メッセージ11:他人事の事件などないのです〔2002/12/21〕

一昨年の大晦日に起こった、世田谷一家殺人事件は未解決のまま3年目に入ろうとしています。
とても残念です。遺族が関連情報に謝礼金を提供する事にしたという記事を新聞で読みました。
お気持ちがよくわかります。

北朝鮮拉致事件もそうですが、私たちはこうした事件を他人事と考え、情報提供や情報探しにあまり積極的ではありません。
事件と自分とのつながりが実感できないからかもしれません。
その気になれば、何かの事件に役立つ情報に、自分も触れているのかもしれません。

私も、世界は狭くてつながっている、などと何回も書いているのであれば、もっと社会の様々な事件にもつながっているという感覚を持つべきだと最近、大きく反省しています。
その自覚を持てば、社会は違って見えてくるはずです。
そして、みんなが送思えば、社会は変わっていくでしょう。
新聞では毎日、様々な事件が報道されていますが、どうしても他人事としてしか読んでいない自分があります。
そのほとんどの事件が、私の生活と隣り合わせにあることは少し考えればわかることなのですが、その「少し考えること」を私はあまりやっていないことに、最近、気が付きました。
皆さんはどうですか。

宮澤さんは私の知人です。
事件の翌日、つまり昨年の元日、新聞社から電話がありました。
衝撃的な事件でした。
宮澤さんは心根の優しい、ピュアな人でした。
日本CI会議体を支えていたメンバーのひとりでもありました。
状況から考えて、すぐにでも事件は解決すると思っていましたが、2年たってしまいました。
新聞記者からの取材や警察からの聴取を、それぞれ数回受けました。
思いつくことはほとんどありませんでしたが、今にして思えば、「誰かが解決してくれる」という思いから、どの程度真剣に思い出そうとしたかの反省があります。
もちろん、その時は一生懸命思い出そうとしましたが。

事件を見過ごす。
最近の警察の姿勢に対する批判のひとつです。
その背後には、こうした事件を見過ごす私たちの生き方があるように思います。

何か事件が起きた時に、自分との関わりを考える。
そして、自分として何かできることはないかを考える。
もしできることがあったら実際に行動に移す。
そして何よりも、まわりにある小さな事件を見過ごさないように努力する。
そんな生き方を、来年は私自身の一つの目標にしようと思っています。
できるかどうか心配ですが、努力します。

皆さんも付き合ってくれませんか。