「ホモ・デウス」仮説
カフェサロン「『ホモ・デウス』が予告する政治の未来と民主主義」配布資料

■認知革命によって「ホモ・サピエンス」が生まれた(「サピエンス全史」)。

■ホモ・サピエンスは創造主の神から解放されて、人間至上主義教(ヒューマニズム)を生み出し、自分たちの王国をつくりだした。
・それまでは宇宙の構想が人間の人生に意味を与えていたが、人間至上主義は役割を逆 転させ、人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然だと考える。
・人間の自由意志こそが最高の権威であると、人間至上主義は何世紀もかけて私たちに納得させてきた(人間至上主義の革命)。
・人間全員に価値を認める人間至上主義は、争いは称賛するべきものだと主張し、20世紀後半、人類は生産手段をめぐる論争が高じて、自らを跡形もなく消し去りかけた。

■自我の誕生は、「人間」から「個人」へと主役を変えた。
・自我意識が生まれることで、「人間」は「個人」として自立し、「個人の尊厳」「人権意識」という考えが生まれた。
  ・人間には自由意志があるとされ、個人主義が自由主義に大きな価値を与え、さらに民主主義の価値を高めてきた。

■ホモ・サピエンスによるAIの創造
・テクノロジーの発展で、外部のアルゴリズムが人間の内部に侵入し、私よりも私自身についてはるかによく知ることが可能となり、個人主義の信仰は崩れ、権威は個々の人間からネットワーク化されたアルゴリズムヘと移る可能性がある。
・人間をコンピューターアルゴリズムに置き換えるのは、ますます簡単になっている。    アルゴリズムが進歩しただけではなく、人間が専門化しているからでもある。
・AIは人間に似た存在には程遠い。だが、現代の仕事の大半をこなすには、人間の特性と能力の99%は余剰でしかない。
・データ至上主義も中立的な科学理論として始まったが、今では物事の正邪を決めると公言する宗教へと変わりつつある。
  ・18世紀に人間至上主義が世界観を神中心から人間中心に変えることで、神を主役から外したように、21世紀には、データ至上主義が世界観を人間中心からデータ中心に変えることで、人間を主役から外すかもしれない。

■種としてのホモ・デウスへの進化か、人類の消滅か
・データ至上主義の視点に立つと、人類という種全体を単一のデータ処理システムとして解釈できる。一人ひとりの人間はそのシステムのチップの役目を果たす。さらに効率的なデータ処理システムの創造によって、この任務が達成されたなら、ホモ・サピエンスは必要なくなる(消滅する)。
・AIにより人間は経済的にも軍事的にも無用になるかもしれない。軍と企業は知能が高い行動主体なしでは機能できないが、意識や主観的経験は必要としない。
・データ至上主義は、ホモ・サピエンスが他のすべての動物にしてきたことを、ホモ・サピエンスに対してする恐れがある。彪大な数の余剰人員をどうするか。
・やがてテクノロジーが途方もない豊かさをもたらし、無用の大衆がたとえまったく努力をしなくても、おそらく食べ物や支援を受けられるようになるだろう。
・最初の認知革命による心の刷新で、ホモ・サピエンスは共同主観的な領域へのアクセスを得て、地球の支配者になった。第2の認知革命では、ホモ・デウスは想像もつかないような新領域へのアクセスを獲得し、銀河系の主になるかもしれない。

20181118/yushima-salon