平和のためにできること
『地球的平和の公共哲学』を購入することで意思表示ができます
公共哲学ネットワークで小林正弥さんからのメッセージ

『地球的平和の公共哲学』についての案内

平和に向けてのさまざまな活動

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公共哲学ネットワークで小林正弥さんが流されたメールです。
できるだけたくさんの方に読んでほしいと思い、転載させてもらいました。
小林さんの了解はいただいています。

平和が問われています。もしご賛同いただければ、まずは『地球的平和の公共哲学』をご購入いただければうれしいです。ちょっと高いですが、カンパだと思ってください。読まなくても結構です。平和のためのカンパです。

しかし、どうせ買っていただいたのであれば、読んでもらうか、もしくは読んでくれそうな人に贈呈してくだされば、もっとうれしいです。そして気に入ったら、もう1冊購入してもらってください。

なぜこんなことをお願いしたかの訳は、次の小林さんのメールを読んでください。
納得してもらえると思います。

(小林正弥さんが公共哲学ネットワークで流されたメール1)
小林です。昨日、遂に『地球的平和の公共哲学』が刊行され、今日は『論座』6月号が刊行されて、千葉先生と私の論稿が載っています。5月は、いよいよこれらを皮切りに、地球的平和への潮流を活発に形成すべき時だという気がしてきました。

早速、一ノ瀬君にHPを改訂してもらい、『地球的平和の公共哲学』刊行を載せました。『非戦の哲学』(ちくま新書)のような自分の単著だとあまりアピールするのは躊躇するのですが、この本は公共哲学ネットワーク編ですから、今回は徹底的にその意義を広くアピールさせていきたいと思います。不思議なもので、本の編者として公共哲学ネットワークという文字を見ると、このネットワークが社会的な存在感を持ったような気がしてきました。

この本は地球的平和問題会議の歴史的記録という意味を持っていますから、正に私達の「平和への努力」の原点です。また、巻末には「公共哲学宣言」改訂版も載っています。この改訂版では、山脇先生の提起された教育基本法「改正」への警鐘も注記してあります。公共哲学宣言は、地球的平和問題会議の準備と並行して作成してHPに載せたものですから、このネットワークの出発を画す文書と言えると思います。

書籍は初めの1ヶ月の売れ行きによってその後本棚に残るかどうかが決まるそうです。ですから、購入される方は、是非早くご購入して頂ければ幸いです。このような平和志向の本が売れて本棚に多く残るということは、長期的に平和への風潮を作ることに役立つでしょう。東大出版会の判断で当初予定よりも多く刷りその分定価も下がったのですが、早く売り切れて増刷することを強く願っています。

東大出版会と言えば、堅実で重厚な学術書をもっとも刊行している出版社ですから、地球的平和問題会議の記録という性格を持つ本を刊行すること自体、決してありふれたことではなく、素晴らしい決断だと思い、とても感謝しています。それから、編集側だけではなく、販売部も非常に熱意を持って下さっているようです。

実は、奥付けにある日付は昨日(5月1日)なのですが、書店にはもう少し早く4月の末から並び始めていました。このように刊行日よりも早く本が出るのは、東大出版会の歴史始まって以来、2度目だそうです(1度目は、ノーベル賞受賞の際だとか)。それから、表紙のデザインもすばらしいと思うのですが、画家の方はこの本の内容を聞かれて無料でいいと言ってくださったということです(実際には払ったそうですが)。

刊行準備過程が正にイラク戦の過程と重なっていたので、多くの関係者が平和のために貢献したいと思ってくださったようです。おそらく、「平和のために何かをしたいけれども、何ができるか」という思いがあり、それがこの本への通常以上の熱意として現れてのでしょう。世界中に似た思いの人が沢山いるでしょう。その思いを形にする経路を作っていくことも私達の課題だろうと思います。

まずは、この本が、より多くの人に読まれ、そして地球的平和問題への関心を高め理解を深めていくことが、迂遠なようで、実は大きな効果を持つのではないか、と思います。来月には、姉妹書『戦争批判の公共哲学ーー「反テロ」世界戦争における法と政治』(勁草書房)が刊行され、現在その最終作業に大童です。例えば、この2冊が学術書としては異例の売れ行きを示し、一種の社会現象としてマスメディアなどに取り上げられればどうでしょうか。おそらく、論壇や社会の雰囲気が変わるだろうと思います。

研究者以外の方には、このような本を読むのは、あまり習慣にはなっていないかもしれません。しかし、この本は難解ではなく、会議の記録の性格を持っていますから、前提の知識なしにも十分に読むことができるでしょう。あるいは、以下の会に来て頂ければ、私達で説明することもできます。

『地球的平和の公共哲学』を買うこと、そして読むことは、それ自体平和への努力だと思います。街頭でデモをする場合にしても、その行動を支える知識や思想がある場合には、平和運動がより力強いものになると思います。ですから、研究者の方はもとより、平和を求める公共的市民の方々にも、是非お読み頂き、周囲の方々にもお勧め頂ければ幸いです。


(青い地球における鎌田先生のメールから引用)
ところで、次回の会合は、ひとまず、5月30日(金)18:30−23:00、場所は同じMoonsault Project 事務所(千代田区神田紺屋町5 野水ビル5階)で行うことになりました。
この本と、小林先生の著作『非戦の哲学』(ちくま新書)の2冊を読んで、感想や意念を話し合おうということになりました。もちろん、近況報告や他の議題などもありますが、メインの一つとして、この2冊の本をもとに討議を深めようということになりました。

                          
(小林正弥さんが公共哲学ネットワークで流されたメール2)
小林です。先のメールに続けます。
『論座』6月号の方は、「特集 試練に立つ平和主義」の中に千葉先生の「『帝国の戦争』が明らかにしたもの」と私の「『反テロ』世界戦争に抗して」が載っています。千葉先生の文章と呼応する形になっていて、内容的には補完関係にあると言って良いだろうと思います。千葉先生が書かれた問題を認識しつつ、私が実践的な提言にも言及するということになるでしょうか。

これは、イラク非戦声明の記者会見から始まった企画です。会見に『論座』編集者がいらっしゃり、興味を持ってくださって、私達2人に執筆を依頼して頂きました。ただ、既に5月号には時期的に間にあわなかったので、6月号になりました。おそらく先月号でしたら、イラク非戦声明等にもう少し触れられただろうと思いますが、執筆時には既にフセイン政権が崩壊していましたので、むしろイラク戦後に向けての論稿になっています。

私の場合は、特に北朝鮮問題について言及するように求められたので、中東と北朝鮮問題の双方を扱っています(途中まで、「中東、そして東アジア」という副題を付けていました)。記者会見の際、小泉首相の「北朝鮮問題があるから米英イラク攻撃を支持する」という論理を批判する必要を感じ、用意した資料の末尾に「北朝鮮問題についての個人的見解」としてこの問題についてのメモを書いておきました(この資料は送っていなかったので、添付しておきます)。この点について、質問の際に他の月刊誌の編集者の方から質問があり、答えました。このようなことがあったので、北朝鮮問題に触れるように要請があったのだろうと推測しています。

当初書いた原稿の半分ぐらいの字数なのでかなり圧縮してあります。例えば、79頁の「日本外交の歴史的な成功と大失敗」の冒頭は「小泉首相は、北朝鮮問題などを具体的に挙げながら、国連尊重よりも日米同盟を重視して米英の戦争を支持した。同様に、日米同盟を常に最優先すべきだという主張がある。ここには対米随従のみがあって、外交哲学と言えるようなものは何もない。」となっていました。この2つめの文章は割愛しましたが、これは公共哲学フォーラムで議論された岡崎氏の主張を指しており、この次の箇所は、実質的には岡崎批判の意味を持っています。

今日刊行された『論座』を買いに行ったところ、同じく刊行されたばかりの『諸君』の特集「イラクの戦後、東アジアの『戦前』」に次のような記事を発見しました。
岡崎久彦・中西輝政「『正義』と『平和』を秤にかければ…義務としての戦争」
岡本行夫・山内昌之「国連にはもう何も期待できない」
(ちなみに、福田和也の「帝国の影の下でーーわれた属領の臣民ーー」というあきれた副題の文章が劈頭を飾っています!)

正に公共哲学フォーラム349の「御用外交評論家」(山脇先生)のオンパレードという感じです。そして、岡崎氏は、347で紹介した読売の文章と似たことを繰り返しており、34頁でやはり田中明彦・北岡伸一両東大教授の発言を挙げて、"昔ならばこれで論争は決着しているのだが、ワイドショーでは日教組の学校教育だけしか受けていない人たちばかりテレビ局が起用するから、「ヘン」な影響を受けて反戦デモをしたりする人が増えてしまうんですね」と述べています(別項を参照)。

さて、こうなると、デモにも出かけた千葉先生や私は、どうなるのでしょうか? 「日教組の学校教育」の影響なのでしょうか? 『非戦の哲学』第7章「運動編」で敢えてマルクス主義への批判的言辞を入れておいたので、このような暴論があてはまらないことは明らかでしょう。

このような岡崎発言を改めて見て、私が提起したいのは、次のようなことがらです。

●「御用評論家」「御用知識人」「曲学阿世」批判の必要性…その実態を批判できるのは、やはり(「御用」ではない)研究者であり、知識人でしょう 。 学問そのものを知らない人は、岡崎氏が「東大教授は現在はこのような意見を持っている」と断言すれば、それに反論する事ができないからです。このような発言の虚偽を暴くことは、やはり公共的知識人の社会的責任だろうと思います 。そして、特にいわば日本版「新保守主義」(ネオ・コン)批判は特に重要だろうと思います。

●平和のための知識人・研究者の連帯の必要性…それにしても、このような暴言を可能にしてしまうのは、現在の論壇の状況を反映していると言わざるを得ません。いわゆる総合雑誌を見ると、確かにタカ派的「知識人」が主流であるような印象を受けるからです。そこで、「今は保守的東大教授の権威に服していた昔とは時代が違うので、知識人・研究 者の多数は決して田中明彦・北岡伸一両東大教授の意見に賛成しているわけではなく、従って論争が決着しているわけではない」ことを公共的に示す必要があると思います。そして、平和志向の側で、その存在を連帯して公共的に示すべきでしょう。イラク非戦声明は、その起点になりうるだろうと思います。

この双方の目的に鑑みて、『地球的平和の公共哲学』と『論座』特集は、重要な第1歩になりうるだろうと思います。まず、『地球的平和の公共哲学』を見れば、数多くの知識人・研究者が戦争に賛成しているわけではないことが一見して明白になります(東大教授も多数入っています!)。ここから、平和への知識人・研究者の連帯をさらに作っていきたいと愚考します。

しかも、これは公共哲学叢書の一つですから、「曲学阿世」とは違って、まずは平和問題を考える学問的基礎を提供することができます。そして、その上に『論座』のような評論を提示して、日本版ネオ・コンの議論に対置すれば、確かな学問的議論の上に立つ(御用ではない)批判的評論の存在を社会に示すことができるでしょう。少なくとも、日本版ネオ・コンの議論で論争が決着しているわけではないことは、万人の眼に明らかになるでしょう。

そのような意味で、『論座』特集と『諸君』特集は明瞭な対照性を示しています。『地球的平和の公共哲学』と『論座』特集などが起点になって、少なくともこのような暴言を公共的に吐くことができなくなるように、今後も「平和のための努力」を続けていきたいと思います。

小林正弥
公共哲学ネットワーク代表
http://homepage2.nifty.com/public-philosophy/network.htm
http://global-peace-public-network.hp.infoseek.co.jp/
    
●『諸君』6月号、岡崎発言、54頁。
「その点、昔と違って、東京大学の先生は立派な方が増えた。3月初めのある公開セミナーで田中明彦教授が「@米国のイラク攻撃は正当、A安保理決議はあった方がよいが、無くとも良い。B日本は米国の立場を支持すべし」と明言された。傍らにいた北岡伸一教授も大筋で同意見だったので、私は思わず口をはさんで、『昔は重大な国際的国内的政治問題が起こると、新聞は社会面に東大の政治学の教授の意見を掲載し、国民は『ああ、そういうことなのか』と啓発されたものである。その後、東大法学部は永い間左傾化して権威を喪失して、誰もその発言を顧みなくなっていたが、そういう時代も終わっている。この二人の東大教授の発言がある以上、昔なら、アメリカのイラク攻撃が正当化か否かの論争は決着している』とコメントしました。
ただ、時代は、ワイドショーの時代となっていて、こういう立派な識者の冷静な議論をじっくり国民に聞かせようとしないで、思想的背景としては日教組の学校教育しか受けていない人ばかりテレビ局が採用するから、ヘンな影響を受けて反戦デモをしたりする人が増えてしまうんですね。」                      
  

■ 平和に向けてできること(2003年5月7日)
メッセージ21で書きましたが、公共哲学ネットワークで出した本の購入を友人たちに勧めるメールを出しました。
3400円の、しかも内容が難しそうな本です。
平和のためにできることはいろいろありますが、まずは意思表示が大切です。
デモに参加するのも一つですが、本を購入することもその一つかも知れません。

すぐに7人から返信がありました。
4人は購入の知らせ、一人は購入しないという知らせ、もう一人は平和に関する感想でした。
一人は検討したいというメールでした。
また、このやり取りが縁になって、黒住真さんからメールをもらいました。
私のホームページにあった、前岡さんの本に関心を持ってもらったようです。
黒住さんのホームページも見せてもらいました。とても興味のある分野の研究者でした。
最近、ぺりかん社から『近世日本社会と儒教』と題する600ページ近い大著を出版されています。
いつかチャレンジしようと思っています。


反対者の方は、平和に反対なのではなく、実践者です。
私は実践と思索は表裏一体のものと考えていますから、実践者の方にこそ読んでほしいのですが。
この人は私のことをよく知っている人です。

もう一人の人からは、中途半端な勧め方だと怒られました。
勧めるならばともかく購入しろといえ、といわれたのです。
その人も、実はとても社会的な活動をしていますが、遠慮しながらの呼びかけをしていて、呼びかけた人から同じ指摘を受けたそうです。
今回の私のメールで、その指摘の意味がわかったというメールでした。
その人の人柄を少しだけ知っているものとしては、納得できるアドバイスでした。

購入すると言ってきた最初の人は、書籍の売れ行きが世論をかえる社会運動になると面白いと言ってきました。
「ハリーポッター」の爆発的な売れ行きも社会に影響を与えましたが、あれも多くの人は読んでいないと思います。
私は3冊目までは完読しましたが、

私のメールやホームページで、本の売れ行きが変わるはずもありませんが、しかし歴史の始まりはこうしたちょっとしたことなのでしょうね。ちょっとうれしい体験でした。