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2018年 
■北朝鮮を信用できるかという発想 18/04/22
■北朝鮮を信用できるかという発想 18/04/22
■カフェサロン「日本の神道文化にまなぶ“神さまのいる暮らし”」報告 18/04/16
■カフェサロン「社会インフラとしてのお金と仮想通貨を考える」報告 18/04/13
■見えている風景 18/04/10
■一強体制に反対な人への疑問 18/04/07
■第2回「なぜ生きるのか」サロンの報告 18/04/03
■カフェサロン「霜里農場の金子友子さんの生き方」報告 18/04/01
■カフェサロン「まわりにちょっと気になることはありませんか」報告 18/03/24
■「隠れ病む身」を支えることの大切さ 18/03/21
■理性の公的な利用と私的な利用 18/03/14
■カフェサロン「日常生活の巡礼化」の報告 18/03/03
■カフェサロン「半農生活と自分自身の人生経営計画」報告 18/02/15
■「それがどうしたのか」 18/02/15
■「与えられた権威」よりも自分の権威を大切にしたい 18/02/15
■コムケアサロン「なぜ生きるのか」の報告
18/02/08
■価格が価値を決める時代 18/01/02
■新しい年のはじめに 18/01/01

2017年 
■「わが事」を「われわれ事」にする 17/12/24
■塩野七生さんの「ギリシア人の物語V」を読みました 17/12/19
■政治を考えるサロン「統治から協治へ」のお誘い 17/11/23
■語らせないことの罪 17/11/23
■語らないことの罪 17/11/23
■なんのために稼ぐのか
17/11/12
■カフェサロン「重度知的障害のある人の一人暮らしとコミュニティ」報告 17/11/05
■時代に生きるのではなく、自分を生きたい 17/10/24
■見えないものを見ようとすることの大切さ 17/10/06
■10月の「みんカフェ」の報告 17/10/05

■カフェサロン「呼吸器の子・重い障害を生きる意味」の報告 17/10/01
■私は共和主義者です 17/10/01
■「亜由未が教えてくれたこと 障害者の妹を撮る」 17/09/25
■大衆の時代の憂鬱
17/09/05
■自分の問題と他者の問題とでは判断基準が変わるようです 17/08/27
■世の中には「おかしいこと」が多すぎます 17/08/04
■競争の社会から共創の社会へ 17/07/01
■立ち上がる勇気 17/06/14
■ワークショップ「大災害に備えるために〜東日本大震災の実例から教訓を得る」報告 17/06/05
■書籍を買わずに図書館から借りていたことへの反省 17/06/03
■マイナス給料の発想 17/05/28
■前川(前文科省事務次官)さんに敬意を表します 17/05/26
■コムケアサロン「生活の中での看取り」の報告
17/04/29
■じゃんけんで勝ったものが席を譲る文化 17/04/27
■小さき人々の抵抗の声 17/04/26
■企業サロン「働き方を考える」の報告 17/03/21
■煙石博さんの冤罪が晴れました 17/03/11
■コムケアサロン「豊かな高齢期をいきることの素晴らしさ」報告 17/02/26
■子どもたちにとって、一番大切なのは何なのか 17/02/06
■2つのエピソード 17/01/29
■自分ファーストの風潮 17/01/28
■なぜ日本人は「出生地」にこだわるのか 17/01/10
■メガネを変えることも大切です 17/01/03
■今年は歴史が善い方向に動き出す年になりますように 17/01/01

2016年
■メガネで世界は違って見えてくる 16/12/31
■時代のスピード
16/12/26
■「なぜこのような事件が後を絶たないのでしょう」 16/12/21
■Imagine!(想像力を取り戻そう!) 16/12/01
■「悪いのはわたしたちである」 16/11/25
■働き方と働かせ方 16/10/05
■互恵的に生きられる社会を目指したい 16/10/04
■「自分の足で立ち、自分の頭で考える人」でありたい 16/10/03
■カフェサロン「病原体から人間を考えるパート2」の報告 16/09/26
■措置入院への不安 16/07/29
■データが消えたという話へのコメント 16/07/23
■みんカフェ湯島6月の報告 16/06/25
■舛添さんの行動は、結局は都庁文化の現れに一つでしかなかった 16/06/22
■カフェサロン「ベーシックインカムを考える」の報告 16/06/06
■話し方と生きる姿勢 16/05/24
■見える困窮と見えない困窮 16/04/22
■「みんなのもの」パラドクス 16/04/18
■私たちは本末転倒した生き方をしていないでしょうか 16/04/13
■なぜクロネコヤマトの配達員は善い人ばかりなのか 16/03/22
■カフェサロン「アーユルヴェーダってなんですか」の報告 16/03/06
■自由とは責任を伴うもの
16/01/17

2015年

■金権政治と金権社会に抗うために 15/12/30
■お金の呪縛から解放された生き方をしませんか  15/12/26
■カフェサロン「お金だけでない支え合いを考える」の報告 15/12/24
■疑念10:なぜ人は戦場に行くのか 15/11/10
■ダイニングを変えるべきか、変えないべきか 15/09/09
■平和活動としてのカフェサロン 15/09/02
■先祖が営々と育ててきた社会的装置(コモンズ)が壊されていいのか 15/08/22
■平和な日本における「見えない戦場」 15/08/14

■自らの生き方に「毎日、真剣に向き合う」こと 15/07/31
■「安保関連法案 まだまだ阻止できる」 15/07/17
■体験したものの責任 15/07/05
■社会の民度が劣化している? 15/06/09
■栃木県では新規就農者が増えているそうです 話 15/06/07
■株価上昇がなぜこんなに話題になるのでしょうか 15/04/11
■城里町のみなさんから学ぶこと〔6〕 15/03/27

■みなさんへの質問です 15/03/20
■最近滅入っている理由 15/03/17
■太平洋銀行 15/02/27
■「祈り」よりも「自分の生き方の見直し」 15/01/30
■一緒に生きている社会 15/01/16
■誠実な生き方 15/01/15
■学生時代のような熱い議論を取り戻そう 15/01/06
■ヘンリー・スティムソンの知恵 15/01/03

2014年
■価値のつくり方と価値の捉え方
14/12/21
■言動の前提の大切さ 14/12/18
■「盗賊を罰するより赦したほうがよい」 14/12/17
■知的な言説を聞く耳 14/12/10
■蟻のように生きる人生 14/11/1
■「私は人間としてではなく生きてきた」 14/11/06
■コミュニケーションの持続による絆しかないのか 14/11/05
■「尊厳死」か「人間の尊厳性の否定」か 14/11/04
■夢を持たずに生きている人がいたら教えてくださいませんか 14/11/01
■人は夢だけでは生きていけない、のか? 14/10/31
■再論:生きる権利と生きる責任 14/10/27
■「こころのケア」???   14/10/17
■薬用植物事典「デューク グリーンファーマシイ」 14/10/15
■私たちが不安に思うべきことは何か 14/10/13
■健全な老化と正常病評 14/10/10
■世界を変えるのは簡単かもしれません 14/09/29
■私の意識の改革 14/09/24
■小さな村の大きな経済 14/09/12
■無料で食べられる蕎麦屋さん 14/09/03
■卑怯な生き方 14/09/03
■ビジネスワークとソーシャルワーク 14/09/01
■人は偶然や不思議な出会いによって変わってゆく 14/08/26
■「瑣末さ」のずれの拡大 14/08/22
■森の神様へも祈りましょう 14/08/21
■誰の人生も透けて見える時代 14/08/21
■「海の神様が怒るよ」 14/08/19
■問題は瑣末なところに原因があるものです 14/08/19
■「台風が来るから海が洗われてきれいになる」
14/08/12
■「毎朝泥棒に感謝している」 14/08/09
■死なせてはいけない 14/08/07
■受付の大切さ 14/08/05
■「暑いですね」は便利な言葉です 14/08/02
■自分を殺す者の共犯者とならないにはどうしたらいいか 14/08/02
■競争を強いられる働き方と競争とは縁のない働き方 14/07/31
■集団的自衛権と佐世保の同級生殺害事件 14/07/30
■「先生」という呼び方 14/07/16
■若者たちの気晴らしはどこに向かうのか 14/07/10
■自殺は個人の問題か社会の問題か 14/07/07
■社会の埒外で生きられるか 14/07/06
■オメラスとヘイルシャムの話その10:10羽のニワトリ , 14/07/04
■国は民のもの 14/07/02
■「戦わない権利」と「戦わない義務」 14/07/01
■一人称自動詞で考える 14/06/29
■祈ることの意味 14/06/28
■ニーメラーの後悔を思い出します 14/06/28
■現実にはさらに敏感でありたい 14/06/27
■言葉には敏感でありたい 14/06/27
■エルダーソーシング 14/06/25
■働くことには給料よりももっとたくさんの意味がある 14/06/2

■カスミ人生論はなかなか通じません
14/06/20
■霞(カスミ)の話のつづき 14/06/19
■STAP細胞と小保方さんのがんばり 14/06/18
■霞を食べて生きましょう 14/06/17
■「「助けて」と言える社会と言わなくてもいい社会 14/06/15
■「自発的隷従論」 14/06/04
■年金生活者の責務 14/05/22
■人間的に真っ直ぐ向き合うことの大切さ 14/05/21
■責任のない者の責任 14/05/18
■「私らは侮辱のなかに生きている」 14/05/15
■農業には「殺生」と「信仰」がつきものです 14/05/14
■不作為の殺人罪 14/04/25
■土から学ぶことは多いです 14/04/24
■第3の死 14/04/07
■「一つの見方」に方向付けられてしまうとなかなか抜け出せない 14/03/27
■ネット社会のもろさを実感しました 14/03/17
■統計上でさえ3万人前後の自殺者がでる社会 14/03/16
■エスカレーターの片側をあける文化 14/03/16
■自殺する権利と生きる責任 14/03/08
■会社人から社会人への、次の生き方 14/03/05
■人類を統合する思想 14/03/05
■二酸化炭素地球温暖化説と原発代替エネルギーに関する補足 14/03/01
■「人間に鈍感なシステマチックな世界」 14/02/28

■気温の上昇が先で二酸化炭素の増加が後である 14/02/25
■「自分が何をやっているか、もっと見ろ」 14/02/24
■社会は生きるための生活の場なのか、稼ぎのための市場なのか 14/02/17
■「うまくいかない人生」 14/02/08
■もうひとつのキリスト教 生き方の話 14/02/04
■知は人を無知にする 14/01/31
■「迷わないこと」と「確かなこと」 14/01/26
■コミュニケーションの不在 14/01/22
■人と人をつなぐもの  14/01/09
■「自分の面倒は努めて自分でみる」ことに反対 14/01/05
■ヘイト・スピーチは特殊な話ではありません 14/01/03

■「流れに身を任す」生き方から「流れに抗う」生き方へ 14/01/01
■政治の本質 13/12/19
■常識を問い直す7:経済成長は生活を豊かにはしない 13/11/26
■常識を問い直す6:仕事の意味 13/11/25
■常識を問い直す2:ワークライフバランス 13/11/19

■「小さな満足、大きな不満」 13/11/05
■国家の再登場ー権威や権力になぜ依存したがるのか 13/11/03
■効果的な放射性セシウムの除染法 13/10/31
■「知る勇気をもて」 13/10/30
■隠蔽と偽装で覆われた社会 13/10/29
■知識のあとからくる博学の無知 13/10/28
■「望む」「できる」「知る」 13/10/27
■ヘレヘレじいさん 13/10/27
■貧しくもなく、富めることもなく、ただ平安に 13/10/26
■組織起点から個人起点へ 13/10/24
■「人と人をつなげる仕組み」としてのNPO 13/10/22
■雇用経済的な働き方と生業的な働き方 13/10/16
■洗脳されることの恐ろしさパート2 13/10/12
■洗脳されることの恐ろしさ 13/10/11
■消費税増税はやりきれない話です 13/10/02
■前に進むということ 13/09/29
■JR北海道の安全問題にふと考えたこと 13/09/26
■家族をどう考えるか 13/09/22
■さみしい社会 13/09/19
■自分の属性を訊かれたらどう答えますか 13/09/18
■夏ばっぱの生き方は大事なことを教えてくれました 13/09/10
■会社名や商品名が書かれたユニフォームへの違和感 13/09/06
■幸せを届ける小さなタクシー会社 13/09/06

■太陽光発電装置を自宅で手づくりしようワークショップのからのメッセージ 13/08/26
■太陽光発電装置を自宅で手づくりしようワークショップの報告と参加呼びかけ  13/08/26
■マット・デイモンのオバマ大統領批判 13/08/21
■面倒くさいことが多すぎます 13/07/26
■善意の人を追いやる闇 ,13/07/26
■生活を忘れた日本人 13/07/21
■新しい働き方と新しい協同組合 13/07/19
■「助け合いの文化と仕組み」を考えるサロンのお誘い 13/07/15
■福島第1原発の元所長の吉田さんが亡くなられました 13/07/10
■「苦しみはそれを見た者に責任を負わせる」 13/06/28
■「従容と死を受け入れる森」再掲 13/06/27
■責任を取る社会から責任を押し付ける社会へ 13/06/25
■富士山が世界遺産になって、なぜうれしいのか 13/06/24
■みんなで汗をかいて働く豊かさ 13/06/15
■株価の乱高下するのは株式には価値がないからです 13/06/11
■災害に備えて備蓄すべきものは何か 13/06/01
■あなたの帽子はかぶり心地がいいですか 13/05/23
■人にレベルはありません 13/05/14
■メンタルヘルスをテーマにしたサロンのお誘い 13/05/13
■向こうから見た風景 13/04/23
■ペイフォワードと恩送り、そして未来への配慮 13/04/15
■世の中を変えるためにできること 13/04/12

■番外編:時評と挽歌をつなぐもの
13/04/11
■未来の他者を念頭に置いた社会 13/04/10
■資本の力に対抗するには土俵を変えないといけません 13/04/09
■病気を完治させようと思うことはありません 13/04/02
■「良いことをしたら忘れ、悪いことをしたら覚えておけ」 13/03/31
■65歳定年制発想への違和感 13/03/25
■社会が荒れているようです , 13/03/12
■もう原発事故の怖さを忘れたのか 13/03/04
■自殺の問題は、特別の人の話ではありません 13/03/04
■「これ以上、何が必要だ」 13/01/21
■起きていても寝違いはするそうです 13/01/14
■見てしまった者の責任 13/01/02

■仕事とお金の話 12/11/02
■子どもとの付き合い方 12/10/26
■「働くこと」は「生きること」か 12/10/25
■「よき市民であるためには、悪しき《市民政府》に抵抗せよ」 12/10/19

■人間が機械化しだしているようで不気味です 12/10/17
■「どんなふうにふるまい、生き続けていくか」 12/10/06
■忙しさの罪   12/10/05
■「優勝より正しい生き方」
12/09/24
■対立の構図は人と組織 12/08/25
■「つながり」とはなにか 12/08/24
■「君の生き方」ではなくて「私の生き方」を問いたい 12/08/12
■問題だけを見ていても問題は見えてきません 12/07/26
■言葉は実体を覆い隠すものでしかありません(その2) 12/07/21
■言葉は実体を覆い隠すものでしかありません 12/07/21

■安易に同調したり反発したりする風潮
12/07/15
■汚染ということ 12/07/08
■「なんと罪深いことをしてしまったことか」 12/07/02
■「その先のない人」 12/06/21
■「正名」は現代社会が最も必要としている思想 12/06/10
■「節電」という言葉の落し穴 12/06/09
■仕組みと現実 12/06/08
■原子力は非倫理的なエネルギーである 12/06/04
■座軸の反転 12/06/01

■生活保護とは「お金の問題」なのでしょうか 12/05/26
■原理原則はシンプルでなければいけません 12/05/15
■「私の中の私自身よりも大いなる何者か」 12/05/06
■安さを求める文化からの脱却
12/05/02

■荒れ野の40年でのビジョンクエスト
12/04/25
■荒れ地のなかで自分の軌道を見つけることの大切さ 12/04/24
■誰かをマネージしたいのなら、まず自分をマネージすることだ
12/03/14
■知ることから生まれるものがある 12/03/12
■ compassion 12/03/07
■インテリとは枠の中で行動するものではない 12/03/05
■「他者の『人間の尊厳』に対する配慮」 12/03/03
■wilful blindness 12/02/17
■アリス・スチュワートの信念 12/02/15
■ふたたびニーメラーの教訓 12/02/14
■金は天下の宝もの 12/02/09
■ささえあいカフェのお誘い 12/02/08
■家族サロンのお誘い 12/02/07
■ストレスがたまるストレステスト 12/01/19
■自分ってなんだろうか 12/01/18
■小賢しさへの気づき 12/01/10

■働くということの多義性
11/12/24
■自らを律することから出発したい 11/12/23
■「家に帰れればお金がなくても暮らしていける」 11/12/16
■65歳再雇用と若者の働き場 11/12/14
■放射線汚染のことがよくわかりません 11/11/26
■システムと人間の対立 11/11/24
■経済的に豊かな家庭の子どもは「頭がいい」 11/11/22
■忙しいことを良しとしない「までいな生き方」 11/11/21
■小賢しき者たちの時代 11/11/13
■どこから発想するか 11/11/07
■技術者の総括 11/11/06
■コピ・ルアク 11/11/04
■心の安らぎを得られる源は善き心 11/11/01

■ネクタイをしない人が増えていますね 11/10/13
■部分的つきあい・功利的なつきあい 11/10/11
■「ナバホであるとはどういうことか」 11/09/28
■仕事とお金を稼ぐことは分けて考えたほうがいい 11/09/26
■山口県上関町の町長選挙の意味 11/09/23
■お金がない生き方 11/09/22
■楽しみを延期するパラダイム 11/09/12
■ハンマーカンマーと柳原和子 11/09/02
■リスクをとらない生き方 11/08/20
■システム時代の首相の座 11/08/08
■小さな理と大きな理 11/08/04
■九州電力のやらせメール 11/07/11
■自然との付き合いを忘れた生き方 11/07/02

■「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」 11/06/25
■原子力発電の捉え方 11/06/12
■人と人をつなぐマナー 11/06/07
■居場所によって世界は変わる 11/06/06
■ボランティアはなぜみんな良い人なのか 11/05/20
■自己責任と他者責任は同義語 11/05/11
■消費しないでもいいのだ 11/05/07
■新しい社会への予感 11/04/30
■IQからEQ、そしてNQへ 11/04/24
■無人島暮らし願望 11/04/18
■自己総括してから変節してほしいです 11/04/17
■権威主義から抜け出せない日本人 11/04/16
■水道水を飲んでいるのかと驚かれました 11/04/14
■被害者から加害者へ 11/04/11
■自然からのメッセージ 11/04/07
■私たちの知的怠惰さが、生を阻む原発を認めてきた 11/04/06
■嘘をつくとどうなるか 11/04/05
■情報は家畜への餌ではない 11/04/04
■秋葉原事件判決と買占めする消費者 11/03/25
■右往左往 11/03/24
■電気に依存しすぎる生き方を見直しましょう 11/03/23
■Never say never 11/03/17
■死者の国 11/03/11

■貧乏な人には悪い人はいない 11/03/09
■「心を揺さぶる記事を書きたい」ということへの違和感 11/02/24
■暴言の犯罪性 11/02/21
■拡家族 11/02/20
■マトリックスな体験 11/02/16
■見たい意志をもてば見えてくるものもある 11/02/13
■視点を変える 11/01/29
■傍観者たちの世界 11/01/18
■手が荒れてしまいました 11/01/16

■「殺処分」の狂気
10/12/25
■幸せな死のために何が必要か 10/12/17
■みんなが誠実に話し合えば社会は住みやすくなる 10/11/24
■情報社会とは情報が共有される時代なのです 10/11/06
■「生命の時間」と「時計の時間」 10/11/01
■無縁社会ではなく有縁社会 10/10/31
■ネガティブな議論とポジティブな議論 10/10/25
■「人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る」 10/10/10
■他分野には踏み込まない内向の時代 10/10/03
■努力した者にしか運はまわってこない 10/09/26
■貧しくても豊かな時代 10/09/13
■「お金はいくらあってもいい」 10/09/07
■長寿者の行方 10/09/04

■非電化工房 10/08/13
■コモンズを荒らした犯人 10/08/10
■なぜみんな「お金を稼ぐこと」にこだわるのか 10/08/08
■人のつながりを論ぜずに人とのつながりを大事にしてほしいです 10/08/06
■忙しいと暇は同じこと 10/08/05
■第1回信濃川・環境大河塾ツアーのお誘い 10/07/30
■「ため」族の悲劇 10/07/19
■ふたつの仕事 10/07/17
■譲る精神 10/07/15
■汗した人の報われ方 10/07/07
■大切なこと 10/07/04
■ワールドカップ戦を見てしまいました 10/06/30
■毎年1億円をもらったら困るでしょうね 10/06/24
■家畜の幸せ・家畜の不幸 10/06/23
■議論の相手 10/06/11
■「私はカメルーン人である前にアフリカ人です」 10/06/10
■開くことの不安定さ 10/06/10
■制度に合わせた自己規制の中で生きるのは退屈ではないですか 10/06/07
■できないことをやろうという姿勢 10/06/05
■牛が人間に見えてきます 10/06/01

■世界卓球を見ていて疲れ切りました 10/05/30
■世界をしっかり見ることの大切さ10/05/24
■風景を見る立地点 10/05/21
■見えている風景の違い 10/05/19
■「自殺」という言葉をなくしたい 10/05/14
■生き方を変える季節 10/05/03
■人は何を守るかによってどんな人か決まる(時評編) 10/05/02
■思考の枠組みから抜けられない 10/04/27
■支え合う本性 10/04/26
■納得できる人生と常識的な人生 10/04/15
■共働き 10/04/15
お金が見えなくなりつつあります 10/04/14
■人は他者とつながりたいのか 10/04/13
■モチベーション 10/04/12
■特別の存在という関係性と支え合いの文化 10/04/07
■トレッドミルからおりる生き方 10/03/16
■知足と有志 10/03/15

■コミュニケーションとは新しい関係性の中で自らを変えていくこと
10/02/26
■自由と共同体 10/02/23
■人はいつまでもつながっているのですね 10/02/20
■地獄への道は善意の絨毯で敷き詰められている 10/02/19
■収入がなくてどうやって暮らせるのか 10/02/17
■本当の安全はお金ではなく、友達とコミュニティだ 10/02/16
■競争したら負けるから競争はしないんです 10/02/15
■「お互い様応援団基金」 10/02/14
■みんなを幸せにするお金 10/02/13
■「金の切れ目が縁の始まり」 10/02/12
■若い世代への期待 10/02/11
■そろそろ仕事とお金を分けて考えましょう 10/01/31

■半農生活と農的生き方
09/12/17
■ノリピーの虚像と実像 09/08/11
■背広を着ることの意味 09/07/16
■不幸な1日 09/07/14
■生産の無駄と生活の無駄 09/07/09
■問題の立て方 09/05/14
■アリとキリギリス 09/05/04
■私たちの「食べ方」で農業の未来は決まる 09/04/23
■正しく生きることの大切さ 09/04/13
■「自分に正直に、自分らしくあるように」 09/02/20
■経済成長とは何なのか 09/02/18
■新しき村への期待 09/02/16
■愛に支えられた社会とお金に支えられた社会 09/02/09

■「君あり、故に我あり(Estis, ergo sum)」
08/12/26
■「お金がなくても暮らせる生き方」を目指して宝くじを買う中途半端さ 08/12/06
■「社会のため」と「自然な暮らし」 08/11/22
■ワーキングハードとワーキングプア 08/10/21
■お金はあったほうがいいのか 08/09/25
■「お金がないと生きていけない」と「お金がなくても生きていける」とどちらが「たわごと」だと思いますか 08/09/23
■支え合いの文化があればお金などなくても生きられるはず 08/09/21
■堂々と質問に答えられるような生き方 08/09/04
■過疎地には仕事が山積みです 08/08/29
■経済の交換行為と生活の交換行為 08/05/21
■心理主義の罠 08/05/18
■イラクや宮崎の場所がわからなくても生きていけるか 08/03/31
■「いま何時?」 08/03/08
■ちょっといい話を創る生き方が大事ですね 08/02/19
■子どもを育てる前に、自分を育てたほうがいい 08/02/17
■フェアショッピング 08/02/10
■私の生き方 08/02/08
■食事時間は生存のための必要時間でしょうか 08/02/06
■餃子中毒事件から何を学ぶか 08/02/04
■カーボン・デモクラシー 08/02/01
■リサイクル論議よりも無駄遣いをやめるのがいいです 08/01/28
■「夕張希望の杜」を応援することの幸せさ 08/01/27
■家族同士の死傷事件と家族のあり方 08/01/14

■あなたは握手を求めたことがありますか 07/12/23
■廃棄と別れ 07/12/08
■守屋非難の前に、先ず自らの身を正したい 07/12/01
■自由人とは自らにとっての真理を語るものである 07/11/29
■ ストイックな秋、平和につながる生き方 07/11/26
■「言葉の人」と「身体の人」 07/11/23
■脱貨幣社会の気分をちょっと味わっています 07/11/10
■重要な問題と瑣末な問題 07/08/22
■家事やボランティア活動と賃仕事 07/08/14
■みなさんは私的な駐車場を横切りますか 07/07/17
■地方ごと、人ごとに時間があります 07/07/08
■分かち合う文化の復活 07/06/28
■あっちゃんの雑記帳 07/06/16
■孤独から抜け出るのは簡単です 07/05/30
■Comfort isolates 07/05/29
■団塊シニアの不安 07/05/21