょうか。
その時も、いつものように観世音寺に立ち寄りました。
観世音寺は、いまは寺院自体のほぼすべては消失していますが、数体の仏像が講堂に集められています。
その仏像がひしめく空間に一人で座っていると、まさにタイムスリップ、というよりも、スペーススリップしたような不思議な感覚になります。
運がよければ、彼ら仏たちとも話ができます。

太宰府にはそういう思い出があります。
九州にツアーで家族旅行した時に、なぜか台風か何かで大宰府には行けなかった記憶もあります。
太宰府のお菓子を節子に供えながら、いろいろと思いだしました。

■4532:我孫子市中里薬師堂の薬師三尊像(2020年2月20日)
節子
近くの市民プラザで、我孫子市中里薬師堂の薬師三尊像と十二神将像の修復完成の記念展示会がありました。
その存在すら知らなかったのですが、先日、新聞で知って、見に行ってきました。
予想以上の素晴らしいものでした。

18世紀の作品のようですが、十二神将すべてが揃っているのも貴重です。
とても素朴な作りですが、色彩をほどこされた跡もあり、普段は薬師堂に並列して鎮座しているそうですが、今回は薬師三尊を守る形で立体的に置かれていました。
いつも薬師堂のお守りをしているという、中堂の諏訪神社の中野さんに少しお話をお聞きしました。
中野さんも、こんな形で拝むのは初めてだそうです。
薬師三尊と十二神将は明らかに作風が違いますが、それがまた全体の世界を豊かに感じさせてくれています。
薬師如来と脇侍をみくらべると、そこにもちょっと違和感がありますが、薬師如来もいかにも東国という感じで、親しみを感じます。

昨年、新相馬霊場めぐりをしたときには、中里薬師堂は含まれていなかったので、立ち寄りませんでしたが、こんな見事な像があったとは思ってもいませんでした。
調べたら、以前は真言宗豊山派の宝蔵院の薬師堂だったのだそうです。
節子がお世話になっている宝蔵院と同じ名前です。
明治時代に中里の宝蔵院は廃寺となりましたが、薬師堂は地域のお死者さん代わりになって大事に守られたのでしょう。
中野さんも、子ども時代は歯が痛くなるとここに快癒願いに来たと話していました。
歯医者さんなどなかったのだそうです。

見ていた飽きない感じでした。
一体ずつの仏像は、とても素朴で、私にはちょっと退屈でしたが、全部が並ぶと何やら不思議なパワーと雰囲気が生まれてきます。
先日回ってきた京都のお寺の仏像たちとは大違いですが、こちらの方がむしろ声が聞こえてきそうです。

節子が元気だったころ、滋賀の“かんのん道”沿いの観音めぐりをしました。
あの頃は本当にたくさんの仏たちに会いました。
みんな地元の人たちと一緒に生きているという感じでした。
こんかい見せてもらった仏たちも、中里の人たちと一緒に、長い時間を過ごしてきているのでしょう。
節子がいたら、ゆっくりと中里薬師堂に拝みに行ったかもしれません。
我孫子市にも、まだまだ仏たちがいるのです。

また新相馬霊場めぐりをしたくなりました。

■4533:不在になって初めて気づくこと(2020年2月21日)
節子
先日、高血圧予防のための“酢たまねぎ”を創ろうと、玉ねぎをスライスしていたら、手が滑ってしまい、右手の人差し指の指先を数ミリ、スライスしてしまいました。
すぐに手当てをして出血も少なかったのですが、以来、指先にはバンドエイドをしています。
スライスされた指先は、数日たつのに、いまもそのままで、治る気配がありません。

痛みはないのですが、不便で仕方がありません。
朝は顔もうまく洗えないし、パソコンでも人差し指が仕えません。
これまで指先などはまったく気にしていなかったのですが、これだけのことでこんなに不便を味わうとは思いませんでした。
身体のいずれもが、同じように、普段は気づかなくても、私の生活を支えてくれているんでしょう。
身体は大事にしなければいけません。

節子もそうでした。
元気な時には、そのありがたさをあまり意識したこともありませんでしたが、いなくなって初めてその大きさに気づきました。

いや伴侶だけではありません。
身体のいずれの部分も大切なように、家族はもちろん、友人知人もみんなそれぞれに私の人生を支えています。
普段は気づいているようで気づいていない。
不在になって初めて、その大切さに気付くものです。
いない方がいいと思っている人さえも、いなくなるとその大切さに気付くものです。

すべてはすべてで成り立っている。
小さな指先の怪我から、気づかされることもたくさんあります。

■4534:最近は支払いも難しくなりました(2020年2月21日)
節子
孫のにこと娘たちと一緒に近くの夢庵で昼食を食べました。
このレストランは、高齢者だと5%引きなのです。
私は、いまでも財布は持っていませんし、お金の支払いは娘たちにすべて任せていますが、そんなわけでここだけは私がレジに行きます。
といっても、支払いはカードなので、お金は一切使いません。

ところで最近またネットでカードをつくってしまいました。
ヤフオクとかいうショップで買い物をしようとしたら、カードをつくらないとならないといけないと言われたのです。
それでいろいろとパソコンをやっていたら、Tカードとpaypayにも入ってしまいました。
それも使いたくなって使ってみました。
そうやっていろんなカードができてしまうのですが、実際にはすぐ使わなくなってしまいます。
娘からは注意されていますが、時々、魔が差したようにカードをつくってしまうのです。
困ったものです。

ところで昨日のカードの話です。
夢庵で食べたのですが、高齢者は5%引きです。
そのうえ、新聞チラシにサービスクーポンがついていて、選んだメニューの2つがその対象でした。
さらに楽天カードで支払ったので、楽天ポイントが付きます。
さらにTカードの点数まで付きました。
ということで、何やら実にややこしいのです。
カードによって割引まであるようです。
私も何やら頭が混乱して、わけがわからないことがあります。
私だけではありません。
今日はお店の人も混乱して、やけに時間がかかっていました。

なにやらポイントがたまっていて、無料で買えたこともありますが、
銀行残高が不足していて、カードが引き落とせなかったこともあります。

昔はすべて支払いは節子で、お金の負担も節子でしたが、こう複雑になると、節子にはたぶんついていけないでしょう。
節子も私と同じで、節約家でしたが、金銭感覚はあまりないうえに、計算も苦手でしたから。

■4535:塚田さんともう一度会えなかったのが残念です(2020年2月22日)
節子
湯島で友人と話していたら、電話が入りました。
新潟の金田さんからです。
ちょっとドキッとしましたが、やはりドキッとする内容の電話でした。
最近、電話があるとドキッとするようになっています。

新潟水俣病の記録に取り組んでいた塚田さんが亡くなったという訃報でした。
塚田さんには2回しかお会いしていませんが、心に深く残っている人です。
最後に話したことは忘れられない内容でした。
挽歌にも書いているかもしれませんが、突然に奥さんの話をされ出しました。
新潟水俣病資料館を案内してもらった後、ロビーで2人になった時に、です。
静かな噛みしめたような話ぶりに、塚田さんの誠実な生き方が伝わってきました。
塚田さんは、その後も、新潟水俣病問題に関わっていましたので、東京に出てきたときに、湯島のサロンで話してもらえないかと金田さんに頼んでいました。
塚田さんと2回目に会った時のことをブログに書いています。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2014/09/post-1662.html

新潟水俣病に関する塚田さんのメッセージをきちんと聞いておかなかったことが悔やまれます。

塚田さんは、今頃、先に逝った奥さんと会っているでしょう。
ちょっとうらやましい気もしないでもありません。

■4536:「出雲と大和」には行けそうもありません(2020年2月23日)
節子
昨日また不思議な体験をしました。
昨夜、湯島のサロンに来た友人が、私に東京国立博物館で開催している「出雲と大和」の招待券をくれました。
私が行きたいと思っていることを知っていたからではありません。
彼は湯島のサロンに参加した後、行く予定だったのですが、なぜか入場券を2枚入手して、持っていたのです。
サロンでは私の隣に座りましたが、「出雲と大和」のパンフレットを持っていたので、これから行くのかと話したのです。
そうしたら、なぜか入場券が2枚あるのであげますと私にくれたのです。
そこまでは別に不思議はありません。
入場券をもらって、他の書類と一緒に手提げ袋に入れて持ち帰りました。
電車の中でその入場券が手提げ袋の底にあるのを見ましたので間違いありません。
というよりも、その時になぜか、この入場券をなくすかもしれないという気持ちが起こりました。
それでポケットに入れ直そうかとも考えましたが、それよりも袋に入れておいた方はいいと思い、改めてその券を袋の底におしこめました。

ところが今朝、サロンに行く前に寄っていこうかとその手提げ袋を探したのですが、入場券がないのです。
そんな馬鹿な!と思わずにはいられません。
でも、どこにもないのです。
実は先日、時間ができたので、行こうと思った時も、前日に急用が入り、行けませんでした。
2度もつづけて行きそこなったわけです。
ということは、行くなと言うことかもしれません。
最近、こうしたことが起こりだしているのです。
さらに問題は、入場券を探しているうちに、何やら不安感が高まってきました。
今も心臓がどきどきしています。
それを書いたらドキドキが止まるかと思って書き出したのですが、ますます不安感が広がっています。
出雲と大和の怨霊がまだ成仏していないのでしょうか。
しかしどうして私などに降りてくるのでしょうか。
困ったものです。

■4537:コムケア理念を思い出しました(2020年2月24日)
節子
昨日は発達障害者関係のサロンをやりました。
いろんな人たちが集まりました。
テーマは〈当事者支援者〉。
話し合いを聞いていて、節子にも相談しながら取り組んでいた20年前のコムケア活動の理念を思い出していました。
いまもなお福祉の状況は変わっていないようです。

コムケア活動は、メイヤロフの「ケアの本質」に共感して、そこから「共創型相互支援」を理念にし、それを核にして私の生き方も踏まえて構想したものです。
一言で言えば、「わたし支援する人、あなた支援される人」というような支援はもうやめようという提案でした。
しかし、関係者も含めた参加者の話を聞いていて、事態は何も変わっていないのを感じました。
疲れがどっと来ました。

そもそも「当事者」とか「支援者」という言葉自体が、現状を象徴しています。
コムケア活動は、「コミュニティケア活動支援センター」が司式な名称でしたが、活動しているうちに「支援」という言葉に拒否感が出てきて、略称のコムケアセンターを使っていましたが、それ自体も昨年、使わないようにしました。
実体のすべても消去しました。
唯一残したのが「コムケアサロン」です。
昨日は、そのコムケアサロンだったのです。

もし節子が病に倒れなかったら、コムケア活動はどうなっていたでしょうか。
時々そう思うことがあります。
節子ではなく、私がきっと倒れていたでしょう。
そうならないように、節子が重荷を背負ってくれた。
時々そう思うことがあります。
だから簡単にはそうした活動から抜け出せないのかもしれません。

しかし疲れますし、空しさもある。
以前は喜びや充実感がありましたが、最近はむしろ失望感の方が大きくなってきました。
にもかかわらず、頑張っている人を見ると何か私にできることはないかと考えてしまいます。
困ったものです。

■4538:自らの死と他者の死(2020年2月25日)
節子
またサロンの仲間の訃報が届きました。
4月に網野史論パート3のサロンをやることになり、その内容の話をし始めたところでした。
共通の友人から今朝連絡が届きました。
心筋梗塞だったそうです。
まだ50代の、若き研究者です。
湯島のサロンで話すのを楽しみにしてくれていた人です。
あんな元気がいい人が、と信じがたいですが、たぶん私のなかではこれまでも生き続けるでしょう。

それにしても、人はいとも簡単に死んでしまう。
最近、死とは日常なのでしょう。
ことさら騒ぎ立てすることもないのかもしれません。

私が最近、死をあまりに素直に受け入れてしまっているので、もう少し健康に留意するようにとメールしてきました。
そういう彼自身が、私以上に死を素直に受け入れているのですが。
つまり、自らの死は素直に受け入れられますが、他者の死はなかなか素直には受け入れられないものなのです。

時々書いている気がしますが、自らの死と他者の死は、まったく違うものなのでしょう。

早く春になって、訃報から抜け出したいです。

■4539:人の名前が思い出せなくなってきています(2020年2月26日)
節子
最近、人の名前を思いだせなくなってきています。
いや人の名前だけではありません。
ちょっと危ないなと思うことがしばしばあります。

以前は、一度会った人の名前は大体において覚えられました。
ところが最近は、間違ってしまうことも時々起こります。
名前を間違うほど失礼なことはないのですが、そうした失礼をやってしまうことが時々あります。
しかし、これはまあなんとか対応できますが、名前を思い出せないで困ることが増えてきました。
現世での人のつながりを少しずつ減らしていきなさいと言うことでしょうか。
最近増えてきている訃報も、そうしたことのメッセージでしょうか。

そうやって世界が狭くなっていって、最後はふっと消えて行ってしまう。
そういうのが一番いいかなと時々思います。
私の死で悲しむ人が限りなくゼロに近いことが望ましいですが、そのためには友人知人がいなくなってからの死を目指さなければいけません。
それは無理なので、悩ましいわけです。

■4540:東博特別展「出雲と大和」が臨時休館(2020年2月27日)
節子
今日、行こうと思っていた東京国立博物館の特別展「出雲と大和」が、新型ウイルス騒ぎで臨時休館になってしまいました。
一昨日報道されたテレビ番組で、特別展の紹介を見て、写真でしか会ったことのない四国の萬福寺や當麻寺の持国天立像も来ているというので、俄然、行く気が高まったのです。
ところが、昨夜、ユカから明日から休館だそうだと聞かされました。
気が乗ったところだったのでガクッとしてしまいました。
やはり今回は縁がなかったのかもしれませんが、とても残念です。

今回のメインは、出雲大社の心柱や石上神社の七支刀、荒神谷遺跡出土の青銅器などですが、荒神谷遺跡出土の青銅器は島根で見たことがありますし、心柱などもまあいいのですが、持国天たちに会えなかったのは残念でなりません。
先日、渕野さんから入場券もあるから一緒に行かないかと誘われた時に行けばよかったと後悔しましたが、まあ人生はそんなものでしょう。

さてさて今日の予定が狂ってしまいました。
午後は湯島でサロンなのですが、それまでどうするか。
家にいるとテレビを見続けそうです。
最近また、新型ウイルス騒ぎで、テレビの報道番組を見るようになってしまいました。
困ったものです。

■4541:西野薬師堂の千手千足観音(2020年2月28日)
節子
東博の「出雲と大和」が突然休館になり、行けなくなったので、代わりに久しぶりに上野駅近くの長浜観音ハウスに寄りました。 
今回は、高月町西野の薬師堂の千手千足観音立像でした。
西野は節子の生家のすぐ近くです。
といよりも、節子の生家はもともとは西野から出た人たちによって生まれた村だった塔です。
節子は「七里小学校」に通っていましたが、その「七里」とは、もともと西野にいた人たちが、地震と津波に襲われ全壊し、住民たちが近隣の7つの村に移住したそうなのです。
ですから、節子の生家のある「物部」から西野はすぐ近くです。
したがって、西野の薬師堂の名前はよく聞きました。
物部を中心に観音様はいろいろとつれて行ってもらいましたが、西野の薬師堂に入ったことがありません。
あまりに身近すぎたためだったのかもしれません。
西野からむかしの遺跡が発掘されたと騒がれたことがありますが、その時には近くまで行ったのですが、まだ隔離されていた時期で、見ることはできませんでした。
ですから、今回、初めてその薬師堂の観音像に会いました。
といっても、今回展示されたのは薬師如来ではなく、千手千足十一面観音です。

こんなに見事な仏がいるのに、なぜ行かなかったのか、残念です。
千手観音は珍しくはありませんが、千足観音はめずらしい。
それに、観音のくせに不動明王のような忿怒相です。
そのかわりに、頭上の頂上の仏の顔の表情がとてもいい。
装身具も彩色の跡もわずかに残っていて、当時の姿をイメージさせてくれます。

節子が元気だったら、すぐにでも訪問して、節子がよくいっていた「西野のおばさん」から往時の村人たちと観音の付き合いの話も聞きたいものですが、そのおばさんももう亡くなってしまっています。
戦前、法事などで何回か会い、お話もしましたが、まさに菩薩のような印象のある人でした。

■4542:「やさしく育てられたら自分もやさしくなる」(2020年3月2日)
節子
前田ミネ子さんに会いましたか。

昨日、ウイルスのサロンをやったのですが、参加した人から「粘菌」に興味があるのだが、というメールをもらいました。
粘菌と聞くとすぐ思い出すのが、前田ミネ子さんのことです。
もう長いことをお会いしていません。

前田さんとの出会いは、30年以上前にハワイのキラウエア火山に行ったツアーでした。
10人ほどのとてもいいメンバーのツアーでした。
私たちも、つまり私と節子も、参加させてもらいました。
いろんな分野の人が参加しており、何の専門性もない私たちはいささか例外的なメンバーでした。
いま大活躍されている茂木健一郎さんが最年少で、まだ高校生でした。

ツアー後、しばらくしてから一度、湯島で集まりをやりましたが、前田さんは日程調整ができず欠席でした。
節子とはメールや手紙で交流がありましたが、前田さんがアメリカに一時移っていたりしたこともあって、交流が途絶えてしまっていました。
とても気さくで、さっぱりした人柄でした。
そのツアーの中で、私たちは前田さんから「粘菌」の知識をもらったのです。

湯島でも一度、「粘菌」サロンをやりたいなと思い、前田さんを思い出して、連絡をとろうと思いました。
そこでネットで調べていたら、とても残念な記事に出合いました。
「前田ミネ子先生への追悼文」です。
前田さんは2012年に亡くなられたことを知りました。
節子が亡くなった5年後です。

追悼文にはこんな文章がありました。

ミネ子先生はパワフルで明るく、あくまで前向きな方でした。最初の強烈な印象はcDNAプロジェクトがサポートを受けていたゲノム重点領域研究の初期、富山での班会議です。私たちは全くの異分野に面食らい、2人で競うように、それこそ気のすむまで質問をしましたが、今にして思えば「『2人とも』若かった」のでしょう。10歳の年齢差は全く感じませんでした。宿泊も同室で、深夜までボソボソと話しました。「私はいろんな人にかわいがってもらって本当に幸せだった」とあの笑顔でおっしゃったときは、この先生がものごとをネガティブにとらえることはあるのかしら、と思ったものでした。「やさしく育てられたら自分もやさしくなる」ということを聞いたことがありますが、いろいろな若い人たちをとても良く面倒見なさったのも、そういうポジティブな受け止め方によるものかもしれません。

まさに私たちが知っている前田さんです。
だれとでも明るく接するお人柄は、節子をも魅了していました。
とても大学教授などとは思えない、親近感を節子は感じていたようです。

その前田さんも逝ってしまった。
この追悼文を書いている筑波大学教授の漆原秀子さんは、こう書かれています。

訃報に接して最初にいだいたのは何とも言えない喪失感でした。
明るく、強く、前向きに人生を楽しんでこられた圧倒的パワーの先輩女性研究者の姿に心からの敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

お会いできないのが本当に残念です。
節子はむこうで会っているかもしれませんが。

■4543:春が来ました(2020年3月3日)
節子
今日はひな祭りですが、湯島に来ています。
昨日の寒さが一転、春を思わせる暖かな日です。
上野公園も桜がかなり咲き出していることでしょう。

新型ウイルス騒ぎは、ますます大騒ぎになっています。
たぶん感染状況は報道とは全く違っていて、日本全国に広がっているでしょうし、それほど致死率も高くないでしょう。
もしかしたら私もすでに感染しているのかもしれません。
しかし感染していたとしても、それが何だと思います。
もちろん他者に移してはいけませんが、それは何も新型ウイルスに限ったことではありませんし、治癒に向けての対策も、いつものようにやればいいだけです。
予防も大切ですが、感染しても大丈夫にしておくことが大切です。
ですから睡眠時間はきちんと取り、食事のバランスも注意しています。

電車ではマスクをしていない人は少ないのですが、私はマスクをしていません。
いつも念のためにマスクを携帯していますが、幸いにまだ使用する機会はありません。
咳が出そうになったら使用しようとは思っているのですが。

湯島から見る今日の外は、もうすっかり春のようです。
この春を素直に喜べないのが、残念です。
今日は久しぶりに上野公園を通って帰ろうと思います。
節子が好きだった骨董市はたぶんやってはいないでしょうが。

■4544:エジプトにもう一度行きたかったです(2020年3月7日)
節子
エジプト在住の中野さんから寒中見舞いが届きました。
2年前に野良猫を2匹保護してから、いまでは20数匹を保護し、ネコ三昧の毎日になっているそうです。
中野さんの奥さんの声は、時々、ラジオで聴いていますが、正道さんの声は久しく聴いていません。
しかし、いまもその声や雰囲気ははっきりと記憶に残っています。
家族で初めての海外旅行で中野さんにお会いできたのは、実に幸運でした。
しかし2度目のエジプト旅行ができなかったのは残念で仕方ありません。
節子がいなくなってから、海外旅行は一切やめてしまいましたが、いまも行きたいのはエジプトです。
それも中野さんのおかげです。

今年の10月にはカイロに大エジプト博物館が開館されるそうです。
どでかい博物館のようです。
エジプトの遺跡はテレビでもよく報道されますが、たとえばハトシェプスト女王葬祭殿などはかなり復元されてきているようです。
過去もどんどん変わってきている。
感慨深いものがあります。

■4545:ボストンのSさん(2020年3月17日)
節子
また10日間、挽歌を書かずに過ぎてしまいました。
毎日書いていないと、いったいその間、何かあったのか自分でも思い出せません。
まあいろいろとあったので、それを思い出しながら、少しこの10日間を生めるようにします。
最後に書いたのは、エジプトの中野さんから来た手紙のことでした。

今朝、起きたら家の電話にボストンのSさんからの留守電が入っていました。
しばらくミシガン州に行っていたようです。
Sさんは、調べ物をしている途中に、私のホームページに出会い、一昨年、来日した機会に湯島によってくれたのです。
昨今のネット環境にはとても慎重で、メールもやっていないので、電話と手紙とでしか連絡はつきません。
昨年、クリスマスカードをもらったので、私も送っておいたのですが、その返信でした。
インターネットを使わない人との連絡はだんだん疎遠になりがちです。
Sさんはとても慎重な方なので、電話もあまり好まないはずですが、私の自宅の電話番号はどうして知っていたのでしょうか。

最初に湯島にやって来た時、Sさんはボストンのご自宅で、私が湯島でやっているようなサロンをしたいとお話になりました。
もしSさんのボストンサロンが実現すれば、ネットを使えば、湯島との共同サロンも出来たかもしれません。
ネットに懐疑的なSさんが賛成したかどうかはわかりませんが。
でもその後少し考えが変わったようです。
サロンは延期または中止になったようです。

最近、私自身の体調があんまりよくないこともあって、ほぼ連日在宅ですが、まあ外からいろんな刺激が入ってきます。
唯一来ないのは、彼岸からだけです。

■4546:アサリとタケノコ(2020年3月17日)
節子
九州の蔵田さんからの恒例のアサリのコミュニティとも書いておきましょう。
3月12日に、いつものように椎田のアサリが届きました。
例年よりも遅いですが、いつものように立派なアサリです。
今年も蔵田さんがご自分で椎田の浜に行って、寒い中を採ってきてくださったのです。
今年は、昨年よりもさらに採取できなくて、箱が埋まらないと言って、合馬のタケノコを入れてきてくれました。
アサリとタケノコ、いずれも私の大好物です。

電話をしましたが蔵田さんは今日も潮干狩りに行っているそうです。
奥様と話しましたが、おふたりともお元気そうでした。
蔵田さんは、私よりも年上ですので、もう80歳を超えています。

しかし蔵田さんには、お世話になりっぱなしです。
出合いはビジネスの関係だったのですが、私はむしろ蔵田さんに迷惑をかけた方です。
にもかかわらずビジネスの付き合いの時から、私は蔵田さんにお世話になりっぱなしです。
というよりも、私のビジネス感はかなり逸脱していますので、そもそもビジネスの付き合いなどと思っていなかったのですが、それに輪をかけて、蔵田さんも私以上にビジネスなどとは思っていなかったのでしょう。
前にも書きましたが、私がこれまで知り合った人の中で、蔵田さんほど邪気のない方は知りません。
奥さまも電話で時々言いますが、本当に無邪気な子供のような人です。

節子が元気だったら、2人で蔵田さんのところにお邪魔できるのですが、本当に残念です。
体調があまり良くないので、ユカが早速、アサリとタケノコを調理してくれました。
タケノコご飯とタケノコの煮物、そしてアサリのお味噌汁。
とてもおいしかったのですが、残念ながらどうもまだ元気が出てきませんでした。

■4547:なぜか昼風呂に入ってしまいました(2020年3月17日)
節子
前の挽歌を書いている時に、ふと、お風呂に入ろうと思い立ちました。
体調があまり良くなく、明日、出かけようかどうか迷っているのですが、入浴すれば白黒はっきりするかもしれないと、なぜか思ってしまったのです。
それで娘に頼んで、お風呂を沸かしてもらいました。

その時は「いい考えだ」と思っていたのですが、いざ、お風呂に入ろうと思ったら、なんでこんな明るい時間にお風呂に入ることに決めたのだろうかと疑問がわきました。
それで娘にどうしたこんなに早くお風呂い入ろうと思ったのだろうかと訊いてみましたが、自分に訊いたらと言われてしまいました。
まあこういうことは時々あるのです。

でもまあせっかく沸かしてくれたのだからとお風呂に入りました。
入浴剤を入れて、ゆっくりとお湯につかりました。
しかし、体調がよくなり気配はありません。
むしろ湯冷めで風邪をひいてしまうのではないかと心配になりました。
困ったものです。

相撲を見ていたら、予想通り、遠藤は貴景勝に負けてしまいました。
私は遠藤のファンではないのですが、なぜか彼の取り組みだけは在宅の時には見るようにしていますし、勝てば元気になり、負ければがっかりします。
ファンでもないのに不思議ですが、これはもうずっと前からそうなのです。

それにしても、どうして昼風呂になど入ろうと思ってしまったのか。
風邪をひかなければいいのですが。
どうも人の行動は、不思議です。

■4548:スペインのラモちゃん(2020年3月18日)
節子
新型コロナウイルスが広がっているのは日本だけではありません。
今や世界中に感染症が広がっています。
中野さんの住んでいるエジプトでも問題になっていますし、ヨーロッパも大変のようです。
スペインも大変そうなので、スペインのラモちゃんにもメールしてみました。
すぐに返事がきました。
大丈夫そうですが、コロナウイルスが怖いと書いてありました。

ラモちゃんはジュンの友人のパートナーで、ジュンがスペインにタイルの勉強に行っていた時にお世話になった人です。
わが家にも一度、花火の時だったと思いますが、やってきました。
節子は闘病中だったと思いますが、会っているはずです。
もっともこのあたりのことになると、記憶がかなりあいまいです。
節子にまつわる記憶に関しては、時間感覚がとてもあいまいなのです。

ラモちゃんは日本の武道が大好きで、柔道をやっています。
一度しか会っていませんが、好青年です。

もし、節子がいたら、と時々考えるのですが、私の生活はまったく違ったものになっていたでしょう。
エジプトにもスペインにも、行っていたかもしれません。
スペインは、実は一度行く計画をたてたのですが、同居していた母親の体調の関係で、取りやめたまま、ついに行く機会を得られませんでした。
エジプトは、もう一度、行きたかったところです。

人の人生は、ちょっとしたことで大きく変わります。
しかし、そうであっても、実現した生き方を肯定的に受け止めるのがいい生き方かもしれません。
最近、だんだんそう思えるようになってきました。

昨夜は8時に就寝しました。
寝たのは9時ころですが、体調はほぼ戻りました。
昨日の昼風呂は正解だったかもしれません。

■4549:カミユとサガン(2020年3月18日)
節子
世界中にいま、新型コロナウイルスが広がっています。
WHOは最近パンデミック宣言をしました。
世界各地でパニックも起こっているようです。
まるで、中世ヨーロッパのペスト流行を思い出させます。
人類はなかなか成長しないようです。

カミユの「ペスト」がまた読まれているそうです。
たぶんほとんどの人は途中で挫折しているでしょうが。
私も2月になって、思い出して「ペスト」を読み直そうと思ったのですが、字が小さいので挫折しました。
私の手元にあるのは、新潮社の世界文学全集です。
私が大学1年の時に読んだ本です。
その頃、刊行が始まった新潮社の世界文学全集は想定がそれまでの全集にはないソフトなデザインで、とても新鮮でした。
たしか2冊目はサガンだったと思いますが、その2冊はすぐに読みました。
しかし3冊目以降の記憶がありませんし、私の書庫にも残っていません。
カミユとサガンは、節子に会う前の私の青春を象徴しています。
節子と暮らし始めて、それらは忘れられてしまいました。
節子との暮らしの中で、カミユもサガンも必要なくなったのです。


新型ウイルスのパンデミックから思わぬ方向に行ってしまいましたが、これを書いているうちに、もう一度、「ペスト」を読んでみようかという気になってきました。
節子がいなくなった後、カミユの「異邦人」は読み直しました。

■4550:お彼岸の墓参り(2020年3月19日)
節子
お彼岸でしたが、昨日はお墓に行きませんでした。
あんまり体調がよくないので1日ずらせてもらったのです。
今日もまだどことなく体調に違和感があるのですが、ユカに頼んで自動車で行ってもらいました。
お墓に着いた途端に電話があり、ちょっと長電話になってしまい、お墓の前で電話し続けていました。
その間、ユカがお墓の掃除をし花を活けてくれ、線香をあげてくれたので、私は般若心経をあげただけのお墓参りになってしまいました。

帰り際に隣の空き地を見たら、つくしんぼがにぎやかに芽を出していました。
今年の春は早そうです。

新型ウイルスが人間社会にはパニックを起こしているようですが、そんな騒ぎには惑わされずに、つくしんぼのように、自然に素直に生きていこうと思います。

しかしどうしてみんなこんなに病気を恐れるのでしょうか。
まさにそうした状況こそが、私には「病気」、気を病んでいる状況だろうと思います。
そう思ってはいるのですが、いまの私はどうも体調に違和感があります。
病んでいるのは「気」なのでしょうか。

■4551:異常な世界(2020年3月20日)
節子
新型ウイルス騒ぎで、まさに世界中、パニック状況です。
なぜこんな騒ぎになってしまったのか不思議ですが、世界がいかにもろくなっているかということでしょう。
自然の流れに任せていたら、こんなことにはならなかったように思います。
あるいは、かなり人為的な管理をしたからこそ、この程度に終わっているともいますが、ある程度の流行と犠牲者は仕方がありません。
私自身は、手洗いとうがいはいつも以上に注意していますが、それ以外の生活スタイルは一切変えていません。
ですから生活の乱れはありません。
湯島に行くのも全くいつもと同じです。

トイレットペーパーやティッシュペーパーもまだ店頭には不足気味です。
マスクに至っては、まだ店頭に出てきていません。
これらはいずれもわが家では騒ぎになってからは、あえて新規には買わないようにユカに話しています。
というのもわが家の場合は、いつも1か月以上の予備があるからです。
騒ぎになってからは、使用量をできるだけ減らしています。
いまのところまだしばらくは大丈夫だそうです。
マスクは、私はほとんど使わないようにしています。
まあ基本的には普段と同じ生活をしているわけです。
満員電車には、普段も基本的には乗らない暮らしにしていますし。

平常な生活がいかに大切であるか。
節子のおかげでいろいろな気付きを得ていますが、それが今、大きく活きていると思います。
それに「死」もまたそう異質なことではありませんし。

とはいうものの、最近の世界は明らかにおかしいです。
節子がいたら観光地巡りができたかもしれません。

■4552:体調が回復しました(2020年3月21日)
節子
ようやく体調が正常化してきました。
みんなから嫌われてしまっている新型ウイルスの居場所として、私の身体を少し提供してもいいと思っていたのですが、そのせいで身体の違和感が発生したのかもしれないというような気もしていたのですが、いずれにしろ元気が戻ってきました。
もう新型ウイルスの抗体もできたでしょう。

今日も春のようないい天気です。
上野公園モチベーション桜が咲きだしていると思いますが、ここも新型ウイルス対策でお花見禁止のようです。
どうして最近の世の中は、こうも極端なのでしょうか。
みんな「群れ」でしか行動しなくなったのかもしれません。
明らかに人類は「退化」しています。
いやこれをこそ「進化」というのかもしれません。

私は、退化も進化もせずに、これまでと同じように、自らを素直に生きていこうと思いますが、まあしかし人との付き合いを断つわけにもいかず、毎日、いろいろと悩ましい問題が起こります。
節子がいたら、今頃は東京を離れて、隠棲できていたかもしれませんが、相変わらず今も、「人混み」の中で生き続けています。
それに、いまとなっては「人混み」からはなかなか抜け出せません。
今週は在宅が多かったのですが、人に会わないとなぜか人に会いたくなります。

今日は万葉集サロンです。
サロンも新型ウイルス騒ぎで欠席者が増えていますが、そうなるとますますサロンをやりたくなります。
困ったものですが、まあそれが私の性格ですから仕方がありません。

それにしても、自分の判断で生きている人が少なくなってしまいました。
そんな気がしてなりません。

■4553:ちょっと自慢話、でも真実とは違いますが(2020年3月21日)
節子
ちょっと昔のことを思い出すメールが来ました。
と言っても、私の知っている人からではありません。
ある集まりに招待されたのですが、それに関して、私の友人に届いたメールが私のところに転送されてきたのです。
残念ながら、日程が合わずに、私は結局、その集まりには参加できませんでした。
転送されてきたメールはこんな内容です。
 
佐藤さんのFacebookの投稿は、ほぼ全て拝読していて、共感することばかりです。
東レ時代の反乱軍の先輩ですよね。
後輩に、君たちは辞めるなと言ったあの先輩。
すごいな。憧れの方ですが、お会いするとなると、ちょっと緊張します。

私とは面識はありませんが、フェイスブックを読んでくださっているようです。

ちなみに、私は東レ勤務中に「反乱」などは起こしたことはありません。
社長に進言して、東レの文化を変えるプロジェクトを立ち上げさせてもらったのです。
あまりに自由にやらせてもらったので、外から見れば、「反乱軍」にも見えたかもしれません。
しかし、ほとんど誰も知りませんが、当時の会長や社長、そして労働組合の委員長からは強く支持されていました。
誰にも話していないことがいろいろありますが、いまから思えば、誰にも理解されていなかったかもしれません。
いや私自身が、十分に理解していなかったという面もあります。
だからこそプロジェクトは失敗し、私は生き方を変えてしまいました。

事実はどうであれ、しかしこう書かれると、なにか少しうれしい気分になります。
反乱の失敗の責任を取って、自分は腹を切るが、仲間には残れと言う。
何やらドラマのような話ですが、そんなきれいな話があるはずはありません。
思い出は常にドラマになるものです。

節子との思い出も、たくさんのドラマを生みだしています。
たぶん今の私の中にある節子の思い出の多くは、つくられたドラマなのかもしれません。
しかし、どんなに素晴らしいドラマよりも、生身の節子との時間が欲しいと、いつも思います。

■4554:反省(2020年3月25日)
節子
なかなか挽歌を定期的に書く習慣が戻ってきません。
一度崩れたルーチンはなかなか復活できません。
新しいルーチンをつくる方がいいかもしれません。

相変わらずいろんなことがありますが、ブログを書けないのは、最近、ともかく新しい発見が多すぎるからかもしれません。
最近、視界がかなり開けてきました。
もう少しで彼岸も見えてくるかもしれません。

新型ウイルス騒ぎで、人の集まりは自粛するようにと言われています。
そう言われ出してから、なぜか湯島のサロンは増えています。
別に自粛要請に反対なわけではありませんが、サロンをやりたいという人が増えているだけです。
一方で、ウイルスが心配なので延期したいという人もいるのですが、どうもあまり気にしていない人が多いのです。
昨日のサロンでも、湯島に集まる人の特徴ではないかとも言われましたが、そうかもしれません。

しかし社会はますます面白くなってきています。
昨日は、湯島で陰謀論に関わるサロンをやりましたが、いろんな陰謀物語を語れるほど、社会は面白くなってきているのです。
ブログなど書いている暇はないのです。

最近はツイッターとかフェイスブックとかへの投稿もありますので、なかなかじっくりとブログを書くことがなくなりました。
今日も、それでも私のブログを読んでいるという人がメールをくれました。
そう言えば2週間ほど前にも、新潟の読者から最近書いていないねと言われました。
困ったものです。
少し反省しなければいけません。

■4555:孫の自転車(2020年3月25日)
節子
昨日、孫のにこが白い椿の花を持ってきてくれました。
わが家の庭の赤い椿の花と一緒に仏壇に供えました。

にこは、わが家に来るとまず手洗い、そして次に仏壇の前で節子に挨拶です。
それがルーチン化しています。
変えるときにも節子に挨拶をしてから帰ります。
帰り際にも必ず私にもタッチをしていきます。
最近は、小さな自転車で自分で走ってくるのですが、見送っていると見えなくなる道の角のところで、自転車を止めて、もう一度あいさつします。
まあ、あいさつをしっかりできれば、まあそれで十分でしょう。
私は自分の娘たちの教育にはまったく無関心というか、むしろ教育には否定的でしたが、あいさつができ、嘘をつかなければ、それで十分でしょう。
いまのところ、孫は順調に育っているようです。
節子がいたら、どんな感じで孫に接していたでしょうか。
それがなかなか想像できないのが、不思議です。

ちなみに、自転車ですが、とてもお気に入りでよく乗っているので、タイヤが減ってきてしまっているそうです。
自宅からわが家までかなりありますが、いつも自分の自転車でやってきます。
先日、途中で出会ったのですが、小さい自転車で母親の自転車を追っかけている様子は、とてもおかしかったです。

■4556:久しぶりの朝の手賀沼公園(2020年4月15日)
節子
また、挽歌が書けなくなってしまっていました。
困ったものですが、仕方ありません。

時評編はなんとか時々書いていますが、実際にはフェイスブックに書いたことを転載しているだけです。
いろんな意味でまた私の中では時間が止まってしまった気がします。

今朝、思い立って、近くの手賀沼公園に一人で散歩に行きました。
時評編に写真と一緒に、そのことを少し書きました。
そこに一行だけ、節子のことを書きました。
節子が死に直面し、私が奇跡を願っていた時も、世界は無情にもそんなことなど気にすることもないように進んでいました。
最近、そのことを思い出して、また私の時間が止まってしまっていたのです。
節子の闘病中には、毎朝、一緒に手賀沼公園に散歩に行っていました。
その時に座っていたベンチに座って、しばらく釣り人たちの様子を見ていました。
あの頃と全く同じ風景です。
だれも魚を釣り上げないの、毎朝、こうやって釣りにやってくる。
人はみな、シジフォスの神話を生きているのかもしれません。

今日からまた挽歌を書こうと思います。

■4557:牡丹が枯れていませんでした(2020年2月23日)
節子
少しずれましたが、今日から書き出します。
まずは今日の話から。

今日は暖かな好天気でした。
それで午前中、庭の整理を始めました。
野草が伸び放題で、植木鉢も手入れ不足で、ひどい状況になっているのです。
ところが、初めて30分もしたら、腰が痛くなり、息切れまでしだしました。
最近、在宅ばかりだったので、完全に身体能力が落ちています。
30分で手入れはやめて、庭の椅子に座って日光浴をして、今日は終わりにしました。

昨年も痛感しましたが、庭の花木の手入れは誠意をこめてやらないといけません。
花木がしっかりと思考しながら生きていることがよくわかります。

今回、うれしかったことが一つありました。
枯れたとばかり思っていた牡丹が復活してきていたことです。
これは、たしか節子が、茨城の美野里町の花木園か足利のフラワーパークのいずれかで買ってきたものです。
昨年、ちょっと手入れ不足で枯らしてしまったとばかり思っていたのですが、元気に伸びだしています。
まあまだ確証は持てませんが、たぶん牡丹でしょう。
今度こそ枯れさせずに花を咲かせようと思います。

■4558:デクノボーを忘れてはいけません(2020年4月19日)
節子
新型コロナウイルス感染症のパンデミック的広がりで社会は壊れそうになっています。
感染防止のために外出自粛が社会的圧力となって、みんなの生活を変えだしています。
恐ろしいほどの同調機運が広がっています。

私自身がこの感染症の広がりを実感したのは、2月初めの京都旅行でしたが、以来、できれば早い時期に軽い感染をしておきたいと考えていました。
主観的には、もしかしたらそれに成功しているかもしれませんが、確証はありません。
ですから、この2週間は湯島にもほとんど行かずに、人と会う機会も最小化しています。
そういう生活になると、何となく気が萎えてしまい、挽歌を書くのもそうですが、本も読む気がなくなってしまってきました。
さらにいえば、生きる事へのモチベーションも低下してしまい、まさにこの1週間は、正真正銘の無為な生活に堕してしまっています。

感染症のほうは、私が思っていたのとほぼ同じ展開になってきていますが、違っていたのは、ウイルスの人命への悪さが思っていた以上に強いことです。
たとえば、体力のある人が、急変して死に至ることも報告されています。
ウイルスともなかよく共生したいと思っている私にとっては、万一運悪く命を落とすことになっても、それはそれで仕方がないと思ってはいますが、娘や孫を考えるとそう勝手な行動には出られないという気になってきてしまっています。
それで数日前から、私にとってはいささか過剰防衛的になってきています。
ところがそれが私にはやはりよくないようです。
なにか気が晴れません。

私の思いは、世間的な風潮とはやはり大きな違いがあって、その風潮に合わせることにやはり割り切れないものがあるのです。
どうも自分でも、気持ちの悪い生き方になっているのです。

しかし、正真正銘の無為の生き方からは脱しなければいけません。
このままだと精神的にもおかしくなりかねません。
今週はまた湯島に行き出そうと思います。

もし困っている人がいたら、行かなくてはいけません。
宮沢賢治の目指した「デクノボー」のように生きることを忘れてはいけません。

■4559:追悼文が書けません(2020年4月19日)
節子
節子がいなくなってから、湯島に来るようになった人がたくさんいます。
その一人である蔵原さんが、突然亡くなりました。
昨年末から今年にかけて湯島で2回もサロンをしてもらい、4月にもう一度、やってもらう予定だったのですが、突然の訃報でした。
私よりも2周りは若い異才でした。
彼と知り合って、まだそう長くはないのですが、なぜか心がつながった感じです。
彼の突然の死は、私には衝撃的でした。

そう言えば、挽歌を書けなかった時期に、もう一人、サロンの常連がなくなりました。
そのことは書いたのかどうかさえ記憶がないのですが、2月7日に太田篤さんがなくなりました。
昨秋、癌が見つかり、手術も出来ない程進行していたのです。
彼は、抗がん治療を一切せずに、毅然として死を受け入れました。
もしまだ書いていないようであれば、またきちんと書きますが、2月から3月にかけて、複数の友人の死に会いました。
節子の死は、私にとっては自らの死とかなり重なっていましたが、友人たちの死も、たぶんなにがしかの重なりを持っているのでしょう。
そのせいか、自分の死がとても身近に感じるとともに、なんとなく生きていること自体の現実感が希薄になっていたような気がします。
この2か月の私の生活は、ちょっとおかしくなっていたかもしれません。

それにハッと気づいたのは、1週間ほど前にテレビで見た夜桜の映像でした。
突然に涙が出てきました。
不思議な感覚で覆われたのですが、その時に節子を隣に感じたのです。
いや冥界にいるような気がしたのです。

話がおかしくなってしまいましたが、蔵原さんの追悼文を誘われました。
そんなに付き合いがあったわけではないのですが、なぜか共通の友人が私を誘ってくれたのです。
締め切り日が近づいたので、書こうと思うのですが、そのたびにあの夜桜の映像が眼に浮かんでしまい、書けません。
夜桜の向こうに、蔵原さんまで見えるようになってしまったのです。

最近ちょっと私の精神状態がおかしいのかもしれません。
コロナウイルスが全く心配でないのも、そのせいかもしれません。

どうしたら現世に戻って来られるでしょうか。
困ったものです。

■4560:「友になる前に逝ってしまった友に」(2020年4月20日)
節子
昨夜、3時に目が覚めてしまいました。
寝る前に挽歌に書いた友人の追悼文の書き出しが思いつきました。
「友になる前に逝ってしまった友に」です。
友だち付き合いがあったわけではないので、書く内容が思いつかなかったのですが、このタイトルであれば、何となく書けそうです。
しかし、このタイトルを思いついた途端に、今度はこれまで送ってしまった友人たちの顔が浮かんできました。
不思議なもので、見送った人の顔ははっきりと思いだせるものです。
友になっていようと、なっていまいと。

もしかしたら、人とは死別してからこそ友になれるのかもしれません。
考えてみると、死者はみんな早く逝きすぎます。
もう少し時間があれば、もっと良い友になっただろうと思うことはしばしあります。
友としてやり残したことの多さに後悔することもある。
いろんな人に関して、そんなことを思っていたら、ますます眠れなくなりました。

そして、早く逝くからこそ、追悼文なのだと気が付きました。
私もみんなに追悼されるように、遅れずに逝けるといいのですが。
そんなことを考え出したら、ようやくいつのまにか眠っていました。

夢の中で追悼文が書けたような気がしましたが、目が覚めたら、やはりなかなか書けません。
困ったものです。

■4561:喉の調子があまりよくありません(2020年2月21日)
節子
インドで活動をされている亀井師からメールが来ました。
日本ではどうしてスーパーでの人混みを解消しようとしないのか、ということが書かれていました。
新型ウイルス感染防止に関して、です。
亀井さんは、特に危険視されている高齢者のことを心配されているようです。
亀井さんは、時々、日本の状況を教えてくださいと書いてきました。
今はインドの人たちのための活動に取り組まれていますが、日本の様子も気になるのでしょう。
我が家は今は娘が週に1回、食料品などの買い物に行っていますが、相変わらず混んでいるようで、レジの並びもなかなか距離は取れていないようです。

私自身は今の日本はもうコロナウイルスの市中感染はかなり広がっていて、死者数は発表値の10倍以上ではないかと思っています。
いずれにしろ、発表数字はほとんど意味がないものと受け止めています。
私の周辺にも感染者はかなりいると思いますし、そもそもウイルスから自由になれるとは思っていません。
クラスター対策とか外出自粛要請などという取り組みで予防できるはずがない。
それよりも、できるならば、穏やかな感染をし、ウイルスとの平和な関係を作りたいと思っています。したがって、適度の外出、適度の接触が、私のスタイルです。
といっても、その「適度さ」は、世間一般と比べれば、頻度は小さいと思いますが。
万一、私のところにやってきたウイルスが性悪で私を滅したいと思ったとしたら、それは運が悪かっただけの話です。
もちろん、毎日、朝昼晩と体温を測っていますし、温かな飲み物を飲むようにしています。身体を温めるために、入浴時間もいつもの倍をかけていますし、十分の睡眠にも心がけています。

しかし、私自身、最近どうも喉の調子がよくありません。
意識的には不安感はないのですが、毎日、コロナ情報に触れているうちに、コロナ不安が喉の炎症になって表れているのかもしれません。
しかしこの喉の調子が悪いのは、2月初めに京都旅行をして以来なのです。
私も感染していて、もしかしたらまだその後遺症が残っているかもしれません。
困ったものです。

新型コロナウイルスにどう対処するかは、人によって実にさまざまです。
日曜日に、地元の中高生も含めてのZOOMミーティングをやったのですが、中学生の一人がコロナが怖くて家から出ないでいると言っていました。
これは意外でした。
また昨日、ある会社の高齢の社長と社員と別々に電話で話したのですが、社員は、社長が感染したら大変だと思って気遣っているのに、社長は自分は感染しないと確信していて、それがちょっと両者の関係をぎくしゃくしてしまっているようでした。
どうも若い世代の人のほうが、コラ不安が高いようです。
しかし、外食が怖くてできないという人もいれば、飲食店が大変なので、テイクアウトに協力して毎日テイクアウトだと言っている人もいます。
相変わらず毎日、カフェに通う人もいれば、外でのコーヒーは一切やめたという人もいます。
まさに人それぞれですが、予防していれば大丈夫というわけでもないでしょう。
何しろ相手はウイルスなのですから。

しかし、ウイルスと付き合いは疲れます。
かなりウイルス疲れがたまってきました。

■4562:仏性(2020年4月21日)
節子
節子も知っている私の小学校時代の同級生から少し前に届いたメールに、こんなことが書かれていました。

私は、修が花や鳥などの話をする時、その他の場面、人との関係などに、平等界や平等心に由来する激的な仏性みたいなものを感じるのと、劇的に人間そのものであるところに(激しい物言いだなあ)ーーそして昔から考えがぶれていないことを知って(**さんに懐かしい「ぽんゆう」をもらいました。修の言うことが全くぶれていないことをあらためて知った!)安心と信頼を感じます。時には乱気流もあって、そこがまたスリルがあって結構楽しい。
人によっては、掌で遊ばせてもらっているような和み解放感をもらっているかもしれません。絶対感の上で。

いささか、というか、極めてほめすぎだと思いますが、まあそれはそれとして、続けてこう書いているのです。

修の仏性について少しお伝えしたいことがあります。修の仏性には節子さんの仏性が側に具わっているからこそと、最近思うようになりました。
節子さんには2度しかお会いしたことがありません。大津でと湯島でと。そして湯島でのお姿が強く心に焼きついています。寡黙でいらしたのに。
不思議なことですが、今も時々湯島でのお姿を幻視(空想だと思いますか?)することがあります。さらに私自身が不思議なことと思うのですが、普通の格好をしていらっしゃるのに百済観音のお姿で立っていらっしゃるのです。

以上なのですが、ますます私が書くべき内容ではないのですが、一点だけ、私もそう思うところがあるのです。
節子の仏性が、いまの私に影響しているのではないかと、私も最近思うようになってきたのです。
節子は浄土真宗の家で育ったので、私よりは信仰心は強く、その面では私は節子に影響を受けたことは事実ですが、といっても、節子にとりわけ仏性があったわけではありません。
そもそも仏教では、山川草木悉皆仏性といわれるように、すべてに仏性があるわけですが、最近私が思うようになったのは、「仏性」とは事物だけにではなく、「関係」の中に顕在化し育つのではないかということです。
節子を見送った後、数年、私は闇の中を彷徨していた気がしますが、そこから抜け出した今、節子との関係で仏性を感ずることがあるのです。
あるいは、仏性としての節子との関係を実感し、それが私の行動にも影響しているのではないかと思うことがあるのです。

とはいえ、そもそも「仏性」とは何だと問われても、言葉には答えられません。
一言でいえば、すべてが仲間と思えるということでしょうか。
すべての存在の中にある何かとつながれると思えることと言い換えてもいい。
最近のコロナウイルス騒ぎにも、不安をほとんど感じないのは、ウイルスにも仲間感を持ってしまうからかもしれません。
いつも心の平安を維持できているわけではありませんが、大きな意味ではいつも平安でいられるのは、節子のおかげかもしれません。
節子には、私よりも早く逝ってしまったことへの恨みを言いたい気もしますが、それ以上に平安を与えてくれたことに感謝しなければいけません。
ありがとう。

■4563:コロナウイルスのおかげで退屈な日々が続いています(2020年4月21日)
節子
新型ウイルスの感染拡大で、自宅からあまり外出しないようにという要請が政府から出されています。
学校も休校、会社やお店も休業するところも多く、自宅で過ごす人が多くなっているのですが、そのために家庭内での問題も増えていて、コロナ離婚という言葉さえ生まれてきているようです。

私もこの3週間、湯島に行くのをほとんどやめて、ほぼ、毎日在宅です。
むしろこういう時こそ、出かけるのが私の習癖なのですが、押し化したら私自身が感染しているかもしれませんし、また感染してしまったら娘たちにうつしてしまうかもしれないので、それなりに自重しているのです。
しかし、1週目はよかったのですが、2週目になるとどうも退屈になってきて、外出したくなり、3週目に入ると、逆に何もしたくなるというようになってきてしまいました。
本も読む気が起きなくなり、テレビも見る気がなくなってきています。
畑でもやろうかと思ったのですが、これは天気次第です。
それに先日ちょっとやってみたら、身体がどうもついていかないのです。
今日も昼間ちょっと庭の草取りをしたのですが、息切れがしてしまって長続きできません。
もしかしたら、これはコロナウイルス感染症のせいかもしれないと思うほどの疲れ方です。

それにしてもこんなに長い時間、こういうのんびりした日を過ごすことになるとは思ってもいませんでした。
もし節子がいたら、いろいろとやれることがあるのでしょうが、一人だと本当にやる気が出てきません。
毎日が実に退屈です。
節子と一緒の時に、こんなゆったりした時間があったらどんなによかったでしょう。
伴侶がいるかいないかで、こんなにも時間の価値が変わってくるとは思ってもいませんでした。
時間とは本当に不思議なものです。

■4564:「問題をかたづけるというのは死ぬことだ」(2020年4月22日)
節子
今日も、午後1時間ほど、畑に行ったほかは在宅でした。
しかもテレビの前で、ずっとテレビをかけながらほとんどパソコンに向かっていました。
そのおかげで、ブログの時評編を3つも書いてしまいました。
フェイスブックにも紹介したためか、久しぶりに今日のブログへのアクセスは500を超えました。
最近あんまりアクセスはなく、200弱のことが多いのですが。

目が疲れるので、時々、気分転換に本を読みました。
フェイスブックに書いたことへのコメントで思い出した「豊かさへの旅」という森本哲郎さんの本です。
もう半世紀前の本ですが、私の記憶に残っている本の一冊です。
読み直して、半世紀前のことを思い出しました。
当時はまだ会社に勤めていましたが、この本を私の職場のメンバーに読ませたくて、書店を回ってこの本をメンバー分買い集めようとしたのですが、当時は品切れで入手できなかったことを覚えています。
そういえば、その時の組織名(CI事務局)も私が勝手に命名した組織でした。
今から考えると、かなり組織を逸脱していました。

時評編にも書いたのですが、その本に「人間てのは、問題そのものなんだから問題をかたづけるというのは死ぬこと」という文章があるのに気づきました。
たしかにそうです。
問題が何もなく平安な人生がいいと思っていた時もありますが、今はむしろ問題があることが人生を豊かにすると考えるようになりました。
ちょっと負け惜しみ的な要素もあるのですが、半分以上は本音です。
しかし最近はやや問題が多すぎます。
まあ新型コロナウイルス問題は私には些末な話です。
世間は新型コロナウイルス一辺倒ですが、森本さんが危惧していた日本になってしまったのかもしれません。
もっと自由に、自分の人生を生きるようになれば、社会はもっと豊かになっていくでしょう。
そしてもっとさまざまな問題にもみんなが気づくようになれば、社会はもっと楽しくなっていくでしょう。

節子がいたら、新型ウイルスにどう対処したか、ちょっと興味があります。
少なくともマスクは作ったでしょう。

■4565:蔵原さんへの追悼文を書き上げました(2020年4月22日)
蔵原さんへの追悼文を何とか書き上げました。
呼びかけてくれた岡和田さんに送りました。

追悼文を書くということの意味がわかりました。
追悼文を考え、書く間、その人と世界を共有するということなのです。
たぶん世界を分かち合う期間を通して、その人との交流を思い出し、これからの交流を生みだすことなのです。
思っていた以上に、彼と関係があったことに気づきました。
これから誰かを送った時には、追悼文を書こうと思います。

改めて気づいたのは、蔵原さんの邪気のなさでした。
しかも実に明るい。
私にはとてもなれないキャラクターですが、改めてもう少しきちんと付き合っておくべきだったとも思いました。
いろんな発見がありました。

私に追悼文を書くように誘ったのは共通の友人の岡和田さんです。
まだ若い岡和田さんが、追悼文集の起案者だと思いますが、改めて岡和田さんに関心を持ちました。

蔵原さんへの追悼文への最後の部分を引用しておきます。
後でまた思い出せるように。

もしかしたら、あなたもまた突然、湯島にやってくるかもしれません。
珈琲はモカじゃないと飲みませんなどと言われると困るので、湯島ではこれからはモカは常備しておくことにしようと思います。
もっともピュアなモカは高くて私には負担が重いので、ブレンドにさせてもらいますが。

また会えるのを楽しみにしています。
邪気のない、あなたが好きでした。

■4566:我が家を改造することにしました(2020年4月23日)
今日は朝から陽光が燦燦と降り注ぐ、好天気です。
太陽の光によって、人の気持ちは大きく変わります。
世間は相変わらず新型コロナにおびえている感じですが、この陽光を浴びたら、コロナウイルスも収まるのではないかとつい思ってしまいます。
庭のフジが咲き出しました。
数年前の台風で藤棚もろとも無残に倒れたのですが、そこから少しずつ復活してきました。
ただ肝心の幹が途中から折れてしまったので、うまく育てられずに、小さな枝が途中から伸び放題で、藤棚を形成できずにいます。
きちんと手入れすれば、もしかしたらもう復活していたのかもしれませんが、この数年はそういう気が起きてきませんでした。
玄関のバラも一輪、咲き出しました。
ウイルス騒ぎを横目に、春は間違いなくやってきています。
ところで、次女家族と同居しようかと考えだしています。
そのためには家を改造する必要があります。
2家族でシェアするための広さは数字の上ではあるのですが、何しろ同居などを想定しないで設計した家ですので、改造が難しいようです。
なにしろ家族4人が好き勝手なことを言って、作り上げた家なので、専門家から見ると無駄な空間がとても多いのです。
私も節子も、その無駄な空間が好きだったのですが、いざリフォームするとなって見直してみると、実に無駄なのです。
これは家の問題だけではありません。
私たちの人生すべてが無駄の多いものだったと、いま思うと気づきます。
もちろん、それを良しとして生きてきたわけですが、娘たちはその被害を被っているのでしょう。
したがって娘たちからの信頼は残念ながら得られていません。
1階と2階とでシェアすることにしましたが、私と独身の長女は2階に住むことにしました。
歳とともに階段が大変になるのではないかとも思いましたが、まあその時はまたその時だということになりました。
相変わらずわが家族は、現在主義的です。
2階にも浴室やキチンを作ることになると、犠牲になるのは私の書庫スペースです。
今でも狭くて別のところに送り込んでいるのですが、その場所も維持するのが難しくなってきているので、どうにかしなければいけません。
それも含めて、今年はちょっと面倒なことが多そうです。
まあしかし、その先、私の人生がどのくらいあるかもわかっていません。
頑張って新しい家の改造をしたところで、私の人生が終わる可能性もないわけではありません。
いまのところ、身体的には大丈夫そうで、多分コロナ騒ぎも乗り越えると思いますが、身体のどこかに、今生はもういいかなという気分があるのです。
そもそもこんなに長く生き続けるとは思ってもいませんでしたし。
貯金も底を突き出し、このままだと湯島も維持できなくなりそうです。
家のリフォーム費用はどう工面すべきか、これまた難問です。
家のリフォームは手続き的にも面倒そうです。
済んだままのリフォームを考えていますので、ますます面倒です。
考えてみれば、そうした面倒なことはすべて節子に任せてきた人生でした。
今回も節子が戻ってきて、采配を振るってくれるといいのですが、まあ無理でしょうね。
人生をうまく送るのは、それなりに大変です。
その大変さを、最近、痛感するようになってきました。
夜、目が覚めると時にちょっと不安になることもあります。
歳をとったなと思い知らされることが多くなりました。
■4567:63歳の岡江さんのコロナ死(2020年4月23日)
節子
敦賀にいる節子の姉からタケノコが届きました。
いつも送ってくれるのですが、姉夫婦も高齢で、タケノコ堀りも大変なはずですが、私がタケノコ好きなので頑張ってくれているのでしょう。
今年はタケノコの当たり年で、最近はほぼ毎日、何らかの形でユカがタケノコを料理してくれています。
おかげで食が進み、さらに体重が増えています。
困ったものです。

コロナでタレントの岡江さんが亡くなりました。
63歳、節子と同じ年です。
抗がん治療中だったため、免疫力が低下していたと言われていますが、それにしてもあっけない話で、これでまたコロナに対する恐怖感は広がるでしょう。
人はみんな、なかなか「死」を実感できないものですが、岡江さんの死は多くの人に「死」を実感させてくれるでしょう。
毎日、死者の数ばかりが報道されますが、それではだれも死を実感できません。
個人の死だけが、死を実感させてくれるのです。

こうやって、死が次第に身近なものになってきています。
私の場合は、最も身近だった節子の死を体験しているので、死の実感は持てるのですが、恐怖感はありません。
なぜなら死の向こう側に節子がいますから、死によって節子に会えるというイメージを持てるからです。
しかし多くの人は、死の実感は不安や恐怖につながるのかもしれません。

死のイメージは人によって全く違うのでしょう。
しかし、感染症によって死んでしまうのは最後に見とれないし、見送れないようなので、残酷です。
感染症で死ぬのだけは避けたいなと、最近思ってしまうようになりました。

岡江さんの伴侶と娘さんの悲しさと辛さがわかる気がします。

■4568:兄夫婦の顔を見に行きました(2020年4月24日)
節子
今日は思い立って、お墓に行きました。
さすがにお参りの人は皆無でした。
先日の菊の花がまだがんばって咲いていました。

お墓に立ち寄ったのは、兄夫婦の家にちょっと顔を見に行ったからです。
新型コロナで、いつ、会えなくなるかもしれません。
まあそんなこともあって、顔だけを見に行ったわけです。
最近は外出も控えているようですが、万一のこともありますので。
幸いにいまのところは2人とも異常なしです。
家に入るのもちょっと気が引けたので、マスク越しの奇妙な会話でしたが。

岡江さんの急逝は他人事ではありません。
いつ同じようなことが私にも起こるかもしれません。
一応、そのための準備だけはしておこうと思ったわけです。

感染症は、人の別れを残酷なものにします。
死に際にも直接接触できないのでは、立ち直れなくしてしまうかもしれません。
なにか方法があるはずですが、私が当事者になったら、たぶん禁を犯したくなるでしょう。

いつ別れが来るかもしれないという緊張感を持って、健康の人と付き合うのは初めてです。
それも含めて、いろいろなことを考えるいい機会になっています。

■4569:ストレス・パンデミック(2020年4月25日)
節子
コロナウイルスの影響で、外出や行動への制約が増えてきているうえに、連日、感染症の恐怖情報が流れているので、社会にストレスがたまってきているようです。
その影響は、私にさえ、まわってきています。
こういう時こそ、誰かと会って、ストレスを吐き出すのがいいのですが、いまはそれができない状況ですから、それこそストレス・パンデミックが起こってもおかしくありません。

感染回避のために自宅に閉じこもると、今度は家庭内DVや家族崩壊の危機が生まれ、感染防止のために休業すれば、家計を維持できずに破産の危機が生まれる。
すべてのことがつながっている人生においては、問題の解決はなかなか難しい。
コロナ危機で、メンタル的に元気になった人もいれば、ますます病んでいく人もいる。
まさにさまざまな人生が、コロナ危機によって、明らかになってきています。
そうした周辺の人の動きが、私にも降りかかってきて、私自身、精神的な疲れもすこしたまりだしている気がします。
これを機に、社会との関係を変えようかという思いがどこかから頭を持ち上げそうで心配です。

私にあてた「遺書」を書いたという人がいます。
私には送られていきていませんが、メールでその旨教えてもらいました。
どうしたらいいか、皆目、見当もつきませんが、ストレスはいろんな言動を起こさせます。
今朝は、また、私への決別のメールが届きました。
私が変わってしまった、と厳しく責められたうえに、です。
私を責められるほどに、その人が元気になってきたとも受け止められますが、そうであればいいのですが、その反対かもしれません。
ストレスに弱い人もいれば、ストレスに強い人もいる。
コロナ危機は,そうしたことを非情にも露わにしてしまいます。
人の哀しさに出合うのは、滅入ることが多くて、哀しいです。

今日は久しぶりに湯島に行きます。
ひどい状況になっていなければいいのですが。

■4570:食卓でのパソコン(2020年4月25日)
節子
穏やかな朝です。
朝起きると、まずはパソコンに向かい、届いているメールやFBのコメントへの返信などに取り組むのですが、今日はリビングに降りてきて、一人で早々と朝食を食べてしまいました。
いつもは7時ころにユカと一緒にしているのですが。
そのまま、しばらくボーっと外を眺めていました。
静かです。

リビングからは、手賀沼湖畔沿いの自動車道路が見えるのですが、自動車よりも、犬の散歩やジョギングなどのほうが目に入ります。
自転車も多いです。

そういえば、節子と、朝、一緒に自転車で水の館まで通っていたことがありました。
あれは闘病中だったのでしょうか。
なにしろ過去の記憶の時間軸が混乱しているので、どちらだったかわかりません。

今朝、フェイスブックに私が変わってしまったというコメントが書き込まれていました。
そこに、私がかつて、この挽歌に書いた、いささか過激な言葉がいくつか引用されていました。
そして、あの頃の佐藤さんはどこに行ったのかと詰問されてしまいました。
それを読んで、今朝はパソコンを続ける気がなえてしまい、リビングに降りてきたのですが、食事を終えて、ぼんやりと外を見ているうちに、無上にむなしくなってきました。
そして気持ちを吐き出したくなりました。

最近、友人に直してもらったノートパソコンをリビングで使っているのですが、それを食卓にもってきて、いま食卓でこれを打っています。
そういえば、節子はノートパソコンをダイニングにおいて、時々、不器用に打っていましたね。
それ用の小さなテーブルまで作って。
そのテーブルも今はありません。

ユカが下りてきそうです。
食卓でパソコンをやっていると叱られるでしょう。
とりあえず、少し気分が軽くなりました。

■4571:手づくりラッシー(2020年4月25日)
節子
今朝の朝食からメニューがひとつ増えました。
手づくりラッシーです。

学校給食がなくなったので、牛乳が余って困っていることを知りました。
そこでユカに頼んで、最近は牛乳を余分に買ってきてもらうことにしていますが、どうも牛乳は苦手です。
そうしたら、ユカがラッシーにしたらどうかと教えてくれました。
ちかくのネパールカレーのお店で、カレーを食べるときには私はいつもマンゴラッシーを一緒に頼むのをユカは知っているのです。
まさかラッシーをそんなに簡単に作れるとは思ってもいませんでした。
作り方はヨーグルトと牛乳を混ぜて、そこにレモン果汁を加え、砂糖を入れればいいそうです。
幸いに材料はすべてそろっていました。
ついでに残っていたメロンシロップを加えたら、おいしい仕上がりになりました。
ヨーグルトを使わなくてもできるよとユカが教えてくれたので、早速、今朝からメニューに入れたのです。

コロナ対策で、最近は食事には気を使っています。
きちんと寝て、食べて、休む。
これが私のコロナ対策です。

ところで、このことをフェイスブックに書いたら、「牛乳を搾り取られる乳牛への酪農家の虐待への思いがない」というような非難を受けたのです。
それが前の「佐藤さんは変わった」というコメントにつながっているのです。
公開で思いを発すると、いろんな非難や攻撃を受けますが、異論はともかく、攻撃には悲しくなります。
これが昨夜からのちょっと気がめいっている原因ですが、攻撃や非難をする人のほうが、実際にはつらいのです。
それはわかっているのですが、ちょっと寂しくなります。

ちなみに、同じフェイスブック記事に、「本当に佐藤さんは優しいですね。感心します」というコメントも書き込まれました。
いずれのコメントも、書き込んだ人の状況を知っているだけに、言葉の奥にある意味が伝わってきて、複雑な気分です。

思いを開いていくことは、時につかれますが、基本的には元気をもらうことが多いのです。
しかし、そうした社会も、もしかしたら壊れてしまうのではないかと、最近ちょっと心配ですが。

■4572:湯島サロンでお茶を点ててくださいました(2020年4月26日)
節子
時評編に書きましたが、昨日、湯島でサロンをやりました。
この時期に電車に乗るのは危険だという人もいますが、逆に電車は空いていますので、危険性はそうありません。
できるだけ何にも触らないように注意していれば、そう危険性はないように思います。

2週間ぶりの湯島でしたが、洗面所の電気がつけっぱなしでした。
前回、きちんと確認したかったためですが、水が出っぱなしだったり、エアコンがついていたりしたこともありますが、いろんな人が使うので、注意しないといけません。
前月は、使用水道料が例月の5倍以上だという注意書きが投かんされていました。みんなで使うということの難しさかもしれません。

植物はみんな元気でした。
郵便受けは満杯でしたが、あふれてはいませんでした。

サロンには5人の参加者がありました。
その中の2人は、コロナ騒ぎで元気になったという人でした。
ひとりはいろんな相談に乗る活動をしている人ですが、相談事が増えてきて、自分のやるべきことが増えてきたのが理由のようです。
もう一人は、本人自身、いろんな難題によってメンタルダウンしてしまい、少し前までは湯島にはとても来られない状況だったそうです。
コロナ騒ぎでもっと大きな問題に囲まれ出して、そんな自分が抱えている問題が相対化できたおかげで、元気になったのではないかと推測しましたが、これまで何回か来ていた湯島サロンで、これほどアクティブな彼を見たのは初めてです。
私には、2人の様子はうれしいことです。

ところで今回は、最近サロンの情報売れになってきたIさんがお茶のお点前を持って参加してくれました。
そして入ってくるなり、お茶を点ててくださり、みんなにふるまってくれました。
お茶請けの和菓子までも。
抹茶の緑と香りを味あわせたかったというのです。

遠くからわざわざ電車でやってきてくださる勇気もさることながら、そのお心遣いに感謝しました。
やはりいざとなったら強いのは女性です。

■4573:スカスカの生活(2020年4月26日)
節子
今日は完全在宅でした.
テレワークではないですが、ほぼパソコンに向かっていました。

改めて思ったのは、コロナウイルスのおかげで、みんなの生活スタイルは大きく変わっていくだろうということです。
時間感覚も大きく変わるでしょう。
少なくとも私の場合は、2か月ほど前から、時間密度がスカスカになってしまい、緊張感がなくなってきてしまいました。
これになれるには、かなり大変そうです。

時間がたっぷりあると先送り志向が強まるというのが、これまでの私の傾向でしたが、まさに今そういう状況になってきています。
困ったものです。

節子が元気だったころにもし、こんな状況が生まれたら、きっと豊かな時間を過ごせたでしょう。
あの頃は、いつも時間に追われていたような気もします。
少なくとも私はそうで、節子はいつも、私のことをワーカーホリックと思っていたでしょう。ともかく、仕事が好きでしたから。少しでも時間ができれば、パソコンの前に座っていました。
しかし、いまはたっぷり時間があっても、パソコンの前には長くはいられません。
今日はめずらしくかなりの時間をパソコンの前で過ごしましたが、それはやることがなかったからであって、何かお目当てがあったわけではありません。

いろんな人が、動画や情報サイトを紹介してくれますが、そうしたものには正直、あまり食指は動きません。
一般的に流れている情報は、あまりに退屈ですし、それを知って何かが変わるわけでもありません。
しかし、今日はちょっと共感できる小論に出合い、読ませてもらいました。
時評編に書いた、藤原辰史さんの「パンデミックを生きる指針」です。
とても共感できる内容でしたので、FBやメーリングリストで紹介させてもらいました。
そうしたらこれもまた意外な人からメールが届いたりしました。
みんなやはり時間を持て余しているのかもしれません。

スカスカの時間の生活も、時にはいいようです。

■4574:最近の朝食(2020年4月27日)
節子
庭の藤やテッセンが咲き出していますが、今年の庭はあんまり元気がありません。
まあその原因は、私があんまり手入れをしていなかったからですが。
花の手入れは、思い付きではだめで、時間をかけて付き合わないといけません。
私にはどうもそれが苦手です。

今日はあまり天気が良くありませんが、下のハケの道を散歩している人は今日も多いです。
人はやはり外に出たくなるのでしょう。
歩くことで体力は維持できますが、私は時に歩数計がゼロの日があります。
困ったものですが。

コロナに感染しても大丈夫のように、食事には気をつけだしています。
もともと私は「グルメ」ではありませんし、そもそも食べるという行為にあまり価値を見出していません。
しかし、朝食にはそれなりに気をつけるようにしています。
節子の時代よりも豊かになっているかもしれません。

まずはコップに半分くらい、市販のジュースを飲むことから始まります。
最近はアセロラジュースが定番です。
つづいてコーヒーをマグカップにたっぷり一杯。
以前はいろいろとトライもしましたが、最近はスーパーで購入しているUCCの安いコーヒー粉を使っています。
主食はトーストですが、一時はニンニク入りのオリーブ油でしたが、最近はまた単なるマーガリンに戻ってしまいました。
娘に頼んでたくさん作ってもらったら、飽きてしまい放っておいたらカビが出てきて、廃棄する羽目になったのです。
以来、娘は作ってくれなくなりました。
マーガリンをかなりたっぷりと塗って、そこにペッパーソーセージを2枚、その上にレタスをたっぷり重ねます。
コーヒーとは別に青汁入りのバナナジュースをユカが作るのでそれをコップ1杯もらいます。
加えて、最近は牛乳とヨーグルトを合わせたラッシーも作りますので、朝食は飲み物でおなかがいっぱいです。
朝の果物はわが家では節子以来、必須なのですが、最近はリンゴが柑橘類です。時にキウイがあります。
シャウエッシェンのソーセージやハムエッグかゆでたまごが加わることもありますが、まあそれは2日に1回くらいです。
また小さなパック詰めの海藻類も時々、スーパーで買ってきて、加わります。
しかし最近は週1回の買い物になってしまったのでいつもあるわけではありません。
まあこんなわけで、朝食はそれなりに頑張っています。
これが、たぶん私がウイルスにもめげずに頑張っている理由の一つです。

基本的には節子がいなくなってからは、朝食は各自が作ることになっています。
時々、私が5時ころ起きて朝食をすることもあるのですが、その場合は、7時にまた青汁ジュースを飲みに2度目の朝食です。
もう一杯、コーヒーも飲みながら。

パンはスーパーで購入するフジパンの本仕込ですが、時々、ユカがサンジェルマンのパンを買ってきてくれます。
これが実においしくて、本当は毎日食べたいのですが、フジパンよりもかなり高いそうで、月に1〜2回しか食べられません。
わが家には製パン器もあるので、自分で作ることも考えたこともありますが、私もユカも調理は苦手なので、いまは誰も作ろうなどとは思いません。

昼食と夜食は娘のユカの担当ですが、最近、ちょっとちゃんと作ってくれるので、ついつい食べ過ぎてしまいます。
そのためにこの2か月で3〜4キロ太ってしまいました。

しかし太ったのは、もしかした食事ではなく、間食のせいかもしれません。
自宅にいると、何となく何かを食べたくなってしまいます。
困ったものです。

■4575:人の死は突然やってきます(2020年4月27日)
節子
人の死は突然やってきます。
私にも、突然亡くなった若い友人が何人かいます。

スエーデンでのヒッピー暮らしから帰国しビジネスマンになったMさんは、私が会社を辞めた時に、私を表参道の喫茶店に連れて行って、うちの会社に来るか、喫茶店をやるか、どうしますか、と問いかけてきました。
もう2度と会社に属するつもりはなかったのですが、彼との付き合いは続きました。
しかしどんどんビジネスマンになり、経営者の一員になったのですが、突然の訃報が届きました。

Kさんは、もっと若く、大企業の広報で活躍する傍ら、都知事になった作家の社会活動を手伝っていたり、趣味の作曲などをしていて、もかくハードな毎日でしたが、時間の合間をぬって湯島にもよく来ていました。
ところが、そんなある日、突然の訃報が届きました。
朝、なくなっていたのを同居していた両親が発見したのです。
まだ30代前半でした。

私がまだ会社に勤めていたころ、突然会社にあるプロジェクトを売り込みに来て、とても気があってビジネスとは別に付き合いが始まった天災的なマーケッターだったAさんは、私が会社を辞めた時に黄色のチューリップを50本届けてくれました。
またゆっくりと会いたいと思っていたら、訃報が突然届きました。

3人とも健康そのものでした。
まさかの訃報でした。

ほかにも、突然の訃報をもらった人が何人かいます。
いささか不審な突然の死もあります。

そういえば2月に急逝したKさんも、あまりにも突然の訃報でした。
もしかしたら、コロナウイルスのせいかもしれません。
最近、そんな気が強くしてきました。

そして思うのですが、死は決して防ぎようがない。
ウイルスは目指した人を逃がしはしない。
カミユの「ペスト」を最初に読んで以来、ずっと心にひっかかっていたことは、なぜ医師のリウーはペストにかからずに生き残ったのか、ということです。
人の死は定まっている。
そういう思いがずっとあります。

なぜか今日は、こんなことを思い出して、突然言ってしまった友人たちの顔を思い出しています。

空が暗くなり、風が吹いてきました。
雨になりそうです。

■4576:自分の小賢しさへの反省(2020年4月28日)
節子
最近、午前中はコロナウイルス関係のテレビ番組を2時間ほど、見るようになってしまいました。
いずれも録画してみているので、例えば1時間番組も半分くらいの時間でみています。
定番はテレビ朝日のモーニングショーとBS-TBSの報道1930です。
いずれも参加している人の意見を聞くのが中心です。
こういうスタイルを始めてから2か月近くがたちますが、残念なのは議論がほとんど進展していないことです。
2か月前に、もしいま合意されつつあること(当時からモーニングショーでは提案されていました)を実践に移していたら、事態は全く変わっていたでしょう。
しかもその内容は、知識がなくても素直に考えれば当然行き着くことのように思います。
しかしいまだ持って、それにあらがっている力が働いているのが、驚きです。
日本という国家制度は、もはや一部の利権者たちのものに成り下がってしまったとしか思えません。
節子がいたら怒るでしょう。
生活感覚で考えれば、ほとんどの場合、方針は間違いません。
今回のウイルス騒ぎも、そうだと思っています。
生半可の知識が一番危険ですが、残念ながら、私もまた生半可の知識にすぐ頼ってしまいます。
それを気づかせてくれる人が、いまはいないのが残念です。

しかし、そういう番組を見ていると、人の生き方が見えてきます。
意見の違いはともかく、誠実に生きている人と器用に生きている人との違いは見えてしまいます。
言い訳で生きている人と実存的に生きている人の違いも見えてくる。
言葉で生きている人と命を生きている人も、です。

実は最近では、話の内容はもう繰り返し聞いているので、あまり新鮮味はないのですが、そういう人の生き方に関心が向いてきてしまいました。
信頼できる人というのは、最初の10分でわかるものだということにも気づきました。
残念なことは、そういう信頼できる人はそう多くないということです。
それにそういう人の言動を見ていて、私自身が全くそういう人ではないことに気づかされて、ちょっと寂しい思いをしています。
それなりに誠実にまじめに生きようと思っていますが、それはなかなか難しいことです。
自らの弱さと小賢しさ、不誠実さと卑劣さに、落ち込みそうになります。

それでいま、テレビの録画を見ながら、そのひとりの方をFBで探してメッセージを送ったら、驚くことにすぐ返信が来ました。
誠実さとは、そういうことなのだと改めて感心しました。
見習わなければいけません。

■4577:悪夢がやってきた日(2020年4月28日)
節子
今日は大きな衝撃を受けてしまいました。
娘のユカが、体調が悪く検査を受けていたのですが、その結果がわかったのです。
結果はグレイ。
精密検査を受けることになったのです。
ユカのことなので、勝手には書けませんが、私もショックでした。
ユカにとっては、コロナウイルスどころではありません。
何事もなければいいのですが。

不安な数日がつづきそうです。
節子に守ってほしいです。

■4578:例年とは違う大型連休の始まり(2020年4月29日)
節子
今朝もいつもと同じような朝でした。
昨日はちょっとショックでしたが、まあ人生はいい方向に進でしょう。
いや、進む方向を受けいれないといけません。
幸いに、ユカも元気ですし、考えるのはもう少し先にしましょう。

いつもならば、今日から大型連休が始まります。
しかし今年は、コロナ騒ぎでそれどころではありません。
というよりも、コロナを利用して、なにか大きな力が働いているとも思いますが、まあ静かなことは良いことです。
大型連休で大騒ぎをする風潮は、以前から私の趣味には合いません。
そういう意味では、コロナのおかげで世間は私の好みへと転じています。
しかし、残念なのは、今度はそれにあまりに同調して、自粛だとかステイホームだとか、過剰にまた反応している風潮です。
自分の人生を生きることを、多くの人は忘れてしまったのでしょうか。
実にさびしい。

昨日、細菌学者の益田さんと相談して、今度の土曜日に「コロナウイルスとの付き合い方」をテーマにしたサロンを湯島で開くことにしました。
こんな時期に、そんなには集まらないだろうと思いながら、案内を出したら、すぐに定員を超える人が申し込んできました。
早速お断りに回りましたが、これまた一体どうなっているのだろうかとちょっとすっきりしない気分でした。
来週も開催しなければいけないかもしれません。

いずれにしろ、今日から大型連休。
ユカが外出する気分ではないでしょうから、今日も在宅ですが、天気もいいので畑に行こうと思います。
しかし、畑に行くのも何となく億劫でもあります。
最近、私も時間のつぶし方がわからなくなってきました。
節子には信じてもらえないでしょうが。

■4579:「大きな福祉に救われた」(2020年4月30日)
節子
今朝、パソコンを開いたら、長いメールが届いていました。
「大きな福祉」を標榜して取り組んだコムケア活動の時に出合ったMさんです。

コロナ禍の渦中で、いろいろと思うことが多いようで、長いメールには彼女の心情が吐露されていました。
とてもうれしかったのは、その長い文章の中に「大きな福祉」という言葉が書かれていたことです。
たとえば、こんなように。

佐藤さんの大きな福祉に救われた一人として
改めて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

大きな福祉を実践してこられた佐藤さんだからこそ
いま大切なことを伝えて下さるように感じていて
思うがままにメッセージを入力させていただきました。

年に一度くらいですが、いまも「大きな福祉」への共感を伝えてきてくれる人がいます。
私自身がもう使用しなくなってから10年以上たつと思いますが、心に刻んでいる人がいると思うととてもうれしいです。

節子が、もし元気だったら、「大きな福祉」はもう少し具体的な形になって残ったかもしれません。
いまは私の生き方の中にしか残っていませんが、もしかしたら、いまのコロナ危機が「大きな福祉」の感覚を広げてくれるかもしれません。
Mさんのメッセージを読んでいて、そんな気がちょっとしました。
もしそんなことが起これば、コロナ様様と思いたいです。

大きな福祉は、言うまでもなく、ウイルスにも寛容でなければいけません。

■4580:久しぶりにスーパーに買い物(2020年4月30日)
節子
今日はわが家の食料品買い物デイでした。
コロナ騒ぎで、今月からわが家のスーパー買い出しは、週1回になったのです。
1週間分を買い込んでくるとなると、ユカ一人では大変です。
それを口実に、私も同行させてもらいました。
やはり時々は「社会の現場」を見て行いと落ち着きません。

思ったほど混んではいませんでしたが、何となく緊迫感がありました。
野菜は軒並み高くなっていましたが、品薄という感じはありませんでした。
私もいつもはほとんど飲むことにない牛乳をラッシー用によぶんに2本買ってきました。給食がなくなって牛乳メーカーや酪農家が大変だと言うので、毎日ラッシーにして牛乳を飲むことにしたのです。

店内をなんとなく歩いていたら、にこが見つけてやってきました。
偶然にも親子で買い物に来ていたのです。
しっかりとマスクをしているので大丈夫でしょう。

今日は1週間分の食材の買い物でしたが、ユカからはもう少し節約しないといけないと言われました。
かなり節約しているはずですが、これからわが家はどうなるかちょっと不安な要素が多いので、さらなる節約が行われそうです。
ユカは節子よりも節約家になりました。
困ったものですが。

■4581:庭の鉢花の整理をつづけました(2020年5月1日)
節子
今年ももう5月です。
最近ようやくその実感が出てきましたが。

好天気に恵まれ、例年であれば、とてもいい連休になったはずですが、今年はコロナ対策で静かな連休です。
もっともわが家は、私が会社を辞めてからは、5月の大型連休は在宅が普通でした。会社時代は、連休はしっかりと予定を組んで旅行したりしていましたが、会社を辞めてからはむしろ、どこも混雑する大型連休は遠出は避けて、在宅か湯島でした。湯島に掃除に行くのも定例行事でした。いつもと違い、人の少ない都心は居心地もよかったです。

午前中は私一人だったのですが、庭の整理のつづきをやりました。
それにしても鉢が多い。
どんどん出てきますが、半分以上はどうも主役が枯れていて、なにやら別の花木が育っています。
鉢ではないのですが、イチゴを救い出しました。
プランターの野草にうずもれていましたが、4株ほどを植え替えました。
株が伸びてくれれば、イチゴがなりだすでしょう。

しかし1時間もやっているともう疲れてしまい、限界です。
そのうちにユカが帰ってきました。
今日はエヴィーバのテイクアウトでランチです。

午後、自宅で癌治療中の友人から電話。
コロナもあって病院は大変そうです。
なかなかきちんと見てもらえていないような気がしているようで、心配で電話をしてきたようです。
コロナばかりが騒がれていますが、病気はコロナばかりではありません。
それにもっと大事なこともある。

花鉢の整理も途中で終わりましたが、頭や気持ちの整理は、途中どころか混乱の真っ只中で、今日は何も整理できません。
困ったものです。
昨夜はあまり眠れなかったので、今日はもう寝ようと思います。

■4582:5月の愚痴(2020年5月2日)
節子
かなり頭が混乱しています。
頭というよりも、気持ちかもしれません。
家族の問題でいろいろあって、ちょっとめげています。
コロナどころではありません。
そういう状況に自らがあると、コロナの捉え方は全く違ってきます。
コロナで元気になったという人の気持ちもちょっとわかるような気もします。
人は、実に弱いものです。

こんな書き方をすると、また誰かを心配させてしまうかもしれませんが、まあ時々あることですから、心配無用です。
ちょっと書いておきたいなと思っただけなのです。

しかし、そのせいかどうかはわかりませんが、1週間前から書いてきた時評編の「コロナ危機を活かす」を白紙に戻したくなりました。
何やら無意味のことを書き連ねてきたような気がしてしまったのです。
フェイスブックにまで紹介してきたので、今更、なかったことにはできませんが、かなり恥ずかしい気分です。

精神的にどうも安定しません。
困ったものです。
この歳になって、五月病でもないでしょうに。
ところで思いついて、「5月の愚痴」をネットで調べてみました。
5月病をこじらせないために、息抜き、気晴らし、人に頼る、愚痴を言うことは大切だという記事がありました。
また、岡山には「愚痴庵」というのがあることも知りました。
その愚痴庵も、コロナ騒ぎでいまはお休みのようです。
湯島で「愚痴庵」もいいかもしれません。
考えようと思います。

その湯島で、今日は1週間ぶりのサロンです。
気分が変わるかもしれません。

■4583:ウイルスへの親近感(2020年5月3日)
節子
2日のウイルスサロンは定員を定めての開催でしたが、とても有意義でした。
細菌学者の益田さんがとても共感してくれて、2回目、3回目と開催しようということになりました。
マスクをしての参加を条件にしましたが、湯島の部屋の中では、益田さんが不特定多数ではないのだから、ここではマスクは不要だと言ってくれたので、マスクなしで行いました。
専門家がそういうとなんだかとても安心して、気が楽になります。

益田さんには、私が何回話してもウイルスへの理解が足りないと叱られていますが、かなり理解は深まってきました。
とりわけ居場所がなくて苦労しているウイルスの境遇への親近感が高まっています。
まさに人間の世界を見る感じで、どうしてみんなウイルスを敵などと考えるのだろうと不思議です。

しかしこういう状況になると、いつもとは違う、その人の側面が見えてくることもあります。ますます元気になってきている人もいます。

細菌学者の益田さんではなく、万葉集学者の升田さんは、最近、いつも花を持ってきてくれます。今日はオオデマリを持ってきてくれました。
こういう時だからこそ、参加者の心を和まそうという心配りです。
いろんな人のこういう思いが湯島のサロンのいいところです。
相変わらずZOOMを使ったらどうかというメールが来るのですが、いまのところは全く考えてはいません。

ちなみに今日は、紙コップを使ったり、小さなペットボトルを用意したり、お菓子類は出すのをやめたり、いろいろと工夫しましたが、そんなこともどうやら不要のようで、いつものように、やるのでいいかという気がしてきました。
ただし人数は制限していこうと思います。

久しぶりにいろんな人と話して、ちょっと気が明るくなりました。

■4584:コロナ狂騒(2020年5月4日)
節子
コロナ騒ぎはますますおかしくなってきている気がします。
ともかくあまり実体のない数字をベースに議論していますので、わけがわからないのです。
さすがに一部の専門家は、おかしいと明言しだしていますが、現実は変わりません。
私が現に生きている世界と別の世界が、テレビで報じられているような気がしてなりません。
ですから私には「危機感」がなかなか出てこないのですが、しかしその一方で、突然死とか経済危機や医療崩壊の可能性が高まっているという印象は強まっています。

私自身は、気にしだしたのが1月下旬で、その時にはまさかここまでくるとは思っていませんでした。3月には市中感染率はかなり高まり、私も感染したのではないかと思っているのですが、むしろそういう感じからすれば、不安感はかなり低くなっています。
ヤマを越した感じがします。
もっとも感染者や志望者はさらに増えるでしょうが、かなり知見はたまってきました。
きちんと対応すれば、感染の確率はかなり低くできるような気がしています。
むしろ何も知らずに自宅に閉じこもることの方が危険だと思っているほどです。
しかしそうはいってもなかなか外出はできません。
節子がいたら、きっと毎日、私は節子を誘って、出ていたでしょう。
もちろん他者との接触は最少化してですが。

感染者の発表数字は、私には低すぎる気がしますが、専門家会議の学者たちは相変わらず数字遊びから抜け出ていません。
根拠のない数字が国の政策を決めるというとんでもない状況が起こっているのです。
本当にこの人たちは科学者なのだろうか、詐欺師集団ではないかと思いたいほどですが、彼らも精いっぱい頑張っているのでしょうから、腹は立ちますが、同時に同情したくなります。能力以上の役割を引き受けてしまったのでしょう。
そもそもウイルスのことなど誰にもわからないでしょうから、わからないことはわからないと言いたのでしょうが、それが言えないのでしょう。
サロンをやっている益田さんの見識に敬意を表します。
わからないことはわからないと言って、みんなで話し合うほどの見識を持たなければいけません。

私ももっと気をつけなくてはいけません。
ついつい知ったようなことを言ってしまいがちです。
困ったものです。

■4585:みんなが心配しているようです(2020年5月4日)
節子
暫らく会ってないOさんから映像とともにメールが来ました。

大変ご無沙汰しております。お元気なご様子をMLから拝読して、日々安心しております。いつもCWSに集う皆さまのMLから学ばせていただいております。本当にありがとうございます。
個人的に、なにか安らぎとなるものをお送りできればと思い、自然とともに演奏したハープの音楽をお送りします。お気に召さないかもしれませんので、お耳汚しになりましたらお許しください。

Oさんはテレビ局の若いディレクターです。
昨年は京都の三十三間堂の修復後のドキュメンタリーを制作したり、水俣のお能の番組を制作したりしていますが、テレビの番組づくりも今は大変のようです。
彼女がハープをやっているのは知っていましたが、その演奏を聴くのは初めてです。

まあそれはそれとして、メールによれば、「お元気なご様子をMLから拝読して、日々安心しております」とあります。
まさか彼女が心配しているとは思ってもいませんでしたが、先日は、別の人からこんなメールが届きました。

佐藤さんの動向?をFBなどで拝見しています。畑の草取りを含めなんとかやっていらっしゃるようで何よりです。

「なんとかやっていらっしゃる」とはちょっとムッとしますが、この人も善意の塊のような人なのです。
コロナウイルスに関しては、私以上に周りの人たちが心配しているようです。
しかし、私はウイルスにも敵意は抱いていないので、向こうも私はお目こぼししてくれるでしょう。

それにしても、こんな風に、みんなから心配されてしまう歳になってしまっているわけです。
もう少し自覚しなければいけません。

■4586:濃霧の朝(2020年5月5日)
節子
濃霧の朝です。
一昨日は風が強く、世の中の不都合を吹き飛ばしてくれるような気がしましたが、今日は逆に世の中の不都合なものを隠してしまうような、そんな風景です。
手賀沼対岸のお寺の朝6時の鐘がよく聞こえました。

コロナ時代を生きる「新しい生活様式」というのがお上から出されました。
おかしな話がまかり通る社会になってきてしまいました。
困ったものです。
もう完全に中世に戻った感じです。

3か月ほど見続けていたテレビのコロナ報道も、最近は繰り返しの話ばかりで、見ているとこれまで信頼している人まで崩れていくのを感じます。
停滞は、人を壊していく。
改めてそう思います。
コロナで活動量が激減した私も、どんどん壊れているのでしょう。

今朝の風景は、どうも現在の世相そのものです。
やはり自然は生きている、そう思いたくなります。
新型コロナウイルスは自然にとって、どういう役割を果たしているのでしょうか。

■4587:孫との虫遊び(2020年5月5日)
節子
今日は子どもの日でにこがやってきました。
最近は自転車でやってきます。
もちろん母親と一緒ですが。

暑い日だったので、ユカがそうめんを創ってくれました。
子どもの日にしては、質素なランチですが、まあわが家にはふさわしいです。
かしわ餅も付いていましたが。

食後、にこと2人で野草でおおわれている畑に行って、虫と少し遊んできました。
シャクトリムシ、バッタの幼虫、テントウムシ、シジミチョウ、ダンゴムシ、アゲハチョウの毛虫など、いろいろといました。
にこは虫類にはわりと抵抗がありません。

しかし野草が多すぎて、畑はいま足の踏み場もありません。
歩くのさえ危険です。
写真を撮りましたが、そのためにちょっと緊張気味で笑顔になっていません。

野草の花がたくさん咲いていました。
その花を少し摘んで帰宅しました。

2人で畑まで往復しましたが、2人とも長靴を履いていて、ちびまる子ちゃんとお爺さんの散歩風景そっくりだったでしょう。

■4588:食べるものがなくなってきました(2020年5月6日)
節子
初夏のようだった昨日と一転、今日は肌寒い雨の日になりました。
2週間ほど前から、わが家の食材買い出しは週1回になっています。
といってもまだ2週間目なのですが、冷蔵庫が空になってきました。
ユカが、やはり週1階では無理かなと言いだしています。

空になったのは冷蔵庫だけではありません。
在宅時間が増えているので、間食も多くなり、お菓子も枯渇してきました。
そのために体重は相変わらず高止まりです。

私は、あまり外出への抵抗感はありません。
というか、感染防止のためにも、体力や気力を整えておくためにも適度の外出は大切だとさえ思っています。
外出自粛と感染防止とは全く別の話だと考えているからです。
しかし、ほとんどの人は外出することを抑制しているようです。
そんなことを続けているとコロナウイルス感染症も含めて病気になってしまうと私は心配ですが、そう考える人は少ないようです。
長い目で見たら、ウイルスと無縁でいることなどできないでしょう。
ウイルスは敵などではなく、同じ自然を構成している仲間ですから、どう付き合っていくかが大事であって、いつまでも逃げているわけにはいかないでしょう。
そう思っているので、注意しながらいつものように過ごそうと思っていますが、人と会う場合は、相手もいる事ですから、自分だけで行動を決めるわけにもいきません。
そのため、私自身もほぼ毎日在宅の暮らしになっています。
そのせいで、生活のリズムはかなりおかしくなっていて、どうも充実感が持てません。
まあ、この10年は、充実感とは無縁の人生になってはいますが。

食べ物が枯渇してきたので、明日は食材の買い出しに行くそうです。
私も同行しようと思います。
最近提唱されている「新しい生活様式」には、ちょっと反するのですが。

■4589:また鳥が巣づくりを始めました(2020年5月7日)
節子
節子が好きだったミモザの木は台風で倒壊、新しくまた植えたのですが、これもまた昨年の台風で倒壊してしまいました。
3代目をどうしようか迷ったのですが、ミモザはもうやめることにしました。
枯れ木のまま残しておいたのですが、一昨日、整理しました。
ミモザは成長が速いので、2メートル以上の上に、かたくてのこぎりで切るのが大変です。
ようやく今日、回収してもらえるように短く切りました。
ついでに狭い裏庭を少し見たのですが、もう荒れ放題で、大変です。

その時に、鳥の巣を見つけました。
いまちょうど作っているところのようでした。
あとで、家から窓越しに鳥が巣作りしているのが見えました。
ヒヨドリかムクドリでしょうか、よくわかりません。

今日、鳥がいない時に近づいてみたら、かなりできていました。
カメラ越しに見ると、中はまだ空でした。

一昨年は孵化した直後にカラスに襲われて全滅でした。
最近このあたりからヘビはいなくなりましたので、天敵は人間とカラスだけのようです。
うまくいくといいのですが。

コロナウイルスも鳥たちには悪さをしないようです。

■4590:ソーシャルディスタンスなど「くそくらえ!」(2020年5月7日)
節子
コロナウイルスのおかげで、いろいろなことを考える機会をもらっています。
今まで気づかなかったことにもいろいろと気づくこともあります。
それはいいのですが、おかげで精神的にはかなり疲れてきています。
そのうえ、コロナどころではない話もいろいろあって、かなり精神的には不安定になっているのがよくわかります。

胃がんと闘っている友人が、明日から入院です。
コロナとは全く関係はありませんが、その保証人を頼まれました。
コロナ騒ぎで病院がいささか心配ですが、そんなことは言っていられません。
万一の時には駆けつけるつもりですが、ソーシャルディスタンスなどという風潮は、それこそ「くそくらえ!」です。
友人を裏切ることとコロナ感染とどちらが怖いか。
人間だったら誰でもわかる問題です。
昨今の風潮は私にはまったくばかげています。

自殺者もまた増えるでしょうが、日本政府や行政はその数字も操作するでしょう。
自殺のない社会づくりネットワークを5年ほどやってみて、日本の統計数字のおかしさはよくわかりました。
日本では数字は操作するものとされているのでしょうか。

大型連休明けで東京都の感染者数が大きく減少しています。
これでみんな安心するのですから、数字の改竄も政策的には意味があるのかもしれません。
最近はそう思うようになってきてしまいました。

それはともかく、明日から入院する友人にとっては、コロナはほとんど気になってはいません。
もっと大きな問題を抱えているからです。
私の周りにはそういう人が他にもいます。
世間はコロナコロナと大騒ぎですが、少しはそういう人たちへの気遣いもしてほしいです。

最大の関心事は人によって違います。
節子と闘病生活を一緒にしたおかげで、ほんの少しでしかありませんが、そういうことがわかったので、コロナ一色の世間にはついていけないのです。
コロナによる死者など少ないのに、なぜこうもみんな騒ぐのか、たぶんほとんどの人が、死についてなど考えたこともないのでしょう。
メメント・モリ。
しかし、不死を恐れても、死など恐れる必要はありません。
死は誰の近くにもあるのですから。

■4591:慶事凶事が混在するのが健全な日常(2020年5月8日)
節子
今日はちょっと元気です。
時評編に書いたのですが、ようやく私の考えていることをしっかりと表明してくれたインタビュー記事に出会いました。
それに加えて、昨日あたりから新型コロナに関する世間の流れが一変してきた気がします。
最近めげていたのですが、少し元気が戻ってきました。
ようやくまともな「知性」に出会った感じです。

とはいえ、今日はまたいくつかの心配事があります。
なかなか平安はやってきません。
まあたぶん最後まで私の場合は、平安は訪れないでしょう。
そういう人生を求めてきたのですから。
いまとなってはちょっと困ったものですが、仕方ありません。
しかし、そうしたなかにも慶事もまたあるのが日常です。

慶事凶事が混在するのが健全な日常。
季節はそろそろ夏です。

■4592:盛りだくさんの日(2020年5月8日)
節子
今日も無事終わりました。

病院からの2本の電話はいずれもまあ最悪ではなく、とりあえずはほっとする内容でした。考えようによっては、「先送り」でしかないのですが、まあいずれも精密検査待ちです。

良い方の話は、孫のにこの1日早い誕生日のお祝いをわが家で行いました。
誕生日は明日なのですが、明日は自宅で家族パーティなので、今日はわが家でケーキをみんなで食べました。
にこは、卵アレルギーなので、普通のケーキは食べられません。
そこで今日は、ユカがケーキ屋さんに卵を使わないケーキを頼んでいたのです。
いつもは食べられないケーキを、にこは実に幸せそうに食べていました。
わざわざドレスまで持ってきて、着替えをしてケーキを食べていました。

コロナ騒ぎがなければ、孫は幼稚園に行っているはずですが、まだ入園式さえできていないのだそうです。
ちなみに、娘母子は、外出自粛を全くしていません。
毎日、近くの公園などに遊びに行っています。
娘は、私と違って、潔癖症に近いほどの神経質な性格なのですが、なぜかコロナに関しては「外出自粛」にこだわっていません。
もちろん感染には非常に注意していますので、私としては安心です。
しかし、そのぶん、万一のことを考え、私も娘母子に会う時には十分に注意しています。

孫は明日で4歳です。
この2〜3か月で急速に成長しています。
この娘家族と来年からは同居しようと考えています。
たとえ親子でも、いや親子だからこそ、同居は難しいのでしょうが、そのためにわが家を改造する予定です。
今日は、住宅会社の人にも来てもらい、その相談もしました。
なにしろ家のつくりが、ともかく無駄の多い設計なので、広い割にはうまく作り直せません。
しかし、これを契機に、私物を思い切り整理できるかもしれません。
来年から生活がまた大きく変わりそうです。
変化についていけるといいのですが。

いずれにしろ、今日は盛りだくさんの日でした。
にもかかわらず、どうも充実感がありません。
困ったものです。

■4593:自然の恩寵(2020年5月9日)
節子
先日、根付いたとおもった日本イチジクの挿し木を大きな鉢に植え替えました。
ところがどうも植え替え方が悪かったようで、せっかく元気だった葉がしなだれてきてしまいました。
これまでお何回も枯らしているので、 今回は失敗できないと思っているのですが、いささか心配です。

イチジクに限らずに、生命は実にもろいものです。
今回の新型ウイルスも、突然に生命を断ってしまうようなことが報道されています。
思ってもいなかった人の突然の訃報が時々報道されます。
それによって多くの人は、改めて新型ウイルスへの恐怖を感ずるのかもしれません。
しかし、これだけたくさんの人がいる時代ですから、実は死は極めて日常的な事象です。
癌でも肺炎でも、いや自死でさえも、それによって、毎日たくさんの人が生命を断たれているのです。
それに比べれば、1日、数十名のウイルスの犠牲者は特別なことではありません。
にもかかわらず、こうして毎日死者の報道を受け、しかも時に知っている人の訃報まで報道されるとみんなの意識は自然とウイルスへと向かいます。
しかし、毎日どれほどの人が死んでいるかを知り、個人的に親しい人の実際の死を体験すると、死への感覚は全く変わります。
そして、死は決して非日常的なものではなく、ましてや避けられないものであるならば、それなりの覚悟ができてきます。
抗うことは無益なのです。
しかし、だからこそ、死に対する態度は誠実でなければいけません。

生命はもろいですが、しかし同時に、強靭でもあります。
枯れたと思った花木が、復活することもある。
そういうことを体験していると、「自然の恩寵」のようなものを感じることもあります。
「恩寵」などというと、キリスト教を想起してしまいますが、もっと大きな意味での「恩寵」があるのではないかと、最近、改めて感ずることがあります。

今回の新型ウイルス騒ぎで、宗教の話があまり出てきていないことにふと気づきました。
私の耳に届いていないだけでしょうか。

■4594:看取れない悲劇(2020年5月10日)
節子
新型コロナで悲しい事件がいろいろと起きていますが、とりわけ悲しいのは、終末期の看取りができないということが起こっていることです。
コロナ感染した人の場合は、葬儀まで制約されるようですが、別の病気で入院していた人への家族面会禁止が起こっているようです。
今朝の朝日新聞のトップ記事の見出しは「終末期 病院で看取れない」で、書き出しはこうです。

きっかけは、4月13日午後8時すぎに社会部に届いた1通のメールだった。
「白血病で余命数カ月の宣告を受け、入院しています。コロナのために家族面会は禁止になり、最期の時も看取(みと)ることはできないと言われました」

この人は、病院と相談し、退院し、結局、家庭で最期を迎えたので家族に見送られたそうですが、「コロナに感染しなくても、最期さえ家族と会えない人がいる。それを世の中に知ってほしいと」と新聞社に訴えたそうです。
とても悲しい話です。
むかしの「殉死」という風習を思い出してしまいましたが、愛する人を看取れないことは個人にとっては耐え難いことでしょう。
仮に感染する可能性があるとしても、それが自分だけのことであれば、だれもがきっと看取りたいと思うでしょう。
それができない仕組みは、やはりおかしい。
病人を隔離するというルールは、やはり非人道的なような気がします。

そうした非人道的なことがいろいろと起きている。
言い換えれば、生物学的な生命は守られても、人間的ないのちは守られていないのではないかと思えてなりません。
人間的ないのちは守るためには、時には生物的生命を犠牲にすることもあるのではないか。
そういう気がしてなりません。

しかし、人は最後には結局、自らの「生命」を優先してしまうものでしょうか。
そうではないと私は思いますが、そういう人がもし増えているのであれば、実に悲しいことです。
コロナウイルスによって、私たちは今、生きるとは何かを問われているように思いますが、感染には注意しなければいけませんが、それよりももっと大切なことがあることを忘れたくありません。

改めて「看取り」の大切さを考えさせられています。
昨年、この問題に取り組んで、実際の仕組みづくりにも取り掛かかっていたのですが、予想外のトラブルでストップしてしまいました。
もう一度取り組むだけの気力が出てくればいいのですが。

■4595:腰痛がやってきそうです(2020年5月11日)
節子
在宅が多いせいか、あるいは床に座る時間が増えたせいか、最近腰が痛くなってきました。
幸いなことにこれまで腰痛とは無縁だったのですが、このままだと腰痛に悩むことになりかねません。
在宅でもできる運動というのがテレビでも盛んに紹介されていますが、私もそういうのに取り組まないと行けなさそうです。
いずれにしろほぼ毎日在宅というのは健康上あまり良くありません。
困ったものです。

血圧の薬も飲んでいますが、それにもかかわらず、あんまり調子は良くありません。
まあ最近は、体温は測っても血圧は測らなくなってしまっていますので、血圧がどうなっているのかはわからないのですが、何となく感覚的にはわかるのですが、あまりいい調子ではありません。
これまた困ったものです。

そう言えば、節子は闘病中にスクワットをやっていました。
今朝、それを思い出してやってみましたが、うまくいきません。
それどころか、ついでに片足立ちをやってみたのですが、30秒くらいしか続きません。
かなり身体がおかしくなっているようです。
ウイルス感染よりも、身体がなまってダウンするほうが心配です。
不本意ではありますが、腰痛対策に取り組んだほうがよさそうです。

身体があると本当に不便です。
今回のコロナ騒動でも、そのことがだいぶわかってきました。
そしてZOOMやテレワークなど、別に身体がなくても生きていけることに気づいた人も少なくないようです。
湯島のサロンも、参加できないがZOOM参加したいという人が後を絶ちません。
実に実に困ったものです。
そういう人たちは、もう生きていなくてもいいんじゃないの、と言いたいところですが、まあそういう生き方もあるのでしょう。
むしろそういう生き方ができない私の方が、生きていなくてもいいのかもしれません。

腰の痛みは、私がまだ私の世界を生きている証なのかもしれません。
大事にしなければいけません。
しかし、もしかしたら、光瀬龍の宇宙年代ものシリーズの登場人物のように、私もなってしまっているのかもしれません。
世界は変わってしまっているのかもしれません。

■4596:カーネーション(2020年5月11日)
節子
仏壇にオリエンタルリリーが供えられています。
節子も私も、ユリが好きなので、毎日でも供えておきたいのですが、最近は経済的な理由もあり、節約気味で、時々しか供えられていません。
今回は「母の日」なので、ユカが買ってきてくれたのです。
もっともカサブランカではなく、オリエンタルリリーですが。

いつもこの時期になると「節子はカーネーションが好きではなかった」という話が出ます。理由は誰も聞いていないのですが、花好きの節子も、なぜかカーネーションはあまり好きではありませんでした。嫌いというわけではないのですが、わが家ではあまりカーネーションは飾られないのです。庭にもありません。
節子に何か暗い思い出があるわけでもないでしょう。節子は実母とはもちろん、義母、つまり私の実母ともとてもいい関係でしたから。
あの花の雰囲気が好みではなかったのでしょうか。
そう言えば、節子は花の好みは割とありました。
私のように、花なら何でもいいというタイプではありませんでした。

玄関のバラが咲き出しました。
節子はバラがとても好きでした。
庭のバラがどんどん咲き出しています。
手入れ不足で、以前のようではないのですが。

■4597:せっかくの巣に鳥が戻ってきません(2020年5月12日)
節子
先週、書きましたが、庭の木に鳥が巣を作りました。
ところが、写真を撮った日からせっかく見事な巣を作った鳥が戻って来なくなりました。
写真を撮ったから鳥が警戒して来なくなったという可能性もありますが、鳥が来なくなった翌日に写真を撮ったので、たぶんそうではないと思います。
しかしいずれにしろもう1週間近く戻って来ないのです。
事故に合ったのではないかと心配していましたが、今朝、鳥が戻ってきました。
よく見えない場所なので、はっきりとは確認できませんがたぶんヒヨドリでしょう。
しかし、巣に居つく間もなく、また飛びだっていきました。
そしてまた今日1日、戻ってきませんでした。
何やら不安です。

コロナ騒動で、在宅時間が多くなったのですが、どうもやることがありません。
時間がたっぷりあると、人は何もしたくなるものかもしれません。
そう言えば、会社時代、仕事がめちゃくちゃ忙しくかった時の方がいろんなことができました。言い換えれば、生活が充実していたような気がします。
それに比べると、この2か月は、内容のない時間を過ごしていて、どうも充実感がありません。こんな感じなら、生きている必要もないような気さえします。
今までこんなことは、一度たりともありませんでした。
困ったものです。

困ったと言えば、先日がんばって植え替えた花木がみんな元気がありません。
植え替えの時期を間違ったのでしょうが、これまた困ったものです。
ユリの球根には水をやりすぎてダメにし、お気に入りのアジサイには水を涸らしてダメにしていますので、要は私に知識がないためです。
節子から少し知識をもらっておけばよかったです。

今日もまた、完全に自宅で怠惰に過ごしました。
畑にもあまり行く気が出てきません。
今日の私の関心事は、コロナ感染者の数よりも、鳥が戻ってくるかどうかでした。
何回も見に行きましたが、午後からは戻ってきませんでした。
これは「平安な日常」なのか、「退屈な日常」なのか。
最近、「退屈」ということが少し理解できるようになってきました。

■4598:人と人が直接会って交流できないことは社会の死を意味する(2020年5月12日)
2〜3日に1通、いまも鈴木さんからはがきが届きます。
今日もまた届きました。
そこに先日、時評編でも紹介した磯野真穂さんのインタビューのことに言及し、(磯野さんは)人と人が直接会って交流できないことは、社会の死を意味すると話していますね、と鈴木さんは書いていました。
あんまりきちんと意識していなかったのですが、もう一度、新聞記事を読み直しました。
たしかにそう話しています。

私がこのところ、元気が出ないのは、まさにこれが理由です。
人と人が直接会って交流できないことは、社会の死でもあるとともに、人の死でもある。
生きるということは、まさに他者と直接会って交流することなのです。
節子と他者の違いは、「直接会って交流できるかどうか」なのです。
なにかとても合点がいきました。

新型コロナを気にして他者と会うのを控える生き方は、やはりどこかで間違っています。
そう思えてきました。
すこし自分の生き方にまた、確信が高まりました。

改めてそのことに気づかせてくれた鈴木さんのはがきツイッターに感謝しなければいけません。

■4599:悪縁でも縁は大事にしよう(2020年5月13日)
節子
フェイスブックに、あるお寺の掲示板に、新型コロナに関して、「悪縁でも縁は大事にしよう」というような言葉が書かれていたと投稿がありました。
その一方で、「コロナとの共生」という言葉を強く否定する投稿もありました。

私は、悪縁でも縁は大事にしようという生き方を目指してきています。
もちろんそれはなかなか難しく、それでどれほどの不快感を味わい、いろんなものを失ったかを思い出せば、そういう生き方からは抜け出したいという気持ちもありますが、生き方はそう簡単には変わりません。
実際には、私はこれまでどんな縁も自分から切ったことはありません。
先方から切られたことはわずかですがありますが、2,3の例外を除き、その後、縁は戻っています。私から戻らせたのではなく、先方から戻ってきたのですが。

その縁が、悪縁か良縁かは簡単にはわかりません。
しかし、どんな縁も、私の人生に無縁であるわけではありません。
であれば、縁を受け入れて、それを活かすかどうかは自分の責任だとも言えます。
せっかくの縁を「悪縁」にしてしまうのは、自らの行為の結果とも言えるでしょう。
そもそも「悪」と「良」はコインの表裏です。

新型コロナウイルスも、縁といっていいのかどうかはわかりませんが、まあ広い意味では「縁」と言っていいでしょう。
であれば、回避するよりも、付き合い方を考えるのがいい。それが私の姿勢です。
しかし、コロナとの付き合い方は難しい。
なかなかうまくいきません。
私の投稿や言動に関して、フェイスブックに「佐藤さんの姿勢(腹のくくり方、空気の読まなさ加減)は素晴らしいと思います。もちろんほめ言葉です」と書いてくれた人がいます。
いささかの過大評価で、私自身は腹もくくっていないし、空気を読まないのではなく、読めないというのが事実なのですが、外からはそういう見方もできるのでしょう。
時々、メールでも「応援しています」というエールが届きます。
まあそういうメールが来ると、なぜか元気が出るのですが、だからとって、何か変わるわけでもない。

新型コロナはいろんなことを気づかせてくれましたが、いろんなものを奪ってもいます。
私にとっては、この2か月は「失われた2か月」のような気がします。
いいかえれば、コロナとの縁を活かせなかったということでもあります。
これからでも遅くはありません。
改めて、この「縁」をきちんと受け止めていこうと思います。
天気がいいせいか、今日はちょっと前向きになれています。

■4600:どうも退屈で仕方がありません(2020年5月13日)
節子
時評編に書きましたが、宇治の高林さんが戦時体験の後編を小冊子にしました。
もう一冊、書いているというので、今度のテーマは何かときたら、父上の記録だそうです。コロナ騒ぎのおかげで、認知症予防ゲームの指導などから解放され、時間ができたのでしょう。いい時間を過ごされているようです。

コロナ騒ぎで多くに人が在宅生活になっています。
在宅生活を楽しんでいる人もいれば、退屈している人もいるでしょう。

過去と現在と未来、という時間が深くつながっていることも、改めて今回実感できます。
いろんな人が声をかけてくれると喜んでいる友人がいます。
それはこれまでの生き方の結果です。
現在という時間は、過去がつくってくれるのです。

やっと時間が取れたので、やろうとしていたことの準備ができると喜んでいる友人がいます。未来の生き方が見えているので、突然与えられた時間の価値が生まれたわけです。未来もまた、現在という時間をつくってくれます。
過去と未来と現在がみんな深くつながっていることを実感すれば、生き方は変わっていくでしょう。

もし現在が退屈だとしたら、それはたぶん退屈な過去を生きてきたのであり、退屈な未来しか見えていないのでしょう。
そう思うのですが、この数日、どうも退屈です。
私の人生は思ったほど内容もなく、退屈だったようです。
自分ではそれなりに面白かったような気もしていたのですが、どうもそうではなかったようです。
まあそれもこれも、節子が途中でいなくなったからかもしれません。
あの時に、きっと私の人生は終わっていたのでしょう。
そう考えないと、この数日間の退屈さは理解できません。

■4601:病院からの電話(2020年5月13日)
コロナ騒ぎで病院も大変なので、いまは病気になるのは避けたい時期ですが、胃がん治療をしている友人が、ちょっと具合が悪くなって検査入院してしまいました。
入院前に電話で様子を聞いたのですが、要領を得ません。
検査入院した結果も電話で聞いたのですが、これまた要領を得ません。
これはやはり病院に行って聞かないとだめかもしれないなと覚悟したのですが、改めてさきほど電話で話したら、どうも私の心配し過ぎだったようです。

彼は独り住まいなので、私が一番の相談相手なのです。
コロナ騒ぎのこの時期、入院も大変ですし、そう簡単に見舞いにも行けません。
肝心の病気に加えて、免疫力が低下しているでしょうから、それこそコロナ感染で予想外の展開になることだってありえます。
今日も20代の若い力士がコロナ陽性で亡くなりましたが、人の命ももろいものです。
悔いのない交流をしておこうと思うと、どうしても過剰反応してしまいがちです。
それになぜか彼からは私は頼りにされているのです。
頼りにされたら応じるしかありません。

検査のために4〜5日、食事をとらずに点滴で過ごしたおかげで、明日のむくみがなくなったと友人は元気に話していましたが、その笑いの中に、独りということの不安さをむしろ感じました。
本当の理由は必ずしも納得できたわけではないのですが、悪く考えればきりがありません。
しかし、まあ無事、明日退院だそうです。
それで良しとすることにしました。
今時の病院は決して安心とも言えませんし。

節子
なかなか心配事から解放されません。
困ったものです。

■4602:故人をネットで訪ねました(2020年5月14日)
ふと思い立って、亡くなった蔵原さんのFBを見てみました。
ページは存続していて、新たな書き込みさえありました。
もちろん蔵原さんの書き込みではなく、友人の岡和田さんの書き込みでした。
しかし、なんとなくまだ蔵原さんがそこにいるような気がしました。

そこで今度は太田篤さんのページも見てみました。
太田さんに世話になったという留学生だった人の書き込みがありました。

というように、今朝はネットで、先に逝ってしまった友人のその後の消息探しをしていました。
そのなかには、私が書いた記事も出てきました。
リアルの世界からはいなくなっても、ネットの世界ではいなくなることはない。
ちょっと不思議な時間でした。

私も間もなく現世からは居なくなりますが、やはりネットの世界では残るのでしょう。
それもまた奇妙な感じです。

しかし、「残る」のと「残す」のとでは全く違います。
私の友人は、定年退職後、原爆で犠牲になった叔父のことを調べて本にしました。
残念ながら、彼もまた病気で亡くなってしまったために、その作品は自費出版はできましたが、彼が納得できる推敲はできなかったようです。
送られてきた本を読んで、彼らしくない未完成さを感じて、感想を送ったら、彼からの返事ではなく、息子さんからの訃報が届き、事情を知ることになりました。
死を予期して、急いでまとめて、出版したのでしょう。

いまは高林さんが父上の記録を書いている。
叔父にしろ父親にしろ、その記録を残すことは、自らの記録を残すことなのかもしれません。いや、むしろ、自分と叔父、自分と父との関係を残すという大きな意味がある。

私の周りにも、自らが生きていた証を残しておきたいと思っている人は少なくありません。私にはそういう気持ちが全くないのですが、「残る自分」ではなく「残す自分」の意味が少しわかるような気がしてきました。

現在のような情報社会においては、残そうとしなくても残ってしまう。その自分は多分、残したい自分ではないでしょう。
私は、どちらかと言えば、「残ってしまう自分」が好みですが、「残したい自分」がある人には、たぶん「残ってしまう自分」は好みとは違うのかもしれません。

ネットで生きている故人と彼岸で生きている故人。
ちょっと興味あるテーマです。

■4603:日光浴で元気です(2020年5月14日)
節子
いい天気なので、日光浴を兼ねて庭の鉢物の整理をしたのですが、先日がんばって植え替えたもののほとんどが元気がないです。
タイミングを間違えたのと肥料と水をやりすぎたのかもしれません。
本来ならどんどん元気になるはずなの、日に日に元気を失っているような感じです。
ユカからは、注意されていたのですが、今日もまた私が思いつきでやってしまうことを叱られました。
時期などを全く考えずに、思いつきで行動するのが、まあ私のいいところなのですが。

その一方で、放っておいた地植えのものは元気になってきています。
琉球朝顔は伸びだしましたし、皇帝ダリアもバラも元気です。
それでまた、地植えのダリアとバラと朝顔も、一部を植え分けしようと思ったのですが、ユカからやめた方がいいと言われてしまいました。

畑に行こうかと思っていたのですが、畑に行くとかなり大変なのです。
腰でも痛めたら大変ですし、なによりも作業の大変さが予想されますので、躊躇してしまいます。
躊躇しているうちに、タイミングを失してしまい、今日も庭での日光浴で終わってしまいました。
作業はほとんど進まず、です。
でもまあ、おかげで太陽からたくさんの元気をもらった気がします。

しかし、太陽光のパワーはすごい。
10分も陽の光を浴びていると実に幸せな気分になります。
30分も浴びているとおかしくなる。
ムルソーの気持ちがわかるような気がします。

■4604:雨ですが湯島です(2020年5月16日)
節子
たぶん気のせいだとは思うのですが、昨日のわが家の近くには鳥があまりいませんでした。そう気がついたのはお昼頃ですが、午後もかなり気にしていましたが、鳥がいないのです。
庭の木に数日前につくられた鳥の巣は相変わらず空き家のまま。
気になっていたのですが、今朝、鳥が戻ってきました。
朝型にはキジバトが2羽、庭に来ていましたし、鳥の鳴き声も雨の中、聞こえてきました。
ちょっとほっとしました。

自然は毎日、微妙に表情を変えているのです。
鳥がにぎやかな時もあれば、姿が見えなくなることもある。
コロナ騒ぎのおかげで、そうした自然のちょっとした変化にも気づけるようになりました。

今日はあいにくの雨ですが、湯島でサロンがあります。
参加者も気が進まないでしょう。
天気によってこんなにも気持ちが変わるものなのか。
緊急事態解除よりも、天気のほうが効き目がありそうです。

新型ウイルスに関しては、相変わらずFBでは反対されたり賛成されたりしていますが、ウイルスの効用がだいぶわかってきました。
もちろん私の独りよがりなのですが、ウイルスは私自身の鏡かもしれません。
ウイルスに関するいろんな人の意見を読んでいると、まさにその人の思いや生き方が伝わってきます。
私の人柄や生き方もまた、同じようにみんなに伝わっているのでしょう。
ウイルスにますます親近感を高めています。

さてこれから湯島です。
電車は空いているでしょうか。
ウイルスも乗っているでしょうか。

■4605:サロンを開くと世界の実相が垣間見えます(2020年5月16日)
節子
1週間ぶりの湯島は疲れました。
オフィスに行く直前に58段の急な階段があるのですが、そこを登る途中で休むほどでした。
1週間、外出しないでいるだけで、これだけ身体が変わるのかという驚きでした。
それは私だけではないようで、参加者の一人が、1か月ぶりに遠出をしたが、あの階段がきつかったと言っていました。
外出自粛が何をもたらしているかは、こうしたことからも伝わってきます。

階段を上がってオフィスに向かったら、「おさむちゃ〜ん」という声が聞こえました。
雨の中を、霜里農場の金子友子さんが、いつものように大きな荷物を持ってやってくるので会いました。
早めに出てきてよかったです。
サロンの前に見せたいものがあるというのです。
そのうえ、いつものようにおにぎりや野菜などを山のように持ってきました。
コロナ騒ぎにも霜里農場の生活は全く変わっていないようです。
そういう人たちがいるということを知るだけでもホッとします。
今時のサロンは、あまり口にするものは出さないようにしているのですが、そんなことは全く無頓着で、サロン参加者にもおにぎりや手作りケーキをふるまっていました。

サロン前に私に見せたかったというのは、数本のユーチューブ動画でした。
最近、フェイスブックで友人たちから紹介されて、それを見るようになったのだそうですが、それによって世界像が一変したようです。
私も全く知らなかった動画が半分ほどありましたが、どこまで真実かはともかく、かなり政治の裏や経済の実態を知っている彼女が、そしてコロナウイルスには生活を微動だにしない彼女が、世界像を一変させてしまうのですから、動画のパワーは大きいです。
動画の内容は世界政治や世界経済の裏を告発したものです。

サロンは、定員なしの土曜サロンと勘違いしてやって来た人も含めて、にぎやかでした。
サロンを終わった後に、参加者の一人が、新たなサロンを提案してきました。
政府のコロナ対策で、様々な不正やおかしなことが起こっているということに強い問題意識を引き起こしているようです。
彼は、それによって経済的メリットを受けているようですが、周りには不当利得者もいるようで、国家財政や経済崩壊への危惧をお持ちのようです。

コロナ危機とは何か。
それが少しわかりました。
週1回、サロンをやるだけで実にいろんなことがわかってきます。
しかし、疲れましたが。
往復の電車は空いていました。

■4606:「自然は沈黙した。うす気味悪い」(2020年5月17日)
節子
今日はさわやかな日になりそうです。
どうも最近、レーチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出すことが多いです。

「自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか」。

この有名な文章が思い出されるのです。
コロナウイルスは、環境破壊するような化学薬品とは無縁のはずですが、どうも両者がつながっているように思えてなりません。
理屈を超えて、両者が同じようなものに思えてくるのはなぜでしょうか。

昨日、高校時代の同級生の細菌学者の益田さんに頼んで、またウイルスをテーマにしたサロンをやってもらいました。
サロン主催者の特権として、私だけが益田さんの話を何回も聞いていますが、聞いているうちにだんだん新型コロナウイルスに親近感を持ってきました。
益田さんは、ウイルスを擬人化することに否定的ですが、やはりウイルスもみんなそれぞれの個性を持った生き物に思えてなりません。
ですから、ウイルスはいのちのない化学薬品とは真反対な存在のはずですが、なぜか最近鳥がいなくなったのは、新型ウイルスの、もしくは新型ウイルス騒ぎのせいなのではないかと思うのです。
実際は、コロナウイルスが人間社会の経済活動を抑制させたおかげで、大気はきれいになり、水もきれいになったと言われています。
たしかに数日前に見た我孫子の空も今までにないきれいな青さでした。
でも、その一方で、地球環境が大きく変化しだしているのではないかという気がしてなりません。

そして、鳥がいなくなった。
この数日、鳥がいなくなったような気がするのです。
実際には、私がたまたまこの数日、鳥に出合っていないだけかもしれませんが、庭の木にせっかく巣作りをした鳥が、なぜか戻って来なくなったことだけは事実です。
それに鳥のさえずりも、間違いなく少ないのです。
カラスもいなくなった。

まあ事実に基づくことではなく、あくまでも私の心象です。

でも、外のあたたかかでやわらかな陽ざしをみると、今日はきっと「いのち」に満ち溢れたいい1日になるでしょう。
鳥も戻ってきてくれるでしょう。
この数日、鳥に出合えなかったのは、私の心身の状況の結果なのでしょう。

外に出なければいけません。

■4607:ラジオ体操を始めることにしました(2020年5月18日)
節子
節子に供えていたユリが4輪、見事に咲きました。
ユリの香りが部屋中を満たしています。

最近は朝に手作りラッシーを飲む習慣が定着しました。
学校給食が止まったために酪農家の牛乳が余っているというので、それに少し協力しようと思って、飲むことのない牛乳を飲むように決めたのです。
ところが、朝はこのほかにも青汁バナナジュースやコーヒーなど、4種類の飲料を飲むのですが、そのため、お腹が水バラになってしばらく動きたくなくなります。

体重は2キロ増まで落としましたが、そこから下がりません。
夕食を軽くするということにしましたが、その成果はまだ出ていません。
コロナによる外出の現象はいろんな影響を与えています。

一番の問題は腰痛の兆しです。
そこで井坂さんからの薦めを思い出して、ラジオ体操をすることにし、昨日テレビに合わせてやってみました。
いまの状況ではかなりこれはきついですが、毎日やれば成果は出てくるでしょう。
ところが、今朝は忘れてしまい、気がついたら時間を過ぎていました。
新しい生活様式を身につけるのは難しいです。
しかし、腰痛のきざしは、むしろ激化しています。
対策を急がねばいけません。

コロナのおかげで、いろんな気付きがあります。
そんなことを言うと顰蹙を買いそうですが、コロナ様様です。

■4608:自宅のリフォームを決めました(2020年5月18日)
節子
自宅リフォームはだいたい枠組みが決まってきました。
年内に同居する方向です。
娘からはよく言われますが、節子がいたら同居もこんなに難しくはなかったでしょう。
伴侶のいない父親は厄介な存在なのかもしれません。
困ったものです。

同居に伴い、私の占有生活空間は狭くなりますが、その関係で書籍をどうするかが厄介な問題です。まあ些末と言えば些末な問題ですが。
いまの書斎と書庫はつぶすつもりですが、そうなると書籍の持っていき場がなくなります。最近はほとんど書籍は購入していないのですが、まあ長年の人生ですので、それなりに思い出のある本も少なくないのです。

問題はリフォーム費用です。
今日の打ち合わせで見積金額が出てきました。
みんなで出し合うのがわが家の文化ですが、肝心の私の手持ち資金はほぼゼロです。
さてどうするか。いつものように、お金のことはあんまりきちんと考えていなかったのです。困ったものです。
ここで、いつもならなぜかお金が回ってきます。
今回は、しかし目途が全く立ちません。
対価目的の仕事をしなくなってからもう15年は立ちますので、今更再開することもできません。お金から自由な生き方を目指していても、いざこうやってリフォームするとなるとお金が必要になります。
湯島のオフィスの売却は最後の手段ですが、それは避けたいです。
困る人もいるでしょう。
となるとまずは宝くじしかありません。
さて当てるでしょうか。
明日から毎日祈らなければいけません。

■4609:家のリフォームは人生のリフォーム(2020年5月19日)
節子
昨夜、リフォームに備えて少しだけ書籍の箱詰めをしてみました。
引っ越し用の段ボール箱を10個もらってきたので、とりあえず10箱詰めてみましたが、書棚の本は一向に減りません。これは大変だとようやく実感しました。
そう言えば、会社時代の私の出費は喫茶店代と書籍代だけでした。
知らないうちに書籍がたまってしまっていたわけです。
書籍だけならまだしも、さまざまな資料も残されています。
私の人生の痕跡なので、なかなか捨てられずにいます。
それに、仕事関係のものはちょっと内容的にも気楽には捨てられないものもあります。
焼却するにもいまは自宅では難しい。

というわけで、何やら大変なことになってしまったなと気が重くなりました。
ユカは、前からこんなに本や資料を残して死なないでよと言っていましたので、思い切った処分を提案していますが、簡単には廃棄できないのです。
というのも、一冊一冊に、それなりの思い出があるからです。
まあ気分で買ってしまって、あまり読んでもいない「講座」もののシリーズはさほど愛着はないのですが、しかしそれをなぜ購入したのかということになると、そこにはやはりいろんな人生の記憶が浮かんできます。なぜか書籍に関する記憶は不思議なほど覚えているのです。
そして結局、廃棄する気が萎えてくる。困ったものです。

書籍を整理していると、忘れていた本に出合うこともある。
本にまつわる、人とのつながりも思い出されます。
こんな本も読んでいたのかと我ながら驚くこともある。
蔵書は私の人生の目次かもしれません。
リフォーム工事はまだ先の話なのですが、この1か月は本の整理に取り組むことになりそうです。
そしてそれは、私の人生の整理につながるかもしれません。
家のリフォームとは、人生のリフォームなのだと気づきました。
狭い私の仕事場は、いまは大変な状況になっています。

■4610:無駄の多い人生だした(2020年5月20日)
節子
人生を切り替えることにしました。
というと、大げさですが、資料や書籍を切り離すことにしました。
やはり娘が言うように、いま手元にある資料や書籍は、私の人生には意味がありますが、これから読み直すことはないでしょう。
というわけで、まずは雑誌類や資料から廃棄することにしました。
しかし、どれを残すかどうか感上げていると結局は、いつものようにほとんど捨てられなくなりました。
それでジャンルごとに決めることにしました。
そうは言っても一挙には難しいので、とりあえずという感じです。
そう思って整理していくと、なんとまあ無駄な冊子や書籍が多いことか。
雑誌や資料は半分以上は全く読んでいません。
読んでいないのにどうして保管していたのか、といえば、そのテーマに関心があったからですが、しかしあんまり読んだ形跡がないのです。
書籍もそうです。
とりわけシリーズのものは、最初のころのは別にして後半のものはほぼ読んでいない。
そういう書籍や資料、雑誌が書庫を覆っているので、いつも肝心の書籍がなかなか見つからなかったのです。

ビデオテープもまた数十巻出てきました。
どうも収集癖があるのですが、DVDに切り替わった時に、それまでの数百巻は廃棄したはずなので、まだ残っていました。
そのうえ、DVDもたくさん出てきました。
アナログ時代のものですから、画質が粗くて今はもう見る気にもなりません。
今回、みんな破棄することにしましたが、録画する手間も大変だったはずです。
私の人生がいかに無駄が多かったのかがよくわかります。

資料整理をしていて、先に逝ってしまった友人から託された資料も出てきました。
2人とも亡くなるとは思わずに、それまでの記録をなぜか私に渡したのですが、いずれもその後、しばらくして(一人は直後に)亡くなってしまいました。
その後、私は託されたことをすっかり忘れていたのですが、その資料が出てきたのです。
託されたと言っても、具体的に何か頼まれてわけではなく、その活動を記憶しておいてほしいという程度なのですが、それさえも危うく忘れかけていました。
その資料はどうするか。
ちょっと迷ったのですが、迷っているときりがないので、今回は廃棄することにしました。

そんなわけで、今回はかなりの整理になりました。
明日から廃棄しだしますが、だいぶかかりそうです。
みんな処分できたら、第2ステップです。
あまり外に出てはいけないようなものは、家の中で焼却するか細かく裁断しなくてはいけません。
これから3か月くらいはかかりそうです。

その3か月は、たぶん自分の人生の無駄の多さを反省しながら、その無駄な人生に付き合ってくれた節子のことを思い出しながら過ごすことになりそうです。

ちなみに廃棄するのは書類や本だけではありません。
生活に関わるほぼすべてのものです。
部屋もすべて模様替えです。

■4611:コロナ禍のおかげ(2020年5月21日)
節子
自宅にいる時間が多くなり、人に会う機会がなくなるとどうしても生活が退屈になります。
最初はテレビを見たり読書をしたりしていましたが、2週間も続くと、いずれも退屈でしかありません。
テレビは今でもコロナ関係の番組は録画して見ていますが、同じことの繰り返しです。
本はなかなか読む気になりません。
書類整理で見つけた懐かしい本も、読み直そうと読みだしても、やはり退屈です。
いかの人間の置かれた状況が意味を持っているかがよくわかります。

人とはあまり会いませんが、連絡はいろいろとあります。
良い話もあれば悪い話もある。
コロナが流行ろうと終息しようと、人に起こることは同じです。
コロナだけが「事件」ではありまません。

最近感ずるのは、このコロナを良いことに、みんな自分の生き方を考え直しているような気がします。
ある友人はテレワークを併用しての週2日勤務だったのが先週は通常勤務に戻ったそうですが、疲れてヘロヘロになったそうです。「よく以前は、ずっと週5日勤務してたなあ」と思うと言ってきました。そんなふうに思っている人は、今、けっこういるみたいですとも書いてありました。
これは働き方だけではないでしょう。
学び方も遊び方も、付き合い方も、これまでとは違った体験によって、これからいろんな変化が出てくるでしょう。それに伴い、仕事のスタイルも変わっていくかもしれません。
本当は「不要」だった活動はなくてもいいことに気づく人もいるでしょう。
私の感覚では、世の中の仕事の半分以上は、不要というよりも、ない方がいい仕事です。
行政の仕事で言えば、どの視点に立つかで変わってきますが、まあほとんどは不要でしょうし、学校の仕事に関しても、無駄なものが多いでしょう。
実際にはみんなそういうことに気づいていたと思いますが、それがなくてもいいのだと体験できたことは大きいでしょう。
最もコロナのために、新たに発生した「無駄な仕事」もたくさんありますので、全体としては良い方向に行くのか悪い方向に行くのかはわかりません。
しかし少なくとも、何かが変わっていく。
立場の違う人たちのせめぎ合いが始まるかもしれませんが、思考の起点が変わることは間違いない。
結果的に隷属からの脱出ができる人が、増えていくだろうと思います。

そして私もまた、いろんな変化を受けています。
そう考えれば、コロナの恩恵は少なくありません。

■4612:「困ったものだ」(2020年5月23日)
節子
玄関のバラが満開ですが、庭の花は植え替え時期を間違ったために大事にしていた牡丹や芍薬やイチジクが枯れてしまいました。
まだ肝炎にではないので希望はありますが、どうも今回は無理そうです。
ユカが大事にしていた花まで枯らしてしまいました。
人生はうまくいきません。
こういう時に、私は「困ったものだ」という言葉を使うのだそうです。
自分ではあまり意識していなかったのですが、「困ったものだ」は私の口癖のようです。

昨日もフェイスブックで、ある人がそれを意識して、私へのメッセージに「最近あれもこれもと欲張りになってきました。どうしてでしょうか?困ったものです」と書いたら、すぐに別の人が、「困ったものです=教授は修先生??です。(爆笑)」と書き込みました。
どうも「困ったものだ」は、私の口癖として受け取られているようです。

人にはみんなそれぞれの癖があります。
それがその人の記憶につながっていく。
そう思って、最近、逝ってしまった友人のことを思い出すと、確かにそれぞれになんとなく口癖があります。
「俺にはまったくわかんねえ」とサロンの流れを変えてくれた太田さんや「これはいい言葉だ」と自画自賛するようなかたちでメッセージを強調していた蔵原さん。それ俺にそう話す時に顔の表情も含めて思い出されます。

ところで節子の口癖は何だったのでしょうか。
思い出せそうで思い出せない。
いろんな表情の節子を思い出せるのですが、なぜか節子の言葉が聞こえてこない。
本当に、困ったものです。

後で娘たちに訊いてみようと思います。

■4613:何かのために頑張り続けても、いきなり失うのが人生(2020年5月23日)
節子
節子は暴力が出てくる映画は嫌いでした。
結婚したころは、京都でよく映画にも行きましたが、いつも私好みの西部劇とサスペンスものでした。
節子が退屈しながら付き合ってくれていたことに気づいたのは少したってからで、それからは、その種の映画はほとんど行かなくなってしまいました。

大学時代は、一時期、映画評論家になりたいと思ったほど映画館にはよく通いました。
西部劇はジョン・フォード作品よりも、ジョン・スタージェス作品が好きでした。
ジョン・スタージェスには決闘三部作というのがあって、そのひとつ「OK牧場の決闘」は繰り返し映画館に行きましたが、3作品で好きになれなかったのが、「ガンヒルの決闘」です。この作品はたぶん2〜3回しか観ていないでしょう。
ところが昨日、BSでこの映画をやっていました。
それで観てしまったのですが、印象がだいぶ違いました。
まあ一言で言えば、面白かったのです。
しかも暗さが感じられない。

こんな会話が出てきます。
久しぶりに会った親友に向かって、牧場主として成功したベルデンが言います。
「何かのために頑張り続けても、いきなり失う。それが人生」。
ベルデンは妻を失ったのです。
そして久しぶりにやって来た保安官のモーガンも、妻を亡くして、その犯人を捜しにベルデンのところにやってきたのですが、その犯人がベルデンの息子だったのです。
実に暗い話です。
たぶんそれだから私はこの映画が好きになれなかったのです。
ラストシーンも、実にさびしいのです。

しかし、久しぶりに観て、妻を亡くした2人の男たちの気持ちがわかったような気がしました。
もしかしたら、ベルデンはわざと親友に殺されたことがわかりました。

この映画の主役を演じたカーク・ダグラスには「ガン・ファイター」という西部劇がありますが、そこではカーク・ダグラスが最後にわざと撃たれて死ぬのです。そのシーンを思い出しました。この映画も、私の好みではありません。

「何かのために頑張り続けても、いきなり失う。それが人生」。
この言葉の意味が、たぶん前に観たときにはピンとこなかったのです。
いまは実によくわかる。

いきなり失うのが人生。
とても考えさせられる言葉です。

■4614:支え支えられて生きていく(2020年5月24日)
節子
敦賀にいる節子のお姉さんからお米と野菜が届きました。
野菜はいま高いそうなので助かります。
まあこういう感じで、私の生活は支えられているのでしょう。
感謝しなければいけません。

もしお金などというものがなくなり、お互いに分かち合うような人のつながりが社会を構成するようになったら、世界はどんなに住みやすくなることでしょう。
幼馴染の友人がいまちょっと闘病生活に入っていますが、彼を見舞った人の友人から、彼が、「修が、経済の豊かさより心の豊かさを求めた方が良いと言っていて、変なことを言うと思っていたけど、修の言うことは正しい。これからはそんな方向に世の中が変わっていくんじゃないかな」、と言っていたそうです。
彼は最近、私に会うたびにうなぎをご馳走してくれます。
自分は胃の一部がないので、そんなに食べられないのですが、お店に行くと私が普段はとても食べられないだろう一番高いのを注文したがります。困ったものですが、そうやって私を支えてくれているわけです。

彼は靴屋をいまでもやっているのですが、最近は感じのいい人には原価割れで売ってしまうようなので、いささか心配ですが、まあ彼が言うような方向に社会が変わっていってほしいです。

昨日は土曜サロンでしたが、予想以上に人が集まりました。
みんな人とのつながりを求めている。
しかし、人とのつながりを生みだし維持していくのは、それなりにわずらわしいことでもあります。そのわずらわしさを受け入れるかどうかがポイントです。

生活を支えられるということは、その相手の生活を支えるということでもあります。
「ケア」ということが、双方向的な関係概念であると同じように、「支える」もまた双方向的な関係概念です。
支え支えられて生きていく。
コロナ騒ぎがそういう社会に向かわせてくれるのかどうか、まだわかりませんが、もしそうなればコロナのパンデミックも起こらないでしょう。
パンデミックは、コロナウイルスが起こすのではなく、人間が起こすものだと、やはり私はいまでも思っています。

■4615:重荷につぶされそうです(2020年5月25日)
節子
新型コロナウイルスの感染防止のために行われた緊急事態宣言は解除されるようです。
私は昨日は湯島に行っていたのですが、娘から、我孫子は人がたくさん出ていたと聞きました。近くの公園はもとより、スーパーも駐車場が満杯で車を止めるのが大変だったそうです。行動自粛は長くは続けられません。

今日はちょっと気の重い話がつづいて起きました。
こういう時に一人では結構つらいものがありますが、まあそう甘えてもいられません。
いずれも結論が出たわけではないのですが、いまは気が弱くなっているせいか、へこんでしまいます。ここに書くわけにもいかずに、思わせぶりな書き方になってしまいますが。

考えようによっては、大した問題ではないのかもしれません。
とりわけひとつは経済的に解決できる問題です。
でもなぜか気がとても重いのです。私の生き方に関わっているからかもしれません。

私はこれまでみんなの「善意」に支えられて生きてきた気がします。
少なくとも「お金」に支えられる生き方ではありませんでした。
地位もお金もないのに、なぜかみんな私を善意で支えてくれていました。いや、いまもなお、です。
その「善意」に甘えすぎてきたのではないか、いや、いまもなお、甘えすぎているのではないかと、最近少し思うようになってきたのです。
私は、人はみな「善意」を持っていると確信しています。
その善意を信じていれば、裏切られることはないという確信があります。
実際には、その確信は裏切られたり、大きな被害を受けたりすることもあるのですが、それもまた肯定的に捉えようという生き方をしてきました。
もちろん、時に傷つけられることもある。その時、いつも、一緒に受け止めて元気づけてくれたのが節子でした。元気づけたと言っても、何かをしてくれたわけではありません。私の重荷やつらさをシェアしてくれたのです。
人は、どんな不幸もシェアしてくれる人がいれば大丈夫だと私は思っています。実際には、夫婦で命を断ったという人もいますから、そんなことはないのかもしれませんが、たぶんその最後の瞬間もまた、2人は幸せだったと考えれば、大丈夫だったのかもしれません。実際につい最近もそうした事例にも出会いました。

しかし、善意に支えられて長年生きてきたせいか、時に耐えようがないほど気が滅入ることがあるのです。
ちょっとしたつまらないことだとは思ってはいるのですが、どうしようもなく憂鬱になってします。
いまちょっとたくさんの重荷を背負いすぎてしまっているのかもしれません。
一つひとつは対して重くはないのですが、足腰がともかく弱くなっています。
それに、実は個人の存在を超えた、とんでもなく大きな重荷がだんだん見えてきたことも、その一因かもしれません。
困ったものです。

■4616:ドア嫌い(2020年5月26日)
節子
昨日は散々な日で、夜にもまた“惨事”がありました。
娘はトイレに入ると鍵をする習慣が昔からあります。
ところが昨夜、そのトイレのカギが壊れ出られなくなったのです。
普通なら外からも開けられる鍵なのですが、外からやっても開かない。
いろいろと試みましたが、どうしようもない。
かなりがんばったのですが、これはもう壊すしかないということになり、ドアをこわしました。
出来れば壊したくなかったので、30分近く奮闘してしまいました。
悪いことは重なるものです。
娘にとっても、私にとっても、昨日は最悪の1日でした。

そんなわけで、今日はトイレのドアがないままです。
もっとも私は、トイレのドアを閉めないのでいつも娘に注意されています。
閉めないのはトイレだけではありません。
寝室もドアを閉めずに寝ています。
よほど寒い時には閉めますが、閉めることはほぼありません。
私は閉鎖空間が好きではないのです。
というか、空間を遮るドアそのものが嫌いなのです。

昨日は最悪の日でしたので、今日はきっと良いことがあるでしょう。
しかし、どう考えても、今日もあまり良いことはありそうもありません。
悪い話は、いくらでも思いつくのですが。
困ったものです。

■4617:孫からの誕生日プレゼント(2020年5月26日)
節子
今日は孫家族が来ると言うので、リフォームの相談かなと思っていました。
年内に同居を考えていますが、まだきちんと相談ができていないのです。

ところが、手洗いを終えた孫(わが家に来たらまずは手洗いをします)がとんできて、私に何かを手渡してくれました。
何だと思ったら、手作り人形でした。
よく見たら、そこに「おさむさん 79 にこ」と書いてありました。
そうか、誕生日のプレゼントなのだと気づきました。
私は誕生日とか〇〇記念日というのに、あまり興味がないのです。

娘たちもケーキを持ってきてくれました。
ケーキを前に、孫が“Happy Birthday to you …”と歌いだしました。
ところが、私の名前を言うべきところで、うっかり自分の名前、“…for nico”と言ってしまい、慌てて歌いなおしてくれました。

手作り人形は、トイレットペーパーの芯でつくったものです。
昨年は孫が描いた絵でしたので、だいぶ進化しました。
早速、節子に供えました。

昨日は最悪の日でしたが、今日はちょっといい日でした。
人生は、良い日もあれば悪い日もあります。

■4618:分かち合いの生活(2020年5月27日)
節子
昨日、敦賀にいる甥から消毒液が届きました。
次女の連れ合いが飲食店をやっているので、消毒液が必要だろうとたまたま手に入れたものをおすそ分けしてくれたようです。
わが家に送られてきましたが、わが家はいまはあるので、次女にすべて渡しました。

マスクやトイレットペーパーもそうですが、基本的にはモノは十分にある時代です。
問題は「配分」で、その結果、手に入らない人が出てしまうわけです。
モノ不足パニックは、すべて私欲の結果だと思っていますので、何かが足りないような状況であればこそ、我慢できるものは我慢すれば、結局は必要な時には誰かから回ってくる、と確信しています。

そう言えば、昨日、友人が、地元の学校給食用の玉ねぎ農家の玉ねぎが廃棄されようとしているので少し買うことにした、と言って、私におすそ分けすると連絡がありました。
そういう申し出は一切遠慮しないので、「ありがとうございます」と伝えておきました。
モノ余りパニックも、人のつながりで解消できるはずなのです。
みんなが「分かち合う」社会になれば、格差などなくなるかもしれません。

しかし、そういいながら、私にはかなりの私欲があることも事実です。
時々、われながらいやになることもあるほどです。
というか、私欲にあふれた生活の結果がいまの私の生活環境をつくっているともいえます。
この15年ほどは、お金とできるだけ切り離した生活をしていますが、それが成り立つのもそれまでの収入のおかげです。
幸いにその貯金はそろそろ底を突いてきましたが、貯金がなくなっても今の生活スタイルを維持できるかどうか、ちょっと楽しみです。
いくつかのお金が必要な難問も現れ出していますので、私の信念が守れるかどうか、微妙ではありますが、まあこういうことは今回が初めてもありません。
さてさてどうなっていきますことやら。

■4619:思わぬ人から「煎り上手・生豆セット」が届きました(2020年5月27日)
節子
思ってもいなかった荷物が届きました。
コーヒー豆焙煎器と生豆です。
送ってくれたのは地元の知人の海津さんですが、最近の外出自粛状況を気遣ってくれたようです。
荷物が届く前に、メールが届きました。

前から思っていたのですが、佐藤さんは手挽きのコーヒーミルを持っていらしたので、「煎り上手・生豆セット」をお贈りしたいと考えていました。

そういえば、以前、彼女の事務所に行ったときに、彼女が煎ってくれてことを思い出しました。たしか海津さんたちが開発したような話を聞いていましたが、商品化されていたのです。
ネットで調べたら、市販されていて、コーヒー通の人には人気のようです。
それに高価なのでちょっとビビりました。
気楽に受け取っていい額をちょっと超えています。

セットは、自宅にあるガス・コンロで生豆を煎ることができる個人仕様のものです。
有機農法の生豆も2袋ついています。
事前にもらったメールの最後に「雨にもコロナにもマケズ、頑張りましょう」と書いてありました。

早速、煎ってみました。4〜5分で簡単に煎りあがりました。
それを挽いて、コーヒーを淹れました。
今回は少し深煎りにしてみましたが、煎り具合は好みで変えられます。
生豆は完全有機で、グアテマラと東ティモールが入っていました。
思ったよりも香りが少なかったのですが、いろいろと工夫したら、いろんな楽しみ方がありそうです。
アルカリ性の極上のコーヒーが楽しめるとパンフレットには書いてあります。

最近はだんだん怠惰になり、粉を使って、コーヒーメーカーで簡単に淹れるようになっています。つい先日、エスプレッソマシーンも廃棄してしまったところです。
さて明日からどうしましょうか。
悩むところですが、しばらくはこれでコーヒーを楽しもうと思います。
これでまたコーヒーの消費量が増えるかもしれません。

■4620:コロナにも変えられなかったこと(2020年5月28日)
節子
コロナ騒ぎに振り回されることなく、注意しながらも生活はできるだけ変えないようにしていたつもりですが、結果的には大きく変わってしまった気がします。
その変化の方向は、たぶん「いい方向」なのだろうと思いますが、これまでの毒された生活観のせいか、どうも充実感がありません。
時間の流れは間違いなくゆったりしてきていますが、豊かにはならずに空疎になっているような気もします。昨日は、15分かけて一杯のコーヒーを淹れましたが、ただ単に時間をかけただけのような気もします。
大切なのは「心の状況」であって、時間はその従属概念でしかないようです。

この数日、心に引っかかっている問題は、いずれも冷静に考えれば大した問題ではありません。しかし、そういう「ささいなこと」も、心の状況次第では大きな重荷になってきます。どうも気が晴れない。
人が「自死」を決したり、「殺人」を行ったりするときには、たぶん「ささいなこと」が大きな力を発揮してしまうのでしょう。
昨日も、多数の死者を出した京都アニメーションの放火殺人事件が話題になっていましたが、あの加害者にしても、最初はちょっとした「ささいなこと」から、始まったのでしょう。
人生はまさに「バタフライ効果」の連続なのです。
それはまた色即是空の世界でもあります。

今朝もその「ささいなこと」が気を晴らさせてくれません。
こういう朝が、もう13年つづいている。
コロナも、それを変えてはくれなかった。
困ったものです。

■4621:立派な新玉葱(2020年5月29日)
節子
昨日またちょっといいことがありました。
熊本出身の吉本さんが、地元の玉葱農家が給食がなくなったため玉葱が売れずに廃棄しなくてはいけないという話を聞いて、農家支援のために購入して私にまで送ってきてくれたのです。
とても大きな玉葱で、育て主の農家の人にとってはとても廃棄する気にはなれないだろうなと思いました。
私は畑で時に小さな野菜が取れますが、どんなに小さくても廃棄する気にはなれません。
まあ収穫を忘れて、ダメにすることが多いので、偉そうなことは言えないのですが。

早速、近くに住む兄のところにおすそ分けで届けました。
老夫婦の兄たちも、コロナでなかなか外出もままならないようです。

夕食にスライスした玉葱をどっさりと食べました。
一時、毎日食べていた高血圧対策の酢玉葱は最近はもう忘れ去られています。
困ったものです。
やはり新玉の甘さは酢玉葱とは違って美味しいです。

最近また畑に行けていません。
その元気がどうも出てきません。

それにしても、最近、なぜかいろんなものが届きます。
私が滅入っているのが何となく伝わっているのでしょうか。
そんなことはないでしょう。
もしかしたらみんな、誰かに何かを贈りたいという気持ちが高まっているのかもしれません。
残念ながら私には今のところ、あんまりその気は起こってこないのですが。

■4622:来年は80歳です(2020年5月29日)
節子
先日、朝日新聞の別刷「Be」に、「手賀沼の近く芸術家が集う白樺派が行き交ったハケの道」が大きく紹介されました。
わが家から歩いて5分くらいのところです。
節子の闘病時代には、毎朝、ここに散歩に行っていました。
そのせいで、節子がいなくなってからはしばらくは行くことができませんでした。
最近は時々行きます。

この記事を読んでメールをくれた人がいますが、昨日も大学時代の友人がメールをくれました。
節子の訃報を聞いて、もう一人の友人と一緒にわが家まで献花に来てくれた大藤さんです。

大藤さんは私よりも年上です。
学生時代に大阪の彼の家に遊びに行ったことがあります。
節子と結婚した直後、大津で6畳一間の仮住まいをしていた時に、みんなでわが家に来たこともあります。

もう10年以上、会っていません。
私と同じく、孫がなかなかできなかったのですが、2年ほど前に孫が生まれたそうで、いまは毎週送ってくれる動画を見ているそうです。
彼のうれしそうな顔が眼に浮かびます。

まもなく80歳だそうですが、私も来年は80歳。
まさか80歳まで現世にいるとは思ってもいませんでした。
どこかで何かを間違えてしまったような気がします。

■4623:とうとう79歳になってしまいました(2020年5月30日)
節子
とうとう79歳になってしまいました。
まさかの長寿。困ったものです。
なかなか次に進めません。

しかし、自分の歳を認識することは実に難しい。
主観的な年齢感覚と客観的な年齢感覚は、たぶん大きく違っているのでしょう。
つまり、高齢者の多くは、世間から受け止められている状況とは違った生き方をしているのかもしれません。
あるいは、身体的年齢と心理的年齢はずれてしまうことがあるということでしょうか。

いずれにしろ今日で世間的には79歳。
誕生日には意味がないのではないかと思うようになってからだいぶたちますが、今年は素直に誕生日を自覚しようと思います。

79歳初日の朝は、とてもすがすがしい朝です。
空もうっすらと雲がたなびいていて、とてもやさしい朝です。
しかし、やはり鳥が少ないのが気になります。
いつもはもっとさえずっているのですが。

■4624:寝室の模様替え(2020年5月31日)
節子
昨日、寝室を模様替えしました。
節子がいなくなってからも、寝室にベッドを2つ置いたままでした。
昨日、その空いたままのベッドを搬出しました。
部屋の中央にあったベッドも、窓際の端におくようにしました。
寝室はこんなに広かったのだと、改めて思いましたが、昨日からそこで寝ることにしました。
雰囲気が一変しました。
少しずつですが、節子が住んでいた家も変わっていくでしょう。

ところで、昨夜、深夜2時ころに目が覚めてしまいました。
いつもとは違う「寝苦しさ」を感じたのです。
いままでは西向きに寝ていたのですが、南向きにしたのと、ベッドを壁にくっつけるようにしたのが影響したのかもしれません。
目が覚めてしまったので、昨日から読み出して、枕元に置いてあった、磯野真穂さんの「医療者が語る答えなき世界」を読んでしまいました。
そこにこんな文章が出てきたのです。

私たちは住んでいる場所や、それまで使ってきたモノ、そこで過ごしてきた時間に様々な意味を付与し、その意味とともに暮らす生き物でもある。亡くなった両親の実家を取り壊す時、それが単なるモノと場所の消滅以上の意味を持ち、私たちに複雑な感情を抱かせるのは、その空間に両親とともに生きてきた時間が流れているからである。

あまりにタイミングの良さに、ちょっと心が震えてしまいました。
そして結局、残りをすべて読み終えてしまいました。

部屋の模様替えは、人生の海図を変えること、なのかもしれません。
この本のことは改めて書きたいと思いますが、タイミングが良すぎます。

■4625:誕生日のお祝いメッセージ(2020年5月31日)
節子
昨日は誕生日でしたが、フェイスブックでいろんな人が「誕生日おめでとう」メッセージを送ってきてくれました。
昨年は、これに異を唱えたので、昨年よりは少なかったと思いますが、個人宛メールや公開の書き込みなど60人以上の人からのメッセージです。
なかにはどうも決まった長い定型文のようなものもありますし、シンプルな「お誕生日おめでとうございます」というのもあります。
よかれと思って書いたのかもしれませんが、私が批判していることや写真を供えたものさえあります。たとえば、一昨日、コロナ対策で頑張っている医療関係者への謝意を示すためと言って、政府は東京上空に自衛隊のブルーインパルスを飛ばせましたが、その写真を添えてお誕生日おめでとうと書いてきた人もいます。
私のフェイスブックを読んでいるのか、と言いたい気もしますが、儀礼的にただ制度に乗っているだけの生き方をしている人でしょう。気持ちを逆なでしていることなど全く気にせずに、ただかいてきているので、別にその人に悪意があるわけではないでしょう。
こういう人が多いので、哀しくなります。

しかし、そうしたことを踏まえてメッセージしてくる人もいます。

フェイスブックなどの形式的になりがちな誕生祝いは通常していないのですが、佐藤さんには、心からお祝い申し上げたい気持ちです。

そして、その後に具体的なメッセージを書き込んでくれています。
なかにはこういうメッセージもあるので、うれしくなります。

昨年は、たしかメッセージに返信しなかった気がしますが、それも大人げないので、よほどの定型パターンでなければ、今年は返信をさせてもらいました。

しかし、人はなぜ誕生日におめでとうというのか。
それは実はとても簡単なことで、話しかけるきっかけになるからでしょう。
ある友人はこう書いてきました。

佐藤さん、お誕生日、おめでとうございます。多くの人は、何らかのきっかけがないと、言葉をかけにくいので、幾つになっても誕生日があると、そのチャンスとなります。佐藤さんに声かけたい人にも、今日はよい日です。笑顔が増えますように!

そうか、誕生日はその人のためにあるのではなく、他者のためにあるのだ。
そう気づかせてもらいました。
これを聞いたら、節子はきっと笑って言うでしょう。
修にとっては、その時が誕生日だったり、〇〇記念日だったりするから、付き合いきれなかった、と。
私は、誕生日があって贈り物をしたり会食したりするのではなく、贈り物をしたくなったり会食したくなった日が、私には誕生日だったり、〇〇記念日だったりしたのです。
そういう関係の伴侶がいないのが、とても寂しいです。

■4626:孫の入園式(2020年6月1日)
節子
にこが入園式で、その帰りに寄ってくれました。
今年は新型コロナウイルス騒ぎで、変則的なスタートで、ようやく入園式が行われたのですが、分散登園なので、わずか10人での入園式だったそうです。
親の参加もひとりだけ。
先生も苦慮しているようですが、親のなかには気にしている人もいて、こうしたスタイルでも登園しなかった親もいたそうです。
過剰防衛のように思えて仕方がないのですが、私はあまりに防衛的でないとユカから今日は叱られました。
困ったものですが、反省しました。

にこと写真を撮ろうと思っていましたが、にこから拒否されてしまいました。
にこは写真があまり好きではないので、なかなか写真は撮れません。
幼稚園の入り口で撮った写真がジュンから送られてきました。

ニコの小学校入学くらいまでは、私もまだ現世にいるでしょうが、人の未来はわかりません。
望むらくはこれ以上歳をとりたくはないのですが、歳をとらずに長寿出来る方策はないのでしょうか。
最近、私も強欲になってきたような気がしました。
そもそも家をリフォームするなどと思いついたこと自体が、現世欲の表れでしょう。
困ったものです。

しばらくストップしていた書類の廃棄作業を再開しました。
会社を辞めてから、きちんと仕事をしたのは15年ほどですが、どうしてこんなに書類があるのかと驚くほどです。
もしあのまま続けていたら、この倍になっていたかと思うとますます驚きます。
よくまあこんなに

なかなか書籍の整理にまでたどりつきません。

■4627:鳥たちが戻ってきました(2020年6月2日)
節子
気のせいかもしれませんが、2週間ほど前から、わが家周辺から鳥がいなくなったような気がしていましたが、昨日からまた戻ってきたようです。
昨日は鳥の姿をよく見ましたし、ドバトも含めて鳥がにぎやかでした。
今朝も朝早くから鳥のさえずりがにぎやかです。

鳥が気になるのは、節子が、話せなくなった時に、また鳥や花になって戻ってくると苦労して紙に書いたのを覚えているからです。
私は鳥があんまり好きではないので、鳥ではなく蝶にしてほしかったのですが、なぜか「鳥」だったのです。
だから鳥はそれなりに意識しているのですが、2週間ほど前から、鳥の鳴き声や姿が少なくなったような気がしていました。
しかし、それがまた戻ってきたのです。
節子が戻ってきたかどうはわかりませんが。

昨日はちょっと遠くの上空を見事に飛んでいる2羽の鳥を見ました。
トンビではないかと地元の友人に言われましたが、そうかもしれません。
遠くでしかも一瞬でしたので、確証はできませんが、いい飛行でした。
そういえば、先日、コロナ対策に苦労している医療関係者に感謝するという名目で、自衛隊のブルーインパルスが都心上空を飛びました。
それがテレビでも紹介され、見た人はフェイスブックにまで投稿していました。
なんで戦闘機をこの時期に飛ばすのか、そんな費用があったら、医療関係者に防護服を支給したらどうかと実に腹立たしいので、私も「ブルーインパルスって戦闘機ではないか、違和感がある」と書き込んだら、いろんなコメントが来ました。
象徴的だったのは、官僚の人たちは、国を守るという意味では自衛官も医療関係者も同じだとわけのわからないことを書いてきましたが(国と国民が都合よく同一視されています)、私と同じく違和感を持っている人が多いのでちょっと安心しました。

人は自らが生きている人間関係の中で意識がつくられていきます。
フェイスブックに書き込まれるいろんな人の意見を読んでいると、そのことがよくわかります。
ということは、私も節子も、お互いの意識に大きな影響を与えているはずです。
夫婦にしろ親子にしろ、それが同調するのか反発するのかは組み合わせ次第でしょう。
私たちの場合は、たぶん似たもの発想になっていたように思います。
娘たちはもしかしたら反発しているかもしれませんが。

鳥の話がまたおかしな方向に来てしまいました。
しかし今日はとても気持ちの良い朝です。
鳥のさえずりは相変わらずにぎやかです。
雨上がりの晴れた日は、気も晴れる感じです。
良い一日にしたいです。

■4628:寝室の風景が一変しました(2020年6月3日)
節子
寝室を模様替えしました。
リフォームの予定だったのですが、費用資金節約のために自分で出来る範囲で変えてしまうことにしました。
ベッドや整理ダンスや節子の書類棚を搬出し、その空間をこれまで仕事場で使っていた大きな書棚を置いて、仕切りにし、その内側にこれも書庫で使っていた書棚を再利用し、ミニ書庫スペースにすることにしました。
大きな地震がくると、その書棚が倒壊して、私が下敷きになる恐れがあるので、娘たちは心配していますが、まあ天井との間の支えを買ってくれば大丈夫でしょう。
寝室には、真夜中に目が覚めた時にだけ観るテレビが置いてありますが、このテレビはアンテナも付けていないのに、なぜか地上波テレビが視聴できます。
場所を変えるとだめになるかなと思っていましたが、何とか一部のチャンネルは観ることができそうです。
アンテナなしでなぜ映るのか、いささか不気味ではあるのですが。

ベッドの横に、机を持ってきて、そこでパソコン作業もしようかと思っています。
これまでの仕事場のデスクは、壁に直接埋め込んだものでしたが、それを壊すのは残念なのですが、できればそこに脚をつけて、再利用を考えたいと思いますが、リフォームを頼んだところが、再利用指向があまりないので、自分でやるしかありません。
リフォーム先を変えることも考えましたが、まあ長い付き合いのところなので、それも面倒なので、自分でできることはできるだけやるようにしていこうと思います。
こういう時に、節子がいると心強いのですが、まあ娘たちが手伝ってくれるでしょう。

昨日も大きな書棚を仕事場から寝室に移すのに、ジュンの連れ合いにも手伝ってもらって、無事怪我もなく完了しました。
寝室の風景が一変しました。
だんだん節子がいなくなってしまうのが、ちょっと気がかりです。
まあしかしそのうち、私もいなくなるのですから、早期にすることもないでしょう。

まだリフォームは始まっていないのですが、家が毎日少しずつ変わっています。

■4629:思い出し忘れる(2020年6月3日)
節子
今日は1日、資料の整理に明け暮れました。
整理というよりも廃棄と言った方がいいでしょうか。
資料を読み直したくなるのですが、読み直していると廃棄はできません。
ですから基本的には「廃棄」なのですが、私の過去が詰まっているので、それなりの時間がかかるのです。

たとえば、名刺。
数千枚の名刺がありますが、大半は個人の顔が浮かんできません。
しかしなかには、その後、有名になった人もいて、それを忘れていて、こんな人にも会っていたのかと思いだす人もいますし、すでに著名な方の名刺が出てきて、会っていたことを思いだしたりするわけです。
亡くなってしまった方も少なくありません。

修士論文や博士論文もいくつか出てきました。
さすがにそれはすぐに思い出せるのですが、一つだけ顔が思い出せない人がいます。
熊本容子さんという都立大の修士課程の方です。
修士論文のタイトルは「NPOの連携」。2006年の日付になっています。
論文には私の取り組んでいた事例が紹介されています。
しかしこの方の顔が思い出せません。
もしご存知の方がいたらぜひ教えてほしいです。
思い出せるまで、この論文は処分できません。

フロッピーデスクやCD、MDもたくさん出てきましたが、もう再生するマシンもありませんので、読みだせません。
タイトルは気になりますが、廃棄するしかありません。
以前、講演した資料や記録もかなり出てきました。
これこそ読み直していると切がないのですが、これは途中からとりあえず残すことにしました。

過去を忘れるには、一度、思い出す必要があります。
思い出して、そしてきちんと忘れる。
今回、過去の資料などを整理していて、まったく記憶にないようなことがあるのに驚きました。
ほとんどは思い出せるのですが、残っている写真を見ても、議事録を見ても、思い出せないこともあります。
先の熊本さんもそうですが、私自身はそれなりにていねいに生きてきたつもりなのですが、記憶がないことが良くつかるようです。
資料を廃棄する前に、きちんと思い出さなくてはと思いました。
なにしろ私の人生を支えてきてくれた資料なのですから。

そんなわけで作業はなかなか進みませんが、それでも置き場がないほどに古紙の山が積まれています。
外部に出してはいけないものは、一応、缶で焼却しましたが、大変でしたが、これはほぼ終わりました。
数十年の人生を整理するのですから、大変ですが、この作業が終わると、人生が少し軽くなるかもしれません。

■4630:テレビ体操を始めました(2020年6月4日)
節子
最近どうも在宅時間が増えたせいか、腰痛の兆しが出てきました。
それでそれなりの対策を考えるのですが、節子も知っているようで、私は思い付きが多いので、長続きしないのです。
しかし1週間ほど前からですが、朝のテレビ体操が定着してきました。
毎朝10分ほどの体操ですが、やってみると身体の衰えがよくわかります。
かなり硬直していて、下に手をやっても地面にほど遠いですし、大きく体を回転させるとふらついてしまう。
リズム感もとりにくい。
しかし、つづけていったら少しは身体もやわらかくなり、バランス感覚も戻るでしょう。
そう思ってやっています。

ただ腰痛のきざしはなかなか治りません。
これは床に座って、身体を曲げたりする別の体操が必要かもしれません。
しかし欲張るとまたつづかなくなるので、しばらくはいまの体操をつづけようと思います。

テレビでのラジオ体操をやろうと思ったのは、友人の井坂さんの勧めです。
井坂さんは毎朝10分ほどやっていると言っていたので、たぶんこのテレビ体操のことでしょう。
井坂さんは、私よりも若いですが、先年、伴侶を見送っています。
いまは、ボランティア活動や趣味のテニスなど、とても前向きに生きていますが、私と違ってしっかりと自己管理をされているのです。
見習わなければいけません。

今日は梅雨空の朝です。
梅雨の季節が始まります。
節子がいたころは、どんな季節も好きでしたが、いなくなった今は、どんな季節も、喜びにはつながりません。
生き方がとても受動的になっているのです。井坂さんを見習わなければいけません。

■4631:和室がなくなります(2020年6月4日)
節子
30度を超える夏のような暑い一日でした。
相変わらず外出時のマスクはルールになっていますので、この夏はコロナウイルス感染症はともかく、病気になる人は増えそうです。死者も減るでしょう。全くコロナ対策は間違っているとしか思えません。

私はマスクが嫌いなので外出しないようにしていますが、今日は午前と午後、2回も外出しました。
いずれもマスクをしてです。
午後は来客もありましたが、これはマスクなしで対応。
娘も私も、コロナよりも病を気にしています。

今日の午前中の外出はリフォームの相談です。
わが家の和室を洋室にすることにしました。
和室は節子がこだわっていたところで、わが家の文化にはあまりなじみがない床の間もつくりました。
それもちょっとこだわっていたようです。
節子お気に入りの見えないこだわりが込められていました。
そこをこわすことになったのです。
節子が嘆くことでしょう。

今回リフォームすることになって、いろんなところに節子のこだわりがあることを知りました。こだわって建てたにもかかわらず、節子はその家を十分には楽しまないまま、病気になってしまいました。
結局、和室は節子の病室になりました。
結果的に見れば、最後を暮す家としては、不便はなかったように思います。
それは大きな救いです。

しかし、元気であれば、この家には節子の友人たちがもっと遊びに来たことでしょう。
私たちも、老後の豊かな暮らしの場にできたはずです。
それができずに、なんだか抜け殻のような家になってしまっているわけですが、

リフォームを考えると、それこそいろんなことを思わずにはいられません。
ちなみに私のこだわりの部屋も、今回ほぼすべて模様替えです。
暮らしの風景が、たぶん大きく変わるでしょう。

資金の関係で、希望はあまり適えられないのですが、慣れるまではちょっと大変かもしれません。
工事は夏以降からのようですが、節子と一緒に過ごしたこの家で暮らせるのもあと数か月です。
ちょっとさみしい気もします。

先月読んだ磯野さんの「医療者が語る答えなき世界」にはこんな文章がありました。

私たちは住んでいる場所や、それまで使ってきたモノ、そこで過ごしてきた時間に様々な意味を付与し、その意味とともに暮らす生き物でもある。亡くなった両親の実家を取り壊す時、それが単なるモノと場所の消滅以上の意味を持ち、私たちに複雑な感情を抱かせるのは、その空間に両親とともに生きてきた時間が流れているからである。

その意味がよくわかります。

■4632:遺跡発掘のような作業(2020年6月5日)
節子
書類整理の合間に、書籍の整理もしていますが、懐かしい本が出てきます。
まあいわゆる「トンデモ書」の類いですが、「日本超古代史の謎」。
たまたま2週間ほど前のサロンで、日本人とユダヤ人が同じ祖先だという話題が出たのですが、この本はまさにそれを扱った「新・日猶同祖論-日本は世界文明発祥の地だった」と副題にあります。
そういえば、私も以前はこうした「トンデモ書」が好きで、それなりに読んだものです。類書も数冊出てきました。いずれも廃棄しないことにしました。
珍説・奇説は節子にもよく話したものですが、節子はほとんど興味を持ちませんでした。そんな話よりも、庭の草花のほうに関心があったからです。

ちなみに、「日本超古代史の謎」は、日本は大和朝廷はユダヤ人の国だったという大胆な本です。その痕跡は、さまざまなところに残っている。伊勢神宮の灯篭にはダビデ大王の紋章である“ダビデの星”が刻まれているし、奈良の都はユダヤ人の都であり、「平安京」はヘブライ語で「ソロモンの都」という意味なのだと書かれています。
本書は下関の彦島に残っている古代シュメール文字とも言われるペトログラフの話から始まります。ペトログラフは、私も門司で一条真也さんに会ったときにその遺跡を見せてもらいました。一条さんには最近会っていませんが、書類の整理で、一条さんが韓国の論山の灌燭寺の弥勒仏で節子の治癒を祈ってくれた時の資料が出てきました。
山積みになっている書類の中には、実にさまざまな私の人生が埋もれているようです。
まるで遺跡発掘のような作業です。
そこに紛れ込むと、なかなか抜けられなくなります。そんなわけで作業はなかなか進まないのです。
今日も時間の合間を見て、過去の整理をつづけようと思います。

■4633:小さな旅の思い出(2020年6月5日)
節子
今日も断続的ですが、書類の整理という遺跡発掘作業をしています。
どうしてこんなにたくさんの資料があるのだろうと思うくらい、どんどん出てきます。
家を建てたときに、狭い空きスペースを利用したミニ書庫をつくったのですが、そこに大きな書棚を8本も入れた上に整理棚や段ボールに入れた資料や雑誌が積まれっぱなしになっていたとのです。
どんどん廃棄しているのですが、次から次へと出てくるのです。
ユカがどこからこんなにに出てくるのかと驚いていますが、私自身も驚いています。
よくまあこんなに資料や雑誌や報告書などを保管しておいたものです。

多くは仕事がらみのものですが、なかにはそうでないものも含まれています。
今日は1枚のはがきが資料の中から出てきました。
節子から私宛のはがきです。
宛先の住所は湯島のオフィスで、発信場所は自宅ではなく、湯河原です。
消印が2006年6月5日となっていますので、節子が小康状況にあったときです。
私信なので公開するのも気恥ずかしいですが、こんな文章が書かれていました。

さつき、三ツ石、万葉の湯
さがみの小京、二人旅
ご多用の中、思い切って出かけたドライブ、行きたい所へご自由に・・・
とても楽しい小さな旅でした。
又、でかけましょう ありがとう 感謝感謝です。

手作りのはがきでした。
節子はこういう形で、時々、はがきをくれていました。
一緒に住んでいるにもかかわらず、です。

ちなみにその小さな旅はどんな旅だったのか。
私のホームページに記録が残っているはずなので探してみました。
今でもはっきりと記憶に残っている旅でした。

1日目は、湯河原のさつきの里公園と幕山公園に行きましたが、その途中、花がきれいな家を見つけて節子が勝手に入っていってしまったのです。
湯河原の鍛冶屋町の舟木さんという家です。
花好きの人たちはすぐに友達になってしまうようで、花のお土産までもらったのです。
節子が亡くなってしばらくして残念ながら枯らしてしまいましたが。
節子が元気だったら、お付き合いが始まっていたでしょう。

2日目は真鶴でした。
久しぶりでしたが、三つ石に下りる途中、竹筆書芸というお店に入って、そこの主人の望月さんとなぜかまた花の話をしていました。
竹筆書芸とは、竹の根を鉛筆のように削った筆に墨をつけて描くのだそうですが、節子も一筆買ってきましたが、残念ながらその筆は、結局使わないまま、いまも私の机のペン立てに入っています。
その日は、途中でお風呂付の食事処で昼食をしたのも覚えています。
夜は湯河原の万葉公園にホタルを見に行きました。

以上が、さつき、三ツ石、万葉の湯の小さな旅だったのです。
節子が好きな、まったく計画のない、気ままな旅でした。
私にも、とても楽しい小さな旅でした。
もう2度と味わうことのない、幸せの旅でした。

■4634:畑がまた生命に覆われてしまっています(2020年6月6日)
節子
昨日、しばらく行っていなかった畑に立ち寄りました。
もう2週間近く放置しっぱなしでした。
野草が一面に繁っていて、せっかく植えておいたかぼちゃの姿が見つかりません。
フキやミョウガも野草に埋没しています。
花壇の部分もみんな野草に負けてしまい、意図した花は一本も見当たりません。
植え替えたアオイはなんとか2〜3本が花を咲かせていましたが、これまた野草には勝てていません。
唯一元気なのは、アンティチョークでしょうか。
まあとにかく悲惨な状況が再現しています。
前回、救出していたイチゴは3〜4本を残し、また野草に敗退しています。
4〜5粒食べましたが、収穫が遅れて朽ちていたイチゴもありました。

何回も繰り返し経験していますが、ともかく野草の成長力はすごいです。1日、手を抜くと、2〜3日は後退し、1週間手を抜くと意欲が減退するのですが、2週間手を抜いていたので、野菜が死に絶えそうになっているのです。
今年は何かとあったので、畑はやめるつもりだったのが、カボチャをもらったので、もう少しやろうかと思ったのが間違いでした。
畑は中途半端な気持ちでやってはいけないのです。
散歩の途中で寄ったので昨日は支度もしておらす、カボチャを一苗だけ救出しただけでしたが、この土日も行けないので、来週は畑週間にしようと思います。
天気がよければ、の話ですが。

畑をやっているのは、自然や生命から教えられることが多いからです。それとやはり節子とのつながりを感じられるからです。
収穫をしようと思えば、きちんと畑通いをしなければいけませんので、私向きではありません。娘のユカからよく言われますが、私は「思いつき」で生きているタイプなので、計画性が全くないのです。思いついたらやりたくなり、続くこともあれば、続かないこともある。困ったものですが、どうもそういう生き方から抜け出せません。

昨日立ち寄った畑のすごさは、生命力の強い働きかけです。しかし残される生命と消される生命があるという、現実の厳しさも突きつけられるのです。
それに気づくと、私は自分勝手に野草を刈り取っていいのかと思うこともあります。
畑に行くとたくさんの生命と話すことになりますが、こちらの生命力が萎えているとそこに行くのには勇気が必要なのです。行ってしまえば、さまざまな生命から元気をもらえるのですが、行くまでが、私の場合は大変なのです。
それが怠惰のせいなのか感受性のためなのか、よくわかりませんが。

今日は土曜サロン。
だれが来るでしょうか。
電車は空いているでしょうか。
そして私の元気は戻るでしょうか。

■4635:不忍池の周りは以前に戻ってきました(2020年6月7日)
節子
昨日のサロンは参加者は4人と少なかったのですが、議論はにぎやかでした。
コロナが収まった後、社会はどうなるのかというのが主な話でした。
社会は変わるのか、私は変わってほしいと思っていますが、話を聞いているとやはりかなり難しそうです。
変わるだろうと言っている人たちでさえ、その発想の根底に、いまの社会を創りだしたパラダイムが根強く残っているからです。
かくいう私もまた例外ではありません。
いささか昨日は自分に失望しました。
まだまだいやしい自分がいるのです。
昨日の参加者の一人が、「佐藤さんも霞を食べてるわけではないようで安心した」と言いましたが、できるならば霞さえも食べずに生きたいものです。
そう言えば、昨日も鈴木さんがおはぎを持ってきてくれました。
昨日の夕食はおはぎになりました。

それはともかく、サロンが終わった後、久しぶりに上野駅から帰りました。
不忍池の周りは、かなり人が戻っていました。
行き場のなさそうな人たちが、缶ビールで酒盛りもしていました。
私よりももう少しみなりの汚れた人が死んだように寝転んでいました。
池いっぱいに広がっているハスをスマホで撮っている人もいました。
人はなぜ写真を撮るのか、とまたいつもの疑問が浮かびました。
自転車もかなり増えていました。
ここにはまだ以前の雰囲気が残っています。
虎の門ヒルズ駅が今日できたようですが、あのあたりのようには様変わってはいない。
まだ人間を感じて、安心します。

上野公園も閉鎖が解かれていました。
歩いてみようと思っていたのですが、なぜか急に疲れがどっと出てきて、そのまま駅に行きました。
駅はまだ空いていましたが、お店はほぼ開いていたように思います。
ここも普段が戻ってきた。
しかしお店に寄ることもなく、誰とも話すこともなく、電車に乗って帰宅しました。
隣席はずっと空いていました。

さていま直面している問題をどう乗り越えるか。
帰宅して、サロンで聞いたサイトを開いてみようかなどとまた邪念がよぎりましたが、ここで戻っては元の木阿弥だと思い直しました。
はやくお金のない世界が来るといいです。
コロナ禍は、さらに格差を広げ、人々を分断していくと思えてきました。

今朝はひばりがにぎやかです。

■4636:梅雨空のように気が晴れません(2020年6月8日)
節子
どうも気が晴れないのですが、これはもしかしたらコロナ騒ぎのせいかもしれません。
コロナ感染症が不安だとか、外出自粛とか、そういう話ではありません。
世の中がますますお金まみれになってきていることへの嫌悪感です。
そして注意しないと自分さえもが、その嫌悪の対象になりかねないということです。
事実、10万円の給付金は申請書を出してしまいました。
これでもう昔に戻ってしまったような気がして、気が晴れません。
それに加えて、コロナとは直接関係のない金銭問題までおこってしまっています。
他にも心配事はいろいろとあるのですが、お金が絡んだとたんに私は気が重くなり、いつも判断を間違ってしまうのです。
困ったものです。

でもまあ悪いことばかりでもありません。
昨日はちょっと気になっていた若者とゆっくり話せました。
話していて、私が会社を辞めた時のことを思い出しました。
安住していた世界から抜ける体験は、たぶん当事者にしかわからないでしょう。
当時は、当事者にさえわからないかもしれません。
私の場合は、ともかく楽しくて仕方がなかった。
失うものよりも得るものが多いからです。
しかし、そうした状況はたぶん50歳くらいまでかもしれません。
私の場合は、47歳で世界を変えましたので、まあぎりぎり間に合った。
いまはとても自分の世界を変える気力はありません。
それどころか、いまの自分の世界の先がいささかあやうくさえなっている。
この30年何をやっていたのかと思うと、やはり気が晴れない。

しかし、40代の若者と話していて、私の40代を少しだけ思い出しました。
生まれた環境も育った環境も、家族関係も全くと言っていいほど違うでしょう。
しかし、生き方のどこかに似ているところがある。
今の時点だけを捉えれば、たぶん生き方は全くと言っていいほど違うのですが、にもかかわらず、どこかにつながるものを感ずる。
私も当初、いまの彼のようだったのでしょうか。

若い世代の人と話していると、忘れていたことを気づかせてもらえます。
しかし、同時に、何も変わっていない自分にも気づかされてしまう。
もしかしたら、それがまた気を重くしてしまっているのかもしれません。

今日は、私の気持ちを象徴しているような、梅雨空です。

■4637:昔の手紙が出てきました(2020年6月8日)
節子
家庭内遺跡発掘作業はまだつづいています。
次々と発見があります。
今日出てきたのは、10〜15年ほどまえの手紙のファイルです。
私は手紙類はあまり残さないタイプなのですが、なぜか丁寧にファイルされた手紙が20通ほど出てきました。
多くは、あまりお付き合いのない方からの、手書きに手紙です。
名前にうっすらと記憶のある人もいますが、どうしても思い出せない名前もあります。
なかには署名のない手紙もあります。

きれいな字で書かれた長い手紙がありました。
最後に書かれた名前に最初心当たりはありませんでしたが、手紙を読んで、誰かがわかりました。
私は一度もお会いしたことはないのですが、文面から友人の奥様だとわかりました。
友人の名前は藤原さんです。
私が会社時代に知り合った友人ですが、不思議な付き合いでした。
私が勤務していた会社と同業の会社の経営戦略スタッフでしたが、その関係もあって、一緒によく議論もさせてもらいました。
彼は私よりも少しだけ若かったのですが、眼光厳しく言動も峻厳な野武士のような人物で、なよなよした私とは全く対照的でしたが、お互いに心が通じ合ったところがりました。打算など全くない生一本の仁義の人でした。当時はそういう人がまだ少なからずいました。
私は会社から脱落しましたが、彼は社長になりました。会社を辞めた後、交流はなくなったはずですが、なぜか付き合いはつづいていて、たぶん私が大阪に行ったときに彼の会社に立ち寄らせてもらったのが最後だったと思います。
その時は、まだ社長になる前だったような気がしますが、なぜか私を工場に連れて行って自らが案内してくれたような気がします。
会社時代は、競合会社だったたため、工場を見せてもらったことはないのですが、私が工場や現場が大好きなのを彼は覚えていてくれたのです。

その彼の訃報が届いたのは、節子を見送った1年後でした。
突然の訃報でしたが、彼らしいと思いました。
彼はいつも生命をかけて真剣に生きていましたらから。彼にとって社長職は生命を犠牲にしても会社を守る役目だと考えていたことは間違いありません。
今日、読み直すことになった奥様からの手紙は、私からの手紙の返事でした。

一部をここに残させてもらおうと思います。

佐藤様には大変お世話様になりましたこと、ご一緒に楽しく仕事をさせていただきましたこと、主人はいつもありがたいと申しておりました。
主人こと、肺の治療をしました後、昨年の秋ごろより、呼吸が苦しくなっておりました。まわりの方々にご心配をかけないようにと頑張っておりましたが、今年の夏、体調をくずしてしまいました。
今は主人が亡くなったことを受け入れたくなく、何年経ようとも無理なようでございます。
大事な御奥様を亡くされ佐藤様がどんなにお辛くお悲しみが深いか、切々と伝わってまいります。
本当に大事な人を失うということは、自分自身を失ってしまうことなのですね。
佐藤様からいただきました励ましのお言葉を思いだしつつ、日々を過ごしてまいりたく存じます。本当にありがとうございます。

当時まだ、私自身がおかしな状況でしたので、この手紙に返信したかどうかも記憶にありません。
この手紙からもう10年以上が経ちました。どうされているでしょうか。

■4638:畑で放電(2020年6月9日)
節子
30度を超えて暑くなっています。
今年は畑はやめようと思っていたのですが、思い直しました。
いささか時期を失しましたが、野菜の苗を買いに行きました。
残念ながらもうほとんどなくて、ちょっと気にいらなかったのですが、きゅうりとなすを数本ずつ買ってきました。
しかし、この暑さだと、また倒れそうなので、夕方まで行くのをやめました。
書類の整理などはいささか飽きてしまい、やることがありません。
録画していた映画のDVDを観ることにしました。
最近観ていない、ジョディ・フォスターの「ブレイブ・ワン」を選びました。
婚約者からのプロポーズを受けた直後に、2人は暴漢に襲われ、婚約者を殺され、自分は何とか生還したヒロインが、悪に制裁を加える“処刑人”となるサスペンス・スリラーです。
ハリウッド映画にはよくあるパターンですが、この映画は節子を見送って1年後くらいに、偶然、テレビで観た映画です。
その時の印象が強くて、それに関して数回にわたってこの挽歌でも何回か書きました。
「人は愛する何かを失う度に、自分の一部を失う」〔挽歌編〕
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/12/post-0d30.html

ところが、です。
DVDを見ようとしたら、うまく再生できません。
また電子機器に不都合が起こってしまったようです。
いろいろといじったのですが、うまくいかない。
寝室のテレビはアンテナなしで映り、リビングのDVDはきちんと接続されているのに映らない。困ったものです。

DVDはやめて、やはり畑に行くことにしました。
温度も下がりだして風も出てきたので、もう大丈夫でしょう。
畑で身体にたまっている電気を放電してくればDVDもうまく作動してくれるでしょう。

■4639:「怒りのタネ」(2020年6月10日)
節子
昨日は久しぶりに夜更かししてしまいました。
といっても、11時ころまでの話で、多くの人にとっては夜更かしどころか、むしろ早いほうかもしれません。
節子と一緒だった時には、12時前に寝るのはむしろ少なかったかもしれません。
しかし最近は、遅くも10時には就寝するようにしています。
早い時は9時前です。

昨日、遅くなったのは、テレビで録画してあった映画を観ていたためです。
「ブレイブ・ワン」ではありません。
畑で体内の静電気を放電してきたはずなのに、DVDでの再生がうまくいかず、たまたま録画してあった「グリーン・ゾーン」を観てしまったのです。
「グリーン・ゾーン」は、イラク攻撃の理由となった大量破壊兵器の存在の有無に関するアメリカの「陰謀」を暴露する映画です。
マット・デイモン主演で、ボーンシリーズを担当した監督の映画なので、テンポが速くリアルです。
この種の映画を観ると、怒りがこみあげてきて、しばらく消えないことがあるので、最近は少し控え目にしているのですが、この映画は観ていなかったので、ついつい観てしまいました。
案の定、映画の影響を受けてしまい、アメリカ政府というか、権力や軍隊への怒りと不信感が高まってしまいました。
アメリカでは今、警官による黒人殺害で大騒ぎですし、香港では中国政府に対する暴動まがいのことがまた再発しています。そうした現実の動きが、どうしても重なってしまいます。

その一方で、日本人は政府から支給されたマスクをつかって寄付して自己満足したり、事業の持続化支援給付金に群がったりしています。
フェイスブックに私も時々書いていますが、そこに寄せられるコメントを読むと、イライラが高じます。昨日も2人の人に、ついそのイライラをぶつけてしまいました。
困ったものです。

今日はそのために、寝坊していつものテレビ体操ができませんでした。
今日も畑に行く予定ですが、夕方までは暑くて無理そうです。
今日は精神的健康のために、映画など観ずに、静かに本でも読もうと思います。
しかし、注意して読む本を選ばないと、逆効果かもしれません。
いまや「怒りのタネ」はいたるところにありますので。

■4640:身体中がかゆくて大変です(2020年6月11日)
節子
昨日も夕方、畑に行ってきました。
昨日はイチゴの救出に加えて、土の見えだした部分を少し耕しました。
飼ってきた野菜の苗を植える場所づくりです。
枯れていたとばかり思っていたかぼちゃももう一本見つかりましたので、肥料をやらないといけないのですが、その肥料が野草にうずもれて見つかりません。
なにしろ50センチほどの野草が畑一面を覆っているのです。
これから梅雨に入るので、いまのうちにどうにかしなければいけません。
ほぼ絶望的な状況ですが、あきらめてはいません。

まあそれはいいのですが、今朝起きたら、身体じゅうがかゆいのです。
何かにかぶれたようです。
かゆいと思ってかいてしまったのが運のつきで、急に全身がかゆくなってきました。
あわててかゆみどめのムヒを塗ったのですが、次々と違うところにかゆさを感じます。
ちょっと大変です。

まあしかし、それにめげずに朝の涼しいうちに畑に行こうと思って早く起きたのですが、かゆさだけではなく、疲れも残っていて、どうも出ていく元気がありません。
そのうえ、風がとても強いのです。
これでは畑に行ってもあんまり作業できそうもありません。
ということを理由にして、畑行きはやめました。
人はこうしてどんどん怠惰になっていくわけです。
理由はいくらでも見つけられますから。

やらなければいけないことはあったような気もしますが、まずはコーヒーを飲んでから考えましょう。
それにしても今日は風が強いです。
何かに怒っているようです。

■4641:精いっぱいだと状況が見えなくなる(2020年6月11日)
節子
高校時代の同期生のメーリングリストに、同じクラスだったことのあるKさんが投稿していました。
「あなたは精一杯の人ですか」と問いかけた投稿です。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2020/06/post-74f636.html
今日は、その投稿がずっと気になっていました。

ところが、夕方、番号に覚えのない人から電話が入りました。
女性の声でした。
前に自殺のことで湯島に相談に行ったことがあります、というのが第一声でした。
まさにいま精一杯といった状況を感じました。
少し話をして、まずはお名目を教えてくださいと、問いかけました。
名前を教えてもらって、話をしているうちに少しずつ思い出しました。
4−5年前になるでしょうが、友人が連れてきたのです。
一度だけお会いしたのですが、その時に名刺を渡していたようです。
それを思い出して電話してきたのですが、私に電話するということは結構追い込まれているのかもしれません。
いろいろと話しましたが、問題の解決策もほぼわかっているようです。
しかしそれができない。
家族がいるからです。
家族というのは、いい時はいいですが、時に人生を邪魔する存在にもなりうるのです。

聞けば父親と同居しているとのこと。
しかも父親は私と同じ年齢です。

ゆっくりと話を聞かせてもらいました。
そして私の意見を話しましたが、私のいうことはおそらく彼女はすべてわかっていたことでしょう。
わかっていても動き出せない。
動かないから相談に乗ってくれていた人たちとの関係もうまくいかなくなっていく。
そこでまたほかの人に相談する。
しかし肝心の問題を変えられないので、状況は繰り返されるだけで。
たぶんそうやって彼女はいろんな人に相談してきたのでしょう。
世間にはこういう人がたくさんいます。

電話で話していて、少しずつ落ち着いてきたようです。
湯島に出て来られますかと訊いたら今は無理だというのです。
コロナのせいかと思ったら、まったく別の理由でした。
彼女が陥っている状況がそれでまた少しわかりました。
コロナウイルス感染症などは彼らにとっては大きな問題ではないのです。
もっと大きな問題があるのに、世間はコロナコロナばかりです。

こうした状況にあるのは、彼女だけではありません。
私には、コロナは有閑マダムの話題のように聞こえて仕方がありません。
さて私にできることはあるのか。
たとえ自分が精いっぱいでも、見つけなければいけません。

■4642:知識と知恵(2020年6月12日)
「知識は私たちの心を安定させ、不安を振り払ってくれる。知恵は私たちをぐらつかせ、不安にする」。
これは昨日読んだ「人類学とは何か」という本に出て来る言葉です。
イギリスの人類学者ティム・インゴルドのこの本は、とても示唆に富む本ですが、この言葉には違和感がありました。
もっとも本書全体の主張という視点で捉えれば、素直に受け取ることもできるのですが。

しかし、いま広がっているコロナ不安に関して言えば、知識は不安をもたらし、知恵は不安を収めるという方がすんなり入ってきます。

コロナだけではありません。
いまリフォームに取り組んでいますが、これも中途半端な知識が迷いを生んでいます。
リフォーム会社の人と打ち合わせなどせずに、すべてを任せてしまえばいいのですが、なまじ中途半端な知識があり、さらにいろんな情報が入ってくると迷いが生じてしまうのです。

考えてみれば、癌治療も同じだったかもしれません。
友人の状況があんまり良好ではなさそうです。
彼もたぶん「知識」の洪水の前で不安を高めていることでしょう。
入ってくる情報や知識は、受け取る容量によって、過不足が生じます。
不足であれば不安が高まり、過剰であれば、やはり不安が高じます。
知識や情報は付き合い方がなかなか難しい。

受け手が1人ではなく2人であれば、受容量は一挙に大きくなります。
だから一人で悩んではいけないのです。
相談すれば、状況は大きく変わるはずですが、相談相手は誰でもいいわけではありません。一緒に受け止める相手次第では、話はさらにややこしくなるかもしれません。
ですからそう安直に、問題をシェアするわけにもいきません。
要は、これまでの生き方がつながっているのです。

人類学の本を読みながら、いま私が抱えているいろんな問題のことを考えました。
私はたくさんの書籍から知識を学びましたが、私に知恵を与えてくれたのは節子だったなと改めて思いました。
いまの私は、知識と知恵のバランスが多分崩れているのでしょう。
あんまり心が平安ではありません。

■4643:「どのように生きるか」という問い(2020年6月13日)
節子
一昨日、関東も梅雨入り宣言がありました。
今日も梅雨空です。
これでしばらくまた畑に行けませんので、その先が心配です。
先日買ってきた野菜の苗もまだ植えていないのです。

昨日は久しぶりに満員電車に乗りました。
満員と言っても身体を押し合うほどの満員ではありませんが、まあ「満員」です。
以前と違うのは全員マスクをしていることです。

昨日は、相談があるとあるグループに呼び出されたのです。
私もずっと気になっていたグループなのですが、話を聞くとかなり心配な状況です。
コロナ騒ぎによって問題が顕在化したともいえますが、コロナが引き起こしているのは感染症ばかりではないのでしょう。
しかし話を聞いて、もしかしたら発想を転じたら、まさに禍いを転じて福と為すになるかもしれないという気がしました。
こういう事例は、いろんなところで起こっているのでしょう。
ただ当事者は、発想を変えられないので、禍の中に見える福が見えてこない。
事態をどうしても「禍」として受け止めてしまう。

あざなえる縄のような禍福を、どう生きていくかにこそ、生きる意味があるのかもしれません。
昨日書いた人類学者ティム・インゴルドの本の初めにこんな文章がありました。

私たちはどのように生きるべきか? おそらく、その問いを考えることこそが、私たちを人間にする。他の動物には、この問いは浮かばないだろう。

実は私も、この問いを意識したことはほとんどないのですが、それに続く文章になれば納得できます。

生きることとは、どのように生きるかを決めることであり、つまりどの瞬間にもいくつもの異なる方向へと枝を伸ばす潜在的な力をもっているのだが、(中略)私たちは生き方を絶えず即興的につくり出していかねばならない。
しかし私たちは、独りでではなくて、他の人たちとともに、そうする。縄の撚り糸のように、いくつもの生が絡まり合い、重なり合う。いくつもの生は、伸びては結ばれる交互のサイクルをともに繰り返しながら、互いに応じ合う。

こう書かれると、それはまさに私のこれまでの生き方そのままです。
もっともいまから考えれば、私の選んだ道、あるいは即興的に創りあげてきた人生は、あまり賢くはありませんでした。たぶん「どのように生きるか」という問いの意識が弱かったのです。

昨日、相談を受けた人たちの解決策は私には明らかで、実は2年前にもアドバイスしたことがあります。しかし当時はまだ事態がさほど深刻化していなかったので、アドバイスはアドバイスで終わってしまっていたのです。
今度はしかし動き出すでしょう。
良い方向に向かうことを祈るばかりです。

さて梅雨入りしました。
この状況も良い方向に持っていかなければいけません。
私の信条は、「現在が最高」「結果はいつも最高」と思うことです。
その心情を最近忘れていることに気づきました。
困ったものです。

コロナ騒ぎの蔓延も、鬱陶しい梅雨空も、次々やってくる難問も、みんな私の人生を豊かにしてくれる「福の神」なのだと気づかねばいけません。
なかなかそう思えない自分から抜け出ないといけません。

■4644:戸惑う人(2020年6月13日)
節子
社会がかなり乱れてきているように思います。
多様な価値観が支え合いながら社会を豊かにしていくというようなことが言われていたことの実体が露呈され出してきているように思います。
昨日も2つのミーティングを持ちましたが、話をしていて、それを感じました。

そうした社会の乱れに影響されることなく、ほとんどの人は生きているように思いますが、なかにはそれに気づきたじろいでいる人もいる。
それも意外な人がたじろいでいることを知ると私もまたたじろいでしまいます。

ビジネスをバリバリやっている人がいます。
ビジネスというのは、とりわけ最近のビジネスというのは、社会の混乱によって元気になります。ですから最近のコロナ騒ぎは、一見、ビジネスの停滞を引き起こしているように見えて、実はビジネスにとっては大きなチャンスなのです。混乱に乗じてビジネスチャンスを見つけ収益を大きくしていくのは、おれおれ詐欺だけではありません。昨今のビジネスは、どこかで「おれおれ詐欺要素」をもっていますので、経済停滞の表層の奥で、いまや「起業家」が大活躍しているはずです。

まあそれが最近の私の厭世観の一因なのですが、そうした状況の中で、自らの生き方にちょっと戸惑いだしている人もいるようです。
思ってもいなかった人が、そういう発言をしたのに驚きました。
さらにその人は、そういう人がいまは多いというのです。
戸惑っている人が多いのであれば、社会は変わるかもしれません。
でもそれは本当なのか。

人間は戸惑う存在です。
しかしその戸惑いを自らの中に抑え込んでいこうとするのもまた人間です。
そして戸惑うことなどなかったことにして、前に進んでしまうのも人間です。

そもそも自らの戸惑いを無防備に表出することはそう簡単なことではありません。
私の歳になると、防備自体が意味のないことなので、さらけ出しやすいですが、まだ若く、さらにビジネスをやっているような人は、戸惑いをさらけ出すのはタブーかもしれません。
にもかかわらず、昨日、戸惑いを表出した人がいます。
それが気になって仕方がありません。
私に何かできることがあるのだろうか。
昨日から考えていますが、思いつきません。
困ったものです。

■4645:いまここをしっかり生きていない反省(2020年6月14日)
節子
今日もサロンで湯島に行きました。
サロンで話題になる作品を読むために少し早めに湯島につきました。
ところが読もうと思ったら、視野がおかしくなって字が読めないのです。
また始まった、と思いました。
こういう症状になると30分は視界が揺らいでしまい、どうにもなりません。
高血圧のせいか、網膜剥離のせいか、わかりませんが、時々生ずる症状です。
医者に行くべきなのですが、何とかごまかしながら、いまも行っていません。

この症状が始まったのは15年ほど前です。
最初に症状が出たのは、節子と一緒の時でしたが、たぶん節子は気づいていません。
今でもはっきりと覚えていますが、突然こういう症状に見舞われたのは滋賀県の鯖街道にある「熊川宿」です。
節子の姉夫婦に自動車で連れて行ってもらった時です。
古来、若狭の海産物は琵琶湖の水運を経て京に運ばれましたが、陸路もあり、それが琵琶湖の西側を通る鯖街道と呼ばれる道でした。
その途中にある集落の熊川は、宿場町として発展していましたが、いまは、往時の宿場町のたたずまいが整備保存され観光地になっています。
その宿場町を歩いた時に、視界の異常に襲われたのです。

節子はすでに闘病中でしたが、小康状態にある時で元気でした。
心配させてはいけないので、ちょっと疲れたからと言って、私は少し休ませてもらっていましたが、正直、突然のことで私自身が倒れるのではないかと思ったほどです。
しかし幸いに10分ほどで症状は安定し、そのままゆっくりと歩いて自動車に乗り、誰にも気づかれずに走行中に元に戻ったのです。
その後、再発はなかったのですが、節子が亡くなった後、2年つづけて、大みそかに同じような、しかももっと深刻な状況に陥り、緊急病院に行って大変でした。
原因はよくわからず、その後、1年に何回か、同様な状況が起こるのです。

今日もまた30分ほどして治りましたが、この状況が起こるたびに、熊川宿のことを思い出します。
あの頃の節子は、実に堂々としていました。
死を意識していたと思いますが、一緒にいると私が元気づけられるほどでした。

今日のサロンで、死期を悟った人の心情の話になりました。
つい節子のことを思い出して話してしまいました。
人は死を悟ると、いまここをしっかり生きようとして、生が輝いてくるようだ、と。
それを妻から教えられた、と余計なことまで話してしまいました。

話してしまった後、最近の私は、あんまり「いまここ」をしっかりと生きていないなと気づきました。
最近、降圧剤をきちんと飲んでいるのですが、あんまり調子は良くありません。
お天道様に叱られるような生き方はしていないのですが。

■4646:「郵趣」と「SFマガジン」(2020年6月15日)
節子
3日つづけて畑に行けなかったので、今日は畑に行こうと思っていたのですが、その元気が出なくて、さぼってしまいました。
買ってきたキュウリやナスが成長し、まだ植えていないのにナスは花をつけだしてしまいました。
野菜を育てるのであれば、毎日、きちんと手入れをしないといけません。
そういうことが私は一番苦手なのです。
気が向いたら、思いついたら、動くというのが基本形ですから。
そういうところを節子はずっとうめてきてくれたのでしょうが、まあそれがなくてもなんとか生きてはいけるものです。
幸いにいまは娘と同居しているので何とかなっているのかもしれませんが。

ユカが手持ちのCDや本を売却すると言うので、便乗して私も200冊ほどをついでに引き取ってもらうことにしました。
たぶん1冊10円前後でしょうが、それでも2000円になります。
最近、現金がほとんどないので、2000円でも本が1冊買えるかもしれません。
蔵書の中にはある程度の値段がつく本もあるのでしょうが、そういう本はまだ手放したくないのです。おそらく読むことはないのでしょうが、何となく手元においておきたいのです。本に関する物欲からなかなか解放されません。困ったものです。

書類を整理していて、出てきたものの一つが切手です。
子どもの頃、切手を収集していたのですが、その関係で、節子と結婚してからも新しい切手が出ると買っていました。当時は地方単位の切手も発行され出していて、旅行に行くとよくそこで切手を買ってきました。
そうして買っていた切手が詰まった箱が出てきました。
そう言えば、なぜか節子もよく買っていました。
節子は手紙を書いて出すのも好きだったのです。

書庫の奥から、雑誌の詰まった箱がいくつか出てきました。
そこから出てきたのは「郵趣」という切手収集者のための雑誌です。
これは大学のころまで愛読していたようです。
もう一つ出てきたのは「SFマガジン」です。
実に懐かしい。
その2種類は捨てる気にはなれません。
時間の合間を見て読み直そうと思います。
注意しないとそこにまた埋没しそうですが。

「郵趣」と「SFマガジン」。
節子と会う前の私の世界を思い出してしまうかもしれません。

■4647:畑にキュウリとナスを植えました(2020年6月16日)
節子
今日は5時過ぎに起きて、畑に行きました。
4日間ほど畑に行けなかったので、暑くならないうちにと思ったのです。

先日購入したキュウリとナスの苗を早く植えないとまたダメにしてしまいます。
先日、下ごしらえはしていましたが、なにしろ笹などの野草が元気なので、鍬で耕し、根切り鎌で根っこを切り、ならすのですが、へとへとになります。
昨年からの野菜があるとそれを無碍に排除できないのできれいには仕上がりません。
しかしなんとか畑らしい場所をつくりだし、6本の苗を植えました。
先日、野草の中から見つけ出したカボチャにも肥料をやりました。

写真を見てもよくわからないでしょうが、一番手前がカボチャ(なんとかまだ枯れずにいるので肥料をやってきました)、その次が今朝植えたナス、そして昨年来のじゃがいもとフキ、その向こうがキュウリです。
さらに野草を整理していたら一昨年植えたサトイモが2本残っていました。
この調子だとまだいろいろと植えられそうです。

イチゴの救出も進んでいます。
そんなわけで今日も45リットルの野草袋が4つも出来ました。
花壇のところは、もう気が遠くなるほどの荒れ放題で、手が出ませんが、琉球朝顔が咲き出していました。アオイも次々に咲きだしています。
まあそれでしばらくは我慢してもらいましょう。

今日はたくさんの生き物に会いました。
例年よりも早い気がしますが、おとなしいウマオイにも会いました。
やぶの状況から考えて、ヘビがいてもおかしくない気がしますが、ヘビはもうこの5年以上、会っていません。
たぶんもういなくなっているでしょう。
3年前に出合った奇跡のキリギリスも絶滅しているはずです。

今日は予想以上にはかどったので、畑を再開する気になりました。
また畑通いが始まるかもしれません。

■4648:今日も朝から開墾作業(2020年6月17日)
節子
今日も朝の畑作業、とても気持ちのいい朝でした。
昨日はがんばりすぎて、疲れ切ったので、今日はほどほどにしました。
50センチはある野草の茂みに入り、草刈りをしましたが、昨年、頑張って畑にしていたところなので、笹も刈り取りやすく、予想以上に作業は進みました。
そこでイチゴ畑の救出に取り組みました。
なんとか10株近くが復活しそうですが、新芽が伸びていないので、大きな実はなってはいません。そこで半坪程のイチゴ領地を確保し、新芽が伸びていけるようにしました。
そこで野草を抜いて、周りの笹を切りとり、四方に棒を立てました。

そういう作業をしながら、西部劇の牧場主が牧場の周りに柵をめぐらし、他者の侵入を防ぐ気持ちが少しわかりました。
映画では最初から立派な牧草地があって、ただそれを囲うだけのように思いますが、たぶん大きな努力によって牧草地は整地されたのです。
強欲な牧場主の気持ちも少し理解できる気がしました。

畑の開墾作業で面白いのは、こんなようないろんな想像が浮かんでくることです。
たとえば、今日、笹を刈り取ったところは昨年、篠笹と紫蘭から奪還して野菜を植えていたところです。半年以上放置していたためにまた元の木阿弥になってしまっていますが、中に入って刈り取り作業をすると明らかに昨年とは違うのです。
復活した篠笹はどこか弱々しく、簡単に刈り取れます。というか、見栄えは昨年よりもおおい繁った感じなのですが、根本はスカスカなのです。
一方、紫蘭は分散せずに一か所に集中する戦略をとっています。そして自らの周りに扱いやすいだろう野草を巻き込んでいる様子が感じられます。お互いに支え合うスタイルをとっています。
いずれも「見栄え」はいいのですが、実体は弱々しいのです。

もう一つは大きいミミズがたくさんいるということです。
畑にしたらきっといい畑になるでしょう。昨年春の努力の成果が出ています。
努力は必ず何かを生みだします。ただその成果を享受するのが努力者であるとは限らないのですが、お互いに支え合って生きている生物界、あるいは自然界で考えれば、当然のことなのでしょう。この話は地球温暖化問題をどう捉えるかにまで広がります。

ちなみに、50センチほどのやぶの中で作業していて、万一倒れたら発見が遅れるでしょう。その対策も考えておかなければいけないと改めて思いました。
昨年、我孫子で高齢者が畑作業で熱中症で亡くなったニュースがテレビで流れましたが、私ではないかと思った人が何人かいたことを後で知りました。
私もそのニュースを見たとき、自分ではないかと思ったほど、状況が似ていました。
注意しないといけません。

今日は昨日と違い適度なところで切り上げてきましたので、1日が有効に使えそうです。
暑い1日になりそうです。

■4649:声だけは若いようです(2020年6月17日)
節子
電話でクレジットカードの解約をしました。
本人確認をされましたが、声が若いですが、ご本人様ですか、と2回も確認されました。
声だけは若いようです。

しかし、きちんとした話し合いをすれば、たぶん年相応と気づかれるでしょう。
最近どうも話そうと思うことがうまく話せないのです。
言葉が出てこないこともありますし、いわゆる滑舌の悪さは自分でもはっきりとわかります。まあ昔から言いたいことがうまく表現できないのは私の弱点なのですが、それが一段とひどくなっている。
声だけ若く感じられても、内容が劣化していることは否定しようがないのです。

そのうえ、この頃、特に感ずるのですが、「言わずもがな」のことをついつい話してしまうのも、最近の傾向です。
若いころは、言葉不足で、後でなぜあの時に話しておかなかったのかと思うことがたくさんあります。しかし最近は全く逆で、なぜあんなことを話してしまったのかと後悔することが多いのです。しかもさらに悪いことには、その無駄話を途中でやめてしまうことです。話をしていて、この話は相手にはまったく無意味だなと途中に気づいてしまうことが多いのです。それで無意味の話がますます意味不明の話になってしまうわけです。

この挽歌も、時々、そういうことがあります。
書いている途中で急に書く意欲が失せてしまう。その結果、意味不明の挽歌ができてしまう。困ったものです。

声の質に若さがあるのであれば、思考内容にも若さがあるはずです。
思考そのものが若さを失っているとしたら、いかに響きが若くても、何も引き起こさないでしょう。分別と知恵が豊かな老人の思考は私の好みではありません。
発想が若いですね、思考が若いですね、と言われるとうれしいのですが、そういわれることは最近なくなってきてしまいました。
若い思考ができなくなったら、思考はやめようと思っていますが、もしかしたらもうできなくなっているのかもしれません。
もしそうなら間もなく声の若さも消えていくでしょう。

加齢から自由になるのはできないことはわかってはいるのですが、どこかに素直に歳をとりたくない自分がいるようです。

■4650:生きているだけでも疲れてしまう状況から抜け出せるでしょうか(2020年6月18日)
節子
朝のテレビ体操がなんとか定着してきました。
朝の6時25分から10分間、ラジオ体操をベースにした「みんなの体操」が放映されているのですが、それを録画しておいて、毎日、1日遅れでやっています。
1日遅れという意味は、私が実際に体操するのはその時間より早いからです。
まだ定着してから2週間ほどだと思いますが、少しずつ慣れてきました。
まだ身体はかたく、前かがみになっても手は地面につかず、時々ふらついてよろけますし、息切れもしますが、3か月続ければだいぶ良くなるでしょう。

毎朝、5時に起床し、ネットチェックをし、それからテレビ体操。そして手作りラッシーを飲んでから、庭の花に水をやってから、畑に出かける。
1時間、汗をかいて、自然とも交流し、7時に帰宅。
シャワーを浴びて、さっぱりしてから、珈琲とトーストと青汁バナナジュースで朝食。
とまあ、これが一応のモデルなのですが、実際にはこんなにうまくは行きません。
ちなみに今朝は、テレビ体操で疲れてしまい、畑行きはさぼってしまいました。
まあ最近は老化のせいか、生きているだけでも疲れてしまう気がします。
テレビ体操で身体年齢が若返れば、この状況からは抜け出せるかもしれませんが、いまはそのテレビ体操で逆に疲れてしまう。
実は今日はさぼっていた数日前の録画テレビ体操もやってしまったので、いつもの倍の20分も体操してしまったのです。
娘からは、思いつきで生きているのではないかといつも注意されているのですが、思いつきもしないで生きている人に比べればいいのではないかと思っていますので、その生き方を変えるつもりはありません。

それにしても最近はいささか肉体的な疲労感があります。
もっと身体を動かさなければいけません。
そう言えば、昨年、相馬巡礼を思い立って出かけたのが7月3日でした。
また天気のいい時に最後の30キロを歩いてみることにしました。
また途中で倒れる可能性があるので、娘にいざという時には迎えを頼むと伝えたら、どうして暑くなる前にその気にならなかったのかとまた叱られました。
たしかにそういわれればそうです。
どうして季節のいい時に、「その気」にならなかったのか。
人生はなかなかうまくいかず、疲れます。
困ったものです。

■4651:「それっておかしいでしょう」(2020年6月18日)
節子
昔、テレビに話しかける人が話題になったことがあります。
今日、ユカから、昔はお父さんはテレビに話しかけるようなことはなかったのに、最近、よく話しかけているね、と言われました。
よく話しかける言葉は、「それっておかしいでしょう」だそうです。
たしかに言われてみれば、よく言っています。
独り言ではなく、ユカと一緒にテレビを見ている時、なんとなくユカに話しかけているようです。
多くの場合、ニュースや報道番組を見ての反応ですが、そればかりではないようです。
ともかく「おかしいこと」が満ち溢れている。

しかし、もしかしたら、おかしいのは私なのかもしれません。
ユカからは、私の方がおかしい時もあるとも言われました。
たとえば、コロナ防止策に関しては、私の言い方があまりに楽観的だというのです。

おかしいかどうかは、絶対的な基準があるわけではありません。
社会の多くの人に違和感がなければ、「おかしい」ことにはならないでしょう。
みんなが王様は裸ではないというのであれば、王様は裸ではないのです。
テレビで報道されているようなことや、レギュラー・コメンテーターの発言は、たぶん「おかしくはない」から続いているのでしょうから。

私の生活信条のひとつは、おかしいことはおかしいということです。
この点は、節子と同じでした。
おかしいことをおかしいと言わなければ、それを認めたことになります。
節子もそれができない人でした。
もっとも私から見て、節子が間違っているようなこともなかったわけではありません。
同じようにまた、私もたぶん時に間違っているのでしょう。
しかし、たとえそうだとしても、その時に「おかしい」と思ったら「おかしい」というのが私たちの共通点でした。
節子がいなくなった後、おかしいと思ってもおかしいという相手がいなくなってしまい、そのためユカに同意を得るように、「それっておかしいでしょう」と口にしているのかもしれません。
ユカにとっては迷惑な話かもしれません。
関心事も判断基準も違うのですから。

やはり伴侶と親子は、同じ家族でも違う存在です。
世界の見方が、やはり違うのです。
世界を共にする伴侶がいなくなると、人はどんどん独りよがりになるのかもしれません。

■4652:マルチハビテーション(2020年6月19日)
節子
今日はまさに梅雨の1日です。

いよいよリフォームに取り組むことになりました。
と言っても工事開始は9月に入ってからですが、その準備でいまや私の居住空間はぐちゃぐちゃになってきていて、毎日、倉庫のような場所で寝ています。
書類や雑誌の廃棄はまだ続いていますし、ともかく私の居住生活空間を3分の1に縮小する計画です。

生活空間と言えば、最近は我孫子の自宅での寝起きがほとんどですが、かつてはマルチハビテーションを志向していて、私の生活空間も かなり広かった時期もあります。
今回書類の整理をしていたら、「定住を超えて マルチハビテーションへの招待」という本が出てきました。この本の取材を受けていたことを思いだして、ページをめくったら、私の記事が出てきました。

取材を受けたのは50歳の時のようです。
こんなことを言っています。
「将来、東京には人と交流し合えるサロン風の喫茶店を、そして全国各地には仲間うちで一つの家をシェアできるような生活の場を持ちたい。そして終の住処は、やっぱりコミュニティに馴染みのある地方都市がいいですね」。

残念ながら何一つ実現していません。
読んでみると、当時の状況を思い出します。
当時は、湯島のマンションと湯河原のマンションと我孫子の自宅の3か所を拠点にしていたようですが、地方にもかなり出かけていたので、まあそれなりのマルチハビテーションだったようです。

こんなことも言っています。
「私は一つの組織、家、テーマに執着しないような生き方をしたい。特にさまざまなテーマと関わっていきたいのです。それがマルチハビテーションという生き方の本当の意味だと考えています」。
私にとってのマルチハビテーションは、当時からマルチテーマライフだったのですが、これはどうやら実現しているようです。

しかし、私のマルチハビテーション計画は、節子と一緒が前提でした。その前提が崩れたために、いまのマルチハビテーションは全く異質なものになってきています。
あえて言えば、此岸と彼岸のマルチハビテーションです。
これはなかなかわかってはもらえないでしょうが。
生活を整理していると、過去に出合うものですが、それは同時に未来に出合うことでもあることがよくわかります。

■4653:人生を考える材料が山のように届きました(2020年6月20日)
節子
胃がん治療に取り組んでいる、独り住まいの友人の調子がよくなさそうです。
コロナ騒ぎもあって、4か月以上、会っていないのですが、電話では連絡し合っていて、一時はだいぶ良くなって、私よりも元気だったのですが、今朝、急にかかってきた電話の声は全くの別人でした。
電話は、良い時には良い情報が、悪い時には悪い情報が増幅されて伝わってきます。
改めて最近のテレコミュニケーションに危険性を感じました。
やはり直接同じ時空間を共有しないとわからない。

今日は万葉集サロンでした。
テーマは「言」と「歌」でしたが、ここでもコミュニケーションが話題になりました。
言葉というロゴスで思いは伝えられない、というとても大きなテーマだったので、私自身、あまり消化できていませんが、言葉の始まりは「パトスの発振」だと思っている私には、とても腑に落ちることがいくつかありました。
ただそれこそロゴスとしてはまとめられなさそうですが、私の中では腑に落ちた気がします。友人の件も、腑に落ちるためにはやはり会いに行かねばいけません。

まあ、他にも同じような状況はあるのですが、彼の場合は、私を頼りにしてくれているので、応じなければいけません。
時々、思いがぐらつくので、今朝また改めて「雨ニモマケズ」を読み直しました。
彼は「南」に住んでいる事に気づきました。
いささか考えすぎですが、最近とても気が萎えているので、ちょっとしたことが心身を揺さぶります。

最近はそれなりに「デクノボウ」的な存在になってきているように思っているのですが、まだまだ周りに振り回されてしまっています。
人との付き合いが多すぎました。
そう言えば、数日前に古い友人からメールと彼の最近の活動記事を取り上げた雑誌の記事が送られてきました。
最近はほとんど会っていませんが、彼は自分をしっかりと生きている人です。
私の会社時代、私が寄稿した新聞記事を読んで訪ねてきたのがきっかけで交流が始まりましたが、私とは違い、テーマを持って生きています。外からみても、当人にとっても社会(他者)にとっても、とても「いい生き方」です。私のように、死んだら何も残らない生き方とは違います。
彼に昔の共通の友人の消息を訊ねてみたら、「会社リタイア後はアート関係の付き合い以外はほとんどしていません」と書いてきました。改めて私自身が選んだ生き方を思い知りました。
私には「意志」と「ビジョン」がなかったのかもしれません。
いろいろと考える材料が、他も含めて、今日はたくさんありました。
いささか疲れてしまった1日でした。

■4654:オープンハートの集まり(2020年6月21日)
節子
久しぶりに、オープンハートの集まりに顔を出しました。
オープンハートとは引きこもり体験者やいろんな問題を抱えている若者たちの居場所空間です。昨年から湯島の場を提供していましたが、コロナ騒ぎで3か月ほどやっていなかったのです。
3か月ぶりに開こうと思うと主宰者の阿部さんから連絡があったので、私も顔を出すことにしたのです。
別件があったので、遅れて参加しました。部屋のドアを開けたとたんに、入口まで人があふれているのに驚きました。みんなやはり集まりたかったのでしょう。

私は毎回参加しているわけではなく、時々顔を出している程度なのですが、みんな知っている顔です。なかには数年ぶりの顔もありました。
全員マスクをしていたので、私もマスクをしましたが、それぞれにこの数か月、いろいろとあったようです。しかしそれぞれに元気そうでした。ただ、先行きにもあまり明るさを感じていないのが気になりました。

集まっている若者たちは、いわゆるビジネス社会に乗って、器用に生きている人たちではありません。おそらく政府による支援策の恩恵もあまり受けていないのではないかと思いますが、今回のコロナでいろいろなことを感じているのではないかと思います。
経済環境も人間関係も大きく変わってきていますが、これまでの状況に居場所が見つけにくかった若者のなかには、居場所や仕事を創りだした人もいるでしょう。
居場所や仕事がないのは、自分の問題でもありますが、むしろ社会状況の問題ではないかと思います。そうであれば、この半年の状況に希望を見出すことも可能ではないかと思います。こんなにいろんな人が集まっているのだから、みんなで何かを始めたら、といつものように話しましたが、そういう話はオープンハートのテーマではなく、CWSコモンズ村のテーマかもしれません。
一度、そうしたアクティブサロンを考えたいと思いました。

世間を器用に生きている人たちや世間を卒業して余裕を持って生きている人たちよりも、世間にしがみつきながら不器用に生きている人たちと一緒にいると、なぜか心が安らぐのに気がつきました。
湯島のサロンも、最近、いささか世間離れしてきているのかもしれません。
もっと哀しい世間と重なっていかなくてはと、ふと思いました。

■4655:世間が戻ってきた(2020年6月22日)
節子
最近は1週間に春夏秋を体感できるように感じです。
朝起きて外に出たら秋を感じました。
一昨日は夏でしたが。
今日は雨も降っているので、気分が晴れないです。
特に最近、天気に左右されるようになりました。

私はまったく意識はしていなかったのですが、県外移動自粛が解除されたようです。
そのせいではないのですが、私のスケジュール表も変わってきました。
2週間前までは、土日のサロン以外はほぼ何もない白紙だったのですが、今週は今日を除きすべてに用事が入っています。忙しいということではないのですが、世間がもどってきた影響は私にもあるのかもしれません。
しかし、以前とはたぶん時間密度や時間速度は変わっていくでしょう。いい時代になっていく気がしますが、そこで生きる人間が変質してしまっていて、その良さになじめないのではないかという危惧もあります。

私にとっては、この時期に生活環境を変えることになったのは良かった気がします。
ダラダラと生きているとダラダラと終わりかねませんが、生活環境を変えるとなるとダラダラしているわけにはいきません。経済的な問題も含めて、人生の先も考えねばいけません。それはそれで頭が痛い問題ですが、ダラダラ終わるよりはいいでしょう。いや、ダラダラだと終われないかもしれませんし。

■4656:山本太郎のネット追っかけ(2020年6月22日)
節子
今日はネットで山本太郎の追っかけをやっていました。
都知事選に出馬した山本太郎さんはいろんなところで街頭演説をしています。
しかも毎回身心を使っての1時間近い演説です。
内容は似たり寄ったりですし、私にはかなり違和感もありますが、本心で話しているように感じます。
しかし、選挙向きではないのではないかといささか不安になりますが、そう思う私自身がやはり感覚的にこれまでの政治に毒されているのかもしれません。
こういう時に、一緒に節子が聴いていて、コメントしてくれると私の考えも相対化できるのですが。

節子が実際に日本の政治を実感したのは、イラク派兵の特措法に関連して国会デモに参加した時でしょう。
もみくちゃになるような激しいデモでしたが、節子には初めての体験でした。
カルチャーショックだったと思います。
頭で学ぶことと実際にデモに参加するのとでは全く違います。
以来、節子とも政治の話が少しできるようになりました。
それまでは私の一方的なレクチャー対話だったのですが。

頭だけの政治論議ではない、生活感覚での政治論議の大切さは節子から教えてもらいました。
山本太郎さんの演説を聴いたら節子はどういうでしょうか。
何となく節子好みではない感じもしますが、まあ困っている人を一番に考えるということには共感するでしょう。
まあそんなことも考えながらの山本太郎追っかけの1日でした。

■4657:電話に出ない闘病中の友人(2020年6月23日)
節子
闘病中の小学校時代の友人のお見舞いに行くことにしました。
節子と同じ胃がんなので、どうも他人事と思えないのです。
それに彼は一人住まいなので、話し相手もあまりいないでしょうから、お見舞いというよりも雑談に意味があると思っています。
先日、電話がかかってきたのですが、何やら急に声の元気がなくなっていたばかりか、話の内容がよくわからなかったので、近々会いに行くよと言っていたのです。

ところが、今日、行こうと思い午前中に電話しましたが、電話に出ません。
お昼前にもう一度。やはりでません。
午後、来客の前にもう一度、やはりでない。
ちょっと心配になりました。
そう言えば先日、痛みがあるとか食事ができずに痩せてしまったとか、いろいろ言っていました。
もしかしたら、症状が急変して入院したのかもしれない、と不安になりました。
私たちの年齢になると、そういうことはめずらしいことではありません。

来客が帰ったので、念のためにもう一度。
やはりでない。病院に行ってみようかと思って、電話を切ろうとしたら、ようやく電話口に彼の声がしました。
なんということはなく、電話をマナーモードにしていたために気づかなかっただけのようです。
まったくもう困ったものです。
でもまあ私にもよくあることなので、仕方ありません。

一挙に力が抜けましたが、まあ久しぶりなので訪問することにしました。
彼が住んでいるのは大森です。
小学校時代は私も大森に住んでいました。
私には懐かしいところです。
駅から歩いて15分ほどですが、いつもここは歩くことにしています。
思った以上に商店街は元気でした。
でも毎回来るたびに変わってはいます。
彼を元気づけるためにフルーツゼリーとフルーツを買っていこうと思っていたお店は潰れてしまっていました。それで手ぶらで彼のところに行きました。

彼は靴屋さんをやっています。
お店に入ると、思ったよりも元気そうな彼がお店の奥に座っていました。
思ったよりも痩せてはおらず、電話と違って口もはっきりしていました。
お店でお客様対応もしているようです。
さらに気が抜けてしまいました。

彼のために何ができるかを考えなければいけません。
私は靴が苦手なので、靴は買えませんし、経済的には彼のほうが豊かなので、買おうとするとタダにしてしまうでしょう。
ひとつだけ彼の役に立つ方法が見つかりました。
さてそれはなにか。
近いうちにわかるでしょう。
ちょっと気が重いことですが。

帰りの電車は混んでいました。

■4658:夢の不安(2020年6月24日)
節子
最近どうも真夜中に目が覚めてしまい、そのまましばらく眠られない夜になっています。
と言っても、そのうちになんとなくまた眠っているのですが、目覚めた後、どこかに寝不足感があります。
それが1週間ほど続いています。
朝起きてもどうもすっきり感がありません。
注意しなければいけません。

そういう状況ですので、夢をよく見ます。
あまり楽しい夢はありません。
目覚めるとすぐに夢の内容は思い出せなくなるのですが、不安や哀しさの気分だけは残っています。
時にはちょっとした夢のワンシーンも残っています。

東日本大震災の大津波が起こる半年前頃、毎日のように津波の夢を見ていたことがあります。
山の上まで逃げても津波が追いかけてくるような夢です。
鹿も同じ夢を見る。
当時は夢の内容も、朝目覚めても思い出せました。
東日本大震災の後、津波の夢は一度も見たことがありません。

津波はとてもわかりやすいのですが、最近の夢はよくわからない上に、内容が思い出せない。
何となく不安感があります。
夢は思い出そうとしていると忘れないようになります。
いま昨夜の夢を思い出そうとしたのですが、うまくいきません。
明日から少し夢を思い出すようにしようと思います。
何かが起きるような気配がしてなりません。

■4659:子どもたちにとっての困った親(2020年6月24日)
節子
今日はリフォームの関係で、ユカがタカラのショールームにシステムキチンを見に行くと言うので付き合いました。
その往路の自動車の中で、いま住んでいる家のユニットバスやシステムキチンは節子の意向が中心だったことを改めて聞かされました。
娘たちが反対しても、結構、譲らなかったようですね。
調度も娘たちも含めて3人で決めたのかと思い込んでいましたが、どうも節子の好みで決まったようですね。

節子も私と一緒で、奇妙にこだわってしまうことがありました。
リフォームを機に、いまの家を見直してみるといろんな意味でちょっと「おかしい」ところがたくさん出てきますが、そのいずれもが、どうも私と節子の思い付きのところのようです。
困ったものですが、節子も私と同じでかなり「わがまま」だったようですね。
私も節子も、娘たちとはどうも趣味が違うようです。
子どもたちにとっては、困った親だったのかもしれません。
しかし、私としては、ちょっとうれしい話です。
節子がのびのびと生きていたことの証ですから。

節子が健在だったら、今回も節子に一任できたのですが、今回は前回の責任もあるので、あんまり打ち合わせには行きたくないのですが、娘たちに付き合っています。
しかし、今日もそうですが、ショールームで説明を聞きながら、余計な質問をするので、むしろ邪魔かもしれません。
最初は一緒に聴いているとしても、途中で飽きて別のところを見たくなりますので、いまのようにきちんと予約制で案内するスタイルの場合は、迷惑かもしれません。
しかし、予約は毎回6組ずつと言っていましたが、今日は私たちを入れて2組しかいませんでした。
帰り際に、ショールームに来る人は増えてきましたか、と質問しましたが、増えてきたと言っていましたが、あの様子ではあんまり増えていませんね。
やはり現場に行かないと事実は見えてきません。

明日はRIXIL のショールームです。行こうか行くまいか、迷っています。

■4660:お布施を受けた1日(2020年6月25日)
節子
一昨日のことですが、「仲直り活動」に取り組みたいという人が相談に来ました。
以前から相談は受けていて、簡単ではない複雑な案件は私にさせてくれないかと頼んでいました。「仲直り」はすべてのことの基本です。戦争も環境破壊も、生活格差もいじめやヘイトスピーチも、その解決のための万能薬は「仲直り」です。
ですから私もその活動に共感しているのです。

ところがその人が、まったく別件で、ある人を説得できなくて困っているという話をしたので、間をつなごうかと軽い気持ちで言ってしまいました。
そうしたらその人は正式に頼むといって、前金を財布から出し、裸で悪いのですが、お願いしますというのです。
いささか面喰いましたが、私への生活救済給付金かなあとつい勘ぐってしまいました。
うまくいかなくても返却しなくていいと、その人は言うのです。
間を置くこともなく、すぐに財布からお金を出して私の前に置くとは、その鮮やかさに感動しました。
そう言えば、以前も同じようなことが何回かありましたが、いつも封筒に入っていたので、返却できました。
そう言えば、いまテレビでは国会議員が選挙以来で数十万円入った封筒を手渡しした事件が盛んに報じられていますが、封筒だと返却しやすいですが、裸のお金は難しいです。
食事を一緒にして、誰が払うかでお金を押し返し合うのは、私は好きではありません。
それと同じで、目の前におかれたお札には手が行かないので、返しようもない。

私の性分として、お金をもらってももらわなくてもやることは同じですが、もらうと気分が変わってもやらなければいけなくなるので、いつもならもらわないのですが、今回は結局、受け取ってしまいました。ちょうど午後からある人の見舞いに行くのですが、手持ちのお金がなかったので、それに使えそうだとつい思ってしまったこともあります。
困ったものです。

しかし、その人のあまりの見事さにのせられてしまったわけです。
言葉よりも行動。
見習わなければいけません。

これは一昨日のことですが、結局、そのお金は見舞いには使わずに、逆に見舞いに行った友人からは、その金額よりも高額なものをもらってしまいました。
これも遠慮せずにもらってしまいました。
私の生活経済がいま困窮状況にあるのが見えているのでしょうか。
一応、見せないようにしているつもりなのですが、身なりのみすぼらしさが無心のメッセージになっているのでしょうか。
まあ嘘はつけないものです。

■4661:「ソクラテス道」に精進(2020年6月25日)
節子
巡礼者の鈴木さんからメールが来ました。
鈴木さんは、時々、私とソクラテスを比べてくれるのですが、かなり「買いかぶり」的とはいえ、素直にうれしく聞いています。
ソクラテスに少しでも似ていると言われれば、誰だってうれしくなってしまうでしょう。

鈴木さんは、今日のメールでこう書いてきました。

ポール・ジョンソン『ソクラテス〜われらが時代の人』という本を読んでいたら
ソクラテスと佐藤さんの共通点がさらに見つかりました。
・衣服、食べ物、快適な場所など身体的な快適さに無関心
・思考される事柄よりも人々そのものに関心を持つ
・利益を求める生活を送ることを拒み、必要なものが最小限になるようにした
・靴を持たず、衣服も少なかったが、本は好きだった
・なにごとも自慢しない
・学問的知識よりも実践における行動にしか興味がなかった
・抽象的概念より生の実践的な営みを重視した
・本当に困ったときには常に助けてくれる友人がいたが、本当に困ることは稀だった
「これも似ているなあ」と思って笑ってしまったのは、
・靴もはかずにアテナイを歩きまわり、市井の人たちと対話した 

以上ですが、ここには、私が目指している生き方がリストアップされているような気がしました。しかし、残念ながら一つひとつ吟味するとまだまだという気がします。

たとえば、「ソクラテスと共通点がある」などと言われると、やはり「自慢したく」なってしまいます。つまり、「なにごとも自慢しない」という心境には達していないのです。
利益を求める生活を送ることを拒んでいるわけではなく、そういう生活に恵まれていないだけなのです。先日も宝くじを買いましたが、はずれました。
「快適さに無関心」ではなく、「快適さ」を創りだす努力が果たせずに、仕方なくいまは倉庫のような中で寝食していますが、もっと快適な空間で暮らしたいです。
「本当に困ること」も稀でもなく、結構、困っているのですが、それでも助けに来る人はあまりいません。とりわけ最近は私の性格がねじれだしてきたせいか、結構。嫌われ出しているような気もします。

実現できているのは。最後の「靴をはかずに」ということくらいでしょうか。
最近は着る服もなくなってきたので、それもちょっと近づいているかもしれませんが、いずれにしろ、まだまだソクラテスの足元にも及びません。

そういえば、まだお会いしたことのない人(友人の奥さんですが)から、こんなメールを半月前位にもらいました。

いつか、佐藤さんの哲学―ソクラテス等のお話も、さりげなく、伺いたいと思っております。

そこでもソクラテスの名前が出ていました。
どうしてソクラテスなのでしょうか。
しかし、そういう人が2人もいるのであれば、これからは「ソクラテス道」に精進しようと思います。
今日も裸足のサンダルで出かけていました。

■4662:人は会うべき人には会うものでしょう(2020年6月26日)
節子
いまもなお気が向いた時に雑誌類などを廃棄し続けていますが、うっかりと読み直したりしているとそこに自分が書いた記事が出て来ることがあります。
読み直してみるとそれなりに新鮮で、ついつい捨てがたい気持ちになり、残してしまったりしています。
そんなことをしていると、ミニマリストの鈴木さんから叱られそうですが、過去への郷愁はなかなか捨てられません。
そう言えば一括して捨てた本の中に、友人との対談が掲載されていたなと思いだして、その本を探しましたが、残念ながらすでに廃棄されてしまったようです。

その対談の相手は、多摩大教授だったKさんです。
Kさんは節子の胃がんを知って、たしか南米の先住民に伝わる飲み薬を教えてくれました。それが節子の最初の処方薬になりました。残念ながら節子には効果を発揮してはくれませんでした。
彼は早々と引退しましたので、最近は会っていませんが、いまは自然豊かなところに転居し、夫婦2人で豊かな生活を送っていることでしょう。

Kさんのことを思い出すと、そこからまた芋づる式に、いろんな人の顔が浮かんできます。今も毎週のようにテレビで顔を見る人もいれば、いまではもう名前を聞くこともない人もいます。当然ではありますが、時々、気になるのは、消息が途絶えた友人のことです。その気になれば連絡は取れるのでしょうが、連絡をとってまで会う必要もないでしょう。人は会うべき人に会うものですが、同じように、会わないのもまたそれなりの意味があるからなのです。

こんな状況なので、身辺整理はなかなか進まないのです。

■4663:佐藤さんはいわゆる理系なのではないか(2020年6月26日)
節子
情報というのは意外なところに残っていることがあるようです。
昨日、高校時代の友人から来たメールの中に、私にとって初耳の話が書かれていました。私の母親の言葉です。

佐藤さんのお母さんが「お子さんは数学ができるから東大に合格するでしょう」と担任から言われたと母から聞いたことがあります。佐藤さんはいわゆる理系なのではないかと当時思いました。

はじめて聞く話です。
第一、私の母とその友人の母に付き合いがあったという記憶もありません。たぶん高校時代の進学相談会の父兄の集まりの帰りにでも一緒になって話をしたのでしょう。
しかし、私はそんな話は聞いた記憶がありません。たぶんその時はすでに検事を目指していて法学部に決めていたはずです。それに、数学が得意だったことはありません。頭があんまり「論理的」ではないからです。すぐに論理が飛躍してしまうのは、子どものころからでした。
そもそも「数学ができるから東大に合格する」というのも全く論理的ではありません。もっとも、大学受験は、ほぼすべて運によって決まりますから、どんな論理も通ると言えば通るのですが。

それはともかく、高校時代、私は理系向きだったと思われていたとは意外です。
メールをくれた友人は、理系に進み、大学教授になりましたが、文系の世界への興味は高いようで、小説を書いたりしています。
私は、そもそも理系だとか文系だとかといった二元的な捉え方が理解できないタイプですが、会社時代を思い出せば、親近性を感じたのはほぼみんな理系の世界の人でした。
研究所にはよく通い、先輩からも親しくさせてもらいました。会社を辞めた後も、湯島に来た先輩はほとんどが理系でした。
会社以外での付き合いのある理系の先輩には、君の頭はスカスカだというような厳しい指摘も受けていましたが、なぜかその先輩も時々湯島に来てくれ、スカスカの頭の発言に耳を傾けてくれています。スカスカの効用もあるのかもしれません。


母には親不孝な息子でした。
私が会社を辞めたときは、たぶんがっかりしたことでしょう。

その私の分の孝行をしてくれた節子に、深く感謝しています。
私の母にとっては、私よりもたぶん節子の方が自慢だったでしょう。

■4664:親孝行できる幸せ(2020年6月26日)
節子
母の話を伝えてきた高校時代の友人に、私には初耳だと返信したら、もう少し詳しい話を書いてきてくれました。
そしてその最後に、「親はありがたいものだと思います」と書いてありました。
内容の紹介は差し控えますが、ちょっとジーンときてしまいました。
彼のお母さんは100歳までの長寿だったそうです。

「親はありがたいもの」、たしかにそうです。
私はそういう意識をあまりはっきりとあらわさないし、むしろ両親にはきつく当たってきたかもしれません。というか、私はストレートに思いを表現するので、誤解されることが多いのです。
ストレートに話して誤解されるというのは、ちょっとおかしい気もしますが、私の次女がどちらかというとそのタイプなので、私も最近ようやくそのことに気づいてきたのです。
次女に関して、あんな表現をしなくてもいいのになあ、と長女に言うと、お父さんそっくりの反応だよ、と諭されるのです。
自分ではなかなか気づきませんが、私の言葉には刃がついているようです。

久しぶりに近くの友人とランチしました。
私のパソコンサポーターで、今日も、パソコンの修理に来てくれたのです。
彼は高齢のご両親と同居しています。
そのお話も聞かせてもらいました。
いろいろと大変だと思いますが、高校時代の友人からのメールを読んだ直後だったので、ちょっとうらやましい気がしました。
親孝行できる幸せは、たぶんずっと後になって気がつくことなのでしょう。
その時には、もうしたくてもできません。
親孝行している時には、「幸せ」を感ずる余裕はないかもしれません。
そう思えば、いつでもがきっと「幸せ」なんだと気づきました。

今日はいい1日になりそうです。

■4665:うなぎのかば焼きのにおいが鼻から離れません(2020年6月27日)
節子
今日は朝早くから畑に行って一汗かくという出だしでした。
昨日につづいて、今日もいい1日になるはずだったのですが、最後に会った人のおかげで、疲れた1日になりました。
しかも、その人が喫茶店ではなく、なぜかうなぎ屋に入ったので、てっきりうなぎをご馳走してくれると思ったのですが、話の途中でちょっとトラブルがあり私が席を立ちたくなってしまいました。
そのためうなぎのいい匂いを吸い込んだだけで、うなぎは食べられませんでした。
いまもまだうなぎのにおいが鼻に残っています。

話の内容はさすがに書くわけにはいきませんが、たぶんその人も孤独なのです。
お金などあっても本当に意味がないなあと思いますが、どうしてみんなもっと生きることに自信を持たないのでしょうか。
自信を持てば、他者に寛容になれますし、生きる苦労も激減します。
まあうなぎは食べられないかもしれませんが、

食べ損なったうな重がどうも頭から離れません。
なにしろ蒲焼の煙が充満していたところに1時間もいたのに、さてそろそろ頼もうかという時に席を立ってしまったのは失敗でした。
せめてうな重を食べてから、怒りを表明すべきでした。
しかし、うな重を食べられなかったことへの怒りが大きくなってきて、肝心の言い争った内容はどうでもいい感じになってきました。
怒りの矛先を変えるヒントがどうもここにあるようです。

■4666:贈り物の効用(2020年6月28日)
節子
帰宅したらサクランボが届いていました。
名前を見たら意外な人からでした。
むしろ私の方がお世話になっているのですが、しかしここは素直にいただくことにしました。その方の気持ちがじんわりと伝わってきます。言葉を超えた気持ちが、です。
「贈り物の効用」を改めて実感しました。

世上では、選挙のための国会議員の買収行為が話題になっていますが、もし仮に私がお金を贈与された当事者だったら、間違いなくお金をくれた人への反対者になるでしょう。
お金は返済し、その事実を公開し、その人との付き合いを断ち切ります。
「贈与」にはそういう対応策もあるはずです。
一方で、今回のような贈与は、その人の本音や生き方に気づかせてくれます。
その人も、気持ちを満足させてくださっているでしょう。
どうやって気持ちを表明すればいいかは、難しい課題ですが、贈与はいろんな意味で有効な手段かもしれません。

私はどちらかと言えば、贈与するよりも贈与されることが多いような気がします。
それに甘んじているわけではありませんが、素直にもらってしまうので、私には何かを贈与しやすいのかもしれません。こんな言い方をすると誤解されそうですが。

今日もいろんな貰い物をしました。
朝、湯島でミーティングがあったのですが、ひとりの人が差し入れだと言ってお菓子をくれました。
そのお菓子は、午後のサロンに出したので、結局私は食べ損なってしまいましたが、サロンに来た人からはランチのおにぎりとケーキなどをもらいました。
私は気づきませんでしたが、サロン用のお菓子を持ってきてくれた人もいたようです。
さらに孫にと野菜とイチゴをもらいました。
帰宅したら、もう一つ貰い物が届いていました。
近くの友人にパソコンの修理をお願いしていたのですが、修理を終えたパソコンに、私が欲しがっていたコネクターなどが2つも付いていました。
普通は修理してもらった私がお礼しなければいけないのですが、逆に私が贈与を受けてしまったわけです。
感謝しなければいけませんが、感謝を形にするのは私はどうも苦手なのです。

「贈与」できる人にならなければといつも思っているのですが、「贈与」するということはそう簡単ではありません。気がつけば、いつも贈与される側になってしまっている。
もちろん贈与は物だけでありません。
むしろ物の贈与よりも、形のないものの贈与のほうが多いかもしれません。
そうしたたくさんの善意に、私は支えられているように思います。
贈与してくれるのは、何も人に限ってはいません。
自然からの贈与も時々実感しますし、お天道様にはいつも感謝しています。
もちろん時には受け取りたくない「贈与」もあります。
しかし、最近、なんとか「贈与」されることにはだいぶ慣れてきました。

サクランボは美味しかったです。
しかし、それ以上に、送り主の気持ちはうれしかったです。

■4667:ボーっと過ごしています(2020年6月29日)
節子
今日もまた山本太郎さんのスピーチを聴いていました。
もう何回も聴いているのですが、それ以上に当然彼は話しています。
言い換えれば、彼の話を一番よく聴いているのは山本太郎です。
これだけ繰り返し聞いていると心身と一体化するでしょうから。
彼の話していることは彼によって実行されるようになるでしょう。

そう思いますが、同じことを繰り返し話すのは山本太郎さんに限らず、他の立候補者も同じでしょう。
しかし、なぜか当選すると選挙期間に話していたことは忘れられてしまう。
山本太郎さんもそうなるでしょうか。
たぶんそうならないでしょう。
その違いはなんなのか。
なぜ夫婦は似たものになるのか。
それも生活を共にしているうちに世界をシェアしていくからでしょう。
山本太郎さんの話を聞きながらそんなことを考えていました。
そして生活をシェアできる伴侶がいないことの寂しさを改めて感じました。

しかし、同じ夫婦と言っても、離婚したり仲違いしたちしてしまうことがあるのはなぜでしょうか。たぶん共稼ぎが典型的なように、それぞれが自分の世界を持ってしまうからかもしれません。
生活をシェアしない夫婦や家族が増えてきている時代になってしまうと、似た者夫婦は、それぞれの世界を卒業した後の、老後でなければ育たないのかもしれません。
社会のあり様は変わってしまった。

いま節子が元気だったら、私の生活はどうなっていたでしょうか。
山本太郎さんの演説をボーっと聞きながらそんなことを考えていました。

今日は梅雨の合間あの晴れ間です。
この土日はあまりにいろんなことがあって、精神的にも肉体的にも疲れ切ってしまいました。それで今日は、在宅でボーっと過ごしています。
元気だったら、昨年1日だけで終わった相馬霊場めぐりの続きに出かければよかったです。ちょうど昨日友人が地図を送ってきてくれました。
昨年は準備を全くせずに思いついて早朝に出かけましたが、今回はきちんと地図を持っていこうと思っていますが、やはり思いついて、準備せずに出かけるのがいいかもしれません。
お遍路さんに行き倒れがつきものでしょうから、その可能性も残しておかないと私らしくはありません。
今週はどうも雨続きのようなので、来週になりそうですが、中途半端な準備をしておかねばいけません。

まあそんなこんなで、まったく意味のない怠惰な時間を過ごしています。
困ったものです。

■4668:畑に行って元気が少し出ました(2020年6月29日)
節子
明日からまたしばらく雨で行けなくなりそうなので、夕方、畑に行きました。
ともかく野草との闘いは手を抜いたら敗退しかありません。
野草は刈り取っても3日も行かないと復活しています。見ている前で伸びていくのです。みんな笑いますが、畑で2時間過ごしていると野草が伸びるのが実感できます。静かだと音も聞こえる気がします。

先日野草の茂みから見つけた肥料袋もまた野草に覆われかねません。
昨年は紫蘭が広がっていたのですが、それを排除し、サルビア・ガラニチカをちょっとだけ優遇してしまったのですが、そのちょっとした私の手加減がいささか極端に出てきています。これもとても面白いのですが、野草と話していると彼らは私の意図を理解します。話は「言葉」を使うこともありますが、主にテレパシーです。だから思っていることもすべて伝わりますので、嘘はつけません。

昨年、畑部分の真ん中に2~3本、存在を許容したサルビア・ガラニチカが大きな場所を独占してしまい、その傘下に肥料など隠してしまっていたのです。
アンティチョークは大きく育っています。昨年、たぶんこぼれた種から育ったのが、立派に花を咲かせていました。親はもっと立派です。食用にもなりますが、食べたことがありません。食べるところはほとんどないので、観賞用にしたいです。

今日はがんばって花壇の部分に生い茂っていた野草を駆り降りました。刈り取った草は180リットルです。かなりぎゅうぎゅうに詰めているので、かなりの量です。
それにしても昨年がんばっていろいろと植えたはずが、ほとんどなにも残っていません。

今日は畑の手入れにまでたどり着けませんでした。
先日植えたキュウリは1本が溶けていました。そろそろ添え木をしないといけませんが、私は野菜の手入れよりもともかく野草とのやり取りが好きなので、どうも作業はそこに行ってしまいます。

畑作業は疲れますが、元気がもらえます。

■4669:夢現の半年間(2020年6月30日)
節子
早いもので、今年ももう半分が過ぎようとしています。
コロナのおかげで、時間の速度が少し緩和されたように思っていましたが、やはりあっという間の半年でした。
時間を充実させようという意識がなくなっていますから、仕方がないことなのですが。しかしいろんなことを考えることができた半年でもありましたし、生活スタイルを変えることができました。
年内には次女家族と同居することになりました。
家ににぎやかさが戻ってきます。まあ同居のわずらわしさもやってくるでしょうが。

昨日、不思議な夢を見ました。
会社時代の大先輩に道で会ったのです。
その先輩とは同じ職場にいたことはありますが、仕事の関係はなく、もちろん個人的に話したこともない先輩です。
なぜそういう人が夢に出てきたのか。
そして彼はわが家にまでやってきたのです。
その人にコーヒーを淹れたのですが、どうもうまく淹れられない。

夢には思ってもいなかった人が登場します。
若いころは、出てきてほしい人の夢を見ることがかなりできた記憶がありますが、この頃は節子さえも夢には出てきません。
出て来る人は、見知らぬ人と忘れていた人です。
「見知らぬ人」にも、もしかしたら前に出合ったことがあったのかもしれません。
夢は、個人的無意識の世界とつながっているのでしょう。
夢で自分の考えに気づくこともありますし。

在宅が多かった半年でしたが、だらだらと惰性的に生きていて、緊張感がありませんので、現実と夢の差が小さくなっているのかもしれません。
夢現(ゆめうつつ)の世界に入りつつあるのかもしれません。
後半はいろんなことが控えていますので、あんまりだらだらとは過ごせないでしょう。

梅雨が戻ってきました。
昨日畑に行っておいてよかったです。

■4670:畑でガマガエルに出会いました(2020年6月30日)
節子
雨が降らないので、畑に行って、草刈り作業と土起こし作業をしてきました。
お天道様の小作人を自認している手前、頑張らなければいけません。
午後から雨のようですが、そのせいか、今日は小さなガマガエルに会いました。
小さいと言っても15センチくらいはあります。
畑でガマガエルに会うのは初めてです。ヘビがいなくなったので、安心して出てきているのでしょうか。生き物に出合うのは好きなのですが、ガマガエルはどうも好きになれません。
それに、ガマガエルは土色ですから、注意しないと鍬や鎌で殺戮してしまう恐れがあります。一度、傷つけたことがありますが、手当はできずに放置してしまったいやな思い出もあります。
相手にも一応、注意するように話しかけておきましたが、まったく無視していたので、鎌の先で背中を軽くつついて動かせましたが、まだ繁っている野草の中に消えていきました。これから注意しなければいけません。

繁っている草薮を鎌で刈っていくのは結構勇気がいります。
何が出て来るかわからないからです。
いまはもうあまり心配はないですが、最初の年は蛇に出合ったり、大きな(たぶん)ハトの卵が出てきたりして、人間の遺体など出てこないだろうなと思ったほどでした。
この頃は、なくなっていた鍬やシャベル、あるいは肥料の袋などくらいしか出てこないので、安心してやぶの中に座り込んで作業をしています。
おかげでズボンは泥だらけで、帰路に誰かに会ったら驚かれるでしょう。

注意しなければいけないのは、アリです。
アリは結構大変で身体中咬まれたこともあります。
最近は危険なアリもいるそうですので、注意しなければいけませんが、そんなことを考えていたら、開墾作業はできないのです。

そんなわけで、今日も畑に行きましたが、野菜の手入れはできませんでした。
今年も収穫はあまり期待できなさそうです。

■4671:ネット対応に追われていました(2020年7月1日)
節子
今日はFBやネットがちょっとにぎやかでした。
山本太郎さんに私があまりに入れ込んでいるためか、批判がいろいろと届いています。
山本太郎さんが「愛のある政治」と言っていることに共感する主旨の投稿をしたら、此れも手厳しくしかられました。
そうしたコメントに対応していたら、あっという間に午前中が終わってしまいました。
FBだけではなく、メールやメッセンジャーでもコメントが届くので、3つの画面で並行して対応していたので、疲れました。
しかし、世間と付き合うということはそういうことでしょう。
一度意見を表明して、それへの反論があったら、きちんと回答しなければいけません。
そういう姿勢を続けていると、やはりネットは面倒になってきて、やめたくなるのですが、やめてしまったら、そこで終わりです。
そうはしたくないので、問いかけには誠実に対応しています。

元気づけられるメールには、「ありがとう」で終わりますが、異論反論にはきちんと対応しなければいけません。
しかし、異論反論への回答は正直あまり気持ちのよいものではありません。
なんでこんなこともわからないのだ、と内心思うことのほうが多いのです。
その時の私は、たぶん相手と同じ立場になってしまっているのでしょう。
相手も、そう思っているかもしれないのです。

それにしても、私の生き方はあんまり理解されていないようです。
その証拠に、私の書いたことがなかなか伝わらないのです。
今朝は、表現には気を付けてと言われましたが、どこをどう気をつければいいのか、わからないので、そのまま、そう返信しましたが、まだ返信が来ません。困ったものです。

もっとも、みんな「悪意」があって反対してくるのではありません。
私のために言ってきてくれるのでしょうが、そう素直に受け取れないのが人間の弱さです。
やはり同感だとか賛成だと言ってきてくれる人のほうが好きになってしまいます。
困ったものです。
そこを超えなければ、いけません。
人はやはり弱い存在です。

■4672:昨日はさまざまな「攻撃」に耐えました(2020年7月2日)
節子
昨日はさまざまな「攻撃」を受けて、疲れてしまった1日でした。
最初の「攻撃」はフェイスブックの記事へのコメントでした。
中途半端な誹謗中傷のコメントはスルーできますが、誠実な、それもかなり難しいコメントですので、対応しなければいけません。
しかもコメントしてくださった人の大半は信頼する友人たちです。
なかには、事実も確認せずに、適当に「思い」を放出したようなコメントもありますが、それにも一応応えました。そうしたいい加減なコメントの人は、私の少しだけ意地の悪い反論に答えを返してくることはありませんが、誠実なコメントを書いた人は、私の反論や回答にも、またていねいに対応してきます。ですから際限がないのです。
私の記事をめぐって、論争も起こりました。放置すると「炎上」にもなりかねないので、折り合いを見て、「そろそろ打ち上げにしますか」と割り込みました。2人からは「ありがとうございます」とコメントが書かれましたが、その後もまだ少しくすぶっています。困ったものです。

次の攻撃は、メールできました。
私は個人間の閉じられた言説空間というのが嫌いなのですが、此れもまた対応せざるを得ません。

次に襲ってきたのが、身体の「かゆさ」です。
昨日と一昨日、畑で少し頑張ったのですが、やぶの中で作業していたため、どうも野草にかぶれたようです。
朝は、ネット「攻撃」に対応していたため気になりませんでしたが、テレビを見ていたら、全身に痒みが「攻撃」してきました。
かゆみ止めを塗りまくりましたが、痒みはどんどん広がります。
困ったものです。

午後はかなりげんなりしながら、パソコンは避けて、テレビに逃げていました。
テレビで放映された「フライトゲーム」と録画していたテレビドラマ「BG」。
いずれも面白く、痒みもネット論争も忘れていました。
夕方、またパソコンに戻ったら、まだコメントはつづいていました。
そのうえ、メールではまったく新しい「問いかけ」が2通、届いていました。
それも簡単には応えられない内容です。

フェイスブックのコメントに対応するのが精いっぱいでした。
パソコンの前にいると際限がなさそうなので、早めに打ち切って、眠ることにしました。
しかし、痒さでなかなか眠られずに、昨夜もまた寝不足です。

今朝、パソコンを開いたら、ネット「攻撃」は収まっていました。
ただし、身体の痒さ攻撃はまだ続いています。
いささか憂鬱な1日が始まりました。

■4673:口の悪さは性格の悪さの表れ(2020年7月3日)
節子
今朝もかゆくて早朝に目が覚めてしまいました。
それで畑に草刈りに行っていました。
収穫は90リットル。と言ってもこれは野菜ではなく、刈り取った野草の量です。
タイミング遅れで、野菜の苗はもうあまり売っていないので、畑と言っても、ほとんど何も植えてはいないのです。

最近、自分の性格の悪さを自認せざるを得なくなってきています。
今朝も朝食でユカに厳しく指摘されました。
それで少し反省しただけでも、最近の事例がいくつか思い浮かびます。
昨日も2組の人に会いましたが、いずれの人たちも印象が悪かったかもしれません。
前から指摘されていることですが、私の話し方がどうも否定的なのだそうです。
私の話し方が支持的だと言ってくれた人もいますが、いずれにしろ「言い方」が悪く、そこに「性格の悪さ」が現れているのかもしれません。
ユカは決めつけが多いというのですが、そうかもしれません。
自分では柔軟な受けとめこそが大事と思っていますが、実際は逆なことも多いようです。
時々、直そうとはするのですが、直りません。
困ったものです。

口の悪さは、自分でもかなり意識しています。
というかむしろわかりやすさのためにできるだけストレートに言う癖があります。
それに思ったことがすぐ口に出てしまうという未熟さがあります。
言葉に発した後、すぐに後悔したことはこれまで何回もあります。
こんなことをやっていると、そのうち、友人はいなくなるかもしれませんが、まあその頃は私もきっといなくなるころだろうからちょうどいいかもしれません。

性格の悪さも口の悪さも、そう簡単に直るものではないようです。

今日は、朝から畑で大汗をかいてきたので、お天道様がいい1日にしてくれるでしょう。

■4674:なぜ嘘をつくのか(2020年7月3日)
節子
知らない人から携帯に電話がかかってきました。
いつもは出ないのですが、不吉な予感がして、電話に出ました。
予感は当たりました。
病院の医師から、先週見舞いに行った友人が昨日緊急入院したというのです。
昨日電話で病院で点滴してもらったらと伝えたところだったのですが、どうも点滴のまま、入院になったようです。
医師が言うには、癌がかなり進行しているようです。
本人から聞いていた話とは全く違っていました。
友人からは癌のほうは収まっているが他の部署にいろんな弊害が起きてきていると聞いていたのです。
私もどうも様子がおかしいので、来週、彼と一緒に病院に行こうとしていたのですが、間に合わなかったようです。
なぜ友人は嘘をついていたのか。
なぜ私はそれを見抜けなかったのか。
悔やまれます。

午後の予定をすべてキャンセルして、病院に行きました。
詳しい説明を受けました。
最後の延命手術などはどう考えますか、と訊かれました。
実は電話でもそう聞かれ、それで事態の緊急性を知って、飛んできたわけです。
彼には妹がいるのですが、なぜか私も選ばれてしまったのです。
いまはコロナウイルスの関係でお見舞いは禁止になっていますが、担当医がこれが最後になるかもしれないということで、特別に会えるように取り計らってくれました。
会ってみると、意外と元気そうでした。
もう家には戻れないかもしれない、修と会うのもこれが最後かな、覚悟はできた、と言いました。
しかし、笑いながらなので、たぶんまだ完全には受け入れていないでしょう。

彼がなぜ嘘をついたのか。
医師は、嘘ではなく、私(医師)の説明を受け止められなかったのかもしれないと言いました。友人にとっては、癌は安定していると思い込みたかったために、理解しなかったのではないかと話してくれました。

家に戻ることを目標にして、明るく過ごすのが最高の治療法だと私も伝えました。
奇跡が起こるかもしれません。
起こるはずのない時に起こるのが奇跡ですから。

■4675:夜には人は彼岸と深くつながっている(2020年7月4日)
節子
寝苦しい夜でした。
入院中の友人の事態が急変したら医師から電話があることになっているのですが、それが何となく影響して、熟睡できませんでした。
死に関してはかなり解脱しているように思っていたのですが、まだまだだめのようです。
今朝も目が早く覚めてしまい、寝ているよりも起きて何かをやったほうがいいと思って、起きてしまいました。
そう言えば、夜がとても怖かった時期もありました。
夜には、人は彼岸と深くつながっているような気がします。
病院の個室で、彼は眠れたでしょうか。

そう言えば、私も8日間、入院していたことがあります。奥歯を抜いた時です。
奥歯抜歯で8日間の入院はあんまり納得できなかったのですが、どこもおかしくなかったので、退屈しきっていました。
病院の都合で、1日か2日だけ個室に入りました。
この時は、夜眠れずに、深夜の病院を徘徊したりしていました。
夜の病院は不思議な雰囲気です。

さらにそう言えば、「病院で死ぬこと」という本があります。
内容は覚えていませんが、話題になった本で、いまも書棚のどこかにあるでしょう。
・・・・

という風に、思いがどんどん広がってしまいます。
だから起きたのですが、パソコンに向かって挽歌を書いていると、さらに思いは広がりそうです。
ちょっと早いですが、テレビ体操でもすることにします。
そしてコーヒーでも手作りしましょう。

ちなみに夜の電話は嫌いなので、私の携帯電話は毎日7時ころに切るようにしていますが、今日からまたそうしようと思います。
それで熟睡できるかもしれません。

■4676:被災ぶりの背広と靴で疲れました(2020年7月4日)
節子
昨日は半年ぶりに背広を着て、靴と靴下をはいて、出かけました。
会場がお茶の水女子大学だったのと企業研修の要素もあるあるプログラムに、一応、話し手側として参加したのです。

最近はずっと裸足でサンダルでしたので、とても歩きにくかったのですが、さらに靴下のゴムが劣化していて、歩いていると靴下が下りてきてしまうので、大変でした。
歩いていると靴下がだんだん下りて、靴の中にまで入っていくのです。
靴下のほうがきちんと私を理解して、裸足に協力するようになっているようです。
靴下から理解されるのはうれしいですが、とても歩きにくく、いつもの数倍も疲れました。
やはり靴下と靴は疲れます。
ちなみに、私以外の人はみんなカジュアルで、なんだか私だけ場違いでした。
やはり自らに合った、素直な生き方をしないといけません。

背広も問題でした。
着心地が実に悪いだけでなく、なんだか大きいのです。
ユカからも、ちょっとおかしいね、と言われましたが、身体が縮んでしまったのかもしれません。

先日、鈴木さんがポール・ジョンソン『ソクラテス〜われらが時代の人』を読んで、ソクラテスと私の共通点が見つかったといって10項目教えてくれました。
そのなかに、「靴を持たず、衣服も少なかったが、本は好きだった」というのがありました。
靴も衣服も持っていないわけではないのですが、長いこと買っていないだけなのです。
ユカからは洗濯のたびに捨てられるのですが、靴下はほとんどはかないので、古いのがまだあるのです。衣服はみんな畑仕事の作業衣にすると言って残していますが、時々、間違えてそれを着てしまい、恥をかいています。
困ったものです。

■4677:孤独感(2020年7月6日)
節子
都知事選挙には風は起こらずに、常識的な結果になりました。
風が起こることを念じていたのですが、都民はコロナ騒ぎで都知事選どころではなかったようです。
私の予想が違ったのは、山本さんよりも宇都宮さんが得票数が高かったことです。私にとっては、宇都宮さんも小池さんも同じ、「向こう側」の人ですが、私の周りも「向こう側の人」がどうも多いようなので、それが論証されたということでしょう。
同じ土俵で権力争いをしている時代ではないと思っているのですが、そう思っている人は少ないのかもしれません。
そうした「土俵」に入るために、みんな学校に行き、就職し、「正しい知識」を身に着けることで精いっぱいなのでしょう。

一昨日、私は感動的な言葉を聴きました。
大学3年生の女性が、ある集まりで、大学で「正しい知識を教えられてきたが、自分で考えることを忘れてきた」と言うような発言をしたのです。
知識は得るほどに思考が定型化されていきかねません。

「正しい知識」の「正しい」とはだれが判断した正しさなのか。
恐らくほとんどが社会を牛耳っている人たちの視点です。
自分にとっての正しさは人によって違いますから、教えることも学ぶこともできません。
渡したありがとうございました。地が学べることや教えることができるのは、「考えること」の大切さとその仕方です。

今日、都知事選のあまりの失望で何もやる気が起きずに、大昔の映画「クォ・ヴァデス」をテレビで観ました。
ネロがローマを焼き払いキリスト教徒を虐殺した話です。
ネロがローマを焼き払った気持ちが理解できるような気もしました。
東京都はあまりに機能的に完成してきています。
そろそろ不合理な存在である人間は不要になってきているのでしょうか。

昨夜から「孤独感」に襲われています。
節子に慰めてもらいたいです。

■4678:死に方の問題(2020年7月6日)
節子
入院中の友人の主治医からの電話はありませんでした。
状況が急変したら電話するということになっていました。
まずは切り抜けられたようです。
それで、彼の友人知人に状況を報告しました。
まったく知らなかった人もいるでしょうから、驚いたかもしれません。

この話をフェイスブックに書いたら、みんなも心配してくれて、奇跡が起こるのを祈ってくれた人も少なくありません。
感謝しなければいけません。
人の祈りは必ず効果を生みだすでしょう。

山を越えたのはよかったけれど、この先が心配ですねと連絡してきてくれた人もいます。
しかし、先はあまり心配していません。
この歳になると(彼も同年齢です)死は全く問題なく、死に方だけが問題なのです。
特に、突然の死は耐えられません。
一時期、PPK(ピンピンコロリ)という言葉が流行りましたが、私には実に迷惑な死に方だと思っています。
突然の死は本人には苦痛がないかもしれませんが、遺された人への衝撃ははかりしれません。
それに本人にとっても、身体的にはともかく、あまりにも無念なことでしょう。
別れには、ある程度の時間が大切です。

彼との現世での付き合いも、あと1か月程度かもしれません。
先に行く方はいいですが、こういう場合、いつも残る方が気持ちがなかなか整理できないものです。
最後まで笑って話し合えるようにしたいと思っています。

■4679:「葬儀委員長?」(2020年7月7日)
節子
闘病中の友人が多いためもあって、どうも気が晴れません。
得も言われぬ不安感が全身を覆っていて、時々、ふっと意識を失う感じがあります。
そのうえ、葬儀委員長を頼むなどと直接言われるとおかしくなりそうです。
友人から、もう10日も持たないだろう、葬儀委員長を頼むよ、と言われてしまいました。

「葬儀委員長」、私にはいやな言葉です。
私の葬儀委員長をだれがやるかで、以前、私の友人たちが話していたのを思い出します。
私には、そういう発想がないのがやはり理解されていないようです。
「葬儀」に「委員長」は不要です。
そもそもそういう発想が私には理解できないのです。
ただただ明るく見送ってやればいい。

私がもし死んだとき、だれが哀しむか。
たぶん、いまはもう哀しむ人はいません。
人の死を哀しむのは、生活の大切な一部である年下の人が亡くなった時だけです。
私のような年になると、たぶん死はとても自然のものですから、哀しさも全く違うものになるでしょう。たぶん正常に受け止められるはずです。涙は出ても、たぶん哀しくはないでしょう。
本当の哀しさを知っている人にとっては、という意味ですが。

友人の死は、たぶん私にとっては、あまり哀しくないでしょう。
私たちの歳になれば、もう十分に生きたと言っていい。
死を日常として、すなおに受け入れたいというのが私のいまの信条です。
葬儀委員長を託すようなことはしないでほしいと思っていましたが、実際に言われてしまうと、たじろがざるを得ない。
もちろん引受けませんでした。
その前に約束を果たせよと言っておきました。

いささか頭が混乱してしまった1日でした
人はやはり、自分で死ぬ日を決めるのかもしれません。

■4680:コロナも大雨も「自然と人間の関係」の表れ(2020年7月8日)
節子
寝苦しい夜でした。そういえば、こういう夜が昔つづいていたような気もします。
夜が嫌いになったのは、あの頃からだったでしょうか。

夜が明るくなったのも、あの頃からでした。
昔は真っ暗でなければ眠れなかったのに、いまは少し明るい方が眠れるのです。
それに、夜が意外と明るいことにも気づきました。

九州がまた大雨で大変です。
死者も出ています。
人がこんなに簡単に死んでしまう。
死者数を聞いても、自分のこととはつなげないで聞き流す。
それなのに、コロナの死者にはみんなどうして強い関心を持つのだろうか。
娘にそう話したら、自然災害と違って、コロナは自分で予防できるからだと言われました。娘は、私がマスクをしないで電車に乗るのに呆れています。
しかし、娘の意見には私はあんまり納得できなません。
自然災害も予防できるし、コロナも大雨も「自然と人間の関係」から生まれている。
自然の中に、私たち自身が入っていることを忘れているのではないかと思うのです。
ちなみに、娘は土いじりが好きではなく、私の畑作業もめったに手伝ってくれません。
困ったものです。

風が今朝も強く、風の叫びが聞こえるようです。
これがもしかしたら、「言葉の誕生」につながっているのかもしれません。
風が叫び、人が叫んで、人間になった。
この歳になると、叫びたい気分よりも、叫べない気分のほうが強くなってしまいます。

それにしても、どうして新型コロナウイルスがこんなに騒がれているのか、本当に理解できません。
人間は、やはり叫びたがっているのでしょうか。

■4681:ラストが真逆の映画「ベン・ハー」(2020年7月8日)
節子
西日本は大雨で、川の氾濫が各地で発生しています。
自然の力には人は抗えないようです。
テレビ映像で、猛威を振るう水の流れを見ていると改めて自分の抱えている問題などどうでもいいのではないかと思ってしまいます。

そんななか、さらに不謹慎にもテレビで録画していた映画「ベン・ハー」を見てしまいました。1950年代の大ヒットした作品ではなく、2016年に制作された映画です。
「ベン・ハー」はほかにも映画化されていますが、見応えがあったのはこの2本だけです。
2016年の作品は、大ヒットした同名の映画を観ている人を前提に創られているような気がしますが、最後が反対になっています。
主人公のベン・ハーと敵役のメッサラが和解し許し合うのです。それどころではありません。「家族」になるのです。
そのあたりは、いかにもと言うちゃちな作りになっていますが、憎悪にあふれている現在の社会状況のなかで、ちょっとホッとするところもあります。

原作はどうなっているのだろうか、と気になりました。
たしか、本があるはずだと探したら、古い文庫本が出てきました。
「ベン・ハー」の作者のルー・ウォレスは、西部劇時代を生きた人で、州知事にもなっています。そういう人が書いた作品なので、大学生の頃、興味を持って本は買っていたのはなぜか覚えているのですが、読んだ形跡がありません。どうも読んでいないようです。
気になって、ベン・ハーとメッサラの最後の関係を探してみましたが、よくわかりません。でもどうやら別々の道に分かれていくようです。

まあそんなことはどうでもいいのですが、3月にコロナ騒ぎが始まってから、どうも「どうでもいいこと」ばかりやっている毎日のような気がしてなりません。

自然災害の中で、死ぬか生きるかに直面している人が大勢いる中で、こんな生活をしていていいのか。
そんなことを考えると、ますます気が晴れません。
自分がどんどん暗くなっていくのがわかります。

やはり最近は人に会うのが少なくなっているのがよくありません。
以前は、いろんな人に会いすぎて、何もできないでいましたが、いまは人に会わないのでやることがなくなっているのかもしれません。
自分を動機付けることに苦労しています。

■4682:「老いと病と死を超えた、本当の幸せ」(2020年7月9日)
節子
友人の余命宣告の話を、親しい仲間たちに伝えました。
その一人は、自らもがんと闘病している人なので、躊躇しましたが、連絡先に入れてしまいました。その人から、全員に返信で、こんなことが送られてきました。

平家物語にあるように、人生は苦難と病の連続、どんなに、気高い方でも死んで行く。
人生、一生、ただ一度の命です。「老いと病と死を超えた、本当の幸せ」が**さんにもたらせますよう、祈念しております。合掌

それを読んだ別の友人が、その投稿者にこうメールしました。

何というメールを、だすんですか?!せっかく皆んなで**を元気づけようしているのに!考えろよ、すこし!

それを受けて、最初の投稿者が謝罪のメールをみんなに出していました。
とても悲しい気分になりました。
悲しい気分になったのは、最初の投稿者のメールではありません。
むしろ最初のメールは私の気持ちにも通じています。
彼は、十分に考えて考えて、「老いと病と死を超えた、本当の幸せ」を本当に念じたのです。そして、その言葉は、闘病中の自分にも向けられているのです。

それに対して、「考えろよ、すこし!」と声を荒げることに悲しさを感じたのです。
最初の投稿者はたぶん心を砕かれたのではないかと思います。
それで、2番目の投稿者を傷つけることになると思いながらも、最初の投稿者に共感すると投稿しました。
みんな善意なのかもしれませんが、こうやって人は傷つけあっているのでしょう。
それがとても寂しく悲しく、なぜか腹立たしいのです。

その肝心の主役の**さんから電話がありました。
聞けばあんまり調子は良くないと言いますが、電話ができるまでに回復してきたとも言えます。食事も少しずつとれるようになって、退院も考え出しているような感じでした。
数日前に会った時とは大違いです。
ホッとしましたが、気は許せません。
ともかく退院を目指して、しかし急がずにまずは体力を回復するようにと言いました。
たぶん当人よりも私の方が、いま置かれている状況は見えているでしょう。
医師から聞いた話を、私風に編集して彼にまた話しました。
死ぬのはいつでもできますが、その前に「老いと病と死を超えた、本当の幸せ」のお別れ会をやってやろうと思います。
死ぬのはそれからにしてもらおうと思っています。
どうせそう遠くないうちに、みんな死ぬのですから、もっとあっけらかんと死をとらえたいものです。

ところで、「老いと病と死を超えた、本当の幸せ」っていったいなんでしょうか。
それを最後の話題にするのもいいかもしれません。

■4683:仮住まい状況(2020年7月9日)
節子
ユカとジュンがリフォームのためにショールームにユニットバスとシステムキチンの打ち合わせをしに、ショールームに行くので付き合いました。
私は特にいかなくてもいいだろうと思っていましたが、一応、誘われましたので、まあ気分転換も兼ねて同行したのです。

いまのわが家の浴室は、広くて、窓もあって快適です。
今度は次女夫婦と同居するので、その浴室は次女家族に譲り、私と長女は2回に移るので、2階にも浴室を創ることにしたのです。
造作の関係で、2階のお風呂は窓がつくれません。広さもちょっと狭くなります。
今度の浴室を見せてもらいましたが、今まで広い浴室に慣れていたので、かなり圧迫感があります。

次女たちは、しかし逆に、いまのわが家の浴室は広すぎるので狭くする予定です。広いままでいいじゃないかと思うのですが、広いことのメリットはあんまり感じていないようです。結婚前はこの広い風呂に入っていたのですが、現在の浴室が狭いので、それをベースに考えてしまうようです。
まあ結果的にはいずれも同じ大きさの浴室になりそうです。
ことほど左様に、人は自らが置かれている状況を踏まえて、考えるものです。

リフォームのために、私も一時期、書庫をこわし、書類や雑誌書籍の整理に取り組みだしました。かなり整理しましたが、途中で止まってしまっています。だから書庫も書斎も寝室も、いまはまだめちゃくちゃの状況です。
書庫に合った書棚の本は段ボールなどに詰めてしまったので、どこにあるかもうわかりません。昨日は「ベン・ハー」を運よく見つけられましたが、今日は雑誌「流砂」のバックナンバーを探しましたが、見つかりませんでした。

なんだか「仮住まい」しているような感じです。
それもあって、どうも気分が落ち着かないのかもしれません。

■4684:琉球朝顔が咲き出しています(2020年7月10日)
節子
雨のためにまたしばらく畑に行けていません。
なかなか花壇作りに取り組めないのですが、畑の道沿いのフェンスは、琉球朝顔が満開です。
畑の方にもツルが伸びていて、放っておくと畑を覆いだしかねません。

庭の琉球朝顔も数日前から咲き出しています。
最近は、節子の献花台も花がなくなっていましたが、いまは毎朝、琉球朝顔が咲いてくれています。
これから秋の終わりまで花を咲かせてくれるのですが、あまりに広がっていくので、娘たちからは不評です。
この花はちょっと生命力がありすぎるので、たぶん節子好みでもないでしょう。

庭も花が咲き誇っているはずですが、私の手入れ不足で、あんまり華やかではありません。むしろますます枯れる花が多く、色目があまりないのです。
当分は、琉球朝顔で満足していこうと思います。

■4685:メダカがまたやってきました(2020年7月11日)
節子
最近のわが家はどうもメダカと相性がよくありません。
室内で飼っているメダカがどうもうまく育たないのです。
この冬を乗り越えた4匹のメダカが、春に全滅しました。
理由が思い当りませんが、これで何度目でしょうか。

先日、近くの坂谷さんがまたメダカを持ってきてくれました。
とても大きいメダカです。
危険分散のために、2つの水槽にわけてしばらく様子を見ることにしました。
ガラス水槽と陶器の容器です。
いずれも以前は長くメダカが育っていたものです。
今度はうまくいくといいのですが。

以前は湯島でもメダカを飼っていましたが、最近はあまり行かないので、世話ができないので、やめています。
水槽に入っているメダカを見ていると飽きません。
できれば湯島でも飼いたいのですが、そのためには週に半分は湯島に行かなくてはいけませんので、ちょっと無理です。

室内のメダカは良いとして、庭の池の魚はどうなっているでしょうか。
これも一時、全滅しました。
その後、2度ほど金魚やメダカを入れましたが、どうもうまく増えませんでした。
もしかしたらネコやガマガエルにやられた可能性もあります。
その後、ネットも張ったのですが、この半年は放置しっぱなしですので、水草とまわりの野草があまりにも繁茂していて、いまはやぶの中で池の中の様子が見えません。
近いうちに掃除をしようと思いますが、いつかのようにまた大きなガマガエルと遭遇するかと思うと気が乗りません。

この池は、私の還暦祝いに節子と娘たちが造ってくれたのですが、私以外は池が嫌いなのです。
だから手入れは一切しないのです。
間もなくこの池も埋められるかもしれません。

■4686:楽しい「死別」を目指す(2020年7月12日)
節子
節子も知っているMさんと話しました。
Mさんは、今年(正確には来年の1月まで)、自分は死ぬだろうと思う。
そうあっけらかんと言いました。
今年の初めから、そういう感じがしているのだそうです。
しかし、それに続いてこうも言うのです。
でも、修よりは先に死ねない。修の死に方を見てから死にたいので。
ということは、私が今年死ぬということです。

私の死に方をなぜ見たいのかわかりませんが、せめて死ぬ時くらいはみんなに予告して、生前葬をやりたいとは思っています。
早いうちにやってもいいのですが、実は何人かに話してしまいましたが、つい最近、少し死ぬのを遅らせることにしました。
その矢先に、この話です。
困ったものです。

共通の友人が、たぶん今年死ぬでしょう。
そう先の話ではありません。
なぜかそれに巻き込まれてしまい、彼をどうするかという話をしている時でした。
いや話はややこしい。
まずは共通の友人を明るく送らなければいけません。
笑いながら死んでしまうような仕組みができないものか。
横で聞いていたら、とんでもない話をしていると驚かれたかもしれません。

この歳になると、これからたくさんの友人と死別に会うことになります。
もし「死別」が悲しいことであるならば、早く逝った方がいいでしょう。
でも早く逝けるかどうかは自分では決められません。
とすれば、「死別」は楽しいものにしたいものです。
もちろん自分のことも含めてです。

それにしても、といつも思います。
長生きはあんまり幸せな話ではありません。
最近、生きているだけで疲れてしまうようになってしまっています。
死に方まで考える余裕はだんだんなくなりそうです。
やはり、死ぬのを遅らせる計画は見直した方がいいかもしれません。
しかし、今年ということになると、ちょっと早すぎると思う人もいるでしょう。
まあ、しかし、まずは一人を見送らねばいけません。
先を越されたのが、いささか残念です。

■4687:本を読んでいるのは誰だ(2020年7月13日)
節子
厚い雲に覆われた、静かな朝です。
私の周辺にも、幾重にも雲がかかっているようで、昨夜もあまり眠れず、夜中に本を読んでいました。
たまたま枕元に合った野矢茂樹さんの「論理哲学論考を読む」という文庫本です。
「論理哲学論考」はウィトゲンシュタインの本で、私には歯が立ちませんが、サロンで言葉の問題が時々出るので、ソシュールやウィトゲンシュタインのことを少し思い出しておこうと何冊かを枕元に置いてあるのです。
この本は買った時には読み始めたKも知れませんが、すぐに挫折し、その後は一回も開いたことのない本です。
たまたま開いたページに、「なぜ死は人生の出来事ではないのか」という見出しが眼に入ってきました。
あまりも今の心境につながっている。
読み始めてみました。

死は人生のできごとではない。
ひとは死を体験しない。
永遠を時間的な永続としてではなく、無時間性と解するならば、現在に生きる者は永遠に生きるのである。

なんとなく心身に入ってきました。
野矢さんによれば、「死は人生のできごとではない」というのがウィトゲンシユタインの死についての基本的主張だったそうです。
野矢さんは、そういうウィトゲンシユタインに、「あなたの論理空間に、あなた自身の死は含まれているのでしょうか」と問いたいと書いています。そして、その答えは、たぶん否定だろうとも書いています。なにしろ死は人生のできごとではないとウィトゲンシユタインは考えているからです。
では、とさらに野矢さんはつづけます。
「ではたとえばソクラテスの死やラッセルの死は論理空間に含まれているのでしょうか」と尋ねたいが、これに対しては肯定的な答えを期待したい。死が私の人生のできごとではないというのはあくまでも私の死についてであり、他人の死ではない。他人の死はもう死んでいる人であれば現実の事実として、まだ生きている人であれば可能的な事実として、論理空間に含まれている。では、「私は百年後には死んでいるだろう」という命題はどうなのだろうか。

という風に、どんどん話は進んでいくのですか、その話の展開に素直についていけます。
そうやって読んでいたのですが、再び急に睡魔が襲ってきて眠ってしまいました。
目が覚めていままた読み直してみたのですが、素直に読み進めません。
10年以上前に読んだ時にはすぐに退屈したのに、昨夜は素直に読めたのか。
半分眠りながら読んだ時には共感できたのに、目が覚めて読み直したら、なぜ読み進めないのか。

本を読んでいる自分とはいったい誰なのか。
これはちょっと興味深いことのような気がします。

さて今日も問題山積の1日です。

■4688:死ぬためには生きたいと思ないといけない(2020年7月14日)
節子
メダカの子どもが生まれました。
急いで水槽を大人用と子ども用にわけました。
よく見ないと見つけられないほどの大きさですが、なんとか10匹くらいを子ども用の水槽に移しました。

以前、歯医者さんにもらった観葉植物も、挿し木をした親木は枯れてしまいましたが、そこから新しい株が育ってきています。
株分けしたのですが、いずれも元気です。

こうやって自然は常に前に向かって成長しています。
いつも思うのは、新しい世代はみんな美しいのです。
今年はあまり新緑を楽しむことはありませんでしたが、野草との闘いはかなりやりました。
刈り取りこそすれ、そうした野草はみんなとても美しく、気持ちがいいのです。
たくさんの英気ももらっているはずです。
子どもたちは、死にゆく親たちにも力を与えてくれるのです。

子どもを産んだ親メダカは、たぶん間もなく死んでいくでしょう。
そうやって社会は生き続けてきたのです。

昨日、入院中の友人と電話で話しました。
彼は、死ぬ前に一度、家に帰る気になったと言いました。
よかったです。
生きる気がなければ、死ぬことだってできないからです。
彼は独り身なので、帰宅しても大変ですが、どういう仕組みを作ればいいか考えなければいけません。
でもまあ、そう長いこともないでしょうから、工夫はできるでしょう。
彼ももちろんそう考えています。
今日、私も病院に行って、主治医と話す予定です。

死ぬことは何ともないのですが、死に方はそれなりに難しい。
最近のコロナ騒ぎで、死に方さえ拘束されているのがやりきれません。
そうした風潮に、何か風穴が明けられるといいのですが。
彼は、修の葬式に出ないでよくなったのでよかったと電話で話しましたが、仲間内であれば、先に行くのが幸せに決まっています。

メダカの子どもを見ていると、死はやはり生のことなのだと、何となく感じられます。
そして、死ぬためにも生きる意思がなければいけないと、気づきました。

■4689:病人見舞い(2020年7月14日)
節子
入院中の小学校時代の友人が当面の危機状況を脱して、一時帰宅できそうになってきました。
ただし独り身なので、帰宅後が大変です。
それで主治医に会いに行きました。
状況がかなり見えてきました。
チームを作って取り組んでくれているようで安心しました。
と同時に、私にできることはここまでだなということも見えてきました。

医師と会った後、病室に見舞いに行きました。
偶然にも、連絡していた小学校時代の仲間も2人来ていました。
幼馴染に会うと、病人も勘違いするようで、元気が戻ってきていました。

いろいろとありすぎて、疲労困憊の3時間でした。
先に病室を出た友人たちと外の喫茶店で会ったのですが、私はうっかりして胸に「面会許可証」の名札を付けたままでした。
帰りに受付で返すのを忘れてしまっていました。
困ったものです。

死に対する受け止め方はさまざまです。
私は、私と同世代以上の人の死は、哀しさはほぼありません。
ですから明るく語ってしまうのですが、どうもそういう人ばかりではありません。
それに死は残念ながらお金とも絡んできます。
死ぬ時にはお金を持っていない方がいいなと、今回も改めて感じました。
そんなことも含めて、今回は疲れ切りました。

友人が帰宅して症状が安定したら、小学校時代の仲間に声をかけて、合同生前葬をやるのもいいかなと思っています。
まあみんな病気持ちなので、集まる人は少ないでしょうが、私も含めて、まあそう遠くない先に葬儀をやる可能性がありますので、ここはまとめてやってしまえば、いいかなと思いついたのです。
「合同生前葬」という言葉にどう反応するか、ちょっと心配ですが。

■4690:コロナが人のつながりをどんどん疎遠にしている(2020年7月15日)
節子
相変わらず新型コロナ感染者が増えていて、マスク姿もますます増えてきています。
世間の目があまりにもコロナに向けられているのがとても不安です。
そういえば、節子の姉もちょっと体調を崩しているのですが、そのための手術の日程が、コロナの関係でだいぶ先になったそうです。

コロナ騒ぎで、入院中の家族にも面会できないとか、福祉施設に入っている家族にもなかなか会えないとか、そういう話もよく聞きます。
コロナが、人とのつながりをどんどん疎遠なものにしていることの恐ろしさはあまり意識されていないようですが、そのことがどんな社会をもたらすのかが、私には予想もつきません。

昨日、友人を見舞いに行きましたが、受付でいろいろと訊かれました。
病院側も、もしコロナ感染でも起こってしまったら、大変ですから、慎重にならざるを得ないでしょう。
私の場合は、「もしかしたらこれが最後かもしれない」という医師の取り計らいで最初は会えたのですが、一度、会ってしまうと2回目からは説得しやすいのです。
個室だったことも会いやすい条件でしたが、せっかく見舞いに来ても、会えない場合もあるようです。
コロナ感染よりも、もっと守るべき大切なものがあるのではないのか。
極端に言えば、ヒトとしての生命よりも、人間として生きていくためにもっと大切なものはあるのではないか、病院に行くたびにそう思います。

新潟の金田さんから電話がありました。
福島原発事故のために福島から新潟に避難している人たちがまだ新潟にも少なくないようですが、そうした人たちは、このコロナ騒ぎでいろんな影響を受けているそうです。
その相談を少し受けたのですが、たぶん問題は「人のつながり」をどう守っていくかです。
コロナ騒ぎでは、「生命か経済か」とよく言われますが、それをつなぐ鍵は「人のつながり」ではないかと思います。
こういう時だからこそ、人との接触をもっと密にしていきたいと、私は思うのですが、それが許されないことにこそ、私は不安とおそれを感じます。

■4691:とんでもなく高血圧(2020年7月15日)
節子
歯医者さんの定期検診で、先週から歯医者さんに通いだしています。
歯医者さんでは、毎回、最初と最後に血圧を測りますが、私はあまりにも高いのです。
前回はあまりにも高く測定不能、ちょっと大きな血圧計に替えてなんとか測定できましたが、今回も繰り返しやってなんとか測定できました。
下が120台、上が230台。あまりの高さにみんな驚きます。
困ったものです。

降圧剤はいまはきちんと飲んでいるのですが、効果が出てきません。
歯医者さんの血圧計とはいつも相性がよくないのですが、自宅で測ってもかなり高いのです。
コロナ騒ぎで、降圧剤も飲みだしているのですが、なかなか改善されません。
そのためか、最近はどうも読書が苦手になってきています。

体調の悪さは、血圧だけではありません。
目の調子もよくありません。
白内障が進んでいるのかもしれません。
どうもすっきりしないのです。

身体の老化現象には抗えません。
慣れていかねばなりません。

■4692:「去る人は追わず、来る人は拒まず」(2020年7月16日)
節子
先日見舞いに行った友人が退院できることになりました。
昨日電話をもらいましたが、複雑な思いはありますが、まずは喜ぶことにしました。
今週末は私が動けないので、別の友人が行ってくれると言うので安心しました。

小学校時代の同級会では、卒業後、「ぽんゆう会」というのを創って、20歳前後にはいろんな活動をしていました。機関誌などもつくっていましたが、そのおかげで、いまもなおつながりが維持されているのです。
一昨年前は、湯島でのミニクラス会もやっていました。

ソクラテスは、人は誰でも羊を何頭所有しているかと聞かれた場合には、たやすく答えることができるのに、友人に関しては、何人持っているかを名前をあげて答えることができないのは驚くべきことだ、それほどに人々は友人のことを軽く見ているのだと言ったそうです。
友人とはだれかという定義によもよりますが、羊はいつも羊ですが、友人は状況によって変わります。
成功すれば友人だと言って寄ってくる人は多く、失敗すると去っていく友人も多いです。
ペテロやパウロですら、キリストを知らないと言ったほどです。
このことは私の関心事の一つです。

湯島は、「去る人は追わず、来る人は拒まず」を理念にしています。
それを私が意識したのは、節子がテレビに出ていた人を見て、「あの人は来なくなったわね」とふともらした一言でした。
湯島には困った時にしか来ない人は少なくありませんでしたが、そういう人はだんだん付き合いがなくなります。
人は実に哀しい存在なのです。
であれば、私たちはそういう生き方をしたくないと思ったわけです。

友人とは一体何なのか。
ソクラテスが毒杯を飲むときに、一緒にいた人たちは友人だったのか。
友人なら毒杯を飲むのを止めるのか止めないのか。
私の友人は誰なのか。
これも難しい問題です。
幼馴染は、しかし、そんなことを超えています。
友人なのかどうかもはっきりしませんが、まあなぜか自然と心身が動いてしまうのです。

退院がうまくいくといいのですが。
主治医からはかなり厳しい話も聞かされているので、喜んでばかりもいられないのです。
話すわけにもいきませんし。

■4693:自分と他者、家族と友人(2020年7月16日)
節子
友人や知人も大変なのですが、わが家もそれなりに大変です。
同居している娘のユカがいま病院に通っていますが、今度は1週間ほど手術入院することになりました。
それで入院中の私の食材を買いに行くというので、私もついていきました。
1週間くらいどうにでもなるでしょうが、簡単に調理できるものを買い集めてきました。

手術なので、何があるかわからないので、近くに住んでいる次女母子と一緒に食事でもしようと思っていたのですが、孫が今朝から発熱し幼稚園も休ませたそうです。
この時期、万一のこともありますので、会食も中止しました。
次女は次女でいろいろと大変なのです。

私自身も高血圧のせいかどうも体調がよくありません。
いろんなストレスが重なっているせいかもしれません。
いや、梅雨の気圧のせいかもしれません。
いやいや、フェイスブックに書かれる友人知人のコメントのせいかもしれません。
なまじ「友人」だと思っているからか、書かれているコメントにがっかりすることが多すぎるのです。それも、あまりにも、です。

前の記事を書きながら思っていたことですが、私には「友人」など本当はいないのかもしれません。あまりに世界が違う気がします。
いなければいいなと最近つくづく思うこともあります。

今日、退院だと言ってきた友人の主治医から電話がありました。
退院は月曜日だそうです。
今日退院だと思って、いろいろと手配していたのに、困ったものです。
本人に電話したのにつながらない。
主治医は、医師の責任もあって、最悪の場合を踏まえて話しますので、聞いている方はかなりのストレスです。
私のように、死を素直に受け入れられるようなものでも、かなりこたえます。
本人に言いたいですが、そう簡単ではありませんし、友人たちにもうまく伝えないと誤解されかねません。
そうでなくとも、先日は友人同士でトラブルが起こってしまった。
そんなことにまで気配りをする元気はいまはありません。

家族と友人とが助けを求めた場合、どちらを優先すべきか。
この問題は、自分と他者とに置き換えれば答えは明らかです。
優先すべきは他者であって自分ではない。
だとすれば、家族よりも友人の方を助けるべきでしょうが、なかなかそうも割り切れません。
やはり、友人はいない方が平安な暮らしができますね。
今日は、つくづくそう思いつづけています。

■4694:恩送りできることへの感謝(2020年7月17日)
節子
相変わらず夢をよく見ます。
先日、見た夢を思い出して書き残しておこうと思ったのに、すぐにそれをすっかり忘れてしまい、相変わらず、見た夢の内容はすぐに忘れて、夢を見たという感覚だけが残る状況ですが。
昨夜は、久しぶりに熟睡しました。
目覚めたときの夢の感覚は、昔、保谷市の社宅で一緒に住んでいた会社の先輩たちのことでした。
新たにできた新しい借り上げ社宅は9家族の小さなアパートでしたが、私たちにとっては、初めての、そして最後の社宅住まいでした。
入居はみんな一緒だったと思いますが、私たちが一番若かったこともあって、みんなからはとてもよくしてもらいました。
会社生活も、また東京生活も、あまり慣れていない節子も、みなさんからとてもよくしてもらったはずです。

特に一方ならぬお世話になった人もいます。
亀井さんという、たぶん一番年上だった方です。
次女の出産時に、深夜に節子を産院まで車で送っていってもらったのですが、いま考えると冷や汗が出るような、非常識なお願いをしてしまったのです。
お子さんのない辻さんにもとてもお世話になりました。

同じ会社員とはいえ、仕事の面で直接接点があった人は一人もいません。
ですが、出社時間は同じですから、社宅から駅まで一緒だったことも多かったのです。
節子はちょうど次女を出産したこともあって、子育てが大変だった時期ですが、みなさんのおかげで、たぶん無事乗り越えられたのでしょう。
当時は、私はまだ会社にばかり目が行っていて、子育ての大変さを理解していなかっただろうと思います。

夢は、とてもあったかいものでした。
目を覚ましてから、いつものように少し考えました。
そして、私たちは本当にたくさんの人たちに支えられてきていることに改めて感謝しました。
みんな本当に親切にしてくれました。
それが私の人間観を育ててくれたのです。
節子も、たぶんたくさんの人に支えられてきたに違いありません。

にもかかわらず、私たちはそのお世話になった人たちへの「お返し」はできずにいます。
社宅を出て、しかも私が会社を辞めた後の、お付き合いはなくなりました。
節子は、その後もたぶん手紙でのやり取りはあったと思いますが、いまはそれもなくなりました。

人のつながりは、やはり大きなつながりに支えられていると改めて思います。
当時の先輩からもらった「恩」を、「恩送り」していけることに感謝します。

■4695:娘の入院(2020年7月18日)
節子
ユカが入院しました。
したがって、これからしばらくは一人での生活です。
食事に関しては、1週間ほどは準備していってくれましたので、餓死はしないでしょうが、それ以上長引くとどうなりますことか。
病院には付き添いませんでしたが、友人の病院にはいくのに娘の入院には付き添わないのかとユカから言われました。
もちろんユカが来なくていいと言ったからなのですが。
来週の月曜日は手術ですので、その日は行きます。
病院に行ったユカからは、コロナで病室にも入れないので、来ないで正解だったとメールが来ました。

これからしばらく一人かと思うと、なんだか気が抜けます。
あいかわらず課題は山積なのですが、ますますやる気が起きなさそうです。
ちなみに正午になっても食事をする気分になりません。
一人で生きていくことに、私は全く慣れていないのです。

最近、時々、死への不安を感ずることがあります。
といっても、死ぬことへの不安ではなく、死なないことへの不安です。
先日も、友人を見舞ったときに、早く逝く人は幸せだと思いました。
今回、娘は大丈夫でしょうが、しかし、何が起こるかはわかりません。
そういう思いをするだけでも、長生きはしたくないものです。
節子を見送った時のような思いは2度としたくはありません。

今回は1週間ほどの一人生活です。
次女家族も近くにいるので、そう孤独ではありません。
その気になれば、会える友人もいます。
食べるものがなくなったら、ご馳走してくれる友人もいるでしょう。
しかし、何となく、長生きして一人残された疑似体験のような気がしています。
最近、いろんな意味で気が弱くなっているのかもしれません。
一番の問題は、生活力がないことかもしれません。
節子はいつもそれを心配していました。

長生きは、決して幸せにはつながりません。
困ったものです。

■4696:人と話す機会が減りました(2020年7月19日)
節子
コロナ騒ぎの影響もあって、最近は人に会う機会が減りました。
多い時には毎週数十人に会っていた時もありますが、最近はサロンを別にすれば数人です。サロンでは毎回10人くらいの人と会話しますが、対面しての話とはだいぶ違います。

人と話すことが少ないということは、異質なことが入り込んでこないということでもあります。だから退屈してしまうのかもしれません。
人と会わないとわずらわしさからも解放されるはずですが、そうとは限りません。
最近はネットを通した他者との(一方的な)交流もあります。
直接に対面して話し合うのとネットでの間接的な交流とは全く違います。
後者の場合、「言葉」や「文字」での交流なので、なかなか情感が入りません。
言い換えれば、ある部分だけが受け取り手の情感にゆだねられて伝わるのです。
わずらわしさだけが伝わってくる場合もあります。
実際に会って話していれば、決して誤解されないようなことでも誤解が起こることもある。
ですから、ネットでの交流が増えると、むしろ人嫌いになりかねません。
人と直接会っているとどこかで相手の良い面が見つけられますが、それが難しくなるのです。

ネットでの人との付き合いの比率が増えると、私の場合はどうもストレスが高まるようです。
最近ちょっとまたストレスフルです。
今日は湯島でサロンですが、誰かに八つ当たりしなければいいのですが。

■4697:だれも死からは免れることはできない(2020年7月20日)
節子
今日は朝の7時半から午後1時近くまで病院で過ごしました。
ユカの手術でした。
無事、終わりましたが、さすがに疲れました。
最近はまた病院と縁が増えてきました。

待合室では、ほぼ私だけでしたが、時々、誰かがやってきて、電話したりしていましたが、11時ころに姉妹2人がやってきて、ながく話し込んでいました。
妹さんがどうも午後、手術のようです。
ユカの後の手術かもしれません。
明るく話していましたが、かなり深刻な内容でした。
妹さんはまだ独身のようです。
しかも姉の方も、もしかしたら同じ病気の疑いがあるのかもしれないような口調でした。
今日手術予定の妹さんの方が、時々、「怖い」という言葉を出していました。
宮沢賢治の「雨にも負けずの一節を思いだしましたが、さすがに声はかけられませんでした。
まだ最終的な診断が出ていないようです。

終わったら温泉に行こうという話も聞こえてきましたが、コロナだからだめかもしれないとも聞こえてきました。
2人にとっては、しかし、コロナなどはさほど問題ではないでしょう。
もっと身近な具体的な不安があるからです。

持っていった本も最初の2時間で読み終えてしまったんで、後半は退屈していました。
途中で、病院内の見学を試みましたが、コロナの関係でほとんどが入れません。
それで待合室でほとんど過ごしていましたが、いろいろと考えることが多かったです。
とりわけ思ったのは、やはり「生きること」のはかなさともろさです。

今日はまた、入院していた友人の退院日です。
私の同級生姉妹が行ってくれていますが、どうなっているでしょうか。
彼は、自分が「死から免れた」と昨日電話で喜んでいました。
しかし、だれもみな、死からは免れることはできません。
それに気づくことが、すべての出発点だなと、改めて思いました。

疲れ切って帰宅。
久しぶりの晴れ間なので畑に行きたかったのですが、その元気が出ません。
新潟の金田さんから恒例の黒崎の茶豆が届きましたが、電話する元気が出ません。
困ったものです。

■4698:4:44(2020年7月21日)
節子
昨日は疲れて、夕食を何とか食べたものの、その後、入浴もせずに寝てしまいました。
そのおかげで早く目が覚めてしまい、テレビをつけたら、4時44分。
画面の左上に、4:44と表示されていました。

デジタル時計も寝ているところから見える場所に置いていますが、目が覚めるとよくその数字を見るのですが、占いではないのですが、一時期、その数字にはまっていたことがあります。
というのも、一時、よく「5:30」が多かったからです。
私の誕生日を表す数字ですが、何回かその数字に目が覚めることがつづいたのです。
それで目覚めの時計占いを気にするようになった時期があります。
最近、ベッドの位置を変えたので、そのデジタル時計が見えにくくなっています。
それにわが家の時計は、どれもこれも正確ではありません。
10分以上、進んだり遅れたりすると時間合わせをしますが、10分以内の誤差はむしろ歓迎しています。これは湯島の時計も同じです。時間とは、それくらいの感覚で付き合うことにしているのです。

4:44。
なんだか今朝は目醒めが悪い。
そのまま、しばらくテレビを見ていましたが、起きることにしました。
パソコンはいつでもつながっているので、メールチェックしたら、友人が無事帰宅したという連絡が入っていました。
娘からはまだ連絡なしでしたが。

同じ数字を見ても、その解釈はその時の気分でまったく違うものです。
しかし、今日は「4:44」であってほしくはありませんでした。
反転させなくてはいけません。
運気は、自分で呼び込むことはよくわかっているのですが、気が萎えていると、なかなかそれも難しい。
今朝は曇り空ですが、晴れてほしいです。

■4699:一人で目覚めている人は決して少なくない(2020年7月21日)
節子
前の挽歌を書いてアップした後、テレビ体操をしました。
そして一人の朝食をすませました。
娘がつくる青汁バナナジュース以外は、いつもと同じ朝食です。
久しぶりの一人の朝食をしながら、気づきました。
一人で目覚めている人は決して少なくないのだ、と。

昨日、退院した友人は今朝自宅で一人で目覚めるでしょう。
入院している娘は病院で一人。
友人の帰宅を手伝いに行ってくれた友人もひとり住まい。
その姉もひとりのはずです。
独り住まいの人はほかにもいます。
みんな、毎朝、ひとりで朝食です。
そんなことは考えたことがありませんでしたが、一人で目覚めている人は決して少なくないのです。

今日で3日間、私は一人でしたが、時々、娘がいるような気がしていました。
節子がいなくなって13年もたつ今も、どこかに節子がいるような気がしています。
一人という感覚が私にはあまりないのです。
いつも誰かといる、それが私の生き方でしたから。
しかし改めて考えてみると、独り住まいの人は決して少なくありません。

四国遍路の巡礼では「同行二人」と言われます。
いつも弘法大使と同行しているわけです。
いつも一人ではない、それこそが信仰かもしれません。
そういう意味では、私もまたいつも一人ではないのかもしれません。
そして、今朝もひとりで目覚めたと思った友人や娘も、たぶん一人ではないのでしょう。
でもみんな、一人で目覚めている。
そして、時に不安になる。
だからこそ、一人ではないことをもっとみんなが感じられる社会を目指していく意味がある。
モチベーションが下がっていたサロンへのモチベーションがまた少し回復しそうです。

■4700:思考力が少し戻ってきたような気がします(2020年7月22日)
節子
昨日は入院している娘も退院した友人も、電話やメールが夕方まで通じませんでした。
それでちょっと、いやかなり心配していましたが、いずれも元気でした。
娘はずっと動けず、友人はどうも寝込んでしまっていたようです。
私自身が少し過敏になってしまっているようです。
困ったものです。
もう少しゆったりとしなければいけません。

もっとも生活自体は、ゆったりどころか弛緩しきっています。
昨日は食事も入浴もしましたが、一人だと何もしなくても過ごせます。
独り住まいで自分を律するのは大変なことです。
独り住まいしている友人たちに、改めて敬意を表したいです。
私にはあんまりできそうもない。

湯島のサロンで、また病原体のサロンをやるので、昔読んだ、多田富雄さんの「免疫・「自己」と「非自己」の科学」という本を読み直しました。
読みながら、「自己」と「非自己」と二元論で考えるのが間違っているのではないかという気がしてきました。
会社時代に、「自己」と「非自己」も意識しながら、会社のアイデンティティのプロジェクトに取り組んでいる時に、並行してずっと気になっていた言葉が「寛容」でした。
後輩と大阪の喫茶店で、「寛容」について議論したことがいつもどこかに引っかかっているのですが、ようやく、「自己・非自己」と「寛容」が結びついた感じです。
それはまた「越境」という、もう一つの関心事にもつながりそうです。

思考力が少し戻ってきたような気がします。
いらだちも少しおさまってきました。
今日は動けそうです。

■4701:独り暮らしは6日で終わりました(2020年7月23日)
節子
ユカが退院してきました。
診察検査は2週間後です。
今日もなかなか退院の許可が出ずに、病院でまた待つことになりましたが、病院はや針さまざまな人生があふれています。
いまはコロナ騒ぎで面会はできずに、1階のエントランスホールで退院患者の迎えや入院中の家族に頼まれた荷物を持ってきた人たちが数名いましたが、その言葉の端々から、さまざまなドラマが感じられます。

休日だったので、会計は緊急入院の入り口で済ませましたが、ここは何回も通ったところです。
母親の入院や節子の入院もありましたが、何よりも私自身が2回もお世話になったことがありますし、娘たちもお世話になりました。
そう思えば、わが家は慈恵医大にはお世話になりっぱなしです。
いつもと違い、今日は病院の内部から緊急入院入口に行ったので、緊急処置室などもよく見えました。
いろんなことが頭に浮かびました。

ユカは術後の養生に注意するようにと言われています。
念のために私も明日・明後日は在宅することにしました。
退院した友人もまあ今週は大丈夫でしょう。
独り生活は6日で終わりました。
しかし、つくづく私には独り暮らしは向いていないことがわかりました。
節子が心配していたわけです。

■4702:「力なき者たちの力」(2020年7月24日)
節子
先日、湯島で「ただのおばさん」と自称する人のサロンをやりました。
娘の入院や友人の退院などでバタバタしていて、その報告が書けないでいたのですが、書けないおかげで、いろいろと考えていました。そのため、報告は実際の話し合いではないようなものになってしまいましたが(時評編に投稿しています)、改めてヴァーツラフ・ハヴェルの「力なき者たちの力」が気になりだしました。
昨年翻訳出版された同書を私は今年初めのテレビの「100分で名著」で知ったのですが、まだ読んでいなかったのです。
それで図書館から借りてきて、読んでみました。
心が震えるほどに共感しました。
まだ読了はしていませんが、私の生き方が元気づけられたような勝手な受け止め方をしてしまいそうです。

私の人生は、「自分を生きる」ことを基軸にしてきています。
実に不確かで、迷いっぱなしですが、それでも一生懸命に自分にとっての「真実の生」「独立した生」をめざし、誰かに押し付けられた「嘘の生」や「依存した生」に陥らないようにしてきました。
そうした生を続けられたのは、節子のおかげかもしれません。
誰と人生を共にするか、あるいは、誰と人生を共にしないのか、で、人の人生は決まるのかもしれません。

今朝は太陽が出ています。
昨日の予報では雨だったような気もしますが、今日は畑に行けるかもしれません。
鳥のさえずりがにぎやかです。
「力なき者たちの力」を読んでよかったです。

しかし、本というのは、読むときの自分の状況で、印象が変わってくるものです。
実は、本に書かれていることを読んでいるのではなく、それを通して、その時の自分を読んでいるのかもしれません。
「力なき者たちの力」を読了したら、今度は畑に行って、自然を通して、もう一つの自分に会ってこようと思います。

■4703:信頼できる友が一挙に大勢いなくなった気分(2020年7月24日)
節子
本は読み終えましたが、畑には行きそびれました。
今度は児童虐待と離婚の相談ですが、コロナ騒ぎはいろんな問題を可視化してきているようです。

ところで相変わらずコロナ感染者は増えています。
そのせいか、相変わらずテレビは新型コロナ話題で持ちきりです。
日本の国民は、ほぼみんな主体的に考えることをしなくなり、消費者や労働者として、金銭経済の末端部品になってしまったようです。
生活がなくなったと言ってもいいでしょう。
久しぶりに電話をすると、コロナが心配であまり出かねないようにしているという人が多いのです。
今日も節子の滋賀の生家に電話しましたが、コロナが心配で家にいると言っていました。

しかし、その一方で補助金が出ると言って旅行を勧める政府の呼びかけで、旅行に出かける人もいます。
コロナへの不安よりも、どうも金銭が優先する人も増えているようです。
相変わらず補助金をもらう勧めも盛んです。
多くの人はもう権力者の言うがままになってしまったような感があります。
こんな社会でどう生きたらいいのでしょうか。
困ったものです。

そんな状況の中で、「力なき者たちの力」を読みました。
出来ることをやらないといけないと思いなおしました。
その本に、こんな文書が出ていました。

理論的な概念を具体的な人間の生活よりも上に見ている人たちには、人間の新たな隷属化という潜在的な危険性がある。

昨今の「反体制派」の「知識人」は、まさにそういう状況に陥っているような気がしました。
それが最近の私の一番の落ち込みの原因かもしれません。
信頼できる友が一挙に大勢いなくなった。
いやそれよりも、私もまた同じように、私でなくなってきているのかもしれません。

■4704:彼岸なのにお墓になかなか行けません(2020年7月25日)
節子
お彼岸なのですが、なかなかお墓に行けません。
困ったものですが、家の位牌にユリとメロンを供えました。
メロンは節子の郷里の高月から届いたものです。
ユリは、庭で咲いたカサブランカを供えたかったのですが、タイミングが外れてしまい、花屋さんで買ってきました。

退院した独り暮らしの友人に電話したほうがいいよと娘から言われました。
連休の間は医師も看護師も来てくれないかもしれないからです。
娘も自分が入院して、そういう気遣いができるようになったのかもしれません。
人は自分で体験しないと、なかなか痛みはわからないものです。

電話をしたら、今ちょうど、医師が来ているということでした。
医師や看護師は休日もなく、働いている。
生命にはカレンダーは無縁ですから、当然と言えば当然ですが。
まあ元気そうでした。
娘も退院後、リハビリで家の中を歩いていますが、まあ今のところ問題なしです。

友人から、医師が帰ったと電話がかかってきました。
今日は特別に来てくれたようです。
癌という病気は、突然に体調を急変することがあるから、できることはやっておくようにと言われたそうです。
そういわれても独り身なので、そう簡単にはできません。
やはり一度また行ったほうがよさそうです。

改めてインフォームド・コンセントの難しさも感じました。
医師の話と友人の話とが、まったく食い違っていたのは、いずれかが嘘を言っているわけではないでしょう。
そう思えるようになってきました。

■4705:言葉と心身は同じであって、同じではない(2020年7月26日)
節子
衝撃的な事件が起こりました。
ALS患者の51歳の女性が医師によって「安楽死」させられたのです。
時評編に書きましたが、この事件に関して、同じALS患者の方が、新聞社にこうメールしてきたそうです。

誤解して欲しくないのは、
彼女の意思表明は、生きたいと思ったからこそのものであること、
そして事実生きていたということです。

私も報道に接した時に最初に思ったのはこのことでした。
言葉と心身は同じであって、同じではないのです。
節子も一度だけ、もう終わりにしたいと言ったことがあります。
しっかりしたつながりがある人であれば、その言葉の意味をきちんと受け止められるでしょう。
しかし、闘病の辛さだけを見た人は、言葉でしか受け止められないかもしれません。
「安楽死」という言葉そのものが、誤解を与えますが、そもそも生きるとか死ぬとかは、そして生きるということそのものが安楽ではないのです。

報道に接して以来、この事件が頭から離れません。
昨夜は4時に目が覚めてしまいました。
今日は寝不足で、つらい1日になりそうです。

■4706:かき氷が届きました(2020年7月27日)
節子
昨日は疲れて早く寝たのですが、やはり深夜に目が覚めて、また眠れなくなりました。
最近は睡眠不足で、どうもすっきりしません。
特にやらなければならないことはないのだから、と思うのですが、外が明るくなるとつい起きてしまう。
頭が重くて、そのまま横になっていたい気持ちもありますが、むかしからそれができないのです。
いろんな世界が見えてきてしまう。
困ったものです。

昨日、サロンが終わりみんなが帰った後、少しだけ残って、退院した友人に様子をたしかめようと電話しました。やはり電話に出ない。諦めて帰路につきました。
58段の急な石段を降りたところで、電話がかかってきました。
友人かなと思ったら、そうではなく、サロンに参加していたMさんからでした。
氷イチゴを持っていくので、まだ帰らずにいてください、というのです。
湯島のオフィスの近くの三組坂上に最近できた「かき氷屋さん」が今日は行列していなかったので、寄ったついでに、私へのプレゼントで持っていくと言うのです。
へとへとでしたが、また58段の急な石段を上り、オフィスに戻りました。
少し待っていると、Mさんが見事なかき氷を届けてくれました。
一緒に食べるのかなと思ったら、私だけで食べて元気になって、と言って、届け終わったら帰ってしまいました。
ちょっと拍子抜けしましたが、食べようと思ってスプーンを入れたら、電話していた友人から折り返しの電話がありました。
携帯電話がベッドの下に落ちてしまい、それをとるのが大変だったというのです。
58段の急な石段を往復している間、彼は苦労して携帯電話を探していた。
その間、Mさんは、他人のためにかき氷を頼んで並んでいた。
3人とも、小学校時代の同級生なのです。
人生は実に様々です。

友人との電話は長電話でしたが、目の前のかき氷は溶けません。
時々、事務所に来る途中で、このかき氷を持ち運んでいる人に会うことがあるのですが、出前用のかき氷は溶けにくいのかもしれません。
私の経済感覚では、かき氷に1000円をかけるのはなじめないので、何となく罪の意識を持ちながら食べました。そのせいか、あんまりおいしくありませんでした。Mさんにはどういえばいいか悩みます。
しかし、どうしてこういう「かき氷」が行列ができるほどはやるのでしょうか。
そういうこと自体が、私には納得できないでいます。
美味しくはありませんでしたが、わざわざ届けてくれたMさんには感謝です。
彼女は、私がいま、ほとほと疲れているのを知っているのです。

最近、疲労がたまっているのを感じています。
疲労を癒すのは、ただ休めばいいわけではありません。
どうしたらいいか、それを考えるのもつかれます。
まあ成行きに任せるしかない。

疲労困憊のやる気の出ない1日が始まりました。

■4707:久しぶりに心にしみ込むようなやさしい風を感じています(2020年7月27日)
節子
久しぶりに、春の風に触れているような気がします。
あまり元気がですに、リビングのソファーで半分寝ながらテレビを聞いていたのですが、それではいけないと思い、2階の倉庫のようになっている仕事部屋に来て、パソコンをチェックしていました。
頭がやけに重く、思考力があまりないので、メールを読んだり返信したりしていたのですが、開けておいた窓から、実にやさしい風が入ってくるのです。
さほど変わった風でもないのですが、なにか妙に心を解きほぐすような快さがあるのです。
こんな風は久しぶりだなと思ってしまっていました。
同時に、強い睡魔も襲ってきましたが、このまま眠ってしまうのがもったいなくて、なにかしたい気分が起こってきました。
そう言えば、2階の窓のところに毎年植えていた朝顔を今年は植えていませんでした。
庭に広がっている朝顔を持ってこようかと思います。

人は、あたたかな風で十分に幸せになるものです。
眠いですが、ちょっと動き出してみようと思います。
動けば元気が戻ってくるでしょう。
相変わらず、気の晴れないことが私を覆っているのですが。

■4708:すごい本を読んでしまいました(2020年7月27日)
節子
すごい本を読んでしまいました。
昨年、晶文社から出版された「急に具合が悪くなる」です。
宮野真生子さんと磯野真穂さんの往復書簡が、その内容です。
磯野さんは、先日、朝日新聞のインタビュー記事で知った医療人類学に取り組んでいる人ですが、磯野さんのFBで、この本を知ったのです。

ともかくとんでもなくすごい本だと、私は思いました。
磯野さんが書き送った書簡の相手は、九鬼周造の研究者の宮野真生子さんです。
2人が知り合ったのはつい最近のこと、そして2019年の4月の下旬から書簡のやり取りが始まりました。しかし、それは長くはつづかず、宮野さんから磯野さんへの2019年7月1日付けの書簡で終わっています。なぜならその週の土曜日に宮野さんは病院に緊急搬入され、亡くなったのです。
知り合った(そういう表現は適切ではないかもしれません)時には、すでに宮野さんは癌が進行していて、ホスピス探しをしていたそうです。

往復書簡は2か月ちょっとの期間に10回行われていますが、とてもそんな短期間のものとは思えない内容です。しかも、明らかにそれぞれの考えや関係が大きく変化しているのもよく伝わってきます。この2か月の間に、2人はそれぞれ数年を生きているような気がします。日付を見なければ、読者はそう思うでしょう。
生きるということは、あるいは人と付き合うということは、こういうことなのかと、教えられました。
同時に、こんなに深く、人は邂逅できるものなのだと感激しました。
魂のふれあいとはこういうことを言うのでしょう。
読んだ後、ちょっと動けないほどでした。

そして思い出したのが、「がん患者学」の柳原和子さんです。
この挽歌でも書いたことがありますが、柳原さんもまたがん患者でした。
テレビで見た柳原さんの発言を、私のホームページで取り上げたのを読んだ柳原さんがメールをくださり、以来ささやかなメールのやり取りをしました。
当時私には余裕がなく、そのつながりを私は深めることができないうちに、柳原さんは亡くなりました。
ずっと心残りになっていますが、なぜあの時に会いに行かなかったのか。

またちょうど今、私は死に直面している友人と関わっています。
彼は幸いにいま退院できたのですが、「癌だと急に具合が悪くなってしまうことがあるので、気を許さないで」と言い続けてきました。毎日、電話で連絡は取るようにしていますが、それとも重なってしまってもいるのです。

それにしても、この本はすごいです。

■4709:死は、人を幸せにもする(2020年7月29日)
節子
節子の友人の友澤さんから暑中見舞いが届きました。
友澤さんも伴侶を亡くされ、いまは一人で倉敷にお住まいです。
節子よりも少しだけ年上ですが、お元気そうです。
コロナにお気をつけてと書かれていました。

節子が亡くなった後、友澤さんはご夫妻でわが家まで来てくださいました。
節子と友澤さんとの共通の友人が北九州市にお住まいで、なぜか私も節子と一緒に小倉の駅前でみんなでお会いしたこともあります。
私はいつも節子の後ろで小さくなっていましたが。
節子ががん宣告を受けた後、節子は友人たちに会う旅を始めましたが、私も付き合いました。
友人たちと会っている時の節子はいつも幸せそうでした。
その笑顔を見ている時は、私もとても幸せでした。
死は、人を幸せにもするのです。

節子がいなくなってからも、友澤さんはいつも年賀状や暑中見舞いを下さいますが、手紙が苦手の私はいつも失礼を重ねています。
節子は手紙好きでしたので、その後を継ぐのは大変です。
しかし、私のぶしつけさのおかげで、最近は手紙もあまり来なくなりました。
昔は私も手紙好きだったのですが、手紙が書けなくなったのはいつからでしょうか。

友澤さんは節子が亡くなった後、節子からもらった手紙を1通だけ私に送ってきてくれました。
そう言えば、友人に手紙を書いている時の節子も幸せそうでした。
いつもゆっくりと書いていました。
ワープロで長い手紙を事務的に打っている私には、そんなに早く事務的に書いてしまうのは手紙ではないと言っていました。
私が年賀状を1000枚以上出していたころ、節子は100枚くらいしか書いていなかったのですが、私も節子もたぶん同じくらいの時間をかけていました。
ちなみに私も、かならず宛先に応じた一言を手書きで書いていたのですが、節子は1枚1枚をゆっくりと書き上げては読み直していました。そして私も知っている相手がいると、私にも一言書くように回してきました。
そういう風景が毎年の年末の風景でした。

その風景がなくなって以来、私は手紙を書かなくなりました。

■4710:ちょっと時間が速くなってしまいついていけません(2020年7月31日)
節子
また私の時間感覚がおかしくなってきています。
時々起こるのですが、ちょっとずれてしまう。
そのためまたこの数日、挽歌が書けずにいました。
その間、ちょっと奇妙な感覚に陥ったことがあり、私自身死を体験できたと思ったりしていました。というよりも、あれ、もしかしたら自分は死んでいるのではないかとふと思ったのです。残念ながら確認しようがないのでとりあえずいまの状況を続けるつもりですが。

そんなわけで、この4日間は私には2日間でしかなかったような気がしています。
気がついたらもう31日。
と言っても、こんなことはシェアはできないでしょう。
私の心の内部でおこっただけの話です。

コロナ騒ぎには影響されないつもりでも、湯島に出かける機会は減ってしまいました。
在宅が多くなったためにどうも時間感覚を維持できなくなってしまっているのかもしれません。
やはり適度に外出し、適度に人に会い、適度に刺激を受けておかないと、人は生命のリズムが保てない。これは私だけではないでしょう。今回のコロナ騒ぎで、高齢者の寿命は短くなってしまうかもしれません。
最近の私は、ほとんど外部からの刺激がなくなってしまっています。これでは老化は加速されかねません。

ともかくこの3日間の時間の進み方は異常です。
その速さにつていけていないのです。
困ったものです。

■4711:8月になってしまいました(2020年8月1日)
節子
8月になってしまいました。
今年はセミが鳴きだすのが遅かったのですが、先週末くらいから盛んに鳴きだしました。
鶯が遅くまで鳴いていたので、今週前半は、セミと鶯が一緒に鳴いていました。
今日は暑い日になりそうです。

相変わらずいろんなことが起きすぎていますが、夏になればすべてはスッキリするでしょう。
どう「スッキリ」するのかは問題ではありますが。

それにしてもどうしてみんな「新型コロナ」をこんなに怖がっているのかが理解できません。
逆に言えば、これまでは自然への畏怖感がなかったとも言えるでしょう。
いつの間にか、現代人は自然を超えた存在だと思うようになってしまっているのかもしれません。
自然は、恐ろしい一面、慈愛に満ちてもいます。
それをしっかりと理解すれば、新型コロナとの付き合い方は変わってくるでしょう。

今年は2月から急に8月になってしまった。
この半年、みんなどこかに行ってしまったような、そんな感じがしています。
半年もかかったのに、みんなまだ自然との付き合い方を学んでいない。
だとしたらこんな状況がまだ続くのかもしれません。
世界は変わってしまうのかもしれませんが、こんなにもろいとは驚きです。

しかし私の生き方は変わらないでしょう。
いやもう変えようがない。
ますます生き辛く、ますます退屈になりそうな気もしますが、望むらくはあまり長生きしないですめばと念じています。
この頃、長生きへの恐怖感が高まっているのです。

■4712:おにぎりをあげるよりももらう生き方(2020年8月2日)
節子
8月だと言うのにまだ鶯が鳴いています。
とはいうものの、梅雨も明けて、いよいよ夏です。

急に気温が変わったせいか、今日はやけに疲労感に覆われて、しかもなぜか指向する気が起きずに、雑務に追われていました。

そのうえ、ちょっといま経済的に困窮していて、資金繰りに苦戦しています。
ちょっとやはり長生きしすぎてしまいました。
ちょうど75歳で資金を使い果たし人生を終える予定が、ちょうどその時に忘れていた貯金通帳が出てきて3年長らえて、いまに至っています。
しかし今回はいささかのピンチです。
貯金と関係なく、リフォームを契約してしまったのです。
支払時期が迫っています。
でもまあお金は天下のまわりものですから、まあまわってくるでしょう。
そう思ってはいるものの、実際には今回はなかなか回ってきません。
額もちょっと大きいですし。
困ったものです。

昨日は「生活の視点から経済と政治を考える」というサロンをやりました。
あいまいなテーマだったので参加者は少ないと思っていたら、12人も参加してくれました。
しかし意外だったのは、「生活」あるいは「生活者」という言葉について、みんなどうも違和感があるようです。
たとえば、生活にとって大切なことは何ですか、という問いかけをしましたが、私が考えているようなことはなかなか出てこない。
人の考えや思いはこうも違うのか、と改めて思いました。
人はコミュニケーションしているようでしていない。
おおいに反省しました。

サロンでの最後の問いかけは、「さてどう生きていきますか」でした。
そのサロンに参加した人から、隣に困っている人がいたらおにぎりをあげるような生き方をしたいとメールが来ました。
私は、逆に自分が困ったら、隣人に「おにぎりをください」という生き方を目指したいと返信しました。
大切なのは、そういうお願いをしても応えてもらえるような生き方という意味ですが、そういう生き方を今はしているつもりなので、お金がなくてもあまり不安感が起きないのです。

夜になって涼しくなりました。
今日は眠れるといいのですが。

■4713:生活者ってこういう人の事なんだろうと思ったのです(2020年8月3日)
節子
1日に開催した「生活の視点で政治や経済を考える」サロンの報告にはいろんな反響がありました。
先ほどとどいたメールはとても私を元気にしてくれるものでした。
それでここに一部を紹介させてもらうことにしました。
投稿者は、長年、地道なアート活動をしている女性です。

「人々は、豊かな自然のなかで、しかし限られた資源を生かして、お互いに支え合いながら生活していました。生活の基盤は、コモンズ(自然と仲間)なのではないか・・・・」
上記「生活者」に関して書かれた佐藤さんの考えを読んで
ゴーリキーの書いた「僕の祖母はいい人だった」(幼年時代)の文を思い出しました。

貧しさを気にせず、物乞いが来ると黙って台所に招き入れ、
読み書きはできなかったけど誰よりも物語や詩や作り話を知っていて、
「何がなくてもさ、よい物語を持っているものがこの世で一番の果報者だよ」と、
息苦しく大人も子どもも幸せじゃなかった時代、
「なにもかもが過ぎるだ」「けど、そうなくちゃならねえことは、そのままのこるだよ」
といったゴーリキーの祖母がまさに生活者そのもので、
佐藤さんのおっしゃっている生活者ってこういう人の事なんだろうと思ったのです。

私のメッセージをこういう形で、受け止めてくれる人がいる事にいつも元気づけられます。
彼女はこう続けています。
各都市、各地域での行事が中止の中で
佐藤さんのサロン、そして
少しでもほっとするようなイベントは大事ですね。
こんな時にこそ芸術文化が必要なはずですが、
コロナ治療の手立てのないのが動きをセーブさせます。

彼女とは滅多に会うことはありませんが、時々、こうやってメールをくれます。
うれしいことです。

■4714:やはり親族が安心(2020年8月3日)
節子
今日は退院して自宅で療養している友人を見舞う予定でした。
独り住まいのために、夜が不安なので、これからのことを相談し、手配をしようと思っていました。
遺産相続のこともあるので、司法書士の紹介も頼まれていました。
一人では心もとないので、共通の友人にも一緒に行くお願いをしていました。
それでまた畑に行けないので、午前中に畑に行くことにしました。
朝、バタバタしていて、畑に行くのは結局10時近くになってしまい、まさに暑さ真っ盛りというタイミングになってしまいましたが、頑張って出かけて、畑作業をしていました。
そこに電話がかかってきました。
見舞いに行く予定の友人からでした。

いいニュースでした。
しばらく交流していなかった妹さん家族と交流が復活したようです。
それで妹さん家族と相談することになったので、今日は来なくていいと言われました。
正直ホッとしました。
一緒に行くのをお願いしていた友人にも電話し、今日は中止だと伝えました。
実は先週も同じようなことが起こったのです。
先週の金曜日にも行く予定をしていたのですが、出発の直前に今日は妹家族が来るのでと延期してほしいと言われたのです。この時も同行を頼んでいた友人姉妹に延期を伝えました。
ということは、私の役割は終わったということです。
交流が途絶えていた妹家族との交流が復活したのです。

やはり最後は、血のつながりに戻っていく。
改めてそれを感じました。
いろいろと複雑な思いはありますが、それでよかったと少し安堵しています。
もっとも同行を頼んでいた友人は、これまでの私の関わり方を知っているだけに、複雑な思いを持っているようです。

しかし、私としては、ちょっと疲れましたので、解放されてホッとしているのが正直のところです。
しかし、いろんなことを考えさせられたことも事実です。
今日は孫も来たので、久しぶりに心がやすまる日になりました

■4715:白夜のような夜(2020年8月4日)
節子
昨夜はネイティブアメリカンによると、スタージェンムーンとうスーパームーンなのだそうです。
スタージェンとはチョウザメを意味するそうで、この頃、チョウザメが容易に捕獲されたため、この月は伝統的にチョウザメの月と呼ばれていたのだそうです。

昨日、娘から、今夜はスーパームーンだと聞いていました。
最近は、要するに満月がスーパームーンだと言うほど、この言葉をよく聞いていましたので、まったく興味は持たずに聞き流していました。

真夜中の3時ころ、目が覚めました。
異様に外が明るいのです。
実はいま私は寝室の模様替えで、窓際で寝ています。
窓のカーテンはいつも閉めずに寝ているのですが、そこから見える外が異様に明るいのです。起き上がって外を見ると、みごとな満月です。
スーパームーンは前にも見ていますが、今夜は異様に大きく明るい。
つい見とれているうちに目がすっきり覚めてしまいました。
いろいろとまた考えてしまいました。
もちろん黄泉の国のことですが。

節子がいなくなってしばらくしてから、なぜか夜が明るく感じられるようになったことは前にも書きました。
しかし、今夜の明るさは、いささか異常な気がしました。
まあそのうちにまた眠ってしまったのですが。

起きて、ネットで調べました。
星占術によると、今月の満月は「現状打破」「新しい世界」を意味するのだそうです。
どうにもならなかったことが急に動き出したり、思いもよらない変化により、現実が切り開かれるといった経験もする人もいる、と書いてありました。
私は星占術を信じるわけではありませんが、信じないわけでもありません。
存在するものにはすべて意味があると思っているだけです。
それにもし現状打破できるのであれば、うれしいことです。

それにしても昨夜の月明かりはとても明るく、「白夜」という言葉を思い出すほどでした。
あれが夢だったのかどうかも、実はわからないのですが、その白夜の中で、家のどこかから音が聞こえました。
音は一回だけでしたが、誰かが動いている気配も感じました。
こうして人はだんだん「黄泉の国」に近づいていくのかもしれません。

今朝は朝から蝉がうるさいほど夏を謳歌しています。
さすがに鶯の声は今朝は聞こえません。

■4716:暑さでパソコンがスリーブ症候群(2020年8月6日)
節子
急に暑さがやってきたせいか、すべての調子がよくありません。
昨日はまたパソコンがおかしくなりました。
何もしないのに急に「スリーブ」状態になってしまうのです。
それでまあ何とかしようと思って、以前の状態に復元を試みたのですが、その途中で急にまたスリーブ状態になったまま動かなくなってしまいました。
さてさてそこでまたいつものように、電源を落としたり、やらなくてもいいことをいろいろとトライしてみました。
これまたいつもと同じように、事態は解決するどころかますます悪化していくのが自分ながらにもわかりました。
しかし、そうとわかっても止まらないのが人の常。
いろいろとやっているうちに完全に動かなくなりました。
そこでハッと気づいたのが、最近パソコンの電源を落としていなかったことです。
そのため、この酷暑もあって、電磁波がたまりすぎて動けなくなったのだということに気づきました。
パソコンのある部屋はエアコンがないので、それもよくないのかもしれません。
つまり、パソコンが怒っていることに気づかなかった。
まあ、これを「気づいた」というべきかどうかはわかりませんが。
それで電源を抜いて、パソコンを完全電気から完全解放しました。

そして今朝、パソコンの電源を入れました。
なんとパソコンが動き出したのです。
まだ涼しかったからでしょうか、何事もなかったように、です。
昨日は、普段使っていない予備のパソコンまで用意しておいたのですが、ほっとしました。
ところが10分もやっていないうちに、また自然にパソコンがスリーブ状態に入ってしまいました。
やはり何も直っていなかったようです。
せめて何とかデータのバックアップだけは取っておこうと、だましだまし、バックアップを完了。
それだけでもう疲れ切ってしまい、今日は畑にもいかず、家でごろごろしています。
パソコンに申し訳ないので、私も暑い中をエアコンをつけずに1階のリビングでダラダラしています。
私の頭も最近脳疲労気味で、本を読んでも頭に入っていかないので、持ち歩いてはいますが、どうもページが開けないのです。
鈴木さんから借りている2冊の本、大川さんが送ってきた新著、図書館から借りているミチコ・カクタニさんの「真実の終わり」が目の前にあります。
しかしこうやっていつも身近に置いておくと、いつの間にか読んだような気になって、実際に読みだすとスーッと頭に入ってくるようになるのです。

娘がやってきて、なんでエアコンを入れないのかといわれましたが、このうだるような暑さがなければ夏の気分は出ないのです。
節子を送った、あの夏の暑さもうだるようでした。

夕方になって、暑さが少しゆるんだようです。
いい風が入ってきます。
この風の心地よさは、うだるような暑さがあればこそです。
ぼーっと周りを見ていたら、室内の観葉植物がみんなうなだれています。
さて
水をやらないといけなさそうです。

パソコンがダウンしたおかげで、久しぶりに夏を体験できました。
暑い夏も、だいぶもう克服できました。
もう13回目の夏ですから。

■4717:加野さんはお元気そうです(2020年8月7日)
節子
太宰府の加野さんから電話がありました。
お元気そうでした。
もう90歳前後ではないかと思うのですが。
加野さんと節子は会っているかどうかも定かではありませんが、加野さんの一人娘とは会っています。というか、彼女が東京で一人暮らししている時に一緒に舞台を見に行ったりしています。
その娘さんも亡くなり、加野さんは娘の供養を仕上げるまでは死ねないと言ってがんばっているのです。
電話に出ると、すぐに奥さんは亡くなられてからもう何年ですか、と訊かれました。
加野さんのいつもの質問です。

リフォームのためにいま書類の整理をしていますが、昨日、加野さんの伴侶が遺した歌集が出てきました。
久留米絣でしっかりと装丁した歌集です。
以前、娘さんの献花に大宰府を訪れたときに頂いたものです。
その翌日に電話をもらうとは、やはりお天道様の意思が働いているとしか思えません。
加野さんも、ちょっと神がかったところのある方ですが、その加野さんも伴侶と娘を見送っています。人生はなかなか思うようにはならないのです。

思うようにならないといえば、昨日はまさに思うようにならなかったパソコンが今日はまさに思いのままです。昨日の挽歌を読んだ近くのSさんが、教えてくれたのですが、どうも本体に熱がこもっていたようです。
これで一安心です。

今日はとても不安の日なのです。
娘の診断結果が出る日です。
さてさてどうなりますか。
友人の不安も含めて、いまは山のような不安に覆われていますが、これが一段落すれば、先が見えてくるかもしれません。
加野さんの元気を少し分けてもらいたいものです。

■4718:長い1日(2020年8月7日)
節子
今日は長い1日でした。
娘が病院から戻ってきたのはなんと4時。朝、9時からですので、7時間です。自宅待機も疲れました。
結果は、最悪の事態は避けられましたが、まあ完全解放でもなく、経過観察ということのようです。まあ良しとしなければいけません。

完全シロの場合は、うなぎでお祝いする予定でしたが、そうではなかったので、回転ずしでまあ慰め会でした。
術後の関係で、今日の診察まで生ものを禁じられていたのです。
ジュン母娘も一緒に、近くのスシローで早目の夕食。
にこはお寿司好きで、私とほぼ同じくらい食べるのです。
にこと一緒だと気持ちが明るくなります。
子どもの力は大きいです。
疲れが少し癒されました。

ともかく疲れました。
どうも「暑さ」だけの疲れではないようです。
自分の病気はあまり狼狽えずに受け止められますが、娘たちのことになると恥ずかしながら狼狽えてしまいます。
当の娘は、さほど落ち込んではいないのですが、報告を聞く私の方は何やら疲労感や不安感に襲われます。
節子が「胃がん宣告」を受けたときも、まったく同じでした。
一番明るく前向きだったのは節子でした。
何やらその時のことを思い出してしまいました。
まあ、あの時とは全くと言っていいほど事情は違っていますが。

それにしても疲れました。
本当に長い1日でした。

■4719:いまの大事な生を楽しめない生き方(2020年8月8日)
節子
今年もお盆が近づきました。
お盆は、死者を祀るというよりも、死者を招く祭りだといわれます。
私の記憶には、そうした「お盆」感覚が残っていますが、昨今はあまりそう考えている人も少なくなったでしょう。
それに今年は新型コロナのせいで、お盆の帰郷を諦めた人も多いはずです。

死者はますます遠くなる。
いや生と死がどんどん切り離されてしまっていると言うべきでしょうか。
死から切り離された生は、落ち着かないものになるでしょう。
死んでもまたお盆になれば現世に戻ってきてみんなに会えると思えば、死を素直に受け入れられ、死などに惑わされることなくいまを精いっぱいに生きられるはずです。
コロナを恐れて、いまの大事な生を楽しめない生き方はやはりおかしい。
私は、一度、「いまの生」を失ったおかげで、そういうことに気づかせてもらったような気がしますが、そう思いながらも、私自身、「いまの生」をあまり大事にしていないような思いがずっとあります。
それもまた、「いまの生」を失ったことの、もう一つの結果なのですが。

死は生につながっています。
逆に言えば、生もまた死につながっている。
コロナ騒ぎで、死を切り離すことは、生を失うことでもある。
どうしてみんなそんな簡単なことの気づかないのか。
お盆は、そういうことを考えるいい機会だと思いますが、死神に脅迫されて、生を閉じ込めていては、そういうことにも思いはいかないでしょう。

今日は出かけるので、お盆の準備は明日にしようと思いますが、今年は畑作業もいい加減だったので、送迎用のナスとキュウリが育っているといいのですが。

■4720:語り得ないものは、心を開いて問いかけよ(2020年8月9日)
節子
今朝、また雨が覚めて、枕元の時計をみたら、「4:44」でした。
どうも最近はそうした「ちょっとしたこと」に引っかかるようになってしまいました。

鈴木さんが「宗教者ウィトゲンシュタイン」という本が面白いと言って貸してくれました。実はまだ読めていません。最近、ちょっと本が読めなくなっているのです。
ウィトゲンシュタインと言えば、思い出すのが入山さんです。
私より少しだけ年上ですが、知り合ったのは私が会社を辞めてからです。
極めて魅力的な人でしたが、節子を見送った時期に前後して、がんで急逝しました。

短い付き合いでしたが、思い出はたくさんあります。
その入山さんが、ある年に年賀状にウィトゲンシュタインの言葉を書いてきました。
「人は、語り得ないものについては、沈黙しなければならない」
これに関して入山さんと話したことはないのですが、彼には私が語り得ないものを語っていると笑いながら言われたことがあります。
彼のがんが発見されてからは、会う機会がありませんでした。
一度、神への怒りを感じさせるメールをもらった記憶がありますが、いまとなっては全く思い出せないのですが、私は入山さんに会いに行くことはありませんでした。
なぜいかなかったのだろうかと、いまは思うのですが。
入山さんには「愛された」という思いがありますし、私もまた入山さんを「愛した」という記憶はあるのですが。

時計の「4:44」を見て、なぜか入山さんを思い出しました。
彼が健在だったら、私の人生もまた変わっていたでしょう。
そういう存在が、他にも何人かいますが、そこから考えると人生は価値あるものを失い続ける物語なのかもしれません。
ちなみに、私はウィトゲンシュタインにはいささかの異論があります。
語り得ないものは、心を開いて問いかけよ、が私の心情です。

■4721:「極楽」と「地獄」は隣合わせ(2020年8月9日)
節子
今日もまた酷暑と言いたくなるほどの熱さです。
熱中症になるといけないので、エアコンを入れろとユカは言いますが、この暑さと外から入っていく風の組み合わせは、夏を強く感じさせてくれます。
エアコンを入れずに、ソファで横になって本を読みだしたら、いつのまにか寝てしまっていました。久しぶりに昼寝をしてしまいました。
午後の昼寝、猛暑の中で、家の中の涼しいところ朝がして、昼寝。目が覚めると丸いスイカを切って、金名で食べる。これが子ども時代からの夏の過ごし方でした。
改めて「夏の幸せ」を感じました。
昔は、季節それぞれにこうした「幸せ」がありました。
節子も私も相違したことが好きだったので、エアコンはあまり好きではなかったのです。

今日は暑いですが、夏風がとても気持ちいいです。
自宅療養している友人に定例の電話をしました。
彼が寝ている部屋は冷房が十分に効いていますので、ある意味では快適です。
暑い中を歩いて見舞いに行った人が、彼の部屋に入って、ここは涼しくて極楽極楽!、とつい言ったら、ベッドで寝ていた友人が、寝ていてもここは地獄です、と言ったという話を一緒に見舞いに行った友人から教えてもらいました。
登場人物はみんな私の知り合いですが、現場には居合わせませんでしたが、いい風景だと感心しました。
「極楽」と「地獄」は隣合わせなのです。

電話で話しながら、そうやって一人で時間を過ごしていつ友人はどんな気持ちだろうと思いました。
彼は、電話では「順調に回復している」といいましたが、「回復」とはどういう意味でしょうか。
暑いですが、明日は彼のところに行こうと思います。
暑さも新型コロナも疲労もありますが、な兄が大切化の優先順序を間違ってはいけません。

さて少し涼しくなりました。
畑に行ってみようかと思いますが、今日はいい汗をかけそうです。

■4722:死と付きあった1日(2020年8月11日)
節子
昨日は自宅で闘病している小学校時代の友人を訪ねました。
病院では最期を迎えたくないと言って、自宅に戻ったのですが、独り住まいなので、体制づくりをしていました。
ようやく介護保険の適用申請も受理され、在宅往診体制もほぼできました。
相続や万一の時の体制もまあうまく対処できそうで、安堵しました。
相続関係にまで巻き込まれそうだったのですが、何とかそれは避けられました。
お金が絡んでしまうと素直な見送りはできなくなります。
しかし一人では気が重すぎるので、小学校時代の同級生とそのお姉さんにも来てもらいました。
実に不思議な姉妹で、2人とも独り住まいなのです。

本人ももう状況を理解しているようで、自然の流れに沿うようにすることで納得してくれました。
動けないのと食事ができないのが辛そうですが、幸いに痛みなどはないようです。
死を直前にした友人との話は、それなりに気を使いますが、まあそう大きくは変えられるはずもなく、いつものように笑いながらの楽しい会話に努めました。
ちょっとベッドのそばに長居しすぎましたので、帰り際はもう半分彼は寝ていました。
途中から付き合ってくれた友人と、彼が過労死すると大変だと話し合いましたが、こういう不謹慎な会話ができるのも、小学校時代の同級生ならではかもしれません。

医療介護の対応以外に、彼の場合、気にしてくれている人が数名います。
みんな小学校時代の同級生関係です。
しかし一番彼にとっての支えになっているのは、比較的近くに住んでいる小学校時代の同級生のお姉さんです。
彼は自宅の1階で靴の販売をやっているのですが、そのお店の手伝いをしてくれていました。
いまはもう開店休業状態ですが、週に何回かお店を開き、そのついでに彼の状況を確認してくれているのです。
実に明るい人ですので、死には実に遠い人です。

お見舞いのあと、その姉妹と3人でお茶を飲みました。
そして、死に関しても明るく話し合いました。
こういう形で死を語り合える場がもっと多いといいと思います。
しかし、死を明るく語ることは、そう簡単ではないことを今回も思い知らされました。

帰宅したら疲れがどっと出てしまい、そのまま寝てしまいました。
今日はだいぶ元気が戻ってきましたが、死と付き合うのはやはりそれなりに疲れます。
今日はちょっと死を忘れて、生に生きようと思います。

暑い夏の日になりそうですが、まだ風がとても心地よいです。

■4723:梅ケ枝餅(2020年8月11日)
節子
太宰府の加野さんから、梅ケ枝餅が届きました。
実は一昨日、加野さんと電話で話していた時に、以前、出張の途中に加野さんのところにうかがった時に、帰り際にもらった焼きたての梅ケ枝餅を電車の中で食べたのを思い出していました。
口には出さなかったのですが、それが2日後に届いたので驚きました。
加野さんは、ちょっと霊能力のある人ですから、読みとられたのかもしれません。

念のために、早速、お礼の電話をして、私が先日の電話で梅ケ枝餅の話をしたかどうか確認しました。
そんな話は全くなかったですよ、と言われました。
では何で送って来たのか、と質問するのもさすがにできなかったのですが、なんともまあ不思議な話です。
加野さんからは、以前も石田梅岩にまつわる夢の話など、いろんな話を聞いていますので、不思議なことが起こってもあまり気にはしないのですが。

早速、節子にもお供えしようと思います。
お盆も近づいてきましたし。

■4724:昨日の話し合いが最後になりました(2020年8月11日)
節子
再入院した友人の主治医から電話がまたかかってきました。
なんと息を引き取ったという知らせです。
あまりの展開に驚きましたが、今から振り返れば、とても納得できるのです。
しかし、人はいざとなると事実が見えなくなるのです

彼には見舞いに行く予定の当日になると延期してほしいという電話があり、2回も延期していました。
もしかしたら私が行くのを嫌っているのかもしれないと思いたくなるほどでした。
電話では、身体は痩せてきたけれど気力は快方に向かっているということでしたので、それなら少し行くのをやめようと思ったりもしたほどです。
ところが、また来てほしいとの電話、また延期要請があるかもしれないと思いながらも昨日行ってきたのです。
昨日行くと、自宅で往診チームがやって来る体制ができたと報告してくれました。
これでもう安心だと言うのです。
そして私には危機を乗り越えて良かったとうれしそうに報告するのです。
ひとつだけ懸案事項があったのですが、それも彼の依頼とは違う提案をさせてもらいましたが、その提案にそれがいいねと素直にうなづきました。
つまり昨日会って、懸案事項はすべて解決したのです。
ただ一つだけ新しい提案が先方からありました。
葬儀に関してです。
この時期、たくさんの人は集まれないので、と言って、3人の名前を挙げて、この人には来てほしいと言うのです。
異議申し立てすることなく、はいわかったとだけ言ったのですが、まさかそれがこんなに早くやってくるとは思いもしませんでした。

昨日、私に会って、たぶんすべてを話して安心してしまったのかもしれません。
帰り際はもう半分寝ていましたが、最後に冷蔵庫からヤクルトを出してほしいと言われ、それを渡して、また来るからと言って別れました。
彼は顔に笑みを浮かべて別れました。
あの時にもしかしたら、すべてが終わったのかもしれません。
それに気づかなかったのが不覚です。

彼の訃報を友人たちに伝えました。
「死に関して言えば、どの場合も、あっけないですね」と一人が返信してきました。
そう。実にあっけない。
しかし、彼は死ぬ前に一生懸命いろいろとやるべきことをやっていたのです。
相談には乗っていましたが、あんまりきちんと重荷を背負ってやれなかった。
ちょっと反省しています。
彼と同じく私もやはり真実をしっかり見ようとしていなかった。
いまそのことに気づきました。

でも彼は笑顔で逝きました。
交流が途絶えていた兄妹の関係も復活し、いい人生になったと思います。
それが私には救いです。
悲しさは全くありません。
いやそれ以上に死の実感がない。
困ったものです。

■4725:エアコン漬けになりそうです(2020年8月12日)
節子
友人の死で、お盆の迎え火の準備が遅れてしまっていますが、まあ少しずつしています。
昨日はお供えの梨を杉野さんのところに分けてもらいに行き、今朝は送迎用の牛と馬をつくるナスとキュウリを畑に取りに行きました。
精霊棚もほぼ準備ができました。
いつもはセットで購入してくるのですが、今年は全部手作りで費用を節約しました。
最近少し経済的に苦戦で、湯島の事務所の水道代の自動振り込みができないと水道局から手紙が来ていました。
先日、思わぬ人が前に借りたお金を返すと言って入金してくれたので、何とかしのげたので油断していたのですが、またどうも預金が底を突きだしているようです。
マネーフリーの生活を目指していますが、なかなかそこに達せられません。
困ったものです。

杉野さんのところに行ったら、またパピルスをくれました。
これまで2回も失敗していますので、言い出しにくかったのですが、杉野さんのほうから今度は株を切り取るので大丈夫でしょうと言って、切り分けてくれました。
最近、手賀沼のハスが全滅したのですが、成長しすぎて増えてしまうと自らが毒を出して一度滅びるのだと杉野さんが教えてくれました。パピルスも少し大きくなり過ぎたので、むしろこうやって減らすのがいいと言うのです。
お金も同じで、ためすぎると毒素を出し始めるように思いますので、まあ時々、振り込みができなくなるくらいがいいのかもしれません。

自然と付き合っていると、本当にかしこくなります。
しかしあまりの暑さにエアコンをかけてしまっています。
一度かけてしまうともうかけずにはいられません。

■4726:「あの年」も暑かった(2020年8月12日)
節子
エアコンの効いたリビングで、何もできずにほぼ1日を過ごしました。
そういえば「あの年」も暑かったし、毎日、エアコン漬けだったと思いだしました。
節子もエアコンはあまり好きではありませんでした。
しかし、あの年はエアコンのかかった和室でずっと過ごしました。
そう言えば、昨日亡くなった友人も、寝たままの部屋でずっとエアコンをかけていた。
こういうところから、いろんなことを考え出してしまうのが私の悪い癖なのです。
エアコンは「快適」な生へのいざない、つまり死への勧誘なのかもしれない。
現世にいる私は、暑い暑いと愚痴をこぼしていますが、彼岸にいる友人は、この暑さに触れることなく、きっと快適に過ごしているでしょう。
暑い暑いと汗をかき、つらい思いをするのが、生きているということなのです。
そう思うと、エアコンの効いた部屋で、ボーっとしているのがなんだか嫌になり、そこから出てきて、いまパソコンを打ち出したのですが、汗が止まりません。
夕方になって少し暑さもやわらぎましたが、風がないため、涼しさを感じない。
エアコン効果で身体機能もよわまっているのでしょう。
やはりこれでは生きているとは言えない。
夏はやはり、暑さに不平を言いながらも、汗をかき、熱中症の危険に立ち向かわないと、生きている喜びを味わえないのではないか。

「あの年」の暑さから、まだ抜け出られていないのかもしれません。
若いころは、この暑さを2人で楽しんだものです。
海にも山にも行き、都心の雑踏でも、暑さを頼んでいた。
それが今では、暑さは逃避するものに変わってしまった。
残念ながら、いまではもう、暑さを楽しむ生き方は無理があるでしょう。
しかし、暑さとうまく折り合いながら、生きていくすべはあるはずです。

娘はエアコンをかけろと言いますが、やはりその誘惑に抗わなければいけない。
そんな気がしてきました。

そう思ったら、外から少しさわやかな風が入ってきました。
エアコンになじんでいた身体にも、生命が戻ってきたのかもしれません。

人の死は、もしかしたら「暑さ」と「熱さ」を引き寄せるのかもしれません。
またすこしおかしなことへと発想が広がりそうです。
それはやめて、庭の花木に水をやりに出ることにしました。
蚊に襲われて、全身痒くて眠れなくならないように注意しながら。

人生には苦難がつきものです。
それこそが生きることの醍醐味なのです。
暑さから逃げるのではなく、その暑さを楽しむ生き方を思い出さなければいけません。

■4727:見送りとお迎え(2020年8月13日)
節子
今日は忙しい日になりました。
午前中は友人の見送りに行ってきました。
午後は節子のお向けにお寺に行きました。
見送りとお迎えの1日でした。

見送ったのは3日前に見舞った友人です。
私が帰った後、少しして状況が変わったようで、救急車で病院に行き、そのまま息を引き取りました。
身内だけの家族葬でしたが、彼からの私と友人2〜3人を呼んでほしいと遺言されたそうです。
浄土宗での葬儀でしたが、死者の阿弥陀如来への広懺悔を書いた経文の書名も死者に変わって誰かが書くのですが、私を指名していたそうです。
久しぶりに友人から万年筆を借りて署名しました。
時期が時期だけに、静かな直葬で、私と友人3人が参列しました。
喉仏が実に美しい遺骨でした。

終了後、4人で少しだけ話しました。
それにしても、彼は幸せだったと改めて思いました。
やはり人にとって大切な財産は友人です。
お金などではありません。

帰宅後、今度は節子のお迎えです。
お寺に迎えに行きましたが、お墓で般若心経を唱えていた時に、異変が起こりました。
お経が出てこないばかりか、呂律がおかしい。
娘たちが熱中症ではないかと心配してくれましたが、私自身明らかにおかしいのに気づきました。
急いで帰宅し、休みました。
そういえば、今日の都心は猛暑でした。

しかしなんとか妻も迎えられ、友人も送りだし。疲れ切りましたが、大事に至らずに終わりました。
娘は心配していますが、乗り越えられたと思います。
節子も友人も見守ってくれているでしょうから。

■4728:症状はおさまりましたが(2020年8月14日)
節子
昨日は私の熱中症騒ぎで、せっかく、帰宅したのに何もせずに終わりました。
寝て起きたら、症状はおさまっています。
今日は1日気を付けて、もし異常を感じたら、病院に行く予定ですが、この調子だと大丈夫そうです。
今日はおとなしくエアコンの効いた部屋で過ごそうと思います。
幸いに、その部屋(リビングルーム)には仏壇があり、帰ってきた節子の位牌もあります。今年も送迎用の馬と牛は畑で育ったキュウリとナスを使っています。
お盆の供花も、13回忌を過ぎたので辞退させてもらったので、今年から花もひとつです。いつもはそれでもカサブランカを入れるのですが、今年はどうもいいカサブランカがなかったようです。先週はゆりが供えてありましたので、まあいいでしょう。

昨日は孫のにこも来ていましたが、私の異常のせいでゆっくりもできませんでした。
今日も暑いので来ないでしょう。
逆に私は近くの兄の家に、父母に線香をあげに行こうと思っていましたが、やめることにしました。
特に異常はあまり感じないのですが、頭が何となく重い気はします。
暗示かもしれませんが。
しかし、この土日はサロン続きなので、無理はしないでおこうと思います。

せっかく節子が戻って来たのに、なんともおかしなお盆になってしまいました。
今日は注意して畑に行くのもやめました。
コロナウイルスとはうまくやれそうですが、熱中症には対処しようがありませんし。

■4729:脳外科に行きました(2020年8月14日)
節子
やはり何となく違和感があるので、思い切って病院の脳外科に行くことにしました。
数年前にもたしか行ったはずです。

コロナ騒ぎのせいか、病院は空いていて、予約もしていなかったのですが、MRI検査もできました。
検査結果は、特に大きな異常はなかったのですが、MRIで見ると脳の血管が2本いささか危うくなっています。映像ではほぼ断絶しています。
数年前の映像と比べてみると明らかの状況は悪化しています。
その血管が詰まったらどうなるのかと質問したら、突然切れると死んでしまうそうですが、幸いに徐々に細くなっているので、周りが何とかカバーしようと頑張るので、大丈夫だということです。
しかしかなり危ういので、血液サラサラの薬を飲む方がいいと言われました。
他にも2種類ほど薬が出ました。
そして3週間後にまた経過を見ようということになりました。
私も人並みにだんだん病院通いが始まり、薬漬けになっていくようです。

兄から電話がかかってきたので、その話をしたら、兄も腎臓にがんが見つかったそうです。
まあ初期段階のようですが、この歳になると、まあいろいろとあるものです。
しかし、それこそが歳をとるということでしょう。

私の場合、いつも言われますが、もっと水を飲まないとダメなようです。
それなりに飲んではいるのですが、私の家系はあまり水を飲まない家系なのです。
さてさてがんばって水を飲むようにしましょう。

それにしても今日も暑い1日です。

■4730:猛暑(2020年8月15日)
節子
一晩寝て、体調はほぼ回復しました。
まあ薬は飲みだしましたが。

例年、お盆休みは静かに過ごしますが、今年は全くそういう感覚もなく、お盆の土日にサロンを入れてしまいました。
時間感覚がまったくおかしくなっています。
これはしかし私だけではないでしょう。

今日は万葉集のサロンでした。
講師役の升田さんは、節子も知っている私の小学校時代の同級生です。
ということで、一昨日葬儀だった私の友人とも同級生で、10日の見舞いから13日の葬儀とずっと一緒でした。
私以上に遠くから出てきていますが、その間、サロンの準備までしてくれています。
私は夏バテ気味でダウンしましたが、彼女は元気です。
やはり女性は元気です。

今日の暑さは特別でしたが、それでも10人の人がサロンに集まりました。
朝は大丈夫だと思っていたのですが、午後になるといささかまた疲れが出てきてしまいました。
急に気力も体力も落ちてきてしまったような気がします。
困ったものです。

今日は敗戦記念日。
その気分も出ないのはどうしてでしょうか。
コロナ騒ぎのせいで、例年とは全く違った敗戦記念日のような気がします。
夜になっても暑さは一向におさまらない。
今日はさすがに暑くて眠れそうもありません。

■4731:暑い夏は、私にはやはりつらい夏です(2020年8月16日)
節子
10数年ぶりに和室で寝ました。
節子が暑い夏を過ごしたところです。
節子が逝ってから、和室は使われなくなりました。
和室はそもそもが来客用の部屋だったので、エアコンがついていますが、節子がいなくなってからは使われず、物置状態になってしまったので、エアコンは使用されずにありました。
昨夜は、その和室で寝ました。
エアコンもなんとか動きました。
ほこりがすごいのではないかと思いましたが、とりあえずは大丈夫でした。
おかげで昨夜はよく眠れました。
これからはここで寝ようと思います。

この和室で寝たのは14年ぶりです。
14年前には節子も一緒でしたが。

今度、わが家をリフォームするので、この和室はなくなります。
次女夫婦のための洋室に改造されるのです。
節子がこだわっていた床の間も壊されます。
その最後の夏に、私がここで過ごすようになるのも、もしかしたら節子の働きかけかもしれません。
この和室にもいろいろな思い出がありますので、節子を思い出しながらの1か月になりそうです。
たぶん何かが変わるでしょう。

和室からは狭い庭が見えますが、そこも今は荒れ放題です。
この和室で過ごす老後をイメージしていたのですが、それは果たせぬままに終わりました。
私の生活はあまりに予定とは違いました。

今日も暑くなりそうです。
体調は、今度こそ元に戻ったような気がしますが、しばらくは要注意です。
急逝した友人の四十九日の相談を受けましたが、身内だけでやってもらうことにしました。出かけていく元気がどうも出そうもありません。
落ち着いたら同級生たちに声をかけて集まろうかと思っていますが、その元気も出てきません。

暑い夏は、私にはやはりつらい夏です。
つらいのはもちろん、「暑さ」ではありませんが。

■4732:血液サラサラ剤を飲むべきか飲まざるべきか(2020年8月17日)
節子
昨日の夕方、こんなことをフェイスブックに書いてしまいました。

昨日、湯島に出かけようとしたら、白いズボンが血だらけなのに気づきました。
何事かと思ったら、右手首から出血していました。
痛みも感じなかったのですが、まるでリストカットしたように、手首に切り傷があり、そこから出血していたのです。

昨日から、血液サラサラの薬を飲みだしていますが、出血すると血が止まりにくいので注意するようにと言われていましたが、そのせいでしょうか。
急いで薬を塗って絆創膏を貼りました。
日中は大丈夫だったのです、夕方になって、もう大丈夫だろうと思い、絆創膏をはがしたのですが、傷口がいまだに生々しく、しかも痛いのです。
また鮮血が出てきそうなので、あわてて消毒し、絆創膏をまた貼ってしまいました。
写真を撮っておけばよかったのですが、撮りそこないました。
これって、血液サラサラの薬のせいでしょうか。

友人から、血液サラサラの薬は危険だから飲まない方がいいと看護師に言われたという話も聞きました。
私はかなり不注意で粗雑な生き方をしているので、身体から血を出す切り傷をよく創るのです。
さてどうしたものでしょうか。

そしてごていねいに大きな絆創膏を貼った手首の写真を添付しました。
今朝、フェイスブックを開いたら、いろんな方がコメントを書いてくれていました。
ちょっと大事になっているようで驚きました。
ユカからは、相変わらず大げさだと叱られました。
今朝、絆創膏をはがしてよく見たら、切り傷ではなく擦り傷なのです。
さてさて困ったものです。
しかし、どうもやはり血液サラサラ剤は評判がよくないようです。
飲まないほうがいいと言う人も少なくない。
たしかに私も違和感があるのですが、あの時はついふらふらと医師に従ってしまいました。
やはり飲むべきではないでしょう。
それで今朝は飲むのをやめました。
しかし、以前、かかりつけの遠藤医師から、薬を飲まなくておかしくなったらだれが責任をとるのかと言われてことがあります。
もちろん責任は、飲もうと飲まなかろうと私が取るのですが(ちなみ医師の指示通り飲んだ結果、おかしくなっても医師には責任はないと言うのが私の考えです)、あまりに判断材料がありません。
節子の基準は、判断材料がない場合は、「積極的な選択肢を選ぶ」でしたが、事、医療に関してはこれも難しい。どちらが積極的な選択肢化が判断しづらいからです。
「薬を飲む」と問題設定するか「生命力を信ずるか」と問題設定するかによって変わってしまうからです。

医療にかかわる活動をしている友人は、「結構面倒な薬だなという印象ですが、医療者の見解を集めて見られてはどうでしょうか?」とアドバイスしてくれました。
答えてくれるかどうかわかりませんが、やってみるのもいいかなと思いだしました。
やり方側からなのが問題ですが。

というわけで、今日は薬を飲まずに過ごしました。
血は出ない1日でしたが、汗がたくさん出る1日でした。
いよいよ室内のリフォーム作業が始まるので、今日はその現場監督の方が来て、暑い中を(わが家はエアコンがないので暑くて大変でした)お互い汗をかきながら改装場所を見て歩きました。
自宅に住みながらの、かなり大きな改装なので、大変なのです。
節子の残したものはまた捨てられてしまい、ますます節子の記憶が消えていきそうです。
整理の過程で、いろんなものが出てきましたが。

■4733:無限、平等、分かち合いこそが「愛」(2020年8月18日)
節子
昨夜も暑くて、結局また夜中にエアコンのある和室に避難しました。
これからリフォーム作業に入るので、9月いっぱいは、和室で過ごそうかと思います。
この和室は、節子が最後の数か月を過ごしたところですが、10月には姿を消してしまいますので、まあ最後の1か月をそこで過ごすのも意味がありそうです。
もっとも和室と言っても、いろんな荷物が山住されている倉庫状態ではありますが。

今朝、友人からメールが届いていました。
一部を引用させてもらいます。

一緒に**君の旅立ちを見送らせていただいて、簡単には言い表せないものをたくさん見せていただきました。神様に感謝です。
修君はよく「愛」と言いますが、それかなと思います。
修君の口から「愛」という言葉をきいたらたぶんみんなちょっと戸惑うと思うけれど(どう理解して反応していいか分からず)、この言葉に特別の意味を感じました。
無限、平等、分かち合い。分かち合いだけが違うけれど、仏様みたいね。
**君はほんとうに修君に愛されて幸せでした。

いささか過大評価のように思いますが、私の対応は、別に**君だからだったわけではありません。
彼と特別の関係があったわけでもなく、ただ小学校時代の同級生だっただけです。
そして、なぜか彼が私を頼って来ただけの話です。
メールをくれた友人(女性)は、「愛」という言葉を使っていますが、私は自分ではあまり意識してはいないのですが、どうも「愛」という言葉を使っているようです。
そして彼女は、無限、平等、分かち合いこそが私のいう「愛」だと書いてくれています。
他者の言葉は、いろいろな気付きを与えてくれます。

最近、4歳の、孫と付き合っていると、そもそも人とは「愛」のかたまりだと気づかされます。
成長とは、その「愛」をそぎ落としていくことなのかもしれません。
いつのころからそうなってしまったのでしょうか。

今日も暑い日になりそうです。

■4734:東寺の風信香(2020年8月19日)
節子
お盆で節子が帰宅していた時に、仏壇の線香が変わりました。
節子は気づいたでしょうか。
今年初めにユカと一緒に京都の東寺に行っていた時に買ってきた「風信香」です。
選んだのはユカですが、私好みの、したがって節子好みの、いい香りです。

風信香は、東寺を建てた空海が、比叡山の最澄に出した書簡「風信帖」のなかに出てくる、お香の贈り物に感謝している文章から名づけられた、東寺に伝来するお香だそうです。
とてもいい香りです。
今まで使っていたお香は、たしか京都清水寺のものでしたが、趣がまったく違います。

私の一日は、朝起きて、まずは節子に挨拶し、お香を点じて般若心経(の要約)をあげることから始まります。
最近は、その後、テレビ体操を10分するのですが、このパターンが定着してもう1か月以上たちます。
テレビ体操の間中、風信香のいい香りに包まれます。
心が少しやすまります。

そこから本当は庭の花に水をやり、そこからコーヒーを飲んで朝食というのが目指すところですが、庭の花への水やりはなかなか定着しません。
根が至って怠惰ですから、どうもそうした地道な行動は身につかないのです。

しかも最近のコロナ騒ぎで、その怠惰さが増長してしまいました。
水をやらないと枯れてしまうと思いながらも、暑いとついさぼってしまう。
困ったものです。

でもまあ朝の線香も変わったことです。
少し気を引き締めて、生活態度を変えないといけません。
今日は4時半に目が覚めてしまい、5時からパソコンをやってしまいました。
朝はまだ涼しくて、これなら畑に行っても大丈夫ですが、眠気がまだとれず、もう一度寝たい気分になってきました。
しかし、たぶんもう眠れないでしょう。
朝の気分を楽しみながら久しぶりに生豆からのコーヒーを楽しんでみようと思います。
畑に行くとまた草刈りに埋没してしまいそうですので。

■4735:生活の拠点を1階に移しました(2020年8月20日)
節子
昨日は我孫子のまちづくり活動のつながりでミーティングの誘いがあって、近くのサイゼリアで櫻井さんと林さんに会いました。
2人とも節子がいなくなってから知り合った人です。
コロナのせいもあって、なかなか動けずにいるのです。
みんなそれぞれにコロナの影響を受けているようです。

自宅でミーティングをしたかったのですが、いまの自宅どこもかしこも倉庫状態です。
今月末から生活しながらの改装工事が始まるので、2階の荷物がみんな1階に集まっているのです。
ですから近くのサイゼリアでのミーティングになったのです。

今日から私のデスクトップのパソコンも1階に下ろしました。
なんとか接続がうまくいき、これからはエアコンのあるリビングで作業ができます。
ついでにベッドも1階のエアコンのある和室に移しました。
昨今の猛暑日続きを考えると、エアコンなしでは体調を崩しかねません。
エアコンはどうも好きになれませんが、もう少し生きることにしたので、ちょっとは妥協しなければいけません。

しかし最近は生きているだけで疲れます。
本当に困ったものです。

■4736:不思議なサプリが届きました(2020年8月21日)
節子
フェイスブックに出血のことを書いたら、それがかなり大騒ぎになってしまいました。
決して「嘘」は書いていないのですが、かなり断片的な、それもいささか思わせぶりな書き方をしたので、私が難病にかかったような受けとめをした人もいるかもしれません。
要は、手首の擦り傷からの出血の築かずに白いズボンを真っ赤にしてしまったことと前日から血液サラサラの薬を飲み始めたことをなんとなくつなげて書いてしまったのが原因です。

血液サラサラの薬は一時やめましたが、やはりあんまり調子がよくないので昨日からまた飲み始めました。
ところが今日、不思議な生き方をしているヒーラーの内藤さんが4種類ものサプリメントを送ってきてくれました。
いずれもドイツ製で、かなり高価のものです。
そのサプリを扱っている人も知っているのですが、正式には順序立てて飲まないといけないのだそうですが、それは辞退させてもらい、とりあえず血管を若が得させる効果のあるサプリを飲むことにしました。

サプリと近代医療薬が合うかどうかは、いささかの心配はありますが、好意は受けなければいけません。
暑さもあるのかもしれませんが、この数日、頭の後ろが何となくモヤモヤしているのです。MRIで撮影した脳の血管の写真のイメージに影響されているのかもしれません。
写真で見たあたりに、違和感を感ずるのです。
私は暗示にかかりやすいタイプなので、なかなか抜け出せないのです。

まあそんなこともあり、今日は終日、自宅でエアコンの効いた部屋で過ごしました。
エアコンの中での生活は、健康には良くないことは間違いありませんが、万一倒れたりしてはそれこそ気にかけてくださっている人たちに合わす顔もありません。
しばらくは少し慎重に過ごそうと思っています。

■4737:今日はエアコンなしに挑戦(2020年8月22日)
節子
暑いけれども今朝はさわやかな朝です。
もっとも昨夜も熟睡はできませんでしたが。

最近はテレビのニュースをほとんど見なくなりました。
2月から6月頃までは録画してまで、コロナ関連の報道などを見ていたのですが。
見なくなった理由は、ほとんどの報道に「事実」を感じなくなったからです。
解説者の「専門家」も「コメンテーター」もただただ放言しているだけで、まったく学んでいないような感じで、聞いていると混乱するだけだと感じたからです。
それに、感染者数にしても、死者数にしても、決して多くはありません。
自殺防止の活動に関わって、毎日100人を超す自殺者があることを知ってしまうと、死者数が数十人のコロナは瑣末な事象にさえ思えてしまいます。
どうしてこの程度の数字に一喜一憂するのかが理解できません。
コロナ騒ぎのおかげで、新型コロナ感染症での死よりも、別の要因での死者数が多いのではないかと思うと、問題の立て方が変わってしまいます。
それに「死」とは必ずしも生物的な死だけを意味するわけではありません。

いまの私の問題は、暑さによる熱中症や人と人の接触が回避される方向へと社会が動いていることです。
とりわけ人と直接会い、話す機会が減ってしまった。
まあそれも生命の定めのひとつですが、自然の定めによってではなく、人為的に加速されてしまっていることに違和感があります。

少なくとも昨年までは、毎週、10人を超す人と親しく会って話していました。
また自宅からも週の半分は出かけていました。
しかし、最近は、サロンがあるので、週2回ほどは湯島にも出かけ、10人以上の人とは会っていますが、ゆっくりと話す機会は減りました。
週のほとんどを自宅で過ごし、サロン以外で人に会う機会は激減してしまいました。
今週で言えば、リフォームの関係での打ち合わせの来客を除けば、地元で活動している友人2人とのミーティングだけです。
生活にリズムと刺激がないので、調子がよくないのでかもしれません。

エアコンの効いた室内にいるのも不調の一因かもしれません。
今日は早朝に起きて、リビングの窓を全開し、風をひきこんでいますので、快適な状況ですが、だいぶ気温が上がってきたので、エアコンを入れようかどうか迷っています。
むしろこういう時には、畑に行った方がいいような気がしますが、そこまでの元気はまだ出ません。
今日はもう少しエアコンなしで過ごそうと思いますが、何やら急に暑さが増しだしてきたようで、いささか心配です。

■4738:毎日重労働です(2020年8月23日)
節子
リフォームのために、まずは2階の改装部分を空にしなければいけません。
それで毎日少しずつですが、荷物を処分したり、場所を移動したりしていますが、ベッドを1階に下ろしたり、かなりの重労働です。
特にたまりにたまっていた資料や雑誌の廃棄も大変で、書籍の廃棄は面倒になってきたので、とりあえずの移動にしました。
それがかなりの重労働なのですが、そのせいか、昨日からまた腰に来てしまいそうです。
毎朝のテレビ体操のおかげで、腰痛の心配からは解放されましたが、今度は別の意味での注意が必要です。
重い荷物を持ち上げるときには注意しないといけません。

それでもかなり片付きました。
片づけると書庫も書斎も思った以上に広いことがわかりました。
所有物が多いといかに生活空間が狭められるかがよくわかります。

しかしその一方で、所有物は精神的な世界を広げてくれます。
書籍や資料はただ読むだけのものではなく、異質な世界への通路にもなっていますので、そこにあるだけで意味があります。
それに気づいたために、書籍の廃棄が途中で止まってしまったのです。
間違いなくもう読むことのない書類も廃棄できなくなってしまったのです。
そもそもかなりの蔵書、とりわけ講座叢書類はほとんど読んでいないものが多いのですが、書棚にあって時々背表紙を見るだけで、なんとなくその世界に遊べるのです。
それがなくなると、ちょっとさびしい気分にはなります。

リフォーム工事が終わるまでの2か月間、これまで馴染んできた書棚や資料の山とは切り離されて、倉庫のような空間で過ごすことになりそうですが、どういう変化が出て来るか楽しみです。

重労働もほぼ終わったのですが、今度は庭の植木鉢の整理もあります。
これもかなり腰に来る仕事なので注意しないといけません。

しかし重労働で汗をかくのは実に気持ちがいいです。

■4739:古いノート(2020年8月24日)
節子
毎日、古い書類や資料などの整理を少しずつしているのですが、いろんなものが出てきます。
もうすっかり忘れていた手紙や報告書なども、時に読みだして過去の世界に入ってしまうこともあるのですが、もうひとつかこのことを思い出してしまうのが私がかいたノートです。
節子がいなくなってから、なぜか自分のノートづくりはなくなりましたが、それまではノートづくりが大好きでした。
デスクの前には、私が関心を持っていたテーマ別に数十冊のノートがいつもおかれていました。
当時は、私だけの知の分類コードもあり、新聞や雑誌のスクラップも、その分類コードに応じて索引もできていました。
スクラップブックも数十冊あるのですが、これは仕事場の湯河原の仕事場に置かれていますので自宅にはありません。

ノートにはテーマ別のほかに、たとえば「時に立ち止って」「道を歩くために」「もう一つのあした」とかいうのもありました。
問題は大体においてノートの半分も行かないうちに放棄されて、空白の方が圧倒的に多いのです。

読書記録ノートも出てきました。
全く忘れていましたが、岩波書店の現代都市政策の叢書に関しては、1冊ごとに1冊のノートが取られていて、内容がていねいに要約されていました。
むかしはこうやって本の要約をノートしていたのです。
この全集は出版されたのがたしか私が会社を辞める前年だった気がします。
湯島をオープンした時には、湯島の書棚にこの全集を並べていました。そして湯島のオープンの時に来てくれた、都庁の我妻さんがその全集を見ていたのも思い出します。
我妻さんとは付き合いが切れてしまいましたが、いまはどうされているでしょうか。
そういうことが、思い出されてしまうので、整理はなかなか進まないのです。

もっと驚いたのは、大学時代の受講ノートが出てきました。
憲法と行政学です。
憲法は私の気に入った授業だったのでわかるのですが、行政学のノートもきちんととられていたのには驚きました。たしか先生は辻さんでしたが、この授業はいつか君たちの役に立つはずだと話していたのを思い出しました。
私自身はすっかり忘れていましたが、たぶんどこかで私の読書を方向づけていたかもしれません。

いささかたじろいだのは、節子が遺した何冊かのノートです。
その1冊は、闘病時代の検査記録です。
これはいまはまだ読み直す気力は出ませんが、残しておくことにしました。

今日も暑くなりそうです。
午前中は在宅なので、もう少し片づけをつづけようと思います。

■4740:兄夫婦との会食(2020年8月24日)
節子
兄夫婦と会食しました。
今年になってから初めてでしょうか。
2人ともいろいろ病気を抱えているのでコロナには慎重なのです。
兄は86歳、姉は83歳で、それぞれに心臓や腸に問題は抱えて病院通いですが、基本的には元気です。
兄はいまも松戸の小学校に頼まれて子どもたちを教える活動をしています。
今日は始業式だったので、午前中は学校に行っていたそうです。
他にも地元で囲碁を教えたりいろいろやっています。

兄と私だけで会うとすぐにぶつかり合いますが、今回は先方は夫婦、私も娘に同行してもらったので、和気あいあいの会食になりました。
お互いこの歳になるといつ突然に死んでしまうかわかりませんので、まあ時々会っておくのもいいかもしれません。
年齢的には私が一番若いのですが、こればかりは歳の順とは言い難い問題です。

年齢の関係で、私たちは会うと必ず兄がご馳走してくれることになっています。
数年に一回だけ、私がご馳走することもありますが、まあこのあたりの価値観はまだ昭和感覚なのです。
久しぶりに会うと話は広がりますが、しかし後で振り返ると病気の話が多かったです。
まあそれもまた「健全」なことかもしれません。

■4741:節子が逝ってから4741日目(2020年8月25日)
節子
今日で節子が逝ってから4741日目です。
この挽歌の数字は、節子がいなくなってからの日数に合わせていますが、毎年どこかでさぼって一致しなくなってしまいます。
今年の春にはたぶん2か月近くずれてしまったことがあったと思いますが(つまりそれだけ書かない日があったということです)、なんとか今日、追いつきました。
毎年、節子の命日には正しい数字で挽歌を書きたいと思っているので、夏になると毎日複数の挽歌を書くのがこの数年の有様です。

しかし、彼岸で平安に生きている節子と違って、現世にいると実にいろんなことがあります。
節子を忘れなくとも挽歌を書けない日もある。
節子を思い出せないほど忙しいか落ち込んでいるかの日もある。
それよりもこの数年は、春ごろになると、人嫌いの気分に陥ってしまい生きる気が減退してしまうのです。
そうなると挽歌も時評も書けなくなる。
今年の春もそうでした。
実はいまもまた、どうも人嫌いになりそうな状況です。

私の場合、人嫌いというのは、誰かが嫌いになるということではありません。
人への違和感が強まって、自らが人であることへの嫌悪感が強まるのです。
そして友人知人とのコミュニケーションがうまくいかなくなる。
いつもは、人の「良い点」に着目して人と付き合うのですが、逆に人の「共感できない点」に関心が向かい、ついつい非難したくなったり話したくなくなったりしてしまう。
自分の気持ちに素直に生きるのが私の信条なので、そうなると自分がどうも嫌いになってしまう。
困ったものなのです。

来週は節子の14回目の命日がやってきます。
秋の気配が高まって、今日も暑くなりそうですが、秋の暑さに変わってきました。
なぜか最近は、人嫌いに加えて、不安感が生まれだしています。
秋のせいでしょうか、あるいは14年前の記憶のせいでしょうか。

■4742:気が緩んで挽歌を早速に書き忘れました(2020年8月27日)
節子
追いついたと思って気を許してしまい、昨日も今朝も挽歌を忘れていました。
困ったものです。
まあそれでも自宅の改装のための準備に毎日取り組んでいるのです。
節子のものもいろいろと出てきて、その整理にも取り組んでいます。
懐かしいものや意外なものにも出会います。
コーラスグループの発表会の音声テープも出てきました。
しかしあまりにも多いので、思い切って多くは廃棄。
使っていた書類棚も廃棄することにしました。
こうしてだんだん節子の気配はなくなっていくわけです。

わが家は中途半端に広いので、これまで不要なものもついつい廃棄せずに溜め込んでおく傾向があります。
しかし今回そうしたものを整理するのがいかに大変かがよくわかりました。
節子でもこれほど大変なのですから、私の場合はもっと大変でしょう。
それに妻の遺品の整理と親の遺品の整理とは全く違うでしょう。
元気なうちに、私も遺品は思い切り少なくしておこうと思いますが、今回は選別しているのが大変なので取りあえず迷うようなものはすべて箱に詰めて、家のどこかに3か月は保管です。
そうすると実際の生活空間が狭くなる。
そんなわけでいまはちょっと不便な生活をしています。

私の仕事場はもう空にしたため、いまはリビングの片隅にデスクを持ってきてそこでパソコンをやっています。
そう言えば、ここには以前、節子のミニデスクがあって、節子はそこでパソコンをやっていました。
その姿を思い出します。

まあそんなことを思い出したりしているため、改装場所を空にする作業がなかなか進みません。
だからと言って、挽歌をさぼる理由にはならないのですが。

■4743:「新しいこと」が起きない生活(2020年8月28日)
節子
最近、身体の衰えを感じます。
まあ今に始まったことではないのですが、夏バテも重なってか、疲れがいつも残っている感じです。そのため、さあやろうか!という気分がなかなか出てこずに、暑さを口実に、今日も畑はやめよう、とか、本はやめてテレビでも見ようか、などとついつい消極的な選択をしてしまいます。
消極的な選択。
節子はいつも「積極的な選択」を選ぼうとしていました。
実際には、私が知る限り、むしろ消極的な選択も多かったのですが、意気込みや意識的な判断基準は「積極的な判断」でした。
試みないで後悔するよりも試みて反省するほうがいい、というのが節子の信条でした。
私もその信条は共有していましたので、どちらが先だったかはわかりません。
しかし、そういう信条をシェアしている人が隣にいると人生はとても楽しくなります。
節子がいなくなった数年して、そのことに気づきました。
つまりその後の人生は、そう楽ではないのです。

14年前の節子は、昨日と同じような1日を過ごせて幸せだったと眠りにつき、朝起きて、今日も昨日と同じような1日になりますようにと祈りました。
そこにはもう、積極的な選択とか消極的な選択とかはなく、ただただ静かな時間への祈りがありました。
なにも「新しいこと」が起きない生活。

コロナ騒ぎでいま広がっているのは、もしかしたら「新しいこと」が起きない生活かもしれないと、今朝、ふと思いました。
また節子の命日が近づきました。

■4744:生きているということは奇跡的なこと(2020年8月28日)
節子
テレビを見ていると不条理ともいえる多くの死が毎日報道されます。
泳ぎに行っての水死、行く途中や帰宅途中での交通事故死。
仕事途中での事故死や日常生活での不運な事故死。
犯罪に絡んだ殺人や身勝手な殺人も少なくない、
自殺者も決して少なくありません。

毎日、新型コロナ感染症での死者数が報道されますが、それ以外の死者数は桁がいくつも違います。
コロナでの死者数には関心を持っても、それ以外の死者数には思いも馳せないでいるのが現代社会かもしれません。
つまり、死者数の意味が全く違ってしまっているのです。

殺人や自殺や自らにかなり原因がある事故死の報道を見るために、人はなぜこんなに簡単に人を殺し自分を殺すのだろうと思います。
この感覚を強く持ち始めたのは、死を直前に闘病している節子と一緒にいるときに、知人が「いま自殺しようと思っているがなかなか死ねない」とメールを送ってきたときです。
その時には、生命を節子と変わってよ、と言いたかったですが、ただただ腹立たしかっただけです。彼が、節子と同じように、一生懸命に生きたいと思っていたことに気づいたのはしばらくしてからでした。

その後、死に関する報道に接するたびに、どうして人はこんなにも簡単に人を殺すのだろうという疑問とともに、生きているということは奇跡的なことなのだと思うようになってきました。

それにしても、「どうして人は人を殺せるのか」。
私には理解しがたい難問です。

■4745:生きる意味(2020年8月29日)
節子
昨日、生きていること自体が奇跡という思いを書きましたが、それを少し発展させると、生きる意味や目的にたどりつきます。
前にも書いたような気もしますが、改めて書いてみます。

私にとって節子は「生きる意味」を与えてくれる存在でした。
葬儀の時、隣人にそう話したことを思い出します。
奥さんが「生きる意味」なんて言えることに感動しますと言われたような記憶がありますが、しかし、ちょっと考えれば、これは当然ともいえることで、当時の素直な気持ちでした。

もし私が天涯孤独で、誰とも交流のない山奥か無人島で生きることになったとします。
私の生き続けるモチベーションはどうでしょうか。
いつかまた誰かに会えるという希望があればともかく、それが全く断ち切られたとすれば、たぶん生きる意味を失うでしょう。
生きている意味がないと言ってもいいでしょう。
将来誰かに会うことがあるかもしれないという思いがあれば、たぶんそれが生きる目標になります。
つまり「生きる意味」とは自分以外の人が与えてくれるのではないかと思います。

もしかしたら、それは必ずしも人間でないかもしれませんが、いずれにしろ「生きる意味」は自らの中にあるのではなく、他者にある。そう思います。
そうした「生きる意味」を与えてくれる人として「伴侶」を見つける。
私の場合、節子がその伴侶でしたが、伴侶が結婚相手とは限りません。
それに、伴侶が相互関係にあるわけでもありません。
恩師や親友、親子の場合もある。片思いのことは少なくないでしょう。
しかし、自分が生きていることに、意味を与えてくれる存在がなければ、人は生き続けることが難しいのではないかと思います。

人を殺してはならないのは、その人が生きる意味を与えている人の生を奪うからです。
これはもう少し敷衍しないとうまく伝わらないでしょうね。
もう少し書いてみようと思います。時々、になるとは思いますが。

■4746:暑さもまた良し、と思えなくなりました(2020年8月30日)
節子
暑い日が続いています。
あの年を思い出します。
あの年も暑かった。

同じ自然現象も、自分が置かれた状況によって全く意味を変えてしまいます。
若いころは、この暑さが魅力でした。
暑さが苦手になったのは、いつのころからでしょうか。
そのうえ、暑さには節子の闘病の記憶が重なってしまった。
そのため、暑さはただ暑いだけではなくなってしまいました。
困ったものです。

今週から自宅のリフォームが始まります。
ほぼ準備は終わりましたが、この2か月は大変でした。
なにしろ過去を消去する作業でもあったのですから。
暑くて暗い夏の思い出も消去できればいいのですが、それは難しいでしょう。

節子が新聞に投稿した「いいとこだけ日記」の記事も出てきました。
「いいとこだけ記憶」ができるようになればいいのですが、どちらかと言えば、記憶には「いいこと」よりも「悪いこと」が残ります。
しかし、これもまた暑さと同じで、同じことでも、状況によって「良い」か「悪い」はは変わり得ます。
というよりも、人生においては、「悪いこと」がなければ「良いこと」も起きないのです。

暑さもまた良し、なのですが、なかなかそういう気分にはなれないのが最近です。
これも歳のせいかもしれません。

■4747:8月は何もしなかった気がします(2020年8月31日)
節子
先週から庭のコオロギの鳴き声が大きくなってきました。
まだ暑さはつづいていますが、秋を感じます。
しかしまだ畑に行ったり庭の手入れをしたりする気分にはなれません。

最近はテレビの報道番組を見なくなりました。
新型コロナ関連にはまったく興味を失いましたが、最近は、安倍首相の辞任ニュースで持ちきりですので、見る気にもなりません。
リフォームの準備もほぼ完了したので、時間ができていますが、そうした時間の埋め合わせにテレビの刑事ものドラマをよく見るようになりました。
節子がいたら驚くでしょう。
娘からは呆れられています。

しかしテレビドラマでも時々、涙が出そうになることもあります。
名言もあり、そんなときには、この挽歌でも取り上げようと思うのですが、少し経つともう忘れてしまい、その感動的な名言も思い出せません。

今日で8月も終わります。
思い返せば、何もしなかった8月でした。

さて明日からはもう少ししっかりと生きようと思います。

■4748:人にとって何が大切か(2020年9月1日)
節子
あなたもよく知っている渕野さんがFBでこんなことを書いていました。

コロナ禍で友人と直接会うことが極端に減りました。
最初は寂しいなと思いましたが、今ではすっかり慣れてしまいました。
会うのが億劫で面倒くさいなとさえ思うようになりました。
会わないのが当たり前になっています。
慣れは怖いですね。
一種の「自閉症」かもしれません。
「いつか」「そのうちに」なんて言っていたら、生きているうちにもう会えないかもしれません。
「いつまでも」いのちがあるわけではありません。

とても共感できます。
渕野さんは、自分自身ががんでいつどうなるかわからない状況の中を、実に精力的に人と会い続けていました。
幸いに5年間を過ぎた今も元気で、一応、がんの心配からは解放されましたが、その彼が書いている言葉には説得力があります。

実は渕野さんから呼びかけで、8月の初めに数名の会食を予定していましたが、感染者数が急増してきたため、彼の決断で直前に延期されました。
たぶん参加者を気遣ったのだと思います。

その記事に、他の人が還暦祝いに同窓生で会おうと思っていたが延期になったと書いていました。
こういう人も少なくないでしょう。
なにしろ今年の夏は、お盆のお墓参りで故郷に帰ることさえが回避されました。
私たちの生活をコロナ騒ぎがおかしくしているのです。
どう考えてもおかしな話です。

マスコミが異常に騒ぎ立て、みんなを委縮させている現状の先に、私は大きな不安を感じます。
人にとって何が大切か。
それを思い出さなければいけません。

■4749:明日からリフォームの工事が始まります(2020年9月2日)
節子
少し暑さはやわらぎましたが、湿度が高く、じっとりした1日でした。
明日は節子の命日ですが、明日からリフォーム工事が始まるので、まずは工事にかかる3つの部屋を完全に空にしました。
ほとんどやっていたはずなのに照明器をはずすとかカーテンをはずすとか、結構最後が大変でした。汗びっしょりになりました。
それで節子の位牌壇を飾る余裕がなくなりました。
明日の朝、花は買いに行きましょう。

部屋にあったものをすべてなくすと、部屋が意外と広いのに驚きます。
狭い仕事場の壁一面の書棚から書籍をすべて出し、その向かい側に置いていた書棚も部屋の外に出したら、結構広いのです。
モノが世界を狭くしていたのです。
ふと知識もまた世界を狭くするなと思いました。
リフォームの過程で気づいたことは多いですが、その実際の作業が節子の命日から始まるということにも不思議なものを感じます。
予定では、もう始まっているはずだったのですが。

結婚して家を出ていた娘の部屋も今回改装の対象です。
ここもベッドとかいろんなものの倉庫になっていた感がありましたが、すべてを撤去するとここもまたイメージが変わります。

今回の改装は、できるだけ活かせるものは活かして、雰囲気も残そうと考えていますが、どうもそれは難しそうです。
世界がまた変わるかもしれません。
変わらないかもしれませんが。

■4750:真紅のバラの花束(2020年9月3日)
節子
今日は節子の14回目の命日です。
ちょうどその日に家の改装が始まりました。
節子の世界がまた少し消えていきます。

朝8時過ぎには工事関係の人たちがやってきたので、バタバタしていて、位牌壇を整える間もありませんでした。
お店の開店に合わせてユカが花を買いに行ったのですが、その間に花が届きました。
昨年の13回忌を機に、命日の供花は基本的にお断りし、まあ気楽に家族で会食することにしていたのですが、思わぬ人からの花でした。
節子も知っている升田淑子さんからの真紅のバラの花束です。

メッセージが入っていました。

宇宙は愛なり
愛は宇宙なり

宇宙は花園なり

花に想いあり
花に集いあり
花に和みあり

花に愛あり
花に宇宙あり

最近、升田さんとのメールのやり取りで、そこに込められたメッセージが伝わってきます。

ちなみに、真紅のバラは、節子の好みでした。
節子が湯島に行けなくなった時に、湯島の部屋の入口に造花を残しました。
それが真紅のバラと純白のカスミソウでした。
カスミソウはなくなりかけていますが、バラはいまもしっかりと残っています。
玄関は暗いので、時に生花と間違える人もいます。
升田さんは、湯島に来るたびに、きっとそれを見ていたのでしょう。

今日は命日ですが、終日工事なので、お墓参りは夕方になりそうです。
お墓参りが終わったら、家族で食事でもしようと思います。

■4751:また指を切ってしまいました(2020年9月4日)
節子
昨日また手の指を危うく切り落としそうになりました。
庭中に広がった琉球朝顔の整理を始めたのですが、広がりすぎたところを面倒になってバサッと切り取ることにしたのです。
それで枝切はさみで茂みに立ち向かったのですが、手が滑って自分の指を切ってしまいました。
手袋もしていなかったので、みごとに1センチくらいが深く切られてしまい、また鮮血が噴出しました。
なにしろ買ったばかりでよく切れるのです。
慌ててユカに手入れしてもらいましたが、切った途端に指を強く抑えたのが功を奏し、大事にはなりませんでした。
しかしまた部屋の床にまで血が垂れてしまい、一見大事になったのです。
いつも思いつきで準備なしに無茶をするのはやめろとまた娘に叱られました。
命日なのに節子も呆れているよとも言われました。
困ったものです。

性分は直りません。
まあ直らないから性分なのですが。

幸いに迅速の手当のおかげで、血はすぐに止まり、夜に包帯を変えたときにはもう大丈夫そうでした。痛みもありません。

節子がいなくなってからの14年目が始まりましたが、あんまりいいスタートではありません。
今日はまた病院でMRIをとる予定ですし。

■4752:知者ほど無知(2020年9月5日)
節子
昨日病院で再検査をしましたが、結局は血液凝固防止薬を飲むことにしました。
MRIでとった脳の写真を見せられて、薬を飲みたくないという要望も一蹴されました。
もっとも私に反論ができなかっただけで、納得できたわけでもないのです。
血液本来の性質を意図的に制約するのは基本的にあまり納得できません。
それに2か月ごとに経過検査もすることになりました。
まあこれで私も現代の高齢者になれそうです。
しかし血が止まりにくくなりそうなので、出血しないように注意しなければいけません。

生命現象は実に不思議です。
いまだなお人智の及ぶところではないことが多いでしょう。
つまり「知者ほど無知」というジレンマがそこにある。

「知者ほど無知」ということは、最近ますます確信が強まっています。
何かを知ることは何かを見えなくすることでもある。
湯島のサロンでみんなの話を聞いていて、いつも痛感することです。
もちろん私にも当てはまります。
私自身は以前からずっと「知識」から自由に思考するというように心がけてきていますが、時に知識をひけらかしてしまい、後で自己嫌悪に陥ることは多いです。
幸いに私の場合、あんまり記憶力がよくないばかりか、知識を他者に伝えるのが我ながら不得手です。でも時に「知識」に頼ってしまうことがあり、知識がシェアされていないことにいらだちを感ずることもあります。勝手なものです。

他者とのコミュニケーションにとって「知識」は両刃の剣です。知識がないとコミュニケーションできないこともあれば、知識がコミュニケーションを邪魔することもある。
このことに気づいたのは大学生の時ですが、それから半世紀以上生きてきたのに、そのジレンマを克服する術が見つけられずにいます。

今日は朝から、何やら難しいことを書いてしまいました。
風が爽やかだったこともありますが、疲れがちょっと回復したおかげかもしれません。

今日も朝から大工さんが来て、家の改造工事をしています。
本当は手伝いたいのですが、現代の文化ではかえって迷惑でしょう。
リフォームを通じて、何やら不思議な時代になっているのに気づかされます。

■4753:人生最後の喜びは、死によってもたらされる(2020年9月6日)
節子
今日の時評編に「知者の喜び」と題して、海洋学者のペテルソンの言葉を紹介しました。
ペテルソンが死を意識した時に息子に語った言葉です。

死に臨んだとき、わたしの最期の瞬間を支えてくれるものは、この先になにがあるのかというかぎりない好奇心だろうね。 

死後の世界は実に興味深い。
向うに行ったら向うの様子を伝えてほしいと節子にきちんと頼まなかったのが悔やまれますが、一度、庄崎さんを通して、向こうの世界の節子の様子を教えてもらったことがあります。
何となく予想していたのとつながりましたが、間接的でしたので、違和感もありました。
やはり自分で直接体験してみたいという思いを強めました。

そういうことを考えれば、死はあまり恐ろしいものではなくなります。
私の場合は、そこに節子がいるということもあるので、いつ死んでもいいという思いが根底にあります。
しかし、そうはいっても、私の周りには節子だけではなく、娘もいれば仲間もいる。
そうした人たちへの迷惑はできるだけ避けたいので、それなりに死のタイミングは考えなければいけません。
死後の世界を見たいからと死を急ぐわけにもいきません。
現世はもう見残したところはあまりありません。
パルミュラ遺跡は行きたかったですが、ISが壊してしまった。
エジプトはもう一度行きたかったですが、もう無理でしょう。
そう考えれば、もう見残したところはありません。
そうなるとますます死後の世界が魅力的に感じます。

死んでしまえば、すべてがなくなるという人がいますが、そう思う人はもう既に存在していないとしか私には思えません。
知らない世界、わからない世界を、否定してしまうほどの知ったかぶりの偽の知者にはなりたくないと思います。
人生最後の喜びは、死によってもたらされるのです。

■4754:バカであっては生きる価値がないが、バカでないと生きられない(2020年9月7日)
節子
時評編で報告しましたが、昨日、湯島で「安倍首相辞任表明で思うこと」をテーマにサロンをやりました。
12人の参加者があり、予定を超えて話し合いがつづきました。
しかし、報告に書いたように、空しさだけが残りました。
安倍首相の人気も上昇し、安倍さんが「かわいい」という若者にも昨日、会いました。サロンで、ではありません。
こんな人たちと同じ時代を生きていると思うだけで、元気が失われそうです。

テレビの報道番組やわけのわからないコメンテーターやタレントの発言を聞くとますます嫌気がさすので、最近はテレビではドラマや映画しか見ないようにしています。
しかし、そうしたところでもまた、腹立たしい話が多いのです。
汚染された組織、独りよがりの正義感、上司の指示で動く隷従者、ばかげたルール…。
そしてフェイスブックを読むと、さらに馬鹿げた話ばかりです。
かつて大宅壮一が「一億総白痴化」という言葉を使いましたが、まさに現在の日本国民はそういってもいい気がします。

身体的には調子は戻ってきましたが、そんなわけで気分的には相変わらず元気になれません。
サロンをやるたびに、空しさも増えてくる。
自分がどんどん社会から脱落してきているのを思い知らされるのは、あんまり気分のいいことではありません。

今日はついつい2つのテレビドラマ(2時間モノのサスペンスドラマ)と2本に映画(「片目のジャック」と「オデッサ・ファイル))を観てしまいました。
バカでないと生きられない。しかし、バカであっては生きる価値がない。
そんなことを感じた1日でした。

念のために言えば、ここでの「バカ」は悪い意味で使っています。

■4755:今さらながらの気づき(2020年9月8日)
節子
台風が通過し、秋の気配は強まっているのですが、暑さが一向に和らぎません。
今日も暑さが続いています。
大工さんも来ているので、在宅していなければいけません。
風があるので、今日は窓を全開して、エアコンなしで過ごしています。
大工さんは2階のエアコンのないところで汗だくだくで作業をしていますので、その下でエアコンの中でのうのうと過ごしていることは私にはできないのです。
昨日は大工さんがお休みでしたので、1階でエアコンをつけてテレビ三昧でしたが、今日はそういうわけにはいきません。

わが家の1階のリビングは開放的なので、四方から風が入ってきます。
だから意外と涼しいのですが、いまは荷物があふれていて、南側の窓は開けるのが難しいので締切りです。
でもまあ涼しいのです。部屋の中の温度計は30度を超していますが。

改造作業中には、大工さん以外にもいろいろな人がやってきます。
設計士の人やインテリア担当の方、さらには水道屋さんがやってきます。
まあそれなりにいろいろあるのです。
別に付き合う必要はないのですが、何かと落ち着きません。
まだ始まったばかりで、これが2か月ほど続くようです。

わが家にはお金はもちろん高価なものは何もないので、私がいなくても問題はないのですが、それでは大工さんが困るでしょう。
行動が制約されるのが、こんなに窮屈なことなのかを改めて気づかされています。
節子が元気だったころは、本当に自由に飛び回っていました。
その分、きっと節子がいろんな意味で支えてくれていたのでしょうね。
いささか遅くなりましたが、ありがとう。

■4756:自然とのつきあい(2020年9月9日)
節子
最近のささやかな楽しみは、先日孵化したメダカを見ていることです。
空き瓶の中で泳ぐメダカを見ていると飽きません。

水槽を見ていると心がやすまるといわれます。
それで湯島にも一時期、メダカやエビなどを飼っていたことがありますが、節子が湯島に行かなくなり、私も毎日行くのを止めたので飼えなくなってしまいました。
自宅の水槽の魚やエビも、節子がいなくなってからはなぜか定着しなくなりました。
節子がいたころは、熱帯魚の水槽もありましたが、いまは小さな水槽しかありません。
そこにも長いこと魚は不在でしたが、この春以来、ようやくメダカが定着したのです。

定着したとえば、パピルスもようやく根付きました。
3度目の正直ですが、杉野さんからのパピルスが今度こそきちんと根付きました。
もう大丈夫でしょう。
このパピルスを見ているのも飽きない楽しみの一つです。

今までは庭の手入れは私の担当でした。
次女家族との同居で、庭の手入れも今度は次女が担当です。
長女は土があまり好きではないので、ベランダには植物を植えたくないと言っています。
同居したらどうなるでしょうか。
自然とのつながりは、いまとは一変するかもしれません。

ちなみに、いまの1階は、アリやクモがよく歩いています。
カマキリの子どもが生まれたこともありますし、
トンボが入ってきたこともあります。
私があえて排除しないからです。
次女家族と同居したら、私は2階で暮らすので、そうはならなくなりそうです。
メダカはどうにかなりますが、バッタなどとは縁が遠くなりそうです。
自然との付き合い方も変わりそうです。

■4757:朝のスタイル(2020年9月12日)
節子
自宅のリフォームもあり、在宅しなければいけないこともあって、生活はますます単調になってきています。
そのため、挽歌もうっかり書かずに終わってしまうということも少なくありません。
今朝気づいたらまた2日間、書いていませんでした。

最近の私の生活は定型化しています。
朝起きるとまずはコップ一杯の水を一気飲みします。
水が嫌いな私にはこれはかなりの苦痛ですが、1週間ほど前から始めました。
つづいて節子の位牌の前の水を替え、線香をあげて、時に般若心経です。
以前はきちんと般若心経を唱えていましたが、最近は省略版です。
それからテレビ体操を10分。汗をかいてしまいます。
それから最近はダイニングに仮置きしているパソコンでメールとフェイスブックをチェックして返信。
そして朝食。まずはレタスを食べて、時に牛乳でラッシーをつくって飲み、それからコーヒーを淹れて、それを飲みながら新聞を読みます。
新聞は読むところがないので、5分もあれば終わってしまい、それから娘が起きて来るのを待ちます。
最近は、その間、メダカに餌をやります。
ここで庭の花に水をやらなければいけないのですが、この1週間はどうもその元気もなくて、さぼっています。
本来はこの時間で、挽歌を書くはずなのですが、ついついそれもさぼってしまう。
困ったものです。

まあそんなこんなしていると7時になるのですが、娘が下りてきて、朝食が始まります。
朝食と言っても、トーストなのですが、運がよければ、いろいろとついてきます。
節子の習慣で、朝の果物は必須です。
本当は卵料理も食べたいのですが、娘が朝は軽食なので、作ってもらえません。
その代わりに青汁のバナナジュースが毎日の決まりです。あんまり好みではありません。
朝食が終わると最近は5種類の薬を飲みます。
最近はこれも習慣化し、忘れることはほとんどありません。

これで朝のルーティンは終わるのですが、少しすると大工さんがやってきます。
そしてなんとなく動きが制約された1日が始まるというわけです。
まあそうはいっても、1日1回は外出するようにしています。外に行かないと落ち着かないのです。

最近、ようやくまた本を読む気が戻ってきました。
久しぶりにボードリヤールを読んだりしています。
今回の家の改造で、書籍の収納場所は1/3になりました。
まあ1000冊ほどの書籍はすでに電子データ化していますが、ほとんどの本はまだ手書きのメモがどこかに残されている程度ですので、なかなか廃棄する気になりません。
読んでいない本も少なくありません。
書籍は、読まなくとも身近に置いておくだけでも内容は伝わってくるものなのですが、書庫もなくなるので、どうしようか悩みどころです。

改装工事は10月いっぱいは続き、完了は11月前半の予定です。
今までは1階と2階の往復の生活でしたが、今度は2階中心なので、階段の上り下りが激減します。
足が弱らなければいいのですが。
まあそんな先の心配よりも、いまは夏バテを心配したほうがよさそうですが。

今日はなんだか急に涼しくなってしまいました。
1週間ぶりに湯島のサロンに行く予定です。

■4758:湯島に一人でいると心がやすまります(2020年9月12日)
節子
最近は湯島に行く回数はますます減っています。
サロンを開くモチベーションが減退しているのです。
管理費や光熱費、電話料などで毎月3万円ほどの負担になりますが、これを維持するのもだんだん難しくなってきているので、売却しようと思ったりもするのですが、湯島にはやはり特別の思いがあって、踏み切れません。
それに湯島がなくなると、たぶん私と社会との接点は大きく減ってしまうでしょう。

場所といえば、もう一つ湯河原があります。
ここは年に1回くらいしか行かないのですが、荒れ放題で生活も難しいかもしれません。
ここは将来の仕事場・隠居場にする予定だったので、書籍も一時期かなり送っていますが、手入れ不足でひどい状況になっていることでしょう。
売却したくても売却できず、毎月の管理費だけが負担になっています。

最近も一度書いたことがありますが、マルチハビテーションは節子との老後計画の柱でした。今にして思えば、資金の裏付けもない夢物語だったかもしれません。
今はその付けが回ってきて、そうしたところを維持していくために資金の苦労をさせられています。
いずれも処分するのがいいことはよくわかっています。

しかしなかなか処分する気になれないのは、そこには思い出があまりにも残っているからです。
今日も午前中から湯島に来て、ボーっとしていましたが、ここで一人でいると何やらとても心が安らぐのです。今でも節子がいるような気がします。
湯河原もそうです。
湯河原にかかる費用がなければ、一泊10万円の旅館に数泊できるよと娘から言われますが、たぶんそこでは得られない何かがあるのです。

いま自宅を改造しています。
節子と共に過ごした部屋の様子は大きく変わります。
湯島はその緩衝材になるかもしれません。

サロンまでまだ1時間ありますが、引き続き無為にボーっと過ごしていようと思います。
外は雨です。

■4759:「コモンズ」意識(2020年9月13日)
節子
昨日のサロンには9人の人が参加しました。
みんな比較的よく参加してくれるメンバーです。
しかし、考えてみると、節子がいた頃のサロンに参加していた人はほとんどいません。

以前のサロンと違い、最近のサロンは土日開催がほとんどです。
ということは、わざわざサロンのために出てきてくれるのです。
しかも多くの人が参加費として会費まで負担してです。
以前は、会社帰りにビールや軽食を食べようというような人もいたでしょう。
平日の夜の開催で、会費はなかったですし、節子がビールや軽食をいつも用意していたからです。
今では逆にお菓子を持ってきてくれる人もいますし、会費も時にワンコイン以上をれている人もいます。
忘れる人も多いのですが、督促もしないのに次の時に入れている人もいるようです。

サロンが終わるといまは参加者が自発的に後片付けをしてくれます。
私が頼んだわけではありません。
なかには早目に来て、用意したりトイレの掃除をしたりして来る人もいます。
実に不思議です。

椅子が古くなって壊れだしたのですが、それでは寄付しようという人まで出てきました。
見積もったら40万円もかかったので、さすがに辞退させてもらいましたが、自然とここはみんなで維持しようという「コモンズ」意識が生まれだしているのがとてもうれしいです。

湯島は実に不思議な世界です。

■4760:家族の構造(2020年9月14日)
節子
家の様子が一変してきています。
今日も朝から大工さんと現場監督の方がやってきて、打ち合わせをしていましたが、ともかくがっちりと作ってあるので、リフォームは大変だそうです。
この柱を抜くと上の部屋が支えられないとか、いろいろと専門的な話をしていました。
私も内部構造を見て、こんなに木材を使っているのかと驚きました。
外からは見えないところでいろんな支えが仕組まれているのです。
その要になる柱が抜かれると構造は一気に弱くなり、時に壊れてしまう。

先日撮った私の脳のMRIの写真では、脳内の血管が写っていましたが、それもどこかが急に詰まってしまうと死に至るそうです。
私の場合、写真では2本の細い血管が切れてしまっているように見えましたが、医師の説明では、徐々に細くなってきたので、周囲がなんとかしようと頑張って、血管の先に血液を流すようにみんなで頑張るようになっていると説明してくれました。
壊れ方によって、いろいろと違うようです。

家族の場合はどうでしょうか。
わが家の要は、私ではなく節子でした。
要となっていた柱が不在になって、一時は家族全体がおかしくなった。
しかし、時間をかけて遺された家族でなんとか新しい家族関係を構築してきました。
まあそういう言い方ができますが、実際には、家族は微妙なバランスで成り立っていますので、その一部がなくなれば、どうしても変質してしまう。それでいろんなほころびも生じかねない。
親子関係のゆえに、過剰な我慢や思いやりが働く一方で、親子関係であるが故の過剰な思い込みや不安も出てきます。

物質的な家屋の硬い構造と生命的な脳の柔らかな構造は全く違いますが、いずれからも、家族のあり様を考えるヒントが得られます。
節子がいなくなったあとの家族に、もし節子が戻ってきたら、どんなことになるか。
考えると面白い。
そして、もし節子でなくて、いなくなったのが私だったらどうなっているだろうかと考えるのは、もっと面白い。

今日は涼しくて肌寒いくらいです。

■4761:死者と共に生きる(2020年9月15日)
節子
サロン参加者の一人から、最近元気がないと叱られました。
痩せたのではないかとも言われました。

実際にはコロナ騒ぎ以来、外出が減り、お菓子を食べ過ぎて2〜3キロ太ってしまい、いま減量を意識していますが、まだ体重的には2キロほど、多いのです。
痩せたといわれるのは、もしかしたら、私の生きる意欲の減退がそう感じさせているのかもしれません。
生きる気魄がなければきっと外観的にも小さく見えるのでしょう。
体重的に減量すると同時に、生きる意欲を取り戻さないといけません。
人は身体で生きているわけではないですから。

ボードリヤールの「象徴交換と死」を読み直しているのですが、そこにこんな言葉が出ていました。

人は死なねばならぬから死ぬのではない。それほど遠くない過去のある日に、意識に押しつけられたひだであるから死ぬのである。

ヴァスギャンという人の言葉だそうです。
文中に出て来るのではなく、タイトルの次に、この言葉だけが掲載されていることもあって、意味がよくわからないのですが、何やら気になる言葉です。
ヴァスギャンとは何者かも、わかりません。
しかし、死は未来にあるのではなく過去にあるというメッセージは何となく納得できます。つまり死は予知できるということです。あるいは回避できるとも言えるでしょう。

そもそも「死」とはなにか。
「象徴交換と死」でボードリヤールはこのように書いています。

未開社会から近代社会へと進むにつれて、少しずつ死者たちは実在しなくなる。死者たちは集団の象徴的循環の外へと追放される。死者たちは生者たちの集団からますます遠くへ、家庭的親密さから墓場へと追放される。

言い換えれば、未開社会にあっては、死者もまた生者と共に生きていたのです。
というように考えていくと、「生きる意欲」とは一体何なのか。
でもまあ、他者から元気がないといわれるのはやはりよくない気がします。
意識を変えなければいけません。
まあちょっと面倒ではありますが。

■4762:不死の薬(2020年9月16日)
節子
時評編に書いたのですが、もし「不死の薬」があっても、いまの私は飲まないでしょう。
しかし、節子がいたときには、そして2人で飲めるのであれば飲んだでしょう。
一人で生きるのはつらいですが、2人で生きるのは楽しいからです。
そこに生と死を考える上での大切な何かがありそうです。
「生きる」ということは、たぶん「人と関わる」ということです。
人との関わりが全くなければ、生き続けることは難しいように思います。

自殺は、実は実際に自らの生命を断つ前に、他者との関係を断ってしまっているのでしょう。あるいは、他者から関係を断たれてしまっている。だから自殺できるのかもしれません。そうでなければいのちを断つことなどでできないでしょう。
死と生との関係は、必ずしもコインの表裏ではないということです。
そうであれば、生きているのに死んでいる人がいるといってもいい。
死んでいるのに生きている人がいるとお言えるかもしれません。
と考えていくと、そもそも「不死」とは何かということになる。
そして「心中」ということにたどり着きます。

「心中」こそが「不死」の秘訣なのかもしれません。
またわけのわからないことを書いてしまいました。
フレデリック・ブラウンの短編集を読んだのは50年ぶりです。

どうして今も私が生きているのか、ちょっと不思議です。
私の勘違いではないと思うのですが。

■4763:退屈しきっていますが(2020年9月17日)
節子
一昨日、久しぶりにメディアに出ました。
北千住にある地域インターネットテレビですが、発達障害当事者会の冠地さんに頼まれたのです。
わずか15分の出演でしたが、久しぶりに面白かったです。
そう言えば最近は人の前で話をする機会がなくなりました。
というか、生活行動範囲がどんどん狭まってきています。
以前のように、生活範囲がどんどん広がっていく感覚が持てなくなっています。
会社を辞めて、節子と一緒に個人オフィスを開き、世界が毎日どんどん広がっていた頃の高揚感はいまはありません。
さびしいといえばちょっとさびしいです。

これが人生なのかもしれません。
人生にもまた、四季のように、夏もあれば冬もある。
さびしい時もあれば、輝かしい時もある。
しかし、最近はあまりに変化がなくて、世界の風景もあまり変わらず、ちょっと退屈が過ぎている気もします。
体力を使わなくてもいいような、なにか新しい刺激がほしいですが、なかなか見つかりません。
あまりに単調な毎日に、ちょっと退屈し切っていますが、だからと言って、何か新しいことを始めようというまでには至りません。
困ったものです。

■4764:秋はいい季節です(2020年9月18日)
節子
秋は果物の季節です。
私が好きな果物は日本イチジクと熟しすぎた柿です。
昨日は次女のジュンが熟した柿が半額になっていたと近くの八百屋さんから買ってきてくれました。
長女のユカは一昨日、イチジクとブドウを買ってきてくれていたので、最近は果物三昧です。
私はグルメでもなく、食生活は質素ですが、野菜と果物があればもうそれで十分なのです。
一時高くてなかなか買えなかったレタスも最近は安くなってきましたし、秋はいい季節です。
節子にも果物はいつも供えています。

シャインマスカットが八百屋さんで安く売っていたと娘が買ってきてくれました。
そして半分を次女家族に持っていくというのです。
シャインマスカットは高価なのでなかなか買えないのだそうです。
シャインマスカットがなんで巨峰より高いのか理解できませんが、わが家では、そして次女家族の家でも、シャインマスカットはなかなか買えない「ぜいたく品」のようです。
わが家は、それほど貧しかったのか、と改めて、娘たちにはわるいことをしたなとちょっと思いましたが、まあ貧しいことは悪いことではないでしょう。
幸せを体験しやすくなるのですから。
まあシャインマスカットを食べるとどうして幸せになるかはわかりませんが。
しかし、手が届かないものがあるということは幸せなことです。
手が届いた方がいいと思う人もいるかもしれませんが、まあ体験的に言えば、届かない方が多い方が幸せでしょう。
なにしろ夢がたくさんあるからです。

さて今日は半額の柿と特売のイチジクと、安売りのミカンと巨峰と社員マスカットと、それにバナナと、まあ贅沢な1日でした。
これでこんなに幸せになるのですから、秋は本当にいい季節です。
ちなみに長女のユカは栗が大好きで、毎日栗を食べています。
母が元気な時には栗を毎年たっぷり送ってくれる人がいたのですが、いまはもう届きません。
節約家の娘は、安い栗が見つかるとどっさり買ってきて冷蔵庫で保管しています。
私も今日もお相伴になりましたが、今年の栗はとてもおいしいです。
でもまあ私は、イチジクと熟しすぎた柿があればそれでもう十分です。

■4765:トイレ掃除(2020年9月19日)
節子
今日は湯島のサロンですが、早目に来て、トイレ掃除をしました。
というのも、先日、サロンの参加者のおひとりがサロンが始まる前にトイレ掃除をしているのに気づいたからです。
私は、掃除が苦手で、適度に散らかっているのが落ち着くタイプなのですが、トイレだけは時々気になってはいましたが、めったに掃除はしないでいました。
しかし参加者に掃除をさせてはいけません。
そこで、実は先週、取り組んだのですが、その途中に肝心のその人が来てしまったのです。
それで途中で終わってしまいました。
そこで改めて、今日また再挑戦し、便器の水垢をきれいにしました。

もう20年近く前になりますが、イエローハットの創業者の鍵山さんの指導で、公衆便所をきれいにする活動に参加しました。
たしか箱根湯本か強羅の公園のトイレだったような記憶がありますが、10人くらいの仲間と参加しました。
その体験を踏まえて、わが家のトイレ掃除は私が担当すると公言しましたが、まあいつものように1年もたたずに忘れてしまいました。困ったものです。
まあしかし、そのおかげでトイレ掃除には抵抗がなくなっているのです。

今日は午後からオープンサロンです。

■4766:さびしい時代(2020年9月20日)
節子
今日は地元でやっているまちづくり編集会議の集まりでした。
いつも借りている場所で行ったのですが、コロナ感染予防のために椅子の数が少なくなっていました。
しかも間隔を置いての利用です。
なんとなく気分が出ません。
こういうことが重なって、人のつながりは薄れていくのでしょう。
なんだかとても寂しい気持ちになりました。
まあ最近は元気を吸い取られるようなことがともかく多いです。

昨日のサロンで、久しぶりに参加してくれた女性は、マスクなしで街を歩いていたら、罵倒されてといいます。
いわゆる自粛警察ということなのだそうですが、まあ罵倒する人はたぶん追いつめられているかわいそうな人なのでしょう。
みんなともかく追い詰められていて、どの鬱憤をどこかに吐かせたいのです。
さびしい時代です。

そう言えば、数年前に「さもしい時代」をテーマにしてサロンを2回ほどやった記憶がありますが、時代はますます「さみしく、さびしく、そしてかなしく」なっているのかもしれません。
私が元気が出ないのは、もしかしたら私の素直なさの故かもしれない。
つまり私の主体性のなさで、時代の気分に染まっているのかもしれません。
困ったものです。

■4767:お彼岸のお墓参り(2020年9月21日)
節子
どうも最近、季節感覚というか時間感覚がおかしくなってきていt、明日がお彼岸だということもうっかり忘れていました。
そこで、今日はお墓にお見舞いに行きました。
お昼過ぎだったこともあってか、お墓は閑散としていました。
般若心経を挙げさせてもらいましたが、今日はうまく声に出てきて、最後まで唱えられました。
前回は、思い出せないばかりかろれつまでおかしくなって、病院に行ったのですが。

お墓のある宝蔵寺は、相馬霊場88か所巡礼の84番札所です。
今日はお墓に直行で本堂へのお詣りもさぼってしまいましたが、帰り際にお寺の入り口の表札を見て、そこに書かれている「84番札所」に気づき、やり残している札所巡りを思い出しました。
今年はあまりに急に暑くなったために、歩きそこなったのです。

昨年思いついて7月初めに歩き出したのですが、予定では3日目にこのお寺で満行する予定でした。しかし1日目に頑張りすぎて、翌日は歩くどころではなかったのです。
困ったものです。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2019/07/post-0f8cf7.html

「84番札所」という文字を見たら、また急に歩きたくなりました。
最近の体力を考えるといささかの心配はありますし、ユカはやめてよ、と言っていますが、行きたくなるとそう簡単には止められません。
困ったものです。
しかし、いまは家の改造もあり、あんまり勝手な行動はできません。
11月になるまでは待とうと思います。

■4768:中庭と裏庭がとんでもない状況です(2020年9月22日)
節子
放置していた家の裏の細長い空き地と裏庭は、かなり悲惨な状況になっています。
その一部は、節子の発想で、玄関から見える中庭になっています。
節子がいた頃はそこもきれいにし、夜はライトアップされるようになっていました。
しかし誰も手入れしなくなった今は、蔦やいろんな木で足の踏み場もないほどです。
中庭の真ん中に置かれた大きな鉢も割れてしまい、いまはその台があるだけで、花はありません。
困ったものですが、そのうえ、いまは家の駐車場が使えないので、自転車もそこに置いてあるので、混乱の極みです。
節子がいたらさぞ嘆くことでしょう。

しかし今回の改造で、ガスの給湯設備の新設のため、工事のためそこを通らなければいけなくなりました。さらに給湯設備を置くスペースもつくらなければいけません。
先日、工事担当の方が来て、そこに分け入って最低限の場所を確保してくれましたが、家主としてはいささか恥ずかしいので、今日は朝からそこの整理をしました。
自由に出入りできるようにし、生い茂っている草木を伐採しました。
というとなんだかとても広いイメージを与えますが、玄関から見える中庭を別とすれば、幅1メートルもない細い隙間空間なのです。
ところがそこにいろんな植物が根を張り蔦を広げ、元気にやっているのです。
そのうえ、鉢とかいろんなものが放置されているのです。

まあ10分もやれば片付くと思ったのですが、結構大変です。
最近はまだあんまり体調も良くないこともあって、30分もやらないうちにへこたれてしましました。
まあ体力的な問題もありますが、蚊の襲来を受けて身体中痒くなってきたのです。
蚊よけのスプレーをしたり、長そでを着たりするだけで回避できるのですが、簡単に済むだろうと軽く考えて動き出すのが私の習癖です。
困ったものです。

今日は植木のごみなどの回収日なので、ごみ集積場にもっていきました。
フラフラで、20メートルの道のりが長く感じました。
途中で近くの人に会ったので、もう死にそうですよと話しましたが、朝からの重労働は疲れます。しかも手足がかゆくて仕方ありません。

今日は10時半にある人の相談を受けに駅前の喫茶店に出かけます。
いつもなら自宅に来てもらうのですが、いまは改造工事中で倉庫状態なのでさすがに自宅には来てもらえません。
今日の相談はちょっとややこしそうですが、最近、脳の調子がよくないので対応できるでしょうか。

5種類の薬を飲みだしてから、脳の調子がどうもよくありません。
脳の調子が悪いといってもなかなか伝わらないでしょうが、何やら脳の血液の温度が高い感じなのです。
脳こうそくの前兆でしょうか。
身心は微妙で、なかなか言葉には表せません。
しかしどうもこの半年ほど、心身に違和感があるのです。
もしかして新型コロナウイルスに関係があるでしょうか。
いや、生命の寿命の関係でしょうか。
もう少し生きることを決意したのですが、人生は儘ならないものです。

■4769:地元とのかかわり(2020年9月23日)
節子
今朝は突然の来客でした。
ぜひ読んでほしい資料があるので届けたと言うのですが、せっかくなので、倉庫状態にあるリビングに上がってもらって話をしました。
なぜか地元がらみの話がつづいています。
昨日は市会議員の海津さんから相談があるといわれ、また来年度の自治会の話も高城さんから相談されました。
そして今日は、13年間市議会を傍聴している横手さんの来訪です。

こういう話もなぜか集中するものです。
明日もまた誰かが来るかもしれません。

節子がいたら、駅前の花壇整備から始めた活動はどうなっていたでしょうか。
もう少し違った展開を見せていたかもしれません。

これまでいろんな市町村と関わってきましたが、やはり住民として関わらないと、次第に人のつながりも途絶えてしまい、縁が遠くなってしまいます。
節子がいたら、これまで関わってきた地域への旅を思い立ったかもしれませんが、一人ではあまり行く元気もありません。
関わっていた当時は、70代になったら夫婦で再訪するところをたくさん作っておこうという思いがあったのですが、結局、いずれも再訪することもなくなってしまいました。
こうなるとわかっていたら、当時、節子も同行したのですが、結局、一緒に行ったのは、長崎と佐世保と北九州市くらいです。

来年はいまよりももう少し地元我孫子に関わることが増えそうです。

■4770:足が衰えてきているようです(2020年9月24日)
節子
久しぶりにいやな夢を見ました。
いろんな話が錯綜している夢なのですが、最後が、海の中の人工島に取り残され、その島は夜中に水没するのです。
幸いに夕方の段階で目が覚めました。

どこかいやかと言えば、3.11の大津波の発生する直前に、津波から逃げたり、津波の引いた海岸で人を探したりする夢をよく見た記憶があるからです。
まさかと思いますが、あの再来を思ったりしてしまうのです。

一週間前の暑さが思い出せないくらい、昨日から季節は変わり、今日は寒いくらいです。
気温の変化がこんなに急だと体調を崩す人も少なくないでしょう。
コロナよりもそちらの方が私には気になります。

一昨日、駅まで歩いて行ったのですが、我ながら驚くほど疲れました。
いまはあまり歩くことがなく、駅までも娘に車で送ってもらうことが増えているのです。
11月には相馬巡礼を行おうと思っていましたが、それどころではありません。
とても30キロなど歩けそうもありません。
もし歩くのなら、少し歩いておく必要がありそうです。
いまは大工さんが終日家に来ていますので、そう勝手には出られないという口実で、歩くことが激減しています。
しかし別に大工さんが来ているから外出できないわけはありません。
要はあまり歩きたくなくなっている、つまり体力や気力が減退しているのです。
畑にも全くいかなくなってしまいました。
困ったものです。

■4771:怠惰中毒(2020年9月25日)
節子
わが家がどんどん壊されてきています。
節子がこだわって作った和室の床の間もなくなりました。
わが家から和室はなくなってしまいました。

一昨日から1階の改造も始まりました。
生活しながらの改築なのでそれなりに大変です。
私の居場所だった小さな書斎は完全になくなっていますし、書庫も亡くなり、私の寝室はいまやそこから搬入された荷物であふれています。
そのため私は、いまは1階で生活していて、眠るときだけ2階のベッドで寝ています。
しかし、その1階もいよいよ工事が始まったのです。
リビングは足の踏み場もない有様で、私はダイニングの片隅に机を持ってきてパソコンをやっています。この場所は、節子のパソコンがあったところです。

身体を動かすことが少なくなったのですが、幸いに毎朝のテレビ体操のおかげで、腰痛は避けられています。しかし、足が弱ってきているのは間違いありません。外出しなくても、1階と2階との往来はかなり足を使いますので、それなりに良かったのですが、いまは1階に座りっぱなしです。足が弱くなるのは避けられません。

ダイニングに閉じ込められるとやることは2つしかありません。
テレビを見るか何かを食べるか。
おかげでまた太りだしていますし、眼が疲れます。
しかし一番の問題は、どんどん精神的に怠惰になることです。
困ったものです。

友人から送られてきた新著、知人がわざわざ自宅まで届けてくれた資料。いずれも目を通す気になれません。
ソファに座って、駄菓子を食べながら、ドラマや映画をテレビで見ていると1日が過ぎてしまう。
生きている実感は得られず、むしろなんとなく後悔の念にかられますが、しかしこうした怠惰な死活に慣れてしまうと、なかなか抜け出せません。
薬物依存やアルコール中毒と違い、さほどの問題は起こさないような気もします、考えようによっては、これは恐ろしい病魔かもしれません。

新型コロナウイルス騒ぎで、こうした怠惰中毒に陥ってしまった人がいないといいのですが。

■4772:彼岸花の季節(2020年9月29日)
節子
最近は畑にいかないばかりか、庭にも出なくなってしまいました。
庭も草ぼうぼうで大変な状況ですが、ふと庭を見たら彼岸花が咲きだしていました。
お彼岸の時には咲いていませんでしたが、今年も昨年同様、1週間ほど遅れての開花です。
ユカに頼んで、早速、節子に供えました。

彼岸花が庭に咲きだしたのは、節子が逝ってからです。
球根を節子の治療のためにどっさり買い込んだのですが、結局、あまり効用もなく、その後、庭に植えたのです。
節子がいなくなった翌年から、わが家の庭で咲きだしたのです。
ですから、彼岸花は特別の意味を持っているのです。

家の改造工事がつづいているので、生活がかなり制約されています。
コロナ騒ぎはさほどストレスではなかったのですが、住まいながらの家のリフォームは疲れます。
読書時間とテレビの時間は増えましたが、なにか解放感がありません。
生活も単調になり、挽歌もなかなか書けずにいます。

■4773:読書が復活しました(2020年10月7日)
節子
あっという間にまた挽歌を10日ほど書かずにいました。
気を許すと時間はすぐ立ちます。
この10日間はそれなりにせわしない10日でした。
相変わらず忙しいのか暇なのか、よくわかりませんが。

水の館でイベントをやり、湯島のサロンも毎週やっていましたし、家の改装は着々と進んでいます。
最近また読書も再開、印象的な本も読みました。
たとえば、ネイサン・シュナイダーの「ネクスト・シェア」。
副題が「ポスト資本主義を生みだす「協同」プラットフォーム」ですが、まさに私が30年前にたどり着いたビジョンです。
松岡正剛さんの「日本文化の核心」も、新書ですが、面白く読みました。
ようやく読書できるようになってきました。

しかしそれ以上に最近は、テレビドラマを見るようになってしましました。
それも10年以上前のドラマです。
最近のものと違い、どこかにあったかさがあるドラマが多いです。
それにのんびりしている。

いま一番気に入っているのが、西田敏行主演の「浅草ふくまる旅館」です。
これが実にいい。
旅館種の福丸さんは、誰でも信じてしまいますが、誰もがそれに応えてくれるのです。
いい時代だった。
いやいい生き方だと言うべきでしょう。
見習わなければいけません。
もっとも福丸さんも伴侶を亡くしています。
伴侶を亡くしてもあんなに明るく生きられるのはじつにうらやましい。
やはり地に足着けた生き方をしてきたからでしょう。

少しでもそれに近づきたいと思います。

■4774:暮らしぶりを思い出させる食器たち(2020年10月8日)
節子
改装に伴い、食器棚などの整理を始めました。
節子は食器が好きだったのですが、ここに転居してきたときに整理し、フリーマーケットなどにも出していましたので、それなりに整理されていると思っていたのですが、いろんなものが出てきました。
なかには暮らしぶりを思わせるものもいろいろと出てきました。
以前は家族数も多く、またお正月などにはにぎやかな集まりもありましたの、大きな器も出てきました。
回転ずしのための回転する食器やエスプレッソ用のカップセットも2セットも出てきました。
エスプレッソのコーヒーメーカーも購入していましたが、たしか数回使っただけでした。
もう使用しないと思い、リサイクルショップにもっていきましたが、購入してもらえませんでした。
また抹茶セットも出てきましたし、何やら華美な茶碗も出てきました。
節子の趣味の良さと悪さを思い出しました。

食器には「暮らしぶり」があらわれます。
むかしは、食器を通して、暮らしが世代を超えて伝えられたのかもしれません。
私にはまだそういう感覚があるのですが、娘たちにはあまりないようです。
それに最近は、わが家の場合は大人数で集まることがなくなりました。
ですから食器もセットで使う機会はなくなりました。
しかし何やら捨てるのも申し訳ない気がします。

今回の改装で、キチンもダイニングもせまくなるので、食器棚も機能的なものに変えることも考えましたが、結局、これまで使っていた食器棚をもう一度使うことになりそうです。
節子との生活をかなり長いこと支えてくれた食器棚です。
今様ではなく、使いにくく、雰囲気も新居にはあまり相応しくないのですが、前回の新築時も廃棄せずに残したのです。
娘たちにはあまり思いはないのでしょうが、私には何やら「生命」を感じます。
まだ確定ではないのですが、今回もきっと残されるでしょう。

生活を支えてくれた家具や生活用具が、廃棄されるのは、とても寂しいです。
家が壊されていくのも、それなりにさびしいのですが。
もしかしたら、それが最近の元気のなさの原因かもしれません。

■4775:ソクラテスのようなひねくれもの(2020年10月8日)
節子
前にも書きましたが、鈴木さんが私をソクラテスのようだと言い出しました。
まあ、そのきっかけは、私が裸足のサンダルで歩いていることからなのですが、その後、私とソクラテスとの共通点をいろいろと指摘してきてくれました。

鈴木さんは毎年、スペインのサンチアゴ巡礼に行って、湯島でその報告サロンをやってくれるのですが、今年はコロナ騒ぎでいけませんでした。
そこで今年は鈴木さんに読書巡礼の話をしてくれないかとお願いしたら、なんとサロンのタイトルに「〈佐藤さん=ソクラテス〉説をめぐる一考察〜そこに人生のヒントが見つかる、かもしれない」を選んできました。
いささか動転しましたが、まあ私が話しのダシになるのでしょうから、このタイトルのサロンをやってもらおうと思います。
まだ案内は出していないのですが、その話を小学校の同級生の升田さんに話したら、なんとまたこんなメールが来ました。
まったく記憶のないことですが、どうも私はあんまり成長していないようです。

修君とは人生の中であまり接する機会はなかったように思う。
ただ私を変えた(衝撃を受けた)会話を忘れたことはありません。

大学生の時でした。
修君との会話。
修「AとBとどっちがいいと思う?」
私。考えた末に「Aがいいと思う」
修「ほんと?そうかなあ。Bじゃない?」
私。東大生の修君がBだと言うんだからBに違いないと迷う。けれどどう考えても私にはAとしか思えない。「Aだと思う」
修「実は僕もAだと思う。だって二人がAだと言ってしまうと思考はそこで止まってしまうでしょ。Bだと言ってそれぞれの何がどう違っているかを考えないと公正な理解は得られないでしょ。だからあえてBだと言った」

これはおそらく私を大きく変えた事件?だったと、衝撃とともに今も忘れてはいません。これって限りなくソクラテス的なんだと思います。(ただし、ソクラテスがなんなのかよく知らない)

一人の女子の考え方、生き方を目覚めさせたなんてことは、修君には全く覚えも関係もないことでしょう。なぜなら、個々のことではなく、それが「佐藤修」の全ての中に包括されていることだと思うからです。

若いころはどうも私はいまと違って、あんまり「素直」ではなかったようです。
いや、いまも「素直」でないといわれそうですが、人の性格は変わらないものかもしれません。
困ったものです。

■4776:「死んでなくてよかった」(2020年10月9日)
節子
今日は寝坊して7時半にユカに起こされました。
目が覚めて返事をしたら、「死んでなくてよかった」と言われました。
あまりにも起きてこないので、心配したようです。
まあ、そんな歳になったのです。

昨夜は2時半に目が覚め、いろんなことが気になりだして、眠れなくなりました。
些細な問題も気になると気になりだして、大きな問題になっていきます。
人生にとって本当に悩むべき問題などは、そうあるものではありません。
しかし、ちょっとしたミスも、気が萎えてくると大きな問題に思えてしまう。

以前、節子が残してくれた預金をほぼすべてある人に融通してしまい、戻ってこなかった時のことを思い出します。
数日、毎夜、眠れなくて、おかしくなりそうでしたが、あの頃の再来のような気がしました。
今回はそんなに大きな話ではありませんが、やはりお金の話です。
お金から自由になっているつもりが、まだまだ執着しているようです。
もっともお金がないとやりたいことができなくなるという意味では、お金の問題ではないのですが。
しかしちょっとしたミスで、金銭的な負担が発生するというのは、いささか恐ろしくもあります。
金銭から自由になったつもりでも、なかなか自由にはなれません。

夢を見ている時に起こされたせいか、まだ不安感が残っています。
どうも今日はこのまま不安感が残りそうです。
困ったものです。

■4777:改装が進んでいますが(2020年10月9日)
節子
倉庫暮らしの状況はさらに悪化し、どこに何があるかわからなくなってしまい、季節が大きく変わりつつあるのに対応に大変です。
予定では、そろそろ2階は工事が終わり、そこでの生活ができるはずでしたが、ちょっと遅れていて、いまもって1階のダイニングでの生活が続いています。
寝室には1階の和室の寝具が持ち込まれ、もう大変な状況です。

そのうえ、ガス工事が大変のようです。
毎日ガス家さんが来ていますが、どうもいい知恵が出ないようで、明日また相談に来るようです。
改装工事も大変です。
節子がいたらすべて任せていたでしょうが、まあ娘にはそうもいきません。

大工さんは高津さんというのですが、高津さんは若いころに奥様を亡くされて、その後、3人の子どもを育ててきたのだそうです。
いまは実父と次男とで暮らしているそうですが、そのお父さんが来週は心臓の手術だそうで、仕事はお休みです。
まさか奥様を見送られているとは知りませんでした。

今日はいろんな人が入れ替わり立ち替わりできていました。
住宅メーカの工事監督は弓削さんですが、今日も来ていました。
今日はシステムキチンの部材も届きだしました。
新たに2階にユニットバスとシステムキチンを入れることになったのです。
節子がいたらまた状況は変わったでしょうが、ともかく家族全員で生活することになったのです。
まあ改装完成後、私がどのくらい生存できるかわかりませんが、その先を考えていても始まりません。
まあ、先はなるようにしかならないでしょう。

節子がいたら、お茶の時間に大工さんと話すでしょうが、ユカはそういうのが苦手ですので、お茶とお菓子を出すだけで終わっています。
私は時々、話に行きますが、邪魔をしてもいけないので、基本はユカに任せています。
私が話し出すと長くなりかねませんので。

今日は寒くて、1階の床暖房を入れたいほどですが、なにしろ部屋中に荷物があふれているので、それもできません。
風邪をひかなければいいのですが。
先ほどからくしゃみが止まりません。

■4778:いろんな人がやってきているのですが(2020年10月14日)
どうもまた挽歌を書くのに不摂生になってきています。
改装のため、居場所がどうも定まりません。
パソコンは、眼にも書きましたが、ダイニングの食卓の横ですが、その周辺には荷物がどんどん集まりだして、どうも落ち着きません。
まあそれが挽歌を書けない理由ではないのですが、ともかくなんとなくリズムに乗れません。
土日以外は、毎日在宅なのも問題です。
時間がありすぎると、そして生活が単調になると、人は怠惰になります。
これは長年の体験です。

改装はどんどん進み、今日は2階のシステムキチンの設置で朝から作業が進められています。ユニットバスはもう設置されました。
毎日、いろんな人が作業に来ます。
電気屋さん、水道屋さん、クロス屋さん、ガス屋さん、大工さん、それに工事監督。
みんなとてもいい人です。
汗して働いている人に悪い人はいないと改めて思います。
逆に汗せずにお金を得ている人たちは、どんどん悪くなっていくのでしょう。
そういう人もこういう人たちと接点を持てば、きっとそれに気づくはずです。

話がそれましたが、在宅でも毎日、いろんな人に接しています。
接しているといっても、立ち話程度なのですが、人柄は伝わってきます。
やはり生きているというのは、人と触れ合うことです。
昨今のコロナ対応は私にはまったく馴染めません。

「家族遺棄社会」という本を読みました。
家族がどんどん壊れている。
人のつながりがどんどん壊れている。
さびしいことです。
私は一度でも接点を持った人とは友達になりたいと思ってしまいます。
しかしそれは難しい。
いろんな人がやってきますが、みんな仕事で来ているからです。
どうもそういうことがなかなか私には理解できない。
困ったものです。

■4779:節子はまさに私の健康の守り神でした(2020年10月14日)
節子
この前の土日は時評編で報告しているように連続サロンでした。
ちょっとまた話し過ぎてしまいました。しかもちょっと節度を越えて。
自分でもそれに気づき、少し反省していました。
そうしたらやはり参加し小学校時代の同級生が、メールをくれました。

昨日は、精神が少し病んで神経が傷んでいるのを感じた。
広い意味ではコロナのせいもあると思う。
コロナの目に見えない圧力かもしれません。

たぶんそう感じた人は他にもいるのだろうなと思います。
コロナのせいにはしたくありませんが、たしかに昨今のコロナ騒ぎには持っていき場のない苛立ちを感じます。
毎日の夢見もよくない。
毎朝、すっきりと目覚められないのです。

しかし、精神が病んで神経が傷んでいると他者に感じさせてしまうのは問題です。
他者に見えるほどであれば、かなりです。
気をつけなければいけません。
怒りを鎮めなければいけない。

昨日読んだ「家族遺棄社会」にこんな文章がありました。
ちょっとした愚痴を言う相手すらいない人が増えてきている。
私も、その一人かもしれません。
気楽に周りに愚痴を漏らしているようで、肝心のことは言っていないのかもしれません。
節子はまさに私の健康の守り神でした。

■4780:一緒に悩んだり苦しんだりするのが家族(2020年10月14日)
節子
最近、時間があるので、昔のテレビドラマの再放送をよく見ているのですが、そのひとつが西田敏行主演の「浅草ふくまる旅館」です。
残念ながら途中からしか観られていなかったのですが、最終回には涙が止まりませんでした。
西田敏行演ずる主役の福丸大吉は、浅草にある“ふくまる旅館”で働いていましたが、先代の娘と結婚し、旅館を継ぐのですが、いろいろと事情があって、長男とは血のつながりがありません。詳しい説明は省略しますが、最終回でその息子に次のように大吉は話すのです。

家族ってさ、一緒に悩んだり苦しんだり、一緒に喜んだり笑ったり泣いたり…
先代は、従業員だった俺を家族として迎え入れてくれた。
だから俺は、お客様を家族として受け入れ、できるだけのおもてなしをしているんだ。

ドラマを観ていないと、意味が分からないかもしれませんが、ともかく毎回、心があたたかかくなるドラマです。
私が大吉のこの言葉にとても共感したのは、「一緒に悩んだり苦しんだり」が「一緒に喜んだり笑ったり泣いたり」の先にきているからです。
家族の一番の意味は、「一緒に喜んだり笑ったり泣いたり」するところにではなく、「一緒に悩んだり苦しんだり」するところです。
喜んだり泣いたりするのは、誰とでもできます。
しかし、悩んだり苦しんだりは、誰ともできる事ではありません。

私は家族というのは、別に血がつながっている必要はないと思っています。
事実、私は節子と血のつながりはありません。
家族は血縁関係者と捉える必要はないでしょう。
一緒に生きている仲間だと考えていますので、ふくまる旅館の話がとてもなじめるのです。
一緒に生きていればこそ、当然にして「一緒に悩んだり苦しんだり」するのです。

福丸大吉さんは、過剰なほどの世話焼きです。
しかも誰をも信じてしまう、他者を疑うことがない。
疑うことを知らない人は誰からもだまされません。これは私が長年生きてきた体験からの結論です。
なぜ彼は人を疑わないのか。
みんな家族だと思っているからです。
家族からはだまされないし、万一、だまされたとしても許すことができる。

家族になるのは難しいことではありません。
その人を信ずればいい。
それだけです。
それができれば、誰も孤立することはなく、孤独死もなくなるでしょう。
そういう思いを、このドラマは教えてくれます。
多くの人に観てほしいのですが残念ながら再放送はいまのところありません。
またもしどこかで再放映があったら、ぜひご覧ください。
幸せになるかもしれません。

■4781:感染リスクを超えて直接会う生き方(2020年10月15日)
節子
先日、コロナ騒ぎでどんな変化が起こったかをテーマにしたサロンを開催しましたが、
コロナのせいにする風潮が広がっているのではないかという私の指摘には多くの人が同意してくれました。
しかし、声は社会の風潮のみならず、私を含めて、ほとんどすべての人に起こっている変化かもしれません。

先日、読んだ「家族遺棄社会」にこんな指摘がありました。

感染リスクを顧みず直接会ってくれる人がいるというのは親しさの指標。

これは全く同感です。
もし節子が感染症だったとしても、私はたぶん死に顔に触れたでしょう。
新型コロナで亡くなった家族に最後にも直接会えなかったという有名なタレントの報道がありましたが、もしそれが本当であれば、実に悲しい話です。
だれが何と言おうと遺族は会うべきでしたし、医療感染者は会わせるべきでした。
それが人の道だろうと思います。
人が人の道を外したら、もう人ではありません。

友人が入院し、私は面会に行きました。
別室で医師と話をしましたが、いまは面会謝絶になっているといわれましたが、医師と看護師と話して面会させてもらいました。
それから彼は退院し、間もなく亡くなったのですが、最後は幸せそうでした。
あのまま入院したまま亡くなったらそれこそさびしい死だったでしょう。
どんなルールも、人の道に沿うように活かしていかねばいけません。

湯島でサロンをやっていますが、参加する人と参加しない人が明確になってきました。
特に感染を注意しなければいけない人もいますから、一概にはいえませんが、感染のリスクは生きている以上常につきまとっています。
リスクを避けることは大切ですが、生きる上での優先順位を間違ってはいけません。
それにリスク対策はいろんな方法があります。
個別に考えなければいけません。

生きる上で、何を優先させるか。
コロナ騒ぎは、それを私たちに問い質してくれているような気がします。
感染におびえて生きるのは私の生き方には合いません。
ましてや、誰かに感染させたくないのでという口実は、私には一番不快な言葉です。
それは自分が感染しているかもしれないということでしょう。
自分の感染も防止できずに、他者への感染に注意しているなどと軽々に口にしてほしくはありません。
そういう言葉に、その人の本性が感じられます。
あまり人の本性が見えてくると、人生は生きにくくなります。

私ももしかしたら、コロナ騒ぎで、ますますひねくれてきているのかもしれません。
節子がいたら、どう行動するでしょうか。
この頃、節子ならどうするかと思うことが増えています。

■4782:みんなに助けられるような巡り合わせ(2020年10月15日)
節子
新潟の金田さんが魚沼の新米を送ってきてくれました。
敦賀の姉家族は今年からコメ作りをやめましたが、先日、知り合いから新米を購入して送ってきてくれました。
ありがたいことです。
もしかしたら私は、みんなに助けられるような巡り合わせになっているのではないかと、思うことが時々あるのですが、本当にたくさんの人に支えられてきています。
そういうことが多いので、前世のおかげだと思わざるを得ないのです。
そして、だからこそ、来世も信じられるわけです。

しかし、みんなに支えられるということは、私が頼りなくて心配に見えているのかもしれません。
たしかに、私には頼りなさやあぶなっかしさがあるかもしれません。
生活力はありませんし、失敗はよくやってしまう。
人を信ずることが大切だと思いながらも、心底、他者を信ずることもできないで、中途半端なところでうじうじしている。
困ったものですが、節子が元気だったころは、その頼りなさも隠せたのですが、いまはもうそれがもろに出ているのかもしれません。
そう言えば、湯島のサロンも終わるとなぜかみんなで片づけてくれて、私は何もしないでもいいのです。
最近は準備まで誰かがやってくれる。
やはり私には任せておけないのかもしれません。
困ったものです。

みんなに助けられて生きている私を、節子はどう思っているでしょうか。
こんなに長く現世にはいられないだろうという節子の期待を裏切ってしまっているかもしれません。
ほんとに私自身、いささか驚いていますが。

本当にみなさんには感謝しています。
しかし、長生きがいいのかどうかはいささか迷うところでもあるのですが。

■4783:捨てる悼みと事霊(2020年10月16日)
節子
改装のためにいろんなものの整理を少しずつしているのですが、今日は節子の写経の道具が出てきました。節子がいなくなった直後の整理では見落とされていたものです。
節子はどこかのお寺でも写経していましたが、あれはどこだったでしょうか。当時、私はまったく興味がなく、一緒しませんでした。
習字の道具や木目込み人形作りの道具、スケッチの絵具やパレットなども出てきました。
これらも封印されたままになっていたものです。

それにしてもいろんなものが出てきます。
テーブルクロスなどのクロス類もたくさん出てきました。
私用にわざわざ購入した料理用のエプロンも出てきました。
こうしたものがこれまで空間を占拠していたわけですが、今回はかなり整理しようと思います。ちょっと時間をかけながら、ですが。

私にはまったく見覚えのない物も、娘には記憶が残っている物も少なくありません。
物が人の記憶をよみがえらすのをこの数日何回も体験していますが、それもあって物の整理はなかなか進みません。私は「言霊」ならぬ「事霊」を感じているので、断捨離はまったく馴染めないのです。そもそも「断捨離」という言葉にも大きな違和感を持っています。

先日、30年ほど前に読んだ「日本人の言霊思想」という本が出てきたので、改めてそれを読みましたが、人麿の事霊と憶良の言霊という話がでてきました。言霊は事霊から生まれてきたことを思い出しました。私の事霊感は、この本を読んだ頃からのものだったのかもしれません。
「日本人の言霊思想」に限らず、昔読んだ本を最近、読むようになってきました。
以前読んだ頃のことを思い出しながら読むこともありますが、本もまた、昔の世界とつないでくれます。本に書かれていることは、内容だけではないのです。
物にも本にも、そこにはもう旅立ってしまった人たちが生きています。
だからそう簡単には捨てられないのです。

むかしの本を読み出すといろんなことが想起されて、本の内容よりも、そういう記憶の方が強くなってしまうこともあります。
それでまあ、結局は通読しないことが多いのですが、いろいろ思い出して、元気になることは多いです。
本は読むものではなく、触れるものだと考えていた時期があり、むやみに本を買っていた時期があります。
最近は経済的な理由で本は図書館から借りることが多いのですが、私が本をしっかりと読むようになったのは、そうなってからです。それまでは、本は触れるもの、毎日触れているだけで内容が伝わってくると信じていました。その頃の方が、いまよりもほんとの関係は深いような気もします。

捨てられずにいる物は、時に大工さんの後押しで捨ててきたものもありますが、捨てる痛みはいつも残ります。

■4784:季節外れのスイカ(2020年10月16日)
節子
庭の植木鉢に、食べたスイカの種子をすてていました。
後できちんと埋めようと思いながら、すっかり忘れていました。
そこから芽が出ていたのには気づいていましたが、最近は庭に出ないでいたので、忘れていました。
ユカが、そこに実がなっているのに気づきました。
まだ直径6センチくらいの小さな実ですが,とても形がいいのです。
思わず写真に撮ってしまいました。
フェイスブックに載せたら好評でした。

まあ季節的に実が熟すことはないでしょうが、観賞用にはとてもいいです。

残念ながらスイカはまだ畑でも熟したことがありません。
苗からも種子からも何回か挑戦しましたが、いつも途中で失敗します。
皮肉な話です。

畑はもうやめようかと思っています。
改装が終わったら、2階のベランダで少しサラダ用のレタスなどを栽培してみようと思いますが、畑に行くのはちょっと卒業しようかと思います。

■4785:バランス感覚(2020年10月17日)
節子
キッチンの蛍光灯がチカチカしだしました。
椅子では手が届かないので、脚立を使って蛍光灯を交換しようと思い、作業を始めました。脚立の上にのぼって蛍光灯を交換するところまではうまくいったのですが、そこでふらっとしてしまいました。
ユカがいたので、蛍光灯を渡して、何とかバランスをとって事なきを得たのですが、もし私一人でやっていたら脚立から転落し、大けがをしたかもしれません。
バランス感覚が衰えているのでしょう。

毎朝、テレビ体操をしていますが、時々、バランスをとる体操があります。
たとえば手を上げて片足立ちをしたりする運動ですが、ふらついてしまうのです。
やはりかなりバランス感覚は衰えているのでしょう。
意識と身体機能は、かなりずれている。つまりバランスが取れていないのです。
気をつけなければいけません。

バランス感覚と言えば、身体だけに限ったことではありません。
思考においても、食においても、バランスを失うとおかしくなりがちです。
思考や生活面では、節子と結婚してから。あるバランス状態が育ったのですが、節子がいなくなってから、その状態がなくなったにもかかわらず、そこで生まれていたバランス感覚のまま生活していたので、いろんな災厄に見舞われました。
いまはかなり新しいバランス感覚を回復してきましたが、それでも時に失策をします。
生活習慣や思考習慣は、一度できてしまうとなかなか変わりません。

脚立を踏み外さないように、人生も踏み外さないように中止しなければいけない歳になってきました。
この歳になったら、踏み外したらなかなか元には戻れない。
もしかしたらすでにもうかなり踏み外しているのかもしれません。
困ったものです。
節子がいたら、こんなことにはなっていないだろうなといつも思います。

■4786:気兼ねのない関係(2020年10月18日)
節子
しばらく連絡のなかった、節子も知っているYさんからメールが来ました。
4.5年前に京都に転居したのです。
節子もYさんのことはよく知っていますし、Y夫妻と食事をしたこともありますね。
経営していた会社が業績不振で、規模を縮小して、2人で京都に転居し、個人会社にして再出発すると聞いていました。
最後にゆっくりと話す機会もないままに、転居したという連絡が届きました。
それからご無沙汰がつづいていました。

昨日、突然にメールが来ました。
3年前に奥さんが重篤なクモ膜下出血に倒れ、一命は取り留めたものの、いまは車いす生活だというのです。
私は奥さんもよく知っていますが、とても明るくて、元気のいい人です。
車いすはどうしてもイメージできませんが、最近は認知症の症状も出てきているそうです。どうもコロナも関係しているようです。

Yさんのメールによれば、車いす生活ができるマンションにまた転居し、会社も清算して、奥様のケアを重視した生活に変えるようです。

Yさんはこう書かれています。

佐藤さんの奥様が亡くなられ、15?6年になりますか?
あの折りの佐藤さんのお気持ちが、少し分かるようになりました。
家内は、まだ生きているので同じとは言いがたいですが、反応が乏しくなり、本年コロナ以前に戻れるよう、自宅に引き取りリハビリ、脳トレ等頑張りたく思っております。

つづけて、

佐藤さんとは、大変失礼な別れ方をしてしまい、申し訳無く思っておりました。
昔のような気兼ねのない関係が、今更ですが戻れると嬉しく思います。

とありました。
人にとって何が一番大切かは、みんななかなか気づきません。
気づかないまま人生を終える人も少なくない。

私はいつでもだれとでも基本的には、「気兼ねのない関係」を大事にしています。だから「戻る」も何もないのですが、Yさんは京都なので、そう簡単には会えません。せめて今も「気兼ねのない関係」だということを連絡させてもらいました。
今度京都に行ったときに、お会いできるかもしれません。

そう言えば、数日前にも、しばらく縁を切られていた友人から電話がありました。
縁を切ったのは先方で、それも一方的だったのですが、私は何とも思っていなかったので、以前のように長電話になりました。
しかし、どうしてみんなもっと「気兼ねのない関係」を大事にしないのでしょうか。
いつも不思議に思います。

■4787:Nさんは元気でしょうか(2020年10月19日)
節子
フェイスブックではつながっている人の誕生日を教えてくれる機能があります。
誕生日には、おめでとうの挨拶を送ることがフェイスブックでは勧められているのです。

私も一時期、あいさつを送っていましたが、最近はやめています。
私宛の儀礼的な挨拶が多くなってきて、そうしたやり方に違和感を持ったからです。
しかし、いまも誰それの誕生日だというお知らせは時々見ています。
そして最近まったく連絡もない人のフェイスブックを見ることもあります。

今日、誕生日だったNさんにはもう10年近くお会いしていません。
超人的な生き方をしていた人ですが、どうされているか気になってフェイスブックを見てみました。ご本人の投稿記事は2012年で途切れています。
連絡をとろうかどうか迷いましたが、やはりメッセージを送ることにしました。
まあそこまでは時々やるのですが、その先がいつも心配です。
返信があることもありますが、ない場合も多いのです。
もしかしたら、などと余計なことを考えてしまいます。
だからむやみに交流が途絶えて人に連絡してはいけないのです。
知らなくてもいいことはたくさんあります。

Nさんのことがいつも気になるのは、1日3時間しか眠らないと聞いたからです。
私は記憶力が悪いので、友人との出会いをあまり記憶していません。
Nさんと何で知り合ったのかも思い出せませんが、湯島でNさんの話を聞く会をやったことは覚えています。
その場をつくったことのお礼かもしれませんが、Nさんはプロジェクターをくれました。
いまはもう使っていませんが、湯島への寄付が始まったはじまりです。
まだそのプロジェクターは湯島にありますが、それを見るたびにNさんを思い出します。
ですからそのプロジェクターは壊れてしまったのですが、捨てられないのです。

Nさんから返信が来ればいいのですが。

■4788:ハードな労働日でした(2020年10月19日)
節子
改装工事がかなり進んできて、2階の改装はほぼ完了しました。
今日は2階の仕上げの清掃作業の方が来てくれ、掃除をしてくれました。
少しずつ荷物を2階に移していく予定ですが、今月中には生活も2階中心にできそうです。

今日は書物を元に戻す作業を始めました。
ウォーキングクローゼットに書棚のまま詰め込んでいたので、必要だと思う本もこれまでは出せませんでした。無造作に詰め込んだので、本の整理もめちゃくちゃになってしまっています。
以前は、書棚や書庫のどのあたりにあるかはだいたい思い出せたのですが、いまはそれが全くできません。しかし、そのおかげで、思ってもいなかった本に出会えたりしましたから、時に秩序を壊すのはいいことだと思います。

今日は書棚を3つ、クローゼットから出して寝室にうつしました。
私の寝室の半分を書棚スペースにしたのです。書籍の入れ替えが大変でした。
ほかにまだ未整理の書棚が4つあり、そのうえ、段ボール箱に入った書籍が10箱以上あります。ユカはこれを機会に廃棄しろと言いますが、これまでも廃棄した途端に、その本が必要になったこともありますので、躊躇してしまいます。
それに絶対のもう読まない本も、友人が書いた本とかいろんな思い出が残っているのです。
書籍と人の関係にも、見えないものがいろいろとあるのです。

大工の高津さんは1階の作業に移りましたが、今日の午後は、私も高津さんと同じくらいよく働きました。
ユカが3時にお茶を入れてくれましたが、高津さんにはお菓子がついていましたが、私はお茶だけでした。今日は私自身も作業にまみれてしまっていましたが、明日は、高津さんにも私にも、私がコーヒーを淹れようと思います。

それにしても疲れました。
書籍の移動は本当に重労働です。

■4789:「天使にリクエストを」(2020年10月19日)
節子
またテレビドラマを観てしまいました。
NHKで放映されたドラマ「天使にリクエストを」です。
5話連続のドラマですが、録画していたのを昨夜見たら、涙が止まらずに、そのまま2話見てしまい、今日残りの3話を見てしまいました。
涙をこらえるのが難しいほどでした。

終末期の患者の「人生最後の願い」を叶える活動の話ですが、その奥に大きなテーマが込められています。
第1話は、若いころに子供を捨てた母親が最期に息子に会いたいという「願い」です。
息子は、実は暴力団の組長になっていたのですが、その再会のやり取りは感動的です。
私も前に、ある組で活躍した人と友だちになりましたが、彼のことを思い出しながら見ていました。
彼も捨てられたのですが、最後に「足を洗い」福祉の仕事をしていたのですが、癌になりなくなってしまいました。最後に彼は私をだましたのですが、私はそれを少し感じながらだまされました。正直、ちょっとさびしかったのですが、彼がなぜ私をだましたのかも、少しわかる気がします。
わずかばかしの私の経済的な支援で、彼の最後はそれなりに幸せだったと思えば、よかったのかもしれません。私はその後ちょっと苦労しましたが。

横道にそれましたが、彼らの活動のためにある人が1億円寄付して財団を作ったのですが、そこに大きな物語が込められています。
私もこれまで寄付を申し出られたことはありますが、大きな額の場合は受けたことはありません。寄付を受けて活動するのは、それこそ「覚悟」がなければできません。
しかし、このドラマを観て、もしかしたら私の対応は間違っていたかもしれないと少し思いました。お金は使ってこそ活きてきます。

それに、終末期の患者の「人生最後の願い」を叶える活動は魅力的です。
友人から同じ趣旨のプロジェクトの提案をもらったことがありますが、もう少し真剣に考えればよかったと思います。
でもまあ、いずれにしろ、そうした活動をやるには、私自身の余命が少し不足しています。むしろ「人生最後の願い」を叶える活動の、対象になってしまっている年齢です。

さて私の「人生最後の願い」はなんでしょうか。
彼岸に行くことこそが、私の最後の願いかもしれません。

■4790:浴室が解体されました(2020年10月20日)
節子
家の改装のため、1階のお風呂を明日壊すことになり、今日は最後の入浴でした。
このお風呂にはいろいろな思い出がありますが、それももうなくなってしまいます。
こうやってどんどんと過去の空間が変わっていくのは、感慨深いものがあります。

このお風呂はちょっと広めに作ったので、よく節子と一緒に入りました。
その思い出があったこともあり、節子がいなくなってからの一人での入浴は、なぜか彼岸をさまようような気分でした。
浴室全体が、なぜか現実なものではない、異様な雰囲気につつまれているような状況になり、気分的にも異界を彷徨しているような気分で浴槽に長いこといたこともあります。

その浴槽も今日が最後です。
次第に、私の生活も2階に移りだしました。
まだ片付いていないので、定位置が定まらないのですが、パソコンも2階に戻ってきました。これまで次女のジュンが使っていた部屋をリビングに改装したのですが、いまはそこの東側に臨時にパソコンを置いています。

この場所からは夜には手賀沼の夜景が少し見えます。
東側に窓があるので、とても見晴らしがいいのです。
たぶんわが家で一番いい場所でしょう。
今まで空き部屋にしていたのがもったいなかった気がします。

テレビもこの部屋にもってきました。
インターネットやテレビの配線もうまくいきました。
電話をどうしたらいいかよくわかりませんが、この部屋をこれからの生活の中心にしようと思います。
外がよく見えるので、気分が変わるかもしれません。

ちなみに寝室はまだ倉庫状態です。
まだしばらく改装工事はつづきそうです。

■4791:窓からの景色が変わりました(2020年10月21日)
節子
秋晴れのいい天気です。
今日は朝からユニットバスの解体作業の人が来て、作業しています。
解体作業も大変です。

この数日、少しずつ荷物の整理をしていますが、これが重労働です。
腰を痛めてはいけないので、疲れたらすぐ休むようにしていますが、節子も知っているように、私は動き出したらなかなか止まらないのです。
朝も気になって早くから動き出してしまいます。
それで今朝は、身体中が痛いのです。
気をつけなければいけませんが、作業の人たちが働いているのを見ていると自分の働かなければいけない気分になってしまいます。

そう言えば、メダカも放りっぱなしでした。
水槽の手入れをしましたが、いまは8匹のメダカが育っています。
だいぶ大きくなっています。
2つの水槽で飼っていますが、3匹だけは小さなビンで育てています。こちらは毎日様子を見ています。
水も安定し、週に一度、水を追加すれば大丈夫ですが、これを湯島にもっていきたいのですが、餌は週一ではだめのようなので、迷っています。

2階の新しいリビングは日当たりも展望も快適です。
窓からは手賀沼大橋も見えます。東側が隣家に邪魔されずに展望がいいのです。今朝は日の出も見えました。
夜は夜景がきれいです。

■4792:汗は人を幸せにする(2020年10月22日)
節子
今日は2階の改装の仕上げのため、朝からいろんな人が来て作業に取り組んでいます。
工事監督の弓削さんも来ていますが、弓削さんはたくさんの工事監督を兼ねているため、大変です。時に自分で作業をやることもあるようです。
今日も重い備品を2回まで運ぶ作業や解体に伴って一部破損したタイル張りまでやってくれていました(ちなみに2階のリビングの壁は一部タイル張りなのです)。
電気工事や水道工事の人もやってきていて、今日は午前中は大賑わいでした。

ガス工事が少し難航しているようです。
浴室やキチンをダブルにしたため、ガス管を太くしないといけないのだそうで、道路工事まで必要になってきているうえに、わが家の庭のつくりがいささか懲りすぎてしまったため、屋敷内の配管も大変なようです。
それで作業が遅れているのですが、20年前の新築の時には、まさかこうなるとは全く思ってもいませんでした。先のことをほとんど考えずに生きてきた私と節子の性格が、今回、いろんなところで露呈しています。

それにしても、いつも思うのですが、汗して働いている人はみんないい人です。
この50日、10人以上の人と接点を持ちましたが、みんなとてもいい人です。
昨日、ユニットバスを解体しに来た人は、9時から午後2時過ぎまで、昼食もとらずに一人でがんばっていました。
私たち家族が昼食を食べている間もずっと働いていて、お茶を出す機会も見つけられませんでした。
終わった後、お茶も出せずにすみませんでしたと謝ったのですが、いつもこうなのでもう慣れましたといわれました。
最後の掃除も含めて、みんな本当によくやってくださいます。

日本人の勤勉さや誠実さは、たくさん汗を流した先人たちのおかげかもしれません。人は汗を流した分だけいい人になるのです。
世間で話題になるような不祥事や事件を起こす人は、汗して働いたことが少ないのかもしれません。汗することが少なくなってきたのでしょうか。お金が人をダメにしているように思えてなりません。

ちなみに私もそれほど汗してきたわけではありません。
しかし、私の両親も節子の両親も、汗して働いて私たちを育ててくれました。
そのおかげが、私たちには「いい人」になれたと思っていますし、幸いに、私たちの子ども世代にもそれが伝わっています。私が知る限り、私の娘たちは、2人とも「いい人」に育ってくれました。汗して働いてくれた両親には感謝です。

お金は人を幸せにはしませんが、汗は人を幸せにするようです。
これが改装工事50日で、私が得たことです。
工事はまだ続きますが、さらにどんな気付きをもらえるか楽しみです。

■4793:物はみんな生きている(2020年10月23日)
節子
家の改装に伴う備品や書籍の移動で、毎日、かなりの重労働です。
身体中が痛くなってきました。
ちょっと無理をし過ぎかもしれません。
思い物の移動はかなり身体にはこたえます。
今週はほとんど外出せずに自宅で作業です。

それにまだ収納家具が購入されていないので、なかなか整理も難しいのです。
相変わらず新しいリビングルームには書籍や行き場のないいろんなものが散在しています。なんでこんなものまでで残しているかと言われそうなものも少なくありません。せっかく新しく作った空間が、1階のリビング同様、足の踏み場もない状態になってしまっています。

昨日、友人からメールが来ました。
その友人も、いままさに整理に取り組んでいるようです。

もう3か月以上整理してます。(笑)
本箱2個分、背広約20着、その他不要なもの、だいたい整理しました。
息子と娘の遺品も少し、物には様々な思いがあります。
その思いと対面する、そして、自分の感情と向き合う。
その思いと、合言葉「今の年なら整理できる」そんな日々でした。

物には様々な思いがあります。
その思いと対面する。
そして、自分の感情と向き合う。

この3行の短い文書が、昨夜、急に思い出されて、夜中に眼が覚めてしまいました。
そうしたらもう眠られなくなってしまった。

物を整理したり廃棄したりするのは、そう簡単なことではありません。
なぜなら、物はみんな生きているからです。
そして、物が守ってくれている、人や過去とのつながりを捨てることにつながっているからです。
「捨てる技術」という本が一時期、流行ったようですが、私にはとても理解できません。「捨てること」は「技術」の問題などではなく、「どう生きているか」の問題なのです。
そう思えてなりません。

物が語ってくるのは、しかし、その物と共に生きてきた人にだけです。
私にはとても大事なものも、娘にとってはただの物質、それもまったく価値のない物質にしか見えないのです。だから、どうしてそんな無用な物質を大事に持っているのか、なかなかわからないでしょう。
しかし、その物を通して、生き生きと伝わってくる世界が見える私には、なかなか整理できずにいます。そのものを捨ててしまえば、その向こうにある世界が消えてしまいそうだからです。

もしかしたら、これは自然にも言えることかもしれません。
自然環境がここまで破壊されてきた理由は、これと関係しているかもしれません。
これはちょっときちんと考えなければいけません。
私の生き方にも深くつながっているような気がします。
もちろんこれからの私の生き方、という意味ですが。

外が明るくなり出しました。

■4794:総持寺の千手観音(2020年10月24日)
節子
上野の不忍池の近くのびわ湖長浜KANNON HAUSEが今月で閉館になります。
最近、コロナ禍で休館していたので、しばらく行っていなかったのですが、6月から再開しているのに気づかず、ずっと行っていなかったのですが、つい最近、今月で閉館されることを知りました。
閉館を知ってか、混んでいて、入場制限もあって、少しだけ待たされました。
今回の観音様は、長浜宮司町にある総持寺の千手観音でした。
総持寺は訪ねて事のないお寺ですが、素晴らしい観音でした。
節子に見せたかったです。
12世紀の作らしいですが、容姿容貌が素晴らしく、また手の持ち物もしっかりと残っていて、感心しました。
正面で低姿勢になって、顔を見つめると、目があった気がしました。
少しだけ話をしました。
もしまた滋賀に行ったら、ぜひこの寺に行きたくなりました。
よそ行きでない素直な表情に会いたいからです。

開館時間が1時間遅くなっていたため時間があったので、久しぶりに寛永寺に立ち寄りました。そして節子とよく歩いた不忍池のほとりの骨董市をよくやっていた道を少し歩きました。
あの頃は、時間がたっぷりありました。
にもかかわらず、いま思えば、なんと無駄な使い方をしていたことか。
恐らくいつかまた、いまの生き方に関してもそう思うのでしょう。
そんなことを考えながら、観音様に会った後、一人で湯島のオフィスまで歩きました。
この散歩道は、節子と一緒に歩いた時とほとんど変わっていません。
湯島天神に挨拶して、オフィスに行きましたが、何やら尋常でないほどの疲労感に襲われました。
最近、体力が大きく落ちているのがわかります。
困ったものですが。

■4795:日の出とともに起きました(2020年10月25日)
節子
久しぶりに日の出を見ました。
起きてパソコンの前に座ったら、窓から日の出が見えてきました。
久しぶりです。
日の出が見える部屋がわが家にはあったのですが、今までそこはあまり使われていませんでした。
これからはここが私の生活の中心になるかもしれません。

お天道様と起き、お天道様と寝る。
しかし時に、彼岸とつながる夜もまた生きるのがいいのですが、最近は夜はほとんど在宅です。
しかもほとんど無為に過ごしています。
夜間外出する機会はほとんどなくなりました。
そろそろ闇の世界との付き合いも増やさなければいけません。
いや自然と増えていくものでしょうか。
この窓から月も見えるでしょう。

部屋をけるだけで生き方も変わるかもしれません。
1階の仏壇も、この部屋に連れてくる予定です。
節子も毎朝、私以上に日の出のご来光に触れることでしょう。
少し前に進めるかもしれません。

今日は3組の人と会う予定です。
何が始まるか、楽しみです。

■4796:また自治会長役が回ってきそうです(2020年10月25日)
節子
来年はまた私たちの班で、自治会の会長役を引き受ける年です。
私たちの自治会は16班ありますから、16年ごとにその役が回ってくるのです。
ぜんかい、つまり16年前は節子の闘病時期でしたが、私が会長職を引き受けました。
節子はそういうことが好きでしたから、節子が元気だったら、いろいろと活動ができたと思いますが、節子の病状もあって、後半は特にあまり活動ができまず悔いが残っています。

そんなこともあって、班長のかたから相談がありました。
コロナ騒ぎがなければ、みんなで集まって話し合うのがいいのですが、最近の状況ではそうもいきません。
それで回覧板で皆さんの意見を訊くことにしたのですが、併せて、引き受けてもいい役割を出してもらいました。
私は、引き受け手のない役目は何でも引き受けますと回答しました。
残念ながら会長役は引き受け手がなく、また班長と相談して、まあこの班で一番暇だろう私が会長と副会長を探すことになりました。
いまの班長は新潟に単身赴任しているので、その人の負担を減らしてやりたいと思ったのでまた安請け合いをしてしまったのです。
困った人がいたら、できることはやってやろうという生き方で、私は余計な重荷をいろいろと引受けてしまい、家族にはいろいろと迷惑をかけてきてしまいました。
困ったものですが、この生き方はなかなか直りません。

会長にふさわしい人が一人います。
その人にまずは頼んでみようと思いますが、引き受けてくれるといいのですが。
その人が引き受けてくれたら、私は副会長になろうと思います。
節子がいたら、こういう時にはうまくやってくれるのでしょうが。

■4797:人が生きている基盤(2020年10月26日)
節子
昨日は、誠実に生きてきた還暦を過ぎた女性と会いました。
これまでいろいろな人に会ってきましたが、この人ほど、誠実で清純な人は初めてです。
同時に、凄絶で思い切りもいい生き方なのですが。
そういう生き方をしてきたせいか、心身共に反応が俊敏なのです。
彼女にどんあ辛辣なコメントをしても、問いかけが終わるか終らないうちに、すぐに正面からの決断の反応が返ってくるのです。そのあまりの反応の速さに驚かされることが何回もありました。彼女のこれまでの生き方がうかがわれ、言葉に嘘のないことが伝わってきます。
3時間半ほど話しましたが、その疲れが、夕方になってどっとでてきました。
別れた直後には、さわやかな感動があったのですが。

その後、今度はまた寝る暇もないほど頑張って自らのビジネスを成功させてきたという男性と話しました。
この人も情熱的に信条とビジョンを語り、私のぶしつけな問いかけにも誠実に答えてくれました。
こちらは初対面でしたが、私の場合、初対面であるかどうかはあまり関係ありません。
人はみんなつながっていると思っているからです。

2人も誠実に、しかも自分の信念に基づいて(猛烈)に生きてきた。
しかし、どこかに違いがあるのです。
たとえば、前者の女性の場合、家族が登場しますが、後者の男性の場合は家族が見えません。世界の広さが違うのです。

どういう世界を生きるかは、その人が決められます。
生活やコミュニティを基盤に生きているのか、経済世界や政治世界という限られた世界で生きているのか。
昨日は改めてまたそんなことを考えさせられた1日でした。

■4798:しばらく朝焼けの美しさに見とれていました。(2020年10月26日)
昨日より早く目覚めたおかげで、手賀沼のきれいな朝焼けに出合えました。
私のイメージでは、朝焼けはもっと白ぽいのですが、夕焼けのように真っ赤です。
しばらく見とれていました。
あの向こうに、きっと節子はいるのでしょう。
雲が多かったので、陽光が輝きだしたのは、日の出時間の10分以上後でした。

今日もまたちょっと忙しい日になりそうです。

■4799:遅れてやって来た読書の秋(2020年10月31日)
節子
また少し挽歌を書き損ねてきました。
ちょっといろんなことに巻き込まれていたのと読書にはまってしまっていました。
読書した本は数冊ありますが、ダニエル・デフォーの「新訳ペスト」と碧海寿広の「科学化する仏教」、井出英策の「欲望の経済を終わらせる」、そしてスラヴォイ・ジジェクの「パンデミック」です。図書館に予約していた本が一斉に届いてしまったのです。
図書館から借りた本は1週間以内に返却するというのが私のルールなのです。
もっとも家は改装中でなかなか落ち着かず、夜中に目が覚めたときに読んだり、病院の検査の待ち時間に読んだりですので、日中はパソコンにも向かっていたので挽歌が懸けなかった理由にはなりませんが。

デフォーの「ペスト」はまさにいま日本で起こっていることにつながることが多く、面白かったですし、「科学化する仏教」は軽い感じで読みだしましたが、とても共感でいました。
本と言うのは不思議なもので、私の経験では、「読むべき時」に不思議と向こうからやってくるのです。
図書館に予約していたのは、井出さんの「欲望の経済を終わらせる」だけだったのですが、借りに行ったら、新書の棚にほかの3冊が並んでいたのです。気楽に借りてきたのですが、いまの私の関心事にしっかりと重なったのです。

しばらくあまり本を読む気にならなかったのですが、また読めるようになりました。
と言うか、読書欲がまた高まってきました。
読書の秋が、ちょっと遅れてやって来た感じです。
まだ1冊、「海からみた日本の古代」が残っています。明日にでも読もうと思います。