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ホスピタリティって何だろう?
北九州市百万にこにこホスピタリティ運動(平成8年2月29日)公開フォーラム記録から
<パネルディスカッションのキースピーチ>
佐藤
今5人の方々の非常に素晴らしいホスピクリティ体験をお聞きした訳ですが、皆さんもホスピタリティのエッセンスをたっぶりと味わえたのではないかという気がします。
その気分をふまえながらこれからはパネルディスカッションという形で会場の皆さんと一緒に「ホスピタリティって何だろう」ということを考えていきたいと思います。
今日は、100日間にわたる百万にこにこホスピタリティ運動の最終日ということですが、これでホスピタリティ運動が終わるわけではありません。この100日間の体験を踏まえて、この運動をどう育てていくかが大切です。このフォーラムがその出発点になるように皆さんも一緒に考えて行くという姿勢で参加して頂ければと思います。
最初に私の方からホスピタリティって何だろうというようなお話をちょっとさせて頂こうと思います。
ホスピタリティの語源はラテン語のホスペス(hospes)と言われています。主催者とお客様という両方の意味がある言葉で、主客一体となった意味を持っていました。したがって、ホスピタリティという言葉には主客一体となって心を通い合わせて、もてなしをするというニュアンスがあります。
ホスピタリティという言葉はあまりなじみのない言葉だと思いますが、その親戚の言葉は皆さんもたくさんご存じのはずです。たとえば、ホテル、ホスピタル(病院)、ホステスなど、みんな語源を同じにする仲間です。そこに共通するのは、相手のことを自分のことと分けへだてせずに、こころをこめて対応するということです。
佐久間会長がご挨拶の中で、面倒がらずにやることが大切だとお話しされましたが、まさにホスピタリティというのはそういうことです。家族や仲の良い友達に対応するような形で応対して行く、もてなして行くというのが本来的なホスピタリティの意味です。家族のためならば、仲の良い友達のためならば少しくらいつらいことも面倒くさいこともそれをいとわずやることが出来るわけですが、それがホスピタリティの出発点です。
ところでホスピタリティという言葉と合わせてサービスという言葉も何回か出てまいりました。サービスとホスピタリティとどこが違うのか。「ホスピタリティ」の語源は、「ホスピス」ですが、「サービス」の語源は「スレイブ」です。奴隷という意味です。「サーバント(召使い)」という言葉にもっながっています。ホスピタリティというのは仲の良い友達あるいは血の繋がった家族との関係という意味で出て来ていますが、サービスというのは主人へ仕えること、あるいは神へ奉仕すること、と言うような形で出て来たものです。非常に大きな違いがあります。つまり友達や家族というのは、目線が同じで、人間としての付き合いです。ところが、サービスと言うのは神に奉仕する、主人に奉仕するということで、目線でいえば、下から上を見るという目線になるわけです。同じ目線で見るか下から上を見上げるかというのがサービスとホスピタリティの非常に大きな違いです。
それでは、サービスとホスピタリティとどちらがうれしいもてなしなのか。神のように奉仕されたい、主人のようにかしずかれたい、という方もいらっしゃるでしょうが、今のように豊かな社会になって社会が成熟してまいりますと、むしろ本当の意味での人間的な付き合い方、凱い友達のように、あるいは家族のように、形だけではなくて心を込めて付き合ってもらえるはうが、本当の意味で柏手に満足を与えるようになってきています。そして、時代はますますそういう方向を向いているのではないかと思います。社会の成熟化につれてむしろサービスよりもホスピタリティというものが、非常に重要になって来ているといっていいでしょう。当然今日は観光業というかホスピタリティに係わるお仕事をされている方が多いと思いますが、皆さん方のお客様というのは皆さん方にとっての友人ではない、ましてや家族ではないわけです。しかし自分の仲の良い友達のように、家族のようにそのお客様にお付き合いしたならば、多分相手の人は非常に感動いたしまして、今日
の5人の方の発表にもございましたけれども本当の意味での良い人間関係、あるいはビジネスの言葉を使えば、お得意様といいますかそういう関係がっくられていくのではないかと思います。
ホスピタリティとサービスというのは目線の違いというのが大きな違いではないかということを申し上げた訳ですが、その同じ目線ということがこれからますます重要になってくるという気がします。
そういうふうに考えて行きますと、ホスピタリティの出発点というのは、相手ではなくむしろ自分かなという気がします。サービスの場合は相手が、つまり神があって主人があってそれに奉仕する自分がある訳ですが、ホスピタリティとはむしろ相手の前に自分があるということです。最高のおもてなしの一つのモデルは、自分の家に仲の良い友達を呼んだ時でしょう。友達を家に呼んでおもてなしするということがホスピタリティという一つの理想的なモデルではないかと思いますが、どういうときに本当に快適な時間を過ごしてもらえるかといいますと、それは自分の家になにか不幸なことがあったり、自分が非常に
不幸なときであったりする時ではなくて、非常にその家自体がハッピーで、家族がハッピーで、自分もハッピーな時にお客様を本当の意味でもてなせるわけです○最高の対応というのが自分が不幸では決してできない。逆に言えば家族が非常に幸せな家に呼ばれますと自分まで幸せになるわけです。自分の幸せが相手を幸せにする、というのがホスピタリティの一つの大きなポイントなのではないかなという気がします。
おもてなしというと「まず柏手」と考えがちですがそうではなくて、「自分の幸せ」が出
発点にないとホスピタリティなんか出てこないという気がするわけです。これは私の考え方で、異論もたくさんあろうかと思いますが、自分の幸せが出発点と私は考えております。お仕事をしていくうえではお客様の満足というものはとても大切ですが、しかしお客様の満足の前にまず働く人の満足がなければならないということです。
では。働く人の満足とは一体何だろうか。これはいい仕事をするということだろうと思います。例えば、門三野さんがプロとしてのタクシーの運転手の話をしました。門三野さんは仕事に対してすごいプロ意識をもっている。つまり、いい仕事をしているという誇りがあるのだろうと思いますし、床漬けの中野さんも本当に自分の作っていることに対して幸せを感じている。だから食べる人に対しても幸せを分かち合えているのだろうと思います。自分の幸せというのがホスピタリティを考えるときに非常に大切なポイントです。
しかしまた自分の幸せというのは相手の幸せから生まれてくるということも否定出来ない事実です。だれかの役に立っていることの幸せというのはすごく大切な事です。今日も本田さんのお父さんの話がございましたが、冷えきった体を暖める、その人が喜んでもらえる事が自分の幸せにつながってくるということだろうと思いますが、だれかの役に立っている事の幸せというのが自分の幸せにつながってくるということも事実です。
「人を幸せにする人が幸せになる」という言葉がありますが、まさに人の幸せと自分の幸せというのは深くつながっている。そう考えますと自分の幸せと相手の幸せとの間にうまく好循環が出来るということがホスピタリティの目標なのかなという気がします。サービスは自分がちょっと苦労しても相手が幸せになることですが、ホスピタリティは、自分も相手も幸せになることではないかと思います。言い方を変えますとビジネスの世界でいえば良い仕事をするということ。地域の問題で言えば北九州市という街が本当に良くなること。それが実はホスピタリティの出発点ということになるのではないかと思います。
笑顔というのはサービスやホスピタリティにとって不可欠なものですが、サービスとホスピタリティの関係を非常にわかりやすくいえば、「笑顔をっくるのがサービス」で「笑顔が出てくるのがホスピタリテイ」ということではないかという気がします。ホスピタリティとサービスというのは微妙に違います。しかし、どちらが必要でどちらが不要であるということではありません。どちらもそれぞれに大切です。そんなことを踏まえて、これからもっと具体的な実感的な話を5人のバネリストの方々からしていただこうと思います。
それではみなさんからホスピタリティについて、それぞれのお考えや体験をご紹介いただこうと思います。城戸さんからお願いします。
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