折口さんのつれづれ日記
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広島の庄原市で、NPO法人かすたねっとを拠点に、地域福祉活動に取り組んでいる折口智朗さんからの私的なメールを、ご本人の了解を得て、掲載させてもらっています。ご愛読下さい。こころが癒されます。そして、たぶん、日本の地域文化の豊かさや現状も実感できます。

〔第29回〕

■ 越冬つばめ(12月27日)
佐藤さん こんばんは 
きょうは隣町の病院に出かける途中に思わぬ拾い物をしました。
とはいっても、人間です。

毎年お盆と正月に遠隔地の入所施設から自宅へ帰り、たいてい立ち寄って一緒に食事をしていたBさんですが
今年のお盆にはどうしても連絡が取れずにいたので心配していました。
小雪が舞う中を川端に佇んでいるうしろ姿を見かけて車の中から声をかけるとあのBさんでした。

小学校一年生のときにお父さんを亡くし、お母さんと二人暮しで他に家族はいません、
中学校を卒業するとすぐにさまざまな仕事につきます、
苦労人だけに周囲の人からも好かれていたようですが、あまり良い思いはなかったようです。

頼りになる母親も二十歳のときに病気で亡くなられます、
その後もまじめに下請け作業現場で40歳半ばまで働いていたそうです。
ある日、職場の寮で朝起き上がろうとすると頭がグラグラし自分ではどうにも動けず、
周囲の人が見かねて救急車を呼んでくれ緊急入院となり、
検査の結果頭部の血管が詰まっていることがわかり即手術となり一命を取り留めたそうです。

その後、勤務先からしばらく休養するようにと勧められて、
自宅に帰って来たのが今から約10年前です、
その頃が私との始めての出会いです。
夏の暑い日に隣町の病院へ訪ねていく途中、
やはり今日と同じ場所に彼がじっと座って川を見ている姿を見つけました、
なぜかその時手や足にこの暑いのになんでグルグル巻きに包帯を巻いているのかが気になり、
役場の保健婦さんになにげなく尋ねてみると
「彼が帰宅してからこの暑いのに毎日朝早くから夕方まで川端に立ってぼんやりとしていたせいなのか、
手や足の爪の部分が黒く変色して火傷と同じような状態になっているんです、
こんなことは珍しいんですけどね〜。」と教えていただきました。

行き場のない彼が、しばらくすると保健婦や民生員さんの勧めもあって、
院内にある精神科病棟のレクリエーションに参加しはじめ、
次第に私の知っている知的障害を持つ人達とも少しづつ話をするようになってきました。
ある日、保健婦さんから彼の事で相談があると切り出され、
彼の状況を別室で詳しく説明してもらうこととなりました。

話によると「普段はたいへん大人しい穏やかな人なんだけれど、
しょっちゅうお酒の自動販売機にいってはお酒を買って飲んで、
ぐでんぐでんに酔っ払ってはお宮やお寺の周りをウロウロして奇声を上げるので、
いつも街の人達からいろんな苦情が役場に来るので困っているんです、
なんとかならないものでしょうか!?」ということでした。

「とにかく、彼と一度話をしてみましょう!」
とその当時はなんでもかんでも引き受けていたので軽く承諾しました。
さて、夕方仕事を終えて自宅を訪ねていったのですが残念ながら留守です、
街のあちこちのいそうな場所を何度もグルグルと捜し回ったのですが見つかりません、
諦めて帰ろうとフト自宅の方を見ると彼がドアの鍵を開けようとしている姿を発見しました。

急いで自宅の前まで車を飛ばしていき、「うちへ来たら!」と声をかけると、
少しは病院で顔を覚えていたのかすんなり車に乗り初めて自宅までやってきました。
私の奥さんは、毎度私が連絡もせず突然にいろんな変わった人を連れてくるので、
慣れっこというか、経済観念の全くない主人を諦めていて
すぐにつまみとお酒を出してくれました。

しばらくして、静かにお酒を飲んでいた彼が
「やっぱり世間は冷たいよね〜〜。」とひとこと。
お酒を飲むうちに次第に口も回り始めて
「保健婦や民生委員はわかったフリをして、な〜んにもわかっていない!
あれをしちゃーダメ!!これをしちゃー駄目!!
自分の家に住んでいるのになんでいちいちお節介を焼かれないといけないのか!」
と顔を真っ赤にして怒り始めました。

「この間も、自分の卒業した小学校を久しぶりに見たいなと思って校庭の近くまでいったら、
小学生がいきなり『汚いから近寄るな!』と言って砂を投げてくるんだ、
石まで投げつけるやつもいた、本当に情けなかったよ。」
「俺がなにをした、なにも悪いことをしていないのに!
いったい、最近の親はどんな育て方をしているんだろうか。」
と怒りをぶちまけてきました。
ちなみに、その小学校には何度か私も招かれて話もしたことがある古い学校で、
なぜか福祉協力校でもあります。

さて、明日の朝早く長男が千葉から広島空港に帰ってくるのを迎えにいくのでそろそろ寝ます!
続きは明日へ持ち越しです。




〔第28回〕
■はだかの王様!
(12月26日)

佐藤さん おはようございます 風邪の具合はいかがでしょうか!?

さて、今朝のテレビ番組に長野県知事が出演されて盛んに「福祉」を乱発されていましたが、どこまで現場の実態を把握しておられるのか疑問です。
自分にとって都合の良い情報だけを集めて、マスコミ受けのするような発言を繰り返しておられる姿に異様さを感じています。

以前、直接知事宛てにメールで問題点を指摘したところ、「問題を起こしている施設名を教えて欲しい!」と代理の方とおしゃる方からメールが届きました。
どうも、「臭いものに蓋」を感じたのでそれ以上は関わりませんでしたが、お得意のボランティアとして実際に自分の目と手足を使って歩かれればすぐにわかることだと思うのです。

国や県の監査は事前に施設側もマニュアル通りきちんと事前の準備をするので問題を隠す術もありますし、高齢者やハンディを持つ人達との関わりに苦手な法人監査担当者では書類の不備の指摘はできても利用者の実態など掴めるはずないのが実情です。

なにも顔の割れている知事でなくても、現場に詳しい誰かがボランティアとして施設に出向き半日もいれば充分実態は掴めると思います。
なぜか施設職員はボランティアに胸襟を許してしまうところがあるので、職員の実態も利用者の実態も聞けば話してくれるはずです。

私が指摘して半年経ちましたが、なにも変わらぬ長野県にいったい何ができるのでしょうか!?

〔第27回〕

■私は私だ!(12月15日)

佐藤さん おはようございます。
こちらは毎朝が盆地特有の霧の海です、
また雪が降ったのかと勘違いするほどの霜も降りています。

昨夜は、隣町にある病院で介護関係者が集まり今年最後の介護勉強会をしました。
参加された方々のうち、心も体も病んだ方々が多くてまさに「医者の不養生!」
これでは、介護を受けるものもたまったものではありません。

さて、先日図書館でオーストリアに住んでおられるアルツハイマー症を持たれた患者自身が執筆された「私は私になっていく」を読み、
私たち周囲の人がいかにハンディをもつ人に対して
『その人が持つハンディそのもの』と『その人の人格』をひとくくりにしてレッテルを貼っているかを思い知らされました。

著者である、クリスティーン・ブライデンさんは何度か来日されていて、
テレビにも出演されたり今年の10月には広島にも来られたようですが、詳しい情報を知らなかったので全く残念なことです。
著書からの一部抜粋です!

『どうか私たちを「痴呆」と呼ばないで欲しい。私たちはまだ、病気そのものとは別の人間だ。
ただ脳の病気に罹っているだけなのだ。
もし私が癌を患っているのだったら、あなたは私を「がん」とは呼ばないだろう。』

『私たちに貼られたレッテルには実に多くの意味が込められているようだ・・・・・(中略)、
こんな言葉のすべてが、私たちに、能力のない人、地域社会の一員になる資格のない人、というレッテルを貼る。
私たちを病気から切り離して考えられないものだろうか?
私たちは進行性の脳の損傷を持つ、一人の人間だということを思い出すことができないものだろうか?』

『痴呆をもつ人々に対する差別に敏感になって欲しい。
私たちを正常な人と同じように扱い、まるでそこにいない第三者のように私たちのことを話すのはやめて欲しい。
批判したり、間違いを見つけて笑ったり、私たちがもうそこに存在していないかのように話すのはやめて欲しい。
もちろん、何もかも私たちの代わりにやってしまわないで欲しい。』

『私たちの欠陥でなく、能力に注目してほしい。
決して統計の対象としてではなく、私たちを人間として扱い、人生に参加させて欲しい。
私たちが楽しんでやれることを続けられるように助けて欲しい。
自分が尊重され、感謝され、まだ社会の一員であると感じさせてくれるものであればなんでもいい。』

『背景の騒音をなくすようにしよう、騒音は私を疲れさせ、混乱させ、不安にし、攻撃的にもする。
静かな環境はそれ以上の混乱を防いでくれる。ディケアセンターや介護施設で、
テレビやラジオや人の話し声が同時にわんわん鳴っているところが多いのはなぜなのだろうか?
あれではみんなぼんやりとうつろな表情で座っているのも不思議ではない!
ショッピングセンターやその他の騒がしい場所に行く時には、耳栓をすることも考えてみよう。』

わが国でも痴呆の世界だけではなく、
知的・精神的なハンディを持つ人達に対しても似たようなレッテルが貼られていますが、
そこにはそれを解決する糸口もあるように思います。
これまで、障害を持つ本人自身がが自分の考えや思いをきちんと周囲に話すことなどできないものと思い込まされていましたが、
この女性は元オーストリア政府の高官であったという職歴と本人の度重なる努力の末に多くの協力者を得られたのではないかと思います。

彼女の講演会の後援としてわが国の厚生労働省が名乗りを上げてはいるのですが、
果たして入所施設でのハンディを持つ人達や高齢者に対する非人間的な扱いの実態をどれだけ知っているものかが疑問です!

■所詮は負け犬の遠吠えなのか!?(12月19日)

佐藤さん こんばんは 
本日でやっと支援費ガイドヘルパー(移動介護)養成講座が修了致しました。
これで、しばらくはストレスからも時間破産からも逃れることができそうです。
いつも佐藤さんが「時間破産」を口にされますが、今回始めてそのしんどさを味わうことができました。
奥さんによれば、「だれのせいでもない、自分が作ったものだから。」と軽く往なされますが・・・

養成講座の最後に、「何でも良いですから質問を受け付けます!」と話すと、
受講者の一人が「講座で学んだ結果、国の財政逼迫のために今後支援費サービスが低下したり
都市部と農村部との地域格差が大きくなるということが理解できましたが、
それでは今後私たちに一体何ができるのでしょうか!?」と質問がありました。

講座を主催したものとしては飛び上がるほどの成果ではないかとうれしく感じました!
これまで国が介護現場での資格制度を次から次へと創作してはハードルを引き上げてきましたが、
内容はまったくのお粗末なもので旧来の看護法であったり体で覚えろ式の軍隊調のものしかないために
現場に直面するヘルパーや介護職がいつも戸惑いながら介護らしきものを利用者に施してしている状況にいつも不安を感じていました。

そのため、今回の講座には昔馴染みの知人を総動員して講師となっていただき、
資格取得のための講座ではなくこの国の実情や、役所の裏話、利用者の思いを伝えて欲しいと頼み込みました、
またそれに加えて若手の現場代表者からは先進地におけるガイドヘルパーの実践例を話してもらったり、
現役バリバリの理学療法士からは人間の構造から教えていただき利用者にとって安全な介護法を学べるようにお願いしました。

先程NHKテレビで、イラクの最前線へ送り込まれているアメリカの陸軍ではない州兵の姿を映し出していましたが、
福祉現場の一番厳しい最前線へ送り込まれているのはヘルパーさんです!
なんと、厚生労働省は来年度からは三位一体の余波を受けてかどうかよく理解できませんが、
そのヘルパー養成制度を無くす方向に向っているとの情報です。

もともとヘルパーは各市町村の嘱託として厚遇されていた時代もあったのですが、
ある日を境に各市町村の下請けである地元の社会福祉協議会に社会福祉協議会職員として身売りを余儀なくされることとなりました、
しかしそれもつかの間で採算がとれないからと一般事業所に放り投げ出されたり、
パート職員として扱われはじめ介護保険の運営の厳しさの余波を一番受けやすい立場となってきました。

しかしその反面、社会福祉協議会の事務局長さんという役柄は、
社会福祉協議会が市町村の補助金で運営されているということからか、
大抵が元役所の福祉部門であるOBの天下り先となっていて、
定年後年金受給までのアルバイト的な感覚で日々仕事をこなされています。
当然、仕事らしいものは何もありませんから新聞を読むか、
一日中どこかに携帯で電話をかけたりパソコンでどこかのホームページを検索しては
夕方5時になるときっちりと帰宅し毎月給料をいただけるという特典つきです。

社会福祉協議会の同じ部屋又は同じ建物にいるヘルパーさんは、
時給800円という薄給ながらも夜7時になっても菓子パン一つでとりあえずの空腹を満たしながら、
灯りの消えた冷え切った事務所から次の訪問先へと出かけて行かれます、
「でもね!まだ、今はいいのよ!これから雪が降りだして道路か田圃か見えなくなるような日になると
訪問先へ向かう自分自身になんでこんな苦労をしてまでと腹を立てることもあるのよ!」
と笑いながら話しかけてくれます。

どうやら最前線に立つものは何時の世も同じ構造なのかもしれません。



〔第26回〕

■立場が変われば(12月6日)
佐藤さん こんばんは 近くの高い山頂部では今朝雪が積もっていたそうです。
さて、きょうは久しぶりに友人のM君のところへ訪ねて行きました。

幼児期に小児麻痺にかかり下半身が動かず、それでも20代の頃までは松葉杖を器用に使ってあちこちを移動していましたが、
年齢と共に体重も増えて現在では車椅子だけの生活となっています。

そのM君のお父さんも昨年亡くなられ、お母さんと一緒に昼間は小さな食料品店を経営していたのですが、
今年の春頃からお母さんも寝込まれるようになられ最近夜中にトイレへ行こうとされたはずみに倒れて腰の骨を折られ現在は入院されているそうです、
そのために食料品店も閉めているとのことでした。

ガイドヘルパー養成講習会が毎週進むにつれて、都市部と山間部との地域格差がはっきりとしてきたのですが、
どうもハンディを持つ人から観た地域の実情が見えてこないので今回も彼の知恵を借りることにしました。

私がM君に「田舎での生活をしていて何が一番不便と感じていますか!?」と聞くと
「そうよね〜〜、役所などの公的な施設は一応段差解消やエレベーターがついたから不便はなくなったけど、一番は近所付き合いかな〜〜、
隣へ尋ねていきたくても田舎は階段だらけだろう〜、障害者や高齢者のいない家では家を改造なんかしないからな〜〜、
どうしても困った時は母親の使っていた『あんしん電話』で緊急呼び出しができるからいいようなものだけど、
やっぱりもしものときとか、普段から近所付き合いできないというのはハンディだよ!」と話してくれました。

平素、改造してある自家用車で長距離を移動するM君に、「車の移動で困ることは!」と尋ねると、
「大きな荷物を積む時かな〜、この時はいつもボランティアというか手助けが本当に欲しいと思うよ、車椅子に乗っていては重い荷物を運べないからね〜。」
「そうそう、免許の更新があるよ!地元の警察署で更新をする時に一般の人は3階に上がって講習会を受けるようだけれど、
自分達のようなハンディのあるものは1階の別室で一人ビデオを見て講習会となるんだ、
警察署の建物自体が古いものだから今更エレベーターや障害者専用トイレもつけられないようだけれど、なんだかオカシイよね同じ道路を走っているのにね〜〜。」
本当にそうだ、普段自分達中心に物事を考えているから相手の状況が全くつかめていなかったようです。

話をしていると丁度お昼の弁当が近くの高齢者施設から運ばれてきました、
彼が弁当を配達してくれる人に「自宅に置いてあるお母さんの弁当箱も申し訳ないけど持ち帰って下さ〜い。」と呼びかけると、
気持ちよく「ハイハイ!」と笑顔が返って来ました。

月曜日から金曜日まで毎日お昼の弁当を一食350円で運んでもらい、あとは自炊をしているとのことでした。
彼が「ちょっと、聞いてみるけど!いま週に1回だけヘルパーさんに来てもらっているんだけれど、もっと増やすことはできないのだろうか、
親父のときに介護保険でヘルパーが来ていた頃、頼んだら週に一度と役場に言われたからそれ以上頼めないのかと思っていたんだが・・・・。」

ガイドヘルパーの講師を今回はわざと沿岸部の都市部からお願いして様々な話をしてもらいまいしたが、
沿岸部ではきちんと支援費制度が始まるまでに関係者にそれぞれの地域ごとに集まっていただき支援費についての市からの説明会をもたれたとのことでしたが、
残念ながら田舎の山間部では支援費についてのチラシを広報誌とともに配布した程度で、
ハンディをもつ人や家族にはいったいこれまでの措置費制度と支援費制度との違いがどこがどう違うのかということが全く理解できません、
彼もその一人でした。

「講師の方も話をされていたけど、わが国は住民からの申告主義で物事が始まるということを覚えておかないといくら待っていても役所からは連絡はないそうだよ!
予算の都合もあるだろうけど小さな町だから支援費の担当者に状況を説明すれば当然増やしてくれると思うよ!」と話すと、
M君がニンマリと笑い
「よし!それでは昼から役場に行ってみよう、知らないということは損だし田舎で生きることは大変だ〜〜。」


〔第25回〕

■ここはどこ!(12月1日)
佐藤さん こんばんは 寒くなりましたがいかがお過ごしでしょうか!?
知的・全身性障害者ガイドヘルパー養成研修講座もやっと折り返し地点に辿り付きそうです。

きょうは市内へ用事で出かる途中で白い杖をもったおじいさんがスタスタと坂道を降りてくる姿を見かけました。
視覚障害者でもないのに、どうして白い杖を持っているのだろうかと不審に思いましたが、その場を通り過ぎて用事を済ませて帰り道でのことです。

なんと!道路の中央線のところへ先ほどのおじいさんが立っているので往来の車が渋滞を起こし始めているところへ出くわしました。
慌てて車を道路の端へ停車して駆け寄り道路の辺へ誘導しました。
私が「どうして、道路の真中にいるのですか、車に轢かれますよ!」と言うと「そうだったのですか、私はねつい最近目が見えなくなったばかりの初心者でね、ここがどこなのかがわからなくなって困っていたところだったんですよ、ご親切にどうも。」とのこと。

「お家はどこですか、よかったら車で送りますよ!」と話すと「いえいえ、それにはおよびません、先ほどから携帯電話で自宅へ迎えに来るように電話をしようと思うのですが、ここの居場所がわからないのです、ここはいったいどこなのでしょうか!?」と話されるので場所を教えると早速自宅へ電話をかけておられました。

その後どうも気になり友人の生まれたときから視覚障害のハンディをもっているM君に「なにか自分の居場所のわかる良いコミュニケーション・ツールはないのか?」と尋ねてみると「GPSを使ったもので自分の位置を音声で伝えてくれるものがあるけれど、給付対象とならないから全額自費で10数万円するのだろうか、最近都市部では建物にチップを埋め込んで音声認識できるものがあるけれど、田舎ではどうしようもないよね〜〜、それこそガイドヘルパーの出番かもしれないね!」と教えてくれました。

田舎に住んでいること事態がハンディとなる町では精神的身体的なハンディがなくても暮らしにくい状況ですが、香川県のとある子育て支援をされているNPO法人のホームページを拝見すると、赤ちゃんから高齢者までのライフステージ全般に渡る支援先が表示してあることに驚きました。

選択肢の少ない田舎だからこそ、無駄な箱物作りよりもひとりひとりの住民を大切にできる場所と人材が必要なのですが。

〔第24回〕

■訪問販売員とのバトル!(11月26日)

佐藤さん こんばんは 長距離マラソンのような日々が続いています。
以前雑誌でロック・シンガーの忌野 清志郎が率いている自転車チームの名称が「LSD」で、
その由来はロング・スロー・ディスタンスの略であり、「長い距離をゆっくり行く。」という意味があるということを読んだ事がありますが、
自分の体力や気力が日々衰えを感じているのに相変わらず若きころと同じペースで物事を進めようとするせいかどうしても無理がアチコチに出現しています。

さて、本日は今週の訪問販売業者との闘いの一部始終です。
ことは週始めの午後、ハンディがあるサービス利用者のお宅にヘルパーとして伺ったときのこと、
お邪魔すると狭い部屋一面にピンク布団の嵐ならぬフカフカの羽毛布団が敷き詰められていました。

何事かと業者らしき人に尋ねると、「かの有名な○8真綿を訪問販売させてもらっているもので、
さきほどS様よりご購入の契約をさせていただきましたので、古い使っておられた布団を回収させていただき、
ちょうど付属品の説明をさせていただいているところです。」とのこと、
新品の布団とオマケの数々に利用者本人は夢見ごこちです。

訪問販売業者に家の裏に出ていただくように話をし、
家の外で「購入者が障害をもっていること、訪問販売法に違反すること!」を伝えましたが、
「いくら障害があるとはいっても、押し売りしたのではなく購入される方が欲しいと言われたので・・・・」の一点張りでした。

早速、地元の福祉担当者に状況を携帯電話で報告しましたが、
「本人が欲しいと言われるのではどうもね〜〜。」と役所ならではの逃げ口上でそっけない返事です。

業者の一人に「布団のお値段はいくらですか!?」と尋ねると「60万・・・・ぐらい。」と言い残して布団を置いて帰られました。
業者が帰られた後、契約書を見せてもらうと確かに布団一式は60数万ではありますが、
布団3式プラス分割ローンの総額は260万円となっていることにビックリ仰天!!開いた口が塞がりません。
《中略》

その後さまざまな方が入れ替わり立ち代りSさんに布団を返品するように説得を試みられたのですが、
Sさんは「私は、布団を返しません!」の繰り返しで、再び私のほうにお鉢が回ってきました。
さて、困った!良い策は無し・・・・・・・・、フト!障害者施設の関係者に電話をしてみると、
「へたに弁護士さんや司法書士さんを頼むよりも県の消費生活相談センターに相談してみればどうか。」
とのアドバイスをいただき、早速連絡をとると
「けさほど、他の方からその件で連絡をいただいてはいたのですが、
障害をお持ちということは聞いておりませんでしたので 、本日は金曜日のために相談事業も終了となりますが、
月曜日に信販会社と訪問販売会社に指導をさせていただきます。」と有難い援護射撃を受けることとなりました。

その後、Sさんのお宅を訪問したところ訪問販売業者が再びおられたので、
外に出てもらい「先日もお話したとおりSさんには障害があります、そのことで月曜日に消費生活相談センターより訪問販売業者のほうへ連絡されるとのことでした。」
と伝えると、突然あわててアチコチへ電話をかけはじめて、
しばらくすると車が到着して「今回は契約は解除ということで布団を回収させていただきますので・・・。」と突然わけのわかららぬことを喋りながら、
布団を急いで車に積み込み始められました。

それからが大変です!
Sさんが烈火のごとく私に向けて怒鳴り始めます、
一時間以上も続いたのでしょうか、訪問販売業者も解約のためのサインが欲しいのに異常な雰囲気になかなか言い出せない様子でした、
「また明日、回収した古布団と一緒に解約のお願いに来ますから。」と慌てて帰られました。

その後やっとSさんと腰を据えてはなしをすることができました、
ポツリ、ポツリと昔話をされはじめ、
「わたしはね、近所の人達はわたしに障害があることを昔から知っておられるからいいのだけれど、よその人には障害者だと知られたくはないんだよね〜。」
若いころ結婚をしたいという方が家に来られて近所を回られた時、
近所の人が「あの人は障害を持っているんだから一緒になっても苦労するだけだから考え直したらどうか。」というふうな話をされたことが原因で、
結婚話が立ち消えになったことなどを初めて話してくれました。

私を含めた福祉関係者は気軽に障害者とういう言葉を平気で使いますが、当事者にしてみれば確かにそうかもしれません。
私が帰宅してしばらくするとSさんから、
「さっきは迷惑をかけてすみませんでした、どうか今後もよろしくお願いします。
あれから地元の布団業者に電話をしたところ数万円で同じ布団があると言われすぐに自宅へ届けてくれるそうです!」
と、うれしそうな声で電話が入りました。

なんだか泥縄のようなお話です、
心配する割には報われぬ仕事とはいえ燃え尽き症候群とならぬよう、ゆっくりとした走りを続けたいものであります。
明日は、ガイドヘルパー養成研修会に元気な高校生達がたくさん参加してくれる予定なので、少し元気をわけていただこうと思います。
寒くなりますので、佐藤さんも奥様もお体を大切にして下さい。

 

〔第23回〕

■ヒトの命は地球よりも重いもの!?(11月14日)

佐藤さん お忙しい毎日のことと存じます。
さて、先日ある公務員の方と話す機会がありました。
その方はかって私同様にハンディをもたれる方々が入所されている施設に指導員として勤務されていたことのある方です。

その方が、転勤のためにある日を境に現場から急に福祉行政に配置換えになったそうです。
それまで毎日施設内のハンディを持つ人のことだけを考えていれば良かったのですが、
突然40万人という市民全体のお守りをすることになったわけです。

その担当になった途端、様々な利権を得たいがために恐喝まがいのことをしてくる住民や議員さんとのおぞましい確執が始まったそうです。
そのためそのポストには永くても3年というのがこれまでの庁内での常識であったそうで、もしものための保険も掛けていたそうです。
悲しいかな、生活保護担当者や在宅障害者の家庭を訪問される方々にとっては、
このようなことが日常茶飯事のようで、外部から想像するきれい事はどこにも存在しなかったとのことでした。

また、とある入所施設で窓から転落して入所者の死亡事故が起こったこともあったそうですが、
その施設の新規施設整備事業があるという理由で事業が取り消しにならぬよう、
マスコミにはたらきかけたり家族にも内々にしてもらったこともあったそうです。
入所者がたまたま施設外に出て行方不明者となり事件となった場合は、
当然当たり前のように一人の人間としてマスコミなどで取扱われるのですが、この温度差はいったいどうしたことでしょうか!?

これまで性善説か性悪説かで何度か福祉関係者で話をしたことがありますが、
このたびの地震や水害の被災者への支援をする人もあれば、被災現場でさまざまな犯罪を起こす人もあり、どうも理解に苦しみます。

生前祖父が話していた蒟蒻の裏表がいまだにわかりません。

■チェックの甘さが命取り!(11月20日)

佐藤さん こんばんは いよいよ本日からガイドヘルパーの養成講座が始まりました。
先発として私の兄貴分である大学教授が「障害者とその家族の心理について」半日大熱弁をふるっていただいたので、
受講者までもが熱くなり最高潮となりました。

しかし、その後がいけませんでした。
引継ぎの講師が時間ぎりぎりに到着され、すぐにパワーポイントを使って講義ができるようにと急いで準備をしたのですが、スクリーンには何も映りません。
パソコンがおかしいのか持参されたプロジェクターがおかしいのか、何人もでつついたのですが、
結局原因はわからず急遽資料のないまま講義が始まりましたが、すでに手遅れです。
若い講師は頭に血が上って上の空、前段の講師があまりにも素晴らしかったせいもあり、
よけい比較され周囲で見ていても受講者がだんだん冷めていくのがよくわかりました。

一応2時間の講義は終わったのですが、大変後味の悪いものとなりました。
パワーポイントを使用する場合はたいていプリントアウトしてもらいコピーしていたのですがそれも忘れていたこと、
今回の件に限りプロジェクターを本人に手渡さずに家族からの手渡しになったことと、
家族にはパソコンとプロジェクターの事前のチェックをしてもらうように頼んだのですが、 本人には直接伝えていなかったことなど、
いまさら後悔してもしょうがないのですが、こちらのミスがあまりにも重なり過ぎました。

残り4日間の講義がありますが、なんとかリベンジをしたいものです。
もともとガイドヘルパーのカリキュラム内容を厚生省が決めているので、それに見合う講師を捜すわけですが、
ガイドヘルパーという事業そのものが新しいので、それに見合う講師をさがすといういうことはなかなか至難の業ですし、
同時に若手の育成も図らなくてはいけないと感じています。

本日の教訓として、
仕事上でのプロと多角的な人生経験を積んだ上でのプロとでは語り口が大きく違ってくるということがよく理解できました。



〔第22回〕

■なんだかオカシイぞ!(11月7日)

佐藤さん こんばんは 夕方犬の散歩をしていると一匹のコウモリが空をクルクルとはばたいていました。
中国地方の沿岸部ではあたりまえの風景ですが、雪の多い県北では珍しい光景です。

昨夜は、尺八の師匠の家に到着して車から降りようとしたところ猪の親子と出くわしました。
しかし猪のお母さんは落ち着いたもので、無関心を装い目の前を「さぁさ〜早くこっちへいらっしゃい。」といわんばかりに、
3匹の中犬ぐらいの子供を引き連れて山のほうへゆっくりと帰っていきました。

この話には前段があり、以前師匠が家の裏側を通る水路でチャポン!チャポン!と音がするので外に出てみると、
なんと!猪のうり坊が溺れていることに気づき急いで引き上げて助けてやり、小屋の中でしばらく飼われました。

もともと動物好きな方で、家にはヤギ・ウサギ・猫を飼っておられますが、
結局親戚にミニ動物園のような活動をされている方がおられたので、そちらに引き取られることとなり、
現在はミニ豚一家に居候して仲良く暮らしているとのことで、テレビ・ニュースにもとりあげられたこともあります。

さて、人間界ではどうもあまり良いニュースは見当たりませんね〜。
新潟県地震の現状というテレビ番組の中で、「役所は当てにならない。」というものがありましたが、
これは普段から弱者と呼ばれている方々がいつも肝心なところで思い当たるところです。

あるアナウンサーが現地の役場の担当者に「現地の高齢者や障害を持っているヒトの状況はどのようになっているのでしょうか!?」と尋ねられ、
「避難される方への対応が精一杯で、状況が全くつかめていないものですから。」とうまく返答されていましたが、
これは地震が起きたからというものではなく平常時でも一人一人のケースについては何か特別な問題が無い限り関わる事はないのですから、
元々知らないとはっきり答えるべきだったと思います。

なにか事が起こると、「もっと人員が増えなければ。」とか
「生活保護と障害者サービスとの兼務ですよ!できるわけないじゃぁありませんか。」と平気で言い訳をしてここまできたわけですが、
非常時にいったい誰が住民の安全の確認をするのかということを明確にしておかねばならぬと思うのです。

昔話に、鳥でも動物でもないコウモリはみんなからつまはじきされて夜しか活動できなくなったという話がありましたが、
都合によっては住民の顔と公務員の2つの顔を持つ行政マンの方々、そろそろ覚悟をされてはいかがなものでしょうか。


〔第21回〕


「記念樹」忘れていたこと!(10月21日)
佐藤さんこんばんは、台風の被害はありませんでしょうか!?
これまでの台風とは一味違う強風でたくさんのものが飛んでいました。

さて、「桜の苗木」を寄贈してくれる団体をインターネットで捜していて、古い昔のテレビ番組で木下恵介劇場「記念樹」というものが出てきました。
作家の山田太一さんが始めてテレビの脚本を手がけられた作品だそうです!

貧しい養護施設での日常生活や、そこに入らざるをえなかった児童たちの家庭環境や卒園してからもなお大変な社会での生き様を描いた番組で、今もなおこの番組を見て保育士になったとか施設職員になったという団塊の世代の人達がたくさんいるという精神的な支えとなる番組でした。

出演されていた馬渕晴子さんという女優さんも産後はじめて女優に復帰されたということで、主任保母さん役を熱演されていたことを子供心に覚えています。

その養護施設は実在のものだそうで、施設の周囲に記念樹として子供達とともに桜の苗木を植えて、卒園後苦しい時悲しい時に施設を訪ねては桜の木を見てまた気をとりなおして帰って行くいう場面が実際に何度もあったようです。

「桜の苗が大きく育つ頃 ぼくらはみんな おとなになるんだ ♪〜。」というような歌でしたが、戦後の当時の貧しい日本を代表したような番組だったので、誰もが共感できるものだったからかもしれません。

最近は離婚家庭が蔓延して、周囲に有り余るほどですが、当時は離婚家庭とか母子家庭はいつも世間から蔑まれていて進学も就職も大変だったように記憶しています。

貧しかった昔はあまり想い出したくありませんが、今の時代よりは遥かに人の心に温かい血が流れていたような気がしています。
これまでのややねじくれた私の生き方を少し軌道修正するためにも「かすたねっと」の周囲に記念樹を植えて、昔清らかな時代に心に誓った思いをぜひ実現させてみたいものと考えています。

昨年は、「日本花の会!??」とかという団体が全国の施設や学校に寄贈するというホームページがあり、時期的に遅かったので10月頃に再度申請して下さいとのことだったのですが、何度捜しても見当たりません、困ったものです!


■毎度のことながら・・・
(10月24日)


佐藤さん おはようございます。
隣県より台風の被災地より災害ボランティアとしての協力要請がきていたのですが、
どうも昨日から体調が思わしくなくて1日休んでいましたら新潟県での地震が起こりました。

今朝のテレビ番組のなかで防衛庁OBなる方が被災者が避難場所での不便さを訴えていると
「災害が起こった時に快適さを求めるよりも、まず安全性を!」という発言がありましたが、
一見もっともなようにも思えますがそれは安全な場所からの発言であったり高所からのものの見方ではないかと感じました。

ライフラインが停止した夜間しかも寒さが重なる時期です、精神的なショックや不安を和らげるにはまず快適で安心できる場所の確保ではないでしょうか、
避難場所とはいうものの冷たい体育館の床の上で毛布だけの雑魚寝状態ではストレスが重なるばかりです、
そろそろなんとか考えるべきでないかと思います。

また、寝たきりの高齢者やハンディを持つ人を抱えている家族への配慮が平素から防災体制の中に組み込まれていないことにも問題があるのではないかと思います、
ヒトよりモノを大切にするというオカシナ社会となりつつありますが、
全国どこで災害が起こってもその県だけで物事を解決するという考えを捨てて
お互いに災害時のノウハウを提供しあったり、即緊急支援ができる体制作りができないものかと。

全国の災害ボランティア・レスキュー隊が今日も各地のボランティア・センターで泥まみれ汗まみれになりながら活躍されていることと思いますが、
たとえ無給であっても使命に燃えて災害が起きるやすぐ現場に駆けつけてボランティア・センターを立ち上げて
被災者宅に向かうという機動力や行動力をもっと有給で装備もある公務員の皆様にも見習って欲しいものと思います。

■いつのまにか無関心に。(10月28日)

佐藤さん おはようございます。
けさホームページを見ていましたら、佐藤さんが最近つぶやかれておられることと似たようなことをある方が書いておられました。

「不思議なことに、今回は香田さんに自己責任を求める声が起きてこない。
香田さんには政治性がなく、家族も政府に救出を強く要求しないから起きないのだろうか。
それとも最悪の場合を想定し、そのような被害者をむち打つことをためらっているのだろうか。
それは香田さんを日本人が突き放したことにならないのか。「バッシング」から「突き放し」に変化したと考えるべきなのか。  
そのような無感情な雰囲気は、世論を操作したい者にとって格好の社会状況なのである。
とにかく何か発言し、行動しなければいけない。それは反対でも賛成でもいい。
とにかく考え、発言し、行動しなければ、世論を意図的に誘導される危険が高まる。
国民が無関心、無感情に陥ってはいけない。

ちょっと整理しょう。香田さんは危険を認識することなく、自ら危険なイラクに飛び込んでしまった。
これは香田さんの自己責任である。そこでアルカイダ
系に拘束されて、日本政府を脅迫する材料に使われている。
まさに生命の危機にあっている。
しかし香田さんは自らを犠牲にして、自衛隊の撤退を訴えるという意志はなかった。これは「人間の楯」とは明らかに違う。

冬山の怖さをしらず、軽装備で冬山に入った。そこで遭難した。
彼の行動は責められて当然である。しかし遭難して助けを求める者に、自己責任を理由に救助を行わないことが許されるだろうか。
政府は拘束した相手がアルカイダ系を理由に、救出交渉が極めて難しいと説明する。
しかしそれで政府の責任は果たしたことになるのだろうか。
そのようなイラクに、政府は安全と言って自衛隊を送り出したことを忘れたのか。
香田さんは今年1月に日本を離れ、ニュージーランドに向かったと聞いた。
ちょうどその頃は、自衛隊の先遣隊がサマワに出発した時である。そのころ政府はイラクは安全と国民に言い続けていた。
政府がイラクは安全と言い続けたから、奥参事官と井ノ上書記官は武装した護衛が着けられないで殺された。
私は今も奥参事官と井ノ上書記官は政府が殺したと思っている。

外務省は「退避勧告」を出しているから、今回の拉致事件は責任がないと言うのだろうか。本人の問題で済むのだろうか。

日本人は正常な感覚を取り戻して欲しい。何か最近は、日本人の気持ちの中に無関心、無感動が広がっていないか。
私は香田さんを救出する難しさは認めるが、犯人の要求に屈しないといって、みすみす香田さんが殺されるのを見過ごすことはできない。
日本人にテロと闘えということは、香田さんのような事件が次々に起きて、それでも犠牲者の数に動揺しないで済ますことではないはずだ。」

台風による被災者の痛みが続く最中に新潟の地震が起き、
日常生活ではありえないハズの非常事態が次々と目の前で起こっているにもかかわらず、
だんだんそれがあたりまえのごとく淡々と進行していく様子は、まさに茹で蛙そのものの状態ですね。

幸いなことに介在するマスコミの情報とは違った、現場からのボランティア・レスキューからの便りを目にすると、
まだまだこの国も捨てたものではないと感じています。


〔第20回〕


■看護と介護(10月11日)

佐藤さん おはようございます 先日の台風22号での被害はありませんでしたでしょうか!?
10月9日・10日と市内で「痴呆症のケア」についてたくさんの本を書かれているDrの講演会と事例検討会があり参加しました。
主催者が老健施設のため、福祉関係者よりもどちらかといえば医療関係者が多かったようで、今年で2回目の研修会に全国から600名位の参加者があり会場の大ホールで開催されました。

講演会は痴呆症についての見解を説明されて、それなりに理解はできたのですが、痴呆症を持つ利用者への対処方法について各施設からの実践事例検討会に移った途端に突然白い巨塔が見え隠れしはじめ、おぞましい医療界の縦社会を垣間見ることとなりました。

佐藤さんが一年前に書かれたホームページの中に「医療問題を考えるコーナー」というものがありましたが、どうやら医療の薄利多売の結果、医療というものが根底から崩れつつあるのではないかと感じています。

診療報酬だけでは経営は成り立たないという大義名分で、福祉の世界に切り込んできたものが介護保険でしたが、どうも医療関係者が現場アレルギーを起こしているようなのです。
施設を利用される方があまりにも長期滞在型となりつつあり短期循環型を謳っていたはずの老健施設が、いつのまにか特養施設と何ら変わらぬ箱物となってしまい目の前で次々と起こる高齢者の異常な行動(環境不適応)に戸惑い、これまでの医学や看護法では対処できなくなってきたことから自分達が保ってきたはずのプライドの確保が困難になってきたことからかもしれません。

つまるところ多額の政治献金を行っている医師会までも翻弄させる力学をもった人達がこの国を動かしているということなのかもしれませんが、もしかすると軍配は全国に立派な箱物を作り上げた一枚上手のゼネコンに挙がるのでしょうか。

身近で奥さんの母が確実に痴呆症への階段を一歩づつ上りつめていく様子を見ていたり、実家の父が胃癌の全摘出をして痩せ細り入院している姿を見ているとこれまでの他人事とは違い、家族が切実な問題として早期対策を願っていても、なかなか動かぬ行政の怠慢さや施設担当者の勉強不足や介護保険の矛盾点を痛切に感じさせられています。

本来は、利用者(国民)中心に物事を考えるべきなのですが、どうも逆転していてそれぞれの機関が連携してチーム・プレーを行うということができず、そのしわ寄せが利用者本人や家族に向かっています。

先日読んだ「共に生きる道」ホスピスチャプレン物語:沼野尚美著 の中に「スピリチュアルケア」(心にふれる関わりを提供すること)について書かれていましたが、患者や利用者に対するケアもさることながら、医師や看護師が関わり方やケアの方法に悩む時のスタッフの心のケアを行う職種(チャプレン)がわが国には医療と宗教とがかみ合っていないために定着していないとのことですが、この方はチームの中で宗教的援助の専門家として役割を果たされているそうです。

利用者からすれば、白衣以外の人達は誰がどの職種や職域なのか理解できず身近な人に相談されるために、頼まれたことを一人ででしゃばることが多いのですが、どの職種が適切なのか医療者と競争せず、他のメンバーにチャンスを譲ることでチームワークを組むといった基本的なことから理解していくことが今後の介護の世界に求められているのかもしれません
ネ!

まだまだ幼児性の抜けないわが国の現状です。

■誰か私の夢を5百万円で買いませんか!(10月13日)

佐藤さん こんばんは 明日は県の監査なので連日徹夜もどきが続いております。
さて、本日はうれしい訪問者がありました。

以前施設に勤務していたときに養護学校から実習に来ていたS子さんの家族が突然自宅を訪ねて来られたのです、これには驚きました。
玄関にお客さんがきておられるようなので出てみると、年配の女性が立っておられ「折口さんですよね!」と話しかけられました。

外に出ると、顔見知りのS子さんが車の中から手を振っておられました、どうやら先程の女性は彼女のおばあさんのようです。
車の近くまで行くと、中から以前お会いしたことのある両親が出てこられ挨拶をされました。

S子さんは今春養護学校を卒業し、さまざまな施設を体験したもののどうもピッタリこず、それからずっと自宅待機をしているとおばあさんが話をされました。
どうやら、本日の訪問は施設実習の面談のときにわたしが、彼女と両親に「できることならばハンディがあるというだけで、作業とか授産で一生をがんじがらめにされるよりも、高齢者やハンディのあるひと・どこにも行き場の無い人達や地域の人達と共に生活できる(今思えば、大きな福祉なのでしょうが。)空間を作っていきたいんです!」と話したことを覚えておられたようです。

おばあさんは民生委員をされているとのことで、2年前突然わたしが施設を去ったということを知りその後風の便りや新聞等では拝見していたのだが、とても心配していたと話して下さいました。

とりあえず現在のNPO法人の情況を伝えて、すぐには夢を叶えてあげられないけど「待っててね!」とS子さんに伝えると笑顔で笑い返してくれました。
彼女も両親も身体にハンディがあるというだけで、施設に入って生活をしたりハンディをもつものだけが集まる学校はできるだけ避けたいという希望でこれまで頑張ってこられましたが、田舎では選択肢も限られますし、人は彼女をワガママと呼んでしまいます。

たしかに自由奔放に育てられた彼女にはじめてあったときは、なんと高慢ちきな鼻っ柱の強い子だな〜と感じたのですが、施設へ実習に来て彼女と二人だけで話してみるとそうではなく、養護学校自体が知的ハンディをもつ生徒中心の設備であるために、身体障害で車椅子に乗った彼女への周囲の対応があまりにも人間扱いせず、ちゃんとこうして欲しいといってもそれはワガママだと取り合ってもらえず、いかに知的ハンディを持った生徒がいいかげんに扱われているかということを身を持って体験したことなどを教えてくれました。

以前は気にもつかなかったのですが、家族の視点から見るとわが国での心身にハンディ(高齢者も含む)を持つ人に対する扱いは充分とはいえませんし、巨額な税金をばらまくわりには大変お粗末です。
支援費がはじまる当初にはハンディを持つ本人に支援費が支給され、本人からサービスを受ける事業者に直接支払うという話もあったのですが、いつのまにか無し崩しとなってしまい介護保険同様に中間組織が介在して複雑怪奇なシステムを作り上げてしまい、ますます粗末なものとなって介護保険に近づきつつあります。

さて、メールに時間をとられていると監査資料が間に合いそうもないので今夜はこの辺で失礼致します!


〔第19回〕

■小さな気づき!(10月3日)

佐藤さん おはようございます。

昨日は、岡山県の「災害ボランティア・コーディネーター養成研修会」の総仕上げとして、
神戸市の「人と防災未来センター」見学へと60名あまりの参加者とともにバス2台に分乗して山陽自動車道を東へと向かっていきました。

度重なる台風や塩害のせいか、沿道の山々の樹木の葉や竹が枯れたような状態のところがたくさんあり、
最近全国のあちこちでクマが出没することとなんらかの関係があるのかもしれないなと感じました。

いよいよ、神戸市内に入ると10年前に見かけた場所がそのままになっているところもありましたが、
道路は拡張されているし巨大なビル群はたくさん立ち並んでいるし、あちこち工事中でほとんどが新しい街という雰囲気です。
しばらくすると広い敷地の中に大きな4階建ての建物が2棟並んで立っているのが本日の目的である「防災未来館・ひと未来館」とのことでした。

すぐ隣にはJIKAの大きな建物があり、全国のNGOの拠点ともなっているようで、
久しぶりに神戸市を拠点として活動されている馴染みのPHD協会の機関紙とも出会うことができました。

さて、本来の目的である震災被害に遭われた方による体験を聞く会では、
ある体験された主婦の方より一階に夫婦で寝ていて突然の地震で2階に押しつぶされて身動きができず、
いくら大きな声を上げたつもりでも外に届かず寒い1月なのでトイレにいきたくてもいかれず、
さりとてここで排泄したのでは体が冷えると思いじっとがまんし、主人がたまたま自由に動いた足でコタツを何度も蹴ったところ、
やっとその音が外に聞こえて隣家の大工さんならではの知恵でやっと救出されたとの話を伺いました。

救出されたあとにすぐにインスタント・カメラを購入して、自分達が埋まっていた場所や自宅が崩壊している様子を写真に撮られたとのことで、
それも見せていただきました。
住民の中には悪意はなかったのかもしれませんが、
「ご夫婦は一緒に避難所のほうへ向かっておられるのを見かけましたよ!」とのデマ情報を仕事に出かけられていた息子さんが聞かれて、
まさか自宅にいるとは思わずあちこち捜されたこともあったとのことでした。

被災後は、奥さんの実家のあるところにしばらく身を寄せ、
2重ローンを抱えるしんどさはあっても元の場所に再び自宅を建てられたそうですが、
夜寝る時は必ず二階に寝ることや、部屋に倒れそうなものを置かない、またいつもそばに靴を置いて寝る習慣がついたそうです。

体験談の後、館内を歩くと「映像と音による震災疑似体験シアター」があったり、
「震災から復興までのドキュメンタリー映像ホール」などたくさんの部屋がありました。
中でも、「震災直後のまち」というコーナーはその当時を模してあるのですが、
災害後特有のきな臭さまでもリアルに演出してあり10年前を再び想い起こすことができました。
たくさんの図書やビデオも収蔵されていて閲覧も自由にできます。
防災に無頓着な行政の方々にぜひとも見ていただきたいものだと思いました。

被災体験をされた女性も話されていましたが、
住民のコミュニティはしかっりとしたものとなりましたが、
生活空間は巨大なビル群の物陰に挟まれてしまいわたしたちの神戸が、
どこか異国の神戸になりつつあるのではないかというような話をされていたのが気になりました。

復興という文字がはたして本当に住民にとってのものかどうかいささか怪しい気もします。

〔第18回〕

■主体は利用者である(9月26日)

佐藤さん こんにちは 
お天気具合が悪くて稲刈りが済んでおられない方々が気をもんでおられます。

本日は、隣町の町立病院にて介護の勉強会があり参加しました。
講師は県内にある町立病院のPTの方で、現在病院内の通所リハビリに中間管理職として頑張っておられる若い男性です。

最近はどういうわけか医療にも福祉にも元気がなく、元気が良いのはPTの方達ばかりという状況が介護現場にあります。
その方がおしゃるには、本来持ち合わせていたはずのホスピタルとしての機能がいつのまにか失われつつあり、
ホスとしての「もてなしの心」や「相手に喜んでいただけること」が
今介護現場で求められているのではないのだろうか、という話をされました。

また、介護現場が女性の職場と化したためにそこを利用される女性の気持ちは女性同士で理解できるが、
男性の利用者に対しては何をしたいのか何ができるのかを理解できず、
その結果男性が隅に追いやられたり疎んじることになっているのではないかという発言がありましたが、
まさにその通りで介護現場にもっと男性が加わって介護のあり方を共に考えていくべきだと思いました。

その方が勤務されている通所リハビリができて3年目なのでまだまだ試行錯誤中とのことでしたが、
一時流行った「なにがなんでも遊ビリテーションをやらなくては!」という気負いをスタッフが持つと、
利用者もしんどいしスタッフも早く燃えついてしまうので、
できるだけ利用者の方が「やりたいから始める」「終わりたいから終わる」という
勝手気ままな「寅さん方式」が良いのではないかとのことでした。

質問コーナーで、ある高齢者施設のスタッフから
「利用者の方が手持ち無沙汰のようなので、何かをしてあげたいのですが、
入浴介助で人手が足りないので水戸黄門のビデオや週刊誌を見てもらっているのですが、
なにか良いお知恵を!」との質問がありました。

講師より、「人と物については上司の仕事であり、本当に人手が足りないのであるとすれば、
そのことを上司にきちんと進言するのが、あなたの役割ではないでしょうか!?」
「私たち介護職の本来の仕事はアクティビティ(レク)のスタッフではなく、本来の介護を行うことが目的のはずです。
利用者一人一人が「こうなりたい!こうしたい!」と考えておられることは何かを導き出すことが私たちの仕事だと考えていますが、いかがでしょうか!!」
とズバリ介護保険が始まってからの問題点を指摘されました。

質問した方の上司は、たとえ経営手腕や政治手腕はあったとしても残念ながら、
介護経験がない方なので、一番大事な部分を理解されておらず、
スタッフや利用者にツケが廻されているのではないかと感じました。
ついこの間まで私も同じ穴の狢だったわけですから大きなことは言えませんが、
障害者施設も高齢者施設にしても、
上司が肝心の介護経験のないままマネジメントをしているところに大きな問題が潜んでいるのだと思います。

最後に、「介護」という文字の「介」の字は、ものとものを仲立ちするという「媒介」の意味を持つのでしょうし、
「護」という字はそれを「みまもる」という風に先輩PTから聞いたことがあります、
またリハビリというとなぜか本人が変わることをつい期待してしまうことが多いのですが、
できないことを明らかにすることで「明らめる」という風に考えてはいかがなものでしょうかと結ばれました。

年齢も若くどちらかといえば経験も少ない方ですが、
「先生」という医療現場から離れて、わざわざ介護現場の一介護職員として毎日を過ごされている方ならではの視点で、
介護現場での問題点の把握や全国で活躍されている元気者のPTの方々との連携や今後の方向性も拝見できた充実した時間を過ごさせていただきました。


■才女と介護(9月28日)

佐藤さん おはようございます 
コムケアの メーリングリストが活発でなによりですね!

さて、昨夜の琴との合奏に草臥れたのか今朝は目覚めが悪くテレビのスイッチをつけると、
かって才女と言われていた「落合恵子」さんが出演しておられました。
表示された名前を見て、「あぁ〜落合さんなのだ!」と気づいたのですが、
正直なところ年齢以上に老け込んでおられましたし、
どこか従来の攻めから守りに入っておられるなとも感じました。

シングルマザーであるお母さんの介護を通して書かれた本が最近出版されたということで、スタジオに招かれたようです。
司会者が「どうして、そんなに大変な介護であるならば施設にお願いしないのですか!?」という愚かな質問をされると、
落合さんは「私は母との残り少ない人生を共有したいんです、たしかに自宅での介護は大変です、しかしそのことと人の絆とは別物です!」ときっぱりと答えられました。

これまで待機者の多い入所施設に入ることができれば、
「天国への切符」を手に入れたかのように小躍りする家族も見受けられましたが、
殆どの施設は従来の病室そのものであり無機質な部屋にはベッドが並べられ、
その脇にはポータブル・トイレが置かれていて、
慌しく行き交う職員の足音と時折別の部屋から聞こえてくる入所者の奇声、
運良くその部屋におむつ交換やポータブル・トイレの処理に来た職員と目が合い会話らしきものができればよいのですが、
職員は一日のスケジュールに追われていてとても入所者とゆっくりと会話をするヒマは持てないと思い込んでいるので
「失礼しまーす!」の声とともに慌しくまた別の部屋へゴトンゴトンと音のするワゴンを押して次の部屋へと向かっていきます。

そこには生活はなく、ただ横になっているだけで通過する時間さえも忘れてしまいそうになりそうな空間があるだけです。
せめてもの、生活といえば
「は〜い、食事の時間が来ましたよ〜〇〇さ〜ん、今から食事に行きましょうね〜、ハイ!車椅子に乗ってくださいね〜」
と一日中動かないのですから食欲も湧かぬことを知っていながら
朝・昼・夕の定期便でお迎えの車椅子がやってきて乗り移らされて食堂へと大移動のショータイムが始まります。

例えば5・6人の職員で30人もの入所者を食堂に移動するとします。
はるかに離れた部屋から一人の利用者を食堂に移動するのでは時間が大変かかります、
そのため職員は2台の車椅子を押して食堂まで全速力で運び到着するとまた部屋に折り返しの繰り返しです。
これだけでもうすでに職員は汗まみれで息切れしています、しかし本番はこれからです!!

それぞれにあった「きざみ食」や「流動食」や「薬」を間違いなく配膳したかどうか確認するのにこれまた手間取ります。
それから食事が始まるのですが、一人の職員で5人を食べさせているわけですから、
一人はスプーンを落としたりまたある人はコップやお皿をひっくり返したり、
そのたびに職員は慌しく動き回るのでとても落ち着いて食べる状況ではありません。

中には自分で食べられなかったり食べようとしない方もありますが、
食事後の大移動までの残り時間を考えるために否が応でもどんどん食事を口の中に押し込むことになります。
途中から一部の職員の休憩時間と重なるとさらに悲惨です。
さらに食事が残っていようがいまいが「アッ!」というまに目の前の食事を片付けられて
「〇〇さん、きょうは残菜が多いわね〜」などと食事記録に書き込まれてしまうのであります。

政府は介護保険が赤字と言っているのですが、
うのみにせず「どうして赤字なのか!」「誰のための介護保険なのか!」
を問い詰めてみる必要性があるのではないかと思います。
どんなに外見が立派な施設や病院にしろ、
そこで暮らす利用者も職員も苛酷な毎日を過ごしていたり、
また誰かに「助けて!!」と声なき声で訴えている介護者がいるかぎり、
どこかに貴重な税金が垂れ流しされているのではないかと考えるのが普通ではないかと思います。

社会的な存在意義(ミッション)がなければ、
本来は存在できないはずの病院や施設が既得権という厚い保護策に守られて生き延びている反面、
かって女性の先頭に立っていたハズの光輝いていた落合恵子さんの見るからに介護疲れの容姿風貌。

この世はもともと不平等にできているというお釈迦様、なんとかならぬものでしょうか!


〔第17回〕

■薄伽梵(9月22日)

佐藤さん おはようございます。
毎日雨が降るので稲刈りを待ち望んでおられる方々にとってはうらめしい秋空のようですね!

さて、以前知人のS氏から新たに住職につくための晋山式(入寺式)を行うにあたり尺八の演奏をして欲しいと頼まれていたのですが、あいにく地元での行事があるためたまたまインターネットで検索した県内にある雅楽のグループ「ニュー雅楽 紫寶」の方々にお願いすることとなりました。

事前に一度演奏を聞いて欲しいとのことで、会場である蓮華寺に出向くと10人あまりの檀家の方々が本堂に集まっておられ、まもなく「笙」の女性演奏家が二人来られました。
どちらも本業はピアノ演奏家だとのことでしたが、縁あって邦楽の古楽器と巡り合い京都まで出かけて演奏法や歌・踊りを習得されたそうです。

「笙」について尋ねてみると、外観は竹作りのように見えますが、それは鳳凰を模った部分だけで基部は木製でできていて、音源は銅版で出来た手っ取り早くいえばハーモニカのような構造になっているそうです。

水分が天敵であるということと、暖めなければ音が良く出ないとのことで、事前に楽器専用のヒーターで暖められたり電熱器で暖められて、いよいよ本堂に移動しての演奏が始まりました。
雅楽といえば「越天楽」ぐらいしか知らないのですが、雅楽の分厚い楽譜も最近では一般人でも購入できるようになったそうで、さまざまな式典に応じた曲目があるとのことです。

曲目を聞くのを忘れましたが、「笙」を吹かれ始めると本堂一杯に音が拡がり幻想的な雰囲気を漂わせはじめ、日常では体験できない空間となり「宇宙音楽」といったほうがよいのかもしれません、本堂の天井からぶら下がった飾り物とぴったり合うものでした。

続いて雅楽を誰でもが楽しめるようにと童謡の「ふるさと」「浜千鳥」を演奏されましたが、これには楽器の持つ音階の構造上でチト無理があったようで檀家の方々の反応も今ひとつとなりました。

最後にテレビ番組の白い巨塔の主題歌となっていた「アメージング・グレイス」という曲を演奏されましたが、これは聴き方によればバク・パイプの音にも似ていて楽器とよくマッチしたもので大拍手となりました。

帰り間際に手渡された宗教冊子の中に「馬鹿」バカほど利口なふりをするという内容がありました。
「馬鹿」とは梵語の「モーハ」「マハラカ」からきたもので「愚痴」とか「無智」を表すそうです。

世の中には、自分より劣ると判断した人間に対して「馬鹿」にして見下す人がいますが、その馬鹿にした人間は本当に劣っているのでしょうか。
私たちは、高学歴だとかお金儲けがうまいとか、一定の尺度で他人を判断しがちです。
しかし世の中にはいろいろな価値観があります。
それを俗な考えだけでしか優劣を判断できない人こそ、薄っぺらで物の道理がわからない「無智」な人なのではないでしょうか。
ちなみに漫画家の赤塚不二夫氏の「天才バカボン」の語源となったと思われる「薄伽梵」とは「世にも尊き人」つまり「お釈迦さま」のことです。

なんだか急にあたりがお香臭くなってしまいました、お彼岸のせいでしょうか!

〔第16回〕

■スコップを手にするところから!(9月12日)

佐藤さん おはようございます 気持ちの良い朝を迎えております。

昨日は、岡山県で「災害ボランティアコーディネーター養成講座」が、
先般の台風16号の高潮被害のあった玉野市で開催され参加しました。

岡山県下から37名の参加者があり、それぞれが地元の台風18号の後片付けもある中での参加となりました。
全国の災害地でのボランティア活動の経験豊富な「NPO法人広島レスキューサポートバイクネットワーク(略称広島RB)」の方々と共に実習を行いました。

玉野市での災害復旧のためのボランティア活動は一応めどがついたとのことで9月9日にはボランティアセンターをたたまれたとのことでしたが、当日は本番さながらにテントを起こし参加者が模擬ボランティアとなって受付をするところから始まりました。

多くの被災現場でのボランティアの最初のトラブルがこの受付で起こるそうです。
ボランティアセンターのスタッフの連絡調整がうまくいっていなかったり、いつもの調子でついお役所仕事的に対応して何時間も炎天下のもとでボランティアを平気で待たせたりすると、思いを持って参加しようとされたボランティアに叱られたり途中で帰られたりということがあるとのことでしたが、お互い見てみぬフリをせずしっかりと声かけをしながら、できるだけ早く受付がスムーズにできるようにするのがコツだと話をされていました。

受付では、参加者がボランティアの登録申込書を書くことと、赤いガムテープにひらがなで周囲の人によくわかるように名前を書き胸に貼り付けるところからはじまります、当日の模擬的な受付も結局30分あまりかかり、一人約1分かかることになり、200人のボランティアが参加されれば3時間以上待ってもらうということになるという話をされましたが、なるほどそういうことなのかと立場の違いを理解することができました。

その後5つの班に分かれて、人の良さそうな世話焼きタイプを探し出されてリーダーが決められて行き、リーダーの役割について説明をされます、と同じに参加者には飲み物・手袋・タオルなどが手渡されたり、災害現場でのスコップや箒などの用具のある場所の説明を受けます。

さて、やっと現場に車で移動となりますが、ボランティアの現場への送り出しを90分以内を目標にされているとのことでした。
センターが無くなったとはいえ地元での被災者からのニーズがまだ完全に無くなったわけではないとのことで、遠慮をされる家もあるためにスタッフが高潮の被災が予想される現場を一軒一軒歩かれてニーズの聞き取りをされると、「それではお願いします!」とニーズが上がってくるのだそうです。

到着した現場の家は地理的にみても一番窪んだ場所にあるため高潮が一度に流れ込んだ家だそうですが、幸い住んだいた一人暮らしのお婆さんは神戸の娘のところにいたため被害に遭わなかったものの、その娘さんが今日になりやっとその家に帰って来られたために部屋は締め切ったままだったので、まず濡れた家具や部屋の中にあるもの全てを搬出するところから始まりました。

普通はその家の持ち主が必要なものと捨てるものをわけられるとのことでしたが、もうこの家に住むことは当分ないだろうとのことで全て搬出して欲しいとの要望があり、狭い路地を人海戦術で手渡しリレーを行いました。

何もかもが濡れていて澱んだ海水の臭いが部屋中に漂っています、作業の途中でスタッフから休憩の合図と水分補給の指示を時折受けながら作業を進めます、作業時間は一日で3時間程度が程よくあまり長時間すると次回の参加者が減ってきたり事故等も予想されるので出来るだけ無理をしないよう心がけておられるとのことで、スタッフと顔を会わせるたびに「ご苦労様です!」の掛け声は大変気持ちよいものでした。

部屋のありとあらゆるものを搬出すると、次にぶよぶよの重い畳を外に持ち出し床板を剥がします、参加者の中には建築関係者もいてバールで上手に床板をうがす方法を伝授される方もおられ感心しました。

すでに湿気が建物全体に回っていて天井も壁も崩れかけていて、床下も海水が溜まりドロドロの状態なので次にバケツリレーで床下の汚泥を搬出することになりました。
掘っても掘ってもどこまでも泥沼状態です、しばらくしてやっと乾いた土が現れたところで作業を中断しその土の上に石灰を撒き本日の作業終了となりました。

参加者の誰もが泥と汗まみれですが、共同作業をしたことでお互いが打ち解けてとても温かいムードです。
中には、汚れることを嫌って逃げ回る若い女性もいましたが、どうもこれは当初のもくろみがどこか違ったのでしょうからいたしかたないことかもしれません。

外に出て、家の中から搬出したゴミの山の隣にはすでに大きな廃品処理車が2台到着していて積み込んでいるところでした。
最後に家族から参加者にお礼をしたいとのことでしたが、70台になられている娘さんは泣かれるばかりで声にならず代理で地域の区長さんがお礼を述べられました。

これまでボランティアとの関わりがなかったようで、最初は大勢がどっと自宅に押し寄せられたので、何をどうしてよいものか理解できず、とまどいばかりでしたが次第に片付いていく様子を見て安心されてようです、と家族を見守られていたスタッフの方が説明を加えられておりました。

もとの会場に帰り本日の反省会を行いましたが、「ボランティアセンターは被災地の復旧が目的で目的であること。」「見て見ないフリをしているとその地域から被災者はいなくなってしまうので、被災者を見捨てないこと。」「ニーズの掘り起こしを何度も繰り返すこと。」などをスタッフより教えていただきました。

参加者の中から「私たちは災害ボランティア・コーディネーターになるわけですが、今後被災地で受付で自主的にその旨を話したほうがよいのでしょうか!?」との問いにスタッフより「よく迷惑ボランティアというものがどこにもいますが、被災地ではボランティアはあくまでもよそ者であり地元のおもてなしを受けるわけですから、とりあえずはまずスコップを持つことから始めて、もしも気になることがあればコソッと助言してあげれば良いのではないでしょうか。」との回答に一同納得!

本日も、午前中は被災現場での作業がおこなわれるとのことでしたが、自宅の台風の後片付けがまだできていないので昨夜帰宅してきました。
スタッフそれぞれに仕事を持っておられるそうです、土日を利用して各地の災害現場で活躍されているとのことでしたが、クライエントとの関わり方について新たな視点をたくさん学ばせていただきました。

■守りに入らぬ工夫(9月14日)

佐藤さん おはようございます 先日の災害ボランティアの疲れがやっととれました。

昨日のテレビでは、やっと台風18号の広島県内の被害実態把握に国土交通省や県議会の議員さんが動かれ始めたようです、とはいっても視点は相変わらず民間には向いておらず防波堤などの公共工事にあるようです。

岡山で災害ボランティアとして活躍されていたNPO法人レスキューサポートバイクネットワークの皆様は昨日から地元広島県の呉市に帰られ民間ならではの活動を展開されたとのことです。

災害ボランティアコーディネーターが単なる飾りではなく裏方として、参加したボランティアには気持ちよく被災者には温かく接して被災地の復興を図れるよう支援していくかということを短時間に教えていただき、目からウロコの思いが続いています。

定期購読しているある介護の冊子に「介護職はなぜ辞めるのか。(いま介護の意味が見えなくなっている)」という特集がありましたが、ボランティアを介護職に被災者を介護を必要とするひとに置き換えてみると、どうやらコーディネーターに大きな問題があることがわかってきます。

福祉業界では本来コーディネーターであるべき人達が資格を持った途端にふんぞり返ってしまい、そこで働く介護職や介護を必要とする人達との間に上下関係を持ち込んでしまうと
最悪な関係となったり、介護がしんどい作業となってしまい「決してこの人を見捨てない」という本来の福祉の温かさを失っていきます。

公的なものが全てを把握しようとすること事態に問題があるのかもしれません、本来は民間の社会福祉事業なのですから公設民営で良いのでしょうし、そこでの生活については地域性や独自のノウハウを活かせるように頑張れば良かったものを、介護保険や支援費という長いものに巻かれてしまい全国一律の金太郎飴になったように思います。

災害ボランティアの爽やか・元気・ハキハキ・やる気・明確・謙虚さを再び澱んだ福祉業界にどう取り入れていくか大きな課題です。

■スーパーマン!ご苦労様。(9月16日)

佐藤さん こんばんは

ここのところ短時間ですが、突然の土砂降り雷雨が続いています。
さて、毎日のように報道される子供を巻き込んだ悲惨な事件を聞いていると、公的機関がいかに住民のためにと美辞麗句を言ってもそれが真実ではないことがよくわかります。

きょうもテレビで先日の台風により被害を受けた県内のとある地域で「ボランティアセンター」を立ち上げた素晴らしい人達ということで紹介されていましたが、本当に手を汚し汗を流して災害復旧に努めた人達ではないことを知っているので、マスコミとか世の中というものはこういうものなのかなと情けなく思いました。

先日、私が「災害ボランティア」見習として参加し教えていただいた、岡山県の被災地でも活躍されていたさるNPO法人の方々が行政の支援もなにもない状況で、中心となってボランティアセンターを立ち上げられ、先頭に立って現場に駆けつけて泥まみれになりながらたくさんのボランティアの方々と共に被災地の復興に尽くされたのですが、この方達は表舞台に登場してきません。

あくまでも裏方として、災害復旧がほぼ終わったと判断するとサッ!と引き上げられて、まるでスーパーマンのようです。
この方達が、被災後にすぐ現場に駆けつけられたので被災者も笑顔でおられたのではないかと思います、人の弱みにつけこむ悪徳業者が全国から押し寄せる中で、被災地の一軒一軒を尋ねてニーズを聞き、それにきちんと明るく対応して我がことのように一生懸命家を片付ける姿に被災者も心を癒されたのではないかと思います。

やっと災害復興のために県が国からの予算獲得の動きに出たことをさかんに報道していますが、被災者はそんなにいつまでも待てません。
阪神大震災という大きな痛手を負いましたが、その経験の中から民間による新しい芽が吹いてスクスクと育っていることは確かです!

〔第15回〕

■忘れていたもの!(9月1日)

佐藤さん おはようございます。
台風が通り過ぎ9月になった途端、肌寒い秋の風が吹き始めました。

昨日、図書館より借りていた本が返却日を過ぎていているので返却して欲しいとのことで急いで返しに行き、
本棚に長野県の諏訪中央病院の鎌田 實さんの「雪とパイナップル」という絵本を見つけました。

鎌田さんは私の福祉の師匠である大友慶次さんとともに原発事故のあったチェルノブイリの救済活動に参加され、
人間の無力さとともにヒロシマ・ナガサキ・ビキニ等・・・・・愚かな人間は何度痛い目に会えば本当の恐ろしさに気づくのだろうかと疑問を投げかけられています。

絵本の中に「昔のバナナには力があった」という内容のものがありましたが
、確かに日本にも物がない時代にバナナをひと房置いているだけで、店の箔がつく時代を思い出しました。
私の実家の近くにもそんな小さな食料品店があり、ガラスケースの上に置かれたバナナが光り輝いて見えた時代がありました。
結婚式などのお祝いなど特別なときだけしか、それも年に一回位であったように思います。

その店での思い出は数々あるのですが、私が福祉を意識した原点がそこにありました。
店の横には古くなった野菜や果物を捨てる場所があり、
夏場になるといつもそこに「竹さん」という坊主頭の中年の知的障害を持った人が立っていて、野良着を着て草鞋を履いていました、
背中にはいつも背負い子をしょっているのですが、
枯れ木は数本しか藁で結わえてなく子供ごころに不思議な人というよりも怖い人というイメージを持っていました。

その店では、古くなったトマトやスイカなどをいつもそこに投げ捨てていて、そこへ「竹さん」が現れては齧っている姿をじっと眺めている自分がいました。
夏場なので、凄い悪臭がしてくるのですが、「竹さん」はそれをおいしそうに食べています。
ハエもぶんぶんたかってくるのでそれを追っ払いながらむしゃぶりついていました。

そんな「竹さん」に近所の悪童達が、いつものように「気持ち悪いから近寄るな〜」とか「アッチへいけ〜〜」などと言いながらてんでに石ころを投げ始めました。
「竹さん」は最初知らぬフリをしていましたが、急に近くに置いてあった竹箒を手にすると追いかけていきました。

悪童達はワァ〜〜ッ!とくもの子を蹴散らすように逃げていきます。
私の前にも血走った目の「竹さん」がやってきましたが、違うとわかったのか悪童達を追います。
しかし、悪童達はすばやくあちこちの物陰に隠れて様子を伺っていました。

悪童達を見失った「竹さん」があたりをキョロキョロと見回していた時、
悪童達の誰かが投げた小石が「竹さん」の額に当たったようで額から血が流れてきました。
悪童達は「逃げろ〜〜」と言いながら一目散に逃げてしまいました。
わたしも怖くなって実家に息を切らしながら駆け込んだことを思い出しました。

数日してから「竹さん」を見ると頭に包帯をしていました。
「竹さん」と真っ白い包帯の取り合わせがなんだかオカシクて、
祖母に「竹さんは、どこに住んでいるの!」と尋ねたところ、
「竹さんはね、あの食料品店の向かいにある病院の子供さんなんだよ!」と教えてくれましたが、よけい頭の中が混乱してきました。

しばらくは食料品店横の路地で同じ光景を何度か目にしましたが、自分の行動範囲が拡がるにつれてすっかり忘れていました。

■恥ずかしいかぎりです。(-_-;)
(9月1日)

> ホームページの折口日記を読んで、とても共感できたと言ってきました。
> 大手企業を数年前に辞めて、郷里に戻った人です。

ありがとうございます。
軽い日記帳のつもりで書きはじめたのですが、あとで読み返してみるとくだらぬ取り留めのないことを書いていたり、
あまりにもマニアックな話であったりして時折後悔をしております。

> 台風はすごかったですね。
> 今年は本当に台風が多いですね。

そうですね、自分達の地域に台風が向かっているときは必死になってテレビを見て情報を集めるのですが、
通り過ぎると突如無関心となってしまうのはなぜでしょうか!?
よく飛行機事故で「邦人は誰も乗っていませんでした!」という報道と同じことかもしれません。

今年度の我が法人の計画として、「ガイドヘルパー養成研修会」と「介護タクシーの申請」を考えて準備をしていますが、
どちらも行政への許認可申請のため頭の痛いことばかりです。

数年後には申請がもっと簡略化されるのかもしれませんが、
肝心な主体である介護を受ける利用者やハンディを持つ人を中心に物事が考えられていないために、
よけいな添付書類がたくさん必要となります。

本来は健常者の資格取得のための研修会であったり、タクシー業種保護のためのものであってはいけないはずなのですが、
どうも主客転倒しているようにしか思えません。

この度の台風でも沿岸部の住民が高潮で被害を受けられ、
翌日県知事がお見舞い訪問をされ「さっそく高潮被害対策の公共工事を始めたいと思います」と発言されていましたが、
その本音の部分はどうみても土建屋さん向けのリップサービスであり、
けっして直接被害を受けた住民向けではないように感じました。

これほど災害がたびたび起こるのであれば、
毎度避難先としての体育館や公民館での避難生活をもっと楽にプライバシーを考慮したものをそろそろ実現してもよいのではないかと思います。

毎度、避難民イコール毛布とオニギリではたまったものではありません。
「何を贅沢な!」と叱られるかもしれませんが、心に余裕がない時期だからこそ心と体を休ませる設備と空間が必要だと思うのです。

最近はアウトドア用品も改良されて安く便利な軽い良いものがたくさんあります。
それをこれまでの被災地の経験者や災害ボランティアに本当に必要なものを選んで貰って安心して眠れる寝具やプライバシーを保てる道具を選んだり、
ボランティアが被災地で活動しやすくするための自転車やバイクまたは軽トラックなどを準備しておいたり、
夜間や足場の悪い雨天でも活動できるような用具やボランティアの安全確保のための用具などもこれからは必要ではないかと考えています。

住民を基本に置いた防災対策を考えねば、防災グッズ会社が儲けたという図式だけで終わりそうです。

■イメージトレーニング!(9月5日)

佐藤さん おはようございます。
昨日は、広島市内に出かけ尺八の講習会に参加しました。

講習会に参加した約80名は私を除いて県内のお師匠さんが殆どです。
その参加者の演奏ぶりを聞いて、講師が、
「オリンピックの選手が盛んに話されていたように音の世界も演奏するまでのイメージトレーニングが必要だと思います。
曲を棒吹きするのではなく、いかに抑揚や感情を盛り込んでお客さまに感動していただける演奏をしていくかを頭の中で練り上げていく必要がありますし、
他の琴や三弦とのアンサンブルをする場合も、
相手の楽器をいかに生かしてあげるようにするか、
又自分の尺八の聞かせどころをいかに聞いて貰えるように演出するかというイメージトレーニングをしなくてはお客様の感動は得ることはできないと思います」

「それとなにごとも基本です、音楽の基本を学ばなければいけませんし、
尺八自体を理解して尺八と一体とならねば演奏はできませんし、
さまざまな技法を自分流に変えて、その曲がどのようなものを表現している曲なのか、作者がどこを強く表現したいのか、
また自分がどのように表現していくのかということを意識して練習しなければいけません。
この意識するということは大変な違いを生みます」
という大変素晴らしい話をされました。
さすがにプロですね。
尺八演奏もさることながら物事を成し遂げた方特有の悟りというか哲学を教えていただきました。

これまでの尺八界は徒弟制度の中で、かっては厳しい社会だったようですが、
弟子や地方からのお金の上納で家元が豊かになった時代から腕よりもいつのまにかお金に価値が変化してきて、
「わたしは何百万もの尺八を買った」とか、「どうせ私は趣味なのだから」という人達が蔓延したにもかかわらず、
そのような人達にお金と引き換えにどんどん免状を出してきたようです。

まさに、にわか大工が親方となって素人だけで家を建てるようなもので突風が吹いただけで倒れてしまいかねない状況です。
そのような中で「このままでは邦楽は潰れてしまう!」と危機感を持たれた方々が流派を超えて学びあったり、
各地でのコンクールや師範試験を情に流されない厳しいものにして誰でもかれでも合格というこれまでのスタイルを大きく変えようとされています。

〔第14回〕

■ムカデと母親(8月21日)

佐藤さん こんにちは 久しぶりに昆虫物語です。
昨夜アテネ・オリンピックを見てさて寝ようと横になった途端に枕もとになにやら動く気配がするので見ると小さなムカデが蠢いていました。
今年はどうもムカデの当たり年なのか、よく部屋の中に侵入してきます
、さて寝ようとするとまたもや足元に動くものがあり、
飛び起きるとまたまた小さなムカデが現れて午前2時頃までに4匹を退治しました。

これで今夜はお・し・ま・いであろうと眠りにつきましたが、
なんと明け方に左手に猛烈な痛みを感じて飛び起きると小さなムカデがいました。
やれやれ今朝は涼しいうちに草刈をしようと考えていたのですが、これでは草刈もできないのでそのまま再び寝ました。

いろんな夢を見る中で、知り合いのお母さんという方が現れてお茶を勧めてもらったり、色々と気を使って下さいます。
突然「どうも息子が迷惑をかけてすみませんね〜、私の育て方が悪かったのでしょうかね。」と大変気の毒がっておられました。
「昔はとてもやさしい子だったんですがね。」と知人が集めたという福祉関係のスクラップを見せてくれました。

それまで、知人に対するわだかまりが無かったかと言えば嘘になりますが、
表面上は許していたつもりですが
心のどこかでスッキリとしないものがあったせいかもしれません、なんだか急に相手を許す気になれました。

燃え尽き症候群という言葉が医療・教育・福祉分野でささやかれていますが、
最初はそれぞれの世界に飛び込んだころには夢があり高い志を持っていたはずですが、
燃えていた心がいつのまにか燃え尽きてしまったとき、冷たいこれまでとは違う逆の行為をしてしまうことがあるようです。

もしかすると、知人は燃え尽き症候群だったのかもしれないな〜と感じましたし、周囲の福祉関係者にもその兆候は見られるように思います。
私自身もそうだったのかもしれないな!と思いました、もしかするとムカデの毒が良薬になったのかもしれません。(^^ゞ

〔第13回〕

■大きな福祉を食い潰すもの!(8月19日)

佐藤さん こんにちは 
こちらは台風の影響で朝から突風が吹いたり横殴りの雨が降っています。

さきほど久しぶりに地元の社会福祉協議会に出かけて用事を済ませて帰ろうとすると、
丁度理事会が終わったとのことで顔見知りの人達が次々と事務室に入って来られました。

元市会議員・元福祉事務所長・元民生委員会会長・元区長会長など、どなたもこれまで地域に貢献された方々です。
それぞれの方々と久しぶりに言葉を交わしましたが、どの人もどこか時間が止まっているような雰囲気を漂わされていました。

毎度、国会と同じように事務局が下準備をして、形式的に理事会を開催しシャンシャンで何事も無く終了です。
以前はこんなものだろうと思っていた時期もあるのですが、周囲の県にお邪魔してみると全体の雰囲気も違うし、
佐藤さんがおっしゃるように「楽しい福祉」が目の前にあるんです。

若い社会福祉協議会のスタッフの意見が取り入れられる素地がある職場は活気がありますし、
若いボランティアやNPO関係者の出入りも盛んです。
しかし、残念なことにどうやら我が市では老害のあまり死後硬直化しているようです。
この状況は市町村だけではなく、県の社会福祉協議会も同じ構造で、
会長は元県知事、課長は元福祉関係の県職員がズラリとそろいぶみしていて、
生え抜きのヤル気満々であった人達は自分を生かす場所がないため、
次々と福祉関係の大学や専門学校の教員となっています。

もともと行政の天下り機関として設立された経緯があるのでしかたがないのかもしれませんが、
「官」の発想では「民」はついていくことができませんし、
行政方式の予算ありき会計方式では、国の財政がこれだけ厳しくなる中では全てカットの対象となりどの事業も不可能となってしまいます。
本来の「福祉を必要とする」人達が活用される場ではなく、
「福祉を利用しようとする」人達が福祉という居場所にすがっているという哀れな姿には本当に情けないものを感じます。

身近な構造改革をしていかねば、「大きな福祉」の実現はほど遠いとつくづくと感じました。

■商品送りつけ商法!(8月20日)

佐藤さん こんにちは 
きょうは台風が通り過ぎたせいか室内では秋風が冷たく感じました。

さて、本日のヘルパー訪問先でのこと知的障害を持つ本人が通所施設から帰宅してみると、
なにやら宅配便が置いてあり開けたものかどうしたものか思案しているようでしたので、
「よくわからない業者なのであれば、宅配便業者に連絡して『返品します!』と言えば取りにきてもらえるよ。」と助言しました。

早速本人が電話をしていましたが、なにやらだんだんオカシナな話になっているようなので、
一旦電話を切るように話して、どこへ電話をしたのかと聞くと、
宅配便に書いてあった連絡先の業者へ連絡したところ「返品するのであれば返却料がいる!」と言われたとのことで、
なるほど宅配便に貼っている伝票には宅配業者の連絡先は書いてありませんでした。

電話帳で宅配業者を捜して連絡することで一件落着したのですが、先般の訪問販売業者の件もあり油断はできません。
それにしても、一人暮らしの高齢者やハンディを持つものを狙う業者は許せません、困ったものです。


〔第12回〕


■それって本当かな?!
(8月10日)

佐藤さん こんばんは 
昨夜の「介護セミナー」は盛況で無事終了致しました。

たくさんの施設関係者やこれまでお世話になった宅老所の方々が遠方から雷雨の吹きすさぶ中ずぶ濡れになりながら駆けつけて下さいました。
本当に有難いことです、またボランティアとしてたくさんの協力もいただき感謝・感謝です。

ここで終われば最高に良かったのでしょうが、その後講師を囲む打ち上げに、
知人で今勤めている病院を辞めてこれから宅老所を作りたいという看護婦さんが参加されました。

「講師に是非会って話をしたいので時間を取って欲しい!」と言われた時点で、
疲れている講師の都合も相手の都合もおかまいなしの自己中心の強引な申し出に嫌な予感はしていたのです、
口では「どこにも行き場の無い方のために。」と言いながら、腹の底では絶えずソロバンを弾いたような話を何度も講師にされます。

どこか私の想いや大きな福祉とは相容れないものを感じました。
福祉サービスを必要とされる方と同じ世界を共有する覚悟がないのに、
ただ自分が今の環境では満たされぬものをそこに求めているような気がしたのです。

確かにそのような宅老所を運営されているところもありますが、
残念ながら運営する側も利用者もどちらもが不幸ですし、しんどい日々の繰り返しです。

「もし、失敗しても又看護婦に戻れるからいいかな〜って思ったりして!」という言葉には、、
相手の大事な人生を踏みにじることもありという風に聞こえてきました。

心有る宅老所の皆様が、一足先に家路に急がれたことが、せめてもの救いとなりました。

一念貫通   坂村 真民 作

一以って貫く わたしは これが好きだ
わたしは 愚か者だから これしか できないのだ

一貫の詩 一貫の愛 一貫の師
これが しんみんの 生き方だ

■禁じ手!
(8月14日)

佐藤さん こんにちは お盆をいかがお過ごしでしょうか!?
こちらは、先程から雷の号令とともに雨が降り始めました。

今年は、例年にない暑さが続いたせいか我が家の年寄りも20年ぶりに更年期障害後遺症!?を再発して、
「背中が熱い」と冷蔵庫の中へ多量の濡れタオルを投げ込んだりアイスノンやシップ薬をところかまわずに入れては背中を冷やしていたのですが、
とうとう奥さんも頭に来て小さな冷蔵庫を購入してきました。

20年前も同じような症状で近隣の医者に診てもらったところが、「どこも異状なし!」との診断にヤブ医者呼ばわりし家族もお手上げ状態となり、
親戚に頼んで県内の病院を転々としました。

最終的に薬害が元で黄疸症状が出て、はじめて病名らしきものがつきその治療をしたことで回復しました。

いまでは、その頃親身に面倒を見てくれた親戚のおじさんも亡くなられたので頼るすべもなく、
これまでは「絶対病院には行かぬ!」と言い張っていたのですが、
本日は雨が降り落ち着いたのか「救急車を呼んで病院に行こうと思うのだが。」と話し掛けてきました。

「病院もお盆休みに入るから早めに病院に行って検査を受けるように!」と、
何度も話していたのですがお盆休みではどうにもならず、おあずけ状態です。

というような、こころのバランスを崩して体の不調を訴える高齢者が多いことは、
どの病院の待合室にも高齢者の患者さんで一杯の状況をみるとよく理解が出来ます。

厚生労働省が介護保険の膨大な出費を抑えんがために「介護予防」と称して安上がり福祉を行おうともくろんでいるようですが、
諏訪中央病院の鎌田實さんの長野県の住民が健康的に地域の中で過ごすための地域医療の取り組みとは大きくかけ離れているように思うのです。

介護保険が始まるとのことで、国は急遽ケアマネージャー・介護福祉士・ホームヘルパー資格など介護者の乱造を行いました。
単位さえ取れば、誰でも良いわけですから当然さまざまな問題が出てきます。
資格はあっても介護ができないヘルパーや、看護経験はあっても介護をしたことはないケアマネージャーがたくさん生まれてきているわけです。

そのため現場ではどうしようもなくなった人達が、「介護セミナー」とか「老人介護講演会」などに答えを求めて大量に押しかけるので、
その手の業者は空いた口が塞がりません。
また、不況でリストラにあった人達の足元を見てさまざまな介護資格取得のための講座を開催する業者もホクホク顔です。

田舎の最大商社「農協」も最近では、ヘルパー事業からディサービス事業を始めました。
農村部での介護事業者が育たないであろうとの大義名分で国が推進してきたものですが、
関係者の発想自体が「建物共済の加入」で夜な夜な戸別訪問をすることと全く同じなのであくまでも農協の事業活動の一部であり、
決してより良い介護を目指しているわけではありません。

矛盾だらけの介護保険の中で、住民本位を貫く数少ない「宅老所」には本当に頭が下がります。


〔第11回〕


■利用者の権利
(8月1日)

佐藤さん こんばんは 
救急法の養成講習会は無事終了致しました、錆びた頭と体を磨くにはもってこいの良い機会となりました。

さて、午後8時ごろ在宅の知的ハンディを持つA子さんから、
「てんかん発作が続けて起きるので来て欲しい」とのことで飛んでいきました。
到着するとちょうど本人はお風呂に入っていて、
一緒に住んでいるBさんが「きょうは1日何度もウ〜ウ〜と小さいうめき声を上げるので電話をしたんだろうと思う」とのことでした。

A子さんが風呂から上がるまでに、
BさんがこれまでA子さんが通所している施設の職員からさまざまな嫌がらせや私物を取り上げられたり捨てられたりした話をしてくれ憤慨していました。

一般の方が、もしこのような同じ状況におかれたとしたら、すぐに裁判沙汰となるのでしょうが、
権利擁護機関はあっても知的ハンディを持つものにとって、それが何を意味するものか理解することは大変困難なことですし、
知的ハンディを持つものの証言の信憑性をどれだけ重要視してくれるのかも疑問です。

後見人の必要性も言われていますが、年金生活の彼らに数十万ものお金の捻出はなかなかできません。

しばらくして風呂からでてきたA子さんは風呂上りで気持ち良いのか上機嫌です、
2年前に生死をさまよったこともあるので、もっと食事管理や健康管理が本来は必要なのかもしれませんが、
周囲から見ると危なっかしい綱渡りのような生活には見えても、
唯一彼女を理解してくれるBさんとの同居生活が生きがいとなっているようです。

A子さんの血圧・体温を測りましたが異常はなく、
「また、明日訪問するから、今夜雨が降っているので涼しいからゆっくり眠るように」と話して帰宅しました。

「支援費がはじまり利用者と事業者との契約に変わったので!」
と行政や民生委員はできるだけ責任を追求されんがために、なるべく彼女に関わろうとはしません、困ったものです。

■生かされている
(8月2日)

佐藤さん こんにちは。
土日の講習会で張り切りすぎたせいか、本日はボーっとしています。

長野県の諏訪中央病院の鎌田實さんがNHK番組「人間講座」の最終章で、鎌田さんの
父親について語っておられました。

どうも自分に冷たい、父親というものはこんなものかと50年間悩み続けていて、母親
が癌の末期症状で「延命治療を施さなければもう命はない!」と父親に話したところ
「どうしておまえはそんなに冷たいんだ、命長がらえられるものならば、延命治療で
もなんでも精一杯手を尽くすのが医者ではないか!」と叱られ、延命治療を施しまし
たが、もともと心臓の弱かった母親は半月ほどで亡くなりました。

その後初めて、父親が本当の父ではなく病身の母と子を承知で一緒に暮らしていたこ
とを知り驚き、それまでの堅物と思っていた父親像が一変してしまいました。

その父親も今では亡くなり、自宅を父親の名前を取って○○小屋と称しているという
話をされていました。

「医療にやさしさがなくなった。」と序章で話をさせていただいたのですが、やさし
さというものはやさしいようで難しいものかもしれませんが、相手を思いやること思
いを馳せる事ではないかと最近つくづく思うようになってきました。

鎌田さんの話を聞いていて、どこか自分の境遇と重なりました、鎌田さんの母親と同
じように私の母も心臓の持病を持っていたため、子供ながらいつも生死について考え
させられる日々でしたのでなんとなく理解できるのです。

そのことが、鎌田さんを傲慢な医者にさせず、地域医療に取り組ませた要因だったの
かもしれませんね。

フト、忘れていたことを思い出させていただきました。

■八月六日(8月6日)

佐藤さん こんにちは 
きょうも暑い1日でしたね、お体の調子はいかがでしょうか!?

毎年、この日は広島の平和公園内で尺八のお仲間と献曲を行うのですが、
きょうはケア・ワーカー(ヘルパー)の講習会に午前中参加しました。

障害者施設の関係者はどちらかというと服装に無頓着な方が多いのですが、
本日は実技があるとのことで、どのヘルパーさんもユニフォームを上手に着こなされていてとても清潔感を感じました。

高齢者の介護の世界に入ってみてまず驚いたのは、
障害者施設の世界に介護の理念が大きく欠落しているということです。

在宅にしろ、施設利用にしろ日々の生活を過ごす中で、
食事・排泄・入浴はハンディがあろうがなかろうが同じ人間として誰もが行うはずの日課であるはずのものが、
これまで見過ごしにされてきたのでしょうか。
本当に不思議なことです!

午後から支援費ヘルパーとしてSさんのお宅を訪問すると、
訪問販売員らしき人が2人縁側に座っておられなにやら怪しげな雰囲気でした。
状況がよくわからないまま話を聞いていると、
Sさんの名義でA社と契約した健康器具をB社が勝手にA社に送り返し、
B社の健康器具を再びSさん名義で契約したという話のようでした。

私が横から
「失礼ですが、Sさんが知的障害を持っているということはご存知でしょうか!?
判断能力のないものに訪問販売は抵触すると思うので、そこのところだけお伺いしたいのですが。」
と話すと、人相の悪い兄貴分のような人が
「障害の何級を持っておられるのか!?」と言われたので
「重度です。」というと、あっさりと引き下がり帰っていかれました。

私が訪問する2時間前位から居座っていたそうで、本人も困っていたようです。
一人暮らしの高齢者や知的ハンディを持つものがさまざまな犯罪から狙われているのをわかっているのであれば、
もっと後見人制度をお金がかからず利用しやすくしてほしいものだと感じました。

きょうのところは穏便に済んだかのように思えますが、
A社の訪問販売によるミシン代25万円とB社の訪問販売による健康器具代30万円のローンによる支払いが10月から始まります。
困ったものです。

平和について身近な問題から考えさせられた8月6日となりました。


〔第10回〕


■救急法!(7月26日)

佐藤さん こんばんは 昨日・今日と日本赤十字社の救急法講習会に参加しました。

災害時の時に少しでも役に立てばと以前申し込んでいたもので朝9時から午後5時までビッシリと土・日の4日間救急法を学べます。

当初募集定員は30名とのことでしたが、実際参加したのは7名でした。バスの運転手さんもいれば、保育所の保育士さん・学生・看護婦・看護学生・スキーのインストラクターと職種も年齢もさまざまです。

救急法の講習を受ける目的として、趣味のクロカン競技やスキーの最中に起きる突発事故や職場での事故に対処したいというものが殆どでした。

これまで、目の前で事故が起こってもただ呆然と立ち尽くす自分を変えて、救急車が来るまでの間に少しでも人のために役立ちたいという思いが、長時間の厳しい講習にも関わらず誰一人根を上げようとはしません。

日常生活の中では殆ど経験しない人工呼吸や心臓マッサージを人形相手に行うのですが、時間制限がありしかも心肺蘇生法の手順というものもあるため、硬くなった頭とだぶついた体にはなかなか受け入れることができず混乱を繰り返しています。

三角巾の使用法も学ぶとその素晴らしさに驚くのですが、肝心のたて結びが出来ない人が私を含めて多く幼児期の基本的な生活経験の必要性をつくづく感じていますが、一度結び方を覚えてその結び目の一方を引っ張るとスルリと結び目が解ける様子はまるでマジックを見ているようです。

周囲がスポーツマンばかりの中に、ただ一人運動不足の肥満体がいるので場違いのようにも感じるのですが、これを機に体を動かす訓練をしておかねば、とても災害時に救出されることはあっても救援はできないなとつくづく感じました。

これまでの人生経験では味わえなかった爽やかさや充実感を味わっています、佐藤さんにもぜひお勧めです!


■蒟蒻の裏表。
(7月31日)

佐藤さん こんばんは こちらは台風の余波でときおり強い突風と雨が降っております!

さて、8月9日に「介護セミナー」を開催するために地元の社協にボランティアを要請したところ、「セミナー参加料3,000円は支払うのか!?」という質問があったので、他の社協に勤めている知人にアドバイスして欲しいとメールを送りました。

ぱっと読んだ感じですが、社協・ボランティア側からすると、「安易にボランティアをお願いしている、スタッフがいないからボランティアを職員代わりにしている」という風に取られるのでは?と思われます。

「ボランティアは見返りを求めるものではない」とよく言われますよね。でも、現実はあると思います。それは、感謝された、人の役にたった、充実感、面白かった、楽しかった、勉強になった、ふれあえてよかった等という場合もあるではないかと思います。
あるいは、有償ボランティアという形で、金銭的なものも少しはあるのかもしれません。

ただ、私が思うには、ボランティアは無償(実費以外)という原則は、そうだと思いますが、金銭的なもの以外のメリットがないと続かないと思います。
またこのボランティアへ参加しようという意欲もなくなるでしょうし、続かないと信頼感・責任感というものも形成できないでしょうし・・・。

NPO法人がボランティアと協働していく上で、よい関係になるのは、NPO法人スタッフがどこまでボランティアに信頼を寄せ、うまく活動展開ができるようにコーディネートができるかどうかだと思います。

人によって、ボランティアの考えは違います。これを統一するのは、難しいです。いろんな考えがあるんだとしかいえないです。

また、今回のケースだと、例えば、ボランティアで、セミナー運営を手伝っていただきました。で、ありがとうございました。サヨウナラでは、貴会と一度つながりができたのに、切れてしまいます。これでは、ボランティアと貴会で、なかなか信頼関係ができませんよね。

個人的にいうと、ボランティア希望された方は、おそらく介護関連に興味がある方だと思いますので、3000円を無料にするか、格安にし、参加されたボランティアに、今後も貴会へ関わってもらえるような、仕掛けやプログラム(活動)を考えていく方がよいのではないかと思います。
ただ、経営面で、難しいのであればどうかとも思いますが。

実際、ボランティアの思い・考えと依頼する側の思い・考えのズレによって、難しいです。これが、バッチリあえば、うまくいのですが・・・

といった内容のメールをいただきました。
さすがに、ボランティア・コーディネーターだけあって、きれいごとだけでは済まされぬボランティアを知っているからこその発言ではないかと思いましたが、佐藤さんであればどのようにお考えでしょうか!?

〔第9回〕

■高遠菜穂子さんの講演会
(7月19日)

佐藤さん こんばんは 本日は午後から隣の三次市で、高遠さんの講演会がありました。

主催者はいつも親しくさせてもらっているNPO法人です。
会場の手伝いが何かあればと尋ねたのですが、特には無いということでした。

昨日になり他のNPO法人から講演会の前座として舞台で歌を唄うのだが人が足りないとのことで、急遽コーラス要員として本日正午からのリハーサルに参加しました。

舞台に上がってみると確かに参加者は10名余り、歌は「国際人」という曲で、どうやら先日我が法人の事務所でピアノコンサートを開催していただいたピアニスト河野康弘さんの作曲とのことです。

同じ歌詞を、日本語・英語・韓国語・中国語・ポルトガル語で作ってあるものでした。
歌詞を見ながら練習していると、それぞれマイクを持つ順番が指示されたので、「どうしてなのか?」と尋ねたところ、「お国の言葉はやっぱりその国の人でなくては!」とのことで、周囲を見回すとなんと日本人だと思っていた人達が様々な国から仕事や留学によりわが国に来られている方でした。

隣におられた小さなお子さんと共に参加された方に、「どこからこられましたか!?」と訪ねると「大連です。」とのこと、「中国の日本支社から日本に来て6年目です。」と上手に日本語を話されました。

来日された年には、中国語講師として国内でアルバイトもされたとのことです。
以前私が中国語講座で培ったハズの、中国語風で話しかけてはみたのですが、発音がなってないと軽くたしなめられました。

その王さんという言われる女性の日本語は確かに上手に聞き取れるのですが、イントネーションがどこか違います、しかし以前中国語を習った日本語の達者な教授とはどこか温かみを感じました、習うより慣れろ方式ならばいけるのかもしれませんね!

舞台本番直前には助っ人がたくさん現れて、「国際人」の大合唱となり無事終了することができました。

残念ながらヘルパーの仕事が差し迫っていたので、高遠さんの話を聞くことはできませんでしたが、もっと大事なものを得たようなうれしい気分の一日となりました。


■平和と情報操作(7月20日)

佐藤さん おはようございます。
昨日、原さんのところへ立ち寄ったところ「佐藤ご夫妻からの丁寧な礼状をいただきました」と、大変喜ばれていました、
ありがとうございます。

さて、昨日の高遠さんの講演会に参加された方が、「ハハハ・・、結局期待したほうが悪いんだけれどもね!」と「殆どの講演会に参加した人がイラクでの拘束されたときの本当の話が聞きたかったんだと思うんだけれども、イラクでの活動報告だけで終わってしまったんだよね。」「しょうがないよね〜〜。」

講演会が始まるまでの事前情報でそうならざるを得ない状況であることは知っていましたが、言論の自由があるはずのわが国でそれがだんだんできにくくあるということがとても気がかりです。

逆に冷静になって高橋菜穂子さんというボランティアの活動経歴からのみ判断させていただくならば、それほど驚くものではないように感じるのですが、その女性をなぜこうもヨイショ!する必要があったのか、「邦人が拘束された!!大変だ!!大変だ!!」のお神輿を担いだつもりが、じつは担がされていたのではないのか、なにか別の意図があったのではないかと勘繰りたくなります。

どこかコムケア活動の目指す大きな福祉とは違う、別の違和感を感じてしまいました。

今年も8月6日が近づいてくると、各地でさまざまな行事が行われていますが、どれをとっても形骸化してしまっています。

あっさりとヒロシマから離れて、豪雨による水害の被災地である新潟や福井にボランティアへ出かけたほうが、この国の平和や人権感覚がよく見えて来るのかもしれません。


■俺のプライド
(7月22日)

佐藤さん こんにちは!暑い日が続きますね。

本日は、小さな食料品店を営んでいるK君のところに立ち寄りました。

お父さんを3年前に、お母さんを今年1月に亡くして一人暮らしの中年オジサンです。
小さいころに脳性小児麻痺に罹り、下半身が動かないので近年まで松葉杖の生活でした。

K君と知り合ってから約30年経つので、お互い遠慮がありません。
そんなK君が「これまではな〜、親父やお袋が一緒だったので正直なところ障害をあまり感じなくてもよかったんだが、お袋までいなくなってくると家の周囲はジャングルになるし、店の陳列は誰もしてくれないし、本当に困っているんだよ!」と冷房のない締め切った店の中で汗をかきながら話をしてくれました。

私が「だったら、ヘルパーを頼んだらいいじゃないか。」というと「ヘルパーは掃除・食事・洗濯だけだろう、庭の草取りやまして店の陳列なんかしてもらえるはずはないじゃあないか!」といいました。

K君が「これまでに、自宅の改造は殆どしてあるので
車椅子生活になった体でも、なんとか一人で生活できるんだ、問題は家の外や店のことなんだよ。」
「支援費制度が始まり、役場からヘルパーを活用してほしいと再三言われるので、かろうじて週一回一時間だけヘルパーを利用しているんだけど、ほんとは殆ど自分でできるんだし、特に自分の部屋やプライバシーを他人に覗かれたくはないんだよね!」

これまで、いつも傍らにいた両親が他人に彼の本音を言わせぬようにしてきたことを一気にまくし立ててきました。

「自分でもね、この変なプライドを無くせばどんなに楽だろうかと考えることはあるよ!でもね、ここだけはやっぱり誰にも譲ることのできないプライドというものが人並みにあるんだよ!!」

これまで両親が健在のときにK君を何度も外へ連れ出そうとしたのですが断られてきました、今回8月開催する予定の介護セミナーに「参加してみようかな!」と、はじめて一歩を踏み出そうとしているオジサン仲間です。





〔第8回〕


■ 歴史の街道
(7月15日)

佐藤さん 毎日暑くてやんちゃが出そうですね!
昨日は、知人の土笛作りの達人である原さんが、庄原市から少し離れた上下町というところの歴史文化資料館まで連れて行って欲しいとのことで一緒に出かけました。

上下町を通過する国道はなんの変哲もないのですが、一歩入ると昔ながらの白壁の町並みが保存されていて、ほっとできる空間作りがされています。

その中に歴史文化資料館がありました。
この建物はこの資料館のメインであるところの女流作家・岡田美知代さんの生家を、
町が3億円近くかけて改造されたとのことでしたが、正面からみると周辺との違和感がなくうまく調和していました。

岡田美千代さんはもとも、と上下町の出身なのですが、
晩年は庄原で過ごされ若き日にアメリカで生活されていた経験を生かされて、
近所の子供達に英語を教えられていたそうで、その中の一人に原さんがおられたそうです。

女流作家とはいえ、かろうじて知られているのは「奴隷トム(アンクル・トム)」の翻訳でしょうか。

旧家の長女として生まれた美知代さんは、本当にお嬢様育ちの見本のような方であったそうですが、
作家・田山花袋の弟子となり、名作「蒲団」のモデルだとして明治40年当事に大スキャンダルとなり、
小説と現実との違いがあることはわかりつつも、容赦の無い世間の風評に大変つらい人生を過ごされたそうです。

現代であれば、政治・芸能スキャンダルに慣らされている我々にとってはなんということはないのですが、
英語を学んだことのある師の汚名をはらさんと、原さんはたくさんの当事の資料を全国からかき集められて、
当初は庄原市に寄贈を考えておられたのですが、
出身地である上下町から「ぜひとも、わが町に!」ということでトントン拍子に話が進み現在の資料館ができたのだそうです。

建物の中に入ると、すぐ右手に手入れの行き届いた人力車が置いてあり、名家であったことを彷彿とさせるものがありました。

資料館のパンフレットの中に「こんな町並みが残る背景には、面々と続く歴史ドラマがあり、
町並みの内側には時代の証人ともいえる貴重な文化財や歴史遺産がしっかりと残されています。
また上下の誇るべき財産として、町並みや文化財と並び「人」があげられます」と書いてありました。

残念なことに、今年4月に広域合併となり近隣の市に合併されたことで、
これまで町長・教育長をはじめとする行政関係者の理解や町民のボランティアで運営されていた資料館が、
急に予算の削減や行事計画の見直しを迫られて、広域合併の問題点がさっそく表舞台に出てきているとのことです。

この街道は隠岐の島に流されたという後鳥羽上皇が通過された道でもありますが、
現在のおろかな政治の顛末を後世の人達はどのように評価するのかが見ものであります。


〔第7回〕


■ 滞るおそろしさ。
(7月7日)

佐藤さん こんばんは 
パソコンが次々と金縛りに遭い連絡ができぬまま 暑い夜を迎えております。

本日、顔見知りのとある男性が「NPO法人の福祉車両を借用したいのだが」と訪ねてこられました。

かってはアスリートとして共に走ったこともある女性が、
ある事故がきっかけで首から下が麻痺してしまい、現在家庭で介護を受けられているのだが、
その方にぜひ庄原まで来ていただき、体験談をある会で講演していただこうと考えているそうです。
ところが、交通手段がないので車椅子専用車があればな〜と思っていたところへ、
ちょうど私の乗った車が通り過ぎたので、どうかと思い立ち寄られたとのことでした。

残念なことに、法人の車両は車椅子専用ではないので、
福祉タクシー割引券や支援費による移動介護などの制度上の話をしたのですが、
本当に福祉の制度は家族にも一般の方にも大変理解しがたいものとなっているようです。

本来は、地元の社協か福祉事務所などで、誰でも気軽に相談できる窓口があればよいのでしょうが、
現実は敷居が高いものとなっていて、その場所さえ知らぬ住民がたくさんおられるのも事実です。

国からの上意下達のお仕事も大切なことでしょうが、
もっと住民の家庭に御用聞きに出かけていくということを積極的にやっていかないと、
45歳の肩たたきを、今度は住民がすることになるかもしれません。

「つねに前進」   坂村真民 作

すべて とどまると くさる
このおそろしさを 知ろう

つねに前進 つねに一歩

空也は左足を出し 一遍は右足を出している

あの姿を 拝してゆこう

■自覚した人!(7月10日)

佐藤さん こんにちは 
午前中は何度か通り雨が降り空にはアキアカネの編隊も飛んでいてさわやかな夏を過ごしています。

今日は、わが奥さんが福祉現場に就職した昭和43年ごろの話です。
当時は「白痴」と蔑まれ、家の中だけでの生活を余儀なくされていた知的障害と身体障害の重複障害をもつ子供たちが、
全国の施設のコロニー化の波に押されて、県内で初めて出来たさる重度障害児施設に入所することになり、
そのために採用された素人職員7人の一人だったそうです。

主任一人を除いてズブの素人ばかり。
しかし最初は20名の5歳ぐらいの可愛い子供たちですから、
排泄の世話や入浴が大変だとはいえやりがいは十分あったそうです、
しかし、採用された職員の中には、
絶えず流れるよだれやあちこちから漂う排泄物の臭気に、
精神的に追い詰められて、次第に一人一人と辞めていくものがあり、
途中からは5人の職員の中から夜勤2名をやりくりする状態が続いたそうです。

それでも、これまで自宅で軟禁状態にあり歩くことのできなかった子供達を、なんとか外に連れ出して歩いた結果、
入所した子供達の多数が自力で歩けるようになり、
当時の規定で3ヶ月は親子の面会謝絶という時期を経て、
はじめて我が子が歩ける姿を見た親御さんは大変喜ばれたそうです。

しかしながら、所詮素人集団の上に、建物はあってもトイレや風呂はとても機能的とはいえず大変狭いものであり、
現在の施設基準からは想像を絶するもので、
食事のときは走り回るもの手づかみするもの食器をひっくり返すものと毎食時とても落ち着いて食べられる状態ではなかったようです。

それは深夜も同じことで窓から飛び出るもの、
夜中じゅう奇声をあげて歩き回るものがあり、職員も疲労が重なり、
この施設だけではなく全国の同じような施設からも、
腰痛症や頚腕症候群などの職業病が発生して、
「最重度」の障害を持つ児童だけを収容するという方法に疑問の声が上がり、
「重度棟解体」の声が全国に広がっていきました。

その後、障害の程度で分類するのではなく、
「一般棟」の中でなんとか一緒に暮らせることとなりましたが、
「生活舎」とはあるものの、何年経ってもそこは寮生活であり、
本当の暮らしの場とはいえないもので、それが未だに続いています。

この度、訪問介護事業を始めて、少しづつ介護の「小さな実践」を積み重ねさせてもらっていますが、
多くの知的障害児(者)施設の中には、介護の基本理念や人権感覚がないままに生活しているものが多く恐ろしさを感じます。

30年の間にいつのまにか時代は変わって、
それぞれに立派な建物が立ち、簡単な軽作業以外は「見守り」をしていれば給料がいただけるという悪習慣が身について、
その見守りさえもからも逃れて中間管理職におさまり、
机の上のパソコンに向かい忙しい忙しいを口癖にする人達が増えています。

その反面、施設の中で籠の鳥となっている多くの障害を持つ人達、
どうやら再び外へ連れ出す作業が必要な時期がやってきたようです。

〔第6回〕

■関係障害論(7月1日)

佐藤さん こんばんは。
きょうは、図書館に出かけ「ガンに勝った人たちの死生観」(帯津三敬病院名誉院長
帯津良一著)という本を借りてきました。

> やっとやる気を出したのですが、 途端にまた「忙しく」なりそうです。 心しなけ
ればいけません。

どうか、おこころを失わぬように!
「死生観」というものは、誰もができることなら避けて通りたいものですが、案外
「生かす」ことの反意語としてあるだけではなく「死を想う」ことから「生き方」が
見えてくるのかもしれませんね!
ゆっくりと、読んでみようと思います。

さて、きょうは痴呆症状がある家族が体調を壊されて急遽入院されたときの話を聞か
せていただきました。

その病院は公立なのですが、システムが旧態依然としていて部屋も狭くトイレの臭い
が部屋の中まで漂ってくるようなところだったそうです。

以前違う病院に入院されたときの明るい雰囲気とは違い、どこか殺伐とした雰囲気や
ギスギスした看護婦さんの対応に、一抹の不安を感じられたそうです。

すべての看護婦さんがそうではないとのことでしたが、なんとなく介護疲れの家族と
同じようなやり場のないような態度で、翌日詰め所の隣にある入院している部屋を訪
ねるとオマルの周囲は汚れっぱなし、汚れた下着はベッドの下に丸めて放り投げてあ
り、「わぁ〜大変なところに来てしまった!!」と後悔されたそうです。

看護婦さんから「毎日来られなくてもいいですよ!完全看護ですから・・。」と言わ
れたそうですが、こんなとこにいて放っておいたらエライことになるような気がして
毎日通われたそうですが、幸い一週間して退院できたので助かったたとのことでし
た。

障害者の施設でも日常ありうる出来事です、社会との関係を無くした集団は異常な関
係になっていてもそのことに気付かず、そのまま突き進んでしまうこともあるのだと
思います、患者や利用者からの意見を取り入れることのできる開かれた病院や施設で
ありたいものものです。

〔第5回〕
今週は3通のメールをもらったのですが、残念ながらオフレコメールが2通あったため、1通だけの掲載です。

■貧しい福祉(6月22日)

佐藤さん こんばんは 台風一過ですね!

以前、痴呆症のお母さんを追って家族の歩く姿をお話したことがありましたが、
本日はまるで台風の空のように暗澹たる気持ちになりました。
ある高齢者施設から少し離れた場所でのこと、
先頭を行く痴呆症らしきおばあさんが腰を曲げたまま片脇に人形を抱え、
一生懸命どこを目指しているのか一点を見つめてもくもくと歩いておられました。

その少し後を、携帯電話を耳にあて談笑しながらついていく施設職員らしくない今風の格好をしたサンダルを履いた若い女性がいました。
きっとその人は、ボランティアか実習生であっただろうと信じたいのでありますが、たとえそうであっても見たくはない光景でした。

戦中戦後のそれぞれの生き様の違いと言ってしまえばそうなのかもしれません。
先日、ある職場の中堅職員が
「最近の若い人には何を言っても聞かないし、どんなに周囲が忙しかろうが切羽詰っていようがおかまいなし、
就業規則に書いてある通りにきちんと年休をとるし、ときにはまとめて休みを取って平気で海外旅行をしてくるんです。
どうも世代が違うんでしょうね〜」
と嘆いておられました。

週休2日が当たり前、育児休暇が当たり前、産休が当たり前、残業がないのが当たり前、ボ ーナスが昇給するのは当たり前、
なんでもかんでも全てが当たり前と思っているのかもしれない、いや思わされているのかもしれないが!
「全てが当たり前でなかった時代から豊かな今日を築いてきたのはそのおばあさんのおかげなんだよ」
ともう少しで車を停めて注意しかけようかと思ったのですが、止めました。

そのことに気付いて指導するのは私の役割ではなく、
その施設の上司なり施設長の仕事ではないかと考えたからです。
その施設の使命はなにかを伝えられぬ施設ではどうもいたしかたありません。

帰宅して、長野県の障害者施設に勤めて2年目の次男に電話を何度もするがなかなか通じず、やっと午後11時前になり通じました。
「まだ、仕事をしょうるんよ!ぼくは要領が悪いからね〜ひとより時間がかかるんよ〜」
あ〜なんてことだ!聞くと、
「以前は午前5時半からのパン製造作業だったけど、最近では午前7時半からの開始で、どの職員もそうなんだよ!」
と話していました。

「施設長に、この現状を話したのか!」と聞くと「いや、そろそろ言わないといけないんだろうけどね、どの職員もそうなんだ」とのこと。
「おいおい、長野県知事はこの実態を把握しているのだろうか、労働基準監督所はいったい何をしているのだろうか!!
時代錯誤もはなはだしい。いまだに野麦峠をやるのか!」
と親バカのおやじは思わず逆上しそうになるのですが、
『可愛い子には旅をさせ』の格言とおりに、ここはジット我慢しなければいけないのかもしれません。

こんな貧しい状況では、利用者にとって『豊かな福祉』はどうやら掛け声だけで終わりそうです。

〔第4回〕

■命がけ(6月15日)

佐藤さん おはようございます。

昨夜の番組で永平寺の104歳の住職である宮崎さんが、俗物化した僧侶達の前で、
「昨今の報道を見聞すると、本来範とならねばいけない人がさまざまな場所で問題を起こしているようですが、
どうか言葉ではなく行動で示して欲しいと思います」
と言われました。

また、門前の店主の奥さん達に「私は30歳までタバコをやめることができなかったんです。
どうやってもやめることができず、本尊様に「やめられなかったら命をかけます!」とお願いしたんです。
するとやめられた。まさに命がけとはこのことです。どうか、皆さん何事も命がけでやって下さい」

どうやらなしくずし的な「有事関連7法」の成立の流れを見ていると、
わが国を守るべき手段はどうやら何も残されていないようですね。

おきまりの平和公園での反対表明座り込みも木陰で行われ、
故森滝一郎さん達が命がけで炎天下の供養塔の前で座り込みをされていた時代とはどこか大きく違うものを感じました。

今朝の新聞に、佐世保の事件に関するもので、
学校の現場を「学校役場」とうまい表現をしたものがありましたが、
学校にいれば安全という神話が崩れ、そこかしこに今回のような問題は絶えず見え隠れしているとのことでした。

この現状は我が息子達が義務教育であるはずの学校に通っていた20数年前からいつも感じていたことでした。

授業中に騒いでいる生徒がいても注意せず、
トイレや学校帰りにいじめられる生徒がいても、それを見て見ぬふりをする教師達、
親がそのことに気づいて学校に駆け込んでも、
「まぁ、お父さん相手にも権利はあるのですから」と、
当時から義務を放棄していた学校の体質はますます悪化しているようです。


■メジロの訪問者(6月17日)

佐藤さん おはようございます。
きょうも暑くなりそうですが、こちらは爽やかな朝を迎えています。

ウグイスが「ほーほけきょ!」と一生懸命に鳴いて伴侶を探しています。

けさ、事務所の窓を開けようとしたら、入り口の階段にきれいなメジロが倒れていました。
たぶんガラス戸にぶつかって脳震盪を起こしたんだろうと思います。
まだ体は温かかったのですが、すでに息絶えていました。

鳥は鳥なりに生存競争があるのでしょうが、
おぞましい人間界とは違い精一杯誰が聞いてくれるかどうかなどと考えることもなく、綺麗な声を奏でています。

あるがままに   坂村真民 作

才なき人は才なきままに 処するのがよい
花にたとえるなら侘助のように
鳥にたとえるならみそさざいのように

おのれの花を咲かせ おのれの歌をうたい

嘆かず 訴えず

なにごともあるがままに 生きるのが一番よい


■抵抗力をつける
(6月18日)

佐藤さん こんにちは 
皮膚炎にかかられたとのこと、私の一番苦手とするものです。

家の周囲は野山なので、危険がいっぱいです。
草刈・犬の散歩・庭木の選定の際には絶えず毒蛾や毛虫はいないか、
かぶれの原因となる植物や木はないか気をつけるのですが、
いつのまにかかぶれます。

その上趣味の尺八の内部にウルシが塗ってあるのですが、
新品にでも触ろうものなら手から顔面から一変してカブレ仮面に早変わりしてしまうので、要注意です!

感受性対策としてはアレルギー反応なので、なんともしかたがないようですが、
(ストレスをためないこと・過労を避けること・抵抗力をつけること・よく寝ること)などごもっともなことです。

昨夜は尺八の練習の後、隣の部屋でおじさんバンドが練習されていたので立ち寄りました。
8月9日に開催予定の介護講演会の前座として出演をお願いしているのですが、
懐かしい70年代のフォークソングを何曲か聞かせていただきました。

とてもやさしい人達で、聞いていて思わずうっとり眠くなるほどのα波が流れていてストレスの解消となりました。
それぞれがいつも眉間に皺を寄せている時代ですが、ときには鎧を脱ぎ捨てた時間が持てると助かりますね!

どうか、お体お大事にして下さい。

■気持ちいい空間を見つけてみませんか!(6月19日)

佐藤さん こんばんは 
痒みはいかがでしょうか?!

金曜日の夜は、組織に属していなくてもなんだかリラックス気分です。>^_^<

久しぶりに、アウトドア誌を読んでいると「グリーンマップ」という耳慣れない言葉が出てきました。
「世界共通のアイコン(絵文字)を使って地域の環境情報をあらわす地図を作っていく活動」だそうです。
国内でも各地で作られているようですが、
中でも「せたがやグリーンマップ」が見ていてもきれいで、発起人の多摩美大デザイン学科の堀内正弘先生がどうやら鍵のようでした。
どちらかというと福祉よりも環境問題の分野になるようですが、ハンディを持つものも高齢者も環境のひとつのバロメーターだと思うのです。

これまで多くの税金が福祉に投入されてきましたが、残念ながら利用者も運営する側もどこか息苦しいものとなっています。
そこで、わくわく・うきうき・どきどきするものがないかと考えてみました。

まず、来年度広域合併後の庄原市内を自転車で移動が可能なグリーンマップを、
かたつむり博士・さわがに博士・化石博士・釣り馬鹿・巨木愛好家などに隠れた秘密の場所を教えてもらい作成する。
野鳥昆虫小動物観察スポット・星空観察スポットなどもよいかもしれませんね!

ハンディのある人&高齢者でヒトも自転車もカッコ良くてよく整備されたレンタル・バイク屋さんを作る(自転車共有システムとどちらがよいか研究の余地あり)

廃止間近な芸備線にサイクル・トレイン車両を設け格安の利用料金で(\300)各駅を自転車で移動できるようにする。

ハハハ・・・
単なる思いつきで、明日の朝目が覚めれば、毎度のようになんと馬鹿げた事をということになるのかもしれませんが、
暗くしんどい福祉よりも楽しく夢が沸いたひとときでありました。(^^ゞ


〔第3回〕

■視点(6月8日)

佐藤さん こんばんは。
家族が寝るころに起き上がり夜灯虫をしています。

今日は、居宅介護事業所利用の案内を作っていて、
参考にと先日見学させていただいた事業所の案内文を見たところ、
私の文章は行政と変わらぬ硬い内容、
それに比べてサービスを利用する利用者の視点で作られていることに驚きました。

NPOを運営している彼らは20代、頭も発想もやわらかいのでしょうし、
これまでの福祉の世界に囚われがないことがのびのびとした文章を作れる要素かもしれません。

どこかで「自分の時代は終わったな!」と感じましたし、
これまでのやり方では駄目だなということがよくわかりました。

どうやら、新しい血の導入が必要な時期のようです。

 『大事なこと』  坂村真民 作

真の人間になろうとするためには 着ることより 脱ぐことの方が大事だ
知ることより 忘れることの方が大事だ
取得することより 捨離することの方が大事だ


■同じ轍を踏む!
(6月10日)

佐藤さん こんばんはお元気そうで何よりです。

さて、昨夜は病院関係者との定期的な介護勉強会があり、その席で、あるDrから思わぬ発言があり戸惑いました。
考えようによっては問題発言かもしれないし、逆に問題提議なのかもしれないと見極めが難しい内容で、
一晩中そのことが頭の中を駆け巡り、おかげできょうは一日中ボーっとしていました。

さきほど、前諏訪病院の名物院長である鎌田實さんが
「最近医療にやさしさがなくなったような気がする」
ということをテレビ番組の中で発言されていましたが、私もそう感じていたので、やっぱりそうなのかと納得しました。

医師の育成の方法に問題があるのか、医療制度に問題があるのかよくわからないが、
患者に対して「わたしは、もうあなたの主治医ではないのですから」というような言葉を発する医師であるまえに人間としてどうあるべきか!
「医療にやさしさがなくなったらそれは医療ではない」

たしかに医療の世界だけではなく福祉や介護の世界にも今一番「やさしさ」が求められているようです。

奥さんと、昨夜の出来事で話を進めるうちに、
「立派なことを口先で言っても、利用者のことや家族の気持ちを一番理解できていないのはお父さんだ!
わたしはどんなに踏みつけられても何度も起き上がる雑草のような人しか信じないから!」
と手厳しい評価をいただきました。

どうやら私が、現場主義だといいつつも机上のひとであることを唯一見抜いている奥さんならではの愛情表現です。

施設収容型はイラクの刑務所でなくても、
どうしても弱者と強者とのアブノーマルな関係を生みやすく、
もしかすると本来医療を救うはずの手段であった介護保険が、ますます医療をドロ沼化させつつあるのかもしれません。

○行動      坂村真民 作

救いは行動にある 行動すること
打座も読経も 行動を伴って しんに生きてくる

■鼠が家から逃げ出した!(6月11日)

佐藤さん こんばんは きょうも梅雨らしい一日でした。

外回りをしていると、知人の公務員がおいでおいでをするので近づいていくと
「なんと!市町村合併のために50歳で肩たたきが始まったんだよ!
退職金はくれるにしても、どうすりゃいいんだ!!」
と珍しく動揺していました。

市民にはスリム化と称して保育所や調理施設の株式会社化をしていますが、
次は人件費の削減に着手するようです。

確かに市民の目から見ると、年中照明やエアコンのつけっぱなし、
またサボらず休まず仕事せずの姿には目に余るものがありますが、
いくらお上のお達しとはいえ無茶苦茶のように思います。

隣町では45歳とか、ある課長さんが
「仕事のできない人から順番に肩をたたくという、人を選別をする課長職というのも大変だよ!」
とボヤいておられた意味がやっとわかりました。

〔第2回〕

■あたり前の関係
(5月30日)

佐藤さん こんばんは 
いよいよこちらは梅雨に入りシトシトと雨が降っています。

先日から、市内のある場所を通ると、痴呆症状を持たれているおばあさんらしき方が歩
道をひたすらまっすぐ前を見て進み、すぐそのあとを娘さんらしき方が周囲に遠慮しな
がら歩いている姿を何度も見て気になっていました。
昨日は、中年の男性がいつものおばあさんのあとを歩いておられました。
近くには高齢者の施設があるので、最初は施設利用者の方ではないかと思いましたが、
付き添いの方がユニフォームではないのでどうやら、親子ではないかと思います。

これまでは、ハンディを持たれた方と家族が街を歩いておられると気軽に声をかけて
いたのですが、どうもそれは関係者のおごりではないかと思い、なるべく声をかけぬ
ようにオカシナ努力をしています。

お互いが対等な関係であれば問題はないのでしょうが、イラクでのアメリカ兵による
虐待も対等な関係でないことから起こった人間の持つ弱い部分ではないかと思いま
す。
養護学校や施設で起こるさまざまな問題もそうでしょうし、家族内での虐待もそうな
のかもしれません。
できることならば、同じ職場にずっと居つづけるという関係はなくしていければよい
のでしょうが、宮城県での入所施設解体からやっと始まるのかもしれません。

■百年の大計(6月4日)

佐藤さん こんばんは。
夕方から体がだるく横になっていたらいつのまにか眠っていたようで、テレビをつけ
ると「シンドラーのリスト」という映画をやっていました。

この映画は戦争が起した人間の狂気の世界かもしれませんが、毎日テレビのニュース
で流される政治の世界や各地で起こるさまざまな事件となんら変わりがないのではな
いかと思いました。
結局のところ、自分や家族さえ安全であれば何が起ころうと自分達とは関係はないと
いう寂しい関係があちこちに蔓延しているような気がします。

戦後「旧いものは捨て、新しいモノを造りなさい。」という神話が闊歩してきましたが、
国鉄時代に橋守と呼ばれた人達がおられ鉄道の鉄橋を守っておられた仕事を、
元国鉄OBが再びメンテナンス会社を起してその役割を果たそうとされている番組がありまし
た。
日々の少しずつの点検で、50年も100年も持つものを、これまでお上はあたりまえの
ように壊してきた事業に対して、安価にしかも長持ちさせることができるという実践を
試みられている姿に美しさを感じました。

また、岩国の錦帯橋の架け替え工事を親子2代に渡って請け負われた大工達の心意気をうまく描いた番組がありましたが、
先人の知恵を学ぶと共に次世代に自分達の経験をどのように伝えていくかという工夫をされる姿に
私達が今何をやらねばならないか教えられたような気がしました。

■言の葉の発する恐ろしさ。(6月5日)

佐藤さん 転寝をしたので目が冴えています。
佐世保の事件について、さまざまな情報が飛び交い情報機器を使う事が悪というもの
までがありますね。

今回もパソコンが故障したことで、パソコンが日常生活のなかで大きな比重を占めて
いるということがわかりましたが、自分の思いを相手に伝えるつもりでなにげなく書
いた「ことば」が相手を傷つけ自分が知らぬ間に加害者になることは有り得ると思い
ます。

佐藤さんに対しても、もしかすると毎度ご迷惑をおかけしているのかもしれません。
<(_ _)>ペコリ 
本来ことばをよく吟味して書いたり、話したりすべきなのでしょうが、感情が昂ぶっ
ているときなど相手の気持や置かれている立場や状況などを考えもせずに自分の思い
だけをぶつけていることもあります。どうかご勘弁下さい。

ちょうどニュースで小泉さんが、さる大臣の失言に対して「誤解されないように話し
をしなければなりませんね〜」とのご発言、それに対して評論家という方が「ことばは心のさまを表すもの。」と!!(>_<)

■豚いのしし?!(O_O)(6月5日)

佐藤さん こんばんは 本日は庭の松の芽摘みをしました。
松の木の根元にも近くの山々から飛んでくるのか、カラスビシャクが不思議なスタイルで立って「おいで、おいで」をしています。       
             
さて、松の芽摘みをするために脚立にのぼって作業中に突然!パッパカ・パッパカと
何かがこちらに向って駆けて来る音がし、いったい何がやってくるのか道路を見ると、ナント!!一匹の若いタヌキさん。

先日から、家の近くで昼夜を問わずにもう一匹のタヌキと壮絶な縄張り争いをしていますが、
昼間に家の前まで来たのは初めてで、こちらから「コラ!ここまで来てはいけないだろう。」と声をかけると、
どこから声が聞こえるのかと、不思議そうに首をかしげ、
脚立の上にいる私と目が合うと「スマン、スマン」といいたげな格好をして叢の中に消えていき、
途中でまた顔を出して「なんで、あんたはそこにいるのか。」と言うような表情でこちらを見つめていました。

全国どこも過疎化が進み、さまざまな野生の動物が民家の近くで生息しているとのことです。
先ほどテレビで野生の猪ではない豚いのししがあちこちで捕獲されているとの番組がありました。

野生の猪の子どもが産まれるのはせいぜい6匹ほどですが、豚いのししは10匹以上産むそうで体型もふくよかだそうです。
十数年前に田舎ではイノブタの繁殖ブームが盛んな時期があったものの、
獰猛さに手をやき一部は山に逃げたという話を聞いたことがありますが、もしそうだとしたら人災ですね。

車を運転していると道路のほとりに見かけぬ外来種らしき花があちこちで少しづつ繁殖して、
変わった花なのでみかけは綺麗に見えるのですが、在来種を駆逐しつつあり、
「日本たんぽぽ」も外来種の「西洋たんぽぽ」に淘汰されて最近ではほとんど見かけなくなりました。

人間の強欲さで、自然の体系を破壊することはできるだけ避けたいものです。 

〔第1回〕

■まずは箱づくりから(3月31日)

佐藤さん おはようございます。
きょうも良いお天気ですね!こちらでは桜が少しずつ開いています。

さて、先日土日は尺八演奏で人間国宝となられていた島原帆山さんの追善供養としての演奏会が
広島市内の郵便貯金ホールで開催され、
全国からたくさんの尺八の仲間や琴・三弦の大家が参加されました。
地元からも参加しましたが、
さすがに井の中の蛙ということを改めて認識させられる良い機会となりました。

尺八の演奏曲目で「淡墨桜」という曲がありますが、
現存する樹齢千五百年経っている桜の姿を表現したものだそうです。
庄原市にも上野公園という桜の名勝とかっていわれた場所がありますが、
近年桜の木が次々と枯れ、まことしやかに「桜の樹齢は短いもの」との情報が流れて、
地元の観光協会が市民に桜の木の植樹寄付金を募集されています。
樹医さんの話によると
「桜の根をたくさんの人が踏みつけるために息や栄養が摂れずに肝心な根が死んでしまい木が倒れてしまうのだ!」
とのことで、まさに「木を見て根を見ず!」とはこのことなのかもしれません。

どこか、人間世界の構造も自然の摂理も似通ったものを感じました。

■即戦力の人材確保!(4月5日)

佐藤さん こんばんは!
どうも体調が夕方になるとすぐれず横になりテレビを見ていると体中が痛み出すので
起き上がりました。

さきほどBS放送でSONYが新人開拓に中国の学生募集をされている番組があり見ました。
面接もプレゼンも全て中国語ではなく英語で行われていて、
SONYの面接官よりも英語は上手であり、
しかもそれぞれの専門の研究内容について面接官によく理解できるように堂々と説明されていました。
SONYもさまざまな部門での立ち遅れに対する回復を目指して企業努力されている様子がよく伺われました。

その番組の途中で五木寛之さんの番組に切り替えた時に、
「日本人は、昔はもっと元気が良かったのではないか!」という話をされていましたが、
確かに様々な職種を見回してもそんな気がします。
中国の学生はとても元気でした。
採用された学生が「今、日本語を勉強しています!」と、とても上手に日本語を話されていましたが、
その女子学生の迫力には恐れ入りました。

ところで、かすたねっとは、介護保険事業所となったことで、さまざまな事業所にノウハウを聞いているのですが、
残念ながら情報不足の福祉現場ゆえの伝え聞きや体で覚えるという古典的な方式がいまだにとられていて 、
もしも東南アジアから介護者を派遣されたらとても太刀打ちできないだろうな〜と感じました。

確かに、介護は人間と人間とのコミュニケーションが基本なのでソフト部分がまったく必要がないかといえばそうでもありません。
介護保険という摩訶不思議な制度により介護度と称して人間を機械的に振り分けているので、
管理部門のかなりの部分が機械化できるのと思うのですが、
福祉や保健の世界には残念ながら理科系の人は少なく、
一部のソフト会社がこれ幸いとばかりに似たようなソフトは作っているものの高価でとても大衆向きとはいえない状況です。
また、肝心の介護サービス部門も手書き作業が多くどの事業所もそのことでヘルパーがサービス残業を強いられているようで、
本来なんに対するサービスなのかおかしな状況を生み出しているようです。

以前社会福祉法人を立ち上げた時に、「必ず良い人材を集めて見せるぞ!」といきがったものの、
結局の所は田舎ならではの地縁血縁の巣窟であったことが今になりやっと理解できるのですが、
問題は「良い即戦力の人材とは何か!?」という定義が自分の中で充分に練られていなかったことが
最大の失策であったように思います。

修行は続きます。(^^ゞ

■ 発言できる人こそ(4月9日)

佐藤さん こんばんは。
テレビに釘付けの一日でしたが、昨年の4月9日開戦とは違う他人事ではない平和のありがたさを痛切に感じることができる充実した一日となりました。

多くの人が職場や団体などの組織の中で動いているために、
本当の気持ちや声を上げにくい閉塞した状況があるのではないかと思います。
以前の私であれば行政や自分の立場を気にしてとても自分の考えを表明するということは困難でしたが、
なにもない今の私にそれができるということは本当に有難い事です。
そんな個人の思いを発言できる人達が声を上げなければ、
次世代の子供や孫たちに何が残せてやれるのでしょうか。
子供達が海外に出かけていっても心配のない状況を作っていかなければ、
ますますこの国は世界から取り残されていくのではないかと感じています。

きょうも知人の公務員と郵便局で出くわし自分の身の上を嘆いていましたが、
「お金と欲を捨てれば楽になれるのに!」と思わず口をついて出ました。
組織やお金に縛られぬ幸せもあるのだということをつくづく実感しています。

■ピアノお目覚めコンサート無事終了!(4月25日)

佐藤さん こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
先日児童館で眠っていたピアノを東京で活躍されているジャズ・ピアニストの河野康弘さんにプレゼントをしていただき、
今夜はそのピアノの調律後のはじめてのミニ・コンサートをがらんどうのかすたねっとの事務所で開催していただきました。
コンサートの1部では地元のおじさんバンドによるギター演奏、
2部では河野さんの素敵なピアノの世界を繰り広げていただきました。

今回は1000円の会費制で30名限定なので、
さしたる準備もせずに、花好きの方からレンタルしていただいた蘭の花とランプの淡い光に助けられ盛り上げていただきました。
ピアニストも大変素晴らしいのですが、
ゴミに近い!?ピアノに大手術を行い蘇生させるという特技をお持ちの大崎さんと言われる調律師の方が
、これまた天才的な音の感性を持ち合わせておられ、
ピアノ本来の持つ力も凄いのでしょうが見事にきれいな和音を作り上げられたことに感謝!感謝!!
また。開催日が決まって一週間の猶予しかない中で、よくたくさんのお客様がお付き合い下さったと思います。

終了して外に出てみると、満天の星とお月様、ありがたや!ありがたや!!)^o^(

本日のピアニストの河野さんは、海外にも眠っているピアノを贈る活動をされています。
いろんな形の国際貢献があるものだなと思いました。
小さな福祉の世界では得られない音楽を通じての大きな広がりのある福祉を少しだけ体感させていただきました。(^^ゞ

今夜は、気持ちよく眠れそうです、オヤスミナサイ。

■テレビ三昧!)^o^( (5月8日)

佐藤さん こんばんは。
今夜は、NHKで「新しい音が生まれた」というETV特集という番組を見ました。

沖縄のバンド「BEGIN」が沖縄のおじい・おばあがどこでも気軽に弾いている三弦のように、
「だれもが唄をもう一度生活の中に響かせましょうよ!」という願いを、
知る人ぞ知る手作りギター作りで有名な「株式会社ヤイリギター」に持ち込みできあがった「一五一会」という4弦ギター、
しかし値段が20万円と、とても誰もが買える価格ではなく、
そこで大抵の経営者であれば中国など東南アジアで廉価品を製作というふうに考える所を、
矢入社長はあえて国内の小さな木工所で「高品質の良い音、しかも手作りに近い丁寧な仕事で低価格」にこだわり、
木箱作りをしていた小さな木工所に託し悪戦苦闘の末、ついに「音来」という楽器ができあがるというものでした。

本日は夕方尺八の練習にいったものの、茹で蛙の面々グループであったので気分が滅入っていたのですが、
音楽を開放する話題に少し元気が沸いてきました。

また、先程も日本人の母と台湾生まれの父を持つ「一青窈」という歌手が唄っている「ハナミズキ」という詩が
、ニューヨークに在住の友人からのテロに対するメールを元に書かれたものだという番組を見ました。
いつの時代からか音楽を難しいものとしたり、特別なものと捉えている風潮を、
もっと気楽に表現しようとする若者達にほんの少し救いを感じました。

> 風邪は治りませんでした。
> 医者にも行かなかったのですが。

「こころが風邪をひいている。」と看護婦さんから言われましたと友人が話をしていました。
以前、知り合いに「はがきの点滴」という技を使う知恵者がおりましたが、佐藤さんはどのような点滴がお好みでしょうか!

> 人生において、こんな仕事漬けの連休は初めてでした。
> しかし、連休は会社人や行政職員でないと、
> 何のメリットもないことがやっとわかりました。

上記に同じことを私も感じました。
「一青窈」さんが司会者の質問に「私はボーダーを感じた事がないんです、
だから日本の良いところに気づくことができるのかもしれません」と
、時折狭い日本の中では息苦しく感じる事がありますが、
そんな時佐藤さんのホームページにある海外からの便りに救われています。
どうか全身の力を抜いて複式呼吸で大きく鼻から空気を吸い口からおもいきり息を吐くことを数回繰り返してみて下さい。
尺八のリラックス方法です。(^^ゞ

■ 人間ドキュメント(5月8日)

佐藤さん こんばんは。
きょうは黄色い杉花粉が車の屋根にいっぱい積もるほどでしたので、一日中鼻水でした。

夜のNHK番組で横浜市にある日本盲導犬協会を取り上げた番組があり、
トレーナーとしての訓練中の練習生が半年間かけて自分が訓練をした盲導犬を視覚障害を持つ女性に主人を引き継ぐ場面を写していました。

公道での訓練中、ハンディを持つ女性に危険を感じ一緒に訓練を見守っていたトレーナーがすばやく対応して事なきを得ましたが、
訓練終了後に練習生に対して「感情に走らぬ冷静さも必要であるが、相手の痛みや気持ちのわかるトレーナーであって欲しい!」
と厳しい口調でミーティングの中で話をされていました。
支援を必要とする方に対するつかず離れずの「見守り」は福祉の基本中の基本ですが大変難しいことでハッ!とさせられました。

「対人援助技術論」というものは理屈ではわかったような気がしても、
本当にそれを理解して会得するまでには大変時間とセンスが必要です。
そのことを私が福祉の世界に入ったころに京都のB学園に研修に行き、
ある職員から「あなたは、やさしさと相手の気持ちはよくわかるほうだと思うけど、その思い入れが逆に致命傷になるかもしれないよ!」
となにやら予言めいたことを言われた事がありました。
そのときはよく理解できませんでしたが、
今になると確かに福祉の仕事をする上で一番大事なことです。

近年、そのことをきちんと後輩達に伝えられる人が福祉業界にいなくなったような気がします。
表向きは支援を受ける人の自立を謳いながら一方ではサービス業と化してお客様獲得のためなら手段を選ばずという風潮が闊歩しているからかもしれません。
また、じっと見守るよりも、手を出した方が手っ取り早く効率が良いからということで、
従来の職人を必要とせずパート職で充分という国の方針によるものかもしれません。
そのような貧しい福祉業界の中で、このような親方から弟子に対して体で教える方法をいまだに継承されている盲導犬協会の素晴らしさを感じました。

きょうもヘルパー派遣を生業としている近隣の事業所を2箇所拝見しましたが、
つまるところその一番大事なことを教える人がいないということが問題だということに気付かされました。
ホームヘルパーという資格は持っていても、従来の付き添い家政婦がやっておられた仕事となんら変わりばえが無い寂しい現状をなんとか変えていきたいものです。
これでは、福祉現場で働く心ある人達が燃え尽き症候群になるのは無理もありません。

■箴言(5月14日)

佐藤さん 体調はいかがでしょうか?!

本日は、行政に出かけ「ドッ!」と疲れたので、帰り道に土鈴を手作りされている知人のところにお邪魔しました。
子供のころは植物博士になりたかったと言われる、自然に造詣の深い方です。
その方が見せて下さった、坂村眞民さんの「念に生きる」という詩集の中に気に入ったものがありましたので紹介いたします。
ご存知でしたらお許し下さい。


「生きることとは」  坂村 眞民

生きることとは 愛することだ  
妻子を愛し はらからを愛し  
おのれの敵である者をも 愛することだ

生きることとは 生きとし生けるものを いつくしむことだ  
野の鳥にも草木にも 愛の眼を そそぐことだ

生きることとは 人間の美しさを 失わぬことだ  
どんなに苦しい目にあっても あたたかい愛の涙の持ち主であることだ  
ああ生きることとは 愛のまことを 貫くことだ


■ ヒカリコメツキ虫から見えてきたもの!(5月15日)

佐藤さん こんばんは。

さて、沢蟹の飼い方についてのホームページが2件ありました。
「サワガニ」「川魚の飼い方」検索してみられてはいかがでしょう。(^_-)v

先日NHKで、日本には住んでいないとされる世界中の「ヒカリコメツキムシ」について特集がありました。
それを 見て、「なんだ、この虫なら我が家にも住んでいるじゃあないか!」と思いました。
幼虫時代は我が家ではコケの中に住み、夜になると頭から蛍のような光を発しています。
この虫が成虫になると、なぜか裏返しとなりしばらくするとパチーンと30cmぐらい跳び上げる様子から米搗きの名前がついたようです。
が、どうやって外国の虫が我が国にいるのか?!
フト!「ジェット気流」を検索しました、その中に「ジェット気流の解析」とか「下層ジェット気流解析」というものがあり、
「イネ・ウンカの飛来予想技術の開発」という農業試験場がジェット気流に乗って害虫が飛来する時期を予測するというものがありました。

「やはり!」下層ジェット気流は季節により流れが違うようですが、ほぼ上海から九州中国地方に向けて流れているようです。

先般の「鶏インフルエンザ」の正体みたり枯れ尾花。
どうも、そんな気がしてはいたのですがインフルエンザの発生した地域と見事に重なるように思うのです。
マスコミでもそのような話が一時ありましたが、
「カイワレ問題」同様に原因を解明しようとせず、
結局は民間の一部の業者に責任をなすりつけてウヤムヤにしてしまうといういつもの手口です。

真実はどうかわかりませんが、
隣町で起きたО157の食中毒事故のときも、原因不明(どうやら外国の輸入肉らしい)にしてしまい、
それにもかかわらずなぜか毎度の安全宣言を県が出しています。
厚生労働省と農水省とでは管轄が違うのでいろいろ問題があるのでしょうが、
国民の安全についてまた何かを隠しているような気がしてなりません、しかしながらあくまでも私のおろかな仮説です。

■ 住民の生活を脅かすもの(5月17日)

佐藤さん こんばんは 
豪雨とまではいきませんが一日中雨が降っていたので、読書と尺八を吹いて過ごしました。

昨夜、祖母が血相を変えて奥さんに「すまんが、
明日も雨が降るようじゃったら、かすたねっとの事務所に避難させてもらえんじゃろうか!」と。
我が家は昭和47年の時に土石流による水害で被災した場所にあり、建物の半分は当時のままです。
その後、行政が砂防ダムや水路工事をしたものの、
祖母の当時の恐怖心が、毎年梅雨が近づくと蘇ってくるようで、そのたびに奥さんを困らせています。

先程、テレビで国のずさんなダム計画のために、村全体に地すべりが起こる危険性があるため、
村民が避難所としての小さな仮設プレハブでの生活を何年も余儀なくされている番組がありました。

様々な災害が起こった時の災害地域で毎度設けられる避難所用の仮設プレハブは、
音は筒抜けプライバシーは殆どないといってもよい常態で、
村民もテレビを見るのにイヤホンをつけたりさまざまな工夫をしているようですが、
あくまでも最低限の生活でしかなく住民を避難民としてしか位置付けることのできない行政の意識の貧しさを露呈しています。

国民が安心して健康的にしかも文化的に暮らせる権利の保障という掛け声はあくまでも絵空事でしかなく、
山を崩し川を堰き止め海を埋め立ることを、いったい誰が望んでいるのか、
税金を納めている国民にとっての利益とはなんなのか、今夜もハツカネズミは空転しています。

■ズボラと坊主(5月20日)

佐藤さん おはようございます。
昨日はホームページを検索中に「ちくま」という松本市にある障害者施設のホームページと出会いました。

以前は小さな無認可作業所だったのですが、近年小規模授産施設となり頑張っておられるご様子でした。
神宮寺の高橋住職にも一度お会いしたいものです。

さて、またもや不思議な体験をされたとのこと。
昨夜、NHKの番組で平成元年より始められた東大寺南大門の仁王象の大修理について取り上げたものがありましたが、
やはり以前の私の九州での不思議な体験の登場主はどうやら金剛力士像の阿吽のうち、阿形のようです。
仏教においては阿形は悟りを求める菩提心を、吽形はその結果としての悟りを意味するそうです。
また、阿形の持つ金剛杵は、煩悩を打ち砕く智慧をあらわしているとのことで、
智慧によって悟りに至るということを表現しているのだとか。

先日おろかな私に、知人が「中陰の花」で芥川賞を受賞された玄侑宗久さんの書かれた「禅的生活」という理解に苦しむ本を読みなさいと貸していただきましたが、
なかなか前に進めずそれでは後ろからと「あとがき」拝見したところ、良い文句がありました!

「ズボラ」という言葉、じつは「坊主」を逆さまにした「主坊」の複数形だって、ご存知だろうか。
つまり、坊主にあるまじき人々という意味なのである。

■人権擁護を高らかに謳う人たち(5月22日)

佐藤さん おはようございます。

昨日は、広島市内の宅老所と知的ハンディを持つ人達に、
ホーム・ヘルプサービスとガイド・ヘルプサービスを提供している2箇所のNPO法人にお邪魔して、
一緒にヘルパーの同行訪問をさせていただきました。

宅老所ではディ・サービスがメインです。
お邪魔すると恰幅の良い奥様が大和仮名を筆ぺんでサラサラと自分で作られたマスの中に書き込まれておられました。
元、詩吟の師匠をされておられたとのことで、
「今から2分間だけ辛抱して下さい。」と言われ、突然!「川中島」を朗朗と唄い始められました。
しばらくすると、定期的に宅老所を訪問されるというネックレスとお化粧でぎらぎらのおばさんボランティアが数名登場です。
それぞれの自己紹介が終わったあと、
数回は来訪されたというのに「この方達はここで寝泊りされているのでしょうか!」と、
どこの通所施設でも毎度繰り返される愚問です。

完全に自分達の住む世界と施設を利用されている方々とを切り離そうとしているのが見え見えでありますし、
目の前にその冷たい言葉を浴びせられた被害者がいることにも気付こうとしていないボランティアと称する善意を売り物とする悲しい人達。
ボランティアの方々の年齢もほぼ65歳以上、
いつ自分達が加害者から被害者の立場になるかもしれないのに本当に困ったものです。

午後からの、男性ヘルパーとの同行は私が今一番気になることで、
男性ヘルパーが果たして利用者に本当に受け入れられているのかどうかということを確認したかったということからです。

大規模ニュータウンの一角にある、公営住宅の一階に住んでいる一人暮らしのおじいちゃん宅を訪問しました。
その公営住宅にはたくさんの福祉サービス利用者がおられるようで、
同業者らしき方をたくさん拝見しました。
若いヘルパーのお兄ちゃんが「僕は、できることならあんなワザとらしい制服を着て善意面するのは嫌です!」
なるほど、同感です。
その部屋にいた一時間のうち掃除を除くと、ほとんどがおしゃべりの相手でしたが、
一人暮らしの方の気持ちは身辺や家事の介護よりも話が聞いて欲しいのではないかと思いました。

「小泉さんや国会議員の偉いとされる人たちが、
高齢者や障害を持つ人たちのことをもっともらしくわかったようなことを口先で上手に言われるが、
やっぱり自分で体験せんとわからんと思うよ、なってみると楽に無いわい!」と、
とてもとんちの良く効いた明るいおじいさんでした。
その方はこれまでにたくさんのヘルパーを利用されているようですが、
どうやらその中でも若いお兄ちゃんヘルパーは無理を聴いてもらえる息子であり孫であるようです。
あれをしては駄目これも駄目という形式ばった介護保険ではなく、
温かい血の通う介護保険に変身して欲しいものですね!

最後に支援費が始まって生まれたホーム・ヘルパーを体験しました。

在宅のA子さんのお宅に伺うと、普段はディ・サービス施設に通っているそうですが、
体調を崩し自宅でヘルプサービスを受け掃除や食事の準備をされたり読書や散歩を一緒にされているとのことでしたが、
家族は犬を除いてお留守でヘルパーと家族との信頼関係がとても重要な事がよくわかりました。
案内して下さった代表の方が、
「実は私の子もこの施設を利用していて、養護学校卒業後に夫とラーメン屋をしていこうとラーメン屋と2足のわらじで一生懸命がんばろうとしたんですが、
心も体も疲れてしまったところに支援費が生まれて、日中はディ・サービスに通い、
自宅でも困った時はヘルパーさんにお願いできるので永年の肩の荷が急にとれホッ!とできたように思います」
と話して下さいました。
支援費2年目でまだまだホーム・ヘルパーもガイド・ヘルパーも人材養成までには充分なものとは言いがたい部分も感じましたが、
ハンディを持つ人たちと家族の自立への第一歩は始まったようです。(^^ゞ

■生かされている(5月28日)

佐藤さん おはようございます。
昨日は夕方草刈をして草臥れたので10時には寝ました。
すると今朝は珍しく早起きとなりました。

私には2つ上の姉がいますが、元気者でいつも手頃な喧嘩相手として育ってきました。
その姉が今朝夢の中で父親に対して「お金をたくさん稼いでこないくせに!」と言いました。
わたしが「父親にそんなことを言うものではない」とたしなめると、
「あなたは、いつも父親に対して臆病で逆らえないのだから。」と逆襲してきました。

あくまでも夢の中での話ですが、確かに他の3人の兄弟とは違い父親はいつも恐い存在で逆らった事はありません。
しかし、小さいときから父の働く仕事場へ時折手伝いと称して遊びに行くと、
自宅での厳格な父親の姿とは違い一変して家族のために自分を押し殺して笑顔をふりまく父親の姿や、
昼食にと一枚のパンを焼いてマーガリンと砂糖をつけて紅茶を出してくれる別のやさしい父親の姿がそこにはありました。

幼少時に母親を病気で亡くした父は義母に育てられたものの、
いつも義理の弟へ向けられる愛情と自分に向けられる厳しさとに悩みながら育ったようです。
そのためか、ただ一人男として生まれた私を祖父母が溺愛する姿に、
いつも腹立たしくどこかで義理の弟への憎しみと重ね合わせていたようです。
子供ながら、そのような二面性を持つ父親の姿に、
逆らわなかったのではなく逆らえなかったのではないかと今になり考えています。

どうやらこの年になり、やっと父親の気持ちが理解できるようになれたようです。

 

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