アミネさん家族に日本での在留を
−マリアム・15歳の夢をかなえてあげてください−
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署名のお願い


◇東京高裁の冷たい判決
 3月30日、東京高等裁判所は退去強制令書発布処分を取り消すとの東京地方裁判
所の判決を覆し、アミネさんら家族の訴えを棄却するとの判決を下しました。昨年9
月に出された東京地裁判決は極めて画期的なものでした。この判決ではアミネさんら
が「10年近くにわたって平穏かつ公然と在留を継続し、すでに善良な一市民として
生活基盤を築いていること」を認め、このことが在留特別許可を与える場合に第一に
考慮すべき事項であると述べています。さらに裁決時に小学校6年生であった長女ら
についても帰国すれば「相当な精神的衝撃を受け、場合によっては生涯いやすことの
困難な精神的な苦痛を受けることもありえると考えるのが、通常人の常識にかなうも
のと認められる」と断じています。今回の高裁判決は「通常人の常識」からではな
く、冷徹な国家の主張をそのまま取り入れているということで、きわめて不当な判決
といえます。
◇ 生活基盤を形成したアミネさん家族
アミネ カリルさんは1990年5月に就労を目的としてイランから渡航し
てきました。当時はイラン・イラク戦争の影響で国内には仕事がなく、政治も不安定
なものでした。友人から日本に行けばよい仕事を得ることが出来ると聞き、日本に行
くことを決意したのでした。1年余の滞在で生活も安定してきたため1991年4月
には妻と当時2歳であった長女のマリアムを呼び寄せました。アミネさんら家族の日
本での生活は順調にいきました。ただ在留期間の更新をしなかったためにアミネさん
らは超過滞在となっていました。そのため健康保険にも入れず、勤めていた会社から
も理由も告げられずに解雇されるなど不安定な生活の中で、常に摘発に怯えながら暮
らしていました。1996年9月には次女が生まれました。アミネさんら家族4人は
群馬県の小さな町でひっそりと暮らしていたのです。アミネさん夫妻は滞在が長期に
わたったこと、子どもたちが大きくなり日本での生活を望んでいることなどを理由と
して1999年12月に在留特別許可を求めて東京入国管理局に出頭しました。
◇ 在留特別許可認められず
2000年6月、法務大臣はアミネさん家族に対して在留特別許可を認めな
いとの裁決を出しました。1999年9月に在留特別許可を求める家族が一斉に出頭
する行動があり、アミネさん家族も第二次グループとして出頭をしました。この一連
の行動により17家族・64名が出頭し10家族42名に対して在留特別許可が認め
られました。アミネさんとほぼ同じような境遇にある家族に対して在留特別許可が認
められています。アミネさんらは法務大臣の裁決と退去強制令書発布処分の取り消し
を求めて東京地方裁判所に提訴しました。そして前述のとおりアミネさんら家族の在
留を認める画期的な判決が東京地裁から下されたのです。日本に在留が出来るという
アミネさんらの願いは、しかし東京高裁判決により打ち砕かれてしまいました。
◇ マリアムは15歳、日本で勉強し保育士になりたい
3月30日の東京高裁判決で一番悲しみ苦しんでいるのはアミネさんの長女
のマリアムです。マリアムは3歳のときにお母さんに連れられて日本にきました。日
本の保育園に入り、公立の小・中学校に進学しました。入国管理局に出頭したときは
11歳でしたが、15歳になりました。子どもが大好きで、保育科がある高校に進み
ました。将来は保育士になりたいと思っています。いま強制的に帰国させられれば、
マリアムの夢は二度と実現することはないでしょう。マリアムは3歳からずっと日本
語で教育を受けてきました。母国語であるペルシャ語の読み書きはまったく出来ませ
ん。また学校の制度も異なっており、日本と同じような環境で学習を続けていくこと
は困難です。マリアムは15歳であり高裁判決がいうように可塑性に富む年齢だとは
到底思えません。
◇ 最高裁に上告する
東京高裁でアミネさんら家族の訴えが棄却されたため、アミネさんが入国管
理局の収容施設に再び収容される恐れがあります。2000年6月の裁決時に在留特
別許可が認められなかったことから、アミネさんは約1年ものあいだ収容施設に拘束
されていました。収容は家族を離れ離れにし、また収容される本人にとって回復する
ことの出来ない損害を与えます。子どもたちを悲しませるアミネさんの収容は阻止し
なければなりません。また高裁判決に対してアミネさんら家族は最高裁判所に上告す
る決意でいます。
◇ 普通の暮らしを日本でしたい
アミネさんにはイランに帰国しても生活していくことは出来ません。家も財
産もなく、頼れる人もいません。子どもたちは適切な教育を受けることも出来なく
なってしまいます。善良な市民として生活してきたアミネさんら家族を強制的に送還
することは人道的にも大きな問題があります。APFSではアミネさんら家族が普通の暮
らしを日本で送れるように「在留を家族に キャンペーン」を行っています。法務省
や入国管理局への申し入れも予定しています。また現在、署名活動をすすめており、
法務省への申し入れの際に提出をすることになっています。4月19日は仮放免の更
新日となっており、最悪の場合アミネさんが収容されることも考えられます。ぜひ、
皆様のご支援、ご協力をお願いいたします。
2004年4月1日

※以下にご紹介するのはアミネ カリルさんの長女・マリアムが東京高裁判決を受け
て心境をつづった文章です。ご一読ください。


こんにちは。私は13年前にイランから日本に来たアミネ マリアムです。その時3才
だった私はすぐ日本語を覚えました。それから学校にも通えるようになり、日本語の
読み書きを必死に覚えました。みんなと同じように日本で勉強できる事がうれしかっ
たからです。そうして私は日本人と変わらないくらいになってきました。友達もでき
ました。みんな優しい人たちばかりで、毎日学校に行くのが楽しみでした。保育園か
らの友達もいれば、小学校・中学校で知りあった友達もいます。みんな、私の大好き
で大切な友達です。
「まりはもう日本人じゃん!!」。そう言ってくれたのは私自身でなく、いつも一緒
にいて私を一番見てきている私の友達です。私は日本人と変わらない事を率直にうっ
たえている、何よりの証拠です。
外見を見て差別するのは、最低で、そんな事は誰もが小さい時から教わっているはず
なのに、今回の裁判の判決は差別そのものです。「外国人なんだから自分の国へ帰れ
!!」という方もいます。私の、自分の国は、ここ日本です。
私達家族はぜいたくを求めているのではありません。みんなと変わらない、普通の日
本での生活です。しかし、今回の判決は私達が日本で生きていく事を、私が日本で勉
強を続ける事を認めてくれなかったのです。
私は将来保育士になりたいと思っています。そのために保育科のある高校に入ろうと
思い、一生懸命勉強して、推薦試験で合格もしました。一週間後には入学式を迎えま
す。私は将来のためにこの高校で一生懸命勉強したいと思っています。それなのに、
もしここでイランに帰ったら私は自分がどうなってしまうか分かりません。私はペル
シャ語が話せません。読み書きもできません。イランという国は私にとっては異国み
たいなものです。私は日本で育ち、日本で教育も受けてきました、せっかく高校に合
格でき、日本の高校でこのまま勉強を続けたいのに、そしてこの事が今の私にとって
一番重要なのに、いまイランに帰ったら何もできなくなります。今までやってきた
事、育ち、学んできたこと全てが無駄になってしまいます。つまり、私の人生そのも
のが壊れるという事になります。それは許される事でしょうか。今、イランでやり直
すなんて事は不可能な事です。イランの文化も習慣も、宗教的な事も何も知らない私
が今イランに帰ったらきっと潰れます。今の私には日本しか居場所がありません。
どうして保育士になる夢を前にして、すべてを捨てて私はイランに帰されなければな
らないのでしょうか。どうして私だけ日本にいさせてくれないのでしょうか。私は何
も悪い事をしていません。ただ日本で勉強したいだけ。それだけなのになぜそこまで
私達を日本から追い出そうとするのでしょうか。でも私は負けません。絶対イランに
は帰りません。そのためにも、自分の夢を捨てずに、どれだけ時間がかかっても、絶
対に勝ち取ります。
だから応援してください。見てみぬふりをしないで下さい。私たち外国人の事を真剣
に考えて下さい。ビザをもらったら、いま以上にがんばって勉強をして、日本で生き
ていきます。だから私達にビザを下さい。私の夢と人生を壊さないで下さい。よろし
くお願いします。

                           アミネ マリアム

※ 署名にご協力を※

アミネさん一家と安さん一家は日本に「在留」できるのでしょうか?
 入国管理局は「NO」 地方裁判所は「YES」 果たして高等裁判所は…?

実は、入国管理局(外国人の警察のような役所。外国人を管理します)は、アミネさ
ん一家と安さん一家に対して「在留を認めない。だから国に帰りなさい。日本には
帰ってこないように。」と言いました。
 困ったアミネさんと安さん一家…・。だって、自分の国から出てきてもう随分たつ
のです。子どもたちは、日本の文化や習慣に慣れ親しんでいます。日本語しか出来な
いので、外国では勉強についていけません。しかも、国に帰っても仕事もなく、住む
家もありません。そして何より、素敵な友だちと、永遠にお別れをするのはむごすぎ
る…・・
何も悪いことをしていないのだから、日本に在留をさせてほしい。
アミネさんと安さん一家は、東京地方裁判所にお願いをしました(提訴)。
そして2年以上の審理を経て、2003年秋、東京地方裁判所は、とうとう判決を出
しました。裁判所はアミネさん一家の在留を認め(2003.9.19)、安さん一
家の在留も認め(2003.10.17)る画期的判決を出しました。でも、入国管
理局は、この判決に不服があるとして、すぐに、東京の高等裁判所に「控訴」しまし
た。
高等裁判所は、アミネさん一家には3月30日に、安さん一家には4月28日に、判
決をだす予定です。皆さんの心からの応援をお願いします。

アミネさん&安さん一家のための署名をお願いします。


法務大臣殿
入国管理局長殿

アミネさん一家の在留を認め(2003.9.19)、安さん一家の在留を認めた
(2003.10.17)東京地方裁判所の判決を重視し、家族を日本に在留させて
あげてください。

名前                         

住所                         

◇署名はメール,FAXでも連名でも受け付けています。
第一回目の集約日は4月10日です。

SIAN PEOPLE’S FRIENDSHIP SOCIETY
(A.P.F.S.)
代 表 吉 成 勝 男

連絡 東京都板橋区大山東町26−9 伊澤ビル1F
         TEL03−3964−8739 FAX03-3579-0197
         E-mail: GZL07472@nifty.ne.jp