企業の存続条件
1992年4月〜1993年3月「商工にっぽん」連載
私が楽しみながら書いた小論の一つです。
経営者にとっての必要な要素を12について書いています。
これにさらに12項目増やして本にしようと考えたのですが、
現場の仕事が面白くなって頓挫しました。
題材がちょっと古いですが、よかったら読んでください。
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目次
1.コロンブスの信念
2.蘇従の諫言
3.シャクルトンの真実
4.ロンメルの人気
5.トム・ソーヤの機知
6.ジャンヌ・ダルクの使命
7.ラインホールド・ニーバーの勇気
8.ソクラテスの議論
9.マリー・アントワネットの常識
10.アリストファネスの拒否
11.マザー・テレサの博愛
12.ゴルバチョフの情報公開
1.コロンブスの信念
■社会の役立たなければ企業はつぶれる
「岸を見失う勇気がなければ、人は新しい大洋を発見することはできない」とアンドレ・ジイドは語っている。新しい世界は勇気によって切り開かれてきた。
時代の大きな変わり目の中で、企業はいま、新しい船出を迫られている。しかも、海図のないままに、である。
時代の変革期をどう生きたかによって、その後の物語が決められることは、これまでの歴史が明確に語っている。明治維新や戦後の歴史をひもとけば、一目瞭然である。だが、できることならば、今まで通りでいたいと思うのは人の常だろう。口では変革やリストラを唱えながら、多くの企業は自己変革できずにいる。次々と新しい企業変革プロジェクトに取り組んでいながら、現実は企業改善にとどまっている企業がほとんどである。企業のあり方が問われているにもかかわらず、経営のやり方を見直す程度で終わっている。それでは新しい世界には出ていけない。
企業の社会性が問われている中で、企業が饒舌になりだしたのも、こうした風潮に似たところがある。饒舌さは往々にして実態に反比例する。文化(メセナ)を語り、愛(フィランソロピー)を語りだした企業が、ひとたび業績が悪化すれば、「企業は利益をあげな
ければつぶれてしまう」という、決まり文句で口を閉ざすケースが多すぎる。何のために文化や愛を語ったのだろうか。それではお為ごかしの社会活動だと思われても仕方がない。なぜ社会活動をするのかという信念もなく、儲け過ぎ利益の社会還元くらいにしか考えていないのならば、やらないほうがいい。
「利益をあげなければつぶれる」のではなく、「社会に役立たなければつぶれる」のだという、企業家本来の発想をする経営者は少なくなった。目先の金銭的利益ばかりに気がいっている。それでは本当の事業はできないだろう。明治から戦後にかけての企業経営者の使命感や事業観は、どこに行ったのだろうか。しかも、そういう経営者に限って、企業に対する社会の声を聞こうともせず、陸から離れようともしない。最近の企業経営者は管理職になりつつある。
確かに利益がなくなれば企業は倒産する。だが、社会に役立ってこその利益であり、利益のために社会をないがしろにしていいわけではない。経営者は利益という言葉を軽軽に語ってはならない。その前に社会における自らの役割をもっと真剣に考えるべきだろう。本当に社会にお役立ちしているのか。利益はその結果なのである。
本当に社会に役立っている企業ならば、社会が潰しはしない。利益がなくなったら、自らの役割が終わったと考えるべきだ。役割が終われば、企業も終わって当然である。もし、終わりたくないのであれば、新しい大洋に船出しなければならない。
陸を離れることは勇気がいる。だが、陸から離れたからこそ、コロンブスは新大陸を発見した。何が、コロンブスに勇気を与え、何日も陸の見えない航海を支えたのであろうか。そして、船員たちはなぜコロンブスに従ったのだろうか。海図のない航海に出ようとする現代の経営者にとって学べきことは多い。
コロンブスは航海の到達点を確信していた。信念があったのである。そして、その信念に自らの人生を賭けたのである。信念は勇気につながる。果して、いまの企業経営者に信念と勇気があるだろうか。
■基軸から離れるなという迷信
数年前ベストセラーになった『エクセレント・カンパニー』は、米国企業の実態調査から超優良企業に共通する条件を抽出したが、そのひとつは「基軸から離れない」だった。「多少の例外はあるものの、自分たちが熟知している業種にある程度固執する企業の方が、卓越した業績をあげていることが多い」と同書は述べている。以前、日本の某シンクタンクも事業多角化の研究で同様な報告を行ったことがある。確かにそうだろう。だが、だからどうしたというのだろうか。それは当たり前のことであり、何も語ってはいない。慣れたところで仕事をするのがいいに決まっている。だが、それではやっていけない時代が来たのである。事実、その後、米国では当時の優良企業の凋落が続いている。
なぜ基軸を離れると成功しにくいのか。それは信念と勇気が欠落しているからである。全力を投入しないからである。経営者が、あるいは企業が自らを賭けない冒険は成功するはずがない。しかし、逆にもし信念と勇気と真摯な取り組みがあれば、成功することも少なくない。アサヒビールの成功は経営者の信念と勇気であり、それによって企業全体が本気になったからである。上記のふたつの報告は単に「片手間では事業は成功しない」ということの読み違いでしかない。基軸を離れるななどという妄言に惑わされてはならない。
■コロンブスから学ぶ「信念と勇気」
技術開発競争において大切なことは、「どうやってつくるか」ではなく、「つくれるかどうか」の情報だと言われている。どこかで実現できたことがわかれば、技術者は確信を持って開発にとりかかれる。しかし、実現した人がいない未踏の課題にはもうひとつ気が入らない。どんな難問でも、誰かが解いたことがわかっていれば(つまり解けることが確実であれば)頑張れるものである。
では、最初の開発者を支えるのは何なのか。それは彼の中にある信念だろう。信念の強さが最初の勝者になるかどうかの決め手になる。新しさへの挑戦には信念が不可欠である。信念が人を勇気づけ、力を発揮させる。
コロンブスには信念があった。だからこそ,長い航海に耐えて、最初の到達者になったのである。そして、彼が新大陸に到達した後、続々と人々はヨーロッパを離れていく。
企業も陸を離れる時代が来た。だが、ただ離れればいいわけではない。どこに向かうのかが重要なのだ。やみくもに売上高倍増、利益倍増では陸を離れるどころか、陸にしがみつくことになる。意識革新や活性化も内容が大切である。「行け行けどんどん」スタイルの活性化は逆に企業を苦境に陥らせるおそれもある。バブル経済や企業不祥事の生々しい体験を忘れてはならない。
社会における企業の位置づけは変化し、社会の企業を見る目も変わってきた。企業は新しい事業(役割)をこれまでの延長線上にではなく、新しい大洋の中に見つけなくてはならなくなっている。そのために自らのあり方を見直す必要がある。それが変革の意味である。「改善」の時代は終わりつつある。
改善は職場単位でもできただろうが、変革を実現できるのは経営者しかいない。変革期はいつもリーダーの時代である。もちろん、企業の変革を号令する経営者は多い。しかし、どこに向かっての変革なのか、なぜ変革しなければならないのかという信念を感じさせる経営者は多くない。ただ、時代の風潮の中で、「リストラ」「事業の多角化」「企業変革」「組織活性化」「企業の社会性」と、言葉だけを号令しているのではないかという疑問は強い。それでは誰もついてこない。
これからの企業はどうあるべきなのか。社会はどうあるべきなのか。すべての出発点はそこにある。念のために繰り返せば、どうなるかという第三者的な「予測」ではなく、どうあるべきかという「信念」である。そうした中で、自らの企業の目指すべき目標と役割が初めて明確になる。目標はシエアや利益ではない。どう社会に役立つかである。どう社員に役立つかである。
強い信念と勇気。それが変革の時代を生きていく企業の第一条件である。今年はコロンブスのアメリカ大陸到達から500年。コロンブスから学ぶべきことは多い。
■個人で見える世界の限界
日本の開発した戦闘機ゼロ戦が始めて実戦に投入されたのは昭和15年の中国戦線だった。それまでの日本の劣勢は一変し、米英ソから集められた中国軍戦闘機は次々と撃墜されることになる。義勇軍を率いて日本軍と戦っていた米国退役軍人シェノートが「恐るべき日本新鋭戦闘機出現」とワシントンに伝えたが、誰も真面目にとりあげず彼を切歯扼腕させたという。この種の話は枚挙に暇がない。人間は自分の知識でしか世界を見ていない。理解できないものは存在すら信じない。そして判断を誤るのである。
理解できることでも、知りたくないことには耳や目をふさぐのもまた、人間の常である。見たくない世界は見えないものである。逆に、自分に都合のいいことはよく見えてしまう。ここにもひとつの落とし穴がある。その典型が「裸の王様」である。そこから自由になることは極めて難しい。
現場感覚の大変強いある方が、かなりの抜擢で社長に就任することになった。その直前にお会いする機会があったが、「2年間は現場感覚は持続できるだろうが、注意しないとその後は裸の王様になりかねない」と自戒されていた。就任以来、そうならないための仕組みもいくつかつくられていたようだが、結局2年を待たずに見事に裸の王様になってしまったことが伝わってきた。社長も社員も、それを望んでいないのに、そうなってしまうところに人間の弱さと組織の恐さがある。裸の王様を社長に抱く企業は不幸と言うべきだが、そういう企業は少なくない。
帝王学を読むと、必ずと言っていいほど出てくるのが「直言に耳を傾けよ」である。それは言うほど易しいことではない。第一、直言する部下を持つこと自体がほとんど不可能に近い。しかも、誰も諌言などしたくない。
■直言する部下の大切さ
中国春秋時代の覇者のひとり、楚の荘王にこんな話がある。即位後、彼は放蕩に明け暮れて、政令を全く出さなかった。その上、批判するものがいたら死刑にすると国中に言い渡した。3年がたった。ついに見かねた側近の伍挙が、問答にかこつけて荘王を諌めた。しかし、彼はいっこうに行動を改めない。今度は蘇従が命がけで直言した。その諫言をすべて聞き終わると、荘王は「よくぞ申した」と左手に蘇従の手をとり、右手で刀を抜くとまわりにあった鐘や鼓のひもをバッサリと断ち切り、再び歓楽にうつつをぬかさないと誓った。そして伍挙と蘇従を抜擢し、善政に取り組み、楚の名王となったという。彼は放蕩をよそおいながら、信頼できる部下を待っていたのである。直言してくれる部下を得ることはこれほど難しい。
諫言の重要性は誰もが知っている。だが、それを実現するとなると、受ける側もする側も勇気がいる。その結果、歴史がある企業ほど、また規模が大きい企業ほど、裸の王様の率いる組織になりがちである。むしろ、そうでないほうが例外と言っていい。
オーナー企業の場合は、特に危険である。ある段階まではしっかりした直言家がいることが多いが(それが企業の活力につながっていることも多い)、企業規模の拡大につれて直言システムは弱体化し、ついには専制構造が形成される。直言居士がいる場合も、独善的な直言になりがちで、実態を反映しない茶坊主かもうひとりの裸の王様になっていることが少なくない。しかし、なぜかそうした状況に陥っていることを、オーナー社長は気づかない。多くの情報が提出されてはいるものの、それは実態とはほど遠いものになっている。よほどの炯眼がなければ、それを見抜くことはできないだろう。もちろんすべてがそうであるわけではないが、諫言などとは全く別の世界にある企業がいかに多いことか。
■諫言を支援する制度と風土
社長を取り巻くテクノクラートが諫言圧殺装置になっている企業も少なくない。これまでの企業の人材配置発想は、本社に管理型を置く傾向が強かった。本社が現場を「管理」するという思想がそこにはあるのだろうが、その結果、本社の目は現場を上から見下ろす姿勢になりがちで、トップへの諫言など出てくるはずもない。企業のためには現場管理よりも社長を管理(諫言)するほうが大切なのだが、現実にはそれは期待しがたい。
時代が流れを変えようとしている中では、よく言われるように「成功は失敗の母」となる。どんな名経営者にも限界はある。トップに諫言する人がいるかどうかが、これからの企業の存続発展の鍵を握っている。しかし、現実の企業体質はむしろ経営者も社員も同質化してしまっている。たとえば、「利益あっての会社」などと若手社員までが言う。経営者と働き手が役割分担を失って、同じ言葉を語り出した。いい仕事をするために親方と喧嘩をした職人の伝統は、もはやない。いい腕の職人がいなくなれば、仕事も粗雑になって、いつか世間様から見放される。経営者はそのことに気づいているのだろうか。社員に「企業の目的は利益」などと言わせていては、経営者に「もの申す」人はいなくなる。
最近、社員の意識変革に取り組む企業が多いが、こうした点をしっかりと考えての意識変革でなければならない。「利益めざして行け行けどんどん」の活性化と意識変革とは全く異質である。利益が大切でないと言うのではない。しかし、利益は社会へのお役立ちの結果なのである。働き手がまず考えるべきは、社会へのお役立ちであって企業の利益ではない。それこそが企業存続につながっていく。
トップへの諫言を個人的属性に委ねずに制度化している企業もある。「社長への手紙」やジュニアボードなどはそうした制度の例である。しかし、その場合もその企業に諫言を大切にする風土がなければ有効なもののにはならない。その象徴は経営層の姿勢である。
■企業への諫言の重要性
諫言が必要なのは社長や上司だけではない。「企業社会」と言われるほどに大きな存在となった企業もまた、社会からの諫言が必要になってきている。最近の相次ぐ企業不祥事は、そうした仕組みの不在を示している。
経済活動の主役としては、欧米企業よりも日本企業のほうが成功を収めているが、不祥事の点では日本企業のほうに問題が多い。なぜだろうか。理由のひとつは、企業に対するチェック機能ではないだろうか。たとえば、欧米の企業には意思決定に対するチェック機能として、株主が有効に存在している。もちろん日本企業にも株主はいるが、株主総会に象徴されるようにチェック機能は果していない。銀行や証券会社も企業行動をチェックする立場にある。だが、ここでも彼我の差の大きいことは、今回の金融証券不祥事が示している。今後もそう簡単には変わらないだろう。米国のような社外重役制度は日本ではほとんど存在していない。労働組合はどうだろうか。これも日本における企業内組合の現実に多くを期待することはできないだろう。
企業の存在がここまで大きくなっているのに、日本にはそれをチェックする機能がほとんどないのである。このことは社会にとっても問題だが、一番嘆くべきは企業自身でなければならない。自らをチェックする存在がなくなることが、衰退への第一歩であることはこれまでの歴史が示している。だが、そうした意識を持っている企業は皆無に近い。
社会における企業の役割は、今後ますます大きくなっていく。企業の場合は、個人とは違い裸の王様にはなりにくいが、今回の企業不祥事のように、その可能性がないわけではない。今後、企業が発展していくためには、企業をしっかりとチェックし、諫言してくれる存在が絶対に必要である。
蘇従のような存在を社内にも社外にもしっかりと持っていることが、これからの企業の存続条件のひとつであることは間違いない。
■正直な求人広告主
1900年、ロンドンの新聞に次のようなひとつの小さな求人広告が掲載された。 南極探検を計画した探検家シャクルトンの隊員募集広告である。近代的求人広告の第一号と言われている。
探検隊員を求む。至難の旅。わずかな報酬。 極寒。暗黒の長い月日。絶えざる危険。 生還の保証なし。成功の暁には名誉と称賛を得る。 アーネスト・シャクルトン |
仕事の条件としては全くいいところはない。今様にいえば3K職場の典型だろう。しかも生還の保証すらなく、報酬も僅かと言う。なんと正直な広告主であることか。これではシャクルトンは仲間を得るに至らなかったのではないかと心配になる。
だが、現実は全く違っていた。「まるでイギリス中の男たちが、私の仲間になることを決意したみたいに、ものすごい反応があったよ」というシャクルトンの言葉が残っている(リクルート編『求人広告半世紀』による)。なぜそれほどの反応があったのか。
時代が違うという人がいるかもしれない。当時は仕事も少なく、今のように3Kがどうのこうのというようなぜいたくを言う人はいなかったのではないか。このような広告は現代には通用しない、1900年ならばこそ成り立つ話だと考える人もいるだろう。快適な職場、高い給与、休暇の多さがともかく強調される最近の求人広告の風潮を考えると、そうした意見も一理あるように思われる。
しかしそうではないだろう。むしろこの広告には、現代の求人広告には感じられない仕事そのもの(条件ではない)の魅力が満ち溢れている。しかも広告主の誠意と真実が見えている。こんな求人広告がでれば、“3K嫌い”とされる(私はそう思わないが)現代の若者たちも奮起するに違いない。けばけばしいだけで誠意も真実も感じられない最近の求人広告に虚しさを感じている若者も少なくないはずである。
■人は何のために働くのか
シャクルトンの広告に応募した人にとっては報酬や過酷な条件はおそらく何の障害にもならなかったであろう。南極という見知らぬ世界への探検、という仕事そのものがワクワクドキドキする魅力に満ちていたのである。生還の保証なしという悪条件も、むしろ興奮を高めるためにはプラスに作用したのではないだろうか。
仕事そのものに魅力があれば、条件などは瑣末なことなのだ。仕事に魅力がないからこそ条件に目がいくのである。求人側も仕事に自信がないから条件でごまかそうとする。それが近年の求人広告の基調であり、なぜかみんなそれに疑問を抱かずにいる。仕事が単なる労働になってしまっている。学ぶことが退屈な「勉強」になったように。
仕事に魅力があれば3Kなどはどうにでもなる。われわれがワクワクドキドキする場面を考えてみればいい。多くの場合、それは3K的要素を含んでいるはずだ。「危険できつくて汚い」ことは本来障害になるどころか、人間を興奮させる面がある。祭りやスポーツの3K面を想起すべきだろう。3Kが嫌われているのではない。意味のない3K、つまり仕事そのものの意味が失われているところに問題がある。そこを避けていくら条件を着飾っても人は集まるはずがない。情報化社会にあっては、真実のない広告はいとも簡単に見抜かれてしまう。そういう広告が多すぎる。
仕事の真実をしっかりと伝えることが求人の基本である。もししっかりと伝えても人の心を捉えない仕事であれば、それは仕事そのものを見直す必要がある。本当の仕事には必ず人は集まる。人手不足は社会環境の問題ではなく、自社の仕事に大きく起因していることに気づかねばならない。
■真実の伝達が信頼を得る
人の心を捉える基本は誠意と真実である。イメージもコミュニケーションも、その基本は誠意と真実にある。最近の企業広告や企業広報には、その基本が欠けている。それではいかに膨大な企業広告や求人広告を出しても効果はあがらない。
近代広報の父といわれるアイビー・リーがニューヨークにパブリシティ事務所を開いたのは1906年だった。当時の米国は巨大企業の勃興期であり、企業と社会の関係はあまり良いものではなかった。ジャーナリズムは企業批判を繰り返し、企業には防衛的な姿勢が強かった。そうした中で、彼の姿勢は「企業が社会から信頼を得ていくためには自らの真実を公開していくことが必要」というものであった。その意味が現実的に企業に理解された契機は鉄道事故にまつわるものであった。
米国が西に広がっていく過程で鉄道の果たした役割は大きかったが、事故も少なくなかった。当時、鉄道会社はイメージ低下を回避するため事故を隠蔽する姿勢が強かった。これはアイビー・リーの発想とは逆である。某鉄道会社の嘱託として、彼は事故発生に際して全く違った対応を試みる。隠蔽せずに事故の実態を克明にマスコミに発表したばかりでなく、現場取材に最大限の便宜を提供したのである。同時に誠意をもって事後処理に当たり、原因を究明し事故が繰り返されないような企業努力を開始する。マスコミが同社に好意を感ずるのは当然である。その結果、同社は逆に社会からの信頼を高めることになる。まさに「禍転じて福と成す」である。
企業活動の過程で予期せぬ問題が発生するのは避けがたい。その際の最善策は真実を公開して誠意をこめて解決に当たることである。危機管理への企業の関心が高まっているが、誠意と真実さえあればそう難しいことではない。しかし、誠意と真実は現代の企業から失われつつあるようだ。最近の企業不祥事への企業の対応を見れば、そのことはよくわかる。問題が発生した時に企業の本質が見えてくる。環境激変の中で企業が存続していくためには、真実と誠意を取り戻さなければならない。真実と誠意はすべてに勝ることを、企業は改めて認識すべきだろう。
■真実を公開できる実態づくり
企業が危機管理への関心を高める契機となったのが、1982年に起こったジョンソン&ジョンソン社のタイレノール事件(同社の解熱剤タイレノールに何者かが毒物を混入して7名の死者が出た事件)である。同社は事件発生と同時に事実確認に全力をあげ、あらゆるメディアを駆使して全世界に事実を伝えてタイレノールを使用しないように呼びかけた。そして、同製品の全面回収を行ったのである。
当然ではないかと思われるかもしれないが、例えば日本で先年発生した石油ヒーターの欠陥問題や不良ワイン事件などの対応(真実を隠蔽しようとする不誠実があった)と比較すれば、それがいかに誠意ある対応かがわかるだろう。事実、同社はこの事件への的確な対応により、逆に社会からの信頼を高める結果となったのである。
最近、企業が着飾ることに傾注しだしたのは時代の風潮であろうか。本来は自らの実態をしっかりと見据えるべきCI(コーポレート・アイデンティティ)戦略も化粧直し(場合によっては厚化粧)戦略になっていることも少なくない。コーポレート・コミュニケーション活動への関心も小手先の技術で語られがちである。企業から発信される情報も過剰包装されていて、真実が感じられない。それでいいのだろうか。
シャクルトンの姿勢やアイビー・リーの発想を改めて考えてみる必要があるのではないか。化粧も大事だろうが、あまりに化粧に依存してしまうと自分でも実態が見えなくなってしまう。それがおそろしい。化粧は真実をより的確に見せることに価値がある。真実を偽装する化粧は注意しなければならない。
大切なことは、真実をしっかりと社会に公開できる存在になることだ。それが激変の時代を乗り越えて発展していく最良の処方ではないだろうか。
4.ロンメルの人気
■社会に好かれてこそ企業は生きられる
企業イメージへの関心が高まっている。事業展開や人材確保のために、企業イメージが重要になってきたからである。商品もサービスも就職先も企業イメージで選ばれる時代になりつつある。「物不足人余り」から「物余り人不足」へという変化の中で、この傾向は今後ますます進むだろう。
近年のCI(コーポレート・アイデンティティ)ブームに見るように、イメージづくりのための企業活動も盛んである。だが、イメージは実態の反映であり、そう簡単にはつくれない。信頼できる技術、国際的な広がり、アフターケアの充実、いろいろなイメージ目標があるが、それは当然、どういう企業実態を重視するかと背中合わせになっている。イメージづくりとは実態づくりにほかならない。実態から離れたイメージづくりは失敗するばかりか、逆に不信感を植えつける。
企業にとって、最も大切なことは「好きになってもらうこと」だろう。技術やデザインがどんなに高く評価されても、企業そのものを好きになってもらえなければどうしようもない。逆に、好きになってもらえれば、少々のことがあっても選択されることになる。私たちの個人的なつき合いを考えてみればいい。どんなに資産家でも、才能豊かな人でも、何となく好きになれない人とは個人的なつき合いは深まらない。企業と個人は別だと思うことなかれ。企業を取り巻く関係も結局は個人の意識と行動の集積である。その当然のことを忘れてはならない。
■生き生きした人間の息吹が人気の素
何となく好きになってもらうこと。人気があること。それがこれからの企業の重要な課題である。好き嫌いや人気などというのは移ろいやすく捉えどころのないものと思われがちだが、それらはむしろ企業イメージの、従って企業実態の本質を象徴している。
どうしたら人気を高め、好感をかち得ることができるか。確かに企業を見る目は時代によって変化し、人気や好感の対象も時代を反映している。しかし、それらが時代を超えた人間の心性に由来していることも、また事実である。そもそも「人気」の本来的な意味は「人間の生気」であり、それが外部の生気と呼応して熱気を高めるということだった。今様に言えば、共生共感であり、決して表層的操作的なものではなかった。
人気のある企業には必ずある種の熱気がある。その人間的な部分に人々は惹かれる。数字で示される業績や機能だけではない。ましてや価格や給料だけではない。強い企業よりも優しい企業が評価され、報酬の高い仕事よりも誇りの持てる仕事が選ばれるのは、時代の流行ではなく人間の本性に由来する。企業利益や給料も大事ではあるが、必要条件であっても十分条件にはなりえない。企業の発展にとって、社会からの好感と人気は不可欠の要素である。
社会が好感を持つ人気の高い企業の社員は誇りを持つことができる。逆にどんなに企業業績が良く給料が高くても、社会から糾弾されたり不人気の会社であれば、社員は誇りを持てるだろうか。社員の誇りが仕事の質につながることを考えれば、それは重要なことである。誇りを持てない社員の仕事の集積はどこかで弱さを持っており、長期的な企業業績に必ず影響を与えることになる。
■敵からも愛されたロンメルの人気
第2次大戦で生まれたスターの一人にロンメルがいる。マジノ線突破の電撃戦はロンメル軍団に「幽霊師団」の名を与え、優勢な英軍相手に神出鬼没な砂漠の戦いぶりは「砂漠の狐」の異名を彼に与えた。ロンメル軍団の常識を超えた成果の秘密はロンメルの人気に多く依存している。しかも、その人気は味方のみならず、敵方においてもだった。
ロンメルの伝記として最も読まれている名著はデズモンド・ヤングの「ロンメル将軍」
だが、彼は英軍将校としてロンメルと戦った人である。敵将の魅力に取りつかれ、戦後ドイツ各地を取材してまとめあげたのである。この一事をもってしてもロンメルの人気がわかるというものである。その理由は何か。
チェニジア戦線。英軍の熾烈な砲火によって独戦車大隊が立ち往生してしまった。爆音の中に立ちすくむ隊長の戦車の円蓋をコツコツと叩く者がいる。隊長が恐る恐る円蓋を開けるとロンメルが覗き込んでいる。「何をしているのか?」「進むことができんのです」と隊長は答えた。その時英軍の一斉射撃が戦車の周囲一面で炸裂した。円蓋をあわてて閉めた隊長はロンメルが戦死したものと思った。10分後またも円蓋を叩く者がいる。ロンメルだった。彼は砲弾の中を車で前方を視察してきたのだ。「君の言う通りだ。村はずれには対戦車砲4門があった。この次は、君自身が出かけていかなくてはならないよ」と彼は言った。部下はもちろん、ファインプレイ好きの英国人が感動しないはずがない。
勇気という点ではロンメルに負けない将軍は少なくない。だが、自分でやらないことは決して部下にやれとは言わない、というのがロンメルの姿勢だった。それは勇気の問題を超えて、哲学やリーダーシップの問題である。もうひとつの挿話を紹介しよう。
戦争初頭のベルギー進撃の途中、ロンメル師団は激しい戦火の中で橋をかけなければならなくなった。「手をかすぞ」と叫んで、ロンメルは腰までつかって、兵隊と一緒になって立ち働いた。むろん師団長が前線で泥まみれになる筋合いはない。しかし、この話はたちまち師団中に知れ渡り、みんなを鼓舞したのである。
■人気は実態のバロメーター
ロンメルが敵にも味方にも呵責ない厳しい将軍であったことと、これらの挿話とは矛盾しない。それをつなぐものはフェアプレイとファインプレイである。そこにロンメルの人気の秘密があり、ロンメル軍団の強さの源泉がある。戦争という極限状況にあって、それを維持したところにロンメルの凄さがある。
ヤングはまた、ロンメルの退却戦の見事さを伝えている。チェニジアからエジプト国境近くまで進撃したロンメルも、2年後には逆にその2000キロを退却する羽目になる。退却の難しさは言うまでもない。しかもその距離の大きさは常識を超えている。しかしロンメル軍団は時に踏みとどまって反撃し、ついに一度として混乱状態に陥ることはなかったと言う。それを可能にしたのは、ロンメルの戦略的才能だけだったのだろうか。
人気は現実の反映であると同時に、現実に大きな影響を与える。たかが人気と軽んじてはならない。ロンメル軍団の見事な強さは、ロンメルの、さらにはロンメル軍団の人気に支えられていた。その人気は、戦う前から相手に何らかのプレッシャーを与えたであろうし、軍団のメンバーに対しても強い影響を与えたはずである。事実、ロンメル軍団の一員だったことが、ドイツ敗戦後も長く誇りをもって語られたという。
ロンメルから学ぶことはリーダーシップのあり方だが、同時に企業のあり方にも大きな示唆を与えてくれる。リクルート対策などといった姑息な企業イメージ戦略ではなく、本当の意味での人気の確立に企業は取り組む必要がある。その第一歩は、まず自らの人気について顧みることだろう。人気などは気にしない、などと気取っていてはならない。人気は実態のバロメーターなのだから。
■労働に価値を置くことが企業発展の起点
労働時間短縮が時代の課題になっている。確かに日本の企業人は働きすぎる。「24時間戦えますか」というコマーシャル・ソングが単なるジョークではなく、極めて現実味を持つ社会である。そうした現実が様々な問題を引き起こしていることを考えれば、労働時間短縮は望ましいことに違いない。1800時間の達成が「ゆとりある生活大国」実現へのプログラムと言われれば、そうかなと思う人も多いだろう。しかし、問題の本質は果して1800時間といった「量の問題」なのだろうか。どこかに落とし穴があるのではないか。
時短推進の背景には「労働は必要悪」という考えがある。必要悪である労働に割く時間はできるだけ少ないほうがいいわけである。逆に労働から解放された時間は「自由時間」として積極的に評価される。少なくとも近年の欧米の労働観や生活観はそうだった。休みもとらずに働き続ける日本の企業人と違って、彼らはしっかりとバケーションをとり、労
働とは別の場で自分の生活を充実させてきた。
最近のわが国の風潮は、まさにこの路線を踏襲している。「労働時間」は蔑視され「自
由時間」への関心が高まっている。本当にそれでいいのだろうか。自由な時間が増えることはいいことだが、問題はこうした動きの根底にある労働観である。
企業の発展を支えた「資本主義の精神」は、労働を価値あるものと位置づけていたはずである。経済的に価値があるというのではない。信仰という精神世界においても労働が高く評価されたことが資本主義の起点であり、企業発展の礎を築いた。欧米においては宗教革命がその契機だった。「労働は神の召命」であり、仕事に勤しむことを信仰の証とするプロテスタンティズムの考えが企業を発展させてきた。日本においては、江戸時代における「農業則仏行」観(鈴木正三)の発生が企業の発展を可能にしたと言われている(山本七平『日本資本主義の精神』)。いずれにおいても労働は決して必要悪などではなかった。労働に価値を置くことが企業発展の起点だった。だとすると、最近の労働観は企業の発展にどういう影響を与えるのだろうか。
■労働を蔑視していては組織は活性化しない
労働時間を1800時間に短縮した後はどうなるのか。次は1500時間なのだろうか。労働が必要悪ならば少ないほうがいい。その行き着く先は労働のない社会ということになる。労働を外部に依存する社会と言ってもいい。事実そうした社会や企業がないわけではない。奴隷社会がそうだったし、つい先頃のバブル経済の中では労働不在で利益をあげた企業も少なくない。だが、果してそれが目標とする社会や企業なのか。
時短は過剰労働の是正のためという反論もあるだろうが、その反論の根底にも労働必要悪観があることは否定できない。しかし、しっかりした労働の位置づけがあってこそ、過剰かどうかの評価が可能なのである。さらに、労働は時間で評価できるのかという問題もある。時短実現のたびに労働密度が高まったという指摘は少なくない。それでは何のための時短なのかわからない。
大切なのは時間の長短ではない。労働の内容である。1800時間より先にベルトコンベアの速度を1割落とすこと、担当者が納得できない仕事よりも納得できる仕事に切り換えていくことが大切なのではないか。それを放置して、いくら時間短縮したところで事態は変わらない。逆に労働の内容が意義のある面白いものになれば、時短などはどうでもよくなるかもしれない。能率が飛躍的に上がることも考えられる。どうも問題の設定の仕方が間違っているように思われる。
第一、必要悪である労働によって支えられる組織に未来があるのか。組織自体の活力を維持できるのか。最近、多くの企業が組織活性化に取り組んでいることを見れば答は明瞭である。価値ある労働に依存するよりも価値のない労働の組み合わせ(分業システム)のほうが企業にとって好都合だった状況があったことは事実だが、人間は単なる労働力ではないから、そんな状況が長く続くわけがない。労働を必要悪などと考えずに、労働の積極的意義を発見し創造していくことこそ大切である。
■労働時間の充実こそが課題
労働を考える上で示唆に富むふたつの話がある。ひとつは『トム・ソーヤの冒険』に出てくるペンキ塗りの話である。腕白坊主のトムはいたずらの罰として板塀のペンキ塗りの仕事をやらされることになった。大きな塀のためなかなか終わらない。うんざりしていると遊び友達が通りかかった。そこで彼は一計を案じ、ペンキ塗りに熱中しているふりをする。最初は冷やかしていた友達も、あまりに楽しそうにやっているトムを見てだんだん自分もやりたくなっていく。その友達にトムは追撃を与える。「塀を塗るなんて機会が子供に毎日与えられると思うかい? それに誰にでもできる仕事ではない。おばさんが特にぼくを信頼して任せてくれたんだ」。これでペンキ塗りの仕事はこの上なく魅力的な価値ある仕事になってしまった。友達は持っていたリンゴと引換えにペンキ塗りの権利(?)を獲得する。トムはその手で次々と友達にペンキ塗りをさせ、その上にお菓子やおもちゃを手に入れてしまう。しかも出来上がりの良さと早さにおばさんからごほうびまで貰うのである。
もうひとつはレンガ積みの話である。道端でレンガを積んでいるふたりの男に、ある人が「何をしているのか」とたずねた。一人は不機嫌な顔で、「見ればわかるだろう。重いレンガを積んでいるんだ」と言い捨てた。もう一人は嬉々として「ここに私たちの教会を建てるための基礎工事をしているんです」と答えた。同じ労働作業でも当事者にとっての意味は全く違っている。出来上がりや能率も間違いなく違うだろう。
労働をどう考えるかは重要な問題である。辛い仕事も退屈な仕事もあるだろう。しかし、だからといって「少なければ少ないほどいい」と決めつけることはない。同じ作業も意識の持ちようや与えられ方によって意味は変わってくる。レンガ積みの話に見るように、目的が分かっているだけでも全く違ったものになる。自発的にペンキ塗りをしたトムの友達は仕事を楽しんだことだろう。
そもそも労働が面白くないとか少ないほうがいいとか考えることに問題がある。労働を蔑視したまま、職場環境をよくしたり労働時間を短くしたりする風潮は見直すべきだ。大切なことは、労働の意味をしっかりと認識できる構造をつくることだ。分業体制の中で自分の仕事の意味が見えなくなっている人が多すぎる。その状況を放置しておいて組織の活性化が実現できるはずがない。企業は個々の労働(仕事)の意味をもっと真剣に考え、働き手が納得できるような仕組みを構築していかねばならない。給料や時短も大切だろうが、それ以上に労働することが喜びであり、楽しみになるような努力がもっとされるべきだろう。トム・ソーヤの機知に大いに学ぶ必要がある。
人はだれかに感謝された時、最大の幸せを感ずるものである。余暇時間の増加が人生を豊かにするのではない。労働時間の充実こそが人生の充実につながることを、企業も企業人も認識すべきである。そして、社員にとって充実した労働に支えられている企業は、おそらく社会にとってもなくてはならない存在になっている。安直な時間短縮論議ではなく、労働時間の充実(労働密度を高めることではない)に目を向けていくことが、これからの企業の発展条件ではないだろうか。
6.ジャンヌ・ダルクの使命
■使命感が人の生き方を変えていく
歴史は多くの奇跡によって彩られている。14世紀から15世紀にかけて欧州を舞台に繰り広げられた百年戦争にも奇跡が出現した。フランスの片田舎オルレアンの少女が、神の啓示を得てイギリス軍との戦いの先頭に立ち、劣勢のフランス軍を勝利へと導いたのである。まさに奇跡としか言いようがない。彼女の名はジャンヌ・ダルク。
何の変哲もない快活な17歳の少女をフランス救国の騎士に変えたのは、神の声だった。ある夏の日、突然、彼女は神の声を聞く。以来、幾度かの神のお告げがあり、「神の騎士としてフランスを救うこと」が自らの使命であると彼女は確信する。そして、フランス王を説得して自ら戦闘指揮に当たるのである。彼女の果敢な行動と溢れる情熱は、フランス軍を鼓舞し、奇跡的に戦局は逆転する。このフランス救国のドラマの出発点は、ひとりの少女が自らの使命を確信したことにある。
ジャンヌ・ダルクは神の声に従ったが、もし彼女がそれを確信せずに自らをただの百姓娘と考え続けていたら、彼女の人生は全く違ったものになったはずである。そして、世界の歴史も変わっていただろう。そこに歴史の教訓がある。
歴史の節目をつくりだした人たちは、自らをどう自覚したかによって運命を変えていく。偉業を成しとげた人の多くは、それを自らの使命と考えていた。使命感が生き方を変え、成功は成るべくして成るのである。使命感を持つかどうか、そしてその内容をどう認識するかが、その人の運命を決めていく。
使命の自覚が意味を持っているのは個人だけではない。企業にとっても重要である。企業は社会にお役立ちすることによって存立を認められる。事業を通して社会にどう役立っていくのか、という自らの使命の認識は、企業にとって最も重要なテーマである。企業の使命は利益をあげることという意見もあるが、その利益の源泉は社会へのお役立ちである。社会にお役立ちせずに利益をあげている企業は、長い目で見れば必ず淘汰されていく。社会へのお役立ちという視点で、自らの使命をしっかりと認識していくことが企業経営の基本でなければならない。
■自らの使命をどう認識するか
IBMが自らの使命を「コンピュータ・メーカー」ではなく「顧客の問題解決」と考えていることは有名な話である。 " IBM means service
"(IBMはサービスを意味する)という言葉に象徴されるように、この姿勢は創立以来のものである。言うまでもなく、同社の創立時にはコンピュータはまだ存在せず、扱い商品は単純な事務機器だったが、当時も機器そのものではなく、それらを活用して顧客の経営活動をどう支援するかが同社の関心事だった。まさに
" IBM means service "だったのである。
企業が自らをどう認識するかは経営活動に大きな影響を与える。もしIBMがコンピュータ・メーカーであると自己認識していたならば、社員の意識はコンピュータをいかに売るかに注がれてしまい、情報収集は限られたものになってしまうだろう。顧客側もコンピュータと直接関係のないような話は持ち込まなくなるだろう。しかし、顧客の問題には何でも相談にのるという姿勢であれば、様々な情報が入ってくる。それがIBMを発展させ、コンピュータそのものの発展を加速させてきたのである。
米国の鉄道会社のケースはもっとわかりやすい。鉄道事業は米国が西へ西へと発展していく時代の花形であり、成長産業の最たるものだった。しかし、自動車の発展につれて鉄道輸送は次第に主役の座を奪われていく。繁栄を誇った鉄道会社も業績を悪化させ衰退していく。時代の流れと割り切ってしまえばそれまでだが、すべての鉄道会社が衰退したわけではない。その分岐点は何だったのか。
ほとんどの鉄道会社は自らの使命を「鉄道事業」と考えていた。そう考えている以上、鉄道輸送事業の停滞はそのまま企業の低迷につながっても仕方がない。しかし、一部の鉄道会社は使命を「輸送」と考えることによって、鉄道から自由になっていく。たとえば、ミズーリー・パシフィック鉄道は自らの使命を「人と物資の輸送」に変化させ、それまで競争相手だった自動車輸送を取り込んでいく。停滞したのは「鉄道事業」であり、「輸送事業」はむしろ手段を増やすことによって成長していたわけだから、同社は引き続き成長を続けることができたのである。自らをどう認識するかが、いかに重要かが理解できるだろう。単に「輸送」と認識を変えていけば、情報通信事業にも進出できたかもしれない。成長産業になるか衰退産業になるかは、実は意識の問題にすぎないのである。
鉄道から輸送へという方向が唯一の方向ではない。日本の私鉄はもうひとつの方向に使命を変化させて成功している。鉄道周辺の地域開発や鉄道利用者の生活開発である。その延長に総合生活産業を志向する企業もある。使命の認識の仕方は様々と言っていい。
■企業の使命は社員や社会によって実現する
CI(コーポレート・アイデンティティ)計画に取り組む企業が後を絶たないのは、それが単なる社名の変更や新しいマークの開発ではないからである。CIに取り組む多くの企業の関心は自社の使命の確認にある。使命をどう認識するかは、まさにアイデンティティの核といっていい。新しい使命を広く社内外に告知するために、新しい社名やマークが必要になるのである。そうした認識がないとCIは単なる化粧直しに終わってしまう。
最近のCIブームで多くの企業が自らの使命の見直しを進めている。これまでの使命の捉え方を時代に合わせて大きく変化させて成功しつつある企業も少なくない。だが、使命の問い直しはそう簡単なことではない。言葉を変えれば済むわけではない。新しい使命をどう社員が共有し、社会に認知してもらうかは難しい課題である。
最近発表された新しい企業使命を見てみると、ひとつの傾向が読み取れる。表現が抽象化し意味が希薄になってきたことである。時代の変わり目においては、それは避けられないことだろう。あまり使命を具体的に絞りこんでしまうと機会損失を引き起こしてしまう。多様な解釈を可能とする柔らかな自己規定が必要である。しかし、だからといって「総合文化産業」や「総合生活産業」では何もメッセージしないことになってしまう。使命を広げすぎて失敗したケースは少なくない。欲張りすぎては何も得られない。大切なのは快い響きではなく、それによって自らの企業使命を社内外で共有することである。
ジャンヌ・ダルクが自らの使命を実現できたのは、周囲がそれを信じたからである。企業の使命も社会に認知されなければ意味がない。社員がそれを確信しなければパワーにはならない。あまりに抽象的で一般的な自己規定は効果を発揮しない。
ジャンヌ・ダルクの時代は騎士道華やかな時代だった。それから1世紀、もうひとりの志を持った騎士(架空の人物だが)が登場する。ドン・キ・ホーテである。遍歴の騎士として世界を救うことが自らの使命であると考えた彼の物語はここで繰り返す必要はないだろう。彼の場合も使命感が彼を動かしたのだが、それは時代認識を間違えたものであり、社会に共有されることのないものだった。結果は見事な失敗であり、狂気以外の何ものにもならなかった。しかし、ジャンヌの使命感も狂気と言えないことはない。ふたりの運命を分けたものは何か。ここにも大きな教訓がある。
激変する時代を乗り越えて企業が発展していくためには、社内外に共有できる自らの使命をしっかりと確立することが必要である。使命感のない企業は、発展どころか存立が難しくなる時代がきている。
■企業成功の3条件
−神よ
変えることのできるものについて
それを変えるだけの勇気を与えたまえ
変えることのできないものについては
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ
そして
変えることのできるものと
変えることのできないものとを
見分ける知恵を与えたまえ
米国の神学者ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉である。人類がいかに「知恵」のない存在であったかは歴史が示している。変えられるものを変えなかったために起こった不幸、変えられないものを変えようとして起こった不幸は、枚挙に暇もない。
しかし、人類の歴史はまた「勇気」の歴史でもあった。現実を変える勇気を持った者たちが歴史を切り開いてきた。「変えられないもの」をしっかりと受け止めることもまた、もうひとつの勇気である。「冷静さ」は勇気の証と言っていい。
ニーバーの祈りは企業の祈りでもある。IBMを飛躍的に発展させた名経営者トーマス・ワトソン Jr.は企業の成功の鍵として次の三つをあげている。
@しっかりした信条を持つこと
Aその信条を確実に守ること
B信条以外の全ては常に変えていく姿勢を持つこと
変えてはいけない信条を明確にし、それ以外は時代と状況の中で常に変えていくことが企業成功の条件であるという、ワトソン Jr.の主張はニーバーの祈りにつながっている。日本IBMの人に、「もし信条を変えなければならなくなったらどうするのですか」という意地の悪い質問をしたら、「その時はIBMが終わる時です」という答がかえってきた。企業の存続をかけるほどのしっかりした信条が持てるならば企業は間違いなく成功するだろう。変えない信条を持つことは、柔軟な生き方の基本であって、かたくなな生き方とは異なる。信条を持つ企業ほど日常活動は柔軟であり、時代変化への適応力が高いはずだ。そうでないとしたら、その信条は間違っていると考えるべきだろう。
■現実を変える勇気が企業を発展させる
信条は朝令暮改、行動は硬直的、という企業も少なくないが、そうした企業には共通点がある。経営者と社員との距離、あるいは経営者と社会(お客様)との距離の遠さである。社員やお客様と全く無関係の役員室で信条が決まったり、行動が評価されたりしていては、「変えられるもの」と「変えられないもの」とを見分ける知恵は出てこない。新しい方針が役員室から出てきたところで、変える勇気を持つ社員はいないだろう。
ニーバーの祈りにもかかわらず、現実の私たちの生き方は、「変えられるもの」を変える努力よりも「変えられないもの」に対する不満にエネルギーが向けられることが多い。問題を抱えた企業ほど問題の責任を外部(変えられないこと)に転嫁する構造が出来ている。経営者は社員が悪いと言い、社員は経営者が悪いと言う。あるいは営業側は生産側が悪いと言い、生産側は営業が悪いと言う。あげくの果てにはお客様や社会が悪いと言う企業の、なんと多いことか。企業不祥事を起こした企業のほとんどが、そうした状況に病んでいる。知恵も勇気も、冷静さもなくなった企業に未来はあるのだろうか。
もちろん、知恵や勇気を持った企業も少なくない。アサヒビールはそのひとつだろう。
ビールのような嗜好品の味を変えるということは極めて危険なことである。それを思い切りよく次々と実行してきた同社の勇気には学ぶべきことが多い。「コクとキレ」の話は有名なので、スーパードライのケースを例にとってみよう。「辛口ビール」の提案があった時の社内反応は「それは清酒とかワインの概念であって、ビールにはそういう概念がない。成功するはずがない」ということだったらしい。それに対して、樋口社長は「我々はメーカーだ。ものをつくって判断しようではないか。ものも無しに議論してもしょうがない」と、すぐに予算をつけてつくらせたという。そして見事にビール業界に革命を起こしたのである。樋口社長の言葉には、メーカーとしての信条とその限りにおいて無限に挑戦すべきだという姿勢とがこめられている。「ビールはどれも同じ味で見分けられない」としたり顔で話す人が多く、容器の変化で個性化に対応していた風潮の中で、味そのものを大きく変える勇気を持ったことが成功の鍵だったわけである。
変える勇気が新しい市場を大きく創造し、企業としての発展につながった事例は少なくない。逆に事業や商品への先入観が邪魔をして変えられずに袋小路に入っている企業も多い。企業規模が大きくなるにつれて、また歴史を積むにつれて、変革の勇気が失われていく傾向が強くなるのはなぜだろうか。
■変えられないものは資源として活かす
受け入れる勇気も、変える勇気に劣らず大切である。ニーバーの祈りは現実主義であり、キリスト教の倫理観に支配されすぎているという批判もあろうが、この言葉は何も神の声に盲従せよという意味にとる必要はない。企業に即して言えば、経営者の指示やお客様の要望を所与のものとして受入れよということではない。もっと高い次元で考えるべきだろう。しかも、変えられるかどうかは、状況や時代によって変わっていくものである。決して変革を否定するものではない。
企業変革の出発点は自社の実態把握である。自社が抱える問題点を整理し、それを改めていく方法が一般的にとられる。問題点を改めていくことは重要であるが、そこからは新しいものは創造されにくい。大切なことは、問題点を「変えられるもの」と「変えられないもの」とに峻別することである。いや、今は問題がないとしても将来問題になるような「長所」も含めて、「変えられるもの」と「変えられないもの」とを整理していく必要がある。そして、「変えられるものはたとえうまくいっているとしてもすべて問題点」「変えられないものは一見不都合だとしてもすべて経営資源」と考えるべきである。
問題解決型の発想だと、今問題のないことは見逃されてしまうが、さらにいい方法があるという視点から考えればどんなことも問題点と言っていい。逆に変えることのできないことをいくら問題視しても意味はないが、いかに活かすかという視点で考えることは有益である。どんなに不都合なことであっても、必ず活用できる価値を持っているものである。それを見つけるかどうかで、事態は全く違ったものになっていくが、その出発点は「変えることができない」ということを冷静に受け入れることである。
変えられないことを受け入れることは諦めではない。言い訳材料に使わないということでもない。変えられないという前提に立って、ではそれをどう活かすかと考えることである。そのためには、どうにかしてそこに良い点を見つけていかなければならない。
悪い点を正すのは改善の基本であるが、変革の基本は良い点を伸ばすことである。変革のためには、まず変えられることと変えられないこととを的確に把握し、変えられることは改善し、変えられないことは良い点を見つけていくことである。見方を変えただけで、それまでマイナスと思えていたことがプラスの価値を持っていることに気付くことは少なくないはずだ。起点は短所か長所かではなく、変えられるかどうかである。そして、自らを変えることは(見方を変えることも含めて)そう難しいことではない。
こう考えてくると、ニーバーの祈りは次のように読みかえていいように思われる。
神よ、自らを変える勇気と他者を受け入れる冷静さを与えたまえ 。
企業も、企業人も、すべての変革は自らの変革から始まることを忘れてはならない。
■議論は自らの意見を通すことではない
人類はいつから議論するようになったのだろうか。それは定かではないが、議論が人類の歴史を発展させた大きな動因だったことは間違いない。人類とは「議論する種」と言ってもいい。しかし、すべての人が議論好きだったわけではない。議論嫌いの文化もあったし、議論が抹殺された時代もあった。現在も議論が許されない国や組織は存在する。
古代ギリシャが議論好きだったことは有名である。隣国のペルシャ帝国のキュロス大王が「暇つぶし談義にふけるギリシャの奴ばら」と嘲った話がヘロドトスの『歴史』に残されているが、アゴラ(広場)はまさにギリシャ人たちの議論の場であった。とりわけアテネでは議論が盛んだった。もっとも個人の好みの問題ではなく、体制の問題と言うべきかもしれない。アテネでは民主制が強まるにつれて、人を説得する話術が市民としての条件になっていった。そのためソフィストという弁論と修辞の職業的教師も生まれた。
ソフィストは本来「知恵を愛する人」という意味だが、その後あまりに技術論に走ったために「詭弁家」の意味になってしまった。自分の主張を通すための議論の方法を学ぶことから、次第に内容の真偽や是非と無関係に、極端に言えば「黒を白といいくるめる弁論術」へと変質していったのである。それを批判したのがソクラテスである。
彼は正しい概念、善の概念の追求を重視し、形式論議に陥っていた風潮を正そうとする。その起点は「不知の知(知らないということを知ること)」「無知の自覚」である。対話を通して、相手の偏見や独りよがりを明らかにし、正しい知識によって普遍的な徳にたどりつく、これがソクラテスの議論だった。
ソフィストたちの弁論とソクラテスの議論とは似て非なるものである。前者は自らの意見を押し通すためのものであり、後者は自らの意見を吟味することだった。残念ながら人々はソフィストの弁論を好み、ソクラテスは無知を暴露された政治家や「知識人」の反感を買い、告発され死刑に処せられる。だが、ソクラテスの議論は死ななかった。その後の歴史を方向づけていくのは、ソフィストたちではなくソクラテスの弟子たちだった。
■会議が多いのに議論が少ない企業
最近の企業の会議の多さは驚くべきものがある。企業が民主化したせいか、組織が複雑になったためか、経営者に自信がなくなったからか、いずれにしろ会議が増えている。会議に出席することを仕事にしている人も少なくない。しかし、企業が議論好きかと言えばそうでもない。「会して議せず、議して決せず」というのが現代の企業の会議だという人もいる。「決して行わず」を追加してもいい。その典型は役員会かもしれない。
会議が増えるにつれて、議論はむしろ少なくなっているという不思議な現象が企業には見られる。会議で活躍するのはソフィストたちである。プレゼンテーションの技法は磨きあげられたが、議論の精神は失われつつある。会議以外の場での議論も減ってきた。議論好きな論客は厭われ蔑視されがちである。危険な兆候と言うべきだろう。闊達な議論がなくなった組織や文化がどうなったかは歴史をひもとけばよくわかる。
なぜ企業から議論がなくなってきたのか。議論は「考えること」、したがって批判精神と不可分である。それが企業では好まれないからである。企業を軌道にのせるまでは侃々諤々の議論が行われるのに、企業基盤が固まるとその風土はなくなってしまう。それが組織の宿命でもある。組織の拡大や整備につれて、議論と実際の活動とが分離され、形だけの似非議論が横行し始める。その結果、内容のない小田原評定が延々と続くことになる。
最悪の場合は、トップの発言や意向の解釈のための会議が組織全体を覆っていく。オーナー経営者や強力なトップの率いる企業では、社員がトップの意向にどう合わせるかに汲々としていることが少なくない。それでは議論など行われるはずがない。
ソクラテスの議論のポイントは、前提となる事実を確認することにある。対立する意見の持ち主と事実を共有し、誰でもが承認できる事実に基づいて対話を進めていく。たとえば「○○はすぐれた市民であるかどうか」という問題は「すぐれた市民とはどういうことをするものなのか」というもっと基本的な問題に切り換え、その上で具体的な議論をするのである。そこでは、事実の確認と同時に、論者の基本的な価値観が問われていく。
もうひとつのポイントは「知行合一」である。ソクラテスは議論のための議論に精出したわけではない。彼の意図は、議論を通して得た正しい知識によって正しい行動を人々が実践することだった。それが社会をよくすると考えていたのである。
ビジネスの世界での議論も当然そうでなければならない。だが、その当然のことが最近はおろそかにされている。議論の出発点が事実や論者の価値観ではなく、トップの認識や意向にあることが少なくない。事実を確認せずに、つまり前提を共有せずに、意見を言い合うことが多くなっている。それでは議論が成り立つはずがない。仮に結論が出されても、だれも本気でやる気にならないだろう。しかも、結論に従うことが本人にも組織にもプラスにならないこともある。最近の企業不祥事はその典型的な実例である。
■真剣な議論からは正しい知恵が出てくる
価値観が多様化し、先行きが不透明な時代である。企業においても多くの知恵を集めて衆議することが重要になってきている。にもかかわらず、どうも傾向は弁論へと向いている。ソクラテスを殺したアテネと同じ間違いを多くの企業は繰り返そうとしている。今は弁論にうつつを抜かしている時ではなく、衆知を集めて議論する時であるのに。
議論は、社内だけで完結するものではない。企業のあり方が根本から問われている現在、企業内部だけでの議論では充分とは言いがたい。株主との議論、地域社会との議論、お客様との議論、社会一般との議論がきちんとできる仕組みを企業はつくらねばならない。事業戦略や経営活動の基本になる事実認識を、企業が自閉的に行える時代ではない。企業の価値観にしても、その時代の社会の価値観から自由にはなれない。共生を唱えるのであれば、企業は社外との議論にもっと精出さねばならない。
たとえば最近、企業の新しい評価基準が市民団体やジャーナリストから提出されている。そうした動きに対して企業はなぜか消極的である。せっかくの提案なのに、それを材料に議論しようという企業は出てこない。最もわかりやすい事例は原発問題である。そこでは不幸なすれ違いが繰り返されているだけで、議論はほとんど見られない。議論の姿勢があれば、情報公開ももっと積極的に行われるだろうが、その点からも企業に議論の姿勢は感じられない。そうしたことができないのは、企業そのものから議論が失われているからだろう。つまり、企業の中から考える姿勢や批判精神がなくなっているのである。議論不在の企業は果して時代変化に適応していけるのだろうか。
最近、企業変革を目指す企業が、社員による議論を重視する動きがある。社員の議論を通して新しい価値観(企業理念や経営理念)を確立した企業も多い。それは非常に望ましいことだが、本当に闊達な議論が行われているのだろうか。最近の企業の議論嫌いを考えるとにわかには信じられない。もし闊達な議論があるのであれば、もっと社会との議論が活発になるはずである。それがどうも聞こえてこない。組織のピラミッド構造を考えると、企業内部での身内の議論はどうしても弁論になりがちである。議論をするのであれば、もっと社外に出てこなければならない。それでこそ、真剣な議論が可能になる。
時代の変わり目は企業の変わり目でもある。これまでの延長では乗り切れない問題も少なくない。今こそ企業は、社内外にわたって、しっかりした議論を盛んにしていかなければならない。真剣な議論からは必ず正しい知恵が出てくるものである。
■世界の広さが常識の健全さを規定する
革命は正義によって語られるが、その発端は人々の生活不安であることがほとんどである。フランス革命も例外ではなかった。1789年のフランスは大凶作であり、飢饉や食料不安が人々に心理的パニックを引き起こしていた。パンの供給に不安を感じていたパリ市民が王城であるヴェルサイユ宮殿に向かったのは、「ヴェルサイユに行けばパンもバターも豊富にある」という噂に誘われたからだった。そして、ルイ16世とマリー・アントワネットは囚われ、断頭台への道を歩みだすことになる。
マリー・アントワネットには有名な挿話が残っている。パンに事欠く貧しい人たちの苦しみが話題になった時、彼女は眼に涙を浮かべて、「パンがなかったらケーキを食べたらいいのに」と言ったという。なんと非常識な発言かと思う人は多いだろうが、それが彼女の常識だった。彼女は眼に涙を浮かべて真剣に解決策を考えたのである。
マリー・アントワネットにとって、世界とは宮廷の百人そこそこの貴婦人たちと貴族仲間たちのことだった。それ以外の世界は存在しなかった。その世界の常識からすれば、こうした意見は決して的外れのものではない。ただ、もっと広い世界の常識から見れば、まさに非常識な発言であり、彼女が思いやった人々すらからも恨まれてもしかたがない。常識を支える世界が広ければ広いほど健全な常識と言っていいが、彼女の常識が通用する世界はあまりに狭かった。そこに彼女の不幸があった。
マリー・アントワネットの常識を嘲るのは簡単である。だが、果して我々はそう簡単に嘲っていいだろうか。我々の常識は果して広い世界の常識に合致しているだろうか。グローバリゼーションの進展につれて、日本異質論が再び盛んであるが、それはまさに我々の常識の問い直しを迫っている。文化が異なれば常識が正反対のこともありうる。相手のためと思ってやったことが、相手を怒らせることもあるだろう。様々な文化を持つ世界を活動舞台にしつつある日本企業は、よほど気をつけないとマリー・アントワネットの間違いをおかしかねない。
■健全な常識を維持するために企業を開く
国内においても同様な注意が必要である。終身雇用と丸抱え方式に支えられた、これまでの日本企業は典型的な閉鎖空間だった。歴史が長ければ長いほど、規模が大きければ大きいほど、自閉的な企業文化が形成されやすく、その結果、企業の常識と社会の常識とがずれていく。最近の企業不祥事の原因はここにある。企業の常識でやったことが社会の常識によって糾弾されているのである。企業不祥事の当事者に罪の意識がないのは、そのためだろう。マリー・アントワネットを笑うことはできない。
企業人は政治の世界での言動を「永田町の論理」と非難する。しかし、自分たちも同様の「閉じた世界の論理(常識)」に埋没しているのではないか。それでは社会との齟齬(そご)が生まれ、企業の発展は期待できない。第一、社会の常識と企業の常識の狭間にいる企業人は、ストレスがたまっておかしくなるだろう。企業人のメンタルヘルスが問題になっているが、それは単なる働きすぎが理由ではなく、ふたつの常識のせめぎあいに主因がある。そのことを理解しない限り、事態はよくならない。逆に、その点さえしっかりしたら、残業がいくら多くても過労死など起こらないのではないか。
CI(コーポレート・アイデンティティ) の基本は社員一人ひとりのPI(パーソナル・アイデンティティ)であると言う企業が増えているが、その意味は閉じた世界(会社)の常識を社員に強要することではない。社会の常識を起点とした企業文化づくりが重要という意味である。その点を理解している企業は決して多くない。
どうしたら企業の常識の健全性は保たれるのか。それは企業を開くことである。社員を囲い込みすぎないことである。社員と社会(お客様だけではない)との接点をできるだけ多くしていくことである。情報の積極的な公開も必要である。情報発信は必ず情報受信につながり、対話と交流を通して企業の常識を健全にしていくはずだ。
最近の企業の社会活動や文化支援活動、あるいは社員のボランティア支援の意味は、ここにある。広い社会と接点を持つ社員に支えられている企業の常識は、社会の常識と合致し健全さを保っている。社員の社外活動は企業にとっても大きな効用を持っている。
企業の常識の健全性を高めるという視点から、企業の制度や活動を見直せば、違った見え方がしてくるものも少なくない。たとえば、社員の福利厚生として重視されている社宅や企業内保育園も、社員を閉じ込める仕組みになりかねない。福利厚生を考えるのであれば、他にも方法はいろいろある。これまでの常識の問い直しが必要である。
■時には常識を超えることも必要
マリー・アントワネットの挿話は、もうひとつの教訓を与えてくれる。それは、常識を超えることの大切さである。飢えをしのぐためにケーキを食べるなどという発想は、パンを買えない貧しい人たちには出てこない。マリー・アントワネットにとっては不幸なことに、それは有効な解決策ではなかったが、時に常識を超えた発想が新しい道を切り開くことは少なくない。
いかに広い世界に支えられた常識も、絶対の存在ではない。常識もまた、時代と共に変化する。常識の健全さを維持するためには、常識もまた生きた存在であることを知らねばならない。今の常識に縛られてしまうことは危険である。特に時代の変わり目にあっては、常識から自らを解き放すことも大切だ。常識からは創造や進歩は生まれない。
企業が自社内の特殊な常識から開放されて、社会の常識を習得すべきことは言うまでもないが、さらに重要なことは、その社会の常識にも呪縛されないことである。企業の常識が特殊なものであるならば、当然社会の常識も特殊なものなのだ。ただ、その世界が広いだけにすぎず、絶対的なものではありえない。常識を絶対的なものと考えた途端に、それは固定観念になって行動を束縛するだけのものとなる。
新しい技術や戦略は、常識の延長からは出てこない。どこかに発想の飛躍がある。成功した企業のほとんどがどこかで常識を超える歴史を持っている。黒猫ヤマトの宅急便もアート引越しセンターも常識を超えた業態開発で成功したし、アサヒビールの奇跡もビールの常識を打破したところから始まった。山陽相互銀行がトマト銀行に社名変更したのも常識を超えている。本田やソニーの歴史はまさに常識への挑戦の歴史と言っていい。
京セラの稲盛会長は、創業当時、お客様からの技術的な要請を自らがひとりで引き受けてきた。技術のことを知っていると(常識があると)、とても引き受けられないことも、知らないから引き受けてくる。社内の技術者は「できるはずがない」と怒るのだが、引き受けた以上は実現せざるをえず、死に物狂いで解決に取り組むことになる。その結果、多くの場合実現できたという。「事を成すに当たっては狂であれ」というのが稲盛会長の口癖である。狂になるためには常識を超えなければならない。
常識を踏まえなければ企業は存続できず、社会人としても非難されるが、かと言って、常識に安住していては、企業は発展しないし、人生も豊かにはならない。そこに常識とのつきあい方の難しさがある。だからこそ、常に自らの常識を問い正す姿勢を、企業も企業人も持っていなければならない。
* 最近、「パラダイム」ということがよく言われる。科学史の分野で使われだした言葉で、思考の枠組みというような意味である。たとえば、天体観察技術の進歩によって、それまでの常識である地動説では説明できないことが増えてきた。そこで新たに提起されたのが天動説だが、これによって宇宙への理解は飛躍的に前進した。これが地動説から天動説へのパラダイム転換ということになる。
企業においてもパラダイムの転換が求められている。
10.アリストファネスの拒否
■拒否することから新しい物語は始まる
時代の流れにのることは大切なことである。どんなに素晴らしい発想や試みも、時代に背を向けては成功しない。企業経営においても時代をどう認識するかは極めて重要なことである。だが、それは時代に迎合するということでは決してない。
時代の意向(社会のニーズ)に適応することは企業存続の条件ではあるが、成長発展の条件にはなりえない。適応だけでは新しい時代は開けないからである。新しい物語の発端には常に何らかの現実拒否がある。企業においても例外ではない。お客様第一主義の名のもとに時代に過剰適応(迎合)することは避けなければならない。時にはお客様の意向を拒否することも必要である。
お客様の意向を拒否することは簡単なことではない。よほどの自信と良識がなければできないことだ。ひとつ間違えば自らを滅ぼすことになる。時代の流れに身を任せていたほうが気楽だろう。しかし時代の変わり目の中で、企業は単なる時代適応だけではなく、時代を拒否する姿勢も持つべきではないだろうか。最近は適応意識が強すぎる。
古代ギリシャの喜劇詩人アリストファネスの作品『女の平和』は、戦争に明け暮れる男どもに対して、女性たちがセックスを拒否することによって平和を実現する話である。
舞台は古代ギリシャの双璧アテネとスパルタが戦うペロポネソス戦争。無為無策のために戦争を終わらせることのできない男どもに腹をたてた女性たちは、男たちが戦争をやめるまでベッドを共にしないと宣言し、アクロポリスにたてこもる。妻たちに拒否され続ける男たちは、妻恋しさに戦争どころではなくなってしまい、ついに和睦へと動きだす。和平の条件でもなかなか折り合わないが、女房を早く抱きたいという思いから、しぶしぶながら和睦するくだりは、おかしさの中にも本質的な問題提起を感じさせるものがある。
男の世界の物語である戦争に対して、アリストファネスは女性たちの論理をぶつけることによって、あるメッセージを伝えているわけだが、企業の世界もまた、男の世界の物語(企業戦士の戦い)だったことを考えると、この話は企業経営にとっても非常に示唆に富んでいる。戦いをやめさせるほどにギリシャの女性たちが魅力的だったことも重要な点であるが、これは今回のテーマではない。
『女の平和』はアリストファネスの創作である。現実のペロポネソス戦争はそう簡単には終結せずに30年近く続いてしまう。結果はスパルタの勝利に終わるのだが、その傷痕は戦勝国にも大きく残り、古代世界に輝いていたギリシャは、これを転機に衰退への道を歩み始める。戦いには勝者はいない。
■冬のトマトを商品化していいか
CS(顧客満足)経営が話題になっている。お客様に満足してもらうことが企業経営の基本であることは言うまでもないが、それは「お客様は神様」ということではない。
CS発想は事業を社会から見ていくという点に新しい主張がある。リピート客が増えることは重要だが、企業発想の固定客づくりが目的ではない。繰り返し選択してもらえるような企業体質や事業内容を実現することが目的なのである。CSを意識するあまり、「閉じられた顧客関係」をつくりあげて、ビジネス自体から緊張感や社会性を失わせてはならない。それでは逆に企業力を弱めてしまう。お客様と企業の関係を「開かれた関係」にしていくことにCS経営の意義がある。お客様を神様にしてはならない。
もしお客様が神様ならば、その意向には逆らえない。無理難題も受けねばならないし、わがままな要望にも応えなければならない。社員は自分を犠牲にしてサービスに尽くさなければならない。そう勘違いしている企業もあるようだが、それはCSではない。
たとえば、冬にトマトを食べたいというお客様にどう対応すべきか。自然に抗して冬にトマトをつくるには多大なエネルギーが必要で、環境汚染に少なからず影響を与える。冬にトマトを食べることは、環境を食べることなのだ。冬の食卓にトマトを並べたいと思う人は少なくないだろうが、環境を犠牲にしてまで、それを欲する人はどのくらいいるだろうか。時には冬のトマトを拒否することも必要ではないか。
冬のトマトはひとつのたとえにすぎない。だが、お客様が欲するからといって、節度なしにそれに応じていいものかどうか。少なくとも企業は、その事業の意味をきちんと知らせていく責任はあるだろう。お客様の生活を便利にするという面ばかり強調して、フロンの危険性をきちんと説明してこなかった結果、オゾン層に穴があいたことを忘れてはならない。知らされなかったお客様が得たのは、一時的な満足と永続的な不満だった。事情に最も通じていた企業は、もっと早い時期に、その便利さを拒否すべきだった。
「豊かさとは選択肢の多さ」という議論もある。それは正しいだろうが、冬にトマトを提供することだけが選択肢を増やすことではない。一見、選択肢を広げているようで、その実、選択肢を切り捨てていることも少なくない。拒否することから新しい選択肢が生まれることもある。消費者のウォンツ実現という「大義」から、不要な事業に陥っていることはないか、常に自省すべきである。需要のあることが事業を正当化するわけではない。需要があっても拒否すべき事業は少なくない。企業環境が大きく変わりつつある現在、事業の原点に戻って考え直してみる必要がある。
老舗企業や職人の頑固さがすべていいわけではないが、事業には理念がなければならない。その信念に反することはたとえお客様が望んでいても、拒否しなければならない。きちんと説明すれば、拒否は必ず理解してもらえる。そして逆にその企業への信頼を高めるはずである。拒否することは、しっかりした関係づくりのためにも有用である。拒否できない企業は、どこかに問題を含んでいる。
■納得できない時には拒否しなければならない
社内からも拒否の姿勢は失われつつある。部下は上司におもねり、不満を持ちながらも拒否することをせずに唯々諾々と従う。「逆命利君」はいなくなった。それどころか、上司が部下におもねる時代である。叱る美徳は忘れられ、波風たたない人間関係が志向されている。企業は組織保全のために社員に過剰適応を求め、社員もチームワーク尊重のあまり組織に過剰適応してしまう。迎合ばやりの状況の中で、拒否することは封じられている。企業体質が腐敗しないはずがない。
「上場企業の部長は3人に1人が会社の業績を上げるために不正行為を上司から命じられたら従う」というのが、最近の調査の結果である(日経ビジネス調査 1992
年) 。これが事実ならば、大企業は既に充分に腐敗している。どこかで破綻してしまうだろう。最近の企業不祥事やバブル崩壊は、その前兆にすぎないとさえ思われる。
不条理な指示は拒否しなければならない。不条理な行動は叱らなければならない。短視眼的に「企業は利益がいのち」などと言う人に限って、企業を駄目にしていることを、最近の企業不祥事が明確にしてくれた。「会社のため」という理由で、いかに多くの人が会社を食い物にしてきたことか。そろそろ企業はそれに気がつくべきである。
納得できないことを拒否することが人間の尊厳の基本である。その点をおろそかにして、人を大切にするなどと言うべきではない。職場環境を過度にきれいにし、ホテルのような独身寮を用意し、様々な休暇制度を提供しても、その一方で拒否することを封じていては、意味がない。
上下を問わず、納得できないことは拒否できる風土があるかどうかが、これからの企業にとっては重要なことである。それが「人間にやさしい」ということである。そうした企業であれば、お客様への拒否も的確にできるだろう。お客様に迎合することがお客様を大事にすることではない。拒否することが、お客様の満足につながることもある。そして、拒否から始まる新しい物語も少なくないのである。
■これからの企業は「経済専門バカ」ではやっていけない
社会における企業の存在が大きくなるにつれて、企業の価値観や活動が社会を左右する「企業社会」状況が出現しつつある。企業はもはや社会を維持していく経済活動だけに専念しているわけにはいかなくなってきた。企業の経済活動そのものも、経済的意味を超えて社会的、文化的意味を強く持ち出してきた。企業は大きな変わり目を迎えつつある。
こうしたなかで、企業の社会貢献が改めて問われている。これまでのように「良い商品やサービスを安く提供すること」だけでは充分とは言えず、経済活動を超えた社会貢献が企業に求められつつある。企業も社会の一員としての広い意識を持つべきだという、コーポレート・シチズンシップ論議も盛んである。個人と同じように、企業にも品格(社格)や徳(社徳)が求められてきたと言ってもいい。
福祉活動や文化活動への接点を企業は強めている。利益の一部を社会活動にあてることを制度化したり、社会活動の専門部署を設けたりする企業も増えている。なかには宣伝効果を期待する向きもないわけではないが、時代の底流としては利益(少なくとも直接的な利益)を志向しない社会活動が増えていることは間違いない。
こうした傾向に大きな影響を与えたのが、米国企業のフィランソロピー活動である。欧米には、社会のために個人が慈善活動や寄付行為を積極的に行う伝統があるが、その基層にあるのがフィランソロピー(人類愛)という発想である。社会は自分たちでつくりあっているという意識と言ってもいい。フィランソロピー発想は個人のみならず、最近は企業においても強く、企業による慈善活動や寄付行為、地域活動が活発に行われている。
日本企業も最近、こうした意識を高め、欧米企業に学ぶ姿勢を強めている。社員のフィランソロピー活動を支援するために特別の休暇休職制度を設ける企業も増えている。数年前までは、社員がボランティア活動をやることに対してすら、ほとんどの企業が好意的ではなかったことを考えると、時代の変化を感じる。企業が人類愛を語り、自己利益に直接つながらない慈善行為に関心を持ち出すことを、誰がいったい予想していたであろうか。
■算盤勘定は手段であって目的ではない
企業が愛を語りだしたところに、まさに企業の変わり目が象徴されているわけだが、それはふたつの意味を持っている。
ひとつは社会との関係である。企業を見る社会の目が変わりつつある。かつては、大きな企業や強い企業が志向されたが、今はただ利益をあげればいいわけではなく、しっかりした社会意識を持った企業が評価されるようになってきている。米国では、社会活動に積極的な企業の商品を愛用しようという消費者運動が広がっているし、投資先企業を選ぶ時もフィランソロピー活動は重要な選択基準になりつつある。業績とフィランソロピー活動との相関に関する実証分析も出ている。
もうひとつは社員との関係である。所属する企業に誇りを持てるかどうかは、社員のモラールや優秀な人材確保にとって重要な要件になりつつある。さらに、企業のフィランソロピー意識は社員の個性を大切にする(甘やかすことではない)ことにつながるが、価値観の多様化した現在、多様な社員をかかえていることは企業にとって大きな強みになる。
企業が愛を語るのは、それがまさに自らにとって意味があるからである。決して道楽や余技などではない。余分な利益が出たから、その一部を社会還元するのでもない。そうではなくて、社会にしっかりと根をおろし、長期的に成長発展していくためには、社会に対する愛が不可欠なのである。「情けはひとのためならず」である。
そもそも企業創立の原点は社会へのお役立ちだったはずだ。その原点がいつしか忘れられ、逆に社会を「消費」する存在へと変わってしまった企業も少なくない。しかし、社会を消費してしまったら,企業は存続できなくなる。企業が愛を語る意味はそこにある。
企業のフィランソロピー活動と言うと、まず想起されるのが寄付である。経常利益の1%以上を社会還元していこうという1%クラブも発足している。それは確かにいいことだろう。だが、そうした活動もしっかりした「愛の精神」や社会意識がなければ、単なる経済活動のひとつでしかなくなる。景気が悪くなれば、方針が変わり、社会貢献活動が「負担」となってくる。「寄付はさせてもらうのであって、してやるのではない」という発想がないから、儲かってもいないのに寄付できるかという議論が罷り通ることになる。事実、最近の経済環境の中で、そうした動きも少なくない。
企業のフィランソロピー活動は余裕のある大企業の世界の話であって、自分たちはそれどころではないという中小企業の人が時々いる。ある大手企業の人から、「最近の大企業は社会貢献活動に積極的に取り組みだしているが、問題は中小企業だ。そこを変えていかないとだめだ」と言われたこともある。そうだろうか。どこかに勘違いがないか。
そうした人たちの頭にあるのは寄付である。しかし、企業に求められているのは果たして寄付なのだろうか。寄付も大切だが、もっと大切なのは愛の精神なのではないか。それは企業規模とは関係ない。寄付はそのひとつの手段でしかない。手段であるはずの算盤勘定が、いつしか目的になっている。その発想を捨てなければならない。
■小さな企業ほど社会意識や愛は大切
社会意識や社会活動という点では、大企業よりもむしろ中小企業のほうが真剣である。
存立基盤の弱い中小企業は、社会から支援されなければ即座につぶれかねないからである。一方、大企業は少しくらい社会常識に反することをしてもつぶれない仕組みになっている。昨今の企業不祥事事件がそのことを明確に示している。
お客様や社員のことを一番真剣に考えているのは,大企業ではなくて中小零細企業なのだ。そのことに気づかない限り、いくらお金をかけようとも、本当の効果は出てこない。愛の話はお金の話とは全く違った世界のことである。多くの大企業は、そのことに気づいていないし、中小企業の人もフィランソロピーを誤解している。
ノーベル平和賞を受賞したキリスト教修道女マザー・テレサは、1982年に来日した時の講演で次のように語っている。
「持っている物が少なければ少ないほど私たちはより多く愛を人に与えることができま すし、逆に持っている物が多ければ多いほど、人に与えなくなってしまうものです。」
ここに博愛の本質がある。企業がもし愛を語り、社会活動に関心を持つのであれば、こうした意識を原点に持つべきだろう。道楽や売名や流行としての博愛活動ではなく、本当の愛を企業は語りだす時期ではないか。それが企業の存在を確固たるものとし、企業の新しい成長発展につながっていくはずだ。
大田市の小さな水道工事会社の三嶋さんは、地元高校の選抜野球大会出場時、国道沿いに手作りのジャンボ看板をつくって応援したり、友好都市との民間交流として私費で家族招待をするという小さな社会活動を続けている。長崎市の森田衣料店の森田さんは地域の様々なイベントの写真を撮って店頭に展示し、地域の人たちの交流の一助にしている。森田衣料店の広告ビラは商品紹介よりも地域の人たちの生活情報のほうが多い。ふたりとも、地域社会への愛着は人一倍強い。社員やお客様への愛も当然、人一倍強い。それがフィランソロピーの基本である。そうした視点から考えれば、利益の社会還元などという発想は卑しいとすら思えてくる。
企業にとって大切な博愛精神とは何なのか。企業の社会貢献とは何なのか。一度じっくりと考え直してみることが、企業にとって必要になってきているように思われる。
12.ゴルバチョフの情報公開
■情報公開の変革力
情報化社会が到来した。その内容については明確に定義されているわけではないが、これからの企業経営を考えていく上で、情報が重要なテーマであることは間違いない。情報参謀や情報担当役員を設置する企業も増えてきている。
もっとも、情報が大きな力を持つことは今に始まったことではない。歴史の転換は常に新しい情報が契機になったし、情報とのつきあい方が戦争の勝敗を決してきた。情報はいつの時代にも大きな力を持っている。問題は、情報とのつきあい方が新しい局面を迎えつつあることである。従来と同じ発想で情報に対処しているわけにはいかなくなった。
たとえば、情報の伝播力は加速度的に速まっており、それをとどめることは非常に難しくなっている。ベルリンの壁の崩壊は、西側世界の生活情報が東欧に大量流入することによって引き起こされたとも言われるが、管理国家体制においても情報の閉鎖空間をつくるのは不可能になりつつある。
情報を有効に活用して、時代を変革した動きのひとつにソ連のペレストロイカがある。ゴルバチョフによって始められたこの体制変革は、勢い余ってソ連それ自体の解体にまで進んでしまったが、それを支えたのはグラスノスチ(情報公開)だった。ペレストロイカが成功だったかどうかは、歴史の判定に待たなければならないが、情報というものの持つ力の大きさは如実に示されたと言っていい。
グラスノスチが決定的となって、革命へとつながっていったのはチェルノブイリ原発の事故へのゴルバチョフの対応だった。彼は(事故発生後すぐではなかったが)、自分たちの犯した致命的な過ちをテレビで正直に発表したのである。それは、ソ連の指導者としては史上はじめてのことであり、「相互理解と信頼が、恐怖と疑心暗鬼にとって代わらねばならない」時代への幕開けとなった。その後のソ連の動きは周知の通りである。
■情報格差による経営から情報共有による経営へ
こうしたことは企業にとっても他人ごとではない。企業の現状は、最近までの東欧やソ連にどこか似ているところがある。ベルリンの壁ほどではないが、多くの企業は社会との間に壁をつくっている。そして、その内部では、外部とはかなり異質の情報が行き交っており、内部情報は企業機密と称してなかなか外部には公開されない。言い換えれば、その情報の内容についてはほとんど吟味されることがないのである。
企業内部においても、経営情報はなかなか社員に開示されることはなく、職位権限上の階層構造が企業内部の情報ピラミッド構造に重なっている。社員は、自らの仕事の全体的な意味(企業活動における位置づけ)を明確に知らされずに、業務に取り組んでいることが少なくない。ひどい場合には自らの仕事の危険性や反社会性についてさえ知らされていないこともある。
これまでの企業は情報格差に大きく依存していたと言ってもいいだろう。上司の権威は部下よりも多くの社内情報を知っていることに支えられていたし、事業面でも、社会の知らない情報を拠り所にして利益を上げていくという発想が強かった。こうした発想のもとでは、企業機密や情報操作が重要な経営課題であり、情報公開に対しては消極的にならざるをえない。しかし、情報化がこうした企業の現実を壊していくことは間違いない。
企業がいかに壁を築こうとしても、企業の情報は様々な形で流出し、逆に様々な外部情報が社員に降り注ぐことになる。企業機密や情報操作は次第に意味を持たなくなりつつある。それに気づかないでいると、ある時突然、お客様の離反や社長解任劇といった事件が起きかねない。そろそろ企業は、情報格差に依存した経営を見直し、情報とのつきあい方を変えなければならない。
■企業活性化の鍵としての情報共有化
「個の尊重」がマネジメントの基本になりつつある。経済の成熟化のなかで、指示に応ずるだけの社員では本当にお客様に満足してもらえる仕事ができなくなってきたからである。単なる労働力管理ではなく、人間性を重視した経営が求められはじめた。
しかし、個を尊重するとはどういうことなのだろうか。給料を高くしたり、職場環境を良くすることなのか。そうではないだろう。大切なことは、社員一人ひとりが自ら主役になって仕事に取り組めるようにすることである。そのためには、社員に対する情報公開を思い切って進める必要がある。管理上、都合のいい情報だけを社員に知らせるようなやり方は改めなければならない。情報格差をそのままにした個の尊重では、企業も社員も元気が出てこない。最近盛んな組織の活性化が一時的なカンフル効果に終わっていることの多い理由はここにある。
逆に、元気のいい会社は社員によって情報が共有されている。ビール業界に奇跡を起こしたアサヒビールでは、社長が社内ビデオニュースで何でも話してしまうので、広報部が編集して差し障りのありそうな部分をカットした。そうしたら、社長がその広報部のやり方をビデオで批判して、今後一切手をいれるなと言ったという。アサヒビールの元気の秘訣がそこにある。都合のいい呼びかけは面従腹背をもたらし、包み隠しのない呼びかけは人を奮い立たせる。情報を共有しない仲間は長続きしない。
最近では西武百貨店の事例が示唆に富む。同社の和田会長は経営危機乗り切りのために、自社の状況を赤裸々に表明した「西武百貨店白書」を社員に配布した。その1頁目には「今日の企業危機を招いたのはひとえに経営陣の責任である。しかし、社員全員の協力なくしては企業再建はありえない」と書かれている。そして、社員にやる気がないのは真実が知らされていないからだとして、経営実態を数字で説明し、さらにこれから何をやるかについても詳細に説明している。そこには社員への信頼感がある。
社員を信頼せずに個の尊重などということはありえない。逆に社員を信頼して情報を開示していけば、社員は能力を充分に発揮するだろう。みんないい仕事をしたいと思っている。情報共有は企業活性化の出発点である。
■共生の基本は情報共有
個の尊重と並んで、最近よく言われるのが「共生」である。社会との共生、世界との共生、自然との共生など、企業の理念を競争から共生へと変えていかなければならないと指摘されている。しかし、この言葉も安直に使われすぎている。
共生を主張しながら、情報公開に対して消極的なのはどういうことだろうか。情報を共有せずにどうして共生が実現できるのだろうか。情報を隠したまま個の尊重を唱えるように、高見に立って社会との共生を語っても、誰も信じはしないだろう。
自動車メーカーのボルボが、「私たちの製品は、公害と騒音と廃棄物を生み出しています」という広告を出して話題になったが、そうした自らの欠陥や弱みを認め、それに関する情報を公開することが共生の出発点でなければならない。同じ目線で問題を見つめること、そして同じ思いで問題の解決に当たることが大切である。そのつもりがないのであれば、無責任に共生を理念にするなどと言うべきではない。
「個の尊重」や「共生経営」という耳障りの良い言葉が横行しすぎる。大切なのは、その意味をしっかりと認識し、その実現のための具体的行動を起こすことである。その基本が情報の共有化ではないだろうか。
新しい時代に向けての企業の最良の処方箋は、自らを露出することであって、隠すことではない。情報を共有した社員や社会とのコラボレーション(共創)が、企業に新しい発展をもたらすはずである。それが共生経営の意味である。