折口さんのつれづれ日記
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広島の庄原市で、NPO法人かすたねっとを拠点に、地域福祉活動に取り組んでいる折口智朗さんからの私的なメールを、ご本人の了解を得て、掲載させてもらっています。ご愛読下さい。こころが癒されます。そして、たぶん、日本の地域文化の豊かさや現状も実感できます。 |
〔第29回〕
■ 越冬つばめ(12月27日)
佐藤さん こんばんは
きょうは隣町の病院に出かける途中に思わぬ拾い物をしました。
とはいっても、人間です。
毎年お盆と正月に遠隔地の入所施設から自宅へ帰り、たいてい立ち寄って一緒に食事をしていたBさんですが
今年のお盆にはどうしても連絡が取れずにいたので心配していました。
小雪が舞う中を川端に佇んでいるうしろ姿を見かけて車の中から声をかけるとあのBさんでした。
小学校一年生のときにお父さんを亡くし、お母さんと二人暮しで他に家族はいません、
中学校を卒業するとすぐにさまざまな仕事につきます、
苦労人だけに周囲の人からも好かれていたようですが、あまり良い思いはなかったようです。
頼りになる母親も二十歳のときに病気で亡くなられます、
その後もまじめに下請け作業現場で40歳半ばまで働いていたそうです。
ある日、職場の寮で朝起き上がろうとすると頭がグラグラし自分ではどうにも動けず、
周囲の人が見かねて救急車を呼んでくれ緊急入院となり、
検査の結果頭部の血管が詰まっていることがわかり即手術となり一命を取り留めたそうです。
その後、勤務先からしばらく休養するようにと勧められて、
自宅に帰って来たのが今から約10年前です、
その頃が私との始めての出会いです。
夏の暑い日に隣町の病院へ訪ねていく途中、
やはり今日と同じ場所に彼がじっと座って川を見ている姿を見つけました、
なぜかその時手や足にこの暑いのになんでグルグル巻きに包帯を巻いているのかが気になり、
役場の保健婦さんになにげなく尋ねてみると
「彼が帰宅してからこの暑いのに毎日朝早くから夕方まで川端に立ってぼんやりとしていたせいなのか、
手や足の爪の部分が黒く変色して火傷と同じような状態になっているんです、
こんなことは珍しいんですけどね〜。」と教えていただきました。
行き場のない彼が、しばらくすると保健婦や民生員さんの勧めもあって、
院内にある精神科病棟のレクリエーションに参加しはじめ、
次第に私の知っている知的障害を持つ人達とも少しづつ話をするようになってきました。
ある日、保健婦さんから彼の事で相談があると切り出され、
彼の状況を別室で詳しく説明してもらうこととなりました。
話によると「普段はたいへん大人しい穏やかな人なんだけれど、
しょっちゅうお酒の自動販売機にいってはお酒を買って飲んで、
ぐでんぐでんに酔っ払ってはお宮やお寺の周りをウロウロして奇声を上げるので、
いつも街の人達からいろんな苦情が役場に来るので困っているんです、
なんとかならないものでしょうか!?」ということでした。
「とにかく、彼と一度話をしてみましょう!」
とその当時はなんでもかんでも引き受けていたので軽く承諾しました。
さて、夕方仕事を終えて自宅を訪ねていったのですが残念ながら留守です、
街のあちこちのいそうな場所を何度もグルグルと捜し回ったのですが見つかりません、
諦めて帰ろうとフト自宅の方を見ると彼がドアの鍵を開けようとしている姿を発見しました。
急いで自宅の前まで車を飛ばしていき、「うちへ来たら!」と声をかけると、
少しは病院で顔を覚えていたのかすんなり車に乗り初めて自宅までやってきました。
私の奥さんは、毎度私が連絡もせず突然にいろんな変わった人を連れてくるので、
慣れっこというか、経済観念の全くない主人を諦めていて
すぐにつまみとお酒を出してくれました。
しばらくして、静かにお酒を飲んでいた彼が
「やっぱり世間は冷たいよね〜〜。」とひとこと。
お酒を飲むうちに次第に口も回り始めて
「保健婦や民生委員はわかったフリをして、な〜んにもわかっていない!
あれをしちゃーダメ!!これをしちゃー駄目!!
自分の家に住んでいるのになんでいちいちお節介を焼かれないといけないのか!」
と顔を真っ赤にして怒り始めました。
「この間も、自分の卒業した小学校を久しぶりに見たいなと思って校庭の近くまでいったら、
小学生がいきなり『汚いから近寄るな!』と言って砂を投げてくるんだ、
石まで投げつけるやつもいた、本当に情けなかったよ。」
「俺がなにをした、なにも悪いことをしていないのに!
いったい、最近の親はどんな育て方をしているんだろうか。」
と怒りをぶちまけてきました。
ちなみに、その小学校には何度か私も招かれて話もしたことがある古い学校で、
なぜか福祉協力校でもあります。
さて、明日の朝早く長男が千葉から広島空港に帰ってくるのを迎えにいくのでそろそろ寝ます!
続きは明日へ持ち越しです。
〔第28回〕
■はだかの王様!(12月26日)
佐藤さん おはようございます 風邪の具合はいかがでしょうか!?
さて、今朝のテレビ番組に長野県知事が出演されて盛んに「福祉」を乱発されていましたが、どこまで現場の実態を把握しておられるのか疑問です。
自分にとって都合の良い情報だけを集めて、マスコミ受けのするような発言を繰り返しておられる姿に異様さを感じています。
以前、直接知事宛てにメールで問題点を指摘したところ、「問題を起こしている施設名を教えて欲しい!」と代理の方とおしゃる方からメールが届きました。
どうも、「臭いものに蓋」を感じたのでそれ以上は関わりませんでしたが、お得意のボランティアとして実際に自分の目と手足を使って歩かれればすぐにわかることだと思うのです。
国や県の監査は事前に施設側もマニュアル通りきちんと事前の準備をするので問題を隠す術もありますし、高齢者やハンディを持つ人達との関わりに苦手な法人監査担当者では書類の不備の指摘はできても利用者の実態など掴めるはずないのが実情です。
なにも顔の割れている知事でなくても、現場に詳しい誰かがボランティアとして施設に出向き半日もいれば充分実態は掴めると思います。
なぜか施設職員はボランティアに胸襟を許してしまうところがあるので、職員の実態も利用者の実態も聞けば話してくれるはずです。
私が指摘して半年経ちましたが、なにも変わらぬ長野県にいったい何ができるのでしょうか!?
〔第27回〕
■私は私だ!(12月15日)
佐藤さん おはようございます。
こちらは毎朝が盆地特有の霧の海です、
また雪が降ったのかと勘違いするほどの霜も降りています。
昨夜は、隣町にある病院で介護関係者が集まり今年最後の介護勉強会をしました。
参加された方々のうち、心も体も病んだ方々が多くてまさに「医者の不養生!」
これでは、介護を受けるものもたまったものではありません。
さて、先日図書館でオーストリアに住んでおられるアルツハイマー症を持たれた患者自身が執筆された「私は私になっていく」を読み、
私たち周囲の人がいかにハンディをもつ人に対して
『その人が持つハンディそのもの』と『その人の人格』をひとくくりにしてレッテルを貼っているかを思い知らされました。
著者である、クリスティーン・ブライデンさんは何度か来日されていて、
テレビにも出演されたり今年の10月には広島にも来られたようですが、詳しい情報を知らなかったので全く残念なことです。
著書からの一部抜粋です!
『どうか私たちを「痴呆」と呼ばないで欲しい。私たちはまだ、病気そのものとは別の人間だ。
ただ脳の病気に罹っているだけなのだ。
もし私が癌を患っているのだったら、あなたは私を「がん」とは呼ばないだろう。』
『私たちに貼られたレッテルには実に多くの意味が込められているようだ・・・・・(中略)、
こんな言葉のすべてが、私たちに、能力のない人、地域社会の一員になる資格のない人、というレッテルを貼る。
私たちを病気から切り離して考えられないものだろうか?
私たちは進行性の脳の損傷を持つ、一人の人間だということを思い出すことができないものだろうか?』
『痴呆をもつ人々に対する差別に敏感になって欲しい。
私たちを正常な人と同じように扱い、まるでそこにいない第三者のように私たちのことを話すのはやめて欲しい。
批判したり、間違いを見つけて笑ったり、私たちがもうそこに存在していないかのように話すのはやめて欲しい。
もちろん、何もかも私たちの代わりにやってしまわないで欲しい。』
『私たちの欠陥でなく、能力に注目してほしい。
決して統計の対象としてではなく、私たちを人間として扱い、人生に参加させて欲しい。
私たちが楽しんでやれることを続けられるように助けて欲しい。
自分が尊重され、感謝され、まだ社会の一員であると感じさせてくれるものであればなんでもいい。』
『背景の騒音をなくすようにしよう、騒音は私を疲れさせ、混乱させ、不安にし、攻撃的にもする。
静かな環境はそれ以上の混乱を防いでくれる。ディケアセンターや介護施設で、
テレビやラジオや人の話し声が同時にわんわん鳴っているところが多いのはなぜなのだろうか?
あれではみんなぼんやりとうつろな表情で座っているのも不思議ではない!
ショッピングセンターやその他の騒がしい場所に行く時には、耳栓をすることも考えてみよう。』
わが国でも痴呆の世界だけではなく、
知的・精神的なハンディを持つ人達に対しても似たようなレッテルが貼られていますが、
そこにはそれを解決する糸口もあるように思います。
これまで、障害を持つ本人自身がが自分の考えや思いをきちんと周囲に話すことなどできないものと思い込まされていましたが、
この女性は元オーストリア政府の高官であったという職歴と本人の度重なる努力の末に多くの協力者を得られたのではないかと思います。
彼女の講演会の後援としてわが国の厚生労働省が名乗りを上げてはいるのですが、
果たして入所施設でのハンディを持つ人達や高齢者に対する非人間的な扱いの実態をどれだけ知っているものかが疑問です!
■所詮は負け犬の遠吠えなのか!?(12月19日)
佐藤さん こんばんは
本日でやっと支援費ガイドヘルパー(移動介護)養成講座が修了致しました。
これで、しばらくはストレスからも時間破産からも逃れることができそうです。
いつも佐藤さんが「時間破産」を口にされますが、今回始めてそのしんどさを味わうことができました。
奥さんによれば、「だれのせいでもない、自分が作ったものだから。」と軽く往なされますが・・・
養成講座の最後に、「何でも良いですから質問を受け付けます!」と話すと、
受講者の一人が「講座で学んだ結果、国の財政逼迫のために今後支援費サービスが低下したり
都市部と農村部との地域格差が大きくなるということが理解できましたが、
それでは今後私たちに一体何ができるのでしょうか!?」と質問がありました。
講座を主催したものとしては飛び上がるほどの成果ではないかとうれしく感じました!
これまで国が介護現場での資格制度を次から次へと創作してはハードルを引き上げてきましたが、
内容はまったくのお粗末なもので旧来の看護法であったり体で覚えろ式の軍隊調のものしかないために
現場に直面するヘルパーや介護職がいつも戸惑いながら介護らしきものを利用者に施してしている状況にいつも不安を感じていました。
そのため、今回の講座には昔馴染みの知人を総動員して講師となっていただき、
資格取得のための講座ではなくこの国の実情や、役所の裏話、利用者の思いを伝えて欲しいと頼み込みました、
またそれに加えて若手の現場代表者からは先進地におけるガイドヘルパーの実践例を話してもらったり、
現役バリバリの理学療法士からは人間の構造から教えていただき利用者にとって安全な介護法を学べるようにお願いしました。
先程NHKテレビで、イラクの最前線へ送り込まれているアメリカの陸軍ではない州兵の姿を映し出していましたが、
福祉現場の一番厳しい最前線へ送り込まれているのはヘルパーさんです!
なんと、厚生労働省は来年度からは三位一体の余波を受けてかどうかよく理解できませんが、
そのヘルパー養成制度を無くす方向に向っているとの情報です。
もともとヘルパーは各市町村の嘱託として厚遇されていた時代もあったのですが、
ある日を境に各市町村の下請けである地元の社会福祉協議会に社会福祉協議会職員として身売りを余儀なくされることとなりました、
しかしそれもつかの間で採算がとれないからと一般事業所に放り投げ出されたり、
パート職員として扱われはじめ介護保険の運営の厳しさの余波を一番受けやすい立場となってきました。
しかしその反面、社会福祉協議会の事務局長さんという役柄は、
社会福祉協議会が市町村の補助金で運営されているということからか、
大抵が元役所の福祉部門であるOBの天下り先となっていて、
定年後年金受給までのアルバイト的な感覚で日々仕事をこなされています。
当然、仕事らしいものは何もありませんから新聞を読むか、
一日中どこかに携帯で電話をかけたりパソコンでどこかのホームページを検索しては
夕方5時になるときっちりと帰宅し毎月給料をいただけるという特典つきです。
社会福祉協議会の同じ部屋又は同じ建物にいるヘルパーさんは、
時給800円という薄給ながらも夜7時になっても菓子パン一つでとりあえずの空腹を満たしながら、
灯りの消えた冷え切った事務所から次の訪問先へと出かけて行かれます、
「でもね!まだ、今はいいのよ!これから雪が降りだして道路か田圃か見えなくなるような日になると
訪問先へ向かう自分自身になんでこんな苦労をしてまでと腹を立てることもあるのよ!」
と笑いながら話しかけてくれます。
どうやら最前線に立つものは何時の世も同じ構造なのかもしれません。
〔第26回〕
■立場が変われば(12月6日)
佐藤さん こんばんは 近くの高い山頂部では今朝雪が積もっていたそうです。
さて、きょうは久しぶりに友人のM君のところへ訪ねて行きました。
幼児期に小児麻痺にかかり下半身が動かず、それでも20代の頃までは松葉杖を器用に使ってあちこちを移動していましたが、
年齢と共に体重も増えて現在では車椅子だけの生活となっています。
そのM君のお父さんも昨年亡くなられ、お母さんと一緒に昼間は小さな食料品店を経営していたのですが、
今年の春頃からお母さんも寝込まれるようになられ最近夜中にトイレへ行こうとされたはずみに倒れて腰の骨を折られ現在は入院されているそうです、
そのために食料品店も閉めているとのことでした。
ガイドヘルパー養成講習会が毎週進むにつれて、都市部と山間部との地域格差がはっきりとしてきたのですが、
どうもハンディを持つ人から観た地域の実情が見えてこないので今回も彼の知恵を借りることにしました。
私がM君に「田舎での生活をしていて何が一番不便と感じていますか!?」と聞くと
「そうよね〜〜、役所などの公的な施設は一応段差解消やエレベーターがついたから不便はなくなったけど、一番は近所付き合いかな〜〜、
隣へ尋ねていきたくても田舎は階段だらけだろう〜、障害者や高齢者のいない家では家を改造なんかしないからな〜〜、
どうしても困った時は母親の使っていた『あんしん電話』で緊急呼び出しができるからいいようなものだけど、
やっぱりもしものときとか、普段から近所付き合いできないというのはハンディだよ!」と話してくれました。
平素、改造してある自家用車で長距離を移動するM君に、「車の移動で困ることは!」と尋ねると、
「大きな荷物を積む時かな〜、この時はいつもボランティアというか手助けが本当に欲しいと思うよ、車椅子に乗っていては重い荷物を運べないからね〜。」
「そうそう、免許の更新があるよ!地元の警察署で更新をする時に一般の人は3階に上がって講習会を受けるようだけれど、
自分達のようなハンディのあるものは1階の別室で一人ビデオを見て講習会となるんだ、
警察署の建物自体が古いものだから今更エレベーターや障害者専用トイレもつけられないようだけれど、なんだかオカシイよね同じ道路を走っているのにね〜〜。」
本当にそうだ、普段自分達中心に物事を考えているから相手の状況が全くつかめていなかったようです。
話をしていると丁度お昼の弁当が近くの高齢者施設から運ばれてきました、
彼が弁当を配達してくれる人に「自宅に置いてあるお母さんの弁当箱も申し訳ないけど持ち帰って下さ〜い。」と呼びかけると、
気持ちよく「ハイハイ!」と笑顔が返って来ました。
月曜日から金曜日まで毎日お昼の弁当を一食350円で運んでもらい、あとは自炊をしているとのことでした。
彼が「ちょっと、聞いてみるけど!いま週に1回だけヘルパーさんに来てもらっているんだけれど、もっと増やすことはできないのだろうか、
親父のときに介護保険でヘルパーが来ていた頃、頼んだら週に一度と役場に言われたからそれ以上頼めないのかと思っていたんだが・・・・。」
ガイドヘルパーの講師を今回はわざと沿岸部の都市部からお願いして様々な話をしてもらいまいしたが、
沿岸部ではきちんと支援費制度が始まるまでに関係者にそれぞれの地域ごとに集まっていただき支援費についての市からの説明会をもたれたとのことでしたが、
残念ながら田舎の山間部では支援費についてのチラシを広報誌とともに配布した程度で、
ハンディをもつ人や家族にはいったいこれまでの措置費制度と支援費制度との違いがどこがどう違うのかということが全く理解できません、
彼もその一人でした。
「講師の方も話をされていたけど、わが国は住民からの申告主義で物事が始まるということを覚えておかないといくら待っていても役所からは連絡はないそうだよ!
予算の都合もあるだろうけど小さな町だから支援費の担当者に状況を説明すれば当然増やしてくれると思うよ!」と話すと、
M君がニンマリと笑い
「よし!それでは昼から役場に行ってみよう、知らないということは損だし田舎で生きることは大変だ〜〜。」
〔第25回〕
■ここはどこ!(12月1日)
佐藤さん こんばんは 寒くなりましたがいかがお過ごしでしょうか!?
知的・全身性障害者ガイドヘルパー養成研修講座もやっと折り返し地点に辿り付きそうです。
きょうは市内へ用事で出かる途中で白い杖をもったおじいさんがスタスタと坂道を降りてくる姿を見かけました。
視覚障害者でもないのに、どうして白い杖を持っているのだろうかと不審に思いましたが、その場を通り過ぎて用事を済ませて帰り道でのことです。
なんと!道路の中央線のところへ先ほどのおじいさんが立っているので往来の車が渋滞を起こし始めているところへ出くわしました。
慌てて車を道路の端へ停車して駆け寄り道路の辺へ誘導しました。
私が「どうして、道路の真中にいるのですか、車に轢かれますよ!」と言うと「そうだったのですか、私はねつい最近目が見えなくなったばかりの初心者でね、ここがどこなのかがわからなくなって困っていたところだったんですよ、ご親切にどうも。」とのこと。
「お家はどこですか、よかったら車で送りますよ!」と話すと「いえいえ、それにはおよびません、先ほどから携帯電話で自宅へ迎えに来るように電話をしようと思うのですが、ここの居場所がわからないのです、ここはいったいどこなのでしょうか!?」と話されるので場所を教えると早速自宅へ電話をかけておられました。
その後どうも気になり友人の生まれたときから視覚障害のハンディをもっているM君に「なにか自分の居場所のわかる良いコミュニケーション・ツールはないのか?」と尋ねてみると「GPSを使ったもので自分の位置を音声で伝えてくれるものがあるけれど、給付対象とならないから全額自費で10数万円するのだろうか、最近都市部では建物にチップを埋め込んで音声認識できるものがあるけれど、田舎ではどうしようもないよね〜〜、それこそガイドヘルパーの出番かもしれないね!」と教えてくれました。
田舎に住んでいること事態がハンディとなる町では精神的身体的なハンディがなくても暮らしにくい状況ですが、香川県のとある子育て支援をされているNPO法人のホームページを拝見すると、赤ちゃんから高齢者までのライフステージ全般に渡る支援先が表示してあることに驚きました。
選択肢の少ない田舎だからこそ、無駄な箱物作りよりもひとりひとりの住民を大切にできる場所と人材が必要なのですが。
〔第24回〕
佐藤さん こんばんは 長距離マラソンのような日々が続いています。
以前雑誌でロック・シンガーの忌野 清志郎が率いている自転車チームの名称が「LSD」で、
その由来はロング・スロー・ディスタンスの略であり、「長い距離をゆっくり行く。」という意味があるということを読んだ事がありますが、
自分の体力や気力が日々衰えを感じているのに相変わらず若きころと同じペースで物事を進めようとするせいかどうしても無理がアチコチに出現しています。
さて、本日は今週の訪問販売業者との闘いの一部始終です。
ことは週始めの午後、ハンディがあるサービス利用者のお宅にヘルパーとして伺ったときのこと、
お邪魔すると狭い部屋一面にピンク布団の嵐ならぬフカフカの羽毛布団が敷き詰められていました。
何事かと業者らしき人に尋ねると、「かの有名な○8真綿を訪問販売させてもらっているもので、
さきほどS様よりご購入の契約をさせていただきましたので、古い使っておられた布団を回収させていただき、
ちょうど付属品の説明をさせていただいているところです。」とのこと、
新品の布団とオマケの数々に利用者本人は夢見ごこちです。
訪問販売業者に家の裏に出ていただくように話をし、
家の外で「購入者が障害をもっていること、訪問販売法に違反すること!」を伝えましたが、
「いくら障害があるとはいっても、押し売りしたのではなく購入される方が欲しいと言われたので・・・・」の一点張りでした。
早速、地元の福祉担当者に状況を携帯電話で報告しましたが、
「本人が欲しいと言われるのではどうもね〜〜。」と役所ならではの逃げ口上でそっけない返事です。
業者の一人に「布団のお値段はいくらですか!?」と尋ねると「60万・・・・ぐらい。」と言い残して布団を置いて帰られました。
業者が帰られた後、契約書を見せてもらうと確かに布団一式は60数万ではありますが、
布団3式プラス分割ローンの総額は260万円となっていることにビックリ仰天!!開いた口が塞がりません。
《中略》
その後さまざまな方が入れ替わり立ち代りSさんに布団を返品するように説得を試みられたのですが、
Sさんは「私は、布団を返しません!」の繰り返しで、再び私のほうにお鉢が回ってきました。
さて、困った!良い策は無し・・・・・・・・、フト!障害者施設の関係者に電話をしてみると、
「へたに弁護士さんや司法書士さんを頼むよりも県の消費生活相談センターに相談してみればどうか。」
とのアドバイスをいただき、早速連絡をとると
「けさほど、他の方からその件で連絡をいただいてはいたのですが、
障害をお持ちということは聞いておりませんでしたので 、本日は金曜日のために相談事業も終了となりますが、
月曜日に信販会社と訪問販売会社に指導をさせていただきます。」と有難い援護射撃を受けることとなりました。
その後、Sさんのお宅を訪問したところ訪問販売業者が再びおられたので、
外に出てもらい「先日もお話したとおりSさんには障害があります、そのことで月曜日に消費生活相談センターより訪問販売業者のほうへ連絡されるとのことでした。」
と伝えると、突然あわててアチコチへ電話をかけはじめて、
しばらくすると車が到着して「今回は契約は解除ということで布団を回収させていただきますので・・・。」と突然わけのわかららぬことを喋りながら、
布団を急いで車に積み込み始められました。
それからが大変です!
Sさんが烈火のごとく私に向けて怒鳴り始めます、
一時間以上も続いたのでしょうか、訪問販売業者も解約のためのサインが欲しいのに異常な雰囲気になかなか言い出せない様子でした、
「また明日、回収した古布団と一緒に解約のお願いに来ますから。」と慌てて帰られました。
その後やっとSさんと腰を据えてはなしをすることができました、
ポツリ、ポツリと昔話をされはじめ、
「わたしはね、近所の人達はわたしに障害があることを昔から知っておられるからいいのだけれど、よその人には障害者だと知られたくはないんだよね〜。」
若いころ結婚をしたいという方が家に来られて近所を回られた時、
近所の人が「あの人は障害を持っているんだから一緒になっても苦労するだけだから考え直したらどうか。」というふうな話をされたことが原因で、
結婚話が立ち消えになったことなどを初めて話してくれました。
私を含めた福祉関係者は気軽に障害者とういう言葉を平気で使いますが、当事者にしてみれば確かにそうかもしれません。
私が帰宅してしばらくするとSさんから、
「さっきは迷惑をかけてすみませんでした、どうか今後もよろしくお願いします。
あれから地元の布団業者に電話をしたところ数万円で同じ布団があると言われすぐに自宅へ届けてくれるそうです!」
と、うれしそうな声で電話が入りました。
なんだか泥縄のようなお話です、
心配する割には報われぬ仕事とはいえ燃え尽き症候群とならぬよう、ゆっくりとした走りを続けたいものであります。
明日は、ガイドヘルパー養成研修会に元気な高校生達がたくさん参加してくれる予定なので、少し元気をわけていただこうと思います。
寒くなりますので、佐藤さんも奥様もお体を大切にして下さい。
〔第23回〕
■ヒトの命は地球よりも重いもの!?(11月14日)
佐藤さん お忙しい毎日のことと存じます。
さて、先日ある公務員の方と話す機会がありました。
その方はかって私同様にハンディをもたれる方々が入所されている施設に指導員として勤務されていたことのある方です。
その方が、転勤のためにある日を境に現場から急に福祉行政に配置換えになったそうです。
それまで毎日施設内のハンディを持つ人のことだけを考えていれば良かったのですが、
突然40万人という市民全体のお守りをすることになったわけです。
その担当になった途端、様々な利権を得たいがために恐喝まがいのことをしてくる住民や議員さんとのおぞましい確執が始まったそうです。
そのためそのポストには永くても3年というのがこれまでの庁内での常識であったそうで、もしものための保険も掛けていたそうです。
悲しいかな、生活保護担当者や在宅障害者の家庭を訪問される方々にとっては、
このようなことが日常茶飯事のようで、外部から想像するきれい事はどこにも存在しなかったとのことでした。
また、とある入所施設で窓から転落して入所者の死亡事故が起こったこともあったそうですが、
その施設の新規施設整備事業があるという理由で事業が取り消しにならぬよう、
マスコミにはたらきかけたり家族にも内々にしてもらったこともあったそうです。
入所者がたまたま施設外に出て行方不明者となり事件となった場合は、
当然当たり前のように一人の人間としてマスコミなどで取扱われるのですが、この温度差はいったいどうしたことでしょうか!?
これまで性善説か性悪説かで何度か福祉関係者で話をしたことがありますが、
このたびの地震や水害の被災者への支援をする人もあれば、被災現場でさまざまな犯罪を起こす人もあり、どうも理解に苦しみます。
生前祖父が話していた蒟蒻の裏表がいまだにわかりません。
■チェックの甘さが命取り!(11月20日)
佐藤さん こんばんは いよいよ本日からガイドヘルパーの養成講座が始まりました。
先発として私の兄貴分である大学教授が「障害者とその家族の心理について」半日大熱弁をふるっていただいたので、
受講者までもが熱くなり最高潮となりました。
しかし、その後がいけませんでした。
引継ぎの講師が時間ぎりぎりに到着され、すぐにパワーポイントを使って講義ができるようにと急いで準備をしたのですが、スクリーンには何も映りません。
パソコンがおかしいのか持参されたプロジェクターがおかしいのか、何人もでつついたのですが、
結局原因はわからず急遽資料のないまま講義が始まりましたが、すでに手遅れです。
若い講師は頭に血が上って上の空、前段の講師があまりにも素晴らしかったせいもあり、
よけい比較され周囲で見ていても受講者がだんだん冷めていくのがよくわかりました。
一応2時間の講義は終わったのですが、大変後味の悪いものとなりました。
パワーポイントを使用する場合はたいていプリントアウトしてもらいコピーしていたのですがそれも忘れていたこと、
今回の件に限りプロジェクターを本人に手渡さずに家族からの手渡しになったことと、
家族にはパソコンとプロジェクターの事前のチェックをしてもらうように頼んだのですが、 本人には直接伝えていなかったことなど、
いまさら後悔してもしょうがないのですが、こちらのミスがあまりにも重なり過ぎました。
残り4日間の講義がありますが、なんとかリベンジをしたいものです。
もともとガイドヘルパーのカリキュラム内容を厚生省が決めているので、それに見合う講師を捜すわけですが、
ガイドヘルパーという事業そのものが新しいので、それに見合う講師をさがすといういうことはなかなか至難の業ですし、
同時に若手の育成も図らなくてはいけないと感じています。
本日の教訓として、
仕事上でのプロと多角的な人生経験を積んだ上でのプロとでは語り口が大きく違ってくるということがよく理解できました。