講談社から出版されている「犬と鬼」を購読しましょう。


本を購入することで社会にメッセージしていく活動の呼びかけ第二弾です。

本を購入することで社会にメッセージしていく活動の第1弾

この本の簡単な紹介?はブックのコーナーにあります。
この本を読むと、私たちの社会がいかにおかしいものであるかがわかります。

こうした本をもっともっと話題にしていかなければなりません。
もし読まれたら、その勢いで、
岩波新書の『豊かさの条件』もお読みください。
きっと行動が変わります。

2003年7月5日

■ 犬と鬼
アレックス・カー 講談社 2002年 2500円

本田宏さんから送っていただいた本です。
遅くなりましたが、今日、読み終えました。
100%共感します。私が思っていることが、実にわかりやすく見事に書かれています。
もし私のホームページに共感してくれるのであれば、この本をぜひお読みください。
一人でも多くの方に読んでほしいです。

そこで、先月の「平和に向けてできること」と同じように、「子どもたちに向けてできること」という趣旨でこの本の購入をお勧めすることにしました。

最初のところに次のような衝撃的なメッセージがあります。

「(日本は)ひょっとすれば世界で最も醜いかもしれない国土である」

私は日本の価値は「優しい緑の豊かさ」にあると考えています。
これほどに優しい緑があることに感謝しています。
しかし、その緑が、急速に失われつつあることも事実です。
そして水すらも飲めなくなってしまってきています
このホームページでも書きましたが、茨城県のふじみ湖に象徴されるように、
その緑を壊しているのは企業ではなく、行政です。
国と都道府県です。
もちろん企業も荷担していますし、私たち個々人もまた荷担していますが、
一番の責任は政治家と行政の経営幹部です。
やれることをやっていないからです。

先週もテレビで、福岡県の産廃施設をめぐってのインタビューに県の部課長が応じていましたが、
笑いながら信じられない発言を繰り返していました。
こうした人がぬくぬくと社会の重職に就いているという事実には怒りを超えて、哀しさを感じます。
彼らの家族はどう思っているのでしょうか。
福岡県の人たちはどう感じているのでしょうか。

しかし、それはさほどめずらしいことではありません。
私も含めて、そうした言動は、社会に充満しています。

先週の週間記録で紹介した、
国東半島に住みついてしまった竹沢孝子さんから「百姓天国」という雑誌が送られてきました。
もう廃刊になった本ですが、その第11集の巻頭言に、山下惣一さんが、
今はもう故人の守田志郎さんの本から、こんな文章を引用しています。

「進歩というものは、人類が死滅に向かう道だから、なるべくゆっくり歩く方がよい」

昭和49年に農文協から出版された「農家と語る農業論」の中に出てくる文章です。
山下さんも守田さんも、私が多くのことを学ばせてもらった人です。
山下さんとは面識はありませんが、守田さんには一度お会いしました。
もう25年以上前のことです。
当時、私は工業の農業化を考えていましたし、生き方への疑問も感じていましたが、
結局は何もできずに、とりあえずはそれから10年後に会社を離脱してしまいました。
進歩主義の見直しは、当時もかなりありましたが、こういういい方をしていた人はいなかったと思います。
感動しました。流行としてのスローライフとは似て非なる姿勢だと思います。

「犬と鬼」の著者は、最近の日本の社会パラダイムを次のように言います。

「日本のパラダイム」とは「強国・貧民」をいい、過去に、海外のオブザーバーはこれをうらやましく思い続けてきた。このパラダイムの美徳は国民が大きな犠牲を払うことにより、国家の経済力が増してゆくことである。

これは私がメッセージ6でも少し書いた、組織起点の社会構造原理です。
私の発想のすべての根底にあるのが、それとは反対のベクトルをもった個人起点の社会構造発想です。

ちなみに、公益法人改革とNPO法廃案の動きに関して、
行政改革事務局の松本さんという官僚が個人ホームページを開きました。
こういう人が出てきたことに未来の確かさを感じますが、
そのホームページの投稿欄に、先週、同じ視点で私見を投稿しました。
関心のある人はお読みください。
ホームページのアドレスは、
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/3331/

参考までに私の投稿記事をここにも再掲します。

本論に戻します。

日本はなぜこうなってしまったのか。
著者の答えに私も100%共感します。つまり現場と実体を失ったためだというのです。
一部、文章を変えていますが、概略次のように著者は主張します。

「日本はなぜこうなってしまったのか。それは昔ながらの生け花と奇抜な今の生け花との違いに象徴されている。その違いは、現代の生け花には「実がない」ということである。伝統的な生け花には宗教上あるいは儀式という目的があった。昔の人々は自然の神秘に尊敬の念を持っていた。宇宙の創造力にあふれた息吹を見出し、応えるための手段として生け花を用いたのだ。しかし今日、それも失われ、単なる飾り物としての目的しか持たず、植物や花そのものの本質を問うことはない。代わりに、花は生け手の気まぐれなニーズに応えるためだけに使われる、ビニールや針金などの材料と、ほとんど変わらない「素材」として扱われている。要するに、「実」もなければ精神的な目的もなく、自然が本来持つ力に通ずるものも何もない、ただ空っぽなデザインなのだ」

私のメッセージも読んでもらえるとうれしいですが、本当に現代は実体がない時代です。
実体とは無縁のところで、事が進められている時代です。

本の紹介にかこつけて、自分の主張をおしつけてしまったかもしれません。
しかし、それはそれとして、この本は実に示唆に富んでいます。
もし子どもたちに胸を張って誇れるような社会を残したのであれば、ぜひこの本をお読みください。
2500円でちょっと高いですが、平和に向けてやってくださったように、
この本を購入することで、私たちの老後が少し変わるのであれば、安い投資です。

私も何人かの人にこの本を送らせてもらおうと思います。
本田宏さんへの感謝を、他の人に伝えます。
ペイフォワードです

読後感をぜひご連絡ください。
佐藤修へのメール