木原産孝久さん(わかるふくしネットワーク代表)講演記録
コムケアセンター主宰交流会(2002年6月30日)での講演の速記記録
文責:コムケアセンター事務局

こんにちは。木原です。佐藤さんが中心におやりになっているこのプログラムは非常に新しいです。前から僕は幾つかの財団の助成事業にかかわっているんですけれども、助成だけという時代ではなくなってしまった。まさにトータルケアです。それがこれからの時代だと言っていたら、ぴたり佐藤さんを中心におやりになったので、僕はほかの財団にも、ああいうことをやろうと言ってもだめ。やはりそう簡単に動けないんだけれども。だから皆さんもちょっと戸惑うかもしれませんけれども、もう総参加の時代なんです。ただ財団が助成していればいいという時代ではもうなくなってしまったんです。どんどん参加して、金をふんだくればいいんです。

 きょう、私のお話はそこをテーマにします。NPOのこの発展の仕方は、大体、予想、期待したとおりでございます。それ以上かもしれない。やはり日本の社会を変える力というものはあります。最近のNPO、新しいNPOの中身を見ると大変なものです。ものすごく新しい。組織のあり方とか、日本じゅうの有力な人がばっとNPOに入ってきています。これはいい、いいけれどもそれだけで、例えば佐藤さんの言う、大きな福祉、広い意味での福祉はこのNPOのやり方でおしまい、完成かというと、ちょっと僕は違うと思うんです。もう一世代、福祉の営みというか、広い意味のあり方があると僕は見ているんです。だからもうちょっと先を僕は見ているんです。これは初めから見ていたんです。NPOはいいんです。もう1つランクというか段階があって日本の福祉は完成というふうに僕はいくと思っているんです。
 というのは、今、NPO人口がどれぐらいでしょう。わからないでしょうけれども、例えばボランティアという人口は今、全国で、全国ボランティア活動振興センターが700万人と言っています。750万人ぐらいと見ています。10年前が400〜500万人でした。10年たって人口当たり2%から3%しかふえていないです。これは1つの象徴的な数字です、実数ではなくて、これが正しいかどうかは別として。本当に皆さんは住民の一握りなんです。その一握りの皆さんで日本の福祉が広い意味ででき上がるかというのは無理だと思う。つまり、まだ大部分、9割以上はまだ参加していないんです。これは身にしみてきちんと腹に入れておく必要があると思います。いや、おれが引っ張っていくと、それはわかるけれども。

 最後の住民全員が支え合う、きょうのテーマではないけれども、支え合う、その営みの中に参加していく状態をつくるのは我々の最終目標だと僕は見ています。これはずばり、僕はそう思っているんです。死ぬまでどれぐらいできるかわからないけれども、だんだん残り少なくなってきたけれども。とにかく最後の福祉はそれだと僕は思うんです。この佐藤さんもそう言っています。

 先日、社会保障審議会、地域福祉計画づくりの指針が出ました。2002年2月でしたか。どうせおもしろくないから、僕はああいうのは普通見ないんだけれども。木原さん、見てみろよ、おもしろいから、今までと違うから見てごらんよと言われて、社会保障審議会福祉部会の指針についてを見たら、まず冒頭に、指針について「一般国民へのアピール」と書いてある。それで冒頭から、これは言うまでもないことであるけれども、福祉というのは国民すべてが支え合う、これを我々がどうやってはぐくみ生かすかというところにあるんだと。これはもう譲れないと書いてある。つまり、皆様が国民を引っ張るんではなくて、またはプロが引っ張るんではなくて、国民すべてが支え合うこと、これをどうやって我々が支え切れるかというところに課題があるんだという。これは新しい。僕はこれならいいよと思った。
 中身をだんだん見ていたら、福祉関係機関とかNPOがサービスを国民にあげるという考え方はもうやめましょうと。これからは、お互いが感じている生活課題を持ち寄ってみんなで解決していくという福祉に変えたいと書いてあった。まさにそれじゃない。大きな福祉というのはそれじゃないかね、そうですよ。そうすると、そういうのはいろいろやっているだろう、商工会にしてもそれぞれ。だからこれからは、福祉、福祉と言うのではなくて、地域おこしだよと。地域おこし、だからコミュニティ・ビジネスもあっていいし、もう統合しましょうと書いてある。すべての分野と一緒に生活課題を解決していくとなったら、全部入ってしまう。それを福祉と見ましょうというんです。冒頭はずっと気に入った。
 本論になるともとの福祉に戻ってしまうんです。要援護者をどうサービスするか、それに住民をどう参加させるかと。何だ、違うじゃないかと思って、どうしてかと思ったらノウハウはないんだね。国民すべてが支え合うということをどうやってはぐくみ生かしますか。ないんですよ。どうしてですか。住民は何もしていないと思っているわけです。我々は、そうでしょう。
 だから皆さん、きょう、社協の皆さんいますか。福祉活動計画をつくるときは、だれだれという要援護者がいる。これはすぐにわかる。それに対してボランティアは民生委員さんと福祉推進委員さんとあとは老人会をどうやってネットで見守るかなんて。住民は見守っているかもしれません。しかし、それはゼロと思っているわけです。我々は、住民をなめたもんだね。皆さん、本当にそう思いませんか。皆さんも、住民は何もしていないと思っているでしょう。とんでもない。僕は20数年それをやっていますけれども、きょうは時間がないのでお見せできないですが、そういうフィールドワークを徹底してやっていまして、今それを社協の方が大分食いついてきたんで随分広がっています。住民をばかにしてはいけない。
 そこで最後の国民、つまり9割の国民が助け合いましょうよと動く。これを皆さんの力でどうやって側面を支援するか。僕は次世代ワーカーと言うんだけれども、もうそちらに行っている方もいる。いるけれどもまさにNPOがいつ、そちらへいつ向かっていただくかという期待が……。きょうも来ておられます。ちゃんといるんです。そういう方もいるんだけれども、全体を見て、例えばNPO法ができる前、一所懸命に田中さんという男性があちらこちらでロビー活動をしたり、全国を回ってとにかくNPOと言ってる時代に、北海道だったか、ある団体が、NPO推進セミナーを開いて、僕は分科会を担当したんです。これで、まだNPOがNPOと言われる前、これからNPOをしましょうという、その一部の連中がわっと動き出した、あのときです。
 分科会がありまして、そこで1人の方が僕にこういう悩みを言った。これは非常に象徴的でした。木原さん、最近困ることが起きてきたのよ。どうしたの。つまり、お年寄りを呼んで一緒に食べましょうねと。福祉関係の皆さんもどうですか。私、会食サビ−スをしていて、一緒に食べましょうね、また来週ね、とあれだよね。やっているのよと。どうしたのと言ったら、最近、出席者が減ってきたと言う。死んだと聞かないのでどうしたのかと思って、最近来ないお年寄りを回ってみたのよと。何だと思いますか。どうしたんですかと言ったら、自分たち2〜3人でつくって食べているのよ。それはどうかしましたかと言ったら、そういうもぐりでやられたら困るのよと言うんです。こちらの活動が消えてしまうじゃないと言う。だめよ、そんなもぐりをやったら、ちゃんとこちらに来なければだめよ、おばあちゃん、こうなった。あれと思った。
 もう1人は食事サービス、つまり配食をしている人がいて、もう500食よ、来年は1,000食と、まるで社長みたいないい気分で、あれ、これが福祉だったかなと思った。NPOもいい、いいのよ。これはいいに決まっている。ただし、こうなってしまったら今の福祉と同じではないかということなんです。来年は1,000食、何がだめ、スタッフの教育が大変よと言って、もう予算がなかなか足りないし、大きな釜を買わなければ、業務用の何とかを買わなければと。それはもう格好いい。私は社長だからという感じで、あれと思って、これは従来の福祉と同じではないかと思った。本当の福祉というのはそうなのかなという。
 今ならどうですか。そこで、やっとお年寄りが相性の合う人を見つけたわけだよね。やっと自分たちでつくろうと思い始めたわけだよね。これはチャンスじゃない。そんなのは決まっているじゃないかと思いますか、どうですか。それとも、えっと思いますか。そこなんです、皆さん。そこなんです。ほかでも行ってみたら、会食はみんな困ると。やはり減ってきているんだね。聞いてみたら、自分たちでつくっているのよ。みんな困ると言うんだ。1,000食、来年は2,000食、やはりNPOではなくて、社会福祉法人にしなくてはと。嫌なことを言うけれども、だんだんここがこんなに高くなってしまって、ちょっと手に負えなくなってしまった。あれ、こういうのが福祉かなというふうにだんだん感じ始めたときに、たまたま先ほど言った地域福祉計画の推進の指針を見たら、何だ、わかっているじゃないかと思った、つくった人はだれか知らないけれども。
 つまり筋はわかって、ただしノウハウがないわけです。きょうは出さないけれども、僕が持っていますからあげましょうか。そこでだんだんわかってきたんです。つまり、住民の支え合いにどうして皆さんは気がつかないかということです。一般の方はやっていないように見えるでしょう。やっていないように見えるというところにくせ者があるわけです。

 今までいろいろ住民に参加を求めました。これは間違いない。プロは一応参加を求めました。何十年、参加しましょう、参加しましょうと言ってきました。僕も40年福祉をしていますけれども、プロの呼びかけに、なかなか反応しない。そうでしょう。これは身にしみて感じているでしょう。全く意識が低い。そこで、福祉教育というのが生まれてきて、福祉教育学会があるわけです。
 なぜ反応しないのか。僕は30年ほど前にそこから始めたんです。なぜ反応しないのだろうか。いいじゃない、福祉なんだから、いいことなんだから参加していいじゃないかと思ったでしょう。わかってきたんです。住民には住民の流儀があるんです。流儀があるんですよ。それは、最近「住民流福祉の発見」という本を書きましたけれども、住民には住民の流儀がある。皆さん、ほとんど従来の福祉でしょう。だから関係者の福祉とちょうど反対なんです。なぜ反対になるかということはいろいろあるんです。

 簡単に言いますと、1つは従来の福祉はやる側からつくり上げているんです。やる側からつくっているんです。だからやりいいようにつくるわけです。皆さん、やりいいようにつくるとなるとどうしますか。施設をつくるわけです。痴呆老人ホーム、特別養護老人ホーム、何とか老人ホーム……。この前もある老人保健施設に行ったら、看護長が案内してくれた。木原さん、1階が軽ぼけ、2階が中ぼけ、3階が重ぼけだよと言って、きれいに分ける。分けるとやりいいと思うんですかね、そうでしょう。
 つまり、やりいいように私たちがつくるから、人を分別し収集し、そこにプロを差し向ける。つまり、あれは全部、やる側からつくっているんです。住民はやられる側からつくっているんです。やる側からつくったから利害が反対なんです。
 例えば、皆さんはやった気がしたい。皆さんというのはちょっと象徴的に言っているんです。やった気がしたい。きょうはデイサービスをやったな、大変だったな、一杯やりましょう、またあす頑張りましょうと。これはやったかどうかわからなければ張り合いがないでしょう。やった気がしたい。やった気がした事業は住民から見たらやられたと思っています。きょう、やられてしまった、プライドがぼろぼろだよと。そういうふうに見ています。だから利害が全部反対なんです。それが介護保険で見えてきた。福祉とは何ぞやがだんだん見えてきました。
 例えばこの前、長崎のある小さな社会福祉協議会に行ったんです。木原さん、おれのところも介護保険をやったんだけれども、困ることが起きていたよ。どうしたんだい。住民がヘルパーを選び始めたんだよと言うんだ。選び始めた。だれだれヘルパーをお願いしますと来るんだ。指名してくると言うんだ。とうとう指名ばかりされる人とされない人の差ができてしまって、ローテーションが組めなくなってきてしまったよと言って、そろそろ指名料を取るかと言っていた。指名料だって。あのリンコちゃんは高いんですけれども。いい、高くてもいいなんて。まるでキャバレーか何かみたいだけれども。
 これをこの前、京都の施設長会議でしゃべったら、木原さん、おれのところはもう指名料を取っていると。ベスト10を決めるんだって。ことし一番指名料を取った人からベスト10決めて……。だってお客様は神様だものね。お客様は神様だ。だんだんそういうふうに選び始める。するとどういうことが始まるか。おもしろいね、あと5年ぐらいたってみるとどんなことを遂げるか楽しみです。

 この前、私のかみさんが朝日新聞の投書欄を見ていたんです。あなた、おもしろいよ。どうしたの。ある奥さんが、義理のお父さんがぼけてきたので介護保険をお願いしたら、デイサービスがオーケーになった。お父様。何じゃ。デイサービスセンターへ行きましょう。嫌じゃ、わしはプライドが高いと言った。弱りました、デイサービスセンター屋さんどうしましょうと言ったら、奥さん、こうしましょう、ホテルということにしましょうと言ったんです。向かいに行くときはトレーナーではなくて、ちゃんと蝶ネクタイにホテルマンの格好をして、お向かいに上がりましたと言ったら、行くと言っているんだね。お父さんはホテルへ行っていると思っているんです。なぜホテルならいいかです。これはおわかりだと思う。これは、られる側から見たらわかるわけです。
 これをこの前、福井のケアマネジャーのセミナーでしゃべったんです。そうしたら、木原さん、私の働いているデイサービスセンターでも同じ話があるわよと。何だと聞いたら、あるおじいちゃんが来ているんだけれども、一日じゅうぶつぶつ言っているんだって。何を言っているのかと思ってよく聞いてみたらこう言っているんです。わしはホテルにいるんだ、わしはホテルにいるんだと言っている。みんな同じだね、気持ちは。
 これを今度、神戸のNPOの連中にしゃべったら、木原さん、私のところもあるよと。何だと言ったら、中村順子さんという有名なNPOでは、生きがい型のデイサービスセンターを2つ持っているのよ。そこでポイントカード制にして、15点か何かたまったらプラザホテル、あそこで1日高級デイをする。みんな15点になるまで一所懸命集めるんだって。これです。ホテルでデイだよ、格好いい。それは、おもしろいから、テレビか何かにのってしまったらしいんです。そうしたら、周りのデイサービスセンターから、わしもあちらに移りたいと言い出した。みんな同じことを考えている。ホテルならどうしていいんですか。これはおわかりでしょう。
 まず福祉と見えないです。当事者は、福祉と見えないようにやってくれよと叫んでいるわけです。皆さんだってそうでしょう。いえ、私は受けることはないと思っているんでしょう。つまり今の福祉のおかしさというのは、私はやる側、死ぬまでられる側にはならないという変な錯覚を持っています。あちらはやる側、わしはられる側で、ずっときれいに分けてあるという。今の福祉は不思議なことをやっている。
 だから最近になって、戦後50年たって、日本の戦後の福祉をつくった方がられる側に今、移行しつつあるわけです。何が起きていると思いますか。時間がないから1つしか言わないけれども、日本の老人福祉をつくった方、わかってしまうから、名前は絶対に言わない。その人が今、ほとんどの先駆的な老人関連施設をつくった方です。H先生としておきましょう。これでわかる方もいる。その方が今、要介護状態になって、部下の1人が進言したそうです。先生。何じゃ。大分、先生はおやりになってので、そろそろ先生のおつくりになったあの御自慢の特養に入りませんかと言ったんだって。そうしたら急にわっと泣き出して、あそこに入れられるのだけは勘弁してくれと。わっと泣き出したというのは非常に臨場感がある。私が入るところではないんです。そんな福祉を住民が納得するはずがなかったんだ。考えてみれば、そうですよ。

 最近、NPOで優秀なのが出てきた。これはNHKのワカオ財団で僕は審査員で、この人と言って推薦したんです。埼玉県の川口市で、園田さんという人が介護サークルかがやきをやっているんです。いいセンスしている、僕は気に入ってしまった。もう60幾つなんです。自宅でデイサービスセンターをやっている。園田さん、どうして自宅でやるのと聞いたら、私はそろそろ要介護状態になりそうだから、私の入りたいデイサービスセンターを探した。ずっと周りを探したけれども、1つもなかった。だから、私が老後に受けたいデイサービスセンターを今からつくることにした。いつも私がられた場合にどうかなと思ってサービスをつくっているんです。日々こうやって、いつもひっくり返して、全部、もう徹底しています。ではどうして自宅でつくったのと言ったら、それは木原さん、朝、目が覚めたらデイサービスセンターだよねと。まだ、こういう人はなかなかいないね。私は受けるに決まっている。受けるに決まっているんです。だから、私がこれならいいという受けるサービスを私はつくるんだと。一見当たり前のようだけれどもできますか。皆さん、失礼ながら。ここですよ。そういうあたりがこれからのNPOの進むべき方向につながっていくんです。
 つまり住民の流儀。結局、住民総参加の福祉というのは、住民の流儀でやるよりほかにないんです。僕は40年見た限り、住民は皆さんの土俵に乗ってこない。これは頑固です。ボランティアしたければ、ボランティアセンターに来い。嫌だよ。嫌だよと言い続けていますよね。来ていないでしょう。来ていませんよね。あれは来ているとは言わない。そうでしょう。絶対に言うことを聞かない。皆さんの土俵には乗らない。ではどうする。我々が向こうの土俵に乗る以外にない。よく考えてみたら、それは文句がないはずなんです。られる側から見て、つくるという福祉は皆さんが老後に受けてもいい福祉でしょう。

 これも余り言いたくないけれども、この前もあるデイサービスセンターの職員たちと話していたんです。あなたたち、老後にここを利用するかと聞いたんです。老後に、あなたのやっているこのデイサービスセンターを利用するかと言ったら、みんなで、嫌だと言っている。あんなちいちいぱっぱなんかやるかと言っている。ちいちいぱっぱは知っていますね。手を上げて結んで、こちらを上げてこうやってというあれ、人にやらせておいて……。みんなで嫌だというのは驚いた、僕は。自分が受けたくない福祉を相手にやる。そんな話はないよね。
 だから、きょうはフィールドワークの話はしませんが、住民のやっていることをよく見ていると、世話やきさんがいます。これは住民流の活動家なんです。世話やきという人が住民から見たNPOなんです。僕は世話やきさんとあちらこちらで、全国でお会いしているんですけれども、何か、いわゆる従来の福祉の活動家と違うんです。いろいろ見て一番違うのは、サービスをするのはもちろんうまいと同時に、助けてもらうのもうまいんです。10助けてあげたら、10助けてもらっている。皆さん、それはしたたかなものです。なるほど、これは全然違うなと思って、いわゆる活動家と住民流の活動家である世話やきの違いはいつも助けてもらう。だからいろいろ助けてあげながら、きょう車がないんだけれども、あなた私を運んでくれないかなんて平気だもの。私の移送ボランティアはあれとあれとあの人だよなんて平気なものです。つまり両方ばっちり持っている人だ。これから本当の福祉をわかる人は両刀使い、宮本武蔵。そこのところは難しいところです。
 そうしますと住民の流儀は、要するに簡単なんです。それだけではないけれども、ほとんどは、られる側から見ていい福祉なんです。られる側から見て何が問題なんですか。僕は単純なんです。頭はよくないから単純に考える。られる側から見て何が一番の大事な要件ですか。私のプライドをつぶしてくれるなということなんです。これだけのことです。これでほとんどだね。ではプライドをつぶされないように私を助けてくれる方、つまり皆さんから言うと、相手のプライドをつぶさないようにする方法とは何ぞや、こうなるでしょう。たくさんあるんです。

 一番大事なことから最初に言ってみましょうか。つまり人間は助けてもらうのは嫌なんです。皆さん、助ける側は楽なんだ。楽とは言わないけれども、それは大変だろうけれども、助けられる側から見たらとてつもなく楽です。このられるのが大変なんだよね。自分のつくった施設に入るのに、日本の最高のプロでさえ泣いてしまうんだから。皆さん、すごいでしょう。人間というのは助けを求めるのはそれほど嫌なんです。そうです、簡単に言ってはいけない。僕は、サービスをあげるから行きなさいなんてよく言うと思う。在宅支援センターに来なさいなんてとんでもないことです。皆さんだってそうでしょう。皆さんのお母様が要介護状態、お母様、ちょっと今、在宅介護支援センターに行ってくるからなんてそう簡単に言えない、そうでしょう。そうすると、プライドをつぶされないで福祉サービスを受ける方、つまり皆さんから見たらする方が1つなんでしょう。
 でも、全国に、助けてもらうのが嫌なのに、平気の平左で助けてもらっている人がいるんです。どこにもいます。この前も、僕は初めて見つけたのは長野県の塩尻というところなんです。木原さん、私の住んでいる隣のおばあちゃんはおもしろいんだよ。ひとり暮らし老人なんだけれども、朝起きたら近所のうちをずっと10軒ぐらい回るんだって、おはよう、おはようと。へえ、あいさつして何しているのと言ったら、Aさんおはよう、あんた私を病院に連れていって、Bさんおはよう、あんた私を散歩に連れていってと指示して回っているんだね。帰って助けられ記録をつけている。きょう、だれに何をさせ、だれに何をさせたと。あれ、人間は助けてもらうのは嫌なんだけれども、この人はおかしいのかなと思った。なぜなんでしょうと僕は考えた。おかしい、人間は助けてもらいたくないんだ。ましてや近隣の人に、そうでしょう。何だろう、この人はと思ったらわかったんです。いろいろ頭を下げて、すいませんね、またあしたすいません、こうやるでしょう。やりながら腹の中では私が使っていると思っているんだよね。これを英語で言うと、セルフマネジメントというんです。御存じでしょう、どうですか。

 僕は、セルフマネジメントと前から使っていた。自分が助けてもらう状態は自分で考えて自分であんばいする、そのプロデューサーです。アメリカの文献を見たらセルフマネジメントと書いてある。おれと同じではないかと思った。そうしたら、きょうここに野村さんという人が来ていますけれども、ケアプランは当人でつくるんだ。それを野村さんは一所懸命応援しているんです。こういうのを次世代ワーカーというんだ。それは難しいよ、お嫁さんにケアプラン、難しいよ。そういうのはケアマネジャーがやるもんだよ、こうでしょう。そういうことです。つまり今、福祉は一見前に進んでいるようで、若干ちょっと下がってしまったんだね、介護保険をすることによって、若干下がってしまうのです。そういうことなんです。
 それから先ほど、つまり当人がプランを立てることなんです。それを応援するんです。いかに易しくつくれるかを今、ノムラさんたちは考えているわけ。今の福祉は、難しいので、私に任せなさいでしょう。違うんだよね。福祉は私が考えるんです。住民は徹底しています。

 例えば、閉じこもり屋さんがいるでしょう。閉じこもり屋さんというのは皆さんを困らせている人です。民生委員を困らせている人です。行くと、ほうっておいてくれと言われる人です。民生委員さんは必ず数名確保して困っています。私が行っても、閉じこもってしまってどうしようもないのよ。結構ですと言われて、事故が起きると民生委員はどうしているでしょう。私は、困ってしまうのよ。こうでしょう。住民はどうしていると思いますか。それは。簡単なんです。実に簡単なんです。きょうお見せしてもいいくらいだけれども、閉じこもり屋さんを調べればいいんです。調べる。出かけていく。どこに行くのかな。何だ、八百屋の奥さんにしゃべっているじゃないか。また出かけていく。診療所の看護婦さんに相談しているじゃないか。こういうことです。相談する相手を5人ぐらい持っています。皆さん、あえて言うけれども間違いないよ。人間、命は惜しいんだよ。5人ぐらいは確保するものなんです。だから、本人がこの人はいいと認めた人を通せば、民生委員を通せば通じるんです。それだけのことなんです。皆さん、本当は簡単なんです。住民には難しいことはないです。
 つまり当人主義なんです。住民は徹底して、当事者主体なんです。だから、こういう人がいます。木原さん、この前、私の友達3人でヘルパー2級を取ったのよ。何をやろうかと思って、ふれあいサロンを開こうと思って、ある古いうちを借りて数百万をかけて改造して、さあ皆さんおいでなさいと言ったんだけれども、1年間だれも来ないのよ。全く頭にきてしまったわ、住民の意識が低いんだ、こう言うんです。住民の意識が低いんではない、見込まれなかったの。厳しいです。見込まれない人はだめなの。全国にたくさんいます。みんな住民の意識が低いにしてしまっている。
 見込まれる人はすごい。毎日4〜5人相談に来ています。僕はそういううちを回っていますけれども、さすが選んだだけのことはある。その人はなかなかの人です。普通のおばちゃんです。皆さん、普通のおばちゃんだけれども、選ばれたところからものすごく来ている。社会福祉協議会の心配事相談所どころではない。住民は天性主義なんです。生まれ持っての資質なんです。厳しいです。しかし選んだ以上、その人にはちゃんとニーズを出しているんです。
 あとは何がありますか。まだまだあります。先ほどのホテルは何ですか。見え見えでやってくれるなでしょう。見え見えでやってくれるなの話。見えないように、見えないように。それから、私が助けられる一方、困るんだよと言っています。私が助けられる一方は困るんです。住民が、この双方向主義というをものすごく守っています。皆さんは、いいじゃないの、おばあちゃんは寝たきりなんだから寝ていていいんだよ。私がやってあげるから、今さらあんた、お返しなんていいからさ、こう言うでしょう。全く人間をわかっていないと僕は思う。

 人間には心の貸借対照表がありまして、ここに心の貸借対照表をやっているんです。負債と資産がありまして、例えば私の隣の人が近藤さんという。木原さん。何、近藤さん。きのう仙台に行って笹かまぼこを買ってきたからどうぞと言われたら、私の負債がふえるからちょっと傾くんです。困ったな、早く返さないといけないな、じゃ旅行に行ってこようと北海道に行って、近藤さん、北海道に行ったからサケを買ってきたよ。私は戻るんです。今度、近藤さんが傾く。また旅行に行かなくてはいけないというので、お互いに旅行し合っているんだよね。
 つまり、おすそ分けをもらっただけで落ちつかないでしょう。朝から晩まで皆さんにおむつを交換されている人を考えてごらんなさい。こんなになっている。私の貸借対照表をどうしてくれると言います。皆さん、どうしたらいいと思いますか。私だって人の役に立っているんだよです。これで戻るんだよ。皆さん、ひとり暮らしの方でしたたかに住民にいろいろ助けさせている人はいますから、一度行ってみるとわかる。間違いない、皆さん。相当数の人が助けに来ていると、この人はよく平気だなと思うでしょう。大丈夫、同じ量をしているものね。これは、不思議なものです。ほとんど等量だね。厳密に守っています。寝たきりであろうと、負債はつくりたくない。これです。木原さん、無理じゃない。私は元気だからそういうことをやっているわけでしょう。寝たきりのおばあちゃんは無理じゃないよ。無理じゃないんだ。これから、皆さんの努力の仕方なんです。
 地域通貨の流通がとまってしまうんです。結局、こちらは弱っているからお返しができないです。払うお金がなくなったらどんなお金であろうととまってしまうんです。こちらはもらう一方で、みんな長者になってしまっているわけです、そうでしょう。全国そうでしょう。流通を再開するためにはどうしたらいいですか。もう簡単な理屈だよね。いつも支払っているおばあちゃんももらえるチャンスを探さなければいけない。こちらは、いつももらっている人はお金を払うチャンスを見つけなければいけない。この努力を今する気があるかということだね。
 これは、アメリカのエコマネーを見てきた久保田さんが、木原さん、アメリカは流通していると。つまり、いつも助けてもらっている要介護だって担い手になれるチャンスがあるのよ。それでエコマネーというお金で決済されていると言うんだ。例えばどういうことと言ったら、ボランティアさん。何、おばあちゃん。いつもあんたにお世話になっているから、きょうはあんたにお返しをする。何をしてくれるの。あなたを一日祈ってあげると言うんだ。祈ってくれると。皆さんどうですか。木原さん、祈ってあげるからありがたく思え。10ドルよこせと言ったら、ふざけんじゃないよと。おれのやっていることで祈るだって、何を言っているんだと思うでしょう。どうですか、ここだよ。アメリカのすごさはこういうところがあるね。

 ある学者がアメリカのホスピスをずっと見てきて驚いたと言っていた。200名ぐらい80歳過ぎの男性ボランティアが来ていると言うんだ。85歳ぐらいの男性ボランティアが200人ぐらいあちらこちらのホスピスにボランティアに来ていると。何していると聞いたら、ベッドの脇で座っていればいいんだって。どちらが先に逝くかという……。いるだけでいいボランティア、日本はいつごろこれを認めるかね。だめかねこれは。
 皆さんは気がついていないだけで、もしかしたら、皆さんがした分、ちゃんと相手は皆さんにしているつもりかもしれません。そこをどれだけ認めてあげるか。双方向です。それどころじゃない。だって要介護1の人より2の人の方が傾いている。そうでしょう。要介護度で言うと、2の人より3の人が傾いている。ということは、1の人より2の人の方にボランティアチャンスをあげなければいけない。2の人より3の人が、そうでしょう。

 僕はこう言っているんです。やってもいいけれども、ボランティアは元気なうちはまだいい。弱ったらそろそろボランティア。寝たきりになったら本格的にボランティア。ぼけたら絶対ボランティア。死ぬ前は何が何でもボランティア。こういう事例があるんです。皆さんが助けているあの要介護度の高い、あの方にいかに人のためにできるチャンスを探すかという。変な話、それがいかにその人への最高の福祉効果だね。こういうことは住民の世界では当たり前なんです。僕はこれをボランティアセラピーと言っているんです。ボランティアすることによって生ずる治療効果。アメリカで調べてみたら、ヘルパーセラピーと言っている。ちょっと似ていた。ヘルパーセラピーと言うんです。向こうはそうでしょう。要援護の非行少年というと、もう必ずボランティアをさせるでしょう。効き目を知っているんです。

 日本だってそうです、皆さん。この前もある新聞に載っていました。読売新聞に載っていました。おれはどうしても酒がやめられないと言うんです。どうしても酒がやめられない。しようがないから、アルコール依存症の会をつくったと言うんです。アルコール依存症の会をつくっても、まだやめられないと言うんです。しつこいね。どうしたかというと、おれが酒をやめられないのはちょっと脇に置いておいて、当分新人の教育に当たることにしたと言うんです。これは、おかしいよね。君、酒をやめたまえ。だって先輩だってまだ飲んでいるじゃない。それはいいの、おまえはやめろと言うんだもの。むちゃくちゃでしょう。いいんだよ、セルフヘルプグループというのはみんなやっているんです。セルフヘルプグループはそれをやっているんです。自分が問題を抱えているくせに、一所懸命、人の問題を解決しているんです。なぜしたがるんでしょうか。これがヘルパーセラピーです。それを2〜3年やっていて振り返ったらやめていたと。

 自分の頭のハエも追えないくせにと言うでしょう。あれは違うんです。自分の頭のハエを追えないときはそのハエはちょっと脇に置いておいて、当分は人のハエを追えばいいんです。おもしろいです。一所懸命、無我夢中で活動している人は何か問題を抱えているんです。皆さんがそうとは言わない。言っておくけれども、これでいいんです。そうでしょう。いいんですよ。ここは間違えてはいけない、ここでいい。
 そうしたらこの前、あるボランティアセンターの作業員が、木原さん、あれもそうかな。どうした。ある奥さんが毎日ボランティアセンターに活動に来るのよ。奥さんに、どうしてそう毎日そんなに活動しに来るんですかと聞いたら、うちに夫がいるものですからと言うんです。それもそうかね。つまり皆さんは元気だからする方、相手は弱っているからされる側、それでいいのか。冗談ではないです。反対です。ここのところ、ポイントを押さえておかなければいけない。

 この前、長野県の武石村というところに招かれた。いずみの会という有名なデイサービスセンターづきのボランティアグループがあるんです。もう20年来僕も知っているんです。島田トミさんという人から、木原さん、うちのメンバーにもあんたのボランティアの話を聞かせたいから来てくれよと言った。行くよ、と行った。メンバーが、デイサービスセンターの前に勢ぞろいしてくれた。ほとんどの人の腰が曲がっている。島田さん、みんな年じゃないか。だってそうだよ、20年前は平均55歳だったからと言うんだ。それで75歳。相手は何歳だいと言ったら、同じだと言うんです。まぜこぜになってもわからないじゃないかと言ったら、大丈夫だよ、私たちはこれを着ているからねと。浅黄色の服を着ているんです。これがボランティアだよ。これを着ていると何かいいことがあるかねと言ったら、これを着ていると風邪1つ引かないんだよと言うんだ。ボランティアをする側が元気なんだ。そんなにこれを着ると元気なら、これを相手に着せるべきだと僕は言ったんだ、そうでしょう。そうなんだよね、ぼけた方は着せろ、着せろと言うんだ。皆さん、これから1日交代で着なさいと言ったんだ。
 ところで、島田さんは幾つだ。85歳だよ。元気か。元気じゃないよ、毎日心臓発作だよ。その後で言ったことがすごかった。朝になるとデイサービスセンターから車がお迎えが来るんです。島田先生はえらいんです。先生、お迎えですと車で来るんです。木原さん、あのお迎えの車が来なかったら、本当のお迎えが来てしまうよと言っていた。こう言ったら大変です。島田先生。何だい。そろそろ御引退をと言ったら、その日に死んでしまうかもしれない。この世を引退してしまうかもしれない。それぐらい人のためにするということは皆さんが独占してはいけない。これが住民の流儀です。どうですか、住民のやり方は変わっているでしょう。この奇妙きてれつなことが、まだまだたくさんあるんです。幾らでもあります。10時間でも20時間でももつけれども、あと2〜3分、1分しかない。

 最後に1つだけ、住民はセルフと言います。なるべく助けてもらいたくないです。同じ境遇同士で助け合いたいんです。だから会食をやったら、相棒を早く探そうと思うんです。早く自分たちでつくろうと思うんです。ふれあいサロンだってよく見ているんです。皆さん、ふれあいサロンというか、ミニデイをやっている方は、1年たったらちゃんと、みんなで、2次会をつくっていますから。知っているくせに、それを、みんな見たくない。みんな、知っているんです。あの人とあの人がだれのうちに集まっていると知っているくせに見たくない。それは、嫌なの。ここです。住民、当事者にどう返していくか。皆さん、だからやっていいんです。活動はやっていい。サービスもいいです。ただ、当人にいつでも返そうという気があるかということです。または近隣の人に返していく気があるかです。
 この前、ヘルパーや民生委員でそういう人がいるんです。もしかしたら、これもセンスかね。あるおばあちゃんの家におむつ交換に行くでしょう。近所を必ず数件回るんだね。ガラガラ、すいません、だれのうちに来ているヘルパーですけれども、私が行けないときは皆さんがおむつ交換してあげてねと言うんだって。こういう人がいるんです。そういう人が最近つぶやき始めたと、あるワーカーから来ました。木原さん、ヘルパーたちが言い出したよ。以前はそうやって近所を回ったけれども、できるだけ皆さんで支えてあげてねというやつです。介護保険になってやらなくなってしまった。そうでしょう。理由はわかりますね。そういうことです。

 住民の支え合う、はぐぐみ育てるのは、何を言っているんですか。そうでしょう。育てるということは返すんです。皆さんがとらないで返すんです。とらないでというのは厳しいけれども、やってあげていいんです。これはいい、いいけれども、いつ、どういうふうに、当人に返すか、または近隣に返すか、住民のだれに返しますか。
 僕は住民の中にずっと入っていってつくづく感じたのは、住民は、あそことあそこにヘルパーが入っている、あそこの人は老人保健施設に入っていると。つまり、住民は、プロの手が入ったうちはちゃんと知っているんです。それをどう思っていますか。あそこはもう我々素人はさわってはいけないと思ってしまっているんです。だから、いかにもプロがさらっていってしまっているというんです。要援護者を住民からさらっていってしまって、これで、我々に参加せいと言うのか。皆さん、そうですよ。さらっていってはいけないんです。なるべく返すんです。それを自立支援というんです。そうじゃないですか。そうでしょう。これから自立支援なんかだれがしますか。わざわざみすみす客を捨てることなんかしないのに。そうでしょう。特養だって自宅に返さなければいけないんだ。そうでしょう。返すんです。それがプロじゃないですか。どうですか。返す気ありが、これがない。
 では、社会保障審議会のあれは何になるんだ。そうしたらどういうことになるんですか。僕は今、地域福祉計画づくりの住民の支え合い支援の部分だけのマニュアルをつくろうと思いまして、提供しようと思っています。それ以外ない。あとサービスの方は皆さんが知っているでしょうから。
 というふうに、最後の福祉は何であるかへ向けて、確かに今、NPOは最高潮、いい、すばらしい、わかっている。これは必要だった。しかし、もう次にある。そちらもちらちらと見ていただくと、それがもしかしたら皆さんの進むべき方向を示唆しているかもしれないと僕は思うんです。こんな感じで私のしゃべりは終わらせていただきます。ありがとうございました。