ソーシャル・キャピタル

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ソーシャル・キャピタルと新しい経済システム
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■ ソーシャル・キャピタル座談会(2004年4月15日)
三井物産戦略研究所の機関誌で、ソーシャル・キャピタルの特集をすることになりました。
企画者は新谷大輔さん。そこで私も座談会に参加しました。
メンバーは井上英之さんと藤沢久美さんです。
藤澤さんとは、まえにも内閣府の雑誌で同じテーマの座談会をやりました。
みんな気楽に話したので、まとめる新谷さんは苦労するでしょうが、とても面白い議論が出たと思います。

ソーシャル・キャピタルへの関心の高まりは大歓迎ですが、やや流行的なのが気になります。
一度しっかりした論文を書こうと思っていますが、なかなか機会がありません。
組織から発想するのではなく、個人から発想する時代になったという枠組みで、ソーシャル・キャピタルの問題を整理すれば、
構造は簡単に見えてきます。
NPOもそうした視点で見れば、見え方が変わってきます。
逆に今のように、発想の枠組みを変えずに取り組んでいると、どこかで限界が来るでしょう。

ソーシャル・キャピタルと言う言葉に馴染みのない人のために、簡単に補足しておきます。
ソーシャル・キャピタルは「社会資本」ですが、いわゆる公共投資や公共施設ではありません。
人間の絆や信頼関係のことです。それらを区別するために、社会資産、社会関係資本、社会的共通資本など、さまざまな言葉できています。
しかし、わたしはもっと簡単に捉えています。
「社会にとって大切なこと」というのが私の定義です。
かつては、それが道路であり、ダムでした。つまり公共施設でした。
しかし、今の時代はそれらを前提にして、むしろ「人と人のつながり」が社会を豊かにする一番大切なことなのです。
道路とダムがあることが社会の安心安全につながった時代には、
むしろ人のつながり、その延長として人と自然のつながりを壊すことで社会は発展しましたが、
今は逆なのです。信頼関係が強ければ経済の効果も効率も高まるのです。
この背景には、個人発想という、社会の構造原理のパラダイム転換があるのです。
ちょっと理屈っぽくてすみません。
NPOとの関連でまとめた小論も読んでください。


■ソーシャル・キャピタルに関する国際フォーラム
(2003年3月24〜25日)
内閣府主催の国際フォーラムに、場違いにも参加してしまいました。
ソーシャル・キャピタルは、いわゆるインフラなどの社会資本とは違い、社会関係資本あるいは社会的資本と言われるもので、論者によって定義に若干の差はありますが、信頼、互恵、規範、ネットワークなどの人間関係・社会関係に関する目に見えない資本のことをさします。
最近、話題になってきたキーコンセプトです。私が「コモンズ」といっているものに当たります。

今回は、内外の有識者が集まり、ソーシャル・キャピタルの最近の議論を紹介しつつ、ソーシャル・キャピタルと経済との関係について、日本経済再生の寄与への可能性も含め、討議を行うというのが開催趣旨です。
30人くらいのクローズドセッションでした。
私はビジネス社会での事例発表のコメンテーターとして参加しました.
事例発表はソフィアバンクの藤沢久美さんでした。
藤沢さんは京都の中小企業の試作ネットを紹介しました。

学者を中心に、とても濃密な発表と議論がありました。
私にはなかなか付いていけませんでしたが、自らの活動を整理するいい時間をもらえたと思います。
会議の概要は、内閣府のホームページをご覧ください。

私はNPOの活動がビジネスを変え、経済の仕組みを変質させる契機になる
ということをメッセージしたかったのですが、失敗しました。
話す内容を少し欲張りすぎて、タイムオーバーでした。いやはや。

メッセージしたかったのは、サプライサイドの経済からデマンドサイドの経済へのシフトです。
産業のジレンマを克服するにはそれしかありません。
私が話したことに近い内容を別項に掲載しました。ご関心のある方は読んでください。
コムケアの例を中心に話しましたが、むしろコミュニティビジネスやまちづくり、協同労働や社会起業家のほうがわかりやすかったかもしれません。
残念ながらNPOを社会構造の革新者として捉えている学者や研究者は私が知る限り皆無です。

しかし、ソーシャル・キャピタルの議論がここまで進んでいるとは思っていませんでした。
講演に関連した資料が配布されましたが、日本のフォーラムと違って、それらがすべて詳細なレポートになっているのに驚きました。
英語ですから、私にはすぐには読みこなせませんが、面白そうなデータや主張がたくさんありそうです。

正村公宏さんがとても本質的な発言をされました。
これまでの経済の総括をせずに、ソーシャル・キャピタルという新しいテーマに取り組むことの危惧です。
私も同感です。
今回の議論は、これまでの経済やビジネスの枠組みで、ソーシャル・キャピタルを考えようという姿勢のようで、私は出発点からの議論がしたかったのですが、とてもその発言をする勇気をもてませんでした。
付け焼刃で発言するには、あまりに不勉強の自分に気付いたからです。
正村さんであれば、できるでしょうが。

ちなみに私は学生時代から正村さんの主張に共感していました。
たぶん影響も受けています。
今回、ご一緒できるとは思ってもいませんでした。
私のとなりは、アジア経済研究所の佐藤寛さんでした。
初対面ですが、彼の発言もまったく共感できるものでした。
私と違って、何回か発言されていました。
やはり現場分立脚して行動している人は、理論もしっかりとお持ちです。

そんなわけで、この2日間は、私の生き方を反省する機会にもなりました。
延ばしてばかりいた、本を書くことに今年から取り組むことにしました。
コモンズの回復」です。
私の40年間の総括になると思います。初めて自発的に書く本です。

■ ソーシャル・キャピタルに関する座談会(2003年7月22日)
内閣府が出している月刊誌「ESP」に掲載するため、ソーシャル・キャピタルをテーマにした座談会が開催されました。
3月に開催された、ソーシャル・キャピタルの国際コンファレンスに参加した、山山内直人さん(大阪大学教授)、藤沢久美さん(ソフィアバンク)と私がメンバーです。
司会は大守隆さん(経済社会総合研究所)。大森さんは国際コンファレンスの企画者です。

9月号に掲載されますので、内容紹介はやめますが、NPOと企業の境界がなくなりつつあるという認識をみなさんもお持ちのようでした。
ソーシャル・キャピタルに関しては定義もあいまいですし、まだ各人各様の解釈がされていますが、
私は「人と人のこころのつながり」と捉えています。
20世紀は、人を孤立化することによって、社会の最適化を図ろうとする時代でした。
要素還元により知識を拡大させ、分業により経済を発展させ、量的多数決論理で政治を集権化させてきました。
すべてに通底するのは、つながりの否定です。
その結果、環境問題が深刻化し、コミュニティは解体され、精神的な荒廃が進みました。
21世紀は、そのベクトルを反転させなければなりません。

3月の国際コンファレンスのテーマは、たしか「ソーシャル・キャピタルは経済を活性化するか」でした。
大切なのは、しかし、経済システムの再構築です。
ソーシャル・キャピタルをベースにした経済システムを構想すれば、社会は必ず元気になります。
問題は、しかし、ソーシャル・キャピタルは定量化しにくいということです。
それに因果関係の時間軸が長いということです。
数量化と迅速化を追い求めてきた近代人には不得手なことなのです。
そこで、学者には人気がないのかもしれません。

私はささやかですが、できるだけ現場にふれようとしてきました。
そこでの実感は、ソーシャル・キャピタルこそがすべての基盤だと実感しています。
私がなんとなくやってこられたのは、多くの人からの支えですが、その基盤には「こころのつながり」があるように思います。

座談会の最後に、行政への要望を聞かれました。
ソーシャル・キャピタルを育てていくためには情報共有化の促進に尽きる。いまの行政は相変わらず、情報格差に依存している。
もっと個人を起点にした、情報共有化のための仕組みを育てないといけないのではないかと話ました。
いまや大切な情報はむしろ現場の生活者のほうが持っている。その逆転に行政は気づいていないのです。
情報公開などというのは、瑣末な話です。
目線の高い「お上」の発想です。

いずれにしろ新しい経済システムが求められています。
そろそろ金銭基準の無機的経済システムではなく、それぞれが表情を持った人間的な社会を支援する経済システムに移行していく事が大切だろうと思います。


■ ソーシャル・キャピタル(2003年1月30日)
内閣府の経済社会総合研究所の大守隆さんと日下部英紀さんが訪ねてきてくれました。
大守さんとの出会いは、まだ私が東レにいた頃だったような気がします。
いや、もう辞めてからかもしれませんが、ある研究会でご一緒させてもらいました。
不思議なもので、研究会や委員会でお付き合いをしても、付き合いが継続する方と途切れてしまう方がいます。
大守さんとはなぜか続いています。
その上、2年くらい前には街中でぱったりお会いしたりもしています。
人のつながりは不思議です。
今回は大守さんが企画しているコンファレンスの相談でした。
テーマが「ソーシャル・キャピタル」です。私のこの数年の関心事でもあります。

ソーシャル・キャピタルは、昔の社会資本とは違い、人と人の信頼関係のようなものをさしています。
昨年、福島で行政とNPOの関係をテーマにした公開フォーラムをやりましたが、そのキースピーチで「ソーシャル・キャピタルの捉え方が変わってきた」ことを社会の組織原理の変化(組織基軸から個人基軸へ)につなげてお話させてもらいましたが、こうした動きが広がってくることは嬉しいことです。

先週報告した、高知県介護の会の集いのようなものに参加していつも感ずるのですが、現場からみれば、公共投資や福祉行政が社会資本を壊して面も否定できません。
今回、メッセージに書いた「産業のジレンマ」ではないですが、歴史の中で蓄積されてきた社会資本を壊すことで市場を創出し、貨幣経済的経済成長を遂げてきたのが、この数十年かもしれません。
WAPの項でも書きましたが、経済成長のからくりをしっかりと見据える時期かもしれません。
花見酒の経済になっていないでしょうか。