ゆるりトルコ通信

「アエラ
」にアテネのパルテノン神殿の夜景写真が掲載されました。
あまりにも美しく、まさにそこに集う神々を感じさせるものでした。
その写真を撮影したのが橋本武彦さんです。
1998年のことです。
最近は、「星ナビ」という雑誌でも連載で書いています。
橋本さんの活躍ぶりは橋本写真事務所@デジタルをご覧ください。
橋本さんは、ギリシア神話と天体写真が大好きで、
以前からギリシア神話の地にはよく通っていましたが、
今年、トルコに引越してしまいました。
転居前に、時々、トルコから便りを寄稿してほしいと頼んだら、快諾してくれました。
ぜひご愛読ください。

■04:美味しい星空光景を目の前にしながら、ストレスの貯まる日々(2012年1月31日)
今、外は粉雪が舞っています。
今日は一日中雪が降っています(清水生まれの私には新鮮です)。
予報では2月7日辺りまで雪が続くそうです。
粉雪はいろいろな方角から舞い込んでくるためか、トルコ人で傘を使う人が極めて少ないです。
パッと見て傘をさしている人は5%くらいだろう。
子供たちは車の雪下ろしのついでに、雪合戦や雪だるまを作ったりしている。
女の子まで参加している。
このように極めて平和的な光景が日々続いています。

2ヶ月続いたトルコ語の語学学校も初級のクラスが終了しました。
今年に入ってインフルを患ってしまい、所有格+対格とか、名詞にいろいろ語尾変化が重なる場合やBe動詞の過去形など5日分の欠席は結構、響きました。
2週間くらい風邪をひいていましたから。
トルコ語は、初めて動詞の人称変化を学ぶ人にはキツイと思います。
地上5階建てのビルに例えますと、屋上にトルコ語の世界があるとします。
ヨーロッパの人々は3階くらいから昇る感じです。
でもアジア人には地下から登っていくような感じです。
唯、トルコ語には実は日本語とほぼ同じような意味になる使い方(助詞に相当)があるので、私には結構愉快な言葉です。
基本、語学は生活なんで、時間が解決してくれると思います。
学校に通いましたので、慣れないトルコ語に対しては効果がありました。
少しずつですが、トルコ語が口から出ています。
その度に嬉しそうな顔をしてくれるトルコ人たちがいます。
語学学校はまた12月くらいからレベルを上げて参加しようと思います。
それまで今のテキストを暗記できるようにしてしまえば良いでしょう。

様々な情報を調べてみますと、面白そうな場所があります。
本格的に撮影をしてみたいのですが、足(車)がありません。
今の状態でレンタカーで7-10日出かけたら、、、レンズに片ボケが発生します。
しかも1度コレをやってしまうと、日本に帰国しなければならなくなります。
トルコでの修理施設を見学しましたが、私には受け入れられないレベルでした。
ですから、ランドローバーを入手するまでは、本格的な撮影は行いません。
つまり今までの観光写真の延長レベルです。
自分にはもっと時代の先の映像がイメージできているのですが、これでは動けません。
だから期待はしないで欲しいです。
過去にも日本車で10回以上の片ボケ発生(国内)。
アメ車(トルコで10日だけ使用)でも2本のレンズ、赤道儀の電子基板損傷で修理。英国車の導入で悩みは消えました。
ですから英国車以外はデジタル機材を運ぶ車として信じていません。
本物とコピーは違うんですね。
私は開放絞りで星空を撮影します。
星は点像なのでレンズにとってはとても厳しい使い方なんですね。
通常の昼間の撮影のようにプログラムモードで撮影できれば、そこまで心配はないでしょう。

「ではエーゲ海でお姉さんと星空を撮った映像は何故できたんだ?」
と、突っ込みたい人も居るだろうから、解説します。
日本から持ち込んだ機材の殆どはアテネの盗人宿に置きっぱなしでした。
夏の1週間のロケは24-70ミリと14-24ミリしか持参して居ません。
しかも遺跡の撮影は殆ど24-70ミリ一本です。
だから作品はあんな感じになります。
お姉さんの作品は1晩だけ。
場所と時間が限られる上、何処に出かけて、そこがどんな状態なのか元々知っていますので、移動時にレンズを増やすことも可能でした。
エピダウロスへの古代劇場の撮影も一晩だけ。
旅慣れた道に往復250キロの道程で、わかりきった路面状態です。ですから4本持参しました。
大体ロケになりますと、一日8時間以上の移動で走行距離は400−600キロとなり、その間に遺跡を5箇所くらい訪れると思います。
これが1週間続くとなると、過去に体験したトルコの路面を考えますと、
とても今のデジタル化した繊細な機材を通常の車で移動したら、確実に偏芯や片ボケが発生します。
ギリシャやトルコの道路は日本の道路のように平坦ではないのです。
直ぐに地道になります。
溝が深く、普通車では行けない山道がかなりあります。
時にはコーナーにパウダーサンドが密集していて、ハンドルを取られそうになります。

撮影をしたいけれど、、、また日本で起こったことの繰り返しですね。
トルコの美味しい星空光景を目の前にしながら、ストレスの貯まる日々になるでしょう。
無念。。。

■03:撮影をしたいけれど、、、
(2012年1月31日)

今、外は粉雪が舞っています。
今日は一日中雪が降っています(清水生まれの私には新鮮です)。
予報では2月7日辺りまで雪が続くそうです。
粉雪はいろいろな方角から舞い込んでくるためか、トルコ人で傘を使う人が極めて少ないです。
パッと見て傘をさしている人は5%くらいだろう。
子供たちは車の雪下ろしのついでに、雪合戦や雪だるまを作ったりしている。
女の子まで参加している。
このように極めて平和的な光景が日々続いています。

2ヶ月続いたトルコ語の語学学校も初級のクラスが終了しました。
今年に入ってインフルを患ってしまい、所有格+対格とか、名詞にいろいろ語尾変化が重なる場合や
Be動詞の過去形など5日分の欠席は結構、響きました。
2週間くらい風邪をひいていましたから。
トルコ語は、初めて動詞の人称変化を学ぶ人にはキツイと思います。
地上5階建てのビルに例えますと、屋上にトルコ語の世界があるとします。
ヨーロッパの人々は3階くらいから昇る感じです。
でもアジア人には地下から登っていくような感じです。
唯、トルコ語には実は日本語とほぼ同じような意味になる使い方(助詞に相当)があるので、私には結構愉快な言葉です。
基本、語学は生活なんで、時間が解決してくれると思います。
学校に通いましたので、慣れないトルコ語に対しては効果がありました。
少しずつですが、トルコ語が口から出ています。
その度に嬉しそうな顔をしてくれるトルコ人たちがいます。
語学学校はまた12月くらいからレベルを上げて参加しようと思います。
それまで今のテキストを暗記できるようにしてしまえば良いでしょう。

様々な情報を調べてみますと、面白そうな場所があります。
本格的に撮影をしてみたいのですが、足(車)がありません。
今の状態でレンタカーで7-10日出かけたら、、 レンズに片ボケが発生します。
しかも1度コレをやってしまうと、日本に帰国しなければならなくなります。
トルコでの修理施設を見学しましたが、私には受け入れられないレベルでした。
ですから、ランドローバーを入手するまでは、本格的な撮影は行いません。
つまり今までの観光写真の延長レベルです。
自分にはもっと時代の先の映像がイメージできているのですが、これでは動けません。
だから期待はしないで欲しいです。
過去にも日本車で10回以上の片ボケ発生(国内)。
アメ車(トルコで10日だけ使用)でも2本のレンズ、赤道儀の電子基板損傷で修理。
英国車の導入で悩みは消えました。
ですから英国車以外はデジタル機材を運ぶ車として信じていません。
本物とコピーは違うんですね。
私は開放絞りで星空を撮影します。
星は点像なのでレンズにとってはとても厳しい使い方なんですね。
通常の昼間の撮影のようにプログラムモードで撮影できれば、そこまで心配はないでしょう。

「ではエーゲ海でお姉さんと星空を撮った映像は何故できたんだ?」
と、突っ込みたい人も居るだろうから、解説します。
日本から持ち込んだ機材の殆どはアテネの盗人宿に置きっぱなしでした。
夏の1週間のロケは24-70ミリと14-24ミリしか持参して居ません。
しかも遺跡の撮影は殆ど24-70ミリ一本です。
だから作品はあんな感じになります。
お姉さんの作品は1晩だけ。
場所と時間が限られる上、何処に出かけて、そこがどんな状態なのか元々知っていますので、
移動時にレンズを増やすことも可能でした。
エピダウロスへの古代劇場の撮影も一晩だけ。
旅慣れた道に往復250キロの道程で、わかりきった路面状態です。
ですから4本持参しました。

大体ロケになりますと、一日8時間以上の移動で走行距離は400−600キロとなり、その間に遺跡を5箇所くらい訪れると思います。
これが1週間続くとなると、過去に体験したトルコの路面を考えますと、
とても今のデジタル化した繊細な機材を通常の車で移動したら、確実に偏芯や片ボケが発生します。
ギリシャやトルコの道路は日本の道路のように平坦ではないのです。
直ぐに地道になります。
溝が深く、普通車では行けない山道がかなりあります。
時にはコーナーにパウダーサンドが密集していて、ハンドルを取られそうになります。

撮影をしたいけれど、、、また日本で起こったことの繰り返しですね。
トルコの美味しい星空光景を目の前にしながら、ストレスの貯まる日々になるでしょう。
無念。。。

■02:トルコ語の語学学校に通うことにしました(2011年11月1日)

11月は小雨で寒い日が多く続きました。
「クレタ島ならばまだ晴れるかな」と考え、下旬は8年ぶりにクレタ島へ赴き、デジタル画像を撮影しました。
意外と晴れた日が多く、有名なクノッソス宮殿も撮影しましたが、
少し欲を出してA.エバンスが発掘時に滞在していたビラ・アリアドネまで撮影したり、
トルコでは入手が難しい香辛料も仕入れておきました。
月丹評という訳ではないのですが、せっかくですから月の初日に書き続けてみたいと考えています。
このような機会がないと、私のことですから頭の中で覚えた気になってしまい、
肝心の時に忘れてしまうなんてことになってしまいます。

生活に必要なモノがいろいろ揃いました。
地元を離れて上京した時、たくさんの家財を処分しました。
その2年後にコチラに来ましたので、更に家財は処分しました。
処分の際、書籍を処分することが辛かったですが、他にも余分な買い物も多くしていることに気が付きました。
そこでイスタンブルでの生活はシンプルにしています。

時間はギリシャの3倍かかりますが、
日本からの手紙や雑誌、トルコ国内での書類も少しずつですが届くようになりました 。
ネットが繋がってからは今迄の反動で、ネットで様々な情報を見ていた関係で、トルコ語は全く進歩しませんでした。
1日1単語覚えるだけでだいぶ違うのですが、いつの間にか情熱を失っていました。
トルコ人の知人から英語で説明されても、なかなか「ツボ」がわかりません。
例えばウムラウトや点(要はまだこれらを何というかも知らないのです)がある母音を発音してもらっても
彼らにはアタリマエのこと過ぎて、常習化した変化している母音に耳が慣れません。
母音が5つしかないのが日本語ですから、何か要領を得ないのです。

14日は「トルコ東部地震被災者支援カレーを食べる会」のチャリティーがありました。
日本のカレーが食べられるということで、喜んで参加した次第です。
今年、初めて地震関係でささやかな寄付をしました。
3.11では現政権が大嫌いだったことと寄付しても領収書が出ないこと、
東北に知人が一人いるだけだったことなど様々な要因で寄付していませんでした。
チャリティーでは大使館関係者と知合い、2人のビジネスマンの方と知合いました。
という訳で、トルコでの私の日本人の友人はまだ2人しかいない状態です(イスタンブルには1500人程度の日本人が住んでいるそうです)。

トルコでの地震についてですが、柱は鉄心入りのコンクリートとなっています。
トゥーラと呼ばれるレンガブロックが壁に使われ、このブロックには強度がありません。
空手チョップでも割れます。こんな壁が覆いかぶさるのですから、これはちょっとたいへんです。
M6直下型震源の深さ10キロで大きな被害が出てしまいます。
日本(企業を含めて)は以前から、その建築の脆さを指摘しているようですが、現状はなかなか進まないようです。

2人のビジネスマンの方と知り合っても、私のトルコ語はなかなか上達しないのですが、
知人の紹介で日本語がわかるトルコ女性と知り会いました。
私はイスタンブルでのトルコ語が必要な生活上の様々なことがよくわからないのですが、運良く教えてもらえることになりました。
私は足掛け23年間ギリシャを訪れましたが、一度も日本語を話すギリシャ美女と会ったことがなかったのです。
親日国として知られているトルコですが、滞在してひと月後にギリシャでは無かった出会いがあり驚いた次第です。
知らないことほど怖いことはないと思っていたのですが、知らないことも武器だったのですね。
それでも12月から2ヶ月間、トルコ語の語学学校に通うことにしました。
さて付いていけるのか心配です。


■01:トルコに住み始めて1か月(2011年11月1日)

トルコに住み始めて1か月が経ちました。
イスカンダルならぬイスタンブルです。
シシリ地区なので、何処に行くにも便利な場所でした。
私にはギリシャ遺跡があれば、そこはギリシャですので、何の気兼ねもなく住み着いてしまっています。

まだトルコ語は単語が読み取れず、ひと纏わりの言葉の塊です。
私は絶対音感の能力も無いので諦めています。
基本人称変化と基本動詞を15個、そして必要な単語を半年くらいかけて覚えて、小学生レベルくらいにはなりたいなあと考えています。
ギリシャにも住んでいたので、幾つかの単語はギリシャ語と同じだったりしますので、少しは要領良く覚えられるでしょう。

トルコ人は日本人には親切です。
9割以上の方は親切な気がします。
ギリシャだと6割から7割くらいの方は親切です。
日本だとどうでしょうか?都会でも田舎でも此処まで親切ではないです。
過去にギリシャに滞在していたせいか、どうしてもギリシャと比べながら滞在してしまいます。

イスタンブルの観光地区は非常に物価が高いですし、
トルコ人の一般の暮らしでは超大型のショッピングセンターが次々と完成しています。
こういったセンターでは一杯のカフェが私の昼飯代にもなります。
でも過去の面影も残っていました。
商店街のロカンタで食事をすると、昔の金額のままの感じで食事ができます。
私の昼飯は8トルコリラ(約350円)前後です。

住み始めたレジデンスの周りには別のレジデンスがいくつかあります。
恐る恐るレジデンスに隣接したカルフールで買い物をしましたが、市内の価格と同じでした。
物価は日本の半分以下といった感覚です。
ですから物価から観ても非常に貧富の差が発生していることがわかります。
感覚ではギリシャよりも3割くらい安いです。

トルコで困るのは、荷物が届かないことです。
途中の経由店からなかなか次に動きません。
日本での雑誌連載もまだ受け取れずに居ます。
直接掛け合うのが一番なのですが、今度は英語が喋れる人がほとんど居ません。
英語がわかるトルコ人の方に何度も世話になりました。
トルコ語はウラルアルタイ語族でした。日本語と同じ文法構造です。

私がのろのろしている内に、世界はどんどん動いています。
トルコでの地震は私は知りませんでした。
ギリシャ危機や越境シリア兵のこと、トルコの原発のこと、日本のTPPなど、このひと月、私は蚊帳の外に居ました。
レジデンスの事務所のWiFiを借用していただけなのです。

それでも3週間ぐらいで3年の滞在ビザが取れました。
ビザの取得にはちょっとした矛盾した問題が課せられます。
「何が起こるからわからないから、このくらいの問題を解決する人間力を見せてくれ」といった感じです。
滞在ビザがないと何処の国でも電話回線を引くことができないので、直ぐにはネットが繋がらないのです。
電話回線の取得についても私はレジデンス滞在でしたので、
通常とは別の窓口が用意されていて直ぐに対応できたし、契約して数日で繋げることが出来ましたが、
通常の建物だったら更に日数がかかったと思います。
後は医療保険の契約くらいです。

このように落ち着いて来ましたが、まだこの街で日本人の友人は居ません。
というのも過去のギリシャ滞在で嫌な目に遭っていますので、長期滞在してしまった日本人とは直ぐに関わりたくないのです。
ギリシャとトルコは物価が安いので、日本円を持っているとなんとなく生活で来てしまうのです。
また両国は初期キリスト教世界ですので、意外と宗教関係者も多いのです。
今は孤独ですので、去年出版した写真集で示した撮影から次のステップへ行く為の良い期間だと思います。

ということで、私の海外生活セカンドステージがゆっくりと始まりました。
いつトルコ情報として価値のある情報を送ることが出来るかは、甚だ疑問です。