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本文  

2018年 
■アーサー・ビナードさんの「知らなかった、僕らの戦争」 18/01/30

2017 
■緒方修さんの「青い眼の琉球往来」を読みました 17/12/15
■それでもあなたは原発再稼働に賛成しますか 17/10/15
■制裁への逃走と「離見の見」 17/10/08
■お互いに知り合えば、戦争などなくなるでしょう 17/09/23
■ソクラテスの嘆き 17/09/21
■カフェサロン「となりのムスリムにイスラムのことを聞いてみよう」の報告 17/09/18
■GRIT戦略 17/09/17
■憲法を考えるサロン「元軍国少女が語る憲法への思い」報告 17/09/13
■北朝鮮の人たちは、私たちどころではないでしょう 17/08/29
■自分の問題と他者の問題とでは判断基準が変わるようです 17/08/27
■戦後使われていた社会科の教科書をお薦めします 17/08/06
■今年も8時15分の黙とうをしながら考えました 17/08/06
■原発反対のデモに行く時間があったら、その前に「チェルノブイリの祈り」を読んでほしい 17/05/06
■世界の対立軸が変わってきた気がします〔2〕 17/03/31
■沖縄から始まる未来 17/03/31
■世界の対立軸が変わってきた気がします〔1〕 17/03/12

2016年 
■Imagine!(想像力を取り戻そう!) 16/12/01
■この写真の折り鶴をご存知ですか? 16/11/08
■国家が争い合うグローバリゼーション 16/10/06
■北朝鮮の核兵器開発に思うこと 16/09/14
■核抑止力信仰の悪夢 16/08/17
■「核廃絶」を唱えるのであれば「原発廃止」も明言すべきです 16/08/09
■戦争と経済と格差はつながっています 16/07/22
■ウォーゲーム「朝鮮戦争」体験 16/07/12
■日本はすでにこれまでとは違う道を歩みだしている 16/07/04
■自爆(自死)までして伝えていることに私たちは耳を傾けているだろうか 16/03/25
■「憎んではいけない。愛されない者だけが憎むのだ」 16/01/07

2015年
■戦争と平和を考える蛇足:恐ろしい未来への不安 15/12/21
■戦争と平和を考える10:手におえないテーマでした 15/12/19
■戦争と平和を考える9:なぜ人は戦うのか 15/12/19
■緊急カフェサロン「辺野古のたたかいはいま」報告 15/12/15
■戦争と平和を考える8:見えない戦争 15/12/13
■戦争と平和を考える7:自らの居場所が見つからない人たち 15/12/11
■戦争と平和を考える6:思いやりの心は、必ず連鎖する 15/12/08
■緊急カフェサロン「辺野古のたたかいは今」のご案内 15/12/01
■カフェサロン「ドラッカーとナチスと市民性」   15/11/30
■戦争と平和を考える4:戦場をどうとらえるか 15/11/26
■戦争と平和を考える3:戦いの当事者と被害者 15/11/20
■戦争と平和を考える2:生活者の声にはとても共感できます。 15/11/17
■戦争と平和を考える1:戦いの構図 15/11/15
■なぜ国会が召集されないのか 15/11/11
■疑念10:なぜ人は戦場に行くのか 15/11/10
■疑念9:国家と自治体の関係 15/11/09
■疑念8:「国家」と「生活者」の「戦争」 15/11/08
■疑念7:「戦時体制」を体験したことはないのですが 15/11/07
■疑念6:戦争の始まりの非論理性 15/11/03
■疑念5:さらにもう一つの戦争としての原発 15/11/02
■疑念4:TPPへの危惧−もう一つの戦争 15/10/31
■疑念3:理念と現実 15/10/30
■我孫子市に「サダコ鶴」がやってきます 15/10/29
■安保法制騒動を考える番外編:読者とのやり取り 15/10/25
■安保法制騒動を考える10:個人としてどうするか 15/10/24
■安保法制騒動を考える9:決定手続きの正当性 15/10/23
■安保法制騒動を考える8:違憲立法の意味 15/10/22
■安保法制騒動を考える7:安全の抑止力 15/10/21
■安保法制騒動を考える6:自衛の主語 15/10/20
■安保法制騒動を考える5:戦争の構造 15/10/19
■安保法制騒動を考える4:平和と秩序 15/10/18
■カフェサロン「韓国での兵役体験を聴く」の報告 15/10/11
■安保法制騒動を考える3:目的の確認 15/10/11
■安保法制騒動を考える2:問題の混在 15/10/10
■安保法制騒動を考える1:目的の転移 15/10/09
■FBの書き込みにコメントしてくださった方へのとりあえずの回答 15/10/07
■緊急カフェサロン「安保法制成立をどう考えるか」の報告 15/09/23
■緊急カフェサロン「今回の安保法制成立をどう考えるか」のお誘い 15/09/20
■昨日デモに参加して感じたこと 15/09/18
■武力や武装は攻撃への抑止力か誘発力か 15/09/14
■敵対しているのは、決して「人と人」ではない 15/09/08
■「ビハインド・ザ・コーヴ」 15/09/04
■中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年の思うこと 15/09/03
■平和活動としてのカフェサロン 15/09/02
■憲法違反罪をテーマにした戦争反対カフェサロンの報告 15/08/15
■平和な日本における「見えない戦場」 15/08/14
■「ヴァイマル憲法とヒトラー」(池田浩士著)のお薦め 15/08/14
■住民(国民)の責任−被害者になる前に加害者になることをおそれたい 15/08/11
■主語はなんなのか 15/08/07
■自らの生き方に「毎日、真剣に向き合う」こと 15/07/31
■「女性が中心になって平和を語り合うサロン」の断片的な報告 15/07/19
■学者の役割と良心 15/07/18
■「安保関連法案 まだまだ阻止できる」 15/07/17
■戦争に向かわないように、いま私たちができることを話し合いに来ませんか  15/07/16
■「70年の不戦」その10:私にとっての「平和活動」 15/07/02
■「70年の不戦」その9:戦争は誰に向けて行われるのか 15/07/01
■「70年の不戦」その8:戦争ができることの条件としての隷従性 15/06/30
■「70年の不戦」その7:戦場は「殺す場」なのか「殺される場」なのか 15/06/30
■「70年の不戦」その6:「信頼関係」を失わせてきた「不戦の70年」 15/06/30
■「70年の不戦」その5:弱者は、弱者であることによってこそ、守られている 15/06/29
■「70年の不戦」その4:戦争を回避する具体策 15/06/24
■「70年の不戦」その3:SADAKO−LEGACY 15/06/20
■「70年の不戦」その2:戦争を回避する方策 15/06/19
■「70年の不戦」その1:この70年間は「不戦」だったのか 15/06/18
■第2回戦争反対サロン「70年の不戦をどう考えるか」の簡単な報告 15/06/14
■人を使わない戦争の可能性 15/06/11
■人を殺すことができる人間を作る社会 15/06/11
■軍隊は人を殺すための装置です 15/06/10
■「70年の不戦」、あなたはどう思いますか 15/06/04
■Proactive contribution to peace 15/05/05
■戦争反対カフェサロン女性版を一緒に企画する人はいませんか 15/04/15
■「平和」を語り合う女性の会をやりませんか 15/04/09
■戦争反対カフェサロンがスタートしました 15/04/05
■保険が開くのは平和か戦争か
15/03/10
■保険の社会化は「保険の消滅」をもたらす 15/03/08
■畑を耕しながら考えました 15/02/12
■「安全保障のジレンマ」異論 15/02/11
■人間ロボット社会 15/02/08
■TBS報道特集「検証イスラム国人質事件」が明らかにしたこと 15/02/07
■国家を中心とした安全保障か、人間を中心とした安全保障か 15/02/06
■平和日本60年の終焉 15/02/03
■後藤さんの行為を無駄にしないために思うこと 15/02/01
■イスラム国にどう立ち向かうか 15/01/31
■「祈り」よりも「自分の生き方の見直し」 15/01/30
■「恫喝」よりも「祈り」 15/01/29
■子どもたちの目 15/01/25
■イスラム国からのメッセージ 15/01/25
■メアリー・カルドーの提言 15/01/23
■ムスリム国家との関係の行方 15/01/2
■誠実な生き方 15/01/15
■パリの大規模デモへの一抹の不安 15/01/13
■「盗賊を罰するより赦したほうがよい」 14/12/17
■エボラ熱とイスラム国 14/10/27
■世界を変えるのは簡単かもしれません 14/09/29
■イスラム国だけが残虐なのか 14/09/26
■「新しい国家」Islamic stateと「新しい戦争」 14/08/27
■競争を強いられる働き方と競争とは縁のない働き方 14/07/31
■集団的自衛権と佐世保の同級生殺害事件 14/07/3
■若者たちの気晴らしはどこに向かうのか 14/07/10
■「戦わない権利」と「戦わない義務」 14/07/01
■祈ることの意味 14/06/28
■ニーメラーの後悔を思い出します 14/06/28
■戦争の記憶 14/06/22
■「集団的自衛権」と「集団的殺傷権」 14/06/21
■戦争を想定すれば戦争が、平和を想定すれば平和が実現する 14/06/17
■破滅への一歩は反転への一歩でもある 14/06/16
■兵士は戦場で何を体験してくるのか 14/06/05
■日本にある大量なプルトニウムを、さらに増やすのか 14/04/15
■「一人ひとりの声が集まれば、世の中は変わる」 14/04/12
■ケネディ駐日大使にも「小さな村の国際紛争」を見てほしいです 14/01/23
■マララさんのメッセージに感動しました 14/01/08
■バングラディシュのブロッケイド 13/12/28

■サリン兵器を持つことの意味 13/09/17
■マルチチュードが主役の運動が広がりだした? 13/08/17
■エジプトが気になります 13/08/17
■日本とエジプトとどちらが「平和」なのか 13/08/15
■核廃絶と原発の存在 13/08/09
■エジプトで何が起こっているのか 13/07/06
■「物理学者は罪を知った」 13/06/27
■「沈黙の抗議」からサッティヤーグラハが伝わってきます 13/06/19
■原発の発明は、その事故の発明でもあった 13/05/28
■ヘンリー・スティムソンの信条 13/05/15
■アメリカ史だけではなく現代世界史の風景が変わりました 13/05/13
■原発の輸出を認めて、原発再稼働反対はありません 13/05/04
■「非武装による平和」と「脱原発による平和」を捨てたくはありません 12/12/08

■「よき市民であるためには、悪しき《市民政府》に抵抗せよ」 12/10/19

■大拙さんの知恵「それはそれとして」 12/09/24
■灰色のマトリョーシカ 12/08/30
■対立の構図は人と組織 12/08/25
■ジャーナリスト山本美香さんの死 12/08/22
■「終戦 なぜ早く決められなかったのか」感想 12/08/21
■責任を負うべき人 12/02/13
■原爆投下と原発事故の奇妙な一致 12/02/11
■傭兵と義勇兵 12/02/04
■歴史を学ぶことの落し穴 12/01/26
■「平和の碑」の少女像 11/12/20
■COP17と一方的先導措置 11/12/07
■BOPビジネスの両義性 11/11/03

■世界が見えにくくなってしまいました 11/10/25

■まだベトナム戦争は終わっていません 11/10/17

■「テロの心」を捨てたいものですが 11/09/06

■恐怖の源泉 11/08/15

■「最後の絆〜沖縄 引き裂かれた兄弟」を見ました 11/08/13
■SNSの両義性 , 11/08/12
■セミとカマキリ、もしくは正義と悪行 11/08/11
■イギリスでの暴動が示唆するもの 11/08/10

■広島での菅首相のスピーチに気分が悪くなりました 11/08/06

■いま何が問われているのか 11/07/14

■サバルタンは自らを語ることができない 11/07/10

■ハーバードの正義論への失望と日本生まれの正義論サロンのお誘い 11/05/19

■第三次インティファーダの動き 11/05/08

■「ガザのための交響楽団」 11/05/04
■リンチの国 11/05/03

■シリアで何が起こっているのか 11/04/23
■日本のすばらしさ 11/03/15
■東京大空襲と戦争の霧 11/03/10
■クラインのつぼ 11/03/08
■日本最古の人物埴輪 11/02/25
■知は力 11/02/21
■エジプトの住民たちの愛の表情 11/02/03
■コラテラルマーダー 10/12/25
■「社史で読む長崎原爆」 10/07/06
■牛が人間に見えてきます 10/06/01
■なぜ同じ地域に住む人に向けて銃口を向けられるのか 10/05/20
■日米安保条約第10条 10/04/17
■沖縄返還「密約」文書はどこにいったのか 10/04/11
■事件の背景 10/03/30
■大量殺戮は医学倫理の存在のひとつの結果 10/02/25
■わずかな雪で世界が変わりました 10/02/18
■ジハード、聖なる戦争
09/12/12
■オバマ大統領に象徴される現代の平和の恐ろしさ 09/12/10
■ガンジーの平和国家論 09/11/02
■ウイグル暴動の決着のつけ方 09/10/12
■オバマ大統領のノーベル平和賞 09/10/11
■無垢の生活者まで殺害して自らの生命を守りたいのか 09/08/16
■核兵器にどう向き合うか 09/08/16
■靖国をどう考えるか 09/08/15
■事件の表層と深層 09/07/08
■ウイグルで起こっているのは「民衆の暴動」か「デモの暴圧」か 09/07/07
■ホーリー・アポストル教会
09/06/21

■北朝鮮の核実験で思うこと 09/05/25

■マスコミに壊される国 09/05/15
■北朝鮮の存在価値 09/04/06
■ファノンの法則 09/03/07
■壁と卵、あるいは批判する勇気 09/02/17

■隣の人のたばこの煙で考えたこと 09/01/26
■環世界という捉え方 09/01/13
■国家の解体が進んでいるのかもしれません 09/01/06
■イスラエルのガザ空爆とバレンボイムのコンサート 09/01/05
■どの掟に従うか 08/12/03
■「国を守る」ということ 08/11/18
■田母神事件の犯罪性 08/11/0
■田母神空幕長と自衛隊の本質 08/11/01
■「わが事のように悲しい」 08/10/10

■ノーベル賞受賞の喜び 08/10/09
■悲しみの共有、痛みの共有 08/10/01
■平和の脆さや戦争への道のシミュレーション 08/09/22
■公務員の犯罪とは何でしょうか 08/09/20
■ボーン・アイデンティティと井原勝介前岩国市長の体験 08/09/08
■伊藤和也さんの笑顔が教えてくれるもの 08/08/28
■中国の「困難を洞察し、共感を持つ」ことはできるか 08/08/24
■一人一人が生活の主人公になれば戦争はなくなる
2008/08/22
■平和に関する2冊の本をお薦めします 08/08/15
■「人が戦争を始めたのではない。政治家が始めたのです」 08/08/11
■ネクタイをした背広の人がカメラを回していました 08/08/10
■失われたオリンピック遺産の思想 08/08/05
■「不都合な真実」から「目指すべきビジョン」に 08/06/24
■問責決議が無視される独裁国家 08/06/11
■「楽しい気分」と「悲しい気分」のどちらに同調したいですか 08/06/06
■クラスター爆弾を持っていることの是非 08/05/30
■メフィストに魂を売ったファウストの時代 08/05/22
■田母神空幕長の法を踏みにじる発言に耳を疑いました 08/04/19
■憲法9条と平和的生存権
08/04/18
■オリンピックというのは一体何のでしょうか 08/04/08
■中国の軍備増強と職場のいじめの蔓延 , 08/03/05
■もったいない文化の基本にある「いのちへの愛」 08/01/17
■いいことは忘れてしまい、悔いは、月日がたつほど深くなる 08/01/17
■「バレンボイム氏にパレスチナ市民権」 08/01/15
■新テロ特措法が成立してしまいました 08/01/14
■グラディオ作戦 08/01/02
■暗殺の対象者は異議申し立て者が多いような気がします 07/12/28
■佐世保銃乱射事件を契機にすべての銃器の破棄を考えたらどうでしょうか 07/12/15
■「戦争から学ぶことなどない」というオシムの見識 07/11/27
■パグウォッシュ会議と科学技術のシビリアン・コントロール 07/11/26
■ストイックな秋、平和につながる生き方 07/11/26
■「暗殺 リトビネンコ事件」 07/11/25
■「国防は最大の福祉」 07/11/12
■テロ特措法と守屋事件とは別物なのか 07/10/29
■ユンゲの懺悔 07/10/23
■戦争と犯罪はつながっています 07/10/21
■ミャンマーと格差社会:格差図式のフラクタルな展開 2007/09/29
■テロ特措法とミャンマー軍事政権 07/09/28
■ミャンマーの僧侶デモ鎮圧事件とパリ5月革命 07/09/27
■日本の仏教界ができることはたくさんあります 07/09/24
■平和は輸出できません 07/08/27
■一兵卒政権としてテロ特別措置法 2007/08/26
■膨大な声が抹殺されている現実 07/08/20
■不戦の誓いの出発点は憲法9条の堅持でしょう 2007/08/15
■シビリアン・コントロールの歯止めの喪失-佐藤正久議員の場合 2007/08/15
■政府の危機と国家の危機 07/08/12
■憲法と政党マニフェスト 2007/08/07
■タリバンの韓国人ボランティア殺害事件 2007/07/28
■デモサイド「民殺」 07/07/25
■国民の非武装権 07/07/24

■東京大空襲集団訴訟のメッセージ 2007/07/15
■「ホテル・ルワンダ」 2007/05/26
■「騙された者の罪」 2007/04/28
■「戦争は今や永続的な社会関係にまでなりつつある」 2007/04/19
■銃を撃ってしまう不幸 2007/04/18
■イラク戦争がはじまって4年目 07/03/20
■「戦争への道を許さない!」のリレートーク 07/02/10
■戦争を直視する姿勢 07/01/15
■ニーメラーの教訓と家永三郎さんの選択 2007/01/14
■コモンズとしての愛国心 2006/12/31
■フセインの死刑執行の不快感 2006/12/30

■貧困は平和への脅威 06/12/12
■常識人たちが進める戦争への道 2006/10/13
■アンナ・ポリトコフスカヤさんへの追悼 2006/10/11
■文明の衝突と個人の連帯 06/10/03
■ユダヤ人もアラブ人も同じセム民族 2006/09/28
■国家のアイデンティティ 2006/09/27
■互いを知らなければ、何も始まらない 2006/09/26
■繁栄と平和における死者 06/09/25
■戦争を起こすのは簡単なこと 2006/09/21
■9.11事件の真実 2006/09/12
■9.11事件で何が変わったのか 06/09/11

■平和と戦争は同義語? 06/09/04
■イラク派兵の後遺症 06/08/31
■イラクは平和になったのでしょうか 06/08/22
■イーハトーヴの平和と夏休みの効用 2006/08/20
■自分たちが実際に戦争に行くという実感が持てない 2006/08/19
■銃撃されて死ぬ確率 2006/08/18
■エレン・ワタダ中尉が生まれる素地 2006/08/17
■終戦記念日の迎え方 06/08/15
■旅客機爆破テロ未遂事件とイスラエル非難決議 2006/08/13
■靖国神社宮司の人間観 2006/08/11
■テポドン騒動 06/07/10
■イラク事件はまだ終わっていません 06/07/09
■得をするのはだれか 2006/06/27
■違法な戦争と違法な兵役拒否 2006/06/11
■繰り返し「軍縮問題資料」のお薦め 2006/04/07
■平和へのさまざまな思い 2006.01.29
■平和のためのコミュニケーション学 2006.01.18

■コラテラル・ダメッジへの不感症 2006.01.15
■憲法は9条だけでいいという永六輔さんに共感します 2005.11.18
■内政干渉って何でしょうか 2005.10.21
■ガザに象徴されていること   2005.08.19
■「愚直なまでの平和政策」ですって? 2005.08.16
■戦争で死んだ人は英霊になってうれしいのだろうか  2005.08.15

■広島宣言と小泉言動   2005.08.06
■不信感の増幅という「冷たいテロ」の予感 2005.07.25
■世界の平和を知るための雑誌「軍縮問題資料」が復刊されました 2005.05.08
■英霊信仰とジハード  2005.05.01
■もうひとつのシュペアーの責任感  2005.04.07
■竹島領有問題  2005.04.06

■シュペアーの責任感  2005.04.03
■ランディ・キラーの愛国心   2005.04.02
■愛国心を育てる国家  2005.03.07
■いま、ネパールで何が起きているか、ご存知ですか  2005.03.01
■ニーメラーの教訓   2005.02.03
■イラクの国民投票の結果  2005.02.01
■軍隊という名称  2005.01.06
■イラクの真実   2004.11.08
■断固たる姿勢でテロとの闘いを継続する   2004.11.01
■構造的暴力の被害者 カミロ兵卒の場合 2004.09.03
■中国サッカーのサポーターたちの根底にあるもの   2004.08.09
■平和に取り組むことの覚悟   2004.07.09
■改憲問題  May 01, 200