妻への挽歌(総集編10)
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目次

■3501:人の縁(2017年4月7日)
節子
昨日、眼瞼下垂手術の経過診察にいってきました。
医師は形成外科の高久医師です。
まあ診察といっても、2〜3分雑談してくるだけです。
今回も異常なしで、一応、これで終了です。
加齢とともに、またまぶたが緩んでくるので、そうしたらまた来てくださいと言われました。
しかし、これで最後となると何となくさびしい気がして、ちょっとさびしいですね、といったら、高久さんはいつでも遊びに来てくださいとのこと。
しかし、病院に遊びに行くわけにもいかないでしょう。
それで、フェイスブックをやっていますかと訊いたら、やっているというのです。
それで友だちリクエストをしてしまいました。

私は、一度でも出会った人にはいつも別れがたい親しみを感じます。
一期一会という言葉がありますが、茶道の心得としてはいいとしても、日常生活においては、私はその言葉にはあまり共感が持てません。
人との出会いは、繰り返されるというのが私の考えなのです。
一度会った人には、必ずまた会えるというのが、私の考えなのです。
ですから一度でも会った人とは、たとえいきずりの人であっても、ずっとつながっていたいと思うのです。
この感覚は、たぶん節子にもありました。

そんなわけで、たとえお医者さんであろうと、病気が治ったら縁が切れるという生き方は、私にはどうもすっきりしないのです。
しかし、医師と患者の関係から友人関係になるのも大変で、そんなことをやっていたら医師は身が持たないでしょう。
しかし、友人になったからと言って、別に頻繁に会う必要もないのです。
いつか突然思い出して、連絡を取ってみてもいいでしょう。
もしかしたら、いつか何かお役にたてることもあるかもしれません。
人と会うということは、その人に役立つことを考えるということだと私は思っています。
実際に、私のところに、そういう形で数十年ぶりに連絡してきてくれる友人もいます。
それに、たとえ現世で会えなくとも、来世も来来世もありますし。
高久さんにも、いつか手術のお礼ができるかもしれません。

こうした私の感覚は、いささか変わっているのかもしれません。
名刺交換したのに、後でメールしても返事が来ない人もいます。
湯島に来たのに、その後、音沙汰なくなる人もいます。
なんだかちょっとさびしい気もしますが、きっとみんな忙しいのでしょう。
人は支え合って、生きていくことで豊かな人生になっていきます。
もっと、人の縁を大切にしたらいいのにと思いますが、娘たちを見ていても、どうも私とは違います。
でも、節子は、こうした私の生き方を理解してくれていました。
それに節子も、旅先などでよく友人をつくっていました。
彼岸で、いろんな人に再会していることでしょう。
節子の人生も、豊かだったに違いありません。

■3502:人生を楽しくする方法(2017年4月8日)
節子
今年もまた桜を見ないで終わりそうです。
先日、湯島のオフィスに行く途中、上野公園を通っていこうと思っていたのですが、出る直前に電話があって、バタバタしているうちに、時間の余裕がなくなってしまいました。
今日も午後から湯島なので、上野公園を通っていこうと考えていましたが、あいにくの雨です。
それで今日も諦めました。
節子がいたら、今頃はいろんなところの花見に付き合わされていたことでしょうが、一人では花見に行く気になれません。
たぶん他の誰かが誘ってもですが。

ところで最近、湯島でパソコンの電源コードがなくなってしまいました。
狭いオフィスなので、なくなりようがないのですが、見当たらないのです。
そこで、フェイスブックに次の記事を書きこみました。

また信じられないことが起こりました。
たいしたことではないのですが、はい。
今朝、いささか肉体的重労働(高齢者にとっては、ですが)をしてから湯島のオフィスに来て、さてメールをチェックしようと思ったら、パソコンの電源コードが見つからないのです。
とても小さなオフィスなので、そんなはずはないのですが、なぜか存在しない!
そういえば、1か月前にも手帳がなくなり、1週間ほどして忽然と現れたこともあります。
やはりどこかに亜空間に通ずる穴があるのかもしれません。
また信じられないことが起こりました。
たいしたことではないのですが、はい。
今朝、いささか肉体的重労働(高齢者にとっては、ですが)をしてから湯島のオフィスに来て、さてメールをチェックしようと思ったら、パソコンの電源コードが見つからないのです。
来客の来る前にと思って、探したのですが、見つかりません。
とても小さなオフィスなので、そんなはずはないのですが、なぜか存在しない!
そういえば、1か月前にも手帳がなくなり、1週間ほどして忽然と現れたこともあります。
やはりどこかに亜空間に通ずる穴があるのかもしれません。
(中略)
それにしても不思議です。
あんなに大きなものがなくなるはずがない。
まあ、しかし、この1週間、湯島には来られなかったのです。
そういえば、デスクの上の芝エビもいなくなっています。
やはり、亜空間への通路があいたのかなあ。

以上のような記事をフェイスブックに書いたら、たくさんの人からコメントなどがありました。
多くの人に読んでほしいと思って書く記事はなかなか読んでもらえないのですが、こういう記事は実に反応がいい。
いささか残念ですが、仕方がありません。

コメントによれば、どうも亜空間への穴は、私のまわりだけではなく、いろんな人のまわりにもあるようです。
もっとも、それは認知症のせいではないかという人もいますが。

残念ながら今もまだ電源コードはもどってきません。
今日もオフィスに行きますが、電源コードが戻っているかもしれません。
そんなわけで、最近は、湯島に行くのが楽しみです。
花見をしなくても、人生を楽しくすることはできそうです。

■3503:老いの暮らしの喪失(2017年4月11日)
節子
また寒さが戻ってきてしまいました。
寒いと心身が萎縮してしまいます。
困ったものです。

相変わらずいろんな相談が来ます。
なぜこうなってしまっているのでしょうか。
心やすまることがありません。
私の生き方のどこかに、きっと間違いがあるのでしょう。
しかし、いまさら変えるわけにもいきません。

佐久間さんが、「人生の修め方」という新著を送ってきてくれました。
佐久間さんが日経電子版のコラムに連載していたものを本にしたものです。
以前、この挽歌でも紹介しましたが、この挽歌のことも取り上げられています。
改めて読んでみましたが、いささか気恥ずかしいものがあります。
文章は書くのはいいのですが、自分が書いたものを読むのはあまり楽しいものではありませんね。

その本の紹介をホームページに載せようと思い、先ほど、紹介文を書きました。
書きながらいろんなことを考えていたら、内容紹介のない文章になってしまいました。
というのも、老いの暮らしを楽しみにしていた15年前を思い出してしまったのです。
この挽歌でも何回も書きましたが、生き方を老いの暮らしのステージに変えようと思った矢先に節子の病気が発見されました。
そして、私たちには「老いの暮らし」がなくなったのです。
生きる目的のひとつがもし「老いの暮らし」であるとしたら、私たちはそれを失ったわけです。
花を咲かせずに枯れてしまったようなものかもしれません。
青春こそが花の時期であれば、老いは果実の時期かもしれません。
いずれにしろ、老いは決して、枯れることではありません。
佐久間さんの本を読んでいて、改めてそう思いました。

それにしても今日は寒い。
出かけるのをやめようと思います。
肺炎になってはみんなに迷惑をかけますから。

■3504:読書のスピードが上がりました(2017年4月11日)
節子
友人がなぜか暉峻淑子さんに会わないかと連絡してきてくれました。
会社を辞めてから、社会の表舞台を歩いている人と自分から直接会いに行くことは基本的にないのですが、暉峻さんの発言には以前から共感していた人であるばかりではなく、引き合わせを提案してきた人の重いにも関心があるので、引き合わせてもらおうかと思い出しました。
暉峻淑子さんは、たしかもう90歳くらいではないかと思いますが、お元気で活動されているそうです。

もし会うとしたら、彼女の本を読み直しておくのが礼儀でしょう。
そこでわが家の書庫を探してみました。
最近はお金がないので本はあまり買えませんが、節子が元気だった頃までは、気になった本は買い込んでいましたから、まあそれなりに蔵書はあるのです。
家を建てたときに、狭いながらも書庫もつくりました。

ところが整理が悪いのでいつもお目当ての本が見つかりません。
今回も、やっと1冊、岩波新書が見つかっただけでした。
それに、一番読みたかった本は結局見つかりませんでした。
実は湯河原に仕事場を作りかけたことがあり、そこにも資料と書籍は送っているのです。
もしかしたらそちらのほうにあるのかもしれません。
まあこういうことが最近よくあります。
困ったものです。

ところで、最近、まぶたの手術をしたので、読書のスピードが上がりました。
形成外科の高久医師に感謝しなければいけません。
みなさん、加齢に伴ってまぶたが緩んできたら、ぜひ、高久医師に手術してもらいましょう。
ちょっとわくわくする手術を受けられますよ。
そういえば、高久医師ともフェイスブック友達になり、やり取りも始まりました。

えーと、今日は書庫の話を書くつもりでしたが、また話がそれてしまいました。
ようやく私らしさが戻ってきたのかもしれません。
挽歌の番号がまたかなりずれてしまっていますので、がんばらないといけませんが。
さて今日は、これから暉峻さんの最新作「対話する社会へ」を読むことにします。
今日、2冊目の本です。

■3505:女性が主役のグループは付き合いきれません(2017年4月12日)
節子
今日、湯島で認知症予防ゲームに取り組んでいる人たちの交流会を開催しました。
私自身は、そのゲームを実際にやっているわけではないのですが、10数年前に、そのゲームを広げたいという高林さんに会って、応援すると約束してしまったために、まあ以来ずっと付き合っているのです。
約束は守らなければいけないというのが私の信条のひとつだからです。
でももうそろそろ卒業できるかと思うと、何か問題が起こってしまいます。
ゲームに取り組んでいる人の多くは女性たちです。
女性たちと付き合うのは苦労が絶えません。
困ったものです。

高林さんの活動拠点は京都の宇治市です。
もう80代の後半ですが、とても元気です。
高林さんがこの20年ほど、精魂傾けて取り組んでいるのが、このゲームです。
最近はかなり普及してきていますが、普及すれば普及するで、また問題が生まれます。
まあ女性と付き合うのはくたびれます。

今日は10人ほどの人が集まってくれました。
今日で終われるかと思ったら、また新しい課題が生まれてしまいました。
付き合いきれませんが、みんないい人なので断れません。
しかし、私の感じですが、いい人ばかりが集まると組織的発展は難しいのです。
悪い人、というのも語弊がありますが、少しばかり利己主義者がいるほうがどうも組織的活動は発展するのです。
私が途中で嫌気がさして協力をやめたグループは、いま発展しています。
ですから今度は、ちょっと私も悪気を出して取り組んだほうがいいのかもしれませんが、悪気は意図的に出すとうまくいきません。
本性からして「悪い人」、つまり本人には「悪気」などない「悪い人」がいいのです。
でも、もう別のグループが発展しつつあるのですから、あえて私が改めて関わることはないのですが、なぜかまたなんとはなしの雰囲気の中で、何かを引き受けてしまったような気がします。

ちなみに、今日の午前中は、これまた初対面の女性からの相談でした。
これがまたかなり大きな話です。
注意しないと引き込まれるなと思っていたのですが、引き込まれそうです。
困ったものです。

今日はこれからもう一つミーティングがあります。
これは参加全員が男性です。
なんだかほっとします。
でも今日はいささか疲れました。
そういえば、明日もまた女性3人組とのミーティングです。
余力を残しておかねばいけません。

先ほど気づいたら、携帯電話のメッセージが残っていました。
これまた多分かなり大変な相談の予感がします。
さてさてどうしたものか。

どこか遠くに行きたい気もします。
さてさて。

■3506:手賀沼沿いの桜(2017年4月15日)
節子
最近出版された一条さんの「人生の修め方」という本に、この挽歌のことが紹介されていて、そこに一条さんは毎日、般若心経をあげた後に、挽歌を書いているのが3000回もつづいたのはすごいとかいてくれました。
ところがどうも最近は、挽歌を書くのも途絶えがちで、しかも毎朝の般若心経も簡略型になることが多くなってしまっています。
般若心経の簡略型とは、般若心経の中でも、そのエッセンスが凝縮されているという最後の16文字、つまり「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」です。
お灯明とお線香だけは、在宅の時にはかかしたことはないのですが。

以前は、パソコンを開いて、「節子」と書きだすと、自然と書くことが浮かんできたのですが、最近は浮かんでこなくなってきてしまいました。
節子も今や、遠い人になったのかなあと思わないこともないのですが、昨夜はめずらしく、夢に節子が出てきました。
短い時間でしたが、会話もした気がします。
「あいかわらず・・・ね」と言われた記憶が残ったのですが、肝心の「・・・」が起きた途端におもいだせなくなりました。
なにが相変わらずなのでしょうか。

まあそれはともかく、やはり挽歌は朝に書くようにしようと思い、今朝は起きてすぐにパソコンに向かいました。
しかしパソコンを開いたら、またいろんなメッセージが届いていました。
それに対応しだすと、またあっという間に時間がたってしまいますので(なぜかパソコンに向かっているときの時間の進み方は速いのです)、簡単に返事できるもの以外は後回しにして、この挽歌を書きだしました。
でも、「節子」と書いたのに、書くことが浮かんでこない。
困ったものです。

仕方がないので、今朝届いていたメッセージのことから。
フェイスブックに、昨年、なぜかスペインの人からメッセージが届きました。
ていねいな日本語で書かれていましたが、差出人は覚えのある名前です。
節子も知っているラモちゃんで、娘の友だちのパートナーでした。
日本に来た時に、夫婦でわが家に立ち寄ってくれたのです。
そんなラモちゃんが、どうして私のフェイスブックにたどり着いたのかわかりませんが、フェイスブックのトップページの写真を変更したのを見て、「良いネットワーク」を押してきたのです。
それで「また日本に来たら我孫子にも立ち寄ってください」と書いたら、「来年行くかもしれない」と返事が今朝届いたのです。
フェイスブックはこういう思ってもいなかったことが起こるので面白いです。

それでラモちゃんが「いいね」といった写真を節子にも見てもらいましょう。
ちょっと散り始めた手賀沼沿いの桜です。
節子が元気だったころに比べるとだいぶ大きくなりました。

■3507:死の報道への違和感(2017年4月16日)
節子
先月、我孫子で少女の遺体が発見されて以来、そのニュースが毎日報道されています。
ベトナム国籍の少女が殺害されるというむごい事件です。
大きな事件ではありますが、毎日のように詳しい捜査状況などが報道されていることに大きな違和感を持っています。
人の死をニュースにすること自体に、私は違和感があり、ひどい時代になったとしか思えません。
マスコミは、間違いなくそうした事件を誘発してきています。

こういう話は、時評編の話題ですが、こういう報道に触れるたびに思うのは、一人の死が、どれほど多くの人に人生を変えてしまうかということです。
無責任に報道しているマスコミ関係者には無縁の話でしょうが、もし自分が当事者になったら、こんな姿勢で報道はできないはずです。

人は、さまざまな人とのつながりのなかで生きています。
ですから、人の死は、その人のまわりのいのちを大きく変えていきます。
私は、伴侶の死を体験して、初めてそれを知りました。
両親の死の時には、まだ実感できずにいました。
自分よりも年長の両親であれば、それは決められた順序であり、受け入れることができました。
悲しかったりさびしかったりはするものの、天の道理にはかなっています。
しかし、自分よりも若い人の死は、辛いものです。
若い友人の死は、両親の死とおなじように、辛いものがありました。
節子は、私よりも4歳しか年下ではなかったですが、順番が違うことには受け入れがたいものがありました。
いや、いまもなお、受け入れられていないのです。

子どもに先立たれることの辛さは、私には想像を絶します。
子どもの死の報道にふれると、両親のことが気になります。
おそらく多くの人が人生を変えてしまっていることでしょう。
人間の歴史は、そういう悲しみに支えられて、自らを律してきたような気がします。
せめて報道する人たちには、そういう悲しみの気持を持ってほしいものです。
興味本位の報道が多いのが、とても哀しく淋しいです。

■3508:いのちのはかなさ(2017年4月16日)
節子
蜂蜜を食べたことが原因で亡くなった幼児のことが報道されていました。
最近、乳幼児や子どもの死の報道が多いような気がします。
私自身の気持ちの持ち方のせいで、そういうニュースが目につきやすいためかもしれません。
今日も水難事故で亡くなった子供のニュースが流れていました。

子どものいのちは、いかにはかないものか、最近痛感します。
娘たちを、ここまで育ててくれた節子に、最近改めて畏敬の念を持ち始めています。
もっとも、あまり親孝行とは言い難い娘たちではありますが。
いまもなお心配が絶えませんが、まあそれは良しとしましょう。

いのちのはかなさを私が実感しだしたのは、つい最近です。
節子が亡くなってからも、死というものは、私よりも年長の人の話だと思っていましたから。
ですから節子の死が、どうしても受け入れられませんでした。
しかし、最近少し考えが変わってきました。
人の定めは、人それぞれで、それを素直に受け入れるべきだろうという考えになってきました。
そうしないと死んだ人が浮かばれません。
節子もまた人生を終えるべき時に終えたと思うと、心がやすまります。
節子は人生を全うした。
充実した人生だった。
そう思うことにしたのです。
いや、最近、ほんとうにそんな感じがしてきています。

人はいつも、死と背中合わせに、はかない世界で生きている。
その、はかない世界でどう生きるか。
節子はたぶん十分に生きたのではないかと思います。
闘病中の4年は、私よりもよほど充実して生きていた。

私もいつか、節子のようなしっかりとした生き方ができるようになるでしょうか。
死のはかなさは実感できてきたのですが、死そのものはなかなか実感できません。
死は、私にはまだ遠い世界のことでしかありません。
自らの死を実感するということは、やはり私にはまだ理解できずにいます。
それが幸福なのか不幸なのか、まだわかりませんが。

■3509:音のない朝(2017年4月17日)
節子
静かな朝です。
なぜかいつもと違って、鳥たちのさえずりがない。
レーチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出すような朝です。
どうしたのでしょうか。

今朝も5時に目覚めました。
少し前までは、目覚めても寒いのでベッドの中からなかなか出られなかったのですが、昨日からはすぐにベッドを離れられるようになりました。
寝室の隣が私の仕事場で、パソコンがあります。
起きるとすぐにパソコンの電源を入れ、メールなどをチェックするのが私の毎日の始まりです。
節子は、それを嫌っていましたが。

それにしても、今朝は音がない。
まだ早いからでしょうか。
でもまもなく5時半ですから、鳥たちも起きているはずです。
下の道路の自動車の音もない。
音にない世界は、とても奇妙で、しかし何か新鮮です。

そこに「存在」するものが、ある時、突然なくなってしまう。
そういう状況に置かれると、意識が一変します。
この不思議な静寂。
心が洗われるような気持ちがします。
陽もさしだしてきました。
隣家の隙間から垣間見える手賀沼の湖面が輝きだしました。

と、遠くから鳩の鳴き声が聞こえてきました。
でもまだいつものにぎやかな鳥の声はしません。
外に出たら、鳥たちのさえずりが聞こえてくるのかもしれません。
そういえば、今日は、寝室から仕事場に直行し、パソコンを始めてしまったのです。
下に行って、シャッターを開けて外に出たら、世界はもう目覚めているかもしれません。

節子がいなくなってから、世界から音が消えたことがあります。
音のない世界は、不思議です。
自分の中に入り込んでいる自分に気づくこともある。
久しぶりに、ありがとうございました。の心境を体験した気分です。

でもどうして鳥が鳴いていないのでしょうか。
外に出てみれば、違う世界があるのかもしれません。

太陽が上がってきました。

■3510:久しぶりのジャズ(2017年4月17日)
節子
昨日、久しぶりに、本当に久しぶりに、ジャズを聴きました。
友人の西山さんから、収録に関わったヒロ川島さんのCDを、たまにはジャズもいいですよ、といってもらっていたのです。
昨夜、聴いてみました。
久しぶりのジャズでした。
いろいろと思いがこみ上げてきます。

最近、音楽から遠のいているのです。
あまりに哀しいからです。
音楽の力は、それにしてもすごいと思います。
時空を超えて、風景が眼前によみがえってきます。
あのざわめき、あの香り、あの躍動感。
実際には、体験しなかったような風景までもが、現れてきます。
音楽は、いのちをつなげていく。

だからこそ、哀しいのです。

節子がいなくなってから、私は音楽をほとんど聴かなくなりました。
コンサートにも行ったことがありません。
音楽は、私の中では封印されてしまいました。

そんなわけで、ヒロ川島さんのCDはしばらく私の机の上に置かれたままでした。
昨夜、ちょっと気になってミニコンポで聴く気になりました。
これもまた久しぶりです。
最初の音で、一挙に封印が解けて、懐かしさがこみ上げてきました。
音楽の力は、やはりすごいものがあります。

音楽も歌も聴けなくなりましたが、いつも思い出す歌があります。
橋幸夫さんの「雨の中の2人」
雨が小粒の真珠なら…という歌です。
節子と一緒に、橿原神宮に行った時、雨が降ってきたのに傘がありませんでした。
参拝客は誰もいませんでした。
雨の中を、ふたりでこの歌を歌いながら、歩いたのを覚えています。
しかし、なぜか境内の記憶がありません。
音楽は記憶を呼び覚ませてくれますが、記憶を奪うこともあるようです。

今日また、聴いてみました。
ヒロ川島さんのトランペットは、心を震わせます。
やはり音楽は、封印しておきたい気もします。
あまりにも哀しいですから。

■3511:精神の老化(2017年4月17日)
節子
湯島の隣のビルが解体されました。
私のオフィスがあるビルよりも、立派なビルだったのに、どうして壊してしまったのでしょうか。
私のような節約家にとっては、使えるビルを壊すということがどうも理解できません。
自然も大事にしなければいけませんが、一度建造した建物は、大事に使い込んでいきたものです。
湯島のオフィスの周辺も、この10年で大きく変わってしまいました。
高層のビルばかりです。
節子がやってきたら道に迷うかもしれません。
以前、節子と一緒に見たような、夕日ももう見えなくなってしまいました。

今日は湯島に来ていますが、いささか時間を持て余してしまっています。
先日、忽然と消えてしまった電源コードは今なお出現していませんし、デスクの上の水槽も芝エビも復活してきません。
元気だったら近くの友人のオフィスに久しぶりに顔を出そうかとも思ったのですが、最近また寝不足で疲労感に覆われています。
寝不足もありますが、気温の激しい変化の影響もあるかもしれません。
加えて、精神的なストレスです。
精神をいやしてくれる人がいないのは、疲れることです。
しかし、もしかしたら、多くの人は私と同じで、癒してくれる人がいないのかもしれません。

節子がいたころは、精神的なストレスが継続したことはありませんでした。
いまはその逆で、精神的ストレスが消え去ることがありません。

建て替えでリフレッシュする建物のように、人間も身体を入れ替えたら精神もリフレッシュできるでしょうか。
身体の老化は比較的受け入れやすいのですが、精神の老化は見えないだけに気になります。

そろそろ来客がありそうです。
疲れを見せないために、しゃんとしなければいけません。
見栄を張るのも一苦労です。
しかしまあ、どうせすぐ見破られてしまうでしょう。

■3512:自然の悲しみが伝わってくるような朝です(2017年4月18日)
昨夜から荒れ模様になっていて、今朝も雨風が吹き荒れています。
真夜中に目が覚めたのですが、枕元のデジタル時計が消えていました。
停電していたのです。
後で確認したら3時半で止まっていました。
いまは復旧していますが、外の雨風は激しさを増している感じです。
最近の天気は、実に移り気で、それが疲労の原因かもしれません。
自然もきっとストレスが多くて、時に発散したいのでしょう。
ちょっと親しみを感じます。
荒れたいときは適度に荒れたほうがいい。
そうしないと人生の平安は持続は難しく、どこかで暴発しかねません。

昨今の不幸な事件の報道に触れるたびに、
私は加害者の人生に思いが行ってしまいます。
もちろん加害者の行為は許されることではありませんが、
同時に、加害者を追い込んだであろう状況も気になります。
それはきっと私とも無縁ではないと思うからです。

そういう思いを持って、マスコミ関係者は報道してもらいたいと思います。
そうしないと、社会はさらにひどい荒れ模様になっていきかねません。
少なくとも、私自身はそういう思いで生きていこうと思います。
これもまた、節子との別れから学んだことです。
寂しさの奈落に落とされると、人は自らが見えなくなります。
私がいま、なんとか生きつづけられているのは、ある意味では奇跡としか言えません。

雨風の音を聞いていたら、そんな気がしてきました。

■3513:終わり方を振り出しに戻しました(2017年4月19日)
節子
いとこたちと久しぶりに会いました。
今回、集まったなかでは私が下から2番目ですが、年上の方がみんな元気なのです。
さまざまな人生のしがらみから解放されている人ほど、元気な気がします。
これは、人との付き合いは、煩わしい一方で、人生を豊かにするという私の考えに反します。
考え方を少し変えたほうがいいかもしれません。
一番遠くから来たのは神戸からですが、彼は結婚もせずに人生を楽しんできました。
いまはゴルフと旅行とサスペンスドラマを楽しんでいるようですが、心を許せる友人以外は、あまり人に会っていないようです。
もちろん同窓会や会社時代の同期会などには参加しているようですが、気の向くままの悠々自適な暮らしぶりを感じました。
時々、いとこに会いたくなって東京にやってくるので、彼が上京するたびに、私がいとこたちに声をかける役割なのです。
関東にいるいとこたちも、彼が来ないとなかなか集まるきっかけが得られません。
ライフスタイルがそれぞれ違うので、普段は集まろうという気にはなかなかなりません。

集まった直後は、とりあえず健康の話です。
みんな70〜80代なので、いつどうなってもおかしくありません。
それぞれに健康管理をしているようで、私もいろいろとアドバイスをもらいました。
まあしかし、人の健康は人それぞれです。

いとこたちは、私の生き方が理解できないと言います。
たしかに世間的には「常識」的でない生き方をしています。
苦労も多いし、心やすまらないことも少なくありません。
私も、最近は生き方を間違ったかなと思うこともないわけではありません。
しかし、まあ人生は一度きりしかないわけですから、間違っていたなどということはありません。
実際に生きてきた人生だけが、善し悪しや正誤を超えて、唯一の人生なのです。
間違っていたなどと思うのは、逃避でしかありません。

それにいまさら路線変更はできません。
困ったものですが、いま背負っている重荷を背負い続けていかなければいけません。
せめて荷物をさらに背負わないようにしたいですが、これまた生き方を変えられない以上、無理な話なのです。

私は生前葬をしたいので、その時に気が向いたら来てくださいと話しました。
でもだれも本気で聞いていなかったような気がします。
しかし考えてみると、生前葬をやるのも結構大変です。
節子がいたら、来週生前葬をやるのでよろしくと気楽に頼めますが、娘たちには頼みがたいです。
となると一人でやらねばいけません。
私の場合、自分の死期がわかってから生前葬をやろうと考えているのですが、それだとそもそも私に呼びかけるエネルギーが残っている可能性は少ないです。
節子がいないと、生前葬はできないかもしれません。

さてどういう終わり方をするか。もう一度考え直さないといけません。

■3514:節子の存在がいまもなお生きています(2017年4月21日)
節子
昨日は1年ぶりに新潟に行ってきました。
金田さんが主宰している「みんカフェ・新潟」に1年ぶりに参加しませんかと誘われたのです。
その動きが少し気になっていたので、思い切って行くことにしました。

そのおかげで、高見さんに会うことができました。
サロンが始まる前に、金田さんと高見さんとで食事をしました。
高見さんを知ったのは、節子がいなくなってからです。
最初にあったのは、たしか被災後の南相馬でした。
お互いに何をやっているかをきちんと話し合ったことはないのですが、同じものを感じているのです。
それで私が新潟に行くと言うので、最近の資料などを持ってきてくれて、これからの構想などを話してくれたのです。
輝くような内容でした。
私と違って、しっかりと組織的に活動しています。

別れ際に、佐藤さんの奥さんへの思いに感心しますよと言うようなことを呟きました。
この挽歌も読んだことがあるようです。

この挽歌を通して、節子と私のことを知ってくれた人に、時々出会います。
たぶん、それを通して、私の人柄を構築してくれている人がいるかもしれません。
おかしな言い方ですが、節子の存在は、私の人間像の形成に影響を与えることもあるわけです。

この挽歌を読んだ、私をまったく知らない人は、どんな人間像を持ってくれるのでしょうか。
いまもなお節子は、私にとっては存在する伴侶なのかもしれません。

■3515:鳩が巣を作りました(2017年4月21日)
節子
庭の木に鳩が巣をつくってしまいました。
節子は死の直前に、また鳥や花になって戻ってくると書き残しましたが、私は、鳥があまり好きではありません。
困ったものです。
せめて蝶とかトンボとかと言ってくれたらよかったのですが、なぜか鳥でした。
節子は酉年でしたから、そのためかもしれません。
しかし私は、子どもの頃、手塚治虫の「ロック冒険記」を読んで以来、鳥にある種の恐怖感があるのです。
母が鳥を飼っていたことがありますが、どうも苦手でした。
嘴と足が特に生理的に苦手なのです。

そんなわけでわが家には鳥に住んでほしくないのですが、数年前も小さな鳥が巣を作りました。
2羽生まれましたが、1羽は育ちませんでした。
だから巣は作ってほしくないのです。

実は節子のいた頃から、毎年、庭の藤棚に鳩がやって来て巣づくりをしようとしていました。
節子もそれは反対で、鳩には悪いのですが、巣づくりは断っていたのです。
その藤棚が昨年の台風で壊れてしまったので今年は大丈夫だなと思っていました。
ところがあまり人がいかない家の横の木に巣がつくられているのに気づいたのです。
すでに卵が産まれていましたので、もう立ち退き勧告もできません。
巣の中にある卵を食べてしまう方法もありますが、不思議なもので、鶏の卵は食べられても、鳩の卵は食べる気が起きません。
そうなると今度は、この卵をカラスとヘビから守らないといけません。
なんだか理屈に合わない気がするのですが、それ以外の選択肢はありません。
困ったものです。

時々、親鳩が卵を抱いてあたためています。
その時には、目があっても鳩は動じません。
むしろ私が睨まれているようで、ついついあやまってしまいます。
しかしどう見ても、この鳩は節子ではなさそうです。

節子
できれば鳥になってやってくるのはやめてくれませんか。
せめて鳥ならば、スズメにしてもらえないでしょうか。

■3516:人は居心地のいいところで人生を終える(2017年4月22日)
節子
昨夜、少し古い「小さな村の物語212」を録画で見ました。
オーストリア国境近くの谷あいの小さな村プレドーイが舞台です。
半年を山小屋で過ごす畜産農家のヘルムットさんが、主役の一人でした。
冬が近づくとふもとの実家に戻るのだそうですが、冬の到来を前に、ヘルムットさんがこう話していました。

自然は死があるから、また新しく生まれ変われるんです。

何気なく聞いていましたが、昨夜ベッドに入ってから気になってしまい、今朝起きてからすぐにその部分だけを見直しました。
死があるから生がある。
死は誕生なのです。
自然の中で、自然と共に生きていると、それが自然とわかってくのでしょう。

もうひとりの主役の銅鉱山博物館の職員のルイーザさんはこう語っています。

真っ直ぐだったり曲がりくねった人生だったけど、居心地のいいところに落ち着きました。

それもまた自然から学んだことに違いないと思いました。
なんでもない2つの言葉ですが、いろいろと考えさせられました。
嘆いていても何も変わらない。

同い年の友人の訃報が届きました。
世界はこうしていのちを受け継いできているのでしょう。
人はきっと、居心地のいいところで、人生を終えるのでしょう。
他の人にはわからなくても、きっとそうに違いない。
節子もきっとそうだったに違いない。
そう思えるようになってきました

■3517:思いを放すことの大切さ(2017年4月23日)
節子
時にドキッとする発言に出合うことがあります。
しばらく前の話なのですが、しばらくぶりに会った若い女性も交えて、ある話題に関して話をしていたのですが、別れ際にその女性が、私のところに寄ってきて、ドキッとする発言をしたのです。
残念ながら、たぶん予想しているような内容の言葉ではありません。

それは、「初期がんなのです」!
最初は耳を疑いました。
あまりにも唐突であり、しかもなぜそれを私に言うのか、と。
しかも、実にあっけらかんと、明るい調子で言うのです。
「まだ母にも話していないのです。心配するでしょうから」
その口ぶりからは、たぶん同席していた人は誰も知らないことでしょう。
しかし、その口ぶりから、がんの診断を受けたのはつい最近のようです。
もしかしたら、誰かに伝えたかったのかもしれません。
でも伝えられない。
そこであまり会うことのない私に、もらしたのかもしれません。
私からは他の人に伝わることはまずないでしょうから。

しかし、私としては何と答えていいかわかりませんでした。
あまりにも突然のことであり、しかも別れ際だったからです。
みんなのところに戻ったら、彼女は何もなかったように、それまでの会話に戻りました。
ますます対応ができなくなりました。
でも、私には、「初期がんなのです」と誰かに言えたことで、彼女の心が少し晴れたような気がしました。
同時に、その日の彼女の話しぶりに圧倒されていたのですが、もしかしたら、彼女が私が席を立つ暇もないほどに話し続けていたのは、「初期がんなのです」という思いが、身心に充満していたためかもしれないという思いもしました。
帰宅してから、彼女にメールを送りましたが、返事はありませんでした。
以来、ずっと気になっています。

この話は少し前の話なのですが、昨日、サロンに参加した人が、サロンのテーマとは関係ない、ちょっと自分に降りかかってきているトラブルを話しだしました。
幸いに、サロンに参加していた数名がその話を熱心に聞きました。
サロンが終わった後、彼女が私に言いました。
今日はみんなに聞いてもらって、それだけで心が晴れました、と。
彼女の安堵した表情を見て、しばらく前のこの「初期がん」発言を思い出したのです。

たしかそろそろ検査結果が出るような話でした。
私も少し動じてしまい、正確に記憶していないのですが。
節子のがんが発見された時のことも思います。

■3518:心優しい人たちを思い出すと涙が浮かんできます(2017年4月23日)
節子
秋山さんを覚えているでしょうか。
40代で事故に遭い、その後遺症が残ってしまい、人生を大きく変えてしまった人です。
障がいを持った人でも働ける場をつくりたいと相談に来ました。
秋山さんが立ち上げたNPOを、ささやかに応援させてもらいました。
秋山さんの主催するイベントに参加したり、館山まで行って相談に乗ったりしました。
一時は大きなイベントを主催するところまで行き、私の役割もなくなってきました。
物事がうまく動き出せば、私の存在意味はなくなるというのが、私の考え方です。

節子の葬儀には、身体が不自由にもかかわらず来てくださり、最後までずっといてくれました。
以来、気になりながら、ネットなどの情報にしか触れずにいました。
最近、その情報も途絶えてしまったので気になっていたのですが、昨日、秋山さんのNPOで活動していた人からたまたまメールが来ました。
それで秋山さんのことを訊ねたのですが、NPOは他の人に譲り施設に入居したのだそうです。
どこに入居したのか、NPOに訊いてもわからないというのです。

秋山さんのNPO活動は、新聞などでも報道されたり、華やかな時もありました。
しかし私にはなんとなくわかるのですが、秋山さんはそんなことは望んでいなかったのだと思います。
ただただ心許す人たちと支え合える生き方をしたかったのではなかったのか。

節子の葬儀の時、秋山さんは火葬場まで来てくれました。
私以外は知り合いがいなかったのと、足が悪かったため、みんなとはちょっと離れた場所に一人で座っていました。
気になって、みんなのところにお誘いしましたが、秋山さんは一人でいたいと言って、そこを離れませんでした。
喪主として私は秋山さんとゆっくりお話するわけにもいきませんでしたが、なぜかそれがずっと気になっていました。
秋山さんは、もしかしたら、あの時、何かを私と節子に話していたのかもしれません。

節子も秋山さんのことを知っています。
秋山さんは時々湯島に相談に来ていたからです。
身体に加えて秋山さんは言語障害もありました。
そのためそれまで経営していた会社もうまくいかず、家庭も壊れてしまったとお聞きしました。
とても心優しい人で、いつも前を向いていましたが、私にはちょっと周りに利用されたのではないかという思いもあります。

秋山さんに再会するのは、もしかしたら彼岸かもしれません。
どちらが先に彼岸に行くかはわかりませんが、彼岸でも、きっと私のことは覚えていてくれるでしょう。

心優しい友人たちの恵まれた人生でした。
いや、過去形ではなく、現在形で表現すべきでしょうね。
しかし、なぜか心優しい人たちは、此岸ではあまり幸せでないのかもしれません。
心優しい人たちを思い出すと、なぜかいつも心に涙が浮かんできます。

■3519:体調が悪いと気持ちが暴発します(2017年4月24日)
節子
この数日、どうも他者に対する対応がよくありません。
私は、気持ちが表情に出てしまうだけでなく、機嫌が言葉にでてしまうタイプなのです。
たぶん心身の作りが単純なのでしょう。
自分で自分をコントロールできない、未成熟な人間なのです。
しかもその表情や態度が、自分でもわかるのです。
そうした、「性格が悪い自分」への嫌悪感に襲われてしまうことが時々あるのです。
この数日が、そうです。
この数日、私にあったり電話したりした人の中には、不快感を持った人もいるでしょう。
困ったものです。
しかし、表情も言葉も、そこには嘘はないのです。
その時の素直な私が出ているわけです。
だからなおさら困るのです。
その時の自分は、本来の私ではないと抗弁したい気もしますが、まあどちらも私であることは間違いない事実です。

人は、自分でも気づかないうちに、気持ちを鬱積させています。
それが時に、はけ口を求めて暴発してしまう。
運の悪い人が、その相手になってしまう。
多くの場合、その人は鬱積した気持ちの犯人ではないのですが、しかしどこかでつながっているのかもしれません。

昨日は電話でかなり暴発してしまいました。
少なくとも3人の人が犠牲になりました。
こんな時に電話してきてほしくないのですが(私は電話が嫌いです)、相手は私の状況など知る由もありません。
とばっちりを受けてしまったわけです。
まあそのおかげで私はかなりバランスを取り戻しました。
デモなんだか昨日は疲れ切っていて、9時に寝てしまいました。

しかし、この数日、なぜ暴発気味だったのか。
今朝、原因がわかりました。
風邪を引いたのです。
そういえば、この数日体調があまりよくありませんでした。
いま思えば、風邪の予兆でした。
朝起きてすぐに歯を磨けば風邪はひかないと教えてもらったので、そうしていましたが、1週間ほど前からそれをやめてしまっていました。
そのためにどうも風邪をひいてしまったようです。
困ったものです。
体調の悪さが機嫌に直結しているのも、私の未熟なところです。
それで、ただでさえ未成熟な心身が気持ちを増幅させて暴発させてしまった。
そう考えることにしましょう。
性格の悪さではなく、体調の悪さのせいにすれば、少しは心やすまります。

しかし今日はこれから眼医者さんに行かなければいけません。
いやそればかりではなく、今週はめずらしく約束の多い週なのです。
果たして身心は持つでしょうか。

こんな時に、風邪などひくとは、人生はなかなかうまくいきません。
困ったものです。
なんだかぞくぞくしてきました。
さてさて。

■3520:眼科医に飽きてきました(2017年4月25日)
節子
昨日は眼医者に行ってきました。
すごく混んでいる眼医者なので、いつも2時間はかかります。
私は待つのが苦手なのですが、ここはとても巧妙に仕組みられていて、私でも大丈夫です。
まず10〜20分待っていると、看護師さんが診察券と保険証を返しに来ます。
それから20分ほどたつと検査室に呼ばれて、眼圧検査や視力検査を行います。
そして瞳孔が開く目薬を点滴されます。
20分ほどたつと薬が効いてきて、検査がしやすくなるのだそうです。
20分近く経つと看護師が来て、その目薬の効果を確認しに来ます。
そしてもう大丈夫なので、そろそろ診察ですと言われます。
そしてそれから少しして診察室に呼ばれるのです。
診察は5〜10分で、医師との人間的な交流があります。
こんな次第で、診察終了までに1時間から1時間半かかるのですが、適当な時間をおいて、なんらかの声かけがあるので、待つのがさほど苦痛ではないのです。
20分単位で次の工程に送られる感じですので、飽きることがありません。
苦痛なのは、診察終了後の会計が遅いことです。
これがまた20分ほどかかるのです。
会計が遅い理由は、会計担当者が専門化されていないからです。
この点が、この眼科医の欠点で、これさえ直せば、もっと不満は減るでしょう。
しかし、ここに多くのヒントが含まれているのかもしれません。

私はいつも、どこに改善点がないかと観察しているので、あまり待たされ感がありません。
しかし、もう少し工夫したらもっとみんなが満足するし、待たされ感をもたないだろうなと思うこともあります。
私にコンサルティングさせてもらえれば、待合室の混み具合は減るはずです。
レイアウトや椅子などにも改善点があることにも気づきます。
だから退屈はしませんし、待つことの苦手な私もそれなりに楽しめます。
それにベルトコンベアの上を流れる商品の気持ちも味わえますし。
それはけっこう快適なものです。
まあ、最近の多くの人の生き方はそれに近いのでしょうが。

しかし、時に流れが乱れることがあります。
昨日がそうでした。
最初に50分近くも待たされてしまったのです。
いま来ているのは白内障予防のためですが、白内障の手術をしてしまえば、来なくてよくなります。
定期的に通うか、手術で終わりにするか。
というわけで、うっかり手術をしようと決めてしまいました。
まあこういう無思慮な決断が最近増えています。
さてさてどうするか。
フェイスブックに書いたら、賛否両論で、ますます迷います。
主体性のない生き方は、面白いですが、面倒くさいです。
秋になったら手術をしようと思います。

■3521:久しぶりに献花台をきれいにしました(2017年4月25日)
節子
昨日、挽歌103「まさか節子が献花にきたのではないでしょうね」にコメントがありました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2007/12/post_72f6.html
それで私も久しぶりにその挽歌を読みました。
そういえば、そんなこともあったなと当時を思い出しました。
挽歌をまた最初から読み直してみたら、いろんな気付きがあることでしょう。

ところでそのコメントを読みながら、そういえば庭の献花台の手入れを最近していないことに気づきました。
もしかしたら、それを知らせるために、節子が Tugiさんを名乗って、コメントしてきたのかもしれません。
そんな気もして、今日は献花台のまわりを少し整理しました。
といっても、あんまり体調が良くないため、まあいつものように「適当」にですが。
献花台に供えていた花瓶がないのに気づきました。
いやはや節子は怒っているか、嘆いているかしていることでしょう。
花瓶を探しましたが、見つからないので、花の咲いている鉢を両側に置くことにしました。
まあそれで許してもらえるでしょう。
それにもうじきチューリップが咲きだすでしょう。

庭に鉢植えしていたモッコウバラが咲いているのに気づきました。
手入れが悪かったせいで、この数年、あまり咲かなかったのです。
これは節子が植えたもので、香りのよい白い花のモッコウバラです。
私はどちらかというと、黄色のモッコウバラが元気で好きなのですが、節子は白が好きだったのです。
娘によれば、節子が植えたのに、節子が病気になったためか、節子がいた頃には咲かなかったのだそうです。
義理堅い花です。

5月に例年やっている庭でのカフェサロンを予定していますので、
少し庭をきれいにしなくてはいけません。
例年なら藤が咲いてくれるのですが、昨年全滅してしまったので、今年は咲いてくれそうもありません。
かなりの鉢植えの花木も枯れてしまったので、今年は少し殺風景かもしれません。
それにすぐ隣に家が建ってしまったので、展望も悪くなりました。
でもまあ天気さえ良ければ、5月27日〜28日にフリーカフェを開店する予定です。

■3522:話を聴いてくれる人の大切さ(2017年4月26日)
節子
やはり喉風邪のようです。
昨日はかなり回復してホッとしていたのですが、やはり順調に風邪に向かっているようです。
困ったものです。

もう風邪はやめようと思っていましたが、どこかに油断があったようです。
まあ心当たりはいろいろとあるので、油断だらけだったというべきかもしれません。

あいにく今日はいささか気の重い話ばかり予定されています。
こういう時に限って、なのです。
節子がいた頃は、気の重い話もいつもシェアしてくれましたし、少なくとも私の立場を理解してくれていました。
それだけでも、まったく違います。
すべてを一人で、それも内に込めて、抱え込んでしまうのは精神的にも身体的にもよくありません。
かといってこういうところに書きこむこともできません。
「王様の耳はロバの耳」という話が思い出されます。

先週、テレビの「こころの時代」で、ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんが被曝後の福島の人たちを訪ねて耳を傾ける「“小さき人々”の声を求めて」を見ました。
それに触発されて、ソ連崩壊後のロシアの“小さき人々”を聞き書きした「セカンドハンドの時代」を読みました。
彼女はベラルーシの作家ですが、彼女が「小さき人々」と呼ぶ民の声を発掘し、それを自分の耳に聞こえるままに記録するという独自の文学を築いた人です。
チェルノブイリ原発事故の後も被災者の声を聞き歩いた彼女にとっては、福島取材をずっと待っていたのだそうです。
小さき人々の声は、ほとんどが体制への批判を意味しますので、大変な勇気と忍耐が求められます。
それに、小さき人々の声を聞きだす作業は、自分から話したがっている「大きな人たち」と違って、苦労も多いでしょう。

本やテレビで、小さき人々の発言に触れると、発言することの意味がよくわかります。
そして、発言を聴いてくれる人の存在が、とても大事なことがよくわかります。
聴いてくれる人がいなくなって、それは真に知ることです。

今朝、また、tugiさんがコメントくださいました。

いつも今でも一緒にいると思っていても、さがしても、さがしても、もう声を聞くことも、触れることもできません。

tugiさんも、話を聴いてくれる人との別れを体験された方のようです。
お気持ちがよくわかります。

■3523:人は、思わぬところで生きていて、思わぬ人に会っている(2017年4月27日)
節子
ある人からメールが来ました。
こんなメールです。

友人の紹介で、コミーという会社に行って小宮山さんに案内してもらいました。
ところが小宮山さんから、「しゅうさん」と言う言葉が何度も出て、どなたかなあと思っていたら、佐藤さんなんですね。
不思議なご縁にびっくりです。

私もびっくりです。
それに小宮山さんは、その人が私の知り合いなどとは知る由もありません。
なぜ「しゅうさん」の名前が何回も出てきたのか、いささか気になりますが、おかげでまったく無関係な3人がつながっていることがわかったわけです。
その人は群馬県在住ですし、小宮山さんは埼玉在住、私は千葉在住で、地域的にも離れていますし、活動分野もそれぞれ全く違うのです。

ところで、このことからこんなことがわかります。
人は、思わぬところで生きていて、思わぬ人に会っている。
私は、自分では気づかないままに、埼玉で群馬の友人に出会っていたわけです。
今回は、友人が教えてくれたからわかりましたが、私はもっとさまざまなところで生きているのでしょう。
そう考えると、孤独の人などいないのです。
みんないろんなところで生きていますから、たとえ引きこもろうとも寝たきりになろうとも、決して一人ではないのです。
孤独死など、あろうはずもないのです。

今度の土曜日に、「看取り」をテーマにしたサロンを開きます。
その参加を連絡してきた友人が、こう書いています。

私は、誰にも看取られずにウマク??鎮かに死にたいと願っていますがー。
こういう人間もいるのですよね。

ちなみに、「ウマク??」というのは、この人は乗馬が趣味の人で、人よりも馬や猫が好きな人なので、こんな表現をしています。

誰にも看取られずに死ぬことになるだろうなという人は私のまわりにも何人もいます。
でもそんなことはありえないのです。
みんな誰かに見守られて生き、最後も看取られているのです。
自分では気づかないかもしれませんが、どこかで誰かの中に生きているのです。
そして自分では知らないうちに、誰かの世界の一部を構成し、誰かに会っている。
そんな気がします。
この世に生を享けた以上、孤独であるはずがないのです。
でもそれが実感できないのが現在かもしれません。
しかし、それはそう思えばいいだけなのです。

孤独だという「傲慢さ」は捨てなければいけません。
孤独では生きてなどいけないのですから。
生きている以上は、孤独ではないということなのです。

あれ!
書こうと思っていたことがいつの間にか違うことを書いてしまいました。
書こうと思ったのは、節子もまだ生きているということだったのですが。
困ったものです。

■3524:ほっこりさに飢えてきた社会(2017年4月28日)
節子
昨日、電車で出会った小さな出来事をブログとフェイスブックに書きました。
「じゃんけんで勝ったものが席を譲る」という記事です。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2017/04/post-6f8a.html

最近、北朝鮮と日米韓の関係がきな臭くなっています。
それを揶揄しての、ささやかな話のつもりだったのですが、フェイスブックでの反応が大きく、書いた日だけで、200人を超える「いいね」があり、10人を超える人がシェアしました。
私はむしろそのことに驚きました。
というのも、そんな風景は時々見る風景だからです。
にもかかわらず多くの人が「とてもすばらしい」「ほっこりする」などとわざわざ書いてくれているのです。
天邪鬼の私としては、むしろそこに奇妙な違和感を持ってしまいました。
こんなことさえそんなに拍手すべきことになったのか。
そんな気がしてきたのです。

私たちが若いころの社会は、あたたかさがありました。
しかし経済的に豊かになるにつれて、人間的なものがどんどん変わってきた気もします。
そうした動きに、どこか違和感があり、私はそこから脱落してしまいましたが、たぶん節子もまた、そうした変化には調和できない人間的な時代の生き方の人でした。
もっとも節子は、奇妙にそうした現代的な、都会的なものへの関心もありました。
東京の丸の内界隈が開発されたり、何か現代的なイベントが行われたりするとき、節子から誘われたことも何回かあります。
私もついついそれに付き合いましたが、新しいところはどうも好きにはなれませんでした。
節子がいたころまでは、それでもまだどこかにあたたかさがありました。
しかし、最近の都心のビル街は、居場所がなかなか見つかりません。
私ももはや時代遅れの人になってしまっているんでしょう。

湯島のビルのエレベータであれば、小さなので一緒になった人に気楽に声もかけられますが、高層ビルのエレベータは最近は大きくなって、声をかけるような空間ではなくなってしまいました。
さすがの節子も、最近の新しいビル街は好きにはなれないでしょう。

節子はいい時代に生きていたのかもしれません。
私は少し長生きしすぎているのかもしれません。

今日はちょっと思いついたことがあるのですが、それを書くのは明日にしましょう。

■3525:他者を悲しませない死(2017年4月29日)
節子
今日は「看取り」をテーマにしたサロンでした。
こうしたテーマに関して、もうわだかまりなく考えられるようになっていると思っていますが、そして実際にもそうなのですが、話し終わった後に、やはり疲労感が襲ってきます。
看取りをテーマにしたサロンにこだわっていること自体、実はまだ解放されていないのかもしれません。

もっと驚くのは、死や看取りに関して、自分でも思ってもいなかった言葉が自然と出るようになってきていることです。
今日も、なぜかだれにも看取られない「孤独死」がいいのではないか、と口に出してしまいました。
そんなことは、その時まで考えたこともありませんでした。
しかし、嘘をついたのではなく、その言葉がなぜか自然と出てしまったのです。

そして、考えてみると、孤独死こそ理想ではないかという気にさえなってきました。
ただ残念ながら孤独死するほどの自由は、生きている以上、望めないことかもしれません。
結局、人は孤独ではないからです。
テレビで時々「孤独死報道」がありますが、私が考えた孤独死は、死後もまた誰にも迷惑をかけない死に方です。
死後に迷惑をかけるのであれば、孤独死とは言い難い。

私の言葉遣いは、ちょっとおかしいかもしれません。
いつかもう少し敷衍したいと思いますが、孤独であれば、死は存在しないと思うのです。
前に書いたことがありますが、私にとって実感する死は、他者の死であって、私自身の死は絶対に体験できません。
であれば、他者がいない孤独の生には、孤独死はあり得ない。
そして他者がいなければ、つまり孤独に生きられるのであれば、死の悲しみは体験しないですむ。
そして他者に体験させなくてすむ。
他者を悲しませない死。
もしそんな死に方ができるのであれば、それがやはり理想だなと思います。

節子の死で、私は生き方が大きく変わってしまいました。
それは私にとってはとてもつらくて哀しいことでした。
もし私の死が、誰かにそんな悲しさや辛さを与えてしまうとしたら、その死は避けたいと思います。
節子は、私たちのために死を先延ばししていたのではないかということは書いたことがありますが、節子にとっての死は、自らの死ではなかったのです。
そんな気がずっとしています。

誰にも認識されずに、そういえば、最近あいつの噂を訊かないなあといわれながら、いつか噂する人もいなくなってしまう。
そんな死が望めるのであれば、最高です。

でもそれは私には望みうべくもない。
隠居とか遊行とは、そういうことなのだなと今日は気づいたのです。
孤独死は、私には夢のまた夢です。

■3526:賢治の愛のうた(2017年4月30日)
節子
ずっと気になっていたことが今朝、氷解しました。
節子はよく知っていますが、私の好きな詩のひとつが、宮沢賢治の「永訣の朝」です。
この挽歌でも取り上げたことがありますが、妹トシがなくなった時に、賢治が詠んだ詩です。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/11/post-aaab.html
しかし、妹のための詩としては、どうもなじめなかったのです。
でもその違和感を確かめることはしませんでした。
そこに出てくる、「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」という言葉は、たしかに妹の言葉だったからです。
「雨雪をとってきてよ、賢治おにいちゃん」。
よほど妹思いだったのだなということでむりやり納得していました。

しかし今朝の「こころの時代 宮沢賢治 はるかな愛」で、賢治には思いを寄せた女性がいたことを知りました。
詩人の吉増剛造さんが、絵本作家の澤口たまみさんの書いた「宮澤賢治 愛のうた」を入り口にして、賢治の「春と修羅」を読み解いていくのです。
そして最後に、病床のトシが賢治に雪をせびった部屋で、吉増さんは賢治の「わたくしどもは」を読み上げます。
その部屋は、実は恋人の女性も訪ねてきた部屋だったようです。
「わたくしどもは」の詩は、はじめて知りましたが、私が書いたような気にさえなるような私好みの詩でした。

その詩は、この記事の最後に書いておきますので、よかったら読んでください。
この詩を読んでから、「永訣の朝」を読み直すと、これまでとは全く違う賢治が見えてきます。
そして私の長年の違和感は氷解したのです。

賢治の恋人は結果的には賢治ではなく別人と結婚し、アメリカにわたります。
そして27歳の若さで、アメリカで亡くなるのですが、それはともかく、賢治の「春と修羅」が完成したのは、彼女がアメリカに立つ1か月前だったのだそうです。
彼女にはわたっていたでしょう。
それは2人の秘められた記録だったのかもしれません。
そして彼女が渡米した直後に、賢治は「わたくしどもは」を詠むのです。

実に思いのこもった作品です。
長いですが、書いておきます。
しつこいですが、私が書いた詩のような気が、なぜかしてなりません。
もちろんそんなはずはないのですが、そう思う理由もまた、いつか書いてみたくなるかもしれません。

〔わたくしどもは〕

わたくしどもは
ちゃうど一年いっしょに暮しました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした
いっしょになったその夏のある朝
わたくしは町はづれの橋で
村の娘が持って来た花があまり美しかったので
二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
妻は空いてゐた金魚の壺にさして
店へ並べて居りました
夕方帰って来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました
見ると食卓にはいろいろの菓物や
白い洋皿などまで並べてありますので
どうしたのかとたづねましたら
あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです
……その青い夜の風や星、
  すだれや魂を送る火や……
そしてその冬
妻は何の苦しみといふのでもなく
萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました

■3527:孫にお年玉をやるのを忘れてました(2017年5月1日)
節子
ジュンが、孫のにこを連れてやってきました。
来週、にこの1歳の誕生日で私も招待されているのです。
なにかお祝いを持っていこうと思い、にこは何が喜ぶだろうとジュンに訊いてみました。
そんなことの会話の中で、私が今年のお正月にお年玉をあげなかったことが判明しました。
娘夫婦は、元日にわが家に来た後、夫の両親のところに行ったのですが、そこで夫のお母さんがにこにお年玉を渡す時に、「はい、にこちゃん、はじめてのお年玉ですね」と言ってから、あわてて「ああ、もう白山(わが家のあるところです)でもらっていたわね」と娘に言ったそうです。
むすめも「もらっていない」とは言えなかったので、笑って過ごしたそうですが、その話を今日、はじめて聞きました。
それで、孫にお年玉をやっていなかったことに気づきました。
というよりも、お年玉をあがるということを考えさえもしなかったのです。
というのも、そもそも1歳にも満たない子どもにお金をやるというのが、私にはなかなかなじめないのです。
まあ実際に自分でお金を使えるようになったら、それ相当のお金をお年玉としてあげることには異論はないのですが、話もできない赤ちゃんにお年玉としてお金をあげるということは、私の思考の中ではまったくと言っていいほど考えつかない話だったのです。
節子がいたら、お年玉をあげただろうか、ということも考えましたが、あげたかもしれません。
しかし、娘に今日言われるまでまったく思ってもいなかったことです。
やはり私の考えは、ちょっとずれているのかもしれません。
困ったものです。

その代わり、今日、娘と一緒に近くの西松屋に行って、何でも欲しいものをみんな買ってやることにしました。
お金はありませんが、クレジットカードがあれば買えますので。
しかし質素に育てられ質素に生きている娘は、私のことを心配して、なにやら安いものをいくつか買っただけでした。
その質素さぶりを見て、ちょっと私の生き方のどこかに間違いがあるような気がしてきました。
お金がなくても幸せなのは、私だけなのかもしれません。

さてさて来年のお正月にはお年玉をやろうかどうか、悩ましい問題ですね。
たぶん来年もお金はやらないと思いますが、代わりに、にこに喜んでもらえるものを探さねばいけません。
1歳半の子どもが、喜ぶものって何でしょうか。
実に難問です。

それでみんな「お金」に行きつくのかもしれません。
節子がいた時には、節子に考えてもらっていたのですが、難問を押しつけていたことに気づきました。
さてさて孫といえども、人と付き合うのは大変です。
お金のお年玉は4歳からにしましょう。

■3528:大型連休の過ごし方(2017年5月1日)
節子
5月になりました。
大型連休の真っ只中ですが、私にはまったく何の変哲もない日々です。
ただ世間が弛緩していますので、私自身もだらだらと過ごすことになりかねません。
そこでちょっと今年は、がんばってみることにしました。
大部の2冊の専門書を読もうと思います。
「日本病院史」と「医療制度改革の比較政治」です。
いずれも厚さが2センチ以上ある、しかも難しそうな本です。
1冊は友人が編集して出版した本、1冊は友人が書いた本です。
ちょっと私の関心事とは違うので読まずにいたのですが、贈ってもらったり、著者から連絡があったりした本は読むことをルールにしているのです。

私が会社に勤務していた頃の大型連休は、ほぼ家族旅行でした。
どこもかしこも混んでいて、大変でした。
会社を辞めてからは、大型連休はむしろ節子と2人でのんびり過ごすようになりました。
ですから大型連休といっても、私にはいつもの日常以上に日常の期間なのです。
しかし、日常は伴侶がいればこそであって、一人だけの日常は退屈はしませんが、なんとなくだらだらしてしまいます。
それでまあ、今年は、机の横にずっと積んでいた専門書に挑戦することにしたわけです。
まあ自分で関心を持った本はどんなに厚くても1日か2日で読めますが、この2冊は2日では読めないでしょう。
そこで今日から読みだしました。
本を急いで読む場合は、並行して読むのがいいのですが、医療制度の専門書は友人の博士論文がベースになっている本なので、なかなか進みません。
2冊合わせて1000頁くらいありますので、1日に200頁は読まないといけませんが、今日は外出したこともあって、それぞれ20〜30頁で終わってしまいました。
前途多難です。
まあしかし決めたことはやらなければいけません。

なんとなく義務感的な読書なので、読書三昧とはいえません。
しかし書いた人の苦労を思うと、やはり読まないわけにはいきません。
どうもそういうところが私のおかしなところなのです。
実に困ったものなのですが。

■3529:やらなければならないことが多いと元気になります(2017年5月3日)
節子
世間の連休は、そこから外れてゆっくりしようと思っていたのですが、人生はなかなかうまくいきません。
山のように、やらないといけないことが押し寄せてきてしまいました。
もっとも、そのほとんどは別にやらなければいけない理由はありません。
やったからといって喜ばれないかもしれませんし、別に対価をもらうわけでもありません。

いま、庭の木の鳩が巣をつくってしまい、卵を産んで、いま孵化させようとしています。
時々、親鳩が食料を探しに出かけているのですが、そこにカラスが来ないとも限りません。
実際、昨日の朝、カラスが来ていたので追い払いました。
まあ、これも鳩に頼まれたわけではないのですが、やはりやらなければいけないことです。
いま背負ってしまったことのほとんどは、そういう意味で、やらなければいけないことなのです。
鳩ならまだしも、それが人間であれば、気を抜くわけにはいきません。
まあこうした活動で報われることは少ないのですが、別に相手のためとか社会のためにやっているわけではなく、私自身のためにやっているのですから、それは当然のことです。

その合間に、連休に読了しようと決めた本も読んでいますが、2冊ともほぼ半分を読み終わりました。
不思議なもので、最初は義務感から読みだしたのですが、まさに今読んでおくべき本であることが読んでいるうちにわかってきました。
実に面白いのです。
読むスピードが一気に上がりました。

石垣さんが博士論文を基に出版した「医療制度改革の比較政治」は表題からして苦戦が予想されたのですが、意に反して、実に面白く、示唆に富んだ本です。
そして、もう1冊の「日本病院史」も編集者の高橋さんからは厚い本だから通読はしないでいいですよと言われていたのですが、これまたいろんな示唆をもらったのです。
そして、その重い本の合間に、気分転換に読もうと用意していた2冊の新書がまた、この2冊とつながっていたのです。
本を読んでいて、時々思うのですが、読む本を自分で決めているつもりが、実は誰かが決めたとおりに読ませられているのではないかと思います。

さてさてのんびりのはずの連休後半の今日は、いささか活性化しすぎてしまいました。
いいことです。

■3530:庭の手入れ(2017年5月4日)
なぜかこの連休に読むことになった本は、医療関係の本ばかりでした。
読めるかどうか少し不安だった2冊の大部の書物も、途中から面白くなって、昨夜から今朝の早朝にかけてほぼ読んでしまいました。
久しぶりに速読ができました。
しかし、そのおかげで、また1冊、読みたい本が出てきました。
10年前に読み抱いて挫折していた「医学の歴史」です。
今回は読めるかもしれません。
問題は時間がとれるかですが。

しかし寝不足で、今日は頭が回りません。
ややこしいことは先送りにして、娘に頼んで、庭の花を買いに行くことにしました。
5月の27〜28日に、恒例の庭でのオープンカフェを予定しているのですが、現状では足の踏み場もありません。
なにしろとても狭い庭なので、片づけないとカフェはオープンできそうもありません。
それに昨年の台風で、藤棚は全滅し、ノウゼンカズラもフジもようやく芽が出始めたばかりで、実に殺風景なのです。
幸いに、全滅したと思っていたてっせんが咲きだしましたが、庭には今あまり色気がないのです。

数種類の花を買ってきて、娘に植えてもらいました。
私は草取りやら片付けです。
そうして土と触れながら身体を動かしていると少し気持ちがすっきりしてきました。
眠気はとれませんが。

ところが眠気がとれる事件が突然起きたのです。
庭の木の鳩の巣にカラスがやってきたのです。
なぜか親鳩が留守にしています。
カラスは追い払ったのですが、見つかった以上、危険です。
そっと巣をのぞいたら、なんと1羽が孵っているのですが、カラスにやられたのか動きません。
カラスに注しながら親鳩を待っていましたが、戻ってきません。
いやはやどうしたらいいのでしょうか。
ずっと見張っているべきかどうか。
薄情ながら、まあ家に入って、テレビを見てしまいました。

外が暗くなってきたので、もうカラスは大丈夫なので、改めて鳩の巣を見に行きました。
暗いので懐中電灯で見てみたら、いつものように、親鳩がいました。
私が昼間のぞいた時は、卵は一つだけでしたが、あの子鳩は大丈夫でしょうか。
今度はそれが気になってどうもすっきりしません。

頼まれもしない鳩のことまで気にしなければいけないとは、人生は楽ではありません。
さて、今日は無駄に過ごしたので、明日1日はみっちりデスクワークです。
まあ無理そうな気もしますが。
そういえば、会社時代も連休は山のように仕事を持ち帰り、結局、何もせずに終わったことを思い出します。
人の習癖は直らないものです。

■3531:こどもの日の手賀沼公園(2017年5月5日)
節子
こどもの日です。
というわけで、娘母子が手賀沼公園に遊びに行くと言うので、出てこないかと声がかかったので、私も少しだけ付き合いました。
手賀沼公園はわが家と娘の家との真ん中なのです。
天気がいいのでにぎわっていました。
公園内をミニ新幹線が走っていて、娘母子はそれに乗ったり、砂場で遊んだりしていましたが、節子がいないとなんだかそんな風景も楽しめません。

節子が闘病時代、毎朝、ふたりでここに散歩に来ていました。
朝早くて、人は少なかったですが、常連の人もいました。
何らかの事情を抱えていそうな人も何人かいました。
まだみんなが動き出す前の、早朝の公園には、いろんな物語があるのです。
私たちは、沼に飛び出した突端の水辺のベンチで、いつも30分ほど話しました。
何の話をしたのでしょうか。
いまはまったく思い出せません。

病状が悪くなるにつれて、節子は歩くのが困難になってきました。
元気な時であれば、わが家と公園とはふつうに歩いても5分ほどですが、次第にその時間が長くなって、最後は30分近くかかるようになりました。
そんな思い出がありますので、節子がいなくなってからはめったに公園には行きません。
今日は、たぶん10年ぶりに、公園のでっぱりにある、節子とよく一緒に座ったベンチのところにまで行きました。
そのあたりから、注意すればわが家の屋根も少しだけ見えるのです。

手賀沼にはスワンボートがたくさん出ていました。
節子は、いつかボートに乗ろうと言っていましたが、残念ながらそれは実現しませんでした。
手賀沼公園は、すぐ近くで、とてもいい公園なのですが、やはりそう気軽に散策はできないのです。

■3532:「今の私には響きません」(2017年5月8日)
節子
挽歌にコメントをいただいた人からメールが届きました。
その方と、少しずつですが、メールのやりとりがはじまりました。
数日前に届いたメールに、こう書かれていました。

なんでもない今日に感謝できる人は、本当の幸せを知っている。
どんな成功の日々も、平凡な日常に勝らない。
ただ生きているだけで、十分に価値がある。

この言葉は、大切な人と一緒に生きていた日々には、心を打ったでしょう、無職で、大切な人を失った、今の私には響きません。
今から何か始めればよいのですよね、現在自分の周りにいる人や、これから出会う人達を大切に思い、生きる意味を探し続ければいいのですよね。

その通りだと思いました。
私は挽歌で、最初の3行のようなことを書いたこともありますし、
そう思ってもいるのですが、
素直に考えると、まさにこの人が言っているように、
ほんとは私の心には響いていないのです。
そう思うと何か辛くなるので、最初の3行を自分に言い聞かせているだけかもしれません。
念のために言えば、しかし、生きることに意味があり、なんでもない今日に感謝している自分も、間違いなく存在しています。
そう思う私には、嘘はない。

でも、その私の奥に、どこか虚ろな私もいるのです。
それを見透かされてしまったようで、このメールは頭から離れません。

そして、この人に先週、お会いしました。
自分の辛さや寂しさを微塵も感じさせない人でした。
この挽歌ももしかしたら読むかもしれないので、書きづらいのですが、もしかしたらこの人はまだ気がはっているのかもしれません。

「生き死に」は、自分で決めてはいけないと私は思っています。
生まれた以上、生きる責任がある。
生きつづけたかった節子が、教えてくれたことでもあります。
生きたくても生きつづけられない人がいるとしたら、生きつづけられる人は生きるのが責任です。
そう教えてもらったのです。
そして、生を終えなければいけなくなったら、必ずそれも自分でわかる。
これも節子が教えてくれたことです。

この方からのメールがずっと気になっていたので、書いてしましました。
この方も、きっと、心に響くとまでは言えなくても、心に入ってくる時が来るでしょう。
そう思うと、少し心がやすまります。

■3533:生きるということはたくさんの幸運の上に成り立っている(2017年5月8日)
節子
この連休、わが家では「悲劇」が起こりました。
と言っても家族のことではなく、わが家の庭に巣をつくった野鳩の母子に起こった悲劇です。
挽歌に書いたかどうか覚えていないのですが、数日前に庭の木に、鳩が巣を作り卵を産みました。
カラスに襲われなければいいのにと、気になっていたのですが、5日にカラスがどうもその巣を見つけたようです。
それで時々見回りをしていました。
4日の午後、カラスが飛び立つのを見ましたので、慌てて巣を見に行ったら、雛が生まれていて、どこか不自然でしたが、2羽とも動いていました。
大丈夫だったとホッとしました。
少しして親鳩が戻ってきましたが、いつものようにまた残りの卵をあたためだしていましたので、安心しました。
6日の朝、5時頃起きたら、いつものように巣の中に親鳩がいました。
カラスはいない。
安心して2階に戻ってメールなどをチェックして1時間後にまた下に降りていくと、庭からカラスが飛んでいきました。
もしかしたらと思い、巣を見に行ったら、もぬけの殻。まったく何もないのです。
カラスに襲われて卵も雛も食べられてしまったようです。

しばらくして親鳩が戻ってきました。
たぶん餌を探しに行っていたのですが、何もない巣を見て、しばらくあたりをきょろきょろ見回していました。
たぶん理解できないのでしょう。
しばらくしていつものように巣に座り、私が外出するまでそこにじっとしていました。

小さないのちは守ってやれませんでした。
自然界は非情です。
鳩の母子にとっては残酷な結果でした。
しかし(もしカラスが襲ったとしたら)カラスには幸せな結果かもしれません。
そう思えば、少しは気がやすらぎますが、生きることの大変さをこの頃強く感じているので、思うことがたくさんあります。

最近、生きるということは、ものすごくたくさんの幸運の上に成り立っているのだということを感じています。

■3534:さらなる老後に備えて(2017年5月8日)
節子
最近、収入が年金だけなので、いささか手元不用意になってきてしまいました。
しかし貧しいわけではなく、自宅も湯島も一応私の名義になっているので、ささやかな資産所有者なのです。
そのため、この時期は固定資産税を払わなければいけません。
収入がある時には、ほとんど意識していなかったのですが、収入がなくなると、どうやって税金を納めるかは悩ましい問題になってきました。
貯金残高がいささか不足していて、困ったものだと思っていたのですが、頼みもしないのに、ある人からお金をもらえる仕事を頼まれました。
これで一安心です。
お金が必要になると、なぜかお金が入ってくる。
ですから私の場合、貯金はあまり必要ないのです。

節子には、いつも「必要な時にはお天道様がお金を工面してくれる」と言っていましたが、節子はそれを信じないまでも、疑ってはいませんでした。
なぜならわが家はお金に困ったことがないのです。
と言っても、お金持ちという意味ではありません。
お金がある時にはそれなりに、お金がない時にはとても質素に、つまり収支バランスある生活をしてきているからです。
そして、なにかお金が必要な時には、不思議とどこかからお金がやってくるのです。
もちろん、それに応じた仕事が来るという意味ですが。
信ずる者は救われると言いますが、ほんとうにそうです。

だからと言って、貯金が全くないのは少しだけ心配です。
さらなる老後を持つことに決めたので、そのために、少し貯金をし、医療保険にも入ることにしました。
まあ最近はあまり仕事をしていないので、さほどお金はかかりませんが、不本意にならない程度に、逆にお金をもらう仕事もしようと思います。
仕事とはお金をもらえることではなくお金がかかること、と、仕事の捉え方を反転させてから、もう30年近く経ちますが、それがようやく身についてきたのに、皮肉な話です。
まあうまくいくかどうかはわかりませんが。
もっとも当分は、あんまりお金は必要ではありませんので、ゆっくりと取り組めばいいでしょう。
まずは医療保険に入らないといけませんが。

■3535:孫が1歳になりました(2017年5月9日)
節子
今日は孫の、にこの1歳の誕生日で食事会に招待されました。
娘の連れ合いの両親なども一緒で、ちょっとにぎやかな誕生会になりました。
1歳の誕生日には、いろんなことをやるようです。
私にはそういう知識はあまりないのですが、節子がいたらきっと喜んではしゃいだことでしょう。
私はただ食事をご馳走になるだけでした。
昨日も書きましたが、最近やっと、人間が成長していくことの大変さに気づいたおかげで、誕生日を祝うことの意味が少しわかってきました。

孫もかわいくなってきましたが、まあ孫に限らず、子どもはみんなかわいいものです。
自分の孫はとりわけかわいいという人もいますが、私にはあまりそういう気持ちはないのです。
無邪気な子供はみんな同じようにかわいいです。
これは女性と男性の違いかもしれません。

お祝いは、孫用におもちゃと本です。
1歳まで何事もなく育ててありがとうという意味で、親にお祝いを持っていこうかと考えましたが、まあ私らしくないので、やめました。
それにやはり、お祝いとしてお金を渡すのはどうも抵抗があります。
孫がかわいくて、こっそりとお小遣いをあげる祖父には、私は絶対にならないでしょう。
お金をやるとしたら、こうした慶事ではない時に、娘夫婦に渡したいと思うのが私の考えなのですが、それはどうも世間的なやり方ではないようです。
でもまあ、いまは節子もいないことだし、私流を貫かせてもらうことにしました。
どうもお金と付き合うのは難しいです。
節子がいた頃は、私はお金とは全く無縁でいられました。
いまから思うと、すべてを節子に押し付けていたのかもしれません。

娘の義父母は、私よりも年上です。
おふたりにとっては16年ぶりの孫だそうです。
私にとってははじめての孫。
この点もまた、私たちの生き方がいささか常識を外していた結果かもしれません。
いまからそんなことを思っても、もうやり直せませんが。

私と娘のユカが選んだおもちゃと本は、孫には気にいられたようです。
この子が成人する頃には、もう私はいないのだと思うと、ちょっと不思議な気がしました。

■3536:男と女の生き方は本質的に違っている(2017年5月10日)
節子
久しぶりにまた西武池袋線に乗りました。
大泉学園に住んでいる暉峻淑子さんに会うためです。
小田原で長年地域福祉の活動に取り組んでいる時田さんが、ぜひお引き合わせしたいと言って、実現してくれたのです。

暉峻さんはいま89歳。
私が暉峻さんの本を初めて読んだのは1989年です。
その年に暉峻さんが書いた岩波新書「豊かさとは何か」がベストセラーになったのです。
その年は、私が会社を辞めて、生き方を大きく変えた年でもありました。
時田さんが、私と暉峻さんを引き合わせたくなった理由は、湯島のサロンと暉峻さんがやっている練馬の対話的研究会が同じ理念だったからです。

89歳の暉峻さんは、予想していた、まさにそのままの人でした。
いまも難民支援活動に取り組み、あるいは最近も沖縄の高江の座り込みデモにも参加するなど、まさに行動で生きている人です。
それに「対話のマナー」が身についている「対話の達人」でもあります。
時田さんも同席したのですが、ついつい3時間近くも話してしまいました。
いろんな示唆をいただきましたが、やはりどこかに「違い」を感じました。
帰路は、その違いが気になって、いろいろと考えてみたのですが、言葉にはできない「違和感」なのです。
社会的に意味のあるのは、間違いなく、暉峻さんや時田さんの活動です。
それにもかかわらず、どこかに違和感を感ずるのはなぜでしょうか。
もしかしたら、男性と女性の違いかもしれません。
ちなみに、私が価値を感ずる活動の多くは、女性が主導していますが、そうした活動は尊敬に値しますが、私には参加できないものが多いのです。
どこかで違和感を感ずるのです。
高く評価しているのに、違和感を持つというのは、矛盾しているようですが、正直のところです。
その理由は、たぶん私が男性だからです。
なかなかうまく説明できませんが、男性と女性とはもしかしたら別の生き物のような気がします。
念のために言えば、男性でも女性とも違う、第3の性があるということには、全く異論はありません。
そういう議論には、違和感はないのです。

暉峻さんからは、沖縄に行くことを薦められました。
行ってみなければ何もわからないということは私にもよくわかります。
でもやはり行けそうにもありません。
ある意味では、もう世界は見飽きましたし、見るとまた世界を広げたくなるからです。
暉峻さんに会う前に、岐阜から来てくださった佐々木さんと会いました。
佐々木さんの暮らしぶりは、とても共感できます。
実に自然に生きている。
やはり、男と女の生き方は本質的に違っている。
そんなことを考えさせられる1日でした。

■3537:昨夜の満月(2017年5月12日)
節子
昨夜は久しぶりに帰りが遅くなってしまいました。
それに長丁場の作業的議論をしていましたので、疲労困憊して帰宅しました。
最近はどうも体力がありません。

駅からの帰り道、月がとても綺麗でした。
満月で、しかし少しおぼろいでいましたが、そのおかげで月がよく見え、また星もよく見えました。
私は視力が弱いので、星座に見えるほどには見えませんでしたが、途中で歩くのをやめるほどの夜空でした。
こうして夜空をゆっくりと眺めることが少なくなりました。
夜空だけではありません。
以前はよく見上げていた昼の青空も、そういえば、最近見ていません。
節子がいた頃も、節子がいなくなってからも、私は空を見るのが好きでした。

いまも強く印象に残っているのは、エジプトのルクソールの空と千畳敷カールの空です。
いずれも隣に節子がいました。
あの空の深さは忘れられません。

大学生の頃、創った詩があります。

空の青さがあまりに深かったので、
思わず死んでしまった。

詩とも言えない、単なる1行の文章ですが、
この、私にとっては詩が、いまでも時々思い出されます。
子どもの頃から、青空が好きだったのです。

それなのに、最近空を見ていないなと気づきました。
心が、空ではなく、大地に向かっているのかもしれません。
空には無限の未来がありますが、大地には静かな安定がある。
いささか人生に疲れてきたのかもしれません。
あまりにいろんなことがありすぎます。
それも不条理な、哀しいことが。
私は人に嘘を言われるのが一番嫌なのですが、それが多すぎる。
しかも当人は嘘をついたなどと思っていなことが多いのです。

昨夜はとても寝苦しい夜で、今朝は寝坊した上に、頭がすっきりしません。
昨日の話し合いがなかなか終わらないので、あとは自分でやると言ってしまったので、今日中にやらなければいけない宿題があるのですが、やれるかどうかいささか不安です。
それに読まなければいけない、700頁の本もある。
来客もあるようですが、すべてをやめて、どこかに出かけたい気分です。
今日の空は、晴れていますが、深い青さはなく、空の向こうが見えません。
さて、3杯目のコーヒを飲んで…

■3538:逃げている生き方(2017年5月13日)
節子
あまりにもさまざまな(量ではなく内容の多様さですが)問題に、最近ちょっと「心」が押しつぶされそうになっています。
節子はよく知っていますが、私は「頭の切り替え」は比較的得意で、目の前の問題に集中することができました。
だからどんなに忙しくても、忙しさはあまり感ずることがなく、問題解決を楽しめる生き方ができていたのです。
言い換えれば、複数の問題に並行して取り組み、そのおかげで、まったく異質だと思えるような問題がつながっていく面白さを体験できたのです。
しかし、最近は、いささか、その多様さに押しつぶされそうなことがあるのです。

時間がないとどうしても自分の問題は後回しになります。
「自分の価値観に合わないこと」も後回しになる。
自分の問題はいざとなれば放棄か自己納得すればどうにかなりますが、他者が関わっていると私だけではどうにでもならなくなるからです。
それに、「自分の価値観に合わないこと」はやりたくないからです。
そして、やりたいことから取り組んでいく。
ある意味では、逃げているわけです。
これが私の思考パターンなのですが、そのためか、自分にまつわることや考えるのさえ嫌なことがどんどん山積みされていくのです。
この調子だと、自らの死さえ、後回しにしかねないのではないかと思うこともあります。
いや、実はもう私の人生は終わっているのかもしれません。
こんな言い方をするとおかしく思われそうですが、人は自らの死を忘れることもあるのです。
節子を看取って、そういうことのあることを実感しました。
節子は、おそらく死を1か月は忘れていたのではないかと思います。
これについては前に書きましたが、家族のために現世に残っていたのです。

いまの私は、外部から見たら、むしろ元気に見えるでしょう。
たしかにいろんなことをやっている。
しかし、そうした活動の底に、おぞましいことも含めて、さまざまなものが沈殿しているのです。
そうした「上澄み人生」は、どこかで壁にぶつかるでしょう。
最近そんな思いが、時々、浮かんできます。
心が押しつぶされているせいでしょう。

そろそろ逃げる生き方からは抜け出さなければいけません。
今朝は、なぜか不思議とそんなことを思いながら、起きてきました。

■3539:軽い頭痛があって憂鬱です(2017年5月14日)
節子
今日はまた肌寒ささえ感ずる1日でした。
温暖の差が激しいので、最近あまり調子がよくありません。
特に今日は心身共に何か違和感があり、何もやる気が起きませんでした。
昨日は朝早くから3時間ミーティングをこなし、サロンもやり、人に会ったりしていたのですが、今日はその反動か、ホームページの更新さえする気が起きません。
困ったものです。
昨日のサロンの報告だけは何とか書いたのですが、それ以上、パソコンをやる気力がなく、1日中、家の中を5センチほどの厚さのある本をかかえながらうろうろしていました。
その本は「負債論」です。
大型連休の後半に取り組んだのですが、まだ読めずにいます。
なにしろ厚さが5センチもあるのと、図書館から借りた本なので、外出先には持って行けず、読む時間がとれないのも、その一因ですが、どうも理解できないところもあって、なかなか進みません。
今日は150頁ほど読み進められたのですが、身心不調のため、あんまり心に入っていないかもしれません。
最近読んだ本の中では抜群に面白い本なのですが。

大相撲が始まったのですが、稀勢の里は負けてしまいました。
まあ関係ないのですが、それでなんだかまたがっくりしてしまいました。
そういえば、佐田の山が亡くなりました。
節子は相撲はあまり好きではありませんでしたが、なぜか佐田の山だけは知っていました。
というか、一緒に暮らしだした時、佐田の山が人気があったのと、アパートの隣室が佐田さんだったのです。
そんなことはよく覚えているものです。

今日もまた、心が重くなるメールがいくつか届いていました。
最近はパソコンのメールを開くのが、ちょっと不安です。

不安は、不安を呼ぶようです。
今日は朝からずっと軽い頭痛が続いています。
それが元気が出ない原因かもしれません。

■3540:人間の存在自体がひとつの負債(2017年5月17日)
節子
またしばらく挽歌が書けませんでした。
良くも悪くも、精神が安定していないと書けなくなってきました。
以前、挽歌を書くのが日課だった頃は、こんなことは全くなかったのですが。

挽歌以上に書けなくなってきているのが、時評編です。
サロンの案内などは書いていますが、時評編らしい時評はもうかなりの間、書いていません。
時評編が書けなくなってきたのは、いろいろと理由がありますが、世間の常識と私の常識の、あまりの違いにへこたれてしまっているからかもしれません。
どうも私の考えは、常識からかなり外れているようです。
そういえば、節子がいつもそういっていましたが、それは節子の常識のなさのせいではないかと思っていましたが、どうも常識がなかったのは私のほうだったようです。
いやはや、困ったものです。

連休後半から読みだした「負債論」という大部な本を、月曜日に読み終えました。
厚さ5センチの、この本は、最近読んだ本の中で一番刺激的でした。
私のまわりで議論されている瑣末な話題を、根本から切り崩す内容で、みんなにも読んでほしいですが、あまりにも厚いので、読んではくれないでしょう。
それに、この本を読んだからと言って、何かがわかるわけではないかもしれません。

この厚い本を読めたのは、たぶんこれまでそれなりにいろんな本を読んできたからです。
そうでなければ、いろんなところで引っかかったでしょう。
読書とは、当面の本だけを読んでいるわけではなく、蓄積的な行為であることが、この本を読んでいてよくわかりました。


「負債論」のなかに、インドのヴェーダの知恵が紹介されています。

生れ落ちた人間は負債である。彼自身死せるものとして生まれ、自己を供犠としてはじめてみずからを死から救済するのである。

つまり、人間の存在自体がひとつの負債であり、生きるということは負債を返していくことだというわけです。
これだけだと、本書の言わんとすることはまったく誤解されてしまうのですが、このこと自体には、私は思うことがたくさんあります。
この本を読むまでは、私はむしろ「人間は価値であり、生きるとはその価値を活かすこと」というように、なんとなく考えていました。
ヴェーダは、それとは真反対のことを言っているのです。
考えてみると、このヴェーダの指摘はとても納得できるものがあります。
そして、だとしたら、生後、人生において背負ってしまった「負債」など瑣末なものではないか、そんな気もしてきます。

自分のことも含めて、いまいくつかの難問を突き付けられています。
そうした問題への取り組みも、根本から考え直さなければいけないのかもしれません。

■3541:犬のように眠りました(2017年5月18日)
節子
私が節子にあった年に、ビートルズは初めて日本に来ました。
私がビートルズを聞き始めたのは、ですから、節子と会った年です。

そのビートルズに"A Hard Day's Night"というのがあります。
松岡計井子さんが日本語で歌った、その曲を、なぜか私が時々思い出します。
節子は好きではありませんでしたし、私も特に好きだったわけではありません。
いま手元にレコードがないので、歌詞はうろ覚えですが、こんな感じでした。

今日は、君のために、犬のように走り回って働いた。
帰宅したら、丸太のようにベッドに倒れ込みたい。
でも家にはあなたがいる。
あなたが私を幸せにしてくれる。

犬 dogのように働いて、丸太 logのように眠る。
私の記憶の中では、それが重なって、「犬のように眠る」となっています。

昨夜は、久しぶりに犬のようによくねむりました。
倒れるように8時過ぎにベッドに入り、目が覚めたのは5時。
この数日の疲れが限界に達していたのかもしれません。
5時まで起きずに寝ていたのは、もしかしたら節子がいなくなってから初めてかもしれません。
にもかかわらず、まだ疲労感からは解放されていません。
やはり、犬のように、ではなく、丸太のように、眠らなくてはいけません。
しかし、目が覚めた時にまず頭に浮かんだのが、「犬のように眠った」という松岡さんの歌のフレーズです。
もっとも、松岡さんがそんな言葉で歌っていたかどうかはたしかではありません。
レコードは別の場所においているので、今度、調べてみようと思います。

今日はいい日になってほしいです。
お昼をある人と約束していますが、彼からたぶん元気になる話が聞けるでしょう。
いま、フクシマの相馬に毎週のように活動に行っている人ですが、それが気になって、声をかけさせてもらいました。
同じ活動を、頼まれもしないのに、つづけている人の話が急に聞きたくなったのです。

私も、元気を出さなければいけません。
私の元気が、誰かを元気にすることもあるのですから。
少なくとも、その逆はあってはいけません。

■3542:花かご会がまた受賞したそうです(2017年5月19日)
節子
ちょっとうれしいニュースです。

節子が関わっていた花かご会が「我孫子市さわやかな環境づくり賞」をもらったそうです。
花かご会の山田さんから連絡をもらいました。
私は花かご会には関わってはいませんが、何かあると山田さんが教えてくれるのです。
節子への報告なのでしょう。
授賞式には6人で行ってきたそうです。
いかにも花かご会らしくて、いいです。

時々、駅前の花壇で作業をしているみなさんを見かけることがあります。
なかなか声をかけるチャンスがないのですが、また機会を見て、声をかけようと思います。
以前は、その姿を見ると、何だかそこに節子がいるような気がしてしまったのです。
メンバーも少し変わってきているようですが、顔見知りの人がまだ多いです。

花かご会に負けずに、私もわが家の小さな庭の花の定例位しないといけないのですが、それがなかなか難しい。
今朝は水をやった後、花柄摘みをやったのですが、花柄ではなくつぼみを摘んでしまいました。
後で娘に言われて気が付きました。
慣れないことをやってはいけませんが、慣れなければいけないこともあるのです。
困ったものです。

月末の土日は、恒例の庭でのオープンサロンです。
それまでに少しはきれいにしておかねばいけないのですが、いまはまだ絶望的なくらい散らかっています。
さてさてどうなることやら。
しかしまあ、どうにかなるでしょう。
それが私の人生ですから。

今日は実は1日中、頭痛に悩まされていました。
この2日間、比較的よく眠れているのですが。

■3543:さやかな朝なのに体調がすっきりしません(2017年5月20日)
節子
さわやかな朝です。
私自身はまったく「さわやか」ではないのですが。
どうもまた最近体調がすっきりしません。

昨日、中村獅童さんが、初期の肺がんが発見されたことを公表しました。
それに関連して、テレビでは健康診断を勧めていましたが、この年になると、検査のほうが身体には良くなさそうだということを口実に、私自身は行く気がないのですが、影響を受ける人はいるでしょう。
私でさえ、一瞬、頭にひらめきましたから。

私の体調のことを書くと、またいろんな人からメールや電話がありそうなので、控えますが、歳をとれば、当然のことながら、体調はすっきりしないこともあるのです。
病気などはあまり心配はしないのですが、ただ実際に体調がすっきりしないのは、憂鬱なものです。
せっかく早く起きても、なにかをやる気がなかなか起きてこないのです。
困ったものです。

この週末は、久しぶりにサロンも予定もなく、自宅でのんびりできそうです。
それなりに課題はあるのですが、自分のペースでやれますので、頭痛と腹痛がなければ、快適な連休になりそうです。
幸いに、2週間ほど、あまりにハードな読書をしてしまったので、本を読む気力が全くありません。
昨日も、注文していた新書が届いたので読もうと思ったら、読めません。
しばらく読書はダメなようです。
そういう時には無理はしないのが、私の生き方です。

いま思いだしましたが、やらなければいけないことが一つありました。
どうもまたわが家の庭にがまがえるがいるようです。
池の魚を食べてしまわないように、防御策を講じなければいけません。
さて、今日はそこから1日を始めましょうか。

■3544:快い肉体的疲労感の幸せ(2017年5月20日)
節子
いささか大変な日になってしまいました。
朝起きて決意した「がまがえる探し」は見つからずに失敗。
ついでにそのまま庭の整理を始めました。
気になっていた、ミモザの樹の枝払いをしましたが、これが大変でした。
ミモザは、2代目です。
節子が植えていたミモザは数年前に突然枯れてしまい、2代目を植えましたが、成長が早いのです。
脚立を出して、のこぎりと枝切鋏で徹底的に切り込んでしまったのですが、私としては初めてのことで切りすぎてしまいました。
切り終わった後、見に来た娘が、これでは枯れてしまうと言われてしまいました。
サルスベリと同じように、ともかくすべてを切ってしまったからです。
大失敗です。

つづいてこの1年放置していた植木鉢などのおおかたづけに取り組みました。
小さな庭に足の踏み場に困るほど植木鉢があるのです。
それも半分は枯れかかった花木の鉢がです。
最悪だったのは、節子の思い出の、湯河原の気が枯れてしまっていたことです。
通りがかりに、突然に節子が知らない家に入っていって、もらってきた木なのです。
舟木さんでしたでしょうか?
これもまた大失敗。

庭の片づけはかなりの力仕事でした。
今日は30度を超すほどの暑さでしたので、完全にダウンしてしまいました。
ちょっと頑張りすぎてしまいました。

しかし、おかげで頭痛も腹痛もなくなりました。
久しぶりに肉体的な快い疲労感です。

今日はよく眠れそうです。
熱いお風呂にはいって来たので、このままもう寝るつもりです。
久しぶりに本はおろか、新聞も読まない1日でした。
約束していた書類も読まなかったのですが、まあこれも許してもらえるでしょう。
明日はちゃんと読みますので。

■3545:人は支え合って生きている(2017年5月21日)
節子
今日も初夏を思わせる朝でした。
昨日は少し無理をしたので、今日は実釣しようと思いましたが、朝起きて外を見たら、また昨日の続きをやりたくなりました。
河津桜が鉢に植えているのですが(節子の生家では「盆梅」が盛んでしたが、わが家は「盆桜」です)、その場所替えをしたりしましたが、なにしろ狭い庭なので、持って行き場がありません。
節子は一体これだけの鉢や花木をどうしていたのでしょうか。
節子の時代に比べれば、半分ほどになっているはずなのですが。

しかし、早朝に汗をかくことはいいことです。
しかしまたいささか疲れました。
いつもとは違って、9時過ぎにパソコンを開きました。
我孫子にお住いのコカリナ奏者のSさんからメールが届いていました。
次の土日に、わが家の庭でオープンカフェなので、そのお誘いのメールを出していたのですが、その返事でした。
Sさんは、節子が亡くなった2年後に、宮内さんがわが家に来て、私を元気づけるミニコンサートをやってくださったのですが、その時に来てくださったのです。
その頃はまだ私は、「心ここにあらず」のような状況で、幽界を生きていた気がしますが、当時、宮内さんはよく我が家に来てくれました。
いつもギターを持って。

Sさんも、その後、私と同じような体験をされたようです。
でも彼女にはコカリナがあるので、自分の気持を表現できているようです。
その後、私はSさんの演奏を聴いたことがありません。
聴くチャンスは何回かあったのですが、どうも行く気が起きません。
音楽の力はすごいことを知っているだけに、行けないのかもしれません。

Sさんからのメールを読みながら、たくさんの人に支えられて、いまの私があることを改めて感じます。
だとしたら、私も誰かを支える役割を果たさなければいけません。
人はこうして支え合って生きている。
この頃、それを痛感します。

■3546:「淋しさは心の奥底からなくなる事はなく、だからよいのかもしれませんが。」(2017年5月19日)
節子
昨日書いたSさんからまたメールが来ました。

私も夫を亡くし7回忌を迎えました。
私には仲間とコカリナがあったので泣きながら立ち直れましたが
淋しさは心の奥底からなくなる事はなく、だからよいのかもしれませんが。

お話は聞いていましたが、私には声をかけることもできませんでした。
しばらくはあまり活躍されていないようでしたが、その後、いろんなところでSさんのお名前をお聞きしました。
活動を再開され、元気になられたようでした。

このメールの1行が、とても納得できます。
淋しさは心の奥底からなくなる事はない。
でも、だからよいのかもしれない。
私もそんな気がします。
むしろ、その淋しさが、私の支えになっている。
素直に、そう思います。

Sさんとは、一度しかお会いしていません。
また近いうちにお会いできるかもしれません。
しかしまあ、「会う」という行為すら、最近はあんまり重要なことではないような気がしてきています。
「会うべき人には必ず会う」というのが、私の信念でしたが、
最近は、「会うべき人にはいつも会っている」というような気がしています。

6時になりました。
手賀沼の対岸のお寺の鐘の音が聞こえてきました。
さあ、今日はいい日になるでしょう。
ようやく私の「気」も戻ってきた気がします。
解けない問題など、あるはずがありません。

■3547:土と孫との時間(2017年5月22日)
風が強い日でした。
庭は何とかきれいになりました。
この週末、庭でカフェサロンを開く準備がほぼできました。
花にはあまり恵まれていませんが、まあ何とかなるでしょう。
それにしても、花木を粗末に扱っていたことを思い知らされました。
節子に謝らなければいけません。

この3日間、いささか非日常的な時間を過ごしました。
活字はほとんど読まず、土と孫と付き合いました。
土と孫は、いずれも嘘をつきませんが、妥協や遠慮もありません。
それに私には合わせてなどくれません。
しかし、そのおかげで、この3日間で、何とか自分を降り戻せました。

鈴木さんが、またサンティアゴ巡礼に出かけます。
3回目のサンティアゴ。今回は2か月ほどらしいですが、26リットルのバックパックに入る荷物で過ごすそうです。
本当に必要なものだけを吟味していると手紙が来ました。
人生に必要なものは、鈴木さんによればほんの少ししかありません。

巡礼行は瞑想行。
鈴木さんが、何を持って戻ってくるか楽しみです。
いや何を捨ててと言う方がいいのかもしれません。
得ることは捨てること。
捨てることは得ること。
サンティアゴから戻ってきた鈴木さんとは、この話をしようと思っています。

■3548:間違って4時半に起きてしまいました(2017年5月23日)
節子
1時間間違って起きてしまいました。
目が覚めたら外が明るいのでもういいかと思って顔を洗ってパソコンに向かったら、なんとまだ4時半でした。
いやはや困ったものです。
枕元には時計は一応あるのです。

湯島のオフィスもそうですが、わが家の時計はほとんどが時間があっていません。
節子は時計が好きで(腕時計まで持っていましたが)、わが家には時計がかなりあります。
それにジュンが、スペインタイルで時計をつくっていますので、それも所々にあります。
ところが時間があっている時計は、少ないのです。
節子がいいたら、そんなことはないのですが、私は時計そのものは嫌いではないのですが、時計の時間が好きではないのです。
だからといって、時間の約束を守らないわけではありません。
むしろ時間の約束を守らないことは、なにやら矛盾していますが、私の嫌いなことです。

そんなわけで、私にほとんど正しい時刻を示してくれるのが、パソコンとテレビの時刻表示なのです。
でもそれでほとんど不都合はありません。
時に誰かに迷惑をかけることはありますが、それは時計がないからではなく、私が約束の時間を忘れてだけのことが多いのです。
人間は、機械ではないのですから、まあ忘れることもある。
それはむしろいいことではないかというのが、私の勝手な解釈です。

さてそれはともかく、あまりに早く起きたので、何をしたらいいか。
活動しだすと同居している娘に迷惑でしょうし、庭仕事は近隣に迷惑です。
本はまだ読む気にはなれません。
外で成長する花を見ながら、時間を感ずるというのもいいかもしれませんが、今朝はなんとなくそんな気でもありません。
さてさて困ったものです。
それに急にまた眠くなってきました。
もう一度、寝てしまうのもいいかもしれません。
今日は朝から夜まで人に会う用事が入っている、ハードな日なのですから。

鳥の声もしません。
まだ鳥も寝ているのでしょうか。

■3549:訃報は風のように伝わる(2017年5月24日)
節子
久しぶりに杉本さんたちと会食しました。
杉本さんは、一緒にハワイのキラウェア火山を見にいった仲間の一人ですが、私よりもひとまわり以上年上です。
節子が亡くなったのをどこで知ったのか、葬儀の前に、わが家まで訪ねてきてくれました。
いま思うと、不思議なのですが、そういう人が何人かいました。
訃報は、風のように伝わっていくものかもしれません。

杉本さんと会うと、必ずと言っていいほど、キラウェアの話題が出ます。
勤め先が近かったこともあり、そのツアーの後、付き合いが始まりました。
以来、お世話になりっぱなしですが、NPO法人科学技術倫理フォーラムでご一緒させてもらいました。
そのNPOが15年経過し、役割を終わったという判断から、昨日は解散のための最後の理事会でした。

キラウェアにご一緒したメンバーも、いまはあまり付き合いがありません。
一番個性的で、以前は湯島サロンの常連だった天才肌の松崎さんは亡くなりました。
あまりに有名になってしまった人もいますが、音信不通になった人もいます。
ガイドしてくれた東大教授だった中村先生も、亡くなってしまいました。
節子が病気にならなければ、もしかしたら、湯島で交流の場が続けられていたかもしれません。
私たち夫婦ともう一人久代さんという人以外は、みんな研究者や学者でした。
付き合いが途絶えてしまっているのが残念です。

科学技術倫理フォーラムのメンバーも、何人かは鬼籍に入られています。
最近では、安藤さん。
亡くなる2か月ほど前に、私の話を聞きたいと連絡があり、食事をご一緒しました。
その2年前にNPOの理事のみなさんと会食した時の写真をわざわざ持ってきてくれました。私はほとんどお付き合いがなかったのですが、その時の私の話が気になっていたといって、改めて質問してきてくれました。
私よりも年長で、さまざまな実績を持っている方ですが、私の話をていねいに聞いてくれる姿勢が記憶に残っています。
年が明けたら、また会おうという約束は、残念ながら実現しませんでした。
年賀状をもらった直後に訃報が届いたのです。
誰から届いたのでしょうか。

杉本さんの世界は、実に誠実で知的な世界です。
橋本さんも昨日はご一緒でしたが(橋本さんには節子は会っていませんが)、橋本さんも実に知的で、したがって、あったかな人です。
このおふたりに会うと、いつも私の俗物性や不誠実さが自覚できます。

橋本さんから大学の頃、学んだ統計物理学の話をお聞きしました。
いつかまた節子にも教えてやりましょう。
面白い話です。

■3550:単なる無我では寄り添えない(2017年5月25日)
節子
今日もまた、お昼を食べそこないました。
湯島にいると、人の絶え間がないのです。
今日はお昼時に30分ほど、時間があいたのですが、その合間に急遽やらなければいけないことが発生し、食事ができなかったのです。
湯島に出ると、こんな感じになりがちなので、できるだけお昼を一緒にする予定を組むのですが、うまくいかない場合も少なくないのです。
節子がいた時には、5分で食べられるようなおにぎり弁当を作ってくれていましたが、いまはそれもありません。
もともと「食べる」ことにはあまり意味を見出していませんので、お腹がすかなければ食事などしたくないのですが、食べていないと夕方には体力が尽きてしまう感じになるのです。
今日がそれで、帰宅するのがやっとで、娘に迎えに来てもらいました。
困ったものです。

ある人の相談に、私だけでは対応が難しいので、その分野に通じている人に同席してもらいました。
その人には前も別の問題で、同席してもらったことがあるのですが、どこかに違和感があります。
今回もそれを感じました。
どこが違うのか。
彼も、完全に無償で時間を割いてくれているのですが、そして親身になって考えてくれているのですが、どこかに違和感があります。
やはり私が特殊なのかもしれません。

友人が、私の言葉にヒントを得て、「寄り添いネットワーク」なるものを立ち上げようとしています。
私も以前はそれを考えていたこともあります。
「寄り添う」という言葉は、しかし、実に難しい。
今日は、つくづく、そのことを思い知らされました。
「寄り添う」には、無我になることが必要ですが、無我になってしまうと、寄り添う自分がいなくなってしまう。
今日もまた、宿題をもらった気がします。

しかし、体力がなくなってきているのが、無念です。

■3551:今日は庭でオープンカフェです(2017年5月27日)
節子
今日は地元の「アートな散歩市」に関連して、わが家の庭で小さなオープンカフェを開きます。
幸いに雨は上がり、今日はいい天気になりそうです。
このカフェは、そもそも節子が始めたものです。
娘のスペインタイル工房に来てくれた人に、庭にある椅子でちょっと休んでもらい、コーヒーでも飲んでもらおうというのが最初の考えでした。
節子がいなくなってから、私が引き継ぎました。
そのせいか、工房を見に来た人ではない、私の友人知人が増えてしまい、そういう人たちは長居をするので、せっかく工房に来た人たちが、気楽にカフェできないような感じになってしまいました。
それでも時々、カフェに寄って下さる人もいます。

今朝はその準備で早く起きたのですが、パソコンを開いたら、またいくつかの気になっていたことに関するメールが入っていました。
うれしいものもありました。
それへの対応をしていたら、もう7時を過ぎてしまいました。
インターネットは、時間節約には大きな効用はありますが、そのぶん、過剰な用事を引き受けてしまい、結局は時間に追われることになってしまうのかもしれません。

私と違って、インターネットに追われることのない小宮山さんからの早朝メールも入っていました。
会社の社長である小宮山さんは、毎朝、5時過ぎにはとかくの喫茶店でコーヒーを飲んでいるはずです。
そういう小宮山さんの影響も受けて、私も最近は早寝早起きになってきていますが、まだ小宮山さんほどにはなれていません。
最近あることを頼まれて、小宮山さんとは異論のぶつけ合いをしているのですが、漸くそれが完成間近になって、そのお礼のメールが入っていました。
佐藤案には抵抗があったが、了承したと書いてありました。
時にお互いにホットになってしまうこともありますが、考えが違うので関係はつづいているのでしょう。
意見が違うということは、その人にしっかりした意見と生活があるということですから。
最近は、それがない人が増えているように思います。

さてそろそろカフェの準備です。
と言っても庭の整理と椅子を出すことだけですが。
昨夜はなぜか熟睡できず、頭がもやっとしていますが、まずはコーヒーを飲んですっきりしたいと思います。
今日は誰が来るでしょうか。

■3552:散歩市サロン(2017年5月27日)
節子
今日の散歩市には10人の参加がありました。
なかには2時間かけて、東京の東久留米から来てくれた人もいます。
快適なサロン日和で、4時閉店予定が5時閉店になりました。
話は途絶えることなく、話題も飛び交えました。

最後に来てくれたのは30代の若者でした。
私が年に1回だけ講義しているビジネススクール(ただし私の講座はどちらかと言えば、反ビジネス講座ですが)で私の話を聴いてくれた人です。
我孫子に住んでいるのです。

前半に来てくれていた人たちは、我孫子で市民活動に取り組んでいる私とほぼ同世代の人たちでした。
その人たちも、いわゆるコミュニティビジネスを志向されていますが、世代によってビジネスの捉え方が違います。
昨日のサロンは、最初の話と最後の話が、対称的でした。
若者のビジネスのほうが、私にはボランティア活動に感じました。
そう考えるために、私はうまく地域活動ができないのかもしれません。
そういえば、花かご会の立ち上げの時に、節子ともこんな話をしたなと思い出しました。
もしかしたら、私は時代を勘違いして生きているのかもしれません。
困ったものです。

サロンには宇都宮で仕事をしている友人も立ち寄ってくれました。
なぜか近くの会場で、ケーナを演奏していて、その合間に立ち寄ったのです。
そのイベントをやっている人からの演奏をやっているので来ないかという連絡に気づくのが遅かったのですが、サロンに来てくれて、2つの報告をしていってくれました。
良い報告と悪い報告でした。
人生にはいつも表と裏があるのです。

サロンは、ただ雑談をしていればいいだけなのですが、ホスト役は一応、疲れます。
それに今回は、いろいろと気になることが頭にたくさんあって、なかなかサロン三昧には至りませんでした。
それでも昨年始めて来てくださった松戸の方は、去年のサロンがとても楽しかったので言って、お土産まで持ってきてくれました。
来てくださった方が喜んでくださるのであれば、また来年もしなければいけません。
お土産と言えば、東久留米からきてくれたOさんは、また今年もお線香を持ってきてくれて、節子に供えてくれました。
生前の節子と会ったことはあるでしょうが、いつも気にかけて仏壇に手を合わせてくれる。
最近はそういう人は少なくなっていますが、彼には教えられることが多いです。
その文化を私に教えてくれたのは節子でした。
都会で暮らしながら、こういう文化を持っている人がまだいると思うだけで、なんとなくホッとします。

■3553:「胃がんが見つかってしまったよ」(2017年5月28日)
節子
小学校時代の私の友人たちも、時々湯島に来ました。
その一人から私の電話がかかってきました。
近いうちに会おうかという電話のまま、雑用に追われて電話をするのを忘れていました。
彼が、相談したいことがあるというのです。
急ぐのかというと急ぐと言います。
そして、少し間があって、「胃がんが見つかってしまったよ」というのです。
思ってもいなかった言葉です。
手術の日もすぐ決まったようです。
その前にやっておきたいことがあるというのです。

彼は一人で暮らしています。
靴屋さんです。
お互いに憎まれ口をたたき合っていますが、私を絶対的にといっていいほど信頼している親しい友のひとりです。
独り身でがんの告知を受けた時の気持はどうだったでしょうか。
誰も相談する人がいない不安は、少しわかります。
いまやっている店をどうするのか。
万一の時は遺産相続をどうすればいいのか。
誰に相談したらいいのか。
いや、その前に、そもそも何をどうしたらいいのか。
一人で考えていても、考えはまとまらないでしょう。
だから私に電話してきたのでしょうが、こういうときほど、自分の無力さを感ずることはありません。
私の体験から言えば、どんな言葉も決して力にはなりません。
会うしかありません。
と言ってもすぐに会っても何もできない。
もう一度今週病院で検査をするというので、その病院の検査が終わってから会うことにしました。

毎週のように、こういう電話やメールが来ます。
しかし、今回のように、独り身の友からの連絡ははじめてです。
他の仲間にも連絡すべきかどうか。
それにしてもどうしてこういう話が毎週のようにやってくるのでしょうか。
旅立ちは早いほうがいい、とつくづく思います。

胃がんの早期発見ならば問題はないでしょう。
それはわかっているのですが、独りで抱え込んでしまうと不安は高まるだけでしょう。
何が、私にできるでしょうか。
また悩ましい課題が一つ増えてしまいました。
節子
どうしたらいいでしょうか?

■3554:75歳最後の朝(2017年5月29日)
今日もさわやかな朝です。
さわやかでないのは、私の心身のみ。

私の高血圧を心配してくれている保健師のUさんから、体調はその後どうですか、というメールが届いていました。
彼女は、私に降圧剤を飲むように勧めているのですが、もし飲まない場合は毎日水をたっぷり飲むようにと進めてくれています。
残念ながら降圧剤は相変わらず飲んでいませんし、水もあまり飲めません。
困ったものです。

娘が私と同じお医者さんにかかっているのですが、行くたびに、お父さんは薬を飲んでいるかと言われるそうです。
娘にさえ言っているくらいですので、私が行けばそれ以上に言われますし、言われると断れないのが私の習癖ですので、もう医者に行けなくなってしまいました。
薬をもらってきて、飲まないと、メールをくれたUさんからは医療費の無駄遣いだと叱られるのです。
ますます困ったものです。

頭が痛くなったら飲むようにさせてほしいと娘はお医者さんから言われたそうなので、先日、うっかり頭が痛いと娘に言ったら、だから薬を飲んだ方がいいと言われてしまいました。
さてさて頭が痛くてもいたいといえない。
実に困ったものだ。

という私自身の事情と関係なく、今朝はさわやかな朝です。
良い1日になるでしょう。
きっと、いやたぶん。

今日はちょっと夢のある話題である人と会います。
急用が入らないことを祈ります。
今日は私の75歳最後の日です。
昨日娘たちに言われて気づいたのですが。
明日は誕生日なので、用事をいれないようにと昨日娘たちからお達しがありました。
まあたまには誕生日を素直に祝ってもらってもいいかもしれません。

■3555:76歳の誕生日(2017年5月30日)
節子
今日は誕生日なので、FBでいろんな人からメッセージが届いています。
私が、自分の誕生日には無頓着なのは節子も知っている通りですが、今日はジュン夫妻がお祝いしてくれるそうです。
節子がいなくなってから、自分の誕生日を祝う気分が全くなくなっていて、たぶん娘たちも対応しにくかったのだろうと思います。
お祝いのメッセージを素直に受け止める気分にはなれなかったからです。
生きていることさえ、何かすっきりしなかったほどですから。
昨年あたりから、漸くそうした気分は薄れましたが。

それにしても節子がいなくなってからもう10年。
お互いに考えられなかったことです。
しかしこの調子だと、むかし占い師が予言してくれたように、93歳まで行きそうです。
それがいいかどうかは難しい問題ですが。

最近、考えなければいけない問題が多くて、頭がいささか混乱気味です。
自分の世界に浸りたい気もしますが、困った人がいたら、手を貸さないわけにはいきません。もう少し前であれば、もう少し役に立てたのですが、最近はいろんな面であまり役立つことができません。
自らの無力さを嘆きたくなりますが、それ以上に自分の弱さがいささか情けないのです。
無理ができなくなっているのではなく、無理をしなくなってしまっている。

この数日、頭痛に悩まされていますが、これはたぶん体力の問題ではなく、楽をしようと思う私自身の心根の表れでしょう。
誰かの元気をもらいたい。
最近つくづくそう思います。

今日は静かな初夏日和です。
私の好きな空を見ていると、心がやすまります。
空の向こうには、いろんなものが見えます。
そういえば最近節子のお墓に行っていません。
それに気づきました。

■3556:76年はハレーすい星の周期(2017年5月30日)
節子
フェイスブックをやっていると、誕生日にはいろんな人から「おめでとう」というメッセージが届きます。
最初の頃はいちいち返事を書いていましたが、儀礼的なものも多いので、最近はやめていました。
その代わりに、今年は先に自分で書くことにしました。
それで、次のような書き込みをしました。

今日は私の誕生日のようです。
記憶力があまり良くなく、この日に生まれた記憶がないのですが、親からはそう聞いていました。
今朝、FBでいろんな人からメッセージをもらっていますが、元気で頑張れというご期待には、残念ながら応じられません。
ある人から頑張れと言ってきたので、私の趣味ではないので頑張らない、と返信したら、では頑張らないで頑張ってくださいと返信があったので、思わず「はい」と応じてしまいました。
なかには、「これからもずっと元気で」という人もいます。
そんな無理難題は受けられません。人には寿命があるので、ずっと元気でいられるわけがない。
期待に添えかねます、しかるべき時に終わりにします、と書いたら、しかるべき時をもう少し先に延ばせとこれまた理不尽のことを言ってきました。
しかるべき時は、天が決めることなのです。
こんなメッセージも来ました。
「地球に住む限り、お誕生日を地球デビューの日としてお祝いいたしたく存じます」。
反論しにくいですね。困ったものです。
ちなみにこの人は、霊界に通じている人で、たぶん青い魚座かどこかの人でしょう。
「佐藤さんにとって今日も特別な日ではないでしょうが、仲間が勝手にお祝いすることぐらいは大目に見て下さい(笑) お誕生日おめでとうございます! この一年が佐藤さんにとって刺激のある年であればと思っています。」
前半は素直に受け入れてちょっと反省しましたが、最後の一文が良くないです。
もう刺激は十分です。
平安がほしいです。
いまもって刺激に囲まれて、やすまることがありません。
これ以上、苦労しろと言うのか。
前世でよほど悪いことをやっていたのでしょうか。
いまも際限なく山のように重荷が降りかかってきています。
来世は平安な人生を過ごしたいです。
誰か一人くらい、そろそろもういいんじゃないですかと言う人はいないものでしょうか。
ちなみに、今年はまだ旅立つ予定はありませんので、来年も誕生日が来るはずです。
一応今は元気で、性格以外には悪いところはありません。

この書き込みのおかげで、実のあるやりとりもたくさんできました。
40件ほどのコメントの書き込みもありました。
私の意に反するコメントもありましたが、うれしいコメントもありました。
さらには、友だちの友だちへと書き込みが広がるようで、10年以上も会っていなかった人から、「FBは、このような思いがけない再会があるのも嬉しいです??」というメッセージも届きました。

しかし、みなさんからのメッセージを読んで感ずるのは、意識のずれです。
これはたぶん私だけではないでしょう。
自らの意識的なアイデンティティと社会の中での自らのポジション的なアイデンティティとは、たぶん全く違います。
しかし多くの人は往々にしてそれを混同しがちです。
間違いなく私も混同している一人です。
世代を超えた付き合いのむずかしさを、今日はいろいろと気づかされました。

ちなみに天体写真家の橋本さんが、76歳はハレーすい星の周期ですと思い出させてくれました。
理由は特にないのですが、なぜかとてもうれしい気分になりました。

■3557:76年目の人生が始まりました(2017年5月31日)
節子
昨日の我孫子は外気温が30度近くの夏日でした。
私は誕生日でしたが、まわりでは相変わらずいろいろあります。
時代がどんどん変わっていくのが感じられますが、自然も同じなのかもしれません。
最近はあまり意識していなかったのですが、庭にやってくる生物たちも明らかに変化しています。
昨日はヒヨドリが、なぜか騒いでいました。

フェイスブックに書いた、私の誕生日に関する記事の余波はまだ続いています。
古い友が、今朝も投稿してくれていました。
彼はミコノスで、2027年の7月に最後の晩餐を催すそうです。
自らの死ぬ日を決めているわけです。
死ぬ日を決めているので、それまでは自らを大事にし、充実した日々を過ごせているのでしょう。
そういう生き方もある。
死とは、まさに生のもう一つの面なのです。

いろんな人からたくさんのメッセージをもらいましたので、それなりに考えてみましたが、やはり誕生日の意味が分からない。
まあ、それはそれとして、76年目の人生が始まりました。
今日もまた、悩ましい問題に直面する日になりそうです。

■3558:老人と若者といろいろじっくり話しました(2017年6月1日)
節子
昨日は、がんが発見された同年の友人と未来に大きな夢を持つ若者の2人に会いました。
人生のふたつの側面に、つづけて触れて、いろいろと考えることがありました。

がんが見つかった友人は、高血圧だったのが血圧が低下し、それを契機に検査をしたら、まさかの胃がんだったのです。
先週それがわかりました。
早速に私に電話してきたのは、彼が独り身で、私とは幼なじみだからです。
今日も病院でしたが、病院終了後、食事もせずに湯島まで来てくれました。
がんになったおかげで湯島に来られたと、いつものように冗談を言いながら入ってきました。
私たちの年になると、人生はもうさほど執着はありませんから、死もまた、あっけらかんと語られます。
彼から、遺言を書くのでお前に任せたいと言われました。
ついてはどう遺言を書けばいいか教えろと言うわけです。
それで自分が死んだら親戚の人たちに、それを伝えてほしいというのです。
ちなみに私は彼の縁戚の人とは面識はないのです。
彼は私が法学部を卒業しているので、法律に関しては何でも知っていると誤解しているところがあります。
困ったものです。
それに、私が彼より後まで生きているとは限りません。
勝手に死ぬ順序を決めないでよと言いましたが、まあ今のところは彼の希望をできるだけ叶えることが彼の友情に応えることでしょう。

すれ違いにやってきたのは、以前から約束していた若者です。
あるフォーラムで私の話を聞いて、FBで探して直接アクセスしてきました。
私は誰であろうと、会いたいと言ってきた人には会うようにしています。
だからどんな人に会うのかは、会うまでわからないことも多いのです。
先入感を入れてしまうと、本来の「その人」とは会えないこともあるので、会うまでは何も調べません。
少し話して、彼の生き方の誠実さを感じました。
彼にささやかにでも役立つことを探さねばいけません。
おかげで、元気が出てきました。

70代と20代の、しかもおかれている状況が全く違い、私との関係も全く違う2人に会って、いろんなことを気づかされました。
いい1日でした。

しかし、帰宅したら急に疲れが襲ってきました。
そういえば、昼食をしていなかったことに気づきました。
なぜか最近、疲れやすくなっています。
困ったものです。

■3559:空海の過ち(2017年6月2日)
節子
空海は、「一身独り生没す」と書いています。
わが身は一人ぽっちで生まれて死んでいくというのです。
これは明らかに間違いでしょう。
空海がこの言葉で何を伝えたかったかを別にして、これだけを考えれば、空海の過ちとしか言いようがありません。
弘法も筆の誤り、です。

先日、みなさんから誕生日のお祝いメッセージをもらいましたが、私は誕生日に生まれた記憶は皆無です。
たしかに母胎から生まれ落ちたのはその日かもしれませんが、私の生命が誕生したのはそれ以前でしょうし、私という人格が生まれたのは、たぶんそのずっと後です。
人は、他者や自然との関係性の中で、生まれていくのだと思います。
孫を見ていると、それがよくわかります。
孫はこの世に出現してから1年ちょっとですが、まわりの人や時代環境のなかで、具体的な「自分」を育てているように思います。
人は、まわりの支えによって生まれ、育ち、支えによって死んでいく。
決して、「一身独り生没す」ではないのです。

そう思うと、人生は、あるいは自らの心身は、自分だけのものでないことに気づきます。
そして、人はそれぞれに自分とは別の大きな流れの中で生きていることにも気づかされます。
さらに、自らの役割も見えてくる。
たとえ不満であろうとも「役割」は果たさなければいけません。

「一身独り」でないのは、なにも「生没」に限ったことではありません。
むしろ「日常を生きる」のも「一身独り」ではない。
どんなに引きこもろうと山にこもろうと、一身では生きていけないことは明らかです。
必ずや他者の世話になっているはずです。
他者が人間ではない場合もありますが、間接的に捉えれば、すべての生命もまた人間とは無縁ではありません。
なにしろ同じ地球に存在しているわけですから。

私は、たくさんの友人知人に恵まれています。
そして今も、毎週、数名の新しい出会いがあります。
そういう生き方をしていると、人の考えや生き方がいかに多様であるかに気づかされます。
誠実に勤勉に生きている人もいれば、狡猾に放逸に生きている人もいる。
人にだまされて生きている人もいれば、人をだまして生きている人もいる。
あるいは、自分にだまされて生きている人もいれば、自分をだまして生きている人もいる。
歳をとって、いろいろな人と出会ったおかげで、そういうことが少し見えるようになってきました。

私自身も感ずるのですが、最近はとても生きにくい社会になった気がします。
しかし、もしかしたらそれは、誠実に勤勉に生きている人にとっての話かもしれません。

空海の「一身独り生没す」と関係ない話になってしまったように思えますが、そうではなくて、私は、この「一身独り生没す」という空海の考えが、すべての原因ではないかと思い出しています。
人は決して、「一身独り」で生きているのではありません。
「一身独り」で生きていると思うから、「お金」が大切だと思ってしまうのかもしれません。
みんなで一緒に生きていると思えば、「お金」より大切なものが見えてくるような気がします。

ちょっと大きな話を書いてしまいました。
いろいろと考えることの多い昨今なのです。

■3560:久しぶりのお墓(2017年6月2日)
節子
夕方、お墓に行きました。
実は最近、なかなか時間がとれずに、行けていなかったのです。
案の定、お墓に野草が生えていました。
墓へのお見舞いをさぼっていたことがよくわかります。

節子の墓の近くにある、東さんのお墓に花が入っていませんでした。
東さんは、節子が通っていた書の先生で、伴侶に先立たれているのですが、そのお墓がたまたま節子の墓のすぐ近くなのです。
東さんは、毎月2回お墓参りに行きます。
そしてそのたびに、節子にもあいさつしていってくれているのです。
その東さんのお墓が、最近、お参りに来ている雰囲気がありませんでした。
不思議なもので、お墓はそういうことがなんとなくわかるものなのです。
東さんもご高齢ですので、ちょっと気になりますが、私との交流はありませんので、確かめようがありません。

そういえば、わが家の墓の隣は、かなりご高齢の女性が、以前はよく来ていました。
この数年、姿をお見かけしません。
このお墓は少し変わっていて、墓石がなく、一本の柱が立っているだけです。
ですから墓碑銘もなく、その方の安否は確認しようもありません。

時間が過ぎていることを、そういうことからも感じられます。
私はこの墓に入る予定ですが、そう思うと奇妙な気分がします。
墓の中からは、墓前で線香をかげているものはどう見えているのでしょうか。

般若心経を唱えて、帰宅したら、孫が来ていました。
仏壇の節子に、墓参りに行ってきたことを伝えました。
なにやら複雑ですが、まあ深く考えるのはやめましょう。

明日は久しぶりにゆっくりできます。
体調を整えないといけません。

■3561:クロスロード(2017年6月4日)
節子
今日はクロスワードというゲーム手法をベースにしたワークショップサロンを湯島で開きました。
テーマは「大震災にあったときどうするか」です。
クロスワードとは、分岐点というような意味ですが、ある状況の中での決断を迫られ、それにイエス/ノーを答えて、いろいろと話しあうワークショップです。
ファシリテーターは、阪神淡路大震災の経験から3.11で防災に使命感を抱いた上原さん。
東北で実際に活動されてきた3人の友人が参加してくれました。
習志野の校長だった宮崎さん、技術者として放ってはいられないと福島で3年間活動してきた櫻井さん、それに今年から櫻井さんの紹介で南相馬に行っている佐藤岳史さんです。
加えて、長年海外で仕事をしてきた塩幡さんや石井さんも参加。
いつもの常連もいましたが、いつになく実践思考のつよいメンバーが集まりました。
節子が知っている人は一人だけだったかもしれません。
ワークショップには退屈していましたが、久しぶりに面白いワークショップでした。
その理由は、合意形成を目指さないワークショップだったからかもしれません。
このワークショップの目的は、多様な考えの存在を実感することだと、ファシリテーターの上原さんは説明してくれました。

人の考えが実にさまざまであることを、この頃、改めて痛感します。
私からみれば、みんな敢えて苦労の多い道を歩んでいるように見えますが、たぶんその人から見れば、私のほうがそうなのかもしれません。

私のクロスロード、分岐点はどこだったのでしょうか。
昨日のワークショップでもそうでしたが、私は生き方においてはめったに迷いません。
一応、基本的な原則が決まっているからです。
節子との結婚も迷わなかったですし、25年間勤めた会社を辞める時も迷いませんでした。
周りの人は、いずれの場合も驚いたでしょう。
でも大きな分岐点では、人は自らの心身に従えば迷わないのではないかと思います。
むしろ迷うのは小さなクロスロードかもしれません。
それは自らでも判断できるからです。
しかし大きなクロスロードは、判断材料が十分に見えてこない。
だとしたら、素直に心身のおもむく方に従うのがいい。

すべては最初のクロスロードから始まっているという気もします。
映画「ニュールンベルグ裁判」でのヤニング弁護士のことを思い出しました。
「最初に無実の者を死刑にしたとき運命は決した」と彼は言いました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2007/06/post_d133.html
私の運命が決まったのはいつだったのでしょうか。
節子と石山から京都に向かう電車の中だったのかもしれません。
偶然に会い、そのまま奈良に誘いました。
あれがすべての始まりだった。

この週末、奈良に行きます。
時間があったら、また少し奈良公園を歩こうと思います。

■3562:家でのんびりしたかったのですが(2017年6月5日)
節子
今日はたまった仕事を整理するために自宅でした。
節子も知っているように、私は何かデスクワークをする場合は、自宅で取り組みます。
湯島ではいろんな人が来ることもあって、まとまった仕事はできないからです。
ですから自宅にいる時の方が忙しいので、節子は最初理解デモクラシーができなかったはずですが、その内、それが普通なのだと思ってくれるようになりました。
まあ最近はそうでもなくなり、在宅していてものんびりすることは多いのですが、なぜ節子が元気だった時にそうしなかったのか、いまでは少し悔いています。
まあいまさら悔いたところで、何の意味もないことですが。

今日はいい天気だったので、思い立って、娘夫婦に連絡し、昼食を一緒にしました。
娘の連れ合いはイタリアンのトラットリアをやっていますが、今日はお休みなのです。
食事の後、娘家族はわが家に来ましたが、畑にハーブを植えたいというので、畑に行ってみました。
今年は一度も来ていなかったのですが、3年前の荒地に戻ってしまい、野草が覆い茂っていました。
それで、少し野草の刈り取りをしましたが、とても手が負えません。
しかし、私にとってはちょっといい汗仕事になりました。
空き地に家が建つ予定が噂されているので、今年は畑をやらないつもりだったのですが、家は建たないかも知れなくなりました。
さてどうしましょうか。
畑作業は楽しいのですが、半端でない大変さもあるのです。
娘たちはもちろん手伝ってくれませんので、やるとしたら一人ですが、その気力がなかなか戻ってきません。
やはり歳をとってきたのでしょう。
それにしても植物の成長力や生命力には驚くばかりです。

思い出して、がん宣告を受けた友人に電話しました。
元気そうですが、やはり気にはなっているようです。

のんびりしていると、いろんなことが気になります。
それではのんびりしていることにはなりません。
困ったものです。

テレビを見ると腹立たしいことばかりです。
自宅でのんびりするのも、あんまりいいものではありません。

■3563:今日もしっかりと朝食を食べました(2017年6月6日)
節子
早起きが気持ちのいい季節になりました。
最近は5時起床が少しずつ定着してきました。

私は朝の新聞は5分ほどしか目を通しません。
以前、会社にいた頃は会社では10種類近い新聞を読み、自宅でも2種類以上の新聞をそれなりに読み込んでいましたが、最近は紙面の雰囲気や大見出しに目を通すだけです。
気になった記事は、デジタル版でダウンロードしておき、後で読みます。

最近はテレビのニュースもほとんど見ません。
以前は7時台のNHKを見ていましたが、最近のNHKは私の好みではなくなりましたし、特に、政治がらみのニュースや殺人事件のニュースは、見ていて腹立たしくなるだけですので見なくなりました。
ちなみに、腹立たしくなる理由は、報道姿勢に関してです。
それに、最近のNHKの若いアナウンサーの軽薄さには、受信料を払いたくなります。
ブラタモリの近江友里恵アナウンサーの無邪気さは好感が持てますが。
民放は、さらに腹立たしいですが、時に共感できるジャーナリストのコメントに出会うことがありますので、出かけるのをやめて見入ってしまうこともあります。

いずれにしろ、朝の時間はたっぷりあるのです。
鳥の声に耳を傾けることも、朝顔のツルが静かに伸びているのも、楽しめる時間です。
ぼーっとする時間もあります。
ただ、起きて最初にすることは、隣室の隣の部屋にあるパソコンでメールとフェイスブックのチェックです。
そこから1日の予定が決まります。

今週は8日か9日から奈良に行く予定です。
と言っても、物見遊山ではありません。
古くから付き合いのある研究所の合宿です。
今年こそやめる予定でしたが、なんとなくずるずるやっているうちに断わるチャンスを失しました。
奈良ホテルでの合宿なので、朝、奈良公園を散策できるのが、私が断れない理由です。
朝の奈良公園はちょっと魅力があるのです。
翌日、京都なのですが、途中で抜け出そうかと考えています。
予定では伏見稲荷に合宿参加者全員で行く予定ですが、大人数でそういう場に行くのは、私の趣味ではありませんので、後半は解放してもらおうかと思います。
それで2〜3時間時間が空くのですが、大津に行って旧友に会うか、当時で空海の曼荼羅世界を観じてくるか、どうしようかと考えています。
しかし、昨夜、ちょっと思いついて、フェイスブックでアイデアを募集しました。
いくつかのアイデアが今朝届いていました。
もう少し考えてみようと思います。

フェイスブックは不思議な世界です。
そこに問いかけるといろんな人が応えてきてくれます。
ですからなんとなく孤立感をもたずにすみます。
私にはとてもいいものですが、これを悪用したり、これで迷惑をこうむったりしている人もあるようです。
社会の仕組みは、裏と表があります。
私はいまのところ運よく、フェイスブックの世界には相性がいいようです。

朝食だけは毎日きちんと食べています。
これだけは節子がいなくなってからも守っています。
しかし、これも極めて簡単な朝食です。
マーガリンとソーセージとレタスをはさんだトーストサンドとたっぷりのコーヒ。
それに娘が作ってくれる青汁入りのバナナジュース。
気が向けば、私がハムエッグをつくりますが、私の健康診断結果だと卵はあまり食べない方がいいらしいです。
さらに気が向けば、わかめも食べます。
海藻類は私の好物です。
朝、ちゃんと食べているので、時にお昼を食べそこなっても大丈夫なのです。

さて今日は、どんな日になるでしょうか。
きっとよい日になるでしょう。
節子にもきちんと般若心経をあげましたので。

■3564:人は話すと楽になる(2017年6月7日)
節子
私より若干年下の人が活動の合間に湯島に来てくれました。
そして、なにか自分のできることはないか、と言ってくれました。
私の最近の様子を少し心配してくれたようです。
心配してくれる人は多いのですが、具体的に何かできることがあれば引き受けると実際に申し出てきてくれた人ははじめてです。
とても元気が出ました。

その人と何かをかつて一緒にやったことがあるわけではありません。
彼は30年間、まさにビジネスの真っただ中で仕事に取り組んできた人ですが、いまは私が知る限り、私の友人の仕事を無償で(たぶん資金的にも応援しながら)、それも半端ではない時間をかけて支援しています。
私が、その人と知り合ったのは、その活動のおかげですが、実はその前にもその人の姿は見ています。
私がコーディネーターをつとめたシンポジウムで、会場から発言してくださったのです。
終了後、その人と話したかったのですが、会場が広くて、その人にたどり着く前に、いろんな人につかまってしまい、話せませんでした。
それが、まったく別の理由でお会いでき、以来、ささやかにフェイスブックでつながっていたのです。
最近の、私のある投稿に反応してくれ、コメントだけではなく、わざわざ湯島まで出かけてきてくれたのです。
それだけでも感謝しなければいけません。

先日お会いしたコミーの小宮山さんのよくいう言葉に、講釈だけの人は信用できないというのがあります。
私も同感で、実践のない人や相談に乗る場合、身を引いて相談に乗る人は私の世界の人ではありません。
誰かの相談に乗るのであれば、自分の人生とつなげながらでなければいけません。
自らもリスクをとらずに相談に乗れるわけがないと私は考えています。
そういう意味で、お金をもらって相談に乗ったり、仕事として相談に乗ったりする人は、私には別の世界の人です。
もちろんそういうことが悪いとか意味がないとかいうわけではありません。
それも十分に価値があり、必要な仕事です。
それを否定するつもりはありません。
ただ単に私の趣味ではないということです。
あるいは私にはできないことなのです。

その人、Kさんと話していて、少し元気が出てきました。
ついつい調子に乗って、これまでの話や私の私的な問題などを話してしまいました。
人は話すと楽になるものです。
しかしその一方で、話しすぎたなといつも悔いも残ります。
たぶん私のところに来て、自分のことを話してくれる人も、そうなのかもしれません。

昨日は、「話を聴くこと」と「話をすること」とふたつをやりましたが、いずれもそれなりに難しいです。
そのいずれにおいても、ちょっと悔いが残っています。
話をするのも話を聴くのも、まだまだ未熟のようです。

■節子への挽歌3565:山田寺の仏に会いました(2017年6月9日)
節子
久しぶりに東海道新幹線に乗っています。
それも朝一番の列車ですので、4時半に起きました。
起きるのが早すぎたので、パソコンを開いたのが間違いでした。
昨夜は早く寝たため、いろんなメールが入っていました。
それを見ながら、一部に返信していたら、また時間を忘れてしまい、ユカから大丈夫かと声をかけられ、気づきましたが、食事をする時間がなくなりました。
ユカが駅まで送ってくれたので、無事、新幹線には間に合いましたが、まあこういうことはなかなか治りません。

久しぶりに早朝の電車に乗ると、最近の自分の怠惰な暮らしぶりを反省する気分になります。
早朝からみんながんばっているのです。
いつもと違い、車内でスマホをやっている人はいません。
ほとんどの人が寝ています。
朝早くから働いている人、夜遅くまで遊んでいる人、さまざまでしょうが、最近の私はそのいずれでもありません。
働きもせず、遊びもせず、困ったものです。

上野から京浜東北線に乗り換えたのですが、もう電車は混んでいました。
ふと前の座席に座っている人を見たら、見覚えのある人が目を瞑っているのです。
知り合いではありません。
飛鳥の山田寺のあの有名な仏頭の顔です。
私は高校の頃から、この仏頭の顔が大好きでした。
実に安らかで、見ていて心が平安になれるのです。
あれほどの不幸を見てきたにもかかわらず、すべてを受け入れているようです。
ちなみに、私はあまり科学的ではないですが、たとえ仏像であろうと、表情は変化していくと信じています。

その女性に声をかけたいほどでしたが、痴漢と間違えられるといけないので、やめました。
でもあの人は仏に違いありません。
私が最後に山田寺の仏に会ったのは5年ほど前です。
たしか興福寺でした。
有名な阿修羅像と一緒に見たのですが、私はやはりこちらのほうが好きです。

今日は奈良ホテルで合宿です。
研修会のコーディネーターのような仕事ですが、途中で抜け出して、会いに来いということでしょうか。
いやそもそも抜け出せるでしょうか。

新幹線に乗った途端に寝てしまったので、起きたら浜名湖でした。
今は伊吹山がよく見えています。
間もなく京都です。
天気はとてもいい。
今日はいい日になりそうです。

■節子への挽歌3566:50年ぶりの新薬師寺十二神将(2017年6月9日)
節子
奈良ホテルで合宿です。
仕事の合間に、こっそりホテルを抜け出して、近くの新薬師寺に行きました。
前に来たのはもう50年以上前でしょうか。
節子と付き合い出す前で、職場の3人の女性たちと来たのですが、残念ながら節子とは来たことがありません。
新薬師寺が奈良公園からこんなに近いとは思っていませんでした。
ホテルで聞いたら、歩いていけるというので、抜け出したわけですが、暑さもあってちょと遠かったです。

新薬師寺で有名なのは十二神将です。
本尊の薬師如来坐像(これも国宝です)を十二体の神将たちが囲んでいるのは圧巻です。
ところが、50年ぶりにお会いした十二神将たちは私の記憶とはちょっと違って、みんな年取ってしまった気がします。
私の気のせいなのでしょうが、そんな気がします。
坐像の前でしばらく座っていましたが、私の精神状況のせいでしょうが、伝わってくるものがあまりありませんでした。
そう言えば、興福寺に行ったら今朝、電車で会った山田寺の仏に会えたかもしれませんでした。
すっかり忘れていました。

新薬師寺の周辺はまだあまり観光化されておらずに、町並みも風情があります。
節子好みのお店もところどころにありました。
抜け出したこともあって、残念ながらどこにもよらずにホテルに戻りました。
だれにも気づかれずに終わりました。

奈良ホテルは今回は休館の部屋です。
天井がとても高く、すごくほっとします。
でも、ホテルの部屋の浴室は、私は苦手なのでシャワーで済ませました。
今もホテルでの宿泊は苦手です。

合宿メンバーは今も二次会をやっていますが、今日は朝早かったので、もう眠くなったので、参加せずに部屋に戻りました。
明日は早く起きて、また奈良公園を散策しようと思いますが、今日、暑い中を急ぎ足でかなり歩いたので起きられないかもしれません。
長い1日でした。

■節子への挽歌3567:朝の奈良公園を散歩しました(2017年6月10日)
節子
朝食前にならまちと奈良公園を散歩して来ました。住民の方や観光客の方にも数名すれ違いましたが、こちらから挨拶すると必ず返事が戻って来ます。
これが観光地の良さかもしれません。
観光地であれば、声をかけやすいのです。
そして、だれもみんなほんとは挨拶をしたいのです。
でも、観光地ではないところでは、最近はなかなか声をかけられません。
何かきっかけがあればいいのですが、声をかけても無視されることが少なくありません。
私はATMを出て、誰かが順番を待っていたら、必ず「お先でした」とか「お待たせしました」と声かけをしますが、滅多に返事は帰って来ません。
でも、観光地では安心して声をかけられます。
それだけでも気持ちが良くなる。
だから散歩嫌いな私も、観光地では必ず朝の散歩をするのです。

ところで、昨日、東京駅に向かう電車で、飛鳥山田寺の仏に会ったことを書きました。
失礼になるので確認はしませんでしたが、彼女は間違いなく東京に遊びに来た山田寺の仏です。

それで新幹線の中では、時間の合間に会いに行ってみようとも思ったのですが、東京であったので不在かなと思い、昨日は新薬師寺の十二神将に会いに行ってしまいました。
そして今朝、奈良公園に向かう途中、興福寺を通ったのですが、そこになんとその仏頭の写真がありました。
いま仏頭は600年ぶりに脇侍の月光、日光に会って、興福寺で特別展示されているのだそうです。
それを知っていたら、昨日は彼に会いに行ったのにとても残念です。
今日はもう行く時間がありません。
もしかしたら昨日東京で会った薬師は、それを私に教えようとしていたのかもしれません。
新幹線の中ではそう思っていたのに、昨日はなぜか心変わりしてしまったのです。
それで昨日の新薬師寺の薬師は、気分を害していたのかもしれません。
いつものように、私に声をかけてくれなかったような気がします。

奈良公園の鹿にも会って来ました。
5分ほど鹿たちと一緒にいました。
節子と50年前に歩いた時に会った鹿たちと同じに、平和そうでした。

今日はこれから西ノ京の薬師寺に行きます。団体行動はとても不得手ですが、午前中は付き合う予定です。
これからセッションが一つあるのですが、まあ私の出番はないでしょう。
ついつい話しすぎるので、出番を作ってもらえないのかもしれません。
困ったものです。

■3568:敬愛する先輩との再会(2017年6月11日)
節子
昨日、京都で会社時代の敬愛する先輩に会いました。
技術系の先輩で、実はやめてからずっと気になっていた人です。
出張の仕事を早く切り上げて、京都でちょっと時間ができることをフェイスブックに書いたら、みんなから京都駅近くの渉成園を薦められたのですが、それを読んでくれて、田中さんが案内を申し出てくれたのです。
それで久しぶりに田中さんに再会できたのです。

田中さんは江戸っ子だと思いますが、今は滋賀にお住まいです。
会社を辞めた後、大学で教えられていましたが、いまもまだ大学で教えられています。
私よりも年上ですが、余人をもっては変えられない講座を独自につくってこられたようです。
その科目を聴いて驚きました。
一つはご自身の専門分野ですが、もう一つはなんと留学生への日本語授業です。
日本語教育と言っても、田中さんのはどうも「日本人の生活文化」を踏まえて講義内容のようです。
その話が実に魅力的でした。

田中さんと話していて、はっときづいたのですが、私と田中さんとは一緒に仕事をしたこともなく、ただ4年間、職場が隣の部屋だっただけだったのです。
にもかかわらず、なぜか私は田中さんに会いたいと思っていました。
なぜでしょうか。
人の縁の不思議さを感じます。
田中さんは理科系、私は文科系。
たぶん会社時代、そう話したことさえなかったかもしれません。
でもお互いになんとなくその存在を気にしていたのかもしれません。

田中さんは京都駅近くの渉成園を案内してくれました。
渉成園の入り口の石垣はさまざまな形の石でできています。
組織もまたさまざまな個性の人で成り立っていますが、田中さんも私もたぶん少し変わった形をしていたのかもしれません。
だからお互いにちょっと気になっていた。
私も田中さんも、しかし個性を強く打ち出すタイプではありません。
存在が、なんとなく変わっていただけかもしれません。

田中さんとはゆっくりお話ができました。
もしかしたら、会社時代でさえこんなにゆっくり話したことはなかったかもしれません。
でも私にとっては、気になっていたことが実現できて、とてもうれしい2時間でした。

渉成園の石垣の前で、ちょっと変わった石垣を選んでそれぞれ写真を撮りました。
このブログに、私の写真を載せるのはもしかしたら初めてかもしれませんが、田中さんの写真と一緒に掲載しておきたいと思います。

■3569:相談が押し寄せてきました(2017年6月12日)
節子
今日はまたいろんな相談がやってきました。

まず朝、Uさんがわが家に相談に来ました。
Uさんたちのことは気にはなっていましたが、いろんな人が応援する仕組みができたのと何よりもある「有名な方」が応援しだしたようなので、私の役割は終わったなと最近は身を引いていたのです。
しかし、どうもうまくいっていないようです。
ちょっとどころか、とても「重い」相談でしたが、私はあまりお役立ちできそうもありません。
あの元気なミセスUさんも、ちょっとダウンしているようで、いささか心配ですが、さらにそのつながりでYさんのことも心配になりました。
あまりにもうまくいくことの落とし穴もあるのです。
人生はゆっくりと、地道に進むのがいいです。

以前はよく相談に来ていたAさんが、最近来なくなっていました。
だいたいにおいて、みんなうまくいきだすと湯島には来なくなります。
それはもう現金なもので、いろいろと相談を持ちかけてきた人がうまくいき出すとパタッと来なくなることも多いのです。
そんな人がテレビで話しているのを見ると、人の哀しさを感じます。
節子は時に怒っていましたが、でもまあうれしいことでもあります。

今朝、その相談に来なくなっていた人から1行メールが届いていました。

どうにも、心と体がついていかなくて、うつ状態で、困っています。

私の言うことを聞いてくれないからだろう、と言いたかったのですが、すぐに1行返事を送りました。

助けが必要ですか?

いつもはなかなかメールの返事が来ないのに、今日はすぐ返信が届きました。

はい。お願いします。
今日、これからは無理でしょうから、明日とか、お時間ありますか?

やれやれ、そんなに大変になっているのか。
明日もまたゆっくりできそうもありません。
明日は、本当はもっと困っているはずの人に会いたかったのですが、その人は体調を崩してしまったようです。
みんな無理をしているのでしょうか。
無理をしないと生きていけない時代になってしまったのでしょうか。
私も誰かに助けを欲しくなることがあります。
だからやはりここはがんばって助けを求められたら、何とかしなければいけません。

節子
また今日の午後から頭が痛いです。
奈良と京都で楽をしてきた罰が下されているような気がします。
いつになっても楽のできない人生は、困ったものです。

■3570:遺言書を書いています(2017年6月13日)
節子
遺言書を書いてみました。
といっても、私の遺言書ではありません。
私の場合、娘たちも私の考えはほぼすべて理解しているでしょうし、争いになるほどの遺産もないでしょう。
ではなぜ遺言書など書いてみたかといえば、友人に頼まれたからです。

独身を通した友人が先月、突然胃がん宣告を受けました。
そして私に電話してきました。
手術の前にやっておきたいことがあるというのです。
何事かと思って急いで会ったのですが、要は遺言書を書いておきたいというのです。
親族が3人いるのだそうですが、その3人に自分の遺産をうまく配分しておきたいのだそうです。
すでに考えは決まっているのですが、自分が死んだ後、それを3人に伝える役目を私に託したいというのです。
私よりも先に逝くことが決まっているわけではないのですが、突然のがん宣告で、ちょっと不安になったのでしょう。
人は、時に混乱するものです。

予め3人に言っておけばいいではないかと思うのですが、均等相続ではないので、いろいろと問題が起きるのを避けたかったのでしょう。
私が言うのもなんですが、なかなかいい配分の考えです。
それに、死後、友人が遺言書を開示するというのもドラマティックです。
できれば、がんで死ぬのではなく、殺害された方が劇的ですが、そこまで期待するのは欲が深すぎます。
しかし、先に私が死んだらどうするのかという問題もあります。
それで、もう少し死ぬ時期を遅らせてもらうことにして、手術後に相談するようにしました。

しかし、そもそも弁護士でもない私が、そんな役割が果たせるのでしょうか。
そういうわけで、遺言について調べ出したのです。
それで、自分の遺言書でもないのに遺言書も書いてみたのです。
書いてみると、自分のも書いてみたくなってきました。
できればちょっと謎解きの要素を入れるのもいいかもしれません。
そのためには、相続遺産をもう少しためておくべきでした。
できれば、どこかに隠し子がいると、もっとドラマティックになります。
生き方が単純すぎたようです。

そういえば、むかし、会社の後輩に頼まれて、ラブレターを書いたことがあります。
自分のラブレターも書いたことはなかったのですが、後輩から頼まれたら仕方がありません。
まだ節子と付き合う前の話ですが、その後輩は節子も知っているスポーツ選手でした。
残念ながら、その直後に私は転勤になり、私の代筆したラブレターが功を奏したかどうかは定かではありません。
私のラブレターはたぶん特殊でしょうから、うまくいかなかったのではないかという気もします。
頼むときには人を選ばなければいけません。

さて遺言書は私に頼んでいいものでしょうか。
たぶんこれは大丈夫でしょう。
自分の遺言書はともかく、他人の遺言書はやはり責任重大です。
もう少し勉強しなければいけません。

がん宣告を受けた友人は、手術の前に玉川温泉に行きたいと言い出して、いま、温泉で湯治中です。
10日温泉湯治してくれるので、もしかしたら胃がんが治っていて、手術もしないですむかもしれないと言っていましたが、こういういい加減な友人なので、遺言書を私が開示する役割はたぶん果たせないでしょう。
つまり私よりも長生きするということです。
さてそれでは誰に委ねるか。
なんでそんなことまで私が考えなければいけないのか。
人生は不条理の連続です。

■3571:久しぶりの頭痛(2017年6月14日)
節子
ユカが仏壇に庭のアジサイを供えてくれました。
庭のアジサイが咲きだしています。

昨日は集中して、いろんな人と会いました。
みんなそれぞれに問題を抱えています。
いつもは元気な50代の男性が、湯島に来て話し出すなり、泣き顔に変わりました。
仕事柄、外ではそんな表情はできないのでしょう。
湯島に来る前に駅のプラットホームで時間待ちしていたそうです。
いささか恐ろしい話です。

私も自分の問題で頭がいっぱいの時に、駅のホームでふらっとしたことがあります。
以来、駅のホームではできるだけ真ん中にいるようにしていますが、突然に身心が動くこともあるでしょう。
いろいろとあるので、彼には少しきついことを言ってしまったかもしれません。
相談に乗るのはいいのですが、的確な応対ができないと、あとで自分を責めることになります。
それで私自身が疲れてしまうのです。

今日は自宅にいます。
最近は連続して相談に乗れるのは2日が限界で、2日の次には1日、休むようにしています。
以前は、1日4〜5組も苦になりませんでした。
対価をもらっていたら、今ごろはきっとビルが建っていたでしょう。
ですが、私自身はダメになっていたかもしれません。
ビルは建ちませんでしたが、友人知人はたくさんできました。
相談に来てくれる人たちは、みんな友人です。
ありがたいことですが、疲れることでもあります。

昨夜から頭の左側に痛みがあります。
最近あまり頭痛は体験していないのですが、久しぶりの頭痛です。
たぶんかなりの負担が左脳にかかっているのでしょう。
首を動かすだけで痛みが走ります。
娘は医者に行けと言いますが、血圧の薬を飲んでいないので、つまりその医者さんの言うことを守っていないので、気が重いです。
まあもう少し様子を見ましょう。

いろいろと相談を受けた後は、自らのリハビリも必要です。
自分が元気でないと他者を元気にはできません。
自分が幸せでないと他者は幸せにできない。
それはわかっているのですが、元気になって幸せになるのは、一人ではなかなか難しい。

頭がまた痛み出しました。
医者からは頭痛があったら、きちんと血圧の薬を飲めと言われていますが、たぶんこの痛みは血圧のせいではありません。
少し頭を空にしろ!と言うメッセージでしょう。
少し休むことにします。

■3572:ホームページを1か月更新していません(2017年6月14日)
節子
気が付いたら、この1か月以上、ホームページを更新していませんでした。
2002年1月1日にホームページを始めて以来、毎週日曜日には更新してきました。
節子が逝ってしまった時でさえ、それを守ってきましたが、この1か月は更新せずに来てしまいました。
niftyのサービスを利用して、私が手づくりしたホームページです。
そのniftyサービスが打ち切りになり、niftyが提供してくれた新しいサービスに切り替えたのですが、これまでとはかなり違うサービスになってしまいました。
それに私は、dreamweaverというソフトを使ってホームページを自作したのですが、ソフトのバージョンが古いので使いにくくなってきてしまっています。
新しく作りかえようかと思い新しいソフトも購入しましたが、15年以上、どんどん蓄積してきたホームページなので移管するのは無理でしょう。
そんなこともあって、ホームページ更新へのモチベーションが低下してしまいました。
しかし、節子が元気だったころに立ち上げたホームページであり、節子のこともかなり書かれているので、新しいホームページにするのも抵抗があります。
それに、このホームページには私の考え方がかなり込められています。
最近はしっかりとは更新していませんが、最初の頃はかなりの思いを入れ込んでもいたのです。

このホームページはもともと友人にホームページの作り方を半日レクチャーしてもらい、2001年の年末2日をかけて作ったものがベースになっています。
あの年の大晦日は、節子が新年の料理を作っている傍らで、除夜の鐘が鳴りだしてからもパソコンに向かっていました。
あれから17年半がたったわけです。
私の人生も大きく変わりましたし、世界も変わりました。

このホームページは、私がまた戻ってきた時に、つまり来世にも出会えるようにという思いもあります。
しかし多くの場合、前世の記憶はなくなるようですので、私がこのホームページに出会っても、それが私の書いたものだと気づかない可能性が大きいでしょう。
それは仕方がありませんが、残しておけば、もしかしたら気づくかもしれません。
あるいは、節子が気づいてくれるかもしれませんし。
そう思いながら、更新を続けてきていますが、1か月もさぼってしまいました。
この1か月は、ちょっと厭世観と無力感に襲われていたのです。

いまもなお、その状況から抜け出せたわけではありません。
しかし、このじょうきょうにもだいぶ慣れてきました。
節子がいない人生にも慣れたのですから、どんな人生にも慣れることができるはずです。
今度の日曜日に、久しぶりにホームページを更新しようと思います。
さてその準備をしなければいけません。
挫折しなければいいのですが。

■3573:また確保していたはずの日曜が埋まってしまいました(2017年6月15日)
節子
時評にも噛みましたが、いわゆる「共謀罪法」が深夜、成立しました。
とんでもない方法で、強行採決された結果です。
昨夜はそれを見ていて、あまり寝ていません。
国会前でのデモにも誘われましたが、いまはデモには疑問を感じているので、行きませんでした。
しかし今回は行くべきだったかもしれません。

それはともかく、朝、5時にパソコンを開きました。
こんなメールが入っていました。
北陸に住んでいる若い女性からです。

お久しぶりです。
夜分遅くにすみません。
変わらず行き詰まっており、限界でご連絡させていただきました。

複雑な気持ちになりました。
共謀罪法成立への暴力的な取り組みが進められているなかでも、それどころではなく目の前の問題でぎりぎりになっている人がいるのです。
そういえば、この1週間、いろんな相談にいろんな人が来ましたが、共謀罪法など話題にもなりませんでした。
みんなそれどころではない。
しかし、実はそういう状況に追いやられていることは、まさに政治や経済のあり方に深く関わっているのです。
そこがぷつんと切られている。
その構造が可視化されてくれば、事態は変わりだすでしょうが、なかなか見えては来ません。

行き詰っている人たちの問題は、一見、多様で、それぞれ関係がないように見えますが、実はそれらはつながっている。
いろんな人の話を聴いていて、それがよくわかります。

昨日、気分直しに「壮烈第七騎兵隊」と言う大昔の西部劇を見ました。
私が生まれた年に制作された映画です。
有名なカスター将軍の話ですが、予想もしていなかったセリフが出てきます。
「金か名誉か」.
すでに1941年に、これが問題になっていたことに驚きを感じました。
その映画では、お金の亡者になってしまった人が、最後はカスターと共に死ぬことで名誉を挽回しましたが、今やそんな人はいないでしょう。
金を目指すことが社会の大きな流れになってしまった。
だからそれになじめない人は、行き詰ってしまう。

金を目指して行き詰った人も少なくありません。
そういう生き方は、私はとりませんが、だからと言ってそういう生き方を否定する気にはなれません。
そういう人はたぶん、そう生き方をするように社会から誘導されたのでしょうし、私もまたそういう生き方をしている人の恩恵も受けていることは否定できません。
だからそういう人の相談にも乗らなければいけません。
どうしたら「事業で収益を得る」ことができるか、をアドバイスしなければいけないこともあるわけです。

北陸から上京する女性に何ができるかわかりませんが、相談に乗ることにしました。
また休日がなくなりました。
でもまあ、これが私の役目なのでしょう。
節子が手伝ってくれていたら、もう少し楽ができるのですが。

■3574:部屋の南側に琉球朝顔を植えました(2017年6月16日)
節子
さわやかな朝でした。
気分もさわやかにしたいのですが、いろいろあって、いささかさわやかではありません。
困ったものです。

部屋の窓の外に、琉球朝顔を受けることにしました。
宿根そうですので、手入れを上手くやれば定着してくれますが、その自信は正直あまりありません。
でも頑張ろうと思います。

私の自宅の仕事場はとても小さく、細長い部屋の両側は書棚になっています。
書籍に囲まれた、小さな空間にデスクが3つあって、そのひとつで私はパソコンをしています。
以前、中国からの若い留学生だった友人から狭いですね、と言われました。
その言葉が今でも忘れられません。
たしかに狭いのです。
しかもその両側に雑誌や書類が山と積まれています。
他にも両側書棚の細長い書庫があります。
ですから時に思い立って、ある書籍を探すとなると大変なのです。

その部屋は南側が窓になっていますが、夏には西日も差します。
ですから窓には朝顔を植えていましたが、水やりを忘れるので、枯れてしまい、最近はネットだけが残っている状況です。
そこにまた琉球朝顔を植えることにしたのです。
琉球朝顔は強い草なので、昨年はわが家の庭を席巻しました。
それで娘たちからは嫌われているのですが、私は大好きです。
節子はどちらかと言えば、弱い花が好きでしたから、琉球朝顔好みではないかもしれません。

仕事場にはエアコンはありません。
ですから冬と夏は快適ではなく、とても仕事ができる環境ではありません。
それで冬と夏はリビングが私の仕事場になりますが、ノートパソコンがあまりいいものがないので、仕事はあんまりできないのです。
しかし今年は、琉球朝顔の応援で何とか夏も仕事をしようと決めました。
まあ、仕事といっても大した仕事はないのですが。

節子がいなくなってからもうじき10年が立たとうとしています。
最近ようやく自分が正常化してきているように思います。
2年ほど前にもそう思ったことがあるのですが、いまから考えれば、やはりまだ正常化していなかったように思います。
まあまた2年後に同じ思いを持つかもしれませんが、最近かなり自分が復活してきた実感を持てるようになりました。

昨日まで、実は体調が良くなかったのですが、今日はめずらしくすっきりです。
さわやかでないのは気分だけですが、今日の青空で気分もよくなるでしょう。
今日は出かける予定でしたが、昨日までの体調の関係で延期させてもらいました。
ですから今日は、何もしなくてもいい1日になったのです。
さて何をしましょうか。
いや何もしなくてもいいのですから、何もしなくてもいい?
表現を間違えました。
今日は何をしてもいい日なのです。
さて何をしましょうか。
何をしようと今日はいい1日になるでしょう。

■3575:子どもの心(2017年6月17日)
節子
今日も孫が来ていました。
子どもたちはみんな同じように見えます。
その子どもたちが、大人になるとなぜ変わってしまうのか。
私が子どもの頃、赤ちゃん共和国という漫画がありました。
あまり鮮明な記憶ではないので、間違っているかもしれませんが、大人たちが子どもの心を失うことがなければ、社会はとてもゆたかで幸せで、住みやすいことでしょう。
なぜ大人になると、みんな変わってしまうのか。
それが不思議でなりません。

幼児の頃に親から捨てられ、苦労して生き抜いてきた友人がいました。
数年前にがんで亡くなりました。
彼は男前の生き方を目指していました。
彼は私によく言っていました。
生きるためには悪いこともしなくてはいけなかった、と。
彼の気持がよくわかりました。
しかし、彼にはどこか「子どもの心」が残っているような気がしました。
ですから彼を全面的に信じて、それなりに彼の危機に、私ができることをしました。
彼の男前の生き方を信じたのです。
しかし、それは完全に裏切られてしまいました。
最後は、たぶん私にまで嘘を言ったのかもしれません。
彼にとってはやむを得ないことだったのでしょうが、私には大きなショックでした。
しかし、最後に裏切られたのがとても哀しかったです。
本当のことを言ってくれれば、対応の仕方もあったでしょう。

大人になってからも、子どもの心を持ち続けることは、至難のことです。
もちろん何の苦労もしないで、子どものわがままさだけを維持している人はいるでしょう。
しかし、それは本当の「子どもの心」ではありません。

自分で生きる生活費を得ていくためには、時に人をだまさなければいけないのかもしれません。
生きるためには、子どものような赤心は邪魔になるかもしれない。
しかし、もしそうであるとしたら、生きるとはいったい何なのか。
孫と遊びながらそう思います。
そして改めて思うのですが、大人の先生は子どもたちです。
裸の王様の寓話が示すように、私たちは子どもからもっと学ばなければいけません。

節子から教えてもらったことはたくさんあります。
娘たちから教えられたことも少なくありません。
しかし、孫から教えられることはもっとありそうです。

いい1日でした。

■3576:湯島で少し感慨にふけりました(2017年6月18日)
節子
久しぶりに湯島で一人で過ごしています。
3時半から来客があり、その後、ミーティングもあるのですが、それまでの3時間、湯島で一人です。
特に用事はなかったのですが、なんとなく一人になりたくて、早めに昼食を食べて、出てきました。
自宅にいると、それなりにいろいろありますし、電話もかかってきます。

湯島のオフィス界隈は日曜日はほとんど人はいないのです。
この雰囲気が好きです。

湯島のオフィスを開いて、もうじき29年が経ちます。
29年間、何も変わっていないのですが、久しぶりに来た人が広くなったねといいます。
広くはなっていないのですが。
唯一変わったのは、窓から夕陽が見えなくなってしまったことです。
きれいな夕陽でした。

いやまだ変わったことがあります。
植物が少なくなってしまいました。
玄関のバラも、節子がいなくなってからは造花のバラになってしまいました。
テーブルの上には生花はありません。

このオフィスにはいろんな人が来ました。
私には、そして節子にも、思い出の多い場所です。
最近すっかり聴くことがなくなったCDをかけました。
先ほどから赤木りえのフルートの童謡が流れています。
子どものころに戻ったような、悲しさと幸せが伝わってきます。
でもちょっと気が沈みそうです。
以前はあんなに好きだったのに、いまはさびしすぎます。
日本の童謡の多くは、とても寂しく悲しい。
なぜでしょうか。

CDを変えました。
金子由香利のシャンソンです。
このシャンソンは、節子がいなくなってからも繰り返し聴いたことを思い出しました。
これもまた刺激が多すぎます。
どうも湯島に残っているCDは、元気が出るようなものがありません。
みんなどこかに節子との思い出を引き出すものがある。
困ったものです。

1枚だけ、節子に会う前から好きだったCDが出てきました。
DBQの“Take Five”です。
久しぶりに聴きました。
会社の独身寮に入って、最初に買ったのが、パイオニアのステレオでした。
そして聴いていたのが、ジャズでしたが、そのなかでも好きだったのが、オスカー・ピーターソンのカナダ組曲とこのTake Fiveでした。
節子と一緒に暮らすようになってからは、あまり聴いた記憶がありません。
会社の独身寮での一人の暮らしも、いまから思えばとても懐かしく、さまざまな記憶があります。
節子と会う前にも、私の暮らしはあったのです。

雨が降ってきました。
窓を閉めに行ったら、外のベランダで、ランタナが花を咲かせていました。
雨は、いまの私の気分にぴったりです。
2時間ほど、無為に過ごしました。
さてそろそろ現実に戻りましょう。

一人でこんなにゆっくりしたのは、久しぶりです。
来客に供えて、コーヒーでも淹れておきましょう。
たまにはこういう時間の過ごし方もいいものです。

■3577:苦歴こそ宝(2017年6月19日)
節子
なかなか元気になれません。
もう大丈夫と思うと、翌日がくっときます。
心配してくれる人もいるのですが、自分の心身をバランスしていくのは難しいものです。
しかし、そのおかげで、私は世界を広げられている、生きる意味を高められていると、思い出しています。

ノートルダム清心女子大学学長だった渡辺和子さんは,遺作になった「どんな時dも人は笑顔になれる」という本の中で、こう書いています。

学歴や職歴よりもたいせつなのは、「苦歴」。
これまで乗り越えてきた数々の苦しみ。
気がつけば、それらは経験という宝になっている。

私もそう思います。
いまの履歴書の構成要素は間違っている。

その本に、渡辺さんは相田みつをさんの「つまづいたおかげで」という詩を紹介しています。
その詩の書きだしはこうなっています。

つまづいたり ころんだり したおかげで
物事を深く考えるようになりました
あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが
人のやることを 暖かい眼で見られるようになりました
何回も追いつめられたおかげで
人間としての 自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました
だまされたり 裏切られたり したおかげで
馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました

まさに私のこの10年の人生そのものです。

朝から微熱が続いています。
微熱なのに、やけに身体が火照るような感じです。
昨日実はちょっとリビングでうたた寝してしまったのです。
風邪は絶対にひかないとNさんに約束したのに、困ったものです。

今日中に治さないといけません。

■3578:ODSの思い出(2017年6月20日)
節子
一昨日、旧友と会いました。
彼が、ODSの創業者の山口さんの息子さんがブログで山口峻宏さんのことを書いていることを教えてくれました。
https://note.mu/blogucci/n/n9e5253105ef6
ODSにも山口峻宏さんにも深い思い出があります。
息子さんが書いているように、山口峻宏さんは、日本でCIブームを起こしたおひとりです。
私はそれ以前からODSとも山口峻宏さんとも付き合っていました。
まだ私が東レにいた時代です。
そこに一人の若者がやってきました。
私の記憶では下駄をはいていました。
当時私は、経営企画室という戦略組織にいましたが、その関係で、外部のいろんな人と付き合うこともまた仕事の一つでした。
社会の動向を知らずして、経営戦略などは立てられないからです。
しかし、ビジネススーツをきれいに着こなしている人との付き合いには退屈していました。
そこに下駄ばきの青年がやってきた。
彼は、山口さんがスカウトした青年でした。
北欧でヒッピー生活をしていた三浦さんです。

三浦さんにほれ込んだこともあって、ODSにもよく行きました。
価値観変化を指標化し時代の先を考えるプロジェクトにも参加しました。
しかし、東レで私がCIに取り組んだ時に選んだのは、ODSではなくパオスでした。
ここにもいろんな物語があるのですが。

そのCIの仕事に取り組んだことで、私は人生を変えてしまいました。
会社のアイデンティティ(CI)ではなく、自分のアイデンティティの問題にぶつかってしまったのです。
会社を辞めたあと、ODSに挨拶に行きました。
行くと役員室に、同社のコアメンバーが並んでいました。
私の知った顔ばかりでした。
そこでODSに来ないかと誘われました。
もちろん断りました。
人生を変える決意をしていたからですが、決意していなかったら、誘いに乗ったかもしれません。
しかし、その後も、三浦さんとの付き合いはつづきました。
そしてある日、突然、彼の訃報が届きました。
急死でした。
その頃、私は若い友人を数名、同じような突然死で喪っています。

会社時代に、経済同友会で「経済文化フォーラム」という組織ができました。
8名のかなり密度の高い研究会でした。
私は諸井虔さんのご指名で、参加させてもらいました。
そこでの議論は1983年に日経から出版されていますが、その研究会に山口さんに来てもらったことがあります。
ゲストはいつも、エスタブリッシュメントの人たちでしたので、私には退屈でした。
そこで、たまには違う世界の人の話を聞こうと提案させてもらったのですが、残念ながら諸井さんにはあまり気にいってはもらえませんでした。
三浦さんも同行していましたが、彼が話せば変わったでしょう。
山口さんはサービス精神があり過ぎました。

山口さんがその後取り組んだサードエージプロジェクトの第1回目にも参加させてもらいました。
そこで私はまったく気が乗らなくて、途中で帰りたくなってしまい、パネリストなのに山口さんの意向に反する発言ばかりしていた気がします。
以来、仕事の関係では縁が切れましたが、山口さんはとてもいい人でした。

このブログを教えてくれた人は、私が会社を辞めた後に出会った人です。
私の生き方をよく覚えてくれていて、いささか私を過大評価しています。
でもまだ彼と会った時には、ビジネスマンから完全には抜け出していなかったのでしょう。
それに人は、過去の実績で人を評価するものです。
当時私には少しだけ会社経営の世界での実績がありました。
しかし、それは私の実績ではなく、私を支えてくれた人たちの仕事でした。
私もしばらくそうした遺産にしがみついていたのかもしれません。

自分をきちんと生きられるようになるまで、やはり時間はかかるものです。

■3579:夏風邪のようです(2017年6月22日)
節子
久しぶりにどうも風邪を引いたようです。

一昨日から微熱があり、ちょっと気にはなっていたのですが、昨日、雨の中を湯島に行き、しかも雨の中を上野まで出たりしていたため、悪化させたようです。
上野で話をしている途中に、疲れが出てきてしまい、相談に乗るどころではなくなってしまいました。
相談に乗るどころか、相手に心配をかけることになってしまいましたが、もしかしたら「相手に心配してもらうこと」も、大切なことなのだと最近ようやくわかってきました。
まあ、いつもながらの勝手な解釈ですが、ケアが双方向的な関係だとしたら、まんざら間違っていないようにも思います。

今朝はかなりよくなっていたので、予定通り、ある会社を訪問しました。
私にはいささかおかしなところがあって、人に会うと、体調不良のことを忘れてしまうのです。
そして、ついつい話に熱中してしまう。
私は熱が高くなると饒舌になるタイプなのです。
時として、それが元気と間違われてしまうのですが。

今日もそうでした。今日は5つのミーティングをやってきました。
ひとつのミーティングが終わるとガクッときてしまうのですが、次の話になると元気が出てきてしまう。
最後は新しくできた開発センターを見せてもらったのですが、ここはさすがに疲れました。
しかし、そこで会った人と思いもやらない懐かしい話ができたので、何とか持ちました。

自宅に帰って、ソファーに座ったらもう動けません。
やることがないので、録画してあった、「ボーン・アイデンティティ」を観てしまいました。
この映画はDVDではありますが、もう10回どころではなく何回も見ているのですが、毎回元気が出ます。
でも今日はダメでした。見終わっても疲れたままです。

昨日も熱があったのでお風呂にはいらなかったのですが、今日もやめて、もう寝たい気分です。
明日はゆっくりできるので、回復するでしょう。
いや回復させなければいけません。
風邪は医師ではなく、自らの意思で直さないといけないと節子には豪語していましたので、がんばらなくてはいけません。

ちなみに、風邪に関しては、私にはもう一つポリシーがあります。
風邪菌にも生きる権利があるので、まあたまには身体を貸すべきだというポリシーです。
節子は、「はいはい」と聞き流していましたが、私にとってはかなり大切なことなのです。
風邪は悪いことをもたらすだけではありません。
風邪をひかないと気が付かないこともある。
風邪を引いたら、そこから何かを学ぶことが、私の信条なのです。
さて、今夜は寝苦しい夜になりそうです。
またちょっと熱が出てきました。
困ったものです。
はい。

■3580:風邪を終えました(2017年6月23日)
節子
熱が下がりません。
今日は朝からずっと寝ていましたが、むしろ熱が上がってきています。
朝は37.1度だったのが、4時に測ったら37.4度。
それで床に頼んでクリニックに連れて行ってもらいました。
診療は簡単で、まあ普通の風邪ということで終わったのですが、やはり血圧の話になりました。
血圧を測ったら上が170を超えていたので、やはり高いといわれました。
前の薬は歯茎に副作用を出したことは伝えていますが、先生は何がいいかを「診療マニュアル」で調べ始めました。
風邪で来たのには、話は血圧になってしまいました。
ともかく私が降圧剤を飲まないので心配してくれているのです。

まあ何とか血圧の話はうまく切り上げて、帰宅しましたが、やはりクリニックには来るべきではありませんでした。
帰宅して体温を測ったら37.8度。
いささかしんどさが出てきたので、もらってきたロキソニンを飲んで横になっていましたが、まあ状況を変える必要があります。
そこでシャワーで身体を洗うことにしました。
ついでに頭も洗ってしまいました。
さっぱりしたところで、体温を測ってみたら、36.3度です。
平熱に戻っていました。
要するにシャワーが一番効き目があったわけです。
このまま治ってくれるといいのですが。
いや、治ったことにしましょう。

明日はサロンです。
明後日もその次も、また用事がいろいろとつまっています。
熱が出てもらっては困るのです。
4日ほど、身体を風邪菌に提供していたので、もう十分でしょう。

そんなわけで、今日は1日、ほとんど横になっていました。
また熱が出ると悪いので、まだ8時半ですが、眠ることにしましょう。
私の場合、熱があると思考力が大幅に減少し、本を読んだり何かを考えたりする気が起きません。

明日からまた元気な日常に復帰です。

■3581:熱い議論のサロンで風邪は完全に治りました(2017年6月24日)
節子
昨日で風邪をやめたので、今日は予定通り過ごすことにしました。
それでも朝起きた時には、少し違和感があり、いささか心配したのですが、なんとか発熱せずに夕方を迎えられました。

今日は憲法サロンの日でした。
参加者は総勢9人だったのですが、熱い世代もいて、大変でした。
いま日本国憲法が大きく変えられようとしていますが、その本質は明治憲法への、つまり非民主主義憲法への回帰です。
それへの危機感を持っている人が集まったために、熱い熱い議論になってしまいました。
今日は風邪だから少し静かにしていて、早く終わりたいと思っていましたが、その希望とは全く反対の方向に行ってしまいました。
しかし不思議なことに、風邪をぶり返すことなく、無事帰宅しました。

とてもいいサロンだったので、毎月開催することにしました。
憲法は、やはり私たちの生活を基礎づけていますが、多くの市民活動家やNPO関係者は、憲法を読みもせず、改憲論争にも無関心です。
私は、政治に無関心なNPOなど、そもそも存在価値がないとさえ思っていますが、今回も福祉関係者や市民活動している人はほとんど参加されませんでした。
たまたま私のまわりには、まともな市民活動者がいないからかもしれませんが、20年近くいろんな活動をしてきて、このていたらくを情けなく思います。
そう思う時が沈み、また熱が出そうですが、今日はとてもいいサロンだったので、まあ嘆くのはやめましょう。
それに風がぶりかえさなかったのは、喜ぶべきことです。

明日はまた朝から湯島です。
3日で撤退してくれた風邪菌たちに感謝しなければいけません。

■3582:若い女性が遠方から相談に来ました(2017年6月25日)
節子
微熱があったためか、この数日、不思議な夢をたくさん見ました。
そのひとつは、ついにあるいみでの「悟り」を感じた夢でした。
さすがに公言する勇気はありませんが、私の意識が大きく変わったような気がしました。
しかし、やはり夢は夢で、その後時間がたつに取れて確信が少し薄れだしてはいます。

それ以外にも、さまざまな夢をみました。
滅多に夢にはでてこない節子も、この数日は毎夜のように出てきました。
時に風邪で熱を出すのもいいことです。
ちなみに風邪はほぼ収まり、今朝、血圧を測ったら、まあ許容範囲に入っていました。
体調は万全というわけではありませんが、まあ大丈夫でしょう。

北陸から若い女性が相談にやってきました。
毎日、自分の生きる意味を考え続けていて、しかもまわりの人たちがみんな結婚していく中で、自分も結婚のプレッシャーが大きくて、何が何だか分からなくなって、やってきたのです。
数年前に東京にいた時にやってきたのが最初ですが、その時に比べるとだいぶ落ち着いてきていました。
最近はもう「死ぬこと」を考えなくなったそうです。
それだけで私ももう十分ですが、彼女のいまの悩みは、自分の夢が形にならないということです。
果たして今のまま働いていていいのだろうか?というわけです。

彼女はまだ30歳。でも北陸では、もう自由に生きていていい歳ではないのです。
いろいろと話していて、北陸の地方社会と首都圏の都市社会との大きな違いを教えてもらいました。
右手に指輪をはめてないと社会からあぶれてしまうというプレッシャーがあるのだそうです。
まだまだ日本は画一化されておらず、多様性を維持しています。
しかし、彼女が言うには、そのいずれもが生きにくい。
たしかにそうかもしれません。

彼女は実は昨年の一度相談に来ています。
なぜやってくるのかを、めずらしく彼女から話してくれました。
佐藤さんはどうしてそんなに自然体で生きられるのか。
私もそういう生き方がしたい。
意外な言葉でした。
だから私のところに相談に来る?

2時間ほど話しあって、私も昨日は彼女の相談に乗るために湯島に行っていたので、一緒に事務所を出ました。
駅まで一緒に歩いていて、彼女が私の歳を訊いてきました。
76歳と答えると、腰が曲がっていないことに感心されました。
それはただ単に農作業をしていないだけの話でしょうが、ここにもたくさんの示唆があるような気がしました。

少しは役に立ったでしょうか。
私はそれなりに疲れましたが。

■3583:振り返れば「いい時代」(2017年6月27日)
節子
昨日は朝から夜まで、さまざまな企業の関係者と話をしていました。
朝は個人起業家、昼は大企業の管理者たち、そして夜は中小企業の社長です。
面白いのは、そこから日本の社会の実相が見えてくることです。
一言で言えば、日本の社会の劣化と人間の変化です。

私が企業で働いていた1960年代後半から1980年代は、いまから思えば、日本が輝いていた時代だったのかもしれません。
そこに最後まで乗っていないで、途中で生き方を変えたのも、いまから思えば幸運でした。
たぶんあのまま会社に残っていたら、いまのようには社会が見えてこなかったでしょう。
経済的には豊かになっていたとしても、人生の面白さは、いまほどは味わえなかったかもしれません。
そういう生き方ができたのは、時代のおかげもありますが、節子のおかげでもあります。
幸運に感謝しなければいけません。

昨日湯島に来たなかに企業の管理職の女性がいました。
たぶん40代ですが、独身です。
経済的には豊かに暮らしているんでしょうが、何か「モヤモヤ」という感じを持っているそうです。
彼女の部下の女性たちも、どうも同じようで、だからといって何かを目指そうとか出世しようとかいう気はなく、日常的な幸せの中で、しかし何か「モヤモヤ」としているというのです。

一昨日湯島に来た30歳の女性は北陸に住んでいます。
30になるとほとんどの女性が結婚していて、右手に指輪がないのが例外なのだそうです。
彼女自身もそうですが、結婚する道を選ぶか、自分の夢に専念するか、分かれ道で、やはり「モヤモヤ」しているようです。
首都圏の大企業の女性よりも、まだ自分を生きようという姿勢が強いですし、「生きにくさ」を実感しているように思いますが、私にはいずれも不思議な気がします。
時代が変わったというべきでしょうか。

私たちの時代は、そういうモヤモヤはなく、ともかく真っ直ぐ前に向かって生きてきたように思います。
あるいは立ち止まるほどの余裕がなかったというべきかもしれませんが、それでもモヤモヤ感は、少なくとも私にも節子にもありませんでした。
まあ2人とも単純すぎたのかもしれません。

振り返れば、私たちが一緒に生きていた時代は、いい時代でした。
私が、いま生きにくさを感じているのは、節子がいないからだけではなく、時代の変化のせいかもしれません。
昨日、みんなと話していて、改めてそう実感しました。

■3584:輝いていた涙顔(2017年6月28日)
節子
体調はもどりましたが、そして覚醒感も得られましたが、何かまたすっきりしない精神状況に陥ってしまいました。
覚醒と迷いという、矛盾したものが混在している、何やら不思議な気分です。
昨日は、そういう状況で1日を過ごしました。

若い伴侶を亡くした市川海老蔵さんが、テレビで語っている映像に繰り返し触れたのが理由かもしれません。
あの会見から、たくさんのことが伝わってきました。
たくさんのことを思い出しました。
私がこれまで見た、一番輝いた涙顔でした。

彼は、最後に「愛している」といわれたそうです。
その一言が言えたことで、その一言を聴いただけで、ふたりは幸せだったように思います。
節子は言えませんでしたし、私は聴けませんでした。
節子はもう現世の向こうで生きていたからです。
現世での別れ方は、いろいろとあるでしょう。
私たちも、それについて話し合ったことはあります。
しかし、残念ながら私たちは、そういう別れ方はできませんでした。
だからといって、幸せでない別れ方だとは思っていませんが、いまから思うとちょっと悔いが残ります。

それでも家族3人に、3人だけに囲まれて、自宅のベッドで、みんなに声をかけられながら、節子は息を引き取りました。
あの数分は、私には現実感が全くありませんでしたし、何が起こっているかよくわからなかったのです。
医師と看護師がかけつけて来てくれて、ちょうど真夜の0時に、死を告げられました。
部屋の時計を見ると、時計はまさに深夜0時を指していました。
9月2日と3日の境目。
それは偶然とは思えませんでした。
節子が意識的に選んだのではないかと思いました。

それからは、医師と看護師に指示されて、わけのわからないままに家族はみんな動き出し、いろんな人が自宅にやってきました。
2日間は、私は寝た記憶がありません。
通夜の夜は、葬儀場で過ごしましたが、他の人は用意された部屋で寝ていましたが、私はがらんとした葬儀場の大きな部屋で、納棺された節子の横で過ごしました。
時に不思議な光を感じたり、節子からの声を聞いたりしました。
忘れていて、そんなことも思い出しました。

通夜が終わってからは、感情が消えてしまい、涙よりも笑顔になれました。
告別式が終わってからしばらくのことは、全く記憶にありません。
よくまあ、やってこられたものです。

愛する人の死は、自らの死以上のものがあります。
私の場合、もうまもなく10年です。
いまもなお、死をずっと抱えていています。
そういう10年を過ごしてくると、死とは生そのものだと思えるようになります。
誰かの死が誰かの生を引き起こすのです。

市川海老蔵さんのことをやっと書けました。
テレビで死が語られる番組は、私にはとても不謹慎に見えて好きではないのですが、海老蔵さんの両手で涙をぬぐった後の笑顔は忘れられません。

■3585:「それ以上に楽しい何か」(2017年6月28日)
節子
サンチアゴ巡礼の途中の鈴木さんから絵葉書が届きました。
3度目のサンチアゴを、今回は北の道を歩いています。
すでに280kmを歩き終え、サンタンデールについたようです。
サンタンデールも聖地の一つのようですが、絵葉書の写真を見ると、とてもきれいな港町です。
鈴木さんはこう書いてきました。

雨に打たれ日に焼かれつらいことも多いのですが、それ以上に楽しい何かが巡礼の道にはあります。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出しますが、人生もまた巡礼。
巡礼と思えば、生きる姿勢が変わります。
「それ以上に楽しい何か」ってなんでしょうか。
それは言葉では言い表わせないことでもあり、いまは未知のことなのかもしれません。
何かわからない、未知なこととの出会い。
それこそが、もしかしたら「生きる使命」「生きる喜び」かもしれません。

スペインからの郵便は、日本に着くのにだいぶ時間がかかります。
実際には鈴木さんはもう今月末にはサンチアゴに着くはずです。
7月に帰ってきたら、またいろんな話を聞かせてくれるでしょう。
私は、巡礼には行かないことを決めていますので、誰かの巡礼話を聴くことが、私の巡礼行なのです。

■3586:少しうれしくなることもあります(2017年6月29日)
節子
最近もしかしたら少しは人の役に立っているのだと実感することがあります。
といっても、それはとてもたわいないことなのですが。
たとえば、私のフェイスブックの書き込みを読んで、「ホッと安心します」というような手紙を受け取ったような時です。

その手紙を送ってくれたのは、数年前、伴侶を亡くした群馬の女性です。
小さなたまり場をつくって、とてもいい活動をしていますが、その途中で、がんで夫を見送りました。
節子と少しだけ時期が重なっていたかもしれません。

その方は、自分の活動の一環として、定期的に機関誌を発行していますが、先日届いた最新号のトップにこんな文章が載っていました。
ずっと愛用していた車を買い替えることになったのです。

亡くなった主人が、「これがいい」と言って選んだ車でとても名残惜しいのですが、しかたありません。事故もなくは知らせてもらったことに感謝して、知り合いに拝んでもらいました。これからは、また新しい車に乗って、新しい人生の始まりです。この車と共に、日本中をめぐることができたらと思います。まだまだ行ってない所、会いたい人がたくさんいますから。

いろんな思いが伝わってきます。
今年は彼女にとっては大きな転換期のようです。

ちなみに、彼女が私に送ってきた「ホッと安心します」ですが、これは時代の状況への認識が私と同じで、自分だけが危惧しているわけではないという意味の「ホッと安心」なのです。
つまり、安心できない時代になってきているということなのです。
そして「転換期」。
彼女の活動がどう変わっていくのか。

今朝、もうひとりの友人から、メールが来ました。
私が提案したことに、強く反応してきました。
もう(活動を)やめようかと思っていたけれど、佐藤さんを見て、もう少し続けようと思うと言ってきたのです。

私の活動は、活動とは言えず、単なる「一つの生き方」でしかありません。
しかし、それがささやかに誰かを元気にしている。
そう思うと、少しうれしくなります。
節子は、どう思っているでしょうか。
私の生き方を心底支持してくれたのは、節子でした。
その節子がいなくなってからは、生きる意味を失っていますから。

■3587:目標があれば人はがんばれる(2017年6月30日)
節子
しばらく音信が途絶えていた人から久しぶりにメールが届きました。
一方的に、これから連絡ができなくなります、ありがとうございました、というメールが途絶えていたので、ずっと気になっていました。
携帯のショートメールでしたが、携帯も費用の関係で解約するようです。
長いショートメールでした。
また湯島に行けるように頑張ります、と書いてありました。
ほっとしました。
目標があれば、人はがんばれます。
私もそうでしたから。

さまざまな人生がある。
どの人生がいいのかは比較は難しいですが、気のせいか、辛い生き方に追い込まれている人ほど、誠実のような気もします。
上ばかり見ている人もいれば、下の人たちが気になってばかりいる人もいる。
人生は、実にさまざまです。

でもまあ、今日は少し安心しました。
宮沢賢治の言葉は、本当に真実です。
みんなが幸せにならない限り、自分の幸せもない。
幸せは決して達成されることのない、未完の目標なのでしょう。
しかし、同時に抗も言えます。
心配してくれる人がいる幸せ。
心配する人がいる幸せ。

つまり、人はみな、本来的に幸せなのでしょう。
いま、ある会で「幸福とは何だろう?」がテーマになっています。
その答えはきっと見つからないでしょう。
そんな気がします。

■3588:「そろそろ終活」「(2017年7月2日)
節子
琉球朝顔が咲きだしています。
節子の献花台も朝顔で囲まれだしています。

新潟の金田さんから電話がありました。
新潟水辺の会を退会することに関して、私の意見を訊いてきたのです。
金田さんの尽力もあって、いまでは信濃川にもサケが上がりだしています。
その金田さんも、もう80代の後半になりました。
そろそろ「終活」ですと、ちょっと元気のない声でした。
高熱でこの数日休んでいたそうです。
新潟水辺の会の退会も、たぶんその間、いろいろと悩んだのかもしれません。
なかなか相談する人がいなくて、と笑いながら話してくれました。
がんばって活動していた人は、最後に相談する人がいなくなってしまうのかもしれない、とふと思いました。
特に金田さんのように、義理堅い人は大変かもしれません。
もう十分活動してきたのですから、もうわがままにしていいのではないですかと応えました。

ふと私のことを振り返りました。
私は、だれが止めてくれるのでしょうか。
自重しなければいけません。

実は昨日、日本中を笑顔で埋めようというプロジェクトを立ち上げようかという話し合いをしていました。
その前の日も、新しいプロジェクトを起こそうと友人と話していました。
昨日まではついついその気になっていたのですが、金田さんと電話で話していて、少し考え直した方がいいかなと思い出しました。
日本の社会は、もう壊れてしまってきています。
もう後戻りはしないでしょう。
久しぶりに、渡辺京二の「逝きし世の面影」を読み直しています。
私が望む社会は、もう終わったのでしょう。

私には居場所のない時代になっていることを薄々感じながらも、未練がましく、江戸時代的な生き方を目指しています。
そろそろあきらめて、私も終息すべきかもしれません。
今日はちょっと悩ましい1日でした。
異常な暑さのせいもあったかもしれません。

琉球朝顔を元気です。
朝顔の花は、子ども時代を思い出させてくれます。
しかし、今年は庭を占領されないように、気を付けています。

■3589:私の時計が止まってしまいました(2017年7月3日)
節子
なにかまた時間に追われています。
と言っても忙しいわけではありません。
私の時間速度が急に止まりだしているだけなのです。
世間的な時間と私の時間が食い違い始めているのです。
何かやらなければいけないことがいろいろとあるのですが、それに取り組めないのです。
そのため、そうしたことが山積みになってきていて、何かとても大切なことを忘れているような気がしてなりません。
こういう時には、立ち止まって、やるべき課題をリストアップして、頭を整理するのですが、今回はそれができません。
なぜでしょうか。
自分の手が届かない話が、ちょっと多すぎるからかもしれません。
不安感ばかりが心身を襲ってきます。
だからといって、私の時計が動き出すわけでもありません。
5分もかければ処理できる課題がいくつかあります。
それが、しかし、どうしてもできません。
もう1週間以上、気になりながら手が付けられないのです。
困ったものです。
こういう状況はなかなか表現しにくいのですが、誰かがシェアしてくれればそれで解消されるのです。
それができない。
どこかに閉塞感がある。
精神的には、あまりいい状況ではないようです。

今日はとても暑い日でした。
それでイライラしてしまっているのかもしれません。
こういう時に限って、要領を得ない電話が入ってくる。
蹴飛ばしたくなりますが、それをていねいにやらないといけません。
今日はだいぶまた失礼を重ねてしまったかもしれません。
人と付き合うのは、ほんとうにめんどうです。

娘に、霧降高原に行こうと誘ったのですが、断られました。
そこで、というわけではないのですが、
手賀沼の対岸の湖畔にできた野菜レストランに行きました。
毎年行われるトライアスロンの水泳のスタート地点が目の前です。
節子の主治医が出場した年、節子と一緒に応援に来ました。
あの時の様子を思い出しました。
気分転換にと思っていたのですが、効果はありませんでした。
残念ながら不安感は払しょくできないままです。

そこからわが家が小さく見えます。
手賀沼はもう夏です。
はやく私の時計が動き出すといいのですが。

■3590:安寧と平和を呼吸していた社会(2017年7月5日)
節子
あることで思い出して読みだした「逝きし世の面影」を結局また全部読んでしまいました。
以前読んだ時には感じなかった、何かとてもホッとするような気分になりました。
かつて日本には、「全てが安寧と平和を呼吸していた」(明治維新前に来日したプロシア人のルドルフ・リンダウの言葉)社会があったのです。

実はこの本の最初の部分だけを読み直すつもりが、結局、最後まで読んでしまったのは理由があります。
そこで紹介されている、かつての日本の名残を、節子のおかげで私は実際に体験したのですが、それが懐かしくて、ついつい読み終えてしまったのです。
もし私が節子と結婚してなかったら、たぶんそれは頭だけの知識的なものになっていたでしょう。
出も節子と結婚して、滋賀の節子の生家に戻るたびに、私は「安寧と平和を呼吸している」人の繋がりを実感させてもらいました。
そこでは、すべての存在が許される。
もちろん私が接したのは、ほんの数十人の人たちでしかありません。
しかし法事などで集まった人たちから、それとなく伝わってくるものは、とてもあったかく、とても陽気で、とても素朴で、魅了されるところがありました。
節子は、むしろ都会生活にあこがれるタイプでしたし、私がそういう社会にはなじめないだろうととても心配していました。
お酒も飲めませんし、猥雑さもある雑談になじめないだろうと、節子は思っていた節があります。
付き合いのルールもわからないので、法事などではいつも節子の指南を受けていました。
時折、節子からは、そんなに合わせなくてもいいと言われたこともあります。
しかし、私は決して合わせていたわけではありません。
素直に、とても新鮮だったのです。
たぶんそういう体験の中から学んだことは山のようにあります。
そして、いま思い出せば、江戸時代末から明治の初めにかけて、来日した外国人が味わった感動に似たささやかな体験をさせてもらったような気がします。
そういうわけで、この本には改めて引き込まれてしまったわけです。

私が願っているのは、やはりこういう社会です。
そういう意味では、生まれたのが遅すぎました。
しかし、そう思う一方で、もし江戸末期に生まれたら、たぶん私はうまく生きていけなかったような気もします。

節子のおかげで、私の世界は大きく広がりました。
友人からどうして会社を辞めたのかとよく言われます。
その大きな理由は、たぶん節子と結婚したからです。
生きるとは何かなどと悩まなかったのも、たぶん節子と結婚したからです。

ちなみに、「逝きし世の面影」は、滅んでしまった文明の墓碑銘だと著者は書いています。
でもそうでしょうか。
私は、あの「安寧と平和を呼吸する社会」は、いまもなおこの国には残っているような気がします。
少なくとも、私はその空気を呼吸し、生きているつもりです。
いささか酸欠状態になることはありますが、まだまだそれは残っている。

とてもいい本です。
よかったら読んでみてください。
ちょっと厚いので努力は必要ですが。

■3591:「人は出て行くより、出て行かれたほうが傷つく」(2017年7月5日)
節子
節子もよく知っている友人からメールが来ました。
一緒に始めたシェアドオフィスや組合的な会社が、私の手に負えなくなった(私が仕事をやめた)ので、彼に委ねたのですが、そろそろ次に転身することを考えたいという内容でした。
そのメールの中に、こう書かれていました。

長年、(シェアドオフィスを)やってきて、度々感じていたのは、「人は出て行くより、出て行かれたほうが傷つく」です。
出て行く方は、(たとえ追い出されたのだとしても)次に向かって進むのですが、出ていかれた方はなんだか釈然としない気持ちだけが残ります。
たつ鳥後を濁さずは、ほんとにそうだなあと思います。
そうやって思うと、自分は親の気持ちなんてこれっぽちも考えたことはありませんでしたが、子どもが出て行くときにはどんな気持ちになるんだろうと、恐ろしくもなります。
でも、今回の件は、「自分は出て行くので、みなさんもそれぞれに」という話なので、やはり申し訳ないです。

とてもよくわかります。
人は、体験したぶんだけ世界を広げられます。
だから人生は、常に後悔ばかりなのです。
歳をとるにつれて、それがよくわかってきます。

節子は、この世から出ていきました。
出ていく節子は、傷つくことはなかったかもしれません。
おかしな言い方ですが、死の向こうに体験したこともないような未来があるからです。
こう思えるようになったのは、節子を見送って数年してからです。
哀しくてさびしくて、釈然としないのは、残された者。
そうなのです。
死にゆくものは幸いなのかもしれません。
残されたものに比べれば、ということですが。

死の向こうにあるのはどんな未来なのでしょうか。

ところで私が出ていくときに、残される人がいないようにしなければいけません。
節子が出て行ったのは、ちょっと早すぎた。
ですから残され感が、家族には残りました。
そうならないように、私は節子の分までこの世に残り、みんなにもう早く逝ってよと思われるようになってから出ていくのがいいような気がしました。
なんだか生きる目標が見つかったような気分です。
みんなにいなくなってよかったなと思ってもらえるように、いや、生きているうちに存在感が消えてしまうように、生きるように心がけようと思い出しました。

今日、何かがあったわけではありません。
いや、なかったわけでもない。

人生にはいろいろあります。

■3592:私の時計がなかなか進んでくれません(2017年7月6日)
節子
ともかく時間がたつのが早い。
このころそう思います。
たぶん私の時計がゆっくりとなってしまっているのでしょう。
時々止まってしまっているのかもしれません。

今朝はちょっと元気づけられるメッセージが届きました。
テレビ局にいる若者からです。
私のフェイスブックへの書き込みへのコメントです。

私のフェイスブックへの書き込み記事は、多くの場合、私が意図していることが伝わらず、困惑することが多いのですが、彼はしっかりと受け止めてくれました。
うれしいことですが、彼は大学生のころからNPO活動に取り組んでいたので、頭ではなく身心で考えるタイプなのです。
たわいのないことですが、彼のコメントを読んでちょっと元気が出ました。
人の気持は、こういう些細なことで変わっていくものです。
昨日はあまりにコミュニケーションできないメッセージがいろいろと届き、いささか辟易していたのですが、今朝は救われた感じです。

ちなみにコミュニケーションできないのは、先方が悪いからではありません。
また私のフェイスブック記事が誤読されるのも、読み手が悪いからではありません。
いずれも私の問題なのです。
それにそもそも自分を理解してもらおうなどと思うことほど、傲慢なことはありません。
でもついついそう思い込んでしまう。
理解できなのは相手のせいにしたくなる。
でももし相手が理解しないとすれば、悪いのはこちら側であることは絶対の真理だと思います。
でもそう思いたくない。
困ったものです。

それにしても、最近はみんな忙しそうです。
暇なのは私だけかもしれないと思うほどです。
でもまあ、他者から見ると、私も忙しく見えるのかも知れません。
何しろ約束をしておきながら、期日を延期してほしいなどということが多いからです。
それは時間がないからではなく、私の時計が進まないからなのです。
以前にも書いたことがありますが、5分で終わる用事でさえ、もう2年近く先延ばしにしていることがあります。
ことほど左様に、気が向かないと私は取り組めないタイプで、それができるような、甘やかされた生活環境になってしまっているのです。
まあ人は歳をとるとだんだんそうなってくるのかもしれません。

さて今日は湯島に出かけます。
特に大きな用事があるわけではないのですが、1時間ほど相談したいという人に会うためにです。
あまりいきたくなかったのですが、今朝の若者からのメッセージでちょっと元気が戻ってきたので行くことにしました。

■3593:私にとっての一つの時代の終わり(2017年7月6日)
節子
私たちが仲人役を果たしたMさんと久しぶりに会いました。
彼らしい、とてもいい生き方をしています。
Mさんと会うとなぜかホッとして、お互いにこの半年の様子を堰を切ったように話していました。
節子の葬儀の時には、Mさんはとてもよくしてくれました。
節子の訃報がいろんな人に届いたのも、たぶんMさんのおかげです。
本当はとても小さな葬儀にしたかったのですが、MさんのおかげでNPO関係の人たちに伝わったようです。
そしてMさんは2日目の告別式には、節子の写真が入ったカードまでつくって来てくれて、みんなに配ってくれました。

節子も知っている、いろんな人の話も出ました。
最近Mさんがうけたアーユルヴェーダの脈診から、Mさんは10年ほど前に大きな事件があり、そこからせっかくの才能が生きていないのだということがわかったそうです。
脈診を診てくれたのは、節子も診てもらったインドの先生です。

10年前と言えば、節子が亡くなった頃ですが、同じころ、Mさんにも大事件があったそうです。
彼らしく極めてスピリチュアルな事件ですが。

最近はMさんと会うことは年数回になっていますが、会うとホッとします。
自分を生きている人だからです。
彼もまた、私と会うとホッとしてくれるでしょう。
私の生き方をある意味では理解してくれている人だからです。
だからきっと仲人役を頼んできたのでしょうが、その結婚式に遅刻してしまったという大失策をしてしまいました。
ですからMさんには大きな負い目があるのです。
もっともいつもは忘れていますが。

ところで昨日の要件は、長年使っていたオフィスと会社を閉鎖したいという話でした。
いずれも一緒の開き、設立したものです。
節子が病気になって私が対価をもらう仕事をやめてしまったため、オフィスへの経済的負担はできなくなり、会社もみんなで話して社長を私からMさんに変えていたのですが、手続きがなされていなくて、まだ私が社長なのだそうです。
まあこれも利益を上げる会社ではないので、不都合は起きていないようですが、そろそろ閉鎖することにしました。
オフィスは私たちのNPO仲間がシェアしていますが、そこをどうして了承してもらえるかです。
そのオフィスは、コムケア活動の出発点なので、みんな思いがあるのです。
いまはコムケアセンターは湯島に移していますが、本郷の最初のオフィスへも愛着を持ってる人も少なくありません。

その一人から、オフィスの閉鎖はさびしいというメールも届きました。
わたしにとっての一つの時代が、また終わりました。

■3594:丸いスイカが食べたい暑さです(2017年7月7日)
節子
今日は朝から暑いです。
昨日も暑かったので、スイカを買って来てもらい、今年初めてのスイカを食べました。
ただし丸いスイカではなく、1/6のスイカでした。
丸くないスイカはスイカではないというのが私の考えなので、最近はなかなかスイカを食べさせてもらえません。
1/6のスイカでもどうせ食べきれないのだから、四角く切ったのでいいのではないかと娘は言いますが、そういうスイカはダメなのです。
娘は、スイカを買って来ても冷蔵庫にも入らないではないかと言います。
小玉スイカは、これまた私にはスイカではないのです。
そんなわけで、毎年、丸いスイカはなかなか食べられません。

今日も暑いです。
スイカが食べたいですが、丸いスイカは値段も高いので、買えません。
それで畑か庭にスイカを植えたらどうかと気が付いたのですが、ちょっと遅すぎました。
いつも気づくのが遅いのが、私の視野の狭さです。
困ったものですが、こればかりは直りません。

子どもの頃は、たぶんいまよりも貧しかったと思いますが、大きなまるいスイカを食べました。
食べ過ぎて、動けなくなったこともあります。
まあ他に食べるものがなかったのかもしれませんが、スイカは誰でも夏には食べられました。
しかし今は高価な食べ物になってしまいました。
わが家にとっては、という意味ですが。
いやそれよりも、スイカを食べられる家族構造や地域社会ではなくなったというべきでしょうか。

昨日テレビで、6500円の食パンが売れているという話をしていました。
どうも私は時代から取り残されてしまっているようです。
でもまあがんばって、まるいスイカを食べようと思います。

■3595:「人とのつながりを捨てる」ことの魅力(2017年7月8日)
節子
世間のなかで生き続けることは、それなりに疲れます。
インドでは、人生を「学生期」、「家住期」、「林住期」「遊行期」と4つに分けて考えるそうですが、この分け方は私にはあまりなじめません。
日本では昔から「隠居」という生き方がありました。
この考えも、私はあまり理解できませんが、それを「人とのつながりを捨てる」というのであれば、共感できます。
「人とのつながりを捨てる」ことの魅力は、極めて大きい。

人は歳をとるにつれて、友人知人は少なくなっていきます。
それがさびしいという人もいますが、私にはある意味で自然の成り行きであり、最後は一人で死んでいくというのはとても納得できる話です。
おそらく私もそうなるでしょう。
ただし、それはあくまでも形の上の話です。

実際には、人は歳をとるにつれて、友人知人は増えていき、最後はたくさんの人たちに見守られて死んでいく。
私はそう考えています。
ちょっと言葉足らずでわかりにくいかもしれませんが、映画「おみおくりの作法」の孤独の主人公ジョン・メイの葬儀にはたくさんの人が集まりました。
現世の人たちではないので、現世の人には見えませんでしたが。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2014/11/post-5ba1.html
人は記憶のなかにも生きています。
記憶の中の友人知人たちは、年を重ねるたびに増えていく。
孤独死も孤立死も、私にはあり得ない話です。
そう思う人たちは、現世だけに、言い換えれば現世の欲の世界に行きすぎている。
そう思います。

つまりこういうことです。
私たちの友人知人は2つの世界に住んでいる。
此岸と彼岸です。
そして、ある時期までは、此岸の友人知人が増えていく。
その人たちは、時を経て、此岸から彼岸へと移っていきます。
そして次第に彼岸の友人知人が増えていく。
そういう彼岸の友人知人たちとの付き合いも、人生の大事な一面です。

此岸の友人知人と彼岸の友人知人は大きく違います。
此岸では人間関係に煩わされたり、付き合いを通して不快を味わうこともありますが、彼岸の友人知人はそんなことはしないのです。
時に嫌な思い出もあるかもしれませんが、彼岸に行くと人は(少し時間がかかることもありますが)みな善人になる。
現世に戻ってきて悪さをすることはとても少ない。
つまり安心して付き合えるのです。

この数日に関しても、現世の友人知人との付き合いは結構ストレスがたまります。
たとえば、昨日も尋常ではないメールが来ました。
何とか彼のためにと思って、これまでいろいろとやってきましたが、先方から絶縁状が来ました。
正直、ほっとしましたが、その一方で役立てなかった悔いが残ります。
まだ一度も会ったことのない、精神を少し病んでいる若者です。
いささかの身の危険も私は覚悟していたのですが、結局会えませんでした。
そういうことがたびたびあると、もう人には関わりたくないと思うこともあります。
彼岸にいる友人知人との暮らしに移りたいと思うこともある。
しかし、たぶん私にはその生き方は定められていないのでしょう。
なんとなくそんな気がします。

「人とのつながりを捨てる」ことは魅力的です。
それができたらどんなに幸せなことか。
しかし、此岸と彼岸はつながっている。
みんなその両方で生きているのです。
不快な思いも甘受しながら、やはり人とのつながりを捨てるわけにはいかない。

生きることは、本当に疲れることです。
マザー・テレサも、きっと疲れて生きていたのではないかと思います。
疲れのない人生など、きっとありえないのでしょう。

■3596:自己嫌悪していますが、だれも慰めてくれません(2017年7月9日)
節子
昨日はサロンで少し話しすぎて、自己嫌悪に陥っています。
時々、誰かに何かをぶつけたくなるのですが、その悪い癖が少し出てしまいました。
歳をとっても未熟さからは抜けでられません。
節子がいたら、きっと帰りの電車で厳しく批判されたでしょう。
いまは止める人がいなくなってしまっています。
困ったものです。

このブログにも、そうした私の不安定さが出ているようです。
しっかりした基軸を持って生きている人には、すべては見透かされてしまうのでしょう。
昨日のサロンに参加してくれたNさんは、この挽歌を読んでくれているのですが、
節子さんがいなくなったので佐藤さんが揺れ動いている、というような発言をチラッとされました。
お互いの席が一番離れていた場所だったのと、うまく聞き取れなかったのですが、たぶんそう感じているのでしょう。
私自身がそうですから。
でも私よりもずっと若い人からそう指摘されると、いささかの恥じらいを感じます。
もっとしっかりしろよ!と自分に言いたい気もします。

実は、節子がいなくなってからの数年は、心この世にあらずという感じでした。
いま思いだしても恥ずかしい記憶がたくさんあります。
その危うい私になんの負い目も感じさせずにしっかりと付き合ってくれた友人には感謝しています。
自分がようやくしっかりしてきたと思い出したのは、2年ほど前ですが、不思議なことにそうなってからが精神的には一番不安定になってきています。
いや、それまでは、不安定であることさえ気づいていなかったのかもしれません.
感情が戻ってきたといってもいいかもしれません。
ともかく最近は次第にその不安定さが高まっているような気さえするのです。

心配されるのは不本意なので、あえて付け加えれば、根っこのところではとても安定しています。
娘たちが心配するような暴挙はもうないでしょう。
ただ日々の気分が、時に落ち込み、時に高揚し、それが身体の動きに連動するのです。
そうした私の状況が、ブログを通して露出しているのでしょう。
みっともない話ですが、まあ仕方がありません。
まあ、それが私ですから。
 
昨日のサロンは私にはとてもうれしいサロンでした。
しかし、そのサロンに参加を申し込んでいたのに来られなかった人がいます。
外に出るのが怖いという精神状況にある人です。
その人から、やはり参加できなかったというメールが来ました。
サロンの報告を時評編に書きましたが、いつもサロンの裏側にもいくつかのドラマがあります。
サロンをやっているおかげで、見えない社会の実相も、時に見えてきます。
なかにはとてもつらくて重い話もあります。
もちろん不快な話も、時には危険な話も、です。
今回もちょっと躊躇するような裏の話もあるのです。
それをシェアできる相手がいないのが、私のような精神的に弱い人間には辛いのです。
Nさんは、それがわかっているのでしょう。
そういう人がいるというだけでも、実は元気が出ます。
Nさんがもしかしたら、この記事も読むかもしれないので、書きにくいのですが、Nさんには感謝しています。

昨日の発言に関する自己嫌悪は、まだ心に救っていますが、気分転換に昨日から始まったテレビドラマ「シャーロック」を見れば元気が戻るかもしれません。
「シャーロック」は1年以上、待ち望んでいた番組ですから。

■3597:カサブランカが咲きました(2017年7月10日)
節子
植木鉢で育てていたカサブランカが見事に咲きました。

カサブランカは、節子も私も好きな花の一つです。
節子に絡む節目の日の前後には、カサブランカの花を供えますが、どうせなら球根から育てようと、娘たちが球根を買ってきました。
同時に植えると花が咲くのも同時だろうから、10日ほど間をおいて植えました。
ところがなんと全く同じ日に咲いてしまったのです。
しかも一挙に咲きだしてしまいました。
1本は枝切りし節子の供え、1本はまだ植木鉢です。

カサブランカが好きな理由は、その強い香りにあります。
花が咲くと仏壇のあるリビングに香りが拡散します。
そこにいると、強い香りがいろんなことを思い出させます。

節子を見送ってからの数か月は、節子の位牌の前はいつも花に囲まれていました。
香りの強いカサブランカだけではなく、さまざまな花の香りで異様な雰囲気がありました。
香りと白さが、ずっと残ってしまい、一時はそこに沈み込んだようなこともありました。
いまはさすがに、花は少なくなりましたし、時には庭の花で飾っていることも少なくありません。
しかしカサブランカがあると、それだけでリビングの雰囲気は一変します。
もちろん私の意識のなかだけの話ですが。

切り花にさせてもらったカサブランカには、お礼の肥料を施して、来年もまた咲いてもらおうと思います。
節子ががんばった、あの年のように、暑い夏がやってきました。
今日は来客ですが、リビングのエアコンが壊れているので、大変です。
カサブランカの香りが、暑さを癒してくれるといいのですが。

■3598:難問をまた抱えてしまいました(2017年7月11日)
節子
今日もまたカサブランカの花が2つ咲きました。
庭の琉球朝顔もたくさんの花を咲かせています。
花を見ると明るくなります。
幕末期に日本に来た外国人たちは、その自然の豊かさに感動したと言いますが、豊かな自然に囲まれて生きている日本人たちの優しさと豊かさは、そうした自然の恩恵だろうと思います。
その自然のありがたさをあまり感じていない、現在の経済文化が、いま日本人を変えているような不安がありますが、自然をゆっくりと眺め、そこに関わるようになると、その不安もなくなります。
私自身、こんなにすぐ近くに自然がありながら、ゆっくりと会話していないではないかと、気づきました。
節子は、こうした自然との会話の中で、きっと自らを育てていたのでしょう。
もう少し節子の手ほどきと教えをもらっておけばよかったです。

植物の成長力は、それはそれはすごいです。
たぶんじっと見ていれば、草が伸びていることは見えるはずです。
耳を澄ませば、草の声も聞こえてくるのではないかと思います。
まあそれほど植木鉢から野草を排除するのは難しい。
ちょっと目を離していると肝心の花は野草に負けてしまいます。
野草にも生きる権利があるなどと偉そうなことを言って、野草を容赦なく抜いてしまう節子にクレームをつけたこともありますが、いざ、自分で手入れするとなると、そんなことを言っていたら、両方共がダメになってしまいます。
植栽を豊かにするには、厳しい選択も不可欠なのです。
しかし、野草とは何なのか。

先週、松永さんの「呼吸器の子」というゴーシェ病の子どもの物語を読みました。
松永さんは、以前もトリソミーの子どもの話を書いていますが(「運命の子」)、今回の本は、心に深く刺さりました。
何かとても大きな示唆をもらいながら、それが整理できずに、モヤモヤした雲が頭を覆っているようです。
1週間もしたら雲も晴れるだろうと思っていましたが、なかなか雲は晴れません。
答はわかっているのですが、どうもすっきりしない難問があるのです。

今日は在宅の予定なので、畑にでも行って、自然と会話しながら、もやもやを整理しようと思います。
カサブランカと朝顔が、そういう気にさせてくれました。

空が私の好きな夏の空です。

■3599:高月からの便り(2017年7月11日)
節子
今日は節子の故郷(滋賀県高月)から2つの便りが届きました。
ちなみに今日の高月は、33度だったそうです。
わが家もほぼ同じ温度でしたが、エアコンなしでも大丈夫でした。
でも熱中症のおそれがあるので、畑に行くのはやめました。

最初の便りは、節子の同級生からです。
昨日が唐川の赤後寺の千日会で、そこに今年も節子のお姉さんがお参りに行ったそうです。
そのことを教えてきてくれました。

もう一つは高月メロンでした。
恒例の節子へのお供え物です。
メロンが届くと夏が始まります。

もう数年、高月には行っていません。
節子の両親の墓参りもあるのですが、どうも足が伸びません。
節子が元気だったころは毎年数回は行っていたのですが。
節子と一緒に行った高月は、あまりにもあたたかな思い出が多いので、一人では行く気が起きないのです。
私にとっては、節子のいない高月は想像もできないのです。

高月にはたくさんの観音がいます。
しばらく会っていないので、行きたい気もしないではないのですが、行く気が起きません。
というよりも、そもそも旅行に行こうという気が起きないのです。
どうも私は一人旅ができない性格です。

独りでサンチアゴ巡礼をしていた鈴木さんが帰ってきました。
帰国後2日半、食事もせずに寝ていたそうです。
今日届いたハガキに、「身体はもどってきても、心と魂はそれに追いつかないのかもしれません」と書いてありました。
鈴木さんらしいです。
独り旅ができる鈴木さんがうらやましいです。

今日はもう一つ連絡が届きました。
訃報です。
その人も一人旅でしょう。
さて、私は一人で旅立てるでしょうか。
そろそろ現世で練習しておいた方がいいかもしれません。
いや、たぶん節子が迎えに来てくれるでしょうから、心配はないでしょう。

今日は暑い日でしたが、我孫子は快い風がずっと吹いていました。
いまも快い風が窓から入ってきています。
高月の夏も、いつも暑かったですが、風が快かったのを思い出します。

■3600:多惑の時代(2017年7月12日)
節子
昨日も深夜に目が覚めました。
目が覚めるといろんなことが気になりだす。
歳をとるごとに、不惑に向かうどころか多惑に向かっている気がします。
特に最近、人間関係が気になりだしました。
人を傷つけるのも、人を幸せにするのも、みんな人です。
年を重ねるにつれて、付き合う人は増えてきます。
となれば、不惑よりも多惑に向かう人の方が多いのではないか。
そう思います。
それに最近は傷つけられることが増えています。
たぶん私自身が弱くなっているからでしょうが、時代の影響もあるでしょう。
みんなイライラしているような気がします。

昨日から私も参加しているメーリングリストで、投稿の多い人への批判がなされていました。
たしかにその人は毎日、10数個の投稿をします。
それに対して、除名しろとか投稿記事にオリジナルがないとか、非難が続いています。
しかし、情報は受け手の問題であり、読まなければいいだけです。
自分の問題を他者の問題にして非難する。
みんなイライラして、自らさえも管理できないでいる。
現代は「多惑の時代」なのでしょうか。

「多惑の時代」はまた「相談の時代」かもしれません。
今朝も2人の人から会いたいという連絡がありました。
時間調整して、湯島で会うことにしましたが、特に具体的な相談があるわけでもないでしょう。
人に話すことで、多惑を放すことができるのです。
私もそういうタイプで、鬱積したものを誰かに話し放すことで、少しの安らぎを得る気分になることもある。
しかし本当は、放した「惑い」は必ず大きくなって戻ってくるのです。
ですから、ますます「多惑」になってしまう。

「不惑」で思い出しましたが、佐久間(一条真也)さんが最近、子供向けに「はじめての「論語」」という本を出版しました。
子供向きなので、私は読んでいなかったのですが、机の近くにあったので目次を開いてみました。
「不惑」の項目はなかったですが、目次を読んでいるうちに、私が大切にしていることがたくさん書いてありました。
もしかしたら、「多惑」になったのは、その大切なことをおろそかにしているからかもしれません。
この本に、「多惑」から抜け出るヒントがあるような気がします。
字も大きいので読んでみようかと思います。
「多惑」から抜け出ないと、人生は面白いけれど疲れますので。

■3601:ミリンダ王の問い(2017年7月13日)
節子
昨日は朝から夜まで4つのミーティングを湯島で行いました。
いずれもまったく別のテーマです。
ちょっと重いテーマもあり、いささか疲れましたが、帰りの電車で、地湧社の増田さんからいただいていた筧次郎さんの短編小説集「重助菩薩」を読みました。
今日は本を持ってくるのを忘れてしまったため、もらったままになっていた、その本を選んだのです。
小説にはあまり興味がないためずっと湯島に放置しておいたのです。
たぶん読みだしてすぐやめるだろうと思っていました。
ところが、一言で言えば、すごい本でした。
電車の中では読み終えず、帰宅してからも読んでしまいました。
5編の短編が収録されていますが、いずれも心に響く作品です。
特に、その中の最後の「王の愁い」は衝撃的でした。
まだきちんと消化できていませんが、輪廻にまつわる壮大な実験の話です。
おかげで昨夜は目がさえてしまい、今日もまた寝不足です。

本の帯に、筧さんは「この小説集は、いわば今まで書いてきた本の挿し絵のようなものです」と書いています。
挿し絵から読んでしまったわけですが、筧次郎さんの著作を読みたくなりました。

「王の愁い」は、有名な「ミリンダ王の問い」に関する話です。
もちろん「ミリンダ王問経」にはない筧さんの創作ですが、「存在の本質」「輪廻転生」「悟り」に関する壮大な(そしておぞましい)エピソードです。
読み終わった後、頭がくらくらしました。
それで眠れなくなったのですが。

それに比べて最初の「重助菩薩」はとても心温まる、でも少し悲しい話です。
5つの作品が、たぶん筧さんの著作のどれかの「挿し絵」なのでしょう。
昨日の昼間の4つのミーティングからもいくつかの宿題をもらい、少し気が重くなっていたのですが、それどころではない「大きな宿題」を背負い込んでしまったような気分です。

昨日は湯島で9人の人に会いましたが、それぞれの生き方は大きく違います。
それぞれの生きる姿勢のあまりの違いにいつもながら驚くのですが、死に直面した人の言葉には真実を感じます。
昨日は昼間、ちょっとした体験があったために、筧さんの作品にはまってしまったのかもしれません。
生きているように見えて、生きていない人があまりに多すぎる。
真実が見えているようで見えていない人があまりに多すぎる。
私もそうかもしれません。
心しなければいけない。
そう思いました。

今日も風がさわやかな日です。
心身共にいささか疲れ切っていて、元気が出ませんが、お墓に行きたくなりました。

■3602:アントシアニン型幸せ(2017年7月14日)
節子
3回目のサンチアゴ巡礼から戻った鈴木さんが湯島に来ました。
話を聴いている内にあっという間に2時間半がたってしまいました。
今回、ますます人生は巡礼だという実感を強くしてきたようです。
そして、巡礼中は知らない人にも声をかけられるし、ハグも抵抗なくできる。
見ず知らずの人でも、心が通じる。
巡礼路でできるのであれば、日本でもできるはずだ、というのです。

幸せは、ドーパミン型とアントシアニン型があって、前者は強く刺激的な幸せ、後者は弱く、でも長く続く幸せなのだそうですが、巡礼路で体験するのは後者の幸せ、喜びだそうです。
スペイン語しか通じない、ある宿泊所で、宿主が鈴木さんの肩をトントンとたたいて、心を通じてくれたという話をしてくれたのですが、話しながら鈴木さんはその時のことを思い出して涙ぐみました。
思い出すたびに、心があったかくなるのだそうです。
アントシアニン型幸せをどれだけ体験できるかで、人生の豊かさは決まってくるのかもしれません。
私にも、そうしたアントシアニン型幸せがたくさんなりますが、それがいまの私を支えていることは間違いありません。

鈴木さんは今回、いわゆる「北の道」を歩いたそうですが、そこはまだ古い巡礼の文化が残っているようです。
宿泊所やレストランもドネーションによるところが多く、出る時に出口に置いてある箱に、それぞれがお布施をおいていくのだそうです。
誰も見ていないので、金額ももちろんですが、箱に入れようが入れまいがさえも、その人次第です。
鈴木さんは、それにとても不思議さを感じたようです。
でもそれは、人類がずっと続けてきた文化、あるいはマナーだと私は思っています。

鈴木さんが、湯島の集まりも同じですね、と言いましたが、湯島のサロンもそういうスタイルで維持されています。
机に箱があって、基本的には毎回500円ずつ入れていくのです。
特に声をかけなくとも、みんなそれぞれが入れるのです。
もちろん忘れる人もいますが、まあお布施とはそんなものでしょう。
時々、入れ忘れたなどと言ってくる人もいますが、まあ入れられる時にいれればいいだけの話です。
会の参加費だと思っている人もいます。
私がいつも何も言わないので、会費をここに入れてくださいなどと呼びかける人もいますが、それは私の本意ではないのです。
まさに湯島のサロン活動を維持していくためのお布施システムなのです。
なかには1万円札を入れていく人もいますが、特にお礼は言わないようにしています。
しかし、金銭などがない時代は、みんなこうやって支え合ってきたはずです。
そうしたスタイルが、人類がここまで育ってきた理由のような気がします。
ですから、そうしたお布施の発想を大事にしたいのです。
それが壊れだしたのが、日本ではこの40年のような気がします。
何でもが、お金と契約で覆われだしています。
困った人を対象にした相談が有料のビジネスになるのは、どう考えても私には理解できません。

鈴木さんの話は、まだいろいろとありますが、8月下旬か9月に鈴木さんのサロンをやってもらうことにしました。
鈴木さんの心身からは、オーラが出ていました。

■3603:「ぶらぶら」と生きる(2017年7月15日)
節子
近くの八坂神社のお祭りです。
実につらい思い出のあるお祭りです。
お祭りは楽しいものですが、お祭りの思い出は楽しいことばかりではありません。

私はお祭りにもかかわらず、湯島に出かけました。
節子がいなくなってからは、お祭りに限らず、地域のいろんなイベントに背を向けたい心情が、どこかにあるのです。
地域活動をしなければという思いとは全く矛盾するのですが、仕方がありません。

今日は午後からサロンがあるのですが、サロンをやろうと思い立ったのは3週間ほど前です。
もしかしたらあえてこの日に重ねて設定してしまったのかもしれません。
自分では意識はしていないのですが、考えてみると毎年、このお祭りの日はいつもどこかに出かけています。
夕方、我孫子駅から昼間は練り歩いていたであろう神輿が並んでいる横を通って帰宅している記憶がたくさんあります。
今日も駅を降りたら、まだ祭の余韻が残っていました。

サロンには、仙台や群馬の人も参加してくれて、予定の時間を1時間も超えるほどでした。
めずらしく今回は、私が話し手だったのですが、やはりサロンは、話し手と引きだし役が必要だなと感じました。
何ごとも、一人ではうまくいかないものなのです。

群馬から参加してくださったのは、「ゆいの家」を主宰している高石さんです。
私も一度、ゆいの家での集まりに参加させてもらったことがあります。
高石さんも、私とほぼ同じころにがんで伴侶を失っています。
しかし、その状況をあっけらかんと自分が発行している通信で報告していました。
見事なほど、淡々としたものでした。
外から見ていると、彼女の生き方はあまり変わっていないように思っていました。

サロンの帰り、駅まで2人で歩きました。
彼女は今回、「いつもぶらぶらと生きている」というような言葉を何回か言っていましたが、それにつなげて、「とおちゃんがいたときには…」という言葉が時々出ました。
そういえば、最近、高石さんは亡くなった伴侶が愛用していた車を、新しい車に替えたことを思い出しました。
それがとてもさびしいという心情が伝わってくる文章が、通信に書かれていました。
それに関しては、前にこの挽歌でも書いたような気がします。
伴侶の死は、高石さんの生き方を大きく変えたのだなあとはじめて気づきました。

そして、私も今、「ぶらぶら」生きているのだと思いました。
伴侶を失ってしまうと、人は「ぶらぶら」としか生きられないのかもしれません。

■3604:暑い夏には丸いスイカです(2017年7月16日)
節子
念願の丸いスイカ(小玉スイカではありません)を買ってきました。
食べられないのだからとか、冷蔵庫に入らないとか、娘からは反対されましたが、娘と一緒に買い物に行って、むりやり買ってきました。
夏には家のどこかにスイカが転がっている。
これが私の小さいころの夏のイメージです。
特に節子の生家に行った時には、家の中に大きなスイカがいくつか転がっていました。
なければ近くの畑に行って、大きいのを取ってきました。
いずれにしろ、夏は、スイカが転がっていなければいけません。
今年は、スイカのほかにメロンもあります。
昨日、節子の姉から届いた大きなナスもあります。
その上、立派なカサブランカが2本も咲いている。
節子の生家の夏に少し近づいています。

今日もすごい暑さで、わが家のリビングの温度計は32度を超えています。
エアコンは入れていませんが、風邪が入ってくるし、丸いスイカもあるので、まあ快適です。
そういえば、風鈴がありません。
どこかにあるはずだと思ったら、私の仕事場にかかっていました。
音がうるさいので風が当たらないところにぶら下がっていました。
リビングに持ってきました。

庭の朝顔は、毎朝、20個くらい花を咲かせています。
それに今年はなぜかトンボや蝶もよくやってきています。
今朝も、アゲハチョウとクロアゲハがなかよく遊んでいました。

さて後は何のお膳立てがあれば、夏の暑さにふさわしいでしょうか。
後は、転がっての昼寝でしょうか。
今日はあまりの暑さに出かけるのをやめて、在宅することにしました。
スイカを食べたいのですが、食べると丸くなくなるので、食べられません。
やはりうたた寝が最高の夏の過ごし方かもしれません。

暑さは楽しまなければいけません。
エアコンはつけるのをやめましょう。
と思ってハッと気が付きました。
昨日サロンの後、湯島のオフィスのエアコンを消すのを忘れてきてしまいました。
この連休は湯島はさぞかし涼しいでしょう。
それに比べて我孫子のわが家は、実に暑い。
でもまあ、どちらがいいかはわかりません。
暑さもまた、いいものです。

■3605:もうひとつのこの世(2017年7月17日)
節子
先日、筧次郎さんという「百姓暮らし」をしている人の書いた「王の愁い」という短編小説を読みました。
前に書いたかもしれませんが、「ミリンダ王」にまつわる恐ろしい話です。
筧さんは、作家ではなく哲学者です。
哲学や思想にまつわる本を書くたびに、論理を超えた感情の世界が広がるようで、それを「一種の挿し絵」として書き溜めていたのが、「王の愁い」が収録されていた短編小説集なのだそうです。
ということは「王の愁い」の「本編」があるはずです。
たしかなことはわからないのですが、筧さんの著作の中から探すとどうもそれは「死を超えるということ」という本のようです。
それを読みました。
もしかしたら違うかもしれませんが、たぶんそうでしょう。

その本は違和感なく読めました。
論旨はこういうものです。

仏陀は、分別的な認識に現われる「人間のこの世」とは別の、無為自然な「もう一つのこの世」を経験したのであり、これが悟りと言われる体験である。

筧さんは、子どもの頃から死が怖かったそうですが、仏陀によって示された「もう一つのこの世」に気づけば、死は怖くないと言います。
「もう一つのこの世」では命も未分化であり、死というものが存在しないからです。
分別的な眼差しに「私」の死と見えたものは、全体の大きな流れの一部分にすぎないのです。

これだけではよくわからないかもしれませんが、要は私たちを取り巻く「個物の集まりである世界」は実相ではなく、それと同じように、個物や時空を超えた「もう一つのこの世」を生きているというのです。
「もう一つのこの世」は、死後の世界、いわゆる彼岸ではありません。
現に今、ここにある「もう一つのこの世」なのです。

先ほど読み終えたばかりなので、まだ消化できていませんが、まあざっとこんなことが書かれていました。
衝撃を受けた「王の愁い」の話とはなかなかつながりませんが、ポイントは「言葉」のようです。

この本を読んでまた新しいことに気づきました。
最近、「彼岸」は死後の世界ではなく、いまここにあるのではないかという気がしだしていました。
考えてみれば、ずっとそう感じていた気もします。
仏陀のように、悟りを得たわけではありませんが、素直に考えれば、そうなるような気がします。
もう少し考えてみたいと思いますが、「この世」は多層構造なのです。
唯識の世界でも、そういうことが言われていると思いますが、死はますます身近になってきました。

ちなみ私は、死への恐怖はむかしからありません。
しかし「別れ」への未練は大きいです。
だから、一度でも袖触れ合った人との繋がりは大事にします。
私ほどではありませんでしたが、節子もそうでした。
それはもしかしたら「もうひとつのこの世」を感じていたからかもしれません。

最近思うのは、どうして多くの人は「人のつながり」を大事にしないのだろうかということです。
みんな「人間のこの世」だけで生きているからでしょうか。

■3606:今年初めてのミンミンゼミ(2017年7月18日)
節子
今日もまた猛暑日になりそうです。
西日本では豪雨による被害が広がっていますが、千葉はただただ暑いだけです。
暑さは、何かけだるさを感じさせて、豪雨などの自然災害さえなければ、ある意味での平和を感じさせます。
平和というよりも、倦怠感と言ったほうがピッタリかもしれません。
思い出すのは、若いころよく観たミケランジェロ・アントニオーニの映画です。
がんばらなければ戦争や争いは起きません。
不謹慎の話で、被災された人たちには申し訳ないのですが、千葉にいると自然の猛威が想像できないほど、穏やかな日です。

朝、歯医者さんに行ってきましたが、その帰り道、今年初めてのミンミンゼミの声を聞きました。
気のせいかもしれませんが、今年は夏の生き物がみんな元気です。
トンボもよく観ますし、蝶々もよくやってきます。
庭ではカマキリもよく見かけます。
生き物がみんな活性化している。
そんな気がします。
そういえば、庭でよくトカゲを見かけます。
なにか今年はいつもと違います。

もしかしたら、それは私が元気になったからかもしれません。
そういえば、いつもならミンミンゼミの前にニイニイゼミがやってくるはずですが、まだその声を聞いたことはありません。
蜂も少ないような気もします。

今年は、私の怠惰さのために、自然との付き合いがいささか不十分です。
こんな暑さだと自然と付き合うのも結構大変なのですが、やはりもっと自然と触れなければいけません。
がんばって早朝の畑仕事を回復しようかとも思っていますが、なかなか踏み切れません。
ミンミンゼミの声を聴いて、やはりもう少し頑張ろうと思いました。
夏の暑さにも負けず、と宮沢賢治も言っていますから。

それにしても暑いです。
涼しいだろう彼岸にいる節子は、この暑さを体験できないのを残念に思っていることでしょう。
暑さの思い出も、たくさんあります。
節子はどちらかというと、冬よりも夏が好きでしたから。

■3607:人はなぜ死を恐れるのか(2017年7月19日)
節子
胃がんの手術をした友人が今日退院です。
あまりみんなには知らせていなかったのですが、しばらく連絡がなかったので心配していました。
連絡をもらったのは数日前なのですが、元気そうな声でした

彼もまた、生きることへの執着はありません。
だからといって死への願望もありません。
ただただ生きるだけ。
私も次第にそういう心境になってきました。
生や死にこだわるのは、生きていないからだと思うようになってきたのです。
まあそのあたりはまだなんとなくそう思うというだけで、整理はされていません。

いまここをしっかりといくることが唯識の健康観だという話を聴いたことがあります。
唯識が言う「健康」とは煩悩から解放されることですが、身体的な病気もまた煩悩のなせるものです。
煩悩の最たるものは、死へのおそれだと私は思いますが、死を恐れる人が多いことには驚かされます。
死は、避けがたい人生の目標値です。
なぜ人は、いつかやってくる死を恐れるのか。
たぶんそれは「痛み」や「苦しみ」ではなく、「別れ」や「執着」からでしょう。
であれば、死を恐れるのではなく、死を悲しむべきです。
恐れて生き続ける人生は、生きることにはならないような気がします。

この年齢になると、友人知人の訃報も多くなりますし、病気の話も多くなる。
私には日常にしか思えない話も、「大変なこと」と感じて、細かに話してくる人もいる。
もう死んでいるのに、死への怖れを話す人もいる。
世の中はさまざまです。

筧次郎さんの本を読んで、死への関心が少し戻ってきました。
人はなぜ死を怖がるのか。
サロンで一度話しあってみようと思っています。

■3608:過去も未来の現在の中にある(2017年7月20日)
節子
まあよくあることではあるのですが、たぶんこの10日ほどに読んだ本の中のある文章が気になって、どの本かを探すのに1時間以上取られてしまいました。
この10日では読んだ本は10冊にも満たないのですが、思い出した文章がありそうな本に限れば4冊しかありません。
手元にある3冊は3回も見なおしましたが、見つかりません。
1冊は図書館から借りた本なので、図書館にいって調べてみましたが、そこには見つかりません。
私の思い違いでしょうか。
私の頭のなかには、左ページの最後の10行くらいで、次のページにわたっていたというイメージは浮かんでくるのですが。
文章の内容は、北欧とイギリスの学校制度にまつわるものです。
どうして見つからないのか、実に不思議です。
私の思い違いでしょうか。

実はこういう経験はこれまでも何回もあります。
いまもなお見つからないのもあります。
もう30年近く前ですが、アメリカのナバホ族の7代先の掟に関する記事です。
その時は心当たりのあるかなりの本を読み直しましたが、見つかりませんでした。
いまもなお見つかりません。
私の蔵書の中の、どこかの本にあるはずなのですが。

そうしたことから、キーワードをパソコンに残し後から検索できるようにしてきているのですが、今回の文章は気になりながらも、残す必要もない私も知っていることだと思ったのでしょう。
ところがこれも奇妙に思われるかもしれませんが、その気になる文章の中身も思い出せないのです。
となるとこれは夢かもしれません。

節子も知っているように、私は夢と現実を時々混同して話します。
夢もまた私には現実だという感覚がどこかにあるからです。
ですから今回のことも夢なのかもしれません。
しかしこうしたことは気になりだすと頭から離れません。
今日も朝からまた心あたりの本をぱらぱらとめくってその文章を探そうとしていますが、もう4回目なので、探そうというよりも頁をくっているだけです。

自分の記憶が、新しい記憶を生み出していく。
もしかしたら、過去もまた時間と共に変わっていっている。
そういうことが最近よくわかってきました。
過去は終わってはいないし、未来ははじまってもいないわけではないのです。
そういうことを改めて実感させられる体験の、いま渦中にいます。
ちょっとモヤモヤしてすっきりしないのです。

■3609:初秋の風(2017年7月21日)
節子
久しぶりに兄と会食しました。
生き方や考えが違うので、会えば必ず論争になります。
節子がいた時には、緩衝役を果たしてくれていましたが、いまはもろにぶつかるので大変です。
でもまあ必ず最後は仲直りで終わります。
そういうことを長年ずっと続けています。
節子が最初に会った私の家族は兄でした。

私もそうですが、節子も家族を大事にしました。
そのくせ、私も節子も親の意向に反する傾向もありました。
次男次女のせいかもしれませんが、どこかで親に反発しているところがあります。
そのくせ、節子は私の親との同居を選びました。
私はよくシェークスピアの「リア王」を思い出します。

節子は62歳で旅立ちましたが、なんとか両親を見送ることができました。
節子と同じ時期に、節子の母親も胃がんになりましたが、節子が一時元気になった時に、家族みんなでお見舞いに行き、葬儀にも行きました。
節子としては、親を送る責任を果たせました。

節子の生家は、浄土真宗ですから、法事も長いです。
結婚した時はそれこそ3日3晩という感じでした。
何もわからない私に、節子は法事での立ち居振る舞いを教えてくれましたが、早くから家を出ていた節子も、実際にはほとんど知らないはずでした。
でも、法事の時の、喪服姿の節子は見間違えるほどにきれいでした。
その節子に、私の葬儀を仕切ってもらえないのは残念です。

私も兄も孫は一人ずつしかいません。
ですから今は家族が集まるといっても、以前のようなにぎやかさはありません。
こうなってしまったのは、私と節子のせいだろうと思います。
いや私のせいでしょう。
いまさら反省しても始まりませんが。
それでも節子が元気だったら、違った形になっていたかもしれません。

今日も暑い夏日です。
でもなぜか風が初秋を感じさせます。
気持のせいかもしれません。
兄と話していて、むかしのことをいろいろと思い出しました。
私はどうもまだ大人になれていないのかもしれません。
いまなれないということは、結局、未熟な人間として終わりそうです。
でも人の最高の状態は、子ども時代かもしれないとしたら、私はとても幸運なのかもしれません。
わがままというべきかもしれません。
なにか今日は、朝から夏の終わりを感ずる不思議な気分です。

■3610:相談が続いています(2017年7月22日)
節子
湯島で2時間半、相談に乗っていました。
相談に乗るのに料金を取るということには、私の主義に反します。
相談に来るのは困っているからですから、困っている人から相談料はもらえません。
最近は何かと相談はやりですが、ほとんどが有料なのがどうも納得できません。
ですから私自身が無償で相談に乗るのは、当然のことなのです。
暑くても湯島くらいに出かけるのは、できる時には引き受けなくてはいけません。
相談を受けている時にも、電話がありました。
平日の夜に会えないかという電話です。
夜はできれば避けたいですが、夜しか時間が取れないようですので、これまた仕方がありません。
どうしてこうも相談したい人が多いのでしょうか。

しかし、ふと今日はちょっとおかしいかなと感じました。
今日も相談に来た人は、有料で相談事業をしている人です。
そういえば、今週初めに相談に来た人がいますが、その人も相談料というかカウンセリング料金をもらっているそうです。
私の場合は、けっこう、相談を仕事にしている人が相談にやってくるのです。
ビジネスの相談ではありません。
生き方の問題です。
今日も今週初めの人も、私の言葉で涙さえ出します。
それほどに追い込まれているのです。
それで、ついつい、あなたがこんな状況では相談に来た人を元気にできないだろうと、2人に言ったのですが、言いながら、やはりどこかがおかしいと思いました。

料金をもらう相談は「仕事」です。
仕事で果たして人に寄り添えるのか。
困った人に対する相談活動はいいことですが、最近はそれらがどんどん営利化しているのが悲しいです。
ボランティアと称する小賢しいビジネスも流行しています。

サミュエル・ボウルズの「モラル・エコノミー」という本を読みました。
ホモ・エコノミクスという経済学の前提となる人間像が、実際の人間をそうしてしまったというようなことが書かれていました。
まったく同感です。

そういえば、人は「性悪か性善か」などという人がいます。
私にはバカげた質問だと思いますが、自分を考えれば人は本来性善であることは間違いありません。
「私は性悪説の前提で考えている」などという人がいますが、それは「私は性悪な人間です」と言っているようなものです。
この人はそれがわかっているのかなといつも不思議に思いますが、よくまあ恥ずかしくもなく、人前で公言できるものです。
そういう前に、まずは反省して性根を叩き直せと言いたいです。

話が外れてしまいました。
なんだか世の中がおかしくなっています。
私も少しおかしくなってきているようです。
節子がいたら、こうはなっていなかったでしょう。
ちょっと余計なことをやりすぎていますね。
自分のことができていないのです。
困ったものだ。

■3611:悟りを感じさせた夢(2017年7月23日)
昨夜、夢を見ました。
節子は記憶しているでしょうか。

たぶん深夜の2時前です。
前後はあまり記憶にないのですが、
私が子どものころ住んでいた家の廊下に節子がいました。
うつむいていて顔を上げませんが、節子です。
そこに娘たちもいました。
近づいて抱きしめました。
そこで目が覚めました。
ただそれだけの夢なのですが、それだけではないのです。
目が覚めた時に、何かとてもあたたかな、幸せと平安を感じました。
2か月ほど前(たぶん)体験したのと同じでした。
目が覚めた瞬間には、仏陀の悟りにつながるような気がしました。
最近読んだ本の言葉を借りれば、「もうひとつのこの世」を垣間見たのではないかという気もしました。
すべては、いまここにある。

私は、夢はすぐ忘れます。
しかし昨夜は、その「大いなる平安の気持ち」を忘れないようにしようと思い、眠りながらも反芻しました。
反芻するといっても、この気持ちはなんだろうかということだけなのですが。
そのおかげで、昨夜は6時近くまで熟睡できませんでした。
外が明るくなっていたので起きることにしました。
秋になっていました。
今朝の風は、まちがいなく秋の風です。

節子は間違いなく「もうひとつのこの世」を生きていると思います。
それが私を惑わせ、同時に、支えてくれていると思いました。
事物で成り立つ「この世」は、与えられた「仕事」で、私の本来の生はそこにはないのかもしれません。
昨夜、まどろみながら考えていたのは、もう少しちゃんとしていたような気がしますが、目が覚めて、こうして書こうとすると文字にならないどころか、わずかな記憶や体感さえもがどんどんと飛んで行ってしまいます。
不立文字の世界を、垣間見ただけだからでしょう。
悟りにはまだまだ程遠い。
それでも何か大きな平安を得たような気もします。
節子とともにいるという確信が持てたからです。
彼岸への旅を急ぐこともありません。
それもまた「瑣末なこと」と思えるようになりました。

最近こういうことを考えすぎているのかもしれません。
しかし、何も無理に考えているわけではありません。
自然とそちらに向いている。
そうであれば、成行きに任せるしかありません。
あたたかな気持ちの名残はありますが、寝不足で眠いのと数日前からの腹痛がまた出てきました。
さて、コーヒーを飲んで目を覚ませましょう。

■3612:また少し「てんやわんや」の数日でした(2017年7月25日)
節子
ちょっとまた「てんやわんや」です。
せっかく、悟りを感じさせる夢を見たのに、その日のうちに、平安は壊されました。
「もうひとつのこの世」とちがって、個物から成る「この世」は、まあいろいろと事件が起こります。
要するに、私がいろんなことに関わりすぎていて、相手がたくさんいるので、振り回されているだけのことかもしれませんが。
しかし、みんなどうしてこうも勝手なのでしょうか。
困ったものです。

突然の遠来の客があったり、病気で倒れてしまう人がいたり、私自身の体調が悪くなったり、家が壊れたり、心配事がさらに心配になったり、庭でいてはいけないガマガエルの鳴き声がしたり、心乱れる電話があったり、まあ何かと人生はにぎやかです。
その上、国会はみっともないほどの混乱ぶりですが、ひどい首相を選んでしまったものです。
詐欺師集団か認知症集団に、今や日本という国が乗っ取られた感じです。
ですから国会中継も見なければいけません。
しかし中継を見ると精神的に平安でいられません。
困ったものです。

手術した友人は無事退院しましたが、相談に乗っていた人からは音信が途絶えたままです。
気になっていることは星の数ほどありますが、最近は朗報があまりありません。
私のコミュニケーション力が低下したのか、実際に会ってアドバイスしても、なかなかそのようには動いてくれないので、ますます負担が増えていきます。
その上、暑さと湿気で、ちょっと動くと疲れます。

でもまあなんとか山を越せました。
抜けていることも多いでしょうが、まあそれは仕方がありません。
なにしろこの歳になると、忘れてしまうことも多いのです。
でも最近の多忙な人たちに比べれば、それでも他者への迷惑をかけていないほうでしょう。

明日はお休み日です。
いま決めたのですが、体力低下のため、夏季は週に1日は自宅で世俗から解放されて過ごすことにしました。
それで、明日は定休日です。
明日中に連絡すると3人ほどの人にメールしたような気もしますが、まあ1日くらい伸びても大丈夫でしょう。
その人たちには明日も私は超多忙だということにしておきましょう。
明日は、ここを無にして、瞑想にいそしむということにすれば、嘘をついたことにはならないでしょう。
それに今や日本では嘘をつくことは首相が率先して取り組んでいる国風ですから、だれも咎めないでしょう。
善い社会です。はい。

世俗から解放されて何をやるかが問題ですが、要するに「やりたいこと」をやるだけの日です。
といっても、節子がいない今は、そうやりたいこともないのです。
節子がいれば、「何もやらないこと」も、充実した時間になったのですが、いまはそれもかないません。
でもまあ、この1週間、ちょっと「てんやわんや」で頭が混乱しているので、ともかく明日はゆっくりしようと思います。
その前に、今日は早く寝たいです。
暑い中、出かけていたので疲れてしまいました。
ぐっすり眠れば、明日は元気になるでしょう。
今日は、丸いスイカも食べましたし。

でももう9時ですね。
遅くなってしまいました。

■3613:世間から解放された日の始まり(2017年7月26日)
節子
久しぶりに寝坊をしました。
目が覚めたら7時を過ぎていました。
にもかかわらず頭はぼんやりしています。
昨夜はなぜか寝苦しい夜でした。
意識的には、いろんなことうぃちどすっぱり忘れようと決めたにもかかわらず、意識の底ではやはり万事気になっているのです。
煩悩からの離脱にはまだほど遠い。

いつもなら起きてすぐパソコンをチェックしますが、今日は「定休日」にしていたことを思い出して、直接、食事です。
昨夜はかなりの雨が降ったので、庭への水やりも必要ありません。
ちょっと濃い目のコーヒーを淹れました。
でも頭がすっきりしません。
昨日の疲れもあって、身体もすっきりしていません。
昨夜は、寝ないでどこかに夢遊していたのではないかと思うほどです。
もしかしたら、実際にそうなのかもしれません。
思い出せはしませんが、いろんなところを走るように歩いていた気もします。
しかし、夢の内容は思い出せません。

新聞を読むとまた心乱れるので、やめました。
テレビもやめ。
コーヒーも美味しく感じませんでした。
なぜか気が重い朝です。
午前中は、少し世俗から離れることに決めました。
けじめとして、挽歌だけを書いて、しばらくは読書することにしました。
選んだ本は、25年前に出版された「死の科学と宗教」。
岩波講座「宗教と科学」の7巻目です。
この講座は全巻購入したまま、1冊しか読んでいません。
そういうシリーズ本がいくつかあります。
時間ができたら読もうと思っていたのだと思いますが、余分の時間ができることなど、人生においてはないのです。
最近、そのことに気づきました。

雨が止んで、鳥たちが囀りだしました。

これをブログにアップしたら、パソコンはスウィッチオフします。
平安な1日になるといいのですが。

■3614:すべては、身から出た錆(2017年7月27日)
節子
最近少し仏教の世界に近づいているようです。
昨夜、夜中に目が覚めて、その時になぜかはっと気が付きました。
自らに起こるすべての縁上は、自らから始まるということです。
こう言ってしまうと仏教の教えからは外れてしまうのでしょうが、いま私に覆いかぶさってきているさまざまな問題は、その出発点はすべて私自身から始まっていることに気づいたのです。
ともすれば、どこかで他者のせいにしがちになっている、最近の私の思考パターンに気づきました。
すべては、 身から出た錆。
それを忘れていました。
わがままに生きていると、こんなことまで忘れてしまうのです。
困ったものです。

そう思ったからと言って、しかしすぐに気分がすっきりするわけでもありませんし、問題が解決するわけでもありません。
相変わらずいささか気の重いメールは届きます。
でもまあ他者のせいにするのはきっぱりとやめようと思います。
いや止められ名会いかもしれませんが、そういう努力をしようと思います。
孔子と違って、なかなか不惑に至りません。

今日は午前中時間があったので、畑に行きました。
あまりのあれていて、隣家にも通りを通る人にも迷惑でしょう。
誰かに頼めば、やってくれるでしょうが、できるだけお金を使う生活はしないようにしていますので、自分でするしかありません。
誰か手伝ってもらえればいいのですが、かなりハードな仕事なので、頼めません。
これもまた「身から出た錆」。
畑を引き継がねばよかったのです。

しかし、畑で久しぶりに汗をかいたので、気分は少しすっきりしました。
小さな生き物たちにもたくさん出会いました。
その一方で、たくさんの野草を切り取ってしまいましたが、感謝しながら刈り取りました。

昨日は、相模原市の障害者福祉施設で、哀しい殺傷事件が起きて1年目でした。
いろいろと考えることが多いのですが、加害者も含めて、どうしてもだれかを責める気にはなれません。
せめて自分の生き方だけでも問い質したいと思っています。

■3615:歳をとるということ(2017年7月27日)
節子
先週湯島に来た友人が教えてくれた「モリー先生との火曜日」を読みました。
20年ほどに出版されて話題になった本です。
この本のことは聞いたような気もしますが、読んでいませんでした。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)であと数か月のいのちという恩師モリー教授のことを知った昔の教え子が16年ぶりに訪問し、数回にわたり「最後の授業」を受けた記録です。
とても共感できることが多い内容でしたが、私が一番関心を持ったのは、モリー教授の次の発言です。

「ほんとうのところ、私自身の中にすべての年齢がまじり合っているんだよ。3歳の自分、5歳の自分、37歳の自分、50歳の自分ていうように。そのすべてを経験して、どんなものだかよくわかっている。子どもであるのが適当な場合には、喜んで子どもになるし、思慮深い老人であるのがいい場合には、喜んでそうなる。何にだってなれるんだ! 私は今のこの年までのどんな年齢でもある。わかるかい?」。

私が持っている感覚ととても似ています。
時間は流れ過ぎるものではなく、積み重なっていくもの。
だから逆に流れることもある。
今日の午前中、畑仕事をしていて、なんとなく感じていたことにつながるなと夕方ふと思いました。

大地は間違いなく歴史を積み重ねています。
時間が積み重なっていると言ってもいいでしょう。
畑に行けば、私と畑の付き合いの歴史(ちょっと大げさですが)がはっきりと読み取れます。
自宅もそうです。
空間には、時間が積み重なっている。
そして間違いなく私という身心もまた、時間の積み重ねです。

モリー先生が言うように、人は「今のこの年までのどんな年齢でもある」。
そう考えると、年齢は直線を進むのではなく、面積を広げることになります。
そして、その気になれば、どんな年齢の時にも戻れる。
なんだか地平が広がるような話です。

たまに畑をすると、やはり思考が変わります。
さて当分時間が取れそうもありませんが、来週はまた畑に出かけようと思います。
ただただ野草を刈り取る仕事です。
草刈り瞑想とでも言いましょうか。

今日こそ熟睡できそうです。
真夜中におかしな覚醒が起きなければですが。

■3616:自分の歳は自覚できないものです(2017年7月31日)
節子
ちょっとハードな3日間でした。
それで挽歌も書けませんでした。
この3日間、湯島の集まりがつづいたのですが、その前後になぜか相談事が押し寄せてきました。
自宅にまで電話があり、精神的にもいささか疲れました。

昨日、ある人と会ったのですが、3日前に突然首が回らなくなったそうです。
病院に行き、かなり回復したようですが、まだぎこちない動きが残っています。
その人は会社を経営していますが、いささか疲れが感じられます。
それで疲れているのだから気を付けたほうがいいといったのですが、逆にあなたのほうこそ疲れているぞ、と言われました。
その上、自分は疲れていないが、もし疲れているとしたら、あなたが原因だと憎まれ口をたたかれました。
それはこちらのセリフだと言い返しましたが、まったく困ったものです。
まあだいたいにおいて、みんな自分の疲れには気が付かないものです。

昨日はまた久しぶりに会った人がいますが、最近とても忙しそうなので、体に気をつけてね、と言ったら、佐藤さんのほうこそ、気をつけてくださいと言われました。
たしかに一般的に見れば、ずっと年上の私から、体に気をつけろなどと言われるのはおかしな話でしょう。
反省しました。

来月、あるところで行われるデモ行動に参加しようと思って、その話を教えてくれた人に伝えました。
その人と一昨日お会いしたのですが、佐藤さんは元気なのに驚きましたと言われました。
最初はその意味がよくわかりませんでした。
なぜならその人は沖縄までにも出かけている人ですから、そういうデモ活動にはなれている人です。
思いを表明したいのであれば、デモ行動に参加するのは当然のことです。
私はある思いもあって、最近は一切やめていたのですが、今回は参加したくなったのです。
ですから元気とかそんなことは思いもせずに、当然の反応をしたのですが、そういう行動への参加が元気だと思われる年齢になっているということなのです。
そういうことにはなかなか自分では気づきません。
節子がいれば、自分の年齢を実感できます。
一人だと、それがわからず、年を取るということが意識できないのです。

しかし、それでも「疲れ方」が最近違ってきました。
無理ができないどころか、ある時にドシンと疲労が出てきてしまう。
私もいつ、首が回らなくなるかもしれません。

その首が回らなくなった人(節子も知っている人ですが)と昨日は2時間話しましたが、相変わらず論争気味です。
お互いに疲れたねと言って別れましたが、幸いに今朝はまだ首が回っています。
でもこの3日間の疲れからはまだ解放されていません。
この3日間で、私は40人以上の人と話しました。
人と話すとどうしても何かが残る。
その人たちのメッセージが、まだ消化できずに、身心を駆け巡っている感じです。

カレンダーとは違って、今日は私のお休み日です。

■3617:『般若心経自由訳』(2017年7月31日)
節子
一条真也さんが『般若心経自由訳』を上梓し、送ってきてくれました。
沖縄在住の写真家安田淳夫さんの写真と組み合わさって、一条さんの自由な訳とそれを補足する話が、わかりやすく展開されています。
一条さんの自由訳とその表現方法は、空海の『般若心経秘鍵』に、そのベースがあると、一条さんは本を送ってきてくれた手紙に書かれていました。
『般若心経秘鍵』で、空海は「空」を「海」、「色」を「波」にたとえて説いているそうです。

私にとって一番新鮮だったのは、般若心経の中に書かれている「真言」の捉え方でした。
毎朝、節子に挨拶する時、時に般若心経全部ではなく、最後の真言部分だけを唱えることがあります。

羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。

真言ですので、まさに無分別智の世界ですが、「彼岸に到達した者こそ幸せだ、あなたも一緒に彼岸に行きましょう」というような意味で捉えられていますが、一条さんはそこをもっとわかりやすくとらえます。
ちょっと長いですが、そのまま引用させてもらいます。

人は、母の胎内からこの世に出てくるとき、
「おぎゃあ、おぎやあ」と言いながら生まれてくる。
これから教える呪文は
「おぎやあ、おぎやあ」 と同じことだ。
すなわち、
「ぎゃあてい ぎゃあてい はあらあぎゃあてい
はらそうぎゃあてい ぼうじいそわか」
そう、亡くなった人は赤ん坊と同じく、
母なる世界に帰ってゆくのだ。
「あの世」とは母の胎内であり、
死を怖れることはない。
死別の悲しみに泣き暮らすこともない。
「この世」を去った者は、
温かく優しい母なる「あの世」へ往くのだから

そして一条さんは、「これが般若心経。「永遠」の秘密を説くお経である」と言っています。
とてもわかりやすいです。

最近私は「この世」も「あの世」も重なっているような気がしてきていますが、それはそれとして、この自由訳にはとても共感しました。
空海の「海」と「波」の写真とそれを使った空の説明もとても説得力があります。

この本はしばらく節子の位牌の前においておきましょう。

■3618:ゴミ屋敷に住んでいるような状況(2017年8月1日)
節子
8月です。
いろんなことに巻き込まれていて、あまり状況を整理できないまま、8月になってしまったというような感じです。
生きていることの面白さがどんどん広がりながら、しかし関わる消化力はどんどん低下する。
人生は、「余剰」のなかで終わるのだなということがよくわかります。
独り身の友人が、財産を余剰なくきれいに使い切って終わりたいと言っていましたが、そんなことはできないでしょう。
人は必ず何かを残していく。
時にそれが「借金」だったり「未決のトラブル」だったりするとしても、それもまた「余剰」と言えるでしょう。
人生を自己完結することはできない。

最近の日本では、3世帯に1世帯が預貯金を持たない無資産階級だそうです。
そういう意味では、私はとても恵まれています。
貯金はついに100万円を切ってしまい、なかなか出張もできなくなってきていますが、自宅はありますし、その気になれば、収入になる仕事もできるでしょう。
実際に時々させてもらっています。
幸いに今は、年間の収支はほぼバランスしていて、余命期間を考えながら身軽になれる状況です。
ただ、関心や活動はなかなか整理できずに、綺麗な終焉は迎えられそうもありません。
友人を少しずつ減らしている友人もいますが、私は今なお友人が増える一方です。
だから「不惑」どころか、「多惑」「創惑」から抜け出られません。
物欲はあまりないのですが、知欲や活動欲が抑えられない。
実に困ったものです。

困ったというのは、そうした知欲や活動欲に誠実に取り組めればいいのですが、身体がなかなかついていきません。
やらなければと思いながらも、ついつい「まあいいか」などと気を抜いてしまう。
この歳になったら、身の丈を超えた思いを持ってはいけないのですが、ついつい歳のことを忘れてしまう。
考えてみれば、いまの私は「ゴミ屋敷」に住んでいるような状況かもしれません。
そういえば、私の狭い仕事部屋は、まさにゴミ屋敷のように、散らかっています。
でも片づける気力もない。

8月は、私は活動が大幅にダウンするつきです。
無理をするのはやめましょう。
しかし、世界はあまりにも面白いことが多すぎて、まだまだ世界を広げたくなります。
これはたぶん、節子がいないせいです。
大切なものがない人は、むやみやたらに気を向けられるものを探していく。
ゴミ屋敷の住人は、大切なものを失った人なのです。
それを見つけさせてやれば、きっとゴミ屋敷人生から抜け出せるでしょう。
それはわかっているのですが、どうにも抜け出せずに困っています。
ほんとうに、困ったものです。

■3619:(2017年8月1日)
節子
節子が知っている私の友人知人も、それぞれに歳をとったり、体調を崩したり、いろいろです。
節子もよく知っているSさんは、心臓の調子が悪く湯島にもなかなか来られなくなっていますが、独身なので、気になって、時々メールしていますが、昨日、彼からこんなメールが来ました。

知人が66歳で亡くなったので、戸田斎場に行きましたが、明日は我が身で自分にも他人にも興味がなくなっています。

そして、最近、ある雑誌に寄稿した論文を送ってきましたが、その中に、「遺書のつもりで書いた」という文言があったので、ドキッとしました。
サロンに来るたびに、節子が気にしていましたが、当時以上に世間から脱落してきています。
いろいろと考えてみましたが、なかなか支援の仕方が見つかりません。

いろいろと活躍していたHさんが、病気で倒れていまは自由に動けない状況に陥っていることをフェイスブックで知りました。
大学の教授もやっていましたが、2年ほど前にやめて、いまは「無職」だそうです。
生活も大変そうで、私よりも経済的に苦しそうですが、私の記事への彼のコメントをよむと、なにやら「アリとキリギリス」を思い出してしまいます。
かつて高収入で華やかな暮らしをしていた人が、収入がとだえてしまうと大変なようです。
幸いに私の場合は、20年かけて、生活を変えてきました。
節子がいたおかげでそれができたのですが、私の場合は、実に幸運だったのかもしれません。

幸いに私の場合は、身体的にはあまり病気らしいところはありません。
経済的にも適度な水準ですし、精神的にも適度の悩みに恵まれています。
いまもし死んでしまうと、喜ぶ人より悲しむ人が多いことには自信があります。
それだけでも、私の人生には意味がある。
Sさんのように、「自分にも他人にも興味がなくなっています」というような状況になったら、逆に他人から興味を持ってもらわなければいけません。

ということは、やはりSさんにもう一度声をかけるだけではなく、会った方がよさそうです。
口だけの人は、私は一番不得手です。
せめて自分がそうならないように、思ったことは実行しなければいけません。
Sさんのことは、節子も気にしていましたし。
ちなみに、Hさんには奥さんがいますから大丈夫でしょう。

自宅にいても、ネットを通じて、いろんなことが入ってきます。
平安は期待できない時代になってしまいました。

■3620:この世とあの世はつながっている(2017年8月2日)
節子
8月になった途端に、秋風が吹きだしたような涼しい朝です。

先日、この挽歌でも書いた佐久間さんの「般若心経自由訳」ですが、佐久間さんから動画を制作したという連絡がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=r00AKzL_YpA&feature=youtu.be
早速、フェイスブックで紹介したところ、2人の人がシェアしてくれました。
2人とも節子が知っている人です。
一人は良く、一人はちょっとだけ、ですが。
たぶんそれぞれに思いがある人です。
一人は「般若心経は魅惑的で摩訶不思議な世界」、一人は「般若心経とは究極の共同体感覚」と書いていました。
2人のことを少しだけ知っている者として、とても納得できる表現です。
人は、自らの置かれた立場や体験から、世界を見ます。
般若心経をどう受け止めるかで、その人のことが少しだけわかる。
そんな気もします。

挽歌でのこの本への言及は、著者の佐久間さんへは連絡していなかったのですが、昨日、思い出して、佐久間さんにメールをしました。

般若心経自由訳、読ませてもらいました。
真言の説明には目からうろこでした。
まさか「おぎゃあ」につながっているとは気づきませんでした。
海と波の写真も文章もとても心に響きます。
ありがとうございました。
ところで、筧次郎さんの「死を超えるということ」(現代書館)はお読みになりましたか。
「あの世」ではない「もうひとつのこの世」という捉え方をしている本ですが、
私にはこれも面白かったです。
もうお読みになっているかもしれませんが。

このメールを発信すると同時に、佐久間さんからメールが届きました。

御無沙汰しています。
毎日暑いですが、お変わりありませんか?
ブログで『般若心経 自由訳』を取り上げていただき、ありがとうございます。
「色即是空」「空即是色」とは、「この世はあの世」「あの世はこの世」と解釈しました。
これから、筧次郎氏の『重助菩薩』と『死を超えるということ』を読むつもりです。

まったくの同時でした。
同じ時間に2人ともがメールを書いていたわけです。
驚いてまたメールを送りましたが、佐久間さんからもメールが届きました。

わたしも今、佐藤さんからのメールに気づき、驚いたところです。
シンクロ二シティですね!
こんなことが起こるのも、この世とあの世がつながっているからだと思います。

あの世は、まさにもうひとつのこの世なのかもしれません。
数日前に、急にイスラムをもっと知りたいと思いました。
イスラムでは、人は、毎日生と死の世界を往復しているとされていると何かで読みました。
それを思い出したのです。

■3621:死を繰り返すムスリム(2017年8月3日)
節子
昨日、唐突にイスラムに言及しました。
それには理由があって、やはり私はあまりにイスラムを知らないという気がしてきたからです。
イスラムに関しては、昔からそれなりに興味を持って、井筒俊彦さんの「イスラーム文化」をはじめとして、それなりに書籍は読んで少しは知識はあると思っていましたが、だれかと話すにはあまりに知識不足です。
たとえばジハードが戦争を是認しているなどと指摘されて、そんなはずはないと思いながらもうまく反論できないのです。
イスラムは寛容な宗教だという思いが、私にはあるのですが、それもうまく説明できません。
それで、湯島のサロンで、ムスリムの人に来てもらって、イスラムについて話し合いをしてもらおうと思い立ったのです。
フェイスブックで呼びかけたら、すぐに数人の方が反応してくれたのですが、とてもぴったりの方から連絡をもらいましたので、9月にはイスラムサロンは実現できそうです。
バングラディシュの方です。
バングラディシュは、インドからの独立の時に、私もきわめてささやかに応援した記憶があります。

それはそれとして、ムスリムの人たちにとっては、死ぬことは「あの世」への引っ越しであると聞いたことがあります。
だからムスリムは死を恐れないというのです。
そして、ムスリムは毎日生と死の世界を往復しているとも聞きました。
夜、就寝するのはアッラーがその人の精神を一時的に奪って死をもたらすのだそうです。
そして、朝、アッラーによって精神が戻されて目が覚める。
そこで、ムスリムの朝一番の仕事は、生を戻してもらったことへの感謝なのだそうです。
朝の目覚めのない死は、「大死」と呼ばれるそうです。
それもまた、アッラーの行為です。
自らをすべてアッラーにゆだねる。
なんと平和な宗教でしょうか。

でも私にはあまり納得はできません。
と言っても深い意味はありません。
ただ、私の場合、最近は夜中によく目が覚めるので、ぴんとこないだけです。
しかし、寝ている時に、「あの世」に行っていたような気がしないでもないのですが。

イスラムは、ある意味ではとても仏教につながっているような気がしています。
それは私の直観的なイメージなのですが、砂漠の宗教などという表現に出会うと、私の直感が間違っているような気もします。
でもなぜか私はイスラムに親しみを感じます。

節子とはイランに行ったことがあります。
サファビー朝の首都だったイスファハーンのイマーム広場の美しさは感動的でした。
そこの近くのショップで節子はなぜか料理用の小道具を買いましたが、それが使われたのは見たことがありません。
バスの時間を気にしながら買ったお皿は、いまリビングに飾っています。
あの旅は、とても思いで深い旅でした。
旅で知り合った人たちは、もうみんな旅立ってしまっているでしょう。

■3622:孫はなぜかわいいのか(2017年8月3日)
節子
兄から教えてもらったのですが、一昨日の地元の市報に、孫の写真が載りました。
赤ちゃん紹介のコーナーです。
当然娘夫婦は知っていましたが、私が気づくかどうかと思い、連絡してこなかったのです。
残念ながら、私は気づきませんでした。
気づかなかったのか、と失望されてしまいました。
親の思いと祖父の思いは、どうも違うようです。

その孫は、昨日わが家に来ていました。
1歳3か月で、まだ言葉でのコミュニケーションはできませんが、少しずつコミュニケーションできるようになってきました。
しかし、娘を見ていて、子育てとはこんなに大変なのかと改めて思うことが多いです。
子どもは勝手に育ちはしないようです。

市報では毎回2人の子どもが紹介されます。
子どもはみんなかわいいですが、娘は自分の子どものほうが可愛いと思っているようです。
これも不思議で、みんな自分に近い子供のほうがかわいく思えるようです。
そんなことは当たり前だと言われそうですが、私はむかしからそれが不思議だったのです。
これに関しては、節子には理解してもらえませんでしたが、結局、私は実際には真逆に娘たちを溺愛して、子育てできなかったという反省があります。

人の評価は、関係性によって決まるのかもしれません。
私にとって節子はかけがえのない存在でしたが、要は夫婦だったからです。
節子に価値があるわけではなく、夫婦関係に価値があったわけです。
人の価値は、関係によって決まってくる。
だとしたら、だれもが自信を持って生きられるような社会のあり方は考えられそうです。
でもそれは、近代西欧が目指す個人主義や自由主義の社会ではないかもしれません。

孫の顔をみていても、最近はこんなことを考えてしまいます。
いささかおかしいような気がします。
困ったものです。

■3623:神戸のFさんにお世話になりました(2017年8月4日)
節子
節子も知っている神戸のFさんから、知り合いにレバノンの人がいると連絡がありました。
私がイスラムの人に湯島のサロンで話をしてほしいことを知ってのことです。
Fさんの教え子の伴侶がレバノンの人なのだそうです。
うれしい話です。
イスラムシリーズのサロンは発展しそうです。

湯島のサロンは、謝礼はありません。
それどころか、講師役を果たす人も会費を払っていくような集まりです。
にもかかわらず、いろんな人が話に来てくれます。
最近はみんな忙しさの中にいますので、参加するのもかなりエネルギーが必要です。
それでも毎回、10人前後の人が集まってくれます。
なかには遠方から来てくれる人もいます。
毎回参加してくれる人までいるのです。
テーマもいろいろですが、目先の利益にはつながりにくいのです。
それが理由ではないでしょうが、企業の人はあまり来ません。
むしろ会費の500円を払うのさえ大変なような、経済的にも時間的にも苦労している人が参加してくれます。
会費は一種のお布施なので、自分で缶に入れる仕組みです。
払わなくてもいいのですが、貧しい人ほど入れていくような気がします。

できれば、湯島では常時サロンをやっているような場にしたいのですが、なかなかそうはいきません。
せめて参加した人の間では、ゆるやかな、弱い、支え合いの関係ができればいいなと思っていますが、これも難しいです。
いつかは湯島を、みんなの居場所にしたいと思っていますが、まだまだ展望が開けません。
でもここに、イスラムの人がささやかな居場所を見つけてくれるとうれしいです。

Fさんとはなかなか会う機会がありません。
でもFBのおかげで、つながりを感じます。
もう少し技術が進歩して、FBでこの世とあの世がつながるといいのですが。

■3624:おもてなし文化(2017年8月5日)
節子
今日は手賀沼の花火大会です。
花火が好きで、私たちがここに転居した理由の一つが花火会場の近くだったからです。
わが家の小さな屋上からは、すぐ目の前が花火の打ち上げ場所です。

転居したころは、いろんな人たちに来てもらいましたが、節子がいなくなってからは誰にも声をかけなくなりました。
娘たちの友だちや私の兄夫婦が来ることもありますが、私自身が花火で元気になることはありません。
節子の一番大変だった時に花火大会があり、いろんな人たちが来てくれていましたが、私たちは暗い病室で音だけを聞いていました。
節子はその音の響きが身体に応えていたようです。
その時の記憶がどうも薄黒く残ってしまっています。
そんなこともあって、花火では私は元気は出ないのです。

私たちは花火が好きで、熱海の花火にも何回か行きました。
しかし、隅田川の花火にはつい一度もいきませんでした。
ですからあんまり花火に関する思い出はないのです。
いや私が思い出したくないだけかもしれません。
人の記憶はいかようにも変えられてしまうものです。

今年は久しぶりに10人ほどの人が来るようです。
それで朝から大掃除をしていました。
屋上にある椅子などはもう劣化していて、使えません。
それでもなんとかお客様を迎え入れられる用意ができました。

節子がいたら、いろいろと用意したでしょうが、節子がいない今はおもてなしもシンプルです。
お稲荷さんと枝豆とビールくらいですが、昔はテーブルに山のように何かがあり、見終わった後の軽食まで用意されていました。
いささかやり過ぎなのは、わが家のおもてなし文化の影響です。
湯島でかつてやっていたサロンも、節子がいた頃はテーブルがあふれていました。
今は、コーヒーだけです。

今日は若い世代が多いようなので、誰かが何か持ってきてくれるかもしれません。
次女の連れ合いのお店は、今日は臨時休業にして、お店で出しているバーニャ・カウダを持ってきてくれるようです。
私は、丸いスイカを買ってこようと思っていましたが、あんまり天気が良くなくスイカ日和ではないので、やめました。

節子がいたら、それはそれは張り切って賑やかでした。
おもてなしの文化は、かつてはわが家には大切なことでしたが、残念ながら娘たちには十分には伝わっていませんし、私にもちょっと対応力が不足しています。
とても合理的で、無駄はしないのです。
私は、おもてなしとは無駄をすることと思っているところがあるのですが、彼らの考えの方が合理的出ることは間違いありません。

天気はまだいささか危うい感じですが、夕方に晴れてくれるといいのですが。
娘が買い物に行くというので、私もついていって、何か買ってこようと思います。

■3625:手賀沼の花火(2017年8月6日)
節子
昨日は久ぶりの大勢の来客に合わせて、準備なども含めて、それなりに頑張ったので疲れてしまいました。
私の知り合いではなく、娘の知り合いなので、どれもまた疲労の一因です。
幼児も人、犬も一人でした。
幸いに用事も犬も、花火の音に泣き出すこともなく、最後まで見てくれていました。
今年の花火は、評判が良かったです。

お祭りの後は、いつも不思議な静かさがあります。
今日の手賀沼界隈はまさにそんな感じです。

今日は挽歌に代えて、昨日の花火の最後の1分をアップしておきます。
https://www.facebook.com/cwsosamu?hc_ref=ARRgMPcOkBXV6gOw74hzus4P7PtfO2vmqsZXcZVnTC0Fz3-plys1sVL0rNkBFjIRx24&fref=nf&pnref=story

■3626:人の繋がりには見えないことがたくさんあります(2017年8月7日)
節子
相変わらずこちらは暑いですが、そちらは涼しいでしょうね。
お施餓鬼も近いのでお墓に行ってきました。
昨日、新潟から枝豆が届いたので、それもお供えしました。
まあ1分ほどのお供えですが。
一番暑い時間に行ったせいか、だれもいませんでした。

昨日の花火の様子をFBにアップしたら、思わぬ人からアクセスがありました。
節子も知っている我孫子在住のSさんです。
我孫子市の市民活動に取り組んでおり、当時私が取り組もうとしていた若者のネットワークづくりも応援してくれていました。
しかし、家業を継ぐことになり市民活動から離れてしまいましたが、節子の葬儀には来てくれました。
節子ともつながっていたことはあまり知りませんでしたが、なぜか不思議に彼女が葬儀に来てくれて、いろんなことをやってくれていたような気がしています。
私の勘違いかもしれませんが、あの時にはいろんな不思議なことが起こりました。
人の繋がりは、たとえ伴侶といえども、見えない部分がいろいろとあるものです。

西日本は台風で大変なようですが、千葉は少し風がある程度で、予想ができません。
明日は2つの集まりを湯島で予定していて、いずれも10人を超えるたくさんの参加申し込みが来ていますが、台風で肝心の話し手が来られなくなるかもしれません。
予定通り流れる時間よりも、そうした予定が壊れてしまう時間の流れのほうが私は好きなのです。
それに、台風も、私自身は大好きなのですが、そんな不謹慎なことは大きな声では言えません。
明日からの3日間は、ちょっとストレスも多い打ち合わせも含めて、たくさんのことがあります。
にもかかわらず、用意をほとんどしていません。
それもこれも、「暑さ」のせいです。
最近ちょっとどころかかなり怠惰な自分を過ごしています。
困ったものです。

■3627:世界中を笑顔で埋めていきたい(2017年8月8日)
節子
西日本に大きな被害を与えた台風は、滋賀・福井を通って北上しました。
そのため、今日の関東はいい天気にありました。
今日は2つの集まりを企画していましたが、その一つは報告してもらう高林さんが京都の人でしたので、昨日急遽、延期にしてもらいました。
高林さんのところは大雨で、がけ崩れの恐れから避難所までつくられたそうですが、大きな事故はなかったようです。

もう一つの集まりは、予定通り開催することにしました。
「ほっとスマイルプロジェクト」という、新しいプロジェクトのキックオフミーティングです。
世界中に笑顔を広げていこうというプロジェクトです。
10人を超える人が集まってくれました。

そもそもこのプロジェクトは、認知症予防ゲームの実践者の交流会の中から生まれたものです。
メンバーがほとんど女性なので、私とはかなり感覚的に違います。
それに私は認知症がなんだ、という考えの持ち主ですので、波長が合うはずがありません。
しかし、いろいろと事情があって、このゲームの全国普及に協力する約束をしてしまったのです。
しかし、幸いに、私が目指している「大きな福祉」の路線に少しずつ近づいてきたので、このあたりでゆるやかな組織化をしてもいいかなと思ったのですが、いざ組織化となると、そこでまた違いが出てきてしまいました。
でもまあ、そんなことよりも、大きな目標で合意できるならばと、このプロジェクトに参加することにしたのです。

台風が心配される中を14人もの参加がありました。
男性も4人。
私もいれてですが。
話をしていて、コムケア活動を立ち上げた頃のことを思い出しました。
当時のことを知っていてくれるSさんも参加してくれましたが、何とその人は我孫子の友人を連れてきました。
わが家の近くに住んでいるOさんです。
ふたりは久しぶりに会ったそうですが、SさんがOさんに、我孫子にはもう一人友人がいると話して、それが私だとわかり、今日一緒に来たのだそうです。
本当に人の繋がりはわからないことがあります。

キックオフミーティングの様子や主旨は時評編に書きました。
私の笑顔が戻ってくるといいのですが。
最近、いささか疲れ気味なのは、サロンのせいではありません。
まあなんでも書いてしまう私にも、書けないこともあるのです。
明日はまた、気の重いミーティングがあります。
それを乗り切れば、午後は2つのたぶん気の休まるミーティングですが。
人生は疲れるものです。

■3628:今夏一番の暑さ(2017年8月9日)
節子
今日は今夏一番の暑さになるようです。
朝からすごい湿度と暑さで、まさに「うだる」ような感じです。
さすがに今日はエアコンがないと過ごせない感じですが、幸か不幸か朝から夜まで大忙しの1日です。
最近久しぶりに少し時間に追われています。
まあ、それだけ私の対応力が低下しているというだけの話ですが。

暑さのせいもあって、少々ダウン気味なのですが、今週を乗り切れば何とかなるでしょう。
いろいろと考えなければいけないことも、やらなければいけないこともあるのですが、すべては来週に任せて、今週は目の前の課題を消化していこうと思います。
それにしても暑いです。
パソコンを打っていても、汗がにじみだしてくる感じです。
夏だけでも彼岸に避暑に行きたい気分です。

そろそろお盆です。
節子がこちらに来る時期です。
涼しくなるといいのですが。

■3629:杉本さんにまた宿題をもらいました(2017年8月10日)
節子
いささかハードな、刺激の多い3日間でしたが、なんとか乗り換えられました。
この3日間で、40人を超す人に会いました。
なかにはきわめてハードなものもありました。
それは節子もよく知っている杉本さんとのミーティングです。

杉本さんは、最後の仕事として決めていた書籍を書き上げました。
テーマは、団体組織法です。
ところがそれをまとめることによって、大きな問題にぶつかったというのです。

会社経営者から法律研究者へと変身した、杉本さんの実践的な行動力には感服するしかありませんが、これまでの者を集大成したのが、この書籍です。
そのエッセンスは、これまでも何回か部分的にはお聞きしていますが、今回はわざわざ図解したシートを作成し、レクチャーしてくれました。
しかし、今回ぶつかった問題は、いささか厄介で、それに関して頼みたいことがあるというのです。
人の頼みはいつも気楽に引き受けるのですが、杉本さんの頼みは気楽には引き受けられません。
しかしもちろん断ることなどできません。
だからいささか恐ろしいのです。

杉本さんは、日本の民法の基本理念は、未だに我妻栄理論に基づいているというのです。
昨年、民法が改正されましたが、団体組織論の根底にあるのも我妻栄理論だというのです。
日本の民法学会は、未だに我妻栄理論から抜け出せないでいるというのが杉本さんの主張です。
と言われても、私には異を唱える知識もありません。
杉本さんは60歳を過ぎてから法学を学びだしたのですが、杉本さんと法律論議をするたびに、私は自らの不勉強を思い知らされます。
杉本さんの論理展開を理解するだけも大変なのですが、午前中、いささか気の重いミーティングと暑い中を街中を歩いていたせいもあって、思考力が低下してて、なかなか理解できなくて、杉本さんをイライラさせたかも知れません。

我妻パラダイムはともかくとして、杉本さんの主張には共感するところが多いのです。
企業経営の理論の変遷に関しては、私の方が少しだけ詳しいかもしれません。
私も、経営論ではなく組織論に関心があったため、経営コンサルタントとしてはまともな仕事の機会を得られませんでしたが、昨今の企業の実態を垣間見る限り、1980年代に日本の企業は路線を間違えてしまったとしか思えません。
ですから、杉本さんとは違った視点からですが、共感するところがあるのです。

杉本さんには、私のような文系の論理の積み上げ方はいかにも粗雑に見えるはずです。
それに私は、あまり論理的ではなく感情的な思考展開をしがちですので、議論がかみ合わなくなることも少なくないです。
にもかかわらず杉本さんは、私を信頼してくれて、試論をぶつけてくるわけですが、それに応じて議論をするのは、かなりのエネルギーが必要です。
2時間話しただけで、心底疲れます。
その上、ある提案があって、結局、約束してしまいました。

疲れ切ったまま、久しぶりに「みんなのゆる〜いカフェ」に入ったのですが、数名を意図していたのに18人の参加です。
しかも個性豊かな人ばかりです。
発達障害、LGBT,自殺企図者、引きこもり、人間とすべて縁を切りだした人、など、多彩な人が押しかけてきたのです。
そのまままた3時間のサロン。
精根尽き果てて、自宅に帰りましたが、そこでパソコンを開くとまたまた問題。

今日は出かけるのがやっとでしたが、神様は私のために暑さを和らげてくださいました。
そのおかげで、何とか今日の用事はやり終えることができました。
まあ宿題はいろいろと残ってはいますが。

明日からお盆休みです。
やらなければいけないことがたくさんありそうですが、まずはゆっくり寝たいです。

挽歌らしからぬ内容ですが、杉本さんとのことを節子に報告しておこうと思って書きだしました。
節子の訃報を聞いて、すぐにわが家まで杉本さんは来てくれました。
それが不思議でなりませんが、杉本さんは節子までをも「同志」と呼んでいましたので、杉本さんのことは節子に伝えておきたいのです。

■3630:気が熟すのを待つ生き方(2017年8月11日)
節子
目が覚めたら8時を過ぎていました。
こんなことは年に1回あるかどうかです。
でもまだ疲れがとれた気がしません。
だいぶたまっているようです。
今日は10時から地元の集まりがあるので、のんびりはできません。
でもこういう時でもネットで他者とつながっていると、いろんなことが飛び込んできます。
幸いに今朝は、大きな問題はなく、定刻には集まりに参加できそうです。
ここまで書いて、出なければいけない時間になってしまいました。
続きはまた後で。

午後は来客があったものの、のんびりと過ごしました。
それに、むしろ肌寒さを感ずるほどの涼しさになりました。

メールでいささか小難しい論争に巻き込まれましたが、それ以外は、何もない休息日になりました。
来客が帰った後、DVDでミッション・インポシブルの5部作のうちの3つを観ました。
いずれも何回か観ていて筋書きはほぼ知っているのですが、ポイントだけを観るという見方なのです。
こういう観方は、節子には理解されませんでしたが、映画にはいくつかの見せ場がありますので、そこだけを観れば満足なのです。
しかし、2時間も飛ばしながら観ていたので、頭は休まるどころか疲れた気もします。
どうも最近は休み方がわからない。
困ったものです。

それで本を読むことにしました。
読みかけや読む予定の本が何冊か机の上にあるのですが、いずれも今日は読む気になりません。
本は、読む気が熟すまで待たないと読む速度が違ってきます。
私の長年の体験から、そう感じています。
気が熟せば一気呵成に読めますが、そうでないと時間がかかることもあります。

いま気づきましたが、「気が熟す」は「機が熟す」の間違いですね。
パソコンで「きがじゅくす」を漢字変換すると、なぜか「気が熟す」となってしまっていましたが、「気が熟す」という表現はたぶんありませんね。 
念のために今、国語辞書で調べましたら、案の定、出てきません。
しかし、むしろ「気が熟す」のほうが、少なくとも読書に関する限りはぴったりします。

いや読書だけではありません。
私の場合、特に節子がいなくなって、一人でわがままに生きるようになってからは、気が熟さないと動けないようになってきている気がします。
「機」ではなく「気」が、最近の私の行動の基準になっているように思います。
「気が熟すのを待つ生き方」
これはいい言葉ではないかという気がしてきました。

今日の休息日の収穫は、この生き方への気づきです。
それがなんだと言われそうですが、なかなかいい気づきではないかと思います。
いや、そう思うこと自体が、まだ疲れから抜け出ていない証拠かもしれません。

そんなことはどうでもいいのですが、選んだ本はなんと「大衆の反逆」。
80年ほど前に書かれたオルテガの本です。
読むのは3回目ですが、この本を選んだのは、もしかしたら鈴木さんのハガキの影響です。
巡礼者の鈴木さんはこのお盆の時期は静岡の生家に戻っているそうですが、読む本の一つに鎌田茂雄さんの「正法眼蔵随聞記講話」を選んだとはがきに書いてきました。
鈴木さんは、この本を毎年のように読んでいるような気がしますが、読み返すたびに新しい気付きがあると話していました。
私も鈴木さんを見倣って、もう一度、「大衆の反逆」をちゃんと読んでみようと思います。
お盆に「大衆の反逆」とは、ちょっとふさわしい気はしませんが、まあいいでしょう。
実は昨年、入院時にこの本を読んだのですが、なにしろ目の手術での入院時でしたので、辛い読書であんまり消化できなかった気がしていますので、再挑戦です。
この本を読む気になったのは、それなりの意味があるような気がします。

■3631:お盆が近づきました(2017年8月12日)
節子
今年もお盆が近づきました。
お盆は、人のつながりを確認し合うための、とても大切な行事だと思いますが、その意味を私が理解したのは、節子を見送ってからかもしれません。
お盆は、彼岸から亡くなった人が戻ってくると言われても、なかなか実感できませんが、自らが死を体験すると、その意味がわかってきます。
私はまだ自らの死を体験していませんが、哲学者のウラジミール・ジャンケレゲィッチが書いているように、「第二人称態の死」つまり「あなた」であるところの、自分にとって親しい存在の死は「ほとんどわれわれの死のようなもの、われわれの死とほとんど同じだけ胸を引き裂く」のです。
節子の死は、私には自らの死の疑似体験、あるいは死の予行演習だったのかもしれません。

ところで、日本では古来、死者はある一定の期間を経て、個人から先祖に溶け込んでいくとされています。
33回忌とか49回忌など、地方によって違うようですが、「弔いあげ」あるいは「問い切り」と言われて、そこで個人としての死者の法要は終わります。
そうした「最後の死者儀礼」が終わると、仏壇の位牌を檀那寺へ持って行き焼却してもらったり、個人ごとに建立されている墓石は横倒しにしたりすることもあるそうです。
そして、死者は個人の霊を離れ、「ご先祖さま」になっていくのだそうです。
最近読んだ波平恵美子さんの本で改めて知ったことなのですが。
節子が「ご先祖様」になるまでにはもう少し時間がかかりますが、まあその前に私は同じ個人の霊として彼岸で節子に会えるでしょう。

明日は迎え火ですので、わが家の仏壇も掃除しました。
節子のお墓は個人のものではなく、私の両親と同じお墓です。
両親の仏壇は私の兄の家にありますので、実はお盆には、それぞれのところに戻るわけです。
したがって節子はいつも同居している、私の両親と別れて、わが家に戻ってくるというわけです。
戻ってきた節子は、私たちと一緒に、兄の家に戻ってきている私の両親のところに挨拶に行く。
なにやら複雑です。
兄の家にはお寺のお坊さんが読経に来てくれますが、わが家までは最近手がまわらないので、私が般若心経を読経します。
いささか心もとないですが、まあ私たちにはそのほうがお似合いなのです。
今年は節子の初孫もたぶん手を合わせてくれるでしょう。

涼しいせいか、私の疲労感もかなりなくなりました。
気になることも少なくないのですが、この期間は忘れることにしようと思います。

今日はめずらしく静かな1日になりそうです。

■3632:節子が帰ってきました(2017年8月13日)
節子
ようやく少し頭のなかが正常化してきました。
心身の時間が現実の時間に追い付いてきたようです。
いや反対かもしれませんが。
昨日、ほとんど外部との接触がなかったのがよかったです。
平常な心身で、お盆を迎えられそうです。

朝、精霊棚を整えました。
この間は仏壇は閉じられ、その前に精霊棚がつくられますが、わが家の場合は、とても簡単なものです。
年々、簡単になっていき、最近はスーパーの6点セットですませています。
それが少し気になっていて、昨年は畑で育てたきゅうりと茄子で馬と牛をつくりましたが、今年は畑をやらなかったので、また既成のものに戻ってしまいました。

花とお供えは、新鮮なものがいいので、朝、娘と一緒に買いに行き、きちんと整えてから、お墓に節子を迎えに行きました。
まだ兄は来ていないようで、両親はお墓にいましたが、節子は一足早い帰省です。
灯明で自宅まで連れてくるのは、節子がいた頃からの通りです。

お墓はにぎわっていました。
幸いに今日は涼しいので助かります。
いつものように、提灯ではなくガラスランプの火で、節子を自宅まで連れてきました。

近所のMさんが、今年もまた花束を届けてくれました。
今年は節子が好きな百合も入ったとても立派な花束です。
その横に、ユカが庭のアジサイを少しぜいたくに切り取って飾ってくれました。
まあわが家の場合、花は飾っても食べ物はあまりお供えしないのです。
まあそういう家なのです。

節子が戻ってきたからと言って、何かが変わるわけではありませんが、
今日はずっと灯明をあげていましたので、部屋をあまりあけられないので、なんとなく位牌の近くで過ごしました。
午後、ジュンが娘のにこを連れてやってきましたが、にこがいつもになく、元気にはしゃいでいました。
幼児は霊界とつながっているのかもしれません。
別れ際に私と手でタッチし合うのが恒例なですが、今日はその際、私の顔ではなく、どこか焦点の定まらない目で私の斜め後ろをみながら私にタッチしていました。
もしかしたら、そこに節子がいたのかもしれません。

さて今夜は夢に節子は出てくるでしょうか。
まあ例年のことで言えば、出てこないでしょうね。
困ったものです。

■3633:すぎのさんの幸水(2017年8月14日)
節子
わが家のお盆にはなくてはならないものがあります。
「すぎの梨園」の幸水です。
杉野さんの幸水は、わが家のお盆には欠かせません。
節子は大好きでした。
もちろん私も大好きです。

私が杉野さん夫婦と知り合えたのも、節子のおかげです。
節子がすぎの梨園に梨を購入に行くときに一緒に行ったのが縁でした。
とても気さくなご夫婦で、家族みんなで梨園をはじめ、さまざまなものを手がけています。
http://www.geocities.jp/suginofarm/

ユカに頼んで連れて行ってもらいました。
歩いていくのは無理な遠さです。
私は運転免許を早々と返却してしまったので、自分ではもう運転できないのです。
ちょうどみんなで出荷作業をしていました。
いつもと違って、たくさん梨がありました。
あまりの人気で梨がなくなることもあり、最近はあまりたくさん購入するのは気が引ける感じだったのですが、今年は大丈夫そうです。

出荷作業所の前に、おしゃれな2階建ての建物ができていました。
息子さん夫婦の新居ですが、外観はおしゃれなカフェのようです。
すぎの梨園が出している「のらやま通信」に紹介があったようですが、見落としていました。
カフェでもやらないのですかと言ったら、杉野さんがお茶なら飲めるというので、雰囲気を楽しませてもらいました。
なかなかいい雰囲気です。
奥さんが手掛けている加工食品も並んでいました。

写真ではわからないでしょうが、かなり凝ったつくりです。
サッシが全面開くようになっているので、ウッドデッキと一体感した開放感が味わえます。
たぶん息子さんたちの趣向でしょう。
たぶんこの空間から何かが始まるような予感がします。
魅力的な場所は、新しい物語を生み出します。

久しぶりに杉野さんと少し話しました。
杉野さん家族は、私には理想的な家族に見えます。
節子も、もしかしたら、杉野さんのような家族を理想としていたかもしれません。
杉野さんたちと会うたびに、節子がいたらちょっと違った付き合いができたかもしれないと思うこともあります。
私はどうも家族単位の付き合いが苦手なのです。

帰宅したら、ジュン親子が来ていたので、みんなで食べました。
杉野さんの幸水は、やはり美味しいです。
節子の位牌の前にも、大きな幸水梨を供えました。
これで節子の精霊棚は完成です。

■3634:鳩がまた生まれました(2017年8月15日)
節子
考えてみると、8月はいろいろと辛いことがたくさん起こった月でした。
黙とうすることの多い月です。
8月と言えば、夏休みで海や山へと楽しい月だという印象が子どもの頃からずっとありましたが、この歳になって初めて、そんなことに気づきました。
8月15日は、いつも暑い日だったような気がしますが、今日の我孫子は涼しいうえに雨が降っています。

ところで数日前に気がついたのですが、また庭に鳩が巣をつくっていました。
前回はせっかく孵化した雛が翌日にカラスに襲われてしまったので、今回はそっとしておきました。
カラスに気づかれないためです。
数日前に雛が孵化したようで、親鳩が巣から離れません。
今日、親鳩がいない時に近くに行ってみましたが、2羽の雛がかえっていて、もうかなり大きくなっていました。
しかし、木の枝が重なり合っているので、写真を撮ろうとしたのですが、うまく撮れません。
幸いに最近はカラスの姿を見かけません。
カラスにも見えないのでしょう。
庭木の手入れをしなかったおかげです。
いささか手前味噌な考えですが。

写真がうまく撮れていませんが、なんとなく2羽の雛が見えると思います。
今年のお盆休みに起きたことと言えば、これくらいでしょうか。
もっとも世間では北朝鮮と米国の関係が騒がれています。
まあこれもまた仕組まれた茶番なのでしょうが、私にはほとんどリアリティを感じられません。
人類も、せめて鳩ぐらいの知恵を残しておけばよかったのですが。

■3635:何もなかったお盆が終わりました(2017年8月16日)
節子
お盆の最終日、ようやくみんなが揃いました。
と言っても、たった5人です。
5人で全員。
節子を含めれば6人ですが。

両親が元気だったころは、何かの時にはみんなが集まりました。
そういう昔のようなにぎやかな集まりは、もうなくなりました。
なくなってはじめて価値を知ることは少なくありません。
今から考えれば、私の両親は幸せだったと思います。
いろいろとありましたが、家の行事はいつも賑やかでしたから。

私の友人のなかにも、10人以上集まってにぎやかな人もいます。
素直にうらやましいですが、でも多ければ多いだけ、またいろんな苦労もあるのかもしれません。
独り身の友人もいますが、そういう人が不幸なわけでもありません。
自由に生き、自由に死んでいく幸せもあるでしょう。
人にはそれぞれ生き方がある。
どういうのがいいのかは、人それぞれです。

いまのような形は、まさに私の生き方が結実した姿なのでしょう。
それを素直に受け入れるしかありません。
それしか選択肢はないのですから。
でもやはり、家族が集まった時にこそ、節子の不在を実感します。
母親は、いつも家族の中心なのかもしれません。

みんなで会食をし、久しぶりにケーキを食べて、それからみんなで節子をお墓まで送っていきました。
お墓はにぎわっていましたが、はじめてわが家の墓のお向かいさんにお会いしました。
自宅から持って行ったロウソクの火でお線香をあげて、般若心経をあげました。
孫も何回かのお墓参りです。
まだ何のことかわかってはいないでしょう。
しかし、お墓や家族を通したいのちのつながりは、孫にもしっかりと伝えておきたいと思っています。

節子が逝ってしまってから10回目のお盆は、こうして終わりました。
たぶんこれまでで一番何もなかったお盆です。
私の魂も、なぜか今年は動きませんでした。
彼岸とのつながりを感じなかった。
それ以上に、何か脱落感で過ごした4日間でした。

大宰府の加野さんから電話がありました。
お元気そうな声でした。
送らせてもらった梨を、娘さんにお供えしてくれたそうです。
加野さんが元気なうちに、一度、福岡に行きたいと思っています。
そういう友人知人が全国にたくさんいます。
今年のお盆にことさら彼岸を感じなかったのは、私の日常が彼岸に近づいているからかもしれません。
でも結局、伺うこともなく、みんなとは彼岸で会うことになるのかもしれません。

今日も訃報が一つ届きました。
美空ひばりが、「愛燦々」で歌ったように、人は哀しいものなのです。
そして、人生って、ほんとうに不思議なものです。

明日からは、またしっかりと現世を生きようと思います。

■3636:お盆休みボケがもどっていないようです(2017年8月17日)
節子
お盆休みが終わったら、また急に忙しくなりました。
忙しいというよりも、たまっていた課題に取り組む気になったという方が正しいかもしれません。
久しぶりに湯島に行きました。
約束の時間ぎりぎりだったのですが、もう相手の人は来ていました。
出足に失敗。
先が思いやられます。

午後は、待てども待てども約束の来客は来ず。
ますます先行きが心配ですが、幸いに陽がさしてきました。
これで調子は戻るかな、と思っていたら、今日は行けなくなったという連絡。
理由は聞きませんでしたが、まあよくあることなので流しましょう。

となるとしばらく時間ができました。
それで思いついて気になっていた友人に電話。
1か月ほど前に手術した友人です。
これからだと見舞いに行くだけの時間はないので、いささか不安に思いながらの電話でしたが、幸いに元気な声で安心しました。
もっとも昨日までは大変だったようです。
見舞いはもう少し先のほうがよさそうです。
しかし、詳しく聞いてみたら、調合されていた薬をどうもめちゃくちゃに飲んでしまったようです。
なにしろ入院中に抜け出してしまうような友人なので、まあそれはそれで仕方がない。
私も同じような性癖があるので、何とも言えませんが、でもまあ大変な状況も抜け出したようでほっとしました。

もしかしたら私の「疲れ」は、付き合っている友人たちのせいかもしれません。
誰かが、類は類を呼ぶと言っていましたが、友人を見れば自分がわかるのかもしれません。
しかし、私の場合は、私の周りにいる友人知人と自分が「同じ類」だとは思いたくないのですが、困ったものです。

と書いていたら、めずらしく電話が鳴りました。
出ると営業の話。
でもまあ相手の人の感じがよかったので良しとしましょう。
そんなことをしているうちに何やら急に睡魔が襲ってきました。
そういえば、昼食を食べるのを忘れてしまっていました。
睡魔とともに、空腹感も襲ってきました。
どちらを優先すべきか。
まあこの時間お店はもうしまっていますから、睡魔を優先しましょう。

今日からがんばろうと思って勇んで湯島に出てきたのですが、結果的にはこんな、きわめてゆる〜い日になってしまいました。
もっとも今夜はまた何やら不思議な人たちが集まるミーティングがあるのですが、それまで私の「がんばろうという意志」がもてばいいのですが。
さて、それでは一眠りしようと思います。
眠れるといいのですが。
はい。

■3637:野路さんのモモ(2017年8月18日)
節子
野路さんからモモが届きました。
早速、節子にも供えさせてもらいました。
野路さんは節子の友人で、節子がとても信頼していた方です。
節子の来ていた服を裂き織りにした手持ちのバッグを、節子が亡くなった後につくってくれました。
私はそういうものをあまり使わないので、飾ってあるだけですが、娘たちは愛用しています。

野路さんは数年前に事故で記憶を一時失ってしまいましたが、パートナーのケアで少しずつ記憶も戻り、私も電話で話すこともできましたが、最近はまた物忘れが増えてきたようです。
モモを送ってくれるのは、野路さんの伴侶の方ですが、節子が付き合っていた頃に私も一度お会いしたことがあります。
私たちが直接話をするようになったのは、節子がいなくなり、野路さんが記憶を失ってからです。
これもまた不思議な話なのですが、人の縁とはそんなものでしょう。
お話を聞くと野路さんのケアも大変そうで、私たちが直接お会いする機会はなかなかできません。
今回も電話させてもらうと元気そうでしたが、節子の友人の野路さんは電話には出られませんでした。

それにしても、旅立ってから10年もたつのに、節子にはいまもお花や果物が届きます。
節子は実に幸せなのです。
思い出してくれる人がいるということほど、うれしいことはありません。
そのお相伴を、私はいただいているわけです。

先日、あるお宅に行った時に、夫婦がそろって玄関まで出てきてくれました。
それがなにかとてもあったかい感じで、うらやましく思ったのですが、年をとった夫婦のありようはいろいろです。
野路さんも苦労は多いでしょうが、伴侶がいるだけでも、いないものから見れば幸せです。
苦労と幸せはコインの裏表かもしれません。

野路さんはつい最近義兄を見送ったそうです。
私にも最近訃報が届きましたが、私たちの歳になると、身近な人の訃報は少なくありません。
いつ自分の番がやってくるかもしれませんが、順番は間違えてほしくないといつも思います。
旅立ちは早い方がいいに決まっています。
そんなことを考えるような歳になってきました。

野路さんのモモはとてもおいしかったです。
私の大好きな川中島でした。

■3638:「同事」(2017年8月19日)
節子
最近、またいろんなネットワークの立ち上げに関わっています。
今月はじめには「ほっとスマイルプロジェクト」というゆるいネットワークを立ち上げました。
世界中を笑顔で埋めようという思いを持った人々と一緒に立ち上げました。
中心になっているのは、すでにいろんな実践活動をしている人たちです。

一昨日は、生きづらさをかかえている人の支援活動をしている人たちと、また別のゆるやかなネットワーク組織を立ち上げました。
他にもそういうゆるやかなネットワークは、かたちになっていないものも含めて、いくつか関わっています。
しかし、最近のものは、私が言い出しっぺではありません。
相談に来る人と話しているうちに、そういう方向に向かい、いつの間にか私自身も巻き込まれているのです。
私が考えていたことを先取りして組織化する人もいます。
たとえば、「寄り添いネットワーク」というのが立ち上がりつつあるようですが、湯島に相談に来ている人が、私が考えていた「寄り添い相談」という言葉にヒントを得たネットワークです。
私もそれに関わることを誘われていましたが、いまは距離を置いています。
話していて、どうも私の思考とは違うことがわかってきたからです。

実は、私自身が関わっているものも含めて、話していると違和感を感ずることが多いのです。
たとえば「寄り添い」という言葉一つとっても、私が考える「寄り添い」とは似て非なる意味で「寄り添い」という言葉が使われています。
そんなことが重なって、私自身、いまは「寄り添う」という言葉に違和感を持ち出しています。
「つながり」という言葉も、少し違和感を持ち出しています。

最近、それらに代わる言葉に出会いました。
「同事」です。
だいぶ前に、テレビの「こころの時代」で知った言葉です。
道元に「海の、水を辞せざるは、同事なり」という言葉があるそうです。
それを知ってからずっと気になっていて、道元の原典に当たってみようと思っていたのですが、いまもって当たってはいません。
ネットで簡単に調べると、「同事」とは「一つになること」。「一つになる」とは「差別しない」ということ。差別しないから一つになりうるのだ、というような説明がありました。
「寄り添い」や「つながりづくり」よりは、私の思いにはふさわしい言葉のように思います。
私がやっていることの理念は、「同事」ではないかという気が最近しています。

そういう視点に立つと、いろんな組織の立ち上げで集まってきている人たちとはどうも思いが違うような気がしてなりません。
福祉活動やNPO活動に取り組んでいる人たちとの世界の違いを最近感ずることが多いのです。
そもそも「ボランティア」という言葉を使う人には、どうも溝を感じます。
でもまあ、あんまり目くじら立てずに、一緒にやっていこうと頑張っています。
なにしろいずれもゆるい組織を目指しているのですから。
時々、違う世界だなと思うことが増えていますが、節子ならわかってくれるだろうと言い聞かせて、あまり異論を唱えないようにしていこうと思います。

■3639:靴を脱ぐ勇気(2017年8月21日)
節子
昨日、北千住駅のホームで、靴を履かない裸足の人に出会いました。
夕方のかなり混雑していた時間ですが、一瞬、立ち止まってしまいました。
その服装などからして、主義を通している人だとわかりました。
50前後?の男性です。
鍛えられて感じの、しっかりした足で、日焼けの具合から見て、たぶんいつも裸足で通している人ではないかと思います。
感激しました。
そもそも私は、靴が嫌いですが、靴を脱ぐ勇気がありません。

実はその少し前に、友人から結婚式に関する相談を受けました。
その時に少し思い出したのですが、私は若いころは、世間の常識や儀礼に関しては、かなり反発的な生き方をしていました。
靴は嫌いで、サンダルを愛用し、大学にもサンダルで通っていました。
いまもサンダルを愛用していますが、電車には乗らなくなりました。
少しずつ常識を身につけてきたのです。
でも、昨日、靴を履いていない人を見て感激しました。
主義を貫いている人がいるのだと。

だからと言って、靴を脱ぐ勇気は出てきません。
自宅の庭くらいでは履物を脱ぎたいですが、アリや虫やダニにやられてしまうでしょう。
それほど私自身が生命力を失っているわけです。

人は言葉によって生きているわけではありません。
その人の考えは実践に表れます。
そう考えると、最近の私の生き方は、私がそうはなりたくない人たちの生き方とそう違わないのかもしれません。
そう思うと、また自己嫌悪に陥りかねないのですが、もうたぶん社会的な生命は終わったような気がしだしています。

昨日はもう一人、会いたいと思っていた人に会いました。
話していたら、見取師の話が出ました。
さらに話していったら、どうも細い線で私ともつながっているようです。
実践する人と実践しない人。
どうも私は、後者の住みだしているようです。
困ったものです。

靴を脱ぐ勇気を、どうやって取り戻そうか。
これは難問です。

■3640:順調に老化が進んでいるようです(2017年8月22日)
節子
やはり私は順調に老化が進んでいるようです。

東京と大阪にある2つの会社の社長を引合す約束をしました。
その日程調整に苦労していたのですが、相手からなかなか返事が来ません。
お盆休みがあったので忙しいのだろうと早合点してしまっていました。
それにしても返事が遅いので、気になって調べてみました。
そこで判明したのは、肝心の相手の社長にメールを出していなかったのです。
事態は、それほど簡単ではないのですが、まあ基本は私のメールミスでした。
昨夜、もしかしたらと思い、朝起きて確認してわかったことです。
送った相手を間違えていたのです。
久しぶりにちょっと大きなミスをしてしまいました。
困ったものです。
老化によるミスの増加は仕方がありませんが、他者に迷惑をかけることは避けたいです。

同じようなミスは他にもないでしょうか。
もしかしたら、ミスを犯したことさえ気づかないでいることもあるかも知りません。

人は、問題が起きると他者のせいにする傾向があります。
それも老化と共に強まる傾向の一つのような気がします。
同世代の友人知人を見ているとそれがよくわかります。
他者の批判の多くは、実は自らが行なっていることであることが少なくありません。
私もきっとそうした傾向が強まっているのでしょう。
気をつけなければいけません。
まあ気をつけて直るわけでもないのですが、それを自覚しておくことは大切です。
誰かに気になる言動があれば、まずは自らも同じことをしていると考えるのがいいでしょう。
人は、自らの欠点を他者に見るものです。

それにしても、今回のミスはちょっとひどかった。
さすがの私も、いささか滅入ります。
うまく修復できるといいのですが。

■3641:(2017年8月22日)
節子
眼医者でいつも2時間近く待つ時間があるので、第1部を読んだまま終わっていた「大衆の反逆」の第2部を読みました。
スペインのオルテガ・イ・ガセットが80年ほど前に書いた本です。
3回目のですが、今回はかなり丁寧に読んでいます。
まあ理解力や直観力が低下しているからかもしれません。

ところで、そこに面白い話が出てきました。
かなり長いですが、少し修正して引用します。

スペイン人は、外国人からある広場とか建物とかがどこにあるかを聞いたりすると、親切にも自分の道中を犠牲にして、その場所まで連れて行ってくれることがよくある、と言われる。
こうした性向の中に、寛容さがいくらか認められることを否定するものではないが、私はそうした話を聞いたり読んだりするたびに、道を聞かれたわたしの同国人は、本当にどこかへ行こうとしていたのであろうかという疑念を禁じえないのである。
というのは、そのスペイン人はどこに行こうとしていたのでもなければ、計画も使命もなく、どちらかといえば、他の人々の生がいくらかでも自分の生を満してくれるのではなかろうかと外に出てみたにすぎないということも、多くの場合十分にありうるからである。
私は、多くの場合、私の同邦は、誰か案内でもしてやる外国人に出会いはしないかと思って外に出るのだと思うのである。

このくだりは、ヨーロッパに生まれた大衆たちが、いまどこに向かって進んでいるのかわからないという文脈の中で紹介されているのですが、これを読んで、もしかしたら、最近の私は、このスペイン人と同じかもしれないと、ふと思ったのです。

というのは、実は先ほど、友人から電話があり、我孫子で会えるのはいつかと訊かれました。
先月は彼女の伴侶が相談に来ました。
彼女たちがいまかなりの苦境にあるのはなんとなく知っていますが、会ってもあまり力にはなれない気もしますが、自宅まで来るというのであれば、それなりに大変な相談事があるのでしょう。
あいにく我孫子にいるのは、お施餓鬼のある24日だけですので、お施餓鬼前に会うことにしました。

どうつながるのか。
つまり、オルテガが指摘するように、「他の人々の生がいくらかでも自分の生を満してくれるのではなかろうか」ということで、私はいろんな人の相談に乗っているのではないか、というわけです。
相談ごとに関して言えば、私がどんなに時間をかけて対応しても、経済的にはまったく収入にはなりませんし、むしろ出費になるのですが、代わりに私の「生が満たされる」というわけです
そう考えるとそんな気もします。

私は「生」に満たされていないのかもしれません。

節子がいたら、今のような、何でも相談引き受け人生にはなっていないのかもしれません。
いまの生き方は、節子の遺産なのかもしれません。
遺産相続を否認したほうが、私の老後は豊かになったかもしれませんね。
いやはや、節子には困ったものです。

■3642:「明るく死ぬ」?(2017年8月23日)
節子
私が知らないのに節子は知っているかもしれないことがあります。
死から始まる世界のことです。
哲学者の中島義道さんは「明るく死ぬための哲学」という本のなかでこう書いています。

私が死ぬとき、私はまったく新しい〈いま〉に直面するのではないのか。

つまり、死という瞬間を超えた時に、私はどうなるのか。
実に興味ある問題です。

中島さんはこうも書いています。

死んだ後の私こそ実在する、となぜ言ってはいけないのであろうか? 

死ぬ前の、いまの世界だって、実在しているかどうかわからないではないか、という文脈のなかで語られています。
現世が「無」であれば、そこから離れるということはどういうことなのか。

死は否定的な「無」から離れ、完全に肯定的な「無」に突入することではないのか。
そして、それは「永遠」と紙一重に区別された何かであるように思われる。

いささか難解でわかりにくいですが、なんとなく共感できるところです。

中島さんの書いた「明るく死ぬための哲学」を読んだのは、偶然に目に留まった、その書名です。
「明るく死ぬ」?
問題の捉え方によって、その人の生き方や世界がわかります。
私には、この書物のタイトルは理解しがたいものですが、やはり通読して、理解できませんでした。
「明るく生きる」が、たぶん正しい表現でしょう。
死は、自分ではとらえられない概念だからです。

しかし、中島さんの「私が死ぬとき、私はまったく新しい〈いま〉に直面するのではないのか」という言葉は心に響きます。
ワクワクさせられます。
どんな〈いま〉に直面できるのでしょうか。

東尋坊で活動している茂さんから、「命の番人」のDVDが送られてきました。
改めて観てみました。
茂さんの死に対する姿勢は、実に共感が持てます。
死にワクワクするなどと言ったら、茂さんから蹴飛ばされるような罪悪感がありますが、でも死から始まる物語への誘惑は強いです。
いずれにしろ、人は必ずそれを体験できるのです。
しかし急いでしまうと、体験しそこなうかもしれません。
明るく死ぬためには、誠実に生きつづけなくてはいけません。

そして、生きることには「暗さ」も「明るさ」もないのかもしれません。
すべては煩悩のなせる業、なのかもしれません。

今日はまた夏が戻ってきた暑さです。
この暑さは、地獄の釜の暑さを思わせます。
明日はお施餓鬼です。

■3643:猛暑のお施餓鬼(2017年8月24日)
節子
毎年、お施餓鬼の日は猛暑です。
今年は数日前まで涼しかったので、もしかしたらと思っていましたが、昨日から暑さがぶり返し、今日はうだるような暑さでした。
例年のようにお寺でお施餓鬼の行事がありました。
自宅での準備もあり、私はかなり遅れてついたのですが、人がごったがえし状況で、本堂前のテントのなかもぎっしりでした。
本堂前でお焼香をしたのは久しぶりでしたが、もうみんな終わっているのか、だれもやっていなかったのですが、お焼香させてもらいました。

今年は新盆の人が多いともお聞きしましたが、年々、お施餓鬼も人が多くなってきています。
お祈りをしてもらった卒塔婆を、それぞれのお墓に持っていて、そこでまたお線香をあげるのです。
兄も来ていましたので、みんなでお線香をあげました。
般若心経を読経しだしましたが、周り中に人がいたので、途中で一休みしたら、次が出なくなりました。
ちょっとごまかしてしまいましたが、まあ許してもらえるでしょう。

地元の人がほとんどなので、私にはあまり知っている人はいません。
私がいま住んでいるところとは、ちょっと離れているところにお寺はあります。
娘がこのお寺の子どもと同じクラスだったので、お世話になることができたのです。
とてもいいご住職でしたが、いまは体調を崩され、息子さんがすべてをやっています。
私もこのお寺のお世話になるでしょうが、いまのうちに様子をしっかりと頭に入れておかねばいけません。
今回は娘も同行してくれたので、どう対応したらいいかわかってくれたでしょう。

お施餓鬼も終わり、後は節子の命日を迎えるだけです。
11回目の命日ですが、今年は特にお寺での法事はなく、家族たちと会食でもしようと思いますが、なにしろ食べることにほとんど「意欲」のない家族なので、どうしようかいつも迷います。

お施餓鬼が終わると、もう秋です。

■3644:秋の気配とちょっとの憂鬱(2017年8月25日)
節子
朝には季節の表情が感じられます。
猛暑はもどってきましたが、今朝は秋の気配があります。
節子がいたら、きっと喜びそうな朝を感じます。

しかしなぜか今朝、目が覚めたら、得も言われぬ不安感が浮かんできました。
こんなさわやかな朝に、なぜでしょうか。
朝、起きた時の心は、いつも実に素直に、自分をむき出しにしてきます。
左脳がまだ寝ているのかもしれません。

起きてからもうすでに1時間近く経過していますが、
外ではキジバトや蝉がもう鳴きだしています。
遠くのお寺の、朝の鐘も聞こえました。
今日はすでに始まっています。

今年もまた、夏はどこにも行かず終わり、たぶん秋もどこにも行かずに終わる。
そんな気がします。
テレビで、いろんな場所を見ても、行きたいという気分が起こらないのです。
節子がいた頃は、そんなことはなく、すぐにでも行きたくなっていたのですが。
やはり外に、あるいは前に向かう気が萎えているのでしょうか。
その一方で、時間がここにきてまた速まっている。
最近それにちょっとついていけていないのです。

先日、若い友人が生き方に関する相談に来ました。
誠実な人ほど、人生に悩むのかもしれません。
今朝、彼からもう大丈夫ですとメールが届いていました。
ところが、今度は私のほうが、あんまり大丈夫ではない感じです。

誰かが相談に来る。
それが、生き方につながる相談である場合は、必ず私自身も、自分の生き方を考えさせられます。
最近、そういうことが重なっていたせいかもしれません。
今朝、私の気持を覆っているのは、次に問いかけです。

いまの生き方は、果たして本当にいいのか。
なにか嘘をついているのではないか。
素直なようで、素直ではないのではないか。
秋の気配は、人を考える人にするようです。

さて元気を出して、今日も前に進みましょうか。
残念ながら、いまの私には前にしか道はありませんので。

■3645:久しぶりにデモ(2017年8月26日)
節子
久しぶりにデモに参加しました。
茨城県の東海村で行われた「8.26原発いらない茨城アクション」です。
安保法制反対の国会デモで、安保法制が強行採決された2015年9月17日以来です。
その日の国会前のデモで少し違和感を持ってから、行けなくなってしまいました。
今回は原発再稼働反対の人の輪づくりだというので、思い切って参加しました。
折原さんが参加するというので、まあそれなら熱中症で倒れても大丈夫だろうと思った次第です。

節子が最初にデモに参加したのは、イラク派兵反対の時です。
議員会館前ではもみくちゃになり、節子にとっての初体験はかなり刺激的だったと思います。
にもかかわらず翌日の新聞には何も報道がなく、節子はそこで報道の偏りを確信して、私の話を信頼するようになったのを思い出します。
以来、時々、一緒に明るいデモに参加しました。
銀座をデモ行進したのも新鮮な体験でした。

まあそんなことも思いながら、人の輪づくりの会場までみんなで歩きました。
とても親しみを感じたのは、個人参加の人がたくさんいました。
何人かとはつながりもできそうです。

疲れて我孫子に戻ったら、駅前でカッパ音頭をみんなが踊っていました。
カッパ祭りだったのです。
出店も多く、たくさんの人でにぎわっていました。
東海村の反原発アクションよりも参加者は間違いなく多いです。
比較するのはまったく的外れですが、なにか「ソドムとゴモラ」を思い出してしまいました。
人類はこうやって踊りながら原発事故で滅んでいくような気がしてしまいました。
なんだか寂しい気になって家に戻って、節子に報告しました。

疲れました。
なにしろ最近、夜が暑くて寝不足なのです。
今夜は眠れるといいのですが。

■3646:他者の存在こそが、人に生きる元気を与えてくれる(2017年8月27日)
節子
今日はまた嬉しい出会いがありました。
バングラディシュの若者です。
10年ほど前に湯島に来たことのある東さんの伴侶です。
湯島で、イスラムをテーマにしたサロンをやりたいとFBに書いたら、早速、連絡してきてくれた一人です。

バングラディシュにはささやかな思いがあります。
半世紀ほど前の建国時に興味を持ち、支援グループに入っていました。
と言っても活動をしたわけではなく、本当にささやかな応援だけでしたが、定期的に送られてくるニューズレターを読んでいました。
そんなこともあったので、なんとなく親近感がありました。

いろいろと話していると、お互いにいろんな接点がありそうです。
彼の思いにも共感できることが多く、サロンを発展していきたいと、改めて思いました。
もうひとり、レバノンの人と結婚している人からも連絡をもらっています。
こちらの方は、節子も知っている福田さんの教え子です。
私は面識はないのですが、近々お会いしたいと思っています。

今回連絡をくださった東さんとは、たぶん2度、もしかしたら1度だけお会いしただけです。
ある件で、相談に来た人のスタッフで、最初はその人に同行してきただけです。
なぜかその件は、それで終わってしまったのですが、その後、3人ともその組織を離れてしまったようで交流はなくなりました。
しかし、その後も東さんは私のFBをフォローして下さっていたようです。
うれしい話です。

私は、一度でも会った人とは基本的にできるだけつながりを維持したいと思っていますが、以前は会う人も多く、なかなかフォローしきれませんでした。
節子は、付き合うのであればもっと丁寧に付き合うべきだと言っていましたが、毎週かなりの人に会っていましたから、なかには失礼な対応をしていたこともあるかもしれません。
しかし、基本的には一度会った人はできるだけ頭に入れて、忘れないようにしています。
時々、会ったことを忘れてしまい、冷や汗をかくこともありますが。
ただ、交わした言葉には責任を持つようにしています。
おかげで、いまもなお、とても豊かな友人知人に恵まれています。
節子がいなくなっても、私が生きながらえているのはそのおかげかもしれません。
他者の存在こそが、人に生きる元気を与えてくれるからです。

イスラムの若者アプさんは、未来を見つめるとても誠実なまなざしをしていました。
サロンは9月17日の午後に開きます。
もしお時間があれば、若いムスリムと話しに来てください。

■3647:2日間また挽歌が書けませんでした(2017年8月30日)
節子
また時間の落とし穴に落ちてしまいました。
忙しいわけでもないのですが、なぜか時間の需給のバランスが崩れ、できないことややらないことがたまりだすのです。
言い換えれば、無駄な時間が多くなり、生活の整理ができなくなるのです。
そうなると、これも不思議な話で、トラブルが襲ってきます。
自らを律せよ、という天の配慮かもしれません。
いや、これは私の本性かもしれません。
困ったものです。

この挽歌も2日間、書けずにいました。
実はその間、時々、パソコンを開いて、書きだそうとしたのですが、書けません。
なぜでしょうか。

このころ、生きていることの偶然性ということを少し考えています。
人が生き続けるのは、簡単なようで簡単ではありません。
いつ交通事故に遭うかもしれません。
昔は家族でよく海に行っていましたが、何事も起こらずにいたのは、いまとなって思えば、幸運だったような気がしますが、それを偶然と考えれば、幸不幸から解放されます。

また少し訳の分からないことを書き出してしまいましたが、いささか気持ちが少しさまよいだしています。
一昨日、元気な若者と成熟した穏やかな高齢者に会ったからかもしれません。
いろんな生き方に触れると、自分の生き方がますます相対化されると同時に、そのあまりの「異質さ」を意識してしまいます。
ふだんはそんなことなどまったく思いもせずに、平安に生きているのですが、虚しさが嵩じてきます。
デモに久しぶりに参加したのも、影響しているかもしれません。
いやそれ以上にやはり「忙しさ」が災いしているのかもしれません。

生きていると、実にいろんなことがあります。
今日もまた、ちょっと拘束時間の多い1日です。
夜にはビジネススクールで講義ですが、それまで気力が持つといいのですが。
節子に、気を送ってもらいたいです。

■3648:コンセプトワークショップ設立29年目(2017年8月30日)
節子
前の挽歌を書き終えて気づいたのですが、今日は2人で株式会社コンセプトワークショップを立ち上げて、ちょうど29年目です。
1989年の8月30日が、コンセプトワークショップの設立日なのです。
いまはもう亡くなってしまった椎原さんが、今日は阿弥陀が久しぶりに地球に降り立った、記念すべき日だと話してくれました。
さらにいえば、1989年は、いろんな事件があった年で、その年に人生を変えたのもまあそれなりに意味があったのだろうなと思っていました。
実のところ、そんな深い意味はなく、会社生活を25年間過ごしたので、次の25年間は個人で生きようと思っただけなのですが。
しかし、椎原さんから言われたことはいまもはっきり覚えています。

あれからもう29年がたったわけです。
湯島も、当初と全く同じですが、久しぶりに来る人のなかには、変わったと思う人もいるようです。
つまりは、その人が変わったわけですが。

湯島29年目ということに気づいたら、少し気分がしゃきっとしました。
湯島は、私にとっても節子にとっても、人生を大きく変えてくれた場所です。
経済的に維持するのが難しくなった時も何回かありますが、みんなに支えられて何とか最初のままで維持できています。
この場所は、私が湯島に来られるうちは、維持しようと思います。
いろんな思い出が詰まっているところですから。
でもまあそんなことを知っている人は、もう少なくなってきましたが。

■3649:「自らの生き方」という幻想(2017年8月31日)
節子
人が、自らを生きることのむずかしさを、最近つくづく感じます。
というか、そもそも、そうした「自ら」などというものは存在するのか、という気もします。
私自身は、そうした「自らの生き方」を大事にしてきたつもりですが、果たしてそんなものはほんとうにあるのか。
私のまわりにも、自分の考えに基づいて時代に迎合することなくしっかりと生きているように感ずる人はいます。
しかし、それもまたもしかしたら、定められた生き方なのかもしれません。

今度、湯島でイスラムをテーマにしたサロンを始めようと思います。
それで改めてイスラムのことを学び直していますが、イスラムには、すべての人間(あるいは万物そのもの)の運命は神によって定められているという「カダル」という信仰があるそうです。
もっともシーア派のムスリムの信仰には、この思想はないようですが。

「カダル」は「定命(ていめい)」と訳されますが、仏教でいう「定命(じょうみょう)」は、生れ落ちる前に定められた寿命のことですから、人の生きる時間はあらかじめ定められているということになります。
いずれにしろ、こうした信仰のなかには「自らの生き方」という発想はないわけです。
つまり、信仰とは「自らの生き方を捨てること」であり、神や仏や天に帰依することです。
しかし、それはまた「自らの生き方」に気づくこととも言えます
そう考えれば、与えられた「自らの生き方」(ミッション)を守ることこそが信仰とも言えます。
そこで、頭が混乱してきます。
もしそうなら、「自らの生き方」は、自らの外にあることになりますから。
そして「自ら」とはいったい何者だという、根源的な問題に行き当たってしまうわけです。

社会や時代に迎合して生きている人を、私は「別の世界の人」と感じてきました。
そして、自分はやはり「異邦人」だなとずっと思ってきました。
大学生の頃、カミユの「異邦人」を読んで、「異邦人」という言葉を知って以来です。
その言葉は、私の心情に見事すぎるほどにぴったりしたからです。
カミユの小説の主人公と違い、私は「別の世界の人」ともなかよくやってきましたが、意識的には「異邦人」としての自分の生き方を大事にしてきたつもりでした。
たしかに、時流からは脱落し、生きづらさも感じていますが、自分の世界の中では逆に実に生きやすいのです。

話がまた広がりすぎだしましたが、なぜ私が、生きづらくもあり生きやすくもあるのかが、最近少しわかってきた気がするのです。
それを一言で言えば、要するに「自らの生き方」などはないということに行きつきます。
時代に合わせて生きる自分と幾分「異邦人」の要素を持った自分とが、混在しているだけの話なのです。
それは当然のことでしょう。
なにしろ「私」は、「大きないのち」の一部が、期限付きで遊ばせてもらっているだけのことなのですから。

今朝は、なんだかとても大きな話を書いてしまいました。
幻想かもしれませんが、最近、世界がとてもよく見えてきました。
言葉では説明できないのですが、すべては仮想。
そんな考えが、少し理解できるようになってきたのかもしれません。
いのちの火が消えつつあるのかもしれません。
こんな言い方をするとまた誤解されそうですが、最近自分が長生きしそうな気がしてきて、それに怖れを感じだしています。

私には、自らの死よりも他者の死を体験する生が怖いのです。
自らの死はこわくはありませんが、他者の死は時にとても恐ろしい。
そういうことから早く自由になりたいものです。

■3650:「3ヶ月働けばあと9ヶ月寝ていても大丈夫」な生き方(2017年8月31日)
節子
今日は寒いほどの日です。
ちょっと疲労が重なっているので、午後は早めに帰宅しました。
なにかやらなくてはいけないことがありそうな気もしますが、まあいいでしょう。
疲れた時は休まなければいけません。

毎週何回かハガキをくれる鈴木さんのハガキが届いていました。

長い海外の旅を終えて、わたしが日本に帰ってきたのは、1989年の8月でした。
旅の途中で出会った人が「アルバイトがあるから」と紹介してくれた仕事で、佐藤さんと出会うことになりました。
佐藤さんとわたしの新スタートが同時期だったことがわかって意味もなくうれしくなりました。

人は生き方を変えると新しい出会いがあります。
1989年、私は「会社人から社会人へ」と生き方を変えました。
そこから実にいろんな人と出会いました。
もし会社にずっといたら、これほど豊かな人との出会いはなかったでしょう。
鈴木さんのような、ビジネスとは距離を置いた生き方をしている人とも会えなかったかもしれません。
25年間の会社人生活も刺激的なものでしたが、会社を辞めてからの社会人生活は、それ以上に刺激的でした。
鈴木さんの生き方は、そんな中でも、かなり印象的なものでした。
私の生き方にも少なからず影響を与えているような気がします。

そういえば、昨日、あるビジネススクールで話をさせてもらったのですが、私の話を聞いた若い人からこんなメールが届きました。

講義の方、とても興味深いものでした。
私は以前から幸福度の横ばいという問題に興味を持っており、 例えば「1930年代の暮らしを今実現すると3ヶ月働けばあと9ヶ月寝ていても大丈夫なのに誰もやらない」みたいな話がずっとひっかかっていてたのですが、講義ではこの疑問解決に対するヒントが幾つもあったように感じました。

「3ヶ月働けばあと9ヶ月寝ていても大丈夫」な生き方。
鈴木さんはまさにそういう生き方を、私に先んじて実践していました。
一度、鈴木さん的生き方をテーマにしたサロンをやりたくなりました。
私もそこから学ぶことがまだまだありそうです。

■3651:「迷ったらやってみる」(2017年9月1日)
節子
ある問題に悩んだ友人が、相談してきました。
一度悩みだすと、悩みは次々と出てくるものです。
昨日またメールが届きました。
最後に思い出したのが、節子の言葉です。
「悩んだらやってみる」という、私たちの信条です。
そこで、こう返信しました。

私も女房も、迷った時にはやる、というのが共通の信条でした。
そう決めるといろんな意味で生きやすくなります。
迷うことがなくなるからです。

それを読んで、その人からまたメールが来ました。

「迷ったらやってみる」という信念を教えていただきましたが、
それは結婚にも適用してよいものでしょうか。

事が結婚であれば、誠実な人なら慎重になるでしょう。
でもまあ、私は、私たちのことを踏まえてこう返信しました。

「迷った時はやる」というのは、私たち夫婦の場合はすべての適用でした。
どの場合に適用するかを考えていたら、疲れます。
ちなみに私たちの結婚の場合、女房は迷っていましたが、
というよりも最初は否定的でしたが、
結果的にはよかったおかげで、
私以上に女房の方が、「迷った時はやる」という信条にいたり、
逆に私にその信条を植え付けました。
考えてみると、やらないで後で後悔するよりも、
やってしまった場合は、後悔せずに挽回できるから、
私はその信条を採用しました。

あんまり参考にはならないでしょうが、
いろいろと考えても先は見えてきません。
それにどういう選択をしてもまわりの人にはそれなりに影響を与えます。
自分でやると決めれば、覚悟もできます。
覚悟があれば、ほとんどのことが乗り越えられるはずです。
それに問題が起これば人生は豊かになりますし。

その人から返信が届きました。

 全ての言葉にとても勇気づけられました。
やはり「覚悟」が僕にとってのキーワードなのかもしれません。
「問題が起れば人生は豊かになる」
という観点は本当に佐藤さんらしくて大好きです。
心を強く持ってがんばります。

肯定的に受け取ってくれてうれしいです。
しかし、問題が起れば人生は豊かになる、のはたしかではありますが、苦労が増えるのもたしかです。
まあ、今度の相談相手はまだ若いので、苦労もきっと楽しめるでしょう。
私は最近、体力も気力も老化し、苦労はあんまり歓迎ではありませんが、まあよくやってきます。
困ったものです。
そろそろ信条を、「迷ったらやめる」に変えたほうがいいでしょうか。
でもまあこう言い切ってしまった以上、この信条を最後まで続けようと思います。

■3652:死にいくための食メニュー(2017年9月2日)
節子
久しぶりにマクロビオティックコンビのおふたりが湯島に来ました。
京都に料理教室とお店を出店することになったのだそうです。
今日は高崎の高石さんに「食はしあわせのたね」というテーマのサロンをしてもらったのですが、そう言えばと思って連絡をしたのですが、ちょうど京都の報告に来たいと思っていたとのことで、お二人そろって、予定を調整してきてくださったのです。
高石さんとお引き合わせしたいと思っていたのですが、それが実現できてよかったです。

高石さんが友人を連れてきてくれました。
青森の薬剤師の方です。
その方のお話もとても興味深いものでした。
まあこんな形で湯島からはいろんな人の出会いが生まれ、おかげで私の世界は広がります。
不思議な空間です。

京都のマクロビオティックのお店は、なんと弘道館のすぐ近くのようです。
お話したら、おふたりは老松の太田さんの名前を知っていました。
ここでもまた何か新しい風が起こるかもしれません。
お店が開くのは年末か年明けだと思いますが、いつか私も行けるといいのですが。

今日は食に関する話だったのですが、節子に聞かせたい話ばかりでした。
食で多くの病気は治るという話もありました。

マクロビコンビのおふたりは、人の顔を見るとその人の健康状態や食生活がわかるそうです。
今回は元気そうだと言われました。
前回よりはよくなっているようです。
それはそうでしょう。
最近は実に質素に生きています。

以前、このおふたりに薦められて完全玄米食をつづけたことがありますが、あんまり頑張りすぎて、もう玄米食は食べたくなくなってしまったといったら、がんばり過ぎはよくないと言われました。
今度もまた何かを勧められると困るなと思っていましたが、今度は糠漬けの話が出ました。
勧められると素直に従って、3週間で飽きてしまって、元の木阿弥というのが私の場合多いので、辞退させてもらいました。

おふたりは、ますますお元気そうです。
食の大切さを感じますが、私自身は元気に生きる食生活よりも安らかに死ねる食生活のほうに関心があります。
それも時間が自分で決められるともっといい。
死期がわかったら、おふたりに頼んで、安らかに死にいくための食メニューを頼もうと思います。
理想的には1か月くらいかけて、人生を仕上げたいものです。
1か月、死を楽しんで生きる。
これって実にいいアイデアのような気がしてきました。
いかがでしょうか。
なんだか、死に方を考えるも結構楽しいものです。
不謹慎なと叱られそうですが、その余裕が、節子との別れにはありませんでした。
いま思うと、節子には辛い思いをさせてしまったかもしれません。

明日は節子の11回忌です。
早いものです。

■3653:11回目の命日(2017年9月3日)
節子
11回目の命日です。
今年はただ娘たちと一緒にお墓に行っただけです。
日常のなかに節子も同化してきました。
10年かかってしまいましたが。

■3654:秋には一抹の寂しさがある。(2017年9月4日)
節子
節子がいなくなってから11年目の始まりは、いささか不穏なスタートを切りました。
今朝、あることを思い出したのですが、確認したら私のとんでもないミスが発覚しました。
ここにはちょっと書きづらいのでやめますが、まあかなり大きなミスで、他者への迷惑も生じます。
早速に謝罪のメールを書きましたが、その咎は基本的には私自身にやってきます。
いかにも情けないスタートになりました。
先が思いやられます。
今日は朝から心穏やかではありません。
困ったものです。

晴れないのは私の心だけではありません。
今日は空がどんよりとしています。
昨日、友人から

9月に入ってしまいました。
やはり、この季節は何とはなしに一抹の寂しさを呼び覚まします。

というメールが来ました。
たしかにそうです。
秋には一抹の寂しさがある。
その寂しさを共有できる人がいれば、それは幸せにつながっていくかもしれません。
楽しさを共有するよりも、寂しさを共有するほうが、たぶん幸せであったかくなるでしょう。
もしかしたら、伴侶とは、そうした寂しさを温かさに変換する関係なのかもしれません。
節子がいない今は、寂しさを、ただ寂しさとして受け止めるしかありません。

不穏なスタートのためか、なにやら暗い挽歌になってしまいました。
青い空を見れば、気分は変わるのですが、あまり期待できそうな気配はありません。

■3655:相談を受けるよりも相談する相手が欲しいですが(2017年9月5日)
節子
人は、自分の世界でしか世界を見ることができないということを最近実感しています。
私の世界が広がるきっかけを作ってくれたのが節子でした。
節子の世界と私の世界はかなり違っていましたから。
節子は西日本の人であり、私は東日本の人でした。
それだけでも世界は大きく違っていました。
節子の生家は信仰を実践している浄土真宗、私の家は形だけの曹洞宗。
節子は農村で育ち、私は都会で育ちました。
子ども時代の生活環境は、世界を規定していきます。

私たちに共通していたのは、世界を広げたいという思いでした。
節子は、しかし、自己主張の強い私の世界に対応するのは大変だったでしょう。
私のわがままな独りよがりは、会社を辞めるまで続いていました。
私の生き方が大きく変わったのは、やはり会社を辞めてからです。
それに付き合ってくれたのが節子でした。
私一人では、たぶんダメだったでしょう。
節子のおかげで、なんとか自分の生き方を見つけられました。
そして気がついたら、主従が逆転していました。
節子から学ぶことは多かったです。
言葉で説明はできないのですが。
節子は、いわば私の鏡のような存在でした。

しかしその節子もいなくなってからもう10年。
この挽歌も、節子に語るというよりも自分自身に語るようになってきました。
節子は今や私の内部にこそいるからです。
しかし、時には鏡を通して自分を見たくなることもあります。
頭の中での内語ではなく、声を出してその反響を聞くことで、世界はもっとよく見えてきます。
節子相手にそれができなくなったことが、残念です。
もしかしたら、それが時々、気が落ちる原因かもしれません。
節子がいた時は、呟くことで結果的には相談できていたのだと改めて伴侶の存在の意味を実感します。

今日は4人の若者たちと会います。
私も誰か会いに行ける人が、時々欲しくなります。
一人で立つことに、最近は少し疲れましたが、言い換えれば、相談を受ける歳になってしまったのでしょうから、弱音を吐かずに、しゃんとしなければいけません。

■3656:良い風も吹き出しています(2017年9月6日)
節子
昨日はちょっと元気が出る出会いがありました。
私が15年ほど前に翻訳した「オープンブック・マネジメント」に興味を持ってくれたおふたりの方が訪ねてきてくれたのです。
おふたりは、最近欧米で広がっている「コーオウンド会社」(従業員が所有する会社)を日本でも広げたいと活動している人です。

「みんなの会社」は私が理想とする会社のあり方ですが、それへの私の働きかけはあんまりしっかりと取り組まなかったために見事に挫折しています。
医や挫折どころか、着手さえしないままになっています。
会社時代に取り組んだCIプロジェクトも見事に挫折しましたし、その後の活動も何ら成果を上げずに終わっています。
私の思いにつながる切り口は2つありました。
一つは協同労働の協同組合。もう一つがオープンブック・マネジメントでした。
「オープンブック・マネジメント」を出版した時には、これで日本の会社は本来の姿を取り戻して元気になるだろうとさえ思っていましたが、見事に不発でした。
協同労働の協同組合は、本流の経済に寄生する姿勢から抜け出せずにいました。
いろいろと関わらせてもらえる契機はあったのですが、どこかでフルコミットできずにいました。
それで私自身はNPOの世界に関わりだしましたが、ここもなにやら違和感がありました。
ここでも「みんな組織」ではなく「お金に従属する組織」を感じてしまうことが多いのです。
どうやら私の居場所はないなと感じ始めていました。

そんな時に、従業員所有事業協会を立ち上げたおふたりがやってきてくれました。
久しぶりに昔の話をしてしまいました。
話しているうちに、なぜか企業への関心が少し戻ってきました。
生産活動が「雇用の場」から「協同の場」に変わっていけば、経済も社会も大きく変わるでしょう。
それを正面から取り組もうとしている人たちが現われはじめた。
何か元気が出ます。
私に何ができるかを、久しぶりに考えたくなりました。

節子
あんまり元気の出ない11年目のスタートでしたが、まあ良い風も吹き出しています。

■3657:運不運。幸福不幸。(2017年9月7日)
節子
昨日の話です。

節子が好きだったリビングの蛍光灯が壊れてしまいました。
なぜか節子はいつもリビングの蛍光灯にはこだわっていましたので、いろいろと探して買い求めたものです。
機能主義の私は、蛍光灯にはほとんどこだわらないのですが、私以外の家族はみんな、ケースがガラスでないとだめだとか、いろいろとこだわりました。
いや、時期的にそうした時期だったのかもしれません。
廃棄するのも抵抗があったので、兄に頼んでみてもらいました。
兄は、ものづくりが好きで、昔はテレビも自分で組み立てたりしていました。
私が中学校時代に最初に見たわが家のテレビは兄の手づくりでした。

それで、兄に来てもらって、直してもらうことにしました。
節子の位牌の前にあった大きな供花を見て、まだこんなお花が届くのか、と兄は感心していました。
命日の前に節子の滋賀の友人たちから大きな花が届いていたのです。
たしかに10年もたったのに、お花を届けてくれる人がいるのは節子の人柄かもしれません。
私からすれば、それほどの人柄ではないのですが、まあ私よりはいい人柄なのでしょう。
私にはたぶん花は届きません。

蛍光灯を見てもらいました。
ところが、故障の原因がわかりません。
なにやらややこしい構造なのです。
たかが蛍光灯で、と思うのですが、なにやら複雑な配線構造になっています。
結局、1時間半かかりましたが直りません。
途中で一度、点灯したのですが、またダメになってしまいました。
修理に出すよりも最近のLED仕様のものを買った方がたぶん経済的には負担が少ないでしょう。
でも修理してももうダメかもしれません。
10年くらいが寿命だと説明書に書いてありました。
どこもなんともないのにどうも割り切れません。
節子が選んだものだと思うと迷います。
でもまあ、今日はあきらめて、一緒に食事に行きました。

兄とは考え方も違うので、会うたびに論争になるのですが、まあ今回は無事平和に食事を終わりました。
人は近ければ近いほど、いろんなことが見えすぎたりわがままになったりで、うまくいかないことも少なくありません。
もし節子が元気だったら、私たちは果たしてうまくいっていたでしょうか。
2人とも歳をとってわがまま度が高まり、喧嘩が増えていたかもしれません。

もしかしたら、私は一番、いい関係の時に節子を見送ったのかもしれません。
私たちの関係が一番いい時に、その時が来たのかもしれません。
それはとても幸運なことかもしれません。
しかし、そのためにいまでも節子から解放されずにいるとしたら、不運なことかもしれません。
運不運。幸福不幸。
もしかしたらそれらは同じものかもしれません。

■3658:人に会うのは「時期」がある(2017年9月8日)
節子
先日湯島に来た人が、書棚にあった飯田史彦さんの「生きがいの創造」を見て、自分もこの本に助けられたと話してくれました。
それで飯田さんとの不思議な出会いを思い出しました。

飯田さんはまだ大学院生の時代に私のところにやってきました。
その前にどこかで会っていたはずですが、それは思い出せません。
ただその時、やって来た目的ははっきりと覚えています。
「前世に佐藤さんに頼まれたことを伝えに来ました」と切り出したのです。
前世?
残念ながら私には記憶がなくなっていました。
それからいくつか具体的なことを話してくれましたが、思い出せません。
でもまあ、彼がそういうのですから、そうなのでしょう。
そこから少し深い付き合いが始まりました。
その後もちょっと不思議なことが起こりましたが、私はそういうことにはきわめて違和感がないので、自然体で対応していました。

その後、彼は福島に転居しました。
福島に行った時には、彼が自動車で会いに来てくれたりしましたが、彼の大学には行く機会を失しました。

節子が亡くなった後、少しして、彼に会いたくなったことがあります。
連絡したら、いまは佐藤さんに会える状況ではないと言われました。
その理由はわかりませんが、彼が「ない」というならそうなのでしょう。
その後の飯田さんの活動は耳には入っていましたが、この10年、交流はありません。
最近は著作も送られてこないので、ついつい忘れてしまっていました。
その飯田さんを思い出させられたのです。
たぶんこれもまた意味があるのでしょう。
というのは、最近また、飯田さんの世界に関心が向きだしているのです。
いや、関心が向きだすというよりも、世界が近づいたというべきかもしれません。

久しぶりに連絡を取りたくなりました。
まだ「会う時期」ではないといわれるかもしれません。
「会う時期」になっているといいのですが。

■3659:久しぶりに友人に会うと時の経過に気づきます(2017年9月9日)
節子
Fさんがまた緊急入院です。
Mさんは元気そうでした。
いろいろと気になることは多いです。
私もちょっと疲労気味で、朝と昼に栄養ドリンクを飲んで何とか乗り越えました。
最近どうも疲れが抜けません。

気になることは多いですが、たとえ悪いニュースでも、届いているのは安心です。
一番気になるのは、届いていないニュースです。
便りがないのは良い便りというのは若い時の話で、私のような歳になると、そうも言っていられないのです。
だからと言って、連絡するのも正直ちょっと気が重いこともあります。
どうもそういう関係の人が増えてきてします。

自分自身についていえば、静かに退場していくのが理想です。
しかし、他者の葬儀には行けますが、自らの葬儀には参列できないので、自分も参列できる葬儀を、できればしたいと思っています。
それをいつすればいいかは難問です。

今日のサロンに10数年ぶり、もしかしたら20年ぶりくらいに来てくれた人がいます。
精悍になっていて、最初はちょっと思い出せないほどでした。
私はその分、衰えているのでしょう。
彼から変わらないですねと言われると、ついその気になってしまいますが、正直かなり変わっているはずです。
最近疲れが抜けないのが、そのことを物語っています。
自分では気づいていませんが、身心は順調に、終焉に向かって成長しているのでしょう。
抗うつもりはまったくないのですが、どこかでそれを受け容れられない自分がいるようです。
困ったものです。

明日の午前中の用事が延期になりました。
ほっとする自分に気づきます。
明日はゆっくりできそうです。

■3660:死に喜びを、生に恐れを(2017年9月10日)
節子
とても気持ちのいい、秋らしい朝です。
今日はちょっと寝坊する予定だったのですが、いつもよりも早く目が覚めてしまいました。
しかし残念ながら頭がすっきりした目覚めではなく、頭が重い目覚めでした。
頭の左側の後頭部が重いのです。
ちょっと気になって、念のため血圧を測ってみたのですが、私的にはむしろ低い数値でした。
高血圧のせいではなさそうです。
まあ時々起こる現象ですが、こういう時はパソコンに向かう気が起きないので、今朝の朝の1時間はめずらしく庭に出ていました。
秋のさわやかな風に包まれていたおかげで、頭痛がなくなりました。

今朝、録画していたテレビの「こころの時代」の往生要集の番組を見ました。
死への恐れを緩和する話が説かれていましたが、どうも違和感があります。
しかし、鶴林寺の吉田さんが、往生要集は死に方のマニュアルであると同時に、生き方のマニュアルだと話されていたのは納得できます。
死に方も生き方も、同じコインの裏表ですから。
みんなそれを知っているのに、なぜか生には喜びを、死には恐れを持ちがちです。
しかし、よく考えれば、死ほど平安なものはないでしょう。
それに比べて生には平安は保証されていません。
死に喜びを、生に恐れをというのが正しいような気がしますが、なぜか誰もそう言いません。
その番組を見ながら、私も僧になればよかったなという気がしてきました。
気づくのが遅すぎました。
いやそう思えば、そうしたらいいだけの話です。
出家はしませんし、仏教の勉強はしませんが、僧らしく生きようかと思いました。
というわけで、今日から僧的な生き方をすることにしました。
何が変わるかと訊かれれば、何も変わりませんとしか言えませんが。

午後、娘の友人が、節子に供花に来てくれました。
毎年命日の前後に来てくれていますが、いつもとてもあったかくなるような、節子らしい花束です。
それにしても10年たっても、まだ花を届けてくれる。
それも電車に乗ってやってくるのです。
どうして来てくれるのかと娘に訊いたのですが、娘も「さて?」とわからないようです。
不躾な私としては、直接聞いてみようと思って、いま挨拶がてら話に行ったのですが、さすがに訊けませんでした。
人の関係は不思議なものです。

ちょっと元気が出てきたので、パソコンを開きました。
昨日のサロンの報告を書かなくてはいけません。

さわやかな風が入ってきます。
夏の仕事場は地獄ですが、秋の仕事場が天国のように気分がいいです。
秋の風は、心を安らげてくれます。
風を受けていたら、眠気が襲ってきました。
娘たちは出かけるそうなので、パソコンをやめて昼寝をしようかと思います。

平安な秋の日です。

■3661:節子に代わって庭の手入れを少しだけしました(2017年9月11日)
節子
今日もさわやかな秋の日です。
節子がいたらきっとどこかに出かけていたでしょう。

庭の琉球朝顔が今年も庭中を走り回っています。
注意しないと樹木に絡まり痛めつけ、隣家にまで侵入しようとします。
その成長力のすごさには圧倒されます。
そういえば、ワイヤ−プランツも一時期すごかったですが、なぜか最近はおとなしいです。
まあ植物の様子を見ていても、その遷移状況が面白いです。

琉球朝顔は最近は延びてきているのを見ると有無を言わさずに刈り取っています。
購入した時には、大事に育てていましたが、いまは野草の一種の位置付けになっています。
人の評価はまさに移ろいやすいものです。

小さな庭ですが、水やりは結構面倒です。
手入れがきちんとできていれば簡単なのでしょうが、何しろ手入れ不足で鉢は時々倒れているし、肝心の植物よりも割り込んできた野草が生い茂っていたりなのです。
節子がいた頃は毎朝声をかけていましたが、まあ私も時々思い立ちますが、一週間とはつづきません。
声をかけないと花木は素直に育ってくれないのです。
節子が大事にしていたかなりの花木が枯れてしまっています。
困ったものです。

今日、気が付いたのですが、生い茂っている野草の影に曼珠沙華が咲きだしていました。
この花は、独特の雰囲気を持っていて、私の心象風景としては、お墓とつながっています。
死人花とも彼岸花とも言われますが、昔はお墓でよく見かけました。
わが家に咲いている理由は、節子と無縁ではありません。
曼珠沙華の球根を節子の闘病時代につかったのです。
残念ながらあまり効果がなかったので、たくさん買った球根を庭に植えたのです。
節子が旅立った翌年から庭で花が咲きだしました。
よく咲くときもあれば、あまり咲かない時もありますが、今年は3か所で花が咲きだしていました。

節子がいれば、この時期は花の苗を買いによく出かけたものですが、最近は手入れも大変なのでまとめ買いに行くこともなくなりました。
もう今あるものを維持するだけも大変なのです。
彼岸はそんなに忙しくないでしょうから、たまにはボランティア活動に現世に来てほしいものです。
たくさんの花木を残していくと残った家族は大変なのですから。
まあすでに半分くらいは枯らせてしまったかもしれませんが。

■3662:他者こそ一番すぐれた鏡(2017年9月12日)
節子
なにやら目まぐるしくまわりが動いています。
昔は、このめまぐるしさが、私の生命源でしたが、最近は時々自分自身が混乱してしまいます。
それに多様な相手に合わせて自らを変化させる柔軟性が弱まってきています。
生命の持つ「しなやかさ」を失いつつあるのかもしれません。
というのも、年甲斐もなく「イライラ」することが増えてきたのです。
しかし、そこはよくしたもので、その「イライラ」もすぐに忘れるようになってもきています。
認知症の始まりとも言われそうですが、むしろそれは生命の知恵でしょう。

とんでもない勘違いも増えてきました。
しかしこれも観方を変えれば、「勘違い」に気づく英明さを得たとも言えるでしょう。
若い時には自らのとんでもない勘違いや早とちり、あるいは思い込みも多かったと思いますが、それを勘違いなどとは思わずに、突っ走って来ていたのかもしれません。
特に私の場合は、あんまり常識や遠慮がある方ではなかったので、周辺には迷惑ばかりかけてきた気もします。
そもそも節子と結婚したのでさえ、その一例かもしれません。
迷惑したのは節子ばかりではなかったかもしれません。
しかしそれでもまあ節子は後悔はしていないでしょう。
勘違いの人生も、また楽しいものです。

ただ、自分で自分のことを勘違いするのはいいとしても、他者から勘違いされることはあまりうれしいものではありません。
最近つくづくと私がどれほど世間から勘違いされているかがわかってきました。
もちろんきちんとわかってくれている人も多いのですが、そうでない人もまた多いのです。

鏡が対象を映すものであれば、他者こそ一番すぐれた鏡と言えるでしょう。
人は他者の中に自分を見ます。
他者の嫌なところのほとんどは、自分の持っているものが映し出されているだけのことです。誰かを非難したくなったら、それはまさに自らへの戒めだと考えるのが正しいでしょう。
ですから、最近私は、毎日たくさんの戒めに覆われてしまっています。

人は、自らが持っていないものを見ることはできません。
ただ、自らが持っているのにそれに気づいていないものもありますから、人は他者を通して自らの良さも知ることができます。
時に、自分が好きになることもあるのです。

他者との付き合いは、結局は自分との付き合いなのです。
ですから、いささか疲れるとしても、付き合いを捨てることはできません。
捨てる時は、自らを捨てる時です。
最近目まぐるしいのは、なぜなのか。
私が少しまた生き直しだしたということかもしれません。
そういう意識は全くないのですが。

■3663:「認知症」より「心身老衰」(2017年9月14日)
節子
昨日はダウンしてしまいました。
一昨日3つの集まりが重なり、しかもいずれもどうもすっきりした結果にならなかったので、なんとなく気力体力ともにダウンしてしまったのです。
昨日は朝起きてもすっきりせずに、でも地元の友人との約束があったので、めずらしく朝、シャワーを浴びて元気を装って出かけました。
評判のいいお店で、お昼をご馳走になったのですが、そんな状況だったので美味しくありませんでした。
まあいろいろあって、2時過ぎには帰宅し、そのまま実はダウンしていました。
やることが山のようにあったのですが、テレビで映画を観るでもなく見ないでもなく、見ていました。
一応、他の人には忙しいと言っていますので、ここに書いてしまうと非難されそうですが、「忙しい」というのは「心を亡くす」ということですから、私としては嘘は言っていないのです。
まあ時々誤解されるのですが。
困ったものです。
前日のサロンの報告も書く気が起きずに、ただただ「忙しく」していたわけです。

夜になってようやく少し気が戻ってきて、サロンの報告を書きましたがどうも頭が回らないのです。
私はどうも「認知症」ではなく、「心身老衰」のほうに向いているようです。
最近の老衰ぶりはかなりのものです。

またつまらないことを書いてしまいましたが、今朝も寝坊をしてしまいました。
今日もまた予定が山積みですが、今日は忙しさに陥らないようにしなければいけません。
そう思いながらパソコンをしていたら、窓の外の手すりに鳩が止まって、私に何か呼びかけてきました。
私は鳩が嫌いですが(鳩に限らず鳥が嫌いです。これは手塚治虫の漫画の影響です)、実はこれは2度目なのです。
もしかしたらわが家の庭の巣から巣立った鳩かもしれません。
そう思って舞冊を返そうと思って窓を開けようとしたらなぜか逃げていきました。
失礼な鳩です。
だから私は鳩が嫌いなのです。

でも、もしかしたら、あれは節子だったのかもしれません。
節子は旅立つ直前に、また「花や鳩になってちょいちょい戻ってくる」と言っていました。
なんで鳥なのかわかりませんでしたが、鳥だと戻ってきやすいのかもしれません。
しかし、だとしたらなんで飛び立っていったのか。

世界には悩むべき問題が山積です。
少しはゆっくりとしたいです。
忙しくない、つまり心を研ぎ澄ませるようなゆっくりさです。

■3664:来年のカレンダーがもう売りだされていました(2017年9月14日)
節子
今日はあっという間に1日が終わってしまいました。
しかしそのあっという間にいろんなことがありました。
不幸なことに、また新たにやりたいことにも出会ってしまいました。
いつになってもゆったりする生き方に向かえません。
困ったものです。

時間の合間に用事があって100円ショップに寄りました。
なんともう来年のカレンダーや手帳が売り出されていました。
このところ毎年どんどん売りだし時期が早まってきているように思います。
どう考えても自然ではありません。
節子がいたら嘆くことでしょう。
なぜ今をもっとしっかりと誠実に生きないのか、と。
そんなことを思いながら、売り場を通り過ぎました。
こうした動きが人の生き方をおかしくしていくのでしょう。

他人事ではありません。
私も自らの生き方に気をつけなくてはいけません。
そもそも疲れたなどと毎日言うような生き方は反省しなければいけません。
節子はどんなつらい時も、愚痴をこぼしませんでした。
今ここでの誠実な生き方に心がけていました。
それを思い出さなければいけません。

■3665:夢の話(2017年9月15日)
節子
長い、それもかなりはっきりした夢を見ました。
残念ながら節子は出てきませんでしたが、場所は湯島のオフィスでした。
間違って隣の部屋に入ってしまったのですが、そこに不思議な風景がありました。
空間的にはあり得ないはずの広い部屋があったのです。
昨日、新たに引っ越してきたという若者がいました。
スポーツ万能、語学万能、そして実に奔放な若者です。
つまり私に欠けているすべてを持ち具えた人です。
空間はたぶん次元を一つ上げることで創出しているのでしょう。
実に広々とした空間になっていて、実に住み心地がよさそうです。
なぜか窓の外の風景までもちがっていました。

私の部屋に移って、コーヒーを飲んで話すことになりました。
ところがコーヒーを淹れる前に、彼はそこに置いてあったコーヒーカップでコーヒーを飲み始めました。
つまり空のカップを彼がつかんだら、コーヒーが湧き出るように出てきたということです。
いささかムッとして、私の入れるコーヒーを飲むように言うと、そのカップのコーヒーは消えました。
そんな細かなことまできちんと記憶に残っています。
近年、起きた途端に夢は思い出せなくなるのですが、今朝ははっきりと覚えています。

問題はそこからです。
彼と話していると、今度は私の部屋に次々といろんな人がやってきます。
彼らは私の部屋を購入したか、あるいは所有しているようです。
づかづかと入ってくるのです。
話している言語もよくわからない。
私が慌てて対処しようとしているのに、隣の彼は穏やかにコーヒーを飲んでいる。
しかし私の困惑を見て、彼が何か言うと、みんなおとなしく部屋から出ていくのです。
その言語は、聞いたこともない言語というか、私には聞こえなかったような気がします。
気づいたのは、私の部屋も空間次元が違っているのかもしれないということです。
そういえば、巨体の黒人が入ってくるなり、あるはずもない玄関横の壁の上部の物入れを開けて何かを出していました。

さらに奇妙なのは、明後日17日に開くイスラムのサロンに参加しないかと私が彼に誘っているのです。
ここだけいやに現実的な話なのです。
参加者がちょっと少ないので気になっているのが夢にまで出てきたわけです。
彼は、持っていたはずもない予定が書かれた手帳を出して予定をチェックしました。
午前中はどこかで予定があるようですが、午後は大丈夫かもしれないと言います。
そこで目が覚めました。

わけの分からない夢のことを長々書いてしまいました。
夢の内容がやけに詳しく記憶に残っているのが気になったのです。

夢というものは不思議です。
夢と現実はどこかできっとつながっているという思いを私はずっと持っています。
夢の中に、それまで会ったこともない人が出てきて、それもかなり親しくやりとりすることがあります。
どう考えても納得できません。
前世か来世であったことがなければ、あそこまでリアルな感じは出てこないのではないかと思うのです。
夢を通して、私たちは前世や来世や、さらには異次元の世界とつながっている。
そして私たちは、自分では気づかないままに、そうしたたくさんのパラレルワールドを往来しながら生きている。
そう考えれば、現世の死とは、違う世界への移住なのかもしれません。

昨夜は久しぶりに5時間ほど続けて眠れました。
めずらしいことです。
上に書いた夢は、その後、また眠ってしまい、そこで見た夢です。
節子が出てこなかったことが、ちょっと気になりますが。

■3666:余計かも知れないお節介(2017年9月19日)
節子
また挽歌がたまってしまいました。
ということは、また予想していなかったことが起こってしまったということでもあるのですが、まあ何とかほぼ山を乗り越えました。
それにしても人生はいろいろとあるものです。

15日は久しぶりに大阪に行ってきました。
ある人同士を引き合わせるために一緒に行ったのですが、考えてみれば、何で行くことにしたのか、後で考えたら後悔しました。
そんなことをやっているので経済的にも時間的にも厳しくなっていくのかもしれません。
できればそのついでに自分の用事も果たしたかったのですが、そんな余裕はありませんでした。
ただただ疲れただけです。

まあこういうことはよくあることではありますが、他者のために大阪まで行くというのはよほどのお人好しだと思われかねません。
しかし、そんなことはないのです。
節子も知っている鈴木さんからハガキが届きました。
サンティアゴ巡礼で会ったデンマーク人夫妻が四国巡礼にやってきたそうです。
やや高齢の方たちなのでちょっと心配らしいようです。
サンティアゴと違い日本の民宿は外国語での予約が簡単ではなさそうです。
そこで最初の1週間ほど、一緒に歩こうかと連絡したのだそうです。
そして実際に行くことにしたのだそうです。
昨日、1日目の民宿を予約し、明日、自分もでかけることにしたそうです。
こういう人もいるのです。

考えてみると最近の私の活動はほとんどみんな「誰かに頼まれてのこと」です。
正確に言えば、「頼まれた」わけではないのに「何か役立ちたい」という思いでやっていることが多い気がします。
もっともそれが本当にその人の役に立っているかはわかりません。
感謝してくれる人もいますが、感謝してくれない人もいます。
私が過剰に反応して迷惑している人もいるかもしれません。

まあそんなこんなで、この数日ちょっとまた忙しくしていました。
困ったものですが。

■3667:銀行の残高を見て驚きました(2017年9月20日)
節子
また振替ができないので入金してくださいという手紙が来ました。
銀行預金は入金しないとどんどん減るようです。
まあそんなことは私でも知っているのですが、長年そういうことに無頓着に生きてきたせいで、うっかりすることが多いのです。

この世からお金というものがなくなればいいのにといつも思います。
そのくせ、時々宝くじを買ってしまいます。
お金さえあればいろんなことができると、時々、魔がさしたように思ってしまうのです。
お金がないために支えられなかった人もいます。
しかしお金があったために、関係がおかしくなった人もいますから、どちらがいいのかはわかりません。

それにしてもお金とは煩わしいものです。
言い換えれば、お金はそれだけ便利なものなのでしょう。
お金があればたいていのことはできるのです。
その生活に慣れてしまうと、逆にお金がないとたいていのことができなくなってしまうわけです。
最近の私は、あまりお金には依存していないつもりですが、そもそも生きていること自体にお金がかかってしまうようになっているのでしょう。
生活費のほとんどすべてが銀行からの引き落としであり、私の収入の年金も銀行への自動振り込みなので、実際に私がお金に触れる機会はあまりありません。
私には理想的なスタイルですが、でも必ずどこかでお金がかかっていると思うと不思議な気がします。

さてその銀行口座の残高もいささか危うい水準になってきたようです。
さてどうなっていくか、楽しみです。
お金は天下のまわりものですから、きっとどこかから回ってくるでしょう。
回ってこないとしたら、そろそろ仕事をやめてのんびりしろということなのかもしれません。

■3668:人が気付くのは、いつもすべてが終わってから(2017年9月21日)
節子
数学者の、というよりも哲学者の、と言った方がいいかもしれませんが、岡潔さんは、日本人が持たされるようになってしまった近代的自我は結局「無明」だと言っています。
「ほんとうの自分」とか「自我」は「無明」のあらわれだというわけです。
この頃になって、そういうことが実感できるようになってきました。
人は歳を重ねるにつれて、自分がいかに無知であり、無明であり、空であるかを思い知らされます。
彼岸に次第に近づいて、いつか彼岸入りしていくのでしょう。

しかし、十分な備えなしに彼岸に旅立った節子はどうだったでしょうか。
当時は、私自身も此岸しか見えていなかったために、何の手助けも、何の支えもできませんでした。
それが時々、思い出されて、後悔の念に襲われます。
私自身なんと余裕のない、狭い世界を生きていたことか。
人が気付くのは、いつもすべてが終わってからなのです。

今日は、気持ちのいい秋日和です。
節子がいたら、きっと霧降高原にでも行こうかと言いだしたでしょう。
そんな気がするような、さわやかな朝です。
それなのに、どうも気分はさわやかになりません。
自らの無明さから、抜け出られないのがさびしいです。
もう少し歳を重ねなければいけないようです。

■3669:すぎの梨園の王秋梨(2017年9月21日)
節子
杉野さんの梨園に行ってきました。
ちょっと遅かったので、もうみんな仕事を終えて、後片付けの最中でした。
いつもはネットで仕切られている梨園が開いていたので中に入らせてもらいました。
私が知らなかった王秋梨がたわわになっていました。
これから広がっていくのではないかと杉野さんは話してくれました。

王秋梨は、写真に見るように、形状がラグビーボールのようで、大型。
中国梨との交配種で、貯蔵性が高く、年明け後まで保存できるそうです。
一般に梨はあまり日持ちがしませんが、この王秋梨は3か月くらい持つそうです。
なだ収穫期には至っていないそうで、10月に入ってから中旬くらいまでが収穫期だそうです。
またその頃にうかがおうと思います。
シーズン最後の梨というわけです。

すぎの梨園の梨は節子が大好きでした。
節子に連れて行ってもらったことがあり、そのご縁で私もつき合わさせてもらっています。
ですから、すぎの梨園に行くときは、いつも節子が一緒のような気がするのです。

杉野さんは家族みんなで梨園を拠点にさまざまな活動をしています。
いつ伺っても、みんなが楽しそうに仕事をしています。
それが実にうらやましいです。
私にはもう望めないですが。

今日は5種類の梨をわけてもらってきました。
これまでは幸水の時期が終わると梨はあまり食べなくなっていたのですが、王秋梨は保存が聞く品種だそうです。
10月中旬に収穫したものは年を超しても大丈夫だそうです。
来年の正月には梨が食べられそうです。
節子にもお供えしようと思います。

■3670:人の人生は死で終わるのではない(2017年9月22日)
節子
雨です。
午前中、我孫子の教育委員会に寄ったのですが、外に出たらすごい雨です。
幸いに原田さんが車で連れて行ってくれたので大丈夫でしたが、そのまま駅に送ってもらい湯島に着いたら、晴れていました。
ところが、最初の来客と話しているうちに湯島も雨が降り始め、そのままなんだかくら〜い1日になってしまいました。

最初の来客から夕方のミーティングまで2時間以上の時間ができてしまいました。
それでまた書類の整理を始めました。
整理といっても基本は廃棄です。
一挙には廃棄できないので少しずつやっているのですが、いつも自分のこの30年を思い出すような作業になります。
忘れていた友人からの手紙が出てきたり、私の意気込んだ呼びかけ文が出てきたり、退屈しません。
気がついたら2時間がたっていましたが、ほとんど作業は進んでいません。
東尋坊での合宿のビデオが出てきて、それも見てしまっていたのです。
あの時のみんなはどうしているでしょうか。

改めて過去の資料などを読んでいると、実にいろんなことをやってきています。
それなりに面白くやりがいもあったのですが、まあしかし、だからなんだという気もします。
もっと地道に、節子と一緒に何かをやっていれば、私の人生も変わっていたことでしょう。
しっかりと取り組んでいる人は、それなりに成果を生み出していますが、私の場合は、いろんなことをやりすぎて、いまとなっては何も残っていません。
誰の役にも立たずに、ただただわがままに生きてきただけです。
困ったのです。

しかし、この30年の間に、本当にたくさんの人と出会い、たくさんのことに関わらせてもらいました。
それができたのも、当時は意識していませんでしたが、節子のおかげです。
この頃、それがよくわかってきました。
節子がいなくなってからの私の活動量はとても狭くなってしまっています。
それに勢いもビジョンもなくなってしまっているように思います。
第一、誰かの役立つことは何もできていない気がします。

人の人生は、死で終わるのではないことがよくわかります。
私の場合、もう終わっているわけですが、それを認める潔さがないのです。
困ったものです。

そろそろ夜のミーティングのメンバーがやってくる時間です。
さてコーヒーでも淹れておきましょう。
今日はブレンドもののモカです。
私には4杯目のコーヒーです。
おなかが減ってきたので、誰か何かお菓子でないものを持ってきてくれるといいのですが、まあ期待できないでしょう。

今日もまた昼食を食べ損なってしまいました。
困ったものです。

■3671:「収」はあっても「支」はない人生(2017年9月23日)
節子
先日、杉野さんからも、最近サロンが多いですね、と言われましたが、サロンが多いのです。
なんともう3か月先の12月まで決まりだしました。
湯島のサロンは大はやりです。
その上、今日はいつかサロンをまたお願いしようと思っていた宮崎さんから、こんなメールが来ました。

今度のサロンに妻がコムケアのメールを時々見ていて、「私も参加してみたいなあ。いいのかな?」と思っていたのだそうです。(知らなかったあ!!)

それで一緒に来てくれることになりました。
とてもうれしいことです。
節子がいたらいいのですが、私だけではおもてなしが全くできません。
お菓子を用意していてもついつい出すのを忘れたり、コーヒーも最近はコーヒーメーカーで作っておいて、勝手に取りに来てよなどと横柄になってきています。
コーヒーを出すのも、最近は受け皿無しのカップだけです。
その上、サロン終了後は何も言わないのに誰かが片づけてくれます。
私は何もしないわけですが、なんだかそれがどうもすっきりしないのです。
何かおもてなしをしたいわけですが、最近はおもてなしされているような気もします。

節子の時代と違ったのは、会費をもらうことにしたのです。
ビ−ルや軽食まで出していたのに、いまはそれも無しの上に会費までもらう。
これは一種の「恩送り」の考えなのですが、なかなかわかってはもらえないでしょう。
といっても徴収するわけではなく、横の机に缶が置いてあって、そこに勝手に入れていくようになっています。
ところがそこに、時々、1万円札が入っていることがあるのです。
間違って誰かが入れたわけではなく、ある人は1万円を入れていくのです。

さらに、サロンでなくても缶にお金を入れていく人がいるのです。
時々、サロンがなかったのにお金が入っていることがあるので、わかります。
まあみんなで湯島を支えてくれているのです。
本当はそういうお金の口座をつくればいいのですが、結局は私が使い込んでしまっているのです。
困ったものです。

もう少しきちんと構想を練って取り組んでいれば、湯島を共有財産にできたのでしょうが、ちょっといまは難しい状況です。
これまた私の失策に起因しているのですが、ほんとうに困ったものです。

しかし本当にうれしいのは、こんなにサロンが多いのに、毎回10人を上回る人たちが集まってくれるのです。
皆勤賞を狙うという人までいるのです。
地元のサロンであれば、そういうこともあるでしょうが、電車に乗ってやって来てくれるのです。
なかには2時間近くかけて毎回来てくれる人もいます。

サロンをやってきたおかげで、私は退屈しなくてすんでいますし、何か困ったことがあれば支えてくれる人もたくさんいます。
でもその一方で、最近、サロン疲れも出てきています。
さてさて、サロンの収支の帳尻はどうなっているでしょうか。
いやいやそう考えるのは私の主旨ではないでしょう。
疲れることと退屈しないで元気になれることは同じことなのですから。
サロンには「収」はあっても「支」はないのです。
きっと「人生」も同じですね。

■3672:時間があったのにお墓に行きませんでした(2017年9月24日)
節子
このお彼岸はお墓に行けませんでした。
まあそういうこともあるでしょう。
もしかしたら明日行けるかもしれません。

時間がなくて行けなかったわけではありません。
そもそも私は、「時間がなくて・・・できなかった」ということを認めないタイプです。
生きている以上、時間はあります。
問題は、その時間で何を優先するかです。
時間がないのではなく、優先順位が低かったということです。

さらに優先順位のなかには、「何もしないでいる」ことも入ります。
どうしてもやらなければいけないことは、どんな場合でも人は必ずやっています。
だから「時間がなくて・・・」というのは言いわけでしかありません。
そして、人はその優先順位の選び方で、生き方が見えてきます。

今日、私がお墓に行かなかったのは、ただ単に、行く気にならなかったというだけのことです。
お墓参りの優先順位が低くなったということです。
言い換えれば、お墓参りに行かなくても大丈夫になったということです。
でもなんだかちょっと気になるので、明日は行こうかなと思っているわけです。

では今日は、一日中、在宅だったのに、何をしたかです。
まあ意識的にやったのは、大相撲を見たことくらいでしょうか。
豪栄道は日馬富士には勝てないのではないかと昨日の相撲を見てから心配していましたが、まさにその通りになってしまいました。
こころの乱れは、どこかに必ず見えるものです。

あとはなんとなく、だらだらと過ごしました。
娘母娘が来ていましたが、あんまり付き合いませんでした。
娘たちと出かけてしまったからですが。
佐久間さんから新著が届いたので読みましたが、これは送られてきた本はできるだけすぐに読むという条件反射的行動です。
ちょっと思い出して、DVDで「ゴッドファーザー」のパート3を見ました。
最後がどうなっていたかを急に思い出したくなったので、かなりとばしながらでしたが。
この映画はもう何回か観ていますが、哀しい記憶だけが残っています。
見直して、やはり哀しい映画だと思いました。
いつも見てもそう思います。

こんなふうに、何もやらなくても1日は経過するものです。
たぶん一生もまた、何もやらなくても経過するものなのでしょう。
やはり明日はお墓に行くことにしましょう。
やるべきことをやっておかないと、やはりすっきりしませんので。

■3673:貧しい人ほど幸せを得やすい(2017年9月25日)
節子
やはりお金は困った時には現れてくるものです。
先日、口座振替をしていた先から振替ができないという連絡がありました。
そこで私の預金口座から振り込もうとしたら、残高がなんと20万円しかないのです。
銀行預金などはほとんど見たことがないのですが、いつの間にかどんどん減額していたのです。
それにしても貯金が20万円!
さすがの私もいささか不安になりました。

要するに私の年金収入だけでは、毎年赤字だったというわけです。
気が付きませんでした。
だとしたら、仕事を減らして、何もせずに隠居生活するか、あるいは逆にお金をもらえる仕事をするか、どちらにするか考えなければいけません。
いささか納得できないのですが、それにしても貯金が20万円とは白内障の手術もできそうもありません。
節約ぶりが不足していたのでしょうか。
そういえば、最近ちょっと太ってきたような気がします。
それで昨夜は、夜の食事は娘が98円で買ってきたトウモロコシ1本にしました。
美味しいトウモロコシでした。

ところが、です。
今朝、携帯電話を他社に乗り換えるために(いよいよスマホに切り替えます)、いろいろとネットで手続きしていたら、忘れていたあるネット銀行口座に預金残高があったのです。
宝くじに当たったような気がします。
ちょっと恥ずかしいので金額は書きませんが、これであと3年は生活は安心でしょう。
なにしろ現金出費に関しては私はほとんどお金を使いませんから。
医療保険にも入れそうです。
夜もご飯が食べられそうですし、もう少しお金をもらわなくてもすむ仕事も続けられそうです。
実に幸せな気分です。
幸せは、相対的なものですから、貧しい人ほど幸せを得やすいのです。

今日は良い日になりそうです。

■3674:死を意識すると生も意識できる(2017年9月26日)
節子
今日は友人のお見舞いに行こうと電話したら、なんと温泉旅行に行っていました。
電話で話したのですが、とても元気そうです。
なんだか肩すかしを食らったような気がしましたが、うれしいことです。

こう考えていくと、もしかしたら一番、見舞いに来てほしいのは私かもしれません。
しかし誰も来てくれません。
まあこういうところに、その人の徳が現れるのでしょう。
わがままに生きてきた結果でしょう。
困ったものです。

ところで、私のまわりにいま癌が発見され、手術した友人が数名います。
その一人は私と同世代ですが、家族がいない独り身です。
さぞかし不安ではないかと思っているのですが、そんなことはないようで、今日も温泉旅行だったのです。
私よりかなり若いの友人は、がん宣告以降、フェイスブックなので見ていると実に豊かな時間を過ごしています。
夫婦でコンサートに行ったり散策したり、子どもたちと会食したり、実にあったかい毎日を過ごしているのが伝わってきます。

他にもいるのですが、がん宣告をされ、死への意識を持つと、人は生き方が変わります。
癌になって、はじめて自分の生き方を考えるようになったという人もいます。
死を意識すると人は生も意識できるのかもしれません。
節子もそうでした。
しかし、いまから思えば、実に悔いが残るのですが、私自身は死も生も意識できていなかったような気がします。
節子の死など考えられずにいたのです。
ということは、節子の生も考えていなかったということかもしれません。
そんな悔いが、いまも心の中に刺さってしまっています。
夜中に目が覚めると眠られなくなるのはそのせいです。
心の底から笑えなくなったのもそのせいです。
でもだれも見舞いに来てくれません。
困ったものです。

今日もまたお昼を食べそこなってしまいました。
急な相談があったからですが、見舞いに来てくれる人はいませんが、相談に来る人は相変わらず多いです。
これが私の定められた生き方なのでしょうか。

■3675:あれは節子だったのか?(2017年10月2日)
節子
5日ぶりになってしまいました。
この間、いろんなことがありました。
今日は時間の合間にいくつか書くことにします。
まずは上高地での不思議な話から。

これに関しては時評編で書きましたので、内容はそちらにゆだねます。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2017/10/post-d2b9.html

上高地には節子とは2回行きました。
2回目は、たしか節子は闘病中でした。
3回目の予定も決めていましたが、それは実現されませんでした。
今回は、同行するはずもない娘が自分から行こうと言いだしました。
節子がいなくなってからはじめてのバスツアーでした。

もしかしたら、あの人は節子だったのではないかという気もします。
外見はもちろん節子とはまったく似たところはありません。
娘は、ずっと追いかけて来たのではないかというのですが、私たちの速さに追いつけるとは思えません。
しかも2回目はあまりに不思議な出会いです。
いるはずのないところにいたのですから。
私たちと同行していたのかもしれません。
もしそうなら、節子は何かを伝えたかったのでしょうか。
考えるといろんなことが浮かんできます。

またどこか節子と一緒に行ったところに行くと、同じようなことが起こるでしょうか。
試してみたくなりました。
どこが節子が一番出てきやすいところでしょうか。
間違いなく箱根でしょう。
冬が来ない前に、行けるといいのですが。

■3676:2週間ほど中断した挽歌を復活させます(2017年10月11日)
節子
挽歌の遅れを挽回しようと思ったにもかかわらず、また書けない数日が続きました。
習慣は一度破ってしまうと破ることが習慣になってしまうのかもしれません。

まあそれはともかく、元気ではあります。
身心はあまり活性化していないのですが、どこかが悪いわけではありません。
しかし、そうした状況が問題なのかもしれません。

先日、上高地で「神様」らしき人に会ったと書きましたが、数日前にまた、電車の中でそれらしき人に会いました。
ちょっとトラブルで電車に走って飛び乗ったのですが、前に座っている人が席をあけてくれました。
座ってから、その人を見たら、あの上高地であった人に雰囲気がとても似ていました。
フェイスブックには書いたのですが、もしかしたらもしかです。
でもその人というか神様は、次の駅で降りましたので、確認はできませんでした。

守護神という人もいますが、ユカは、そろそろお迎えに来ているのではないかと言います。
死神が調査に来ているのかもしれません。
そういえば、上高地でその神様に会ってから、身心から生命力が抜かれたような気もします。
上高地であった神様よりも電車であった神様のほうが、少しだけ元気そうでした。
私のおかげかもしれません。
死神にも役立てたとしたら、それはもううれしい限りです。

とまあこんなことを書いているうちに、少しまた魂が戻ってきました。
今度こそ、挽歌を書き始めます。

天気予報とは大きく違って、今日は冬空で寒いです。
テレビ報道と違います。
これはもしかしたら、あの死神の仕業でしょうか。
困ったものです。
でももしかしたら今日もまた会えるかもしれません。
午前中出かけるのが楽しみになりました。

世界にはまだまだ解明されていないことが多いのです。

■3677:「人の痛み」と「金の力」(2017年10月12日)
節子
今朝の日の出時には靄がかかっていましたが、8時過ぎから陽が出はじめ、さわやかな秋日和になりそうです。
しかし世間は相変わらずいろいろとあって、早朝から電話がありました。
ちょっと内容は書けないのですが、昨日、駆け込み寺的にあった電話の続きです。
調べてみたらこんな事実がありましたという内容ですが、人を信じてだまされそうになったという内容と言っていいでしょう。
まあよくある話ですが、その双方が私の知っている人なので、いささか事情は悩ましいのです。

話はとんでもなく変わりますが、アメリカのフーバー大統領の回顧録がようやく日本でも翻訳出版されました。
1300頁の大著なので読む勇気はまだでませんが、それを翻訳した人の書いた本を読みました。
そこにフーバー大統領の生い立ちが書かれていました。
貧しい環境で育ったようです。
だからこそ、人の痛みがわかり、生活視点での政治を行ったようです。
今日、電話があった事件に絡んでいる人も、貧しい環境に育ったようです。
そのために、お金の力を学んだようです。
それがその人の生き方につながったのかもしれません。
私も若干の被害を受けましたが、電話してきた方は、それを忠告してきてくれたのです。

同じ環境でも、そこから学ぶことは違います。
「人の痛み」と「金の力」。
そこから生き方が大きく変わっていきます。

同じ時代に育っても、人はこんなにも価値観が違ってしまうのだ、と最近痛感しています。
どうしてこんなに「貧しい時代」になってしまったのか。
とても哀しく寂しいです。

■3678:認識障害(2017年10月13日)
節子
今日はまた雨です。
それに寒いくらいです。
私の気分と同じように、天気も毎日変わります。
自然の影響を受けやすい私はそれに振り回されそうです。

影響を受けるのは自然からだけではありません。
一番大きいのはやはり「人」でしょう。
今朝もパソコンを開いた途端に、心が沈んでしまうメールが3通。
人と付き合うのは大変です。
どうして人との付き合いはこんなにも食い違うものなのでしょうか。
善意のつもりが他者を傷つける。
相手の善意の行為が私を傷つける。
たぶんあまりに気楽に人と付き合いすぎているのでしょう。
節子が言っていたように、そしてある友人が諭してくれたように、付き合う人は選ばなければいけないのかもしれません。
でも私には選ぶことができないのです。
みんな同じに見えてしまう。
たぶん「認識障害」なのです。

しかし、こうした「身心が沈む出来事」も、ある意味では、私の世界を広げてくれます。
他者が起こすことは、私にもまた起こす可能性があることです。
自分と無縁でないと思うと、私と他者が重なってきます。

昨日、ある人から相談を受けました。
知人からとても不快な仕打ちを受けたようで、それに関しての相談でした。
電話などで話して一応解決したのですが、その後もまたメールで、いろんな情報を送ってきてくれました。
やはり忘れられないのでしょうか。
その人にメールしました。

忘れるというよりも、まあそういう人だったと思い、ある意味では赦してやるのがいいと思います。
そうしないと自分の心が乱されかねませんから。
そんなことで心を乱すのはもったいないです。

実はこれは、私自身がいまの私に行っていることのような気がします。
その人からメールが届きました。

〇〇さんのことは、気持ちのよいものではなく嫌な、苦い感じがいまだに残っていますが、
〇〇さんは、何も感じていないと思います。
人は、分かりませんね。
自分にとっては辛いことでしたが、赦す、諦めるようにします。

私もそうしないといけません。
しかし私が「認識障害」であることをもっと早く知るべきでした。
今となっては、認知症と間違われそうです。
困ったものです。

■3679:(2017年10月14日)
節子
今日も寒い日です。
こたつが欲しいほどです。

最近なぜか「煩悩」が増してきているような気がします。
方向が反転してしまったのです。
困ったものですが、周りの人たちの生き方への羨望の念が高まっています。
みんなが幸せそうに感ずることが多くなってきています。
ここで「みんな」と言うのは、「すべての人」と言ってもいいでしょう。
それに比例して、何やら自分の生き方が貧しく感じてしまうわけです。
自分の生き方に否定的になる経験はあまりなかったのですが、どうも最近はそんな気分が生まれてきています。
この歳になって、おかしな話ですが、どうもすっきりしない日が続いています。

これは言い換えれば、自分への「肯定感」のゆらぎです。
彼岸への旅立ちの時に、「いい人生だった」と言えるかどうかはとても大切です。
節子は、「いい人生」だったと言っていましたが、果たして私には言えるかどうか。
最近、あんまりそうも思えなくなってきたのです。
ちなみに、ここで「いい人生」と言うのは、自分に恥じない人生だったという意味です。
今年の春までは、私はその意味では「いい人生」だったと確信していました。
でもどうも最近はそう思えないのです。

何があったのでしょうか。
心当たりはありませんが、最近、長い人生を振り返ると何やらたくさんの「後悔」のようなものが押し寄せてきます。
それが私の気持ちを萎えさせているのかもしれません。
この気分がいつ反転するか。
待つしかありません。
いまさらこれまでの人生を変えることはできませんから。

■3680:歯が折れました(2017年10月16日)
節子
昨日、前歯がまっぷたつに折れてしまいました。
困ったものです。

実は、あまり詳しくは書きたくなのですが、硬いものを歯で割ろうとしたのです。
これまで実は数回その行為をやっているのですが、その度に、歯が欠けるかもしれないので止めようと思っていたのです。
その一方で、欠けるかどうか試してみるというワクワク感もありました。
しかしなかなか欠けません。
それでますます続けてしまっていたのですが、昨日、欠けるどころか前歯が完全に根元から折れてしまったのです。
歯医者さんはもう終わっていましたし、月曜日は休診なので、今日は歯なしで過ごしています。

こういう事が起きるたびに思い出すのが、映画「荒野の七人」で、スティーブ・マックイーン演ずるヴィンが語っていたことです。
「裸でサボテンに抱きついた男がいた。どうしてそんなことをしたのかと訊いたら、その時はそれがいい考えだと思ったのだのだそうだ」
とても納得できる話です。
この映画を観たのは、たぶん大学生の頃だったのですが、以来、その言葉が忘れられません。
忘れられないばかりか、そういうことをやってみたいという気持ちが、無意識の中で続いているようで、後から考えるとあまりにも馬鹿げたことを私も何回もやっているのです。
今回の歯が欠けるかもしれないがやってみようと、言うことも、その一つです。
欠けてみて、一方ではしまったと思いながら、やはりね、と安堵もしています。
欠けるのではなく、根元から折れてしまったのは予想外でしたが。

それで今朝から食事が怖くなってしまっています。
それに、歯が1本ないだけでも、実に奇妙な感覚なのです。
今日はちょっと出かける気にならずに在宅で済ませています。
寒い雨の日になったので、在宅できてよかったです。
でかけていたら、風邪をひいてしまったかもしれません。
出かけるなという神の警告だと受け止めましょう。
ありがたいことです。

■3681:自分を生きるということ(2017年10月16日)
節子
一昨日、アイヌをテーマにしたサロンを湯島で開きました。
アイヌの島田あけみさんが参加してくれましたが、彼女は「45歳からアイヌになった」といいます。
つまり、それまでは自分がアイヌであることをできるだけ隠して生きていたということです。
たしかにそういう時代でした。
それから16年、先日お会いした島田さんにはオーラを感じました。
自分に戻れば、人は生き生きとしてくるのです。

しかし、自分をしっかりと生きることはそう簡単なことではなさそうです。
社会に合わせて生きていくのが一番楽かもしれません。
しかし、そうできない人もいます。

私は、それなりに自分を素直に生きてくることができました。
それがよかったのかどうかはわかりません。
節子がもし今も隣にいたら、よかったといえるでしょうが、いなくなった今となっては、そう確信することもできません。
しかし、私が私らしく生きることができたのは、節子のおかげです。
私のことを信頼し、理解してくれた、たぶんただ一人の人ですから。
感謝しなければいけません。
人は、自分を無条件に信頼してくれる人がいる時には、自分に素直に生きていけるものです。
節子がいなくなってから、それがよくわかります。
いまの私は、時にちょっと自分らしくないような気がするのです。

今日は寒い日でした。
寒い日は、節子を思い出します。

■3682:「癒える」こともなければ、「癒す」必要もない(2017年10月18日)
節子
昨日、お会いした人が、帰り際に「まだ癒えませんか」とつぶやきました。
1年ぶりくらいにお会いした方です。
お会いした件とはまったく関係のない問いかけだったので、意表を突かれた感じで、しかし即座に「癒えません」という言葉が出てしまいました。
なぜその方がそういう問いかけをしたのか、冷静に考えると理解できないのですが、もしかしたらその方はこの挽歌を読まれたのかもしれません。

その方は江戸っ子を思わせるような雰囲気を持った女性です。
最近、お父上を亡くされました。
それと重ねた問いかけだったかなとも思いますが、彼女は最近夫を亡くした友人が2年たっても涙が止まらないという話をしてくれました。
止まるはずがない、とこれも即座に言葉が出ました。
その人は、きっと「癒えたい」などとは思っていないでしょう。

しかし、そういう言葉を発しながら、「癒える」とはいったい何なのだろうかという疑問も浮かんできました。
今日は歯医者に行ったのですが、治療台の上でそのことを考えていました。
そもそも、悲しみは、悲しみとして残る以上、「癒える」ことなどあるはずもない。
それに「癒す」必要もない。
それが結論です。

癒えてしまったら、それは悲しく寂しい思い出ではなくなってしまう。
死者はそれを喜ばないでしょう。
思い出すたびに、笑いと涙が浮かんでくる。
そういう関係をつづけることこそが大切です。
悲しい時には素直に涙し、楽しい時には素直に笑う。
生前もそうだったように、そういう付き合いを続けるのがいい。
そう思います。

歯医者の治療台の上では、もっといろいろと考えが浮かんできたような気がしますが、要は、改めて、「癒える」こともなければ「癒す」必要もない、ということです。
だからきっと昨日は即座に言葉が出たのでしょう。

今日も寒い日です。
身心がとても寒い。
冬がもうすぐそこなのかもしれません。

■3683:アイヌと共に1日を過ごしました(2017年10月19日)
節子
今日も寒い日で、ほとんど自宅で読書をしていました。
先日湯島で開催したアイヌのサロンで触発されて、3冊の本を読みました。
といっても、1冊は北海道で使われている中学校の副読本です。
3冊の本を読んで、私がアイヌについてあまりに知らないことに改めて反省しました。
50年前に読んだ「アイヌ民族抵抗史」がいまなお出版(しかも2年前に復刊)されていることにも驚きました。
事態はほとんど変わっていないのかもしれません。

一昨年出版された「アイヌ民族の歴史」を読むと、アメリカのネイティブ、いわゆるインディアンの歴史と同じような状況だったことを知りました。
当時、アメリカの西部開拓史を読んで、多くのネイティブが惨殺されたことに衝撃を受けたことを覚えていますが、なぜか同じころ読んだはずの「アイヌ民族抵抗史」の内容は忘れていたこともショックでした。

節子がいた頃は、こうした話をよくしたものです。
節子が特に関心があったわけではありません。
しかし、私が知った衝撃を、いつもシェアしてくれました。
そして素直に話を聞き、反応してくれました。
人は話しながら思考を深め、広げます。
節子はまさに私の思考を広げてくれる存在だったのです。

そういうことがもう10年以上できなくなっています。
湯島でサロンをやると世界が広がります。
新たな関心が生まれてくる。
そのやり場がなくて、ちょっと困っています。

これから50年ぶりに「アイヌ民族抵抗」を読もうと思います。
それが終わったら、次はこれも久しぶりに「アイヌ神謡集」です。
今度は少しは理解できるでしょうか。

■3684:人生のど真ん中が空洞(2017年10月21日)
節子
投票日が朝早くから出かけなくてはいけなくなったので、期日前投票に行ってきました。
例年以上に混んでいました。
今回の選挙は、戦争と原発を受け入れるかどうかの選挙ですので、投票先ははっきりと決められます。
大義がないとかどこに投票していいかわからないなどという報道が多いのですが、何も考えない人たちはその報道の言葉を言い訳にして、いつものように何も考えていない気がしていましたが、期日前投票者の多さを見て、ちょっと状況が変わって来たかなという気がしました。
もしそうならばうれしいことです。

節子がいなくなってからの私は、あまり誠実に生きているとは言えませんが、その私から見ても最近の日本人は、自分の人生を生きていないような気がしてなりません。
幸いなことに、私のまわりにはまだ、生きている人間がいるので自分の生き方がむしろ恥ずかしいですが、新聞で見る限り最近の日本にはしっかりと自分を生きている人は少なくなったように思います。
それが証拠に、最近は企業にしろ行政にしろ、学校にしろ施設にしろ、信じがたい問題が多すぎます。

どうしてこんな社会になってしまったのでしょうか。
節子がもし元気だったら、都会とはすっぱり縁を切れたかもしれませんが、私一人ではそうする勇気はありません。
人と会うことで、なんとなく生きている気になっていますが、人と会うと必ずと言っていいほど、心が乱れます。
つまり、社会ともっと関わりたくってしまい、煩わしいことを引き受けてしまうのです。
奇妙な話ですが、これはたぶん確固たる自分がないからでしょう。
人が嫌いなくせに、人に会わないとさびしくなる。
人生のど真ん中が空洞のためかもしれません。

今日は投票に行った後、英国のクライムドラマを5時間も見てしまいました。
39年前の殺人事件を掘り起こし解決するというドラマです。
とても暗くて、惨めな気持ちになるドラマですが、最後はさわやかな終わり方になっています。
心に響くセリフもいくつかありました。
生きるとは何か、家族とは何か、愛するとはどういうことなのか。
そんなことを考えさせられるドラマでした。
シリーズ2もありますが、さて見ようかどうか迷っています。
最近はドラマや映画を観ると、なんだか自分の人生を問い質されるような気がするようになってきました。

今日もまた寒い1日でした。

■3685:あっという間の3時間(2017年10月22日)
節子
福岡の西川さんが久しぶりに湯島に来てくれました。
西川さんは節子の葬儀にも来てくれました、その後、わが家にまできてくれ、ハーモニカを演奏してくれました。

久しぶりに会う西川さんはお元気そうでした。
なによりも顔が輝いていました。
医療機関による治療は、鍼灸以外は一切やめ、薬の服用も止めた結果かもしれません。
ハーモニカもきっと影響しているでしょう。
西川さんはハーモニカのストリートパフォーマー活動やハーモニカ指導などもしていますが、長年難病に悩まれていたのが嘘のようにお元気そうで、以前は手放せなかった杖も不要になったそうです。
難病や重度の障害を持つ人も、西川さんのハーモニカ指導で奇跡を起こしている人もいるようです。
あっという間の3時間でした。

たくさんの刺激もいただきました。
取り組んでいる活動の話もお聞きしました。
みんな夢のある、しかも社会に新しい価値を提供する活動です。
ともかく自分の人生を生きている。
それが輝いている理由かもしれません。

久しぶりにさわやかな元気をもらったような気がします。
話は尽きなかったのですが、台風で飛行機が飛ばなくなる恐れがあるので、早目に羽田に行くというので、少し早目の昼食を一緒にして別れました。

西川さんを見習わなければいけません。

■3686:壁か溝か(2017年10月24日)
節子
2日かけて、英国ドラマ「埋もれる殺意」をみました。
それに関しては今日の時評編で書きました。
いろいろと考えさせられる人間ドラマですが、さまざまな夫婦が出てきます。
みんな愛し合っているのですが、どこかに壁がある。
壁をつくっているのは、悪意からではなく、過去を知られることの不安です。
かなりの人生を別々に生きてきた2人が、生活を共にするのは、それなりに大変なことです。
文化も思考も違えば、好みも価値観も違う。
だから注意しないと溝ができる。

壁と溝は意味合いがかなり違いますが、2人の世界を分けてしまう点では同じです。
壁や溝があっては、なかなか同じ世界はつくれない。
全く同じ世界を生きることは煩わしいし、たまには一人の世界に浸りたいという人もいるかもしれません。
しかし、私が思うのは、同じ世界であればこそ、それぞれの平安な居場所がつくれるのではないか。
となりに、もうひとりの自分がいると思えば、逆にまわりを気にせずに、自分に浸りきれるような気がします。
私たちは、たぶんそうでした。
壁も溝もないからこそ、自分を思い切りだせたように思います。
そういう意味では、お互いにいつも自分をさらけ出せる関係でした。

ドラマの世界はともかく、現実はどうでしょうか。
夫婦の壁や溝はどのくらいあるものか。
私の体験では、夫婦関係を続けていると、壁は低くなります。
逆に気をつけないと溝は深くなりがちです。
私たち夫婦も、溝ができかけたことはあります。
しかし壁がなかったことが、その溝を深めずに埋めていくことができた気がします。

溝がないと気づいたのは、私が会社を辞めると節子に話した時です。
節子は、私が話す前からそれに気づいていました。
拍子抜けするくらい、よくこれまでもったねと言いました。
壁がないため、すべては見透かされていたのです。

壁があろうとなかろうと、夫婦はお互いに見透かせるものです。
一緒にいる時間が少なければともかく、普通に同じ家で寝食を共にしていれば、わかると思えば、すべてがわかるでしょう。
ただし、溝があれば、わかろうとするところに曲解が入り込んで、おかしな実態を虚構してしまうかもしれません。
それがまた溝を深め、壁を高めてしまうのかもしれません。

幸せそうな老夫婦に出会うことがあります。
私たちもきっとこうなっただろうなと思うこともあります。
今生ではそれが実現できなかった。
来世では、それを手に入れたいと思います。

■3687:毛髪回復作戦を開始します(2017年10月25日)
節子
寒い冬は気をつけなければいけません。
まわりでもいろいろあります。

最近、頭の真ん中がはげてきました。
そこでふと、そこの毛髪を増やしてみようと思いつきました。
そこでいつものように、フェイスブックで以下のようにアドバイスを募集しました。

アドバイスのお願いです。
私の毛髪はかなり薄くなっています。
頭の中央部は肌が見えるほどです。
私は無精者なので、現在は頭髪がぼさぼさにならないための調髪剤を使用しているだけです。
今日、洗髪しながらふと、頭髪回復は可能だろうかと思いつきました。
それで、「困った時のフェイスブック頼み」を信条としている私としてはアドバイスをお願いすることにしました。
何かいい方法はないでしょうか。
植毛などをせずに、まあ簡単な方法で、半年後にせめて地肌が見えないようになる方法はないでしょうか。
費用や努力が必要なことは私向きではありません。
最高のアドバイスは断念することだ、などという冷たいアドバイスも私向きではありません。
どうぞあたたかくて実効性のあるアドバイスをお願いします。
私の頭の真ん中の地肌が見えなくなるアドバイスをくださった方には、お礼にコーヒーをご馳走します。

10人超す人がアドバイスをしてくれました。
自然の流れに任せよという、至極もっともなものも含めて、です。
お礼を込めて回答をフェイスブックに書きました。

一番実行できそうなのが「セロリ療法」です。
私の好物でもありますので、食べることにしました。
それとビタミンCは食べるのでいいのでしょうか。
もしそうならこれも採用。いや既にやっていますね。シャンプーですが、近くの手賀沼を汚してはいけないので一時期石鹸を使用していましたが、最近のシャンプーは水にやさしいそうなのでしばらく前からシャンプー使用に戻しています。
でも、これも採用してみようと思います。
それ以外の案は、難癖をつけてみんな不採用にします。
最近は機嫌があまりよくないためです。

頭皮美容液は、近くの皮膚科のお医者さんと相性が悪いので、不採用。
かつらは、腕時計でさえダメな私にはまったく無理。
剃り上げと髭はいい案ですが、今回の主旨に合いません。
短く刈るのも同様で落選。
今回の目的は、はげた頭に自然に髪が生えることへの挑戦なのです。
見栄えとかという問題解決ではないのです。

「ふのり」はどこで入手できるのかよくわからないのとめんどくさそうなので不採用。
無駄な抵抗はやめなさいというアドバイスも不採用。無駄な行為が好きなのです。
「リアップ」は高価すぎる上に簡単には買えないようなのですが、とりあえず保留。

他にもいろいろとありましたが、結論としてセロリとビタミンCの摂取に努めます。
さてさてうまくいくでしょうか。

■3688:自分でさえ気づいていない自分(2017年10月26日)
節子
私のブログに出合った在米の日本人が湯島に来ました。
あることを調べていて、私のブログに出合ったのだそうです。
それが、この挽歌だったようで、ドキッとされたそうです。
その方はアメリカにもう30年ほどお住まいのライブラリアンです。
最近、お仕事をお辞めになり、今回は仕事ではなく日本に来ていたそうです。
そして帰国する前に、湯島に来てくれたというわけです。
湯島で私がやっているサロンに関心を持ってくれたそうです。

なぜこんな生き方をしているのか。
その話をする中で、節子のことも少しだけ話しました。
節子を見送って自宅に引きこもりがちだった時に、友人たちが引っ張り出してくれたことを、です。
考えてみれば、あの時から私の生き方は変わってしまったのかもしれません。
陰と陽のある生き方です。
決して裏表ではありませんが、たしかに陰と陽がある。
決して陰のない陽になることはありません。
陽の真っただ中にいても、突然、奈落に引きずり込まれるような気がすることも少なからずあります。
外から見える自分の内側が、どうも違うなと自覚することも時にあります。
困ったものです。

その人はアメリカでIT関係のお仕事もされていたそうです。
ですからネットに関しては、とても用心深いようです。
私のような何でもかんでもネットに開いている生き方とは対照的ですが、注意された方がいいですよとアドバイスされました。
私自身はネットの恐ろしさはかなり自覚しています。
20年ほど前、友人が事件に会った際に、私とのネットでの交流から私のところにまで警察が来たこともありますが、最近はそれどころではないのでしょう。
でもまあすべてをオープンにする生き方は、いまさら変えることもできません。
生活だけではなく、私の場合、心の奥の奥までできるだけオープンにしていきたいと思っていますが、ここまでオープンにしていれば逆に心配もないようにも思います。

しかし、そうは言っても、言葉にはならないこともたくさんあります。
それに自分でさえ気づいていない自分もいる。

最近、そう思うことが時々あります。

■3689:生活リズムの乱れ(2017年11月3日)
節子
久しぶりに正真正銘の時間破産です。
挽歌どころか時評編も書けませんし、友人から送られてきた書籍の紹介もできません。
机の上は見事にめちゃめちゃになっています。
気になっている人への電話もできません。
精神的にも余裕がなくなっているです。
そのために、挽歌は3週間以上、たまってしまいました。
それほどたまると、逆に書こうという気はなくなり、まあここで少しくらい書かずにいても、3週間が4週間になるだけだろうと奇妙に開き直ってしまうものです。
しかし、この遅れを取り戻すのはかなり大変です。
いっそ、ここで打ち切ったらとさえ思わないわけでもありませんが、それは約束に反します。
一度決めたことは守らなければいけません。

さて昨日は4つのそれなりにハードなミーティングをこなしました。
節子がいつも言っていたように、まったく違った分野の人とのミーティングです。
今日は2つですが、明日はまた3つです。
そういう状況にいると、今日が3連休の休日だなどと言うことさえ忘れてしまいます。
昨日会った人に、どうしてもう1日延ばさなかったのかと厳しく言ってしまいましたが、考えてみると今日は休日なので、延ばせなかったのです。
今朝になって気が付きました。
悪いことをしました。
忙しいということは、そういう間違いを起こすことにもつながり、恥ずべきことです。
反省しなければいけません。

時間破産の上に、最近いささか寝不足です。
夜中に目が覚めてしまうのです。
そのまままた眠ればいいのですが、最近はなぜか起きてしまいたくなります。
それで枕元に積んでいる本を読みだしてしまうわけです。
これがよくありません。
それで逆についつい寝坊してしまう。
生活リズムが乱れてしまうと、いろんな弊害が発生します。

11月に入ってしまいました。
少し生活の乱れを正さなくてはいけません。

■3690:挽歌を再開します(2017年11月11日)
節子
最近は挽歌を書くことが日課から外されてしまっています。
極度の時間破産のせいですが、挽歌を書かなくても大丈夫になったのかもしれません。
昨年までは、挽歌を書くことで自らの精神的なバランスが取れていましたが、いまはその必要がないのかもしれません。
挽歌のナンバーと、節子がいなくなってからの日数に、30もずれが生じてしまいました。

最近の時間破産の原因はいろいろとあるのですが、気力体力そして意欲の低下です。
同じことを処理するのに、たぶん最近はかつての数倍の時間がかかります。
それはもしかしたらだらだらと過ごしてきたからかもしれません。
意欲や目標がないと時間感覚が変わりますし、集中する意欲が出てきません。
周りの人には、私がいろんなことをやっていると見えているようですが、私自身のなかではただただ惰性でやっているような気もします。
生きる意味としての節子(別に節子でなくともいいのですが)がいなくなった途端に世界は一変します。
時間の意味も人生の意味も、変わります。
自らの健康に配慮しようという思いなどなくなります。
自分でもはっきりとは自覚できませんが、まったく変わってしまうのです。
人生を変えればいいだけの話ですが、私のように精神的に弱い人間には、2度の人生は送ることなどできません。

まあそんな感じで10年を過ごしてきました。
そしてようやく10年たって、挽歌を書かなくてもよくなったのかもしれません。
時間が癒すということはこういうことでしょうか。
受け入れたくはありませんが、そうかもしれません。

ところで場なんかを書き続けるかどうかですが、書きつづけることにしました。
30のずれにも追いつくつもりです。
明日から再び書きだそうと思います。
この間、書きたいこともいろいろあったのですが、数日たてばそれは忘れてしまいます。
挽歌を書きながら生きる意味を考えることができていましたが、挽歌を書かないことで生きる意味を考えることもできます。
この1か月の、挽歌なしの日々は、ちょっと私には新鮮でした。
時間破産も、時にはいいものです。

ちなみに、たぶん時間破産は乗り越えましたので、またいつものような、暇な毎日が戻ってくるでしょう。
うまくいけば、上野でやっている運慶展にも行けるかもしれません。

■3691:他者を思いやる余裕がありませんでした(2017年11月12日)
節子
再開したはずが、今日もバタバタと1日が終わってしまいました。
なにやら宿題が机の上に山積みで、そこからどうも逃げたくなるのです。
困ったものです。

昨日、私よりも若い友人がサロンに参加してくれたのですが、9月2日に奥さんを亡くされたそうです。
そういえばしばらくサロンに顔を出さないなと思っていましたが、思ってもいなかったことです。
四十九日を終えたところなので、私の体験から言えば、実感が強まっている時でしょう。
この時期の過ごし方は大切かもしれません。
注意しないとそのまま後を追いかけたくなりかねません。
だから無理をしてでも外に出たほうがいい。
彼もそのことを知っているようで、昨日もサロンに来てくれたのです。

しかし、彼から話し出さなければ、そのことに気づきませんでした。
もしかしたら、そうやって私のまわりで起こっている伴侶との別れに気づいていないことも少なくないのかもしれません。
他者の痛みをわかるということは本当に難しい。
そして、わかっても、どう対処していいかがわからない。
この10年の私の体験はなんだったのか。
自分だけが悲劇のど真ん中にいるような、そんな大きな勘違いをしていたのかもしれません。

彼と話していて、少し10年前のことを思い出しました。
あの時は世界が全くと言っていいくらい見えなくなっていました。
悲しさとか寂しさも、あまりリアルではなかった気がします。

あれから10年。
いろいろと思うことが多いです。

今日、挽歌が書けなかったのは、それとは関係ありません。
ある人が、挽歌を再開しましたね、とメールをくれました。
そうやって気にしていてくれる方がいる以上、挽歌はやはり書きつづけようと思います。

■3692:「すべての知恵は朝に目覚める」(2017年11月13日)
節子
久しぶりに起きてすぐ挽歌を書きだしました。
ちょっと寝坊してしまいましたが。
空は雲で覆われていますが、手賀沼の向こうの東の空は少しだけ陽の光が輝いています。
静かな朝です。

いま少しずつ読んでいるソローの「森の生活」を今朝も少し読みました。
いつもは読みだしたら2日で読み終えるのが私の読書週間ですが、今回は毎日30ページくらいずつ読むようにしています。
この読み方もまた久しぶりです。

今朝よんだところは、朝の話でした。
ソローはこう書いています。

記念すべきことが起きるのは朝、大気に包まれた朝である、と言っておこう。
ヴェーダの経典には「すべての知恵は朝に目覚める」とある。

今朝の気分にピッタリです。
この静けさには心洗われます。
少しずつですが、鳥もさえずりだしました。
初冬を感じさせる朝です。

私の特技は、目覚めてすぐに心身が動き出すことです。
目が覚めてすぐに本を読んでも頭に吸い込まれるように入ってきますし、パソコンに向かえば文章が出てきます。
節子はいつもそれに感心してくれていましたが、たぶん寝ている時にも身心は動いているでしょうから、私には違和感はありません。
昔は今以上に、睡眠中の夢と現実がつながっていました。
ですから、節子の夢を見た朝は、夢の続きを節子に話しかけたりしたものです。
いまは、夢と目覚めた時の世界は切り離されてしまっていますので、夢を思い出すことさえ難しいです。

今日は普通の人にとっては週の始まりですが、私にとってはお休みの日です。
土日は何かと用事があるので、基本的には月曜日は安息の日にしているのです。
もっともそれが守られることは少ないのですが、今日は大丈夫でしょう。

今日から朝夕2回、挽歌を書くことにしました。
生活のリズムが戻ってくれるといいのですが。

■3693:節子に弔辞を語っていませんでした(2017年11月13日)
節子
午後から寒くなり、雨まで降ってきました。
午前中はちょっと気力が出ていたのですが、そんなわけで午後はだらっとしてしまっていました。
私の場合、だらっとしてしまうとまさにだらっとしてしまいます。
困ったものです。

ノルウェイのテレビドラマ「ノーベル 戦火の陰謀」を観ました。
アフガニスタンの戦争に行ったノルウェイ兵士の葬儀のシーンがありました。
そこで仲間の兵士が弔辞を述べるシーンがありました。
心のこもった弔辞でした。
意味もなく涙が出ました。
そこでハッと気づきました。
そういえば、私は節子への弔辞を語ったことがなかった、と。

告別式の時に参列してくださった方に、お話をさせてもらいました。
その時はなぜか涙も出さずに、不思議なほど淡々と語ったように思います。
でもあれは、節子と一緒に語ったのであって、節子への弔辞ではありません。
有名人のお葬式では友人が弔辞を述べますが、個人の葬儀の場合は、あまり弔辞を語ることはないのかもしれません。
それに、悲しみがあれば、実際には死者への弔辞など語れるはずもない。
語れるようになるのは、たぶん数日たってからでしょう。
でも、節子は弔辞を望んでいたかもしれません。
こんなだらだらした挽歌などではなく、しっかりした弔辞を書くべきだったかもしれません。
そんなことを思いながら、だらだらとそのドラマを見ていました。

今年は秋がなかったですね、と知人がメールをくれました。
節子がいなくなってから、私の季節感は大きく変わってしまい、とりわけ節子を思い出させる「秋」はなくなっていますが、今年は、みんなにとっても秋はなかったのかもしれません。
最近は季節が少し乱れているのかもしれません。
節子がいるころは、そんなことはなかった。
そんな気がします。

■3694:朝の3時に起きる勇気(2017年11月14日)
節子
最近、深夜の3時とか4時に目が覚めることが多くなりました。
そして、そのまま眠れなくなり、読書をしてしまうことも少なくありません。
昨夜も3時に目が覚め、なかなか眠れなかったの、枕元に会った「森の生活」を読むことにしました。
ところが、なんという偶然! こんな文章がありました。

私は、冬季の間、除雪機を使って、快活で、元気な仕事にたずさわる堅実な人々に心を打たれる。こういう人々は、ナポレオンもめったに考えなかったような、午前3時に起床するという勇気を持っていたばかりか、その勇気によって夜はそんなに早く就床せずに我慢しているのだ。

なんということはないことですが、午前3時に起床というところが、私と同じだったので、ついついそのまま読んでしまいました。
その先は「孤独」と章された文章でした。
ソローはそこで、「孤独」について体験的に語っています。
大自然に包まれていることを実感していたソローには「孤独」などと言うことはありえなかったのです。

最近、私もそのことを感じます。
もっとも私の場合は、「自然」ではありません。
いささか気恥ずかしいのですが、「節子」なのです。
いつもすぐそばに節子を感じられるようになった、どのくらいたつでしょうか。
それ以来、孤独感はないのです。
もちろん「さびしさ」はありますが、少なくとも「孤独」ではありません。

3時に目覚めて、読書をすることが週に1回はあります。
読書と言っても1時間弱で、その後、また眠ってしまうので、その日は寝坊をしてしまいます。
今朝も7時半過ぎに目が覚めました。

メールが届いていました。
相談が有るというのです。
運慶展に行こうか行くまいか迷っていましたが、相談があると言われれば、断るわけにはいきません。
そういえば、今日、相談に来る人は、運慶のなにかの像に似ている人です。
運慶が私のところに来てくれると考えればいいでしょう。
いや、事実そうなのかもしれません。
なにしろ突然のことですから。

さてそろそろ出かけなければいけません。

■3695:男性と女性の世界(2017年11月14日)
節子
今日は湯島で「ほっとスマイルプロジェクト」の集まりがありました。
主に認知症予防ゲームやラフターヨガの実践者たちの集まりです。
10人を超す参加者がありましたが、みんなとても熱心です。
私にはあまりふさわしくない集まりなのですが、いろんな経緯があって、関わっています。
みんななにか社会活動をしたいという思いを持っている人たちです。
仙台からわざわざ参加してくれている人もいます。
女性たちの元気さにはいつも圧倒されます。
節子が元気だったころは、まだこの活動にあまりコミットしていませんでした。
ですから節子はゲームを体験したことがありません。
節子がいたら参加するでしょうか。
ちょっと微妙な気もします。

今日、一人の方が私に1冊の本を持ってきてくれました。
「茶色の朝」
フランスの政治を動かしたといわれる寓話の絵本です。
帰りの電車で読みました。
とても示唆に富んでいる本です。
節子が読んだらどういう感想を持つだろうかと思いました。

湯島ではいろんな集まりがありますが、参加者が男性中心の時と女性中心の時とでは雰囲気が違います。
政治関係の場合は圧倒的の男性が多いです。
本をくださった方は、湯島の政治の集まりにも参加してくださったことがあります。
しかし、多くの場合、男性たちの理屈っぽい話になかなか割り込めません。
私自身は、生活者である女性たちの政治の話し合いをいつも聞いてみたいと思っています。
節子がいた時には、節子を通して女性の反応を時々感じていましたが、いまはそれができません。
この「茶色の朝」を材料にして、女性たちの話し合いをできればといいなと思いました。

でもまあ女性の集まりには、私自身がなかなか入っていけません。
男性と女性は、やはり別の世界に住んでいるような気がしてなりません。

■3696:変えていく人生と変えないままの人生(2017年11月15日)
節子
福岡の玉井さんが湯島に来てくれました。
10数年ぶりです。
2時間しかなかったのですが、玉井さんはしばらくぶりだったので、来た途端に話し出し、ともかく話し続けました。
玉井さんのキャリアは書きだすときりがないのですが、そもそもは都市計画の専門家で、20年ほど前にジェーン・ジェイコブスの話題で意気投合して以来のつきあいです。
福岡在住なので滅多に会えないのですが、なぜか先月の西川さんにつづいての福岡からの来客です。

湯島の私のオフィスは30年近く変わっていません。
ですから時々とんでもなく久しぶりに来てくれる人もいます。
私は、自分の居場所は一度決めたらできるだけ変えないのが方針です。
オフィスもメールアドレスも、まったく変えていません。
電話番号も変えたくなかったのですが、電話料金を払えなくなったことがあり、変わってしまいましたが、そうでもない限りは変えません。
変えてしまうとつながりが切れてしまうからです。

特に湯島は私の人生にとってはとても重要な場所になっています。
湯島の部屋は小さいし、あんまり掃除も行き届いていませんが、それでも来てくれた人がゆっくりとしてくれて、居心地がいいと言ってくれます。
すべてを真に受けているわけではありませんが、私自身も居心地がいいので、たぶんいろんな人が、この部屋に「気」を置いていってくれているのだろうと思います。
ここには、私たちの30年の人生が積もっているのです。
30年も経過すると、椅子もかなり壊れだしていますが、なんとか使いこなしています。
カーペットや壁を改装しようとした途中で節子は病気になったため、カーペットだけは張り替えましたが、壁は結局、最初のままです。
節子の計画は途中で終わっていますが、それもまた私には思いがあるのです。
椅子はさすがに痛んできたので、買い替えようかと思ったこともありますが、経済的にもちょっと苦しいのでやめました。
本当は費用の問題ではなく、面倒くさいのが一番の理由なのですが。
節子がいたら、新しい椅子に変えてよと一言でいいのですが、いまはそういうわけにもいきません。
それにふたりで苦労して探した椅子でもあるのです。

私が節子を今もなお、自分の伴侶にしているのも、理由はほとんど同じです。
つまり自分の居場所を変えるのが面倒だからです。
まあこんな言い方をすると誤解されそうですが、変えていく人生と変えないままの人生とがあります。
いまの私にとっては、変えない人生が向いているようです。

今日も昨日のように過ごせた幸せに感謝と言っていた、節子を思い出します。

■3697:ほれぼれする女性(2017年11月16日)
節子
今日はさわやかな秋日和です。
ほれぼれする女性に出会いました。
といっても、お目にかかったわけではありません。

友人から「アメリカの鏡・日本」という本が面白いと勧められました。
早速読んでみました。
お昼ごろから読みだしたのですが、面白く、午後出かける用事や約束事の資料づくりなどがあったのですが、すべてやめて読書に徹しました。
読み終えて、この著者の知性と誠実さにほれ込んでしまいました。
著者の名前はヘレン・ミアーズ。
戦後、GHQの一員として来日した女性です。
この本を出版したのが1948年。
もう故人になっているでしょう。

アメリカにはこういう女性がいたのだと感激しました。
内容を紹介しないとどうして私が惚れ込んだのかは伝わらないでしょうが、私自身、うまく説明できません。
しかしあれほどの惨事(第二次世界大戦のことです)があった後で、こんなにも事実をしっかりと見ることのできる人がいるというのは驚きです。
人間への不信感が最近強くなっているのですが、少し前までには、こうした知性を持った人がいたと思うと何かうれしくなります。
最近は、人に知性を感ずることが少なくなってしまっていて、人が知性を持っていることを忘れていました。
久しぶりに人への信頼感がもてたことがうれしいです。

しかし、読書に時間をとられてしまい、今日予定していたことができませんでした。
今日中にメールで連絡すると約束した人が3人ほどいるのですが、まあ許してもらいましょう。
久しぶりに集中して読書をしたので、これから何かをやる気が起きません。
「森の生活」でも読みながら、頭を休めましょう。
読書の疲れを取るのは、読書が一番ですから。

■3698:意外なところで節子知り合いに会いました(2017年11月26日)
節子
また1週間、挽歌を書きませんでした。
まあ毎朝、般若心経簡略版をあげていますのでゆるしてくれるでしょう。
それにしても、どうも気が立ち上がってこない日々が続いています。
でもようやくいろんなことから自由になれそうです。
たぶん、ですが。

昨日、我孫子の市民活動フェスタで、公開フォーラムをみんなで主催しました。
学校と地域の融合教育研究会の宮崎さんにキースピーチをお願いし、その後、地元我孫子で活動している若い世代の人3人のパネルディスカッションをしました。
60人ほどの人が集まってくれました。
パネルディスカッションには、宮崎さんも入ってもらい、会場にも発言を呼びかけました。
なんとそこに宮崎さんの大学時代の同級生が参加していたのです。
宮崎さんにとってのマドンナだった女性です。
50年ぶりの遭遇だそうです。
その話をした後、その女性は「民生委員をしているが、私の前の前の民生委員は佐藤さん(私です)の奥さんだった」とみんなの前で言いました。
これまた驚きました。
節子が知っている人なのです。
私は知りませんでしたが。
実に不思議な気分でした。

フォーラム終了後、NPO関係者の交流会に参加しました。
たまたま隣席の人が、花かご会の話をしだしました。
節子が中心になって立ち上げたボランティアグループです。
その人はまさか私が花かご会を知っているとは思ってもいなかったでしょう。
話をした後、花かご会の代表に取材に行ったことがあるというのです。
節子がいなくなってから代表は山田さんですが、節子が元気だったら節子に会っていたかもしれません。

というわけで、昨日は節子を思い出させる2つの出会いがあったわけです。

そういえば、もう一つありました。
交流会の席には、宮内さんも同じテーブルだったのですが、宮内さんは自己紹介の中で、私との関係を話し出しました。
私の家にギターを持って歌を歌いに来た話をしてくれたのです。
節子が亡くなった翌年で、私を元気づけに来てくれたのです。
そのギターを聴いて私が喜んだのが、我孫子で音楽活動を始める一つの契機になったと話してくれました。
宮内さんからそういう話を聞くのは初めてです。
宮内さんとつないでくれたのも、節子だったのだと気づきました。

挽歌を書かないので、節子が仕組んだことでしょうか。
明日から、今度こそ本当に挽歌を復活させます。
今日も疲れました。

■3699:生命が時間を生み出す(2017年11月27日)
節子
まずは生活リズムを戻そうと思い、少しだけ早起きをしました。
そして歯を磨き、パソコンに向かいました。
まずは「かたち」からです。

時間を生み出しているのは生命だということを、生物学者の福岡伸一さんの本で読んだような気がします。
後でしっかりと考えてみようと思っていて、その後さぼっていた文章の記憶なので、間違っているかもしれません。
時間が生命を生み出すのではなく、生命が時間を生み出すという発想にとても興味を持ったのです。
前にもこの挽歌で書いた気がしますが、「環世界」という考え方があります。
世界は、その人がつくっているという話で(これも不正確な表現ですが)、たとえばある種のマダニは餌に出会うまで18年間も絶食していたという記録があるそうです。
そのマダニにとっての時間は、私とは全く違うわけです。

節子と生命をシェアしていたと思い込んでいる私にとっては、節子の生命の停止は、時間の停止にもつながっています。
ですから、私の世界の中では、時間はいまは生まれていない。
だから私には時間がなくて、いつも暇で暇で仕方がないのです。
そんな感じが強くしています。

朝、目が覚める。
あの頃と全く同じように目覚め、しかし全く違う世界に生きる。
慣れるまでにはかなりの時間が立ちましたが、それは私にとっては「生きた時間」ではないのです。

久しぶりに朝起きてすぐにパソコンに向かったら、なにやら難しいことを書きだしてしまいました。
しかし、最近、時間とか生命にまた少し関心が戻っているのです。

昨日書いた我孫子のフォーラムに、もうひとり節子の葬儀に来てくださった方が参加してくれました。
10年ぶりでしたが、再会を喜んでくれました。
私は面識のある人でしたが、節子ともつながっていたことを知らず、彼女が節子の葬儀にどうしてきたのか最初はわかりませんでした。
たぶん花かご会の関係なのでしょう。
フォーラムで発言してくれたIさんもそうですが、見えないところで人はつながっているものです。

今日はさわやかな冬の朝です。
静かです。
鳥たちもまだ寝ているのでしょうか。

今日は、フェイスブックで知り合った若者と会う約束をしています。
若者と話すと、もしかしたら時間が取り戻せるかもしれません。
そして時間をつくりだす、生命を取り戻せるかもしれません。

■3700:平成生まれの若者(2017年10月20日)
節子
平成生まれの若者に会いました。
刺激を受けました。
彼と話していて、今の時代に生まれたら、どんなに生きやすかっただろうと思いました。
もっとも仮にそうであっても、私が彼のように軽やかに生きられたとは思いませんが、それでももっと普通に生きられただろうと思いました。
話していて、もうひとりの(たぶん)平成生まれの若者のことを思い出しました。
どこかでとても似ています。
それにしても、若者はやはり魅力的です。
生きたビジョンがある。
もっとも本人はそのビジョンを必ずしも意識してはいないのですが、感ずるものがあります。
いつかこの2人を引き合わせたいと思います。

彼と話してもう一つ気づいたことがあります。
私に見えてない世界で、世界は大きく変わっているということです。
人は自らの知識とビジョンでしか世界を見ていません。
私は、自分では世界がかなり見えていると自負していますが、何のことはない、見えているのはとても狭い世界でしかありません。
そのことに改めて気づかされました。
もっと世界に関わらなければいけません。
最近の私は、いささか「引きこもりの感」があります。

若者に会うと元気が出ます。
節子に出会ったころの私はたぶん今日出会った若者に少し似ていたかもしれません。
いまの自分が、あまりに違ってしまっているのを思い知らされました。
いまの私を見たら、節子はどう思うでしょうか。
きっと失望するでしょう。
困ったものです。

■3701:記憶を思い出すたびに、記憶が世界をつくりだします(2017年11月28日)
節子
朝、日の出の前に起きるとやはり寂しさを感じます。
静かな世界の中で、なにやら自分一人だけの感じがするのです。
節子がいる時には、日の出前に起きるのは早朝の出張時だけでした。
その時には必ず節子も起きて、朝食を用意し、駅まで送ってくれました。
ですから日の出前の起床には、なにとてもあったかな記憶があるのですが、節子がいなくなってからは、ただただ寂しさだけです。

しかし、外が少しずつ明るくなってくると、不思議にいつも思い出す風景があります。
海外旅行の朝の記憶です。
私は記憶力があまり良くないため、何処での朝だったか思い出せないのですが、そしてなぜそういう風景が記憶に残っているかもわからないのですが、さらに言えばそれが事実かどうかさえ分かりませんが、ホテルの窓から外を2人で見ていた記憶です。
出発がよほど早かったのでしょう。
まあ夜明け前にホテルを出発することはよくありましたが、なぜかその風景の中に馬車が走っている音がするのです。
馬車が早朝にある都市などがあるのも不思議なので、よく考えてみるとこれもまた私の記憶に残っている創作記憶かもしれません。

人の記憶の中にある事実とは、すべて創作物かもしれなと、時々思います。
そもそも人の記憶の中には客観的事実などないでしょう。
同じ事実を体験した人たちの記憶は、それぞれの人によって微妙に違うでしょう。
人の中にある記憶はすべて主観的なものです。
海外のホテルでの朝の馬車の記憶も、どこかで私がつくったものかもしれません。
しかし、もし今節子がいたら、何処までが私の創作かは確かめられるのですが、それができません。
つまり、私の過去は、そうやって消えて行ってしまうわけです。

時間は過去から未来に向けて流れているわけではありません。
過去から未来のすべての時間が、畳み込まれるように一体化しているはずです。
ある人は、そこには「彼岸」の時間までもが畳み込まれていると言っていますが、とても納得できます。
節子がいなくなったことで、私の過去も現在も未来も、そして彼岸も変わってしまったはずです。
夜明け前の静寂さは、人を哲学的にしてくれます。

そろそろ日の出です。
鳥がさえずりだしました。
自動車の音も聞えだしました。

馬車の記憶は、もしかしたらトルコだったかもしれません。
馬車はホテルに向かってやってきた。
記憶を思い出すたびに、記憶が世界をつくりだします。
節子の記憶もこうやって、創作されてきているのでしょう。
私が生きているということは、節子が生きているということなのかもしれません。
いや、死んでしまったのはどちらでしょうか。

そろそろ現世に戻りましょう。

■3702:節子の好きな富有柿(2017年11月28日)
節子
年内に挽歌の番号に追いつくためには毎日2つずつ書かないといけません。
書くのをさぼってきた罰です。
困ったものです。

今日は岐阜の佐々木さんからどっさりと富有柿が届きました。
早速供えさせてもらいました。
秋の仏壇は、果物が欠けることはありません。
果物は節子よりも私のほうが好きなのですが、富有柿だけは節子の方が好きだした。
ですから、私が食べる前に節子に供えさせてもらったわけです。
それに、節子にはルールがあって、果物を食べるのは朝が一番いい、せめて昼間が限度で、夜は食べないのです。
そのルールを、節子がいなくなった今も私は守っています。
しかしまあ、供えるのは早い方がいいと思い、夕方になっていましたが、供えてしまいました。
彼岸には、たぶん時間は流れていないでしょうから。

果物ルールの例外は、みかんです。
みかんは夜こたつに入ってテレビを見ながら食べるというイメージがあるのです。
節子も、みかんだけは夜のほうがよく食べていました。
こたつとみかんは、なんとなく相性がいいですし。
しかし最近は、わが家からこたつはなくなりました。
わが家の生活の風景もどんどん変わってきています。
節子がいたら、たぶん違った変わり方をしたでしょうが。

一番大きな変化は、私が早寝早起きになったことです。
それと自宅で本をよく読むようになりました。
節子がいた時には、読書よりも節子と話す方が楽しかったのですが、いまはその楽しみはなくなりました。
読書が楽しいわけではなく、節子と話す時間が空いてしまったので、読書しているという感じですが、最近は時々とても感動的な本に出会います。
これもまた節子のおかげでもあります。
まあ、ものは言いようですが。

■3703:本を読んでいると節子を思い出します(2017年11月29日)
節子
今朝は5時に目が覚めたのですが、寒いのでベッドの中で本を読んでいました。
10年前に話題になった福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」です。
そこにこんな文章が出てきました。

生命とは動的平衡にある流れである。
生命を構成するタンパク質は作られる際から壊される。
それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。

他の本で、この福岡さんの言葉を読んで、10年遅れでこの本を読みだしたわけです。

この本に限りませんが、最近、いろんな本を読んだりテレビのドラマを見ながら考えさせられるのが、節子との関係です。
意図的にではないのですが、なぜかついついそんなことを思ってしまうのです。
前の3行のことと節子とがどうつながるのか、説明しないとわからないでしょうが、私の中では何かを理解する時に、節子との関係で考えるとすごく納得できることが多いのです。

たとえば、福岡さんの本には、その少し後に「柔らかな相補性」とか「内部の内部は外部」という言葉が出てきます。
いずれの言葉も、私にはピタッと来ました。
これも節子のおかげです。

節子と一緒に暮らしたおかげで、世界を理解するための基準が持てたような気がします。
そんなことを思いながら、今朝は起きました。
今日は暖かな日になるそうです。
陽光が部屋に入りだしました。
元気がもらえる日になりそうです。

「柔らかな相補性」について書こうと思ったのですが、外に出たくなりました。
それはまたの日にしましょう。

■3704:愛されることよりも愛することの方がいい(2017年11月30日)
節子
昨日、節子も知っているTさんと長話をしました。
彼がしみじみと「愛されることよりも愛することの方がいい」と言いました。
まあ長話のテーマは、そんな話ではなかったのですが、その合間に彼が呟いたのです。
数日前に電話でも同じことをききました。

Tさんは今、ある人に愛される一方で、別に愛する人がいるのです。
挽歌で書いたことがありますが、「愛」とは愛されることではなく愛することだと、私も思っています。
愛することが、愛されることで報われないとしても、愛が消えることはないでしょう。
それにそもそも、愛されるとは他人事の話、自分の外部の話であって、その事実を確認しようもありません。
「愛する」という時の「愛」と「愛される」という時の「愛」とは、まったく別の者だと思います。

今朝、少し早起きして、ずっと気になっていた森岡正博さんの「無痛文明論」を読みだしました。
まだ50頁ほどしか読んでいませんが、そこに「無痛文明における愛の条件」という章がありました。
昨日のTさんの話を急に思い出したのです。
最近なぜか思い立って古い本を読むと、そこに身の回りで体験したり聞いたりした話につながることが出てくることが多いのです。
そこに、見えない計らいを感じてしまいます。
改めて、「愛」について考えろと言われているような気がしました。

森岡さんの本はまだ途中ですが、今朝読んだところでは、愛の条件とあるように、私の感覚には合いませんが、愛とは何かを改めて思い出させてくれました。
私は、愛とは自らを委ねることだと思っています。
神にすべてを捧げる、ようにです。
ですから、神がいなくなった時、もはや生きるすべがなくなってしまう。
私はまさにその体験をしました。
しかし、それを超えれば、いなくなったはずの神が復活する。
まさに「キリストの復活」です。
そして今は、すべての人は「愛によって生きている」と確信しています。
ただその神が見えていないことがある。
愛する人が現世にいようがいまいが、あるいは愛する対象が人間であろうがあるまいが、「愛する」ということはできるのです。

愛する存在があれば、人は強くなれます。
しかし最近の私はあんまり強くありません。
愛するエネルギーが弱まっているのかもしれません。
最近考えてもいなかった「愛」について、少し考えるのもいいかもしれません。

■3705:目が△になってますよ(2017年11月30日)
節子
先日、あるイベントを開催する前に一緒にやっていた女性が、「佐藤さん、目が△になっていますよ」と笑いながら注意してくれました。
私の目は細いので、△になどならないのですが、怒り過ぎですよという皮肉です。
そのイベントは、当初の話と違って、なかなかうまくいっていなかったので、準備のためのミーティングで毎回私はかなり怒っていたのです。

実はその人は、私の友人から紹介されてそのミーティングに参加してくれるようになったのですが、運悪く、彼女が参加しだしたころから毎回、私はイライラして怒っていたのです。
怒るとついつい顔と態度に出るのが私の弱いところです。
彼女は「佐藤さんは神様のような人だ」と友人から聞いていたそうなのですが、実際の佐藤さん(私です)は怒ってばかり。
それを皮肉られたわけですが、幸いにその時には私は怒ってはいなかったのです。
少しだけ余裕があったので、「オリンポスの神様もいつも怒っているでしょう」と言い返すことができました。

しかし、その頃、つまり1〜2週間ほど前ですが、私はかなり怒っていました。
イベントだけではありません。
周り中のすべてに怒りを感じていました。
周りが悪いと言いたいところですが、まあ悪いのは私自身なのでしょう。
すべては自業自得なのが人の常ですが、それでも怒りは収まらない状況にいたのです。

イベントはまあ何とかうまくいきました。
近隣の市からわざわざ参加してくれた人はとても良かったと言ってくれましたし、我孫子の人も元気が出て来たとか私のメッセージがよかったとか言ってくれました。
でも私には充実感は全くないのです。
どうも私の思いは、なかなか伝わらないようです。
だから終わった今もなお、怒りはおさまりません。
それに日馬富士の事件も腹立たしい。
私は日馬富士に対して腹立たしいのではありません。
世間が腹立たしい。

価値観がずれているせいか、最近はともかく怒りたくなることが多いです。
そういう時は、何かをする気になりません。
困ったものです。
明日から12月。
今月中に連絡すると約束したことも果たせずにいます。
さらに恥ずかしいことに、見舞いに行こうと思っていた友人から、見舞いに来てくれないので、自分が行くことにしたと電話が来ました。
いやいや怒ってばかりいるうちに、怒られるようなことを積み重ねているような気がしました。
まだまだ未熟な老人です。

■3706:自分を開いて生きている人(2017年12月1日)
節子
12月になってしまいました。
早起きしましたが、寒いのでベッドで本を読んでいました。
気が付いたら7時を過ぎていました。
読んでいた本は、昨日から読みだした森岡正博さんの「無痛文明論」。
2日目なのにまだ半分を過ぎたところで、今日中には読み終えられそうもありません。

森岡さんとは面識はありませんが、最初の頃の著書には気づかされることが多く、印象に残っていた方です。
しかし、その後の森岡さんの活動は大きく変わり、そのためでもないのですが、著書を読まなくなっていました。
しかしどこかで気になっている人のひとりでした。

もう20年ほど前になると思いますが、森岡さんの(たぶん)教え子が湯島に来ました。
その人からも少しだけ森岡さんの話を聞きました。
ますます興味を持ちましたが、私自身の関心が違う方向を向いていたせいか、あるいは節子の病気のせいか、いまとなっては思い出せませんが、やはり本は読まないままでした。
数年前に、つまり節子がいなくなったからですが、湯島に来た人の名前をある本で見つけました。
いまはたぶんフェイスブックでつながっていますが、あまり交流はありません。

最近よんだ本の中に、森岡さんの「無痛文明論」が言及されていました。
それで今回、読む気になったのです。
厚くて高いので、最近の私には変えないため。図書館から借りてきました。
図書館から借りた本は2日間で読むのが私のルールです。
読みだして驚いたのは、私がイメージしていた内容とはむしろ真逆の本でした。

そこで改めて知ったのは、森岡さんは私どころではなく、それ以上に自らに素直に誠実に生きているということです。
そして自らを徹底的に開いている。
私もかなり自らのことを包み隠さずにオープンにしているつもりですが、森岡さんに比べたらほんの一部でしかない気がします。
もう一つ感じたのは、私もまたささやかながらも森岡さんが提唱する生き方にどこか通ずるところがあるということです。

肝心の本の内容よりも、そういうことにとても興味を感じました。
本の内容よりも、筆者の森岡さんの生き方がもっとわかってくると思うと、早く読み進みたいのですが、今日は出かけますが、450頁の厚い本なので持っていけません。
気がせきますが、しかたありません。

もっともこの本は15年ほど前の著作です。
いまはさらに森岡さんは先に進んでいるでしょう。
私自身の生き方を問い直す示唆がもらえるかもしれません。
いまの私の生き方は我ながらあまりいいものではありませんから。

■3707:「見舞われ」(2017年12月1日)
節子
胃がん手術をした友人がやってきました。
手術してまだ半年もたっていません。
私が見舞いに行く予定だったのですが、どうも見舞いに行く元気が出ずにいたら、彼のほうから「見舞われ」に行くと電話がかかってきました。
電話を受けた時、いささか疲れ気味でボーっとしていて、受けてしまったのですが、電話を切って、おかしさに気づきました。
すぐに電話を掛け直して、見舞いだから私のほうから行くよと言ったのですが、あまり出歩いていないので気分転換がてら行くというのです。
素直に受けることにしました。

実のところ、手術半年後の節子の状況を思い出して、心配していたのですが、やってきた彼は元気そうでした。
それでも医師からもらった血液検査などの資料を持参して、意見を聴かれました。
10年ぶりに見る、腫瘍マーカー値などがかかれた表でした。

実は彼は独り暮らしです。
相談する相手がいないのです。
私とは幼なじみです。
仲間は何人かいるのですが、なぜか私にだけ話してくれています。
いろいろと話を聞きました。
治療方法や薬などの話から、医師の話まで、話してくれました。
お墓の話まで出ました。

食事に行きましたが、私のほうがご馳走されてしまいました。
わざわざ「見舞われ」にやってきて、ご馳走までしてくれたのですが、どうもやっぱりおかしいです。
でもまあ気分転換のために出かけてくることはいいことかもしれません。
定期的に湯島で会うことにしました。
まあ時には私も彼の家に行こうと思いますが。

独り暮らしで、がん宣告されたらどんな気持ちになるか。
とても楽観的でおおらかな人柄なのですが、これまでとはちょっと違った気がしました。
見舞いに行かなかったことを大いに反省しました。
病院や見舞いに対する、どうしようもないほどの複雑な気持ちがいまだに払拭できずにいるのですが、そろそろそうした思いを克服しなければいけません。
しかし、今日は節子の手術後の話を彼にすることで、当時のことをたくさん思い出しました。
そのせいか、彼と別れた後、恐ろしいほどの疲労感に襲われました。

もう寝ます。

■3708:朝風呂(2017年12月2日)
節子
少し生活リズムを変えてみました。
昨夜は疲れてしまい、お風呂に入る気もなく寝てしまいました。
それで今日は朝風呂です。
策早く寝たので早く目が覚め、1時間以上、ベッドで読書をしました。
一昨日から読みだした「無痛文明論」ですが、やはり気になってしまい、読んでしまいました。
書籍はだいたいにおいて三分の一くらいのなかに、著者の思いが詰まっています。
ですからほとんどの本は、後半は速読ができるのです。
読み終えて、著者と私との共通点と違いがなんとなく伝わってきます。
でもまあ、私なりの勝手な解釈をすれば、華厳経世界が展開されていました。

それはそれとして、7時過ぎに入浴しました。
湯船に30分ほど、何もせずに使っていました。
しかし残念ながら疲労感はなくなりません。
どうして最近こんなに疲労感があるのかわかりませんが、まあこういう時期もあるのでしょう。
結局、湯船につかっただけであがってしまいました。

さてこれから朝食です。
その前にパソコンでメールの確認をしましたが、その関係でついついこの挽歌も書いてしまいました。
しかし考えてみると、朝のメールチェックこそ見直した方がいいのではないかという気がしてきました。
ネットでつながって生き方から解放されるべきではない。
しかしまあ、華厳経が説くように、人は常に世界とつながっています。
ネットから解放されるのではなく、ネットも活用すると考えれば、朝のメール確認も無理に止めることもないでしょう。
幸いに今朝は、気の重くなるものはありませんでした。
きっといい1日になるでしょう。

■3709:死へのおそれが理解できません(2017年12月2日)
節子
雲のない空からまぶしいほどの陽光が射しています。
おだやかな日です。
挽歌をもう一つ書きます。

「無痛文明論」の森岡さんとやはり起点が違うことがわかりました。
森岡さんの論の起点には「死への恐怖」があるようですが、私にはそれがないのです。
小学生のころ、一度、死への恐怖を感じた記憶はあります。
しかしそれも自分の死ではなく、両親が死んだらどうなるのかという不安でしかありませんでした。
それは「死への恐怖」ではなく、むしろ「生への恐怖」というべきでしょう。

よく若いころにはだれもが自殺を考えたことがあるなどと言われますが、私は自殺など一度も考えたことはありません。
あまりにもぼんやりと生きてきたとしか言えませんが。

昨日、胃がんの手術をした友人と話していて、彼がいろいろと身辺整理をしなくてはといったので、死へのおそれはあるのか、とぶしつけな質問をしたら、そんなものはないと即答されました。
そういう会話の後で、森岡さんの死へのおそれの文章を読むと、やはり大きな違和感を覚えてしまいます。
しかし、最後のほうでの彼の論の展開に、華厳経のインドラの綱(私は常々それをインドラネットと呼んでいますが)の世界、つまりはホロニックな一即多・多即一の世界観を感じました。
しかもオートポイエシスな、つまり自己産出的な、生きている世界です。
生きている世界に生きるものは、世界とのつながりの中で、個の死は生に回収されます。
死を恐れることなどありません。
死は悲しみ嘆くことはあっても、恐れることはありません。
生の一部なのですから。

あたたかな陽ざしの中にいると、眠くなります。
お昼頃やってきた孫は昼寝の時間です。
私もちょっと昼寝でもしようかと思います。
とてもおだやかな、ゆったりした時間。
久しぶりに、陽ざしの中でまどろむ幸せに浸りましょう。
もしかしたら、死の世界はこんな世界かもしれません。
これは私(たち)が望んでいて、体験することができなかった時間です。

今日は思い切り休んで、明日からまた日常に戻ります。

■3710:人生はいろいろ(2017年12月3日)
節子
今日は日曜ですが、湯島に来ています。
私が好きな冬の青空がきれいです。
気になっている友人に電話しました。
一人は元気でしたが、一人はかかりつけのお医者さんの待合室でした。
今日は日曜日なのに、お医者さんはやっているのかと聞いたら、やっていてしかも混んでいるそうです。
メールした友人からは、これからコンサートに行くと返信がありました。

ちなみに3人とも私と同世代です。
同じ世代でも生き方や生活はいろいろです。
さらにちなみに、3人とも独り暮らしです。
人生はいろいろです。

来客が来るまでの時間、久しぶりにゆっくり外を見ていました。
あたかそうな日差しですが、外はかなり寒いです。
ビルの合間を数羽のカラスが、優雅に飛んでいます。
そういえば、このオフィスのベランダに昔はよくハトがやってきていました。
最近は姿を見かけません。
カラスに追い払われたのでしょうか。
それにしても滑空するカラスは美しいです。

この風景ももう30年近く見ていますが、だいぶ高層ビルが並んでしまい、空が小さくなってきています。
そろそろお客様が来るでしょう。
コーヒーでも淹れておきましょう。

今朝はうっかりして朝の挽歌をさぼってしまいました。
朝、パソコンをやらないというルールにしたら、そうなってしまいました。
人生はなかなかうまくいきません。

あ!
お客様が来たようです。
急いでアップしましょう。

■3711:冬眠(2017年12月4日)
節子
人は夜には眠るのに、なぜ冬には冬眠しないのか。
ふとそんな疑問が、起きました。
最近、私の気力が萎えているのは、冬眠すべき時期だからではないのか。
冬眠すべき時に、無理に起こされて活動するのは、自然のルールに反するのではないか。
人はいつも、自分の都合の言いように、物事を解釈するものです。

植物は身をひそめて冬を過ごし、春になると花を咲かせます。
そして、身体を変えながら、いのちをつづけています。
花のいのちは限られていますが、花を生み出す草木のいのちは、時に数百年を超えます。
どの単位で「いのち」を捉えるかで、生命観や人生観は変わってきます。

庭の琉球朝顔はいまもなお花を咲かせています。
霜でだめになるまで、この朝顔は花を咲かせるのです。
しかし、同時にこの朝顔は蔓をどんどん周りに広げ、他の花木にからみつきます。
自らのいのちのために、他の花木の都合は考えない。
しかし、そのために、落葉樹に花が咲いたような風景をつくりだします。
さびしくなって命を感じさせない庭に、華やかさをもたらしてくれるのです。
まあ、だから何だという気もしますが。

昨日、いささかハードな研究会を立ち上げました。
節子もよく知っている杉本さんの発案です。
杉本さんとの出会いも、節子と一緒でした。
ですから杉本さんに会うたびに、節子も一緒している感じです。
その杉本さんの最後の仕事に誘われたのです。
友人に声掛けをして、研究会を立ち上げました。

若い世代を巻き込みたくて、40代の社会学史の研究者を誘いました。
帰りの電車の中で、彼の奥さんからの伝言を聞きました。
彼の奥さんは、私の娘の友人です。
湯島でサロンばかりやっていないで、たまには孫のところに行って、おじいちゃん役をやるように、という伝言でした。
彼女はよく娘のところに遊びに来てくれているようです。

私の歳にしては、私の生き方は少しおかしいのかもしれません。
しかし孫は週に数回、わが家に来ています。
私との関係はとてもいいです。
私に育てさせたらと思うこともありますが、私の人生観はどうも常識から外れているようなので、子育てには向いていないでしょう。
娘たちを見ると、それがよくわかります。
困ったものです。

■3712:できることを探すこと(2017年12月4日)
節子
昨日の挽歌を書きていた時に湯島にやってきたのは、2人の女性です。
初対面です。
ある人との出会いで私のことを知り、私のブログかホームページかで私のことを確認し、この人だったら大丈夫だろうと思ってもらえたようで、ある相談に来てくださったのです。
そのテーマは、私も以前から気になっていたテーマだったので、私に何かできることはないだろうかと考えることにしました。
しかし、正面から取り組むととてもではないのですが、私の手には負えません。
それにかなり時間もかかるでしょうから、余命わずかな私が無責任に取り組めることでもありません。
でもどんな人にも、できることはあるはずです。
できない理由ではなく、できることを探さなければいけません。
できることを探す。これは節子から教えられたことです。

彼女たちは、ある意味では世間の常識に裏切られたとも言えます。
信じていた制度や人に裏切られることほど、やりきれないことはありません。
友人知人に話しても、わかってもらえない。
体験しなければわからない事実は少なくないのです。
彼女たちから、
私たちと同じ問題で苦しんでいる人がたくさんいる。
そういう人たちのためにもどうにかしなくてはいけない
といわれると、何かしないわけにはいきません。
世間には、その問題以外にもひどい状況に追いやられ苦しんでいる人はたくさんいます、などと言っても、納得してはもらえません。
みんなそれぞれに苦しみ、悩み、辛い思いの中にいる。
この数年、そうしたことにいろいろと触れているためか、今やどんなことを言われてもあまり驚かないのですが、その反面、世間の常識への反発はどんどん大きくなってきています。
そうした状況に陥っている人たちには共通することがあります。
それは今の「社会のあり方」です。
その社会を変えていかないと大きな問題は変わらない。
そうした根っこにある問題に気づいた人たちの横のつながりが生まれれば、と思いますが、それが難しい。
何ができるか、やはり考えなければいけません。

■3713:精神状態は身の回りに現れます(2017年12月5日)
節子
昨夜も4時頃に目が覚めてしまい、いろいろと考えてしまい眠られなくなってしまいました。
精神が安定していないのでしょう。
最近は夜中に目が覚めると、眠りに戻れなくなることが少なくありません。
それが重なると、目が覚めた途端に、その思いが襲ってきて、逆に眠れない状況をつくってしまいます。
そうなりたくない自分を、自分で創りだしている。
そんな気がします。

これは何も睡眠に限ったことだけではありません。
考えてみると、そういうことは他にもある。
昔からよく言われることの一つはじゃんけんです。
負けると思ってじゃんけんをすると、ほんとに負けてしまうという体験はよくありました。
だからと言って、勝つと思えば勝つかといえば、そうでもありません。

トラブルに悩むことなく明るく前に進む自分に戻りたいと思いながら、最近は「トラブル」を招きよせたり、前に進まずに沈殿に身を任したりすることが、むしろ多いのです。
簡単に解決するだろう問題も、先延ばしにしてしまう。
昔からこんな性格だったのかもしれませんが、最近特にそういう傾向が強いのです。
時々、もし自分が一人で生活しだしたら、ゴミ屋敷タイプになってしまうかもしれないとおもうことが時々あります。
まあ今も私の狭い仕事場はゴミ屋敷のような散らかしようですが、
仕事場だけではなく、寝室もすごい状況で、冬物の衣服や衣装ケースが歩く隙間がないほど散らかっています。
今年はきちんと衣替えもしなかったのです。

精神的な不安定さは、いろいろなところに出ますが、特に他者の目にはつきにくい私だけの空間ではそのまま出るようです。
自分ながらにいやになるほどです。
明日こそは整理しようと思いながらも、その「明日」はいつになっても来ないのです。
明日になったらではなく、今日でもなく、「今」やろうと思わなければいけませんが、それが思えない。
困ったものです。

精神的な不安定の直接的な理由は、かなりわかっています。
しかし、本当はそれが原因ではないでしょう。
たぶん自分を規制してくれる節子という存在がないからです。
人はだれかに見られていないと、自分さえも律することが難しい。

それが、神が生まれた理由かもしれません。
今夜、ベッドで考えていたことはそんなことです。
眠い1日がはじまりました。

■3714:「お前は強いな」(2017年12月6日)
節子
昨日は、友人の奥さんからの伝言を受けて、孫のじいちゃん役をやりました。
それも近くの子供向けのお店に行って、クリスマスプレゼントを選ぶことまでやりました。
私はまったく不得手な話ですが、プレゼントは決まりました。
全身でブロックという、大きなブロック玩具です。
孫の「にこ」は、いま1歳半ですが、その笑顔を見ていると、人間はみんなほんとはこういう笑顔なのだなあといつも思います。
どうしてみんな忘れてしまうのでしょうか。

孫との付き合いに疲れたわけではないのですが、昨夜も今朝も挽歌を書き忘れました。
なかなか習慣化できません。

なんとなく最近は精神的な安定感を取り戻せないのです。
原因はいろいろありますが、人はみんな苦労しながら生きているのだなと思うことが多すぎます。
子どもの頃の笑顔で過ごしたいのに過ごせない。

大学の時の同窓生に電話しました。
社会的にとてもしっかりした活動をしてきた友人です。
私が尊敬する人のひとりです。
彼に私がある問題に取り組むことへのアドバイスを先日メールで頼んでいたのです。
電話に出た彼の声は、辛そうでした。
電話口から伝わってきました。
気になっていたが、どう返事しようか悩んでいた、というのです。
私が伝えた「問題」は、彼も同じように認識していました。
彼は、その改革のために長年取り組んできているのですから、当然です。
問題の意味を、私よりも深く知っています。
しかし、同時に、その難しさもよく知っている。
そしてたぶん無力感も持っている。
そんな感じのやり取りをしました。
彼は協力するとなったら、中途半端には成れないのでしょう。
自分だけではいかんともできない状況もあるようです。
無理押しをするのはやめました。
でも気が変わったらアドバイしてほしいと伝えました。

電話の最後に彼がこうつぶやきました。
「お前は強いな」
2回繰り返しました。

孫はまだ「いのち」を育てているところですから、危ういところがあります。
しかし、育つべき「いのちの強さ」がたぶんその笑顔に出ているのでしょう。
笑こそが「いのち」の強さの核かもしれません。
でも大人になって、社会の一員になると、笑ってばかりもいられない。
むしろ笑顔は失われていく。

親鸞は「悲泣せよ」と言っていると、五木寛之がどこかで書いていました。
悲泣するよりも、笑顔を取り戻したい。
この頃、強くそう思います。
私は強いどころか、最近は、悲泣さえできないほど弱くなっています。
それが自分でもよくわかります。

■3715:誘拐犯?(2017年12月7日)
昨日から目いっぱい仕事をしています。
まあパソコンに向かっての仕事なので、仕事といえるかどうかわかりませんが。
そんな合間に、娘から一昨日の写真が届きました。
「誘拐犯に間違われないでよかったね」というメッセージもありました。
写真を添付します。
たしかに疑われておかしくありません。
実は孫と一緒に休憩していたのですが、退屈して2人で店内の散歩に行ったのです。
そこを見つかって写真に撮られてしまったわけです。

誘拐犯と言えば、昔、私の友人が誘拐犯の嫌疑をかけられて、湯島にまで公安警察が私に話を聞きに来たことがあります。
もちろんそんなことはなく、親権で争っていた外国人の友人の子どもを預かったのが原因だったのですが、まあ湯島にはいろんな人がやってきました。
刑事事件の調査で警察官もやってきました。
ある時は4人もの警察官が来て、私も少し緊張しました。
緊張するとおかしなことを発言してしまい、それが事態を複雑にしてしまうのだろうなとその時感じました。
その事件はいまだに未解決ですが、年末になるとよく話題にされるので、毎年思い出します。
付き合いが広くなると、まあいろんな事件に巻き込まれるものです。
最近はそういう刺激的なことが少なくなってしまいましたが、逆にいささか憂鬱な事件は増えています。
困ったものです。

ところで少し頑張ったおかげで、延び延びになっていた課題は何とか追いつきました。
延ばしてもいいものは、さらに延ばしてしまいました。
本当は収入につながることをしないと、今度は経済的に辛くなるのですが、どうしてもそちらは後回しになってしまいます。
まあ今年はそう苦労なく年を超せそうですし。

少し疲れたので、「宝くじ」でも買いに行こうかと思います。
仕事をもう少し七気分になってきているので、お金が少し欲しくなっているのです。
実はさきほど、「お金がなくてもできることはたくさんある」というような話のパワーポイントをつくっていたんです、最近は私もかなり成長し、「おかねがあるともっとたくさんのことができる」といえるようになってきました。
でもまあ、お金がたくさんあるとたぶん生き方は変わるでしょうね。
でもそれを試してみる価値はあります。
みなさん、私に宝くじが当たることを祈ってください。
祈ってくれた人には、美味しいコーヒーをご馳走します。
まあ当たったらの話ですが。

さて寒くなる前に出かけましょう。

■3716:歳をとるにつれて自分がよく見えてくる(2017年12月7日)
節子
Nさんからまた冬の林檎が届きました。
お礼の電話をするのがどうも気が重いです。
明日に延ばしてしまいました。
Nさんは、今もまだ記憶が完全に戻ってきてはいないようです。
夫としては、ご苦労も多いでしょう。

Nさんは節子が尊敬していた友人の一人です。
私も何回かお会いしていますし、節子が逝ってしまった後も何回かわが家にも来てくれています。
ご主人にもお会いしていますが、それはもう善良そのものといった方です。
その後、Nさんは階段から落ちてしまい、それが原因で記憶を喪失してしまった。
そして認知症を発症。
あの「しっかり者」の野路さんが、と思うと複雑な気持ちです。
しかし、しっかり者であるが故の大変さもあるのかもしれません。
長年連れ合った伴侶としては、どんな感じでしょうか。
節子がもし元気だったら、たぶん少しは役に立てたでしょう。
4人仲間の、あとのおふたりは岡山と福岡ですから、そう簡単には横浜には行けません。
まあ彼岸に行ってしまった節子よりは、近いかもしれませんが。
いずれにしろみんなもうそれなりにお歳ですし、それぞれに問題も抱えているようです。

伴侶がどういう状況になろうと、そこに居たほうがいいのかどうか。
それは一概には判断できませんが、居なくなってしまった者の立場としては、うらやましいことです。
しかし、当事者にとってはそれはそれでまた、いろいろと大変なのでしょう。
幸か不幸か、節子は62歳で歳をとるのをやめました。
もしかしたらそのおかげで、私も歳をとるのを忘れているのかもしれません。
そしてある時に、浦島太郎のように、一気に老化に気づいて人生を終えるのかもしれません。
伴侶がいないと、どうも自分の位置がわからない。
これはたぶん、なってみないとわからないことでしょう。
そして先に逝ってしまった伴侶を、自分にとっての理想の姿にどんどん編集してしまい、それに伴い自らをもまた編集してしまいがちです。
ところが時々、そのことに気づいて、自らの愚行を恥じることもしばしばです。

もし節子が元気だったら、いまのように良好な夫婦関係を続けていられたかどうか。
そんなことを時に考えることもあります。
幸せな老夫婦になっている自信はありますが、どうも私は自分で思っているほど、性格がいいわけではないようです。
老化に伴い、悪い性格が強まる恐れもないわけではない。
時々、娘からも言われますが、自分で思っている以上に、私にはどうも常識も良識もないようです。
その上、自分勝手さも、これまた思っていた以上です。

歳をとるにつれて、自分がよく見えてきます。
あまりうれしいことではないのですが。

■3717:あまりの寒さに心が不安です2017年12月8日)
節子
今日はジョン・レノンの命日です。
ジョン・レノンの「イマジン」はいまも歌い続けられています。
まだ世界に「平和」がやってこないからです。
そのせいではないのですが、私にもなかなか平和がやってきません。
前世の行いがよくなかったのか、どうも心やすまらない毎日です。
いや、前世の行いではなく、今生の生き方がよくなかったのでしょうね。
まあ心当たることは山のようにあります。
元気の時は、トラブルや心配事がある方が豊かな人生だ、などと言えるのですが、元気がない時にはそんなことさえ思いつきません。
要するに軽い躁鬱傾向があるのでしょう。

数日前、『礼道の「かたち」−人間道、80年のあゆみ』が送られてきました。
北九州市のサンレーの会長の佐久間進さんの新著です。
佐久間さんとはもう20年ほどお会いしていませんが、息子さんとの交流が続いているので、息子さんが送ってきてくれました。
佐久間進さんの著書は何冊か読ませてもらっていますが、タイトルの「人間道、80年のあゆみ」が気になって、読みだしました。
いまさら気づくのも遅いのですが、佐久間進さんが取り組んでいる活動は、私が目指していることとかなり重なっていることに気が付きました。
見事な展開です。
もっとも、佐久間さんの場合は、しっかりした「人間道」を踏まえての活動ですが、私の場合は、ただただ流れに任せてですから、比べようもありませんが。

何事も陽にとらえて、明るく楽しくいきいきと生きる。そこには必ず道がひらける。
これが佐久間進さんの信条であり、会社の経営理念でもあるそうです。
私もそう思っていたはずなのに、最近はどうも実践できていません。
明るく楽しくいきいきと生きていけない人たちとの接点が多すぎたのかもしれません。
そしてどこかで、少しいじけながら、私自身も被害者意識を抱え込みだしているのかもしれません。

佐久間さんは、この本の中で、日本の「和の文化」について洞察されています。
佐久間さんの「人間道」にも共感できますし、私の生き方にもかなり重なっています。
佐久間進さんの、あくまでも明るい、ぶれることのないメッセージを読んで、少し反省しました。
そういえば、昨年久しぶりに会った宅間さんも「和」の話をしていました。

佐久間さんが80歳で到達した人間道の心境。
80歳までもう少ししかない私にはたどり着けそうもありません。
目標を持って生きてこなかった、当然の結果かもしれません。
困ったものです。
どうも最近、私は反省することが多くなっています。
精神が弱くなっているためかもしれません。

いや、今日の寒さのせいかもしれません。
今日は実に寒くて、震えあがっています。
平和のためには、あたたかさも必要です。

■3718:生きていることへの感謝(2017年12月9日)
節子
今日も寒い朝です。
陽光のおかげで外は暖かそうな感じがしますが、温度は低く、挽歌を書いている私の仕事場は凍えるような寒さです。
それで書きだすのが遅くなりました。

一昨日、宮司の弟が、宮司を殺害し自殺するという事件が起きました。
いずれも50歳代。
こういう事件を聞くたびに、どうして人は人を殺せるのだろうと不思議に思います。
もしかしたら、殺害者はほんとは生きていなかったのではないかとさえ思います。
もし自らが生きているという実感をもっていれば、人を殺めることも自らの命を絶つことも、できないのではないか。
そう思います。
おそらく、殺害に追い込まれた人は、追い込まれた時点で、たぶん生きることを放棄してしまったのでしょう。
殺人事件とは、死者が生者を自らの世界に引き込む事件かもしれません。
そう考えなければ、私には殺人ということが理解できません。
ちなみに、戦争は生者たちの活動ではなくシステムに取り込まれた死者のゲームでしかありません。
いずれにしろ、あまりにも「安易」に生きられる状況の中で、私たちは「生きる意志」を鈍化させているのかもしれません。

その一方で、交通事故死の報道に接すると、人のいのちは実にはかないものだと気づきます。
一瞬にして、いのちが断ち切られる。
そういう死が、日本だけでも毎日10人以上起こっているということは、これもまた驚くべきことです。
システムのバグとしか思えません。

考えてみれば、私がいま生きていることは、幸運に恵まれた結果なのでしょう。
人を殺めることもなく、自らを殺めることもなく、意図せぬ死にも遭うことなく、いまも元気でいる。
そのことに感謝しなければいけません。

今日は元気が戻ってくるといいのですが。
湯島でまた10人を超える人たちに会いますから、元気を装っているうちに元気になるといいのですが。

■3719:千葉市で86歳のお年寄りに会いました(2017年12月12日)
節子
昨日は久しぶりに千葉の市民の集まりに参加しました。
最近の市民の集まりはどうも波長が合わないのであまり参加しなくなっているのですが、昨日は事務局の協力もあって、講演だけではなく、みんなで話し合うスタイルにしてもらいました。
そこで86歳の男性に会いました。
歩いていても時々ふらふらする、耳もよく聞こえないといいながらも、講演の時には一番前で真剣に聞いてくれました。
そして話し合いのセッションでは、もうこの歳だと何もできないのが残念だと話し出しました。
最後のみんなでのラウンドセッションにも参加してくれました。
終わった後、少し話しました。
今回の集まりで、私が一番共感できる人でした。

言うまでもありませんが、「社会のために何もできない人」などいるはずもありません。
みんなそれぞれに違った形で社会に役立ち、意識していないかもしれませんが、だれもが社会活動をしています。
生きるということは、そういうことですから。
最近ますます感ずるのですが、「私はボランティア活動をしている」という人ほど、私には「しないほうがいい活動」をしているような気がしてなりません。
そもそも「ボランティア」などと自分で言う人は、私とは別世界の人です。
もちろん別世界の人とも私は付き合いますが、そこを改めていかない限り、社会は変わりません。
みんなでの話し合いの途中で、ちょっと私も感情的に持続可能を出しかけてしまいましたが、いまの市民活動の方向性は、私には違和感があります。
社会活動とは結果も大切でしょうが、それ以上にプロセスに意味があると私は思っています。
そうしたことは、なかなかわかってもらえません。
いや私の考えが少し逸脱しているのかもしれません。
しかし30年の長さで考えれば、私が危惧していることは現実化していることが多いように思います。
もし30年前に、会社を辞める決断をしなかったら、いまのような考えにはたどり着いていなかったかもしれません。
会社を辞めることに反対するどころか、後押しして、その後、付き合ってくれた節子にはやはり感謝しなければません。

最近あまり出なくなっていますが、今回久しぶりに参加して、いろんな刺激をもらいました。
やはり出て行かなくては世界は広がりません。
昔の生き方をもう少し取り戻そうかと思い出しています。

■3720:会社時代の友人からのメール(2017年12月12日)
節子
会社時代の2人の知り合いからメールが来ました。
ひとりは私のアシスタントをしていた女性で、最近メールを始めたといってきました。
会社時代の同じ職場の女性たちと会うことがあれば湯島にどうぞと誘っておきました。
もう30年近く経ちますので、みんな変わっているでしょう。
会社時代は、私は女性には軽く扱われていたか人気があったか、どちらかわかりませんが、たぶんちょっと変わった存在だったような気がします。
節子も見ていますが、正月初出勤日には、和服姿の女性たち10人ほど(つまり職場の全女性です)と私だけが皇居前かどこかに行って写真を撮っています。
当時は初出勤日は女性はみんな和服だったのです。
すでに節子とは結婚していましたが、まあだからこそ誘い出されたのかもしれません。
メールをくれた女性も、その中にいたと思いますが、彼女は少し変わった私のアシスタントで苦労したようです。
退社後は、専業主婦として、たぶん豊かな生き方をしてきているでしょう。
毎年年賀状をくれますが、会社時代とほとんど変わらない暮らしぶりのようでした。

もう一人は、会社時代、一緒にトップへのレポートを書いたりしたこともある友人ですが、いまは経団連の会長をやっています。
私が会社を辞めた後、彼を通して、仕事を頼まれたこともありますが、私からNPO支援のお願いをしたこともあります。
最近、私がいた会社の不祥事が新聞で話題になっているので、さぞかし苦労していると思い、メールしてしまったのですが、その返事です。
きわめて多様な状況でしょうから、まさか返事が来るとは思っていませんでした。

さて、平凡な主婦になるのと財界のトップになるのと、どちらが豊かな人生でしょうか。
それは一概には言えませんし、いずれも比べられないそれぞれの豊かさがあるということも言えるでしょう。
しかし私が最近思うのは、組織人を長くやっていると、思考の幅が狭められ、そこからなかなか抜け出せなくなってしまうような気がします。
もちろんそれが悪いわけではなく、むしろそれによって生きやすくなるとも言えるのですが、私のように、中途半端に組織で生き、組織外で生きてくると、逆にその狭間で、両方への違和感が生まれてしまい、生きにくくなってしまっているのかもしれません。
いずれの世界にも通じているという言い方もできますが、たぶんそうではなく、どちらつかずの居心地の悪さのほうが強い気がします。
まあ、それに気づいたのも、最近なのですが。

来年はもしかしたら、ふたりに会えるかもしれません。
経団連会長という要職にある間は会えることもないでしょうが、彼もいつか普通の人になるでしょう。
主婦として忙しい間はなかなか時間が取れないでしょうが、子育ても終わり、時間ができてきたら、彼女も会いに来られるかもしれません。

そういえば、先日、湯島に来た会社時代の後輩は、私のことを「超人のようだった」とほめてくれましたが、会社時代は優秀ではなかったおかげで、敵はあまりいなかったようです。
辞めてからもいろんな人たちが湯島に来てくれることに感謝しています。

■3721:「生きる生」と「死までの生」(2017年12月15日)
節子
今日もまた寒い日です。
今日は思い切り寝坊をしてしまいました。
目が覚めたら7時半。

最近どうも挽歌が書けません。
ということは、私自身があまり生きていないということかもしれません。
もししっかりと生きていたら、書くことが自然と出てくるはずです。
先日のサロンで、ある人から、やはり人生には、めくるめくような、息をのむような、そんな感動が大切だと言われました。
エラン・ビタール。
生命の躍動。
時には法を犯してまでの逸脱は、生きることの醍醐味です。
最近、私にはそれがありません。
ただただ平板な生命を生きながらえている。
だから挽歌も書けなくなってきているのでしょう。
生命が枯渇しているのかもしれません。

今朝も、テレビでタレントの不倫問題が取り上げられていましたが、こうした風潮は理解できません。
そもそも「不倫」などと言う捉え方は、生きていない人たちの発想です。
それに「不倫」と騒がれた当事者が、謝罪するなどと言うのは、実に情けない風景です。
そこには、エラン・ビタールなど微塵もなく、死臭さえします。
堂々と愛を語ればいい。
それこそが誠実な生き方です。
語れない愛は、愛ではありません。
愛のないところに、「不倫」などあろうはずもない。

昨日、テレビで「あなたは何が欲しいですか」というインタビュー風景が出ていました。
たまたま私が見た時には、80代の女性が、「愛が欲しい」と応えていました。
80代とは思えない雰囲気の女性でした。
生命の躍動に従って、生きている証かもしれません。
彼女には、たぶん「不倫感覚」はないでしょう。

法や規範に従って、自らを生きていない人が多いのが現実です。
しかし、そんな人生には「輝き」はありません。
社会の家畜としての安心はあるかもしれませんが、それは「生きる生」ではなく「死までの生」でしかない。

挽歌が書きつづけられたのは、もしかしたら、節子との生の躍動の余波だったのかもしれません。
その躍動感が枯渇してきてしまったのだとしたら、それこそ「死までの生」になってしまいかねません。
それではこの場なんかが書きつづけられなくなってしまう。

さてさて、困ったものです。
エラン・ビタール。
暇で暇で仕方がない生き方から、引きだしてくれることはないでしょうか。

■3722:「幸せな奥様」(2017年12月16日)
節子
先日、ある集まりで会った女性から、こんなメールが来ました。

佐藤さんの奥様へのラブレターのようなブログも少しだけ拝見しました。
胸が詰まるような思いがしました。
幸せな奥様だなとも思いました。

時々、アンケート調査などで、「既婚」「未婚」という欄があります。
私は節子がいなくなってからもずっと「既婚」と書いてきました。
しかし、ある時、死別した場合は「未婚」にチェックしてくださいと書かれていることに気づきました。
たしかに市場調査の場合は、単身か夫婦かで区別する方が合理的なのでしょう。
いささか複雑な気持ちになったことを覚えていますが、いまも私は「既婚」に〇を付けています。

今回もらったメールでは、「幸せな奥様だな」と書かれています。
この人は、節子をいまなお「奥様」と認めてくれているわけです。

忘れられずにいることは「幸せ」なのかどうか。
「忘れられない人」という場合、その「られない」は受動と可能のふたつの意味があります。
そのいずれかで、主体が変わってきます。
私は、一人称的な生き方が大事だと思っていますので、受動的な「(だれかに)忘れられない」よりも、「(自らが)忘れられない」に価値を感じます。
つまり、私に忘れられずにいる節子よりも、節子を忘れずにいる私のほうが、「幸せ」だと思っています。

人はさまざまな人と遭います。
私にとっては、たとえわずかな時間であっても、人生において遭った人は誰でもが「大切な人」ですから、忘れないようにしています。
そして、実はすべての人が、「忘れられない人」を持っているはずです。
ということは、だれもがたぶん「忘れられずに誰かの記憶世界に生きている」ということです。
でも多くの人は、そのことを忘れてしまっている。
それで「孤独」とか「孤立」とか感じてしまう。
誰かの記憶に必ず自分が生きていることに気づけば、人はもっと豊かに生きられるでしょう。
そして、そのことに気づけば、できるだけ「良いかたち」で記憶を残しておきたいと思うでしょう。
そうなれば、社会はとても住みやすくなるはずです。

40年ほど一緒に暮らした節子のことは、忘れようにも忘れられないのは当然ことでしかありません。
しかし、この挽歌を書きつづけていることで、人は必ず誰かの記憶に残っていて、忘れられずに生きていることに改めて気づかせてもらっています。
同時に、誰かを忘れずに思い出せることの「幸せ」にも気づかされています。

誰もが誰かに忘れられずにいる。
みんなとても「幸せ」なのです。

■3723:無言で問いかけると無言で答が戻ってくる(2017年12月20日)
節子
塩野七生さんの「ギリシア人の物語V」が出版され、一昨日届いたので、それを読んでいたため挽歌を書く時間が全くありませんでした。
このシリーズは、手元に届いて3日以内に読了するのが私のルールなのですが、この3日間、いろいろと用事があったため、時間の合間を読書に向けたためです。
今回が塩野さんの最後の作品になるというので、これまでのルールを守りたかったという、それだけの理由でしたが、最後の100頁ほどは特に面白かったので、やるべきことよりも読書を優先してしまいました。
読了後、感じたことを時評編のほうに書きましたが、そこには書いていないですが、人を愛するということの素晴らしさもまた、感じさせてもらいました。
節子とのことを、思い出す場面も少なくありませんでした。

アレキサンダーが愛したのは、幼なじみのヘーファイスティオンだと言われていますが、ヘーファイスティオンが亡くなった後のアレキサンダーの行動に関しては、とても共感できるものがありました。
その一部をちょっと長いですが、そのまま引用します。

若き王はまだ、ヘーファイスティオンがいないことに、慣れることができないでいたのだった。以前ならば、視線を向けただけで、眼で答えてくれる人がいた。言葉を交わさないでも、理解し合える人がいた。あって当然の存在が、今では無いのである。
アレクサンドロスには子供の頃から、少しだけ頭を左にかしげる癖があったが、その彼が視線を向ける方向には、常にヘーファイスティオンがいた。そして友は、無言で問いかけるアレクサンドロスに、無言で答えてくれていたのだった。
あまりにも長きにわたってそばにいるのが当り前になっていたので、アレクサンドロスもつい、頭をかしげ視線を向けてしまう。だがそれが、もはやむなしい行為であることを、視線を向けるたびに悟らされる。

無言で問いかけると無言で答が戻ってくる。
伴侶とは、そういう存在なのだと思います。
そういう存在がいるかいないかで、生き方は全く変わってきてしまう。
アレキサンダーが32歳で死んだのは、やはりそれに耐えられなかったのかもしれません。
彼はあまりに深く愛しすぎたのでしょう。

■3724:10年ルール(2017年12月22日)
節子
冬至です。
ようやく春への始まりです。

わが家には10年ルールというのがあります。
娘が教えてくれたのですが、10年ごとに家族が一人減るのです。
30年前に父を見送り、20年前に母を見送り、そして10年前に節子を見送りました。
そして今年が、10年です。
ルールに従えば、私が旅立つ年なのです。
娘は、自分かも知れないと言っていましたが、まあ事の順序としては私でしょう。

娘が言うには、最後までわからない・
以前、2年ほど続いて、年末最後の日に私がおかしくなって緊急病院に行ったこともあります。
いずれも大事にはなりませんでしたが、一度は三が日をずっと寝ていた記憶があります。
ですから予断はできませんが、まあ定めには従うのがいいというのが最近の心境ですので(この数年の心境です)、定めには従おうと思います。
ですから注意などはしませんが、交通事故にだけはあいたくありません。

なぜ定めに従うことにしたのか。
それは定めにはそれなりの意味があると考えたからです。
最初に旅立った父は、10年後に母を呼びもどしたのかもしれません。
節子びいきだった母は、10年後に節子を呼び込んだ。
母は私よりも節子に心を許していましたから。
しかし、節子はなぜか私を10年たっても呼び込まない。
ということは、節子は彼岸できっと心豊かな状況にあるのでしょう。
私が先に旅立っていたら、たぶん今年は節子が旅立ったことでしょう。
私がいなくても節子は大丈夫ですが、私は節子がいないとあんまり大丈夫ではないからです。
困ったものですが。

しかし最近思うのは、私も今や節子がいなくても大丈夫そうだということです。
きっと節子もそれに気づいてきたのでしょう。
そんなわけで、わが家の10年ルールは終わったのです。
たぶん、ですが。

しかしあと10日。
まだ確実ではありません。
さてさて、私は此岸で新しい年を迎えられるかどうか。
まあどちらでもいいのですが、なにかワクワクするような10日間です。

■3725:プレゼントをもらいました(2017年12月23日)
節子
胃がんが発見されて手術した友人がやってきました。
発見直後、かなり心が動揺していたのでしょうが、いろんな相談を受けました。
一番の関心事は、「死後のこと」でした。
突然に胃がん宣告を受けると、やはり「死」を意識してしまうのでしょうか。
子どもがいないために、残された資産をどうするかがまず頭に浮かんだのか、その相談でした。
こういう場合、正常には頭が働かないことを体験的に知っていましたのですが、誠実に受け止めて、問題の整理をするだけにしました。
親族に残すか社会に寄付するか。
私への寄付まで彼は口にしましたが、彼の心の揺らぎが伝わってきました。
しかし大切なのは、死後のことではなく、生きることだと伝えました。

手術は無事終わり、その後の経過も順調のようですが、単身生活のためいろいろと考えてしまうようです。
それで定期的に会うことにしました。
少しずつ落ち着き、死後の話はしなくなりました。
苦労して稼いだお金なので、自分で納得できる形で使い切ることを勧めましたが、幸いなことにそういう気分になって来たようです。

こういうことを体験すると、やはり「お金」のすごさを感じます。
彼は、お金にはきわめて淡泊な人です。
でも死を意識した時に、それを考えてしまう。
もちろんお金がなくて必要な医療処置を受けられないということもあるでしょう。
しかし、一方で、残ったお金をどうするかという悩みもあることを気づかされました。
改めてお金の支配されている社会を実感させられました。
お金が個人のものでなく、みんなのものになれば、こんな悩みも起こらないのですが。

彼は今週も湯島に会いに来てくれました。
彼から連絡があれば、その日は基本的には用事を全く入れないことにしています。
後ろが詰まっていたら、落ち着いて対応できないですから。
前に向かいだした彼の話を聞いて安心しました。
その一方で、どうして私はそうなれずに長い間、過ごしているのだろうかと思いました。
やはり一番わからないのは、自分なのです。

彼から心のこもったプレゼントをもらいました。
実は50年前にも彼から心のこもったプレゼントをもらったことがあります。
うっかりそれを落としてしまい、彼の目の前で無駄にしてしまったことがあります。
今度はそうならないように大事に使いたいと思いますが、実は今の私にはあまり使うチャンスがないものです。
しかし、無理をしてでも使わせてもらおうと思います。
今日は早速使う予定です。
今日も湯島です。
相談事は絶えることがありません。
まだしばらくは旅立てそうもありません。

■3726:人はみな、それぞれにドラマをかかえている(2017年12月24日)
節子
外からはなかなか見えませんが、人はみな、それぞれにドラマをかかえています。
昨日は3人の人と湯島で会いました。
それぞれに、思ってもいなかった「体験」に出会い、人生を変えてきた人たちです。
その体験をする前に持っていた、「常識」や「知識」への信頼は、その体験を通して、崩壊しました。
信じていれば、とても安心で平安なのですが、その信頼は事実とは異なり、むしろ現実を覆い隠すものであったことに気づいた途端に、人生は変わっていきます。
ある時には良い方向に、ある時には苦難に向けて。

昨日集まった3人の場合も信頼していた「常識」に裏切られ、そこから日常的な苦難がはじまってしまいました。
私が、3人の人たちと出会ったのは、いずれも今年になってからです。
しかも、その内の2人は、つい1か月前に知り合いました。

私が、その3人に共感したのは、自分が味わった辛さや苦難を他の人には体験させたくないという思いから、社会に実態を伝えるとともに、そういうことが起きないような活動をしていこうと決意したことです。
自分の問題を社会の問題に捉え直して、活動に取り組む。
これこそが、私が考える「社会性」「市民性」です。
自らの体験として、知った以上は行動を起こす責任がある。
それが3人に共通する姿勢です。
その姿勢に触れれば、看過するわけにはいきません。
私もまた、知ってしまったわけですから。
私に何ができるかを考えて、少し動いてみましたが、その問題の壁の厚さに改めて驚きました。
しかし、できることはあるはずです。

そんなわけで、顔合わせも含めて、4人で会いました。
私の知らないことが、またたくさん出てきました。
知れば知るほど、後には引けなくなっていく。

長いミーティングでした。
しかも終わった後、一人の人から話したいことがあると言われて話を聞きだしたら、それがまた長い話になりました。
みんな私よりもかなり若い女性です。
人はみな、それぞれにドラマをかかえている。
そのドラマの重さに、昨日はつぶされそうでした。
私自身のドラマなど吹き飛ばされそうな、そんな思いで帰宅しました。

冗談も言いながら、苦難を笑い飛ばしていた彼女が、帰り際に少しよろけるように歩いていた気がします。
気のせいかもしれません。
しかし、人はみんな元気そうに生きていても、弱さに包まれて生きているのかもしれません。
元気そうに見える人ほど、弱いのかもしれません。

私自身のきっとそうなのでしょう。

■3727:幸福の4条件(2017年12月28日)
節子
一昨日、巡礼者の鈴木さんが、年末のあいさつだと言って湯島に来てくれました。
鈴木さんからは週に2〜3通のハガキが届いています。
そこにいつも、鈴木さんが歩いた巡礼の時の写真がついています。
ゆったりした鈴木さんの生き方が、伝わってくる手紙です。

今回、鈴木さんはある本で読んだという「幸福の3条件」を教えてくれました。
「人との交わり」「親切のやりとり」「今ここがあること」
この3つが、巡礼にはそなわっている。だから巡礼に行きと幸せになるのだと鈴木さん話してくれました。
そして、いずれも「ちょっとした」と、軽いものだと付け加えました。
たとえば、行き合った人と、かるく声をかけあうのは、この3つのいずれにも当てはまる。
それが、都会ではなかなかしにくくなっているというのです。
私は、そうは思っておらず、3つともその気になればやれることだと思ってます。
やりづらくなってきているのではなく、やらなくなってきているだけの話のような気がします。
でも、そうした「みんなの気分」が、鈴木さんの言うように、「しにくくなっている」実態を創りだしているのかもしれません。

鈴木さんは、気が枯れると巡礼に出かけます。
また来春にはサンチアゴに行くようですが、私には湯島があるので、巡礼に行かなくても気が枯れません。
鈴木さんも、湯島で佐藤さんは巡礼しているというようなことを言ってくれましたが、ここには、「人との交わり」「親切のやりとり」「今ここがあること」の3つの条件が備わっています。
大げさに言えば、ここは距離のない巡礼道なのです。

時々、ここにいると時間があっという間に過ぎてしまうという人がいます。
湯島では、もしかしたら時間の流れ方が違うのかもしれません。

ところで、幸福の3条件ですが、幸いに私はその3つ共に恵まれています。
ただ、この3つに私はもう一つ追加したいです。
それは「いささかの不安と不幸」です。
矛盾しているかもしれませんが、幸福を実感するためには、不幸もないといけないのではないか。
そんな気がしています。
不安や不幸のないところには、幸福もないのではないか。
最近ずっとそう考えてきているのですが、実はまだ納得はできていません。
もっとも最近は少し、その「いささかの不安と不幸」が膨れだして、少し気が枯れそうな気配がないでもありません。
さてさて、人生にはいろんなことがあるものです。
まあそれが人生なのでしょうが。

■3728:お正月料理食材の買い物(2017年12月28日)
節子
ユカと一緒にお正月のおせちなどを買いに行きました。
節子がいた頃は、これはわが家の年中行事でしたが、節子がいなくなってからは、家族も減ったり来客もあまり来なくなったりしたこともあり、単なる日常業務になってきています。
私も時にはついていきますが、最近は買い物をするよりも、雰囲気を見に行く程度になってしまいました。
それに今年は大掃除をがんばったので、ユカは迷惑しているようですが、結局、大掃除も手が回らずに、いつものように中途半端に終わっています。
まあそうした性格は直りそうもありません。

蟹や肉などご馳走はたくさんありましたが、いずれも通り過ぎたので、今年は質素なお正月になりそうです。
それでもまあ一揃い購入したようです。
最後にはお箸を買いました。
最初の食事にだけ使うのだそうです。
これは誰の文化なのでしょうか。

昔はお正月は、わが家においてもハレの日でした。
ですから料理も節子ががんばって作っていました。
しかし今は、ハレの気分はあまりありません。
今年は特にそんな気がします。
なぜでしょうか。
いつもと違う雰囲気の売り場に行って、私自身の気分が大きくずれてきているのを感じました。
最近のわが家は、どうも暗いです。

■3729:穴のあいたセーター(2017年12月28日)
節子
先日、ジュンの家族といっしょにクリスマスの会食をしました。
孫のにこに、大きなブロックをプレゼントしました。
先日、一緒におもちゃを買いに行ったお店の子どもの遊び場にあったのですが、それがとても気に入ったようなので、プレゼントしたのです。
とても喜んで早速遊びだしました。
ジュンが、私と孫が一緒に巨大なブロックで家をつくる様子を写真に撮りました。

今日、ジュンからせっかくいい写真を撮ったのに、お父さんの来ているセーターの袖に穴があいていて、公開できないよといわれました。
写真を見たら、たしかに穴があいていました。
気が付きませんでした。
そのセーターは最近お気に入りでよく来ていたのですが、いろんな人に気づかれてしまっていたかもしれません。
わが家の経済的貧しさが露呈してしまいました。

まあ考えてみると節子がいなくなってから、セーターを一度も買っていないのです。
節子がいた時には、年末に必ず新しいセーターを購入して新年を迎えるのが、恒例行事だったのです。
節子がいなくなってから、そのセーターを着続けているわけです。

穴があいているくらいでなんだ。
最近の若者は穴のあいたジーンズを着ているのだから、セーターの穴もいいじゃないかと、言い返したかったのですが、どうもジュンとは相性が悪いので、やめました。
ユカには、そう言ったことがありますが、はいはいとスルーされたこともあります。
つまり、このセーター以外にも穴があいているセーターがあるのです。
実は今日も、もう1枚の穴あきセーターを着ていました。

しかし、やはりセーターは穴のない方がいいので、セーターを買いに行きました。
穴のあいたセーターの上にコートを着て、です。
お店に行ったら、私好みのジャケットが目に付きました。
半額セールでした。
それでセーターではなくジャケットを買ってしまいました。
経済的に貧しいと、ついつい半額などと書いてあると買ってしまいます。

身体に合うかどうか来てみようとコートを脱ぐ段になって、穴のあいたセーターを着てきたことに気づきました。
いやはや困ったものです。
でもまあ、だいたい大丈夫だろうと思って、ジャケットを買ってしまいましたが、しかし買った後、似たようなジャケットがあったなと気づきました。
まあそんなものです。
穴のあいていないセーターを着ていたら、試着してみて、その途中で似たジャケットがあるのを思い出したでしょう。
そうしたら目的通り、セーターが買えたかもしれません。
ジャケットを買ってしまったので、セーターを買うのはやめてしまったのです。

やはりセーターには穴があいてないほうがいいようです。
穴が気になると、堂々とできませんから。

■3730:早く目が覚めてしまいました(2017年12月29日)
節子
5時にまた目が覚めてしまいました。
今回はそのまま起きてしまいました。
寒いです。
なにしろ私の仕事場には、こわれかけた電気のヒーターしかないのです。
たっぷりと厚着をして、パソコンを開きました。
最近、私からの発信もあまりしていないからか、メールもフェイスブックメッセージも少なくなってきていますが、いろんな端末でチェックするようになったので、見落とすことも少なくありません。
基本は机のパソコンで受けているのですが、なぜか時々見落とします。

数日前に電車の中で、スマホで確認したメールがあります。
後で読もうと思っていたのを忘れてしまい、探しましたが、見つかりません。
あのメールは私の幻想だったのでしょうか。
たしか25日か26日にもらったメールで、
私の考えが少しわかったという書き出しでした。
最初だけ読んだだけなので、どうわかったのかをきちんと読んでいません。
気になりながら、今日まで放置していました。
私の考えがわかったとは嬉しいと思いながら、そのメールを探しましたが、見つかりません。
念のために最近バックアップするようにしているgmailを探しましたが、見当たりません。
可能性のあるところを探しましたが出てきません。
あのメールは、私の願望が創作した幻想だったのでしょうか。
ますます現実と幻想がまじりあってきてしまったようです。
まあいずれにしろ、すべては幻想なのでしょうが。

そもそも私の考えは、自分でもよく整理できていないので、なかなか分かってはもらえません。
最近それを痛切に実感しています。
もしかしたら、私の人生そのものが幻想なのかもしれません。
そうした私の幻想と現実の乖離が生まれているのかもしれません。
最近読んだ、バウマンの「ソリッド・ライフ」にこんな文章がありました。

 この社会では、使い捨てが普遍的なルールであり、例外措置はない。たとえどんなもので  も、歓迎期を過ぎたら、それ以上長居することは許されない。

私はちょっと「長居」しすぎているのかもしれません。
私自身の認識と他者の受け止め方は違っていて、私の役割は終わっているのに私が気付いていないのかもしれません。
一昨日届いた友人からのメールに、「佐藤さんのように年齢を重ねても活躍できる人間になるのが目標です」と書いてありましたが、どうも活躍の仕方が間違っているのかもしれません。

そんなこともあって、来年から少し生き方を変えようかと思い出しているところです。

外は少し明るくなってきましたが、日の出はまだまだです。
いささか早く起きてしまいました。
身体がふるえそうなほど寒く、頭がちょっと痛くなってきました。
心筋梗塞にならないように気をつけなければいけません。
またベッドに戻ることにしました。
でもまあ眠れないので本でも読もうと思います。

■3731:10年ルールの危機をとりあえず乗り越えました(2017年12月28日)
節子
今朝の危機は無事乗り越えられました。
実はまた1時間ほど寝てしまいました。
頭痛が少し残っているような気もしますが、それはテレビで久しぶりにまた貴乃花事件の話を見たからかもしれません。
どうも問題の捉え方が違っていて、蹴飛ばしたくなるほど違和感があります。
もう少しまともな問題をまともに捉えて、まともな論評をしてほしいと思います。
テレビがますます嫌いになってきています。
それでいささかムッとして、時評編やフェイスブックに怒りを書いてしまいました。
今年もついに未熟な人間をさらけ出しながら、終わりそうです。
困ったものですが。

気を取り直して掃除を再開。
寝室の掃除をやりだしたら、これがまたひどいもので、こんな中で寝ていたのかと驚くほどです。
でもまあ、それもほどほどにしたのは、電話がかかってきて呼び出されたからです。
昼食に誘われてしまったのです。
昨日は遠くでしたので断れましたが、今日は我孫子市内なので、断れずに、お付き合いしました。
でもご馳走になってしまいました。

しかし、体調はなかなか戻りません。
10年ルールに呪縛されているのかもしれません。
いや今朝、寒い中をパソコンをやっていたので風邪をひいてしまったのでしょうか。
早めに自宅に戻りました。
娘が階段のワックスがけをしたから上に上がってくるなというので、仕方なく1階でテレビを見ました。
ニュs-を見るとまた血圧が上がりかねないので、録画していた「こころの時代」を観ました。
今月初めに放映された「紛争の地から声を届けて」。
一度見ていますが、また見たくなったのです。
ユダヤ人ジャーナリストのアミラ・ハスさんを徐京植さんがインタビューしたところが、とても共感できるのです。
そこでは「ピープル」という言葉が効果的に語られています。
また「ディアスポラ」に関しても語られています。
いずれも最近、私が引かれている言葉です。
それにしてもなぜ人は傷つけ合い殺し合うのか。
また相撲協会のことを思い合思想になったので、テレビはやめました。

お金がないのに気が付いたので、ATMにお金をおろしに行きました。
しかし、この寒い中、たくさんの人が並んでいたのでおろせずに帰ってきました。
並ぶのはどうも苦手です。
お金がなくてもどうにかなるでしょう。
さすがに、お賽銭くらいはありますので。

ところでお賽銭は、自らの穢れを捨てるために奉納するとテレビでだれかが語っていました。
私の場合、あまり穢れはないはずので、お賽銭は不要かもしれません。
いや、そう思っている人ほど、穢れは多いのでしょうね。
あれ、また貴乃花事件を思い出しそうです。
挽歌など書くのをやめて、読書三昧に入りましょう。
今週は「世界の共同主観的存在構造」という、なにやら難しい本に挑戦することにしました。
読了できるでしょうか。
なにしろ場合によっては、あと58時間しかないのですから。

■3732:読書三昧から読書惨敗へ(2017年12月30日)
節子
昨日は年末を読書三昧に充てようと決意しましたが、初日で諦めました。
読みだしたのが「世界の共同主観的存在構造」という難解そうな書物でした。
しかし、そのタイトルに魅かれるものがあり、また著者の廣松渉さんにも魅かれたのですが、やはり私の手には負えませんでした。
一応3時間かけて目は通しましたが(読んではいません)、歯が立ちそうもなく、あきらめました。
読書三昧のはずが読書惨敗です。

ただデュルケームに関する論考だけは少しだけ心に入ってくるところがありましたの、何内にもう少しきちんと読んでみようと思います。

それで今日は読書ではなく、仕事場の整理を始めました。
これがまた読書よりも大変です。
読みかけの書類や懐かしい書類などいろいろと出てきます。
捨てがたいものもありますが、やはりここは思い切っての処分が必要です。
たぶん私にはとても価値のあるものなのですが、私以外の人にはゴミの山でしかありません。
そう考えると不思議な気がします。
「価値」とはいったい何なのか。

年末はいろいろと考えることが多いです。
片づけ仕事が疲れたので、ちょっと気分転換に挽歌を書いてしまいました。
なにしろ1か月以上、遅れてしまっているのです。
年内に追いついて年を越そうと思っていたのですが、もう不可能です。

■3733:恒例のお餅(2017年12月30日)
東尋坊から恒例の「わたしの気餅」が届きました。
毎年、東尋坊の茂さんや川越さんや、仲間のみなさんたちが一緒になってつくお餅です。
早速、節子にも供えさせてもらいました。

このお餅を最初に食べたのは、節子と一緒に東尋坊に行った時でした。
節子との最後の旅行でした。
吉崎御坊にお参りに行ったのですが、その途中に立ち寄った東尋坊で偶然にも茂さんたちに出会い、お店でご馳走になったのです。
私は前にもおふたりには会っていましたので、もしかしたら会えるかもしれないと思っていましたが、自動車を降りたら、なぜかそこに茂さんたちがいたのです。
それは、後で考えるととても大きな意味をもっていました。
単なる偶然ではありません。

それはそれとして、電話に出た茂さんも川越さんも声が輝いていました。
茂さんたちの活動で、東尋坊で人生を取り戻した人たちはすでに600人を超えていますが、今年は出会いも被害者も少なくなってきたそうです。
とてもうれしいことです。

それにしても今の東尋坊は寒いでしょう。
茂さんたちの活動に役立つことは最近できていませんが、来年はもう一度、東尋坊に行きたいものです。

■3734:無事に年を越せそうです(2017年12月31日)
節子
人間の心身は実に微妙です。
前に書きましたが、娘からわが家の「10年ルール」を聴いて、冗談を言い合っていたのですが、話をしたりフェイスブックなどに書きこんでいたりしていたら、本当に心身が少しずつ変調を来たしだしました。
頭痛と心臓に変調が起きたのです。
自己予言の充足ということがよく言われますが、思っているとそれが現実化するということはよくある話です。
あと30時間を切った昨日、どうも調子がよくなく、血圧を測ったら、かなり高かったのです。
まあこれも自らの期待に反応していたのかもしれません。
でもここにきて10年ルールが現実化するのは避けたいので、昨夜は入浴もせずに、9時に寝ました。
寝ればいいというものでもないですが、安静にこしたことはありません。

夢を見ました。
いい夢でした。
そういえば最近見る夢は、いずれもかなり理屈っぽい内容のことが多いです。
夢の中で、何かとてもいいことを語っている自分がいるのです。
昨日は道徳と倫理の関係でした。
おかしな話ですが、貴乃花事件の核心がなんだか一挙に見えてきたような気がしました。
目が覚めた後思い返すと、なんだかとても退屈な見解なのですが、夢の中では何か充実感がありました。
まさか夢でこんな議論をしているとは、私にも意外ですが。

6時に目をさまし、朝風呂にゆっくり浸かりました。
体調はもどり、これなら10年ルールは跳ね返せるでしょう。
しかし、あることに気づきました。
その気になれば、自分の心身、つまり生命は、かなりコントロールできるものだと。
節子もたぶん最後の1か月は、自らの生命をコントロールしていたのだろうと、改めて実感しました。

ところで血圧ですが、やはりチョコレート療法は限界がありそうなので、来年からまた降圧剤を飲もうかと思います。
最近調子がよくない一因は高血圧のせいかもしれません。

今日は最後の日ですが、私の役割のトイレ掃除と庭の掃除がまだです。
困ったものですが、あいにくの雨が降りそうな天気なので、もしかしたら1日、遅らせようかと思っています。
節子がいたらきっと怒るでしょうが。

■3735:節子、生き方を少し変えます(2018年1月1日)
節子
節子がいない11回目のお正月です。
最近は定番なのですが、娘たちと近くの子の神様に初詣し、そのまま節子のお墓見舞いに行き、わが家でみんなでつつましやかなおせちを食べます。
既成のおせちセットは買わずに、ユカががんばって作ってくれます。
孫も、今年はお煮しめを喜んで食べていました。
節子がいた頃のわが家のお正月料理は、質素な中にも毎年、ひとつだけちょっとしたぜいたくがあったのですが、最近は次第にそうしたものもなくなりました。
それでもユカの手料理のおせちは美味しかったので、いささか食べ過ぎてしまいました。
その後、ジュン家族は、連れ合いの実家に行きますので、後は私とユカが残ります。
昨年は2人も、少しだけ頑張ったので、だらっとしています。

朝は例年のように、屋上から初日を見ました。
今年はとてもきれいでした。
運がよければ、子の神様からもわが家の屋上からも富士山も見えるのですが、今年は見えませんでした。

時評編に書きましたが、今年から少し生き方を変えようと思います。
昨年は、たくさんのことがあったこともあり、これまでの生き方の粗雑さを思い知らされました。
今ごろ気づくのは、いささか遅きに失していますが、気づいた以上は正さなければいけません。
どう変えるか。
たぶん節子が知ったら喜ぶ方向へです。
節子にはわがまま放題でしたが、少しは節子のアドバイスを身につけなければいけません。

節子がいなくなってから、私の生き方や価値観は大きく変わってしまいましたが、最近ようやく、落ち着いてきました。
伴侶を失ってバランスを欠いた生き方になれるのには、やはり10年はかかるようです。
ようやく今年は、正常化して前に進めるような気がしています。

今年は、年末に「善い年だった」といえるような生き方をしようと思います。

■3736:(2018年1月2日)
節子
日の出前の朝焼けがとてもきれいです。
今朝もきれいな日の出がみられるでしょう。

今年から新しい生き方に入るのだと決意したつもりですが、昨日は、まったく「新しさ」のない元日でした。
今朝もまた、いつものように、目覚めとともに、いささか虚しい気持ちにつつまれました。
どうも一挙には気持ちは変えられないようです。

「幸せに満たされた人生」というものは、たぶん論理矛盾です。
なぜなら、「幸せ」とは「不幸せ」があればこそ、実感できますから、不幸せのない人生には幸せもまた無いからです。
私には適度に「幸せ」も「不幸せ」もありますから、祝福された人生だという気はしますが、
しかし隣りに伴侶がいないことが、どうも理解できずにいました。

しかし、伴侶としての節子は、ずっと隣にいたのではないか。
それに、今朝、ようやく実感的に合点がいきました。
この10年間は、四国巡礼で言われているように、節子との「同行二人」の10年だったのです。
そう思うと、いろんなことが納得できます。
伴侶とはそういうものかもしれません。

ここまで書いたら、窓の外に「あったかな陽光」が感じられました。
日の出です。
窓からのぞいたら、昨日よりもきれいな日の出が見えました。
見ていると目がやられるので、日の出を感じながらまたパソコンに向かいました。
直接は見えませんが、明らかに太陽は私を包んでいてくれます。
たぶん、節子もまた、こんな感じで私とともにあるのです。
それを実感できないとしたら、それは私の知性と感性の鈍さです。
たとえ、雨の日も太陽は存在し、雲さえも支えているのです。
雨もまた、太陽の恵みなのですから。
ときに、私はそれを忘れてしまう。

さて、「同行二人」です。
節子が同行していることは、必ずしもよいわけではありません。
そのおかげで、私はいまもなお「自立」も「自律」もできず、充実感のない毎日を生きています。
しかし、その一方で、節子の不在を理由にして、自分を「言い訳」ているところがあります。
それがある意味での、私の「自立」や「自律」を支えているとも考えられます。
すべてはやはりつながっているのです。

幸せが幸せを生むように、不在が存在を生む。

新しい年の2日目がはじまりました。
外はもう、私の好きな「白い世界」にちょうど変わりだしてきています。
雪の白さではなく、輝きの白さです。
快晴の日の朝にわずかの時間だけ感ずる、私にとっての歓びの時間です。
今日も穏やかな日になりそうです。

■3737:お正月のショッピングモールはやはり別世界です(2018年1月2日)
節子
久しぶりに、正月のショッピングモールに行ってみました。
めずらしく娘が誘ってくれたのです。
先日、セーターを買いに行って、結局ジャケットを買ってしまったので、セーターを買おうと思っていました。
一人で買いものに行くのは、まだ苦手ですので。

節子がいた頃は、三が日のいずれかに街中にも出ていましたが、いなくなってからはまず出ることはなくなりました。
私の体験でしかありませんが、この10数年の間に、ショッピングモールなどの雰囲気は大きく変わりました。
というよりも、節子と一緒だった頃は、むしろデパートが多かった気がしますが、今では柏近くのデパートは全滅で、代わりにいろんなショッピングモールが増えています。
いろんなところで、イベントもやっていますし、にぎわっていました。
開店直後に行ったのですが、お客さまの多さにも驚きました。
11時にレストラン街がオープンと放送があったので、人気のお店に行ってみたら、なんとすでに長い行列ができていました。
行列は苦手なので、別のお店にしましたが、まあなんという混雑ぶりのことか。

そういえば、まだ私が会社を辞める前のバブルの時代もこんな感じだったことを思い出しました。
もしかしたら、社会の一部ではいままたバブルになってきているのかもしれません。
いまから思えば、あの頃の私たちの暮らしも、いささかバブル感があります。
その罪悪感が、いまもどこかに残っていますが、久しぶりにそんな雰囲気を少し感じました。
食事さえ十分に食べられない人がいることを思うと、やはりどこかで心苦しいのです。
自宅の料理のほうが私には合いますが、せっかくなので、娘のお勧めに従いました。
もっともわが娘たちはとても質素なので、さほど罪の意識を持たないですみましたが。
でも、外食するとどうしても、食事にさえ窮している人たちのことを思い出してしまいます。
友人が時々ご馳走してくれますが、できればできるだけ質素なものをと希望しても、なぜか高いものが選ばれてしまう。
それで最近はご馳走される時にも、高いもののないお店を選ぶようにしています。

しかし、それではお店の人たちが困るのではないかという思いもあります。
お店も売り上げを伸ばさなければいけません。
娘の連れ合いがイタリアンをやっていますので、料理するお店の大変さもよくわかります。
義理の息子は、夜遅くまで働いていますが、たぶん大企業に勤める同世代の人の給料に比べたら桁違いとは言いませんが、格段の差があります。
そういう実態を知っていますので、私としてはいささか複雑な気持ちなのです。

高価な食事をする場合は、高率の税金を聴取して困っている人たちへの食支援に回してほしいものです。
そうなれば、私でも時には高価な食事が気持ちよくできるかもしれません。
そんなことをしなくても、ちょっと高価な外食をした場合は自分で一定比率を拠出して、それをフードセンターなどに寄付すればいいのですが、私にはちょっとハードルが高いです。
お金を使うことのむずかしさは、いろいろとあります。

ちなみに、まあいろいろあって、またセーターは買わずに来ました。
私に合うようなセーターがなかったのです。
もしかしたら、もうシーズンオフなのかもしれません。
どうも時代の流れには着いていけなくなってきました。
困ったものです。

■3738:今年も年賀状を出しませんでした(2017年1月3日)
節子
今朝もとてもいい日の出でした。
穏やかな日が続いています。

しかし、どうも血圧のせいなのか、あんまり調子がよくありません。
頭の地の流れがなんとなく詰まっているようで、思考が動き出さないのです。
チョコレート療法はあきらめて、薬を再開したほうがいいかもしれません。
クリニックの遠藤さんのところに行くのはちょっと気が重いですが。

年賀状を読みました。
私は年賀状を出すのをやめてしまっていますが、それでも年賀状を送ってくれる人がいます。
いただいた年賀状への返信も、昨年はしないまま終わってっしまいました。
さらに昨年は、年賀メールもやめてしまいました。
別に深い意味があるわけではないのですが、ただ怠惰なだけでもありません。
書けなかったのです。
たとえ年賀メールでも、心を込められなければ書くわけにはいきません。

節子は年賀状を書くのに、とても時間をかけていました。
その横で、いかにも安直に書いている私には批判的でした。
印刷した文面だけでは心が伝わらないという理由で、手書きで一言二言書き添えていましたが、節子は思いを込めていたら、そんなに早くは書けないでしょうというのです。
多い時には1000通を超える枚数の年賀状を書いていましたから、たしかに一人ずつ心を込めていたら、1週間では終わりません。
私のそういう生き方に対して、節子は別の生き方のモデルを、いつもそれとなく見せてくれていたのです。
それが、節子がいなくなってから、じわじわときいてきたのです。
いまさら気づいたところで遅いのですが、むしろそうした気づきが私の気を削いでしまっています。
錯塩もそうだったような気もしますが、この数年、何もできない年末年始を過ごしているような気もします。
今年は脱却できそうだと思っていましたが、やはり抜け出せません。
むしろ高血圧のせいであればいいのですが。

■3739:書を携えてまちに出よう(2018年1月4日)
節子
気持のよい朝の日の出が4日連続です。
その上、陽射しがとても力強い気がします。

無為の3日間がすぎました。
毎日、初詣など出ていましたが、基本的にはなにもしない3日間でした。
来客も娘家族以外はなく、心乱される電話もなく、平安に過ごしましたが、平安がいいとは限りません。
やはり平安には退屈がつきまといます。

今朝のテレビで、小笠原諸島の海岸の風景が出ていました。
それを見ていて、こういう場所で生きていたら心乱されることもなく、いい人生だろうなと思いながら、私自身の生き方に少し思いをはせました。
どうしても「退屈」を満喫できるところに戻れません。
節子がいた頃は、「退屈さ」を楽しめたのですが。

昨年末、かなり難解な本に挑戦して見事に挫折しましたが、未練がましくもその本は机の上に置いていました。
諦められずに、いまもなお時々読んでいますが、小笠原諸島の海岸の風景を見て、読むのをやめることにしました。
読んでも心身に入ってこないのには、それなりの理由があるのです。
いまはまだ読むべき時ではない。
でももしかしたら、もう今生では読む機会が得られないかもしれない。
そこに未練があったのですが。

私がそれなりに影響を受けた寺山修二は「書を捨ててまちに出よ」と言いました。
しかし、それは私にはなかなかできないことでした。
書を携えてまちに出よう、が私の目指したところです。
いずれも中途半端に終わりました。
もし節子がいまもいたら、もう少しまちに出られたかもしれません。
節子の中には、まちがありました。

今日は久しぶりに湯島に出かけます。
新年のオープンサロンです。
節子がいた頃は、毎年、年のはじめに節子と一緒に湯島に行って、部屋の掃除をしました。
最近は掃除なしです。
少し早目に行って、掃除をしようと思います。
そういえば、花もない。
鉢植えの花は、いずれも花を咲かせていませんでした。
湯島から花が消えて久しいです。

さて今日は誰に会えるでしょうか。

■3740:「老老介護」(2018年1月5日)
節子
最近、老老介護という言葉を私のまわりでもよく聞くようになりました。
年賀状でも、その言葉をいくつか見かけました。
節子もよく知っている人も、伴侶が病気になって、老老介護の毎日だと書いてきました。
親の介護の「老老介護」もありますが、私自身は「老老介護」という言葉には違和感があります。
体験がないからかもしれませんし、これからも体験できないからかもしれません。

昨日の湯島のサロンで、参加者に「老後の心配はありますか?」と質問しました。
ひとりが明確に「ありません」と応えてくれましたが、他の人はすぐの反応はありませんでした。
あまり普段は考えたこともないのでしょう。
私は、すでに「老後」を生きていますが、さらなる老後の心配はまったくと言っていいほどありません。
というよりも、そもそも私には「老後」という概念さえありません。
子どもの頃も含めて、私は「今ここ」を生きているだけですから。

「介護」ということも私にはあまり実感が持てない言葉です。
私自身を振り返れば、常にだれかの世話になり、だれかの世話をして生きています。
それを介護と言えば介護ですが、それが特別のことでもありません。
両親や節子の看病はしましたが、「介護」をしたという感覚や思いはありません。
介護という言葉が、いつごろから使われ出したのかはしりませんが、どうも違和感のある言葉です。
家族を基本にした社会観が個人を基本にした社会観に変わりだしてからでしょうか。
私の場合は、いまだに「家族を基本とした社会観」の中で生きていますので、「介護」という概念は生活用語ではなく、ビジネス用語でしかないのです。

「老老介護」という言葉を使っている人は、そんなに深い思いで使ってはいないでしょうが、言葉が生き方を変えていくこともあるので、ちょっと気になっています。

昨日のサロンでは、子どもたちには迷惑をかけたくないという人もいました。
それもちょっとさびしい気がします。
私はいまも、これからも、子どもたちに迷惑をかけながら生きていくつもりなのです。
迷惑をかけるのは、子どもたちだけに限りません。
みんなに迷惑をかけながら生きていくつもりです。
そもそも、生きるということはそういうことだと思っているからです。

とまあ、そうではあるのですが、
「老老介護」の中で生きている人たちは、たぶん「幸せ」なのではないかとも思います。
「老老介護」したくてもできない人と、できる人と、どちらが「幸せ」かはわかりません。
正直に言えば、伴侶との「老老介護」の時間を持てなかったものとしては、ちょっぴりうらやましい気もするのです。

■3741:空に雲がないのは太陽の輝きのおかげ(2018年1月6日)
節子
今日も雲一つない、いい天気です。
昨日は曇天でしたが、今年は穏やかな日が続いています。

今年から生き方を変えようと決意しています。
「寛容に」、そして、できれば「無為」に、です。
まあそういう生き方になるまでには、少なくとも1年はかかるでしょうから、今年は移行期でしかないでしょう。
そういう生き方になれるまでは、できるだけ人に会わないほうがいいので、今年はできるだけ人に会わないことを目指したいと思います。
というわけで昨日も今日も誰にも会っていません。
これはけっこう辛いものがあります。
やはり人は、人と一緒に生きることと定められているのでしょうか。
でも誰かと会うと、ついつい何かを始めたくなる。
できるだけ今年はそうならないようにしなければ、生き方は変わりません。

実家に帰省した友人から、「私物がまったくないという環境を気持ちよく感じています」という手紙が届きました。
「東京に戻ったら、さらにモノ減らしに励みたいと思います」と書いてありました。

彼はできるだけ物を持たないという生き方をしていますが、毎年のようにほとんど物を持たずに旅に出ます。
しかし、豊かな人とのつながりを紡いで戻ってきます。

物がないほど、人のつながりが豊かになることも、いろんなところで実証されています。
しかし多くの人は、物に囲まれていないと安心できないのも事実です。
私も、残念ながら、まだ彼のように、物を捨てていくことができずに、中途半端な生き方に堕しています。
そこから少しずつ抜け出られればと思っています。
「私物」がなくなれば、寛容と無為に近づけるかもしれません。

しかし、それにしては、私のまわりには「私物」が多すぎる。
しかも、その「私物」にはたくさんの「私情」がこもっている。
捨てようと思うと、どうしても捨てがたい「思い」がまとわりついてくるのです。
「物」には必ず「人」がついている。
「物」から自由になるということは、実に難しいことです。

今日の空には、雲がありません。
こういうさやかな心になるには、どうしたらいいのでしょうか。
空に雲がないのは、太陽の輝きのおかげです。
だから、輝く太陽があれば、私物などなくても大丈夫です。
その太陽が消えてしまって以来、どうも私の生き方は迷いだらけで定まりません。
いつになっても不惑をつづけながら、途方に暮れる生き方になってしまっています。
今年は、この生き方を後にしようと思います。
輝く太陽を見つけなければいけません。

■3742:はじめての「重ね煮」「(2018年1月6日)
節子
信じがたいことですが、料理をしました。
土鍋を使っての、しいたけ、玉ねぎ、ジャガイモ、にんじんの「重ね煮」です。
まあ少し娘に手伝ってはもらいましたが。

友人の高石さんが年末に「食は、しあわせの種」という本を出版しました。
「佐藤さんでも作れる」と言われて、その本をいただきました。
実践しないわけにいかなかったのですが、なにしろ料理へのモチベーションが全くないため、とうとう年を越してしまいました。
しかし、あまり延ばしているわけにもいかないので、今日、がんばって挑戦しました。
なんとか出来上がりました。

高石さんは、私と同じころに、伴侶を見送りました。
その体験から、食への学びをはじめ、いまでは食をテーマにした仕事をされるようになっています。
同じころ、それぞれが伴侶を見送っているわけですが、彼女の対応を見ていると、どうも伴侶の見送り方は男女でだいぶ違うような気がしていました。
男性は生活が崩れますが、女性はむしろ自立していく。
まあ私だけの特例かもしれませんが。
看病の仕方も違っていました。
男性は、おろおろし希望的観測に逃げ込みますが、女性は現実を見据えてしっかりと看病します。
これも私だけのことかもしれませんが。

高石さんは、伴侶の看病を通して多くのことを学んだようです。
私も確かに多くのことを学びましたが、どうもその内容はだいぶ違う気がします。

ところで、この「重ね煮」は料理のベースのようですが、今回、私はこれをつくるのが精いっぱいで、結局、これをおかずに食事をしました。
私は「温野菜」が苦手ですが、これは美味しかったです。
それに簡単なので、次は10種類を超えた「重ね煮」をつくろうと思いました。
どうせなら、庭の野草や海藻や果物も入れて、やってみようと思います。
セロリも入れましょう。
最近生のセロリにはつくづく飽きてきましたから。
さてこれが私の料理初めになっていくでしょうか。
節子は、私が料理ができないことを心配して、病状がちょっとよくなった時に、料理を指導してくれましたが、申し訳ないことにまったく身に付きませんでした。
困ったものですが、いまも時々、娘のユカから、お母さんが嘆いているよと叱られます。

これを契機に、少し料理を始めてもいいかと、今日のところは思っています。
そうなるといいのですが。

■3743:「迷惑をかけられることは決して不幸ではない」(2018年1月7日)
節子
フェイスブックをやっていると、時々、とてもうれしいことがあります。
思ってもいなかった人との出会いも、その一つですが、とてもうれしい話に出合えるのです。
先日、挽歌でも書いた「老老介護」ですが、その内容を少し変えて、フェイスブックにも書きました。
それを読んだ若い友人が、その記事をシェアしてくれて、そこに自分の体験を書いてくれました。
読めるかどうかわかりませんが、その記事は次にあります。
https://www.facebook.com/yamaura.yoshihito/posts/1625050527605049?notif_id=1515251574065745&notif_t=story_reshare
とてもいい話です。

彼は、体験談を紹介した後に、こう書いてくれています。

迷惑をかけられることは、決して不幸ではないし迷惑でも何でもない。
誰かの役に立てることで私はようやく、人と人の間に入っていけるようなこころもちになる。
やっぱり誰かの迷惑になること、迷惑を被ることは人間関係の基本かもしれないと、佐藤修さんのノートをみて、強く思うのでした。

他者の言葉で、自分の考えていたことが明確になることは少なくありません。
今回もそうでした。

そういえば、先日のサロンで久しぶりに「ヴァルネラビリティ」という言葉が出ました。
この概念に触れた時のことを今も思い出します。
この概念が社会を変えるのではないかと思ったのです。
私の生き方が、それまでにも増して、弱みをオープンにする姿勢に変わったように思いますが、まだまだ十分ではありません。
いまもなお、見栄を張り、弱さを無意識にしろ隠そうとしている自分がいます。
困ったものです。

生き方を変えることは、そう簡単ではありません。

■3744:くら〜い気分の1日(2018年1月8日)
節子
今年は少しきちんと生きようと思っていたのですが、年初からミスばかりです。
もう2回も、意に合わない言動を重ねてしまい、自己嫌悪に苛まれています。
私は性格に欠陥があり、あることに触れられると暴発してしまうところがあります。
それがなかなか直らない。
あることというのは、自分でもあまりわからないのですが、権威主義が関係しているようです。
権威を振り回す人がいると、つい切れてしまうのです。
私もまた、「権威」から自由になれていないということかもしれません。
困ったものです。

そんなわけで、今日は「くら〜い」気分で1日を過ごしていました。
今日、やったことといえば、年賀状をきちんと読み直したことと、その人たちにメールしたことくらいです。
いちいちその人のことを思い出しながら、短いメールをしました。
それで気付いたのですが、北九州市の人が多いのです。

そういえば、一時期、北九州市に転居しようと考えたこともありました。
節子と一緒に北九州市にも行きました。
2回ほど行ったように思いますが、結局は転居しませんでした。
両親と同居していたことが大きな理由でした。
最初に北九州市を私たちに案内してくださったのはYさんでした。
Yさんは要職にありながらも、自分の車でいろいろと案内してくれました。
そのYさんももうお勤めは辞めていますが、年賀状によれば奥様の看病をしているとのこと。
だれもが老いには勝てません。

長野のYさんからは娘さんたちの写真入りの年賀状が届きました。
彼らの父親に頼まれて、一度長野に出かけましたが、その時節子も同行しました。
そしてそこで、まだ1歳になっていない娘さんに会ったのです。
娘さんはもう14歳。
あれからもう14年がたったのです。

年賀状を読んでいると、時間の流れが改めて伝わってきます。
メールを書くのは1分もかかりませんが、その前後にいろいろと思うことがあります。

そのおかげで少し気分が明るくなりました。
3回目の過ちはしないように、気をつけないといけません。

■3745:笑いと怒り(2018年1月10日)
節子
昨日は、ほっとスマイルプロジェクトという集まりを湯島で開いていました。
世の中に「笑い」を広げていきたいという思いを持った人たちが中心で初めてプロジェクトです。
私も主旨に共感して発起人の一人になりましたが、中心はラフターヨガとか認知症予防ゲームを実践している人たちです。
ほとんどが女性ですが、どうも男性と女性とでは思考の構造が違うようです。
だからこそ私が巻き込まれているのだろうと思いますが、参加してお話を聞いていると、いろんな気付きがあります。

昨日は、高齢者は笑うことが少なくなるので、笑う場をもっと広げたいということが話題になりました。
サロンなので笑う体験を重ねていくと、笑いやすくなるという話もありました。
たしかに「笑う効用」は大きいと思いますし、一人ではなかなか笑えませんので、笑うためには人とのつながりも増えていくでしょう。
でもどこかにやはりひっかかることがあります。
笑うことまで誰かに手伝ってもらわなければできなくなってしまったのか。

たしかに、笑うことで幸せになることはあります。
しかし、不幸を笑いでごまかすこともある。
幸せのために必要なのは、笑いではなく、笑いが少なくなってきている社会のあり方への怒りではないか。
そんな気がしてしまうのです。
その話を少ししだしましたが、やはり誤解されそうだなと思って、やめました。
今年は、話すことに慎重になろうというのが、昨年末に決めたことの一つなのです。
今年はもう2回も、その決意を破ってしまいましたが、3回目は何とか踏みとどまりました。

笑うことの幸せを求めるのは、どこかで逃げているのではないか。
そんな気がしてきましたが、そんなことを考えること自体が、いまの私は少しおかしいのかもしれません。
やはり「くら〜い」感じです。
笑いが必要なのは、私なのかもしれません。
まあ私は、それなりに笑っていると思っているのですが。

笑いは免疫力を高めるということで、節子も笑いを目指していました。
私もそれを応援していました。
でもそれはやはりどこかで間違っていたのではないか。
そんなことまで考えてしまいました。

笑いと怒り。
やはり私は、怒りのほうが大事ではないかと思います。
怒りを広げるプロジェクトを起こす気はありませんが。

■3746:こうもりの孤独さ(2018年1月11日)
節子
私の疲労感は、もしかしたら正反対の世界を往来しているからかもしれないという気がする時があります。
正反対といっても、彼岸と此岸という意味ではありません。
経済的に恵まれた人たちと恵まれていない人たち。
現体制を支持している人たちと毛嫌いしている人たち。
これまでの価値観の中にいる人たちとそこからはみ出ている人たち。
こう書いてしまうと退屈ですが、それぞれで使われている言葉の意味は、まったくと言っていいほど違います。
豊かさや幸せという言葉の意味さえ違います。
そうしたダブル・シンキングのなかを往来しているとそれなりに疲れます。

さらに加えて、私は、たとえば「知性」とか「仕事」という言葉の意味さえ特殊です。
ですから、一見、みんなとコミュニケーションしているようで、コミュニケーションできていないことも多いのです。
そういう虚しさに襲われることは少なくありません。

特に私が最近違和感を持つのは、みんなが相変わらず「官民」の世界でしか生きていないことです。
私のテーマは、コモンズですが、コモンズの視点から捉える「政治」や「経済」は、世間で語られるそれとはかなり違います。
一部の人たちのための政治や経済を、みんなのものに取り戻したいと思い、一時は「みんなの〇〇」という活動をいろいろと始めたこともありますが、やっていて思うのは、だれもそんなことは望んでいないということです。
私の思いを伝えられずにいるということかもしれませんが、まあ見事なほどに挫折の連続です。

挫折して失望する相手は、どちらかの世界にいる人ではありません。
いずれの世界の人たちにも、違和感を感ずるのです。
社会からはみ出してしまっているということかもしれません。
社会からはみ出しているということは、社会に役立っていないということでもあります。
そこで自己嫌悪に襲われるわけです。

しかし、もしかしたら、もうひとつの世界があるのかもしれません。
その世界に行きつければ、きっと心が安らぐのでしょう。
なかなかたどり着けずに、いささか疲労感がたまってきています。

■3747:「恵まれていること」(2018年1月12日)
節子
新潟のKさんの奥さんが入院しました。
がんの転移ではなかったようですが、しばらく入院のご様子です。
残されたKさんのほうが心配ですが。
私よりも年上ですが、私から見ても心配するほど活動しています。

昨日は、こんなメールが届きました。

一昨年の女房乳がん手術に続いて昨年は私が腎臓がんの切除手術を行いました。
幸い2人とも術後経過は問題がなさそうで休戦状態を維持できています。
元気なうちにやりたいことはやっておこうと思っています。
自分達が恵まれていることに感謝しつつ、それが出来る世の中であることを守る責任を感じます。

名古屋にお住まいですので、この数年お会いしていません。
30年近く前に、仕事でわずかに接点があった方です。
どこかで心が通ずるところがったのでしょう。
お互い、お付き合いは長く続いていますが、なかなかお会いはできません。
その方も「休戦状態」
最後の1行がとても心に響きます。

自分達が恵まれていることに感謝しつつ、それが出来る世の中であることを守る責任を感じます。

不幸を嘆かずに、恵まれていることに感謝する。
私が節子を見送った時には、そんな気分にはとてもなれませんでした。
もちろん状況は少し違うかもしれません。
しかし、どんな状況にあっても、「恵まれていること」が皆無であることはないでしょう。
感謝を忘れてはいけません。

年賀状や年賀メールを読んでいると、自らの未熟さを痛感します。
せめていまほどの「恵まれた」世の中を守る責任を、私も果たさなければいけません。
そろそろくら〜い気分を捨てて、動き出します。
今日から仕事を始めます。
誰のためでもなく、私自身のために。

■3748:成田山新勝寺への初詣(2018年1月12日)
節子
遅くなりましたが、今日、成田山に初詣に行きました。
毎年来るたびにどこかが新しくなっています。
その一方で、これまでは気楽には入れたところが入れなくなったりもしています。
節子と一緒に来ていた時とはかなり変わってきています。
昨年末に醫王殿(いおうでん)も完成しました。
やはりいささか違和感はありますが、お参りした私の前の日とはとても丁寧に祈っていました。
回廊式なので、順番を待たなければ前に進めないため、だいぶ待ちました。
私は軽く祈っただけでした。
人は身勝手なものです。

今回も本堂での護摩祈祷にも参加しました。
いろいろと思い出すことも多いです。
祈祷の中で、それなりに大きなお布施をした会社の名前などを読み上げるのはいかにもという感もしますが、あの雰囲気はいいものです。
高野山の早朝に宿坊で、真っ暗な御坊で市川さんに護摩だきをしてもらったことも思い出します。

ちょうどのタイミングで、北九州の友人からメールが届きました。
私も知っているKさんが臨済宗のお寺に得度して入山したのだそうです。
偶然に大分の大光寺で、会ったのだそうです。
Kさんお僧侶姿をイメージしてみました。
何があったのでしょうか。
いや何もなかったのかもしれません。

今年は北九州市に行きたいと思い出しています。
福岡にも、ですが。

いつものように、節子の好きだった川豊で食事をしました。
一緒に行った娘は美味しいと言っていましたが、私は少したれの味が変わったような気がしました。
変わったのは私かもしれません。

これまでまったく無視してきた薬師堂も拝んできました。
先日のブラタモリで、その意味を知ったのです。
知ることで意味が変わってくる建物というのも、なんだかおかしいですが。
ここは昔の新勝寺の本堂だったのだそうです。
新しい醫王殿よりも、ずっと私には心が通じます。

■3749:独り寝の不安(2018年1月13日)
節子
昨夜は大変でした。
夜中に急に腹痛がしてきて、目が覚めました。
成田山のうなぎが、よくなかったようです。
うなぎが悪かったわけではありません。
川豊のうなぎは、とてもおいしいのです。
悪いのは私です。
いつも質素な食生活なので、これまでも肉料理を食べすぎたりすると腹痛になることが、これまでも2回ほどありました。
場違いのものを食べてはいけません。
それに前後の食べ合わせも悪かったのかもしれません。
その時の症状と似ていたので、あまり心配はしなかったのですが、辛い夜でした。
こういう時に、つくづくと独り寝の不安を感じます。
寝室に胃薬を置いておけばいいのですが、薬は1階なので、取りに行くのもおっくうです。
節子が横にいたら、薬を取ってくるとか、まあ大丈夫かとか言ってくれるでしょう。
しかし、独り寝暮らしでは、独りで腹痛を耐えなければいけません。

腹痛に限りません。
最近は夜中に目が覚めることが少なくないのですが、独りだと話しかける人もいません。
目が覚めて、横で寝ている人を起こすのも身勝手ではありますが、私は長年そういう生き方をしていました。
もちろん私も節子に、夜中に目が覚めたら起こしていいよと話していました。
夜中に眠れないことは、結構つらいことです。
辛いことは分かち合わなければいけません。
いや、分かち合うことで、辛いことが楽しくもなりうるのです。
腹痛も、独りで耐えるのではなく、腹痛をしてくれる人がいるだけで、痛みは軽くなります。

まあそんなことを勝手に思いながら、腹痛に耐えました。
朝起きたら、ほぼ腹痛は治っていました。

独り寝暮らしももう10年。
最近はすっかり慣れました。
しかし、体調が悪い時などは、ちょっと心配になる時もあります。

今日はサロンでした。
サロンが終わった後、友人がうなぎでも食べに行こうかと誘ってくれました。
前々からご馳走してくれると言っていたのです。
でもしばらくはうなぎは自粛しようと思います。
昨夜の腹痛は、いささか尋常ではなかったものですから。

■3750:怒りの矛先(2018年1月14日)
節子
今日、ある件で2人の人と会いました。
お一人は初対面です。
お2人とも、あるトラブルに直面して、怒りをためている方です。
怒りをためている人は、話さないか話が止まらないかのいずれかですが、湯島に来る人は例外なく話し出します。
今日初対面の方も、話し続けました。
怒りの強さと孤立感の強さが伝わってきます。
もうお一人は、おおらかな雰囲気を持っている方ですが、やはり最初に湯島に来た時には、話が止まりませんでした。
いずれも、怒りをわかってほしいという感じです。
相手は誰でもいいのかもしれません。
私を介して、天に向かって怒りを放出しているのです。
しかし、私はそうした怒りを上手く聞く力がありません。
ですから、私に話してもたぶん怒りは鎮まりません。
無力さを感じますが、怒りは無理をして鎮めることもないでしょう。
怒りが生きる力にもなりえるからです。
それに、怒りは他者には伝わるはずもない。

怒りだけでは、大きな力は出てきません。
それで怒りを前に向けたらどうかという話をしました。
念のために言えば、おふたりとも自らの怒りを社会に向けて活動を始めている方たちです。
でもやはり私には、自らの怒りに呪縛され過ぎている気がしたのです。
怒りを呪縛ではなく、支えに変えていかなくてはいけません。
そうしたら、そう考えるのは男性と女性の考え方の違いかもしれないと言われました。
2人とも女性なのです。
性は関係ないと思いましたが、そうかもしれないと、後で思いました。
女性は実に自分に素直ですし、時間軸も違うと思うことが時々あります。
だから女性たちと話していると疲れるのかもしれません。
節子と話していると疲れなかったのは、なぜだったのか。
ふとそう思いました。

ところで、怒りの世界にばかりいると、どこかで怒りから抜け出たくなります。
今日来た人からも、死んでもいいというような自暴自棄な言葉がふと出てしまいました。
でも、死んでもいいはずはない。
死ぬくらいなら、怒りは不要なのです。
彼女も、死んでもいいなどとは思っていないでしょうが、そんな言葉がついつい出てしまうほど、怒りとは疲れるものでもあります。
しかし、そう思いながらも、死んでもいいという言葉にはどうもひっかかります。
節子が聞いたら、怒るでしょう。
ちなみに、その時の「怒る」とは「怒り」とは違うものなのか。

怒りをどう前に向けていくか。
怒りをどう生きる力にしていくか。
今日はそんなことをいろいろと考えました。
節子ならどう考えるでしょうか。

■3751:自分を知れば知るほど、嫌な面が膨らみます(2018年1月16日)
節子
最近、よく眠れるようになりました。
そして夢もよく見るようになりました。
しかし、なぜかいつも出発に遅れてしまう夢なのです。
状況はいつも違いますが、最後は出発に遅れそうになる。
何処に向けての出発かは、いつもよくわかりません。
いつも途中で目覚めてしまうので、目的地はいつもどこかわかりません。
でも、遅れそうになる気配は目覚めた後にも残ります。
もう一つ共通しているのは、必ず誰か最近会ったことのない人の雰囲気を感ずるのです。
たしかに知り合いなのですが、具体的には顔は感じないこともあります。
いずれも20年以上、いやもっと会っていない人の雰囲気です。
それも毎回違います。

夢はいろんなことを暗示している気がします。
一時期、よく見た津波の夢はまったく見なくなりました。

夢はともかく、この1か月ほど、いろいろと考える時間が多かったのですが、自分のことが少しだけわかってきたような気がします。
結論的に言えば、視野が狭く独断的な「いやな自分」が自覚できるようになってきたということです。
これまでの生き方を考えると、よくまあ、みんなから見放されなかったものだと思います。
厚顔無恥というか、常識がないというか、言葉遣いを知らないというか、穴に入り込みたくなる思い出が、なぜか最近思い出されてくるのです。
そして、ますます自己嫌悪に陥ってしまう。
これが最近の状況でした。
いや、いまもその延長ではありますが、少し前に動き出しています。
動いていれば、心は少しは晴れるものです。

でもなかには、私から元気をもらったと言ってくれる人もいます。
すべてのものには両面があります。
私にも「よい面」もあるでしょう。
でもいくらよい面があっても、嫌な面があると、自分としては救いはない。
困ったものですが、嫌な自分から自らを解放するのは難しいです。

今日はいい天気です。
すべてから解放されて、いい1日にしたいと思いますが。
さてさて。

■3752:「音のない記憶」が復刊されました(2018年1月16日)
節子
黒岩比佐子さんの「音のない記憶」が復刊されました。
コミーという会社の社会活動の一環としての復刊です。
この本にはいろんな思い出があります。

この本の出版を引き受けてくれる出版社が見つからずに、黒岩さんは苦戦していたのですが、湯島のサロン仲間の藤原さんが見つけてきてくれました。
そしてこの本が出版されてからの黒岩さんの活躍は、一挙に広がっていったのです。
その広がり方は、驚くほどでした。

節子が元気だったころ、3人で食事をしました。
黒岩さんはいつも話し出すと止まらないタイプでした。
彼女の頭の中には、たくさんの「書きたいことの構想」が詰まっていたのです。
それをきって、節子派ただただ感心するだけでした。
節子は、黒岩さんの将来に大きな期待、というよりも「あこがれ」を感じていました。
しかし、それを見ることができないと、胃がんになってからは残念がっていました。

節子が亡くなった後、黒岩さんはわが家に線香をあげに来てくれました。
それからの黒岩さんの活躍ぶりはどんどん加速されていき、会う機会も少なってきました。
そんなある日、突然、電話がありました。
がんを宣告されたという電話でした。
しかもすい臓がん。
しかし、そんなことには負けていられない。
しばらくは内緒にして執筆活動を優先したいという内容でした。
まさに阿修羅のような気魄を感じました。
無理をしないようになどとは言えませんでした。

しかしそれはそう続きませんでした。
最後の講演会に行った時も、彼女は辛さを微塵も見せずに、見事な講演をしました。
聞き終わった後に、娘がつくったスペインタイルのお守りのプレートを渡しました。
それが、私が会った最後の黒岩さんでした。
ゆっくりと話す機会がなかったほど、早く逝ってしまいました。

黒岩さんの著作はいろいろとありますが、私はこの本が一番好きです。
出版元が決まらないで、苦労していた黒岩さんの様子と重なっているからです。
その頃は、黒岩さんは湯島のサロンの常連でした。
しかも、節子がとても気にいっていた、というか尊敬していた常連のひとりでした。
一度、食事でもしようと言い出したのも節子でした。
たぶん苦労している黒岩さんへのエールだったのです。

黒岩さんが逝ってしまってからもう7年。
これからという時に旅立ちでした。

記念に、最後の講演会の写真をアップしておきます。

■3753:社会からの脱落感(2018年1月17日)
節子
今日は曇天で日の出が見えませんでした。
そのせいか元気が出ないです。

先日、「茶色の朝」というフランスの寓話を読んで話し合うサロンを湯島でやりました。
この寓話は、「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから始まります。
おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく、そんな話です
日本もそうなってきていないか、もしそうであればどうしたらいいかというのが、このサロンを始めた理由です。
16人の人が参加してくれましたが、話を聞いていて、まだ日本の社会がそうなってきていることへの認識を持っている人は少ないようです。
もちろんちょっとおかしいと感じている人が多いからこそ、16人も集まったのですが。

私はもう茶色の世界になってきているような気がしてなりません。
それ以上に、いまや生きている人間が少なくなってきてしまったとさえ思うのです。
逆に言えば、私が死につつあるとも言えます。
生と死はコインの裏表だと私は考えていますので、もし私のまわりが「死んでいる」なら、言葉を反転させれば、私が「死んでいる」ことになるわけです。
わかりやすくいえば、別の世界に住んでいる、つまり、此岸に住んでいるのはどちらなのかというわけです。

最近は、すべてがおかしいような気さえしだしています。
価値評価が全く違うのです。
パワハラとかセクハラとかいう問題にも違和感がありますし、フェミニストやジェンダーの捉え方にもどうも違和感がある。
犯罪もそうです。
テレビの報道バラエティでコメンテーターが話すことにどうも違和感があるのです。

29年前に会社を辞めた時に半分思ったように、社会からどんどん脱落しているような気がします。
さてどうやって残りの10年を過ごせばいいのか。
いささかの迷いはあります。

節子がいたら、こんな迷いは全くなかったでしょう。
青い空が見えない日は、私はどうも元気が出ません。
困ったものです。

■3754:春の予兆を感じたい(2018年1月20日)
節子
また寒くなってきました。
寒さは生命を委縮させます。
その先に、生命が躍動する春が来ることがわかっていても、歳とともに、それが感覚的に実感できなくなってくるような気がします。
そこには大きな生命と小さな生命が並行して生きているのを感じます。

庭の鉢植えのアジサイの芽がふくらみだすのも、河津桜のつぼみがふくらみだすのも、冬です。
寒さの中で、生命の躍動の予兆を感ずると、いまでも心は動きます。
しかし、以前のようにはわくわくはしてきません。
なぜでしょうか。
私のなかの、小さな生命は自らを感じているのでしょうか。

今日は寒いです。
寒いからこそ、春の予兆を感じたいですが、だんだんそれは難しくなってきている。
若いころは雪にさえ、春を感じられたものです。
友からの便りにさえ、感じられた。
最近は、どうもそれが難しくなり、まさに現実のなかに呪縛されてしまっているようです。

今日はたくさんの人に会えそうです。
春を感じられるといいのですが。

■3755:雪が降ってきた(2018年1月22日)
節子
雪です。
大雪警戒が出ていたので、今日は出かけるのをやめてしまいました。
実は久しぶりの雪の中を出掛けたくて、埼玉に行く約束をしていたのですが、思いのほか、積もりそうになってきたので、延期させてもらいました。
朝からちらついていましたが、お昼過ぎから降りだし、いまはもう1〜2センチ積もっています。
夜まで降っているそうですので、明日の朝は楽しみです。

昨日、わが家で集まりをやりました。
みんな節子の面識のない人たちばかりです。
最初に来たMさんが、今日は線香をあげさせてもらうと言ってくれたので、最初にやってきた2人の人も一緒に線香をあげてくれました。
そのうちのお一人は、挽歌のことを知っていて、読んでくださったようです。
初対面の人なのですが、なんとなくそれで親しさが生まれてしまいました。
挽歌を読んでくれた人には、私の本性はもう隠しようもありませんので、親しくならないわけにはいきません。
今朝、その人からも、「なんだか不謹慎ですが、雪が楽しみです」とメールが届きました。
ますます親しみを感じました。
私も雪は大好きで、雪が降ると会社を休んでいたほどです。
通勤が大変だからではなく、雪と付き合いたかったからです。

今日は、そんなわけで、朝からずっと自宅にいます。
めずらしくというか、学生のテキストを読んでいました。
政治理論のテキストです。
いつもとは違い、ノートを取りながら読みました。
久しぶりに勉強した感じです。
語り合える学友がいればもっと楽しいのかもしれません。
定年退職した友人知人が、大学に通いだすことが増えていますが、その気持ちがよくわかります。

さて朝からずっと読んでいたので、疲れ切りました。
相撲は見る気がしないので、テレビで映画でも見ようと思います。

雪はどんどん降っています。
さてさて明日はどうなっているでしょうか。

■3756:「羊たちの沈黙」(2018年1月22日)
節子
「羊たちの沈黙」を観てしまいました。

この映画ははじめてです。
上映当時から気になっていた映画ですが、娘たちから「お父さん向きではない」と強くいわれていたのです。
噂でも猟奇性が強いように伝わっていたので、私には見続けないだろうなと思いながら、ずっと観ないでいたのです。
私は、テレビで手術の場面でさえ、見ることができないタイプなのです。
困ったものですが。

たしかに目をそむけてしまう場面もありましたが、あんまりたいしたことはありませんでした。
ストーリーもあっけないほど空疎です。
ただアンソニー・ホプキンスは見応えがありました。
猟奇的なシーンも、最近ではさほど珍しくない感じです。
この作品ができた当時に比べると、社会そのものがどんどんと「猟奇的」になっているのかもしれません。
映画を観ていると、社会の変化がよくわかります。
いまの時代は、時代そのものが私には「猟奇的」です。
テレビで、注文してから1分以内に料理が出されるお店の特集をやっていましたが、これも私には猟奇的です。

私はそんなお店には行きたくありません。
餌を食べるのではあるまいし。

節子は、まだ「いい時代」に人生を過ごしました。
最近時々そう思うことがあります。
ちなみに、節子はこういう映画は見られないでしょう。
そもそも人を殺傷する映画が嫌いでしたし、格闘技でさえ、いやがっていましたから。

■3757:挽歌を書くことはできても、読むことはまだできません(2018年1月22日)
節子
雪がどんどん積もっています。

挽歌もかなり日数とのずれができてしまっているので、今日はもう一つ書こうと思います。
昨日、挽歌を読んでくださっている人に会いましたが、実はその前日も湯島で、やはり挽歌を読んでくださっている人に会いました。
その人が、1冊の本をくれました。
眉村卓さんの「妻に捧げた1778話」です。
2004年に出版され、いまも版を重ねるくらい読まれている本のようです。
この本のことは知りませんでしたが、眉村卓さんの作品は若いころよく読みました。
しかし、いただきながら、どうも読もうという気にはなれません。
机の上に置いているので、いつか読もうという気になるかもしれませんが、いつになるかわかりません。

「読むこと」と「書くこと」とは全く違うことなのかもしれません。
私は、書くことはできますが、同じ立場の人の書いたものを読む勇気はまだ出てきません。
伴侶を亡くした人たちの、グリーフケア的な集まりもありますが、そういう場にも私は行けそうもありません。
一度、自殺遺族のグリーフケアに参加したことがありましたが、そこではあまり抵抗なく妻の死を語れました。
病死と自死との違いは、グリーフケアということでは差異はなく、むしろだからこそ話し合えるという気もしました。
以前、この挽歌に書きましたが、その時にお会いした人とは、その後、京都でお会いしました。
どこかでお互いに通ずるところがありました。
つまり、伴侶の死とか子どもの死とか、自死とか病死とかを超えて、心を通わせあうことはできるのですが、妻の死という、同じ状況の場合は、いささかリアルすぎて、逆に読む勇気が出てこないのです。

前に書いたと思いますが、夫を亡くした友人が、もうひとり同じような人がいると言って、わざわざ群馬から2人で湯島に来てくれたことがあります。
それぞれが話さなくても、感情を共有できた気がします。
私よりもほんの少しだけ年上の彼女は、少しだけみんなで哀しさや寂しさを気持的に共有したあと、これでもう話題を変えましょうと言い出しました。
結局、だれも体験談を話すことはなかったのです。
その時は少し違和感がありましたが、いま考えると、彼女はきっと話せなかったのです。
いや話す必要がなくなった。
もしかしたら、3人ともそうだったのかもしれません。
今となっては、その後、3人で何を話したか思い出せません。
そういえば、その後、彼女に会っていません。
どうしているでしょうか。

ところで、私の場合は、書くことで、私自身が支えられています。
昨年末、挽歌が書けていない時期は、私自身の気が萎えていました。
気が萎えていたから挽歌が書けなかったのではなく、挽歌を書かなかったから、気が萎えていたのかもしれません。

私には、挽歌は元気の出る薬のようなものなのかもしれません。
読む人への配慮もなければ、意識もありません。
ですから読んで下さる人がいるのはとてもありがたいのですが、どこかで申し訳ない気もしています。
内容のない、鬱積した気分を、その時々の気分に合わせて書きなぐっているだけだからです。
それでも私自身が何とか生きつづけられているのは、この挽歌のおかげなのです。
眉村さんのように、誰かに読んでもらえる挽歌にはできそうもありません。
困ったものです。

■3758:雪の朝(2018年1月23日)
節子
我孫子は15センチ以上も雪が積もりました。
雪の日の日の出を見たくて、寒さの中を待っていました。
歩の出前の雰囲気もとても神秘的でした。
手賀沼の湖上に靄がかっていた、なんとなく幻想的な風景でした。
写真に撮りましたが、雰囲気はあんまり伝えられませんが。

陽のでは見事でした。
朝焼けの中から太陽が顔を出し、それがゆっくりと大きくなり、世界を赤く染めだすのですが、しばらくすると白く輝く世界に変化するのです。
この光景はいつも感動的です。

庭も雪に覆われ、神々しい感じです。
雪の世界は美しいです。

このまま、雪が解けなければ、とつい思います。

■3759:長電話には気が抜かれます(2018年1月25日)
節子
この前の挽歌を書いた後、気が戻ってきたので、もう2つ書く予定だったのですが、実はまさにパソコンに向かったその時に電話がかかってきました。
長い電話でした。
最近湯島に相談に来た人からなのですが、私が電話嫌いなのと夜の8時過ぎには電話には出ないことを知らなかったのです。
出なければよかったのですが、翌日のサロンの相談かと思い(たまたま同じ苗字だったため)、うっかり出てしまいました。
私が思っていた相手ならば、「はい、どうぞ」で終わるはずでした。
出も違う人で、長電話になってしまいました。
それですっかり気を抜かれてしまい、ドスンとまた気が抜けてしまいました。
そもそも電話の相談は基本的に私はダメなのです。
相談は面と向かって出ないと、私には対応できないのです。
機械に向って話すことは、私にはとても耐えがたいことなのです。
それでこの時もつい機嫌が悪くなってしまい、ぞんざいな返答をしたと思います。

相手の人に落ち度があったわけではありません。
電話の内容もおかしかったわけではありません。
電話嫌いの私の勝手さからの不幸でした。
回復までに3日かかってしまいました。
困ったものです。

わが家では、昔から朝の8時から夜の8時が電話ができる時間でした。
これは節子と一緒に決めたルールでした。
でもそんなことは社会の常識だと思っていました。
電話は相手の生活を乱しますから、私たちはとても気を遣ってかけていました。

それに、私は電話を相手に話をするのは耐えられなくて、10分を過ぎるとだんだん機嫌が悪くなるのを抑えられないのです。
自分でもわかるのですが、相手の気分を害するような話し方になってしまいます。
ですから電話を切った後、とても嫌な気分になりますが、でも長い電話の常連の人もいて、相手に申し訳なく思っています。
にもかかわらず、その日は1時間近い電話が3回、あったのです。
しかも最後は午後8時過ぎ。
私の常識ではありえないことなのです。

念のために言えば、急ぎとかその時間でなければだめとかいう理由が合えばいいのですが、そんなことは訃報とか事故以外、私には考えられないのです。

大げさですが、今日やっと立ち直りました。
この2日間、私の機嫌が悪かったので、会った方は不快な気分になったかもしれません。
八つ当たりしてしまった人には申し訳ありませんでした。

明日からまた挽歌を書きだします。

■3760:ルーチンができていませんが、元気です(2018年1月29日)
今日は一部の読者へのお詫びを書きます。
というのは、最近、挽歌が書けていないので、心配して下さっている人がどうもいるようです。
ありがたいというかうれしいというか、あるいは気が引けるというか、実は2人の人からメールがあり、今日は「インフルエンザかと思っていた」という電話までありました。
すみません。
それに今日から書きますとか書いておきながら約束を守っていないのは、やはり信義則に反します。
私が一番嫌いなことは「約束を破ること」ですが、どうも自分がそれを繰り返しやっている。
節子に合わせる顔がありません。
約束破りは、嘘をつくことと並んで、私たち夫婦ではタブーでした。

九州の友人は、こう書いてきました。

最近の世相の反映か、やや悲観的な記事が多いようですが元気にされてますか。

悲観的な記事が多いのも問題です。
日間からは何も生まれませんから、悲観はしないように心がけているのですが、やはり悲観的な意見が多くなっているのでしょうね。
注意しなければいけません。

広島の友人からも長いメールが届きました。
その人は、私が弱気なことを記事に書くと、それとなく電話をしてきてくれます。
直接何かを言うことはないのですが、それとなく気遣っていることが伝わってきます。
もっとも今回は、ご自身もちょっと大変そうな内容でした。

極めつけは、同世代の友人からの電話です。
電話に出たら、最初の一言が「ああ、よかった!」でした。
入院しているのかと思ったよというのです。
やはりこの歳になると、ルーチンをこなしていかないとみんな心配するのでしょうね。
大いに反省しました。

さて今日こそ、挽歌を再開しようと思っていたのですが、寒いので自宅ではパソコンができません。
無理をして、それこそ風邪を引いたり、心筋梗塞になったりすると悪いので、今日もまたこの記事だけにします。
いろいろと書きたいことがあるのですが、無理はしないようにします。
というか、夕方からとても面白い本を読みだしてしまったので、これを読み終えることにしました。

「知らなかった、ぼくらの戦争」
節子は許してくれるでしょう。
その本からのメッセージは、節子への挽歌よりもずっと大切そうですので。
それにようやくまた、読書意欲が戻ってきました。

■3761:他者を気遣うことは自らの元気を生み出します(2018年1月31日)
節子
また昨日も書けませんでしたが、最近なにやらまた時間破産になりそうです。
たいしたことはやっていないのですが、なぜか時間がない。
困ったものです。

大雪の中の新潟のKさんから電話がありました。
異常な寒さで、水道が破裂したりして大変なようです。
奥さんが年末から入院されていて、お一人のお正月だったようで、その上、雪に閉じ込められてしまうと、気分が晴れなくなり、電話してくださいます。
私と電話で話すと、少し元気が出るそうです。
自宅にいても、役立てることがあるのはしあわせなことです。
人は存在するだけで役に立つこともあるのです。

奥様の入院している病院で、いろんな人に会うようです。
今日は、その一人の話を聞かせてくれました。
まだ若い女性ですが、事故に遭って脚を失ったそうです。
病院に行くたびに声をかけているようですが、自分がどんなに落ち込んでも、他者を気にかけるところは、いかにもKさんらしいです。

しかし、もしかしたら、他者を気遣う気持ちと行動が、実はKさん自身を一番元気づけているのかもしれません。
ケアは、まさに双方向に元気をつくりだすことなのです。
今日はちょっと調子がよくないので、自宅でせいぜい誰かの役に立つことをしながら、自らを元気にしたいと思います。

■3762:孫の目線の先(2018年1月31日)
節子
節子にはとても悪い気がするのですが、孫が時々、わが家に来ます。
週に半分くらいは来ているかもしれません。
名前は「にこ」と言います。
私がしたのと同じように、娘がひらがなの名前にしたのです。

にこが、わが家にやってきて最初にやるのは、節子への「ちん」です。
娘がそうしたのですが、やってくると、まずは節子の位牌に向かって、鐘を鳴らし合掌します。
まだお線香はあげられませんが、いつかあげるようになるでしょう。

次にやるのが、私との握手です。
ところがです。
握手をする時に、にこはあらぬ方を見るのです。
握手の時だけではありません。
時々、目線が宙を浮いているのです。
もしかしたら、私には見えないものを見ているのかもしれないという感じです。
いや感じというよりも、私にはそうとしか考えられません。
もしかしたら、私と握手しながら、節子を見ているのかもしれません。
しかし、私がその目線の先をいくら見ても、そこには何もありません。
乳幼児には、私たち成人には見えない世界が見えていることは、良く報告されていることです。
どんな世界を見ているのか、とても興味がありますが、残念ながらまだ会話はできません。
会話ができるようになるまで、忘れないでいてくれるといいのですが。

今日も、にこはやってくるはずです。
私も会いたくなので、会えるはずです。
今日もまた、にこの目線の先に目を凝らしたいと思いますが、そうした「意識」が働くと、たぶん見えるものも見えなくなるのでしょう。
困ったものです。

■3763:皆既月食(2018年1月31日)
節子
今夜は、スーパーブルーブラッドムーンという長い名前のついた、みごとなお月様なのですが、それがいま皆既月食に入りつつあります。
娘が声をかけてくれたので、屋上に上がって見ていたのですが、もう半分以上が隠れつつあります。
ずっと見とれていたいのですが、寒くてそれどころではありません。
すべてが影覆われる時間の少し前にまた屋上に上がり、震えながら見ていました。
星もいつもよりよく見えました。
久しぶりに見る夜空です。
節子もきっと見ていることでしょう。

写真を撮りましたが、私のカメラと腕では、まったくだめです。
天体写真家の橋本さんが、フェイスブックに準備ができたと書いてあったので、プロの写真はそれに任せましょう。
写真マニアの渕野さんも昨夜のお月様を見事に撮影していましたので、今日も撮ってほしいとフェイスブックで頼みました。
どんな写真がアップされるか楽しみです。

それにしても寒い。
今日はあんまり体調がよくなかったので休養していたのに、まったく無駄になりそうです。
私の部屋はエアコンもないので、まだ震えがとまらない。
それに急に寒いところで長い時間上を見ていたので、首もおかしくなってしまいました。
いや頭までまた痛くなってきました。
注意しないと脳梗塞になってしまいかねません。

急いでお風呂に入って、今日は寝ましょう。
お風呂の中で倒れなければいいのですが。
いやはや困ったものです。

■3764:幼なじみの集まりをすることになりました(2018年2月1日)
節子
また雪が降るようで、今日も寒い日になりました。
昨夜は皆既月食を見るために寒い中にいたので、心配していましたが、今日は何とか正常に戻りました。

小学校の時の同窓生が癌になってしまい、昨年からささやかな相談に乗っていました。
節子との体験から少しばかりの知識はあるとはいえ、そんなものは何の役にも立たないことはわかっています。
年に数人の友人知人が癌になりますが、まさに千差万別で、わかったようなアドバイスはできません。
できるのは、ただ気にしているということだけです。

その友人は幸いに手術も成功し、とても元気になりました。
冗談で、私の葬儀委員長をやるまでは元気でいてよと言っています。
彼から口止めされていたのですが、最近ようやく、情報が解禁されました。
それで、交流のある小学時代の仲間たちとミニパーティでもやって、彼を元気づけようと思い、何人かに声をかけました。
そうしたら、なんとあっという間に10人を超える人が集まってしまいました。
しかも男女半々の組み合わせです。
みんな時間を持て余しているのでしょうか。
いや、元気づけられたいと思っているのは、どうも彼だけではないようです。
久しぶりに昔話をしたいと思っているのかもしれません。

私は昔話が好きではないので、こういう集まりはあまり気乗りがしません。
しかし、なぜか私に声掛け役が回ってきてしまいます。
誰かが企画したら、私はたいていにおいて欠席することをみんな知っているのかもしれません。
ともかくこういう集まりは、あんまり気乗りしないのです。
でも今回は、彼を元気づけなくてはなりません。

それに、癌になった彼は、実に気のいい人物なのです。
結婚もせずに、小さな靴屋さんをやっていた職人風の人です。
その靴のお店が最近、隣家の火事の延焼で燃えてしまいました。
そして今度は癌。
しかし彼はいつでも明るいのです。
心配して電話しても、いつも逆に私の方が心配されてしまう。
まあそんな人です。

人にはいろんな生き方があります。
彼から、集まりにもう2人増やしてよと連絡がありました。
さてさてこれ以上集まると場所が心配です。
でもまあ久しぶりのミニ同窓会。
数十年ぶりの人にも会えるでしょう。

ちなみに、その彼は節子の葬儀にも来てくれました。
葬儀には人柄が顕れます。
節子もきっと見ていたと思います。

■3765:寒いので挽歌が書けません(2018年2月2日)
節子
今回の雪はうっすらと積もっただけでしたが、寒さはかなり厳しく、エアコンのない私の部屋では耐えられずに、床暖房のあるリビングで1日過ごしてしまいました。
床暖房があるとはいえ、リビングは広いので寒くて動けません。
最近、やめていた炬燵を出してこようかと思いましたが、それも面倒なので、床暖房の上に布団をかけて縮こまっていました。
昨年はノートパソコンを持っていって、やっていましたが、それも面倒なのでやめました。
こうしてだんだんと何もしなくなり、現世での役割を終えるのでしょう。
それも悪い話ではありません。

パソコンを使って、やらなければいけないことのリストが机の上にあります。
それが一向に減りません。
寒いと思考力も落ちてきます。

いや寒さのせいだけではありません。
老化のせいもかなりあります。

実は最近、自分でもわかるのですが、うまく話せない時があります。
いや、「時がある」ではなく、以前のように早口で話せなくなってきています。
たぶん聞いている人はわかるでしょう。
でもだれも指摘してくれません。
たぶん節子がいたら、ちょっとおかしいから病院にいったらというかもしれません。
もちろん言われたからと言っていくことはないと思いますが、少なくとも、伴侶がいると、老化や異常には気が付いてくれるでしょう。
自分で気づくようになるということは、かなりの段階に来ているとも言えるかもしれません。

そういう状況になってきている時の寒さはこたえます。
注意しないとコロッといくかもしれません。
まあ、それに関しては、それなりに気を付けているのです。

だから寒い仕事場では、こういう日には挽歌は書けないのです。
暖房機を買いに行こうかと思ったりもしますが、まあ使えるのもあと数年かと思うと、無駄遣いになるかなと思って我慢しています。
かなりの貧乏性というか、ケチというか、ですが、私の経済状況からすれば、まあ分相応な考えなのです。

寒くて、手がかじかんできました。
リビングに行って、床暖で手をあたためないと、凍傷になりそうです。

■3766:孫との豆まき(2018年2月3日)
節子
今日は節分です。
ユカと2人での豆まきも、いささか気恥ずかしいので、今年は豆まきはやめようかと思っていたのですが、それを見透かされたように、じゅん母娘が、出張豆まきにやってきました。
おかげで、わが家の豆まき文化は断絶せずにすみました。
ただし、「福は内、鬼は外」の豆まきです。
私にはいささか不満ですが、これには異をとらえられませんでした。

ちなみに、わが家の豆まきは、ずっと「鬼は内、福も内」でした。
とりわけ今日のように寒い日には、追いだすような掛け声はわが家向きではありません。
しかし、孫はそんなややこしいことなど分かるはずもなく、豆を外にそっと投げていました。
それから室内にいる3人の鬼たち(お面ですが)に、豆を分配していました。

それを見ていて、ハッと気づいたのですが、豆を外にばらまくのは、もしかしたら「私財を困った人に、恩着せがましくではなく、わざとぞんざいに「もらってもらう」という行為」だったのではないかという気がしました。
いわゆるポトラッチの一種です。
そう考えるとすっきりします。
孫から教えられました。
私も、ホームレス支援のグループにささやかな豆を送ることにしました。

伝統行事には、まだまだいろんな知恵が含まれているのでしょう。

■3767:庭がまだ荒れ放題です(2018年2月4日)
節子
今日は立春、そして節子の誕生日。
寒いですが、いい天気です。
しかし、立春らしい雰囲気はありません。
庭の花木も芽吹いてきません。
鉢植えしていた桜は、あまり手入れがよくなかったせいか、枯れてしまったかもしれません。
もう一本の河津桜は大丈夫ですが、つぼみか芽吹きか、よくわかりません。

花木は、本当に正直に反応します。
きちんと手入れをして呼びかけていないと、そっぽを向いてしまうのです。
節子がいなくなってから、庭の花木は半分以上が、いなくなってしまいました。
いま庭に咲いているのは、水仙くらいでしょうか。
いささかさびしいです。

庭の池も枯葉で埋まっています。
魚たちは元気でしょうか。
様子を見ようかと思いますが、あまりにもひどい状況なので、いつもやめてしまいます。
自然との付き合いは、人間とはまた違った煩わしさがあります。
節子と違って、私のような無精者には、結構難しいのです。
庭は荒れ放題です。
困ったものです。
彼岸から節子が手入れにやってきてほしいものです。

この寒さだと、私自身、急に倒れることもあるでしょうが、そうなったら娘たちは大変でしょう。
そう思いながらも、なかなか身辺整理をする気にはなりません。
節子がいなくなってから、私は生きるとか死ぬとかいうことに、あんまり現実感が持てなくなってきています。
いささか大仰に言えば、いま生きている実感がないのです。
ですからとんでもない行動で、節子が残してくれた貯金もほぼ全部失ってしまいましたし、逆に借金もあまり負担に感じなくなってしまいました。
これまた大いに困ったことで、そのおかげで、活動もなかなかやれなくなってきています。
もう少しお金があれば、以前のように各地に出かけて行って、自分のしたい仕事ができるのでしょうが。
お金がないのであんまり仕事ができません。
でもまあ、仕事をあまりしないおかげで、いまも元気なのかもしれません。
人生、何が福で何が禍なのかは、だれにもわかりません。

節子の誕生日なので、家屋で会食しようと思っていましたが、忘れてしまっていました。
最近は、こういうことが多くなりました。
これは、困ったことというよりも、喜ばしいことかもしれません。
だんだん記憶が弱くなっていくことは、ある意味では、とても生きやすくなるということでもありますから。
それに、荒れた庭もまたいいものです。
はい。

■3768:魔界との通路(2018年2月5日)
節子
節子の誕生日に行けなかったので、1日遅れですが、お墓に行ってきました。
墓地にはいつ行っても、一種独特の雰囲気があります。
若いころは、私はあまり好きではありませんでした。
たぶん墓地に抵抗なく行けるようになったのは、節子が彼岸に行ってからです。

人を魔界から守る役割を持った人の話があります。
あるいは、「耳なし芳一」の話のように、魔界から守るものも、いろいろと語られています。
私も一時期、各地の魔除けにちょっとだけ興味を持って、いくつか集めたこともあります。
いまは割れてしまいましたが、以前はわが家の玄関にも、トルコから買ってきた「魔除・ナザールボンジュ」がかかっていました。
魔除けを集めるのをやめた理由は、魔除けは魔招きでもあるような気がしてきたからです。
なぜなら、魔除けであるためには、「魔」との接点がなければいけないわけで、詰まるところ、そこは「魔界」との通路になるわけですから。

もっとも、「魔」そして「魔界」とは何かという問題もあります。
私自身は、最近は、悪魔も天使も同じものだと思えるようになってきていますので、そこに正邪の思いはありません。
ですから正確には、生身の世界が存在できる世界と、できない世界といったほうがいいでしょう。
さらに言いかえれば、「生身と切り離せない人の世界」と「生身から自由な人の世界」と言うことになります。
私は前者に住み、節子は後者に住んでいるわけです。
残念ながら最近では、2つの世界は普通は行き来できません。

しかし、この数年ですが、私自身は、もしかしたらそのいずれにも住んでいるのではないかという気が時々します。
時々、思いが「向こう」に跳んでしまっているような気がするのです。
そこでは、時間感覚も空間感覚も違います。
ですから、私の時間感覚は時々おかしくなるのです。
まあ、これは彼岸への旅立ちの練習かもしれません。
たぶん歳をとると、みんなこうなっていくのでしょう。

問題は、そういうことが、心を平安にすることもあるのですが、「向こうの世界」から、なにか人知を超えたものを呼び込んでしまうことがあるということです。
節子が残してくれた、私の老後の生活費は、そうした状況の中ですべて失ってしまいました。
まさに「魔が差した」というしかないことが起こってしまったのです。
世間的に見れば、それは「詐欺」とも言えますが、「魔が差した」としかいえないような状況でした。
それも1回ならず、2回もです。

それはもう終わったことなのでいいのですが、最近、少し思うのは、相変わらずいまも「向こうの世界」の、現世的には「邪なもの」や「魔のもの」が、やってくるのではないかという気がします。
最近は、お金がないので、別のものを呼び込んで、生命の輝きが吸い込まれてしまっているかもしれません。
そう思うと、たくさんの悩ましい相談やトラブルがやってくることが納得できます。
それ引き受けるのは、私の役割なんでしょう。

しかし、身心が極度の疲労感と精神的な不安にさいなまれることもあります。
少し離れてきましたが、それでも時に眠れない夜がある。
といっても、まあ最近は1〜2時間、目が覚めてしまう程度ですが、その時間は結構つらいのです。
どんな悪夢も、寝ている時の悪夢よりも、起きてみる悪夢のほうが辛いものです。
昨夜も、実はあまり眠れませんでした。
今日はお墓に行ってきたので、たぶんよく眠れるでしょう。

■3769:春がはじまりました(2018年2月6日)
節子
真っ赤な日の出でした。
日の出の時間も少しずつ早くなってきました。
この季節は、いのちの復活を感じて、元気が出てくるような気がします。
しかし、それがどうにも心身に入ってこない数年ですが、今日はなんとなく久しぶりにそれを感じました。
不思議な話ですが、節子の闘病中は、いつもそう感じていたのですが。

昨日は、久しぶりによく眠れ、朝6時頃まで目が覚めませんでした。
もっともしかし、頭がすっきりしているわけではありません。
寝ざめのさわやかさは、昔のことになりました。
目覚めると、いろんな問題が浮かんできます。
昨日書いた、「向こうからやってきたこと」も、含めて。

身体もそう調子がいいわけではありません。
昨年の健康診断は結局行きませんでした。
いろんなところに違和感があるのですが、我慢できないほどではありません。
むしろ違和感は生きていることを感じさせてもくれます。
それに昨日お墓に行ったら、一緒に行った娘が、両親の享年を墓碑から気づかせてくれました。
父は81歳、母は87歳でした。
ということは、私は少なくとも80歳までは元気でしょう。
10年ルールによって、残された残余の7年が問題ではありますが、あと3年はある。
高齢者に残された時間としては、十分な時間です。

太陽が上がりだしてきたようです。
窓の外は赤から白に変わりました。
私の心象風景ですが。
しかし、室内はともかく(古いヒーターしかないので寒いです)、外はとても暖かそうです。
もちろん外に出れば寒いのですが、雰囲気はあったかそうです。
陽光は、素晴らしいといつも思います。
今日はきっと「いい日」になるでしょう。
机の上にある「to do list」に取り組もうと思います。

でもまあ、その前に陽光が届いているリビングに行って、コーヒーを飲もうと思います。
昨日冷蔵庫の奥に残っていたのが見つかった、Nさんからもらったトラジャコーヒーです。
なぜか少しだけ残っていました。

Nさんと連絡がとれなくなってからもう1年近く経ちます。
年末、彼女が使っていた携帯電話から無言の電話がありましたが、元気だといいのですが。
必ず湯島にもう一度来ると言っていたのですが、この寒さのなかで、どうしているのか心配です。
もし、このブログを読んだら、連絡してもらえるとうれしいです。

私でも生きているのですから、がんばってほしいです。
それに、春がまた始まったのですから。

■3770:おせったい(2018年2月9日)
節子
昨日は「おせったい」をうける1日でした。

最初に来たのは最近巡礼ばかりしている、節子も知っている鈴木さんです。
春を過ぎたら、またサンティアゴに出かけるのですが、そのまえに巡礼話を湯島でしてもらおうと思っています。
鈴木さんは、週に2〜3回、ツイッタ―はがきをくれます。
そのはがきに書かれている短いメッセージや感想が面白いのです。
その鈴木さんが、なぜか私に昼食を「おせったい」してくれたのです。
私は、おせったいはすなおに受け取ります。
おせったいすることも、おせったいされることも、同じだと思っているからです。
ツイッタ―はがきから伝わってくる鈴木さんの生き方も、おなじでしょう。

おせったいいただいた昼食には、鈴木さんのツイッタ―はがき友だちのHさんもご一緒しました。
Hさんが編集者をつとめる雑誌が完成したと言って、持ってきてくれたのです。
これもまた私には「おせったい」です。
3人での会話は、実に面白く、世界がまた少し広がった気がしました。
食事や本だけではなく、人と会えば、必ずなんらかの「おせったい」が行われます。

つづいてやってきたのが、いま、ちょっといろんな意味で大変な状況にあるKさんです。
昨夜彼女から連絡があり、東京に来ているので相談したいことがあるというので、前後の約束時間から、それぞれ30分ずつ分けてもらい、1時間時間をつくりました。
Kさんは経済的にも今とても厳しいはずです。
でも座るやいなや、黒にんにくを食べますかと出してくれました。
どんな人からも、私はおせったいは受けるのですから、遠慮なく一緒に食べました。
おせったいを受けることこそが、相談には一番役立つからでもあります。
黒にんにくの皮も捨てずにお湯で煎じて飲むのがいいと言われたので、2人で飲みました。
実はこの黒にんにくは、Kさんが相談に乗った人からのお礼のようです。

そいえば、鈴木さんも大福と「はるみ」みかんを持ってきてくれました。
大福はKさんにさし上げ、みかんは最後に会った人と一緒に食べました。
ところで、そのみかんは鈴木さんが四国のお遍路で会った人が送ってきてくれたものの「おすそ分け」でした。
なにかとてもあったかな話です。

夕食もおせったいされました。
節子もよく知っている武田さんです。
最近、私がよほど貧しく見えるのか、夕食をご馳走したがってばかりいるのです。
今日も、夕食の「おせったい」でした。
私が心穏やかに食べられる食事ではない、高価な食事を勧めるので、困っていますが、今日は何とか説得して、庶民的な美味しい魚のおせったいにしてもらいました。
話をしながら、そういえば、昔は私もいささか「バブル時代」もあったなと思い出しました。
まあ高が知れているバブルライフではありますが、その頃もそういえば、いろんな人がいろんなものを「おせった」してくれました。
私はもしかしたら、おせったいするよりも、おせったいされる定めにあるのかもしれません。

来世ではきちんと恩送りさせてもらおうと思います。

■3770:気力がないと挽歌が書けない(2018年2月13日)
節子
先週、生きる意味をテーマにしたサロンを開きました。
体験を語り合うというようなスタイルの呼びかけをしたせいか、事前の申し込みはなかったのですが、当日8人の方が参加しました。
テーマを間違ったのではないかというような人も来たのですが、話し出したら、それぞれに「重い」体験を話しだしました。
その報告は時評編に書きましたので、ここでは繰り返しませんが、まだまだ私の世界は狭いものだと痛感しました。
まだ笑顔の向こうに、心を届けられないのですから。

人は見たいものしか見えない、と時々思います。
あるいは、見たいようにしか見ない。
そうやって、私は人への対応をよく間違います。
しかし、それが、人が大好きな理由でもありました。
どんな人にも、魅力的なところがある。
人はまた、たとえなくとも、見たいものを見てしまうものです。
だから、実に幸せでした。

それが変わりだしたのは、いつごろからでしょうか。
節子がいた頃はそんなことはありませんでした。
私が受けたダメージを、節子がシェアしてくれたからです。
どんなダメージも、誰かとシェアすれば、軽くなる。
軽くなると、相手のいいところが輝きだすものです。

しかし、ダメージを開けずに自らで抱え込んでしまうと、自分がどんどん萎えていく。
そして、人への不信感を強めてしまうこともある。
どうも最近、そうなっているのではないか。
サロンを終えた翌日あたりは、なんとなくモヤモヤしただけで、こんな思いは出てきませんでした。
むしろ誰かの役に立った、これからもつづけようという気分でした。
しかし、時間がたって、何人の参加者からメールなどをもらって読んでいるうちに、そんな気がしてきて、また心が重くなってしまいました。
そして思ったのです。
なんでこんなサロンをやったのだろうか。
テーマを軽く考えすぎていたのではないか。
封印した心を解き放すことの意味を考えていたのか。
心の問題に取り組むのなら、もっと覚悟して取り組むべきではないか。
20年前と同じことをまたやっているのではないか。
そういう気がしてきました。
そんなわけでまた、挽歌が書けなくなっていました。

10年前は、元気を出すために挽歌を書いていました。
いまは、元気がないと挽歌が書けなくなった。
10年たって、ようやく私もまた、現世に戻ってきたのかもしれません。

■3771:なぐさみに花を摘む(2018年2月13日)
節子
アメリカのネブラスカ州に住む、オマハ・インディアンは野生の花は摘みません。
正確に言えば、なぐさみには摘まないという意味ですが、そもそも「摘む」という発想がなかったのでしょう。
これは、レヴィ=ストロースの「野生の思考」に出てくる話です。
もう40年以上前に読んだ本ですが、最近、読んでいた本にこの本のことが書かれていたので、思い出していまゆっくり再読しているところです。
オマハ族も、いまはもう変わっているかもしれませんが、花を摘まない理由は、「植物には、それぞれのかくれた主人にしかわからぬ神聖な用途がある」からだと、レヴィ=ストロースは書いています。
薬用や呪術などには、感謝しながら花の助けは受けています。
同書から引用します。

歯痛や耳の病、リューマチの治療のために誰もがスチームバスで使っているサボンユリの根さえ、神聖なものであるかのようにして採取されていた。
東カナダの呪術医は、医薬として用いる草木の根や葉や皮を採取するとき、必ずその根元に少量の煙草を供え、植物の魂を味方にする。
それは、植物の「体」だけで魂の協力がなければ、なんら効力がないと信じているからである。

私たちの両親の時代には、まだ日本でもこんな文化が残っていました。
特に、節子の母親には、そういう思いが強くありました。
それが、節子にも少し伝わっていました。
私もそうした文化には共感があります。
節子の闘病に際しても、いろんな花木のお世話にもなりました。
いまから思えば、植物の「体」だけを使って、その魂への感謝の念がなかったのかもしれません。
頭で理解するのと世界を共にするのとは違うことに気づいたのは、節子を見送ってからかなりたってからです。

しかし、最近ちょっと思いが変わってきました。
「なぐさみに花を摘む」という行為にこそ、大きな意味があるのではないかと思えてきたのです。
花は、なぐさみに摘まれることにこそ、存在の、つまり「生きる意味」があるのではないか。
そう考えると、また生き方が変わります。

無性に哀しく、やりきれない時、羽目を外す人がいます。
まさにその時、その人は「なぐさめに花を摘んでいる」のかもしれません。
その時、その花は、きっと輝くように生きている。
自らを解き放せば、自然につながっていきます。
その時、花を摘みたくなったら、花の魂も許してくれるでしょう。
まだまだ私自身、自分を解き放せません。
最近、人に当たることが多くなっている自分に、また嫌悪感を強めています。
世界は、所詮は自分の思いの世界の鏡だとはわかっていうのですが。

■3772:できることは待つことだけのこともあります(2018年2月13日)
節子
一度、人生を外れてしまうとなかなか元に戻れないように、この挽歌もなかなか追いつけません。
節子がいなくなってからの日数を表す挽歌の番号3772は、昨年の大晦日に書いておくべき番号です。
そんなわけで、書ける時には、日記ならぬ挽歌を書いておくことにします。
春には追い付きたいものですから。

しばらく連絡のなかった人から連絡が来ました。
毎週週末に介護していた老親が、お誘いしていたサロンの日に亡くなったのだそうです。
そのサロンは、その人にぜひ聞いてほしくて、お誘いをだし、報告を送り、資料まで送っていました。
ところが彼女はそれどころではなかったわけです。
さぞや迷惑だったことでしょう。
私自身は、そんな事情はまったく知らずに、親切心のつもりで、その人を少し意識しながら、その分野のテーマを設定し、お誘いし、その人の世界を広げるお役にたとうと考えていたわけです。
その人は数年前に、友人の伝手で私のところにその分野の人の紹介を頼みに来たことから、何か役立てないかと思っていたのです。
でも全く反応がなく、いささか気を悪くしていましたが、
そんな時に、もう連絡はいらないともとれるようなメールが届いたのです。
そのメールも、ちょっとイラッとする文面でした。

短い返信をしました。
それには、すぐ返事が来ました。
今度は、表情のある言葉でした。
心が救われる感じでした。

たぶん精神的に苦しい時間を過ごしていたのでしょう。
そんな事情も知らずに、勝手に解釈して、心を乱していました。
自分も同じことをやっていたのではないかと、10年前を思い出しました。
そしてこんな行き違いがいろんなところで起こっているのだろうなと思いました。

実はちょうど、昨夜、ちょっとイラッとするメールが届いていました。
その人からも、補足する内容のメールが届いていました。
前のメールと重ねてみると、やはりその人も苦しい状況にあることがわかります。

メールのやり取りは簡単ではありますが、それだけに注意しないといけません。
やはり人とのコミュニケーションは、直接がいいですね。

最初の方からの最後のメールにはこう書かれていました。

きちんとお話していなくてすみませんでした。
また落ち着きましたら、お話させてください。

いま私にできることは、待つことだけかもしれません。

■3773:自由になると見えてくるものがある(2018年2月14日)
節子
血圧の薬を飲みださしたのですが、調子はなぜかよくありません。
首のあたりの血管がどうも詰まった感じで、スムーズではありません。
薬を飲みだすのが遅すぎたのでしょうか。
困ったものですが、如何ともしがたい。
しかしまあ大丈夫でしょう。

今日はしばらく連絡がなかったTさんと会いました。
なんとなくどうしているかなと思って連絡したら、3月で郷里に戻るとのこと。
郷里は愛媛県だそうです。

久しぶりに湯島に来てもらい、食事をしました。
気がついたら4時間も話していました。
Tさんは開口一番、佐藤さんが連絡してくるのはいつも私が遠くに行く直前ですね、といいました。
そういえば、前回はフランス転勤の直前でした。
佐藤さんには気配が伝わるのですね、といわれると、もしかしたらそうかもしれないという気がしないでもありません。
なにしろ最近は、現世と彼岸の境界意識さえ、あまり気にならなくなってきましたから。

Tさんと会ったのは、もう20年以上前になるかと思うのですが、管理職の研修会だったそうです。
なぜそれがいまの付き合いに繋がっているのか、私は思い出せませんが、その一事からもってしても、Tさんはたぶん個性をお持ちの人でしょう。
講師と受講生という関係は、私には基本的にありえないのですが、この15年は、むしろ私のほうがTさんから学ぶことが多かった記憶しかありません。
しかし私と話が合うくらいですから、Tさんもかなり変わっている人かもしれません。

Tさんが愛媛に立つ前に、湯島でサロンをしてもらうことにしました。
時間がうまく合えばの話ですが。
ちなみにTさんは数年前に所属していた組織を離脱しました。
自由になったわけです。
自由になって初めて見えてくるものもある。
そんな話をしていたら、4時間たってしまったというわけです。

今夜は6時過ぎから湯島でサロンです。
それまでの2時間、湯島に一人です。
頭の後ろがちょっと痛いです。
倒れなければいいのですが。
いやはや困ったものです。
こういう不安のなかで時間を過ごすのは、これで2度目です。

■3774:血圧の薬を飲みだしました(2018年2月14日)
節子
もしかしたら、高血圧のことを挽歌では書いていなかったかもしれません。
実はかなりの高血圧のようですが、薬を飲んでいませんでした。
薬の副作用が出たからでもありますが、血圧くらいは薬に頼らずとも低くできるだろうと思っていたのです。
節子はよく知っている通り、私にはそういう奇妙な過信癖があるのです。

それでこの4か月、ポリフェノール含有率の高いチョコレートを食べていました。
血圧を下げる効果があるのだそうです。
残念ながら、目立った成果を得られなかったようで、1週間ほど前からあんまり調子がよくありません。
それで自宅で血圧測定してみたら、なんと下が100を超え、上が200近くでした。
寒いので、機械の調子が悪いのではないかと思いましたが、3日続いてほぼその数値です。
その上、最近は肩こりもあります。
それで昨日、節子もお世話になっていた遠藤さんに行ってきました。

遠藤さんは、数値を見て驚いて、めまいがしてもおかしくないよ、と私に聞きました。
まあ、私の場合、いつも社会の状況にめまいがしていますので、気がつかなかったようです。
社会の揺らぎに比べれば、個人の心身のめまいなどたかが知れていますから。
まあそれでもこれまでめまいで2回ほど緊急病院に行った経験もあるので注意しないといけません。
帰宅してすぐに薬を飲みました。
しかし、遠藤さんに驚かれるといささか気になってしまいます。
それに今朝も薬を飲んだのに、どうも調子がよくないのです。
それで前の記事になっていくわけです。
でもまあ何とか倒れずに今も頑張っていますが、どうも思考力がありません。
今日のサロンは静かにしていましょう。

あと30分の辛抱です。

■3775:みんなそれぞれの中に生きている(2018年2月15日)
節子
昨日は何とか持ちこたえました。
昨日は半農生活を提唱している増山さんにサロンをしてもらいました。
増山さんとの接点は何から始まったか思い出せませんが、話の中で何人かの友人の名前が出てきました。
久しく会っていない人の名前も出てきました。
人の過去は、いろんな人の中にささやかであろうと、いろいろと刻まれているようです。
でもみんな最近は交流がありません。
人の交流は、なぜ途絶えてしまうのか。
何かとてもさびしいです。

私は、過去のことを振り向くことの少ない生き方をしています。
その生き方にあっては、人を思い出すのは、決して思い出のためではありません。
いま、どうしているかが気になるからです。

昨日も、サロンの前に会っていた人から出た名前の人を思い出して、メールしました。
30年以上前に会った人ですが、その時の若者は、今や社会的にも大きな仕事をする要職についています。
この数年は会っていませんし、交流もありません。
いまも大きな課題に直面しているはずなので、迷惑だろうなと思いながらも、なにか声をかけたくなったのです。
驚くことにすぐに返信が来ました。
あと2年半は「ひどい生活」を送りそうだと、書かれていました。
その後も解放されることはないでしょうが、3年後には湯島にまた来てくれるでしょう。
彼に会うために、あと3年は湯島を維持しなければいけません。
3年半であれば、まあ大丈夫でしょう。

サロンでは、もっとなつかしい名前も、お2人、出ました。
アクセスするにはちょっと遠くに行ってしまった人たちです。
いずれも私の生き方に影響を与えてくれました。
ひとりは雨の日は出かけないことを教えてくれ、ひとりは友だちを選ばないことを教えてくれました。
私の生き方は、そういうさまざまな人たちの一言で創られてきています。
私の中にたくさんの人が生きているように、私もまたたくさんの人の中にささやかに住んでいる。
節子もまた、いろんな人の中にささやかに住んでいるのでしょう。
もちろん私の中には、とても大きく。

■3776:人の死は人をつなぐ(2018年2月16日)
節子
今日はまた寒さが戻ってきました。
寒さはちょっとこたえます。
でもわが家は、エアコンをあまりかけなくともなんとなくあったかい。
節子がいなくなってから、なにやら節子がこの家を包み込んでくれているような気がします。
まあたぶん考えすぎでしょうが、時々、そんな気がします。
でも今朝はともかく寒いです。

寒さのせいかもしれませんが、訃報がつづきます。
直接の知り合いではないのですが、その両親や親族の訃報です。

そういえば、私の父親の葬儀の日は今でも思い出すほどの寒い日でした。
31年前の2月11日です。
私にとっては、自らが喪主になった最初の葬儀でした。
父の葬儀で学んだのは、人の死は人をつなぐ、ということでした。
普段は会ったことのない親戚の人との出会いもありました。
普段は開かない心が開いて、人とのつながりが深まることもありました。
もっとも哀しいことに、人の本性が見えてしまい、人の縁が切れそうになることもある。
遺された人に、死者はたくさんのことを気づかせてくれるものです。

節子の死もまた、いろんな人のつながりを生み出してくれました。
いろんなことを気づかせてもくれました。
いまも私は、その恩恵をたくさん受けています。

この寒さの中で、いまも誰かが誰かを見送っているでしょう。
誰かはわかりませんが、その人の冥福を祈りたい。
そんな気にさせられた、寒い朝です。

■3777:小さな常識、大きな常識(2018年2月17日)
節子
武田さんから数日前に電話がありました。
「138億年宇宙の旅」を読んだかという電話です。
とても感動したようで、仕方がないので、私も読んでみました。
ブラックホールが専門のイギリスの理論物理学者クリスト・ガルファールの著作です。
難解な物理学の世界を「平易」に書いたものですが、やはり歯が立ちません。
しかし、理解はできないのですが、そこで書かれているマクロ世界やミクロ世界の話は、なんとなく親近感があります。
たとえば、重力を超えた量子的な場や10次元世界、あるいは時間も空間もない世界というのは、なんとなく実感できるのです。
もちろん論理的にわかっているわけではなく、言葉で説明することも全くできません。
超弦理論も出てきますが、これも私にはちんぷんかんぷんです。
これまでも超弦理論の「平易」な解説書なるものにも挑戦したことはありますが、歯が立ったことはありません。

しかし、そういう世界に、なにか奇妙な親近感や現実感があるのです。
時間も空間もないということは、昔から私には違和感がないのです。
というか、几帳面に並べられて一方向に流れている時間というものにはなじめないものがあります。
小松左京の小説に出てきた両方向に流れるヘリウムの話は今でも忘れられません。

節子はよく知っていますが、カレンダー通りの時間の流れには、私はあんまり呪縛されないのです。
だから、カレンダーに従って誕生日が決まるわけではなく、今日を私の誕生日にして食事に行こうなどと言う発言をしてしまう。
まあ、いまもそうで、娘が迷惑していますが、最近は「はいはい」といって無視しています。
節子と一緒ですが、カレンダーに縛られることは苦手ですが、それでも長年、カレンダーに呪縛された生活を続けていると、ついつい今日は何曜日だろうなどと思うことからまだ抜け出られていないのです。
だから、娘につい、今日は水曜日にしてくれないかなどと、ついつい愚痴を言いたくなるわけです。

今日もあることで、娘から「お父さんは常識がないから」と言われました。
しかし、娘の常識など高がこの数十年に育ってきた「小さな常識」ですから、138億年のスケールで考えれば、たいした常識ではありません。
私の常識のほうが、もっと普遍性を持っているでしょう。
そういう「大きな常識」の世界に、節子はきっと苦労したことでしょう。

でも彼岸にいって、きっと私の常識のほうに親近感を持っていることでしょう。
次に会うのが楽しみです。

■3778:死前葬儀(2018年2月17日)
節子
宇治に住んでいる節子の従妹のMさんから電話がありました。
Mさんは伴侶を亡くされたそうです。
あまりお付き合いはなかったのですが、先日、その話が耳に入りました。
それで、墓前へとお線香を送らせてもらいました。
ちょっと遅くなったのですが。
今日、電話がありました。
人の死は、やはり人をつなげます。

節子と付き合いだした時に、Mさんの両親の家に遊びに行ったことがあります。
京都の銀閣寺の近くにお住まいで、大文字の文字の見えるところでした。
なぜかその時Mさんには会っていません。
ですから、Mさんに出会ったのも、たぶん節子の父親の葬儀だったと思います。

こんなことを言うと誤解されそうですが、
私は結婚式よりも葬儀に出席する方が好きでした。
結婚式はどうも私には相性がよくないのです。
葬儀のほうが、なぜか落ち着くのです。
これは節子を見送ってからではありません。
しかし、いまは葬儀も好きではありません。

なぜか昨年は、私の葬儀はありませんでしたが、10年後の私の葬儀をどうするか、考えておかねばいけません。
まだ考え出すには少し早いですが、ゆっくりと考えようと思います。
できれば、私も自分の葬儀に参加できるようにしたいものです。
生前葬儀ではなく、死前葬儀が理想です。
さてどうするか。
かなりの難問です。

■3779:宇宙との縁を回復できそうな気配です(2018年2月19日)
節子
私たちは、「知っているはずもないこと」を知っていることに驚くことがあります。
ソクラテスは「メノンのパラドクス」といい、ユングは「集合無意識」と言いました。
私自身は、人間は自分だけで完結したシステムなどとは全く考えていませんので、時空間を超えたあらゆるものとつながっていると考えています。
それを意識に取り込めば、自分の心身は、無限の知であふれるでしょう。
空海は、虚空蔵につながっていたという話もあります。
空海に限らず、宇宙と一体化した人は、たぶん少なくないでしょう。
それをある程度論理的に言語化すれば科学者になり、言語化に興味がない人は宗教者になる。
キリストもムハンマドも釈迦も、きっと宇宙と一体化していた。
だから、彼らの「生」は、現世だけのせいではなかったのだと思います。

そうした不思議な感覚は、たぶんほとんどの人が経験していると思いますが、人は「信じられないものを信じない」ように、育つようになってしまいました。
ですから、みんあ「見なかったこと」「体験しなかったこと」んして、その後の平安な人生を選ぶわけです。
それが「大人になること」なのかもしれません。
つまり、宇宙と縁を切る、ということです。

私が最初に、意識したのは、福岡の大宰府跡に行った時です。
なにやら無性に懐かしさを感じました。
その後、観世音寺の国宝館に入って、雷に打たれたような「畏れ」を感じました。
誰も来ない国宝館で10数体の仏たちとしばらくの時間を共にしました。
不思議な体験でしたが、なぜか私以外の人は、その間、誰も来ませんでした。
その後、観世音寺について少し調べて本も読みましたが、残念ながらなにも感ずることはありませんでした。
その後も何回か行きましたが、あの奇妙な感覚は起こりません。

また話がずれていますが、最近、そうした私が知っていることのないことが、少しずつ形を見せだしています。
そして、それに従って世界の見え方が少しずつ変わりだしているような気がします。
私が考えていたことが、いかに論理に縛られていたかがわかってきました。
知の体系が変わるということは、こういうことなのかもしれません。

最近つくづく自分の無知さ加減がわかってきました。
「知る」ということは「知らないこと」に気づくことだと、ようやくわかりました。

今日は、春を感ずる寒さです。
庭の桜が今年も花を咲かさないようなのが、とても残念です。

■3780:電話疲れ(2018年2月19日)
節子
なにやら今日は電話やメールがにぎやかです。
というのも、東京新聞に湯島のサロンのことが掲載されたのです。
東京新聞の「ひと ゆめ みらい」です。
しばらくは次のサイトから読めると思います。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201802/CK2018021902000103.html

その記事に、湯島でサロンをやっていると紹介されているのです。
それを見た人が問合せをくれるのですが、電話をくれる人はネットをやっていない人が多いので、いちいち説明しなければいけません。
それに私と同じ世代の高齢者も多く、なかには、自己紹介を電話でしてくれる人もいます。
自らの住んでいる場所くらいならいいのですが、なかには生まれたところまで話し出します。
子ども時代の妹さんのことまで話される方もいます。
たぶん見ず知らずの人への突然の電話なので、自分のことをていねいに話さなければと思われているのでしょう。

こうした反響で、話し相手を欲しがっている人がいかに多いかもわかります。
話し相手が欲しければいくらでもいるはずなのに、あるいは見つけられるはずなのに、それが出合わないのです。
そうしたことを「市場化」して「なんとかサロン」をビジネス化したり制度化したりする動きもありますが、たぶんそういうものは見透かされてしまいます。
サロンを続けていて、それがよくわかります。
人のつながりは「市場化」できるはずはありません。
言うまでもなく「福祉」のそうですが。

それはそれとして、今日は長い電話ばかりで疲れました。
まだこれからもあるかもしれません。
私が一番やりたいサロンは、居場所サロンではなく、市民性を深めて社会を住みよくしていくサロンなのですが、そういうサロンへの関心はなかなか広がりません。
勉強会だと勘違いしている人も少なくありません。
人は勉強すればするほど、私の定義では知的でなくなります。
世間的な表現をすれば、バカになるということです。
また「道を踏み外しそうです」ので、やめましょう。

いまのままだとどうも私の現世時代には間に合わないので、宝くじを買うことにしました。
私の信条には反しますが、お金があれば思いの実現を加速できるかもしれないと、ついついさきほど思ってしまいました。
当たるといいのですが。
いつもは「ついでに借金も返せますように」と、いささかの邪念が入っていましたが、今回は自分のためには使わずに、しっかりと「思いの実現」のために使いますと約束して買いますので、当たるかもしれません。
でも、宝くじを買いに行くのを忘れないといいのですが。

■3781:平和な社会に向けて孤軍奮闘している人に会いました(2018年2月20日)
節子
今日は孤軍奮闘している人のところに、何かできることがないかと行ってきました。
数年前に、平和活動の集まりで、一度、お会いした記憶がありますが、その後、交流はなかったのですが、湯島のサロンに来てくれたのです。

湯島に誰か新しい人が来ると、その人のために自分には何ができるだろうかと自然と考えるようになってきています。
人は素直に生きていると、そうなるものだというのが私の実感です。
よく言われるように、人は誰かの役に立ったと実感できるほど幸せなことはありません。
「助ける」ことのほうは、「助けてもらう」ことよりも、幸せに決まっています。
それで、誰かが湯島にやってきて、私の前に座ると、自然と私の頭の中には、「私にできることはなんだろう」と考えてしまうのです。
自分でも意外だったのですが、これも10年ほど前に、友人が私に「佐藤さんは誰かに会う時に何を考えているのですか」と尋ねられて、即座に「私にできることはなんだろうと考えている」という答えが出てきました。
正直、私自身、あまり意識していなかったのですが、言葉にして以来、自分でも意識するようになったのです。

今日、お会いした人は、私とどこか共通点があります。
生活や思考が、あまり秩序立っていないのです。
心のありのままに、しかし葛藤したり、迷いながら生きている。
彼女も、たぶん私に同じものを感じて、声をかけてきたのです。

彼女は、学校の先生でしたが、数年前に辞職し、自分の家を売ってしまい、その資金で、「平和な社会」を目指す活動に取り組みだしたのです。
新宿にオフィスを構え、そこで寝泊まりすることも多いような過激な生活をしています。
しかしたぶん経済感覚が普通の人と違うので、家を売った資金も底をつき始めたようです。
世間的にはいささか「飛んでいる」ので、なかなか同志も増えていかないようで、まさに孤軍奮闘です。
そんなとき、なんとなく波長の合いそうな私に出会ったわけです。
彼女は激烈に生きています。
ただ私と違って、社会的「権威」への信頼があるようです。
そこが悩ましいところなのかもしれません。
お互いに本音をぶつけ合う話し合いで、気がついたら4時間半もたっていました。

軽い気持ちで、何ができるかを確かめにうかがったのですが、なにやら少し重すぎる宿題をもらってきてしまいました。
お昼とデザートのいちごをご馳走してもらったので、しっかりと考えなければいけません。

さてさて、誰かに会うといつもこんなことになってしまう。
彼女のために何ができるか。
いささか悩ましい課題です。

■3782:「生きる」と「生きている」は違うなという思い(2018年2月22日)
節子
またいろいろと考えました。
最近は考えることが多くなりました。
いままでほんとうになにも考えずに生きてきたような気がします。
結局は、仏様の手のひらから出られなかった孫悟空を思い出します。

考えなくても生きてこられたのは、たぶん幸運に恵まれたからでしょう。
感謝しなければいけません。
しかし、もしかしたら、それは幸運ではなかったかもしれません。
ただ与えられた人生を疑うこともなく生きて来ただけなのかもしれません。

「生きる」と「生きている」とは違うことに、改めて気づきました。
私は、どちらかといえば、「生きる」に価値を置いていました。
しかし、よくよく考えてみると、節子がいなくなってからは、ただただ「生きている」だけだったのではないか。
そんな気がしてきています。

思いきり、前か上に向かって進んでいる人に会うと、いろいろと考えさせられてしまいます。
私も、節子に最初に出会ったころは、生きることにワクワクしていました。
でも、いまはなんとなく「生きていること」に従っているだけのような気もします。
「生きていること」にワクワクしていた節子のことを思い出すと、少し生き方を変えないといけないかと思い出しています。

■3783:また雪です(2018年2月22日)
節子
朝、起きたら、雪が降っていました。
窓から見える隣家の屋根には雪が積もっています。
今日は湯島に行かねばいけないのですが、いささか心配です。

昨夜はいろいろと考えることがあって、あんまり眠れませんでした。
歳のせいかもしれませんが、深夜に目が覚めると眠れなくなることがあります。
最初に思うのは、いまもなお、節子のことですが、それは私が以前は節子が寝ていた場所で寝ているからかもしれません。
節子の目覚めの世界の中で、私も目覚めるわけです。

ところで、とても不思議な気がするのですが、節子がいた頃に比べて、寝室がいつも明るくあたたかいのです。
真夜中に起きて、以前はこんなに明るかっただろうかと不思議に思うことも少なくありません。
遮光カーテンをていねいに締めていないために隙間ができるせいかもしれませんが、なぜか明るい気がします。
あたたかさも、私の感覚が鈍くなっていて、寒さをあんまり感じなくなっているのかもしれません。
節子がいなくなってから、このほかにもいろいろと変わったことはあります。
たぶん節子が私の中に少し入り込んできているのかもしれません。
そう思うとなっときできることもあります。

雪は、とてもわずかではありますが、まだ降っています。
私の家の隣家は、少し低いところに建っていますので、2階の私の仕事場の窓からは、その屋根が見えるのです。
空も雪雲ですので、窓の外には真っ白な世界が広がっています。
雪の朝は音が雪に吸い込まれて静かですが、今朝もとても静かです。

東京新聞の私の記事を読んだ人から、今朝もまたメールが届いていました。
昨日は、その記事のおかげで、15年ほど交流のなかった人からも連絡がありました。
その人はこう書いてきました。

数年前まで長く組織のなかで守られて仕事してきましたが、
やっと佐藤さんのスタンスが私なりにわかるようになりました。

何かとてもうれしい気がします。
人の生き方や考えは、そう簡単にわかるものではありません。
それを簡単に分かったと言ってくれる人がいますが、そういう人に限って、私の生き方や考え方を真逆に受け止めている人も少なくありません。
しかし、この人のように、わからなかったことにわかってくれる人がいることは実にうれしいのです。
それはたぶん私にも言えます。
私ももしかしたら、他者に「あなたの生き方や考えはわかる」などと言っていることがあるかもしれません。
気をつけなくてはいけません。

外はだいぶ明るくなってきましたが、まだ雪です。
こんなことを書くと笑われそうですが、最近は天気がまるで私の心情を表現してくれるような気がしてなりません。
三寒四温という言葉がありますが、最近の私の心は、まさにそんな状況です。
いろんな意味で、ですが。

■3784:ミニ同窓会(2018年2月22日)
節子
湯島で小学校時代のミニ同窓会でした。
節子も知っている何人かも来ましたが、なかには数十年会っていなかった人もいました。

ひとりが胃がんになってしまい、昨年手術したのですが、彼がなんとなくみんなに会いたがっている風だったので、それとなく何人かに声をかけたのがきっかけです。
ところが、本人がまだみんなには言いたくないというので、延期になっていました。
節子との体験もあるのに、まだ私は、病気になった人の気持ちを理解することができずにいます。
困ったものですが。

今年になって、彼が胃がん手術をしたことを何人かに公開したので、それでは集まりをやろうとなったのですが、予想以上に参加者が多くなってしまいました。
たぶんみんなやはり会いたい気分があるのだろうと気づきました。
ここでも人の気持が、まったくわかっていない自分がいました。

集まりでは、彼が胃がん手術を改めてオープンにしました。
初めて聞く人もいて、驚いたでしょう。
久しぶりになつかしい集まりでの最初の言葉が、胃がん手術の報告。
まあ異例な出だしです。
しかし、そうしたら他の人も、いろいろと自分が抱えている事情を話しだしました。
病気のことだけではありません。
実にいろんなことです。
これまであまり話したことのないことを、はじめて口にした人もいました。
幸せなこともつらいことも、語りだしたのです。
幸せなこともつらいことが、何の違和感もなく、絡み合いながら話が進みました。
小学校時代の友だちは、やはりとても不思議なもので、奇妙な信頼関係や安心関係があるのです。

少しは知っていたことも、詳しく聞いて改めて驚いた話もありました。
そうだったのかとはじめて納得した話もあります。
みんなそれぞれにドラマがある。
しかし、なにが幸せで、なにが不幸かはわからない。
そんな気がしました。
一人ひとりからゆっくりと話を聞いて、何かできることはないかをみんなで話し合える場があるといいなと思いました。
家族は大事ですが、家族以外にも、そうした場があってもいいかもしれません。
それに家族のいない人もいます。

参加した一人がメールをくれました。

自分だけが苦労したと思っていましたが 皆様頑張られているのを伺い 明日からは 楽しく頑張ろうと お話から力を頂きました。

彼女は20年近く前に突然夫を亡くしました。
今回、一番元気だったのは彼女でした。
いまは独り住まいだそうです。

前に、死は人をつなげると書きましたが、病いもまた人をつなげます。
おかしな言い方ですが、孤独も人をつなげるかもしれません。
同窓会型サロンを、時々、湯島でやろうかと思います。
そうすれば、誰も孤立しないでしょう。
ある意味のコミュニティもつくれるかもしれません。

私はといえば、幼なじみの気安さもあって、少し、いや、だいぶ失礼な発言を重ねてしまいました。
それこそ「不適切な」発言もしてしまった気がします。
ぎりぎり許してもらえたかもしれませんが、最後に、私が一番信頼している人が、それとなくちくりと注意してくれました。
ありがたいことです。

やはり幼なじみの世界は、ちょっと違います。
それにとてもいい仲間にめぐまれているのです。
驚くことに、最後に私にカンパまでしていってくれました。
有機野菜まで持ってきてくれた人もいます。
お布施暮らしは、たくさんの豊かさを恵んでくれます。

■3785:読書作業に取り組んでいて挽歌を書きませんでした(2018年3月8日)
節子
またしばらく挽歌から離れていました。
挽歌というよりも、ブログやネットから離れていたのです。
理由は、ある本にのめり込んでいて、時間さえあれば、その本を読んでいたからです。
「心の発見」という、複雑系理論に基づく現代脳科学とウパニシャッド哲学を踏まえた古代インド仏教教義の共通性を解き明かしてくれる本です。
類書は、これまでも何冊かは読んでいますが、なかなか理解できずに、わからないままに読み進めていました。
その間にも、人に会い続けていました。
突然湯島に飛び込んできた人や、富山からやってきた人、さらには20数年ぶりにフェイスブックで私をもつけて湯島に訪ねてきた人と、いろんな人とです。
不思議なことに、その人たちとの会話も、どこかで「心のあり方」につながった内容でした。

今朝、本を読み終えました。
わからないままに、メモまで取っての読書でした。
メモをまた繰り返し読んで消化しようと思いますが、ブログも再開します。

ちなみにこの間も、毎朝の般若心経は簡略版をあげていましたので、今日からきちんと唱えるようにしようと思います。

今日は埼玉に、旧友に会いに行ってきます。
幼なじみと旧友を引き合わせる約束をしていますので。
でも寒いうえに雨の1日になるようです。

体調は,それなりに元気です。
血圧の薬も飲みだしていますし。

■3785:人の生き方は変わらない(2018年3月11日)
節子
報告したいことが山のようにあるのですが、ありすぎて、また挽歌をさぼってしまいました。
さて、なにから書きましょうか。

前回、書いたのは、埼玉に出かける日の朝でした。
あの日は、いろんな人に会いました。
まずは、埼玉の小川町で、小学校の同級生の金子友子さんに会いました。
彼女は、アナウンサーをしていたのですが、なぜか有機農業の世界に魅せられてしまったようで、小川町の霜里農場に嫁いだのです。
節子が元気だったころ、湯島に彼女が野菜を届けてくれたことがありましたが、その時に節子も会っているかもしれません。

霜里農場は、有機農業のメッカでした。
そこから巣立って行った人はたくさんいるようです。
以前から一度伺いたかったのですが、私は今回が初めてでした。
この界隈はとてもいいところです。

農場に行く前に、熊谷市の友人を彼女に引き合わせました。
実はそれが今日、彼女に会う目的でした。
そういう目的でもないと、最近は私もなかなか足が動かないのです。

その引き合わせる友人は、時田さんと言います。
熊谷で会社を経営していますが、私が出会ったのはたぶん30年程前です。
日本を美しくするかというような、有志の集まりでした。
ちなみに、鍵山さんが中心になっている「日本を美しくする会」とは別で、それよりも古いものです。
多彩な人たちが集まっていましたが、一番印象に残っているのが時田さんでした。
一緒に何かをやったこともなければ、ゆっくりと話したこともなかったのですが、どこかに俗物にはない強い魅力を感じました。
気になっている人には必ずまた会うものです。
20年ほど前だったと思いますが、東京のど真ん中で、偶然にすれ違いました。
その時は、たぶんお互いに急いでいたのでしょうが、立ち話であいさつしただけでした。

次にあったのは、3.11の後でした。
近くのホテルで合宿していたら、ときたさんがわざわざ会いに来てくれました。
今回は、お引き合わせだったのですが、横で話を聴いていて、時田さんの生き方が変わっていないことを感じました。

人の生き方は、そう簡単に変わるものではありません。
私は節子がいなくなってから、生き方が大きく変わったと思っていますし、事実、具体的にもいろんな意味で生き方は変化しています。
しかし、大きな意味では、そして外部から見たら、たぶん何も変わっていないのでしょう。
アナウンサーだった金子さんが農家の嫁になり、知的な文化人の時田さんが自分の会社の経営に苦労するようになっても、私からは何も変わっていないように見えました。

古い友人に会うと、いろんなことを思い出します。
なぜ時田さんと出会うことになったのかも、今回、時田さんから思い出させてもらいました。
あの頃の私の生き方は、いまから思えば、地に足がついていませんでした。
会社を辞めて、あまりにもワクワクする世界が多すぎて、生きる喜びに浸っていた気がします。
その話の聞き役が節子でした。
話を聞いてくれる人がいないと、人生は退屈になるものです。
この挽歌で節子に話をしていますが、返事がないので、時にめげてしまうわけです。

また後で、この続きを書きます。
報告したいことが山のようにありますので。

■3786:感激の再会(2018年3月11日)
節子
この数日はいろんな人に会っていましたが、一番感激したのは広島の武鑓さんに会ったことです。
たぶん武鑓さんの話は節子にもしたことがありますが、節子は覚えてはいないでしょう。

書きだすときりがないのですが、私は「ある思い」を持って会社を辞めました。
時評編で近日中に書くつもりですが、会社を辞めたのは、このままだと社会はおかしい方向に動き出し、私自身生きづらくなるだろうという危惧の念からです。
そして、会社で取り組んだことを少し広い社会でやろうと思ったわけです。
しかし会社を辞めてみると、世界の広さについつい魅了されてしまい、あまりの面白さに翻弄されてしまった感があります。
その結果、結局何もできなかったわけです。
どれか一つに、もう少し誠実に取り組めば、かなり違った結果になっていたと思いますが、次々と出合うことの魅力に負けてきてしまった気がします。

そうした活動の一つが、経営道フォーラムという活動です。
これは私が始めたものではなく、市川覚峯さんが始めたものですが、それに関わらせてもらっていました。
経営者に心と道を、というのが市川さんのビジョンでした。
これについても書きだすときりがありませんが、私は30年以上それに関わらせてもらっていましたが、昨年で終わらせてもらいました。
もっとも始めた市川さん自体は、その前にその活動から離れています。

一昨日、そこで関わった人たちが、私への感謝の会を開いてくれました。
その集まりに広島からわざわざ出て来てくれたのが武鑓さんです。
武鑓さんと会ったのは、たぶん25年以上前でしょう。
当時は私はまだ大企業は変えられると思っていました。
そして「会社の社会性」や「企業理念」などに関して講演させてもらったり、経営幹部の人たちの集まりに関わらせてもらったりしていたのです。
その時に出会ったのが、武鑓さんです。
私が担当するチームに参加してくれ、企業理念に関する報告書をまとめたのですが、その時に武鑓さんは私の話をしっかりと聞いてくださいました。
私はまだ当時は、思いだけで走っていた頃ですので、冷や汗が出ますが、武鑓さんは私の活動を応援してくれ、自動車業界の社長会などで私に話をさせてくださいました。
その「勇気」には、後で考えると感謝しかありません。
もちろん武鑓さんの「勇気」です。
その後も、経営とは全く無縁な、戦時体験の記録の本を送ってきたりしてくれました。
私のことを、きちんと受け止めていてくれたのです。

言葉ではうまく書けませんが、心が伝わる出会いというものはあるものです。
会場に行くと、その武鑓さんがいらしたのです。
もうそれだけで、集まりに来てよかったと思いました。

武鑓さんは、自動車会社の経営から卒業した後、大学に通いだし、いまは陶芸をやられています。
いつか武鑓さんの作品に触れたいと思っています。

■3787:全身を包み込む「幸せ感」(2018年3月14日)
節子
久し振りに節子の夢を見ました。
といっても、駅で出会って一言二言言葉を交わしただけですが。
しかし、それでもなぜかとてもあたたかな幸せ感に包まれて、目が覚めました。
節子の夢を見るのは、久しぶりです。
最近あまり挽歌を書いていないので、ついに夢にまで出てきてしまったのでしょうか。
やはり挽歌はきちんと書かなくてはいけません。

一言二言のやりとりが、なぜ目が覚めた後まで残るような「幸せ感」を生み出すのか。
抱擁したわけでもなく、ただただ身近な言葉を交わしただけなのですが。
まだ言葉にはできないのですが、最近そうしたことがなんとなく納得できるようになってきました。
人が生きてい来るのは、時にそうした「幸せ」を感ずるからなのかもしれません。

節子と出会った「駅」も、久しぶりの駅です。
といっても、この「駅」も、夢の中で一時期、よく出てきた駅です。
現世での駅ではありません。
その駅は、乗換駅で、改札口から地上まで長い階段があります。
今回の夢では、私は改札口から出て、階段を降り切り、なぜかまたあがってきたら、そこに節子がいたのです。
改札口の人が、なぜか「この人はあなたの奥さんですか?」と、厳しい口調で私に話しました。
「はい、妻です」と言ったのですが、その時に節子が何か私に言ったのですが、その言葉は思い出せません。
しかし、その言葉で私はとてもあたたかな気持ちになったのです。
それから不連続な場面が出てきて、私は節子の言葉に従いながら、部屋の片づけをしだしていて、なにかを外に投げ捨てた時に目が覚めました。
不思議な夢ですが、まあ夢というのはこんなものでしょう。

それにしても久しぶりの節子の夢です。
現実では中な節子には会えませんが、夢で逢うのもいいものです。
そんなわけで、今日はかなり元気です。

■3788:「あなたに会うと元気をもらえます」(2018年3月14日)
節子
今日は春の1日になりました。
残念ながらわが家の庭の河津桜は今年も咲きませんでしたが。

昨日、湯島の集まりで、「ほめカード」というのを考案した櫻井さんがみんなに紹介してくれました。
何枚かあるカードから、みんながそれぞれ1枚をランダムに選び、それをいっせいに自分の前で開くのです。
そこには、人を幸せにしてくれるような「ほめ言葉」が書かれています。
それを一人ずつ順番に、カードをもっている人に向かってみんなで読み上げるのです。
カードには、「そのままのあなたがとてもすてきです」とか「大丈夫!きっとうまくいきます」などとその人を褒めたり、元気づけるようなメッセージが書かれています。
それをみんなが読み上げてくれるわけです。
そしてそのメッセージを受けた人は「ありがとう」と返して、みんな幸せになるというゲームです。

私が選んだカードには、「あなたに会うと元気がもらえます」とありました。
みんなが読み上げてくれたのですが、私は「ありがとう」とは言わずに、「それはあなたの誤解です」と返してしまいました。
いやはや困ったものです。

ところで今朝のことです。
新潟のKさんから電話がありました。
Kさんは昨年から大変な事ばかり続いているうえに、大雪で自宅にこもることが多く、滅入ってしまっているのです。
そして時々電話をかけてきます。
いつも長電話なのですが、話しているうちに声の質が変わってきます。
私は別に元気づけているわけではなく、むしろ聞き様によっては、Kさんを批判しているような言葉さえ少なくありません。
幸いにKさんは私よりもご高齢なので、聞きたくないことはたぶん耳に入っていないのでしょう。
そのせいか、少し話が進んだ頃に、いつも「佐藤さんの声を聞くと元気になります」というのです。
いつものように、その言葉を聞いて、昨日の「ほめカード」のことを思い出しました。
すなおにみんなに「ありがとう」と言っておけばよかったです。

そういえば、先日富山から湯島にまでやってきてくれたIさんも、同じようなことを言っていました。
もしかしたら、私は誰かの元気を引き出すことができるのかもしれません。
しかしどうも、自分自身の元気は引き出せない。
私の元気を引き出すのは、やはり節子しかいないのかもしれません。
しかし、その効用も、目覚めて8時間もたったら、もうどこかに行ってしまった気がします。

湯島のオフィスから一人で空を見ていると、無性に悲しく、寂しくなります。
春は、やはり「さびしい季節」です。
そう思えるような、実にのどかなあったかい日です。
でも、なにかが欠けている。
幸せは満たされることからきますが、寂しさは欠けていることからくるようです。
幸せと寂しは両立するようです。

■3789:孤独感(2018年3月15日)
節子
相変わらずサロンをつづけていますが、いろんな人に会います。
昨日のサロンには15人の人がやってきました。
話し合いを聴いていて、自分自身の世界がいかに特殊なのかにだんだん気づいてきました。
まあそれがサロンをやる意味ではあるのですが、時に孤独感を味あわせられます。
あまりにもみんなの常識と私の常識が違うのです。
かなり「寛容」にはなってきているとは自負していますが、まだまだです。

こういう私と生活を共にしていた節子は、大変だったかもしれません。
しかし、節子は私にかなり合わせてくれていたので、私自身はそれに気づかなかったのかもしれません。
生き方が変わっていても、伴侶がそれに共感してくれていると、その異質さに気づきません。
なんとなくそれがすべてだと思ってしまうからです。
でも伴侶がいなくなると、その異質さがはっきりと見えてきます。
そういう意味で、夫婦とは、自らの世界を守るものなのです。
残念ながら、親子ではそういう関係はつくりにくい気がします。
同じ家族でも、夫婦と親子は、やはり違います。
夫婦には溝がないのに、親子にはやはり溝を感じてしまう。
これは父親だからかもしれません。
母親だったら逆なのかもしれません。

ちなみに昨夜も節子の夢を見ました。
挽歌も書き、般若心経も挙げているのですが、まだなにかかけているのでしょうか。
そういえば、最近またお墓に行っていません。
さてさて彼岸にいる人との付き合いはそれなりに難しいです。

■3790:一番支えが必要な人(2018年3月16日)
節子
寒暖の差が激しくて、なかなかついていけません。
此岸は住みにくいです。
住みにくいのは、どうも私だけではないようで、今日もまたいろんな連絡がありました。
幸か不幸か、今日は時間がほぼ完全に埋まっていたので、新しい課題を背負うことはありませんでしたが、みんな身に余る重荷を背負いこんで大変なのかもしれません。
でもまあ私も、もうそう背負い込む余裕がなくなってきているような気もします。

先日、図書館で見つけた『最期をどう迎えるか』と言う本を電車の中で読みました。
私自身は、最期の迎え方は一応決めていますが、それが実現できるかどうかは私だけでは決められません。
でもまあ、自宅で意識的に死を迎えることを目指そうと思います。
いや、目指そうと思うのではなく、いま既にその活動に入っているというべきでしょう。
もちろん「死ぬ準備」をしているという意味ではありません。
死と最期の迎え方とは別の問題です。
「最期の迎え方」は、あくまでも生き方の問題ですから。

その本にこんな文章が出てきました。

「誰かの支えになろうとする人こそ、一番支えが必要な人でもあるんですよね」

「めぐみ在宅クリニック」の小沢竹俊さんの言葉です。
ハッと気づいたのです。
そうか、私は、一番支えが必要な人なのだ、と。
でも今日は、時間がないことを理由に、3件の申し出をやんわりと跳ね返してしまいました。
もちろん引き受けるための日程調整が出来なかったからなのであって、私に理由があった訳ではありません。
一般的にはむしろ相手の都合のせいなのですが、でも相談してくる人の方が状況は大変なのですから、時間の調整は相談を受ける方がしなければいけません。
それが私のルールなのですが、そのルールを守るのはそれなりに大変です。
もし自分の都合を優先する生き方をしていたら、たぶん誰の相談にも応じられないでしょう。
いつも時間調整するのは、私なのです。
それが、誰かの支えになるということですから。

でも最近は、どうも私自身の都合を優先しがちになってきています。
小沢さんの言葉に出会って、私もようやく少し支えがなくても大丈夫なってきたのかもしれないことに気づきました。

最近またいろんな人から「へそ曲がり」だと言われています。
でも私は決して「へそ曲がり」ではないのです。
多分小沢さんならわかってくれるでしょう。
人はみな、他者の事を語っているようで、自分の事を語っている。

今日の寒さは、格別です。

■3791:寒いお彼岸です(2018年3月22日)
節子
お彼岸なのにまだお墓にも行っていません。
花は用意されているのですが、雨のために今日も行くのを止めました。
それに冬に戻ったような寒さです。

最近、挽歌はあまり書けていませんが、サロンの報告などをメーリングリストなどで発信しています。
何しろ先週は、4回も湯島の集まりをやってしまいましたし、これから週2回ほど予定されてしまったサロンの案内も出しています。
実にいろんな反応があって、うれしいのですが、ちょっと引っかかる一言が多いのです。
「お元気で」とか「健康でお過ごしください」「またお会いしたいです」などという言葉が最後に書かれているのです。
これって、私が間もなく人生を終わることを含意していないでしょうか。
それは考え過ぎだろうと言われるかもしれませんが、人は考えるものなのです。

ちなみに、だからと言って、不快だとかということではないのです。
それはまさに事実だからです。
私もそう思われる歳になったのだということです。
自分ではそんな意識は無いのですが、人にはそう見えているわけです。
自重しなければいけません。

しかし、自分を相対化するのは実に難しい。
特に私のように、あんまり自省的でない人間は、自分の置かれている状況に気付きにくいのです。
注意しないと、死んだことにも気づかずに、このままの生活を続けてしまいかねません。
困ったものです。

この2日間、ちょっとダラダラしています。
先週までは無性に本が読みたくて、読みあさっていましたが、今週はどうも読む気が起きません。
今日は床暖のある1階のリビングでうずくまって過ごしていますが、テレビを見る気も本を読む気も、パソコンをやる気も、何故か起きません。
まさにうずくまって、寒空の外を見ています。
こうやって節子と2人で、無為に過ごすのが理想でしたが、独りだと無為と言うよりも無策という感じで心が落ち着きません。
それでノートパソコンをリビングに持ち込んで、挽歌を書いています。
かと言って、内容の或る挽歌を書く気も起きず、こんな無意味の文章を書くのが精いっぱいです。

最近、どこかで、心がちょっと折れてしまったのではないかと思うことがあります。
疲れすぎたのかもしれません。
それが見透かされてしまって、「お元気で」とか「健康に留意」とか言う人が増えているのかもしれません。
でもまあ、無理して「元気」になることもありませんし、「健康」に気を付けるってどういうことかもわかりません。
今日はまあ、こうやって無策に過ごしましょう。
それにしても退屈です。
人に会うのは嫌いですが、人に会わないのはもっと嫌いです。
困ったもので。
はい。

■3792:猿田彦珈琲でシャキッとしたのですが(2018年3月21日)
節子
先ほど、内容のない挽歌をかいた後、今日4杯目のコーヒーを飲みました。
先日、山城経営研究所の関係者が、私への感謝の会というのをやってくれて、コーヒーメーカーとコーヒーをプレゼントしてくれたのです。
コーヒーは評判の猿田彦珈琲。
朝も飲んだのですが、美味しいです。
コーヒーを飲んだらちょっと気分がシャキッとして、もう一つ挽歌を書く気になりました。

春の箱根に雪が降ったおかげで、今日はテレビでよく箱根が報道されています。
昨年はついに箱根には一度も行きませんでした。
この20数年、初めてのことです。
節子が元気だったころは、毎年数回、箱根に行きました。
節子が好きだったからですが、節子がいなくなってからも、年に1回は箱根に行っていました。

箱根に詰まっている想い出は、山のようにあります。
もし節子が元気だったら、今頃は湯河原に転居していたかもしれません。
もしそうなっていたら、私の生き方も大きく変わっていたでしょう。
節子の死という番狂わせのおかげで、私の生き方は一変しました。
まあ、それもまた人生です。
箱根の風景をテレビで見ていると、いろいろなことが次々と浮かんできます。
私としてはあんまり好きなことではないのですが。

想い出は、独りで思い出すのはいささか辛いものです。
やはり2人で思い出してこそ、思い出は輝いてくるのでしょう。
たくさん残っている写真も、私はほとんど見ることはありません。
コーヒーでシャキッとしたかと思ったのですが、やはりどうも元気が出ません。
お彼岸だからでしょうか。
寒い雨のせいでしょうか。

最近どうも気分が暗くてよくありません。
明日は会社時代の人たちと会うのですが、元気を回復しておきたいものです。

■3793:「もう時間がないのです」(2018年3月27日)
節子
近くの桜が咲きました。
手賀沼沿いも液に行く途中の桜も、ほぼ満開です。
あまり出歩いていないのですが、近くの菜の花畑も咲いているかもしれません。
フェイスブックでも桜の写真が満載です。

お花見に行かなくなってから10年たちます。
節子がいた頃は、お花見は年中行事でしたし、いろんなところに桜を見に行きました。
とりわけ節子が病気になってからは、よく行きました。
節子は桜が好きでしたから。
最後に家族全員で見た、あけぼの山公園の駐車場の桜は、その後、家族も含めてだれも行かなくなりました。
桜を見ると思い出すことが多すぎます。

相変わらず周辺ではいろんなことが起こっています。
友人が突然、「もう時間がないのです」とメールしてきました。
彼とあることを約束していたのですが、それをやめたいという連絡です。
その理由が「もう時間がないのです」。
病気を抱えている人なので、なにかがあったのかもしれません。
いつものように、気まぐれで考えが変わっただけかもしれません。
まあいずれにしろ、思うように生きたらいい。
彼の意向には従おうと思います。

最近、私自身、時間がうまく使えずに、挽歌もあまり書けないし、仕事もあまりできていません。
しかし、人生においては、「もう時間がないのです」という状況は私にはありません。
時間があって、その時間を生きているわけではありません。
生きている時が、私にとっての時間なのです。
時間がないので、それはできませんとか、その会に参加できませんというような、発想は私にはありません。
その集まりに参加する時間を、私は生きていないだけの話なのです。
時間は誰かにもらって使っているわけではありません。
だから「時間がない」などと思うことは、私にはありません。

にもかかわらず、時間とうまく付き合えなくなっているのかもしれません。
昔からよく「時間破産」と言っていましたが、実のところは、その「時間破産」を楽しんできていました。
しかしいまはもう「破産」すべき時間、つまり「生き生きとしている時間」の生命力が弱まっているのかもしれません。

本来なら今ごろは、節子と一緒に、時間を超えて、桜を眺めていたはずです。
それができないがゆえに、桜とどう付き合っていいのかもわからなくなっているのかもしれません。
思い切ってお花見にも出かけてみようかとも思います。
幸い、今日はたぶん在宅でゆっくりできそうな1日です。

■3795:花見に行ったのに気が晴れません(2018年3月27日)
節子
久し振りにあけぼの山公園の桜を見に行きました。
しばらく行かないうちに、なんだか桜の元気が衰えていました。
自然もまた、年々、変わっていることに気づきました。
なんとなく寂しさも感じました。

あけぼの山に隣接する農業公園は、チューリップが咲きだしていました。
この辺りは、節子と2人でよく来ました。
10年ぶりに歩いてみました。
大きくは変わっていないのでしょうが、私自身が大きく変わっているので、違う空間を歩いているような気もしました。
風景は心境によって違ったものになるようです。

今日は挽歌を少し書きこもうと思っていたのですが、帰宅して録画していたテレビの佐川さんの国会証人喚問を見ているうちに、やっぱりさびしくなって、また元気がなくなってしまいました。
私の元気なさは、節子のためだけではなさそうです。

ひどい世の中になった、とつくづく思います。
私も、節子も、嫌いな、嘘がはびこりだしました。
ホームページをはじめた15年ほど前に、予想した通りになってきました。
節子は、こんな社会を見ずにすんでよかったかもしれません。
こんな社会を嘆きあう伴侶がいないのが、一番さびしいです。

佐川さんのパートナーや家族を思うと、怒りよりも寂しさがつのります。
人は、どうしてこうも哀しい存在なのでしょうか。
節子が伴侶だったおかげで、私は自分を素直に生きてこれたことを感謝しなければいけません。
なんだかとても嫌な気分が残った証人喚問でした。

■3796:過去から元気をもらうようになりました(2018年3月28日)
節子
とてもうれしいはがきが届きました。
「焼肉大交流会」の案内です。
といっても、焼肉がうれしいのではありません。
その会を共催するのは、「ウトロを守る会」と「ウトロ町内会」なのです。
案内の書き出しは、「ウトロに公営住宅が建つなんて」です。

私も、もうすっかり忘れてしまっていましたが、調べてみたら、2004年にホームページに最初の記事を書いていました。
http://cws.c.ooco.jp/katsudoukiroku3.htm#713

ウトロ地区とは、京都府宇治市にある在日コリアンの街でした。
そこに住んでいた在日コリアンが、開発の流れの中で強制追い立てを迫られて、裁判になっていたのです。
私は、その動きに義憤を感じ、ささやかな支援活動をしていたのですが、もう10年以上、忘れてしまっていました。
しかしきっと名簿に残っていたのでしょう。
私にまで案内が届きました。

そこに宇治市が市営住宅(伊勢田ウトロ市営住宅)を建てたのです。
今年の1月にすでに40世帯が転居したそうです。
そこで4月22日に、名前も「ウトロ広場」とつけられた場所で、報告会を兼ねた交流会を開催することになったのです。

ウトロのことは、節子にはあまり詳しくは話していなかったかもしれません。
なにしろ当時は、全国のさまざまな活動に関心を持っていましたから、すべてを節子に話していたら、節子はパンクしたでしょう。

ウトロの場合は、単なる経済的な支援だけでした。
それにも関わらず、私にまで案内が届いたのです。
こんなうれしいことはありません。
できれば参加したいところですが、たぶん22日は行けないでしょう。
まあ行ったところで、私などの居場所はないでしょう。
きっと素晴らしくも賑やかな集まりになるはずです。

当時はいろんなことに関心を持って、ささやかに応援させてもらっていました。
最近は、応援するどころか、私が応援されてしまうようになってきました。
でも、時々、こういうはがきや手紙が届きます。
過去から元気をもらうのは、とてもうれしいものです。

■3797:呪いが解けたようです(2018年3月28日)
節子
庭の池が落ち葉などで埋まってしまっていました。
私の還暦の祝いに、家族みんなで作ってくれた2段式の池なのですが、手入れ不足で草木に埋まっているのです。
しかも、ガマガエルに襲われたり、理由不明で魚が全滅したり、水循環装置が壊れたり、いろいろとあって、節子がいなくなってからは、放置気味だったのです。
あまりにひどい状況なので、今日、積もっていた木の葉や繁茂しすぎた水草を少し除去しました。
水も汚染されてしまっていたので、またもや魚は全滅してしまったのかと思ったのですが、夕方見たら、なんとメダカが2匹、泳いでいました。

この数年、わが家は呪われてしまったように、生き物が死んでしまいます。
庭の池もそうですが、室内の水槽のメダカも、何回挑戦してもなぜか死んでしまうのです。
手入れが悪いというのもあるかもしれませんが、どうも呪われている感じがしてなりません。
メダカだけではありません。
シクラメンやサイネリヤの花を買ってきて、出窓に置いておくと、なぜか元気がなくなってしまうのです。
ですからしばらくは生き物を飼うのをやめていましたが、先週、またメダカを買ってきました。
毎朝、水槽をのぞきますが、1週間ほど経過しますが、今回は元気です。
呪いが解けたのかと思っていた矢先、池の庭のメダカも発見されたので、うれしくなりました。
しばらく部屋から追いやられていた鉢植えの花もまた買ってこようと思います。

どうしてこういうことになったのか。
たぶんこの2年ほど、私の生気がなくなっていたのでしょう。
いやもう少し長いかもしれません。
湯島のメダカやエビもみんないつの間にか滅んでしまいました。

生気を取り戻さなければいけません。
メダカまでも、付き合わせてしまったことを反省します。
湯島にもまたメダカを連れて行こうと思います。
生命は、みんなつながっています。
そのつながりが、最近はかなり実感できるようになってきました。

■3798:私の生き方へのご褒美(2018年3月29日)
節子
昨日は日本の企業をもっと元気にしたいと長年取り組んでいるKさんとゆっくり話し合う時間を持ちました。
Kさんもある大企業に勤務していましたが、ある時、会社を辞めて独立したのです。
そこからさまざまな企業の働く現場を飛び回り、独自に経営手法を開発してきています。
私がお会いしたのは、あるパーティで隣り合わせたおかげですが、話していて、どこか通ずるところがありました。
話があったのではありません。
心がなんとなく感じあったというべきでしょうか。
言葉で通じ合っても、それはほとんど意味がありません。
言葉と思いがずれている人はたくさんいます。
もちろんご自分でも気づいてはいないでしょう。
そして、波長が合う場合は、多くの場合、片思いではありません。
たぶんお互いに通ずるところがある。
これまでの人生を振り返ると、そう思います。

Kさんは、どうしてこういう場を持続できるのか、お布施だけでは維持できないでしょうと言われました。
Kさんは、私の活動に触れてから、まだ数年ですし、そんなに頻繁に湯島に来てくれているわけではありません。
でもなぜか、湯島の場所の維持と私の活動のことを、とても気にしてくれています。
こういう人がいてくれるだけ、元気が出ます。

Kさんは、私が携帯電話を今日も持ってくるのを忘れて、予定していた電話が受けられなくて困っていると話したら、佐藤さんでもそんなミスがあるのですか、ほっとしますね、と言われました。
ミスをしたり欠点が見えてしまったりすることで、ほっとしてくれる人がいるというのも、実にうれしいことです。
ちなみに、私はかなりミスも多いですし、能力的にも性格的にも欠点の多い人間です。
しかし、だからとって、コンプレックスを持っているわけではありません。
人はみんな、私と同じで、ミスも多いし、欠陥も多いのだろうと、思っていますので、「それがなんだ」という思いなのです。
でもまあコンプレックスがないわけでもありません。
こうなったらいいなと思うことは、山のようにありますが、しかし、それもまた誰もがそうだろうと思っていますので「それがなんだ」という気がしています。

実は、昨日もKさんとそんな話にもなりました。
Kさんは、どこかに哲学的な物を感じさせる人です。
私はまだ数回しか話したことがないので、Kさんの人生に関してはほんの少ししか知りません。
それにしては、なんだか旧知の関係のような話をしてしまいました。
いつもながら、どうして私は口が軽いのか。
話さなくてもいいことをたくさん話してしまった気がします。

でも湯島にこうやって、わざわざ来てくださる人がいるのが、これまでの私の生き方へのご褒美かも知れないと、いつも思います。
感謝しなければいけません。

■3799:未来からもらう元気(2018年3月31日)
節子
過去から元気をもらったという話を、フェイスブックに書きました。
友人が、「過去から元気をもらう、素晴らしいことですねと」コメントしてくれました。
たしかに考えてみると、これまでの生き方のおかげですからうれしいことですが、これまでこんなことを考えたことはありませんでした。
生き方が肯定されたような気がしてきました。

私の元気は、いつも「未来」からもらうという姿勢が強かったように思います。
なにかに取り組んで、それがある結果を出した時のうれしさを目指して、元気を出していたといえるかもしれません。
どんなつらいことでも、いつかそれがあるかたちになっていくと思えば、がんばれましたし、辛いことさえが楽しいものになった気がします。
しかし、節子がいなくなったから、私には「未来」が見えなくなりました。
時間が、そこで止まったのです。
未来がなくなりと、生きる元気は消えうせてしまいます。
たぶんそうした中で、私は元気を忘れてきてしまっていたようにも思えます。
元気だけではありません。
感情さえもがおかしくなっていたことは否定できません。
いまもそうかもしれません。
心から楽しいと思ったり、心から笑ったり泣いたりすることはできなくなっているような気もします。

人は未来を拠り所にして生きている。
改めてそう思います。
しかし、さらに考えてみると、未来に確実にあるのは、自らの人生の終わり、つまり「死」です。
ですから、「死」こそが「生きることの拠り所」ということになる。
元気のもとは「死」?
あるいはこうも言えます。
未来が実感できなくなったということは、死がなくなったということか。
これはもう少し考えないといけない難問です。

いささか理屈っぽくも、重い話を書いてしまいましたが、今日は小学校時代の友人が湯島のサロンで話してくれます。
その関係で、小学校時代の同級生が2人参加し、サロンの前に4人で食事をしようということになりました。
私以外の3人は女性です。
こんなことを書くと叱られますが、小学校時代の友人ですから、まあ「過去の世界」の人です。
元気をもらえるでしょうか。
さてそろそろ出かけましょう。

■3800:おさむちゃん(2018年4月1日)
節子
昨日は小学校時代の同級生とランチをしました。
2人も女性ですが、一人は節子とも会っている、霜里農場の金子友子さんです。
むかし、湯島のサロンに有機農業の野菜を届けてくれたことがあるのです。
あの頃、もう少しきちんと有機農業の話を聞いていて、食生活を見直していたら、節子もまだ元気だったかもしれません。
まあそれは夢のまた夢ですが。

彼女は私のことを「おさむちゃん」と呼びます。
昨日はその後、彼女が話し手になってのサロンでしたが、話のなかで、私のことを「おさむちゃん」というのを聞いて、太田さんが、小学校時代の同級生が、60年以上たってもまだ、こういう付き合いが続いているのが不思議だと言いました。
私たちの頃は小学校時代6年間は組み換えなしだったのが、つながりが深まった理由かもしれないと独りに同級生が話していました。
私は4年の時に転校で仲間になったのですが、仲間に入れてもらっていました。
サロンには、他にも同級生の女性が2人参加していました。
今回は女性だけでしたが、時には男性もやってきます。
節子がいた頃のサロンには男性の同級生もやってきて、節子とよく話していました。

ちなみに節子の小学校時代の男友達のひとりとは、私もささやかな交流があります。
この挽歌も時々読んでいて、メールをくれることもあります。
そういう点でも、私たちはどこかに似ているところがあるのかもしれません。

節子のことを知らない女友達の同級生に節子の話をしました。
実はその人も、伴侶を亡くしているのです。
まあこの歳になると、伴侶を亡くす人も少なくありませんが、残念ながら妻に先立たれたのは私だけです。
そのせいか、みんな私をとても大事にしてくれます。
幼なじみはいいものです。

まあそんな感じで、いろんな人に支えられながら、まあ何とかやっています。
節子がいなくなってからは、なぜかいろんな人が節子の代わりになって、サロンの準備や後片付けをしてくれます。
ありがたいことです。

■3801:10時間サロン(2018年4月5日)
節子
2日の日は正午から夜の10時まで、湯島で、サロンでした。
前半は「縁カフェ」です。
縁の少ない人に居場所を提供しようと思って始めたオープンカフェですが、まだいまのところ私の知り合いしか来ません。
それは当然のことで、この縁カフェの存在を知っているのは私の友人知人だけだからです。
しかし継続しているうちに、そんなカフェが実現できるかもしれないと思っています。

最初の来客は、飯田さん。
長年介護活動をしている方です。
独り身なのですが、昨年、病気をし、いまはあまり活動はしていませんが、ご自分のリハビリもかねて、湯島にはよく来てくれます。
今回は、私にまでサンドウィッチを持ってきてくれました。
私は最近はお布施に従って生きていますので、呼びかけには正午ころくる人は私の食事も、と書いておいたのです。

つづいてやってきたのは、先日、20数年ぶりにやってきた川島さん。
それからさらに3人の人たちが来ました。

なぜか話は、前世の話になりました。
私の前世の友人の話をしたら、そこからさらに話が広がりました。
おひとりは、ご自分の臨死体験の話もされました。
そういう話はなぜか終わらないので、閉店予定時間になっても、みんな席を立とうとしません。
それで結局、閉店はせずに、次のサロンにつながってしまいました。
夕方からのサロンのテーマは「生きる意味」。
なんとこれがまた10人の参加者があり、4時間も続きました。

というわけで、この日は10時間を「生と死」にまつわる話し合いの渦中にいました。
さすがに疲れました。
翌日は何もする気力がないほどでした。
そんなわけでまた挽歌を書かない数日になってしまいました。
挽歌を書かなくても大丈夫になったということもできるわけです。

しかし、久しぶりにまる1日のサロン。
節子が元気だったころは、こんな生活を毎日続けていたなとふと思いました。
よくまあ続けられていたものです。

帰宅途中のブルームーンが、とてもきれいでした。

■3802:他者の嘘への寛容さをもちたいものです(2018年4月5日)
節子
2日に開催した「生きる意味」のサロンは、正式には2回目です。
思わぬ人が参加しますが、さらに思わぬカミングアウトがあります。
みんなそれぞれに「生きづらさ」をかかえています。
それに比べれば、私の生きづらさなど瑣末な事だと思います。
しかし抱えている問題は、そう違うわけではありません。
同じことでも、心へのダメッジは人によって違うのです。
言い方を変えれば、私は感受性がよわいのかもしれません。
あるいは思いやりの心が鈍いのかもしれません。
これまでずっと、他者より思いやりや感受性が強いと自覚していたのですが、そもそもそれが間違っていたのかもしれないのです。
節子に対しても、優しく思いやりが強かったと思っているのは、私の認識違いかもしれないのです。
そう思うことは、さすがに私でも辛いものがあります。

小さなころから60年にわたって、生きる意味を探し続けてきたという人が話しだしました。
それに聞き入る人も多く、それでサロンは4時間たっても終わる気配さえなかったのですが、彼女の壮絶な話を聞きながら、数年前に亡くなった元やくざのKさんのことを思い出しました。
Kさんには最後に裏切られた気がしていて、どうもすっきりしなかったのですが、少し受け入れることができた気がします。
それに少しは役立ったことは間違いありません。
まだ完全にではありませんが、少しだけ心が晴れました。

人はみな、重荷を背負っている。
その重荷を背負い合う関係を育てたいと思っていますが、どうも私には偏狭のところがあって、嘘をつかれると顔も見たくなるのです。
でも好き好んで嘘をつく人はいないでしょう。
嘘をつくにはそれなりの理由がある。
そう頭ではわかっているのですが、嘘にはどうも寛容になれません。
嘘をつくことがまったくなかった節子と長年一緒に暮らしたせいかもしれません。

嘘への抵抗力は、なかなか身に付きません。
困ったものです。

■3803:むーさんになりました(2018年4月7日)
節子
孫のにこは、私を「むーしゃん」と呼びます。
「おさむ」と呼ばせたかったのですが、長いので、結局、「むーしゃん」になってしまいました。
まあそれもまた良しです。
週に2〜3回は会っていますが、相性はかなりいいです。
育児に関しては、一切、口を出しませんが、まあ気になることはいろいろあります。
母娘なら言えるのでしょうが、父子の場合は難しいものです。
それにしても、節子は実家にも帰らずに、よく2人の娘を育ててくれました。
孫の発育ぶりを見て、その大変さが改めてよくわかります。

孫には甘くて、いろいろと買ってやるのが祖父だとも言われますが、私はそういうことはありません。
時々、娘から何となく言われて、買うことはありますが、誰かに何かを買ってやるのは、たとえ相手が孫であろうと私の趣味ではありません。
それにまだ2歳にもなっていない孫は、なにかが欲しいなどとは思うはずもありません。
なにも買ってはやりませんが、相性はとてもいいのです。

孫はわが家に来ると、「こんにちは」と頭を下げます。
つづいて節子に挨拶です。
仏壇の鐘を鳴らし、手を合わせます。
帰宅する時には、必ず外まで見送りますが、これは節子の文化でもありました。

さて、名前の件ですが、「むーさん」になるとは思ってもいなかったので、またひとつ自分の呼び名が増えたわけです。
節子が健在だったら、なんと呼ばれたでしょうか。
「せっちゃん」でしょうか。
せっちゃんがいたら、娘に頼んで孫を借りだしてどこかに連れて行きたいところですが、私だけでは信頼されないので、それは無理でしょう。
残念ながらちょっとの時間、預かるだけです。

それにしても、乳幼児の瞳には一点の曇りもありません。
少し付き合っているだけで、心が洗われます。
こんなに澄み切った心で生まれてくるのに、どうしてみんな濁っていくのでしょうか。
不思議でなりません。
もちろん私も、ですが。

■3804:日課(2018年4月8日)
節子
庭のチューリップが咲きだしました。
といっても、実は今年は球根を植えなかったのです。
にもかかわらず思わぬところからチューリップが出てきたのです。

わが家の庭にも、そろそろ春が来たようです。
あまりまだ手入れができていなのですが、少しずつ花が咲きだしました。
節子がいたら、毎日、庭の手入れをしたでしょうが、残念ながら私にはできません。
時にはやるのですが、節子のように「日課」にはなりません。
困ったものです。

「日課」にするのは、なかなか難しいものです。
今朝から起きて少しばかり脚の体操をしました。
昨日、私のフェイスブックを読んで、体調を心配して、2冊の本を送ってきてくれた人がいます。
高血圧を薬ではなく、運動と食事で解決するという内容の本です。
それで頑張って、脚の体操をしたわけですが、これを日課にしなければいけません。
持続力のない私には難しいですが、そういえば、闘病中に節子は、スクワット体操をしていました。
節子は、ある意味ではがんばり屋でしたから、日課をつくれる人でした。
しかし私にはなかなかできません。

日課にできないのは、昔からです。
その私が、以前は、この挽歌を毎朝書いていました。
驚くべきことですが、最近はその日課も見事に消え失せてしまいました。
困ったものです。
再挑戦しようかと、ふと思いましたが、できないことは宣言しないほうがいいでしょう。
出も少し頑張ってみようかとは、思います。

■3805:live deeply(2018年4月8日)
節子
今朝の「こころの時代」は、僧侶のケネス田中さんもお話でした。
、日本におけるアメリカ仏教研究の第一人者。家族と共に10歳で渡米し、13歳の時に北カリフォルニアの仏教会で浄土真宗に出会った。
60年代、アメリカで青春時代を過ごしたケネスさんの説く浄土真宗は、とても前向きで明るい仏教です。
ケネスさんは「一切皆苦」を“Life is a bumpy road”といい、「涅槃寂静」を“Life is fundamentally good”といいます。
人生はデコボコ道だが、根本的に良いものだ、というのです。
実にしっくりきます。
デコボコだから良いと捉えよう、というのがケネスさんのプラグマチックな人生観です。
私がそういう生き方になれたのは、この数年かもしれません。
節子のおかげだといってもいいでしょう。
いなくなってしまった節子のおかげ、という意味ですが。

ケネスさんはまた。“live deeply”ということを強調されました。
「深く生きる」ということが大切だというのです。
節子が人生を見極めた時、到達した生き方です。
私は、節子の病気は治ると確信しようとして真実を見損なっていましたが、節子はたぶん人生を実感していたのでしょう。
「今ここ」を大切に生きるようになりました。
だからその生き方も、“live deeply”でした。
いまから思えば、そのことがよくわかります。
それに比べて、私の生き方のなんと浅かったことか。

いまもまだ私は、fullには生きていません。
ましてや“live deeply”にはなっていない。

ケネスさんの話を聞いて、大いに反省しました。
節子の生き方を思い出しながら、もう少しfullに、deepに生きることを意識したいと思います。
そろそろ、私も人生の第4期に入れるかもしれません。

■3806:「みんなの佐藤さん」(2018年4月9日)
節子
高血圧なのに薬が飲めない(副作用が出る)とフェイスブックに書いたら、両方に関する本を2冊も送ってきてくれた人があったことは書きました。
同封された手紙に、こんなことが書かれていました。

一連の反応を唐突でびっくりなさったら、お許しください。
普段は思い込みにならないよう自重していますが、「みんなの佐藤さん」ですから、お元気でいていただきたい願いは強く、勇み足も辞さない気持ちになりました。

ありがたいことです。
しかし、最近、だんだん「みんなの佐藤さん」というような表現を使う人が出てきました。
なんだかうれしいようなさびしいような、恥ずかしいような後ろめたいような、複雑な気持ちにさせられる、「不思議な言葉」です。
それに「節子のおさむ」が「みんなの佐藤さん」になるのも、節子に申し訳ない気持ちもします。
しかし、節子はたぶん納得するでしょう。
節子は、そういう私が好きだったからです。

その手紙には、もっと大きな褒め言葉も書いてありました。
私信なのであんまり書くのは躊躇しますが、その中の市分だけ、引用します。

サロンを居場所にしておられる多くの方々のために、どうかもっとご自分を大切になさってください。佐藤さんに何かあれば、どれだけの人が悲しみ、不安になるでしょうか?

自分を大切にするということは、とても難しいことです。
それはともかく、この文章を読んで気が付いたのですが、誰かに感謝されている人に何かがあれば、感謝してくれている人を悲しませることになります。
節子が、私を悲しませたように、です。
つまり、喜びや幸せは、悲しみや不幸の表面なのです。
ということは、それらは同じものともいえるでしょう。

人はいつまでも生きていられません。
生きていることが誰かに安心を与えるとしたら、それは未来の不安につながっている。

たぶんこういうことです。
不安も安心も、喜びも悲しみも、みんな含めて「生きること」。
そして、人生は「自分だけのもの」ではなく、「みんなのもの」。

さて、今日もまた「みんなの人生」を生きようと思います。
少し元気になって来たようです。
はい。

■3807:高血圧を心配した電話がありました(2018年4月10日)
節子
有機農業の霜里農場の金子友子さんから電話がかかってきました。
成田空港で、これからご夫妻でスペインに出発だそうです。
彼女は、私の高血圧のことをフェイスブックで知って、心配してくれたのです。
彼女のパートナーも昨年病気をしていますので、今回は一緒に行けるかどうか直前まで決まっていなかったのですが、一緒に行けることそうです。
よかったです。
旅はやはり夫婦で行くのが一番です。

しかし、昨夜、近くの知り合いの方が脳出血で倒れたのだそうです。
その人も血圧などに無関心だったそうだといわれてしまいました。
連れ合いの人が泣いていたよと彼女が言います。
要するにちゃんと血圧対策をしろというわけです。
酢タマネギの話も聞かされました。
有機農業の野菜は美味しいから、帰国したらいろいろと送るからと言ってくれましたが、まあありがたいことです。

先日彼女にサロンをしてもらった時に、コンビニなどのおにぎりなどを食べているとおかしくなるよという話が出ていました。
時々食べてしまう私としては、肩身が狭くて、会話に入れなかったのですが、コンビニのおにぎりどころではなく、時にはいかにも身体に悪そうなジャンクなお菓子まで食べてしまいます。
彼女に知られたら、叱られそうなので、黙っていましたが。

しかしまあこの年齢になると食べ物を気にしていたら、面倒でいけません。
今日も、娘から電話で茨城産のタケノコがあるけれど買っていこうかと電話がありました。
放射線汚染を気にしてくれているのですが、放射線汚染に関しては、方針を切り替えて、そこからは逃げないことにしたので、昨年から何でも食べることにしました。
タケノコは私の大好物なのですが、しばらくは西日本産しか食べていなかったのですが、良く考えたらそれはフェアではないと思い直したのです。
まあ、あんまり論理的ではないのですが。

フライト直前に電話してきてくれたことに感謝しなければいけません。
今日もあんまり調子が良くないので、降圧剤を飲んでしまいました。
歯茎に出ていた副作用はだいぶ解消しましたが、まだ違和感が残っています。
こちら立てればあちらが立たず。
身心は実に微妙なバランスの上にあるようです。

■3808:水素療法(2018年4月10日)
節子
私の高血圧のことを心配してくれる人の話をもうひとつ。
こちらは「水素健康法」です。
友人が4冊の本を持ってきてくれたのですが、押しつけになると悪いと思ったのか、おずおずと1冊だけ私に渡して、もし気が向いたら読んでくださいと言ってくれました。
健康法は、人によってかなり効果は違いますので、人に勧めるのは勇気のいることです。
節子の病気がわかった時には、いろんな人がいろんなことを教えてくれて、私も節子もパニックになりかけたほどです。
みんな親切で教えてくれるのですが、当事者は藁をもつかむ思いが強いので、どうしてもそうしたことに振り回されがちです。
もちろん教えてもらうことはうれしいことですし、知らないよりも知っていたほうがいいに決まっています。
しかし、その渦中にいると判断力がおかしくなる。
特に私のように、基本的には何でもまずは信ずるような人は、そういう場合にはさらに冷静な判断ができなくなるのです。
困ったものですが。

それでも4年も渦中にあるといろんなことがわかってきます。
その頃、なんとかしてそういう俗説一覧表のようなものがつくれないかと思っていましたが、
節子を見送った後は、その気力が消え失せてしまいました。

友人が、わざわざ本を持ってきてくれたときは、別の集まりだったこともあり、1冊だけを受け取りました。
それを読んでいる時にハッと気づきました。
せっかく持ってきてくれたのに、受け取らずにいたことへの反省です。
それで他の3冊も読みたいと伝えたら、わざわざまた届けてくれました。
こうして思いはいつも裏目に出てしまうわけですが、4冊を読了しました。
水素療法はとてもいいものだと確信しました。
しかし、そこで思ったのは自分がやってみようということではなく、節子の時にこれを知っていたらよかったのにという思いです。

人は他者の健康には気を配れますが、自分のことになるとどうも気を配る気が起きません。
これって私だけのことでしょうか。

でもまあ一度、水素水とやらを飲んでみようと思っています。
どこで売っているのかよくわからないまま、まだ挑戦はしていないのですが。

■3809:何かをする日課と何かをしない日課(2018年4月11日)
節子
昨日の朝日新聞の天声人語にこんな紹介がありました。

欠かさず水か果物を摂(と)る。夕食前には必ず15分間走る。そんな健康的な習慣を身につけるには何日を要するか。10年ほど前、英国の心理学者たちが実験で得た答えは66日だった

日課として定着できるまでには66日が必要だというわけです。
いまの私にはかなり長い時間です。
この挽歌を毎朝書くのが日課になっていたの頃の私には、たぶん66日はあまり長い時間ではなかったのでしょう。
時間の感覚は、その時の状況でまったくと言っていいほど違うものになります。

そんなわけで、最近はあんまり新しい日課はできません。
この数日は、血圧対策の脚の運動や朝食に酢タマネギを食べることがつづいていますが、まだ数日でしかありません。
はたして66日、継続できるかどうか。

日課をつくるのは難しいですが、日課が壊れるためにはそんな日数はいりません。
私の感覚では3日もあれば十分です。
挽歌を3日書かないでいると、このまま書くのをやめようかと自然と思えてしまいます。
私の怠惰のせいかもしれませんが、3日つづけると、このままずっとそうしてもいいかななどとつい思い出してしまいます。

そこでこう考えられます。
なにかをしないことも「日課」だと考えれば、日課づくりには66日もいらないということになる。
何かをする日課と何かをしない日課。
何かをしないということの捉え方を、何かをすることというように変えれば、日課を定着させるのは簡単なことかもしれません。

いささかややこしい話ですが、この問題を少し考えてみようと思います。
最近、身体的な時間はあまりないのですが、脳活動的には暇なので、こうした難問を解くにはいい環境にあるものですから。
まあ、節子には、またかと笑われそうですが。

■3810:「ミッション:8ミニッツ」をまた観てしまいました(2018年4月11日)
節子
人はそれぞれに違う世界を生きているのかもしれないと思うことが時々あります。

SF小説の世界には、パラレルワールドという考え方があります。
複数の世界(時空)が並行して存在するという考えです。
此岸と彼岸もまた、そうした考えでも理解できますが、パラレルワールドは私たちのこの世界と同一の次元を持つところに違いがあります。
この考えは、SFの世界だけではなく、理論物理学の世界でも語られているようです。
タイムトラベルともつながる考えですが、時空間の捉え方を柔軟にすれば、さほど不可解な話ではありません。
言うまでもなく、私は否定するほどの知識がないので、否定はしていません。

冒頭に、「人はそれぞれに違う世界を生きている」と書いたのは、これほど大仰な話ではありません。
同じこの世界を生きているにもかかわらず、その世界や風景は大きく違っているのだろうという意味で書いたのです。
しかし、よくよく考えれば、それとパラレルワールドとはつながっているかもしれません。
いや同じかもしれないとさえ思えます。

親子でも、世界が違うなと思うことがあります。
これも当然のことで、人はある意味ではそれぞれが完結した世界を構成しているのかもしれません。
一即一切とかホロニックな世界観とか、あるいは「大きな生命」とか、いろいろな考え方はありますが、そこで語られる「全」が一つしかないというわけではありません。
そこがややこしいわけですが、一即一切の「一は固定しているわけではありません。
常に動いているのですから、パラレルワールドとは矛盾しません。

ちょっと古い映画ですが、「ミッション:8ミニッツ」というのがありました。
今日、その古い映画をまた観てしまいました。
前にも観たことはあるのですが、なぜか今日また、無性に観たくなってしまいました。
昨夜の夢のせいかもしれません。

この映画は、パラレルワールドの2つのワールドのつながりが見える話になっているのですが、そこでは過去も未来も変えられるのです。
時間と空間は同じものでしょうから、これは2つのパラレルワールドを往来するという話です。
この映画では、主人公は彼岸に死んだはずの人とともに行くのです。
そこには新しい世界が、同じキャスティングで展開されています。

人はそれぞれに違う世界を生きているのであれば、主軸を移すだけで、もしかしたらパラレルワールドを往来できるのかもしれない、とも思います。
どうしたら主軸を変えられるか。
それが知りたいです。

■3811:少しずつ花が戻ってきました(2018年4月12日)
節子
昨日は強い南風で、わが家の庭も大変でした。
わが家は南風の通り道になっていますので、家が揺れるほどに強風が当たってきます。
時に不安になることもあります。
幸いに、大きな被害はなかったですが、花木は大変だったでしょう。

そういえば、強風で壊された藤棚の藤も今年はわずかながら花を咲かせそうです。
しかしまだ体制ができていなかったノウゼンカズラは、また折れてしまいました。
でも花は咲くでしょう。
縁側の舌からなぜかチューリップが4本出てきて、花を咲かせました。
薄いピンクです。
本来のところにあるチューリップは、モグラに食べられたのか、全滅ですが、思わぬところに花が咲きました。
荒れてはいるものの、こうやって花がまた戻ってきつつあります。
近いうちに手入れをしようと思います。

いまの庭を見て、おそらく節子は嘆いていることでしょう。
節子が集めていた山野草はほぼ全滅しましたし、バラも半減しました。
私はどちらかといえば、あまり手入れをしないままの荒れた感じの庭が好きですが、まあここまで荒れると手入れをしたくなります。

一番荒れているのは池です。
荒れていると思いもかけない生き物が見つかるのではないかという気がするのですが、まあそんなことはありません。
池の掃除をすると、何も生き物がいなくてがっかりします。
今年はまだしていませんが、僅かにメダカが残ったくらいでしょう。
毎年期待しているカニには今年も会えないでしょう。

自然と付き合うのはやはり大変です。
心を込めて付き合わないと自然は応えてくれません。
節子はそれをよく知っていたのでしょう。
しかし、それは自然に限ったことではありません。
人間もそうです。
きちんと付き合わないと人もまた応えてくれません。
自然と付き合うと、そういう当然のことにも気づかされます。

最近の生き方が、いささか誠実さを欠いていることに気づかされるのですが、なかなかそれを正せずにいます。
すべてを節子のせいにするつもりはありませんが、やはりそれが一番の理由でしょう。
生きることへの意欲が、どうもまだ出てきません。
困ったものですが。

■3812:不安な1日(2018年4月12日)
節子
大変でした。
湯島に来る電車の中でおかしくなってしまいました。
本を読んでいたのですが、何やら奇妙な違和感と視野がおかしくなってきました。
幸いに座っていたので、読書を止めて目をつぶって様子をみました。
しかし回復しません。
貧血なような気もしますし、めまいも感じます。
ちょっと不安ではありましたが、なんとか湯島までたどり着きました。
ホームで少し休んでいましたが、治りそうもありません。

とりあえずオフィスまで行こうと決心し、いささか危うい足取りで駅を出ました。
どうも視界がはっきりしません。
いつもは一気にのぼれる58段の階段も踊り場で休むほどでしたが、何とかオフィスに到着。
お茶を飲んで休みました。
しかし治りません。

1時間ほど、横になっていたのですが、どうもすっきりしない。
視野の異常は回復しましたが、どこかに違和感が残っています。
今日はめずらしく昼食を持参したので、それを食べて、横になっていたら、何とか通常に戻りました。
幸い今日は日中には来客がなく、あるプロジェクトを企画する予定だったのですが、それどころではありません。
何もせずに、ぼーっとしたりパソコンをやったりしていました。

やはり血圧のせいでしょうか。
酢タマネギも呼吸法も、まだ効果を発揮してくれていないようです。
困ったものです。

湯島で一人だと、こういう時に不安です。
一応、娘に連絡し、時々、電話してもらうようにしていました。
夕方になって何とか正常化。

そういえば先週もサロンの時にダウンしました。
今夜もサロンです。
何事もないといいのですが。
私の知らない人が4人も参加するそうですが、そのおひとりは顔を見たらすぐにその人の健康状況がわかるそうです。
さて見抜かれないように、元気を装うことができるでしょうか。

しかし半日何もせずにオフィスで外を見ていたのは久しぶりです。
まあ時々メールに対応はしていましたが。

気持ちのいい気候になりました。
もう大丈夫でしょう。

■3813:中西さんの講座が終わるようです(2018年4月12日)
節子
まだ来客が来なくて、やることがないので、挽歌をもう一つ書きます。
パオスの中西さんから手紙が来ました。
中西さんとの出会いもまた、私が生き方を変える一つの契機でした。
その中西さんが10年近く前に立ち上げたSTRAMDというビジネススクールの講座を修了するという連絡です。
8年続きましたが、私も毎年、1回だけ講義をさせてもらっていました。
他の講義とは真反対だと言われる内容の講義でしたが、中西さんは私の講座を支持してくれていました。
真反対という意味は、私のメッセージは、「企業の社会性」の視点で、現在の企業経営への批判眼を身につけてほしいというものだったのです。
私の意識では、真反対どころか、全く同じ方向のメッセージなのですが、今の風潮ではどうも真反対と受け止める人もいるわけです。
しかし、そうした視点もまた、中西さんとの交流で育ててきたものでもあります。

それはともかく、中西さんのSTRAMD講座が終わるのはさびしい気がします。
中西さんと一緒に、東レのCIプロジェクトに取り組んでいた時が、私が一番燃焼していた時かもしれません。
最終電車に乗り損ねて、タクシーで帰宅したことも少なくありませんでしたし、会社では社長や副社長や専務から、辞表を書けと言われていました。
実にたくさんのエピソードがあり、ドラマチックな時期でした。
だからいろんな思い出があるわけです。

ここまで書いたら、最初のお客様がありました。
続きはまた明日。

■3814:2輪のシャクヤク(2018年4月14日)
節子
朝、庭に出たら、シャクヤクが見事に咲いていました。
2輪そろって咲いたのは久しぶりではないかと思います。

この花は、節子が闘病中に、家族みんなで出かけた大洗の帰りに、美野里町の花木センターで節子が購入したものです。
節子がいなくなってからしばらくあまり咲かなかったような気がします。
花木センターからは、他にもいろいろと買ってきたはずですが、それ以外の記憶は全くありません。
困ったものですが。

節子といろんなところに行って、いろんな花を買ってきた記憶はありますが、それがどの花だったかもあまり記憶がありません。
いま藤棚に大きく育った藤も、最初はどこかから買ってきた鉢植えの藤だったようです。
説明が気を付けてくれていないので、私の記憶からはほとんど抜けていますが、まあいずれにしろ、今年のシャクヤクはきれいです。
早速、鉢のまま、節子に供えることにしました。
これを皮切りに、少しはまた手入れに精出しましょう。

今日はしかし、寒い日になってしまいました。
なかなか春が定着しません。
私の精神のようです。

■3815:祈りを上げる人がいることの幸せ(2018年4月17日)
節子
先日、湯島で「神さまのいる暮らし」をテーマにしたサロンをやりました。
なんと17人という集まりのいいサロンになったのですが、そこでまたかんがえさせられることがありました。
生きるのがつらくて、神様に頼もうと思って、教会やお寺に行くのだが、そこで神様に会えない。どうしたら会えるのか、と悩める人が投げかけたのです。
いろんなやりとりがあったのですが、その時、私は改めて実感しました。
神さまは、自らの内にいるのだから会えるはずはない、と。
私たちは、まさに神さまと共にあるのです。
その神さまが一神教の神であろうと、多神教の神であろうと関係ありません。
そんな区別は、教団や宗教産業界の人の発想です。
生きるものにとっては、些末な違いでしかない。
そのことにはっきりと気づいたのです。

その人が、生きやすくなるのは簡単なことです。
いまの暮らしを、素直に受け入れればいいだけです。
でも人はみな強欲ですから(欲を植え付けられている)、救いを求めたくなる。
そうではなく、祈ればいいのです。
誰かのために、です。
誰かのために役に立つことを考える。
人とは本来そういう存在なのです。
そのことにサロンでのみなさんのやり取りを聞いていて、気が付いたのです。

私は毎朝、祈りを上げます。
それこそが私を支えているのです。
祈りを上げる人がいることの幸せが、また少しわかった気がします。

■3816:庭に植える花を買いに行きました(2018年4月17日)
節子
庭の花がいささかさびしいので、娘と一緒に花を買いに行きました。
何の花がいいか2人で花選びをしましたが、どの花を見ても、以前は庭に咲いていたなというようなのが多かったです。
なにしろ節子がいた頃は、花屋さんで購入する花も多かったですが、その花を根気よく増やしていましたから、いろんな花で庭はにぎわっていました。
バラだけでも20種類以上はあったでしょうか。
いまはたぶん10種類くらいに減っているかともいます。
そういえば、最近はこの花は見ないなと話しながら、花を選びましたが、購入した花の数も節子の頃とは比較にならないくらい激減です。
購入したら手入れしなければいけないので、自信がないのです。
困ったものですが。

できれば一年草ではなく、多年草や球根が楽ですので、最近はそういうものが増えています。
そういえば、昨年植えたカサブランカが元気に芽吹いてきています。
今年もきっと咲いてくれるでしょう。
地植えのユリは、モグラに食べられてしまいほぼなくなってしまいましたが、植木鉢のほうがよさそうです。

花木も冬もきちんと水をやっておかないと枯れてしまいます。
節子がいた頃は元気だったハイビスカスやランも、少なくなってしまいましたし、それ以上にみんな元気がなくなって小さくなってしまいました。
生き物と付き合うのは、やはり気を抜いてはいけません。
私のような、移り気な性格だと難しいです。

今日は庭作業のために充てていたのですが、寒いうえに雨まで降りだしたので、買うだけで終わってしまいました。
節子の位牌の前には、立派なシャクヤクを供えました。
何回見ても立派です。
節子も喜んでいるでしょう。

めちゃくちゃになってしまった藤も小さいですが花が咲きだしました。
少しずつ庭も回復しそうです。

■3817:「神即自然」(2018年4月19日)
節子
先日、湯島で「神さまのいる暮らし」をテーマにサロンをしたことは書きましたが、そこで改めて気づいたのは、神さまは「我と共にある」ということです。
そこで思い出したのが、スピノザです。

私の、かなりいい加減な理解では、スピノザもまた、神さまは、宇宙あるいは自然そのものえあり、その神さまがいろんな仕方で「変状」して、さまざまなものが現れると言っています。
「変状」とは性質や形態を帯びるという意味ですが、この世(もしかしたら「あの世」も)にあるすべてのものは、変状した神さまというわけで、「神即自然(神すなわち自然)」というのです。
あらゆる物は神の一部であり、また神の内にある、というわけです。
この考えによれば、私も節子もまた、神の一つの変状したものでしかありません。

朝、目覚めると、時折、節子の気配を感じます。
夢の中で、節子の気配を感ずることもあります。
普段は、さまざまな喧騒と刺激のおかげで、あまり気配を感ずることはありませんが、誰かと話していたり、歩いていたりする時に、一瞬、節子の気配を感ずることがあります。
いや、節子だけではなく、他の人の気配を感ずることもある。
それは、私もまた神の一部であるからでしょう。
どこかで、他の様態に変状した、節子や他者と重なるのでしょう。

こうした考えを持つと、少しだけですが、元気になります。
スピノザを読み直したくなりました。

■3818:「フォースは我と共にあり、我はフォースと共にある」(2018年4月19日)
節子
先ほどの挽歌で、「神は我と共にある」というようなことを書きました。
どこかで聞いたような言葉だなと思っていましたが、思い出しました。
映画「スターウォーズ」に出てきます。
「フォースは我と共にあり、我はフォースと共にある」。
2年前に封切られた「ローグ・ワン/スターウォーズ・ストーリー」で、主役の一人の盲目の戦士が口にするセリフです。
それまでのスターウォーズでも、「フォースと共にあらんことを」というセリフは出てきていますが、この言葉は意味合いがかなり違います。
共にあることを確信しているのです。

この映画では、フォースと共にある主人公たちは、すべて人類を救うための使命を果たした後、自らの生命を失います。
しかし、それは瑣末な事かもしれません。
神と共にあるいのちであれば、それは「様態」を「変状」するだけのことですから。
死は恐れるに足りません。
恐れるべきは、フォースの外に出てしまうこと。
つまり、神の外に出てしまうこと。
フォースは、現世を超えているわけです。

とまあ、またわけのわからないことを書いてしまいましたが、最近は「大きないのち」とのつながりを実感できるようになってきました。
その分、もしかしたら現世への執着も薄れてきているのかもしれません。

今日はいい天気です。
青空の向こうに、彼岸を感じられます。

■3819:節子がいたら、一緒に取り組めたかもしれない(2018年4月20日)
節子
昨日、地元で発達障害と診断された人と会いました。
彼女の子どももまた、同じなのだそうです。
それで、彼女は地元でも、そういう人たちが集まれるカフェをつくりたいと思っているのです。
カフェだけではありません。
そういう人も、そうでない人も一緒になって、気持ちよく支え合いながら暮らせるシェアハウスやコミュニティも、実現できればと、想いは広がっています。
話していると、次々に思いが飛び出してきます。

思い立ったら行動する人なので、先日、紹介した発達障害の人たちの拠りどころの一つになっている高田馬場にネッコカフェを紹介したら、早速そこに出かけました。
そして、我孫子にもああいう場所がつくれないかと考えたようです。
何かに出合うとすぐにそれに取り組みたくなる。
私も同じ傾向がありますから、たぶん私もいわゆる「発達障害」なのでしょう。
たしかに、私自身、いささか「変わり者」であることは、いまから考えればうなずけます。
しかし、私の頃はまだ「発達障害」という言葉はありませんでした。
その言葉や概念が出てきて救われた人は多いようですが、その言葉で人生を変えた人もいます。
私のまわりには、いずれ側の人たちがいますが、新しい概念や言葉が出てきて、世界が広がることは人によって真逆な効果をもたらします。
それに、その広がり方によっては、逆に結果的には世界を狭めることにもなりかねませんので、注意しなければいけません。

私には、ほとんど「自覚」がありませんでしたが、節子はたぶん私の「おかしさ」を感じていたかもしれません。
しかし、たぶん節子もまた、私と一緒になって、おかしな生き方になじんでしまっていた気配はあります。
夫婦は、いつの間にか「似たもの」になることは少なくありません。

彼女と話していて、もし節子がいたら、一緒に取り組めたかもしれない、ふと思いました。
最近、そう思うことが多くなってきました。

■3820:縁側の暮らしはなくなりました(2018年4月20日)
節子
前の挽歌を書いていて、また書きたくなったことがあります。
地元の知人と会っていたのは、我孫子駅前の喫茶店です。
時々、そこで誰かと会う場所にしているのですが、不思議なことに、いつも誰か知り合いに出合います。
まあ我孫子のような小さな町ではそういうことはよく起こるのかもしれません。
レストランで、知り合いの家族や仲間に会うこともあります。
節子がいたら、そういう頻度はもっと多くなっていたでしょうが、節子がいなくなってからも、時々、そういう体験をします。
ちなみに私自身は、独りでは地元の喫茶店やレストランには行きません。
若いころは、よく独りで喫茶店に入りましたが、いまはそういうことは皆無です。

ところで、昨日も知人と会って話していたら、そこに知り合いの人が入ってきました。
挨拶をしただけですが、その人は独りでコーヒーを飲んでいました。
喫茶店で会う知人は、ほとんどが私と同世代の人ですが、不思議なことにいつも独りです。
今日、会った人は私よりも少し若いですが、独り住まいの女性です。
その前に会った人は、私とほぼ同世代の男性です。
いずれの場合も、独りでコーヒーを飲みながら、本を読んだりたばこを吸ったりしています。
今の私には考えられないことです。

わが家には縁側があります。
それともうひとつ、昔は庭にデッキをつくっていましたから、そこでもお茶が飲めました。
いつかはそこで、のんびりと節子と一緒にお茶など飲みながら時間を過ごすというイメージを持っていました。
しかし、それは実現しませんでした。
庭のデッキは、取り壊しました。
和室にある縁側も生活とは縁のない空間になっています。
その空間は、老後の夫婦の空間というイメージだったからです。
そのイメージが実現することはありませんでした。
縁側での時間は、私の人生からは消えてしまいました。
節子がいない今は、縁側でのんびりとすることは想像さえできません。

だからとって、喫茶店に独りで行ってお茶をするということも、私にはないでしょう。
私は、めったの駅前の喫茶店には行きませんが、ほぼいつも、誰かに会います。
独りでコーヒーを飲みに来る高齢の知人です。
そういう人たちのたまり場ができれば、そういう人たちはやってくるでしょうか。
あるいは、やはり独りでお茶をするのがいいのでしょうか。
独りでお茶をするのなら、自宅ですればいいのに、なぜ喫茶店に来るのでしょうか。
そこで知り合いに会って、話をするのでしょうか。
しかし、私の場合はいつも相手がいるからかもしれませんが、目が合って挨拶はするものの、話しかけられることはありません。
話しかけてくれたら、仲間に入ってもらうのですが、そういうことは起きたことがありません。

人との距離感は微妙です。
独りでお茶をするのでもなく、誰かとお茶をするのでもなく、そんなお茶の時間を喫茶店で楽しんでいるのかもしれません。
縁側の時間がなくなった私にも、いつかそういう気持ちになることがあるでしょうか。
それはわかりませんが、いまはまだ、節子の位牌のある部屋で、独りでコーヒーを飲むことを選んでいます。

今朝は大きなマグカップで、コーヒーを飲みました。
これから今日は何杯のコーヒを飲むでしょうか。

■3821:気持ちのいい朝です(2018年4月21日)
節子
相変わらず休日は朝早く目覚めます。
これは学生時代からのことで、なぜか休日は早く目が覚めるのです。
私が一番自由にできるのが、学校や会社から自由になる休日だからだろうと思います。
会社勤務時代もそうでしたが、長年の習性が身についてしまったためでしょうか。
結婚したころは、休日くらいはゆっくりと寝坊したいという節子とのずれはありましたが、別に節子に強制するわけではないので、私の早起きは変わりませんでした。

今日はとても気持ちのいい朝です。
朝起きてフェイスブックを開いたら、昨夜、書いた私の粗雑な投稿に、うれしいコメントが書き込まれていました。
それでますます今日は元気が出てきました。

実は今日予定しているサロンへの参加者が少なく、せっかく話をしてもらう人に申し訳ないと思っていたのです。
想定していた人が、なぜかそれぞれに用事ができてしまい、参加できないようです。
それで昨夜は、なんとなく気が重くなっていたのですが、気持ちのいい朝が、その気の重さを吹っ飛ばしてくれました。
でもまあ、まだ心の隅にちょっと重いものがありますが。

いつもはにぎやかな鳥のさえずりがなぜか静かです。
でも間もなく彼らもさえずりだすでしょう。
なにしろとても気持ちのいい朝ですから。

毎日、うれしいことと不快なことが、いろいろと起こります。
なんでこんなに次々と起こるのかと思うことが時々あります。
此岸での暮らしには、平安はないのかもしれません。
しかし、今日はいい1日になるでしょう。

■3822:大変です(2018年4月23日)
節子
数日前、道で近くのNさんに出合いました。
Nさんは毎年、道を歩く人に向けて、たくさんのチューリップを植えていて下さいます。
今年もきれいでしたが、花はもう終わりました。
それで、毎年、球根を掘り出して植え替えているのですか、と当然のことを質問しました。
その話が一段落したら、Nさんから今度はこちらに問いかけがはじまりました。
奥さんがいつもきれいにしていた佐藤さんの家の庭も、もう花でいっぱいでしょう?
そして、最近お伺いしていないので、また伺わせてください、と言われました。
!!!

「所さん、大変です!」というテレビ番組がありますが、これは大変です。
なぜなら、わが家の庭はとんでもない状況になっているからです。
例年なら、今ごろは藤が見事に咲いていますが、一昨年の台風で藤棚そのものがめちゃくちゃになり、藤も途中から折れてしまいました。
今年はようやく小さな花を少しだけ咲かせただけです。
それ以外の花木も、またこの冬の乾燥期に手入れ不足で、かなりの壊滅状況です。
娘たちが植えてくれた花は咲きだしていますが、さびしい限りです。
ハイビスカスは、ほぼ全滅に近く、咲いているのは1鉢だけ。
枯草で覆われた植木鉢が、ところ狭しと並んでいます。
こんなところに来てもらったら、Nさんも言葉を失うでしょう。

なんとかしなければいけません。
それで昨日は天気がよかったので少し片付けましたが、手ごたえはありません。
やはり毎日誠実に手入れをしなければ、花木は元気になりません。
そういえば、先日買ってきたメダカがまた全滅しました。
節子がいなくなってから、わが家には「生命」がなかなか育たない。
なぜでしょうか。

最近の救いは、節子がいなくなってから花を咲かせなくなっていた室内のスパティフラムが、今年は花を咲かせだしたことです。
Nさんに来られてもいいようになるまでには、まだだいぶ時間がかかりそうですが、がんばらなくてはいけません。

■3823:人にあるのは、「いつか」ではなく、「いま」だけ(2018年4月23日)
節子
ある本を読もうと思って、書庫を少し探していたら、デュルケムの「社会分業論」が出てきました。
最近、読みたくなったのですが、高価なので図書館で借りようと思っていたのです。
それが自宅の書庫の中に埋もれていました。
しかも読んだ気配がありません。
買った記憶さえないのです。
価格を見たら7500円でした。
30年ほど前に購入したようです。

会社時代もそうですが、会社を辞めてから10年ほどは、私が使うお金は、仕事のための費用以外は、書籍代だけでした。
会社時代は、毎年数百冊の本は読んでいましたし、これはと思う本は、読まなくても購入していました。
近くの本屋さんが毎週のように届けてくれていた頃もありました。
お酒も飲まず、お金をほとんど使わないので、節子も書籍代だけはいくら使っても(どんなに多くても月に10万円を超えることなどありませんし)何も言いませんでした。
ちなみに、私は会社時代も自分で仕事をやるようになっても、自分の財布はありませんでした。
収入はすべて節子に行き、支払いもすべて節子でした。
だから今も、お金を使うという感覚がよわく、時々、食事をして支払わずにお店を出ようとすることさえあるのです。
困ったものです。

最近は、友人と食事に行くと、多くの場合、友人が食事代を出してくれるので、いまもあんまりお金を使わないのです。
ある友人が「ただ飯は食べてはいけない」と言っていましたが、それに共感しながらも、せっかくご馳走してくれるというのに、断るのも失礼だと勝手に解釈しています。
ご馳走されて喜ぶ人もいるし、ご馳走して喜ぶ人がいる。
私は、できることなら、ご馳走する側に回りたいのですが、なかなかそうはならないのです。
これもまあ、いまはそういう時期だと思っているのです。

書こうと思っていたことではないことを書いてしまいました。
デュルケムの「社会分業論」の話でした。
この本に限らず、書庫を探したら、読み忘れている本がいろいろと出てきそうです。
いつか読もうと思って購入していた講座シリーズもいろいろとあります。
しかし、「いつか」と思っている「いつか」は、結局来ないものなのだということを、節子との別れで私は知りました。

人にあるのは、「いつか」ではなく、「いま」しかないのです。
もっと「いま」を大事にしなければいけません。

■3824:過去の呪縛(2018年4月24日)
節子
昨日は、書きだしたらまったく違う内容のことを書いてしまいました。
まあ、それがこの挽歌のスタイルではあるのです。
節子に、話しかけるうちに、まったく違うことを話している。
以前よくあった風景です。
話し合いの内容に、よりも、話していること自体に、意味がある。
話し合っている間は、こころがつながっている。
伴侶とは、そんな関係かもしれません。

同窓会での話し合いもそうかもしれません。
私は、どうそうかいなどの「過去の思い出」が話題になるような場はとても苦手です。
ですからあまり同窓会には参加しません。
その私が、湯島で小学校の同窓会のサロンを定期的に開くことにした。
変わってきました。
会社時代の同窓会の案内もありました。
ほとんど参加したことはありませんが、今年はいまのところ、まだその日があいているので、参加しようかと思い出しています。
大学時代の同窓会にも、最近は行ったことがありません。
行けばいろんな面白い出会いもあるのでしょうが。

また最初に思っていたことと全く違うことを書いています。
そもそも最初に何か書こうと思っていたことはあったのだろうか。
あるようでないのが、この挽歌を書きだす時の出発点なのです。
実は昨日は、書庫を探していて、節子との思い出のものなども出てきたので、それを書こうと思ったのです。
書庫は、節子のいた頃と大きくは変わっていません。
一度、書籍を廃棄したことがありますが、その直後にその廃棄した書籍が話題になったのです。
残念ながら1冊は絶版でネットでも見つからず、もう1冊は私家本だったので、再入手不能でした。
それ以来、書籍を廃棄することができなくなっています。
ですから今でも書庫は大混雑です。
そしてそこに入ると、いろんな過去の思いが浮かんでくる。
まあ一種のタイムマシーン的空間なのです。
そういう空間が、他にもあります。
どうしてもそこを壊せない。

過去を嫌いと言いながら、その過去に呪縛されているのかもしれません。
そこから抜け出ないと彼岸にも行けないでしょう。
困ったものです。

■3825:畑作業の再開(2018年4月27日)
節子
今年初めての畑でした。
昨年放置していたため、3年間の努力の成果は消えてしまい、畑一面が笹で覆われていました。
とりあえず、畳1畳程度の畑を開墾しましたが、1時間半かけて、笹を刈りました。
しかし、見た感じはさほど変わっていません。
自然の生命力のすごさには圧倒されます。

畑と言っても、両側は民家の空き地でしかありません。
笹のままだと近所にも迷惑ですから、どうにかしなければいけませんが、昨年は家が建ちそうな話があったので、放置していたのですが、しばらくは家は建たないようなので、今年からまた畑を復活です。
しかし、独りでやるのはかなりの今生が必要です。

とりあえずは、一昨日、もらったカボチャを植える予定です。
他にも花壇を復活させようと思います。
2年かけて、だいぶ花畑らしくなってきていたのですが、また昔に戻ってしまいました。
それにしても笹の勢いはすごいです。

2年間やっていなかったため、農具もほぼ全滅です。
明日は、農具や資材を買いに行こうかと思います。
この連休はほとんど用事を創っていないので、農作業に専念です。
これで高血圧は解消するでしょうか。

しかし、今日は久しぶりだったせいか、疲れ切りました。
夕方もう一度行こうかとも思ったのですが、その元気が出てきませんでした。
明日は回復しているといいのですが。

■3826:小学校時代の同窓生サロン(2018年4月27日)
節子
挽歌を書きませんでした、一昨日、小学校時代の同窓生の集まりを湯島でやりました。
隔月で定期的に集まりをやることにしたのです。
まあ集まりたい人だけでの小さなサロンですが。

私の高血圧を心配して、霜里農場の金子さんが酢タマネギをつくって来てくれたり、永作さん(節子は会ったことはありませんが)がセロリをはじめとしたいろんな野菜の苗を持ってきてくれたのです。
それで畑をやる決断ができたのですが、みんな本当にいろいろと心配してくれます。
幼なじみはありがたいものです。

一昨日の集まりでは、最後あたりにはいろんな話がぽつぽつと出始めます。
みんなそれぞれに「心配事」をかかえているのです。
それも、誰かに相談するのが結構難しい話が多いのです。
でも利害関係がまったくない、幼なじみであれば、お互いに素直に話せるし、素直に反省できることがわかってきました。

そんなこともあって、隔月に集まることにしました。
時には昔話も出ますが、昔話よりもいまの話が多いのです。
昨日集まったメンバーのうち、半分は伴侶を失ったり、いなかったりで、ひとりです。
もちろん私もですが、独りで生きていると、それなりに気楽に相談する相手がいないので、まあそういう話が気楽に出し合える場があるのは意味がありそうです。

節子がいたら、私もそういう気分がわからないままだったかもしれません。
一昨日の集まりは、なんと気が付いたら6時間も経っていました。
遠い人は2時間もかけてやってきます。
しかし、みんな元気です。
うれしいことです。

■3827:鳥がしずかです(2018年4月28日)
節子
大型連休が始まりました。
今年は(最近は毎年そうですが)、何の予定も入れていません。
畑作業が唯一考えていることです。
連休どころか、連働の1週間になりそうです。
できれば今年は少しだけ人生を整理しようかと思っていますが、最近の気力の度合いから考えるとそれもどうなるかわかりません。

今日もとてもいい朝です。
久し振りに昨日、かなりの作業をしたせいか、熟睡できましたが、すっきりはしません。
どこかに身体的にも精神的にもすっきりしないところがあり、さわやかな朝とは言い難いです。
朝食を済ませたら、畑に行こうと思っていますが、血圧がちょっと高めです。
困ったものです。

最近ちょっと気になることがあります。
朝の鳥のさえずりがしないのです。
以前はもっと賑やかだった気がしますが、今年はなぜか静かです。
気のせいかもしれませんが、レーチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出します。

節子は、時々、花や鳥になってやって来ると言い残しました。
庭から花が消え、鳥のさえずりがしなくなった。
いささか考えすぎでしょう。

しかし生命を感じないわけではありません。
昨日は、アゲハチョウに会いました。
例年より早い気がします。
かなり大きなトカゲにも会いました。
畑ではテントウムシにも会いました。

花も少しずつですが、いろいろと咲きだしました。
なぜか今は紫色の花がたくさん咲いています。
華やかさがあまりなく、なんとなく紫の世界が広がっている。
まあこういうのも、気になる時になるものです。

静かな朝です。
節子が元気だった頃の、連休がなつかしいです。

■3828:夫婦はワンセット(2018年4月28日)
節子
先日、我孫子で「柳兼子」について調べている人と会いました。
柳兼子は、民藝運動を起こした柳宗悦の伴侶で、声楽家としても有名な人です。
柳宗悦・兼子夫妻は、我孫子市に7年ほど住んでいました。
わが家の近くです。
柳宗悦の叔父にあたる嘉納治五郎(講道館柔道の創始者)の別荘が我孫子にあったのが縁ですが、さらにその縁で、白樺派の文人たち、たとえば志賀直哉や武者小路実篤なども我孫子に移住し、活動していた時期があったのです。

昨日から再開した「畑」は、白樺派の文人たちが散歩した「ハケの道」沿いにあります。
最近は散歩する人は少ないですが、節子はそこを散歩する人のためにも道沿いに花壇をつくったのです。
その花壇は今や笹や野草で覆われています。
一時期、私も頑張って、百日草やチューリップを植えたりして、散歩している人にほめられたこともあります。
しかし、いまは叱られています。
困ったものです。
この連休に少しは花を植えられればと思います。

それはともかく、柳兼子さんの調査をしているのは、我孫子の市議でもあるKさんです。
彼女からは数年前から話を聞いていますが、今度湯島でサロンをやってもらうことにしました。
それも会って、先日、お会いしたのですが、柳兼子へのほれ込みようはますます高まっていました。
そして、柳兼子あっての柳宗悦だと言いました。
伴侶としての妻の存在は、大きいことは言うまでもありません。
しかし、言い方を変えれば、柳宗悦あっての柳兼子でもあるのです。
夫婦とはそういうものでしょうが、お互いのいい面がうまくかみ合えば、シナジーを起こしていくのでしょう。
柳夫妻は、たぶんそうだったのでしょう。

私たちの場合は、残念ながらそれぞれがそれほどの「いい面」を持っていなかったので、シナジーを起こす以前でした。
ですから何も起きませんでしたが、個人生活の視点からは、間違いなく、お互いに「学び合えた」と思いますし、「支え合えた」と思います。
お互いに別の伴侶を得ていたら、人生はかなり変わっていたでしょう。

夫婦はワンセット。
Kさんと話していて、改めてそう思いました。
さて、これからハケの道沿いの畑に農作業に行ってきます。

■3829:時間を持てあます大型連休が始まりました(2018年4月28日)
節子
今日も暑くて、畑作業をやっていたらすっかりダウンしてしまいました。
その上、指を怪我してしまいました。
ユカに電話して薬を持ってきてもらい、ついでに片づけを手伝ってもらいましたが、かなりやっても、あんまり変化がみられません。
大げさですが、開墾作業というのはこんなものだったのでしょう。
日本の農地には厖大な人力による歴史があるのです。

今日はルリタテハ蝶やアゲハチョウ、それにモンシロチョウまで賑やかでした。
土に座っていると、やはりいろんな風景が見えてきます。
しかしあまりの野草でまだほとんど土が見えるまでには至っていないのです。

今日はけがのため、1時間半で切り上げました。
怪我をした指があまりに痛いので、もう一度よく見たら、枝が突き刺さっていました。
ピンセットで抜きだしたら、ほぼ1センチの細い竹が刺さっていました。
気が付いてよかったです。
いまもまだジンジンしていますが。

午後から出かける予定だったのですが、いささか疲れて出るのをやめました。
何しろ今日からいわゆる大型連休。
時間はたっぷりありますし。
節子のいない大型連休は、時間を持てあまします。
困ったものです。

■3830:血圧が久しぶりに正常値です(2018年4月28日)
節子
今日は夕方また畑に行きました。
50坪もあるので、野草を刈っても刈っても土肌が見えてきません。
それでも続けなければ、また元の木阿弥になってしまうのです。
シジフォスの神話のように、ただ黙々と作業するだけです。
しかし、またいつかのようにおかしくなってはいけません。
今回はほどほどに、というところでやめるようにしています。

帰宅後、少し休んで、血圧を測ってみました。
なんと156/86です。
これは私のなかでは、「正常値」。
久しくお目にかかったことのない数値です。
自然とのふれあいは高血圧対策にもなるのでしょうか。

まあいろいろと対策をやっていますので、それらが総合的に効果をあげたのか、たまたまそういう測定値が出たか、それはわかりませんが、まあかなりのハードワークでしたが倒れずに済みました。
夕方、タマネギを2個使って、また酢タマネギをつくりました。
なんだか最近、思ってもいなかった「健康志向」生活になっています。
ちょっともう少し生きないと、いろんな人に迷惑をかけることが明らかになってきてしまったからです。

しかし実はもう一つ、健康に気遣いだした理由があります。
最近、有名人の突然死がよく報道されます。
突然死は、他人事ではありません。
私の場合もいつ起こってもおかしくないでしょう。
しかしできればそれは避けたいと思い出したのです。
生への執着や死への恐れは、私の場合はほぼありません。
此岸よりも彼岸のほうが、私には魅力があります。
それは単に節子がいるかどうかだけの理由ですが、そのおかげで、淡々と生きることができています。
しかし、できれば、自分の死は、自分で意識して迎えたいと、最近思い出しているのです。

いうまでもなく、死は自分では体験できません。
しかし、死を感じながら生きることはできるでしょう。
節子は間違いなくそうでしたし、もしかしたら死の時間を自分で決めたのかもしれません。
私も、死期を知って、それを踏まえて、死の時間を自分で決められればと思い出しています。
だから当然死は避けたいと思い出しています。

非常に遅まきながら、この歳にして、ようやく死を考え出しました。
だから血圧値は、正常化しておこうと思い出しているのです。

■3831:身体が痛いです(2018年4月29日)
節子
2日間の農作業のおかげで、身体全体が痛くて大変です。
腰も痛いし、手足も痛いです。
それに腕のいたるどころが擦傷で、ここはいたいというよりも、今日はかゆいです。
木片が刺さった指は、幸いに腫れないでいます。
今日もいい天気なので、畑に行く予定です。
それに資材をまだ購入しに行っていないので、畑の後は支えや網などを購入しに行こうと思います。

連休のせいか、メールもあまり届いておらず、今朝は「平安」ではあります。
逆に連絡がないと気になる人もいるのですが、私自身、最近、精神的にちょっと弱くなっているので、自分から電話するのは辞めています。
以前は、便りのないのは安心を意味しましたが、最近は反対になりました。

昨日、寝る前に、酢タマネギをつくっておきました。
酢タマネギを食べて、脚と呼吸の体操をして、マグカップいっぱいのコーヒーを飲んで、また畑の作業です。
今日は、ゴーヤとニラを植えようと思います。
世間的な連休生活とはずれていますが、身体作業の楽しさを少しずつまた身につけられればいいのです。

身体は痛いですが、心と頭は、ちょっと平常化してきています。
そろそろまた本も読めそうです。
机の上には、先日、書庫で見つけたデュルケムの「社会分業論」があります。
これを読みだすのはちょっと勇気がいりますが、もしかしたら読みだせるかもしれません。

節子
おだやかな連休です。

■3832:畑作業のおかげで読書する気になりました(2018年4月29日)
節子
今日もまた朝夕2度の畑作業でした。
その間、ユカと外出し、昼食を食べましたが、どこも満員でした。
やはり連休は外食する者ではありません。

外出したのは、畑仕事の資材の購入です。
ネットや支えなどを買いましたが、ついでに花と野菜の種を買いました。
いつもは苗を買うのですが、今年は種から挑戦しようと思います。
また花は、苗を買っていると高いので、節約のために種にしました。
うまくいくかどうか、いささか不安ですが、まあ挑戦です。

道沿いの斜面はようやく土が見えてきました。
一昨年は何種類かの球根を植えたり、マリーゴールドなどの花も植えていましたが、すっかり跡形もなくなりました。
節子がいた頃は、芝桜が斜面の一部を覆っていましたが、節子がなくなった直後、手入れをしないままにしている間に、誰かがすべて抜いて持って行ってしまいました。
そのことを思い出して、今日、芝桜も買ってきました。
しかしこれが広がるには時間がかかりそうです。

肝心の畑は、まだカボチャだけですので、僅かのスペースです。
ここを徐々に広げていこうと思いますが、前途多難です。
連休中、通いづめても、ほんの一部しか畑にはならないでしょう。
それほど荒れてしまっています。

慣れないことを2日間、つづけたので、それ以外のことはできないほど疲労困憊です。
ところが、血圧はだいぶ低いのです。
まあいわゆる血圧ガイドラインでは、高血圧には変わりはないでしょうが、私の基準では正常値の中におさまっています。
なんのことはない、要するに運動不足が高血圧の原因でしょうか。
そうだといいのですが。

身体が疲れると本を読む気が戻ってきました。
読書復活です。

■3833:独り住まいは精神的にはよくない(2018年4月29日)
節子
かなり挽歌を書いていなかった期間が長いので、もう一つ書いておきましょう。
挽歌の番号と節子が逝ってからの日数を合わせておきたいものですから。
いまは60日くらいのずれがあるのです。

今朝、畑にいる時のことです。
携帯電話が鳴りました。
小学校時代の友人からの電話です。
それによると、今朝の6時過ぎに、同じく小学校時代の友人から電話があったそうです。
電話に出るのが遅れたら切れてしまったので、折り返したのですが、相手は電話に出ません。
その電話してきた友人は、数日前から別荘に独りで出かけると聞いていいたので、心配になって、彼の自宅にいる奥さんに電話したそうです。
しかし、その後、いずれからも電話はなく、どうしようかと私に電話が来たのです。
その相手のことも知っている私としては、間違って電話したのではないか、心配することはないよと話しましたが、彼は気になっているようでした。
実は、私に電話してきた彼は独り暮らしです。

実際に、この年齢になると何が起こるかわかりません。
特に独りの時に何かが起こったら、連絡の取りようがないかもしれません。
私も、湯島で数時間独りになった時に、体調がおかしくなって心配になったことが過去2回あります。

まあこの件は、やはり間違って電話したというのが事実だったそうですが、それから少しして、今度はメールが届きました。
これも小学校時代の友人からですが、いま息子さんの件でちょっとしたトラブルを抱えているとのこと、その報告です。
私に報告してもらっても何もできないのですが、内容がちょっと気になったので、ちょっと長いコメントをメールしました。
役に立ったかどうかは不明ですが、いずれにしろみんなちょっとしたことを気楽に相談する人が必要なのです。
ちなみにメールをくれた友人は、夫を数年前に見送り、いまは独り住まいです。

独り住まいは、精神的にはよくないのかもしれません。
私は幸いに娘と同居しています。
娘は結婚していないので、それが悩みのたねですが、しかし娘のおかげで、節子ほどではないですが、気楽に相談することができます。
私の相談事は、いつもいささか常識はずれなので、娘は辟易していますが。
もちろんこういう場合の相談は、別に答が欲しいわけではないのです。
ただなんとなく訊いてみる、あるいは話してみる。
それで自分の考えがまとまり、安心できるだけの話です。
人は「話す」ことで「考える」ことが多いのです。

相談するでもなく、相談しないでもなく、ただ何となく話せる存在が、人には必要です。
私の場合は、娘がいますが、そういう人がいない人もいます。
そのために、いま、湯島に集まる人たちの、緩やかなつながりを育てられないかと考えているのですが、これがなかなか難しいです。
具体的に呼びかけるのも失礼ですし、人によって状況も違えば、価値観も違う。
でも、だれもがそういう人がいれば、きっと精神的には安心できるでしょう。
私自身、誰かにとってのそういう存在になれればうれしいですが、なかなかそうはなれません。
私自身にたぶん、「覚悟」が足りないからだとは思いますが、誰かの役に立てることほどうれしいことはありません。
しかし、このころ痛感しているのですが、「役に立つ」とは双方向の関係のようです。
依存や寄生とは全く別の話です。
それを混同してしまうと、途端に関係はおかしくなります。
最近そんなこともよく体験しています。

■3834:出会い直し(2018年4月30日)
節子
昨夜、とても心に響く文章に出合いました。
中島岳志さんの「保守と立憲」を読みだしたのですが、そこに思わぬ言葉があったのです。
「出会い直し」です。
中島さんが、3.11の直後に体験した「小さな体験」が書かれていました。
新聞社から頼まれた寄稿文を送ろうとした、その時に、それは起こったそうです。
突然、1年前に亡くなった編集者の友人が現れたというのです。
その「厳しいまなざし」を感じた中島さんは、結局、原稿を書き直しました。
中島さんが書きなおしたのが、新聞に載った「被災地に向けて 死者と共に生きる」という文章だそうです。

中島さんはこう書いています。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

私は死者となったSさんと、この時、出会い直したのだ。同じ人間同士でも、生者−生者の関係と、生者−死者との関係は異なる。死者となった彼は、生者の時とは異なる存在として、私に規範的な問いを投げかけてくるようになったのだ。
私は、死者となった彼と共に生きて行こうと思った。彼との新たな関係性を大切にしながら、不意に彼からのまなざしを感じながら、よく生きて行くことを目指せばいいではないかと思えた。
すると、それまで喪失感に苦しんでいた心が和らぎ、大きな障壁が取り払われたような心地になった。それ以来、私は時折、思いもよらないタイミングで現れる彼と言葉にならないコトバで会話し、時に自分の言動をいさめながら生きるようになった。

節子との関係で、なんとなく私が感じていたことが、この文章でとても納得できました。
生者としての節子と死者としての節子は、たしかに違いがあります。
死者の節子には、私をたしなめたり、なぐさめたり、ゆるしたり、あらゆる意味で、包み込んでくれます。
私もまた、節子と「出会い直し」したのです。

中島さんは、つづけてこう書いています。

2人称の死はたしかに大きな「喪失」だけれども、しかし、その後に必ず「出会い直し」がやってくる。「その人」は死者となって生きている。だから、私たちは死者と共に生きて行けばいい。

節子もまた、いま、死者として、私と共に生きている。
私がいまなお生きているのは、そのおかげだと気づきました。
今日もまた、一緒に過ごそうと思います。

■3835:「逃げるのに疲れた」(2018年4月30日)
節子
荒れ果てている畑の道沿いが何とか整理できました。
明日にでも花の種をまこうと思います。
それにしても大変でした。
節子はここをロックガーデン風にしたいといろいろと工夫していましたが、その残骸の石やレンガが出てきます。
節子が残し物でいまも何とか残っているのは、アジサイとバラです。
それ以外はほぼ全滅です。
繁殖力の高い野草と篠笹がはびこってしまっています。
一時はワイア―プランツもすごかったのですが、これは3年前の頑張りで何とか抑え込みました。

それにしても開墾作業を4日も続けたため、手のいたる所がかぶれてしまい、かゆくて仕方がありません。
しかも身体全体が痛くて、大変です。

しかしいいこともあります。
時折、電話やメールがありますが、ほとんど俗世間とはつながっておらず、基本的にはいろんなことを考えずに済みます。
要は自分のことだけを考えていればいいわけです。
それも目先の作業だけを、です。
この生き方はとても楽でいいです。
多くの人がこういう生き方になっているのは、それが楽だからかもしれません。
でも本当はただ現実を逃げているだけかもしれません。

今日、だいぶ前に刑務所から脱走した若者が逮捕されました。
彼は、「逃げるのに疲れた」と言ったそうです。
逃げるは疲れます。
最近、私は人生から逃げているような気がしています。
大型連休の畑作業も、もしかしたら、逃げ疲れを癒したいからなのかもしれません。
身体の疲れは、精神を浄化するような気がします。

■3836:人を信ずることができる幸せ(2018年4月30日)
節子
北朝鮮の金正恩さんと韓国の文在寅さんの直接対話が3日前に実現しました。
2人の表情は、私にはとても素直にうれしそうに感じました。
しかし、世間的にはその合意を疑っている人は少なくないようです。
人を信じない人を、私は信じませんが、どうしてみんなこれほどに疑り深くなってしまったのでしょうか。
悲しいことです。

節子は、私を疑うことはありませんでした。
私も節子を疑うことはありませんした。
だから一緒に暮らしていて、疲れることはなかったのです。
私たちはまた、誰かを疑うことはありませんでした。
もしだまされてがっかりすることがあっても、信じないで不安を感ずることのほうが、生きにくいでしょう。
私たちは、いずれも生きやすい生き方を選んだだけでした。

幸いに、節子が元気だったころまでは、私たちのまわりには、私たちをだまそうとする人は現われませんでした。
不思議なくらい「善い人」ばかりに囲まれていたような気がします。
しかし、節子がいなくなってから、私の心に空白が生まれたためかもしれませんが、いろんなことが起きました。
まあ身から出たさびですが、世間には「善い人」ばかりではないのではないかという気がしてしまうほどでした。
そう思ったとたんに、おかしなことが起こります。
そして、いまもなお、その傷を背負いながら生きていますが、思い出すだけでも精神が不安になります。
にもかかわらず忘れることができない。

やはり、人は信じなければいけません。
金さんと文さんのツーショットは、私に元気をくれました。

■3837:全身がかゆみにおそわれています(2018年5月1日)
節子
今年も5月になりました。
大型連休は孤独な畑開墾作業に精出していますが、今日は朝から真夏のようなので、畑には水やりにだけ行こうと思いながらも、まだ行かずにだらだらしています。
さすがにメールの数も減りなした。
みんなきっと充実した連休を楽しんでいるのでしょう。
メールが来るとわずらわしいと思い、こないとちょっとさびしい。
人は本当にわがままで身勝手です。
いや、私だけかもしれませんが。

ともかく身体の肌が何かにかぶれた感じで、首筋から手足がかゆくてやりきれません。
かゆみ止めを塗っているのですが、すぐに効果は亡くなります。
手の甲は、少し腫れてきています。
そういえば作業中に、チクリとした瞬間的な痛みを感じましたが、なにかに刺されたのかもしれません。
昨日の作業中に感じましたが、農作業や畑の開墾は、殺生の連続です。
野草を刈り取ること自体が、まさに殺生ですし。

昔のお百姓さんは、「南無阿弥陀仏」と口にしながら、土を耕したと聞いたことがあります。
阿弥陀に殺生を許してもらいながら、農作業をしたわけです。
その気持ちは少しわかります。
私の肌がかぶれ、かゆさにおそわれているのは、阿弥陀への帰依が不足していたのでしょう。

それにしても、かゆみが全身に広がりだしてきているような気がします。
あてさてどうしたらいいか。
皮膚科に行くか、畑に行くか。
後者を選ぶことにしました。

■3838:救いが欲しい時には誰かを救いたくなる(2018年5月2日)
節子
5日間の畑開墾作業のため、いたるところがかゆくなってきました。
これは、ダニかかぶれかのいずれかですが、いずれにしろかゆくてやりきれません。
やはり服装をしっかりとしないといけません。

今日は、朝、水やりに行こうと思いましたが、さぼってしまいました。
今日は広尾まで出かけねばいけません。
楽しい用事ではなく、心が萎える用事です。
関係者もいるので、ここには内容は書けませんが、ともかく私にとって一番苦手のことなのです。
節子が元気だったら、こんなことには巻き込まれなかったでしょうが。
まあ言い訳かもしれませんが。

人は「救い」が欲しいことがあります。
そして、そういう時に、誰かが「救い」を求めていると、ついつい判断を過ちます。
救われるべきは自分なに、誰かを救うことで、問題をすり替えてしまうのです。
それがいい結果を生む場合もありますが、時に禍になってしまうこともある。
私の場合、そのいずれも体験していますが、今日の用件は禍になってしまった事例です。
それもかなり深い禍です。

救いを求めている時に、誰かを救うことで、自らも救われることもあります。
むしろそちらの方が、多いでしょう。
しかし私の場合、2~3回、自分自身を奈落の底に落とされてしまったことで、かなり臆病になってしまっています。
他者にも、人を救うことが自らの救いになると言いたいのですが、それが素直に言えなくなっているのです。
はやくこの状況から抜け出なければいけません。
今日はそのための、悩ましい1日でもあります。

農作業がいかにいいものかを改めて感じます。
自然は素直に報いてくれますし、素直に罰してくれます。
その素直さが、人間にもまた戻ってきてほしいです。

■3839:農作業の合間(2018年5月2日)
節子
5日続けて畑の開墾作業をしていましたが、今日は、湯島に来ています。

午前中は、弁護士事務所にいました。
まさか私が裁判の当事者になるとは思ってもいませんでしたし、友人の弁護士からも、あなたは裁判には向いていないと言われていましたが、なぜか裁判の当事者になっていました。
最初は被告になりそうだったのですが、弁護士に相談したら、むしろこちらから訴えるべきだと言われたのです。
相手の不当利得を放置するのは、社会的にもよろしくないというような指摘を受けて、形式上の原告ではないのですが、もう一人の「被害者」と一緒に訴訟に踏み切ったのです。
弁護士費用を工面するのも大変でした。

この事件を通して、私が学んだのは、善意は必ずしも相手には伝わらないということです。
それに、自分の行為を「善意」と考えることの傲慢さも学びました。
人はみんな自分の考え方の枠内で考えますから、自分が思いもしないことは理解しようがないのです。
ですから、逆に善意が疑われ、悪意にとられかねないのです。
いや、実際に、相手にとっては「悪意」だったかもしれません。

他にもたくさんのことを学ばせてもらいました。
あまり気持ちのいい体験ではないのですが、学ばせてもらったことは多いです。
しかし正直に言えば、早く解放されたいという気分です。
裁判は争いではないのでしょうが、それでも相手の嫌な部分がどうしても見えてきます。
それは同時に、私自身の嫌な部分への気づきにつながります。

とても誠実な信頼できる弁護士なのですが、裁判とは別のことで友人になりたかったものです。

話し合いの後、久しぶりに湯島に来て、植物に水をやり、これからまた今度は会社の社長と会います。
多忙な方なので、休中に会えればと思っていましたが、今日になってしまいました。

大型連休ですが、その前後1週間を含めて、今年は湯島のサロンをひとつも入れませんでした。
1か月近くサロンを開催しないのですが、勢いをつけていないと息切れしてサロンもしくなりそうな不安があります。
そういう活動よりも、無為に土を耕し、笹竹を刈り取り、畑を開墾する活動のほうは、私には向いているかもしれないという気さえします。
今年の連休は、たぶん生まれて初めてといっていいほど、一人に時間が多いです。
ということは、考える時間も多いということです。

日本人に、いま必要なのは、お休みではなく「考える時間」のような気がします。
国民祝日に「考える日」をつくるべきですね。
よく考えるとよい人生が始まるかもしれません。
連休が終わったら、たぶん私の人生は「より善い」ものになるでしょう。
性格も、もう少し善いものになるかもしれません。
自分のことをいろいろと考えると、いかに自分の性格が「悪い」かがわかりますから。

■3840:鈴木さんがまたサンチアゴ巡礼に旅立ちました(2018年5月2日)
節子
鈴木さんがまたサンチアゴ巡礼に旅立ちました。
70日の予定です。
今回はアルルからのスタートだそうです。
出発前の思いが、1日おきくらいにはがきで届いていました。
はがきによれば、いつものような出発前のワクワク感はなくて、緊張感があるそうです。
それも興味ある話です。

今回は、空港まで巡礼で知り合った人が迎えに来てくれるそうです。
巡礼で知り合った人との心のつながりは、とても深いようです。
もしかしたら、巡礼の歓びは、人との深いつながりが得られるからかもしれません。
広いつながりではなく、深いつながり。
そして、深いけれども、ゆるやかなつながり。

節子と一緒にイランに行った時、ダリウス大王のお墓の近くで、日本人とイラン人のカップルに会いました。
旅先で誰かに会うと、節子はよく話しかけました。
しかし、残念ながら付き合いがつづくことは少なかったです。
いまほどネットやメールが広がっていなかったからかもしれませんが、やはり、巡礼と観光とは違うのでしょう。

サンチアゴには、結局、私たちはいけませんでした。
四国お遍路も行けませんでした。
それがちょっと残念です。
鈴木さんのお土産話が楽しみです。

■3841:不安を呼び込むような雨風の朝です(2018年5月3日)
節子
久し振りに荒れた朝です。
雨風が強く、せっかく植えた野菜が全滅している恐れがあります。
自然の力は、いい意味でも悪い意味でも素晴らしいと改めて感じます。
連休前半は、あまり人に会うこともなく、畑の開墾作業でした。
サロンもすでに半月ほど、やっていません。

昨日は1週間ぶりに都心に出かけて人に会いました。
たくさんの話もしてきました。
今日からまた畑仕事に入る予定だったのですが、この天候では無理です。
昨夜は疲れて早く寝たので、今日は5時過ぎに目が覚めてしまいました。

これほど風が強くなるとは思っていなかったので、庭の植木鉢も片付けの途中にしたままでした。
まだ見に行っていませんが、いささか心配です。

昨夜、思い立って、第3回目の「生きる意味を考えるサロン」をやることにし、案内を出しました。
何人かの人から、メッセージが届いていました。
このテーマは、いささか気が重いのと、私自身に降りかかってくることの多さもあって、もう打ち切ろうと思っていましたが、継続してよかったと思いました。
再開しようと思ったのは、自分の間違いに気づいたからです。

時評編の「お誘い」に書きましたが、平和に向けてのNGO活動に取り組んでいる鬼丸昌也さんの書いた「平和をつくる仕事にする」を読んだのが、思い直しのきっかけです。
昌也さんは、自分の行動は、「今、自分に何ができるのだろう」を考えることから始まった、と書いています。
これは、私が人と会っている時に、いつも自問している問いかけと同じです。
すべてはそこから始まる。
そのことを、これまでの2回のサロンでも伝えてきたつもりですが、伝えたのではなく、そういう考えを発しただけだと気づきました。
そこで、もう一度、それを語り合うサロンを行うことにしたのです。
それぞれの人が、自分でできることを語るサロンです。

昨日、企業経営者のKさんに会いました。
Kさんがよく言うことの一つは、「能書きを垂れる前に行動せよ」です。
Kさんは、付き合いだしたころ、私を能書き垂れだと捉えていたようですが、最近は言われなくなりました。
少し私を信頼してくれたのかもしれません。
私も、「能書き垂れ」は大嫌いなのですが、外部からはそう見えるのかもしれません。
そして、見えるだけではなく、実際にそうなのかもしれません。
昌也さんの本を読んで、それに気づきました。

まだまだ自分の事はよく見えない。
節子がいたら、もう少し自分が見えるはずなのですが、最近はなかなか自分を相対化できないのです。
困ったものです。

雨風は一向に収まりそうもありません。
私の心にまで、入り込んでくるような、冷気や痛みを感ずる雨風の音です。
今日は、どうも気が重い1日になりそうです。
昨夜の夢が悪かったのでしょうか。
残念ながらまったく思い出せないのですが。

■3842:血圧が今日は高いです(2018年5月3日)
節子
2日間、畑に行かないせいか、あるいは昨日、ちょっとストレスのかかるミーティングを2つも持ったせいか、今日は血圧が高くて、調子がよくありません。
あるいは先ほどかかってきた長い相談電話でのやり取りのせいかもしれません。
薬を飲もうかどうか迷っていますが、せっかく10日ほど、薬なしで調子がよかったので、その努力が無駄になるみたいな気がして、飲まずにいました。
しかし、そもそもそうやって迷うことそのものが、呪縛されていることだと気づき、飲んでしまいました。
薬と付き合うのはそれなりに難しいです。

酢タマネギも、もうだいぶ食べ続けているので、だんだん飽きてきました。
脚の運動も、呼吸法も、いずれも最近は停滞しています。
こうやって人は一番安直な薬への依存になっていくのでしょうか。
困ったものです。

今年はこの10日間、真ん中の2日(昨日)を除いては、意識的に何も予定をいれませんでした。
連日、畑作業の予定だったのですが、雨が降っては畑もできません。
それで今日は、手持ち無沙汰というわけです。
節子がいたら、手持ち無沙汰になることなど絶対にありませんでした。
ただ一緒にいるだけで、退屈しなかったのです。

とこう書きながら気付いたのですが、おそらくこれは、事実ではないでしょう。
記憶はこうやって、美しいものになっていくわけです。
「過去」と「記憶」は違いますし、「記憶」と「思い出」も違います。

降圧薬の効果が出てきたようです。
頭がすっきりし、体調が戻ってきたようです。
いやこれもまた、気のせいかもしれません。

明日は畑に行きましょう。
明日は孫も来ると言っていましたが、畑と孫で血圧は正常化するでしょう。

■3843:大型連休も終わりました(2018年5月6日)
節子
昨日は、子どもの日でもあり、孫に付き合って、手賀沼公園に行っていました。
孫のにこも、間もなく2歳です。
節子がいたら今とは全く違った状況になっているでしょうが、孫は週に半分くらいはわが家に来ていますが、来ると最初に節子に「チーン」をすることになっています。
節子の位牌に向かってかねを鳴らし、手を合わせるのです。
節子には会っていませんが、節子の写真を見て、節子というようになっています。
私は、まだ「むーさん」ですが。
今日もやってきて、遊んでいました。

大型連休が今日で終わりました。
私はほぼ連日、畑の開墾作業でした。
こんな連休は生まれて初めてです。
世間的な人付き合いは、基本的には中日の1日だけをのぞいて、ありませんでした。
めずらしい体験でした。

読書もあまりしませんでした。
部屋を片付けようかとも思いましたが、それもしませんでした。
ともかく畑の開墾作業に黙々と取り組みました。
といっても、その時間はせいぜい1日3時間です。
それ以外の時間は何をしていたのか。
何もしていませんでした。
実に空疎な大型連休でしたが、これが正常なのかと思ったりしていました。
節子が元気だった頃は、なんであんなに忙しかったのでしょうか。
たぶん、生き方を間違えていたのでしょう。

気が付くときは、いつも間に合わない。
自らの愚かしさにはやりきれなささえ感じます。
無為に過ごしたので、心が浄化されたはずなのですが、さびしさが残った大型連休でした。

■3844:子育ての責任(2018年5月7日)
節子
大型連休も終えた途端に、いろんなことが動き出しそうです。
期待していたことも、していなかったことも、ですが。
もしかしたら、私と同じくこの連休を無為に過ごしすぎたのかもしれません。
急に忙しくなりそうです。

今日は湯島の縁カフェでした。
常連化したのがちょっと問題ですが、必ずと言っていいほど、一番にやって来るのが、小学生のお母さんのOさんです。
彼女はいまの政治の状況に、強い怒りを感じているのです。
財界の人たちにも怒りを感じています。
学校のあり方にもです。
何かしたいのだがどうしていいかわからない。
実際にいろんな行動を起こしているようですが、流れはどうも変わらない。
その怒りをぶつけに湯島の縁カフェに通ってくるのです。
こういう人の居場所になれることはうれしいのですが、話を聞きながら、私が叱られているような気もします。
このままで、子どもたちの未来はあるのかと言われれば、答えに窮してしまいます。

今日は、子育ての話も出ました。
私には、あまり語る資格はないのですが、話しているとどうしても節子のことを思い出します。
私も節子も、子育ては失格でした。
子どもは育つものという思いが強すぎました。
たぶん2人とも、親の反対を押し切って生きてきたからです。
いまにして思えば、あまりにも親勝手なことがおおすぎました。
その咎は、いま私がすべて受け止めています。
節子にもシェアしてほしかったです。
節子がいたら、状況は大きく変わっていたと思いますが、父親と娘の関係は、結構微妙です。
2人の娘は、とても親思いではありますが、付き合うのは大変です。
時々、節子に助けに来てほしいと思うことがあります。

子育て議論は、私にはとても苦手です。
心が痛むことがあまりに多いからです。
節子にも、責任を半分とってほしいといつも思います。

■3845:仏様からのメッセージ(2018年5月8日)
節子
富山のIさんからメールが届いていました。
四国遍路の一部を5日間、回ってきたそうです。
最後に会った仏さまが、力の抜けた顔をして、頑張り過ぎるなよ、とでも言いたげに感じた、と書いていました。
彼女は、いつも一生けん命に生きているために、疲れてしまうのです。
疲れると湯島にまで来てしまうのですが、力を抜いていきたいと思っていることが、きっと仏様の表情に出たのでしょう。

人は、置かれている状況に応じて、世界が見えてきます。
仏様は、とりわけそうであるような気がします。
私の記憶でも、まったく違い表情になっていることを何回か体験しました。
仏様に限らないのでしょう。
世界の風景もまさに、自らの心象風景でしかないのかもしれません。

連休前には、いろいろと迷うことが多く、たとえば、湯島で毎週のようにやっているサロンも、はたして何の意味があるのだろうかと思ったりしていました。
私は気分に大きく影響されるのです、そのために1か月近くサロンを休んでしまいました。
しかし、連休明けに少し気分が整理されたおかげか、またやりたくなって、一気に3つほど予定してしまいました。
昨日、案内を出したら、それぞれに早速反応がありました。
人に見える世界は、その人の心の動きで決まってくるのかもしれません。

Iさんは、一度は自殺まで考えた人です。
元気になって本当にうれしいです。

ちなみに富山にはいい仏様がいることを最近知りました。
節子がいたら、早速に会いに行きたいですが、ひとりではまだ動く元気が出ません。

■3846:気になっていたことがひとつ解消しました(2018年5月8日)
節子
連休中に刈り取った畑の野草がごみ袋20くらいになりました。
今日は草木の回収日なので、その半分を出巣ために、ゴミを出すところまで5回ほど往復しました。
その時に、近くのYさんに会いました。
そこでずっと気になっていたことを尋ねました。
2階の窓が冬でも開いているのですが、なぜですか?
予想していた回答がありました。
夫がたばこを吸うんです、と。
最近はたばこを吸う人は苦労が多いようです。
できるだけ吸わせてやってくださいね、とまた余計なひと言を言ってしまいました。

戻って、窓があいているのはたばこのせいだそうだと、娘に話したら、そんなことを訊いたのかとまた呆れられてしまいました。
私は、気になったことがあるとすぐに質問してしまうという悪い習癖があるのです。
しかし、気になったことは当事者に訊くのが一番です。
それに訊かずにそのままにしておくことは、精神衛生上よくありません。
でもまあ、失礼にあたるのかもしれません。

節子がいた頃も、そういう質問をしたくなって、時々、尋ねてもいいかなとこっそり相談したこともありますが、いつもやめるように言われていました。
付き合いだしたころには、止める人もいなかったので、節子にはさぞかし失礼な質問をしていたことでしょう。
あまりにも馬鹿げた質問に受け取られることもあるので、怒ってしまう人もないわけではありませんでしたが、気になったことは質問したくなるのは私の悪癖なのです。
困ったものですが。

ちなみに、私はたばこをすいませんし、たばこの煙には弱いタイプです。
しかし、たばこを吸いたい人には、ゆったりと吸ってほしい気もします。
自分が快く生きたいのであれば、自分とは違う生き方をしている人にも、快く生きてほしいと思います。
自由を大事にしている私としては、いろんな生き方に寛容でありたいです。

しかし、最近は寛容になれない生き方も増えています。
とりわけ昨今の政治家や著名な人の生き方は、私にはどうもなじめません。
節子がいたら、どうでしょうか。

しかしまあ、今日は気になっていたことが一つ解消したので、さっぱりしました。

■3847:孫の2歳の誕生会(2018年5月8日)
節子
孫の“にこ”の2歳の誕生日会に招待されました。
節子がいたらどんなに喜ぶだろうかと、いつも思います。
そのためか、こうしたお祝いが心底喜べないのが残念です。

にこは、毎日のように成長しているのがよくわかります。
育児に関しては、私は口を出しませんが、時代の違いか、どうも違和感はあります。
節子が元気だったら、どうしたでしょうか。

峰行の両親も元気そうでした。
お2人とも私よりも年上です。

年取ってからの孫ですので、私はどこまで付き合えるかわかりません。
そう思うと少しさびしさがありますが、まあたぶん一番かわいい盛りに付き合わせてもらえることでしょう。
本当は、親にも相談できずに悩みだす頃に付き合いたいのですが、その頃はもう私自身が、現世にいるとしても、頼りにはならないかもしれません。
まあ、その分、いま、いろんな人の相談に乗っていられるのかもしれません。
明日も相談したいというメールがあり、朝早くから湯島です。

にこは、今日、はじめて、お子様専用の自分のメニューを発注できました。
ケーキのろうそくも、見事に消していました。
毎日のように、言葉も増えているようです。
こうやって世代は交代していくのでしょう。
孫の成長ぶりは、自らの老衰ぶりの証でもあるのでしょう。
私もしっかりと老衰していかねばいけません。
時に忘れがちですが。

■3848:意味のない世界(2018年5月9日)
節子
昨日につづいて、今日も寒い日になりました。
この3日ほどで気温が10度以上変化していますので、身体にも堪えます。
その上、今日は雨。

悟りを開くと世界はどう見えてくるのだろうかと、ふと昨夜思いました。
とても退屈かもしれません。
そこには「人」はいないかもしれません。
そんな気がしました。

最近、テレビのニュースを見ていても、そこにまったくと言っていいほど、意味が感じられなくなってきています。
しかも同じことを、着飾ったり、ぼやかしたりして、時間を埋めているようにさえ感じられることが多いのです。
人はなんでこんなことを話題にするのだろうかとも思います。

寒い雨のせいか、わけのわからない書き出しになりましたが、節子がいなくなってから世界の意味が一変してしまった後、やはり戻っていないような気がしています。
意味のない世界で、生きるのは結構退屈です。
しかし、生きつづけないわけにはいきません。
そこに矛盾があります。
自らを元気づけてはいますが、時に「堕ちて」しまう。
雨なのに、今朝はすぐ近くで鳥がさえずっています。
節子でしょうか。

今朝はちょっと不快なメールが、いくつか飛び込んでいました。
精神がなかなか安定しません。
昨日は意識を変えて、サロンの企画をいくつかまとめ、案内をつづけさまに2つも出したのですが、すっきりしません。
悟りとは程遠い状況です。
一度揺らいだ心は、なかなか元には戻らない。
支えによって何とか維持されてきていたことを、改めて思い知らされます。

やはり最近少し疲れているようです。
どうしたら抜け出せるでしょうか。
無彩色の世界に、いのちが戻るにはどうしたらいいのか。
ちょっとした「うつ」状態でしょうか。
困ったものですが、今日は元気が出ません。

■3849:自らの死に出合う人のことも考えなければいけない(2018年5月10日)
節子
毎週のように会っていた、節子もよく知っている武田さんが、1か月ほど前、しばらく著作活動に専念したいので、湯島の集まりなどはやめたいと電話してきました。
時折、彼とは意見の衝突があり、断絶することもあるのですが、今回はとりわけ意見の衝突もなく、一緒に武田さん中心の集まりなども始めたところだったので、少し違和感があったのですが、素直に受け入れて、予定していた集まりもキャンセルの連絡をして、しばらく縁が切れていました。

実はその後もらったメールに、「もう時間がないので」というような表現があったので、気にはなりました。
武田さんは、節子も知っているように、ちょっと健康上の爆弾を抱えています。
しかし、それが理由ではありませんでした。

一昨日、武田さんから突然電話があり、昨日、湯島で会いました。
私よりも元気そうでした。
会った途端に、疲れているようだね、と言われました。
まあその前に3時間ほど、ある人の相談に乗っていたのと、お昼を食べていなかったので、表情に元気がなかったのかもしれません。
あるいは、もっと大きな意味で、生きる気が薄れていたのかもしれません。
2人でちょっと遅い昼食をしました。
武田さんが、意外なことを言い出しました。

佐藤さんの死には出合いたくない。
親しくしているままで、佐藤さんの死には付き合いたくない、ということのようです。

親しい人が死ぬのは、たしかに辛いものです。
武田さんも一度、それを経験しているようです。
関係が次第に疎遠になって、いつか思い出して電話したら、佐藤さんがいなくなっていたというのがいい、と武田さんは言うのです。
たしかにそうです。
私も時々そう思うことがあります。
人との縁が深くなると、別れは辛い。
私が節子を見送って、10年たっても、生き直れないのは、あまりに縁を深めたからとも言えます。
友人がいなければ、別れの悲しみを体験することもない。
だから武田さんのいう意味は、よくわかります。

しかし、どうして武田さんは今、そんな気になったのでしょうか。
たぶん私も武田さんも、なんとなく死に近づいているのでしょう。
今回は、いつものように、政治論議なども含めて、いろんな話を3時間以上しましたが、いつもとはちょっと違った気がしました。

能天気に生きている私のことを、武田さんはいつも心配してくれています。
今回も、どうもしっかりとアドバイスしなければと思って、やってきたのかもしれません。
しかし、武田さんが何を言いたいか、それを私がどう受け止めるかなどは、お互いによく知っているのです。
だからそんな話にはなりませんでした。
しかし、そういう思いのやり取りはあったといえるかもしれません。
人は、言葉でしか話しているわけではありません。

なにやら不思議な時間でしたが、高齢になってきたら、人との別れを意識して生きていくことも必要なのだと気づかされました。
自分の死には出合えませんが、他者の死には出合いますし、何よりも自らの死に出合う人のことも考えなければいけないのかもしれません。

お互いにそういう年齢になったことを、武田さんは私に気づかせに来てくれたのでしょう。
感謝しなければいけません。
武田さんとの付き合いは、もう40年ほどになるかもしれません。

■3850:煙石さんの冤罪事件が番組で特集されました(2018年5月10日)
節子
今日もまた寒い雨の日です。
冬物はしまってしまったので、何を着ていいかわからないので困ります。
幸いに今日は自宅なので、季節外れの床暖を入れて、縮こまっています。
パソコンのある私の部屋にはエアコンはありませんので、こういう時にやれることはテレビを見ることくらいです。

昨日放映された広島で起こった煙石さんの冤罪事件の番組を録画していたので、それをまず見ました。
やはり憤りがよみがえってきました。
私が日本の裁判に疑問を持ったきっかけは、映画「真昼の暗黒」を見てからです。
この映画は、実際にあった「八海事件」の冤罪性を訴えた映画です。
中学生だった私は、ひとりでこの映画を見に行ったのですが、映画館の帰り道、身体が震えて仕方なかったのを覚えています。
それで検事になろうと思い法学部を選びましたが、挫折してしまいました。
そのためずっと罪の意識があるのですが、日本の司法には疑念を持ち続けています。
知れば知るほどおかしいことが多いですし。

煙石さん家族は、これによって人生を一変させてしまったでしょう。
広島にいる友人から、この事件のことは1審判決後から関心を持っていました。
このブログの司法時評でも、あるいは私のホームページでも、何回か取り上げたことがありますが、煙石さんの人生をかけた闘いによって、冤罪を晴らすことができました。
しかし、冤罪が晴れたからと言って、煙石さんの人生が戻るわけでもありませんし、いまなお冤罪だということを知らない人もいるでしょう。
冤罪というよりも、一度、逮捕されたり訴追されるだけで、人の人生は脆くも崩れます。
それだけのつよい暴力性を持っている裁判制度が、司法関係者によっていかにも恣意的に運営されていることへの恐ろしさを感じます。

しかも、こういうことは、誰にも起こり得ることです。
節子とはよく話していましたが、そうした場合、身近に絶対に信じてくれる人がいるかどうかが大切です。
煙石さんには伴侶と息子さんがいました。
煙石さんを信頼する友人もいたでしょう。
裁判や警察という「暴力装置」から自らを守るためには、そういう絶対に信じてくれる存在が不可欠です。
節子がいない今、私は煙石さんのように頑張れるかどうか不安はあります。

この番組のことは、煙石さんの友人でもある折口さんから教えてもらいました。
私も多くの人に知ってほしくてフェイスブックで紹介したら、10人を超える人たちがシェアしてくれました。
そして番組を見た感想を何人かの人が送ってきてくれました。
ささやかに煙石さんへのエールになれて、とてもうれしいです。

しかし、不条理の多い時代です。

■3851:孫との付き合い(2018年5月11日)
節子
寒いですが、今日はいい天気になりそうです。

昨日も2歳になった孫がやってきました。
私の名前は、当初「むーしゃん」だったのですが、それを「おさむ」に変えようと働きかけをしたため、いささかの混乱が生じています。
なかなか言えずに、時に名前が出て来なくなってしまいました。
娘は「むーさん」のほうがよかったのではないかと言いますが、会うたびに「おさむ」を強調しています。
子どもにとって、同じものに名前が複数あるのは、とまどうのでしょう。
いまは「オシャむー」で、やはり「む」が大きい声になります。
最初の「試練」です。

昔、チョロQというミニカーがはやりましたが、それと同じ、床の上で、後ろに戻して離すとねじが巻かれて前に走りだすバスのおもちゃがあります。
孫はそれが不得手です。
後ろではなく、前に滑らそうとします。
前進のために後進させるなどというのも、素直な発想ではありませんから、当然のことではあります。

孫と付き合うと、こうした面白い気付きがたくさんなります。
昨日は庭で野草を摘み取っている時にやってきました。
孫の前で、野草を摘み取っていたら、娘から花を抜くようになるのではないかと言われました。
孫は花や草に触るのが大好きです。
しかし、やさしく触るように親に言われているせいか、ていねいに撫でています。
さてそうした行動とどう調和させるか。
これもまた面白い課題です。

孫と付き合っていると娘たちと付き合っていた頃のことを思い出します。
あの頃は、育児の苦労は節子に任せて、いいとこどりをしていたかもしれません。
節子は一切不満は言いませんでしたが、孫を見ていると育児の大変さがよくわかります。
孫と付き合う喜びを、節子が味わえないのが、とても残念です。
時々、節子の歓声を聞きたくなります。

孫が来るのはうれしいですが、たまには節子にも来てほしいです。

■3852:親切を受けるのは大変です(2018年5月11日)
節子
大変なことになってきました。

私が畑作業を復活させたことを知った小学校時代の友人たちが、いろんな苗や参考書を湯島に届けてくれたのです。
前回も、いろいろと持ってきたのですが、今回は大丈夫だろうと思っていたら、前回以上です。

ひとりの友人は数年前から家庭菜園をやっているのですが、フェイスブックで、私が開墾作業をやって畑ができてきたのを知って、そこに植えたらいいということで、手間暇かけずに育つものを選んで、たくさん持ってきてくれたのです。
自分の畑から抜いてもってきてくれたようで、いずれももうかなり成長しています。
なんと大きなキャリーバックとビニール袋に詰め込んできてくれました。
なぜか大きな山椒の木までありました。
前回も5種類の苗を持ってきてくれましたが、今回は放っておいても大きくなるものを選んだと言っていましたが、責任重大です。
家が近ければ、畑にまで来そうな勢いです。

もうひとりの友人は、「有機・無農薬でできる野菜づくり大事典」を持ってきてくれました。
彼女の伴侶の霜里農場主の金子美登さんの著書です。
金子美登さんは、前にも書きましたが、有機農業のパイオニアです。
その本も大判で重かった上に、酢タマネギとかレタスとか、いまが一番おいしいスナップエンドウとか、いろんな野菜まで持ってきてくれたので、帰りは昔常磐線で見かけた野菜を売りに都心に出ていた人のような感じでした。

なんとか苦労して持ち帰りましたが、植える元気がなく、明日に持ち越しましたが、これで畑作業もますますさぼれなくなってしまいました。
親切なのですが、困ったもので、もう十分だからあんまり持ってこないでよと言いましたが、こういうのは性分ですので、先行きが心配です。
しかし、いろんな知恵もさずかりました。
かゆみの原因は、ぶよで、その対策も教えてもらいました。
それと笹や刈り取った野草は捨ててはいけないと叱られました。
笹は土の上に敷くとか枝は支えにするとかいろいろと使いようがあるのです。
今日、みんなで食べたバナナの皮も、肥料にするからと言って、金子さんは持って帰りました。
この精神が、有機農家の精神なのだと教えられました。

実は今日は、湯島で新しい集まりをやろうという相談のはずだったのですが、あまりにも無知な私への入門講座にもなりました。
その上、何か私にはついていけない韓流ドラマの話や家族の話などにも広がりましたが、新しい企画もまとまりました。
霜里農場で実習した有機野菜農家の人に野菜を持ってきてもらい、「有機野菜の旬を食べる会」を定期的に開こうというものです。
できれば、そういう人たちのゆるーいネットワークが生まれればもっといいです。

節子がいたら、きっと一緒にやってくれたでしょうが、私はただ食べるだけの参加になるでしょう。
それにしても高齢女性の元気は見上げたものです。

■3853:畑と花壇が少しずつかたちになってきました(2018年5月12日)
節子
数日ぶりに畑に行ってきました。
昨日もらった苗を植えるためです。
もっとも畑はまだ完成していないので、とりあえずの仮植えです。
それでも大変でした。

写真を撮りました。
なんだかよくわからないでしょうが、この一角が「畑らしく」なった部分です。
刈り取った笹は廃棄せずに野菜のまわりを覆うといいと言われたので、そうしたため、すっきりした畑には見えませんが、まあこれがまもなく、きっと、いやたぶん、あるいはもしかしたら、見事な野菜畑になるでしょう。

道沿いの斜面は少し花壇らしくなってきました。
先日、ユカに蒔いてもらったひまわりと百日草が芽を出していました。
今日も、斜面の篠笹の根っこを少しずつ切っていたら、通りかかった高齢の女性が、精が出ますね、となつかしい言葉をかけてくれました。
その道を毎日散歩しているそうです。
以前はきれいな花壇でしたので、楽しみにしていますと言われてしまいました。
うれしいことですが、大変なことになったとも言えます。
毎日、水やりに来なければいけなくなってしまいました。

というわけで、今朝は朝から汗をかきました。
帰宅して血圧を測ったら、なんと136/79です。
昨日は、196/105でした。
「酢たまねぎ」を毎日食べ、呼吸法も脚の運動もしています。
しかし一番効果的なのは、どうも野草や土とのコミュニケーションのようです。

今日の午後は、我孫子まちづくり編集会議の集まりです。
戻ったら、また畑です。
兼業農家になった気分です。

■3854:早朝から畑です(2018年5月13日)
節子
最近、私が畑開墾作業に従事していることを知って、いろんな方が心配してきてくれます。
家庭菜園ならともかく、開墾作業ですから、大変だろうと推察してくれるのです。
そして、帽子を忘れるな、水は切らすな、長袖のシャツを着ろ、暑い時は避けろ、ほどほどにしろ、などといろんなアドバイスをくれます。
ありがたいことですが、いずれのアドバイスも、なかなか守れません。
手作業ではなく、耕運機を刈ったらどうかという人もいますが、やはりそれは私の作法には合いません。

しかし、そういうアドバイスをしっかりと守っていないせいか、身体はいささかボロボロです。
身体のかゆみは未だ消えませんし、階段の上り下りが時に辛いです。
それに加えて、新しい不都合が発生しました。
首がうまく動かないのです。
動かすとどこかに違和感があり、痛みを感じます。
寝違いではありません。
昨日の午後からですから、畑仕事が影響していることはまちがいありません。

こういう書き方をすると、なにやら「大変」に受け取られそうですが、これはきっと何かをメッセージしてくれているのでしょう。
そのメッセージを読み解かねばいけません。

今日は5時に目が覚めました。
午後から雨になるようですから、午前中に畑仕事に行く予定ですが、首の痛みがちょっと気になります。
それに昨夜、血圧を測ったら、また高くなっていました。
しかし、今日は朝から鳥たちがよくさえずっています。
朝食の前に畑に行こうと思います。
はやく畑に植えられるように開墾作業をしなければいけません。
ついでに花の種も蒔いてこようと思います。

独りで行くのはさびしいですが。

■3855:晴耕雨読(2018年5月14日)
節子
昨日は午後から雨のために畑に行けませんでした。
代わりに自宅のプランターに、ナスときゅうりの種をまきました。
芽が出るでしょうか。
以前はいつも苗を買ってきましたが、今年は種から始めようと思います。

雨だったので、午後は久しぶりに読書をしました。
本を読んでいますが、横道の読書は久しぶりです。
この数日、本を読む気があまりしなかったので、畑仕事のせいか、読むが戻ってきたのです。
読みだしたのは、少し古い本ですが、今年になってようやく翻訳出版された「先史学者プラトン」です。
副題が「紀元前1万年−五千年の神話と考古学」です。
新聞に国分功一郎さんが紹介していたので、気になっていたのです。
プラトンと歴史と言えば、いうまでもなくアトランティスの話ですが、本書はそこに示されている寓意を読み解いているのです。
まだ半分しか読めていませんが、とても面白く、パウサニアウ・ジャパンの友人たちにも知らせたくなりました。

というわけで、昨日はまさに晴耕雨読でした。
昨夜も雨だったので、畑はぬかるんでいますので、午前中は読書をしていました。
でも晴れてきました。
晴耕雨読であれば、読んでいるわけにはいきません。
今日は在宅の予定なのですが、畑はまだ無理そうなので、庭の手入れをしようと思います。
われながら実に健康的な生活です。

ちなみに昨夜は身体がかゆくて目が覚めていましたが、朝起きてから、友人に教えてもらったように、3種類の野草をすってかゆいところに塗ってみました。
見事にかゆみは消えました。
生活の知恵は、歴史の中で積み重なってきているのです。
神話から学ぶことも多いです。
「先史学者プラトン」は時間と精神に余裕のある方にはお薦めです。

■3856:畑のやぶの中から卵が見つかりました(2018年5月15日)
節子
昨日の夕方、帰宅してから畑に行きました。
開墾作業の続きで、笹竹のやぶを刈り取る作業です。
これが意外と大変なのです。

小一時間の作業の最後に、藪の中に卵を見つけました。
鶏の卵と同じ大きさで、泥で汚れていましたが、かなり固い感じでした。
それで、誰かが投げ込んだおもちゃかと思っていましたが、汚れていたので水をかけて洗おうとしたら、ピシッと音がしてひびが入りました。
生きた卵でした。
笹薮の奥の方なので、鳥はあまり入れないはずです。
それでヘビの卵かと思いましたが、それにしては大きいのです。
鳩でしょうか。
昨年、わが家の庭木に卵を産んだキジバトの卵と同じ大きさです。

さてどうするか。
ひびが入ったので、もう孵化はしないでしょうか。
選択肢は5つ。
このまま放置するか、なんとか孵化の努力をするか、卵焼きにして食べてしまうか、カラスの餌にするか、埋葬するか。
しかし、第6の方法として、わが家の庭に持ってきて、あんまり目立たないところに、明日の朝まで置いておくことにしました。
夜中に、タヌキかネズミか猫か、あるいはカラスが来て、なかったことにしてくれるかもしれません。

そのことをフェイスブックに書きました。
そうしたら、殻が破れても孵化する可能性はあるのだそうです。
それを教えてくれた人が、20日に湯島に行くから、それまでひと肌程度の温かさで保管しておくようにと言ってきました。
さてさて大変なことになってしまいました。

朝起きて庭に行ったら、たまごはまだありました。
なかったことにはならなかったのです。
もう少し見えやすいところに置けばよかったです。
それで、なんとかあたたかさを維持しながら保管することにしました。
おっかなびっくりです。
なにしろ「生きている存在」ですので。

節子はまた、鳥になって戻ってくると言っていました。
まさかこの卵ではないでしょうね。
なにやらおかしなことになってきました。

■3857:ゾロアスター(2018年5月15日)
節子
「先史学者プラトン」は、後半に入ったら、なにやら話が細かくなってきてしまい、退屈になってきたので後半は、200頁を一気に読み流してしまいました。
読むというよりも、見るという感じですが。
それでも今から75年ほど前に、ギリシアの遺跡とも見間違うようなチャタル・ヒュユクの遺跡の様子には、これまでの石器時代の認識が一変し、私の思っていた1万年前の世界のイメージがまんざらでもない気がしてきました。

最後に出てきたのが、ゾロアスターです。
ゾロアスターは気になる宗教です。

節子との最後の海外旅行はイランでした。
その時に、ゾロアスター教の拝火壇の廃墟の丘に登りました。
当時はまだゾロアスター教の知識も関心もほとんどなく、キリストが生まれた時になぜゾロアスター教の博士がお祝いに来たのかも、深く知りませんでした。
ニーチェがなんで、ゾロアスターなのだということも、興味を深めるまでには行きませんでした。
ただ何となく秘儀的な物に関心があっただけでした。

「先史学者プラトン」を読んで、改めてゾロアスター教に関心が出てきました。
著者によれば、先史時代に大きな役割をはたしたもののようです。
つまり人類の発展の方向に影響を与えた可能性があるわけです。

火はふしぎなものです。
毎朝、ロウソクを上げながら、そう思います。

■3858:ドクダミ効果(2018年5月17日)
節子
笹薮との戦いのためか、手足などに湿疹が出てきてしまいました。
かゆくてどうにもなりません。
皮膚科に行こうかと思いましたが、有機農家の金子さんのアドバイスを思い出しました。
そういう時には、野草を3種類、すり合わせて、その液をぬると言い。
ドクダミがあれば、ドクダミだけでもいい。
それで皮膚科に行く前に、ドクダミの葉をすりこんでみました。
そうしたら効果があったのです。
かゆみが軽くなり、皮膚科に行かないですみました。
もちろん完全にかゆみがなくなったわけではありません。
何しろ身体中ですから、手が届かずにすりこめないところもあるのです。
しかし、農家の人の知恵には感心しました。

ところで、肝心の畑と花壇ですが、いささか最近疲れてきました。
今日も朝早く起きていくつもりだったのですが、また某所から銀行の残高が不足して引き落としできなかったので、直接振り込んでくださいと連絡がありました。
その工面をしているうちに、畑に行く元気がなくなってしまいました。
お金があるのも困りますが、ないのも時に困ります。

昨日、また野菜の苗を買ってきました。
ですから畑を耕して、苗を植えられるようにしなければいけないのですが、今日は風が強いので、畑行きはやめました。
まあ、こうやって理由を見つけて、作業をさぼるのは、素直に生きている私としては、やむを得ないことでもあります。
困ったものですが。

その代わりに今日は、ゾロアスター教の本を読みました。
かなり前に入門書を読んでいますが、「先史学者プラトン」を読んだせいか、その時とは全く違った印象です。
世界は、自らの知識(世界)によって、まったく違う風に見えるものです。

今日は在宅なのですが、午後は久しぶりにフーコーです。
節子もよく知っている柴崎さんが、毎日、少しずつフーコーの「言葉と物」を読んで、コメントを送ってきます。
それで私も読まざるを得なくなったわけです。
柴崎さんは、節子が知っているころと変わりません。
せっかくの知識と発想力が、他者に伝わらないのが残念です。

■3859:畑の竹やぶがようやく刈り取れました(2018年5月17日)
節子
多大な犠牲を伴った家庭菜園予定地の笹薮刈りがほぼ完了しました。
上からみた今日の夕方の状況です。

上側が道に面した斜面の「花壇予定地」です。
ここはまだ完成していませんが、先日一部に蒔いた花の種の芽が出始めました。
しかし同時に、それ以上の成長速度で、以前そこを支配していた篠笹や野草が成長しています。

畑予定地は、一応、全面制覇しましたが、数日放置していくと元の木阿弥になりかねません。
笹のタケノコがいたるところに生えだして、集めたら食べられるのではないかと思うほどです。
1日に5センチくらい成長します。
藪の中に放置されていた鍬やシャベルも出てきました。
もちろんもう使用できないほど壊れていますが、昔を思い出します。

いよいよ本格的な畑作りに入りますが、鍬で耕す作業は一番きついのです。
なかなかやる気が出てきません。
とりあえず仮植えしておいた野菜は、あまり元気がありません。
まわりは一応耕したのですが、うねをつくらなかったので排水が悪く、几帳面に水をやったのが逆に禍になったのかもしれません。
風がともかく強いところなので風に負けてしまったのかもしれません。
特に、カボチャは、なぜか虫に葉っぱが食べられて全滅に近くなってしまいました。

今日からきちんとした長袖とゴム手袋を着用するようにしたので、皮膚への被害はなかったようです。
今日もたくさんの虫に出合いました。
大きな毛虫がとてもたくさんいました。
アゲハではなく、蛾かもしれません。
5センチほどの黄色い毛虫に10匹以上会いました。

明日からいよいよ耕し出します。
花壇には芝桜やマツバギクを植えようと思っています。
節子がいたら、いろいろといい知恵が出てくるのでしょうが。

■3860:花は、不思議な力をもっています(2018年5月17日)
節子
ユリの香りが届いていますか。
先日の母の日に、ジュンが大きなユリを届けてくれました。
ユリは、私も節子も大好きです。
特にその香りが2人とも好きでした。
わが家の仏壇にはお盆でも仏花は供えません。
葬儀の時にも、できるだけ仏花的でないものをと頼んだのですが、ダメでした。
ですから、その後も基本的には華やかで明るい花を選びます。
実はいつも命日に節子の友人たちが花を送ってくれるのですが、その時だけはちょっと気が重いのですが、ちょっと仏花的になってしまいます。
そうした気持ちはなかなか伝えるのが難しいです。
人に花を送るのは難しいものです。

私も以前、一度だけ、お花を持っていったことがあります。
大宰府に住んでいる、節子も知っている若い女性が亡くなったのですが、そこに花を持って行ったのです。
花選びがこんなに大変なことなのだということを、その時初めて知りました。
たぶん私が自分で選んでアレンジしてもらった、最初にして最後の花束でした。
節子には、ついに花束を送ったことはなかったのですが、いまは位牌の前に置く花は、それなりに気を付けています。
まあ実際に買ってくるのは娘たちですが、ふたりとも私たちの好みをよく知ってくれています。

玄関のバラが満開になりました。
節子の時代に比べれば、半分以上ダメにしたと思いますが、庭もだいぶ花が咲きだしました。
花が咲くと、やはり心が明るくなります。
花は、不思議な力をもっています。

■3861:居場所と逃げ場(2018年5月18日)
節子
今日もさわやかな朝です。
出かける予定をやめて、今日も畑に行くことにしました。
最近少し湯島に行く回数が減ってしまいました。

報告をまだ書いていないのですが、15日に第3回目の「生きる意味」をテーマにしたサロンをやりました。
12人もの参加がありました。
それじたい、私には不思議なのですが、そもそも正面から「生きる意味」を考えている人がいるのでしょうか。
それでもこのサロンには常連までできてしまいました。
今回、このサロンをまたやろうと思い立ったのは、もう傷をなめ合うだけではなく、もっと真剣に自分に向き合って、誰かに救いを求めるのではなく、自らの中にある「誰かに何かをしてやる力」を見つけようというように、ベクトルを変えようとはっきりと言いたかったからです。
しかし、残念ながら、今日もまたいつもと同じような、自己開示サロンや抽象的なアドバイスサロンになってしまいました。
途中でいささか、ムッとして、いつもと同じではないか、と言ってしま合ったら、みんなから「冷たい目線」を向けられました。
開催したことを後悔しましたが、それでもいつものように気付きを得た人もいたようで、また4回目をやるかもしれないと思いました。

今回は初参加の方がいました。
1人は自らもサロンをやりたいという人ですが、あとの2人は生きづらさをかかえている人です。
そういう人の居場所にはなりたいのですが、注意しないと、そこで安住してしまうことです。
それではこのサロンが、マイナスに作用しかねません。
居場所づくりが、逃げ場づくりになってはいけません。
これはとても悩ましい問題です。

これは私にも当てはまります。
いまの畑づくりもそうですが、ときに逃げ場を探してしまうのは、人の常かもしれません。
注意しなければいけません。

さて今日は、その畑作りに行ってきます。
逃げ場に向かずに、居場所を広げるために。
今朝も鳥がにぎやかです。

■3862:庭の木の実(2018年5月18日)
節子
また畑に行ってきましたが、竹藪的なところがまだ残っていたので、そこをまた伐採してきました。
昨日購入したゴムの手袋は、2日にしてぼろぼろになってしまいました。
いかに過酷な作業かがわかります。

今日は孫が来るので在宅なのですが、庭の整理はなかなか進みません。
ユスラウメとジュンベリーに実が付きだしました。
鳥の餌が少しずつ増えてきています。
先日見つけた鳩の卵は、あたたかな状況を維持していますが、孵化の可能性はあまりなさそうです。
もう少し様子を見ますが、逆に万一孵化したらどうするのかという難問が待ち構えています。

午前中はひとりで退屈なので、テレビをかけましたが、同じニュースばかりでますます退屈です。
かといって、何かをする気も起きず、本を読む気も起きず、中途半端な時間を過ごしています。
困ったものですが。

■3863:人は「つながり」に支えられて生きている(2018年5月19日)
節子
また身体がかゆくて、朝早く目が覚めてしまいました。
パソコンを開いたら、いろんな人からメールがはいっていました。
昨夜、いくつかのメールを発信していたからです。

このブログは、一時期、あまり書かなかったことで、アクセウス数が激減しました・
最初の頃は、時評と挽歌をそれぞれ毎日書いていたのですが、当時は毎日300〜400のアクセスがありました。
時評編を時々しか書かなくなったら、200前後に低下しました。
それが、最近は100前後にまで減少しています。

先日、煙石さんが話題になった時には、1日1000を超えるアクセスがありました。
昨日も、ここでも書いた「九条俳句訴訟」の判決が出たので、少し増加しましたが、200には達しませんでした。
時評編を書けば、アクセスは増えるのですが、昨今の世情では、時評を書く元気がなかなか出てきません。
日本も「茶色の朝」になってきてしまった気がしてなりません。
しかし、だからこそ時評編を書くべきなのかもしれません。

しばらく音信がなかったイルカさんという、まだお会いしたことのない方から、先日、メールが来ました。
ブログを読んでくださっているとのことです。
そういえば、広島の折口さんも、たぶん読んでくださっているでしょう。
いずれもまだお会いしたことのない人です。
そういう、私も知らない方とつながっていることは、支えになります。

湯島のサロンでつながっている人たち。
ブログやフェイスブックでつながっている人たち。
人は「つながり」に支えられて、生きていると言っていいでしょう。

昨日、先日開催した第3回「生きる意味」サロンの報告をメーリングリストで発信しました。
いささかの疲労感と挫折感とちょっと怒りを含んだ内容の報告でした。
どうもそれが「ヘルプ」に受け取られたようで、早速、2人の人が反応してくれました。

ひとりはこう書いてくれました。

佐藤さん、私は楽しかったし、一緒にお誘いした○○さんも楽しかった!と言っていました。
何故楽しいか?ただ本音を言っている安心感と信頼感が楽しいだけです。
あまりあれこれ考えずに、自分の本音を自由に話すって楽しいです。
また人が自由に話すのもなんだか嬉しいし、面白いです。

もうひとりの参加していなかった方は、
なぜ生きるのかについて、大好きな絵本があります。
「100万回生きた猫」(佐野洋子作・絵)

と教えてくれました。

他にもうれしいメールが届いていました。
人のつながりに感謝します。

今日は雨なので、畑には行けそうもありません。
机に積んでおいてあるだけのフーコーを読もうと思います。

■3864:畑らしくなってきました(2018年5月22日)
節子
畑がだいぶできてきました。
昨日はきゅうりとトマトと茄子を植えて、添え木もつくりました。
第一弾にとりあえずの仮植えて物は苦戦していますが、そのおかげで少しずつ畑部分が広がっています。
適度の労働で体調はいいです。
身体のかゆみはまだ治っていませんが。

畑で見つけた卵ですが、友人のアドバイスでホッカイロを入れて保温しながら保存していますが、何しろ殻が一部壊れてしまったので、孵化は難しそうで、状況は日々悪化しているようです。
でもまだ埋葬する気にはなれずにいます。

かゆみの原因となったドクガの幼虫ですが、最近はむしろ敵対視しています。
以前は、草のあるところにわざわざ逃がしてから草刈りをしていたのですが、それが禍したようです。

花壇もだいぶ整ってきました。
数日前に蒔いた花の種も芽が出始めていますが、花壇の上の方にアジサイを移植しました。
今日はオミナエシなどを植えようと思います。

しかし失敗もあります。
昨年苦労して移植した琉球朝顔がだいぶ伸びていたのですが、うっかり笹竹を切る時に根っこから切り取ってしまいました。
まあこういう失敗はよくありますが。

今日も朝早くから畑に行きます。
初夏のように晴れ上がった、いい天気です。
世間がどんなに乱れても、この天気は変えられないでしょう。
やはり信頼できるのは、太陽です。

■3865:死の不幸は遺された人の不幸(2018年5月22日)
節子
訃報が届きました。
節子の友だちの倉敷のTさんのパートナーです。
病院関係のお仕事をされていて、私も何回かお会いしています。
活動的なご夫婦でしたので、おふたりでよく旅行もされ、わが家にもご夫妻で来てくれたこともあります。
お似合いの、カップルでした。

最近、有名人の訃報も多いです。
私自身は、訃報にはあまり感ずることはなくなってきていますが、ひとりの人の死は、その周りにたくさんの物語を生み出していることでしょう。

朝丘雪路さんもなくなりましたが、夫の津川雅彦さんが、自分の方が先に逝くのではなくてよかったと話していました。
津川さんも、本当は自分が先に逝きたかったでしょう。
でも朝丘さんの状況を考えれば、津川さんの思いはよくわかります。
いいご夫婦だったのでしょう。

どちらが先に逝くかは、夫婦に限らず、とても大きな意味を持っています。
訃報を「ご不幸があった」などと表現しますが、あれは「残された人の不幸」を言っているのであって、亡くなった方のことではないことに最近気が付きました。
だれもが避けられない死は不幸ではありません。
不幸なのは、「順番を違って、先に逝かれてしまうこと」なのでしょう。

私も、順番と違って、遺されてしまいました。
その「不幸な死」方、まだ抜けられずにいます。

■3866:時にぼやきたくなります(2018年5月23日)
節子
最近、朝の目覚めの時に、なんとはない不安感におそわれます。
不安というよりも、虚無感というべきかもしれませんが、なんとなくすっきりしなくて、そのまま節子の位牌の前でぼやくこともあります。
最近心を改めて、この挽歌では、できるだけ前向きに書こうと思いながらも、時にぼやきたくなることがあります。

たぶん同じような状況から抜け出られないままの人も少なくないと思いますが、思考が弱まった時に、そういう状況に気づきます。
以前は楽しかったことが、楽しくない。
いや楽しいのですが、どこかが違うのです。
なにか核が抜け落ちたようで、楽しいのに楽しくない。

節子がいた頃はどうだったでしょうか。
朝目覚めると、今日は何をやろうかという思いでワクワクする。
いまも、今日は何をやろうかとは考えますが、なぜかわくわくしない。
そのままだと滅入ってしまうので、節子の位牌に向かった、後に遺された大変さをぼやくわけです。
他の人にはあんまり知られたくないですが、わかってもらえる人にはむしろ知られたいという、これまた奇妙な気持ちなのです。

きょうもついついぼやいてしまった。
10年以上たっても、まだこのありさま。
困ったものです。

さて今日はがんばろうと思って、電話を見たら留守電や不在着信がいくつか入っていました。一人に電話したら、出た途端に、「遅い!」と叱られました。
その一声で、今日もまたはじまりました。
こうして、もう11年近くがたったわけです。

■3867:不思議な出会いの日(2018年5月24日)
節子
昨夜は30年程前にお会いした人と会食でした。
もう忘れていたのですが、5年ほど前に、あることで電話がかかってきました。
名前になんとなく記憶がったので、あの時のNさんですかと訊いたら、なんとそのNさんだったのです。
その後、その件で、お会いしたのですが、その時には何人かでお会いしたのでゆっくり話せませんでした。
私には、その人に確認したいことがあって、一度話したいなと思っていたのですが、今年、その人が副社長になったので、ちょっと会いにくいなと思っていました。
その会社の部長に偶然に会った時にその話をしたら、あの人は気さくな人だから大丈夫だと言って、秘書を通じて連絡してきてくれたのです。
私は基本的には、主流から外れてしまっているので、有名になった人とは距離を置くようにしていますが、今回はその人の接待を受けてしまいました。

その会食の場が、池袋のメトロポリタンホテルにある中華料理屋さんでした。
その人との話はとても示唆に富む楽しいもので、あっという間に3時間近く話し込んでしまいました。

実は、前にも一度書いたような気がしますが、池袋のメトロポリタンホテルにはいささかつらい思い出があるのです。
その地下1階に、免疫療法で有名な帯津さんのクリニックがありました。
節子は癌が再発してから、そこに何回か通ったのです。
もう10年以上たつのに、ホテルのロビーや入口は同じ雰囲気です。
ですから、前もそうでしたが、着いた途端にすべてが思い出されてしまうのです。

ロビーでは、官足法の施術の説明をしてもらったこともあります。
1階のロビーは、その時の状況のままのような気がします。
私の記憶違いかもしれませんが。

Nさんが私の講演を聞いたのが、Nさんとの出会いでした。
当時は私は、日本の企業のあり方を変えていきたいという夢を持っていました。
御殿場の経団連のゲストハウスで合宿だったのですが、夜の懇親会でNさんの悩みに少しは役立つ話をしたようで、それでNさんは私を覚えていてくれたのです。
そして不思議なことに、その会社がある事件に巻き込まれた時に、これも偶然に私が少し役立つことができたのですが、そのプログラムのためにNさんは呼び戻されたようです。
Nさんにとっては、大きなプロジェクトの時に、なぜか私とのささやかな接点があったわけです。
あの時うまくいかなければ、いまの私はないかもしれないと、Nさんがボソッと言いました。
人の出会いは本当に不思議です。

さらに話しているうちに、思ってもいなかった共通の知人がいたのです。
早速、その人に今日報告しました。
その人も驚いていました。

昨日は不思議な出会いの日だったのです。

■3868:畑で2時間(2018年5月25日)
節子
畑がだいぶ「畑らしく」なってきました。
節子がやっていた頃にはまだたどりつけていませんが、来年にはかなり近づくでしょう。
しかし逆に庭の方はまったくひどい状況のままです。

今日は午前中みっちりと畑仕事でした。
少しずつ耕しはじめていますが、1時間やっても、ようやく畳2畳分くらいしか畑ができません。
まあそれほど状況が悪いからです。
しかし笹竹の成長速度はすごいです。
横で見ていると伸びているのがわかる気がするくらいです。

いまのところ、キュウリ、トマト、ナス、みょうが、ピーマン、蕗などが植えられていますが、まだなかなか安定しません。
第一陣のカボチャは全滅しました。

一方、家のプランターに種をまいたキュウリと茄子は、たくさん芽を出しました。
これをどうするか。
これを育てたら、それこそ大変です。
農業に取り組むというのは、いろいろと考えさせられることが多いです。

その上、畑の野草をさっぱりしたら、前年の野菜の芽が出てきました。
たぶん大根か青菜類ですが、これを刈り取るべきかどうか迷います。
畑と付き合うのは大変です。
でもそのおかげで、体調はいいです。

■3869:「意味」を考えてはいけないこともある(2018年5月25日)
節子
「生きる意味」をテーマにしたサロンの報告で、私が参加者の発言に失望して、疲れてしまったと書いたのですが、それを読んだある人が、メーリングリストにこう投稿してきたのです。

今晩は。
佐藤さんの、ヘルプメッセージのような?メールに、
参加もしてないのに、状況も解ってもなく。
なぜ生きるのか?について、大好きな絵本があります。
佐野洋子作、絵「100万回生きた猫」です。
絵本なのですが、読みごたえがありました。
読んでるうちに、泣けてきました。
土俵が、随分、ずれてたら、すみません。

「100万回生きたねこ」は、40年以上前に出版された佐野洋子さんの絵本です。
大きな話題になり、いまもまだたぶん増刷がつづいているのではないかともいます。
ミュージカルにもなっています。
ちなみに私は、まったく面白くありませんでした。
どうしてあんなに話題になったのか理解できませんでしたが、いまもって読まれているようです。
薦めてくださった方には申し訳ないのですが、今回、改めて読んでもやはり退屈でした。

物語の大筋は、誰かに依存して、何回も生まれ変わって生きていた猫が、恋をして家族を持ち、大切な人を亡くすことで、はじめて愛を知り悲しみを知る、そしてもう生まれ変わることはなかったという、輪廻転生と解脱の話です。
しっかりと自分を生きないといけないと死ねないよというかたちで、生きることと死ぬことは同じことというような意味も含意されています。
そこに「生きる意味」のヒントがあると思う人もいるのでしょう。
私にはピンときませんが。

今回、ついでに、この絵本を契機に生まれた「100万分の1回のねこ」という、アンソロジーを読みました。
3年ほど前に出版された本です。
これはとても面白かったですが、なにかみんなくらいのです。

「生きる意味ってなんだろう」などと考えると、人はどうも暗くなるのではないか。
そんな気がしてしまいます。
「生きる意味」などあるはずがない。
「意味」を考えてはいけないこともあるのではないか。
それが私の最近の考えです。

■3870:時間がないことに気づきました(2018年5月26日)
節子
昨日、会社の決算をしました。
最近はきちんとした活動をしていないので、ほとんど収入もなければ支出もありません。
ですから1日で年度決算書が作成できます。

今期も残念ながらわずかとはいえ赤字でした。
また債務が増えてしまいました。
まあ現在の収入状況では、事務所維持すら困難ですから、仕方がありません。
遺産も入る可能性はないので、どこかで頑張らないといけません。

以前、会社の経理は節子の仕事でした。
税理士事務所と契約していたのですが、その窓口が節子でした。
節子は、家計簿もつけない人でしたので、苦手でしたが、良くやってくれました。
しかし、なんで忙しいのに収入がなくて、支出ばかりなのかと、言われていました。
税理士からは、もう道楽はやめてくださいと言われましたが、道楽などしていたことはありません。
税理士にとっては、無償の仕事引き受けは道楽になるようです。
しかし、時に予想以上の対価をもらうこともありました。
それで結果的に会社は継続できたのです。

いまは節子もいませんし、税理士との契約も解除しました。
なにしろ以前のように税理士と契約したら、その契約金だけで会社収入のほとんど消えてしまいます。
それで今は私が一人で、1日で年度決算をしてしまうわけです。

会社を解散してもいいのですが、ちょっと債務が残っているので、勝手にはつぶせないと以前に税理士から言われたので、そのまま継続していますが、今年は対価をもらえるビジネスに、久しぶりに取り組もうかと思っています。
しかし、もう10年以上、そうした活動をしていないので、いささか迷いはあります。
そのプレゼンテーションを来週の月曜にする予定なのですが、昨夜、その準備が全くできていないことに気づきました。
今日はサロン、明日は有機農場見学が予定されていて、時間があまりありません。

それで今日は、午前中の畑行きは止めて、企画書づくりです。
明日も午前中は時間があるので、その続きです。
さてさて、しばらくビジネスをしていないと、やはり感覚がずれてきています。
いやはや、困ったものです。
クライアントに迷惑をかけてはいけませんので、いまだ少し迷いがあります。
引き受けたら、少し生き方を変えないといけないですから。

■3871:自分を自由に放し話し合える場(2018年4月27日)
節子
昨日は憲法について話し合うサロンでした。
10人を超える人たちが集まりました。
いつもどうしてみんな参加してきてくれるのか不思議です。
節子と一緒にサロンをやっていた時も、いつも思っていたことです。
その理由が知りたくて、サロンを続けているというのもあります。
理屈では説明はできるのですが、その説明にはあまり自分でも納得できていません。
どうして人は集まるのか。

サロンが終わっても、みんななかなか帰ろうとしません。
昨日も、4人の人が残って、サロンとはあまり関係のない話を始めました。
それがまた盛り上がってしまい、サロンパート2になってしまいました。
明後日の企画書づくりが気になっていましたが、まあ仕方がありません。
それにサロンも、なにやら私が呼びかけたような内容にはならなかったような挫折感があり、今回もまた疲労感が残りました。

この頃、改めて感ずるのですが、どうも私の呼びかけはうまく伝わっていないようです。
そして、テーマではなく、話し合う場を求めているのが、多くの人の本音のような気もします。

Kさんは、ここでは、よそでは話しにくいことを何でも話せそうなので、今日も自分の思っていることを話したいと言って、話しだしました。
言い換えれば、よそではあまり「話したいことを話せない」社会になっている。
それに気づいていなのは私だけなのかもしれません。

もっとも湯島で話し合っていることが、そんなに特別のことかと言えば、私にはそうは思えません。
誰かに聞かれて問題になりそうな話など、出たことはありません。
密談や謀議などあろうはずもありません。
ただ、原発に反対とか、憲法9条を変えたくないとか、官僚は嘘ばかりつくようになったとかいう話の発言者として特定されるのが危険だと多くの人は思い出しているのかもしれません。
そんな気配が社会に充満している気配は、私でも感じます。

だから、湯島のような匿名の場で話せるところに人が集まるのかもしれません。
ある人が、ここはまだ目をつけられていないだろうからと言っていましたが、みんな何を不安がっているのでしょうか。
そのことの方が、私には異常です。

しかし、人はだれも、自分を自由に放し話し合える場が必要なのかもしれません。
私にとって、それは節子との話う場でした。
隠し立てはなく、話しながら自分でも気づかない自分に出合うような関係は、節子を置いてはありませんでした。
その節子がいなくなり、私も最近は完全には自分を開放していないのかもしれません。
それが10年つづいているので、どこかに何かが蓄積されてきているために、最近、なにか身心が重いのかもしれません。

昨夜、そんなことを考えながら、いつのまにか寝てしまいました。
そのせいか今朝もあまりすっきりしません。
しかし、今日もとてもいい天気です。
畑に水やりに行ってこようと思います。

■3872:水こそが「いのち」を支えている(2018年5月28日)
節子
昨日は船橋市にある有機農場に行ってきました。
霜里農場の金子友子さんからのお誘いです。
山田さんという新規就農者の独身男性が10年かけて、広げてきた7つの農場です。
彼は、ほぼ毎日、その畑の往来です。
電車に乗るのは不得手だと言っていました。

霜里農場で、13年ほど前に実習していたそうです。
霜里農場の卒業生は各地に散らばって、新しい生き方や働き方をしているのがよくわかります。
そういう人たちのゆるやかなネットワークの場の一つに、湯島がなればいいなと思っていましたが、友子さんが早速動き出してくれたわけです。
湯島は、霜里農場分室になれるかもしれません。

暑い中を農場視察でちょっと疲れてしまい、昨日は畑には朝だけしか行けていませんが、幸いに今日は曇天なので大丈夫でしょう。
しかし山田さんが話してくれました。
水がともかく大切なのだと。
水をあまりやらないほうが、トマトは甘くなると言われていますが、そんなことはないようで、適度な水はどんな命をも守ってくれているようです。

私はあまり水を飲むのが好きではありませんが、もっと水を飲まなければいけません。
生命と深くつながっている人の話は、いろいろと教えられることが多いです。

■3873:水と火(2018年5月28日)
節子
前の記事で、水が「いのち」を支えていることを書きましたが、それで思い出したのが、ゾロアスター教のことです。
ゾロアスター教は「拝火教」とも言われるように、火を使う祭儀が多いと聞いていましたが、最近ゾロアスター教に関する本を3冊ほど読んだら、どうも私の理解はかなり偏っていたことを知りました。
もちろん火も大切にされていますが、火と並んで「水」もまた祭儀の主役だったようです。

ゾロアスター教の発祥は先史時代だそうですが、当時、雨の少ないステップ地帯で、生きていくために必要だったのが「水」と「火」だったわけです。
原インド・イラン語族は、水を「アーパス」という女神たちとして凝人化して、祈りを捧げ献水をしたそうですが、そうした献水は、外に流出してしまった生命力を、再びその元素のうちにとりもどして、それを清浄かつ豊かにするものと信じられていたそうです。
この辺りのことは、知れば知るほど、面白い世界です。

わが家のリビングのスパティフラムは、時々水を欠かせてしまうと見事にしなだれてしまいますが、水をやるとまもなくシャキッとします。
植物と付き合っていると、水の大切さがよくわかります。
むかし、ある人に「土は生き物ですよ」と言われてから、庭の花に水をやる時に、花を植えていない植木鉢にある土にも必ず水をやるようにしています。
土はもちろんですが、石もまた生きているのかもしれません。

水や火が、「いのち」を支えている。
しかし、時に、その水や火が「いのち」を奪ってしまう。
「いのち」を支えるものが、「いのち」を奪うものでもある。
そう考えると、世界の面白さへの想像が広がります。

今日はちょっと時間破産と過労を口実に、畑に水やりに行きませんでした。
野菜や花が元気でいてくれるといいのですが。

■3874:邪悪な血液が身心中を駆け巡っているような感覚(2018年5月29日)
節子
この2日、夜中に目が覚めて、しばらく眠れなくなりました。
身体全体に、なにかおかしさを感じます。
心配はないのですが、どうも身体全体に違和感があり、邪悪な血液が身体中を回っているようなイメージがあります。
どこかが痛いわけでもないのですが、なにか寝苦しいのです。
うつ伏せになったり、起き上がったりして、その違和感を追い出そうとしますが、なかなかうまくいきません。
畑のやぶを刈り取って以来、身体全体のかゆみはまだ残っています。
ついに皮膚科には行かなかったのですが、かゆいのは皮膚だけでなく、血管までかゆいような気さえ、時にします。
ひどくなっているわけではないのですが、イメージ的に広がっている気がします。
さらに身体中が火照っているような気もします。
今も手足は火照った感じです。
こうした状況から、邪悪な血液が身心中を駆け巡っているようなイメージがあるのです。

こんなことを書くと、なにやら私が「危うい状況」にあるようなイメージを与えてしまいますが、元気なので、ご心配は不要です。
どうも私の文章表現は、いささかオーバーなようで、誤った印象を与えてしまうことが多いのですが、いまの状況を気分通りに書くとこうなってしまうのです。
「邪悪な血液」が身心(身体ではありません)を駆け巡っているというイメージは、今の気分にピッタリなのです。
でもまあ、これから少し経つと、そのイメージは消えるでしょう。
いつもの1日がはじまる。
ただ2日連続で、真夜中にちょっと寝苦しさを感じて、よくはねむれていないので、今朝もまたさっぱりできずにいます。
畑に行ってこようかと思いますが、疲労感も少しあります。
困ったものです。

節子は忘れているでしょうが、今日は私の76歳最後の日です。
誕生日も含めて、最近はそういうことにまったく興味が持てなくなっています。
節子がいなくなってからの時間は、止まったような感じだからです。
それも娘たちが、会食に誘ってくれたので、みんなの日程を合う今日、孫も一緒に食事に行く予定です。
人のお誘いは、基本的には断りませんので、実のところうっとおしさもあるのです。
気分を戻しておかないといけません。

ちなみに今朝もいい天気です。
節子がいなくなってからの大事な日は、よほどのことがないと、お天道様は私の味方です。
きっと節子のおかげでしょう。
今日は、久しぶりに「小節子」も一緒に連れて行こうと思います。

■3875:愛と涙と幸せ(2018年5月29日)
畑に行ってきました。
ちょっと気分がすっきりしました。
野菜たちは何とか元気でした。
でも先行きいささかの不安はあります。
私と同じく、勢いのある元気が感じられません。
惰性的な元気、です。

先日、「100万回生きたねこ」のことを書きました。
私の知人もそうですが、多くの人は最後のところで涙が出てしまうと言います。
そんな記憶は私にはないのですが、いまは私もだいぶ「成長」したので、もしかしたら涙が出るかもしれないと思い直して、久しぶりに読んでみました。
……
まったく感動がない!
感受性はむしろさらに低下しているようです。
困ったものですが、涙が出ないところが、物足りなさを感じました。

そこで、ついでに、数年前に出た「100万分の1回のねこ」という、佐野さんに捧げるトリビューン・アンソロジーを読みました。
佐野さんの絵本に触発された13人の人が、それぞれの作品を書いています。
13人?
そういうところには、ついつい思いがいってしまいます。

谷川俊太郎さんは、その本の帯に、「『100万回生きたねこ』は、佐野洋子の見果てぬ夢であった。それはこれからも、誰もの見果てぬ夢であり続ける」と書いています。
「見果てぬ夢?」
よくわかりませんが、やはり私の感受性に問題があるのかもしれません。
しかし、この13編の小品は、どれもみんな面白かった。

『100万回生きたねこ』はミリオンセラーなので読んだ人も多いでしょうが、山田詠美さんの小品「100万回殺したいハニー、スウィート ダーリン」にとても簡潔にその内容が書かれていますので、その部分を引用させてもらいます。ついでに、「愛と涙」についての話も。長すぎるほど長い引用ですが、とても面白いので、ぜひ読んでください。節子にも読ませたいので。

お話は、とてもシンプルで、日頃、本なんて読まない私にも簡単に理解出来た。百万年死なない猫の話。百万回も死んで百万回も生きた「ねこ」という猫の話。死の局面のたびに、彼を深く愛していた飼い主たちは、誰もが泣く。でも、当のねこはへっちゃらだ。だって、どの飼い主のことも全然好きではなかったから。
 ページをめくりながら、私は、ねこを、とても羨しく思った。誰も愛していないって、なんて気楽なのだろうと感じたから。私なんか、可愛いがってくれた誰が死んでも悲しみのあまり病のようになった。自転車泥棒に遭った際に一所懸命になってくれたおまわりさんの時も、冬になるとおみかんをおまけしてくれた八百屋のおばさんの時もだ。金欠の私の体を買ってくれたおじいさんの時なんか、じゃんじゃん泣いた。だって、世の中の逆風にもめげずに健気に生きとるお嬢ちゃんって言ってくれたんだもの。抱かれたその日は穏やかな天候で、全然、逆の風とか吹いていなかったけれども、若い娘への親切心をしっかり持っているお年寄の姿勢にぐっと来た。それなのに、御礼も出来ない内に死んじゃった。
 そんなぐずぐずした私に比べて、ねこと来たら! こんなふうに、人と関わった人生をリセットして行けたら、どんなに生きやすいだろう、と我身と比べて溜息をついた私。私は、永遠にねこの飼い主側の人間。
 しかし、ねこが白いねこと出会ったと読んだ瞬間から、心がそわそわし始めた。悲しみの前触れが訪れる時は、いつもそうであるように落ち着かなくなってしまう。この時もそうなった。(中略)
 私の予感通り、白いねこを愛してしまったねこは、その死に際して泣いて泣いて、泣いて死んだ。そして、今度は、もう生き返らなかった。心から愛した者の喪失は、決して、彼の生をリセットさせなかったのだ。うんと幸せになった故に、うんと不幸せになってしまったねこ。

ただ、この小説の主人公は、この絵本を男友だちの前で読まされて、泣いてしまうのですが、それを見て、プレイボーイの、その男友達はこういうのです。
「おまえ、本気で泣いてる。すっごくいい!本物の愛に対するセンサーが、ちゃんとあるんだな。よし! おまえを次のビアンカにしてやる!」
この続きがまた面白いのですが、それは本を読んでください。

私はどうしてこの絵本で泣けなかったのでしょうか。
「本物の愛に対するセンサー」がないのかもしれません。
困ったものだ。

■3876:喜寿の会食(2018年5月29日)
節子
生きながらえてしまい、私もとうとう喜寿を迎えました。
節子がいなくなってから、この種のお祝いをするのをやめていますが、ユカが企画してくれ、ジュン家族も含めて、みんなで会食しました。
久し振りに個室での中華料理でしたが、やはり節子がいないと私自身は元気が出ません。
節子の代わりに孫のにこがにぎわしてくれましたが、にこはとても素直で面白いです。
私のことは、最初は「むーさん」でしたが、私の希望で「おさむ(さん)」にしようと切り替えて苦労させてしまいましたが、最近は「おしゃむ」というようになりました。
時には「おしゃむ しゃん」ですが、まあどちらでもいいでしょう。

私たちに子どもができた時、子どもたちには名前で読んでもらいたいという提案をしましたが、節子は反対でした。
人は名前があるのだから、名前で読むのが基本ではないかと私は、今でも思っていますが、節子がいたらどうしていたでしょうか。

会食後、わが家に戻りましたが、先日の自分の誕生日に体験したケーキのロウソク消しが気に入っているようで、今回もわざわざ持参したロウソクを持ってきて、私と一緒に吹いて消しました。
その後、「おしゃむと写真」を撮ると言って、自分から膝に乗ってきました。
普段はそんなことをしたことがないのに、驚きました。
その後は、今度は「ゆかしゃん」と言って、ユカともツーショットでした。
不思議な気がしました。
子どもたちには、いろんなことが見通しではないのかと思ったのです。

位牌の前の風景を節子は見ていたでしょうか。

■3877:「なんで誕生日には「おめでとう」っていうの?」(2018年5月30日)
節子
とうとう77歳です。
節子には信じられないことでしょう。
私にも信じられないことですが。

いろんな人が、フェイスブックで「おめでとう」と書いてきます。
私は誕生日に「おめでとう」と言われることが好きではありません。
そもそも「尾根で塔」という言葉の意味がよくわからない。
フェイスブックにはいつもそういうことを書いています。
しかし、みんな「おめでとう」と書いてきます。
それはただそういうことになっているからで、なかにはフェイスブック仕様のマニュアル化されたメッセージを送ってきます。
たぶんみんなに同じような言葉を送っているだろうなという文章もある。
心が入っていないメッセージは、私が一番嫌いなことなのに、それに気づいてくれない。
困ったものですが、あまり毎回言い過ぎるのも失礼が度を越すでしょう。
そこで今年は、だいたいこんなことを書きました。

気がついたら喜寿の誕生日でした。
よくまあ生き続けられてきました。
一応、定めでは「93歳」と聞いていますが(30年ほど前に京都の有名らしい人からお告げを聞いてきてくれた人がいます)、念願はできるだけ早くお暇したいと思っています。
ただ私の場合、10年ほど前に「心の時間」が止まったので、「身体の時間」とのずれが開いてきていて、時々、ダウンします。
今日は、畑作業から始まり、午前中は本郷のあたりを自転車で走っていました。
体力がついていけていないのがよくわかります。
午後は湯島で論敵との長い時間が予定されていますが、疲れて眠りそうです。

いろんな方々からの「誕生日おめでとう」のメッセージ、ありがとうございます。
昨年の誰かからのメッセージを受けて、素直に「ありがとうございます」ということにしましたが、やはりなぜ誕生日がめでたいのかよくわからない。
私の好きなテレビの番組に、「ちこちゃんに叱られる」というのがあります。
その時間に在宅できない時には、録画して必ず見ています。
それを見ながら、私もなんとボーっと生きているのだろうと反省しながらです。
その番組では視聴者からの質問を受けています。
質問できるのは一応「5歳児」ですが(ちこちゃんが5歳だからです)、私にもまだ「5歳児」が残っているので、資格があります。
質問は、「なんで誕生日には「おめでとう」っていうの?」
私が納得できる回答があったら教えてください。

そう書いたにもかかわらず、定型的なメッセージを書いてくる人がいます。
困ったものです。

でもなかには、こんなメッセージもありました。

誕生日、佐藤さんは「おめでとう」と言われたくはないのに、またそういう風に毎年書いているのに、たくさんの方がお祝いしてくださるのが素晴らしい。

何処が素晴らしいのか、よくわからないのですが、こういうメッセージはうれしいです。
きちんと私に話しかけてくれるからです。

それといろんな人が「なぜおめでとうというのか」の回答を送って来てくれています。
でもまだ、私を納得させてくれる回答はありません。
ちこちゃんに質問しなければいけません。

■3878:喜寿 一人で良く頑張りました(2018年5月31日)
節子
喜寿を迎えたことを友人からほめられました。
「喜寿 一人で良く頑張りました」というメッセージが届きました。
小学校時代の同級生の女性からです。
彼女も、私よりも前に伴侶を見送っています。
その彼女も、間もなく喜寿です。
このメッセージは、彼女自らへの褒め言葉でもあるのです。
こういうメッセージは、心を感じられるので、私でもうれしいです。

伴侶を見送り、独りで生き続けることは、きびしいものです。
それを乗り越えられずに、再婚する人もいますが、その気持ちもよくわかります。
乗り越えられずに、後を追う(自死という意味ではありません)人も少なくないでしょう。
特に男性の場合は、独りで生きるのは不得手なような気がします。
私の場合は、娘たちがいたので、なんとか生きながらえましたが、精神的な人生は全く変わってしまいました。
生きる意欲はなくなり、生きる喜びは遠くに行ってしまった気がします。
ですから、誕生日おめでとうなどというメッセージも、気持ちを逆なでされる気分さえするのです。
でも、それはたぶんなかなかわかってはもらえないでしょう。

「喜寿 一人で良く頑張りました」とメッセージしてきた友人も、
でも最後にこう書いていました。

やはり < おめでとう >と申し上げます

何がめでたいのか、やはりよくわかりませんが、ここは素直に受けておこうと思います。

■3879:孫は節子を見分けられますよ(2018年5月31日)
節子
今日は在宅だったのですが、じゅん親子がやってきました。
2歳になったばかりの孫のにこは、節子には会ったことがありません。
それでもじゅんが教えたおかげで、節子の顔と名前を知っています。
先日、姪の結婚式の時にみんなで撮った写真が出てきました。
そこから節子の顔を見分けられたそうです。
今日も写真を見て「せつこしゃん」と指差しました。
会ったこともないのに、やはり何か通ずるものがあるのかもしれません。

わが家の愛犬のチャッピーも覚えたようで、写真を見るとチャッピーと指差します。
家族には通ずるものがあるのでしょう。

ちなみに、じゅんがいない時に、こっそりとにこに生まれる前のことを覚えているかと訊いてみました。
どうもその言葉が理解できなかったようで、今日は答えは得られませんでした。
この年齢だと、たぶん前世のことを覚えている可能性が高いです。
それに、にこは時々、あらぬ方向をじっと見ていることがあります。
節子やチャッピーが見えているのかもしれません。
しかし最近だんだんそういう視線が少なくなってきました。
早く聞きださないと忘れてしまうかもしれません。

2歳の孫を見ていると、人間の素晴らしさを感じます。
それを節子に体験させることができなかったことが残念で仕方ありません。
節子は、しかし、自分の娘たちでそれを体験していたのかもしれません。
でも、もしかしたら、その余裕はなかったかもしれない。

いずれにしても、私もこの孫が、大人になる前に別れることになるでしょうが、一番いい時に付き合える幸せに感謝しなければいけません。
娘にも感謝しなければいけません。

■3880:未完の作品(2018年6月1日)
わが家には、節子の「未完の作品」があります。
未完の作品というよりも、正確には「未完の作品を思い出させるもの」ですが。
それは、リビングのまんなかにあるテーブルです。

わが家のリビングは、いろんな人が集まることも想定して、少し広めにつくりました。
たくさんの人も座れるように、小さな回転いすも用意しました。
問題はテーブルです。
テーブルは、自然の木材の大きなものを希望していました。
いろいろと探しましたが、節子のお気に入りのものは見つかりませんでした。

私の友人が、栃木の知り合いのところにいいのがあると教えてくれました。
一緒に行こうという話が出た頃に、節子にがんが発見されました。
テーブル探しどころではなくなり、とりあえず何もないと困るので、1万円の板を買ってきて、脚をつけてテーブルにしました。
節子の手づくりです。
実は、いまもって、それがわが家のリビングにあるのです。
ちょっとリビングには似合わないテーブルですので、お客様は違和感を持つでしょう。
家族もみんな違和感を持っていますが、誰もテーブルを変えようと言わなくなりました。
だからそこでちょっとしたミーティングをやった時に、きっと来た人は違和感を持つかもしれません。
もう少し見栄えのいいテーブルにしたらいいのにと思われているかもしれません。
でもまあ10年以上もそこにあると、私には何となく、これでもいいかと思い出しています。
それにしても、いかにも粗末なという感じのテーブルなのです。
小さな回転いす一つよりも安いテーブルなのですから。

■3881:リビングの照明は壊れたまま(2018年6月1日)
リビングの設計は、節子がいくつかこだわったところがあります。
わが家の家づくりは、4人の家族がいろいろと意見を言ったため、かなり混乱したものになってしまったかもしれません。
意見は多ければ多いほどいいわけでもありません。

完成した後、節子自身も後悔していたところも多いのでしょうが、それもそのままになっています。
キッチンとダイニングの境目はオープンにしすぎてしまい、ちょっと後悔でした。
節子が強く主張したのに家族や設計者から受け入れられなかったこともあります。
これについて、家ができてからも節子は口に出していました。
節子の言い分が正しかったことが判明したからです。
しかし完成後に直すわけにもいかず、いまも不便さを我慢しています。

節子のこだわりの一つは、リビングの照明でした。
なぜか節子は照明にこだわります。
私は何でもいいのですが、ガラスでなければいけないと主張し、その時もわが家には分不相応な照明器具になりました。
見た感じはさほど変わりませんが、節子のお気に入りでした。

その照明器具が2年前に点かなくなりました。
切り替えが複雑なので、それがおかしくなったのでしょう。
廃棄するには忍び難く、友人に直してもらえないかと分解してみましたが、内部が複雑すぎて修理できないと言われてしまいました。
電器屋さんに持っていけば修理できるのかもしれませんが、高くつきそうなので躊躇しています。
いまは代わりに、使っていなかった蛍光灯をカバーもつけずに使っています。
リビングの上なので、お客さまもそう気づかないので、これもまたそのままです。
節子はたぶん嘆いているでしょう。

リビングにはエアコンがあります。
このエアコンがまた壊れています。
埋め込み型なので、メーカーに頼んで修理してもらったのですが、すぐにまた同じような状況になってしまいました。
要は直らなかったのです。
使っていると、突然大きな音がしだすのです。
ですからよほどの時でないと使えません。
ですから暑い時にはわが家には来ないほうがいいです。

まあ、そんなこんなで、わが家のリビングはテーブルだけではなく、実にちぐはぐなのです。
でもまあ、これも私たち夫婦に似ているのかもしれません。
私が元気なあいだは、たぶんこの状況が続くでしょう。

■3882:平和で豊かで、知的で快適な暮らし(2018年6月2日)
節子
今日も暑いです。

太陽が一番元気な8時半から約2時間、畑に行っていました。
節子がいたら止められていけなかったでしょう。

30分で終わる予定が、荒地をもう少し畑にしようと思い立ちました。
畑は耕すだけではだめなのです。
そこに新しい文化を育てないと、畑は元の野草で覆われます。
いつも、近代西欧社会とISの関係を思い出しています。
野草を刈る時には、必ずしも無心ではないのです。
いろいろと考える。
時には、節子を思い出して、涙することもあるのです。

それで、新しい荒地に挑んだら、これが実に面白い。
時を忘れて、野草や笹竹の根っこと格闘していました。
気がついたら2時間近く経っていました。
倒れそうなので、家に電話してユカに冷えた栄養ドリンクを届けてもらいました。
それを飲んだら、また作業をやりたくなりましたが、汗もだらだらなのと、熱中症の恐れもあるので帰宅しました。
家族がいなかったら、まだ続けていたかもしれません。
さてそこで色々と考えたのは、働き方改革です。
このように、農作業はいろんなことを考えさせてくれるのです。
チコちゃんが言うように、「ボーっ」と生きていては、農業はやれないのです。

それにいろんな生命に会います。
人間もですが(今日は写真を撮っている人と話しました)、トカゲとかトンボです。
今年初めての、ムギワラトンボに会いました。
最近、トンボの大きさが小さくなってきているような気がします。
カマキリの巣もありました。
世界は実に豊かです。

帰宅して、手を洗おうと思ったら、親指に豆ができてそれが破れていました。
それに気づいたら、急に痛くなってきました。
ホメロスの「イリアス」を思い出しました。
つながりは誰にもわからないでしょうが。

さて午後は、30分、昼寝です。
そして、夕方また、畑。
実に平和で豊かで、知的で快適な暮らしです。
予定では、2年前から毎日がこんな生き方になるはずだったのですが。
節子の生で、人生は変わってしまいました。
こまったものです。

■3883:いささか畑をがんばりすぎてしまいました(2018年6月2日)
節子
今日は少し頑張りすぎてしまいました。
夕方も2時間近く畑に行っていましたが、さすがに疲れてしまいました。
笹の根っこを深くから切り取る作業はかなり力が必要です。
そのために、右手がかなりダメッジを受けてしまい、手が使えなくなってしまいました。
また座って作業するので、脚が疲れて、階段をのぼるのさえつらいです。
疲れ切ってしまい、ダウンです。
私はどうも無茶をやる習癖があるので、時にこうなります。
困ったものです。

畑面積や花壇面積はかなり広くなりました。
また種や苗を買ってこなくてはいけません。
今年は収穫よりも、野菜や花で埋め尽くすのが目的です。
野菜や花が育ってくれば、野草や笹は遠慮してくれるでしょう。
もちろん私が抜いたり刈り取ったりするわけですが。

昨日も今日も畑仕事中心だったので、他には何もしていない気がします。
何か大事なことを忘れているような気もしますが、まあ今は畑が最重点課題なのです。
庭の乱雑さにも構ってはいられません。
梅雨入りする前に、基礎をつくっておかないと、元の木阿弥になりかねないからです。
自然の成長力は侮れないのです。

さて明日はどうしましょうか。
月命日なので、お墓にも行こうと思いますが、今夜休んだら、身体の疲れは直るでしょうか。
お風呂に入って、今日は9時過ぎには就寝です。
お風呂の中で眠らないようにしなければいけません。

■3884:〈ないもの)から、〈あるもの)が生まれた(2018年6月3日)
節子
昨日は早く眠ったのですが、案の定、夜中に目が覚めてしまいました。
それで読みかけていた「インド哲学10講」という岩波新書を読んでしまいました。
なかなか難しくて、ますます目が覚めてしまい、また寝不足です。

その本を読む気になったのは、先日、先日詠んだ「先史学者プラトン」などのせいですが、読みだしたらどうも難解で、少し読むのをやめていました。
そのため、枕元に積まれている本の仲間入りしていたわけです。
難解なのですが、気になっていた文章がありました。

インド哲学と言えばウパニシャッドですが、それを代表する思想家にウッダーラカという人がいるそうです。
今から3000年ほど前の人だと言われています。
その人が、息子に話した言葉が、残されています。

息子よ、はじまりにおいて、この世界は(あるもの)に他ならなかった。それはただ一者として存在して、2番目をもたなかった。この点について、ある人々は言う。「はじまりにおいて、この世界は〈ないもの)に他ならなかった。それはただ一者として存在して、2番目をもたなかった。その〈ないもの)から、〈あるもの)が生まれた」と。しかし、息子よ、いったいどうしてそのようなことがあるだろうか、とウッダーラカは言った。いったいどうして〈ないもの〉から〈あるもの〉が生まれることがあるだろうか。そうではなくて、息子よ、はじまりにおいて、この世界は〈あるもの〉に他ならなかった。それはただ一者として存在して、2番目をもたなかったのだ。

ウパニシャッドでは、最初に〈ないもの〉があったと書かれている、と私はぼんやりと記憶していました。
そして、〈ないもの〉からすべては生まれだすという考えになじんできました。
近代科学の主張する物質不変の法則よりも、もっと大きな世界があると確信しているからです。
科学が感知できるのは、それこそ「小さな宇宙の一部」でしかないと私はずっと考えています。
そのためこのウッダーラカの指摘はちょっと悩ましい問題でした。

〈ないもの〉から〈あるもの〉が生まれることがあるだろうか。
そうではなくて、息子よ、はじまりにおいて、この世界は〈あるもの〉に他ならなかった。
それはただ一者として存在して、2番目をもたなかったのだ。

この文章を考えているうちに、目がますます覚めてきてしまったのです。
結局、世界は〈あるもの〉に他ならなかったと、世界は〈ないもの)に他ならなかったとは、同じことなのだという結論になって眠れましたが、2番目、つまり他者が存在しないことは、ないことと同値なのです。
さてそこからいろんなことが広がっていきそうですが、それはまた別の機械に考えましょう。

まあ、そんなわけで、今日は寝坊してしまいました。

■3885:5月30日生まれの人の性格判断(2018年6月3日)
節子
最近、フェイスブックに余計なことを書きすぎて、たぶん評判を落としています。
まあ以前から評判はあまり良くないと思いますが、どうも「言わずもがな」のことを言う性癖は直りません。
困ったものですが。
それでも、時には、節子に聞かせたくなるようなメールも来ます。

先日、まだお会いしたことのない、しかし電話などでは何回も話したことがある、もしかしたらほぼ同い年の広島のOさんからのメールにこんな文章がありました。
ちょっと長いですが。

ネットで誕生者の性格に次のようなものがありました。
5月30日に生まれたあなたは、生まれつきの社交家です。小さなころから頭の回転が早く、ユーモアのセンスが抜群で、誰からも愛されます。いつも楽しいこと新しいことに対してアンテナを張り巡らせていて、それが現れると飛びつきます。何でもやってようとするチャレンジ精神が旺盛です。反面、取りかかったはいいけれどすぐに飽きてしまったり、他のものごとに目移りしてしまいやすい傾向があります。それを批判されるとついムキになって反論したり、挑発してしまうことも多いでしょう。
人が大好きで、相手が何を考えているか瞬時に見抜いてしまう直観力を持っています。相手の望む答えを瞬時に用意することができます。ですからその場の空気をうまく操って、自分の思い通りに動かすこともできるでしょう。いつもふざけているように見えて、実はひとりひとりがよく見えているのです。さり気なく細かい気配りをすることもできるので、いつもみんなの人気者なのです。
取り組んだことにあきっぽく、長続きしないことが多いので、信頼を得ることは簡単ではありません。気持ちもコロコロ変わり、言動が変わることも多いのです。「ふざけてばかりで真面目にやらない」「調子がいい」というイメージがつきやすいでしょう。その傾向は小さい時からで、大人になっても変わりません。周囲の信頼を得るには、ひとつのことを長続きさせて実績を積む必要があります。それができるようになると、その後の人生がうまく回り始めるでしょう。また、遊びや恋にエネルギーを注ぎ過ぎて、疲れることが多くなります。また普段の生活もおろそかになりがちです。今が楽しければそれでいいという考えを改められるかどうかで、中年以降の健康状態や暮らし方が変わってくるでしょう。

笑えてしまうほど、ぴったりのところがあります。
もちろん、欠点に関してですが。
しかし、最後に「中年以降…」という表現があるように、これは5月30日生まれの若者向きの性格判断のようです、

Oさんは、次のメールでこんなことも書いてきてくれました。

今朝は、NHKの番組で内館牧子さんが登場されて小説「終わった人」について取り上げられていました。
東大を卒業したとあるエリート銀行員が、63歳の定年を迎えて、それまで仕事一筋だった人生から家庭・地域・趣味をおろそかにしていたツケが一気に噴出して八方塞がりとなり「定年って、生前葬だな〜。」とつぶやいてしまうストーリーだとか。少し興味のわく本のようですが、私も15年前に強烈な体験の中で仕事を追われたことで、今のユッタリズムな生活が送れるようになったことに改めて感謝しなければいけないのだな〜と痛感しました。

最後の文章がとても共感できました。
Oさんのことは、あまりよく知らないのですが、この1文でなぜか心が改めて通ずるような気がしました。
また、定年を「生前葬」と感じる生き方もわかるような気がします。
私の場合は、節子とともに、「生前葬」をしてしまった感じが少しあったのですが、そこからはいまは抜け出られています。
それが、「ユッタリズムな生活」とはちょっと違います、ある意味では「豊かな生活」にたどり着けた気がします。
「死」と「生」、「挫折」と「成功」は、やはりコインの裏表なのでしょう。

■3886:暴走のブレーキ役(2018年6月3日)
節子
Oさんからのメールにつづけて、今週もらった他の人からのメールも書いておきます。
そのメールには、「奥様に直接、お尋ねください?!」と書かれていましたので。
私のK戸をいろいろと心配してくれた上で、こんな文章がついていました。

ちょっと過干渉?とは思うのですが、佐藤さんのサロンを居場所にしている人は、
佐藤さんに何かあれば、ショックを受けるだろうと思います。
サロン企画が立て込むと、どうしても無理をなさりがちなので、
ついつい、ブレーキ役になってしまいます。
天の奥様が、私だけでなく何人かの方に、ブレーキ役を任命なさっているのかもしれませんね(笑い)。
奥様に直接、お尋ねください?!

この方もやはりイニシャルではOさんですが、時々、サロンに来てくださる方です。
酢たまねぎや血圧には脚の運動だというような本を送ってきてくださったりしています。
彼女自身も、私よりもたくさんの問題を抱え込んでいる人ですが、問題を抱え込んでいる人の方が、他者の問題が見えるのでしょうか。

たしかに私は、誰かが止めないとさきがみえなくなりかねない欠陥があります。
注意しなければいけません。

ところで、この週末の土日は、サロンを開きませんでした。
別に理由があるわけではないのですが、昨日電話をくれた友人は、この週末はサロンがないのか、と言ってきました。
そういえば、最近サロンを開かない週末が増えています。
ただし、サロン回数はむしろ増えているのですが。
しかし、サロンのない週末はのんびりできます。

いま、畑に朝の水やりに行ってきました。
ちょっと出遅れたせいもあって、あまりの暑さに水だけやって帰宅しました。
今日の午前中は、節子の月命日なのでお墓に行く予定ですが、それ以外は手紙を1通書くくらいしか用事がありません。
机の上に置いてある「やることリスト」には10項目以上書かれていますが、まあそれらは気が向いたらやることにして、とりあえずはのんびり過ごせる日です。
それに昨日少し頑張り過ぎたので、右手がうまく動かせずに、握ることができません。
いささかやり過ぎたようです。
直ったら、夕方畑に行こうと思います。
なにしろ2畝の畑用地の開墾がほぼ終わったからです。

むかし、節子が駅前の花壇に何を植えようかとスケッチしていたことを思い出します。
節子がいなくなってからの駅前花壇の方がきれいなような気がしますが、それはともかく、白紙の土地に何を植えるかを感がるのは楽しいものです。
節子と結婚したり、会社を辞めたりしたときの気分を、ちょっと思い出します。

■3887:今日も畑に水をやりに行くことから1日がはじまりました(2018年6月4日)
節子
夏のように暑いです。
湯島に行く前に畑の作業をしようと思いましたが、あまりの暑さに水やりだけにしました。
いまのところ、なんとかみんながんばっているようですので。
なんだか最近は、畑仕事を軸に生活が動いているような気もします。
それもまた、良し、ですが。

それにしても、畑仕事をすると、自らの体力の低下というか、老化というか、そういうことを強く自覚させられます。
作業して帰宅すると、ぐったりしてしまい、何もやる気が起きません。
疲れは、翌日になっても残っています。
右手で思い切り力仕事をしているため、手を強く握れなくなっていますし、そのため今日は畑仕事をしても力を入れる仕事はできないかもしれません。

しかし、いいこともあります。
シャツがびっしょりになるくらい汗をかきます。
こんなことはここしばらくなかったことです。
汗をかくのがいいことかどうかわかりませんが、なにやら気持ちはいいです。

畑の面積は広くなりましたが、最初にいろいろと植えたところは、昨年か一昨年に育っていた大根か何かの芽が一面に生えだしてしまい、カボチャなどは全滅してしまいました。
枯れたのもありますが、一番の被害は、葉っぱが虫に食べられてしまったためです。
小さな、これまであまり見たことのない虫ですが、防虫剤をまくわけにもいかず、見つけるととっていましたが、殺すのもいささか気が向かないので、逃がしているので結局、またやられてしまい、全滅というわけです。
ここは悩みどころですが、農家の人に聞くと、たくさん野菜をつくれば、無視が分散するので共生できるのだそうです。
野菜を増やさないといけません。
一部は虫のために、です。
虫には、害虫も益虫もいないのです。
ほどほどに我慢しながら、みんなと共生していくことで、豊かさが広がっていく。

人間の社会も、たぶんそうだったのでしょうが、最近は変わってきてしまいました。
それには約気付いて、抜け出られたことの幸せを感じます。
これも節子のおかげかもしれません。
人は誰を伴侶に選ぶかで、人生は変わってしまうのでしょう。
そもそも、結婚するとは自らの人生を変えることですが。

最近、パソコンに向かう時間が減ってきました。
節子がいたら喜ぶでしょう。
でも、もうその節子はいません。
人生はなかなかうまくいきません。

■3888:縁カフェなのにお客さんがありません(2018年6月4日)
節子
毎月最初の月曜の午後は「縁カフェ」というのをやっています。
まあこれも思いつきで始めたことですが、居場所のない人に、午後の時間をゆったりと過ごしてもらう場所をつくりたいという思いで始めました。
しかし問題は、どうやって告知するかです。
私の知り合いには、あまり「居場所」に困っている人はいそうもありませんし、困ったら勝手に湯島に来ればいいだけです。
そのため、毎回、お客様が来ないのです。

しかも、縁カフェはコーヒーが有料です。
500円です。
これは積み立てられて、将来は喫茶店開設費用になる計画ですが、これまで4回ほど開店して売り上げは6000円です。
仕方がないので今回から私も500円を払うことにしました。

毎回、それでも私の知り合いがやってきますが、今日はまだ誰も来ません。
夏のような暑さで、こういうけだるさが私は大好きなのですが、一人で退屈しています。
おなかが減ってきましたが、この日は誰かが何かを持ってきてくれるのを期待して、お昼は自分では用意していないのです。
私がちょっとあこがれている「乞食」スタイルです。
まあこれがやりたかったのも、始めた一つの理由です。
しかし1時まで誰も来ないと、お昼のお相伴はあまり期待できません。
誰かと話していると空腹は気になりませんが、一人だと空腹が気になります。
人生は厳しいです。

そういえば、最近は夕食の「ご飯」をやめて、豆腐を食べることにしました。
私は豆腐や豆類があまり好きではないのですが、豆腐を主食にしたわけです。
夜中におなかが減るのではないかと心配しましたが、いまのところ大丈夫です。
しかし、そのせいで今日はやけにお腹が減ります。
早く誰か来ないと餓死しそうです。

最初のお客様が来ました。
またあとで。

■3889:3人の人から褒められました(2018年6月5日)
節子
昨日の湯島の縁カフェは、3人の人が来てくれました。
お客様は少なかったですが、話は盛り上がり、終わったのは予定の時間を2時間ほど過ぎた6時近くでした。

3人はいずれもかなり立場の違う人なのですが、共通なのはみんな私を褒めてくれたことです。
まあ、「褒めた」というのは私の主観的判断です。

最初の人は、最近世間で話題になっている日大アメフト反則事件に関してです。
あの反則行為は、これまでになかった極めて例外的な行為だと言われています。
そんなことはなくて、ああいう行為が起こってもおかしくない状況をアメフト関係者は黙認していたのではないかというのが私の意見です。
しかしその人は、あんなことまでやることはないと私の意見をはっきりと否定です。
その人は学生時代に実際に有名な大学のアメフト選手だったので、確信を持っているのです。
結局、お互いに納得できずに、お互いに相手が救いがたい頑固者だということになりました。
私は、それを褒められたと思ったのですが、その人からは、「頑固と言ったのは褒めたわけではありません。論理的にご説明しただけですので悪しからず」とメールが届きました。
それで、「私は私が納得できる指摘は全て褒められたと思うのですが。褒めたことに気づいていないのではないのですか?困ったものだ」と返したら、「褒めてもないのに、褒められたとかってに思われたら、本当に困ったものです」とまた返されました。
まあ褒められたかどうかは別にして、どうも最近頑固度が高まっているようです。
注意しないといけません。

他の2人は、その問題に関してではないのですが、「へそ曲がり」「常識がないおかしな人」と評しました。
いずれも私は褒め言葉と受け止めていますが、もしかしたら違うかもしれません。

ことほど左様に、人の評価の受け止めは多様です。
昨日は、私もコーヒー代を祓うことにしたので、売上2000円でした。
これまでたまった総額が8000円。
常設のカフェを開くには、まだ少し足りません。
誰か寄付してくれない者でしょうか。
あるいはこれで、宝くじを買うのも一案です。
でもまあもう少し地道に蓄財に努めましょう。
念じていれば、いつか夢はかなうでしょう。

■3890:独りで映画を観ました(2018年6月6日)
節子
昨日は久しぶりに映画を見ました。
岩波ホールで作品は「マルクス・エンゲルス」です。
作品自体は予想通り、退屈でしたが、ほぼ8割以上、席は埋まっていました。
その多くが私と同世代のような気がしましたが、夫婦で来ている人も多かったです。
前にアレントの映画を見た時もそう感じましたが、実にうらやましいです。

節子と一緒に見た映画もいくつかありますが、いつも思い出すのは「永遠と一日」です。
そのことは前にも書いた記憶があるので書きませんが、あの映画を見た時はまだ節子が発病する前です。
銀座の映画館で観たのですが、映画館を出てからも涙が止まらずに、嗚咽するほどでした。
なぜあんなに悲しかったのか。
いまにして思えば不思議です。
もしかしたら、節子との別れと独りの老後を予感していたのでしょうか。

映画はDVDで持っていますが、見直す勇気はありません。
映画は、すべてを思い出させるからです。
観ることのできない映画はほかにもありますが、「永遠と一日」は観たい気持ちも半分はあるのです。

「マルクス・エンゲルス」は、退屈ではありましたが、面白くもありました。
マルクスもエンゲルスも、いずれも大きな夢を伴侶と一緒に取り組んでいます。
私の夢は彼らのような大きくはありませんが、小さな夢でも、いや夢には程遠い日常の活動でも、さらに言えば「生きること」そのものでさえ、やはり伴侶の不在はさびしいものです。
映画を観ながら、物語とは関係のない、そのことが心に沁み込んできました。

老後のゆるやかな日々に、夫婦で映画を観に行く。
そのことが最高の幸せの一つであることを、このご夫婦たちはわかっているのだろうか。
ふとそんなことさえ考えてしまいました。

■3891:那須に行きます(2018年6月7日)
節子
人のつながりが、健康にも影響を与えるというような話がテレビでまた話題になっていました。
何をいまさらと思いますが、「つながりの回復」を理念にして始めたコムケア活動も、最初は「つながりの大切さ」や「重荷を背負い合うのがコミュニティ」といった話をていねいにしなければいけなかった頃を思い出します。
しかし社会状況は、ますます「つながり」を壊す方向に向かっているような気もします。
「つながり」を育てる活動が、マスコミで取り上げられることが多くなってきたことが、その証左です。

湯島のサロンも30年続いていますが、最近はいろんなところでサロンが広がっているようです。
湯島にも、自分もサロンを主宰したいので様子を知りたくてやってきたという方が増えています。
それはいいことですが、そうしたサロンを通して、人のつながりを育てていくことが大切です。
残念ながら節子がいなくなってから、そうした仕組みづくりへの気力が薄れてしまい、私もまた、ただサロンをやっているだけになっているような反省もあります。
時々、なにかをはじめますが、思いつきで止まってしまっています。
困ったものです。

今日は、サロンに参加している上田さんから、自分もサロンをやりたいので、一度、那須の別荘に招待されました。
他にも若い友人たちが参加します。
不思議なもので、上田さんからの申し出には抗しがたいものがありました。
いつもは、なんとなくうやむやにしてお受けしないのですが、気がついたら出発日です。
今日は上田さんの自動車で、4人で那須サロンへ出発です。

そういえば、節子が元気だったころ、那須までドライブして、渋滞のため目的地に着いたのが遅くなり、結局、着いてすぐに帰路に向かったことがありました。
那須のイメージが変わるといいのですが。

■3892:知的な2日間(2018年6月8日)
節子
那須を楽しんできました。
招待してくれた上田さんとは、実はまだお会いして1年ちょっとなのですが、なぜか那須の別荘に招待されたのです。
私たちの共通の若い友人たちも参加してくれました。
上田さんとはゆっくり話したこともなく、どういう人かもほとんど知りませんでしたので、どうして招待されたかもあんまりわかっていませんでした。

温泉なども含めて招待の声をかけられることは、いまのようなお布施人生になってからも何回かありますが、お布施を受ける力はまだ十分でないので、基本的には消極的なのですが、なぜか何回かサロンに来てくださった上田さんのお誘いは自然と受けてしまいました。
ですから出発の前は、どんな展開になるか予想もつきませんでした。

上田さんの車に同乗させてもらい、他の2人も一緒に那須に向かいました。
車中、上田さんとお話して、上田さんがどういう人かが少しわかりました。
同時に、なぜか心が開いてしまいました。
車の同乗して3時間くらいで、旧知の友人のような気分になってしまいました。
上田さんの魔術にかかったような気もしますが、そのおかげで思ってもいなかった2日間を過ごしました。
一緒に行ったのは「高等遊民会議」という、ゆるやかなつながりをつくっている杉原さんと井口さんです。
その2人は、私が理想とする知的な若者です。
特に、井口さんが家の近くの銭湯に行くようなスタイルでやってきたのには感動しました。
そのくせ、タオルも持たずにやってきたのも、実にいい。
若者の知性にはいつも感動しますが、どうしてみんな社会に出てしまうと輝くような知性を失って、野蛮になってしまうのか。

こういう言い方をすると、言葉遣いがおかしいのではないかと言われそうですが、実はこの2日間の4人の話の底流にあったのは、「文化と野蛮」だったような気がします。
ちなみに、「野蛮」という言葉は、上田さんが提供してくれました。
ソローの「森の生活」を思い出させてくれるような環境で、「野蛮」という言葉が出ると、心のなかにある「固定観念」(これも上田さんが出してくれました)ワールドは立場を逆転させてくれます。

久しぶりに、知的な2日間を過ごせました。
上田さんとの出会いに、感謝しなければいけません。
また少しずつ、節子には報告しましょう。

■3893:(2018年6月9日)
節子
2日間の疲れがやはり1〜2日遅れて出てきました。
脚が筋肉痛でいささか歩きにくいのです。
しかし、その症状が出てきたのは、今日のお昼ごろ。

疲れが少し残っていたので、今日は畑には水をやるだけにしようと思っていました。
それもちょっと寝坊して、出かけたのが9時過ぎになってしまいました。
2日ぶりでしたが、みんな元気でした。
もちろん野草も笹竹もです。
笹は2日来ないと10センチ以上伸びます。
ちなみに、信じられないことが起こりました。
昨日、私が留守だったので、なんとユカが畑に水をやりに行ってくれたのだそうです。
節子と違って、土いじりが大嫌いのユカが、水をやりに行ってくれるとは感激です。

暑さの上に、太陽がかんかん照りでしたので、そのまま帰ればよかったのですが、(お天道様の)小作人としてはやはりがんばろうと思ってしまい、草刈りを始めてしまったら、いつのまにか畝づくりにまでいってしまっていました。
娘はいつも、一番暑い時に出て行かなくてもいいじゃないかと言いますが、楽をしようなどと思うようでは、本物の小作人とは言えません。
機械を使えとも言いますが、そんな失礼で野蛮なことはできません。
私の小作人根性も、まだ少しは残っているようです。
しかし、やっているうちに、汗がだらだら出てきて、喉が渇いてきました。
今日はホースで水だけやってと思っていたので、私用の水も持ってきていません。
その時に、花にやった水を飲めばいいだけの話だったのですが、それに気づきませんでした。
昨日、那須で上田さんから学んだばかりだったのですが。

このままだとちょっと危ういなと気づき、帰宅することにしました。
しかしうまく立ち上がれません。
そろそろこの2日間の疲れが足のふくろはぎにに出てきたようです。
自転車に乗ろうとしたら、今度は立ちくらみがしてきて転倒しそうになりました。
しかし、休むにも日影がない。
失心するといささか危うい。
さてどうするか。
思考力もなく、帰巣本能にしたがって、ともかく自転車を引きずりながら自然と歩きだしました。
こういう老人が社会に迷惑を与えているのだろうなと思いながら、それでもなんとか家に着きました。
家に倒れ込むように入ったのですが、冷蔵庫まで行けません。
節子がいたら看病してくれたでしょうが。
でもまあ30分ほど倒れていたら動けるようになりました。
困ったものです。

まあそんなわけで午前中は終わりました。
しかし、立ちあがれるようになったら、今度は昨日の疲れか、脚の筋肉痛がはじまりました。
人生は実にうまくできています。
お天道様の叡智には、ただただ学ぶことばかりです。

これだけがんばっていますが、未だ収穫はなし。
でもセロリがそろそろ収穫できそうです。
そうそう「竹の子」ならぬ「笹の子」にチャレンジしようと数本とってきましたが、かじるのが遅かったのか苦いだけでした。

■3894:ヤバニスト(2018年6月11日)
節子
那須の2日間は、不思議な2日間でした。
言葉にはなかなか成りませんが、初日の朝、みんなが会った時と2日目に別れた時とでは、少なくとも私のなかでは、意識が大きく変わっていました。
私以外の3人は、私と違ってしっかりした自分があり、自分の活動をしている人たちなので、自らの専門性もなく、流されながら自分を生きている自分としては、みんなちょっと輝いている人たちなのです。

今回、招待してくれたUさんとは、ゆっくり話したこともなく、どんな人なのかさえ分かっていませんでした。
NGOで世界の子どもたちに関わる活動をしている人だと思っていたのです。
ところが、那須に向かう車中で話しているうちに、私と同じく、企業で働いていて、その後、生き方を変えた人だと知りました。
心がぱっと開けた感じでした。
一緒に行った2人の若者たちの生き方は、自らの才能を活かしながら、それこそ自由に、しかしそれゆえに少し生きづらく、自分の人生を楽しんでいます。

快い時間を、みんなと共有できたのは、久しぶりです。
旅行が嫌いになっていたにもかかわらず、不思議な2日間を過ごしたことが、帰宅後に気づきました。
その気分のなかで、挽歌も書かずに過ごしてしまいました。
書きたいことがありすぎて、書けなかったわけです。

今回のキーワードの一つが「野蛮」でした。
そこから「ヤバニスト」なる言葉が生まれました。
ちょっと「響き」がよくないですが、2日間、生活を共にしたおかげで、私もとても気に入っています。
私が探していたものが、少しだけ見えてきたような気がします。

■3895:終わった人(2018年6月14日)
節子
前にも書きましたが、いま「終わった人」という映画が話題になっています。
http://www.owattahito.jp/

私も違う意味で「終わった人」だと自覚はしています。
私は、以前からよく「終わった人」という表現を使ってきています。
それなりに社会的な活動をしている時に、よく使った言葉ですので、それを聞いて気分を害されていた方も少なくないと思います。
その頃はまだ自分は「終わっていない」と考えていたのです。

私が言う「終わった人」というのは、未来を創るのではなく過去を語る人です。
15年ほど前でしょうか、教育を考えるフォーラムが連続で行われたことがあります。
毎月、ホテルオータニでさまざまな分野の人たちが話し合うフォーラムでした。
そのコーディネーター役を頼まれたのですが、そのメンバーを見て、私は「終わった人たちのフォーラムですね」と余計な感想を述べてしまったのです。
メンバーは有名人が多く、あるいは要職にある人が多く、私でも名前を知っている人がほとんどだったので、ついついそういう言葉が出てしまいました。
でも結局、引き受けさせてもらいました。
みんな一家言ある人なので、話し合いは大変でした。
コーディネーターの癖に、自分の意見を主張して、メンバーを怒らせてしまったこともありますが、やはり私には退屈でした。
しかし、社会を動かしているのは、そういう「終わった人」たちなのかもしれません。
そして、社会を変えていくのは、そうではない若者や社会からの逸脱者なのでしょう。

いま、話題になっている「終わった人」は、そういう意味ではないようです。
私は映画は見ていませんが、予告編によれば、仕事も趣味も夢も、そして居場所さえもなくなった人のようです。
私にはまだ居場所がありますので、「終わった人」ではないかもしれませんが、私の認識としては、十分に「終わった人」です。
過去を語ることは、いまもあまり好みませんし、未来を語ることもありません。
未来も創ろうとせず、過去も語らず、ただただ「いま」を生きている。
「終わった人」というよりも、生きる人生から抜け落ちた人なのかもしれません。
一応、外見的にはがんばっているように見えるでしょうが、実のところは、ただ今をなんとなく生きているだけなのです。

過去を語る人が、社会的に頑張っているのがいいことかどうかはわかりません。
私には、そういう生き方は無理ですが、でも「終わった人」にも役割はあるとは思っています。
むしろそういう責任感のようなものが、私のどこかに残っています。
本当はもっともっと「終わった人」になりたいのですが、いまは「中途半端に終わった人」として、時々、「もういいか!」という気分になりながらも、惰性的に生きている。
いいかえれば、「終われない人」になっているのかもしれません。
困ったものです。

■3896:畑作業の効用(2018年6月14日)
節子
3日ほど前に、かなり集中的に本を読んでしまいました。
「インド哲学10講」という岩波新書です。
前半はあまり面白くなかったのでいつものように速読していたのですが、後半面白くなってきて、結局また最初に戻って、熟読してしまいました。
あまり新しい発見があったわけではなかったのですが、今回はともかくしっかり受け止めようと思って、熟読したのですが、そのおかげでいささか脳疲労になってしまい、2日間ほど思考拒否になってしまいました。
パソコンに向かっても何かを書く気がしなくなってしまったのです。
それでまた2日ほど、挽歌が抜けてしまったわけです。

昨日、数日ぶりに畑作業をしました。
孫が来ていたのですが、ほんとは連れて行きたかったのですが、母親の許可は出ません。
まあ当然のことでしょう。
それでいつものように、2時間ほど、孤独な畑作業をしました。
実はまだ右手があまり直っていないので、辛いのですが、不思議なもので畑に行くと作業ができてしまうのです。
そして帰宅するとやはり指が動かなくなっている。
実に不思議です。

2時間ほどの畑作業から帰ったら、体調がなんだかよくなったようで、血圧を測ったら、私にとっての正常値でした。
薬を飲まなくても、最近はある幅に落ち着きだしました。
酢たまねぎや脚の運動、呼吸法も、ちょっと怪しいですが、まあ細々と続いていますので、それの効果もあるかもしれません。
でも依然として脳機能はもどらず、久しぶりに9時過ぎに寝てしまいました。

起きたら、なんだか脳も回復した感じです。
挽歌も書けました。

節子は私にとっては、身心の癒し、脳の癒し的な存在だったと、この頃、痛感します。
挽歌を書くことは、そうした「癒し」にもなるのですが、挽歌を書くことさえできない時もあります。
最近疲れやすくなってきているのは、節子の不在のせいだろうと思います。
伴侶を失うと、そうやって後追いするか、再婚する人が、出るのでしょう。
後追いも再婚も、私はその気が皆無ですので、ただただ疲れるしかありません。

今日は畑に行けませんが、なんとかがんばれそうです。

■3897:奇跡の湯島(2018年6月15日)
節子
北九州市の石松さんが久しぶりに湯島に立ち寄ってくれました。
前回は連絡もなく来たためドアが閉まっていて、無駄足をさせてしまったので、今回はしっかりと待ち構えていました。
石松さんも、最初に会った時と変わっていません。
最初に来た時には北九州市の職員研修の相談でした。
今では懐かしい話ですが、北九州市の職員研修には数年関わらせてもらいました。
そしていろんなことを学ばせてもらいました。
その出発点が、石松さんでした。

いまは局長になっているので、たぶん偉いのでしょう。
しかし全く変わっていない。
話しぶりも変わっていない。
こういう職員や社員が少なくなりました。
まあ湯島に来れば、どんな偉い人も「ただの人」です。
そういう空間を30年も維持できたのは、「奇跡」かもしれません。
石松さんもそう言っていました。

たしかに湯島は不思議な空間です。
昨日、私よりも1歳、上の会社の経営者から電話がありました。
彼が言うには、自分は佐藤さんと違ってまだ働かなくてはならないので、と言っていました。
外部から見れば私は働いていないように見えるようです。
しかし私から見れば、会社の経営者は私よりも働いていないような気もします。
いや、いま給料をもらっている人たちのほとんどが働いていないようにさえ思えます。
私ほど働いている人はいないのではないかと、時に思うこともあります。
しかし、これは言葉の定義の問題です。

昨日、ある集まりをやったのですが、最初に自己紹介をし合いました。
私のあまりよくわからない自己紹介(私は自己紹介が苦手です)を聞いていた隣の友人が、要するに「人間と仙人の間のような人」と解説していました。
仙人との付き合いは、残念ながら私にはないので理解できませんが、なぜか私を仙人と呼ぶ人がいます。
私ほど、人間らしい人間はいないのではないかと思いますが、どうも最近はこの世から人間が消えているようです。

それにしても、湯島が30年も維持されているのは、不思議です。
その理由が私もよくわかりません。
困ったものです。

■3898:寒い雨空を見ていると心も寒くなります(2018年6月16日)
節子
昨日からまた寒くなってしまいました。
昨日は雨だったのですが、節子もよく知っているKさんから呼び出されて、4時間半、激論してしまいました。
途中でいささか疲れて、席を立って帰ろうかと思いましたが、かろうじて、また椅子に座れました。
節子がいなくなってからは、そういう「切れること」はほとんどなくなりましたが、以前は時々切れてしまいました。
節子に八つ当たりしたことも少なくありません。
節子もそのうちに「かわし方」を身につけて、適当に「切れそうな私」を宙ぶらりんにするようになりましたが、そのおかげもあって、私も成長したのでしょう。
さらに、節子がいなくなってからは、いのちの火が消えてしまったように、「切れること」もなくなってきました。
もっとも別の意味で、切れるというよりも、投げてしまうことは一時期ありましたが、最近はそれもなくなりました。

昨日も後半は仲良く話し合えたのですが、その途中で、佐藤さんも奥さんが亡くなった後、大変でみんな心配していたと口にされました。
Kさんまで心配していたのかと驚きました。

心配のあまりかどうかわかりませんが、節子が亡くなってからぱったりと連絡が取れなくなった人もいます。
なぜなのか理由はまったくわかりませんが、たぶん私が変わってしまったのでしょう。
元気な人とは付き合いたいが、元気でない人とは付き合いたくないというのは、人としては健全な姿勢でしょう。
私もできればそうありたいですが、どうも人には誰と付き合うかの定めがあるようです。
業(カルマ)の結果かもしれませんが。

連絡が取れなくなったといえば、昨年、突然私のところに相談に来たNさんとも連絡が取れません。
元気だといいのですが。
必ずまた元気になって湯島に来ると言っていたので、それを信じていますが、昨今の不条理な事件に触れるたびに、気になります。

久し振りに寒い雨空を見ていると、いろんな心配事が頭をよぎります。
と思っていたら、体調を崩した友人からは元気そうな電話がありました。
どうやら私の心は、すべてお天道様にはお見通しのようです。

空が少し明るくなってきました。

■3899:「残された人には試練を」(2018年6月16日)
節子
前の挽歌を書きながら思いついたことをもう一つ書きます。

湯島のドアには、有名な「PAX INTRANTIBVS SALVS EXEVNTIBVS」の言葉が書かれています。
入ってくる人にやすらぎを 出ていく人にしあわせを、という意味です。
そのおかげで、湯島には、みんなが置いていった不安や不幸が充満しているかもしれません。
そしてそれゆえに、湯島には幸いと共に不幸や禍も集まってきています。
一人で湯島にいると、そうしたさまざまな気配を感じます。

もっとも、いつでも「やすらぎ」を与えられるわけではありません。
少なくとも確実に「やすらぎ」をこわしてしまったことが2回あります。
そのうちの一人は、数年経てから、またやってきてくれましたが、もう一人はもう連絡も取れなくなってしまいました。

また私自身でいえば、時に「重荷」を背負ってしまい、「やすらぎ」どころではありません。
年に1~2回は、そうした重荷につぶされて、精神的にダウンしてしまいます。
この標語には、「残された人」のことが書かれていませんが、この30年近い経験から言えば、「そして、残された人には試練を」という言葉を付け加えたい気がします。

もちろん「試練」だけではありません。
それに、「試練」には「歓び」も内在していますから、「そして、残された人には歓びを」というのがいいかもしれません。
しかし、「試練」が歓びとなるには、心身ともに、それなりの力がなければいけません。
最近、私にはその力が弱まっています。
ですから、時には誰かからの「鼓舞」や「癒し」がほしくなってきています。

最近時々思います。
私に「やすらぎ」や「しあわせ」をくれるのは誰だろうか、と。
もちろん節子を別にしてですが。

■3900:節子とにこ(2018年6月16日)
節子
挽歌はまだ40くらい追いついていないのですが、なかなか追いつきません。
がんばって書くとまた書けない日があって、結局、差がなかなか縮まりません。
まあそれが、いつも節子から指摘されていた、私の悪い習癖でもあるのですが。
地道にコツコツやれるタイプではないのです。

今日は畑にもいかず、外出もなかったのですが、かと言って何かをやるわけでもなく、なんとなく過ごしていたのですが、午後、ジュン親子が来ました。
ちいき新聞に、にこのことが出たと言って持ってきました。
ジュンには内緒で、添付しましょう。

この写真は私の好みではないのですが、なぜか母親は気に入っているようです。
ここに書かれているように、孫のにこは、まわりの人をニコニコさせてくれます。
しかし、私の名前もようやく覚えて、私が不在のときにやってくると、「おしゃむはどこ」と訊くそうです。
今日もやってきた時、2階から降りていく階段の音を聞いて、「おしゃむだ」と声に出していました。
それだけでも、おしゃむはちょっと幸せな気分になるのですから、子どもは本当に大きな力を持っているのです。
その力が、素直に育つような社会になればいいのですが、どうもそうはなっていないようで、子どもに関する不幸な事件は後を絶ちません。
しかし、振り返って私の子育てのことを思い出せば、私自身果たして本当に子どもの育ちを支えてきたかと言えば疑問です。
節子も私も、たぶん余裕がなかったのです。

先日湯島に来た、ある母親が、これまではともかく「死なせないで育てることに一生懸命だったが、やっと余裕ができてきた」と言いました。
その時に、私は改めて、母親にとっての子育ての大変さを教えられた気がします。
その大変な部分を節子に押し付けて、いいところだけを私が楽しんでいたのかもしれません。

孫を見ていると、子どもが大人になることの大変さを教えられます。
孫から教えられることはたくさんあります。
ただ、孫と一緒にいて、いつも思うのは、節子が孫と遊べなかったことです。
今日も、ジュンが節子の写真をにこに見せて、これは誰と訊いていました。
直接会ったことはないのですが、節子のことはきっとにこの心には育っていくでしょう。
ジュンに感謝しなければいけません。

■3901:会社時代の思い出(2018年6月17日)
節子
昨日は久しぶりに会社時代の話をする必要になりました。
私が会社時代に取り組んだ仕事に興味を持ってくれた若者たちが話を聞きに湯島に来てくれたのです。
一緒に取り組んだ渕野さんも参加してくれました。

その仕事は、会社のアイデンティティを問い直すCIプロジェクトで、私は4~5年はそのプロジェクトにはまっていました。
自分で提案して、社長の了解を得て、メンバーも自分で選んでのプロジェクトでしたが、残念ながら私自身は挫折感を味わったプロジェクトで、そのおかげで人生を変えてしまったわけです。
当時、副社長からは本にしろと言われましたが、自分の中に挫折感があったこともあり、出版はしませんでした。
その後、いろいろあって、実に面白い物語が書けるのですが、あまり話すことはありませんでした。

15年ほど前に、そのプロジェクトを外部から応援してくれたパオスの中西さんに頼まれて、あるところで「回顧談」を話しました。
その時のパワーポイントを使って2時間も早口で話してしまいました。
話しているといろんなことが思い出されました。
写真などにも久しぶりに見るなつかしい顔がありました。
いまから思えば、まさにあのプロジェクトで私の世界は方向を変えてしまったわけです。
プロジェクトに巻き込んだ渕野さんの人生も、もしかしたら変えてしまったのかもしれません。

当時は深夜過ぎに帰ることもありましたが、節子にはいろいろと迷惑をかけたことでしょう。
それも会って、会社を辞めると私が言いだした時に、節子は反対しなかったのかもしれません。
私が会社を辞めて、節子もまた人生を変えてしまった。
そして、別の意味での苦労をかけてしまったかもしれません。
しかし、苦労も喜びも、コインの両面です。
たぶん私が会社を辞めたことを、節子は喜んでいたでしょう。
それに節子は、後悔や愚痴とは無縁の人でした。
いつもその時々を「ベスト」と考えていたように思います。
私も、そういうタイプですが。

久し振りに思いも込めて会社時代の話をしたせいか、なにやらちょっと気分がさっぱりしません。
過去を思い出すことは、どうも私には苦手のようです。

■3902:大阪で大きな地震が起こりました(2018年6月18日)
節子
大阪で震度6弱の大きな地震が発生しました。
昨日は関東でも地震がありましたが、最近また地震が増えています。
節子の生家や姉の住んでいる滋賀や福井も揺れたようです。

節子がいなくなった後、いっそ地球がなくなってしまえばいいなと思ったことがあります。
不謹慎ですが、大災害待望論です。
大災害が起これば、自らの辛さをすべて解消してくれるはずだという、身勝手な発想です。
悪魔が入り込んでくる感じです。

地震とは関係ないですが、無差別殺人とか衝動的な殺傷事件が起きると、いつもそういうことを考えた自分を思い出します。
自分では対処できないほどの悲しさや辛さなどの中で、いまの辛さや悲しさや悩みを消し去ってくれるような、もっと大きな辛さや悲しさを望む気持ちが生まれます。
あるいは、自分と同じような辛さや悲しさをみんなにも背負ってほしいという気が起こってきます。
恥ずかしい話ですが、私にもそういう思いが浮かんだりしたことがありました。
その時期が過ぎると、今度は辛さや悲しさを感じなくなってしまいました。
感受性が消えてしまった感じです。
笑っていてもうれしくない、泣いていても哀しくない、そんな気分です。
大きなものが何かぽつんと抜けたような、虚しさが身心を覆ってしまう。
そこから抜けるのに、私の場合は、7~8年はかかりました。
抜けたとしても、それでも以前のような状況には戻れません。

地震の報道を見ていて、そんなことを思い出しました。
幸いに、最近は以前のような「悪魔のこころ」は消えています。
ただただすべての人の安心と安全を祈るだけです。

大阪の知人が、家のなかがめちゃくちゃだと写真を送ってくれました。
明日になったら心配な人たちと少し連絡を取ってみようと思いますが、何事もなければいいですが。

■3903:地震報道をずっと見てしまいました(2018年6月18日)
節子
今日はずっと地震の報道を見続けていました。
私たちは、幸運にもこうした自然災害には巻き込まれることはありませんでした。
最初に現地情報が届いたのは、散乱している自宅の部屋の様子をアップしてくれた友人知人のフェイスブックでした。
その生々しさが伝わってきます。
いまは、そうしたことが共有されやすいために、お互いに支え合う関係が自然と生ずるような気がします。
私の友人は被災地の独り住まいの高齢者と連絡がつかないため、新幹線が動き出したらすぐに行くので、今週の予定をキャンセルしてくれと言ってきました。
しかし、その後、連絡がつき、大丈夫だったことがわかり出かけるのをやめたと連絡がありました。
相手の状況がわからない不安は、とても大きいですが、最近はネットなどで現場の状況が目で確かめられるので、いろんな意味で心を共有できるようになってきています。
視覚的に生活状況がシェアされる意味はとても大きいです。

夕方になって、連絡がつかなかった人とも連絡が取れ、私も一段落しました。
今日は、何も手につかない1日でした。
何もしなかったのに、とても疲れました。

彼岸には地震はないのでしょうね。

■3904:梅雨の合間の晴れの日はいいものです(2018年6月19日)
節子
昨日、夕方、畑に行ったのですが、少し頑張りすぎて、また右手が動きにくくなってしまいました。
畑に行くとどうしてもがんばりすぎてしまいます。
なぜかはわかりませんが。

今日は、梅雨の合間の晴れで、青空の見える朝です。
また畑に行ってしまいそうですが、無理をしないようにしなければいけません。
それにしても気持ちのいい朝です。

企業にまた関心を持ち出したこともあって、経営関係の本を読もうと思います。
最近、話題になっている「ティール組織」という本です。
本文だけでも500頁を超える翻訳書ですが、昨夜、寝る前に少し読みだしたのですが、どうも、なかなか読み進めません。
意識がまだそちらを向いていないためか、数ページで読めなくなってしまいました。
内容は、興味深いのですが、なぜか思考がそちらを向いていないのです。
今朝もまだ、読む気が出てきません。
私の場合、気が乗ると一気に読めますが、そうでないと読みだせない。
しかし、この本も図書館の本なので、返すまでに読まなければいけません。
毎日、表紙を見ていたら、その内に読みだせるでしょう。
そもそもこんないい天気の日に読書などはふさわしくありません。

あまりに気持ちのいい朝なので、やはり朝食を済ませたら、畑に行きましょう。
節子がやっていた頃の様子を思い出しての畑仕事ですが、何とか形になってきました。
ただズボンがみんな泥だらけになってしまい、作業着がどんどん増えています。
ユカが、どれかに決めないとみんな作業着になると嘆いていますが、もうすでに5着が作業着で、洗っても汚れが落ちません。
困ったものです。
それにしても私の畑仕事の時の服装を見たら、節子は嘆くことでしょう。
畑に行くときに、近くの人にも会いますが、あまりにもだらしない恰好なので、笑わざるを得ないでしょう。
靴もいつも長靴です。
それもだぶだぶの長靴。
しかし、不思議なことに、そういうだらしない恰好の時、なぜかとても落ち着きます。
そんな格好で、土の上に座り込むようにして作業をしています。
土や草との距離がとても近いので、無視やバッタの表情もわかります。
昨日もショウリョウバッタに会いました。
そういうバッタに会うと、野草を刈り取ることを躊躇してしまいます。

さて今日はどんな生き物に出合うでしょうか。

■3905:読書に耽っていました(2018年6月20日)
節子
今日もまた寒い雨の日です。
大阪の地震の被災地は、雨がひどいようで心配です。
幸いに私の友人知人は、大きな被害はなかったようですが、もちろん無傷だというわけではないでしょう。
大きな被害がなければいいのですが。

昨日の挽歌に書いた「ティール組織」という本ですが、今朝から読みだしました。
読みすすめたら、面白くなってきました。
私の生き方や組織観、あるいはコムケア活動の時に考えていた発想と重なっています。
自分自身で体験したこともあることなので、途中からはいつものように速読が可能になりました。
今日は半分のほぼ300頁を読み終えました。
世間はサッカーで湧いていますが、私は読書三昧でした。
さすがに疲れました。

この本は、歴史に即した生き方や組織のパラダイム進化を基軸にしています。
その流れは、「衝動型」「順応型」「達成型」「多元型」、そして「進化型」です。
私の生き方は、かなり「進化型」だと思いますが、同時に「衝動型」の側面もかなりあります。

ちなみにこの本の原題は“Reinventing Organization”です。
reinventは再考性とか再編成というような意味ですが、「脱構築」と言ってもいいような気がします。
そうであれば、会社を辞めてから雑誌に連載した「脱構築する企業経営」とつながっていきます。
あの頃、もう少しきちんと企業論に取り組んでいたら、少しは世の中のためになったかもしれません。
いかにも怠惰に安直に生きてきてしまいました。

そういえば、本書には、オランダのビュートゾルフの事例が紹介されています。
地域福祉に取り組む市民組織(NPO)ですが、これはまさにコムケア運動の理念そのものと同じです。
私もその頃はまだ「構想力」があったような気がしますが、最近はすべて枯れ果ててしまい、いま構想するのは、畑の作付構想くらいです。
そういえば節子もよく、駅前花壇の花の植え付け構想を描いていました。
私もようやく節子の地点にたどり着いたのかもしれません。

明日は用事が目いっぱいの上に、週末は連続でサロンもあって、本は読めませんが、今月中には600頁のこの大著を読み終えないと、図書館に返さなければいけません。
今日は順調でしたが、いささかの不安があります。

■3906:「元気をもらいました」(2018年6月22日)
節子
兄と食事しました。
また大論争になってしまい、最後はお互いを反省して、なかよくわかれました。
家族や元家族は、どうもうまくいきません。
家族よりも、血縁のない人との関係の方が平和かもしれません。
私たち夫婦も、よく喧嘩しましたから。

私は、家族に限らず、言いたいことを言いすぎるほどいうので、いつも話し終わって別れた後、反省します。
しかし、その一方で、すべてを話してしまうとなんだかすっきりします。
それが大切なことなのかもしれません。
私たち夫婦は、私は最初からですが、最後はお互いに好きなことを何でも言い合える関係になっていました。

湯島にやって来る人の中には、来るなり自分の関係の話を話しだして、口をはさむのが難しいようなことも少なくありません。
そういう人は、ひとりできますが、1時間ほど話すと、なにやらほっとした感じで、話したことの弁明を少しします。
たぶん他のところでは話しにくいのかもしれません。
今月来たそういう人は、みんな遠方の人です。
自分の生活圏とはかなり遠くにいる私であればこそ、話しやすいのでしょう。
それに私は記憶力があまり良くないので、話を聞いても忘れてしまうのです。

私がその話を聞いてもほとんど何の意味もありません。
たぶん相手の人も、それは十分認識していますし、だからこそすべてを放(話)せるのです。
職場の話もあれば、家族の話もある。
かなり微妙の話も少なくありません。
自分の話もあります。
話終わった後、必ずいう言葉があります。
「元気をもらいました」
人は心の中にある、あんまり消化できないでいることを、そのまま心の外に吐き出すと元気になるのかもしれません。

私も時に、そういう放すための話も必要です。
それが昔は、節子との会話でした。
いまはもしかしたら、その矛先の一つが兄かもしれません。
あるいは、最近は畑作業かもしれません。

畑はだいぶ整ってきました。

■3907:農業は良い人を育ててくれます(2018年6月23日)
節子
雨のため行けなかった畑に、昨日夕方行ってきました。
道沿いの花壇作りをしていたら、犬の散歩で通った人が何を植えているのですかと話しかけてきました。
少し話していたら、後ろの畑もやっているのですかと訊いてきました。
そして、トマトを作ってくれたら買いに来ますと言いだしました。
まあ売れるほどにはとてもなりませんが。

そこで思いつきました。
誰でも収穫できる畑というのはどうでしょうか。
もしトマトがなっていて、それを食べたいと思う人がいたら、自由に収穫してもらう。
無料ですが、代わりに収穫に見合う作業、たとえば草刈りなどをしていくというわけです。「コモンズの幸せ」が私のライフテーマの一つですので、その実験の場にできるかもしれません。
道沿いの花壇も、うまく花が咲いたら、そこも自由にとっていくのもいいかもしれません。
以前、百日草がきれいに咲いていた時に、やはりその花はなんですかきれいですねと言われましたが、綺麗だと思った人には自由に持って行ってもらい、代わりにそこにまた種をまいて行ってもらうというのはどうでしょうか。
そうなれば、私の手もかからなくなります。

節子が闘病生活をしていた頃、花壇のところに散歩している人がちょっと休めるようなベンチを置こうと思ったことがあります。
実現できませんでしたが、節子がいたらいろんな試みができた気がします。
私はアイデアは出てきますが、実行力が欠けています。
節子だったら、きっと何かをしてくれたでしょう。

畑も花壇も、少しだけそれらしくなってきましたが、まだ花も咲きださず、収穫はできていません。
なにしろ土壌がよくなくて、水はけが悪いのです。
昨日も1時間以上、草刈りをしていましたが、何しろ根っこを張った笹竹が多いので、大変です。
でも今回は自分でも驚くほど頑張っています。
今年はともかく、来年は大収穫が期待されます。

今日は湯島で、専門の有機農業に取り組んでいる人に来てもらって、有機野菜の旬を楽しむ会をやります。
いつか私も野菜を提供できるといいのですが。
畑をやっていると、収穫物はみんなの物(コモンズ)だという気がしてきます。
農業をやっている人は、あんまり私的所有概念は育たないでしょう。
だからみんな良い人ばかりなのです。
私もだいぶ良い人になってきているような気がします。

■3908:脳梗塞に注意しましょう(2018年6月23日)
節子
ちょっと時間ができたので、遅れを取り戻すために今日はもう一通。

一昨日、新潟のKさんが湯島に久しぶりに来てくれました。
昨年末に奥さんが入院、その後、大雪で大変だったようで、血圧が一気に上昇。
脳梗塞の危険性があるので、遠出は医師から止められているようです。
しかし、だいぶ元気になったので、大丈夫かどうか試そうと思って、上京したのだそうです。
Kさんもかなり無茶をしますが、それはKさんの自動車の運転ぶりを見ればよくわかります。
しかし、どうも今回は体力的に答えた様子で、湯島に来た時には疲れ切っていました。
東京は何しろ階段も多くて、移動だけでも疲れます。
いつも約束の時間の30分前に来るので、待たせてはいけないと思って、1時間近く前に湯島に着いていたのですが、一向に現われなかったのは、どうも体力のせいのようです。

それでも1時間ほど話しているうちに元気そうになりました。
Kさんは来るといつも節子のことを話します。
私よりも年上なのですが、滅入った時の湯島のようです。
こういう人もいてくれるので、湯島は閉じるに閉じられないわけです。

脳梗塞と言えば、私もいささか注意しなければいけません。
血圧はかなり高いですが、薬を飲むと副作用が出るので、基本的には飲まないようにしています。
最近、なんとか上の方は少しですが下がってきましたが、下は相変わらず高いのです。
170/90に収めたいのですが、なかなかうまくいきません。
畑仕事や酢たまねぎでなんとかがんばっていますが、脚の運動や呼吸法は最近ちょっとさぼり気味です。
自分の身体といえども、自分の意志では何ともならないのは不思議なことです。
節子は、もっと自分の身体が自由にならなくて大変だったでしょう。
しかし節子は愚痴をほとんどこぼしませんでした。

Kさんは、私の活動に共感して下さり、新潟でもいろんな試みに取り組んでくれましたが、最近そうした活動が思うようにできないことを気にされています。
でも無理をしてまで活動をすることは、私の主旨には合いません。
無理をしてまでやるのは、人生の主旨にも合いません。

みんなもっとゆったりと生きればいいのにと、いつも思います。
自分でも、なかなかそうはいかないのですが。

なにやら最近時間がなくて、暇を楽しめなくなっています。
困ったものです。
本当は暇なはずなのですが。
それと、どうも私も脳梗塞に注意したほうがよさそうです。

■3909:風の声(2018年6月27日)
節子
風の声に目が覚めました。
わが家は、節子も知っているように、「風の道」に当たっているようで、南風が強く当たります。
強風の時は怖いほどです。
今日はさほど強い風ではないのですが、風音だけが時々強くなります。

自然は生きていて、意識さえも持っていると、私には感じられます。
そして、その自然と自分の心身がつながっているとも感じます。
今朝の自然は、何を怒っているのでしょうか。
祝いの風ではなく、怒りの風であることは、間違いありません。
昨日は鏡面のようだった手賀沼の湖面が、今朝はさざ波だっています。

最近、わけのわからない事件の報道が増えています。
昨日も若者が交番を襲い、警官を刺殺し、拳銃を奪い、その拳銃で小学校に押し入り警備員を銃殺した事件が起きました。
毎日のように、人が死ぬ事件の報道に接していると、心が病んでくるようで、できるだけテレビや新聞は観ないようにしていますが、どうしても目に入ってきます。
人が人を殺せるという事実が、私にはまったく理解できません。
人ではなくなっているのでしょうか。

その一方で、はしゃぎまくりサーカー報道を見ていると、これまた気持ちが萎えてきます。
私にはまったく理解できないような奢侈な暮らしぶりの報道も少なくありません。
企業経営者や有名スポーツタレントが何億という年収を得ているという話にも違和感があります。
これも私には、人とは思えません。

世界はどうなっているのか。
風の声には、その怒りを感じてしまうのは、私の最近の不幸な精神状況のせいでしょう。
どうもこの数日、身心が疲れ切っている気がします。
2日間、畑仕事もしていたのですが、精神の安定は取り戻せていないようです。
些細なことに心の中の邪悪なものが反応してしまい、人がまた嫌いになりだしていくような気がします。
節子への挽歌をまた数日書かなかったためかもしれません。
因果は立場を逆転し、時間を循環させるもののようです。

風の怒りは、まだ静まっていません。

■3910:気怠い昼下がり(2018年6月27日)
節子
今日は真夏のようです。
久しぶりに朝早く家を出て湯島に来ました。
9時からの来客があったからですが、久しぶりに通勤時間の電車に乗りました。
ところが生憎事故があり、電車は遅れ、湯島に着いたら来客はドアの外で待っていました。
久しぶりです。

午後は夕方まで来客はなく、湯島で一人で過ごしました。
なぜか昔見たミケランジェロ・アントニオーニの映画を思い出しました。
まさにあんなけだるい暑さです。
残念ながら映画と違うのは、一人で過ごしていることですが。
途中で気がついて、冷房をかけ出しました。
生き返った気がしますが、なんだか退屈になってきました。
退屈な昼下がりよりも、気怠い昼下がりのほうがいい気がしますが、一度、冷房の中にいると元には戻りたくなくなり、そうしたら何か仕事をしたくなり、パソコンに向かいました。
こうやってみんな労働者になっていくのでしょうか。

暇なので武田さんに電話しました。
暑いのに畑仕事かといわれました。
彼は口が悪いので、奴隷のような小作人生活で無理して死なないようにと言ってきました。
私の葬式には出たくないからというわけです。
お金の奴隷よりは平安だと応えました。
また核武装論や政治問題に関して、超長電話になりそうだったので、切り上げました。

さてやることも底をつきました。
4時過ぎには来客がありますが、まだ時間があります。
珈琲はもう5杯も飲みました。
アイスクリームを食べたいのですが、買いに行くには外が暑そうすぎます。
さて電話でもかかってこないでしょうか。

手持無沙汰のこういう時間が、実は私はとても好きなのです。
節子が隣にいたら、もっといいのですが。
こういう時間を節子と一緒に過ごせなかったのが、とても心残りです。

■3911:節子の好きそうなお店で食事しました(2018年6月28日)
節子
今日はユカに頼んで、私のシャツを買いに行きました。
節子がいなくなってから、衣服はめったに買わなくなりましたが、だんだん着るものがなくなってきました。私とちょいちょい会う人は気づいているでしょうが、いつも同じような服を着ています。
それもユニクロで買った1000円もしないTシャツが多いのです。
これはたぶん節子がいなくなってから買ったのだと思うのですが、繰り返し来ているので、破れてはいませんが、いかにも古いという感じです。
それで今日はユカについて来てもらい、3枚Tシャツを買ってきました。
みんな1000円です。
もう少しきちんとしたものを着てよと長年家族から言われていますが、私の好みはありません。
無地のTシャツでなければ着る気がしないのです。
ブランドマークやキャラクター入りのものなどは私には着る気は全くありません。
ポロシャツも好きではなく、ただ無地で地味なTシャツだけなのです。
困ったものです。

ついでに魚屋さんが併設しているところで昼食を食べました。
活気に満ちたお店で、新鮮な刺身などが食べられます。
ユカが、お母さんが好きそうなお店だねと言いました。
たしかにそうです。
おろし市場に併設しているような、産地直結の雰囲気のあるお店です。
それも安くて、私が頼んだスペシャルセットは山盛りのお刺身に焼き魚と煮魚がついていて、なぜかアジのフライまでついていました。
マグロのアラを煮出したお味噌汁はお替り自由でした。
私はとても食べきれず、ユカに手伝ってもらって、何とか大きくは残さずに済みました。
そういえば、節子も私も大して食べられもしないの、こういう雰囲気の店は大好きです。

食べ過ぎたので、今日の夕食はトウモロコシ1本だけにしました。
夜中に空腹で目が覚めなければいいのですが。

ちなみに今日は、手が痛くて畑には行けませんでした。
無茶をしてはいけません。
困ったものです。

■3912:畑作業のおかげで生き方が少し変化しています(2018年7月1日)
節子
今年も半分が過ぎてしまいました。
今日から7月です。
挽歌を追いつこうと思ってはいるのですが、なかなか追いつけません。
いまだ1か月以上遅れています。
最近どうもパソコンに向かうのが億劫になってきました。
畑仕事のせいかもしれません。
いや、本当はそんなのではなく、めんどくさくなってきているのです。
そろそろ潮時でしょうか。

朝の節子へのあいさつも、般若心経の最後の真言部分だけで済ませることも多くなってきました。
困ったものです。

それでも畑作業はつづいています。
野菜作りよりも、開墾作業が中心ですが、土を耕すのは実に無心になれます。
無心というよりも、時を忘れるというのが正しいですが。

暑いので日中は避けることにしました。
昨日は朝の6時頃から言って、土の中の笹の根っこを切って、耕していました。
この作業はかなり力が必要で、そのせいで親指の神経がおかしくなってしまい、居たくて仕方がありません。
手を強く握れなくなったうえに、ちょっとひねった力が働くと激痛が走ります。
それがまた「やっている」という実感につながるからおかしなものです。

花壇は節子の構想とはまったく違うスタイルになってしまいました。
完成は来年ですが、少しだけ見通しができてきました。
完成する頃には家が建つことになり、畑仕事はできなくなる可能性も大きいのですが、まあすべては成るがままに任せようと思います。

私の畑仕事の記事をフェイスブックに時々掲載しますが、それを読んだ一松さんという私より年上の人が、ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」を思い出すとコメントしてくれました。
それで私も「庭仕事の愉しみ」を思い出し、探してちょっと読んでみました。
もうほとんど覚えていなかったのですが、とても心に響きます。
最初に読んだ頃は、まだ畑仕事とは全く無縁の生き方をしていた頃だったので、あまり心に残らなかったのでしょう。
改めてもう一度読んでみようと思います。

■3913:死の積極的な意味(2018年7月1日)
節子
つづいてもう一つ書きます。
先週、真宗大谷派僧侶で、超宗派寺院ネットワーク「寺ネット・サンガ」初代代表の中下さんが湯島に来ました。
8月に中下さんのやっている早稲田大学のエクステンションスクールの講座で話をするように頼まれているのですが、その打ち合わせです。

打ち合わせはすぐに終わり、話は先日会った時に、身寄りのない人の葬儀について私がチラッと話したことの話題になりました。
中下さんはたくさんの人を看取り、葬儀の現場に関わってきました。
そうしたなかから、まだ漠然とではありますが、死を不安に感ぜずに、平安な生の支えになるような仕組みを、みんなで育てられないかと考えているようです。
具体的にどう設計したらいいかは、まだ思索中のようですが、中下さんとお話していて、その「構想」が演繹的にではなく、中下さんのさまざまな実践活動のなかから生まれてきたということに共感しました。

死は、口では説明できないのですが、大きな力を持っている気がします。
父親の葬儀の時に、死には人をつなげる力があると感じた記憶がありますが、節子の死を体験して、死という、誰もが避けがたい現実を積極的に捉えた仕組みができないだろうかと漠然と思っていました。
ですから中下さんの思いにはすぐ共感でき、私にも何かやれることはないだろうかと考えました。
死を要(かなめ)にして、人のつながりを育て、平安な生き方ができるコミュニティや支え合う仕組み。
いま私が取り組んでいることも、そうした仕組みにつながっているのかもしれません。

中下さんは大学での講座の謝礼を持参してくれましたが、謝礼はやめてもらい、その代わりに中下さんに湯島でサロンを開いてもらうことにしました。
どんなサロンになるか楽しみです。

■3914:貞士は福をもとむるに心無し(2018年7月1日)
節子
私の生き方に関して、友人たちは「偏屈」「天邪鬼」「仙人」と言います。
なかには「バカだ」という人さえいます。
私自身は、極めて素直に生きていると自負していますが、そう言われると、あながち否定はできません。

ところが時には、ほめてくれる人もいます。
私よりも年上の画家のSさんから、突然、メールが届きました。
大変な状況だったのが、運が開けてきたという、うれしい報せです。

その報せの返事に、うっかりと逆に私は今ちょっと大変で、久しぶりに対価をもらう仕事を始めようと思っていますと書いてしまいました。
そうしたらすぐにSさんからメールが来ました。

貞士は福をもとむるに心無し。
佐藤さんは貞士ですので、天はその無欲な心に感じて必ず幸福を与えてくれると思います。

「貞士は福をもとむるに心無し」
恥ずかしながら、この言葉を知りませんでした。
そもそも「貞士」という言葉さえはじめてです。
ネットで調べてみました。

中国の明代末期に書かれた処世訓『菜根譚』に出てくる言葉でした。
『菜根譚』は、江戸後期の日本に伝わって愛読されたそうですが、『菜根譚』という書名は聞いたことがありますが、内容はまったく知りませんでした。
そもそも処世訓というのは、私にはまったくと言っていいほど関心のないことですし。

この言葉の意味は、「節義のかたい人物は、福を求めようとする心がない。そこで天は、この福を求めるに無心な点に報いるために、その人物のまごころを導いて福を授ける」ということだそうです。
「貞士」とは「節義のかたい人物」。
いやはや過分どころか、私には縁遠いように思いますが、そう言ってもらえたことには素直に喜ぼうと思います。
それに何よりも、「福を授けてくれる」ことは素直に信じるのがいいでしょう。

いま私が直面しているいくつかの難事が解消されるのも、間もないかもしれません。
たしかに、それを予兆させる、うれしい話が最近は届くようになってきています。

Sさんはこう書いています。

私は強運を持っていますが、ホームレス寸前まで追い詰められないとその運はやってきません。
だからいつも「ゆとりを持って与えてほしい」と天に願っています。

天は、私には、ゆとりを持って福を授けてくれるでしょうか。
あやうく「欲を出して」、貞士失格になりそうです。
しかし、正直のところ、今の私は「無欲」とはほど遠く、欲に覆われています。

これ以上の幸せは望まない。
そういう気持ちもかなり強いのですが、時に強欲な自分に気づくことも多いです。
困ったものです。

■3915:またメダカが死んでしまいました(2018年7月2日)
節子
また水槽のメダカが死んでしまいました。
それも一挙にです。
2匹だけは湯島に転居させていたので、もしかしたら大丈夫ですが(今日、湯島で確認できます)、家の水槽でのメダカの全滅はもう4回も続いています。
水温かもしれません。
それに気づいて、最近は注意していたのですが。

不安を感じて、1匹は庭の池に放しています。
池にはもしかしたら以前からのメダカも数匹はいるはずですが、最近あまり見ていません。
池の周辺は野草が伸びるに任せているからです。
それに以前のように、池にガマガエルが住みついている可能性もないわけではありません。
もしそうなら、みんなガマガエルの餌食になっている可能性もあります。
自然界は厳しいですから。

わが家に生物が定着しなくなったのは、なぜか3.11、福島原発事故の後からです。
まさか放射能汚染のせいではないと思いますが、それまで長年元気だった、池の金魚やタナゴや、芝エビさえもが全滅しました。
以来、金魚やメダカを購入していますが、いずれもいつの間にかいなくなります。
3.11以後、庭の手入れも含めて、池の手入れはほとんどしなくなりました。
放置しすぎているからかもしれません。
植物は、節子が植えたものの多くは枯れてしまいましたが、野草はどんどん繁茂し、節子がみたら「荒れ放題」と嘆くでしょう。
小さな池は水面が見えないほどの状況です。
再び、手入れを始めたのは昨年からですが、節子のようには行きません。
庭の手入れをするモチベーションがまったく湧いてこないのです。
こればかりはどうにもなりません。

メダカの話に戻りますが、あまりのことに、呪いがかかっているのではないかと思ったこともあります。
私が呪っているのかもしれません。
そもそもメダカを水槽で飼おうなどということが間違っているのかもしれません。

なにやらあまり元気が出ない話ですが、湯島のメダカが元気であることを祈りたいです。

■3916:メダカの代わりにショウミョウバッタ(2018年7月2日)
節子
今朝は出かけなければいけないので、朝食前に、畑に行きました。
畑の隣の人が、この時間の方が作業にはいいでしょうと、声をかけてくれました。
たしかに作業はやりやすいですが、しかしどちらかと言えば、私は炎天下の作業が好きです。

手がいたのであまり無理はできないのですが、少しだけ野菜のまわりの野草を刈りました。
きゅうりの小さな苗が1本枯れていました。
よくみると、なんとダンゴ虫が茎にたかっていました。
ダンゴムシが野菜に害を与えるとは思ってもいませんでした。

草を刈り取っている時に、小さなショウリョウバッタのつがいに出合いました。
メダカの代わりにしたくなり、2匹を捕獲しました。
家には虫かごもあるのですが、今年は虫かごは使わずに庭の草に放し飼いにしようと思います。
まあ定着するかどうかはなんともいえませんが。

昨日、ヘッセを読んだせいか、ちょっと自然との交流が深まりました。

そういえば、大きなトカゲにも会いました。
なぜか尻尾が切れていましたが、しっぽがついていたら20センチ近い大きさです。
こんな大きなトカゲは久しぶりですが、太っていました。
花はなかなか大きくなりません。
野菜もそうです。
肥料不足かもしれません。
明日は在宅の予定なので、堆肥を買ってこようと思います。

今日は恒例の縁カフェ。
居場所のない人の居場所づくりを目指していますが、居場所のある人ばかりがやってきます。
今日は誰が来るでしょうか。

風がさわやかですが、今日も暑くなるようです。

■3917:(2018年7月2日)
湯島のメダカも暑さのせいか全滅してしまいました。
今日、湯島に行ったのですが、着いた時には1匹は姿がなく、もう1匹も動いていません。
すぐに冷水に氷と少しの塩を入れて、そこに動いていない、しかしまだ横になってない1匹を移して声をかけましたが、反応がありません。
1匹はなぜか姿かたちがありません。
たぶん水槽の中の芝エビか貝に食べられてしまったのでしょう。
湯島の室内はさほど暑くないのですが、私の感覚がおかしいのでしょうか。
炎天下の畑仕事に比べれば、どうということはないのですが、今日はオープンカフェなので、エアコンを入れたら、これがまた調子が悪い。
温度調整ができないのです。
そしてパソコンを開いたら、動きが極めて遅いのです。
暑いとすべてがおかしくなります。
おかしくならないのは小作人作業で頑張っている私だけです。

午後のオープンカフェには4人の来客がありました、
もっともその内の一人は私です。
お客が少なく売り上げが伸びないので、私もお客を県ることにしたのです。
その上、おひとりは2杯珈琲を飲んだので1000円老いていきました。
それで今日の売り上げは2500円。
縁カフェ基金は、ついに1万を超えました。
今世紀中には常設カフェの出店が実現できるでしょう。
そのためにも勝手に使いこまないようにしなければいけません。

しかし今日は暑かった。
高齢者には堪える暑さでした。
夜になったらさわやかな感じになりましたが、明朝の小作人業務に備えて、今日は早く寝ましょう。
今夜、サッカーの試合がありますが、前回の試合を批判したら、今日来たTさんから、佐藤さんはもうサッカーは観るなと叱られました。
Tさんはコーヒーを2杯飲んでくれたので、お言葉には従わないといけません。

私の予想は、日本チームは負けるでしょう。
その理由もTさんに伝えましたが、一蹴されました。
困ったものです。

■3918:「庭仕事の愉しみ」(2018年7月3日)
節子
私の最近の畑仕事のことを時々フェイスブックに書いているのですが、それを読んだ一松さんがヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」を思い出しますとコメントしてくれました。
そういえば、昔よんだことがあります。
もしかしたらと思い、書庫を探したら運よく見つかりました。
本の一部は別の場所に運んでいるのですが、あまりに古いので自宅に残っていました。
それでなんとはなく読み直してみました。
私の記憶にはもう何もなかったのですが、面白い。
ソローの「森の生活」よりも、私好みです。
しかし、最初に読んだ頃はたぶんあまり面白くなかったのでしょう。
ソローは昔読んだ時の方が面白かった気がしますが、「庭仕事の愉しみ」はいまのほうが親しみを感じます。

その本にこんな文章が出てきます。

この地上のあらゆる生き物の中でひとり私たち人間だけが、この事物の循環に不服を言い、万物が不滅であるということだけでは満足できず、自分たちのために、個人の、自分だけの、特別なものをもちたがるというのはなんと不思議なことであろうか。

生命は循環し、生命は不滅である。
自然の一部として循環的に生きれば、永遠の生命を生きられる。
十分に理解できていませんが、なんとなく私も同感のような気がします。
大きな生命には終わりはない。

しかし、なぜ人は自分だけの特別のものを持ちたがるのか。
いや、なぜ「節子」という個人を自分の特別のものにしたがるのか。
ヘッセは、たぶんそんなことまでは言ってはいないでしょう。
循環から解脱したところに、個人の生はあるのかもしれません。

それはそれとして、ヘッセを読みながら、思いました。
節子と一緒に、畑仕事をする老後がなぜ奪われたのだろうか。
そしてなぜ、いま、ひとりで庭仕事を始めたのか。
節子が私を動かしているのかもしれません。
同行2人?
そんな気がしないでもありません。

■3919:朝の挨拶(2018年7月4日)
節子
昨夜は風が強かったのですが、今朝は機嫌の悪そうな朝です。
雨模様なのですが、挨拶がてら畑に水やりに行きました。
花壇らしくなってきました。
写真の手前の朝顔は琉球朝顔です。
10月までは咲きつづけます。
これは節子の知らない朝顔です。

写真を撮ろうとしていたら、ウスバカゲロウを見つけました。
まだ眠っていました。

たった500メートルほどの散歩でしたが、6人の人と朝の挨拶をしました。
知り合いも3人いました。
ひとりは、節子も知っている近くの小学生ですが、大きくなりました。
当然ですが、近所の子どもたちも大人になってきています。
節子が会っても、もうわからないでしょう。
時間の経つ速さにはおどろかされます。

あいさつしたうちの3人は、私の知らない人です。
朝の散歩をしていました。
一組は、高齢の夫婦の散歩でした。
うらやましい感じでしたが、もしかしたら治療のための散歩かもしれないと、昔の私たちのことを思い出してしまいました。
声をかけたら、とても元気な声が返ってきたので、とても安堵しました。

もうひとりはやはり高齢の男性で、難しそうな顔をしていたので、一瞬躊躇しましたが、声をかけました。
そうしたら表情が変わって、笑顔でこれもまた大きな返事をしてくれました。
とてもうれしくなりました。

今朝は機嫌の悪そうな朝でしたが、いい日になりそうです。
昨日のちょっと不快になったことも乗り越えられそうです。
人の元気を奪うのは人ですが、人を元気にするのも、やはり人ですね。

■3920:自分の経験のゆえに間違ったしまうことも少なくありません(2018年7月5日)
節子
昨日、過労死遺族の方と会いました。
過労死問題から始まった「働き方改革」が話題になっていますが、私はその取り組み方が根本的に間違っていると思っています。
同時に、過労死遺族の方たちの姿勢にも大きな違和感があります。
当事者の方に、こんなことを言うと誤解されるどころか傷つけることになりかねませんが、昨日お会いした方は私のことを少しは知ってくださっている方だったので、ついそんなことまで話してしまいました。
後でとても反省しましたが、いつかこの「違和感」をきちんと書いておきたいと思っていましたので、いい機会かもしれません。
それに関しては、時評編の方で書こうと思います。
挽歌編では、昨日お会いした方のことを少しだけ書こうと思います。

その方は、伴侶を過労死で亡くしています。
昨日気付いたのですが、たぶん40代中ごろのことです。
私が知り合った頃は50代だったのですが、私は年齢を評価できないために、私よりもずっと若いころのことだったことに思いがいきませんでした。
それでついつい自分と同じような思いだと考えていました。
しかし、私のように60代での死別と40代での死別は、まったく違う経験なのだろうと思います。
これまでの私の対応は、もしかしたら間違っていたかもしれません。
しかもその人は女性ですので、これもまた大きな違いかもしれません。
昨日も、あることで、「佐藤さんはいつもそう言うけれど私はそうは思いません」とはっきりと言われてしまいました。

いやこの件だけではありません。
昨日は、もうひとり、旧友と会いました。
これはこの後の挽歌で書こうと思いますが、この人は胃がんのため、節子の体験を踏まえて、時々相談に乗っているのですが、これもやはり気をつけないといけません。

自分の経験のゆえに、間違ったしまうことは少なくありません。
頭ではわかってはいるのですが、ついつい自分の思いで話をしてしまいます。
これから注意しなければいけません。

■3921:うなぎをご馳走になりました(2018年7月5日)
節子
うなぎが高くなっています。
今の私には、なかなか手が届きません。
しかし、昨日、そのうなぎをご馳走になりました。
幼なじみの友人が、わざわざそのために湯島にまで来てくれ、湯島のうなぎ屋で予算上限なしでご馳走してくれたのです。

まあこれには理由があったのです。
彼から数日前に電話がありました。
久し振りにやった競馬で思いもしなかった不労所得が入ったので、普段は食べられないようなものを何でもご馳走するというのです。
お互いにあんまり先行きもないので、これまで食べたことのないようなものをと、彼は言うのですが、貧乏性の私はついつい「うなぎ」を所望してしまったのです。
彼は少しがっかりしたようで、うなぎなのか、という感じでした。
彼には以前も何回かうなぎをご馳走になっているので、どうもうなぎは彼の頭の中では、日常的なもののようです。

私が一度行ってみようと思っていた店に行きました。
彼は一番価格の高いものを勧めましたが、私の好みはまあほどほどのところのものなので、それでいいといったために、彼もそれに付き合う羽目になってしまいました。
私にはかなり高価な値段でしたが、なんだか安くついてしまったと彼はご不満のようでした。
その上、そのお店のうなぎは思ったよりもおいしくありませんでした。
江戸風のちょっと味の濃いたれでした。
彼には申し訳ないことしました。
ご馳走し甲斐がなかったかもしれません。
それでまたもう一度、ご馳走してもらおうと思います。
まあこの辺りが私の非常識のところかもしれません。

ところで、彼は競馬の配当金を受け取りに行った時に、利益の1割くらいは戻す思いでまた馬券を買ったのだそうですが、なんとそれがまた当たってしまい、結局、不労所得は増えてしまったそうです。
ちなみに彼は物欲がなく、お金にもきわめて淡泊なのです。
今時めずらしい純粋な男です。
こういう人のところに、幸運は行くのでしょう。

彼は小学校時代のクラスメイトです。
私が就職した時にも、実は彼から手づくりのお祝いをもらっています。
ある理由で、彼からもらったお祝いのことだけは鮮明に覚えています。
彼との縁も不思議な気がします。
幼なじみは、いいものです。
まあ、人にもよりますが。

■3922:パンとサーカスのなかでは生きたくありませんが(2018年7月6日)
節子
先日までの真夏のような暑さが一転して、今日は肌寒いほどです。
予定が変更になって、湯島に一人でいます。
手持無沙汰なので、持ち歩いていた本を読んでいました。
メアリー・ピアードの「ローマ帝国史」です。
なぜいまさら「ローマ史」なのかといえば、まさに今、私が生きている社会が、パンとサーカスのローマのように感じているからです。
先日のサッカーのワールドカップの報道を見ていると、つくづくそう思っていまいます。
スポーツ選手というか、昨今のアスリートたちは遣唐使のような存在にしか見えません。
それにうつつを抜かして、パブリックビューなどと騒いでいる人たちを見ると、もっと大切な問題から目をそらされないでよ、と言いたくもなります。
まあ、私が「偏屈」なだけかもしれません。

この本は3年前に書かれ、日本での翻訳出版は先月です。
これまでのものとちょっと違った取り組み方の本だというので読もうと思っていましたが、持ち歩くだけでなかなか読む気になっていなかったのです。
確かに、視点がちょっと違います。
キケロとカティリナの政争から始まります。
100ページほど読んで、飽きてしまいました。
どうもピンとこない。

イタリアには1度行きましたが、節子とは一緒ではありませんでした。
節子は私とは別に一度言っていますが、節子のほうがいい旅をしています。
私は仕事の関係で行った時に、ローマとミラノに寄っただけです。
それもそれぞれ1日ずつくらいでした。
いつかゆっくりと節子と一緒にローマには行きたいと思っていましたが、ついに実現しませんでした。
たぶん私自身ももうイタリアには行くことはないでしょう。
いや海外にはもう行かないでしょう。
旅をするモティベーションが全く起こってこないのです。
ですから書物の上でしか、ローマには行けないわけです。

でもまあ最近は、日本もローマのようになってきました。
みんなパンとサーカスを求めて饗宴に明け暮れている。
その一方で、貧困はどんどん広がっている。
そのいずれにもつながっている両生類的な生の中にいる私としては、双方からの「いいとこ」どりをしている気もしますが、しかしどこかでやはり悲しさとむなしさから抜け出られません。

困ったものです。


■3923:死刑の執行(2018年7月6日)
節子
次の用事まであと1時間近くありますので、挽歌をもう一つ書きます。
前の挽歌を書いていて、どうして今日は元気が出ないかの理由に気づきました。
今朝のテレビで、1995年の地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教の元代表と元幹部の7人の死刑が執行されたことが報道されていました。
いつもそうですが、やはり「死刑執行」というのは聞いただけで心が萎えます。
朝食をしながら、娘に被害者の遺族は喜んでいるかなと聞いてしまいました。
そうしたら娘は、もし家族が被害者だったらお父さんはどう思うか、と問われました。
被害にあった時なら、殺したいと思うだろうが、これだけ時間が経てば、むしろ死刑執行に反対するだろうと応えましたが、そう答えたすぐ後に、テレビで被害者の遺族が、むしろ死刑執行に肯定的なコメントしていました。
娘によれば、遺族の人たちは死刑執行に立ち合いたいという意向も持っていたそうです。
複雑な気持ちになりました。
憎しみは、なかなか消えないのです。

地下鉄サリン事件があった当日、私たち家族はトルコ旅行に行っていて、その移動中のバスで事件のことを知りました。
それもあって、この事件はいろんなことをもい出させることの一つなのです。
もしトルコに行っていなかったら、私たち家族の誰かが、あの地下鉄に乗っていた可能性はゼロではありません。
娘の通勤路でもありました。
もし家族が事件に巻き込まれていたら、私の考えは変わっていたでしょうか。
でもたぶん、死刑執行のボタンは押せないでしょう。
人の生命は、人の操作の対象にすべきではないという考えになっているからです。
さらに言えば、もっと自らの生命を尊重したからです。
死刑執行のボタンを押したら、松本死刑囚と同じくなってしまうような気がするのです。
そういう状況に、誰かを置いてしまう、いまの死刑制度には反対です。
いかあに怒りが大きくても、死刑はよくない。
それでは戦争反対を主張できないようにさえ思います。

相変わらず論理が飛躍しすぎていると叱られそうですが、死刑執行の報道に接してから、どうも元気が出ないのです。
死刑囚のことを慮ってのことではありません。
死刑執行に関わった人たちのことを思うと、どうしても心が晴れないのです。
それにしても7人の死刑執行を同時に行う。
やはり心の震えを止められません。

節子だったらどういうでしょうか。

■3924:サンティアゴ巡礼からの便り(2018年7月7日)
節子
スペインのサンティアゴ巡礼に行っている鈴木さんから2回目の手紙が届きました。
フランスのアルルを出発してから50日、1300キロを歩いたそうです。
1日前に通過したレオンの大聖堂の絵ハガキでした。
残り300キロ。
歩き出した時は、途方もない距離に思えていたのに、終わりが近づくと、「あっという間」というのが時間だと書いてありました。
今回もまた、サンティアゴに着いた後、大西洋岸まで歩くそうです。
残りはあと2週間ほどだそうです。

はがきの日付を見ると、なんと投函日は6月24日になっています。
2週間もかかっています。
ということはもうそろそろ帰国する頃です。

今回はどんなお土産話を持ってきてくれるか。
たのしみです。

■3925:自然の威力(2018年7月7日)
節子
西日本が異常な大雨でたくさんの被害者が出ています。
節子の知り合いのいる地域もたくさんの被害が出ています。
自然の威力はやはりすごいです。

と、ここまで書いた時に、大きな揺れが来ました。
これは地震です。
震度4でした。

今日は晴れたので、夕方畑に行きました。
相変わらず右手が回復していないので、力仕事はできませんが、花壇の野草を抜いてきました。
ひまわりや百日草、グラジオラス、マーガレットなど、いろいろと咲きだしました。
しかし発芽率は半分くらいでしょうか、全面的に花が咲きだす状況ではありません。
まだまだです。

きゅうりと茄子とミニトマトが成りだしました。
赤く色づいたミニトマトを節子に備えました。
節子がやっていた時には、成りすぎて近所に配るほどでしたが、今年はまだそこまでは行きません。
畑をはじめて改めて思うこともまた、自然の威力です。

ユカと一緒に、庭の花木の整理も始めました。
節子の時のような管理はとてもできませんので、思い切る花木も減らそうと思いますが、その前に手入れ不足で減ってしまいそうです。
節子が大事に育ててきたハイビスカスも半分以上はダメにしましたし、山野草はほぼ全部だけになってしまいました。
その代わりに、見たこともないような野草が庭を覆いだしています。
私もユカも、どれが野草でどれが植えた花なのか区別があまり付きません。
だいたい元気なのが野草で、弱いのが植えた花木というのがあたっています。
やはり、そこでも自然の生命力の強さが示されています。

それにしても、西日本の集中豪雨の被害はまだ広がっています。
自然は何を怒っているのでしょうか。
自然を怒らせるような生き方は決してしてはいけない。
改めてそう思います。

■3926:気持のいい朝です(2018年7月8日)
気持のいい朝です。

昨夜もまた、少しややこしい夢を見ましたが、めずらしく節子の魂を感じました。
最近、どうもややこしい夢を見ます。
ややこしいという意味は、夢の中で私が「思考」しているのです。
それも何かをまとめようとしている。
時には素晴らしいアイデアがひらめいたような記憶も残るのですが、内容は目が覚めるとまったく思い出せません。

昨日の夕方、たっぷりと水をやってきたのですが、今朝も挨拶がてら畑に行ってきました。
ちょっと右手の大事をとって、作業はやめました。
1本だけ頑張っていた、後植えのカボチャはまた虫に葉っぱを食べられていました。
葉がなくなるともうだめです。
やはり小さな時には、虫が入らないようにカバーをしなければいけないことを学びました。
昨日、庭のアジサイの枝を切ったので、その数本を畑に挿し木しました。
根づくといいのですが。

西日本の豪雨被害はまだ続いています。
それに比べて、今朝の我孫子は申し訳ないほど、さわやかで静かです。
今週はかなりのんびりできる週なので、体調と体制を整えられると思います。
久し振りにお墓見舞いにも行ってこようと思います。

風がとても快い。
今日は関東でも雷などが騒ぐようですが、たぶん私には害を与えないでしょう。
私はいつも、自然に守られているような気がします。
小作人として、誠実に生きようとしていることが受け入れられたのかもしれません。

■3927:どんな世界を構成するか(2018年7月8日)
節子
西日本はまだどうも山を越していないようです。
テレビの報道映像を見ていると、山を越したようにも見えますが、新たな危険警報が出るなどしています。

気になっている人たちに連絡しようかどうか迷いましたが、結局、連絡は止めて祈ることにしていました。
何人かからは、状況の連絡がいろんな形で入ってきていますが、どう対処すればいいかもわからずに、いささか気の重い状況です。
その一方で、フェイスブックでは相変わらず無邪気な投稿も多く、不思議というか、奇妙な感じでいます。
世界が広がり、しかもその広い世界の状況が、ライブに入ってくると、人は自分の住んでいる世界への感覚を混乱させてしまいます。
西日本の被害地と、のどかでさわやかな我孫子とが、どうもつながらない。
自分の立ち位置がわからなくなるとともに、世界がヴァーチャルに感じてしまう。

昨日、今度湯島でサロンに取り上げるために、2年前に起こった相模原市のやまゆり園の事件に関する本を何冊か読み直しました。
オウム事件の情報もそうですが、そういう事件が私の生きている社会で発生してしまうことが、私には以前からなかなか理解できないでいます。
そもそも原発事故が起こったにもかかわらず、また原発を再稼働させるというような社会にも、リアリティを感じません。
困ったものですが。

たくさんの物語が混在しながら、社会は展開しているわけですが、どの物語をどう切り取って自分の物語を構築するかで、社会の見え方は全く変わってきます。

とここまで書いたら、予想外のお客様が湯島のオフィスにやって来ました。
途中ですが、アップします。

最近、私自身が、どういう世界を構成していこうかとちょっと迷いだしているものですから、こんな記事を書いてしまいました。

■3928:埋葬(2018年7月9日)
節子
未練がましくしばらく放置していた鳩の卵を今日、埋葬しました。
前に書きましたが、畑の笹薮を刈り取っていた時に、藪の中にあった鳩の卵を、孵化できないかとがんばってきたのです。
ホッカイロと保温材と草藁を小さなケースに入れて、しばらく置いていたのですが、2週間くらいで可能性はない気がしてきました。
というのも、見つけた時に殻を傷つけてしまったのですが、そこからかなりきつい匂いが生じだしたのです。
それでもなんとなく未練があって、暑くなってきたので、もしかしたら自然ふ化するかもしれないなどと思ったりして、埋葬する気が起きなかったのです。
しかしさすがに、もうあきらめようと思い、見つけた場所の近くに埋葬してきました。

先週はメダカも埋葬しましたが、今月に入って2度目の埋葬でした。
ちなみに、畑をやっていて球根を傷つけることは少なくありません。
そうした場合は、慌ててまた地面に埋め直します。
そうすると運がよければ芽が出てきます。
大地が生命を復活させてくれるのです。
花壇のグラジオラスも2本復活し、まだ花は咲きませんが、成長してきています。
今年は花は無理でもたぶん来年は花を咲かせるでしょう。
植物の場合は、大地への埋葬は次の生命の復活につながっていく。
実にうらやましいですが、しかし人間もそうかもしれません。
輪廻転生を信ずる者としては、そう考えるべきでしょう。
しかし、なかなかそうは思えなく、埋葬は永遠の別れのように思えてしまう。
植物も動物も、この数十億年、生きながらえてきているのですから、生命が途絶えることなどあるはずもないわけですが、なかなかそうは思えない。
まだまだ私の世界も閉じ込められた狭い世界にしか生きていないのでしょう。

卵を埋めた場所には石を建てておきました。
しかしたぶん来年には、どこかもうわからなくなっているでしょう。
大地にはたくさんの生命が埋葬されています。
私が1時間畑仕事をするだけで、それこそ今回の豪雨被害で失われた人の命を越えるほどのたくさんの生命が大地に戻っているはずです。
そう思うと、大地は生命でできているといってもいい。
その大地に、私の生命も支えられている。
だから畑で土の上に座ると、心が安堵するのかもしれません。

今日も暑い日でした。
幸か不幸か、右手がまだ戻らないので、畑作業は力仕事をやめて、小さな野草の刈り取りでした。
それ用の農具を買ってきたのですが、まったくと言っていいほど、役に立たないので、相変わらず手で抜いたり刈り取ったりしていました。
そうすると、借り捉える野草の痛みもそれなりに伝わってくる。
畑仕事は、まさに生命の話し合いです。

今年初めてのキュウリが一本収穫できました。

■3929:映画「隠し剣」を観ました(2018年7月10日)
節子
暑い1日でした。
いささかばて気味で在宅でしたが、エアコンなしで過ごしました。
朝、畑に行き、シャワーを浴びるとエアコンなしでもまあ大丈夫なのです。
それにわが家は風がよく入るので、風がある時はそれなりに涼しいのです。
ユカは、歳を取ると感覚がおとろえ、暑さがわからなくなっているのではないかと言いますが、そうかもしれません。
しかし、自然の要請に素直に従えば、この数日は水分もよくとるようになっていますので、まあ大丈夫でしょう。

しかし今日はなんとなく気が起きてこないので、録画していた「隠し剣」という時代劇を見てしまいました。
時代劇の映画を観るのは久しぶりです。
いささか退屈でしたが、最後は涙が出てしまいました。
もう望むべくもありませんが、この映画のような恋というか、愛というか、そういう関係に出合えればと思います。
しかし、こういう関係の恋や愛は、いまの時代には私に限らず、誰も出合えなくなってきているような気もします。
さびしい時代なのは、節子がいないからだけではないのかもしれません。
だれか私に好きな人ができたら、節子はきっと喜ぶでしょう。
それはわかっているのですが、まだそれは無理のようです。

畑は、相変わらず野草や笹との闘いです。
花壇は少しずつ華やいできましたが、予算を節約したので、見栄えはもう一つです。
それにやはり土壌が悪いせいか、ヒマワリの葉っぱも何か元気がない。
まあ今年は、主導権の奪還ができればそれで満足しようと思います。

夕方になると、とても柔らかな風になってきます。
エアコンの中で過ごしていたら、この柔らかさは体験できないでしょう。
暑さがあればこそ、涼しさが快い。

「隠し剣」の主人公は、武士の世界を捨てて、自分の生き方を取り戻します。
捨てる世界があることはしあわせです。
会社を辞めた時の、あのワクワクした輝くような幸せを思い出します。
節子も、幸せそうでした。
今の私には、もう捨てる世界がない。
「隠し剣」で涙が出たのは、そのせいかもしれません。

窓から入ってくる風が、今日はとてもやさしい。
嘘みたいに平和な時間を感じます。
しかしなぜかとてもさびしい。
こんなときは、節子が恋しくなります。

■3930:高齢小作人はあんまり頑張れません(2018年7月11日)
節子
西日本豪雨は、豪雨が終わった後にもまだ新たな被害を発生させています。
それに比べて我孫子は連日、雨もなく猛暑が続いています。
昨日はゆっくりしたはずなのに、今朝の寝起きはあまり調子がよくありません。
暑さのせいか、心身ともにどこかに疲労感が残っています。
朝の畑に行く気が起きず、まだまだ小作人生活は身についていないことがよくわかります。
困ったものです。
しかし、涼しいうちに言っておかないと、と思い、挽歌はここでやめて、これから行ってこようと思います。
つづきはもどってきてから、いや、朝食後に。

やはり今日は疲れが残っているのか、畑でもあんまり頑張れませんでした。
花壇の写真を撮ってきました。
写真を撮っていたら、朝顔がきれいですね、と言われました。
残念ながらまだ花壇は褒めてもらえません。
まあそれも当然でしょう。

さてこれからは少し畑の方に身を入れようと思います。
しかし、今日の疲れ具合から考えると、いささか不安にはなります。
それに、無理をするなといろんな人から言われています。
たぶん常識的には、私はちょっと無理をしているのでしょう。
もっと若い時に無理をしておくべきでしたが、どうも年齢による心身の変化は自分ではわからないものです。

■3931:カサブランカが咲きだしました(2018年7月11日)
節子
畑の花壇も花が咲きだしましたが、庭の鉢植えのカサブランカも咲きだしました。
昨年、球根を植えたのですが、それが今年も元気に育っていたのです。
今朝は3つ咲いていました。
しかしどうも肥料のせいか、葉っぱの色に元気がありません。
花の手入れは難しいです。
一輪を、生け花にして、節子に供えました。
節子は、カサブランカが好きでした。
つぼみも2つついているので、しばらくは咲いていてくれるでしょう。
しばらくはカサブランカの香りが家中に放たれるでしょう。

節子はカサブランカの花が好きでしたが、私はその香りが好きです。
しかし一時期、白い花に食傷したことがあります。
節子が逝ってしまってからの数年、命日になると友人たちから花が届きました。
白い花が多く、何かどうも気がふさいでしまっていたのです。
それで一時期は、白い花が嫌いになりかけたのですが、カサブランカの香りのおかげで、それも克服できました。
ですから、カサブランカは私にも特別の意味を持つ花になっているのです。

最近、黄色系のユリが欲しくなっています。
むかし、節子と歩いた美ヶ原高原のニッコウキスゲを思い出させるからです。
節子が元気だった頃は、夏はよく高原に行きました。
高原に行かなくなってからもう10年以上です。

今日も暑い1日でした。

■3932:高月のメロン(2018年7月11日)
節子
高月のメロンが届きました。
高月は節子の生家のあるところです。
節子の叔父がメロン栽培をしていたので、以前から送ってもらっていましたが、その叔父ももうずっと前に亡くなってしまいました。
最近は節子の生家から、毎年送られてきます。
娘夫婦にもお裾分けして、毎年、いただいています。
早速、節子に供えさせてもらいました。

わが家は、いろんな人がいろんなものを送ってきてくださいます。
感謝しなければいけませんが、まあお布施を受け取るのもまた、お布施なのだというのが私の考えなので、最近はあんまりお返しもできていないことに気づくことも少なくありません。
でもまあ、いつかはきっとお返しできるでしょう。
今生とは限りませんが。

節子の叔父の思い出もいくつかあります。
しかし、今ではその思い出を話し合える人もいなくなってしまいました。
こうして、人はだんだん、此岸から彼岸へと移っていくのでしょう。
節子はまだしばらくは、私を介して此岸でかなり存在していますが、私が彼岸に行ったら、たぶん主軸は彼岸へと移るでしょう。
夫婦と親子とでは、同じ家族でも大きく違うような気がします。
子どもは親を思い出として捉えますが、夫婦の場合は、共に暮らした片割れとして捉えます。
過去ではなく、今もあるという感覚が強い気がします。
私だけなのかもしれませんが。

高月にもしばらく行っていません。
高月は「観音の里」と言われるくらい、観音像がたくさん残されているところです。
その観音たちにも、最近はお会いしていません。
たぶん表情がまた変わっていることでしょう。
これまでも何回かお参りした観音たちも、毎回、表情が違います。
仏たちの表情は、本当によく変わります。
こんなことを言うと、節子はいつも笑っていましたが。

■3933:「がんセンター」と聞いただけでまだ心が止まります(2018年7月11日)
節子
今日はもうひとつ書きます。
日中を何もせずに過ごしたので、夜になってパソコンに向かいたくなってしまいました。

節子も会ったことのある、私の幼なじみのMが、がんセンターに転院することになりました。
といっても、入院ではありません。
胃がんの摘出手術後、順調に過ごしていたのですが、抗がん剤の副作用が出てきてしまったのです。
今日、検査に行くと言っていたので、気になっていて電話したのですが、元気そうな声でしたが、改めて再検査するということになったようです。
がんセンターという言葉を聞いただけで、心が止まります。

彼は独身なので、病院にはいつも独りで言っているはずです。
たまには私も同行しようかと思っていたのですが、がんセンターには行く勇気はまだありません。
しかし、病院で順番を待っている時間の辛さは知っていますので、いつか同行できるように頑張ろうと思います。
なにしろ彼は、幼なじみですので。

といっても、彼と長年仲良く付き合ってきたわけではありません。
長いこと、数年に一度くらいだけ合うだけでした。
それがここにきて頻繁に会うようになったのは、彼が胃がんにかかったからです。
そして彼には家族がない。
そして、これが一番の理由ですが、胃がんになって最初に相談に来たのが私だったのです。

家族のいない彼のために、何かの支えにはなれるかもしれません。
友人はもちろんたくさんいるでしょうが、友人と言っても、みんなそれぞれに問題を抱えていて、家族代わりにはとてもなれないものです。
もちろん、私もまた、とても家族代わりにはなれませんが、伴侶がいない分、少しはやりやすいかもしれません。
それに彼が私のところに最初に来たのは、私を信頼してくれたからです。
信頼には応えなければいけません。

彼は独りで生活しています。
いささか心配ですが、私よりはずっと自立した、しっかり者ですから、大丈夫でしょう。
電話での彼の明るさは救いですが、明るさが示唆する寂しさもあるものです。

また彼に会いに行こうと思います。

■3934:今日は要注意の1日です(2018年7月12日)
節子
今日は湯島に行く予定だったのですが、暑いのでやめてしまいました。
今朝起きたら涼しいので、やはり行こうかと思ったのですが、起きた直後に、時々起こる視野の異常があり、1時間ほど横になっていました。
畑作業にも絶好の朝だったのですが、残念です。
血圧を測ったのですが、まあさほど異常でもなく、もう大丈夫でしょう。
しかし、今日は大事をとって、畑作業もやめておこうと思います。

昨日までの予定では、上野のびわ湖長浜KANNON HOUSEに行くつもりだったのです。
びわ湖長浜KANNON HOUSEは、最近できたので、節子は知りませんが、高月の観音様が順番にやって来る場所なのです。
http://www.nagahama-kannon-house.jp/
ユカが最初に行って、教えてくれました。
私は行こう行こうと思いながら、まだ行けていません。
いまは、高月町の落川浄光寺の十一面観音像が来ています。
私はまだお会いしたことのない観音です。
今日は行くのをやめましたが、来週には行ってみようと思います。
なんとなく高月の観音に会いたくなったのには、それなりに意味があるのでしょう。

久し振りの視野異常ですが、これが起こったのは、節子の姉夫婦と一緒に滋賀の「さば街道」に行っていた時です。
突然、視野がおかしくなりました。
節子にも心配させたくなかったので、みんなから離れて少し休んでいたら、治りました。
以来、年に1~2回、発生しますが、横になっていると長くても1時間ほどで治ります。
あんまり気分的に良いものではありませんが、歳をとれば、こうした身体の異常はいろいろと発生します。
困ったものですが、それが歳を取るということでしょう。

今朝は久しぶりに、鳥のさえずりで目が覚めました。
涼しいし、畑に行こうと思って、5時前に起きたのですが、こんなことで結局何もできずに、朝の時間を無為に過ごしてしまいました。
今日はちょっと要注意の1日です。

視野は回復しましたが、気分がどうもすっきりしません。
せっかくのさわやかな、涼しい朝なのに、残念です。

■3935:徒然なるままに(2018年7月12日)
節子
今朝はちょっとダウンしてしまいましたが、体調が戻りました。
幸いに気温もそう高くないので、畑に行こうかとも思いますが、午前中は少し自重しようと思います。
庭のカサブランカは、さらに咲いて、にぎやかです。
時間をずらして咲いてくれるといいのですが、一斉に咲いてしまうので、見事ではありますが、ちょっともったいない気もします。
目の不具合なので、あまり目を使わないほうがいいのですが、身体も使わないほうがいいような気がして、結局、一番楽なパソコンに向かっています。
まあパソコンを打ち込むのであれば、画面を見ないでもいいですし。
それでまた挽歌を書いてしまっているわけです。

っ最近がんばったおかげで、ようやく番号のずれは1か月遅れまで追いつきました。
9月の命日までには、番号を合わせておきたいと思っています。
それにしても、節子を見送ってから、まもなく4000日というわけです。
時間が止まってしまった4000日。
そろそろ動きだしているような気もしますが、逆にそろそろ終わりそうな気もします。
人生は実に見事なほどに、思わせぶりなところがある。

吉田兼行の「徒然草」は有名ですが、最近、なぜ兼行は「徒然草」を書いたのか、勝手にわかってきた気がします。
彼は徒然状況に退屈したのでしょう。
そうに違いない。
今日は私も実に退屈で、やることがない。
困ったものです。

しかし、節子が元気だったころ、こんな時間があったでしょうか。
あの頃は、いつも時間がなくて、走っていた気がします。
なぜ節子とゆっくりと時間を過ごさなかったのか。
悔いが残ります。

節子が言っていたように、時間はいましかない。
今をどう大切にするか。
徒然などという思いを持つことさえ、どこかで間違っているのでしょう。
やはりパソコンなどはやめて、庭の草木の手入れでもすることにしましょう。
幸い、今日は熱中症の心配もなさそうですし。
しかし、どこか頭のうしろが重くて、それが気になります。
もう少し様子を見て、脳外科に出も行こうかと思います。
気のせいかもしれませんが。

■3936:たくさんの贈り物をもらいました(2018年7月12日)
節子
朝の視野異常の状況は回復しました。
午後、会う約束をしていたSさんが自宅に迎えに来てくれたのですが、このまま脳外科に連れて行こうかと言われましたが、それは辞退して、予定通り、美味しいコーヒーをご馳走してもらいに行きました。
家の近くの北柏ふるさと公園のなかに開店した、「花小鳥」というカフェです。
公園内にカフェ。
20年ほど前に我孫子で提案した時に、公園内は無理だと一蹴されたことを思い脱します。
若い夫婦がやっていました。
実にうらやましい。

Sさんは、節子にと言って、花束を持ってきてくれました。
ひまわりと私の知らない赤い花。
庭で咲いたカサブランカと一緒に節子に供えました。
やはり節子に供える花は、白一色より多彩な華やかさがあったほうがいいです。
今年の命日の花は、白は止めようと決めました。
送られてこないことを祈ります。

今日、友人からもらったのは、コーヒーと花束だけではありません。
メダカの子どもも持ってきてくれました。
まだ生まれたばかりの小さなメダカなので、水槽に放すと貝や芝エビに食べられそうなので、別の水槽にしばらくは飼うことにしました。
メダカは温度変化に弱いので注意するようにと言われました。

もうひとつもらったのは、そしてそれが今日Sさんと会った目的なのですが、うれしいニュースです。
実は、そのニュースを聞いて、私の方がお祝いしようと思っていたのに、逆にご馳走になってしまったわけです。
まあちょっと逆のような気もしますが、素直にご馳走になってしまいました。

誰かと会うと、ちょっと気が滅入ったり、宿題を背負い込んだりすることが多いのですが、今日はただただうれしい話でした。
こういうこともないと、身が持ちません。
うれしい話はいいものです。
元気が出ます。

夕方、畑に水をやりに行きました。
後から植えた花の種子も芽を出し始めていました。
今日は、ちょっと不安な始まりでしたが、いい1日になりました。
お天道様に感謝しなければいけません。

■3937:心にしたがう生き方(2018年7月13日)
節子
佐久間さんが送ってきてくれた新著を読んでいたら、そこに「人間の本質は「からだ」と「こころ」の二元論ではなく、「からだ」と「こころ」と「たましい」の三元論でとらえる必要があります」と書いてありました。
そして、佐久間さんの友人の鎌田東二さんの「体は嘘をつかない。が、心は嘘をつく。しかし、魂は嘘をつけない」という言葉を紹介しています。
「嘘をつく心、嘘をつかない体、嘘をつけない魂」
三元論はとても納得できます。
「身心」を超える何かに自分が動かされていることはよくある体験です。

しかし、私の感覚で言えば、三元論は「頭と心と体」のような気がします。
先日(たぶん)書きましたが、人間は3つの「脳」をもっているそうです。
頭と心臓と腸です。
これを「心」と「体」と「魂」に当てはめるとどうなるでしょうか。
心臓に当たるのが、「魂」になりそうです。
ですから、私は「魂」というよりも、素直に「心」と呼びたい気がします。
余計なことを書き加えれば、「魂」は「心」が「体」(個)から離れたものと、私は捉えています。

ところで、私の体験では、体もまた十分に嘘をつく。
体にだまされることは、時々あります。
私など、いつもだまされっぱなしです。

嘘をつかないのは「心」ではないかと、私は思います。
少なくとも、私の心は嘘をつきません。
間違いはよく起こしますが、嘘ではありません。
でも、その「心」を失いだしているのが、現代の人間かもしれません。
「頭」が「心」を奪いだしている。
そんな気がしてなりません。
そういう状況の中では、「嘘」の意味が全く変わってしまいかねません。

私は、心にしたがって、できるだけ生きようとしています。
しかし、頭や体が、それに抗うことがあります。
以前は、心が頭や体に抗っているように思っていましたが、最近は、抗っているのは体と頭だと思うようになりました。
頭は、抗う力を高めようと「知識」を獲得したがります。
体もまた、抗う力を高めようと「健康が大事だ」などといって「あるべき」食生活を強要してきます。
私もその渦中にいますので、「心」にしたがって生きることは、そう簡単ではありません。

心のおもむくままに。
そんな生き方を目指せればと思っています。

■3938:熱中症にならずにすみました(2018年7月13日)
今日も猛暑でした。
西日本豪雨被災地でみんなががんばっている映像をテレビで見ていたら、急に畑に行きたくなってしまいました。
熱中症の危険があるので、行かないほうがいいと言われていたのですが。
しかし、幸いに曇り空で風もあります。
念のために水筒持続で、帽子もかぶり、完全武装で畑に行きました。
まだ右手が無理できないので、あまり作業はできませんでしたが、実にいい汗をかきました。
心配した娘から電話がかかってきたので、花壇にたっぷりと水をやって、無事戻りました。
帰宅して、体に悪いと注意されているコーラーを飲んだら、体中から汗が吹き出してきました。
わが家は風がかなり入るので、冷房は今日もかけていないのですが、実に爽快になりました。
体温計を見たら30度を超えていましたが、なんでこんなに気持ちがいいのだろうと思うくらい、涼しくて爽快です。
娘は、同じ部屋にいるのに、暑い暑いと言っています。
さて、どちらがおかしいのでしょうか。
テレビを見たら、熱中症でエアコンをつけずに部屋で亡くなっていた高齢者のニュースを流していました。
私も、そういう危険性がありそうです。
困ったものです。

娘が作業中の姿を写真で撮っていました。
わが家から見えるのです。
まだ畑になっていないのがわかってしまいますが、せっかく撮ってくれたのでアップします。
畑に行く途中で私に会ったら、ホームレスの怪しい老人に見えそうです。
帰りに知らない人に挨拶したのですが、返事が返ってきませんでした。
今日のシャツは特にひどくて、泥だらけの上に破れていました。
そのせいでしょうか。
身なりはやはり大切かもしれませんが、私には不得手です。

■3939:暑さが嫌になってしまうとは、私も老いてしまいました(2018年7月14日)
節子
今日はさすがに朝から暑いです。
リビングの温度もすでに30度を越しています。
今朝は畑もやめました。
庭の花に水をやるだけでも汗びっしょりです。
エアコンをつけたほうがいいようですが、うまく作動してくれるといいのですが。
でもその前にシャワーを浴びたほうがいいかもしれません。
エアコンはできるだけやめたいと思うのですが、自分の体力の衰えも自覚しなければいけません。

今日は湯島でサロンなので、出かける予定ですが、駅までの途中で倒れそうなくらい暑いです。
ユカに車で送ってもらおうと思います。
最近はいつもそうです。
困ったものですが。

もう少し涼しかったら、上野の長浜kannon houseに寄りたかったですが、今日はやめましょう。
あまりに暑い。

しかし、夏は暑いからこそ夏なのです。
節子はよく知っているように、私は夏の暑さは歓迎していました。
暑さに汗をかき、寒さに震える。
これこそが生きることだと思っていたのです。
しかし、それもまた節子がいたからこそだったかもしれません。
独りは、暑さも寒さも、ただただ暑いだけ、寒いだけです。
どうしてこうも同じことの意味が変わってしまうのでしょうか。

これは別に、暑さや寒さだけではありません。
分かち合うことのできる人がいるかいないかで、世界の意味は変わります。
分かち合える人がいれば、たぶん寛容になれるのです。
苦も楽になり、不安も希望になる。

今朝のテレビで、5人の人が一室で練炭自殺をしたことが報道されていました。
死を分かち合えるのであれば、もっと豊かな生も分かち合えたはずです。
とても残念でなりません。
湯島に来てくれたら、という気がちょっとしますが、最近はそうした勇気もちょっと萎えてきています。

暑さが嫌になってしまうとは、私も老いてしまいました。
跳ね返さないといけません。

■3940:念願のサンダル出勤(2018年7月14日)
節子
今日はサロンなので、暑い中を湯島に出てきました。
久しぶりにサンダルで電車に乗ってきました。
節子がいたら、止められたかもしれません。

先日、一緒に那須にいった井口さんはサンダルでした。
実にカジュアルで、気持ちよさそうでした。
井口さんは、海外でもどこでも、たぶんサンダルで出かけていると思いますが、それに触発されて、すぐにと思っていたのですが、ユカから電車に乗るのであれば、もう少しちゃんとしたサンダルにするようにと言われていました。
たしかに、井口さんのサンダルも1万円くらいだそうでした。
それで買いに行ったのですが、ちゃんとしたサンダルは私の好みではないことがわかりました。
それで、ふだん使っているサンダルを履いてきました。
D2という日用雑貨のお店で買った480円くらいのものです。

靴屋の基之さんから、人は履物でどんな人かわかると以前から言われていました。
確か節子も同じようなことを言っていました。
基之は、私の靴を見て、あまりのひどさからか、良い靴をプレゼントしてくれました。
しかし、残念ながら私にはあんまりふさわしくないようで、履きにくいです。
彼と会う時には履いていきましたが、私には向いていない気もします。
まさに彼が言うように、履物はその人の生き方を示すのでしょう。

節子は、私のサンダル常用をあまり好きではありませんでした。
あきらめていたというべきでしょうか。
そもそも履物も着るものも、私にはおしゃれとは無縁なのです。
ちなみに、大学時代はほぼいつもサンダル、それも木製のサンダルでした。
会社時代は革靴でしたが、一度、足をねん挫して腫れ上がった時にはサンダルでしばらく通いました。
実に気分がよかったです。
社長室にも役員室にもサンダルで行きましたが、叱られませんでした。

私の理想は履物さえも履かない生き方ですが、そこまではなかなか行けません。
まだあきらめてはいないのですが。

■3941:10年ぶりの夏祭り(2018年7月14日)
節子
近くの八坂神社の夏祭りです。
サロンで湯島に行っていたのですが、7時頃に帰宅する途中で、娘たちと孫とが祭に行くのに出合いました。
孫の“にこ”も2歳になったので、祭りの雰囲気を味わえるでしょう。
祭のお店が出ているのは、我孫子駅から手賀沼公園につながる道沿いです。
八坂さんは、いまは小さな社殿があるだけで、境内はほとんどないのです。
公園通りは祭のときは自動車は通行禁止で、道は人であふれかえります、

昨年よりも、祭りの雰囲気は感じられなかったのですが、公園通りの人混みは昨年よりも混雑していたような気がします。
わが家への帰路は、その道ではなく、それに並行している道ですが、久し振りに、私も後追いをすることにしました。
一度、帰宅して、少し休んで、公園通りの逆側、つまり公園側から行くことにしました。

公園通りの人混みは、私には歩くのがつらいほどでした。
お店もなにやら食べ物屋さんが多く、しかも私の記憶している祭の夜店とはどこか雰囲気が違いました。
上から下りてきた孫タイトすぐに出合いました。
節子ならば、きっと孫に何かを買ってやったのでしょうが、私はお金も持っていくのを忘れましたし、結局、ただ彼らについてほんのちょっとだけ歩いただけです。

八坂さんの祭に行くのは久しぶりです。
節子の思い出が、いろいろと蘇えるので、私はあんまり行く気が起きずにいるのです。
思い出は、楽しいものばかりとは限りません。
しかし、節子と一緒に行った頃の雰囲気とは全く違うような気もしました。
どこが違うのかは言葉にはならないのですが、神さまが変わってしまったような気もします。

人混みを1時間ほど歩いて、孫は疲れたでしょう。
私も疲れましたが。

フェイスブックに、にこの写真をアップしたら、小学校時代の友人が「お婆ちゃま、、見てらっしゃいますヨ」と書きこんでくれました。
節子
見ていますか?

■3942:葬式には出たくない(2018年7月15日)
節子
またフェイスブックに血圧の話を書いたら、またまたコメントがたくさん来ました。
降圧剤は飲んではいけないという意見と降圧剤は飲まないといけないという、いつもと同じパターンです。
この1か月以上、降圧剤は飲んでいません。
酢タマネギをはじめ、さまざまなことの積み重ねで、血圧の上の値は少し落ち着いて、180以内になってきました。下の値はまだ時々90を超えますが、70台が出ることもあるようになりました。
たぶん改善に向かっているといえるでしょう。
おかしいと自分で感ずることも少なくなりました。

ところで、そのコメントのひとつに、節子もよく知っている武田さんがこうコメントしてきました。

降圧剤は間違いなく効果があります。
やがてワクチンもできるらしいけど、それまでは飲んでください。
私はあなたの葬式なんかに絶対出たくないです。
私より長生きして欲しい3人の一人です。
ワイフと、あなたと、もう一人、この人の名前は言えません。

まあ、最後の一言はいかにも武田さんらしいですが、昨年は、私の葬式には出たくないので付き合いを疎遠にすると言ってきました。
その思いは、私もよくわかります。
親しい友人とは、徐々に疎遠になって、お互いに知らない間に逝ってしまう方がいいと思うことは私にはよくあります。
自分が先の場合はいいですが、後になった時の思いは、節子で十分に体験しました。

武田さんの思いは、一般論としてはよくわかります。
しかし、その言葉を言って3か月もたたないうちに、武田さんから電話があり、昨日は武田さんの問題提起のサロンまでやってしまいました。
ほぼ全員から武田さんの主張は反対されましたし、私はもちろん否定しました。
それでもまあその後で、こういうメールをくれるわけです。

私は時々、舌禍事件を起こしましたし、いまも時に相手の気分を害する発言をしているようです。
私としてはただ素直に思ったことを言うだけですが、それがよくないようです。
困ったものですが、これは直りません。
節子もたぶん苦労したはずですが、次第に私の本心をわかってもらい、すべてが許されるようになりました。
素直な発言で気分を害するのは、相手を信頼していないからです。
私は、基本的に人を信頼し、人を愛します。
人は基本的に素晴らしい存在だと思っていますから、ほめることはほとんどありません。
ほめることが当然だからです。
ですから言葉に出るのは、基本的に悪い点を指摘します。
この姿勢はなかなか理解してもらえません。
最近は少しは気遣うようになりましたが、それでも誤解されることがあります。
40年くらい付き合いのある武田さんにしても、時にたまには私をほめろと言われますが、そんな失礼なことはできません。
困ったものです。

でもまあ、このメールは無視しましょう。
先に逝くかどうかは、お天道様の決めることですから。

■3943:平安だけでは、人は生きていけない(2018年7月16日)
節子
昨日は我孫子も40度近くになりました。
公式には36度と言っていますが、わが家の庭で実際に測ったら、午前中でも38度でした。
午後にはたぶん40度近くにはなっていたでしょう。
外気温より4~5度低い室内温度も34度を記録しました。
節子の闘病の夏の例年にないほどの暑さでしたが、今年はそれを上回ります。

しかし朝はとてもさわやかです。
気温はかなり高く、2階の私の部屋はすでに30度近いのですが、南風がさわやかで、気持ちがいいです。
畑に行くなら今のうちですが、畑に行くと、ついつい野草、とりわけネットワークの深い笹竹とバトルしたくなって、右手がますます悪化しそうなので、今朝は休もうと思います。
笹竹とのバトルは止みつくになるのです。
なぜならガンバリの結果が目に見えるからです。

私は、人からはわりと論理的で思慮深い人と思われることも多いのですが、実際は節子がよく知っているように、思いつきで行動する、思慮の極めて浅いタイプです。
もっとも自虐的にそう言っているわけではなく、人が考える論理や思慮などは、所詮は限りがあり、むしろ自然の摂理にしたがって生命の思うままに動くことがいいのではないかと思っているのです。
思いつきで行動することに誇りさえ持っているのです。
いやこれはちょっと大げさですね。
こうした自己正当化が私の欠点だと、節子や友人からは指摘されています。
それは否定はできませんが、それもまた私の生命観のなせる結果です。
此れもまた強引な理屈ですが。

いま、朝の6時。
手賀沼の対岸かららしいのですが、お寺の鐘の音が聞こえます。
風向きによって聞こえにくいこともありますが、今日はとてもよく聞こえます。
夏の朝の、この鐘の音が好きです。
心がとても鎮まるのです。
今日は暑さのせいか、鳥のさえずりはありません。

最近ようやく夏の表情をまた素直に受け入れられるようになってきました。
今日も暑くなりそうです。
休日のためか、まだ周辺は静かです。
この一人だけの静かな時間は、ついつい哲学的になってしまう。
この朝の平安が、なぜつづかないのでしょうか。
平安だけでは、人は生きていけないということでしょうか。

鳥がさえずりだしました。
今日も暑くなりそうなので、熱中症に気を付けて、過ごそうと思います。

■3944:無駄な時間を過ごします(2018年7月16日)
節子
昨日は、農作業中に高齢者が熱中症で2人亡くなったそうです。
私も十分に対象になる可能性があります。
まあそんなわけで今日は自宅でエアコンをかけて過ごすことにしました。
エアコンはあんまり調子がよくないのですが、まあ今日は暑いですから、エアコンも良心的に作動してくれるでしょう。

それで問題はそのリビングで何をするかです。
私の部屋にはエアコンはありませんし、わが家でエアコンがあるのは娘の部屋とリビングだけなのです。
そのリビングは、開放的な構造になっているため、温度調整の効率があまり良くないのです。
しかもそこにはテレビしかないのです。
時にノート型パソコンを持ち込んで作業することもありますが、自宅では基本的にデスクトップ使用ですので、いずれも古い型なので、使いにくいのです。
以前はここに節子のノートパソコンがありましたが、いまはもう廃棄してしまいました。
となると録画していたDVDを見るか読書しかありません。

さてどうするか。
まずは午前中は、「サルベーション」を見ることにしました。
13回も続いたテレビドラマです。
地球の小惑星が衝突することがわかってからの物語です。
半分は観ているのですが、あんまりおもしろくはありません。
でもまあ半分観たのだから最後まで見ないと何かもったいない気がしていたのです。
というわけで、今日の午前中は実に無駄な時間を過ごすことになりそうです。
でもまあ熱中症になるよりはいいかもしれません。

■3945:エアコンの中で過ごしましたが(2018年7月16日)
節子
今日はほぼ1日、冷房の効いたリビングで過ごしました。
たしかに涼しくて汗をかきません。
でもこれって本当にいいのだろうかとやはり思ってしまいます。
汗をかかない涼しい夏など意味がないのではないか。
そう思ってしまいます。
熱中症の危機を回避するとかいいますが、やはり何かが基本的に間違っている気がします。
何かを失っている。

ユカは、昔とは暑さが違うなどといいますし、テレビでも気象予報士と言われる人たちがいままでとは違う暑さだと言っていますが、環境が変わるのは当然ですし、だからといって、人工的な装置の中で生きながらえる生き方は私の趣味ではありません。

5時になって、外に出たら、暑いけれどもさわやかです。
エアコンを止めて窓を全開し、外気を取り込んだら、再び汗が出てきましたが、気分はとてもいい。
その勢いで、畑にも行ってきてしまいました。
朝、かなりたっぷりと水をやったので、今日はみんな元気でしたが、逆に野草もまた元気でした。

夜になっても気温はあまり下がりません。
まだ室内でも30度近くあります。
しかしやはり風はさわやかです。

1日、エアコンの冷房の室内で過ごしたせいか、とても疲れた気がします。
普通は反対なのでしょうが、私の身体が素直でないのかもしれません。
そもそも暑い日に自宅にいるのが間違いかもしれません。
暑い時にこそ、海や山に行くのがいい。
そういう生き方も、もうできなくなってしまいましたが。

■3946:葬儀委員長(2018年7月17日)
節子
私の葬儀が間近いようで、誰が葬儀委員長になるかの話し合いがあったそうです。
そういえば、私も、葬儀委員長を頼むので私よりに先に死なないように、と先日ある友人に話しましたが、それはまあ、私より長生きするよというメッセージを送りたかっただけの話です。
しかし、その話が出たのは、私よりも年下の人たちの場だったのです。
ですから十分にリアリティのある話です。
武田さんからの電話によれば、武田さんはやりたくないので太田さんに頼んだというのです。
なんだかもう私の葬儀が間近いような気がしてしまいますが、太田さんはまだ引き受けていないようです。
葬儀委員長を頼んだわけでもないのに、自分はやりたくないので太田さんにやってくれないかと頼んでおいたという武田さんからの連絡はどう考えたらいいでしょうか。
そろそろ死んだ方がいいのでしょうか。
武田さんとは長い付き合いなので裏切るわけにもいきません。
しかし、武田さんはともかく、太田さんに迷惑をかけることにもなりかねない。
「死ぬべきか生きるべきか」
悩ましい問題です。

しかし、そもそも私は生前葬のつもりなので、葬儀委員長は自分でやるつもりです。
まあ「委員長」というような大げさなものではなく、企画運営担当と言った方がいいでしょうが。
問題はいつやるかです。
あまり早すぎると葬儀の後が生きにくそうです。
あまり遅すぎると自分ではできなくなりかねない。
これまた悩ましい問題です。

人は死後、1日だけ生きかえることが許され、自分の葬儀を行えるようにしてもらえないものでしょうか。
それが許されれば、西日本豪雨で突然生命を絶たれた200人を超える人たちも、救われるでしょう。
突然の死は、あまりにも残酷です。

話題が変わってしまいました。
今日は曇天ですが、気持ちのいい朝です。
畑に行ってきます。

■3947:「御無事ですか?」(2018年7月17日)
節子
がんばって畑をやってきました。
といっても、右手が相変わらずなので、無理はできません。
今日は、鍬で耕す作業をしました。
これがまた重労働なのです。
節子も知っているように、何しろ畑は農地ではなく山林のすそ野だったところに笹が根を張り巡らしていますので、耕す以前の問題なのです。
ちょっとやっただけで疲れてしまいます。
しかしこうした作業を経子足らずにやっていると野草も私に同情し、場所を譲ってくれるでしょう。

畑で作業していたら、道を通った老夫婦が声をかけてくれました。
先日初めてあいさつしたおふたりです。
うれしいことです。

ところで、先に書いた葬儀委員長の話につづけて、その場にいた別の人からメールが届きました。

あいかわらず暑さ全開ですが、御無事ですか?

ウウ!
そんなにみんなから心配されているのでしょうか。
「御無事ですか?」という問いかけは、「まだ死んでいませんか?」という意味でしょう。
やはりみんなに「期待」、いや、「心配」されているのでしょうか。
自分ではわかりませんが、外部から見たらもう人生も終焉を迎えているように見えるのでしょう。
もっと己を知らなければいけません。
他者のことをいろいろと気遣う前に、まずは自らを気遣わなければいけないようです。

今日も暑くなるようですが、パソコンのある部屋は南風が入ってきて、たぶん涼しいです。
まあ高齢のため温度感覚が不正確になっている可能性は高いですが。

さて、先のメールですが、「無事です」と返信するべきかどうか。
「ご無事でもあり、ご無事でもない」のが人生ですが、この場合、「御無事ではありません」と答えるのが相手への心配りになるでしょうか。
人生はやはり実に悩ましい。

■3948:「誰とも親しくなるな」(2018年7月18日)
節子
猛暑もあって最近は在宅する日が多くなっています。
在宅していると世界がどんどん小さくなっていくような気がします。
やはり暑くても外に出ないといけません。

昨日、テレビで放映された「フューリー」という戦争映画を観ました。
ずっと以前観た映画ですが、その時も記憶に残ったのですが、主人公の戦車隊に入隊8週間目の新兵が配属されます。
彼に主人公が最初に言うのが、自分の戦車を指さして「あれが家だ」と言った後、「誰とも親しくなるな」という言葉です。
最初に観た時にも、強い違和感を持つとともに、強い共感を持ったのを記憶しています。
映画のストーリーは忘れていたのですが、この言葉だけはすぐ思い出しました。

これだけでは真意が伝わりにくいかもしれません。
そのシーンの前に展開されるのが、戦いの場面で、主人公の小隊は主人公の戦車だけが生き残り、しかもその戦車メンバーの一人が死んでしまうシーンです。
仲間の死に耐えられないほどの辛さを味わった主人公が、「誰とも親しくなるな」と口に出す気持ちは理解できます。
でもそれはたぶん本音ではないでしょう。
死を悲しむ友を持つことの幸せとその友を失う辛さは、同じものです。
幸せとは常に悲しみや辛さと一体なのです。
いや、悲しみや辛さがあるからこそ、幸せがある。

昨今の日本社会の風潮は、しかし、こうしたことを怖がっているような気がします。
悲しさや辛さから逃げようとするあまり、幸せを失っている。
そんな気がしてなりません。
いまの日本人は、幸せを求めていないとさえ思うことがある。

幸せのなかには悲しさや辛さが含まれています。
悲し涙と嬉し涙は同じものです。
それに気づくのに私は10年近くかかりました。
それに気づけば、世界は平安になります。
何しろ不安さえもが平安の一要素というわけですから。

今日は友人がはじめて人を湯島に連れてきてくれます。
親しくなれるといいのですが。

ちなみに、映画の主人公の言葉ですが、これは「戦争」への痛烈な批判であって、その真意はもちろん「人嫌い」などではないのです。
誰とも親しくなってしまう人間性を、戦争の中でさえ、しっかりと持っている人です。
最近の科学技術社会は、戦争社会と似ていると私は思うことがありますが、であればこそ、人間性を見失ってはいけません。
自戒を込めて、そう思います。

■3949:実に暑いです(2018年7月18日)
節子
新しい来客があるといので、久しぶりに湯島に行きました。
ところがいたのは旧知の増山さんだけでした。
一人なのと訊いたら、もう一人はすぐ呼ぶからということでした。
で呼び出したのはネットでの映像でした。
要するにテレビ会議ということでした。
空いては札幌在住の方で、あるプロジェクトで増山さんと2人でやりとりしていて、双方、煮詰まったので、私を待混んでのテレビ会議をしようということになったようです。
困った時のノイズ役というわけです。
増山さんは、半農生活を広げたいと思っている人で、その活動に協力したいというのが、今回の札幌在住のIT専門家です。
幸いに1時間半のネットミーティングで、問題は先に進むようになったと思いますが、また近いうちに呼び出されそうです。
困ったものです。

会議終了後、増山さんは炎天下を自転車で巣鴨の自宅まで戻っていきました。
私はその後、行きそびれている長浜Kannon Houseに行こうかと思ったのですが、あまりの暑さにそのまま帰宅してしまいました。
増山さんからも、私の農作業はやり過ぎだと注意されましたし、たしかの最近は何もしないので疲れが蓄積しています。
怠惰な生活は浸かれるものです。

今日の暑さはいささか異常なので、おとなしくエアコンをかけて、寝ていました。
幸いにわが家のエアコンが直ったようで、最近調子がいいようです。
神は救うべき時には救ってくれるものです。

しかしこう暑いと本を読む気もなりません。
エアコンで涼しいのですが、なぜかエアコンの効いた部屋にいても読書する気分にはなれません。
もう少し涼しくなったら、やはり畑に行こうと思います。
実は野菜の収穫はほとんどないのですが、土を耕す仕事は病みつきになります。
時期的にはまったく合っていないのですが、夏大根の種が出てきたので(蒔くのを忘れてました)、それを蒔いてみようと思います。
私と同じ自由な種であれば、蒔き時などは気にせずに育ってくれるでしょう。
まあそういう考え方なので、野菜は育っても収穫にはつながらないのですが。
でも今年はともかく畑づくりですから、それでいいのです。

それにしてもエアコンのない私の部屋は実に暑いです。

■3950:ギョっとしたニュース(2018年7月19日)
節子
昨日、挽歌を書いた後、畑に行きました。
右田がかなりひどくなっていて、このままだと回復不能かも知れないので、無理をしないで、ただ水をやりに行ったのです。
夏大根の種を持っていくとまた作業になりかねないので、作業セットは持たずに、しかもサンダルを履いて出かけました。
水をたっぷりやった後、ふと見ると、時々使う鍬がころがっていました。
収納場所がないので、農具は使った後、そこに置きっぱなしなのです。
鍬を見たらなんとなく耕したくなりました。
野草を刈り取ってもすぐ出てきます。
耕せば状況は変わります。
ですから耕すのがいいのですが、何しろここは「農地」ではないので、耕すのは大変なのです。
少し耕していたら、ユカから電話です。
テレビで我孫子市の75歳の男性が畑で熱中症で亡くなっていたことが報道された、というのです。
一瞬、娘が私が死んでいることを教えてくれてきたのかと思ったのですが、年齢が違うので私のことではないようです。
2人目にならないように帰って来いということです。

帰ったら、またテレビのニュースで報道されていました。
我孫子、畑仕事、熱中症、高齢者、まさに私の条件に会います。
もしかしたら私だと思っている人もいるのではないかと思い、フェイスブックで私はありませんと書き込みました。
早速、書き込みがありました。

私も今、ニュース見て、ギョッとして、佐藤さんのプロフィールで誕生日を確認して年齢を計算して胸をなでおろしたところでした。
陰ながら心配してるので、無理はしないでください?^_^。

どうも私は、「陰ながら心配させている」ようです。
困ったものですが、私の行動はそんなには無理をしていない、普通の生き方なのですが、時代には合わなくなってきているようです。
高齢者は高齢者の生き方をしなくてはいけません。
でもまあ、「心配をかける」のも社会に役立つ行為でしょう。
これも一種のボランティア活動です。
やはりこれまで通り、私にとっての普通の生き方をしようと思います。

それで今朝も畑に行ってきました。
しかしやはり手の痛みはさらに悪化しています。
昨日の残りを少し鍬で耕しましたが、いつもより疲労感があります。
2日目になるのは、いまは避けたいので、1時間ほどで帰ってきました。
作業よりも、まあ畑に居ただけというべきですが。

帰宅して血圧を測ったら、なんと127/79です。
こんな数字ははじめてです。
喜ぶべきか心配するべきか。
いずれもやめて、シャワーを浴びて、いつもながらの朝食を食べました。
今日も暑いようです。

■3951:まあ、いいか!(2018年7月20日)
節子
暑さのせいもあって、生活のリズムがかなり乱れてきています。
昨日も午前中にジュンの家に行ったのですが、ちょっと歩いただけなのに暑さに負けてしまい、帰宅後はどこにもいかずにエアコンの部屋で過ごしてしまいました。
人間は一度、エアコンを利用してしまうとそこからなかなか抜けられなくなります。

夕方畑に行きましたが、ちょっと無理をしたせいか、右手がいささかおかしくなっていて、これ以上無理ができないので、少しだけ鍬で耕すだけで戻ってきました。
無理ができない歳になってきてしまったのかもしれません。
そういえば、同年齢の友人から、この暑さでは出かけないようにとドクターからストップがかかったので、22日の集まりは欠席しますという連絡がありました。
それにつづいて、そう言う年齢になってしまったことへの寂しさとも感じられるような文章が書かれていました。

フェイスブックなどでも「無理をしないように」とかいろいろと書きこまれていますが、何が無理なのかがわからないので、みんな無理をしてしまうのでしょう。
相変わらずテレビのニュースでは、熱中症の4人死亡とか、危険な暑さとか言っていますが、最近のテレビは「恐怖の押し売り」のようになっているような気がします。
その一方で、おかしな法律がどんどん成立している。
危険なのは、暑さなどではなくて、そうした風潮だろうと思いますが、この暑さの中で、まあいいかと思う人も多いのでしょう。
私も最近はそういう心境にかなりなってきています。
みんながそう思いだしているとしたら、当分は私たちの社会は劣化し続けるでしょう。
まあそれもいいか、と暑さの中で思ってしまいます。

私は炭酸ガスによる地球温暖化は信じていませんが、地球の気候が変調しだしているとは思っています。
そしてそれは、たぶん「自然の意志」だとも思っていますが、そうしたことにどう対応していけばいいのかはわかりません。
でもまあ、暑い時には暑いというのは正しい生き方でしょう。
しかし、その一方で、「暑さにも負けない」生き方をしないといけないという信条もありますので、実に悩ましい。

ところで「暑さに負けない」とはどういう意味なのか。
いままであまり考えたことがありませんでした。
暑くても畑に行くということだと何となく思っていましたが、そうではないのではないか。
そもそも「勝ち負け」などは、私の信条としては無意味なことだったはずが、どうしてこの「夏の暑さにも負けず」という言葉が気に入っていたのか、エアコンの中でそんなことを考えたりしていました。

そうやって、人は自らをどんどん正当化していくのでしょうか。
困ったものです。
今日も暑いですが、その暑さに負けずこれから出かけます。
どこかおかしい気もしますが、まあいいでしょう。
なにしろ暑いので考えるのさえめんどうですから。

■3952:価値とは、失って初めて気づくものかもしれません(2018年7月20日)
節子
暑い中を湯島に来ています。
来客は3時からですので、4時間ほどを一人で過ごしています。
エアコンがあるため、自宅よりも涼しいですが、だからと言って何かをやる気力が高まるというわけでもありません。
しかし、この静かな時間は、それなりにいいものです。
節子がいたら、もっといいのですが。

会社を辞めた後、節子と一緒に湯島で過ごす時間はそれなりにありました。
来客は多かったとはいえ、いつも来客があったわけでもありません。
節子と2人だけの時間もありました。
その時間は「豊かな時間」だったでしょうか。
いまから思えば、無駄にしていたような気がします。
いまさら後悔しても始まりませんが、つくづく自らの愚かさを悔いるしかありません。

人は、その時の時間の価値に、なかなか気づかない。
価値とは、失って初めて、気づくものかもしれません。
もしそうならば、失わなければ、気づくこともない。
豊かさや幸せは、失ってこそ、気づくとすれば、失うことこそが、幸せと豊かさをもたらすのかもしれません。
しかし、その時にはもはや、その幸せと豊かさはない。
おかしな話です。

この静かな時間にいると眠くなってきます。
やることがないので、先ほど、時評編を書いてフェイスブックにも投稿しました。
しかし、まだ1時間半も時間がある。
節子がいたころは、なんであんなに時間がなかったのでしょうか。
時間を持て余すことなどありませんでした。
最近は、時間を持てますこともめずらしくありません。
幸せや豊かさがない証拠かもしれません。

さて残りの時間、何をやりましょうか。
話し相手もいないですが。

■3953:「ここは畑です宣言」はほぼ達成(2018年7月21日)
節子
庭のカサブランカが満開でしたが、一斉に咲いてしまったので、終わりもまた一斉で、なんだかもったいない気がします。
咲く時期をずらそうと球根を植える時期をずらしたのですが、開花は同時でした。
命には、自然が定めた時間が埋め込まれているようです。

そうした時間に抗って、畑に野菜や花の種をまいていましたので、あんまりうまくいきません。
まあしかし、それに懲りずにこれからもそうするよていです。
ともかく今年の目標は、畑の奪還ですから。収穫は二の次なのです。
でもまあ今日も暑かったので、早く目は覚めたのですが、畑には行きませんでした。
畑に行くとどうしても耕したくなったり野草を刈りとりたくなるからです。
畑だけではありません。
畑に行く途中の空き家の前の野草や空き地や道際に伸びている野草を見るとついつい刈り取りたくなってしまうのです。
まあ節子ならやりかねませんが、私はそこまでは勇気がありません。
それにそれが逆に迷惑になることもあるからです。

わが家から30メートルくらい離れたところに電柱が立っているのですが、その下に野草が生えていました。
転居後、節子はそこに花を植えてしまいました。
一見、いいことのようにも思いますが、いささかそれは越権行為で、事実節子が手入れできなくなってからは、近くの人が野草も含めて刈り取ってくれました。
そこを通るたびに、そのことを思い出します。

畑はかなり笹竹をきれいにしたので、以前は咲き誇っていたシランが復活してきました。
畑は、収穫用ではなく、野草に対する「ここは畑です宣言」のためにいろんなものを植えていましたが、収穫しないうちに虫が食べてしまったり花を咲かせて枯れてしまったりしています。
先日、小さな大根を抜いてきて食べましたが、いまのところはどういう時に収穫するのかもよくわからず、ただただ成育を支援しているだけです。
でも畑宣言はだいぶ認知されてきたと思うので、これからは収穫も考えようと思います。

■3954:愛の方程式の中にこそ本当の解がある(2018年7月21日)
節子
暑いのでエアコンの効いた部屋で、映画を観てしまいました。
古い映画ですが、数学者ジョン・ナッシュの実話に基づく映画です。
ナッシュは、複雑系を少し学んだ時に聞きかじっていた天才という知識しかなかったのですが、その物語というので見ることにしたのです。
想像していたのとは全く違い、とても感動的で心に響く作品でした。
主役のナッシュを演じているのは、ラッセル・クロウ。
そしてその妻を演じているのが、ジェニファー・コネリー。
この2人が実によかったです。
これまで見た作品の中で、一番よかった。

ナッシュは統合失調症になり、幻覚と共に生きることになりますが、ノーベル賞の授賞式でのナッシュのスピーチに涙が出ました。

数を信じてきました。
生涯を数にささげて、
解を導く方程式や論理を、未だに問い続けます。
“論理とは?”
“誰が解を決める”
私の探求は自然科学や哲学、そして・・・
幻覚に迷い、戻りました。
そして行き着いたのです。
人生最大の発見に。
愛の方程式の中にこそ、本当の解があるのです。

そして会場で聴いている妻に向かって言うのです。

今の私があるのは、
君のお蔭だ。妻こそがわたしのすべて。
ありがとう。

ナッシュの理論は私には難解で歯が立ちませんでしたが、
このメッセージは素直に理解できます。
私も同じセリフを節子に言いたかったです。

■3955:中途半端な知識や身勝手な正義感(2018年7月22日)
節子
相変わらず暑さはつづいています。
朝の6時にはすでにわが家のリビングルームは29度を超えています。
庭の花に水をやったのですが、それだけで汗をかきました。
湿度もかなり高い。
でも、夏を感ずる朝です。

酷使した右手は、まだ強く握れません。
畑に行くと作業をしてしまうので、今朝は畑はやめました。

一昨日からまた本を読めるようになってきました。
本を読むのは好きですが、時々、読めなくなってしまいます。
頭では読めるのですが、心に入ってこない。
これは昔からのことで、そう言う状況の時には本を読むのが苦痛になります。
ですから無理をしないようにしています。
今回、読書がまたできるようになったのは、「アイヌ民族否定論に抗する」という本のおかげです。
2か月ほど前に編者の岡和田さんが送ってくれたのですが、彼の対談分だけを読んで、そのままにしていました。
対談はとても面白かったのですが、この本のきっかけになった、アイヌに対する北海道のある市議のヘイトスピーチを読んで、とても不快な気持ちになって、それ以上、読めなかったのです。
中途半端な知識や身勝手な正義感に触れると、私はどうも生理的に動けなくなるか、過剰な反発に陥ってしまうのです。
中途半端な知識や身勝手な正義感は、私自身にも当てはまるのですが、だからこそ自己嫌悪と厭世観におそわれてしまうのです。

その一方で、昨日の挽歌に書いたナッシュのスピーチのようなものに出合うと、つい心が動き出す。
いくつになっても「不惑」には程遠い。
たぶんこのまま最後まで行くのでしょう。

幸いに、一昨日、「アイヌ民族否定論に抗する」を先に読み進める気になりました。
編者の呼びかけに答えた10数人の人のアンソロジーなのですが、それぞれにとても心を感じます。
知識や正義感からではなく、体験や生活感から、自らのメッセージを送ってくれています。
いずれも、心に響きます。

そして、昨日よんだ本は「人間さまお断り」という本です。
人工知能の進化によって、もしかしたら人間はもう不要になったと、私はなんとなく思っているのですが、そうした内容の本です。
とても共感できます。
人工知能も感情を育て、愛も持つことは時間の問題でしょうが、死だけはたぶん獲得できないでしょう。
死の価値が、改めて問われていくのではないかと思います。

今日は湯島で、そうしたことも意識したサロンを、中下さんにやってもらうことになっています。
中下さんはまだ若いのですが、「中途半端な知識や身勝手な正義感」とはほど遠い人です。
私は、中下さんの倍近く生きていますが、そうした俗物根性から抜けられないでします。
今日は、少し心が洗われて、生きる意欲を高められるかもしれません。

暑い夏が大好きだった生命力を回復したいと思っています。
そうなれば、たぶん、知識や正義感から解放されるでしょうから。
節子といった北茨城の海での、砂浜で気が遠くなるほど陽に焼いた日を思い出します。
アポロが月に行った翌日でした。

■3956:ウェアラブルクーラー(2018年7月22日)
節子
どうも私の畑作業は危険な作業に見えているようです。
今日も湯島に来た数人の人から、注意されました。
小畑さんは、畑はもちろん外出用にと保冷剤によるウェアラブルクーラーを持ってきてくれました。
小畑さんから、例年とは違う暑さなので意地をはらずにと言われると反論はできません。
その上、小畑さんは、これは「天の奥様の指令かもしれませんというのおです。
そう言われると素直に受け入れなければいけません。

今日は疲れたので、畑はさぼろうかとふと思ったのですが、せっかくいただいたウェアラブルクーラーを使わないわけにはいきません。
それで、帰宅して、畑に行きました。

しかし、畑に行く途中、ふと気が付きました。
これって、暑さに負けずに小作人仕事に精出せということではないか、と。
明日からまた頑張らないといけません。
過酷な暑さですが、小作人はそれに負けずにがんばれということですね。

小畑さんへの感謝をこめて写真を撮りましたが、
小作人にしては真剣みが感じられないと思われそうな写真になってしまいました。
しかしこれは、小作人の幸せは、どんなことにもうれしくて感謝できる小作人根性の現れなのです。

そういえば、昨日読んだ「人間さまお断り」という本にこんな文章がありました。

「大富豪特有の悩みをもうひとつあげるなら、それは人生の意味が薄れていくことだ。なんでも簡単に手に入るなら、なにを手に入れてもありがたみがない。」

質素な小作人の幸せは、大富豪に勝るようです。

心配してくださった皆様に、感謝します。
ありがとうございました。

節子
こんな感じで、みんなに心配されながら、この猛暑を乗り切っています。

■3957:幻のキリギリス(2018年7月23日)
節子
昨日から暑さの質が変わってきているように感じていますが、今日の午後はますます暑さに重力が加わってきたような暑さです。
私の心身が、一昨日までとは明らかに違ってきています。
そんなわけで今日は終日、ほぼ自宅にいました。

ただ朝に畑には水をやりに行きました。
そこでキリギリスに出合ったのです。

私は子どもの頃は、キリギリス獲りの名人でした。
節子と結婚してからも、子どもたちと滋賀に帰省した時に、キリギリスをつかまえて虫かごに入れて新幹線で帰ってきたことも何回かあります。
社内でもキリギリスはうるさかったですが、当時はまだ迷惑だといわれることもありませんでした。
自宅に庭に放して飼育したかったですが、それはいつものことながら成功はしませんでした。
その頃は、道を歩いていて、キリギリスの鳴き声を聞くと、どうしても捕まえたくなりました。
キリギリスにも、節子にも、迷惑のことでしたが、それが私の習癖でした。
水辺を見るとカニを探したくなるのと同じ習癖です。
いまもそれは変わっていません。

しかしもう10年以上、キリギリスに出会ったことはありませんでした。
それが今日、畑のキュウリの支え棒のところにオスのキリギリスがとまっていたのです。
しかし残念ながら怪我をしていました。
羽が半分なくなっていたのです。
水をかけてもあまり動じず,人付き合いのいいキリギリスでした(私の記憶ではキリギリスは人への警戒心が強いです)。
携帯電話を持っていかなかったので写真はとれませんでした。

帰宅してから、やはり写真に撮っておこうと、畑に戻りました。
しかし、もうそこにはいませんでした。
当たりをだいぶ探しましたが、見当たりません。
あれは幻覚だったのでしょうか。
そんなことはないでしょう。
きっとまた会えるでしょう。

今朝は、ほかにもいろんなバッタなどにも会っていますが、みんな順調に育っています。
野草を刈りとり、耕したところよりも、野草たちの王国の方が、どうも豊かなのかもしれません。
少しだけ子どもの頃の野原を思い出しました。
そして、大人になってからも、野原でキリギリスを見つけたり、川でカニを探したりする私に、いつも笑いながら付き合ってくれた節子のことを思い出しました。
私には一番楽しい時代だったかもしれません。

■3958:世界を広げる生き方(2018年7月24日)
節子
人はなかなか自分が見えてきません。
その一方で、他者の言動に自分を見ていることが多いように思います。
私は基本的に、誰かが誰かを批判したりほめたりするのを聞くと、それは話している人のことだろうと思うことが多いです。
ということは、私が誰かのことを批判したくなった時には、その批判はまさに自分に向けられているということになります。
それに気づくと、誰かを批判することは難しくなってしまいますが、だからこそ、批判することの大切さを感じています。
誰かを質すことは自らを質すことですから。
批判は、「話す」(放す)のではなく「語る」(象る)のでなければいけません。

こう書くと何やら小難しい感じがしますが、平たく言えば、人は自分が見える世界でしか生きていないということです。
人の生き方は2つあります。
自分の世界のなかで生きるか、自分の世界を広げるように生きるか。
いろんな人と出会って、たぶん前者の生き方が幸せなのだろうと思います。

節子と一緒に阿蘇の地獄温泉に行った時、そこの宿屋で働いている男性が、生まれてこのかた、熊本市にも下りたことはなく、ここでずっと働いているといっていました。
毎朝、庭の掃除からはじまり、決められた作業をして、一日(一生)を終える。
実にやさしく、そして満ち足り表情をしていたのを今も覚えています。
その人の心には、不満などないのでしょう。

多くの人は、そうやって生きてきた。
ところが突然にある日、その自分の世界が壊されてしまう。
今回の西日本豪雨は、そうしたことを多くの人にもたらしました。

しかし、ただ現在の世界が壊れてからと言って、後者の生き方、つまり自分の世界を広げる生き方になるわけではありません。
壊された世界もまた「自分の世界」。
その世界の中で生きていくことは十分に可能であり、またある意味での幸せなのかもしれません。

こんなことを書いたのは、節子と私の生き方の共通点が、後者の生き方だったからです。
2人とも志やビジョンを持っていたわけではありませんが、新しい世界への関心はそれなりに高かった。
不謹慎な話ですが、もし節子と私が、自分の住んでいる家を壊されたらどうしただろうかと思ったりします。

人は歳と共に、世界の広がりを望まなくなる。
いや、世界の広がりの望まなくなるから、歳をとるのかもしれません。
しかし、幸か不幸か、私には今や。落ち着いて平安を楽しむ世界はありません。
落ち着くべき自分の居場所がないからです。
節子のいない世界には、とどまる世界はない気がします。
ですから外に向かうしかない。
だから歳をとれないのかもしれません。
困ったものです。

■3959:相談より雑談(2018年7月25日)
節子
昨日も暑い日でしたが、それ以上に重い日でもありました。
湯島である会社の人たちと会っていましたが、話をしているうちに、思っていた以上に根深い「問題」があることを感じました。
その会社とは数年前からの付き合いですが、ずっと気になっていることが見えてきたという感じです。
だいぶ信頼関係ができてきたので、いろんな情報が入ってきます。
このまま放置するわけにはいかないと思い出してはいるのですが、それに正面から取り組むのも荷が重すぎるのと時間がとられそうで躊躇してきていましたが、少しコミットしていこうと決めました。
私自身の精神状況が少しきつくなりそうですが。

もうひとり、突然やってきた人がいます。
1年半ほどご無沙汰していた人です。
部屋の掃除をしに来たというのが口実でしたが、何かの壁にぶつかっていることは間違いありません。
雑談をしていて、だいぶ状況がわかってきました。
実は2週間前にも彼女は一度、やってきましたが、抱えているものの重さを少しだけ感じたのですが、それを放出してはもらえませんでした。
昨日はかなり見えてきました。

湯島にはいろんな人が来ます。
節子がいた頃もそうでした。
来客が帰った後、あの人は何を死に来たのだろうかと節子とよく話したものです。
相談のようで相談ではなく、来た目的がわからない人が少なくなかったのです。
もちろん最初から「相談したい」と言ってくる人も少なくありません。
でも相談すべきことがわかっている人は、多くの場合、その答えもわかっているのです。

そういうことを30年近くやってきて感ずるのは、本当に必要なのは「相談窓口」ではなく、相談の前の「雑談の場」ではないかと思うようになってきました。
しかし、そう言うサロンもやってみましたし、いまもやっていますが、そう言う形ができた途端に、そこはもう違うものになるような気もします。

人にとって大切なのは、相談相手ではなく雑談相手、それもすべてをあっけらかんと放出できる相手です。
私の場合、それが節子でした。
そういう人がいれば、人はしあわせでいられます。
そうであれば、もし必要な人がいたら、私がそういう雑談相手になれればいいなと思っています。
ちなみに、私にとって節子はそういう雑談相手でしたが、伴侶がいつも雑談相手になるとは限りません。
それに雑談相手になるためには、やはりそれなりの時間が必要なのだろうと思います。

昨日は暑さと重さで疲れ切った1日でしたが、さらに夜中がなぜか眠れずに今日はいささか疲れが残っています。
涼しい朝ですが、畑に行く元気が出てきません。

■3960:畑仕事再開(2018年7月25日)
節子
今日も暑くなってしまいました。
久し振りにちょっと企画書をまとめようと思って、自宅でパソコンをしようと思っていたのですが、暑くなってきてそれどころではありません。
今日は在宅なのですが、企画書づくりは止めて、野菜の苗や種を買いに行くことにしました。
娘が出かけるというので、それにくっついてということですが。

私は70代になって自動車免許を返還しました。
そのため、いまは自動車を自分では運転できないのです。
ですからどこか遠くに行く場合は、娘に頼まないといけません。
いささか不便ですが、もし自動車の運転をしていたら、たぶん事故を起こしていたでしょう。
節子はもとより、娘たちからも私にはあんまり運転しないようにと前から言われていました。
自分でも不的確だと思っていました。
ですから今は自分一人では遠出はできないのです。
節子は運転が好きでしたから、節子がいる時はいつも節子が運転してくれていました。

節子がいなくなってからは、自動車に乗る気もしなくなり、免許も返却してしまったのですが、節子と違い、娘にはそういつもいつも運転を頼むわけにもいきません。
ですからいまはもう遠出のドライブはほぼなくなりました。
私はそもそも反マイカー派で、免許を取ったのも、わが家では一番遅いのです。
会社を辞めてからです。
節子の影響です。

自動車に限らずに、節子の影響はいろいろあります。
40年も一緒に暮らしていると、お互いに影響を与えているものです。
世界も大きく広げてもらった気もします。

ここまでは午前中に書いたのですが、その後、また野菜や花の種を買ってきました。
そして夕方久し振りに畑作業をしてきました。
暑さも山を越したようです。
明日からまた畑仕事再開です。
一応、花壇も畑もかたちがだいぶできてきたので、これからは収穫を目指して野菜づくりに取り組みだそうと思います。

■3961:お金をもらう仕事(2018年7月26日)
節子
久し振りに対価をもらう仕事をすることにしました。
だいぶ迷ったのですが、いろんな理由から取り組むことにしました。
この暑い中、体力的にも大変なのですが、私として解決したい問題も見えてきてしまったので、踏み切りました。
もっとも相手の会社が発注してくれるとは限りません。
相手が取り組む覚悟を確認するという意味で、久し振りに対価の請求も私からすることにしました。
これまでも基本的にはオフビジネスで付き合いがあった会社なので、有料なのと驚いてしまい、断られるかもしれませんが、そうなればむしろホッとするくらいの気分です。
私の生き方は、いささか社会から脱落してしまっているようです。

実はもし仕事をやるのであれば誘ってほしいと若い友人から言われていました。
しかし、もし巻き込むと費用はたぶん今の見積もりでは対応できないでしょうし、仕事量も逆に増えるでしょう。
今回はひとりで対応することにしました。
さてさてどうなるでしょうか。

今回のテーマは会社の経営に関わるプロジェクトです。
私自身は本来会社の経営コンサルタントをやりたいのですが、私の姿勢はどうも「今様」ではないようです。
私自身は、まさに「今様」だと思っているのですが、なかなか受け入れてもらえません。
私に依頼してくれば、会社はよくなるし、みんな幸せになるだろうにと思っているのですが、わかってはもらえません。
そもそもわかってもらおうなどとも思っていないからかもしれません。

しかし、前にもある本に寄稿したように、会社をよくするのは実に簡単なことなのです。
しかし、多くのコンサルタントは、会社がよくなってしまったら困るかもしれません。
仕事がなくなるからです。

それはともかく、久しぶりに仕事をすることになるかもしれません。
ストレスもたまるかもしれません。
それをほぐしてくれる節子はいませんが、さてどうしたらいいでしょうか。
もしかしたら逆にまた病みつきになるかもしれません。
少なくとも途中で投げ出したり、途中で断られたりしないように、ちょっと頑張ろうと思います。

節子
応援してください。

■3962:「障害者は不幸しか作れない」(2018年7月26日)
節子
2年前の今日、相模原市の津久井やまゆり園で障害者殺傷事件がありました。
不幸な事件ですが、ある意味では社会を象徴する事件でもありました。
時評編に書いたのですが、やはり挽歌編にも書いておきたくなりました。

この事件では衝撃的な言葉がいろいろと流れましたが、「障害者は不幸しか作れない。いない方がいい」という言葉は、とてもさびしい言葉でした。
そんなことはまったくないのです。

私たちが結婚して間もないころだったと思いますが、節子の母が入院しました。
それで2人で、滋賀の病院にお見舞いに行ったことがあります。
同じ病院に、節子の生家の集落の知り合いの人の息子が入院していました。
自動車事故で、意識が戻らないまま、寝たきり入院していたのです。
高齢の祖母が、毎日、病院に看病に来ていました。
看病と言っても、意識がないまま寝たきりになっているので、身体を拭いてやったり、声をかけたり、そこに寄り添っているだけのようです。
入院以来、日課は病院に来ることが、祖母の日課になりました。
その患者と祖母がどういう関係にあったのかは、私は知りません。
しかし、不謹慎な言い方ですが、私にはその祖母の方が、とても幸せそうに感じたのです。
そのことが、私はずっと忘れられないでいます。
誤解されそうな言い方ですが、看病することは、いかに幸せなことか。
それを知ったのです。

節子の胃がんが再発し、最後の1か月はかなり厳しい闘病生活でした。
私にも、精神的な余裕がなくなり、いまから思えば、悔いることが山のようにあります。
最後は、節子はほとんど話ができませんでした。
でもそこに節子がいることが、どんなに人生を豊かにしてくれたことか。
節子もそれを知っていた。
節子の最後の半月は、たぶん私たち家族を幸せにするために会ったのだと思います。
人は存在するだけで、まわりに幸せを生み出しているのです。
そのことを知らないでいる被告をどうしたら幸せにしてやれるのか。
不幸を生み出すのは、障害者ではなくて、幸せというものへの体験のなさなのかもしれません。
不在こそが不幸を生み出す。
私は、節子がいなくなってから、不幸の意味を知りました。

生活するうえで、障害を持っている人は少なくありません。
しかし、存在することがなにかの障害になる人はいない。
「障害者」は、生きる上での障害を持っていても、決して社会の障害となる存在ではないのです。
むしろたくさんの幸せを生み出している存在ではないかと、私は思っています。
いなくてもいいのではなく、いなくては困る存在なのです。

■3963:「ブッポーソー」(2018年7月27日)
節子
今朝は鳩が鳴いています。
鳩の鳴き声は苦手です。
節子を見送った頃、毎朝、この鳴き声を聞きながら、目覚めていたためか、この声を聞くと彼岸を感じます。

毎朝鳴いているのは、キジバトです。
キジバトはわが家の庭にもよく来ますし、いまも巣をつくろうとしています。
ほかの鳥には巣をつくってほしいのですが、鳩だけは歓迎できません。
カラスにやられたことがあるからでもありますが、そもそも鳩はどうしても好きになれません。

鳩の鳴き声はいろいろあります。
一般に鳩の鳴き声と言えば、「クルックー クルックー」と言われますが、それはドバトで、キジバトは「ブッポーソー」です。
「仏法僧」と耳には聞こえてきますが、その鳴き声がとても重くて、真言のようにも聞こえます。
鳩の鳴き声とは知らなかった頃は、異様なものを感じていましたが、いまでもなにか異形なメッセージを受けるような気がして、「悪魔の声」のようなイメージさえあって、どうしても好きにはなれません。
「ブッポーソー」の声が広がると、鳥たちの陽気なさえずりが止まる経験も何回もあります。
これは気のせいかもしれませんが。

昨夜は肌寒い気がするほど涼しかったですが、今朝はとても気持ちのいい、夏らしい朝です。
こういう日は畑で無理をしそうなのですが、昨日、作業を少しやっただけで、右手がまたおかしくなってしまっています。
さらに悪化するといけないので、今日は水をやりに行くだけにしようと思います。
もしかしたら、またキリギリスに会えるかもしれません。
少なくともハケの道を散歩する人たちには会えるでしょう。
野菜の種を買ってきているのですが、なかなか蒔けません。

「ブッポーソー」の声がなくなりました。
代わって蝉の声。
わが家の庭でも蝉が時々羽化していて、抜け殻が残っています。
自然の豊かさは、知れば知るほど、見事です。

■3964:多くの生きものと同棲したい気分(2018年7月27日)
節子
涼しさを感ずるほどの朝でしたが、太陽が出てきたら、途端に暑い夏に戻ってしまいました。
畑に行って、キリギリスを探しましたが、見つかりません。
たぶんもう彼岸に旅立っているでしょう。
キリギリスの一生も、短いですから。
その代わり、ショウリョウバッタがたくさんいました。
私は「ショウリョウバッタ」を「ショウミョウバッタ」と間違って記憶しているため、よく間違えるのですが、いずれにしてもこのバッタは、彼岸を感じさせるところがあります。
飛翔する時の羽の音が、私には声明に聞こえてしまうのです。
それにしても今年は異常に多い気がします。
足の踏み場に困るというと大げさですが、それほどたくさん出会います。

私には、そうしたバッタとの出会いも「一期一会」にはしたくなく、家で飼ってみようなどとついつい思ってしまうのですが、これは「所有欲」かもしれません。
自分では決してそうは思っておらず、一緒に暮らしたいとお云う気分の方が合っているのです。
沢蟹や昆虫も、ぜひわが家に棲息してほしいのです。
しかしこれこそが、所有欲、支配欲なのでしょう。
困ったものです。

生物を飼うというのはどういう意味があるのか。
飼う以上は、環境を整え、食事も用意しなければいけません。
飼われた生物はしあわせでしょうか。
微妙な問題です。
私は飼われたくはないのですが、飼われたい人もどうもたくさんいるようです。
しかし、自分が飼われたくないのであれば、飼うべきではないでしょう。
それはわかっているのですが、やはりメダカもキリギリスも沢蟹も飼いたいです。

温度は上がってきましたが、風はさわやかです。
先ほど、山口の知人が、「いま東京に向かっているが、今年の山口は暑いので、避暑に行く気分」とメールしてきました。
今日は私も避暑地の東京に出かけます。

■3965:1日で枯れる供花(2018年7月28日)
節子
昨日、山梨の増田レナさんが湯島でサロンをしてくれました。
2年前に起こった津久井やまゆり園の障害者殺傷事件がテーマでした。
その報告はまた時評編でしますが、サロンの始まる前に、増田さんと中下さんとで話をする時間がありました。
なにしろ人間に関して実践的にたくさんの活動をしている2人なので、たくさんの気づきをもらったのですが、増田さんの供花の話は、私が気付いていなかったことでした。

家の庭に咲いている花は、仏さまに供えると1日で枯れてしまうものが多い。
だから、毎日、仏さま(故人)に話しかけられる。

畑作業の話から、1日、水をやりに行かないと枯れてしまうので大変ですという私の話につなげて、ぽつっと話してくれたのです。
長持ちする花ではなく、1日しか持たない花だからこそ、毎日彼岸とつながらせてもらうことができる、というわけです。
とても納得できるお話です。

長持ちする花よりも、はかなく散っていく花のほうが供花にはふさわしい。
思ってもいなかったことでした。
庭の花も、活け花にするとすぐに散ってしまうものも少なくない。
そうした花は供えるのをやめていましたが、考え違いでした。
長持ちする花を買ってくる発想を改めなければいけません。

ちなみに菊は長持ちします。
これもまた、別の知恵の物だろうと増田さんは話されました。
はかなく散ればいいというわけでもない。
供花一つとっても、たくさんの意味があるわけです。
なにしろ供花は、ネアンデルタール人以来の長い歴史をもっています。
そこにはたくさんの意味がある。
彼岸との交流から学ぶことは少なくありません。

■3966:歳をとったわけです(2018年7月28日)
節子
節子と同じ年にがんの手術をしたユカの友だちのお母さんが亡くなりました。
節子よりも10年長生きしたわけです。
節子と違って最後まで痛みのないがんだったそうです。
そう聞いただけで少しホッとします。

死は、それぞれに違います。
たくさんの死者を見てきた友人からもお聞きしましたが、死に顔が幸せそうな人とそうでない人が、やはりいるそうです。
節子は、はたから見ていても壮絶な闘病生活を1か月過ごしましたが、旅立ちの瞬間と死に顔はとても穏やかでした。
それは、節子が最後に残してくれたプレゼントでした。

今日はもうひとり訃報がありました。
こうして社会は世代替わりしていくのでしょう。

訃報ではないのですが、これもまたちょっとショッキングなメールが来ました。
節子もよく知っているHさんとしばらく会っていないので、メールを出しました。
私よりも一回り若いHさんももう60代で、大学の仕事もそろそろ定年だそうです。
ところが4年ほど連絡がなかったのは、親の介護が関係していたようです。
彼は独身なのですが、いまは母親と同居し、食事づくりも自分でやっているのだそうです。
あのHさんが、とそれこそ驚きです。
まさに天才的な研究者的人生を気儘に過ごしているとばかり思っていましたが、Hさんが料理をしている姿はイメージできません。
時代はどんどん過ぎているのです。

昨日、若い友人にも話したのですが、私は今、老人の私と若者の私が心の中に同居していて、時々、その両者のギャップを感じて混乱することがあります。
昨日も湯島のオフィスに行く途中の階段で、なんでこんなに身体が重いのだろうと不思議に感じたのですが、高齢になると身体はむしろ心の動きを制約します。
時の経過をきちんと認識しなければいけません。

どうもそれが苦手なのです。
シュメール人が時間を発明する前の人類の血が、突然変異的に出現してしまったのかもしれません。
周りの風景の変化をしっかりと認識できない自分がいるようです。

■3967:台風一過・気分一転(2018年7月29日)
節子
昨日は台風が関東地方に接近して、関東は大荒れになるかもしれないと言われていましたので、ちょっと心配していましたが、進路が外れたおかげで、ちょっと雨風がひどかった程度で終わりました。
台風は、何を思ったのか、また西日本に向かってしまい、豪雨被害にあった西日本にまた被害を与えそうです。
少しは東日本も被害をシェアするのがいいのでしょうが、自然はそうはバランスさせてくれないようです。
大きな被害がでなければいいのですが。

今朝の我孫子は、静かな朝で、風も雨も止んでいます。
その上、秋のような涼しさです。

台風が過ぎ去った後のさわやかさは、いつも身心を清浄にしてくれますが、今朝もまさにそんな気分です。
実は一昨日の相模原障害者殺傷事件をテーマにしたサロンでの議論や考えたことがなかなか抜けずに、昨日は身心がどんよりとしていました。
サロンの翌日には、必ず報告を書いてフェイスブックやメーリングリストに投稿するのですが、昨日はどうしてもそれができませんでした。
一日在宅していて、時間はたっぷりあったにもかかわらずです。
それだけではありません。
明日から始まるあるプロジェクトの準備をしなければいけないのですが、それも全くやる気が起きずにいました。
サロンは、思っている以上に私は疲れてしまうようです。
たいした発言もしていませんし、カジュアルなサロンなので、気楽な2時間を過ごしているつもりなのですが、どうもどこかに負荷がかかっているようです。
なによりも、思い出したくないという奇妙な気分に覆われてしまうのが、最近は気になりますが、これは無力感と孤立感から来ているのかもしれません。
なぜそうなるのか、困ったものです。

そんな迷いごとなどから解放されて、今日はまた前を向こうと思います。
気のせいか、自然がとても元気になったような気がします。
不気味なブッポーソーの声も聞こえず、さわやかな鳥のさえずりと遠くの蝉の声がして、自然の優しさを感じます。
西日本の人にはまだ、自然は脅威を与えているのでしょうが、同じものの意味が、状況によって全く反転するのは、不思議です。

■3968:死者との関わり方としての名前(2018年7月29日)
節子
昨日はぐだぐだして過ごしていましたが、ボルネオの少数民族プナンの生活ぶりを報告している人類学者の本「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」を半分読みました。
ちょっと元気が出る本です。
私の生き方もまんざらおかしくないと思えますので。

その本に死者を弔うやり方の章がありますが、プナンの人たちの死者とのかかわり方は、日本人とはかなり違います。
身近な人が死ぬと、死者ではなく、残された家族・親族が名前を変えるのだそうです。
死者に戒名をつける日本人のやり方とは、ある意味、真逆なのです。
そこにはさまざまな意味があると考えられていますが、たとえばその一つは、残された人たちを、しばらくの間、死者だけに独占してもらえるようにするためという捉え方です。
死者にあの世に持っていってもらうというわけです。
殉死にも通ずる考え方です。
ちなみに、プナンでは、人間は〈身体〉〈魂〉〈名前〉の3つの要素を備えた存在と考えられていて、個人の「名前」はとても大きな意味を持っています。
ですから、名前を変えるということは、それまでの身体や魂といっとき離れるほどの意味があるのでしょう。
とても含蓄に富む風習のような気がします。

戒名は日本の文化の一つですが、考えようによっては、死者には冷たいような気もします。
私は毎朝、節子の位牌に呼びかけていますが、戒名で呼んだことはありません。
あまり深く考えたことはなかったのですが、戒名はやはりつけなければよかったと少し悔やんでいます。
彼岸でも「佐藤節子」でよかったような気がします。
まあ、また考えが変わるかもしれませんが。

■3969:石器人の豊かさ(2018年7月30日)
節子
さわやかな朝です。
今日は朝早くから出かけるので、畑はやめました。
台風のおかげでたっぷり雨も降りましたし。

昨日の挽歌に書いた「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」を読み終えました。
いろいろと考えさせられました。
プナンのひとたちは、まだ「倫理」が生まれる前の、自然と共にある段階に生きているというようなことが、とても具体的に紹介されているのですが、その多くがとてもなじめました。
近代以前どころではないのです。

私はフェイスブックの自己紹介に、「コモンズの回復をテーマに、自分に誠実に生きています。 社会に誠実かどうかは確信が持てませんが。現代社会にはあまり適応できずにいますが、 誕生以来の人類としてはとても平均的な人間です」と書いています。
いささか大仰の自己紹介ですが、私としてはとても気に入っています。
奥野さんの本にも出てきますが、ずっと前に、アメリカの人類学者マーシャル・サーリンズの「石器時代の経済学」を読んだ時に感じたことが、その後の私の思考の基準の一つになっています。
一言でいえば、進歩主義への疑問です。
もっと言えば、直線型に流れる時間観への疑問です。
サーリンズは、同書で、石器時代人の暮らしの豊かさを描いていました。
奥野さんは、それを紹介して、こう書いています。

食料を探すことに汲々としている貧しい社会という古くからのイメージを覆して、狩猟採集民社会を、生きるための労働に費やす時間が近代産業社会のそれよりずっとずっと少なく、余暇の多い「豊かな社会(affluent society)」であると捉えなおした。プナンの森の狩猟小屋での生活は、サーリンズが言うような、アフルーエントな雰囲気に満ち溢れている。

最近では、石器時代の捉え方そのものまで変わってきているように思いますが、私が学校で学んだ歴史は、近代人が創り上げた自己賞賛のフィクションだったような気がします。
サーリンズの話は、時々、湯島でもしていましたが、誰からも笑われてばかりいたので最近は忘れてしまっていました。
そのサーリンズに再会できたのも、本書を読んだおかげです。
私の中にさえ、そうした自然人の血が流れているのを感じますが、その視点で「豊かさ」を捉え直すと、人生観は一変するような気がします。

さてそう言いながらも、今日は近代社会での仕事をする日です。
しかしもしかしたら、そこにもプナンの豊かさに通ずるものを見つけられるかもしれません。
なにに出合えるか、楽しみになってきました。
今日はある会社でずっと過ごす予定です。

■3970:山のような後悔(2018年7月30日)
節子
がん治療をしている友人が治療を少し延期して玉川温泉に湯治に行っていました。
帰宅するのが台風襲来と重なっていたので心配していたのですが、昨日、無事帰ったという電話がありました。
ほっとしました。
なにしろ彼は独り身なものですから。

とても元気そうでした。
節子の闘病中、彼から温泉に行くように勧められました。
すでにその時には、節子はかなり状況が悪かったのでやめたのですが、そのことを後で後悔しました。
だから彼が治療を延期して温泉に行くと言い出した時には、賛成したのです。
でも、人の身体は人それぞれですし、何がよくて何が悪いかはわかりません。
節子の体験があるからこそ、がん治療している人へのアドバイスはいつも躊躇してしまいます。
同時に、節子の時のことを思い出して、いつも後悔してしまいます。
私の場合は、節子を守れなかったわけで、すべてがつらい思い出なのです。
後悔は山のようにあって、そこから抜け出せることはないでしょう。

しかし、とても元気そうな声でよかったです。
彼へのアドバイスはできず、ただただ祈るだけなのですが、それでもすこしは役立つでしょう。
それにしても、祈ることの多いこの頃です。

■3971:「長い第3四半期」(2018年7月31日)
節子
フェイスブックを読んでいると時代が変わってきていることと併せて、自分がどんどんその時代から外れてきていることを思い知らされます。
とりわけ複雑な気分になるのは、若い世代の活動です。
たぶん私にも同じような時があったと思いたいのですが、前に進んでいる若者たちの活動には、輝くものを感じます。
「複雑な」と言ったのは、そこに大きな希望を感ずる一方、羨望と「終わったのだな」という寂しさを感ずるからです。
「生涯現役」という言葉は好きではありませんし、私の目指すところでもないのですが、生き方を次のステップに変えたいと、改めて思うようになってきています。
「長い第3四半期」はそろそろ終えるのがいいのかもしれません。
しかし実際には、むしろ「長い第3四半期」を引き延ばそうとする生き方にますます引きずりこまれているような気もします。

私は会社を辞める時に、人生を四半世紀ごとに捉え直そうと思っていました。
社会に育てられる第1四半期は、私の場合「ちょっと短い四半世紀」でした。
会社人として生きる第2四半期は、ぴったり25年間の四半世紀。
そして社会人として生きる四半世紀は、節子がいなくなって時間が止まってしまったために、だらだらといまもなお続いているのです。
その状況から抜け出ようという気がようやく生まれたのですが、次の第4の四半世紀の方向は定まりません。
理由はそれなりにあるのですが、生き方を変えるには理由は重要ではありません。
変えればいいだけの話ですが、そこから相変わらず逃げているのでしょう。

いろいろと思うことは多いのですが、惰性的な生き方の引力はとても大きい。
第2四半世紀を変える力は、節子の存在でした。
生き方を変えるには、やはり誰かの存在が必要なのかもしれません。
もしかしたら、多くの人は、変えたくとも、その存在がないために惰性から抜けられないのかもしれません。
だとしたら、私がその存在になれることもあるかもしれません。

自分は変えられないかもしれませんが、だれかを変えられる存在になることはできるかもしれない。
変えられるのは自分と未来だけ、と先日も中下さんが話していましたが、その言葉がその時、奇妙に気になっていました。
もしかしたら、変えられるのは「自分」と「未来」ではなく、「他者」と「過去」ではないだろうかとふと感じたのです。
これはもう少し考えてみたいと思いますが、「長い第3四半世紀」に居続けるかどうか、これもそろそろ考え出そうと思います。
もしかしたら、この2つはつながっているのかもしれませんし。

■3972:さびしそうな火星(2018年7月31日)
節子
火星が地球に大接近しているそうで、今夜も火星が大きく輝いています。
仕事場からは見えにくいのですが、昨夜、ベッドに横になって何気なく外を見たら、火星が大きく見えました。
寂しさが襲ってきました。

私の寝室はエアコンはないので、ドアも窓も開けっぱなしで眠ることがほとんどです。
エアコンだけのせいではありません。
よほど寒い冬の日以外は、冬でもドアは開け放しています。
節子がいなくなってからの習慣です。
節子がいつでも入ってこられるように、という思いからです。
まあ節子がやってきたことはありませんが。

最初に一緒に暮らしだした滋賀の大津で見た星空、ハワイのキラウェアで見た星空、家族旅行でよく行った白樺湖での星空、夜空にはいろんな思い出がありますが、火星を意識した思い出はありません。
わが家には、猫の額ほどの小さな屋上があります。
そこで夜、節子と星を眺めたこともあります。
しかし、そこでどんな会話をしたかまったく思い出せません。
ただただ星を見ていただけかもしれません。

節子を見送った後、夜空を見上げることはほとんどなくなりました。
しかし、一人で夜、帰宅する途中で、火星や金星はよく見ました。
涙が出たことも一度ならずです。
ある時、月と火星と金星が、にこにこマークのように見えた時がありました。
それ以来、涙は出なくなりました。
あれは幻覚だったのでしょうか。
そんなはずはないのですが、そう思いたくなることもあります。

今夜の火星も、とてもさびしそうです。

■3973:バランスをとる生き方(2018年8月1日)
節子
暑い毎日ですが、朝の風のさわやかさは気持ちがいいです。
昨夕、畑にはたっぷり水をやってきたので、今朝は畑には行かずに、風に身をさらしていました。
人と会うことの多い時には、できるだけ自然に身をさらす時間を持つようにしています。

バランスをとることはなかなか難しいものですが、私のように志向がかなりシンプルな動きをする人間にとっては、大事なことだと思っています。
なにしろ思い込んでしまうとどんどん深まってしまうタイプですから。
最近はかなりそれが身について、どこかで自制力が働きます。
それはもしかしたら、生命力の衰えなのかもしれませんが、引き返す思考力が生まれてきたと言えるかもしれません。

会社時代、数量を扱う仕事に埋没することがありました。
マーケット予測や需給見通しなどの仕事でした。
夜遅くまで、オフィスで一人で電卓や計算尺(当時はパソコンなどありませんでした)を使って数値計算したり、データ解析をしたりしていましたが、数字ばかり見ていると思考がとても論理的になってしまいます。
それは要素が一つ変わっただけで結論も変わってしまうという世界でした。
意識的には前提となる要素をできるだけ増やしたいと思っていても、現実には思考の縮減のためにあまり視野を広げたくないという無意識の動きが出てきます。
私は、論理というものの限界をいつも感じていましたが、その思考の世界に入ってしまうと全体が見えず、思考の飛躍がしにくくなってしまうのです。

その頃、心がけていたことがあります。
懸賞論文に取り組むことです。
毎月、1つか2つの懸賞論文の応募を見つけては、土日をその論文書きにあてたのです。
テーマはできるだけ普段あまり考えたことのないテーマを選びました。
そういうことを1〜2年続けました。
小さなものもあれば、大きなものもありました。
勝率はかなり高く、それでワープロをもらったり、南米への視察旅行もできました。
「賞金稼ぎ」と言われたこともありますが、賞金をもらったこともあります。
数字中心の仕事から解放されたのを機に、懸賞論文への応募はやめましたが、刺激的な経験でした。
なにしろ白紙から情報を集めて、そこからテーマに沿ったメッセージを引きだす作業を時間を決めてやるわけですから、かなりの集中力と思考を飛躍させる訓練になりました。
ワクワクするような発見もありましたし、人との出会いもありました。

おもしろかったのは、ある懸賞論文に応募して入選したのですが、そこで知り合った募集側の事務局の人と別の懸賞論文の表彰式で会いました。
その時の商品が南米視察だったのですが、その人と一緒に行くことになったのです。
その人は実に個性的な人で、その後、付き合いも始まりました。
私よりも一回り年上のかたで、私のことを「おさむちゃん」を呼んだりして、親しくしてもらいました。
もうひとりは大学の文学の教授の女性の方でした。
岐阜の方だったので、付き合いはしばらくしてなくなりました。

論文と言っても、私が取り組んだのは、思考実験的な書き物でしかないのですが、私には世界を広げ、柔らかくする楽しい謎解きだったのです。
その後、会社を辞めてから、いろんなことに関わる上では、とても役立った経験でした。
どんなテーマも、思考して、それなりの自説を創りだせるという自信のようなものもそだてられた気がします。
小さい時から推理小説が大好きでしたので、まあその延長でもありました。

いろんな世界に関わり、生き方も固定させない。
それは若いころからこだわってきたことです。
たくさんの人と会うときは、自然ともしっかりと付き合っておかないといけません。
しかしまだ右手が不調なので作業はできませんが、今朝は起きてから30分ほど、庭を見ながら、何もせずに過ごしました。
おかげでとても元気が出てきました。
朝の無為の時間はいいものです。

実は昨夜の夢見があまり良くなかったのです、今日もいい1日になりそうです。

■3974:32のこころ(2018年8月1日)
節子
この3日間、ある会社の社員32人全員と個人面接をしてきました。
休み時間なく、9時半から4時過ぎまでのハードスケジュールです。
ある課題を解くために引き受けたのですが、裏の目的は別にあります。
「雨ニモマケズ」の「そんな人」になりたかったのです。
困っている人がいたら、出かけなければいけません。

32人の中には私の知っている人も少なくなかったのですが、ゆっくりと話した人はあまりいません。
30分で知りたいことを知るためには、言葉だけでは無理です。
心を通わせ合わなければいけません。
それには私自身の心を全開しなければいけません。
全てうまくいったわけではありませんが、いくつかのドラマが生まれました。

2人の人は泣きだしました。
2人の人は心を開いて質問していないことを話しだしてくれました。
私も1回だけですが、少し涙が出そうになりました。
相手はみんな初対面の人でした。
それにとてもうれしい「差し入れ」のハプニングがありました。
3日間、苦労した甲斐がありました。
お天道様は必ず見ていてくれるのです。

あまり詳しくは書けませんが、伴侶を2年前に亡くした方がいました。
彼女に、何か気になることはないかと質問したら、「(夫を亡くすという)大きな辛いことを経験したので、どんなこともそれに比べれば小さくて気にもなりません」と応えてくれました。
10年前のことを思い出しました。
あの頃は、地球が爆発しても驚きませんでした。
大きな悲しみは小さな悲しみを吹き飛ばしてしまう。

もうひとりの方の涙は、もっと意外でした。
迷惑をかけることは相手に役立つことでもある、というような話を具体的な例をいれながら話したら、急に涙ぐまれました。
世界が開け心が開いた瞬間だったような気がしました。

32人の人たちは、みんな素晴らしく善良な人たちでした。
疲れましたが、みんなからたくさんの元気をもらいました。
32の心を、少しだけ垣間見せてもらいました。
そして、最近ちょっと人間嫌いになっていたのですが、またとても人間好きに戻れました。

みんなにお礼を言いたい気分です。
しかも、少しは役に立てそうです。
今日は熱帯夜のようですが、犬のように眠れそうです。

■3975:畑の花や野菜たちも元気でした(2018年8月2日)
節子
気が付いたら、今日は8月2日。
もう8月になりました。
この調子だと、気が付いたら彼岸にいたということになりそうです。

節子の母は、信仰の厚い門徒でしたので、「お迎え」の話をあっけらかんとしていました。
私の母は、曹洞宗でしたので、死の話はまったくと言っていいほど口にしませんでした。
2人の生き方は反対でしたが、その違いに関しては、節子と私はよく話題にしたものです。
節子が旅立つ直前の8月は、わが家では死が語られることはありませんでしたが、それがいまにして思えば、悔いになっています。
8月は毎年、悔いの月でもあるのです。
今年もそうなりそうでちょっと不安です。

今朝も暑いです。
朝畑に水をやりに行ってきました。
昨日さぼったので心配でしたが、みんな元気でした。
これまでは育つに任せていましたが、これからは収穫も考えようと思います。
今日はミニトマトとレタスを収穫し、朝食で早速食べました。

花壇の花も元気でした。
芝桜はなかなか広がりませんが、まあ枯れずにいます。
マリーゴールドと百日草は元気ですが、それ以外にも5種類くらいの種をまいたはずですが、見当たりません。
野草に負けたか、私が間違って抜いてしまったかでしょう。
でもまあ少しは花壇らしくなってきました。
バラも咲いていますし。

朝早かったせいか、ばったたちは眠っているようで、あんまりいませんでした。
今日はさすがに暑いので、朝からリビングにはエアコンを入れていますが、不思議に暑い今年の夏は、エアコンが順調に作動してくれています。
昨年はなにやら大きな音を出したりして、うまく作動してくれなかったのですが。

今日はちょっと休みたい気分ですが、何かと最近、宿題が多くて、休めそうもありません。
でもまあ、結果的にはたぶん休んでしまうでしょう。
無理をしないのが、私の生き方ですので。

■3976:異様な猛暑(2018年8月2日)
節子
今日は昨日までの3日間にあった32人の記録を思いだしながら記録しようと思っていたのですが、あまりの暑さに、クーラーのない私の作業場ではとてもパソコンはできません。
それに今日発見したのですが、暑い中にいると眠くなります。
雪山で遭難した人が眠くなるのを思い出しました。
人はある範囲の温度のなかで、生きていける、つまり思考していけるのでしょうか。

まあ、暑さの中で死んでしまうのも、ちょっと魅力的ではありますが、それではいかにも無責任なので、クーラーが最近作動しているリビングで過ごすことにしました。
そこでまた発見したのですが、人は快適な温度の中にいると眠くなるのです。
いやはや、今日はどんな状況を作っても眠くなってしまうようです。
そういうときには素直に眠るのが言い。
というわけで、午後、1時間ほどソファーで寝てしまった。

目が覚めて、部屋の外に出たら、異様な暑さです。
「危険な暑さ」」とテレビで報道されるのを見るたびに、私はどうも違和感があったのですが、それが納得できるような暑さだと認めざるを得ないと思いました。
「危険な暑さ」という表現を非難したことの不明を恥じます。
大きく反省。

そういえば、反省はサルでもできるとよき割れていました。
しかし最近、そういうことをいう人がいなくなりました。
人間はだんだん反省することを忘れたのかもしれません。
機械は反省などしないですから、機械の部品へと進化しつつある人間たちの辞書からは「反省」という言葉が消えだしているのかもしれません。
その証拠に、テレビでは、なんだか同じような不祥事や茶番劇が、形を変えて次々と起こっていることが報道されています。

この挽歌は、今、リビングで書いています。
古いノートパソコンを引っ張り出してきて、書いているのですが、ちょっと使いにくいので、疲れます。
もしかしたら来月、不定期な収入がありそうなので、新しいパソコンを買えるかもしれません。
でもその頃は多分涼しくなっていて、部屋でパソコンができるようになっているでしょう。
人生はなかなかうまくいきません。

さて長いこと冷房の聞いた部屋にいるとなんだかどこかに行きたくなります。
しかしこの暑さ。
危険を回避するために、もう少しこの部屋にいようと思います。

こうして人間は生きることをやめていくのでしょうか。
生きるということは危険と付き合うことなのに、危険から逃げているようでは、生きている意味がない。
さてどうしましょうか。

■3977:見放された人生を過ごす哀れな老人(2018年8月3日)
節子
時評編に少し書きましたが、スポーツ界の不祥事がつづいていて、今度は日本ボクシング連盟の会長への辞任運動が広がっています。
時代が大きく変わってきているにもかかわらず、社会のさまざまな組織のトップやその周辺にいる人の意識は昔のままなので、組織と社会がずれてきているのが、ほとんどの事件の原因ですが、トップの人の話を聞いていると、むしろ同情したくなることが多いです。
同情するという意味は、哀れな老人の惨めな生活が見えてくるからです。

今回の日本ボクシング連盟会長の山根さんは、あまりにボクシング活動に夢中になったために、奥さんから離縁されてしまったそうで、それを今日もいろいろと話していました。
あるいは、選手を愛して、オリンピックで金メダルを獲得させてやったのに、今では辞任せよと言ってくると、裏切られた愚痴も話していました。
自らの批判に対する反論も、かわいそうなほど惨めなもので、同情しないわけにはいきません。
お金や権力で得た人生は、一見、華やかに見えても、内容はお粗末な不安に覆われているのでしょう。

先週、本で読んだのですが、ボルネオ島の少数民族プナン族の社会では、みんなのリーダーとなるビッグマンは、物質的には一番貧しいのだそうです。
すべてをみんなに分け与えてしまうので、何も持っていないのです。

何かを所有すると、その所有している者に逆に支配されてしまう。
そして惨めな奴隷生活に入ってしまうのかもしれません。
山根さんも、きっと奥さんに見放された時に人生は終わっていたのでしょう。
私も、節子に見放された10年前に人生が終わったと思っていました。

実際に見放されたのではないと気づくまで長い時間が必要でしたが、気づいたおかげで、人生を終わらせずにすみました。
おかげで、山根さんのような「哀れな老人」に堕ちることから救われているのかもしれません。

今日も暑い夜です。

■3978:夢と現実(2018年8月3日)
節子
今朝、(たぶん)大学の若い先生に会いました。
彼の授業に招待されたのです。
うっかり名前を聞かなかったので、もしかしたらもう2度と会えないかもしれませんが、彼との会話は楽しいものでした。
とっても大切な視点に気づかせてもらったように思います。

こういうことが時々あります。
残念なのは、昔と違って最近は、そこで話し合ったことが、目が覚めると思い出せなくなってしまうのです。
その人に会ったのは、夢の中です。
わが家のリビングルームに似た教室でした。

以前は同じ人(もちろん現実では面識のない人)に、夢の中で会うことがよくありました。
しかし、今朝会った若い教授は初対面でした。
名前の記憶がないので、再会は無理かもしれません。
繰り返し会う人は、名前を持っています。
どういう名前かは記憶に残らなくても、夢の中では名前を知っていた印象がある。
名前はとても大切です。

朝からおかしなことを書いてしまいましたが、私はどうも、夢と現実とをつなげて考えてしまうことがあるのです。
朝、起きて、節子に夢の中の話の続きで問いかけることも、かつては時々ありました。
節子も結構慣れてしまって、適当にあしらわれていましたが、私にはそれも含めて、居心地がよかったのです。
もちろん私としても、夢と現実の違いは理解しています。
しかし、どこかでつながりを信じているのです。
時間軸を柔らかくしたら、きっとつながるのではないかとさえ思っています。
そうしたら、夢の中の人にも現実でいつかどこかで会えるでしょう。
何が「現実」かはややこしい話ですが。

こういう私の言動には、いまはユカが迷惑していますが、ユカもだいぶ慣れたのか、節子のように軽くいなすことを身につけていますので、まあ不都合は生じていません。
時々、故郷の星に帰ったらと言われますが、そこへの行き方がまだわからないので、帰るとしても、時期を待たなければいけません。

今日は生き物が元気です。
少しだけ涼しい朝に、思い切り生きているのかもしれません。
出遅れましたが、私もこれから畑です。
早朝から授業に出ていたので、ちょっと疲れていますが。

■3979:若者への信頼感(2018年8月3日)
節子
2か月ほどブラジルに出張していた若い友人が相談があると言って湯島に来ました。
暑い日でしたが、そのために湯島に出かけました。
本題に入る前に日本人のブラジル移民の話になりました。
もう今から40年ほど前ですが、私もブラジルを訪問したことがあります。
先日の挽歌で書いた懸賞論文に入選したおかげです。
移民の多くは、棄民と言われるくらいひどい状況だったようですが、一部の人は成功しまたした。
私たちが訪問した人のところでは、牛一頭を丸焼きにしてもてなしてくれましたが、私にはそういうのはまったく興味がないため、あまり印象は残っていません。
しかし、その一方で、苦しい生活をしている人たちの姿が印象的でした。

彼から、ブラジルには、今なお武者小路実篤の「新しき村」のようなコミュニティが残っていることを教えてもらいました。
今回、彼はそこにも行ってきたようです。
私も、少し調べてみようと思います。

話しているうちに、彼は2冊の最近の本をとりだしました。
これを読んでいろいろと考えが変わったというのです。
勧められたからには読まないわけにはいきません。
読んでみるつもりですが、話していて、情報ギャップにいささかの戸惑いがありました。
まあ半世紀ほどの歳の差があるのは仕方がないのですが、マスコミの世界にいて、問題意識の旺盛な若者にして、こうであれば、企業で働いている人たちとの情報ギャップはもっと大きいでしょう。
私の言葉が通じないのは仕方がありません。
すでに住んでいる情報環境が違うのです。

しかし、問題意識やビジョンは、話していて非常に重なっていることを感じました。
ちょっとだけ話した私の問題意識や考えにとても共感してくれました。
湯島に来た時とはちょっと考えも変わったようです。
それが実にうれしく、彼の活動に少しでも役立ちたいと思いました。

彼が高校生の時に出合ったのですが、私たち世代のライフスタイルとは全く違います。
育った社会環境や情報環境もまったくちがいます。
でも思いは通じ合える。

先日3日間で32人の人と個別面談して、人はやはり信じられると確信を新たにしましたが、今日は別の意味で、人を信じられる気がした1日になりました。

彼がいい番組をつくってくれることを楽しみにしたいと思います。

■3980:昭和の人は過去の人(2018年8月4日)
節子
先日、20代の若い女性から、「昭和の人は過去の人」と指摘されてしまいました。
過去の人がいかに新しいことを言っても行動がついていっていない、という指摘でした。
私のことを言ったわけではなく、彼女の周辺にいる人たちのことをそう表現したのです。
話を聞いていて、実は私も昭和の人なので、すみません、とつい謝ってしまいました。
彼女は慌てて、私のことではないといいましたが、私が「昭和の人」であり「過去の人」であることは間違いない事実です。
そして、そうした昭和の人が相変わらず社会の要職を占めていることには違和感があります。それに、過去の人が偉そうなことを言う風景は、私も辟易しています。
口で言うなら、行動もしろ、と私もよく思うことがあるので、彼女の言い分はとても納得できるのです。

いま話題のスポーツの不祥事の報道を見ていると、同じように感ずることがよくあります。
過去の人たちが寄ってたかって、自分たちの世界を正当化する仕組みをつくっている。
そんな感じのことも少なくありません。
しかし、「昭和の人は過去の人」と正面から言われると、「過去の人にも価値がある」とも言いたくなります。
私も若いころ、明治の人や大正の人に結構価値を感じたこともありますから。
もう終わってしまった古い人だって、価値がないわけではありません。
しかし大切なのは、主役にはなり得ないという自覚でしょう。
脇役や黒子としての価値は、過去の人にもあるはずです。
それに、過去と現在と未来はつながっているし、どれが一番新しいかはわかりません。
平成が昭和より新しいわけでもない。
私の時間観はいささか特殊なためややこしくなるので、ここら辺でやめましょう。

過去の人として、何ができるか。
そういう意識を持って、過去の人らしく、現在に役立っていこうと思っています。
「未来の人」と言われるよりは、生きやすいかもしれませんし。

■3981:生命の時計(2018年8月4日)
節子
久し振りに朝の畑の作業をしてきました。
といっても、相変わらず右手があまり使えないので、草取りくらいでしたが、それにしても野草の成長の速さには驚きます。
それに比べて野菜の成長はなかなか進みません。

種から育てたキュウリはだいぶ大きくなりましたが、種をまく時期がかなり遅れていたので、花はたくさんつくのですが、受粉が行なわれずにキュウリができません。

自然の時計の見事さには、改めて感心させられます。
野菜にはしっかりと蒔くべき時があるのです。
庭の鉢で育てているカサブランカも、わざわざ時期をずらして球根を植えたのに、同じ日に花が咲きました。

生命には、それぞれに時計が埋め込まれているのでしょう。
節子にもまた、時計があったのでしょうか。
私の時計は、どうなっていて、いま何時くらいなのでしょうか。

私は長いこと腕時計をしていません。
そのため、時々、話している相手の人に「いま何時ですか」と訊くこともあります。
慌てて話を打ち切って別れることもありますが、時計がなくて困ったことはありません。
腕時計よりも、自らの生命の時計にしたがって生きるのがいいでしょう。
それがいま、何時を指しているのか、知らないほうがいいのでしょう。
それに時計はそれぞれによって大きく違っているはずです。
時間は人によって違うのだと思うと、人との付き合い方も少し変わってきます。

畑からモロヘイヤを収穫してきました。
なにやら元気に育っていたのですが、それが何かわかりませんでした。
苗をもらった人に写真を送って訊いたら、モロヘイヤで成長させすぎだと言われました。
それで今日、上の方を切り取ってきたのです。
キュウリも1本だけお化けのように大きく成長していました。
収穫もきちんとやらないといけません。
ついでにミニトマトも少し収穫。

いま野菜が高騰していますが、来年は野菜を買わなくても済むように、いろんなものを植え付けようと思います。
生命の時計もすばらしいですが、自然が生みだす生産性もすばらしい。
現代の社会で使われている「生産性」とは全く違う概念のように思っていますが。

■3982:花火を見ていますか?(2018年8月4日)
節子
今日は手賀沼の花火大会です。
ジュンの友だち家族が来るというので、朝から大掃除でした。
ところが、孫のにこが急に熱をだし、ジュン親子も友だち家族も来ないことになりました。
というわけで、今年はユカと2人の花火です。

節子がいた頃は、いろんな人たちに来てもらっていました。
その接待が大変で、節子はゆっくりと花火を見られないほどでした。
そもそも私たちは、花火が大好きなので、それが目の前に見えるこの場所を選んだのですが、お接待好きな節子ですから、それは苦にはならなかったはずです。

節子の最後の年は、さすがに花火を見ることはできず、お客様はありましたが、娘たちに任せて、私たち夫婦は、寝室で花火の音だけを聞いていました。

節子がいなくなってからは、あまり人を呼ぶ気が起きなくなってしまいました。
誰かが来たような気もしますし、娘たちの友人たちだけだったかもしれません。
それほど花火の当日は、私の精神はおかしくなってしまっていました。
花火を見ていても、どうも気が乗りません。
昨年くらいから少し精神的にも安定してきました。
今日はゆっくりと花火を見ようと思います。

そろそろ打ち上げがはじまります。
節子もどこかで見ているでしょうか。

■3983:15%匹のスーパでの買い物(2018年8月5日)
節子
今日は近くのスーパーが大安売りだというので、娘と一緒に出掛けました。
ほぼ全品が15%引きです。
娘によれば、15%引きの日はそもそも設定価格が少し高目になっているのもあるそうですが、なんだか得をするような気がして、買い物かごに勝手にいろいろと入れてしまいました。
偉そうなことを言っていても、私もまだ、得をするかどうかで信条を簡単に裏切ってしまうようです。
氷イチゴ用のシロップとか、酢タマネギ用のリンゴ酢とか、健康対策用に甘酒とか、ついでに最近テレビで知ったサバ水煮缶とか、いろいろと入れたら、後で娘から購入代金が大晦日並だったといわれました。
最近はカードで購入できるので、その時は気楽に買ってしまえます。
愚かな消費者そのものになってしまいました。
困ったものです。
勢いで買ってしまうと無駄なものも入り込んできます。
しかし私のような質素な庶民は、買うといっても、高が知れています。
そもそも冷蔵庫も小さいので、その面からの制約もあります。

いま話題のサバ水煮缶はなんと98円でした。
4つも買ってしまいました。
明日から毎日、サバ水煮缶料理です。
むかしはサバ缶は食べられなかったのですが、先日、サバの味噌缶を食べたらおいしかったですので、大丈夫でしょう。
しかしその缶詰は500円くらいしていた気がしますが、今日のは98円。

自分で買い物をすると価格の不思議さをよく体験します。
同じものなのに価格がかなり日によって変わるのです。
それはフェアではないのではないかと思いますが、それを楽しみにしている人も多いのでしょう。
一番いやなのは、私自身がやはり一番安い日を選んでしまうことです。
もう一つ不思議なのは、店によってかなり価格差があることです。
なかには倍近く違うこともありますが、それでいずれも成り立っています。

今日行ったお店は今日の2時間だけが15%割引なのです。
その切り替えをレジの人はどうするのでしょうか。
その切り替え時を見たかったのですが、娘の車で行ったので、ひとりだけ残るわけにひかずに、見損ないました。

節子
スーパーでの買い物は面白い。
退屈しませんね。

■3984:読書の2時間(2018年8月6日)
節子
5時前に目が覚めたのですが、今日は畑に行かずに、パソコンに向かってしまいました。
なにしろ日中は暑すぎて思考力や意欲が低下します。
やるべきことは山のようにあるのですが、期限を約束していることはほとんどありません。
ほとんどが私のボランティア活動だからです。
ちなみに、ここでいう「ボランティア」というのは、「自分の意志で引き受けたもの」というような意味です。

会社を辞めてから、契約に基づく仕事もいくつかしていますが、基本的には私自身が納得するやり方で進めるということを大切にしています。
それに形だけを整えるようなことは、基本的にはやらないようにしています。
こうした働き方のおかげで、私自身はそれなりに納得できる生き方ができています。
ただ、節子が私よりも先に居なくなるということに関しては、ほとんど納得できていません。
そのことで、私の人生は大きく変調してしまいました。
最近ようやくそれもまた私の人生と受け入れられるようになってきていますが、いまもまだ私は「変調」したまま生きている気がします。

やらなければいけないというのは、自分の思いに対してです。
しかし、だんだん怠惰さが高まり、「まあ、いいか」と先延ばしすることが多くなってきています。
このままだと多くのことは来世に持ち越され、来世はさぞかし忙しくなることでしょう。
でもまあ、それもまた「まあ、いいか」です。

今朝は2時間ほど時間がありましたが、結局、パソコンに向かうよりも本を読んでしまいました。
ここ数日あまり本を読む気になれなかったのですが、久しぶりに本を手に取ったらすいすいと読めたからです。
本を読むと、世界がますます広がります。
どうしてこんなにも面白い世界が広がっているのだろうとワクワクするのですが、もっと若いころからもう少し読書をしておけばよかったと時々思います。
まあ一般的な尺度から言えば、私はたくさんの本を読んだ方だと思いますが、それでも万巻の書の世界をほんの少しかすっているだけでしょう。
実に魅惑的な世界です。

さて今日はまた湯島です。
どんな人に会えるでしょうか。

■3985:縁カフェは不思議な組合せでした(2018年8月6日)
節子
今日は恒例の縁カフェでした。
喫茶店をつくりたくて基金集めに取り組みだしました。
珈琲代金をためて頭金にしようと思います、今日は4人のお客さまで(一人は私ですが)、2000円が集まり、累計1万2500円になりました。
基金に貢献したいと言って、毎回、忙しい中を来てくれる鷹取さんとは、なぜかいつもスポーツ(不祥事)論議です。
縁カフェの間になぜかいつも不祥事が起こるのです。
今回は日本ボクシング連盟の山根会長の話が話題になりました。
山根会長は憎めないと私は言いましたが、鷹取さんは私の意図をいつも的確に理解してくれるので、安心して話せます。

つづいてきたのが、なんと霜里農場の金子友子さん。
いつものように野菜を持ってきてくれて、ちゃんと食べるようにと言われました。
彼女はペットボトルのお茶も飲んではいけないというので、彼女が来るときにはきちんと用意しておかねばいけないのですが、今回は不意を突かれてしまいました。
彼女は新しき村などのコミュニティの話をいろいろと話してくれました。

もうひとりは、私が誘っていた若者ですが、わざわざ会社を休んできてくれました。
そんなこととはつゆ知らず、誘ったことを反省しましたが、最近、この若者にちょっと興味を感じているのです。
あまり書けませんが、私が親として失格だったことを気づかせてくれる人なのです。
同時に、私の考えへの疑問を問いかけてくれる生き方をしている人でもあるのです。

とても奇妙は組合せでしたが、なぜか話はかみ合いながら盛り上がっていました。
縁カフェサロンは、いつものサロンとは一味違った魅力があります。
節子と一緒に始めた頃のサロンは、いつもこんな感じでしたが。

金子さんからもらったキュウリはとてもおいしかったです。

■3986:自然のまま、時代のまま、そして自分のまま(2018年8月7日)
節子
久し振りに肌寒ささえ感ずる夜で、熟睡してしまって、目が覚めたら7時近くでした。
雷雨も予報されていましたが、我孫子は荒れたようでもなく、恵みの雨のようです。
畑も今朝はお休みです。
今日はすごしやすそうですが、これだけ急に気温が変わると、身体がついていけないのではないかという気もします。

しかし、自然の状況によって、人がいかに大きな影響を受けるか。
いつもながらそのエネルギーには感心します。
その自然に抗って、人間中心の世界を築きあげてきた西欧近代の歴史には感心します。
日本人が、そうしたものに巻き込まれ、生き方を変えたのも仕方がないかもしれません。
自然のままに生きると自分のままに生きるとは、私には同義語です。
自然の大きさを知るにつけて、自分もまたその自然のささやかな一部であることを時間してきていますが、もしかしたらそれも含めて時代の流れもまた、同じように自分とは切り離せないかもしれません。
つまり、時代のままに生きると自分のままに生きるとも、同義語なのかもしれませんが、こうなってくると話はいささかややこしくなってきて、今の私にはまだそれらは反義語にしか思えません。

まあ涼しいせいで、朝からいささか小難しい話を書いていました。

朝、久しぶりに福岡の蔵田さんから電話がありました。
お元気そうでした。
蔵田さんのように、一点の邪気もなく、健やかに生きている方の声を聞くと元気が出ます。

■3987:すぎのさんの幸水(2018年8月7日)
節子
すぎの梨園に梨を買いに行ってきました。
今年は例年よりも1週間近く早い感じです。
この梨は節子が大好きだったので、お盆に供えられればいいのですが、今年は間に合いました。

すぎの梨園は、節子が梨を買いに行くというのでついていったのが初めてです。
家族みんなで果樹や野菜・お米作りに取り組んでいます。
最近はひまわり油や梨を使った加工品の開発にも取り組んでいます。
加工品開発は奥さんの担当なのです。

今日は突然お伺いしたのですが、ちょうど柏市の栄養士の卵らしい人たちが10人ほど来ていて、杉野さんのレクチャーを聞いていました。
それで少しだけ奥さんとは話しましたが、杉野さんとはお話はできませんでした。
またゆっくり話に来てくださいと言われましたが、この時期はたぶん忙しいのでしょう。

すぎの梨園の梨、特に私は幸水が好きなのですが、これは人気ですぐなくなってしまいます。
たまたま今日の午前中、ある人と長電話していたのですが、その人にも味わってもらうと思いついて、送ってもらうように頼んだのですが、もう品物がないようでした。
しかし、息子さんのこうすけさんが、なんとか工面してくれました。
ありがたいことです。

帰宅して、早速に食べました。
やはり杉野さんの梨はおいしいです。
節子には一番大きいのを供えさせてもらいました。
例年よりも早いですが。

■3988:加野さんの声は元気でした(2018年8月7日)
節子
福岡大宰府の加野さんから電話がありました。
もう90歳くらいだと思いますが、お元気そうでした。
ただ、お店の方はもう他の人に任せて、安心のために今は古賀市にある弟さんのところで過ごしているようです。

加野さんには、節子が再発してから、とてもお世話になりました。
もう少し早く、加野さんに連絡していたら、もしかしたら状況は変わっていたかもしれません。
いや、たぶんそんなことはないのでしょうが、ついついそう思ったりしてしまいます。
思い出しただけで涙が出てきてしまうほどの思い出が山のようにあります。

節子が旅立ってから、加野さんのおかげで、大日寺で彼岸の節子と間接的ですが、話をしたことがあります。
大日寺への途中はひどい雨でしたが、着いた雨が上がり、帰りは晴れていました。
その時、大きなろうそくが異様に燃え上がったことが今もはっきりと思い出されます。

まあそんな不思議な体験をいくつかしています。
まあそれ以前から、加野さんとの付き合いは不思議なことがたくさんなりました。
加野さんの娘さんは節子も知っていますが、節子は加野さんには直接はお会いしていません。
でもなぜか、加野さんは私と節子の関係は知っているようです。

大宰府は不思議なところです。
加野さん母娘と会う前に、大宰府に立ち寄ったことがあります。
何で行ったのかまったく思い出せないのですが、加野さんのお店には立ち寄らなかったので、加野さんと知り合う前だったような気がします。
時間があったのでしょうか、政庁跡を歩きました。
その時に、突然、以前ここを歩いたという強い気持ちが生まれました。
いわゆる既視感(デジャヴ)体験ですが、それも平安時代に歩いたというような気が強くしたのです。
その後、観世音寺に行って国宝館に入った時の恐怖感は、いまも強く残っています。
恐ろしさに動けずに、その場にしばらくたっていたことを思い出します。
仏像の前で、恐ろしさで震えたのは、これまでに2回しかありません。
その後、観世音寺を再訪した時には、そんなことは全く感じなかったのですが。

できればもう一度大宰府に行きたいと思っていますが、最近は遠出がだんだん億劫になってきました。
こんなことでは、彼岸への旅立ちも、だいぶ先になりそうです。
加野さんは娘さんの供養のために100歳を超えるまで生きないといけないと前に話されていました。
多分それは実現するでしょう。
そう思わせる力強い元気な声でした。

■3989:お天道様からのボーナス(2018年8月8日)
節子
今日は認知症予防ゲームの実践者交流会の予定でしたが、台風のため延期されました。
雨も降っているので、畑での小作人仕事からも解放されています。
なんだかお天道様からボーナスの1日をもらった気分です。
まじめに生きているといいことがあるものです。
まあ実際にはいつもわがままに生きているので、実際にはそう変わってはいないのですが、なにやら予定が変わって、白紙になるとうれしいものです。
最近なぜかやることが多くなってきて、時間破産状態です。
もっともだからといって自分のペースを変えることもなく、わがままに、つまり自分の気の向くままに、生きているのですが、精神的には何かいつもストレスを感ずるようになってきています。

今朝は早く起きて、ちょっと本を読んでいました。
時間ができたのであれば、たまっている気になっていることに取り組めばいいのですが、そうできないのもまた私の悪いところです。
節子はそういう私をよく知っていてくれました。

読んだ本は、4年ほど前に出版されたちょっと古い本ですが、テッサ・モーリス=スズキの「日本を再発明する」です。
とても面白く、いろんなことが整理される気分です。
かなり丁寧に読んでいるので、もう読みだして3日目ですが、ようやく半分です。
この本は少し時間をかけて読もうと思っていますので、あと3日ほどかけるつもりです。

読書後の朝食は、タコエッグをつくりました。
ハムエッグならぬタコエッグ。
昨夜食べ残したタコの刺身を入れた目玉焼きです。
初の試みですが、これがとてもおいしくやみつきになりそうです。
加えてすぎのファームの梨と霜里農場のブドウです。
ついでに大好物の硬めの桃。
小作人の朝食にしては今日は豪勢ですが、なにしろボーナス日ですから。
それにいつもの、青汁バナナジュースと手づくりの酢タマネギと珈琲。
朝から少し食べ過ぎて、お腹がドーン!としてしまいました。
朝食後は、今度こそ、積み残しているいくつかの課題を処理しようと思っていましたが、血液が頭にあまり来ていないようなので、頭を使わずに心を使う仕事をしようと思ったのですが、雨なので畑にも行けません。
やはり小作人の幸せは、畑(現場)にあるようですが、今日はそれがかなわない。
困ったものです。

さて今日は何をやりましょうか。
早く「やらなければいけない大事なこと」に取り組みが出て来てくれるといいのですが。
素直な自分と付き合うのも、それなりに大変です。

■3990:なぜか仕事がとてもしたくなりました(2018年8月8日)
節子
台風のため、我孫子もほどほどの雨風ですが、台風とは思えない静かな雨風です。
今日は涼しいこともあり、少し頑張りました。
先日、32人の人インタビューをしたものを整理し、全体像を鳥瞰してみました。
やはりこういう仕事は面白い。
午後はちょっとそれにはまってしまっていました。

NPOに関わらずに、ずっと企業の経営の世界で活動をしていたら、今ごろどういう生活になっていたでしょうか。
今のような小作人生活や「仙人」生活にはなっていなかったでしょうし、都心に出かける時にもサンダルなどではいけないでしょう。
付き合っている人たちも、多分大きく違っていただろうと思います。

お金に困っていたかもしれません。
収入はたぶん一桁違うでしょうが、逆に支出も一桁違いで、今のようにお金に困るのは固定資産税を支払う時くらいというような豊かな暮らしにはなっていないような気がします。
節子にはよく話しましたが、お金の収入が多ければ多いほど、お金に困ることが増えるはずです。
お金のトラブルに巻き込まれるかもしれません。

今の私はお金から解放されています。
節子が亡くなった後、私が使えるお金がちょっとまとまって私に託されたために、私は大きなトラブルに巻き込まれ、節子が残してくれたお金のほとんどを失いました。
人助けのつもりが,とんでもない結果になってしまったのです。
1年以上、眠れない日もあるくらいの不安な日々を過ごしましたし、人間不信にもおちいりました。
いまもまだその関連での裁判がつづいています。
お金があるとそんな不幸にも巻き込まれますが、お金がないとそんな不幸には無縁です。

しかし最近また少し心に邪念が生まれ、お金を使う活動をしてみたくなってきています。
お金を稼いだり誰かを手伝ったりではなく、ただお金を使うということです。
会社を辞めた後の私は、仕事はお金を使うことに発想を変えました。
お金がなくなったら、仕事もできなくなりますが、それもまた素直に受け入れればいいわけですから、生きるのは簡単になります。
発想が変えられればですが。
しかし、なぜ人は稼ぐための仕事をしなければいけないのか。
よく考えてみると、それは現代人の思い込みでしかないでしょう。
仕事をするために稼ぐ必要があるというのであればわかります。
あるいは生きるために仕事をしなければいけないというのもわかります。
でも仕事とは稼ぐことでは断じてないでしょう。
そんな思いに呪縛されてしまうと、生産性のないものは生きる価値がないなどというとんでもない考えに陥ってしまうわけです。

私には、お金を稼ぐよりもお金を使うことの方が難しいように思いますが(もちろんただ消費するのではなく価値を創造していくことがいずれの場合も私が考える目的です)、まだいまなら体力も残っているかもしれません。
もちろんお金を使うためにはお金がなければいけませんが、別に私のお金でなくてもいいわけです。
よく言われるように、お金は天下のまわりものでなければいけません。
ですから、だれか使ってほしい人のお金を使ってやるということです。
さて問題は、そう言う人をどうやって探すかです。
そこが難しい。
私のまわりには、そう言う人は思いつきません。
フェイスブックででも呼びかけてみようと思いますが、うまくいくかどうかはわかりません。
しかしお金に関わることはリスクも大きい。
注意しなければいけません。
さてどうなりますか。
まあ、明日になったら、考えが変わっているかもしれませんが。

今日はなぜか仕事がとてもしたくなりました。
つまりお金を使いたくなったということです。
お金が不要の仕事は、もちろん今でもしていますが、お金を使う仕事を一度でもしてしまうと、時々、その面白さを思い出してしまうのです。
困ったものです。

■3991:最期まで誠実に生きた人には感動します(2018年8月9日)
節子
沖縄県の翁長知事がすい臓がんで急逝しました。
予想はしていましたが、とても残念です。
政治家の死で涙が出たことはありませんが、テレビを見て涙が出ました。
何かとても大切なものが壊れてしまったような気がして、くやしいです。

救いは、翁長さんは最後まで意志を貫き、現場で活動しながら亡くなったことです。
多くの人に強烈なメッセージを残したと思います。
私のように、会ったこともないものにさえ、エネルギーをくださいました。
歴史に影響を与えないはずがありません。

同じ日に、日本ボクシング連盟の山根会長が辞任しました。
実は山根さんの事件発覚後の発言には少し行為を感じていました。
しかし、最後に逃げてしまったので、見損なっていた自分を恥じました。
逃げてはいけません。
翁長さんは最後まで逃げなかった。

節子も最後まで逃げませんでした。
十分に誠実に生きぬいた、そう思います。
それに比べると、最近の私は逃げているような気がします。
いやずっと逃げて生きてきたのかもしれません。
節子の死にも、誠実に直面していなかったかもしれない。
なにしろ最後まで、治ると確信していたのですから。
来世で節子に会ったら、謝らなければいけません。

今日はちょっとまた気分が重いです。
もっと誠実にならなければいけません。

■3992:輪廻と解脱(2018年8月9日)
節子
昨日はもうひとり有名人の訃報に接しました。
津川雅彦さんです。
妻の朝丘さんを看病の末、見送ってから4か月後の旅立ちです。

前に書いたこともある「100万回生きたねこ」を思い出しました。
佐野洋子さんのベストセラーにしてロングセラーの絵本です。
誰も愛さないまま自己愛の中で輪廻を繰り返していたトラネコが、百万回目にしてようやくシロネコを愛すようになり、そのシロネコが先に死んでしまった後、嘆きのまま死ぬのですが、今度は「2度と生まれませんでした」という物語です。
仏教的に言えば、輪廻転生を解脱し、涅槃に入ったわけです。
たぶんトラネコは、シロネコの死を自分の死とつなげて、そこにまさに自らの死を実感したのでしょう。

自らの死は、実際にはなかなか実感できません。
死を実感する「自分」はもうそこにはいないからです。
しかし、自分と一体化するほどにつながっている人の死は、一般には「二人称の死」と言われますが、同時に「一人称の死」とも言えるかもしれません。
実際に、そこで人生が変わる人は少なくありません。
私は、津川さんのようにはできませんでしたが、人生は変わりました。
節子への愛の深さが不足していたとは思いたくありませんが、もしかしたらそうかもしれません。
いまもなおだらだらと生きながらえてはいますが、これもまた私の定めなのだろうと思うようになっています。

津川さんは、もしかしたら輪廻の世界から解脱し、涅槃に入ったかもしれません。
そんな気がします。
しかし、その一方で、沖縄の翁長さんは、今すぐにでもまた現世に戻ってきたい思いだったかもしれません。
そういう翁長さんの生き方にも魅かれます。
自らの涅槃に入るよりも、みんなの世界を涅槃にしたい。
その実現がたとえ、何劫年先になろうとも。

おふたりのご冥福を心から祈ります。

■3993:ようやく追いつきました(2018年8月10日)
節子
とうとう遅れていた挽歌も、節子が旅立った日からの日数と重なる番号に追いつきました。
ようやくこれからは1日1回、書けばいいことになります。
今度は遅れないように、毎日きちんと節子に話しかけるようにします。

挽歌は追いついたのですが、ホームページの方は最近きちんとした更新ができずに、週間記録とお知らせだけを更新するにとどめています。
物事は何でもそうですが、毎日やっておかないと、1日の作業はわずかでもそれがたまると大変な量になります。
まさにホームページは、今そういう状況にあります。
その上、ホームページのプロバイダーのサービス内容が変わってしまったので、表示スタイルがどうも気にいりません。
さらにホームページをつくるソフト(私はdreamweaverを使っています)がどんどんヴァージョンアップして、それを購入できずに旧ヴァージョンを使っていますので、その面でも更新しづらさが出てきています。
しかしなにしろ厖大な、しかも構造化されていない、手づくりのホームページなのでいまさら手を加えられません。
一度、別のソフトに切り替えようとしてソフトも購入したのですが、われながら複雑なホームページなので手が出ず、ソフトも無駄な結果になってしまいました。

せっかく追いついた日なのに、どうでもいいようなことを書いてしまいました。
ほんとは、この挽歌も違うスタイルのものに変えたいのですが、節子も知っているように、私は「乗り換え」が好きではないのです。
一度お世話になったら、ずっとお世話になる。
少しくらい不都合があっても、つながりは大事にしたいのです。
ちょっと違う話のような気もしますが。

少しは節子関連のことも書きましょう。
まもなくお盆の迎え火です。
うっかり日を間違えてしまい、13日に朝から予定を入れてしまいました。
節子に叱られそうですが、まあよくあることです。
そうしたら、娘たちが孫もつれて、迎え火に行ってくれるそうです。
私は迎えに行きませんが、まあその後はずっと一緒なので、いいでしょう。
節子の迎え火に行かないのは、これが初めてです。
節子はいつもわが家にいるはずなので、迎え火というのもおかしな話ではあるのですが。

今日は孫から頼まれていた「買い物籠」を買いに行く予定です。
なぜかわかりませんが、私にご指名があったのです。
私は孫に何でも買ってやるタイプではありませんが、直接のご指名とあれば仕方ありません。
でも、「買い物籠」って何なのでしょうか。
孫と付き合うのも大変です。
私の定義では、まだ人間になっていない2歳ですので。
私は自分の子供もそうでしたが、3歳からは人間として平等に扱うようにしていますが、それまではまだ単なる生物です。
だからといってぞんざいな扱いをしているわけではなく、むしろその逆です。
3歳になるまでは、まわりの人が全力で生命を守ってやらないといけないと思っています。

もうじき迎えに来るようです。

■3994:サロンに支えられています(2018年8月11日)
節子
今日は湯島で、憲法をテーマにしたサロンをやっていました。
暑い中を7人の人が集まったのですが、最初の人が1時間も早くやってきました。
その人は、たぶん今年になってから湯島に通うようになってきた人ですが、彼から、どうして湯島にはいろんな人が集まるのか、と質問されました。
たしかに、彼が参加したサロンでは、熱狂的な安倍首相支持者と強烈な安倍首相嫌いが参加していました。
平和主義者もいれば、核武装論者もいます。
原発支持者も反対者もいます。
政治に限りませんが、いろんな意見を持った人が、湯島には集まります。

どうしてでしょうか。
まあ私が八方美人なのも一因ですが、しかし、私の考えはサロンによく出る人はよく知っているでしょう。
今日も、原子力発電に関して、私は参加者とは真反対な意見を述べましたが、彼もそれを知りながら、私と真反対な意見をいつも話してくれます。
自分の意見にこだわることと八方美人的な付き合いをすることはたぶん両立します。
それに自分の意見がないまま人と付き合うことなどできるはずもありません。

湯島を軸にしたゆるやかなネットワークが生まれた源は、やはり30年前から継続しいていたオープンサロンです。
節子がいつも軽食や飲み物を用意してくれて私がいささか無分別な発言をすると、後で注意してくれました。
あの体験があればこそかもしれません。
もっとも当時のサロンの常連は、いまではもう10人もいないでしょう。

節子がいなくなった後、私が死なずに済んだのは、もしかしたらこのサロンのおかげかもしれません。
今日は、ふとそんなことを思ったりしていました。

サロンが一緒だった頃、サロンの常連だった人たちはどうしているでしょうか。
ちょっと声をかけてみようかと、そんなこともふと思ったりしていました。

それにしても今日も暑かったです。

■3995:大きなお迎えの馬(2018年8月12日)
節子
明日からお盆ですが、明日はお墓に迎えに行けないので、今日、1日早く出かけて、お墓の掃除をしてきました。
日曜のせいか、お墓もにぎわっていました。
正式には明日、娘たちが迎えに行きますが、今日は自宅の精霊棚をつくりました。
例年は、迎え火の馬と送りの牛は、お盆セットについているものを使うのですが、今年は手づくりにしました。
もちろん畑でできたキュウリとナスです。

ところがこの数日、台風や所要で畑に行けていなかったので、今朝、畑に行ったら、キュウリが巨大になっていました。
なぜか花は咲いているのですが、なかなか実がなりません。
実になっていたのは3つですが、もう一本はもっと大きい句、もう一本はいささか変形で馬にはなりません。
そのおかげで、なんと25センチのキュウリ馬になりました。
例年の数倍です。
ナスの方はちょうどいい具合です。

まあ余分なことはせずに、そのキュウリと茄子に割り箸で足をつけただけです。
しかし、大きなキュウリ馬なので、きっと駿足でしょう。
迎いは一刻も早くというので足の速い馬、帰りはできるだけ遅くというので牛が、その役割を担っていますが、今年のお盆のわが家への旅はさぞスピード感があるでしょう。
節子はきっと喜んでくれるでしょう。

節子は仏花は好みではありませんでしたので、花はいつも洋花です。
カサブランカが多いのですが、今年の花は畑の百日草です。
百日草は洋花ではないのですが、色がさまざまでにぎやかなのと、なんとなく私たちの世代だとなつかしさがあるのです。
娘からはあんまり好評ではないのですが、明日の朝、切って来ようと思います。
節子はきっと気に入るでしょう。

それにいつものようにお隣の宮川さんが、また花を持ってきてくれました。
宮川さんと節子はそう付き合いがあったわけではないと思いますが、不思議なことに、いつも節子好みの花を届けてくれます。
今年もピンク系のバラの花を中心としたアレンジメントでした。
いつもわざわざ花屋さんでつくってきてくださいます。
お礼の言いようもありません。
いつもわが家好みの明るい花なのです。
仏花は、明るくなければいけません。
たぶん当事者はみんなそう思っているのではないかと思います。

節子を見送った直後は、白い花に囲まれていて、気が沈んでしまっていたことがあったのを思い出します。
今年もお盆は明るく過ごそうと思いますが、

節子を迎える準備はできました。
畑を手伝ってほしいものですが、まあ無理ですね。

■3996:お盆の入り(2018年8月13日)
節子
今日はお盆の入り。迎え火の日です。
わが家では直接お墓に先導の火を持って行って一緒に帰宅しますので、迎え火はたきません。
先導の火も、むかしは提灯に入れて消えないようにして自宅まで持ってきていましたが、最近はお墓がちょっと遠くなったので、自動車で迎えに行きます。
先導の火は、ロウソクですが、入れるのは提灯ではなく赤いランプ入れです。
基本的なルールには従いますが、どこかにちょっとわが家らしい工夫をするのは、節子時代からのやりかたです。
もっとも最初の頃は、節子はそうした「あそび」はあまり好きではなかったのですが、なぜかある時から、むしろ主導するようになりました。
節子はとても生真面目なタイプだったのですが、私と一緒に暮らすようになってから、多分本当の自分に戻り、別の意味でのまじめさを取り戻したように思います。
節子の若いころの日記を読んだことがありますが、「まじめ」すぎるほどまじめな考え方をしています。
私と出会って、さぞかし頭が混乱したと思いますが、いつの頃か節子の方が赤心を発揮するようになりました。
言葉を通してではないですが、節子から学んだことはたぶんたくさんあるのでしょう。
だから今でも私は節子から離れられないでいるのかもしれません。
節子と一緒だと、いつも完全に自らを開くことができ、それがいつの間にか私の生き方になったのですから。

今日も朝から蝉がにぎやかです。
昨日載せたきゅうりと茄子の馬と牛の写真の前に、蝉の抜け殻を置きました。
わが家の庭にあったものですが、蝉に先導してもらうようにしたのです。
蝉は、復活や変身の象徴ですが、私は昔から、水分の全く感じられない蝉に生命をあまり感じませんでした。
とても不思議な存在でした。
もしかしたら、蝉は彼岸と此岸を往来しているのかもしれません。

今日は、普通の夏らしい夏の日になりそうです。
友人たちとの約束をしてしまったため、迎え火には行けませんが、娘たちと孫が私の代わりに行ってくれるそうで、安心です。

■3997:丸いスイカを買ってきてくれませんか(2018年8月14日)
節子
昨日はせっかくの帰宅にもかかわらず、めずらしく私が夜遅くなってしまいました。
昼には孫も来ていたようですが、今日もまた家族みんなで来るそうです。
私は朝、畑に行って、予定通り、畑の百日草を切ってきました。
それを節子に供えました。

今年は節子を送ってから11回目のお盆です。
まあだからといって、いや、だからこそ、とりわけ何かがあるお盆でもありません。
まあ例年と違うのは、手づくりの馬と牛ですが、馬はもう役割を終わったので、食べてしまおうと思ったのですが、精霊棚から馬がいなくなるとさびしいので、そのままにしておくことにしました。
お供えの果物は暑さのためか、桃がいささか傷みだしてきました。
これは食べてしまうことにしますが、代わりに何かをあげようと思っていたら、福岡の加野さんから蜂蜜が届きました。
それでそれをお供えしてしまいました。
畑から新鮮な野菜を収穫してこようと思っていましたが、畑の野菜は今朝は収穫がありませんでした。
ミニトマトは雨のせいかひび割れが多く、きゅうりは遅植えだったせいか実がなりません。
まあ今年は収穫は余り考えずに、ともかく荒地の開墾が目標でしたので、仕方がありません。

今年はまだスイカを食べたことがありません。
正確には、丸いスイカの意味です。
カットされたスイカは食べましたが、スイカは丸くないといけません。
家族が少なくなったこともあり、最近はスイカを食べる機会がありません。

今日は丸いスイカを買ってきて、節子と一緒に、みんなで食べることにしようと思います。
でもまあ、買いに行くのもなんだか面倒です。
以前なら、節子に買って来てと頼めたのですが、帰ってきている節子に頼んでもダメでしょうね。
まったく役に立たない節子です。
困ったものです。
ほんとに。

■3998:年1回のスイカ(2018年8月15日)
節子
今年、初めてスイカを食べました。
スイカは大好きなのですが、私は毎年1回しか食べられません。
というのも、私にとってはスイカは丸くないとだめなのです。
最近はカットされたスイカが売っていて、娘はそういうのを買ってきますが、節子は知っているように、私はそういうものは「スイカ」と認めません。
せっかくなので、食べてはしまいますが。

丸いスイカを買ってきてほしいとユカに頼んでいますが、どうせ食べられないからといって、買ってもらえません。
それでお盆だけはみんなが来るし、節子にも供えないといけない。
それに、孫にスイカは丸いのだと教えないといけないと説得して、毎年、丸いスイカを買うようにしています。
これが私の夏のメインイベントなのです。
極めて地味ですが、節子がいなくなってからの暮らしはそんなものです。

にこも話せるようになったので、今年は「おおきい!」と感動してくれました。
そして、「おさむが買ったの」と質問までしました。

持ち上げようとしても持ち上げられません。
スイカは何色かと訊いたら、「みどり」と答えました。
その目の前でスイカを真っ二つに割ったら、まっかでした。

そして半分にしたスイカにかぶりついてくれました。
これはストップがかかりましたが、それを何等分かして、みんなで食べました。
スイカはスプーンで食べるのは邪道で、やはり半円に切ってかぶりついて食べるのがいいです。
ジュンがサイコロ状に切ったりしていましたが、にこはそれには目をくれずに、半円のスイカを持ってガブッと食いつきました。
サイコロ状にしたら、スイカではなくなります。
娘たちの育て方が悪かったようです。
困ったものです。

丸くて緑で、でも中身は真っ赤。
赤いところはあまいけれど、緑の部分は硬くておいしくない。
にこは、皮をかじって、それを学んでくれました。

しかし、スイカはみんなで食べても、やはり半分以上が残りました。
私が子どもの頃は何切れも食べられましたが、いまはがんばっても2切れです。
でもまあ、丸いスイカが食べられて満足です。
またこれから1年、スイカは食べる機会はないでしょう。
スイカもどきは、きっと食べられるでしょうが。

というわけで、私に夏は終わりました。
明日からは、暑い秋です。

■3999:馬を食べてしまいました(2018年8月16日)
節子
今日はもう「送り火」です。
夕方、ユカと一緒にお墓に節子を送っていきました。
わが家のお墓には私の両親も入っていますが、お盆の時には両親は兄の家に戻り、節子はわが家に戻ってくるというわけで、いささか言葉遣いはおかしいですが、節子はいわば里帰りというわけです。

お墓はにぎわっていました。
お線香立に、一本の線香が残されていました。
多分これは節子の友人のHさんがあげてくれたものでしょう。
Hさんの伴侶のお墓が、すぐ近くなのですが、いつもお墓参りに来ると、節子のお墓にも挨拶に来てくれているようです。

今年は何かちょっとさびしいお盆でした。
お墓から戻って、今度は畑に行きましたが、どうもあんまり元気が出ずに、早々に戻ってきました。
昨日の台風で、キュウリの枝が折れてしまっていて、見るも無残でしたが、直す気力が出ませんでした。
節子が帰ったせいでしょうか。何かとてもさびしいです。
いる時には何も感じなかったのですが。

お役を果たしてくれた精霊棚のキュウリの馬とナスの牛をどうしようかと思ったのですが、食べてしまうことにしました。
残念ながらナスの牛はどうも食べるのは無理でしたが、キュウリは一部を除いては食べることができました。
というわけで、夕食にキュウリの馬肉を食べることにしました。
節子を迎えに行ってくれたことを感謝しながら。

■4000:怪談話(2018年8月17日)
節子
昨夜起こった怪談話です。
もしかしたら節子のいたずらでしょうか。

挽歌を書いている時、窓の外でカナブンが騒がしく、時々、窓ガラスにぶつかっていました。
窓はあいていますが、網戸なので、中には入れないのです。
まあこういうことは慣れているので、気にせずに挽歌を書きあげて、ついでに時評編も書いてアップしました。
ところが、アップし終わった時に、突然、室内でカナブンが飛び回りだしたのです。
網戸はしっかり閉まっているので、部屋に入れるはずがありません。

不思議に思って、その正体を見分けようとしたのですが、なぜか見つけようとしたら、そのカナブンがいなくなってしまったのです。
正確に言えば、カナブンの飛び回る音と気配だけで、実物は見ていないのです。
ちょうど部屋の外の廊下を誰かが歩く気配を感じました。
娘だろうと思って、声をかけましたが、返事がありません。
出てみるとだれもいません。
娘は部屋にいて、出てこなかったと言います。
カナブンは相変わらず姿を見せません。
キツネにだまされた感じです。
もしかしたらと思い、窓の外をのぞきました。
なんと網戸の外側に、カナブンがとまっているのです。
ますます不思議な気分になりました。

もしかしたら、節子のいたずらかも知れないと思いました。
お盆の最中、せっかくの帰宅にもかかわらず、あまり相手をしなかったのをすねているのかもしれません。
まあ節子は、そういう人ではなかったのですが、彼岸での暮らしで、性格が悪くなったのでしょうか。
そんなはずはありません。
だとしたら、私の幻覚。
そろそろ私の頭も狂いだしたのかもしれません。
困ったものだと思っていたら、その後、階下に降りてあがってきた娘が、カナブンは階段の踊り場にいるというのです。
まあもう寝ていたので、見には行きませんでしたが、今朝起きて見に行ったら、もうそこにはいませんでした。
部屋の窓の外のカナブンももちろんもういません。

まあそれだけの話なのですが、お盆の最後の日にはうってつけの話でした。

今朝はすがすがしい朝です。
空も風も、もう秋になっています。
畑に行く予定だったのですが、朝からちょっとまた視界異常で、休むことにしました。
血圧はかなり改善されてきているのですが、やはり脳外科に行くのがいいかもしれません。
さわやかな空を見ながら、ちょっと憂鬱な朝です。

■4001:あっという間の4000日(2018年8月18日)
節子
挽歌もとうとう4000回を超えました。
節子が逝ってから4000日目ということです。
それが長いのか短いのか、複雑な思いですが、実際にはまだ「あの日」の続きの中で生きている気がします。
たしかに、気持ちも整理され、節子の不在が日常になり、精神的混乱もほぼなくなり、論理的な思考力も戻ってきてはいますが、だからといって、新しい人生が始まったという気はありません。
困ったものですが、もしかしたら1日目と同じところでまだ止まっているのかもしれません。
できることなら、1日前に戻りたいという未練がましさから解放されることはありません。

伴侶を得ることが人生を変えることであれば、伴侶を失うこともまた人生を変えることのはずですが、正確には前者は「人生を得る」ことであり後者は「人生を失う」ことのような気がします。
人生を失ってもなお生きていることの、哀しさや辛さが、そこにはあります。

しかし、その一方で、節子のいない生活が日常化したということは、裏返せば、「不在の節子」がいるということでもあります。
「節子の不在」に慣れてしまったわけです。
いつか伴侶のいずれかが先に逝くことは、多くの場合、避けられません。
別れの期間が長いか短いかは人によって違います。
伴侶との関係もいろいろあるでしょうが、私の場合は、どうもあまりに依存関係が強かったために、その不在に耐えるには、来世を信じざるを得ないのです。

しかし、4000日も経ってしまいました。
もっとも仏教的な時間感覚から言えば、4000日などは、あっという間の瞬間でしかありません。
たしかに、私の今の実感でも、4000日は「あっという間の一瞬」でした。
その間にいろんなことがあったのでしょうが、なぜか「現実感」があまりない。
すべてが縁起によっておこった空の世界という実感があるのです。

もしかしたら、仏教とは、愛する人を失った人の、止まっている人生のもとにつくられた思想体系かも知れないと、ふと感じました。
お釈迦様は、きっとみんなにすごく愛されていたのでしょう。
提婆達多も、きっと「シッタルダの不在」に耐えられなかったのかもしれません。

さて今日から、4000日を超えた人生が始まります。
実にさわやかな朝です。

■4002:人間の時代は終わった(2018年8月19日)
節子
先週は在宅時間が長かったのですが、それで5本の古い映画をテレビで観てしまいました。
「ブレードランナー」の2作品と「プロメテウス」の2作品、それに「ソラリス」です。
「ブレードランナー2049」は今回初めて観ました。
こうした作品をまとめてみると生命の捉え方が変わってしまいます。
「ソラリス」を除いた4作品には、人造人間(レプリカントやサイボーグ)が登場しますし、ソラリス」には、人とは別個の「知性」がその人の「愛」と「記憶」を材料に物質化した人間もどきが登場します。

今回最後に観た「ブレードランナー2049」のラストシーンが衝撃的でした。
今のイメージに重なっていて、なにやら救われたような気分になったのです。。
実は最近、なぜかちょっとそんな気分になって来ていたので、この5作品をまとめてみてしまったわけですが。
「そんな気分」というのは、説明が難しいのですが、これまで時評編では何回か書いてきていますが、ホモサピエンス、つまり、今の人間の時代は終わったという気分です。
レプリカントやサイボーグが、新しい人類になっていく。
つまり今以上に「生死」を自由に扱えるようになるでしょうし、永遠の生命も蘇る生命も現実のものになるでしょう。
そうなれば、「死」さえも体験可能なものになるでしょう。
もちろん彼岸も体験可能な世界になるでしょう。
生の躍動と並んで、死の躍動が現実のものになるかもしれません。
いや、そもそも「生死」という概念がなくなるだろうと思います。

5本の映画を立て続けに観たために、ちょっと思考がおかしくなっているのかもしれませんが、死生観がちょっと変わった気がします。
節子との距離がまた少し近づいたような気もします。

もちろんそれがそのまま今の私の現実にはなりません。
今の私は、蘇ることもできず、死の体験もできません。
節子を抱きしめることもできません。
でも否持続可能ところにいるという感覚はちょっとまた強まりました。
さらに言えば、それはもしかしたら「節子」ではないのです。
もっと普遍的な存在。

「ソラリス」は他の4作品とは違いますが、旧作も含めて、また原作の小説も含めて私の好きな作品です。
ほかの4作品は、レプリカントやサイボーグが「ヒューマノイド型」であるところに違和感はありますが、むしろそのおかげでリアリティを感じます。
しかもその底流に流れているのは、人間特有の「愛」です。
目の前に、愛する人が現われたらどうするか。

いずれの作品の主人公も、「愛」よりも「人類」を優先します。
私はまだそこまで不変化できていません。
しかしちょっとだけ、普遍的な「愛」に近づいたような気もします。

今朝の空は、雲一つありません。
空の青さの奥にこそ、彼岸はある。
学生の頃はずっとそう思っていました。

■4003:疲労感がつづいています(2018年8月20日)
節子
寝坊してしまいました。
最近暑さもあって疲労が蓄積されているようです。
昨日は畑に行けなかったので、畑に行かなくてはいけないのですが、元気が出ません。
困ったものです。

時評編に書きましたが、昨日は2年前に起こった相模原障害者殺傷事件をテーマにしたサロンのアフターサロンでした。
日曜の午前中にもかかわらず6人が参加しました。
日本自閉症協会の副会長でもある今井さんが、前回同様、参加して下さり、示唆に富むお話をしてくれました。
今井さんとは、多分もう20年ほど前、企業の経営幹部の研究会でお会いして以来のお付き合いです。
その研究会での私の役割はアドバイザーだったのですが、私が言い続けていたのは、経営の基本はしっかりした自らの生活に取り組むことだということでした。
表層的な経営技法や抽象的な経営理論をみずからのものにするためには、自分軸、それも生活を基本にした価値軸をもたないとお金に隷属しかねないということを話してきました。
今井さんは、大企業の経営幹部でしたが、その後、福祉の活動に生活軸を移されて、しばらくは交流が途絶えていましたが、昨年、お会いして以来、時々、湯島に来てくださいます。
昨日のお話もとても示唆に富むものでした。
しかし、考えることも多くて、かなり疲れました。

午後は、個人と組織の関係を考える研究会でした。
企業での働きがいをテーマにしていますが、今回は大学教授の斎藤さんが、日本の過去の企業の事情を話題にしてくれました。
私は1964年から1989年まで、企業で過ごしましたが、まさにその25年は、会社と社員の関係が大きく変わる時期でもありました。
膾炙には行った頃の会社の状況を思い出しました。
そしてそこで出会った節子が、いかに私の人生に大きな影響を与えたかも改めて思い出しました。
それもあって、この研究会もかなり疲れました。

というわけで昨日は疲れ切って、9時には寝てしまいましたが、そしてその上に寝坊してしまいましたが、なぜかまだ疲れています。
今日はゆっくりと休もうと思いますが、先週もずっと休んでいた気もします。
そろそろ生命のエネルギーが枯渇してきたのでしょうか。
困ったものです。

■4004:「死すべき定め」(2018年8月21日)
節子
佐久間庸和さんが本を薦めてくれました。
アメリカの現役医師が自らの父親の体験を軸に、終末医療のあり方を描いたノンフィクション作品『死すべき定め』です。
「感動とともに人生観を変える、全米で90万部突破のロングセラー」と紹介されています。
本の内容に関しては、佐久間さん(一条真也さん)のブログに詳しく紹介されています。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/20180810/p1

生々しい体験記なので、時に読み進めることが難しくなったりして、かなりのエネルギーが必要でしたが、読み終えました。
私の体験とも重なるところも少なくありません。
気付かされることも少なくありませんでしたし、私の気持ちを代弁してくれているようなところもありました。

ただ本書の基軸になっているのは老いて死ぬ定めの話で、老いずに死ぬ話とはやはり違います。
本書にも若くして死を迎える事例はいくつか出てきますが、それはサブストーリーです。

本書でも語られていますが、しばらく前までは「老いる前に死ぬ」のが自然でした。
ですから、この数十年で、「死すべき定め」の意味合いが大きく変わってしまっているのです。
そのために、死を取り巻く環境が、キュア(治療)からケア(気遣い)へと移行しだしているのです。

もう一つ感じたのは、やはり、親と伴侶は違うのだなということです。
私も同居していた両親を見送り、伴侶も見送りましたが、いずれも同じ死別体験ですが、私には異質なものに思えます。

とはいうものの、本書で語られていることは、あまりに私の体験に通じすぎていて、反省させられたことも少なくありません。

心に残るメッセージもいくつかありました。
たとえば、「死を無意味なものにしない唯一の方法は、自分自身を家族や近隣、社会など、なにか大きなものの一部だとみなすことだ。そうしなければ、死すべき定めは恐怖でしかない。しかし、そうみなせば、恐れることはない」という文章がありました。
まったく同感ですが、ただやや「客観的」な表現が気になりました。
これは「自分の死」のことを語っているわけですが、はたして死に直面した当の父親はどうだったでしょうか。

「死すべき定めとの闘いは、自分の人生の一貫性を守る闘いである。過去の自分や将来なりたい自分から切り離されてしまうほど自分が矯小化や無力化、奴隷化されてしまうことを避けようとすることである」。
これもちょっと観察者的で、あまり共感はできません。
そもそも「死すべき定めとの闘い」などというのは存在するのか。
たしかに節子は癌を宣告され、また再発した時には、闘う姿勢はありました。
しかし、そばにいた私に感じたのは、その姿勢は次第にもっとおだやかなものになっていったような気がします。
つまり、今を大事に生きることで、それこそ精一杯だった気がします。
今日も良い日だった。明日も同じように良い日でありますように、というのが、節子の寝る前の言葉でした。
死への恐怖も怒りも、私には感じませんでした。
怒りや恐怖を持っていたのは、私でした。
そのために、節子の平安を乱したこともあったはずです。
うまく説明できませんが、やはり当事者と観察者とは違います。
節子と私との受け止め方ももちろん違います。

本書にはまた、「死にゆく者の役割」を臨終で果たす重要性にも触れています。
ある調査報告によれば、この役割は死にゆく人にとっても残される人にとっても人生を通じてもっとも重要なことだそうです。
これに関してはもう少し踏み込んでほしかったですが、著者は、この役割を否定してしまうことは恥辱を永遠に残すことにもつながる、としか書いてくれていません。
そこがちょっと残念でした。
しかし、「死にゆく者の役割」というのは、私がずっとなんとなく感じていたことでもあります。
これに関しては、私ももう少し考えようと改めて思いました。

物足りないことばかりを書いてしまったのですが、基本的には本書のメッセージはとても心に響くものが多いです。
老いて死ぬものだけではなく、すべての死ぬ者(つまりすべての人間)にとって、大きな安心を与えてくれるかもしれません。
死への不安があるようであれば、あるいはいま近くに死を感ずることがあるのであれば、本書はとても大きな力をくれるはずです。

もっとも私自身は、死への不安はほとんどありません。
節子が通って行った道であれば、それを通るのは当然のことだからです。
それに節子と違って、私の伴侶は、その先にいるのですから。

■4005:死の中にある生(2018年8月22日)
節子
この10日ほどのうちに、死に関わるケアに関する本を3冊読みました。
1冊は昨日書いた「死すべき定め」ですが、ほかの2冊は「「在宅ホスピス」という仕組み」(山崎章郎)とかなり古い本ですが、「ケアの思想と対人関係」(村田久行)です。
その前にも、「人は「死後の世界」をどう考えてきたか」(中村圭志〉なども読んでいますので、死にまつわり本を何冊か読んできました。
湯島のサロンでも、死を要にしたコミュニティの話や相模原事件に関連しての「いのち」の話をしていますので、この夏はいろいろと生と死を考える機会がありました。
「ケアの思想と対人関係」は、改めてスピリチュアルケアについて考えたくなって読んだのですが、20年ほど前の本なのに、日本の医療界や福祉の世界はあまり変わっていないような気がしました。
しかしそれ以上に私にとってショックだったのは、私自身がキュアからケアへの切り替えができていなかったことに気づかされたことです。
頭ではわかっていて、コムケア活動を始めた時の最終選考会での冒頭のスピーチでは、そういう話を話していたのに、自分自身がまだキュア思想を引きずっていたのです。
節子に対しても、もしかしたらまだ「キュア」発想に引きずられていたかもしれません。
最後の最後まで、節子は治ると確信していたのも、そのせいかもしれません。
私には、死という概念がまったくなかったのです。
節子はどう感じていたでしょうか。

しかしはっきりといえることは、そういう私に、節子はすべてを任せていたということです。
私がどうにかしてくれると思っていたような気もします。
たとえ、それが死につながろうとも。
あの時の私たちにとっては死もまた生の一部だったのかもしれません。
そんな気が最近しています。

明日からミンデルの「シャーマンズボディ」を読もうと思います。
8月は、彼岸との交流の季節ですので。

■4006:いい汗(2018年8月23日)
節子
この3日間、畑通いをしました。
今朝も朝食前に畑に行って、耕してきました。
帰宅してシャワーを浴びたのですが、汗が止まりません。

先日の雨風で、キュウリはほぼ全滅しましたが、道沿いの花壇は花が満開です。
といっても結局、百日草とマリーゴールドが中心で、乱雑に種をまいたので、花壇というよりもただ花が密集しているだけの話です。
しかし、時々、道から花を見ていてくれる人に出合います。
それだけで十分に報われる気がします。
5種類以上の種をまいたのですが、この2つにひまわりを加えた3種類が開花しました。
これから花が咲くものもいくつかありますが、さらにまわりの野草を整理し、面積を広げようと思います。
節子はここをロックガーデン風にしようと、石やレンガなどを置いていましたが、開墾中にそうしたものが出てきて、むしろ大変でした。
その名残のバラは一本まだ残っています。

畑も第一期の野菜の犠牲に上に、畑らしくなってきましたが、なにしろ篠笹がすごい繁殖力なので、いまもまだそれとの闘いがつづいています。
この戦いも、節子と一緒だったら、それなりに楽しいのでしょうが、独りだとついついめげてしまい、なかなか前に進みません。
それでもこの3日間で、2つの畑をつくりだし。人参と蕪を蒔きました。
今朝はもう一面、耕してきましたが、ここにはタマネギを、そしてさらに大根用の一面をつく予定です。
これでわが農園の真中は畑らしくなるでしょう。
周辺の一部は、紫色のシランが戻ってきました。
だいぶ先が見えてきました。

畑に取り組んでから、時間の大切さを改めて感じています。
植物の成長には、それぞれ時間がかかりますし、しかも季節にも従いますから、畑づくりも時間をかけて進めていかないといけないのです。
工業生産は時間を管理できますが、農園栽培は時間に管理されるわけです。
それを良しとするか、それから解放されるか。
今の私は、もちろんそれを良しとし、それに従い、そこから教えられています。
時計の時間は嫌いですが、そうした自然の、あるいは生命の時間には素直に従えます。

今朝も畑仕事をしていたら、道を散歩している人から声をかけられました。
名前も知りませんが、相手から声をかけてくれる人も現れました。
その方は、毎朝、母親の散歩に付き合っているようです。
散歩している人たちのそれぞれに物語がある。
そして、そこにそれぞれの時間がある。

野菜の出来はあまり良くなく、今日も収穫はありませんでしたが、朝の労働のお礼にミニトマトを一つもいで食べました。
たった一つのミニトマトでも、大きな元気をくれます。
さて今日もまた、いささか難しい課題があるのですが、いい1日になるでしょう。
いい汗をたくさんかきましたから。

■4007:ソクラテスの気分(2018年8月24日)
節子
昨日は柴崎さんと3時間話しあいました。
節子が知っているころの柴崎さんとあまり変わっていませんが、ますます社会からは離脱してきています。
一時はかなり心配させられる状況でしたが、昨日はだいぶタフになっていた気がします。

マルクス、フーコー、ブルドュー、ラカン、イリイチ、アルチュセール、ポランニー、フレイル…と次々と話題になりますので、ついていくのが大変です。
その一方で、国つ神や地母神、さらにはシンギュラリティと遺伝子工学、そして最後は例にスタップ細胞。
3時間があっという間でした。
彼のような知性がどうして活かされないのか。
その一方で、内容のない知が世間でちやほやされる現状にはいささか辟易しています。
アテネ時代のソクラテスの気分がわかります。
毒杯を飲んだことにはあまり共感できませんが。

その後、ドラッカーと音楽と酒を楽しむカフェが湯島でありました。
ドラッカーをテーマに経営コンサルティングに取り組んでいる村瀬さんが提案してきた集まりで、彼の主催です。
ドラッカーも酒も好きではない私が参加するのはどうしたものかと思ったりしましたが、村瀬さんの主催で場所も湯島となれば出ないわけにはいきません。
私は隅っこで話を聞きながら、酒がダメなのでコーヒーでも飲んでいようと思っていたのですが、
なぜか最初に村瀬さんが私にふってきたので、なにやら長い自己紹介をしてしまいました。
ついでにドラッカーへの批判もちょっとしてしまいました。
いつもながら場を読まない困った話です。

その後、参加者の自己紹介がありましたが、私が知っていたのは2人だけで、ほかの方は全員初対面。
いろんな立場の、しかもかなり明確な問題意識を持った人たちが多く、それぞれの話が魅力的だったので、その後の話にもついつい参加してしまいました。
私の関心領域につながるところで活動している人も多く、いささか余計な発言をしてしまったのが、いつもながら反省点です。
節子がいたらたしなめられたでしょう。

ほとんどの人が湯島は初めてでしたが、どうもこうしたサロンも初めてだったようです。
私にとっては極めて日常なのですが、どうも社会にはこういう「無駄な場」は少ないようです。
山浦さんが評価してくれているのが少しわかってきました。
サロンはつづけていこうと思います。
ソクラテスのように、死刑になることはないでしょう。

■4008:お世話になる部屋だから(2018年8月25日)
節子
昨日、とてもうれしいことがありました。
予想もしていなかった友人が、湯島のエアコンを購入しましょうとメールをくれました。

前からずっと気になっていることが、1つあります。
エアコンの調子が悪いって言ってたでしょ?
みんなが集って真剣に議論する場ですから、頭を冷やすためにも先ずは環境を整備しなくては。
私ね、エアコンを取り替えたい。お世話になる部屋だから。
9月16日以降に、近いから、秋葉原へ行こうと考えています。

節子が、湯島で最後に取り組んでくれたのが、改装とエアコンの買い換えでした。
途中で湯島に行けなくなり、改装は途中でストップ、エアコンは購入したものの取り付けの時には行けなかったので、ちょっとおかしなところにつけられてしまいました。
いずれもあえてそのままにしています。
しかし、最近、いろんなものが壊れだしています。
先週も椅子が壊れてしまいました。
その矢先のメールです。

湯島はみんなに支えられてきています。
維持のためにはそれでも月に10数万円かかりますが、いろんな人の支援で賄われていて、私はあまり負担していません。
毎月かなりの金額を振り込んでくれている人もいます。
もちろん湯島の維持というわけでもなく、私の生き方への支援というような意味も込めて、自分の会社の顧問という名目にして、私の会社に振り込んでくれるのです。
「顧問」である以上、何もしないわけにもいかず、少しはその人の会社に役立つ活動をしていますが、最初の頃は私への具体的な期待をいわれたことはありません。
会社の利益が思ったより多かったので、数十万円寄付してくれた人もいます。
ワンコインサロンなのに、1万円入れていく人もいます。
それで基本的な部屋の維持はできています。
ありがたいことです。
だからお金もないのに、いまもなお、湯島でサロン活動を続けていられるのです。

ただ、30年もたつと、照明器具とか椅子とかも壊れだしてきました。
設備を替えようとするとそれなりの費用がかかりますから、まあ何とか使い込んでいますが、さすがにそろそろ限界だなと思うものも出てきました。
しかし、うっかりそんなことを口に出すと誰かがまた寄付を申し出てしまうかもしれません。
ですから逆に注意しないといけません。

そんな時の、このメール。
しかし、今回は好意に甘んじることにしました。
メールにこう返信したのです。

エアコンは直りました。
それでエアコンはいいから椅子はどうでしょう。

エアコンよりもかなり高くなりそうなので、いささかの躊躇はありましたが、まあ不足分はどうにかなるでしょう。
それがいつもの私の発想法ですから。

返信が来ました。

喜んで下さって、とっても、とても嬉しいです。
それじゃあ椅子にしましょうか。

「嬉しい」と言ってもらえることは、こちらこそ「とっても、とても嬉しいです」と返信したかったのですが、やめました。
でもなんとなく「トポラッチ」気分を味わいました。
問題は、この人に次は何を返せるかです。
いや。この人にではなくてもいいかもしれません。
永六輔も「誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう」と「生きているということは」という歌で、そう言っています。
https://www.youtube.com/watch?v=Gt8posdmTaM

そんなわけで湯島の椅子はまもなく一新されるかもしれません。
しかしやはり迷いはあります。
椅子を変えたら湯島の雰囲気は変わってしまうかもしれませんから。
でもまあ、湯島は「みんな場」にしたいので、それもまたいいでしょう。
それにいつかは私もいなくなるわけですから。

お布施をしてもらって喜んでもらえる。
なんとまあ「幸せ」なことでしょう。
もっともっと、喜んでお布施したくなる存在になりたいと思います。

■4009:不幸と幸福はコインの裏表(2018年8月26日)
節子
長谷川宏さんの「幸福とは何か」という新書を読みだしました。
まだ20ページしか読んでいませんが。
最初に出てきたのが、与謝蕪村の「夜色楼台図」と三好達治の「雪」でした。
「夜色楼台図」は、雪の降り積もった冬の夜の町並みの水墨画。
「雪」は有名な「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ」という二行詩です。
著者は、そこに静かで平穏な暮らしを感じて、それが幸せの一つのあり方だと論じます。
もっとも、その本は、それとは違うもう一つの「幸福」の話を展開しているようですが、この10ページほど読んだところで、いろいろと考えてしまいました。
私が望んでいたのも、こういう幸せだったのではないか。
しかし今はその反対の幸せ感になっていることに気づかされて、自分ながらに驚いてしまったのです。

人生には嫌なこともあればうれしいこともある。
むしろトラブルや悲しさがあって、幸せがある。
不幸と幸福はコインの裏表。
そんなことを、この挽歌でも書いた気がします。
そのどこかに「強がり」もあるのですが、太郎次郎の幸せを望みようもない今、いろんなことに悲しみ喜び怒り、時に胃を痛くする生き方を素直に受け入れる生き方が身についてきました。
節子がいたら、それはできなかったかもしれません。
幸せの基準もまた全く違っていたはずです。

今の私は「幸せ」なのかどうか。
こう考えていくと、「幸せ」という概念が、いかに曖昧なものであるかがわかります。
すべての言語の意味を一度、それこそ脱構築していくことが必要なのかもしれません。
つまり、すべての価値言語は、結局は同じことを違った視点から言っているだけの話です。
その次元から抜け出れば、世界は全く違って見えてくるでしょう。

彼岸と此岸も、もしかしたら同じものかもしれません。
その次元から飛び出した時、どんな世界がそこにあるのか。
死もまた、楽しみな話です。

■4010:死後の行先がわかれば死は不安ではなくなる(2018年8月27日)
節子
昨日、中下さんの「生と死を考えるサロン」のパート2でした。
とてもいいサロンでした。
その中で、中下さんが、死後、どこに行ってしまうか、その先が見えないことが死の不安につながっているというような話をしてくれました。
そこで気づいたのですが、私は、死後、自分がどこに行くのが確信できているおかげで、死の不安がないのです。
死んだら、天国でも地獄でも冥界でもなく、ともかく節子のいるところに行けると考えています。
別に証拠があるわけではなく、あるいは信仰があるわけではなく、そう思うのは実に簡単な理由からです。
節子を基準に考えれば、節子のいる世界といない世界がある。
そしていま私が生きている世界は、節子のいない世界。
そうであれば、その節子のいない世界から外に出たら、節子のいる世界に行くことになる。
あまりに単純な発想なので呆れられるかもしれませんが、極めて論理的な発想です。
死は、節子のいる世界への入り口、と考えれば、死は怖くも不安でもないわけです。
もっとも、そこで節子に会えるかどうかはわかりません。
しかし、今の世界で節子に会える可能性はゼロですので、もう一つの世界の方が可能性は高いと言ってもいいでしょう。

もちろん「死後の世界」があるかどうかわからないという人もいるでしょう。
いかし、「ない」と言い切れる人もいないでしょう。
私は、もし「死後の世界」がないのであれば、そもそも「死」は存在しないと思っています。
いまはうまく説明できませんが、私には公理のような気もします。

そんなわけで、私がなぜ、死を不安に思わないかが、今日、中下さんのサロンの話を聞いて納得できました。
まあ大した話ではないような気もしますが、私には大きな発見でした。

死後の世界に行って帰ってきた人の話は世界各地にあるようです。
古代ギリシアのオルフェウスや古事記にあるは有名です。
しかし、いずれも彼らは死後の世界から愛する人を連れ戻そうとして失敗します。
これは私には不思議です。
なぜ連れ戻そうとしたのか。
自分が向こうに行けばいいだけの話です。
彼らは、愛する人よりも、自分を愛していただけの話です。
失敗は最初からわかりきったことです。
私はずっとそう思ってきています。

死後の世界が、たとえどんな世界でも、私はたぶん肯定的に受け入れられるでしょう。
そこに、愛する人がいれば、ですが。
そして、いるに決まっていると、私は、いまは思っています。

■4011:「納骨してホッとしました」(2018年8月28日)
節子
昨日、偶然に会った知人から、「納骨してホッとしました」と声をかけられました。
その人は仕事をしている途中だったので、周りに人がいる状況での短い時間の立ち話だったのですが、とても安堵した表情でした。

その方と会ったのは1か月ほど前です。
まったく別の件で、30分ほどのインタビューをしました。
そこで、その方が2年ほど前に夫を亡くされたことを知りました。
私がまるでそのことをしっているかもしれないという口ぶりでした。
私はその人と会うのは初めてですから、知る由もありません。
それにたぶんその人は誰にもそういう話をするような人には見えませんでした。
もしかしたら、私が何らかのオーラを出していたのかもしれません。

その人は、夫の死を体験した後は、どんなことも気にならなくなったといいました。
あまりの大きなショックを受けると、それ以外のショックは、ショックとさえ感じなくなる。
夫との死別の不幸に比べたら、それ以外のどんなことも不幸なことは感じないというわけです。

そして、その人は「夫に近くにいてほしくて、納骨できないでいる」と話されたのです。
その気持ちは、私も体験していますので、私の体験も話しました。
私が分骨して、時に外出時には身につけていることも話しました。
そして昨日またその人の仕事場に立ち寄る機会があり、そこで話しかけられたのです。

遺骨の一部を自宅に置くことにして、3回忌に納骨したのだそうです。
お墓にも家にも夫はいる。
手元に残した遺骨で、いつも身につけていられるアクセサリーをつくることも考えているそうです。

たぶんその人は私にずっと報告したかったのでしょう。
私の姿を見て、すぐに話しかけてきてくれました。
前回と表情が全く違っていました。
重荷をおろした感じでした。
彼女はきっと伴侶を深く愛していたのでしょう。
その気持ちが伝わってきました。

お会いできてよかったです。

■4012:オフィスオープンサロン(2018年8月29日)
節子
早稲田大学オープンカレッジで中下さんがやっている「『人生の最期』を考える」という講座に招待されました。
中下さんから、何を話してもいいと言われたので、「わたしの物語」を話させてもらいました。
副題を「人間の生と死を考えるための話題提供」とさせてもらい、できるだけ間接的に、生と死につながる話題を入れました。
ただあまりに間接的だったので、うまくつながらなかったかもしれません。

物語を語るために、これまでの人生を前もって少しレビューしてみました。
これまでやったことのないことを一つだけやりました。
それは、会社を辞めて、節子と一緒にやったオフィス開きの1週間のサロンの写真を思い出して、アルバムに残っている写真を見たことです。
1週間に100人を超える人たちが来てくれました。
写真を撮っていない人もいますが、8割くらいの方は写真に残っています。
いつかオフィスの壁に貼りだそうと思っていましたが、なぜかやっていません。
もしやっていたら、湯島の雰囲気もまた変わっていたでしょう。

写真を見ても、思い出せない人がだいぶいます。
これはいささかショックでした。
顔と名前を思い出せないような「粗雑な付き合い」は、節子から注意されていましたので、顔と名前は忘れないようにしてきているのです。
たしかに、一度会った人であれば、記憶にしっかりと残さなければ失礼です。
そう思っていますが、思い出せない人が多いのです。

なつかしい人にも久しぶりに会いました。
もう亡くなった方もいます。
付き合いが途絶えた人もいます。
前世の友人の顔もあれば、いまもサロンの常連の30年前の顔もある。
つくづく時の流れを感じます。
写真の片隅に、大きなブーゲンビリアなどの植物も写っています。
いろんな人が大きな花を贈ってくれました。
テーブルの上にはいろんな飲み物もあります。
まだバブルの気配が残っていた時代でもありました。
あの1週間のオープンサロンは、私たちの人生を大きく変えました。
そのことを改めて思い出したのです。

ところで、講座ですが、いろんな人が参加してくれました。
浅間山荘事件の時に鉄砲の弾が飛び交う中で事件解決に取り組んだ機動隊の方、定年後にがんの手術をした方、奥様を亡くされた方、弟さんを10台で看取った方、それぞれに「生と死」を考える事件を体験していることが伝わってきました。
終わった後、何人かの方々とレストランに行きました。

いろんな人に会えて、また元気をもらいました。
私自身の考えも、いろんな人との出会いのおかげで、ここにきてまた変わりだしているような気がします。
中下さんに感謝しなければいけません。

私は過去を振り返るのが苦手なのですが、
時には過去を振り返るのもいいかもしれません。
あの1週間のオープンサロンに、もしかしたら今の生き方の原点があったのかもしれません。
節子には苦労をさせたのだろうと思いますが、節子もまた、人生を変えるきっかけになった1週間だったと思います。

■4013:資産に恵まれた小作人(2018年8月30日)
節子
早稲田大学オープンカレッジで話をさせてもらったことは、昨日の挽歌に書きましたが、話の最後に、現在の自分は「資産家の小作人」だと、改めての自己紹介をさせてもらいました。

韓国の法頂禅師は、「すべてを捨て去る」「無所有」という本で、物を持たないことのしあわせを提唱しています。
記憶がいささかあやふやですが、法頂さんは、所有概念から自由になれば、すべてのものが独立して存在することになり、そういう世界では、「自分の所有物の世界」と「それ以外の世界」の区別がなくなる。
したがって、すべてのものと自由に関われると書いていたような気がします。
俗な言い方をすれば、すべてのものが自分のものとも考えられる。
ですから、所有物やお金がない人ほど、資産家なのです。
人は所有の対象にはなりえませんが、であればこそ、友人知人こそが人生にとっての最大の資産ともいえます。
第1の意味では自宅のある私は不適格者ですが、第2の意味では、私は資産家だと自己認識しています。
資産である人のなかには、節子も入っています。
現世にいないとしても、節子は今なお、私の生を支える大きな支えです。

「小作人」は、言うまでもなく、私の場合、お天道様の小作人です。
今年はがんばって荒地を畑と花壇らしくしましたが、同じように、荒れてきている社会を耕す生き方をしていきたいと思っています。
今生ではちょっと無理そうですが、来世で戻ってきた時には、世界はきっと、今と違って住みやすい社会になっているでしょう。

そんな思いを含めて、「資産家の小作人」とお話したわけです。
話してみて、自分としてはちょっと気にいってしまいました。
ただ、「資産家の小作人」と言ってしまうと、誰か大金持ちに雇われた小作人と誤解されるかもしれません。
そこで、「資産に恵まれた小作人」と言い換えることにしました。
でもまだ少しすっきりしない。
もう少し考えようと思います。

昨日は終わった後、何人かの方々とレストランに行きましたが、生と死を考えている人は、みんな魅力的だなと改めて感じました。
そこには「嘘」や「打算」がないからです。

死は、やはり。人をつなげる要になると改めて確信しました。
人の関係を耕すのも、小作人の仕事です。
小作人には暇はありそうもありません。

■4014:時空間感覚(2018年8月31日)
節子
魔の8月も今日で終わります。
節子が現世で過ごした最後の8月も暑かったですが、今年はその比ではありませんでした。
灼熱の地獄のような暑さでした。
今日も暑い日になりそうです。
しかし、11年前の夏に比べたら、私には天国と言ってもいいくらいです。

それにしてももう11年も会っていないわけです。
そんな感覚はないのですが、この調子だと、あれ、もう100年たつのかということにもなりかねません。
時間は動いているのでしょうか。

昨日また、武田さんと長電話してしまいました。
テーマはなんと「宇宙のビッグバン」。
ニュートン力学と昨今の宇宙物理学とでは、世界はまったく別のものになっていると思いますが、では、たぶん
話していて、空間と時間の感覚が全く違うことに気づきました。
以前から私は、意識の上ではちょっと時空間感覚がほかの人とは違っていましたが、節子が旅立ってからは、それが実感的になってきています。
時空間が一体化し、その捉え方も固定感覚はなく、とても柔軟なのです。
明日の次に今日があるとか、今日が誕生日だとか、我孫子と滋賀とは離れているとか、そう言う感覚が弱まっています。
ですからどうも話がかみ合いません。
困ったものです。

その一方で、私自身、ああもう8月が終わるとか、節子の命日が近づいたとか言っているわけですから、矛盾しているのですが、そうした2つの時空間感覚がある。
生きていくには、まだまだいろんな制約があるのです。
その制約を超えて生きることはまだできていません。
今日は東京国立博物館に縄文展を見に行くのですが、これもまもなく終わるので、どうしても今日行っておかねばいけないと思って、今日は縄文展を優先しました。
なかなか行けずにいたのですが、最後の最後が今日なのです。

しかし、とは言うものの、私の時空間の捉え方は、極めて状況主義的です。
三次元に縛られた、現世の人間界から飛び立った節子の世界は、どういう世界でしょうか。
あの世は、時空間が折り重なった世界だという人もいますが、此岸と彼岸を分けているものはなんなのでしょうか。
それを乗り越えるのは、人間には無理なのでしょうか。
宇宙のビッグバン議論から、少し話が飛んでしまいました。

さて今日は、縄文の世界に触れてきます。
しかし、その場は、自然などなく、人で密集した極めて現代的な時空間なのでしょう。
おかしな話です。

■4015:びわ湖長浜KANNON HOUSE(2018年9月1日)
節子
昨日、上野の不忍池の近くにある、びわ湖長浜KANNON HOUSEに立ち寄りました。
http://www.nagahama-kannon-house.jp/
半年ほど前に、ユカが行ってきて、教えてもらっていたのです。
長浜にあるたくさんの観音様を順番にお呼びして展示しているのだそうです。
昨日は竹生島の宝厳寺の聖観音像が展示されていました。
竹生島には行ったことがないので、このほとけに会うのは初めてです。
とても端正な、やさしいほとけです。
左手に持っている蓮の花が、私にはロウソクに見えて、とても違和感がありましたが。
12世紀の作だそうです。

節子の生家は長浜市の真中に位置する高月町ですが、そこには井上靖が絶賛した渡岸寺の11面観音がいます。
節子に会う前から、私もこの仏のことは知っていましたが、直接会ったのは節子に会ってからです。
最初に会った時はまだお寺は地域で守られていて、近くの人にお願いして戸をあけてもらい、仏と会いました。
いまは有名になりすぎて、仏というよりも「仏像」になってしまっていますので、あまり行く気もいません。

高月は「かんのんの里」と言っているほど、たくさんの観音が住民たちと一緒に暮らしています。
いまは長浜市と合併しましたが、以前はまさに「観音の里」にふさわしい雰囲気でした。

昨日、びわ湖長浜KANNON HOUSEで観た宝厳寺の聖観音も、ちょっとさびしそうでした。
やはりほとけは、住民とともにありたいのでしょう。
たぶん竹生島であったら、まったく違った表情を見せてくれるでしょう。
そんな気がしました。

節子が一緒だったら、どう思ったでしょうか。
いつかまた高月の観音の里をめぐりたいと、ふと思いました。

■4016:節子はまだ忘れられていないようです(2018年9月2日)
節子
ユカの学校時代の友人が、今年もまた、花をもって節子に挨拶に来てくれました。
節子らしい黄色が基調の明るいブーケです。
それにしても、もう10年以上もたつのに、いまもってお線香をあげに来てくれる。
節子が何をしたのかはわかりませんが、不思議です。
そういえば、お隣の方も、いまもなお、お盆にお花を届けてくれます。
節子には子供がお世話になったのでといわれますが、特別のことをやったわけではないはずです。
節子はどうして、忘れられないのでしょうか。

滋賀の節子の友人たちも、毎年、立派な花を贈って来てくれていました。
ただ「仏花」なのです。
節子に「仏花」は似合わないですし、仏花があると気が重くなってしまうので、迷ったのですが、今年から思い切って、辞退させてもらいました。
善意の贈り物を辞退させてもらうのは相手を傷つける恐れもありますので難しいですが、昨年、仏花でいささか気が滅入ってしまい、それを繰り返したくなくて、手紙を出させてもらったのです。
幸いにこちらの気持ちが伝わったようで、今年は花が届きませんでした。
贈り物、特に遺族への贈り物は難しい。
これは当事者でなければわからないことかもしれません。

命日の節子を思い出すのは、それなりに辛いものです。
思い出すのであれば、命日ではないほうがいい。
もっと言えば、何でもない日に思い出してもらうのが一番うれしいです。
そうはいうものの、明日は節子の11回目の命日です。
さてさてどうしましょうか。

■4017:わが家からは「命日」を追放しました(2018年9月3日)
節子
11回目の命日です。
節子が旅立ってから、4017日が経ったわけです。
挽歌も4017回目です。
命日だからと言って、何かをすることもなく、いつものように仏壇に手を合わせて1日を始めました。
命日は基本的には在宅にしていますが、だからと言って、何かをするわけではありません。
いつものように、線香をあげて、般若心経を唱えるだけです。
今年は、カサブランカもありません。

たまたまジュンの連れ合いのやっているレストランが今日はお休みなので、みんなでお墓に行ってから会食しました。
節子も一緒です。
ユカが写真を持っていってくれたので、テーブルに写真を立てて食事をしました。
しかし、命日らしくない、単なる会食で、主役は孫。

最近の心境は、毎日が命日なのです。
いいかえれば、命日を意識することをやめたということです。
節子のいない日常が定着したということです。
いや、節子のいる日常が定着したといってもいいでしょう。

今年は、わがままを言って、毎年、花を贈って来てくれる節子の友人たちにも、供花を辞退させてもらいました。
花を見て、命日だという気分に縛られることもなくなりました。
わが家に仏花は、やはりふさわしくはありません。
仏壇もいつものままなので、やはり気分が明るいです。
いつものように、生きた節子がそこにいるような気がします。
来年は13回忌ですが、来年も特別の命日にはしないようにしようと思います。
13回忌は、自宅ではないところで行う予定です。

わが家から「命日」を追放しました。
命日なのに、などと瑣末なことを気にすることもなくなります。
節子もきっとそれを喜ぶでしょう。

■4018:身体的老化が加速している気がします(2018年9月5日)
節子
昨日は挽歌をさぼってしまいました。
夜書こうと思いながら、ちょっと疲れてしまい早く寝てしまいました。
今朝も書く元気がなく、この時間になってしまいました。

最近、疲れがどうも抜けません。
それにちょっと言語障害もあるみたいで、時々、思うように話せていない自分に気が付きます。
認知症傾向も出てきている恐れもあります。
そんな話をユカにしたら、お父さんの言動は昔からちょっとおかしいので、認知症になったかどうか判断が難しくて困ると言われました。
たしかに反論はできません。
常識的に判断するとおかしな言動は少なくありませんから。
それに最近は、曜日がよくわからず、今日は木曜日してほしいなどいう言い方をしてしまうので、ほかの人からしたら、認知症そのものでしょう。
まあ、それが私の地そのものなのですが。
勝手にきめられた曜日に拘束されるのは、私の趣味ではありませんし。

しかし身体機能は大きくおとろえてきているのは間違いありません。
昨夜は台風で大変だったのですが、前回の強風で倒れかけた庭のミモザが、さらに倒れてしまいました。
それで枝をすべて切って支えで真っ直ぐにしようとしたのですが、脚立に乗って切っているうちに危うく倒れそうになってしまいました。
ミモザではなく、私がです。
しかも風もないのに、です。
困ったものです。

まあ身体的衰えは健全な老化ですから、嘆くこともないのですが、気をつけなくてはいけません。
困ったことに、身体的老化はなかなか自覚できません。
意識と身体とのギャップで、事故が起きるのでしょうが、そのギャップを埋めるのは難しいです。
特に伴侶の不在は、それを気づかせてくれる人もいませんし。

まだ風が強いです。
風の音は好きではありません。

■4019:節子の寝顔(2018年9月6日)
節子
夜、また目場覚めてしまいました。
最近習慣になっているんですが、寝室のテレビをかけてしまいました。
寝室のテレビは、普段は全く見ないのですが、ねむれない時についかけてしまう習慣ができてしまいました。
といっても、画面をみるわけではないのです。
それになぜかアンテナと接続してもうまく映らず、逆にアンテナを外したら、地上波の一部だけが映ることがわかり、いまはアンテナ無しになっています。
これも不思議なのですが、そんなわけで子ながら「音」を聞いているわけです。
音があるとなぜかまた眠れるのです。
そして夢の中に、その音が入り込んでくることもあります。
私は基本的に独りでいることが苦手なのですが、特に独り寝は苦手です。

今日は、4時前に目が覚めてテレビを入れてしまいました。
北海道で大きな地震が発生していました。
いつものように画面も見ずに音を聞いていましたが、いつの間にかまた眠ってしまいました。
夢で、ある会社の人たちが相談に来るような夢でした。
5人の人がやってきましたが、なぜか私に会いたいと頼んだ人がいませんでした。
どうしたのかと訊いたら、地震が起きたのでその関係で来られなくなったと聞かされました。
夢のなかにもテレビの音声がはいいてくるのです。
夢の世界は、実に面白い。

節子は、に私の気配が感じられるほうが眠りやすいといっていました。
闘病中の話です。
ですから、彼女が眠っている隣りで、本を読んでいたりしていました。
節子はとても寝つきのいい人でしたから、すぐに眠りに落ちていました。
だから私は節子の寝顔は飽きるほど見ています。
時についついちょっかいをかけたくなって起こしてしまうこともありましたが、私もまた隣に節子が寝ているときのほうが、寝つきやすかったです。
安心した笑顔はうつっていくものなのでしょう。
しかし、その笑顔の隣で眠りにつくことはもうありません。

北海道の地震の被害が報道されだしています。
失われる人命が出ないことを祈るばかりです。

■4020:夢のなかでも働いています(2018年9月7日)
節子
また昨夜はたくさんの夢を見ました。
意味ありげな夢です。
いろんな人が私に会いに来るのです。
自宅にではなく、湯島にです。
しかも、なんだか知っているようで知らない人が多いのです。
ひとりが帰ろうとして、玄関の扉を開けると、次の人が待っている。
しかも、部屋で話していると、いつの間にか人数が増えている。
前にも見たような気がしますが、はじめてのような気もします。
しかもその間に、玄関の電球が切れてつけ替えたりというような、細かなことまで起こるのです。
時に、私の横に節子がいて、一緒に応対しているようなこともある。

気になるのは、みんな、知っているようで知らない人ばかり。
いったいだれなのでしょうか。

ところで、夢で相談を受けている時に、どうも私の記憶が1日ずれていることに気づいたのです。
これは現実の時間のことです。
夢の中で気づくのもおかしな話で、その間のつながりはあまり思い出せませんが、なにかおかしいと気づいた途端に目が覚めてしまいました。
それで色々と考えたら、やはり私の現実の時間が1日ずれていて、明日(つまり今日ですが)、2つの日を生きることになっていました。
私の時間間隔はやはりおかしくなっている。
任と章の始まりでしょうか。
困ったものです。

それで早めに起きて、予定を確認。
間違いありません。
ダブルブッキングではなく、木曜日と金曜日がダブっていたのです。
あわてて一方の予定を変更し、今日は誰にも迷惑をかけずに済みます。

そんなことで、目が覚めてしまい、1時間本を読んでいました。
しっかりしなければいけません。
しかし、寝ている時にも夢の中で相談に乗っている。
まあ、どういう相談かは思い出せないのですが、あまり深刻な相談ではないからでしょう。
しかし、寝ている時でさえ、夢のなかとはいえ、働いているので、目が覚めても疲労感が残っているのです。
これでは過労死しかねません。
どうしたらいいでしょうか。

■4021:所有から解放されるという事(2018年9月8日)
節子
最近、読書時間が増えています。
それもノートを取りながらの読書が増えています。
しかも最近は、図書館から借りた本を読むことが多いので、そこで書かれていることをメモしておきたいという思いが強まっているのです。
ですから、いつもは1〜2日で読み終える本を、4〜5日かかってしまうことさえ起きています。
あるいは、メモが目的になってしまっていることさえある。

先日、あることで法頂禅師の「無所有」を思い出しました。
それで昨夜、書庫から探し出して読み直しました。
前に読んだ時に蛍光ペンでマークされた文章がありました。

たくさん捨てる人だけがたくさん得ることができるという言葉がある。
物によって心を煩わして人たちには、一度は考えてみるべき言葉である。
何も持たない時、初めてこの世のすべてを持つようになるというのは、無所有のもう一つの意味である。

実は、この最後の文章を思い出して、この本を読み直そうと思ったのですが、読んでいてハッと気づいたことがあります。
自分自身の「所有への執着」に気づいたのです。
確かに最近は、「物」への執着はかなりなくなってきました。
そもそもほとんど「物」を買わなくなりました。
書籍さえほとんど買いません。
しかし、相変わらず書籍などからの知識への所有への執着が強いことに気づいたのです。
法頂さんの言葉は、「物」に関することだとずっと考えていました。
しかし、それは「物」だけではなく「知識」や「情報」も同じなのではないかという気がしてきたのです。
同時に、最近の私の読書に「所有欲」、つまり「知識を所有しよう」という姿勢が強すぎるのではないかということに気づいたのです。

「たくさん捨てる人だけがたくさん得ることができる」というのは、むしろ「知識」や「情報」についてこそ言えることなのではないか。
このことは、経験的にかなり認識しているはずなのに(知識を語る人の、なんと知識の薄いことか!)、まさに自らもその落とし穴に落ち込んでいるのではないか。
知識が生き方を呪縛するようなら、そんな知識はいらないのではないか。
そう気づかされたのです。

これはかなり悩ましい問題でもあります。
しっかりと考えてみようと思いますが、まずは読書姿勢を改めようと思います。
しかし、さてどうすればいいか。
今日は読書を全くせずに、考えてみようと思います。

所有から解放された生き方は、簡単ではありません。

■4022:久しぶりに気分が大きく落ち込んでしまいました(2018年9月9日)
節子
昨日のサロンでは、まったく元気をなくしてしまいました。
テーマは政治をどう変えていくかでしたが、問題意識の高い人たちの集まりだと思って話をしていたのですが、あまりに事実認識が違うので唖然としてしまいました。
やはり私の事実認識は、世間からは外れてしまっているようです。
私の話が伝わらないのも仕方ありません。

湯島ではめずらしく、かなり険悪な状況にもなりました。
2人の参加者が、別の参加者への不適切な発言をし、さらにほかのもうひとりがこのサロンのルールを破って今日は気分が悪いと発言したのです。
湯島のサロンのルールは、この種の発言を禁ずることが唯一のルールなのですが、それさえ伝わっていなかった。
今回も、はじめての参加者があったので、そのことは冒頭に話していたのですが、それもたぶん聞いていなかったのでしょうか。

先日、ある若い女性から「昭和の頭」批判をされたことを思い出しました。
最近露呈されだしているスポーツ界のリーダーたちの「昭和の頭」ぶりは、どうも湯島も例外ではなかったようです。
力が抜けてしまいました。
ただ今回初めて湯島に参加してくれたMさんという「昭和の人」は、面白かったと2回も言ってくれました。
要するにこういう話し合いの場は、あまりないのでしょう。
しかし、その一方、そう言う場になれてしまうと、今度は仲間内で空気を創りだしてしまう。
私が一番嫌悪する姿勢です。
そういう人たちが、今の安倍政権を、そしてナチス政権を生みだしていったはずです。
まさに今日のテーマを自分たちが育てているのではないかと思うと、それこそ嘔吐したくなります。
これまでのサロンはなんだったのか!

それにしても、少しは新聞やテレビや本を消化してほしいと思いました。
ただ読んだり観たりしているだけではなく、自分の心身で受け止めてほしい。
そう思ってしまいました。
まあ、自分のことを棚に上げてですが。
しかし、現実を共有していないと話し合いはなかなかできません。
日本の情報環境はすでに管理下に移行しているのかもしれません。
あるいは今日集まった人たちは、学校では優等生だったのかもしれません。

サロンをやっていると、こういうことも時にはないわけではありません。
しかし、節子がいた頃は、節子に話し、話し合うことで、私の気持を相対化することができました。
しかし最近はそういうことができません。

昨日はだんだん憂鬱になってきて、とうとう今朝、つまり今ですが、挽歌にぶつけてしまいました。

節子
相変わらず私は成長していないようです。
困ったものです。

これで気分を変えて、今日もまたサロンです。
テーマは、有機農業。
昨日のサロンとはメンバーが全く違うので、気分は癒されるでしょう。
もっともサロンだけではなく、その後、まさに「昭和の頭」の人とさしで話し合うことになっているので、癒された後また落ち込んでしまうかもしれませんが。

■4023:少しだけ人の役にたてました(2018年9月10日)
節子
昨日はいろんなことがありました。
始まりは1時間の長電話。
1時間話すと疲れますが、気持ちはすっきりします。
まあ相手は武田さんで、異論のぶつけ合いですが。
でも武田さんの役には少したったかもしれません。

湯島に行く途中で2つのことがありました。
我孫子駅はいま工事中でエスカレーターが使えないところがあるのですが、そこをお年寄りが大きなキャリーバックを持ちながら苦労して降りていました。
お持ちしましょうかと声をかけたら、このキャリーバックが杖替わりなので、と言われました。
が、会話がしばらくできました。
しかしエスカレーターがないといかに大変なのかがわかります。
闘病中の節子を思い出します。

電車に乗って本を読んでいて、途中で目をあげたら、寝た子を抱いた若い母親が立っていました。
それで席を譲らせてもらいました。
席を譲ってもらうこともありますが、久しぶりに席を譲りました。
これは意外といいものです。
誰かのお世話になるよりも誰かのお世話ができるほうがいいに決まっています。
気分がちょっと明るくなりました。

午後は有機野菜の旬を楽しむ会です。
小学校時代の同級生がやってくれるサロンなのですが、34歳の若い仲澤さんが今日のゲストです。
気持が明るくなるお話でした。
久し振りに、荻原さんが知人と一緒に参加してくれました。
節子もよく知っている、ふぁっとえばーの秋山さんが数年前に亡くなったことを知りました。
連絡が取れなくなっていて、気になっていたのですが、いささかショックです。
脳梗塞で人生を変えてしまった人ですが、館山でお会いしたのが最後でした。

その後は、小宮山さんと会いました。
奥さんがいま不在なので、夕食にも付き合いました。
いつものように論争気味で、お互いに悪口を言い合っていましたが、小宮山さんのちょっとうれしいような安心したような表情を見て、少しは役に立ったかなと思いました。

今日は、そんなわけで、少しだけ誰かの役に立つことができた気がします。
たまにはそういう気分になっても、ばちは当たらないでしょう。
でもやはり疲れました。

■4025:癒された1日(2018年9月11日)
節子
孫のにこが湯島のオフィスに立ち寄りました。
といってもわずか5分ほどでしたが。
近くのギャラリーに家族で写真展を見に来て、それから動物園に行く途中にチラッと立ち寄ったのです。
よかったら私も一緒に動物園に行かないかというお誘いもかねてのようでしたが、来客まちづくりをしていたので、パスさせてもらいました。
今回は写真を撮っただけでしたが、私が自宅とは別の場所にいたのに驚いたようでした。
ユカさんはいないのか、と質問されました。

今日、湯島に来る電車の中で「発達障害に生まれて」という松永医師の新著を読みました。
途中3か所で涙が抑えきれませんでした。
子どものことをもっと知っていたら、私ももう少し娘たちとの付き合い方も変わって居たろうなとまた反省させられました。
孫とはうまく付き合えそうですが、遅くできた孫なので、いくつかで付き合えるかわかりません。
そう思うとちょっと錆び差はあります。

孫が帰ったら、すぐに待ち人がやってきました。
小学校時代の同窓生とそのお姉さんです。
湯島の掃除機が壊れているのを知って、わざわざ持ってきてくれたのです。
おふたりは東京の東と西に住んでいるのですが、たぶん5時間くらいかけて合流し、自動車で湯島まで掃除機を運んでくれたのです。
湯島は、こうした人の善意で支えられているのです。

姉妹は2人とも独身の上に、故郷に家と墓があるそうです。
それをどうするかが課題のようですが、そんな話も含めて、いろいろと会話が弾みました。
静かで平安なサロン。
これもいいものです。
いろいろと癒されることもあり、一昨日のサロンで高まっていた厭世観が少し解消した気がします。
孫が寄ってくれたことも、荷担してくれたと思います。
それと松永さんの本もです。
帰路の電車の中で、松永さんの本を読み終えました。
近いうちにホームページやフェイスブックで紹介しようと思います。

■4026:秋になってちょっと元気です(2018年9月13日)
節子
すっかり秋です。
赤とんぼが玄関の木にいつもとまっています。
畑にはなかなか行けません。
昨日、野菜の苗や種を買ってきましたが、今日もまた畑には行けそうもありません。
明日は大丈夫でしょうが、最近なぜか時間不足になっています。
たぶん私の活動スピードが落ちているのでしょう。
長電話がかかってくことも一因です。
昨日は、その常連の当人から、私からの電話は受信拒否に設定してくださいと電話がありましたが、またそれについて1時間20分電話がつづきました。
その後、疲れて1時間ボーっとしていました。
電話はどうも好きになれません。

若い時には思い立ったらすぐに動き出せましたが、最近は同じことでも前後の時間がかかります。
ですから同じ30分の仕事も、前後を合わせると1時間かかってしまうというわけです。
困ったものです。
瞬発力がおとろえています。
さらに終わった後、すぐに次の仕事に取り掛かれなくなってきているようです。

先日、サロンにいささかの失望をしてしまったので、少し姿勢を変えて、もっとアクティブにサロンを企画しようという気になりました。
何人かに声をかけたら、全員がやると言ってくれたので、この数日で、4つのサロンを企画し、いま案内を終えたところです。
しかしこんなに思ったようにいくとは思ってもいませんでした。
9月下旬から10月前半はサロンラッシュです。
このあたりが、どうもバランスをとるのが苦手の私の悪いところです。
節子がいた頃は、まだ生活の柱があったので、そうそう羽目は外しませんでしたが、最近はいささか危ういです。
でも小さくても、具体的なことに取り組むときには昔のような行動力が少し蘇る気がします。
形になることはうれしいことです。

今日はいささか大きな課題を抱えています。
節子に力を貸してほしいとお願いしてから、湯島に向かいます。
上手くいくといいのですが。
いや上手くいくでしょう。
結果はいつもベストだと考えるのが私の目指す生き方ですから。
それに今はお天道様がついていますから。
でも最近ちょっと小作人仕事をさぼっているので、ちょっと心配ですが。

■4027:生命力の衰えを痛感します(2018年9月14日)
節子
昨日は久しぶりに心身共にくたくたになった1日でした。
畑をしたわけでもなく、遠出をしたわけでもなく、まあ横から見たらたいしたこともしていないように見えたでしょうか、帰宅したら立てないくらい疲れていました。
なんで疲れたかは、相手のこともあるので書けませんが、結果は約束を果たせたので、まあ万々歳です。
しかし疲れました。
人の心に関わる問題は、やはり無意識のうちに過剰に気をつかっているのかもしれません。
やはり人よりも自然と付き合うのがいいです。

それにしても最近、思考を伴うデスクワーク的な宿題がたまっています。
なかには4カ月遅れのものもあります。
タイミングを失して、もう宿題リストからも消えてしまったものもあります。
思考することはできるのですが、それを言語化して記録する意欲がおとろえているようです。
困ったものです。

今日はちょっとパソコンに向かって宿題をいくつかやろうと思いますが、人生はそうそう思うようにはいきません。
時間はあるのですが、もうパソコンから離れたくなりました。
さてさてどうしたらいいでしょうか。
節子がいたら解決策を教えてくれるのですが。

■4028:今日は読書デー(2018年9月15日)
節子
最近夜どうしても目が覚めてしまうこともあって、いわゆる睡眠負債が少したまっていたようです。
今日は目が覚めたら7時近くでした。
しかしいつもと違いすぐに起きられません。
もう少し眠っていたいという気がしてしまったのです。
やはり最近ちょっと疲れているようです。

しかし、昨夜はかなり眠ったおかげで、少し考える気が起きてきました。
先日、読んだ松永さんの「発達障害に生まれて」という本の紹介記事を書きました。
なんだか十分に思いが書き切れていない気がしましたが、また放置するとそのままになりそうなので、いささか躊躇しながら、思い切ってフェイスブックにアップしました。
早速に著者の松永さんからコメントがありました。
「良質な書評を読むと、自分で気づいていなかったことに気づかされます。この本を作って(お母様との共同作業です)、本当に良かったです」とうれしいコメントでした。

つづけて思わぬ人からもコメントが届きました。
この本の主役の「母」、つまり松永さんのコメントにある「お母様」からです。
友達リクエストまで届きました。
おかげで、頭が元気になってきました。

その勢いで本をまた読み始めました。
20年以上前の「日本人はなぜ無宗教なのか」という新書です。
新書ですから、2~3時間で読み終えるでしょうが、ある本を読んで以来、この本が気になっていたのです。
というわけで、今日は読書デーになりそうです。
今日は雨なので孫も来ませんし、ユカも出かけて不在です。
昨日のように、いろんな相談が来なければ、読書三昧できそうです。
昨日は、いささか悩ましい3つの相談を電話とメールで受けました。
今日は携帯には出ないつもりです。

さてこれから読書に入ります。

■4029:久しぶりに畑に行ってきました(2018年9月17日)
節子
敬老の日だったので(私は忘れてましたが)、孫のにこが私に絵を持ってきてくれました。
象の絵だそうですが、私の目が老化したせいかどう見ても象には見えませんでした。
娘たちからは何のプレゼントもありませんでした。
まあ節子のいた頃と違い、私にはそういうことがあんまり関心がないので、それが最近のわが家の文化になってきています。

今日は1週間ぶりくらいに畑に行きました。
驚くほど野草がまた生い茂っていました。
蒔いておいた蕪は、芽が出ていたはずなのに、ほぼ全滅でした。
どうも虫に食べられたようです。
にんじんは順調に大きくなっていました。
今日は、キャベツと白菜と、忘れてしまいましたが、もう1種類買っておいた苗を植えてきました。
また庭で育てていた花の苗も植えてきました。
そういえば、季節外れのスイカは実が成っていて、7センチほどの大きさに育っていました。
花壇の百日草は賑やかに咲いていました。
切り花にして節子に供えました。

畑作業は結構面倒で、以前のようにともかく毎日の日課としておかないと行きたくなくなります。
それに最近夏の暑さの疲れが出てきたようで、どうも身体が思うように動きません。
困ったものです。

血圧対策の酢タマネギも、数日さぼっていたら、昨日は血圧がまた200を超えてしまいました。
昨日慌ててどっさり食べて、此れもまたさぼっていた脚の運動とか呼吸法をやったら、今日はなんとかまた少し下がっていました。
毎日同じことをやるというのはどうも私には向いていません。
しかし、もう少し生きていることにしたので、がんばって酢タマネギをはじめとした血圧対策活動を地道にやらねばいけません。
挽歌も気を抜くと、ついつい書き忘れてしまいます。

節子
生きつづけるのもそれなりに大変です。

■4030:四季朝夕の尋常の幸福(2018年9月18日)
節子
挽歌はやはり、朝起きてすぐに書かないと、ついつい忘れてしまうことがあります。
できるだけそうしようと思うのですが、なかなかそれを続けるのは難しいです。
私の場合、寝室の隣が私の部屋で、そこにパソコンがあります。
起きてすぐにそこに行って、パソコンチェックをすることから私の1日ははじまります。
これは節子がいた頃と同じです。
しかし、パソコンを開くと、思わぬメールが届いたりして、それで1日が変調してしまうこともあります。
寝坊してしまって、挽歌をかけないこともあれば、早く起きすぎて、後で書こうと思って結局書き忘れることもあります。
習慣化するということはなかなか難しい。

先日、阿満利麿さんの「日本人はなぜ無宗教なのか」という本を読みました。
とても共感できる本で、20年以上前の本なのに、古さを感じません。
私の思っていたことや私の生き方からは、とても共感できる内容でした。

そこに、「四季朝夕の尋常の幸福」という言葉が出てきました。
柳田国男の『山の人生』に出てくる言葉です。
柳田国男は、日本の民衆の「平凡」志向に共鳴していました。
そこにこそ、日本人の信仰心が現われていると考えていたのです。
いや、そこから日本人の信仰心が生まれてきたという方がいいでしょうか。
いずれにしろ、日本人の理想は「四季朝夕の尋常の幸福」にあったと柳田は考えています。
阿満さんは、そうした日常生活をなによりも尊重する考え方を「日常主義」と名付けています。

私は、頭ではそう思う一方、非日常に大きな価値を置いていました。
節子が発病して、節子との距離をより近いものにすることによって、日常主義が次第に身についてきました。
挽歌では何回も書いた気がしますが、再発後の節子の願いは、まさに「四季朝夕の尋常の幸福」でした。
朝晩に、そのことを念じながら、節子は誠実に一生懸命生きていた。
そしてたぶん、辛さのなかでも、それを感じていたと思いたい。
節子は、「四季朝夕の尋常の幸福」の大切さを、身を持って私に教えてくれたのです。

しかし、「尋常の幸福」とは何か。
それは愛する人や信頼できる人と共にあることかもしれません。
一人では生きていけない人にとって、共にいて心やすまる伴侶の存在は、それだけで幸福ですが、その伴侶がいなくなった時の「尋常の幸福」とは何でしょうか。
残念ながら、いまもって答えがわからない。
でも、おかげで私の信仰はしっかりとしたものになった気がします。
いまの私にとっては、この信仰心が尋常の幸せをもたらしてくれているのかもしれません。
節子に感謝しなければいけません。
さて、これから位牌に挨拶して、1日をはじめようと思います。
外もすっかり明るくなりました。
秋の空です。

■4031:孫には時々節子が見えるようです(2018年9月18日)
節子
にこは、わが家に来るとまず節子の位牌に挨拶をします。
ところが今日、位牌の前に節子がいると言い出しました。
そして「ありがとう」と言っているというのです。

にこは、以前から、時々、目が宙を浮いているようなことがあります。
私たちには見えないものが、まるで見えているようなのです。
もしかしたら、大人には見えない彼岸が子どもには見えるのかもしれません。
そういう話はよく聞きます。
いつかもう少し具体的に話を聞きたいものですが、具体的に話せるようになる頃には見えなくなってしまうという話もあります。
前世の記憶も、ほんのわずかな期間にのみ蘇って来るとも言われます。

孫は、生前の節子には会ったことがありません。
写真でしか知らないのですが、写真は結構見分けます。
私には見えないところで、孫が節子と会っているのであれば、それは実にうれしいことです。
いや、そうであってくれたら、どんなにか嬉しいことでしょう。
しかし残念ながら確かめようはありません。

私は娘たちとも友だち関係を目指していましたが、孫ともできればそうなりたいと思っています。
いまはなかなか「いい関係」です。
この子が大きくなるまで、一緒にいられないのが少しさびしいですが、今の節子のように、彼岸からでも付き合えるのであれば、それはそれでまた「いい関係」でしょう。

孫を見ていると、人間の本質が伝わってくるような気もします。
そして、「成長」の意味もなんとなく伝わってきます。
私たちの価値基準はすべて自己(現在)正当化のために間違っているように思えてなりません。
成長とは劣化のことではないか。
孫を見ていると、いつもそう思えてなりません。

■4032:久しぶりにSさんに会いました(2018年9月19日)
節子
久し振りに、節子も知っている東レ時代の先輩Sさんに会いました。
相変わらず忙しそうにしていました。
パイプはくわえていませんでしたが、もうやめたのでしょうか。
訊くのを忘れてしまいました。

Sさんはお元気だったころは時々湯島にも来てくれました。
節子と娘が香港に旅行に行くと言ったら、香港での食事の場所などを教えてやっていたのを思い出します。
たしかメモまでつくってきてくれた気がします。
私は、その旅行には行かなかったので、横で聞いていただけなのですが。

Sさんは、会社時代の私の理解者の一人でした。
私が起こしたプロジェクトにもいろいろとアドバイスや支援をしてくれました。
退社後、あるプロジェクトのリーダーになったのですが、そのプロジェクトにも私は社外から参加させてもらいました。
Sさんとの話し合いはいつも示唆に富むものでした。
そのSさんが体調を悪くされ、しばらく会えないと連絡してきたのは、突然のことでした。
そろそろ会いたいなと思って、連絡しようとしていた矢先に、訃報が届きました。
入院しているとは思ってもいませんでした。

それからもうどのくらいたつでしょうか。
そして昨日、久しぶりにSさんに会ったのです。
あいかわらず少しみんなとは距離をとって、ダンディな雰囲気を保っていました。
若者たちに囲まれていたのは、意外でしたが。
もちろんSさんと会ったのは、夢のなかです。

夢に時々出てくる死者がいます。
夢のなかでは、生者も死者も全く同じです。
いや、現世ではあったこともない見覚えのない人と現世で親しくしてもらっている人も、同じように出てきます。
夢が現世を超えているのは間違いありません。

もしSさんがいまも現世にいたとしても、そう頻繁に会っていたかどうかはわかりません。
現に、いまも現世で活躍している人とも時に夢で会います。
そう考えれば、現世での生死よりも、私の心身のなかでの生死のほうが意味を持っているのかもしれません。
そして、節子は間違いなく私のなかでは生きています。
Sさんもそうです。

不思議なことに、起きている時に思い出す人が何人かいますが、そう言う人はなぜか夢に出てこない。
その人は、ある時から突然湯島にも来なくなり、連絡が途絶えた人です。
いまも現世にいるのかどうかさえ分からない。

今朝も訃報が届いていました。
この歳になると、彼岸もとても近い存在に感じて、訃報も転居案内のように感じます。

■4033:尋常の幸福(2018年9月20日)
節子
昨日、畑でスイカを見つけました。
夏に食べたスイカの種をまいておいたのです。
まさか実が成るとは思ってもいませんでした。
なにしろ季節はずれなので、食べられるまでには成長しないでしょうが、とても端麗な姿のスイカです。
思わず写真に撮ってしまいました。

久し振りの畑作業を終えて、帰ろうとしたら、道沿いの花壇を見ている人がいました。
近くのMさんでした。
彼女も少し離れたところの貸農園で野菜を育てているのだそうです。
道沿いの花壇を見て、満開ですねと言ってくれました。
Mさんとは家が少し離れているので、会うと軽く挨拶するくらいのお付き合いです。
節子もそうだったのだろうと思っていました。
しかし、Mさんから節子の話が出ました。
生前に畑の話が出たのだそうです。
まさか節子が、自治会の班も違うMさんと付き合いがあったとは思ってもいませんでした。
私はMさんと話すのは初めてです。
思わぬところで、節子の話になりました。
Mさんは、私の孫のことも知っていて、いろいろと話してくれました。
私が、孫と同居していると思っていたようですが。

ちょっとした日常生活の中で、節子が出てくる。
これもまた、「尋常の幸福」の一つかもしれません。

■4034:季節が急に変わりました(2018年9月21日)
節子
一挙に温度が下がり、しかも雨の朝です。
最近また気分的に少し低調です。

今ごろ気づくのも遅すぎますが、どうもやはり精神的にはいまだに不安定なサイクルを繰り返しているのかもしれません。
一度、崩れた安定は、やはりなかなか回復しません。
特に、今朝のように、急な季節の変わり目の雨の日は、元気が出ません。
今日は友人のお見舞いに行くのですが、結果的には私がまた「見舞われる」ことになりそうです。
雨なので、予定は延期ということはよくあることですが、お見舞いはそういうわけにはいきません。

畑はまたしばらくいけそうもありません。
せっかく再開と決めたところなのですが。
新たに植えつけた苗も心配ですが、それ以上に野草が元気づいて、せっかくの畑がまた侵食されるのが気になります。
それに先日見つけたスイカは、成長を止めてしまうでしょう。

異常気象による豪雨などにも関わらず、季節はきちんとルール通りに変化します。
大筋では何も変わっていない。
まあ当然のことですが、変わらない大きな基調とその周辺で起こる乱調の組み合わせが、自然の姿なのでしょう。
しかし、最近の自然は、ドラマティックです。
そこに「怒り」を感じます。
それに対して、私の人生は、基調も乱調も、いずれも多様性の少ない地味な単調さで、ドラマがありません。
しかし、単調さにもそれなりの安定があるといいのですが、どうもそれになかなかたどり着けない。

たぶん、人の死は、平安のなかで訪れるのではないかという気が最近してきています。
思い出せば、節子もそうだったように思います。
現世への未練や怨念が、もしかしたら、その平安を邪魔するかもしれません。
なかなかまだ、平安にはたどり着けません。

雨の日は、思うことが多いです。

■4035:うなぎの元気が1日にして消滅しました(2018年9月22日)
節子
昨日は大森に行ってきました。
私が生まれたところであり、小学校時代の後半を過ごしたところです。
小学校時代の友人に会いました。
彼は独り住まいです。
そしていま、がんを患っています。
発見が早かったのと手術もうまくいったので、今は元気なのですが、治療はつづけています。
先日、電話でちょっと心配なことを聞いたので、会いに言ったのです。
どうも杞憂だったようで、ほっとしました。
私よりも元気そうでした。

いつもながらいろいろと話しました。
お見舞いに行ったのに、うなぎとコーヒーをご馳走になりました。
彼は私に生き方に、いまは共感してくれています。
お前の生き方はわからないと言われたこともありますし、いまも時々、もっと違った生き方があっただろうにと言われますが、基本的にはいまの生き方も、それなりに評価してくれるようになってきています。
人は、世間から評価されなくとも、身近な人にわかってもらえれば、それで十分なのです。

彼も私も昔話は好きではありませんが、うなぎに関連して、昔は大森海岸でもうなぎがよく獲れたという話になりました。
小学校からの帰り道に、いつも道端で、うなぎをさばいて販売している人がいました。
彼のお店のすぐ近くでした。
私も時々、帰り道にそれを見ていた記憶があります。
誰かが買ったのを見た記憶はありませんが、その頃うなぎを食べた記憶もありません。
私は記憶力がよくないので、断片的なシーンを映像的には思い出せるのですが、つながった生活としての記憶が乏しいのです。
しかし、鮮明に思い出せる断片的な記憶や誰かの一言もあります。
うなぎはそのシーンの一つです。

生きたうなぎをさばくところを見てしまうと、私は昔ならうなぎは食べられなかったでしょうが、いまは何の抵抗もなくなっています。
もっとも、うな重にのってくるうなぎにもし顔がついていたら、いまもダメかもしれません。
幸いに、うな重には頭はついてこないうえに、開かれているので、うなぎの形態を感じさせないので、安心して食べられるのです。

うなぎを食べたので、少し元気が出てきました。
しあし、帰宅して、ビデオに録画していた番組を見ようと思ったら、なんとレコーダーが壊れてしまっていました。
録画していた番組がみんなダメになってしまったかもしれません。
昨日は家のシャッターが動かなくて苦労しましたが、またいろんなものが壊れだしました。
形あるものは必ず壊れます。
命あるものが必ず死ぬように。
気分が暗い時には、周辺の物も、同調して壊れてしまうような気がして、うなぎからもらった元気が消えてしまったような気がします。
それで早目に寝てしまいましたが、夢でも大変なことに巻き込まれて、疲れてしまいました。
今朝も眠いです。

■4036:今年も彼岸花が咲きました(2018年9月23日)
節子
今年も庭の彼岸花がたくさん咲きました。
夏の暑さが終わり、気温が下がると咲きだすのだそうです。
昨日、お墓に行きましたが、墓地やお墓にも咲いていました。

わが家の彼岸花には、あまりいい思い出はありません。
節子の治療のために、彼岸花の球根が必要になり、漢方医で球根を買ってきました。
そこには大きな袋入りしかありませんでした。
残念ながら、その治療はあまりつづけられずに、結局、半分以上の球根が残ってしまいました。
それで節子を見送った後、庭に植えたのです。
私の記憶では、一か所に植えた気がしますが、なぜか最近、2か所で花を咲かすようになりました。
彼岸花は球根なので、種子のように簡単には広がりませんので、もしかしたら私が2か所に植えていたのかもしれません。
しかし、昨日、お墓に行く前に、供花を摘みに畑に行ったのですが、畑にもなぜか彼岸花が1輪咲いていました。
あり得ない気がしますが、節子が広げているのでしょうか。

涼しくなったので、お墓の花も生花にしました。
毎年、秋のお彼岸に造花から生花に切り替えます。
お彼岸なので、いつもはちょっと豪華に花を供えるのですが、今年は畑の百日草とニラの花と紫色のシランにしました。
百日草はいろんな色がありますので、それでも結構にぎやかです。

わが家のお墓の隣はまだ空き地ですが、そこにシュウメイギクが咲いています。
これを一輪もらおうとしたら、一緒に行ったユカから勝手に切ったらダメだと言われました。
世の中にあるものは、すべてみんなのものと考えたい気もしますが、いまの社会ではそれは許されないのでしょう。

墓地では、お墓がお隣さんでもお付き合いはなかなか生まれません。
お参りで隣り通しお会いすることがほとんどないからです。
私の場合は、少し離れたところの遺族とはお会いしたことがありますが、お隣さんとは一度もお会いしたことはありません。
考えてみるとこれも少しさびしい話です。
お墓に移転しても、そこで付き合いが始まってもいい気がします。

わが家のお墓の少し離れたところに、節子の友人の家のお墓があります。
節子の友人は、お墓に来るたびに、節子のいるお墓にもお線香を一本あげてくれています。
その話を聞いた時、私もお返しをしようと思ったこともありますが、お墓にいる人はまったく知りませんし、節子の友人とも葬儀の時にご挨拶しただけなので、結局、勝手にお参りもできないなとやめていますが、そのお墓の前を通る時だけは軽く会釈をするようにしています。

お墓や墓地のありようは考え直す時期に来ているのかもしれません。
なにしろ私もいつかここに転居するのですから。

■4037:私もだんだん壊れだしているようです(2018年9月24日)
節子
次々とまたいろんなものが壊れだしてきて、いささか滅入っています。
壊れものの一つは、「私自身」です。

昨日、宗教をテーマにしたサロンをやりました。
予想以上の参加者だったので、私は場所もずらして外れたところで聴いていたのですが、なぜか話題提供者の高林さんの言葉を受け止めてしまい、無意味な無駄話をしたのを皮切りに、なにやらたくさん発言してしまいました。
自宅に帰ってから、自己嫌悪感に襲われてしまい、それが朝になっても回復できずに、今日は元気がない1日でした。

節子がまだサロンに参加してくれていた頃、帰りの電車で時々注意されていました。
話しすぎだというのに加えて、相手に対して失礼がある発言が多いと言われていたのです。
それでだいぶ注意するようになりましたが、節子がいなくなってから、また昔に戻りだし、最近は節子がいたら「退場」と言われそうなことがよくあります。

昨夜はサロン終了後、数名と一緒に帰ったのですが、その内の2人から「佐藤さんは煽りますね」と言われました。
むかし講演などではそう言われてことがありますが、サロンで言われたのは初めてです。
最初はピンと来なくて、「煽るってどういうこと」と聞き返しましたが、考えてみれば、納得できます。
ついつい「良い煽り」と「悪い煽り」があるのではないかと言いたかったのですが、やめました。
そういう言い訳こそが、潔くないですから。

いずれにしろ今回はちょっと話しすぎました。
大いに反省です。
もう少し賢くならなければいけません。
愚かさはいつになっても直らないどころか、ますます愚かさ丸出しになってきているようです。
困ったものです。

■4038:ポーチ(2018年9月25日)
節子
23日のサロンのことで、だんだん落ち込みだしてきています。
今日もまだ回復できません。
報告はまったく書けません。
挽歌も書く気になれませんでした。

今日は湯島に行きました。
雨でしたが、最近なじんでしまったサンダルでの通勤です。
これは始めたらやめられません。
実に楽なのです。
私はともかく身心が拘束されるのが好きではありません。
靴下をはかないというだけで、幸せな気分です。
裸足に400円のサンダル。
実にいいのです。

最近、かばんもやめました。
何を使っているかと言えば、これが驚くことに野路さんが作ってくれた、ポーチなのです。
まさか使うとは思ってもいなかったのですが、サンダルにバッグやリュックでは落ち着きません。
それで、ポーチになったわけです。
節子がなくなった後、節子の友人の野路さんが節子の洋服を材料にして、いつも一緒にいられるようにと、私と娘たちに裂き織りでバッグやポーチをつくってくれたのです。
そういうポーチですから、大事にしています。
それに使ってみるととても便利なのです。

そんなわけで、最近はサンダルとポーチで、だいたいどこにも行くようにしています。
そのせいか、ますますだらしない生活になってきました。
もう少し緊張感があったほうがいいかなと思うこともありますが、サンダルでは緊張感が出ようはずもありません。
困ったものです。

■4039:(2018年9月26日)
節子
最近、身の回りのものが連続して壊れだしています。
まるで私への反乱が起きているようです。
社会の壊れも気になりますが、身の回りの壊れはすぐに生活に影響するので、どうしてもそちらに目が行っています。
困ったものです。

はじまりは、家のシャッターでした。
電動なので壊れると開かないのです。
シャッターが開かないと部屋は1日中暗いままです。
シャッターを蹴飛ばしたら、開いたので、もう閉めないことにしました。

次に畑にひいていた水道ホースが壊れました。
畑に水をやるためにバケツで運ばなければいけません。
次にDVDレコーダーがダビングできなくなりました。
ある番組をダビングして、ある集まりに使いたかったのにできなくなってしまいました。
その上、目いっぱい録画してあるものがすべて取り出せなくなってしまいました。

昨日、オフィスに行ったら具合が悪かったパソコンがついに壊れてしまったようです。
だましだまし使っていたのですが、ネットまで不調になりました。

一番の「壊れ」は、私自身です。
先日のサロンの時に、もしかしたらすでに壊れだしていたのですが、それ以来ちょっと思考が止まってしまいました。
久し振りにかなり滅入っています。
身体の壊れもかなり来ています。
アリナミンを飲んでいますが、効果が現われません。

社会が壊れる前に、自分が壊れそうです。
いやすべては同期しているのかもしれません。

なにから直すべきか。
答は明確です。
社会の壊れを直すのが一番最初でしょう。
なにしろ私は、この社会の中で生きているのですから。
水がなくなったら魚は生きていけません。
でもまあ、節子がいなくなっても生きているので、もしかしたら社会が壊れても大丈夫かも知れません。
まずは、自分の心の壊れから手をつけるのがよさそうです。

昨日、貴乃花が相撲協会に引退届を出しました。
貴乃花もきっと壊れだしてしまったのでしょう。
だれか周囲の人がちょっと本気で手を貸せばよかったのでしょうが。

■4040:1冊の本に引き込まれてしまっています(2018年9月27日)
節子
最近、ちょっとまた1冊の本に引きずり込まれています。
身心の疲れはそれが原因かもしれません。
その本は、岡和田晃さんという人の書いた「反ヘイト・反新自由主義の批評精神」という文芸批評の本です。
もう1週間ほど、時間の合間に読んでいますが、いつもの本のように読み進めなく、苦闘しています。
正直、ほとんど理解できないのですが、そこに何か自分が遠ざけてきた世界を感ずるのです。
今朝、5時頃目が覚めて、どうにも気になりだして、読み始めてしまいました。
やはりなかなか理解できない。
それもそのはずで、この本は文芸作品の書評を軸に書かれているのです。
その対象になっている本を読んでいないのですから、わかるはずもない。
しかし、そこから伝わってくる著者の気持に魅かれるのです。
なぜかわかりませんが、とても大切なメッセージさえ感じます。

著者の岡和田さんはまだ40歳に達していない、私から見れば若者です。
彼とは一度だけ会いました。
湯島で、アナログゲームの体験会をやった時に、彼がゲームマスターをやってくれたのです。
そしてその後、「アイヌ民族否定論に抗する」という自著を送ってきてくれました。
この本はとても面白く、ぜひほかの人にも紹介したくて、ホームページにも紹介文を書こうと思っていたのですが、その直後、時々起こる「時間破産」と「厭世観」におそわれて、まだ書けていません。
その負い目もあって、多分最近の私は絶対に手を取らない本書を読む気になったのです。
読みだして、これはやはり私の読む本ではないと思ったのですが、その一方で、不思議な引力に引き込まれるように、ぱらぱらと読みだして、まさに虜になってしまったわけです。
そして自分の考え違いにも気づかされたのです。
「批評精神」を維持することの難しさと、しかしそれに取り組んでいる人がこんなにもいるのかということにも気づかされました。
新聞などの批評欄は退屈で、最近は読む気にさえならないのですが、そうした商業主義ではない世界は今もあることも気づかせてもらいました。
いや一番の反省は、文学の捉え方で、この30年、創作された小説や文芸を読んでこなかったことです。

あまり理解できないまま、時々、短い詩的に共感しながら、1週間かかって、ようやく300頁を読み終え、残すは第2部の100頁です。
もっともここは、本書のなかでも私には一番遠い世界なので、読み進めるのは難しいかもしれません。
こんなに読みつかれたのは、久しぶりです。
少なくとも、この10年はありませんでした。

今回岡和田さんの本に魅かれているのは、彼の生命の躍動感が伝わってくるからです。
私が行けなかった世界を、彼は生き生きと楽しんでいる
残りは100頁ですが、もう1週間くらいはかかりそうです。
ほんとはもう手放したいのですが、なぜかこの本は最後まで読まなければいけない気がしています。
ほとんど理解できないのに、どうしてこうも惹かれるのでしょうか。
きっとそこに何か、とても大切なものがあるのでしょう。

■4041:幼なじみの関係は不思議です(2018年9月28日)
節子
昨日は小学校時代の同級生のミニサロンでした。
男性陣は2人も病院通いで急きょ欠席で、私を含めて参加者は2人。
女性陣は新たな参加者も含めて4人。
女性はいつもみんな元気です。
話も男性たちと違い前向きです。
ですからどちらかと言えば、私は女性たちと話す方が明るい気分になります。
しかし、なぜか男性はそうも思っていないようで、男性だけで会うような集まりも企画してほしいと言われています。
面倒な話です。

昨日の新しい参加者は、名前は記憶していますが、顔が思い出せませんでした。
もう60年以上も会っていないのですから、お互いに道で会ってもわからないでしょう。
話しているうちに少しずつ思い出してきましたが。

いつも思うのですが、女性と男性では話題が違います。
男たちは会社(仕事)を辞めてしまうともう話題がなくなるのかもしれません。
病気の話が、ともかく多い。
それに比べて女性たちは、生活がしっかりあるのでしょうか、昔話よりもいまの話が多い。
子どもや孫の話も盛んですが、それはいずれも未来を向いている。
男性たちは過去に生き、女性たちは前を向いている。
そんな気がします。
女性たちが長生きするのもよくわかります。

私たち小学時代の同級生は、卒業後、「ぽんゆう会」というゆるやかなネットワークで、夏にキャンプに行ったり、新聞や小冊子を創ったりしていました。
ですから今もそれなりに仲がいいのです。
しかし、とても残念なのは、亡くなってしまった同級生も少なくないのです。

この集まりは隔月で開催しています。
参加した男性の一人は、「癒しのサロン」だといつも喜んでいます。
女性たちは、このサロンで世界が少し広がったと言ってくれている人もいます。
集まって何をするでもありません。
いつも女性たちが、おにぎりやおかずや果物やお菓子を持ってくる。
私はコーヒーを淹れるだけです。
何を話すでもないのですが、すぐに4~5時間たってしまう。
幼なじみの関係は、不思議なものです。

次回は湯島ではなく、少し遠出をすることになりました。
これもたぶん女性中心になるでしょう。
女性たちには勝てません。
今でも相変わらず、私は「おさむくん」と、子ども扱いされています。

■4042:ひねくれた子供(2018年9月29日)
節子
恒例の友人知人が多いからか、毎日のように入院やら訃報やら、あんまり楽しくない話が入ってきます。
他人事ではなく、私自身、いつその当事者になるかわかりません。
自分のことは、なかなかわからないものなのです。

昨日ようやく苦戦しながら読んでいた「反ヘイト・反自由主義の批評精神」を読み終えました。
しっかり消化できたとはとても思えませんが、頭が少し若返ったような気がします。
50年前の私を、少しだけ思い出したという程度の意味ですが。
著者の岡和田さんには、一度しか会っていませんし、この本に書かれているような話は一切していませんが、なにか伝わるものがあって、この本を読まなくてはならないという思いが生まれて来ていたのです。
世界がちょっとまた広がりました。

本の内容はともかく、私にも若い時代があったことを思い出したのですが、それは今はまさに若くないことの気づきでもあります。
あまりにも当然のことですが、自分の気持の成長や劣化は、なかなか気づきにくいものです。
少しは気づかなければいけません。

昨日、久しぶりに山口のKさんから電話がありました。
Kさんには節子も一度、山口で会っています。
湯島でも会っているかもしれません。
電話の後、メールが来ました。

先ほどは、突然の電話訪問、失礼しました。
いつも佐藤さんと電話でお話しさせて貰うと、大変に愉しいです。

幸いにまだ人を愉しませることもできるようです。
しかし、逆に私に電話をかけてきて、怒りだす人もいます。
Kさんのいう「愉しい」も、いろんな意味があるかもしれません。
昨日も電話で、Kさんがある意見を言ったので私は賛成できないとこれまた余計なひと言を言ってしまいました。
どうもなかなか大人になれません。
大人になれないままに、しかし、気持ちや考えが変化するというのは、あんまり良いことではないでしょう。
ひねくれた子供にならないように注意しなければいけません。
素直な子供として、死を迎えたいですから。

また台風が来るそうです。
明日のサロンはやめた方がいいかもしれません。
台風のなかを出かけるのは、本当は少し好きなのですが。

■4043:私は自然に愛されています(2018年9月30日)
節子
大型台風が九州に近づいている影響もあってか、我孫子でも朝から雨が降っています。
午後からは風も強くなってくるようです。
午後に予定していた湯島のサロンは延期しました。
台風の影響でのサロンの延期は、今年は2回目です。
台風が来れば、むしろそれに向かって出かけていた昔とは大違いです。

雨は、時に生命を癒し育て、時に生命を萎えさせ抑えます。
同じ自然も、その時の自分の状況によって、意味が全く違ってきます。
しかし、自然の影響に左右されるのが、生命です。
私は、それを大切にしています。
自然の呼びかけには精いっぱい応え、その意にできるだけ従うようにしています。
今日の雨は、どうも私には実に悲しく寂しい雨です。
無性に悲しい。
なぜでしょうか

昨日、一度しか会ったことのない女性からメールが来ました。
先日開催した「宗教」をテーマにしたサロンの報告の記事を読んで、話しかけたくなったようです。
こんな文章がありました。

私は毎週教会にいっている一応クリスチャンです。
しかし信仰を持っているということを言うのに勇気がいりますし、隠しているわけではないですが、あまり人に言いたくない気持ちです。
なるべく言わないようにしている、と言ってもいいかもしれません。
言いにくい雰囲気があるのか、言った時の周りの反応が怖いのか‥自分にとっての信仰をいろいろ考えているところです。

この人にとって、「信仰」とはなんなのか。
他者に語りたくない「信仰」とはなんなのか。
一度、お聞きしたくなりました。

宗教や信仰を、なぜあっけらかんと語れないのか。
隠れキリシタンや隠れ仏教徒の歴史が、いまなお日本人の社会には影を落としているのかもしれません。
いや明治政府による、内心の信仰を個人の内部に抑え込む政策が功を奏したからかもしれません。
それによって、日本人はバラバラの存在になってしまった。
しかし、信仰のない人を、私は信頼できません。
信仰とは、自らが生きていく上での基軸ではないかと思います。
もちろん、信仰の対象はキリストやムハンマドやブッダである必要はありません。
むしろ彼らが進行したものこそが、信仰の対象でなければいけない。
それは、私には自然であり、自然の向こうにあるものです。
ですから、自然の摂理に身を任すことが、私の信仰の基軸です。

ですから、台風は私にはとても大きな意味を持っています。
最近の「異常気象」もそうですが、そうしたことを通して、自然は私に生き方を問うてきているとさえ思えるのです。
「防災」という発想には、どうしてもなじめません。
できるならば、私は自然と共にありたい。
そうすれば、自然が禍を起こすことなどあり得ない。
そう確信しています。
ですから防災グッズはわが家にはありません。
誤解されそうないい方ですが、それで誰かに迷惑をかけるような生き方をするつもりはありませんし、そうはならない心がけはしていますが。

ところで、今日の悲しさの気分ですが、これはたぶん最近陥っている「厭世観」のためでしょう。
だんだん人間がいなくなって、生きているリアリティがだんだん希薄になってきているのです。
しかし、訃報や入院の話は同じように届きます。
今日も知人の告別式ですが、参列する元気が出ません。
人に会うのが、少し疲れているのかもしれません。

寂しくて、哀しくて、そんな1日になりそうです。
しかし夕方には風が強まるそうです。
風が出てくるとまた気分は変わるでしょう。

私は、自然に愛されています。

■4044:秋の畑はなぜかさびしい(2018年10月2日)
節子
もう10月です。
昨日は台風一過で、都内もきれいな青空でしたが、今日もさわやかな青空です。
吸い込まれるほどの碧過ぎもせず、心やすまる青さでした。
久し振りに畑作業をしました。
台風で畑はもうめちゃくちゃになっていました。
育ちだしたニンジンやキャベツなども危うい状況です。
小さく実っていたスイカモチベーションやはり傷みだしていました。
百日草もほとんどがたおれていました。
畑のなかに育っていた、なまえのしらない樹が折れていました。
風の強さがわかります。
これだけの被害でも、元気を失うのですから、農家の方の脱落感はすごいのでしょう。
久し振りだったのと土がぐちゃぐちゃだったので、ほどほどで帰ってきました。
開墾の時は、やみくもに野草を刈り取ればよかったのですが、今度はそう簡単ではありません。
いささか気が重いです。

気が重いのは、台風被害のせいだけではありません。
秋という季節も影響しています。
秋の畑は、なぜかさびしい。
バッタともあまり出合えませんし、暑さで汗をかくこともない。
熱中症で倒れるかもしれないという楽しみもない。
それに野菜も野草も、あんまり元気がない。
気のせいかもしれませんが、野草もあまり攻撃的ではありません。
これではまったく面白くない。

まあ、そんなわけで、今日は1時間も畑にいませんでした。
畑作業は、やはり暑い夏こそふさわしいです。
秋の畑は、なぜかとてもさびしいです。

■4045:人はみなそれぞれに違った「病」をもっている(2018年10月3日)
節子
抗がん剤治療をしている友人が、副作用もあって、どうしようか迷っています。
昨日も電話でいろいろと話しました。
私自身は、節子との体験から、抗がん剤治療には疑問を持っています。
だからといって否定することはできません。
自分の場合はたぶん抗がん剤治療は受けないでしょうが。

がんの免疫治療のオプジーボを開発した本庶佑さんが今年のノーベル賞の受賞者に決まりました。
そのニュースがマスコミをにぎわしているので、彼も免疫療法に大きな期待を持っているようです。
これもまたいろいろと思うことがあります。
しかし、当の患者としては、大きな期待を持つことは間違いありません。
これも心当たりがあります。
がんは、実に悩ましいものです。

病気は言うまでもなく「生命現象」です。
ですから、その人の心の持ちようや考え方によって、大きく影響されます。
ある意味では、病気とは心の持ちようで変化させられるはずです。
心が病んで身体が病むということもあるでしょう。
その逆ももちろんあります。
そもそも「病気」という表現に「気」という文字が入っていますから、基本は「気」なのだろうと思います。
身体的な傷みに心が折れることは、私もないわけではありません。
しかし、私は大切なのは「気」だと思っています。
高血圧も風邪も、ですから私は心で治そうと、それなりに心がけています。

節子の時もそうでした。
ですから最後の最後まで、治ると確信していました。
今となってはそれが少し悔いになっていますが、その反面、よかったとも思っています。
最後まで、節子とは「病気の節子」としてではなく「健全な節子」として付き合えたからです。
人は誰もが歳をとると老化します。
それを病気として捉えるのは、私には残念な気がします。
私は「老人」という言葉も嫌いではありません。
人が老化するのは、健全なことです。
病気になるのも、ある意味では健全なのかもしれません。
そんな気が、最近してきています。

言い方を変えるとこうなります。
人はみなそれぞれに違った「障害」をもっているように、それぞれに違った「病」を持っているが、それこそが「健全な人間」なのだ。

■4046:「気」は放さなければいけません(2018年10月3日)
節子
いつものことではあるのですが、前の挽歌は、書きだす時に思っていたことと違ったことを書いてしまいました。
それで、いま挽歌の番号が2つほど遅れているので、もう一つ書くことにします。
病気治しの話です。

友人ががんになって、いまいろいろと悩んでいると書きました。
時々、電話したり会ったりしていますが、彼の一番の問題は、自らの思いをそれとなく解き放す場が少ないということではないかという気がします。
「がん」を宣告されると、その言葉が心を覆ってしまい、頭から離れなくなりかねません。
その友人は、家族がなく、独りで生活しています。
友人や知り合いは多いでしょうが、そうむやみに自分のがんの話はできません。
それに話をしたら、心配してくれて、いろいろとアドバイスや治療の紹介をしてくれる人も出てきます。
それがまた「うざったく」なってしまうこともあるのです。
心が定まっていないと、わらをもつかむ心境で、いろいろと試みたくなります。
私もそうでした。
そして疲れてしまう。

しかし自分の頭のなかだけで考えていると、悪い方向に考えが向いていき、逆に気が萎えていく可能性が強いような気がします。
これは病気に限ったことではありません。
いろんな問題に関しても言えますが、独りで考えていて、いい解決方向に向かう可能性は少ないような気がします。
自らの考えに、風穴を開けてくれるような、あるいは考えすぎて判断ミスを犯さないように立ち止まらせてくれるような、そんなことが必要です。
別に問いかけに答えてくれなくともよい。
アドバイスなどしてくれなくてもいい。
ただただ素直に話を聴いてくれて、相槌をうち、一緒に心配してくれる人がいるだけで、どれほど心強いことか。
私は、自らの体験からそう思っています。

自らのなかにある「気」を放し、離していくこと。
それこそが病気の人にとって大切なことかもしれません。
「グリーフケア」とは違いますが、どこか通ずるところがある。
しかしまた、「がん患者の集い」とは違うような気もする。

「気」は放さなければいけません。
湯島ではそういうことにも少し心がけています。
湯島に来れば、気が放しやすい。
そんな場所にできればと思っています。
節子から教えてもらったことの一つです。

■4047:20年ぶりの再会(2018年10月4日)
節子
もう20年ほど前、宮城大学の教授だった半田さんの企画した特別授業に時々参加していました。
半田さんが、そこで立ち上げた日本構想学会の関係も会って、時々宮城大学にも行っていました。
その頃、まだ大学に入ったばかりの学生たちとの交流はいろんな気付きを与えてくれましたが、その時の一人の端田さんが、湯島に立ち寄ってくれました。
あの頃と変わっていないと感じました。
もちろんもう20年も経ちますから、変わっていないはずはないのですが、心は変わっていない。
ですから20年前にすぐに戻れました。

いまは仙台で仕事をしていますが、時々東京に来るそうです。
箸田さんが学生だったことの仲間の話もいろいろと出ました。
彼らの学生生活は、私にはいささかうらやましいほど恵まれていたような気がしますが、半田さんの影響もいろいろとあったはずです。
半田さんも含めて、またみんなで会いたい気がしました。

いまから思うと、あの頃は世界がまだ生き生きしていました。
とても懐かしく、楽しい時代でした。
しかし、過去を懐かしむようになるとは、私も老いたものです。

次の来客があったので、ゆっくり話せませんでしたが、またきっと会えるでしょう。
若い人と会うと、私も同世代になった気分になって、新しい課題に取り組みたくなります。
この数日疲れ切っていたのですが、ちょっと元気が戻りました。

■4048:神の助力は必要か(2018年10月8日)
節子
4世紀のローマの異端のキリスト教徒ペラギウスは、人間が神の助力を受けることなしに善を行い完全な存在になることができる、と主張したそうです。
正確に言えば、そう言う考えだったから、「異端」とされているわけですが、彼が人は神によって完全に創られたと考えたのは、神への信仰が強かったからにほかなりません。
神が不完全な者を創りだすと考えるのは、神を信じていないことにつながるはずです。
私もどちらかといえば、そうですが、そこに悩ましい問題がある。

しかし、問題は「完全」とは何かということなのかもしれません。
言語矛盾ですが、欠陥もまた「完全」の要素の一つかもしれない。
そんな気がしてきています。
人生もまた、完全な人生などあるはずもない。
でも「お天道様の世界」は、きっと完全でしょう。
そして私は、その世界の一部ですから、完全の一部として、完全な存在なのです。
ややこしい話ですみません。

この2日間、ちょっとまたサロンに深入りしすぎて、思考力が枯れてしまい、挽歌を書く気力まで失っていました。
同じような繰り返しをどうしてもしてしまう。
適度ということがなかなかできないのです。
困ったものです。

私は、ペラギウスのように考え抜いた結果ではありませんが、「人間が神の助力を受けることなしに善を行い完全な存在になることができる」ということは、共感できます。
昨日、サロンの合間に4人で食事をしながら、性善か性悪かの話になりました。
この世に、性悪のものなどあるはずがない。
しかし残念ながら誰にも賛成してもらえませんでした。
善か悪か。
そもそもこの問い自体が、間違っているのでしょう。
悪もまた、大きな世界にとっては善なのだろうと思います。
存在するものには、すべて意味がある。

それにしても、人の心は弱い者です。
まあ私の場合は、どうも意志も弱いのですが。
「やれない」のには、意味がある、とすぐに言い訳を見つけてしまう。
しかし、その1日が終わりそうになると、やらなかったことで、罪悪感におそわれてしまう。
最近、やるべきことがどうもできないのです。
やはり「神の助け」は必要なのでしょうか。
そんなはずはないはずなのですが。

■4049:善い人は神さまはきちんと助けてくれる(2018年10月10日)
節子
また挽歌をさぼってしまっています。
人生はなかなかうまくいきません。
すっきりしない日が続いています。
もちろんうれしい話もあります。

一昨日、何とはなしに湯島に相談に来た人がいます。
ちょっと遠いところに住んでいるので、東京に出てくるたびに時間調整しているのですが、なかなか合わず、ようやく会えたのです。
彼女はいつも何か食べ物や飲み物を持ってきます。
それも必ず3人分です。
そして私と2人でそれを食べて、余った一つを置いていくのです。
彼女は経済的には私よりも厳しい状況にあり、しかも11月中にいま住んでいる家を退去しなければいけないほど追いつめられているはずですが、まったくめげていません。
ですから持ってくるものもお金がない時は食べかけのチョコレートだったりします。
でもいつも何か持ってくるのです。
いまお金があれば、ポンと彼女に提供したいところですが、節子が残したお金は全部なくなってしまいましたので、そういうわけにもいきません。
ですから何の役にも立てず、せいぜいが雑談相手になれるくらいです。
でもまあ雑談しながら頭を整理するお手伝いはできるかもしれません。

彼女にとっての選択肢は、今3つです。
しかしいずれもよほどの幸運がなければ11月には間に合いません。
でもまあ、彼女はめげる様子もなく、帰っていきました。
しかも、何かお手伝いすることがあればやりますとさえ言いながら。
私が言ったのではなく、彼女が言ったのです。
念のため。
もちろん彼女は手伝ったからと言って、対価などは全く考えていない人です。
彼女もまた、私と同じでお天道様に守られているのです。

ところがです。
私と会って帰宅した夜から、事態がどんどんいい方向に動き出したのだそうです。
思ってもいなかったことです。
2人で話して、理想的な選択肢だと合意した方向に、まわりが動き出したのです。
その動きは翌日も続いて、なにやら11月以降ホームレスになるどころか、彼女のビジョン通りに動き出しそうあのです。
善い人は神さまはきちんと助けてくれるのです。

彼女はいいとして、私もきちんとお天道様に従って、それなりに「善い生」を過ごしているつもりですが、あんまりいいことが最近ありません。
それどころか、小さなことではありますが、心にひっかかることが周りで頻発していて、憂鬱なことが多いのです。
でもまあ彼女のことを知って、もうじき私にも光がまわってくるだろうと思いながら、今日は溜まっていた宿題をこなし始めました。

だんだん勢いがついてきたところに、電話がかかってきました。
昨日から何回も電話してもかからなかった人からです。
それもちょっと気が萎えていることだったのですが、電話に出た途端に、一方的に思いもかけない言葉が飛び込んできました。
それも、なにやら怒っているのです。
よく聞くとどうも「八つ当たり」なのです。
かなり興奮していて、私までもが理由もなく怒られてしまいました。
その人は、この2か月ほど、私どころではない「不運」に見舞われていたのです。
私と同世代の人ですが、多分八つ当たりする人がいなかったのでしょう。
せっかく調子が出そうだったのに、八つ当たりを受けて、ちょっと気が抜けてしまいました。
私が抱えている宿題の内の4つが、その人に直接間接に関わっていることだからです。
昔の私なら、「はい、さようなら」となったかもしれませんが、最近の私は成長したので、最後に「八つ当たりしたくなったらいつでも受けますよ」といいました。
もちろん皮肉などではありません。
素直にそう思っているからです。
怒りのやり場のない人の八つ当たりは誰かが受けないといけません。

人生はうまくいかないものです。
だからこそ、人生は豊かなのですが。
でも疲れます。
最近は毎日栄養ドリンク剤を飲んでいますが、一向に疲れが抜けません。
困ったものです。

■4050:信条のジレンマ(2018年10月16日)
また挽歌が書けなくなりました。
時間破産を理由にしていますが、もちろんそんなのは口実です。
私の体験では、時間がないと言っている人ほど時間があります。
これまで「忙しい」と言っている人で、時間がない人に会ったことはありません。
「忙しい」とは「心を亡くすこと」と言われますが、ないのは時間ではなく意志なのです。
私もこの1週間、挽歌を書く意志がどこかに行ってしまっていました。
いや「意志」というと、これもまた不正確です。
書こうと思う意志はあるのですが、書く意志が起きてこない。
まあ節子は、こういう私をよく知っているので、仕方ないかと赦してくれているでしょう。

この1週間、無駄な時間の使い方をしています。
湯島に行かなくてもいいので、わざわざ友人を呼びだして、それらしいミーティングをしたり、読まなくてもいい本を探し出してきて読み直してみたり、まあ暇をつくらないようにしていますが、いずれも自分で創りだしている用事なのです。
そのくせ、1か月までにやっておかなければいけない宿題は放置しています。
その気になれば30分もあればできることです。
やらなければ約束を破ったことになり、私の信条に反しますが、やろうという気が起きないのですから仕方がありません。
困ったものですが、やる気が起こらないのにやるのは、これもまた信条に反します。
信条には優先順序をつけておかないと、こういうジレンマが起きますが、優先順序をつけることもまた、私の信条に反しかねないのでややこしいのです。

今日は1日、何もしないで過ごしました。
何もしないわけではなく、テレビを見たり本を読んだり、来客の対応をしたり、フェイスブックに少しだけコメントしたり、メールの返事を出したり、まあちょこちょこ動いていましたが、何もしていなかったの同じ空虚な1日でした。
それに寒い1日でした。

最近どうもこういう日が増えてきました。
こうやって人は世間から離脱していくのでしょうか。
明日はまた世間に舞い戻っての1日になるでしょう。

■4051:人生の向う方向(2018年10月17日)
節子
今年もいろんな人が新米を送ってくれます。
季節が変わったのを実感します。
新米が届くと、なんだか新しい年が始まるような気もします。

最近畑に行かなくなってしまいました。
台風で悲惨な状況になったので手入れに行かねばいけないのですが、雨が多かったり早くから湯島に行かねばいけなかったりで、さぼっているのです。
挽歌もそうですが、人は習慣を破ると、ついついその快適さに引き込まれてしまいます。
生きつづけるということもそうなのかもしれません。

昔、誰かが通学や通勤の時、反対方向の電車に乗ってみたら人生は変わるのではないかというようなことを書いていました。
その頃は共感しましたが、やったことはありませんでした。
会社を辞めた後、箱根の小涌園のホテルで合宿した時、朝東京に戻る予定だったのですが、そのことを思い出して、帰りのバスを反対方向に乗りました。
たぶん挽歌でも書いたと思いますが、人生は変わりませんでした。
まあ、地球は丸いですから、地上での方向の違いなど瑣末なのかもしれません。

昨日は1日、在宅でした。
ちょっと疲れたので予定を変えてしまったのです。
生き方の向きもちょっと変えたくなったのですが、それはなかなか難しい。
一昨日、自宅で使っているパソコンが突然クラッシュして、動かなくなってしまいました。
その時に、ふと、もうパソコンもやめて、生き方を変えようかと一瞬思いました。
しかし、2時間後、なぜかパソコンが動き出しました。
それでその一瞬の思いは、消えてしまいました。
宮沢賢治を思い出さなければいけません。

今日はまた3日前までの生き方に戻ります。
そこに困った人がいれば、出かけなければいけません。

彼岸には、困った人などいないのでしょうか。

■4052:またパピルスが来ました(2018年10月20日)
節子
すぎの農園に行って、梨の王秋を買ってきました。
待っている間に庭の端を見たら、あんまり見たこともない、しかし何となく見覚えもある花が咲いていました。
これはなんですかと訊きましたが、どうも花の類いは奥さんの担当らしく、奥さん不在のため杉野さんには答はもらえませんでした。
それで何となくわが家にも咲かせたくなって、少し分けてくれませんかと頼んでしまいました。
息子さんが大きなシャベルを持ってきて、袋に入れてくれました。
なんだか節子が乗り移ったような気がしました。

節子は、どこかの庭に気に入った花があると厚かましくも、もらってきたものです。
前にも書きましたが、一度は、自動車で湯河原を走っている時に見事な庭を見つけて、庭を見せてもらいたいと頼んで庭を案内してもらいました。
その挙句に花をもらってきました。
数年、わが家の玄関で咲いていましたが、節子がいなくなってから、うっかりして枯らせてしまいました。
そんな節子の生き方が、私にも乗り移ってしまったようです。

その花のとなりに、立派なパピルスが育っていました。
杉野さんがこのパピルスは強いので放っておいて育つ、もっていきますか、と言ってくれました。
ねがったりもない話で、少し株分けをしてもらいました。
パピルスは私も大好きなのですが、これまでも何回かチャレンジしたのですが、うまく育てられませんでした。
今回はがんばって育てようと思います。

杉野さんたちの暮らしぶりを見ると、本当に幸せそうです。
節子もたぶん、あんな暮らし方をしたかったのではないかと思います。
杉野さんのところにうかがうと、いつもそんな気がします。

■4053:“late”(2018年10月23日)
節子
サイードの「晩年のスタイル」を読みました。
「晩年」というタイトルに魅かれたわけではなく、先日読んだ評論集に少し刺激を受けて、この有名な著作を手に取ってみたわけです。
それに、サイードという人にも関心がありましたから。

原書のタイトルは「ON LATE STYLE」です。
つまり、「晩年」は「LATE」の訳です。
この本は、サイードが亡くなった後に、友人のマイケル・ウッドが編集したのですが、ウッドが書いている序論にこんなような説明がありました。

lateという単語は、約束を守れなかったという意味〔「遅刻」〕から自然循環の一時期という意味〔「遅い」「後期」「晩期」〕を経て、消滅した生命という意味〔「亡き」「故」〕まで多岐にわたる。

彼も書いていますが、lateといえば、まずは、「遅れる」という意味、時間を守らなかったという意味を思い浮かべます。
しかし、夕方遅くlate eveningとか、遅咲きlate blossomとか、晩秋late autumnという表現もあると言います。
さらに、lateには、「亡き人」「故人」という意味もあるそうです。

ウッドは書いています。

死んだ人びとは、たしかに、時間を超えたところに行ってしまったとはいえ、私たちが死者について「late」と呼ぶことのなかに、いかなる複雑な時間的願望が潜んでいるのだろうか。lateなるものは、時間との単純な関係を名指しているのではない。それはいつも時間を引きずっている。それは時間を想起する方法である。

とても納得できます。
節子は、約束を守らずに、生命を終えました。
時間が前にだけすすむのであれば、「遅れた」わけではないのですが、今から逆に思えば、ある意味での「遅れた」行為でした。
そして、節子は今なお、私にとっては、「時間を想起する方法」なのです。
死者は、たぶん節子に限らず、永遠に「時間を引きずっている」存在です。

「晩年のスタイル」の本旨とは違ったところに引っかかってしまい、この本を読むのは時間がかかってしまいました。
しかもどうもピンときませんでした。
むしろこの本は、若い時期に読むべきだったかなと思っています。
あまりに広くて深い世界が展開されているので、圧倒されて、ついていけません。
それにカミユが軽く扱われているのも、ちょっとひっかかってしまいました。
若い時にカミユの「異邦人」に衝撃を受けたものとしては、何か自分が全否定されたような気にもなってしまいました。
しかし冷静に考えると、サイードの指摘のほうが納得できるような気もします。

節子がいたら、もう少し違った世界に入れたかもしれません。
いまにして思えば、まさにちょっと“late”な気がしますが。

■4054:会わなくても一緒に生きている人はいる(2018年10月25日)
節子
昨日はたくさんの人に会いました。

昼間はお名前だけは何回も聞いていた人に2人会いました。
ある企業の顧問をされている方たちです。
先方も私のことを知っていて、そのおかげで初対面の気がしませんでした。
不思議なもので、会う前からお互いに相手のことをなんとなく知っている気分があったのでしょう。

夜は、湯島でサロンでしたが、今度は久しぶりの人が2人、やってきました。
いずれも20年以上の久しぶりです。
ひとりは山口の河野さん。
節子と一緒に山口に行った時に、河野さんにはとてもお世話になりました。
なぜ山口に行ったのか思い出せないのですが、河野さんにご馳走になったことだけは覚えています。
私は記憶力が悪く、あるシーンを断片的にしか思い出せないのですが、夫婦ペアの萩焼をもらった記憶もあります。
もうひとりは松戸の中田さんです。
彼女が湯島に来たのは、25年ぶりだそうです。
彼女の伴侶は有名な政治学者ですが、その著書は私が民主主義のことを最初に考えるようになった本でした。
リンカーンクラブという活動の中でお会いし、その流れで、彼女が湯島に来てくれたのです。
以来、緩やかな交流がつづいていました。

河野さんと中田さんとは、ほとんどこの間、会うこともなかったのですが、会ったとたんに最後に会った時に戻って、その間の長い時間は、まるでなかったような気がします。

最初のおふたりは、会ったこともないのに、私の中には存在していましたし、後の2人は特に交流がないにもかかわらず、私の中では生き生きと生きています。
人のつながりは、とても不思議なもので、会うとか会わないとかはあまり関係ないのかもしれないという気さえします。

節子とはもう11年会っていませんが、こう考えると、それがどうしたという気にもなります。
今日は久しぶりの秋晴れのようです。
今日もまた、湯島に、名前さえ知らずはじめて会う人、最近知り合った人、30年以上前からずっとお付き合いのある人という3組の人がやってきます。
どんな一日になるのでしょうか。

■4055:時の速さは驚くほどです(2018年10月29日)
節子
時間の早さには驚きます。
またあっという間に、挽歌が2週間以上も滞ってしまいました。
すごい速さで時間は過ぎていく。

時間論に関しては、真木悠介さんの「時間の比較社会学」という、とても面白い本があります。
古い本ですが、そこに、時間は昔は「自分のもの」だったのに、今は自分が「時間のもの」になってしまっているということが書かれています。
各自のものだった「時」が、すべての人に共通のものとなり、時計ができて、しかもその時計を各自が腕につけて忠実にその規制を受けるようになったというわけです。
個人にとって価値のある「物」や「文化」が、やはり貨幣という、すべての人にとっての共通価値で捉えられるようになったのと同じことです。
私は腕時計をしませんが、それはせめて「時」くらいは自分のものにしておきたいという、叶わぬ無意識な思いがそうさせているのかもしれないと、その本を読んだ時に思ったものです。
いまは貨幣からも解放されたいと思っていますが、なかなかうまくいきません。

節子がいなくなってからと節子がいた頃と、多分、「時間」の意味は私にはまったく違ってしまいました。
その時の進み方を、時計などで規制されたくはないのですが、やはりそこから抜け出すのは難しい。
それにしても、挽歌をもう2週間以上書かないでいたということはにわかには信じられない。

いまもなお、私には空白の時間があるのかもしれません。
またしばらくはがんばって、追いつこうと思います。
そういうところに、私にも近代人の本性が残っているのでしょう。

■4056:人は一人では生きていけません(2018年10月30日)
節子
人は一人では生きていけません。
そのことを、節子がいなくなってから痛感しました。
しかし、人はなぜか、一人で生きようとする。
以前は私もそうだったかもしれませんが、節子がいなくなってから、その大変さがわかりました。
一人で生きていくことには、どこか無理がある。
そんな気がします。

湯島には、ひとりで生きようとしている人がよく来ます。
もちろん本人はそうは思っていないでしょうが、私にはそう見えて仕方がない。
昨日もそう言う人と長いこと話していました。
しかし鎧は脱ごうとしない。
もしかしたら鎧を着ていることさえ気づいていないのかもしれません。

今日は、小学校時代の友人に付き合って、築地のがんセンターに行きます。
セカンドオピニオンを聞きに行くのです、
彼は独身を通し、いまも独り暮らしですが、胃がんの手術をしたのです。
その後、抗がん剤で副作用が出たりしています。
それで、セカンドオピニオンを聞くことになったのです。
彼は、ひとりで大丈夫だとずっと言っていましたが、昨日電話したら、やはり同行したほうがよさそうです。
それで同行することにしました。
私が同行したところで、何の役にも立ちません。
しかし、隣に私がいるだけでも精神的には少し安心できるでしょう。

人が一人で生きられないと思うのは、名にも何か大きな力になってほしいとかそんなことではありません。
ただそこに居るだけでいい。
そのことの意味を、節子は教えてくれました。
ただそこに居るだけで役に立つのであれば、私にもできることです。
そして、それこそがとても大切なことなのだろうと、この頃、考えるようになりました。

がんセンターに行くのは、正直に言えば、とても不安なのです。
あの頃のことを思い出さないとは限らない。
しかし、私の隣には友人がいる。
一人ではないので大丈夫でしょう。

私が同行することを知った共通の友人がメールしてきました。
ちゃんと靴を履いていくように、と。
余計なお世話ですが、従うことにしました。

■4057:セカンドオピニオン(2018年10月31日)
節子
昨日は築地の国立がんセンターの中央病院に行ってきました。
昨年、胃がん手術をした友人がセカンドオピニオンを聞きに行くというので、役には立たないのですが、同行しました。
節子がいなくなってから、「がんセンター」という名前を聞いただけで、気が萎えてしまい、とても病院には行けなくなっていたのですが、今回は東病院ではなく中央病院なのでがんばってみました。
自分でも驚くほどに抵抗がありませんでした。

それになんとなく、予想以上に乾いた感じで、節子と一緒に通っていた頃の雰囲気は感じませんでした。
私の気持のためか、それとも病院という空間の意味合いが変わってきたためか、そのいずれもが関係しているような気がしました。
後者は、病院が無機的な機械的空間になってきていると言いう意味です。

それにしても、セカンドオピニオンを聞きに来ている人がこんなにいるのかと驚きましたが、診察室が10室並んでいて、そこで一人1時間ほど医師と面談するのです。
待合室は満席でした。
考えてみれば全国から来ているのでしょうから、混むのは当然でしょう。

1時間、じっくりと話を聞きました。
もちろん主に話を聞いたのは、友人ですが、隣にいて、いろいろと感ずることがありました。
どんなに親身になって考えようとも、当事者にはなれないと改めて思いました。
節子の時、はたして私は節子と同じ当事者になれていたのだろうか、とふと思いました。

担当した医師は若い医師でしたが、実に誠実で、しかも明快で、CTの写真を見せてくれながら、質問に答え、アドバイスをしてくれました。
セカンドオピニオン制度の意義がよくわかりました。
結果がどうであれ、モヤモヤが消えます。

友人も来てよかったと言っていました。
しかし遠方からの人は大変でしょう。
それに1人では来られない人もいるでしょう。
スカイプなどを活用して、もっと容易にできるような仕組みがあればいいなと思いました。
もちろん直接会うことによって、納得度が高まる効果は大きいですが、広い情報を聞くだけで自分の症状の受け止め方はかなり違ってくる気がします。

終わった後、喫茶店で話しましたが、彼は「がんと付き合うしか仕方がないのだ」と何回も声に出していました。
自分に言い聞かせているその言葉に、私は無力感を強く感じました。
そして節子のことを思い出しました。
あの頃、私は無力感さえ持てずにいました。
いろいろと思い出せられる1日になりました。

それにしても、病院はなぜか疲れる空間です。
友人はかなり疲れたでしょう。
同行しただけの私も、なぜか疲れました。
彼には、私の葬儀に出てもらわなければいけないので、私より長生きしてほしいのです。
私の友人たちには、私よりも早く逝ってほしくはありません。
自分より先に逝きそうなので、お前とは付き合いたくないと、ある友人から言われたことがありますが、その気持ちはよくわかります。

昨夜はまた眠れませんでした。

■4058:豊かな暮らし(2018年11月1日)
節子
久し振りの秋晴れです。
時評編に書きましたが。昨夜、「ある世捨て人の物語」を寝る前に読みだしタラ、面白くて、結局、全部読んでしまい、今日は寝不足です。
頭が働かないので、庭の整理を始めました。
節子はよくまあ、こんなにたくさんの植木鉢を育てていたなといつも思いますが、また今年の夏で、そのいくつかをだめにしてしまいました。
困ったものです。

一応、いまは、蝋梅、芍薬、牡丹など、いくつかは大事にするようにしていますが、それ以外はもうかなりめちゃめちゃになっています。
その3つは何とか回復しました。
もう大丈夫でしょう。

最近は花のほかに野菜の種も蒔いています。
今日は絶好の畑日和ですが、そして在宅なのですが、お昼時に、孫母娘がやって来ました。
娘がわが家の近くの歯医者に行っていますが、治療中、隣で静かに座っているそうです。
どうせなら私に預ければいいのですが、孫は私より歯医者さんが好きなのだそうです。
それにこのところなぜか孫から敬遠されています。
私が、頭をトントンとたたくのが嫌なのだそうです。
歯医者さんに、「おさむさん」とはうまくいっていますか、と訊かれて、孫はノーコメントだったそうです。
困ったものです。

その孫母娘も帰ったので、いまは私一人です。
畑に行こうかと思ったのですが、なんだか眠くなってきました。
畑に行くべきか、昼寝をするべきか。
「ある世捨て人の物語」の主人公ナイトも、もしかしたらこんな毎日だったのでしょうか。

静かで穏やかな、とてもいい日です。
こういう暮らしを、「豊かな暮らし」というのでしょうか。

■4059:秋は不思議な季節です(2018年11月5日)
節子
秋の時間は進み方がなぜか速いです。
注意しないとどんどん置いて行かれてしまいます。
11月も、もう5日です。
困ったものです。

10年以上前の本ですが、真木悠介さんの「自我の確立」という本を読みました。
そこにこんな文章が出てきました。

多くの植物は地下茎を水平に伸ばし、その一部が再び地上に分岐を成長して新しい幹と枝葉を形成している。竹林が多く一つの地下茎で結ばれていることはよく知られている。
クローバーの大草原が一つの地下茎で結ばれていることもある。この時この草原の全体をひとつの個体というべきだろうか? この見方に従うのなら、「せいぜい4個体ばかりのタンポポが北アメリカ全体の領地をめぐって互いに競争しているということになりそうだ」という。

私の畑の開墾作業は、まさに地下茎で結ばれた竹との戦いなので、このことはよくわかります。
地上に出ている笹竹をいかに切っても、すぐまた隣りから芽を出すのです。
植物には死がないのかもしれません。
群生している植物は個としての植物が群生しているわけではなく、そのすべてが一つの生命だとも思えます。
しかも、同種の植物だけではありません。
様々な違った植物が、実に巧妙に支えあいながら生きているのにも感心させられます。
そういうことに出合っていると、植物全体が共存共栄していて、その全体を一つの生命と考えたくなることもあります。

死という概念は、個としての生命体という概念とつながっています。
そういうことが、畑で植物と付き合っているとよくわかります。
農耕民族の死生観は、そこから育ってきているのかもしれません。

冒頭の秋の時間は速く進むとどうつながるのかですが、実は秋は時間は進まずに止まってしまうのではないかという気もするのです。
バラバラの時間ではなく、重なり合った時間。
今日も昨日も同じところにある時間。
ばらばらの生命ではなく、重なり合った生命。
私も節子も、そしてほかの人もみんな、同じ生命の一部。

秋はなぜか、そんなことまで考えさせられる不思議な季節です。

■4060:時空の窪地に落ち込んでしまった気分(2018年11月8日)
節子
ますます時間の速度が速まっているようで、追いついていけません。
そこから抜け出したくても抜けられない。
「時」というのは、実に不思議な存在です。

時間と空間はつながっていると言われます。
高速で移動していると時間の進み方がゆっくりになるとも言われています。
ということは、もし活発に活動していると時間の動きは遅くなるのかもしれません。
忙しい時こそ、時間が早く進むと思いがちですが、私の体験では逆です。
最近の私は極度に暇なので、時間の進み方が異様に早いのかもしれません。
そのために時間破産に陥ってしまうわけです。
暇だと忙しくなる、というわけです。
このつながりは、ほかの人にはなかなかわかってもらえませんが、自分ではとても納得しています。
要は、どこかでバランスがとれていないのでしょう。
困ったものです。

畑に行こう行こうと思いながら実は行けていません。
今日は午前中は在宅なので、行こうと思えば行けるのですが、行く気がどうしても起きてこない。
なんだか、時空の見えない落とし穴に引き込まれてしまったようで、動くに動けないでいます。
いい天気なのですが。

■4061:突然の訃報(2018年11月9日)
節子
笹、メールを開いたら、松戸市の市議の中田京さんが急逝されたというメールが飛び込んできました。
つい先日、湯島のサロンに来た時にはあんなに元気だったのに、にわかには信じられない話です。
あの、分厚いファイルを私にもと言って渡してくれました。
松戸市での市議活動の報告のファイルでした。
なんで私にと思ったのですが、何かのメッセージかもしれません。

中田さんとは、緩やかなつながりでした。
出会いは伴侶の阿部さん(政治学者)が縁でした。
阿部さんとはリンカーンクラブで出会いましたが、私の話を聞いて、中田さんが湯島にやってきました。
市議になったばかりか、あるいは直前だった気がします。
知り合いたちに彼女を選挙で応援してほしいと連絡した記憶があります。

市議になってからも、私は何もできませんでしたが、毎月、市議活動の報告を送ってきてくれました。
こういう活動であれば、市議も必要だなと思っていました。
誠実で、主張はぶれず、行動も見事でした。

数年前に、松戸市で「関さんの森」問題が起きました。
環境保護グループの友人から一度見てきてほしいと連絡があり、久しぶりに中田さんに現地を案内してもらいました。
彼女のオフィスにも立ち寄りましたが、赤胴鈴之助のマンガの本が、政治関係の本の中にあって、それをこれはいいでしょうと自慢されたのを覚えています。

サロンに来た時に、今期で市議をやめると言っていましたので、もしやめたらあるプロジェクトを提案しようと思っていた矢先です。
あまりにも突然のことでいささか混乱していますが、1日前まで活動していたことをフェイスブックで見ていましたので、唖然としている状況です。

心よりご冥福をお祈りします。
また信頼できる友人を一人失会いました。

■4062:死後をどう生きるか(2018年11月9日)
節子
中田さんの訃報はちょっと衝撃的でした。
そのせいか、今日はどうも精神的に安定感がないうえに、身体的な不調和音も感じます。
人間は実にもろいものだと改めて感じます。
まあ今日は寒いこともありますが。

昨日も新潟の金田さんからお手紙をもらい電話ももらいました。
電話で話していて、金田さんの今の状況がよく伝わってきました。
金田さんは元気がなくなると私に電話をかけてきます。
電話がある時は、実はSOSなのです。
私の声を聞くと元気になれると言っていたことがあるので、私も金田さんへの電話は元気に対応しなければいけません。
目いっぱい元気な声で対応していますが、正直、私自身もそう元気ではなく、金田さんの話を聞いていると私もそう違わないのにと思ったりしてしまいます。
人はそれぞれ問題を抱えておいて、それほど違わないというのが私の体験知なのですが、私がかつてそうだったように、自分の問題が膨らんでくると、他者のことは見えなくなるものです。

それにしても、中田さんの急逝は衝撃的です。
いつ私も同じようなことになるかもしれません。
死後をどう生きるか、それを真剣に考えなければいけません。

人は自分一人で生きているわけではなく、たくさんの人や物との関係の中で生を営んでいます。
ですから、死で、人生が終わるわけではありません。

それにしても、気のせいか、今日は頭が痛いです。
何ごとも起きなければいいのですが。
めずらしく今日は夜、ホテルでのパーティに参加しますが、今の私にはまったくの場違いなので、いささか憂鬱なのですが、これもまた生きる営みの一つなので、がんばっていこうと思います。
きちんと靴をスーツを身に着けて。

■4063:たくさんの夢を見ました(2018年11月11日)
節子
昨夜は8時過ぎに寝てしまいました。
疲労がたまっていたせいか、めずらしく4時まで目が覚めませんでした。
4時になっても起きられずに、また眠るでもなく起きるでもなく、2時間過ごしました。
それでもまだ疲労感が残っており、すっきりしません。
外が明るくなってきたので、起きてパソコンに向かっています。
大きな問題は起こっていないようでホッとします。
いい情報も入ってきていませんでしたが。

4時過ぎからうとうとする中で、いろんな夢を見ました。
夢はとても不思議で、前に見た夢の続きまで出てきます。
といっても物語の続きではなく、立負えば、サロンの夢を見たのですが、その準備をしようと思って冷蔵庫を開けたら、以前、誰かからもらったケーキが入っていました。
それは前の夢で見た記憶があります。
こういうことは時々あります。
しかし、その前に見た夢も、実際には今回の夢での「設定」かもしれません。

実際に入ったこともないのに、違う日に見た夢で行ったことのある場所が出てくることもあれば、前の夢で会ったことのある、知らない人に会うこともある。
以前よく見た洪水の夢の時には、同じ海辺の構造物に逃げ込んだ記憶もあります。
そうした「以前見た夢」の記憶もまた、実際にはその時に見た夢での「記憶」かもしれないと思い、一度、記録したこともありますが、たしかに前に見た夢と同じもの遭ったことも少なくとも一度はあります。
しかし、物語がつづく夢は、同じ日には見ますが、私の場合はたぶんありません。

夢と現実が反転している話は、小説などにはあるありますが、やはり私の場合の主軸は、この現実であることは間違いない。
しかし、時に、反転してほしいと思うこともあります。

肉体的な疲労感は少し軽減されましたが、昨日はいろんな夢を短時間に見たせいか、何かいろんなことが心に残っています。
まあ少し経つと、そうした夢のことはほぼすべて消えるのが通例なのですが、実にいろんな人に会いました。
久し振りに父親まで出てきました。
私よりも元気そうでした。
今日は節子は出てきませんでした。

■4064:ゴーンさんが逮捕されました(2018年11月21日)
節子
またあっという間に、挽歌の番号が1か月もずれてしまいました。
挽歌を書かなくても大丈夫になったということでもありますが、挽歌を書けないほどに気が落ちてきているということかもしれません。

時評編に書きましたが、いま、日産のゴーンさんの逮捕が話題になっています。
背景にいささか政治的なにおいがするのですが、ゴーンさんの写真を見ると思い出すのが、箱根の、たしか十国峠で、ゴーンさんの家族と会った時のことです。
目ざとくゴーンさんを見つけた節子は無謀にも私とゴーンさんの並んだ写真を撮っていいかとゴーン佐藤修に頼んで、私たちをカメラで撮りました。
私はゴーンさんと並んで写真をとっても嬉しくもなかったのですが、節子にはそういう趣味が少しありました。
しかし何と言って節子はゴーンさんに頼んだのでしょうか。
まあそれはともかく、この話には続きがあって、実はその写真は撮れていなかったのです。
メカに弱い節子が動作ミスをしてしまったのです。
ですから写真は存在せずに、ただその思い出だけが残っているのです。
いかにも節子らしいことなのですが。

まあそのおかげで、ゴーンさんを見ると、節子を思い出せるわけです。
ちなみに、節子はいろんな有名人を目ざとく見つける人でした。
鎌倉では永六輔さんを、丸の内では養老孟司さんを見つけました。
もちろん写真を撮ってくださいと歯さすがに言いませんでしたが。
ゴーンさんの時は、例外中の例外でした。
その時には私も節子の意向に抗えずに、ゴーンさんと並んだのです。
念のために言えば、その時も今も、私はゴーンさんには同情はしますが、特別な人などとは全く思っていないのですが。

■4065:みかんが熟しました(2018年11月22日)
節子
今日はまた一段と寒いです。
裸足の生活も今日が最後になりそうです。

節子が植えていたみかんが熟しています。
節子は庭に果実のなる木を植えるのをなぜか好みませんでした。
私の好みとは全く反対です。
その例外がみかんです。
今でも覚えていますが、茨城の花屋さんに遠出をした時に、そこで小さなみかんの木を買いました。
なぜそんなお店に行ったのか私には思い出せませんが、節子は時々、知らないお店に行くのが好きでした。
多分誰かから話を聞いたのでしょう。
それで私も一緒に行ったのですが、農地のはずれにある小さなお店でした。
いろいろとめずらしい花の苗を買った気がしますが、最後になぜかそこに会ったみかんの木も買ったようです。
節子が再発する直前だったと思いますが、節子がその木でなったみかんを食べたかどうかも記憶がありません。
お供えしたことはありますが。
しかし、このみかんを見ると節子を思い出します。
昨日は孫が来ていたので、一番大きなみかんをとってプレゼントしました。
たぶんあまり甘くはないでしょう。

こたつに入って、夫婦でみかんを食べながら語り合う。
そういう暮らしが私の理想の老人生活でしたが、体験することはかなわなくなってしまいました。
独りの冬は、ただ寒いだけです。

■4066:また書きだします節子(2018年12月6日)
また挽歌をすっかりご無沙汰してしまいました。
どうも最近、怠惰癖が高じています。
朝の般若心経も最近は簡略版が増えています。
人は怠惰になると際限なく怠惰になれるものであることは、以前にも体験していますが、困ったものです。
しかし、ただただ閉じこもっているわけではなく、まわりではいろんなことが起こっています。
でもなんとなく気が晴れない。
どうしてかは自分でもよくわかりません。

ただ矛盾した言い方ですが、ちょっと前を向けるようになってきているのが自分でもわかります。
いろんな人が働きかけてくれることもあるのですが、新しいことへの関心も生まれだしています。
そのせいか、もう30年ほど生きてもいいなという気がしてきましたが、まあそれは無理でしょう。
30年でやれることを3年でやることを考えなければいけません。
怠惰などといってはいられないわけです。

挽歌で書きたいこともたくさんあるのですが、パソコンの具合があまり良くなかったことを理由に挽歌やホームページをさぼっていたら、それになれてしまいまいました。
しかしこんなに間があいてしまったとは残念です。
今日からまたブログを復活します。
たぶん、ですが。

■4067:私は半分彼岸に住んでいるのかもしれません(2018年12月7日)
節子
なにから書きましょうか。
しばらく書いていないので、まあいろいろとありますが。
もっとも、書こうとなるとたいていのことは思い出せません。
書きだせばどんどん思い出してはくるのですが、最近はやはり思い出せないことが多くなりました。

今朝、節子のお姉さんと電話で話しました。
元気そうでした。
福井に住んでいるのですが、急に寒くなって、明日は雪が降るかもしれないと言っていました。
今年は私も福井には行けずに会う機会がありませんでした。
いつも野菜を送ってくれるので、何か送りたいのですが、何を送っていいかわからないのでいつも悩みます。
節子ならすぐに何を送ればいいかわかるのでしょうが。

昨日は新潟の金田さんから電話がありました。
新潟ももう雪でしょう。
雪は高齢者には結構大変のようです。

今朝は兄から電話がありました。
林檎が届いたので持っていくというのです。
内にも林檎が届いていたのですが、もらうことにしました。

昨日は宇部に行ってきた人がお土産を持ってきてくれました。
彼女が宇部に行くきっかけを私がつくったからでしょうか。

火曜日には花かご会の山田さんが、恒例のカレンダーを持ってきてくれました。
久し振りにみなさんとも会っていないので、翌日、我孫子駅前の花壇に行きましたが、残念ながら今週は作業日ではなかったようで、誰もいませんでした。

今日のお昼は高須さんと食事です。
高須さんは私たち夫婦が仲人をした人です。

そんなこんなで、それなりにいろんな人に支えられて、ほどほどに元気です。
彼岸ほどではないかもしれませんが、現世もいい人ばかりに取り囲まれています。
しかしテレビで見る現世は、いろんな問題で覆われています。
もしかしたら、私はもうすでに半分彼岸に住んでいるのではないかとさえ思います。

■節子への挽歌4068:寝室があったかです(2018年12月10日)
節子
寒くなりました。

不思議なことがあります。
節子がいなくなってから、数年たってから気が付いたことがあります。
冬の寝室があまり寒くないのです。
そればかりではなく、あまり暗くならないのです。
普通は逆になるのではないかと思うのですが、なぜかそんな気がしまう。
最近は、節子がそうしてくれているという気がします。
寒くなっても、なぜか以前よりも寒くない。
あったかな空気が寝室を包み込んでいるようです。

そういうことに気づきだしたのは、たぶん七回忌を終えた頃からだと思います。
その頃から、体調も良くなりました。
いや正確には、いろんなことが気にならなくなったというべきでしょうか。
たしかに年齢と共に身体的機能は劣化していますが、いずれも気にならなくなりました。

今朝も寒い朝です。
しかし家中に何かあったかさが残っている。
きっと節子が守ってくれているのでしょう。

1週間ぶりに般若心経をきちんとあげました。
最近、おしまいの真言中の真言だけですましてしまうようになっていました。

なかなかリズムが戻りませんが、今年も残すところ3週間。
がんばって節子への挽歌も挽回しようと思います。

■4072:「相棒」のダウン(2018年12月26日)
節子
また挽歌が長いこと抜けてしまいました。
理由は「相棒」のダウンです。

「相棒」とは、パソコンです。
パソコンがダウンしてから挽歌が書けなくなってしまっていました。
別のパソコンもあるので、技術的に書けなくなったわけではありません。
さらにいえば、パソコンは坂谷さんが何回も来てくれ、結局、ハードデスクまで交換してくれたので、直ってはいるのです。
ですからその気になれば、書けないわけではないのです。

ではなぜ書いてこなかったのか。
昨夜、気がついたのですが、パソコンが「相棒」になっていると共に、節子への窓口になっていたからではないかと思います。

壊れたパソコンは私の仕事部屋にあるデスクトップのパソコンで、いつも起きるとまずはそこに向かい開いていました。
節子がいなくなってからしばらくは、毎朝、パソコンに向かって挽歌を書くことから1日が始まっていました。
当時のパソコンからはパソコン自体は代っていますが、今のパソコンは5年ほど使っていますので、私が使いやすいように育ってきています。
言ってみれば、私にかなり同調していて、たぶん別のパソコンに比べたら、操作性は数倍よくなっています。
マシンだけではありません。
デスクトップなので固定されていて、周辺も含めて「一体化」しているわけです。
そこに座るとなぜか落ち着くわけです。

パソコンが壊れたくらいで、なんでこんなに気が沈んでしまっているのか、自分でも意外だったのですが、このパソコンは私と同調していて、節子がいない今は、もしかしたら一番安心できる「相棒」になっていたかもしれません。

パソコンはハードデスクを更新してもらい修復しましたが、私が埋め込んできた「記憶」は消えてしまいました。
ですから同じパソコンなのに、どうも違うものになってしまった気がして、パソコンの前に座っても落ち着きません。
伴侶との別れとは比べようもありませんが、「相棒」との別れも立直りに少し時間がかかりそうです。

■4073:菩提寺のご住職が亡くなりました(2018年12月27日)
節子
菩提寺の宝蔵院の先代のご住職が亡くなりました。
節子を見送ってくださった方です。

お世話になりだしたのは、父が亡くなった時です。
子どもが小学校の同級生だったので、節子がお願いに行ったのです。
以来、わが家の菩提寺になっていただきました。
その後、体調を壊され、息子さんが後を継ぎました。
節子の三回忌は息子さんと一緒に勤めてくださいましたが、以来、お会いしたことがなく、気になっていました。
お話ししたのは、節子の葬儀の時が最後でしたが、とても穏やかで、とても誠実な方でした。
父の葬儀の時のことを覚えていてくれたのもうれしいことでした。

冬は葬儀が多いのだと中下さんからお聞きしました。
冬に亡くなるのは、とても理にかなっているような気がします。
節子は9月に亡くなりました。
冬まで待てなかったのです。
節子の死は、やはり私には理にかなっていない死でした。

ご住職への感謝を、節子とともに念じました。

■4074:「あったかな場」(2018年12月27日)
節子
OTさんが、最近出版した新著を持って湯島に来ました。
先日湯島で開催した「私はなぜ湯島でサロンをやっているのか」の報告を読んで、直接、私に話したいと言って、やってきたのです。
OTさんは、数年前に独立して、組織開発をベースに企業経営のコンサルティングをしています。
私がまだ企業経営に関わっていた時代に私と知り合いました。
その頃の私の姿は、OTさんにささやかに影響を与えているそうです。
当時、OTさんは研究所やコンサルティングをする会社のメンバーでした。

OTさんが私に話したかったのは、節子にも少し関係があります。
OTさんは、まだ節子が湯島に来ていたころのことを話し出しました。
そして、湯島に人が集まるのは、その「あたたかさ」にあったというのです。
OTさんは、節子のこともおぼえていて、私たちが醸し出していた湯島は、あたたかかったと言ってくれました。
私には最高にうれしい話です。
湯島を、だれにでも「あったかな場」にしたいと思っていますから。
OTさんは、最近、対話が話題になっているが、対話の前に、まずは温かな雰囲気が大切だと言います。
あたたかな雰囲気のある場でこそ、効果的な対話が成り立つのだという意味でしょうか。
それが、湯島にはあった。
だから人が集まるのだと思うと、OTさんはいいます。
そして、そのあたたかさは、私だけではなく、節子がいたからこそだとOTさんはいうのです。
それを私に伝えたくて、忙しい年末なのに来てくれたのです。
最近になって、私もそのことに気づきだしています。

私が、企業経営に関して熱く語っていたことも、OTさんは話しました。
理屈ではなく実践なのだと、私が強く言っていたそうです。
ドラッカーの間違いについても、私が語っていたと覚えてくれていました。
その間違いとは「顧客の創造」の話です。
顧客の創造とは市場化にほかなりません。
今や社会全体が「市場化」してしまう新自由主義経済が世界を覆いだしていますが、それではドラッカーが批判しているナチスの二の舞になりかねないというのが私のドラッカー批判のポイントですが、OTさんはいつもそれを話してくれます。
実にうれしいことです。

気がついたら、2時間たっていました。
OTさんは、いま、あの頃の佐藤さんの年齢になった。
今度は私が次の世代に向けて佐藤さんの役割を果たそうと思うと言ってくれました。
私にはそんな思いは全くなかったのですが、少しは次の世代にも役立ってきたのかもしれません。
うれしい話です。
節子の話が出たおかげで、ちょっと目頭が熱くなってしまいました。

■4075:節子のおかげで人生がまた変わりそうです(2018年12月28日)
節子
今日は今年最後の湯島です。
午前中に僧侶の中下さんと会いました。
中下さんは、私の生き方に影響を与えつつあります。
少しずつ世間から退出しようと思っていたのに、中下さんのおかげで、退出どころか、かかわりを深める羽目になりそうです。
なぜなら、中下さんは、私がこの20年取り組んできた「大きな福祉」の精神に共感して、私の思いを再び前に進めようと働きかけてくれているのです。
これに関しては、また少しずつ書くことになると思いますが、来年は「みんなの葬儀社」的な活動に取り組もうと思います。

節子の葬儀を終えた後、葬儀について考えたことがいくつかあります。
節子の葬儀は、残念ながら、節子が望んでいたスタイルとはちょっと違ったものになってしまったかもしれませんが、当日になって、少しでも私たちらしい葬儀になるように努力しました。

一番よかったのは、通夜の会葬の後、私と娘たちが、出口に並んで、一人ずつにお礼を言えるスタイルにしたことです。
葬儀社は最初反対しましたが、無理やり出口に椅子を持って行って、座ったのです。
もっとも私自身は、涙が堪えられずに、話すというほどではなかったのですが、会葬者全員に個々にお辞儀をすることができました。
告別式の時には、それはできませんでしたが、みなさんにお話しさせてもらえました。
それだけのことでも、会葬者とのつながりを実感できた気がします。

遺族も会葬者も、そういう心の触れ合える葬儀をしたいとずっと思っていましたが、まさか自らも葬儀を企画する側になるとは思ってもいませんでした。
しかし、中下さんから、「死を消費する時代」ではなく「死を活かす時代」にしたいと声をかけられて、何回か話しているうちに、私の意識も変わってきました。
「そう思ったらやればいい」というのが、私の基本姿勢のはずですが、葬儀に関しては、どこかで関われないと思っていたのです。
中下さんとは何回も会いました。
そして1か月ほど前に決めました。

節子がいたら、たぶんこういうことにはならなかったかもしれませんが、中下さんはいつも、節子の話をします。
中下さんはもちろん節子とは面識はありませんが、挽歌を通して節子を知っているのです。
言い替えれば、節子がいなければ、私は中下さんと会うことはなかったでしょう。
中下さんが、私に「みんなの葬儀社」を提案してくることもなかったでしょう。
中下さんとの縁を生み出したのは、節子です。

これも節子の思いかもしれません。
生きているときよりも、死でしまった後の節子のほうが、どうも私の生き方に大きな影響を与えているようです。

■4076:快い身体の疲労感(2018年12月29日)
節子
今年も残すところ、3日になりました。
この3日は大掃除などのために、基本的に在宅するつもりです。
わが家は、衣食にはあまり頓着しませんが、家だけはみんなそれぞれにこだわりがありました。
家族4人が自己主張し合ったために、出来上がった家はだれにとっても、どこか違ったものになってしまいましたが、私はとても好きな家です。
節子との暮らしを想定していましたが、それはほとんど実現しないことになってしまったのが無念ですが。
節子がこの家をゆっくりと楽しむことは、残念ながらありませんでしたが、節子も多分気に入っていたでしょう。

広さだけは広い家です。
そこに今は、私と娘2人が住んでいます。
娘も私も、掃除好きではありませんから、大掃除となると大変なのです。
当初は、今年こそはきちんと掃除しようと思っていますが、だんだん、まあこのくらいでいいかと妥協し、そのうち、まあいつも生活するところでいいとなってしまうわけです。
節子がいたころに比べれば、大掃除ではなく、小掃除かもしれません。

いずれにしろ、今日は午前中は、その小掃除パート1で、午後は畑に行きました。
畑も放置しておくわけにはいきません。
花壇も枯れていた花をすべてきれいにし、そこにまたチューリップとフリージャを植え足しました。
畑も野草を抜き、ついでに家にあった、芽が出始めていたタマネギを植えてみました。
育つかどうかわかりませんが。
タマネギは秋に種をまいたのですが、それを忘れて、野草と間違って抜いてしまったようで、跡形もなくなってしまったのです。

さらに、来年に向けてまた開墾作業を始めました。
なにしろ笹竹が広がっていますので、これはハードな作業ですが、はじめだすと面白くてやめられません。
少しずつ継続して作業をしていると、野草も次第に分をわきまえてくれるような気がします。
がんばったおかげで、だいぶきれいになりました。

畑から帰宅したら、孫のにこが来たので、娘たちと一緒にまた畑に行きました。
ユカが手伝って、にこに大根を抜いてもらいました。
株も抜きましたが、大きくなりすぎていて食用には向かないようです。

いろんな煩わしいことを忘れて、今日は1日、心身を動かして、気持ちの良い疲れを久しぶりにもらいました。

■4077:お正月の準備をしました(2018年12月30日)
節子
年末休みの2日目は、大掃除と買い出しです。
まあ、娘の手伝いですが。
買い出しも、ユカが少しずつしてきているので、たいしたことはありません。
それに以前のようににぎやかな宴は予定していませんので、大した準備も必要ありません。
両親がいたころは大勢が集まりましたが、今は一番大勢で5人ですし、昔のようなメインディッシュがあるわけでもありません。
おせちも年々簡素になってきています。
節子がいたら、こんなのは正月ではないと叱られそうですが、まあわが家らしい質素さで、私としてはむしろ気に入っています。

節子も、正月ににぎやかな料理をつくるのが好きでした。
料理の買い物は運搬役でいつも付き合わされました。
花を活けるのもがんばっていました。
花を買いに付き合わされると、それだけ長い時間待たされました。
そんな年末は、もう味わえないのがさびしいです。

■4077:東尋坊のお餅(2018年12月30日)
節子
今年もまた、東尋坊の茂さんからお餅が届きました。
節子との最後の旅行は福井県の芦原温泉でした。
その途中に東尋坊に寄った時に、偶然にも茂さんと川越さんに会ったのです。
それで茂さんたちのお餅もご馳走になりました。
そんなこともあって、節子がいなくなってから、茂さんの思いを実現するためにささやかな協力をしてきました。
茂さんたちは、東尋坊で自殺防止のための見回り活動をしているのですが、今年も30人以上をケアしたそうです。

電話をしました。
茂さんも川越さんも、いつものように元気な声でした。
節子がいたら、また東尋坊に行けたのですが、なかなか東尋坊に行く機会はやってきません。
茂さんたちにも3年ほど会っていませんが、来年は会いたいものです。

東尋坊で毎年、茂さんたちがみんなで一緒についたお餅はとてもおいしいのです。
豆餅やエビ餅やいろいろとありますが、どれも天下一品です。
茂さんたちの、思いがこもっているからです。

思いがこもるとなんでもおいしくなります。
早速に豆餅をいただきました。
節子にも供えさせてもらいました。