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本文
2017年
■煙石さんの冤罪事件が番組で特集されました
18/05/10
■煙石博さんの冤罪事件がテレビで取り上げられます
18/05/08
■「わが事」を「われわれ事」にする
17/12/24
■国の責任とは何なのか
17/10/13
■広島の煙石博事件の?末がテレビで放映されます
17/05/27
■煙石博さんの冤罪が晴れました
17/03/11
■煙石事件続報
17/02/25
■煙石博さんの窃盗容疑訴訟が逆転無罪になりそうです
17/02/18
2016年
■私には死刑を実行する勇気がありません
16/06/17
■惨めな舛添さんよりも権力に寄生した佐々木弁護士こそ糾弾されるべきではないか
16/06/09
■「それでもボクは会議で闘う」ノ周防さんに感銘を受けました
16/06/05
■現代書館の「反メディア論」をお勧めします
16/06/01
■なぜ裁判員制度は行政訴訟に適用されないのか
16/04/07
■認知症徘徊の列車事故訴訟、家族への損害賠償を否定
16/03/01
■司法における非対称構造
16/02/20
■広島の煙石事件の恐怖のメッセージ
16/01/0
2015年以前
■カフェサロン「個人の尊厳と社会の尊厳」の報告
15/09/26
■憲法を守れるのは国民の不断の努力だけ
15/07/20
■煙石事件の高裁判決がでました
14/12/13
■司法の社会化
14/09/18
■「脱法ハーブ」という概念が理解できない
14/07/08
■煙石事件の控訴審初公判後の記者会見
14/06/22
■不作為の殺人罪
14/04/25
■なぜ精神障がい者には責任能力がないのか
2014/04/17
■袴田事件の奥にあるもの
14/03/28
■煙石事件への疑惑
13/07/22
■一票の格差訴訟の判決への反応
13/03/27
■「現在の法律ではそうなってしまう」
13/02/20
■「ある心臓外科医の裁判―医療訴訟の教訓」
12/09/22
■小沢さんのけじめ、検察のけじめ、マスコミのけじめ
12/04/27
■死刑確定になってしまいました
12/02/20
■家庭を壊す裁判官
12/02/06
■「信条に忠実であるほど心理的に追い込まれている者」
12/01/17
■検察の本性
11/12/17
■小沢さん報道で思うこと
11/10/07
■2つの会見報道
11/09/07
■石川ともひろ講演会
11/09/01
■死刑制度と「赦し」
11/06/24
■ビジョンのない人の善意よりも、ビジョンのある人の悪意を
11/05/31
■読者から届いた1冊の本
11/05/02
■秋葉原事件判決と買占めする消費者
11/03/25
■現場が見えない社会
11/03/01
■重大犯罪の服役者、出所後3割が再犯がいうことの意味
10/11/12
■新潟水俣病の訴訟の和解報道に思うこと
10/10/21
■起訴されたら有罪視されることのおかしさ
10/10/21
■弱いものいじめの強制起訴
10/10/05
■国家の壊れ
10/09/28
■無理を通せば道理引っ込む・検察の瓦解
10/09/25
■村木事件に関する検事の証拠隠滅に関わる発言への感想
10/09/21
■村木郵便不正事件での主任検事による証拠改ざん疑惑
10/09/21
■橋下大阪知事処分にみる「弁護士の品位」
10/09/17
■民主党代表選と2つの判決
10/09/12
■特捜部の責任が問われるべきではないか
10/09/10
■司法関係者は本来的に腐敗します
10/09/08
■鈴木宗男裁判判決の政治性
10/09/08
■手続きと知識がお金を生み出す社会は健全なのか
10/05/31
■国の「不作為責任」 10/05/20
■被害者と加害者の構図
10/04/29
■被害者と加害者の関係その2:ケアと犯罪
10/04/08
■被害者と加害者の関係
10/04/08
■コミュニケーションとは新しい関係性の中で自らを変えていくこと
10/02/26
■村木厚子さんの反省
10/02/09
■情報社会では「思考」は必要か
10/02/08
■横浜事件と小沢事件
10/02/05
■「あの人たちはずるいんです」
10/01/22
■検察は正義なのか
10/01/17
■石川議員逮捕―小さな犯罪・大きな犯罪補足
10/01/16
■小さな犯罪、大きな犯罪
10/01/15
■葛飾政党ビラ配布事件判決と「表現の自由」問題
09/11/30
■政権交代と検察の動き
09/10/03
■裁判員制度が好評ですって?
09/09/22
■改めて「ニュールンベルク裁判」を観ました
09/08/23
■最高裁判事の国民審査に先立って
09/08/22
■パソコンはただの部品の組み合わせた箱
09/08/07
■完全にショー化している裁判員裁判
09/08/06
■日本の司法制度は坂道を転げ落ちていくのでしょうか
09/08/03
■「敵は民主党」のプロパガンダ裁判
, 09/06/20
■人を信ずるところからこそ人は裁ける
2009/06/05
■御殿場事件と裁判官の犯罪
09/06/03
■国王の処刑
09/05/30
■マスコミが騒いでいる後ろで行われていることが気になります
09/05/22
■人の噂も75日ですが、一度落ちた信頼は回復しない
09/04/28
■痴漢逆転判決が示唆するセキュリティ社会の落とし穴
09/04/15
■「人間として当たり前の判断」
09/03/30
■被害者を救うことのない裁判の限界
09/03/19
■やっぱりどこかおかしいように思います
09/03/13
■小沢さんと二階さんの違いは何なのか
09/03/06
■「時間がたつと遺族の被害感情は薄れる」
09/03/01
■裁判員制度はやはり白紙にするべきではないでしょうか
08/12/21
■私的復讐を許せるか
08/12/08
■どの掟に従うか
08/12/03
■戦時中の「赤紙」復活を思わせる裁判員候補者通知
08/11/30
■レストラティブ・ジャスティス:修復的司法もしくは共創的正義
08/11/20
■田母神事件の犯罪性
08/11/0
■横浜事件第4次再審への期待
08/10/31
■公務員の犯罪とは何でしょうか 08/09/20
■堀江被告の発言に思うこと
08/07/26
■長銀粉飾決算事件判決とドラマ「監査法人」の結末
2008/07/19
■死刑制度がなくても成り立つ社会の仕組みが課題
08/06/19
■「疑わしき」は救うべきか、切り捨てるべきか
08/05/24
■死刑について7:死刑執行を考えれば死刑はやはりなくすべきですね
08/05/17
■死刑について6:光市母子殺害事件と死刑制度
08/05/14
■死刑について5:由比忠之遺さんの自死
08/05/13
■死刑について4:身勝手に人を死に至らしめた人の生存を認める理由は何でしょうか
08/05/12
■死刑について3:死刑制度をどう考えるかは思考の試薬
08/05/11
■死刑について2:国家からの暴力の奪還
08/05/10
■死刑について1:「一人で撃て。一人で撃たれよ。」
08/05/05
■田母神空幕長の法を踏みにじる発言に耳を疑いました
08/04/19
■憲法9条と平和的生存権
08/04/18
■犯罪の作られ方
08/04/12
■「自らの間違いを認めない」文化の震源地
08/03/15
■三浦再逮捕と一事不再理の原則
08/03/07
■「横浜事件」に関する最高裁の姿勢への失望
08/02/23
■福岡の3児死亡飲酒運転事件の判決への疑問
08/01/08
■司法、行政、政治、そして人間ー薬害肝炎訴訟の顛末から学ぶこと
07/12/24
■再犯防止できない刑罰制度のジレンマ
07/12/02
■問題が多すぎて何も変わらないのではないかと心配です
07/11/24
■浜岡原発判決の裁判官の責任の取り方
07/10/27
■オウムを存在させる宗教界ー「懲りない社会」
07/10/01
■光市母子殺害事件安田弁護士による死刑制度の私物化
2007/07/29
■ミートホープと光市母子殺害事件弁護団
2007/06/27
■「裁判には絶望した」
2007/06/21
■裁判における弁護の意味
2007/06/13
■「最初に無実の者を死刑にしたとき運命は決した」
2007/06/09
■弁護士の反応の報告
2007/06/08
■弁護士の反応
2007/05/26
■弁護士のみなさん、恥ずかしくないのですか
2007/05/25
■死刑制度のない社会と死刑のない社会
2007/05/23
■冤罪事件報道で感じた恐怖
2007/05/09
■裁判員制度の意味することの顕在化
2007/04/11
■冤罪を生みだした検事や警察はなぜ裁かれないのでしょうか
2007/03/05
■「君が代伴奏命令は合憲」という最高裁判決と反対意見の存在
2007/03/01
■裁判員制度よりも裁判の透明性の実現を
2007/02/03
■「司法改革」(朝日新聞社)を読みました
07/01/22
■司法権の独立と刑法のパラダイム
2007/01/20
■犯罪へのけじめのつけ方
2006/12/14
■法律は誰のものか
06/10/01
■根深い女性の人権蔑視の思想に立脚する刑法体系
06/08/07
■違法性判断の民間委託
06/05/31
■事の良し悪しの発端
06/05/30
■弁護士の犯罪
2006.03.15
■憲法や法律は誰のためにあるのか
2006.02.26
■ソクラテスの警告 2006.02.24
■人の生命を殺傷した罪の重さ
2006.02.15
■ふたつのリーガルマインド
2006.02.11
■横浜事件判決とリーガルマインド
2006.02.10
■裁かれる当事者と権力との距離で判断は決まるのでしょうか
2005.12.10
■現行犯なのになぜ「容疑者」なのか
2005.11.12
■犯罪にどう立ち向かうかで社会の枠組みが見えてきます
2005.08.02
■司法の死
2005.07.28
■自動車事故が起きるたびに考えること
2005.05.23
■司法改革の前にやるべきこと
2005.01.27
■司法制度改革が見落としていること 2005.01.13
■犯罪が許される社会
2004.09.24
■共謀罪の話
2004.09.05
■殺人罪の償い方
2004.07.06
■法の規範性と権力性
2004.06.23
■平和に向けての個人訴訟傍聴記 June
14, 2004
■国民参加の裁判員制度 May
24, 2004