「これからのまちづくりと公民館の役割」
〜地域を愛する心がまちをつくっていく〜
1999年11月25日第14回入間地区公民館研究集会基調講演


■はじめに
 佐藤でございます。プロフィールのところに書いてあるように、私は実は会社人−企業人と言ったほうがよいかもしれませんが、会社人から社会人になってまだ10年と少しでございます。つまり10年前までは民間企業にいた者でございます。
 会社人も社会人ではないかと言われそうですが、最近の企業のいろいろな問題に関連してテレビに出てくる企業の経営者の方の発言を聞きますと、皆さんも「ちょっとおかしいのではないかな」と思うことが多々あるのではないかと思います。社会の常識は、必ずしも会社の常識にはなっていないという現実がありまして、もしかすると会社人と社会人は違うものではないかという気がします。
 私も10年ほど前に会社をやめて、その翌日から、実は千葉県に住んでいるのですが、そこの地元で行われていた住民活動に参加して、非常にたくさんのカルチャーショックを受けたのです。
 一言で言うと、どうも会社という小さい世界、タコ壺の中に入り込んでしまっていて、大きな社会が見えていなかったのではないかという反省が、当時いろいろございました。それが、会社人と社会人というのは違うのではないかと思った一つのきっかけなのですが、しかし、それは会社に勤めている者だけの話ではないようでございまして、その後10年間、行政の人とかNPOの人、いろいろな人たちと付き合わせていただいているのですが、そういうお付き合いが増えるにつれて、もしかすると、行政の人もNPOの人も、みんなそれぞれの小さなタコ壷の中で、小さな社会人になってしまっているのではないか、行政人とか会社人とかNPO人とか、そういういろいろな小さな世界の中に閉じこもっている存在になっているのではないか、という気が、今、非常に強くしております。
 極端に言いますと、最近の日本というのは社会人がだんだんいなくなってきているのではないか。言い換えますと日本ではある意味での社会−社会というのは一体何だという議論は別にいたしまして−日本から社会がどんどんなくなってきているのではないかという気すらしているわけです。
 最近、いろいろな問題がいろいろな所で起こっておりますが、それは今申し上げたようなことと無関係ではないのではないか、という気がいたします。
 きょうは入間地区の公民館研究集会です。失礼を顧みずに言うならば、「公民」という言葉には、私自身はやや違和感があるわけですが、それはともかくといたしまして、社会人づくりとか、地域社会づくりなど、そういうものに取り組んでいる公民館活動というのは、これからますます重要になってくるのではないかと思っております。
 私自身は今申しましたように、公民館活動といいますか、社会のいろいろな活動と触れ合ってからまだ10年と少しなのですが、そのせいかもしれませんが、きょう皆さん方が取り組まれている研究集会の資料を読ませていただいて、こういう活動をこれほどしっかりされているというのは、今まで出合ったことがありませんので、そういう意味では非常に感激すると同時に、こういう活動にこれほどしっかりと取り組まれている入間地区というのは、一体どういう地域なのかと、大変興味を持ち始めているところでございます。そうした場に、きょうは参加させていただき、お話もさせていただくということなので、たいへん嬉しく思っております。
 きょうの私の話は、「これからのまちづくりと公民館」というテーマでございます。この大会のテーマが「地域の特性を生かした公民館活動」ということですので、そうした問題を考える上での、何らかのヒントになるような、一つの視点を提供させていただければと思っております。
 話の進め方といたしましては、この資料の10ページ以下のレジュメに沿って、前半では最近の地域づくりの動向のようなものについて、非常に主観的な整理になるかと思いますが、お話しさせていただき、後半で先程ご紹介をいただきました「地域学」−地域を学ぶということですが−これについて簡単にお話しさせていただいて、最後に恥ずかしい思いをしながら専門家の方々の前に、これからの公民館の役割という問題について、皆さんにとっては雑音程度だと思いますが、お話しさせていただこうかと思っております。
 では早速レジュメに沿ってお話をさせていただこうと思います。

■地域づくりは地域を知ることから始まる
(1)横並びの地域整備の反省
 最初は、最近の地域づくり、まちづくりの動向のようなもののお話ですが、皆さん方は日々取り組まれていらっしゃる方ばかりですので、“釈迦に説法”ということになりますが、一つの視点としてお聞きいただければと思います。
 最近いろいろなところでかかわっていて、特にこの4〜5年、急速に変わってきているという感じを実感として持っています。まちづくり、あるいは自治体行政も含めてですが、地域づくり、まちづくりの枠組みが、非常に大きく変わってきているように思います。
 それは一つには、これまでの地域づくり、まちづくりというのが、よくいわれることですが、どちらかと言うと横並び的な地域整備という視点が強過ぎたということの反省ではないかと思います。
 地域は非常に良くなってきた。便利になってきた。住みやすくなってきた。しかし、どうも何かが足りない、という思いが住民の中にかなり広がってきているようで、とりわけ首都圏の近郊都市の市民の方の意識調査などをやりますと、住みやすさについては満足度は非常に高いのですが、何か欠けている、というか、住んでいるこの土地が本当に好きだという愛着度といいますか、それは必ずしも高くないというまちが、都市が、地域が、かなりあるように思います。
 それと無関係ではないと思いますが、同時に横並びの地域整備が進んだために、地域から表情がなくなってきている、という現実もあるように思います。
 表情がなくなるというのは、何も地域づくりだけの話ではなくで、日本の社会全体から表情がどんどんなくなってきて、首都圏などで出会う方たちの(私もその一人ですが)頭からも、どんどん表情がなくなってきているというのが、今の現実ではないかなと思いますが、地域においてもだんだんと表情がなくなってきている。地方都市などに行って感じるのは、まち並みが非常に一般化してきているというか、首都圏に似てきた。あるいは首都圏なども、その地域に本当に特徴的なお店というのがだんだんなくなってきているという感じがしておりますし、象徴的に現れるのは、地元の観光地に行ってすら、お土産を買おうと思っても、自分のまちで売っているようなお土産が売られているケースが多々あるわけです。どうも社会から表情がだんだんなくなってきているという気がいたします。
 これが地域に住む人にとっては何らかの形で自分の地域に対する愛着が持ちにくくなってきている一つの原因ではないかと思います。
 表情がなくなってきているということは、裏を返すと“自分たちの町”という実感がなかなかつかみにくくなってきている、ということではないかと思いますが、レジュメでは「まちが誰かのものになっていく」と書いたのですが、どうも横並びの地域整備の中で、まちがどんどん自分たちの手を離れて、誰かのものになっていくというような傾向があるのではないかと思います。
 あまり良い例ではないかもしれませんが、例えば東京の下町にある小さな路地、道などを見ると非常にそれがよくわかるのですが、20年ぐらい前までは、路地に所狭しとそれぞれの家が花を植えたり、鉢に植えたりして飾っていた。あるいはベンチなどを置いて、夏になるとそこに三々五々、地域の人が座って話をするという風景が、まだ東京の下町にもあったと思います。つまり東京の下町にとって、道というのは自分たちのもの、みんなのものという感覚がまだあったと思うのです。だから、道が汚れていたら自分たちで掃除をするという文化が強く残っていたと思います。
 それがいつのころからか、道路というのは公共のものだから、そこにそれぞれの家が花鉢を持っていくのは問題がある、ベンチを置くのは問題であるという話がだんだん強まってまいりまして、だんだんいろいろな規制が行われ、道からそういうものがどんどんなくなっていったわけです。
 自分たちの空間だと思っていた道が、いつの間にか公共のものという名のもと、誰かのものになってしまって、道に対する愛着もだんだんなくなってきて、道がだんだん汚れていっている、というのが残念ながら今の下町でも一部起こっている話です。
 そういうところに見られるように、町が、地域が、だんだんと誰かのものになっていくという動きが、この数十年日本では続いていたのではないかと思います。
 このあたりはどうかわかりませんが、かつでは入会地とか入会山とか村の鎮守さまというのは、みんなのものだったわけです。言われなくても、頼まれなくても、みんながあるとき掃除をしたりしていたわけですが、そういう空間がどんどんなくなってきている。これが今までのこの数十年の地域づくりの非常に大きな傾向だったのではないかと思います。
 そういった中から、反省も踏まえて、今まちづくりの枠組みが非常に大きく変わってきているように思います。

(2)まちづくりの枠組みの変化
 どういうところで変わってきたのかということですが、これは言い出すときりがない話なのですが、一言で言えば「ものづくり」のまちづくりから、「ものがたりづくり」のまちづくりへと変わってきているというのが、今の時代の傾向だろうと思います。今まで、まちづくり、あるいは地域づくり、自治体行政と言つてもよいと思いますが、それは「箱物行政」という言葉に象徴されるように、道路を造ることであり、施設を造ることだったわけですが、どうも道路を造ったり施設を追ってもうまく使われていないという問題が、いろいろなところで起こり始めたわけです。
 そこで、そういう「ものづくり」の、(ハードとソフトという言葉を使えば)ハード中心のまちづくり、自治体行政から、そのハードを使い込むまちづくり、地域づくり、自治体行政へと、大きく枠組みが変わっているように思います。それは「もの」をつくるのではなくて、その地域特有の「ものがたり」をつくっていくということに、多分なっていくだろうと思います。そうなると当然、先程言いました表情というものが、非常に重要になってくるわけです。
 自治体行政の関心も、まちづくりの重心もだいぶ変わってきておりまして、かつてとは違って、最近では環境とか、あるいは介護保険に象徴されるような福祉というのが、自治体行政の中心の課題になってきておりますし、あるいはまちづくりにとっても、環境とか福祉というのが非常に大きなテーマになってきています。
 それは当然のことでして、環境問題というとCO2がどうとか、オゾン層がどうとかいう話になりがちですが、環境というのは決してそれだけではなくて、私たちの生活が快適にできる、そういう環境をつくっていくのが基本的な環境問題のわけですから、それがCO2につながっていくわけです。
 環境とか福祉に取り組むというのは、まさにまちづくりそのものなのです。そういう意味で言いますと、今までの、ものづくり、ハードづくりのまちづくり、自治体行政というのは、これはまちづくりの基礎をつくってきたのだと言い換えられるわけで、これからはまさに今申し上げた意味での、環境とか福祉が中心になってくると、そういう施設とかをどう使い込んでいくかが、非常に重要になってくるだろうと思います。
 テーマが環境とか福祉になると、当然これもまた、ものづくりから、ものがたりづくりへと重心が移っていきます。どんな立派な老人ホームをつくっても、保育園をつくっても、そこにきっちりした人間の心が入らなければ、いいものにはなっていかないわけで、人間性とか運営とか、いわゆるソフトの部分が非常に重要になってくるわけです。同時にものがたりづくりというのが非常に重要になってくる。そうなりますと、まちづくりの主役というのが、いうまでもなく住民になって来ざるをえない。ハコをつくる段階では、自治体行政がまちづくりの主役を果たしたわけですが、テーマが環境と福祉になり、しかも、つくり方がものがたりづくりということになりますと、まちづくりの主役というのは住民になって来ざるをえないわけです。
 しかし住民に、まちづくりをしようという主役意識が果たしてあるかどうかということになりますと、これは大変難しい問題でして、今まで行政依存−というと言い過ぎかもしれませんが−どちらかというと行政依存型の生活をわれわれはしてきたわけで、今ここで「まちづくりの主役は住民だよ」と言ったところで、なかなか私たちは動き出せないわけです。
 そういう意味でいうと、「私たちのまち」という意識をどれだけ住民の人たちが持てるようになるかということが、これからのまちづくり地域づくりの非常に大きなポイントになっていくのではないか、という気がいたします。

(3)自治体行政の方向性
 そういうことも踏まえて、自治体行政の方向が、今、非常に大きく変わってきているわけです。よく言われるように、「地方分権」ということが時代の潮流になっています。
 しかし考えてみますと、地方分権というのは、所詮は中央にある権限を地方に分権するという話で、大きな枠組みの変化にはなっていないわけです。本当に今の地方分権を大きな枠組みの変化にしていくためには、今申しましたように、住民主役ということがきっちりと実現されてこないと、地方分権の本当の趣旨というのは実現できていかないわけです。
 そういう意味では、これからはまさに住民の意識、われわれ一人一人の生活者の意識というものが、まちづくりに非常に大きな影響を与える、そういう時代になってきているのだろうと思います。
 自治という言葉はもう数十年使われているわけですし、明治維新のころから自治という言葉はあったわけですけれども、実際は、おそらくこの数年前までは(今もその傾向が強いと思いますが)、自治というのは、どちらかというと作られた自治という感じが非常に強くて、本当の意味での自治というのは、まだ日本ではこの数十年、体験していなかったのではないがという気がするのですが、今まさにこれから自分たちの自治ということが、非常に重要になってきている。それができるような時代環境になってきているのではないかという気がします。
 そういう中で、自治会とか町内会の見直しがいろいろな所で進められ始めているように思いますし、いうまでもなく自治体行政というものの役割も、今見直されているのだろうと思います。
 よく住民参加という言葉が使われます。住民参加の動きが非常に広がってきています。それは決して悪いことではなくて、とてもよいことだと思いますが、しかしこれもよく考えてみますと、住民参加というのは行政が主役で、そこに住民に「参加してください」というニュアンスがどうしてもぬぐい切れない。
 従って、むしろこれから必要なのは、住民参加というよりも住民が主役になって進めていく活動に、どう行政が参加していくのかということではないか、つまり、方向性を転換していくことが非常に重要になっていくのではないかという気がします。いいかえれば、「住民参加」から「行政参加」へ転換していくということです。
 そういう中で、では行政というのは一体どういう役割を果たすのかということを、もう一度、あらためて原点に返って考えるべき時期にきているのではないかと考えます。
 今そういう動きが、いくつかの所で出始めています。私がかかわっているいくつかの事例でも、例えば茨城県に人口24,000人の美野里町という町がありますが、そこでは文化センターをつくることになり、どういうやり方でつくろうかという議論を侃々諤々やった上で決めた方針が、住民主役でつくろうということになったのです。白紙の段階から住民を公募して、まず10人の人が集まり、その人たちをコアにして、構想づくりから設計まで住民が主役になってやり始めて、今ようやく設計図ができつつあります。もちろん設計の段階では専門家が入って、きっちりとやるわけですが、それからその活動にはちゃんとアドバイザーが何人か入っているのですが、本当に住民主役で、汗を出しながら、自分たちのまちに文化センターをつくることが良いのか悪いのかということを、全住民で反対論、賛成論侃々諤々やりながらつくり出しているという動きがあります。
 あるいは山形市で、これも私がかかわっているのですが、共に創るという意味で“共創”という言葉を使っておりますが、共創プロジェクトをつくり、住民の人たちが5人集まって、こういうテーマについてまちづくりに取り組みたいというテーマを設定しますと、それがたとえ行政の姿勢に反対的なテーマであろうと、それを行政が「まちづくり市民会議」として認めて、それに対しては金銭的には一切支援はしませんが、汗をかいた人たちのために情報提供だけは積極的にやる、情報的には完全に百パーセントバックアップする。
 それからそこでの活動は、行政に対して、あるいは市民に対して、公開の場できっちりと発表する場をつくる、という仕組みをつくり出しているところがございます。
 これなども、まさに住民主役の活動がいろいろなところで起こり出した一つの事例ではないかと思います。
 そうなりますと、皆さん方がかかわっている公民館というのは、まさに住民との接点ですから、その新しい自治体行政の、あるいは行政参加の最前線にいるわけです。
 そういう意味でも、これから公民館の役割は、非常に重要になってくるのだろうと思います。

(4)「私たちのまち」意識の回復
 しかしそうは言っても、頭ではわかっても先程言いましたように、「私たちのまち」という意識を住民がどれくらい持ってくれているのか、というのはすごく難しい話です。
 私も、今申し上げました美野里町、とか山形の事例で感じるのは、そこが一番のポイントでして、あまり理念に走って制度をつくってもなかなかうまくいかない。しかし何もやらないと更にうまくいかないということで、今言ったプロジェクトを通しながら、みんなが自分たちのまち意識を高めていく、ということをやりながら、そういうプロジェクトを進めているというのが現実なのです。
 そういう意味で、「私たちのまち意識」というのを取り戻していくというのが、これからは非常に重要になっていくのではないかと思います。
 それでは、どうしたら私たちのまち意識を取り戻せるのか、ということでございます。
 そこには「まず行動」と書いたのですが、これは理屈ではなくで行動していくことだろうと思います。行動すれば、地域というのは意外と見えてくるわけです。
 われわれは最近、忙しさにかまけて、自分たちの住んでいる地域を意外と見ていないということに−この地区の方々はこういう活動をこれだけ熱心にされているので、違うかもしれませんが−私が関わっているところでは、本当にそのように実感しております。
 もう一度、あらためて自分たちの地域を見るということが、とても大切なことだろうと思います。
 例えば北海道に鵡川という小さな町がありますが、そこはある時に、10年ぐらい前になるでしょうか、自分たちのまちはは何もないのではないかと、皆が嘆いてばかりいた。しかしある時に、そんな嘆くよりも、自分たちのまちに何があるかというのをみんなで見て歩こうよと、「大人の遠足」というプロジェクトをスタートさせて、人口8,000人ぐらいのまちですから歩いて行ける所ですけれど、自分たちのまち、それを皆で歩いて“まちの宝探し”というのをやったのです。公民館活動でもこういう活動をよくやると思いますが、それを全町でやり、そこでいろいろなことに気づいていくのです。皆が気づいていなかった歴史遺産、文化遺産、自然というものに気づいていく。そういう活動を通して“まちの宝の地図”というのを作り、それを一つの地域資源にして、まちづくりに取り組んでいくのです。
 あるいは東京都の杉並区では、杉並区の区役所の職員というのはほとんど杉並区の区民ではないのです。それは非常に大きな問題なのですが、それはともかくとして、杉並区では「シルクロード」というのを、10年ぐらい前にスタートさせました。シルクロードは例のローマから長安の、あの絹の道ですが、それをもじって「知る区」−区を知ると書いて、「杉並区を知る」−もっと区のことがわかるような道をみんなでつくっていきましょうという連動を始めるのです。モデルコースをつくり、皆で休日に歩いてみましょうと。そのうちに、皆で自分の知る区ロードをつくってみましょうという活動を展開していきます。
 これは大変面白い展開になり、子供たちも参加したりすることにより、いろいろな面白い発見があるのです。
 あるいは、先程言いました山形市の共創プロジェクトの中でやったケースですが、その市民会議に、ある中学校の1学年167名の生徒たちが、「市民会議をつくろう」と言い出したのです。そこで、みんなで自分たちが住んでいる山形市を、グループではなく一人一人が、自分の関心のあるところに行って、もう一度山形市の良さを見つけていこうという一年間の活動をやり、それを発表したのですが、大人とは違った目で、いろいろな面白さを発見してくれたのです。
 そういう、大人や子供が一緒になって自分たちのまちを回って歩く、村を回って歩く、地域を回って歩く、ということが、意外とやっているようでやっていない、ということに、今いろいろなところが気づき始めて、もっと地域を知らなければという動きが、非常に出てきているように思います。
 もう一つ、山形県に高島町という有機農法で名の通った町がありますが、そこが8年ぐらい前から「高島共生塾」というのを始め、夏に関西から、学生たちや若い人たちに一週間ぐらい来てもらい、農業体験をしてもらう「ファーム・ステイ」という、農園に滞在するということをやっています。
 ところがそれをやっているうちに、学生や若い人たちが、高島町それから農業に非常に関心を持ち、今年8年目だったのですが、今までに50人近い人が引っ越して来てしまったのです。中には、ばりばりの有名な一流企業にいた人が、会社を辞めて高島町に移り住んでしまって、有機農業をやり出したという事例があります。
 それは、今、帰農人口が非常に多いですから大した話ではないのですが、実は、それが町の人たちに非常に大きな影響を与えるのです。その高島町の人たちは、自分の所は農業だけれど、もう農業には先がないし、魅力もないし、若い人はどんどん出て行ってしまうということで自信をなくしていたのですが、その高畠共生塾をやることによって、都会から若い学生たちが大学を卒業して、あるいは一流企業を辞めて移り住んできている。それがどんどん増えてくるにつれて、「今の若い人たちがこんなに来てくれるのだったら、よほどうちの町には魅力があるのではないか。何かあるのではないか。農業も捨てたものではないね」ということで、まちに対する自信を高めていく。そこで新しい動きが出始めてくるのです。
 今のケースは、ほかの人がそのまちの魅力を見つけてくれたということなのです。その気になって自分たちでも見ていくと、なかなか高島町にも良いところがあるのではないかという気づきになっていくわけです。
 そういういろいろな行動を起こすことによって、地域への誇りとか自信を取り戻していくということが、私たちのまち意識をつくる上では重要なことなのだろうと思います。
 レジュメに書いたように、「地域とは生きる場であると同時に、自分たちが創っている作品」であるという思いを、われわれはもっと持たなければいけないのではないかと思います。
 まちづくりというのは、まさに地域を創るという意識なのですが、創るという意識をもっともっと強く、われわれは持っていくと、地域にはたくさんの地域資源がありますから、それを生かしていけば、非常に面白い地域づくりができる。面白い地域づくりをするということは、実は、自分たちの生活をつくっていくことだということを、しっかり関連づけをしていくことが必要なのではないかと思います。
 横並びの地域整備というのは、もちろん時代的な意義があって、それは非常に良かったことだと思いますが、それがある意味で行き過ぎたために、私たちのまちという意識を、われわれはだんだん忘れてしまい、地域は自分たちがつくっているんだ、作品なんだという意識を、だんだんわれわれは忘れてきている。それが今の時代なのではないかと思います。従って、昔は自分たちの道、自分たちの鎮守の森と考えていたところを、あるいは自分たちの河川敷と考えていて、本当にみんなで汚さないように注意し、あるいは汚れたらみんなで手入れをするという文化があったと思いますが、それが私たちのまち意識がなくなって、そういうところがだんだん誰かのものになっていってしまうにつれて、だんだんと汚れてきてしまっているという現実があるのではないか。
 そういう流れに対して、今、まちづくりとか自治体行政の中で、違った動きが、まちづくり活動という形で出始めているわけです。
 皆さん方ももう重々ご承知と思いますが、いくつかの手法をお話しすると、まちづくりについては、「まちづくりワークショップ」というのが非常に広がってきています。本当に住民の人たちが中心になって、行政の人たちがそれをちょっとお手伝いする形で、小さな自分たちの公園をつくったり、川の整備を進めたりする活動がワークショップという形で広がってきております。
 あるいは、グラウンドワークという(ワークショップとかグラウンドワークという片仮名の名前が多いのか非常に残念なのですが)活動もいろいろな所で広がっています。これは地域にかかわっている、住民と行政と企業、その三つが三位一体になって、共同して、出せるものを出す形で、グラウンドワークトラストという組織をつくって、そこを拠点にして住民たちは汗をかく、企業はお金と技術を出す、行政は調整役を図り、時にはお金を出す、という三位一体の活動がいろいろとできています。
 例えば、静岡県の三島では、グラウンドワークの活動の中で、ちょっとしたミニ公園をつくろうということになったときに、今までの行政依存のミニ公園づくりだと 2,500万円の予算がかかって、行政のほうではなかなかつくれなかった。ところがグラウンドワークで、みんなで一席になって汗をかいてやるということになったら、何と現金支出は5万円で済んだという、ちょっと極端ですが、うそみたいな話があります。
 もちろんそれはみんなが時間のある時にみんなで労務を提供して汗をかいた。あるいは企業のほうは提供できる資材を提供した、ということで現金支出は少なくなったわけですけれども、2,500万円かかるはずの公園が5万円でできた。しかもみんながかかわりましたから、その公園は非常に愛着があるわけです。先程言いました“みんなの公園”ということになるわけです。汚されるはずもありませんし、みんなが多分きっちりと使い込む公園になるだろうと思います。
 そういう動きというのがグラウンドワークという形であります。
 あるいは「アドプトシステム」という動きも日本に広がり始めています。アドプトというのは養子縁組のことなのです。実際にはこういうことも皆さんのところで行われているかもしれません。
 これはアメリカで始まった動きなのですが、最初は、道路が汚いということで、ある道路を2キロぐらいで区切り、その2キロ単位にその道路の里親を募ったのです。アメリカでは里親を募るというのがすごく多いのです。動物園の動物の里親を募って、動物園の経費に充てるというのが昔から行われているのですが、同じような形で道路を2キロに区切って、その里親を求めたのです。
 ある企業が、「この2キロは自分たちが面倒をみよう」と、「この2キロは私たちの町内会で面倒をみよう」という形で親が決まっていって、その親は自分の子供ですから必ず手入れをするということをやったわけです。
 もちろんそれだけではなくて、里親になったらそこにメッセージを出してもよい。例えば「この地域は自分たちの里子です。大切にしてください」。そこに自分たちの会社の名前、あるいは団体の名前を書いてもよい。それが過度な広告にならないという条件はあるのですが、一応自分たちがやっているということを外に伝えてもよい、というところで企業も参加してくるわけですけれども、そういう仕組みが“アドプトシステム”です。
 これも、日本でも少しずつ、流域の清掃とか公園とか、という形で今始まっています。
 こういう新しい手法が、どんどん欧米から入ってきているわけです。実は残念ながら、恐らく大正・昭和の初期ぐらいまでは、日本にこういう仕組みはあったのではないか、と思います。それがいつの間にかなくなってしまった。
 それはともかく、こういう動きが改めていろいろと出始めているというのが、今のまちづくり、地域づくりの動きです。

(5)地域社会の捉え方
 ここでちょっと理屈っぽい話を(12ページ目に書いてありますが)お話しさせていただこうと思います。これから非常に重要になってくる言葉として、実は、これが私のこの10年のテーマですが、「コモンズ」という言葉をここで紹介しておきたいと思います。
 今、地域づくり、まちづくりと言いましたが、地域社会をどう捉えるかということが重要になってきているのだと思いますが、社会を捉える時に、われわれは「公と私(パブリックとプライベート)」という言葉で捉えがちです。しかし、この二つで捉えると、どうも限界があるのではないかという議論が最近非常に高まってきています。もう一つ「公」の他に「共」という世界があるのではないかという気がします。その「共」というのが「コモンズ」。コモンズというのは、「みんなのもの」という意味です。コモンというのは、コミュニケーションとか、コミュニティの、あの「コム」です。
 そういうパブリックなセクターとプライベートなセクターとコモンズというセクター、この三つが実は社会にはあるのではないかという気がします(12ページに図が書いてあります)。
 われわれは往々にして、公と私という捉え方で社会を今まで見てきた。プライベートセクター−「私」の世界で活躍しているのは企業です。企業が中心で主役になって頑張っている。これは言い換えると、「マーケット(市場)」 といってもよいかもしれません。それに対して「公」の世界というのは行政体が中心になっていろいろ動いている。「政府」といってもよいと思います。
 これまでの日本というのは、この「公」の世界と「私」の世界がせめぎ合っていて、どんどん、それぞれが肥大化してきている。大きな政府になり、大きな企業になってきて、企業の存在が非常に大きなものになってしまった、という結果を、今もたらしているのではないかと思います。
 実は「公」と「私」がどんどん大きくなってきた背景には、もう一つのセクター(世界)があって、それを公の世界とプライベートな世界がどんどん侵食してきたのではないかという気がします。それが「共」の世界です。
 昔は入会地とか入会山というのがあったのです。その地域はみんなのもの、というのがあって、そこはその地域の人たちはみんな使えて、山芋なども自由に掘れた。しかし、みんなのものですから、勝手にたくさん掘るわけにはいかずに、自分が使うものだけを掘って、その後はきっちりと埋めて、また来年はそこに山芋が生えるようにしてきた、そういう文化がずうっと長くあった。
 ところがその入会地・入会山(今でも実質的には残っていないわけではありませんが)、それが“なんとか組合”になってしまい、あるいは公有地になってしまい、気がついてみたらどうも、私たちのもの、みんなのものという感覚がなくなってしまったような形に、今なっているのではないという気がします。「公」おおやけというのはみんなのものではないか、と皆さんお思いでしょうが、日本の場合の「公」というのは、どちらかと言うと「官」に近いのです。中央省庁、中央政府に近い言葉だと、よく言われます。
 パブリックという言葉を使いましたが、例えばイギリスでパブリックスクールといったらこれはご承知のとおり、私立学校、みんながつくった学校です。公立ではないわけです。パブリックというのを「公」に当てはめること自体、問題があるのです。
「公」でもない「私」でもない「共」という世界があるのではないか。そしてこの世界がどうも日本ではどんどんなくなってしまったところに、一つの大きな問題があるのではないか。これが冒頭に申しました、社会がなくなってきたということにつながるのではないかという気がします。
 このコモンズの世界、「共」の世界で活躍し始めたのが、最近話題の、ここでも昨年かなり議論されたかと思いますが、「NPO(ノンプロフィットオーガナイゼーション)」という、非営利組織というものです。
 社会を捉えるときに、「公」の世界、「私」の世界、「共」の世界、この三つの世界のバランスというのが非常に重要なのではないか。ところが今まではこれが別々の世界にあり、プライベートな世界にいる企業の人たちは公共のことなんかは関心がなく、企業という小さな世界の中に閉じこもっていた。行政の人もまた、企業をあまり信じられないということもあり、行政の世界にとどまっていた。NPOも、社会の問題を背負っているのは自分たちだとばかり、社会活動をしている人たちは、ある時期自分たちのタコ壺に入り込んでいたように思いますが、それぞれがみんなそれぞれの世界に閉じこもってやっていた。
 しかし大切なのはこの三つがバランスをとりながら連携をとりながら、もう一度、改めて私たちの社会をつくっていくことではないかなという気がいたします。
 そういうことで、このコモンズという概念が、非常に私は重要だと思います。失礼を顧みずに言えば、最近の市町村、自治体行政も、本来はコモンズに立脚して行われなければいけないと私は思うのですが、残念ながら、明治期からと言ってもいいかもしれませんが、自治体行政というのは、「官」の末端組織に近い役割を果たしてきたのではないか。コモンズの視点から地域づくりをしていくべきなのが、公−官の立場からやってきたために、いろいろな齟齬を来してきたのではないかという気がします。
 あるいはNPOもそうです。NPOも地道な活動をやってきました。しかしNPO法案ができたという今の状況をみますと、注意しないと、このNPO自体がこの官のところに取り込まれる恐れがあるという危惧が、全くないわけではありません。そういうことがないように、あるいは自治体行政が、本当にまちづくりの枠組みが変わっていく中できっちりと対応するためには、改めて、みんなのもの、コモンズという意識を持つ必要があるのではないか。みんなのものという視点を持ちますと、まさに自治体行政と住民とのパートナーシップというものは、きっちりとできていくのではないかという気がします。
 いずれにしろ、コモンズ意識というのが、これからのまちづくり、地域づくりの、あるいはもしかしたら公民館活動の、一つのキーになる概念ではないか、ということで、少し理屈っぽい話をさせていただきました。

(6)コモンズ意識の出発点は地域を知ること
 コモンズ意識の出発点は、いうまでもなく地域を知ることです。地域を知らずに、コモンズというか、みんなの地域、みんなのまちという意識は持ちにくいわけです。先程言いましたように、意外とまちづくりや地域づくりに取り組んでいる人たちが、地域全体のことを知らないというケースがあるわけです。改めてコモンズという意識をしっかりと持つ、社会は公と私とコモンズから成り立っているという枠組みをしっかり持つということが、非常に重要ではないかという気がいたします。

■地域を知ることの楽しさと効用/地域学の勧め
(1)みんなが楽しめる地域学の広がり
 きようの本題は「地域を知る」ということについてですが、地域を知るという意味で、地域学ということがいろいろなところで、今広がり出しているわけですが、次にその話をさせていただこうと思います。
「地域学」などと言いますと、「学」がついていますから、何となく堅苦しい感じがするだろうと思います。しかし考えてみますと、学(学ぶ)ということは、とても面白い、楽しいことなのだろうと思います。話がそれますが、私は「働くこと」とか「学ぶこと」というのは、本当は、とてもワクワク、ドキドキするような楽しいことだと思うのです。学ぶことは新しいことを発見することですし、働くということは、新しいものを創り出していくことにつながってきますから、とても楽しいことであるはずなのですが、それがどうもこのごろ、働くことも学ぶことも楽しくなくなってきてしまった、ということが非常に大きな問題だと思いますが、その一つの理由は、最初お話しした表情につながっていくのではないかと思います。
 働く−仕事も表情がなくなり、学ぶことも、あまり表情のない知識を学ばされるということが、だんだんと「学ぶ」とか「働く」ということを退屈にしていった一つの理由ではないかという気がするのです。
 そういう意味で「地域」というものを題材にして、働くとか学ぶということが、これから非常にワクワクするような面白いことになっていくのではないかという気がします。
 それはともかくとして、地域学という言葉がいろいろなところで使われ始めています。お聞きになっている方も少なくないと思います。「地域学」というのは、もちろん地域を知ることです。定まった定義はないのですが、一言で言えば、生活とのつながりの中で(これが非常に大きなポイントです)、地域にかかわるさまざまな問題を考えていこう、これが地域学に共通する姿勢です。
 地域学の起こりは決して新しくなくて、郷土史を考えるというのはもちろん地域学の一つのわけですが、地域学という言葉自体も明治期のころからあり、例えば「琉球学」とか、そういうかつての歴史から、更に今の地誌を学ぶという形での、長崎学とか琉球学という非常に古典的な地域学があるのですが、最近では、むしろそういう何かを研究していくということよりも、学ぶことを楽しむという姿勢で、地域学というのを使っているケースが多くなっています。言い換えますと“生活とのつながり”という言葉を申しましたが、そこが非常に重要になってきていて、そうなりますと専門性とか研究というよりも、地域住民の人たちが本当にみんなで気楽に参加できるような仕組みをつくっていく、みんなで地域のことを考えるということを広げていく、その楽しさを味わってもらうというところに、最近の地域学の中心があります。
 担い手もさまざまで、あるところでは行政が音頭をとって地域学を興していますし、あるところでは住民団体が地域学をやっています。その地域の範囲も非常に多様で、広域的なもので言えば、最近全国的にも話題になっている「東北学」というのがあります。これは「東北地方のことを、みんなでもう一度見直していこうよ」ということです。東北学といったら、あの東北地方全体が入りますから非常に広域なものです。
 そういう広域のものもあれば、皆さん方の公民館単位の、あるいは小学校単位の、学校区単位のかたちでの、地域のことをもっと知ろうという動きもあります。
 地域学という名前を使っているところもあれば、別に「学」などという言葉をつけていないところもあります。
 あるいは「横浜学」というのがありますが、この「学」は学問の「学」を使っていますが、横浜学の人たちはいろいろな市民活動をしているグループの集まりで、ここは学ぶことを楽しもうということを主眼にしてありますので、その「学」に「楽しさ」という字を当てて、「横浜を楽しむ」−そういう「横浜楽」という言い方もしています。
 そういう、いろいろなところで、自分たちの地域をもう一度見直してみようという動きが出始めています。
 例えばいくつかのお話をしますと、山梨県。去年から「山梨学」をつくろうということで行政が音頭をとり、公民館活動も巻き込みながら、山梨学というのを、今始めています。今年も、その2回目の開講式を10月にやったのですが、例えば何かテーマを決めようということで、山梨県ですので、今年は「富士山」をテーマにして、富士山との関係の中で山梨県の魅力を考えていこうという活動を始めました。
 これは2年目なのですが、これからだんだんと展開していきますと、おそらく山梨学がどんどん分かれて、その地区地区の一つの集まりごとの地域学に、多分、分化してしていくのだろうと思います。そういう、行政が音頭をとっていろいろな所の人に集まってもらい、郷土史から、現在の生活ぶりから、生活文化から、伝統工芸から、いろいろなものをもう一度見直していこうという場をつくりながら、地域のことをもっと知ろうという動きを、むしろ住民の人たちに広げていく、そういう気づきをしていくという仕組みをつくっていく。これが山梨学でございます。
「多摩学」とというのもあります。これは音頭を取ったのが大学なんです。東京経済大学ですが、そこが国分寺市と連携して、大学市民講座で多摩学というのを何回かやりました。多摩の歴史、多摩での生活文化みたいなものを非常に幅広く講座をもち、これも長いこと続けていって、成果を本などにしています。
 これは国分寺市が関わっていますが、別に国分寺市にこだわっているわけではなくて、行政区画を越えた、多摩という歴史的なあるひとくくりを対象にしてやっているところが多摩学です。
 もっと地道に、地元にびちっとくっ付いてやっているのが、水俣病で有名な水俣でやっている「地元学」です。水俣というのは念のために申し上げますと、水俣病という負の遺産をかかえた都市ですが、まだ水俣病のイメージを皆さんお持ちかもしれませんが、今やすばらしい環境モデル都市になっていまして、これも六年ぐらい前でしょうが、市長が変わった段階で、時代の状況も変わったということもありますが、それまで対立型だった住民とか企業(チッソ)とか、行政が一緒に話し合いだしました。たとえば水俣市の中でも、海の水俣と山の水俣があるのですが、海の水俣に対して山の水俣は非常に無関心というか、一時は加害者でもあったわけです。そういういろいろな怨念を込めた土地だったのですが、市長が変わった段階で、もう怨念を超えようということになりまして、そこでやっぱり水俣はみんなのものなんだからということで、みんなのまちという意識をもって、改めて水俣の体験を生かして、環境モデル都市にしていこうという運動に取り組んでいるのです。
 これもコモンズという意識がその根底にあって、それが非常に成功した一つの事例だと思います。
 そこでは、そのコモンズ意識をつくるために何をやったかといいますと、水の流れを研究したのです。山の水俣と海の水俣があるわけですが、山から海に水が流れていく、その地下水も含めて、水がどう流れているのかというのをみんなで考えようという活動をやり、そこを中心にして、水の流れをベースにして自分たちの地域の歴史を知るとか、あるいは持っている財産をもう一度見つけるという、地域のマップをつくっていくのです。マップづくりも皆さん方公民館でよくやられることだと思いますが、それをマップづくりで終わらせずに、「水というのは、水俣全部につながっているね」ということになって、そこでコモンズ意識の醸成につなげていくわけです。水というのはわれわれの生活に密着していますから、みんな関心を持てるわけです。
 それを契機に、その水をテーマに自分たちの地域を徹底的にみんなで話して、それぞれの部落が地図をつくるという活動をやりながら、地元を知っていくという活動をやりました。水俣の場合は「地元学」と言っていますが、これは本当に住民が主役になって、場合によっては公民館単位よりも、もっと小さな単位で活動をやっているところです。
 あるいは、先程言いましたように、横浜学というのは、横浜に、まちづくりにつながる活動をしているいろいろなグループがあり、それを一緒に集めて交流をしようというところから始まったものです。このように、地域のことを知ろうというさまざまな動きが出てきております。
 そういう動きは一ときは生涯学習とか、そういう視点も強かったのですが、どうもやっているうちに、新しいまちづくりの枠組みの変化、あるいは自治体行政の変化の中で、もしかしたらこの地域学、地域を知るということが、これからのまちづくり、地域づくりにとって、非常に重要なカギを握っているのではないかと、当然のことなのですが、みんな気づき始めているわけです。
 どんなに偉そうなことを言っても、地域のことを知らずに地域づくりなどはできるはずがないわけです。私も千葉県に住んでいて各地の地域づくりにかかわらせていただくこともあるのですが、地元の人でないハンデがものすごく大きくて、所詮よそ者はよそ者の役割でしかないわけです。
 そういうことからすると、「本当に地域づくりというのは地域のことを知らないといけないなあ」という気が、改めてするわけです。日本の地域づくりとか地域開発というのは、地域のことをほとんど知らない人たちが、リゾート開発とか、地域開発と言って、もう本当に地域を駄目にしていった時期があると思いますが、地域を知らなくて、まちづくりだとか地域の活性化などは、あるはずがないわけです。
 そういう意味で言うと、やはり地域をきっちり知るということが、すべての出発点だなあと、これからのまちづくりの出発点だなあと思います。

(2)地域学の効用
 地域学の効用としては、三つほど書いておきましたが、一つは元気な地域づくりをする出発点であるということになります。
 今申しましたように、地域を知らずして地域づくりなどはできないということになれば、本当にその地域のことを知ることによって、改めて地域に対する誇りや自信が出てくる。あるいはもし仮にそれが不幸にして水俣病のようにマイナスの遺産であったとしても、それをプラスに転化する知恵というのも、地域を知ることによって出てくるわけです。
 元気な地域づくりに、その地域づくりというのはつながっていくだろうと。更に言えば地域を徹底的に知ることによって、自分たちの地域らしさが見えてくると、そこに外部のコンサルタントが勝手につくったシンボリックなことではない、本当に生活に根ざした地域のアイデンティティーというか、シンボルというのが見えてくるはずです。
 そういう新しい地域のアイデンティティー、個性、表情、こういうものをつくるためにも地域学は非常に有効な意味を持っている。しかもそれを行政の人たちだけがやっていると限界がありまして、やはり限られた1割弱の行政の人よりも、そこにいる全住民が、お年寄りから子供の日から、みんなの目で地域を知っていくことによって、新しい知恵が出てくるわけでして、そういうことがこれから重要になってくる。新しいものがたりづくりも地域学からスタートするのではないかということで、元気な地域づくりというのが、地域学の効用のまず第一のポイントかと思います。
 もう一つは地域の文化づくりです。これはいろいろな意味で文化につながっていくだろうと思います。きょう学校関係者の方も少なくないと思うので、ちょっと言い方がまずいかもしれませんが、「この数十年の学校教育というのは、学ぶことの本当の楽しさというのを教えてきたのかなあ」ということに対しては、私自身はちょっと疑問を持っております。と同時に学ぶということを学校に閉じ込め過ぎたのではないか、という気がします。
 皆さん方は、社会教育とか生涯学習ということで、公民館活動を通して生涯学習という活動に取り組まれているわけですが、われわれは、学校は学ぶ場である、学校を卒業したら、勉強とか学ぶということからちょっと解放されたというような、そういう気分がどこかに残っているという状況が、少なくとも数年前まであったように思います。
 その一つの理由は、先程しつこく言いましたが、学ぶということからだんだん表情がなくなって、学ぶということの楽しさがなかなか実感できなくなったことではないかと思います。
 ところが、地域を学ぶということによって、実はいろいろな楽しさが再発見できるのではないかと思います。世界の歴史を学んでもそれは面白いですが、それが自分の生活につながるわけではない。それよりも自分の地域の周りのことを学ぶことによって、それが明日からの、あるいは今日からの自分の生活を豊かにする、ということを多分実感できるのではないかと思います。それこそ町の近くにある神社の歴史を知っただけでも、いろいろ生活の豊かさが増えてくることにもなるでしょうし、生活の知恵という視点で、その地域に住むことの、ある知恵を学ぶことによって生活のしやすさも高まるかもしれない。そういう学ぶことの有用性、楽しさ、学ぶことが自分に撥ね返ってくるということを実感できるというのが、これは地域学の一つの特長ではないかと思います。
 学校に閉じ込められがちだった、学ぶということをもう一度社会に取り戻していく、解放していく、あるいは学ぶことの楽しさを、みんながあらためて気づいていくきっかけに、この地域学というのがなるのではないかという気がいたします。
 更に、地域学という形でいろいろな所で行われているのを見ますと、80代のお年寄りから10代の子供たちまでが、一緒になって触れ合う場というのが意外とあるわけですが、それが現実の世の中には、今非常になくなっているわけです。その世代を超えた交流が、地域学を通して非常に可能になってくるわけです。
 世代を超えた人たちの交流が、実は新しい知恵というか、新しいものがたりをつくっていく非常大きなきっかけになっていくということを考えますと、そしてそれがものがたりになっていくということは、かかわった人たちの喜びにつながっていくということを考えますと、まさに地域学というのは、ある意味での生きた地域の文化をつくっていくきっかけになっていくのではないかなと思います。
 地域学というと、往々にして、内向して地域のことにしか目が行かなくなるという危険もないわけではありませんが、むしろ地域学というのを標榜しますと、例えば山梨学がそうですが、「山梨学」ということで、今年は富士山のことを考えるというテーマを設定してやりますと、山梨県だけではなくで静岡の人との、富士山で活動している人との交流が始まる。あるいは日本各地にいる富士山のファンとの交流が始まるということで、ある地域学の枠組みができてしまうと、それを外に発信することによって、外からの知恵を呼び込むということもできてくるわけです。
 それで、地域の文化に新しい風を吹き込むことによって、豊かさを高めていくという効用もあるのではないかと思います。地域の文化づくりというのが地域学の効用の二つ目のポイントだろうと思います。
 そして言うまでもなく、これがおそらく皆さん方にとって、一番つながってくるところがと思いますが、元気な住民づくりにつながっていくということです。つまり、楽しい生涯学習のテーマとしては、地域学というのは格好のテーマのわけです。地域学というものに、もしハンディキャップがあるとしたら、地域に住んでいる人が一番地域学にとっては学びやすいということです。どんなに高名な学者が来ても、その地域で50年、60年住んでいた人に比べれば、その地域に対する知識というのは、もう雲泥の差ですから、地域学というのは、実は住民にとって最も身近であると同時に、最も優位に立てる学びの対象であるということができます。
 そこでは素人も専門家もいないし、テーマもたくさんあります。専門分化せずに、自分の好きなことを選んでやれば、その住民の数だけ地域学のテーマは見つかるかもしれないわけです。しかも学ぶことによって、自分の生活にもつながっていくということになりますと、ますます地域学に対する関心も高まってくる。同時に、それを適していろいろな世代を超えたつき合いが出てきたり、いろいろな学びに触発されて好奇心が高まっていくことによって、本当に元気な住民づくりにつながっていくのではないかと思います。
 元気な地域づくり、地域の文化づくり、そして元気な住民づくりという上で、この地域学というのは非常に大きな効用を持っているのではないか、という気がします。

(3)公民館と地域学
 今回の大会のテーマは、「地域の特性を生かした公民館」ということです。
 地域の特性とは一体何なのか。言葉としてはわかるのですが、ここは意外と吟味されないことが多いわけですが、地域学ということを道して、本当に自分たちの地域の特性を考えていくということは、非常に重要なことになっていくのではないか。きょうの大会の基本テーマがらみでも、地域学の活動というのは非常に大きなカギになるのではないかという気がします。
 そこで、公民館につなげた話をさせていただこうと思います。今申しましたように、基調提案でも書かれていましたが、個人の生涯学習に対応していくことと、地域づくりという二つの大きな課題を皆さん方は抱えているわけですが、それをつなげるのがまさに地域学ではないか、という気がします。
 まちづくり、それから住民の生活文化、そして住民の生涯学習、この三つというのは三位一体のワンセットだと思います。つながることによってそれぞれの効果を高めていくと思いますが、この三つをつなぐ真ん中にあるのが、多分地域学ではないかと思います。
 地域に根ざした学習というのは、先程も言いましたように、表情を持った学習ということになりますから、学ぶことの喜びというのを、多分みんな実感できるのではないかという気がします。
 それでは地域学をどうやって進めていったらよいかということですが、これは個人の立場から考えるのと、皆さん方は多分個人というよりも支援者の立場にいる方だと思いますが、支援者の立場からだとおのずと違ってくるわけですが、個人の立場から地域学に取り組んでいくというのは、そう難しい話ではなくて、まず地域を歩くことなのだろうと思います。地域学というと、何をテーマにしようがとテーマから入りがちですが、地域学というのは「テーマありき」ではなくで、まず、テーマを見つけていくということが、実は地域学にとって一番大切なことなのです。テーマを見つける過程で実は地域のことが見えてくるわけです。
 テーマありき、ではなくで、まず行動を起こして歩いてみる。自分だけの関心でいいですから、ちょっと気になることを、ちょっと調べてみる。そこから、多分、地域学というのが始まるのだろうと思います。
 調べれば必ず新しい発見がある。燐の豆腐屋さんのことを調べるのでもよいと思います。そのように、ちょっと気になるものを調べればよい。例えばこの地域には、いろいろと歴史を感じさせる地名がたくさんあると思いますが、その地名調べからでもよいと思います。その調べ方も、全く本人独自のやり方でやればよいわけです。従って、地域学という世界には、ハンディキャップというのはないと考えてよいと思います。耳の聞こえない人は耳の聞こえないやり方がありますし、目の見えない方は目の見えないやり方がある。すべてのハンディキャップを超えて地域学というものがあるのではないか。
 まず自分のやりたいこと、気になることをちょっと調べてみるところから始める。それでだんだんとテーマなり方向性が見えてきたら、そのテーマなり自分が気づいたことを、周りの人に話していく。そして輪を広げていく、仲間をつくっていく。そのあたりから、だんだんと地域学が生まれてくるのだろうと思います。
 地域には必ずいくつかの情報メディアがありますから、それを使えばいろいろと自分が気づいたことを住民の人たちに知らせていくということは、今の時代は本当に簡単なのです。インターネットを使えば非常に簡単ですし、インターネットなどという無機質なものを使わなくても、まさに皆さん方の公民館というのは、その大きなメディアとしてある。
 公民館は本当に(“釈迦に説法”ですが)話を聞く場ではなくて、住民たちにとっては自分の意見を発表する場であるということに住民たちが気づいてくれれば、公民館をうまく使い込んでもらえれば、公民館も住民たちにとっての本当に大きな情報発信機器になるわけです。
 そういうことを気づかせていくことも非常に重要だと思いますが、住民の人たちは、テーマを見つけていろいろと調べていくと、何か発表したいという気持ちになってきますから、その発表する機会をみつけることです。
 発表すれば、あるいは発表しなくても、テーマを決めると、不思議なことに情報とか仲間はどんどん集まってくるものです。そういう形で、個人の場合は本当に肩に力を入れずにぽっと入っていけばよいのではないかと思います。
 支援者の立場としては、そういう動きを、仲間をちょっと広げていく、あるいは情報の発表の場をちょっと与えてやるとか、つまり住民の活動を起点にして、それを支援するような仕組みをつくっていくということが大切なのだろうと思います。
「山梨学」が一つの事例なのですが、地域学と称して、地域のことを勉強しようと言って、皆さんを集めてもなかなか集まってこないのです。そうではなくで自分が知りたいことを調べてもらうような仕組みをつくって(山形市の市民会議で、中学生の話をしましたが)調べたことを発表する場をちょっとやってみると、そこで面白い発表があると、みんなも聞きに来る、という仕組みをつくっていくことが必要ではないかと思います。
 地域学だからといって、最初から教室とか講座とか、テーマを考えるのではなくで、ともかく知ることを楽しんでしまう、遊んでしまうという感覚をつくっていくことが、非常に重要なのだろうと思います。そういう遊びを入口にして、地域学に取り組んでいるところが、いろいろな所にあります。

■ 公民館への役割期待の変化
(1)視点の逆転:公民教育から住民支援へ
 公民館への役割期待を簡単にお話しして、終わらせていただこうと思います。
 今までお話ししてきた中で、コモンズというのをかなり意識してお話ししてきたつもりですが、言葉に引っかかって恐縮ですが、「公民教育」という視点から、われわれはなかなか抜け出ていないのではないがという気がするのです。公民教育から、むしろ教育というよりも、むしろ住民が学ぶことをどれだけ支援できるか、というあたりを、これからの公民館は基軸にする必要があるのではないか。つまり「治める」という「統治」、「つくられた自治」というところから抜ける。
「つくられた自治」というのは、ある意味での「統治のための自治」と言ってもよいかもしれません。そうではなくて、本当の、住民が主役になるような自治に向けて何ができるのかということを、あらためてこれから考えていく必要があるのではないか。つまり住民を教えるのではなくて、もちろんそんなことは皆さん方は考えていないと思いますが、住民たちが学び合えるような場をどうやってつくっていくか。あるいは学び合いを通して、住民たちが、自分たちのまちを自分たちのまちと思えるような状況をどうやってつくっていくか。あるいは、学び合いによるコモンズの発見をどうやって支援していくのかというのが、非常に重要だろうと思います。つまり先程の「公」と「私」と「共」という世界から言えば、「共」の世界に立脚して考えていくということが、すごく主要なのではないかという気がします。

(2)新しい公民館の役割
 新しい公民館の役割という大仰なことを言うのはちょっとつらいのですが、「行政にとっての真実の瞬間」というところは時間がなくなったので省略させていただきますが、真実の瞬間というのが企業の中でかなり話題になっているのです。これは、スカンジナビア航空という会社が、企業の再建をしたときの物語がきっかけになるのですが、会社にとっての一番大切な仕事は何か、大切な瞬間は何か、ということを議論するということが、今、話題になっておりまして、それは、スカンジビア航空がそのモデルだったのです。
 同社が経常再建に取り組んだとき、自分たちの企業の運命を決する真実の仕事、真実の瞬間は何かと考えたとき、「第一線の人がお客様と接する一人当たり15秒の時間、これが企業の運命を決する真実の瞬間である」というふうに決めて、その思想に基づいて運営のやり方を変えていくのです。そして見事に経営危機から立ち直っていくのですが、その真実の瞬間を見極めるということが、企業経営にとって非常に重要になってきていると言われています。おそらく日本の企業のほとんどが、今まだ失敗しているのだろうと思いますが。
 行政にとっても同じことが言えるわけで、行政にとって真実の瞬間というのは一体どこなのか、ということを考えていくことが非常に重要な時期になってきている。やはり言うまでもありませんが、行政にとって一番大切な場面とか時間というのは、住民との接点だろうと思います。そう考えますと、皆さん方は、まさに行政の最前線にいるわけでして、まさに住民と行政をつなぐ立場にいるわけです。ある意味でコモンズというところに一番近いところにいる。そういうところにいる皆さん方が自治体行政にとって、あるいはまちづくりにとって、その真実の瞬間に触れている皆さん方が、その真実の瞬間の価値をどれだけ生かしていくのか、まちづくり、地域づくり自治体行政につなげていくのか、あるいは住民の生活の豊かさにつなげていくのか、というのが、これから多分問われているのだろうと思います。
 そういう意味で、新しい役割の担い手としてのアイデンティティーをきっちりとつくっていくということが、これから非常に重要になってくるのです。
 多分公民館ごとの地域学があるのだろうと私は思いますし、公民館ごとのアイデンティティーといいますか表情というのがあるのだろうと思いますが、それがあって初めて、大きな市の表情とか、アイデンティティーとか、あるいはもっと大きな地域の地域学というのが出てくるわけです。
 そういう、本当に下からつくりあげていく地域学、コモンズ、まちづくりに、これからぜひ取り組んでいただきたいなと思います。

(3)5つの分科会への問題提起
 最後に、更に五つの分科会への問題提起とありますが、これは内容について何かを言うつもりは全くありません。皆さん方の資料を読ませていただいて、失礼な言い方になりますが、非常に感服して、これだけしっかり取り組んでいるというのは「すごいな」と、その一言なのですが、ぜひこれからの議論の中で、もしできるならば、今申し上げたこともちょっと頭の片隅に置いていただきながら、改めて公民館のミッション、役割というものを考えていただきたいと思います。
 いうまでもありませんが、ミッションを考えるということはどういうことかと言いますと、これからの社会をどういう社会にしようとしているのか、ということにつながっていくのです。一言つけ加えますと、企業などでビジョンなどを出し、自分たちの会社の役割はこうだという、ミッションとかビジョンというのが非常に重要だと言われていますが、それがなかなかうまく実行されないのは、社会のビジョンがないミッションとかビジョンが、今のところ多過ぎるのです(企業の話をしています)。
 しかしこれからは、この社会をどういう社会にしていこうとしているのかという、社会に対するビジョンというのが、非常に重要になってくる。
 そうした中で、あらためて公民館のミッションとは一体何なのかということを、根本から考えていくべき時期に、今、来ているのではないかと思います。
 そして、できるならば、そのミッションを考え、具体的な運営などを考えていく上で、きょう申し上げたような意味での、コモンズのための公民館というのは一体何なのか、あるいは、コモンズの重要な一員として、コモンズをつくり上げていく一員としての公民館というのは一体どうあるべきなのか、というあたりを、ぜひ分科会の検討で、ちょっと頭に思い浮かべていただければ、たいへん嬉しいと思っています。
 実はレジュメの下に、私の名前と、ファックスとか電子メールが書いてありますが、これは私がPRをしようということではなくて、こういう話をすると、多分質問とかいろいろあると思いますが、その時は気楽にファックスなりメールを入れていただければ、2〜3日のズレはあるかもしれませんが、必ず返事をしますので、何かありましたらお聞きいただくということで書いておきました。不十分な話の内容はそれでご容赦いただければと思っております。
 長時間にわたり、話をお聞きいただき、どうもありがとうございました。

潟Rンセプトワークショップ佐藤修