■メッセージ8:私たちはみんな自分で生きる力を与えられています〔2002/08/24〕

ケアプランを自分たちで作ることを広げようと活動しているグループ(全国マイケアプラン・ネットワーク)の人たちから話を聞く機会がありました。参加者の一人が、でもケアプランを普通の人が自分でつくるのは大変でしょう、と質問しました。
ケアプランは専門知識のあるケアマネジャーでないとつくれないと、普通の人は思いがちです。しかし、考えてみればおかしな話です。介護の必要性を最もよく知っており、その現場に一番近い人こそが、専門家ではないでしょうか。もし、そうした当事者に近い人が作れないような介護制度であれば、制度がおかしいのです。
なぜそうなるのでしょうか。ここに、現代社会の大きな矛盾があるように思います。
こうした事例はいくつでもあげられます。みなさんの周りにもたくさんあるはずです。

人間は本来、生きる力を持って生まれてきています。もちろん「生きるための大きな障害」を持って生まれることもありますが、それは社会の仕組みとして取り組むべき問題であり、そうしたことも含めて、人間社会は個々人の生きる力を基軸にして考えていくことが必要ではないかと思っています。

しかし、今はそうなっていません。ほとんど例外なく、すべての人が他者に依存する生き方を基本にしているような気がします。自己学習力も自己治癒力も、自己生活力も自己生存力も、いまの社会の仕組みの前提にはなっていません。逆にそれらを否定するところから、今の社会制度は設計されています。
そうした社会では、生きやすいかもしれませんが、生きる喜びは実感しにくいように思います。つまり、生きる力を失うように社会が設計されてきているのです。そして、そのことが、「生きるための障害」を大きく持って生まれた人たちを自然と支える文化の不在にもつながっているような気がします。

顔も知らない大勢の人たちに依存して生きることが、いまでは普通になっています。昔の人たちのように、百姓として多数の仕事をこなすことはできなくなっています。生活を事細かに切り刻んで、それぞれを専門家に委ねてしまっています。なぜそうなっているのでしょうか。なぜそれをおかしいと思わなくなっているのでしょうか。

みなさんは不要に自分の生活を他者に託していませんか。
専門家に任せておけばいいと安直に自分の人生を他者に委ねてはいませんか。
そんなことはできないと最初から自分のことを自分ですることを放棄してはいませんか。

専門家などというのは幻想です。
私たちはみんな自分で生きる力を与えられています
ちょっと自分でやる領域を広げてみませんか。