ソーシャルキャピタルとまちづくり
「地域住民連携による認知症・介護予防サービス企画支援に関する研究報告書」への寄稿文

■つながりへの関心がもどってきた
この数十年、私たちはさまざまななつながりを壊してきました。人とのつながり、自然とのつながり、地域社会とのつながりなど、さまざまなつながりを壊すことで、経済を発展させ、生活の利便性を高めてきたと言えるかもしれません。
たとえば、企業はつながりを切ることで、生産効率を上げ(その象徴が分業です)、労働力を確保し、市場を拡大してきました。行政も効率を高めるために縦割り行政を展開してきました。私たち自身も、近所付き合いのしがらみから自由になるとか、家族のつながりを弱めるとか、お互いの問題に踏み込まないとか、つながり壊しに加担してきたように思います。
その結果、経済は発展し、私たちの生活も便利になりました。しかしそれで生きやすくなってきたでしょうか。気がついたら自分の居場所さえなくなってきた、という人も少なくないのではないでしょうか。そればかりではありません。経済も壁にぶつかり、社会もたくさんの問題を顕在化させはじめました。
そして、みんな気づきだしたのです。「つながり」が大事だと。最近のNPOや市民活動の広がりの背景には、そうした状況があると思います。人のつながりこそが社会にとっての一番大事な資本(ソーシャルキャピタル)だという認識が広がりだしたのです。
つながりがなくなった「無縁社会」では、困ったら行政に相談する人が増えてきます。そうして自治体行政の仕事の中心は、次第に福祉へと移りだしました。しかし行政には財源の限界がありますから、すべての住民ニーズに応えるわけにはいきません。介護の社会化と期待された介護保険制度が問題を抱えだしたように、どこかで福祉に対する基本的な発想を変えていかなければ、せっかくの新しい福祉の仕組みや制度は本来の目的を発揮できなくなります。
この状況をどう変えていったらいいのか。そのための大きなヒントが、ソーシャルキャピタル概念にあるように思います。

■まちづくりが変わってきた
 わが国でまちづくりへの関心が高まりだしたのは1970年代です。コミュニティ概念が導入され、コミュニティケア(地域福祉)への関心も高まりました。しかし、基本的にはそれまでの統治型の「縦割り行政」発想から抜けられずに、行政ががんばればがんばるほど、逆に生活上の問題は分断され、住民同士のつながりも切れてしまうようなことが少なくありませんでした。住民の行政への依存意識も高まったように思います。
 どんなにいい制度ができても、制度を利用する人たち、つまり住民一人ひとりの生活にとって役に立たなければ意味がありません。いうまでもなく住民の生活はそれぞれに違いますから、福祉に関わるような制度は画一的に運用することは難しいでしょう。しかし行政には「平等性」が要求されますから、現場担当者は苦労します。それに資金的かつ労力的な限界がありますから、どうしても制度基準で取り組むことになりかねません。それでは制度本来の目的を達成することが難しくなるでしょう。
住民参加や協働のまちづくりがなかなか実質的な成果を上げられずにいるのは、そうした制約の中で包括的な取り組みが難しいからです。しかも「縦のつながり」発想にしばられてしまいがちで、各論的な問題解決になりがちです。
しかし、私たちの実際の生活はさまざまな問題の絡み合いの中で行われていますから、個別各論的な取り組みでは解決できないことが少なくありません。同じ「つながり」でも必要なのは「横のつながり」なのです。
「縦のつながり」は一方向的な依存関係、支援関係になりがちですが、「横のつながり」はお互いに支え合う関係を生み出します。それぞれが当事者として主役になっていくことも可能です。支え合いのなかで、問題が解決されていくことも増えていきます。そこから、措置としての福祉、契約としての福祉ではなく、関係としての福祉、支え合いとしての福祉がはじまります。
元気な地域では、そうした住民を中心にした「横のつながり」が育っています。まちづくりとは「人のつながり」を育てていくことだといってもいいでしょう。住民はまちづくりのお客様ではなく主役なのです。同じ意味で、住民は地域福祉のお客様ではなく主役でなければいけません。

■壊れた窓はまちづくりの資源
「壊れた窓の理論」というのを聞いたことがあると思います。1990年頃までのニューヨークの地下鉄は犯罪が多くて乗るのが怖いと言われていました。ところが1990年代に入って犯罪が激減し、みんなが安心して乗れるようになったのです。そのきっかけはほんとに些細なことでした。
 それまで、地下鉄は落書きだらけで、窓も壊されていた。しかし、それを放置していました。そうしているうちに、地下鉄の環境はどんどん悪化。防犯対策でいくらお金をつかってもなかなか効果がでなかったのです。ところが、ある人が、大仰な防犯対策もいいけれど、まずは駅構内や車体の落書きを消すところから始めようと言い出したのです。そして、地下鉄をもっときれいにしようという運動が始まりました。最初は効果がなかったのですが、その成果が1990年代に入って突然出だしたのです。今ではみんなが安心して乗れるようになりました。
 町のなかの空き家の窓を誰かが石を投げて割ってしまったのをいつまでも放置しているうちに、その町自体が荒れてきてしまったという話があります。公園の片隅に捨てられたごみを放置していたら、そこにごみの山ができたという話もある。ちょっとした小さな問題を放置することで、それが全体にどんどん広がっていく。これが「壊れた窓の理論」です。
 今の日本の社会というのはたぶん、壊れた窓がいろいろなところにできはじめているにもかかわらず、それを直そうという動きが弱い。それは、だれも「壊れた窓」が自分とつながっていると思わないからです。それでようやく立ち上がったのが、最近のさまざまなボランティア活動、NPO活動であり、住民主役のまちづくり活動です。まちづくりというのは、まず壊れた窓を直すところから始まるのだと思います。
 福祉の問題もそうです。隣に困っている人がいたら声をかける、それが地域福祉の出発点です。しかし制度が整えば整うほど、制度への依存が高まってしまい、肝心の住民同士の支え合いという福祉の原点が忘れられてしまうのです。
 壊れた窓は放置しておくと、マイナススパイラルを引き起こしますが、その一方で、それを効果的に活用すればプラススパイラルを引き起こすことができます。
 シャッターの閉まった商店街に、ちょっと小洒落たお店ができた。そこにお客様が集まっているうちに、お洒落なお店が増えていき、商店街全体が元気になった、というような話もあります。廃校になった小学校がみんなの集まる場所になって、地域が元気になった事例もあります。
 私が住んでいるのは千葉県の我孫子市ですが、その真ん中にある手賀沼は数年前まで日本で一番水質の悪い湖でした。ところがそのおかげで、環境保全関係の住民グループがたくさん生まれ、市民活動が盛んです。「壊れた窓」は、実はまちづくりの重要な資源なのです。それは「人をつなぐ材料」になるからです。
 問題こそが資源になる。そういう視点で見るとどの地域にもまちづくりの資源は山のようにあるのです。これは福祉に関してもいえることです。住民流福祉という発想で長年住民主役の福祉活動に取り組んでいる木原孝久さん(住民流福祉総合研究所所長)は、要介護者と思われる人こそが地域の支え合いを育てる中心になると言っています。

■つながりが育てた物語
つながりが薄れてくると、壊れた窓が増えていきますが、人のつながりが育っていくと、必ずといっていいほど新しい動きが始まり、地域は元気になっていきます。
 人のつながりが中心になって展開される活動は、さらにその活動を通して、支え合うつながりを育てていきます。最初は行政などのだれかが働きかけたとしても、次第に主役が関係者一人ひとりに移っていくことで、活動は持続的なものになり、さらに広がりを見せていきます。
 逆にだれかががんばりすぎてしまうと、なかなか参加者の横のつながりが育たずに、主役意識も出てきません。またつながりの関係も、たとえば「支援」という一方向的なものだと長くは続きません。お互いに「支え合う」関係を見つけ出し、育てていくことが大切です。
 私が関わった事例をいくつか紹介しましょう。

○三沢市の花いっぱい運動
 青森県の三沢市では2002年から行政が補助金を出して、花と緑のまちづくり活動を展開してきましたが、5年間で補助金がなくなることになりました。しかし活動を継続したいという住民たちの思いから、どうすればいいかを考える住民委員会が作られました。私は、そのアドバイザー役を頼まれたのです。
 参加させてもらった委員会で感じたのは、住民たちが行政に対して要望を出し、行政はそれに応えるという関係でした。つまり縦のつながり、それも依存的な関係です。
 そこで住民委員のみなさんに質問させてもらいました。「自分の家の庭には補助金がなくても花を植えますよね。それなのに自分の町に花を植えるのは補助金がないと駄目なのですか。三沢はみなさんの町ではないのですか」。おそらく最初は意味がわからなかったと思います。
 しかし、話し合うなかでその意味をしっかりと受け止めてくれる委員が増えだしたのです。最初は、補助金がないと活動が厳しい、少額でも補助金がほしいなど、「〜してほしい」という意見が多かったのですが、次第に、自分たちはこんなことならできるという発言が多くなり、行政にばかり頼らず自主的に活動していこうという流れになったのです。苗を自分たちで育てるなどの自主的な活動も始まりました。住民たちのなかにはさまざまな専門家もいますから、そうした力をお互いに活かしあうつながりを育てていけば、お金などなくても、できることはたくさんあるのです。極端に言えば、これまでの行政は、そうした自発的な住民の力を押さえ込んできたのかもしれません。
そして、自分たちで住民たちに呼びかける公開フォーラムを開催しようということになったのです。フォーラムには私も参加させてもらいましたが、企画から告知案内、当日の受付から運営まですべて住民たちがやったのです。しかも行政が開催するよりも多くの人が集まり、話し合いの内容も前向きの発言が多く、感動的でした。
 この運動は単なる花づくりの活動です。しかしそこからさまざまな人のつながりが育ちました。空き農地を持っていた人はそこを提供し、時間のある人はそこで一緒に苗づくりを手伝います。作業が終わったらお茶を飲んで交流を深めます。参加した人は間違いなく元気になっていくのです。つまりこれは花づくりではなく人のつながり育てであり、まちづくりそのものなのです。
 この運動の始まりは、三沢に転居して来たある人が、三沢の町には花が少ないと行政に言ったことがきっかけだと聞きましたが、それが三沢の「壊れた窓」だったのかもしれません。

○文化がみの〜れ物語
「私たちの町には文化ホールがない」という住民の思いから始まったのが、茨城県美野里町(当時:現小美玉市)の文化センター「みの〜れ」の物語です。
 2002年にオープンした文化センター「みの〜れ」は、基本構想から建物の設計、運営管理体制など、すべてにわたって、住民主役・行政支援で進められてきたプロジェクトです。
町の長期構想に基づき文化ホールの建設に取り組むことになりましたが、当時はハコモノ建設への批判も強く、反対する住民も少なくありませんでした。そこで、基本構想を描くところから住民主導で取り組む方針が決定され、町民に対してプランナーを公募したのです。そしてほぼ完全な自発的応募で選ばれた委員会が発足しました。
 当初、ほとんどの委員が、これまでがそうであったように、町役場の案に要望や意見を述べればいいだろうと考えていました。しかし、今回は違っていました。町は本気で住民主役の活動を考えていたため、まさに白紙からの検討が求められたのです。
 戸惑いながらも委員は意識を変えていきます。自分たちでも自発的に調査を行い、それを持ち寄っての話し合いが始まります。さらにそうした経緯を住民に知らせるために、住民向けの機関紙がつくられ、毎月、全戸に届けられました。そして、回を重ねるにつれて、文化ホールをつくることは自分たちの地域の文化を考えることだと気づいていくのです。
 こうした活動のなかで住民たちの横のつながりは育っていきましたが、同時に、それまでやや相互不信感があった住民と行政とのミゾも埋められ、行政と住民とが一緒になってのまちづくりが始まったのです。
 委員会発足から6年、予定より遅れましたが、文化センターは2002年11月に完成しました。「みの〜れ」という愛称の名付け親も住民です。オープンのこけらおとしも、住民が新たに結成した劇団によるミュージカルでした。
文化センター建設でつくられた住民と行政との信頼関係は、さらに大きな動きへと発展していきます。総合計画、さらには都市計画マスタープランなどの行政計画が、住民の積極的な参加のもとで取り組まれだしたのです。美野里町はその後、近隣の自治体と合併し、小美玉市になりましたが、そこで培われた人のつながりはしっかりと残っていて、いまなおさまざまな物語が生まれています。そして、「みの〜れ」は人と人をつなぐ場所として、地域づくりの核になっています。
「みの〜れ」は全国で一番元気のいい文化センターのひとつではないかと思いますが、その成功のポイントは、多彩な個性を持った人たちが生き生きとつながり、お互いに支え合う信頼関係を育ててきたからではないかと思います。

○宅老所の利用者のお年寄りがはじめた地域のお祭
 私がこの10年ほど取り組んでいる活動に、コムケア活動というのがあります。コムケアはコミュニティケアの略ですが、そこには特別の思いを込めています。「重荷を分かち合って、お互いに気づかい合いながら、それぞれができる範囲で、汗と知恵を出し合うこと」、つまり「支え合いのつながり」と定義しているのです。そうしたつながりの輪を広げていこうというのがコムケア活動です。その活動のなかからもさまざまな物語が生まれています。
その一つが高知県の四万十川近くの宅老所の話です。バブルがはじけた後、県道沿いのレストランが廃墟になっていました。そこをある人が、宅老所として、お年寄りの集まる場所にしたのです。ところが、そこの利用者になったお年寄りたちが、集まっているだけではなくて、自分たちも「地域活性化に一役買いたい」と言い出したのです。
そこで考え出したのが、自分たちが若いころに作っていた豆腐やこんにゃくを作って、地域の若い人たちに食べてもらおうという企画です。さらに、昔やっていた演芸大会も復活させて、もう一度、昔のようなお祭りをやろうと決めたのです。
 お年寄りたちは、昔のことを思い出しながら豆腐やこんにゃくを作り、それを使った料理を宅老所の駐車場に並べて、地域の人たちに呼びかけて、振舞いました。私も参加しましたが、お年寄りたちはみんな生き生きしていました。演芸大会の会場に行ったら、先ほど料理をしていた70歳代のおばあさんが楽しそうに受付をしていました。みんなが主役になったのです。
こうした活動のなかから、子連れのお母さんが自分も豆腐をつくってみたいといいだし、宅老所のお年寄りたちと、子どもたち、若い奥さんたちなど、世代を超えたいろいろなつながりが育ちだしたのです。今ではこれがきっかけとなって、幡多昔むかし祭として、地域の恒例行事となっています。

○支え合うつながりを育てるコムケア活動
 コムケア活動ではこうした活動やそれに取り組む人をゆるやかにつないでいくために、サロンやフォーラムを各地で展開しています。そしてみんなをつないでいくための仕組みがネット上のメーリングリストです。別に会員登録など必要ありません。メーリングリストに参加した人がコムケアの仲間なのです。
心がけていることは、できるだけさまざまな活動や人の声をかけていくことです。さまざまな世界の人たちがつながることで、魅力的な物語が生まれることを、この10年の活動のなかで実感しているからです。
 2006年、兵庫県の尼崎で地域の美容室と福祉施設職員によるヘアスタイルショー「トリコロールコレクション」が開催されました。企画したのは心身障害者施設の若いスタッフの清田さんでした。仕事を通して、既存の福祉制度ではカバーできない、実際の生活場面でのバリアが数多く存在していることに気づいた清田さんは、さまざまな福祉施設で働いている人に呼びかけて、障害を持つ人たちの美容室体験とヘアスタイルショーを企画したのです。地域の美容室にも協力をお願いしました。
障害を持つ人たちと福祉施設の職員や学生など23人がモデルになってのスタイルショーは大成功で、それを契機にこれまでは接点のなかった人たちの新しいつながりが広がりだしました。清田さんが車イスを押して町を歩いていると、見覚えのある美容師の方から声をかけられるようになったそうです。それこそが「まち」ではないかと私は思っています。
 コムケアの仲間には介護関係のグループもたくさんあります。そうしたグループがつながって「介護なんでも文化祭」が始まりました。さまざまな視点で介護に関わるグループが一緒に作り上げているイベントです。そうした活動を通して知り合ったグループに、相互に参加し合う人も出てきています。
支え合いについて実践的に考える「支え合いサロン」も毎月行われていますが、そこに参加している人が呼びかけて、だれかの夢を実現することを応援する「支え合いを形にする事業仕上げフォーラム」も開催されました。そこから思いも及ばなかった新しい物語が広がっています。新しいネットワークも生まれだしています。人がつながると何かが始まるのです。
コムケアでは双方向的な関係性を大事にしていますので、支援する人・される人という区別はありません。みんなが支えながら支えているという関係を育てていければと思っています。それが「支え合いのつながり」です。それが、持続可能で常に成長する「つながり」の条件ではないかと考えているのです。

■つながりを育てる3つのポイント
 つながりはだれかによってつくられるものではありません。当事者が育てていくものです。それにただ単に知り合えばいいわけでもありません。大切なのは、支え合えるつながりです。そこには信頼関係がなければいけません。
 信頼関係の出発点は自分です。信頼されるためには先ず相手を信頼しなければいけません。しかし相手を信頼しても信頼されるとは限りません。信頼を育てるためには、先ずは相手を信頼して一緒に支え合う活動を行うことが必要です。その際、大切なのは、お互いに対等の立場にあることです。
 これまでの福祉の世界では、こうしたことが必ずしも重視されていなかったように思います。措置としての福祉、契約としての福祉、あるいは福祉サービスという言葉に、そのことが象徴されています。
 まちづくりがそうであるように、福祉、とりわけ地域福祉(コミュニティケア)は、みんなが支え合って育てていくことが大切です。福祉は決して困っている人を一方的に支援することではありません。阪神大震災後のボランティア活動についてていねいに調査した西山志保さんは「ボランティア活動の論理」(東信堂)のなかで、「長期にわたって一方的支援を受けてきた被災者の多くは、自尊心と生きる希望を失い、自宅と病院の往復により、病気を再発させていた」と報告しています。社会の成熟化に伴い、私たちは福祉に関しても、「与える福祉」から「与え合う福祉」へと発想を変えていかなければいけません。新しい福祉の思想が求められているのです。
そのことを踏まえて、「つながり」の視点から、福祉の発想を変えていく3つのポイントを最後に書いておきたいと思います。

@支えるから支え合いへ
前述の西山さんの報告が示しているように、一方的な支援は持続に限度があります。それは一方向的な、いわば「貸し借り関係」だからです。支援者には資金的・時間的負担が発生する一方、被支援者には精神的負担が蓄積されます。
しかも「縦のつながり」ですから広がりも生まれません。つまり硬直化しやすいのです。関係が硬直化すると必ずどこかにひずみが生まれます。
それに対して、支え合う関係は、「横のつながり」の「お互い様関係」です。そこには貸し借りは発生しません。ですから相互に負担は蓄積されることがありません。むしろ「感謝」や「信頼」が育つ契機になるでしょう。しかも関係は広がっていくはずです。
ある施設関係者にこの話をしたところ、その人から「今の施設では、支援されるだけで、自分から何かをやろうという人は少ないです。サービス業ということで、お客さんとして扱われているからです。自分から何をやろうと思えばもっとできる人はいっぱいいると思うのですが」と言われました。傾聴ボランティアに来てもらっているお年寄りから、次は何を話すか考えておかないといけないので疲れるという、笑い話のような話を聞いたこともあります。支える発想から支え合う発想へと変えるだけで、双方にとって望ましい状況が生まれるはずです。そろそろ支援し支援される発想を捨てなければいけません。
「横のつながり」への発想の転換は、閉じられたつながりから開かれたつながりへという、もう一つの変化を起こします。
つながりには「内部を向いたつながり」(ボンディング)と「外に向けてのつながり」(ブリッジング)がありますが、わが国の社会活動はボンディング志向が強いといわれています。私がコムケア活動に取り組んだ大きな理由の一つは、社会活動に取り組むNPOやボランティアグループが社会に背を向けて内部のつながりにばかり目を向けていることでした。そのため、社会の常識とは違った常識を育ててしまっているNPOさえありました。それではなんのための社会活動かわかりません。ですからコムケアの最初の活動はそうしたNPOを開いていく働きかけでした。
こうしたことはNPOに限らず、企業でも行政でも福祉施設でも起こりがちなことです。しかし、支え合うという開かれた関係を育てていけば、こうした問題も解決されていくはずです。

A問題(壊れた窓)を活かす
 「壊れた窓」を資源として活かしていくことも大切なことです。悩ましい問題こそが、人をつなげ、支え合いを育てる可能性を秘めています。それをただ個別問題として解決するだけではもったいないと思います。
企業では消費者の苦情は企業発展の原動力になるといわれています。消費者の正直な声が、次の商品開発や事業の進め方の見直しに役立つからです。ただ苦情に応じているだけでは、そうした「苦情の価値」を活かせません。
言い換えれば、問題解決ではなく、問題を活かしていくことが必要です。問題こそが
新しい関係を生み出す契機になりうるのです。
そうした消費者や利用者のなかには、クレーマーとかモンスターとかいわれて、嫌われている人もいます。たしかになかには、ただ批判的な言動を弄するだけの人もいるでしょうが、真剣に考えているからこそ問題や改善点が見えている人も少なくないでしょう。またそうした意見の背景には同じような思いを持っているたくさんの人たちの声なき声があるかもしれません。
人のつながりを考える場合、前節で書かれているように、「ハブ」といわれる人が必ずいます。クレーマーやモンスターは、そうしたハブ的な存在であることも少なくありません。ですから、そうした人をこそ重視していくことが効果的です。異論を唱える人こそが最高の仲間になる可能性があるのです。少なくとも、視野を広げ、ネットワークを深める役割を果たしてくれるでしょう。これもまた発想の転換のポイントです。

B市場化から社会化へ
介護の社会化を目指して始まった介護保険制度も、実際には「介護の市場化」とさえ思われる状況にとどまっている気がします。それはおそらく「社会化」の仕組みを十分に組み込まないまま、「契約」発想や市場化原理を取り入れたからですが、それは介護保険制度に限らず、さまざまな福祉の分野で起こっていることではないかと思います。そうしたことを避けるためにも、「社会化」に対する発想の転換が重要なのではないかと思います。
「市場化」と「社会化」の違いはいろいろありますが、たとえば、市場化が効率性を重視するのに対して、社会化は関係性を重視します。また、サービス発想(支援発想)する市場化と支え合い発想をする社会化という言い方もできるでしょう。
平たくいえば、市場化はサービスの対象としてのお客様を生み出しますが、社会化は双方向の関係性を育て、みんなで共創していくことを目指しますので、お客様をつくりません。社会化が生みだすのは、「支え合いのつながり」です。
 問題解決よりも問題を活かして常に状況を変えていくところも社会化の重要な側面です。一時的な解決ではなく、継続的な改善の内発的な仕組みを創り出していくことこそ、社会化といってもいいかもしれません。
 最近の福祉の世界は、社会化よりも市場化志向が強いような気がしますが、それではなかなか人のつながりや信頼関係は育っていかないのではないかと思います。社会化とは一体なんなのかを根本から問い直していく必要があるように思います。

■ソーシャルキャピタルは「福祉の原点」
 つながりと支え合いについて、そこから生まれた事例も含めていろいろと書いてきましたが、そうした「信頼関係に裏づけられた、支え合うつながり」こそが、ソーシャルキャピタルなのです。それはまさに、地域を元気にし、育てていく原動力といってもいいですし、まちづくりによって生み出される「地域社会の財産」と言ってもいいかもしれません。
 ではどうしたらソーシャルキャピタルは育てられるのでしょうか。実は地域社会には、そうしたソーシャルキャピタルはたくさんあるのです。
たしかに最近は弱まっていますし、地域によっては消えそうになっているかもしれませんが、もともと人間は隣に困っている人がいたら自然と心身が動くようにできているのです。つまり、「支え合う心」や「つながり志向」がある。人が集まれば必ず生まれるのが「支え合いのつながり」なのです。ですからどこの地域社会も、ソーシャルキャピタルを育ててきているといっていいでしょう。そして、それこそが「福祉の原点」「まちづくりの原点」なのです。
しかしそれがなくなりつつある。それが問題なのです。ですからいま必要なのは、新しくソーシャルキャピタルを創りだそうと思うのではなく、地域社会にあるソーシャルキャピタル、人のつながりや支え合いの仕組みを発見していくことなのです。
そして、それを単に利用するのではなく、一緒になって育てていくことが大切です。地域社会を外部から観察的に見て、地域住民のためにサービス活動をしようなどと思っている限り、それは見えてこないでしょうが、実際に地域社会に入って住民たちと同じ目線に立てば、自然と見えてくるでしょう。そして、住民たちと一緒になって、さまざまな福祉制度を効果的に活かしていくことができるのではないかと思います。そこから新しい物語が創発されていくはずです。
前述したように、地域福祉(コミュニティケア)とは「重荷を分かち合って、お互いに気づかいあいながら、それぞれが出来る範囲で汗と知恵を出しあうこと」です。住民たちがお互いにケアしあう文化を育てていくことが大切なのです。その意味では、コミュニティケアではなく、ケアコミュニティ(支え合う人のつながり)が目指されなくてはいけません。
福祉の予算が足りないとよく言われますが、お互いに信頼しあって、支え合う関係が育っていれば、お金をかけずにできることもたくさんあります。人手の問題も同じです。
最近は経済至上主義のほころびからケアリング・エコノミクス(支え合いを基軸にした経済)という発想も出てきています。社会経済システムそのものも、根本から見直されようとしているいま、福祉の捉え方においても発想の転換が求められているのです。
いま私たちの周りで欠けているのは、ケアの仕組みや行為だけではなく、ケアの文化です。改めて私たちの先代たちが育て守ってきた「支え合いの文化」を復活させることが必要なのです。それこそが最近話題になりだした「ソーシャルキャピタル」発想なのではないかと私は思っています。

20100420/CWS佐藤修