土とのふれあいを考えるコーナー
土とのふれあいがなくなったことが、現代の最大の問題と私は考えています。
ここは、土をテーマにした活動を紹介するコーナーです。
いつか実践活動もお誘いする予定です。
■藏田正章さんからの手作り野菜便(2004年12月27日)
福岡県に転居して、悠々自適の晴耕雨読生活をエンジョイされている蔵田正章さんから自慢の作品が届きました。
手作り野菜です。
義祖母の野菜便はなくなりましたが、
我が家はとても幸せなことに、いろいろな人から野菜が届くのですが、藏田さんからのは驚くほど立派です。
凝り性の藏田さんの性格が出ています。
ネギ、里芋、大根、かぶ、人参、ほうれん草、小松菜、じゃがいもなどがぎっしりと大きな箱につまってきました。
藏田さんからのメールも届きました。
相次ぐ台風で3度種蒔きをした冬野菜が食べれるようになりました。
原始農法で作った野菜なので、店頭の野菜のように器量は良くありませんが、味は「野菜らしさ」があります。
知人にも菜園を開放していますが、「趣味で作った野菜」となかなか好評のようです。
佐藤さんにも試食して頂きたくて、今日、クロネコで少し送らせていただきました。
まだまだ、キャベツ、ブロッコリー等沢山の野菜を入れたかったのですが、
最近、行政と付き合っているためか箱に中身を合わせる習性がつき、それに従いました。
最後のところには、いろいろな意味が含まれています。
藏田さんとは仕事の関係でお付き合いが始まり、とてもお世話になりました。
定年退職後、郷里の福岡県の椎田町に戻られたのです。
見事な人生の切り替えで、その後は、地域活動をする傍ら、農作業を楽しんでいるようです。
藏田さんらしい生活を楽しまれているのが、見事な野菜から伝わってきます。
早速、今夜は野菜たっぷりの食事を楽しませてもらいました。
■大分の花竹農場からの便り(2004年12月5日)
大分県国見町で農業に取り組んでいる竹沢孝子さんから毎年の便りが届きました。
竹沢さんのことは以前も何回か紹介しましたが、
ご夫妻(パートナーは花崎雅博さんです)で農業をしたいと国見町に転居したのです。
その花竹農場(これは私が勝手に名づけている名前です)から、農作物の年間報告が届きました。
心を込め、手をかけた農産物の販売もしています。
竹沢さんの許可が取れたら、このホームページでもご案内します。
良かったら購入してください。
ご関心のある方は竹沢さんをご紹介します。
おかげさまで、私たちには各地のさまざまな手づくり食材が届きます。
郵送料のほうが高い場合もすくなくありません。
それはお金の問題ではなく、エネルギーの問題ですから、本当はあまり良いことではないかもしれません。
理想はやはり地産地消です。
エネルギー的・環境的には好ましくないかもしれませんが、
心のふれあいや人のつながりという点では、大きな意味があります。
このあたりに、これからの経済システムを考える大きなヒントがあるような気がします。
■ローカル・ジャンクション21戦略会議(2004年11月2日)
ローカル・ジャンクション21が経済産業省の助成を受けて、新しいコミュニティビジネス起こしに取り組んでいます。
今日は経済産業省や事務局の三菱総合研究所などとのミーティングがありました。
私もローカル・ジャンクション21の理事として参加しました。
このプロジェクトは、どうせやるなら中途半端にではなく、産業パラダイムを変えるくらいの姿勢で取り組んでほしいと考えているのですが、
それはローカル・ジャンクション21の今の体制では難しい話です。
しかし、そのための芽を創ることはできるはずです。
もう一人の理事の澁澤寿一さんも、ほぼ同じ姿勢なので、ローカル・ジャンクション21の浦嶋さんと朝田さんは大変です。
モノを売ってお金をもらうビジネスではなく、知恵を出し合って価値を創るビジネスが、これからは大切だと思っています。
その結果として、モノが動きお金が動くわけです。
そういうビジネスモデルが創出できるかどうか、少し心配しながら期待しています。
来年3月には発表できると思います。
■宝蔵院での銀杏拾い(2004年9月30日)
女房と一緒に、菩提寺である近くの宝蔵院に銀杏を拾いに、朝、行ってきました。
大きな銀杏の樹が1本あり、それは誰でも拾っていいことになっているのです。
昔はともかく、最近は拾う人もあまりいないのでしょうか。
女房も私も、そうした自然からの恵みをもらうととても幸せになるタイプなのです。
拾った銀杏は小粒ですし、お店で買えば500円もしないでしょう。
しかし、何かとてもうれしい気分になります。
昔は栗拾いや野草摘みなど、自然の恵みに感謝する機会がたくさんありました。
それがどんどんなくなってしまっていることは残念です。
昨夜の台風の風で、今日はだいぶ落ちていました。
うれしい収穫です。
500円どころではない、もっと大きな幸せをもらいました。
今日は台風一過の青空です。
豊かな1日になりそうです。
■ヨシ研究所所長の西川嘉廣さん(2004年9月11日)
東近江環境保全ネットワーク代表幹事の丹波道明さんに近江八幡を案内してもらいました。
丹波さんとお会いするのは10数年ぶりです。
丹波さんは、前にも書きましたが、私が東レに入社した時の最初の上司です。
会社を辞められてから、介護の問題にも関られたそうですが、
介護保険などの制度が整ってきたので、環境分野へと活動を移し、
今はヨシや琵琶湖内湖の環境整備に取り組んでいます。
丹波さんは安土町にお住まいですが、
近くの西の湖のヨシは昔から琵琶湖水郷特産江州ヨシとして有名だったそうです。
琵琶湖には以前はたくさんの内湖がありましたが、今は面積が大幅に減っています。
西の湖は、残ったなかでの最大の内湖です。
そこが丹波さんたちの活動の場です。
昔は淡水性の真珠もとれたようですが、最近は原因不明で育たなくなっています。
原因不明が問題だと丹波さんたちは考えています。
水には私たちの生活や経済のすべてが象徴されていますから、
これはこの地域の環境問題にとってのシグナルといえるでしょう。
丹波さんたちの活動は多岐にわたり、しかもホリスティックです。
自治会の自立化や西の湖ブランドのヨシ商品開発など、わくわくするようなテーマがたくさんあります。
地方に仕事がないなどというのは、狭い経済主義にこりかたまった官僚や有識者の言葉でしかないことがよくわかります。
丹波さんが一緒に活動されているのが西川嘉廣さんです。
西川さんは、江戸時代から続く近江八幡の葭卸商「西川嘉右衛門商店」の17代当主です。
薬学博士で、国内外の大学での医学関係の研究教育活動の後、郷里に戻り、
自宅敷地内にヨシ研究所、ヨシ博物館を開設し、ヨシの活用普及に取り組んでいます。
丹波さんに、西川さんを紹介してもらいました。
西川さんは道を究めた洒脱な好々爺という感じでした。
女房や、その友人たちも同行したのですが、実に気さくにお話を聞かせてもらいました。
近著「ヨシの文化史」(サンライズ出版)をもらいました。読ませていただき、その博識ぶりに驚きました。
ヨシ研究所やヨシ博物館は、まだ西川家の土蔵を利用したものです。
あふれるばかりの資料やヨシ関連の品物が所狭しと並んでいます。
海外からも見学者が来るそうですが、これではちょっともったいないと思います。
他にもまだ、2つの蔵にたくさんの古文書が残っているそうです。
近江八幡市は大事な地域資源にまだ十分気づいていないようです。よくあることですが。
どなたかこれらを整理展示できる場づくりを支援する人はいないものでしょうか。
いつもこうした所を見せてもらうたびに、そう思います。
若い頃にもっとしっかりと稼いでおけばよかったです。はい。
■田んぼの守構想(2004年9月3日)
コムケアのメーリングリストが、ますます盛り上がっていますが、
そこに丹波道明さんからこんな提案がありました。
(東京の)どこかで実験的に水田を造り稲を育て、
刈り取った後も水を張っておく(冬季淡水)すると、
驚くほど多種多様な生き物(気持ちの良いものだけとは限りませんが)が戻ってきます。
何代も前に東京に出てきた人も瑞穂の国のDNAを持っていますから、きっと人もまた集まってくるように思うのです。
うまく行けば豊島区の公園に古代米からコシヒカリなどの田んぼだらけになる。
並みの緑地ではない公園が出来上がる。
田んぼの守は、公園に寝泊りする人にしてもらう。
とれた米で故郷の自慢料理を作り上げ、
日ごろ迷惑そうにしている健全な市民に、マクドナルドの前で振舞うなどで自立支援のツールとする。
これは、環境クラブの増山さんの問題提起への返信なのですが、心から共感しました。
特に最後の3行が最高ですね。
「公園に寝泊りする人」はもちろん「ホームレス」であり、
「健全な市民」は私たちのような「自由を売り渡して不健全な生活をしている人」であることはいうまでもありません。
そして、極めつけは、「マクドナルドの前で振舞う」です。
私は日本のマクドナルドの創業者の藤田田さんを許せないと思っている人間ですので、拍手喝采というところです。
これに関して、山谷や兵庫でホームレス支援に取り組んでいるコムケア仲間などからも投稿があり、
議論は盛り上がりましたが、これは魅力的な構想です。
国土交通省の都市整備局の工藤さんにも提案したくなりました。
メールを送ることにしました。
先日の研究会以来、さまざまな案内や呼びかけをしているので、工藤さんは迷惑をしているでしょう。すみません、
しかし、この提案は感激してもらえるかもしれません。
いや、ちょっと甘いでしょうか。やはり迷惑かな?
しかし、なんと工藤さんたちが関心を持っていた不耕起栽培に取り組んでいる岩澤信夫さんとも、丹波さんはつながりがあるようです。
もしかしたら、可能性があるかもしれません。
急に丹波さんに会いたくなりました。
ところで、丹波さんから、こんなメッセージも届いています。
私の提案をもとに面白く脚本作っていただいて映画にならないかと思っています。
どうでしょうか、どなたか一肌脱いでくれませんか。
次回の宝くじで3億円当たったら、私が取り組みますが。
■フードインストラクターに向けての食育通信講座(2004年8月25日)
先月、食育通信講座とフードインストラクターについて予告的な記事を書きましたが、
いよいよ動き出しました。ホームページができました。
このプロジェクトはJOBAの加藤雅之さんがプロモーターです。
現在の「食の危なさ」を変えていくために、NPOみんなの食育が中心になって、
生命の基本を学ぶ本格的な食育講座が10月からスタートしますが、
その受講生募集に荷担することになったのです。
みなさんのまわりに、もし関心のある人がいたらぜひお勧め下さい。
ホームページをみてもらえると詳細が書かれており、そこから申し込めます。
ちなみに、上記のホームページから申し込むと、ここに手数料が振り込まれるのだそうです。
1万人くらいが申し込んでくれると楽ができそうですね。
こういうスタイルのビジネスが広がっているのでしょうね。
ビジネスのあり方が急速に変化しているのが良くわかります。
どのくらい手数料がもらえたかは、また報告します。
ところで、肝心のこの通信講座とフードインストラクターですが、その発展性に関心を持っています。
順調にスタートできれば、きっと面白い展開が可能になるはずです。
この分野の周辺の活動はかなり接点があるのですが、もう一つ物語が描けません。
このプロジェクトが何か新しい風を起こしてくれることを期待しています。
詳しくはお知らせのコーナーをご覧下さい。
■森林づくりビジョン共創フォーラム(2004年8月20日)
滋賀県の廣瀬正明さんから、森林づくりビジョン共創フォーラムの案内が届いています。
お知らせにも掲載しましたが、昨年の記録を漸く読ませてもらいました。
感激しました。
特に、その中に出てくる新潟県上越市で活動している協働組合ウッドワークの関原剛さんの話は刺激的でした。
こうしたNPOが増えてくれば、日本の社会も健全になるでしょう。
その記録は、次のサイトにあります。
http://www.pref.shiga.jp/d/mori/fo-03
ぜひお読みください。
NPOの事がきっと理解できます。
頭だけで、森林問題を考えていると会の有識者たちにも、ぜひ読んでほしいです。
ところで、この案内をくれた廣瀬さんとは一昨年にお会いしました。
最初の議論が「協働と共創」でした。懐かしい議論です。
廣瀬さんは件の職員ですが、やまんばの会という活動もされています。
こういう人が行政を変え、地域社会を変えていくのでしょう。
廣瀬さんとのメールのやり取りの中で、いろいろな人を引き合わせたくなりました。
比良山のさとやまづくりの三浦美香さん。
三方ヨシの丹波道明さん。
みんなこのホームページ2登場した人です。
異質な出会いが、また新しい物語を生み出すとうれしいです。
このホームページが、そうした出会いの場になれば最高にうれしいです。
滋賀大学教授だった大村和夫さんから、滋賀は元気だという話をお聞きしていましたが、本当に元気のようです。
■ローカル・ジャンクション21戦略会議(2004年8月2日)
ローカル・ジャンクション21が経済産業省の支援を受けて、
日本各地の自然を守ることを目指した「むらとまち」モノづくり共創事業に取り組みだします。
コアメンバーが集まっての「戦略会議」(名前がよくないですが)が行われました。
集まったのは、事務局の2人と
ローカル・ジャンクション21理事の澁澤寿一さん(樹木・環境ネットワーク協会)、
結城登美雄さん(民俗研究家)、
そして私。私もいつの間にか理事になってしまいました。困ったものです。
さらにウォーターサテライトの山本哲さんと増刊現代農業編集長の甲斐良治さんです。
今回、取り組むプロジェクトのコンセプトと具体的切り口に関して、意見交換しました。
内容はローカル・ジャンクション21のホームページにお任せするとして、
私にはとても興味深かったことを一つだけ紹介します。
結城さんからお聞きした、町の豆腐屋の話です。
昔は1000人に一軒、豆腐屋があったそうですが、最近はどんどん無くなっているそうです。
結城さんは豆腐屋がなくなると、その町はおかしくなっていくという感覚をお持ちのようです。
とても納得できる話です。
コムケア仲間の町田市のもやいの会は、作業所での豆腐づくりに取り組み成功していますが、
代表の五十嵐さんが学んだのが、蔵王のはらから豆腐です。
このはらから豆腐にも結城さんはつながっているようです。
とてもうれしい発見でした。
本物はみんなどこかでつながっていることを改めて感じました。
つながりを壊して発展した工業と、つながりを育てて持続する農業との、原理の違いが見えてきます。
農業的なモノづくりをもっと真剣に考えたいものです。
豆腐屋が減る一方で、町のパン屋さんが増えています。
これに関しては、私はちょっと複雑な気分です。
ところで、この集まりのことを聞いた山形の長井市の人が、大きなスイカを送ってくれました。
ローカル・ジャンクション21の応援団は全国にいるようです。
ローカル・ジャンクション21のホームページもぜひ見てください。
■ローカルジャンクション21の大構想(2004年7月14日)
今日、最後の来客はローカル・ジャンクション21の浦嶋さんと朝田さんです。
ローカル・ジャンクション21のホームページは最近、どんどん進化しています。
もちろん活動が広がり発展しているからですが。
ぜひご覧下さい。面白いイベントの呼びかけもあります。
今回の相談はとても大きな構想です。
しかも、両刃の剣のような、可能性と危険性を持った構想です。
もっと平たくいうと、私が理想とする経済システムと私が一番嫌悪する経済システムとの、
いずれの要素も含み、いずれにも向かう大きな可能性を持っている構想です。
結局、私も巻き込まれることになりました。
さて、どうなりますか。
思わせぶりな書き方ですが、
ローカル・ジャンクション21のホームページでまもなく発表されると思いますので、内容はそちらをご覧下さい。
ローカル・ジャンクション21は、時代の流れを受けて、順調に発展しています。
さまざまな人や活動と触れ合える「ジャンクション」です。
参加されませんか?
■ローカル・ジャンクション21からの相談(2004年4月28日)
ローカル・ジャンクション21の浦嶋さんがコミュニケーション研究会をはじめたいと言い出しました。
それについて話し合う会がありました。
集まったのは、ローカル・ジャンクション21の朝田さんと浦嶋さん、そして私のほかに2人。
その2人は私には初対面です。
農文協の「現代農業」増刊号の編集長の甲斐良治さんと神奈川県国際交流協会の小山紳一郎さんです。
現代農業増刊号は、私も時々の読者です。
国土交通省が農業に関心を持っていたという話をしたら、
甲斐さんから、土建と農業はコインの表裏なのだと説明を受けました。
まさにコロンブスの卵です。
すっきりしました。
日本の土建産業は、農業であり、社会福祉だったのです。
そう考えれば、前回の勉強会で、農業と町内会に関心が向けられていたことがよくわかります。
小山さんは、長洲さんの地球民主主義を基盤にした民際外交に関心をお持ちのようです。
うれしいことに、神奈川県にはまだその文化が残っているようです。
情報リテラシーや市民メディア、さらには演劇ワークショップなどの話をされました。
どうやら共通する友人知人がたくさんいそうです。
コムケア仲間とのつながりもいくつかありそうでした。
10時すぎまで、いろいろと話しあいましたが、
結局、研究会よりも現場知を直接つなげて行くのがいいという方向になりました。
ローカル・ジャンクション21が関わっている現場は、とても豊かです。
そうした場をつなげていくだけで、新しい物語は創発されます。
まさにコムケアの発想です。
コミュニカビリティを高めるための効果的な方法は一つしかありません。
世界を広げることです。
手法を学ぶことではありません。
私はワークショップのファシリテーターとしては、それなりに自負していますが、
その基本は世界の広さです。
知識の多さやメソッドではコミュニケーションはできません。
■ ローカル・ジャンクション21(2004年3月26日)
浦嶋さんと朝田さんは、悩める行動家です。
ローカル・ジャンクション21は着実に発展しています。
ホームページをぜひご覧下さい。
仲間も広がっています。
しかし、彼らも会費をとれないのです。
会費に見合ったサービス提供ができるだろうかと悩んでしまうのです。
今回はコミュニケーション研究会なるものを提案してきました。
その相談に入る前に、お互いに別の話ばかりしていたために、
次の来客が来てしまいました。
それでよくわからないままに、引き受けてしまいました。
何かよく わからないですが、面白い研究会がはじまるようです。
みなさん参加してください。
ローカル・ジャンクション21のホームページか、私のホームページに近々案内が載ると思います。
全国各地の、土とつながったほんものの活動と触れ合う会になるはずです。
ローカル・ジャンクション21入会ご希望の方はご連絡下さい。
■ 食育に取り組む風土倶楽部スタート(2004年1月18日)
ローカルジャンクション21がいよいよ本格的に動き出しました。
具体的な活動内容は、リニューアルされたホームページをぜひご覧いただきたいのですが、
その柱として、風土倶楽部がスタートしました。
そのお披露目も兼ねて、昨日今日と、東京国際フォーラムで開催された
「第1回食育総合展」の「地産地消・スローフードのおすそ分けコーナー」に、
各地の自然のなかで育ってきた商品を少しずつ展示即売するブースを出展しました。
大好評で、浦嶋さんや朝田さんも、てんやわんやでした。
プラネット・フォーまちづくり推進機構の中村良三さんも、ご自身が開発に関わった宮古島の塩の説明をしていました。
ちなみに、ローカル・ジャンクション21は「食育」について、次のように考えています。
本来、日々の食は、
代々その土地で暮らしてきた知恵や心に直接つながるものでした。
私たちの食卓が、自然や生産者と遠く離れつつある今、
その背景にある自然のこと、
食べ物をつくってくれる生産者のこと、
家族のためにおいしい料理をつくってくれる人に思いを馳せ、
「食」に関心をもち、考える習慣を身に着けようというのが「食育」です。
また、ローカル・ジャンクション21では、
2月28,29日秋田県阿仁町で「雪とお酒とウサギ」を楽しむ会を開催します。
先着15名だそうです。ご関心のある方はお急ぎください。
http://www28.cds.ne.jp/~localj/tabi/ani01.html
それにしても、このフェアはすごい人気です。
人がごった返していました。
食生活への意識は大きく変りだしているのです。
生産者は流通業者に騙されてはいけません。
しかし、その一方で、
安心安全が商業主義によって「浪費」されているのではないかという疑念ももちました。
実にさまざまな協会や活動が展開されています。
それらのパンフレットなどをみると、ちょっと違うのではないかと思いたくなるような気もしますが、
まあ、関心が高まることはいいことです。
■ ローカル・ジャンクション21(2003年11月17日)
ローカル・ジャンクション21がいよいよ本格的に動き出します。
というか、これまでも何回かこうした言い方で書き込んだような気がしますが、
中心にいる浦嶋さんと朝田さんが、ともかく本物の仕組み作りにこだわっているために、
活動はどんどん進んでいるのですが、組織化は遅れています。
が、今度こそ、スタートです。
まもなくローカル・ジャンクション21のホームページに発表され、参加の呼びかけが開始されます。
また、来年の1月には東京国際フォーラムでの食育フォーラムで公式のお目見えも行います。
ご期待下さい。
日本を変える仕組みになるかもしれません。ならないかも、しれませんが。
詳しくはホームページをご覧下さい。
今日の集まりには、佐川旭さんとプラネット・フォーまちづくり推進機構の中村良三さんが参加しました。
ちなみに、中村さんとは初対面ですが、
プラネット・フォーまちづくり推進機構の組織モデルは、わがインキュベーションハウスとほとんど理念とスタイルが一緒です。
違いは、うまく展開しているか、していないか、です。
もちろんダメ組は、わがインキュベーションハウスです。
困ったものです。がんばらないといけません。
■ ローカル・ジャンクション21(2003年11月4日)
久しぶりのローカル・ジャンクション21です。
といっても、私が最近、なかなか参加できずにいるだけで、
中心者の浦嶋さんと朝田さんは、全国とびまわっています。
なんと私が行けなかった山口県の日置町まで行っています。
ここはコムケアの里の舞台になるところです。
日置族ゆかりの地でもあります。
いよいよローカル・ジャンクション21も本格的に動き出します。
その具体的プログラムとして、風土倶楽部なるものがスタートします。
そのビジョンとスタイルについて意見交換しました。
キャッチフレーズは「風になって土を知ろう」です。
内容はホームページをみてください。
どこかに似たようなのがあると、もしかしたら思うかもしれません。
しかし、全く違うのです。
私が保証します。
入会してみたら、必ず納得してもらえるはずです。
なにしろこの仕組みを構築するために、2人は本気で取り組んできたのです。
子どもたちにいい社会を残したい人、
豊かな老後を過ごしたい人、
おいしい食材が食べたい人、
ともかく皆さん、入会しましょう。
きっと人生が変わります。
■ 美野里町農業委員会(2003年7月28日)
美野里町農業委員会の坂本絹江さんにお話をお聞きしました。
坂本さんからは総合計画策定時にもお話を聞いたことがありますが、今回はしっかりと農業委員会についてお話を聞きました。
農業委員会は農地の権利移動、たとえば農地を宅地に転用する許可を与える組織です。
その委員は農業者が中心です。面白いと思いませんか。
農地はもちろん私有地ですが、勝手には宅地転用はできません。
それを認可するのは農業者が中心の委員会なのです。
現在の私的所有権はローマ法の概念ですが、
それとは別の流れのゲルマン法理体系に「総有」という概念があると、昔大学で学びました。
すごく新鮮な発想だったので、今でも覚えています。
私のコモンズ発想にも影響を与えています。
まさにそうしたことが、日本の農地でも行われているのです。
農業委員会は多分形骸化していますが、仕組みとしては面白いです。
やはり農業から学ぶべきことはたくさんあります。
もう一つ面白い話を聞きました。
最近、小作が増えているというのです。
耳を疑いましたが、間違いありませんでした。
その意味は、小農が自らの田畑の自耕作を放棄し、大規模経営者や会社などに貸すのだそうです。
大規模経営者や会社が小作農するわけです。
実態は「小作」ではなく「大作」なのです。
農業委員会はいま、制度改革の検討が進められています。
その資料も読みました。
農業関係者だけの話ではないはずですが、なぜか話題にはなりません。
こうした事が、至るところで進められているのでしょうね。
国家がどんどん壊れていくはずです。
■ 山形市の佐藤一大さんのメール(2003年7月8日)
山形市の高齢福祉課の佐藤一大さんからメールが届きました。
山形のさくらんぼに関する、とてもいい話が書かれていました。
ぜひみなさんにも読んでもらいたくて、転載させてもらいました。
山形のさくらんぼは、昨年、農薬問題で話題になりましたが、その影響が出ているようです。
以下は一大さんのメールです。
「去年の農薬騒動から,さくらんぼにも低農薬,無農薬の流れがきています。
ただ,どうしても遠方に送るときは,無農薬というのが難しいらしいです。
果実に斑点がでてしまい,消費者に嫌われるというのが生産者の理屈みたいです。
でも考えてみると,「理屈」ではなく「事実」のような気がします。
私の場合,大半は妻の実家(東根)からさくらんぼをもらっています。
その他も,知り合いのさくらんぼ生産者からもらいます。
そういうさくらんぼは,流通ルートにのらないさくらんぼです。
斑点があったり,大きさも含め,形が悪かったり,実割れしていたり,そんなさくらん
ぼです。
実割れしているさくらんぼのなかには,割れたところがしなびたり,腐れ始めたもの
もあります。
そういうのも,私たちは塩水で洗って,くさったところは削いで食べています。
割れちゃってるのはおいしいんですよ。熟れてるから割れちゃうのですから。
でも,そうできるようになったのは,つい最近のことです。
きれいな赤い(黄色もありますかね)さくらんぼだけ食べてたころには,とてもそん
なことはできませんでした。
雨があたると割れてしまい,割れるとたちまち腐ってしまう。
くさってなくても色つきが悪い,形が悪い・・・
そんなのは,出荷できない・・・ほかの農作物も同じですね。
話は戻りますが,そんななかでも低農薬,無農薬の流れは着実に進んでいます。
手間がかかりますので,価格はさらにあがるかも知れません。
でも,その価値は上がりますよね。
ちなみに農薬騒動,山形は,ほかの地域から笑われているそうです。
そんなの蓋をしてしまってしまえばよかったんだということらしいです。
実際に蓋をしてしまった都道府県だらけだそうですから。
でも,山形にとってはとてもよかったのかもしれません。
生産者の多くが,さくらんぼだけでなく,ほかの農作物にも手間をかけるようになっ
ていますし,そうすることが楽しいという言葉も聞こえてきていますから。」
とても感動的な話です。
経済主義で考えることから自由になれば、世界は変わっていくことが、このメールから確信できます。
みなさんはそう思いませんか。
■
美野里町農業部会と耳の会(2003年7月25日)
まちづくり会議のなかに「まちづくりの視点から農業を考える部会」というのができました。
今日はその初回でした。
住民は女性が3人、男性は3人です。先週紹介した高野さんもわざわざ参加してくださいました。他に職員が6人。
かなり面白い会になりました。
やはり女性が参加したのが、面白くなった理由の一つです。
男性と違って、女性は身体的に動きます。
今日の参加者もいろいろと実践的に情報を集めたりしています。
生活にもしっかりと根付いています。
女性が中心になりだすと、住民活動は面白くなります。
それを男性が退屈なものにしてしまうことが多かったのですが、最近は男性も変わってきました。
この部会は、「産業の視点」からではなく「まちづくりの視点」から、農業を考えていこうと言うことです。
私は、日本の農業者は自信を持って、腰をいれれば、いくらでも成功すると確信しています。
まあ、当事者ではないですから、無責任な確信ですが。
でも農水省や農協の桎梏から抜け出れば、日本の農業には大きな未来があるはずです。
農協や補助金に依存している農業者はうまくいくはずがありません。
それは企業の場合も同じです。
いや、依存して生きている人はすべてそうです。
正直に言えば、最近の美野里町の農業は退屈です。
以前はそうではなかったはずです。
もう10年以上前になりますが、茨城県の「耳の会」がやっていた収穫祭に参加したことがあります。
鉾田町(美野里町の近くです)在住の農民運動家、市村一衛さんがそこで塾をやっていました。
囲炉裏を囲んで、私も市村さんから話を聞きました。
耳の会では土壌菌を使った農業や畜産に取り組んでいました。
EM菌が話題になるずっと前の話です。
内水護さんから、私も土壌菌とそれにまつわる話を聞いていました。
それで興味を持って参加したのです。
その耳の会には美野里町からも2人参加していました。佐々木さんと井坂さんです。
その時はもちろん全く知りませんでしたが、美野里町に通うようになってから、お二人にお会いました。
佐々木さんのアイガモ水田も見せてもらいました。
美野里町の農業サロンにも来てもらいましたが、残念ながら信頼してもらえませんでした。
私の呼びかけは都会者のたわごととしか、受け止めてもらえなかったようです。
当然のことであり、事実、たわごとに近いものですから。
しかし、歴史はたわごとから始まるものです。
私が美野里町に関わりだしてから、ずっと農業に関心を持っていたのは、こうした前史があったからです。
しかし、これまでは刺激的な出会いはなく、もう諦めようかと思っていたところです。
しかし、今日の民さんとの出会いで、ちょっと思いとどまることにしました。
美野里町の農業は変わっていくかもしれません。
もしそうなったら、美野里町も変わるでしょう。
若者が参加しなかったのは残念ですが、今日の会はこれからに期待を持たせる会でした。
■ ローカル・ジャンクション21(2003年5月23日)
地方で「思い」を持って行動している人たちのつながりの場をつくろうというのが、ローカル・ジャンクション21です。
今日はそのキックオフを兼ねての、第1回目のアクティブ・フォーラムです。
全国から50人近い人が集まりました。
ローカル・ジャンクション21に関してはこれまでも何回か紹介してきました。趣意書を別掲しています。
ぜひ皆さん、参加してください。
この会に参加すれば、きっと未来に確信がもてます。
今回のフォーラムの話題提供は、紫波町の「町の森の樹木で、みんなで学校を創った話」でした。
すばらしい事例です。
よくある話のようですが、そんな話ではありません。
紫波町または紫波みらい研究所のホームページをご覧下さい。
まもなくローカル・ジャンクション21のホームページもできます。
本当に知りたい人は、6月8日に、現地でシンポジウムがあります。
この案内は紫波みらい研究所をご覧下さい。
私が感激したのは、設計者の佐川旭さんの思いと紫波町農林課長の杉浦正治さんの行動でした。
二人とも仕事を楽しんでいます。
新しい物語は、いつも「思い」のある人が生み出すものです。
そして、思いのある人のところには、人が集まるのでしょうね。
フォーラム終了後、交流会がありました。
30人以上の人が参加しましたが、そこで自己紹介がありました。
実に魅力的なメンバーでした。
みんな、それぞれの現場を背負った実践者です。
わくわくするような話ばかりでした。
お聞きした話を一つずつ紹介したい思いですが、書ききれません。
いずれどこかで紹介できるでしょう。
次回はぜひ皆さんも参加してください。 すばらしい場です。
現場と思いがあれば、人はみんな輝けるのです。
今は決して、仕事がない時代ではないのです。
さまざまな現場で進んでいる地に足ついた活動をつなげていくことで、
きっと未来が見えてくるのではないかと思っています。
そこをつなぐことで、新しい物語も始まるはずです。
ローカル・ジャンクション21が、そういうさまざまな活動や思いが出会い、
新しい物語が創発される場になっていくだろうと思います。
皆さんもぜひご参加ください。
参加を希望される方は、ご連絡ください。
佐藤修へのメール
■ たてしなファームコミュニティ計画(2003年5月11日)
安江高亮さんは佐久で建設関係の会社を経営しています。
信州まちづくり研究会と言うNPOでも活躍されています。
私は、ご子息夫妻と付き合いがあるのですが、
息子さんによると安江さんはロマンチストで、夢を追い続けている方のようです。
その安江さんが、立科町の一角に、「いのちを育む郷」を目指した会員制のファームコミュニティをつくりたいと考えています。その企画書を今年はじめに読ませてもらったのですが、
一度、現地を見に来ないかといわれ、女房と二人で見に行きました。
中仙道の茂田井宿(雰囲気がまだ少し残っています)の近くの高台です。
一時期、ぶどう畑だったのが今はほとんど放置された荒廃地です。
日本全国には休耕田も含めて、こうした場所が本当に多いです。
日本人は土を耕す民族でした。
日本の農法は、野菜をつくるのではなく、土を育てることでした。
連作障害のある米を連作できるような土とのつきあい方も育ててきました。
この文化が失われつつあることはとても残念です。
土を耕さずに、文化は育てられないと私は思います。
最近の国土グランドデザインは、これからの日本を「ガーデン・アイランド」と言っていますが、
日本の最大の富は豊かな緑だと私は考えています。
数年前に宮崎県綾町の東洋一といわれる照葉樹林を見に行きました。
圧巻されました。
一人でぼんやりと樹林を見ているうちに、環境問題に取り組んでいるのが無意味のように思ったのです。
その時は、環境問題を考えるために水俣から綾へと回ったのですが、
自分の考えている環境問題の小賢しさがとても恥ずかしくなったのです。
2か月ほど環境問題を語る気が起きませんでした。
緑や土とのつきあい方をもう一度、考え直す時期にあるように思います。
ローカル・ジャンクション21は、その一つの試みです。
安江さんは、昨年からハウス栽培でイチゴやピーマンを育て始めています。
安心して食べられる大きくておいしいイチゴです。
ピーマンはアナスタシアです。抗がん作用があるそうです。
通信販売です。ご関心のある方はご連絡ください。
ファームコミュニティも構想がもう少し明確になったら、皆さんにもご紹介します。
■ 土とのふれあいの大切さ(2003年5月5日)
土とのふれあいはとても大切です。
しかし、それを遮断して発展したのが、近代世界かもしれません。
今週は女房と一緒に土に少しだけ触れ合いました。
女房は花かご会という活動をしています。
我孫子駅前の花壇に花を植え、その水やりや清掃をする活動です。
この会の活動をしている時の彼女はとても元気です。
私の元気の源泉は女房ですから、私の元気の源も、土につながっています。
最近、雨が少ないので、駅前の花壇に水をやるというので、一緒に水撒きに行きました。
駅前での行動は、先々週の木村さんの選挙応援依頼です。
駅前花壇の水撒きは結構目立ちます。私などは、まだまだ気恥ずかしさがぬぐえません。
我孫子には駅前商店会がありますが、商店会も最近はまとまりがなくなっているようです。
しかし、自分たちの目の前の花壇の整備さえできない商店会が発展することはないでしょう。
同時に、駅前をきれいにしようという意識が育たない町は発展しないでしょう。
反省して、私も花かご会に協力の申し入れをしています。その第一歩が水撒きです。
私はまちづくりに関して、時々、えらそうな理屈を話しますが、女性は話す前に行動するのです。
わずかな時間の水撒きでしたが、これからできるだけ参加したいと思いました。
土とのふれあいをもっと大切にしたいと思っていた時に、ローカル・ジャンクション21の話が飛び込んできました。
これまでも何回かご紹介しましたが、いよいよ趣意書が完成しました。
掲載します。共感してくださる方はぜひご入会ください。
ローカル・ジャンクション21趣意書
また5月23日のアクティブ・フォーラムにもご参加ください。
この会はきっとおもしろい場に育って行くと思います。なにしろ土と繋がっていますから。
■ローカル・ジャンクション21(2003年4月16日)
ローカル・ジャンクション21の二人がやってきました。
いよいよ動き出すのです。5月23日にキックオフも兼ねて、アクティブ・フォーラムを開催します。
詳細が決まり次第、お知らせでご案内します。
ローカル・ジャンクション21は、土とつながったオープンプラットフォームです。
私は近代の最大の問題は要素還元主義と土からの離脱だと考えています。
土(現場)に根ざした活動をつなげていく、この活動に加担することにしました。
5月のフォーラムのテーマは、紫波町で始まっている地域資源循環型まちづくりの話です。
題して「まちの森が学校になった」。6月には現地でのフォーラムも予定されています。
間もなくこの活動のホームページも開設されます。
この構想に関心のある方はぜひ参加してください。
■ 土とこだわりながらの交流の場づくり(2003年4月1日)
土とのつながりにこだわっている友人たちが、私のまわりにはかなりいます。
私もその一人です。土とふれあうと、なぜか落ち着きます。
おそらく、生命のなかに植物の時代の記憶が組み込まれているからだと思っています。
土との関りにこだわりながら、多様な風土の多様なつながりを育てる場をつくる活動に取り組んでいる、
浦嶋裕子さんと朝田くに子さんとお会いし、
「ローカル・ジャンクション21構想」をお聞きしました。
面白そうな活動です。
なによりもいいのは、それぞれが現場を持っているメンバーですので、現場とつながった仕組みづくりを考えています。
5月には、現場とつながるような、ローカル・フロンティア・セミナーが始まります。
決まり次第、このホームページでも案内させてもらいますが、とても魅力的な場が創出されるはずです。
ローカル・ジャンクション21は、私の活動とかなり重なるところがあります。
どこかで接点が生まれるのを楽しみにしています。
■荒廃した農地を蘇らせる応援をしたいです(2003年1月1日)
福島県で長く農政に関わっていた佐藤弘子さんの思いと決断です。
「私も、穏やかな元旦を迎えることができました。スローライフ、スローフードなどと、頻繁に耳にするこのごろですが、誰もが「質」を高めたい!確かめたい!と願っていることはまちがいないようです。少しお金はたりないけど、自分でちょっと工夫するとすごい価値が発生する。誰のためにでもない自分のために、そして少し皆さんの為になっている。そんなささやかな醍醐味が、家族を喜ばせ、地域が元気になり、そこに生きている人々が、他に掛け買いのないものを得、そこに生きている事にこだわれる。そんな生活が出きるよう自己変革をしようと思って、昨年から少しずつ密かに計画実行しております。
それは、私の両親が、戦後開拓農民として、命のすべてを燃焼させた思いを、時代の流れで風化しそうになっている状況をみて、我慢ができなくなりました。一鍬一鍬耕した畑や田が荒れていきます。誰も耕すものはない。金にならない。農業では食っていけない。跡取りもいなくなり、萱野の荒れた様、雪景色の中に、金色狐がつがいで茅の間から顔をだす。親たちは、子を育てるため、明日の食べる米もない中で、明日の農業を仲間達と熱く語り生きた。貧しくとも崇高な思いは、今の現代人には失われている。勿論自分にも失われつつあることに気づきました。
奮起一転、荒れた農地の再整備を、農作業や森林作業を通じ、自然と共生する楽しさや大切さを、両親の思いを自分の命のルーツにしっかり加えようと思いまして、企画実行中です。開拓に生きた両親の苦労や思いに匹敵することはできないけど、生きる大切さの一頁を・・・・・と思っています。今年の夏には、交流宿泊も出きる建物が完成の予定です。建物の名称は、亡き父と母にとって、「子や孫達」がただいま考案中です。佐藤先生にも、機会があれば是非お越し頂きたいと思います。
そういう意味では、私も、県職員という立場ではありますが、自分の生活を「スローライフ」風に設計して見る年にしたいと思います。」
前段のくだりにまず共感するとともに、後段の決断に感激しました。私に何ができるかわかりませんが、それを少し考えたいと思っています。
私は、農業に関しては全くの門外漢です。しかし、農業が積み重ねてきた知恵は、これからの社会にとっての大切な財産だという気がします。この数十年、私たちは農政といいながら、農業の工業化を進めてきました。それが間違っていたとはいえませんが、何かとても大きなものを失ってきたように思います。
改めて農業から学ぶことが大切ではないかと思います。この思いは20年前からありましたが、どうやって取り組んでいったらいいか、わからずに何もせずに今日になってしまいました。ですから、ぜひとも佐藤弘子さんの構想を支援したいものです。
農業といえば、お恥ずかしいのですが、数年前に東久留米市で関わった研究会の時に書いた雑文を再録させてもらいました。よほどお暇の方はお読み下さい。
なお、この弘子さんプロジェクトに関してはまたご報告させてもらいます。何ができるかがわかりませんが、応援させてもらおうと思います。ご一緒する方がいたらうれしいです。
佐藤修へのアクセス
■富士山緑の輪に参加しませんか(2003年1月1日)
最後は、富士山ナショナルトラストの渡辺健二さんからの年賀状です。
「この度、新たにNPO法人化も目標に『富士山緑の輪』が発足予定です。記念植樹を有料で行い、生育状態をインターネットで継続して見られるシステムをつくります。入会は10000円。会費は年間5000円です。ご支援いただければ幸いです」
今年の初詣は地元の子の神様に行きました。その境内から何気なく遠くを見ていたら、なんと富士山が見えたのです。それもかなり大きく、です。なぜか心が和みました。
富士山の偉大さを改めて実感しました。
富士山は荒廃が進んでいます。そのため世界遺産にも指定されないようです。その富士山をなんとか元気にしたいと、渡辺さんは富士山ナショナル・トラストを立ちあげました。最近はだいぶ知名度も高まり、参加者も増えてきています。
今度は『富士山緑の輪』です。皆さん、参加しませんか。富士山はみんなの財産です。
詳しい事が決まったら、またご案内します。富士山ナショナル・トラストも会員募集中です。バッコヤナギを植える会など、沢山の楽しい行事もあります。
佐藤修へのアクセス
今年の年賀状から、ぜひみなさんにも知っていただきたい事を5つ選びました。まだまだいろいろな話があるのですが、それはまた追々紹介させていただきます。
ことしも新しい物語がどんどん生まれていくのでしょうね。そうした事のいくつかに、ささやかにでも関われれば、と思っています。