武田文彦さんの憲法談話 
武田文彦
リンカーンクラブ代表
究極的民主主義研究所所長


リンカーンクラブの武田さんは、これまでも何冊かの著作がありますが、大部なために、なかなか売れません。
たとえば「民主主義進化論」は上下2巻の著作ですが、これを出版した出版社は、この本を出したために(ではないかもしれませんが)倒産してしまいました。ですからもう絶版です。私も数冊持っていますが、なかなか読者は現れません。
そこで、小出しにしたら、読んでもらえるのではないかと考え、まずはこのホームページで、武田さんの憲法談話を始めることにしました。 関心を持ってもらえたら、ぜひ武田さんの本格的な著作に進んでもらいたいと思います。
本だけではなく、時々、武田さんサロンを開催します。

ちなみに、私も当初はリンカーンクラブの事務局長でしたが、武田さんとは意見が違います。そのため、事務局長を解任(自己解任ですが)されましたが、 武田さんの活動には、ある意味では共感しています。
そんなわけで、ぜひとも武田さんの論考を広く世に出したいと思っています。
みなさんのご意見をぜひお待ちしています。
ご意見はフォーラム(投稿欄)にお願いいたします。



〔その2〕
男と人間・リンゴと果物
                            

男と人間・リンゴと果物、それぞれ言葉は違います。言葉は違いますけれど、男と人間
リンゴと果物ですから。だからといって男は人間ではない、とは言いません。
同じくリンゴは果物ではないとも言いません。
では、自衛隊と戦力、これはどうでしょうか。いきなり日本国憲法の話です。

自衛隊は戦力ですよね。自衛隊は戦力ではない、とは言わないでしょう。言えないでしょう。
それを、事もあろうに、日本国憲法第9条に関して、政府見解として、自衛隊は戦力ではないと言い募り、
この支離滅裂な解釈が堂々と、ではない、無理やり、お尻から物を食うような論理がまかりとうって以来、
日本国憲法は完全に死んでしまった、と私は思っております。

元来、日本国憲法は仮死状態にありました。
これで、死にそうな日本国憲法は第9条の解釈でとどめがさされたでしまった、と私は感じたのです。
なぜ私がそう思うかですが、第9条だけではなく、日本国憲法第1条に天皇制、象徴天皇制という遺伝病を抱え、
これが日本国憲法を仮死状態に陥れたと私は思っております。
そして、自衛隊は戦力ではないといって日本国憲法の非戦主義、平和主義を打ち壊し、
象徴天皇制で万人平等、主権在民の民主主義の根を断ち切ってしまったのです。
「お前は死んでいる」というマンガの主人公のセリフが一時、有名になりましたが、
私は日本国憲法にそういいたいですね。
「日本国憲法よ、お前は死んでいる」と。

なぜ、形式的で無害な存在と思われている象徴天皇制が民主主義の根を断ち切ってしまったと、私が断じるのか。

象徴天皇制が日本の民主主義に物凄いダメージを与えたとは思っていないでしょう。
私が象徴天皇制とはとんでもない制度だと思う数々の理由、それについては、ここでは詳らかにしません。
が、一つだけ申し上げます。
まず、象徴天皇制という問題を考える時の補助線の引き方を申し上げます。
それは、「若し、天皇が国事行為を拒否したら」、ということを補助線として使え、と言いたいのです。
この事を前提にして日本の政治を考えてみて下さい。
そうしたならば、象徴天皇制が日本の民主主義に及ぼすサリンのような作用というものがハッキリしてくるはずです。
申し上げておきますが、日本国憲法には天皇は国事行為を拒否できない、という規定はありません。
どうですか。ハッキリしませんか。

取り敢えずみなさんのお答えがわかりませんので、私の答えを申し上げます。
若し天皇が国事行為を拒否したら、その時は日本の政治はストップする。
これが答えです。
止まる。成立せず。軽く表現すれば日本の政治全身が痺れてしまう、でもいいでしょう。
ということは、私やあなたではない、
あの天皇が国事行為に御名御璽をしないということによって消極的ではありますが、
日本の政治を見事に止める力を持っているのです。

ところで、天皇は選挙で選ばれましたか。国家試験、天皇になるための国家試験でもパスしたでしょうか。
皆さんが天皇になる機会というものがありましょうか。
そうではありません。
天皇は天皇のお父さんが天皇であったという理由だけで、天皇になる。
そういう人が日本の政治をストップさせるという強大な力を有する。
そういう論理、基軸で日本国憲法が出来ている。
そしてそれがこのまま千年もつづくかもしれない。
これが民主主義といえるか民主主義憲法と言えるかというのが、私の考えです。

こんな目で日本国憲法をみてみると、
あるはあるは、全103条、死体が腐乱し死臭を放っている様がみえるではありませんか。
ドクター武田が、日本国憲法を解剖しその結果を皆様にご報告する。
そのご報告に「日本国憲法は死んでいない、息をしているぞう」と反論も頂くというのが、
この場ということになるようです。

さて、遅くなりましたが、最初の日本国憲法の悪しき匂いと私が感じました、日本国憲
法第36条の傷について所見を申し上げることにいたします。

●前回の質問の回答
36条のおかしなところ

第36条 〔拷問及び残虐刑の禁止〕・
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。 
    
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる とありますが、
この文章を単独で読みますと、なんの問題もないはずです。
しかし、憲法という条文の集合体の中でこの条文を読みますとおかしなことになります。
なぜおかしいことになるのかといいますと、
ここで、絶対、という言葉があります。これは削除すべきです。
憲法の各条文は絶対という言葉をつけなくても絶対に守られなければならないのです。
またある条文に絶対という言葉があって他の条文に絶対がなければ、
それは軽んじてもいいのか、絶対ではないのか、ということになるはずです。

死刑は残虐な刑罰ではないという判例(最高裁大法廷昭和23年)がでていますが、 これもおかしな話です。
憲法を容易に改正できないということがあだになっていて、刑法下で死刑という制度を残す、
それを憲法違反としないためには死刑は残虐な刑ではない、とするしかないのです。
ですから憲法を「公務員による拷問および残虐な刑罰はこれを禁止する」とし、
その後に、ただし書きとして「死刑の執行を禁ずるものではない」とでもすればいいのです。

〔その1〕
憲法とかけて、何と解く

憲法は魚と同じ、と解きまする。

その心は、放っておきますと、ともに腐ります、と申し上げて、
廃憲論者である(改憲ではなく日本国憲法の廃止を求めるので廃憲)私の立場を、
先ずもって宣告しておきます。

驚く人がいると思いますが、
日本国憲法103条の内、わずか数条をのぞいて、そのほとんどが腐りかかっているか、
既に腐って食するにたえられない状況にある、
ということを、佐藤さんのホームページを通じて、皆様にお知らせしようと思っております。

「ええ、日本国憲法が。そんな馬鹿な」武田さんの鼻も舌もおかしいのでは、と思う人もいるでしょうね。

だから、おもしろい、のです。
護憲のかたまり、護憲一徹の自己陶酔型の誤った嗅覚、味覚の持ち主、素直な善人者の人がおおいのですが、
こういう人の思いがつよければ強いほど、ギャフンといわせる私の快感は大きいのです。
勿論、私は皆様をギャフンといわせようと思っているわけですが。
関心がない、日本国憲法なんてどうなってもいい、という人は苦手です。

ただし、お断りしておきます。
私は私の嗅覚味覚は絶対に正常だ、鋭敏だと信じておりますが、
私が信じているだけで、絶対に正しいという証拠はどこにもないのです。
私の嗅覚、味覚がおかしい、異常である可能性もないわけではありません。

だからスリリングなのです。
私が正常か、皆様が正常か、最終的には決着はつけられないのですが、
皆様か私の心の中で、もしかしたら自分が間違っているかもしれない、という懸念を抱かせることはできます。
そういう形で決着をつけることは可能なはずです。

そこで、皆様の日本国憲法に対する味覚と嗅覚をテストしてみます。


(問)日本国憲法第36条は以下のようになっています。
 「公務員による拷問および残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」
  この条文におかしいところがありますか、ありませんか。
  あるならばその理由を述べてください。

あなた、または私の感覚が正常か異常かは、次回申し上げることにいたします。


リンカーンクラブ代表  武田文彦