●身内的社会性から開かれた社会性へ
「企業を開く」佐藤修(日本能率協会「マネジメント」平成2年短期連載記事の一部)

 よく言われるように,わが国は欧米の企業制度を,それを支える風土や文化と切り離して,その経済的機能と形態のみを導入した。そして,そこに人々の全生活を向けた社会構造を構築したのである。今や,多くの企業人は,企業以外に拠り所を持たない存在になりつつある。企業がすべてなのである。まさに「企業社会」と言ってよい。であれば,日本においてこそ,企業のコーポレート・シチズンシップが問題にされなければならない。

 実は日本の企業は利益活動だけではなく,いろいろな社会活動を行ってきている。心をこめた近代化の担い手としては当然のことだろう。ただ,その「社会」の範囲が自分の会社を中心とした狭い社会なのである。その狭い社会に限定すれば,終身雇用や社員丸抱えという言葉に示されるように,利益の論理を超えた様々な仕組みと活動が行われてきている。企業の福利厚生制度や社員教育の充実,社員同士の相互扶助や盆暮の贈答,工場周辺の地域との交流(企業城下町がその極致)など数えあげればきりがない。年功序列賃金も,極めて社会的な仕組みと考えられないこともない。

 これは一種の日本的コーポレート・シチズンシップと言ってよい。しかし,その関心はあくまでも当該企業に関わる人達を対象とした「身内の社会」にとどまっている。そこに問題がある。企業がここまで大きな社会的存在になってくると,身内への「社会的配慮」は逆に身内だけの閉鎖性になっていく。必要なのは,もっと広い社会に開かれたコーポレート・シチズンシップ意識である。特に,日本の企業が国境を超えて海外に進出していく時には,身内を中心とした狭い意味での社会活動は害になってもプラスにはならない。

 日本企業の身内主義的社会性は,経営者を始めとした社員の身内意識に源を発している。日本企業に広い意味でのシチズンシップが希薄なのは,結局は社員一人ひとりに市民意識が希薄だからに他ならない。企業戦士たちの生活意識の無さにつながる問題である。社員一人ひとりが生活意識やシチズンシップを持つことが,日本企業の新しいコーポレート・シチズンシップの出発点なのではないか。

 企業に対して新しい役割が期待されているということは,言い換えれば,広い意味での社会性が要請されているということである。企業は身内的な狭い社会意識を超えて,世界を意識した社会的存在に自らを高めていくべき時期にある。

 企業を広く社会に開いていくことが,企業の新しい役割の実現につながり,日本型コーポレート・シチズンシップにつながっていく。そして,それがおそらく,世界に向けての新しい企業のあり方の提案になっていくのではないだろうか。

 日本の企業が自らを開くことによって,企業の新しい地平が開かれるかもしれない。