公益法人改革に関する松本さんのホームページへの投稿文

ホームページをひと渡り拝見しました。
松本さんの思いと実践に共感します。
しかし、内容を理解するのが大変で、正直言って、よくわかりません。

私は「みんなが気持ちよく暮らせる社会の実現」を目指して、さまざまな市民活動をつなげていく活動をささやかに実践している人間です。
視座は、地に足つけて汗している個人に置くように努力しています。つまり、組織や制度から発想するのではなく、生活や個人から発想するようにしています。
今回の公益法人改革に関しては、いつものように形式的な情報開示といわゆる有識者という、必ずしも現場を知らない人たちだけの議論であり、正直に言えば、明確なビジョンが見えない、瑣末な制度論議だと思っていましたから、関心を持っていませんでしたが、今年初めに、そこに秘められた「意図せざるビジョン」にいささかの違和感を持ち、関心をもつようになりました。しかし、どうも議論のやり取りが理解できずに、脱落した者です。今はまた、制度はどうでもいいから、現場の活動をしっかりとやりたいと考え出しています。しかし、それでも少しは関心があります。有識者や行政には、せめて現場の活動の邪魔だけはしてほしくないと思っていますので。

細かな論点については議論する準備が不足しているので、大きな疑問点だけを書きます。

■今回の改革で、どのような社会を目指すのですか。
今回の動きには、公益という言葉も含めて、これまでの統治発想や経済主義は感じられますが、たとえば最近、関心が高まってきている市民社会論やソーシャル・キャピタル論に見られるような、社会のパラダイム転換のような方向性が見えないために、ほとんどの議論(NPO側も)が、これまでの権益構造の延命策にしか感じられません。最近の行政評価の議論にも見られるように、ビジョンや価値論議のない、制度論や手続き論は、目的の視座を変えれば全く反対の議論ができますから、今のような時代の変わり目には危険です。『改革』は、手段ですから、目的のあいまいな改革は全く意味がありません。そんな虚しさを感じます。松本さんのビジョンはどういうものですか。

■改革を通して実現したい積極的な価値をもっとわかりやすく見せてほしい。
言葉はたくさん並んでいますが、難しすぎます。地道に汗して活動している実践の立場からいえば、それで私たちにはどういう支援になるのですか、と言いたいです。つまり、これまでの制度はすべてが「管理・統治」のためにあり、規制の視点です。新しく育ちつつある動きを支援するという発想で考えると、制度や仕組みの枠組みは全く変わってきます。そうした視点はあるのでしょうか。これもビジョンにつながります。今の議論は、「例外的」な問題(それが多くなっている?)を改善するために発想されていますから、真面目にやっている組織にとっては支援どころか、迷惑になるかもしれません。そういう姿勢はそろそろやめてもいいのではないですか。霞ヶ関から見えているのは、内輪だけかもしれません。それ以外の世界はもっと健全かもしれません。それに、公益ということを語るのであれば、もっと現場に出てきてください。今のような時代の変わり目に大切なことは、現場に立ち戻ることではないかと思います。

■大切なのは組織の透明性ではないですか。
公益性をだれが決めるのか、という議論は全く意味がないと思います。公とは何かによって決まります。公が国であれば国が決めればいいです。しかし、公がもし「みんなのためになること」であれば、みんなが決めればいいです。
「みんな」とはだれかという問題もありますが、「みんな」が決めるためには、組織や活動の実体と実態が「みんな」に見えなければいけません。そして、「みんな」が参加できなければ、「みんなのため」などとはいえません。大切なことは組織の透明性と社会との関係性です。そこをもっと保証することが大切です。そうしたところの議論がないまま、言葉だけで議論していて、大丈夫なのでしょうか。少なくとも、現在の問題の実態をもっとわかりやすく露出してから議論すべきではないですか。

共感したと言いながら、勝手な発言をしてしまいました。
しかし、松本さんの行動は応援しています。